美術の窓

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公募展便り(2015年1月号)

「美術の窓」2015年1月号

改組 新 第1回日展〈日本画〉

(10月31日〜12月7日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 村井みゆき「秋の気配」。青いワンピースを着て、横座りに座り、白いオカリナを吹く女性。独特の色彩感覚で、モダンな雰囲気が醸し出される。

 平松智子「天日」。ジェットコースターのカーヴする動きとそれを支える支柱とを面白くダイナミックに描いている。黒をうまく使いながら、その中に赤い部分のすこし水色を帯びたグレーと朱色とが独特の強いアクセントとなっている。

 藤本理恵子「バイソンの森にて」特選。バイソンの大きな頭がファンタジックな要素の中に表現されている。そのフォルム全体の中に森を思わせるものがある。父性と母性と両方の性質がこの頭の中にあるようだ。そこに小鳥たちが来てとまっている。優しい、自然との深い親和関係のなかから生まれるファンタジーである。

 佐藤和歌子「フェンリルの鎖」特選。「フェンリルとは北欧神話に登場する巨大な狼の怪物で、災いをもたらすと予言され捕われてしまいます。しかし、様々な動物と植物の一部を使った魔法の枷でどんなに繫ぎとめようとも予言通りの結末を辿るように、等しく生きたいのに出来ないもどかしさと、様々な動物のパーツを組み合わせた一つの生命・生物を描きました」(日展アートガイド)。女性を囲むように狼の頭や角や魚などが組み合って、自然というものと人間との深い関係をテーマにした作品で、そのフォルムの強さと着想が面白い。

 桑野むつ子「想花」特選。裸の女性が立て膝をして座っている。後ろに青いケシの花が咲いている。優しいイノセントな雰囲気である。余分なものは描かずに、女性のもつ聖性ともいうべきものがよく表現されている。それを青いケシの花が荘厳しているようだ。

 生島潔「It goes on―時間は続いてゆく」特選。横になった男と林檎。木箱の中の林檎は腐りかけている。「『世界が明日滅びるとしても、私は今日、りんごの苗木を植えるだろう』(ルター)人々に食される事なく畑に捨てられるりんご達にも、朽ち果てる事をもって大地に豊かな実りをもたらす土となる役割が託されているのですね。私自身も地を耕す者であり続けたいと願いつつ」(日展アートガイド)。すこし油絵を思わせるような量感のあるコンポジションだし、色彩の扱い、明暗のコントラストである。林檎と人間との親和力、あるいはそのコントラストの中に劇的なテーマを大胆に表現する。

 山本隆「伏見風景」。酒蔵の高い煙突がテーマになっている。独特の瑞々しい雰囲気がある。緑の空もそうだし、淡々と線で描いた煙突の形や煉瓦を積んだ跡、瓦の屋根、手前の黄色い花など、そのままデッサン的なフォルムが深い叙情ともいうべきものを表す。

 中園ゆう子「双子星の住処」。ツインのように同じような二つの顔。衣装が異なって、それを浮世絵ふうな平面処理によって表現している。中にすこし調子も入れられているが、鮮やかな原色の対比が清々しい。

 谷川将樹「間合いの中に」特選。勢いのある筆遣いで、犬の群像ともいうべきイメージを円弧の中に表現して、独特の力強さが感じられる。一種内面的な表現主義的な要素が面白い。

 佐藤淳「界」特選。墨による表現である。石垣を丹念にそのフォルムを追っていく。それによって不思議なリズムが生まれる。上方に裸木の枝が伸びていく様子が、下方の石組みと対比されて表現されている。「時間を掛けて写生を進めていくとき、石と草木のバランスは素晴らしく、その空間は静寂の中に深遠な世界を醸し出している」(日展アートガイド)。十分に時間をかけてこの一隅に取り組んだところからあらわれる強さがある。空間のもつ独特の魅力が感じられる。

 吉田千恵「中今~明日へ~」。「古神道に『中今』という言葉があります。過去はどうであったにせよ、今を生き切ることが大切だという意味だそうです。今回は、明日にむけ精一杯、そして力強く生きる鳥の姿に心惹かれ制作しました」(日展アートガイド)。画面の中ほどよりすこし上に三羽の鳥の羽ばたいている様子が描かれている。背後の黄土の水面と一体化したようなかたちである。下方に水紋がいくつもその輪をつくって響き合っている。水と空とが一体化したような不思議な空間が上方にあらわれ、そこにとり囲まれるように描かれている鳥が独特の幸せな雰囲気である。空間の解釈の面白さと独特の安息感ともいうべきイメージに注目した。

 西出茂弘「木漏れ日」特選。「取材・写生は富山県南砺市、五箇山の近くにあるブナオ峠」(日展アートガイド)。ブナ林の大木が立ち並ぶ林の中の一隅である。ブナの木をトルソのように大きく画面に引き寄せている。背後に緑の葉と光とによって、一種抽象的な強い波動があらわれる。その独特のリズム感が面白い。

 谷野剛史「宴」特選。長方形の黒いテーブル。椅子がいくつか周りに置かれている。中心に花瓶に一輪の花。お皿にはナイフとフォーク。食べ終わった魚の骨。コップ。ワインボトル。宴のあとの情景。不在の人間の気配が強く感じられる。中心の黒いテーブルの中に様々な行為の痕跡のごときものが、密度のなかに表現されている。手触りのあるこの黒のもつマチエールと深い色彩とが魅力である。

 棚町宜弘「狭間、冬陽差す」特選。いくつもの線路がカーヴしている。右の線路はトンネルの中に入っていく。左の線路は地上のほう、それより一段高いところをカーヴする。そして、その左のほうには高い橋になったところを車が走っている。その周りの電線も含めて、曲線、直線が複雑に絡み合う中に光線が差し込む。冬の日である。それが懐かしい優しい故郷を思わせるような雰囲気になっている。その線路は心と心をつなぐ存在のように表現されているところが面白い。

 一木恵里「青い理髪店」。木造の二階建ての建物にポスターや様々なものが見える。その小さなものをモザイクふうに表現していきながら、全体で楽しい生き生きとした空間があらわれる。木目なども自由闊達に描いて、それもまた生命感を表現する手段となっている。明るい色彩のハーモニーも魅力。

2室

 朝倉隆文「再生ノ方舟」。墨、あるいは鉛筆、あるいはペンでもって神話的なドラマが進行する様子を表現している。いわば三十ページぐらいの劇画的なストーリーを一枚の画面の中に入れたかのごとき感があって、独特のパワーを示す。

 能島浜江「雁の童子」。椅子に座った若い女性。そのフォルムが一種彫刻的。繊細で、しかも力強い表情を見せる。後ろに、肩肘をついて寝たポーズ、あるいは膝を立ててそこに顔をのっけたうずくまるポーズなどのフォルムが置かれ、それは線描きであるが、その周りに植物のフォルムが置かれている。黄土系の大地を思わせる色彩に安息感があって、そこに線やたらしこみによるフォルムがあらわれ、そのお互いのフォルムが生き生きと響き合う。日本画のもつ叙情的なものではなく、フォルムのもつ強さとトーン、色調によって、独特の空間をつくる。彫刻的なモニュマン性と同時に、豊かな陰影のある、日本の風土のもつ光や風のごときものが引き寄せられているところが面白い。

 岩田壮平「THE ROSE OF HELIOGABALUS(アウレリウス・アントニウスの薔薇)或いは切断された幕」。赤い薔薇の花が集積している。それを包みこんでいた布を吊るしていた縄が切断されて、いま落下している。赤の薔薇の群像ともいうべきダイナミックな雰囲気と落下する感覚とがないまぜになって、独特の劇的なイメージがあらわれる。どことなくローゼンクイストのポップ作品を思わせるところがある。

 森美樹「初雪」。黄土色の葦のような植物の葉が風に靡いている。その向こうに若い女性の上半身がのぞく。雪がすこし降ってきている。しーんとした気配である。孤独であることが栄光であるような、そういった豊かなイメージ。それによって人間の肌も、この葦のような植物も、静かに内側から輝いている。ほんのすこしの雪片もまた白く輝いていて、全体で柔らかな、しかも強いマチエールのなかに、空間の中に電流が走るかのごとき感がある。

 大西健太「SORA」。髪に花輪をつけた少女が傘を持って座っている。地面に花が咲いている。その周りに水溜まりがあって、そこにも黄土色のお皿に花が浮かんでいる。不思議なコンポジションである。妖精的な女性が自然と深い関係をもったイメージを、おおらかに歌い上げるように表現する。

 丸山勉「庭影」。白と黒の世界。ぐいぐいと線によってフォルムがつくられる。壺や桶やボックス、塀、樹木。その中に白い風が吹いているような雰囲気。詩情を感じさせる一隅。

 川嶋渉「銀波紋」。水の上の影を描いている。銀を地に厚く塗った上に墨をたらしこむようなかたちで波紋を描いている。その波紋が次の波紋を呼んで、どんどん共鳴しながら動いていく様子が独特の力を示す。感覚だけの仕事と言ってよい。その感覚が音楽のように画面の上で響いて、鑑賞者のほうに発信してくる。水という形のないものの上に形のない影が揺れ動くさまが実に、一種魔的な力で表現される。

3室

 間瀬静江「白象来迎図、及び奏楽童子図」。画面の下方七分の一ぐらいに都会のビルが描かれている。上方に大きく円形がとられ、象の正面向きのフォルムが白描で表現されている。両側に白い雲が浮かび、そこに童子が二人。一人は小さな竪琴を奏で、一人は横笛を吹いている。金の箔が散らされている。都会の上にあらわれたこの白象と脇士のような二人の奏楽童子は、実に魅力的である。来迎図では、下方に森や山などが描かれているが、現在はビル群で、上方の童子にはさまれた象の様子が、何か考えこんだ様子。象は百年生きるといわれているが、母性的な要素の典型のような存在としてこの絵の中にあらわれているところも面白い。線というものを駆使し、線と線の連続によってメロディをつくっていく。

 池内璋美「風」。石の階段が壁と壁のあいだに置かれている。強い存在感が感じられる。石のもつ時間性やその量感、歴史。壁には聖人の像などが描かれていたのだろうが、一部剝離している様子。グレーのトーンの中に、この階段を上っていくと異界に行くような不思議な雰囲気。

 鵜飼義丈「共に生きる。」。緑の鯨と黒い鯨、グレーの鯨。四頭の鯨が交差してダイナミックな力を見せる。それをフラットな色面と線によって表現する。浮世絵にもつながるような造形力とエスプリ。

 林和緒「心は岬に」。海に岬が突き出している。海は青黒く、空が赤く燃えるように夕焼けである。風に靡いて緑の草原が傾いている。風景から強いドラマ性を抽出する。そして、一種の象徴を表現する。

 曲子明良「秋思」。墨をベースにした表現の上にオレンジ色の紅葉した樹木が対岸に輝いていて、それが水に映っている。水の色も空もグレーで、手前の伸びていく樹木もグレーで表現されている。余情を感じる。なにも描かれていないようだが、空間のもつ奥行、それを映す水が深い心象空間を表現する。

 佐藤朱希「季々会図」。二人の女性。一人は竪琴を持ち、一人はたくさんの花を持っている。黄金色の衣装。背後の箔を置いた空間。様々な植物の形や花。植物の中から妖精が現われたかのような華やかな表現。

 野村はるみ「蓮池」。枯れた蓮の茎が屈曲している様子。一部水に映っている。独特のメロディというか、抽象的な美しさがある。

 佐々木曜「花満ちて」。桜の花が満開である。枝が見えないほど花が満ちることは現実にはありえないのだが、この絵の中ではそれが可能になっている。花のずっしりとした重みに、この何百年かたつ太い幹もすこし傾きかけているような、そんな雰囲気。上方の柔らかな緑、ほぼ同色の地面のかたち。ひたすら満開の花の中に画家のイメージは入っていく。そして、花の精霊のごときものを表現しようとする。その精霊が花を通して現われてくるかのような趣である。画家のつくりだしたこの幻想性には、画家の深い想像力がその中に広がっている。

4室

 能島和明「東北の地よ(花皆折れた日)」。東北を襲った津波から丸三年過ぎて、四年目になる。「山百合、節黒仙翁、つりがね人参、一人静、松虫草、吾亦紅、撫子、車百合、待宵草、梅鉢草、岩団扇……折れる。翁草の種が飛天する。三・一一から四年目。もどれ、ウズノシュゲ(翁草の種)、故郷へ。幸よ来い、東北の地に」(日展アートガイド)。中心に聖観音の像が大きく描かれている。すこし影のような中に、その左手に持った瓶には赤い曼殊沙華の花が差されている。下方に、作者が述べる様々な花が描かれている。この聖観音の背後は暗い墨色で、両側が白くなっていて、激しい天候の変化を感じさせる。画家の強い祈りが生み出したコンポジションである。

 那須勝哉「la seine」。「右岸の取材場所は観光客で賑わっていた。物売りの黒人、スリグループのジプシー。私は写生中に、下に置いたリュックをすられた。セーヌはゆったりと流れ……。一杯の観光客を舟に乗せて……」(日展アートガイド)。低い位置から対岸と観光船を眺めている。水がコバルト系の青で、すこし塩辛い雰囲気。空のセルリアン系の色彩と対照的である。見ていると、無人で、運命の中を流れていく川のような味わいがある。旅愁とか旅情という言葉より、そんな深いイメージがこの風景から感じられる。

 藤井範子「満天星の春」。「冬は落葉の後に赤い小さな芽が無数に付く。春は若葉の中、小さなスズランのような白い花を咲かせる。夏は緑の中にも赤い茎が力強い。季節のうつろいを感じながら元気をもらっている。これから紅葉の秋が楽しみでもある」(日展アートガイド)。左に冬、中心に春の白い花が咲いている様子。右には葉に赤い茎が伸びている様子。満天星の三つのフォルムを描いている。中心の白い無数の花の咲いた満天星の様子は、まるで満月のような趣である。そして、上方に星のようなフォルムがきらきらと光っている様子で、まことにロマンティックで豊かな雰囲気。満天星の花の咲いている様子を、丸くもっこりとした量感の中に表現しているところも面白い。

 山﨑隆夫「晴れゆく」。「故郷・新潟には白鳥の飛来地が数多くある。早朝、何かを合図に突如一斉に舞い上がり、それまでの静けさを打ち破るような羽音を響かせながら飛んでいく様は凜として美しい。やがて元の静寂が訪れ、一抹の寂しさと共に冷気を感じたその時、彼方に虹のような光が見えた気がした」(日展アートガイド)。白鳥が飛び立って、消えたあとに虹が残ったそうで、その三十分ほどの時間の流れがそのままこの画面の中に定着されている。上方の白鳥の様子が擬人化されて、親しみがもてる。それは下方の裸木も同様で、畦から伸びているその木のかたちが独特で、人間が立って、手の先を伸ばしているような、そんな趣も感じられる。イメージのなかの古里の風景であり、白鳥であり、虹であるところが、この作品の魅力。

 福田千惠「神無月」。エネルギッシュで包容力のある実業家の肖像画だそうである。蝶ネクタイを締め、タキシードを着て、膝を組んでいる。座っているのは革張りの椅子。堂々たる力強い中年の肖像である。組んだ腕。あるいは目の大きな強い表情。体全体にどっしりとした力が感じられる。画家の「自然体で力強く活躍している姿を表現した」(日展アートガイド)という言葉どおりである。

 鈴木竹柏「秋の響」。「初秋のさわやかな、里山の秋。豊作の日も間近、故郷をなつかしく思う今日この頃です」(日展アートガイド)。会場でも、この緑の色彩がふくらんでくるような独特の雰囲気である。山の斜面には樹木が葉を茂らせているのだが、それが一面のニュアンスのある緑の調子によって彩られている。豊穣の緑のようで、空のすこしピンクがかった色彩と深い対照を見せる。その緑よりすこし黄色みを入れた調子で、手前の田圃の様子が描かれている。まだ完全には実っていない田圃の様子。あいだに細い道が続いている。そして、五軒ほどの低い民家が山の麓に見える。見ていると田圃の中にも畦道が浮かび上がり、黄色と緑とが複雑で豊かなニュアンスを醸し出す。さらに、じっと見ていると、山のへこんでいる部分とふくらんでいる部分といったように、抑揚があらわれてくる。一見すると、素晴らしい緑の山と田圃の景色に見えたものが、そのように複雑なかたちがあらわれてくる。ピンク色の空には圧倒的な存在感が感じられる。画家が語るように、「故郷をなつかしく思う」気持ちがそのままこの空にあらわれたかの感がある。そう思って見ていると、画家はこの画面の田圃にもいるし、空の上方からもこの風景を眺めている。胸中であらゆる角度からこの風景を眺めながら、山水ともいうべき緑の風景を表現した。

 中路融人「新雪浄苑」。「古刹として名高い金閣寺は一般的に豪華絢爛たる美しさのイメージである。私はその反面の金閣の美しさ、清らかさ、浄土の世界を描くことが出来ないかと、厳冬で雪の季節を求めて挑戦した。二月中旬、大雪の日はいつもとは全然違った表情をして、神秘的で清らかで、周囲の木立や池と調和して不思議な霊妙が心に伝わり、感動のまま表現した」(日展アートガイド)。二階と三階の金地が柔らかく照っていて、周りの無彩色の調子と実に優雅にハーモナイズする。その静かに輝く様子。まるで深い祈りのようなイメージを表現した。背後の斜面には樹木が立ち、地面には雪が積もって寂々たる雰囲気である。池をはさんで手前から一本の裸木が伸びている様子。その梢の先までのディテールを描き、木の生命というものと、その向こうに静かに映える金の色彩とを、面白く対照させている。それが池に静かに映っている。岩絵具の上から墨を薄く掛けたようなトーンによって、深い奥行があらわれている。

 市原義之「樹映」。京都嵯峨野、大覚寺の大沢池での取材だという。手前に二つの蓮の葉。遠景にたくさんの葉とピンクの花が咲いている。初夏の季節だろう。面白いのは、そのあいだに映っている波紋で、木の影が様々な色や形に揺らめいている。平等院のあの鳳凰堂から音楽が聞こえてくれば、こんな雰囲気になるのだろうか。寂々した中に雅やかなイメージが感じられる。

 三谷青子「鳥と遊ぶ」。塀に寄り掛かるようなポーズで若い女性が手にインコをとまらせて、見つめている。右足を左足の向こうに交差させている。すらりとした背の女性で、そのフォルム全体に独特のメロディを感じさせるものがあって、それがしぜんと鳥との会話といったイメージを支える。手前に鳥籠がある。そこに緑の鳥の形をした玩具のようなものが大きく入れられている。そのキョトンとした表情が面白い。この鳥籠の飾りのように周りに鳥の形がシルエットにつくられている。全体は赤みがかったベージュの色彩で、柔らかな優しい雰囲気。この女性の影が壁に映っている様子が、独特のイメージを喚起させる。「二羽のインコを可愛がっていた若い人が一羽を失いひどく嘆くので、インコを描きました。元気でいるもう一羽の無事を願っております」(日展アートガイド)と作者は語っているが、もう一羽のインコがこの赤みがかったベージュの空間のどこかに隠れているような、そんな不思議な雰囲気もある。

 川﨑鈴彦「池畔の桜」。新宿御苑のオオシマザクラを描いたものである。春雨が降っているのに気がついたそうだ。下方の池に桜が映っているが、雨ですこし揺れている。柔らかな緑の中に白い桜の花がほんわりと宙に浮かぶように描かれている。どこかメランコリックな雰囲気がある。桜を描いているのか、桜に描かされているのか、ほとんど主客の区別がつかないぐらい、イメージの中に深く入った表現。

 北野治男「行」。鷺が二羽、水面を飛んでいる。翼の位置が水平に広がっている鷺と、上方に立っている鷺。二羽のフォルムが実によく表現されている。水面にちらちらと日の光が映っている。向こうには林があるようだ。朝の霧のかかっている頃の時間帯だろうか。この画家独特のモノトーンに近い色調。壁画的なマチエール。徹底した写実によって象徴に及ぶ表現が魅力。

 鹿見喜陌「朧朧」。白いフジの花が垂れている。太い樹木の幹。くねくねと絡まったかたち。そのかたちが地面と接するところの不思議なフォルムのかたち。幹から地面のあたりは線で描き、上方の葉と白いフジの花は彩色である。きわめて装飾的な表現である。線による白描の美しさと彩色の美しさをコントラストさせている。画家独特の美意識が感じられる。背後のグレーのトーンの刷毛でぼかした曖昧なしっとりとしたトーンには、不思議な奥行が感じられる。

 澤野慎平「光芒」。建物がアーチ状にあけられて、そこの下がトンネルとなって、通過できる。ヨーロッパではこのような造りの建物がよくある。それをくぐると、光の当たった壁がベージュ色に輝いている。ずっしりとした存在感が感じられる。建物のもつ立体感や奥行と同時に歴史を感じさせる。

 渡辺信喜「蓮池」。「六月初旬の寺院の蓮池を描きました。花の季節も終わり、日中で人影も少なく、池には時折そよ風が渡り、葉がかすかにゆれ、鯉の動きで水面がゆらぎ、微妙な動きが目に入り、スケッチの手をとめしばらく眺めて心澄む時を過ごしました」(日展アートガイド)。蓮の葉の下方は小さく、上方は大きくなっている。視点が動いていく。蓮の葉のカーヴするフォルムがお互いに呼応しながら、不思議なハーモニーをつくりあげる。その蓮の形が実にこの作品の魅力である。

 亀山祐介「Fashion Doll」。作者のお嬢さんがモチーフになっている。「今現在、彼女が最も興味を持つ『ロリータ・ファッション』を描く事により、娘の心の動きや変化が描き出せたなら、と思います」(日展アートガイド)。画面の真ん中にそのピンクのロリータファッションの少女が立っている。首に蝶ネクタイをし、頭にはもっと大きなリボンをつけている。基本的には輪郭線によってフォルムがつくられる。同じこの女性が、上方では逆さまになったりして、いくつもシャドーのように描かれ、ウサギやクマなとのぬいぐるみも周りに散らされている。バックは銀のような箔を貼ってあって、その上に色彩が置かれて、明度が高く、独特の清澄な響き、ハーモニーをつくる。線と線がお互いに響き合いながら、一種の音楽的な効果をつくる。

 日影圭「陶」。窯が描かれている。石を積んだ窯の上に土を盛ったその形。入口は黒々として、全体で強い立体感がある。いまは火は焚かれていない。その窯の形を面白く表す。

5室

 松崎十朗「海」。上方に海の波が大きく描かれ、砂浜に寄せる様子。下方は一転して暗いトーンの中に水が描かれている。太古の海を思わせるところがある。人間的なところから海を見ているのではなく、もっとピュアで原始的な海のもつ音色、それを黙って聴きながら表現した。光の扱いが魅力である。

 米谷清和「ゆきあいの水面」。前は犬と散歩していたそうだが、犬が亡くなって最近は一人で散歩するそうだ。その中でたまたまこのようなアメンボに出会ったそうである。アメンボと影とが水の上に複雑な謎めいた文様をつくる。アメンボは実際よりはるかに大きく描かれている。影の形は呪文的。影を見ると、真昼の中に夜の世界が侵入してきたようなあやしさである。写実から入っていきながら、不思議なシュールな味わいを見せる。

 西田眞人「緑陰の扉」。昨年はイギリスの庭を描いた。「シェイクスピアの『マクベス』に出てくるスコットランドのコーダ城での取材です。写生旅行中、偶然に立ち寄りました。広々とした城内で庭へ通ずるアールヌーボー風の門扉が目に留まりました。微妙な緑色のグラデーションからくる癒される感じを絵にしたいと思いました」(日展アートガイド)。まさに緑がシャワーのように上方から下りてきている。そこにはまた一色ではない複雑な色彩があらわれる。光っている部分、影の部分、そして樹木の影になっている部分。横に、画家の言うアールヌーボーふうの門が優雅に線によって表現されている。画家独特の感性。画家がイギリスの歴史、あるいはそのガーデンから受けた感性の独特の表現である。

 中村徹「黙」。二頭のチンパンジーを描いている。まるで人間のような雰囲気である。座ってこちらを眺めている顔などは、因業い老人のようだ。また、座って左のほうを眺めている奥目の様子はすこしユーモラスである。人間を見るようにチンパンジーを見る。やがてチンパンジーによって人間が見られているかのような、そんな気持ちになるのではないか。イメージの強い表現に注目した。

 成田環「公園の風景」。ワシントンのポトマック河畔に桜の木がある。それを見て、感動したそうである。筆者もその桜を見たことがあるが、画家の描いたこの樹木の根から幹による様子はアルカイックで謎めいて、なにか強い存在感を表す。ワシントンの桜を描いてこのような光景になるわけだから、人の感性とは不思議なものである。向こうの椅子に帽子をかぶって考えこんでいるような男性があらわれている。このあたりの表現は、いかにもこの画家らしい。ワシントンの桜に出会って、何か考えこんだところからあらわれた不思議なコンポジションと言ってよいかもしれない。いずれにしても、樹木が強く、一種禍々しいようでもあり、福々しいようでもあり、時間のお化けのような謎めいた雰囲気で画面の中に表現されている。

 水野收「あ・り・が・と・う」。白牛のそばにいるインドの男性。そばで少女が赤い花を両手に載せて、牛のほうに捧げている。下方には鵞鳥がいる。上方には鳥が舞っている。後ろには小さな葉を見せる樹木。自然と一体化したインドの宗教性。その思想をこのようなかたちで表現する。大きなどっしりとした足を組んだ男性の像を中心に、X状に牛や少女や鳥などを並べて、独特の求心的であると同時に放射的でもあるコンポジション。白が気高いイメージを伝える。

 村居正之「祈りの橋」。「アヴェロン河畔にあるベルカステルは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼街道の休憩地として発展した村。村にあるベルカステル橋は十五世紀に完成。当時、この橋を渡る人は教会に祈りを捧げる義務があったと伝えられる」(日展アートガイド)。この石によってつくられた橋の向こうに教会が見える。一階の窓から黄金色の光が漏れている。両側の石造りの建物。背後の丘。そこに伸びる針葉樹や広葉樹。空は濃紺で、満天の星である。ハリー・ポッターの世界を思わせるような光景である。歴史のしみ通ったようなこの橋や建物を、濃紺の中にロマンティックに表現する。近くに寄ると、石の一つひとつまでも画家は描き起こしていることがわかる。強い集中力によって仕事がなされているが、すこし離れると、柔らかな光線の中にロマンティックな世界が広がる。おそらく眼鏡橋のように半円状にカーヴする橋だと思うのだが、その隆起する橋の様子が、ここまで歩きここからまた歩いていく巡礼者のイメージを醸し出す。

 橋本弘安「帰り道」。橋本弘安は絵具を自分でつくる。岩や様々なものをすり鉢で粉にし、それを岩絵具として膠で溶いて使う。今回、上方のすこし塩辛いような空に満月が浮かび、ススキが白い穂波を輝かせているが、そのブルーは画家の最近つくりだしたものである。「家族でススキの咲く公園で遊んだ帰り道を思い描きました。最近ラズライト(ラピスラズリの結晶部分)の四〇〇ナノメートルの青い色を作ることが出来、それを暮れる空に使いました。鉱物や岩石などから自作した色彩の美しさと不思議さを感じ、それらを活かしたいと思い制作しています」(日展アートガイド)。手前に姉と妹が向かい合って立っている。その後ろに母親がいて、そばに父親らしき人がすこしススキに隠れて立っている。色彩によるものなのかどうか、霊的な気配がこの人間たちに感じられる。独特の色彩に透明感があって、現実を通過して、幽体のごとき存在を画面に引き寄せようとするかのようだ。手前の道に青い色彩が入れられて、道という大地に根ざしたものではなく、これ全体がぽっかりと空に浮かんで宙吊りにされているような、そんな不思議なイメージが感じられる。

 木村光宏「爽華残雪」。独特のリズム感がある。植物の線が縦横に伸びていく中に、花が抽象的に扱われてきらきらと輝く。あいだに空が広がる。全体を見ると、具象性から入った抽象性、たとえばサム・フランシスの華麗な抽象表現と重なるようなイメージを、しっくりとした青を中心とした色彩の中に表現して、面白い。

 中出信昭「聖なる森」。笹のあいだから樹木が伸びている。杉の木が背後にある。そんな中に鹿がその上体を現している。たとえば奈良の春日山には原生林があるそうだ。そういったところから取材したのだろうか。こちらを向く鹿の白い形と周りの植物とが緊密な空間をつくる。

 菊池治子「三社祭」。ずっしりとしたお神輿を背景にして、鉢巻きをした女性が立っている。お神輿の周りにはたくさんの人々がいる。手前には法被姿の父親に抱かれた女の子の姿。神輿の上の鳥の金色のフォルムが、この画面のポイントとして面白く扱われている。若い夫婦と女の子という存在と三社祭とが優しく結びつけられた表現である。三社祭の男っぽいあの激しい動きは後退して、そのような表現になっているところが面白い。

6室

 川島睦郎「彩る」。「見慣れている、いつもの景色。もみづく季節に出会う特別なひととき。沈みゆく夕日に照らされ、秋の彩りをより一層美しく見せてくれた」(日展アートガイド)。紅葉した景色に夕日が差し込んだ様子だという。オレンジや朱色が実に魅力的に表現されている。それが断崖にあるようにどんどん上方に向かい、いちばん上はグレーの空に接する。不思議なことに下方から裸木の白い枝が伸びている。自然というもののもつ気配を紅葉の中に実に魅力的にうたいあげた。

 岡村倫行「瓔珞愛染」。「怒りも哀しみも美しい事の一つです。遠い過去に創造された作品の中に如実に現れ存在しています。それらの内に在る真実がその美しさを際立たせ、命を息づかせています」(日展アートガイド)。中心に若い女性が立っているが、ずいぶんあやしい雰囲気の女性である。体中に入れ墨のようなフォルムがあらわれている。炎が燃えているようなフォルムで、それは指の先まであらわれている。背後は大きく円状に濃墨の空間が、まるで光背のようにあらわれている。そこに白いリングが三つ。くわえて、複雑な円弧が集合したフォルムが下方から上方にかけてあらわれ、実に時間というものの謎のなかに人を引き寄せるようだ。上方には、まるでこれを荘厳するように星のように小さな花が白く咲いている。墨一色の表現。手前のこの女性はいわば時空を超えて存在する美の化身のようなイメージで、人間の喜びや哀しみや憎しみや様々な感情を背負って、それを栄養にして、だんだんとそのイメージがより深く輝かしくなってくるような、そういったあやしい存在。人間が仏や悪魔の姿を刻み込むその動機をそのままここに表現したかのごとき味わいが感じられる。

 川﨑麻児「無言」。黄金色のトルソ。男性のもので、アッシリアあたりの石彫を思わせるところがある。強い形。そのフォルムが宙に浮かんで、背後は銀河のような、星いっぱいの夜空が描かれている。強い浪漫性が感じられる。このような作品からインスパイアされて詩ができるし、詩人の世界がそのまま絵画としてあらわれたかのごとき様子である。

 田島奈須美「不思議の国のアリス(鏡の国より)」。少女とチェシャ猫がいて、前にトランプがある。そばに大きな鏡がある。そこではチェシャ猫が後ろを向いて、少女はこちらを向いている。顔だけが大きく上方に浮かび上がる。鏡のいたずらである。アリスのシリーズの連作で、今回は鏡の中の世界と左上方の窓に寝そべるチェシャ猫とラッパを吹く莵とが面白く呼応しながら、独特の幻想的ファンタジックな空間をつくる。

 岸野圭作「簇簇」。「小さな花や草の集まりに、遠く銀河の幽かな息づかいを聞く思いがします」(日展アートガイド)。野の花が青い色彩の中に可憐に咲き誇っている。ハルジオンとか小さな小菊のようなものとか、名前はわからないが、黄色や赤のツユクサのような植物。あるいは、すこし茎が伸びていって、カスミソウのような花もある。青も複雑な陰影に彩られている。そこに小さな花が無数に咲く様子は、まことに魅力的だし、そのまま美しく、まるで画家の言うように無数の星が地上に下りてきて咲いているかのようなイメージである。画面のすこし上方に、左右にベージュの光の道がある。水が流れているわけではなく、光の帯がそこにあらわれているのが不思議である。その光がそのまま銀河のイメージと重なる。画面に接近すると、淡々と葉や花を描き重ねた結果であることがわかる。すこし離れて見ると、それが重層的な空間となって、しかも色彩に透明感があり、可憐で、独特の輝きを放つ光景があらわれる。植物の物質を描いているというより、その霊的なイメージに昇華した世界を描いているかのようだ。それがこの作品の最も魅力なところである。また、じっと見ていると、右のほうに大きな葉のシルエットになったフォルムが右上方に動いていく様子などは、柔らかな青い中の深いドラムの音のような雰囲気であって、実に簡単なように見えて複雑な構成になっていることがわかる。それはそのまま自然というもののもつ陰影と深くかかわるところからあらわれたものに違いない。

 土屋礼一「美雪晴・梟」。「雪後の天といいますが、雪の翌日はいつも快晴無風の日に恵まれ、青空の下、枝に残る雪の輝き、その白い景観は、世の雑音をことごとく消しさり、まるで無垢の天地が現れるようです。前々からいつかこの光景を描きたいと思っていました。子供の頃、父が大好きで飼っていた梟を入れ、青天の枝を構成しました」(日展アートガイド)。枝が左から右のほうに一回転し、そこからまた逆向きに上方に向かう。その陰に梟がとまっている。ダイナミックな思い切ったコンポジションである。背後のコバルトの空に白い雲。雲にすこしピンクが差しているから、夕方だろうか。アルカイックという言葉があるが、木の形を見ると原始的で、自然の中にそのような形を画家は発見し、人の雑音をすべて消して、自然そのものと向かい合おうとするかのようだ。それによって、この激しい力が生まれるものと思われる。雪の積もった枝の様子も独特である。無垢なイメージと同時に、そこには幾星霜時間が積もったといった、そんなイメージも感じられる。その歴史的イメージと梟が面白く呼応して、スフィンクスではないが、われわれになにか謎をかけてくるようだ。

 岩倉寿「白暮」。柔らかな青みがかったグレーのトーンが優しい。上方に四羽の鳥がとまっているようだ。植物の茎のようなものが伸びている。灌木のようなものも見える。右のほうには白い花が咲いているようだ。下方を見ると、道のようなフォルムがあり、道からすこし上を見上げたような雰囲気もある。自分の経験というものを下から眺めたり、上から眺めたり、正面から見ながら、イメージをかたちづくっていく。そこにあらわれてくるのは、自然というものの気配と言ってよい。そして、そこには可憐に花が咲き、小鳥が飛び交っている。その様子を、物質を描くのではなく、そのイメージ自体をいかに表現するかに苦心した結果、この清らかな画調が生まれたものと思う。

 丹羽貴子「清風」。粗末な木造の建物。その後ろに巨大な樹木がある。それはネムノキでピンクの花が咲いている。背後の山も緑一色。手前のほうにも田植えの終わった稲が見える。その緑の中にネムノキのピンクがすこし揺れるような面持ちで描かれ、独特の生気を表す。

 森脇正人「山図―空寂」。中国の長家界での取材の結果。山が塔のように立ち上がっている。こんな切り立った山があるのかどうかわからないが、そのように描かれている。水墨による表現。下方に水が流れている。もっと低い丘のようなところに樹木が見える。上方に月らしきものが見え、雪が舞っているような気配がある。この山は、山というより塔のようにも、内側に何か妙なものを抱いて立っている。中心の石の中に仏の顔のようなものが見える。そこは石だけでできているようだ。異様な山である。孤独の中に寂々として自然の中に深く入った中から捉えられたイメージとすると、わかるところがある。現実というより、詩人のイメージがつくりだした山図の表現と思ってよい。そういった世界に画家自身がいま入ろうとしている。

 山下保子「緑陰」。日に照らされた女性と樹木の陰になっている女性の二つを描いたそうである。袖なしのワンピースを着た女性が座っている。手前には青い衣装をつけて帽子をかぶった女性が座っている。夏の女性と秋の女性と言ってよいかもしれない。背後に大きな葉をもつ樹木が伸び、無花果が実り、下方には紫の花が咲いている。自然の彩り、植物の区別。好きなものを画面に引き寄せながら、独特の画家の審美的な世界を表現する。色彩以上にフォルムが画家の心持ちをメロディのように伝えてくる。

 中村賢次「ヴェズレー」。ヴェズレーのラ・マドレーヌ聖堂はロマネスクの建造物、そのタンパンはよく知られている。小高い丘の上に立つ街。それを遠景に描いて、手前に若い女性が椅子に座っている。ヴェズレーの街が思い出の中にあるように、半円の中に表現される。周りは赤い色彩で彩られている。「秋の日に抜けるような青空と室内の柔らかいオレンジ色の照明の暖かさの対比が美しく、描きました。ヴェズレーはキリスト教巡礼の出発地で世界遺産にも登録されている、小高い丘の上に立つ静かな町です」(日展アートガイド)。

 高越甚「渓谷」。白山の中に入ってつかんだイメージである。岩が複雑な様相で切り立っている。その下方を渓流が流れている。その二つが不思議な対照のなかにハーモナイズする。

 長谷川喜久「再生」。枯れた向日葵が頭を垂れている。それを拡大して描いている。見るからに老人のようなイメージである。重みがあって、向日葵の拡大されたこのフォルムや葉の様子は一種異様な迫力のなかに表現されている。やがて死滅し、土に返るのだろうか。その様子がまた新しく復活するイメージを静かに引き寄せる。右下のほうに蟬の殻がたくさんある。上方には蟬の殻から蟬がかえっている様子が描かれている。夏が終わった。その感慨を独特の下方に垂れるというコンポジションの中に表現する。いわば向日葵の死体と蟬が生まれ出るフォルムを組み合わせた独特の表現である。

 諸星美喜「ゆるるか」。鰭を羽のように広げて泳いでいる。その広げた鰭が青く、中心はオレンジ色。ゆるやかに水の中を曳航するようにすっと泳いでいる様子が幸せで、なんとも気持ちよい表現である。周りにヒトデや貝などが装飾的に配置されていて、幻想的な表現となっている。透明な色彩も魅力。

 東俊行「立神岩」。「淡路島の南に勾玉の形をした小さな島がある。イザナギ・イザナミ両神の国産み伝説の沼島である。悠久の刻(とき)の流れの中に、カプセルされたような神話の気に満ちたオノコロの島。その海上に天を裂くように屹立する上立神岩の姿はまさに『天之御柱』であり、まるで神の意志で生まれたようなフォルムの美しさであった」(日展アートガイド)。銀(プラチナ)の箔を貼った背後の空間に屹立する神の岩の形。すこしねじれながら上方に向かっていく。そのずっしりとした存在感。そして、下方の海のすこし波の騒いでいる様子。いわば自然とか神話の元型ともいうべきフォルムとじかに向かい合って表現することによって、独特の不思議なものがあらわれる。紀州には、弘法大師と鬼が争ったあとにできた岩というのが海に点々とあって、異様な雰囲気だが、ここにあるのは、天之御柱と画家のいう屹立する岩の形である。息苦しいような存在感が感じられ、それと対峙したところからあらわれた独特の空間や気配の表現である。

