美術の窓

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公募展便り(2015年5月号)

「美術の窓」2015年5月号

第49回東方展

(1月29日〜2月6日/大田区民プラザ)

文/編集部

 大塚達夫「待つ」。写実的に描かれた二人の女性だが、同じ女性の二態が重ねて描かれているのだろう。青とグレーを基調とした空間に、ドアの先で、背を壁にもたせながら、あるいは、椅子に座って頰杖をつきながら、何かを待つ女性の風情が淡々と描かれる。顔や指先の表情が面白い。ドアの先の空間にはやわらかな光がさしていて、不思議な時間性を感じさせる。

 高頭信子「赤の幻想」。ダイナミックな赤の色彩による構成。夕焼けに赤く染まった空に、鳳凰のシルエットが浮かぶ。生き生きとした筆致で描かれたそれは、水面に反響するように、影を映す。中心には島が浮かぶ。幻想的な夕景色である。水は様々な色彩を含み、水面でありながら、鏡でもあるような、あるいは異境との境界であるような、幻想的なイメージをもたらす。作者によると、江の島に行った時の印象がもとにあるという。ノスタルジックであるとともに、古来より聖地として崇められてきたこの島の聖なるイメージも引き寄せる。

 時田尚武「瑞田に集う Ⅱ(朱鷺放鳥)」。麗らかな緑の色彩の中に、田を訪れるトキたちが描かれる。豊かな場所を見つけ、舞い、仲間たちを呼ぶような様子である。まさに朱鷺色というか、顔と脚、風切羽や尾羽など羽毛の一部にやわらかな赤をはらんだ色彩、くちばしのカーヴといった細やかな描写が、強い生命感をよびおこす。

 大塚扶佐子「暮れ馴染むニコライ堂」。全体をおおう、沙漠を連想させるような明るいベージュ系の色彩が目をひく。画面の中央に描かれるニコライ堂。流麗なカーブを描く尖塔。空に昇った円い陽が尖塔のてっぺんに被さり、印象的な時間性を醸し出す。フォルムや色彩の力強い描写に注目した。

 山下サキ枝「麗日」。白木蓮だろうか。画面一杯に描かれた木が静かな賑わいを見せている。艶っぽい白い花は咲き開こうとしていて、小鳥がたくさん留まっている。春の訪れを喚起させる景色である。瑞々しい色彩による、明るいイメージに目を魅かれた。

 伊藤やす子「閑日」。ヨーロッパ風の石造りの建物。手前に柵があって、そこから見た景色。からりとした午後の陽光が降り注ぎ、昼休みのような、静かな一刻を思わせる。画面左下に、可愛らしいネコが、後ろを振り返っている。堅牢なフォルムのなかに、やわらかな時間性が描き出される。

第59回新槐樹社展

(2月4日〜2月16日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 照山ひさ子「Domani'15-Ⅱ」委員推挙。イタリアのシエナに画家の親戚がいるそうで、そこにしばしば行って画題を得ている。シエナは中世から続く町である。信仰が生きてきた生活。そんな精神が一つの壁にもしみ通っているのだろう。壁を描きながら、中世の時代の人々の思いや信仰を画面の中に引き寄せようとしているかのようだ。しっかりと壁のマチエール。黄土やテラローサ、あるいは朱色といった、暖色系の中でも微妙に変化する色彩を入れて、それがまた繊細なハーモニーをつくり、懐かしい。鉄の輪が左上方にぶら下がっているのは、構成要素として面白い。文字も入れられている。そして、綿毛が飛んでいる。まるで一人一人の人間の生命のメタファーのように。

 三家明子「2015今・何かが…。A」。地面や壁のもつ触覚的な要素を心のメタファーとして表現する。何かがそのスクリーンに生まれつつあるような、そんなイメージを面白く表現する。

 高﨑三知子「花は咲く Ⅱ」堀田賞・準委員推挙。たくさんの人間たちが彫刻的なフォルムによって横に並んでいる。手前に赤い花が咲いている。人の生死の儚さは四年前の津波の時にわれわれは思い知ったのだが、そういった深いイメージが画面から感じられる。

 村越正己「瞬光 Ⅰ」。明暗の激しいコントラスト。それにしっかりとした厚いマチエールが加わって、独特の輝きを見せる。光というもののもつ神秘的な性質、その魅力を画面の中に引き寄せようとする。具象的な要素を残しながら、かなり抽象のほうに軸足を置いた作品として心に残る。

 菅博子「卓上静物 Ⅰ」文部科学大臣賞・委員推挙。ブルーを面白く魅力的に構成している。上方の黒い花瓶に白い花。下方の瓶や果物などを大きく配置して、独特の心象空間をつくる。

 芝原裕子「休日の女たち」。床に腰を下ろした女性が背中を見せて座っている。その向こうには膝に肱を置いて俯きかげんの女性のフォルムが線描きであらわれる。そばにトランプや猫。手前にも横座りの女性の姿が見える。そんな三人の室内の女性たちを、絵画というスクリーンの中に面白く表現する。また、赤やブルー、緑などの色彩をうまく散らして、独特の甘美な世界をつくる。

 植田芙美子「南国に遊ぶ Ⅰ」東京都知事賞。南の強い光や色彩を画面の中に引き寄せている。コクのある輝き。ブルーや緑、オレンジ、黄色、朱が輝く。

 上條淳子「懐かしい音」委員推挙。上方に女性の座っている姿があらわれる。体はすこし正面向きだが、顔は横向きで、エレガントな女性のフォルムである。背景は黒で、下方には同じ黒の中にウルトラマリン系の色彩も入れられている。ノクターンといった趣。「懐かしい音」という題名を懐かしい旋律という言葉に翻案すると、この作品のもつ魅力がより理解できるだろう。モノトーンをうまく使いながら、そこに少量の色彩を花束のように入れて、ロマンティックである。

2室

 香島ひで子「風奏歌・古都」。イタリアのカンポ広場などのイメージを思い起こす。黄土やベージュ、山吹色、青などの色彩を塗りこめながら、深い味わいがあらわれている。心の中の街のイメージを、一種音楽的に触覚的に表現する。

 山田倭文子「月影の街」。キューブな建物が集められて、ファンタジックな街のイメージがあらわれる。それを青い空間が包んでいる。黄昏のようだ。その空間の中からその青色を身にまとって女神のような女性があらわれている。上方には空中を飛翔するミューズもいて、彼女は白い翼をもっている。二十七日ぐらいの繊月が下方に下りてきている。全体に静かな風が吹いているようだが、それはいわば詩情を風のように表現していると言ってよいかもしれない。落ち着いたブルーの中に人間の顔や建物や月が浮かび上がるような表現となっているのも、絵画としての魔術である。

 辻岡弘之「Work15」。グレーの微妙なニュアンス。黒いシャドーにグレーの壁や風景を思わせるようなかたち。心というものが動いていく様子を表現する。人間というもののもつ陰影ともいうべきものが空間化された面白さと言ってよい。

 戸田寛一郎「春近し」。手前に雑木林がある。その向こうは畑や田圃があるようだ。そして遠景には、また雑木が立ち並んでいる。すこし斜面になっている。あいだに水のようなイメージもあらわれる。それを褐色から黄土、あるいは黄色、緑などの複雑なニュアンスによって表現する。もう一点の「水温む」はもうすこし構成的で、中景の左に高い雑木があって、褐色系の葉が茂っている。そして、右側には斜面になった畑があり、その向こうにオレンジ色に、あるいは褐色に紅葉した樹木が見える。手前の暗い陰影のある部分は光の翳っているような雰囲気。画家は千葉の東金あたりに住んでいるそうだが、日本の秋の風景の中に深く入り、その風景が時間のなかに動いていく様子を画面にうたいあげる。

 大槻博路「'15 棚田シリーズより あれから…!!」。グレーの塗りこまれた絵具のあいだからブルーコンポーゼやコバルトブルー、あるいはバーントシェンナー、カドミウムレッド、コバルトバイオレットなどの色彩が浮かび上がる。それは代搔きという、田圃に稲を植える前の土を攪拌するときのイメージと筆者には重なる。あるいは、画家自身が農業もしているから、もっと身近な土のもつ触覚、その存在というべきものを画面に表現したと言えるのだろうか。生きている土のもつ無限のニュアンス。種を蒔けばそこから植物や穀物が実る。そういったイメージがしぜんと感じられる。そして、画家は山間部に棚田をもっているそうだが、日が陰り、日が昇り、そこにある複雑な棚田のもつ畦道のようなラインさえもこの画面に幻視することができるようだ。上方は空になって、下方に棚田の集積がうずくまっているような不思議なニュアンスもある。と同時に、この不思議なグレーの中には実に様々な色彩、ちょうど十二色環をすべて混ぜると白色光線になるように、様々な色彩の要素が入っていて、それが独特の光を発するようなかたちで画面に表現されているところが面白いし、魅力である。

 堀川素弘「鎧の偶語 Ⅱ」。右のほうには鎧兜をつけたように立てられていて、中に人間がいるかのようだ。左のほうには人はおらず、兜鎧が置かれている様子が、しかし人間臭く表現されている。古代の戦国時代の人々のイメージが画面の画家の中に下りてきたかのようなヴィヴィッドな印象が感じられる。とくにもう一点の作品では、合戦中の武者たちのフォルムもあらわれて、実に不思議な独特の魅力を表現する。

 日高昭二「コルシカ港彩」。港とヨットと汽船、建物が渾然と一体化する中に半月が浮かんでいる。旅の思い出を胸中山水のように表現する。

 森本邦雄「『追憶』作品15の2」。実に深い空間。心の内部に深く入ることによって、このような不思議な動き、あるいは空間が生まれたのだろう。色彩は暗く、深々とした奥行の中にあらわれている。その中にウルトラマリン系の青がところどころ入れられて、それが動いていくようだ。花火のように朱色のフォルムが上方に発射され、右のほうには横にぐっと引いたような赤が入れられ、ぐっと動いたまま止まった様子。その上方にすこし青みがかったグレーに囲まれた不定形の三角形に見える朱が置かれている。スペインのクラーベなどのもつ内界の空間と共通したものを感じる。クラーベの作品を見ると、強い動きがつくられていて、それはなにか具体的なものを表現するわけではなく、動きそのものが、つまり絵画のマテリアルなもの、材料自体がそのままある生命をはらんで動こうとしているかのようなのだが、同じような雰囲気で、具体的なものが動いているというより、絵具のもつ力が生命に変容して画面の中で動いているといった、そんな強さ、深さが感じられる。また、黒の中のウルトラマリンは内界にある空のようなイメージ。ちょうどクレーが内界の世界を冒険したと同じように、現実とは異なったもう一つの空のような奥行。その不思議な性質が画面の中にあらわれる。あるいは窓のような、という表現も可能かもしれない。そういった中に朱色が上方に動いていったり、右方向に動いていったり、あるいは壊れていたりする。朱色は命や魂というものの象徴。命の花火が繰り返しこの内界で上がっている。イノセントな力。あるいは、太陽のような万物のもとになる根源的なエネルギーを、外界ではなく内界につくりだしたかのような趣。じっと見ていると、黒が漆のような輝きを見せる。しかも、それがフラットなものではなく、塗り重ねることによって深い奥行があらわれ、その奥行の中にまた階層のようなものがあらわれ、面もあらわれてくるといった有り様。青がまるで稲光のように画面の中にあらわれ、その強い詩情をはらんだ青がまたもう一つの別の空間を暗示する。命というもののもつ純度に迫ることによって現象的な要素が消えて、命そのものの不思議な働き、その動きともいうべきもの。しかも命は物質のように測ることはなく、物理学的に存在するわけではない、そのようなものに、命そのものに迫ろうとするところから、このような抽象的な強い空間が生まれたように思われる。いずれにしても、画面の隅から隅まで深く緊張感をもって絵具が置かれていることにも感心した。

