美術の窓

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公募展便り(2015年8月号)

「美術の窓」2015年8月号

第29回日洋展

(5月27日〜6月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 松野行「ブッダの村にて」。画面に使われている独特の赤い色彩が圧倒的な印象を与える。インドに発見した画家の色彩である。瓦屋根の一階建ての建物。棕櫚のようなものが集められて、吊るされている。若い子牛がそばにいる。手前は赤一色の無地の空間になっているが、そこに鶏が二羽、前後して置いてあるのも象徴的である。素朴な大地とともに生きる人々のイメージをしっかりと焼き付けるように画面に描く。

 横田律子「岬の明日」損保ジャパン日本興亜美術財団賞。海岸沿いの風景である。砂地が続いている手前に花の生けられた壺や時計、ドライフラワー、籠などが集められている。画家のアトリエの中を思わせる。そばに奇怪な岩があって、その岩はたくさんの穴があいている。海水が、あるいは風が浸食して奇怪な形に岩をうがち、洞窟のようなものがそこにつくられている。そこに入江の水が引かれて、周りに青い水の色彩が置かれているのだが、その岩の隅に横顔を見せる女性の顔が浮かぶのがあやしい。この岩は一つのすみかのようになっている。左下には窓が見える。このくねくねとしたあやしい建物、洞窟の上方には、小さな屋根のついたあずまやのようなものさえものぞく。画家の心の中に住みついたあやしい住まいであり、画家がたくさんの様々なイメージをくむことのできる心の中の洞窟のようなイメージが画面の中にあらわれたことに驚く。画家は、どちらかというと、自己自身を訪ねる旅を絵に描いてきたが、今回はその心の奥にある何千年も前からのDNAまでも感じさせるような、あやしい存在があらわれて、それを表現したことが実に面白いと思う。

 相本英子「ダリア」。丸いテーブルにベージュの布が掛けられ、そこに黄金色の花瓶が置かれ、赤いダリアがたくさん生けられている。ダリアの小さな花弁が集まった、厚みのある一種球体を思わせるような形。それが赤く輝いて、まるで全体で太陽のようなものがそこに存在するかのごときイメージがあらわれる。それに対して、格子状のガラス戸の向こうには緑の植物や樹木の葉の茂っている様子がしっとりと表現される。周りのそのような落ち着いた調子に対して、画面の中心の丸いテーブルの上にある花瓶に差されたダリアの色彩が実に見事。

 井上伝蔵「路傍」。樹木の根がむき出しになっている。地面に段差があって、その地中にある存在があらわになっている。そのアルカイックで伸びていく形のもつ面白さを画面の中によく表現している。

 山本恭平「結い」会員賞。濁流が流れている。そばに樹木の切り株があり、雑草が生えている。そんな一隅をしっかりと描く。再現的に描きながら、そこで物語が徐々に進行していくようなイメージの深さが感じられる。

 黒政幸義「土」井手宣通賞。褐色や黒、グレー、黄土などの色彩が混在して、独特の波動が感じられる。じっと見ていると、左下にテーブルのようなイメージがあらわれる。そして右のほうに道が向こうに続いていくようで、道の入口に仏像が立っているような不思議なイメージが感じられる。道の右上方には建物のようなものが見える。「土」という題名であるが、筆者にはそのような道や建物、そして地面、空の光、月の光などが渾然として、空間に加えて時間的要素が入れられた独特の表現だと思う。内側から輝いてくるような波動や光、色彩が魅力である。

 楠崇子「ひとと女」。向かって右のほうに白いテーブルがあり、その向こうに赤い上衣を着た女性が座っている。後ろに黄色の原色が置かれて、真昼の時間の女性のようだ。そばの観葉植物の大きな葉もきらきらと緑に輝いている。それに対して左のほうに横を向いた女性が座っている。青い衣装をつけた女性で、それは夕暮れから夜の時間帯の女性のようだ。ところどころ肌や衣装に黄色い色彩が置かれているのは、月の光のようだ。二つのシチュエーションの女性を置く。同時にそれは夜の時間には瞑想的な雰囲気があるし、昼の時間はもっと激しい光や活動的なイメージがそこに漂って、二つの像を置くことによって独特の心理的な問題があらわれる。もともと画家は詩人的な感性があって、それが魅力である。この作品はそれに加えて内向的な自分と外向的な自分というような、二面性が画面に統合されて表現されているところも面白いと思う。

 武田直美「冒険のはじまり」國領經郎賞。赤い船に子供たちが九人乗って航海している。進行方向のいちばん前に乗る人は普通運転するわけだが、それは少年で、野球帽をかぶって本を読んでいる。後ろに二つの旗があって、紙を丸めて望遠鏡のように見ている人、指差している少女、あるいはヴァイオリンを弾く人、後ろのほうでは双眼鏡をもって後方を眺めている少女もいる。この船はおもちゃの船のようで、赤いペンキが塗られている。上方の空の星や水の流れも様式化され、図像的に表現されている。いわば旅の始まりといったイメージを一種童話的に表現して楽しい。

 達哉ムチャチョ「生命の梢」会友推挙。下方から坊主のようなフォルムがいくつもあらわれて、灌木を思わせる。上方には枝が伸びて、その先に黄緑色やビリジャンの球体があらわれている。下方にはオレンジ色の球体が連続していて、独特の生気のある様子。灌木も高い樹木の枝もそれぞれ息をしながら伸びて、お互いに目に見えないところで呼応しているような、そんな生命感を生き生きと表現する。

 磯部美代子「海譜―2015」委員賞。漁師の使う綱や網などが円状に配置されて、巨大なエネルギーをもって画面に描かれている。それは単に置いてあるのではなく、旋回しているような、そんなムーヴマンも感じられる。中心が黒くあけられた下方に、サザエなどを中心とした巻貝がいくつも集まっているのも面白い。作者には旋回するという動きに対する強い興味があるようだ。その旋回する渦巻き状の動きの一つとしてサザエのような巻貝がピックアップされ、それらが集められて不思議な雰囲気。お互いが仲間のような感じで海のイメージを発信する。それに対して綱や網が漁師のイメージを発信し、二つがお互いに呼応しながら海、漁師讃歌といったイメージがあらわれる。

 安田祐治「モンマルトル賛歌」。モンマルトルの丘の上にはサクレクール寺院が立っている。日を受けて白いドームがきらきらと輝いている。斜光線がこの街に差し込み、その下方の家も白く輝かせているが、もうひとつ下方になると、どこかの建物の影になっているのだろう。明度が落ちて、その落ちた中での色面の組み合わせになっている。ちょうどいちばんてっぺんのサクレクール寺院に合っていたピントが、だんだんと下方に行くに従って曖昧になってくるような、そんな雰囲気である。それがまた一つのモニュマン性を画面に与える。白い雲が浮かんで、空が約六割ほどを占めているだろうか。お互いのフォルムが静かに響き合いながら、清々しいロマンティックなイメージがあらわれる。

 小塩武「ガード附近」。新橋から有楽町、東京駅にかけてのガードは煉瓦でできていて、その下が店になっている。そんな場所は東京以外にもあるのかもしれないが、その独特の触覚的な建物の雰囲気を画面によく引き寄せていると思う。落書きなどの文字がそこに入れられて、楽しいリズムをつくる。その煉瓦から下の建物まで明るい調子で描かれているのが、上方は夜の中のシルエットのビルが立っているといったように描かれているのも、独特のコントラストである。空は赤紫色で、夕暮れの都会のビルとガード下を面白く構成する。

 松浦桂子「ある日」。褐色やオレンジ色の色彩が静かに響き合う。空も同様の色彩で、秋の夕焼けの景色のように思われる。紅葉した朱色と夕焼けのオレンジ色などがお互いにリンクしながら、物悲しいような、ロマンティックなような、ひと寂しいような風景があらわれる。淡々とした表現であるが、そこにしぜんと起きるハーモニーが鑑賞者を引き寄せる。

2室

 宗方麗「電波塔」委員賞。建てて長い時間がたったと思う二階建ての建物。上方はコンクリートでできている。その屋上に塔が立っている。後ろはトタン屋根で、ガレージになっているようだ。そばの階段を上っていくと、木造の建物の入口になる。長く風雨にさらされたような建物の上の電波塔が、もう一つのよみがえるようなイメージを発信する。祖父がいて、父親がいて、その下の子供がまた未来に向かって発信していくような、そんな寓意性さえも感じられる。しっとりとした雰囲気のなかにそんなイメージを筆者は感じるのである。

 上田龍子「万田坑(赤煉瓦)」委員推挙。万田坑は三井三池炭鉱の一つで、現在、世界遺産に申請中である。三井三池炭鉱は江戸時代から採掘が行われてきたが、一八八九年、三井財閥に払い下げられ、日本の近代化を支えてきた。この煉瓦を積んだ建物とアーチ状の窓には、歴史の中に残った強い存在感がある。地中深く石炭を掘る労働者たちがここで喜怒哀楽とともに生きてきた。その存在がしぜんとこの建物から感じとられるようだ。アーチ状の窓が五つあって、それが諏訪川の光景を映している。有明海なのかもわからない。百年以上の歳月を過ごしてきたこの建物の存在感ともいうべきものをよく表現する。自然や町の移り変わりをこの建物が眺めてきたといったイメージもしぜんと感じられる。有明海も埋め立てによって漁業が滅びて、それを水田にするのか、いままでどおりの魚のいっぱいいる海として存続していくのかといった問題も、こんにち長く係争されている。そんな歴史もこの窓は眺めているようだ。

 井上稔「炭(SUMI)」。グレーのバックに炭になった枝を縦横に配して、独特の楽しい動きとファンタジーを表現する。枝が炭になることによって、違った存在としてあらわれている様子を楽しく描く。燃料としての役目を果たすわけだ。炭の中にそのようなエネルギーが詰まっている様子を、ユニークなコンポジションの中に楽しく表現する。

 遠山悦子「臥龍桜幻想」委員賞。臥龍桜の幹や枝を墨で表現する。そこに花を、ちょうど胡粉を垂らすように絵具を置いて、ぽってりとした厚みのあるふくよかな表現にする。背景は箔を貼った様子。油彩画のもつ写実的な力と日本画のもつ様式性、装飾性。そして墨のもつ独特の精神性。三者を画面の中に生かしている。上下二枚のパネルを、左右にすこしずらすことによって空間に余韻と変化を与えているところも面白い。

 鹽野惠子「パッション」。フラメンコを踊る女性。衣装のかたち、あるいは人間の顔や手のかたちなどが、フレスコ画を見るようなマチエールになっているところが面白い。茶色や青、緑、オレンジなどの色面に月のようなフォルムを置き、黄金色の衣装を着せた踊り子の姿には動的な力と装飾性と色彩の輝きが感じられる。

 長野ひとみ「愛する人へ」会友賞・会員推挙。パステルによる表現である。背景にはたくさんの蓮の葉が枯れかかった様子が描かれている。花托を持つ女性。座って目をつぶって悲しんでいる女性。立ってうなだれている女性。いずれもそこには白い布が掛けられている。四年前の津波で亡くなった人への深いレクイエムの表現のように思われる。パステル画の大作であり、ぐいぐいと描きこんだ筆力が魅力。その筆力によって強いムーヴマンがあらわれている。

 杉正則「エルベ川への道」。道が向こうに向かって続いている。両側に広葉樹や針葉樹が立っている。その樹木に対すると小さく感じられる建物。煉瓦造りのようだ。空に白い雲が出ている。柔らかな光線が差し込んでいる。画家独特の壁画を思わせるようなマチエールが安心感を与える。道の向こうにやがてエルベ川が眺められるのだろう。そこに行く道ということになるが、道も草も樹木も建物も、ある時間のしみ通ったような存在として描かれている。左のほうに白い可憐な花が咲き、鳥が浮かんでいる様子も面白い。とくに鳥は時間を旅する存在のように感じられる。その鳥はまた画家自身を投影した存在なのだろう。空間のみならず、時間というものが表現されているところがユニークである。

 小寺和子「凜 2015」委員賞。フラメンコを踊る女性の全身像。一種彫刻的なフォルムの力強さが感じられて、そこが魅力である。また、斜光線がこの女性に差し込み、ところどころ照らしているのもロマンティックだと思う。

 有賀麻里「森の記憶」会友推挙。魚眼レンズで眺めたようなコンポジションになっている。地面が傾き、樹木が斜めに動き、その向こうの建物も同様である。そして、山並みの上方は黄色く輝いて、夕焼けの空のようだ。そこを中心にポイントを当てて円弧がつくられるコンポジション。つまり、魚眼レンズ的な空間の扱いによって、その空の一点に向かって気持ちが動いていく。郷愁とか憧れといった感情がしぜんと画面からあらわれてくる。

3室

 歳嶋洋一朗「地中海の街」。画家は現場で写生をする。それによって、この地中海の海の色彩、そして光線に輝く町並みや地面の色彩があらわれる。繰り返しストロークを重ねることによって色にコクや輝きがあらわれる。しぜんと空間の奥行があらわれる。画家が現場でこの風景と対峙したその目の力が画面に生きている。

 片岡世喜「ノスタルジア」。画面全体水である。上方には木蔭が映っている。その水の上を低く鳥が飛ぶ。その鳥を水が映している。さざなみのような波の動き。一面の水からしぜんと静かなメロディが聞こえてくるようだ。まるで心の中をのぞきこむような空間の広がりと奥行が表現されている。

 稲葉徹應「時空の情景」。オレンジ色の極楽鳥花が花を広げている。まるで太陽の一部をそこに引き寄せたかのような輝き。それを抽象的に画面に配置し、近景に太い柱を縦横につくりだした。たとえば東大寺のような巨大な建造物を仮定して、その隙間から極楽鳥花が見えるといったユニークなコンポジションである。画家は学生時代に山口長男に師事した。この太い柱の組み方を見ると、筆者は山口長男をしぜんと連想した。冒険的なコンポジションをつくりだした。

 三原捷宏「海峡・舟折りの瀬戸」。いま朝日が差し込んでいるようだ。ゆるやかに波が寄せてくる。秋もたけた頃だろうか。葉が落ちかかった様子で、雑木の褐色に紅葉した様子、あるいは草の茶褐色の様子と緑の海の色彩とが静かに呼応する。対岸の周りの低い陸地に存在する家々とその後ろの山並み。舟折りの瀬戸は狭い海峡であるが、その様子をよく表現して、親しみがもてる。空のイノセントな赤い色彩。その色彩が海を照らしている様子。そして、手前の褐色の地面の草の様子。青い山並みと緑の瀬戸内の海の表情。そこに少しピンク色の光が差し込む。穏やかな中にゆったりとした動きがあらわれる。それぞれの形によって囲まれた海のかたち。優れたコンポジションである。島の上の小さな灯台が隠れたアクセントになっている。

 塗師祥一郎「蔵王山麓雪景」。近景は地面の起伏に従って雪が二メートルほども積もっているような雰囲気である。ふかぶかとした雪の積もったカーヴするかたちが見事に描かれている。そこにはイノセントでピュアな雰囲気があらわれる。そのあいだから雑木が立っている様子。そして、この近景から中景の地面よりすこし低いところに家が幾棟も立っている。針葉樹や広葉樹のあいだから、屋根に雪のつもった民家が幾棟もあらわれる。そして左のほうには、はるか向こうに太平洋と思われる海が白くのぞいているようだ。だいぶ日は低くなっていて、雲によって一部遮られている。しーんとした気配の中に雪の青みがかった、あるいはすこし紫がかった色彩が、いま降ったばかりの雪のような雰囲気で描かれている。実際にいま雪は降り続いている。雑木に点々と雪が降っている様子が描かれている。だから、いま降って積もっている雪のもつその感触が実に画面の中に表現されているところが、この作品の魅力である。そして、低いところからの太陽。しかし、雲に遮られて、その斜光線はゆるく、ほんわりとこの風景を染めている。曲面によってできているのだが、曲面や曲線の扱い、その連続性によって実に優雅な動きが画面の中にあらわれている。近景のなにもない、積もった雪の起伏のあるカーヴする曲面の形が画面の半分以上を占めていて、それが決して鑑賞者を退屈させない不思議な力を発揮しているところも魅力である。

 内山孝「行く秋・大曾天主堂二〇一五年」。斜面の上に茶色い色彩で大曾天主堂が描かれている。下方には民家が並び、海が青く、波に揺れている。空は黄色と紫の二色によって表現される。天性のカラリストである。色彩によってこの隠れキリシタンの里の様子を表現する。

 小灘一紀「五柱の別天つ神(古事記)」。天地が初めておこった時、高天原に成れる神の名はアメノミナカヌシ、次にタカミムスヒ、次にカミムスヒ、この三柱の神々はみな独神として成りまして、身を隠した。次に国土が若く浮いた脂の如くして、クラゲが漂っているような時、アシカビの如く萌えあがるものによりて成れる神の名はウマシアシカビヒコジ、次にアメノトコタチ、この二柱の神もまた独神として成りまして、身を隠した。上のくだりの五柱の神々はコトアマツカミである。そのあとに神世七代の神々が成るわけだが、その五柱の神が渾沌とした天地にあらわれてくる様子を、不思議なもこもことしたゲル状の存在のように画家は描いて、実にあやしい雰囲気をつくりだした。『古事記』の冒頭の不思議な記述をこのようなかたちで絵画として描いた。シルエットに五つの神のフォルムが浮かび上がり、渾沌としてまだ形をなさないような不思議なフォルムがその下方に群がるようにあらわれてくる様子が実に異様である。天地初めの不思議なイメージを表現する。

 櫻田久美「初秋」。池を背景にススキが群がっている。その穂の銀灰色の形と水の空を映したすこしピンクがかったグレーの色彩とが静かに響き合う。また、それを囲むテールベルトやビリジャン、カドミウムグリーンなどの緑の色彩が、ふかぶかとした人々を癒やすような色調をつくりだす。平凡な光景でありながら、しみじみとした情緒を感じさせる表現である。とくに左のススキの穂の表現には強く惹かれるものがある。

 星川登美子「ゲラゲッツァ・フェスティバル」。メキシコのお祭りが描かれている。笛を吹き、歌を歌いながら人々が行進してくる。左のほうでは、三人の女性がカラフルな衣装を着て踊っているようだ。右のほうには、頭の上に星や月をかたどったフォルムを載せて、踊り子がやはりこちらに弾むような足取りで歩いてくる。あいだに横笛やピッコロを吹く人、あるいはチューバのような楽器を演奏する人のフォルムが見える。面白いのは、手前に七面鳥が描かれていることだ。ユーモラスで、いかにもお祭りにふさわしい派手な飾りがそのまま七面鳥の翼や羽の形になっている様子で、やがてこの七面鳥は焼かれて食べられるのだろうか。暖色を中心とした中に色面的にフォルムを組み合わせて、見事なハーモニーをつくりだした。

 小川満章「室内」。コーヒーカップを持つ若い女性。テーブルに向かっている。後ろには窓があって、明るいグレーの光がそこから差し込んでくる。光がたゆたうことによって陰影があらわれる。そんな光の揺らめきともいうべきものを、女性像を媒介にして生き生きと表現する。

 難波佳子「春・暮色」。ソファに座る女性は足を組んでいる。その顔を見ると、画家の自画像のようだ。後ろの白いテーブルに女性のヌードのトルソが置かれている。その向こうは海で、残照がオレンジ色にトルソの後ろに光背のようにあらわれているところが実にロマンティックな雰囲気である。そばに黄色とオレンジのつがいのインコのような鳥がとまっているのもまた、そんなイメージをしぜんと増幅する。

 栁瀬俊泰「三軒の白い家の在る風景」。手前に道があり、そばに一軒の家。左にすこし上がっていくともう一軒。背後は丘になって、だんだんと上っていく。そのあいだに赤い屋根の建物。右のほうに海がのぞく。地面の起伏を構成のポイントとして使いながら、その向こうに水平線まで広がる海を置いて、独特の情感を醸し出す。緑の扱いが優れている。

 加藤寛美「休日」。二つの岸壁が並行して海に突き出ている。手前の突堤に黒い船が繫留されている。通常の船とは違った浚渫船のようなものだろうか。その手前に二艘の船が前後して置かれている。その影の部分と船の黒い様子、あるいはすこし波の立った海の銀灰色の様子などを見ると、陰影豊かだと思う。空も曇った空であるが、空も海も一切が深い陰影の中に表現されて、それによって深い波動のようなものが画面から鑑賞者に寄せてくる。とくに美的なものはなにもないのだが、その墨の陰影の深さによって深い情感が感じられるところが面白い。

4室

 緒方廣人「SHOPPING MALL」会員賞。上方に「FOODY CO」と見えるから、フードコーナーということになるだろうか。赤を中心とした色彩。ガラス戸をあけるとオレンジ色の廊下があって、その向こうの店がやはり赤やオレンジ色でつくられている。いわばその赤のハーモニーともいうべきものが輝くような雰囲気で、魅力である。

 鈴木隆「丘の牧舎」。雪が一メートルほど積もっている様子で、その中景に人が立っている。左右に三階建ての建物や大きな天井の高い一階建ての牧舎などが見える。北海道の雪の積もった牧場の光景だろうか。雪のもつ力がよく画面に描かれ、しーんと静まり返った風景が広がっていく。その無音の中に、なにか懐かしさのようなものがこの建物を通して伝わってくるところが面白い。

 吉田二三子「あけやらず」。巨大な樹木が立ち上がっている。葉をつけていないので、その枝や梢の様子がよくわかる。まるで女性が手を広げながら身悶えしているような、擬人化された樹木の表現である。そのいわば人間的なパワーともいうべきものが、樹木を通してあらわれてくるところが面白い。

 石井百合子「山湖波紋」。湖に波紋が起きている様子を面白く描く。後ろの樹木と比べると、この波紋は巨大な様子で、その大きさが非日常的なイメージを表すようだ。周りの空と樹木が映っているような穏やかな空間のそのままの延長のようでありながら、その非日常的に切断されたような波紋が、自然の不思議なかたち、神秘感を表現する。

 並木貴子「輝きの大地」。カドミウムイエローを画面全体に使って、輝くような色面をあらわす。下方にはライトレッドとウルトラマリン。そこに円筒形の建物のようなフォルムがあらわれている。上方にも青いフォルムが入れられている。あいだに同じ青で柵のようなものがつくられている。風景をきわめて象徴的に色面構成の中に表現する。いわば見渡す限り稲穂が実っている様子。あるいは見渡す限りの菜の花畑。そういった自然からインスパイアされて、強い張りのある風景的色面を表現する。

 田辺康二「海風」。砂丘が黄金色に輝いている。砂丘の果てに植物が生え、その向こうに波が浜に寄せている。砂丘に柵や杭のようなものがところどころ置かれ、いちばん手前には丸い筒のようなものが置かれているのは何だろうか。人間がつくったものであるにはちがいない。砂丘の様子を、画家はまるで自分の庭のようにクリアに描きながら、なにかシュールなイメージを発信してくる。寄せてくる海の響きが、この風紋の砂丘の刻々と変わっていく変化と呼応するようだ。

 加賀浩一「斜光」会員賞。ヴィーナスの首が布の上に仰向けに置かれている。枯れたホオズキがたくさん枝の先にあって、緑の壺に入れられている。布を組み合わせた上に静物が置かれている。そんな様子を実にクリアにしっかりと描き起こす。対象の優れた再現力に注目した。

 前川ゆき子「仲秋」。横笛を吹く女性。スカートに源氏の絵巻の中に出てくる女性の顔が描かれている。扇面が背後にあらわれ、秋の七草と満月がそこにあらわれる。流水文が横笛の音色と呼応する。油彩画による女性の全身像の表現が、源氏の世界と連結する面白さ。

 さいとうけい子「夕景」。真っ赤に染まった風景。それを抽象的なコンポジションの中に表現する。落ち着いた暗い赤から激しく輝く赤まで、様々な赤を矩形の中に組み合わせながら、深いノスタルジックなイメージをつくりだす。

 草薙智「幻想の苦悩に惑う少女」会友推挙。樹木の上の枝と枝とのあいだに裸の女性が腰をかけて、片膝を立てて遠くを眺めている。面白いことには枝の先に緑色の小鳥がいて、それが何か所にもいて、少女を眺めている。下方には街並みが広がっている。イメージの世界を具体的なかたちのなかに見事に展開する。自意識の強い少女のもつ悩みを、このような街を見晴らす裸木の上にのる少女を眺めている小鳥といったコンポジションの中に描く。少女の後ろから見たクリアなかたちがヴィヴィッドなイメージを発信してくる。

 安藤桂子「冬の散歩道」会員賞。ベージュの洋館。グレーの裸木。ベージュとグレーによる道の様子。三人の女性たちがやはりグレーの衣装を着て歩いていく。いわばグレーの詩ともいうべき繊細な表情をもつ風景作品である。

 浅野岳「漁港閑日」。岸壁に一人の男がいる。すこし高いところに瓦屋根の民家がある。岸壁には船が繫留されている。防潮塀の向こうに暗いグレーの海がのぞく。一つひとつのものを確認しながら堅牢なコンポジションをつくる。そしてそこになにか懐かしい雰囲気が生まれる。

5室

 奥村明子「愛おしむ」。若い女性がたくさんの紫陽花を抱えている。茶髪で、青い上衣ともっと濃い青いスカートをはいている。背後に緑の植物や樹木が広がっている。白いテーブルには植木鉢があって、紫陽花や薔薇などが植えられている。後ろに薔薇園もあるようだ。緑をベースにした色調の中に、ピンクや紫の色彩が浮き出すように輝くように表現される。

 増田真人「瀬戸」委員推挙。近景にオリーヴがその葉を茂らせている。中景には色とりどりの屋根をもつ建物がたくさん集合している。その背後には瀬戸内海が静かに広がり、島が山のようにいくつも見える。空が約三分の一で、白い雲が出ている。柔らかな光線が当たり、下方はすこし影になって、中景は燦々と光に輝いている。それをしっとりとしたグレーのような中間色のトーンの中に表現する。上品で敬虔な風景が広がる。フォルムと色彩とが純粋に響き合う。

 三橋允子「まなざし」。七歳ぐらいの女の子が椅子に腰掛けている。足は床に着いていず、宙に浮いている。緑の柄のワンピース。後ろに白いテーブルがある。清潔な雰囲気のなかにこの少女のあどけない姿をよく表現する。

 村田洋子「想」。石を積んだ塀の残骸のようなところに女性が腰を下ろして、赤と黄土の不思議な壺を眺めている。女性は緑のワンピースを着て、裸足でこの地面に座っている。背後には草原が広がり、その向こうには山が満月を照り返して白く輝いている。昔、アラジンのランプの話を読んだことがある。そのランプに願いをかけると言うことをきいてくれるのだが、そういった壺のようなイメージもある。画家は幻想的なストーリー性をしぜんと感じさせる不思議なシーンを描いた。

 吉江道子「六月のサンマルタン運河」。運河にかけられた橋にカップルが立っている。赤いワンピースの女性と青いジーンズに黄色い上衣の男性。その後ろに六階建てぐらいの建物が見える。パリ独特の建物で、上方に煙突がある。緑の葉が茂った植物。画家は緑をロマンティックに使いこなす。

 松本耀子「ファラオの想い」。王と王妃が座って、燭台を持った侍女が一段下に二人立っている。その下にはヒエログリフが見える。翼のような衣装をつけた巫女のような女性が座っている。グレーの背景の四辺に近くなるに従って、そこには金の箔が置かれて、この情景を荘厳している。はるかなエジプト文明に対する画家の深い思いが、このような象徴的な表現をつくりだした。なにか深いイメージを発信してくる。

6室

 内藤すみ子「トワイライト」。街が残照に輝いている中に女性が立っている。強い明暗のコントラストの間に光が黄金色に語りかけてくる。瞑想するように目をつぶった女性の姿を見ると、深い敬虔な宗教性さえ感じられる。しっかりとしたフォルムと明暗によるコンポジション。

 天音比佐「とりとめもない夢」。白いナイトドレスを着た女性と裸の女性が、背中合わせに描かれている。一人の女性の二つの姿のようだ。背後は市松状のグレーやピンク、青などの色面で、それが一部壊れかかっている向こうに海がのぞく。海の轟き、波の響き、寄せる動きなどが、そのままこの女性の内界と呼応するようだ。木版だと思われるが、クリアな形による強い表現。

 大島優子「未来へ」。建物を色面化したフォルムが画面の中ほどにいくつも描かれている。グレーや黒、ベージュなどの色彩で、それは重なりながら街を表現する。上方に雲が浮かび、空に星の出ている様子を淡い緑青色の上の黄色い星によって表現する。その下方のコバルトブルーの美しい色彩。左のほうにピンクの色面があらわれているのは、憧れのような心持ちの表現だろうか。下方には道が川を横切っているようなイメージがあらわれる。建物や道路、そこに流れる川を抽象化し色面化して、大胆なコンポジションをつくりだした。これまでの半具象的要素がもっと抽象的なコンポジションに変化した。それだけ音楽的な要素がよりあらわれてきた。そして、上方の星空を画面に引き寄せた。繊細な中に独特の楽曲を演奏するかのような表現である。

 志賀一男「奥松島」。朝の松島だろうか。斜光線が差し込んで、船が一艘動いている。島はシルエットのようになって、上方だけが光り輝いている。そこには松が生えている。手前の波はまだ夜の波で、その中に銀波が揺れているような雰囲気。三か所、直線の不思議なフォルムがあるが、そこで漁業が行われているようだ。しっかりとした強い形による構成の中に、松島の美しさが象徴的に表現される。波の中にシルエットになって浮かび上がる島の様子が力強く表現されている。単純化された形の中に画家独特の美意識が感じられる。

 今村邦宏「湖畔」委員推挙。琵琶湖の風景だろうか。海の中に細い陸地があって、そこに樹木が茂っている。手前にはススキが靡いている。水ははるか向こうに続いて、対岸は霞んでいる。シルエットの樹木や草が、リリカルと言ってよい情感を醸し出す。

 木谷徹「湖沼」会員賞。浜に船が一艘、繫留されている。使い古されて、ほとんど廃船に近いような船。人間でいえば老人である。手前に黄金色に枯れたような草が生え、その向こうに沼がふかぶかとした黒い調子を見せる。対岸の一部は紅葉したような赤い色彩が点じられている。水と草、あるいは対岸の樹木の様子。いずれも深いトーンの中に表現され、白い船がその中に浮き上がるように描かれている。時間というものが鑑賞者に語りかけてくる。

