美術の窓

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公募展便り(2015年9月号)

「美術の窓」2015年9月号

第84回朔日会展

(6月21日〜6月27日/東京都美術館)

文/高山淳

 羽藤恒郎「静物」。この画家は、静物の中に不思議なイメージを吹き込む。高杯の上に赤い果実がいくつも入れられ、手前には洋梨が三つ。一つは貝の中に置かれている。大きな壺のようなものがそばにある。それぞれが塗り重ねられた色彩の中に輝く。静物が死んだものではなく不思議な生命感の中にとらえられ、お互いが響き合いながら独特のハーモニーをつくる。一つひとつのものに画家の魂が吹き込まれて、生きている存在として表現されている。

 羽藤朔郎「郡山」。青がこの作家独特の調子で繊細な輝きと奥深さを示す。青い山並みが遠景にあり、中景には青い屋根をもつ家や煙突などがある。そして手前には雑草と樹木がたち、左に川が流れている。その中にも点々と青が使われている。空も、青の中に雲がわき、少しピンクの色彩が入れられている。ざわざわと不思議な動きが画面から感じられる。いわば詩人の感性をもった、そんな感覚の独特の作品である。

第55回記念蒼騎展

(6月24日〜7月6日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 新井力也「争いの中で」。コブラたちが口をあけている。その胴体や目が強いイメージを発散するのだが、そのコブラたちの内側に人がいて、そこは暗く青い空間だが、鑑賞者をそこから眺めている。つまり、何匹かのコブラの様子が争いの寓意になっていて、それに囲まれた中に、あるいはそれをまるで頭巾のようにして、中で人間が考えながら鑑賞者を眺めている。戦争するのは指導者であって、庶民はまさにそのような中で、このような雰囲気で内向的にじっと考えこんでいるのが現実だろう。ヴィヴィッドな現代に対する風刺の表現と言ってよい。

 塩川吉廣「五島の教会」。塩川吉廣は二点出品。五島の隠れキリシタンを描いている。「殉教の道」は、遠景に教会を置いて、そこに行くまでの起伏のある地面の様子を描く。その起伏が困難な現実を暗示する。色彩は、この画家独特の塗りこんだ中からあらわれてくるコクのある輝きをもつ。もう一点の「五島の教会」は、新しいタイプと言ってよいかもしれない。教会の尖頂を下方に見て、その向こうに五島列島を囲む海がのぞく。上方の雲の切れ目のあいだからもうひとつの世界がのぞくような雰囲気になっている。現実と理想、地上と神の世界、あるいは徳川幕府と隠れキリシタンといったような、二項対立する世界をこのような壮大なコンポジションの中に表現した。この作品もまた緑の複雑なグラデーションが独特で、その色彩が鑑賞者を癒やすところがある。

 松浦正博「慈(じ)」。少年の後ろに若い母親がいる。少年は黄色い上衣。母は赤い上衣。そして、左手を少年の左肩にそっとのせている。少年は手を前に置き、指を開いて、手のひらを眺めている。そんな少年の後ろで、この少年を保護しながら少年を慈しんでいる母親の姿。右手は少年の右手よりすこし離れて置かれ、左手がそっと肩に触れている。その肩に触れている触れ具合が実に繊細で、この作品の魅力をなす。人と人とのかかわり方は、その触れるしぐさ、その性質で決まるところがあるだろう。そういうところにまで画家の創造力がしぜんと入り、そのようなコミュニケーションのかたちをつくりだしているところが魅力である。母と子の後ろにはオーラのようなものが立ち上がっている。そのオーラの中には過去の記憶や未来に対する夢のようなもの、混沌とした時間がそこにわだかまって、揺れているようだ。

 内藤建吾「秋しぐれ」。中景に樹木の紅葉している様子が色面の連続的なタッチのように描かれている。そこは抽象的な味わいであるが、遠景の山、近景の崖や水、植物はかなり具体的に描かれていて、そのあいだの抽象的なこのモミジの赤い様子が鑑賞のポイントになっている。また、煙や雲などが動きの要素として入れられているのが面白い。

 石川園子「春」。虫籠を女性が膝に抱いている。中に二羽の黒い蝶が入っている。女性は白いワンピースに白い帽子。向かい合うように、その前に黒いツーピースを着た女性が立っている。白と黒とのコントラスト。そのあいだに黒い蝶がゆらゆらと揺れるように浮かんでいる。清潔な空間の中に、飛ぶ蝶と虫籠の中の蝶があやしい雰囲気で、命というものの繊細な気配を伝える。

