美術の窓

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公募展便り(2014年1月号)

美術の窓2014年1月号

第45回日展〈日本画〉

(11月1日〜12月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 伊東正次「大楠図~生樹の御門よりイメージして~」特選。水墨による線がこの絵のバックにあると思う。それをベースにしてこのアルカイックな大楠の根本から幹にわたるフォルムを描いている。何百年も生きてきた楠のつくった形が力強く魁偉である。下方に石を積んだ階段があって、そのカーヴする形と楠の形とが呼応する。そこに紫色の蝶が数羽飛んでいるのも、独特のロマンの表現と言ってよい。優れた筆力を感じさせる。

 竹内恵利子「記憶―彼方へ」特選。ウミガメがゆったりと泳いでいる。上方から見たり、正面から見たり、下から見たりといった形だが、その重量感のある、しかも浮遊するフォルムを面白く表現している。

 林秀樹「岬への道」特選。淡いトーンの中にほぼ明度が一緒で地面と樹木と建物が描かれている。俯瞰した構図で、右から上方に海を置いて、岬の上の大地を描いて、柔らかな中に独特のリアリティをつくりだす。蛇行する道がアクセントになっている。

 安達英志郎「幻・まぼろし・自画像」特選。メークした顔がいくつも上方に浮かぶ。見得を切るように大きく右手のひらを前に出している。赤い背景の中に白によってそれぞれのフォルムがつくられていて、独特の熱気と迫力が感じられる。

 林真「業」特選。タコのもつフォルムをこのように描くと、実にあやしく、「業」という題名をつけたくなる気もわかる。下方でカニをその指先で捕獲しようとしている。タコの後ろにももう一つのタコがいるようで、アルカイックな力が画面に伸びていく。

 片山侑胤「眩」特選。グレーのトーンで、まるで墨絵の淡い調子を岩絵具でつくったような趣。雑木が立っている中に独特の陰影がつけられている。いわばわび、さびのような味わいが一つの詩をつくる。

 石田育代「新しい世界へ」特選。本屋か古本屋か、そこで本を開いている姿。幻想的に色彩が散りばめられて、独特のファンタジックな世界が引き寄せられる。

 大野忠司「チャンティック(島の子供)」。熱帯の樹木が成長している。雑草も大きな丈で伸びている。そんな中に水によって囲まれた場所があり、少年や少女や山羊のような生き物がそこに小さく描かれている。俯瞰した構図とリアルなフォルムによる表現。

 鈴木晴美「昼下りの景」。玄関の前に小さな石段。木の扉にガラスの窓がつけられている。紅葉した蔓がその周りを取り巻いている。白い壁。強い日差しがこの場所に差し込み、強い陰影をつくる。ものういような雰囲気の中に植物が伸びていく。壁がキラキラと光り、素朴な木のドアの上方にあけられた正方形のガラスの窓が戸外の風景を反射している。昼下がりの沈黙。その中に伸びていくアンニュイな樹木たち。

 田中武「怨女」特選。長い髪をした女性が両手でその髪を摑んで上方を見ている。そんな女性の上半身をリアルに画面いっぱいに表現していて、迫力がある。その女性の周りをマーブル状の文様が取り巻いて、黒い泡が浮遊しているのだが、その泡を鳥がいくつもついばんでいる。マイナスのイメージ、たとえば恨むとか嫉妬するとか、様々な情念を絵画的に表現して、独特のエネルギーを画面から発散させる。

 森美樹「姿」特選。右に紫陽花の株が描かれている。いくつも花が咲いて、白にすこしピンクが混じっている。下方にほんの一センチや二センチぐらいの黒い葉をした植物が伸びているのが、小人たちがそこにうごめいているようなあやしさである。植物の命の中に画家は想像力を伸ばして、独特の世界をつくる。いわば汎神論的な世界と言ってよいかもしれない。

2室

 長谷部貞子「May」。金箔を背景にたくさんの猫が描かれている。その向こうに花柄のワンピースを着た女性が座っている。近景には犬もいる。また、金の上にシルエットふうに猫の様々な姿が描かれている。クリアなフォルムが連続しながら、独特の気配をつくる。

 岩田壮平「自我像―(The greatest mistake is trying to be more agreeable than you can be)」。格好をつけること(迎合)が自分の最大のミステークであったという意味の英語の副題がつけられているが、ここに描かれているのは記念写真のようだ。中学或いは高校の集合写真で、その目と口が別のものに付け替えられている。一人だけ、マスクを下にしてそのまま顔がのぞく。下方にもう一人の子供の笑顔が浮かんでいる。思春期になって様々なポーズをしていくのが人間の常だが、それに対して幼少期のイノセントな時代を振り返っているような趣もある。いずれにしても、そのような心理学的な世界を写真をベースにしながら、それをCGふうに一度プリントし、また作業するといった試みで、人間の過去から未来、人格形成の謎ともいうべきものを表現しようとする。意欲的な試みに注目した。

 青田賢蔵「群(太刀魚)」。太刀魚というのはこのように垂直に立ち泳ぎのようなことをするのだろうか。筆者は初めてこのシーンをこの絵で見て、すこし驚く。独特のセンスによって垂直に立ち上がる太刀魚の、踊りのようなイメージがあらわれていて、面白く感じた。

 渡辺幸子「柘榴の記憶」。足が一部切れているが、全身が描かれている。ワンピースを着た女性の独特の質感による表現にリアリティがある。上方に巨大な柘榴がすこし割れて赤い種を出している。初潮の頃の記憶をイメージしているのだろうか。背景より女性のフォルムと質感による表現を面白く感じる。

 猪熊佳子「光降る処―神の木」。画面上方に樹齢千年ぐらいと思われるような樹木が枝を広げている。下方には様々な草が生えている。手前には水があるようで、サトイモのようなものも大きな葉を広げている。中景には白い花が咲き乱れて、その向こうに雑木がある。いわば中心にご神体ともいうべきこの巨大な樹木を置いたモニュメンタルなコンポジションである。この木の使いのような二羽の鳥が描かれている。たしかに「光降る処」という題名のように、画面の奥から光がにじみ出てきて葉を輝かせているような、そんな独特の色彩感覚であるし、自然のもつ神秘的なイメージを見事に表現していると思う。スケッチからだんだんと煮詰めていった表現であり、一種の祭壇画のような趣も感じられる。

3室

 河村源三「鳥が啼く」。色面構成的なコンポジションの中に白い鳥が飛び、下方に白い花が揺れている。その上方には洋風な建物が連続している。独特の構成による組曲ともいったコンポジションが面白い。

 古澤洋子「歴史の難波船」。高層ビルがイルミネーションの中に輝いている。その地面が巨大な渦になっている。巨大な地震によって、この建物はやがて崩壊するのだろう。不思議なことに、巨大な月がこの都会の後ろに現れて、この光景を黙って見つめているようだ。下方の地層の中には貝や様々なものが入れられていて、歴史が現在に反逆しているかのようだ。実にアルカイックな表現になっている。画家のイマジネーションの力とコンポジションに注目。

 米倉正美「時の中に」。二羽の鳥が大きく描かれている。そのフォルムが生き生きとしている。

 長谷川雅也「深間の流れ」。樹木が枝を広げ、黄色い花が咲いているようだ。下方に水が流れてくる。そばに小道がある。そういった印象的なシーンをピックアップして、ダブルイメージふうに表現する。一種の感覚のよさによるコンポジションで、独特のきらきらとしたイメージが表れてくる。とくに水の表現がこの絵の中のポイントとしてよく生きている。

 本多功身「雨見時」。いま田植えを終えたばかりの田圃が重層的に面白く下方にひろがっている。背後に森があって、樹木が鬱蒼と茂っている。電信柱が立つ。そんな地面の持つ匂いや樹木の成長を独特のヴィジョンの中に統合した作品である。上方の斜面にアカマツのような樹木が点々と立っているのも面白い。ここに描かれている樹木や苗すべてが、まるで地上の苔のようなイメージの中に描かれている。そんなアルカイックな表現力に注目。

 水野收「日々の慈光」。白牛に見守られて幼児が居眠りをしている。そばに小鳥やアヒルがいる。向こうには母親が火をつけて台所の仕事をしている。大きな牛が神々しい。インドでは白牛は神の使いとして崇拝されている。自然と深くかかわりながら生活する人々の風俗をもとに、自由なデフォルメをしながら自由なコンポジションを作る。牛も母親も樹木も一体化したような、そんな大きなうねるような動きがつくられていて、しぜんと鑑賞者は画面の中に引き寄せられる。

 中村文子「夕爽の麦畑」。麦の穂が青く描かれている。そのたくさんの穂が風に靡いている様子が実にイノセントに生き生きと表現される。全体は見渡す限り緑がかった山吹色の世界である。そして、遠景に青い山が静かにいくつも聳えている。空も緑色である。独特の色彩感覚で自然のもつ命というものを画面の中にうたう。

 南聡「朝雨」。水がゆらゆらと揺れている。その周りに様々な植物が生え、その触手のような蔓を伸ばしている。上方に黒紫色の蛾が飛んでいる。水というものがそのまま命あるものとして画面に描かれているところが面白い。

 能島浜江「注文の多い料理店」。テーブルに手を置いた女性の横から見た姿。そばに紅葉した葉があり、猫が居眠りをしている。手前にはスプーンやフォーク、小さな花、首飾り、シューズ、木蓮のような花、枯れた茎と葉、上方にはススキがたなびいたりしている。大きな外套が掛けられている。身辺のものを構成しながら、独特の詩のある空間をつくる。イメージが強く、それぞれがいわば図像的に集められて、生かされている。構成の力と深いイメージの表現に注目した。

4室

 西田眞人「緑陰」。イギリスで出会った風景で、とにかくその気持ちのよい空間を描きたかったという意味のことを述べている。実際そのとおりで、道が向こうに続く両側の樹木の様子、青い空、木漏れ日、それらが一種抽象的と言ってよいほどの階調の中に色面的に表現され、高らかに音楽が鳴り響くような造形空間が生まれている。岩絵具にもかかわらず(であるからというべきか)色彩に透明感があって、澄んだ音色が聞こえてくるようだ。

 岡村倫行「草浪」。「日展アートガイド」によると、蔓が風に靡いている様子を面白く思ったそうだが、この絵を見た感想を言うと、女性のもつあやしい魅力がまず全面に感じられる。そして、そのあやしさの心理的なもつれのような様子を蔓が表しているように感じられる。墨を中心とした作品である。すこし青などが入れられている。描かれている部分のみならず、余白の部分が生きていて、そこにエネルギーが感じられる。生というもののエロス的な側面は、女性でも蔓でも変わらない。二つが連結しながら独特の動きや奥行やイメージが広がっていく。

 那須勝哉「Rue des Ecoles」。サンジェルマンあたりのパリの街並みを描いている。画面に接近すると、店のそばはオープンカフェとなっていて、たくさんの人々がいることがわかるし、歩いている人もいる。そんな人々の生き生きとした様子が小さく描かれていて、大きくはパリの建物と道と空である。しぜんとメロディがこの画面の中から聞こえてくるような思いに誘われる。

 能島和明「道成寺(黒川能)」。黒川能は東北の鶴岡市黒川で五百年間脈々と世襲伝承されてきた春日神社奉納能である。このシーンは鐘巻き。女性が蛇になって安珍を焼き殺す前の静かなシーンである。すこし上体を前に傾けて、右手に扇子を持ち、左手の指を伸ばした様子は、静かな中に次に移っていく前の独特の緊張感が感じられる。能衣装の花や鱗文の散りばめられた絢爛たる色彩と周りの墨によるあやしい空間とが響き合う。女性の面がすこしほほえんでいるような雰囲気で、その俯いている中に強い情念を秘めた様子がよく描かれている。霊的なものと踊りとが合体したシーンをよく表現している。

 中路融人「御室の桜」。仁和寺の山桜である。「有明という種類でボタンのように白く大きく塊に咲く花は見事な風情があり」(日展アートガイド)と作者は述べている。桜の株が地面と接するところがしっかりと描かれているところが、いかにもこの画家らしい。画家によると、花の咲いていない時にその枝をしっかりとデッサンしたそうである。そしてまた花がついた時にその様子を見てスケッチした。地面の上から生えている部分がしっかりと描かれていることにより、独特の桜の生命感と大きさが描かれる。徹底した写実の結果あらわれた象徴的な表現である。そして、透明感のある淡い桜の向こうに五重塔が柔らかなカーヴをつくりながら上方に伸びている。すこし曇ったような空の青。トーンの微妙な変化によって深い奥行が生まれる。そして、光が柔らかく差し込み、桜が静かに揺れているような趣で、その桜のもつ花びらの全体の量感さえも表現させる。見ていると幸せな気持ちに誘われる。

 鈴木竹柏「ひかり輝く」。緑の草原がはるか向こうに続いている。その草原の中には地面の起伏があり、水のようなものもあるようだ。そして、林が左右に連なっている。その林の切れたところに一本の樹木が見える。空は茜色というか、ピンクがかった独特の赤い色彩である。右上方に太陽が白く輝いている。その全体が実にイノセントな雰囲気である。また、光が野に差し込み、野が深い陰影をたたえながらきらきら光っている様子、あるいは影になっているところなどが描かれ、ところどころ低地があり、低地には下方にすこし水もたまっているようだ。左下には樹木のようなイメージがあらわれている。その樹木は左のほうにつながっていく。不思議なことに画面の左端から光が差してきている。そして、そのあたりの野原とはるかな林を黄金色に染めている。そうすると、この白い太陽が差す光線とはまた違った光線が左から差していることになる。それが一見すると自然であるが、よく見ていると、実に神秘的なときめきのようなイメージを与える。ところどころ不思議な光がそれ以外にも入ってきて風景を輝かせている。画家のイメージ、画家自身の精神が発する光によってこの風景は彩られている。とくに左の黄金色の風景は浄土を思わせるような、形而上的なイメージがあらわれているようだ。画面全体は懐かしい、夕日の向こうに向かうようなノスタルジックな雰囲気なのであるが。いずれにしても、この緑のもつ複雑な陰影の中にある透明な色彩の輝き、そこに差す光の美しさに感銘を受ける。

 山﨑隆夫「木洩日」。「山径を散策中、ふと気配を感じて振り向くとタヌキがこちらを窺っていた。成長半ばぐらいであろうか。一瞬驚いたものの、忘れ難い光景となって心に刻まれている。陽に照らされた木の葉が眩しい早朝の出来事であった」(日展アートガイド)。光が下方の道に差し込んでいる。草の中にタヌキが顔を出している。穏やかで温かな雰囲気である。それに対して鮮烈な緑の葉が上方にかかっている。その新緑を思わせる美しさとぼうっとした日の光とが不思議な対照を見せ、そこに一種人間のような小さなタヌキが顔を出していて、ほほえましい。自然と人間とのしっくりとした調和した関係のなかからあらわれたヴィジョンだろう。

 三谷青子「冬」。年をとってきて外に出るのがなかなか難しいので、庭に餌をまいて鳥を集めているそうだ。庭の木に群がってきたシジュウカラを描いたという。下方には鳩がいる。まずこの樹木の形が面白い。グレーに屈曲しながら上方に伸びていくその形。先端に芽吹いた緑の色彩が入れられている。まるで緑のともし火のようなものが灯っているような雰囲気である。葉がつくと大きな量感をもつだろう。つまり、木の枝が四方八方に伸びながら一種の球体をつくっている。その球体の中のネットのような枝に五十羽ほどの青い羽に黒い頭をした鳥がとまっている。それが実に見事で、イノセントな雰囲気をつくる。無垢な命の姿が表現されていると思う。下方に羽を広げてバタバタと飛んで宙に浮いている鳥がいるのもほほえましい。それを下方の二羽の鳩が眺めている。その向こうには太い、三百年ほどたつような樹木が立って、黄土色の色彩である。樹はまるで人間のようで、様々に手を伸ばしているような趣である。宮沢賢治の童話に電信柱が夜行進する話があるが、そんな生きている人間のような樹木がその後ろに描かれているのも実に面白い。

 上田勝也「麗寂」。「大きな枯花達に包まれた二人の女性は朽ちゆく花の精のようで、その美しさは寂しく怪しげな気配を漂わせた別世界に誘ってくれた」(日展アートガイド)。一種の幻想的なイメージと言ってよい。枯れた花とあやしい二人の女性とが連結されている。日本人のもつ無常観とか陰翳礼讃のような生活意識からあらわれた女性のイメージでもあるし、花の美しさでもある。満開の花より枯れかかった花のほうに風情を感じるような美意識が日本人の中にあり、それを実に面白くこの画面の中に表現していると思う。外側にほとんど黒による植物のシルエットが描かれているのも面白く、その周りのグレーの空とも大地とも見えぬあやしいあわあわとした空間が取り囲む中に、花と女性のひっそりとした不思議な魅力があらわれる。

 石原進「蘇望の郷」。「名勝高田松原での取材。奇跡の一本松と廃墟を背し、無惨にも大津波に立ち向かった松たちの悲しい最期の姿。あれから二年半、陸前高田の小高い丘には、小さな松が列をなして、一日も早い復興を……と新しい生命が育っていました。白い砂浜にチドリが遊び、美しい花々が咲き、のちの世代に古里の松林が再び蘇ることを祈って制作しました」(日展アートガイド)。花や千鳥や一本松、あるいは新芽、そして無惨な倒れた松の残骸などを自由に画面に配しながら、生き生きとした空間をつくっている。ごく自然体で、イメージの広がりを追いながら、形が生かされている。とくに新芽の松の緑の伸びていく姿が、この作品全体を統一しているところが面白い。

 高越甚「砂防」。能登半島の千里浜、延長八キロの距離をもつ浜である。そこの防風柵をテーマにしたものである。左右に広がっていくそのリズムが面白い。茶褐色の色彩によって、そのトーンによって、この砂丘の起伏が描かれている。混沌とした広がりの中に無限に続いていくような柵のリズムを面白く表現している。作者によると、「いずれは柵の間に松の苗を植えて、およそ二十年後には、立派な海岸線の防風林が出来るのである」(日展アートガイド)という。

 三輪晃久「東方紅輝」。いま太陽が昇ってきた様子。湿原に光が差し、川が光っている。樹木はまだ深く夜の闇の中に沈んでいる。明暗のコントラストの中に朝日の姿をドラマティックに表現する。

 坂本幸重「鮭」。以前山種大賞を取った時の作品に共通した構図になっている。新聞紙の上に大きな鮭が口をあけている様子が、鮮烈な印象を与える。黒い背景にほぼ正方形に新聞紙を重ねて、そこにすこし尾がはみ出るかたちで鮭を描く。鮭のもつボリューム感とその気迫ともいうべきもの、生命感が、この無機的な情報を満載した新聞の上に立ち上がってくるような強さである。そんなイメージを漆黒の夜の空間の中に捉えているところが面白い。

