美術の窓

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公募展便り(2014年7月号)

美術の窓2014年7月号

第80回記念東光展

(4月25日〜5月10日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 上野豊「貝焼場(追想)」。ベージュや茶褐色、グレーが優しい色彩として画面に置かれ、柔らかなロマンティックなハーモニーを奏でる。単なる貝焼場の建物がそのような印象を醸し出すのは、ひとえに色彩の力による。ベージュの色彩が月の光を受けて輝いているような表情である。

 本田年男「ティファニーのある部屋」。壁にポスターが掛けられている。オードリー・ヘップバーンの長いきせるを持った「ティファニーで朝食を」に出演のポスターである。手前に古い簞笥があり、そこにはいまは使われていない古い電話機が置かれている。ギリシャの壺がそばにあり、クリスタルグラスがある。ヴェニスの仮面も置かれている。そこに一輪のピンクの薔薇の花。それぞれの静物たちは画家の趣味によってここにあらわれている。緑が主調色となっている。壁のグレーもすこし緑がかっている。ポスターもそうである。下方の赤茶色の簞笥にも緑が入れられている。そこにしっくりとした雰囲気が漂う。緑によって室内のものたち、それはギリシャやヴェニスやアメリカなどのイメージを培養するようだが、なにかエキゾティックな雰囲気が漂っている。そのエキゾティックな雰囲気をヘップバーンのポスターが上方でまとめながら、物語の世界に鑑賞者を誘うようだ。

 難波滋「逍遥・夕月」。四体の文楽人形が立っている。男が一体で、女が三体。中心のかしらが首から離れかかっているような雰囲気である。いわゆる心中の道行きの場面をこのようなかたちで画家は描く。十五夜を過ぎて十八日ぐらいの月が浮かび、だんだんと月の形は後退していく。色面と強いフォルムによって構成する。日本の文楽の世界を油彩画のテーマに引き寄せながら、男女の悲しい愛を表現する。

 飯泉俊夫「そよぎ(はにわ)」。大きな馬の埴輪の上に小さな誕生仏のような愛らしい子供の埴輪が乗っている。そばには兵隊のような埴輪。弥生時代、その原日本人ともいうべき時代に対して、画家は埴輪を通して近づく。そこに独特の古代のロマンのイメージが漂う。

 菊池元男「Rain Forest(Ⅱ)」。様々な樹木が鬱蒼と茂っている。植物もそうである。画家はオーストラリアまで、この絵を描くために取材に行く。左上方や右下に青い鳥の姿が浮かび上がってくる。緑の中に赤い花が咲いている。椰子のような葉が上方に立ち上がる両側にうっすらと空の青い色彩がのぞく。植物のもつ生命力、そのエネルギーのなかに入りこみながら、不思議な物語を表現しようとする。それがこの二羽の鳥によって象徴されているようだ。下方の鳥は地面を歩いている。エキゾティックでミステリアスな世界を堅牢なコンポジションの中に表現する。

 佐藤哲「刻」。まわりの絵よりひときわ明るい。明るい色彩で壁や地面が描かれている。そこには落書きのようなフォルムも見える。三、四歳の女の子がしゃがんでシャボン玉を吹いている。後ろの緑の缶の上に姉が座っている。二人とも髪は縮れている。二人の黒人の子供の無邪気な健康な生命感を表現する。おおらかなのびのびとしたフォルムと、背後のすこし内側に光が入りこんだような色彩による曲線の連続性の中に、自転車という直線のフォルムが入れられる。自由に画家は画面の上にフォルムを構成しながら、命というものの素晴らしさをうたいあげる。

 磯崎俊光「クレタの壺」。以前アイヌの人間を描いていた画家である。この作品ではナイトガウンのようなワンピースを着た女性がギリシャの壺を持って立っている。紫系の色彩がオリエンタルで神秘的なイメージを醸し出す。壺を抱える手のフォルムなどは見事だと思う。

 前原喜好「集落」文部科学大臣賞。ベージュの壁、白い壁、グレーのすこし紫がかった屋根瓦。それぞれの微妙な明度の変化する色相がお互いにハーモナイズする。矩形の窓がいくつもあけられ、アーチ状の窓も左にはあるのだが、それが暗い色面を表し、その連続がいわば半音階、四分の一音階の変化のようだ。その意味では音楽から受ける感興に近い。朗々として雅やかな音楽がこの作品から聞こえてくるような思いになる。

 佐藤龍人「画室(2014)」。絵を描く自画像である。グレーのバックの中に一種瞑想的な雰囲気があらわれる。左のキャンバスに向かうほとんど全身像に近いフォルムに対して、右のテーブルの上のマスクや筆や吊るされた上着などが脇役として静かに語りかけてくる。

 北本雅己「鑪」。溶鉱炉のような雰囲気であるが、激しい高熱の火を相手にして仕事をする三人の男の像が描かれている。よく見ると、一人の人間の三体のようにも思われる。優れたデッサン家であることがわかる。色彩も面白いが、そのフォルムに注目した。

 佐藤京子「春に」。三体の裸婦が描かれている。背面、仰向け、後ろ向き。健康な生命感ともいうべきものがしぜんと感じられる。ドローイングの線のもつ力と同時に、グレーと赤とのハーモニーによって動きのなかにロマンティックなイメージも生まれる。

 山岸裕和「一隅」会員賞。グレーの地面。排水溝の蓋。白い横断歩道の跡。そんなものに接近するように描くことによって、この一隅が通常の空間とは違った雰囲気を帯びる。その強い気配のようなものに注目した。

 田代利夫「港の風景」80回記念賞。漁船が二艘。遠景には建物がシルエットふうに連続して、一つの塊として描かれている。グレーの空を映した湾の水の表情。黒と白のせめぎあいの中に独特のリズムや動きがあらわれる。

 野口稔「無明秘抄 2014」。大きな石の上に十三夜ほどの月が浮かぶ。黒いバック。手前に白い二つの花が咲いている。しっとりとした味わいである。画家によると、岩は無明の象徴で、それを月という英知が照らすということだ。その謎めいた空間に白い花が献花のように浮かんでいる。

2室

 木下博寧「エジンバラの夏」。大きな時計台が上方にあり、その背後には丘陵の上に建物が見える。時計台のある建物は貴族の館なのだろうか。そばにはゴシック様式の教会のような建物も見える。手前の民家は見下ろす角度から描いている。自由な筆の動きによって生気が生まれる。

 小林欣子「糸あやつり」。操り人形が上方にぶら下がっている。その人形のポーズを真似するような手前の若い女性のしぐさ。パントマイムのような表情で何かを語りかけてくる。背後の黄金色とグレーとの雅やかな色面。言葉では説明できないような微妙な感情を、このようなかたちで構成する。クリアなフォルムがそのような表現を可能にする。

 黒木ゆり「朝の光の中で Ⅵ」損保ジャパン美術財団賞。右から光が差し込んでいる。その光の感触を捉えようとするかのような背景のマチエール。手前の木製の古びた簞笥の上に様々な瓶が置かれている。ガラス瓶、ほうろう引きのようなベージュの瓶、金属の瓶。それぞれが光の中にそれぞれの質感を見せる。まるで繊細な計器のような雰囲気で瓶が置かれている。画家には強い鋭敏な美意識がある。その美意識にしたがって構成しているうちに、空間と光、その光を受け止める対象としての静物、そしてその微妙なものを表現するための繊細なマチエールが生まれた。

 井田善子「冬の日」。コートを肩に掛けた若い女性が足を組んで座っている。グレーの壁。黄土の床。黒いストッキング、青と白のストライプの上衣、錆びた黄金色のようなコート。それぞれの固有色の静かなハーモニーが生まれる。

 濱本和信「移ろいゆくもの」。古い簞笥、壊れた柱時計、糸車。そんなものたちが集められて、床の上に置かれている。えび茶色から黄土系の色彩が深いノスタルジックな感情を引き起こす。また、それぞれのもののもつ質感ともいうべきものが表現されていて、その手触りがアンティームで温かな感情を引き寄せる。

3室

 南濤敬「想」。磨崖仏をテーマにしている。苔むしたような緑がかったトーンがしぜんと長い時間を思わせる。ところどころ欠落しているが、その顔や体軀には独特のオーラがある。そのオーラを塗りこめたマチエールの上に画家はモチーフを浮かび上がらせる。

 住井ますみ「花の散る頃」。日本画を思わせるようなマチエールである。二つのブランコが上方から下りてきて、乾いた地面に影をつくっている。桜の花びらがたくさん散っている。それだけの情景であるが、このブランコに乗った子供たちや幼い頃のイメージなどもそこに重なってくるような、不思議な味わいがある。また、落ちた花びらは毎年咲く桜というもののイメージをしぜんと呼び、その年ごとの桜に対する期待感や雨で落下したときの悔しさなどもそこに重ねられるような、色濃い心理的空間が生まれているところが面白い。

 小泉祥二郎「忘られし駅舎」。しーんとした気配である。駅はすでに使われていず、廃屋になっている。手前に線路が幾本か置かれ、画面の左右に伸びていく。緑色を帯びたトーンの中に何か惻々として迫ってくるものがある。その象徴として、この建物の中に赤い色が入れられる。

 鳥屋尾敬「ジプシーの詩」。イスラムの衣装をつけた若い母親のそばで、日本の女性とみまちがうようなタンクトップのワンピースを着た少女がヴァイオリンを弾いている。後ろにはイスラムのお城やモスクが見える。空は夜明けのような雰囲気。全体の紫によってつくられたこの風景の中に、緑の衣装やオレンジ色の衣装が輝く。そこには希望のイメージがあらわれる。

 吉田定「昔日 '14」。板塀の手前に軍鶏のような鳥が立っている。板塀の年輪が時間というものを暗示する。酒蔵という文字や久家本店という文字、あるいは新聞の一部などがこの塀に貼られている。かつてあった世界は消え、崩壊したあとに板塀が残った。過去に向かう時間の流れ、たゆたうようなその動きを表すためにここに置かれているようだ。時間というものをテーマにした独特の表現である。地面の上にカーヴする綱がぽつんと置かれて、その先が切れているのも時間というものの経緯、その断絶を表す。

 吉野隆章「ひとり」。テーブルに向かって座っている青年。色彩感覚のよさに注目。

 中尾廣太郎「夜明け」。漁村と思われる風景が後方に広がっている。建物と船と海。水平線の上方の空がすこし黄色くオレンジ色になっている。夜が明ける直前の空。それを背景にしてくわえタバコをした漁師の男の上半身が、一種彫刻的な強さで表現されている。自由にデフォルメしたフォルムである。その目の表情を見ると、悩んでいるような雰囲気である。3・11の震災以来の漁村の惨状もしぜんとこの作品の背後にはあるのだろう。また、日本全国の漁業の行く末は暗く、それに従事する人々の気持ちを代弁するものもあるに違いない。いずれにしても、骨格のしっかりとしたこの男の上半身はいかにも漁師の容貌である。そのつくられたかたちが一人の漁師というより、漁師の普遍的なイメージ、いわばイコンのような強さで描かれているところが、この作品の魅力だと思う。

4室

 加賀羅聰「集う人」。三人の男女がテーブルに向かっている。テーブルの上には皿やスプーン、グラスなどが置かれている。色彩にコクと輝きがある。以前、蟹などの静物を見て面白く思ったが、人物を描くとフォルムが厳しくなり、逆に色彩の力がより発現する。

 竹留一夫「桜島」。画家は鹿児島の生まれで、桜島は身近な存在であった。海外の風景から最近、桜島に取り組んでいる。この黒い桜島は男性的で、独特の塊と同時に激しいムーヴマンを中に秘めた存在のように描かれている。空のジョンブリヤン系の色彩が黄金色に見え、残照を背景にした桜島のイメージ。錦江湾をはさんだ手前の建物は黒ずんでいる。対岸の建物は白く、黒と白が色彩として面白く扱われている。表現主義的というか、桜島を人格化してその内側に入りこむような力が感じられる。

5室

 西美奈子「一隅」会員賞。テーブルの上に透明な筒形の丈の高い花瓶があるが、そこにほとんどドライフラワーと化した向日葵が十数本差されている。その向日葵の茎から花にわたるフォルムが生き生きと表現されているのに注目した。

 庄司勲「市場にて」。市場で魚を売っているシーン。長靴をはいた女性がてぬぐいで頭を覆って座っている。後ろにカレイなどの魚が見える。そばの白い箱で作業するもう一人の女性。手前に七輪があって、イワシとイカが焼かれている。一つひとつ丹念に描くことによって、地味であるが繊細なトーンがあらわれる。静かに画面が語りかけてくる。

 早川二三郎「階段のある街」。道に面して五階建てや六階建てのヨーロッパの建物が続いている。直線を中心とした垂直のリズム。その道路の下に一段低い道があって、そこには緑のパラソルの下に物売りの店が出ている。上下を結ぶ階段の斜線。階段の下に女性がいる。独特の韻律がある。グレーをベースにしながらオレンジや緑や赤の色彩をちりばめる。

 安森征治「帰路」。二頭の牛の手前に老人がいる。棒を後ろ手に持っているが、牛飼いなのだろう。地面の緑の柔らかなトーンの上に灰白色の牛と男。そばに黒い犬がいる。対象をじっくりと描きこむ。それによって手触りのあるマチエールと複雑なトーンが生まれる。V字形の構図が力強い。

 高田啓介「漁村」。かなり大きな波が寄せてきている。とよめくような力が感じられる。岸壁や岩礁には白い水しぶきが上がっている。近景には黒ずんだ建物が地面にへばりつくように描かれている。鉄塔があり、その垂直の動きにリズムがある。この作品の面白いところは海のもつ量感であり、その強い動きが独特の危機感のようなものを発信してくる。赤が強いアクセントになっている。

 安増千枝子「翔」。大きな花瓶に白い百合の花やミモザなどが差されている。そばにはアコヤガイに葡萄なども置かれている。テラスの向こうはすぐ海で、ヨットが動き、神殿のようなものが見える。虹が立っている。そこにたくさんの鳥が飛んでいる。紫から青い調子で、下方の緑の調子とコントラストをもつ。ロマンティックな夢想的な空間が生まれる。

 松田茂「錦秋」。上方に青黒い山が聳える。そこに向かう山や地面が赤く紅葉している。上方に行くにしたがって遠景になっていくという、いわゆる高遠法の構図になっている。東洋の伝統の上に立った独特の山水的な表現を色彩豊かにうたいあげる。

 和田貢「幕間」。女性のピエロが男のピエロに抱きついた瞬間、男は上体を反らして驚いた表情をつくる。サーカスの舞台の演技を幕間に舞台裏で練習をしているのだろう。その二人の人間のフォルムが実に的確で、ドラマティックと言ってよいような印象を与える。デッサン力の卓越さではこの会随一と思われる。その力を駆使しながらトレーニングをする二人のピエロを描いて、不思議な哀愁ともいうべきイメージを醸し出す。二人の動作と無縁なようにこちらを見る右端の金髪の女性。後ろのカーテンが海のような雰囲気で揺れていて、現実の奥にある内界の時間といったものを象徴するようだ。

 井上陽照「夏の花」。丸いテーブルの上にどっしりとした花瓶があり、そこからいくつもの量感のある向日葵が花弁を広げている。激しく力強い表現である。向日葵を描きながら、向日葵を超えた存在として、まるで太陽をここに引き寄せるような力強いイメージである。バックにコバルトの明るい色彩が置かれていて、空をバックにしたこの向日葵のフォルムの色彩が輝く。

 まついとおる「世界遺産の図」。富士が気高く聳えている。周りの黒いトーンの中に白く雪の積もった山頂の様子が気高い。雲が激しく動いている。手前の白い空間は道のようにも水のようにも感じられ不思議な気配である。無常の時間が流れているといった、そんな周りの雰囲気のなかに富士のもつ気高さが生き生きと表現される。

 大野昌男「兜のある一隅」。古い簞笥の上に兜が一つ置かれている。三味線がそばに一棹。手前には撥がある。壁には歌麿と思われる大首。広重と思われる風景。簞笥のそばにはドライフラワーが立ち、ススキのような花が揺れている。紫色の存在感をもつ櫃のような簞笥は、使われてきた長い歳月をしぜんと連想させる。そばのススキがロマンティックな味わいを醸し出す。手前に白い壺が置かれている。いわゆる骨董を並べながら、日本人のもつ生活感情ともいうべきものを静かに表現する。

7室

 福田次子「阿蘇山」。色彩にコクと輝きがある。頂上に雪の積もった阿蘇の様子。麓までの大きな阿蘇の量感をよく表現している。麓には民家があり、畑のようなフォルムが見える。その平地の上に覆いかぶさってくるような迫力ある阿蘇の表現である。阿蘇の中にフォルムを見つけるために切り込みを入れ、繰り返し絵具を置く。その繰り返しによって強い波動ともいうべきムーヴマンと存在感が生まれる。

 阿部浩子「轍」。なにか恐ろしい気配が感じられる。轍の跡のみならず、散乱する石畳の痕跡、あるいはチューブのようなものが置かれ、一部のそのフォルムは骨のような雰囲気があらわれる。3・11の津波に対する深いレクイエムの表現のようだ。

 宮里洋詔「death mask(ディスマスク)」。ドアがあけられている。その部屋の中にはイーゼルと壁に掛けられた白いデスマスクが見える。それを黒い犬が眺めている。犬は赤い首輪をつけられて、同じような赤でイーゼルに一本の棒が立て掛けられている。ディスマスクという題名だが、そのマスクは亡き妻の面なのだろう。その面が能面のような不思議な気配を示して画面の中心に置かれている。妻を恋う気持ちがこのような実にシュールな空間をつくりだした。空間のもつ密度のあるクオリティが独特で、画面に引き寄せる強い力がある。

 牧野樹煕「マテーラ」。近景から遠景までの距離感を写実的にしっかりと表現している。遠景には塔が立っている様子が青い空を背景にきらきらと輝く。手前の乾燥した地面のディテール。一部は工事をしているようで、金属の柵に囲まれている。そういった何千年もの歴史をもつというマテーラのもつディテールを描いて、独特の魅力をつくる。

8室

 繒内禮一「紅葉初降雪」会友推挙。湖のそばのカエデが紅葉している。その赤い色彩が魅力的に表現されている。その下方は降雪で、笹のような葉も見える。脇役として狸と狐がこちらを眺めている。

 伊藤久美子「冬の部屋」。木製と思われる自然の板を使ったどっしりとしたテーブルの上に花瓶があり、そこに白い花がたくさん生けられている。窓際の棚には五角形のヒトデをかたどったような彫刻、デッサンの描かれた額、備前のような壺もある。窓の向こうに黒い建物のようなフォルムが見える。黒がグレーの中に面白く配置されている。グレーは壁や手前の椅子や花や戸外の建物の白に連結する。シックな味わいの中に不思議な華やぎが生まれる。

 山口信子「再生の橋」。黒いコンテのような線によってあたりをつけ、そこに水彩によって絵具を置く。独特の動きが生まれ、グレーにニュアンスがあらわれる。橋の上の人。橋の下に流れる水。両側の樹木。全体でハーモニーが生まれ、それが魅力である。

 廣田純男「城塞への道」。石でできた道と塀。そばの民家。その道はカーヴしながらだんだんと上っていくのだが、左上方にその行く先の城が見える。リュックサックを背負った夫婦と思われる旅の二人。暖色の黄土系の色彩の中に二人は背中を見せ、動いていく。その黄土系の色彩が金色のように感じられる。ヒューマンな気配が画面にあらわれる。

 村松泰弘「風布の流れ」奨励賞。水彩作品。岩がごろごろしている。水が白いしぶきを上げながら手前に流れてくる。いちばん近景では段差が激しく、ほとんど白いしぶきとなっている。それを取り囲む新緑のような草や樹木。それを丹念に描きながら、清爽な気配を漂わせる。

 平川二三男「滅びゆくもの―026」会友推挙。まるで軍艦島のような趣である。高い建物が廃墟となった様子。道の上には散乱している物。それらのフォルムを自分の体内に取り入れるように、この画面の中に表現する。そこに大きな動きが生まれ、叙情が生まれる。

 浪崎洋子「STAND FIRM」。すこしカーヴした橋のようなフォルムが中景にあって、手前は水で、ゆったりと波打っている。その上方に白い泡になった波しぶきが描かれている。上方から植物が垂れ下がっている。カーヴするフォルムを繰り返し置きながら、全体で寂々たるメロディが聞こえてくるような味わいがある。そこにロマンが感じられる。

9室

 吉川ますみ「海を見ていた」奨励賞。室内は暗く、窓は直線の桟によって十二個の枠ができる。その向こうに海がある。緑からジョンブリヤン系、ピンクのグラデーションの色彩で、白い波が繰り返し、手前にだんだんと大きくなる様子が描かれている。リズムを通してメロディが聞こえてくる。音楽を視覚化したような面白さがある。

10室

 横田和江「サウンドライフ '14」。サックスを吹く少女。そばにドラムやベースがある。青い背景に衣装の白やスカートの赤が輝く。サックスは黄金色である。色彩感覚が良い。

 坂恭子「熱帯の楽園」。ヤツデのような巨大な葉が画面の中心にいくつもあらわれて、赤く、あるいはグレーのシルエットに描かれている。そばに枝のようなフォルムがあり、赤い嘴の鳥がとまっている。その左には赤と白の花弁をもつ花が開いている。上方にも鳥がとまっている。熱帯の幻想ともいうべき熱気ある表現である。それぞれのフォルムがお互いに呼応しながら、激しいリズムともいうべきものをつくる。対象のフォルムを的確に描きながらデフォルメし、このようなコンポジションをつくる才能に注目した。

11室

 窪田哲香「慟哭の浜辺」。海辺に散乱しているものは家の残骸だろうか。海は白く、水平線の上にやはり白い太陽が出ている。津波に対するレクイエムである。海の中に盛り上がっているところがあって、そこに巨大な丸太のようなものが存在し、太陽と向かい合っているような不思議な味わいがある。いずれにしても、激しいタッチにコクのある色彩の輝きが魅力だと思う。津波というものは津波として、絵画としてはその強いムーヴマンやエネルギーと色彩をそこから引き出している。

 佐々木準三「路地の情景(Ⅱ)」奨励賞。木製の古いベンチにタオルとサッカーボール。そばには赤と青のドリンクの缶がある。後ろの壁は漆喰がところどころはげて、煉瓦の骨組みが見える。サッカーは貧しい人もできるスポーツである。上方にはパティオという文字の書かれた木の看板が見える。回想シーンのようだ。上方の壁は時間を表すようで、その向こうに少年時代の記憶がよみがえってくるようだ。

12室

 市川弘子「青いランプのある静物」。白いテーブルに白い椅子。白い壁。そのあいだにすこし汚したようなグレーの色面が嵌め込まれて、灰白色とその色面とが雅やかな清潔なハーモニーをつくる。柘榴や林檎などが置かれている。アルコールランプやグラスも置かれ、上方のポスターはどうもブラックの作品のようだ。清澄な空間が表現される。

 羽倉恭子「紅白椿花」。バックは金の箔を思わせるような調子。そこに赤と白の椿の花が集まっている様子が、鮮やかに表現される。

 髙橋信子「夜明け」。高層ビルがシルエットになって下方にあり、その空との際からいま朝の光があらわれつつある。空が画面の約七割を占めるのだが、それを背景にしてフルートをもつ少女の姿が浮かび上がる。浮遊している様子で、ロマンティックなイメージを醸し出す。フルートの音色は朝のメロディを醸し出すのだろう。

 手嶋哲也「春を呼ぶ」。屈曲し、枝垂れた梅のような樹木を丹念によく表現して、独特の生命感をつくりだす。

 森本計一「青い壁のある古本屋(パリ)」。青い壁の古本屋のショーウインドーの中にある本を眺めている金髪の男性。色とりどりの本の色彩とブルーの色彩とがハーモナイズする。男の後ろ姿のフォルムも的確だし、そばに金髪の女の子が立っているのも色彩の脇役として面白い。洗練されたタッチでパリの一隅を描く。

13室

 柿本照子「十月」会員推挙。黄色い小さな花弁をもつ花が咲いている様子が、周りの暗いトーンの中から鮮やかに浮かび上がってくる。調子を落とした色彩で、葉や茎やほかの植物を丹念に描いている。後ろは石を積んだ塀になっている。庭の一隅に発見した植物の命を油彩画にしっかりと表現する。

 原田節子「屋久の森」。屋久島には数千年の樹齢をもつ屋久杉をはじめとして様々な植物が繁茂している。この地面のそばの太い根や幹を描いているのだが、実にあやしい雰囲気である。カーヴしながらこんがらがっているような根の部分に光が当たり、そのフォルムが浮かび上がる。太い幹から新しい木の枝が伸びている。そんな様子を一種旋回するような構図の中に表現する。命のあやしさともいうべきものがよく表現されている。

14室

 次賀真里江「蔵造りの店」。瓦屋根の二階建ての建物。一階のショーウインドーの中が光で明るく、その前に商品が並べられている。夕暮れと思われるグレーのトーンの中に、ときめきのようなイメージが表現される。アンティームな中の色彩の力や全体のリズム感に注目した。

15室

 台座貞子「静かな光」。瓦屋根の一階建ての粗末な民家。前に赤いポストがある。近景は石垣で、この前面のカーヴする道の広がりの中に不思議な空間が生まれている。繰り返しここを通る車や人の気配の向こうに、ほとんど廃屋のような民家がある。グレーが光を含みながら独特の色彩として扱われている。

16室

 添田光代「マテーラ」。マテーラは穴居時代の一万年ほど前から現在までの歴史がその街に組み込まれている。そんな街の様子をあまり明度差をつけずに丹念に描いて、そこにオーラのようなものがあらわれているところが面白い。淡々と建物を描きながら、お互いがきわめて有機的な関係をもった生き物のような街のイメージがよく表現されている。

 水柿和子「時」。金属のドアはロックされている。倉庫なのだろうか。手前にドラム缶があり、そこにカラスが一羽とまり、壁のほうを見ている。ほとんど風化したような空間のそのマチエールの中に、カラスのもつ気配が強い印象を醸し出す。

 山本博子「初秋ブナ林」。緑の葉にすこしオレンジの葉があらわれてきている。まさに夏が終わり、秋の初めの頃のブナ林の様子である。その様子を色彩豊かに表現する。地面から上方に伸びていくブナの木の幹を淡々と描きながら、一種の安息といってよいようなリズム感が生まれる。

 茂木小夜子「集落」。屋根から煙突が出ている。漆喰が剝落して、積んだ煉瓦の跡が見える。廃屋のような建物の量感ともいうべきものをしっかりと表現する。近景にも遠景にもそのような建物が集合して、独特の強い波動をつくりだす。

17室

 田部明芳「刻」。煉瓦造りの建物の一部が壊れている。ところどころ小さな窓がのぞく。入口は閉められている。廃墟であるが、まだ使用されているような雰囲気もある。紫や褐色、朱色をそこに塗りこめながら、コクのある色彩をつくりだす。この建物に画家は深い感情を込めて表現している。

 近藤克子「里山」。棚田が広がっている。あいだに池が見える。点々と民家が建てられている。中景はすこし紅葉したような雑木で、その向こうには青く霞む山々が見える。秋の里山の澄んだ空気感とその様子を一種パノラマふうに表現する。クリアなフォルムが魅力で、自然のもつ色彩をよく表現する。

 天達章吾「坊津」。俯瞰する視点から岸壁の様子を見ている。湾のそばの道を人が歩いている。その向こうに低い家がいくつか立っている。手前の道のそばに、切り立ったような崖が補強された様子が見える。青の中にグレー、緑、アクセントとして朱が入れられ、独特の詩情を放つ。

 太井潤一「YOSAKOI ~勇~」。赤いカスタネットのようなものを両手に持って、着物姿の女性たちが踊っている。その激しいリズムを白黒のトーンの中に生き生きと表現する。構成力とそこにあらわれるムーヴマンに注目。

18室

 北田民子「Favorite Restaurant」。レストランの外側に白い布の掛けられた丸いテーブルがある。赤ワインの入ったグラスやボトルが置かれている。後ろは壁でドアがすこしあけられ、そこにポスターが貼られている。「ジ・オールド・イングランド」といった文字が見える。エキゾティックな雰囲気が緑を中心とした色彩からしぜんと感じられる。あいだに朱色が強いアクセントとして効果をつくりだす。

21室

 石野和子「街角」。コーナーに軽食を出すカフェがある。店の前がすこし広くなって、そこに二つのテーブルが置かれ、ギャルソンが作業をしている。店の中にはシルエットとして七、八人の人影が見える。グレーの中にピンクや緑、黄色などの色彩を使いこなしながら、情趣を醸し出す。人懐かしいような雰囲気もあるし、どこかエキゾティックな雰囲気もあって、ある物語のワンシーンのような、そんな物語性も画面の中につくられているところが面白い。

22室

 杉本一臣「夕凪」。漁船が左右に岸壁に沿って繫留されている。周りは海で、上方は空である。漁船の様子は一種シルエットになって、それぞれ一つひとつの表情をもっている。その様子を丹念に描く。そこに人間的な味わいが生まれる。

 氏林杏子「額紫陽花」。紫陽花の咲いている様子をオールオーバーに表現している。丹念にピンクや淡い緑や白い紫陽花の花と葉を描きながら、一種の装飾性ともいうべきものを獲得している。フレスコ(壁画)ふうな味わいも興味深い。

23室

 代田信子「シヨン城の一隅」。ヨーロッパのお城に旅行した時の印象だろうか。暖炉の中に大きな鍋があり、壁にはフライパンなどが吊るされている。その金属のもつ力ともいうべきものを質感の中に表現する。壁の銀灰色の様子と金属の大きな使いこんだ鍋やフライパンが存在感をもって描かれている。歴史というもののもつ力だろうか。

 川瀬多真希「俤(おもかげ) Ⅱ」。石でできた羅漢のようなフォルムが下方にあって、それが上方を眺めている。そこには蜘蛛の巣が張っている。満月が浮かんでいる。星が金平糖のようなフォルムで月の周りにちりばめられている。下方には赤い二つの風ぐるま。豆の木のような葉。一種の幻想性があり、鑑賞者に語りかけてくる。空に浮かぶ蜘蛛の巣は一部切れたりして、なにか危うい家庭のようなイメージもあるし、月を見ながら物思いにふけっている一人の老いた人間といったイメージもしぜんとあらわれる。

24室

 金本しず子「かえる」。黄金色に変わった秋の植物が繁茂する中に、板を合わせた長い道のようなものがつくられている。そこに大きなトノサマガエルが一匹いる。それをリアルに描いている。湿度のなかに幻想性があらわれる。

29室

 原由紀子「記憶の中で」。面白いコンポジションである。雪景の中に白い雪の積もった民家が点々と描かれている。地面の雪より屋根の雪のほうが明るい。その向こうに黒い湖があり、その湖からかなり高い崖があり、その上に地面がある。向こうの地面と手前の地面とのあいだには落差があって、そこにふかぶかとした空間が生まれる。その空間の中心に黒い水があるといったコンポジションになっている。惻々として人の心に何か訴えてくるような風景である。

 田原常崇「刻」会友推挙。黒い犬を連れた老人がステッキをもって左のほうを眺めている。背後はコンクリートの壁で、差す光によって陰影が生まれる。空は緑で、高い鉄の塔が聳える。シュールな味わいがある。時という迷路の中に佇む老人といった趣である。

 深田啓子「町はずれの風景」会友推挙。ひんやりとした独特のグレーの感触が現代的と言ってよいかもしれない。描かれているものはカーヴする三つのパイプである。

30室

 工藤貢司「祖母~日々絶筆~」奨励賞。高齢の女性を横から描いている。黒い服に包まれて、首から上の目や耳、髪などがクリアに表現されている。長い歳月を生きてきた女性の歴史に思いを馳せているような不思議な存在感を示す。

31室

 手代木博文「ニコライ堂・冬日」。グレーの調子に深い味わいがある。空のサップグリーンのような色彩と白い汚したような壁とのハーモニーには、一種の詩情が感じられる。線を生かした動きのあるフォルムも面白い。

34室

 阿部和子「魚(ソイとメバル)」小品部門・最優秀賞。笊の上にソイとメバルが置かれている。手前がソイで、後ろがメバルだろうか。対象のフォルムが生き生きとしている。色彩感覚もよい。淡々と緑と茶色によって笊の様子を整理しながら描いていて、造形力のあることがわかる。

第45回記念新美展

(4月24日〜4月30日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 猿見田正義「空‥‥富士 1」。山のフォルムと空を独特の間で表現しているシリーズだが、今年は富士山が三点の連作として出品されていた。掲出作では、日本人であれば誰でもそれとわかる富士の台形をやや傾かせ、縦長にデフォルメしている。背景の黒は、夜空というよりも成層圏を超えて天高くそびえ立つ富士のイメージを強調するような印象を抱かせた。シャープな富士のアウトラインに対して円形の雲が効果的に入れられ、青、赤、白といった定番の配色ながらモダンな作品となっている。

 勝間田英幸「そら」。レースのショールで頭を覆った少女がクローズアップされている。実に精緻な描写であるが、柔らかく透明感のある肌の質感は滑らかで、光線をうまく配することで神々しさを感じさせるような穢れなき少女の姿が表れている。ぼかされた背景は風に揺らぐ木々とその葉の隙間に覗く空だろうか。少女に強くフォーカスすることで、その視線の先にある青空を意識させている。

 近藤伸子「ボレロ 2014・Ⅰ」。おかっぱの少女を描いた作品が続いているが、作品の中で徐々に少女に意志が芽生え成長しているように見えるのが面白い。少女の周囲を取り巻いているのは貝や珊瑚や花々。一度朽ちたものたちが、少女の生命力によって新しい息吹きとともに花となり再び躍動し始めているようだ。何度も塗り重ねては削ることで生まれる触覚的なマチエールが、微睡みの中にいるような暖かな色彩をしっかりと立たせていて、豊かなイメージの広がりをもった世界が表れている。

 山本捷「赤が奏でる空間」。赤を基調とした卓上風景が続いているが、色彩の幅が拡がり、深い赤と青に挟まれたオレンジが強く印象に残った。また、今回特に、植物やコーヒーミルの上方や椅子の縁などに使われた様々な緑がポイントとなっているように思う。抽象的な色面の配置と具象的な風景とが交錯するような独特の画面である。

第88回国展

(5月1日〜5月12日/国立新美術館)

文/高山淳・編集部

1室

 安達博文「時の符―XV・XVI」。画面を左右のパートに分けて作品を構成している。左側に自画像と思われる男の肖像、右側には奥へと伸びる道と上空に雲のように浮かぶ数匹の犬が描かれている。どちらの画面も赤と青の色彩がクリアに扱われている。男の背後には、個展等でよく出品される、日常のこまやかな出来事が記載されている。男は拳を握りしめ、どこかじっと日々を堪え忍んでいるようにも見える。そう考えると、右側の風景が非現実的な逃避の世界のように思えてくるところがおもしろい。二つの世界を行き来しながら、鑑賞者の共感を誘い、そのイメージの世界に引き寄せる。(編集部)

 前田昌彦「いざない '14―圏」。大画面に樹木のシルエットがいくつも浮かび上がる。恐ろしいことにそのシルエットの向こうにステルス機や戦闘機、あるいはヘリコプターなどが飛んでいる。平和な樹木の向こうに、一見すると樹木のシルエットのように見えるのだが、そのようなものが飛んでいる。下方には電波塔やレーダーを思わせるような塔がいくつも並んでいる。平和の中に戦争の気配、危機の気配が侵入してくる。淡い光に満ちた空の表現が面白い。その魅力ある空とグレーのフォルムとの対照。その光に満ちた空の中にシルエットで枝を伸ばす樹木と戦闘機やステルス機、あるいはその編隊などが、強い印象を醸し出す。(高山淳)

 稲垣考二「雛壇」。雛壇に座るように同じ女性が衣装を替えて座っている。いちばん下方には五人。その背後には六人、その背後は六人、その後ろには七人というように並んでいるから、総計四十人ぐらいになるだろう。サテンの光った緑やピンクの服、あるいは紫や白い服を着ている。悪夢の中に入っていくような圧倒的な存在感が感じられる。五百号を超す大画面にほぼ等身大の同じ女性が衣装を替え、表情を変え、笑ったりぶすっとしたりしながら並んでいるのである。絵画ならではの面白さである。(高山淳)

 福井路可「夜の海、明日の風―14・4―」。三幅対になっている。中心は下半身が男性で上半身が女性のフォルムが立っている。顔はなく、顔のあたりが海になっている。木の板を薄くコラージュして、その木目が独特の波紋をつくる。見ていると、上方のカーヴしたフォルムのせいもあるし、板をコラージュしたためとも思われるが、一艘の船が夜の世界に出帆しているようなイメージがある。夜の寝台が船となって、イメージの海に漕ぎ出す。船は記憶の海を動き航行する。過去と未来のあいだの現在という不思議な時間帯の中で両方の世界にも向かうことができる。そして、画家によると、両側は明日の海ということになる。下方からV字形に板が貼られて希望の光のようなイメージがあらわれる。そこにさざなみが立っている。青からピンクの色彩に向かって。その静かな波紋が中心の人体を荘厳し、この夜の海を荘厳している趣である。(高山淳)

 肥沼守「植物公園の午後」。たくさんの花が咲く公園を俯瞰するような視点で描いている。そこは普通の植物園ではなく、花に足が生えて走っていたりするなど、ユーモラスで妖しい世界観を作り出している。花は赤や黄、水色など様々な色彩が鮮やかに扱われているが、フレスコ技法による独特のしっとりとした感触が、その色彩をより効果的にしている。それは、非現実的なイメージの世界にある種のリアリティを引き寄せる。植物や人物一つひとつの様子もおもしろく、この画家らしい絵巻物的画面が印象に残る。(編集部)

 東方達志「庭院深深」。手前に三人の女性が左向きに並んで描かれている。周囲には色とりどりの風船がたくさん置かれている。背後には家屋が見える。そういった情景ではあるが、画面全体がどこかリズム感を持った幾何学的な抽象性を孕んでいるところがおもしろい。淡々と画面を構成しながら、人物と風景が一体化したようなところもまた印象的である。(編集部)