7室

 能島千明「構内にて」。ベンチに座っている十人ほどの群像。駅員は立っている。それぞれの表情が面白い。体全身でもってその老若男女の姿が浮かび上がって、お互いはお互いと関係をもっていないのだが、現代の駅の中の群像として新鮮である。あまり目鼻の表情を描かずに、体全体の表情によって構成されているところがよい。

 諏訪智美「機織る里―夕風―」。上方に電信柱が並んでいる。それを下方から眺めている。オレンジ色の空。不思議なことに下方に鮒のような魚や金魚がたくさん泳いでいる。「機織る里」という意味はわからないが、植物を背景にして泳いでいる魚とオレンジ色の夕日とは不思議な取り合わせで、上方の空はまだ緑で、そこにも白い鱗を輝かせて魚が泳いでいる。フォルムはクリアで、一つひとつの形が面白く、荒唐無稽であるが、なにか納得できるものがある。

 木村卓央「三千大千」。「遙かに昔、法隆寺金堂壁画模写に従事して幾星霜。先人の思念、畏怖も脈々と心に生きている。三千大千の幻想譜」(日展アートガイド)。雲の上に浮かぶ天女というか、二人の観音。その周りの球体の中に虎や熊や莵や狼などの哺乳類が置かれている。それを哀れんで救っているというイメージなのだろう。天女のフォルムも球体の中の動物のフォルムも生き生きとして、全体で渾然としたハーモニーができる。いわゆる聖衆来迎図の変形バージョンで、独特の魅力を放つ。

 石原進「業」。鵜飼の図である。上方にかがり火が燃えている。下方に魚をとる鵜が羽を広げている。様々な鵜のフォルムがその中心の鵜の周りにいて、一種の曼陀羅構図の中に描かれている。魚をとるのが仕事の鵜を、画家は業という言葉で述べている。日本に古来から伝わる鵜飼の図を、画家独特のコンポジションの中に表現する。

 石坂恵子「香季」。二人の若い女性。匂うような独特の存在感が感じられる。下方の小鳥も手前の女性の持っている花も脇役として生きている。

8室

 松崎良太「阿蘇景風」。上方に赤紫の阿蘇の山が噴火をしている。下方を見ると、草原のようなものが見え、近景に家もあるのだが、近景の丘の上の家と山とのあいだには霞が渡り、霧が立ち、まるで海のようなイメージがそこにあらわれる。ダイナミックな空間の奥行と噴煙を上げる火山の活動。強いムーヴマンと緑と赤との色彩のコントラスト。

 中町力「夢見るガウディ」。ガウディの有名な大建築が水に映っている。柔らかなグレーの中にその建物が揺れている。それだけの図であるが、この画家らしい情感がここから醸し出される。

 林真「冬の蝶」。雑草と雪とが銀色で表現されている。それに対して木造の家が暗く、廃墟のように感じられる。様々な蝶。しかし黒ずんだ青や紫色であるが、その十数羽の蝶の群舞している様子があやしい。死というものを背景にした生命の輝きのよう。

 藤島博文「白舞来朝」。二羽の丹頂鶴がお互いに向かい合って鳴き交わしている。求愛の表現だろうか。手前のすらっと足を伸ばし、足の先がすこし重なっているようなフォルムと広げた羽。そして、それを見下ろすような上方の丹頂鶴の首から頭、嘴にわたる形。手前が雌で、向こうが雄のようだ。背後のふかぶかとしたエメラルド系の緑の色彩。月が手前に下りてきている。見事な二羽の丹頂鶴の求愛のコンポジションである。世俗を超えた深いイメージが画面にあらわれている。

 市丸節子「舞(鐘が岬)」。画面全体、この踊る女性の姿である。横から捉えられている。長い振り袖、赤いだらりの帯。体は着物に隠されて、右手から首、顔にわたるかたちだけでこのフォルムはつくられている。それによって舞いのもつ力があらわれているのだから、この画家の筆力には非凡なものがある。柔らかな色彩の中に女性の横顔が輝くようだ。

 大野忠司「アパカバール(島の時間)」。俯瞰した構図で、この南国の風景をのどかに表現する。巨大なバナナの葉にバナナのついている様子。その下方には黒人が二人座っている。そばには水牛に軛をつけて農作業をする人もいる。穏やかな赤みを帯びたジョンブリヤン系の色彩と緑とのコントラストの中に、労働する現地の人々の姿が生き生きと表現される。

9室

 百々俊雅「小雪舞う」。赤いフードのコートを着た女性が両手を顔に持ってきて立っているのだが、左に傾いている。下方に道があって、後ろは山で、たくさんの樹木が描かれている。白や緑やピンクの点々が雪のようだ。しぜんな動きが感じられる。柔らかなフォルムと画面全体の中のムーヴマンがしぜんで、ファンタジックで優しいイメージがあらわれる。色彩も、派手な色ではないが、落ち着いた調子のなかにお互いに生き生きとハーモナイズする。

 米田実「憑豹」。何かが憑いた二頭の豹で、お互いに喧嘩をし合っている。手前の豹は立ち上がって豹にかみつこうとしているかのようだ。魔的なものにつかれた人間を豹に託して生き生きと表現する。

 藤島大千「西施想越」。赤い衣装に、内側から照り輝くような女性の顔。呪文的な背景のフォルム。西施は王昭君や楊貴妃などと合わせて中国古代四大美女といわれる。越王勾践が呉王夫差に復讐のための策謀として献上した美女たちの中に西施がいた。夫差は彼女に夢中になり、呉国は傾いた。そんな悲しい宿命を背負った西施の憂いを帯びた表情を等身大を超えた大きさで表現する。ここには、単なる美人ではなく、策略の餌として送られた女性の悲しみのような姿が表現されているところが面白い。

10室

 山﨑光雄「水鏡」。シーソーの背が赤く彩られている。その下方に水溜まりがあって、そこに雲や街灯やジャングルジムが映っている。不思議な幻想感である。そして、雲のあいだの空が遠く、なにか奈落の底を眺めているような、そんなヴィヴィッドなコンポジションになっているところが面白い。

 伊東正次「枯向日葵図」。銀箔を貼った上に木をコラージュして、それを一部焼き、上方には枯れた向日葵、下方に蕪や松ぼっくりや葱などを描いている。きわめて技巧的、テクニカルな表現であるが、フォルムを見ると、優れた描写力を感じる。季節のなかに生まれてくる根野菜を中心とした表現であるところが面白い。画家のつくりだした花鳥図の趣。

 田中武「今宵、山芋を眺める女、すりおろす女、食す女」。箔の上に三人の女性を生き生きと描いている。上方に春画が描かれているように、ペニスをいじる三人の女という構想である。セックスの戯画化なのだが、フォルムが強く、構成も面白い。絵画的才能がある。

11室

 石井清子「夢」。五匹の猫を面白く表現している。下方では二匹の猫が抱き合っていて、ほほえましい。あいだに赤や斑の金魚などを泳がせて、独特のイメージ空間をつくる。

 對馬文夫「雪椿」。銀をオールオーバーにまず置いて、上から墨によって椿の葉を描き、そこに点々と赤い椿の花を散らして、独特の激しい動きをつくる。一種の過剰性ともいうべきものが魅力。

 佐藤加奈「悠久の壺」。女性の座っているフォルムをしっかりと描いている。白い上衣に茶褐色のスカート。後ろに大きな壺にドライフラワーが差されている。対象のフォルムをしっかりと描く。その姿勢から独特の穏やかで品のよい空間が生まれる。フォルムも力強い。

 岡本文子「Reversal」。画面をタテに三分割して、中心に銀の箔を貼っている。左右は紙のままで、墨によって上にフォルムをつくる。手を上げた少女のフォルムである。それが角度を変えながら連続して、独特の動きをつくる。中心は手前を向いて正面性で、彩色したフリフリのドレスを着た少女の姿である。衣装だけ彩色されているが、顔や頭は墨のままて、紙の地を生かしている。それは鏡に映っている像で、そこに手を置いている手前の横から見たフォルム。形に対する感覚が優れている。バックがこのままで済むのかどうかといった疑問もあるが、新鮮な初々しい初入選の作品。

 伏屋友賀「あっかんべー」。カバが正面を向いて寝ている。その顔と前足、後ろに続いていく山のようなフォルム。手前の目とか鼻、舌のクリアな形が実に力強く愛らしい。水を表す墨による円弧の抽象的な表現。独特の絵画的な才能。

 伊藤郁子「さ・く・ら」。デッサンがそのまま色となってあらわれてきている。幹から枝、梢にわたる桜の木の一部。そして、たらしこみふうにすこしピンクがかった胡粉を置いて花を表す。生き生きとしたシャープなムーヴマンの中に桜の香りが漂ってくるようだ。

 谷口晴剛「秋の山」。びっしりと広葉樹が枝を広げて、一部紅葉している。それを緻密にオールオーバーに表現して、独特の密度をつくる。

 福間小夜子「群游」。黒とグレーの水。ところどころ波紋があらわれる。そこにたくさんの赤い金魚と斑の琉金とを配して、そのフォルムによって独特の動きをつくる。百以上もある金魚のフォルムは、まるで炎が燃えているような独特のムーヴマンを表す。

12室

 奥原美智子「森に」。鬱蒼とした森の森閑とした様子をよく表現している。面白いのは樹木の幹がシルエットになっているのだが、そこに蔓のような植物の葉が白く輝くように表現されていること。それによって、森の霊がここに姿をあらわしたようなユニークなコンポジションが生まれる。

13室

 月館京子「遥かに続く」。たくさんの向日葵の中に若い女性が立っている。遠景にも向日葵がある。ソフィア・ローレンの「ひまわり」という映画は有名だが、そんなイメージもあるのだろうか。向日葵のもつ質感とか重さのようなものまでが表現されている。女性の妖精的な姿が魅力である。

 鈴木一正「浮惚」。シロクマが水の中にいる。すこし浮いて泳いでいる様子。実にイノセントな雰囲気。巨体が水の中で柔らかな雰囲気。夢の中に出てきそうなシロクマのフォルムである。

 天野澄子「時空の旅人」。頭にスカーフのようなものを巻き付けたお洒落な雰囲気の若い女性。白いTシャツにジーパン。その下方の足首のあたりで交差しているが、そのフォルムが生き生きとしている。ガラスの上に乗っているようで、そこには文字盤が描かれている。青や紺の上にこの褐色の肌をした女性のフォルムが生き生きと描かれている。

14室

 戸田淳也「鳳翔の旋律」。鳳凰はその大きさは巨大すぎて、隅から隅まで見ることができないという。その顔と足の爪を下方に描き、もう一羽、右のほうを見た目が暗闇の中から現われる。独特のユニークなコンポジションであり、イメージの表現である。

15室

 安田やよひ「黄昏」。駅のホームに電車が来て、それに向かって人が歩いていく。右のほうには待っている人。電車の照明が輝き、パンタグラフが左右に続いている。素朴な表現であるが、独特の色彩感覚と体感的な空間の表現に注目した。

 小木曽登「同じ月の下」。青年が黒い上衣を着て立っている。上方に二十二日ほどの月が昇っている。ぐいぐいと描きこんだその質感によって、手や顔のフォルムが立ち上がってくる。バックは銀河を思わせる空。ロマンティックな雰囲気。強い筆力。

16室

 村山春菜「記録:kyoto」。京都の街を上方から俯瞰している。白く胡粉を塗った上からマジックでぐいぐいと描くように、黒い線を彫り込んだ中に墨を入れて、それら全体でまるで交響曲のような生気をつくりだす。

 神谷恒行「廃墟の島」。上方に軍艦島が見える。まわりは海である。海は銀色に輝いて、波打っている。その波の様子を銀で表現している。黒を置いた上から胡粉をたらしこみ、輪郭線を銀でもって表現する。それによって波が独特の強い存在感をもって迫るし、そこにつくられたフォルムによる動きが面白い。空のグレー、軍艦島の黒、銀色に輝く海。同じグレーでも、その三色がお互いのポジションで響き合う。若々しい感覚に注目。

17室

 河野茂樹「松」。松が斜めに立ち上がっている。上方では、松の木はしなっている。激しく風が吹いているような、独特のドラマ性がある。松の幹の褐色の色彩と葉の緑、そのあいだに赤などが入れられて、暗い中に独特の色彩の輝きがあらわれる。背景の青いトーンは男性のスピリットが空に反映して表れた色彩だろうか。強い詩情を感じさせる。

 坂井由紀春「好日」。白黒の作品。岩絵具の黒、墨の黒などを合わせながら、独特の奥行のある深い陰影をつくりだす。中心に樹木の太い幹が斜めに立ち上がっている。その周りに宿り木の蔓がまといついている。上方のこの樹木の小さな葉の様子。また、見上げる角度から描いていて、両側に並木が続いている様子。そこには樹木のてっぺんのあたりが描かれて、枝や梢の様子や蔓の葉の様子などが実に面白く生き生きと表現される。空はグレーだが、そこから柔らかな光があふれるように差していて、深い陰影をつくる。優れたデッサン力の持ち主である。造形力と言い換えてもいいのだが、ぐいぐいとフォルムをつくり、フォルムによって語りかけてくるものがある。この林の中の樹木と画家とは実に近い関係にあって、それがこの樹木に人間のような陰影を与えている。

18室

 新屋小百合「黄昏の」。黄土や、すこし赤みがかった色彩などが茫漠と絡み合いながら続く中に、上方には青い空が見え、下方には水のようなフォルムがあらわれる。そこに一本の樹木が描かれている。それほど大きな樹木ではないが、人の心に静かに語りかけてくるような葉の茂った一本の木である。そういったロマンティックな雰囲気が好ましい。

 鈴木晴美「色彩の窓辺で」。大きな丈の高い天井のある空間に巨大な窓ガラスが置かれている。手前にソファと机があり、机の上には鏡が置かれて、紅葉した背後の樹木を映している。陰影の強いコントラストの中に独特の生気ある空間を表現する。

 酒井淺子「ニューヨーク明ける」。鉛筆による表現で、一部墨やコンテなども使われているようだ。エンパイアステートビルを中心として、ニューヨークの街並みをしっかりと描き起こす。上方に飛行機が見えるのがアクセントになっている。深い明暗のコントラストに絵画性を感じる。

 前田恭子「煌星のさく」。道の向こうが丘になっていて、丘の向こうは山並みで、一番星がいま輝きはじめた。オミナエシの黄色い花が月のように輝いている。優しいハーフトーンの調子の中に自然の奥行が表現される。

19室

 稲田雅士「夜」。上方を見ると、鐘楼に鐘が見える。下方には階段があって、そのアーチ状の向こうに建物が赤茶色で赤い光がのぞく。手前の窓の上に小さな裸の電球があって、光っている。詩の中の風景のようだ。街のイメージを生き生きと構成する。

 青鹿未奈「窓のある部屋」。アパートの窓近くに女性が座って、こちらを振り向いている。手前のテーブルにはスケッチブックや鉛筆やコーヒーカップや風景のスケッチが見える。独特の素描力が魅力。

 武田修二郎「静存」。二尾の蘭鋳が画面いっぱいに大きく描かれている。内側から発光するように表現されている。不思議な魅力を放つ。

 市川信昭「線だけの絵・あの日・耕地に船が」。津波によって陸地に船が運ばれた。逆さまになった自動車。様々な残骸。そういった津波の記憶を線によって表現する。そばで見ると、ほとんど鉛筆の線が使われている。そして、全体で一つのドラマのあとの残骸がリアルな空間をかたちづくる。

20室

 内田有美「蟬」。黒い線でぐいぐいとフォルムをつくる。縦長の画面のほとんどいっぱいを占める、蟬を上から見たフォルムがあらわれる。横には、白い上に黒いフォルムによってタイルのような形があらわれる。いずれにしても、インパクトの強いコンポジションで、独特の面白さを感じる。

 新川美湖「はじまりのとき」。公園の道がカーヴして、両側に大きな太い樹木がある。桜のようで、花をつけている。道には散った桜がたくさんあって、きらきらと光っている。余分なものは外して、一種幻想ふうにまとめている。

 安藤峯子「舞い」。クラゲが数十匹浮遊している。黒い背景にそのクラゲの形が面白く表現され、全体で優雅なダンスをしているよう。メロディアスなコンポジションが面白い。

 辻岡健一「網場の朝」。下方に座って網を繕っている女性が描かれている。そばには自転車なども見える。干された網。岸壁の上に網が干され、人々が作業をしている。そんな様子が繰り返し描かれ、人々がそこに働き、白い鳥が飛んでいる。それを俯瞰するかたちで眺めている。独特のロマンの表現である。構成に一種の音楽性を感じる。

 髙木かづ「薔薇園」。上方にパイプによって空き天井のようなものがつくられ、植物がそこに伸びている。板の道があいだに続き、その先は階段になっている。枯れてしまった園であるが、右のほうに緑の葉をつけた赤い薔薇がすこし見える。枯れた冬のなかに薔薇が緑の葉をつけ花をつけているといった印象。いずれにしても、空間のもつ韻律ともいうべきものがよく表現され、画面からこだましてくるものがある。

改組 新 第1回日展〈洋画〉

(10月31日〜12月7日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 歳嶋洋一朗「マヘレのはね橋」。オランダのアムステルダムの運河である。空と運河が画面の七割ぐらいを占めている。右のほうに船が繫留されて、樹木の並木が見える。湿気のあるすこしベージュのような空と、水の表現。そこに光が満ちている。光という物質のようで物質でない存在を画家は描く。強い塗りこまれたキャンバスが光を表現するためのマチエールをつくる。中景にはね橋があって、その水平のフォルムが画面を引き締めている。

 井上武「都市の景」。隅田川の手前から、アサヒビールの黄金色の雲のようなオブジェ、スカイツリーなどを眺める。カーヴする橋の向こうに黄色いアサヒビールのオブジェが見え、その後ろに高層ビルが立つ。右のほうにはスカイツリーが垂直に立ち上がり、画面の上辺を超えている。高速道路が川に沿って左下がりに伸びている。ダイナミックな風景。画家にとってそのような街がいとおしいと述べている。デッサンの跡がまだその線描が残っている。それもまた空間の中の味わいとなる。黒い太い輪郭線。縦横に画面を横切る。対象の形をとるための線の力が最後まで残って、その線の力が画面の中に生きて、ダイナミズムを引き起こす。動いていく雲にもその線が与えられている。のびのびとした動き。風景を前にして、画家は自分の詩情をうたいあげるかのようにフォルムをつくり、色を置いていく。

 古賀英治「刻の狭間―26」。「近所にある河口の護岸壁の前に、船の木片と水中冑など、古い物を並べた構成」(日展アートガイド)。潜水するための頭にかぶるものが、立てられた箱の上に置かれている。このようなものや錘などが置かれると、このグレーの空間自体が海の中に入っているような、独特の圧迫感といったものを引き寄せる。古いものたちが、一気圧ではなく、二気圧とか三気圧の下で存在するような、独特の存在感を放つ。

 山名將夫「フィオナ回想」。ティエポロ親子の壁画をデッサンふうに描いた壁の手前に、フィオナというモデルの女性が黒のドレスを着て座っている。女性のフォルムのS字形の動きが気に入ったそうだ。優れたデッサン力。また、ベージュ系の色彩の中に黒の色彩がシックに入る。

 西田伸一「想秋」。「秋のある日の若い女性の姿です。様々な思いの中、夢と希望に満ち、明日に向かって進もうとする姿を表現したいと考えました」(日展アートガイド)。黒いワンピースに黒いブーツ。前で手を組んだ女性の全身像である。ブルーやオレンジのカラフルなスカーフを首にまとっているのが、品のよいアクセントになっている。背後はベージュの壁で、そのベージュの色彩はしっとりとして、雪の積もった光景を連想する。面白いのは二つの足の位置で、この女性は厚さが五センチほどの板の上にのっている。右足がその板からすこし出ている。そのあたりの微妙な気配を画家は描く。後ろの円弧に壁がくり抜かれて、その向こうの色彩が出ているあたりもそうである。黒の中にも柔らかな質感がある。雪国の中の美意識のような、そんなかそけき存在が、画家の感性の中に反映しているように思われるところが面白い。柔らかな光がこの女性全体に当たっていて、それがまた希望といったイメージを醸し出す。

 立花博「望郷(或る漂流記より)」。「昨年春から描いている漂流記シリーズの第四作である。着想は津波の漂流物が太平洋をこえて漂着したという報道が契機となったが、あくまで想像上の物語を、静物画として成り立つように絵画化したものである」(日展アートガイド)。ペンキのはげた戸の上にテーブルを逆様にしたものを置いて、そこに聖書に十字架、天秤秤、トランペット、ワインの瓶、旗などが置かれている。面白いのは、いちばん手前に陶器でつくられたブロンドの髪をした女の子の人形が置かれていることである。グレーの壁。このものたちは、イメージの中では漂流している。上方の壁に円形の額があって、中に一艘の帆船が描かれている。聖書と十字架や秤、あるいはトランペットが置かれているところが面白い。混乱した日本の社会の有り様もまた反映しているのだろう。孤独に、ある統合したヴィジョンをつくろうとする。少女の顔が輝いていて、画家の心の中の道しるべのように感じられるところも、この画家らしいロマンである。ものが集まって物語や寓意をつくるわけだが、同時にそのもの自体の存在が強い光の下でしっかりと描かれているところもまた、この作品の魅力である。

 町田博文「冠雪の湖畔」。「美しい山湖の織りなす古都ザルツブルグ近郊の冬」(日展アートガイド)。それを背景にして、木製のベンチにロングドレスを着た女性を配している。この女性はおそらく画家の身近な人の顔なのだろう。背景が変わっても、常に同じ女性が画家の絵の中にはあらわれる。しっとりとした雪をかぶった家並みや山、あるいは道。斜面の上にベンチがあって、そこに座る女性には不思議な存在感がある。同時に旅の情感が表現される。

 大谷喜男「路」会員賞。ピエロがジャグリングをしている後ろに、ミケランジェロの磔刑の像が描かれていて、実にドラマティックな雰囲気を表す。この像は「昨年、国立西洋美術館で開催されたミケランジェロ展の予告掲示」にあったそうである。独特のリズムや動きが感じられる。一種の表現主義的な作品と言ってよい。ジャグリングをするピエロは、人生を占っているような趣も感じられる。ルネサンスの巨匠ミケランジェロのダイナミックな十字架にかけられたキリスト像の断片。背後は黄土や褐色、ブルー、赤などの色面をお互いに浸透するようなかたちで大きく扱ったもの。水墨でいえば、たらしこみふうな表現と言ってよいかもしれない。優れたデッサン力を内側に秘めるようにして、ジャグラーと磔刑図をコントラストさせて、いわば運命のドラマをつくる。

 寺久保文宣「ECHO―立」。腰に布を巻いた妖精のような裸の女性が立っている。すこし動いているようだ。そばに矩形のテーブルがあり、それは青い布で彩られ、そこに細長い瓶が置かれ、ススキのような白い穂が上方に見える。背後は赤と青の色面。揺らぐような独特の動きが感じられる。画家の内側からエコー(こだま)してくるものを、どのように客観的な存在として画面に表現するかに画家は苦労する。その内界と外界とのお互いの響き合いのなかから、このような独特の妖精のような女性のイメージがあらわれる。そして、その女性は動き始める。

 北本雅己「シエナ紀行」。「イタリア中部の街シエナは、中世の古い佇まいに絵心をくすぐられる。パリオという競馬祭でも知られる彼の地を訪れたのは冬であったが、祭りの象徴として地元で制作されたものらしき馬のモニュメントに遭遇した」(日展アートガイド)。その馬のモニュメントの前に若い旅行者がカメラを持って立っている。そばに鳩が二羽。画家の得意な黒い衣装を着た旅人。背後にはブルーやグレー、赤によって馬のモニュメントが置かれ、いかにもイタリアらしいお洒落な感覚を画面全体から感じさせる。すっきりとしたフォルムの力がまた魅力。

 福井欧夏「波の唄」。「モデルさんが休憩中にふと見せた、自然に伸びをしたポーズが、とてもシンプルで美しく見えましたので、絵にしようと思いました」(日展アートガイド)。ベッドカバーは暗いモスグリーン。その上に白いレース状のものを置いて、その上で女性が伸びをしたポーズ。オレンジ色のドレッシーなワンピースを着せている。上方はグレーの壁になっていて、そこに戸外の光と影が降るようにあらわれている。いわば陰翳礼讃というイメージのなかに、両手を上に上げて左膝をすこし立てた女性のポーズ。そのフォルム自体が音楽のメロディを思わせるところがある。先だって画家のデッサン展が銀座の画廊で開催され、そのデッサン力に改めて目を見張ったのだが、そのような素描力がベースにあって、一瞬の女性の美を捉えた佳作。

 加藤寛美「昼下がり」。「大小の無人島が浮かび並ぶ瀬戸内海がおもしろい。雲と波の動きや変化。あるいは海辺に流れついたランプ、ブイ、たこつぼ等々……。ずっと眺めてきた雄大な情景。瀬戸内海のイメージ、雰囲気を私なりに描いてみました」(日展アートガイド)。曇天である。海も波が立っている。塀の手前には釣竿や浮き、カンテラ、浮き輪、錘などが置かれている。通常の気圧より高い気圧が画面全体に上からのしかかるように感じられる。水をテーマにしているためなのか。画家の絵にはそれのみならず、そのようなイメージの強さが感じられる。垂直水平の動きを構成の軸にしている。それは手前の光景であるが、空は斜めに雲が走っているし、空と海との印象はメランコリックな雰囲気である。瀬戸内海のあの朗々とした雰囲気はなく、画家は自分の心の内部を見ながらこの風景を描いているような、そんな心象が感じられる。それによって、通常の固有色がそれぞれ静かに輝き始めるといったあんばいである。

 工藤道汪「今 咲き誇る 老樹そめい」。「この桜は老樹なのにふっくらと優しく、生き生きと若い桜を凌駕して咲き誇る姿は感動的で、制作の動機になった。ふっくらとした優しい美しさと、風雪に耐えた老木の荒々しい力強さの組み合わせを表現したかった。腰を折り曲げた不安定な形の老木を、右端の若い木が支えているような構図にしたのは、若者たちへのメッセージでもある」(日展アートガイド)。桜の表現が独特である。一種の量でもって表現されているのだが、その雰囲気は夢のようで、不思議な透明感のなかに表現されている。画家の述べる若木というのは、後ろ側のシルエットの垂直に立つ樹木のことだろう。手前の屈曲した樹木のフォルムは、正面にしわしわができて、たしかに老木といった有り様であるが、そこにつけた花は柔らかく優しい。上方の桜のあいだから透明な、すこしグレーっぽい青い空が浮かぶのも、色彩効果を上げている。じっと見ていると、中心の内側に光が灯って、その光がこの桜を輝かせて、だんだんと上下にフェードアウトしていくような色彩になっている。単に描写のみならず、画家のヴィジョンのつくりだした桜となっているところが面白い。

 河本昭政「女」特選。肘掛け椅子に女性が座って、膝の上で両手を組んでいる。目をつぶっている。L字形にカーヴするフォルムが柔らかで、一種彫刻的な強さを見せる。左から光が当たって、その瞑想的な人間を照らす。

 田中里奈「大地の主」特選。木版である。上方にライオン。下方にこちら向きのカバの顔。その周りの水の波紋。赤い色面や月を青くすった様子。自由な雰囲気でフォルムを組み合わせながら、独特の心理学的ドラマをつくる。ライオンとカバというそれ自体のもつ強い存在感を画面に生かしながら、ファンタジーを表現する。

 西谷之男「堂ヶ谷池新緑」特選。「牧ノ原台地南端の、木々に囲まれた小さな池。五月になると若葉が輝き、生命力に満ちた風景になります。この池が一番美しくなる季節です」(日展アートガイド)。水には睡蓮のようなものが存在するようだ。新緑の緑の表情をその周りに描きこむ。そして、低い山がその向こうに聳えている。その頂上から池までの奥行がしっかりと描かれているところも、この作品の良さである。

 ナカジマカツ「真贋の扉」特選。深い森の中で迷っているようなイメージである。女性の右手に水晶玉を持っている。レースのある白い上衣。赤いスカーフで顔を包んでいる。すこし横を向いた目の動き。いずれもクリアな写実力を示す。また、左手を置いている樹木の幹の屈曲のある形と、背後の金箔の中に迷路のような地図を描いたような装飾的な表現と相まって、独特の心理学的なドラマをつくる。

 佐渡一清「兆」特選。「社会への不安と希望をもちながらも、将来に挑む自負心を示している人間を表してみた。また、開花しかけたバラを添え、季節がくれば花が毎年咲くように、人の世も世代交代が不変的に行われることを示したかった」(日展アートガイド)。優れたデッサン力を駆使した構成である。背後の無地の黄土色のバックも的確で、余情が感じられる。

 福田あさ子「瞬く」特選。童女の和人形が畳の上の敷布の上に立っている。そばに紙や櫛や千羽鶴がある。後ろの屛風に鷺がいて、沼を歩いている。蓮の沼で、蓮の花はしおれて、茎は折れて、そろそろ花托になりつつある。「美しい時を過ぎてしまった立ち枯れの蓮。その水面の下の深い土の底では、根と根の間にもう新しい生命が生まれている。そして、やがて訪れる命の循環の時を待っている」(日展アートガイド)。背景のもつ季節の移ろいのイメージと変わらない和人形のミステリアスな顔立ち、佇まいとが面白く対照される。

 児島新太郎「静謐」特選。若い女性が座っている。白い長いワンピースを着ている。膝の上に手を置いている。大きな目。すこし厚い唇。鑑賞者のほうを眺めている。髪の形。いずれもクリアである。クリアであることが、そのままある謎めいたイメージをつくるところが、この作者の面白いところである。背景はグレーの無地の色彩で、窓の向こうに葉がたくさん描かれているのも、どことなくあやしい。

 伊藤寿雄「母の像」特選。「ずっと母の像を描いてきて、二十五回目の入選作品が特選に選ばれた。今回の作品は、母を右斜め上から見た構図とした。そのため、白髪の頭、額のしわ、何かを見つめる視線等が、より印象的に見えるようになった。夕日が沈む直前の横からの光が印影をつけ、人物を輝かせて見せてくれた」(日展アートガイド)。車椅子に乗る八十歳を超えた像と思われる。作者が述べているように、すこし見下ろす角度から、まるで女性の年輪を追うように写実した佳作である。

 中島健太「After Dark」特選。「夜には妖艶とも魔性とも言えるような魅力がある」(日展アートガイド)。丸いテーブルに肱をついている女性。暗い青い無地のワンピースを着て、足を組んでいる。手前のフローリングの床。空間のもつ空気感というのか、そんなものがこの女性を取り巻いている様子が描かれているところが面白い。この画家の特色だが、対象を描くだけでなく、対象を取り巻く空気とか、その空間を把握する力がある。この作品もとくにそのような部分があって、それがこの頰杖をつく女性のもつ内面性といったものに迫るための有効な効果となっている。女性はノートを前にしてなにか考えこんでいる様子であるが、考える女性といったシチュエーションは当然女性の内面を考えざるをえない。その内面を考えるにあたって、空気のもつ性質というものが重要な役割をなして、それを描いているところがとくに面白い。そこにこの作者の才能を感じる。

 錦織重治「白き朝・赤岳」特選。「これは、八ヶ岳連峰最高峰の『赤岳』です。勇壮で赤い岩肌と雪との取り合わせが絶妙で、特に朝の輝きはひときわ美しく、独特の雰囲気に惹かれました」(日展アートガイド)。赤岳のもつ大きな量感ともいうものが、よく表現されている。その下方には紫の雑木が左右に伸びていて、そのあたりから近景までの距離感がよく表現されている。降ったばかりの柔らかな雪の表情が地面にあり、上方の光の中にきらきらと輝く峰の様子と対照される。また、空が青というより、青黒い調子で表現されているのも、この山の量感を出すのに適している。

2室

 李暁剛「井」。厳しいチベットの冬の季節に井戸で水をくむ女性を描いて、素朴な人間のシンプルな生活を表現する。左手にバケツを持ち、右手にハンドルを持つ女性を下から見上げている。鉄によって三角形に囲まれたコンクリートの井戸がその中に見える。遠景には、地面にはいつくばるような建物。そして、向こうに山が聳えている。緑がない。草も木も生えていない地面で生活する人々。絵のほうも余分なものを一切省いて、朝、井戸で水をくむ女性に焦点を当てて、その存在をリアルに強く描く。

 桑原富一「椅子に倚る」。肱のある揺り椅子に女性が裸になって寄り掛かるように座っている。椅子はすこし揺れているようだ。赤い床に褐色の敷布。ハッチングによって女性のフォルムをモデリングする。塑像をつくるように女性の裸を描く。ライトレッド系の床の強い色面に対して、息づくような女性のフォルムが浮かび上がる。

 西房浩二「朝・Trogir」。トロギールはクロアチアの港町。手前にくの字形に岸壁が広がっていて、その向こうは海の水が引き込まれている。ボートが数艘繫留されている。左向こうには橋があって、高い船が行くと、開くようだ。赤い屋根の建物。右のほうにいくと、ほとんど水位すれすれに道があって、その後ろに教会らしきものがある。津波でも来ると、一瞬にして教会は水浸しになるような雰囲気である。後ろに低い山が見える。クロアチアは地中海のイタリアのほぼ対岸にある国である。手前から向こうに光が当たって、ほぼ全光の建物が正面にある。青い空に雲が浮かんでいる。この水のある風景の水はほとんど四角形の中に入れられていて、不思議な印象である。先ほど津波と言ったが、津波に限らず、すこし増水すると溢れるような雰囲気である。その不安定な雰囲気。その溢れるような水をここに入れた画家の気持ちには、敬虔でありながら、うまく心を発散できないような、閉塞されたような心象の投影のように感じられる。その中に清らかな光が差し込み、柔らかな明暗のコントラストをつくる。中原中也に、水を運ぶのに、それがこぼれないように静かに厳粛に運ばなくてはいけないという内容の詩があるが、そのような独特のカトリシズムともいうべきイメージもこの風景から感じられるところが面白い。

 髙梨芳実「赤いコスチューム」。「色と形と一口にいいますが、それぞれ性質が違うと思います。形は枠に嵌めようとする力が強く、色は拡大しようとします。この相反するものを円満に同居させようとする試みが絵にはあります。この絵は、彩度の高い赤を立てて、全体を暖色調のグレーに統一したつもりです」(日展アートガイド)。色と形のお互いに対立するものを統合する。その意味ではヴァルールということが大事になるが、赤のヴァルールが見事に画面の中に収まっている。それによって撥剌とした造形空間が生まれる。

 稲葉徹應「想の情景」。赤と青の色彩のコントラストが激しい。ストレリチアの花が赤くオレンジ色に輝いている。その背後の青と激しいコントラストを示す。そのストレリチアの花からは炎のようなイメージもあらわれてくるし、五本の指をいくつも重ねたようなイメージもあらわれて、動的な雰囲気。それに対して、靜かにそれを眺める石膏像と思われる白い幼児の像。下方には鳥のデコイ。水差し。洋梨などの果実。静物でありながら、コンポジションは風景的な奥行と動きを引き寄せようとする。

 木原和敏「moment」。黒いスカートに白い花柄の刺繡。黒いレースの袖なしのブラウス。そのレースの一つひとつを描いていることが、絵に接近するとわかる。その黒によって女性の肌の色彩やそのマチエールがよりリアルに浮かび上がるようにあらわれる。一人の女性の体温までも描き起こすような接近の仕方である。それによって女性のもつ、いわば健康な生命感、エロスの力ともいうべきものがあらわれる。

 西田陽二「赤い扇」。白い上衣に白いスカート。花瓶に白い薔薇が差されている。床も白いシーツに覆われている。その上に緑の小さな絨毯を置き、クラシックな椅子に座った女性。赤い扇子を持っている。後ろに朝鮮簞笥のようなものがあって、漆だと思われるが、そこに鳥と花の花鳥図が螺鈿されている。クラシックなものをバックにしながら赤い扇子を持つこの女性の様子は、ノーブルと言ってよい。頭にも白いカチューシャ。耳飾りも白く輝くもの。白いブレスレット。白というものが周りとの色彩対比のなかで独特の魅力を放つ。白の頂点はウェディングドレスだと思うが、この日常性のなかに画家が使う白い衣装には、画家の独特の性質が感じられる。いずれにしても椅子に座る女性の立体としてのフォルム、その量とディテールを見事に表現しているところも見逃せない。

 丸山勉「十三夜」。「この作品の背景で使っている『マゼンタ』は近年に出来た色です。十三夜の月は満月に少し足りない月で若さを象徴し、情感があります。黒猫は狂言回しの役目をと願っています。マゼンタを背景に月と人物を描く事で、穏やかに移ろいゆく時と共に息づく生命を、ある種のリアリズムに落とし込むというのが作品の狙いです」(日展アートガイド)。作者の言うマゼンタという色彩が画面全体に無地で使われて、強い印象である。それに対して柔らかなベージュのような月。椅子に座った若い女性のベージュの上衣に、グレーのスカート。白い肌。女性の上衣と月の色彩とがほぼ一緒で、二つは呼応する。月は女性を映す。いわば女性名詞と言ってよい。月の光に照らされた女性はその美しさを増す。そんな女性の香りともいうものを猫が眺めている。いずれにしても、月と女性とがお互いに相照らし、月は女性の象徴のように、いま十三夜の月が昇っている。バックの赤紫色が実に深い。独特の色彩効果を呼ぶ。マゼンタは目を細めて見ると、明度が五〇%ぐらいになるだろうか。六〇%ぐらいかもわからない。それによって、女性と月とがふっと空間から浮かび上がるように柔らかい雰囲気であらわれる。

 永田英右「棕櫚のある静物」。丸い円窓の中に構成している。下方を水平に横切る机。そこに置かれたグレーの布。金属のポットやラッパ、女性の彫刻、燭台。モザイクの後ろの棕櫚の葉。上方は大きくあけられて、グレーになっている。もののもつ存在感、そのマチエールに肉薄するように描く。円の中に描いていて、光が移ろうにつれて、その様子が変化していくような時間軸もまたこの構成の中に引き寄せられている。

 遠藤原三「宴」。妖精のような女性がイヴニングドレスを着て立っている。右手にトランプ。左の腕に鸚鵡をとまらせている。後ろに様々な仮面が集合している。そばには笑った仮面の男が楕円状の鏡を持っている。その中に様々なトランプのクイーンの像が映しこまれている。横には白い鷗の飛ぶ空が見える。画家のもつ幻想的なイメージがどんどん進化してきた。妖精のような女性もより存在感を発揮してきた。とくにイヴニングドレスの花模様などは実に面白いと思うし、後ろの鏡のもつ存在感、トランプの中の像がリアルなものとして立ち上がってくる。

 難波滋「逍遙・越後」。文楽人形をテーマにして描いてきた。今回も向かって左に心中道行きをする男性と遊女。そして、中心に白無垢の衣装の女性が狐のお面をかぶって赤い糸を持っている。シルクの白無垢の衣装がそのまま死への旅立ちのイメージを奏でる。狐の仮面。それを眺める稲荷。右のほうにはすこし下がったかたちで女性の文楽人形がいて、遠くを眺めている。上方に十一日ぐらいの月が出ている。二人の心中道行きのイメージをふくらませながら、それを怒っているような、あるいは突き放しているような、あやしいお稲荷のイメージがそこにあらわれて、その面をかぶった女性は前述したような白無垢姿で、強い印象を醸し出す。