3室

 佐藤義文「鳥のはなし」。自然の中に深く入っている。二人の人間。一人は座り、一人は立っている。ピクニックのように広げた布に果実や花、塵取りのようなものが見える。鳥が座っている女性の手の上にとまっている。上方に幾羽も鳥が飛んでいる。鳥と自然と人間。下方の立っている人間のそばにもっと小さな人間がいる。鳥も人間も一種妖精のように自然と溶解しながら、独特の柔らかな色彩の中に表現される。

 斉藤武夫「『絆―行く人、来る人』Ⅱ」。赤と白のキュービックな二人の人間。こちらを眺めている。その両外側に背中向きの二人の人物。去る人。来る人。そんな寓意性を独特のコンポジションの中に表現する。

 河本渥子「再生」。二点出品であるが、四年前の三・一一の津波で亡くなった人に対するレクイエムと再生への祈りのように思われる。津波を思わせるようなダイナミックな動きに、花を思わせるような赤や緑、黄色の色彩が入れられて、しみじみとした情感を醸し出す。

4室

 益倉初代「Passion.2015(Ⅱ)」。女性が正面向きに立っているが、足は交差させて、両手を広げて、踊っているようなポーズ。右のほうの手は前に指を広げて、左は肱を上方に持ち上げながらコの字形になった指の先がくねくねとしている。パントマイムふうな踊り、呪文的なイメージ。形が強い。胴を中心とした上体や足、あるいは卵形の顔などを見ると、一種彫刻的と言ってよいかもしれない。そこに色面的に色彩がはめこまれて、独特の色彩効果も表す。背後は建物をイメージしたようなグレーの中に線描きの入口や窓などのフォルムが入れられているが、かなり省略化されていて、ポイントはこの一人の女性に合わせている。女性のもつ生命感ともいうべきものを、独特のモニュマン性のなかに表現する。

5室

 筒井佐智子「森の小径」東京都議会議長賞。少女が楽しく画面の中で動いている。弾むような動きは、そのような心持ちのあらわれだろう。少女の手前にもう一つのシャドーのようなフィギュアのようなフォルムが、少女のかたちを真似している。全体は柔らかな緑がかった黄色の中に朱色などが入れられて、温かな雰囲気。イメージのなかにこの女性を生かして、優れた表現である。

 木下恵美子「海の幸 A」清槐賞。ヒラメや貝、カニなどを縦横に画面に散らして浮遊させている。水槽の中のフォルムを画面の矩形のフォルムに重ねたような表現で、楽しい生き生きとした動きがあらわれている。

7室

 山本美智子「晩夏」。朱色とグレーとの、大きく分けると二色のコントラストの中に、緩やかな曲線によって座っている女性のフォルムが浮かび上がる。おおらかな中に幸せな雰囲気が醸し出される。

 遠藤弓江「夕景」青樹賞。上方に町がシルエットに浮かび上がる。手前には広場と樹木があるのだろうか。夕焼けに空が染まり、広場も赤く染まっている。それが豪華な雰囲気。シルエットのフォルムの中に紫やベージュなどの色彩も入れられて、そのたらしこみふうなフォルムの中に奥行があらわれる。

 高橋信夫「月山 深山風景」準委員推挙。上方に月山が雪を抱いて重量感をもって表現されている。その雪の白と同色に近景に雲が湧いている。近景は褐色や朱色の晩秋の紅葉した景色である。その褐色系の色彩と月山の白や青との色彩のコントラストが面白い。同時に、手前の山に対して月山の崇高な神的な存在もしぜんと浮かび上がる。

9室

 小野和「ことりの森」。シルエットに樹木が立ち上がる上方に大きな鳥の巣が描かれている。それが不思議な印象で表現されている。鳥は巣立ったようで、一枚の羽が残っている。背後は淡い緑の調子で、そこに白樺のような白い樹木が浮かび上がって、どこかロマンティックで、人生といったもののイメージを感じさせる。もう一点の「とりたちの森」は風景をパノラマふうに表現したものである。夕焼けがまだ空に残っている。淡いグレーのトーンのなかになにか懐かしい親密な雰囲気が生まれている。情感豊かな表現。

10室

 菅谷功「晩秋の佃水門」。水門のそばでボートを漕ぐ人。水門の構造的な骨格のしっかりとした形。緑や黄色、グレーなどによる色面構成的な表現。優れたコンポジションである。

 川口泰子「Where-Ⅰ」。紙に水彩。グレー、ベージュ、ジョンブリヤン系の色彩の中に白いビルが浮かび上がり、それを黒い線が囲む。右に高い塔のような形が浮かび上がる。手前に上下を貫通する円筒形のフォルム。建物が下方の地面と接触したあたりの調子を見ると、生活感のなかに表現されている。ビルによるエレジーといった雰囲気が面白い。線による強いリズムを効果的に生かしている。

11室

 劉光相「霧の森」。霧の柔らかなグレーの中景から遠景にわたるトーンに対して、近景のフォルムはシルエットの中にクリアに浮かび上がる。樹木の幹や鋭角的な植物の葉が独特の魅力をつくる。背後のグレーの中に、そのダブルイメージのようなシルエットも浮かび上がる。どこか田中一村を思わせるようなフォルムである。

12室

 AlessandroYossini「Ellipsoid Unknown キャッスルオンザムーン」。未知の楕円といったシリーズである。ガラスやバネ、あるいは廃棄されたものなどを使って、独特のファンタジックな空間をつくる。建物のそばに立ち上がってくるフォルムがあり、そこは透明なアクリル板の楕円形が入れられていて、手前にはクラゲのような足をもった不思議な生き物のようなフォルムがあらわれている。廃棄物を使いながら、シュールな、まさに知られざるイメージの未知なるものの存在を生き生きと表現する。優れた感覚や造形力と言ってよい。

第47回等迦展

(2月4日〜2月16日/国立新美術館)

文/編集部

1室

 荒木勝彦「ゲーム出来ないんですけど」。円形の画面の手前にビリヤード台とそれにもたれてタバコをふかす猫が描かれている。台の形はかなり歪んでいて、どうやら猫はゲームができずにふてくされているらしい。背後には店員に扮した猫もいるが、眺めているだけである。魚眼レンズを覗いたような湾曲した構図の中の情景が、どこかシュールでありながらユーモラスな画面に惹き付けられる。

 川嶋徳治「街」。五人の男たちの群像である。彼らは小高い丘のような場所に立っていて、背後には建物、さらに遠景には霞むように街並みが見える。地面や男たちは、茶がかった黄土色の色彩で描かれている。そしてそこに右上方から陽の光があたり、繊細な影を作り出している。五人の男たちの素朴な佇まいに、静かな気配が生まれている。ゆっくりと流れる時間、その中での語らい、そういったものが特に作品の魅力になっている。アクセントとして少しずつ入れられた灰白色も効果的で印象深い。

 白井弘「花筏」。暗がりの中で月光に照らされてぼうっと浮かび上がるようにサクラの花々が咲き乱れている。明暗のグラデーションを繊細に付けられた、妖しくも美しいその姿が鑑賞者を惹き付ける。サクラの花を重ねるように描き込みながら、どこかはかなげに咲くその存在感をしっとりと表現している。濃い朱や薄い青で抑揚を付け、画面全体で揺れ動いて、普段人間に見せることのない美しさを孕みながら静かに語りかけてくるようだ。

 高島剛「運河と記憶(5)」。クリアな描写で幻想的な空間を描き出している。こちらを向いた一人の男性の背後にコンビナートのような風景が広がっている。そしてそこでは沢山のキューピー人形が遊んでいるようだ。独特の世界観が鑑賞者を強く画面へと引き寄せる。直線と曲線をうまく組み合わせた、心理的奥行きのある内的な風景として注目した。

 中台雅幸「草原の中で」。画面の向かって右手前に赤いワンピースを着た女性が立っている。その背後には緑の草原が広大に広がっている。ところどころに盛り上がるように葉の繁った樹木が立っている。中景あたりに二人の女性が小さく描かれている。空は青く、地平線の少し上には雲がいくつも浮かんでいる。清々しい風景の中に、若い女性の生命力と自然の持つ瑞々しい生命力が重なり合っているようだ。細やかに描き込みながらも、画面全体でやわらかな触感を失っていないところもまた見どころだと思う。

 蒲原勝美「冬近し」。陸に揚げられた小舟がいくつも手前に描かれている。背後は入江の情景が広がっている。右側には弧を描きながら崖が立ち上がっていて、その堅牢な描写が強く印象に残る。暗くよどんだ空に包まれた画面の中で、小舟の青や白の色彩が輝きながらも画面の中に馴染んでいるところに強い見応えを感じる。じっくりと画面と向き合って描くことで、透明感のある現場の空気を作品に引き寄せている。

 ジョージ・ジャービス「狐松明」。キツネの面を被った何人もの裸婦が松明を持ちながら林の中を駆けまわっている。炎は青白く、実に妖しい雰囲気を醸し出している。しなやかな女性の肢体が跳躍するその様子が、独特のリズムを画面に作り出しているようだ。手前から奥に円を描くように配置された人物の動きと、上下に重なる樹木の直線の動きが複雑に絡み合う構図にも見応えがある。

3室

 飯島奈保美「在りし日のセメント工場」。朱や赤、茶の色彩を繊細に置き、今は無くなった工場の姿を作品に甦らせている。ところどころに青を入れ込むことで、陽炎のように立ち上がる工場の姿が、不思議な幻想感に包まれるところがおもしろい。どこかノスタルジックな感情を引き寄せながら、細やかに描き込むことで確かな存在感、リアリティを獲得しているところにもまた注目する。