 大森啓「Puzzle」。ブロックをいくつも組み合わせて独特の風景を作り出している。そこには樹木や家屋、車などが小さく描かれている。大森作品特有の画面構成であるが、今回は昨年の背後の暗色を消し去っている。非現実的な空間を作りながら、日常の断片的な要素をそこに入れ込んで、夢と現を行き来するような世界観を作り出しているところが大森作品のおもしろさである。(編集部)

2室

 久保田裕「引き潮」。ゆったりと潮が引く様子をイメージ的に表現している。海の広がりが描かれているところが面白い。対岸には小山のようなものが集合した陸地があり、手前が海で、向こうが河口なのだろう。手前にゆったりと水が引いている様子を写実的に描くのは難しい。波のうねりを黄金色のカーヴする量のあるフォルムによって表現し、大きなスローリーなその動きを表現する。(高山淳)

 大島幸夫「水蓮」。水蓮の蕾が咲いている様子を面白く表現する。茎が垂直に立ち上がり、葉が楕円状で、それが集合して、花は赤く、満開のものと蕾のものとがある。水は白く、その周りは黒い。スポットライトが当たったような空間の中に手のひらのような赤い水蓮が集合し、笑っているような不思議な雰囲気である。大病のあと五年たつそうだが、心象の託された水蓮である。(高山淳)

 山村博男「タオルミーナ(Ⅱ)」。シチリア島で古くから観光地としても親しまれているタオルミーナ。高台から遠くの海を俯瞰する様子と、威厳ある神殿の遺跡を描いた作品二点を出品。掲出の作品は、画面に大きく神殿の遺跡を配し、山村ならではのビブラートが効いているような美しい色彩とタッチにより、爽やかな風、柔らかな光、そしてシチリアの明るい空と空気がよく表現されている。どこか遺跡の威厳と儚さも伝わってくる。(編集部)

 増地保男「スタイル」。強いリズムや生命感を感じる。黒と赤の二色の色面によって構成されている。グランドピアノを弾く女性。エレキを鳴らす男。ギターを鳴らす女性。それぞれをデフォルメし、プリミティヴに表現する。一見落書きのような表現方法であるが、画家の緻密な造形感覚によって秩序立てられた空間である。強いビートのきいたジャズのような音楽が画面から聞こえてくるようだ。(高山淳)

 津地威汎「航跡…僕の船は世界中を旅する…」。船の後ろに立って遠ざかる光景を描いてきた。そこに白い澪があらわれ、やがて消えていく。前方に向かうのではなく、遠ざかる風景の中には独特の哀愁が漂う。これは朝の光景のようだ。斜光線の清々しい清らかな光に空が染められ、雲が浮かんでいる。海はまだ暗いブルーで、その中をきらきらとした光を残しながら航跡が残る。加えて白い澪の中に一筋の青と白の階段状のフォルムがあらわれているのが面白い。そこには足跡といったイメージが重なる。自分の足で歩いたあとに残る存在のような、そんな澪として画面にあらわれている。透明な叙情ともいうべき中に、そのようなヘビーな人生というものが加わって表現されているように感じられるところが面白い。(高山淳)

 井上悟「人のかげ」。独特の色彩家であるし造形家である。画面の真ん中に白いキャンバスがあり、両側に男女がいる。そのキャンバスの中には時計やエアバスや女性たちがいまそこに現れつつある。現在進行形のイメージを画中画の中に表現する。(高山淳)

 島田章三「立ちて座し走る人たち」。どういうわけか、この作品を見ながらゴーギャンの「われわれはどこから来たのか?われわれは何者なのか?われわれはどこへ行くのか?」といった、あの有名な作品を思い起こした。中心には大きな木が伸びて、その周りがベンチになっている。そこに座っている女性が小鳥に手を差し伸べている。向かって右のほうには犬を連れた女性が立っている。左後ろには、画面の外に向かって走っている女性がいる。地面はベージュの色面としてあらわれ、空がウルトラマリンの色面であらわれている。その空の色面はそのまま水の色面とも重なるようだ。シンプルなコンポジションであるにもかかわらず、強い心理学的図像ともいうべきものがあらわれている。ここに寝ている人はいない。座り、立ち、走る。青い色面がコの字形に右のほうにあらわれ、それは斜線で切られ、樹木の横で斜線によって上方に向かい、また左に少し高くなり画面の外に向かう。その青い色面の動きがまた、走り、動いていくイメージを表す。犬を連れて立っている女性の前後に若木が生えている。その若木がやがて成長して、中心の巨大な樹木になる。やがていつかこの巨木も枯れ枝になり若木に循環する。それは人間も同様だろう。どこから来て、どこへ行くのかわからないけれども。そういった歴史のイメージがこのモニュメンタルなコンポジションの中に表現されているように思う。(高山淳)

 大沼映夫「白彩降臨」。このところ様々な色彩の競演による「色彩降臨」が続いてきたが、今回は無限の色、白である。一定のかたちで塗られた白のフォルムの集積は、雪景色を見ているようであり、洋服のデザイン、あるいは窓の湯気が垂れてきたか、または福田平八郎の作品を彷彿とさせるような屋根の瓦のようにも見える。もっとも清潔で、もっとも明るく、あるいは最も冷たくもある白。韻を踏むように表現されているこの画面の諧調は、大沼らしい独特のイメージの世界が現出している。(編集部)

 城康夫「景・1403」。青みがかった色面と黒い色面が上下に分かれている。そこに上下三列、横に五列に石のようなものが浮かんでいる。左から二列目の真ん中の石だけがない。禅問答を思わせるようなあっけらかんとした画面である。下方が昼で、上方が夜、そこに浮かぶ石はそれぞれのバックによって違ったトーンに見える。石の大小も若干異なっている。石はごろごろと転げるうちにだんだんと丸い形をなすのだが、そういった石のもつ時間を空中に放り投げて、この石の時間を夜と昼のなかに置くことによって、時間というものを鑑賞者に問い掛けてくるようだ。(高山淳)

 佐々木豊「宴」。パーティ会場の中に人々が座って、お皿を前にしている。その中に画家自身がいる。手前にはタンゴを踊る男女がいる。後ろにはピアノがあり、バックにたくさんの光が下りてきている。その光は実は魚で、一部骨になっているといったユーモラスな画面である。昨年、国展の会場で会員の女性がタンゴを踊って全員をうならせた。その出来事にインスパイアされたのだろうか。自分自身の年齢と過ぎていく時間を痛切に感じたのではないか。左のほうには若々しい女性が上半身の裸がほぼ見えるような衣装で座っているが、対照的に向かって右のほうには、老婆になった女性がナイトドレスからしなびた乳房を見せながら手を画家自身の肩にかけている。二つの時間の落差がこの作品のテーマと思われる。光が衰えるように、この勢いのよい魚が骨になって浮かんでいることも、同じような意味をもつのだろう。これまでの盛んなエロスや爆発するような世界から、老いというものに向かい合ったような作品になっているところが面白い。(高山淳)

 野々宮恒人「重責」。テーブルの上にワインやコップ、白い高坏に入れられた洋梨、葡萄がある。その前に二人の少年がいるが、一人はマスクをして花を持ってよそ見をしている。誰かに恋を告白したい思春期の少年のイメージ。そして、横のテーブルに向かっている少年の後ろに二人の少年がいるが、二人はシャム双生児のように合体し、両側の手が伸びている。その中心から首が大きく伸びて、大きな顔が浮かんでいる。三体の人物がくっついたフォルムになっている。逆にいえば、大きな少年のようにも女性のようにも見えるフォルムの胸から二人の少年の顔が出ているといった様子である。そのそばに夫婦と思われる像が浮かぶ。赤い服を着て座っている母親は頭をかしいでいる。前述した三体の重なった人物の後ろには黒いセーターを着た父親の顔が、やはり斜めに傾いて浮かんでいる。下方にはテーブルの下に若い夫婦と少年の像。家族というものを画家は描く。家族が助け合い、父母は子供を守り、子供はイノセントにどんどん発展しながら恋を語ろうとするかのようなイメージ。いたずらをして頭に包帯を巻いた子供を母親が抱いている。ぐるぐると家族の像の中に画家のイメージは入りながら、独特の心理的形象をフォルムの中に浮かび上がらせる。赤い服を着た母親と述べた女性の足元に、頭に包帯を巻き、タバコを手に持ち、足もまた包帯を巻いている男の姿が寝そべっているのが、筆者には画家の自画像のように感じられる。生活者としてはあまり能力がなくても、絵を描くことによって人を癒す芸術家の像である。(高山淳)

3室

 長谷川宏美「Life」。画面を幅の異なる五つのパートに分割して画面を構成している。グラスや女性の顔、葉を繁らせた樹木を寒色系の色彩を中心にして大きく描いている。日常の中の一瞬を切り取ったような、刹那の煌めきのような魅力を孕んでいる。モダンな雰囲気を纏いながらそのように構成された画面が印象深い。(編集部)

 多納三勢「風骨の森(88)」。鮮やかなピンクとブルーの色彩が印象的である。激しさと静けさとが共存しているような趣の画面である。人間の姿と有機的なフォルムが包まれるような表現になっているのも興味深い。重奏的に様々な感情が息づいている。平面的な面の部分と、激しい感情のフォルムとの関係が、メッセージ性を湛えていて、心に響いてくる。(編集部)

 新井延彦「小鳥のとぶ頃」。下方に二人のピエロのような顔がある。両方とも女性のようだ。そばに犬がいる。画家にとって生活をすることはどこかピエロの役割を演ずるといったことになるのだろう。したがって、ピエロの面は画家の素顔にくっついて離れないようだ。その不思議なマスクが二つ浮かび上がる。カーテンが翻り、窓の向こうに針葉樹が聳え、鳥が飛んでいる。渡り鳥のようだ。季節が移っていく。季節の風が画面の中を吹いている。そこにあらわれる深い情趣は日本人の心もちだと思う。(高山淳)

 徳弘亜男「樹冠(椨)」。タブの木の上方の部分が拡大されて、画面いっぱいに描かれている。幹の屈曲した様子に奥行のある空間があらわれる。葉のあいだから黄金色の光が差し込む。柔らかなトーンの中に描く。この画家の優れたデッサン力がうかがえる。枝のつくりだす奥行のある空間の中に入り、光を受け止める。そこに独特の安息感ともいうべきものがあらわれている。写実に加えて、そのようなヴィジョンが表現されているところが面白い。(高山淳)

 山口静治「白日夢」。水色で統一された画面の中に、同一人物と思われる二人の老人の顔が左右から突き出ている。上を向く老人は、山口作品によく見られるドン・キホーテであろう。上空には羊の群れが描かれ、さらに上方には繭のようなフォルムが見える。繭には少しひびが入っていて、そこから何かが生まれてきそうな予感を孕んでいる。静かなドラマ性とともに現実ではあり得ない情景が、ドン・キホーテを媒介としてこの画面に引き寄せられている。幻想的な世界観をクリアな筆致で描き出しているところに注目する。(編集部)

 半田強「何処へ(一盲引衆盲)」。題名は一人の盲人がグループの盲人たちを引っ張ってリードしていくという意味になる。向かって右の蠟燭を持って杖を持った盲人がリーダーで、その肩に手をかけて九人の盲人たちが歩いていく。面白いことにその四番目と八番目は牛と馬になっている。盲人の杖の先は小鳥の上にあって、小鳥を殺していることも知らず歩む。後ろのほうからフクロウとカエルが囁いて、何か問題点を教えているようだが、この盲人たちにはわからない。前から四番目の牛の首に綱を掛けているネズミが、その後ろの男の肩にのっている。独特の生気ある画面と思って見ていると、ずいぶんペシミスティックな世界が表現されていることがわかる。丹念に強いマチエールをつくり、彫るように形をつくりながら、現代というものの暗い行く末を表現する。(高山淳)

 柏健「現出へ向かって」。ストイックな現代社会の人間たちの像である。走る人。屈伸する人。あるいは縛られて身動きできず叫んでいる人。その中に画家自身の顔があらわれる。それは右のほうの画面だが、左のほうには下に亡くなった妻の像があらわれる。妻の像は上方にも上向きで描かれている。画家はたいへんストイックな人である。そのストイシズムというか、その抑制あるいは頑張りといったところから現代の人間像のイメージをつくる。そして、その中にどうしても忘れられない亡くなった妻の像が浮かび上がる。上方にオレンジ色の光に染められた全身の裸婦像としてあらわれている部分は、昇天のイメージなのだろう。亡き妻を通して形而上的な存在を地上に引き寄せようとするかのようだ。(高山淳)

 西川ひろみ「雨のちの晴れ」。雨のあとの空気や光をこのベージュの空間によって表現する。たらし込みふうな紫や緑の連続によって植物の世界を描く。そこに二人の妖精のような男を配している。植物が人間化したイメージと言ってよい。しかもこの人間には羽も生えている。独特の画家のイマジネーションの展開である。(高山淳)

 弥富節子「万華(ま・ん・げ)」。これまでの現代の青年の思春期の不安感を描いた作品に比べると、この作品はこの若い男女を祝福するイメージである。椅子に座った少女が万華鏡を眺めている。片一方には立った青年が花籠を持っている。花が落下している。二人のあいだに万華鏡の中の景色が三つ見え、それは花模様である。上方にも大きな万華鏡の景色があらわれて、樹木のようなイメージがあらわれる。背後は大地がだんだんと隆起していき、丘のようになっている。そこに一つの家が見える。五月の頃の季節のようだ。新緑の瑞々しい季節とこの若い男女の年齢とが重なりながら、青年讃歌ともいうべきコンポジションになっている。下方の三つの円形の万華鏡のフォルムは、回転しながらお互いに響き合い、宙に浮き、喜びの歌をともに歌うようだ。(高山淳)

 松岡滋「机のある室内風景」。室内の真ん中に布の掛けられた机があり、そこに白いお皿に上方がオーレオリン系の三角のケーキ、二つの瓶、四つの黄色いオレンジのようなフォルムを置いている。戸外の向こうには雑木林が見える。秋の光景のようだ。グレーや黄土の色彩が静かに響き合う。面白いことは、方形の前述したテーブルの上にブルーの布が掛けられているのだが、そこに光が当たって一部ジョンブリヤン系の色に輝いていることだ。この光を画面に引き入れて、その四つのレモンのようなオレンジのようなフォルムを輝かせることによって、画面全体が活性化する。色というもののお互いの干渉し合う効果と言ってよい。その意味では緻密なコンポジションになっている。同時にその光の実験室のような室内に対して、戸外の風景には冬に移っていく季節の落莫とした、やるせないような時間が流れている。(高山淳)

4室

 西村駿一「ふるさと 2014 Ⅰ」。ピンクの微妙なトーンが画面を覆う中に黒によってフォルムがあらわれる。集落であったり、地面の起伏をその線が表現する。ほとんど抽象的なフォルムであるが、一種水墨的な味わいも感じられる。桜や杏のような花が満開の頃のふるさとの光景なのだろうか。あるいはそのピンク色は、そのような花ではなく、ノスタルジーあるいはふるさとを思う心持ちがこのような色彩を呼ぶのだろうか。その霞のようなもののあいだにちらちらと見えるふるさとのイメージは、万人に共通するものがあるだろう。記憶の霧の向こうに見える懐かしい光景である。(高山淳)

 蝦名協子「人・懐」。Fの横のキャンバスと高さが一緒のFの縦のキャンバスを組み合わせている。Fの縦のほうは左にあって、前、後ろに重なった女性の上半身。背後に教会のイメージがあらわれる。人間の二面性ともいうべきものがしぜんとそこから感じられる。そばに階段がある。右のほうには三体の裸婦がゆったりとした雰囲気で横になったり肱を突いたりしている。日常の時間が浮かび上がる。背後にやはり教会のようなフォルムが見える。女性たちはすこしシルエットふうに表現され、その周りは明るい白や黄色、青などの色彩で取り巻かれている。画家はクリスチャンである。生活と信仰という二つの世界を画面の中に描く。人間の悩みとか悲しみ、喜びという日常の中に起きる現実と神の世界とを描こうとする。人々の日常の現実はこの作品の中ではシルエットふうなフォルムの中に描かれ、独特の哀愁ともいうべきイメージがあらわれる。その哀愁には生活、その素朴で身近なもののなかに人を描きながら自分の内部を描いているような翳りがあり、それを浮かびあがらせる周りの明るい光、その向こうにある権威をもった教会の建物が見えるといった構図が面白い。(高山淳)

 大島聖「INSIDE」。百号のFの画面を二つ横に並べて、両側に球体のフォルムを入れる。緑の色彩がだんだんと膨張してきているような雰囲気。球体全体も膨張しつつある。それが白い谷間のようなところからあらわれつつある。何かが生まれ、膨張し、やがて破裂するだろう。そういった独特の予感や時間を抽象的に表現して、絵画的な面白さを表す。(高山淳)

 推名久夫「流れの刻」。津波のあとのような雰囲気である。津波の起きる前の街が写真ふうにモノトーンで表現されている上に九枚の板が貼られ、そこにそれぞれの顔が描かれている。亡くなった人の遺影のような雰囲気である。強い痛切な波動が感じられる。(高山淳)

 青木道夫「'13 WATER FALL No.4」。ビルの屋上で演奏している男。その前には巨大なビルが立ち並び、あいだから猫や象や花が浮かび上がっている。その中に、V字形に三機の戦闘機が落下しつつある。その全体が巨大なナイアガラの滝のようなフォルムの中に表現される。終末の巨大なカタストロフィを表現する。それを音楽であると説明するかのような後ろ姿を見せる指揮者の姿。独特のコンポジションと言ってよい。(高山淳)

 川井一義「時の流れ―'14」。銀河のような空を背景にして横長の矩形が三つ描かれている。水平ではなく、片一方がすこし傾いたフォルムで、一部が重なっている。その中に様々な色彩が塗りこめられた抽象画面があらわれる。地上の風景のようでもあるし、渾沌とした音楽のメロディを抽象化したようなイメージもあるし、独特のイノセントな美しさをもつ。そこに星が流れてくる。天空の銀河を背景にして、この世の儚さや悲しみ、美しさをうたう。そんなピュアなイメージに注目した。(高山淳)

 神尾和由「四季・春・夏・秋・冬」。黄土系の地面の上に人々がいる。花を刈り、植物を植え、実り、そして寒い冬が来る。冬には暖炉に火が燃え、犬がうずくまっている。秋には実りの果実を籠の中に持っている。春には花をその上衣を籠のようにして摘み、夏は麦を刈り取っている。黄土系の茫漠たる地面と空とが一体となった空間にイコン的な人間を配して、絵巻のような世界をつくる。(高山淳)

5室

 中山智介「環(4─1〜4)。四つの正方形の画面によってできている。中心部分は墨のいわゆるたらし込みふうな表現になっている。上方に巨大な円弧があり、下方にも円弧があるが、下方はその円弧がほとんど黒で埋められている。上方の円弧の背後の金やオレンジを見ると、いま夜から太陽や月が立ちのぼりつつあるようなダイナミックな雰囲気がある。そうすると、下方は夜の中に月が昇りつつあるようなイメージと言ってよいだろうか。そういった太陽や月というものを一つの元型と考えて、元型のもつ動きを華やかに抽象的に表現したという解釈もできるかもしれない。(高山淳)

 瀬川明甫「舟(大地)」。正方形のパネルを横に二つ繫げて、横長の画面をつくっている。そこに老若男女の顔がたくさん描かれていて、それを鬱蒼と茂った草花が取り囲んでいる。それは画題にもあるように、方舟を思わせる。人物一人ひとりの表情が刻み込むようにしっかりと描かれていて、それそのものにも見応えがあるが、それが群像として立ち上がってくるところに、この作品の強さがある。自然に囲まれた人間の図が、自然の持つ包容力を感じさせ、人類の奢りを諫めるかのようなメッセージ性を孕んでいるようだ。グレーの色彩を基調色にしながら、静かに呼吸をするような落ち着いた雰囲気も併せ持っている。(編集部)

 安富信也「キリストの生涯」。画面を八つのパートに分けて、そこにキリストの生涯を描き出している。左上から反時計回りに「洗礼」、「弟子の選定」、「十字架上」、「降誕」、「最後の晩餐」、「山上の垂訓」、「復活」、「昇天」である。それぞれの場面にキリストを描きながら、力強い筆致で独特のムーヴマンを作り出している。そしてそれらが組み合わされることによって、特に中央の四つのパネルによって十字架が形成され、何か大きなエネルギーのようなものが生まれている。青や赤、黄、灰白色といった色彩の深みは、キリストを始めとする作品に登場する人々に生命を与えているようだ。その生命力もまた前述したエネルギーと重なり合って、鑑賞者にこの物語を語りかけてくるようなおもしろさを獲得している。この作品は展覧会終了後、千葉英和ミッションスクールに収蔵の予定である。(編集部)

 星兼雄「ミナレット・14」。どこからか、祈りの声が聴こえてきそうな画面である。イスラムのミナレットのイメージが描かれている。画面下方は、人の影が画面右から左にいくにつれて葬列を成しているような趣である。壁のあちこちは穴が空いていて痛々しい。また紫色に覆われた全体の不穏なイメージや大きな穴の向こうに覗く廃墟が世界の現状を映し不安感と既視感が綯い交ぜになって、メッセージとして見る者に迫ってくる。(編集部)

 髙橋靖夫「地にあるものたち」。それぞれ猫を抱えた二人の男女を大きく描いている。輝く様な色彩の扱いに魅力がある。アルカイックで民族的な様相を呈した力強い人物描写が鑑賞者を惹き付ける。(編集部)

 安原容子「escape」。巨大なバスタブに女性が入って、両手を上げて泡立たせている。バスタブの中で屈伸運動をしている女性もいる。その中に落下しつつある女性もいる。それを一人の男が眺めている。バスタブの中にヨットが浮かんでいる。バスタブと海とが重なりながら、独特の強いエネルギーを表現する。日常から逃れてバスタブを海に見立てて独り遊びをしているような、そんなイメージの展開が面白い。(高山淳)

 小池亮一「黒と黒の間」。広い大地にたくさんの穴が空いていて、そこから一本ずつ薔薇が伸びてきている。また、ある穴からは人物が顔を覗かせていたりもする。穴は点々とテンポ良く配置されているが、そこから伸びる薔薇はうねうねと茎を彎曲させている。その二つの動きの組み合わせが、作品を強く活性化させている。画面は灰白色を中心としたモノトーンに近い色彩で描かれているが、その薔薇や穴が抽象的な要素を孕みながら、独特の間を作りだしているところが印象的である。(編集部)

6室

 堤建二「旅の途中」。コートを着た男が向かい合っている。その二人の男のあいだにハイウェイが見える。左右に椅子がシルエットとして置かれている。ハイウェイの向こうには巨大な船を思わせるようなシルエットが見える。独特のマチエールであり、トーンであり、コンポジションである。まさに旅というもののイメージを語りかけてくる。孤独な男の肖像であり、その旅の途中のイメージでもある。(高山淳)

 佐々木良三「歩む人 A」。夜の中に浮かび上がる女性の像のようなイメージがある。左の作品は向かって右のほうを向いた女性の裸で、内臓が見えている。右の作品は女性は左に向かっているのだが、体がかなりばらばらになりながら、ようやく女性のヌードとわかるような雰囲気である。グレーの繊細なトーン。黒い点々のようなものが画面に置かれているが、それは画面に接近すると、炭のようなフォルムをコラージュしたものである。その突起した様子が逆に画面の中ではへこんでいるように筆者には感じられる。エッチングをする作業を巨大な画面の中で行っているような雰囲気である。画面の内部に向かうイメージ。そういえば昔、スルガ台画廊でこのような画家のデッサンを見た記憶がある。女性の体を描きながら、それが木になったり、また別のものに変容しようとする。イメージの蔓のようなものがどんどん伸びていく。ところどころ円弧や窪みがあらわれている。ほんのすこしピンクや黄色い色彩が置かれている。グレーの壁の上に形象を描きながら、グレーの壁の向こうのものを引き出そうとするかのようだ。「歩む人」という題名だが、客観的に現実を描いたのではなく、イメージが徐々に伸びていく様子がそのまま「歩む」という言葉に筆者のなかには重なる。死んでいても生きているような人間のイメージ。今回巨大な津波でたくさんの人が亡くなったが、亡くなった人も画家のこの絵の中では生きて、うごめいているような、そんな世界が画面に繰り広げられている。生と死とのそのような境界領域を外してあらわれてきた生のイメージが、徐々に画面を浸食し、そのイメージのあとに形が生まれてくる。そういった独特の心象空間であり、心像と言ってもよい。(高山淳)

 宮下直子「水のうた」。色彩に深い味わいがある。大きな池のような湖の水のようなフォルムが画面の大半を占めて、そこに緑の樹木が映っている。近景から一本の屈曲して画面を縦断する木の幹の形が、人間的な表情を見せる。生命というものの持続したイメージでもあるだろう。面白いのは、茶系の岸から枝のようなものが伸びていることだ。それは虚像と実景との中間にあるようで、不思議な印象を醸し出す。その向こうにもう一つの世界がある。そのもう一つの世界に手を差し伸べたいといった、そんな強いイメージも感じられる。水の内部に見える樹木の形に向かって伸びている枝の左上方になると、紫系の色彩によって水面が消されている。あたかもこちらがわの世界を消したような雰囲気で、中の世界を真実のものとするために、そのようなストロークが生まれ、上部を消したようだ。そして、命の持続するイメージのように、樹木の幹が黄金色に屈曲しながら斜めに画面を渡っていく。(高山淳)

 遠藤賢太郎「蒼空と冬華」。樹氷のイメージのようだ。樹氷の結晶したきらきらとしたイメージが、向かい合わせになって画面にあらわれている。巨大な岩のようなフォルムで立ち上がる。そのあいだに紺碧の空が下りてくる。周りは白で、雪の無垢な世界を暗示させる。下方には湖のようなイメージがあらわれている。それはそのまま空のイメージと重なり、水の波紋が雲と重なる。空と海と雪景を自由に画面の中に再構成する。そして、きらきらとした神秘的な世界をつくる。空の青には無限感がある。地球の上皮である大気圏を通して空は青く見えるわけだが、その外側にある黒い無限の宇宙を暗示させる。両側の白が光と雪と重なりながら巨大な空間として青の空間と強いコントラストをなす。ユニークな造形だと思う。(高山淳)

 江村正光「生成・位相 A・B」。中心に矩形がとられ、上方が緑に、下方は赤く、あいだに白い帯が輝いている。後ろにはそれから屈曲したリングのようなものがあらわれて、数えてみると十個のショッキングピンクのような色彩に彩られたフォルムがある。細胞が生成し、働いている様子。植物だと光合成だし、動物だと酸化の作用なのだろうか。そういった生成し、動いていく、刻一刻とした細胞的な命の働きを、マクロの世界に還元して表現したようなヴィヴィッドな印象が興味深い。(高山淳)

 藤岡泠子「たゆとう」。二枚のパネルを繫ぎ、そこに湖の水面を描き出している。緩やかでやさしい風が吹き、それによって水面が揺れる。そして水際に繁る樹木の影が、その姿を上方に映している。そういった情景を、実に繊細な描写によって画面に描き起こしている。画面の背後に様々な色彩を何度も重ねることによって、やわらかな感触を引き寄せている。さらにいくつも垂らすような筋をアクセントとして加えてもいる。画面全体で豊かな表情を湛える水面が、ぬくもりのような安らぎさえ感じさせる。(編集部)

 小川浩司「Zou-2014K 神奈川沖浪裏・尾州不二見原より」。画面下方に大きく二頭の象が顔を覗かせている。一番右奥には富士山が見え、中景には津波や原発を連想させるモチーフがいくつも描かれている。画面全体は鮮やかな色彩で彩られていて、それが輝くような魅力を持っている。ネガティヴな要素をこのように極彩色の絵巻を思わせる画面によって、力強くメッセージしてくるイメージ力に特に注目した。(編集部)

 常世隆「象」。画面の中央から奥に向かって路が伸びて行っている。その両脇には背の高い樹木が立ち並び、葉を繁らせている。画面全体はどこか霧がかったような静かな気配に満ちていて、それが深い精神性を感じさせるようだ。下方から上方に向かって褐色から青へと色彩を繊細に変化させ、中央の道の上方に少し空を覗かせている。そういった実にナチュラルでありながらどこかミステリアスな雰囲気を描き出す筆力と表現力に注目する。(編集部)

7室

 榊美代子「春らんまん 桜が満開」。百号であるが、両方でもって一枚の絵と考えてよい。花がピンク色にオレンジ色に蛍光色のように表現されている。ライトレッドの地面。そこに様々な男女がいる。犬を散歩させている人もいるし、ブランコもある。独特の色彩の力で、一種の陶酔境に鑑賞者を誘う。(高山淳)

 植月正紀「樹木は語る(B)」。樹木がまるで人間のように描かれている。カーヴするそのフォルムや量感のある形。そして、途中からタコの足のように根が下りてくる。逆に上方にいくつも枝分かれして伸びていくフォルム。その巨大な樹木の後ろにも集合した樹木が並んでいて、その後ろにも白く彩られた小さな樹木が密生している。三列の樹木が近景、中景、遠景と置かれて、お互いがハーモナイズしながら不思議なイメージを語る。それぞれの枝が触手のように動いている。じっと見ていると、血管の中の壁を顕微鏡で拡大して見たときにこのような樹木のようなフォルムがいくつもあらわれているシーンを思い浮かべる。そんな外界にあるのか内界にあるのかわからない、強い命のイメージだと思う。(高山淳)

 小原キク「パリの情景」。エッフェル塔が大きく高く聳えている。下方は夜景で、シャンゼリゼ通りなどのパリの街がイルミネーションされている。その暗い緑の中から明るい緑があらわれ、黄色が輝くような様子はパリの街が大きな海のように感じられる。向こうにサクレクール寺院が白く聳えている。ファンタジックでイノセントなパリ風景である。(高山淳)

 千原稔「波白き妙見崎の昼の月」。繰り返し寄せる波。浜は岩でできているようだ。水平線が半分より下方に下りている。雲が出ていて、昼の月が浮かぶ。満月である。茫漠たるトーンの中に時間が過ぎていく。空間というより、時間が空間の表情をしてあらわれたような面白さである。(高山淳)

8室

 菊地達也「パンドラの暦」。横長の画面に地層が広がりその上に小さく建造物が建っている。その地層はまるでモザイクのように様々な色彩を取り込みながら波打っている。その動きは東日本大震災のような大地の大きな揺れをイメージさせる。モザイクの持つ抽象性の中に、自然の生命力や偉大さ、恐ろしさ、それによって生まれ失われる数々の命が込められている。それはいわば人間の小ささであり、大地と共に生き、死ねばそこに還るという摂理をメッセージしてくる。パンドラは開ければ厄災が飛び出し、閉めれば希望が残るという箱だが、まさに震災の恐ろしさとその後の復興の希望を描き出している。暖色系の色彩がそういった大きな力の持つ包容力と共に、画家の深い心情を静かに語りかけてくるようだ。(編集部)

 松永健吾「風化する心」。四枚のパネルを正方形に組み合わせて画面を構成している。それぞれのパネルには不定形のフォルムが無数に描かれている。それらはどこか微生物あるいは細胞そのもののように微細に動いているようだ。その浮遊するような動きが、繊細な生命力を孕んでいる。しかし、茶褐色のどこか褪せたような色彩が、薄れゆくその命を暗示しているようで興味深い。しばらく眺めていると、少しずつ画面が変化していくような動きと共に、そういった生命の儚さを感じさせる。(編集部)

 石丸康生「大津島から」。今回は二枚のキャンバスをつなぎ合わせているのだが、左のキャンバスは厚さが二十センチほどあり、右は七、八センチほどのキャンバスでその差だけ手前に出ているようなかたちでつけられている。そして、左のキャンバスと右のキャンバスにわたって青紫色の十字形の色面が表現されている。色面と言っても、その中には実にあわあわとトーンがつくられている。そして、四つの隅にベージュの色彩が置かれて輝いている。画面を見ていると、この十字形の青紫のフォルムは曇り空が上方にあるのではなく、柱のように浮かび上がり、左右に伸びていくような雰囲気がある。どこかメランコリックな空のイメージである。それに対して大津島の浜辺はきらきらと輝いてる。あるいは、もう一つの空のイメージがそこにあらわれているといったことになるだろうか。画家は大津島という島全体を一人の人間のように考えている。その大津島全体のボディが天気によって左右されながら曇ったり晴れたりする。そんなイメージをそのまま空間として立ち上げようとするかのようだ。そして、刻々と時間が流れていくように画面の中に糸の縫い目をつくり、一部コラージュする。それは時間の流れであると同時に境界領域をつくろうとするかのようだ。錆びたような直線が水平に垂直にところどころ置かれている。鉄が錆びるためには歳月が必要になる。その時間を一つのメジャーとして、きょうという日の空を測る。もともとこの島は戦中に人間魚雷を発射した基地となっていた。そういった過去の歴史もこの錆びたメジャーのような直線の中には入れられているのだろう。空という上空にあると思った存在が地上に引き下ろされて、柱のように立ち上がり、さらに伸びていくといったイメージが、圧倒的な心象として筆者には感じられる。(高山淳)

 井上八重子「イツモノヨウニ」。三枚の画面を組み合わせている。下方では縦長の画面が対になっている。ダンサーの肩に乗った女性。その顔の一部をピックアップした姿。上方ではこの男女が向かい合っていて、女性の股のあいだに男は体を置いている。ともに求愛の様子を生き生きと描く。色彩家である。黒や紫、緑、黄色が強く発現する。とくに女性はその白い肌の上のピンクや黄色の色彩がヴィヴィッドで、強い生命感を表す。男にインスパイアされて女性はその命の力をヴァイタルに発信する。(高山淳)

 岡本増吉「パリ・セーヌにて」。セーヌ川に繫留された船の上にシクラメンの花びらが大きく重ねられて、実にロマンティックな味わいである。上方には橋のようなものが見え、街灯が点々と灯っている。残照の空が上方にある。それを映してセーヌ川は静かに揺れている。その揺れているような雰囲気がそのままシクラメンのカーヴするフォルムと重なりながら、夕暮れの人恋しいような独特の心象を喚起する。(高山淳)

 石原重人「NOA─2014」。大画面である。下方には中世の戦争を思わせるような様子が描かれている。兜をかぶり、接近戦で戦っているような様子で、たくさんの槍が斜めに集合している。その上方に崩壊しつつあるような不思議な建物が見える。お城のような構築物が倒れかかっている。面白いのは、さらにその上に帆のようなフォルムがあらわれていることで、それがおそらくノアの方舟なのだろう。下方の恐ろしい戦争や破壊に対して、ふんわりと浮かんだノアの方舟は希望の象徴のようだ。そういったイメージを圧倒的な凝縮したコンポジションの中に表現する。(高山淳)

9室

 開光市「卓上風景」。青いテーブルの上に少女が座っている。そこに頭が骨になった魚が屈曲した二本の足で立って、左の男のほうを向いている。男は左手を伸ばして、もっと小さな鳥の骸骨になった頭に触れている。海のものと空のものに接触しようとするかのようなイメージである。男の顔の中にはもう一つの顔があらわれ、少女の顔は一部表面の皮膚がむかれている。内向する中にイメージが静かに立ち上がっていく。(高山淳)

 辻久美子「GATE(キボウノハナ)」。手触りのあるマチエールが画家のイメージを堅牢に支えている。黄土色を中心に扱いながら、そこに赤や青、緑など様々な色彩を効果的に入れ込んでいる。画面の中央下方には部屋のような空間があり、その中から外に向かって大きな花を咲かせた植物が描かれている。周囲の黄土やグレーの色彩の中でその花は太古から咲き続けてきたかのようなアルカイックな生命力を孕んでいるようだ。いわば未来に向けた生命の解放といったような、強い発信力がこの作品の大きな魅力となっている。(編集部)

 柴田久慶「MAN 2014」。肌色の薄いトーンのシルエットで描かれた二人の人物が画面の中で浮遊している。左右には不思議な動植物がいくつか描かれている。そして下方には大きく空間が空けられている。大胆で巧みな画面構成が、ゆっくりとした浮遊する動きを包み込んでいるようだ。人物のポーズや蜥蜴などの様子もおもしろく、それが絵画性となって鑑賞者に迫ってくる。(編集部)

10室

 指原いく子「森の声・街の音」。キャンバスを二枚組み合わせた横長の画面である。赤く彩られているが、独特のトーンがあって、深い空間があらわれる。じっと見ていると、音楽を空間化したような趣がある。音楽の中には街から聞こえてくるジャズのような音楽もあれば、森の中から聞こえてくるナチュラルな音楽もあるだろう。そういった要素をたらしこんだり、ドリッピングしたり、線描きのストロークにしたり、絵具をぶつけたりしながら表現する。そのようなユニークな造形である。(高山淳)

 中山正「アフリカ~空と地のはざま~」。赤や黄色や青の原色が激しいハーモニーをつくる。そこにドリッピングしたようなフォルムや線によってつくられた曲線が独特の有機的なイメージをつくる。中心に宙吊りにされたようなドリッピングしたフォルムはアフリカの神像のようなイメージで、どくどくと拍動するようなエネルギーを感じる。(高山淳)

11室

 北原勝史「回想 2014」。金箔を背景にして女性の二つの顔が仰向きに並んでいる。口から音声を思わせるような波動が文字のようなかたちであらわれている。文字ではないが、赤や黄色や緑の色彩がそのように感じさせる。頭にはたくさんの極彩色の花がつけられ、右のほうからは水があらわれ、鯉が口をあけている。命というもののもつ純粋な感覚を音楽のように表現する。(高山淳)

 浜田公子「吹き抜ける風」。左右に木製のテーブルがあって、「フィガロ」とレモン。もう片一方には紅茶の入ったカップと一房の葡萄、あるいはミニトマトが置かれている。窓のようになっていて、その窓には緑の草原と裸木と空と白い雲が見える。面白いことに、柱の中に早春の季節の風景、あるいは秋のようにも見える風景が描かれている。いちばん右側には新緑の季節のなかに羊が遊んでいる様子。いちばん左の色面には若葉の萌えいでた四月から五月の頃の雰囲気。季節をそれぞれの矩形の画面の中にうたいあげ、それを重ねて組み合わせながら、独特の風景の詩ともいうべきイメージをつくる。柱と柱のあいだにあけられた窓を通して見る景色。しかもその柱の中の季節が窓から見える季節と異なり、騙し絵を見るような面白さがある。画家にとって季節、ときの移ろいは、或る絶対的な感覚なのだろう。(高山淳)

