美術の窓

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公募展便り(2014年9月号)

「美術の窓」2014年9月号

第54回蒼騎展

(6月25日〜7月7日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 田中信「不安な時代」。三人の女性が立っている。ボリューム感のあるフォルムである。真ん中の女性は沈黙している。後ろの女性はそれに呼応しているが、向かって左の女性は不信のまなざしである。まさに不信と不安。言わざる、聞かざるといったイメージもそこに入りながら、独特の心象を三人の女性を通して表現する。

 塩川吉廣「永眠都市」。長崎から船で三十分ほど行ったところにこの軍艦島がある。炭鉱で、二千メートルぐらい縦に掘って、石炭を掘った。その街の跡である。いまは無人になっている。かつて栄えてたくさんの人々がいていまは無人になったこの街を、全体で一つの建物のように画家は考えて、この独特のフォルムをつくりだした。もう一点の「軍艦島」は、全体をすこし離れて眺めて描いている趣であるが、この「永眠都市」のほうは、そこに接近して、より画家のイメージをこめて描いたものと思う。階段があり、入り口のようなフォルムがあり、窓のようなものが見え、上方に建物がのぞく。ずっしりとした存在感がある。時間の中にあらわれてきたもの。時間がこの島を、建物を彩って、もう一つ別なものに変容させているのかもしれない。その意味では古美術のもつわび、さびのイメージとも共通するものがあるだろう。すべての人々が去ったあとのこの不思議な世界。そこにあった夢や絶望や様々な感情が、内側からこの島を染めて、それが人がいなくなったあとに静かに浮かび上がってくるかのような、独特のロマンが表現されていると思う。

 松浦正博「背(はい)」。三人の人物が描かれている。いちばん手前には横座りになった十代の女性で、赤いワンピースを着ている。その後ろに少年が立て膝をして座っている。もう一人、少女の右後ろに、座っているのか立っているのかわからないが、背中を見せたグレーの少年がいる。その向こうに白い雲があって、二つの雲のあいだに赤い色彩が入れられているのが実に不思議な味わいを示す。上方にもその雲は折れ曲がりながら浮かんでいて、その中に淡い黄色やピンクの色彩が入れられている。それに対して左側にも同じような雲が置かれているのだが、それは青や緑の色彩で彩られている。キリコの形而上的絵画を連想するものがある。つまり、背中を見せる少年の像は非現実で、かつて見た朝日の空を背景にして立つ不思議な霊的な存在のようだ。しかし、見たことがあるというデジャヴ的感覚はあらわれてくる。それに対して青い雲を背景にした少年はもっと人々の内界にいる存在で、たびたび過去の記憶の中に戻るとこのような少年に出会う。そして、手前の少女は現実の女性で、十代の心をもって生きている存在。生きている一人の女性の後ろに二人の少年が現れている。そして、グレーの少年は実は少年ではなくて、もっと得体の知れない年齢のわからない存在のようにも感じられる。三つのそれぞれの存在する場所は、時間も空間も異なっている。その三つの存在が一つの画面の中に併置されるところから独特のシュールなイメージがあらわれているところが面白い。

 岩村美暉子「それから(A)」。乳飲み子を抱く若い母親。後ろの大きなソファーには男の子がのってジャンプしている。猫がソファーから飛び下りて前に向かっている。そんな様子をグレーを中心としたオレンジ色の色彩の中に表現する。内側から温かな雰囲気が滲み出てくるような独特の空間の中に、生き生きとそれぞれのフォルムを描く。

 石川園子「秋風の唄」。女性が向かい合っている。一人はヴァイオリンを持ち、一人は楽譜を持っている。周りはオレンジ色の色彩に染められていて、ススキや萩などの花も咲いている。秋の音色が画面から聞こえてくるような、典雅な作品である。

 川眞田ひめ「華と剣(つるぎ)」。赤い薔薇の花の上に剣が浮かんでいる。剣は男性の象徴で、花は女性の象徴。二つが結合すると愛が誕生する。その周りには海の中に浮かぶ橋や塔やドームといった風景、あるいは黄色やピンクの花が浮かび上がっている。橋は男女を引き合わせる場所であり、古い街にはロマンティックな物語が紡がれる。

 萩田栄二「嵐のあと・Ⅲ」。電信柱が立ち並ぶ道に車が何台かいる。日本のどこでも見慣れた郊外の風景であるが、上方に雲が覆いかぶさるように下りてきているところが面白い。雲のふちはオレンジ色になっている。夕立や暴風雨のあとのあの静まり返った時間のなかに、雲が低く、そこに夕日が当たっている様子だろう。遠景の空にはほとんど雲がなくなって、一部透明な水色やオレンジ色に染まっているのも、いかにも嵐のあとの空の様子である。

 飛澤均「孤と個と」。島という孤と空を飛ぶ鷗という個。ヴァレリーは自我というものを一つの島にたとえた。自我の象徴としての島。社会的な活動をする一人の人間としての個。それを鷗に象徴していると思う。寓意性を感じさせる表現である。

 古長瑤子「古寺逍遙(インド・エローラ)」。エローラは官能的な男女の彫刻で有名である。それを背景にして、いま中年と思われるインドの女性が立っている。青と黄の鮮やかなサリーを着た黒髪の女性である。インドの女性特有の鼻が高く彫りの深い顔だちはノーブルな雰囲気。黄、青、白のサリーと背後の光の中に浮かび上がるエローラの浮き彫り彫刻とが鮮やかな対照を見せる。背後の時間をなくしたような存在に対して、いまここに存在する一人の女性が対置されて、実に鮮やかな印象を受ける。