7室

 宇平康之「おしゃべり Ⅰ」。細い幹と枝の二本の樹木に、大小たくさんのフクロウがとまっている。そのフクロウのそれぞれの様子が愛らしく印象に残る。青をバックに様々に散らされた豊かな色彩に、センスの良さが感じられる。

第39回从展

(3月3日〜3月8日/東京都美術館)

文/編集部

 郡司宏「原始スープ」(部分)。何かを抽象するというより、筆のタッチそのもののような、荒々しい表現。鳥が群れて飛び交っているようにも見える。激しい動きがあり、混沌としていながらも、上澄みのような澄みやかな雰囲気。タイトルのとおり、何か生命が生まれるところを思わせる。

 亀井三千代「束縛飛行」。春画の男女の交接する場面を思わせる肉体の断片、内臓組織や、レントゲン写真のような医学的なモチーフが、大画面の中にコラージュするように構成される。切ないようなイメージもある。瑞々しい色彩と墨による、不思議なパースペクティブである。

 山本もえ美「森を歩く」。ブルーの同じ服をきて、手を取り合うように森を歩く女性。顔に貝がくっついた女性は、作家自身なのだろうか。背後には石仏のようなものも見える。不思議と親密な雰囲気で、夢の一幕が力強く描かれる。

第91回白日会展

(3月18日〜3月30日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 李暁剛「吟遊詩人(チベット)」。馬に乗った吟遊詩人。コートを羽織っているのは寒いのだろう。黄金色の空を見ると、朝日が出て、斜光線の光がこの地上を照らしているような雰囲気。馬の量感のあるフォルムがよく描かれている。そこに乗る男もそうで、強い臨場感が感じられる。すこし口をあけながら遠くを眺めているようなこの男性の様子には独特のものがあって、「吟遊詩人」というタイトルを見ながらこの男の様子を見ると、一種の門付けのように家を訪ねながら歌をうたうような職業の人なのだろうか。そういった自由人のようなイメージと、馬という激しく繊細な獣でありながら人間に身近な動物のもつ様子がこの吟遊詩人と対照されて、独特の雰囲気をつくる。いずれにしても、リアリズムによって存在の内部に迫ろうとするようなところが魅力。

 岡田高弘「終わりのない夢」。二頭のライオンが吠えていて、激しい動きを見せる。その上に乗っているかのような兵士のフォルム。背後の建物には十字架にかけられたキリストがいるし、屋根の上にも三体の兵士や聖人のようなフォルムが見える。ヨーロッパの彫刻をモチーフにして、独特のダイナミックなコンポジションをつくる。一種バロック的な力を画面の中に表現する。

 小髙悦子「いすみの自然」白日賞。川(池)の中から樹木が立ち上がっている。その樹木の屈曲した形と水に映る空の様子とが不思議な幻想感を醸し出す。実在感と幻想感とが複雑に織りなす様子がこの作品の面白さだろう。

 中島健太「BEIGE,306」。白いベッドの上のシーツの上に横座りをした若い女性。薄い緑の上衣。後ろは窓で、出窓に本や薔薇の花などが置かれている。柔らかなベージュの光線が画面に行き渡って、独特の清潔感と同時に、その光のもつ温かでありながらアンニュイな雰囲気がこの作品の性質をつくる。ソフトフォーカスの中に光がうまく捉えられているのだが、座っている女性の膝やそこに置かれた手などとシーツとの関係がクリアで、そのあたりに焦点が当たって、そこから左右四方にゆったりとしたソフトフォーカスでフォルムが流れていくといった構成も新鮮である。

 牧内則雄「見上げるチワワ」。白いアオイの花のようなものが点々と咲いている。大きな葉がそれを覆っている。そばにチワワが黄色い衣装をつけて座っている。アゲハチョウがこの花に向かって飛んできている。木の板の上に描かれている。背景の木目が独特である。空間というより、むしろ時間がそこにたゆたっているような、不思議な印象をその木目が醸し出す。

 髙梨芳実「少女立像」。胸まであるボックスに手を置いて少女が立っている。白と黒の衣装が鮮やかで、ボックスの上には白磁にグレーの花が差されているのだが、そこにオレンジ色の布が垂れている。そのオレンジ色と黒との対照が鮮やかだし、そのオレンジと黒、白によって色彩のヴァルールを計量して、それを画面の中に配置し、遠近感をつくるという、いわば造形上の冒険を試みているところが面白い。フォルムとヴァルールの実験と言ってよい。

 大友義博「あくる日」。ドアが開かれて、そこに立っている女性。逆光の全身像。白い上衣に花柄のスカート。逆光の空間に様々な色彩が入れられて、独特の華やぎをつくる。あけられた窓の向こうの樹木の緑。室内の光の扱いが面白く、光によって単なるグレーの壁が様々な色に彩られているように、人物もそうで、全体に柔らかなハーフトーンの色彩のハーモニーがつくられて、ロマンティックな雰囲気をつくりだす。

 福井欧夏「記憶の森」。椅子に紫の厚い布をかぶせて、そこに座って本を持っている女性。オレンジや緑の花柄の稠密な模様のワンピース。そばのテーブルには少女のいる器に木蓮の花が咲いている。本も洋書で、ヨーロッパの室内を連想したかたち。座っている女性は日本人。その洋風な様子と日本の女性のしっとりとした雰囲気とが不思議な調和を見せる。アーチ状の窓の光が壁にそのフォルムを捺していて、それを背景にして女性が座っているというコンポジションも面白い。光がこの女性の内面を照らしているようにも見える。

 小木曽誠「フィレンツェ」。フィレンツェの街を俯瞰している。褐色の瓦屋根にベージュの壁。ところどころ教会の鐘楼が立ち上がっている。背後の丘は緑の樹木に覆われて、そこにも建物が見える。画面に接近すると、壁をつくっている石の一つひとつまでも描いている。エッチングをするような精密さでこのパノラマを表現する。遠ざかると、それぞれのフォルムが全体であるリズムをもっていることがわかる。ミクロでは細密で、マクロでは大きなリズムやムーヴマンをつくりだす画家の手腕が素晴らしい。

 和田直樹「静かな夜」。布の置かれたテーブルに白や赤、ピンクの百合の花や蘭、琺瑯引きの器、ワイングラスなどが置かれている。林檎やオレンジなども盛られている。燭台には蠟燭が燃えている。華やかな様子。祝祭的なイメージが感じられる。クリアなフォルムを連続させながら、背景の中に溶け込ませるような手法でそれらを描きながら、独特の動きのある空間を構成する。

 木原和敏「moment」。青いワンピースをつけた女性が椅子に座っている。膝の上に置いた両手にガラスの宝石箱のようなものを持っている。そばに窓があり、白いカーテンを通して光が入ってくる。その光を受けてしっとりとした女性の肌が輝く。下方のフローリングの床。微妙な陰影の中に若い女性を息づくように表現する。その繊細なニュアンスと同時に女性のボディのもつ量感ともいうべきものをよく表現する。

 平澤篤「Musica del Vento」内閣総理大臣賞。題名は「風の音楽」という意味。フルートを吹く少女。レースのようなワンピースを着ている。面白いのは、そのフルートの端に梟がとまって、横を向いてこの女性を眺めている様子。音楽のなかからあらわれてきた幻想的なイメージ。そばの花壇にはもう一羽の梟がとまってこちらを眺めている。上方の二つの窓の向こうに見える壊れた遺跡のようなフォルム。そして、女性の後ろにはピエロ・デラ・フランチェスカのシバの女王のフォルムがかすかに描かれている。緻密なそれぞれの部分を組み合わせながら、音楽によって浮かび上がるイメージを生き生きと描く。

 下時治郎秀臣「立春の森」中沢賞。秋の季節だろうか。稲が刈られたあとの田圃。すこし上り気味の道の両側に立つ樹木。白い雲と空。平凡な日本のある風景をしっかりと描く。絵具を重ねながらトーンによって対象のもつ形を画面の上によみがえらせて、空間をつくる。

 有田巧「森へ帰ろう」。馬に乗るピノキオはアコーディオンを弾いている。もう一人のピエロは仰向けに足や手を上げて転落しそうで、実際下方の赤いテーブルの上には転落したピエロがいる。上方を見ると、トランポリンから弾んで飛び上がったようなもう一人のピエロが宙に浮かんでいる。彼らは船の上にいて、周りは水で魚などがいるのだが、その背景には樹木が立ち並んで、その樹木が一つの大きなフォルムとなって、それがその後ろのトナカイなどの生き物を支えているような不思議な空間になっている。一種童話的なファンタジーの世界をフレスコの技法によって表現する。

 広田稔「Dance Lesson」。二十人ほどの女性がレッスンで踊っている。その鍛えられたフォルムを生き生きとしたドローイングの上に表現する。ほぼ水平に両手を広げて前足を屈曲したポーズ。あるいは、その後ろでは片足で立って手を広げている踊り子たちがいて、その背景はまた違ったポーズの人々。三列のダンサーの様子を生き生きと描く。バックは黄色と青や緑で、基本的には女性のもつフォルムの連続したかたちによる動きやムーヴマンが作品の見所となっている。フォルム全体でいわば合唱するような力があらわれる。

 寺久保文宣「ECHO―部屋」。丸いテーブルの上に果物と果物ナイフ。そばのソファに片足を上げて座っている人間。反対側には頰杖をついて鑑賞者のほうを眺めている女性がいる。窓があいて空が見える。「エコー」という題名のようにこだましてくるイメージ。それは現実にいるこのモデルを描くのではなく、それを通して響いてくるもの、いわば一種抽象的な存在を画面の中に表現しようとして、このようなユニークなコンポジションをつくった。テーブルの上の三つの緑の果実と銀色に光るナイフとが優れたアクセントとして中心に置かれているところも魅力。

 熊谷有展「Lakeside」伊藤賞。湖のそばのベンチに座っているカップル。若い男性と若い女性の後ろ姿。光が独特の陰影の中に表現される。それを点描で描く。手前の岸の叢に鳩が何羽か下りてきている。湖にボートが一艘。対岸に立つ葉をつけた樹木と裸木。静かに光が差し、その静寂のなかに背中を見せるカップル。なにか温かな祈りのようなイメージも画面から感じられる。

 山本大貴「離岸の唄」。卒業式のために袴をつけて髪を結ってもらっている女性。座った女性の後ろに美容師さんがいて、いま髪をいじっている。それをカーテンのあいだから眺めている。女性の前の丸いテーブルにはメトロノーム、双眼鏡、地球儀、蓄音機などがある。手前の椅子にはマンドリンが立て掛けられている。光の扱いが優れている。光によって対象のフォルムが浮かび上がる。どこかフェルメールの光の力を現代的に引用して構成した趣が感じられる。くわえて、焦点を合わせているところ、ソフトフォーカスの部分、あるいは曖昧にぼんやりとした雰囲気などは、一種映像的な手法の援用と言ってもよい。現代の心理的世界もこの中に取り込まれているところも面白い。