 大友義博「心に入りて恋しきものを」。本を読み終わった女性は何を考えているのだろうか、と作者は語っている。窓がすこし開いて、赤い花をつけた庭が見える。室内の柱や壁もオレンジ色などの暖色で、女性の衣装も暖色の紫色っぽい上衣とスカートである。暖色と緑とがお互いに響き合いながら不思議な陰影をつくる。その陰影はそのままこの女性のミステリアスな心の反映のようだ。その女性のパッションによって独特の暖色系の色彩が引き寄せられた。

 柴田仁士「授乳の聖母」。中心に乳をふくませる聖母。両側に天使の像のイコン。両側には音楽を奏する天使たち。下方には燭台。それぞれ図像的な表現で、立体感というより、図像的にフラットにフォルムを組み合わせながら、独特のハーモニーをつくる。

 熊谷有展「かわいい訪問者」。「明るいひだまりの中、かわいらしく屈託のない子供の様子を、柔らかな色調で表現した。おだやかで当たり前の日常が、続いていくことを願ってやまない」(日展アートガイド)。後ろにはキッチンの水回り。手前のソファ。その手前のミルクを呑む子供。上方からオレンジの点々が入れられて、まるでこの絵がスクリーン上のイメージと重なるように表現されているところが、現代的である。

3室

 曽剣雄「去りゆく記憶 Ⅱ」。古いタイプライター。その上の頭蓋骨。骨がカーヴしている。そして、ドンゴロスのような麻布。古いアルコールランプ。球。古い本。眼鏡。上方のアーチ状の窓の向こうには十字架が見える。羽根が浮かびながら下に落花しつつある。下方の白いシーツが冬を思わせる。幾たびか冬の季節が来るたびに記憶がだんだんと薄れていく。

 相本英子「萌える」。丸いテーブルに褐色の黄土系の布を置き、ガラスの花瓶。そこに赤と白の百合の花をたくさん入れている。背後には簞笥のようなものがあるが、この百合の花が輝かしく咲き誇るような様子である。穏やかな親密な室内のなかに花の香りが濃厚に漂ってくるようだ。

 小沼秀夫「黙示」。磨かれたテーブルの上になま木の角柱を組んで、中心に角のある山羊の頭蓋骨を置いている。右のほうには船の舵、左のほうには太いロープで吊るされる鉤。そして、そこに絵札のトランプが散らされ、中心にジョーカーが置かれている。呪術的なマジックがここで行われる前のようなあやしい雰囲気である。それぞれのフォルムがクリアで、きびきびと立ち上がってきて、お互いがハーモナイズしながら、そのようなミステリアスな雰囲気をつくる。

 佐藤龍人「画室」。白髪の男が座っている。モデルだろうか。後ろのパレットの置かれている台にデスマスクが見える。大きなキャンバスに裸の女性の描きかけ。脱がれた上着。グレーのアトリエの空間。淡々とその中のフォルムを描きながら、日々制作を続けられる独特のクオリティのあるアトリエの空間が表現される。

 卜部俊孝「画室の華」。ヨーロッパの鎧兜に黒い顔がのぞく像である。二段に組まれた後ろの静物台。白い薔薇の花が咲き乱れている。葡萄もあるし、ワインの瓶などもある。面白いのは、上方にキャンバスのようなものがあって、そこに若い女性の上半身が、柔らかな中に幻影のように浮かび上がること。その女性と薔薇の花とは関係があるようだ。それに対して男性の象徴のような鎧兜。女性性と男性性がお互いに呼応するような構成が面白い。以前の濃厚な茶褐色の室内静物から変化してきた。

 早崎和代「ジゼル・記憶」。「ジゼル」は一八四一年にフランスで初演されたバレー作品で、いわゆるロマンティックバレーの代表作といわれる。貴族の青年と村の娘、そして村の娘を好きな村の男の三角関係の話である。果たして本当に貴族はジゼルを愛したのか、あるいは戯れであったのかという内容は、その時の劇の解釈によって変化する。いま踊っているのがジゼルだと思うが、後ろの男性はわからない。黒白の中で踊りの場面が描かれている。それは白いテーブルの上に置かれたパネルである。そこにはヴァイオリンや絵皿、メトロノームなどが置かれている。グレーの絵や鏡のようなものの中にヴァイオリンのオレンジ色の色彩が輝く。後ろにもステンドグラスのようなイメージがあらわれる。独特の構成によって一種幽玄な空間を画面の中に表現する。

 久保博孝「獺祭図」。木箱の上にフランス人形が仰向けになって置かれている。そばにカラスの剝製。上方には女性の横から見たレリーフ。下方の白い布の上には柘榴や乾燥したレモンなどが置かれている。コンパネのようなグレーと白い布の無彩色の中にピンクの赤い布を配する。春の胎動の季節を面白く静物によって比喩的に表現している。長い冬のあとの春の気配を、このような人形やカラス、上方のレリーフなどによって、面白く表現する。

 小川満章「レッスン」。右足で立ち、左足を後方に置いて、ダンスのレッスンをする女性のフォルム。顔を左にひねって俯いて、両手をふわっと左右に置いて、左足を後ろに置いたフォルム。柔らかな光の中にシルエットのようにそのフォルムが際立つ。独特の感覚である。ハイヒールをはいていて、ひょっとしたらフラメンコの踊りなのかもしれない。いずれにしても、柔らかなフォルムが自然体で描かれて、そこに光が当たり、独特の気品と気配を表す。

 渡邊裕公「薔薇庭」。ボールペンをハッチングしながら、この薔薇の花を背景にした若い女性のフォルムを表現する。独特の透明感があらわれる。水彩とはまた違った手触りのあるマチエールである。儚いようであるが、力強いところもあって、独特である。ピンクの柔らかな薔薇の背後の澄んだ青い空に詩情が感じられる。カラフルなタンクトップの上にカーディガンを着て、長いベージュのスカートをはいた女性。若さのもつ初々しい雰囲気がよく捉えられている。女性のもつそのようなイメージと、後ろの白にうっすらピンクの入った花が響き合うし、彼女のイノセントなイメージと背後の青い空とが呼応する。

 本山二郎「光の方へ」。窓の外を眺めている女性。窓の向こうは庭だが、手前と背後に白いカーテンがくくられていて、その処女性ともいうべきイメージが、この女性のイメージと呼応する。後ろにあでやかな黄色と赤の薔薇の花が花瓶に生けられている。その色彩もこの女性の華やかさと呼応する。中心の女性は立体感があって、しっかりと床の上に靴をはいて立つ姿が描かれていて、その造形力も優れている。

 青木良識「近江町市場 2014」。手前の木箱に蟹がいっぱいで、それを母と子供が見ていて、子供が手を伸ばしているのを母がとめている。男がその木箱を持ちながら笑いながら子供を見ている。後ろにはたくさんの水産物が置かれて、それが光に輝いている。シルエットの中の男たち。その台のもっと向こうには観客がオレンジのシルエットで表現されている。動きがあり、生き生きとした雑踏の声が聞こえてくるような近江市場の活気のある様子を表現するコンポジション。

 浅見文紀「化身」。段ボールが積んである。そこに蓋と底のない木の箱が重ねられたり、箱の中に箱が置かれたりしている。縄がそこを渡り、枯れた細い枝がいくつもそこに置かれている。背後は鏡になっていて、その様子を映している。化身とは何の化身だろうか。時というものの化身のように感じられる。時間に沿って、たとえば植物の根は伸びていく。時間によって枝は枯れる。やがてまた復活して新しい芽が出るだろう。そういった時間のメタファーとして、この枯れた枝や綱やオウム貝の殻が置かれている。そういった目に見えない時間というものを手にするために、中が空洞の木の箱が置かれて積まれているといった様子で、一種シュールな味わいも見せる。この画家独特のエスプリの表現と言ってよい。

4室

 櫻田久美「池畔晩秋」。池に丈の低い杭がカーヴしながらつくられている。その手前の三つに渡り鳥がとまっている。その様子が、この静かな池に不思議な韻律をつくる。水は空を映している部分と影の部分によって微妙なコントラストをつくる中に、シルエットのこの鳥が実に深いイメージ。生きている自然というのか、そんな風情で表現されている。緑から黄土にわたる柔らかな色彩もまた日本の風土の色彩である。

 庄司栄吉「演奏家」。「本番前の リハーサルでの 総仕上げを、表してみました」(日展アートガイド)。ヴァイオリンを演奏する音楽家の様子。画家自身音楽が好きで、その様子をデモーニッシュに表現する。自分自身が音楽家になったかのような一体感のなかに表現される。それによって強いムーヴマンがあらわれる。周りの黄土やピンク、緑などの渾然とした色彩の中に、黒い衣装の男が全身耳になり全身手になってこの楽器を演奏する様子が、実に強く生き生きと表現される。

 吉崎道治「晩秋池畔」。「まわりを囲む樹々ごしに朝日がさしこんでススキに色を添えた。水の色は緑から茶色に姿を変え、静かな世界をつくっていました。この水の色と光の妙が呼びました」(日展アートガイド)。横長の画面の中の六割以上が池の水である。その水の中にすこし地面があるようで、そこからススキが穂を靡かせている。そこだけスポットライトが当たったように下方の草も輝いている。暗い緑や赤茶色の水。向こうの森の中も暗い紫や緑であるが、その中に木立の一部が白く輝き、下方の晩秋の草が黄金色に輝いている。その光も刻々と移ろっていくに違いない。このまま水墨で表現しても差し支えないようなコンポジションの中に、油彩画による色彩が輝く。

 長谷川仂「日の終わりに」。「南イタリア・マテーラ。サッシとよばれる穴居住宅群のある地区のはずれ。夏の終わり。日暮れ時。まだ外は当分の間明るいのだが、昼の激しい日差しも和らぎ、時々涼しい風も吹いてくる。遊びを終えた子ども達も家に帰り、家々からは料理の匂い。通りを行き交う人も少なくなり、穏やかで静かなひととき。そんな時間を描いてみた」(日展アートガイド)。正面には一階建ての石を積んだ素朴な建物があり、その壁の前に母親と娘が立っている。そばにはさっきまでいた男の人が部屋に入ったのだろう。黒い上着が掛けられている。無人で、そばに犬が寝そべっている。画面の下辺からそこまでの距離も面白く、石を積んだ道になっていて、でこぼことしている。その建物は、右のほうはすこし高くなっていき、煙突がはめこまれている。背後はおそらく土地が隆起していくのだろう。だんだん建物が高くなっていき、その右上方に白い教会が見える。尖頂に十字架が置かれ、下方に聖像が嵌め込まれている。空を見ると、コバルト系の淡い空で、左のほうにジョンブリヤン系の赤みのさした雲が見える。柔らかな夕焼けの光がこの光景全体を照らしているのだろう。すこし全体が暖色系の色彩に染まっている。加えて、色大理石も使われているに違いない。画家の言っているように、一日の終わり、夕暮れのひととき。穏やかな時間。なにか敬虔な雰囲気がある。それぞれの建物の中にはそれぞれの人々の生活がある。それを画家は大事に考えて、敬虔な心持ちでこの街を描いたように思う。窓や壁、階段、全体から静かで穏やかなハーモニーが聞こえてくるようだ。

 斎藤秀夫「赤い絨毯 Ⅱ」。赤い絨毯の上の肘掛け椅子に座った女性は、青紫色のワンピースを着ている。後ろのテーブルにはピンクや赤や黄色の薔薇の花や白い花が差されている。その向こうは鏡になっていて、女性の後ろの頭のあたりがすこし映っている。しっかりと描かれていて、立体感がある。加えて、繰り返し筆者が指摘していることだが、女性の体だと腰のあたりに中心があり、そこからもこもこと上方に立ち上がってくるような動きが感じられる。彫塑のモデリングは粘土をつけていって立体をつくるわけだが、そのようなムーヴマンがこの女性の中心から感じられるところが実に面白いと思う。また、女性の肌の色などもよく描きこまれて、穏やかな中に照ってくるものがある。室内の全体の雰囲気もそうで、穏やかな中に内側から光や色彩が滲み出るように表現されているところが魅力。

 杉山吉伸「忍冬 乱華高原」。「女人を中心とした十字形の構成等には変化はないが、今回特に『女人と郷里の山』で表現したいと気づいた。『白を永遠の武器』とし、変貌しつづける崩壊感覚の美を十字形の構成で、今回は女人と不動の白山(高原山)、乱れ咲く花と人形で表現」(日展アートガイド)。黒い椅子に女性が座っている。白いレースの上衣。黒いフリルのついたスカート。黒いブーツ。左足を椅子の上に立てて、その上に手を置いている。なにか瞑想しているような女性の表情。後ろに棚があって、その上に仰向けになったフランス人形が、やはり白いレースの中に包まれるように置かれている。向かって左のほうには白い花束が置かれている。上方に窓があって、窓の向こうに白い雪を抱いた山が見える。あるいは、そのような絵が描かれているのかもわからない。独特のグレーのバック。コンパネの壁から一滴一滴、水が徐々に滲み出てくるような不思議な雰囲気である。戸外のもつ気配がコンパネの壁から滲み出てきて、この女性の周りに漂う。この女性のイメージも、室内にいるというより、雪女のようなあやしい雰囲気がある。画家のイメージの根幹にある独特のエロスの力が、この女性のベースにある。衣装と同じように肌も白く、キメ細かい。その独特の魅力はまた山の魅力や花の魅力とも重なって、全体でこの壁を突破して、もっと深い奥行のある空間があらわれる。室内の制限を突破しながら、イメージが広がっていく。「崩壊感覚の美」と画家は述べているが、すべてが崩壊しても、命と同じ意味をもつエロスだけは残り、増殖し、画家の祈りのなかにそれは発展していくような、そんな独特の強い心象が画面から感じられる。また、山の上方の今回はスカイブルーのような青が、独特の力をこの作品に与えている。じわじわと浸出してくるような独特の手触りのあるマチエールが、その女性の心や心臓の拍動、あるいは自然のもつ気息、気配のリズムをそのまま投影させるような、独特の肌合いでもって置かれているところも面白い。

 犀川愛子「蜩(ひぐらし)」。濃い緑は夏の象徴である。水が流れているその向こうに道があり、道の向こうは公園となっている。深い緑の中に光が差し込み、カンナのような花が咲いている。真夏の一刻を描く。

5室

 根岸右司「北の岬」。北海道の風景である。上方に岬がずっしりとした奥行と量感を見せて描かれている。手前に地面にはいつくばるような民家がたくさんあって、そのそばに波が寄せてきている。手前に道が湾曲しながら続いている。「前夜は海雪が舞い、岬は宿雪の上に降り積もった純白の雪に覆われ、キラリと輝いている」(日展アートガイド)。そんな昨夜の天気とうって変わって穏やかに朝日が昇り、この風景を照らして幸福な気持ちにさせる。岬のもつどっしりとした存在感と海の広がり、そしてその寄せてくる波の穏やかな様子。へばりつくような建物。まさに北の風土のエレメントで、それをきわめて人間的な表情のなかに画家はしっかりと表現する。風景と画家の目とそこに生きる人々の三者がクロスするところにあらわれた、豊かな表現だと思う。

 成田禎介「アルプの高原」。「スイスのベルナーオーバーラント地方のミューレンから登った高原で、六月の風景である。日本では考えられない崖の上にも人の暮らしがあり、緑の草原とアルプスの白い雪山が美しい。立体的な構図に魅力を感ずる。動きと変化を持つ風景との出会いは制作へと駆り立てられる」(日展アートガイド)。高原に点々と民家があり、細い道がそこを縫うように続いている。そのあたりは柔らかな草地。手前には広葉樹が枝を広げている。その様子を淡々と描くうちに、筆者はたとえば「ヘンゼルとグレーテル」の童話のようにおとぎの森に入っていくような、そんなファンタジックなイメージを感じる。そして、上を見ると、高い山が切り立って、アルプスの連山が見える。中間に人懐かしい人の住居が点々とある。三つの要素。つまり、人を拒絶する自然と人の住む自然とファンタジックな自然の三つの要素が、この作品の中に織りまぜられているように筆者には考えられる。独特のスケールをもつイメージ豊かな風景表現である。

 安増千枝子「暮れなずむ」。卓上に大きなアコヤガイがあって、そこにオレンジ色の小さな果実が入れられている。そばの女性の像が描かれた大きな花瓶には、白いたくさんの花が差されている。上方の枝には鳥がとまっている。太陽がいま沈もうとしている。室内の情景がそのまま室外の風景と一体化しながら、平和で幸福なイメージがあらわれる。上方の鳥たちの飛んだりとまっている様子は、実にイノセントで、聖なるもののイメージを引き寄せる。

 松田茂「棚田」。棚田であるにもかかわらず、下降せずに左右上下に広がっているような不思議な味わいである。田圃の中が水で、池のように感じられる。見ていると、文人画で描く理想郷のようなイメージが、この緑を中心とした風景から感じられるところが面白い。

 伊藤晴子「寛和」。赤いタンクトップにグレーに赤い色彩のスカート。緑のクッションと黄色いソファ。独特の色彩感覚のなかに、この成熟した女性が妖精ふうなイメージで表現されている。

 渡辺晋「木馬と子ども」。「木馬館の情景をもとにして画面を構成しました。温かく、ふわっとした感じを表現しました」(日展アートガイド)。駝鳥や馬の上に乗る子供たち。柔らかなベージュの色彩が優しい。線によってフォルムがつくられ、無彩色のグレーの色面がそのあいだをつなぎながら、独特の華やぎと安息感のなかに、心の中にともしびが灯ってくるような、そんな温かな空間が表現される。

 三原捷宏「海景・遠雷」。「しばらく瀬戸内海の静かな海を描いていましたが、久し振りに山陰の激しい音と動きのある海に取り組みました。波高三メートル前後の日の、岩と波の形と色の関係に最も心惹かれます。中でも台風や低気圧通過後の波は複雑な変化を見せ、画趣をさそわれる時です。今回の『遠雷』もそんなひとときを表現してみたいと取り組んだ作品です」(日展アートガイド)。断崖の上からこの海を見下ろしている。いちばん近景の下方のほうはほとんど垂直に見ている。そして、上方はすこし斜めに見ている。岩に三メートルの波が寄せて、白い波頭を立てている。複雑な動き。上方の海の色はほとんど紺色で、すこし下がってくると緑が出てきて、下方に行くとコバルト系のブルーになり、右のほうに行くと緑と青が混在した塩辛い雰囲気。そこに白い波が立っている。どっしりとした岩。見飽きない永遠に繰り返すような波の動きのなかに鑑賞者を引き込む。画家によると、台風や低気圧通過後の海が面白いそうであるが、一つのドラマの終わったあと、余韻のように動く波が光に照らされて、不思議な雰囲気である。苦悩のあとの幸福を引き寄せるような海の表情に心惹かれる。

 三沢忠「残雪(松ヶ峰)」。「豪雪地帯、新潟県上越、松ヶ峰妙高山の北側であるこの地。四月も末近くなるが、多く雪が残る。附近は桜満開、近くの里は新しい芽吹きがはじまっている。真っ白に残る雪と、まだ枯木も残るが、芽吹きがはじまろうとする山の樹木が春の陽に輝いていた」(日展アートガイド)。強いタッチでぐいぐいとこの風景を描きこむ。上方の松ヶ峰妙高山の積雪の山脈。地面にも雪が積もっているが、樹木の色が緑や黄色、オレンジと色とりどりで、そのあいだから草が緑に生えている。フォーヴ的な激しいタッチのなかに自然の息吹を表現する。また、しっとりとした独特のヴァルールのなかに絵具がぴったりとついて、それぞれのポジションを示しながら空間を形成するところも面白い。

 藤森兼明「アドレーション カクリ トリプテッチ」。「グルジアのゲラティ修道院に奉献されたビザンチン金細工職人の手による、金の板と七宝細工で作られた三面祭壇画に想を得て、永遠の祈りと限りある現世を画面上で組み合わせ、重厚な中に一瞬の生の輝きを表現しました」(日展アートガイド)。黄金の祭壇画をおそらく拡大して、画面いっぱいに表現した。両側の翼はまるで鳳凰の翼のような雰囲気である。その中心に白衣のワンピースをつけた女性を配した。膝を組んで座っている黒髪の日本女性である。黄土色の長いショールの色彩は背後の金と一体化する。その中に白い衣装と黒い髪が輝く。ここに生きている若い女性は現世で、背後の黄金の三面祭壇画は宗教的な永遠性の性質を帯びている。永遠と今との対比である。見事な強いシンメトリックなコンポジション。

 寺坂公雄「秋木立ち」。「風に誘われて山麓を散策すると季節の移ろいや天候がわかるようになった。美しい秋のはじまりは閑寂な風趣がある」(日展アートガイド)。中心に若木が赤く紅葉している。周りに樹木がもっと高く立ち並び、オレンジや赤に、あるいは黄色く紅葉している。錦繡と言ってよいような紅葉の美しさである。地面には枯葉がうずたかく積もり、微妙な起伏の中にある。空はグレーで、しんしんとした気配がある。自然の一刻一刻の動き、その息吹、あるいは地面の底の律動、日の移ろい。画家は全身でそれを受け止めているようだ。そこからこの不思議な紅葉の空間があらわれた。

 中山忠彦「メタモルフォーズ」。「題名は変容、変装、変身の謂。人は誰しもこの願望を持つ。化粧、装飾品、刺青、仮面、そして衣装などを手段として試みる。制作上の尽きない興味もその点にあるが、ロラン・バルトの言う『私とは誰か』との問いを、対象にも、自分にも繰り返しているのかもしれない」(日展アートガイド)。青いロングドレスを着た女性が黒いレースの扇子を持って立っている。後ろに絵が嵌め込まれていて、グロリーサの花の中にデルフィニウムやトルコ桔梗のような絢爛とした花が咲いている。その花が絵の中にあるのか、あるいは花瓶の中にあるのか、定かならないように描かれている。女性の後ろに咲いている。あやしい。女性はこの花の化身のような雰囲気でもある。後ろの肘掛け椅子が赤く、そのシックなチャイニーズレッドのような赤が青いドレスと静かに響き合う。黒い扇子と黒いレースのストールがシックな表情を見せる。

 塗師祥一郎「春雷」。「三月、会津から新潟に向かって取材の目的で車を走らせた。県境にかかる頃、天候が急変し春雷である。雪国では春雷で春が訪れる。やがて水田は緑に覆われ、秋の稔りを待ち設ける」(日展アートガイド)。田圃に白く雪が積もっている。あいだに水が温んで、刈田の黒い点々が見える。中景に民家があって、白く雪の積もっているところと、茅葺きなのだろうか、雪の積もっていない茶褐色の屋根や緑の屋根が見える。遠景の山は青い。雨がこれから降るのだろうか。黄色い空に黒い雲がわだかまっている。きびきびとしたリズムのあるタッチで、この風景が描かれている。黒い雲の向こうから春雷が轟いたのだろう。絵からそのような雷の音が轟くような、不思議なリズムの中に表現されている。画家には聴覚までも絵の上に表現してやまないような筆力があるということになる。

 村田省蔵「稔る」。「農機具を使わず、人の手で刈り取り稲架がけをして天日で乾かす、日本古来のお米の収穫を行っている所がある。今日では、珍しく懐かしい農村風景になった。稲藁の匂いが漂い、スケッチをしていても何とも気持ちよく、心を豊かにさせてくれる」(日展アートガイド)。稲架木と稲架木のあいだに木を掛けて、そこに稲穂を掛けている。そのずっしりとした重み、そのマチエール。金屛風のような色彩。後ろに太い樹木が屈曲しながら伸びて、上方に葉をつけている。空に白い雲が浮かんでいる。淡々と自然の奥行を描き、生きている樹木の姿を表現する。黄金色のこの稲穂も生きていることの証拠のような、そんな様子で輝いている。画家にとって、稲穂も樹木も地面自体もまるで自分の友達のような、そんな親密感があるに違いない。そのようなところからあらわれてくる滋味豊かな風景である。

 佐藤哲「オリビエ」。「モデルの青年との出会いは東光展の私の作品の前であった。以前から彼のようなモデルを探していたが、どうしても見つからず、あきらめかけていた。この偶然には驚くばかりである。フランス人の彼は惹きつけるものが強烈で、私の知らない風土までが画面に現れてくるほどだ。描きたい気持ちが自然に湧いてくるから不思議である」(日展アートガイド)。赤いスツールに座った黒人の男性。立派な体つきで、きらきらとした目をしている。その後ろはブルーで、周りに黄土色系から黄色の色彩が入れられ、その中にもっと明るいカドミウムイエローが置かれ、靴の山吹色と呼応する。左には黒い色面があり、「LATNO」などの文字と渦巻きの中から赤い光線や青い光線の伸びているフォルムなどが描かれている。独特の音楽的というのだろうか、リズムやメロディが感じられる。中心の男性は座っていて、静的なポーズにもかかわらず、ジャンプし跳ねるような動きが画面全体からあらわれている。不思議なことに、筆者はこの作品を見ると、バスキアを思い起こした。バスキアのもつあの独特のプリミティヴな力と同時に幸福感といったものが、この作品からも感じられるのである。

 金山桂子「絆・白いゴーヤとガラス器」。白いゴーヤとガラスでできた瓶が七つ。それぞれ瓶の形は異なる。その置かれた場所が青く彩られている。そして、上方にグレーの明るい光るような空間。あいだに波のようなフォルムがあらわれている。瀬戸内の海辺に穏やかにあらわれる波を思わせるところがある。この静物を描きながら、画家のイメージは画家の郷里の瀬戸内の浜に向かうようだ。背後に風景的な広がりがあらわれ、空と波のようなフォルムがあらわれているところが、実に面白く感じられる。

 樋口洋「宵の函館」。「北海道函館、教会と坂の町で知られる元町。函館山の麓にあるゴシック建築のカトリック教会。雪の中に佇むその造形美、宵の空が紺碧になる頃、家々の明かりと共にライトアップされる教会が一層のロマンの光景となって浮かびあがっていった」(日展アートガイド)。左右に広がる元町カトリック教会。柔らかな光にライトアップされて、すこし沈んだ黄金色の壁。入口には四段の階段があって、木製の扉の両側に聖人の像が立っている。そこに向かう道は、左にカーヴする。その轍の跡が雪の上にくっきりとつけられている。左側に民家から明かりが漏れている。右のほうには街灯がオレンジ色の光を輝かせている。暗い青い空。穏やかで幸せな光景である。教会の様子が、人を激しく規制する、男性的なキリスト教のもつ威厳とは異なって、この絵の中ではわれわれを受け入れてくれる、一種母性的なイメージをもつ教会のように、そんな勝手なイメージが浮かぶような柔らかな姿である。画家のイマジネーションがそのような方向に伸びていったのだろう。そばの小さな丈の低い雑木、あるいは教会の正面の後ろからより高く伸びていくポプラのような樹木。木も教会を中心として穏やかでまっすぐに生きているような、そんな不思議な形が描かれている。そばの民家からミサの曲でも流れてきそうな気配。フラットに建物を正面から描きながら、奥行がある。そのようなずっしりとした存在感のなかに表現されているところが魅力。

6室

 和田貢「幕間」。男のピエロがウクレレを鳴らして歌っている。両足をすこし開いて、爪先を上げて、まるで後ろに倒れかかるようなポーズで歌っている。その微妙なアンバランスの中のバランスともいうべきフォルムが見事である。音楽にそって、背後の布が青く、あるいはピンクに染まるようだ。それをそばのパートナーと思われる女性のピエロが椅子に座って聴いている。音楽によって結ばれた関係。男は目を閉じ、女性は耳で歌を聴きながら、目で男性の動きを追っている。その二人の親密なパートナーのような関係も独特で、この作品を親密なものにしている。透明感のある赤の色彩がズボンや女性の上衣に使われ、男はそこに緑のチョッキのようなものを着ていて、そのあたりの色彩も実に深く繊細なものが感じられる。

 守屋順吉「行」。キジルの千仏洞などのシルクロードの岩窟寺院からインスパイアされて連作が始まった。今回も背後にその壁にある仏の座っている像が描かれている。古色の中に座って剝落した像が、敬虔な雰囲気を伝える。それを背景にして、オレンジの衣装をつけた僧侶が花を持っている。右には托鉢のための椀とずだ袋を手に掛けている。そのほぼ全身が描かれた佇まいと背後の過ぎ去った時代の仏の像とが静かに響き合う。とくに僧侶のオレンジの衣装が強い印象を醸し出す。両手で持つ花が白と黄色で彩られ、それが信仰の光のように感じられる。

 小川尊一「野バラ咲く」。古い廃棄された発電所を舞台にして、画家は連作してきた。今回は、その煉瓦を積んだような塀の上に女性を置いている。肉体のもつ柔らかな触感と煉瓦のざっくりとした硬い質感とが対照されて面白い。その女性を囲むように野薔薇が満開である。白い花が咲いて、緑の複雑な諧調と響き合っている。すこし影の部分に青みがかっているところがあってそれがまた色調に深みを与える。その清潔で生命感のある様子と、この若い女性のイメージとが静かに響き合う。その後ろに発電所の一部である建物が置かれて、奥行をつくる。

 飯泉俊夫「ヴェニス風景」。赤い屋根に白い壁の建物が上方に構成されている。下方には黒いゴンドラが二艘。左のほうにはゴンドリアが一人立っている。黒いシルエットである。二つのゴンドラの上に緑と朱色の植物と花をイメージしたようなものが浮遊している。この世のものとは思えないような強いイメージの世界である。優雅な反りのあるゴンドラの形はそれが強調され、シャープな不思議な乗物になっている。二艘と述べたが、もう一つ向こう側にいて、三艘のゴンドラがあって、一人のゴンドリアが立っているわけだが、そのシルエットのイメージは強く、全体で瞑想的でもあるし、音楽でいえば画家のつくりだしたノクターンのような雰囲気である。画家のもつ浪漫的な資質がこのようなコンポジションをつくりだした。

 池田清明「裸婦」。カウチの上に青と白のストライプの布を敷いて、若い女性が裸になって座っている。右手をカウチにつき、左手は右足の上に。右足の膝小僧が左足よりすこし高くなっている。そこに微妙な動きがあらわれる。顔は左のほうにひねっている。胸の大きなしっかりとした骨組みのある女性で、健康なエロスが漂う。清潔感のなかに表現される。両足が円形の絨毯の上に置かれている。それが柔らかな黄色で、まるで満月がそこに絨毯の形をして現れて、その上にそっと両足を置いたかのような、ロマンティックな味わいも感じられる。

 竹留一夫「レストラン」。アンダルシアの路地を描いたそうである。白い壁のしっとりとした雰囲気と樹木や窓枠などに黒が使われていて、その黒がシックな雰囲気を醸し出す。雑駁な要素は排除されて、白い壁のもつ質感が語りかけてくる。清潔感と、少し汚れた壁の生活感といったものを語ってくる。画家のもつ詩情ともいうべきものが黒によって表現されているといった雰囲気である。

 福島隆壽「瀬戸内海シリーズ '14─C 桃太郎異聞」。円形の画面の中に三人の裸の男性がいる。中心の男性はこちらを眺めながら両手を上げている。向かって右の男性は座って中心の男性のほうに体をひねっている。向かって左の男性は、その膝を見ると、この中心の男の左奥にいて、この男性を振り返っている。見ると、頭に角が生えている。鬼のようだ。赤く彩られている。その赤鬼の背後は淡い黄色、灰白色、ピンク、緑の柔らかな光で、まさに瀬戸内の光、自然を思わせる。その光に包まれるように、それをバックにして三人の赤鬼が会話をしている。独特のユニークなコンポジションである。

 守長雄喜「かき打ち場」。カキを取ってきた船がじかに横付けされて、そこからカキがベルトコンベヤーで運ばれる。外された殻がベルトコンベヤーを伝って手前の大きな袋のようなものの中に落ちてくる。三人ほどの人間が作業をしている。ベルトコンベヤーが面白く斜めにこの画面の中に入れられている。間断なく動いていく動きが、静かな中に感じられる。それに対して上方の矩形の建物の壁が組み合って、静かで奥行のある空間が生まれる。色彩は青みがかったグレーと褐色のグレーとの二色である。左のほうにドラム缶がもっと赤く彩られていて、静かなアクセントになっている。この静かな作業をするシーンを画家は繰り返し構成するのだが、筆者はそれを見ると、どうしてもその動きが客観的というより、画家の内部で、あるいは人間の内部で様々なことが無意識のなかで行われる、そういった働きの視覚化、寓意化のように感じられるのである。それほど、この画家はこのテーマに深く入っているということになるだろう。入って、客観的であると同時に、内的な動機をその制作の中に見出して表現する。

 日野功「川沿いの家」。川にじかに面した建物。そこから杭がいくつも立ち上がっている。水面から二メートルほど上方にあるのだろうか。外側に張り出したテラスのような場所があり、そこがこの建物の入口になっているようだ。その上方に赤く錆びたトタンの屋根があり、その下に洗濯物が干されている。テラスの向かって右側にはガスボンベが三つ。都市ガスがまだ入っていないのだろうか。重厚な画面である。壁のもつ手触りを画家は徹底して追求する。長い歳月が過ぎた経緯がそのまま壁から浮かび上がってくるような表現になっている。そこには素朴な人間の生活が長く続けられてきたわけで、建物を通しながら人間の生活を画家は描こうとする。入口のそばに植木鉢を置く棚があって、赤い花が可憐に小さく咲いている様子が、まるで小さなともしびのような雰囲気で優しいアクセントになっている。

 桐生照子「ボートハウス」。北欧のボートハウスを描いたそうである。赤いボートハウスに接続して繫留された船。そして、高い樹木のあいだに細い水路が続いている。北欧の秋はすぐ冬になるのだろう。紅葉した樹木の色彩、建物の赤、水路の青みがかったグレーが、実に生き生きと響き合う。画家は何よりも色彩を願うようだ。その強い欲求が一種の音楽的な効果を画面に与える。

 湯山俊久「窓辺」。「近年、アンティーク調のソファーにくつろぐ女性像の連作を試みている。ソファーの曲線、直線と人物のゆったりとした流れが相まって、画面に心地よい緊張感を生み出してくれている。窓辺のやわらかい光を受け、花飾りの帽子が華やぎを増してくれている」(日展アートガイド)。カウチの背が優雅にカーヴしているところに右手を置いて、足を組んだ女性のフォルムである。スカートは濃紺で、帽子の黒とお互いに響き合う。白い上衣に赤いショールのようなものをまとっている。横向きの顔に対して、体はそれよりすこし正面を向いている。そのひねった体のフォルム。そして、組んだ足の左膝から垂れてくるスカート。つまり、手前に出てくるその足のフォルムに対して上体の位置、そして左にひねった顔と、それぞれのフォルムの組み合った様子が実に力強く表現されている。優雅な女性のフォルムであるが、造形的にはそのような表現になっていて、ゆったりとした大きさが生まれ、奥行があらわれる。それをオレンジ色の背景が安息的に優しく包むようなかたちで置かれていて、上品でおおらかでありながら、繊細な女性像になっている。

 寺井重三「アトリエの登子さん」。窓際に若い女性が座っている。ダークなワンピースを着て、膝に赤い花を持っている。白い襟がお洒落な雰囲気で、黒い首飾りに、黄色い装飾が下がっている。その凜とした雰囲気の女性のフォルムの向かって左側、窓際に赤い色彩が置かれている。それは布かもわからないのだが、ほとんど抽象的な味わいである。その赤によって画面が活性化される。もともとクラシックな雰囲気で、女性の凜とした雰囲気とか、その大きな目などに焦点を当てて描かれているのだが、その赤がより生命的に、よりロマンティックな雰囲気を与えるかのごとき様子である。ふかぶかとした室内の空間の中に置かれた女性。窓から差し込む光も同じような性質をもつ。

 池山阿有「朝もや」。ふっと立ち上がって、その周りの風景を眺めている。画家によると、「ホッとして立ち上がり、朝もやにかかった野山をながめる」(日展アートガイド)という、すこし膝を曲げて立つおばあちゃん。白い手拭いを頭にかぶっている。裾の短い上衣を着て、もんぺに長靴姿である。その上衣の中に黄色が入っていて、柔らかな雰囲気をつくりだす。顔の中にも黄色のような色彩が入って明るく、このおばあちゃんを聖なる存在のように画家は表現している。柔らかな青みがかったグレーの空気が、この女性を囲んでいる。そのあいだから緑の三角形のフォルムが一部のぞいているのは、山に見える樹木なのだろうか。不思議な親和力のなかに表現されている。このおばあちゃんの全身像が描かれているのだが、画家のつくりだしたおばあちゃんのイコンと言ってよいようなイメージが面白い。

 工藤和男「海辺の街」。シチリア島の港町チェファルーの海辺を描いたものである。船を浜の上に引き揚げている。五人の男が船を囲んでいる。真ん中に畳んだ大きな網が見える。後ろには三艘の船があって、二艘の船で男が動作をしている。浜辺が湾曲しながら広がっている様子。そこに海の水が実に魅力的に青くグレーに表現されている。背後の白い壁の建物はずいぶん長い時間を経過したような佇まいである。画家は日本の北の町の漁師のシリーズを描いていたが、この地中海の漁師たち、街の雰囲気は、光が異なっていて、ずいぶんモダンな華やぎが感じられる。優れたデッサン力によって男たちの姿を描き起こす。漁師たちは海を相手の労働をやってきたわけで、その体全体がひとつの独特の姿をしていて、その人々を組み合わすことによって、生気ある群像が生まれる。海の青い色彩を見ていると、海というものに対する深い親和力と敬虔な気持ちがしぜんとそこから浮かび上がってくる。

 小灘一紀「悲しみの下照比売命(古事記より)」。「照り映えるほどに美しい大国主命の娘、下照比売は高天原より国譲りのために遣わされた天若日子神と恋仲となり夫婦となった。しかし、使命を忘れた天若日子は天津神の返し矢に殺された。燈に照り輝き、静かに夫を想う悲劇の女神の生命はゆらぐ」(日展アートガイド)。椅子に腰掛けた下照比売命の胸のあたりと顔にともしびが当たっている。顔にすこし下のほうから光が当たって、それによってよりあやしい雰囲気があらわれる。左手に花を持って、その手を膝の上に置いている。白いワンピースのような衣装。影の部分と光の当たっている部分の陰影が独特で、背後の暗い調子のなかに植物の葉があらわれたり、蝶が飛んでいたり、蛍が飛んでいる。まるで深い海の中にいるような気配で表現されている。それは画家の想像力がこの姫の悲しみに同化し、そこに想像力が行き渡るために、その悲しみによって周りがまるで深い海の中のような雰囲気になったのだろう。神話の物語に深く感応した結果である。

7室

 酒井英安「緑陰・猪苗代湖畔」。近景に池があって、そこから水草が生えている。中景には高い樹木に茂った葉。そして、その向こうに小道が続く。緑の複雑なニュアンスを生き生きと画面の中に表現し、画家独特の構成の中に遠近感をつくる。左右に樹木の幹が伸びていて、それが構成のアクセントのようなポイントになっている。

 倉林愛二郎「刻」。建物の内部の扉や壁を使って、面白い構成をつくっている。手前の部屋にはテーブルの上に果実の置かれた大きな皿とドライフラワー化したマンリョウのような植物の入った茶色い壺がある。リノリウムの床。扉があけられている。次の部屋には白い布のあるテーブルとガラス玉。その向こうの部屋の扉があけられて、その向こうにもガラス玉がある。実は、ガラス玉はいちばん手前の椅子の手前にもある。あけられた扉の形、その動き、三つのそれぞれの部屋に置かれたガラス玉の大小の形。そういうものを通して空間というもののなかにあるそれぞれのポジション、そのコンステレーションを表現しようとする。三つの部屋の三つの光、三つの空間、三つのガラス球をそれぞれ変化させながら、独特のハーモニーをつくる。