 髙杉學「オレンヂの樹の下で(シチリア)」。シチリアのオレンジは日本のものよりはるかに赤い。途中までは葉は茂っていなく、四メートルぐらい上ったところから葉が茂って、そのあいだに赤い大きな実がなっている。下にベンチがあって、老夫婦が向かい合っている。妻は座り、夫は立って話しかけている。鳩が左に二羽、右に三羽下りてきている様子が、シルエットで描かれる。シチリアの街並みがこの広場の向こうに広がっている様子を淡々と描きながら、人生というものを感じさせる。それは下方にいるベンチの老夫婦のたたずまいから受ける印象であるにちがいない。そう思ってみていると、上方に実っているオレンジの実もなにか人生の果実ともいうべきものの象徴のように感じられる。

2室

 白水龍子「菜の花の咲くころ」。菜の花が満開である。強い黄色を畦道によって区切られた菜の花畑に使っていて、強い印象を醸し出す。

 青木直也「静聴」文部科学大臣賞。女性が腕を軽く組んで頭を下げて合掌している。後ろの両側に壊れかかった白い銅像がある。聖人の像のように思われる。そして、その向こうに海があらわれ、半島のような陸地が見え、空に満月が浮かんでいる。三年前の三月十一日に起きた津波による死者に対する深い哀悼の気持ちを、このような構図の中に表現したのだろう。

 濱登武「梅花都、残雪の港(せたな町)」蒼騎会努力賞。三隻の船がにぎやかにこれから出帆の様子である。海が持ち上がって斜めになっている。その向こうには茶褐色の大きなフォルムが見える。ぐいぐいと描きこむ筆力によって起きる強いムーヴマンが面白く表現されている。

 内藤建吾「信州ハ佐久ノ平」。ゆるやかに川が蛇行しながら手前に流れてきている。周りは新緑の様子で、その中に点々と建物が見える。向こうにどっしりと聳える山は信州の何の山だろうか。いちばん高い山の向こうから噴煙が上がっている。広々とした広がりの中にそれぞれのものが存在感をもって表現されている。

 渡辺純一「解ける」。畦道に枯れた雑草が伸びて、そこに雪が残っている。水田には氷が張り、ところどころひび割れて水が見える。遠景にいくにしたがって地面が高くなっている。畦道のかたちと囲まれたその中の田圃の様子、あいだに立つ樹木、雑草などが生き生きと描かれている。この地面をよく知っている人が描いたものと思われる。ディテールに魅力を感じた。

 篠崎長洪「野はらの音楽会」東京都議会議長賞。手前に指揮者がいる。まねをして犬も指揮をしている。中景では楽しく黄色と黒の猫が踊っている。赤い衣装を着た女性がトランペットを吹いている。向かい合って山高帽子の男がトロンボーンを吹いている。左右にはチェロとバイオリンを弾く人がいる。手前にはカマキリのような昆虫が中国の楽器を演奏している。音楽につれて植物も踊り出しているし、上方には鳥が飛んできている。黄土色系を中心に黒や赤、緑、青などの色彩を使いながら、音楽によって揺れ動くようなその心持ちを、それぞれ奏者や樹木、植物、鳥などを通して描き起こして楽しい。

3室

 櫻井正興「ある街の詩歌 Ⅰ」。川の向こうには煙突が立ち、管が巻きついた建物がある。タンクもある。工場だろう。川があり、手前にはマンションや集合住宅や一戸建ての民家が並んでいる。それらがブルーの中に表現されている。青いコバルト系の色彩が屋根の上に置かれていて、それがお互いに響き合いながら、独特の安息感のような心象風景をつくる。川には緑の色彩がすこし入れられている。そして、この工場と住宅街とがお互いに川をはさんで呼応するような光景の上に、ジョンブリヤン系というか、ピンクというのか、いわば息のようなものが数珠つなぎになって雲のようになってあらわれている様子が描かれている。いわゆるDNAの螺旋構造というものがあるが、そういったイメージもある。この風景の中にいる一人一人の人々を集めて、それをつないでいくと、このようなイメージになるのかもしれない。そのつないだ中から歌声が聞こえてくるようだ。それはお互いに人間としての連帯感の中からあらわれてくる歌声のようだ。そういった音楽的な要素をこの風景に組み込んで、生きている人間の生活感、あるいは理想、あるいは様々な感情のイメージを表現する。

 大橋市郎「木立」。画面の下方から幹が伸びて、枝を広げている。画面の下辺ぎりぎりのところに地面が描かれている。樹木は上辺と左右の辺で一部切られている。この樹木を正面から眺めている。屈曲したその枝から梢にわたる形がしっかりと白く描かれていて、強い韻律をつくる。このように見てみると、樹木の形というのは実に不思議なものであることがわかる。最後は空間に溶け込むように細い梢となり、その先には葉のようなものがあるのだろうが、そこはぼかされている。背後にもこもこと色面によって植物の塊が置かれている。その暖色系の背景のデザイン的なバックの前に、この写実を駆使した樹木が描かれていて、強いイメージを発信する。

 土屋正文「竭」。炎が上方に立ち上っていく。そう思って見ていると、もっと下方に三角形のフォルムがあらわれて、炎が下方にも落ちてきていることがわかる。炎全体は上方に向かって伸びているにもかかわらず、背景の黒い闇の中に一つひとつの小さな炎が下方に下りてきている。明らかにこれは三年前の津波で亡くなった人々に対するレクイエムだろう。集合したこの炎は無数の人々の魂の集合したものだろう。下方に落下していく小さな炎はまるで人魂のようである。この人魂はもう一度懐かしい自分の家に帰っていくようなイメージがしぜんと感じられる。しかしやがて、それらの炎はまた再び手前の大きな炎の中に入れられて上方に上っていくのだろう。そんな形而上的な存在をここに描いたように感じられる。