 山下保子「林檎」。林檎がたくさんなっている様子が生き生きと描かれている。まるで黄金色の林檎のように光を受けた輝きの中に表現されている。女性もそうで、一種女神のようなイメージがあらわれている。林檎と女性とが一体化しながら、独特の韻律が生まれる。優れたデッサン力をベースにした見事なコンポジションである。

 大島秀信「森の朝」。まだ夜の闇が残っている頃の朝の森の神秘的な様子をよく表現している。太い幹がいくつも立ち上がっている。まるで生きて動いているような気配が感じられる。下方の草も黒いシルエットとグレーのシルエットの二つの呼応するような動きと同時に、その向こうの青いシルエットといったかたちで、独特の韻律がそこに表現されている。樹間のすこし柔らかな青みがかったグレーのトーンが朝の光を象徴的に表現していて、全体で独特の森の生きている気配が感じられる。

 林和緒「紅る刻」。手前に池があり、上方に空がある。夕焼けに空も池も赤く染まっている。池の上に昼の月のような白いフォルムが見えるのがいかにもロマンティックである。地面はだんだんと起伏が高くなっていく様子で、そこに草が生え、両側に樹木の茂みが見える。なによりもこの赤のもつイノセントな強い雰囲気に引かれる。そのままノスタルジーというのか、家郷に帰りたくなるようなそんな朱色が水の上を覆っている。

5室

 岸律子「フェンス」。針金のネットの向こうに、あるいはこちらに、植物が繁茂している。黄色い花がついている。そこに第45回夏祭三丁目盆踊り大会というポスターが貼ってある。独特の生気が感じられる。ぐいぐいと描くうちにあらわれてきた生命感と言ってよいかもしれないが、そういった力が面白い。

 三輪敦子「現(雪の女王)」。白い球体を持って宝冠をかぶったあやしい大きな瞳をした雪の女王が立っている。不思議なマントをつけている。彼女は小さな氷山のような上に立っている。上方からオーロラが下りてきている。幻想的なメルヘンの世界である。「日展アートガイド」によると、一瞬雪の女王を見たという記憶があるそうだ。ようやくそれを絵にすることができたという。衣装一つとっても工夫があり、不思議なきらきらとしたイメージが面白く、とくに手や顔の表情に惹かれるものがある。大きな目に厚い唇、大きな耳たぶ、ブロンドの髪。西洋的であると同時にどこか仏画的なイメージもそこに重なっているようだ。

 片山宏「川のほとり」。小さな小川が野原に流れている。その一部が空を映して黄色く輝いている。しっとりとした草や地面の様子の中にあらわれた、その光溢れるような光景に独特の安息感が感じられる。仏の光背がそこにあらわれているような、そんなイメージの強さもある。

 中出信昭「風映」。水面を鴨が低く飛んでいる。水に波紋がいくつもできる。その水平に動く動きに対して、柳のような葉の影が水面に垂直に波打つように映っている。そこに不思議な光があらわれる。背景のそのような水面の様子の上に三羽の鴨が低く飛ぶ様子を生き生きと描く。花鳥画というより、ずいぶんデッサンをした結果のように思われる。鴨のもつ量感までも描いている。そして、深くこの鴨の中にイメージを浸透させながら描いている。

 木村卓央「聴光」。「千有余年も昔に名もわからない人が遺した作品は、永遠に感動を伝えて不滅」(日展アートガイド)。最近、サントリー美術館で平等院の改築が終わって飛天の展覧会が行われている。そんな飛天からインスパイアされたのだろうか。雲の上に乗った仏の様々なフォルムが描かれていて、実にあやしい雰囲気である。しかも、中心に象が座って大きく上を向き、鼻を上に巻き上げている。象は百歳生きるというから、象というイメージの中に画家自身を重ねて自画像ふうに表現したようにも思われる。その周りをあやしい美しい見事な飛天がいくつもいくつも動いていく。

 曲子明良「山峡の春」。山の斜面に山桜が咲いている様子を独特の深いトーンの中に表現する。雨でもすこし降っているような様子で、トーンの中に花が輝いている。暗い部分の樹木の様子とハイライトの桜の花の光っている様子などが連続して、寂々たる韻律をつくる。

 高増暁子「映」。水が画面の約半分を占める。その向こうは春の萌えいずる緑の草原で、向こうに民家がある。大きな岩の向こうには樹木が立っている。その中にうねうねと独特の動きのあるフォルムを画家は発見する。水に映っているその中にも独特のフォルムを発見し、そのフォルムがカーヴし、屈曲しながら、画面全体の中に大きなリズムをつくる。

 松本美枝「秋華」。一面の曼殊沙華である。その鮮烈な赤の力が魅力である。よく見ると、中に花弁が見えてくる。強い存在感が感じられる。

 松崎良太「昧爽」。上方に浮かぶ山は阿蘇山だろうか。噴煙が上っている。そして下方に民家がある。屋根が赤に緑に点々と並んでいる。雄大な光景である。奥行と広がりの中に大地が鼓動するような、そんな生命的な自然を生き生きと描く。

 橋本弘安「春の宴」。振袖を着た若い女性が前面に立っている。ぽっくりをはいている。花柄の赤と白の文様が優しい。背後に紅白の幔幕があって、三々五々人々がそこにいる。これから宴が始まるのだろう。画家は絵具を自分でつくる。そのつくった絵具が独特の透明感をもってその存在を主張する。とくに緑の透明な雰囲気がそのまま画面を幻想世界に変容させる。広いテントの後ろに満開のピンクの桜があり、その上に青い空がある。両側に緑の木立がある。このあたりの構成と下方のすっぽりと大きくあけた緑の地面の様子なども、実と虚がないまぜになって洗練された心象的な空間があらわれている。

 濱田昇児「黒部追憶」。紅葉の山の様子を強い波動の中に表現している。中に樹木の幹や枝が描かれているが、それ以上に色彩によって画面が構成されている。黄色やオレンジ、赤などが波打つように置かれ、大きなリズムをつくる。その中に光が捉えられ、内側からこの赤やオレンジの色彩を伴って光が増えてくるようなイメージも感じられる。神々しく心地好い日本の秋の山の様子を、具象でありながら同時に抽象でもあるように表現する。

6室

 松崎十朗「静かな時」。色に独特の魅力がある。グレーの墨のような調子と箔の色彩、そして緑色とが重なって、神秘的な風景が生まれている。海辺を描いたものであり、左に海があり、波が寄せているのはわかるのだが、砂浜の上に輝く空間があらわれている。水のようにも古代の平地のようにも感じられるあやしさである。手前には集落の跡を思わせるような雰囲気。たとえば弥生時代の集落の跡のような、そんな遺跡的なイメージがあらわれている。この海辺の風景の中に、たとえば数千年といった歳月を画家は重ねて透視し、それを絵に描いたような面白さである。光り輝くものは時間というもののもつ力かもしれない。海もまた不思議な光の中にあって、水平線まで続いている。

 坂根克介「舞妓・鶴舞」。ちょうど舞妓から芸子になる直前の女性の姿である。「今回は『黒髪』を舞う凜とした一瞬の姿を己に問いかけて挑みました」(日展アートガイド)。上方の無地の黒い着物の部分と、それに対する金色の帯、そして下方の膝のあたりの鶴の舞う文様。すこし膝をついたような全体のポーズの中にある凜然たる佇まいがよく表現されている。以前は舞妓の肌を仮面的にべったりと白粉を塗って表現していた。それはそれでずいぶん面白かったものだが、今回はもっと自然体で女性の顔を描いている。この二十歳になる直前の女性の匂い立つような肌の香りさえも感じられるようだ。そして、そこに何か不思議な輝きを入れているところも面白く感じられる。背景の暗い褐色の中に扇面を貼ったようなかたちで鶴や花、人物、松に朝日などの絵柄が描かれていて、京独特の文化、ハレの雅やかな空間を生き生きと構成している。

 北野治男「萌兆」。春が近づいてすこし水がぬるみはじめた頃の自然の中に深く入りこんで、画家は描いている。水辺から樹木が幾本も立ち上がる。その水の温度さえも描き分けている。上方には萌える若緑色の葉がきらきらと光っている様子。影の部分のひっそりとした佇まい。中を鳥が二羽飛んでいる。じっと見ていると、様々な自然の様子が画面の中に描きこまれていることがわかる。水に映る影さえも淡く強く、あるいは波紋で壊れたりしながら不思議な表情を見せる。

 福田千惠「夏のご挨拶」。着物姿の正座した女人像である。膝の上に両手を重ね、前に扇子がある。和の美と言ってよい。周りのグレーから黄色のトーンと黄色の無地の絹と思われる衣装の照りとが静かに響き合う。その中に女性のひっそりとした佇まいのなかから独特の肌のキメ細かな様子が浮かび上がり、小さな手と黒々とした目、黒髪が浮かび上がる。「えりを正し、凜としたたたずまい。情熱を持って生きることを、知人を通し描きました」(日展アートガイド)。

 岩倉寿「霜月」。「物が見えること、見えないこと、どうしてなのか、問題は内なのか、外なのか、不思議に思えてくる」(日展アートガイド)。水辺に木立が連続して立っている。草が枯れかかっている。柔らかな光が差している。十一月もそろそろ十二月に近づいた頃の空のようだ。晒されたようなトーンの中に、ふと華やぎが生まれてくるような、そんな不思議な気配が感じられる。画家は対象の物質を描くのではなく、その空気や光も含めて気配のようなものを描こうとしているようだ。そこには絵の中に昇華された空間が引き寄せられている。不思議な透明感があらわれている。また、この風景を窓から見ているように大きな矩形のようなものが取られているのも面白く感じられる。窓は心の窓という意味になるのだろうか。

 土屋礼一「淵」。最近ますます水墨の世界に面白さを感じているという。下方に泳いでいるのはナマズで、アトリエの中に飼っているものだという。その姿を墨で描き、描くうちに「淵」という題名のように深い空間の中に入っていった。そして上方に雷魚があらわれたといった趣である。雷魚は上方では水辺の光を受けて輝いているが、下方の雷魚はもっと下のほうにいて、黒々とした濃墨の中に表現されて、目のみ白く輝いている。その視線の先に腹を見せるナマズが胡粉の中に表現される。あいだの空間はたらし込みで深い。光が入ってくると明るくなる。光の中に亀裂のようなものが走る。面白いのはこの画家の自由な視線で、たとえばおなかを見せるナマズの下方には上から見たナマズの姿があらわれている。画家の目の位置は画面の中心の奥のあたりにあるようで、この画面の中を自由に動きながらこの独特の墨による魚類の姿を描いた。水の中を泳いでいるわけだが、その水はたらし込みの中に描かれ、時に暗く、時に光を受け、不思議な奥行をもっている。水であると同時に、それはイメージとしての空間といってよく、そのような空間をつくりうるところが水墨ならではの魅力なのだろう。雷魚のそばに小さな金魚のようなものが二尾動いているのも面白い。

 川﨑鈴彦「芭蕉布を織る人人」。「沖縄本島北部喜如嘉に芭蕉布の里はある。八重山の竹富島や与那国島でも、静かな村の中を歩いているとコットンコットンという機を織る音がきこえてくる。糸芭蕉の繊維を紡いで織る芭蕉布は、紅型と共に琉球王朝以来の独特の織物。度重なる苦難の道をくぐりぬけ、その美しい南島の文化を、誇りをもって守り続けている人々が今もいる」(日展アートガイド)。下方に年とった人、上方に若い女性がいる。上方の女性は機を織っている。下方の女性は糸をとって方形の枠に巻き付けている。下方に糸を思わせるフォルムが水平に伸びている。金を背景にして作者の語るこの芭蕉布を織る文化、誇りをもって守り続けている人々の像を図像的に表現して、静かな輝くような印象を与える。

 丹羽貴子「森の道」。大木が枝を広げている。下方に小道が蛇行して続く。六月の頃の様々な緑がここに使われていて、瑞々しい。樹木というものの生きた姿、その生命力とフォルムを見事に表現する。

 川﨑麻児「宙の階段」。「昇れるのか 降りられるのか 近づこうとしても離れゆく宙のまぼろし」(日展アートガイド)。「ジャックと豆の木」という童話がある。豆の木は空まで伸びていくのだが、ここにあるのは不思議な石の階段が螺旋状に上方に伸びている。空に大きな三日月があらわれていて、たくさんの星が輝いている。あの月を取ってほしいとお姫さまが言ったという話があるが、それほど月に対する憧れ、空に対する憧れは人間にとって古く懐かしいものである。そういったイメージをシンプルな構成の中に生き生きと表現する。

 田島奈須美「アリスの部屋」。長いあいだアリスを描こうと思っていたそうだ。真ん中に白いワンピースを着た少女が座っている。五、六歳の子供のようだ。そばに猫や莵の人形、犬などがいて、犬と人形とチェシャ猫がトランプをしているし、窓から猫がこちらをのぞいている。ふくよかな雰囲気で、イメージがしぜんと絵になったような独特の雰囲気があり、静かにメロディが流れてくるような趣である。右下に不思議な人形とも妖精ともつかぬ人が手に小鳥を置いている像なども実に独特で、それは対極の窓の上にも座っていて、二十八日ほどの月の一部が空に輝く。ごくしぜんに現実にもう一つの別のファンタジーの世界の橋が渡されたようだ。

 東俊行「月の山河」。「大峰山系を水源に、奥熊野の山襞を幾重にも縫うように蛇行する熊野川。かつての熊野本宮の社は、幾筋もの流れが出合う大齋原に鎮座されていました。日本の原郷の美しい山河の佇まいが、今なお、歳月の流れと共に在るこの地は、私自身の蘇生の空間でもあります」(日展アートガイド)。どこか室町屛風などを思わせるような山水図となっている。たとえば当時の有名な金剛峯寺の日月山水にしても、あれはやはり日本のその風景を眺めた人がその体験から描いたものだろう。同じように深い山稜が連なる上方に月が昇っている。下方には熊野川がゆったりとした流れを示す。柔らかな緑の空間のなかに黒い色調で描かれている。焼き黒なども使われているのだろうか。そして右下の麓に集落があらわれる。それは金色で表現されている。実際にある集落なのか、画家が幻想的に見た集落なのか。いずれにしても、ある現実の時空間を突破して画家が信ずる熊野の風景というものを画面に描いたところがある。それがこの作品の強さだし、そこから立ち上がってくる強いイメージは室町や鎌倉、平安の日本の古画にもつながるものがあるだろう。また、山の際の空に柔らかな光が入れられているのがこの風景全体を活性化させているところがあって、その光と右下の集落の金色とが深いところで響き合うようだ。

 森脇正人「山図―赫」。戸隠山に取材したものである。アルプスの山々が赤く染まっている。黒い影の部分と残照に赤く染まった部分とが実にあやしい雰囲気をつくる。実際の経験からさらに踏み込んで、イメージとしての山水図をつくった趣である。手前に浮く雲がこの作品の中に面白い表情をつくる。

 中村賢次「ラテン・クロス」。コンポジションは中心の赤く彩色された女性を鑽仰するということになるだろうか。女性の上半身に細い白いリングがつけられている。また、四隅に抽象的なフォルムが置かれていて、中心の黄金色の背景も十字形になり、胸に十字をつけている。渾沌とした様々な汚辱の存在する現実から、信仰のもつ清らかなイメージを女性に象徴しているのだろうか。女性のフォルムは宙に浮いたように感じられる。聖女という言葉があるが、そのようなヴィジョンの画家独特の表現のように思われる。

 藤井範子「開花へ」。「数種類の豆を植え、それぞれの発芽から開花までの生育過程を観察しました。豆の花は白か桃色と思いこんでいたところ、あざやかな赤や黒白のパンダのような花が見られ、びっくりです。豆の個性を再確認しました」(日展アートガイド)。上方に咲いた赤や白黒や白などの豆の花が可憐に描かれている。下方には豆から芽吹いている様子、茎が伸びている様子、あるいは、まだ豆のままの形などが置かれている。背景に金やプラチナが敷かれていて、豆が花になるまでのあいだの持続した時間の中に捉えられた姿が生き生きと表現されている。写生がそのまま象徴的な世界に構成される。

 仲島昭廣「繫ぐ」。上方に鉛筆のようなもので描いたシーラカンスのフォルム。下方に彩色したシーラカンスが描かれている。二つは同じシーラカンスであり、独特の強さを見せる。画家の言葉によると、小学生の頃にシーラカンスの存在を知って、ずっとその像を温めてきたそうである。「一億年以上も姿を変えず、密かに生き続けてきた命の永遠と姿の美しさを、あえて素描と絵具を使った構成で表してみた」(日展アートガイド)。このシーラカンスがどのように展開するのか、次が楽しみである。

 岸野圭作「秋叢」。「名前も知らない草々にも秋は深まり、簇々としてその色を変えながら季節は移って行きます」(日展アートガイド)。白い雑草のあいだに赤い雑草が描かれている。秋のたけたような蛍光カラーを帯びたような輝かしい朱色がそこに使われている。中に緑の葉が入れられている。それに対して白い葉はもうすでに冬になった季節の葉のようだ。上方に黒い川が流れている。川は時間というものの象徴のように感じられる。あるいはこの川は三途の川で、その向こうにはもう一つ別の世界があるのかもしれない。日本は四季が廻る。四季が一度廻ると一年がたつ。刻々と時は持続しながら移っていく。いまこの紅葉した赤い葉もあっという間になくなるかもしれないし、この下方も雪の積もった白い不思議なトーンに変わるかもしれない。季節を惜しむということは命を惜しむということでもあるだろう。そんなイメージのなかから生の輝きがつかまれる。まことに日本人のもつ風景に対するスタンスだと思われる。そこからこの独特の輝くようなしっとりとした色彩があらわれる。植物の中にも生命の香り、エロスの匂いが満ちる。

 村居正之「想」。「エーゲ海の東岸にある古代ギリシャの遺跡群のひとつに、ディディムの古代遺跡都市があります。アテネのパルテノン神殿にも匹敵する大きな遺跡です。当時の権力の強さと繁栄がうかがえます。今は礎石のみが残り、むかしに想いをはせながら制作してみました」(日展アートガイド)。古代ギリシャの神殿の礎石が二つ描かれている。黒く彫るようにそこにあらわれてくる文様や削られた跡、あるいは磨耗した様子などを描いて、独特のあやしい雰囲気をつくる。時の雫のように針のような雨が幾本も上方から降ってきている。遠景にエーゲ海が広がっている。水平線のあたりがすこし明るい。いずれにしても、手前のずっしりとした存在感をもつこの礎石のあやしい、時間のしみ通ったような呪文的なフォルムが面白い。