 萩田栄二「若葉萌える回廊」。お寺の廊下はもちろんこのように木の板でできている。色が変化し、すこしゆがむ。お寺の廊下が実に生き生きとリアルに描かれているところが面白い。両側には若葉が萌えて、その明るい緑がこの板のくすんだ様子と対照される。

 岩村美暉子「未来へ(A)」。乳飲み子を抱く若い母親。子は母の乳を吸っている。二人はそこで一体化している。いわば永遠の聖母子像ともいうべきコンポジション。紫によるソファやパンツや髪の色彩。背後の緑の空間。そこにあらわれてくる黄色による光線。三つの色彩に単純化したところも、印象を強くしている。

 飛澤均「白い道」。起伏のある大地にそって、白い道が丘に向かっている。樹木が点々と生え、白い壁の建物がいくつか集まっている。空には二十五日ぐらいの月が出ている。画家のつくりだした一種の幻想的風景である。この道を行く人の姿は描かれていないが、画家のイメージの中ではそこを歩いているにちがいない。

 髙杉學「パリ・河畔」。道すれすれまで水が来ていて、そこに船が繫留されている。道を歩く人や抱き合うカップル。後ろの高い塀の向こう上方にもう一つの道があって、そこにも人が歩いている。下方から樹木が伸びている。パリの河畔の情景であるが、日本と違ってゆったりとした時が流れている様子がよく画面の中に表現されている。パリを描くと、日本とはまた違った時間が表現されるところが面白い。不思議といえば不思議なことであるが。

 戸田哲雄「夏の終わり」。波が磯に向かって寄せてくる。オレンジ色の空を見ると夕方のようだ。鳥が飛んでいる。そんな斜光線の中にビキニ姿の若い女性が向こうに歩いていく。オレンジ色の光線に染まったボディや下方の地面。ノスタルジーがそのまま深いエロスと関係をもつようなシーン。後ろ姿の女性のフォルムに画家の強い審美性が感じられる。

2室

 田中淳一「壁ドン?」。コンクリートの壁の際に若い女性が立っている。全身像である。一種彫刻的な力強さがこのフォルムに感じられる。

 諏訪正子「ある瞬間(とき)」東京都知事賞。枯れたような草が広がる中に巨大な一本の樹木が立っている。葉が落ちて、その枝や梢の形がよく見える。二百年か三百年の樹齢があるような木の複雑な枝や幹の形を見ると、画家の想像によって描いたというより、やはりこのような木が現実にあって、その木と向かい合ってこのような表現になったものと思われる。そのように形が実に魅力。

3室

 杉浦勝彦「緑陰」。いま朝日が昇って、この茅葺きの家を照らし始めたようだ。しかし、夜はまだわだかまっているようだ。立体感のあるフォルムによって、臨場感のある民家の表現。庇のトタンの上にオレンジ色に輝いているものがあって、それが明るいアクセントをなしている。

 櫻井正興「語らひ Ⅱ」。緑の葉をつけた高い樹木が並んでいる下方に、若木が点々と生えている。大人の木と成長しつつある木とが呼応する。まさに語らいである。作者は学校の教師を長くやってきた。この絵を見ると、よき教師だったのだと推察する。長い教師の経験もこの作品の中に生かされていると思う。生徒と先生。生徒と大人。そんなイメージも感じられるし、社会を構成する大人と子供の寄り添う姿、協力する様子もイメージされる。

 板垣洋子「ほたる雪(元旦)」。ほたる雪というのは初めて知ったが、きっと大きな雪なのだろう。そして、光線の中に光るのだろう。岸壁に一万トン級の豪華船が繫留されている。岸壁には街灯がともっている。雪は降りやまない。ハーフトーンの中に、少ないシンプルな光線によって表現する。汽笛の音が聞こえてくるような、深い感情表現。

 瀬尾友紀「Disgusting Ⅰ」。屋根の上に沖縄のシーサーが二頭いて、口をあけている。その精悍な様子。後ろには地球のカーヴする際までの空間があらわれ、その前に戦闘機が飛んでいる。下方には船があって、中国の国旗が見えるから、尖閣諸島のようだ。手前の飛行機はアメリカのもの。そして、シーサーに向かい合って、上向きの白髪の男の顔が浮かび上がる。ディスガスティングとはむかつくようなという意味だが、尖閣諸島にしても、沖縄問題にしても、この画家の心持ちのなかではあまり共感できない物事のようで、画家の気持ちを託したものとして、屋根の上のシーサーが吠えている。そして、ぼんやりと上を向いて浮かんでいるのは、画家本人の顔なのかもわからない。ユーモラスで、力強い、ヴァイタルな表現。