7室

 杉田美栄子「いちょう並木」。イチョウの黄金色に色付いた様子は魅力的である。それがいくつも重なっている様子を描く。塗りこまれた絵具はだんだんと膨張しながら、水墨でいうたらし込みふうな、お互いの境界を侵入するような色面があらわれる。その中から色彩が輝く。黄色を主調として、オレンジ色や朱色などの色彩のあいだから空がうっすらと青く見える。

 山本俊則「駝鳥」。手前に三羽の駝鳥が立っている。真ん中の駝鳥は上方に首を伸ばし、両脇の駝鳥は首を下げて会話をしているようだ。そして、その後ろ側に三羽の駝鳥が右に向かって歩いている様子を描く。まるで人間のような駝鳥。その存在感をよく表現する。褐色や黄土のトーンの中に手触りをもってこの駝鳥を描く。

 水澤正信「忿怒」委員推挙。牛に乗る大威徳明王が描かれている。恐ろしい深い情動のようなものがあらわれている特異な像で、きわめてインド的な仏像である。空海が将来した像が東寺に存在する。密教の世界で使われる仏像のその雰囲気をよく表現する。

8室

 鈴木雪子「Room」。ミシンとマンドリン、レモン、葡萄、アマリリスのような花。そんな様子が原色に近い色彩を使うことによって表現されている。ミシンの向こうには青い空間があらわれている。それは空のようにも水のようにも見える。昼下がりの時間に静物たちはそのまま深い眠りにつくような、そんなアンニュイな雰囲気を面白く表現する。

 南久恵「レクイエム Ⅰ」。上方に向かってゆっくりと動いていく不定型のフォルム。十字形の青い空間の中に同色のものが上下二つあり、黄土色の紐のようなものがそれに巻き付けてある。心の中に流れる川のようなイメージが日常の時間と重なりながら、画面の中を静かに動いていく。

 金治真由美「カレイのあるキッチン」奨励賞。シンクも水の蛇口も緑のお皿の上のカレイもワインボトルもポットも鍋も、幾何学的な形に還元されて調理台の上に置かれている。上方から見たり側面から見たりした形を組み合わせながら、キュビスム的な空間があらわれ、そこに静かに響き合うものが感じられる。その響いてくるものは詩情と言ってよい。

 森田正孝「春潮」。浜が広がっている。引き潮で地面が顔を出した中に水が残っている様子が、ほそぼそとした川のように感じられる。そのしっとりとした広がりのある大地とはるか向こうのセルリアンブルーの海の様子。上方の白い雲と明るい空。夢のような光景であるが、そこに一本の杭が画面の下辺から突き出している。その杭のもつ存在感によって、この夢の世界がノックされているような、そんな空間の性質に注目した。

 友末冨美子「身籠りて時の狭間を漂う」会員賞。若い女性が横座りに座っているのだが、それは裸である。その女性の体の上に、羽を広げた白鳥のような鳥と波紋が上下に白い点線で描かれている。羊水がゆったりと揺れているような、そんなイメージだろうか。そして、猫が眠り、そのフォルムの後ろ側に馬がいて、前足をすこし上げている。深い感情や情動の象徴のように馬があらわれ、寝ている猫はこの女性の分身のようだ。

 関義雄「岸辺初冬」。一艘の船が水際に繫留されている。周りは黄土色の枯れた草原である。その中の微妙な陰影が魅力である。黄金色の照り返しの微妙な変化のように見える。その色彩と柔らかなすこし紫を帯びた澄んだ水とのハーモニーがロマンティックな雰囲気をつくりだす。一艘のボートの明るいグレーの調子がその象徴のようにそこに置かれている。

 井藤雅博「望」。褐色の道がずっと向こうまで続いている。左右の植物はすこしオレンジがかった緑色。そして、その道は一度下降するのだろう。途中で途切れて、その向こうに緑や紫色の畑のようなものが見えて、はるか向こうの地平線につながる。空は道よりすこし明るい褐色系のグレーである。一本の道が土の香りを漂わせながらはるか向こうに続いていく様子が、なにか深い心象を喚起させる。

 渡辺せつ子「緑の館」委員推挙。鬱蒼と茂った樹木やそれに絡まる蔦などに囲まれて、女性が裸で立っている。左手に可憐な白い花を持っている。そばに太った白い猫がいて、この女性を見上げている。森の息吹や生命感とこの女性の体の中から聞こえてくるリズムはほぼ相似形のように思われる。この女性の魂の象徴のように白い猫が佇む。深い陰影のある緑の草や樹木と、そのあいだの霧のかかったような空間。優れた風景であるし、人物像でもある。外界と内界とが深く結びついた表現になっている。

 横山順子「室内・遊ぶ」。白い壁が画面の半分以上を占めている。その白の中にグレーやピンク、黄色などの色彩が入れられている。その下方に白いテーブルがあり、その手前のグレーの椅子に紫の衣装を着た少女が座っている。グレーの帽子にブロンドの髪。白いテーブルには紙風船や神秘的な二羽の小鳥。貘のような人形も立っている。柔らかなトーンの中に深く瞑想する空間があらわれてくる。現実のものというより、イメージの純化された空間のそのクオリティが魅力。

 君島安子「坂の町」。イタリアとかスペインの風景だろうか。上方の空に向かって鐘楼が伸びている。そこには教会があるようだ。鐘楼は手前のほうにもあって、いちばん下方は民家の屋根が見える。あいだに緑の葉が茂った樹木がいくつも存在する。穏やかな敬虔な雰囲気で、それを点描によって表現する。しっとりとしたトーンの変化。生活する人間たちと信仰の教会とが間断なく連結した街の表情を静かに描く。

9室

 野中美行「パリ東駅」。電車が三両とまっている。そばには時計のあるカフェがある。三つ時計があるから、おそらくそれぞれ国際的な都市の時刻を表すのだろう。アーチ状の天井。緑のフロア。緑や紫をうまく使いながら、旅のなかのときめきのような心象を表す。

 佐藤克行「雪の朝」優秀賞。前景は広い道で、中景から遠景にかけて裸木と建物を描いている。それぞれのものをしっかりと描いて距離感があらわれ、ゆったりとした空間が表現される。渋いグレーを中心としたトーンの中の空間のリアリティに注目した。

 熊倉佐喜子「麗らかな午後」。広場に光が差し、長い建物の影があらわれる。中心に樹木が二本立っている。パラソルを持つ女性や白い衣装の人が歩いている。ゆったりとした昼下がりの広場をお洒落な雰囲気でモダンに表現する。

 川本芙美子「街路樹 Ⅰ」。数本の樹木が立っている。向こうに白い建物がある。緑や黄色の葉。そこに差し込む光線が樹木の幹や葉によって解析されたかのような雰囲気。葉と光線とが微妙に絡み合いながら詩情のある空間をつくる。

10室

 秀島美代子「風の景」。廃屋が丹念に描かれていて、そばに大きな樹木が枝を広げている。そんな風景に向かって中年の女性が猫を連れて立っている。麦藁帽子をかぶって筵を背負っている。上方にいくつか柿の実が残っているのは、秋が過ぎて、冬の近い季節を表すのだろう。一つひとつのものを実にしっかりとよく描いている。その筆力が魅力だが、繊細な季節感もそこに表現される。

11室

 山中幹雄「あさもや」委員推挙。朝靄の中の山の斜面を生き生きと描く。赤い幹やグレーの幹の樹木。その二つは太いが、細い樹木がそのあいだに立って、左右様々な方向を向いている。下に草が生えている。黄色い花も咲いている。根が広がっている。ぐいぐいとそれらを描くことによって風景が活性化する。緑の微妙なニュアンスが不思議な安息感を醸し出す。

 加藤久子「夏の日」委員推挙。朱と黒の横の縞模様のワンピース。袖がなく、それを着た若い女性が床に立っている。その全身が描かれている。壁のグレーに近い肌の調子。しっとりとした雰囲気のなかに女性のもつ雰囲気を生き生きと描いている。なにか香りが漂ってくるような表現である。

 在川法子「立春に」。床の間に鶴と和尚の掛け軸。漆の台には染付の壺に菜の花が差されている。そばに和人形が立って、破魔矢が置かれている。立春の床の間。一つひとつ丹念に描くことによってエネルギーが画面から感じられる。

15室

 川島美夏「百年の樹の下で」。太い幹をもつ桜が枝を広げて満開の様子。その下に数十人の老若男女が集まって楽しく動いている。白い犬を連れた青い服の女性もいる。それぞれのフォルムがいわば音楽の音譜のように画面に置かれ、お互いにハーモナイズする。楽しい群像表現。

16室

 板倉好子「六月の香 Ⅲ」会員推挙。ピンクや青や紫の紫陽花が花開いている。壺に生けられているのもあるし、そばに咲いているように感じられる紫陽花もある。後ろに風景が見える。たくさんの蝶が群がって飛んでいる。その蝶の様子は紫陽花が変身したような雰囲気である。静物と風景とが重なって、ロマンティックな世界をつくる。

 三瓶繁男「廃屋」。画面の真ん中に廃屋があって、後ろに稲が実って黄金色になっている。手前の大きな向日葵。白い道に籠を背負った女性と、それを眺めている柴犬。ぽつんぽつんと存在するものを描きながら、心の内部でお互いに関連性があるような不思議な風景である。突き放したような表現であるにもかかわらず、不思議な力がそれぞれのものに感じられる。

17室

 長谷部榮佑「仙台 おでん」。おでんの店のカウンターにいる客とコップ酒。作業をする鉢巻き姿の男。向こうの桟敷には四人ほどの人が固まっている。そんな様子をぐいぐいと描きこむ。活気のある人間群像。

18室

 長谷川玲子「あしたも天気になぁれ」。男の子を連れた若い母親。手をつないで、後ろ姿を見せて向こうに歩いていく。両側の家と広い道。夕映えのオレンジ色に満ちた空間。幻想性の中に母と子を中心に描いて、不思議な魅力を放つ。

19室

 千木良宣行「冬の足音」会友推挙。ススキが風に靡いている。下方の斜面に雪が斑に積もっている。遠景の山にも雪が積もっている。すこしピンクを帯びた空に鳶が一羽舞っている。一つひとつのものを丹念に描きながら、その動きが鳶に集約するようなコンポジションになっている。鳶を画家は眺めているのだが、逆に鳶の目になって地上を眺めているような不思議な雰囲気が感じられる。

 小林功「鳥海五月」。縦長の構図。上方に雪をかぶった鳥海山が聳えている。すこしピンクに染まっているのは朝日を受けているのだろうか。幾重にも山並みが連続し、だんだんと麓に下りてくる。その緑や紫の色彩で彩られたフォルムのもつ形とムーヴマン。まるで夢のように柔らかなトーン。気高く聳える鳥海山の峰。胸中山水と言ってよいようなロマンティックな風景の表現。

 清水延子「鳥の舞う夕映」。カーヴする道のそばに川が一緒に続いている。低い白い建物。土手の上の樹木。空が画面の約七割以上を占めて、そこに群舞する鳥。黄金色に輝く夕映えの空を映す川とだんだん暮れていく空の上方の様子。そこに飛ぶ鳥が生き生きとしたドラマをつくる。

20室

 田中伴子「蚤の市のジュース屋さん」。テントを出している店。ブロンドの女性が中にいる。カウンターに二十ぐらいの赤やオレンジのジュースの入った瓶。そばには果物がある。色彩のハーモニーが魅力。

21室

 大庭彦三「欅の杜」。大きな欅の木が向こうまでたくさん立っている。そのふっくらとした形が面白い。量感があって、いわば樹木のトルソのような趣である。

 出口順治「集落」。海岸沿いの建物に雪がすこし積もっている。地面もそうである。地味な色調であるが、繊細で力強い。地面にはいつくばっているような十ぐらいの建物の様子をしみじみと表現する。

 伊達賀代子「森のささやき」。染付の壺に十本ほどの満開の向日葵が差されている。そばにマンドリンが一つ、葡萄がいくつか置かれている。白いコンポートにも葡萄の房や林檎が置かれている。向こうには森が見える。手前は緑の色彩で、地面のようであるしテーブルのようでもある不思議な雰囲気。一つひとつの葡萄やマンドリンや小鳥や向日葵を描きながら、画家はイメージの中に入っていく。そこから独特の詩情と言ってよい雰囲気があらわれる。

25室

 櫻井悦子「春の行方」。結婚披露宴のときの控室のような空間。四人の女性がドレッシーな雰囲気で、お洒落な様子。そばに座る人、立つ人、膝立ちしている人などのフォルムが生き生きとしている。暖色を中心とした中に青や緑が入れられて、色彩も深く、お互いに典雅に響き合う。

26室

 浜田みえ「猫の散歩」。ノンシャランな雰囲気で自由にフォルムをつくる。窓際に前脚を置いて立ち上がっている白い猫。そばにこちらを向いている小さな猫。自転車や花、樹木。自由にイメージに沿ってフォルムをつくり、お互いが心象的シチュエーションの中にハーモナイズする。

 松谷万里子「出会う」。水族館の大きな水槽の中でジンベエザメがこちらに向かってきている。それを見ている六歳か七歳ぐらいの二人の女の子。上方を見ると、エイも泳いでいる。ジンベエザメの表情と後ろ姿の子供のフォルムが愛らしく、魅力。

 稲田美代子「画く人」会員推挙。大きなキャンバスに向かって絵筆を持って、いまそこに紫色の線を引いている女性。窓の向こうに教会のような建物が見える。日本ではなく、外国のアトリエで描いているような、そんなモダンな雰囲気。立っている女性のフォルムがクリアで、生き生きとしている。

27室

 倉地彩子「春日影」委員推挙。柔らかな緑の野原が向こうの山まで広がっている。手前には褐色の機関車のようなものが飾られていて、そばの建物や樹木などと相まって楽しい雰囲気をつくりだす。野原にはたくさんの人と羊が存在する。夢を見ているような、のどかな雰囲気である。遠景の山はおむすびのような三角形や低い丘のような山で、すこし緑を帯びたグレーの空がその上方にある。心の中の風景と言ってよい。その詩情豊かな風景が実に魅力。

 塚本公二「達磨の御焚き上げ Ⅱ」。たくさんの達磨が集められている。一部はグレーになって壊れかかっているのは、すでに焚き上げされて灰になった達磨だろうか。色彩豊かな達磨はこれからお焚き上げになるのだろうか。そういった二つの達磨がこの画面の中にたくさん存在して、一種異様な迫力を醸し出す。

 天川冴子「風の道」。イタリアのミコノス島の風景だろうか。花籠を背に載せた白い驢馬。白い建物。青い空。黄色いミモザの花。それぞれの色彩が清潔な中にきらきらと響き合う。

 羽木理恵「イタリアの音色」。上方にヴェニスを思わせる運河と宮殿。下方は室内のようで、テーブルの上にヴァイオリンと赤い球が置かれている。二つの空間が対置される。音色という言葉が題名にあるように、二つのメロディがお互いに響き合っているような雰囲気。ヴァイオリンと赤い球は画家の心の中に存在するもので、窓の向こうにもう一つの客観的な風景が広がっているのだが、その二つのコントラストがお互いに対立しているようで、また響き合っているところもあって、実に微妙な変化のなかに存在する。そのコンポジションが面白い。

28室

 岡林三江子「おもいで」。ずいぶん塗りこまれていて、強いマチエールがつくられている。三つの紡錘状の壺が集められて、何か語りかけてくる。そばに点々と柘榴のような実が置かれている。すこし離れて白い高坏があり、その上に果実が置かれている。高坏にしろ壺にしろ、安心感といったものがそのものから漂ってくる。陶器が好きな人は陶器のもつ肌や形に友達を見るぐらいの近さで鑑賞するのだろうが、そういった雰囲気がこの作者のつくりだす壺や高坏に感じられる。

 冨田信子「女」。白い椅子に座ったブロンドの女性。エメラルドグリーンのお洒落なワンピースを着ている。そばの白いテーブルには葡萄などの置かれた高坏とオレンジ色の赤い色のコーヒーカップ。背後のベージュの壁に黄土色の床。それぞれのフォルムを色面として扱う。コンポジションと同時に色彩のハーモニーが典雅で明るい。空間のもつ澄んだ明るい力が魅力。

 石田賢礼「5人の踊り子」奨励賞。舞台の上の五人の踊り子。バレーのどんな演目だろうか。左のほうには二人の女性の踊り子。右のほうには赤いドレスの女性がポワントで立っている。その両側に二人の踊り子が正面と背中を見せる。あいだに黄金色の色彩で抽象的な曲線によるフォルムがつくられている。しっかりとした五人の踊り子のフォルムのもつ独特の美的な様子と幻想的なバックと相まって、オペラのような魅力をつくりだす。

 石原詔正「旧市の眺望」。街を俯瞰している。屋根と屋根のあいだに白い壁があらわれる。遠景では洗濯物の干してある様子がアクセントになっている。オレンジや焦茶色の屋根の色面の組み合わせとあいだのグレーによるコンポジションが力強く、どこか音楽的な効果を生む。

 平野康子「高架下レストラン」優秀賞・会友推挙。高架下のレストランを外から描いている。青を中心とした色彩がひんやりとした中に不思議な魅力をつくりだす。上方の煉瓦の部分も青く彩られていて、青のもつ性質がロマンティックで神秘的な雰囲気を表現する。

第86回第一美術展

(5月27日〜6月8日/国立新美術館)

文/磯部靖

1室

 杉﨑利男「モンマルトル」。少し高い位置から町を眺めるような視点で描いている。周囲は建物で囲まれていて、道路が一本右奥へと続いて行っている。左手前には鑑賞者と同じ位置に柵があり、その向こうに葉のない樹木が枝を細やかに広げている。淡い色彩でやわらかに描きながら、巧みな画面構成で鑑賞者を作品へと引き込むような臨場感を獲得しているところに注目する。

 松原修平「平和への産声 広島70年」文部科学大臣賞。たった今、出産を終えたばかりの妊婦と、生まれた赤ん坊を抱き上げる産婆を中心に画面が展開している。その周囲はたくさんの女性と子供たちが取り囲んでいて、白い鳩が一羽近寄ってきている。生命の誕生を尊い儀式として讚美するようである。今年は戦後七十年の節目の年だが、女性たちの衣服を見ていると、現代というよりは戦中当時のそれのようである。画題にあるように、終戦直後に生まれた生命に託す未来への希望が、精緻な筆致で描き出されている。強いメッセージを孕んだ画面が、鑑賞者を強く惹き付ける。

 髙橋浩「紫陽花」。画面一杯に咲く紫陽花の花が、しっとりと描かれている。緑から黄緑の葉々と花々が交錯しながら、画面の外へ向かって広がるような動きを見せている。画面の中の瑞々しい気配が色彩となって強い生命力と共に立ち上がってくる。

 中田誠「画集」。木製の椅子に腰掛けた女性が画集を手にとって眺めている。女性は向かって左向きに描かれていて、前のテーブルにはカップが一つ置かれている。カップは清潔感のある白で、画集も、女性のボレロも同じ白である。画面の左上方からうっすらと陽の光が入り込んでいて、それがわずかな陰影を作りだしている。繊細な色彩の扱いが、この女性の静かで穏やかな心と響き合っているかのようだ。

 村山隆司「光の中で」。明るい陽射しの差し込む部屋の一隅を、窓にかなり接近して描いている。窓辺には花の生けられた花瓶が置かれていて、その手前には、右に薄いクッションの敷かれた椅子、左にクロスと籠が置かれたテーブルが描かれている。そのどれもがクリアな調子で、確かな存在感を獲得している。窓には薄い網戸のようなものがあって、そこに外の草木の影が落とされている。その描写がどこか幻想的で、室内の様子と静かな対比を作り出していて、特にこの作品のおもしろさとなっているところに注目した。

 渡部広次「北アルプス」。量感のある山並みのフォルムが力強く画面の中で立ち上がってくる。青みがかった雪の白が輝くように扱われているが、赤や青、緑や黄、ピンクといった色彩も随所に入れられている。それはこの山々が持つ生命の力であり、胎動の色彩である。ひんやりとした空気感の中に、蠢くような漲る生命の力がぐいぐいとこちらに迫ってくるような動きを見せているところが特に今作品の印象として残った。

 杉浦幹男「陽だまり(今井の桜)」。画家は近年、この場所の桜並木をテーマに描いた作品を発表している。手前から奥に向かって、重なるように桜の樹が続いていき、その花々も重なりながら豊かなボリューム感を出している。向かって左脇には奥から小川が流れてきていて、右脇には小道がやはり桜に沿って続いて行っている。そして、その周囲には田畑が広がりを見せている。そのどれもが細やかに、静謐に描き出され、豊かな詩情を運んでくる。

 戸澗幸夫「バルセロナのヨットハーバー 2015」。たくさんの船が並ぶ港を描いている。手前に少しだけ海面が見える空間があって、その向こうには重なるように船が描かれ、何本ものマストが上方に伸びている。密度のある画面でありながら、手前の空間が効果的に扱われていることで、ゆったりとした空気感が生まれている。独特の連続性からリズムが生まれ、より重厚な画面となって鑑賞者に迫ってくるようだ。

 李香淑「続く道」。五人の若い女性の姿が角度・ポーズを変えながら描かれている。左には大きな葉がいくつも見え、そこから右上方に向かって青い色面が折れ曲がりながら伸びて行っている。ベージュや茶系の色彩と青の色彩をセンス良く扱いながら、女性たちの未来に対する希望と不安が作品に強く呼び起こされてくる。

 宍戸淨「千草の花」第一美術協会賞。野に咲く花とそこに集まる蝶をしっとりと描き出している。青みがかった小さな花がたくさんあり、その他にも白やピンクの花がある。蝶はモンシロチョウとアゲハチョウのようだ。そのひらひらと重さを感じさせずに舞う様子が特に印象深い。画面全体で、うまく間を作りながら、深い余韻を鑑賞者に残す作品である。

 成田豊久「赤衣の女」第一美術作家賞。正面を向いて椅子に座った女性の肖像。女性は膝に手を置き、向かって斜め右に視線を向けている。女性のフォルムはしっかりと描き出されているが、背景はやわらかく、淡く表現されている。どこか幻想的な雰囲気を纏いながら描き出された女性の存在感が特に印象に残る。

2室

 山波朋子「ある空間の舞 Ⅴ」。横長の画面にゆっくりとした動きを感じさせる色面が描かれている。暗色あるいは茶がかった色彩である。そこに、近年取り組み始めた技法によって、独特の紋様を施している。どこか宇宙の深淵を思わせる様な、奥行きのある精神的世界が生まれている。強い抽象性を孕みながら、画家の雄大なイメージ世界が構築されている。

 下島悦嗣「美は乱調にあり」。深紅のローブを纏った女性が向かってやや右寄りに描かれている。左側には赤の色彩が広がっていて、大きな女性の顔も見える。そしてそこに暗色が効果的に扱われている。背景にはどこか町の情景を思わせる要素があり、それはこの女性の人生と深く関係しているようだ。物語性を孕んだ画面構成が、この画家の絵画的センスの良さを窺わせる。

 阿部節子「大雪」。コラージュを使いながら、画面を淡く彩色している。画題にあるように、点あるいは縦のグレーの線などが、降り積もる雪を思わせる。そこに暗色の紙を大胆に貼り、人物や家屋などの様子をイメージさせる。軽やかでありながら、雪の重厚感を感じさせるところがおもしろい。独特のリズム感もある。

〈工芸〉

 小坂洋一「ファミリーコンサート」。五人の人物が太鼓やハープといった和洋の楽器を演奏している。その様子を細やかに、生き生きと造形している。メロディを奏でる様子が楽しげでもあり、ユーモラスでもある。一つひとつを細やかに、配置をシンプルにすることで、一つの作品としてまとまったイメージ、面白さを獲得している。作家自身がこの作品を楽しみながら制作することで、それがそのまま鑑賞者に伝わり、作品の魅力となっている。

3室

 河添幸代「樹譜─調べ」。二人の裸婦が大樹に寄り添うように描かれている。緑がかった画面は自然の色彩であり、人間の命の儚さと対比されるようでもある。背後には東日本大震災に関する新聞などが多数重なるように貼られている。画家は近年震災をテーマに描いてきたが、今作は特に立ち上がるような強い希望を感じさせる画面構成であるところが興味深い。精霊的な要素を孕む女性の美しさと、大自然の美しさが呼応するように画面の中で響き合い、生命のメロディを奏でる。

 春原妙子「岬」。遠景に灯台を望む岬の情景である。画面の右手前から緩やかにカーヴしながら伸びていく断崖がやわらかな色彩で描かれている。海の表情も豊かであり穏やかである。じっくりと絵具を重ねながら、心地よく清々しい空気感を画面に引き寄せているようだ。鑑賞者の視点を誘導するような画面構成の中に、この情景を前にした画家の感動が素直に込められている。

4室

 浅子和子「刻─2015」損保ジャパン日本興亜美術財団賞。椅子に腰掛けた女性を正面から描いている。画面全体は寒色を基調色にしながらまとめられている。実に細やかに様々な色彩を施しながら色調を整えてもいて、そういった中で上衣のベージュがうまくなじんでいるところにこの画家の色彩感覚の良さが窺える。女性の身体の量感もしっかりと捉えることのできるデッサン力もある。

 菊田量三「萌えろ! 褐色の刻」東京都知事賞。無数に群生する植物が実に繊細に描き込まれている。画面の中央には葉のない細い木立が密集するように枝を広げている。下方に目をやるとピンクや緑の色彩が点々と入れられている。密度のある画面でありながら息苦しくなく、空間的な間の取り方が絶妙である。現地の空気を肌に迫るような臨場感と共に作品に引き寄せ、鑑賞者を作品世界へと誘うようだ。

 川口謙「日本橋」。東京・日本橋の夜の情景である。上方は高速道路が走り、その合間から夜空が覗く。街灯はぼうっと光っていて、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。石造りの橋の質感をしっかりと捉えながら、重厚な見応えを作り出してもいる。画面の中に漂う独特の気配が特に魅力の作品である。

 伊藤静「かがよう夕べ」。湖のような広い水面を挟んで、向こう側に対岸がシルエットになって見える。夕暮れの仄かにオレンジがかった色彩が、水面や空をうっすらと染めている。ロマンチックな情景である。手前の岸辺の野草が風に揺れていて、その描写がおもしろい。水面の様子と静かに対比されているところが特に見どころで、重なるような層で構成された画面の中に、画家の心情が滲み出るように現れてくる。

 館秀夫「生と死」。画面の中央に大きな惑星が描かれている。下方の大地では炎が立ち上がっている。そこからは煙が上って行っているが、よく見ると髑髏を思わせるフォルムが幾つもある。数人の母と共にある赤ん坊と髑髏という強い生と死の対比が、壮大な世界観の中に浮かび上がってくる。それを支えるクリアな描写によるリアリティもまた魅力である。

 中丸幸代「生命の河」。ガンジス川の畔で沐浴する人々が色彩豊かに描かれている。中央の朱の衣服を着た女性をメインに据えながら、背後に階段や建物、他の人々を配置している。おもしろいのは女性の上方にあるドリッピングしたような黄や白のアクセントである。ある種の霊的な気配のような輝きがある。鑑賞後に深い余韻を残す作品である。

 清水光美「エマオへの道(再び燃ゆ)」。エマオは新約聖書に登場する地名である。復活したイエスは二人の弟子と共にエマオに向かうが、その途中の様子を描いているようだ。弟子の二人はイエスをイエスと気付かずに、師が処刑された絶望について話している。確かなデッサン力が、二人の存在感とイエスの幻想的で霊的な存在感を静かに対比させる。空の夕焼けがイエスの光背のように見えるところもおもしろい。やわらかな色彩の扱いもまた魅力である。

5室

 小田嶋徳治「奥越」。雪が降った後の町の情景。大きく描かれた道路は溶けた雪で濡れている。両側にはこんもりとした雪が残っている。周囲の家屋にも雪が積もっている。その雪の量感に見応えがある。湿度のあるひんやりとした空気感が画面の外にまで流れ出てくるような臨場感がある。

 武田誠好「アマリリス Ⅲ 月光」。正方形の画面いっぱいに赤いアマリリスが大きく描かれている。背後には満月がやはり同じように大きく描かれ、アマリリスを背後から照らしている。それは、どこかアマリリスの光背のようで興味深い。美しさそのものの尊さ、聖性を強く発信し、そのイメージが花芯に収斂していくような動きもある。ビロードを思わせる繊細でやわらかな花弁の質感もまた魅力である。花はこちらを向いているだけでなく別の花が左右背後にも向いていて、空間的な奥行きを感じさせる。美と生命力が重なりながら、鑑賞者を作品世界へと引き込む。

 髙根沢廣志「穀の源」。井戸の上に蓋があって、その水を汲み出すポンプのような機械がその蓋に接続されている。金属部分は朱の色で、手前にはそれを抑える材木が二本置かれている。右上には電源がありコードが伸びている。曲線と直線を組み合わせながら、どこか抽象的な様相を作りだしているところがおもしろい。それぞれのモチーフの質感もしっかりと捉えられている。

7室

 樋口正「老木の下でなに思う」。大きな裸木の下に小さく人物が描かれている。裸木は幹や枝を湾曲させながら四方に伸ばしているが、その複雑で妖しい様子が強く印象に残る。モノトーンの色彩でそういった情景を描きながら、どこか夢の中のような幻想感が引き寄せられているところが特に興味深い。

9室

 萩原緑風「県予選突破」。野球部のチームが勝利に喜んで集まり、抱き合っている。その純粋な喜びの様子が、見ていて微笑ましい。背後のスタンドでは大勢の観客が拍手などをして勝利を讃えている。鑑賞者をぐいぐいと画面に惹き付ける絵画力を感じさせる作品として注目した。

 大槻悦康「化身」。白い鷹と蛇が戦っている。鷹は大きく羽根を広げ、鋭い爪を見せている。蛇は三匹いて、身体をくねらせながら、鷹に向かって襲いかかろうとしている。そして波がカーヴを描きながら逆立っている。繊細にモチーフを描きながら、硬くならずに生き生きとした表現を獲得している。画面全体の強い動勢が、鑑賞者を捉えて離さない。

 岡田秀夫「白谷雲水峡」。樹木や草花が密集する渓谷に踏み入った場所で描いているようだ。画面の奥の方から陽の光が向かってきていて、手前の樹木などはうっすらと影になっている。画面全体に、緑の色彩を表情豊かに様々に変化させながら施している。それはまるで生命の力強さ、尊さを讃仰するようだ。密度のある画面がそういったイメージを引き寄せる。