7室

 堀田律子「月暦―北斗煌煌」。古い地図の上に女性が座っている。今ふうなファッションの女性で、髪を茶色に染めている。そばに太陽の中に顔を描いた図像がある。なにか強い印象で、強い波動がこの作品から響いてくる。近くに寄ると地図が描いてあるだけで、上に女性がいるのだが、すこし離れてみると、そのような波動が画面から発信してくるところが面白い。

 亀山祐介「Lolita」。銀箔を引いた上に線によって少女の像をつくる。手前にしっかりと描いた背後には、線だけでそのシルエットのようなイメージを左右連続してつくりながら、この少女讃歌といったイメージを強調する。あいだに人形の一角獣と思われるものが回転しながら二十いくつか飛んでいるように思えるのも面白い。一角獣は処女の象徴といわれている。衣装も凝ったもので、独特のセンスである。いわば好きなものだけを集めて表現するところから来る強さがある。そこに生まれる独特の韻律が魅力。

 佐々木曜「雲」。雑草が広がっているのだが、そこに雲を引き寄せている。一つの雲を内界の中に入れて、内界の風景と化しているような面白さがある。縁起的な密な表現の中に下方にススキが群がり、露草のような植物がはるか彼方まで続き、そこに一片の雲を引き寄せた。写生というより詩と言ってよい。雲の様子に独特の輝きがあり、不思議な印象を醸し出す。

8室

 加藤晋「風雷坊」。下方には霧の中に吉野を思わせるような山や建物がのぞいている。上方に風神と雷神。いずれも子供のような姿で描かれている。自由なイマジネーションの現実化である。電気の棒のようなものを両手で握ったいたずら小僧のような青い雷坊。風船のようなものを膨らませている風坊。そのポップふうな表現に対して、下方のいかにも日本画と思われる霧の中の山々とが面白く画面の中に統合されている。

 加村光子「フブク」。白の中に屈曲した黒い茎がいくつもあって、独特のリズムをつくる。そんな中に画面左の隅で二匹の狸が、前を向き、横を向いている。横を向いている狸は歩いているようだ。白に独特の清潔さがあり、清潔な中に自由奔放な韻律が植物の茎を通してあらわれる。そんな抽象美かと思うと、狸という不思議な温もりをもつ動物が画面に引き入れられて、独特の画調をつくる。

 佐藤朱希「清し季々へ」。こったデザインのワンピースを着た二人の女性が野を歩いている。野の中の女神といった趣である。背景には箔が貼られていて、色彩豊かに季節の移り変わりを人物を象徴して表現する。

 西敏彦「湖畔」。竹でできた住処が水に浮かんでいる。水郷地帯のいわゆる水上生活者の風俗である。犬や少女と少年がそこに描かれている。フォルムが力強い。画家の優れた描写力に注目した。

 池内璋美「マリアの塔遠望」。イタリアとかスペインの街なのだろうか。両側に建物があるあいだを道が続いて、向こうでカーヴしている。そのカーヴするあたりには光が入ってきているが、手前は暗くなっている。そして正面の上方、屋根の向こうに白い塔が見える。それがマリアの塔なのだろう。深い陰影の中にしーんとした気配があらわれる。無人であるが、たとえば入口の石段や窓枠さえもクリアに描きながら、独特の強い情感がそこにあらわれる。いわば闇から光のある国へといった聖書のあの光のイメージさえも画面から感じられるようだ。

9室

 諸星美喜「タクト」。エイのような魚が気持ちよさそうに泳いでいる。泳ぐというより滑走しているような趣である。はなだ色というか、ジョンブリヤン系の肌色の明るい空間に、すこし黄土系を帯びたグレーの肌をもった二匹の魚がゆったりと泳いでいる。実に心地よいシーンである。上方から下方に伸びている不思議なシルエットがある。樹木の枝のような珊瑚のような不思議なフォルムで、普通、下から上方に伸びると思うのだが、上方から何かの根のようなフォルムがあらわれているのも面白い。それ以上にこのUFOのような無垢な子供のような二尾のエイの姿態、あるいは目や顔の表情などが実に魅力である。

 棚町宜弘「流るゝ」。陸橋を電車が走っている。下方を川が流れている。雑草が風に靡き、ススキの銀色の穂が光っている。水は浅瀬で、波立っている。遠景に高層マンションが立ち並び、雲が浮かんでいる。懐かしいレトロな風景である。黄金色と茶褐色を組み合わせたような色調がそれに輪をかける。渋い銅版画を拡大したような雰囲気がある。作者によると、これは多摩川を渡る場所を写生したそうであるが、そのような現実の世界というより、深いイメージのなかに電車は走っているように思われる。時間というものの中に深く入りこみ、そこには回想と希望とが入り交じったイメージ。時間という持続して流れていくものを形象化したような、そんな面白さが感じられる。同じようなイメージがまた下方の川にもあって、「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」といった鴨長明の言葉さえも浮かぶようだ。

 辰巳寛「舞妓」。雪洞のそばで踊る舞妓。京の夜の闇を思わせるところがある。背後の金屛風が暗く、ほんのすこし雪洞で輝いている。袂を持ってなよなよとした仕種をしている舞妓は、別れとか、月を見るといった感情表現を行っていて、それが雪洞に照らされている。その光によって着物が独特の陰影の中にあらわれる。そして、白く白粉を塗った顔が上方に浮かぶ。京の宵のあやしい雰囲気が漂う。

 長谷川喜久「偽りの行進」。公園にあるウサギの遊具の上に少年が乗っている。画家自身の顔とそっくりであるから、自画像であると思われるが、すこし若くしてある。そばにニワトリの同じようなものがある。クリアなフォルムによって描かれていて、ポップな感覚のなかに鬱陶しいものが感じられる。そばをアゲハチョウが飛んでいる。その連続したフォルム。また、下方には黒くこの遊具のシルエットのようなフォルムがあらわれていて、ある困難なコンディションのなかにいる現代の青年像といった趣が感じられる。

 佐々木淳一「二本の木」。一本の木は枝が全部切られて、幹だけになっている。もう一本の木は屈曲し、枝の先に紅葉した葉をつけている。背後には葦のような黄金色の植物が群がっている。遠景に小さくコンクリートの建物が見える。空は暗く、この枝と雑草のみがスポットライトを浴びたように輝いている。線を生かした表現で、クリアなフォルムが強い印象である。左のほうは老人の木で、右のほうは若人の木ということになるだろう。左のほうはしらじらとした骨のような表情を見せ、右のほうは風に靡いて枝が揺れている。不思議な対照を見せる。絵画に加えて文学性ともいうべきものが重ねられているところが面白い。

10室

 村山春菜「詩的ヘリポート」。ぐいぐいとフリーハンドの線が動いていって、ヘリポートをつくり、マンションの上のフォルムをつくり、歪みながら立ち上がっていく高層マンションのフォルムがあらわれる。そのあいだに銀色の雲を置いて、洛中洛外図的な空間のイメージもあらわれる。

 間瀬静江「童子白象騎乗図」。象の上に乗っているのは文殊菩薩であるが、ここで乗っているのは四歳ほどのかわいい女の子である。上方から大きな桜の花びらが浮遊しながら落下しつつある。黒い蝶が飛んでいる。象の頭には黒い小鳥がとまっている。背後には金の砂子がまかれて虹が立っている。平安時代の仏画を見るような雰囲気。あの時代に使われた截金のような細勁な線によってフォルムがつくられている。ゆったりとした象のもつ存在感、重量感に対して、軽やかな女の子のフォルムが対照される。画面を見ていると、下方に向かう重心に対して、上方に浮かぶ反対のベクトルの動きがあらわれて、それが拮抗しながら独特のイメージの広がりをつくるようだ。

 鈴木一正「想」。カバを正面から描いている。このように見ると、足が短く、ずいぶんと胴体が重い動物であることがわかる。一トンぐらいあるカバもいるそうだ。細い目、鼻がいちばん近く、鼻の穴などもしっかりと描かれていて、周りのグレーのトーンの中にぼんやりとした不思議な重量感をもって迫ってくる。まるで画家自身もこのカバの中に入りこんだような雰囲気で描いていると思う。そのような独特のイメージの強さが感じられる。

 譲原嵩文「うたかた」。ほとんどモノトーンの作品であるが、白い衣装を着たこの女性には不思議な魅力が感じられる。よく見ると、影と思っていた部分が水蓮の葉の連続したかたちであることがわかる。そこからピンクの花が咲いている。女性は水の上にいることになる。水の精、あるいは人魚のようなイメージもそこにあるのだろうか。下方の水が流れのような雰囲気であって、いずれにしても不思議な動きのなかにこの女性はいる。長い裾を広げてふわっと立ち上がってくるフォルムには、イメージとしての女性の強さがよくあらわれている。

 川嶋渉「私空―垂づ心―」。上方から枝が垂れている。葉はなく枝の先から梢の先に向かって下方に垂れてきている。後方の枝は、すこしカーヴしながら上方に向かっている。柳のように全く骨がないわけではなく、骨がありながら下方の枝になってくると重力に従って下りてきているような不思議な雰囲気である。その梢を追っていくと不思議な迷路の中に入っていきそうな思いに誘われる。それに比べると、背景の白い雲と青い空は実にゆったりとした雰囲気でイノセントである。まるでふわふわの夢の国に誘われるような趣である。そういった空間とこの梢のフォルムとが不思議な対応を見せる。この梢だけで絵にするためには相当の覚悟が要るわけだが、あえてそれに画家は挑戦した。

11室

 津田直樹「水路沿いの民家」。三階建ての建物が黄金色に彩られている。ボリューム感がある。瓦を屋根に載せている。不思議な強い力が感じられる。豊かな感情がそこに重ねられて、時間というものがある力をもって立ち上がってくるようだ。

 久米伴香「風の詩」。そばで見ると、絵具が盛られているが、すこし離れると、ハーフトーンの中に一つの灌木が茂っている様子があらわれる。そして下方に白い道があらわれる。遠景には、はなだ色のすこし紫がかった山が見える。柔らかな光の中にこの自然の風物が生き生きと描かれている。高い明度の中に光に満ちた存在として風景が表現されているところが面白い。

 菊池治子「祭」。ガードレールに腰を下ろした法被姿の若い女性。後ろには神輿が出て、たくさんの人々が担いだり、周りで騒いだりしている。そんな様子を淡々とクリアに表現する。

 藤島博文「万葉集第九より 旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群」。三羽の鶴が飛んでいる。左下方に向かって中心がいちばん近く、その向こうに左下の鶴、さらにその奥に上方の鶴が飛んでいるといった様子である。光に輝いていて、実に力強い。崇高な雰囲気も感じられる。上方に天の川のようなイメージがあらわれていて、深い緑の三日月がそばにある。『万葉集』にあるように、家族愛ともいうべきイメージがこの三羽の鶴から感じられる。そして、人生の旅をする。宮沢賢治の『よだかの星』のようにやがて鶴たちは星座になるのだろうか。

 中町力「Frankfurt am Main」。フランクフルトの鉄道の駅の内部が描かれている。巨大な湾曲するドームのような屋根。下方のホームにはたくさんの人々がいる。それを淡々と画家は描いている。それによって独特の広がりと奥行が生まれる。加えて、土産物のショップのようなものも右下方に描かれていて、ひとつの総合的な、シチュエーションというもののもつ力があらわれる。人々の歩いたり止まったりしているその姿も面白く、一瞬にして見た光景というより、たとえば半日なら半日の時間のなかにあらわれてくる様子を整理しながら、一つの画面にまとめた面白さ。つまり、空間に加えて持続する時間というものがここに表現されているところが面白いと思う。

 酒井淺子「燦燦」。高層ビルがベージュと墨とによって表現されている。そこに別の影が映っているところが面白い。一瞬、この高層ビルは壊れて廃屋になっているような印象をもったのだが、それは単に陰影によるものであることがわかる。しかし、そのような近未来の崩壊を予感したようなイメージが、このベージュのトーンに重なっているところが面白い。

 寺島節朗「濤」。巨大な波が描かれている。白い波で、ボリューム感がある。圧倒的な存在感を見せる。

 石坂恵子「風の暦」。ブロンドの女性が青いワンピースを着て立っている。緑と赤のストライプの文様の毬を持っている。周りに花々が咲いている。面白いのは樹木のように垂直に立ち上がるフォルムに様々な花が置かれていることである。夜の世界、ノクターンといったイメージがしぜんと感じられる。

12室

 山本眞希「希望」。胸に手を当てた若い女性の横から見たフォルム。その後ろに巨大な円環がいくつもあらわれている。そこには幾何学的な文様がつくられていて、その連続性のなかにこの大きなリングは回転する。その回転する様子が、この女性の希望の象徴のようにきらきらと光っている。

 野原都久馬「ある晴れた夏の朝」。バスストップのための小さな小屋とベンチ。後ろに向日葵が咲いている。そこに白い衣装を着た白い帽子の女性がいる。まるで記憶の中の女性の残像のような趣。時が過ぎたなかによみがえってくるイメージ。黒いカラスが時のなかを動く鳥のようなあやしい雰囲気である。いわば不在するものを存在するごとく描くといった、そんな虚実ないまぜの表現に注目。

13室

 齊藤靖子「セレナーデ」。ピアノを弾く女性。そばの青年がヴァイオリンを弾いている。二人のコラボレーションである。独特のデッサンの力があるし、イメージが活性化している。宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュを思わせるような、内側からイメージをつくり、それを絵画にする、そんな方向性の仕事に注目。

 鈴木淳子「ひこばえ」。切られた樹木。根と幹が一部のぞいているが、そこから新しい命が芽生えている。ひこばえである。細い枝が伸びている。そして、背後に灌木のようなものがあり、蝶が数匹飛んでいる。印象の強い作品だし、独特のコンポジションだと思う。

 山田まほ「KUZURYU」。断崖が立ち上がって山になっている。あるいは、山の断崖ふうな斜面を繰り返し描きながら、九頭竜山脈を表現する。繰り返される線が相まって、一種デモーニッシュな雰囲気があらわれる。ある絶対的なものに対峙して、それを表現しようと苦闘する様子に好感をもつ。

14室

 諏訪智美「坪庭小宴」。出目金が泳いでいる。それが上下に描かれている。そのフォルムが面白い。

 鎌田理絵「白韻」。白のハーモニーである。白い萩のような葉が一面に咲き乱れている。その中に白いテーブルがあり、白い花瓶に赤い薔薇が挿されている。後ろには透明なガラス器に黄色い花が挿されている。そばに白い線によってできたベンチがある。白い傘が上方にある。イノセントな白というもののもつ味わいを画面いっぱいに繰り広げながら、フォルムの強さによって画面をもたせている。優しい女性的なセンスがそこに感じられるところも魅力。

15室

 福原康子「寂秋」。水面が画面の約半分以上を占めている。晩秋の景色である。そのしっとりとしたトーンの中にオレンジ色の紅葉した葉がのぞく。それを水面が映している。わび、さびという文化が日本にあるが、まさにその典型ともいうべき雰囲気で、深く触覚的にこの晩秋の風情を、画家は歌を詠むように絵に描く。そこにあらわれてくる情緒に注目。

 廣岡通正「土家族」。中国の少数民族の衣装を思わせるような服を着て、黄金色の冠をかぶった人物の像である。正面を向いたフォルムが力強い。

 岩田邦佑「閑日」。水面に樹木の影が映っている様子を描いている。その曲線によってできたフォルムが面白く、独特の音楽的な感興を覚える。

16室

 畑中那智子「朝靄」。自然のもつ気配をよく表現している。手前から草が立ち上がってくる向こうに樹木があり、樹木の向こうは茂みの影になっている。手前は黄土系の色彩で、その向こうに墨による幹と葉と藪が描かれている。中に黒いドリッピングしたものがあって、それは生き物、たとえば蝶のような昆虫かと思うと、単なるドリッピングであることがわかる。密度のある空間のなかにそのような仕事をする画家の感性が興味深い。

17室

 濱田卓也「オウムがえし」。金網の向こうで数羽のオウムが叫んでいる。不吉な激しいイメージである。下手をするとお互いに共食いをするかもわからないような、そんなスリリングな気配が画面全体から感じられる。現代の人間関係の縮図のような雰囲気。

 宮本七星「うつしみず」。まず色彩が魅力である。雅やかなハーモニーに引き寄せられる。緑のカエデの下方には睡蓮がたくさん育っている。まだ花はついていない。下方には岩があり、そこに笹のような植物が伸びている。カエデは、右のほうの樹木もそうで、濃い緑であったり、柔らかな明るい緑であったり、様々な緑で、まるで緑の星が空にまたたいているようなイノセントなイメージがある。そして、ほんのすこし紅葉しかかっている葉が下方にあるのも優しいアクセントである。夏が終わり、秋が始まった頃の自然を生き生きと光の中に表現する。

 水野宏「R43」。高速道路の下にハイウェイが伸びている。二層になった高速道路のように感じられる。黒やグレーの調子にしっとりとした雰囲気がある。そして、たとえば右のカーヴする高速道路を見ていると、道が動いているような思いになる。つまり、そこを時速八十キロぐらいで車を飛ばしているようなイメージもあらわれる。実に不思議な錯覚である。橋の横に渡した桁がずっしりとした存在感を示す。実際この風景はここを走って見ているような臨場感があると同時に、中心に立って周りを眺めているような雰囲気もあるし、独特の強い鋭敏な感性による表現だと思う。才能を感じる。

 安藤洋子「ポカラ」。馬と祖母と二人の孫。生まれたての赤ん坊をこの祖母は背中に背負っている。そんなフォルムをクリアに描く。タイとかベトナムで取材したのだろうか。下方には鳥がいる。クリアなフォルムと構成力に注目した。

 澤村はるな「空をよむ」。セーラー服の女性が二人。一人は机にうつ伏せになって居眠りし、もう一人は頰杖をついて遠くを見ている。それを線によって表現する。厚塗りが多い中で、そのクリアな線による動きのある二人の女生徒のフォルムの魅力に注目。

 髙澤かなえ「赤い実」。南天のような赤い実をつけた灌木。その一群を描いている。上方に赤い太陽が黄金色に入れられて、光が差し込んでいる。背景は金をうまく使っている。金の上に色を置き、そこに波打つような線による表現、あるいは葉の小さな表現。仏画を思わせるような豊かな敬虔な雰囲気もある。その中に黒々とした葉の中に、赤い実が輝く。数羽の鳥がとまっていたり羽ばたいている様子が隠し味のようにきく。

18室

 岸春美「抱く」。生まれたばかりの乳飲み子を抱く若い母親。周りに装飾的な文様が置かれている。ちょうどクリムトの「接吻」を思わせるような色彩だし、コンポジションである。