4室

 三宅克「ティルタエンプル寺院の沐浴」会員推挙。ティルタエンプル寺院はバリ島にあるヒンドゥー教の浴場で、この水に当たると元気になるという。有名なパワースポットである。人々がその水に当たるために、この寺院に来て沐浴している様子が活気のなかに表現されて、生き生きとした群像構成になっている。

5室

 毛利征二「星の国」。空に天の川や流れ星や無数の星がきらめいている。夜空が画面の半分以上を占める。満月も浮かんでいる。下方には大きな湖があって、一艘の船が進んでいる。オールを漕ぐのは新郎で、花を持った新婦がウェディングドレスを着て座っている。新婚の二人は、いま夢のような心持ちにいるのだろうか。星いっぱいの夜空の下、周りは混沌とした未来で、それを湖が象徴する。そんな心象光景。

6室

 石川卓司「森への誘い」。亭々と杉のような樹木が立っている中を道が向こうに向かっている。土の褐色のしっとりとした様子。そこに斜光線が差し込んで、道や草や樹木の幹を照らしている。それほど大きな作品ではないが、誰もがそこに神秘を感じるような光景を、油彩画でしっかりと表現する。

7室

 舩﨑滋「障害飛越」。馬と騎手。中心は、いま障害物を飛び越えた瞬間。金属をコラージュしながら、モニュマン的な空間を表現する。

 藤井高志「母のいる風景」。藤井高志は二点出品で、一つは自分の三歳頃の写真からイメージしたような作品。自分本人と当時の建物。もう一つは「母のいる風景」と題された母に対する讃歌である。木製のベンチにお母さんが座って、頰に手を当てている。そばに犬の後ろ姿があり、チューリップが置かれている。チューリップは作者の感謝の心持ち。後ろに茫漠たる平原が広がる。上方に細長い雲が浮かんでいるのは、母親の後背と言ってよいかもしれない。クリアなフォルム。不思議な光線。その光線は記憶の光と重なるのだろう。記憶の光によって照らされた光線によって、現実以上にヴィヴィッドに母親の姿が浮かび上がってくる。

 児玉敏郎「3人のイブ」。すこし葉が紅葉し始めた頃の季節。中心にはワインレッドのワンピースを着た少女が赤い林檎を持って立っている。黒目を右に向けている。向かって左のほうは、白いグレーのワンピースを着た女性が黄色い林檎を持って俯いて、視線を下方に向けている。向かって右のほうは、濃紺のワンピースを着た女性が黄色い林檎を持って、視線を左に向けている。女性の顔はいずれも一緒で、衣裳を変えただけである。一種だまし絵的な表現。しっかりとしたフォルムによって構成されている。アダムとイヴは林檎を食べることによってエデンの園から放逐されるわけだが、このまだティーンエージャーと思われる女性も、林檎を食べて一つの幸福な時代からもう一つの時代に移っていくのだろう。そういった寓意性がしぜんと画面から感じられる。この女性と作者とは関係がきわめて近く、そのために衣裳を変えながら、こんな不思議なシーンをつくりだした。

8室

 斎藤梅次「私の風景 B」。「風景A」のほうはこれまでの延長の作品であるが、「風景B」は新しい要素が入ってきている。色彩がより明るく鮮やかになり、トランポリンの上に赤や黄色などの色面を置いて上下に揺らしているような、そんな弾むようなリズムがあらわれている。「A」のほうは、色面が風景の一部を構成して、それが道であり、森であり、公園であり、家であるというように広がっていくのだが、「B」のほうは、より心象風景に近い。風景をベースにしながら弾むような心象風景。光や水や樹木などのイメージが色面化され、お互いが響き合いながら一種の音楽的性質を獲得していると思う。

 武井浩「PUMPKIN─17号」。パンプキンシリーズであるが、この作品を見ると、まずモノトーンによる表現がダイナミックで、独特の訴求力が感じられる。パンプキンの種をデザイン化した巨大な旗のようなものが揺れているような趣である。対象を再現するのではなく、南瓜というキーワードを使いながら、イメージをどんどん進めていって、今回は巨大な旗が揺れる中に光線が差し込んでくるようなダイナミズムを表現した。

 大山学「AQUA(帰水空間)・RYU」東京都議会議長賞。水というものの聖性ともいうべき性質を、このねじれるような無限大の記号のようなフォルムによって表現して面白い。そのフォルムはまたメビウスの輪のようにも見える。ウルトラマリンのような青の中に、白い水が不思議な力をもって画面に引き寄せられている。