10室

 橋幸雄「冬のおとずれ」。雪の舞う雑木林の情景をしっとりと描き出している。すすきが生え、葉のない木立が幾本も枝を伸ばしている。その間に二羽のカラスが描かれている。茶系から灰白色の色彩の中で、このカラスが小気味よいアクセントを作りだしている。小雪とカラス、揺れる草木などの緩やかな動きの中に、強い情感を引き寄せている。

11室

 本多清「ハトと老女」。黄色い服を着た老女が歩きながら鳩に餌をやっている。数羽の鳩は、飛んだり歩いたりしながら、老女の後をついて行っているようだ。何気ないが、どこか味のある情景である。壁や道路、鳩の地味な色彩の中で、老女の衣服の黄が馴染みながらも画面を生き生きと活性化させているところが特に印象深い。

12室

 土肥稔「風景」。手触りのある厚いマチエールで広大な平野の風景を描いている。草原の部分や土の部分などで色彩を変えながら、空もまた緑がかった不思議な表情を見せている。何層も絵具を重ねながら描かれた、どこか孤独感を感じさせるこの風景に、絵の前で見れば見る程その世界に引き寄せられていくようだ。

 岩井千世子「雄姿仰ぐ」。切り立った崖とそこに寄せる波。繊細さと堅牢さが組み合わされているところに面白さがある。色彩は明るく、空気感も心地よい。岩壁や浜辺、波などそれぞれの表現がしっかりとされていて、画面全体で確かな臨場感を獲得している。

14室

 金谷一子「思ひ出」。木造の教室で授業が行われている。先生は熱心に講義しているが、子供たちはあまり聞いてはいないようだ。それぞれがふざけて遊んでいる。教室全体を見下ろすような視点で描かれていて、そこから眺める子供たちの様子が何とも微笑ましい。温もりを感じさせるベージュから茶の色彩の丁寧な扱いや筆の運びなどから、画家の深い想いが強く鑑賞者に伝わってくる。

 田中寛美「共鳴そして融合へ」。二人の裸婦が大きく描かれている。画面奥の裸婦はチェロのような弦楽器を奏でているが、楽器は女性に同化していっているようだ。画面全体では様々な色彩が扱われていて、キラキラと輝くような魅力を放っている。画面全体でメロディを奏でながら、美そのものを独特のイメージで表現しているところがおもしろい。奥へ抜けるような空間も、メロディの響きをより高めているようで興味深い。

 小川克子「春の日」。画面いっぱいに黄色の色彩が大きく広がっている。下方から立ち上がってくる樹木の様子が、強い生命力を感じさせる。赤や緑、青などの色彩もセンス良く扱いながら、厚いマチエールも相俟って、鑑賞者に迫ってくるような魅力を感じさせる作品である。

15室

 徳永洋子「家路」。ロバを引いて歩く一人の人物を背後から見た視点で描いている。どことなく中東の路地を思わせる。一歩一歩進んでいく人物とロバの様子が、午後の緩やかな時間の流れを感じさせ、心地の良い空気感を鑑賞者側に運んでくる。黄土から茶系の色彩を繊細に変化させながら、味わい深い印象を醸し出している。どこかミステリアスな雰囲気を感じさせるところもおもしろい。

 大塚隆夫「ひととき」。一人の若い女性が、向かって右を向いてパイプ椅子に腰掛けている。女性は青いドレスを着ていて、何かの出番を待っているようだ。それまでの時間を休憩しているように見える。何れにせよ、クリアな描写によって女性の若さを表現し、初々しいような感情を作品に引き寄せている。

18室

 有馬耿介「フランス学士院(秋)」。川を挟んだ向こう岸に街並みが見える。一番手前のものが画題にある学士院だろうか。船が川を行き交い、その奥の道路でも車が何台も行き交っている。滲むような色彩の扱いが、しっとりと心地よい情感を運んでくる。水面や建物の屋根などに使われている透明感のある青の色彩が特に魅力的で、この画家のセンスの良さを確かに窺わせる作品となっている。

19室

 木村博幸「土蔵造りの美術館」準会員優秀賞。長い年月を経た蔵を大きく描いている。壁や道路、屋根瓦など、グレーの色彩が陽の光に照らされて輝いているようだ。シャープな線でフォルムを描き出しながら、建物の存在感をしっかりと表現している。そこにもう一つ、これまでの時間の流れを作品に込めていて、奥行きのあるイメージの豊かさが感じられる。

21室

 清水義子「木漏れ日」。石とコンクリートで造られた道が手前から奥へと続いている。右奥からはこちらに坂が降りてきている。そこに周囲の草木が影を落とし、まるでモザイク模様のようなキラキラとした豊かな表情を作りだしている。生き生きとした描写力に特に注目した。

22室

 吉川節子「Y・ベイサイドマリーナ」準会員優秀賞。船が接岸する港の風景。画面の右奥が消失点になっていて、そこに向かって橋や道が続いて行っている。船からはマストが何本も伸びていて、それがもう一つのリズムを作り出している。青みがかったグレーの色彩を中心にしながら、クリアな描写で描かれた情景画である。

 上原和代「童女」。和服を着た小さな女の子が鞠をついている。その様子が実に愛らしく微笑ましい。ピンクから赤、朱の色彩を細やかに扱って装飾するように施しながら、まるでポートレートのように後に残すように描いている。画家の深い愛情が直に伝わってくる作品である。

24室

 岩井和子「鳥海山」。起伏する山並みを抑揚豊かに描いている。明るい陽射しが山肌を照らし、清々しい空気を鑑賞者まで運んでくるようだ。やわらかな筆の扱いが大自然の姿を誠実に捉えている。画面の中央に空間を作り遠景の峰で囲むことで、独特の空間的意識が生まれる。そういった画面構成もまた巧みである。

25室

 辰村浩子「育む」優秀賞。市松模様のクロスが掛けられたテーブルに花を生けたケトルや鳥の巣などが置かれている。そこに二羽の小鳥が寄ってきている。細やかにドリッピングを重ねながら様々な色彩を施して行っている。奥の棚にはヴァイオリンも少し見えるなど、こだわりを持って作品を描ききっている。濃密な画面の中に、しっとりとした味わいと情感が生まれている。

27室

 竹内真知子「時代」。マリリンモンローを思わせる絵が壁に立てかけられていて、その脇に一匹の犬が寝そべっている。その犬の様子がどこかユーモラスで印象に残る。グレーの色調をうまく扱って画面をまとめ上げている。左奥には消化器が置いてあるが、その朱の色彩がグレーの画面の中で程よいアクセントとなっているのもまたセンスの良さを感じさせる。

 久田増江「冬の日(A)」。蓮が密生する池を、低い目線から眺めて描いている。蓮は無数に伸び上がり、葉を広げ花托を伸ばしたりもしている。その複雑な様子を、ひとつひとつ丁寧に描き、表現している。水面の描写も繊細であり、画面全体で生き生きとした魅力を放っている作品として注目した。

 遠藤敏明「春よふたたび」第一美術展賞。雪の残る地面が大きくえぐれていて、樹木の根が何本も露わになっている。その複雑に絡み合う様子がじっくりと描き出されている。それぞれの質感をしっかりと捉え描写する力も確かで、見応えのある画面を構築している。

 松下富男「微風 Ⅲ(東北をイメージ)」。流れ来る河を挟んだ右側に座った女性、左側に樹木を描いている。青みがかった色彩でまとめ上げられた画面が、不思議な物語性を孕んでいる。作品内にある独特の間が特に印象深い。

28室

 鈴木智美「月島の窓」新人賞。家屋の軒先を描いている。窓の下には雑多に荷物が置かれていて、左側には自転車が見える。どこか記憶の彼方から呼び起こされた情景のようなところが興味深い。グレーの色彩を中心に扱いながら、緑や赤を繊細に入れて行っている。しみじみとした情感がある。

第71回現展

(5月27日〜6月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 小川恵子「Update」。アップデートとは、コンピューター用語ではバージョンアップということになる。描かれているものは、素材として帯であり、古代の仏画などに出てくる様々な鳥や鳳凰などの図であるが、それが新しくこの絵の中でよみがえった様子。古代の仏画や鏡などに使われていた鳥や帯などの文様を開放し、新しくバージョンアップして、楽しく響き合うこの鳥図を画家はここにつくりだした。レリーフ的な表現になっているところも楽しい。

 羽下昌方「私は私であり私でない」。顔が連結しながら画面の四辺を包み、その中にまた様々な顔が関係をもってあらわれている。下方の様子を見ると、仕切りの中で精子と卵子がお互いに引き合って生成活動を行っているように感じられる。全体でクローンの巨大な工場のようなイメージ。クローンであるから自分でありながら、その自分でもないという複製の生命的イメージを、面白く表現したように感じられる。中世には織物に優れたものがたくさん存在するが、そのようなコンポジションを画面の中に援用したようにも思われる。

 大貫博「2015・創造・(空)」。渾沌とした空間が広がる。夜空の雲の動きのような雰囲気。日本の美意識に谷崎の言う陰翳礼讃という言葉があるが、そういったイメージの視覚化のような雰囲気。しかも、刻々とこの空間は動いていき変化していくようだ。その意味ではお坊さんがかつて絵描きであり、頭の中に極楽や地獄をイメージしたように、画家はこのスクリーンを使いながら空観という精神活動を実験しているように思われる。

 横田瑛子「ENDLESS―未来へ― '15」。たらし込みや円弧の形が自由に闊達に画面の中につくられる。お互いが響き合いながら、終わりのない無限の動きが画面から感じられる。とくに緑の動きと白く透明な動きが呼応しながら、いわば物質とイメージともいうべき二つの世界の要素が、お互いに呼応しながら無限なる空間をつくりだしているかのようだ。背後のオレンジ色から黄色の膨張するような色彩が、背景として優れた効果を上げている。その中に動くものはいわば存在とイメージの両端を担うようだ。

 上田研次郎「ビビオマンダラ」。円弧を組み合わせたフォルムが連続し、無限に広がっていく。画面の左辺からあらわれてきたフォルムは、画面の右辺の上下に向かって動いていく。背後に青、緑、赤、オレンジ、白などの円環がつくられているのは、この不思議な形の光背のようだ。真言密教では世界は大日如来によってつくられているそうだが、そのような本質的なものが象徴的に画面に表現されている。その意味では画家のつくりだした一つの曼陀羅と言ってよい。

 山本淑子「Flow 2015〈飛流燦〉」。無限に流れていく様子。様々な命が小さな魂となって浮遊しているような、そんな不思議な存在。形而下の存在と形而上的な存在。儚く浮遊していくようでもある二つの要素が画面に感じられる。物質的な要素と魂のような要素の二つが相まって、それらが流れていく様子。華やかでありながら、哀愁を感じるような空間。

 秋本康子「Delight(A)・(B)」。赤いバックに白い小さなフォルムが集積している。市松状の矩形の様々な色彩を集めた上方にも、この小さな破片は集合している。アメーバのような不思議な生命感が感じられる。そのようなものが集合すると、全体で強く明るく合唱するような、そんなエネルギーも感じられる。

 小倉洋一「EMANCIPATION─WIDE─」。三面対といった趣で、光という不思議な存在を画面の中に引き寄せている。矩形の組み合わせで、最も明るいところは白で、あいだに黄色、紫、オレンジ、緑、青などの色彩が散りばめられている。十二色環すべての色彩が使われ、それが矩形のグラデーションの中に表現される。そして、そこに円弧があらわれ、その円弧が花や植物のイメージを表現する。見ていると、光のもとで光合成が進んでいくような、豊かなヴィジョンが感じられる。ちなみにエマンシペーションとは解放といった意味である。解き放ち、自由になるといったイメージ。物質にとらわれずに、そのもっている生命感を画面の中にいかに解放するか、そのためのコンポジションと言ってよいかもしれない。

2室

 八幡一郎「天空の果て」。ナイフのようなフォルムが立ち上がり、その左右に渦や不定型の四辺形などのフォルム。下方には黒い渾沌とした世界もある。易経に乾坤という言葉があるが、そんな天地創造の最初の波動のようなものを表現して、面白い。

 島春男「蘇生の図」。新しく種がはじけて、そこから命が生まれつつあるような様子。その命の発現するかたちを、柔らかなブルーの背景のなかにカーヴする曲線のお互いの呼応する動きの中に表現する。瑞々しく初々しい誕生のイメージを描く。

 太田康之「永劫回帰 2015─1」。円形の黄金色の中に赤で炎のような形がつくられている。左右の楕円状のフォルムの中の二つの逆向きの渦を抱えた中心のヒョウタン形のフォルム。炎は外側にもつくられている。核融合反応を思わせるところがある。太陽も核融合反応によって存在し、巨大な光と熱を地球にもたらしているわけだが、そういった存在の象徴的な表現のように感じられる。永劫回帰とはニーチェ哲学の根本を示す言葉で、時間が無限であり、物質で有限であれば、物質の組み合わせはどこかで必ずもう一度同じものがあらわれるといった意味のようだが、そういった哲学的な意味以上に、核融合という最も本質的な世界のエネルギーの源のようなものを表現したように筆者には感じられる。

4室

 原田規美恵「五大彩考」。中心に黄金色の塔が聳えている。いわば墓標のような趣であるが、神々しく立っている様子には画家の深い思いが託されている。背後にはオレンジ、白、赤、緑、青という五彩のストライプが左右に広がっている。下方は海で、緑と赤とが深く響き合っている。上方には巨大な太陽が満月のようなものを抱えてあらわれている。その月と下方の墓標のようなフォルムとはカーヴする線によって結ばれている。深い鎮魂のイメージである。でありながら、きらきらと鑑賞者を癒す力が作品にある。その清らかで生命的でもある不思議な力が画面全体から響いてくるところが、実にこの作品のよさだと思う。

5室

 三好正人「カンブリア幻想」。カンブリア紀とそれ以前では化石が截然と異なる。カンブリア紀になって初めて各種珊瑚や貝類、腕足類、三葉虫など、多細胞動物として高度に分化した動物が見出されるが、それ以前の地層から動物化石はほとんど見つからない。いわばそういった動物の原初的な形をここにイメージして、動物の始まり、プロローグといった趣である。下方には水が横たわり、そこから貝のようなもの、蝶のようなものが現れ、その一つひとつの中の目が鑑賞者をのぞくような、幻想的なコンポジションになっている。

 中畑勝美「刻 2015 鞄」。ピエロが立って、パントマイムのようなものを行っているかのような雰囲気。鞄があけられて、中に針のない時計や熊のぬいぐるみなどがあらわれている。歯車がいくつも浮遊している。それは時間というものと同時に、歯車と歯車のあいだの関係性といったものを暗示するようだ。その中にピエロがメランコリックな様子で、何かを訴えかけている。内面的な世界をグレーを中心とした色彩の中に生き生きと表現する。

 田中敏夫「新釈、羽衣伝説」。羽衣伝説とは、天女が下りてきて、漁師がその衣を隠して帰れなくなったという話。いずれにしても、天女という美しい存在をこの絵の中では伴侶にして、鬼があぐらをかいている。女は三味線を弾き、男は羽衣を抱えている。上方には女性が膝を崩して何か悲しんでいる様子で、この女性のもう一つの面が描かれる。はるか向こうには海が見えるのが哀しい。

 渡辺泰史「SAMURAI INDUSTRIES─風神雷神─」損保ジャパン日本興亜美術財団賞。コーラの瓶が中心に大きく描かれている。その形自体が男性的なイメージを与える。そばに鉄塔が伸び、稲光が空に走っている。それにつれて風が吹き雪が舞っているような雰囲気もあるし、下方は夕方のような赤い光に包まれている。強風に対して、鉄塔がもう一つの雷のようなイメージをつくり、中心のどーんとしたコーラの上部の形が、その自然現象に動じることもない強い不動の存在のように表現されている。フォルムのもつ象徴的な性質が見事に画面の中に引き寄せられたコンポジションである。

6室

 空井友子「千年の記憶」。枝垂れ桜が満開である。桜のあいだから青い空がのぞく。下方には水があるようで、上方の風景を映して五彩に輝く。絢爛とした幸福な世界で、通常の時間が停止したような世界が表現される。

 宮尾美明「名残り雪」。スカートを手ですこし持ち上げた若い女性。肌が白く、官能的な力が表現されている。水墨を思わせるような線が生き生きと画面に使われている。手や顔をピックアップするように画面に描いている。心理的な遠近感ともいうべきコンポジションで、画家のつくりだした若い女性のイコンと言ってよいかもしれない。

7室

 大澤智子「夜明の詩」。樹木のそばの切り株に座って膝を立てて、猫のような白いフワフワとしたものを抱き締めている少女。この大きな木に守られて、まどろんでいるような雰囲気。ユニークなコンポジションであるし、フォルムのディテールが生き生きとしている。

 真壁隆夫「緑の水面」。手前から枝が伸びている先に小さな花が咲き始めている。しかし、背景はもう緑が萌えるような調子で、新芽がきらきらとした色彩を輝かせている。植物や樹木に囲まれた水が深い調子で澄んだ感じで広がっている。自然のもつ神秘的な魅力をよく表現する。

 安田潔司「これはこれはと吉野山」。いわゆる吉野の千本桜が咲いている様子を描いている。はるか向こうの山は雲海から顔を出しているが、その雲海に囲まれるように山に桜が咲いた様子が桃源郷のように表現される。近景にも山桜が満開の様子である。近景、中景、遠景といった風景の基本を踏まえながら、花の満開の不思議な世界をよく表現する。空の青、緑、オレンジ色といった色彩の変化もまたこの風景の魅力の一部として機能している。

 吉野すみ子「教会のある風景」。上方にドームのような屋根が二つある。それが教会のようだ。近景には白い漆喰か石でできたような建物が白いシルエットとして浮かび、あいだに窓が見える。全体でエキゾティックでロマンティックな香りが漂う。緑を面白く優しく扱いながら、ドームの色彩の紫がポイントとなりアクセントとなって、画面の全体を引き締めている。色彩感覚がよい。

8室

 金仁圭「はずかしい」。ポップな感じ。マリリン・モンローが地下鉄から出てくる風でスカートを翻している図が左に描かれている。それを窓から中に頭を入れた象が見ている。ペアの豚がこちらを眺めている。マリリン・モンローの後ろに赤富士が聳えているのが面白い。マリリン・モンロー、富士、象、豚といった、いわばキャラクタライズされやすいものを集めて、生き生きとした空間をつくる。その空間はイメージがお互いに響き合うことによってできている。中心の壁に窓があって、その向こうに褐色の葉をもつ木の先端が見えているのが、いかにも日本的な雰囲気を醸し出す。

11室

 川除俊子「寂寥―風」。一瞬、花弁がいくつも重なっているように見えるが、よく見ると、それは葉である。二つの葉が幾重にも重なって花のようになっている二つの存在。背後に矩形のフォルムがあって、エメラルドグリーンを明るくしたような色彩が輝いている。それに対して反対側はウルトラマリンとコバルトブルーの色彩が輝いている。実体があるようで、よく見ると空虚な存在。まるでスクリーンの上の存在のようだ。そういった空虚な植物の葉のイメージが不思議な華やぎの中に存在し、それが存在するものというように錯覚に陥るようなイメージの表現である。般若心経に「色即是空 空即是色」という有名な言葉があるがその言葉を思い出すような世界。「寂寥─風」という題名であるが、そのような仏教の空観の表現のように思われる。深い声明が風のように後ろに、全体に、聞こえてくるかのようだ。

12室

 岡崎笑子「案内」。少女がボートに乗って進んでいく。右手にもつ枝には白い鳥がとまっている。この鳥の案内で洞窟を進むと、その向こうに鳥たちの楽園がある。水を囲む洞窟に青く光る不思議な生き物がある。数少ない色を使いながら、世界の神秘といったイメージ、また、魂の旅行といったストーリーを感じさせる。

15室

 池谷いずみ「祭り」。四人の人が大きな竹筒を持って、そこから花火を打ち上げている。上方に炎が向かい、上から花火となって下りてくる様子がダイナミックに描かれる。シュールな気配も漂う。

17室

 秋山哲夫「月光夢想」。下方につがいの鳥がお互いに踊り合って楽しんでいる。後ろに二人の女性が手を広げている様子が、その手は翼になっている。たくさんの鳥がその左後ろに渡り鳥のように飛んでいる。富士山が聳え、満月が浮かぶ。暖色を使いながら、富士と鳥との組み合わせの中に、鳥が女性に変身しながら渡り鳥になっていくという、日本の民話的な世界がダイナミックに表現される。

 大澤正勝「誕生と築きのモニュメント」準会員賞・会員推挙。球体をリングによってつくり、その下方の卵形の形。そこから上方に突出する円錐状のフォルム。上方には蝶が浮かんでいる。床は市松状。中心の球体は緑、黄色、青、紫、赤などの色彩が散りばめられて、独特の輝きを放つ。CGならではのコンポジションだし、フォルムである。

 水島ユミ子「キャ立ですが何か?」。猫の背中にもう一匹の猫が乗って、蝶を摑もうとしている。ペン画のようで、ハッチングによって形ができている。クリアなフォルムを見ると、優れたデッサン家であることがわかる。

22室

 伊藤寧俊「分体 2015」会員賞。弥生時代の埴輪の顔は丸いフォルムの中に目があけられて、素朴なものだが、すこしそのようなイメージの形。二つの顔があると思って見ていると、後ろのほうにも顔がついている。いずれにしても、頭部が二つあり、手が四つ、足も四つほどあるような形のものがお互いに緊密につながって、手を伸ばしたり、足の先を上げたりしながら独特のイメージを醸し出す。ゴロゴロと転がりながら動いていくような力もあるようだ。無邪気な中になにか不思議なきらきらとしたイメージが発光する。

 臼井亮「装備する子供 ブリガドーン」会友賞。上方に屋根がかけられている不思議なフォルムの中に子供がいる。下方は船になっているようだ。左右に窓のようなものがある。家のようなもの、船のようなもの、その他様々な、鬼のようなものまでつくられているが、それに囲まれて子供が単に防備するだけでなく、船の歩みにつれて動いていく。そんな不思議なイメージを立体化する。子供の時代でさえもあらゆる情報がその子供を襲う。子供が生きていく現実を表現したものだろうか。

第103回日本水彩展

(6月2日〜6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 酒井保嘉「耀・三陸の海」。三陸海岸の端から海を見下ろしている。磯に波が寄せて渦巻いて、白いしぶきを上げている。その圧倒的な海の波の力と海の広がりと深さがよく表現されている。黒潮のもつコバルトの海の色彩。手前の岩の力強くあやうい均衡を保ったかたち。東北に津波が押し寄せる前に描いた三陸海岸の海だという。

 田代久美子「時は過ぎゆく」。夜の街。たらし込みふうに建物や道を描いている。雨が降っているようで、傘をさしている女性がいる。ぬれた道が街の灯を照らして揺れている。窓から洩れる光と暗い窓。明暗の対比の中にブルーや紫、緑、赤などの色彩が、お互いに影響し合いながら独特の波動のある奥行のある空間があらわれる。シャンソンが聞こえてくるような、そんな空間の性質である。

 齋藤俊子「廻遊の中の出逢い」。大きな魚がいま方向を変えようとしている。その巨大な鯨のような存在感のあるフォルムが圧倒的である。それに対して下方には水草を思わせるようなフォルムや空気の泡を思わせるようなフォルム。さらに上方にはたくさんの小さな細胞的な形が連続して、海のかたちをつくりだしている。水も生きている。その様子をベースにしながら、画家は自由な夢想の中に入ってきて、この巨大な魚を黒く描いた。そのいわば海に対する讃歌ともいうべき生命感がこの作品の魅力である。同時にビートのきいた深い音楽のメロディが聞こえてくるような魅力もある。

 小野月世「夏のはじまり」。青い模様のワンピースを着た女性が机に頰杖をついて座っている。左のほうから光が差し込んで、柔らかな光線に染められている。床にある裸足の足。衣装から出た肩のかたち。顔の一部は光が差し込み、影になった部分との対照。まるで光がこの女性を荘厳しているかのようだ。単なる太陽の光というより、教会に差し込むような聖なる光がこの女性を染め上げているような、そんな光のクオリティがこの作品の魅力だと思う。

 茅野吉孝「陽光」。水辺に樹木が枝を伸ばしている。その中に一艘の壊れかかったボートと枯れかかった植物。斜光線がそこに差し込んで明暗のドラマをつくる。黒い枝と光に輝く葦のような植物。あいだの水が入江の中に表現され、全体で大きな空間があらわれる。

 真壁輝男「防風林」。風によって右のほうに傾いた松の木が並んでいる様子には、圧倒的な存在感が感じられる。もう秋になったようで、ススキが銀色の穂波を下方に翻している。枯れかかった草に対して、上方にはまだ緑の葉が集まって独特の力を表している。しかし、緑の葉によって上方の空が見えないところが不思議である。樹木のもつ強い力、連続した力があやしい雰囲気を醸し出す。そういえば、四年前の津波で七万本もの防風林が一夜にして全部倒され、一本だけ残った。最近それが絵本になった。この防風林は台風でみんな根こそぎ失われた、その防風林を再生しているかのような、不思議なあやしい雰囲気が感じられる。たくさんの防風林がお互いに合唱しているような強い力が感じられる。

 滝沢美恵子「刻の流れ」。すこし腰の曲がった老人の姿が大きく描かれている。後ろには抱き合う若いカップルなどのポスターや丸い眼鏡をつけた男の顔などの映画や演劇のポスターが置かれていて、人生を感じさせる。老齢の男とそういった物語性がポスターから浮かび上がり、人生に対する深い思いが画面から流れてくる。

 大岡澄雄「樹林(白い樹)」。ひっそりと伸びる白い木の形が魅力的である。光り輝くような樹木の形。葉をつけていない裸木の形。それを包み込む独特の青黒い空間。まるで血管のように伸びていく白い木が命というもののもつ性質をイノセントに表現する。

 久保田勝巳「鳥影」。大きな樹木。根から七本ぐらいの幹があらわれて、周りが七、八メートルぐらいあるような樹木のイメージである。かつて画家は、津波でたくさんの人が亡くなると同時に福島原発の事故が起こり、この郷里の樹木に怒りの表情をさせたことがある。そういった連作が続いたが、今回はその怒りとは違った表情で、いわば樹木による楽園的なイメージを描いた。中にはその宿り木が花を咲かせている。小鳥がたくさんシルエットとなって集まっている。この木の中にすみついているかのような梟の顔も見える。七百年、八百年とこの土地に育ち、この村を見守ってきたかのような樹木のアルカイックな姿が、そのまま生き物を支え、彼らのすみかとなっているような、そんな生き物の理想的な楽園のようなイメージ。かれらを守るような男性的なイメージが、この樹木の形に感じられる。空間と同時に深い時間の奥行ともいうべきものが表現されているところが、実に魅力である。

 宮川美樹「刻」。波が引いたあとに砂地に魚の骨や貝や鳥の羽などが残っている。そこに鳥影が映っている。繰り返される時間の中に刻々と世界は変化していく。その変化していく痕跡ともいうべきものが砂地に残されている。そして、そんな時間の象徴のように鳥影が映る。

 荒木惠子「EPISODE」。白い椅子。その後ろ側に人間たちが集まっている。六人ぐらいいるのだろうか。女性たちである。そのグレーの色彩によって彩られた女性群像ともいうべきものが、激しいストロークの中に表現されていて、あいだに黄色い花が咲いている。黄色い花は手前の椅子の上にも置かれている。あいだにブルーの色彩。激しいなかにエレガントな雰囲気がある。都会のこの女性たちは画面の中に生かされて、それぞれの物語を語りかけてくるようだ。詩情が感じられる。

 鳥巢啓三「沖縄の追想」。黒や赤の抽象的な紡錘状の塊がお互いに響き合う。水が周りを流れていくようだ。上方には沖縄の街を上方から眺めたような矩形のフォルム。沖縄のもつ暖かな風土とその豊かな自然。それを抽象的なコンポジションで表現する。

 吉川靖「自販機」。道に面して自販機がある。その向こうはアパートやマンション。電信柱が立つ。下町の一隅を柔らかな光線の中に生き生きと表現する。透明水彩のタッチが生かされ、繊細な表情を生む。

 光武正義「水辺」丸山晩霞賞・会友推挙。水が流れているようで、実はとまっているような不思議な表情である。周りに雑草が生えている。水底には石や泥が見える。昆虫などの生き物には実に楽園のような水の表情で、すこし温かく独特の質感のなかに表現される。水のもつ触覚的な力がこの作品の魅力。

 福井タマヱ「静」損保ジャパン日本興亜美術財団賞。日曜日のオフィス街だろうか。しんとした気配のなかに高層ビルが立ち、樹木が立ち上がり、横断歩道が浮かび上がる。そんな様子を心象風景として描く。黒の扱いが優れている。黒によって深い心理的陰影があらわれると同時に、そこに空間や動きを内包した独特の世界が生まれる。そこに詩がある。詩人の描いた空間ともいうべき独特の魅力が感じられる。静かな中に微妙なムーヴマンがあらわれる。

 小林節子「追想」内閣総理大臣賞。高層ビルの手前には四、五階建てのビル。そして、カフェなどの看板。黄金色の葉をつけた樹木。手前に若いカップルが歩いてくる。そこは白い厚いマチエールの上に線描きで描かれている。空は残照に輝いている。めりはりのきいたコンポジションの中に街のもつ表情が描かれる。

 其田章「雨音」会友優秀賞・会員推挙。アスファルトの上に水がたまっているのだが、雨垂れによって同心円の波紋がいくつもいくつも起きている。そこに街路樹の一部が黒く映っている。まるで不思議な音楽を聴いているかのよう。一隅にあらわれた光景がそんな視覚と聴覚をインスパイアする独特の表情を醸し出す。

 伊藤誠一「刻―古都―」日本水彩画会賞。古い集合住宅が両側にあって、その向こうに新しい集合住宅がいまつくられつつある様子。下方の人々と駐車された車たち。緑色がかった青い空。一つひとつ丹念に描きながら、明暗のコントラストの中に生活感を醸し出す。

 鈴木智枝「仮想空間」会員奨励賞。壊れかかったような板塀の向こうから子供が顔をのぞかせている。手前にはバケツのような壊れたものの上に剝製のヤマドリが置かれている。そばにはデコイの二つの小鳥。上方にも同じような小鳥がいる。わらべ歌が聞こえてくるような世界をエキゾティックな空間のなかに表現する。子供が発見したときめくような場所と言ってよいような物語性も感じられる。

 宮下陽子「夕陽を受けるモハメダン」大下藤次郎賞・会友推挙。白い帽子をかぶった白いひげの中年の男が椅子に座っている様子をしっかりと描き起こす。しぜんなポーズの中にある人間の佇まいがよくあらわれている。柔らかな光線の扱いも優れている。