 船越多美子「すべては羽の中」。巨大な羽の上方に花をデッサンし、それを組み合わせたような渾沌としたフォルムが浮かび上がる。その左右や下方に植物のフォルムが水墨ふうに表現される。森の中にある花が時間の変化につれて腐りつつあるといったイメージを感じる。そのようななまなましい比喩。花をそのようなかたちで扱う画家のイメージの力が面白い。それに対して鳥の羽や植物などはクリアな、一種日本画的な強い形象力を獲得している。(高山淳)

12室

 進藤裕代「大地 Ⅰ」。不思議な四つ足の生き物がこちらを見ている。そばに茎が立ち上がり、花が咲いている。そのそばにキノコの笠のようなものが二本足で歩いている。手前には花の先から花が出て、そこからムニョムニョとさらに伸びていくものがある。春になって様々な地中の生き物も動き出し、地面の上にあるものも楽しく踊りかねないような季節のイメージを、画家のつくりだしたフォルムによってよく表現する。ベージュのバックが大地であると同時に鼓動するような強い力で迫ってくる。左下に水のようなイメージ、上方に息のようなイメージのあらわれているところも面白い。(高山淳)

 榎並和春「音を観る 1と2」。三味線のような日本の古来からの音楽が聞こえてくるようだ。東北の豊頰の女性のようなフォルムが大きく描かれている。その後ろには母と子のシルエット。向かって右のほうの画面には手を差し伸べる人の姿が見える。背後は金である。ところどころドンゴロスをコラージュし、その上に絵具を塗っている。強いマチエールをつくりながら彩色されている。どこか西洋の中世を思わせるところもあるが、そうではなく、むしろ日本の中世のイメージをここに表現したものと思われる。独特の深い色彩と簡潔な力強いフォルムによる表現である。(高山淳)

 上條喜美子「晴れ !!」。花と妖精のような少女が強い印象を醸し出す。とくに緑を背景とした三つの花の蛍光色的ピンクの色彩が強い。それがハレーションを起こす直前の段階で画面の中にしっくりと生かされているところが、この作品の絵画性だと思う。少女は淡いピンクとすこし濃いピンクの衣装とリボンをつけている。面白いのは、家が小さく積木のように背後に置かれ、そこに小さくぶちの牛が描かれていることである。あいだに洋梨が家の大きさで点々と置かれている。ものの大小を変化させて、イメージに従って決定する。それによって明るく強いコンポジションが生まれる。太陽光線が存分にこの女性や花に当たり、吸収され、花や女性が内側から光を放っているような趣である。(高山淳)

13室

 松野良治「景 けい」。ベニヤをカーヴさせながら切ってフォルムをつくり、この矩形の画面に貼る。厚さも微妙に異なる。中心のカーヴするフォルムは真ん中で厚くなっているが、上方は左のほうがこのフォルムよりすこし手前に出ている。下方のフォルムは、中心はほぼ一緒だが、左右のカーヴするところで上方のフォルムより出ている。鉛筆を塗りこめた色彩が銀灰色に輝く。たとえばコップの縁も、見る人によっては巨大な崖のそばのカーヴする道のように見えるだろう。そういった抽象的なフォルムが巨大で密度のある空間を獲得する。そういった造形手法だと感じられる。地球のへりに光が差し込み、徐々に夜明けが来るような、そんなときめきのようなものも感じられる。周りの暗いバックの中に銀灰色に輝くこの三つの矩形は、その背後にもう一つのフォルムがあることにより、月の光に照らされた高いところにある山や谷、あるいは集落のかたちを思わせる。もっとも、このような抽象作品だからどのようなイメージをもつことも自由であるにちがいないが、造形としての骨格ともいうべきものが実にしっかりとできているところが、この作品のよさだと思う。加えて独特の詩情ともいうべきものを獲得しているところに注目した。(高山淳)

14室

 山寺重子「春の雫」。様々な円弧が画面にオールオーバーに描かれている。赤、ブルーを中心として、あいだに黄色やジョンブリヤン系の色彩があって、華やかで生命的な雰囲気である。ずっと見ていると、瑛九の世界を思わせるところがある。瑛九はもっと内向的だが、これはもっと明るい外向的な性格をもっている。色彩が広がっていく。広がりながら朗々とした柔らかな歌声が聞こえてくるようだ。(高山淳)

 小西千穂「朝の魚市場」。ヴェニスの運河と建物が背景にある。手前の回廊と思われる場所に魚屋が店を出している。箱の中の魚が面白く描かれている。子供と母親。少年と犬。青年の魚屋に対して父親と思われる男が側面にいる。ゴンドラを操る男。運河を見る白髪の男と少年。ペイヴメントはカーヴしながら不思議な動きを見せ、そこに多数の猫がいる。叙事詩的な世界と言ってよい。これまで号数が制限されていたのが、会員となって大画面を描くことができるようになった。それによって、この画家の物語的性格をより強く表現することができるようになったのは喜ばしい。このまま絵巻物のようにどんどん時間の推移にしたがって画面が展開していくような流れもしぜんと感じられる。群像表現としても面白い。(高山淳)

 甲原安「One day 2014 ―Rainyday―」。電車の窓から線路を見た光景である。雨が降っていて、画面の斜め左半分はワイパーによってクリアにその情景を見ることができる。逆に右上半分はガラスに雨水が付いていて、滲むように描かれている。画面から少し距離をとって見るとそのことがよく分かるが、近づいてみるとまたその描写の細やかさに気付く。繊細に絵具を置くように施して描きながら、ある種の騙し絵のようにみせているところにもこの画家の豊かな表現力を感じさせる。寒色系の色彩を中心にしながら、煌めくように赤や黄の色彩を入れ込んでいるところもまた、この情景の臨場感を引き寄せている。(編集部)

15室

 上原一馬「古城シンフォニア」。しっくりとした独特の雰囲気である。京都ふうな雅やかな美意識を感じる。帽子をかぶった少女はどこか人形のようなあやしい雰囲気をもつ。背後に赤いスポーツカーと馬が描かれている。グレーの銀灰色を思わせるような背景に樹木や鳥の飛ぶ様子が描かれ、その赤い車の上方には古城が描かれている。ファンタジックでロマンティックなイメージを生き生きと構成する。クリアなフォルムがこの作品の魅力だし、雅やかな感覚、美意識がまた魅力。(高山淳)

 岩井博石「『座る人』2014─1」。男が座っているのだが、それが彫塑的なフォルムによって捉えられている。もっこりと盛り上がった量感のある形である。その中に赤系統の色彩が塗りこめられている。背景は黒と白で、一種のモニュマンになっている。(高山淳)

 原秀造「讃華紅花」。ベニバナは山形の主要な特産品であった。その山形の風景をバックにしてベニバナを描いている。大きなベニバナが遠景に行くにしたがってだんだんと小さくなって、空に浮遊する。独特の図像的な表現である。また、クリアなベニバナのフォルムも魅力である。(高山淳)

16室

 小西雅也「夜のあり方」。ピアノを弾く男を中心に画面が展開している。右側にはトランペットを吹く男、左側には女性がいる。背後は夜の街並みになっていて、夜空に星がいくつも輝いている。板や麻などを効果的に扱ってそれぞれのフォルムを作りだし、そこに音楽性というものを巧みにその動きで表現しているところがこの作品の見どころである。特に青の色彩が輝くような魅力を放っているところも、これまでの小西作品同様に強く印象に残る。(編集部)

 圡山久利「Romantico」準会員優作賞・新会員。正方形の画面に植物が大きく描かれている。左上方には向かって左を向いた少女の横顔が見える。落ち着いた色彩の扱いの中に、浮かび上がらせるように植物や少女のフォルムを描き起こしているところがおもしろい。植物の持つ生命力と、少女の瑞々しい雰囲気、未来に対する希望といったものが重なり合いながら、深くイメージの中に入っていくような魅力がある。(編集部)

 藤井裕子「Breeze '14―窓―」。画面の中に大きく灰白色の建物が建ち上がってくる。ちょどその真ん中は空けられていて、その微妙な間の取り方が、作品に心理的な奥行きを作りだしているようだ。下方や右側には茶褐色が施されていて、冷ややかな灰白色の色彩と自然の持つ温もりといったものが静かに調和しながら対比されてもいる。下方少し右側には三角形のフォルムも見え、それが奥に伸びる道のように見えるところもまたもう一つの動きを作りだしていておもしろい。そういった要素を画面全体でうまく纏め上げているところに、この画家の確かな構成力を感じさせる。(編集部)

 本田正史「重なる刻の流れ」。黄土色の画面に、いくつかの顔が浮かぶように描かれている。逆三角形をしたそれらは重なり合いながら強い存在感を孕んでいる。線描きでありながら鼻に立体的な特徴を持っていて、仮面のようでもあり、埴輪のようでもある。強いデフォルメによって描き起こされたそれらは、過去からよみがえったような、どこか霊的な気配も感じさせる。過去から続く人類の根源的な生命力に迫るようなところが特に印象的である。(編集部)17室

 菊池時男「春の精 Ⅰ」新会員。あたたかさに満ちた画面に引き付けられる。一人の人物が画面の中央に立っていて、その周囲には花や草木が生き生きと伸び、春を謳歌しているようだ。暖色系の色彩を中心にして描き起こしながら、いわば春の喜びといったイメージが画面に満ち溢れている。中央の人物はどこか落ち着いた表情で、春をしみじみとかみしめているように見える。落ち着いた雰囲気も纏いながら、このような姿の精霊を引き寄せたところに強いオリジナリティを感じさせる。(編集部)

 伊藤恭子「忍耐力」新会員。激しい動きが画面の中で起きている。大きな暗色の色面とそこに吹き付けるような右上からのドリッピング。台風や地震を代表するような、天災を強くイメージさせる。そして右下方にはわずかに街並みがシルエットになって見える。徐々に街に近づいているのかもしれない。いずれにせよ、そういった強い迫力と臨場感が印象に残る作品である。(編集部)

18室

 鳥井公子「人として」。画面の中央に正面を向いた裸の二人の男女が描かれている。その背後には同じように数人の男女が描かれている。正面の二人だけは、胸の部分が赤い。それはいわば生命の鼓動、生きている証の表現と言ってよいだろう。服を纏うことは社会性を纏うことでもあるが、ある意味では生きるということに対してのリアリティを欠く。まず人間らしく生きるということは何か、というところに立ち戻るために彼らは服を脱ぎ捨てているのかもしれない。いずれにせよ、確かなデッサン力による群像表現が弧を描くような動きを作りだし、それによる空間的な間も相俟って鑑賞者に強い余韻を残す。(編集部)

 森令子「Time Line」。画面の中央に背の低い樹木とブロック塀のようなものがあり、その脇に人物が立っている。逆光になっているようで、人物の表情は読み取れない。よく見ると人物がそれらと少し同化しているように見える。それぞれ過ごしてきた時間の長さは異なっているが、今この時ここに同じく存在するものをつなぎ合わせるようにして、時間の不思議さを感じさせるところがおもしろい。抽象性を強く感じさせる背後の描写と相俟って、独特の世界観を獲得している。(編集部)

 碓井恵子「果てしない夢(野分)」。一人の女性が前方に手を出している。周囲に飛沫が飛んで、下方では女性を中心にして渦巻きが起きている。「野分」は台風の意だが、この女性自身が精霊のように雨風と同化しているようにも思える。そういったいわば過去から続く自然との関係性が、強い動勢と共に浮かび上がってくるような作品である。(編集部)

 横江昌人「僕の秘密の部屋」新会員。同一人物を思わせる三人の少年が椅子に座っている。背後は水槽になっていて、アロワナのような実際以上に大きく描かれた魚が泳いでいる。室内にも亀がいたりして、この少年の空想と現実が融合したような様子である。そういった中で、黒い椅子のシャープな影が作品に独特の調子を与えていて印象的である。豊かなイメージと描写力で作品にリアリティをもたらしているところに注目する。(編集部)

 大前美登利「Pantna Rhei Ⅰ」損保ジャパン美術財団賞・新会員。様々な植物の部分的な姿を組み合わせた画面が独特の強さを持っている。モノトーンの色彩で纏められているが、所々に薄く黄色い斑点が入れられていて、それが作品に穏やかなテンポを与えている。植物は生まれ、枯れ、種子を残すが、そういった命を巡るような観念とそれをあらゆる事象にまで拡大していくようなイメージの広がりが印象深い。強い説得力のある作品だと思う。(編集部)

 田村あさこ「fountain Ⅰ」。森の一隅の情景が描かれている。樹木の根元に管に繫がれた卵があり、そこから人が生まれてきている。その人間からも管がでていて、とても自然のものとは思えない。そこに一羽の鳥が舞い降りてきている。生まれたものは何であろうと育てるという使命感の象徴だろうか。どこか悲しく、しかし温もりを感じさせる深い情感が魅力の作品である。(編集部)

19室

 中村宗男「風花」。正面を向いて立つ若い女性の肖像である。背後は自然の風景だが、白い椿と思われるつぼみがいくつか大きく描かれて並んでいる。これから花を開かせる椿と将来に向かって踏み出す若い女性。その二つ未来が重なり合いながら画面の中で静かに呼応している。背後の代赭色を中心とした色彩、女性の瞳と髪の深くしっとりとした暗色が精神的な奥行きを作りだし、鑑賞者を作品に引き込むような魅力を湛えている。(編集部)

 佐藤功「風」新会員。一枚の羽根をそっと置いた左の掌が重なるように二つ描かれている。実に繊細に描写されていて、羽根のわずかな重さまでもしっかりと捉えられているようだ。画面には横に波打つようなマチエールがいくつも入れられていて、それが穏やかにそよぐ風を思わせる。それが、この羽根を静かに見つめる手の持ち主の穏やかな感情をイメージさせるようで興味深い。どこか細長く伸びた指がシャープな印象も引き寄せて、画面全体で鑑賞者のイメージを強く刺激する作品となっている。(編集部)

20室

 麻田征弥「静」。一人の女性が椅子に腰掛けて本を読んでいる。画面全体はグレーの色彩を繊細に調子を変えて纏め上げている。椅子に座った女性の体重や腰から足にかけてのフォルムもしっかりと捉えられ、この画家の確かなデッサン力を伺わせる。静かな気配に満ちた作品である。(編集部)

 築山洋子「Paisaje (風景)」。白い壁の家屋が大きく描かれている。周囲は築山作品独特のピンクが使われていて、画面全体にポップで陽気な印象を与えている。家屋にも緑や黄などの色彩が随所に効果的に入れられている。心象風景と言ってよいような印象深い作品となっている。(編集部)

 木田勝光「苦悪離阿」。鮮やかな色彩の扱いが魅力である。大胆に色彩を扱いながらも繊細にそれを変化させていっている。それが画面全体に徐々に変化していくようなムーヴマンを与えている。左上には深い暗色があるが、それ以外はそこから解放されたかのようなポジティヴな様子である。複雑で刻々と変化していく人間の心の中を覗くように描いているところが興味深い。(編集部)

21室

 阿部正彦「届まるものは何もない」。厚い画面を凹ませて老婆の顔を大きく描いている。その造形的な技術と大胆な構成が強く印象に残る。画面の中央から上下左右に0、1、2と数字が並んでいる。その幾何学的な動きと皺の深い老婆の顔が強く対比されているところもまたおもしろい。(編集部)

22室

 光田千代「シンフォニー Ⅲ」。画面の中央に黒いテーブルがあり、そこに口の細い瓶が一つ置かれている。周囲は蔦などの植物に囲まれているようだ。その鬱蒼と繁った様子に強い臨場感がある。また、よく見ると右上では猫が顔を覗かせてもいるようだ。自身の愛でるものを丹念に、愛情を持って描ききっているところに好感を持った。(編集部)

 長谷川輝和「隣人」。手を繫いだ二人の人物が描かれているが、向かって左側の人物は逆さまになって水たまりに上半身を突っ込んでいる。それが、いくら親しくしていても考え方は逆、というふうな現代的な人間関係を暗示しているようで興味深い。どことなく空虚な雰囲気と共に、長谷川作品特有の人物像も相俟って、印象深い作品となっている。(編集部)

 中野紋「さぁ これから会いに行こう」。ふくよかなフォルムの女性が糸電話を覗いている。さっきまで話していた相手にこれから会いに行くのだろうか。その少し微笑んで期待に満ちた表情が作品を和やかなものにしている。身体と比べて細い指、幾筋も伸びる糸、花などが繊細で、それが女性のふくよかさをより鑑賞者に印象づける。(編集部)

23室

 多田昌子「時のあわい(A)」。たくさんの人が並んでいる写真が数枚重ねられている。そこに左から手が伸びてきているが、それがどこか騙し絵的に描き出されている所がおもしろい。中央に一人両手を挙げている人物がいて、それだけが写真から飛び出している。自由な感覚で描き出された群像表現として注目した。(編集部)

 石井秀隣「兆」。画面の左右に淡いブルーの色彩が施されていて、中央は灰白色の空間となっている。その青と白が鋭く境界されているところがおもしろい。下方に目をやると少しベージュがかっていて、そこには安らぎのようなものが感じられる。そう考えると、ナチュラルな状態にある心が灰白色で、青は不安というようにも考えられる。厚いマチエールを施しながらも、そういった微細な心情を作品の中に引き寄せている。観る者によって受け止め方は変わるだろうが、それを是とする説得力がこの作品にはある。(編集部)

24室

 荒井みち子「宴・Ⅱ」。室内の情景をモノトーンの色彩でシャープに描き出している。花や花瓶なども置かれているが、特に中央の猫の様子がなんとも微笑ましい。どこか抽象的な画面の中で、それを気にもせずにくつろぐ猫の存在がこの作品を支えているようだ。(編集部)

 きわたすみこ「FANTASIA(幻想曲B)」会友賞・新準会員。グレーの空間の中に激しい動きがある。上から斜め下、或いはしたから斜め上に菱形を描くように強い線が入れられている。その矩形の中にはブラックホールのような黒い穴がある。それらがどこかある種の音楽性を持って描かれているところがおもしろい。それもクライマックスの盛り上がったパートで、指揮者がタクトを振るような臨場感がある。そういったイメージを刺激するような魅力を湛えている。(編集部)

 米田貫雅「world〈out〉」新人賞・新準会員。床にたくさんの瓶などの入れ物やはさみなどの道具が置かれている。それらは全てシルエットのように暗くなっている。一つひとつの形もおもしろいが、少し離れてみると、それが街の雑踏の中に行き交う現代人の群像表現のように思われてくるところがおもしろい。それらが独特のリズムを作りながら画面を満たしている。(編集部)

 石塚信雄「約束〈白き花〉」会友賞・新準会員。雪景色の中に大きな白い薔薇の花束が描かれている。画面の手前左には女性の姿が見える。その表情は物憂げである。何か待ち人来たらず、といった雰囲気である。少女の様子、凜とした白い薔薇、雪のしっとりとした感触。そういったものを描き分ける筆力が背後の物語性を支えている。(編集部)

 松村益義「TG高校美術部」。美術部の内部の様子を斜め上から俯瞰するように描いている。ポーズを決める女子高生たちのようすが何とも楽しそうで印象深い。細部に至るまでクリアに描き込んでいるところにも好感を持つ。(編集部)

 森本憲司「岬の夜明け」。ひんやりとした空気がこちら側まで伝わってくるような、確かな臨場感がある。手前から汀までの距離感、そこから水平線までの距離感もしっかりと捉えられている。誠実に描き出された気持ちのよい情景である。(編集部)

25室

 石橋暢之「新宿夜景」。高層ビルが建ち並ぶ夜景を高い位置から眺めるように描き起こしている。都市の輝きを明暗をもってしっかりと捉えながら、画面全体の構図も合わせて違和感なく纏め上げている。そういった繊細な描写力を持った作家である。(編集部)

 井山庄司「ポプラと羊群」。朝靄がかかって視界が遮られるような草原に点々と白い羊が幾頭も見える。少し奥にはポプラの樹木が立ち並ぶのがかろうじて分かる。静かで、どこか神聖な雰囲気さえも湛えているような画面に強く惹き付けられる。(編集部)

26室

 牧ひろ子「装いの刻(1)」。おめかしをする女性をもう一人の女性が手伝っている。腕や身体の少し長いフォルムが独特で印象深い。何気ない情景の中に、この二人の様々な感情が見え隠れするようである。シャツや髪などに強い色彩を使っているにもかかわらず、しっとりとうまくその色彩を扱っているところにも注目する。(編集部)

 中木智津子「何処へ Ⅰ」新人賞。こちらを向いて座る二人の男女が瑞々しく描かれている。周囲は青と黄色の色彩で占められていて、さらに線描きで様々な紋様や顔などが描かれている。それが一枚の布のように二人にも被さってきたりしていて、その構成がおもしろい。恋人というよりはどこか姉弟のように思われるこの二人のこれからの人生を応援するかのような、画家自身の愛情とエールが画面から滲み出てくるようだ。(編集部)

 諸橋ひろみ「午後の詩 1」。黄金を思わせる画面の中に右を向いて座った女性が描かれている。その上方に椅子に乗った猫、下方には花などが置かれている。ひと息ついたゆっくりとした休日の午後といった雰囲気がよく描き出されている。左右の空間もまた大胆で、作品の中の空気というものを繊細に扱っていることがよく分かる。それぞれのモチーフもしっかりとしたデッサン力で捉えられている。(編集部)

27室

 馬田太雅「通天閣」。マンションのベランダを魚眼レンズを覗いたように描いている。画面の奥の遠景には輝く通天閣が見える。それを中心としながら周囲のものを描いていくという独特の画面構成に注目した。(編集部)

 奥野悦子「唯」。花束を抱えた一人の少女の肖像。やさしさに満ちたような画面に好感を持つ。しっかりと対象を描き起こす筆力に感心した。(編集部)

 菊地かおり「光に騙されて生きよう」。明かりを消された室内にぬいぐるみや携帯電話が置かれている。奥の部屋は明るく、そのコントラストが印象深い。描かれていない人間の微かな存在感をうまく演出している。(編集部)

31室

 柏倉淑子「そこい Ⅰ」。三人の女性が井戸端会議のように集まっている。左右は影になっていて、それが中央に明るい空間を作り出している。舞台を思わせるような画面構成でありながら、何気ない日常の一コマといったふうな雰囲気も併せ持っているところがおもしろい。(編集部)

32室

 水谷誠孝「メリーゴーランド」絵画部奨励賞・新準会員。遙か上空にメリーゴーランドが浮かび、その周囲をまるで多人数によるスカイダイビングのようにたくさんの木馬が取り囲んでいる。独特の自由なイメージとそれを描き起こす力に注目。(編集部)

33室

 阿部崇「ともしび」。食卓を囲む家族の情景が描かれている。人物一人ひとりの様子がおもしろい。特に正面の祖父の強い眼差しが鑑賞者を捉えるようだ。少しだけ逆遠近にしているところも、一つの効果を上げていて、印象深い作品となっている。(編集部)

 溝口陽子「女三人」。赤黒い肌をした三人の女性を妖しく描いている。三人とも白いワンピースを着ていて、それが強いコントラストを作り出している。独特の雰囲気を持った作品である。(編集部)

34室

 富田郁子「友禅曼荼羅―猫とトルソ」。きらびやかな画面に惹き付けられる。画面の至るところに色とりどりの花が咲き、それを猫が眺めている。左上には鳥が舞い、現代の花鳥画といった雰囲気である。画面の中央奥には背を向けたトルソがあるが、その背には鳳凰が描かれている。鳳凰の姿が周囲の華やかさと相俟って、天上的な世界観までも引き寄せているようだ。一つひとつのモチーフも誠実に描かれている。(編集部)

 久保田洋子「漆黒の夜は明けて」。瓦礫の積み上げられた被災地の情景である。地平線のあたりがぼうっと明るくなり始めているようだ。それが復興の兆しと重なるような希望を作品に引き寄せている。画面の下方手前には犬が一匹歩いている。行く当てもなく歩くその様子がどこか寂しげでもあり印象に残る。じっくりと描き込んでいる画面が、被災地に対する画家の強い想い入れを感じさせる。(編集部)

 澤田浩明「零(ゼロ)の風景」絵画部奨励賞。黒板の中央に死んだ蟬の姿が描かれていて、その周囲には計算式などがみっちりと書かれている。ある種、相反するような二つの事象をこのように描き出したところに、この画家の強いイメージの力と構成力がうかがえる。死=無と考えるのか否か、その考え自体も無意味なのか、そういった自問自答が繰り返されているように思えて、深い余韻が残る。(編集部)

 小野寺光「敗北のあと」。強い幻想感によってその世界が構築されている。一人の少女を中心にしながら、現実と非現実が入り交じったようである。そしてその世界はどこか破壊された跡のようでもある。物語性を孕みながら、鑑賞者のイメージを刺激する作品である。(編集部)

35室

 石田克「月下の、ユラユラ(Ⅱ)」。石田作品特有の強いデフォルメによって一人の女性が描かれている。女性は何かを抱えるようにして座っている。その懐は暗色になっていて、月が浮かんでいる。その黄金に輝く月の光と女性の赤い唇が、モノトーンの画面の中で静かに響き合っている。容姿ではなく心の美しさ、というように、本当に美しいものとは何かということを問いかけてくるようだ。月を中心に旋回するような画面構成の中に、そういったメッセージを孕んだ作品である。(編集部)

 小松秀徳「五穀豊穣」。椅子に座った子供とそれを眺める二人の大人。幸せに満ちた様子である。黄土から茶系の色彩がそういった豊かな幸せの心情を引き寄せているようだ。童話の中の一シーンのような雰囲気もある。それらを気にしないような子供の表情がまた何ともいえないおもしろさを引き寄せている。(編集部)

〈彫刻室〉

 大沼邦康「絵のある風景」。裸の女性が右手を上げている。そこに大きな塀のようなものが浮かび上がる。女性の手は、このフォルムをいまつくりだしたのだろうか。ヴィヴィッドなイメージによる立体表現である。(高山淳)

 水野智吉「風をためる」。豊かなボディをもった裸婦像である。右足を前に出して、両手をすこし体から離し、五本の指を下方に少し広げ、何かをこれからつかまえようとするかのようなポーズ。口から何かを発している。黒ヒョウのような女という言葉があるが、一種黒人的な生命力を感じさせる裸婦像と言ってよい。骨格とモデリングが見事である。(高山淳)

 猪瀬昌延「坐る」。爪先を立てて座っている女性は短パンをはいて、上半身は裸である。ゆったりとしたモデリングの中に瞑想的な雰囲気が漂う。豊かで力強いモデリングである。(高山淳)

 新井浩「神農少年形―道草のわけ―」。中国の古代の伝説の帝王、神農の青年時代を彫ったものである。馬の上に乗り、植物を持っている。自然を生かすことのできた皇帝の青年時代の姿である。馬には漢代の俑からヒントを得たようなアルカイックな力が感じられる。(高山淳)

 長雄新「裸足の女」。タイツのように体に密着したズボンをはいている少女が立っている。両手は袖の中に隠している。タートルネック。どこか人工的でフィギュア的な像である。それが逆に新鮮な今日的な女性像になっている。石膏のもつキメ細かなマチエールを彫刻にうまく生かしていて、清潔でイノセントな雰囲気である。そこに夢のようなイメージもあらわれる。(高山淳)

 峯田敏郎「記念撮影―鮫ヶ尾城―」。とても現代に生きている女性とは思えない。墓の中から現れた女性のようだ。胡粉に朱色がつけられているのが墳墓の中の色彩のよう。風が吹いて髪が靡いている。下方にも、チェーンソーで切ったような粗いマチエールの中に風に靡く草の表情が見える。冥界の風の中に立つ女性像といった、時間を超えた不思議なイメージである。(高山淳)

 生井亮司「Beyond Dialogue」。少年が左手をポケットに入れて立っている。まるで若い木のようなしなやかな雰囲気である。精神もそのような柔らかな雰囲気で、それをよく彫刻の上に捉えている。(高山淳)

 関谷光生「時」。男性の胸像である。右手を上にあげているが、肩先で切られている。渾沌とした中に立ち上がろうとする像のようだ。困難な中にヴィジョンを保ち、その現実と向かい合い闘おうとするかのような、そんな強いイメージが感じられる。この中年から老年の重荷を背負った人間のイメージを、強いマチエールの中に表現する。(高山淳)

 本郷寛「育」。二歳を超えて三歳ぐらいになる前の幼児の像だろうか。作家には何人かお孫さんがいるから、それを見ているうちにこのようなイノセントな幼女の像が浮かんだのだろうか。柔らかで魅力的な像である。おかっぱの頭の上に髪を丸めた様子が愛らしい。両手を握って親指を立てている。女の子の像である。ふくよかなカーヴするフォルム。足を見ると、甲が高く、両足の親指がすこし上がっている。心臓の音を表すように台座に棒グラフのようなものがつけられている。親指を立ててこちらに向かう幼女は、しかしなにか毅然とした雰囲気である。釈迦は生まれた時に歩いて、天上天下唯我独尊と述べたそうだが、日本にも昔から太子像というものがあって、そういった伝統のうえに立った像のように思われる。この年ごろの子供は自己が世界と分離していない。世界の中にそのまま抱かれて世界と融合している。しかしまた独力ですっと立つような、人間としての存在のベースのものがすでにここに現存するといったイメージも感じられる。幼児の聖性ともいうべきものを彫刻しているところが見事である。(高山淳)

 笠原鉃明「揺れる月」。台座が水になって、同心円の波紋が起きている。そこから柱が立ち上がる。柱の上部が女性の胸像になっている。柱の下方から右足が出ている。この静かに揺れる同心円の波紋を描く水から現れた女神のようなイメージと言ってよいかもしれない。足の先と水とのあいだの間隙が実に繊細で、彫刻としての面白い空間をつくる。水に触れるのでもなく離しすぎでもない、その水と足の位置である。正面を向いて何か瞑想しているような少女の姿は、赤い衣装に彩られている。その赤はしぜんと太陽を思わせて、下方の緑に彩色した部分は月を思わせる。月の世界と太陽の世界が一体化して、日本の独特の神仏習合のイメージさえも漂う。(高山淳)

 花田嘉雄「ばけつ」。頭にバケツをかぶった人形のような男の像。実際、首は丸太で顔はムーンフェースのような球体で、その上にバケツをかぶっている。服はリアルにつくられて、その胴体は柱になっている。エスプリのきいたユーモラスな像である。(高山淳)

 石谷孝二「想雲」。雲に月がかかっている。それがカーヴする白木の台座の上に置かれている。その白木は板を貼り合わせたものであるが、微妙なカーヴをしていて、不思議なオーラを醸し出す。その白木の板は巨大な雲のようにも見えるし、水面のようにも感じられるし、山かもしれない。そういった様々なイメージを仮託することのできるカーヴしたこの台座の力を引き寄せる作家のイメージと造形の力に感服である。そこに渦を巻く三つのフォルムによってつくられた雲がある。実際は二つの装飾的な渦巻きが背後にあり、左巻きの渦巻きが手前にあって、その二つのあいだに十三日ばかりの月がのっている。日本人が月や雲や水を見て敬虔な独特の気持ちになるのは、日本人の中にナチュラルな神仏習合と言ってよいような思想があるからだろう。そういった日本人の素朴な信仰心をしぜんと引き寄せることのできる空間が、ここにつくられている。そういった人の心を引き寄せる装置ともいうべき彫刻の力に注目した。(高山淳)

 佐藤忠博「second crossroad」。巨大な丘が四つのゴリラの頭によって支えられている。その丘の側面は格子状に、あるいは階段状に彫られている。その上方の平らな面に銀灰色の色彩が置かれて、そこに下りてくるものを待っているようだ。ミステリアスでアルカイックでシンボリックな彫刻である。自然に生き物を重ねる古代人の心に戻りながら、敬虔なサークル、神秘的な広場のようなものを造形した。(高山淳)

 本郷芳哉「境界 14─Ⅱ」。鉄を叩いて重ね、広げ、伸ばし、まるで巨大な雲のようなフォルムをつくる。あるいは、接近するとそれは岩のようなフォルムにも見える。強いエネルギーが充填された彫刻である。後ろから見ると霊獣のようなイメージさえも感じることができる。場所によっては二層になっている。凸面とへこんでいる面との緊張感のあるフォルムは、そのままなまなましくどんどん手前に左右に広がっていくようなエネルギーと緊張感をもっている。そういったエネルギーを空間の中につくり出す特異な才能に注目した。(高山淳)

 三島樹一「ちきゅうのたまご―PRESENT TO YOU―」。方形の木製のボックスの中に十一個のソラマメのようなものが置かれている。表面は銀色に彩られ、内部が赤く、それが遠くから見るとまるで花のようなイメージで、生き生きとしたオーラを醸し出す。接近すると、一つひとつの豆の柔らかなカーヴした形が、作者がたまごと言っているように、種としてここから植物を実らせる、その基本のすべてを含んだ存在として輝かしくつくられている。(高山淳)

 神山豊「『OCEANS』 Sailfish」。なぜセールフィッシュかというと、このカジキマグロの背鰭のフォルムが伸びると、帆のように見えるからである。青く彩色された魚の目はガラス玉でできていて、きらきらと輝いている。下方に波打つようなフォルムがつくられている。ハンドルを回すと、上下に魚は泳ぐ。まるで少年の夢想するイメージを立体化して現出させたような作品である。(高山淳)

 渡部直「ACTION―衝動―」準会員彫刻部F氏奨励賞・新会員。両手を上げて跳んだ瞬間のようなフォルムを木彫によって表現する。粗削りであるが、強い動勢をよく表現している。(高山淳)

 官野良太「星降る夜に」国画賞・新準会員。裸の男がしゃがんで両手を伸ばして、その掌で何かを受け止めようとしている。そこには星が落ちてくるのだろうか。そんなロマンを人体のフォルムを使いながら表現し、一種バロック的な力を示す。(高山淳)

 安井華「抱く」F氏奨励賞。巨大な葉っぱを抱き締めた少年の像である。葉っぱがまるで彼女のように感じられる、特異なイメージの表現である。どこかゴシック彫刻のもつイメージの強さを感じる。一木から彫り出したのだろうか。素朴でありながら、内側から張り出してくるような力強い生命力がある。(高山淳)

 世良伸幸「風をとらえる種」千野賞・新準会員。ジグザグに木のフォルムが動く。カーヴするフォルムのあいだから屈曲するフォルムが伸び、そこの端から茎のようなものが動いて頭になり、頭から四つの羽が伸びている。見事なバランスの中に空間を包みこむ。あるいは空間を引き寄せる。また、鑿の跡が見事な韻律表現となっている。(高山淳)

 林宏「はじまりについて」。鳥、ウサギとネズミ、イルカ、巻貝、若葉、アルカイックな生き物の頭、恐竜。そんな形を簡潔に純化しながら、古代の精神につながるような造形をする。その造形を八本の柱の上に置いて、お互いが語り合いハーモナイズする空間をつくる。プリミティヴで童話的な世界を見事に彫刻に造形する。(高山淳)

 藤田英樹「雲」。雲を腰掛けのようにして、そこに寄り掛かるように少女が立っている。独特の韻律がある。屈曲しながら上方に伸びていく形。顔に対して手が大きいのも仏像などによくあって、リアリティがある。木のもつ柔らかな性質を見事に生かしながら、独特の形而上的なイメージを女性のフォルムにかたちづくる。(高山淳)

 こじまマオ「我は工業人なり」。背中にコンビナートを背負った女性は、六本の腕をもち、二本の足で立ち上がっている。いちばん前の二本の手でiPadを見ている。面白いユニークな彫刻である。イメージを形にする。どこかインド的な世界の広がりさえも感じることができる。(高山淳)

 佐藤詩織「emergence」彫刻部奨励賞。抽象的な形であるが、その紡錘状の形から羽が生えている。いずれも金属を溶接したかたちで、その膨らみといい、大きな動きといい、見事なものである。(高山淳)

 冨森士史「胎動 Ⅱ : Cosmic Gateway」彫刻部奨励賞。宇宙の門といったイメージのようである。竜がくねくねと動きながら門番となって立ちはだかっているような、アルカイックで強い力を感じる。金属によってできているから、どのようにしてこのようなフォルムをつくったのかわからないが、相当のテクニシャンだし、力作だと思う。膨らんだチューブの厚さはそれぞれ異なりながら、それが旋回し動きながら三百六十度の方向をにらんだような独特のモニュマンである。(高山淳)

 中島香緒里「時のかけら」。ローマではよく噴水などを見かける。これも壁につけられた噴水のようだ。その水を受ける円形のへこんだフォルムが見える。そばにこんじきの樹木が立っている。面白いのは、その噴水の中にカエルが顔をのぞかせていることである。後ろの面にもカエルがいる。大理石を彫り出してプリミティヴに簡潔に表現する。手前の浴槽のようなところは石を埋めたモザイクになっている。ローマのこのような古代の空間に、東洋のカエルをリンクさせたユニークな作品である。(高山淳)

 長崎陸征「詩う」。金属による作品。腕の先に指があるが、それが人形のようにつくられている。後ろにランプがあり、開かれた本を置いて、そのカバーに三つの花をつけた茎がある。テーブルの上にそれらのものがあって、その手の微妙な表情が独特の詩的なヴィジョンをつくりだす。理知による造形詩と言ってよい。(高山淳)

 池田秀俊「やわらかい月 '14」。十三日ぐらいの月を抱いた女性。緊張した趣である。厳粛な雰囲気で月を持っている。やがて月は満ちてきて、十五夜が来るだろう。この女性も成熟してより輝くだろう。月と女性とが呼応しながら、作家独特の清潔でイノセントなイメージを彫る。(高山淳)

 武末裕子「紡がれる言葉」。不思議なバクのような生き物の口からよだれのようなものが垂れて、下方にだんだんとたまりながら形をなしつつある。夢の国の唾液から物語が紡がれるといった不思議なイマジネーションである。(高山淳)

〈野外彫刻〉

 大成浩「風の地平線―蜃気楼 Ⅳ(部分 1)」。楕円状の柱にカーヴした切り込みが入れられている。切り込みの側面はざらざらしているが、大きな面は磨かれて、御影石のきらきらとした透明な美しさを醸し出す。上方は左右に張って、その側面や上方は鑿の跡の残ったざらざらである。蜃気楼という作品だが、幽玄といった佇まいである。量感をもちながら、そのような透明な存在感を示す。風が吹くと不思議な音色でこの作品は鳴るかもしれない。その意味では古代の銅鐸などに見られる日本人の原初的な感性と共通するものがあるかもしれない。明日香には石舞台といって巨大な石を重ねた、蘇我馬子の墓といわれるものがあるが、石との親和力は実は日本人は古代からもってきた。そういった石との強い親和力が現代によみがえったところに大成の仕事があるようだ。独特のその浪漫性ともいうべきものが、このモニュマンの中に流れている。この作品はたくさんの作品の一体で、これらが地平線に並んで設置されると圧巻と思われる。(高山淳)