 吉岡真紀子「静かに思えば」会友奨励賞・準会員推挙。椅子に座って膝に手を置いている若い女性。花柄の衣装が鮮やかなかたちで画面に浮かび上がる。床や壁のグレーのニュアンスある表現は、どこか空のイメージとも重なって不思議な幻想感を醸し出す。静かに座っている女性のフォルムの微妙な陰影をよく表現する。

 ナカジマカツ「ミチル」。樹木にびっしりと蔦が絡み成長している。それを背景にして若い女性が立っている。あいだの余白に金が使われて、そこに不思議な図像、まるであみだ籤のようなフォルムが置かれて、深い迷路のようなイメージがあらわれる。蔦のもつあやしい雰囲気。それに対してこの女性の前を向いた若々しい表情が対照される。人間のもつ過去の記憶、あるいは未来に対する不安、迷路のような心の世界を背景にして初々しい女性を立たせるといった独特の心理的表現である。それを可能にする優れた写実力、描写力に注目した。

 高根沢晋也「ジパング」。つるぎを持って崖の上に座っている男。そばの金の雲には蓮の花を持って立つ少女や槍を持って立つ少年がいる。この剣を持って座っている男の膝には虎の頭が浮かび上がり、靴は龍の頭になっている。その靴は赤い昆虫のようなものを踏んでいる。上方を見ると、こんじきの雲の向こうに富士山がのぞく。金をふんだんに装飾的に使いながら、剣と笏を持つ、日本では不動明王のイメージ。その脇士ともいうべき二人の少年少女が、洋風なイメージのなかに生き生きと表現されて楽しい。

 曽剣雄「古いカメラのあるアトリエ」。机の上に蛇腹の古いカメラが一つ置かれている。そばには絵筆やぼろ布や絵具のチューブ。そのそばに裸の女性が立っている。モデルがポーズをしている。手足が長く、乳房の大きな若い女性。呼吸のたびに胸が動いているような現在進行形のフォルムに対して、使われなくなった古いカメラが対照されて、独特の面白さを醸し出す。光の扱いも優れ、微妙な色彩のニュアンスをよく表現する。

 山本浩之「朝日影」梅田画廊賞・準会員奨励賞・会員推挙。干潟か湖か。その岸辺が描かれている。木製の桟橋と一艘の舟。曲がりくねった幹をもつ木が一つ。枯れかかった雑草。朝日の斜光線を浴びてきらきらと光る水の様子。褐色系の色彩を使いながら、その微妙なニュアンスを生き生きと描く。桟橋の様子や舟の形などがクリアで、フォルムに対してもきわめて鋭敏な感覚をもつ。人がいないけれども、物語るような文学性も感じられる。

2室

 阪東佳代「風のない子」文部科学大臣賞。逆様になっている男性。ずぶずぶと水中に沈んだときにこんなフォルムになるのだろうか。なかなかできないポーズで、顔を右に向け、そこに左手が伸びている。左足が見えず、足先だけが描かれ、影になっている。細長い画面の全体が水なのかもわからない。沈んでいくような動きと浮力とが相まって、実に不思議な世界になっている。このようなフォルムによって、いわば墜落感のようなものを表現しようとする。

 堀井聰「緋魚月に復す」。紅白の色彩のランチュウがゆったりと泳いでいる。水中に大きな満月があらわれ、波紋がブルーによって表現される。一種琳派ふうな装飾性とリアルな写実性とがリンクしたユニークな作品。二曲屛風のかたちになっているところも面白い。

 吉住裕美「陽のあたる窓辺」損保ジャパン日本興亜美術財団賞。大きな窓。窓のそばに頰杖をついて立つ女性。大きな色面の中に表現される。黄色や緑が面白く生き生きと使われている。ロマンティックな雰囲気もある。

 丸山勉「ミカヅキ」。背景がマゼンダ一色で、その赤紫色の明るい色彩が強い。その補色に近い緑の上衣を着た女性の上半身が描かれている。すこし下方を眺めている。黒い髪に白い肌。緑の上衣。花柄のスカート。背景から浮き上がるような新鮮な雰囲気。そばに一匹の白い猫。上方に二十五日ほどの繊月が一部描かれている。月と猫と女性。それぞれが心理的には深い関係がある。猫のもつしなやかな女性性、月は女性名詞、月の満ち欠けが女性の生理に深い影響があるそうだ。そんな三つのフォルムの背景の鮮やかなマゼンダの色彩。どこか錦絵を見るような鮮やかさがある。

 石垣定哉「シシリーの舟溜り」。セルリアンブルーの地中海。岸壁に三艘の大きな船に白い二艘の小さな船。緑の草が萌え、ピンクの花が咲く。高い明度と彩度による色彩のハーモニーが心地好い。

 阿方稔「王と王妃」。厚いマチエールは陶器の肌のよう。二つの矩形のフォルムがあって、その中に男性ふうなトルソと女性ふうなトルソが対置される。壁に刻み込むような呪術的な表現であるが、マットな肌触りで、感覚になじんでくる。焼物のように身近な雰囲気もある。独特の詩情を醸し出す。

 井阪仁「春映(斎王桜)」。枝垂れ桜が咲き誇っている。まるで滝が流れているような動きのなかに、ピンク色の濃い色彩が鮮やかである。金地を背景として写実的に表現しながら、深い装飾感覚もそこに生かされる。

 西谷之男「茶畑と夏の空」。茶畑が斜面につくられている。その濃い緑色と雑木林の緑とが対照され、夏の光線がそこに差し込む。空に入道雲が出ている。激しい光線に対してしっとりとした緑の色彩が独特の輝きを見せる。手前のほうには稲が実っているようで、その黄緑色の色彩が上方の濃い緑色とも対照されて、日本の夏の日の風景が描かれる。オレンジ色の壁をもつ瓦屋根の建物がモダンなアクセントになっている。

 鈴木真治「放心」。ソファにシーツを敷いて裸の女性が俯けにそこに寝ているのだが、ソファから足がはみ出て、爪先立ちで立ちながらそのシーツに寄り掛かっているといった、独特のフォルムである。猫が手前の床に寝ているのも、生き物としての人間と猫との対置といった様子で、独特の雰囲気をつくる。

 松本貴子「insight」瀧川画廊賞。ヴィクトリア時代に文学と絵とが連結したラファエル前派という様式があるが、その様式を思い起こす。衣装もその時代の衣装を思い起こすようなロングドレスで、女性は小さな机の上に置かれた花を眺めている。机に軽く肱を置いて、いわゆる頰杖をついているポーズ。左手には二つの鍵のある鍵束を持っている。鍵は、たとえばこの女性の心を開くキーといったイメージもあるのだろうか。ここに不在のもう一人の男性の鍵を連想させる。下方の床にはタロットのようなものもある。想念の世界をテーマにした独特の肖像ふうな表現に注目した。

 伊勢田理沙「大樹の囁き」アートもりもと賞・会友推挙。大きな木の根本に肩を寄せて足を投げ出して地面に座っている女性。樹木の肌は苔むしている。土のもつしっとりとした触感やそこに生える草を細密に描く。その森の独特の雰囲気や空気感がよく表現されている。足を投げ出して仰向いた女性のフォルムもなまなましく表現されていて、リアリズムの力を見せる。

 久保尚子「still-life season」会友推挙。F型の横のキャンバスに褐色の枠を自由につくって、それらを小さなボックスとして一つひとつに植物の部分を入れて、全体で植物のハーモナイズする空間をつくる。そこにあらわれる叙事的かつ叙情的な雰囲気が鑑賞者を引き寄せる。

 甲斐夕加里「目覚めの庭」一般佳作賞。真ん中に小さな池があって、そこに蓮の花が咲いている。そばに孔雀が来て、いま水を飲もうとしている。そんな様子を背景にして、白い山羊が座っている。周りには色とりどりの花が咲き乱れて、蝶も飛んでいる。この庭はいわば楽園のような雰囲気。とくに中心の蓮のある小さな池が神秘的な様子である。

 冨所龍人「MY ROOM」。白いワンピースを着た女性がソファに腰掛けて、右足は床に、左足は立ててソファに、左膝に両手を置いてこちらを眺めている。そのポーズに独特の動きが感じられる。また、木綿のような白い衣装をつけることによって、逆にこの女性の魅力が浮かび上がるといった様子。作品を見た第一印象が強いところも、この作品の魅力だろう。

3室

 今井喬裕「Rebirth」。トランクをそばに、黒い傘を持つ少女。黒いシルクハットをかぶっている。芸人なのだろうか。流浪する生活を感じさせる道具立ての中に、少女のもつ愛らしい生命感を生き生きと描く。

 長船善祐「飛行計画」。庭にレーダーのようなアンテナ。トタンの塀に巣箱。空き地にロケットが置かれている。上方を見ると、霧のような影の向こうに建物が点々と見え、山の稜線が伸びてグレーの空がのぞく。淡々とした風景の中に不思議な幻想的な物語を入れ込む。ぽっかりとあいた空間に置かれたロケットやそばのアンテナのようなフォルムが、ここに描かれていない世界との通信を行っているような不思議な雰囲気を表す。淡々とフォルムをつくりながら、そのような物語性の中に引き寄せる力に注目した。

 石田淳一「Double portrait」。木製の机。引き出しは取り払われて、中に手帳のようなものが置かれている。机の上には熊や犬の人形。古びたボックスの上に木製の球体と林檎。床には木製の、いわゆる靴型のようなものが置かれている。花や果実のような有機的なものではなく、基本的には木でできたものがここに置かれて、それを画家は丹念に描写する。描写することによってなにか不思議な気配があらわれる。シュールとは言わないまでも、なにかそこにあらわれてくる不思議な気配が面白い。

 出相洸一「白の残照」。白い布の上に白い頭骨、お皿などが置かれ、辞書のようなものの上にナイフが置かれている。あるいはナプキンのための金属のリング。白い机の上の布。壁に貼られた布。白のヴァリエーションの中にあらわれてくる空間のもつクオリティともいうべきものがこの作品の面白さである。物質と物質のあいだにある空間が独特のニュアンスをもって表現されている。

 佐藤陽也「ささえ」富田賞・会員推挙。人の肩の上に二本足で立った人間。その肩にまた人が立って、というように何人もの人間が上にのっていき、いちばん上では片手でその全身を支えているような有り様で、宙に浮いて、『ジャックと豆の木』ではないが、豆の木が上方に伸びていくような不思議な形が表現されている。下方は棚田になっている。人体のフォルムのお互いの連結、組み合わせによって、豆の木が伸びていくような、そんなフォルムが面白く、いわば独特の生命感ともいうべきものを感じさせる。