 伊藤安男「閑」。白い花が点々と咲く、エンドウマメのような植物を描いている。黄色い蝶が来ていて、下方に狸がいる。植物全体で画面を占めているが、その複雑なフォルムを見事に描き分けている。筆力がある。植物の命に対する感性がこの作品を魅力あるものにしている。

 三谷佳典「内緒の手紙」。頰杖をついてタバコを吸いながら、万年筆を持って手紙の文案を考えている青年。丸いテーブルの上にははがきなどが置かれている。CGと手書きとのコラボレーションによって、独特のイメージの強さを造形する。

19室

 新屋小百合「花畑のむこう」。ずいぶん塗りこまれた厚いマチエール。三軒ほどの民家の手前は野原で、花が咲いている。赤い色の空を見ると、夕日のようだ。全体に柔らかな黄金色の光が満ち渡って、強いノスタルジックな感情を呼ぶ。

 長瀬あやみ「白麗」。白い孔雀が背中を見せて尾を垂らしている。背後に巨大な銀色の月のようなフォルムがあらわれる。周りに植物の花や葉が白く描かれている。ノーブルで気高いイメージを実に耽美的に表現して、注目する。

 白川奈央子「もの思う鳥」。くちばしが長く、足のしっかりとした二羽の鳥。まるで人間のような趣である。

20室

 鵜飼義丈「寄り添う。」。二頭の象。一頭は黒く、一頭は白く、中に赤い線によって輪郭線をつくる。ポップふうな若々しい感覚である。

 服部泰一「東京タワーが見える窓」。森ビルなどの高層ビルのレストランの内部。無人であるが、四つのお皿と中心の薔薇の花。矩形にあけた窓から東京タワーが見える。一種のエネルギーが画面にあって、そのエネルギーが鑑賞者を招く。

 坂井由紀春「ひぐらし」。太い杉のような樹木が上方に斜めに伸びている。手前には丈の低い屈曲した樹木が枝を広げている。この杉のような樹木には宿り木のようなものがとりついている。右のほうにもまた宿り木のあるもっと丈の低い樹木がある。それを黒一色で描いている。水墨というより、黒と白を混色しながら、丹念にこの情景を描いている。面白いのは構図のよさである。紙の白い空間は実は十分に胡粉が塗られているのだが、その空が輝いている。光り輝くその張りつめた白い空の風景が生きている。それと同時にこの樹木や草がやはり生きて繁茂し動いていくような、そんなあやしい雰囲気が感じられる。右中央では二つの樹木がお互いに梢を伸ばしてアーチのようになっているのも面白い。

 稲田雅士「静かな夜に」。クレーの絵から受ける感想と似たような感想をもつ。建物が三列に並んでいる。前景、中景、遠景である。前景は積み木のような建物で、中景は三階建ての民家がつながっているようだ。後方には集合住宅のような建物が見える。そこには煙突が伸び、煙がたなびき、夜空に星が輝いている。赤をベースにおいて、そこに色を重ねたような温かな雰囲気が滲み出る。フォルムが一種図像的、象徴的なイメージをつくりだす。

 石川晴菜「夕方の色」。瓦屋根の民家のある街が、グレーのシルエットの中に溶け込むように描かれている。空が約三分の二ぐらいを占めて、茜色の雲が浮かんでいる。懐かしいノスタルジックな風景である。

第45回日展〈洋画〉

(11月1日〜12月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 松下久信「冬光の丘」。「北海道美瑛の丘では、九月に刈り入れた豆類を野晒しにするため、ナイロンを被せて積み上げる。これはニオと呼ばれ、広大な丘のあちこちに整然と並ぶ。収穫の喜びと汗の詰まったニオの姿はユーモラスでもある。うっすらと新雪の積もった朝、陽の光に輝く雪とニオの情景は美しく、自然と人とで作り出した風景に感動した」(日展アートガイド)。北海道の美瑛の大地は、はるか向こうまでうねうねと続いている。その広大な自然の広さを表現し、その上にこのニオのフォルムが面白い表情をつくる。

 遠藤原三「帰郷」。緑の色彩が画面全体に使われている。緑のもつ神秘的なイメージとその性質がこの作品によくフィットしている。大きな木製の椅子の上に妖精的な女性が座っている。膝に花のようなものを抱えて、そこに五つの大きな卵がある。卵の上に茶色い斑点があるからウズラタマゴのようであるが、大きさはその何倍もある。周りに様々な花が花弁を開いている。そんな中にパレットとペインティングナイフ、筆などの置かれている場所がある。アトリエの中でのモチーフとの対話というイメージがしぜんと感じられる。モチーフと対話することが画家にとって絵を描くことである。モチーフを再現的に物質的に表現するのではなく、対話しながらイメージを伸ばし発展させていく。その過程自体が一つの絵になっていると言ってよい。内向的な世界の中に、緑がそれを支える独特の色彩として使われているところが面白い。

 犀川愛子「蟬時雨 Ⅱ」。湖のそばに太い樹木が幾本も立っている。その独特の強い存在感が魅力である。下方には折れた枝のようなものが置かれていて、そのポジションやそのフォルムもまた面白い。湖が一部光っている。強い陰影のコントラストの中に存在するものの不思議を描く。

 池山阿有「休けい」。早朝のおばあさんの一服した様子が描かれている。湯呑みを持って座って遠くを眺めている。そばに達磨ストーブがあり、薬罐がかけられている。逆光で、足元と手の一部に光が当たっている。髪の一部もそうである。そのちらちらとする光が不思議な効果を上げている。画家はこの朝の一服をするおばあさんを聖なる存在として捉えている。「朝食時間までのひととき、家の子供たちは働きに出る。孫は幼稚園へ行く」(日展アートガイド)。おばあさんの肌のジョンブリヤン系の色彩と周りの青みがかったグレーのトーン。そのバックは物質感ではなく、空気感でもなく、独特で、その光と影の陰影の中にこのおばあさんを取り巻いている。上方には障子の戸があるようで、そこからも光が漏れているのだが、画面の上での光の繊細な扱いがこの作品の魅力の一つをつくる。

 金山桂子「明けてゆくとき」。夏から秋に季節がわたっていく。だんだんと光が透明になってくる。そういった頃のガラス器たちとの会話だという。香水瓶のようなガラス器、あるいは鉢のようなもの、ボトルのようなもの、細長いガラス器と小鳥の置物のようなガラス器が置かれている。とくにそのガラス器を支えているものはしっかりと表現されずに、そのまま淡いオレンジ色の空間につながる。そこに漂う空気感ともいうべきものが季節によって変化する。そんな独特の表現である。ガラス器を叩くと澄んだ秋の音色が聞こえてくるようだ。

 大友義博「新緑の煌き」。「部屋に差し込む初夏の光が肌を彩り、生命の輝きを際立たせる。新緑の頃の安らいだ午後のひととき、新しい夏を迎えいれる窓辺の期待感を捉えた」(日展アートガイド)。新緑の戸外を背景にして裸の女性が立っているのだが、その豊満な生命力に満ちた様子を一種妖精のように画家は表現する。

 前原喜好「RAGUSA」。「丘陵地に高密に築き上げられた RAGUSA は街並みのあちこちに独特の造形的面白さがあり、絵心を誘われます」(日展アートガイド)。瓦屋根と黄土色の土壁。ところどころ白く塗られている。光が差し込む。それによって複雑な陰影が生まれる。光は澄んだ乾いた空気感の中を浸透していき、家々を染める。手前には低い家があり、その向こうに高い家があるようだが、おそらく地面の高低差によるものだろう。古い家のもつ味わいとそこに当たる光によってあらわれるフォルムや色彩をまるで朗々とした歌のように画家は表現する。一種の音楽的感興を覚える。

 武田敏雄「蔵王」。「画面左より三宝荒神、樹氷で有名な地蔵岳、中央に位置する熊野岳と連なる蔵王連峰です。特に冬から春へ、白い雪の凜とした美しい姿に感動して制作した」(日展アートガイド)。気高い蔵王連峰の雪を抱いたフォルムが上方に描かれている。里の人はそこに神々が存在すると信じていたこともうなずける。そして、その稜線がだんだんと手前の平地に向かう斜面になり、雑木がそこに生えて、緑に茶褐色に不思議な文様を描く。そして平地の畑になり、近景はすこし小高くなって、そこにシルエットの雑木が描かれている。空は暗く、黒と緑などの様々な混色による不思議な空間である。下方の明るい風景に比べると、不思議なほど暗いのだが、それが絵を一見したときに違和感を感じさせないのも面白い。あくまでも、現象を描くのではなくこの蔵王連峰を抱いた里山での大きな風景を描いているからだろう。そこにはここで暮らしてきた人々の長い歴史とこの山に対する思いなどが重なっていて、そういったトータルを一つの画面の中に収めようとする。したがって、一種の信仰のような心持ちを描くためには空は青くする必要はない。光ではなく、内側から輝くような白い色彩が蔵王連峰に使われている。そして、巨大な量感をもって画面の中にこの大きな風景が表現されている。

 大渕繁樹「長崎の灯」特選。夕方の光景だろう。空は暮れなずんでいる。山はほとんどシルエットになっている。それを湾の水が映している。家に点々と明かりが灯っている。まるで明かりを小さな宝石のように画家は絵の上に表現する。

 渡邊裕公「懐郷」特選。ボールペンによる表現である。画面に近づくとわかるが、実に様々な色のボールペンを使いながら丹念に仕上げている。それがすこし離れてみると、強い存在感のある透明な色彩をもった作品としてあらわれてくる。スカーフを首に掛けグレーの上衣を着た若い女性が肘掛け椅子に座っている。帽子には花を差してある。後ろにはつがいの鳥の文様の布が垂れている。革と思われるシューズの先まで丹念に描きながら、それぞれのディテールがお互いに呼応しながら独特の韻律をつくる。

 久保博孝「獺祭図」特選。「獺祭とは、カワウソが捕らえた獲物を弄ぶ仕草です。トランクは人の歩んできた道程、鳥カゴは現代社会をイメージしています。グラスの中には骸と金貨、相反すべき物を同居させてみました。命ある物はいつか物質に変化していきます。どんな状況下にあっても人形の美しさは変わりません。そんな無常観を表現してみました」(日展アートガイド)。ヨーロッパのメメント・モリ、死を忘れるなといった思想も感じられるし、日本人のもつ無常観もそこに重ねられているのだろう。油絵らしいしっかりとしたマチエールによって静物をしっかりと表現し、そこに寓意性をつくる。

 本山二郎「ハミングバード」特選。窓際に座った十代の女性。青いワンピースに赤、グレー、茶色のソックス。ソファのオレンジ色。後ろの花瓶のピンクや黄色い薔薇。戸外の新緑を思わせる緑。それぞれの固有色を十分に表現しながら、動きのある生命感のある女性を描く。

 土井原崇浩「鼬を抱く女性」特選。「上半身の平和的、安定的な三角形配置の中に、人と鼬の慈愛を表し、そしてまた、死のイメージのミンクコートを二つの生命と対比させ、死生観や輪廻をも表現しようと試みました」(日展アートガイド)。赤い帽子に赤いワンピースを着た女性のもつ存在感ともいうべきものをよく表現している。画家によると、羽織っているミンクのコートが死を表し、イタチが命や慈愛を表すそうだが、そういった観念的なイメージは画家の一貫して追求してきた仕事である。

 青島紀三雄「水辺待春」特選。独特のリズムが感じれる。グレーの水の手前に雑草が立ち上がっているが、その一本一本を描きながら全体に韻律があらわれる。対岸の草原の向こうに陸橋がかかっている。はるか向こうには山が霞んで青く見える。その陸橋のそばに広葉樹が点々と枝を広げている。青みがかった調子と緑がかった調子とをうまく使いこなしながら、きびきびとしたリズムのある風景表現に注目。

 青木良識「近江町市場」特選。近江町市場は金沢の台所と言ってよい。その活気のある市場の中の様子を生き生きと表現する。近景はシルエットになった大きな魚をさばく男で、向こうには客がいて、客と店の人が会話をしている。暖色系の色彩と青みがかったシルエットのフォルムとが生き生きと呼応する。

 堀研一「小休止(C.C.R)」特選。ピエロの人形が帽子や上着を着ている。そばに楽器があり、太鼓などもあり、ここにいない腹話術師のコートが掛けられている。人形は腹話術で使われるものだろう。まさに小休止といったように、旅から旅に渡る芸人のひとときの時間が哀愁のなかに表現されている。C・C・Rとはアメリカ南部のカントリーミュージックなども入れたロックバンドのことだそうである。アメリカの南部のことだから、あまりインテリっぽくなく、理屈っぽくもない楽団なのだろう。そんな楽団を画家は好むということだと思うが、そんな中にある哀愁ともいうしっとりとした雰囲気に引かれた。

 小川満章「室内」特選。テーブルのそばに女性が座っている。それを横から描いている。背後は棚で、その向こうに窓がある。窓から光が差し込み、棚の上の花や女性の体をすこし照らしながら手前のテーブルに陰影をつくる。いちばん手前には白いチューリップのような花の差された花瓶があり、その白い花も照らしている。それぞれのあいだの距離感がよく表現されていて、そこに光が静かに差す。それによって空気感もあらわれる。柔らかなハーフトーンによるしぜんな動きの感じられる佳作。

2室

 中島健太「FROZEN TIME」。椅子に座った若い女性。袖がなく、襟ぐりの大きな緑のワンピースを着て、片足を右のほうに九十度傾けている。紗のカーテンから光が入ってきているが、そこに樹木の葉がうっすらとシルエットに映っている。お菓子作りの本を膝に置いている。女性は上方を不審そうに眺めている。そばに花の盛られた花瓶がある。隅々のディテールまで神経を張り巡らせたかたちで構成されている。この画家の面白いところは一種の心理学的なひずみのようなものが作品にあらわれていることだが、今回もこの女性の周りにもあもあとした不思議な気配が漂っているところが面白い。

 永田英右「マリアの詩」。テーブルの上にマンドリン、金属のポットやグラス、聖母マリアのブロンズ、蠟燭、岩波文庫などが置かれている。そういった様子を丹念に静かに画家は描く。温かな視線で身辺にあるものを丹念に描いて、独特の手触りというか、親密な雰囲気をつくる。一つひとつのものとのあいだに画家との深い関係といったものがしぜんと感じられる。文庫本もそうだし、開いた本もそうだし、灰皿もそうだし、そこにある温かな気配ともいうべきものが筆者を引き寄せる。

 寺久保文宣「ECHO」。立っている裸婦と座っている裸婦。床にオレンジの色面が入れられ、背後に乱舞する青の文様のある布が翻っている。オレンジやピンクや青、白などの平面的な処理に対して、デッサンによって一気に仕上がったような二人の裸婦のフォルム。そこにあらわれてくる微妙な動きを色面が支える。お洒落な都会的なセンスの中に色と色、フォルムとフォルムが響き合う。

 丸山勉「想人」。赤いスカートに白いブラウスの女性が横座りに座っている。両手に財布のようなものを持っている。そばに眼鏡とペンと手紙、その上の赤い布の上に小さな招き猫がいる。ストラップだろうか。バックのグレーの調子が実に魅力である。銀灰色という言葉を使いたくなる。たとえば写楽の雲母摺のような輝きを見せる。そこに置かれたこの女性のフォルムには、現代の浮世絵を思わせるような造形的な力が感じられる。シルクを思わせるようなブラウス。そしてしっとりとした女性の肌。それぞれのマチエールをしっかりと捉えて表現しているところが、この作品のもう一つの面白さである。そして、無地の不思議な空間。一種トーンで表現しているところがあって、浮世絵のようにフラットな色面による表現ではないために、背後のこのグレーには空気感のようなものも感じられるし、色面としての無限空間としての力もあるし、そのあたりは光と影で追うヨーロッパ的な表現とフラットな雲母摺の浮世絵的表現の中間にある。正確なフォルムによって微妙なこの女性の生きている気配が伝わってくる。単純化することによって、より立ち上がってくる女性美。

 難波滋「逍遙・半夏生」。半夏生とは夏至から十一日目のことをいう。繰り返し画家は文楽の人形を描きながら、心中、道行のテーマを描く。両側に蓮の花。頰かぶりした男と花魁。中心の花魁はそのマネキンの上に衣装がつけられ、首が外されている。しぜんと死を思わせる。十八日ぐらいの月が上方に昇り、この光景を照らす。必要最小限のモチーフを描いて、心中という深いテーマを表現する。

 佐藤龍人「画室」。このパレットを持つ自画像を画家は繰り返し描いてきた。だんだんとそこにあらわれてくる心理的な力ともいうべきものが強くなってきた。背景の描きかけの女性のフォルムが現在進行形のイメージを伝える。

 児玉健二「碧霞」。まさに青い霞の中に立つ若い女性像である。髪が靡いて、まるで心霊写真のような、そんな不思議なオーラが漂う。女性の体に明るい黄色やピンクが入れられて、青や紫などとの色彩のハーモニーによってイメージとしての存在感が生まれる。

 阿部良広「ASAKA(想)」。十字架の首飾りを右手に持った女性。ゆったりとした衣装を身につけて、シーツの上に椅子を置いて座っている。後ろにもえび茶色の布が置かれていて、いわゆるモデルとしてのポーズを描いている。くっきりとしたディテールの立ち上がってくるフォルムの力が魅力。

 福井欧夏「暁のほし」。臨月間近の女性が立っている。それを横から見ているから、おなかの膨らみがクリアに表現される。その下方に手を当てて暁の星を眺めている。ネグリジェふうのドレスをつけた女性は妊婦であるにもかかわらず、ずいぶんロマンティックな雰囲気である。画家の愛情のなせるわざだろう。柔らかな背景のベージュの中に光が入れられている。その光は左上方から右下方に流れてくる。受胎告知は受胎したことを天使が告げに来るわけだが、これは空から光が差し込んで、生まれてくる子供を祝福している図と言ってよい。ハーフトーンの色彩が柔らかなハーモニーを奏でる。それはドレスや髪、あるいは体のラインもそうで、メロディに還元されるようなフォルムの扱いがこの女性のイメージを独特のものにしている。ふっくらとした手や肩などの柔らかなフォルム、そのディテールがまたこの作品の魅力的な絵画性といえる。

 西田陽二「黒い棚」。朝鮮ふうな螺鈿のある黒い棚を背景にして、白いヘアバンド、白いワンピース、レースの上衣を着た女性が、白いシーツの敷かれた床の上に座っている。椅子に花柄の白い布が掛けられているのが色彩のアクセントとなっている。黒い朝鮮棚の中にも螺鈿によって鳥などのフォルムが描かれ、そこの棚には青いグラスや下方がすこし赤いグラスなどが置かれて、ほんのささやかな色彩効果を上げている。白と黒のコントラストに画家はこだわる。フォルムの中にあらわれてくるトーンというものを追いたいという願望があるようだ。だんだんと画家のフォルムは強くなってきている。正面向きの女性の膝からおなか、胸、頭にかけるその表現には、そのように力強いものがある。シンメトリックなコンポジションの中に白と黒を中心に置いて、凜とした女性のもつ生命感、あるいは意思、毅然とした佇まいをよく表現している。