 岩崎幸之助「a Circle of Air」。不思議な円弧が竹によってつくられ、それを三角の粗く割れた石がとめて、この野外空間に置かれている。それぞれの石が墓のようで、無縁仏を並べながら、そこに霊が取り巻いているような、そういったあやしい雰囲気もあるし、その素朴な石に光を集め、踊らせているようなイメージも感じられる。(高山淳)

 原透「特異点のある石 11」。石を眺め、その尾根のところに穴をあける。その穴が中心で、そこにカーヴする独特の動きを集める。穴からのぞくと、底に鏡がつくってあって、眺めた人の顔が見える。その内部に水を抱えた巨大な山であり、山のその口をのぞくと自分自身が見えるという不思議な装置である。自然と人間との関係を石というものを使いながら一つの装置として作家は表現する。(高山淳)

〈版画室〉

 世古剛「Mask Ⅷ」。「面は元来人体から肢体や頭を抜き去って顔面だけを残したものである。しかるに面は再び肢体を獲得する。動かんが為。和辻哲郎より」。色彩感覚のよさにまず注目。三つの仮面が下方にあるが、男、女の横顔を思わせ、下方はなにか鬱屈して悩んでいる様子。チェリーのようなフォルムが浮かび、上方にレモンが浮かんでいる。ピンクと黄色、あるいはお面の中のピンクやグレーや緑の色彩が面白く生き生きとハーモナイズする。背後のピンクの紫系の色彩のグラデーションもそうである。静かなタムタムといった音楽が画面から流れてくるような心持ちに誘われる。(高山淳)

 前田政晴「女人たちの祝宴」。「何時の頃からか女性をモチーフに作品を制作するようになった。ふと思い浮んだ言葉が作品のテーマになるが、そのこととうまく繫がってくれるように思う」。六人の女性が立っている。一人の女性は床に坐って、皿の上の食べ物を差し出している。女性たちはワイングラスを持って楽しそうな様子である。クリアなフォルムがまず魅力で、明るい光線が差し込んで、その陰影によってパーティのときめきのようなイメージが起きる。(高山淳)

 小原喜夫「天川 5」。近年、神仏習合的なテーマからよりアニミズムの世界を表現している小原が、新宮の神倉神社の御燈まつりに参加したことがあったと聞いたことがある。そのイメージだろうか、手前には人々が連なる姿、背景は火の海あるいは火の粉を思わせ、壮観な火まつりの様子をモノトーンの色彩でありながら彷彿とする。画面上方には大きな蓮を思わせるフォルムが表現されている。花弁はどこかエロティックである。そこに上から光線が射していて、銀色に輝く不思議なフォルムが置かれている。我々を幻想の世界へと誘い、スケール感に満ちた神的なイメージが現出している。(編集部)

 サイトウ良「瞑―諸行―生」。「万物は常に移り変り少しの間も、とどまるところがないのでは…?。そんな中、感動、勇気、夢、希望を託し、狭い空間に挑戦…」。画面の左上と右下からシャープなストライプの線が中心に向かう。背景はやわらかな夕暮れ時のグラデーションの空のようだ。ブルーを主調色としてスピリチュアルな印象。中心に球が浮いている。何か貴重なものの象徴のようだ。その大切なものに心が向かう。そこにはノスタルジックな気配が漂う。(高山淳)

 金守世士夫「湖山〈不二・幻魚〉」。「宇宙の神秘、地球の不思議、自然の謎、地上のあらゆるものの輪転を思う」。魚が五尾、ゆったりと泳いでいる。木版によって強いクリアなフォルムをつくる。背後は水であるが、水の中にいるというより、水をバックにして悠然と動いている様子。下方の黒いところから海草のようなフォルムがゆらゆらと揺れている。遠景のシンプルな山や夕焼けの沈んだ赤などの色彩と相まって、素朴で簡潔な空間がファンタジーを呼ぶ。(高山淳)

 熊谷吾良「やさしかった」。上品で典雅な味わいがある。ベージュの背景に折鶴が一つ置かれて、その白い調子が繊細で、緑などのアクセントがつけられている。そばに野の草、遠景に小さな家。優しい上品な大正ロマンを思わせる。「老いを自覚し、来し方を思うと、皆んな、皆、やさしかった。これを無理にでも視覚化したかった」。(高山淳)

 星野美智子「ブエノスアイレスの街角―アンチョレーナ通り」。「ブエノスアイレスの街角をテーマとした作品。ボルヘス国際財団のあるアンチョレーナ通りの情景をイメージの世界に展開させた風景画」。画面の中心に門がある。いま閉まっている。壁に看板が嵌め込まれていて「FOUNDATION INTERNATIONAL JORGE LUIS BORGES」と読める。その周りは抽象的な強い情動のようなものが動いている様子で、シュールに表現されている。空間がひずみ、ブエノスアイレスの熱気や歴史のようなものがうごめいている気配を表現して、面白い。(高山淳)

 藤田和十「けむり」。「暮れなずむ山影に一条の煙を配して、風景の哀愁を求めた。遠景に雪山を加えて転景に息を抜く思いを求める」。ブルーのグラデーションが優しい。コバルト系のすこし塩辛いようなブルーである。手前の近景はシルエットで、頂上に林のようなフォルムが見える。平地から煙が上っているのは炊飯の印で、懐かしい里がそこにあるのだろう。その背後の大きくゆるやかにカーヴする山の稜線が優しい。その後ろにも丸い山のフォルムが見える。それに対して遠景に白く切り立った雪を抱いた山があり、それは人間界を絶した神のすむ山のような雰囲気である。その上方のすこし青みがかった緑の空の様子が神秘的である。カーヴを繰り返しながら高遠遠近法の構図になっており、そのカーヴのリフレインする様子がノスタルジーの感情を呼び起こす。(高山淳)

 我妻正史「あの日の記憶 014」。「三・一一の震災から3年過去から現在歴史上の失敗と安全神話を重ねて、この災害が必然で起きたということを忘れないように作った作品」。建物が二つに裂けた瞬間のような強いインパクトのあるコンポジションである。中心に黒い亀裂が上下に入っている。みりみりといま建物が倒壊しつつあるような様子で、建物には緑の色彩が置かれている。垂直線、斜光線などの動きを生き生きと画面に取り入れる。(高山淳)

 木村多伎子「情念(4)」。「此処北国にない、彼岸花の群生、激しい赤のかたまり、その驚きが、日本で生れ育てられた、人形浄瑠璃の娘の恋心に相応しく思えた」。人形浄瑠璃に出てくる女性たちはだいたい心中という経緯を辿る。恋ゆえに燃え上がったその炎は行き場がなくなって、死によっておさめられる。彼岸花はそのような情念を象徴する花としてふさわしい。その花の中から上半身を見せる文楽人形。かしらの肌のしっとりとした白い色彩が、日本の女性の美しさを表す。それと対象的な黒髪。バックのグレーの霧のかかったようなトーンもまた実に繊細な表情を示す。激しいクリアなフォルムや赤、オレンジ、青などの色彩対比に対して、無彩色のグレーや白が生かされる。彼岸花の中にいる女性は死の世界からこちらを眺めているような趣もある。(高山淳)

 吉田志麻「共に生きよう―バオバブの樹とジャンボ―」。「自然の力の恩恵で生きている私達です。アフリカのマサイ族の様に太陽と鳥のさえずりで朝を迎え、木々の恵みに感謝して食し、満天の星にいやされて月と共に寝る。大切な自然と共に生きていたいものです」。作者の語るように、マサイ族を通した自然讃歌といったコンポジションである。中心に二人のマサイ族が踊っている様子。後ろに巨大な樹木が立ち上がっている。周りにはシマウマの群れ。満天の星はそのまま下方の草を星と見立てたフォルムと呼応する。モノトーンの切り絵ふうなフォルムが力強い。象徴的な表現に、このような切り絵ふうなフォルムは適しているし、画面の中にある動きもよい。(高山淳)

 冨永真理「Sweet-sweet Box-2」。おとぎ話のボックスのようで、十二個の枠に区切られている。その中には家やキューブなものや人形、草、針葉樹などがあり、そこから飛行機が鳥のように飛び立っている。上方は星いっぱいの夜空である。詩を形象化したような趣であるところが面白い。「甘い生活じゃないけれど、箱の中には入っている… 大好きなラヴェルの曲を聞いて、いい香りのお茶を飲みましょう」。(高山淳)

 白鳥勲「協想曲」。溌溂とした画面である。神々しい山の頂に花、太陽、そして女性が装っているような趣である。ごくしぜんにこのような線やフォルムが生まれたのであろう。下方には、口を開けて上を向いている顔、あるいは正面を向いている精霊のような姿が佇んでいる。太陽とそのまわりにはエネルギッシュな黄色い色彩が反射するように置かれている。生命讃歌のようなイメージもあって、充実した空気と呼吸を感じさせるような心地よさがある。(編集部)

 奥野正人「おんな〈幻視幻影〉」。白黒の中に裸の女性の上半身の背中が見える。ひねった横顔が肩の上にある。哀愁の表情である。腕を組んで、その女性の手が背中に回っているように表現されているが、その手は男性の手で、女性を抱きすくめているようにも感じられる。背後の植物の黒いシルエットのフォルムはカーヴする形の連続で、独特の繊細な感情表現を寓意する。独特の美意識と物語性が感じられて面白い。(高山淳)

 平子公一「残雪」新人賞。枯れた植物のあいだに雪が積もっている。その様子を繊細に緻密に描く。画面に接近すると、よくも表現したと思われるような緻密なものがある。オールオーバーのそのフォルムがなにか悩ましい。独特の心象が託されている。(高山淳)

 柴田吉郎「冬の旅(諏訪)」。厳しい冬の日の情景であろうが、どこか牧歌的な趣に好感を持つ。諏訪湖の湖面が全面結氷し、その氷の厚さが増して、昼と夜の温度差で氷の膨張、収縮が繰り返されることによって出来る氷の山脈。いわば「御神渡り」と呼ばれ、神事が執り行われる。それを柴田の目によって、独特の世界観として表現している。白黒の木版によって、自然と人々の営みが見事に表現されていて注目した。(編集部)

 山浦久人「神のしづく」新人賞。深海のクラゲや魚などがすむ世界に下りていったところに発見されたようなフォルムが、独特のシュールな味わいを醸し出す。しっとりとした黒のトーンの中から浮かび上がる黄土色を帯びたグレーに典雅な魅力がある。(高山淳)

 村山有紀「釘より/東風」。上下の黒、真ん中の二つのブルー、暗いブルーと明るいブルー。いずれもグレーの調子を帯びている。そこに淡い黄色の三つの円形のものが重ねられ、それは透明になっている。錆びた釘が向きを変えながら点在する。クレーの絵を見ているような楽しさである。独特の感覚的表現である。同時にコンポジションの力と画家自身のもっている質感ともいうべきものが、この作品の魅力をなす。ブルーの中からピンクの小さな色斑が浮かび上がってくるところもユニーク。(高山淳)

第59回新世紀展

(5月2日〜5月10日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 稲葉元英「卓上の譜」。チェロ、ボトル、ケトル(やかん)、マネキン、花、そういったものを白黒の中に表現する。身近にあるものを画面の上にグレーの色調で図像のように表現する。それによって日常そばにあるものが独特の絵画的なフォルムとして画面の中に位置づけられ、しっとりとした生活感情を表す。

 三浦敏和「パリ・ブランクーシ・キス」。パリの街並みが縦横に直線によって表現される。それを背景にしてブランクーシの「キス」や「無限柱」など四体の彫刻が浮かんでいる。赤い紐の先のフックにはブランクーシが使ったグラインダーが吊されている。パリのポンピドゥー美術館のそばにブランクーシの美術館がある。ブランクーシはルーマニアの生まれで、エコール・ド・パリの一人であるが、東洋の心をもっていた彫刻家であった。素朴な詩人であると同時に彫刻家であるブランクーシに対して、画家は強い親近感をもっているのだろう。背景に重層的に構成されたパリの街並みのもつ圧倒的な存在感が、その素朴なブランクーシの彫刻と対照される。遠近感があり、直線によって構成された街。煙突がいくつも並び、不思議なリズムをつくる。灰白色の画家のもつ独特の色彩によって、ひんやりとしたパリの街が画面全体にパノラマのように表現されているところも面白い。その背景があって、ブランクーシの作品がまた強い詩情を放つ。

 佐藤一成「旅」。黒と白との色彩が強くせめぎあっている。下方には立つ女性と座っている女性がいる。上方には少女の顔が大きく浮かび上がる。それは黒の中に白の線によって表現される。そのあいだにベージュの明るい強い空間があらわれる。光と影のコントラストの中に画家の心の中に抱く、いわばアニマの像ともいうべきものがあらわれる。

 佐藤忠弘「風のゆくえ地の声」。サボテンがボックスから顔を出している。そこからV字形に犬と人間のシルエットがある。都会のドライな生活の中にサボテンと犬がウェットな存在としてあらわれてくる。都市に生きる生活者の心情を生き生きと表現する。

 森長武雄「北の大地」。独特の色彩家である。グレーを背景にして上方に赤や黄色、ブルーの色彩がたなびくように描かれている。その下方には白い空間があらわれ、そこに大きな目が描かれる。そばには青や緑の中にやはり目が描かれている。そして、右下方には人の顔が描かれている。右のほうには青や緑の色彩。「北の大地」という題名だが、新しく生命がよみがえってくるようなイメージも感じられる。ジョンブリヤンや黄色、オレンジなどの暖色系の色彩と寒色の青や緑の色彩がお互いに絡み合いながら、イメージが明るいもの、暗いもの、陽と陰とが絡み合いながら炎のように立ち上がってくるといった、そんな動きが画面から感じられる。上方につがいの鳥のようなフォルムが飛んでいる。背後には無常の空間があり、その下方に命というもののもつ力がエロスのように立ち上がってくるようだ。

 髙橋重幸「デリカテッセン」。スペインに住み、スペインで勉強してきた画家である。スペインの街並みが背景に描かれているようだ。黒い衣装をつけた黒髪の女性が、それを背景にして鑑賞者のほうを眺めている。幻のように女性の像が浮かび上がったかのように左手は透き通っている。左手のフォルムの中に遠景の街が重なっている。深い青い空。画家は女性とこれまで深い関係をもって様々な経験をしてきたが、そういった女性のもつ恐ろしい力が亡霊のように、浮かび上がって、こちらに歩んでくるような強い表現である。

 田村敏子「何を見た?」。「WHAT IS MOSQUE? MOHAMED」といった横文字がイスラムの衣装をつけた女性の右手にもった紙に書かれている。後ろにはモスクのようなものが見える。民衆が、子供を含めて何か騒いでいる。素朴なイスラムの人々の側に画家は立つ。柔らかなベージュ系やジョンブリヤン系の色彩が優しい。下方にはイスラムの人々を守るように円弧の茎をもつ植物があらわれ、赤く黄色く花を咲かせている。

 藤田禅「守るべきものは」。自然環境を守ろうとする寓意性がしぜんと感じられる。画面の中心にはアンモナイトのようにカーヴするフォルムがあらわれている。その上方には巨大な蟹がこちらを眺めている。下方には魚が泳いでいる。そういった全体を右の手のひらの上に置くといった様子で、指が周りにあらわれる。一種の曼陀羅構図になっている。しっかりとした堅牢なマチエールの中に、旋回する構図と放射する力が深い祈りのイメージを伝える。

 冨永之廣「薄ら氷(うすらひ)」。襖になっている。白い薄ら氷とグレーの薄ら氷。昼の水と夜の水。日の光が水の上にたゆたっている。そこに風が吹いているといった独特の表現である。一種の無常の風ともいうべきものが薄ら氷の上をわたっているような、そんな心象空間が興味深い。

 神戸正行「宙(青墨の変化)」。古い瓦を集めて構成したような趣である。その瓦は人間の歴史を表す。そして、黒々としたこの空間に空を引き寄せようとするかのようだ。

 安東恵「生きる Ⅱ」池上浩賞。曲線によって独特の強い呪術的な空間が生まれる。その曲線を追っていくと、魚があらわれたり、山羊のようなフォルム、あるいは帽子をかぶった人の姿、大きなウミガメなどのフォルムがあらわれてくる。そこにはまた、向き合ってダンスをするようなフォルムもあらわれる。洞窟の中に描いたのがアルタミラの壁画であれば、画家はそのようにこの一枚の絵を壁のように考え、そこに落書きをするように線によって森羅万象のイメージを描こうとする。しぜんとそこには生命の連鎖のようなイメージもあらわれてくる。

 岩崎奈美「ひととき」新世紀賞。白い犬が生き生きと描かれている。こちらを向いているポーズ、上から見たフォルムもある。人間のように犬を画家は眺めている。優しい表情のそのフォルムが魅力である。

 向芝節男「映」。水面に様々なものが映っている。それを丹念に描きながら、不思議な呪文的な世界を表現する。

 岸本恵美「ちいの部屋」黒田清輝賞。まず色彩が魅力で、青、赤、白などの色面が高い響きをつくる。上方には画家の絵に最近繰り返しあらわれてくる亡くなったちい(犬)の顔が浮かぶ。線による表現である。下方に青い透明な空間があらわれ、馬に乗った人のフォルムが描かれる。白によってそこに重ねられるように建物のようなイメージもあらわれる。左のジョンブリヤン系の色彩にはちいという文字があらわれる。動物をミニマル化したような彫刻のフォルム。画家は夢想しながらイメージを広げる。当然部屋の壁は壊れ、空や非現実の世界も引き寄せる。亡くなった犬も呼ばれる。活性化したイメージのダイナミックな表現である。そこに強い美的秩序ともいうべき造形空間の表現されているところに注目した。

 中神ふみ子「記憶の中の未来」東京都知事賞。空間に奥行がある。しっとりとした調子のなかに中心に深い紫色の色彩が置かれているのが、まるで夜の天空を思わせる。両側に明るいグレーや中間色のグレーが使われ、心の軌道のように茶褐色のストライプがあらわれる。月の月齢を思わせるような白いシルエット。あるいは星を思わせるような球体。ベッドを思わせるようなストライプ。抽象形態でありながら、そのようなシンボリックなイメージを背負いながら、深い空間があらわれ、そこに時間が過ぎていく。

 紀井學「刻は疾駆する」。裸の女性がお互いに肩を組みながら踊っている様子である。赤や緑の色彩に彩られている。これまではコラージュによる表現であったが、今回は彩色による表現である。ただ、板の上に表現されていて、足の裏などは彫り込んだ様子で、そこにやはりコラージュの技法が使われている。背景も印刻されていて、激しい動きを表す。祝祭のイメージと言ってよい。筆者は画家の作品に樹木のイメージを重ねる。この作品も裸の女性というより、樹木がある幻想の中に立ち上がり、喜んで手を組んで踊っているような趣がある。宮沢賢治に、夜、電信柱が歩き出すという童話があるが、そういった強い生命の力、動物ではなく樹木を主体とした幻想感を思う。いずれにしても、背景とこの女性のフォルムとがお互いに響き合いながら、独特の強い波動を表現する。

2室

 小野瀬緑「放課後 Ⅰ」。形が強い。小学校の教室。木製の机の上に大きな金魚を持った少女が座っている。少女は七、八人ほどいて、思い思いの表情、ポーズをしている。緑の黒板に何か書いている少女もいる。あいだに金魚が浮遊し、金魚の周りに腸のようなフォルムがあらわれ、それが床の上に積み重なり、空中を浮遊する。不思議な幻想と言ってよい。夢のような世界に金魚というぬめっとした、鑑賞用の魚が浮かび上がり、動物の内臓の中にある腸のようなものがあらわれる。それと無関係な少女の大きな見開いた目。空中には金魚が群れをなして泳いでいる。現代という時代の混迷。表向きの理念とその内部にある実際との食い違い。そんな言葉も浮かぶのだが、クリアなフォルムによってこの夢のような世界があらわれているところが実に面白く感じられる。

 藤野眞佐子「liberté-14」。女性の横顔がシルエットになって、明度を変えながらトーテムポールのように上方に積み重なっている。五つの女性の横顔である。それを円弧が包む。円弧の中には唐草文様の中に不思議な生き物のフォルムがあらわれ、シマウマのようなものや植物のフォルムもあらわれ、古代から現代までつながる文様のようなイメージもある。そのアルカイックな装飾的なリングに対して、女性の横顔には独特の審美的なイメージがあらわれる。リベルテとは自由という意味だが、夢想の空間のなかでは常に自由はあるだろう。このリングは様々な制約するイメージを呪文的に表すようで、その結界を破ろうとする、そんなイメージを優雅な独特のこの構成の中にまとめたのだろうか。

 松下喜郎「古都変容(borderlessへの予感)」。どこの街なのだろうか。南米のある街のようにも筆者には思われる。その屋上にたくさんのパラボラアンテナが立てられている。それによってここに住む人々はネットによってつながり、世界と情報を共有する。そのパラボラアンテナがまるで降りてくる雪のような不思議なイメージのなかに表現される。

 鶴田貞男「虹立つ鳴門海峡」。巨大な渦が下方に描かれている。鳴門の渦である。上方に虹がかかっている。画家のデッサン力には実に優れたものがある。画家自身大病をわずらって病院から出てきて、お元気だったが、そんな自分の経験をこの渦と希望の虹によって表現した。寓意性といっても、実際に渦のもつ恐ろしいダイナミックな動きが画面に描かれている。はかない虹がそこに浮かんでいる。それ自体は一つの客観的な現実として描かれている。その筆力の上に立って自己の経験を暗喩のように表現する。

 ユタカ順子「あかい山」。古墳のような高いもっこりとした山が懐かしい。上方に大きな太陽が浮かんでいる。手前に点々と樹木が置かれ、あいだに大きな川がゆったりと流れている。わらべ歌を思わせるところがある。懐かしいふるさとの光景のように思われる。画家はパキスタンで長く暮らし、そこに日本人学校もつくった。そういったパキスタンのイメージもそこに引き寄せられているようだ。同時に大和三山のような日本のふるさとのイメージも重ねられて、実に懐かしい象徴的な表現になっている。赤褐色の厚いマチエールを重ねた山の肌の樣子には、一種のイコンのような力がある。

 大杉英郎「聖なる夜に」。傾いた巨大な建物。モン・サン・ミッシェルを思わせるところがある。明るく光り輝くような場所と深い空を思わせるような色面。いずれにしても、十二色環すべてを使ってハーモナイズさせたような色彩感覚に注目した。

 川井雅樹「ELEGY(哀悼歌) Ⅱ」。三・一一の東日本大震災に対するエレジーである。いわきという文字が上方に見え、246という看板がそのそばにあり、壊れた電車が転がっている。そんな中に人形のような人物が綱を渡ったり、電信柱にしがみついたり、あるいは下方では倒れていたり、あるいは俯いて考えこんでいたりする。そして下方には、津波によって流されていく情景が描かれている。独特の演劇的空間、いわば人形芝居のようなものをここでつくろうとする。あまりなまな現実は悲惨すぎて絵にならない。それをもとにして、ある曲をつくろうとするかのようだ。

 足立慎治「ハレルサ(アトリエにて)」。白いカーテンの向こうから顔をのぞかせている少女は裸で、その視線の先には白い椅子の上に照る照る坊主がある。あした晴れて遠足が無事行われるように。そんな言葉がしぜんと画面から浮かんでくる。しっかりとした形態のもつ力を組み合わせているところが、この作品の絵画性と言ってよい。

 伊藤勇夫「大和棟 Ⅱ」。瓦屋根と白壁の家。そういった建物が集合しながら、奈良の懐かしい日本の風景をつくる。今回はそのぎっしりと詰まった建物や屋根が強いマチエールの中に表現され、より強い密度とエネルギーを発散するかのようだ。一つひとつの建物が細胞のようなイメージで扱われているように感じられるところも面白い。そこに斜光線が差し込み、画面に陰影をつくる。小さな細胞のようなフォルムが集合しながら、独特のハーモニーが生まれる。

 ふるた加代「Where2」。化粧瓶、ワイングラス、ワインボトル、あるいは筆を入れる瓶、様々な瓶が集合するそばに絵具のチューブが置かれている。画家の日常に存在するものだろう。それを画面の中心に置きながら、ファンタジックな世界を繰り広げる。下方には集落が見える。自分の住んでいる家もあるのだろうか。あるいは、旅行した時の記憶にある集落のようにも感じられる。上方に二つの花と葉が重なったようなフォルムが浮いている。それはコラージュされていて、ピンクに彩られている。黒い線によって花や電車やその他植物のようなもの、数字のようなものが入れられて、楽しい。後ろに白い絵具をたらし込んだような空間があり、詩情ともいうべき風が吹いている。いずれにしても、室内で夢想しながらイメージを展開し、そのイメージを画面の中に定着しようとする。その強いモチベーションが独特の動きを画面につくる。

 森博子「いきるものたち(Ⅲ)」。たくさんの蟻が球状のものを運んだり会話をしたり、様々に動いている。そこから伸びる植物もあるし、小さな小枝のようなものが柱のように絵の中では表され、それにとりついている蟻もいる。蟻とはつまり人間の寓意であり、それを画面全体に散りばめながら働いている姿を生き生きと表現する。見ていると、やがて来る冬に備えて蟻はひたすら食物をためこみ、巣を充実させようとするかのような、そんなイメージも感じられる。

 工藤明俊「日暮れ」。シティーボーイといった雰囲気の少年が立っている。そばに三匹の猫がいる。シルエットになったマンションの上に飛行船が飛ぶ。お洒落な作品。柔らかな感性のうえに表現されている。

 永原和子「日記 KAZU 2014-1」。長く学校で教師として生活してきたそうだ。退職してから不思議なファンタジックな絵を描き始めた。少年や少女たちが集まっている。そして、それらの塊によって不思議なカーヴするフォルムが生まれる。記憶の窓のような矩形の空間があけられ、花の咲いた樣子。少女が手を伸ばして果実を持っている。ブランコに乗る少年。ラッパを吹く少年。下方からチューリップのような植物が伸びているが、それは上方で少年のイメージに重なる。『銀河鉄道の夜』のような列車が上方に向かって進んでいる樣子。背景は群青といった色彩で、不思議な星座のようなイメージがあらわれている。深い内界に下りていきながら、自分の教えた少年少女たちのイメージと画家自身の子供の頃のイメージとが重なるなかに、この強いファンタジーが生まれたのだろうか。

 小枝真紀「TANGO」。情熱的なタンゴを踊る男女。手前ではアコーディオンを鳴らしている。後ろにはヴァイオリニストやチェリスト、ピアニストがいる。それぞれのフォルムが的確でクリアで力強く、構成力も優れている。

 武田恵江「ソラニスワレシ15ノココロ」。十五歳の少女は自然と一体化したことがあったのだろう。それは画家自身の十五歳の頃の記憶のことだろう。右に少女がいて、左に大きなカマキリがいる。人間と同じくらい大きくなって、そのカマキリはカマを広げている。あいだはグレーの空間で星形のようなフォルムも見える。面白いのは、黄色い紙が貼られ、そこに原色の赤橙黄緑青藍紫といった十二色環の純色が貼られていることで、実に鮮やかな印象である。それは宝石のようなイメージの象徴的表現だと思われる。カマキリが等身大に見えた頃の記憶。その経験をこのように画家は生き生きと描く。

3室

 榎原保「学舎 2」。上方に校舎を思わせる建物があり、屋根の上に二層の塔のようなものが見える。威厳がある。手前にあるつながったベージュの建物。その手前には小さな建物が集合している。さらにその手前には緑の屋根のやはり校舎のような建物が見える。手前には教会を思わせるようなしっかりとした建物が見える。建物がそれぞれ独特の表情をもっている。広場には訓示を聞かされる演壇のようなものと二つの椅子。画家自身が学んだ建物と画家との不思議な距離感のその近さによって、これほど建物が表現のための媒介になるのも不思議である。長い時間がこの建物を漂白しているような趣がある。一つひとつの建物が一つひとつの記憶を入れた容器のように表現されているのも面白く感じる。

 小野康子「明日こそ」。巨大なカボチャが宙に浮いている。上にバッタがいる。横にはトンボが飛んでいる。カボチャの黄色い花が咲いているそばに蝶々が来ている。それを眺めている麦わら帽子の少年は捕虫網を持っている。夏のある一刻のイメージを、クリアなフォルムを駆使しながら構成する。独特の筆力のある表現。

 斉藤照子「nostalgia Ⅰ」。白い漆喰のような壁をもった素朴な建物がいくつも並んでいる。画面に接近すると、屋根にはドンゴロスのようなものが貼られている。アクリル絵具なのだろう。壁も厚いマチエールになっている。近景に柔らかな緑の葉の茂った樹木。遠景は点々と樹木が茂りながらゆるやかな丘になっている。そんな中に手前の広場に七つのグレーの球が浮遊している。七つというと北斗七星も七つ星だが、すこし地上から宙に浮いたファンタジックなイメージがそこにあらわれる。独特の詩的空間と言ってよい。

 大形美知子「月花爽風 Ⅰ」大久保作次郎賞。線を生かしながらイメージの展開にしたがってフォルムをつくっていく。そこに生き生きとした心象空間が生まれる。こちらを向いた女性のぐるぐる巻きになっている髪が、すこしほどけながら上方に浮いている。猫が手前に接近してきている。いま十字路を渡った。双葉の植物がまるで蝶のような趣で宙に浮いているそばに、たくさんの花が密集している。女性はいま昼の時間帯で仕事をしているようだ。下方には夜の空間があらわれ、植物がその葉を伸ばしている。時間の推移のなかにあらわれてくるイメージを面白く画面の上に構成する。女性の背後の広場のようなイメージも面白い。室内と室外を隔てる壁が取り払われる。赤色系の色彩を駆使しながら、生き生きとした生活感情をうたう。

 平田睦夫「私の痕跡 Ⅰ」吉村芳松賞。男がもがいている。そのもがいているフォルムを三つの形によって表現する。どろどろのマチエールが周りにつくられている。ぬかるみの中であがいている人間の像を生き生きと表現する。

4室

 荻野真理子「水辺の詩(音)」。明るいベージュの上に明るい黄色、明るいブルーが入れられて、独特の色彩感覚を見せる。紫陽花のような青い花がまるで宝石のようだ。

 浅井陽子「It rains on Friday」。雨の日の内向するときの心持ちを面白く抽象的に表現している。ベージュやグレーに独特の手触りがある。白い点線やカーヴする線。黒い線がそれと対応する。上方にはチョークのようなもので線をつくり、白い太陽のようなイメージがあらわれる。体感的な生理的な心象を面白く画面の上に表現する。

 生川香保里「時の旋律・Ⅰ」。青と白とが不思議な空間をつくる。青の中には明るい青、暗い青などの色彩が入れられ、それが左右に揺れている。それに沿って白いフォルムも揺れる。その中にオレンジ色の色彩をもつフォルムが立ち上がってくる。下方から白い道が向こうに続いている。上方には船のようなフォルムも見える。まさに題名のように時の旋律で、その充足した時間は放心の時間と言ってもよい。過去と未来とがそのまま現在の中に流れこんで、時というものの中に自分自身がたゆたうかのようだ。時という海の中にゆったりとつかったような、そんな表現が興味深く思われた。

6室

 金井哲子「あしたへ」。母鴨の下に三羽の子鴨。手前の左には父鴨がいて、右のほうにはケースの中に五つの卵がある。暖色を駆使しながら落ち着いた穏やかで平和な空間をつくる。

7室

 荒木田和美「漁場の土産物屋」。太い線によってつくられたかたちが強い。下半分は海で、その向こうに土産物屋があり、赤いパラソルなどが手前に見える。後ろは暗く、上方にオレンジ色の空がのぞく。独特の生命感が感じられる。

 谷本勝美「工場 3」。工場の高い位置から下方を眺めている。それによって独特のスリリングな気配があらわれる。直線や斜線による空間表現である。

 瀬川清子「想い Ⅰ」。足のあいだに太鼓を挟んで叩く女性。後ろでは立って膝の上に置いた太鼓を叩いている女性がいる。下方にはラッパを吹いている二人の女性の姿を上から見たフォルム。画面の上辺には足だけ見えるもう一つのフォルムがある。プリミティヴな力強い音楽を奏でる女性たち。色彩はグレーが中心となっている。そこに朱色や紫の色彩をすこし彩度を落として使っている。フォルムが力強い。人体のドローイングがしっかりとしているところが魅力である。また、動きというものを画面の中に面白く構成し、それを音楽と重ねようとしているところも興味深い。

 車晴美「日常 図録 2014─Ⅱ」。裁縫する部屋のようだ。緑の床の上に白いマネキンが立ち、赤い帽子がかぶせられている。周りに裁縫台やハンガーに掛けられた衣装、本、椅子などが置かれている。そして、ドアのあけられた向こうはリビングのような雰囲気で、赤系の色彩でまとめられている。手前が仕事室で、その向こうは憩いの場所といった雰囲気。そんな雰囲気を女性らしい優しい色彩でもって描く。香りが漂ってくるような上品な空間だと思う。

8室

 岩崎孝志「昨日の夢」準会員推挙。サトイモの葉に水滴があって、それが宝石のようにコロコロと動いていくようなイメージをブルー一色の中に表現する。さいころが一つ置かれているその対極に、ハチドリのような鳥が羽を広げている。独特の幻想である。ミニマムなものに接近しながら大きな世界を引き寄せる。

 橋本隆範「生きる歓び」。毛の生えた植物がグレーの中に表現されているのだが、それに重なるように二本足で立つ生き物が緑の影として左右にあらわれている。強いフォルムによるユニークな独特の感情表現と言ってよい。

 阿部弘「刻 1」。女性が胸の上で手をクロスさせて瞑想している。後ろに大きな樹木のシルエットが広がっている。水平線近くに出た満月。深い想念の世界を発信するコンポジション。

9室

 和田依佐子「季節の中で(待つ)」。子供の頃、ポンプで水をくんでいた記憶が筆者にはある。そのポンプが画面の中ほどに描かれている。淡い茶系の光を含んだようなジョンブリヤン系のバックの中に、すこし青みがかったポンプが置かれている。そのポンプの蛇口が曲がり、上下する棒のてこによって、胸の膨らんだ一人の人間が手を屈曲させ上に上げているようなイメージと重なる。その擬人化されたポンプがゆっくりと春を待つイメージを引き寄せる。蔓科の植物が下方に優雅な屈曲した曲線をつくる。達者な筆力でイメージを具体的にフォルムに置き換えて表現する。言葉以上の深いイメージを発信する。

 大塚浩司「ブルージュの鐘楼」。高い鐘楼をもつ建物を正面に置いて、すぐれたデッサンでそれを描く。近景の点々と立つ街灯が遠近感のアクセントになっている。透明水彩の色彩が瑞々しい。

10室

 山下静江「羅漢 Ⅱ」。二十体近い羅漢たちが思い思いのポーズをしている。座っていたり、立っていたり、腕を組んでいたり、合掌したり。その上に雪が積もっている。不思議な強い画面になっている。羅漢の顔も大きくなったり小さくなったり、自由に画面の中に配置されている。そのリズムのなかに羅漢というイメージが増幅され、だんだんと大きくなり、密度をもって鑑賞者に迫ってくる。悟った人ではなく、一人の人間のもつ様々な喜怒哀楽がこの像に託されている。

13室

 山本貞子「砂漠の民」。たくさんの牛が動いている中に犬がいる。牛飼いの男があいだにシルエットに描かれている。手前に籠を背負った男が腕を組んでいる。上方には鳥が飛ぶ。遊牧の民のイメージを明るく画面の中に表現する。

15室

 辻みどり「時の狭(はざま)で」。ロマンティックな画面である。画面の中心に池があり、そこに白鳥が向かい合って泳いでいる。お互いに語り合い、求愛しているような、そんなしぐさである。その水の中に上方からカーヴして下りてきて侵入しようとする妖精のような少女がいる。手前の岸には百合のような花が咲き乱れている。その上には白馬が疾走して下りてきている。白というものがキーワードになっている。イノセントで純潔なイメージ。しかも、白馬の右足に少女が左手をのっけて伴走している。下方の白い花の中にも白い衣装の少女が手を前に向けて立っている。白い花をつけた植物が点々とこのグレーの地面に描かれている。その白い花が上方では空に浮かび上がって、星座のようなイメージを伝える。右上方にはオレンジ色の屋根とに白い壁の茸のような民家が集まっている。憧れとか美しいものとか、無垢なもの、愛、自然との深い交感、そんなイメージを縦横にこの画面の中に画家は繰り広げる。漆を思わせるようなマチエールが強く堅牢な画面をつくる。

第36回新洋画会展

(5月11日〜5月20日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 高橋裕介「風景」。小高い丘から山並みを眺めた情景である。右中景には学校のような影になった白い建物が見える。手前の深い緑と山並みの青がうまく馴染みながら画面を構成している。その中でその学校が一つのポイントとなって画面を活性化させているところにもまた注目する。

 庄司陞「北の大地」。澄んだ空気の清々しい雪景色が広がっている。河川敷であるが、地平線の上には雲が大きく立ち上がってきている。その雲の青みがかった白と雪の輝くような白、そして青い空が実に繊細に気持ちよく描き出されている。それが現地の空気感を引き寄せて、肌に迫る強い臨場感を作り出している。

 いなだ牧子「窓辺のダーラナ木馬(北欧)」内閣総理大臣賞。舞台あるいは物語の一場面のようなファンタジックな画面に惹き付けられる。語り合うように向かい合った馬たちやそれを囲うように連続する家屋が、楽しい物語を語りかけてくるようだ。丹念に構成された画面によって、そういった画家のイメージがしっかりと表現された作品である。

 小林恵久夫「チュレンヌ」。色面によって描き出されたような街並みの風景を上方から眺めている。グレーや茶などの家屋が曲線を描くように並んでいるが、よく描かれるこの街のなかでも独特の視点である。左上方は緑の色彩で樹木などが描かれている。そういったしっとりとした色彩の扱いが特に魅力の作品である。