4室

 三宅克「市場の男」。果物や野菜が山盛りになっている市場。その中で右手に白い紙のバッグに買い物を入れて立つ男が、上体を乗り出してこちらを眺めている。強い印象である。後ろにはネギを持ってリサーチをしている中年の女性がいる。それぞれのフォルムがクリアな中にぐっと上体を屈めてこちらをのぞきこんだ老人の顔。そのデフォルメしたコンポジションが生気ある画面をつくる。

6室

 石川卓司「煌めく季節(とき)」会員推挙。大木をはさんで二人の人間。一人は捕虫網を持った少年。一人はその母親で、この木の中にいる昆虫を眺めているようだ。右のほうには小さな社があり、中に赤い布をかぶった地蔵が立っている。光が差し込んで、明暗ができる。強い臨場感がある。セミの鳴き声が聞こえてくる。夏のある一刻の母と子供を実に生き生きと表現する。

7室

 榎本豊「木陰」。大木の下に柴犬がいて、こちらを振り向いている。向こうには五歳ぐらいの少年がいる。緑の葉。そこに差す光線。犬と子供。それぞれがそれぞれの位置に描かれて、独特の生気ともいうべきものを表す。淡々と平凡な現実を描きながら、なにか新鮮な印象を醸し出す。

 児玉敏郎「秋物語(沈黙)」。コスモスの花がたくさん咲いている。白いコスモス、ピンクのコスモス。ピンクもすこし薄いピンク、濃いピンク。そんな花がたくさん咲いているのを背景にして、黒い上下の衣装を着た二十歳前後の女の子が立って、フルートを持っている。黒い帽子をかぶっている。もうすでに冬の服装である。コスモスは秋を象徴して、いまここに咲いているが、実はこの女性がこの衣装を着た時点ではコスモスは散ってしまって、なくなっているような雰囲気がある。バックの時間と手前の女の子の時間とが食い違っていて、それをあえて表現することによって命の儚さといったもの、季節の移ろいを暗示しながら、この手前の若い女性の青春ををしっかりと描いている。手前の若い女性の存在感のある表現に対して儚い存在を背後に置いて、淡々とした肖像画ふうな作品に仕上げている。深い心理的陰翳が漂う。

 藤井高志「夢で見た夢」。中心に扉があいて、そこに四、五歳の男の子が立っている。記憶の扉をあけたのだろうか。手前のテーブルに横になった犬はガンになって死が眼前にある。その犬は、その上方にいる男の子が五歳ぐらいの頃によく遊んで、それからこの少年の年になるまで十年以上の歳月を生きてきて、いま死に向かっている。男の子のそばにガールフレンドがいて、ガールフレンドは記憶の扉のほうを眺めているようだ。それが壊れかかった木馬の揺りかごのようなものの上に置かれている。人はしばしば困難な時に記憶のなかに入っていって、もう一度活力を取り戻す。そう思って見ていると、左のアーチ状の扉の中に裸木があり、そこに一羽の鳥が来てさえずっている。それが希望の象徴のように感じられる。

 武井浩「PUMPKIN─16号」。青い大きなお皿。いわゆる青磁の色彩であるが、そこにケーキが置かれている。ムースの上は赤いゼリーになって、下はパウンドケーキのようだ。その触感を描き分けながら、大きくしているために不思議な印象があらわれる。お皿の上に載っているようで、すこし浮かんでいるようでもある。皿とケーキと見る角度が違う。上部の楕円形が下方のお皿の円弧と合わせられて、すこし削られている。現実に見えて非現実な様子があわせて描かれている。そう思って見ていると、下方の青いお皿は水や空のイメージに変化し、パウンドケーキの部分は草になり、後ろのグレーは空のイメージに変容するかのようだ。独特のトロンプルイユ的な表現となっているところが面白い。

8室

 大山学「AQUA(帰水空間)」。ウルトラマリン系の青い背景の中に白い波のような雲のようなフォルムが浮かんでいる。S字形に左右にゆるやかにカーヴしながら広がっている。水が気化して気体となるその中間あたりの雰囲気で描かれていて、不思議な印象を醸し出す。

 高橋眞智子「はじまりの予感」。紫をベースにして果実や瓶などを左下に置いている。それらは緑や青や褐色の色彩で表現されている。独特の存在感と気配が画面からあらわれてくる。ほとんど抽象的な表現であるにもかかわらず、リアルなもの、それは触覚的な要素からくるのかもしれないが、そのようなものが画面から感じられる。果実や瓶が独特の純な色彩によって表現されていて、その色彩がだんだんと輝いてくるという印象をもつ。

 坂野りょう子「お花見」。母親の体をボリューム感を強調して表現している。その中にすっぽりとはまるように一、二歳の女の子を描いている。右のほうにはたくさんの花弁が群がっているように描き、左後ろには樹木のそばで休む三人の老人を描いている。桜の木の下で何かを飲んでいる老人は、この女性の父親なのかもわからない。そばに椅子に座った二人の老婆がいる。花は満開である。花見をする老人たちの実景をもとにして、夜想曲のように子供を抱きかかえる女性のイメージを画面に描いた。独特の吸引力ともいうべき力が画面にある。