 佐藤祐治「時を刻む村」。上方に砦のような建物。右のほうには鐘楼のある教会の塔が伸びている。その二つの手前に民家が立ち並んでいる。地面がすこし手前にいくにしたがって低くなっている。それに沿って起伏のある動きが生まれる。褐色の瓦の屋根。石を積んだ壁。その建物の集まった様子は、まるで高さが変化しながら音階のようなイメージをつくる。この中世にできたと思われる集落は、断崖の上に立っている。背後に鬱蒼と緑の樹木が伸びている。ヨーロッパのある街のある光景を見事に絵の上に再構成する。

 長井功「雪の朝―わだち―」。樹木のあいだに道があり、そこを車が通った跡がついている。斜光線の光が差し込む。しんとした気配の中に、雪の上の明暗が謎をかけるように浮かび上がってくる。

 星川登美子「ゲラゲッツァ 2014」。題名はメキシコのお祭りの意味である。管楽器を演奏しながら、着飾った女性が手前に行進してくる。女性の衣装の赤や紫やピンク。大きな黄金色の首飾り。背後の青いビバなどの文字の入った布。ト音記号や音譜を高らかにそこに入れる。明るい太陽光線が差し込んで、きらきらと色彩を輝かせる。光と人間たちと音楽によって、そのイメージを実に自由にのびのびと構成する。純な色彩が輝き、音楽が聞こえてくる。

 前原喜好「集落」。ベージュ、黄土色、紫色などの色彩によって、建物の壁とその影を描く。手前には屋根があり、その向こうには壁があって、下方の建物の屋根が見え、その向こうにまた壁が一部映る。一種の幾何学的なコンポジションと言ってよい。光が当たり、その色面が輝かしく立ち上がってくる。屋根の瓦の処理や光と影の様子、あるいは壁の陰影などを見ると、全体で一種の音楽性を感じることができる。朗々と画面からメロディが流れてくるようなコンポジションになっている。

 馬場和男「春のアトリエ」。床にマットをシーツでくるんで、そこに女性が寝ている。白い上衣、白いパンツ。目をつぶって両手をくっつけた様子であるが、その全身像が描かれている。空間のなかにある全身のかたちが、ふかぶかとした調子で表現されている。

 坂手得二「夕・牛窓」。海に向かって山が斜面になっている。その手前にオリーヴの木。その後ろ側には新緑の葉を見せる広葉樹。そのあいだから瀬戸内の海がのぞく。海に突き出した岬が繰り返されながら遠ざかる。はるか向こうには薄青い陸地が見える。四国だろうか。光線が魅力である。とくに広葉樹の葉を透かした光線がその緑に独特の色彩を与える。手前のオリーヴの木の銀灰色の葉は光線によってややピンクに、あるいは薄青く彩られる。海も光を反射して、すこしピンクに、あるいは黄色に輝いている。斜光線の美しい、夕方の光景である。

 磯崎俊光「森の使者」。「鎮守の森は御神木をはじめ杉や檜の大樹が林立し、静謐で神秘的な雰囲気が漂って敬虔な気持ちにさせる。自然と人の繫がりを今に残す貴重な聖地である。古来の装束の神官を配して清浄な趣になるように心掛けた」(日展アートガイド)。この榊を持つ神官の後ろに立つ大木は杉なのだろうか、檜なのだろうか。あいだに青い空が見える。手前の神官のきりっとした雰囲気の全身像もよく描けているが、それ以上に、背後の樹木のアルカイックな大きなフォルムのうねうねと動くようなムーヴマンに感心した。

 西山松生「庭の楽しみ」。椅子に女性が座っている。後ろにサボテンが伸びている。樹木が枝を広げて、その上方に葉を差し出している。下方にはピンクの花が咲いている植木鉢がある。庭の樹木や植木鉢などと人間を一体化しながら、独特の生気のなかに表現する。ぐいぐいと筆で絵具を置いていく。その積み重ねによって絵具のコクが出、色彩が輝き、独特の動きがあらわれる。じっと見ていると、人間と自然と一体化した水墨のもつ魅力に共通する力が感じられる。

 鷺悦太郎「十六夜」。女性が横座りして画集のようなものを開いている。目は遠くを見ている。後ろの襖に風景が描かれている。手前には畳の上に絨毯が敷かれている。陰影豊かな室内に座る女性像。明治時代の脂派を思わせるような優れた写実力。そんな中に白いブラウスとピンクのスカートが映える。

 青栁敏夫「風が通る」。カラスが地面に下りている。周りに朝顔のような花が咲いている。丘の向こうに白い大きな建物が見える。フラットな色面によって構成しながら、遠近感をつくる。色彩が瑞々しい。中心の鳥は画家の自画像を思わせる。擬人化されたもので、そのような文学性も魅力。

8室

 米澤玲子「出を待つ」。マリオネットの糸を持つ女性。女性の姿は横から描いて、マリオネットは正面向き。床に足がすこしついた雰囲気。屈曲したその足のかたち。両手を上げて、微妙なイメージを伝える。横から見た女性の姿はしっかりしていて、この人形遣いの繊細な表情が浮かび上がる。背後にカーテンがあり、床もカーテンも青く染められている。そのしんとした気配の中に、人形と女性との微妙な気配まで描き起こされる。

 大附晋「ノルマンディーの港町」。真ん中に海の水が入江となって引き込まれている。手前に岸壁があり、向こうには道があり、建物が聳えている。建物の下はカフェになっていたりして、たくさんの人々がいる。ヨットがたくさん繫留されている。その白い色彩が静かに輝いている。イノセントなその輝きが、この作品の魅力をなす。大きさもそれぞれ異なるヨットが二十艘ほどあって、白い輝きを放つ。そのあいだにボートが緩やかに進んでいる。向こうの建物は紫がかったグレーや黄色みがかったグレーなど様々であるが、それもまた静かな光の中に輝いている。黄金の秤のようなものがあって、その上にフォルムや色彩をのせて、静かに画家はその秤で量っているような趣がある。そんな繊細な様子でそれぞれのフォルムを画面の中に置き、そのバランスを考えている。ヨットのマストが上方に伸びて、画面の上辺を突き抜けているところが二か所ある。それが光の筋のような輝きの中に入れられている。作品を見ると、まだ未完のようだ。

 橋本一貫「時」。コンクリートの上に木箱があり、その上にギリシャの壺がある。本と鍵。下方にはブランデーのような瓶。透明な瓶の中に貝殻がある。大きな貝殻が木箱の側面にある。静かに光が差し込む。グレーの中にフォルムを組み立て、そこに青や茶色、赤などの色彩を入れこみながら、独特のリズムをつくる。静物であるが、なにか風景的なイメージがあらわれてくる。

 川村隆夫「聖ヤコブ大聖堂西門」。聖ヤコブ大聖堂の大きな木の扉があけられている。向こうから杖をついた女性がこちらに歩いてくる。室内のすこし暗い中にある空間。手前の光が差して石を染め上げた重厚な空間。この聖ヤコブ大聖堂の西門は観光客がずいぶん入っているようだ。いずれにしても、石でできた建物のもつマチエールというか、その雰囲気をしっかりと表現し、そこに人間を置くことによって大聖堂を身近なものに引き寄せる。

 吉引邦子「朝の挨拶」。手前に人形などが散乱している。扉をあけて女の子が顔をのぞかせている。右のほうには戸外に出る扉があいている。そこにはスコップが置かれ奥に裸木が立っている。明るい外の外光の灰白色の光線。室内のしっとりとした青い光。それらがクロスする中に人形が置かれ、親密でアンティームで、独特の色彩の魅力をつくる。かわいらしい子供の表情も優れたアクセントになっている。

9室

 栁瀬俊泰「PILGRIMAGE―愛犬へのオマージュ」。画家は緑を扱うことがうまい。緑はなかなか日本人に扱いにくい色彩であるが、それを楽々と使用しながら、和風でもあるし、洋風でもある独特の空間をつくる。右に樹木が立ち上がり、黄緑色の葉を茂らせている。その背後は針葉樹のような趣で、はるか向こうまでその緑が続いている。ここは公園か小さな空き地のようで、ぐるっと土手のようなものがある。手前には雑草が茂っている。雑草の向こうにダックスフントらしき犬がいる。犬が鑑賞者のほうを眺めている。謎めいた自然を、画家はここに表現している。とくに空の表情が面白い。その中に人間と近い親密な関係をもつ一匹の犬を置く。ユニークなコンポジションである。

 佐々木節子「小休止」。ピアノをバックにして、その椅子に座ってこちらを見ている女性。白いワンピースを着ていて、足を組んでいる。ピアノを演奏する人なのだろう。白とピアノの黒とが清潔なハーモニーをつくる。のびのびとしたその健康な女性のフォルムが自然体で魅力的に表現される。

 庄司勲「市場の婦」。木製の粗末な椅子に女性が座っている。そばに七輪があって、墨をおこしてイワシやイカを焼いている。後ろの箱には干したイワシがいくつもある。上方にもイワシがぶら下がっている。地面の上に食べられたウニの殻がある。そんな様子をしっくりとしたグレーを主調としながら表現する。女性の衣装は、上衣は緑で青い前掛けを掛け、ブルーのズボンに長靴である。その姿が繊細で、すこし笑っているこの女性を見ると、だれもがこのような中年の女性と会ったことがあるといった親密な感情をもつだろう。七輪も懐かしい気持ちに誘う。通常のことを描きながら、深いイメージをそこにつくりだす。人間が生きているように表現されているところが最もよいところだと思う。

 中川澄子「山麓の回廊」。最近、ピレネー山脈の麓にある古いロマネスクの教会をテーマにしながら連作が続いている。今回は、画面の真ん中に柱に彫られた女性の彫刻が描かれている。正面と左右の三体。聖人の像である。手前の立ち姿を見ると、それは日本でいえば聖観音像を思わせるようなイメージが漂う。後ろに柱がいくつもあって、その向こうは塀になっている。塀に沿って回廊が左右に広がっている。アーチ状の隙間から雪を抱いたピレネー山脈が見える。中心に斜めに並ぶ柱の左のほうには草が生えていて、右のほうは石が地面に敷かれているようでグレーである。そのぽっかり空いた空間のなかに不思議な安らぎがあるし、同時に深い宗教性ともいうべき濃密な空気が感じられる。その空気の中にアーチ状にあけられた隙間からピレネーの山の風が吹いてくる。山の風と濃密な信仰の空間とがクロスするところに、不思議な色彩があらわれる。中心の暖色系の赤みを帯びたいくつかの柱とその手前の三体の彫刻が、この作品のポイントとなっている。まるで深い血の色を見るようなその色彩と聖女のフォルムには、なにか深いものがある。画家も女性である。この聖女の姿を通して静かに語りかけてくるものがあるように感じられる。

 武田敏雄「晴れる蔵王」。蔵王の山とその麓までの全体を、画家は掌にするが如く、よく周知している。山形に住む画家である。その理解から、このような不思議な風景が生まれた。蔵王の山と山麓までの大きな塊をまず画家は描く。いますこし晴れて光が差し込み、雪が白く輝く様子。日の当たらないところはダークな、しっとりとしたかたちでわだかまっている。空を見ると、曇り空である。だから、一瞬日が差し込んで、また曇っていくのかもしれない。光が雲の中からあらわれ照らすその場所によって、この風景は刻々と変化していくに違いない。そういった言葉が出てくるような不思議な存在感が感じられる。しかも、頂上から手前までの距離感、その大きな量感というものがしっかりと表現されているところが、この作品のリアリズムであるし、面白さであるし、絵画性でもある。

 森康夫「時の流れ」。雪が地面に積もっている。両側に三つの樹木があるが、向かって左は二本。中心のほうに枝が伸びずに、両側のほうに枝が張っている不思議な形である。その二つが門のようになって、その向こうに鬱蒼と高い杉のような樹木が見える。その手前の三つの樹木がまるでダンスをしているような不思議な気配で表現されている。

 店網富夫「早春の渡良瀬遊水地」。地面がはるか向こうまで続いている。渡良瀬川がゆったりとカーヴしながら流れている。点々と樹木が伸び、川が空を映して、一部明るく青く輝いている。空は雲がないが、すこし湿気もあって、独特の湿度をもった空間が上方にわだかまっていて、遠景に山が青く霞む。手前の葉を落とした樹木の形がシルエットになっている。静かな時の止まったような広がりのある空間が魅力。

10室

 鈴木實「運河の街」。入り組んだヴェニスの運河の様子をよく表現している。水と接する壁の上の白いバルコニー。あけられた扉。ところどころそこに植木鉢があって、花が赤くピンクに咲いている。ジグザグになった運河の向こうに橋が見える。手前左側に女性二人を乗せたゴンドラが前に進んでいく。それに対して向かって右のほうから、手前に向かって若い男女の乗るゴンドラがこちらに向かってくる。後ろにいるゴンドリアが竿を操っている。しばらくすると二つはクロスするのだろう。そこに不思議なムーヴマンというか、ときめきが感じられる。とくに右の若い男女の初々しい雰囲気と左の白髪の二人の女性とは年齢の対照を見せて、老年は過ぎていき、若い人は手前にといった、去っていく者と次の世代として登場してくるという深いイメージも感じられる。また、青年のすぐ左あたりの水に建物のあいだから差し込む光がピンク色に輝いているのも、そのようなテーマを補強するようだ。

 松下久信「清秋の朝」。地面が左に傾いている。そこに藁を積んだ塊が上にビニールシートをかぶせられて、いくつも点々と置かれている。その向こうは逆に左のほうが高くなって、右下にいく斜面である。その先には、一度谷になってまた立ち上がる同じような向きの斜面があって、その境目に紅葉した林がある。そして、もう一度その奥に上方に向かって隆起する斜面があって、そこに三角形の塔が見えるのは教会なのだろうか。雄大な北海道の自然である。空はピンク色に染まっていて、斜光線なので、朝の光線が燦々と降り注いだ情景である。しっかりと大地の色や樹木などの固有色を描きながら、雄大な北海道の自然の広がりのある空間を表現する。

 阿部良広「ASAKA (Only Time)」。白いフリルのあるワンピースを着た女性。花嫁衣装のような雰囲気。頭にピンクの髪飾りをつけている。そっと足を組んで、その上に手を置いている。初々しい清らかな雰囲気を、クリアなフォルムのなかに表現する。

 黒澤信男「赤い橋」。背景に雪を抱いた峰が実にリアルに奥行の中に表現されている。そして、手前は谷になっていて、赤く彩色された鉄を組むことによって橋がつくられ、その橋の上を白い車が走っている。高速道路なのだろう。この橋と、その向こうの道の様子。そして白いワゴン車。静中の動ともいうべきコンポジション。谷の下の斜面に針葉樹が立ち上がり、雪をかぶっている。冬枯れというのだろうか、雑草が褐色になっている中に針葉樹があいだに点々とあって、そこにはとくに白く雪が積もっている様子。そんな褐色の崖の下には、見えないが、きっと水が流れているのだろう。上方には何千メートルかの山がうねうねとその峰を見せながら連なっている。空は深い青い色彩。上方に行くにしたがって濃くなる。ほとんど音が聞こえないようなイメージは、あまりにもリアルな強い奥行とそれぞれのディテールを描かれた空間のもつ力によるものだろう。しーんとした中に、人間が生きている証拠のように車が走る。深い奥行の中に赤い橋が、無彩色のようなこの自然の中に静かに輝く。

 新井隆「雨後」。丸いテーブルの上に黄色い布が置かれ、その上に白い花瓶が置かれ、黄色いカラーなどの花が差されている。ガラスの器には赤い葡萄。手前には蜜柑や無花果や小さな西瓜のようなものも置かれ、コーヒーメーカーがある。窓は大きくあけられて、刈られた田圃とその向こうに電信柱が立ち並び、民家が見える。明るい光線が空にあって、その光が手前の室内に差し込んでいる様子。実に穏やかな色調であり、独特の奥行のある空間である。自然光というもののもつ広さと深さがよく表現されている。手前にキャンバスがあり、椅子の上にはスケッチブックがある。アトリエの一隅と戸外の風景とが連結された夕方の一刻がそれぞれの固有色のなかにしっかりと描かれる。

 杉正則「縫い物をする女」。白い布を繕っている若い女性。手前の木製のテーブルには針坊主や和鋏などがある。左上から光線が差し込む。永遠にこの女性はこの布の針仕事をしているような、不思議な雰囲気。時間がこのまま永遠に続くような独特のイメージの力。穏やかなトーンの中に、女性の全体のフォルム、動作する姿が静かに強く描かれているし、暖かな肌触りのあるマチエールも魅力である。

11室

 吉田武志「海潮音―船出」。上方から光が差し込んで、テーブルの上にあるものたちに立体感を与える。潜水のための頭部につけるものやラッパやコルク、貝。ピューマの骨のようなものが棚の中に置かれている。棚には帆船の絵が貼られている。静物であるが、風景のように差し込む強い光を入れこんで、それぞれのもののフォルムや存在感が立ち上がってくる。

 楠崇子「'14 風の響」。女性が座っている。胸を大きく出して、レースを首周りの襟に置いたようなベージュのワンピースを着ている。そばに大きな観葉植物が置かれている。グレー、緑、赤。その赤紫の観葉植物と女性の赤い髪とが響き合う。左のほうのカーテンの柔らかな緑と濃い緑の葉が響き合う。グレーの室内。風が吹いているようなシャープな動きが感じられる。独特の詩情が画面から漂う。

 川口もと子「雨あがる」。出窓に手を置いて立っている女性。すこし斜め後ろから描いている。窓の向こうは、しっとりとした樹木が風に揺れているようだ。そばに猫がいて、風景を眺めている。柔らかな光の中にそれぞれのもつ物質感をキメ細かなマチエールのなかに表現しているところがよい。

 山田昌三「漁を終えて」。地味だが、存在感がある。女性が頰かぶりをして、ゴムのエプロンをつけて、蟹の入っている木箱を運んでいる。後ろにもう一人、シルエットの女性がいる。冷気が漂ってくるようだ。その動いている気配のなかに情感豊かに表現する。

12室

 下時治郎秀臣「秋水」。画面の中心に小さな池がある。空を映して青く白く輝いている。上方の雲の出た淡いセルリアンブルーの空より、この池の空のほうがより深い感じがする。周りの緑の灌木や草、樹木などをタッチのなかに描きこみながら、オレンジの花がアクセントになっている。

 宮本佳子「スペインの椅子と人形」。木製のスペインの椅子の上にフリフリの衣装を着た少女の人形が座っている。そばに麦のようにもネコジャラシのようにも見える植物が伸びている。マンリョウのような植物も伸びている。しんとした気配のなかに左から光が当たり、この人形を照らす。静寂な中に、この空気の密度のなかにすこし笑っている人形がすこしあやしいような存在感を表す。

 頼住美根生「寄せる想いに」。ヴァイオリンを持って座っている女性。オレンジのドレスを着ている。ほっそりとした上品な女性の姿。その中にヴァイオリンと弓とが面白くアレンジされ、この女性の魅力をより浮かび上がらせる。画家独特の美意識によってつくられた女性像。

 河内八重子「祭祀の棚」。白いボックスの中に区切りがつくられている。兵士の埴輪が置かれて、いちばん大きくその存在感を放つ。そばの矩形の中には建物。その上には二つの土器。上方には女性や兵士などの首が五体置かれている。しんとした独特のグレーの中に一つひとつの埴輪を手で触るように描く。古代の日本人の祭祀であった人形。古墳の周りに並べられていたそうだが、古代人の魂に心を通わせるような気持ちで埴輪を描く。単なる物質としての埴輪ではなく、そのような心理的な要素が醸し出されているところが面白い。

 佐藤淳「アレゴリー」。木製の白いサイドボードの上に明るい褐色の布を置き、そこに静物を構成している。金属のコンポートの上に林檎。染付けの瓶に赤い薔薇の花。本の上に赤ワインの入ったグラス。右端には古代の俑のようなものが置かれている。棚の中には頭蓋骨と木製の手。壁には楽譜が貼られている。それらを緻密に丹念に描く。存在するものをそのまま平面の上に写し取る。そのためのヴァルールに対する感覚とフォルムに対する感覚が優れている。

 早川二三郎「階段のある街」。縦長の画面。道から階段があって、大きなアパルトマンのような建物に続く。一度上って、また階段が入口に向かう。茶褐色の二百年ほどたつような建物。道のもういちだん下に道があるのか、あるいは水が流れているのか。ヨーロッパの古い街の様子を直線を使い画面を分割しながら、重厚な雰囲気のなかに表現する。

 安藤嘉一「あぜ道」。畦道がくの字形に伸びて、土手の上に向かう。土手の下には温室のビニールハウスが二棟ある。そばには粗末な小屋のような建物。画家独特の絵具をすりこむような方法で描く。それによって強いムーヴマンやリズムが起きる。曇った空のほうがかえってものの形が見える。この一隅をまるで掌の上に置くように画家はぐいぐいと描きこむ。

 高田啓介「北の踏切」。いまにも雪が降ってきそうな暗い空の下に単線の線路が通っている。両側に信号機がある。そこの赤い色彩が無彩色のような風景の中に輝く。雪の積もっている地面。中景から遠景に低い建物が雪の中に埋もれているような姿が見える。電信柱が立ち、電線が伸びている。その様子に独特のリズム感が感じられる。不思議な緊張感のなかに表現されている。空に重さがあって、地上にも独特の奥行とそれぞれの量が表現されているところが、いかにも油絵による表現である。

13室

 吉田勝美「マジシャン」。ピエロの衣装をつけた女性。題名によると、それはマジシャンなのだろう。そばに大きな玉を置いて、そこに左手を置き、下方を見ながら考えこんでいる。鳥の羽が反対側に浮遊し、いくつかは床の上に落ちている。放心した芸人のイメージ。放心することによって、自分自身を取り戻す時間が引き寄せられる。ほとんど色数は使われていない。女性も後ろのテーブルも壁も、柔らかな灰白色に朱の入ったような色彩で、そこに光が差し込んでいる。それに対して右後ろ側と床は黒い色彩のヴァリエーションである。その二つのコントラストの中に、放心という、一種緊張感をほぐしながら心のなかではイメージを追う、そんな状態を見事に表現する。

 小田昇「片岩」。三陸海岸のように岩でできた大地が広がっている。手前は鏡のような水。大きな鷹のような鳥がその上方を飛んでいる。背景のこの岩でできた大地のずっしりとした存在感とその手前に飛ぶ鳥のもつ写実、そして鏡のような水。三者が相まって独特の雰囲気をつくる。写実で表現しながら、どこか深いロマンティックな文学性を感じさせる。

 羽根田隆「断崖の壁画」。断崖の上に狩りをする様子が黒い色彩で線的に表現されている。狩る人間と逃げる動物たち。斜めに立ち上がる断崖。ダイナミックなコンポジション。

 大島優子「景」。室内楽を思わせる。矩形のグレーの色面を前後につくりながら、空間をつくる。そんな中にぽつんぽつんと樹木のフォルムがあらわれる。広葉樹で、太い幹にこんもりと葉の茂っている様子をシンプルに表現する。上方には白い雲が浮かんでいる。道の手前には茶褐色の色面があらわれて、もう一つの建物のイメージがあらわれる。自然と空と雲と街並み。そこに存在する樹木。だれもが通常見慣れている光景である。そんな光景を画家はこのグレーを中心とした繊細なトーンの色面の変化の中に表現しながら、お互いがきわめて深い親和関係のなかにあることを語る。室内楽と言ったのは、建物も道も樹木も雲も、いわば静物的と言ってよいように引き寄せられて、ひとつの空間を構成するパートとなっている。そういった発想が弦楽四重奏とか、そういった雰囲気で筆者には感じられる。それはまたグレーのもつきわめて繊細な色調の変化による構成によるところが大きい。半音階を重ねながらひとつの空間をつくり、なにか懐かしくもあり、独特のポエジーを帯びた空間を表現する。

 坂田快三「下の家」。稲穂を刈ったあとの水田。そこに水がたまっている。点々と刈った稲穂の跡がリズムをつくる。そんな中に家がある。その後ろ側には、斜面になって家があるのだが、その水田の中にある家が不思議な表情を見せる。淡いブルーとグレーのヴァリエーションによって日本のふるさとの田園を描いているのだが、水墨ふうであると同時にモダンな雰囲気が漂うところが面白い。

 田中実「座像」。青いドレスを着た女性が椅子に座っている。背景は赤い色彩で、カーテンのようなものになっているのだろう。女性は白い花を頭に差している。穏やかな中に不思議な安息感が感じられる。画家の絵を描く喜びがしぜんと女性を通して伝わってくる。

 青島紀三雄「水辺待春 Ⅱ」。水の流れているところに洲があって、そこから雑草が生えている。はるか向こうには橋があり、その道の両側に樹木が立ち並んでいる。そのあたりはシルエットふうに表現されている。曇り空の中からたまに光が差し込むようだ。それによって風景の中にちらちらと光が走る。独特の動きが感じられる。水のそばの丈の高い雑草一つにしても、その茎から葉の先にわたる形をシャープに捉えながら、筆のストロークがそれを捉えながら、そこに独特の光や動きをつくりだす。

 石本敬子「雲仙普賢岳(平成新山)」。雲仙の普賢岳が噴火したことは記憶に新しい。それで出来た山が左上に描かれている。右上方には海が見える。海のそばの民家。空は茜色で、不思議なドラマ性を感じさせる。

 宇賀治徹男「堤外地(雨後)」。水溜まりが白く輝いている。中景にはススキが風になびき、その向こうには裸木が枝を広げている。松のような針葉樹も見える。手前に何の名前かわからないが、赤い草が生えていて、それが独特のイメージを表す。グレーの空の下の遠景には、樹木が青くシルエットになっている。奥行のある空間。その中に、空を映して白く輝く水と赤紫色のような植物とが独特の表情を見せる。冬の寒さのなかに荒涼とした風景が広がるが、そのなかに雑草が生きている。その気配には何かメランコリックなものがある。

 武藤初雄「湾岸にて(大阪・大正区)」。画家は造船所の内部の光景をずっと描いてきているから、これもそうなのかもしれない。壁に塗られたコールタールのような物質が一部はげている。手前の床に白い亀裂のようなものが走って、また、コールタールのようなものも一部残っている。物質がそのまま時間を背負って眼前にあらわれてくる不思議さ。そこに光が差し込み、今という時間があらわれる。

14室

 住吉由佳子「森閑」。青を中心として緑の色彩を加味した月光の中の色彩。手前近景から樹木が立ち上がる。その向こうには池がある。池に向かって枝が伸び、樹木の葉が茂っている。背後は深い緑。月光に照らされた自然のもつ神秘的なイメージをよく表現する。

 清水佳代子「駅前の家」。一色の版画。道が上り坂になっている。電信柱があり、民家が続いている。すぐ後ろは山になっている。上方から光が差し込んで、強い明暗のコントラストに染め、道の上に影をつくる。白と黒の面白さ。対象の形を端的に力強く木版によって彫り込んで、ディテールのニュアンスを失わず、余分なものは省きながら、いわばフォルムによる連続性、そこにあらわれてくるリズムともいうべきものを見事に表現する。

 ジュディ・オング倩玉「紅楼迎賓」。瓦屋根の大きな門。塀の壁は丹色になっている。門を入ると、灯籠があって、その灯籠の中が赤く輝いている。色彩は極力抑えて、モノトーンの中に赤と軒灯の黄色。それ以外はフォルムによる表現である。骨格のしっかりとした建物のもつ独特の強さ。たとえばそれはカーヴする屋根の反りの形などからもくるのだが、そういったものをベースにした堂々たる版画作品である。

 小林理恵「横浜夕景22・花火」。横浜の大観覧車が黒いグレーのシルエットの中に表現されている。夜の光景である。大観覧車の下のジェットコースターのカーヴや橋のカーヴなどが、グレーのダイナミズムの中に表現される。上方に赤、黄色、青の三色の巨大な花火が上がっている。まさに三つの大輪の花が空に輝いている。それを映して下方の海が赤くピンクに染まっている。華やかでありながら、祭りのあとには寂しさが漂うような深い情趣が感じられる。それはまた、グレーのシルエットになった大きな客船の光からもそのようなイメージが来るのだろう。深い夜の闇の中に花火をテーマにした見事なコンポジションである。

 岩井幸子「悠久の日本海」。磯に波が寄せて、白い波頭を立てている。その波を木版によって表現する。重ねられた版によって深い海の青緑色の色彩があらわれる。その中から白く輝くような波頭。磯の岩のずっしりとした存在感。海のもつ動きを、その量感を見事に表現する。

 志賀一男「雪の松島」。木版である。あずまやのシンプルな瓦屋根の建物。松に雪が積もった様子の単純化。背後のたくさんの島。水平線がすこし傾いている。夕日だろうか、朝日だろうか、空がすこし赤く染まっている。いずれにしても、この海に突き出た地面にあるあずまやと松のもつ力強い表現に注目した。

 並河委佐子「海辺の家」。木造の家が湾に接している。家と家の間の階段を下りると海になっている。漁船が繫留されている。二階には洗濯物が干されている。瓦屋根。ほとんど夕暮れの景色。その強い明暗のコントラストの中に建物や船や洗濯物が浮かび上がる。深い生活感情に染められた光景である。手前の緑の海。それぞれのフォルムは輪郭線がすこしぼかされるような感じでお互いのフォルムがリンクし、色彩がお互いに滲み合う。生活のうたともいうべき旋律が画面の奥からきこえてくるようだ。

 小松精二「田園夕景」。水彩作品である。刈田が広がっている。遠景には建物や樹木のかたまった八幡神社のような雰囲気のところもある。夕日に空も田圃も茜色に染まっている。ほとんどモノトーンの中に、クリアなフォルムによる遠近感のある表現。空間が余情をはらむ。

15室

 才村啓「秋」。丸いテーブルの上に楽譜とクラリネットが置かれている。そばには洋梨と林檎とガラスの瓶。女性の石膏像。後ろにはチェロが横に置かれている。手前にはスケッチブックもある。暖かな色彩感覚である。フォルムと色彩をどのように調和させるかに苦労した佳作である。

 岡島春美「遠き日 '14」。子供を背負った六十歳ぐらいの女性。孫をおんぶしているのだろうか。最近は子供をおんぶするのも、若い母親の場合は前に抱くように布が使われているケースが多い。昔ながらのおんぶで、後ろには唐草模様の風呂敷が乳母車に置かれているのもほほえましい。暖色系を中心にして、一種彫刻的なかたちでしっかりと対象のかたちを捉え、大きな動きをつくりだす。また、色彩も温かく、それもまた魅力。

 池上わかな「包まれて」。巨大な樹木の幹と幹のあいだに女性が座っている。白い上衣を着て、腕を膝の前で組んで頭を垂れている。その女性のフォルムと囲みこむような樹木の太い幹の形とがお互いにリンクし合いながら、強く魅力的なコンポジションが生まれる。まるで父親のようなこの樹木の激しい力強いフォルムと動き。それに守られるかのような繊細な若い女性の表情、体。背後はきらきらとした外光がそこに差し込んでいる。柔らかな緑のヴァリエーション。優れた造形力である。

 宇野孝之「皐月」。舞妓さんか、あるいは藤娘のような日本舞踊を踊る人なのかわからないが、長い振り袖の着物を着た女性が正座をして、鏡を見ながら白粉を顔につけている。背後は金屛風で、フジの花が垂れ下がっている。そんな様子をきわめてクリアに表現する。この厚い化粧をした女性の内面にまで届くかのような筆力で、性格までも描こうとするかのような筆力に注目した。

 黒木ゆり「透明な時間の中で」。ずいぶん触覚的な表現である。木の箱の上に三つの形や色の違う瓶。そして、クリスタルグラスと、背後にウイスキーと思われる縦長の黒い瓶。金属の秤が置かれている。それが大きな空間の中でひっそりと木の箱の上に置かれている。周りは壁で、コンパネのようなマチエールがつくられている。古びたものたち、古びた箱、古びた壁。そのディテールを触覚的に触るように描く。光さえもその粒子を捉えようとするかのような繊細な感受性のなかにつくられた静物の面白さ。

 中土居正記「再生・Risen」。白いスカートに、着物を洋服にしたような上衣。背後には植物が茂っている。手前には水溜まりが見える。様々なフォルムを浮世絵ふうに平面化して画面に構成する。そこに明度と彩度の高い色彩を置き、光を引き寄せる。

 伊藤尚尋「風のマドリガル」。ギターを持つ女性が石の上に座っている。冬なのだろうか。ロングスカートに毛糸の帽子をかぶっている。地面は緑の草が生えて、温かな日差しがすみずみまで行き渡っているような雰囲気。中景の山、そのもっと遠景の山が、空気遠近法の中にしっかりと表現される。黄色い小さな花が咲いている。隅々までクリアである。クリアであるが、画家がそれぞれのフォルムを引き寄せて、このようなシチュエーションをつくった。その意味では、優れた構成力だし、優れた造形力であり、また、それぞれのもののディテールの力を見事に表現しているところが、この作品の面白さとなっている。

 鈴木英子「風動く日」。木の葉のブランコに乗る裸の女性。周りにヒョウやウサギ、サル、カエルなどが集まって、大きな花も咲いている。赤い実がなっている。自由に画家のイメージに沿ってフォルムがつくられ、いわば森羅万象、すべてがこの女性の仲間となる。女性は裸であるが、妖精のようなイメージで、幼児の体型と成熟した女性のボディとが重なった不思議なフォルムになっている。フォルムをつくりだす輪郭線を追っていくと、その曲線はだんだんと様々なフォルムとリンクしながら、画面の中をメロディのように流れていくことがわかる。独特の優れた造形感覚によるコンポジションである。

 橋浦尚美「赤と黒のアリア」。ドイツあたりの建物だろうか。赤い壁にすこし寄り掛かるように若い女性が立っている。グレーの上衣に黒いパンツ、黒い靴をはいて、黒髪の女性である。左のほうは窓で、スツールが三つ、黒に赤という組み合わせ。ドアも赤と黒の組み合わせの中に、窓枠がつくられている。その向こうに入口と思われる部分とカウンターのある向こうの窓は黒一色。光が左から入ってくる。しぜんと明暗ができるが、明暗の中に黒と赤の色彩が独特のアクセントになる。まさにアリアという題名のように、黒と赤がお互いにデュエットするような不思議な空間である。直線によってつくられた建築の内部の構造には、直線でありながら優雅な独特の動きが感じられ、その空間と柔らかな女性の体全体のニュアンスとが面白く響き合う。

 中井悦子「ガムランの調べ」。女性が座っている。扇子を開いているが、その色彩は金色で、スカートは赤に花模様、白い上衣にはレースがつけられ、頭の上に金の冠をつけている。そばに葉の大きな観葉植物が置かれている。柔らかな光が差し込む中に、上品な佇まいで凜とした雰囲気の女性の美しさを表現する。

 阿部香「磯風の唄」。木の壊れかかったベンチに白い布を敷いて若い女性が座っている。貝を耳の近くに寄せている。「私の耳は貝のから 海の響をなつかしむ」というコクトーの詩を連想する。後ろの湾には白いヨット。白が実に清潔にきらきらとしたイメージのなかに使われている。

 松野行「峠を行く」。牛の親子。母牛と子牛。母牛を前にして、前後に子牛がいて、一緒に歩いている。そばにトラックが走っている。それ以外は赤茶色の無地の色彩で、これはインドや東南アジアの地面の色彩を象徴したものだろう。牛とトラックとをお互いに伴走するように描く画家のイメージが面白い。左のほうは半分以上あけられていて、そこにある赤茶色の無地の色彩が永遠性とか無限性といったイメージを醸し出す。

 茅野吉孝「陽射し」。木箱にドンゴロスの布が掛けられている。下方には林檎が転がって、落ち葉がそばにある。上方にはカラスウリの実が赤く輝いている。柔らかな光が差し込んでいる。秋の実りのイメージがしぜんと伝わってくる。マチエールを伴った対象のもつ質感と色彩が魅力。

 大上敏男「水門」。水門が上方に上がっている。手前は水で、その水門がずっしりとした存在感のなかに表現されている。堤防は黒々とシルエットになっている。その向こうの雑木もそうである。水門が傾きながら表現されていて、老いた海の番人のようなイメージが一種独特の強いモニュマン的な存在感のなかに表現される。

16室

 高山博子「灯明」。子供を抱く母親が座っている。ともに赤い衣装をつけている。後ろには青い衣装をつけた女性が立っている。いずれもインドのサリーふうな服装である。後ろに立っている女性のほとんどを占めるように、巨大な満月が黄金色の中に表現される。周りには蓮の葉が自由なタッチで、その輪郭線をなぞるようにいくつも表現されて、独特のメロディをつくる。不思議な生気が画面から感じられる。金という色彩を油彩画の中にうまく使いこなして、一種のロマンとか無限感といったものを表現する。

 長谷川満智子「Blue in Green」。建物のコーナーに若い女性が立っている。そばに大きな窓があって、向こうに茂る樹木が描かれている。斜光線が差し込む。それをすこし俯瞰したかたちで眺めている。光の角度と視線の角度とがちょうどクロスし、V字形をつくる。それによって不思議なムーヴマンが生まれる。

17室

 池岡信「里華の人形」。ボックスの上に、繰り返しこの画家の絵の中にあらわれる人形の里華が座っている。ピエロの衣装をつけている。なにかメランコリックな様子。そばに小さな女の子の人形が座って、その関節人形のフォルムを見せる。手前に大きな薔薇の花。ボックスに貼られたのは映画のシーンなどのポスターのようなもの。この箱の中には画家の思い出が詰まっているようだ。その過去の思い出の上に座る里華人形はそのまま作者自身のイメージと重なる。記憶の中からメロディが鳴る。

 湯淺廸哉「潮騒の詩」。漁師の海辺の小屋だろうか。木造の建物の下方、地面の上にたくさんのガラスの浮き玉などが置かれている。その他、蛸壺や木の箱、ドラム缶などがぐいぐいと描きこまれて、独特の生気を醸し出す。

 口澤弘「横利根閘門秋の夕暮れ」。煉瓦を積んだ古い水門が画面の中心に描かれて、存在感を見せる。手前に水があるが、ほんのすこしさざなみが立っている。静かな夕暮れである。光が右奥のほうから差し込んでいる。暗い部分と明るい部分。それによってこの閘門もより立体感を増す。背後の丘はシルエットになり、その向こう側から緑の草原に光が入ってきている。遠景には山が青く霞んでいる。日本の風景を穏やかに敬虔に表現する。柔らかな斜光線が深い感情を引き寄せる。

 福田次子「冬山」。山が間近に迫ってくる。山麓に雪をかぶった建物が点々とある。手前のグレーの田圃。独特の強いマチエールによって、全体のフォルムを鋭角的に捉えながら、そのタッチによって強いリズムがあらわれる。北国の冬の光景が強い存在感の中に表現される。グレーの中から色彩がちらちらと浮かび上がる。