 堀澤昭夫「清風」文部科学大臣賞。椅子に座る若い女性と屋外の風景がダブルイメージで描かれている。そのどちらも実に静謐に描かれていて、爽やかな印象を受ける。何かに想いを馳せる女性の表情が、その雰囲気と重なるような魅力を湛えている。

2室

 上田みな「プロファイル花 1405」。天使と女神が画面の中央に描かれている。どこか花の精といった雰囲気もある。やわらかな筆の扱いと色彩が、豊かな情感を運んでくる。天上的な世界観を身近に引き寄せたような親近感が特に魅力の作品である。

第74回美術文化展

(5月12日〜5月20日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 和田仁智義「風水(ふうすい)」美術文化賞・会員推挙。三曲対である。上方から水が下りてきている。受けるものがあって、そこからまた溢れて、水が下に垂れてくる。そういったフォルムがいくつもつくられている。両翼には岩石でできた山のようなフォルムがあらわれている。鳥が上方に飛んでいる。岩と水と鳥。そんな自然を構成する元型的なイメージを、内界の世界のように表現する。

 石原収二「デビルスガーデン」。洞窟の向こうには青い空と崩れた岩石と砂漠のような地面がある。手前の暗い洞窟には不気味な小さな生き物が旋回している。この向こうに見える地面と空と岩。そこに行くとまがまがしいことが起こるに違いない。ワナがしかけられている。そんなイメージをヴィヴィッドに表現する。怪奇映画の一場面のようでもある。

 本山正喜「宿命に対峙して」。旧約聖書にある創世記神話からとっている。エデンの園でアダムとイヴは幸せに暮らしていたが、蛇の誘いによって禁じられた林檎をかじる。それは知恵の実で、それをかじることにより意識が目覚める。意識が目覚めると、裸でいることが恥ずかしくなる。そういった人間の意識というものの最初のテーマを旧約聖書は実に見事な象徴的表現で語っているが、それをテーマにして林檎を持つイヴ、落下するイヴ、夫婦として寄り添うアダムとイヴ、誕生した子供、茂る林檎の木を画面の中に配する。背後は金箔を貼ったような表現になっている。その装飾的な空間を背景にして、創世記の物語が生き生きと描かれる。蛇のくねくねとした二つのフォルムが、このアダムとイヴのあいだを巡りながら、独特の深いイメージを語る。

 浅野輝一「心の風景 Ⅰ」。不思議な作品である。ブルーを中心とした中にすこしピンクなどが入って、独特の繊細な色彩感覚を見せる。津波を思わせるカーヴするフォルムが、画面の下方約半分近くを占める。その向こうに五つの後ろ向きの男女の頭がのぞく。その向こうにはこちらを向いたグレーの七人の男女がいて、一人は眼鏡をかけて立っている。左手を水のほうに差し伸べている。五人の後ろ向きの頭を見せる男女は、遠ざかっていく人々のようだ。つまり、津波で亡くなった人々があらわれて、彼らとこの群像たちは語り合っている。語り合っているが、黒いシルエットの像たちはほとんど無言のような雰囲気である。人間たちは日常の中に存在している。そして、話をしたり笑ったり叫んだり考えこんだりしている。生きているということは、常にそのようなことになる。死者もその中に入れられているというところが、この作者のエスプリと言ってよい。死者も入ることによって、一挙にイメージの奥行が広くなる。手前の水のフォルムの中にはうずたかい死者の存在を感じる。霊体がそこに重なって波のようなフォルムを表している。われわれは実は、本を読むにしても死んだ著者が多く、社会をつくった人も死んだ人だし、死者に取り巻かれて生きているのだが、あまりそのことを意識しない。津波によって画家の意識を目覚めさせ、このようなコンポジションをつくらせた。そんな強いリアルな印象である。

 「心の風景Ⅱ」のほうは、その津波の向こうに三人の男女がいる。手を広げて伸びやかな雰囲気であるが、すこしグレーを帯びて、伸びやかであると思ったのが、実は津波に呑み込まれていきつつあるような、そんな存在のように感じられる。上方には茜雲のような雲が浮かんでいる。もっとも、津波のような問題に限らず、人はそれがまがまがしいことと思わずに付き合って、そこに引き寄せられて沈没していくといったことはよくある。しかしまた、沈没しながら生き延びて復活する人も現実にはいる。津波のときにもそのようにして生き残った人もいたにちがいない。いずれにしても、人間という危うい存在というものを、生き生きとこの作品によって表現する。

 斉木章代「明きら目半分」。百三十号の二枚の画面によって構成されている。右のほうは赤いパッショネートな表現で、左のほうはブルーを中心とした繰り返される円弧によってつくられている。左を見ていると、朝の空間を思う。右のほうは昼から夜にかけての空間のようだ。右がパッションであれば、左はロゴスのような性質を感じる。感情と思考という二つの対立するものによって人間はできていて、そんな二つの世界を画面の上に統合しながら未来に向かっていこうというイメージも感じられる。また、右の赤いフォルムの上にたらしこんだようなアメーバのようなフォルムがあって、人間はなかなかそう簡単にはいかない、様々な重荷を背負っているといったイメージもあらわれるし、左の青の中に清爽な英知の光のようなイメージが、円弧の中に入ってくる光によって表現されているようにも感じられる。いずれにしても、重厚で画面に奥行があり、いわば人間というものを構成する元型的な要素を組み合わせた佳作と言ってよい。

 堤光子「それぞれの想い(Ⅰ)」。ぶち猫を抱えている少女。その母親と思われる女性。母親の友人である女性がその後ろにいる。三体のそれぞれの思い。猫も入れると四体の思いということになる。曲線を使いながら面白く構成する。面白いのは、猫、少女、母親、友人というように重なっている前後する存在が、お互いに関係をもっているように表現されていることである。円弧のもつ力によってそのようなイメージがあらわれる。

 乾繁春「何処へ Ⅰ」。上方から下りてくる三つの顔。それと語り合う下方の三つの顔。背後に建物が点々と横に並んでいる。上方の二つの伸ばした手がそのまま風景の中の道のイメージと重なる。しんしんとした気配の中に、人はどこから来て、いまどこにいて、どこに向かうのかといったベーシックなテーマが浮かび上がる。

 長船侍夢「狭間」奨励賞・会員推挙。ソファの上に寝ている女性がくの字形になって、そのまま浮かび上がっているという表現が面白い。その姿が下方のソファに黒々とした影を捺する。眠りと覚醒との中間にいる人間的存在のイメージを面白く表現する。リアルな描写力をもとにして、虚と実ともいうべき二つの世界が呼応する。

 山形弘枝「HELP ~いちご~」損保ジャパン美術財団賞・会員推挙。両側に苺のカットした断面が描かれ、青い空に浮かび上がる。そこにテントウムシなどが来ている。蜜蜂も来ている。中心のF型のキャンバスは、その断面が炭になってしまっている。その末端の部分が緑と紫の葉になっている。面白いのは、炭になったものを水のようなイメージの細胞のようなものが取り囲んでいることだ。そして、そこにもテントウムシや蜜蜂が来ている。自然を象徴する一つの苺。その苺は中心では炭化した別の存在となっている。にもかかわらず、恐れることなくそこに昆虫たちが来ている。「ヘルプ」という題名がよくわからないが、植物の崩壊と再生といったイメージをしぜんとこの作品から感じることができる。また祭壇画のようなコンポジションにも注目した。

 西嶋好美「行方 2014」。牛骨が浮かんでいる。下方にはアヤメのような赤い花が折紙によってつくられて、やはり浮遊している。上方にはすこし変形したような折鶴が二羽浮かんでいる。水があふれるように手前に浸食し、下方の地面に亀裂が走る。二〇一一年三月十一日、東日本で起きた大惨事に対する深いレクイエムの表現である。

 五島秀明「ザマニシリーズ・記憶1/2」。金と黒とのコントラストが力強い。記憶の二つのボックスが両側に置かれているようだ。様々な困難なものを背負った記憶の箱。しかし左を見ると、その記憶の箱の中に透明な瑞々しい青い水や緑の葉や光るもののイメージがあらわれている。そこには希望のイメージがしぜんと感じられる。過去、現在、未来。歴史がテーマになっているようだ。時間と記憶のモニュマンと言ってよいかもしれない。

 鈴木秀明「顔を持つ人」。ギリシャ時代に対する深い憧れの表現のように感じられる。四体の大理石の彫刻があって、左のほうの女性像に首はない。中心の像は自分の首を持っている。それを眺めている侍者。向かって右のほうは俯いたヴィーナス。うねうねと流木のようなフォルムが浮かんでいる。空には葉が散っている。左上方から光が差し込む。ギリシャの澄明な文明に対する画家の深い哀惜の念ともいうべきものが、このようなコンポジションをつくったように感じられる。四体の石彫のフォルムが生き生きとした詩的なイメージを発信する。

2室

 山口裕美子「TIME TRAVEL」。縦長の画面で、バックは黒い空間になっている。右側から上方に向かって大きな椿の木が伸びて、左にその枝を伸ばす。そこには点々とグレーの蕾がついている。花が開いて落花する。落下するうちに花が開きはじめる。下には花開いたピンクの椿の花が落ちている。そばに二つの実がある。その右には若木が伸びている。椿が蕾をつけ、花が開き、落下し、そこから実が生まれ、また若木が生まれるといった、循環する命を面白く表現している。ちょうどモノクロ映画に天然色の映画が紛れ込んだような面白さで、下方にピンクの椿の花が散っているのが鮮やかな印象である。時間というもの、季節を、画家は黙って眺めている。そこから、このような時間の花鳥画を表現した。

 中村和子「激動の中で」。ぐるぐる旋回するフォルムに密度がある。その中に黄色や赤い光が滲み出るように表現される。左のほうには目のようなフォルムもあらわれる。時代の変化のなかに生き、思考する心のイメージを面白く描く。

4室

 小関通「縁日 14─1」。日本の神道的なエネルギー、その空間を描いてきた。ところが、この作品は下方に二つのロープがあって、プロレスリングのショーのような雰囲気である。あるいはボクシングかもわからない。レフェリーが手を挙げて、1という数字を見せている。背後に観客がいる。熱気のある空間が生まれ、独特の密度によって強い動きのようなものが画面から感じられる。選手はこれから試合を始める前の時間のはざまのようなところに立っている。もう一点の「縁日 13─1」は屋台の出ている様子で、そこにいて作業をしている人々や買物の人々も面白いが、背後の樹木たちの生き生きとした表現に特に注目した。

 吉岡治美「二匹の獣(黙示)」。ヨハネ黙示録から受けた印象を、福島原発の大惨事と重ねて表現している。下方に福島原発の原子炉の様子が描かれている。手前のたくさん集積した円筒形のものは、プルトニウムや燃料棒のようだ。人間が支配することのできない恐ろしい核燃料であることが、今回の事故でわかった。廃棄することもできない存在である。背後に青い海が広がる。その水平線の向こうから立ち上がる怪物について、ヨハネ黙示録から引用する。「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒瀆するさまざまの名が記されていた。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威を与えた。この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。『だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。』この獣にはまた、大言と冒瀆の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。そこで、獣は口を開いて神を冒瀆し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒瀆した」。確かに原子力の事故や日本に落ちた原子爆弾は黙示録的世界といってよい。ヨハネ黙示録を読むと、破壊というものは繰り返し起き、サタンにとって破壊はまた喜びであることも事実であるとわかる。それに対抗する命の書と天使たち……。画家の激しいイメージの表現である。

 圓尾博一「御伽草子(TOTA)」。八岐大蛇とスサノオノミコトが対峙している。右のほうの八岐大蛇がぐるぐると胴体をカーヴさせ、激しい圧倒的な存在感を見せる。口から炎のようなものを吐いている。それに対して三叉のホコを持って立ち向かうスサノオノミコト。後ろには人身御供となってきた女性を象徴するような十二単の黒髪の女性がいる。日本の『古事記』から想をとった。神話をダイナミックに表現する。スサノオノミコトの口から不思議な息、スピリットが出ていて、それが渦巻く雲のようなかたちをなしているところも面白い。

 藤野千鶴子「宙─2014」(遺作)。上方にハート形の赤い色面がある。周りはピンクや黄色で、命の温かなエネルギーが画面にしみ通るように表現されている。この画家らしい時空間を突破した表現である。右のほうに盾のようなフォルムが黒く青くあけられて、そこに一つの生き物が浮かんでいる。手前の世界に対してもうひとつ向こうの暗いひんやりとした世界がのぞいている。その境界にこのアメーバのような人がいて、メランコリックな雰囲気である。この作品は二〇一二年の九月と署名されている。画家は二〇一四年四月十七日に亡くなった。筆者は長く画家と付き合ってきて、画家の作品の展開をずっと追ってきたが、実に残念なことである。合掌。

 石川裕「言葉のない会話」。石川裕は三体の木彫作品を出品した。自然木のもつ独特のカーヴする形を生かしながら、あるいはその姿をよりヴィヴィッドに引き出すように彫刻する。この「言葉のない会話」は、老齢の樹木から孫のような若い花が咲き、新しい芽の現れている存在を構成したように思われる。赤く塗られた部分が前者で、緑の部分が後者である。それが一木の歪んだ形から引き出されているところが面白く、自然の樹木の形を生かしているところに強いイメージが生まれる。エルンストを思わせるような強さも感じられる。

7室

 見﨑泰中「GREEN MESSAGE『犬のふぐり』14─3A」。犬のふぐりとはふぐりのような実をつける小さな植物である。それを拡大して木彫に表現した。ふぐりのような二つの球体がくっついたものが垂れ下がって、上方に広い葉がつくられ、それを支える茎のようなものがU字形にカーヴして、中心の台と接続している。その優雅なカーヴする形が面白い。曲面や曲線によってできた有機的な形。まさにグリーン・メッセージと言ってよく、動物ではなく植物系からメッセージされる自然の命の様々な面白い姿の表現である。

10室

 森中喬章「文明終焉図」会員賞。上方にビルのようなものが倒壊した様子が描かれている。左上方に建物が幻影のようにシルエットに浮かぶ。下方中心はいわば地中のマグマのようなものがうごめいている様子で、赤褐色のフォルムが強い力を発揮する。そのあたりはフレスコふうなマチエールになっていて、都会の崩壊と自然のもつエネルギーがその力を振るう様子を対照させて、面白い。

 山田光代「はなびら XI」準会員推挙。かがり火が焚かれて、夜桜がそれを映しながら幻想的な景色を見せる。それを夜の闇が囲んでいる。そんなイメージを半ば抽象的に表現する。下方にはピンクの炎が立ち上がり、そこに花びらが散っている。上方は夜で、そこにも花びらが散っている。たらしこみふうな効果を使いながら、耽美の世界を表現する。

 直原清美「手を携えて」。下方にたらしこんだ雲のようなイメージがあらわれている。月を思わせるような円弧の両側に、上方を向いた姿と下方を見ている頭を垂れた姿の、二つの白い衣装のフォルムが浮かび上がる。死の世界に向かって二人は昇天しているような雰囲気。二人の人物に亀裂が走り、物質というより霊的なイメージのなかに表現される。

 浦田直人「Fujin Raijin」佳作賞。金属でできた立体の風神雷神。背中にぐるぐると渦巻く雷のマークのものを背負い、頭の上に二つの風を送る円筒を持ち、口もやはり風を送るためのもので、楕円状の筒になっている。両手を前にくの字形に置いて立っている。後ろには扇風機のようなものを背負っている。風を引き寄せて、円筒形のものから送るのだろう。そんな彫刻であるが、鋳物でつくって組み合わせたのだろうか。金属の作品で、実にユーモラスで面白く感じた。

11室

 廣石都「天狗のハナ」準会員推挙。天狗のハナというのはどのようなものか知らないが、蔓のようなものが画面を動いていて、そこに楕円状の葉のようなものがいくつも固まったものが点々と置かれている。背景も緑で、しっとりとした雰囲気である。全体で植物的な生命の輝きを生き生きと表現する。

12室

 野村明正「残映 Ⅰ」会員推挙。亀裂の走った地面のはるか向こうに、幻影のように高層ビル群が浮かぶ。蜃気楼のような雰囲気である。すでになくなってしまったことを暗示するかのような表現になっている。地震や原爆や様々なことによって、人間のつくった文明が滅びてしまった。亀裂の大地からあやしい植物的なものが伸びつつある。そして、その枝のようなところから手を広げた種子のようなものが浮遊している。その手を広げて飛んでいる様子は、どこか人間のフォルムに似ている。それがたくさん飛んでいて、不思議なリズムをつくり、その背後に植物の蔓のようなものが遠くから近くまで激しくダイナミックな動きをつくる。きびきびとしたリズムがある。地面の亀裂したリズム、樹木のようもののリズム、飛ぶもののリズム、蔓のようなパイプのリズム。それらのリズムがお互いに呼応しながら、独特の絵画空間を構成する。

13室

 奥田美晴「繫がる(つながる)」。下方に少女たちが並んでいる様子で、その上半身が描かれている。俯いたり、正面を向いたり、横向きである。その上方に少女が上を眺めている。その後ろに若き母親と思われるシルエットが浮かぶ。少女は希望の光を見ているようだ。母親は物思いにふけっているようだ。親子としてつながっていく人間の連鎖をロマンティックにうたいあげている。下方の群像と上方の二人の頭部のあいだにぐるぐると旋回する風のようなフォルムがあらわれている。左のほうにも女性たちの裸の群像のようなイメージが、紫色のトーンの中に浮かび上がってくる。女性は、自分自身が子供を生むことができる存在。世代の連帯というイメージも、まさに血と血がつながっているということで実感されるのだろう。それを大切なものとしてロマンティックにうたいあげる。

 高羽良昇「Ruin2」会員推挙。ルーインとは崩壊といった意味である。強いモニュメンタルな表現である。倒壊した柱に、恐竜のようなものから人間の頭蓋骨まで様々な頭の骨がつけられて、それぞれが口をあけて叫んでいる。それぞれの連鎖のなかにある種を代表するものが骨となって叫んでいる。崩壊という題名だが、その崩壊は人間至上主義ともいうべきものの崩壊であって、それによってネーチャー、自然のもつ本来の力があらわになる。上方に黒い太陽が時の象徴のように輝いている。

 若月朝夫「倒壊寸前」。腿にすがりついているピンクの人。同じようにそのピンクの人にすがりついているブルーの人。ブルーのおなかにすがりついている黄色い人。黄色い人はその下方からすがりつく人はいないみたいで、垂直にぶら下がっている。上方の誰かが手を離すと、あっという間に落下する。そんな危険なスリリングな関係を、人体を使いながら構成する。それはそのまま社会を構成する要件として、誰かが誰かに頼ること。たとえば会社に勤めて給料をもらう。その会社はどこからかお金を持ってくる。持ってくる会社も同様であって、どこかが倒産すると連鎖倒産というものが起きる。税金が入らなくなると国家は滅びる。といったような社会的な関係性の広がりをしぜんとこの作品は寓意する。それを有機的に、衣装で包まれた人間の体が体をつかむという構成によって表現することの面白さ。

 伊藤行子「レクイエム・イノチノタネ」。上方は黄土系の空間で、その下に大きな波が来ているようだ。その下方はゆらゆらとゆらぐフォルムで、その手前にも水のようなイメージがある。そんな中を同心円をもった四つのブルーの光る不思議な存在が浮遊している。津波によって亡くなった人の魂の浮遊しているイメージを、二曲の屛風ふうな中に日本画の花鳥図のように表現する。

第74回日本画院展

(5月12日〜5月18日/東京都美術館)

文/高山淳・編集部

1室

 半本藍「峠のむこう」会友推挙。峠から眺め下ろした、ユニークな景色である。谷間に家が小さく見える。光を受けて輝く緑のトーンが清涼である。静謐な中に、おとぎ話のような幻想性があらわれる。(編集部)

 高橋かね子「安達太良の空」望月春江賞。安達太良は、福島県北部にある火山である。その山をバックに、和装の女性が正座し、左手を顎の下にあげている。繊細な指の描写がその表情と相まって、どこか哀しみをたたえている。着物の桃色の深いトーンが印象深い。力強い構成である。(編集部)

 玉田智江子「悠遠」望月春江賞。光をバックに、大きな桜の樹が満開に花を咲かせている。ふんわりとしたタッチによる幻想的な空間に、生命感をたたえて立っている。(編集部)

 酒井恵理子「夕暮れ時」会員賞。宵闇の頃のどこかシュールな味わいのある空のもと、レンガ造りの聖堂が立っている。ステンドグラス的な色彩美に注目した。(編集部)

 浦野英里子「平成流行犬図屛風」ロバート・クラウダー賞・準会員推挙。行進している犬たちが、愛らしく描かれている。こちらを向いたり、飛び回ったりと、金箔のバックに呼応するように、様々な犬が生き生きとした態を見せる。(編集部)

 玉木志穂「タッチ ハート」新人賞。4人の女性が食卓を前にしている。何かをほおばる女性、箸をつかう女性、女性たちの様子が、生き生きと描かれる。生活の一場面を活写したような中に、赤の調子も相まって、あたたかみのある不思議な宴のような雰囲気があらわれている。(編集部)

 山田京子「川ぞいの家」会員賞。川沿いの三階建ての木造の建物が画面の半分以上を占めている。古いアパートなのだろう。上方の家には洗濯物がかかり、下方の真ん中の家には緑の大きな盆栽のような植物が見える。いちばん下にもひっそりと一つ、青いタオルが干されている。不思議なことに、その横の家の三つのそれぞれの窓は閉鎖されていて、誰もいないようだ。左のほうの三階建てのほうにはカーテンが靡いている。九つの部屋の窓が描かれているわけだが、それぞれ表情が違っているのが面白い。画家は絵を描きながら一つの物語を紡ぐようだ。そこに茜色の光が差し込んで、温かな雰囲気を醸し出す。屋根にオレンジ色の光が当たっている。その光は下方の護岸されたブロックのところにも差し込んでいる。生活のうたともいうべきイメージである。下町のシャンソンが画面から聞こえてくるような気持ちになる。これまでの自然を描いた作品から一転して都会の風景に変じ、より作品が発展したように思う。(高山淳)

 齋藤直之「緘静(2)」審査員特別賞。奥に樹々が立ち並び、その手前に草が生えている。静かな、冬の沼が林を映す。シンプルな構成の中に、白を効果的に使い、凜とした静けさが生まれている。(編集部)

 石渡雅江「寒立馬」審査員特別賞。馬の親子だろうか。親密な様子の二頭は縦にからだを分けられ構成され、分けられた間には太陽のような明るい光が輝く。生命の温もりの表徴だろうか。(編集部)

2室

 西井祐子「ヒミツの宴」準会員推挙。絹本に描かれた、ポップな雰囲気の作品。擬人化された猫が、酒盛りをしている。可愛らしい猫や植物のフォルムが、シュールな空気感の中に、しっかりと動感をもって描かれており面白い。(編集部)

4室

 滝上くら「憩い」。点描技法を生かした表現。ボリューム感ある花の茂みの青い葉の一枚一枚が、うごめくような、光を放つような静かな迫力を持っている。そのもとに佇む黒猫は遠くを眺めているようで、不思議な時間性が生まれている。(編集部)

 川上嘉宏「舞台」。清水の舞台だろう。上には人が寄り集まっている。画面の中心を成すのは、その土台である。紙を貼り、画面上に舞台を構築するように描く。前景には樹々が立ち並び、遠景には冬の夕暮れのような空が広がる。モニュメンタルな存在感があらわれている。(編集部)

 間朝香「詠」会友推挙。横長の画面に、百合の花が咲き開いている。夜明け頃だろうか。明暗のはっきりしないアンニュイな空間の中に白く輝き、情感を醸し出す。(編集部)

5室

 北尾君光「かたらい」。女性が、机につっぷしてまどろんでいる。花や魚、家や果物といったかたちが、その周りに女性の夢のように浮かんでいる。その奥では、女性ともう一人の女性が向き合っている。夢の中で、太古の女性と会話をしているのだろうか。ロマンチックなイメージが、やわらかな赤を基調とした中に、リズミカルに描かれる。(編集部)

 荒川喜美子「爽」。深みあるブルーのトーンは、海の中、あるいは宇宙を思わせる。一段深いブルーをした円のなかに、様々な花々、果実、星座や惑星のかたちが描かれる。凜としたまとまりに注目した。(編集部)

 岩本美代子「重なるかたち」。ふんわりとした色彩による幾つかの矩形や線。ゆっくりと重なっていき、交錯し、また離れていくのだろうか。そうした、穏やかにうつろう心象世界を感じさせる。(編集部)

 鈴木美江「風」。黒いノースリーブのワンピースを着て座っている女性が描かれている。黒い髪が風に靡いている。ミステリアスな雰囲気がある。独特のモダンな感覚を感じる。それは本来、この画家のもっている才能と言ってよいかもしれない。座っているのだが、その背景は横のストライプによってできている。黄色、グレー、青みがかったグレー、灰白色、ピンクなどの微妙なストライプが十いくつかあって、それが座っている場所を暗示するし、階段のようなイメージもあるし、一種の音階のような効果もつくりだす。女性の髪の左右の空間に矩形の箔のようなものが浮いている。そこにもグレーや色相の違った緑が置かれている。背景は抽象で、女性のフォルムは具象である。その二つがごくしぜんと絡みながら、モダンな旋律をつくりだす。とくに背景の音階的な色相と述べたが、そのストライプは上方では幅が大きくなったりして、独特の繊細なニュアンスを醸し出す。アンニュイな中に希望の風が吹いているような趣である。大きく見開いた目と唇、あるいは指の先などの表情も実に独特の面白い絵画性をもつ。(高山淳)

 酒井重良「蘭の夢」。目をつむり横たわる女性を中心に、蘭の花や、蝶、月を思わせる円といったモチーフが、舞い踊るように配されている。のびやかな音楽を奏じるような、ロマンチックな構成である。斬新な素材による技法にも注目した。(編集部)

6室

 百々茂貫「富貴」。中国の北宋ふうな壺に二つの白い牡丹が差されている。いわゆる搔き落しという宋の壺である。実際にこのような壺を画家は持っているのかもしれないが、画家の古美術に対する見識が国宝級の宋の搔き落しの壺をここに描いたということも言えるだろう。葉は墨で、花には白く胡粉が置かれ、花心に山吹色の色彩が点じられている。ひっそりと咲く二つの大輪の白い花が気高い。よい香りがその一枚一枚の花弁から匂ってくるような、そんな柔らかな雰囲気もある。背後はグレーで、しっとりとした独特のトーンである。(高山淳)

 望月昇「古満の桜」。六曲の屛風いっぱいに構成される、二本の桜の木。木の間には、祠がある。花びらがはらはらと舞っている。やわらかなタッチと、桜色のやさしい色感、力強い樹木の表現による、福々しいイメージである。(編集部)

 両角延清「浅間山麓」。すすきが色々な方向を向いて揺れ、爽やかな風が吹き渡るようである。堂々とした大地に、浅間山が立つ。空間の広がりに注目した。(編集部)

7室

 飯嶋甫「春を待つ」審査員特別賞。雪解けの近い頃なのだろう。雪景色の渓流は奥から手前に流れ、樹々の上方からは陽光がさしている。静寂ななかに春の訪れをつげる、新鮮な光に感じられる。確かな描写力によるものだろう。(編集部)

8室

 高山喜美枝「ノウゼンカズラ」佳作賞・会員推挙。海を前にした、ごつごつとした古い門の前にノウゼンカズラが生い茂り、黄色い花を咲かせている。味わいのある色彩の中に、伸びやかな生命力が描きだされている。(編集部)

 竹政節子「野辺に咲く」会友推挙。薄色を基調とした中に、春の野花が丁寧に描かれている。葉のかたち、背の高い花、低い花による構成が面白く、どこか幻想性をたたえる、やわらかなリズムが生まれている。(編集部)

 木谷慶子「懐かしい場所」。梯子段のついた大木が横たわっている。紅葉した葉が散らばる。真中に落ちた布がアクセントを成す。回想の一シーンであるような不思議な広がりを持った空間に、大木の表皮の模様、背後の林の木のライン、一枚一枚描かれた葉が映える。(編集部)

9室

 新津廣子「好日」。空の青、女性の服の赤、帽子や花の黄、幹や土の茶といった色彩の響き合いが面白い。帽子を持って立つ女性は、真っすぐに正面を見据えている。誰か来る人を待っているような印象。おだやかな希望の念が、画面から感じられる。(編集部)

 木村由美子「ゆめのなかにて」佳作賞・準会員推挙。海の底に女性が横たわり、眠っている。やわらかに波紋がたゆたい、魚たちが泳いでいる。地上から、光が注いでいる。爽やかなブルーの中に、ロマンチックな光景が構成される。(編集部)

10室

 三森千惠子「花信」。遠景から前景にかけての広がりの中に、白い牡丹が花をふせ、時に花をひらき、春の訪れを告げるように、静かな賑わいを見せる。花の生命感が、じつに丁寧に捉えられ、構成されている。(編集部)

12室

 樋口純「念・臼杵磨崖仏」会員賞。深い闇の中に、臼杵磨崖仏が描かれている。画家の念により現出したような岩の仏の、迫力ある存在感に注目した。(編集部)

 深津富士子「森に棲む、ひめみこは、蝶と花のちからをうけて変容し、天の人となる」。やわらかな色彩によるグラデーションが目を引く。森の精のようなイメージの若い女性はうららかで、横姿の描き方はミュシャの作品を想起させる。女性は口から糸を吐き、その先に蝶が戯れる。左手には珠を持ち、右手には花を捧げ持っている。上品なファンタジーの世界観である。(編集部)

14室

 佐々木順子「静寂の森」。奥からやわらかな陽がさすようだ。緑色のトーンにあたたかみがあり、様々な葉っぱのフォルム、その中に開く花のフォルムが、丁寧に捉えられている。(編集部)

第19回彩美展

(5月12日〜5月20日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 斉藤秀雄「樹と牛 2」。鳥居のように樹木が連なり、三頭の牛が闇の奥へと向かっている。真ん中の牛は微かに牛のフォルムをとどめている程度だが、牛ののっそりと進んでいく姿が感じられる。幻想的な静寂に包まれた世界である。牛は延々と進む中で次第に木へと姿を変えていくのだろうか。樹木と牛が互いに交信しているような不思議な世界が洗練された構成と描画によって表現されている。

 中野昇二郎「思考」。黒と白の四角い色面を微妙にずらし、立体的な空間を作り上げている。そこにグレーのコンクリートのような質感で、うつむいて帽子とケープを身につけた女性の姿が置かれている。それはちょうど円錐にマイクを斜めから突き刺したような形態で、物質化された人間である。人間として見ると安定しているが、物体として見ると不安定に見える。深い思考の中にある自己を第三者的にながめているようなシュールさに不思議な魅力がある。

 原元勝「黒い『タンク』と街」。手前の黒いタンクや黒い屋根から、遠景の白い塔のある建物に向かう勾配が濃密なマチエールによって描かれている。堅牢で個性的な建物の集積であるが、全体が波打つように躍動している。空が単調な黄土色で描かれていることで、建物群がより強烈な存在感を放つ。石造りの街の味わい深さが凝縮された風景画である。

2室

 平沢玲子「実り」銅賞。穀物が豊かに実り収穫する、幸福に満ちた場面である。逆光によって人物がシルエットのようになり、黄金色の輝きが強調されている。細かい筆致によって画面が埋め尽くされ、豊饒を喜ぶような暖かな風を感じさせる。

5室

 菅和彦「ラフマニノフのある部屋」コア賞。水のしたたり落ちるような画面の中央にコンセントが寂しげに描かれている。右側には瑞々しい水仙の花、一方左下には摘み取られた葉がボウルに入れられている。右下には楽譜と鍵盤のような連なりがあり、洋梨とその影が並ぶ。それらは確かな写実力によって描かれ、心理描写を反映させるように配置されている。ラフマニノフの叙情的な旋律が日本のわびさびと融合することによって、画家独特の表現世界が生まれている。

第110回記念太平洋展

(5月14日〜5月26日/国立新美術館)

文/高山淳

2室

 鈴木國男「兆(KIZASHI)」。五人の群像である。いちばん左端に鞄を背負った幼児が猫と向かい合っている。その後ろに若い母親のようなイメージのフォルムがあらわれる。後ろにはヌードで、パントマイムを思わせるような複雑なしぐさをしている姿もある。色面的な造形とトーンによる空間の把握とが同じ画面に併置され、独特の面白さをつくりだす。背景にシルエットのアパートのようなフォルムが連続している。各家庭の中に子供と母親の様々な関係が繰り広げられているのだろう。そういった人間臭さもしぜんと醸し出される。

 灰谷敏子「山間の町」会員秀作賞。緑に独特の魅力がある。エメラルドグリーン、テールベルト、ビリジャンなどの複雑な緑の樹木に囲まれて、キュービックなヨーロッパの建物が浮かび上がる。白い壁に茶色や緑などの屋根。そこに斜光線が当たり、建物を白く浮かび上がらせている。その明暗の対照と建物の配置によって、独特の甘美なメロディが聞こえてくるような構成になっている。近景に煙突のある建物がクローズアップされて、独特の生活感をにじませる。

 阿部昭好「朝やけ桜島」。錦江湾を隔てて桜島の男性的なフォルムが屈曲した形の中に浮かび上がり、噴煙が上がっている。朝焼けのオレンジ色の雲が上方に出て、それを囲んでいる。青い海の水の色彩。近景の鹿児島の街並み。ぐいぐいと描きこんだエネルギッシュな表現である。

 亀谷佳美「困頓」。下方に童子が寝ている。それを受けているのは大きな蓮の葉である。上方に花が開いているが、そのあたりが黒く汚されている。まさに題名のように困頓の雰囲気で、それを取り巻くこんじきの葉も含めて、強いフォルムの中に将来の見えないようなもどかしさのようなものを表現する。悩ましい心持ちとクリアなフォルムとが面白く対照される。

 遠山はるみ「福笑い」。六人の少女が輪になって福笑いをしている。中心に、白い布におかめの顔が浮かび上がっている。それぞれの女性たちのフォルムをシルエットの中に、あるいはグレーの衣装の中に描きながら、独特の楽しいユーモラスな雰囲気をつくる。

 鈴木勝昭「安らぎの時を刻む」。寝そべって頰杖をついた下着姿の女性が前面にいる。背後に同じ女性の様々なポーズをとった様子が描かれて、それは十人を超える。まるで合わせ鏡の中に無限に反響していくような構図になっている。優れたデッサン力で表現されているところも、この作品のよさである。

 松本昌和「日暮里  金杉踏切」。カーヴする線路の向こうから電車が手前に進行しつつある。そんな様子を近景の踏切の棒を含めて、遠近感の中にリアルに表現する。再現力の強さに注目。

 松倉弘子「中庭にて」会員秀作賞。長いブロンドの髪の女性が上方を眺めている。その女性を帽子をかぶった丈の低い少女が眺めている。その後ろの壁の上に、本を持ち十字を吊るしてかたびらをつけた騎士が立っている。後ろには紅葉した樹木が葉を茂らせている。地面に柿の葉のような紅葉した葉がいくつか置かれている。このブロンドの手前の女性は、枯れ葉の化身のような雰囲気で、季節の過ぎていくことを嘆いているようだ。それを黙って聞く騎士。騎士はいわば父親のような役回りでこの舞台の中に登場している。時間が過ぎていくことに対する深い哀惜の心持ちを、ユニークなコンポジションの中に人形を使って表現する。

 中村直弘「誕生」。滝壺の中から裸の女性が浮かび上がる。膝から上半身がヌードで、輝くように描かれている。独特のロマンティックな表現を、女性を中心にしてまとめる。

 よでん圭子「曲水」。円弧のフォルムがあらわれているのは水を表すのだろうか。そこに片膝をついた二人のヌードが向かい合っている。ボリューム感のあるフォルムに、独特のリズムがあらわれる。そのリズムを強調するように金の箔が大胆にコラージュされている。曲水の宴という言葉があって、平安時代の神事から来ているそうであるが、この二人の女性も、裸であるが、どこか巫女のような雰囲気で、独特の舞踊を行っているようだ。そこにあらわれてくる強い韻律ともいうべきものが、この作品の魅力。

 大倉悦男「北に生きる」会員秀作賞。太い樹木が幾本も立ち上がっている。雪が舞って、地面には雪が積もっている。そこに狐が走っている。そんな『シートン動物記』の一場面のように、狐と木を生き生きと客観的に表現する。

 鈴木誠市「薫風」。池にかかった橋の上に立つ若い女性。風で髪が靡いている。衣装もそうである。池には鴨の親子が泳いでいる。花が咲いている。そんな様子を全体の大きなパースペクティヴの中に表現する。

 塚田讓「ハッピーアース・夢」。波の上に女性や子供や犬が立っている。あの大震災のあとの光景のようだ。それを癒すように三人の背後に光の壁のようなものが立ち上がっている。その向こうの岸壁には、発電所のようなフォルムが見える。画家の祈りの表現だと思う。中心のコートを着た若い母親は水晶球を持っていて、その中に鯨のジャンプするフォルムがあらわれている。海が荒れる様子を鯨のジャンプにたとえる。また、海の再生を鯨のジャンプにたとえるという、凶と吉の二つの意味があるようだ。それを独特の祈りの表現のなかに表現する。

3室

 下山尋利「静かな朝」。新緑の季節だろうか。緑が瑞々しい。そこに一階建ての粗末な建物がある。斜光線がそこに差し込み、家や草や大きな岩のようなものを浮かび上がらせている。独特の強い筆力である。大画面をまとめているのは、地面の起伏や背景の斜面までをもしっかりと描き起こす形態に対する感覚のよさだろう。

 多田知史「月明かり」。緑と青のそれぞれの衣装を着た、背の高い人と比較すると小さな人形のような二人の女性。一人はボーイッシュで、一人はドレッシーな服を着ている。ボーイッシュな女の子と青い男の子が握手しようとしている。よく見ると、その子も女性なのかもしれない。それを犬が眺めている。上方に不思議な教会がある。茸が教会に化けたようなイメージ。その手前の両側にもそんな建物が見える。満月がこの情景を照らしている。ファンタジーである。フォルムと同時に色彩もよく考えられている。