 斎藤梅次「イメージする風景 B」。上下七つぐらい、左右十ぐらいの矩形による抽象画面である。緑の色彩、黄土色の色彩、朱色、オレンジなどが組みあい、重ねられ、不思議な生気をつくりだす。全体は黄土と緑を重ねたようなあわあわとした雰囲気である。それは地面や大地などをしぜんと連想する。その中に黄土が立ち上がり、朱色がその上にあらわれ、白が明るく語りかけてくる。そばのピンクもそうであるが、優しい囁くようなイメージといってよい。全体でハーモナイズしながら、一種の和音のようなかたちで語りかけてくる。空間のなかの現実や経験が画面の中に昇華され、一種の音楽のように画面が語りかけてくるところが魅力である。

9室

 室町怜子「室内」会員推挙。床に青い布を敷いて二人の女性が座っている。その女性に接近して描いている部分がある。二つの体を粘土で画面の上につくっていくような、そんなじんわりとした触覚的な要素がこの平面に加わっているところが面白い。内側に光を含んだような、独特の色彩もまた魅力である。

 篠田満里「叢前群猫図」。遠景には植物が繁茂し、その向こうは林になっているのだが、画面の約九割ぐらいは裸の地面で、そこに十六匹ほどの猫が様々なポーズをしている。一匹の猫の十六のポーズのようにも見えるし、微妙に似ているけれども、違った猫も入っているようだ。猫のもつ気配がなまなましく立ち上がってくる。

11室

 渡辺幸子「わが町(福島県田村市)」蒼騎会新人賞・会友推挙。雪の下りた風景。中景に一階建ての納屋のような建物があり、背後に針葉樹とおぼしき樹木が並んでいる。空は雲が出て、柔らかな紫を帯びた白で、光を反射するかのように雪が少し光っている。それは畑の上に積もった雪で、手前に黄土色の雑草が伸びている。あけられたこの雪の面積が画面の約半分ぐらいを占めて、白い面がふかぶかとして、雪の触感をもって、ある実質をもって広がっている様子がこの作品の魅力だと思う。

 武井マヤ「天までとどけ」。水彩であるが、花や葉をピックアップして、一種のデザイン感覚でもって表現している。下方の青い部分などは色コンテを使っているのだろうか。また、左のほうに黄金色に光るものが三つ浮遊しているのも面白い。そこには動いている昆虫、生き物がいるかのようだ。すっきりとしたクリアな線による対象の表現には、この画家の一種の美意識ともいうべきものがしぜんとあらわれて、それも魅力である。

 山元徳子「Good-by!」蒼騎会奨励賞。中景に木造の建物がある。そこに向かってたくさんの花が咲いている様子で、まるでお花畑のような雰囲気である。透明水彩の特徴を生かして、重ねた絵具が豊麗な色彩を呼ぶ。中に茶系の小さな猫が一匹、遠くを見るように斜め正面方向を見ている。全体に光がここに差し込んでいる様子。光に満ちているような空間になっているところが魅力である。

12室

 大類真理「天空」。崖と崖のあいだに橋が渡してある。それを下方から仰ぐように眺めている。橋の隅に旗が立てられている。空には雲が出ているが、それはどんどん形を変えつつあるようだ。不思議な雰囲気で空を眺めている。旗はそのようなイメージのシンボルのようにはためいている。ちぎり絵というのか、紙に彩色して貼って、この色彩を出している。そこにまた描いたものとは違った手触りが生まれる。

 佐々木喜與子「陽光の元で」。二曲の襖絵ふうな支持体になっている。ほぼ正方形である。太い幹をもつ樹木が幾本も立っている。上方に葉が茂っている様子を緑の上から線によって表現する。幹はたらし込みである。下方から若木が伸びている。幹と幹のあいだに黄土系の色彩が入れられて、ちょうど黄金色を思わせるような調子になっている。その向こうに暖かな光が存在するかのように描いている。小さなことにこだわらずに、ゆったりとした動きがあらわれ、そこに豊かな感じの色彩が置かれ、線によってディテールが描かれる。いわゆる再現的な表現ではなく、自然というものに対する深い尊敬や信頼の念からあらわれた空間である。

13室

 富樫秀治「季」蒼騎会新人賞。向日葵が枯れてドライフラワー化しつつあるような様子。うなだれたように下を向いた向日葵の花が三つ。葉も垂れている。そこに斜光線が当たり、すこしこんじきを帯びたような色彩を与える。そこになにかロマンティックなイメージが漂う。

第41回日象展

(6月25日〜7月7日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 岩城満「橋のある風景」外務大臣賞。中景に鉄橋がある。川のそばに道が走っている。遠景の青く霞む山々。空が半分以上占めていて、山際は明るい光を帯びたベージュであるが、上方に黒い雲が出ている。夕立でもやがて来るのだろうか。日本の自然の柔らかな繊細な湿気のある風情を生き生きと描いている。また、民家などのフォルムも面白く配置されて、リズムをつくりだす。

2室

 八木哲雄「京都府美山町」。この村のお祭りなのだろう。神主を前にして巫女や白い帽子をかぶった大原女ふうなスタイルの女性がたくさん行列をなして歩いている。後ろの茅葺きの民家。さらに後ろには北山杉のようなフォルムが見える。手前にはレンゲの花が咲いている。一つひとつのものをクリアに描きながら、この美山町のお祭りの光景を静かに表現する。ディテールがそれぞれ発現してくるような独特の表現である。

 玉置光男「浩然の気」。浩然の気とは孟子の中にある言葉で、静かに内側からみなぎるような精気、エネルギーのことを言う。士にはそういった浩然の気が必要だと孟子は述べている。手前のこの大きな岩がそのイメージなのだろうか。背景の緑の山脈をバックにして、この不思議な量感のある岩が手前に描かれている。黄土やグレーの岩の下方に赤い色彩が入れられ、その下は緑である。古神道的な磐座といったイメージがこの山にあるのだろうか。いずれにしても、全体に揺れるような独特の波動が表現されているのも面白い。