 坂野りょう子「夏の宵祭り」。盆踊りが描かれている。画面の比率を言うと一対五ぐらいの比率で、ずいぶん横長である。そこに少女が浴衣を着て後ろにリボンなどもつけながら踊っている。いちばん左向こうには赤々と電気に照らされた山車が出ている。右のほうには横笛を吹いている青年。左のほうでは、母親に連れられた女の子が赤い着物を着て犬を眺めている。その犬をもっているのは黄色いワンピースの女の子である。左右に動くような動きが感じられる。この祭りの中に入ったときの気持ちをそのようなムーヴマンのなかに表現している。動きと同時にデフォルメされたフォルム、明暗の柔らかな色彩のコントラスト。見ていると、臨場感というより、追想的なイメージがあらわれてくるから不思議である。

9室

 篠田満里「画像の果てに Ⅰ」会友推挙。ケータイやスマートフォンの画面はデジタル的な市松状の小さなビットによってできているが、それを拡大したような面白さである。そこに現代性が感じられる。両側に猫を従えた若い女の子がクイーンのように描かれている。

 青山征子「まほろばの声」。まほろばとはよきところという意味である。画家は日本のはるか古代、古墳時代とか弥生時代に思いを馳せる。この作品も不思議な幸福感に満ちている。横長の画面である。三枚のキャンバスを重ねている。道や広場やキッチン、あるいは木の葉、切り株。様々なものが描かれていると思う。ただ、それを抽象的な形で色面化して構成している。そのことによって全体にハーモナイズし、合唱するような独特の音色があらわれる。「声」という言葉を題名に入れているのは、そのような抽象性、対象から聞こえてくる、感じられる内容をさす。中心にオレンジ色の黄色い空間があって、まるでそこがスポットライトが当てられたように輝いている。そこは昼間とすると、両側は夜の世界になる。左のほうには大きな円弧があって、水のように感じられる。右のほうには深い夜の中に道が広がっているようだ。もっとも、いずれもイメージであるから、いわば薄明の、あるいは夜の空間の中に画家の想像力がそこを照らして、様々なイメージを引き寄せる。その経緯がそのまま絵になったといった趣である。いずれにしても、深い空間が色面構成によってあらわれている。

10室

 赤神ゆき子「静かなる決断」。大きな池のそばに桜の大木があって、八分がた花が咲いている。池には鴨が泳いでいる。それを猫が眺めている。その猫の後ろ姿と鴨と上方の花とが相まって独特の世界が表現されている。つまり、客観的なのか主観的なのか、その区別がつかないような空間の広がりに注目した。色彩も魅力である。

11室

 山元徳子「朝もやの中で」。青みがかった緑の葉を茂らせた大きな樹木が上方にある。その下に淡いベージュの小道が続いている。右のほうは川で、眼鏡橋のような橋が見える。その近景に一匹の猫が立って鑑賞者のほうを振り向いている。パステルカラーと言ってよいようなハーフトーンの色彩のハーモニー。加えて、猫の配置でもわかるように、それがそのまま心象風景と化している。

12室

 鈴木恵美子「ブダペスト」。オートバイとそれに乗るカップル。上方にショーウインドーがあって、ショーウインドーの中に大きなカップルがいるのが、なにか不思議なイリュージョンのように感じられる。

 大類真理「帰心」。二〇一一年三月十一日の津波に対するレクイエムのようだ。海は静かで、手前に大きな岩がある。突堤に鳥居が見える。いずれも沈黙したような風景である。水平線と上方の空とのあいだにわだかまる黄色い不思議な空間。すべてが静止して、深いレクイエムにこうべを垂れているかのごとき表現。紙彩画である。

 佐々木喜與子「秋・昇る白い月」文部科学大臣賞。佐々木喜與子は二点出品で、向かって右は「秋」。満月とススキ、紅葉した葉。向かって左は「春」で、枝垂れ桜が満開の様子で、その上方には月が昇っている。夜桜と言ってよい。月の光に照らされた枝垂れ桜が充実した陶酔境の世界。と同時に、現実からすこし浮遊して、もう一つの浄土のような空間があらわれている。それに対して秋に昇る白い月は、いま昇ったばかりの満月が大きく右下方に描かれ、その位置より高くススキが風に靡いている。上方の樹木には紅葉があるのだが、柿の実も赤くいくつかそこに残っているようだ。色彩的には、その赤と柔らかな月の黄色とススキの白とがハーモナイズする。実景というより心象風景に近い。昇っている月を風景が抱きしめているような趣もある。月と日本人との親和力の深さ。実際、月の満ち欠けを暦にしてきた長い歴史が日本人の心の中にある。