 長谷川千賀子「ノスタルジア」石井柏亭賞・会友推挙。ピンクの薔薇の花がたくさん花瓶に生けられているそばに、古いタイプライター、アルバムのようなもの、ワイングラスもある。記憶の空間の中に薔薇の花が香っていくような、そんなロマンティックなイメージを構成する。

 早崎小百合「鮮やかな態度」会員奨励賞。ずいぶん塗りこまれている。グワッシュによる表現である。ハンドバッグを持つ若い女性が立っている。そのオレンジ色のワンピースの色彩。周りの数匹の猫。街を思わせるようなたらし込みふうな緑のシルエット。ぐいぐいとイメージを引き寄せながら、街と少女とが合体し、そこに猫を引き寄せながら、命の歌をうたう。

 工藤純「想(そ) 015─5」。怒っている顔。笑っている顔。静かに俯いている顔。子供のような顔のもつ力が百面相のように画面に引き寄せられ、独特のヴァイタルな力を引き寄せる。緑やピンク、青、赤などの原色を使いながら、基本的には白く塗ったお面のようなベースの上に顔をぐいぐいと描き起こす。フォルムがあらわれ、強い生命感を醸し出す。

 辰巳彰「帰りを待つ」。駅に自転車があるのだが、かなり数が減っている。帰宅時間で、たくさんの人が自転車を使ったのだろう。遅く帰ってくる人も待つ自転車の表情。そんな言葉がわくような独特のコンポジション。

2室

 安部孝子「青い部屋」文部科学大臣賞。ソファで編み物をしている女性。テーブルの上には毛糸の玉や紅茶の入ったティーカップや葉つきのレモンの入れられた水差しや本などがあり、そばから植物が伸びている。キュービックなかたちで視点を変えながら生き生きとフォルムを捉え、物語をつくる。

 妹尾宏「歩く」。腰を屈めて歩いている男。顔の部分が影になっていて暗い雰囲気だが、後ろの樹木の先に白い花が咲いている。コンクリートの壁、コンクリートの床といった無機的な中に一人の男の存在を描き、それを癒やすように背後の上方に花が咲いている様子が面白い。グレーに独特の力がある。

 柴﨑寬子「各々のポジション」。兜をかぶった埴輪。古いトランペット。李朝の魚の絵柄のある壺。アルコールランプ。トランクの上方には大きな浮世絵が貼られている。そういった、いわば古美術を集めている。それぞれの時代を感じさせるものたちを静物として集めながら、それぞれが語りかけてくる様子を聴きながら表現している。そこが面白い。

 志賀一男「彼岸花」。秋の彼岸の頃に咲く赤い花はまた死者を弔う花でもある。手前に若い女性が座っている。後ろにもう一人の女性が腕を重ねて甲にトンボをとまらせている。猫が俯いている。巨大な水の波紋が上方に伸びている。一見、入道雲かと思ったが、それは水であって、津波で亡くなった人に対するレクイエムの表現であることがわかる。黒と紙の色を生かしたグレーとによってコンポジションの中心をつくり、赤と青の色彩によって彩る。

 千代田利行「朝日に匂ふ」。吉野の千本桜が描かれている。「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」という本居宣長の歌があるが、その中の言葉を題名にして、宣長が好きであった山桜が満開の吉野の里を描いている。左上方に朝日がいま空に浮かんできた様子が描かれている。まだ山々は黒くわだかまっている。光によって手前の近景が白く輝いている様子は、なにかあやしい。桜が集まってこの不思議な生き物のような形をつくりだしているのだろうか。その向こうにはピンクに沈む山桜の山があり、そのもっと下方は霧がかかったようなグレーである。神韻縹渺という言葉があるが、吉野に昇る太陽と桜とがお互いに響き合いながら、柔らかく、あやしく、不思議な霊的な空間があらわれていると思う。吉野千年の歴史がこの画面の背後にあるのだろう。

 中村光伸「初夏の金堂」。しっかりとした建物である。唐招提寺の金堂を思わせる。あるいは別の大寺の金堂だろうか。木組みと瓦の屋根の形がどっしりとして、それを淡々と描きながら、奈良時代の建築のもつ骨格のしっかりとしたフォルムを画面の中に浮かび上がらせる。白いパラソルを持った若い女性と赤い服を着た女の子が手前にいるのがほほえましい。

 根岸尚徳「遠い声」。横座りに座って頰杖をついた女性が魅力的に描かれている。上品なその全体の雰囲気。肘の下に赤い布がある。右のほうには壺などのフォルムも見られるが、たらし込みふうに緑や紫、黄色などの色彩で、全体で柔らかな優しい雰囲気。そのなかに頰杖をつく女性のフォルムがしっかりと描かれている。柔らかな光がたゆたう中に、そのフォルムのもつ骨格のしっかりとした力がこの作品の魅力だと思う。

 今井芳文「学校(花見月)」東京都知事賞。若い先生と児童たち。ぐいぐいとデフォルメして描いて、不思議な生命感を引き寄せる。キュービックな造形によって描かれた力強い表現。

 浅賀智子「あの日 あの時」三宅克己賞。二人の座っている女性をしっかりと描いて構成している。

 杉原博彥「秋の気配」会友奨励賞・会員推挙。鉛筆でこの自然の中の葉や樹木をドローイングし、そこに薄く淡彩絵具を置いて、稠密な空間をつくる。微妙な光線の変化があらわれているところが面白い。

 川口明美「誰も寝てはならない Ⅱ─2:46─」会員奨励賞。椅子の背に肘を置いて、その上に顔を重ねて、横座りに座っている女性のフォルムをよく表現している。柔らかなその女性のラインを生かした全身像である。

 村上眞「刻」会友奨励賞・会員推挙。もう廃棄されたと思われる機関車の貨車が錆びてペンキがはがれている。そんな様子をクリアに描いて、時間というものを表現する。

 毛利由美子「ノクチュルヌ」古賀春江賞・会友推挙。ドビュッシーなどにノクチュルヌという曲がある。ノクターンのフランス語だが、ここに使われているブルーや紫、緑はずいぶん強い色彩で、それらが組みあいながら、がっちりとしたコンポジションをなす。色彩によって空や海、人間、街をうたいあげているといった趣で、その色面の力に注目した。

 中田康子「さよならの日」会友奨励賞・会員推挙。両手を重ねたそばに顔を置いて、居眠りしているような雰囲気。そばで猫が頭を上げて、きっとした表情で鑑賞者を眺めている。「さよならの日」は失恋の日なのだろうか。一つの関係が終わった日。少女の魂のように猫がその姿を現し、少女を守っているようだ。

3室

 大庭律子「帰港待ち」会員奨励賞。桟橋の一部を拡大して描いている。下方はびっしりと貝のようなものが取りついている。上方には魚網。漁船が帰ってくるのを家の人が待っている。そんな気持ちをマチエールをしっかりとつけながら岸壁の中に表現する。

 岡邦彦「水落葉」中西利雄賞。落ち葉が水に浸っている。その様子をパッショネートに表現する。たくさんの落ち葉と水の波紋とによって不思議な表情があらわれる。

 長谷川光男「時を超えて」。スペインの街だろうか。オレンジ色の瓦屋根に白い壁。そういった建物が集合しながら、中心は教会のようで鐘楼が立ち上がっている。そんな様子を立体的に斜光線の中にしっかりと表現する。

 加藤英「時のつかさ」。時というものを加藤はしばしば面白く表現する。少女が上半身をのぞかせている下方に壊れた時計がある。外側は青く歯車をイメージするような雰囲気で、下方の短針が上方を指しているが、長針が見えない。青い歯車を思わせるフォルムはそのまま街の中のビルのようなイメージと重なる。左上方に大きな鍵がつけられて、この鍵を回すとぜんまいが巻かれていくわけだ。すこし錆びている。時計のおもてを背景にして、ピエロが浮かび、驢馬を抱えるもう一人の小さなピエロがいる。花托が立ち上がり、向日葵、上方にはオリーヴの葉のようなフォルムも見えるのだが、少女の頭にカラフルなリボンがつけられているのが面白い。見開いたこの少女は、お人形さんのようだ。時というもの、それを二つの針が指すわけだが、その針が動いていく仕組み。そんな中に入りながら、時計から妖精たちが現れて、時の不思議さを語りかけてくるようなコンポジションである。クリアなフォルム、とくに上方のあどけない少女の大きな顔が山越阿弥陀のように現れ、優れた効果を表す。

 今成建史「秋渓」。水が激しく流れてくる。段差があって、小さな滝のように波しぶきを上げる。そこには岩がある。大小の岩がごろごろとこの水を囲んでいる。遠景には崖になった岩の一部がのぞく。手前には落ち葉が集まって固まっている。そのあいだを白い波しぶきを上げて流れてくる水の爽やかで激しいイメージが実に魅力である。

 水野晃一「運河暮情」会友奨励賞・会員推挙。木造の桟橋と建物。そこに繫留された船。日本にもこういう場所が佃などにあったが、この風景はどこを描いたのだろうか。中国なのだろうか。国籍のわからないところがあるが、クリアな船の形や桟橋や建物によって楽しいドラマともいうべき力があらわれる。空と空を映した水のグレーの部分と建物や船との配分が面白い。

 河村純正「揺蕩」。夏の景色だろう。上方から強い光が差し込んで、この山道に黒い影をつくりだしている。きらきらと輝く雑草や樹木の葉。そういった複雑な様子を実にしっかりと描いている。ところどころ影になったすこし暗い緑の葉が置かれ、きらきらと輝く葉がその向こうに集積し、いわば葉の合唱ともいうべき空間があらわれる。

 李志宏「早春」。少女の上半身が描かれている。マフラーをしているが、黒髪の下の豊頰の中の黒い目。すこし上方を眺めている。しっかりと描いている。顔が強く、この少女のもつ憧れや想念を表すようだ。肖像画としての優れた表現である。

 松永弘「消えゆく遺産・記憶・鉱石運搬」。トロッコが画面の中心に描かれている。鉱石をこのトロッコが長く運んできたのである。左に入口が見え、手前の両側には山の内部の肌が見える。その様子を遠近感のなかに表現して、強い存在感が感じられる。

 木村周子「卓上の静物」石井鶴三・会友推挙。卓上の玉葱や洋梨、瓶、あるいはドライフラワーなどが集められて、お互いが響き合いながら、楽しい幻想的なイメージをつくる。輪郭線をお互いに連携させ、緑やオレンジの色彩をそこに入れて、楽しい軽音楽ふうなイメージをつくる。

4室

 中村多美子「希いを花に」。樽に紫陽花などのドライフラワーがさされている。現実の生きた花よりドライフラワーになりつつある花のほうが陰影が深く華やかなように、画家は表現する。時が移っていくことの象徴なのだろうか。三角形のガラスのフォルムを手前に二つ置いて、それを通して見える色彩と通さなくても見える色彩を対照させる。下方には三つの松ぼっくりがある。それもまた季節を表すようだ。季節のなかに色づき、変化していく。そんな様子を対象と向かい合いながらしっかりと表現する。

 小野里理平「タンゴ、カルテット」。ヴァイオリン、ギター、コンガ、チェロのカルテット。それぞれが微妙にデフォルメされているように感じられるところが面白い。すこし縦に伸ばされている。チェロとヴァイオリンとが、あのタンゴの情熱的な旋律を奏でているのだろう。その合間にギターとコンガの音がリズムをとって響いてくる。そんな言葉がしぜんと作品から感じられるほど、演奏しているシーンの中に画家は入り込んで描いている。画家独特のフォルムが魅力であるが、同時に、柔らかな虹色を背景にした中に紫や緑、青、白などの衣装、そして右のほうにはライトレッド系のチェロの強い色彩と楽譜の緑とが響き合う。独特の動きのある遠近感のあるコンポジション。

 小竹曻「雪の朝」。庭に車が通った跡の轍が残っていて、雪の中に不思議な文様をつくる。それを描いて、強い臨場感とリアリティを醸し出す。中景から遠景の建物や山の斜面の表現も優れている。

 松林重宗「煌めく」。雲仙の湯元を描いている。もうもうと水蒸気が上がっている。硫黄のような黄土色の色彩も水のそばに点じられている。日本は火山列島で、あらゆるところで温泉が出るが、最近は噴火活動も激しくなっていることを、この作品を見ながら思った。いずれにしても、大地の奥から地熱によって温泉が出てくる。そんな現場の様子を強い臨場感のなかに表現する。大きな石や小さな石がある。とくに大きな石のごろごろとした様子はシルエットふうに表現されて、この作品の構成のポイントとなっている。あいだにチューブのようなものが幾重にも置かれているのも、いかにも湯元の光景である。

5室

 村松泰弘「夏の渓流」。石がごろごろしているあいだを水が流れてくる。その遠近感のある石のもつボリューム感のある表現と、流れてくる水の複雑な様子をクリアに表現する。上方の五月の頃のような緑の葉の茂った様子が、乾いた光の中の石に対してしっとりとした表情を見せる。そのコントラストも魅力。

 平林邦雄「街角」(遺作)。平林邦雄は水彩をずっと描いてきて、その紙の色などを生かした独特の叙情的な表現で注目してきた。スペインなどの風景が多くあり、その才能に注目してきたが、突然、会場で黒いリボンが掛けられているのに出会った。年譜を見ると、昭和二十四年生まれで、享年六十六歳である。惜しい人を亡くした。合掌。

 江口均「トレドの屋根」(遺作)。江口さんは淡々と風景を描いてきた。外国風景も多く、その誠実な人柄をそのまま反映するような風景には独特の魅力があった。大正十三年生まれ。九十歳で亡くなった。大往生と言ってよい。その「トレドの屋根」の遺作も、落ち着いたなかに親しみやすいものである。

 松尾武則「小倉城・初夏の頃」。石でつくられた柵が石垣の上に立てられている。そんな一隅を深い奥行のなかに表現する。光の扱いと緑の複雑なトーンをよく使いこなしている。

 佐野師英「待春葦原の木」。水のそばの葦の原の向こうに、ほとんど葉を落とした樹木が見える。その黒い幹から枝にわたる表現と葦のベージュの色彩。遠景の霞むような山と民家。民家には雪が積もっているようだ。琵琶湖周辺の様子は日本のふるさとと言ってよい地域であるが、そんな様子を水墨と共通するような叙情のなかに表現する。

 富山訓子「晩秋の河原」。黄土色からオレンジ色、緑などの複雑な色合い。野の草と樹木が紅葉し、枯れて、晩秋の風情。あいだにススキが白い穂を輝かせている。そんな中に小さな細い道が日に照らされて白っぽい様子だが、緑のリュックを背負った男性が向こうに歩いていく。この人が入ることによって、この風景がより身近なものになる。いずれにしても、色彩の繊細なトーンの深い表現が魅力である。

 和田京子「雪の街角」。光に照らされた雪がきらきらと光って、清潔で強い魅力を放つ。合掌造りふうの建物が背後にのぞく。手前の並木はもう雪が枝に積もって、そばの道は車道のようでぬかるんだ様子。あいだから青い空が見え、透明な光が差し込む。

6室

 綱川サト子「渓」。岸辺は岩でできている。その複雑な岩の形と静かに流れる透明感のある水の様子。二つの触覚的な力が対照される。また、水を通して見える水底のもつ深い雰囲気も、白く輝くような岩と対照されて面白い。

 岩佐隆子「with WYETH」。直方体のボックスが四つ。その上にワインボトルやランプや貝などが置かれている。後ろの壁に風景がドローイングふうに表現されている。「ワイエスと共に」という題名だから、この風景はワイエスの模写なのだろうか。線を生かした中に対象の形を捉え、今回はこのワインボトルという無機的なものと海の貝をコラボレーションしながら、独特の韻律をつくる。背後はたらし込みふうな表現になっていて、余情がある。

 綿引新吾「お祓」。川縁で神主さんが榊を持ってお祓いをしている。周りには八人ほどの男性たちが思い思いのポーズで立っている。雪が降っている。背後の裸木に積もった雪の様子。手前は深い暗い水が流れている。人間たちの姿や樹木を実に活写している。優れたデッサン家である。そのデッサン力のもつ心地よいリズムに引かれる。

 水野道子「不思議な館」。正面に建物らしきものがあり、手前に赤い炎のような色彩が動いている。一見して夜の能舞台、薪能のことを思った。炎の向こうで演じられる能。能はだいたい死んだ人を呼び起こすわけだが、そういったあやしい、現実の時空間を突破したイメージを、この作品に感じた。

 宗廣恭子「ファイアマン」。ビルの窓が赤く燃えている。それに向かって白い水を放射している消防士。ヘルメットをかぶっている。周りはブルー系の色彩の中に紫の色彩が入れられている。しーんとした中に燃える赤とファイアマンの白。あいだのマンションは紫色のベランダのあるフォルムで、上方には街路樹と道。闊達なイメージによって自由なコンポジションをつくる。中心の妖精のようなファイアマンが、街から人々を守る存在として独特の天使のようなイメージで表現されている。

 上野博「曲・想」。ヴァイオリンを若い女性が弾いている。それにつれて天使があらわれ、鳩が舞っている。音楽とそのメロディによってあらわれてくるイメージを形象化する力が、この作品の面白さだろう。とくに天使のフォルムなど角度をかえ的確で、生き生きとしている。

 鵜飼しをり「譜」。赤が強烈で、深い。あのシャガールが使う赤に共通したような詩情と音楽性を感じさせる。あいだから青や黄色の色彩がのぞき、鳥のようなフォルムが動いている。ストラビンスキーの「火の鳥」のような曲調さえも感じさせるような深い音楽性が、色彩によって表現されているところが面白い。

7室

 山口幾子「アフタヌーンティー」。ホテルの一隅だろうか。ピンクやオレンジの花がいっぱいに咲いている。左のほうの花は大きく、現実を超えて、むしろイメージの中に広がるように表現されている。そんなテーブルの向こうにほほえんで座っている女性。後ろには五人ほどの客がシルエットに描かれている。柔らかなグリーンの空間の中に、現実とイメージとの境界に存在するように花と人物が描かれる。

 舟橋淳司「追憶のベニス・窓ぎわの静物」。テーブルの上に布が掛けられ、ピンクの紫陽花と若い女性の石膏の首が置かれている。窓があけられた向こうにヴェニスの風景がのぞく。ヴェニスの風景は記憶の中にあって、手前の紫陽花と石膏は現実に目の前にあるようだ。とくに手前の石膏やヴェニスのトーンによる再現力が優れている。優れたデッサン家で、対象を一つひとつ丹念に触るように描いて、その抵抗感が画面にリアリティをつくる。

 勝谷明男「雪の曠野」。赤茶色の牧舎の屋根に雪が残っている。地上には五十センチほど雪が積もっているようだ。雲が動いて、青空が広がり、いま光がこの地上に差し込んだ。雪がパッと白く輝く。そんな一瞬を画面に定着させる。筆力と動きが感じられる。

 松田節憲「大原の里」会員推挙。コンテによってこの大原の里の建物や樹木、道、田圃、山を描き起こす。優れた素描力の持ち主のようで、やり直しはほとんどせずに、一望にこの光景を描き起こし、そこに淡彩で絵具を置く。きびきびとしたリズムが画面から立ち上がり、懐かしい里の風景があらわれる。

 佐藤晴美「小路をゆく」。鋪装されていない地面に古い民家の壁が接している。道とのあいだにブロックの低い石が置かれ、あいだに植物が植えられているのだが、そのブロックの上を縞の猫が歩いている。どうも野良猫のようだ。強い生気に満ちた猫の姿である。不思議な陰影の中に地面も壁も描かれているのだが、その中を動く猫が強く生き生きと表現されていて面白い。

9室

 津賀忠子「ある日の休日」。白いワンピースを着た女性が座っている。カフスとイヤリングが真珠のようで白く輝いているから、よそゆきの服である。丸いテーブルにはノート(手帳)が置かれている。カーテンの向こうには夜の風景が広がり、光がまたたいている。ロマンティックなシチュエーション。鑑賞者を画面の中にいざなうようだ。筆のタッチによって独特の動きが画面全体に生まれているところが魅力。

10室

 萩原葉子「春」。北国では春は一度に来る。桜も梅も桃もあっという間に花をつける。そして、その中に鳥が喜びの声を上げる。ぐるぐると旋回するような動きの中に木が枝を広げて花をつけている。あいだから澄んだ青い空がのぞく。

 佐藤玉枝「ある日」。向日葵のような花が咲き、やがて季節が移ると様々に紅葉する。二つの季節が向日葵と紅葉した葉によって表現されているようだ。そのあいだからタンクトップに麦藁帽子の女性が上半身をのぞかせ、スマートフォンを操作している。手前に黒い猫がいて、そんな様子を植物の葉を通して眺めている。淡々とした構成であるが、生命の盛んな様子と同時に、季節が変化し、冬に向かうもののあわれといったイメージも漂う。

 廣瀬冨士夫「春陽(南仏、ルールマラン)」。石を積んだ上から漆喰を塗った壁。入口は木の扉で、そこに六段ほどの自然石を置いた階段。窓があけられているが、中は暗い。そんな素朴な民家に強い光が当たって陰影がつくられる。そんな様子をクリアに描く。民家の一隅が光によって不思議な存在と化すように、リアルに対象に食い込むように筆を置く。

 小西淳子「La Pastorale・牧歌」。パストラーレとは八分の六拍子などの素朴な羊飼いなどの音楽から発展した曲で、ヴィヴァルディやバッハなども作曲している。この作品を見ると、バロックの平均律を思わせるところがある。あるいは、フーガのように前の曲を後ろの曲が追うような音楽性も感じられる。画面は二色に分けられて、下方の明るい緑と上方のビリジャン系の緑。下方の緑は水のようで、その後ろには植物の集合体を、あるいは野原を深い緑の空間に象徴させる。水の中から茎が伸びてきて花をつけている。あるいは、そこに葉や花などと同時に昆虫なども来る。日が照ると輝き、太陽光線の下の輝きと月の光の輝きと二つの輝きがある。そういった輝きを黄金色の不定型のフォルムをその茎の先に与えることによって表現する。繰り返される茎の形は最初にベージュ系の色彩を置いて、上に緑の絵具を置いた上からナイフでひっかいて、その地色があらわれていて、シャープなものである。そのシャープな形が繰り返される中に変調のように黄金色の色彩が点じられる様子は、バロック音楽の表現方法に近いもののように感じられる。そのような深い音楽性のなかに、水の中に育つ植物、あるいは野原のイメージを象徴的な表現のなかに構成した。朝の光と月の光とが重なったような、そんな光の性質もまた魅力。

11室

 森川静江「アマリリス」。グレーのバケツのようなものの中に白い花、赤い花、ピンクの花などが置かれて、その後ろには黄色や紫のような花も入れられている。段になっているようで、下方から段を上るにつれてそこに花が置かれて、この矩形の画面いっぱいに花が咲き誇っているようなコンポジションになる。いちばん上の花は柔らかくうっすらとして、背後のグレーと溶け込むような雰囲気である。独特の色彩家である。この花たちは切り花であるが、背後にグレーの風景的な要素が引き寄せられて、野に咲く花のようなダイナミックな力が画家の色彩感覚や造形力によって与えられている。

 森崎京子「一隅」。机の上に白い布がつけられ、その上に二つの籠が置かれている。そこに色とりどりの薔薇の花が差されている。赤、黄色、ピンク。床に大きな壺があって、そこには黄色い花が差されている。手前には紫色の花。そして、机の手前にはオレンジ色の花が差されている。暗いバックに花の色彩が溶けるような雰囲気でお互いに連結しながら、柔らかなハーモニーをつくる。物質としての花を描くというより、花から受ける印象のようなもの、それを絵の中に生かそうとしているかのようだ。それによって一種の精神性とか音楽的な要素がより顕著にあらわれる。

12室

 橋本義隆「ざわめき」。立っている少女と座っている少女。とくに座っている女の子は、耳に両手を当てて緊張の趣である。後ろの台に五体の首があって、その男女の首は口を大きくあけて叫んでいる。恐ろしい情景がそこに象徴的に描かれる。四年前に津波が東北を襲ったときのイメージ。四年たっても、画家はその経験を忘れることができなく、このような平和な二人の少女と叫ぶ首によって表現した。緊張感のある緊密な構成。

14室

 仲井早人「杉林」。太い杉の木が幾本も立つ下方は雑草が生えていて、白い花が咲いている。霧が出ている。マイナスイオンいっぱいのしっとりとした空気の様子がよく表現されている。緑や褐色、グレー、テールベルトなどの地味な色彩であるが、その杉や植物の生きている様子がよく表現されている。

 井原純子「想」。裸の女性が座っている。すこし膝を立てて、顔を右に向けた女性は緑色に、あるいは黄色く彩られている。背後はイメージのバックのようだ。イーゼルとキャンバスのようなフォルムもあって、そこに笑っている女性の顔が見える。黄色や紫の色彩がそこに点じられ、青の中にも赤や紫が入れられ、甘美な旋律が流れ、この裸婦を包み込むようだ。そんなロマンティックな表現が興味深い。

 大塚友海「波打ち際あなたと」。色彩が澄んでいる。女の子を抱いた母親が、ズックをはいて波打ち際にいる。そばに男の子が向こうを向いてしゃがんで、何か動作を行っている。紫の影、コバルトの影、輝くような波の白。そんなものが淡々と軽快に描かれる。第一印象が強い作品。

 杉江ヨシエ「窓辺の花とパリ」。エッフェル塔やカフェや街並み、凱旋門、サクレクール寺院など、画家のパリでの思い出の場所をピックアップして、それを一部コラージュしたものの上に描き、全体でそれぞれのシーンがリンクしながら合唱するような空間をつくる。その中心は、下方の白や赤、紫の花の差された花瓶の様子である。下方の青い海には豪華船が動いていく。画家のパリの思い出は、飛行機で行くパリというより船旅でフランスに行き、マルセイユからパリに、といったイメージもしぜんと感じられる。背後の虹のようなたらしこんだような空間の中にシーンを一つひとつピックアップしながら、パッチワークのようにお互いを呼応させる、そんな表現と豊かな色彩感覚に注目した。

15室

 藤井啓二「最後の光景」。川が流れているそばの、たくさんの民家が建てられた住宅地の様子をクリアに描いている。遠景は山が霞んでいる。そのクリアなパノラマ風景に独特のリズムや親しみやすい親和力ともいうべきものが描かれている。

 伊藤由美子「プリの女達」。体格のよい女性たちが籠を持ったり、頭に籠をのっけたりして歩いている。市が立っているようだ。ぐいぐいと描きこむ。たくさんの魚が籠の中にいっぱいのものを頭に載せて歩いている様子なども面白い。

 東田紀子「北の譜(厳寒のオホーツク海)」。流木にとまった二羽の梟。その後ろには羽を上下させている梟がいる。その羽をパタパタさせている様子は実にユーモラスでほほえましい。オホーツク海には流氷が動いている。上方には月が浮かんでいる。実景と画家のイメージとがお互いにリンクしながら、この独特の擬人的な鳥たちがあらわれた。物語がしぜんと紡がれるような鳥たちのいる風景、流氷の様子に惹かれる。

 宇賀治徹男「休日(砂取り舟)」。川に砂取り船が一艘、水から出た杭につながれて繫留されている。錆びたような褐色の船体と川底をさらうための仕組みの梯子のようなフォルム。前後に樹木や草が生えている。向こう岸にはススキのような植物の白い穂が見える。ハーフトーンの中に水が流れ、空を映してグレーに銀色に輝いている。風や時間というものがこの風景の中に表現されているところが、この作品のよさだと思う。

17室

 福地佳永子「岸辺の譜」会員推挙。川のそばに広葉樹が枝を広げている。一部は紅葉し、一部は緑で、そこに光が当たり、複雑な陰影をつくりだす。緑の扱いが優れていて、その色彩のハーモニーにはどこかロマンティックで西洋的な雰囲気が感じられる。

 加藤明子「真空地誌」。廃屋がテーマになっている。二階建てで、入口などは壊されて、窓ガラスもなくなって空洞になっている。それを青い絵具をたらしこむようにして表現している。ふかぶかとした情緒があらわれる。手前の一つの自転車や中心あたりの赤いタッチがアクセントになっている。

19室

 山田洋子「過ぎゆく日々」。林間の道を若いカップルが寄り添って手前に歩いてくる。赤い葉がいくつか木に残って、風にそよいでいる。淡いトーンの中に樹木や男女がシルエットのように描かれる。甘美な音楽が画面から聞こえてくるようだ。

 森田孝子「セレナーデ」。大きなチェロが置かれているが、その後ろのピアノの鍵盤と相まってチェロとピアノの協奏曲が流れてくるようだ。それにつれて鳥たちが集まって、楽しくはしゃいでいる。下方から青い優雅な葉をつけた茎が伸びているのも面白い。中心に赤い花がいくつも踊っているように表現されているのも、ごくしぜんな構成のポイントとなっている。

20室

 川村惠子「あじさいに心誘われ」。丸いテーブルに大きな鉢のような花瓶があり、そこにたくさんの紫陽花が盛られている。後ろのガラスの瓶にはミモザ。ミモザの黄色と紫陽花の青とが静かに響き合う。紫陽花の量感をよく描いているところもよい。

 北野祥子「哀歌」。地面にたくさんの林檎が落ちている。後ろには丈の低い林檎の木がたくさんあって、まだいくつか赤い実が残っている。緑の中に林檎の様子がまるで赤い宝石のように感じられる。

 佐々木修「宍粟の蔵」。瓦屋根に白い漆喰の壁。一階にはこもかぶりの樽酒が積まれている様子が見える。空はすこし暗いグレーで、古い蔵の様子を淡々と描きながら、しっとりとした味わいがある。しぜんに醸し出す情感が魅力。

21室

 木村日出子「優美」。半裸体の女性を三人組み合わせている。背中、正面、横向きといった、西洋でいう三美神のコンポジション。後ろのネットはクレパスで編み目を描いた上から淡彩を掛けている。三人の肌が白く輝いて座っている様子に存在感が感じられる。

25室

 中西理夫「夏の日」。若い女性が畳の上に座蒲団を敷いて短パン姿であぐらをかいて座っている。白いタンクトップを着て鑑賞者のほうを眺めている。強い存在感が感じられる。フォルムが力強い。光線の扱いもあふれるような光をよく生かしている。

 二本松雅子「初秋の風」。線路の向こうにススキやタチアオイのような植物が見える。その向こうは、いまアパートを建築中のようだ。グレーを中心として、そんな一隅をしっかりと描いて、透明な光の中に情感を醸し出す。空に一羽鳥が舞っているのも面白い。