3室

 船越信「雪国夕照」。田圃の上に雪が積もっているのだろう。はるか向こうまで平地が続いている。遠景には黒々と雑木林が見え、さらに遠景には山が霞んでいる。左右の線を繰り返して、それによって遠近感をつくる。空も同様で、グレーの雲が左方向に向かって広がっている。雪の溶けた地面が手前に見える。描写するというより、表現するという姿勢で、風景のもつ広がりやそこに吹く風や雲を生気の中に表現している。

 小池タケシ「待春美瑛」。北海道の美瑛の風景である。だいぶ雪が溶けて地面が出ているが、日陰の部分なのだろうか、雪の残っているところもある。そのあんばいの配置が風景に複雑な陰影をつくる。中景には紫色の雑木林が見える。遠景は褐色の山が立ち上がっている。くすんだ緑の丘のようなフォルムも見える。近景は褐色の大地である。その向こうに渦を巻くように雪の残っている様子が不思議な表情を見せる。実際にこのような形が風景にあらわれるのだろうか。褐色の混じった白が、この画家独特の柔らかなニュアンスをつくる。この色彩と中景の紫の雑木林とが色彩的には響き合う。暗い紫色の空がどんどん変化していくような独特の気配を見せる。春を待つ心持ちがこの不思議な円弧の繰り返しのようなフォルムや雑木林に感じられる。黄土、紫、褐色、緑などの色彩を沈めながら、独特の心象的な美瑛風景になっている。

 八田敏郎「大地の風─Ⅱ」。裸の女性が立っている。シルエットである。背後はうねうねと動く砂丘のようなフォルムを色面的に表現して、独特の装飾性の強い空間をつくっている。その揺れるようなバックに対して、量感のあるシルエットの若い女性の裸が強いコントラストの中に表現される。

6室

 雑賀昭吉「夕立」。一階建てや二階建ての瓦屋根の民家が背景に連続して描かれている。火の見櫓のようなものも見える。夕立の中にモノトーンで描かれ、そこに若い女性が裾をはだけないように押さえて走っている。その部分が切り絵で描かれていて、見事な表現になっている。後ろには男性が尻っ端折りして走っている様子が、建物と同じトーンの中に表現される。

第19回アート未来展

(6月25日〜7月7日/国立新美術館)

文/編集部

1室

 山口百合子「巡る~2014~」外務大臣賞。小さな正方形のアルミを組み合わせて、四季の様子を情感豊かに表現している。その一枚一枚に桜や枯葉など春夏秋冬のモチーフを描き、その集合体を川の流れにみせて構成することで、滔々と流れる時を感じさせているところがおもしろい。ゆるやかなムーヴマンの中に、日本人ならではの四季感を描き出している。

2室

 濵井隆「春の詩(不虚)」。強い心象性を孕んだ画面が鑑賞者を作品へと引き込むような魅力を持っている。緑がかったベージュを背景に、赤や青の色彩を施し、さらに格子状の調子を重ねている。例えば徐々に活発になっていく生命の胎動を室内から眺めるような感覚である。強いイメージ力が、そういった画面を支えている。

 竹内英子「五月の風」。街角で楽曲を奏でる人たちとそれに聴き入る人たちが描かれている。左奥にはテーブルを囲んで食事をする人も見える。明るく気持ちのよい色彩の輝きが、画面の中の清々しい空気感をこちら側まで運んでくるようだ。入り組んだ建物と人々が交差しながら画面を構成していて、それが重層的な奥行きを作り出している。軽やかな雰囲気を作り出しながら、そこに人物同士の心の共感、イメージの交感が行われているところが特に見どころだと思う。

3室

 中瀬千恵子「もうひとつの空(奇跡)」。暗色の画面の上方に輝く光が見える。それは太陽とも月とも、あるいはその両方を思わせ、そこからはらはらと光の雫が降りてきている。これまで朱の色彩を扱ってきたが、またもう一つの世界観が生まれたようだ。暗色のバックは、暗鬱たる現代をそのまま表すようで、そこに救済ともいうべき癒しの光が施されている。戦禍や天災による悲哀に対する、画家の深い心情が強く訴えかけられてくる。下方遠景に街並みを小さく覗かせながら、中瀬作品特有のメッセージが鑑賞者を捉えて離さない。

 藤原みち子「想」。頭をこちらに向けて横たわる裸婦を斜め上から描いている。そのシャープでありながら肉感的なフォルムの描写に注目する。確かなデッサン力の上に成り立った作品である。

10室

 長澤清乃「白い花とラフランス」。画面の左側にテーブルが見え、そこにラフランスが二つ置かれている。右側には背の高い花瓶があり、そこに白い花が生けられている。余分なものを削ぎ落としたような描写が、モチーフの存在感を強く浮き立たせてくる。花は左の方に伸びていて、それがラフランスと少し重なっている。それが実に印象深くおもしろい構成である。褐色や青、白、といった色彩が落ち着いて扱われているところもよい。