 阿部良広「ASAKA(想)」。ベージュの上衣に茶のスカート。右手にチェーンのついたクロスを持っている。机の上にはマンドリンのような中世の楽器。クロスを眺める女性の横顔。柔らかな光線。しっとりとしたマチエール。この女性の信仰心のようなものを感じさせる独特のコンポジションが面白い。

 長谷川晶子「ランドマーク」。公園の中の道。色とりどりの樹木の様子。そんなものを上から見下ろしている。見上げると高層ビルが立っている。緑を中心としてオレンジや朱色などの色彩を使いながら、激しいストロークで風景を描く。独特の生気がそこに生まれる。

 岡﨑昭弘「刻打ちの部屋」関西画廊賞・会員推挙。ピアノを後ろにして女性が座っているのだが、犬の両手を持って持ち上げている。後ろの古い振子時計や目覚し時計。いろいろな懐中時計もある。古い手回しの蓄音機。女性を大きく描いて、独特のデフォルメがなされている。大正時代のようなイメージを感じさせるものたちに囲まれて、なにか生活感を感じさせるこの女性のもつ雰囲気が面白く描かれている。

 中道佐江「真夜中にニャ菓子はいかが?」。両側の棚にたくさんの猫がいる。あけられたドアの向こうは星がいっぱいで星座になっている。それを背景にして金髪の女性が立って鑑賞者のほうを眺めている。女性に誘われて画面の中に引き寄せられるようなあやしい雰囲気。そう思って女性の横を見ると、そこは三匹の猫がいるケース。床の上にあるものが壁になっている。不思議なダブルイメージで、上方に時計がある。独特の幻想感を、リアルなフォルムを集めながら表現する。マジックへの招待といった趣が興味深い。

 今吉茜「ラッピング★ガール」。少女がビニールでラッピングされている。窒息して死んでしまう。禍々しい印象。実際は人形なのだろうが、そういったイメージも感じさせる。ラップを通して見る女性の表情や手足の形にはなにか不思議な雰囲気が感じられる。いわば密室の中での妄想が画面にあらわれているところが面白い。

 坂井華子「鴉」。六十ぐらいの女性がズボンをはいて立っている。労働者のようだ。後ろの柵。柵の向こうの工事中のような建物。門の横に空がのぞく。「鴉」という題名だが、この年とった女性がカラスを思わせるような独特の存在感を放っているということになるのだろうか。汚された色彩の中に独特の実存的とも言えるイメージが浮かび上がる。

 浅村理江「まどろみ」。ソファに寄り掛かって、すこし足を曲げながら伸ばした少女の様子をしっかりと描く。背景のカーテンの向こうの風景。オレンジ色の色彩を主調色として、ゆったりとした雰囲気のなかにまどろむ少女のフォルムが表現される。構図が面白い。

 青木良識「近江町市場 2015」。金沢の近江町市場である。電灯の下の買物客と売り子が描かれているが、売り子はシルエットで、買物客は光の中に、それ以上に魚などがまばゆい光の中で輝いて見える。市場の様子を描きながら、不思議な静寂感が漂っているところが面白い。

4室

 津端泰「ミサの刻 アランフェス、サン・アントニオ教会」。中心に鐘楼が高く聳え、だんだんと下に行くにしたがって左右に広がって、一階は回廊になっている。広場にはたくさんの人々が思い思いの様子で散歩したり、佇んでいる。そんな様子をしっかりと描く。

 永田英右「古い昔のうた」。リュートと楽譜。蠟燭立てに置かれた蠟燭と銀の杯。シンプルなモチーフによって中世やルネサンスの時代を偲ぶ。その画家のスタンスが一種の詩情のようなものをこの静物につくる。

 大山富夫「夏のグレ・シュル・ロワン」。左には石造りの長い橋がある。船が行き来できるようにいくつもアーチ状になっている。その向こうには壊れかかったお城か教会の石垣の一部がのぞく。右のほうには鬱蒼とした緑の葉を茂らせた高い樹木がある。面白いのは、空と水が画面の六割ぐらいを占めて、その水が空を映して、空以上に青く色彩の中にたゆたっているところである。さざなみの中のその青い色彩が神秘的で、ロマンを感じさせる。

 三輪修「夢景」。二艘の木製の船。寄り添って砂地にすこし揚げられている。一部は水の上にあって、その不安定な様子になんとも繊細なものがある。寄り添った雰囲気が老齢の夫婦のような、人間的な表情を醸し出す。

 小森隼人「宙と花・柘榴」。地球儀や銀の杯、銀の壺、陶器の染付けの壺、古い本、ピンクの薔薇、柘榴などが丸いテーブルの上に置かれて、斜光線がそこに差しこんでくる。それによってものたちが浮かび上がる。明暗の中に、その光線の扱いによってあらわれてくる物象の姿を生き生きと表現する。しっかりとした存在感とマチエールが魅力。

 岡村翔平「憂色」オンワードギャラリー賞。若い女性の上半身が描かれ、奥の壁の右後方上に樹木の影がシルエットとして捺されている。そのシルエットは女性の髪にも映っていて、独特の幻想感が漂う。女性のすこし横から見たアウトラインも独特の魅力をつくる。

 上條真三留「蒼天」。崖の上にアカマツのような樹木が立っている。裸木も立っている。丹念に対象を描く。深い青い空は、青さゆえにすこし黒ずんで見える。対象のもつ形、その存在を手元に引き寄せながら、しっかりと描く。

 松本実桜「翠に守られて」。大きなサトイモの葉の中に少女がいて、そばに山羊がいる。足元には小さな猿がいる。植物を大きくし、少女や山羊を小さくして画面の中に入れ、ファンタジックな物語を紡ぐ。ディテールがクリアであるためにそのようなことが可能になるし、フォルム自体も独特の魅力である。

 朝日夏実「五月雨」。洗面台の上に浅く腰を掛けた若い女性。袖のない白いワンピースを着ている。長い髪。洗面台の向かって右のほうに何があるのかわからないが、そちらのほうを眺めているし、そちらのほうから光線が当たっている。不思議なシチュエーションであるが、それによって人体のボリューム感が表現される。面白いコンポジションであり、優れた写実力を見せる。

5室

 犀川愛子「あきあかね」。湖のそばの地面。紅葉した樹木。対岸の樹木も紅葉して、明るくピンクや黄色やオレンジ色に染まっている。手前の樹木は逆光の中にあって、対岸の樹木は光によって染められた様子。それぞれの位置にある存在。存在と存在との距離感をしっかりと描くことによって力強い空間が生まれる。同時に、この紅葉した色彩には繊細なニュアンスが感じられ、季節を惜しむような心持ちもしぜんと醸し出される。

 深澤孝哉「ヒマール・サライ XVI」。ヒマラヤを描いたものだろうか。高く聳える雪を抱いた峰々は幻想的な雰囲気で、そこに光が当たっている様子はこの世とは思えない神々しさである。中景には川がカーヴしながら流れ、その手前のすこし斜面になっている小高いところから樹木が伸び、葉をつけている。一つひとつのものを画家独特の筆力で表現しながら、全体の構図に東洋画の山水的な雰囲気の表れているところが面白く感じられた。

 中山忠彦「トワ・エ・モア 50年」。直訳すると、「あなたと私」という意味になるが、作者とその妻を描いたものである。妻はヴィクトリアふうな椅子に腰掛け、その後ろに妻の肩に手を置いた画家がいて、直線上に並んでいる。夫人の服はサテンふうな青い明るい色彩で、画家の服はオレンジとピンクを重ねたような色彩。夫婦が上下に、一人は立ち、一人は座るというコンポジションが面白い。この二人の長い歴史を暗示するように、後ろのイタリアふうな木製のテーブルに燭台があって、両側に三本の蠟燭が立てられている。そして、壁掛けの模様が池の中の睡蓮で、風景的要素が引き寄せられている。いずれにしても、見所は、妻と夫の二人の上下に置かれたフォルム、コンポジションである。一人の人物を描くのに比べて、二人を描くと、一種群像的な要素があらわれ、二人の関係というものが画面からしぜんと感じられる。夫婦というものの長い歴史をしぜんと感じさせる。また、手や目の表情などが実に繊細である。膝の上に置いた妻の両手。妻の肩にかけた夫の手の表情。そのあたりに深い関係性ともいうべきイメージがあらわれる。

 三沢忠「残雪牟礼の丘」。そろそろ春が近い頃の風景。ぐいぐいと描きこんだ筆触。その重なりによって風景の中に気韻生動ともいうべき力があらわれる。雪の色彩に対して緑や赤や黄土、茶の樹木の色彩。それぞれがお互いにハーモナイズしながら、独特の画家の風景が表現される。

 立花博「漂流記(ガラスの鯨のいる)」。戸板の上に木製のフック、ガラスの建物、ブロンドの少女の顔のある焼き物のようなものなどが置かれ、アルバムが広げられている。そのものたちが青い布の上に置かれて、そのまま漂流するイメージがあらわれる。ガラスの鯨の頭が置かれて、海から鯨が顔をのぞかせたような雰囲気。そこに光が当たり、強くそれぞれのもののもつ物質感、存在感があらわれる。静物としての対象のもつ物質感や存在感がそのまま漂流するイメージに変換され、ダブルイメージでありながら、存在というもののもつ強さがあるためにイメージもまたより深くなり、二つのイメージと存在とがお互いに呼応しながらこの画面をつくるという独特の最近のコンポジションである。

 卯野和宏「合間」。若い女性が座って、おなかに両手を当てている。妊娠何か月になるのだろうか。中にいる胎児の様子、その鼓動を聴いているかのような雰囲気。女性は目を閉じている。白いコートにベージュの下着。バックは黒で、褐色の木製の椅子に座っている。おなかのあたりがいちばん明るく、足の方向にだんだんとフェードアウトするようなグラデーションになっている。画家の対象を認識し、それを画面の上に再現する力は優れている。対象そのものに画家はなりきって、そんな想像力のうえにこの若い妊婦を描いているといったように感じられるところが面白い。これまでの客観的な対象から、客観と主観とが重ねられたところからあらわれた若い女性の像であるところが面白く思われる。

 斎藤秀夫「ミモザと婦人」平松賞。赤い絨毯の上に白い肘掛け椅子を置き、そこに女性が座っている。青いワンピースを着ている。後ろの木製の簞笥にマイセンふうな壺があり、ミモザがたくさん入れられている。座っている女性の全身が描かれている。独特の存在感がある。地味な色彩だが、色彩に輝きがある。見える形の奥にある、この婦人の命といったものを画面の中に描こうとする画家の姿勢に共感をもつ。

 薄井義「ゴールドサンセット」。日暮れの光線がこの砂浜と波を黄金色に染めている。画家の視点は低く、手前の岸辺に立ってこの光景を眺めている。海の波の量感が圧倒的である。海の大きさがよくあらわれている。