第54回大調和展

(6月2日〜6月9日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 代田盛男「ヴェネチア」。運河に沿って並んで立つ建物を正面から描いている。中央に一番大きなオレンジ色の建物があり、右下には小さな橋が見える。運河は画面の三分の一ほど取られていて、建物の姿がうっすらと映り込んでいる。その繊細でしっとりとした様子が、実景の重厚な描写と静かに対比される。確かなマチエールを施しながら、落ち着いた色彩の扱いも相俟って、奥行きのある味わいが魅力の風景として強く印象に残る。

 山田千代一「青い海」。画面を左右に分割して構成している。右側にはジュゴン、左側にはクジラやイルカ、船が描かれている。右側の海はキラキラと輝いているが、左側の画面はどこか不穏で動きが激しい。そして苦悶の表情を浮かべた幾つもの顔が中央や左下に描かれている。力強い筆遣いで描かれた画面が、自然と人間の様々な関係性を強くメッセージしてくる。鑑賞者を画面にぐいぐいと惹き付けるようだ。

 早川雅信「安達太良の冬」。遠景に山並みを望む雪景である。手前から道が続いていき、その右側に河がカーヴしながら沿うように続いている。左側には背の高い針葉樹が立っている。透明感のある雪の色彩が陽の光に照らされて、そこに温もりを合わせたような魅力を放っている。手前から奥までの距離感をしっかりと捉え、肌に迫るような冷たい空気感をもまた確かに表現されている。

2室

 楠達子「水の街」。ヴェネチアの街にある水路を少し上から見た情景。ゆらゆらとした水面の動きが特に自然に描き出されている。建物の暖色と水面の寒色がうまく馴染んでいるところもよい。叙情豊かな画面が、誠実に描き出された作品として注目した。

 垣内宣子「初夏のプラハ」。高い位置からプラハの街並みを眺めるような視点で描いている。画面の左手前には広場があって、そこを路面電車が走っている。街並みは重なるように奥へと続いて行っていて、屋根のやわらかな朱の色彩が連続し、また所々に立つ尖塔の屋根は水色である。それらがまるで一つのメロディを奏でるような魅力を作り出している。遠景には霞むように山並みも見える。垣内作品特有のやわらかな色彩の扱いが、そういったリズムに加え、爽やかな空気感を作品に引き寄せる。鑑賞者の視点を導くような画面構成もまた今回特に注目した。

 金子嘉一「北辺海ぞいの道(増毛)」。海沿いにある村の情景である。冷たい風が吹き、波を寄せている。崖に沿って家屋が並び、その上の高台にも家がある。そして画面の中央には三人の親子連れが点景で描かれている。後ろからは一匹の犬が付いてきている。その様子が実に心温まる。じっくりと筆を運び、この情景を描き出した画家の深い想いが伝わってくるようだ。雪の量感や流れる雲など、臨場感溢れる作品である。

 辻野典代「豊雪」。雪の降り積もった中で、一筋の小川が細やかに蛇行しながら流れて来ている。その流れる動きが、画面を強く活性化させている。右手前には小さな赤い花が二つ雪を被りながらも咲いている。寒さに耐えながらも花を咲かせるその姿が、どこか擬人化されたような印象をもたらす。このような環境の中でも、美しく、力強く咲くこの花の姿が強い余韻を残す。

3室

 水信マサ子「白い雲とりんご」。木製のベンチの上に、リンゴの入れられた籠が置かれている。左奥には葉の生い茂った樹木がある。明るい色彩の扱いが魅力的である。地面や空、リンゴや樹木などの描写が誠実になされている。そういった中で、独特の遠近感の扱いがおもしろく、強く印象に残る。

4室

 坂井光子「かほりさんの湘南物語」。浜辺で結婚式が行われている。風船がいくつも浮かび、飛行機雲がハートを空に描いている。曇り空であるが、それが逆にリアルである。柵が手前から右奥に伸びるなど、構図が独特でおもしろい。結婚式以外にも様々な人間模様があって、心に染み入る情景となっている。

6室

 齊藤昌代「遠い思い出のひとタンポポ」。正面を向いて立つ女性をほとんどモノトーンの色彩で描いている。どこか現実とは離れた幻想的な世界観である。画家の記憶から引き寄せられた人物だろうか、深い想い入れを感じさせる。無数に舞う綿毛が思い出の一つひとつのように煌めくようだ。女性の眼差しが強く鑑賞者を捉えて離さない。

 山下笑子「三陸・巨釜」。険しい峡谷の情景がじっくりと描き出されている。立ち上がる崖の堅牢さと手前の草木、右奥から流れる川の動きが画面の中で静かに対比されている。陽の光が岩や草木を照らし、深い影を造っている。それが作品に豊かな表情と見応えを作り出している。険しさの中にあるそういった豊かな自然の魅力が、そのまま作品の魅力になっている。

 高橋繁美「猫カフェ」。五匹の猫がテーブルや椅子のまわりで遊んでいる。その様子が実に愛らしい。椅子に乗っているのが親猫だろうか。客の入る店内であることなど猫たちには関係のないことで、その無垢で自由な存在が、どこかシュールでおもしろい。奥の座席と丸テーブル、右の観葉植物で囲んで空間を作る画面構成が、そういったイメージを運んでくる。

8室

 上間敏正「ミラノ大聖堂ドゥオーモ」奨励賞・会友推挙。鋭く立ち上がる聖堂のフォルムが強く印象に残る。シャープな線で描きながら、聖堂自体の存在感もまた強く表現している。明暗を建物の正面の右から側面の左に繊細に変化させながら、巧みに描き出された画面がドラマチックな展開をみせる。

第58回新象展

(6月2日〜6月9日/東京都美術館)

文/高山淳・紺世邦章

1室

 岩﨑秀太「刻の痕跡─1・2・3・4」。四枚一組の作品である。正方形の画面の中に、さらに四角のマス目を引いて画面を区切る。そしてその中に緑や藤色の粒が無数に描かれている。画面全体が顕微鏡で覗いたような空間で、緑や藤色の粒は微生物だとか、細胞小器官のようである。そして粒それぞれが、離合集散しながら流動している雰囲気である。ミクロの世界でごく僅かな時間に起こる出来事を、淡々と記録したような作品である。(紺世邦章)

4室

 鈴木望「Wark Liene 15h」。画面は、下部に行くにつれて縦のストロークによって埋めつくされている。縦線の中には、ところどころ緑色も見える。その縦線の上に、赤いドットが重ねられていることが、画面上部から窺える。上から降ってくる赤いドットが堆積しているようなイメージで、それをこの三幅対全体に及ぶ黄土色の地割れが飲み込んでいるようにも見える。黒にも見える空間の静寂のなかに、自然の大きさや、エネルギーが表現されている。(紺世邦章)

 黒瀬道則「兆し」。石でできたようなひび割れた本から、魚が飛び出している。本の背景には糸が張られている。魚は、向かって右側に視線を向けている。魚の右側には水晶が配されているが、これは魚の目を暗示するようでもあり、また画面全体の構成を整えるものでもある。その水晶の映り込みを見ると、魚の視線の先には扉か窓があって、その向こう側には光が溢れているようである。落ち着いた色合いの緊張感のある空間に、なにかが起こる期待を喚起する作品である。(紺世邦章)

5室

 三浦哲徃「仮晶─時と期待」。しっとりとした緑のトーンの中に不思議な輝くような光が入っている。中心にズボンに二本の手を入れた男の姿が描かれている。顔は暗く、表情は見えない。そばに明るい光が差し込んで、肩のあたりを隠している。背後に手前に向かって走ってくるような四人の男女の足。後方の一つの足は止まっている。いちばん近景は画面の下辺で、両手で綾取りをしているような様子が描かれている。そこにピンクやオレンジの色彩が描かれ、虹のようなイメージが感じられる。これまでの仮晶シリーズはもっとネガティヴな力や深い感情などが中心に描かれていたが、今回は同じようでありながら希望に向かって動いているようなイメージがあらわれているところが面白い。綾取りにあらわれたピンクやオレンジの光もそうだし、手の指を染めている光線の赤い色彩もそうであるが、後ろの光の日だまりのような周りの人間たちにもそのようなイメージがある。上方に風で揺れる柳のような深い緑の色彩も入れられている。背後は夜のように暗く、単なる現象を描くのではなく、画家の心の底にあるものから汲み出したイメージである。しかし輝く光は、そのような明るいイメージと同時に人が去っていったあとのさらされたような光の性質もやはりもっているようで、再会と別離という二つのイメージが、この温かな不思議な白い日だまりの中に描かれているように思われる。(高山淳)

8室

 扇子茂「マクベス夫人」佳作賞。英字の新聞やコメディー映画のポスターなど、様々なコラージュがなされた空間。そのようなものが乱雑に配されているのは、繁華街の一角を表しているようだ。そこで男が壁に手を突き、女が男の背中に右手を回しているのだろう。肌の鮮烈な赤色に、二人が放つ熱が表現されている。(紺世邦章)

 菊池哲「T WORK-015」。赤、青、白で構成された作品。画面下部は赤で塗られていて、上部は白が基調である。鮮烈な色彩の中に霧のように白が載せられ、またその上に赤や青が重ねられる。とりわけ画面上部の青と白の層には動きが感じられ、激しい感情や記憶の断片のようなものが、浮かんでは消えて、層をなしているようでもある。(紺世邦章)

 川口和彦「烈・2015」。黒を基調とした画面に、白と、所々赤や青、黄色が塗られている。黒い部分には濃淡が付くことで奥行きが生まれていて、空かあるいは地面のような、不思議な空間が作り出されている。そしてそこに、鋭い直線を含んだ白が勢いよく塗られている。暗雲が垂れ込める空に雷が炸裂しているような、激しい場面である。(紺世邦章)

9室

 山崎道子「ドマーニ」準会員推挙。画面中央では、いくつかの鳥の脚や骨が組み合わされて一つの形態を作っていて、それは一体の生物のようにも見える。またこの形態に、白い花が組み込まれていることに注目したい。明日を意味するタイトルのように、幾つかの生物の亡骸が集まって、それを糧に新しい命が誕生するような再生のイメージを表現していて興味深い。(紺世邦章)

第63回創型展

(6月2日〜6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

 福本晴男「灯す」遺作。福本晴男が亡くなった。このところ霊的な世界をずっとつくってきた。霊的な世界とこの世の世界の中間のあたりのイメージを追ってきた。「灯す」という炎を彫刻にした遺作を見ると、純粋な福本さんの魂をそこに見る思いがする。合掌。

 小坂昇平「ラカン」。小坂昇平は九十九歳になった。「ラカン」は、座禅した達磨のようなフォルムで実に力強い。五人の羅漢の中心で、天上天下唯我独尊といったように、右手を上に上げ、左手を下に指した像があらわれているのも面白い。これは釈迦が生まれてすぐに七歩歩き、天上天下唯我独尊とこのポーズをしたというのだが、そのポーズを、悟ってない羅漢にさせて、それを四人が腕を組んで考えているといった、ほほえましいイメージである。いずれにしても、表現主義的な作品で、ヴィジョンを彫刻にするというその力と動機が健康で、二つのあいだに間断のないところがよい。

 牧田裕次「舞人」。女の子が両手を伸ばして空に浮かんでいる。作者は長く鶏を飼っていた。また、米もつくったりして、農業も行いながら彫刻をつくってきた。そういう中からあらわれてきたイメージだと思う。鶏と少女が遊んでいるうちに、そのイメージは上方の雲の形になって、空で戯れているようなイメージに昇華されたのではないか。この彫刻全体が、言ってみれば雲のような雰囲気で、その中に画家のイメージが彫られ、浮かび上がってきている趣がある。両手を伸ばした先にも鳥がいて、この少女を引っ張って、先に飛んでいくようだ。その背中のあたりにもう一羽の鳥がいて、すこし体をひねって横向きの様子である。その羽のあたりが少女の背中と結合していて、鶏冠のあたりが手前にあり、顔がその後ろにひねったかたちで存在するようだ。いずれにしても、鳥は空を飛ぶ存在で自由の象徴であるが、鶏は空を飛ぶわけではなく、地上で人間のために卵を産んでいる。そういった鶏を本来の鳥の姿に返して少女と遊ばせる。少女ももっと自由に、空を飛ぶ純真な天女のようなイメージを与えたいといった作者のイメージが、このイノセントな雰囲気となってあらわれた。昨年のすこし鬱屈したような、周りに煩悩のようなものを引き寄せている彫刻に比べると、この作品はすかっとして実に純粋なイメージを表す。台座はケヤキで、この彫刻はクスである。クスのもつ柔らかな触覚を見事に使いこなして彫り進んでいる。正面から見ると、少女の背中の上方が空洞にあけられているのも、風通しがよくて気持ちがよい。

 神保琢磨「作品 2015」。蕪から葉が茂っている。しかし、よく見ると、蕪にしてはあまりにもまん丸で、また別の球根のようなものかもわからない。球根から葉が出ている様子が、初々しい、宝物のようなイメージで彫られているところが面白い。

第41回日本自由画壇展

(6月10日〜6月22日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 関根光子「子猫をつれて」。イチョウの木が黄葉している。地面にもその葉が落ちて、黄金色になっている。上方を母猫が眺めて、そばで子猫が下方を見ている。二匹の猫の見ている方向が違うところも面白いし、とくに子猫の形が愛らしい。

 柱本淑子「秋色のシンフォニー」。幹が二本前後立ち上がり、そこに葉が色づいた様子が描きこまれている。まるで長く生きた人間のように樹木を表現して、いま秋が彩る。

 脇野千種「春渓」。岩の下に渓流が流れている。緑青というのか、深い透明な緑色で、実に静かな雰囲気で流れている様子が神秘的。崖は岩でできている。そのあいだに緑の植物がところどころ成育している。崖や岩を渇筆というのか、激しい筆致で描く。その渦巻くような動勢と下方の静かに流れる水が対比されて、なにか深い山の中の神秘的な雰囲気があらわれる。

2室

 橋本不双人「明日へ」。長野県安曇野の大王わさび農場は、北アルプスの豊富な伏流水に恵まれて、ワサビの栽培で著名である。いま上方のネットを閉じているスタッフの働きによって日の光を調節する。下方の光量を調整するという繊細な仕事によってワサビが成育するわけだ。そういった作業をする三人の人を配して、上方のネットが連なる様子、下方の柔らかな透明な色彩で育つワサビの様子、それを上方から眺めて描いている。ワサビの成育する様子と男たちの働いている様子とが相まって、独特の波動を画面から発信する。

 相座愚呑人「甲斐の山々」。夕日に山の上方が染まっている。墨色によって幾重にも伸びていく山脈の様子を表現する。下方にぽつんぽつんと民家が立っているのが懐かしい。

3室

 藤沢古葉「裸婦 2015」。縦長の画面の七割ぐらいを使って、立っている裸婦をほぼ中心に置いている。外人のモデルさんのような八頭身の鍛えられた豊かな肢体が輝くように描かれている。頭の上方に上げた手と側面からすこし離した左手によって白い布を持っている。裸婦の輝くような色彩と周りのグレーとが同じ墨色であるが、肉体の部分と周りと質感が違って見えるところも、この作者ならではの力量である。「今回のモデルさんは私にとって、はじめてに近いタイプの人です。ほっそりとして清らかで消えてしまいそうな感じでした。描けるかしらと思いました。ところがポーズをとってもらうと、はじめの印象とは全く違いバレエで鍛えた体は、ぴたりとかたちが出来ていました。夢中で何枚かデッサンしました。良い勉強になりました」。

 池田蘭径「市民公園 in シチリア」。石造りの中世の頃できたような建物。そこにオレンジ色の花が咲いている。面白い波のような形をした塀の上のフォルム。遠景のさらに広がっていく建物群。一種の繰り返しの中に、フォルムが変奏しながら色彩があらわれるといった音楽的構成が興味深い。

 藤田正子「Dream」。姉と弟が仏になっている。弟は頭を丸めて合掌し、姉は青い服を着て、帽子の飾りの中に小さな仏を入れて立っている。兄と妹の道祖神である。周りに小さな小坊主のような地蔵、あるいは一人だけ石に彫られた道祖神などが描かれ、全体で夢のような茫漠たる雰囲気が生まれる。中心の前述した道祖神のそばには龍の形をした守り神のような石のフォルムが見える。夢の空間、あるいは夢想的な現実から栄養を取りながら、ファンタジーの空間が実に生き生きと描かれている。それにリアリティを与えるのは、この独特の色彩も大きな要素だろう。コンポジションも面白いのだが、墨色によって独特の空間が生まれ、その空間の広がりが現実化されているところが魅力である。紙の色と墨色とが相まって、内側から発光するような空間が生まれている。

4室

 梅﨑惠津「妙義」。それほど大きな作品ではないが、岩でできた妙義独特の形を面白く取り込んでいる。また、麓にはたくさんの針葉樹が生えている様子が緑や黄色などで表現されている。志の高さともいうべきもの、つまり詩情を感じた。

 山本承功「春の嵐」。地面から巨大な太さで立ち上がったフォルムは、太い幹を左右に広げている。そこに満開の桜が咲いている。丘の上にあるようで、背後に遠景のフォルムが霞むように見える。そんなシチュエーションを南画ふうな自由な筆触で生き生きと表現する。墨色が魅力である。

第50回記念たぶろう展

(6月10日〜6月22日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 並木スバル「大野亀(佐渡)」文部科学大臣賞。海際の柵のつけられた道がすこし下降しながら続いていく。その先に三角形に隆起した岩でできたような不思議なフォルムがあり、その表面は緑で覆われている。右のほうは海に臨み、大きな岩が突き出ている。そんな岬に向かう画家の視点から、その先にある岬の形を臨場感をもって表現して、その大地の起伏するかたちが独特の面白さである。透明な明るいセルリアンの水と空の色彩が響き合うのに対して、岩や山の形が、ごつごつとして自然の不思議な力を表す。

 並木望「収穫」。林檎の木が枝を広げている。赤い林檎の実が鈴なりになっている。下方の籠に林檎が摘まれて入れられている。視点が低く、この林檎の木の下にいて描いているような、そんな距離の近さが独特の空間の動きをつくる。日本画である。スケッチしたあとでアトリエの中で制作するわけだが、確認しながら描いていくうちに、広がっていく林檎の一つひとつの色彩がお互いに反響しあいながら、一種の装飾性ともいうべきものを獲得しているところが面白い。

 川崎順四「ストラスブール(Making Ⅱ)」佃堅輔クリティック賞。城や民家などをぐいぐいと描きこんで、不思議な迫力を表す。近景は川に突き出た先にある建物で、レストランのようだ。エキゾティックな雰囲気が画面全体に漂う。

 春名康夫「中国麗江石鼓鎮」。お寺の反った屋根。民族衣装を着た女性が手前にいる。観光客が二人並んで向こうを眺めている。手前には何か食べるものを焼いている様子。明るい色彩の中にぐいぐいと描きこんで、独特のモニュメンタルなコンポジションがつくられる。

2室

 春名三記子「オベールの日曜日」。遠景にこんもりした丘があって、その上方に教会が立っている。そこに向かって人々が歩いていく。日曜の礼拝なのだろう。そんな様子を落ち着いたパステルカラーで表現する。

 源馬和寿「静寂(ベネチア)」協会大賞。矩形を繰り返すことによって強いコンポジションが生まれる。矩形の戸口には木製の赤褐色の扉がつけられている。白い漆喰の壁の下から土台の煉瓦がむきだしになってのぞいている。相当古い建物である。上方にまた矩形の窓が見える。下方のドアのそばに新聞が置かれているのが、静中の動ともいうべき不思議なアクセントになっている。その新聞によって人間と人間とのコミュニケーションといった内容やこの建物の中に住む人間の気配があらわれる。

 松本敬子「陽春」。白い木蓮の花が満開で、その枝に小鳥がとまっている。ちょうど下方にそれを百八十度展開したようなかたちで、逆様になった小鳥がいる。下方から草が伸びて赤い花が咲いている。明るい色彩のハーモニーと装飾的なコンポジションに注目した。

 山田陽子「満月のセレモニー」。頭に大きな飾りのついた帽子をかぶった女性は、首にも装飾的な飾りをつけ、胸やスカートの色彩も華やかである。扇子を持って立っている様子がロマンティックに表現される。海の波の形や花の形が装飾的に表現され、背後の光背のように浮かぶ満月と一緒になって、独特のハーモニーをつくる。花が降ってきているのは、法華経などの影響だろうか。

4室

 桃山大「窓景、深く高くあれ」佳作賞。上方には帆船が幾艘もいて、そこから船に乗った兵士たちが手前に来る。手前のほうは海の中のようで、巨大な潜水艦や海底基地などがつくられている様子。あるいは、巨大なパイプがいくつも取り付けられている。そんな様子が緑と黒を混色したようなトーンの中に描かれる。画面を見ると、版画の技法も使われているように感じられる。構想といい、コンポジションといい、面白い。

 根津太治「(3D)パラレル ワールド」。パラレルワールドとは現実の世界と相似の世界が存在するというSF世界の考え方。タイムマシンで到達した世界で、何かアクションを起こすと、それによってそれ以降の時代が変化するわけだが、変化しないのはパラレルワールドに到着したからという考え方もあるそうだ。矩形のフォルムが一部上方が外れて、後ろは渦巻きになっている。そこに裸の女性が俯いたり仰向けになったりしながら、あるいは腰を屈曲した様子で浮遊しながら、渦巻きの向こうに動いていく。相似の左右の二つのフォルムを組み合わせながら、ファンタジックな世界を表現する。

8室

 太刀川浩二「午後のもののけ」都議会議長賞。不穏な空間がつくられている。どこにでもあるような都市の公園を真ん中に置いた建物。公園の端には黒い裸木が二つ立っている。手前のオレンジ色の瓦屋根の上で翼を背中に持った女性が横笛を吹いている。石垣を積んだ公園の下方を歩く女性。裸木の影をまたいで走っていく少年。手前の針葉樹の黒々とした影。上方に気球に乗った人がいるが、気球のフォルムが月のようになっている。緑の空に緑の道。スポットライトを当てたような強い明暗による建物の表現。現実の中に隙間のようなものがつくられて、その隙間が拡大しながら、なにか不穏な異次元の世界があらわれつつあるような、そんなイメージをヴィヴィッドに表現する。

第54回二元展

(6月11日〜6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 山本幸雄「復興への道」。宮城県の女川町を襲った津波が描かれている。海岸べりにいた人はすべて亡くなったそうだが、右の校舎のような建物の屋上にいた人は助かったという。中心に、トラックに福島原発の壊れた建物を載せている様子が描かれているのも面白い。トラックで片づけてしまえということか。右のほうには階段が斜めに下りてきて、その向こうの海岸べりの様子は人々の不在(死)を表すようだ。左のほうには津波が何メートルまで来たという記念碑のような塔が立っている。空にお札が翻って、そこに水がかかって溶けているような様子。失われた価値は大きいし、また原発によって無駄なずいぶんなお金が使われているそうだ。いずれにしても、今回、四年前の津波に対する問題提起の画面。紙の上に水性絵具を中心として油彩なども同時に使われた混合技法による優れた表現である。

 嶋津俊則「祈」。いわゆるチベット密教の図像を三点出品した。中心は日本でいう歓喜仏で、男性が女性を抱いている姿。左のほうは四天王のような雰囲気でつるぎを持っている。右のほうは結跏趺坐した僧の様子。中心の円弧の中の男神と女神と思われる組み合わせたフォルム。男の顔は正面向きは黒い顔で、手も黒い。左右に二つの顔が出ている。世界の始まりは男女の交歓による。やがて亡くなると輪廻転生していくという思想。その始まりの姿をダイナミックに強く表現する。とくに男神の顔や手が力強く、強い波動が画面から伝わってくる。背後の円形のフォルムと中心の頭の後ろの光背、黒い手が六本。それらの手が自由に動き、様々なものを持って、見ているとめまいがしてくるような力が感じられる。おそらく、作者が密教美術に惹かれたのはその作品のもつ深いエネルギーではないかと思われる。そのエネルギーを表現することににおいて、この中心の「祈」という作品は成功していると思う。

 片山政美「My Space Ⅱ」博尊賞・常任委員推挙。高速道路が縦横に走り、塔が立つのだが、なにか海がそこに氾濫してあらわれているような様子。下方の人々はこの前の津波で亡くなった人々の亡霊のようだ。そんな風景の広がりを画面の中につくりだす。フォルムが左右に揺れているような不思議なムーヴマンが感じられる。

 塚本文子「私のものだと思っていたのに」。塚本は三点出品で、いずれも女性をテーマにしながら優れたデッサンで物語をつくっていく。この作品では、女性が座って抱きついているのは男の足だが、その足は樹木に変身しつつある。足のあたりはもうそうなっていて、いま頭がだんだんと樹木になりつつある。後ろに腕を置いて首を吊っているような男の姿。女性の所有欲や支配欲といったものをテーマにして、面白く構成する。とくに樹木の形と男のフォルムを組み合わせたところが面白い。

2室

 星野正明「山岳の集落」。オレンジ色の屋根。白い壁。近景にくの字形になった建物があって、その茶色い瓦を置いた屋根と壁、一本の煙突が愛らしく表現されている。それと呼応するように、白い密集した建物の向こうの崖の上の教会を思わせる建物。しっとりとした雰囲気のなかにこの街の広がりや歴史を感じさせる表現。

 勝田伸久「時の光芒」。室内に人間が立っている。手前のテーブルにドライフラワーのようなものがいくつか置かれている。人間のもつ気配ともいうべきものを空間の中に表現する。

 石川世始子「サッシの街(マテーラ)」。強いマチエールである。また、建物がベージュや黄土色、あるいは黄金色、あるいはグレーの色彩で扱われて、全体で柔らかな光がこの作品から感じられる。下方にえぐれたような地面があって、そこに向かう階段があり、えぐれたそのそばに建物が四棟立っている。道の際にも白い壁の建物が立っていて、そんな様子を一つひとつ確認するように描きながら、強い気配を表す。その後ろ側には白い岩でできたような塊があって、そばにも建物が見える。いちばん遠景には鐘楼のある教会の塔が立ち上がっている。空は暗く、建物が柔らかな光の中にあらわれる。大きく弧を描くムーヴマンがあらわれ、このマテーラの街が聖なる風景のように表現される。

 加野元「凪の沼島浜」。沼島浜は淡路島の南端である。この海の緑の温かな雰囲気が実に魅力である。黒潮の色彩と言ってよい。透明な水で、海底までくっきりと見える。日差しの中に岩がきらきらと輝き、ところどころ波が立っている。穏やかな水の様子。水が流れて、また去って、といったのどかな雰囲気。

 向井武志「ポスター(追想)」。パリのポスターをずっと連作している。最近はパリに行っていないのだと思う。そのポスターはだんだん画家の心象風景と化す。焦茶色、黄土、朱色などの色彩。その中に白や黄色や朱色で文字がつくられる。ポスターの文字が画面からはみ出てあらわれて、お互いが響き合う。その文字は読める必要はなく、形象としてお互いが語り合いながら強い音楽的な効果を上げる。内側から絞り出すように命の火、パッションを表現する。

3室

 和田依子「レッスン・練」。和田依子は三点出品。一人の女性をいろいろなポーズをつけて構成する。「レッスン・憩」では、レオタード姿の少女を三人座らせている。「レッスン・練」では四つのポーズをとらせている。前向きから、手を上げているポーズ、そしていちばん向こうでは、片足で立ち、両手を鳥のように広げている。そんなフォルムを組み合わせて、生き生きとしたこの少女の生命感を表現する。

 辰将成「静かなる刻(1)」。椿の早咲きは秋に咲く。これは秋もたけなわの十一月頃の風景のようだ。紅葉がすこし残っている。椿の大きな木のもつふくよかな幹の形。そばに石燈籠があって、その屋根にも一輪、椿の花が落ち、周りに落ち葉が散っている。緑の苔のような原の中に花の赤や落ち葉のオレンジが輝くように表現されていて、独特の日本人の美意識を表す。

 斎藤史郎「海と断崖」委員推挙。東尋坊を描いた。海がうねうねと寄せてきて、崖に当たると磯で大きな白い波を立てている。岩によってできた海岸。そこに雪が積もっている。それによってより断崖の形があらわになる。迫力のある表現で、断崖の様子がまるで巨大な恐竜の背のように表現される。手前に柵があって、木製のようで、その形がヒューマンな感じを表す。この画家はどのようなコンポジションの場合もどこか人間臭い表現になるところが面白い。

 山中芳子「白い町(ロハ)」。中心に鐘楼が聳えている。その前に道があって、手前の丘の上の建物とこの教会に沿った建物とのあいだの距離感が、この作品に変化をつけている。そして、その後ろに白い壁やオレンジの屋根のたくさんの建物が左右に広がっていく。さらに遠景には低い山があり、麓には白い建物があるが、それは絵具のトーンの中に表現されている。穏やかな中にがっちりとした構成がつくられている。茶色やオレンジ色と瑞々しい緑とが静かに響き合う。

 藤室節子「歳月を経ても」。木製の古い扉。ずいぶん使われていて、一部は丸く磨耗している。二百年ぐらい使ったような、そんな厚い扉の様子。それをこのようにしっかり描くと、この扉と付き合ってきた人間の歴史のようなものが浮かび上がってくる。あけられた扉の向こうに、人間の代わりに猫の尻尾が見えるところがユーモラス。

 頭師まさ子「ヴィルフランシュ」。コートダジュールの青い海。ヨットがいくつも海の中に出ている。マストだけで帆が張られていない。近景には時計台の塔が立ち上がり、オレンジや赤い屋根にベージュの壁の建物。空はエメラルド系の色彩で、雲がオレンジ色に輝いている。朝日のようだ。暖色系のオレンジや黄土と寒色の緑、青などの色彩のハーモニーを白い色彩がつないでいるようなカラフルな作品。色彩のハーモニーがこの作品の見どころ。

 渋谷定意子「花圃 Ⅰ」。厚く盛られた絵具に独特の安息感が感じられる。ブランコに乗る女性は茶色いワンピースを着て座っているが、どこか妖精を思わせるところがある。白い色彩が後ろ側に置かれ、その周りにはオレンジや茶色い色彩。まるでブランコに乗る女性がそのまま夢の中の存在のように表現される。

 湯浅録哉「潜き女 Ⅰ」二元会奨励賞。海女が三人ほど海中に潜っている。頭を下にして逆様になった二人の女性と横になって泳いでいるフォルム。海女のもつ力強いかたちが三体集まって、独特のコンポジションをつくる。彫刻を思わせるような生命感が感じられる。