13室

 太田成子「オオシマ桜の移ろい」。素朴な壺にオオシマザクラが差されている。白い透明な花びら。紙の色を生かしながら、透明水彩でこそ表現できるような繊細な表現。柔らかな光が画面に満ちている。

第42回日象展

(6月24日〜7月6日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 古川照和「北限の刻 2015」衆議院議長賞。磯に波が寄せている様子を描いているが、色彩が独特で、青から暗い色彩に至るまでのヴァルールの変化が魅力。磯の波の騒いでいるその動き、あるいは海の水の深さをよく表現している。優れた写実力と同時に強いイメージの表現だと思う。

 渡辺啓輔「安曇野」。渡辺啓輔の作品が出品されているので驚いたが、賛助出品の由。安曇野を描いたもの。さすがに筆力があって、ぐいぐいと描きながら、そこにポエジーがあらわれている。

2室

 田村まさよし「小坂鉱山」。東京の郊外にもこのような風景はしばしば見受ける。急な下り坂になっていて、その向こうに二十階建てぐらいの建物が聳えている。その手前は工場のようで、大きなパイプがカーヴしながら連なっている。入道雲が出て、激しい日射しがこの光景を照らしている。強い臨場感が感じられる。

3室

 小池タケシ「北限の浜」。まだ半ば雪が残っている。その地面の褐色の色彩とすこし黄土色を帯びた雪の調子が、独特の華やぎをつくる。一艘の船が雑草の中に埋もれるように置かれている。青い船。左のほうには、赤い旗が傾いた竿の上ではためいているが、そこにも一艘の青い船がある。海は見えない。空は曇って、褐色やグレー。風が吹いている。ラプラードという画家が二十世紀にいた。日本人も好きな人が多かったと思うのだが、その作品を思い起こすところがある。ハーフトーンの色彩のハーモニーに不思議なほどの甘美さが感じられる。無人の浜であるが、なにか懐かしい。翻る赤い旗も二艘の船もそうであるが、北限の浜というように、厳しい自然環境の中の風景というより、むしろ秘密の場所を誰か親しい人と共有しているといった言葉が浮かぶような、不思議なオーラがこの風景に漂っている。

4室

 岩城満「松籟」。松の屈曲した幹が近景にある。中景にも同じようなフォルムが小さく、もっと明るく表現されて、上方は松独特のあの緑の色彩を、ディテールはあまり追わず、全体を大づかみの雰囲気で捉えている。右のほうに地面が見える。どこか文人画を思わせるような精神の働きを作品から感じることができる。

第20回記念アート未来展

(6月24日〜7月6日/国立新美術館)

文/磯部靖

1室

 濱井隆「春の詩(コンポジションの調べ)」内閣総理大臣賞。様々な色彩が自由に画面の中で輝いている。赤や青、黄や緑、白。それらが調和しながら、まるで歌うように生き生きとしたメロディを奏でているようだ。ところどころに白い直線でアクセントを作り出しながら、画面全体を一つの作品として纏め上げている。

 岡庭荘二「群るメロデー」外務大臣賞。画面の右側に円を、左側では上下に長く象られたフォルムが浮遊している。そこに赤や黄、黒によるドリッピングを重ねたり、黒い自由な線によって動きを作り出している。どこか細胞や微生物のような、生命力を感じさせるところがおもしろい。それらがすこしずつ変化していきながら、独特のリズム感を作り出しているところが特にこの作品のおもしろさだと思う。

 田中栄一「割れる実の情景('15─Ⅴ)」第20回展記念賞。大きく描かれた石榴が割れている。左下方には白い鳥の姿が見え、背後には風景もみえるようだ。割けた石榴の激しい様子が、鑑賞者を強く画面に惹き付ける。コクのある色彩をじっくりと扱いながら、イメージ豊かな作品として描き上げられている。

2室

 鴨下清作「サントリーニ島(ギリシヤ)」。遠景に崖を望む画面構成がドラマチックである。右手前には女性がお茶を飲む姿が見える。家屋の壁は白く、それらが重なるように奥へと続いていく様子が、強いムーヴマンを作り出し、鑑賞者をぐいぐいと画面の中へと引き寄せるようだ。そういった画面づくりに絵画的なセンスの良さを感じさせる。

4室

 ナカムラケンスケ「奏」会員推挙。若い女性がピアノを弾いていて、その様子を真横から見て描いている。女性の衣服もそうだが、画面全体で色数が少ない。しかしながら、奏でられるメロディは豊かに感じられる。バックの効果の作り方など、うまく演出して魅せているところに注目した。