 大泉雄一「しらむ」。コンビナートが描かれている。巨大な煙突や管がお互いに連結しながら、まるで人間の心臓を思わせるような有機的なフォルムが金属によってつくられている。そんな様子を淡々と描きながら、独特の明るいロマンティックな文学性ともいうべきものが表現されているところが面白い。

6室

 有川和子「Art Gallery in Matera」。マテーラは穴居の建物から最新式の建物まで約一万年のあいだの歴史が積み重ねられている不思議な場所である。そのマテーラの中にあるギャラリーを描いたと題名にある。石を敷いたペイヴメントの向こうに木のずっしりとした扉があいて、室内がのぞく。そばの植木鉢の中にサボテンのような植物が見える。ずいぶん塗りこまれている。左には赤い花も咲いている。このひとつの風景ともいうべき建物と地面と植物を、まるで静物のように画家は画面の上に描きこんで、そのある一瞬のある一情景を永遠化しようとしているかのようだ。パッションのある表現に注目した。

 宮本佳子「窓辺」会友推挙。高い木製のテーブルの上に枯れた向日葵やガラス器や水鳥のデコイなどが置かれている。マンリョウのような植物がそこから垂れている。一つひとつ手で触るようにそのマチエールをつくりながら、この対象を画面の中に落ち着かせる。触覚によって対象と画家との距離は近くなる。白いガラス窓。いまその窓は閉じられて、グレーの光がそこからにじむように入ってくる。その微妙なニュアンスの表現もまた面白い。

 黒沢信男「志賀高原・二月」。画家は急斜面の上に立ってこの光景を眺めている。ぐんぐんと下方に下がっていくところの右のほうには針葉樹が生えて、地面は雪が積もっている。もっと下方に下がっていくところは両側の斜面が交差し、三角形の独特の地面になって、そこにも樹木がたくさん生えている。そこからまた上方に隆起していくところにあらわれてくる雪をかぶった山頂。そういった志賀高原の起伏のある風景の向こうに、アルプスの山々がゆったりと幻想のように高く現れている。画家の見下ろす位置にいるその視点からあらわれてくるこの風景には、なにかめくるめくような激しさが感じられる。ちょうど高層ビルの上から下方を眺めているときのスリリングな気配に近いようなものがあらわれている。それを画家独特の優れた造形力で、そのあるかたちを表現する。雪の色彩はグレーと言っても複雑で、明度の変化のなかにすこし緑がかったような色彩もあるし、ほんのすこし青みがかった色彩もあるし、青紫がかった色彩もあって、その繊細な色調のもつニュアンスもまたこの作品の神々しさを生むゆえんだろう。上方に蜃気楼のように浮かぶアルプスの雪を抱いた山々がもうひとつ向こうにあって、そのフォルムが現実感がありながら、なにかはかない蜃気楼のような神秘的なイメージであらわれているところも、この作品の内容を深くしている。

 大沼紘一朗「あの日の空を忘れずにいられるだろうか」美岳画廊賞・会友推挙。山のあいだを川が流れている。上方には大きな岩があって、あいだから樹木が見える。向こうの崖も岩がのぞいているから、独特の地質学的な場所なのだろう。遠景の山はかすんで、空が黄色く輝いている。夕暮れか朝方の光景で、その斜光線のなかに存在するものをしっかりと淡々と表現しながら、トーンのもつ美しさ、面白さをよく表現している。

 田中利枝「野 Ⅱ」会友推挙。野の草が淡々と描かれている。あいだに枝を伸ばしている樹木の先に葉がついている。空は透明な青で、雲が出ている。手前には白い小さな花が咲いている。この絵を見ていると、季節を失って、野の花や木を画面の中に引き寄せて、画家自身はそれに託して画家の素朴なうたをうたっているかのごとき、そんなニュアンスが感じられるところが独特である。

 宮本絵梨「おもかげ」。両側に樹木や草が鬱蒼と茂っている。そんな中の道に帽子をかぶった女性が立っている。後ろ姿である。そこに上方からスポットライトのように光が当たる。後ろ姿というのは、前から描く以上に人間のもつ不思議なニュアンスがよくあらわれる。しかも、この女性は高いヒールのあるサンダルふうな靴をはいているところもあやしい。茶系の上衣に黄土系のワンピース。二の腕から耳にわたって光が当たって輝いている。構図の面白さと相まって、優れた、印象に残る作品である。

 鏡泰裕「夕暮れの時」準会員推挙。日がだんだんと低くなってきて、雲のあいだから赤く輝いている。下方は海で、すこし波が立っている。手前は磯で、岩が黒々と逆光の中に描かれている。湾には繫留されている幾艘かの船が、グレーにそのフォルムを浮き立たせている。作品の面白さは赤い太陽とその周りの赤く染まった雲とその手前のずっしりとした磯の岩の様子だと思うが、そのあいだの海の広がり、波の様子も面白い。

7室

 栗原政幸「静観」。椅子に座って足を組んだ若い女性。すこし頭を傾けて遠くを眺める目の表情。二つの手の指なども独特のニュアンスで表現されている。この女性の内面にも筆が届きそうなかたちでじっくりとこの存在を表現しながら、なにか温かくロマンティックな雰囲気が醸し出されている。

 山田博司「雪の奈良」。瓦屋根、築地塀、その向こうには五重塔が見える。いま雪が降っていて、地面にも雪が積もりつつあるようだ。水墨にそのまま転じることが可能なような風景を、油彩画によってしっかりと描く。輪郭線を強調するのではなく、トーンのなかにすべてのフォルムが融解するように表現して、独特の存在感を表す。

 藤原光「白い川音」。岸がゆるやかに傾いてそのまま水の中に没している。その川はごろごろとした石などを乗り越えるように激しく白い水しぶきを上げて流れている。その水の様子が抽象画を見るような独特のニュアンスで表現されている。背後の静かに佇む緑の樹木の広葉樹のフォルムとそのグレーの水との対照が、一種シュールな味わいを醸しだす。

 平田英子「住むところ」。近景にコスモスがたくさん咲いている。右のほうにはピンクのコスモス、左のほうにはもっと淡いピンクのコスモス。その向こうには空き地が見えて、様々なものがあり、何か植物が吊るされている。その背後はすこし小高くなったところに小さな空き地のような場所があって、そこに民家が見える。そのもうひとつ背後は高い山並みである。そういっただんだんと遠景になっていくこの自然の風景の様子を画家は淡々と描きながら、独特の奥行をそこに表現する。また、その土地の気配ともいうべきものを画面に描いているところが、この作品のよさだと思う。その土地の内部に入っていくことのできるような、不思議な感覚の持ち主だと思う。

8室

 山本桂右「記憶の中の風景」。昔の小学校や中学校の教室の内部のようだ。窓があけられて、向こうに海がのぞき、入道雲が立っている。椅子が室内に一つ。斜光線が差し込む。無人である。まさに記憶の中にある校舎。時がたって、この建物ももうないのかもしれないが、画家の記憶の中に存在する空間。

 阪脇郁子「島原・菊川太夫」。島原に菊川太夫という人が昔いたのだろう。花魁の悲惨な生活と歓楽のなかの豪奢な装いとを、画家はこの画面の中に生き生きとよみがえらせた。青ざめた顔に頰紅が置かれて、この女性の雰囲気はあやしい。後ろの襖か屛風に山水が描かれていて、それを油彩画で水墨のように描いているところも面白い。

 江口武志「祈り~天主堂~」。五島列島などの隠れ切支丹の教会の内部を描いたのだろうか。フローリングの床。そこに簞笥のようなものがあって、その上に十字形の文様が見える。ガラス戸のそばに若い女性が立っている。信者のような敬虔な雰囲気で、伏目がちな様子が厳粛なようす。ガラス窓に赤や黄色、青などの色ガラスが使われているのがエキゾティックな雰囲気。長崎の隠れ切支丹の教会のもつあやしい雰囲気をよく表現しながら、その空間の中に女性を置いて敬虔な不思議な雰囲気をつくりだした。

 店網富夫「晩秋の渡良瀬遊水地」。利根川の支流である渡良瀬川の遊水池。昔このあたりは足尾銅山の鉱毒によって悲惨な公害を受けたところでもある。いまはそんな歴史も忘れたかのように緑の草が輝き、遠景では枯れた葉が向こうまで続いて、あいだに点々と雑木が見える。「晩秋」と題名にあるが、手前の水の前後にある地面に生える草は緑色で、まだ秋が来ていないかのような不思議な雰囲気である。画面を見る限りでは、初夏の様子と晩秋の様子が同じ画面に対照されているようなあやしさと言ってよいかもしれない。空はすこしグレーを帯びた青い独特のニュアンスのある空間で、深い奥行きが感じられる。時が止まったかのようだ。樹木や草もそのまましーんと静まり返っている。水もそうである。時が止められて永遠化されたような空間を、画家はこの画面の中に表現した。

 三橋文彦「アトリエ―Collection」会員推挙。テーブルに向かって座っている少女。テーブルの上には黄色と赤の林檎。鳥の剝製。蔓のような植物のある植木鉢。上方には風景の中に赤い建物が見える絵が飾られている。グレーの中にそれぞれのもののニュアンス。とくにこの少女の手を鳥に差し伸べた雰囲気などは、少女のもつ微妙なニュアンスをよく表現していると思う。

9室

 備中鼎「早春の歓び此の処にも」。コンクリートの上に暗い緑色の植木箱があって、そこに小さな白い可憐な花が咲いている。その花の様子と丸い緑の葉の様子。背後の壁のようなグレーや手前のコンクリートのグレー。あるいは枯れた葉の雰囲気。都会の一隅に発見した自然の命の輝く様子を、独特のシャープな動きのあるタッチのなかに表現する。

 口澤弘「浄く閑かに刻は移ろふ」。鏡のような静かな湖のそばに樹木が立ち、葉は紅葉している。ロマンティックで神秘的な自然の様子をよく表現する。とくに右の三本の白い樹木の立っている様子は、存在感があると同時に柔らかな光の中に輝くような存在として描かれて、人間のような妖精のような趣もある。それに対して左側の紅葉した赤褐色の葉の様子。その向こうから光が差しこんでいて手前の水面を輝かせている様子は、不思議な啓示が光となって画面にあらわれているかのごとき雰囲気である。

 芳賀文明「農道」。北海道の風景だろう。手前から向こうにカーヴしながら農道が続いている。轍がそこにくっきりと見える。雑木が立っている。田圃は雪に覆われている。点々と雑木が向こうに行くにしたがって小さくなっていく様子。その向こうに量感のある山がつながっている。画家はこの道を繰り返し歩いたり車で走ったりしたことがあって、非常に身近な風景だと思う。そういった対象の風景との距離感の近さが独特のリアルな雰囲気を画面に与える。とくに手前の道の上と両側の部分に柔らかな光がスポットライトのように当たっている様子は人懐かしい雰囲気である。