4室

 江村嘉之「曼珠沙華 54─1」。曼珠沙華の群生している風景の前に女性が立っている。両手を広げて手のひらを上に見せて立つ女性は、なにか祈りのイメージだと思う。死者に対する深い祈りのイメージを、この赤の独特のトーンによって表現する。

 國方晴美「大地の息吹 Ⅰ」。まだ雪が残っている大地。畦道の両側の畑の様子。中景には雑木林があり、はるか遠景まで雪の積もっている様子と青いシャドーのような山や家の形。大地のもつ感触をダイナミックに表現する。画家にとって大地は生きている存在として捉えられている。そのような感覚が画面からよく伝わってくる。

5室

 佐藤義光「夜の街(家路) Ⅰ」桂冠賞。有楽町の駅を描いている。電車が上方を通っていて、人々がホームにいる様子。上方に丸井の円形の建物が見える。明暗のコントラストの中に駅に人々がたくさん集まっている。そんな様子を淡々と描きながら、なにかヒューマンな味わいを感じさせる。

6室

 近藤昭彦「人間模様 Ⅱ」。マネキンふうに人間を描く。上方に七人の立っている人。下方に一人座っている。柔らかなフォルムを見ると、いずれも女性のようで、その連続した形の中からリズムやメロディが生まれてくる。色彩は紫から赤、黄色によって統一されていて、そのグラデーションとフォルムによって独特のハーモニーを表す。

9室

 尾形良一「再光」。森の中の小道には根が張って、でこぼこしている。木漏れ日がそこに当たっている。左右の樹木や草の様子。手前は墨のモノトーンで描いて、だんだんと向こうに行くに従って緑などの彩色になる。森のもつ神秘的な雰囲気を画面の中によく再現している。

 藤田澄雄「受持伝来 2(釈迦如来)」二元会賞・委員推挙。紙を固めてプレスして、キャンバスにくっつけて、あいだに溝をつくり、上から文字でお経らしきものを書いている。そこに彩色して、この壁のような画面から仏の顔が浮かび上がってくる。内側から光が滲み出てくるような表現である。作者は円空を尊敬しているそうだが、激しいパッショネートな力で仏の世界を表現する。

 安井里美「追憶 Ⅰ」会員佳作賞。馬に乗った人。象がゆったりと歩いてくる。駱駝に乗った男もいる。そんな昔の壁画や絵巻の一部を画面の中に表したような不思議な雰囲気である。優雅な動きが感じられる。一部欠落させているために、逆にそこに余情ともいうべきものがあらわれる。右のほうから左のほうに歩いていく動きが独特のリズムをつくる。

 由里朱未「Mの消息」文部科学大臣賞。マネキンのような人形を大きさを変えながら三体配し、そのあいだにテーブルや建物、煙突、様々なイメージをコラージュする。全体で室内楽を思わせるようなハーモニーが生まれる。

10室

 小坂雅俊「林の中の白い集落」内閣総理大臣賞。屋根に煙突があり、壁に窓がある。そんなキューブな形の家を配しながら旋回するような動きをつくる。中心のオレンジ色の建物や塔を見ると、それは教会なのだろう。あいだに緑の樹木が置かれている。立方体や直方体を並べながら、全体で大きな動きをつくっているような味わいで、一つひとつの建物の音色を組み合わせながら、全体で大きな建物の合唱するようなイメージをつくる。

11室

 森田幹弘「伊良湖の朝」。画家は海に対してずいぶん強い親和力があるようだ。伊良湖の水平線の上にいま太陽が昇ってきて、海を照らしている。波が寄せている。手前の駐車場や樹木や家などの大きさと波の大きさを比べると、地面のほうがすこし縮小しているような雰囲気で、海が圧倒的な存在感を示す。しかも、この海には懐かしいようなノスタルジックなイメージがあって、ふるさとのような雰囲気である。われわれが死ねば帰っていく先がこの海の中にあるような、そんな温かく神秘的な雰囲気で海が描かれているところが興味深い。

第65回記念板院展

(6月11日〜6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 井上勝江「春を待つ」。俗にいうユキツバキが雅やかに構成されている。黒い正方形の画面。黒いバックに白い葉が群がっていて、そのあいだに黒く椿の花弁が描かれ、あいだに白くしべが描かれている。白と黒とのコントラスト。黒い地に白い葉、その中に黒い花弁、また白い細いしべというように構成されている。花の形は多様で、その黒い花弁の様子がしっとりとして華やかで、なにか瑞々しい触感さえも感じさせる。白と黒の魔術と言ってよい。その群がった葉や花弁の連続した形から離れて、右のほうに一輪だけぽつんと花が描かれているのが見事なアクセントとなっている。すこし厚い椿の葉のフォルムも、その連続の中によく表現されている。

 齋藤和「枝垂梅」。枝垂れる枝を黒く描き、白い花びらを大きく描いて、ほとんど装飾的な表現になっている。いわば枝垂れ梅のイコンと言ってよいような力強さがある。

 鬼塚滿壽彦「神話の源流」。中心に炎が燃えている。そばでシテが猩猩の踊りを演じている。薪能。向かって右のほうには鳥居があり、向かって左のほうには水が流れている。上方には鳥が飛び、梟のような鳥が枝にとまり、上方には蛾が炎の周りに舞っている。下方には鶏もいる。日本の自然の奥深い森のようなイメージとそこに生きている鳥や昆虫などと同時に滝や水の流れを入れて、日本の風土と文化を象徴的に表現する。

 河内ゆう子「獅子スペインの旅」。ガウディのサグラダファミリアが左に聳えている。上方に宙を飛ぶ獅子舞。下方にはこんもりとしたスペインの民家。日本人の心をもってスペインを旅してきた。そんな画家のスタンスを面白く構成して楽しい。

 見目陽一「郷の風」文部科学大臣賞。日本の里。いま麦を刈っている。麦秋。六月の季節。下方には麦の穂が大きく描かれている。その上方にはカラスが七羽ほど集まっている。中景には牛が草を食んでいて、そのはるか向こうには山の裾を鳥が飛んでいる。麦の穂の装飾的な表現とカラスの形とが実に生き生きと響き合っている。

 花田陽悟「湖畔の桜」。桜が満開の様子で、幹の向こうに湖が風にその水面を光らせている。ベンチにはカップルが座って湖を眺めている。透明な桜のもつ感触がよく表現されている。また、そのあいだの幹から枝、梢の形が花の中に隠れ、あるいは手前に、生き生きとそのフォルムがつくられていて、ふわっとした花と見事な対照をなす。

 山本良子「チューリップ」。黄色いチューリップの花が十いくつか咲いている。丸い壺から茎が出て、思い思いの方向を向いた花を面白く、一種装飾的、イコン的な強さで表現する。グレーの銀灰色を思わせるような背景に黄色い色彩が輝く。

 大下正喜「晩秋・飛驒の里」。合掌造りの飛驒の民家を中景に、近景に柿の実が三分ばかりなっている。その色彩効果と枝の形が、お洒落な雰囲気。遠景のアルプスの山々の雪をかぶった様子。合掌造りの民家との対照も面白い。

 森信雄「南房千倉情景」。千倉の街並み、近景の瓦屋根の民家は向こうにいくにしたがってだんだんと小さくなり、あいだに樹木が境界をつくり、そのまた向こうにいちだんと小さくなった民家がひしめくように木版で表現されている。外房の海が黒くのぞく。海はどこか重量感のある独特の表現である。山がこの町を取り巻いているようで、明暗のコントラストが強く画面に引き寄せられている。その白黒のコントラストの配分が独特の韻律をつくる。千倉の街並みがしっとりとした雰囲気のなかに、画家独特のモダンな雰囲気のなかに表現される。

2室

 羽田智千代「集まって来たわい!」。ボートの上に乗る老人の鳥人間。そばに息子の鳥人間がいて、その下には孫のような鳥人間が小さく描かれている。向こうにはアーチ状の門のようなものを見せるずっしりとした建物が見える。アーチの中は階段になっている。そこから鳥人間が下りてきて、だんだん手前に向かってきている。老人は、手というか鼻の先というのか、そこに結ばれた紐の先に南瓜のお化けのようなハローウィンのランプのようなものをぶら下げている。傷ついた顔のようなフォルムである。それを見にきているのか。あるいは知らないふりで動いているのか。ただ、一人だけ空を飛びながら、三日月と一緒にここに向かっている鳥人間がいる。ユーモラスでありながら、人と人との断絶もあわせて表現しているような不思議な味わいがある。この大きな老人の鳥人間は作者自身であり、作者の信念のようなものがその先にぶら下げられている。傷ついたヒューマニズムとでもいった、そんな雰囲気なのであるが、それに対する人々の対応が、素っ気ないようだし、あるいは興味をもっているようだし、不思議な味わいがある。船はやがて出帆するのだろうか。あるいは出帆した船がいま帰ってきたのだろうか。画家のもつ孤独な高い志の結末のような不思議な味わいがある。

 尾﨑斎晃「秋日和」。神社の屋根のような形の下に、茅を葺いたような古い民家と竹でできた塀。背後に山が黒く表現されていて、この建物の一隅を光が照らしている。しんしんとした気配が感じられる。

 神美佐子「心の宝石箱」同人推挙。中心にざらついたマチエールの上に青と緑のつけられた三角形のフォルムがあり、その上方に濃紺とブルーの市松状の帽子が置かれている。下方に山吹色の一本足の女性たちが九人集まってラインダンスをしているような、そんな不思議な様子のフォルム。左のほうにはピンクの花のようなフォルムが見えるのだが、その後ろの白い光背とともに見ていると、花が女性となって、両手を前に立っているようなイメージもある。仏のようなフォルムと花のようなフォルムが一体化したような不思議な雰囲気。右のほうには青い二つの不定型のフォルムがあって、百という文字と、下方には薔薇の蕾の影のようなフォルムが見える。この薔薇の蕾のシルエットと左のピンクの花とが明と暗といった雰囲気で呼応しているようだ。青、緑、白。青も様々なヴァリエーションがあり、その下のオレンジ色、山吹色などが相まって、透明な中に不思議なときめきのようなイメージがあらわれる。まさに「心の宝石箱」という題名のように、画家にとって貴重な存在をここに集めて、静かに歌っている趣。いわば「星の王子さま」のあのヘビや帽子のようなイメージが、この作品の中に引き寄せられていると思う。

3室

 田村和枝「賑やかな池」東京都知事賞。水鳥が二十羽ほど思い思いの方向を向きながら水の上を泳いでいる。白とグレー。尖った嘴。お洒落な若い水鳥といった雰囲気で、その形と池の中の波打つフォルムや明暗の陰影とが静かに響き合って、楽しく、しかも夢のようで、しかも詩的なイメージが立ち上がってくる。

 國安珣子「渚」。カニが一匹。目を立てて、鑑賞者のほうを眺めながらそろそろと左のほうに動きつつあるようだ。砂浜が広がっている様子がベージュで描かれ、そこにぼつんぽつんと四角や三角。右の上方には影のようなフォルムが見える。余分なものを排除して、カニのもつ生命感の中に作者は入り込んで、いわば童話的ファンタジックな空間をつくりだした。

 森貘郎「馬頭」。馬頭観音のフォルムだろうか。両手を合掌した形で、目を見開いたフォルム。頭に馬頭がついている。黒い輪郭線によって、強い波動が画面の中心から発してくる。

4室

 松原満里子「ベルゲンの遠景」同人推挙。白い船。褐色の屋根に白い壁。緑の樹木。白い壁と黒や褐色の屋根。そういった一種幾何学的な形を構成しながら、濃密な空間をつくる。強い収斂していくような動きが、結晶したような風景の断面といったイメージを表す。

 塩竹紀夫「赤い樹―2」。葉のついていない赤い裸木と褐色の三階建ての洋館とが面白く呼応するように描かれている。木は近景に大きく、中景に洋館があり、そばに街灯なども伸びているのだが、あやしい詩的情景と言ってよい。

 関口直己「カーニバルが終わった朝」。道路にぽつんと赤いコートに赤い帽子をかぶったブーツ姿の男が立っている。マフラーをしているのだが、こちらを向いているのか、背中を見せているのか、定かでない。それを手前の二人の女性が眺めている。周りの洋館の形。不思議なぽっかり空いた非現実の世界が、ここに現れてくるような面白さである。

5室

 藤谷芳雄「宮沢賢治のイメージ〈よだかの星〉」委員推挙。よだかが高く高く空に向かって飛んで、最後は星になるという宮沢賢治の童話の最終場面が、この画家独特のコンポジションによって表現されている。上方に蓮の花が咲いている様子が描かれ、三人の野仏が並んで立っているのも愛らしく、その下方の大きなよだかを取り巻く昆虫たちや星と相まって親しみやすい表現になっている。

 牧野光陽「夕照・劒岳」。劒岳は飛驒山脈北部の立山連邦にある標高二千九百九十九メートルの山。富山県の上市町と立山町にまたがる。中部山岳国立公園の一つ。日本百名山、及び新日本百名山に選定されている。一般登山者が登る山のうちでは危険度が最も高い山とされる。上方の山頂には氷河が一部まだ残っている。最終氷河期に発達した氷河に削り取られた尖峰が独特である。この作品も上方には雪がきらきらと白く輝いている。あいだの剣呑な雰囲気の斜面の形を独特の重層的な面の切り込みによって描く。下方は、民家とガードレールのある道のそばに残った雪の様子である。平凡なこの雪の残っているガードレールのある道のフォルムから、三千メートルに近い山の峰を上方に置くというコンポジションが、実にこの作者らしい独特のものと言ってよい。実際に下方から上方に目を転じると山がだんだん高くなっていく。その実感がこの小さな版画の中によく表現されていると思う。

6室

 待山祥巳「漠たる不安」。丸い広場と思ったら、それは時計のおもてで、そこに四頭の馬が回っている。メリーゴーラウンドの変形である。近景に馬の顔から首にわたるフォルムが大きく描かれて、こちらに向かってくる。後ろには、壁が壊れ、中の梁や柱がぐにゃぐにゃになったフォルムが見える。福島原発の壊れた建物を象徴しているようだ。放射能に対する不安を、この回転する木馬の形や鑑賞者の顔をのぞきこむような馬の表情によって表現する。発想をユニークなコンポジションにまとめる力がある。優れた造形力である。

7室

 髙久茂「猫の思う事」。下方にうずくまっている猫のフォルムが曲線を使って描かれている。背後はストライプの柔らかなコンテのようなフォルムが連続し、上方に黒い太陽のようなイメージがあらわれる。猫を通して人間の内面を表現しようとしているかのようだ。心の深い闇の領域を猫を通して表現する。

 内田宜子「蟬脱─生命」。木の下方に蟬の殻があり、そこから抜け出た蟬が緑色で描かれている。その上方には蟬の形だけが黄土のシルエットによって描かれていて、二つの蟬の抜け殻と蟬とを受けて不思議な表情を見せる。真ん中を上下に貫通する樹木のイエローオーカーの色彩。周りの緑。独特の構成でお洒落である。

8室

 宮坂登「祈り」。白い御幣が集まった様子と太い注連縄とが対照されている。太い注連縄は線が幾本も集まって、強いパワーを見せるのだが、御幣の白い紙がしっとりとぶら下がっていて、その二つのコントラストが実に鮮やかな印象を与える。御幣の白がイノセントで柔らかく、独特の色彩効果をつくりだす。

 田所武「段丘の夜明け」。長いコンクリートや工場の建物などがある。電信柱が立って、電線がそれを伝っている。柔らかなシルエットで、近景には捨てられたもののようなフォルムが見える。その地上の風景はグレーのヴァリエーションだが、空は柔らかな黄色や緑、青のあいだにグリーンの雲が動いていって、透明で魅力的である。もっとも、下方のフォルムもしっかりしていて、淡々と描きながら、この画家がよほどのデッサン力をもっていることがわかるのだが、工場と空の詩ともいうべきコントラストが面白い。

10室

 長谷川和夫「孫と私」。遠景のカフェの前に孫を連れた母親を見守る二人の男性。そんなほほえましい様子を、しっかりとした輪郭線の中に表現する。

 村里佳代子「葛藤」。板のような形が曲がった根をもつ植物がある。そんな不思議なフォルムを描き起こして、二本の樹木のあいだにそのようなカーヴするフォルムがつくられ、明暗のコントラストがあらわれる。二つの木による複雑な姿を作者は葛藤と名づけている。渾沌とした中に力強い動きが感じられる。

11室

 隅野尚人「西日に照らされて」同人推挙。簾を西日に対して保護のために垂らしている古い和風の木造の民家。そんな様子をずいぶん低い視点から眺めている。電信柱が上方に立ち上がる。京都などに残っている民家の形を画面の中に生かしながら、しっとりとした情緒をつくりだす。

12室

 林眞「歓喜 Ⅰ」。カラフルな衣装をまとった女性が上方にジャンプして、両手を広げている。下方は海で、朝日がいま空を輝かせている。空は群青のような真っ青なブルー。カラフルな色彩で、生き生きとした動的なフォルムを表現する。

 黒須忠之「凍つくお堂」。茶色のお堂を取り巻く階段や樹木。雪が積もっていて、明暗のコントラストが強い。ひっそりとした中に端正な風景の美を表現する。

 横山大和「雪の善導寺」。雪の積もった山門や大きな伽藍の屋根。そんな様子を眺めている二人の和装の女性の後ろ姿。赤と青の傘を差している。コートも青や黄色で、このグレーの中に鮮やかな色彩がそこにあらわれて、お洒落で粋な、あだっぽいイメージがあらわれる。

13室

 伊藤渉「限界集落」。近景に太い幹が張り出した広葉樹。中景にはうねうねと畑のようなものがあって、その向こうに赤い屋根を見せる平屋が二棟。遠景に岩山のような丘が見える。明暗のコントラストの中にうねうねと動く動きが強く密集したフォルムと相まって、エキゾティックな力があらわれる。

14室

 室井富士雄「狙う」。尖った口をもった大きな魚が何尾も左のほうに向かっている。下方には仰向けになってのんびりした、親子のようなタコの形。上方を見ると、嘴の尖った鳥が飛んでいる。遠景に漁船が一艘。黒と白の画面だが、シャープなフォルムを連続させながら強いリズムをつくり、生きている存在、タコや魚や鳥を面白く構成する。

 矢内一子「春の詩」。木口版画である。薔薇の花の中に子供が生まれて、手を上げて鑑賞者のほうに合図している。そんな様子を下方のピエロが上方を見ながらラッパを吹いている。楽しいファンタジーである。黒を背景とした中に白いフォルムによって浮かび上がる形が、温かく力強く密度がある。

15室

 成田浩「阿弥陀聖衆来迎図」。高野山にある阿弥陀聖衆来迎図は有名であるが、そこからヒントを得たのだろうか。中心に大きな阿弥陀如来が座っていて、周りに楽曲を奏する天女や様々なお供が集まって雲の上に座り、来迎しつつある。動きがある。それぞれのフォルムがクリアで、お互いが響き合いながら楽しい波動をつくる。

第68回創造展

(6月11日〜6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 髙野正子「宇宙音階」。上方に壊れかかった時計の円形のフォルム。その中から百合のような花が五つ。ヴァイオリンと蛾がいる。上方にはもう一台のヴァイオリンがあって、そばに楽譜が浮かんでいる。ヴァルールがよく合っているために色面がそのままぴたっと画面について、そのまま空間の位置を表す。背景は空で、雲を背景に蛾が飛び、右のほうには青い惑星が浮かんでいる。下方を見ると、ヒマラヤのような峰が見える。宇宙音階という題名のように、ヒマラヤをはるか下方に置いて、空の中に不思議な時計を配置し、楽譜を置き、音楽を奏でながら、その向こうの地球を思わせるような青い星に呼びかけているようだ。ヴァイオリンと反対側にはピアノの鍵盤が弧状に置かれている。優れたメチエの上に宇宙と音楽というテーマを生き生きと表現する。宇宙の深さや宇宙の広がりを感じさせる。

 石塚三吾「タイハル岩(モンゴル)」。大きな岩がでんと置かれている。その後ろ向こうに白いパオが見えるから、それと比較すると、この岩の大きさがわかる。岩の向こうに白い雲がいくつも浮かんでいる。モンゴルだから大平原なのだろうが、そこに存在するこの大きな岩がなにか神秘的な謎をかけてくる。

 池本幸子「山守」。桜の木のようだ。地面から三本に株が分かれて伸びて、途中枝分かれしていく。一部は布が巻かれている。この桜を大事に守っている人がいるのだろう。相当高い場所にこの桜はあって、後ろのほうに峰や斜面が見える。山の頂上の向こうから雲か、噴煙が出ている。木の形が実にクリアで、画面の中に手を入れると触ることができるような、そんな写実力に注目した。

 鹿野洋子「暮れなずむ」。パリからバスで一時間ほどの場所だそうだ。いま太陽が地平線の向こうに没しつつある。黄金色の光がそこから強く輝いている。地平線近くはオレンジ色の空で、その上方には黄色い空。雲が一部ピンク色に輝いている。いちばん上方はもう暮れた空で、雲も暗い。地平線の左右にお城や大きな建物が見える。それらは逆光の中にくろぐろとした輪郭を現わす。そんな光景はロマンティックだし、物語を感じさせる。大地は地平線から手前までずいぶん距離があるはずだが、手前のところに線描きで建物らしきものがその骨格やボリューム感が暗示されていて、そのフォルムと地平線際のお城のような建物とがお互いに呼応しながら、地上の空間をつくる。地平線の向こうから強いエネルギーやパッションを感じさせる。黄金色の光が輝いて手前に放射してくる様子が実に魅力的に描かれている。

 杉山由美子「彩」。五人の若い女性がそれぞれお洒落な服を着て、立ったり座ったりしている。フォルムを表現するのに輪郭に線が入っている。優れたデッサン家であることが、そのフォルムを見るとわかる。緑やオレンジ色、黄色、青などの色彩が散りばめられて、華やかな雰囲気である。オーソドックスな意味でのフォルムに対する優れた感覚と色彩によるロマンティックな雰囲気とが相まって魅力的な画面をつくる。

 井上篤司「途轍もない落し物」内閣総理大臣賞。板に段ボールを貼り、それによって丘のようなフォルムをつくる。その丘の向こうからいま太陽が昇ってきた。造形による楽しい冒険と言ってよい。強いリズム感ともいうべきものがこの作品の魅力だと思う。

 多田昌平「雪原の樹幹」。葉を落とした樹木が枝を広げている。その枝に雪が積もっている。地面にも雪が積もっている。それだけの作品であるが、樹木の形が画面の中に面白く配置されて、微妙な旋律が聞こえてくるようだ。

2室

 山口花子「My Garden XI」。ドライフラワーになった向日葵をグレーで描く。その茎と大きなドライフラワーとを画面の中に面白く配置して、生き生きとした動きをつくりだす。不思議なことに、ノスタルジックなイメージがそこに漂う。

 西内翠「刻」新人賞。切り株の上に梟がとまっている。それが一羽、二羽、後ろに四羽かたまっている。それぞれの株に梟がいるのが実に不思議な雰囲気である。オレンジ色の残照のような空に裸木が伸びている。そう思って見ていると、もう一羽、草の中に青い梟がいることがわかって、あやしい気持ちになる。梟の視線を見ると、それぞれ勝手な方向を向いていて、お互いの梟は視線を交えていない。それぞれの時間の中にそれぞれの梟がいて、それぞれの時間の証明のような雰囲気である。まるで過去に残した自分の行為のあとを記念するようにこの株の上に立っているかのような、そんな言葉を使いたくなるようなあやしさである。それがまたこの作品の魅力になる。

 渡辺義春「長与秋日」準会員賞。脱穀した稲を束ねている。腰を屈めてその作業をしているのは年配の女性で、そばで無心を下方を眺めている小さな女の子。上方には稲の穂がたくさん掛けられて、左右にずらっと並んでいる。この穂を脱穀すると、下方の藁になる。農家のある情景を淡々と描きながら、静かに語りかけてくるものがある。

3室

 柏山悦子「夢模様」。画面全体、独特の赤で彩られている。上方に二頭の馬がいる。実際の馬というよりメリーゴーラウンドに出てくる木馬のような雰囲気で、静かに動いているようだ。それを眺めているおかっぱ頭の少女の後ろ姿。花模様のフォルムは、そのようなものをここにコラージュして、上から色彩をはめている。左手に何か不思議な布のようなものを持っている。その少女をスピッツのような犬がそばから見上げている。黄色や青の三角形のものが浮遊している。黄金色の三角形もある。キャンディや蝶のようなものも浮かんでいる。画家は少女の頃の思い出のなかに入っていく。過去の記憶の中に木馬が現れ、昔飼っていたスピッツも現れた。そういった夢の中の空間に三角形のきらきらとしたものや飴などが花のように降っているのも面白い表現だと思う。少女の頃にたくさん楽しいことがあったのだろう。後ろ姿の少女というところにまたリアリティがあって、これが正面向きだと自分自身を作者が眺めているようなドッペルゲンガー的現象になるのだが、背中を見せていることによって、ごくしぜんとこのファンタジーの空間のなかに作者が入っていくことができるし、鑑賞者も同様に中に招かれ、経験を共有することが出来る。小さい頃は飴がみんな大好きだった。

5室

 松井敦子「道」。両側に巨大な広葉樹が葉を茂らせている。広い道のちょうど空と接するあたりから三本の街灯が立ち、雲が浮かんでいるのだが、それがそのままシュールな風景に化している。あやしい気配が感じられる。

8室

 吉田登美恵「花降る」。縄文の火炎土器が緑色で描かれている。緑色の火炎土器はまずないが、画家のイメージのなかではそのように表現されて、中から炎が立っているようだ。その上に無数と言ってよい花が降りてきている。枝垂れ桜がそばに揺れている。古代に対する作者のロマンティックな思いを、このような構成の中に表現した。

 佐々木功「月、皎々と」会員賞。崖がアーチ状に切り取られたような不思議な形をしている。その上には松などの樹木が生えている。下方は磯の海に接している。そばにも似たような崖のフォルムがあって、そのあいだから向こうを見ると、島が見える。上方に満月がかかって、海がその光を映している。奇観ともいうべき光景を淡々と描きながら、説得力のある風景にしている。奇観をパッショネートに描くのではなく、素朴にそのまま平明に描きながら、、ロマンティックな柔らかな光に満ちた大きな空間を表現して見事である。

第62回新美術展

(6月13日〜6月19日/上野の森美術館)

文/高山淳

1室

 谷たゑ子「早春賦」。柔らかな若緑色の葉が一面に出ていて、全体でファンタジックで夢の中のような雰囲気の空間が生まれている。そこに数羽の鳥が飛んでいる。鳥も楽しそうに春をことほいでいる。

 小川喜久世「いやす森」。白い幹。赤く紅葉した葉。オレンジ色の連綿と続いていく紅葉の様子。下方のカーヴする道。それぞれを丹念に描きながら、秋の色彩豊かな森の様子を描く。右のほうには針葉樹である杉の木のようなフォルムも見え、針葉樹と広葉樹が入り乱れる中に紅葉する様子を一種装飾的に華やかに表現する。

 加知満「夕輝」。山の向こうに太陽が沈んで、空をオレンジ色に染めている。手前の川がその光を受けて、緑の中にきらきらと金色に輝いている。対岸の街並みの様子が親密に丁寧に描かれて、不思議なリズムを放つ。聳える山の青い色彩。オレンジ色の空。それを受ける水。そしてピンクやグレーや青に彩られた建物。その全体が静かにハーモナイズする様子を、おおらかに広がりのある奥行のある空間の中に表現して楽しい。 

 水谷桑丘「近江八幡・沙沙貴まつり」。佐々木源氏の氏神とされる沙沙貴神社の沙沙貴祭りは勇壮な祭りである。約一キロ離れた神社まで、直系二メートル、長さ五メートルの大松明を引いて奉納に行く。大松明は、満壽という四十三歳以上で駕輿丁をつとめあげた二十四人がつくる。本年満壽に加わった人の中から四人選出し、二人が手桶踊り、一人は綱先役、もう一人は進行役になる。手前の三人の男たちは満壽の中から選ばれた人で、手桶踊りをしている。手桶の先に太い綱が巻き付けてあって、その綱が左右に動きながら男たちの踊り歩いてくる様子が実にこの神事に相応しい表現となっている。

2室

 阿部信吉「ひととき」。一歳ぐらいの男の子が座って姉と語っていたり、一人で花を眺めていたりする。最近生まれた作者の孫なのだろうか。孫の表情があどけなく、そのしぐさを丁寧に描いている。画家には激しい妖精的な人間たちを描いた作品もあるが、これは、身近な存在に愛情を向けたところからあらわれてきた温かな作品である。この男の子のいる周りが、ぽっと日だまりのように明るく感じられるような、そんな雰囲気である。

 糸井達男「南仏の想い」。石を一つひとつ積んだ塔の上に鐘が吊るされている。下方に時計がはめこまれて、いま一時三十分。この石はグレーで、それに直角にベージュの石を積んだ建物が左側に立っている。右のほうには影になった茶褐色の石を積んだ二階建ての建物。時計のある塔の下方はアーチ状にくり抜かれて、ゆったりとした階段が続いて上りになっている。青い空の下に石がきらきらと輝くように描かれている。一つひとつの石を職人が積むように画家は絵の中に一つひとつ置いていく。全体に明朗ではあるが、複雑なハーモニーが生まれる。無人であるが、建物が親密な雰囲気で語りかけてくるようだ。

第69回女流画家協会展

(6月29日〜7月5日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 伊東博子「レモンの海」。黒、レモン色、白に二つの赤いストライプ、コバルトブルーといった色面が、上方から面積を変化させながら置かれている。コバルトブルーの色面は画面の半分を超えている。コバルトブルーとレモン色とが響き合う中に、まるで太陽の軌跡のように白い中に赤い筋。コバルトは海や空の色であると同時に日中の色。それに対して上方の黒は夜の色彩。そうすると、レモン色は画家のつくりだした詩人の色彩と言ってよいかもしれない。「レモンの海」という題名も詩的な言葉である。