 中居里子「雨のプラス・ピガール」。街角の情景を情緒深く、そしてセンス良く描いている。建物や人物などを象る線も味わい深い印象を残す。

11室

 呉地守一「裏通り」。白からグレーの色彩を中心に画面を纏めながら、そこに茶緑などの色彩を少しずつ入れ込んでいる。少し薄暗い路地裏の雰囲気をうまく演出している。

12室

 金仁淑「Blue Mountain」。青く染まった山の姿が、金色の空に映える。そこに強い存在感が重なる。鑑賞者に強い印象を残す作品として注目した。

第29回日本水墨院展

(6月25日〜7月6日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 桑原逸庵「樹翁生清」。翁の木という題名になっているぐらいだから、村人に親しまれて長く生きてきた樹木なのだろう。その様子がアルカイックに描かれている。前傾して、太い根と幹と枝が一体化された不思議な存在感を表す。それが濃墨によってボリューム感のうえに表現される。背景は渓流が流れてくる様子を丁寧に描いている。深山幽谷という言葉がある。そういった渺々たる雰囲気の中に、長く生きてきたこの木が老いた人間のように表現される。

 齊藤明「清澄」東京都議会議長賞。カサをかぶり杖をついた雲水が列をなして大きな門に向かって歩んでいる。古刹の寺なのだろう。近景には巨大な樹木が枝を伸ばしていて、その幹の周りに注連縄が張られている。墨の濃淡を十分に使いこなすことによって深い陰影が生まれる。その中に輝くような白い道を背景にして、四人の雲水の歩いていく姿が表現される。

 菊間瑞香「孤高」環境大臣賞。水辺に草が生い茂っている。そこに一艘の船が係留されている。近景には水のなかに大きな魚の泳いでいる様子が描かれている。船の船腹は白く、上方の花も白く描かれていて、ロマンティックな味わいが生まれる。

2室

 飛田硯水「開闢叢林」。茨城の西念寺を描いたものである。ここは親鸞上人が『教行信証』を著作した寺で、長く親鸞が住んだ寺として有名である。大欅の向こうに黒門が見える。親鸞上人が文暦元年(一二三四)に京都に帰ったときにここから旅立ったといわれている。創建当初のものだそうであるが、筆者はつまびらかにしない。いずれにしても、そのような由緒ある歴史というものがこの客観的な欅やお寺の中に入りこんで、独特のデフォルメをつくり、あやしい雰囲気を表す。手前の大欅は左右に揺れ動きながら枝を伸ばして、このお寺を守っているかのごとき、そんな霊的な力さえも感じられる。

 村山華凰「孤猫」。上方に福島原発の壊れた様子が描かれている。下方は立入禁止の街が描かれている。だれもいない無人の建物。野良猫化した猫が下方の壊れた塀の壁の向こうにいる。テレビのニュースで見たそうだ。鑑賞者のほうを眺めている猫の様子が、愛らしいと同時に寂しい雰囲気をつくりだす。深い感情からあらわれた表現と言ってよい。画家は水墨によって、たしか昨年は支倉常長の旅立った港を描いたと思うのだが、現代にかかわる事物を一人の証言者として描こうとする。イメージが広がっていく様子がそのまま風景として画面にあらわれる。近景の道を挟んだ建物や廃棄物の様子。そして、その上方に幻のように浮かぶ福島原発の壊れた建物の一部。そして月。それらが相まって、なにか深い祈りからあらわれたような風景が表現される。

 もう一点は仏の顔であるが、大同に十数年前に行った時にスケッチしたものだそうである。仏頭の顔が柔らかく、独特のオーラを放っている。画家のもつイメージの力、その伸展していく力をよく表すかのような作品である。

 不二元馨了「昇龍」。龍が口から炎のような光を発している。下方は水が逆巻いている。龍の胴体がぐるぐると回転しながら、一部は水に没している。水を引き寄せて、その水から立ち上がって上方に昇っていこうとするのだろうか。墨に金が混じった様子で上方の空間があらわれている。紙色を生かした白い水しぶき。渦巻くような動きの中に、口からエネルギーを吐き出す龍の姿。三つの尖った爪のある指。龍という想像上の生き物を古画から勉強しながら、現代によみがえらせようとするかのような意欲作である。

 橋本桃林「月喩」。しだれ桜のあいだに満月が浮かんでいる。柔らかな淡墨の様子。下方に行くにしたがって重なった桜がすこし濃い墨色で表現されている。いずれにしても、二つのしだれた花のあいだに昇る満月の光をよく画面の中に生かしているところが、このにおやかな雰囲気をつくるのだろう。

 下斗米希凰「月下梅香」内閣総理大臣賞。お寺の門とその上に浮かぶ月を背景にして、満開の梅を近景に描く。梅のよい香りが漂っているかのような独特の柔らかな墨の色彩。間断のない構図の中に深い情緒を表現する。

8室

 林寿子「恋の季節」評議員推挙。下方に雉がいる。地面に下りて左の方向を向いている。その姿が、毅然とした雰囲気である。雉が見ている方向の手前に大きな樹木が立ち上がって、上方に弓なりのようなカーヴをつくっている。幾本かの樹木のあいだの柔らかな白い空間。しっとりとしたその空間の奥行と樹木のもつ強いフォルムの配置。下方に立つ雉が目を大きく見開いて、パッショネートな雰囲気で表現されているところが面白い。しぜんと画家は一つの物語を表現するようだ。

15室

 藤野伸弘「酒田冬景色」審査員奨励賞。左に何かの工場と思われる建物が続いている。右のほうには大きなイチョウのような樹木が並んでいる。地面は雪が積もって、いま雪が降っている。独特の色彩感覚を表す。長谷川利行などの油彩画とはまた異なるのだが、そういった独特の色彩を感じる。水墨の墨色というより、むしろ洋風な墨色、和洋折衷の独特の空間表現のように思われる。