 髙梨芳実「窓辺」。ソファで画集を見る女性。前のテーブルの花瓶にはたくさんの百合の花が入れられている。グレーのトーンの中のそれぞれのヴァルールを丹念に追いながら、ゆっくりと旋回する動きは窓から空に逃げていく。一つひとつの色の値をそれぞれのポジションに置いて丹念に計量しているような、そんな造形的な表現が面白い。

 李暁剛「母と子」。静かな中に強い存在感を示す。最近北京の大学でもう一度勉強して、そのあいだにチベットでいろいろ取材したそうである。若い時からチベットに何回か旅行してきた。つらい自然の中で生活する素朴な人生に打たれるそうだ。この作品もチベットの人ではないだろうか。布を頭にかぶった母親と少年。そばに金属のバケツがある。土でできた壁と床。あるいはシートのようなもの。いわばレンブラントの時代を引き寄せて、人間の存在というものを静かに描くといった、そんな強い力が感じられる。

 木原和敏「夏の果」。ドレッシーなベージュのワンピースを着た若い女性が褐色の帽子を持って立っている。緑のフローリングにグレーの壁。そこに緑に彩色された窓の桟が描かれている。柔らかな光が当たる。ふくよかな女性のライン。ずいぶん触覚的表現である。画家の筆はこのモデルに接近して、このモデルの息づかいまで描きとろうとする。そこにあらわれてくる生命感とかエロスの力が魅力である。

 歳嶋洋一朗「カナル・グランデ」。周りの作品より明るい。現地でほとんど描くそうである。外光がすみずみまでしみ通っている。大きな運河をゴンドラが行く。後方斜め右から光が当たり、宮殿や建物を染めている。現実に目の前にあるものの存在と対峙するところから生まれた強さと言ってよい。空も海も不思議なブルーでできていて、空はすこし紫がかり、水はすこし緑がかって、独特の光線の力が聖なるものとして表現されている。

 浅見文紀「化身」。中が空洞の木箱を重ねたり横に置いたりしながら、ところどころ枯れ葉やアンモナイトを置く。そして縄をそのあいだに巡らせる。縄は時間というもののメタファーのようだ。時間が過ぎれば枯れ葉になる。時間が過ぎれば、貝もこのようなかたちで貝殻のみが残る。また、アンモナイトはずいぶん昔から生息してきた貝である。そういった時間というものの謎をこの縄によって表現しようとする。寓意性をはっきりとテーマにしたうえで構築されたコンポジションが興味深い。

3室

 松野行「峠を行く」。水牛が手前に歩いてくる。そのそばと後ろにトラックが続いている。いちばん手前に犬の上半身が見える。赤茶色の大地はカンボジアあたりの風景だろうか。黙々と手前に歩んでくるこの水牛たちは、懐かしい存在としてこの絵の中に表現され、メカニックなトラックに対照される。風土のモニュマンと言ってよいコンポジションである。

 工藤道汪「ある刻私の風景'13―巨匠へのオマージュ―」。下方に安井曾太郎のパリ時代の木炭デッサン、男の像が置かれている。そばに絵具のための簞笥があり、上に様々な用材が置かれている。水やパン、ポッカのコーヒー、灰皿には四本ほどの吸殻。そこに現在進行形の画家の後ろ姿がしぜんと感じられる。向こうのテーブルにはブルータスや、ラオコーンが置かれて、二つの石膏像はビニールがかぶせられている。そのあいだのブロックのようなものの上に木製の関節の動く人形が座っている。何か考えこんでいるようだ。しぜんと画家自身のイメージをそこに浮かべることができる。グレーのトーンの中に繊細なフォルムが浮かび上がる。下方は色のある世界で、絵具簞笥の茶色、床の色彩、あるいはその上に鮮やかな用材の瓶などが置かれていて、上下の世界が面白く響き合う。アトリエといういわば修業する場所のもつ雰囲気と、そこで制作する画家の態度が伝わってくる。いずれにしても、クリアなフォルムの集合によって密度のある空間をつくりだす。

 相本英子「咲く」。しっかりとした茶褐色の衣装簞笥を背景にして緑の布の敷かれた丸いテーブルがある。そこに銀化したような壺に白い百合がたくさん盛られている。白い百合の花が匂うような雰囲気である。水気のあるしっとりとしたその質感が画面のこの空間の中によく表現されている。手前のテーブルの真珠のネックレスや上方の人形も脇役としては面白いが、特にこの中心の白い百合の花の表現力に注目した。

 稲葉徹應「室内の情景」。テーブルに白い布が置かれ、葡萄やマンゴーなどの果物が置かれている。羽をもつ天使の彫刻、時計、猫や莵の置物。そんな中にストレリチアがまるで太陽のように赤や黄色い色彩を、その手のようなフォルムの上にのせている。そのストレリチアの輝きが画面全体を引き締めている。周りの清潔な空間のなかに太陽をそこに引き寄せたような、そんな力強い健康なイメージが鑑賞者を引きつける。

 小牧幹「悼む天地月―遥かなる富士―」。富士と水門、白い船、上方の月。図像的な表現で深いレクイエムの表情を醸し出す。

 和田貢「幕間」。ウクレレを弾くピエロの女性。鼻に赤い印をつけ、ブルーに染めたかつらをかぶっている。そばに中年の坊主の男ががっしりとした体躯を見せて座っている。女性の背後に柵があって、虎がいるのがなにか恐ろしい雰囲気である。背後のサーカス小屋のテントの布が壁のようになっていて、黄色やブルーや紫の色彩がそこに捺されている。地味な調子であるが、それはこのピエロや人間、虎のサーカスの一団を後ろで荘厳するような趣である。デッサンの力では日展の中でも随一と言っていいだろう。そんなデッサン力によって強い存在感を醸し出すと同時に、サーカスのもつ独特の哀愁ともいうべき雰囲気が表れる。

 北本雅己「旅の朝」。スツールに腰をかけたファッショナブルな二人の女性。しっとりとした光がこの絵の中に取り入れられて、それによって繊細な色調があらわれる。背景の公園のような場所の柔らかな光の扱い。不思議な陰影の中にこの二人の女性が表現されている。フォルムも的確で、独特の韻律がある。

 福本弥生「times on the table」。黒と白の市松のフロアの上に褐色のテーブルがあり、そこに人形が載っている。そこにも市松の布が置かれている。上方の黒い布の置かれたテーブルにはマンドリン。そして中ほどの高さの丸いテーブルの上には高杯があり、アンモナイトが置かれている。黒と白の中にリズムが感じられる。そこにモダンな独特の造形感覚があらわれる。

 孫美良「闇の中の光」。ひざを抱えて座っている若い女性。そこは影になっているのだが、光がすこし差し込んでいる。女性のもつ存在感というものを表現する。形態を通してこの女性の内面を、その悲しみや苦悩を描こうとするかのような実存的な表現に注目する。

 児島新太郎「清廉」。白いワンピースを着て礎石のようなものの上に座っている女性。側面から描いている。クリアなフォルム。その女性のアウトラインを見ていると、そのまま浮世絵に転化できるような、そんなディテールの力をもつ。背景はグレーで、しんしんと雪が降ってくるような気配がある。この女性のもついわば処女性ともいうべきものと女性のもつ本質的な謎のようなものがミックスして、現代の雪女のようなイメージを醸し出す。

 森本克彦「窓辺の人」。黒いワンピースを着て肘掛け椅子に座っている女性。黒が色彩としてよい効果を上げている。また、雑誌を眺めている女性の目線や体の動きも自然で、エレガントな雰囲気をつくる。

4室

 渡邊正博「むぎわら帽子」。むぎわら帽子を持って左手で木に寄り掛かった白いワンピースの女性。調子を落としたテールベルトなどのしっとりとした緑の色彩によって葉や樹木が描かれている。その中にワンピースの白あるいはすこし明るい肌の色彩などが相まって輝くようなイメージがあらわれる。正確な強いデッサンによるフォルムが、そこに浮かび上がってくる。

 鷺悦太郎「夢想」。ヨーロッパのフランドル派を思わせる服装の中年の女性像である。ドアの上のガラス戸から光が入ってくる。膝の上で手を組んだポーズ。クリアなフォルム。光が一つひとつの細部に浸透するように入ってきて、ディテールを浮かび上がらせる。

 長谷川仂「初夏の日差し」。「南イタリア、一度は廃墟となった町マテーラ。復興計画により補修されてきたが、この十年ほどの変化は目覚ましい。住民の数も増え、バールやレストランも幾つか出来た。しかし、生活のなかで昔の形を残しての改修なので、そこには歴史と生活の匂いが染み付いている。そんな石畳や壁が初夏の光にキラキラ輝く様子は美しかった」(日展アートガイド)。画面の中にこのマテーラの街の中を歩けるように描く。中心にはゆるやかな階段が上方に続いていく様子が描かれ、左右に古い建物が描かれている。たとえば右の建物の四つの家の向こう側に空き地があり、そこからすこし上がっていくともう一つのベランダに出るといったように、建物以外の空間までもクリアに表現しているところが面白い。ほとんど図面が引けるぐらいこの街を知悉して、そのうえでこの画面の上に構成しているところからこの独特の強さとリズムが生まれる。柔らかな光の中にそれぞれの家がまるで一人の人間のように立ち上がってくる。そして、家々はお互いにくっつき、すこし離れ、群衆のようだ。少年や少女がいるところが清々しい。犬もいる。それは手前の広場のあたりの光景だが、上方には中年の女性も立っている。歴史と現在とが交錯するこの街の魅力を十全に絵の上に表現する。

 櫻田久美「春めく頃」。水がぬるむ頃の季節である。手前に葦が伸びている。対岸にはまだくすんだような樹木の葉。ところが、地面に若緑色の草が萌えてきている。すこし紫がかった空に対してひんやりとした青みがかった水。色調の微妙な変化の中に季節の空気感、光を生き生きと描く。

 前田潤「想」。柔らかな光が当たっている。羽が落下してきている。不思議な影のようなものも落下してきている。下方には直方体の台座の上に女性のマスクを思わせるフォルムが立てられ、そこに頭巾がかぶせられている。能の幽玄な舞いを思わせるような雅びやかな動きが感じられるところが魅力。光と影の繊細な陰翳礼讃ともいうべきイメージもあらわれる。

 山田喜代子「ポスターのある画室」。グレーのトーンが新鮮で、壁にファッションふうなポスターが貼ってあるのも新鮮な雰囲気である。それと下方の木製の箱の上のペットボトルやローズなどが生き生きと呼応する。

 斎藤秀夫「人形と婦人」。「日展アートガイド」によると、一九七八年が日展初入選で、その時の作品が「人形と女」で、ほぼこの作品と同じようなテーマであったという。その頃は伊藤清永のアトリエで描いたそうだが、いまは自分のアトリエがある。そのアトリエでもう一度当時の気持ちを思いながら描いたそうである。肘掛け椅子に座った女性が焦げ茶色のワンピースを着て緑のショールをかけているのだが、実に強い存在感を感じる。背後のソファのところにいる人形はそうは思わないが、この中心にいる女性のもつ内側から外側にわいてくるようなエネルギーとも生命力ともいえるその力に感心する。皮膚の色もそのような照りがある。素朴な大きな目をしたこの女性の顔は、たとえば彫刻家でいえばデスピオのつくる像を思わせるところがある。

 杉正則「運針」。肘掛け椅子に座って布を縫っている女性。運針するときの右手の針を持つ手の形など、実によく描かれている。布を持った左手の表情もそうである。あまり肩に力が入らず静かに運針しているこの若い女性の雰囲気は独特で、永遠にこの動作が行われているような魅力がある。フローリングの床だが、スリッパを脱いだ裸足の足が一部スリッパの上に、もう片方は床の上に置かれている。手前に褐色の小さなテーブルがあって、裁縫箱があり、そばに和鋏や携帯電話がある。調子を落とした室内のトーンの中に女性の姿や布や裁縫箱がすこし明るく浮かび上がっている。フレスコを思わせるような独特の強いマチエールもまた魅力である。運針という動作であるが、その動作がまさに現在進行形ふうに持続して永遠化されているような、そんな深い味わいが感じられる。

 福島隆壽「啓示・瀬戸内海シリーズ」。椅子に座って俯いた女性。後ろに女性たちがいて、箱を肩に担いで行進している。緑の色彩で彩られている。あいだに羽を伸ばした天使が降りてきて、何かを隣の女性に語りかけている。ある啓示であり、受胎告知というテーマが通常よくあるが、これは寿命を知らせているような、そんなあやしい雰囲気もある。箱を担いで刻々と動いていく裸の女性の行列は、時というものを表すのだろうか。手前に日が差し込んだような明かりが灯っている。暗いイメージではなく、厳粛なる事実が告げられ、そのなかには穏やかな癒しと同時に深い悲しみのようなイメージが組み合うようなかたちで表現されているように感じられる。

 江守マリ子「刻の中で」。若い女性が椅子に座って膝の上に両手を置いている。すっきりとしたフォルムである。点描による背景のすこし緑を帯びたトーン。その中に赤い袖のないブラウスと山吹(黄金)色のスカート。静かに座っている女性の内側の心の中まで描こうとするかのような、淡々とした筆致でありながら強い表現力に注目する。

5室

 樋口洋「白い朝」。「函館山の麓に佇むハリストス正教会。冬の朝陽に凜とした造形美で浮かびあがる。静寂の時、海峡を背に、古き港町にアンジェラスの鐘が白い夜明けを告げる。そんな風景が自分の心の琴線にふれる作品となって生まれてくればと願っている」(日展アートガイド)。それほど大きくはないハリストス正教会の尖塔は緑に彩られている。そこに雪が積もっている。外壁は肌色で、そこにも雪が積もっている。雪の調子はやや紫色を帯びている。手前の建物の窓に灯が見える。手前の地面が建物より高い位置にあるために、その灯がよりひっそりとした雰囲気で人懐かしいイメージを伝える。そのあたりにはまだ夜の闇が残っているようだ。しかし、朝の光が差し込んで、教会の上方は明るく光っている。しかしまた背後の函館湾を囲む家並みは暗く、夜の中にある。そういった夜と朝とがクロスするその時間帯のなかに独特の情趣をつくる。とくにハリストス正教会の四角錐の屋根からもっこりと立ち上がる尖塔、横の六角形の鐘楼の上方に立ち上がるそのフォルムは、お互いに連結しながら独特の凜然たるイメージを醸し出す。画家が語るように朝が来たことを告げる鐘がまさに静かに響いてくるような、そんな繊細な雰囲気である。空もピンク色から上方手前のブルーコンポーゼ系の色彩まで微妙に変化し、刻々と移っていくこの朝の時間帯のなかにある人々の眠りとその目覚めと、といったものまでも画面の中に捉えている。手前の建物の中の灯が静かに鑑賞者に語りかけてくるようだ。

 湯山俊久「Lumière」。「美しい女性を描こうとすると、表面的な美しさにこだわりがちです。今回の作品、Lumièreは、造形解釈を基本に、女性の内面からにじみ出る光・輝きが、画面全体を照らし、臨場感を高めてくれています」(日展アートガイド)。青い古風なワンピースを着た女性の内側から光があらわれてくるような、そんなイメージを画家は描いたという。背後のビッグバンを思わせるような不思議な抽象的な作品も、この絵のテーマにふさわしい。ゆったりとした足を組んだポーズのもつ立体的な量による表現も、この作家ならではのものである。

 庄司栄吉「セロ弾き」。チェロを演奏している演奏者の全身の像である。チェロの茶色、楽士の黒い衣装、弓が動いている。周りに緑や紫の色彩が入れられて、チェロのメロディをそのまま色彩に変じて、音楽のメロディが持続して動いていくその流れをそのままこの絵の中に変換しているような、そんなデーモニッシュな雰囲気が感じられる。画家は画家以上に音楽家の魂をもった人のようにも思われる。音楽のもつ強い力を描いて、不思議な動きを画面の中に表す。

 立花博「漂流記(航海灯など)」。古びた木製のペンキのはげたドアの上に浮き袋やカンテラ、アルバム、古い写真機、そして旗のようなものが置かれている。ドアを船に見立てて漂流しているイメージなのだろう。左上方から強い光が当たっている。強い物質感があらわれる。それぞれのもののもつ存在感がよく表現されている。しかも、それらが集まって漂流というもののメタファーとなる。浮き袋とカンテラの間の黄金色の燭台のそばに天使の像がある。祈りとか信仰といったイメージがそこにあらわれる。寓意性というものはそれぞれのものの物質感を捨てて別のものに変わるわけだが、ここに描かれているものはそれぞれのものは浮き袋でありカンテラであり燭台であり旗であるにもかかわらず、寄せ集められて漂流していくようなイメージが表れる。アルバムがまた面白いイメージをかきたてる。じっと見ていると、古いアルバムにあった頃の日本は幸せで、いま日本の行方はどこにいくのかわからないといった、誰もが感じている不安感もこのような組み立てで表現したように思われる。二重にも三重にも謎かけのされた不思議な静物画である。

 成田禎介「山湖の森」。若緑色、すこし暗い緑、山吹色、黄色、様々な葉がつけられた樹木が立ち上がっているが、その小さな地面のあいだに水がある。裏磐梯の景色だという。遠景には山が幾重にも稜線を描き、空の雲を見ると、夕暮れの景色のように感じられる。おとぎ話の中に迷い込んだような風景と言ってよい。風景がそのまま一つのファンタジーとなっている。

 桐生照子「朝陽」。海が黄金色に染まっている。白い帆が翻る。そばに大きな船があり、船からクレーンのようなものが突き出ている。画家にとって光と色彩はある絶対的なもののようだ。それのマキシマムを求めて画家は描く。なによりもこの作品の魅力は、光を含んだ黄金色の色彩のもつ強い絶対感覚ともいうべきその性質だと思う。

 三沢忠「浅間山」。ずっしりとした存在感がある。はるか向こうに浅間山が噴煙を上げている。手前のぐいぐいとした筆力による地面に積もった雪。中景の赤や緑の樹木。そして浅間山とのあいだの暗い大地。そこにところどころ雪が光る。自然のもつ生気ともいうべきものを色面に還元し、フォルムをつくる。