 下田秀子「壁」。グレーの壁に焦茶色の扉。壁にも扉にもポスターが貼ってある。左上方にはモーツァルトという文字も見える。備前のような壺が前に置かれている。石畳、壁、扉、大きな壺、ポスターによって、風景が別のイメージに変容する。街の息吹のようなものがしぜんと伝わってくる。

 渡部かよこ「おだやかな街」。イタリアのシエナの街を繰り返し描いてきたが、これもそうだろうか。中心に白い教会のドームが見える。周りに密に立つ民家。それを上から眺めている。瓦屋根を置いた白い壁やベージュの壁の建物。そこに穿たれた窓。それが教会を中心にして旋回するような動きの中に置かれている。あいだにはカーヴしたり直線の道が通っている。その隙間と集合した建物との関係によって、不思議なリズムが生まれる。建物のこの暖色系の色彩が静かに合唱しているようなイメージがあらわれる。中世の佇まいを示す街のもつ不思議な力が画面に引き寄せられる。

18室

 小髙悦子「いすみの自然」。池のそばの樹木が枝を屈曲させながら伸ばしている。その複雑な様子を正面から捉えて描きこんでいる。その木のもつ命の姿のようなものが描かれているところが、この作品の面白さである。また、それによって深い奥行が生まれる。それを受けて、手前の水が静かに翳りの中に表現されているところもよい。

 岡崎浩「遍路道」。白いお遍路姿の男性が杖をついて階段を上っていく様子が、中景に描かれている。周りには石を積んだ上に民家が建てられている。石畳、石による階段。そんな遍路道の様子を静かにグレーの中に表現して、独特の存在感を表す。向こうの五重塔までの奥行の表現に注目した。

19室

 池田茂「わたしの詩を」。ヴァイオリンをもつ若い女性が黒いワンピースを着て立って正面を見ている。白いマフラーをしている。黒い髪。毅然とした雰囲気がこの音楽家の女性から伝わってくる。垂直に立ち上がる動きのなかに柔らかなこの女性のもつイメージも複合されて、独特の魅力を放つ。

20室

 本間ケイ「チャンド・マーラー」。サリー姿の二人の若い女性。彫りの深い顔つきで、目が大きく輝いている。青や緑や赤や紫の衣装。二人の佇まいから強い生気があらわれる。

 入江英子「納屋」。板塀の前に大きな備前のような壺があって、そこにドライフラワーになった向日葵やホオズキや百合の花などが差されている。右上方は赤い唐辛子の束が吊るされている。すこし緑がかったグレーを背景にして、赤い色彩が魅力的に表現されている。全体のもつしっとりとした雰囲気が好ましい。

 吉村深翠「跡」。海辺の大きな建物の残骸のような敷石と建物の一部。三階建ての塔のようなものが残っていて、空洞の窓から向こうの景色が見える。向こうに水平線が置かれ、雲がオレンジ色に染まって浮かんでいる。シュールな気配が漂う。淡々とクリアなフォルムを使いながら、時間という謎の中に鑑賞者を引き込むようだ。

 小林欣子「糸あやつり」。タンクトップ姿の若い女性が立って、顔を右に向けている。緑の帽子を左手に抱えている。上からいくつもの紐が伸びてくる。操り人形が一体、女性のほうを眺めている。この女性の右の薬指にその紐が絡まっている。マリオネットを操る仕事の女性だろうか。操り人形による劇のイメージが背後にある。人生というドラマもしぜんと暗示される。シャープなフォルムに強いリズム感がある。

21室

 岩本佳子「草の記憶」。クマザサが茂っている様子を描いている。光の当たっている部分の輝き。影になっている部分の落ち着いたしっとりとした様子。中間色の柔らかな緑。一枚一枚の葉の形を追いながら、しぜんとそこに有機的な力というのだろうか、、自然の秩序があらわれる。それを画家は静かに描き起こす。複雑な葉の形をしっかりと把握しながら描き進むうちに、深い奥行とササの葉のもつ独特の色彩があらわれる。

 山岸忠彦「卓上静物」。逆遠近のすこし緑がかったグレーのテーブルを、上から眺めている。白いお皿には林檎のようなものが三つ。それをはさんで左に蟹、右上にメザシ。そのあいだに高坏に盛られた葡萄や柿、白い杯、その後ろには古いカンテラが置かれている。右のほうの白い椅子には古い薬罐、上方には車。車のフォルムはこの画面全体を活性化させるのに重要な役割をもつようだ。カンテラの中がすこし青やピンクに染まっているのも面白い。口をあけたメザシが、まるで生きているようなユーモラスな雰囲気を漂わせる。静物という動かないものが、画家の筆によって独特の生気のなかに表現される。

 吉田定「昔日 2014」。板の壁の手前に鶏が一羽いる。この塀は壊れかかっていて、紙がたくさん貼られて、一部はがれている。酒蔵という文字などが見える。木目が強調されて、まるで時間がそこにたゆたっているようだ。鶏が独特の生気のなかに表現される。

 大森まさ代「キッチン」。大きな中華鍋の中に赤く茹でたカニがいる。後ろのグレーの壁にフライパンやお玉などが吊るされている。キッチンの一隅を静かに描いているのだが、一種モダンな色彩感覚に注目。

 井上稔「画室」。テーブルに布が垂らされて、上に瓶などの静物のモチーフが組んである。手前にイーゼル。絵具のための台に溶き油が見える。裏返されたキャンバス。グレーを中心とした中に、ところどころ緑やオレンジ、褐色などの色彩が入れられて、静かにそれぞれのものを歌いあげるように表現する。柔らかなハーフトーンのハーモニーと空間の間の取り方に独特の面白さがある。

 三村浩二「丘の街」。丘の上にたくさんの建物が立っている。手前には教会の塔が伸びている。その地面は後方に行くにしたがってだんだんと隆起しているようで、それにしたがって建物がしぜんと高さを変化させながら、いちばん頂上の宮殿のような建物に向かう。中世の街なのだろうか。正面向きのその宮殿と手前の建物に当たる光によって、白く輝く壁のリズムが生まれる。背景は平原で、緑の色彩によって地平線まで染められて、深い海のようなイメージも感じられる。

22室

 本田年男「レトロの部屋」。古い蓄音機と電話とカメラ。そのあいだにギリシャの壺が置かれている。壁にはチャップリンの「ザ・キッド」という映画のポスターが貼られている。子供を抱くチャップリン。あの時代の音楽がこのラッパから聞こえてくるような趣がある。画家独特の緑の扱い。たとえばギリシャの壺も緑だし、カメラや蓄音機にも緑の色彩が入れられていて、静かでクラシックなイメージを漂わせる。静物の後ろにあるポスターによって、単なる静物を描いたのではなく、劇の脇役のような雰囲気でそれらのものが発現し、チャップリンの映画のワンシーンのようにポスターのフォルムがあらわれているところが面白い。

 市川弘子「青いランプのある静物」。白いテーブルの上に青い花瓶。その後ろにアルコールランプのクラシックなフォルム。舟形のコンポートに洋梨や林檎などが置かれている。「ジャパンタイムズ」の新聞。後ろにはブラックのポスターのようなものが貼られている。周りはグレーのニュアンス豊かな矩形のフォルムを組み合わせている。清潔な雰囲気のなかにそれぞれのものが丹念に描写されている。清潔な韻律が画面から聞こえてくるような気持ちになる。

 平久美子「白い村」。石段を下りようとしている杖をついた老婆。後ろのほうから描いている。古い街のようで、漆喰を塗った壁の土台の石積みがのぞいている建物が横にあり、階段を下りると、赤い扉が見える。そんな街の様子自体に画家は関心をもっている。一つひとつ触るようにこの光景を描きながら、晩年の女性の姿がそれに加わって深い情緒があらわれる。

 太田稔「復興の華」。夜空にたくさんの花火が打ち上げられている。花火が重なっているようで、巨大な花のようなフォルムが光の中に表現される。花火の先が地面に落下している様子。一分ほどの時間のなかに起きる花火の形を、トレースしながら上方の空間に表現したような面白さがある。それに対して地上は低く表現されて、そこから煙が立っている。遠景の山は黒く沈んでいる。画面は祈りの心象空間となっている。

 白木啓嗣「愛おしき児」。六か月ぐらいの男の子に手を当てて添い寝をする若い母親。母親のふっくらとした体の大きさと六か月ぐらいの男の子のフォルムとが面白く対照されている。形の面白さである。枕やシーツが白く、その白が清潔で強い力を発揮する。

 本村浩章「日の出」。空がオレンジ色に染まっている。ペインティングナイフで絵具を画面にダイナミックにつけている部分と、筆でもってブラッシングしているところによって、トーンの変化があらわれる。雲のあいだからオレンジ色の太陽の輝き。それを映して下方の水が白く輝いている。その水の向こうは昇る日の出の逆光によってシルエットになっている。その明暗のコントラストの中に色彩が引き寄せられる。日の出の風景にもかかわらず、なにか寂々たる雰囲気があらわれているところが面白い。

 大野昌男「絵皿と人形」。古い鎧櫃のようなボックスの上に兜や青い染付けふうの大皿、その前に博多人形などが置かれている。その白い人形の肌が、壁に貼られた歌麿の鏡を見る女性のフォルムと響き合う。染付けの青い皿は、その歌麿の上の朝顔の浮世絵と響き合う。昔のものを讃ずるように、鉄の高い灯台にオレンジの蠟燭が置かれている。上方からランプが吊るされている。それぞれのものがお互いに響き合いながら、江戸時代の文化のイメージ、香りが漂う。

 高木満智「荒磯へ通う道」。畑と瓦屋根の民家。右のほうには築地塀が伸びていて、そのあいだに細く道が下りていく。向こうには突堤がある。水墨で表現するのにふさわしいような情景が油彩画によって淡々と描かれて、独特の強い親密感のなかに表現される。描きながら視点が移動していて、それによって風景に動きが生まれる。

 青木年広「窓辺の静物」。バケツや牛乳を入れる缶のようなもの。デキャンタの中にはワインが入れられている。大きなガラスの花瓶にショールがかぶせられている。そんな中心に、お皿の上に三つの林檎とオレンジとレモンが一つずつ置かれている。大きく窓がとられて、風景が見える。平野のようで、はるか向こうまで草や灌木が茂り、空に白い雲が浮かんでいる。窓から見える風景は平凡なようだが、どこかシュールな気配を見せて、手前の静物と面白く響き合い、手前の静物のフォルムを活性化させる。牛乳缶のようなものの前にツタのようなフォルムが置かれているのが面白く、それが背後の風景との関係をより親密にするようだ。

23室

 山本佳子「日曜日の展示室」。椅子を見ると、この新美術館の会場に少女が来て、展示風景を眺めているのだろうか。白い服の上下で、椅子に座って会場を眺めている、すこし斜め後ろから見た姿。柔らかなベージュやグレーのトーンの中に清潔感が漂う。幼い少女のもつイノセントな雰囲気と、その細い身体とがロマンティックな雰囲気のなかによく表現される。独特のデッサン家のように感じられる。

 上野豊「追想(貝焼場)」。木造のバラックのような建物が両側にあって、中心に貝焼場と思われる大きな煙突が立ち上がっている。そばに船が繫留されていて、木製の粗末な桟橋が見える。ベージュを中心としたトーンが優しく、あいだにトタン屋根の赤茶色や船の茶色などの色彩が点じられて、柔らかな無人の雰囲気のなかにロマンティックな、この画家独特の空間があらわれる。

 近藤克子「里山」。段々畑が下りてくる中心の楕円形の地面に池がある。手前は小さく、奥のほうにはもっと大きな池が見える。そのすり鉢状の地面のかたちとそれをなす棚田のかたち。そして、水が空を映して青い様子。白い花が咲いていて、初春だと思われる自然の様子が静かに、独特の色彩感覚の中に表現されている。ところどころ民家がのぞき、遠景には山の斜面が霞の中に描かれている。不思議な美しさで、この里山が理想的な風景のように表現されているところが面白い。

 三橋文彦「野の花の精」。木製の椅子に少女が座っている。膝にスカーフを置き、白い花の咲く植物を置き、後ろの植木鉢にも白や黄色い花が咲いている。両手の上に白い花を置いて、それを眺めている。上衣の白。白が画面全体の緑を中心としたトーンの中に独特の力を発揮する。清潔感のなかに、その白から灰白色にわたるトーンの変化。また、頭を花で飾っているが、その白っぽい紫や黄色などの色彩も魅力である。ディテールをしっかりと表現しながら、色彩を微妙なニュアンスで使いこなしているところに注目。

 難波佳子「オリエントの中で」。オリエントのものが陳列されている室内。椅子に座る女性は、画家の自画像だろうか。スケッチブックを持っている。ベージュ系の色彩と緑の色彩とが響き合う中に、女性の上衣やストールの青い色彩。暖色と緑と寒色とが面白いバランスの中に使われている。また、足を組んで座るこの女性のフォルムは、しっかりとした骨格の上に表現されている。

24室

 武敏夫「ヴェネツィアの朝」。赤茶色のベンチに白いノースリーブのドレスを着た女性が座って、ベンチの背に肱をついて遠くを眺めている。そばにマンドリンケースから出されたマンドリンがあるから、マンドリン奏者なのだろう。右手に仮面を持っている。後ろは楽器店のようだ。タンバリンや太鼓が見える。面白いのは、そのショーウインドーのガラスに手前の運河にあるゴンドラや建物や運河にかかる端などが映っていることだ。それによって、この場所がヴェニスであることがわかる。同時に、シルエットのように浮かび上がる光景であるだけに、よりヴェニスのもつ物語性とかその雰囲気が鏡になったショーウインドーを通して色濃くあらわれてくる。手前の燦々とした日の差し込んだ中にいるこのマンドリン奏者の姿のもつ現実感に対して、ガラスに映ったヴェニスの風景はファンタジックな雰囲気である。それはまた、この女性の脳裏にある風景ともクロスする。このベンチのある場所はヴェニスではなく、たとえば東京であったりして、この女性の頭の中にある風景が後ろの鏡に映っているような、そのような心理的表現も感じられる。いずれにしても、背後のヴェニスの風景が象徴的な意味をもって立ち上がってきて、それを背景として手前の女性の姿が旅の途中にあるような独特の雰囲気を醸し出すところが面白い。

 コルドバッチェ・マンスール「ルミ」。イスラムふうな衣装をまとったルミという名前の若い女性。顔と手の一部がスポットライトを浴びたように、浮き出るように描かれている。そのディテールの力によって独特の心理的な肖像画が生まれる。

 西村満「北の浜」。浜辺に木造の船の一部が見える。後ろのすこし高くなったところにいくつかの木造の建物や塀などが見える。過疎の集落のような雰囲気で、いまはほとんど人が住んでいないようだ。ひんやりとしたグレーの空。それを映して、水もグレーに表現されている。動かず、静止した世界。過疎の北の浜の様子を強い孤独感のなかに表現し、独特のモニュマンふうなイメージをつくる。

 中野日和「花よい」。夜桜が満開である。その桜は水辺に咲いている。背後のすこし高くなったところに日本家屋がある。手前約半分近くが湖になっていて、そこに桜と満月を映している。幽玄な気配である。イメージの中に深く入りこんでいる。無音の世界の中に満開の桜の様子が強い気配のなかに表現される。

 渡邉静子「私空間」。H型イーゼルに白いキャンバスが置かれ、いま線描きのサーカスの風景が描き始められた。下方にはパレットと筆、ナイフ、あるいは木製の椅子や溶き油などが置かれている。アトリエの中の絵。いわば画中画と言えるわけだが、ここに画家の姿はないが、しーんとした気配のなかに重厚な時間のたゆたうような世界が表現される。

25室

 山口操「かぜをよむ」。木製の横長の箱が、その上蓋があけられて、中から新聞紙が顔をのぞかせている。右のほうの残っている蓋の上にはホオズキやマンリョウが置かれている。手前にある扇風機。そのそばにやはり新聞紙が、風に吹かれているような雰囲気で置かれている。グレーのトーンの中に独特のリアルな感じがあって、まさにこの木箱のある床の上を風が吹いているような雰囲気があらわれる。その上方の漆喰のような壁の傷跡なども、風の軌跡のような雰囲気である。

26室

 髙橋正則「雪ちかき里」。田圃の中を道がジグザグに走っている。畑の中から雑木が立ち上がっている。中景に民家が点々と見える。ふと上を見ると、雪を抱いた山が目の前に浮かび上がるように現れる。そういった新鮮な山との出会いを画面に描いた。ときめきの感じられる風景作品である。距離感を失うような山のダイナミックな表現に惹かれた。

 入江康子「街角」。女性用のコートや上着やパンツなどがマネキンに着せられている。そんなファッションのショーウインドーの前に若い女性が立っている。青い帽子にブルーの模様のあるワンピースを着ている。ショーウインドーは鏡となって、横断歩道と車が走っている様子が見える。ショーウインドーの内部と鏡となった外部とがクロスして、都会の一隅の雰囲気、風景と室内とが重なったシーンがあらわれ、そこに若い女性が立っている。まさに街角に立つ女性であるが、全体でひんやりとした品のいいトーンが独特の魅力を醸し出す。画家の独特の美意識がそこに浮かび上がる。

 松田寧子「燈台への道」。海に突き出た岬の突端に灯台がある。赤と白に彩られている。そこに行くまでの雪の積もった地面の起伏のあるフォルムが、ダイナミックにリアルに描かれている。すこし離れて手前のほうに木造の建物がある。住居のようだ。それ以外、人間の気配はない。海に突き出た岬。暗い海の中に突き出た岬は、雪をかぶってきらきらと白く輝いている。曇り空の中にオレンジの光が入っているから、夕方に近いのだろうか。水平線までの海の広がり。それに対するこの岬の形。二つが対照されるなかに人間の営為の跡が灯台と建物に見える。そこに独特のロマンというか、人間臭い手触りが生まれる。風景と文学性ともいうべきものがクロスする独特の表現である。

 荒木幸子「レトロ」。白い壁にラ・メゾン・ローズ、つまりローズ館という看板が見える。飲食店らしい。緑の扉をあけて、若い女性がいま入ったところ。暗い中にシャンデリアのような照明が輝いている。壁や入口の手前のペイヴメントの段など、ずいぶん長く使われてきた建物や舗道のようだ。物語がしぜんと画面から醸し出される。

 山中幹雄「苔の小道」。緑に独特の魅力がある。それは苔の色でもあるし、新緑を思わせるような樹木の葉の緑でもある。中景に渓流が流れているようだ。樹木の太い幹や細い幹。大きな岩。水。木漏れ日。まるで森林浴をしてオゾンいっぱいの空気を吸い込んでいるような、そんな空気感や光の独特の性質をよく表現する。

27室

 鈴木克尚「アムステルダムの窓辺」。窓辺に猫が坐って横を向いている。窓の向こうにはアムステルダムの建物がいくつか見え、空に鳥が舞っている。メランコリックな心象風景と言ってよいかもしれない。猫はその窓の前で考えこんでいるようだ。塗り重ねられたトーンはこの画家独特のもので、画家自身の色彩となっている。その色彩とコンポジションの中に画家の人生を流れる時間というものが捉えられているところが面白い。

 吉江道子「森のカフェ」。森の中のカフェの建物とパラソルの下の机と椅子。そこに十人ほどの人々が座ったりして、ギャルソンが立っている。緑がうまく使われていて、そのヴァリエーションが生き生きとした効果を呼ぶ。それに対してオレンジやピンクなどの色彩がハーモナイズする。独特のカラリストである。

 水野洋子「どんぐり広場で」。広場で三人の少女と弟が遊んでいる。グレーのトーンの中にそれぞれの姿を描く。外側から描いているというより、内側からこの子供たちを描いて遊ばせているような雰囲気のあるところが面白い。そのような視点から捉えられた少女の姿と言ってよい。

 菅井隆吉「春うらら」。林檎の木だろうか。丈が低く左右に枝の伸びている裸木が点々とこの畑に生えている様子を、遠近感の中に表現する。樹木の色彩はグレーだが、中に緑や褐色の色彩が入っている。地面はもっと褐色の色彩のグレーで、空はすこしピンクを帯びたグレー。その中にすこし青い空がのぞく。地面の向こうには雑木があるようで、そこは緑がかったグレーのトーンによって左右に表現されている。冬の中の裸木。とくにこの樹木のような屈曲する形をこのように描くと、まるで人間が手を上げて、指を開いたり閉じたりしながら何かを摑もうとしているようなイメージと重なる。そのようにこの木を生きたものとして画家は捉え、画家自身の心のメタファーのように表現する。

 木村のり子「枯れ葉のある一隅」。地面に枯葉や切られた白樺の枝などが置かれている。木製の箱と木製の椅子にはジーンズの上着や帽子が置かれている。剝製の野鳥がとまっている。秋が終わって、もう冬なのだろう。寒い季節のなかに枯葉やマンリョウの褐色の色彩が逆に暖かく感じられる。自然と深い関係をもった生活のなかからあらわれたイメージだと思う。枯葉にしても、切られた枝にしても、鳥の剝製にしても、画家にとってずいぶん身近な存在で、それを静物ふうに置きながら、自然あるいは季節の変化する様子をじかに感じるような感覚のなかに表現する。ねっとりとしたマチエールとクリアな対象のフォルムに、この作品の絵画性がある。

 川村寿一郎「ブラック・ドッグ雪の情景」。ラブラドールなのか、あるいはもっと猟犬ふうな犬なのか、二頭の黒い犬が雪景の中にいる。息をすると、白い湯気が出るような臨場感がある。

 武田直美「おままごと」。畑で花や雑草をつんでいる。小川が流れているようだ。小さな花が咲いている。二人の四、五歳ぐらいの少女。その顔に光が当たっている。一種のファンタジーで、童話の中に住む少女や自然のイメージだと思うが、それを大画面の中にうまくまとめて、物語をつくる。

 野末光子「私の部屋・秋草」。着物を着た和人形が黒いテーブルの上に立っている。そばに招き猫が置かれているのがほほえましい。鞠がそばに転がっている。花が咲いている。秋に咲くオミナエシや萩の花が咲いている。そのあたりはイメージで、幻影のように和人形の周りに揺れるように描かれている。秋の夜のノクターンといった雰囲気で、独特の色彩とイメージの表現である。

 工藤眞詞「サロマ湖」。黒いレース状の長袖のシャツにジャンパースカートをつけている。暗い緑に明るい緑や紫によって面白い模様がつけられている。それが背後の湖を背景にして置かれている。装飾的で美的な独特のニュアンスが漂う。平面的な処理で、女性の美しさをデザイン的に表現する。

28室

 鳥屋尾敬「ジプシーの詩」。グレーのコンクリートでできたようなずっしりとした建物を背景に、緑のショールを掛けた若い女性が立っている。紐の先には輪と人形のようなものがぶら下がっている。不思議な存在感だし、独特のイメージの強さを感じる。

 山田喜代子「ポスターのある画室」。モノトーンの中にピンクと白のストライプの布、そこだけが鮮やかに浮かび上がってくる。カメラやウサギの人形などを見ると、しっかりと描ける筆力がある。リトマス試験紙のようにグレーの世界を追求しイメージをつくっていくなかにピンクの色を置いてみたといった、イメージと色彩の実験をする。秤の上に色彩を置いて量っているといった、不思議なニュアンスが感じられる。上方の外人の美少年系のファッションモデルのイメージとこのピンクの色彩とが、どこかで響き合っているところも面白い。

 住井ますみ「日の暮れる頃」。上方に緑のネットがある。その下方は地面で、その中景に白いボールが一つ置かれている。ネットの向こう側の地面からネットの下をくぐって手前に来る地面の様子が、実に繊細に表現されている。だんだんと手前に来るにしたがって明るくなってくる。しっとりとしたキメ濃やかなマチエール。その地面の様子で一つの絵にしているところがある。窪んだところ。柔らかなグラデーション。柔らかな光が差し込んで複雑な繊細な陰影がその地面にできている。その様子が画家の関心のようだ。そのキメ細かな陰影のある地面がそのまま画家の心の中にあるイメージのスクリーンと重なるのだろうか。そのスクリーンの上にそっと一つの白いボールを置いた。そのボールは清潔であると同時に、謎めいた存在である。幾何形態でありながら、人間と深い関係をもつこのボールのもつ陰影。そこには栄光と同時にその影のシャドーの部分がその周りに漂うようだ。柔らかな光が差しているが、同時に、不思議な風のようなものがこの地面の上を通り過ぎていく。その通り過ぎたあとの不思議な気配のようなものを筆者は感じるのだが、どうだろうか。

 瀧澤德「残り柿」。川が蛇行して流れる両側に点々と民家が見える。それを背景にして一本の柿の木がグレーのシルエットのような樹木のフォルムによって描かれ、点々と赤い柿がいくつか残っている。ロマンティックな味わいがある。また、雪のグレーの調子に手触りがあって、どこか温かい。集落がグレーの中に表現されて、余分なものを捨てた美意識ともいうべきものが感じられる。

改組 新 第1回日展〈彫刻〉

(10月31日〜12月7日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 安田陽子「記憶のカタチ」。袖のないワンピースを着て、すこし太った女性が立っている。下方を眺めている。自然体のポーズで、親しみがもてる。量というもののもつふくよかな息をするようなフォルムが面白い。どこか乾漆を思わせるところがあるが、実際は石膏着色である。

 齋藤尤鶴「青田風」。少女と言ってよいような若い女性が立って、すこし顔を左にひねって遠くを眺めている。髪が風に靡いている。木彫である。一木から彫り出したのかもわからない。自然体の中に微妙な気配やムーヴマンが感じられて、それがこの女性の生き生きとしたイメージをつくる。

 石田陽介「MAI-in mid autumn-」。若い女性の腿から上をつくったもの。ジーパンにシャツを着た女性がふっくらとして初々しく表現されている。着色も清潔で心地よい。

 吉居寛子「wish Ⅱ」。ストールを腕に掛けて、女性が裸で立っている。右足に重心を置いて、左足を前に出している。ふくよかなモデリングである。手を前に置いて、俯きがちの視線。微妙な女性のもつマチエールや生きた肉体のもつ様子を生き生きと作る。石膏に淡く彩色されているのが、テラコッタのようなマチエールである。

 山田朝彦「晨」。足を組んで座った女性。左足の爪先が丸い石のようなフォルムの上に置かれて、体全体を宙に浮かせたような軽快な感じである。指や目の表情などのディテールが生き生きとして爽やかで、まさに朝の、一日の始まりのようなイメージを表現する。

 桒山賀行「赤とんぼ」。向日葵がこうべを垂れてドライフラワーになりつつある。下方のその葉に赤とんぼがとまっている。その様子は、岩のようなものの上に垂れていると思うと、それは動物の骨になっている。夏が終わり、赤とんぼもやがていなくなる季節のイメージを生き生きと彫る。木彫のもつ手触りのある形が、季節の別れのようなイメージを伝える。

 江里敏明「夢幻」会員賞。「時の流れのなかに、確かな存在などあるのだろうか。若い女性の姿を、刻々と変化する光の中に置き、その時々の光と陰がつくるフォルムの持つ重量感・存在感のたしかさを表現してみた」(日展アートガイド)。複雑なポーズをよくまとめている。そのモデリングの力に注目。

 親松英治「フランチェスカの鐘」。バイブルを持ち、右手に葉を持つサン・フランチェスカの像である。月桂樹の葉なのだろうか。「神は愛なりと響く夕の鐘、一日の労苦は一日にて足れり、何物も持たざれど心はすべてに満つ。題して『フランチェスカの鐘』」(日展アートガイド)。求心的な強い力が感じられる。周りの様々な雑音をすべてこの像が吸収しながら、しーんとそれらを抑えるような、そんな独特の精神性の表現である。

 池川直「君に会える Ⅲ」。猟犬のような犬がこの男性の足の向こうにいて、まるで守護神のような様子。一体化している。男性は花束を持って立っている。だれかに愛を告げようとするのか、あるいは祝福を与えようとするのか。すっきりとした、すこし弓なりに立つ男性のフォルムが生き生きとして清冽である。そのムーヴマンの表現に注目した。

 山崎茂樹「水あそび」。少女が運動靴を脱いで水の中に入ろうとしている。愛らしい、あどけない子供の肢体、表情をよく表現する。「水の思い出にはつらいこともあります。東日本大震災ですべてを破壊したのも水でした。水の中でしっかり前を見つめている少女の姿に、過去をぬぎすて未来に進んでいこうという気持ちをもってくれることを願っています」(日展アートガイド)。

 中口一也「清流」特選。石膏。すっと若い女性が立っている。左足に重心を置いて、胸を反ったポーズ。首は右にひねって、その髪を左手で持っている。その要所要所の動きをしっかりと描きながら、健康で力強いフォルムを構築する。

 宮瀬富之「家族の肖像」。男が子供を抱く母親を抱き上げている。その男はヘラクレスのようなイメージで立ち上がる。面を鮮やかに切り取りながら、独特のダイナミックな表現力。

 嶋畑貢「天使の詩 Ⅴ」。十歳ぐらいと思われる女の子がすっと立って、斜め左下方を眺めている。聖童子像ともいうべき印象があらわれる。上衣をすこしぬいで、その衣服を体の前にまとめて、両手をあわせている。「じっと見つめる無欲なこどもの視線の先には、一面に広がる草原にきれいな花が咲き乱れ、その間を花から花へと蝶が舞う。思わずその光景にくぎ付けとなる、純真なこども心の束の間の一コマを表現してみた」(日展アートガイド)。

 田丸稔「叙事詩の男と馬」。男のトルソの下方に馬の首が置かれている。馬のもつ深い情念のようなイメージと頭の切断されたトルソとは、なにか劇的な物語性を感じさせる。歴史のモニュマンと言ってよい。また、彫刻のもつ量というものの扱いが優れていて、バロック的と言ってよい。

 石黒光二「円」。「円の形態が作りだす内側の世界。その空間は包みこまれるような安心感に満ちている。人体を円内に組み込むことで、穏やかな空気感の中での人間の柔らかな感情を表現してみた」(日展アートガイド)。座り、左足を屈曲させて、手をその円の中に置いている。円というもののもつ円満な光のようなイメージと彫刻のイメージとが合致するような、独特の表現である。また、一つのメジャーのような、美のカノンといったイメージで円が使われているところも面白い。

 村山哲「おみわたり」。「氷結した諏訪の湖上、女神の下へ通うという男神タケミナカタ。通い路のその痕跡は、くっきりと氷上に現れます。心をときめかせながら今は渡るところです」(日展アートガイド)。乾漆による作品である。男神像タケミナカタの像。右に笛のようなものを持ち、左手を伸ばした先に鳥がとまっている。ふくよかな内側から張り出したようなモデリング。足を見ると、ふっくらと立ち上がって力強い。イメージを静かにこの神の像の中に漲らせる。

 伊庭靖二「四方の風~月明かりの中で~」。左肱を前に出して、顔を左に向けた裸婦像である。右足に重心がある。ふくよかなモデリングが若々しく初々しい。独特のメロディがこの彫刻から聞こえてくるようなイメージである。「月夜には、陽の光の中では到底感じられない感覚や思考と向きあうことが出来る豊かさがあるように思います。すべてが見えるわけでもなく、すべてを見せるわけでもない……。そのような空間の中で、空想や創造の翼はさらに広がっていくように感じられます」(日展アートガイド)。そんな「秘すれば花」のようなロマンも感じられる裸婦像である。

 山本眞輔「心の旅―アンダルシアの風―」。岩に若い女性が軽く座ったかたちで足を前に伸ばしている。風が吹いて髪が揺れている。少し顔をひねって遠くを眺めている。屈曲するかたちが周りの空間を受け止めて、独特の彫刻的な空間をつくる。「訪れた街や村、会った人たち。その折々の印象を小説家が紀行文を記すように、彫刻で表してみたい。それを『心の旅シリーズ』として続けている。アンダルシアの向日葵の間を抜けてゆく爽やかな澄みきった風の行方。哀愁を感じるのは私だけだろうか。私の心象風景の中の女性である」(日展アートガイド)。女性の具体的なフォルムがつくってあるにもかかわらず、作品から受ける印象は、どこか妖精的で、精神的で、なにか昇華されたイメージのなかの女性の具現化のように感じられる。しかし台座の後ろから女性の腕が伸びている。心というとらえがたい存在を表現するために、誰も気付かない場所に心のメタファーとして腕と指がつくられた。心とはまさに謎なのだろう。

 蛭田二郎「長い髪の女」。「女性の立像である。コスチュームの横ドレープと髪の荒々しい質感との対比により、制作者の内なる思いを強調したものである」(日展アートガイド)。横ドレープの深いしわと重いような長い髪とは垂直、水平の不思議な雰囲気である。ふくよかな体全体のフォルム。遠くを眺める目。そのドレープの様子を見ると、雲を連想するものがあって、この女性の姿が雲から半ば顔を出してヌーボーと現れてきたようなミステリアスな神秘的なイメージを表す。親しさと同時にヌミノースなイメージがあらわれているところが興味深い。

 能島征二「フローラ」。「『フローラ』は、古代ローマ神話に登場する『花の女神』である。春の豊穰を司り、希望を表す姿である。このテーマで制作、両脚は軽く屈折させ、両腕に花を散らした布を持ち、全体を円形に構成して、軽やかに舞う形態で表現した。大自然に対する畏敬の念を抱きながら、花の春は、生命の輝きを感じる。新たな門出を想いながら……」(日展アートガイド)。両手で持ったカーヴする柔らかな布の中に両足を置いて、すこし膝を曲げて立っている様子。遠くを眺める目の表情。柔らかな曲面が連続しながら、大きな楕円の形があらわれる。調和のなかにあらわれてくる妖精的な美の表現。全体の楕円の形が花びらを想わせる。具象の強い形がそのままイメージの強さとなって現れる。花の女神の出現である。

 雨宮敬子「瞑想」。「目を閉じて若き日を回想しながら想うことは、社会の基準が大きくゆらぎ、新しい基準に自己のイメージを合わせることは容易なことではない。人と人との連帯や、ぬくもりある関係性を具現しながら、精神性豊かに我が道を歩みたい」(日展アートガイド)。小さな椅子にすこし浅く座って脚を前に伸ばしている。穏やかな雰囲気である。両手を椅子の横に置いて、目をすこし閉じている。ほとんどシンメトリックなかたちでこの座像はつくられている。深くその心の内部にイメージは入っていく。外形描写をしながら、この女性の心の内部を表現しようとするかのごとき姿勢である。それによって、モデリングされた裸婦のフォルムは、衣裳を脱いだというより、もっと自然体で座っているようなイメージがある。衣裳を脱いだ裸婦ではなく、素のままの女性の姿がここに表現されているようだ。そして、その内側から静かにさざなみのようにイメージがあらわれ、この体全体を覆うかのような、そんな不思議なムーヴマンに注目した。

 中村晋也「太宰治」。太宰治の郷里にこの彫刻が立っている。あるいは立つのだろうか。二重廻しの外套を着た太宰の等身よりすこし大きな姿。コートの内側から左手が伸びて衿を持っている。いわゆる小説家、あるいは詩人のもつ独特の柔らかな表情。すこし哀愁を帯びている。太宰治は体自体は相当大きかった。その大きな体の全身から独特の太宰の文学にあらわれる愛と苦悩ともいうべきイメージが、この彫刻から表現される。素晴らしいモニュマンである。

 橋本堅太郎「一筋の…」。「西条八十氏作詞〝秘唱〟の中に、〝ひとすじの青き葦さえ吹き吹けば佳き音をしらぶ、ひとすじの焰とならばいつの日か君燃えざらむ〟という歌詞がある。若い時から木彫の道ひとすじに歩いてきた私にとって、大変心打つ言葉である。日本古来の伝統の木彫を、現代からさらに未来へとつなげたく願い、作品の発想とした」(日展アートガイド)。老人が立っている。両手を腰のあたりで握り締めている。すこし爪先で立って、体を右にひねり、下方を眺めている。全体でまさに一つの炎のような精神性が感じられる。過去の生きてきた歴史がひとすじの炎となっている。そんな深い内界からイメージされた立像である。

 市村緑郎「風光る」。(遺作)市村緑郎さんが亡くなった。日展の中でも随一の力量をもった彫刻家であった。また、常に健康で初々しい女性のフォルムを、まるで若木のように表現することのできた人であった。「風光る」という女性の座像が遺作として出品された。実に惜しい人を亡くしたものだと思う。合掌。

 神戸峰男「母」。「母をテーマにしての出品は、四作目となる。人の、命の不思議を形に……」(日展アートガイド)。赤子を抱く母親。この母親のモデリングはふくよかで力強い。この母の胸に、あるいは背中に顔を触れたいような、そんな懐かしい母親の像である。母のモニュマンと言ってよいような彫刻的表現である。

 瀬戸剛「トルソー試作…(古寺にて)」。「唐招提寺の如来形立像はトルソーだけに、仏像の意味が消えて造形の持つ単純な強さが際立っているようだ」(日展アートガイド)。この体をすこしひねったトルソは、古代の女神を思わせるような豊かさと詩情が感じられる。

 圓鍔元規「まなざし」。「単純なフォルムの中に、未来をみつめて希望を胸に、自分らしく精一杯に生きていく若い女性の姿を表現したつもりです」(日展アートガイド)。顔を右にひねって、すこしほほえみながら遠くを眺めている。すらっとした体型。両手を自然に体の横に垂らしている。左足に重心がかかっている。自然体の中に撥剌とした若々しい動き、その全体のニュアンス。微笑している様子と右の足の踵をすこし上げた動きとが渾然と彫刻の中に響き合いながら、この彫刻の魅力をつくる。

2室

 藤原健太郎「優しさ、強さ、そして命」。少女が立って、顔を上に向けている。自然体のそのフォルム。若い女性のボディ。健康な生命感が彫刻に宿る。

3室

 井上周一郎「羽化」特選。「数十億年という年月を経て作られた大理石。優美で荘厳な印象を受け、鑿を入れることに躊躇するが、時間をかけて彫っていくと何とも言い難い表情を魅せてくれる。石との対話を深め、魅力を最大限に活かすことで創造の扉を開いていきたい。本作品は、現代女性の生まれ変わろうとする姿を羽化する瞬間に重ねて表現した」(日展アートガイド)。大理石の石の中に作者はこの妖精的な女性を発見した。石からこの女性が出現しつつある。上方はもう現れているが下方を見ると足はまだ大理石の中にある。そういった現在進行形の中で石から女性が出現しつつあるといったイメージが、極めてイノセントな印象を与える。

 堀内有子「弓張月」。丸い丘のようなフォルムの上に少女がのって、顔を右に向けている。膝の上に肱を置いて、腕を組んでいる。テラコッタを思わせるような褐色の色彩の中に、妖精的なファンタジックなイメージを生き生きと表現する。

 小関良太「風へ」。裸婦像。右手を上にあげ、そこを左手の指先で触っているといったポーズである。両足は閉じられて立っている。そこにねじれるような動きがあらわれる。そのモデリングをリアルに生き生きと表現する。

 諸井謙司「BOOK END」。ズボンをはいて上半身裸の二人の青年。一人は右手を前に向けて、何か眺めようとしている。向かって右側の男性は、左手を前に出して、その肘に右手が触っている。なにか不思議なパントマイム的な表情をする。向かって左の男性はヘッドホンをしているようだ。ここに流れていない音楽を彼は聴いているようだ。二人の、手を前に出して、すこし体を傾けたポーズ。その二つのフォルムから独特のイメージが伝わってきて、面白い。言ってみれば、深い内面性ともいうべきものを語りかけてくる。鑑賞者の心の内部とコミュニケートしてくるような、彫刻の魅力をもつ。