 渡辺由紀子「Kehai-DARUMA」。太陽は巨大な核融合反応によって巨大な熱を発散しているそうだが、そんな深い強いイメージをこの赤い円弧の中の形に連想する。

 継岡リツ「特別な時間─神々へ─」。二つのパートからなっている。下方のパートはMの五〇号ぐらいのキャンバスを二つ合わせてF形の一〇〇号の形になっている。その上にベニヤによって四つの柵のつくられた五つの空間。そこには四つのピンポン玉のようなものが置かれている。100号の空間の中の左上方は、黄色い色彩と黄色い紙をコラージュした空間。その黄色が広がりがあって、その黄色自体に詩情を感じさせるものがある。それ以外は白で、ほとんどキャンバス地に近い色彩。上方にヘラという文字が見える。ヘラはゼウスの妻である。その他、数字が書いてあるのは星座の番号。たとえば18はカシオペア、14は大犬座、10は彫刻具、23はコンパス、20はケフェウス、15は小犬座、27は冠座といったように。つまり、天空の星座がそこに表現されていて、それを裁量するのはヘラという神のようだ。つまり、ゼウス神ではなく、嫉妬深いゼウスの妻がこの宇宙を、この神々を統御しているといったことになるだろうか。右上方には月の満ち欠けの様子が描かれている。キャンバスを合わせたところの上方には右、下方には左向きの菱形のフォルムが置かれている。神殿の柱の断面図のような趣。画家は天空というものにギリシャの頃にそれを人間化したような、そういった壮大な詩の世界を眺めているようだ。そんなヴィジョンがこの白い空間を張り詰めた不思議な美しさに荘厳する。

 吉江麗子「マイチューリップ号再び宙へ」。チューリップの気球。下方に乗り場がつくられている。上に、ハートや星形などの記号や文字が針金でつくられている。画家の壮大なファンタジー。そのファンタジーを顕現化する半立体ふうな形。老いてますます華やぐという言葉があるが、そんな詩人のつくった造形。

 上條陽子「分断」。イスラエルとハマスとの戦いは長いが、そんなところに作者は行って、圧倒的なイスラエルの軍事力に圧倒されたアラブの民衆の姿の中に自分を置いてみた、という話を聞いたことがある。パネルの上に桟がつくられ、細長い十六個の枠。その中に不思議なフォルムが見える。笑っている。あるいは泣いている。あるいは絶望している。考えこんでいる。そんな人間のフィギュアが白く描かれる。昔、アンドレ・マルローがつくりだしたディアブル(戯画)という線描きの不思議な人間くさいフォルムを見たことがあるが、この作品もいわば画家のつくりだしたディアブルと言ってよい。不思議なフィギュアたちである。しかも、そのフィギュアたちが生きているようになまなましく、この褐色に塗られた板の上に描かれているところが面白い。桟はいわば人間を制限するもの。極端にいえば、牢獄に近いもの。そんな存在の中で人が生きているという寓意になるのだろう。

 高尾みつ「自然回帰『断層』」。直線によって輪郭線がつくられる。長方形や変形した四辺形などが細長く伸ばされて、重なり、あるいは並行に画面の中に配置される。白から淡いグレーにわたるグラデーション。あいだにコバルト系のブルーが入れられる。青は空を思わせる。空に向かってメロディが立ち上がってくるような、そんなイメージ。画家の作品は常に抑制がきいて、上品。にもかかわらず、鋭敏でセンシティヴな感性がある。そんな素質によってつくられた独特の詩のような抽象造形。

 山寺重子「予兆」。赤い炎が燃えている。その燃えている炎がそのまま花となる。周りには、黒の中に白いフォルムによって葉のようなイメージ、あるいは一つの力が及ぼすとそれが連鎖していくようなイメージ。いわば核分裂反応のようなイメージを、この炎と花と重なったようなフォルムによって描く。黒の中に白いフォルムが動き、その中心に赤やピンク、カーマインレーキなどの色彩によってあらわれてくるかたち。その中に黄色がきらきらと輝くように入れられて、強いエネルギーを放射する。

 金谷ゆみえ「残響」。矩形のフォルムをたくさんコラージュしている。矩形の形もそれぞれ違って、列によって異なる。あいだに円形の形や朱などが入れられて、奥深いところからあらわれてくる強い力。と同時に、やはり陰翳礼讃といった日本的な美意識も感じられる。夜の奥深い空間から不思議な力が引き寄せられる。

 遠藤茂子「Wall 2015」女流画家協会賞。ベージュの複雑なトーンの中に黒によってフォルムが描かれる。ネットのような形やまるで脳味噌のしわのようなフォルム。しかも、ベージュの色彩に近寄ってみると、その上に蠟が置かれているような、独特のマチエールが表現されている。壁という題名だが、そこに亀裂が入り、切り取られ、空間がつくられる。閉塞された中に解放するような動きがあらわれるが、それはまたもうひとつの閉塞した空間を呼ぶようで、お互いがリンクしながら発信してくるものは、深い心の奥に存在する、言葉にはならない、あるわだかまるエネルギーのようなものかもしれない。

 佐々木里加「BRIGHT BRAIN CYBERNETICS」。巨大なコンピューターの頭脳部分が人間の脳と重なって、空間の中を動いていく。大変な情報量だと思うが、下方には巨大なサーバーのようなフォルムが見える。左下には、平面だと弱いので立体化したフォルムがあらわれる。現代のウェブによってつながれた仮想空間をダイナミックに強い動きの中に表現する。

 松本信子「迷いの痕跡」。手前にメルトダウンした原発の構造のようなものが見える。そして、その後ろの斜面にたくさんのプルトニウムが置かれている。電車のレールがカーヴしながら向こうに続いている。そばには進入禁止といった標識が見える。巨大なビルと塔。右のほうにもタンクや塔が見える。幾何学的な現代の建物が遠望されるのだが、そのあいだの道は昔ながらの土臭い地面である。そこにプルトニウムのたくさんのドラム缶。下方の溶けてしまった建物の構造。数時間でメルトダウンしたプルトニウムはいまだに回収されていない。そんな現代の不安を画家はこのコンポジションの中に実に力強く表現して、鑑賞者を説得する。画家のもっている、外側から見えるものを形として表現する力と内的なヴィジョンを形にする力の二つのベクトルがあって、この作品ではその二つのベクトルが交差する。それによってこの力強い表現が生まれた。マチエールも実に人間臭く力強い。

2室

 手塚廣子「時」。これまで鉛筆による仕事が多かったと思うのだが、この作品はパステルによってつくられている。それによってフォルムとしては強くなったが、あのノンシャランな間隙の世界ともいうべきものは後退した。下方には海が見えるが、津波のあとのイメージを感じる。上方には、眼鏡の片方が割れて、片方には高層ビルが映っているそんな眼鏡をかけた女性の顔。そばには、男性にも女性にも見えるシルエットの横顔の帽子に鳥が佇んでいる。朱鷺のような鳥。帽子に楽譜が書かれている。下方のマネキンには頭がなく、首から球のようなものが放出されている。日々の日常生活、あるいは入ってくる情報、そういったものを受け止めながら、咀嚼して、醱酵しながら、このような不思議な動きのある作品がつくられた。いかにも女性的というのか母性的というのか、一切が一度心の中に入れられ、徐々に醱酵しながら出てくるイメージが独特である。それを統一するためにメロディが必要となり、楽譜があらわれたのだろうか。

 児玉沙矢華「空事の狭間」。これまで暗い割れたガラスのようなところに少女がいたのだが、だんだんとそれが変化してきて、同じガラスが青い空を映して、そこに少女が横たわっている。希望のイメージがあらわれてきた。布がそばに二つ置かれている。そうはいっても少女はまだ魂の放浪をしているようだ。上向きのその少女のそばのこの不思議な布が袋のような雰囲気で、そんなイメージを筆者に与える。クリアな形を使いながら、いわば人間の実存的な姿を作者は追求する。

 前田さなみ「見透せぬ窓(桜観音)」遺作。桜の影に百済観音のようなフォルムがあらわれ、その後ろに黒い絵具をバケツでぶちまけたようなフォルム。背後には波が海岸に寄せた様子。下方に三つの弾痕。海は四年前の津波の大惨事に対するレクイエム。黒い飛沫は死の影。桜は生の表徴。そして、もちろん百済観音は祈りのイメージである。下方の弾痕は、画家が思春期に経験した日本の敗戦の時の混乱や爆撃によって焼かれた街々のイメージが示されている。そういった作品が今回遺作として並べられた。筆力をもった画家であった。人柄も包容力があって、たくさんの作家に慕われた。二〇一五年四月三日逝去。享年八十四歳。合掌。

 長瀬いずみ「始まりはⅠと3と4」損保ジャパン日本興亜賞。不定形の板のような支持体に布を巻いて、グレーや黒などの色彩をそこに置いている。陰翳礼讃といった趣。光や影が波のような風の動きのなかに捺されて、諸行無常といった雰囲気がしぜんとそこにあらわれる。

 山口たか子「再生」。下方に頭蓋骨がたくさんある。そして、そこから逆三角形に様々な骨や牛骨、歯、なにかメカニックなものの部品、廃棄物などが集められ、不思議な形があらわれる。いわば骨と廃棄されたものが集合する。にもかかわらず、その印象は暗くなく、集合する中から笑い声が聞こえてくるような生命的な力が感じられる。下方にあるのは人間の頭蓋骨であるが、それもまた笑っているような雰囲気である。ずっと見ていると、たとえばキリスト教だと、人骨によってつくられた祭壇のようなものがあって、人間の体は物質であり、精神はまた別のものであるといった二元論的な発想がある。どちらかというと、この作品はそんな二元論的発想であって、その骨をたくさん集めることによって、逆に人間の魂のもつ力が浮かび上がってくるといった雰囲気である。骨に霊が憑いているというのではなく、骨を媒介にして魂が飛躍するような、そんな表現、そんな思想のコンポジションであるところが面白い。

 當間菜奈子「星の重さを知る Ⅱ」。シーツや毛布に光が当たっている。そのシーツや毛布はねじれて、しわになって、混沌とした雰囲気である。そこに斜光線が差し込み、温かな光がつくられる。その光は単なる抽象的なものではなく、一種の質量をもった存在のようにここに描かれている。ちょうど水は物質として両手ですくえるように、光をここにすくっておいたような味わいが感じられる。その光の性質を、作者は地球という星の重さを知るというように表現する。身近な光の深い意味合い。この惑星に差す光というように、光を普遍的なところに高めようとするコンポジションであり、そのような光の色彩であるところが、この作品の魅力である。

 宮原むつ美「ボローニャの斜塔(イタリア)」。茶色、褐色、ベージュ、グレーなどの色彩で建物が表現されている。三つの塔が空に向かって伸びている。それに対して民家や教会のような建物が、お互いに関係をもちながら一つの集落をなす様子が表現される。ある意味ではキュービックな表現と言ってよいかもしれない。空がコバルトにもセルリアンにも見える独特の調子で、どこか日本画の顔料を思わせるような澄んだ深い色彩であり、その青と下方の暖色系の茶色や褐色が静かに響き合うところに、この風景を描いた作者の精神の佇まいがあるように感じられる。

 森田陽子「Reminiscence DN」。題名は追想とか回想という意味である。上方のベッドに女性が仰向けに横たわっている。そのフォルムが優れた美意識を感じさせる。その周りはかなり抽象的なフォルムであるが、たとえば下方に女性の後ろ姿の腰から下を線描きで描いたもの。あるいは道、建物、様々なものがかなり抽象的な雰囲気で表現され、その中にベッドで仰向けに横たわる女性が宝石のように描かれている。混沌とした、すこし具象的でもあるが、ほとんど抽象的なフォルムがコンフューズする中に、仰向きの女性のヌードが貴重なものとして描かれて、全体でロマンティックな雰囲気が漂う。

 生駒幸子「時の羅針盤」。バネのようなフォルム、あるいはねじれているようなかたちなどが組み合って、強いムーヴマンが起きる。上方を見ると、カメラのストロボのために傘に向かって光を放射するような器具が浮かんでいる。もう一つポイントになるのは、画面の上方の黒い丸。そのブラックホールのような形がいわばセルフのような雰囲気であらわれている。その周りのブルーによる直線や曲線による絡むような形。高速道路のフォルムを下から眺めたようなフォルム。画家はそのセルフを取り巻く様々な形象を歪め、ねじり、構成する。ストロボが焚かれると、何が映るのだろうか。自分自身を静かに見つめるのではなく、あるダイナミズムの中に「汝自身を知れ」といった、その命題を表現しようとする。不思議な動きが画面全体から感じられる。それは自己とはなにものかと探求する強いスピリットからくるのだろう。

3室

 小石川宥子「流風」。中心に太い樹木の幹が人間のトルソのように描かれ、そのおなかのあたりにうろがあって、白い卵が三つ置かれている。上方の両側に卵を抱える鳥がいる。下方は水のようで、渦を巻いていたり、波が寄せているようだ。また、それは時間というものの象徴のように感じられる。命を守り、育てるイメージを、モニュメンタルなコンポジションの中に表現する。また、津波というきわめて恐ろしい災害があったが、そういった災害に対するレクイエムと、また新しく命を育もうという、そういったポジティヴな心持ちがこのような構図をつくりだしたのだろう。

 宇佐美明美「風を聴く」。砂丘の風紋がずっと向こうまで続いている。砂丘といっても、波打ち際の浜の斜面にできた風紋である。いわゆる砂丘の内部の無音の世界とは異なって、ここには波の音が聞こえている。近景に、砂の上に横たわった二つの流木がまるで人間の白骨のように描かれている。その白々とした晒されたような色彩が長い歳月を感じさせる。繰り返し寄せてくる波のもつ永遠性ともいうべきものに対して、流木が有限の時間を語りかけてくるようだ。

 半那裕子「不思議の国」。『不思議の国のアリス』の世界を一貫して描いている。今回の面白いところは、見下ろす角度。絨毯に向かって井戸のようになって、そこに少女が落下しつつある。少女のみならず、トランプやティーカップも時計も猫も本もそうで、あらゆるものが下方に落下しつつあるときのスリリングな雰囲気がよく画面に生かされている。アリスを表現して、図像的要素ではなくその身体感覚ともいうべきものを強調して表現しているところが面白いと思う。

 広瀬晴美「私的風景 2015─Ⅱ」。赤と黄色の縞模様のチューリップが二つ。実際より十倍以上も大きく画面に描かれている。一つの花の上にはカエルがいて、こちらを眺めている。後ろの葉などはソフトフォーカスですこしぼけて、焦点を手前の二つの花に結ばせるように描いている。中のしべが見えるように工夫されて、一種の断面図のようなかたち。花はこのあと受粉して、新しく種になって、また再生していくわけだが、いわば生殖の極みともいうべきエネルギッシュな様子を強く表現して、存在感がある。

 吉川和美「水のかたち」。噴水から水が噴き出して、下方に落ちてきている。その動的な水のかたち。継続しながら新しい水があらわれては流れていく。そこには単に水というだけでなく、命というもののイメージが強くあらわれる。それほど大きくない噴水を正面から描きながら、巨大なイメージもそこに重なってくる。

 平木久代「彷徨」。人間の頭部が上方を向いて浮いている。その周りに蔓のようなフォルムが、この頭部を取り囲んでいる。背後にはもうひとつ暗い植物的な樹木のようなフォルムがあらわれている。題名のようにさまよいながら時が移っていく人生の旅のようなイメージが、ノンシャランな不思議なコンポジションの中に表現される。

 早矢仕素子「風の記憶─ないところから始める─」。手前の柱は影になっているのだが、そこに聖人の姿が彫られている。全身像で宙吊りになったようなフォルム。中景には廃墟となった建物。ほとんど天井も壁も壊されたようなフォルムがかろうじて残ったかたちで描かれている。白い明るい空にグレーの色彩。近景は逆光。崩壊の中に、やがて再生や希望があるのだろうか。そんなクリスチャン的発想の終末的なイメージが面白く表現される。

 日下部淑子「古木(オリーブ)」。画面全体に、千年ほどたったようなあやしい怪異な樹木の幹が描かれている。いくつも洞ができて、その暗い色調の中に時間がブラックホールのように存在するように思われる。下方の遠景には建物の正面。右上方には建物の階段が描かれている。この木はオリーヴの木だという。イタリアの歴史に作者は関心がある。その歴史そのもののような、時間のお化けのようなイメージを、このオリーヴの古木によって表現する。

 本田昌子「きっと……?」。きわめて縁起的な世界が表現されている。因果律はある現象の中からピックアップして二つの要素の因果関係を探るわけだが、縁起的世界は無数の要素が存在して、その無数の要素が時間の変化とともに有力になり、時に無力になりながら世界が変化していくといった、そんな考え方である。仏教の世界はそのような縁起的な世界のうえに成り立っているが、そのような世界がここに描かれているように感じられる。ガーゼが使われて、ガーゼを破りながら、紐となって、お互いが連鎖する関係が刻々と移ろって動いていくような不思議な雰囲気があって、一種の哀愁さえも感じることができる。

 楠本恵子「YELLOW SPACE ~N.Y SUITOUTO~」神戸文子賞。黄色い色面の中に線によって柔らかなカーヴするフォルムがあらわれている。豊かに息づくものがそこに存在する。息づきながら、たとえば、この黄色いフォルムを大きな花弁のように考えてみると、花弁がカーヴしながら、その中心から上辺に出たり中に入っていったりする。そこに光が入ってくる。朝が来、夜が来る。その花は作者自身の心象で、いわば作者のセルフと言ってよい。そういったセルフをこの不思議な抽象によって語っているような、そんな面白さが感じられる。

 中村智恵美「花のある静物」。中心にガラスの花瓶に数十本の薔薇の花が差されている。白を中心としてピンクや赤など様々である。青いサテン地の唐草模様の布を背景として、この花のもつ質感や生命感を見事に表現している。テーブルにも布が敷かれて、その花瓶の左右には蘭やティーポット、あるいは柘榴や洋梨が置かれている。いずれも実際の大きさより大きく描かれている。そうすると間延びする可能性があるが、逆にそれによって画面全体がピンと張り詰めて、それぞれの固有のものの生命感を画面の中に引き出しているところに感心する。

4室

 関口聖子「植物曼荼羅─光の方へ」。赤い花が広がっているように見えるが、それは葉なのかもわからない。その中からまた新しく花が咲いている。周りには芽のようなものが現われている。新しく命が発現するときの不思議なフォルムに、画家は強い関心がある。そして、それらの命は光を求めて動いていく。この曼荼羅の中心をなすのは光という聖なるものの存在である。命を支える存在。その力を背後に置きながら、生命の不思議な誕生するかたちを描く。いわば発芽するものの曼荼羅といったコンポジションである。

 堀岡正子「刻」。中心に樹木が立ち上がり、その先に枝が広がっているところに様々なたくさんの葉が密集している。ところが、その様子の中に空洞の部分があったり、強い生命力をもって動いていったり、渾沌としたブラックホールのような空間が生まれている。樹木のイメージのなかに入ることによって、そのような時間というものの渾沌とした謎のなかに画家は入ろうとするかのようだ。時間の不思議な働きを樹木を通して表現するコンポジションに注目した。

 竹岡羊子「COLLABORATION」。仮面舞踏会。トランペットを吹く人。横笛を吹く人。仮装した男女たち。深い赤い色彩は実はグランドピアノの色彩で、その前で演奏する女性。上方に様々な旗が吊るされている。画家が愛するヴェニスのカーニバルが描かれているのだが、画面の中ではそれは内なる祝祭のように表現される。そんな画家のイメージの力によって、色彩が深い輝きを放つ。

 浅生法子「野─花つれづれに」。細い植物の茎の先に白い花や黄色い花が咲いている。小鳥がそこに来ている。その茎のもつ方向性と視点を自由に変化させることで、平面の中に奥行のある立体空間が生まれる。透明な青い色彩が清々しく魅力的である。空のイメージもあるし、水のイメージもあるだろう。そこにいま咲いた可憐な花々が聖なるものとして表現される。それをこの小鳥が鑑賞している様子が実に魅力。

 宮原麗子「窓辺(トレド)」。窓の向こうにトレドの街が広がっている。中心に教会があって、下方に民家が見える。それが茶褐色とオレンジ色によって表現されている。トレドのもつ古い都のイメージをこの色彩がよく表現する。中世から存在するこの街の深いニュアンスを、この微妙なトーンの変化によって画家は描く。光が当たり、一部がオレンジ色に輝いているのも敬虔な雰囲気である。青い空が上方に広がっている。

 徳植久子「あら、雨だわ」。パリの街のようだ。建物を大きく描いて、手前にはカフェがある。明るい窓の中には人々が座っている様子。無人の戸外のテーブルや椅子。夕暮れ、空が曇って、雨が降り始めた。グレーの壁。黄色い壁。紫の椅子。下りていく階段。街灯。不思議な色彩が使われている。緑という難しい色彩を中心に、グレーや青やオレンジや黄色が引き寄せられる。アクセントのように青と紫とグレーのカフェの戸外の椅子。建物が生きて鼓動しているようなイメージもある。上方の窓から身を乗り出して、手を出して雨の様子を確認しているブロンドの女性。じっとこの作品を見ていると、それぞれの部分部分がまさに生きていて、違った時間のなかで起きていることが画面の中で同時に行われているような、不思議なコンポジションになっている。加えて、マグリットの夜と昼が同一空間に描かれた風景のように、昼も夕方も夜もこの画面の中に取り込まれて描かれているように思えるところが面白い。

 中川澄子「風跡」。作者はフランスとスペインの国境に近い修道院をテーマにして連作している。今回、柱の中にこの女性の像がつくられている。聖母のイメージだろうか。そして、広場が背後にあって、その向こうにアーチ状の門が見える。周りに塀があって、修道院の敷地がそこで終わるわけだが、そのアーチを過ぎると、煙突のある建物が見え、山がのぞく。地面に黄色や青やピンクなどの色彩が入れられて、地面が不思議な表情で輝いている。全体は暖色系のピンクの色彩なのだが、その中に塗りこめられた絵具が光を放つ。画家の深い感情、あるいは、この土地の持つ、この修道院の醸し出す雰囲気が、そのような色彩を呼ぶのだろう。そして、まるで作者の分身のようにこの聖なる女性の姿が柱の中に抱かれるようにあらわれる。

 馬越陽子「人間の大河─生命の樹に集う人達─」。二つの巨大な生命の木のあいだに人々が集まって、その赤い木を抱擁している。あるいは、木のそばで上方を眺めて救いを求めている人もいる。赤の背後はビリジャン系の緑で、鮮烈な対比をなす。一人、正面を向いた不思議な表情の人がいるが、その瞑想的な雰囲気を見ると、それが作者の分身のように思われる。この作者の分身のように思われる人物以外に、四人の人間がこの生命の木にあらわれている。生きている人も、死んでいる人も、ともに生命の木との深い関係のなかに画家は表現する。その赤い色彩が実に強い印象を醸し出す。緑の穏やかな瞑想的な性質に対して、赤がまさに血液のように命の川のように画面を斜めに縦断しているというコンポジションが、深く強いイメージを醸し出す。

 北久美子「風花絵図」。牡丹や朝顔、小菊、たくさんの色とりどりの花が咲いている。そのあいだから孔雀がその上体を現す。青い首。きりっとした目の表情。右のほうの植物の葉や茎にはカナリアのような鳥がとまったり、宙返りをしている。二匹の蜂が飛び、蝶やミツバチが花のそばにいる。不思議なことに、これほど絢爛な世界であるにもかかわらず、無音である。それはおそらく画家の深いイメージがつくった花鳥図であるためだろう。風花という言葉であるが、風も光も作者がつくりだしたもので、いわば作者の巨大な子宮の中に育てられた鳥や花であるところが、この作品の面白さだと思う。それだけに現実以上に色彩がより純粋に輝く。

 入江一子「サハラ砂漠の砂の薔薇」。砂漠の中のミネラルが結晶して薔薇のような形ができる。そんな不思議な形が画面の中心にあって、ピンクの色彩に彩られている。背後はサハラ砂漠が続いている。画家独特の緑の色彩によって描かれ、そこに追想のような黄金色の光が幾筋もあらわれる。そばにはサハラの遊牧民たちの姿。左下にも三人の女性が描かれている。画家のシルクロードやサハラ砂漠などを旅行したときのイメージが、ある旋律とともにあらわれる。その音楽性と視覚性との混在したところにこの作品の魅力があるだろう。

 岡田菊惠「古城の大鏡」。イタリアふうなマントルピースの上に花瓶があって、花が差されている。それは大鏡になっていて、絵の陳列された壁を映している。誰か個人の画家の美術館のようだ。深い緑と花のピンクや赤がハーモナイズする。

 福島瑞穂「窓のない部屋」。裸の女性が絵筆を持っている。後ろにキャンバスがH形イーゼルに置かれ、飛行機が軍艦に爆弾を落としている図が描かれている。この裸の女は頭に南瓜をのっけている。広島と長崎に原爆を落とされたが、そのための準備として南瓜爆弾(パンプキンボム)という爆弾をアメリカは考案して、原爆のための準備をして試験的な爆撃を行った。そんなものを頭に置いた女性の様子。そばには本が重ねられている。聖書や、高橋和巳の『邪宗門』、大江健三郎の『飼育』、遠藤周作の『海と毒薬』などの本が積まれていることがわかる。敗戦後の日本のスター作家たちである。画家の青春を彩った文学者たち。そして、日本に落とされた原子爆弾。ストーブが赤く燃えているのも深い情念を表す。この女性は背中にキャンバスを背負っている。キリストは十字架を背負うが、画家はキャンバスを背負うということになるだろうか。そして、頭にパンプキンを置いたこの女性はほとんど狂人の趣である。絵を描くということは、そのような出口のない狂人のような仕事であると語るようだ。日本の敗戦の時の現実やその頃の文学者たちの時代を画面に引き寄せながら、反戦の思想を描こうとしているようだが、むしろ逆に画家は自分の生きてきた歴史をここに引き寄せながら、絵とは何か、画家とは何かといったことを問いかけているように感じられる。上方にカエルが割かれて吊るされているのは、これもまた作者本人でもあるだろうし、敗戦の時に無辜の民が原爆で殺されたイメージもそこに重なる。繰り返しそのような孤独な画家のアトリエの中での想念の世界に戻り、絵を描き続けてきたわけだが、そのような自分自身とは何かと問いかけるお膳立てがここに整って、実に不思議な強い印象を醸し出す。

 遠藤彰子「彼方に」。ビルの屋上にたくさんの人々がいる。子供と母親、あるいは若い父親。そして、窓の横に階段があって、下は海になっているはずが、実はそこは空になって鳥が飛んでいる。天地を逆にしながら、画家独特の深い心象世界があらわれる。垂直に立ち上がるビルの屋上が、そのまま垂直に落下するイメージと重なっているところが、実にこの作者らしいコンポジションである。

 志村節子「漂泊 Ⅱ」。壺やマンドリン、洋梨、花などがテーブルの上に置かれているのだが、そのテーブルの上の光景がそのまま風景となって広がっていく。そして、上方に月のようなイメージがあらわれる。画面全体に柔らかな光が差し込み、ロマンティックなメロディが流れる。

5室

 小梶恵子「Through into Looking-glass?」。鏡の前に大人のような衣装をつけて傘を持った少女がいる。鏡の中では横を眺めていて、その目の視線の方向性が面白い。その鏡の向かって右側に、三人の少女が思い思いの衣装をつけて座ったり立ったりしている。その後ろに金髪の女性がショートケーキを口の前に持って、やはり右方向を眺めている。花模様の赤いカーテン。カーテンのあいだに花が咲いている。いろいろなものが緻密に描かれている。盛装した少女と述べた上方に、いくつもの時計がある。時計の長針、短針の位置がばらばらで、いわば時をなくしたイメージのなかに鑑賞者を誘う。「鏡を通して」という題名であるが、画家のこの画面自体が一つの鏡となっていて、マジックを行いつつあるようだ。不思議な物語が背後に感じられる。鏡を通した向こうにはもう一つ別の世界が存在するといった、そんなイメージもあるのだろう。

 村本千洲子「刻」。袖のないワンピースを着た女性が二人。前後して描かれているのだが、その二人のかたちが半円形になって宙に浮いている。下方に傾いたヨーロッパの建物、集落が見える。題名のように、この女性は時の過ぎていく様子を黙って聴いているような趣がある。画面全体が振子のように揺れているようなムーヴマン。すこしデフォルメされた二人の女性のフォルムも、この画家のつくりだしたかたちになっている。

 須藤美保「香華幻奏」。着物姿の女性の前から見た姿と後ろから見た姿。衣装も違う。上方に白い花が脱色したような雰囲気で、傘のように浮かんでいる。下方の菖蒲が咲いている様子。菖蒲が咲くのは五月、六月だが、上方の百合の花の脱色した様子を見ると、時を失ったイメージもそこに引き寄せながら、日本人のもつ美意識の中に画家は入っていく。

 野中伊久枝「悠々自適」東京新聞賞。水の中のカバは気持ちよさそうである。水のもつ触感と、カバのもつ重量感があるにもかかわらず浮いているようなイメージが、実に面白いユニークなイメージを発信する。その背後にも二頭のカバが泳いでいる。空を映して深い青い色彩を水が反射している様子も、色彩的には絵画的な要素として面白く表現される。

 高増千晶「郷海・共生」大住閑子賞。中心に赤い綱のようなものが吊るされている。左右に四列、縦に八段。両翼で六十四のコーナーができ、そこに様々な海のもの、貝が多いのだが、それが集められ、彩色されて、呪術的な力が発してくる。海のモニュマンと言ってよいかもしれない。

 岡田豊子「時から代へ」。森の中に深く入っている。たくさんの松ぼっくりが落ちている。そこは道になっていて、両側に草が生えている。切り株から新しい命がいま伸びてきている。森の中に入って、そんな死と生の循環していく命を画家は黙って眺めている。そこからあらわれてくる強い、密度のある空間。

 柴野純子「風が吹く日」。十字架の上に白い百合が咲いている。下方に鍵がレリーフ状につくられてコラージュされている。ペテロが持つという天国の鍵を思わせる。十字架には強い風が吹いている。嵐の日も苦難の日も信仰をもち続けて、天国に入ろうというイメージだろうか。画家はカトリックの人であり、その信仰をテーマにして強いコンポジションをつくる。

 橋本とも子「綺羅徒華叢生図」。下方に蓮の葉がいくつも見える。中心に巨大な白い花が咲いているように見えるのだが、よく見ると、それは羽によって出来ている。上方から紫色の花が、ちょうど藤の花が下りてくるように描かれているが、藤の花ではなく、三つぐらいの花がそこには集まっているようだ。羽毛のように軽いという言葉もあるが、その白い花の絢爛たる様子は徒花であるということになるのだろうか。一種の無常観ともいうべきものがテーマになっているようだ。そして、それを蓮の葉が受け止めている。いわば蓮の上に人間の命や感情が置かれているといった様子。そこから左に屈曲する樹木の幹に不思議な苔のようなものがとりついて、そこにも小さな花が咲いている。まさに祈りの叢生図と言ってよい。