 中居里子「Bonne soirée!」。街角にある華やかな店が賑わう様子が、魅力的に描かれている。人々が語り合いながら商品を求め、足元には猫などが近寄ってきている。生き生きとした情景が、鑑賞後の強い余韻を残す。

 竹内英子「夏至」。明るく透明感のある赤の色彩を中心に扱いながら、食事をしたり演奏したり、語り合う人々の様子が実に生き生きと描かれている。集まった人々による熱気がその色彩となって浮かび上がってきたようで興味深い。奥には天蓋との間に青空も見え、気持ちのよい風が吹き抜けてもいっているようだ。独特の群像表現であり、竹内作品特有の色彩の扱いと人物描写が強い魅力を放っている。

5室

 松下進「戦いの女神」奨励賞・会友推挙。クリアな描写で、女性と雌のライオンが描かれている。多数の小品を展示していたが、掲出の作品が特におもしろいと思った。独特のデフォルメを施しながら、画面全体で女性の持つ強さと美しさを表現している。

8室

 有賀敬子「未来樹~共存」。サクラを使った木彫の作品である。母と子の愛情、人間と自然との共存をヴォリューム感のあるフォルムによって表現する。サクラという素材特有の堅さを感じさせない、やわらかな線の流れが特に魅力で、画家の深い心情が静かに浮かび上がってくるようで印象深い。

10室

 小淵晶乃「Elegie」会員推挙。秋を思わせる画面の中で、黒や白の欠けた円弧が散っている。しっとりとした中に心地よい詩情が生まれてきている。

 関根悠一郎「さかなぷっくら飛行船」。細やかにペンによって描き込まれた魚型の飛行船である。画面に近づいて見ると細部の機械まで手を抜いているところがない。ユーモラスなイメージの中に、独特のリアルな世界観がある。

12室

 中瀬千恵子「二つの太陽」。暗色の世界の奥に富士山の姿が見える。富士山は赤く照らされ、上方の太陽から、はらはらと金の光が降りてきている。下方手前は湖になっていて、富士山の姿もうっすらと映り込んでいる。描かれてはいないが、太陽も写っているのだろう。暗鬱とした世界の中で、太陽の力強い生命エネルギーとその恵みが、鑑賞者に強い印象を残す。中瀬作品に見られる命の素晴らしさが、こういった深い心理的な奥行きを孕みながら表現されているところに、今回特に注目した。

第30回記念日本水墨院展

(6月24日〜7月5日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 川嶋秀子「追憶」。雪の積もった山間を蒸気機関車がこちらに進んでくる。石炭を燃やして、煙を出しながら走る機関車は、なにか人間的である。電車がデジタルであれば、蒸気機関車はアナログ。機関車の姿を雪の中に捉えながら、ファンタジックな空間、題名のように追憶の空間をつくりだした。

2室

 村山華凰「帰天」。下方には、海が荒れて船が沈没している様子が描かれている。二〇一一年三月十一日の津波の出来事である。そこから上方に弧を描きながら、巨大な牡丹のような花が無数と言ってよいほどの数で天に上っている。その上方のフォルムを見ると、日本列島のような形になっているのも興味深い。大きな花だけでなく、小さな花や蕾も同じように上方に向かっている。あるいは、銀の砂子をまいたように、小さなものたちも上方に向かっている。亡くなった三万人近い人々の魂が天に帰ろうとしているイメージである。津波の三部作の三作目。画家の祈りの表現である。作者は仙台にしばらくいたことがあって、この地に親しい気持ちをもっていただけに、地震と津波に対する深い悲しみの表現である。しかし星と花とが一体化しながらうねるように上っていく様子は、いかにも日本的な表現だと思う。死を陰惨なものとして捉えるのではなく、いわばふるさとに帰るような、そんな心持ちで描いているところが筆者の心を打つ。

6室

 林寿子「晩秋」佳作賞。二頭の鹿。手前の鹿は頭を下げて草をはんでいる。後ろの鹿は前のほうを眺めているが、また、手前の鹿を横目で見ているようなユーモラスな雰囲気。両側に樹木が立ち上がり、梢の先に葉を茂らせている。余白を生かしながら、必要な部分に墨が入る。とくに鹿の周りは輝いているような空間になって、上方のしっとりとした陰影のある空間とリンクしながら、心の中に鹿のいる森をイメージする表現になっている。