 村田省蔵「豊穣」。「越後の穀倉地帯では今でも稲をはさ木に架け自然乾燥しています。最盛期には稲穂が太陽に照らされあたかも金屛風を立てたように美しい風景となります」(日展アートガイド)。画面の正面すこし右側に五本の稲架木のあいだに架けられた稲が、作者の言葉のように黄金色に輝いている。それに対して約七十度ぐらいの角度で数本の稲架木にかけられた稲穂があり、それは影になっている。あいだに遠く稲架木の並木が見える。手前には刈られた田圃の様子。それぞれのものをしっかりと画家は描いている。小手先の仕事ではない。全身的にある確信をもって画家は描く。そこからあらわれてくるマチエールやコンポジションの強さである。上方に稲架木の葉が緑に茂っているが、その様子も不思議な強さで迫ってくる。風の中に葉が強く鳴るような趣である。

 中山忠彦「アヴェ・マリア」。アヴェ・マリアは「おめでとうマリア」「こんにちはマリア」といった意味である。いわゆる聖母崇拝である。台座のマリアの首に手を置いて、ドレスの女性が立っている。すっと立ったその姿には独特の気品が感じられる。その後ろにすこし淡い緑がかったブルーのような不思議な布が壁に掛けられているのも、濃紺の十九世紀のフランスの衣装とよく響き合っている。色彩のもつ洗練と立っている人間の毅然とした雰囲気。そしてマリアの像の柔らかい微笑。それぞれがあいまってこの作品の魅力をつくる。

 寺坂公雄「山麓錦繡」。「八ヶ岳南麓(大泉高原)にある県有地の紅葉は、十一月中旬には枯枝と赤い木の葉だけになる。日本の美は晩秋にある。刺繡をした織物を見るような落葉は、まさに錦である」(日展アートガイド)。画面の中に手を差し伸べると指が赤く染まるような深い色彩が、日本の晩秋の風情をよく表現する。手前には両側に屈曲した樹木の幹が黒くあるいは白く伸びている中に、様々な紅葉した葉がついている。地面には落ち葉がうずたかく積もって、まるで紅葉の絨毯のように思われる。不思議な光が画面に差し込んでいる。深い陰影の中に赤い色彩が燃えるようだ。それは命が燃えているといった言葉を誘う。画家は晩秋の紅葉が日本で最も美しいと述べているが、やがて葉がすべてなくなり、冬が来る。そんな直前のこの輝きには、やはり人の思惑を超えた美しさがある。無常と言ってもよいかもしれない。限りある命が輝いているような、そんな深いイメージを画面から感じることができる。

 塗師祥一郎「暮色」。山形県の寒河江川の光景だという。「寒河江川辺を散策する。目前に逆光で川が輝き、白い大きな中州、自然が造り出してくれる造形の彩にひかれて筆をとった」(日展アートガイド)。日が山の向こうに落ちようとしている。斜光線がすっと手前に差し込んできて、川をこんじきに染めている。さざなみが立っている。黄色、その周りの緑、あるいは手前の黄色の周りの薄紫。実に微妙な色調が川の水の上にあらわれている。空を見ると柔らかなピンクや黄色、紫のハーフトーンで、まるで夢を見ているような雰囲気になる。しーんとした雪の佇まい。光っている部分や影の部分。それぞれ雪の色彩を微妙に異にしている。中洲に下りた雪の不思議な形。きわめてイノセントな雰囲気がここにあらわれている。そして、山稜が幾重にも重なりながらはるか向こうの山に続いていく。点々と雑木が立っている。風景はもっと雑駁としたものであるが、その中から余分なものをすべて削り落として、風景の理想美ともいうべき世界を画家は画面の上に創作した。

 藤森兼明「アドレーション  マイケル  エ ガブリエル」。「十三世紀中期に建立され、今にその遺構を残すトルコ・イスタンブールに現存するカーリエ修道院に見られる壁画に想を得て創作しました。生きる物の有限と、いつの時代も変わらぬ永遠の安らぎとを表現の基とし、ビザンチン後期の華やぎと、やがて来る帝国の滅亡に想いを巡らせて仕上げました」(日展アートガイド)。背後にビザンチン様式の二人の天使がいる。あいだにも肖像的なイコン像が見える。金によって彩色されたビザンチン美術。そして、宗教のもつ永遠の救い。そんなイメージを背景にして、白いワンピースを着て白いサンダルをはいた女性が足を組んで座っている。黒い髪をし、青いコートをワンピースの上に着ている。画家自身はクリスチャンの洗礼を受けている。そういった日々の生活のなかからこの女性を荘厳するようなイメージが生まれたのだろう。女性は画家にとって親しい人かもしれないが、まさに画家の言うように有限の生を終えるだろう。その生を慈しむように背後に黄金の天使が立っている。強い圧倒的な存在感を示す。

 佐藤哲「夏」。「真夏の太陽が照りつける丘で、若い少女達は暑さをものともせずに灼熱に身を任す。トランペットの音は、遠い故郷に届けとばかり大空に吸い込まれていく」(日展アートガイド)。地面を低く下方に下ろして、空を約八割。そこに巨大な入道雲が描かれている。刻々とその雲は動いていくようだ。そういった生命感にあふれる強い日差しの中に、座って頰杖をついた少女とトランペットをもつ少女が立ち上がる。画家独特の色感を発揮した生命的な表現である。たとえば座った女性の靴の紐に蛍光色のようなオレンジ色が置かれているのも、独特のアクセントとなっている。いずれにしても、座る立つという静的なポーズにもかかわらず、背後の雲の動きによって内側から生命というもののエネルギーを引き寄せようとするコンポジションに注目した。

 渡辺晋「木馬館の景」。色面構成的な作品である。木馬に乗る子供。そばの若い父親。父親はジョンブリヤン系の馬に乗っている。向こうに二人の少女がいる。独特のグレーのニュアンス。ところどころ黄色い色彩がともし火のように置かれる。ゆるやかにメリーゴーラウンドは回る。詩情が醸し出される。

 三原捷宏「海景・島の朝」。以前は逆巻く波を岬の上から描いていたが、最近郷里の瀬戸内海の穏やかな海の連作を始めた。遠景は青い山のシルエットになっている。中景には橋がかかり、両側にすっきりとした島の山が見える。さらにその手前には赤茶色の島があり、道のそばに家が立っている。その手前には海に突き出た岬に三階建てのホテルのような建物。そしていちばん近景には岩壁が突き出し、灯台が立ち、建物を上から眺めてキューブなかたちでそのフォルムを描いている。そして、銀色に輝くような海が遠景から近景まで実に不思議なトーンの中に表現される。中にははなだ色や緑色、黄色、紫など様々な色が入れられているのだが、それらが不思議な輝きを放っている。遠景の山の端の上方がすこしピンクに染まっている。朝焼けがまだ収まっていない。この海と山の上のピンク色を見ると西方浄土を思わせるような、そんな深い信仰心のようなものさえもしぜんとこの作品に感じることができる。平凡な風景の中に合掌するようなイメージが表れる。

6室

 山本佳子「夏の娘」。三、四歳の女の子が青いゆったりとしたワンピースを着て立っている。それを横から描いている。気をつけをするように両手を側面に置いたポーズ。灰白色の背景の中にすっと立つフォルムが新鮮だし、独特の韻律がある。それを補強するように右上方に黄色い柱を立てている。柔らかな清潔なグレーの調子の中のイノセントな少女の像である。

 本田年男「レトロの部屋」。古い蓄音機から飛び出るラッパ。その下に緑のフランス人形がいる。古い写真機。目覚まし時計はいま1時46分を指している。後ろに「ザ・キッド」というチャプリンの姿があるポスターが貼られている。しっとりとした緑やグレーのトーンの中に不思議な生気が感じられる。緑という色彩が人々の心を癒すような、すこし神秘的な色彩としてその効果を上げている。それらは大きな古い長持と言ってよいような箱の上に置かれている。金属によるベルトや鍵が側面にところどころ置かれている。この長持をあけると様々な過去の思い出がよみがえるのだろうか。そんな不思議なときめきを感じさせる画面と言ってよい。

 小灘一紀「五穀を生み出す大気津比賣神(古事記)」。「大気津比賣神は、乱暴狼藉を働き高天原を追放されお腹をすかせた須佐之男命をもてなした。ところが、口や尻などの身体より食べ物を生み出したので、誤解され殺された悲劇の穀物の女神である。古事記は古代日本人の魂にふれる神典である。それを絵画として表現することは歴史の情熱と悲しみを知り、自然神への畏れを伝えることでもある」(日展アートガイド)。大気津比賣神が口から白い息を吐いている。その中に果実が現れている。左手に稲穂を持ち、右手に葡萄を持っている。下方には南瓜やジャガイモ、冬瓜、ニンニク、栗、様々なものがあふれるように描かれ、左右のうねうねと動く動きの中にやはり果実や穀物が描かれていて、全体で放射しながら旋回するような動きがつくられている。その中にクリアなフォルムが実に絵画的な楽しさを見せる。大気津比賣神の、裸足で立ったその崇高ともいうような豊かなフォルムと顔だちの造形もまた魅力である。

 松田茂「棚田」。棚田の畦道が面白いかたちで繰り返される。背後の山の端に朱色が置かれて、それが独特の生気を呼ぶ。不思議なリズムのなかに胸中山水と言ってもよいような生気があらわれる。

 中土居正記「再生・awaken」。木製の椅子に少女が座っている。赤い上衣に白いパンツ。周りに雑草がたくさん描かれている。その雑草の表現はすこし日本画的な装飾的表現である。暖色の色彩が使われている。黄土系の色彩が金の色彩を思わせる。油彩と日本画との両方に足を置いたユニークな象徴的な表現である。

 守屋順吉「悠」。キジルの千仏洞での取材である。二人の僧が説教をしている。黒と赤の衣装。独特のデフォルメ。背後にコバルトブルーやブルーコンポーゼ、グレーなどの色彩で色分けされた中に仏が浮かび、カモシカがいたり、鳥がつがいでとまっている。まるで夢のような空間。千仏洞で見た画家の感動が繰り返し画面の上によみがえる。

 山根隆「待春」。しっとりとしたマチエールとトーン。雪の積もった地面のあいだをインディゴ系のブルーの川が静かに流れる。枯れたような茶褐色の雑木。空はすこし明るい青。光が差し込み、雪を照らしている。樹木の繊細な枝や梢の表現が深い感情を喚起させて、悩ましいようなイメージも与える。

 米澤玲子「人形劇・幕間」。低い椅子に座った女性は左のほうにすこし体を傾けている。右手を椅子の端に置いているが、その指のフォルムなど実に繊細で魅力がある。周りを柔らかなブルーが取り巻いている。右上方に黄色い色彩が散りばめられて、そこに希望の光があるような雰囲気である。瞑想的な雰囲気のなかに画家はイメージの世界に入っていく。左上方に操り人形が吊るされていて、クイーンやジョーカー、あるいはダンサーといった人形が吊るされている。劇だから様々なドラマを人形によって演ずるわけだが、そういった芸術を通してカタルシスを感じたり喜んだり泣いたり笑ったりするイメージの先に、未来に対する希望のようなものが右上方の黄色く散りばめられた色彩に感じられる。いずれにしても、フォルムが柔らかく静かに語りかけてくるような力がこの作品にはある。

 茅野吉孝「秋日」。鉄の黒い壁の前にドンゴロスが置かれ、大きな南瓜が一つ。手前の金属のバケツにも南瓜が置かれ、下方の地面に敷かれた落ち葉にも赤い南瓜がある。背後の鉄のもつ質感。枯れ葉の、あるいはドンゴロスの、あるいは南瓜の、それぞれの質感を描き分けている。そこに光が差し込み、対象を浮かび上がらせる。よく考えられた構図である。秋の実りをうたう。

 伊藤晴子「山百合の庭」。軽井沢での光景だそうである。敷布を敷いて、まだハイハイしている子供と若い母親が語り合っている。背後にピンクや青や紫の花が咲いている。あいだに樹木が立ち、緑の葉が複雑な陰影を醸し出す。独特の光が感じられる。光がこの光景を照らしていると同時に、背後の植物の花などを見ると、それぞれの花がまるで明かりを灯しているような不思議な魅力を醸し出す。

 中川澄子「雨の朝」。ここのところ繰り返し描いているスペインに近いフランスの古い教会の一隅である。手前に二つの柱がある。左のほうの柱には聖人の像が浮き彫りされている。左手におそらく聖書を持って、右手の手のひらを示しながら説教している図のようだ。右の柱のほうにもかつてあった浮き彫りがはぎ取られて、いまはその存在がかすかに見える。中庭に雨が降っている。その向こうに三つのアーチがあって、回廊があり、その上に屋根がのり、上方には尖塔が見える。水に濡れた地面が緑がかっている。手前の石造りの床もそうである。悩ましい不思議な雰囲気が感じられる。きわめて内向的な内面を現実化したような印象である。三つのアーチの中がすこし赤く彩られていて、三つの炎が燃えているような思いに誘われる。この教会がつくられた時から延々と引き継がれてきた信仰の火がそこに燃えているような、そんな深い味わいが感じられる。全体にこの作品はカーマイン系の赤と緑とによって彩色されているが、実に独特の色調であり、スピリチュアルなイメージが漂う。

 杉山吉伸「蒼空白衣譜」。白いレースの縁のあるワンピースを着、黒いブーツをはいた女性が椅子に座っている。すこし横を眺めている。後ろの壁に茶臼岳の噴煙を上げている様子が描かれた絵が掛かっている。コンパネのコンクリートが独特の質感をつくる。いわば外側の風景がその壁を通してひたひたと押し寄せてくるような、そんな雰囲気である。白いレースが雪のようなイメージを醸し出す。背後の横になった人形や狛犬や花瓶に差されたドライフラワーなども不思議な時間のなかに存在する。室内のモデルが単なるモデルを超えて、あるイメージのなかの女人と化す。そんな現在進行形の画家のイメージの動きがそのまま作品として制作されているところに、この作品の生きた素敵な雰囲気が表れる。雪女を思わせるような、そんな神秘なエロスの象徴のような女性がモデルと重なってあらわれてくるようだ。画家の高邁な精神のもつ詩的なヴィジョンがそのようなイメージを引き寄せるのだろう。

 西山松生「樹下涼風」。五月から六月の景色のようだ。緑が燃えるような色彩である。下に小道が続き、人々が楽しく座ったり、絵を描いていたり、子供と遊んだりしている。それらがすべて色斑の韻律の中に表現されている。明るい光が画面の内側から輝くようにあらわれてくるような雰囲気。一種水墨的な自由闊達な表現であり、なによりも画面の中に生きた韻律を画家は求める。その韻律に沿って色彩が置かれ、色彩とフォルムがハーモナイズする。

 円地信二「散歩みち」。犬を連れた二人の若い女性が出会った様子を面白く描いている。うねうねとした曲線によって二人の女性のフォルムがつくられている。暗い青に赤や紫などの色彩が使われて、実に独特の効果を上げている。女性に感じるエロスの力ともいうべきものを、うねうねとした輝くような色彩の曲線的なフォルムによって表現する。

 町田博文「新雪の湖畔」。コートを着て帽子をかぶった女性のそばに犬がいる。背後は湖で、山にすこし雪が積もっている。教会の鐘楼と民家の上にも雪が積もっている。そんな様子を独特の存在感のなかに表現する。調子を落とした暗い赤や青や緑などの色彩が静かにハーモナイズする。

 根岸右司「カムイ岬」。海に突き出た岬は太古から存在するような圧倒的な存在感を見せる。そこに雪が降り、積もっている。いま積もったばかりの雪が実に新鮮な印象を醸し出す。ゆっくりと波が寄せて、白い泡を立てている。雲が動いて、いま太陽の光が差し始めた。そんな一瞬の風景の変化を画家は描く。そのベースにあるこの大地のもつ強い存在感自体に画家は一つの神秘を見ている。はいつくばるように立つ樹木が不思議な装飾的なフォルムとして近景の斜面に入れられている。

 瀧井利子「父のいた作業場」。厚い板で出来た作業台。その上に電気鋸がある。後ろの机には万力が置かれている。白い手袋と眼鏡が手前のテーブルの端にある。父の使ったものだろう。それぞれのものの存在を一つひとつ手で触り、確認しながら描いているような強さがある。そこにあらわれてくる独特の気配ともいうべきものが魅力。

7室

 新延泰雄「六月」。田植えを終えたばかりの頃の季節の緑の魅力をよく表現している。田植えが終わり、棚田は水が置かれて空を映して輝いている。背後に緑の葉のいっぱい茂った樹木。対岸の調子を落とした山の緑などが置かれ、しっとりとした独特の味わいを醸し出す。手触りのある表現である。

 日野功「川沿いの家」。長い歳月のたった民家。川の下から支柱が出て、粗末なテラスのようなものも見える。傾いた梯子。トタンの屋根。干された洗濯物。室内は暗く描かれている。左のほうにも上のほうにも窓があけられていて、上方には植木鉢に花が咲いている。そんな川沿いの古い民家の一隅を、画家はいとおしいように描く。風に洗濯物が靡いているようだ。生活の歌というべき旋律が画面からきこえてくるようだ。

 鍵主恭夫「追憶(ドライ・ドック)」。ドックの広い掘りこまれた空間のもつ圧倒的な存在感を面白く絵に表現している。いまここには船はなく、赤いシャツを着た男が犬と一緒にぽつんと一人立っている。それによってまたこのドックの大きさがわかる。ドックのこの巨大な壁に囲まれた空間を見ると、古い神殿のような趣さえも感じられて、シュールな味わいが醸し出される。

 西房浩二「Arcos de la Frontera」。スペインのアンダルシア州の古い街である。断崖の上に古い教会があり、民家がそこに建てられている。断崖ぎりぎりまで建てられている様子を画家は面白い視点からスリリングに表現する。断崖の下には川が流れている。それに並行するようにハイウェイがはるか向こうまで起伏しながら続いていく。低く白い雲が出ている。画家は風景を描くというより、風景のそれぞれの家や川や道などを使って、一つの音楽的なメロディを演奏している趣がある。その意味では再現的に風景を描いたものではなく、それによってメロディをどのようにつくっていくかというところに関心があるのだろう。右のほうのハイウェイの動いていくフォルムを目で追っていくうちに、そんなメロディが筆者の耳に聞こえてくるような思いになる。それに対して崖すれすれの白い壁の建物と古い教会とが対照され、鐘楼が聳えている。鐘楼の鐘もまた独特の古いメロディを醸し出すだろう。その鐘の響きがまるでこの低い雲の広がりのように殷々と広がって聞こえてくるようなイメージももつ。