16室

 国分華寿「春の息吹(そばの花)」。広葉樹が枝を広げている。百年ぐらいたつのだろうか。その周りに丈の低い樹木が並んでいる。中景に向かってソバの白い花が輝いている。群生しているそばの花一面の光景が近景に描かれている。それが紙の白を生かしながら点描の濃淡墨を置くことによって表現される。遠景はしっとりとした空気感の表現で、そこにいくつもの山が前後して表現されている。背景の曇ったようなしっとりとした調子に対して、手前の輝くようなソバの花の様子が強いコントラストの中に表現される。

 山下喜代女「収穫の後」。稲を刈り取ったあとの様子。真ん中に切り取った藁が束ねられていて、その前後に切り株が描かれている。そこにたくさんの雀や鳩が下りてきて、何かついばんでいる様子が楽しく生き生きと描かれている。

 広原泰徳「常夏の島マウイ」日本水墨院奨励賞。波が寄せている浜が白く輝いている。そこにパラソルや海水浴をする人々が描かれている。モダンな雰囲気で表現されている。椰子の木がその後方に、手前まで林のように立っている。近景には巨大な椰子が画面いっぱいに伸びて、下方に花が咲いている。燦々と降る光の中の光景が、まるで白昼夢のように、表現されているところが面白い。

第93回朱葉会展

(6月29日〜7月6日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 浜口美和「自然との会話(時空を越えて)」。大きな樹木の幹が伸び、枝が広がっている。そこに赤い花が咲いている。この木に宿っているようなシダ類の葉が下方に見える。そして、白い鳥がここに飛んできている。樹木の幹が、背後にリングをつくっている。そこに鳥や花のすみかのような独特のイメージであらわれて、中心に空がのぞく。樹木によってつくられた空間が周りの空とはまた異なるもう一つのすみかのような世界となっている。そこに花や生き物や鳥を引き寄せているといった独特のコンポジションが面白い。

 原木光子「夏の終りに」。ファンタジックな空間である。風車のある建物が上方にいくつも並んでいる。手前には赤いポピーのような花が咲いている。画家がスペインなどの旅のなかに経験した印象をこの画面の中に引き寄せながら、独特のファンタジーの中に表現した。音楽的な感興を覚える。

 坂田都「溜まる」。ベージュや褐色、あるいは黒褐色などの色彩が自由にはめこまれて、深い奥行をつくりだしている。抽象表現の中の空間造形ともいうべきものに注目した。

 山口都「光の聖堂」。教会を上方から見下ろしている。オレンジ色の屋根に白い壁。そこに柔らかな陰影がつくられる。光が降り注いでいるような雰囲気で、その光の性質が清浄できらびやかで、精神的な性質をもっている。光をこの画面の中に引き寄せる、その力がこの作品の魅力だろう。

 村上洋子「流転」。和紙の上に墨による表現である。上方からカーヴしてきたフォルムが、中心で花のような形をつくる。背景に金がはかれている。そして、花のその強い動きは波しぶきのようなフォルムをつくりだす。そのフォルムの上に花弁のような形が墨によって表現されて、強い印象を醸し出す。画面に接近してみると、花と述べたフォルムは銅板によるフォルムをコラージュしたものであることがわかる。そこには手やお坊さんのたくさんの顔、あるいは印を結んだ指などがあらわれている。そうすると、これは逆巻くような、たとえば津波のような波によってさらわれてしまった人間たちの人生、あるいはそのような中で祈りのイメージを描き起こしたということになるだろうか。上方にしずくのように飛んでいるのは、亡くなった人の命の比喩だろうか。独特のイメージ表現である。

 三辺節子「アガパンサスのある庭」東京都議会議長賞。下方に白い花の咲く植物。上方には光がにじみ出るように植物の背後からあらわれている。独特の奥行の感じられるところが面白い。

 阿藤和子「herself」。膝を組んで座っている若い女性。マーブル状のパンツに黒い上衣をつけている。デフォルメされている。上下と斜めに引き延ばされている。そんなフォルムが背景に繰り返されて、グレーのトーンの中に表現され、平面の造形としての独特のトリッキーな雰囲気を引き寄せる。

 早川清美「Jazzy」。高層ビルが赤く、青く、あるいは紫に彩られている。垂直に立つ動きが強調されて、お互いが独特のハーモニーをつくる。ベース、トランペット、サックスなどの楽器をそれぞれのビルにたとえることもできるような、独特のハーモナイズする空間である。

 宮本紀子「パリの空の下」。エッフェル塔を赤く、背景の家並みや地面を緑や黄土を中心として描いて、ダイナミックな動きをつくる。色彩感覚もよく、テンションの高いハーモニーをつくる。

2室

 武田采子「秋に」。縦長の画面を使って、ブロック塀の上に蔓科の植物が伸びていく様子をしっかりと描いている。いちばん近景には小川が流れているようだ。蔓の中に点々と、カラスウリの実が赤くつやつやと輝いているところが、周りの緑と鮮やかなコントラストをなす。その赤の色彩と手前のネコジャラシや先が細く幾本も分かれている雑草とが面白く響き合う。

 倉繁貴志子「寞」。砂丘のあいまに青い海がのぞく。接近してみると、その部分はビリジャン系の緑と紫の色彩によって表現されている。柔らかな青い空にふんわりとした雲が浮かぶ。ロマンティックな夢想的なイメージである。水平線の向こうにもう一つの別の世界があり、それを求めているような味わいも興味深い。

 小山静江「gracia (優美さ)」。フラメンコを踊る女性を三つの角度から描いて組み合わせている。柔らかなピンクの衣装をつけている。背景には青などの寒色が使われている。フラメンコの情熱的な激しいイメージではなく、優雅で柔らかなエレガントな雰囲気が画面から漂ってくるところが面白い。輪郭線による対象のフォルムによって、全体で一種浮世絵的な、色面を重視した表現になっているところも面白い。