15室

 大平華泉「渓山悠々」遺作。日本水墨院は今年、三十回記念展である。村山華凰の先生である大平華泉の「渓山悠々」が出品された。墨色が実に精神的な深さをもっている。右のほうから滝が下りてき、左のほうからは急峻な坂を水が下ってきて、下方で二つが合体する。山の奥にある切り立った険阻な空間とそこに流れる水が神々しく表現されている。とくに水はまさに精神そのものの実在を主張するかのごとき表現である。筆者は大平華泉先生と親しく交わった経験がある。突然この作品がこの会場に出て驚いたのだが、改めて先生の筆力、あるいは精神の高さを確認したのである。大平さんがこの日本水墨院をつくったのである。

15室

 村木千里「湿原」。上方にところどころ水のある湿原が続いている様子。空を映して、水が白く輝いている。茫漠たる広がりで、淡墨による表現であるが、下方に行くと一転して、色とりどりの花が咲いている。黄色い花、ピンクの花、紫の花。絢爛ではなく、むしろ地味な雰囲気で咲いているが、なにか人の心を癒すものがある。その花と上方の無彩色の湿原とのコラボレーションによって、風景全体が魂の表現のように感じられるところが面白い。

第27回現代パステル協会展

(8月2日〜8月10日/東京都美術館)

文/紺世邦章

1室

 小林順子「界 KAI」。少し屈んで振り返る女性の姿が、鏡あるいは水に映っている。天地が逆になっている。空には、銀河があるように青色に濃淡が付けられている。そこにははくちょう座らしき星座が輝いて、所々花もあしらわれている。逆さに見た状態で均整・調和が取れているからか、じっと鑑賞していると星空に吸い込まれて落ちていきそうな、不思議な感覚を覚える。

 大河原晶子「過ぎゆく」。漁村の風景である。雑然としたモチーフの中に、沢山の色を重ねている。大きな瓶やロープなど、細かなモチーフを丹念に観察・描写する。青い色調が画面全体の孤独な雰囲気を作っている。画面上部の屋根のような部分が斜めに入れられていることでスリリングな印象が生まれ、画面に緊張感が漂う。

 松田登「月光」。全体に色味を抑えた空間に、大きな満月が見えている。淡い色に包まれた部屋には漆塗りの箱から取り出された能面が置かれ、その後ろには枯れた向日葵、巻き貝の殻、絵画などが置かれている。能面は見方によって様々な表情に見られると言うが、この作品に描かれた能面は月の光を浴びて、他のモチーフにはない色味を帯びながら妖しく微笑んでいるように見える。

 さきやあきら「巣」。空間に大きな鳥の巣がある。その巣の中に、卵が2つ入っている。空間はグレーの色調であるが、巣の内側は暖色が多く用いられていて、卵から溢れる生命感が感じられる。この作品には、卵の主である親鳥の姿が描かれていない。卵から孵れない雛達がいつまでも帰ってこない親鳥を待ち続けているような、強い寂寥感が表れている。

 岩井弘則「女」。女性の後ろ姿を独特のフォルムで描いている。力強い紫色の線で、腕、背筋、臀部、脚線などをつとめてシンプルに描き込むことで、藤色の面の中からしなやかな体つきの女性が立ち現れるようである。背景部分の黄色やオレンジと相まって、抽象的な趣きとミステリアスな雰囲気が作られている。

 森本克彦「窓辺の人」。窓辺に黒い服を着た女性が腰かけて、楽譜を読んでいる。部屋に入ってくる陽の光を、様々な色調とタッチで表現している。窓の外は建物が並んでいるのだろうか、灰色に近い色彩で、四角形がいくつか見えるように描かれている。それに対して女性に射す光は明るく、また軽快なタッチで描かれている。

 細野基子「飛鳥(萌)」。飛鳥の石と水の都のイメージから、画面を自由に構成した抽象作品である。地面に亀裂が入っているような線があって、風化したような質感が表現されている。そこに重ねて水の流れを軽やかに描く。その水色が特に印象的で、太古の水に想いを馳せているようだ。

 岩崎光子「花の精 No.‌14」。いくつかの花を組み合わせ、ひとつの形を作る。その背景には、木の幹や枝の部分が描かれている。黄色い背景を黒抜きにして左上に描かれているのは太陽だろうか。その光を浴びて力強く育つ花の集まりを、生命の象徴として花の精のように描く。

 井手幹夫「不変の彩」委員推挙。様々な種類の花と、青い服の女性。指を絡ませながら左側を見て、少し微笑んでいる。女性を囲むように配置された花々はいずれ枯れてしまうが、この作品では女性の美しさは不変と讃えるように表現されている。女性の自然な表情を魅力的に表現している。