 吉崎道治「わかさぎを釣る」。「小雪降る余呉湖で釣人の後ろ姿が楽しく、童話の世界だった。間もなく春が来るだろう」(日展アートガイド)。雪の積もった茫漠たる余呉湖の広がりの中に突堤があり、そこで点々と釣る人の後ろ姿が描かれている。雪がすこし降ってきている。空間を大きくあけて、まさに不思議なファンタジックな空間を表現する。墨絵に描いてもおかしくないような光景で、俳句でも生まれそうな詩情も感じられる。

 鈴木實「運河の街」。ヴェニスの運河をゴンドラがこちらに進んでくる。赤いシャツと白いシャツを着た若いカップルが前に乗っている。ゴンドリアが棹を操る。上方から光が差し込み、背後の二つの建物を染めている。手前は影になってしっとりとした雰囲気である。煉瓦造りの壁、無人のボート。水から出ている何本かの杭。運河にかけられた橋。上方には教会のような塔が見える。対象の固有色を大切にしながら、それを画家独特の大きな深い情感のなかに沈める。そして光をそこに導入する。静かに運河をゴンドラが走る。平和なヴェニスのひとときの情景を絵画としての、存在するものを通しての心の表現にする。

 池田清明「お手てつないで」。若い母親が二歳ぐらいの子供の手を持って立っている。白いワンピース。女性の腰がしっかりとしているために立体として動きが立ち上がってくるところがある。愛らしい女性や子供の表情も魅力であるが、そのような人間のフォルムをしっかりと描いているところに独特の動きや韻律が生まれる。

 山岡健造「砂上に生きる」。砂漠が背後に続いている。それが月の光を受けて輝いているような、そんなしっとりとした味わいである。それを背景にして若い母親と三人の子供が描かれている。母親は赤い衣装を着て男の子を抱いている。そばにその上の姉妹が二人立っている。ロマンティックな雰囲気で、この画家独特の感覚である。母性的なイメージを母親の衣服の赤によって表現し、柔らかな慈愛のイメージを月のような光によって表現する。

 川口もと子「猫に聞かせる物語」。ブラインドの下ろされた窓を背に本を持って立っている若い女性。そばの緑の椅子に白と黒の猫がいて、この女性を眺めている。そんな二つの生きている存在をクリアなフォルムによって描く。猫の目や耳や足のフォルム、女性の本を持つ手やその首筋から顔にわたるフォルムと視線、精緻なデッサンから生まれた日常の中に発見したときめきの表現である。

 内山孝「青い雨(中の浦天主堂、切支丹の里 XIV)」。「中の浦天主堂は上五島有川港から山道を南へ下ると、ひっそりと入江の奥にある。切支丹の里は受難の歴史を秘めて静かにかくれて佇んでいる」(日展アートガイド)。青や緑が実に豊かな色彩効果を上げている。水も雨も不思議な緑で彩られ、天主堂も同様である。それに対して背後に緑の山が立ち上がり、黄金色の残照が輝く。

 工藤和男「地中海」。シチリア島での取材である。大きなカジキマグロを持つ男。その背後にも魚を持っている人がいる。三人の男が三角構図をつくりながら、画面の前方に描かれている。右後ろにはエイを持って腰を屈めた男がいる。その後ろには船の上に一人の男。また、左端の岸壁に立つもう一人の男の後ろ姿。ずっしりとした船のもつ存在感。背後に教会と矩形の建物が並んでいる。隙のないコンポジションである。手前の大きなカジキマグロの湾曲したフォルムが構成の軸になっている。それを背後の船と建物が受け止めるといった構図。青という寒色系の色彩はカジキマグロや男の上衣やズボン、岸壁の色彩に使われ、赤が男の上衣あるいは手前の魚に使われていて、グレーの色彩がそれをつないでいく。暖色と寒色とが強いコントラストの中に労働讃歌といったイメージを表現する。

 寺井重三「ピアノの前のえりかちゃん」。チャイナドレスを着た若い女性。そばにチュチュが真紅や紫や黄色い色彩を見せる。チャイナドレスはエメラルドグリーンのような色彩。扇子を持ってポーズをするこの女性の若い潑剌たる命をいとおしむように画家は表現している。静かに立っているなかの韻律、動きが、チュチュの色彩によって照射されるといった趣である。

8室

 頼住美根生「小憩」。バレエ用のレースのチュチュをまとった女性を正面から描いている。髪につけられた花飾りや胸につけられた花なども画家の工夫で、いわば画家の考える美というものをこの女性によって表現している。そういった美意識というものが強く主張された女性像であるところが面白い。柔らかな暖色の中に緑の上半身の衣装がアクセントとなっている。柔らかな光の扱い。そこに立ち上がるフォルム。

 坂手得二「春・牛窓」。瀬戸内海が青く輝いている。その中に春の若緑色の樹木の葉、あるいはオリーヴのすこし塩からいような緑の色彩などが輝く。あいだに白い壁をもつオレンジ色の建物が点々とある。ヨットのようなものが岸壁に繫留されている。モーターボートが走っている。島がいくつも背景に浮かび、四国の大地が向こうに霞んで見える。朗々とした瀬戸内海の春の日差しの中にそれぞれの色彩が歌う。その全体のハーモナイズするコンポジションが魅力である。外光というものをよく表現しながら、決して印象派のようには分解されず、その光によって浮かび上がってくる色彩の魅力を表現する。

 店網富夫「雪便り」。晩秋の景色である。大きな川の両側に紅葉した様々な樹木が黄金色の色彩で表現されている。近景にはほとんど裸木になりかかった葉の様子が見える。すこし枯れかかった草の色が地面に続いている。澄んだ空に白い雲がいくつもぽっかりとわいている。水は空を映して静かな青い様子で、鏡のような面を見せる。静まり返った風景である。そのまま時間が切り取られて動かないままにこの絵の中に収まったような、不思議な味わいが感じられる。それ自体でシュールな雰囲気もあらわれる。時が止まったようなこの晩秋の一刻。空の面積と水の面積、そして陸の面積とのバランスが絶妙と言ってよい。

 西田伸一「遠い風」。黒いタンクトップに黒いスカート、黒いブーツの女性がグレーの台にのって遠くを眺めている。それを正面よりすこし右に向いた位置から描いている。女性の全身像である。背後にグレーの不思議なフォルムがあらわれ、その中が十字架にくり抜かれている。教会の内部を想定しているのだろうか。不思議な静寂感の中にときめきのような心が表現されている。女性は遠くを眺めているようだが、それは形而上的な存在と相対しているような雰囲気もある。背後のグレーの上方の湾曲したバックが、雪国のしっとりとした風土のマチエールといったものをつくりだす。そのあいだにあけられた不思議な十字架。この女性の全身像はきわめてクリアで、静かに息をしているような、そんな動きまでも捉えられている。同時に、それがそのままある形而上的なイメージと語り合っているといった、そんなテーマのなかに表現されているところが面白い。

 橋浦尚美「裸足の画室」。フローリングの床の上に少女が仰向けに寝ている。左手をおなかの上に置いて、右のほうに顔をひねっている。すこし足を立てている。昼の光線がここに差し込んでいる。不思議な味わいが感じられる。女性の髪が横に流れて、髪の先が揺れているような雰囲気もある。光がこの女性の中に浸透してくる。光は一種形而上的な存在を表すようで、その形而上的なものと肉体をもつ女性とがお互いにふれあって、不思議なコラボレーションとなっているといった言葉が浮かぶ。そのシュールな味わいがこの作品の魅力だろう。

 ナカジマカツ「烏瓜の日」。背後は金箔で、そこに線が引かれ、まるで地図のようなフォルムがあらわれている。そばに樹木が伸び、そこにカラスウリが絡んで、その蔓の先に赤い実を実らせている。その蔓と赤い実をもぎとって、少女が右手と左手でそれを持っている。それぞれのフォルムがクリアでありながら、画家の構成したものである。自然を描きながら、それを背景の金箔の上の線のように人工化し、画面の上で操作し、独特のメッセージを伝える。十代の女性のもつ未来を考えるといった寓意性もしぜんと理解できる。いずれにしても、金を背景にした人物と樹木という二つのものをカラスウリで連結するといった構図が興味深い。

9室

 小島義明「雪後の製材所」。工場に製材された樹木が立て掛けられている。手前から中景まで丸太が転がっていて、雪がその上に薄く積もっている。ひんやりした雰囲気のなかに茶褐色の製材された樹木や丸太が生き生きと映えてくる。画家の筆力が十分に発揮されて、それぞれのフォルムが立ち上がってくるような力がある。

 大谷喜男「路」。白馬が背後にいて、手前にピエロが赤い玉を五つ投げている。上方に五つの国旗がたなびいている。ジャグリングをしているこの白く塗られたピエロの表情はメランコリックである。まるで運命を占っているかのようなジャグリングの様子だし、雰囲気である。背後に出てくる馬は本来違和感があるはずだが、画面全体の雰囲気のなかに溶け込むようになっている。この馬はまたもう一つの本能に近いような男性の心の奥底にあるリビドーの象徴のようにあらわれているところも面白い。淡い青い空に雲が流れていく。このピエロはこのジャグリングを永遠に繰り返しているような雰囲気もある。画家のつくりだしたクリアなフォルムが強いイメージをそれぞれ発信する。強い文学性ともいうべきテーマを、このクリアなピエロや馬を通して描く。

 渡辺啓輔「棚田早春」。雪の積もった棚田の様子が不思議な抽象的な文様を描く。手前にすでに萌えてきた緑の葉をもつ樹木が置かれている。遠景は冬の暗い無言の山の斜面のような雰囲気。そのあいだにある棚田が朗々としたメロディを奏でるようだ。風景のもつ抽象美ともいうべきものの表現に惹かれる。

 松田寧子「芽吹く岬」。ずっしりとした存在感をもつ岬の下方は岩がむきだしになっている。岬の上方に草が生え、上辺に雑木が立っている。その手前のすこし低い海に突き出た地面の上に平屋の赤い屋根の民家が一つ立って、電信柱が立っているのも味わい深い。自然石でつくったような階段が海に向かって降りてきている。空は黄金色で、海は寂しい寒い青い色彩で、風でほんのすこし水面が波立っている。早春の寒い時期の北海道の風景と思われる。それを画家は温かく包み込むように量感の中に表現している。あくまでも油絵のもつ物質感を使いこなしながら、この一隅の風景を捉える。岬のもつ存在感。手前の小さな建物のある小高い地面。静かな海。黄金色の空。平凡な風景がそのまま聖なるものに変ずる。

 佐藤洋子「秋麗」。褐色の風景。枯れたような草。茶褐色に沈んだ葉をもつ樹木。川が静かに流れている。空はやや明るいピンク色で、遠景の山が青く沈んでいる。静かな中に命あるもののごとく川が流れている。その奥行のある空間と流れる水の味わいに注目した。

 中村幸枝「予感」。ずいぶん触覚的な表現になっている。コンクリートを思わせるようなグレーの壁や床。その中にすこし緑がかった地味なお洒落なワンピースを着た女性が立っている。全身像である。靴の先から手の指の先まで画家は丹念に描いている。まるでこの女性の呼吸する息づかいや肌の温度までも感じるような、そんなリアルな雰囲気が表現されている。にもかかわらず絵の中の存在としてこの抽象的な空間の中に置かれているところが面白い。背後の抽象的な空間が相当の力をもって描かれているために、このリアルな二つが肉離れせずに画面に収まっているのだろうか。

 栁瀬俊泰「風の強い夏の日(コロの死)」。近景に建物がいくつも続いて、そばを道が通っている風景が描かれている。近景にはコンクリートの大きな建物があり、だんだんと斜面は立ち上がってきて、丘の上からこの風景を眺めている。海が画面の約四分の一とられ、その上方は空で、二つを合わせると画面の半分以上である。入道雲がわきあがり、海が不思議な表情をしている。そのあいだに挟まれた岬のような二つの地面。水平線の向こうに何かもどかしいものがあるような、そんな雰囲気。この画調の独特の雰囲気と「コロの死」という副題を見ると、自分の可愛がっていた長く連れ添った愛犬が死んで、その悲しみがこの風景を染めているのだろうか。手前の民家や周りの緑の色彩もすこし沈んだ調子であるが、なによりも海のもつわだかまり、水平線のあたりの空と海の調子の中に不思議な強い感情が風景に投影されたような世界があらわれているように感じられる。水平線の向こうのあたりに画面全体の構図のポイントがある。

10室

 池上わかな「静なる場所」。巨大な樹木の幹の上方に白いワンピースを着た少女が座っている。少女のフォルムも面白いが、樹木のアルカイックな力、そのフォルムの強さに注目した。

 大岩雄典「瓦解する日々へ」。キッチンが描かれている。向こうに窓があって、そのすりガラスから光が入ってきて、皿や壁やシンクの中などのものを浮かび上がらせる。独特の筆力が感じられる。ぐいぐいと描いていく。光に一種、画家のもつ精神的な力があらわれていると思う。地味な中に色彩の魅力があらわれる。

 錦織重治「蓼科山光彩」。三角のおむすびのようなもっこりとした山頂が上方に描かれている。山頂は雪をかぶっている。その後方に雲が静かに立ち上がる。あいだに樹木が密生している様子があらわれ、手前の川に向かってゆるやかな斜面があらわれ、紫の雑木のあいだに雪が白く輝いている。対象のもつ大きな存在を量として捉え、そこに樹木が脇役のように置かれている。空を映して広い川が流れている。空間のもつ骨格をよく捉えながら、広がりと奥行をつくりだし、雪を中心とした表現の中に光を捉えて、風景のもつときめきのようなものを表現する。

 藤田勢都子「白梅」。しっとりとした情趣が感じられる。着物姿の女性が座っているが、まるで和人形のような雰囲気である。そばに雪洞が置かれ、背後に琳派ふうな水の流れと月のある屛風が置かれている。白梅が咲いている。日本のもつ美的な洗練の世界を表現する。全体にしっとりとした月の光の中にあらわれてくるような情緒が醸しだされている。ユニークな表現だと思う。

 口澤弘「横利根閘門―花の季」。煉瓦でできた閘門のしっかりとした建築物。九十度奥に入ったところに鉄の門がつけられている。その構造物としての強さに対して、背後の柔らかな緑の地面に桜が満開の様子である。桜の花は透明感があって不思議な風情である。その柔らかなトーンの世界に対して煉瓦造りの構築物が対照される。もうひとつ手前に水が満々とたたえられて、ほんのすこしの風でさざなみが起きている。ほとんど動きのないようなこのコンポジションの中に、そのさざなみによって上方の桜も揺れるような思いに誘われる。遠景に山が見える。その手前の中景に赤い屋根の民家が一つ。一種の理想的な世界が画面の中に描かれている。そこには深い憧憬といった心象もあらわれる。

 木村のり子「枯れ葉のある一隅」。切られた枝。その白い枝に雷鳥のような鳥がとまっている。同じような様子が木箱の上につくられている。大きな枯れ葉がその木箱の上にも下方の地面の上にも置かれ、赤い万両のような実がなった枝が置かれている。そばに白いランプが一つ。木箱の横には木製の椅子があって、その背にジーンズの上着が置かれ、白いほうろう引きのポットがある。不思議な静物的表現であるが、背後に風景や人間の匂いがしぜんと感じられる。単なる静物にはない時間の流れ、空間のイメージの広がりが感じられる。そんなインスパイアする力が、この透明なランプに象徴される。

11室

 草野好夫「漁港」。断崖の下方に小さな横に並ぶ建物があり、その手前は岸壁である。そこに数艘の船が繫留されている。水が揺れている。その水の黒と白との強い明暗のコントラストに対して、白い船が斜光線を受けて輝いている。背後にずっしりとした存在感をもつ断崖、そしてそこに立つ樹木。光の扱いが面白く、それによって奥行や重量感が生まれる。

 武田佐吉「環住の甍」。ぐるぐると旋回する構図になっている。それは建物が湾曲しながら連続しているわけで、白い壁に屋根が茶褐色で、独特の動きがあらわれる。その広場に人々がぽつんぽつんといたり、銅像が立っていたり、犬と遊ぶ人もいる。中世の街を自家薬籠中のものとして画面に構成し、おとぎ話のようなイメージをつくる。そこにある物語性が鑑賞者に語りかけてくる。

 波多野雅子「潮音(有明)」。有明というと、有明海のことだろうか。開門する閉門するでずっと騒いでいるところだが、ここに描かれているのは古い木造のトタン屋根のようなものでつくられた建物と干潟や水である。網が干されている。網も褐色の網と白い網があって、重しがそのあいだにある。それだけの一隅の光景が色彩的にきわめて魅力的に表現されている。独特の色彩家だし、また、絵からあらわれてくるヒューマンな感情に引かれる。

 安増千枝子「一隅」。「日展アートガイド」によると、病気がちであったそうであるが、それがゆえによりこのテーブルの周りの空間に密度があらわれて、そこに霊的な鳥が引き寄せられた。濃密な浄化された空間があらわれる。

 鈴木義伸「朝宮」。樹木の根っこが地面から浮き上がっている。手前のほうにも細い根がいくつも現れ、そこに石や草が散乱している。それをモノトーンで表現する。そこにある圧倒的なものたちの存在が浮き上がってくる。フォルムによる力である。

 守長雄喜「かき打ち場」。縦長の構図で、上方に行くに従って後退していく。近景は白い船で、その向こうには身のはがされたカキが山積みになっている。後ろに階段があって、そのへこんだところでベルトコンベヤーに向かっている男。階段のところにはもう一人の男がいる。その後ろにも赤茶色の中にベルトコンベヤーが動き、もう一人の男がいる。その上方にグレーの壁の建物がある。それぞれのフォルムを画面の要素として使いながら、刻々と動いていく時間というものを描いているように感じられる。その時間のなかの作業をしている人間がまるで妖精のように感じられる。カキ打ち場という貝からカキの身を取り出す作業をしている小屋や人々を描きながら、いわば童話的と言ってよいような深い人間の心の奥底にある領域にまで想像力が伸びていくような、そんなコンポジションになっている。グレーに独特のトーンがある。同時にそこに赤茶色の暖色の色彩がすこし入れられているのも、この作品の内容を深くしている。

 竹留一夫「運河の街」。ヴェニスを描いたもので、いま手前にゴンドラが静かに進んでくる。背景のベネシャンレッドともいうべき赤い建物、あるいは黄色い建物の壁、そしてそれぞれにつけられた窓。お互いに響き合いながら朗々たるメロディが画面から流れてくる。