 三上久戴「キアロスクーロ(春)」。裸婦を構成したものである。シーツの上に横座りに座ってこちらに正面を向けている女性は、顔をひねって横顔を見せている。後ろ姿の座ってこちらを向いてる女性。そばに側面を見せて立っている女性。正面、側面、背面。いわゆる三美神の構図になっている。柔らかな光の中にしっとりとした色彩によって表現されている。ハーフトーンの調子のなかにクリアな女性のフォルムが浮かび上がる。独特の審美性が感じられる。背後に菫が柔らかな黄色、紫、赤などのハーフトーンの中に表現されて、脇役となっている。密室の濃厚な空間の中に女性の典雅な香りが匂うようだ。

 女賀信太郎「阿蘇外輪山・秋景」。阿蘇の外輪山のもつ大きさを、繰り返されるカーヴの中に表現する。そこには青が使われている。近景の平野には瑞々しい緑の色彩の中に紅葉した樹木が点じられる。春と秋とを一緒にしたような色彩感覚の中に、うねうねとした曲線を面白く使いながら、阿蘇と周辺の自然の生命感を表現する。

 兼忠志「4000M嘆きの氷河」会員秀作賞。突兀とした岩のあいだに氷となった河があり、そばに道もあるようだが、異様な光景である。嘆きの氷河というからには、ここで事故が起きたのだろうか。そんな四千メートルの高地にある凍った地面と起伏のある大地をよく表現する。

4室

 近藤文夫「セメント工場」。大きな工場の建物を面白く絵にしている。下方に青いトラックがとまっているのが小さく見える。幾何学的なコンポジションの中に独特の情感が醸し出される。

 村田宏一「モナリザに会いたくて」。ルーヴル美術館の真ん中にあるガラスのピラミッドを画面の中心に据えて、面白く構成している。その周りの池や道、小さなもう一つのガラスのピラミッド。人々がまるで蟻んこのように小さく、何百人も描かれている。背後に立つルーヴル宮(これが美術館になっているのだが)。その横に広がる建物と柱頭彫刻。ブルーを中心としたひんやりとした調子の中に独特の光を表現する。噴水がいくつも立ち上がっているのは、内界のなかで働くイメージの象徴だろう。

5室

 牧野健治「形態 2014─Ⅰ」。アトリエの中に五人の裸婦が立ち、座り、寝ている。赤い床に裸婦のそれらの存在が独特の気配を表す。密室の中の空気が密度を持つようなパッショネートな雰囲気が表れる。五人の裸婦はともに全身が入れられているところも面白い。裸婦の持つエロスや生命感が、お互いに呼応しながら、しかし不思議な静寂の中に彼女らは存在する。画家の優れたデッサン力の上に可能な構成だと思う。

6室

 大久保正子「聖観音菩薩・活き人形」。池に蓮のピンクの花が大きく開いている。その水の中からこの聖観音は立ち上がっているようだ。顔の肌の柔らかなピンクを帯びたしっとりとした調子が、どきっとするほどあやしい。宝冠から赤い髪飾りのようなものが垂れ下がっている。赤紫のヴェールのようなものを腕に羽織っている。背後は深い青い調子である。聖観音は左手に蓮の花を持って立っている。とくにその白い肌は艶めかしく、妖しい。神秘的な慈愛とエロスとが混交したような不思議なイメージ。女性というもののもつ聖性と包容力。生き人形の聖観音菩薩というところがこの作品の面白さで、単なる仏像を超えた現実とのつながりともいうべきものがよく表現されていると思う。

7室

 大槻久仁子「舞姫」。フラメンコを踊っている女性を肖像のように表現する。背後にスペインの建物を思わせるフォルムが描かれている。褐色の色調の中にオレンジ色のフラメンコの衣装が映える。

 藤井順子「ふる里の思い出」。戦前の日本の光景だろう。少女が牛の鼻面をなでている。その牛は肉牛ではなく、農地を耕すために働く牛である。そばに山羊がいて、手前の積まれた藁の上には三匹の猫がいるのだが、二匹は子供で、手前は母親である。そういえば、山羊の後ろにも小さな子山羊がいる。生命が連鎖していく様子。生き物と深い関係のなかに生活した農村のある情景。上方に大根が吊るされているのも面白い。記憶の内部に入りながら、画家はかつて体験した光景を描く。

8室

 榊原精一「中世の集落カルカータ」。崖の上の集落として有名な場所である。グレーの複雑なトーンを使いこなしながら、しっとりとしたニュアンスを漂わせる。手前の新緑の緑と背後の山の斜面の緑とが中心のベージュと静かに響き合う。

9室

 加藤ひろみ「サボテンのある情景 Ⅰ」。若い女性が花模様のピンクのワンピースを着て立っている。その上半身が画面の中に描かれる。後ろに絵のない四角い額が宙に浮かび、三つのサボテンも浮かんでいる。サボテンは砂漠の中に生きてきた。同じように都会というドライな砂漠のような生活の中に、生命というものを引き寄せようとするかのような画家のイメージ。女性の背後にある矩形の絵のない額は、少女の未来を暗示するかのようだ。青い空に白い雲が浮かぶ。遠景には高層ビルが立ち、近景には黒と白の市松模様の床があり、そこに赤い花が咲いている。サボテンの生命感をキーワードにした面白いコンポジションである。

 佐々木徹郎「山間の集落」髙梨潔賞。低い位置に民家がある。青やベージュやオレンジ色の屋根を持っている。あいだから電信柱が立つ。手前にススキが穂を靡かせる。後ろは逆光になっているようで、林が黒ずんで見える。上方の山もシルエットになっている。いずれにしても、画面下方三分の一ほどの建物に光が当たり、高い明度をつくりだす。明暗の対比の中にきびきびとしたリズムが生まれる。

 浅田敏子「remember(1)」文部科学大臣賞。白い猫と黒と白のぶちの猫。二匹の猫が板の上に座っている。その板は画面を引っ搔いたような独特のマチエールの中につくられている。それを囲む抽象的な円弧は、緑である。二匹の猫の生きているその独特のニュアンスを、いわばイコン的な雰囲気で表現する。そのために背後が抽象表現になる。

 川崎常子「連鎖の情景―海」第110回展記念賞。キャンバスを白く塗って、その上からボールペンのようなものでフォルムをつくっている。白黒の画面であるが、独特の力強さがある。花托になった蓮やゆらゆらと上方に上っていく水草。そんな中に魚が泳いでいる。見ていると、水中なのか、地上の風景なのかわからない。それぞれのフォルムが生命をもった細胞のような雰囲気である。魚の大きな目をした表情が面白い。

 南平良子「昼さがり」。椅子に座った少女がスマートフォンを操作している。背後は新緑の様子。シルエットになった女性のフォルムがきびきびとして、清爽な韻律を醸し出す。

 田中四郎「壁 Ⅰ」。パッショネートな大画面である。オレンジ色の壁にポスターのようなものが幾枚も貼られている。下方に花瓶がある。ポスターのいちばん上は黄色く輝いて、そこに「ANTIQUES」「GOP」といった文字が見える。壁は、生活の歴史を伝えるかのようだ。その壁の上に演劇などの、あるいはフェアなどのポスター。人間のささやかな祭りを賛ずるように花が置かれる。コクのある色彩が輝く。

10室

 上林如子「小動物の大宇宙 8」。ウミウシは海に生きる小さな生き物であるが、この画面の中では大きく拡大されて描かれていて、怪獣のように見える。鰭を上方に二本立てて泳いでいる様子はまるで角のようで、その下方に目がついている。緑と赤の色面。大きな葉が揺れる。下方には草のようなものが連続してあり、そこに青いもっと小さな魚が泳いでいる。水の中の世界がそのまま空中の世界のような雰囲気で描かれる。いずれにしても、独特のダイナミズムのなかに命というものの強さや不思議さを表現する。

12室

 我那覇絹子「早朝の木麻黄林」。熱帯地方の樹木のようだ。緑が鬱蒼として独特の力をもって迫ってくる。細い幹をもつ樹木が高く立ち上がって三本連なった様子などを見ると、木が歩いてくるようなあやしさがある。木漏れ日が射し込む。草の中の赤褐色の地面が光の中に浮かび上がる。左のほうにはピンクの可憐な小さな花が咲き、近景には白い百合のような花が咲いている。自然の中に奥深く入るところからあらわれたリアリティのある表現である。光や空気感といった存在をよく表現している。奥行きのある表現に注目。

14室

 柴田愛子「ローテンブルグ 回帰」。赤、緑、ピンク、黄色の四色の建物が伸びている。屋根も不思議な形をしている。カーヴによってできた建物。そこからすこし離れて茸のような塔が伸びている。下方の地面も波打っている。そこを男女のカップルが向こうに歩いていく。カフェには男女が座っている。見ていると、音楽のメロディが聞こえてくるようだ。夕焼けのような赤い空。曲線によって独特のハーモニーをつくる。

 中村暁美「白い島」。サントリーニの街を抽象的に表現したのだろうか。白い厚いマチエールを駆使しながら、そこにかすれたような線で階段や窓を描く。屋根の赤茶色の色彩がフォーヴィックに動いていく。その後ろの積み重なった建物の暗示的なフォルム。独特の詩情豊かな表現である。

15室

 北村洋子「家路」。油絵らしいしっかりとしたマチエールがまず魅力である。赤い花束を持った女性が向こうに歩いていく。コートの後ろ姿と帽子。肩にすこし光の当たっている繊細な表現。ふかぶかとした情感が醸し出される。広場の井戸。褐色の建物。オレンジ色の空は夕焼けを表し、斜光線が右の壁を染めている。対象のもつ塊を捉えて、それを色彩の中に表現する。それによって空間が生まれる。その堅牢な構築した空間の中に、柔らかな調子で花束をもった女性を歩かせる。上方の細い煙突がそんな心象と呼応するようだ。

16室

 小池かよ「黒のメソッド」。ステンドグラスを思わせるような背景の空間。光が分光し、グレーやピンクに輝く。そんなイメージの背景に左右対照の黒いドレスを着た二人の女性が膝を曲げて立っている。そのあいだに手を組んで祈る女性。同じ女性の三つのポーズで、スピリチュアルな雰囲気が生まれる。カトリックの教会を荘厳するデザインのような、そんな輝きをもった作品である。

 小笠原洋子「光を繫ぐ Ⅰ」。緑の建物、アーチ状の窓、塔、星がまたたく。樹木が伸びていく。風船を持って家路につく少女。父と母と娘。海の波が寄せてくる。柔らかな雰囲気の中にマットなしっかりとしたマチエールで構成されている。樹木のだんだんと伸びていくような形も面白いし、独特の動きが画面から感じられるところもよい。

18室

 丸毛利久「崖の街」。地中海のある街の様子のようだ。白い壁に赤茶色の屋根。階段が伸びていき、だんだんと建物が立ち上がっていく。そんな様子を一つのファンタジーのように表現する。クリアなフォルムを組み合わせながら、一種の音楽的効果をつくる。

19室

 佐田昌治「巴里・春の語い」。色彩が面白い。柔らかな黄色と青みがかったグレーとの対照が上品でお洒落な印象を醸し出す。そんな中に二人の女性が会話している様子が描かれる。右上方には、カフェの外で何かお祭りのように楽しく集合する人々の姿が描かれる。下方には紫の薔薇。その下方には新聞をコラージュしたところにグレーのデカルコマニー。パリの印象をピックアップしながら、柔らかな日差しが差し込むような画面をつくる。優れた構成力である。

 杉澤安江「回想」。ソファに三人の女性が座っている。優しいエレガントな色調である。三人の表情もどことなく品のある様子である。いずれにしても、グレーの微妙なニュアンスを使いこなしている。カーテンの引かれた窓の向こうには、ヨーロッパの建物のようなものがシルエットに浮かび上がる。そのそばのテラスに花瓶があり、青みがかったシルエットのグレーの植物も優しい優れたアクセントになっている。

 佐田興三「いろは」。淡い若芽を思わせるような緑。サップグリーンのような暗い緑。様々な緑が色面として扱われる中に明るいグレーの色面が入れられる。それは光を象徴するかのようだ。あるいは、細いグレーが縦横に画面を動いていく。樹木や芝生、道。そんな空間を分解し、画面に抽象的に組み立てたかの感がある。そこに独特のリズムが生まれる。「いろはにほへとちりぬるを」という言葉を題名にしているが、その音自体も柔らかく日本的で、この作品も緑があまやかに若草色に使われているところがある。日本の奈良のあの春の光景を思わせるようなのどかな雰囲気が、この抽象作品から感じられるところが面白い。

 中村晃子「興味」。七、八人の少年たちが固まって密議でもこらしているのだろうか。独特の強い表現で少年たちを一つひとつの塊として描きながら、微妙な思春期の表情をそこに与え、それらが集まることによってある濃密な心理的な空間があらわれる。

 浜辺順「(宙)オフェリア」。美しい裸のオフェーリアである。マスターベーションしているような官能的な表情のなかに、ある恍惚とした雰囲気が漂う。その恍惚感を周りの星や星座、あるいは月を思わせる光によって描く。柔らかなカーヴするような光。女性は薄青い光に包まれている。彗星を象徴するのだろうか。そこにピンクに染まった女性の仰向けのエレガントな姿が表現される。

 佐藤光男「A埠頭」。横浜の風景だろうか。埠頭に雪が積もっている。背後の建物もそうである。ベージュの空。燦々と降り注ぐ光で明暗のコントラストがあらわれる。それぞれのフォルムを塊として捉えている。そのがっちりとした構成の中で、光というものの扱いが優れている。岸壁の上に遠近感のある建物が描かれ、その上に横に陸橋のようなものが見えるのだが、ずっとこの画面を眺めていると、その上方にまた別の風景がクローズアップされて上に重ねられていることがわかる。二つの場面を一つの画面に併置し組み合わせながら、それを連続させ、いわば光讃歌ともいうべき構成をつくる。

 澤村みちる「ダンス・パーティー Ball」。ロココふうな柱の装飾。アーチ状の天井。その下に男女が踊る。いわゆる舞踏会である。盛装した男女のそのフォルムを見ていると、大正ロマンを思わせるところがある。ピンクの衣装の女性に濃紺の着衣のタキシード姿の男性。後ろには緑のナイトドレスの女性に黒いタキシード姿の男性。女性の若い頃のイメージを思わせるような、横向きのドレッシーなブルーの衣装をつけた緑の髪の女性が佇んでいる。下方に蠟燭が灯り、赤いポピーが花を開いている。ブルーのバックの中に色とりどりの色彩の衣装をつけた男女が踊り、その踊りとロマンは永久に続くかのような、そんな深い印象が感じられる。

 根岸一雄「西の風」。大画面である。右のほうはベージュの空間で、柔らかな清浄な光が差し込んでいる。その光を浴びている女性たち。座って瞑想にふける無垢な女性たちのイメージ。ところが左側は赤茶色の色彩で、男女が立っているのだが、苦悩のなかにいる人間たちのようだ。苦悩や反省に対して希望や未来といったイメージが連結される。独特の群像による表現である。

20室

 岡本優「ヤークマクトル」新人賞。題名は移動式サーカスといった意味になる。下方にメリーゴーラウンドが回っている。その左上にはサーカスのテント小屋が描かれている。近景に木馬の頭から首にかけるフォルムがあらわれる。右上方には万華鏡のフォルム。それはサーカスの中で演じられる曲やメリーゴーラウンドなどのイメージだろう。暗い空間の中にきらびやかにイルミネーションされたものたち。そして、全体がゆるやかに旋回するような動きがあらわれる。サーカスのもつエキゾティズムを音楽的に表現している。

 遠藤雄治「忘れられて漁村」太平洋美術会賞。陸に揚げられた船。道の左側に木造の粗末な家があるが、ほとんど廃屋のようだ。そこに置かれた二艘の船も廃船である。にもかかわらず、洗濯物の干されているのがわびしい。遠近感を強調したボリューム感のあるフォルムに強い臨場感がある。

 伊藤幸二「残照」会友努力賞・会員推挙。原発の内部のような恐ろしい雰囲気である。コンクリートが散乱する中にH形鋼の桟が赤く光っている。事故の恐ろしい惨事を暗示する。

23室

 中村靖「木洩れ日」佳作賞。樹木のあいだに道が続いていて、中景からこちらに歩んでくる男女がいる。新緑の季節のようだ。柔らかな緑が光を通して透き通るように表現されている。地面にも木漏れ日が当たる。透明水彩の特性をよく使いこなした表現である。また、それぞれの樹木の形が丁寧に遠近感の中に表現されているところも、この作品のよさである。

 川崎文江「古刹の秋」。イチョウと思われる大木が伸び、黄色い葉を茂らせている。その向こうにはお寺の建物の一部が見える。黄色の色彩にコクと輝きがある。樹木の形に生き生きとした生動感がある。

 斉藤妙子「至福の刻」。ワインボトルと白ワインの入れられたグラス。白ワインをつくるための葡萄の房。そういったものを画面に集めながら、しっくりとした情感をつくり出す。モダンな雰囲気と同時に、周りのグレーの調子でもわかるように、日本的なポエジーともいうべきものが表現される。

24室

 宮部隆「子供達のジュネーブ」会員努力賞。近景に数人の少年たちがいる。その向こうには小さな子供や夫婦と思われる人物。車。すこしその手前に葉を茂らせた樹木があり、遠景にオレンジ色の壁をもった建物がある。それぞれのフォルムがきわめてクリアである。クリアでありながら、浮かび上がってくる明るい色彩、あるいはシャドーのように控えめに空間に後退させる色彩。明暗の色彩を使いこなしながら溌剌としたシチュエーションをつくる。

 安達孝雄「積み重ねし刻 Ⅰ」佳作賞・会員推挙。古い歴史のある街なのだろう。上方に鐘楼が聳えている。中景には黄土色の壁が斜光線に輝いている。近景には、壊れかかったような建物の様子が量感のなかに表現される。どことなくマテーラの風景を思い起こす。ずっしりとした存在感が水彩とは思えない質感のうえに表現される。

 山本順一「地球からのメッセージ」損保ジャパン美術財団賞。地球は水の惑星といわれている。突堤に立つ建物。そこから伸びるポール。手前には魚網のようなものが左右に置かれている。一艘のボートが木製の桟橋に繫留されている。青い透明な色彩を中心として、きらきらと輝くように光を捉えている。上方に地球を思わせるような惑星がその半分ほど姿を現している。現実をもとにしたファンタジーである。

 池田千世子「収穫」。独特の手触りのあるマチエールがまず目を惹く。金属性のコップ、洋梨、林檎、レモン。そのそばに細い枝が伸びていて、青い花が咲いている。後ろには瓶が重なっている。右のほうには白いシルエットで高層ビルを思わせるようなフォルムがうっすらと見える。室内のテーブルの上のものをしっかりと描きながら、しぜんと画家はひとつの幻想空間に入りこむようだ。黄土系の色彩にこんじきとみまちがうような独特の輝きがある。その色彩とグレーの空間とがしっくりと響き合う。

 伊豆井省三「絶景劇場―エトナ山」。古代の劇場の跡のようだ。階段状に座席があり、下方には広場がある。建物の一部、石が剝落して下に落ちている。遠景には白い雪をかぶったエトナ山が見える。燦々と降り注ぐ五月の陽光。新緑の景色を爽やかにクリアに澄明に表現する。

 渋谷敬子「イン・ザ・ウインター」会員推挙。イギリスにあるような建物に光が当たる。イタリアのほうの建物かもわからない。透明な光。横断歩道を前に車がとまっている。そこを歩行する人。楽器を持って左のほうに向かう人。この街の日常の一瞬を見事に捉えている。

 長谷川房江「北信濃早春」丸山晩霞賞。ゆるやかに川が流れ、両側は雪が積もっている。遠景にはごつごつとした山が見える。それらを全体に透明水彩のしっとりとした空気感を感じさせるトーンの中に表現する。柔らかな光が差し込み、雪を静かに光らせる。

 由比五男「『路地』オストウーニ」布施信太郎賞。建物と建物とのあいだの石畳の道。古い建物の壁は一部はがれている。そこに街灯が灯っている。上方にベランダがあり、そこには植木鉢などが置かれている。そういった路地を心をこめて描く。暖色系の色彩が人懐かしい気持ちを起こさせる。

 柿澤伸子「桜堤(Ⅱ)」。不透明水彩、いわゆるグアッシュを使った作品である。あるいはリキテックスかもわからない。水の向こうに土手があって、そこに桜の花が咲いている。遠景にはビルが見える。桜の静かに輝く様子をよく表現している。暗い部分の複雑なトーンには水墨を思わせる豊かなニュアンスがある。グレーの複雑なヴァリエーションを背景として、輝く桜の花が魅力的である。

26室

 筒井穣「隅田川曙光」会友推挙。隅田川のそばのコンクリートの建物。突き出た不思議な橋のようなもの。遠景に霞む高層ビル。浚渫船のようなものが繫留されている。グレーを中心として、そのような光景を緻密に強弱のなかに描く。

〈版画室〉

 熊本くにみ「シャガの頃」。シャガはアヤメ科の植物で、アヤメに似たような花を咲かせている。青紫色の花が、五月の頃と思われる新緑を背景にしてきらきらと輝くように表現される。その新緑の低い丘のようなフォルムの中に昔の舞楽や雅楽に使われているような面が三体浮かぶ。古代から今日まで五月にはこの花が咲いてきた。天平や平安時代の歴史のなかに演じられる面とシャガの対比が面白い。

 戸田喜守「玄冬」会員秀作賞。輪郭線がぼさぼさの九つの杭のような不思議な存在が、上方はグレーに下方は褐色をバックにして描かれている。おそらく無機物とか草を集めたもののようだが、それが命をもって動いてくるような気配である。

 和田ヤス子「歴史を見つめて」。巨大な大木が聳えている。手前のベンチの両側は犬と鳥をかたどったものでほほえましい。柔らかなハーフトーン。白い雪。青い水。石垣を積んだお城の跡の様子。ゆったりと伸びる古木。空の中の動きを板目状の版をうまく使いながら表現する。

 鈴木健一「九頭竜の祈り」会員推挙。いわゆるお盆の時の精霊流しである。水の上に赤い精霊が数限りなく浮かんでいる様子が、心にしみてくるように表現されている。濃紺の背景に赤の微妙な色彩が迫ってくる。

 高松智美「卓上の果物」太平洋美術会賞。テーブルの上に布が置かれて、そこに林檎やレモン、葡萄、パイナップルなどが置かれている。斜光線の中に明暗の強い対比が生まれる。それによってボリューム感も生まれる。それをほとんどコンテでデッサンするような雰囲気で表現している。クラシックな意味での素描力が、この版画の魅力をなす。

第66回三軌展

(5月14日〜5月26日/国立新美術館)

文/高山淳・編集部

1室

 晦日静枝「夏の朝」会員優賞・A氏賞。前の作品より輝いて、色彩が明るい雰囲気である。とくに手前のテラスのような部分の青いテーブルと椅子のパイプ、そこに起きる反射などの表現は面白いと思う。その色彩に対してテラスから見える向こうは、黄色を中心とした家並みが続いている。そして、空は激しいピンクで、テラスに出る建物はオレンジ色である。原色を微妙に変化させながら使って、光り輝く風景をつくりだした。(高山淳)

 今岡幸男「water's edge '14」会員推挙。水や木などをアレンジして、品のよい詩情を感じさせる。中には果実のようなものもあるようだ。上下に水が流れている。上方の空にはぽっかりと満月さえ浮かんでいる。ベージュの色彩によって地面や木や植物、あるいはそこに時の移ろいによる翳りなども表現される。半具象と言ってよい作品だが、センスのよさを感じる。(高山淳)

 小野由貴子「遙か―在りし日の母へ」。柔らかな明るい無地のベージュをバックに赤い花が咲いている様子が描かれて、不思議な緊張感を醸し出す。あいだに蔓科の植物のような小さな葉が見えるが、下方では植物の葉や花が白く脱色しているようだ。この植物は自生して地面から生えているようだが、その背後のもっこりと立ち上がってくるような地面の表現も面白い。「在りし日の母へ」という題名を見ると、まことにそのような印象で、精神的なイメージ、亡き人への献花といったイメージがあらわれる。また、お母さんは元気なころはなかなか洒脱でお洒落な人だったのではないか。花のイメージからそんなことも想像する。(高山淳)

 山口たか子「刻のかたち〝2014〟」。観音開きふうな三面対になっている。中心の下方に白い低い廃墟のような教会が見える。手前には髑髏が重なって、そこからU字形にフォルムが立ち上がる。そこには様々な廃棄物のようなものが閉じ込められていて、牛骨が何体も浮かび上がる。死から逆に再生へのエネルギーをもらうといった雰囲気である。両側には屈曲する木の枝のようなフォルム。しかし、下方には骸骨が埋まっている。上方には植物と虫や蝶のようなイメージとが重なるフォルムも見える。強い存在感を放つグレーの空間の中に、画家のエネルギーによってフォルムを立ち上げる。上方のこちらを見る牛骨の表情などは、そのまま肉がついて牛の頭に見えてくるから不思議である。日本人はあまり髑髏を描かないが、画家はそれを嫌悪するものとして描いていない。カトリックには骸骨寺院さえもあるわけで、すこしヨーロッパ的なカトリック的なイメージに東洋のイメージが加わった表現と言ってよいかもしれない。(高山淳)

 中井一男「私風景(風の記憶)」。大画面である。青いシーツを敷いてソファに横になる女性。手前には様々なボックスや瓶、ブロック、木製の手などが散乱している。林檎やコップなどが宙に浮いている。右のほうには帽子をかぶったマネキンが座っている。あえて無秩序な構成にする。それによって、それを統合するようなジャンプする力を引き寄せようとするかのようだ。そんな画家の強いエネルギッシュな、描くものとしてのヴィジョンともいうべきものが感じられるところが面白い。(高山淳)

2室

 新井達夫「碑(ROOF)」。今は使われなくなってしまった建物の上部を大きく描いている。屋根は半分ほど剝落し内側が見える。その曲線と直線による描写で、実に丁寧に捉えられ描き出されている。内部は暗く、反対側の屋根から漏れる光まで見える。空も暗く、画面全体で静かな死の気配さえも感じさせる。擬人化しているとまでは言わないが、やはり死というもの、魂の抜け殻といったものについて深く考えさせられる作品である。(編集部)

 津田勝利「ミュラとアドニス」。長くギリシャの神話をテーマにしている。アドニスとミュラは母子である。ミュラは父への禁断の恋の結果としてアドニスを産み、自身は樹木へと変身した。アドニスはアフロディーテに愛されるが、恋敵の呪いでイノシシに変えられて殺される。その物語を一つの作品として描き出した。向かって右側のミュラは自ら変身した樹木と重なるように座り、息子の行く末を見守っている。左側ではイノシシとなったアドニスが敵と格闘している。その血はアネモネとなり、大地に点々と花を咲かせている。いずれも的確な描写力で情感豊かに描き出されている。現代的な絵巻物というように、強い説得力を持って鑑賞者に語りかけてくるようだ。(編集部)

 大塚健二「記憶の中で」。ファッショナブルな女性が画面の中心下方に座っている。左右には下着姿の少女のようなフォルムが背中を見せる。赤いカラスウリが色づいている様子は、温かな心象を喚起する。上方の赤と黒、あるいは白と黒の抽象的なフォルム。優れたデザイン性を感じさせる大作である。(高山淳)

 大槌隆「2014年4月1日」。九十九里浜を描いたものである。突堤が海に向かってはるか向こうに伸びている。それに対して波が手前に寄せている。しっとりとした砂地。そこには小さな植物も生えているし、小石のようなものが散乱している。杭が打たれているのが、一部傾いたり倒れたりしている。立入禁止の表示がある。雲の向こうから光が差し込んでいる。画家はあらゆるディテールを失わないようにこのパノラマを表現する。大変な緊張感だし腕力だと思う。それによって広がって、はるか向こうに水平線をつくる太平洋の広さともいうべきものが、砂地に呼応してあらわれてくる。そのあたりの空間の広がりが筆者には特に面白く思われる。(高山淳)

 横須賀幸正「わだつみの…」。画面の中央下方に奥に伸びるブロックがあり、そこにガラスの浮きや巻き貝の殻が置かれている。浮きの中には二匹のアンモナイトが生きたまま入れられている。背後には細やかに描かれた泡が広がり、上方では月が満ち欠けする動きが見える。月と海は深い関係性を持っているが、この作品の中では更に時間とも密接に関わっているようだ。神聖な月の光によって、浮きの中に太古の生物であるアンモナイトが引き寄せられた。それは生命維持装置のように、今だけの時を過ごしているかのようだ。生命というもの、時間というものの不思議を、確かな絵画力でミステリアスに描き起こしている。(編集部)

 佐藤美代子「2014『遼遼』」。擬人化されたウサギを中心に画面が展開している。その周囲には秤やキーボード、白い電子機器など様々なものが置いてある。厚いマチエールと深くコクのある暗色によって画面を構築しながら所々に金によってアクセントが付けられている。秤にはハンバーガーが乗っているが、傾いていない。そのどれもがそのようにして壊れているようだ。そういえば右下の猫もまた病気なのか、エリザベス・カラーをしている。つまり、日常的に慣れ親しんできたものが、全て壊れていっている。破壊は震災や津波などの突然の天災によって一瞬にして起こる。その恐ろしさとどうしようもなさが淡々と、しかし強い説得力を持って描かれている。(編集部)

 川島信一「誕生」。方形のブロックの上に人間の頭蓋骨が置かれている。上方に時計があり、いま六時三十八分ほどを指しているようだが、数字がばらばらでよくわからない。時間がばらばらになった中に骸骨だけがその存在感を示すようだ。赤いストロークがグレーのバックに置かれて、激しい印象である。頭蓋骨の脳味噌の部分が大きく、すごく想念を働かせているような頭蓋骨の様子が面白い。(高山淳)

 六鹿泰「幕」。白いカーテンが描かれている。画面の下辺すれすれのあたりで床にくっつくようで、そこで屈曲する。画面全部が繻子のような、すこし光沢のある、すこし紫を帯びた白いカーテンによって構成されている。そこに陰影ができる。不思議な雰囲気である。カーテンの向こうに何かがあるといった気配もあるのだが、それ以上にこのカーテンという物質をこのように描くことによって、不思議な気配があらわれるところが面白い。心の何かにふれようとするかのような、そんなイメージも感じられる。(高山淳)

 小林俊彦「雪嶺」。かなり高い位置から河川沿いの集落を見渡すようにして描いている。空は曇天、雪が一面を銀世界に染めている。鑑賞者の視点は、手前から下っていき、蛇行する河川に沿って進み、街を眺め、そして遠景の山並みに辿りつく。そういった動きを誘うような画面構成が巧みである。また、樹木や建物、田畑などが丁寧に描き込まれていて、まるでジオラマを見るような立体感と臨場感がある。どこか水墨画的な要素も含みながら、見応えのある作品として描き上げている。(編集部)

3室

 平沢秀男「閑  '14」。よくこのような道を横切った橋がある。駅ビルの周辺はとくにそうである。背後に高層ビルが見える。無人であるが、いま夕日が沈みつつあって、しんとした雰囲気。そこに華やぎのごときものが生まれる。(高山淳)

 縣二三男「ポーランド・沈黙の風景」。画面の中央、左右に線路が敷かれていて、列車が走っている。その列車から下方右斜めにも線路が伸びている。そこは駅舎があって行き止まりである。アウシュビッツの悲劇を画家は長く描いてきが、今回はその収容所への死の行路が直截的に描かれているようだ。遠景には墓標のような塔が数本立ち、小さな暗い太陽が浮かぶ。画面全体は茶褐色の色彩で纏められ、どこか物寂しい。線路による左右の動きと塔などによる点々としたリズムが静かなメロディを奏でる。この地で亡くなった人々の沈黙のメッセージが鑑賞者を捉えて放さない。(編集部)

 実石江美子「いのちの樹」。「冬の日、或る家の庭で見かけた実際の光景です。冬になり落葉して現れた命の痕跡。厳しい冬の中でも確かな生命力を感じ、心が震えました」。丈の低い木である。下方に落ち葉が重なっている。その落ち葉のあいだから幹が伸びてきている。そのあたりにスポットライトのように光が当たっている。画家の対象を眺める力は強い。以前、銀座で画家の個展を見たことがあるが、その筆力に驚いた。牡丹のようなものがとくによかったという記憶がある。この屈曲した枝はまるで一つひとつ人間の指のように、触手のように上方に伸びている。その感じを表現しているところが、この作品のよさだと思う。また、数えてみると二十に近いと思われるが、蟬の抜け殻がそこに張り付いているのも異様な印象である。蟬は短い命をこの地上に出て終えるが、地中では七年ほど生息するという。その抜け殻には大地のもつ気配ともいうべきものがしぜんと感じられて、象徴的である。モノトーンで描かれているが、中心に黄金色の蟬の抜け殻が一つ描かれているのも、営々たる昆虫や樹木などの生き死にすることに対する画家の深い感慨の表現だと思う。(高山淳)

 岡田早苗「街」。六人の若い女性像である。四人は座り、二人は立っている。画家が描くと、どことなく顔が似てくるから面白い。ブルーの背景にこの少女たちの気配ともいうべきものを表現する。その意味ではきわめて触覚的な表現になっている。触覚的にこの若い女性を画面の中につくっていく。その過程からあらわれてくるヒューマンな味わいが興味深い。(高山淳)

 市川元晴「翔(風になれ)」。白馬が疾走している。その後ろにピエロがいて、背中を見せている。ぐっと体をひねって、こちらに顔を向けている。背後は緑がかったグレーで、そのあいだから美しい青い色彩がこぼれてくる。疾走する馬のイメージをそのような青で表現する。馬のリアルなフォルムが力強く、強いインパクトを与える。(高山淳)

4室

 滝浪文裕「プロローグ」。臨月近い若い母親のおなかに頰を当てて胎児の心音を聞こうとするかのような姉。そばに妹が母親と手をつなぎながら母の顔を見ている。黒い空間に白い光が差し込む。受胎の神秘、そしてやがて生まれる子供の未来。だから「プロローグ」といった題名になる。クリアなイメージをかたちにする画家の筆力。とくに俯いた母の顔や手の表情などが、心にふれてくるようだ。(高山淳)

 庄子明宏「光そそぐ」。冬枯れの景色である。地面には雪が積もっている。強い光が当たり、陰影ができる。ぐいぐいと描き込む筆力によって、風景に強いプレッシャーと動きが生まれる。(高山淳)

 宮本喜一「憂鬱の始まり」。女性が二人座っている。そのほとんど肌を露出したフォルムに緑やピンクの衣装がつけられている。床も赤や緑で、揺れ動くようだ。フォルム全体もそうで、独特の色彩家のように思われる。手の表情などが生き生きと発信してくる。(高山淳)

 鳥羽佐知子「終わらない旅(Ⅰ)」。空中に縄梯子が張られていて、そこに二人の女性が摑まっている。はるか下方には洋風の建物の姿が見える。この梯子から落ちれば真っ逆さまという、極めて不安定な状況である。画面の周囲は剝落するように表現されていて、若い女性を囲むたくさんの不安がイメージされる。そう考えると、梯子は彼女たちの頼れる希望そのもののようだ。女性のポーズや体重のかけ方などもしっかりと捉えられ、またそれが下方の建物の鋭いフォルムとも対比されている。そういった描写力もまた魅力の作品である。(編集部)

 森田一男「どこへ行くのか」。画家自身と思われる男が画面の奥に向かって正座している。その手には絵筆が握られている。すぐそばには絵具やパレットも散らばっている。床にはたくさんのキャンバスが敷き詰められていて、その上を戦闘機や戦車、列車などが奥に向かって進んで行っている。これまでの人生を振り返るかのような構成であるが、特に戦争に対しての想いが深い。日本では終戦から長く時間が経っているが、世界に目を向けると、今現在も各地で紛争が起こり、たくさんの人々が亡くなっている。そういった時代の悲劇を画家はこれまでも描いてきた。自身の作品に向き合いながらそこに国内外の悲劇と不安を重ね合わせた強いイメージが鑑賞者を惹き付ける。(編集部)

 平尾倫子「夏の終わりのティータイム Ⅱ」。下方に白いクロスをつけたテーブルがある。夏のあいだはいたのだろうか、赤とグレーのストライプの布の上に大きな瓶があり、その中に赤いスーツを着たモデルの載っているファッション誌のようなものが入れられている。ティーカップ、洋梨、林檎、栗、アンモナイト。壁からしずくが落ちてきている。夏が終わり、次の季節が来る。その季節の境目のようなところにある感慨を、このように表現する。季節の別れともいうべきものはまた、人間の生死の暗喩と言ってよいかもしれない。そういった内向的なイメージを静物を通して表現する。(高山淳)

 山田幸夫「連鎖」。二つの黒いアンプであるが、中は空洞である。横には、その後ろから見たようなフォルムが見える。下方から屈曲する枝の先に牛骨がある。瓶の中にはアンモナイトや木製の手形などが置かれている。見ていると、地上にあるものと海にあるものとをこの屈曲するメビウスの環のような動きによって繫ごうとするかのようだ。力強いフォルムによる仕事である。(高山淳)

5室

 小澤茂「光の中で(通貨と交錯)」。暗色の色彩を背景にして、そこに赤や青、黄などで家屋のような色面が描かれている。その様子が画面全体で強い抽象性を孕んでいる。周囲にさらに細かな色面があって、それが夜の街の光のきらめきを思わせる。淡々と描いているようで、そこに人間の生活の匂いを感じさせるところがおもしろい。色面の配置もうまくいっており、イメージの豊かさが感じられる。(編集部)

 山崎千鶴「A DAY 14-02」。黒白の作品である。ノクターンといった趣である。マチエールを変化させながら、微妙な心の陰影を表現する。絵の中にイメージがあらわれ、それが広がり、空間に浸透していき、あるものに到達しつつある。そんな気配の表現と言ってよいだろうか。(高山淳)

 上村隆士「萌芽の月」。生まれたばかりの山羊を抱えている女の子。窓の向こうには二十八日ぐらいの月が浮かんでいる。対象をしっかりと描写している。とくに女の子のフォルムと抱かれる山羊の愛らしい様子が魅力である。(高山淳)