 前田敦子「彩風」会員推挙。青を基調とした抽象に近い作品である。前年の作品は建物のように見えるイメージがあったが、今作はよりモチーフのかたちを曖昧なものにしている。赤を含んだ形態は青い風のような描写に隠されながら、所々前面に出て来ている。おぼろげな記憶を辿って何かを思い出そうとするような、心象をなぞった作品のように見える。

 高木匡子「夢の夏 2015」文部科学大臣賞。無花果と思われる果実が成熟し、その葉が画面の左右にかけて広がっている。果実にあたる光が緑色で表現されて、植物がうっそうと茂った印象を強くしている。植物の描かれていない空間はぼんやりとして、霧がかかったようである。そんな中に忽然と植物が浮かび上がる様子に、夢の中で夏の森や果樹園のような場所を彷徨っているような、幻想的な雰囲気が感じられる。

 西原直子「漣(さざなみ)」会員賞。前景は海に面したテラスのようで、女性が一人佇んでいる。遠景の島からは船が、女性のいる方へ向かって来る。物語の冒頭のような一幕を、藤色で統一された空間のファンタスティックな雰囲気で表現している。

2室

 西兼音壽「わだつみ」大阪市長賞。リボンの付いた麦わら帽子を被った肉付きの豊かな女性。青い空間の岩場のような所に腰を掛け、黄色いオーラを帯びている。わだつみは海神と書くから、この女性は海の中にいるのかも知れない。ほの暗い水の中でうつむきながらも凜々しく見えるその姿を、海の主宰神の姿に見立てた作品のようだ。

 斎藤共永「廃炉幻想」準会員推挙。事故によって停止した原発のイメージ。錆び付いて崩れ落ちている外観は、現在稼働している原発の姿とは異なっているだろう。原発が負の遺産として形骸となった未来の姿を想像しているように見ることができ、このような施設にまつわる悲しい事故が二度と起きなくなることを祈っているような、切実な思いが感じられる。

 長野ひとみ「秋の蓮池」。枯れていく蓮の姿を描いている。まだ緑色の葉もあれば、既に枯れてしまった葉もある。前景には、蓮の中に紛れるように女性が一人描かれている。どこか遠くを見つめているようだが、表情は見えない。それでも作品の色やモチーフの様子から物憂げな雰囲気が感じられて、この女性は枯れていく蓮が人格化された姿のようである。

 北浦玲子「アズレージョによせて」。頭にバンダナを巻いた女性が、膝を折って座っている。その背後には天使のような人物群像が描かれている。アズレージョとはスペインやポルトガル特有のタイルで、青色に特長があるようだ。そのアズレージョから意匠を借りた背景、深みある青色と女性の服の臙脂色との対比に、ロマンティックな雰囲気が漂う。

4室

 田村公男「水郷めぐり」。水郷めぐりとは、近江八幡で行われている舟による観光のようだ。画面左側には川があるが、水のハイライトは白く抜いて、水面の揺らぐ様を表現している。右側の陸地には水色が加えられ、爽やかな印象を作っている。舟のたまり場で淡々と仕事をする船頭と観光客。その場にいる人々の営みを爽快な色と明快な輪郭で捉えて、そこに流れる風や空気感をも表現している。

5室

 魚森光代「帰路」東京都知事賞。石でできた建物群と、階段を上っていく人物。階段には空と同じ青で影が落ちている。ダイナミックな構図と人物が体を曲げた様子から、この階段は急であることが伺える。ここで暮らす人々にとっては日常である家までの険しい道のりに着眼して、そこから受けた驚きを伝えているような作品である。

6室

 城本泰子「静寂」。雪の林を描いている。パステルの線の質感を活かして、引いた線をそのまま木の枝として表現している。人里離れた山中で雪の寒さに耐えながら静かに木々が生長し、上へ上へと伸びていく様子がよく表現されている。

 瀧川信介「モンマルトル暮色」会員賞。モンマルトルの夕方の景色。街の明かりや歩行者の影が道路に映っているのは、雨が降ったからだろうか。幾つもの色を層のように重ねながら、互いに溶け合うような色調を作り出している点が面白い。また画面は全体的に青紫に塗られているが、遠景の建物の壁を一部白くすることで、奥に抜けていくような印象を作り出しているのも面白い。

8室

 塩川久代「ときめき」。金髪の女性が、植物のある部屋の窓から外を眺めている。外では最盛期を迎えた草花が賑やかな様子である。レースのカーテンは風にそよいで、薄く柔らかに表現されている。身ごもっている女性が、新しい命が誕生することへの希望に溢れている情景である。

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