 髙橋恭子「邂逅」。邂逅とは出会うという意味であるが、この作品はもっと神秘的なものが出現したといった雰囲気である。黄金色の色彩の女性がまさにいま出現した。背景は建物や樹木のようで、それがはるか向こうまで続いている。そんなものをバックにして仏さまが、あるいは神様が出現した。そのヌミノースのイメージを実によく表現している。背後のグレーの複雑なトーン。そして、女性の後ろ側は白く発光するように輝いているのは、光背のイメージであるに違いない。

 笹森文「着生」。着生とは宿り木のことだろうか。その宿り木が白い花をいっぱいに咲かせている。塗りこんだ画面は絵具の層が膨れ上がっている。その白い花の圧倒的な存在感、その神秘的な魅力や美しさが画面の中によく表現されている。

 平野マチ子「清風・清水(神泉からの伝言)」。左右、上下に黒やブルーのラインやストライプがある。上方には十字形の暗い柱があらわれ、その向こうは暗い緑色で深い奥行があらわれている。それに対して手前に清冽な水のイメージがあらわれている。作者はそれを清水と呼ぶ。その水は噴き出ているような動きがある。横に、斜めに、風がそこに渡っている。画面の下辺から四本の直線のフォルムがあらわれているのは、噴水のようなイメージなのだろう。まさに神泉からの伝言で、この混乱した苦悩の時代を癒やすようだ。画家は神道に対する深い関心もあるし、そういった場所を守っている人。日本人の古層にある自然信仰、あるいはそこにあらわれてくる神々との会話、その啓示を絵の中に表現しながら、日本を浄化しようとするかのようだ。

6室

 桑野幾子「'15 心の旅」。ネットが立ち上がって、立体となっている。背景も細かなネットが重なっている。中心のネットの中が黒く空洞になっている。両側に緑や白、黄色、紫の原色が立ち上がる。「心の旅」という題名だが、その心の旅が積み重なって、この空洞の中に存在するのだろうか。ネットの亀甲状のフォルムが強い波動を表す。生きているということのわかりやすい現象は、息をし、心臓が動いていることであるが、そういったところから表現しながら、深い心の内部にある記憶の世界に触手が伸びていくようだ。

 伊藤麗子「還る」。抽象作品であるが、きわめて繊細な感性が感じられる。光の不思議なグラデーションが上品で温かい。

 山本優里「木漏れ日揺れる」水野恭子賞。地面の上にたくさんの葉が落ちている。小さな石も見える。根が広がっている。樹木の大きな幹がそこから立ち上がる。そんな一隅を描く。あいだに木漏れ日がスポットライトのような光をつくりだす。しっとりとした中に香りが漂うようだ。しっとりとした地面の感触。いまここに見える光もすぐに動いていくだろう。そんな一隅を大切なものとして表現する。地面の鼓動を聴くように描く。

 沢藤馥子「春まだ浅く」。窓の向こうにはまだ雪が残っているようだ。手前の青いテーブルの上には宋磁を思わせるような壺に白い花が差されている。お皿の上にはペアのマンゴー。白いティーカップ。緑のうつわにいくつものオレンジ色の花が置かれている。花は春を先取りして、すでに咲いているものとしてここに置かれているようだ。その皿を見ると、宋代の月白釉を思わせる。花瓶は搔き落しの壺のようなイメージ。作者は古美術に対する親和力あるいは造詣が深いように感じられる。そんな一種触覚的な認識力。四季を感じる感性。上品な美意識。そういったものが集合しながら、この馥郁たる画面がつくられた。

 ふじいあさ「架空園(ヘブン)」。二つの人間の手がつながって、足が三本、頭はほとんど隠れている。全体でそれがハート形になる。下方に割れた卵や落花生のようなフォルムが見える。花が卵から顔をのぞかせている。時間のなかに変化し、新しく命が生まれる。生命活動を、二人の人間の上体が重なったハート形のフォルムの間に表現する。一種実存的なフォルムであるにもかかわらず、それが日本の四季の中に取り込まれて、華やぎや肯定的なイメージを表す。

 浅羽洋子「wind」。円球の一部が画面の下辺からのぞく。背後にはストライプのフォルム。そしてそこに様々な球体と、ちょうどテープをカーヴさせたようなフォルムが浮いている。ウインド(風)という題名だが、風はイメージを活性化する風のようだ。朗々とした響きが画面から伝わってくる。

 堀桂子「遠音」。雪が積もったあいだに水が流れている。その水の先に黒い針葉樹が伸びている。そうすると、この川と思ったところは道なのだろうか。川と道が一体化するところに、なにか深いイメージがあらわれる。背景は冬枯れの雑草のような野原が続いている。じっと見ていると、たとえば左のほうの雪のあいだからごく小さな樹木のフォルムが見える。見ていると、ものの大小を変化させながらあらわれてくる心象風景であることがわかる。遠い音に、運命の流れといったイメージもそこにあるようだ。

 照山ひさ子「Domani '15-Ⅲ」。画家はイタリアのアッシジに行き、そこに住み、絵が変化してきた。この作品は、古い壁の上に樹木の根を幻視している。そして、剝落した壁に水や青い空を引き寄せた。根はアッシジの長い街の歴史を象徴するのだろう。綿毛が飛んでいるのは、儚い人間の命の寓意だろうか。しっかりとしたこの茶褐色のマチエールは、建物の歴史だろう。つまり、時間というものがここには表現されている。過去と現在とがつながっているアッシジの街。日本の戦争によって断絶した街の記憶に比べると、羨ましいところがある。いずれにしても、アッシジの街の記憶に画家の想像力は伸びていく。

7室

 大和久子「凜」。中心に円筒形の焼却炉が置かれている。強い存在感を放つ。後ろに煉瓦造りの建物があり、その後ろに巨大な煙突が三本。この焼却炉のもつ存在感は話に聞くアウシュヴィッツを思わせるところがある。そんな強いイメージが画面から発信してくる。

 佐藤多雅子「ノー・モア」。二〇一一年三月十一日、津波が東北、関東を襲った。たくさんの死傷者が出た。それに対するレクイエムの表現である。はるか向こうまで海が続いて、すこし騒いでいる。左のほうには集落らしきものが見えて、いま水の中に浸かりつつある。水平線近く、原子力発電所と思わしきフォルムが見える。手前には板が流れ、「2011・3・11 2・46」という表示が見える。淡々と海というものを描いているところがこの作品の面白さ。海のもつ量感やその肉体のようなものを捉えているところがよい。三角形のガラス板の上に黄色い林檎が置かれているのは、作者の献花の意味なのだろう。

 類圭子「森羅万象」。作者は昆虫などを擬人化して、不思議な物語をつくる。中心におなかの膨らんだ裸の妊婦が立っている。その胎児の心音を聴いているかのように、羽を生やした男性が両側にいる。下方には考えこんでいる女性。仰向けになっているユーモラスなフォルムは、イモムシのようなものの擬人化のようだ。四季折々という言葉があるが、日本の四季の中に生殖し、死滅し、また再生し、といった循環がそのまま織り込まれている。そんな四季のイメージを淡々とこのようなかたちで表現する。空には天の川があらわれ、十三日ぐらいの月が緑色に輝いているのもユニークな表現である。

 天児奎子「2015 篁」。竹のもつ性質を画面の中に面白く表現している。独特のカーヴする力があって、柔軟なその竹の形。伸びていくと、上方に葉ができて、下方は節だけが広がっていく。ざわざわと揺れているような、そんな動きのある竹林の表現である。下方に大きくしなる竹が描かれているのが、全体のユニークなアクセントになっている。

 川口智美「Life. 再生」。満開の花が白く、ピンクに、すこし透明感をもって、背後は明るい緑で、燦々とした太陽の光線を思わせる。その中にドローイングがそのままタブローとなったような、動きのある花の様子。トンボが飛んできている。受精し、種をつくり、やがて枯れ、また花が咲く。そういった時間の繰り返すイメージも、この円弧を中心としたフォルムの中には表現されているように思う。

8室

 木庭京子「生きる(3)」。蔓科のような植物で、右上方にその蔓のようなものが絡まりながら伸びていく。下方には大きな葉がいくつも見える。それに対して茎の先に白い花を鈴なりにつけた不思議な様子の植物が揺れている。上方に赤い月のようなフォルムが浮かんでいる。身悶えするような蔓や白い花の動きは、なにか深い人間の感情表現のように思われる。和歌などの生まれるときの心持ちに近いような表現だと思う。

 中敬子「語らい」。裸木を背景にして三人の女性が立っている。黒いワンピースを着ている。話し合っている。同じ黒でも、両側は青みがかって、中心は褐色。向かって右手の女性は掌に小鳥をとまらせている。下方に三羽と二羽の小鳥が会話をしている。小鳥が会話をしているように、通常の言葉で説明できない世界の中で起きているコミュニケーションを表現したように感じられる。詩人タイプの作者なのだろう。地面から生える小さな植物も、よく見ていると不思議な線条のフォルムで、それもなにか心に響いてくるものがある。

9室

 小村井文江「浮線稜(ふせんりょう)」。三つの波紋がお互いに響き合っている。中心は緑で、上方はオレンジ色、下方は紫。それぞれの波紋が呼応しながら、不思議な音楽を表現するようだ。

 渡辺記世「風想空華」。上方に円弧が四つある。いちばん大きな円弧には木の枝の一部のようなものがいくつかコラージュされている。草原の中で風が渡っていく様子を聴きながらインスパイアされたようなイメージである。そのそばに中心がすこしずれた円弧が二つあり、お互いが呼応している。それは緑である。もう一つ、この大きな円弧と同色のピンクの小さな円弧がその緑の円弧の下方にある。下方から破墨のような雰囲気で樹木の幹のフォルムが見える。自然に全身をさらしながら自然のリズムや歌、動きを受け止めて、体全身でそのヴィジョンを表現する。そこに起きる強いムーヴマンが魅力である。

 岩瀬ゆき「Melting」。立体作品。大きなハート形のフォルム。中心もハート形にくり抜かれている。そのフォルムが溶けて、その溶けたものが液状化して下方にたまっている。もともとは上方にあったようなオレンジ色に近い色彩で、そこに黄金色の玉がはめられていた。溶けた部分はグレーになり、それは球も同様である。お互いの愛もメルトダウンして溶けてしまったといったことになるのだろうか。あるいは、メルトダウンという言葉が流行したように、原発の事故もまた連想させる。いずれにしても、かつて盛んであったものが時間のなかに変じてしまう様子を、面白く寓意するように表現する。あっけらかんとした明るい作者のスタンス。

 片山紘子「生」。強烈な赤い色彩が中心にあるが、点描ふうな表現で不思議な落ち着いた調子も見せる。その円筒形の形の表面が破れ、中から大小の球が飛び出ている。緑色であるが、筋子のようなイメージ。そばに長い風船のような、あるいはイソギンチャクの触手のようなフォルムが上方に斜めに向かっている。海の中のものをイメージしながら、作者は生のイメージを語りかけてくる。また、内側から発光してくるような光がときめきのようなイメージをつくる。

10室

 伊藤よし子「もう一つの世界」。オートバイのキャブレターの内部、あるいはもっと違ったメカニックなものの一部などが空中に浮遊している。存在するものを要素に解体して、画面の中に散らし、絵画ならではの空間をつくる。その中ではメカも人間も同一の存在となる。そして、不思議な生気を帯びる。画面全体に電流が通っているような、独特のセンシティヴな空間の力に注目した。

 本間夕子「ヴラド邸の庭先で遊ぶ猫達」。ヴラド邸はルーマニアのシギショアラ歴史地区にある有名な場所で、この街全体が世界遺産に指定されているそうだ。ヴラド邸の主人はドラキュラのモデルだそうだ。まさにそのような男性が、この門を開いた道の中ほどに立っている。手前にはたくさんの猫が思い思いの姿。笑ったり、あくびをしたり、寝そべっていたり。猫のもつ、深い人間の無意識を表すかのようなしぐさがクリアに描かれている。ある物語の序章とも言ってよいような雰囲気。

 松山美生「定点の死角」大村文子賞・新会員。西洋美術館の入口のあたりが描かれている。複雑なガラスによってつくられた面や柱。外の光景を画面に引き寄せている。光源が実際にあるのか、あるいは映っているのか、一人か二人の人が中心にいる。作者のつくりだした万華鏡的な世界。

 吉留和子「はるかな旅『深海』」。鐘楼のある建物だから、小さな教会のようなフォルム。そばには石でできた水道橋のようなフォルム。満月がこの光景を照らしているが、この光景全体が水の中に存在するように描かれている。エイやシーラカンスなどが泳いでいる。同時に、地上にあるはずの白馬と青年も教会のそばに佇んで上方を見ている。大きなクラゲが浮いているし、オレンジ色の魚、赤い珊瑚のようなものも見える。画家のお気に入りのものをここに集め、地上と海中の区別を外し、空のものも手前に引き寄せながら、ファンタジー的な空間をつくりだした。登場人物のかたちやディテールが生き生きとしているところが魅力。

 岡村えみ子「活水」。ギリシャふうな壺に水が流れてきている。後ろのレリーフのようにも見える褐色のフォルムを見ると、古代からある、たとえば井戸のような場所に現代の水道を置いたような雰囲気。中世を思わせるような手触りのあるところに蛇口があり、そこから水が流れ、古代の壺を思わせるようなものの中に水が入っている。水は古代から現代までつながっている歴史のようなイメージだろうか。あるいは画家の内部に流れるイマジネーションの伏流水のようなものをわかりやすく表現したのだろうか。

11室

 加藤あ貴「かなた」。船に乗った若い母親と妹と兄。母親は花を散らしている。水にはたくさんの蓮が群生し、大きな葉と蕾がすこし開きかげんの花。三人があの世に向かいつつあるようなイメージ。あるいは、死の世界から見たこの家族の姿。いわば境界領域にあるところから世界を捉えようとする作者のスタンスがユニークだし、三人の人物のフォルムが生き生きとして、そのフォルム自体の魅力に鑑賞者は引き寄せられる。

 丸川幸子「one day Ⅱ(シンフォニー)」。オーケストラと指揮者。指揮者が楽団員の六倍ほどの大きさで描かれ、指揮者の前にいる楽団員がいちばん小さく、後方(絵の中では近景)に行くに従って、だんだんと大きくなっていく。それ自体が交響楽の構成の一つを思わせるところがある。赤い絨毯の敷かれたこの舞台の向こうにたくさんの観客がいる。観客を背景にしてオーケストラの構成を赤い色面の上にユニークに置いたコンポジションが、面白い。

12室

 加藤浩恵「言葉無き者 Ⅰ」。耳をピンと立て、尾を上方に回転させた、毅然とした犬の様子が描かれている。作者とこの犬との関係はずいぶん近いのだろう。そこに斜光線が差しこんで、長い影をつくっている。イチョウの葉が落ちている。晩秋の光景と思われる。体温までも感じさせられるような表現に注目した。

 辰巳ミレイ「家路 Ⅱ」。とんがった屋根のほぼ立方体のような建物。その向こうにも同じような建物があり、そのあいだをポケットに手を突っ込んだ青年が歩いていく。道はすこし濡れている。曇り空。いかにも現実感があるように強いマチエールで表現されているが、ファンタジーとリアルとの中間領域にある心象風景が面白い。

 甲斐めぐみ「Primavera」。題名は春という意味だが、金箔を背景にして巨大な樹木の葉が密集しているような円形のフォルムがつくられている。ところが,そこに紫の花や白い花、赤い花、ピンクの花などが行列をつくるように置かれて、いわば花の曼陀羅といったコンポジションになっている。それが明るく朗々とした雰囲気で語りかけてくる。連続するという要素を巧みに使ったユニークな表現。

13室

 鴫原友香「春風に誘われて Ⅱ」。全体は水墨と言ってよい。墨によって、このお弁当箱や中の具が描かれている。そこに様々な靴が浮遊しているわけだが、その靴のフォルムも墨による輪郭線に彩色である。そして、全体が夜の空間に浮かび上がり、桜が散っている。一つひとつのフォルムがクリアで、不思議なファンタジーをつくる。

14室

 土屋亜輝子「旅の記憶 その2」。ドンゴロスや段ボールなどをコラージュして、その上から絵具を置いて、強いマチエールをつくる。中心にゆったりとした階段があって、その向こうに宮殿の塔のようなフォルムが見える。いちばん下方には手摺りがある。明暗のコントラストが強く、強い幻想感ともエキゾティズムともいうべき世界を表現する。

16室

 角洋子「カスバ Ⅱ」。カスバというと、ある年齢の日本人はその言葉自体になにかロマンを感じるだろう。カスバの街が画面の中心に描かれている。道が狭く建物の密集した特異な街の全体が、すこし遠くから捉えられている。上方の山や下方の高い場所が描かれているところを見ると、このカスバの街は低地にあるのだろう。ピンクや褐色、グレーなどの色彩が、深い感情を漂わせる。

 後藤静子「光さす」。地平線の向こうから巨大な煙が渦を巻いて立ち上がっている。左のほうは、斜光線の光を受けてオレンジ色に輝いている。上方は雲が赤く、竜巻のようなイメージが静かに語りかけてくる。イメージを造形化する力が優れている。

 南雲まき「うつろい」。着物を着た女性がシーツの上に座っている。両手に赤い花を持っている。紫の花びらがシーツに散っている。そんな様子を淡々と描いているのだが、フォルムが強く、強い存在感が感じられる。シーツの上に花を持って一人遊びをし、一人占いをしているような女性のイメージが面白く表現されている。

 小川敦子「ヴィーナスの夢」。うつ伏せになったヴィーナスの姿。顔は右のほうにひねっている。大理石でできていると思われるそんな白い像が、散乱する果実の中に置かれている。絵のない額縁があいだからのぞき、いちばん近景には羊の上半身が見える。扉の開かれた向こうには雑木が立っている。イタリアふうの建物が上方にある。画家のイタリアやギリシャ、あるいは南仏などを旅行したときの記憶が、ヴィーナスというキーワードを置くことによって集まってきた雰囲気である。いずれにしても、ボリューム感があり形が力強い。

17室

 長井キコ「消えゆくコリアンの霊」。伎楽面を画面いっぱいに拡大して、そのかなつぼまなこや大きく開いた口などが強いイメージを発信してくる。法隆寺の伎楽面は東京国立博物館で見ることができる。奈良時代の伎楽面のような面が強い波動を発信する。

18室

 石﨑道子「流星の使者 Ⅱ」。作者は日本の古墳時代や弥生時代などのイメージを画面に引き寄せ、そのロマンを画面にうたう。今回は木製の船の舳先に鶏の姿が彫られている。水がゆらゆらと揺れている。そんな様子をバックに長い髪の女性がいて、右手に小さな玉を持っている。後ろには三人ほどの男女が寄り添って、なにか悲しんでいる様子。後ろの崖のある岬やもっこりとした丘のような山。じっと見ていると、四年前の津波で亡くなった人に対する、作者らしいレクイエムの表現のように思われる。柔らかなグレーにすこし色が入ったようなトーンの中にクリアなフォルムを連結しながら、音楽的なメロディアスな空間をつくる。

 樺島貞「あの日」。ショートパンツをはいたティーンエージャーが座っている。その強い思春期のもつエネルギーを画面の中に引き寄せるコンポジション。

 相原悦子「風のことづて Ⅰ」。小さな池の縁に若い母親が腰をかけて乳児を抱えている。池にパイプから水が流れている。後ろに不思議な若い女性が座って、こちらを眺めている。女性の姿をした蝶のような妖精的なイメージ。柔らかな緑の繊細なトーンの変化。ベージュの空に対して、水の明るい青や、緑の影の揺れる様子。繊細で、不思議な、いわば世界の隙間からあらわれてきたイメージが、この母子を包み込むコンポジションになっているところが面白い。水が流れてくる様子も、深い命を表現する。

19室

 村上富子「豊穣の慶び」。両手のひらに籾が盛られている様子をピックアップして、モニュマンのように表現する。指や籾のそれぞれの形が強く立ち上がってくる。

20室

 野村紀子「となりの果実」。葡萄やカットされたキウイ、苺、バナナ、パイナップルがヨーグルトのような液体の中に浸って、その中にいくつものスプーンや泡立て器などが置かれている。ヨーグルトと述べたが、シャーベット化したような雰囲気もある。散乱する独特の構図の中にフォルムが強く立ち上がってきて、お互いが響き合っているところが面白い。

 酒井佳津子「The day after tomorrow Ⅲ」。淡い透明な水彩絵具でオレンジや黄色、紫などの中に表現されている。水の中に鯉が泳いでいる。透明水彩の特性を生かしながら不思議なファンタジーの空間をつくる。

 高木宏美「急げ!」。急がないと間に合わない。必死で電車を追う。そういった心象が、その周りに大きな時計を引き寄せ、文字盤を歪めるといったコンポジションをつくりだした。心象によってつくられる構図が面白い。

 北村あや子「陽」。地震でも来て建物が崩壊し、つくっていた要素の石が散乱する中に女性が座っているといったイメージ。後ろに二つの階段と昼の薄い二日ばかりの月が浮かんでいるのが、再生のイメージを伝える。フォルムが強く、それぞれ量感がある。あえてコンフューズする空間をつくり、そこからフォルムを集め、立ち上げ、統合していくような作者の姿勢に共感をもつ。

21室

 餌取紀恵「叢(そう)」奨励賞・新会員。葉を落とした大きな樹木がその枝を広げている。水墨的な表現。後ろの地面や樹木も無彩色。であるにもかかわらず、枝の先にたらしこんだような赤や青い絵具が置かれている。無彩色の中のその色彩が鮮やかで、寂しい野原にポッと灯がともったような不思議な魅力があらわれる。

 松本裕子「森の鼓動[Ⅰ]」。鬱蒼と茂る樹木の形がアルカイックで面白い。形がそのまま生き物のようなイメージを引き寄せる。向こうから水が落下して、小さな滝のような様子をつくる。倒れた苔むした幹の上に鳥がとまっている。三羽の鳥のシャープな嘴をしたフォルムと流れる水と木立との三者が相まって、森の神秘的なイメージを表現する。

 福井博子「伽羅沙」。若い女性の面をかぶったシテの様子なのだが、首に十字架をかけている。下方には湖や小さな山、あるいはお寺のようなイメージがあらわれている。内容については述べられないが、形が強く、構成が面白い。

22室

 政木久美子「坂のある街」。塗りこまれて絵具が重なって、その層が石を積んだ壁のマチエールになっている。石畳の道が、一つは上方に、右のほうはそのまま水平よりすこし下がり気味。中心に建物があって、下方にお皿などを外に出した土産物のような店がある。セルリアンブルーの青い空。歴史のある街なのだろう。中世ふうな建物がそこに描かれる。下方のお土産店のような店の上方にマリアのような彫刻が龕の中に入れられ、左の道の途中に黒い人影が見える。不思議な魅力が感じられる。

 斎藤由比「花と受胎告知─百合」。先だって、この作者の花を描いた作品についてそのよさを述べたことがある。この作品は寓意的な要素が強く、中心に大きな花瓶に差された白い百合の花。受胎告知の絵柄を二つに割って、左に大天使、右に告知されるマリア像。ダ・ヴィンチの受胎告知の像を借りて、いわば画家の勉強してきた結果を本歌取りのような雰囲気で画面に構成したところがユニークである。いずれにしても、この画家の一種過剰なほどのイメージの力が表現されていて、面白い。

23室

 毛利睦子「白昼夢」。青や緑を中心としたパステルカラーが心地よい。お盆の中にお皿があって、そこに色とりどりの小さなお菓子があるような雰囲気。あるいは、雨の日に傘を差して歩いていく。上方には街のようなイメージも見える。昼下がりのアンニュイの中に夢見るような空間が引き寄せられた。

第94回朱葉会展

(6月29日〜7月5日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 山口都「光の聖堂」。中心にドームをもつ十字型の聖堂を上から見おろしている。そこに光が降り注ぎ、一種のアラベスクふうな力があらわれる。明るい色彩の中に聖なる光を引き寄せる。光を集めることによってつくられたカテドラルのような魅力を表現する。

 原木光子「悠」。白い大きな建物。ドーム形の青い屋根の教会。赤い花。花瓶に盛られた植物。それらを一つの画面に統合しながら力強い生命感を表す。

 坂田都「淀」。ベージュに黒や茶の色彩を入れて、風景を表現する。ダイナミックな半具象のコンポジション。

 村山和子「刻」。カルデラ湖のような湖が中心にあって、斜光線で山がオレンジ色に染まっている。雄大な風景で、同じような色彩で空の雲に連続していく。

 佐藤浩代「祈り」文部科学大臣賞。ゴシックふうな教会を下から見上げる角度から描いて、その天に向かうドラマティックな動きを画面の中によく表現する。

 阿藤和子「herself」。地塗りをしない麻のキャンバス地の色彩をうまく使って、そこに黒と白によってデフォルメした相似形の二人の女性を描く。そばにそのダブルイメージを連続させる。新鮮なコンポジション。

2室

 武沢伸子「白瓶」。ボックスの上に白い瓶と褐色の瓶、そして赤い果実を置いた箱。後ろの煉瓦を積んだような塀。下方の矩形の色彩の中にエメラルドグリーン。静物がそのまま画家の美意識によって毅然としたコンポジションに変化する。塀の向こうのオレンジ色の空を見ると、なにかノスタルジックな雰囲気も漂う。

 杉本登暉子「初春の運河」。運河をせき止める、いわゆる閘門が近景にある。その周りの地面の様子。手前の水と向こうの水とには段差がある。向こうのゆるやかにカーヴした水の様子と、その周りのすこし新芽の現れてきた頃の樹木の様子。穏やかな中になにか懐かしい不思議な気配が漂う。

3室

 原口美代子「雪椿」。一メートルぐらい地面に雪が積もっている。そんな中に椿が赤い花を咲かせている。ふかぶかとした雪の純粋な感じのする色彩と赤とが響き合って、現実がひとつの詩の世界に変ずる。

4室

 長谷地美津子「夕やけこやけ」。近景に野の百合の花がたくさん咲いている。大きな黄色い蝶が飛んでいる。向こうにはヨーロッパの建物が見える。海岸に波が寄せている。ぽっかりと空いた空き地に、手をつないだ男の子と女の子と一匹の犬。その子供が入ることによって、一挙に画面全体がイメージの世界に変ずる。

5室

 矢代ちとせ「想」。トウモロコシが上方に伸びている。かなりドライフラワー化した皮が垂れている。下方の木の上には、やはりすこしドライフラワー化した大きな褐色や白い花。また、そんな花がトウモロコシの下方に吊るされている。白い背景にそんな花々が不思議な輝きを放つ。なまな花ではなく、といって完全なドライフラワーにもなっていない中間の花が、余情のなかに表現される。

8室

 小林康子「一炊の夢」会員推薦。「一炊の夢」は「邯鄲の枕」と一緒で、一瞬にすべての人生を見たという中国の故事による。この作品は、緑が複雑で、奥行のある植物の世界を表現する。その植物の中に花が咲いたり、小鳥のようなものがいたり、家があるようだ。植物の世界の中に不思議な命をもった様々なものが存在するように描かれている。一本の幹の中にもそんなものが入れられている。そんな世界がいくつもいくつもあらわれて、全体で一つのワールドになっている。

 藤原順子「“想”2015」。椅子に座って、すこし斜めに下方を見ている女性。そんなフォルムをディテールを追求しながら描く。背後の心象的な風景と相まって、なにか深い感情を表す。

 名嘉真麻希「尊い景色」。金を十全に使っている。畦道が緑で、黄金色の地面は稲を刈り取ったあとのようだ。収穫したあとの田圃の様子を広がりの中に表現する。

 宮本紀子「大聖堂のある街」。すこし青みがかったグレーの大聖堂。そばに民家があるが、それらは青や緑の色面によって背景と一体化するように描かれる。白い雲が浮かんでいる。大聖堂が浮き立つように描かれる。独特の色彩家だと思う。

 當眞朱美「SUNSET」。海に沈む太陽。そこからオレンジ色の光が放射する。手前の海のグラデーション。そんな中に浮きのようなものがいくつもあるのは、何か指示するために置かれているのだろう。小屋のようなものも見える。空と海の複雑な青のニュアンスとオレンジ色の光によって、まばゆいような神秘的な波動が表現される。

 神田裕子「枇杷」会員賞。水彩作品。枇杷の大きな葉と鈴なりになった黄色の枇杷。それによって華やかな命の輝きが表現される。

 小山静江「fiesta」。フラメンコを踊る三人の女性。衣裳はブルー、ピンク、オレンジ。背後は色面的な構成。フォルムが強い。輪郭線によってこの三人の女性のフォルムがつくられて、そこには一種アールヌーヴォーふうな独特の洗練された美意識も感じられる。中心の女性の足を踏み鳴らすときのかたちなども、よく描かれていると思う。

 丹澤ミノリ「メリーゴーランド(2015)」。メリーゴーラウンドの白い馬。そこに母と子が乗っている。右のほうには子供が一人で乗っていて、かわいい。上方に黄色い色彩が置かれているのは、大きな向日葵である。自由にイメージをここに集めて、子供と母親を讃歌するように色彩を使う。輝くような色彩である。

第62回全日肖展

(6月29日〜7月5日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 山田潔「めでたい日に」。サテンのような黒い上衣にグレーのロングスカート、胸に黄色い花を差した中年の女性が椅子に座っている。膝の上で両手を組んでいる。顔を右にひねって、右のほうを見ている。そういった静かな中に動きのある独特のポーズの女性のもつ生命感、生きている雰囲気をよく表現する。単なる肖像を超えて、人間というものの存在を表現しているところがよい。

 山田恵美里「Rain of colors」努力賞。妹が金魚が入っているような容器を姉に見せている。不思議なことに、姉は傘をさして、それを眺めている。室内であるにもかかわらず、不思議な姉妹の様子。傘は二人を守る存在の寓意だろうか。そんな心理学的な二人の女性像が面白い。

 東強「ヒマラヤシリーズ 巡礼者」。旗を持つ男の姿を活写する。頭を布でくるんで、長い黒い顎ひげをもった男。重い旗を持った、その力強いしぐさ。深い奥行と色彩。

4室

 工藤孝城「少女」銀賞。本のようなものを持った少女が椅子に座っている。黒褐色の衣裳とほぼ同色のバック。そこにあどけない少女の顔が浮かび上がる。優れたデッサン力である。いわゆる肖像という範疇ではなく、一人の少女のもつ魅力をよく表現する。クラシックな色調の中に少女の生命感が浮かび上がる。

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