10室

 林勝久「黄昏」会員推挙。四艘の船がこちらを向いて繫留されている。空は残照で、船が黒々としたシルエットになっている。水の中も明るい部分と暗い部分とのコントラストが鮮やかで、その向こうに倉庫のような大きな建物やビルが柔らかなグレーの中に描かれている。港の夕暮れのもつノスタルジックな雰囲気がよく表現されている。

 山田潔「ミディの秋」。川のそばの道の上に樹木の枝が覆いかぶさるように伸びている。それが赤く紅葉していて、ロマンティックな空間が生まれる。この空間から音楽が聞こえてくるような独特のコンポジションである。立ち並ぶ樹木の連続した形や赤や緑の色彩から、ロマンティックなイメージが生まれる。

 竹之内さつき「晨去暮来」。椅子に座る女性の全身像である。淡々とその姿を捉えて、独特の存在感を見せる。ディテールを極端に追うのではなく、ゆったりとしたなかに女性の眼差しや気配をよく捉えている。手前の鳥籠に鳥がいないのは、巣立ったという寓意を表すのだろうか。壁のそばに白い一つの折り鶴が置かれている。画家とこの少女との関係は深く、この少女の成長を願っているところから、この独特の柔らかな空間の雰囲気があらわれてきたのだろう。

11室

 川口もと子「ポアント」。爪先を前に出したバレリーナの姿。後ろの姿見にその背面が映っている。きびきびとしたタッチでバレリーナの全身像をよく表現する。

 角坂優子「夜会へ」。透明な水盤に白い牡丹の花が咲いている。大輪で豪華な雰囲気。そばのガラスのランプや黒い壺。黒をうまく使ってシックな雰囲気のなかに牡丹の花が豪奢に、輝くように描かれていて面白い。

 河田純「水辺の山村」。水がゆったりと流れている。そんな様子をはさんで、手前の岸辺と向こうの地面とをゆったりと描く。向こうの地面は畑になっているようだが、まだ植えられていない様子。その向こうには低い丘のような樹木に覆われたフォルムが続き、その背後に平野ができ、その後ろは高い山に向かう。そんなゆったりとした奥行のある空間を画家は描いている。水の表情が独特で魅力がある。

12室

 宮﨑郁夫「枯れる」。楽器ケースがあけられて、中からホルンがのぞいている。手前にはオレンジ色の南瓜や褐色のアケビや壺や瓶などが置かれている。ぐいぐいと描きこみ、もののもつ存在感が表現され、全体で心地よい波動が生まれている。

13室

 関口健司「朝日」。よく稲を刈ったあとを描いている絵があるが、そこから緑の芽が伸びている不思議な光景である。グレーの中にその緑が瑞々しい色彩を見せる。

14室

 山﨑幹雄「昼下りの車 OMOHARA 2015」。ポップな感覚。車を後ろから眺めている。黒や青のシャープな色彩の中に周りの風景が映る。手前には赤と黒の車が見える。「OMOHARA」とは表参道、原宿といった意味らしい。東京のモダンな街にあるモダンな車を都会的な感覚で表現する。

 青島紀三雄「湿原残照」。幾筋も川が流れたり、沼のようなものが見える様子が中景にあり、そこに向かう道が手前にあり、両側に木立が高く伸びている。遠景は低い山で、そこにも樹木や草が生えている。雲の中からすこし白い光が輝いている。淡々とこのパノラマを描きながら、光の扱いのなかにあらわれてくる陰影を表現して、しみじみとした情趣を表す。

 南城由起子「小春日の室内」。丸いテーブルに白い布を置いて、そこに三彩のような大きな壺を置き、赤や白、ピンクの花がいっぱい生けられている。そばには透かし彫りの屛風。しっかりとした長持という言葉がふさわしい物入れ。壁にあけられた窓の向こうに緑の樹木がのぞく。古い家の内部の古いものたちに取り巻かれて、花が輝くように咲いている様子。

 折田透「学舎―入口―」。校舎の入口にある下履きのズックなどを入れる箱が画面の中心にある。縦に六段、左右にも六段。その中にところどころズックやブーツが置かれている。手前のコンクリートの上に光が差し込んで、ズックの一足がこちらを向いて九十度回転している。柔らかな光線のなかに陰影ができて、そこに靴という日常、人間の履くものが置かれ、静かな中に独特の気配があらわれる。水彩という、ニュアンスを表現するのにふさわしい素材をよく使いこなしている。

 小林久代「向う岸の梅」。川の向こうは枯れたような雑草で、小さな低い石垣の向こうに白い梅が咲き誇っている。初春の光景である。透明水彩を重ねながら、繊細な光線や色彩のニュアンスを表現する。

 山野惠通「高原晩秋」準会員推挙。ぐいぐいと描きこんで筆力がある。中景から近景に向かって川が流れ、その周りは山の斜面や緩やかなカーヴをもって川に向かう面。そこには草や樹木が生え、いちばん遠景には雪を抱いた高山が聳えている。筆のタッチによってリズムが生まれる。中景の建物の屋根の赤がアクセントになっている。

 小林マコト「石段のある裏通り」準会員推挙。ヨーロッパの路地のようなところ。石畳の路地の向こうは階段で、百段を超える高さで上っていく。両側のこれまた石を積んだ建物。そんな様子を丹念にリアルにディテールをしっかりと表現する。物語が生まれてくる。ペイヴメントには風景をイーゼルに置いた貧乏な画家が座っているし、石段を上ったり下りたりしている三人の人間が独特のアクセントになっている。

15室

 金森まり「扉」準会員推挙。画面の真ん中に緑の扉がある。すこしペンキがはげて、エメラルドグリーンの下地から柔らかなピンク色の色彩が浮かんでいる。上方から樹木の小さな葉が密集してその上にかかっている。扉と下方の道が明るい。エキゾティックな独特の色彩感覚とコンポジションの面白さ。

 菅野宗武「春の兆し」。左に道がS字形に蛇行して、こんもりとした鎮守の森のような中に消えている。右のほうは土手になっていて、道と土手のあいだが野原で、そこに菜の花が咲いている。緑のヴァリエーションの中に花の黄色が輝く。しっとりとした背後の丘の表現なども魅力的である。

16室

 木村勉「春信の丘 15」。土手の上に道が続いている。その先はすこし盛り上がった丘のようなフォルムに樹木が見える。右下はすこし下がって田圃のようなフォルム。消失点に向かうパースペクティヴによるコンポジションが独特のムーヴマンをつくる。褐色の地味な色彩の中に豊かなニュアンスが感じられる。

17室

 小池誠「宇宙の声」。エメラルドグリーンの空のような空間。両側に崖のようなものがあって、それをこんじきの糸が結んでいる。下方の不思議な妖精的な文様のある箱の上方が斜めにカットされて、そこから発信機のようなものがこんじきに浮かび上がっている。宇宙とのチャネリングといった雰囲気で、独特の幻想感覚を色彩の中に表現する。

 納義純「LIFE」。ジーンズの上着に革の靴。それがスーツケースに立て掛けられている。後ろの木製の簞笥の上の地球儀や帽子。この家の主は不在であるが、旅のイメージがあらわれる。一つひとつのもののディテールを緻密に描くことによって、この家の主の体臭ともいうべきものを表現する。旅の時間をそこに引き寄せることによって、ある情感が生まれる。

 村井弘夢「幽閑」。高い椅子の上のカンテラ。低い椅子の上には牛骨のようなものがあり、その後ろには小さなピューマのような骨が見える。裸木が後ろに立て掛けられている。下方に大きなホルンのようなフォルムが置かれているのも面白い。ノクターンといった雰囲気で、骨や皮をむいた樹木の幹やカンテラや地球儀などを集めて夢想的な空間をつくる。後ろに立て掛けられた樹木のような材木のようなフォルムを見ると、それらが踊っているような雰囲気で、自己に沈潜することによる詩的な世界であることがわかる。

 三原準二「赤い立像」。朱のワンピースを着た少女の全身像である。絵具をペインティングナイフでつけて独特の輝きを見せる。静かに立っている女性のその中の緊張感とかムーヴマンをよく表現する。

 飯田弘子「休日」。柴犬を連れて歩く若い女性。上衣の赤と黄色いワンピースとが背景の煉瓦の茶色と生き生きと響き合う。自然体のなかにお洒落な雰囲気があらわれる。色彩感覚が優れている。

 山木章「asunagiru」。縦長に海と砂浜を描いている。下方の砂地のしっとりとした様子やテトラポッドの逆光の存在感。きらきらと光る海。水平線を背景にして中景に岩がある。そのあいだにもテトラポッドが逆光の中に存在する。明暗のコントラストを画面の構成にうまく使って、独特のきらきらとした空間を表現した。

20室

 山河美智郎「薫風」。木製の肘掛け椅子に高校生が制服を着て座っている。後ろに矢が置かれている。弓道部なのだろう。全身が入れられて、周りの空間を大きくとってある。そのために室内の空気感のようなものがよく表現され、そこに座って膝の上で手を重ねているこの女性のフォルムが、ぐっとまわりから押しつけられるような力の中に表現されているところが面白い。

 廣瀬順子「夏の日」。剝落した壁に窓があるのだが、窓枠も窓も壊されて、ぽっかりと空間があいている。そこに少年が座って窓枠に背をもたせて放心の表情。背景の山の緑や壁のグレー、少年のシャツの赤、青、黄色などの色彩がお互いにハーモナイズして、独特の色彩家であることがわかる。少年の心理を描いている。その一種の文学性ともいうべきものがおおらかに表現されているところが魅力。

23室

 田原迫華「海幸山幸」。海幸は貝を持って立ち、山幸はあぐらをかいて座っている。『古事記』からあらわれた二人の人物像。深い文学性が、単なる彫刻を超えたニュアンスを醸し出す。とくに海彦の貝を持ち立っている像には、初々しい不思議なニュアンス。いわば柔らかな神性ともいうべきものが内部にある青年像のようにつくられているところが面白い。

 池川直「ボルテラの詩人より―ほら、そこに」。犬を連れた青年。その頭と足のギュッと絞ったフォルムが面白い。直立する青年のもつ初々しいニュアンスと独特の嗅覚をもつ犬。二つのフォルムが面白く響き合いながら、なにか不思議なモニュマン性を獲得する。

 峯田義郎「北風の旅」。青森の竜飛崎にはいつも風が吹いていて、それを映画で見た記憶が甦る。北国の丘の上の集落がつくられている。青く染められている。そばに海があるような雰囲気。後ろに階段があって、階段を上ったところにこの建物はある。そばに樹木のようなものが存在するが、手前の先には海がのぞくのだろう。懐かしい、ぬくもりのある建物。これは作者の深い経験のなかからあらわれた独特の心の中の集落と言ってよい。鑿の韻律が静かに響いてくる。