 大橋純子「Una Sera di」。「ウナ・セラ・ディ東京」という歌謡曲が一時盛んに歌われたことがある。横断歩道の向こうにいる人はシルエットに、手前にいる人は背中が描かれている。ビルには光が灯っている。これらの光景の上から樹木のシルエットや波紋のような歪んだ映像があらわれて、夜の都会人の心を表すようだ。どこか徘徊に誘うようなイメージの表現である。それぞれの人がそれぞれの目的地をもって横断歩道にいるわけだが、すこしそこからそれたところに行きそうな危うさ、それが都会の魔ともいうべきものだろうが、そういった魔の表現として鑑賞すると面白いだろう。(高山淳)

 もりたかめい「形づくられた風景」。「制作を始める前には、一度自分の頭の中を空っぽの状態にリセットしている。ともすれば固まっていこうとする美についての『概念』とか『観念』とかを思いきり遠くへかなぐり捨てて、風通しの良くなった自分の内面を見つめ直す。摑みどころのない『もう一つの何か』を探してあれこれ想像し、思いを巡らせているうちに、色と形に対する欲求がむくむくと心底から湧いてくる。しめた、これはまだ誰も気付いていないぞという『何か』に遭遇した(と思った)時に、私の〝ひとりよがりの冒険と快感の旅”が始まる」。細胞のようなフォルムがだんだんと上方に向かっていく。不定型のフォルムで、中は明るいグレーや暗いグレー、緑、ベージュ、緑がかったグレーなどの色彩である。あいだに赤い不思議な、より不定型のたらしこんだようなフォルムが置かれ、文字のようなものもそこにある。下方には小さな窓のような矩形のフォルムが見える。画家は一時パリをテーマにして描いていたことがある。そういった画家の過去の絵もしぜんと筆者は思い起こす。これはパリというわけではないが、そのような街のイメージがしぜんと感じられる。色面がどんどん増殖するうちに、勝手にそのような街のイメージがあらわれたという言い方もできる。しかしまた、描きながら形態をまさぐるうちにしぜんと構築する力があらわれ、そういった立体的なコンポジションが生まれたということもあるだろう。中心よりすこし下方にセーヌ川を思わせる川が流れている。そのあたりの二つの緑の表情は実にセンシティヴである。また、上方の空に紫が入って、左にコバルトバイオレットの不思議なフォルムが浮かんでいるのも品がよいし、香りといったものを表現する。ところどころウルトラマリン系のブルーが入れられている。細胞がお互いに寄せ集まり動きながら、全体で合唱している趣もある。何かを描こうとするのではなく、描いているうちにもののもつコンストラクション、あるいは存在感、空間といったものが勝手に画家に語りかけ、このいま生まれたばかりのような瑞々しい風景があらわれた。しかもお互いがそれぞれ絡み合いながら、なおかつまだ増殖していくような趣もある。陰影というもののもつ密かな力を画面に引き出しているところもある。そこにヒューマンな味わいが生まれる。そして和音が画面から鳴る。一つの色面が生まれることによって、次の色面がそこから引き寄せられる。造形的才能、有機的な総合力ともいうべきものが、この作品の魅力をつくる。(高山淳)

 村上節子「百花繚乱」。着物を着た女性が横になっている。その柄が作品のポイントとなっている。柄の一部を空中に浮遊させて、牡丹や孔雀のようなフォルムを浮かび上がらせる。下方には雲のようなものがあらわれている。耽美のイメージである。着物の文様というものを面白くアレンジした印象的な作品である。(高山淳)

6室

 浪岡イク子「穏やかな日々―バリ島にて」。三人の小学校に通っている児童のような女の子が立っている。実にリアルに描かれている。三人のそれぞれの性格、個性がその三体の全身像によって描かれていて、見入らざるをえない。しかも、幸せな雰囲気でほほえんでいる三人である。背景や地面の植物なども達者に描いているが、この三体の女の子の表現に強い印象をもった。(高山淳)

 菅原明男「沈黙の河」。津波のような強い自然力が行使されたあとの風景のようだ。中心に水門があるが、水門の向かって左側が切れている。堤防に生える裸木。向かって右のほうには丘のようなものに雑木が生えている。水が静かに流れている。この水の中に入ってこの堤防や水門を触るように描いているような、実に繊細な感覚が画面から感じられる。茶色から黄土系の色彩の中の微妙な変化も、そのような対象に対する接近からくるものと思われる。(高山淳)

 山﨑巨延「無風」。この赤く咲いている花は何の花なのだろうか。ツツジを思わせる色彩であるが、この大きな樹木がツツジとは思えない。その朱色が命の頂点のような表情を見せる。それに対して新緑の緑が実に瑞々しく強いコントラストをなす。その中に手を入れると赤く染まるような、樹木全体が花で彩られているこの不思議な存在。季節のある頂点の歓喜ともいうべきイメージを、筆者はしぜんとこの風景から感じる。(高山淳)

 小森秀司「大地に生きる」。黄土色の色彩で画面一杯に背の低い草が描かれている。その中央では少し空間が空けられて、そこに流れる小川が見える。丹念に絵具を重ねながらざわざわとした草の揺れ動く感触を引き寄せているところが印象深い。シンプルな画面構成の中に、そういった臨場感がある。(編集部)

7室

 津口光「サグラダ・ファミリア」。画面手前に池があって、その向こうにサグラダ・ファミリアの姿が見える。その手前から建物までの距離感が、しっかりと捉えられている。周囲の植物や建物の細かな表情なども細やかにやわらかく描き出されていて、画面全体でサグラダ・ファミリアに強い親近感を持たせるような魅力を作りだしている。(編集部)

 佐藤宏道「舞い廻る風船・鳥・魚たち」。画面の中央に紙風船が浮かんでいて、その周囲にはさらにいくつもの紙風船、風車、鳥などが描かれている。下方の海には魚たちも見える。どこか心安らぐような気配と祈りのような心情が訴えかけられてくるところが印象深い。それぞれのモチーフが連続しながらリズムを刻み、旋回するように構成された画面の中でメロディを奏でている。今は亡き人に送る祈りやこれから人生を歩み始める子どもたちに対する希望といった深い想いが感じられ、余韻を残す。(編集部)

 島田守「懐古」。子供の頃に撮影した集合写真のような印象を受ける。画題にもあるように、画家自身の古い記憶を手繰り寄せて描き出したのかもしれない。セピア調の色彩でまとめられた画面がそういった印象を残す。それぞれの子どもたちは皆正面を向いていて、背後には工場のような建物が見える。その二つの様子の対比が特におもしろい。(編集部)

8室

 渡辺清隆「山湖暮色」。遠景に雪山を望む風景である。その手前には大きな湖が広がっている。キラキラと陽の光を反射させながら揺れる湖面が魅力的である。そこに二艘の小舟が縦に並んで浮かんでいて、作品にもう一つの動きを作りだしてもいる。柔らかな筆致がそういった情景を情感豊かに描き起こした作品である。(編集部)

9室

 村山晴美「DREAMY」。画面の右側に大きく白馬が描かれている。白馬は前脚を挙げる強い動勢を孕んでいる。その周囲にも四頭の白馬が小さく描かれていて、それぞれ躍動的に動いている。遠景には白い建物がいくつか見えていて、白馬はそこに向かうようだ。そこには親しい人や馬がいるのかもしれない。白馬の表情がどこか微笑んだ期待に満ちたものになっているところが興味深い。画面全体は青みがかった色彩で纏められていて、月夜の中で繰り広げられるドラマ性がこの作品のおもしろさになっている。(編集部)

11室

 吉田和生「糺の森(雑木林) 青」。雑木林の内部が縦長の画面に描かれている。樹木の幹は細く背が高い。枝も細くなっていて、それらが奥の方まで重なる様子が丹念に描き出されている。筆致はやわらかく、自然の持つ生命力が生き生きと表現されているところが特に印象深い。(編集部)

12室

 高橋富美江「季節の中で」。画面の中央に立つ女性とそれを祝福するかのように描かれた天使たち。そして、全体が緑がかった画面。どこか幻想的な雰囲気が魅力的である。その緑は輝くように黄みがかっていて、そこに点々と花びらの赤や白がリズムを刻んでいる。画家のイメージする世界に強く鑑賞者を引き込む作品である。(編集部)

13室

 中川玲子「今、でかけます」。日射しが差し込む室内に六つの椅子が置かれている。一番手前の椅子には葉を付けたオリーブのような細い枝が置かれている。人間は描かれていないが、どこか意味深な様子が、鑑賞者の好奇心をそそる。明るい画面の中に、丁寧に空間を処理しながら描き出している構成力に注目した。(編集部)

14室

 佐久間芳夫「静寂」。古びた一枚の戸板に白い花がいくつも描かれている。左上には枝葉も見える。そこからはらはらと花は落ちてきているようだ。戸板を挟んで室内から屋外を覗いたような情景であるところがおもしろい。オリジナル性の高い画面構成と見せ方に注目した。(編集部)

15室

 藤田康弘「ドブロブニクの裏街」。高い位置から街並みを見下ろした風景である。瓦屋根の一枚一枚や石壁などがじっくりと丁寧に描き込まれていて、強い見応えを作りだしている。それらを違和感なく連続させて纏めるナチュラルな色彩感覚の確かさも感じられる作品である。(編集部)

 山形一遊「矢柄」会友優賞・会員推挙。画面の下方には海が広がり、上方には魚のヤガラが大きく描かれている。ヤガラ特有の細長いフォルムが画面の左右からはみ出て描かれているところがおもしろい。赤みを帯びたその鋭いフォルムが、下方の海の細やかに揺れ動く波の様子と対比されている。ヤガラの目も強く印象的である。画家の鋭い感性が確かなオリジナリティを引き寄せ、鑑賞者のイメージを激しく刺激する。(編集部)

 山本智子「from memory0」。バスタブを中心に画面が展開している。先ほどまで入っていた人は今まさに出ようとしているが、そこに一匹の犬が入り込んでいる。脇で奏でられる音楽を聴きながら、実に気持ちよさそうである。右の方は屋外の情景になっていて、車や鹿、アヒルなどが描かれている。画面全体は水色を中心にしながら、黄色や緑でアクセントが付けられている。軽やかな空気感、心地よい雰囲気が作品の中に満ち溢れている。そこに鑑賞者を誘い込むような魅力が創り出されている。(編集部)

 川俣宥全「池袋モンパルナス 雨の舗道」奨励賞。雨の降る街の情景がしっとりと描き出されている。人々は傘を差して歩いている。信号は赤で、下方のアスファルトにもその赤が映り込んでいる。何気ない情景だが、それを自然に描き起こす画家の筆力に特に注目した。(編集部)

16室

 山口純一「自画像 014」。携帯電話に映り込んでいる自分の自画像を見る構成である。口を大きく空けて舌を出したその顔の表情が強く印象に残る。奇をてらったような作品ではあるが、電話を持つ両手の指などもしっかりと描かれていて確かな表現力を感じさせる。(編集部)

19室

 松尾康博「川越蔵造りの記憶」会友推挙。長い時間を過ごしてきた二階建ての立派な蔵が正面から捉えられ、描かれている。画面全体はどこか緑がかっていて、その時間の古さを思わせる。画題にあるように、画家の記憶の中から立ち上がってきたのかもしれない。いずれにせよ、しっかりとした存在感を獲得したこの蔵の佇まいが印象的な作品である。(編集部)

25室

 御正進「MOVIMENTO」。片足を挙げて立つ女性像である。頭部には鳩がとまっていて、足下にももう一羽いる。女性の腕はなく、それが上方に向かうシャープな動きを加速させている。その足に螺旋状に布が巻き付いていて、作品のもう一つの動きを与えているところがおもしろい。そういった躍動的な動きと鳩の一呼吸置くような様子が相俟って、強い見応えを作りだしている(編集部)

第36回日本新工芸展

(5月14日〜5月25日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 河合徳夫「白牡丹」。白磁のキメ細かな肌。大きな白い牡丹が咲いている。淡い青い葉の気品のある色彩。白牡丹の中心は黄色く彩色されていて、神聖な雰囲気である。上品な京都の雅をよく表わす作品。

 寺池静人「春光」。しっとりとした肌合い。平高台からゆったりとしたカーヴをもって口縁に向かう。口縁も首がつけられていない。丘のような雰囲気である。そこに白い可憐な五弁の花が咲いている。金をはいたような調子で、慈光ともいうべき光が静かにこの陶器から発してくる趣である。

 叶道夫「赫相」。球体のフォルムを口縁のそばでつまんで、そこからギュッと内側に凹状にえぐったような独特の強いフォルムである。それに対して楕円状の口が呼応する。赤く燃える山のような不思議なイメージである。

 田中照一「霞光」。まさに柔らかな光がこの蓋物から発してくる。下方の波紋を思わせるようなストライプの曲線が左右から繰り返されて、独特の優雅な動きをつくる。その上方は銀地に金の箔をちぎって置いたようで、柔らかな独特の手触りを醸し出す。蓋物であって、その蓋の口のあたりの茶褐色の色彩と下方のネズミ色。あいだの銀の口。まるで満月を中に閉じ込めたような魅力である。

 加藤幸兵衛「紺琉」。長方形の花瓶。白磁の上に紺や緑、黄色などの色彩を流したような独特の抽象が、鮮やかな印象を醸し出す。

 久保雅祐子「木漏れ日」。七宝の作品である。柔らかな曲面が優しい。上から蔓科の植物が下りてきて、赤や青い芽をつけている。下方に小鳥がとまっている。背景は濃紺で、その青の中に緑が映える。しっかりとしたフォルムのもつ健康な強さと自然から導いた典雅なフォルムに注目。

第61回日府展

(5月21日〜5月30日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 廣島樹「酒呑童子(大江山)」。四曲屛風の横長の画面に、酒呑童子の物語が描かれている。神便鬼毒酒を飲まされ、体が動かなくなり、首を切られ成敗されんとする場面。巨大な鬼の真っ赤な身体が画面の大部分を占める。鬼の足下には京都の東寺、頭の上の方には天橋立と、大江山を中心にしたパノラマが広がる。画面の左下には逃げまどう姫君たち。ダイナミックな構成が面白い。

 村上康子「秘思」。アンニュイな藍色の空間に、桔梗のような花が立つ。枝や葉は灰色のモノトーンで描かれ、ブルーの花、白い花が、静かな華やぎを見せる。

 三枝正人「嵐のガリラヤ湖」。突風が吹き、ガリラヤ湖の嵐に遭遇したキリストと弟子たち。白波をたて舟にぶつかる激しい波の中に、嵐の猛威に脅える弟子、一方落ち着いて横になるキリストという情景が、生き生きとしたドラマとして構成されている。

2室

 加藤由利子「桜の舞曲」努力賞。桜で一杯の横長の画面に、桜の枝先が伸びる。淡い桜色に包まれた幻想的な雰囲気の中で、雀たちが戯れている。生き生きと、ダンスを踊るようである。

 中道倫子「想」。風になびく広大なすすきの原に、二羽のあひるが互いを慈しむように寄りそい、佇んでいる。すすきは画面の大部分を占め、上方はそのまま、海の白波に続くようにも見える。静かな時間性が漂う。

3室

 佐藤勝昭「ザルツブルク鳥瞰」。ナイフを用いた淡い色彩の厚塗りによる、ダイナミックな構成。尖塔がある建物が中心に立ち、アクセントとなっている。情感溢れる街景色である。

 前澤龍一「いつもの佃島」。佃島を見据える画家の視線に親密さを感じる。落ちついた川面に繫留される舟、赤い橋、近くのマンションといった要素が、やわらかな色彩で丁寧に構成されている。

 宮田益榮「法起寺」。軽妙な筆致を生かしながら、寺のある情景が描かれる。曇り空の下に立つ寺、その前にリズミカルに立ち並ぶピンクの花々。詩情ある表現である。

 平江正好「明日へ」。愛らしい二人の子が、成長しながら、様々な態で描かれている。楽しげな顔、驚いた顔、おどけている顔、得意げな顔、母に寄り添う様子……瑞々しい表情、あたたかな情景は、折々の思い出の一シーンなのだろう。対象への親密さが、独特の構成の中に鮮やかに映される。

 吉田馨都江「木骸」。雪原に枯れ散った樹の断片が散らばり積る様が、シュールな気配を作り出す。空間に配されたブルーの色彩が効果的である。不思議な音楽性を感じさせる。

 田村公「南風 2014」。南国の原と海、空をバックに、大地にどっしりと佇むガジュマルの樹。脈々と垂れる気根は赤や緑色を帯び、この樹の秘めるエネルギーを表徴するようだ。

4室

 宮澤賢一「訪れ」。能面をつけた女性が、波だつ夕暮れの海に立っている。不思議な生々しさを持つ描写である。華やかな着物の模様と、波や砂浜の表情が呼応し、シュールな気配をあらわす。彼岸か、異世界から訪れた女性の姿にも感じられる。

 安斎里美「流れる」。やわらかな陽光のもと、ゆっくりと流れる河に、樹々の影がうつる。重厚なマチエールに描かれた、あたたかな情感をもつ風景表現である。

 髙橋ゆみ子「アンポワーズの朝市(仏)」。秋の朝市だろうか。奥行きの中に広がる市場の賑わいが、やわらかな色彩で描かれている。シンプルな構成の中に、人びとの営みの温もりを感じさせる。

 白土靖子「North Europe of the fantasy」。画題は、幻想の北欧という意だろう。雪原の上に夕暮れの空がある。上から神秘的な光が降りてきている。何層にもわたる重い雲の中に、巨大な羽ばたくフェニックスのようなかたちがあらわれる。ファンタジックな光景である。

 井上周二「白馬五竜高山植物園」努力賞。植物の景が広がりをもって描かれる。瑞々しい彩りとタッチにより表現され、風に揺れているかのようなリズムが感じられる。

5室

 後藤和子「感動の樹」奨励賞。紅葉の頃だろうか。黄色を基調とした葉のボリュームが力強く、生き生きとした韻律を作り出している。白っぽい空、赤や紫を配した地、幹の茶色、と色彩のハーモニーも心地よい。

6室

 南部祥雲「やすらぎの時」。雀と見つめ合い戯れてあっている女性は、大人のようでも、少女のようでもある。丸みのあるフォルムが愛らしく、やすらかな情感を醸し出している。

第80回記念旺玄展

(5月22日〜5月30日/東京都美術館)

文/高山淳・編集部

1室

 高桑昌作「ヴェネツィア(海と結ばれた都)」。下方にヴェネチアの島を俯瞰したようなフォルムが見える。海は銀色の波で表現されている。そこに女神があらわれる。裸の下半身は魚の尾になっているから、人魚のイメージである。頭にはこんじきの装身具がつけられ、女性の顔から放射するような動きが光の中に赤く表現される。ヴェネチアの仮面から引用されたと思われる、角を持った男の面がそこに迫ってくる。ダイナミックな動きのなかにヴェネチア讃歌のイメージを朗々とうたう。金や銀の色彩が実に効果的に使われている。(高山淳)

 貞永マミ「無音の調べ」。縦長の画面に積み重なるようにたくさんの鬼灯が描かれている。そして画面の下方ではトランペットなどの管楽器がそこに埋まっている。上方へ行くと鬼灯は皮のついたものになっている。更に上には地平線があり、ピアノの鍵盤が描かれている。重層的な画面構成である。画面全体は朱の色彩で統一されていて、どこか夕暮れを思わせる。鍵盤でリズムを刻みながら、音を重ねていくように一つひとつの鬼灯がメロディを作りだしている。管楽器はそこに取り込まれ、同化していく。イメージの中に流れる音楽が、鑑賞者のそれと繫がり共感を生む。楽器や音楽性は画家の長いテーマであるが、今回は密度の高い画面の中に、ノスタルジックな心情が引き寄せられているところが興味深い。(編集部)

 木本牧子「CHILDMIND」。線路が向こうに続くそばに母と子のシルエットが見える。手前に土管から水が流れている様子は、記憶を暗示する。下方には波濤文のようなフォルムを白く描いて、中に植物などを描いている。過去から呼び戻される風景がしみじみと伝わってくる。(高山淳)

 望月一雄「帰って来てけらいん」。小学校の教室のフローリングの床の上にランドセルや鉛筆や鋏などが散乱し、また小さなズックも逆様になったりして置かれている。倒れた椅子。津波の被害で亡くなってしまった子供たちに対するレクイエム。上方に緑の黒板があり、チョークで描かれた数字にもなにか意味があると思うのだが、筆者にはよく解釈できない。漂白されたような明るさの中に原色の子供の使っていたものが散乱して、そのポップな雰囲気が逆に悲しみを誘う。(高山淳)

 斎藤寅彦「時の跡・2014」。切断された樹木の太い幹がカーヴを描いて、手前のほうに向かっている。その動きのあるフォルムが、いわゆる静物の概念を超えた雰囲気で迫ってくる。真ん中あたりに小鳥が描かれているスケッチブックがある。そこに光が当たっている。希望の象徴のようなイメージで、その前後に羽が浮遊している。上方にはブロックや錆びた機械などが置かれ、基底部は岸壁のような雰囲気で、背後に海を想像するような風景があらわれる。手触りのあるマチエールで、風化したものたちを集めながら、そこに命を吹き込む。長く晒されてきた歳月の時間のしみ通ったような存在を画家は好む。この作品では、それに加えて未来への希望のようなイメージが、前述した鳥を中心として描かれているところが新しい展開といえる。また、繰り返すようだが、樹木の幹のもつかたちをバネのようなエネルギーのなかに表現しているところが面白い。(高山淳)

 田中牧生「海祭」。組み合わせが面白い。下方に錆びた錨があり、その向こうに綱につけた鳴子のようなものが固まっている。その二つを合わせると、ちょうど宝船のようなイメージが生まれる。上方に馬を引いている様子の絵馬から取ったものと思われる図が描かれている。いわゆる見立てで、海に対する豊漁祈願をこのような組み合わせによって表現する。そのエスプリが面白い。(高山淳)

 小玉政美「時の記憶―2014」。柱の向こうに見えるのは浜辺のようだ。一本の松が立っている。津波のあとの情景のようだ。そして、それを背景にして中が空洞の女性が立っている。シャドーのように後ろの左右に二人の女性の影。亡くなった人のイメージだろうか。同じようなイメージは、手前に横になった空洞のトルソによっても表現される。青い水晶球のようなものを持った女性が手前に立っている。空の青をその中に閉じ込めたような存在で、この女性もまた現実というより、むしろ幽体のようなイメージである。三年前の津波の災害を回想しながら、一つひとつのフォルムを組み合わせながら、独特の奥行のある心象風景を表現する。(高山淳)

 片岡美男「流木のあるスペース」。流木や島、岸壁で釣りをする人、石。海にちなむ様々なものを集めて、描きながら構成する。一種コラージュ的な手法であるが、コラージュではなく、実際に描いている。それらが集まって海というものの香りや存在、その変化する様子がしぜんと浮かび上がってくる。ほぼモノトーンによって表現されている。海のテーマの序章と言ってよいような作品。(高山淳)

 津曲東和子「ムーンリヴァー」牧野賞。窓の向こうに川が黄金色に光っている。上方に満月が浮かんでいる。それを背景にして若い女性が布をかぶせた椅子の上に座っている。瞑想的な雰囲気のなかに女性のフォルムをしっかりと描き起こして、リアリティがある。その素朴な表現に対して、戸外に見えるロマンティックな雰囲気とが面白く組み合わされている。(高山淳)

 石井好道「烏合」文部科学大臣賞。雑草に三羽のカラスが下りて、左のほうを眺めている。その大きな嘴や量感のあるフォルムを生き生きと描き起こす。背後は岩を積んだ壁になっていて、そこにもほとんど枯れかかった雑草が伸びている。画面全体に過去を眺めるようなノスタルジックな味わいも感じられる。画面の半ば左にミイラになった鳥が一羽ぶら下がっているのが、作品の隠し味のようにきいている。そこには死の姿がある。そしていま、冬の季節のなかにカラスは遠くを眺めている。時間というものがしみ通ってくるような表現である。(高山淳)

 佐々木實穂子「遠い日(dandelion)」無鑑査。三幅対と言ってよい。正面の像を中心に、左右に側面の像を描いている。一人の少女の姿である。十二歳ぐらいの年齢だろうか。ベージュのモノトーンの色彩。左右の少女はタンポポの綿帽子になっているものを持っていて、そこから綿毛が飛んでいる。その綿毛が星のようで中心の女性を荘厳している。褐色のモノトーンにもかかわらず、柔らかなトーンがゆったりとした光に満ちたような雰囲気を与える。優れたデッサンによって、この少女の命の姿を伸び伸びと画面の中に表現する。カーヴするその形が爪先から指の先まできっちりと描かれて、独特のムーヴマンをつくる。聖少女ともいうべきイメージで、一種仏画的な味わいも感じられる。「遠い日」という題名だから、画家自身の子供の頃と画家自身が育てた娘のイメージがここに重なって、時間を超えてあらわれたものと思われる。(高山淳)

2室

 若林俊男「ノスタルジー」。小川に二艘の船。手前と対岸である。月の光が照らしているようで、船の一部を輝かせている。上方に雑草が生えていて、そこにきらきら光るものがある。ロマンティックな気配が画面に漂う。(高山淳)

 加藤良子「プルトスを抱く女神」。この幼児プルトスを抱いている女神はデメテルで、農耕の女神である。愛らしい姿をした福の神プルトス。プルトスの父親はイアシオンで、彼はゼウスとエレクトラの子供であるが、デメテルはイアシオンとある盛大な祝宴の場で出会い、熱烈な恋に落ち、宴果てたのちイアシオンが住むクレタ島に移動し、三度鋤き返した畑の上で心からの抱擁を交わした。デメテルが行った畑での生殖行為は農地の生産力を高める豊穰の祈願の一形態である。この性交によって誕生したプルトスは豊かな神、とくに穀物の実りを象徴する神として母デメテルや姉ペルセフォネとともに崇拝されている。デメテルとプルトスの顔や手、胸のあたりに強い光が発していて、それが豊穰のあらわれのようだ。下方には高い峰から溶けた雪がいま下りてきている様子で、そのもっと下方には赤い屋根、白い壁の集落が見える。画家はひとつの観念を描く。再現的な表現ではなく、イデーとか思想といったものを描く。その強さは独特で、ちょうど同時期に公募展のセレクト展が開催されていて、そこに旺玄会の代表の三人の一人として、アテネの女神を描いたものが出品されているが、周りと比べても実に強く訴えてくるものがあった。そういった作品も新作として描いたせいか、今回はゆったりとした雰囲気のなかに自然体で表現されながら、強いオーラのようなものを作品から発している。それはこの立っているデメテルの姿と息子プルトスのもつしぜんな佇まいのなかからあらわれてくる独特の輝くようなイメージのせいと思われる。後ろに小さなピンクや白の花が咲いている。その花の様子と下方の小さな赤と白の集落の様子とが響き合う。高いアルプスのような山の背後に黄色い光背のようなものが輝いている。自然の恵みの象徴として、そこに黄色い光背が入れられているのだろう。そこから流れてくる雪解けの水が農地を潤すのである。(高山淳)

 勝俣睦「暴力の門」。昔、ウィーンのアルベルティーナ広場にてナチによるユダヤ人迫害の記念碑を見たそうだ。今回大作を描いていたが、それがある理由でうまくいかず、そのスケッチを二倍ぐらいに拡大して出品したという。手前の歪んだ悲しみの顔のある彫刻と後ろの二つの碑のようなもの。骸骨が描かれていたり、抽象的なフォルムが右のほうには刻まれている。そのあいだに数人の男女を配している。強い臨場感の感じられる作品である。現場でスケッチをしたときのもつ緊張感が画面からよく伝わってくる。このような作品を見ると、この画家にはたくさんのおびただしいスケッチが存在するのだろう。その一端が出品されて、興味深く思った。(高山淳)

 松田敬三「外房白浜」。かなり大きな波が寄せてくる。その量というものをリアルに描いている。このように見ると、波というものは恐ろしいものだということが実感できる。手前に黒い岩礁があって、波が白く泡立っている。雲がずいぶん低いところにあるのがまたプレッシャーとして感じられる。海の波の動きと空の雲の動きによって風景のドラマを描く。(高山淳)

 大神田礼子「May」。五月は新緑の季節だが、そんなイメージで裸婦を描いている。ペットボトルを持って座った女性。黄金色の光が当たっている。まぶしいように光が当たっていて、裸婦が輝くように表現されている。深い緑のトーンによって背後がつくられている。そこに大小の矩形が裸婦を囲むように置かれている。そこには銀の箔が貼られている。その銀の箔の大小の様子は星のようなものを装飾的に画面の中に扱ったようにも感じられる。この裸婦の身体を再現的によく表現する、そのデッサンとロマンティックなイメージとが結合した、柔らかな光のなかに存在する裸婦像である。(高山淳)

 坂口良治「水溜まり」佳作賞。水たまりに樹木や裸木と家が逆さに映っている。それを囲むしっとりとした地面の様子や小石の表情。すこし濁った褐色の水。柔らかさのなかに鑑賞者の心に入ってくるようなイメージの強さが感じられる。(高山淳)

 今西邦代「山岳の廃墟(ドイツ)」。今西の描くヨーロッパの集落や樹木などの表現にいつも感心して見てきた。今回はまさに廃墟で、ほんの一部上方に櫓が残っているが、下方は散乱する石になっている。そのようなモチーフを描いて、独特の存在感を表す。一つひとつ手で触るような触覚的な強さが魅力である。空もオレンジや黄土系の色彩で染められて、深いノスタルジックな感情も漂う。石の散乱する中に赤い小さな花の咲いた樹木が一本置かれているのが、静かなアクセントになっている。(高山淳)

 飯田照美「漆黒に咲く」努力賞。巨大な向日葵が頭を垂れて枯れかかっている。しかし、真ん中のしべは黒くなっているが、花はまだ黄金色に輝いている。下方の地面に燃えているものがある。かがり火を思わせる。この不思議な生と死の両方を担ったような向日葵のイメージは、夜に行われる薪能を思わせるところがある。イメージの広がりが面白い。(高山淳)

 小池成芳「水車のある風景」。画面の中心よりすこし左のほうに水車が描かれている。それを囲む施設。木製のようで、一部石でできている。静かに水が流れている。後ろには白い壁の建物、グレーの壁の建物、屋根もオレンジ色やピンク色の調子で、しっとりとした雰囲気である。すこし紅葉した感じの樹木の葉。水車は静かに向こうに時計と反対方向に回っているようだ。櫓の向こうに白い水しぶきのようなものが見える。ハーフトーンによる色彩のハーモニー。水に映る建物や水車の影。柔らかな雰囲気のなかに向こう向きに回る水車は、追想的なイメージの象徴のようにも感じられる。水車の様子が実に不思議な雰囲気で表現されている。日常生活というものも回る水車と同じで、見ようによってはシュールな味わいをもたらすものかもしれない。(高山淳)

3室

 筒井スミ子「花は花は咲く…君のために。」。少女が青いブーツをはいて歩いている。両手を下に垂らしているが、その様子を見ると、すこし強張ったような雰囲気で、上方を眺めながら歩いている。それは困難にも負けない歩みである。少女の服装はカラフルで、赤や緑、青などの色彩がモザイクのように入れられていて、明らかに画家はこの少女のけなげな姿を応援しているように思われる。少女の前、前方に五弁の白い花が浮かんでいる。下方にはあの東日本大震災の起こった二時五十二分の時刻を示す時計が浮かんでいる。ふぶいているような白い動きのある背景。画家は東北の生まれである。春を待つ季節のなかで経験したことが、今回の津波のような災害から回復するイメージと重なって、この童話的でもありファンタジックでもある表現が生まれたものと思われる。(高山淳)

4室

 原野眞城「おわら風の盆」。左右にパートを分けて作品を描いている。右側では男たちが踊り、奥で三味線が奏でられている。左側では女たちが踊っていて、奥には男たちの姿が見える。人物それぞれの動きがユニークでおもしろい。躍動というよりは、ポーズを決めているような雰囲気である。二つの画面でちょうど弧を描くように旋回しながら人物が配置されていて、それが盆踊りのテンポの良いリズム感を引き寄せている。上方にいくつも吊された提灯の点々と連続する様子もまた、そのリズムを活性化させている。見ていて楽しい作品として注目する。(編集部)

7室

 宮島明「サーカスの人」。画面は赤と紫によって分けられている。赤いバックに自転車に乗る熊とそれを扱う女性の曲芸師。そして、上方を向いて足を上にした芸をやっている男。上方には空中に浮かんだ女性のフォルムが見える。そのサーカスのシーンを背景にして女性が立ち、左のほうの男性と会話をしている。横向きの姿。とくに横顔にしっとりとした雰囲気があらわれている。紫をバックにしたところには緑の衣装をつけたピエロがいて、前述した女性と会話をしている。どのような関係なのだろうか。夫婦なのかもわからない。背後の赤い背景のサーカスの演技している様子の華やかな陽気な雰囲気に対して、手前の男女の会話はしっとりとした、ひとつ違う世界の心理学があらわれているようだ。二つのシーンのコントラストによって、サーカスを職として生活する人々の人間心理の奥行が深くなる。画面全体に哀愁を帯びた旋律が流れてくるようだ。(高山淳)

 山田正夫「アヴィニヨン要塞」。手前に右下に大きく空間が空けられていて、その向こうは堅牢な岩壁になっている。その手触りのあるマチエールによって、この崖の重厚さがよく伝わって来る。左側には車が止まり、旅行者の姿が幾人か見える。車の背後は城壁になっていて、物見櫓が高く聳えている。かなりの年月を経たその城壁の持つ時間が、丹念な描き込みによってじっくりと引き寄せられている。空は曇っていて、画面全体でどこか淋しげな情景となっている。数百年もの過去から孤独に存在してきたこの要塞の姿が、強い情感を伴って鑑賞者に迫ってくるようだ。(編集部)

 岡村えみ子「路地裏」。壁に絵具を盛り上げて強いマチエールをつくっている。そこに倒壊しつつある高層ビルの海際の絵が掛けられている。不思議なドラマを感じさせる画面である。少年があっという間にこの絵の中の世界に入っていって、ドラマが始まるというファンタジー映画があったが、そんなことも思い出した。「路地裏」という題名だが、その人間臭い路地や壁と高層ビルの揺れている絵の中の樣子が不思議なコントラストを見せている。そこにこの作品の物語性というか、面白さが感じられる。(高山淳)

8室

 川崎建二「心の必然性」。画面の中央から上下左右に広がっていくような、或いは収斂していくような動きがある。赤、青、黄、緑、黒、白といった様々な色彩を細やかに扱いながら描き出しているが、それらを一つの画面の中でうまく纏め上げている。浮かんでは消えていく心の中のあらゆる感情が、このように表現されているところが独特であり、おもしろい。以前描いていた自然の風景のシリーズとはまた異なった表現であり、印象深い作品となっている。(編集部)

 中村章子「景―2014」。画面一杯にシルエットになった人々が点景でたくさん描かれている。背後は暖色系の色彩で、街の風景が描かれている。街はぼやけるように描かれていて、それがどこか心象的な要素を孕んでいるようだ。そしてそこを行き交う人々の動きもまた抽象的なリズム感を引き寄せている。雑踏の中にある日常的な人間の営みが、このように描き起こされているところが実に興味深い。オリジナリティの高いところに特に注目する。(編集部)

 小島房子「森羅万象(Ⅱ)」。夜のノクターンのようなイメージ。二つの樹木の幹が上方に立ち上がっていく。満月が動いていく。そんな中に地上から空に向かって階段がつけられる。そう思っていると、室内があらわれ、室内に棚のような空間が描かれる。白からグレーにわたるトーンの変化。影が単なる影ではなく、ものの虚像のようなかたちで画面の中に自由に配置され、お互いに響き合う。ふかぶかとした空間の中に、レールのようなものが縦横に柔らかな曲線を描いて配置され、心象の中に旅をしていくようなイメージもあらわれる。(高山淳)

 酒井勇一「心象風景―銀河鉄道の夜」。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は死への旅立ちだが、その異様なイメージを面白く表現している。右上方に銀河鉄道が車窓を輝かせながら走っている。その柔らかな緑の色彩のストライプを上下にはさむように暗い緑や明るい紫、暗い紫などが平行にストライプ状に置かれている。それは銀河鉄道の世界は、もうひとつ向こうの世界であることを示すようだ。(高山淳)

 根井操「2014・白い朝」。すこし青みがかったグレーから暗い青までの色相の変化が豊かで繊細な様子をつくる。ところどころ赤が使われている。右下のほうに建物の組み合った様子の向こうに橋のようなものが見えるが、建物の赤が画面全体のグレーの柔らかなトーンを引き締めている。その後方の小さな長方形の赤。上方には海のイメージがあらわれる。海のイメージは繰り返しあらわれて、いちばん上方には岸辺と堤防と水のようなイメージがあらわれる。そしてまた積もったふかぶかとした雪。階段。坂道。建物。樹木。そういった要素を画面の中に自由にコラージュするように組み合わせる。それによって独特の韻律やメロディが生まれる。高音部と低音部とがお互いに追いかけっこしながら伸びていくような、そんな味わいもある。画家自身、たいへん音楽が好きで歌もうまい人だが、画面から静かなシャンソンのようなメロディが聞こえてくるような気持ちになる。それはひとえにフォルムの配置と色彩のトーンの変化の組み合わせによるし、全体の主調色の中に入れられた赤や黄土の色彩からくる印象だろう。奥行のある空間がちりばめられながら、それぞれに、一つひとつの思い出のようなイメージがあらわれ、それらが全体で或る生活から昇華した詩の世界を合唱するようだ。(高山淳)

 沼田桂子「喨喨」。画面の中央に数羽の鳥が集まり、さえずりを交わしている。深い黄の色彩を中心に、緑や紫を感覚良く使いながら、生命の喜びを歌うように描いている。豊かな情感を鑑賞者と共有するような、強い発信力を持った作品として注目した。(編集部)

9室

 新澤由貴「能・道成寺幻想」。道成寺は安珍清姫の話で、清姫は最後には釣り鐘となって安珍を焼き殺す。その釣り鐘が上方に、清姫を思わせる十二単が画面の中心に置かれ、花が散っている。柔らかな雰囲気のなかに情緒豊かに安珍清姫の恋の物語、その煩悩の世界を表現する。(高山淳)

 鍵和田智子「装う(紐)」。着物の紐を結んでいる女性の肖像である。そのゆったりとした所作がこの女性のおおらかな内面を伝えてくるようだ。上方には満月の下半分が見える。その月の輝きは、そのまま女性の美しさと結びつき、どこか神聖な気配さえ作品に引き寄せている。金と銀による輝くような色彩が、そういった美というもののとは何かを静かに語りかけてくるようだ。(編集部)