 宇津孝志「雪国春を待つ」。ボストンバッグの中に雪国の街並みが三層に描かれ、その中に男性が腰をかけて考えこんでいる。「雪国に生まれ六十年余り。若い時はいやだった北陸の冬、鉛色の海や空。生まれた街に、歳を重ねるごとに郷愁が湧き、ボストンバッグの塊となった。バッグの中に雪国に生きる情念や魂を入れ込む彫刻を試みた」(日展アートガイド)。木のもつ手触り、その鑿の跡が情念を煮詰めるための道具となっている。バッグの中の彩色された白い建物群。その中に木の肌を見せて休む男。

 鈴木紹陶武「ひつじとねむり」特選。「眠れない夜に羊をかぞえる。羊(SHEEP)と眠り(SLEEP)の音が似ているため眠りを連想させる自己催眠である。または羊が遊ぶのどかな光景をイメージすることで、安らかな気分となり、リラックスして寝てしまう。そんな話から羊を思い浮かべ、雲の上で遊ぶ羊を三匹で構成し、制作致しました」(日展アートガイド)。雲の上にいる羊というコンポジションが面白い。一頭は宙に浮いている。重量感ではなく浮力をもった羊のフォルムが三体つくられていて、瑞々しいイマジネーションの力を感じる。

 丸田多賀美「バス まぁだ?」。木のベンチに帽子をかぶった中年の女性が座っている。そばに孫と思われる少女が背中をこの女性に傾けている。彫刻というより、こういうコンポジションのフィギュアと言ってよいかもしれない。祖母と孫とのお互いの心が通じ合っている様子。そのフォルムが一体化するようにつくられて、ほほえましい。一種の文学性ともいうべきものの生き生きとした表現。

改組 新 第1回日展〈工芸〉

(10月31日〜12月7日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 角康二「悠遠」。黒漆の中に金の研ぎ出したフォルムが雅やかに光る。フランスで亡くなった長谷川潔の黒の版画を思わせるような上品さとミステリアスな雰囲気とモダンな感覚である。

 伊藤裕司「不二遊雲」。先だって富士の周りを回って取材したそうである。その時、雲の形が面白かった。上方に富士を卵殻によって表現する。手前に周りの雲を紫から茜色までの色彩によって、曲線を使いながら自由に表現した。その下方にまた別の山と湖のようなフォルムを入れ、上方に満月。簡潔にして、見事な装飾的感覚、デザイン性である。

 三谷吾一「悠々」。たくさんの魚が泳いでいる。その魚はコラージュされている。下方にはクラゲが三匹。背景は自由に切られた矩形の形の色彩の異なるもののヴァリエーション。「広々とした海の美しさ。ゆったりと泳ぐ魚群、そんな風景を画きました。魚は二十回塗り重ねた漆の板を魚形にして張りました。プラチナ、金箔、パール粉で彩色をしました」(日展アートガイド)。画家のつくりだした海をテーマにした夢のような夢幻的な空間が鑑賞者を引き寄せる。

 中井貞次「樹場」。青とグレーとベージュの色面が雅やかである。そこに樹木の枝を思わせるような褐色のフォルムが動いていく。青やグレーのフォルムはもっこりとして、なにか不思議な存在感を示し、長い歳月を思わせる。「原生林における朽ち果てた倒木、その表層に新しい芽ばえ、倒木の養分を吸い上げ生育を遂げる。この生命の循環現象をテーマとしたイマジネーションの展開。麻布藍染」(日展アートガイド)。

 武田司「繫ぐ」特選。「蝶が蜘蛛の糸に繫がれて、その羽だけが残っている様を見た。森の中では、あらゆる生物・植物がその生命を終えると、新たな生命を育むための土や、他の生物の糧となる。次世代へと繫いでゆく土中の様子を描きました。錆漆のレリーフを主な技法とし、卵殻、鮑貝、白蝶貝の螺鈿を用いてモチーフを描きました」(日展アートガイド)。そのような生成していく自然のイメージの中に深く入りながら、そこに女性を配した。自然の鼓動に母性的要素を作者は感じているのだろう。余白とフォルムとの組み合わせ、その効果が面白い。

 並木恒延「月出ずる」。山から巨大な月が昇っている。山の端から月が昇った瞬間に出会うと、その月がたいへん大きく感じられる。そんな経験をすると、神仏習合の山越え阿弥陀のイメージがここからあらわれたのだということがわかる。月が仏の化身と古代人は考えたのである。同じようなイメージを、この巨大な月に筆者は感じる。単に月が大きく顔を出したのではなく、そこには神々しい神秘的なものの存在が重ねられている。黒いシルエットの山に松がシルエットの形として月を背景にして置かれる。下方に民家が点々と光を灯しているようにも見えるし、それはまた船のようにも見えるし、お盆の時の灯籠流しのようなイメージもそこに重なる。シンプルにして、力強い。下方の水には緑の貝が螺鈿されている。

 早瀬郁惠「霞立ツ」特選。青、グレー、ピンク、黄色などの色彩が、まるで絹の糸のようにそれぞれが光っていて、雅やかな独特のハーモニーをつくる。夕暮れの柔らかな光がこの作品の中に満ちて輝いているかのような独特の感覚である。「心の奥にとどめている景色をもとに、あり続けるものと過ぎゆくものの素材の特質を引き出せるように、色糊による着色抜染法とフリーステッチで制作しました」(日展アートガイド)。

 志観寺範從「爽晨」。「夜明け前の立山連峰をイメージした空間に、草の中の神秘で幻想的な世界に息づく昆虫の生命感を表現したいと想い、金、銀、乾漆粉、貝を用い、研出蒔絵の技法で制作しました」(日展アートガイド)。立山連峰は黄金色の三角形のフォルムで表わされ、その手前に二匹のカマキリが配置されている。擬人化されて人間のような雰囲気である。上方に太陽と月、日月が配されている。題名のようにまだ朝の時刻だが、背景は黒く夜明け直前のような雰囲気である。太陽と月の間にギザギザのフォルムが白く描かれているのは、立山連峰の意味であろう。そうすると下方の三角形は山というより何かピラミッド的なイメージなのかもわからない。画家の作り出した一つのモニュマン的なフォルムで、それを背景にしてカマキリが不思議な表情を帯びている。

 赤堀郁彦「輪の連鎖―Ⅲ」。様々なリングが赤い物象の上に置かれている。金も銀も濃紺もあって、それらがお互いに響き合う様子は抽象的コンポジションの面白さである。

 青木洋介「守箱―胡蜂―」特選。ふっくらとした胴から細い首が立ち上がり、左右に広がる黒漆のフォルム。そこに半円形のフォルムが下方をつたって向こうまで留めがねのようにつけられている。有機的なフォルムである。一見して、蝶などを思い起こす。前面に孔雀の羽の文様を思わせるようなフォルムがたくさんついていて、その意匠も斬新である。いずれにしても、この立体には自然のもつ形、とくに昆虫や植物の形が取り入れられて造形化されているところが面白い。

 田中照一「曄」。蓋物である。上方に楕円状の茶色と黒の漆の上に金のメッキがされている。それはカーヴするU字形のかたちを組み合わせたもので、斬新である。蓋に月を引き寄せたかのような生き生きとした意匠であるし、光悦の時代の意匠にもヒントを得たように思われるところも面白い。

 待田和宏「撓屈『標』」。青磁で、上方が白く下方が青くなるグラデーションがつけられている。すっきりと立った円筒形の上方に窪みを置いたモダンな意匠。中国の影青の影響も感じさせて、それを和風に雅やかに造形化した。

 三田村有純「炎立つ」会員賞。輝くものを漆黒の世界から切り取って、それをだんだんと上方に立ち上げたかのような、独特のフォルムとイメージの展開が面白い。「ゆらゆらと たちのぼりゆき ほむらたつ ことのゆくすえ くろきひかりに」(日展アートガイド)。

 吉賀將夫「萩釉陶壺『対比と調和』」。ざらざらした部分と滑らかな部分。白やピンクの釉薬と黒の釉薬。二つのコントラストの中にわびた風情があらわれる。「釉の白色と褐色、釉の滑らかさと素地の粗さの対比及び調和を、一つの形体の中で追求しました」(日展アートガイド)。

 春山文典「星辰の塔」。アルミを素材にして、柔らかにカーヴするフォルムの中を切り抜きながら、独特の音楽的ともいえる空間をつくる。その中に円状に中をくり抜いたフォルムが連続し、その大小によって不思議なUFO的なイメージもあらわれる。「ひかり、あるく星の環、星辰のシルエットを写す宙、星よりの塔として表現。─アルミニウム鋳造─」(日展アートガイド)。マットな滑らかなフォルムの微妙にカーヴする表面のかたちも繊細だし、下方の楕円状の台座も一体化しながら、独特の造形空間をつくる。

 武腰敏昭「無鉛釉 王魚」。肩の張った、どっしりとした白釉の花瓶。その胴に青と赤によって魚を意匠化したフォルムを彩色する。「端正な磁器の安定した形体の上に、悠々と王魚の如く泳ぐ姿を、無鉛釉色絵で表現しました」(日展アートガイド)。

 奥田小由女「美の守護神」。ピンクとブルーの衣装をつけた二人の女性。ピンクのワンピースの中には花が咲いていて、こんじきの小さな蘂のようなフォルムも入れられて、実に豊饒な感じがする。頭には小さな金の冠をつけて、中心に青い宝石、透明な青いイヤリング。青い衣装には緑の葉のような文様がつけられている。その中にも金によって点々とフォルムがつくられ、青い夜空の下の植物を思わせるようなところがある。ピンクの女性よりすこし大きめのリングを頭につけている。ピンクの女性は、中に小鳥を持つかわいい王女を抱いている。自然のもつ美しさの化身のような存在といってよい。作者はそれを美の守護神と名づけた。「改革を重ね新しく生まれ変わった改組新第一回日展の作品制作に当たり、日展の美とは何か、どのようにすれば作家が自由に個性を生かし、より素晴らしい作品を発表出来るのか等と悩み模索するうちに、何か日展の『美の守護神』を創りたいと思うようになりました。自分の心の中に美を守る神を持ちたいと願い制作しました」(日展アートガイド)。作者は心の中にこのような美を守る神の存在を発見したのである。その意味では、外形を表現しながら内形を表現したとも言える。金の台座の上に立つこの二つの人形は、まことにそのようなイメージのインカーネーションとしてあらわれた。

 宮田亮平「静と生」。アルミニウムによる二つのイルカのフォルム。反ったフォルムが大きく、そのそばに横向きにカーヴするフォルムが存在する。大きなフォルムのそばで小さなフォルムが戯れているような、二つは親密な関係にあるようだ。そんなイメージを引き寄せるところも面白い。一つのフォルムは三つのフォルムを組み合わせたものとなっていて、尾などは中がくり抜かれている。周りの空間とこの二つのイルカのフォルムとは調和しながら周りの空間を活性化させるところが、実にこの作品のもつ造形性と言ってよい。「バハマ諸島の中のビミニ島という小さな島でイルカとの出合いイビングをしながらの、海中での出合いである。数日が過ぎ、やっとすばらしいときめきの瞬間がきた。彼らと遊ぶこと約二十分。その時の感動をアルミニューム、金箔、銀箔を使い制作した」(日展アートガイド)。

 青木清高「暁の渚」。円筒形の花瓶のようなフォルム。中心がちょっとつままれて、内側に突起している。緑の釉薬がたっぷりと掛けられている。静かに寄せるゆったりとした波を思わせる。「暁の渚」という題名のように、ようやく夜明けがきて、光が海に差し込んだときの、そんなイノセントな雰囲気を造形化したと言ってよい。そのようなシンプルにして清潔な深い味わいが感じられる。

 叶道夫「赫萌」。「朝早く、植物をスケッチしていた時に、花やつぼみが内包する、力強い新鮮な息吹を感じました。赤と黒の釉薬を掛け分ける事により、内から外への力を表現しました」(日展アートガイド)。楕円状の花瓶の横が凹状に削がれている。それによって、不思議な形が生まれる。上方のすこし反対側に楕円状の口がぽっかりとあけられている。二つのフォルムとその周りの隆起する形。三つの形がお互いに響き合う。そして、赤紫色の釉薬が静かに輝く。

 大樋年雄「新世器『New Century Vessel』尊崇 2014」。力強い大きなうつわ。フォルムが外側に張り出している。胴にいくつも空洞があけられていて、内側と外側に呼応し、呼吸し、空気が行き来する。古代的な要素と現代的な要素との見事な統合と言ってよい。これはRAKUの手法によってつくられたそうである。「作品の釉が最良に溶けている際に窯から引き出す。元来この手法は侘び寂びの理念のもとに創案され、茶碗、水指などのための焼成方法だったのだが、現在は世界に広まりRAKUと称されている。玄武の神々が存在する高山に登った。そこで観たパノラマ的光景は、尊崇なるものであった。そのイメージを基に作品を造形、RAKUの方法に基づき焼成した。おそらく世界最大級のスケールともなっている」(日展アートガイド)。

 服部峻昇「耀貝飾箱 陽光の海」。「乾漆の技法で波の形象の箱を作り、自然の雄大な朝焼けの美しさを、蒔絵の技法とメキシコ貝の象嵌で表現した」(日展アートガイド)。斬新な飾箱で、光をこの箱の周囲に引き寄せて、そこにたゆたわせているような、独特のモダンな感覚に注目した。

 武腰一憲「天空の器」。シルクロードを歩く老人。巨大な満月が下りてきて、この人に影を与える。「シルクロードの地で感じた悠久とした時間や空間を、見る方にも感じてもらえればと思います」(日展アートガイド)。

 鈴木丘「種に還る果実―立」。円筒形を歪ませる。その端から円錐形の端を切ったフォルムを立ち上げる。あいだをカットして、十二角柱、十六角柱といった感じ。ベーシックな形をシンプルに組み合わせながら、詩的空間をつくる。

 手銭吾郎「flexible」特選。両手のひらを上にした男性の人形のようなフォルム。金属を使いながら、柔らかな不思議なオーラを醸し出す。「本作品『flexible』は鍛金技法である変形絞り技法とヘラ絞り技法を用いて、人形という表現方法で造形した作品です。『flexible』には『柔軟、融通、可動性』等の意味があり、金属素材の持つ硬いイメージを、回転体の無機質な形体を自分なりに組み合わせる事で『柔軟、融通、可動性』をイメージに鍛金造形作品として制作しました」(日展アートガイド)。

 相武常雄「新しい未来へ」。一本足の人間を思わせるような五つのフォルムが円形のものを支えていて、その上にはふくよかな緑のでこぼこの山のようなフォルムがあり、下方は黒々とフォルムが垂れている。ダリの世界を空間化したような、面白い作品である。独特の才能豊かな造形感覚だと思う。「アクリルと金属の異素材のコラボにより、現代社会の複雑さを表現。足元は渦巻く不安と、五科で成り立つ日展の状況を示し、天井にはすばらしい未来への期待を表してみました」(日展アートガイド)。

 今井政之「隴山への想い」。楕円状の縦長の奥行のあるフォルムから、末広がりに円筒の首が伸びている。その上方の円筒形と下方の紡錘形とのバランスが実にゆったりとして、力強く、しかもユーモラスな力を醸し出す。耳が二つ装飾的に左右に出ている。その胴にオウムとフクロウが象嵌されている。オウムの赤い色彩が素晴らしい。いま朝日が地上を照らして、その地上を照らす赤い色彩がそのままこのオウムの赤とつながるような、そんな新鮮な印象である。つぶらな瞳と曲がった嘴、赤いその色彩。後ろ側にはフクロウがやはり象嵌されていて、そのつぶらな瞳が実に愛らしく、こちらのほうは黄土系の色彩で象嵌されている。焼くことによってこれらの色彩が生まれてくるわけだから、細心の注意と計算とが必要となる。計算をするとフォルムは貧弱になりがちであるが、この豊かな器形のベースの形が素晴らしい。その豊かなフォルムと象嵌されたオウムとフクロウの二つの鳥の色彩が、褐色系の地の色と相まって独特の魅力をかたちづくる。「唐時代の岑参の詩に、望郷への念を鸚鵡に託すというくだりがあり、私はその思いを陰陽のなかに、鸚鵡と木菟として託した。作品の手法は紅色の象嵌土を研究し面象嵌とし、穴窯の灼熱の窯変を試算し焼成した作品である」(日展アートガイド)。

 大樋年朗「黒陶『夢見る童』飾壺」。最近、干支のシリーズが続いている。来年は羊である。手びねりによるしっかりとしたフォルムの黒陶の胴に、羊とその羊に乗る子供を入れている。イノセントな力強い感覚である。「来年の干支は『未』である。羊は人類と同化した、神からの大事な賜物である。黒い天然産の土に輪積法で造形し、白土にて指頭絵で『羊に童の夢を託す』のモチーフを表現し、金彩をアクセントに加えた作とした」(日展アートガイド)。最後に入れられたアクセントの金彩も静かに輝く。この量感のある山のような壺の黒い地の色が空間化され、そこにこのように意匠化された羊と童子を配して見事である。

 森野泰明「滄碧弧状文扁壺」。上から見ると楕円の形、横から見ると長方形の壺。上方に円状の口がつくられている。濃紺の中に明るいコバルト。そして、金を思わせるような黄土の色彩。そして、ぽつんぽつんと緑の色彩がドリッピングされたように置かれている。独特のポエジーのあるモダンな壺である。「手捻りの手法による成形。三種類の高火度の色釉薬と一種類の低火度釉を使用。それらの釉薬が描きだす文様とフォルムがリズミカルに一体となり、響き合う世界を制作しました」(日展アートガイド)。

 寺池静人「春光(御室)」。御室というと桜が有名であるが、その桜を意匠したのだろう。なだらかな壺の周りに桜の花が浮き彫りふうに線刻の中に浮かび上がる。柔らかな金色の光が壺の内側から発光するような、品のよい、落ち着いた、親しみのもてる造形である。

 德力竜生「メッセージ」。木の葉の形のガラスが円柱の上に置かれている。その上に不思議な文様が、透かしの中にも、外側にも置かれて、実に楽しい。

2室

 井上絵美子「きんぎょのゆらぎ」。出目金の様子を大胆にデフォルメした立体表現。赤と黒によって彩色されている。斬新な力強い造形である。

 松木光治「滴」。鍛金。楕円状の金属に茶と黄土のストライプがつけられているものが、上方の黒いバックにコラージュされている。金属の細い先の尖ったものも同様にコラージュされている。下方の白い空間に三つの円があり、その中にそれぞれカエルが上方を向いてコラージュされている。そうすると、上方の筋は雨垂れだろうか。それに喜ぶカエル。楕円状のものは何の象徴だろうか。以前の抽象的な幾何学的なフォルムからカエルが出てきて具象的なものに変化し、自然の中での命の語りかけを、作者はこのようなかたちで表現した。鍛金の作家であるが、柔軟で力強い造形感覚をもつことがわかる。

3室

 後藤健吉「時のまにまに」。黒漆に雲を銀の箔で貼っていて、大胆でダイナミックである。長方形の中に家並みを俯瞰したかたちで具象的に表現する。黒い無地の部分と金属による雲の部分。そして、写真的と言ってよいような家並みの表現。三つの要素を組み合わせた佳作である。

 田中貴司「ひとやすみ」。漆の作品。人間のフォルムがグニャグニャして、なにかカンディンスキーのような抽象表現になっている。よく見ると猫であることが分かる。独特の明るいユーモラスな感覚。下方には鞠のようなものが浮かんでいる。金沢の長い伝統文化からイメージされた、モダンであると同時に雅やかな表現。

 原田和代「できれば非常識の方へ。」。一つ目小僧のようなフォルムから二つの足が左右に伸びて、いま一本足で立っている。ユーモラスな独特のイメージを漆によって立体的に表現する。

 青山鉄郎「澄想」。陶。大きな円盤のようなフォルムである。その中にちょうど帽子のひさしのように下方に垂れるフォルムをつくる。中心は黄色く輝くようなフォルムで、周りが青くなる。海の中の光を宇宙的なイメージに拡大して進化させ、それを器形にしたかのごときフォルムである。

4室

 山元健司「ナチュラル」特選。漆の作品で、「夜光貝と玉虫貝の赤い部分をポイントに、金・銀平目粉との研ぎ出し技法」(日展アートガイド)である。黒い背景にエメラルドグリーンや紫、銀色などが燦然と輝いて、まるでオーロラが眼前に輝いているような豪華な印象を醸し出す。

 田中嘉生「卯月の頃 Ⅱ」特選。染。薔薇の枝と葉を黒いシルエットとして左右や下方から自由に配置して、実にダイナミックで斬新な印象を醸し出す。切り絵を思わせるような技法で、その緻密で細微な枝や梢や葉の形が夕焼け時のような黄金色の空に伸びていくような独特の感覚だと思う。

 水野教雄「薫風」。暗いグレーに白い土を象嵌したのだろうか。その中の点々としたフォルムが、抽象的でありながら不思議な紐状の呪術的なイメージを表して面白い。

 西本直文「玄生『翔』」特選。黒と銀色との組み合わせがモダンである。パラジウム銀液によって低温焼成されている。作者によると「幽玄の世界の中から輝く未来が生まれ、大きく広げた翼は、これから飛翔する讃歌である。技法は手捻り、黒釉の高火度焼成の後、銀彩の低火度焼成によるものである」(日展アートガイド)。翼のように広がるフォルムの手前に矩形の穴があるから、花瓶としても使えるのだろう。オブジェとしても斬新で、しかも幽玄な趣が感じられる。

 髙坂嘉津幸「円の位相」特選。円形のフォルムに円やアメーバのような不思議なフォルムを入れる。茶と黒とブルーのかたちも面白いし、白の連続したかたちも斬新である。アブストラクトの造形でありながら、なにかユーモラスな人間的な存在感を示す。上方の白いところに黒い二つの穴があいていて、それが人の顔に見える面白さ。

 前田和伸「兆し」。黒陶に挟まれるように紐状の銀色、あるいは焦茶色のストライプのフォルム。右のほうに口があいている。花瓶という用途を捉えながら、モダンな感覚。力強い形象。

 本間秀昭「流紋―2014」特選。竹による作品。「Uの字に曲げた真竹のヒゴを籐絡げし、波の模様表現が特徴の流紋シリーズです。根曲がり竹を曲げ波のうねりを、内側に波しぶきを表現しました。背面は松葉編みを施し、力強さと綺麗な曲線を意識し制作。見ていると今にも波の音が聞こえてきそうな作品と感じていただければありがたいです」(日展アートガイド)。波という動的な存在を見事に竹によって意匠化した。力強さと繊細な要素とのミックスした独特の表現。

 喜多浩介「渇きの惑星」特選。土が乾燥して、中にひび割れが出てきたような大地の感覚を面白く造形化している。融点の異なる釉薬の二重掛によるそうだ。強いインパクトのあるイメージの造形化である。また、プレスしたようなパワーやムーヴマンも感じられる。

5室

 多智花佐代子「情歌」。あいだのすいた織。その上に黒い織。青や銀の織。その上に赤を主体とした織と、四枚重ねて、激しく強い波動を表現する。夜の中からやがて太陽が立ちのぼったような強いイメージである。

 中島敦子「星降る森」。漆の作品で、黒漆に金による研ぎ出しだろうか。大きな樹木。下方に女の子。上のうろのようなところにはフクロウがいる。星は貝を螺鈿している。ジブリの物語を漆の技法で表現したような大衆性を感じる。いずれにしても、物語を漆で表現する作者の描写力や表現力に注目した。

 猪俣伊治郎「試練を受けるオオクニヌシ」。「古事記より、大国主之命建国の一節。スセリ姫との婚姻を願う命に、姫の父スサノヲは数々の試練を課す。野火による責めもその一つであり、火の海に立ち向かう姿に、新たな国造りへと邁進する命の信念を表したく制作した。新旧主役交替の壮大なロマンの中、娘をおもう父親の情も窺える」(日展アートガイド)。革による作品であるが、手前の金色の浮き彫りになったつるぎを持つ人間はオオクニヌシである。周りに火をつけられて、草が燃えている。その中に激しくダイナミックな動きを表す。神話から題材をとった作者の連作である。

 有山長佑「季を刻む『育む』」。円筒形の大きな壺の側面をへこませて、そこに葉や花をつけている。「山間の道端に古木(大樹)の凹んだ所に自然の生命力という新しい芽が凜として芽吹く姿を見つけて、その様を陶器の素材で半筒形の器の上下に、その芽と葉を置き、全体に蒼釉をかけて表現してみました」(日展アートガイド)という。青い釉薬は作者独特のものであるが、その胴につくられたフォルムがダイナミックで、しかも可憐で、独特の雰囲気を醸し出す。

6室

 松岡美穂子「緑陰に遊ぶ」。鍛金。葉の上でカエルがチェロを演奏している。それを葉の端に摑まって聴くカエル。後ろのほうの葉にもカエルがいて、音楽を聴いている。雨が降っていて、波紋が起きる。そんな様子を、金属を叩き、浮き彫りすることによって表現する。

 瀧本修「静かな想い」。ガラス。若いすらっとした女性が軽く円形のテーブルに腰をつけ、窓の外を見ている。紫色の空に高層ビルが立ち並んでいる。エレガントな雰囲気である。女性のフォルムは浮き彫りされていて、この作品を見ながら左右に動くとそのフォルムが動いていくといった、そんな面白さもある。いずれにしても、グレーを中心とした典雅なトーンの中に、淡く透明なグレーによって表現された女性のフォルムが魅力である。

8室

 北村和義「黒彩『ストゥーパ』」。ストゥーパとは舎利塔という意味であるが、これは直方体の上がカーヴして、その上に穴があけられて花瓶になっている。点々の方形がいくつもつくられ、あいだに金によるドリッピングがされていて、豪華な感じ。祈りを造形化したような、そんなイメージもある。

 葦野三里「小さな手、大きな手」。黒人のようなフォルム。子供と母親。二人が向かい合っている。母親は笊を頭にのっけている。基本的なフォルムが力強くのびのびとしている。明るい装飾性もある。初々しい健康な造形感覚。

 髙谷義則「草萌ゆる」。人形。白馬にまたがる若い騎士のようなイメージ。凝縮して伸ばすようにデフォルメされているのだが、瑞々しい。いわゆるフィギュアとしての感覚に才能を感じる。

第45回元陽展

(10月30日〜11月6日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 山岡秀光「太陽と富士」。朱に染まった富士を正面から少し距離を置いて描いている。その右上方には同じく真っ赤な太陽が昇っている。その富士と太陽が強い関係性を保ちながらお互いに影響し合っていて、強い生命のエネルギーを感じさせる。おもしろいのは、その富士に左側から雲がかかっているところである。カーヴする雲の動きが、作品にもう一つの動きを作り出しているようで興味深い。

 竹田司一郎「娘想」元陽展大賞。机に向かって携帯電話を操作する女性を正面から描いている。女性は携帯の操作に集中しているようである。背後には鳥や花が描かれ、黄色の虚構線が渦を巻くように、或いは火花を散らすようにして施されている。一瞬にして世界の情報を知ることができ、離れた人とも接触することができる携帯電話の中にこの女性は入り込み、自身の頭の中でイメージを活性化させているようだ。そういった表現が独特である。デッサン力も確かで、特に手の表現が印象的である。

 谷川康夫「晩秋のノイシュバンシュタイン城」元陽会賞。どこか童話的な世界観を感じさせる雰囲気がある。クリアに対象を描き出し、色彩もまた透明感がある。城の伸びやかなフォルムが見ていて特に気持ちよい。

 内藤正樹「グランドバザール」文部科学大臣賞。門の奥に連なる出店をじっくりと描き込んでいる。左上方から陽の光が差し込んでうっすらと影を作り、それが門の奥の深い暗色とともに強い見応えを作り出している。ほとんど雲に覆われた空の表現もおもしろい。

 佐藤凱「晩秋」第四十五回記念賞。ハーモニカを奏でる老人の顔を大きく描きだしている。上方には枯葉が落ちてきていて、秋の季節を感じさせる。老人の顔や手に刻まれた幾本もの皺が深い味わいを孕んでいて、この老人のこれまでの人生を訴えかけてくるような心理的な奥行きが大きな魅力の一つとなって作品を支えている。

 斎地洋子「密やかなカーニバル」。ベニスの仮面を中心に画面が展開している。背後に掛けられた青とグレーの敷布、置かれている馬の置物やグラスなどの細々としたモチーフがしっかりとクリアに描き出されている。そういった中でハート形の赤やピンクの三つの風船が独特の存在感を放っている。やわらかな触感、浮遊感が作品自体に人の手の温もりのようなイメージを与えている。確かな筆力がそういった画面を支えている。

2室

 西藤好文「晩秋」大阪府教育委員会賞。山奥の村落で作業をする様子をじっくりと描き出している。逆光になっていることで、向かって左の家屋が深い影を作り出している。そういった中で、焚き火によって伸びる白い煙がやわらかな動きを作品に与えているところが印象的である。ゆっくりと流れる時間や密度ある画面構成の中にある味わい深い雰囲気が、どこかノスタルジックな感情を鑑賞者に運んでくるようだ。

3室

 篠原由紀子「奈良公園」会長賞。公園の中にある雑木林の中の情景を描いている。たくさんの人々が鹿と共に、それぞれの時間を楽しく過ごしているようだ。樹木の深い緑や周囲の茶系のコクのある色彩に見応えがある。上方に少し青空の見える部分があるが、それもまた作品に広がりを持たせる巧みな画面構成として注目する。

4室

 木村静子「フラメンコ」。フラメンコを踊る三人の女性像である。赤、緑、白の衣装が暗がりの中で画面から浮き立つことなく馴染むように扱われているところがよい。女性たちのポーズもしっかりと捉えられ、そこに引き寄せられた静かな動勢もまた魅力となっている。

 大門正忠「Recuerdo(Guanajuato)」。背の高い建物に囲まれた広場のようなところにたくさんの人々が描かれている。全体的に黄、茶、オレンジの色彩を中心に、それらを効果的に組み合わせて画面が構成されている。どこか現実とは少し時間軸のずれた幻想的な世界観を孕んだ雰囲気が独特の魅力を放っている。丁寧に描き込まれた画家のイメージ世界が鑑賞者を強く惹き付ける。

 根本忠夫「融雪瀑布」。流れ落ちる滝が作品に強い動勢を作り出している。周囲の崖にはまだ白く雪が残っている。その細やかな様子が、作品にどこか肌に迫るような冷気を与えている。そういった中で、点々と生える松のような樹木が、独特のリズムを画面の中で作り出しているところが特に興味深い。

 渡辺楊子「ガンジス河の日の出 Ⅱ」。ガンジス河で沐浴する人々の群像表現である。祈ったり顔を洗ったりするそれぞれの様子がしっかりと描き出されている。背後には密集する建物が描かれていて、画面全体で密度のある空気を作り出している。左から差す朝日の輝きが、敬虔な祈りの心情を作品に引き寄せているようだ。

 大貫靖男「川沿いの道」。画面左手前から奥へと細長く川が続いていて、その脇に畦道が同じように伸びて行っている。遠景には赤みがかったたくさんの樹木が横に並んでいる。黄金を思わせる様な草原の色彩が特に強く印象に残る。現地の空気感をしっかりと運んでくるような色彩と画面構成が見どころである。

5室

 大井田健一「地球の詩」。いくつかのパートに分けられて南国を思わせる風景が描き出されている。空、海、山の風景とそこに棲む鳥や魚たちが清々しくもコクのある色彩で捉えられている。強いメッセージ性を孕みながら、それを訴えかける画面構成に注目した。

 蔵地愛「水辺の昼下り」。水辺の風景が味わい深く描かれている。水面には周囲の風景と青空が映り込んでいる。丁寧にそれらを描写しながら、透明感のある空気が特に強い魅力を放っている。一際高く伸びる木立の様子が、そういった中で一つのポイントを作り出し、作品をより見応えのあるものにしている。

7室

 福嶋隆夫「stop(ストップ)」。今まさに電車が横切ろうとしている踏切周囲の情景を描いている。夜の闇の中で、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出しているところがおもしろい。黄色と黒のストライプを効果的に扱いながら、印象的な作品世界を創り出している。

第41回近代日本美術協会展

(10月30日〜11月6日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 村尾哲雄「罪と罰」。画面の下半分は水泡のような透明な玉で埋められていて、その中央は色鮮やかな色彩が施され強いエネルギーを放っている。原発とその被害で廃退した近未来的な都市が広がっているようだ。モノトーンの中でその色彩の輝きが強い求心力を放っている。強いメッセージ性を孕みながら、細やかに描き込むことで臨場感のある世界観を構築している。

 粟嶋美幸「巡礼」。縦長の画面の手前下方に一頭の鹿のシルエットが描かれている。その背後には白や緑、赤、青などの色彩を組み合わせながら強い精神性を感じさせる風景が展開している。静かな気配、自然と対話するかのような敬虔な心情が揺れ動きながら現れては消えて行っているかのようだ。いずれにせよ、画家自身を思わせるような鹿の存在感が強い吸引力を放っている。

 天笠勉「会津早春」。雪の被った田畑が画面の奥へと続いている。その向こうは雑木林や民家、そして山並みへと続いている。その風景を実に静謐に描き出している。雪の表情は雲の影や田畑の起伏などによって表情豊かに表現されていて、それが透明で清々しい空気をこちら側に運んでくる。この画家の確かな筆力を感じさせる作品である。

 長谷川和子「隅の輝き Ⅱ」近美理事長賞・委員認定。土間の一隅を独特の雰囲気で描いている。大きな鍋ややかん、水指しなどが置かれているが、それらが不思議な輝きと存在感を放っている。ここに住む人間の気配や生活感も携えながら、これらのモチーフが独自に生命感を持ったようなイメージを感じさせるところが特におもしろい。

 星有太郎「おわら幻想」文部科学大臣賞・委員認定。祭りで踊るようなポーズをした二人の男女を大きく描いている。それが確かなデッサン力でしっかりと捉えられている。男女の衣装の組み合わせもやわらかなコントラストを作り出している。また、背後の家屋との間、下方に市松模様が施されていて、それが一つのリズム感を作り出す効果的な演出になっているところにもまた注目する。

 宮島脩二「晩夏相模川風光」。大きな河川を望む風景が強い臨場感を持って描かれている。色彩の扱いが特に繊細で、周囲の草木の様子や遠景の霞むような雰囲気が、強い魅力を放っている。遠近感をしっかりと捉えながら、見ていて気持ちのよい風景として強く印象に残った。

 丸山今朝三「古の栄華(バルビゾン)」。手前から奥に向かって路地が続く。その路地は少し右にカーヴしている。左側には家屋が点々と建ち並び、右側には一本の背の高い樹木が立っている。左上方からはやわらかな陽射しが降りてきている。それが画面全体の明暗を滲ませるような効果を上げている。おだやかな色彩でこの風景を淡々と描きながら、随所に見応えを作り出しているところに巧みな画面構成が見受けられる。この街独特の雰囲気がそこに見え隠れしているようだ。

 髙梨敬子「望」。右に湾曲するように赤と朱の色面が施されていて、それに寄り添うように黄土色の色彩が入れられている。その周囲は青や白である。強い希望、それに向かっていく情熱といった感情が見え隠れする。逆にその周囲には冷静な感情がある。人間の心理的な移ろいや一瞬の感情を、強い抽象性を孕みながら表現している。噴火する火山を遙か上空から見たようなイメージも感じられ、鑑賞者を強く作品に惹き付ける。

 櫻井聡「雨のあと」。山間の河原の風景である。奥深い樹木の重なりと転がってきた大小の岩、そして流れ来る水の動勢が、ドラマチックな画面を構成している。特に、遠景では激しく流れ落ちる水が、手前に来るとゆっくりとなっているその変化が、強い臨場感とリアリティを作品に引き寄せているようで印象深い。

 中山以佐夫「さくらの頃」東京都知事賞・委員認定。川沿いの土手に咲く桜の樹を大きく画面の中心に描いている。水面は深い紺色で、土手の緑も深くコクがある。そういった場所に立つ桜が、静かに、しかし華やかに花を満開に咲かせているところが魅力的である。このような場所で一本だけひっそりと咲くという、いかにも日本的な美というものの魅力をじっくりと描ききった作品である。

 石塚秀男「郷愁」審査員特別賞・準委員認定。いくつものこけしが台の上に並べられている。背の高いもの、低いものと様々ある。その他には独楽などもあり、上方には大きな怪物の顔を描いたものが吊されている。それぞれが確かな立体感を持っていて、画面全体でテンポの良いリズム感を獲得しているようだ。幼き日にあったこれらとの親密な関係性を引き寄せながら、深い想い入れを作品に込めているようで興味深い。

2室

 二神恵子「城跡夏祭り」内閣総理大臣賞。色とりどりの色彩を使っている。賑やかな祭りの様子が、その色彩によって強く訴えかけられてくる。細やかに色面で画面を構成しながら、それらをうまく纏め上げている構成力、色彩感覚に注目した。

 浅野美杉「耕して天に到る」。丘陵にある畑や住宅街を少し離れた場所から眺めるように描いている。手前下方の樹木を大きく描き、その向こうは細やかに描きながら、距離感をうまく捉えて表現しているところが巧みである緑の色彩も表現豊かに扱われていて、清々しい心情を作品に引き寄せている。

 渡邉祥行「史感(古都オビドス)」。オビドスの街を高い場所から眺め下ろすような構図で描いている。縦横斜めの様々な方向を向いた瓦屋根を誠実に、ある種の音楽的なリズムを保ちながら描いているところが印象的である。手前あるいは中景にはこんもりとした雑木林がいくつかあり、そのシルエットになった深くコクのある色彩が、まるである一つのメロディの中の重低音の役割を果たしているようで興味深い。城塞都市であるオビドス特有の街全体の立体感やそれに至る歴史、空気を確かな筆力によって描き出し、そこに画家自身のイメージを重ねて独特の風景画として成り立たせている。

 星野光江「あすのゆくえ」近代日本美術大賞。白い衣装を着た二人の踊り子を大きく描いている背後はステージを思わせる輝くような黄の色彩が施されている。向かって左側の女性は右手を上げていて、そこに光が集まっているようだ。若い女性の持つ未来とそれに対する希望を、このように力強く表現しているところに注目した。

 村松泰弘「秋の浅間山」選抜作家賞。画面の手前下方に幾筋もの稲木が並んでいる。その向こうにはまだ刈られていない田が広がり、遠景には浅間山が見える。その重層的な画面構成が、強い奥行きと遠近感を作り出している。淡々と、しかし誠実にそれらを描き出しながら、秋の清々しい空気感を失っていないところにこの画家の確かな絵画力が感じられる。また、かろやかな色彩の扱いも見ていて気持ちよい。真横ではなく少し斜めに稲木を並べてるなど些細な構成が、作品に臨場感を引き寄せてもいる。

3室

 向山和子「Meditation」運営委員認定。モノトーンの画面の中に、独特の妖しい雰囲気を湛えている。手前にはたくさんの葉の落ちた裸木が並び、視界を遮っている。その向こうには遺跡のようなものが見える。例えば、煩悩によって遮られた向こう側とこちら側の世界というような、深い精神的な距離感がこの作品のおもしろさである。そういった画面構成のオリジナリティに注目した。