 中村晋也「伐蘇畔度菩薩」。伐蘇畔度は世親のことである。運慶作の無着世親像は国宝である。世親はインドの大乗仏教の歴史において最も重要な哲学者の一人。唯識思想を大成した。これは作者が薬師寺に奉納した世親像のマケットである。豊かな精神世界を獲得した高僧の姿をよく表現している。自ら書いた経典の上には花輪が置かれ、仏の教えを荘厳している。

 山本眞輔「春待つ森」。女性が座って立て膝をしている。右手を胸に、左手を左の膝小僧の下に置いている。なにか物思いにふけりながら、森と一体化した像と言ってよい。森のイメージをこの優しい女性のフォルムに重ねて、象徴的に表現したのだろうか。作品から黄金色の光が走っている。大きな髪のカーヴするフォルムが頭から背中のほうに回って、そのフォルムと着衣の二の腕から下方に向かうフォルムとが響き合う。髪と着衣のカーヴするフォルムによってこの女性は囲まれて、黄金色の光を発しているような雰囲気がある。温かな夢見るようなようすで、それがそのまま春待つ森のイメージと重なる。文学性と彫刻の造形性とが見事にリンクした作品。

 市村緑郎「過ぎし日」(遺作)。昨年の四月二十七日に逝去した。享年七十八歳である。優れた彫刻家であった。この作品はブロンズで、若い女性が立っている様子がまるで若木のような柔らかな雰囲気で表現されている。ヌードというのは日本人の文化のなかではなかなか咀嚼するのは難しいテーマであったが、作者はそれを樹木と重ねるようにして表現することによって、ヌード彫刻を実に親しみのあるものに変容させたと思う。改めてこの立ち姿の女性像を見ると、この作者のヴィジョンと優れた造形力を思うのである。実に貴重な彫刻家を日展、白日会は亡くした。

24室

 野原昌代「白い月」。女性の上半身である。両手を胸に当てている。あどけない顔の表情。イノセントな雰囲気。女性のもつ優しいロマンティックな性質を月にかさねながらつくった。着衣の上半身像が独特のロマン性を感じさせる。

25室

 石田洋一「絆、沙織と友絆」。膝に乳飲み子を抱えた若い母親。そのいわば十字形の強いコンポジションの中に、すこしデフォルメされたフォルムが聖母子像のようなイメージをつくる。

26室

 小川八行「市の夜『十二支神将』」。中心の象に乗った七福神が思い思いの様子で楽しい。上方には宝船のようなものがあって、こんじきに彩られた熊手の中に金の打ち出の小槌や俵など様々なものが置かれて、にぎやかで楽しい様子。その周りに十二神将がいるのだが、その頭が十二支の動物になっている。繁盛という幟が見える。生き生きとした動きと波動がお互いに合唱するような独特のコンポジションの中に、クリアなフォルムがイメージを発信してくる。

27室

 沖津信也「早春小国」。渓流をはさんだ山々の様子。雪がまだ残っている。きびきびとしたリズムのなかにそれぞれのディテールを描きながら、独特の韻律をつくる。

第55回記念日本南画院展

(3月18日〜3月30日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 月居和子「四季・冬」。女性の全身像を描きながら、春夏秋冬のイメージを紡ぐシリーズの今回はその最初の冬である。窓の向こうに雪が下りてきているような雰囲気。それを背景にして、ショールをまとった女性が腕を交差している。物思いにふけっているような伏目がちの女性の顔がロマンティックである。一種霊的な存在のようにこの女性の全身像は捉えられていて、足は描かれていない。浮遊するような存在として、いわば冬の女神のように表現されているところが興味深い。

2室

 川淵水豊「雨上る」。滝の下方の部分を描いている。両側の不思議な樹木の枝のようなイメージ。雨が降って水量が増えてきたのだが、いま雨が上がって、その水の様子だけが浮き上がるようにあらわれたといったことになるのだろうか。滝行という言葉があるが、この水の様子を見ていると、そのような独特の神的な存在として滝を描いていて、そこには深い祈りのような空間が表現される。

 堀江春美「生命」。巨大な樹木の根の部分が描かれている。根からすこし立ち上がった幹は切られて、中がうろになっている。その一部から白い小さな樹木がそこにそっと現れたような雰囲気である。上方に雪が下りてきているようなしんしんとした雰囲気であるが、それはまた光る存在で、星のようなイメージもあるし、新しい命が無限に次から次へとあらわれて上昇しているようにも感じられる。一本の老木の枯れた幹を見ながら、画家は深い、宗教的ともいうイメージに入っていく。死と再生の神話と言ってよいかもしれない。そういった深い奥行のある空間。その木も、じっと見ていると、巨大な陸地のようにも堤のようにも感じられ、それに抱かれて一本のイノセントな樹木がいまあらわれた。下方の濃墨の根のあたりの空間は深い無明のような時間の存在を暗示するし、上方は魂の空間を暗示する。

 金澤徹「播州秋祭」。播州のお祭り。御神輿をたくさんの人が担いでいる様子がダイナミックに描かれている。線によって人間の姿が描き起こされ、そのエネルギッシュな全体の動的なかたちが集合する様子は圧巻である。上方にこんじきを賦彩された重い御神輿が揺れている。

 猪俣須美「秋告げ華」。曼珠沙華の花にオニヤンマのような大きなトンボがとまっている。上方の月を背景にした一つの曼珠沙華の花。面白いのは、トンボがコンテのようなもので描かれていて、その線がたらしこみふうな墨色の中に生き生きと立ち上がってくる。上方の月は阿弥陀如来のような雰囲気で、来迎してくる存在のようだ。深いロマンティックな世界と宗教性がリンクした世界が表現される。

 山本和夫「いずる月」。山と針葉樹とを重ねて面白く構成している。山はカタぼかしで、そこに光が満ちている。光の満ちている部分には水が流れているイメージも重なって、上方に月があらわれている。いわゆる日月山水などの室町屛風なども参考にしたのだろうか。自然のもつ神々しいイメージをよく表現している。

 村岸良華「待春」。どこの山だろうか。画家は雪を抱いたどっしりとした山とむかい合ってこの絵を描いた。下方には低い山稜に樹木が生えている。もっと下方には民家のようなイメージもあらわれている。上方のこの白い存在感のある山のもつ量感と下方の濃墨による表現とが対置されながら、独特の、いわば画家の詩情が表現される。

 町田泰宣「月黄昏」。墨色が魅力で、神秘的である。墨を色として使う才能である。画面を見た最初の印象を言うと、ギュスターヴ・モローの世界を連想した。上方にナイアガラの滝がその巨大な水を下方に落としている。ところが、それを受けた湖は静かで、鏡のようになってそれを映しているのが不思議である。その湖の手前のほうに巨大な岩のようなものが存在して、そのあいだを通ってその湖の水が小さな滝のように流れてきている。水の上方に十三日ばかりの月が出ている。墨色も前述したように魅力であるが、紙の地を生かして、そこにほんのうっすらと墨色の置かれた白の色彩がまたあやしいほどの魅力をたたえている。霧がそこを流れているような雰囲気もあるし、深い奥行をもったその白はほとんど紙の色そのものであり、それは画家の構成力とヴィジョンによってそのような錯覚を鑑賞者に起こすのである。

 潮見冲天「朝ぼらけ」。画家は愛媛の生まれで、少年時代に遊んだその郷里の自然が引き寄せられたそうだ。なるほどと思う。この水墨による風景は不思議で、対象を突き放して見ているというより、対象の中に本人がいて、その様子をもう一度外から眺めているような雰囲気である。たらしこみによる独特の余情のある空間が生まれている。山の端に松のような樹木、あるいは別の樹木が立っていて、そのフォルムがポイントになっていて、その下方の崖や地面などはたらしこみで深いニュアンスをもち、上方にもまた山が続いているといった様子である。茫漠としたこの風景の中に刻々と時間がうつろっていくような、そんなニュアンスがあらわれているのも面白い。

 石黒柏堂「塔韻」文部科学大臣賞。瓦屋根と塔、手前の樹木。その画面の中に入れる構成力が優れているし、端整な塔のフォルムに気品がある。

3室

 菊池享「会者定離」衆議院議長賞。会者定離とは、この世で出会った人は必ず別れる、つまり、生は死を伴うといった仏教用語である。その会者定離の世界を羅漢像の中に表現する。泣く人、話す人、笑っている人、囁く人。人間のそのような現実を五人の羅漢の像の中に表現するそのエスプリに注目。

 富岡千壽「ガーデン」。透明な丸い花瓶にたくさんの薔薇の花が差されている。それはテーブルの布の上に置かれているのだが、下方に麦わら帽子が置かれ、向かって右のほうは戸外で、柵があり、柵の周りに色とりどりの花が咲いている。上方からカーテンが垂れ下がり、そこにシャンデリアのように下方に垂れてくる植物の枝と花。室内と室外とが一体化した豪華な花のある空間の中に少女が一人立っている。それはフランス人形のようなイメージである。人形と少女とが重なって、人形でもあり少女でもある存在が、この花の香りをかいでいるようだ。その少女は画家の分身と言ってよいだろう。心の中の世界が水墨の世界の中に表現される。内的なイメージが目に見えるように画面の中にあらわれて、独特の生気を放つ。

4室

 鈴木安佐子「蛍・幽玄」。野の草の生えている中に水が流れている。そこに無数の蛍が飛んでいる。その儚い蛍の輝きが命というものの象徴のように表現される。繊細な表現だし、墨色が実に魅力である。

5室

 山本菶頌「黄河瀧壷飛瀑(Ⅱ)」京都市教育委員会賞。黄河にこのような段差があって滝のようになっているところがあるのだろうか。デモーニッシュな表現で、水のもつ力や動きをよく表現している。下方に人間たちがそれを眺めてスケッチなどをしている像があらわれているところがほほえましい。上方を見ると、厳しい写実でありながら、下方を見ると文人画的な要素のあらわれたユニークな表現である。

12室

 小川竹堂「オロロン橋にて」。スペインのある街だという。下方を水が流れて、柱が立った上にバーがある。そこに観光客が座っている。物語がしぜんと感じられる光景。その周りの建物の表現も微妙なニュアンスがあって、写実でありながら、そのまま物語が存在するように、いわば絵巻的な世界が一枚の絵に表現されている面白さと言ってよいだろう。

14室

 中島穂波「彼岸花明り」。下方に彼岸花がたくさん咲いている様子。その上方に狐の嫁入りの様子が描かれている。籠を担いだ狐の中に女狐が花嫁衣装で座っている。幟を立てて先導する狐たち。日本の説話を水墨で表現して楽しい。遠景にはるか向こうに続く行列がかすかに見えているのも、奥行をつくる。

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