 内田綾子「午後のアムステルダム」。運河に接した建物。煉瓦造りの壁に白い枠の窓がある。そこで白髪の老人がクラリネットを吹いている。手前の水がそのクラリネットの音色に従って反響しているような雰囲気である。クリアに対象を描きながら、独特のイメージの時間を画面の中に表現する。

3室

 渡辺德子「フィットネスクラブの夜」。高速道路を車が走っている。右に向かう車、左に行く車。画家自身も車の中にいて運転しているようで、走りながら見えて、また消えていく形象やイメージを面白く表現している。しっとりとした夜の闇の色彩の中に、中景には大きなビルの窓が輝いている。動くというなかにしぜんと時間が入れられる。そこに人生と重なるようなイメージがあらわれる。

 杉本登暉子「村の春」。オレンジ色の屋根にベージュの壁。教会を中心として、点々と立つ民家が中景に描かれている。フランスの田舎のようだ。それを背景にして、手前に白い花をつけた灌木が描かれている。あいだにグレーにすこしピンクを帯びた柔らかな花も咲いている。全体でパステルカラーふうな色彩のハーモニーになっている。上品でエレガントな雰囲気が漂う。スケッチから画面をつくったと思われるが、しぜんとその過程のなかにイメージのうえでの強弱があらわれて、全体で一つの心象風景になっているところが面白い。

 木原三千代「カーニバル(Ⅲ)」会友推薦。ヴェニスのカーニバルだろうか。お面をつけた女性。中景には人々が踊っている。グレーの宮殿。画面全体すこし青みがかったグレーや紫がかったグレーが中心となっている中に、仮面をつけた人物に独特のあやしい雰囲気が漂う。京都と同じような古いヴェニスの歴史のある街の奥から現われてきた人物のようなイメージが面白い。

4室

 大谷千恵子「教会への道」。壁がアーチ状にくり抜かれている。僧侶が黒衣に身を包んで、その中に入ろうとしている。向こうの建物の前に白髪の老婆が二人立っている。塗りこまれた絵具の層が独特の手触りとマチエールをつくる。「教会への道」という題名を見ると、画家自身も信仰をもっている人なのだろうか。濃密な心象的な空間があらわれているところが面白い。

 長谷地美津子「遠き街あかり」。独特の色彩家である。上方に三日月が出ている。はるか向こうに街の白い建物が見える。手前に紫陽花がピンクに、紫に、青く咲いている。あいだに水があるようだ。画家のイメージによって、そのような青い空と一体化した水のようなイメージがあらわれている。強い夢想的な空間が画面の中に表現されている。

5室

 大久保凌子「余韻の女(ジャポニズム in ウィーン)」。グレーの繊細なワンピースを身につけた女性が立っている。横を向いているところに白いカスミソウのような花束が置かれている。青い帽子をかぶっている。肌もすこし暖色系のグレーであり、背景のピアノと思われるフォルムもグレーだし、バックもそうである。そのグレーの微妙な変化が繊細で、その中にクリアな輪郭線の中に女性の腕や指や横顔が浮かぶ。そこに独特の強さと優雅さがあるところが魅力。

 小林康子「一炊の夢」。ここに描かれている緑を中心とした濃密な空間には不思議な奥行がある。中に赤やオレンジの色彩がちりばめられ、青い色彩も置かれている。それが紡錘状のフォルムの中に閉じ込めるように描かれ、それより一段暗い色彩が周りにある。自然の深い森の中に入っていき、森の中にもう一つの空間を、この籠のような中に取り込んで、それを一炊の夢と名付けたかのごとき様子である。赤が燃え上がる命の炎のようなイメージ、あるいは深い感情を表すようだ。青が水や空のイメージ。緑は日々の生活のようなイメージを表すようだ。いずれにしても、この鳥籠のようなフォルムの中につくられた豊かな空間のもつ力に注目した。

7室

 清水八千代「絆」。印象の強い作品である。会場の中でもこの作品が、ぽっと灯がともっているような不思議な華やかさの中に鑑賞者を招く。太い幹から枝が出て、花が咲いている。桜のようだ。ピンク、あるいは緑、あるいは紫、オレンジなどの柔らかな色彩が点じられて、全体で夢の中に咲く灯のような、そんな華やかさがある。肖像のような雰囲気でこの桜の木を描いているところも面白く、不思議な親近感を覚える。

第61回全日肖展

(6月29日〜7月6日/東京都美術館)

文/高山淳

 「全日本肖像美術協会は、わが国唯一の肖像作品の公募団体として、1950年に設立されました。以後(……)毎年公募展を開催、現在では、国会議事堂掲額作家を多数送り出すなど、日本を代表する肖像作家が数多く在籍するわが国最大の肖像美術団体であります」。 

 写真ができる前は、ヨーロッパにおける油彩画の役割の相当の重要な位置を肖像画が占めていたと思われる。表面の姿かたちのみならず、その人格までも再現するほうが肖像画としてはレベルが高いはずだ。この全日肖展も、基本的には肖像画の展覧会であり、外形描写に加えて、その対象の人格にまで迫ろうとするかのごとき作品も出品された。中から七人の作家を選んで紹介する。

 山田恵美里「read to …」奨励賞。純粋な肖像画と言えないところがあって、色彩の役割が大きく、全体に一種のロマンティックな心象を喚起する少女の像となっている。少女自体の個性というより、ロマンティックな内容というほうが重点になっているので、中ではすこし特異である。

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