4室

 吉村豊太郎「停止する刻」。手前にカーヴする道があり、そこに一人の人物が小さく描かれている。その向こうは崖下になっているようで、工場などが立ち並ぶ。画面全体は深い茶系の色彩で纏められている。どこか寂しげな印象が漂う。この場所はもう現実にはないような、あるいはこの人物が現実にはいないような、不思議な幻想感が鑑賞者のイメージを活性化させる。空間を上手く扱いながら、深い心情を込めて作品を描いているようなところが特に興味深い。

 松本くすい「華の宴」芸術文化功労賞。長い間モチーフとしてフクロウを描いている。左側には華やかで大きな花が咲き、上方には満月が浮かぶ。美しいものを対比させながら、そこにフクロウの愛らしい姿を組み合わせることで、もう一つの魅力を作品に作り出しているようだ。

6室

 渡辺良子「自画像」近美理事長賞・準委員認定。玉葱を入れた籠を運ぶ人物を大きく描いている。しゃがんだポーズであるが、その重心の取り方、デッサンがしっかりと捉えられている。人間味の溢れる画面に強く惹き付けられた。

8室

 松原満男「イドラ(ギリシャ)の街角」奨励賞・会員認定。街角にあるカフェの情景を気持のよい感情と共に描き出している。テーブルや椅子、建物、石段などがクリアに描き出され、しっかりと画面が構成されている。爽やかな陽射しを感じさせる色彩感覚に特に注目した。

第32回FAA富士美術展

(10月30日〜11月6日/東京都美術館)

文/編集部

 銭谷誠「阿波おどり」。阿波踊りを踊る人々を後ろから描いている。描かれているのは主に女性で、両手を挙げて踊るその様子が実に躍動感に溢れている。地面には渦を巻いた渦潮を思わせるような動きがあって、それがさらに人々の躍動感を活気あるものにしている。背後の暗闇と女性の明るい衣装が強いコントラストを作りながら、画面全体で幻想的な雰囲気を醸し出しているところもおもしろい。

 鈴木律子「サン・ポール教会(ストラスブール)」。河川の中州に立つサン・ポール教会を正面から描いている。清々しい青空をバックにその姿を見せる教会は、輝くような灰白色で描き出されている。シャープなフォルムを見せながら、凜として立つ教会の存在感に強く惹き付けられる。

 楽山正幸「ランスの一日(藤田チャペルとジャンヌダルク)」。画面の中央奥に大きくノートルダム大聖堂が描かれている。画面はいくつかのパートで構成されていて、ところどころ視点を変えてパースをかけている部分もある。画面の左下には藤田嗣治が建てた礼拝堂が描かれ、右の方にはジャンヌ・ダルクの像が見える。この街を歩いた画家の純粋な好奇心がそのまま作品として現れ、そこに確かな絵画性を含ませているところが見どころである。楽山作品特有のマットなマチエールとやわらかな色彩によって、豊かなイメージがしっかりと支えられている。

 飯塚六郎「そよ風」。ヴァイオリンを弾く一人の少女を大きく描いている。少女は赤、黄、緑を組み合わせた服を着ている。手前には楽譜が風で飛ばされていて、背後では列車が走っている。豊かな物語性、童話の一場面のような抒情が強く鑑賞者を惹き付ける。シンプルな画面構成の中に、そういった鑑賞者の心に自然と入り込むような魅力がある。

 加茂好子「アルザスの風」。若い女性をアルザスの風景をバックにして描いている。画面全体の淡くやさしい色彩の扱いが魅力的である。若い少女の持つ儚い美しさとも言うべき魅力、夢、希望がしっとりと描き出されている。安定した構図の中に、過去と未来、そして現在を循環するようなイメージとロマンが込められているようで印象に残った。

第34回創彩展

(10月30日〜11月6日/東京都美術館)

文/編集部

A室

 安達康夫「芽生える」。雪の残る奥飛騨の自然を描いている。前景の植物達は互いに溶け込む様に柔らかに描かれており、そこに吹く春風が感じられる。遠景の山頂が輪郭を取りながらくっきりと描かれている。そびえる山の圧倒的な存在感に、崇高さが表現されている。

 田中君子「見守る大樹」。東京の下町である谷中にある老舗商店と、その脇のヒマラヤ杉を描いている。ヒマラヤ杉の幹は太く強く表現され、長い樹齢を思わせる。それは商店を守っているようにも見える。日傘を差して歩くTシャツの人物が配置され、下町の日常の時間が流れている。平凡のなかにある大切なものを表現しているようだ。

第37回白亜展

(11月7日〜11月15日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 松琴政春「収穫」東京都知事賞。たくさんの荷袋を馬に乗せ、緩やかな丘を登る男。盆地のえぐるような地形が翳りゆく日差しの中に描かれている。幾層もしっかりと塗り込まれた画面で、淡いハーフトーンの背景に黒や焦げ茶の人馬がくっきりと浮かび上がる。異国の光を感じさせる。ゆっくりと収穫物を運ぶ男の足取りが、臨場感をもってよく表現されている。

 沼崎謙二郎「今日は僕がお留守番ダヨ」。異国情緒のあるクリーム色のモルタル風な壁の雑貨屋に、カラフルな品物が並んでいる。店の入り口には愛らしい大きな犬が座っていて、入店する母子を見つめている。雑多な色彩を使いつつも、木や看板、日除けなどの緑が全体を統一していて、しぜんと画の中心がフォーカスされるような構成になっている。温かな雰囲気の漂う作品である。

 山本英嗣「八角の空」。4本の梁がわたり、八角形をした建物。手前側の入り口から見上げるようなユニークな構図である。石のしっかりとしたマチエールが陰影のハーモニーとともに表され、梁の間から幻想的な街の景色が旋回する万華鏡のように覗いている。不思議なエネルギーが発信された空間が描かれている。

 酒井俊幸「富士山麓 万葉の香り(忍野)」。富士の見下ろす忍野の里。紫やオーカー系の色彩が全体として効果的に使われている。古い歴史のある社の屋根が所々覗く。手前には老木が枝を激しく散らしながら鎮座している。その老木の動的なフォルムと対照的にさり気なく佇む富士山だが、画面を支配するような存在感がある。

 大津山秋子「閑日」運営委員推挙。犬を傍らに、本をひざに乗せ椅子に座る少女が中央に描かれている。夕日が室内をオレンジ色に染め、花瓶に挿されたミモザを輝かせる。豊かな色彩で、少女は色の密度によってボリュームがもたらされているように思える。筆致を生かした造形と、寒暖上手く織り交ぜた色調の独特の雰囲気のある画面が表れている。

2室

 平野知加子「Dark Forest」。木の根に囚われた少女が、根と一体化しつつある。その幹の右側は若く、左側は老いた人間の顔が現れている。様々な生物のイメージを取り込み、所々ガラス瓶や斧など冒険ファンタジーの世界が垣間見られる。画面全体をモデリングし、その凹凸を生かしながら部分的にパステルを使ってニュアンスを出し、イメージ豊かな作品に仕上げている。

 庄子雅子「想」。どんよりとした空、雨後の町だろうか。全体に湿気を帯び、橋の上を走る道は濡れ、建物を曇った鏡のように反射させている。どこか、箱庭のように再構成された町並みで、独特の気配がある。そんな中、中央の建物下方にあるステンドグラスのようなカラフルな色彩が強い。ブルーグレーでグレーズされたような画面にあって、その宝石のような輝きが印象深い。

5室

 谷口壽一「あした」。水彩とパステルを織り交ぜて、わずかに弧を描く細かな線描によって、草むらや松の葉が沸き立つような柔らかな景色が描かれている。小道の先の方から射すオレンジの光が樹影を逆光の中に浮かび上がらせる。量感のある風景が表れている。ノスタルジックで、吸い込まれそうになる画面である。

 岡邦彦「緩流 Ⅱ」新人賞・会員推挙。空を青く反射した水の流れが、大きな画面に精緻に描かれている。墨のような黒で水に映る影や波紋が描かれているが、ごく自然な写実描写となって表れている。周囲にカラスウリなどのつるを配置することで、空間に高さが生まれ、豊かな広がりのある作品となっている。

 坂口ハルエ「真珠のイヤリング」。色層を重ね、編み上げるように作られたマチエールで全体が覆われている。女性の体勢は彫像のようでもあり、何か暗示的な形を成しているかのようだ。女性の下に視線を落とした表情が印象深く、左の方からの光に照らされて、爽やかな輝きを放っている。

6室

 石井基善「農家の構え」。どこか懐かしい農家の風景が描かれている。全体の色調に独特のリズムがあり、モチーフひとつひとつが独立しているような精緻な描写ながら、画面がよくまとめられている。大きく空いた前庭の不思議な輝きと、家の裏に林立する巨木の林が見せる鬱蒼とした妖しさが反響している。門から玄関へと続く飛び石のような矩形が、抽象画的な主張を感じさせるように続いているのも夢の中の世界のようで、思い出をたぐり寄せるようなイメージが喚起されている。

 井上讓「森のファンタジー」会員推挙。新緑の頃の渓流だろうか。葉を透かすように注ぐ日差しが眩しく、画面上方に幻想的な輝きを作り出している。下方の岩場は対照的に暗がりになっているが、豊かな彩りで描かれている。大きく深呼吸したくなるような心地よさが感じられる。

 石塚隆「晩秋(アムステルダム)」。アムステルダム特有の風貌をした建物が建ち並び、ぎゅうぎゅうと密集する様子が秋の曇り空を背景に描かれている。モザイクのように細かく色面を置かれたレンガによって、橋や建物の壁にいぶし銀の味わいが生まれ、窓のリズミカルな調子を支えている。川面の描写も細やかで、哀愁の季節感が演出されている。

7室

 鈴木裕孝「朝の街角」優秀賞・同人推挙。下町のV字に分かれた路地にある建物が、強い存在感をもって描かれている。陽当たりの良い右側の道と、影になった左側の道を、ブルーと茶系という独特の色感によって表現しているのが面白い。ウインドーの中のディテール、ベランダの鉢など、絵画的な最低限の要素でリアルな雰囲気を作り出しているところも魅力的である。

8室

 森地きよみ「水口岡山城跡の名月」。色面を素朴に配置して描かれた風景だが、丸い月のフォルムをはじめどこか愛らしい雰囲気が生まれている。山の手前に道があるのか、点々と光が走っているのが画面に不思議な動きを生じさせている。アンティームな趣のある作品である。

9室

 橋本光枝「尚仁沢」優秀賞・会員推挙。苔生した水辺が、柔らかな緑の階調によって表されている。繊細に筆を入れながらディテールを生みだし、木洩れ日が移ろうような陰影で空間の起伏を強調させ、瑞々しい沢の風景が描かれる。そうした高い描写力によって、同系色に覆われた画面に視点の変化を生じさせ、見応えのある作品に仕上げている。

 前川和雄「過ぎし日の面影」。城壁が崩れ、そこに雑草が生えている、旧市街といった雰囲気の風景。ヨーロッパの街なのだろうか。子どもたちがサッカーボールで遊んでいる。石垣の積み上がった様子やその延長で上空に立ち上がる建物がリズミカルである。かつての戦闘の記憶が内在しているのか、画面全体がハーフトーンによって、柔らかいがどこか哀しげな光に包まれている。

 木村睦郎「黒い階段」。きびきびとした線によって見上げるような角度の建物が描かれていて、その構成は幾何学的で、構図の切り取り方が実にユニークである。白と濃紺が対比されて、日差しの強さが感じられる。白い壁が向かいの赤茶の壁に反射し、白い線の残像が影の移ろいのようでもある。左の店から覗く人物ともマネキンともとれるフォルムによって、この界隈の人間的な営みも印象付けられている。

 豊田勝美「冬眠から目覚める(2)」。鉛筆による仕事で、風景を巧みに描いた作品が続いていたが、今回は裸婦をモチーフに2点出品されていた。いずれも裸婦の量感が強調され、掲出作では体をひねったポーズで強いかたちを描き出している。暖かな春の太陽のイメージと動植物の目覚めが、白昼夢のように表れている。

10室

 斎藤千川予「鴨川の秋」。縁側のようなところにやや足を浮かせて腰を掛ける舞妓が、納涼床の並んだ鴨川の風景をバックに描かれている。手前の生けられた花、舞妓、鴨川の景、それぞれがインサートのように刻々と配置されている。全体的にパステル調の色彩だが、和の風合いがあり、例えば和菓子の色を彷彿とさせる。色面と線による不思議な輝きを帯びた作品だが、舞妓のシュッとして、それでいてあどけない表情が、どこか切ない感情を呼び寄せている。

 横田よし江「森の静寂」。木々の生い茂った森の、地面近くを切り取って描いている。古い樹木の、根が地面と融け合うようにはっている様子に力強さがある。色彩感覚が良く、ところどころ入れられたブルー系の色やピンクがポイントとして効いている。光の弱い場所にもかかわらず、温かみを感じさせる風景である。

12室

 木村優博「遠い海シリーズ―2014―」。不規則な粗さのある板塀越しに廃屋のような建物を映している。画家の取材してきた能登の漁村だろうか。深い雪の中、トタンと茅葺きの屋根が心細い。薪は見えるが人の気配はしない。冬の海と空が奧からこちらに迫り来るような奥行きと動きをもって描かれている。紫がかった色合いをにじませるような雲と、もこもことした雪が呼応する。手前の板の圧迫感をはじめ、対象それぞれの物質的要素が強く表れ、実際にその場にいるような感覚に落とし込まれるような作品である。

第40回記念国際美術大賞展

(11月7日〜11月15日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 永名二委「峡声」。画面の左上方から滝が流れてきている。手前には左右に崖があって、その流れは激しくその姿を見せている。崖の深い暗色に挟まれた流れの透明な存在が強いコントラストと共に繊細に、大胆に描き出されている。余分なものを省いた画面構成が、逆に自然の持つ豊かな表情を作品に引き寄せているところが特に見どころである。これまでになく、どこか幻想的な雰囲気を孕んでいるところもまた興味深い。

 穂森豊「初夏の花貫渓谷」。豊かな色彩感覚で渓谷の一隅を描き出している。岩場に挟まれた水面と奥の雑木林がミステリアスな雰囲気を湛えているところがおもしろい。清々しい空気感の中にある、そういった巧みな画面構成がこの作品を見応えのあるものにしている。

 荒井嘉蔵「千曲川眺望」。緩やかに流れる千曲川の姿を高い位置からパノラマ的に見晴らすような視点で描き出している。淡い大地の色彩が、水面や周囲の山々のブルーの色彩とよく馴染んでいるところが印象的である。複雑に枝分かれしながら流れていく川の様子もしっかりと捉えられ、それがしぜんに描かれているのもこの画家の確かな描写力を感じさせる。

 コルドバッチェ・マンスール「かなた」自由民主党総裁賞。両腕を挙げて頭の後ろに回して立つ裸婦の全身像を描いている。左側には柱のようなものが縦に伸びていて、画面全体には白い円弧が点々と置かれている。画面に与える独特の効果を施しながら、確かなデッサン力で描き切った肖像画である。

第38回風子会展

(11月7日〜11月15日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 長門群児「黎明」。作者は九十歳を超えているそうである。にもかかわらず、瑞々しい青い色彩が魅力である。朝日が昇る直前の青い色彩で染められている。林の中の光景。下方に「夜明けの歌よ」という文字が置かれている。日本では文人画では絵と文字とが一緒に表現されているが、そういった伝統を引いた油彩表現である。上品な中に光が魅力的に捉えられている。

 倉持正「おーい」文部科学大臣賞。函館をパノラマふうに表現したものである。太平洋側と日本海側と両方の海が函館の両側にあって、そこに地面があり、建物がたくさん立っている。そして、遠景ではさらに広がっていって、山が見える。近景は樹木が茂り、下方にはフキの葉のようなものが緑の連続したフォルムによって生き生きと描かれている。上方を見ると、飛行機が飛んでいる。穏やかな明るい色彩で、このパノラマを気持ちよく表現している。画家のイノセントともいうべき目の力が好ましい。

第40回現代童画展

(11月8日〜11月15日/東京都美術館)

文/高山淳・編集部

1室

 小野孝一「くまさんの雷神」。左右一対の作品が出品されていた。左が風神、右が雷神で、右側の方を特におもしろいと思った。熊を雷神に見立てて、その熊は黄金の雲に乗っている。背後は抑揚を付けた朱の色彩を施していて、画面全体で雷の激しい勢いを感じさせる。一方、風神はウサギで、バックは青い。風と雷の性質を色彩を対比させることで表現している。そしてそれを可愛らしい動物に見立ててポップに描き出しているところがこの画家らしい。小野作品特有のイメージ世界が、日本の古典をベースに現代的にやわらかに展開されている。(編集部)

 中村景児「Laboratory」。大きな樹木をイエに見立てて、その中に魔法使いらしい人魚の老婆が描かれている。樹木の上方では、大きな魚が浮かんでいる。毒とのイメージ世界を展開させながら、それを確かな描写力で支えている。看板にあるように、若返りの薬を研究している老婆の様子が、どこか悲哀を感じさせながらも愉快に描かれているところが特におもしろい。(編集部)

 有賀忍「母子遊楽」。二点出品で左右に父と母がそれぞれ作業をしている様子を描いている。掲出の作品は母の方で、不思議な機械から花を生み出している。その上方では籠に乗った子供たちや鳥たちが花を受け取ろうとしている。家族愛、自然との関わりの素晴らしさを、板を彫り込んで彩色する有賀作品特有の味わいによって鑑賞者の心に響くように語りかけてくるようだ。(編集部)

 小澤清人「HERZ Ⅱ」。今回は天使の肖像を三点並べている。天使はそれぞれポーズをしながら、実に愛らしく描かれている。長く人形をモチーフに描いている画家であるが、そういったどこか人間と人形の緊密な関係性を同じようにこの天使も孕んでいるようだ。緩やかなカーヴを描く天使のフォルムをクリアに捉えながら、支持体の絹も相俟って、独特の立体感を獲得しているところがおもしろい。今回は会の新たな試みとして有志が立体作品も出品しており、小澤もまた天使像を出品していた。そちらは絵画とはまた異なった趣でどちらかと言えば憂いを帯びた天使像である。人間に対する強い好奇心が天使の形を借りて、その内面まで浮かび上がらせるようなイメージの力が強く鑑賞者を惹き付ける。(編集部)

 糸井邦夫「時空を超えて」。レストランの室内をどこか異世界に通じるような不思議な空間のように見立てて描き出している。奥の壁は取り払われていて、星の動きが円を描くように幾筋も見える。人物は淡い緑の色彩のシルエットで描かれているが、その中で一匹の犬だけがしっかりと描かれている。この空間の中で犬は特別な存在のようだ。時の流れから抜け出したような様子が、強い物語性を作品に引き寄せている。そういった中で、右側に立つ人物が左手に懐中時計を持っている。それが時間というものの不思議を暗示するキーワードのように思えて興味深い。旋回する星々の大きな動きが、鑑賞者を強く作品世界へと引き込むようだ。(編集部)

 小松修「街角の記憶」。街角の一隅に水が入り込んで来ている。左奥の家からは一際大きな波が押し寄せてきている。それが強い動勢を画面に作り出している。また波からはいくつもの水泡が生まれてきていて、それもまた独特のテンポを作り出している。奥の階段には男が一人立っていてその様子を眺めている。人間ではどうすることもできない自然というものの脅威、恐ろしさを冷静に淡々と見つめているところがおもしろい。青みがかったトーンで纏められた画面が、そういった感情をさらに強く鑑賞者に訴えかけてくる。(編集部)

 嵐柴茂「戯れる」。二頭の大きなクジラが戯れるように描かれている。尾びれを上に上げて、下げた頭をお互いに近づけている。そしてその間には大きな透明の球体がある。その二頭がどこか会話をしながらその球を動かしているようで興味深い。背後の明るい色彩も相俟って、純粋な動物の心が、V字型の構図の中で心理的な収斂を繰り返して発信されてくる。(編集部)

 吉田キミコ「Kimicocollage」。縦に長いキャビネの中に一人の少女の人形が置かれている。不思議の国のアリスを思わせる。作品自体に漂うどこかミステリアスな雰囲気が鑑賞者の好奇心をそそる。実と虚を行き来するような存在感が特に印象深い。(編集部)

 多田すみえ「家路」。縦長のパネルを四枚並べて、それぞれに画家が愛する猫たちの様子が描かれている。掲出の「家路」では白い猫が親子で並んで歩いている。道は右から画面の奥へと長く伸びて行っていて、それが強いパースペクティヴを作り出している。そして上方に高く外灯が立ち、大きく首をもたげている。薄暗い、どこか寂しげな雰囲気の中で、その親子の関係性が温かな心情を生み出しているようだ。鑑賞者の郷愁を誘うような巧みな画面構成が、そういったイメージ世界に強いリアリティを引き寄せてもいる。(編集部)

 田中信子「楽園のアンニュイ」。暗い森の中から外の草原を覗くような構図である。その草原への出口あたりに大きな天蓋のような白いテントが置かれている。そして手前から奥に三羽の孔雀が描かれている。手前と奥で強いコントラストが生まれていて、そこに孔雀やテントの茶や白の色彩が見応えのある抑揚を作り出している。クリアで精緻な筆致によって、臨場感のある情景が作り出され、鑑賞者を作品世界へと誘うようだ。(編集部)

 石澤晶子「猫の部屋」。部屋の中に編み物をする女性が描かれていて、その周囲でたくさんの猫が戯れている。女性を中心に猫たちが円状に配置されることで、強い求心力を作り出している。赤や茶の落ち着いた色彩の扱いが楽しげな雰囲気をじっくりと醸し出している。(編集部)

 岡田富士子「ここから」。小さな卵を抱えた妖精が白い花々の上に座っている。それを下から猫が見つめている。その様子を実に繊細に描き出している。人間の目には見えない妖精であるが、そこに現実に存在しているというリアリティがこの画家の絵画力によって強く発信されてくる。(編集部)

2室

 川邨かんこ「原っぱで…」。広い草原が画面いっぱいに広がっている。手前には猫を抱き上げた一人の女性が描かれている。これまでは猫は人間と距離を置いたように描かれていたが、今作品ではかなり接近して描かれている。それによってこの女性と猫の関係性が生まれ、より鑑賞者に作品に対する好奇心を抱かせる。上方遠景では沢山の人々が歩いたり走ったり、犬を散歩させたりしている。気持ちのよい空気の中で、それぞれが思いのままに過ごす様子が、何とも言えない穏やかな感情を運んでくる。大胆に空間を扱いながら、鑑賞者の心を直に作品に引き寄せて共に同じ時間を過ごすような魅力がある。(編集部)

 久里洋二「後ろ向きお女と犬」。バランスが面白い。茶色のストライプの、光を中に入れたような床が傾いている。それにつれて赤と白のチェアも傾いて、その背に女性が寄り掛かっている。お尻から足のフォルムが拡大されて、黒いタイツをぴっちりとその体にまとった女性のボディが浮かび上がる。青い上衣に黒髪。顔と耳がすこしのぞく。青い色彩はまるで空を思わせる。このアンバランスな様子を、後ろで犬が眺めているというユーモラスな雰囲気。何しろ色彩が独特で、色彩のハーモニーがこの作者の独壇場と言ってよい。コンポジションの面白さ。アンバランスの中のバランス。そしてそばに犬。後ろから見た女性のエロス。いずれも上品な笑いのなかに一種の香りのようなものが漂う作品で、見事だと思う。(高山淳)

3室

 小松冴果「Mt.女子と八方美人」。ギザギザのアルミのカップを逆さまにしたようなものに人間の足が生えている。独特のイメージ世界である。個というものを排除した現代社会の側面として考えさせられる。それをユニークに立体作品として生み出しているところに注目する。(編集部)

 中野靖子「福寿」。花に囲まれて少女がいる。背中を見せ、顔をこちらに振り向いている。おそらく赤いドレスを着ていると思うのだが、そのドレスがたくさんの大きな赤い花にうずもれて、ドレスと花が一体化している。ブロンドの髪に花飾りがつけられているのが、そのまま拡大されて白い花びらが連続して咲き誇っている。そのあいだに黄色い花があらわれる。右のほうにはビリジャン系の緑とカドミウムグリーンなどの色彩が点じられて、全体で華やかな印象である。この女性は花の精と言ってよい。「福寿」という題名のように、われわれに福を与えてくれる存在。いわば画家のつくりだしたかわいい七福神のようなイメージなのだろう。右手に小さな五弁の白い花を持って、その花を唇に近づけてほほえんでいる。そのほほえんでいる雰囲気がまたこの作品の魅力をなす。

 もう一点「芳祝」は、花をスパンコールのようにつけた女性の横から見た姿である。白いダリアのような大きな花のそばに手と顔を近づけて、その香りをかいでいるのだろう。目をつぶって、すこし恍惚とした雰囲気。ブロンドの髪にビリジャンの色彩が入れられて、花によって飾られている様子。その下方に白い大きな花が体以上に浮かび上がってくる。ピンク、赤、紫。あいだから緑やブルーの色彩がちらちらと輝く。やはり、この女性も花の妖精のようだ。一枚一枚の花びらを地上に降らせる。そんな妖精のような存在。花の香りをかいで、花と一体化しながらうっとりとした雰囲気である。その首からおとがい、唇にわたるアウトラインと瞑目した目の表情など、見事な造形だと思う。(高山淳)

 大橋広史「多肉植物が生い茂る家」。灰白色の壁でできた家屋の屋上に様々なサボテンが生えている。屋上からは円錐状の煙突が伸び、細い煙を上げている。窓や扉は閉まっているが、そこに天使や鶏、人物の姿が浮かび上がっているところがおもしろい。シュールな作品世界にもかかわらずすんなりと受け入れられるようなところが印象深い。(編集部)

 野島理「錆色トタンの谷間」。五つの紙飛行機が奥に向かって飛んでいる。そのスリリングな様子を巧みな構図で描き出している。家屋や工場が密集し、路地には人々があふれかえっている。それを確かな描写力によって描き分け、強い臨場感と吸引力が生まれている。連続する太陽ももう一つの動きを作り出していて、画面全体で強い見応えを作り出している。(編集部)

 須賀宇多「白い朝」。白い靄がかかった中に木々の姿が浮かび上がるように描かれている。その深い情感が巧みに演出されている。密度のある画面にしっとりとした空気感が奥行きを持って描き込まれている。(編集部)

 川村美佳子「小さな森のその奥で… Ⅱ」。深い森の奥で戯れる小人たちを長く描いている。透明水彩によるやわらかく温かな雰囲気が、そのまま画家の心持ちを思わせる。小さな子供たちが遊ぶ様子が実に愛らしく、鑑賞者の心を癒すようだ。(編集部)

 田中亜由美「戯れ」。窓辺に腰掛ける一人の少女がしっとりと描き出されている。その周囲には黒い蝶がいくつか飛び、右下には黒猫の下半身が見える。どこかミステリアスな雰囲気が魅力である。幻想的な雰囲気をシンプルな画面構成でうまく見せているところに注目した。(編集部)

4室

 鳥垣英子「Fantasy Line」。向き合って傘を差した二人の女性が描かれている。向かって左側は明るく、右側は暗く描かれている。左側の傘には大きく花が咲き、鳥が集まってきている。右側下方では水が波打ち、水取りのような翼が見える。どこか一人の女性の中にある明と暗の要素を描き出しているように思える。更に言えば、例えば普段美しい自然でも、地震や津波といった恐ろしい天災を人類に与えてくる。そういった清濁を併せ持つからこその魅力を、一人の少女をメタファーとして表現しているところがおもしろい。独特のイメージ世界の展開が鑑賞者の好奇心を誘う。(編集部)

 大上典男「あなたの言葉」。青から緑の色彩で画面をまとめながら、そこに母子の愛情や様々な人間模様が展開されている。相手と向き合って語り合うことの少なくなった現代において、人間関係の大切さを画家はメッセージしているようだ。ぼんやりと光る星々などの明かりが鑑賞者の心を刺激する。三日月が包帯でくるまれているのが、どこか不吉な様相を呈しているのが興味深い。(編集部)

 塚田弘美「刻(こく)」。暗色のバックに細長い塔が描かれている。ペンによって細やかに描き込まれているが、それによる独特の存在感がおもしろい。少しだけ顔を覗かせる左下の人物の様子もまた、強く印象に残る。(編集部)

5室

 篠塚はるみ「降魔ヶ丘 魔女たちの休息」会友作家賞・会員推挙。樹木に寄り添う三人の魔女が描かれている。それぞれの身体が風景やオレンジなどになっている。中央に描かれている魔女がこちらに目線を合わせているが、その様子に特に強く惹き付けられる。凝縮された濃密な画面にもまた強い見応えを感じる。(編集部)

6室

 藤澤裕子「真夏の夜の夢」。和服をはだけた女性を貼り絵によって描き出している。たくさんの花や蝶が装飾的に施されていて、それが鑑賞者の目を引く。艶やかな雰囲気の中に、色彩感覚のよさも伺わせる。(編集部)

9室

 長田英子「サーカスパレード―ファンファーレ」。遠景にある城に向かってパレードを続ける人や動物たちの様子を賑やかに描いている。手前では右から左、そして城に向かって続く緩やかな動きが作品を活性化させている。それぞれのモチーフの様子が表情豊かで、見ていて楽しい作品である。(編集部)

 川中子みちこ「猫と竜姫」。左下の猫と向き合う女性を描いている。女性は竜の化身を思わせる衣服を着ている。ハーフトーンの色彩の中で、それぞれのモチーフが妖しくも生き生きとした生命感を持って描き出されているところに注目する。(編集部)

10室

 松森清昭「記憶」会員推挙。ブルーの色彩を抑揚豊かに扱って描いている。街の風景の中に楽器を入れ込み、強い音楽性によって豊かなイメージ世界を展開している作品である。(編集部)

 金原保則「春の放牧  行ってらっしゃい」会友推挙。船の出航する様子を俯瞰する構図で描いている。細かく描き込みながら、作品全体の明るい雰囲気をしっかりと描き出している。見ていて元気の出る作品として印象に残った。(編集部)

15室

 河江文比呂「思い出の町へ」会友推挙。強い物語性が魅力の作品である。大きく描かれたウサギが鑑賞者を誘うようで印象深い。画面構成もしっかりと纏められていて、確かな世界観を獲得している。(編集部)

第39回日輝展

(11月8日〜11月15日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 阿相三郎「過ぎゆく刻」。油絵具の油を抜いて、日本画の岩絵具のように扱っている。モチーフも日本の風景である。左右に二本ずつ樹木が立っていて、その向こうに山道が続いている。丈の低い樹木や草、あるいはすこしうずたかく土が積もったあいだを道は向こうまで続いていって、やがて消える。幽玄という形容詞を使いたくなる。

 山﨑隆夫「妙高秋景」。背景に妙高の山をシルエットふうに描いて、手前にコスモスの花が咲いている。ピンクや白や赤い色彩。優れた写実と構成。奥行がありながら、奥行のなかに気韻生動ともいうべきリズムが生まれる。ピンクのコスモスの中に赤とんぼがとまっているのも面白い表現で、自然の中に深く入り、それを観察するところから生まれた表現だと思う。

 大石厳徳「微かな記憶」。水の中に教会がある。ステンドグラスの窓などが、青い水を通して静かに輝いている。上方を見ると、仰向けになった女性の裸のフォルムが描かれている。水面の光を受けて、表面にネット状の明暗が生まれている。そのフォルムを見るだけで、この画家が優れた写実力、あるいは造形力をもっていることがわかる。下方の水底に向かい合って人形が座っている。一つは少女で、一つはそれを裸にした関節人形である。三年前の津波で亡くなった人に対する深いレクイエムの心持ちが、こういった水の中の教会というイメージを引き寄せたのだろう。いずれにしても、構成力といい、その表現力といい、見事なものである。

 水沢春和「冬陽の洋館」日輝会賞。白いペンキを塗った二階建ての洋館が中景にあって、手前に裸木が枝を広げている。その影が白い壁に映っている。散歩する女性や佇む女性。この洋館は何かの展示場になっているようだ。いずれにしても、のびのびと対象のフォルムを描いている。その広がりのある、動きのあるフォルムがよい。

7室

 小林英夫「ウィンド・ディスプレイ―M」。三点出品である。女性の顔をアップで撮ったもの。ショーウインドーのディスプレイからインスパイアされて、それを撮影しながら、おそらくCGですこし操作したのでないかと思うシャープな写真。とくに「M」は男女のファッショナブルなウインド・ディスプレイを撮影して、現代のメッセージ性の強い美意識を表現したものである。

8室

 菊島玉稜「奥の細道」。山寺が階段の上に見える。雪をかぶっているようだ。前後に針葉樹が伸びて、黒いたらしこみふうな表現である。構成と同時にディテールともに優れている。

 石井理春「梧竹風月寒」。「悟竹風清六月寒」つまり青桐や竹に吹く風は清く、六月にしては寒いということになるが、それを隷書的な漢字によって堂々と表現した。文字の骨格をよく理解しながら、伸び伸びとうたうように七文字の漢字を置いて、まさにこの文字のあいだを風が吹いているかのような独特の風合いを感じさせる。

第40回太陽美術展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 三木辰夫「クメール讃歌」太陽美術協会賞。クメールのお祭りを描いている。白い象とグレーの象が後ろ足で立って、お互いにエールの交換のような雰囲気で触れ合っている。その上に乗った人も不思議な表情でその象を扱っているし、下方では棒を持ってたくさんの人が踊っている。傘の下で優雅な表情の女性もいる。絵具をふんだんに使って厚いマチエールをつくり、独特の手触りのなかにこのような人々全体がお祭りに参加している不思議な光景を描いた。象の上方にテントのような、家の屋根のようなフォルムがあり、鳥が舞っているのも楽しい。

 松本勲「嵯峨野の紅葉(祇王寺)」。地面も紅葉の葉が積もって赤い色彩で、そこから樹木が立ち上がるその幹や枝のフォルムが優雅なカーヴを描く。その合間にオレンジに、あるいは赤く紅葉した色彩を大づかみな色面で捉えて、全体で秋のハーモニーを表現する。

 佐々木津也「MEDETAI(Ⅰ)」。米俵を背景にして赤い槌を持つエビスさま。その槌から小判がたくさん出てきて、それを猫たちが喜んで拍手しているような雰囲気である。青い空間の中にこんじきの輝きが優雅にゆったりと表現される。

 有澤美和子「星のゆりかご」。作者の話によると、星が死滅する様子が背後にあって、そこから新しい星が生まれる様子が手前に描かれているそうだ。たとえば上方のピンクや褐色の空間が死滅する星で、その手前の緑や朱や黄色の点々と輝きをもつのが新しい星である。いずれにしても、画面全体はブルーや緑などの背景の上にピンクやジョンブリヤン、ホワイト、黄色などの色彩が入れられて、その色彩がお互いに響き合いながら画面をゆるやかに旋回していく。優しい祈りのような、お祭りのような雰囲気である。星は画家にとって魂の象徴のように画面に入れられていて、それを静かにゆすっているような、そんな優しいイメージが感じられる。

2室

 片桐多喜江「七五三の喜び」新人賞。上方に神社が描かれ、手前に七五三の衣装を着た着物姿の女の子が大きく表現されている。その子の後ろ姿や傘を差した様子などが周りに描かれて、お互いのフォルムが響き合いながら瑞々しいお祝いのイメージをつくる。

 妹尾克彦「ささやかな幸せ ①」金賞。フォルムがクリアで、柔らかな色彩が幸福な雰囲気をつくりだす。

3室

 原康「母と子と」。お母さんがシーツを繕っている。それをハイハイする幼児が眺めている。背景は淡い青みがかったグレーの空間。上方にシャガールの結婚の花嫁と神父の絵が置かれている。寒色系の色彩がピュアな表情を画面に与える。そして、それをベースにして母と子の深いつながりが表現される。

 吉田滋子「響」。女性が不思議な紫の衣装を身にまとって踊っている。そばには両手をついて体をすこし浮かしながら踊っている様子のフォルムもある。その服は蜘蛛の巣を思わせるようなフォルムや花や蓮の花や池を思わせるものが描かれている。背後に波がゆったりと波紋を起こす、そんな文様が描かれ、満月と太陽とが重なったイメージが下りてくる。二羽のつがいの鳥がその前に飛ぶ。静かに踊るような動きを画面の中に表現しながら、平和や幸せを祈っているような雰囲気。その祈りの気持ちがゆるやかな波紋を起こし、渦巻きもつくる。上方のオレンジ色の円(太陽と月と合体したもの)のイメージが実に強い印象を醸し出す。

 田島弘道「愛楽 2014(Ⅰ)」。女性のフォルムがデフォルメされた中に木版によってくっきりと表され、背後の青い色彩と響き合う。大きな目。ゆったりとした豊かなボディ。妖精的な人物像。

 黒川律子「合歓の花咲く」。合歓の木の小さな葉の左右に連続したかたちが静かに揺れている中に、ピンクの花が咲いている。まさに、見ているとわれわれを幸せな眠りの世界に引き寄せてくれるような様子である。その枝に一羽の青い鳥がとまって、遠くを眺めている。青い鳥。幸せの鳥は実は身近にあったというメーテルリンクの話があるが、そんな小説も踏まえての表現だろう。その青い鳥の右下方にもう一つの地味な褐色の鳥がとまっているのもほほえましい。

4室

 清水源「ダンス」。太陽美術の会長である清水源が四十回展を記念して、ほぼ一部屋を使ってワンマンショーの展示を行った。十点の作品が並んで圧巻である。たとえば「ダンス」という作品がある。三人の女性が踊っている。ピカソの新古典主義を思わせるような豊かな量感をもったフォルム。中心にジャンプする女性。そして、その女性と手をつないで踊っている女性が左右にいる。重量感と同時に軽やかで浮遊するイメージ。そして、運動しているフォルムの鮮やかな表現。たとえばそのフォルムが、「curtain call」という作品では右下に小さく描かれ、手前に赤いカーテンが置かれ、左のほうにはいまシルクハットをかぶった紳士がこの劇場に入ってきつつあるといった、より深い物語が表現される。いわば清水源の演出するシアターへの招待といったあんばいになる。あるいは「歌姫の胸像」では、マリリン・モンローのような胸像が手前に置かれ、その後ろに椅子に座った男女が不思議な人形のようなフォルムを表し、遠景に赤い建物が小さく浮かぶ。右のほうには対の人形と花瓶や静物など、なにかシュールな味わいで、人の心の内部にすむ人間たち、あるいは恋人のイメージが画面に引き寄せられる。

 吉田康弘「イタリアRの市街地 その2」。バーントシェンナなどの色彩が壁に使われて、古いイタリアの建物が浮かぶ。独特の詩情が感じられる。点々とあけられた窓の暗い調子の連続性。あるいは右下のもっと大きなピンクや赤などの窓の様子。一つひとつのフォルムが象徴に向かうような表現。

 杉山康典「雨の予感」。ピンクやオレンジ、黄色い空間に円弧を表現する。その円弧が繰り返される中に独特のメロディが起きる。

5室

 原恵子「晴れの日に」財団法人 日本青年館賞。ウェディングドレスを着た女性が立っている。それを神父が椅子に座って眺めている。紫の色調で統一されている。しーんとした中に濃密な空間が生まれる。シンプルにつくられた二つのフォルムが独特の魅力をつくる。後ろの窓ガラスなどの装飾的な表現も面白い。