 馬場由紀子「笑む。凶器との振幅」奨励賞・会員推挙。日本画であるが、心理学の表現になっている。左に赤いワンピースを着た女性が三人いて、ひそひそ話をしている。右の黒い衣装をつけた母と子供の悪口を言っているようだ。悲しそうな黒い衣装の母と子に対して、野卑な笑みを浮かべながら噂話をする女たち。何かのトリックを仕掛けているのかもしれない。二人の空間に亀裂が走る。そこは朱と金によって表現されている。ヴィヴィッドな人間心理の表現である。(高山淳)

 鈴木てん子「昔々、あるところにね…」。昔話を読む少女。スリッパを半ばはいているような様子でX脚の六歳ぐらいの女の子。柔らかなピンクや黄色の入れられたグレーの空間に、『花咲爺』や『竹取物語』、『かちかち山』などの話が白く描かれている。女の子のフォルムのもつリアルな表現に注目した。(高山淳)

11室

 永山勲「麻袋とたまねぎ 2014」玉之内賞。床の上にたくさんの玉葱が転がっている。そばにドンゴロスのような袋と赤い唐辛子の実。オールオーバーにものを置いて、それらが重なりながら独特の表情をつくる。画面の中に一種の緊張感のようなものがあらわれている。その緊張感のようなものとゆったりとした球形の玉葱、そしてアクセントとして置かれた赤い唐辛子が独特の面白さで画面の中に生かされている。実りというものの豊かさの表現と言ってよいかもしれない。(高山淳)

 中村多美子「明日に願いを Ⅱ」第80回展記念賞。大きな木製の樽に紫陽花のような花がたくさん植えられている。盛りをすこし過ぎたようで、すこし褪せた赤や紫、青の紫陽花が量感をもって表現され、独特の気配を示す。それによりかかる白い衣装を着た金髪の関節人形。二つの車輪。背後には茶褐色の昭和のような建物が見える。「明日に願いを」という題名だが、未来に向かう前に過去のイメージが画面全体にあらわれている。追想シーンのなかで癒されて明日に向かうといったことになるだろうか。いずれにしても、透明水彩を重ねることによって深い色彩の味わいが生まれる。よく醸造された年代物のワインのような、そんな魅力が感じられる。(高山淳)

12室

 吉田正造「立春の大沼公園」努力賞・会友推挙。ブナ林の雪景である。今回はその向こうに大きな駒ヶ岳が見える。樹木は少しずつ間を取って配置されているが、その距離感と手前から奥への間が絶妙にうまくいっている。山は右側に寄せて描かれていて、その山頂は鋭く尖っている。それがやわらかな林や雪の感触と対比されているところがおもしろい。ドラマチックな画面構成もまた印象的である。(編集部)

 奥山幸子「忘れられたところ No3・ No4」。この画家の作品に繰り返しこの大理石を貼ったような高い柱があらわれるのだが、画家の庭にはこのようなものがあるのだろうか。様々な植物が茂っている。右上方には満月が白く輝いている。霧がかかっている下方に、大きな葉をもった植物や小さな花をつけた植物。丈の低い木に紫色の花が咲いている。右のほうにはチェアとテーブルがあり、テーブルの上には赤やオレンジの可憐な花が置かれている。ロマンティックな夢想的空間があらわれ、植物が伸び伸びと呼吸をするような、そんな表現に注目した。(高山淳)

 十枝松江「昇る陽」。日が昇って太陽が黄色く赤く輝いている。それを手前の蛇行する川の水が受けて輝いている。地面には雪が積もっている。小さな雑草や灌木が茂っている。それをきびきびとしたリズミカルな線描によって表現する。土手の向こうにある樹木や幹が紫色のシルエットで描かれ、水から土手の上までの斜面に積もった雪や地面の様子が円弧の中に表現され、独特の動きをつくる。(高山淳)

14室

 池田直子「マー君の夢」。ボールを持った四歳ぐらいの男の子。その幼いフォルムを的確に表現する。顔も、この年齢の子のあどけないピュアな雰囲気をよく表している。背後はたらしこみふうに樹木を描いている。優れた筆力である。(高山淳)

16室

 磯野桂子「ハーグの骨董市」。賑やかな市場の様子が生き生きと描き起こされている。テーブルには楽器などが置かれていて、客と店主が交渉しているようだ。細々とした商品が並べられているが、それらが陽の光に照らされて心地よいリズムを作り出している。色彩を感覚豊かに扱いながら、豊かな情感を作品に引き寄せている。(編集部)

 奥山かず子「風景の記憶」。青いワンピースを着た若い女性が座っている。後ろに、フランスなのだろうか、オレンジ色の屋根にグレーの壁をもった建物が並んでいる。高いところにある集落のようだ。この女性の周りは青いトーンで染められて、水の波紋がだんだんと広がっていくような、そんな不思議な空間で、背後の上方の建物のクリアなフォルムと対照される。瞑想的な雰囲気のなかにいる女性の雰囲気を面白く表現する。(高山淳)

 田村正「こけし工人  K氏」。白いひげを生やした職人さんが、こけしに向かって筆を持っている。これから顔や衣装を描くのだろう。左に描かれたこけしがたくさん並んでいる。紅白梅の胴体の上にのったかわいい顔。そのこけしの集合する様子が独特の強い存在感というのか、気配を示す。人物よりむしろこけしの表現に惹かれるものがある。(高山淳)

 大矢葉子「思い出の旅」。広場にショールで身を包んだ女性ともう一人の女性が歩いている。そばの樹木の青みがかった葉の中に白い花が咲いている様子に独特の魅力を感じる。ぽっかりとあいた空間のなかにある気配と樹木の表現に注目した。(高山淳)

18室

 大道美貴子「時を刻んで」。石を積んだ壁の向こうに木製のドアがある。そこには二段ほどの階段を上がってたどり着く。周りの石の風化したような表現を、独特の厚いマチエールによって表現する。それによってこの木製のドアが不思議な存在としてあらわれ、その向こうに住んでいる人が謎めいて感じられる。時間によって浸食された光景を詩情のなかに表現する。(高山淳)

 角田寛弥「海辺のCafe」。デージーズ・カフェという文字が上方に見える。扉があけられ、女性の買い物客が向こうを向いて立っている。入り口に猫が後ろ姿を見せる。光が差し込む。そんな一情景を生き生きと表現する。クリアなフォルムの組み合わせによって、この夕暮れの時間、空気感さえも表現する。(高山淳)

 林加代子「アルカサル」。白壁に瓦屋根の建物が集合している。後方に行くにしたがって地面が隆起しているようで、それに沿って建物が置かれ、丘の上にはスペインの宮殿が建つ。丘から下方に下がってくる中に建物が建てられ、道があり、といったセビリアの街の面白さを生き生きと表現する。黒い線とすこし暖色を帯びたグレーの壁、茶褐色の屋根、それらの集合体によって歴史のあるこの街のエキゾティックな雰囲気をよく表現する。(高山淳)

 磯村倬司「やすらぎ(ハンガリーの夏) Ⅰ」。手前から奥に向かって連々と向日葵が続いていく。それぞれの向日葵は丁寧に描き起こされていて、一つひとつをじっくりと見ていくおもしろさがある。見渡すようなその風景は、どこか天上的な要素を孕んでいる。魂の行き先、やすらぎの場所。そういった心理的な魅力が、鑑賞者のイメージを刺激する。コクのある黄と茶、緑の色彩が強い情感を引き寄せているようだ。心を込めて描き込んだ画家の心情が、このように立ち上がってきているところが興味深い。今回は遠景に地平線が見え、木立が並び、雑木林も見える。年々作品に広がりが生まれてきているようで、画家のイメージがますます活性化してきているような印象を受けた。(編集部)

 好川悦子「道標」。巨大なサイのような不思議な四つ足の生き物が石の上に置かれている。後ろには重厚な建物が描かれている。強い気配が歴史的な時空間のなかからあらわれる。(高山淳)

 樺島貞「想想」。バンダナをした少女が座っている。妖精のような雰囲気で、周りに白い小鳥が飛んでいる。背後の一本の樹木。その横に浮かぶ四人の男女の顔。祈りをテーマにした図像のように感じられる。(高山淳)

19室

 木下京子「刻―待つ―2」。キャンバスに白く地塗りをして、その上から鉛筆によって描いている。縁側のような廊下のようなところに向こうを向いて横になっている男。片手で頭を支えている。後ろには久保田という一升瓶の酒があり、傾いた茶碗がある。この画面は桟によって六つのシーンに切り取られているのだが、下方にある三つの空間に犬がそれぞれいて、犬のもつ動きといったものを分割してそこに表現しているようだ。向こうを向いて寝そべっている男と窓の向こうに見える風景の一種静止した像に対して、犬の動いている様子をストップモーション的に三画面によって描いて、不思議な味わいを見せる。そう思って見ていると、似ている犬の種類だが、三頭はそれぞれ異なっている。いずれにしても犬によってあらわれてくる生気ともいうべきものに注目した。(高山淳)

 藤田佳乃子「時感」佳作賞。裸の女性が座っている。ふくよかな体つきで、大きな乳房と大きなお尻。成熟した女性のもつフォルムを生き生きと描く。右手が腿の上にあって、その指の表情などのディテールがリアルで、そういったフォルムがまた画面全体を引き締める。グレー、ベージュ、すこし青みがかった調子などの色面、それを囲む曲線。陰翳礼讃ともいうべき独特の光の効果も面白い。(高山淳)

 小島翠「ファミリー Ⅱ」。母親が幼児を抱いている。そばに少年がジャンプしている。三人の親子である。向こうには芝生に座っているファミリーもいる。イチョウのような木の葉が黄葉していて、その点描によって描かれた黄色やオレンジ色の色彩に独特の華やぎが感じられる。全体に黄土系の色彩でまとめているが、点景の人物も手前の人物もフォルムがしっかりしていて、黄色のもつ独特の柔らかな明るい、と同時に、調子を落とすとしっとりとした色調をよく使いこなしている。(高山淳)

22室

 山田洋子「中東のKABE 1」。白い布で体全体を覆った中東独特の衣装を着た若い女性が石の上に座っている。左右に大きな壺がある。背後は壁のようで、黄土系の色彩によって表現されている。しっとりとした落ち着いた色調の清潔な強い造形だと思う。(高山淳)

23室

 茂木茂「日盛りの刻」会友推挙。工場のような建物の前に塀があり、塀の前の道を自転車に乗った男が進んでいる。前後に籠がつけられている。塀の切れたところは工場の入口で、トラックの荷台が見える。強い光が差し込んでいる。ぐいぐいと描きこむ。それによって動きが生まれる。強いイメージを、この工場と道と男によって表現する。そこにムーヴマンが生まれる。(高山淳)

 北野弓子「夜想曲」。白い馬の鼻面に手を当てているすこし太った女性。頸にベルトをつけて、そこに赤い薔薇の花を施している。反対側にいる女性は右手に黄色いインコのような鳥をとまらせている。子馬と二人の妖精のような女性。柔らかくこの二人を囲むように、樹木の枝が曲線的に描かれている。あいだに一羽の小鳥が飛んでいる。緑を主調色とした柔らかな空間である。夢見るような雰囲気があらわれる。樹木や小鳥や子馬と一体化した二人の女性は、自然と深い関係をもっている。そして一体化しながら安息感のある楽園のようなイメージを表す。(高山淳)

26室

 増山崇子「あの日、あの時」。猫を抱く少女。後ろの階段のような向こうに青年と小さな女の子がいる。グレーを中心とした色調であるが、独特の色彩感覚が感じられる。人と人との交感、あるいは猫と少女といったような、関係性というものが表現されているところが強さだと思う。(高山淳)

27室

 丸山順子「スタンバイ」。ギターを弾くミュージシャン。その上半身である。顔や手が通常の三倍ほどの大きさで描かれている。ドローイングする力によって見せ場をつくる。拡大した手や人間のディテールが生き生きとしたイメージを発信する。(高山淳)

 田中實「神秘の森(Ⅰ)」。樹齢数百年といった樹木が圧倒的な力で上方に伸びている。その後ろ側に男女と思われる人が杖をついている。そのあたりの青みがかった白い表現は、雪の積もっているようなあやしさである。近景は夏の季節のようにぐいぐいと緑が繁茂し、それを強いフォルムによって描く。それぞれのディテールがしっかりしている。二つの季節を描いているような印象もある。そこからファンタジックなイメージや物語がしぜんと生まれてくる。いずれにしても、樹木の幹や枝、あるいは根のフォルムの強さに注目した。よほどの造形感覚である。(高山淳)

 安井初美「無垢」。着物を脱いで胸から上が裸。そんな少女の姿を描いているのだが、少女に接近して、少女の顔はほぼ同じ高さから、それから一気に急角度で足のほうを眺めることによって、強いパースペクティヴが起きる。それによってムーヴマンが生まれる。それが面白い空間をつくる。屛風に蝶が飛んでいたり、障子から漏れる光といった道具立ても面白い。(高山淳)

 大地守世「目ざめの季節」。雪の積もった地面に葉を落とした裸木がたくさん立ち並んでいる。強い光が照らしている。そこに清潔な韻律が生まれる。色彩の輝きと構成のもつリズム感に注目した。(高山淳)

 石井代央子「鳩のいる景―繫ぐ―(Ⅱ)」損保ジャパン美術財団賞。幼児を抱く母親。そばに兄が立っている。兄のそばに二羽の鳩がいる。地面には植物が生えている。そこから伸びた丈の低い灌木に実がなっている。ほとんどモノトーンの表現である。家族のモニュマンといったイメージがあらわれる。(高山淳)

 関由紀「待つ」。緑の扉。周りは煉瓦でできている。その左右の壁は漆喰である。手前に小学校のバス停がある。赤茶色の猫が扉のほうを眺めている。使われなくなった子供用の三輪車がそばにある。記憶の中に入っていくようだ。かつてあった記憶のなかの風景の中に画家は入りこんで描くが、描かれているものはリアルである。そこにしぜんとファンタジックで詩的なイメージがあらわれる。(高山淳)

 松本奈緒子「だんだん―ありがとう―」新人賞。紙の上に木炭による仕事である。年とった女性の顔がアップで描かれている。リアルな強い存在感を示す。(高山淳)

 安間由紀子「蘇る記憶」。昭和の時代、それも昭和三十年代のような雰囲気の玩具店である。「鉄腕アトム」や「のらくろ」もいる。凧もあるし、刀も置かれている。ブリキの電車。白髪の老人が店番をしているが、うとうとと居眠りをしている。少年がショーウインドーを眺めている。後ろ姿が描かれ、顔が見えない。よくリアルにこの昭和の店を再現したと思われる。それぞれがクリアなディテールでできている。現実がそのままひとつのファンタジックな空間に変わる。リアルなものを描きながら、そのまま時間のなかに結晶していくような独特の感性に注目した。(高山淳)

28室

 浅原哲則「ふたつの陽 3」。古びた錨のようなものの上に乗ってクラリネットのような笛を吹く男は妖精のようで、赤い帽子をかぶっている。後ろに地球を思わせるような球体があらわれ、海と陸地との境界が描かれる。下方から蔓のような植物が伸びてきている。この男の吹くメロディに沿って蔓は動いていき、増殖していくようだ。独特のファンタジックな空間があるリアルな現実感を伴う。(高山淳)

 山崎良太「流れゆく時」。テーブルの上に白いクロスがあり、そこに動物の頭部の骨が置かれている。背後に伸びていく茎に百合の花が咲いている。古い目覚まし時計のようなものが十時八分ほどを指す。背後のグレーは銀灰色を思わせるところがある。日本画的な無限空間のようなものが背後にあらわれている。しっとりとした調子の中にクリアなフォルムが語りかけてくる。(高山淳)

 池田磨美「ディアナ」。金髪の女性が横座りに座っている。高いところに置かれた白い布に両手を置いて、体がなだらかな曲線をつくる。肌の色は白く、白い衣装と響き合いながら、独特のきらきらとした雰囲気である。女性美というものを画面の中に表現する。優れたデッサン力ゆえの仕事だと思う。一般出品であるが、今後の展開が期待される。(高山淳)

第64回新興展

(5月22日〜5月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 丸茂湛祥「天邪鬼の反乱」京都府知事賞。四曲半双の大画面である。左二双に阿弥陀如来が座して、その周りに曼陀羅状の強いフォルムがあらわれている。そこには様々な仏が鎮座している。にもかかわらず下界では、題名に天邪鬼と書いてあるが、十二神将のようなものがあらわれている。その槍にしがみつく男たち。その手にすがりついたり、光背を握ってぶら下がっている人や、鬼のようなものがそこにすがりついていたりもする。神将は足の下には邪鬼を圧して押さえているのだが、その足にすがりついている人もいる。十二神将もすこし困惑の様子である。右上方にはプルトニウムのマークのある物質の上でスパムというパソコンをやっている眼鏡をかけている男。刀で子供を脅している男もいる。日本ではよくある不祥事が起こるとトップが集まって頭をふかぶかと下げて、「申し訳ありませんでした」といった図もある。ライターで火をつけて放火しようとしている男。食べるものの中に毒薬を入れている男。弁当箱をくず箱に入れている青年。ピストルを子供たちに向けている男。様々な現代の世相の姿が描かれている。百鬼夜行といった有り様であり、百鬼夜行しているのは現代の人間たちであり、そこにあらわれた仏を守る十二神将たちは困惑の態である。槍をよこせと言って神将の槍を握っている男もいるぐらいである。白黒反転させて、ちょうど拓本のようなかたちで、墨の中に白によってフォルムを描き起こし、それらを構成し、独特のエネルギッシュな空間をつくる。批評というものが絵画をつくるという、現代のエスプリを持ち合わせた画家の仕事である。

 藤咲億桜「このはなさくやひめ」文部科学大臣賞。豊かな乳房と張り出した腰。まさに力強いコノハナサクヤヒメが炎の中にいる。コノハナサクヤヒメはニニギノミコトの妻となり子供を産むわけだが、不倫を疑われて、火中の出産をし潔白を証明したことが『古事記』に描かれている。その時に産んだ子はホデリ(海幸彦)、ホスセリ、ホオリ(山幸彦)の三人。そのシーンが描かれている。左手に嬰児を抱き、右掌の上には噴火をしている桜島をのせている。下方に大隅半島などの鹿児島の図が描かれている。もともとニニギノミコトは天孫降臨で宮崎に降りてきた。そこで宮崎の山の神オオヤマツミの二人の姉妹をニニギノミコトに差し出されたのだが、姉のイワナガヒメは醜女で妹のコノハナサクヤヒメは美女であり、コノハナサクヤヒメのみをめとったという話がある。オオヤマツミは嘆息して、もし醜女のほうもめとれば永遠の命があったものを、と言った。いずれにしても、コノハナサクヤヒメの激しい神話的な力を、右の手のひらには桜島を置き、噴火させ、左手では子供を抱え、股には二人の子供を置いて表現している。伸び伸びした線によるフォルムに強い生命感が感じられる。炎は金、背景は濃墨。深く神話の中に入ったイメージ豊かな表現に感服した。

 山下昇「早春」。浅間山が上方に雪をかぶって大きな姿を見せている。下方は繊細に、白樺や茶褐色のカラマツのようなフォルムが見える。すこし霧を帯びたような空気がこの画面全体を包んでいる。雄大な浅間山と対照される樹木の繊細な表現に注目した。

 白石繁馬「春雨の林道」全日本美術新聞賞。緑の竹のようなフォルムが伸びているが、杉かもわからない。雨が柔らかく降っている。道の向こうは光って、なにかロマンティックなときめきのようなイメージがそこにあらわれる。

 藤岡麗子「森相」。地面のオレンジ系の色彩の中に花がひっそりと静かに輝く。小菊、萩の花などが咲いている。笹の葉や枝垂れるような草のもつ曲線の連続。上方に一羽の黒い鳥が飛んでいる。優しい日本の秋の風景である。

 木内英文「石の街」美術の窓賞。昨年の猫の島も面白かったが、今回はそれと対をなすような作品で、不思議な岩でできたような家があり、その様子を猫が眺めている。右のほうにはカップルが歩いてくる。中心にはシャッターが下りている入口。そばの壁に少年が落書きをしている。左のほうにはしゃがみこんだ少女がいる。ずっしりとしたこの岩には窓があけられて、黄色い光が窓から漏れてくる。左のほうに階段が上方に伸びる入口がある。煙突が煙をふいている。柱の上に座って携帯電話をいじっているピエロ。人の生活はわからないものである。人の心はまことに理解しがたい。心をたくさんの人が説明するが、やはり人の心は不可解だという、そんな深いイメージをしぜんとこの建物から感じる。建物の内部は描かれていないから、そこに行われている内容はわからないが、そのような不思議なイメージがしぜんと感じられる。ペシミスティックでもオプティミスティックでもなく、ただ人間的活動、存在というものの不思議さをこの絵で表現したのだろう。

 富田四郎「深緑の渓谷」会員努力賞(祥光賞)。岩組みのあいだを清流が流れてくる。上方には樹木が覆っている。新緑の緑である。岩は苔むしている。そのあいだに流れてくる水を色面構成の中に表現し、奥行をつくる。

 羽太富士子「忘れ物」。畳の上に丸いテーブルが置かれている。そこにコスモスのような花、飴玉、風船などが置かれている。仰向けに横になった犬の人形。その下方にもコスモスが咲いている。なにかやるせないイメージがあらわれている。最近、震災で亡くなった人に対するレクイエムの絵が多い。淡い色彩のコスモスや置き忘れの飴玉、あるいは上を向いて口をあけた犬の人形などを見ていると、子供たちがどこかへ消えてしまったあとの切なさのようなイメージも感じることができる。

 川原善次郎「跳ぶ牛若丸」。五条の橋で弁慶と出会った牛若丸。弁慶は牛若丸に因縁をつけるが、身の軽い牛若丸に負けてしまう。昔から弁慶、牛若丸の五条の話はよく知られている。それを画家は浄瑠璃ふうな人形芝居の中に表現する。賀茂川がゆったりと流れる中に朱色の五条の大橋の欄干があらわれ、その上に高下駄をはいて立つ牛若丸。弁慶は見得を切ったような雰囲気で、「まいりました」といった様子で眉毛を上に上げている。月が昇っている。筆者などはこのような話を知っているから、懐かしい気持ちになるが、若い人はどうだろうか。川原さんは毎回作品が異なって、そのつどそのつど新鮮な作品を出すところがよいと思う。今回は牛若丸と弁慶の五条大橋の喧嘩の様子を面白く表現した。

 近藤啓司「寂寥」。白梅が枝を広げている。上方に満月が昇っている。愛玩犬が地面にいて、何か耳をすましている様子である。たらしこみふうな空の表現。そこにはたくさんの雲が出ている。メランコリックな雰囲気で、梅の香りをかぎ、静寂のなかに聞こえてくる音を聞いているこの犬は、人間の気持ちを仮託した存在のようだ。屈曲した梅の枝が伸びていくその動きが面白い。そして、左右に伸びていくその枝の動きを置くと、その動きのなかに不安なイメージもあらわれてくるから不思議である。満月が出て、無明を静めようとするイメージも感じられる。

2室

 長尾としお「老樹」新人賞・準会員推挙。イチョウの巨木に正面から対峙している。その幹のあやしいアルカイックなフォルムをよく表現している。ところどころまだ残っているイチョウの葉が装飾的に面白いアクセントになっている。

 吉久保絢子「朱雀」。最近キトラ古墳の四神が公開された。筆者もそれを見たのだが、そこに描かれている朱雀が若い女性の上方に飛んでいる。女性は頰杖をついて物思いにふけっている様子だ。緑のワンピースを着たこの女性のフォルムが繊細で、画家の高い美意識を感じさせる。後ろには階段が上方に上っていく。右のアーチ状の窓の下方には戸外の蛇行する道。左上方には神殿に向かうような建物や白い建物が見える。上方から円弧を描いてくる金の虹のようなフォルム。キトラ古墳は七〜八世紀頃にできたのだが、下方にいるこの黒髪の女性は現代の女性である。悠遠たる日本の歴史に思いを馳せながら、若い女性のこれからの未来といったイメージが、階段あるいは道によって暗喩される。

 新田志津男「北国四季図(凍朝)」。雪の積もったおむすびのような山がいくつも見える。雑木が生えている。そのあいだに針葉樹が伸びる。手前の白い雪の積もった地面からも様々な裸木が伸びている。遠景の山は裾まで雪をかぶって神々しい。原野のもつ自然の力や魅力を二曲の屛風仕立ての中に表現する。

 小松志津江「澪標」新興美術院賞第二席・会友推挙。水に接している建物。いつでも水の中に出ていけるように上方に船が引き揚げられている。浅瀬を通るために立てる澪標が、その隣の部屋にたくさん貯蔵されている。漁業のための仕掛けのざるのような網。あるいは、大きな網を吊るしたその上のフォルム。そばには大根も干してある。漁業で暮らしている人の生活、その土地のようすを淡々とクリアに描きながら、ほのぼのとした温かさと哀愁ともいうべき雰囲気を醸し出す。

 渡邉ひで子「ピエドラ橋の早暁」。眼鏡橋がずっと向こうまで続く。巨大な尖塔をもつ寺院。高い建物が連続する。街灯が白く輝いている。暮れなずむ空の景色。それを映す水の流れ。ロマンティックなエキゾティックなシーンである。

3室

 上妻静枝「庭の片隅」会員奨励賞。ヤツデの葉のそばに黒い猫がいる。むっちりと太った堂々たる猫である。らんらんと目を光らせているが、なにか考えこんでもいるようだ。ヤツデのもつフォルムと猫のもつ気配を面白く画面の中にまとめて鑑賞者を引き寄せる。

 常陸美智子「寒牡丹」。白い寒牡丹が藁に包まれるように栽培されている。手前に岩があって、その向こうには赤い牡丹が咲いている。岩の上には鳥が一羽とまっている。しっかりと対象を眺めて描いている。そこにあらわれてくるリアリティに注目。

 鈴木光子「薫風」。ケシの花が赤く、青く咲いている。それを拡大して大きく表現している。下方に雷鳥が来て花びらを眺めている。遠景には青い山が沈んでいる。耽美の作風と言ってよいのではないか。花の内部に入り、花を巨大にして、独特の生気をつくりだす。

 上田広「生」。枝垂れ桜がふんわりと華やかな雰囲気で描かれている。光に包まれたような枝垂れ桜の表現である。大きな古木の幹が、繊細で一瞬の表情を見せる花の不思議な儚い美と対照される。

 望月ます「霞ヶ浦夕景」京都市長賞。葦がたくさん水から顔をのぞかせている。下方につがいの鴨がいる。夕焼けが空を染め、霞ヶ浦を染めている。手前の葦の周りに朱色を入れたような輝くような表現に注目した。

4室

 内田誠「闘魂」準会員努力賞・会員推挙。雄の軍鶏が闘っている。お互いに首と首が密着し、ねじれた縄のようになっている。それを眺めている右端の雌の軍鶏。細竹が伸びている。女性を獲得するための軍鶏の闘いをユーモラスに表現する。一つひとつのフォルムを丹念に追いながら、一つの物語をつくる。

 加藤俊子「宵明り」。たくさんの野仏が集合している。あいだに灯明が灯っている。ストゥーパがそこに聳える。深い信仰の心持ちがしぜんと画面から伝わってくる。

 鯉渕信子「花王」。牡丹の白い花がたくさん咲いている。地面から伸びた枝の先に咲いている。茂った緑の葉。じっくりと対象を観察しながら、優れたしっかりとした花の表現である。

7室

 野口義男「春爛漫」。枝垂れ桜が石垣の上に咲いている。満開の風情である。その枝垂れてくる花の様子がまるで滝のような雰囲気で表現されている。

 浜中利夫「それぞれの道」常任理事推挙。中景に小さな建物があって、そこは階段で行くようだが、そこに向かっていくつもの道が存在する。遊園地の光景だろうか。点々と人々がそこにいて、アンティームな独特の味わいを見せる。

 鈴木忠実「家路(オリッサ)」。白牛と茶色い牛のあいだに丸い木の軛を渡して、そのあいだに男が乗っている。インドの光景だろう。赤い大地。空も赤い。二頭のしっかりとした牛の姿。のんびりとした男の表情。インドをよく知った人のイコン的な構成に注目した。

 岡田忠男「夏日」。清流が流れている。そこに鷺がいる。左のほうには、草の生えた洲を隔てて、向こうの鷺と手前の鷺がお互いに見つめあっているようだ。右のほうにはすこし波が白く泡立っていて、その浅瀬の向こうに鷺がいる。濃い緑の葉の茂った樹木が対岸にある。早い水の流れ。手前は透き通るように川底の石が見える。激しい清爽な動きが画面から感じられる。その中に三羽の鷺が清らかに描かれる。一篇のポエジーと言ってよいかもしれない。この作品は柔軟で、実に自然と一体化したような空間があらわれている。佳作である。

 平田春潮「作刀(焼き入れの図)」新興美術院大賞。日本刀を鍛え、水の中に入れた瞬間の図である。湯気が立っている。緊張感に満ちた力強い男の姿。右のほうには炭火が燃えている。四曲の大画面の中に焼き入れをする男の姿が描かれ、画面全体を圧するかのごとき力強さがあらわれる。

 菊池柾寿「花宴(信州神代桜)」。樹齢千二百年といわれる信州の神代桜。その太い幹を台が支えている。その先の高くなった部分にもあてがわれている支え木がある。花が満開である。地面に落ちた花が積もっている。神代桜の量感をよく表現している。花弁のかたまりとなった一種の重量感のようなものさえも表現されている。つがいの二羽の小鳥が飛んでいる。繰り返される季節。花が今年も咲き、昨年も咲いた。また来年も咲くだろう。時間の行方のようなイメージも、背景のぼうっとした淡い黄色みを帯びた空間には感じられる。

 安食孫四郎「忘れられた稲杭」。稲穂を掛けるための杭が重なって上方には稲穂がすこし掛けられているが、下方の杭はまだ出番がないようだ。上にカラスがいる。雪が積もって、もっこりとしたカーヴが手前の地面にあらわれる。背後の萌えはじめるような緑の調子をバックにして、まだ裸木が白い枝を伸ばしている。日本の風土のある一情景をしっかりと表現する。

 堀内噎子「あじさい 3種」。赤、黄、青、それぞれの紫陽花が戸外の窓のそばの細い空間に植わっている。画家の発見した光景だと思う。葉は墨によって描かれている。その手前の敷石のような境界のような二段になった石の様子。背後のガラス窓に淡く青い色彩。ひっそりと咲き誇る紫陽花のしっとりとした風情。紫陽花の花の重みさえも感じるような表現である。一つひとつの花が静かに揺れているような、そんな雰囲気もある。何か貴重な大きな宝石を眺めるように、画家はこの紫陽花を描いている。

 飛澤龍神「春信」新興美術院賞。六曲一双の力作である。左のほうには桜が描かれている。屈曲した枝の先に花がちらほらと開いているが、まだ蕾が多い。下方にはタンポポや菫やイヌノフグリなどが生えている。金屛風の無限空間としての背景。右のほうには青々とした松の若木が地面から顔を出し、雉が下方にいる。ホトケノザのような花が咲き、竹が伸びている。右双まで屈曲した梅の木の枝が伸びている。瑞々しい緑の松の色彩と桜の幹にはえた苔の緑青とが響き合う。金地がすこし落としたくすんだような調子であり、それもまた落ち着いた雰囲気になっている。日本人が愛でてきた春の魅力をよく表現している。駘蕩たる雰囲気の漂う花鳥画である。

第50回記念亜細亜現代美術展

(5月22日〜5月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 大森弘「緑香(おおるり)」。途中で折られたような樹木の幹の上にオオルリがとまっている。下方には池のような水が見える。雑草がはるか向こうに続いている。田植えをする前の季節の緑のようだ。はるか向こうには山並みが霞んで見える。黄金色の光が空を走っている。そこにもオオルリが三羽飛んでいる。エキゾティックな物語のある風景に惹かれる。

 金登美「語らい」。青い花瓶にたくさんの花が差されている。紫、赤(カーマイン)、黄色、白、青。それが純化された色彩の中に表現される。後ろに窓でもあるのだろうか。ピンク色に染まっている。右のほうはブルーで、そこには温かな日差しが射しているようだ。朝日が昇ってきたような印象もある。色彩のハーモニーが素晴らしい。しなるような茎に支えられた花の重量感。風が吹けば花が静かに揺れるような、そんな繊細な味わいもある。この花の美しさには物質感を超えた霊的なイメージも漂う。スピリチュアルな絵画としての花のある空間である。

 湯澤幸子「深山轟く」三友国際文化投資財団賞。斜面は岩でできていて、そこを通って水が滝のように落ちてきている。下方の渓流が激しく動いている。あやしい深山の様子をファンタジックに表現する。

 八田祐加子「追憶」。葡萄棚の下に座っている女性。トルコのカッパドキアの葡萄畑である。上方に砂漠のようなフォルムが見える。中景には葡萄の房の実った棚があり、その下に女性が座っている。赤いチョッキを着て白いヴェールをかぶった女性の表情は無垢でイノセントな雰囲気で、神々しいようだ。文明化した国にはない素朴な女性の表情である。そこに画家は一つの楽園、人間のあるべき存在を眺めている。心のモニュマンといった構成が興味深い。

 羽山清太郎「ヴァランタネ シャトーの伝説」。背後に白い、白鳥城のイメージの建物が見える。近景には赤い布を敷いて日光浴をしている金髪の女性。そばの樹木に鷹のような鳥がとまっている。この画家らしい表現で、すべてのフォルムがクリアである。それによって絵としての面白さが生まれ、謎をかけられる。ゴシックふうな宮殿とほとんど裸のブロンドの女性。指に持っている不思議なメダルなどが相まって、ミステリアスな空間が表現される。

 暖水英美「Infinity-nature/未来は、今。」。幼児と向かい合う若い母親。手前にはもうすこし上の子供が裸で立っている。後ろに水の惑星といわれる地球のフォルムがあらわれる。上方には様々な星が浮遊している。銀河系の中で地球だけに人が住んでいる。そのいとおしいイメージをこのようなかたちでアンティームに表現する。母と幼児の間のピンクの色彩と、周りの深い青とがコントラストをなす。

 唐澤敬子「何処へ Ⅰ」。水の中に裸の女性が横になるようにして浮かんでいる。波紋がその上に複雑な文様をつくる。この下方に見える若い女性のヌードは、今回の東日本大震災で亡くなった人へのレクイエムの気持ちからあらわれたのだろうか。祈る心が、この複雑な連続していく波紋のようなフォルムをつくったようにも思われる。その上方には海が巨大な量感をもって揺れ動いている。

 妻夫木敏明「風の強い日」。ドックを背景にして、ネクタイ姿のサラリーマンらしき青年が立っている。風によって髪が靡いている。その強い風に対して、どっしりとした存在感を見せるドックの中の船が対照されているところが独特の面白さをつくる。また、空がオレンジ色で、ふるさとに向かう、そんなイメージもあらわれる。

2室

 上原とし子「子供達のパラドックス(2)」。La Sevillanaと赤いストライプに白い大きな文字で描かれた巨大な缶に木の板がかけられて、その上に幼稚園児がいる。手前に先生がいる。危うい均衡の上に立っている。それを眺めている歩行者。いちばん手前の後ろ姿の園児はほとんど宙に浮いている。何かの拍子にすべての園児は落下する。危機感が下にありながら、それと知らずに集まっている園児とそれを眺める公園の人々。そのブラックホール的なイメージが恐ろしい。

4室

 羽田武彦「過去と未来の交錯」亜細亜美術協会国際賞。エジプトの壁画を描いている。そこに光が当たってくっきりとした浮き彫りがあらわれる。強い臨場感がある。よほど優れたテクニシャンだと思う。実際にこのエジプトの壁画を、太陽に照らされた下で見ているような臨場感がある。

 幸坂裕美子「続く道」。アパルトメントと思われる建物。石の舗道。その路地に子供たちがいて遊んでいる。手前に回ると自転車が数台寄せられて、窓の向こうに母と子が語っている。物語が紡がれる。それをクリアなフォルムを使いながら表現する。

5室

 中嶌虎威「月光」東京都知事賞。優れた技巧である。銀箔をちぎってブルーの上に置いて、中心に白い月を置いている。満月である。周りは墨の上に金箔をやはりちぎったように置く。装飾的な空間が生まれる。上方に紅梅、下方に白梅を置く。花鳥図であるが、加えて仏画的な強さがあらわれる。月がいわば大日如来のようなイメージで表現される。神仏習合の独特のコンポジションと言ってよい。

 大波天久「夢想の里祭」。黒い濃墨による円弧が画面の真ん中よりすこし上に引かれている。強い印象である。禅画のようなイメージもある。その上に花や扇子や文字や様々なものがコラージュされている。「里祭」という題名のように、空間の上に心の里を描いて、それを荘厳しているような趣である。抽象と墨のもつ力を十全に発揮した佳作である。

 太田奈江「みんなーみんな・おいで」。膝に幼児を抱いて絵本を読む若い母親。そばにたくさんの絵本がある。上方には木が伸びて、そこにサル、ウサギ、クマ、パンダ、フクロウ、お化け、星、ポケモンふうなものが浮かんでいる。フォルムも強いし、構成力もある。

 宗雪孝夫「花は夢をみるのだろうか」。曼陀羅の中に赤や緑やオレンジ、黄色、青、朱などの色彩が、正方形の曼陀羅の上から外側に向かって円弧を描くようにドリッピング的にストロークされている。真ん中から放射する力をそのような色彩に還元して表現したかのごとくである。中心は十二の黒い球体によって囲まれていて、その中心は紙の色そのままで、白く抜かれている。曼陀羅が中空構造になっていると言ってよい。逆にそこに光り輝く図像的には表現できない神秘なる力が宿っているような印象もある。もう一点の「マシュマロのような花はあるのだろうか」は、墨版で起こした曼陀羅となっている。そこに柔らかなピンクや黄色が賦彩されているのだが、中心の曼陀羅の正方形の中に青、赤、緑、黄色の色彩が入れられている。ギリシアでは世界は四つの元素によってできていると考えられた。水、火、空気、土。透明な原色の四つの色彩が世界を構成する要素のように捉えられ、世界の色彩から抽出してここに置かれているといった強い印象をもつ。

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