8室

 平山仁惠「愛の扉」東京都知事賞。平山仁惠が一つの壁を個展のようにして作品を並べた。十点の作品である。清水源の指導を受けて、楽しい、構成力のある作品が並んだ。「愛の扉」は、トランプの中から出てきたような三人の男女。そして、手前には文楽のかしらが浮かぶ。線をうまく使いこなした作品で、モダンでお洒落。また、赤を中心とした色彩が典雅にハーモナイズする。

10室

 松澤純子「甦れ大地 14─02」。クメールの時代の仏像は世界でも評価が高いが、その仏像の中の人が出てきて踊っているような、不思議な雰囲気である。周りに気根をもつ樹木が描かれている。大づかみにデフォルメされたフォルムが力強い。

 望月淑江「求道誓願(多幸)」。たくさんのタコが集合してダンスをしている様子。生命力に満ちたエネルギッシュな作品。

 小西豊海「風感じる恋」。振袖を着た若い女性が下駄をはいて歩いている。風が裾を翻している。後ろには花が咲いているようだ。線によってつくられたフォルムが生き生きとして、この女性のもつ魅力を表現する。すこしつり上がった目。赤い唇。独特の若い女性の命が、この顔や体全体から伝わってくる。

 樋口匠衛「au clairon des chasseurs」。パリのカフェを描いたものだろうか。褐色に彩られて、ざわめきの中に不思議なノスタルジックなイメージが漂う。しっとりとしたマチエールも魅力。

第39回新芸術展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 久保典子「彼方の光」。白い衣服を着たキリストを思わせる一人の男が十字架を担いでいる。扉のような矩形の空間とその周囲の星空。そこには線書きで星座をなぞるようにもう一つの十字架が浮かんでいる。現実を生きる困難と未来への希望が象徴されているようだ。ドラマチックな画面構成によってそういったイメージが引き寄せられているようだ。画家の充実した絵画力を感じさせる作品である。

 阪上正信「2014『作品』D」。画面いっぱいに実に細かく、例えば上空から街並みを俯瞰するような紋様が描き込まれている。ある部分では彩色されていて、それがまたそういったイメージを活性化させる。強い心象的な表現を用いながら、密度のある画面を描き出している。

 佐々木寿美「季(とき)の光り」。鑑賞者の心に染みこむような色彩の扱いが実に魅力的である。画面の中央上方に光輝く部分があって、それは太陽とも月とも思わせる。自然を育む生命の光が、そこから発信されてきているようだ。そしてその光に響き合うように、花や草木がその存在を獲得している。大小のいくつかの点、曲線、滲み合う色面、そのどれもがお互いに関係を築きながら生命の喜びを謳歌する。一つの画面の中で一日あるいは季節ごとの時の移ろいが繰り返されていく。そうやって描かれた作品が深い心理的な奥行きを孕みながら立ち上がってくる。

 髙井澄子「山道の詩歌」新芸術協会賞。画面の手前に蔦の絡まったいくつもの細い樹木が立っていて、その向こうに田畑が広がっている。草木の様子をクリアに描き出しながら、見応えのある画面を構成している。下方に置き忘れられた紙風船が、どことなく郷愁感を感じさせるところがまた興味深い。

 加藤陽夫「草想"蒼い月の下で」。横長の画面に大きく満月が浮かんでいる。その月に幾筋もの細い線が重なり、下方にははらはらとその光が降り落ちてきている。下方の樹木などは小さくシルエットで描かれている。空間性を意識しながら、そこに深い余韻を作り出すような趣を持っているところが見どころだと思う。

 矢萩武三志「二人の刻(とき)」。こちらを向いて正座するようなポーズの裸婦を画面の中央に描いている。その背後では、もう一人の裸婦が寝台に仰向けに横たわっている。寝ている裸婦は影になっているのかグレーで描かれていて、どこか生気がないようにも感じられる。寝台の紋様も装飾的で、どこか死の気配もある。それが逆に手前の裸婦の強い生命力を後押ししているようなところが興味深い。十字型の構図を見せながら、床のスポットライトを当てたような明るい円がもう一つの動きを作り出していて、それが裸婦のフォルムと重なり合うような気配を醸し出しているところもまた印象深い。

 加藤孝「八丈恋歌」。ゴツゴツとした岩場のある海岸を色彩豊かに描き出している。パステルによるそのやわらかな色彩が、八丈島に流された人々の望郷の想いを強く作品に引き寄せてくる。そういった様々な想いは、様々な色彩となって画面に宿り、深い情感を孕んだ画面となって鑑賞者を強く惹き付ける。

 花澤国雄「ゆく河の流れ」。蛇行する川を中景に見ながら、パノラマ的に広がる平原を描いている。細やかにじっくりと描かれた画面が、生き生きとした自然の息吹を感じさせる。

 矢永繁子「風の音」。青で纏められた画面の中に、画家の愛する様々なモチーフが描き出されている。背後には海や空の広がるイメージが感じられる。そういった中に、椿のような花が一輪そっと置かれている。色彩的効果もさることながら、この情景やモチーフたちに対する画家の深い心情を感じさせるようなところに惹き付けられる。豊かなイメージがそういった心の響き合いを鑑賞者と対話するように繰り返されているところが矢永作品の大きな魅力の一つとなっている。

6室

 吉村章子「火口湖の夜明け(お釜)」努力賞・会員推挙。横長の画面に広がる火口の情景が描かれている。夜明けの清々しい空気感と輝くような光が強い魅力を作り出している。火口の円がもう一つの強い求心力を作り出しているところも印象深い。

7室

 中道美佐子「まちなみ」。積み重なるように描かれた街並みが独特の立体感を獲得して鑑賞者の前に立ち上がってくる。グレーの色彩をベースにしながら、そこに明るいパステル調の色彩をやわらかく入れ込んでいる。手前から奥への距離をどこかずらしたような描き方が、鑑賞者の中に心理的な遠近感を作り出して、作品を見応えのあるものにしている。そういった巧みな画面構成も大きな見どころの一つである。

8室

 田中たみよ「ある日の休日」。大きな卵の中に岩場があって、そこをたくさんの人が登って行っている。その卵は室内にある。独特のイメージというか寓話性に強く惹き付けられた。

 三輪光明「クムジュン村とタブチェ山遠望」奨励賞。起伏する大地と遠景に聳える山々がコクのある色彩とマチエールでじっくりと描き出されている。大地の暗色と山々の灰白色が静かなコントラストを生み出しながら、強い臨場感を作品に引き寄せている。画家の視点の動きがそのまま鑑賞者のそれに重なるようなところが特におもしろく興味深い。

10室

 髙橋洋子「ちょっと足を止めて」。草木に囲まれた場所で、二匹の猫が小さく描かれている。その愛らしい様子が強く印象に残る。トーンを繊細に変化させながら描かれた周囲の風景が独特で、気持ちのよい情感をこちら側に運んでくる。日常の一コマを味わい深く描いているところに注目した。

第37回JAG展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 大野稜奈「庭師」金賞。トラックの上に乗って、そこに載せた土をスコップで動かしている姿。リアルで力強い表現である。卒制で見て面白かった作品が、JAG展に出品されていることに驚いた。

 山内ヒロシ「葛藤 Ⅱ」。三枚の葉が正面向き、その向こうに横向きに立ち上がっている。下方に帯の上にレモンが一つ。その向こうには湿原が月の光に輝いている。空の向こうには楽譜と蝶。夢想的なロマンティックな雰囲気であるが、葉に穴があいて、三人の人間たちの、いわば三角関係ともいうべきイメージが表現される。画家の本来もっているロマンティックな素質が、このような比喩的な表現をとらせたのだろう。ユニークなコンポジションである。

 山﨑信榮「ツコンポ」会員賞。壊れたトラック。そこから羊が出て草原に帰っていく。男が耳のそばに手を当てて走っていく。叫んでいるようだ。額にタオルを巻いている。下がっていった道の向こうに粗末な木造の民家がある。電線があり、洗濯物が干されている。ぐいぐいとイメージをこの横長の空間の中につくる。不思議な活力があらわれる。それぞれのディテールがこの画家ならではの面白さで立ち上がってくる。困難な障害が起きたときの激しい葛藤を、画面の上に舞台をつくるように表現する。

2室

 益子啓子「冬ざれ」。森に雪が積もっている。ここは高台で、その向こうは低くなって、そこには水が見える。太陽がいま昇ったばかりで、その朝の太陽がこの光景を照らしている。無人である。冬ざれという言葉には荒涼たる冬の風景といった意味があるが、この朝日がここに入ることにより、なにか希望のイメージが強く感じられる。独特の色彩家だと思う。

 安岡英雄「雲(マウイ島ハレヤカラ山)」。ハワイのマウイ島の光景を上方から俯瞰している。その視界を雲が遮っている。あいだから大地の形が見える。ユニークな視点であり、表現である。

 中村信「夜までカフェテラス」会員賞。ヨーロッパの南のほうの街なのだろうか。カフェテラスが照明の中に輝いて、人々が談笑している。広場の人間群像とそれを囲む環境を黄色を中心として生き生きと表現する。

 目黒勲「Helsingborg(ヘルシンボリ)」。スウェーデン南部の街の光景である。海に面している。右のほうには教会の塔が立ち上がっている。海の水平線近くに船が一艘。空と海とがはるか向こうに向かっていく、その空間をとくに意識して画家は描いている。そのあたりに一つのポイントがある。手前は穏やかに屋根の形やそこにあるフォルムを描きなから、水平線のはるか向こうに何ものかがあるかのごとき強いイメージが鑑賞者を引き寄せる。

3室

 酒見文雄「牛小屋」会員賞。四頭の牛が牛小屋から顔をのぞかせている。かわいいつぶらな瞳。周りには赤褐色の色彩。四頭のこの牛の表情がかわいらしく、命というもののもつ輝きを強く感じさせる。

4室

 江川宏「永らえて 神代桜」。神代桜の幹の周りがおそらく十メートルほどもあるような怪異な姿を面白く表現している。この神代桜の内部に入りこんで枝を揺るがせているような、そんな不思議な生気に満ちた表現に注目した。

第36回清興展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 髙山知也「採石の山」。採石場の情景である。その削られた岩壁の表情がおもしろい。細やかに描き込みながらも、堂々とした岩壁が鑑賞者の眼前に立ち上がってきている。また、どこか舞台を思わせるような画面構成でもあり、小さく描かれた重機類の様子もしっかりと描き込まれていて、見応えのある画面として成り立っている。

 代島千鶴「古代蓮」文部科学大臣賞。画面いっぱいに描かれた蓮の花が生き生きと描き出されている。緑とピンクの色彩、そして水面の青が、しっとりと馴染み合いながら彩色されている。繊細な線の扱いもそういった蓮の美しさを支えているようだ。曲線と直線の細やかな組み合わせもおもしろい。

2室

 伊藤節子「あなたのいない日々」。手に蝶をとまらせた一人の女性の全身を描いている。暗色のバックに女性の朱の衣服が映える。傍らには白い花と黒い猫が寄り添うように描かれている。どこか寂しげな、しーんとした気配が強く印象に残る。語りかけてくるような女性の目線が、鑑賞者を捉えて離さない。

3室

 成田順子「天高く上州ゴロピカリ」清興優賞。大きな一株の稲が描かれている。そこにスズメが集まってきていて、左下には案山子が小さく立っている。その淡く繊細に描き出された様子が、この画家の確かな筆力を感じさせる。しなやかな稲のフォルムもまた印象的である。

4室

 サンブウ・ザヤサイハン「優美な思い出」東京都議会議長賞。民族衣装を着て吹奏楽器を奏でる女性を正面から描いている。その衣装の独特の装飾がおもしろい。朱の色彩を中心にしながら、寒色を少しずつ入れ込んでいる。衣装の厚みと人物の細い線のフォルムがうまく組み合わされ、見応えのある肖像として立ち上がってきている。

5室

 大塚美保子「天涯花」。画面下方にたくさんの彼岸花が咲き広がっている。上方では一人の女性が浮かび、惑星のような球体に頰を寄せている。上方の青と下方の赤が中間で溶け合いながら馴染み合っているところがおもしろい。女性の持つ不思議な浮遊感と共に、どこか天上的な雰囲気を醸し出しているところが特に印象的な作品である。

6室

 大友美知子「未来への希望」。子供を抱いた母の肖像をクリアに明るく描き出している。二人の衣服や背後の花などを柔らかく丁寧にじっくりと捉えている。目線を鑑賞者とずらしながら、自然な二人の表情を愛情豊かに表現しているところにもまた好感を持つ。

 長田英方「夕日」。波打ち際の風景を情感豊かに描いている。夕陽のオレンジの色彩が波に混ざり込み、それが刻々と変化していっている様子がおもしろい。右下に一人の人物がシルエットで小さく描かれているが、それもまたどこか切ない印象を作品にもたらしている。

8室

 手塚博也「光陽のカサレス」内閣総理大臣賞。切り立った崖の上に立つ街が、斜め上方から見渡すように描き出されている。背後の空は朱に染まり、その色彩が街の家屋にこぼれるように広がっているところが見どころであり、強く印象に残る。蛇行しながら連なっていく家屋の様子も作品にもう一つの動きを作り出していて、画面全体で強い見応えを作品にもたらしている。

 江口光興「湖秋」。山間にある湖とその際に立つ家屋、木々の様子が描き出されている。左上方から陽の光が差し込み、それらを静かに照らしている。繊細に描き込みながらも、画面全体に漂う気配のような魅力が生み出されているところがこの作品のおもしろさである。手前から奥までの距離感などもしっかりと捉えられている。確かな描写力と表現力によって、この風景が作品となって再現され、そこに現地の空気までも引き寄せてくるような強い魅力が、そのままこの作品の大きな魅力にも繫がっている。

第7回秀彩展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 大西次子「アンドロメダ」。アンドロメダというと、波の打ち寄せる岩に鎖で縛りつけられた絵が浮かぶ。それを、メドゥサを退治して、その首を携えてきたペルセウスが通りかかって助ける。やがてペルセウスの妻となる。この作品もすこし捕らわれのイメージで、首を傾けた裸婦像である。成熟した女性の魅力をゆったりとしたタッチの中によく表現する。

 溝渕泰史「アマゾン湿原の民」大塚孝陽賞。子供を抱く母親。アマゾンのこの住人の顔はどこか日本人の顔、姿と似ている。そんな様子を淡々と描く。背後の水や高床式の木造の家、そして手前の母子を配して、ゆったりとした雰囲気のなかにモニュマンのような強さが感じられる。

 山口清「雲あそぶ山・鳳凰」。畑仕事をしている人や、トラックに荷物を積み込んでいる人。田園が広がって、それをぐいぐいと描きこんで爽やかな雰囲気。上方に山が聳え、そのあいだに激しく雲が立っている。その動きを龍に見立てるといった様子である。ぐいぐいと描きこむ筆力と透明な空気感としぜんとそこにあらわれてくる幻想的な要素がミックスされたユニークな作品である。

 藤井健治「姉妹の願い」。こけしのような二人の女性。姉は手を合わせて、妹はすこし首を傾けて放心した様子。衣装のあたりはストライプ状の色彩を置いて、タッチによって独特の雰囲気をつくる。いずれにしても、暗い空間の中に二人の祈っている雰囲気が魅力である。

6室

 北見美佳「パラダイス(ガーナの野生を見て)」新人賞。象の親子がのしのしと歩いてくる。その露払いのように鳥が翼を広げている。あいだに猪が走ったり、ワニが手前のほうで何か叫んでいる。面白いのは、象の背中に鳥がとまっていること。象と共生している鳥で、お互いに助け合っている。中心の象の親子のフォルムが圧倒的な存在感を示す。茶褐色の大地に黄土系の象の色彩も魅力である。

第46回ローマン派美術協会展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/編集部

2室

 野村修「噴煙・桜島」。煙を上げる桜島を遠くに描いている。その強い存在感が鑑賞者を惹き付ける。赤の色彩をベースにしながら、海、大地、空、街などをそこに描き込んでいっている。桜島に対する画家の強い想い入れがそのまま色彩となって作品に現れて来たような、深い情感が魅力的である。

3室

 今村和子「命の煌き(屋久島)」。屋久島の杉が大きく描かれている。そのうねうねとした幹の様子が妖しくも強い動勢を孕んでいて印象に残る。そこには強い生命力があって、下方から立ち上ってくるような勢いが画面の外にまで広がっていくようだ。力強くも繊細に描き込んでいきながら、そういった命の強さというものを独特の表現で描き出している。

50周年記念都展

(11月18日〜11月24日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 山本房江「シャボン玉とんだ」記念賞。先生と四人の子供たち。あるいは、お母さんと四人の子供。先生がシャボン玉を吹いている。それに子供たちが拍手をしている。柔らかなハーフトーンの色彩が優しい。置かれた絵具は薄く、独特の発色があって、それもまた魅力。

 伊藤直「PARIS」参議院議長賞。パリの街中を車が走っている。建物も向こうのサクレクール寺院のような白い建物も、ある動きの中に捉えられている。現在描いている本人も車の中で動きながら描いているような、そんなヴィヴィッドな印象がある。風景の中に動きが取り入れられて、それが魅力。

 熊倉幹子「夏休み」記念賞。白いシャツに青いスカートの女性が座っている。その座っている人間のニュアンス、生きた気配がよく描かれている。また、壁や床のグレーと衣装の白いシャツや肌の色彩なども、繊細な中にお互いにハーモナイズするものがある。部屋の中を風が渡っているような独特の雰囲気もこの作品の魅力である。

 丸山国彦「故郷の賦」。川の手前の民家。川の向こうの集落。すぐに山の斜面になる。不思議なことに、山は茶褐色に黒ずんでいて、平地だけ雪がある。そんな不思議な風景であるが、絵具がよくついて、それぞれのものがそれぞれの位置に描かれて、その上を空気が存在するように表現されている。ぐいぐいと描きこんだ筆力もまた魅力である。男性的な故郷の風景で、どこか記憶のなかにある存在のようにも感じられる。

2室

 武田雪枝「遊」。ソファに座っている女の子と立っている女の子。立っている女の子は三角帽子を頭にかぶってトランプをめくっている。周りのものも時計や馬の頭や飛行機のようなもので、全体に謎めいた雰囲気がある。ベージュをベースにしながら、ところどころ光が引き寄せられているところも面白い。十代の少女の内面を作者のイメージが追っているのだろうか。部屋全体がなにか非現実な雰囲気で、マジックの世界のような不思議な雰囲気が感じられるところも面白い。

5室

 矢吹昭久「旅の空と旅の力」。正方形の画面。青いセルリアン系の空にピンクの不定型のフォルム。あいだにオレンジ、茶色、ビリジャン、茶色、ブルーといったストライプのものがいくつもいくつもあらわれる。旅の記憶が画家の脳髄や心を刺激して、なにか振動を与えているような、そのコンディションをそのまま絵に描いたような面白さである。

7室

 岡絹代「小樽運河」。青い空に白い雲。光が強くこの光景に当たっている。中心に運河があって、手前には十数人の人々が船に乗って楽しそうにはしゃいでいる。万歳をしている人もいる。暗いところは黒を使い、緑や赤などの色彩も入れられて、独特の生気が感じられる。

8室

 豊田千年「回想」。パリの街のようなイメージが背後にある。暗い夜の街を背景にして、女性が立っている。大きな目と小さなおちょぼ口。その大きな目は猫の目のように光っている。白い真珠のような首飾り。体の大きさに対して手は小さい。不思議な魅力を備えた女性のイメージが、パリを背景にしてあらわれる。心が映した女性像であり風景である。

9室

 麻生恒雄「まちひと(その2)」。青年と恋人の女性。後ろに三人のセーラー服の女の子。右のほうにもカップルがいる。左のほうにもカップルが歩いていく。後ろにあるのは街で、横断歩道が見える。画面に接近すると、絹本のような雰囲気で、そこに絵具を差している。

 土肥彩「光降る店」東京都知事賞。様々な植木鉢に植物が伸びている。各種多肉植物という看板がある。猫がそれを眺めている。一つひとつのディテールを描くことによって、全体でミステリアスな光景があらわれる。上方にぶら下げられた金属のコップのようなものも面白く扱われている。

 杉原敏子「蔦のある道」記念賞。塀に蔦がはっていて、それが面白いかたちをつくる。その前に女性が歩いていく。グレーのワンピースに、顔もほとんど白で、なにかミステリアスな雰囲気である。全体に画面からあらわれてくる甘美なあやしい雰囲気が面白い。

 武藤明美「深秋」衆議院議長奨励賞。子供が三人、石を囲んで火をおこしている。団扇であおぎながら、長いトングのようなものを持っている。それは女の子で、団扇であおいでいるのは兄で、それを眺めている弟。火を囲んだ三人の子供の様子が生き生きと表現されている。

 川手文子「想」。女の子が座って、手に小鳥をとまらせている。後ろにキイチゴが赤い実をつけている。淡々と対象を描きながら、独特の詩情ともいうべき力があらわれる。

11室

 濱田保子「緑の風」奨励賞。紙に水彩。白樺のような樹木が両側に立って、あいだに小道が向こうにカーヴしながら続いている。オレンジのような花も咲いている。爽やかなストロークによって絵具を置いていく。そのタッチが集まって独特の動きをつくる。

14室

 髙梨和子「霙」。両側に並木があって、雪をかぶっている。建物の塀のようなフォルムがある。その向こうは省略されて、上方の空と建物とが一体化して、不思議な青い色で塗りつぶされている。そこに向かって黒いぬかるんだような道が大きく描かれている。しっとりとした独特のトーンで、黒の中に色彩があらわれている。詩人の描いた心象風景のような、独特のコンポジションであるし、色調である。

15室

 的場繁子「夢の中へ(1)」奨励賞。カンボジアなどの人形だろうか。細いスティックによって人形を動かす。頭の大きな首飾りと大きな目。ほっそりした体に複雑な衣装がつけられている。そんな人形が三体集まって、まさに人々を夢の世界へ招く。もう一点は、六体の人形が大小集まって、不思議な踊りをしているようだ。そのパントマイム的な表現、メッセージ性がミステリアスな雰囲気を漂わせる。

第55回記念日本版画会展

(11月18日〜11月24日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 皆本典子「ねこじゃらし Ⅴ」。青と黄色の矩形の色面をベースに、群生するネコジャラシが描写されている。月の光に照らされた夜のイメージがある。木版の繊細な重なりによる濃淡によって陰翳が表され、風に揺れる度に見え隠れするネコジャラシの静かな動きが詩的な味わいを導き出している。

 桑田幸人「邁進」文部科学大臣賞。群れを成し、体を大きく振りながら突き進む牛たち。大地を揺るがすような音が聞こえてきそうな画面である。独特の丸みを帯び柔らかながら力強い動きを見せる牛の姿は、牛と長年対峙してきた作者ならではの着眼に基づいたイメージである。未来に向けて前進する、不退転の決意のようなものを感じる作品である。

 小暮真望「萌彩」。沿岸に水芭蕉の咲く水辺から、山裾に向かうパノラマ。近景から遠景にいくに従い、点描のように表された一つ一つのドットが大きくなり、奥行きが生まれている。作家独特の技法によるシルクスクリーンにより、実に繊細な緑の階調が形成されていて、豊かなリズムとハーモニーを画面に出現させている。

 高野勉「両神春陽」。まだ雪に覆われた秩父の両神山を背景に、冬木立が山と同様のグレーのトーンで描かれている。その木立の足下をクローズアップするように枯れ葉の間から春を告げるフクジュソウが顔を覗かせている。縦横に交差する構図や背景のモノトーンによって花の存在が際立ち、灯りが点るようなイメージが表れている。

 尾山章「大地に立つ(青炎)」。実に細かく色調に変化を付けた青によって、不動明王の立像が表されている。かっと目を見開いた右の顔は明るく、落ち着いた表情の左の顔は暗くなっている。赤い炎に比べて英知と力強さを感じさせる明王の姿が、青い輝きの中に浮かび上がっている。

2室

 松永洋一「飛騨の宿」日本版画会賞。茅葺き屋根が覗く古民家の軒下の様子を大画面に刷り出している。一色刷りの木版であるが、古民家のがっしりとした構えが再現されていて、玄関の周囲にあるモチーフの数々がディテール豊かに描かれている。

3室

 橋本広喜「冬の集落(会津柳津)」。柳津の、中心地から少し離れた集落が雪化粧をしている景。背後の山の樹林を黒い点描で表すことによって、白い雪の点が映えている。巧みな描写力であり、山と川に挟まれた僅かな平野に寄り添う集落を、郷愁感を漂わせながら描き出している。

 町田えいめい「大雪山旭岳」。旭岳の噴出する水蒸気が姿見の池に映し出されている。木版をベースにした作品だが、デジタル作品のような不思議な滲みが色面に表れているのが面白い。色面の有機的な動きによって、せり上がる山のダイナミズムがうまく表現されている。

6室

 高野玲子「花・花帽子猫たち」。帽子を被った猫のシリーズが3点出品されていた。掲出作では、花の絨毯に囲まれた帽子猫たちが、帽子にも花を飾り、楽しそうに過ごしている。明部と暗部がめまぐるしく入れ替わり、躍動的な場面が演出されている。

 小林理恵「桜咲く」。枝先に咲き誇る桜の花びらをクローズアップしている。背景はより濃いピンク色によって染められていて、桜の花が軽やかに浮かび上がっている。花びらの縁に白い色面を乗せているのも、背景と花のバランスに調和をもたらす。色感豊かな作品である。

11室

 清野修治「散歩」。つばの広いハットを被った人物が、両耳の垂れた大きな瘦せ犬を連れて散歩している。白く輝くような街を背景に、人物と犬はシルエットで表される。歩く道には木目が生かされていて、ポップな作風を際立たせ、不思議な空間を作り出している。ユニークな造形も魅力的な作品である。

12室

 西潟英樹「大きくな~れ」奨励賞1部。ほとんど土から抜け出るような大根がリズミカルに並んでいる。その姿はバオバブの木を彷彿とさせ、ダンスをするように葉を大きく広げている。ダイナミックな構図によるコミカルな大根の姿が面白い。

13室

 相澤弘邦「ふる里の香り NO.2」。これまでの作風から一転、モノトーンの作品が出品された。正面に古民家の茅葺き屋根が白い矩形となって置かれている。手前の民家が強い日差しを感じさせる影となってその屋根を引き立たせる。楔を打ち込むように掘られた木の葉のトーンも細やかで、陰翳を生かし、白、黒、グレーが幾何学的に交錯する構図がスタイリッシュである。

第41回遙玄展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 長嶋節子「各々の春」。オランダの橋の下はアーチ状になっていて、船が通る。橋の上には柵があり、自転車がそこに置かれている。日本だとすぐ警察が持っていくはずだが、オランダはそんなことはないようだ。その自転車の表情が面白い。空は夕日のような不思議な雰囲気で、そこに人が乗っていない自転車がしばし置かれている様子が、なにか人懐かしい雰囲気を与える。それに対して下方のどっしりとしたアーチのある橋の奥行のある表現が対照されて、面白いコンポジションが生まれている。

 川西重治「春渓」。左から水が流れてきている。その量感をよく表現する。左右の石や岩のずっしりとした存在感が水の勢いのある流れと対照される。強いコンポジションが生まれる。金の箔を散らしている様子も、一種装飾的なよい効果を生んで、作品としての魅力を高める。

 渡辺礼子「こもれび」文部科学大臣賞。白神山地のブナの原生林を表現したもの。雪が積もっている。上ったり下ったりする地面の様子。その周りにブナが立ち並んでいる。ちょうど尾根のあたりにいて、両側が谷になっている。そこから無数と言ってよいようにあらわれてくるブナのフォルムを丹念に描くことによって、独特のあやしい神秘的な雰囲気が生まれる。

 千嵐文章「立山連峰」。立山の山頂が神々しく輝いている。立山は昔から信仰の対象であった。そういう山の雰囲気をよく表現する。

 柳文子「能登の韻」。松が立ち並んでいる。屈曲しながら右に傾いている。風が左から吹いてくるのだろう。能登の海風は激しいに違いない。そういえば、長谷川等伯は能登の生まれであった。そのような等伯を偲ぶような心持ちもあるようだ。右に傾いて遠景まで向かう松の様子が、亡くなった紫雪さんを慕う気持ちを思わせる。

 森本紫雪「釧路湿原」(未完・遺作)。実に惜しい人を亡くした。考えてみれば、夫である遙さんが亡くなって十年たつ。茫漠たる草原の広がりの手前に樹木がその枝を広げている。それがまるで人間がそこに立って両手を上げ、手のひらを広げているような不思議な雰囲気である。中景に川が描かれ、遠景に霞むように山並みや雑木林が見える。未完でありながら、いかにもこの画家らしい柔らかな雰囲気で独特の詩情を感じさせる作品である。合掌。

 松村幸代「秋冬」。山の斜面に紅葉した樹木、あるいは針葉樹などが生えている。それを明るい光線の中にくっきりと表現して、独特の臨場感をつくる。

 出店康子「祈り」。しだれ桜を描いたもの。満開の様子で、その一部を四曲の屛風に表現した。透明な桜の花が、内側に光をともしたような柔らかな雰囲気である。光が桜の内側から滲み出るような、そんな清明な雰囲気。水墨でありながら、光や色彩を感じさせる。しだれてくる枝と無数の花びらの集まりは、不思議な陶酔感さえもひき起こすようだ。見ていると、そのような内側に光を感じさせるようなイメージは、やはり、突然の紫雪さんの死を悼む心からあらわれてきたようだ。

2室

 丸本千尋「天空の城」。朝来の竹田城を描いている。雲海で有名である。不思議なエキゾティックな雰囲気があらわれているところが面白い。焦点をこの石垣とそこに生える樹木に置いて、それを丹念に描きながら、周りは抽象的に表現して、独特の雰囲気をつくる。

 村上志久「歳月」。松の木が枝を広げている。それを松の木の根本あたりから見上げる角度から表現している。それによって大きく湾曲するようなこの樹木の梢にわたるフォルムがあらわれる。その梢の先にうっすらと月がかかっている。下方の淡墨による中景の林の表現などと相まって、密度が感じられる。また、淡墨の中にこの松の木の長い歳月の中を生きてきた様子がよく表現される。

 萩生田慧美子「風がふく」。北海道の十勝の風景だそうだ。ほかの作家と違って、たとえばルオーが水彩画を描くように、ぐいぐいと筆でイメージをつくっていく。実景でありながら、深い精神性ともいうべきものが表現される。山の端からいま月が昇ってきた。その様子は神仏習合の思想では大日如来や阿弥陀仏と重なる。そんな神々しいイメージがこの月から感じられるところが面白い。やはり紫雪さんの死を深く悼むところからイメージされた山水なのだろう。

 桐ヶ谷佳代「雲海」。画面の中ほどを雲海が渡っている。そのもやもやとした量感のあるフォルム。上方に山脈が見え、下方に低い山頂や樹木が見える。おおらかな構図の中に風景の広がりを感じさせる佳作。

 足立寿夫「ブナ林の雪道」優秀佳作賞。両側にブナの木がびっしりと生えている。道が一直線に続いている。そんな様子を臨場感あふれる筆力で表現。

3室

 原田政志「潮騒」。ユニークな観点から描かれている。海女さんが海の中に潜って作業している姿。まだ海底までたどり着いていず、海底の貝を見つけようとしているのか、水中眼鏡を通して眺めている。体がゆらゆらと揺れている。その無重力状態のようなフォルムを面白く表現する。海底には小さな植物がみっしりと生えていて、まるで高山のような趣である。それを水を通して眺めるように描いているところが工夫である。

第40回記念現創展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 荒木典子「生(せい)」。女性が二人、横になっている。そこに波がかかっている。下方には海草のような植物と白い花が描かれている。涅槃図を思わせるところがある。静かに眠らせて、その人をもう一度救い、再生させるような、不思議な強いイメージの力。上方に向かって月の満ちていく様子のはてに満月があらわれる。死と再生のイメージがしぜんと感じられる。

 斉藤孝則「暇な店」。バーのカウンターに女性が肱をついて座っている。後ろ向きに女性が立っている。猫が一匹、こちらを見ている。淡々と描きながら、女性の生きている気配をよく表現するし、このバーの内部の雰囲気を伝える。その意味では独特のデッサン家だと思う。

 宇治川博「シェアー」特別賞。少年がかき氷を食べながら、こちらに歩んでくる。その氷が落ちて、そのそばにチワワのような犬がいて、こちらを眺めている。ぼかされたようなトーンの中に少年と犬をくっきりと浮かび上がらせるように表現していて、独特の生気ある表情をつくりだす。

2室

 芳賀啓「SPRING FANTASY」。赤い大きな扇子のようなものを持って踊っている踊り子。その三人の踊り子の後ろ姿からの表現。いちばん手前の女性は全身像で、その後ろの二人は体の一部が描かれている。優れたデッサン家だし、視点が面白い。また、そこに人間存在のもつ独特の気配が濃厚にあらわれて、一種シュールな雰囲気さえも漂わせる。

3室

 新関創之介「出陣前」。競馬用のサラブレッドに女性の騎手がそばに寄り添ってブラシをかけている。馬と女性のフォルムがクリアで、独特の韻律をつくりだす。

 小西淳子「La Pastorale(牧歌)」。植物が生えている野原を深くイメージの中に表現する。上方は深い海のように緑やブルーを重ねた調子。下方は柔らかなグリーンで、その中にオレンジ色やジョンブリヤンなどの色彩が入れられる。ひっかいたようなフォルムで植物の茎や葉の様子が表現される。そのひっかいたフォルムは繰り返し表現されて、全体で独特の韻律とハーモニーをつくる。黄色い花が咲いている様子。そこは金が使われていて、実に雅やかな調子である。まさに牧歌という題名のように自然の一隅をうたいながら、そこに愛や恋や哀しみや喪失など、様々なイメージを塗りこめている。色彩による効果も優れている。音楽を絵の上の心象空間として表現していると言ってもよい。

6室

 龍まんじ「ロッケンロール」。ギターを奏する演奏家。中心に大きく立ち上がる人と逆向きに体を反らしている演奏家。その横にはほとんど裸で、膝をぐっと曲げてネックを上にあげたダイナミックな演奏家もいる。左のほうでは後ろ側で歌いながら演奏している人もいる。そのギターの先端が、蛇になったり、生き物になっていたり、ドラゴンになっていたりする。人間の姿もサイボーグふうに表現されている。また、あいだから猫やエンジェル、髑髏、幼児、サメなど、様々な生き物をデフォルメしたイメージがあらわれて、全体で実にダイナミックな動きと律動があらわれる。ロックンロールの激しい音楽の中に入りこんで、その恍惚感のなかに森羅万象が形をあらわし、その中には精霊などもいるのだが、全体で独特の強烈なハーモニーがあらわれる。そういった印象を形の上に表現する。パッショネートな佳作だと思う。

 熊谷玲香「双子花魁」金賞。二点出品で、極彩色の「双子花魁」とモノクロによる「海まで届く混声十二部合唱」。まだ若く高校生だという。ぐいぐいと描き起こす筆力は並々ならないエネルギーで、この世代独特のパワーと言ってよいかもしれない。フォルムも強いし、色彩も鮮やかである。モノトーンのほうは、ボールペンのようなものでぐいぐいとフォルムをつくっていき、いずれも女性のもつ内界のイメージを具象化した、いわば劇画的な世界であるが、その強いエネルギーが魅力である。

 樋口裕子「人形姫とお猫様・紅葉」銀賞。猫と姫とのコンポジション。金を背景にして紅いモミジを散らし、着物の意匠も鮮やかで、いわゆる肉筆浮世絵の世界を現代ふうにアレンジした面白さと言ってよい。

第76回大潮展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 辛島とみ「門のある風景」会友努力賞。古いお寺の門だろうか。その向こうにピンクの花が咲いている。門の周りは軒によって暗く、その向こうの鮮やかなピンクの花が手前のグレーと対照されて、ヴィヴィッドな印象である。そんな様子を堅実にしっかりと描き起こす。

 横山喜代子「冬枯れ」大潮会賞。河川敷は冬枯れた様子で植物は黄土色になっている。灌木もそうである。その向こうに水がすこし流れている。広い橋。橋の向こうの山。日本のどこにでもある風景であるが、それをしみじみとした情感の中に表現する。裸木に黄色い葉がついているのが花のように見えるところも面白い。

2室

 小針初美「悠久の静寂」大潮会大賞。太い幹がすこし前に傾いて、そこから前に枝を広げている。ヒノキのような針葉樹のようだ。遠景は霧がかかっている。近景には草の様子が丁寧に描かれて、全体でしっとりとした雰囲気がある。そんな中にこの樹木の形を丹念に追って、独特の強いコンポジションをつくりだす。

5室

 植木治子「冬の高原」。パステルによる作品。地面は雪に覆われて、そこにたくさんの樹木が立っている。葉を落とした様子で、その梢にわたる形を丁寧に追う。光が差し込み、きらきらと明るい部分と暗い部分の陰影をつくる。空は青く、独特の詩情が漂う。

9室

 加古千恵子「小春日」会長賞。水郷地帯なのだろうか。前景から中景に描かれた、水が画面の三分の一ほどを占めている。そこに葦のような枯れた植物が立ち、船が数艘繫留されている。中景にはしっかりとした豪農のような民家が立ち、遠景には低い山が柔らかなフォルムを見せる。小春日という題名のように、穏やかな春のような日差しがこの風景に注いでいる。水の様子も、空を映して柔らかな青い色彩である。見ていると、まどろみに誘われるような平和な風景。そこに存在する水や草や建物や山を、それぞれの固有色を使いながらしっかりと表現する。それぞれが光を受けて静かにその色彩を輝かせている。

10室

 秋山英子「ぶどう園」特選。葡萄の低い幹が屈曲しながら左右に、上方に渡っている中に、葡萄の房に白い紙がかぶせられている。木漏れ日が差し込んでいる。下方に母と娘がいる。中景には空き地をあいだにおいて葡萄棚がずっと左右に並んでいる。穏やかな中にハーフトーンの色彩が魅力的に表現される。また、それぞれの木や女性のフォルムもしっかりと描かれている。

11室

 日髙米光「聖成森屋久島」。屋久島には樹齢七千年とか一万年の杉が伸びている。縄文時代の日本の様子が感じられるような、実に神秘的な場所である。その雰囲気をよく表現している。手前の白い花や、左右の巨大な樹木、あるいは中景の若木などに当たる光が神秘的な様子である。そのように光に染められた樹木が描かれている。遠景は霧の中に樹木が霞んで見える様子。屋久島で体験した、その神秘感をよく表現している。

第53回群炎展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 斉藤亥之助「棚田(松乃山・新潟)」。新潟の松乃山の棚田が黄金色に輝いている。その周りの林や樹木はシルエットに、さらにその向こうの山は青く霞むように描かれている。油彩画によって表現した胸中山水の趣があって、さすがに画家の年輪を感じさせる。

 井手幹夫「輝きの軌」。ヴェニスの運河の上にかかる橋に三人の男女がいる。橋の下にはゴンドラの上で作業する一人の男が、シルエットで描かれている。両側には古いヴェニスの建物が並ぶ。上方の三人の男女に光が当たっているような雰囲気で、独特の劇的なシチュエーションである。前にいる女性はカートに荷物を置き、後ろには旅行者を思わせる中年の夫婦のような姿が描かれる。旅情を感じさせるヴェニス風景と言ってよい。

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