 井上武「都市の景」。高速道路が伸びていて、周りに建物が林立している。下方にも道がある。そして、高架になった歩道が縦横に渡っている。そこには巨大な抽象的な彫刻もある。上野の駅の高架を通って入谷のほうに行く部分だろうか。黒い太い線によってフォルムはつくられる。そのフォルムに独特の肥痩があり、動きのあるコンポジションが生まれている。フォルムが生きている。無機的な道や舗道あるいは建物がそのまま生き生きとした生命を獲得しているように感じられる。絵の魔術と言ってよい。あいだに点々と人を置き、信号の赤などがアクセントとして入れられている。空はグレーだが、黒い雲のようなものがあらわれていて、その中に緑や黄土が入っているのも面白い。夕暮れの曇った空の向こうに夜のきらびやかな世界があらわれているといった不思議なイメージである。通常の時間のもつ再現的要素を消却して、絵の中での新しい空間秩序をつくろうとする。そこからこのような不思議な、雲というよりむしろ空のもうひとつ向こうにある空間が引き寄せられたようなイメージがあらわれる。のびのびとした闊達なフォルムがお互いに呼応しながら、独特の交響楽的空間があらわれている。

 加藤久子「夏のアトリエ」。白い袖なしのシャツに黄色いスカート、運動靴をはいた若い女性が立っている。健康的なその肢体が画面の中によく表現されている。画面は壁も床もグレーで、女性の肌も青みがかったグレーであるが、そのしっとりとした調子の中から、健康な生命的な力があらわれてくる。一種の触覚的な表現になっているところが面白い。

12室

 筒井博「魚市場」。ノルウェーのあたりの魚市場のようなイメージを勝手に筆者はもつ。木箱の上にゆでられたカニが赤くいくつも置かれ、そばにタラのような魚やサザエのようなものが見える。こちらを向いている老齢の女性がほほえんでいて、そばに背中を見せる一人の女性がいる。温かく触覚的な表現である。同じモチーフを画家は長く描いてきた。だんだんとそこに色彩があらわれ、不思議な生命感があらわれてきたと思う。

 長井功「待春厩舎への道(プロミネンス)」。三十メートルから四十メートルもあるような樹木が立って、その中に道があり、道は車の轍の跡で独特の触覚的な要素をつくる。両側は雪が積もっている。空はすこしピンク色で、夕暮れのように感じられる。海外の光景と思われるが、日本の風景を思わせるようなしっとりとした情緒が感じられる。黒の中に複雑なニュアンスがあり、背後に水墨の世界があるように感じられるところが面白い。

13室

 平林邦雄「街角」。グレーに独特のセンスがある。それは建物の壁で、上に瓦屋根が置かれている。老婆が一人、ドアのほうに歩いていく。ヨーロッパの南方のある街のある情景を強い詩情のなかに表現する。

 長田敬之「土蔵」。剝落した土壁。そこに窓があり、一つは格子で閉じられているが、障子の入り口があり、その障子が破れている。黒々としたその破れている部分の黒い調子と障子の白く光っている部分、あるいはしっくりとした土の壁のマチエール。一隅に発見した面白さである。時間というものがそのまま姿をあらわしてきたような、そんな面白さも感じられる。

 小林理恵「横浜夕景20・観覧車」。大観覧車をその真下のほうから眺めると、このようなフォルムがあらわれるだろう。そのような強い遠近感の中に大観覧車のカーヴする形と直線がつくられ、光の中に輝いている。その周りを取り囲むようにジェットコースターのようなフォルムがあらわれている。二つの花火が空に上がり、背景は黒。いわば抽象美ともいうべきものを画家の美的なフィルターを通して表現している。フォルムが光として黒い闇の中にあらわれる。直線も曲線も花火もそうである。独特の感性だと思う。

 住吉由佳子「樹間」。大きな幹と幹のあいだに霧が流れているようだ。その微妙な陰影がロマンティックな雰囲気を醸し出す。そこに光が当たっているのがまるで月光のような雰囲気である。光と霧によって雑駁なものが消えて、一つのイメージの世界が立ち上がってくる。青い濃い色彩によって彩られたこの杉のような大木、あるいはシルエットにつくられた葉。それぞれの樹木や植物が水墨の淡墨から濃墨にわたるような繊細なニュアンスの中に表現される。そこに青としての色彩が立ち上がり、柔らかなシルエットの緑がかったグレーと対比される。ちらつくようにそこに光があらわれる。

 惠比澤司朗「中欧の冬 Ⅲ」。巨大な樹木が枝を広げている。葉が落ちて裸木である。地面には雪が積もっている。建物もそうである。水が静かにさざなみを立てている。グレーのもつ独特のニュアンスのなかに、この中欧の風景を表現する。背景の空のグレーのたらしこみのような表現も面白い。それ以上に樹木のフォルムを追う画家の視線が面白く、樹木の形が一種生き物のような独特のイメージを醸しだす。

 大島優子「朝の思い」。グレーに複雑なニュアンスがある。青みがかったグレー、緑がかったグレー、黄土色がかったグレー。近景に手押し車に両手を置いた白髪の女性の斜めから見た後姿が描かれている。そばに数本の木が立ち、その向こうの広場にも樹木が立って、グレーの壁をもつ建物が横に続いている。老婆のいるその周りが矩形によって区切られて、そこにもう一つの風景、建物などがあるように描かれている。その周りの空間とその外側の建物や樹木とは別の世界にあって、それを画面の中につなげているようだ。右上方にある結界の端にある一つの樹木が外側の世界をつなぐようだ。空に白い光があらわれている。雲というより光のように感じられる。風景を咀嚼し、心の中に入れこんで、もう一度空間をつくってくるところから来る面白さと言ってよい。じっと画面を見ていると、渋い調子のなかに不思議な華やぎが感じられる。

 武藤初雄「湾岸にて(泉大津)」。重機のようなものが倒れているのだろうか。そして、それがオレンジ色に錆びている。錆びるまでにどれほどの歳月がかかったのだろうか。錆びている様子、そのマチエール。そこに接近しながら、画家はそれを不思議なものとして捉えている。湾曲した錆びたものが一部二つに分かれつつある。背後には浜の風景がある。それはほんのすこしのぞく。その錆びている様子の湾曲するフォルムの中にはあやしい文様があらわれて、光り輝くような様子やくすんだ様子などが表現されている。時間というものがつくりだす不思議なトーンの中に画家は引き込まれている。それがそのまま鑑賞者に伝わってくる。手前の柱のようなフォルムの上にロープが掛けられ、鉄のワイヤーが左向こうに続いている。いずれにしてもシャベルカーのシャベルのような湾曲したフォルムのもつ不思議な味わいが実に面白い。杉山寧がある時代に抽象に入って言ったが、そんなときのイメージに共通するような面白さが感じられる。

 柴田祐作「待春」。画家は木の上に地塗りをして水彩を描く。それによって強い画家の筆力を支持体が受け止める。葦のような植物が強い筆力で描かれ、あいだに黄色いフォルムや黒いフォルムがあらわれて、独特の情感をつくりだす。不思議な空のグレーに対して黄金色に輝くような水面がその背後にあって、独特のイメージがあらわれる。その水の様子には一種浄土を思わせるような性質が感じられる。

14室

 吉田勝美「大道芸人」。水彩作品。ピエロの衣装を着た女性が座っている。右手にカードを持っている。背景にメリーゴーラウンドのイメージがあらわれる。線描きによって馬が描かれ、明かりが差す。その下にジョーカーのような鷲鼻の男の顔が浮かび上がる。運命とかそういったものの象徴としてのジョーカーのような人物。それに対してロマンティックな雰囲気の若い女性。メリーゴーラウンドの回っていくリズム自体も一種運命のメタファーと言ってよい。それを円筒形の具体的なメリーゴーラウンドで表現するように見えるが、下方は紙のように描かれている。画家は自分の描くイメージを紙の上に自分自身で確認している趣も感じられる。それほど画家のイメージは強い。女性の衣装の胸の赤い色彩がこの画面全体を活性化させて、メリーゴーラウンドの黄金の光と静かに対照される。

 坂田快三「冬の田」。刈られた株が独特のトーンをつくる中に水があって、空を映している。その向こうに民家がいくつか見え、その向こうに小高い山があり、空がある。日本の典型的な田圃のある風景を深い情緒の中に表現する。水も雨が降ったあとの水のようで、その素朴な自然体の中に不思議な韻律があらわれる。

 岡山豊樹「路傍の石」。横断歩道が左に見え、手前に白線が伸びている。かなり大きな道路が画面全体に描かれ、その向こうの建物や電信柱の影が斜光線の中に長く手前まで伸びている。ノスタルジックな雰囲気がしぜんと醸し出される。白線がかなり消えかかっていて、その中に白い小石が一つのぞく。パースペクティヴを面白く使いながら、遠くのものに向かう憧れのような心象を強く感じさせる。遠景に山のようなものや建物のようなもののシルエットがぼんやりと描かれているのも面白い。

 大上敏男「メトロ」。老いた男がヴァイオリンを抱えている。まるで塑像のような存在感がある。黒々とした上衣の上に男の横顔が浮かび上がる。暗い中に赤くヴァイオリンが輝く。まるで男のシルエットのようにその背中合わせに若い男の姿があらわれる。孤独な芸術家の像である。二人の背中合わせの人間を一つの小さな山のようなボリューム感の中に表現する。人間の運命といったものもしぜんと感じさせる。

 宇賀治徹男「堤外地(雪解け)」。雪解けの水のあいだに雑草が生えている。溶けてない雪が斑に浮かんでいる。中景には黄土色の丈の高い葦のようなものが生えていて、その向こうに雑木が見える。ぬるんだ水のもつ不定形の形と溶けかかった雪のかたちが面白くハーモナイズする。そのあいだから赤茶色の植物が伸びている。茫漠たるこの空間はしかしまた自然のある断面で、生きている地面といった趣である。その混沌とした雰囲気を実に面白く表現する。

15室

 黒木ゆり「透明な時間」。打ちっぱなしのコンクリートのような手触りのあるグレーの壁の前に木製の箱があり、その上にクリスタルガラスのグラス、三つの質感の異なる瓶、もう一つの金属によってつくられた瓶が置かれている。四つのガラス器と一つの金属。木製の台座の木の質感、コンクリートの壁。それぞれの質感を描き分けながら一つの世界をつくる。それほど画家は触覚的な世界にこだわっている。それによって求心的な世界があらわれる。剝落した壁の様子も面白く、そこにあらわれてくる過去の時間に対して、いま目の前にある時間とが対照されているように感じられるところも面白い。

 池岡信「里華の人形」。画家が繰り返し描く里華の人形に筆者もなじみになった。白い上衣に白いパンツをはいた里華の人形は年齢不詳で遠くを眺めている。そばに熊のぬいぐるみがある。今回は背後の壁に赤い布がつけられていて、色彩のコントラストが面白い。そして、彼女の座る台は簞笥のようになっていて、そこに映画の一部のようなシーンや花々が彩られている。里華の見てきた様々な物語がそこに閉じ込められているようだ。

 小川尊一「潮騒」。石を積んだ堤防の上に手をついて海を眺める女性。向かって左の女性は身を乗り出している。真ん中の女性は横のほうを眺めている。二人とも後ろ姿だが、向かって右の女性は正面を向いて、顔をひねっている。その三人のフォルムの変化が面白い。とくに向かって右の女性は右足を上にあげている。白いセーターに動物の絵柄が赤く光って初々しい。海のもつフォルム。波の形。二羽の鷗。斜光線が差し込んでいる。希望のようなイメージが強くあらわれる。いずれにしても一種彫刻を思わせるようなクリアな三人のフォルムの変化を画面の中に置きながら、希望といったイメージを海の潮騒を通して表現しているところがこの作品のよさである。フォルムに対する鋭敏な感覚があってこその仕事である。

 星川登美子「ゲラゲッツァ2013」。ゲラゲッツァとはメキシコのある踊りの名前である。メキシコふうな明るいイメージが、赤からよく感じられる。大胆なフォルム。四人の女性が踊りながら手前に歩いてくるようなフォルムの上に、赤と白と黒によって独特の力強い形があらわれる。一種の音楽性を造形化したようなところもある。生き生きとしたバランスの中にリズムが生まれる。

 佐藤祐治「海風の村」。海に突き出た岬。その上にたくさんの瓦屋根の民家がある。いちばん果てには灯台を思わせるような円柱の石でつくられたフォルムが見える。それぞれのフォルムがクリアである。画家が一つひとつ画面の中でつくりだした形のような鮮明さがこの作品の魅力である。そこにあらわれてくるリズムが独特。

 伊藤尚尋「草の音」。雑草の中に巨大な岩があり、その岩に腰掛けている少女が目をつぶって考えこんでいる。空が夕日に染まっている。そんな状況をきわめてクリアに描く。写真と見間違うような細密な表現に注目。

 井上美知子「Shadow」。建設現場が描かれている。光が差し込み、陰影ができる。幾何学的なパイプのようなものがいくつも上方に立ち上がり、梯子の下にもうひとつ下の世界がのぞく。不思議なバランスの中にスリリングな気配が感じられる。

 下時治郎秀臣「水郷秋気」。秋になってもまだ緑がむんむんとするような夏の面影のある樹木や草のあいだを水が蛇行している。夕焼けが空を染めて、それを手前の水が映している。緑とブルーと朱色とが独特のハーモニーをつくり、不思議な華やぎの中にノスタルジックな雰囲気をつくる。これまでの作品から一歩前進したように思う。この朱色はヨーロッパの赤ではなく日本人のもつ赤のように感じられて懐かしい。

 阿部香「凪」。横笛を吹く女性。そばに白い貝や珊瑚などがいくつもあり、壺には貝がくっついている。後ろには巨大なアンモナイトのようなフォルムが見える。イメージの世界であり、詩の世界と言ってよい。画家は白を偏愛する。そのイノセントな力を画面に引き寄せながら、そこにメロディをつくる。はるかな古代の海の世界。「私の耳は貝のから 海の響をなつかしむ」というフランスの象徴派の詩人のフレーズを思い起こす。

 倉林愛二郎「刻 2013」。革張りの肘掛け椅子。茶褐色の椅子が二つ。あいだにテーブルがあって、グレーの椅子の背が見える。テーブルには二つのコーヒーカップ。上方に大きな窓があって、レースのカーテンが翻っている。このぽっかりと空いたような部屋の中の空間自体が作品のテーマとなっている。不在のぽっかりと空いた空間と外側に風が吹いている戸外の空間とが対照される。空間とは何かといった謎を鑑賞者に問いかけてくるようだ。

16室

 上野豊「貝焼場」。柔らかな光が画面に満ちている。船が三艘ほど繫留されている。低い石垣の向こうにトタン屋根の建物が見える。そばにすこし高い石垣がある。貝焼場だそうである。白がイノセントに使われている。グレー以外は黄土系で、地面や空が黄色く描かれている。月の光でも差し込んでいるような華やぎが感じられる。

 大附晋「ノルマンディーの港町」。近景にすこし紫色を帯びたグレーの岩壁があり、その向こうに三艘の船が繫留されている。その道に対してほぼ直角に広場があり、建物が見える。その向こうに対岸の風景があらわれる。六階建てぐらいの建物が並んでいて、一階はカフェになっているようだ。人々の姿が点綴され、テーブルや椅子が見える。中間の広場にも人がいる。不思議な光線が差し込んでいる。昼とも夕方ともいえない淡い光の中にそれぞれのものが揺れているようだ。とくに船にはそのような雰囲気がある。一本のマストが真ん中の船から上方に伸びているのが、実にイノセントな雰囲気をつくる。緑、青、黄色、紫などの色彩がちりばめられている。それぞれの色彩がまるで宝石のように扱われている。不思議なバランスの中にこの画面はつくられている。対岸の二艘の船もそうで、白く輝いているが、あまり細密描写に入ることを避けている。それぞれのコンポジションの中にそれぞれのものを置きながら、そのフォルムと色彩を秤にかけながら静かに置くといったあんばいで、その繊細なトーン、バランスが魅力である。

 小間政男「紅葉本宿付近」。秋の光景で、山が赤く彩られて、上方の黄色い雲と呼応しながら懐かしさを呼ぶ。影は暗く、赤やオレンジ色が懐かしい明るさの中に表現されている。「日展アートガイド」によると、姫街道と呼ばれる道のあたりの風景で、「この付近から急に山が近くなり、内山峠をこえて長野の佐久へ通じています」ということだ。

17室

 青栁敏夫「夏の風」。カラスが一羽、地面にとまって遠くを眺めている。そこには青い丘の上に白い建物が見える。そばに朝顔が咲いている。白い色彩の幹をもつ樹木や可憐な野の花もそばに咲いている。手前の緑がかったグレーの地面とその向こうの青い風景。二つの世界を画面の中にリンクしたように感じられる。カラスは夢のような希望をもっていて、そのカラスの見えるものがこの青い丘の上の白い建物のようだ。画家自身カラスになって、自分自身のイメージを画面の中に繰り広げる。

 平野克己「崖の街」。石によってつくられた中世の街のようだ。風景の骨格を建物を通じて面白く表現し、独特の韻律をつくる。近景の石でできた道の向こうのアーチ状にあけられた建物のフォルムなど、どこか童話的なイメージを引き寄せる。

 楠崇子「'13女・風馨」。観葉植物が立ち上がり、そばに女性が立っている。髪の毛がざわざわと揺れている。腰に巻かれたスカーフも揺れているし、そばの緑の植物も揺れている。この室内に吹く風はいわば詩情と言ってよい。女性の顔の白い、目を見開いた表情も不思議な魅力をなす。

18室

 安藤嘉一「でこぼこ道」。土手に向かってデコボコの道が続いている。舗装されていない地面のままの独特の触感が面白い。廃屋のようなものが土手に傾いて立っている。雑草が揺れ、細い手摺りがそれに呼応する。独特の韻律が画面から感じられる。

19室

 三橋文彦「旅への思い」。丸いテーブルの前に座っている少女。日記のようなものを開いている。そばに手紙やインク壺や本などが置かれている。柔らかな光がこの少女の上半身に差し込んでいる。そこに希望といったイメージもあらわれる。

 松岡冨士則「雪の川べり」。川に接して低い地面が続いている。雪をかぶって白く輝いている。その白い面と水の浅い面とが独特のハーモニーをつくる。背後は調子の落とした山の斜面であり、かなりダークな感じだが、雪が降ったばかりのような輝くような白と流れていく水とが不思議な調和を見せる。

 中野雅友「ユーカラ」。大木の前にアイヌの老婦人が立っている。アイヌ独特の文様のあるコートのようなものを羽織っている。内側からじわじわと力が湧き上がってくるような、そんな独特のムーヴマンを感じる。バックのすこしトーンの落とされた大木がそんなイメージを背後から支えている。

 早渕輝視「室内風景」。女性がソファの上に足を投げ出して座っている。すこし立てた膝に手を当てて、鑑賞者のほうを眺めている。色彩家である。ドレスの赤と背景のオレンジ、緑などのハーモニーが豪華である。画面を垂直、水平に分割した安定したコンポジションもよい。

20室

 栁下義一「少女詩歌」。セーターのマチエールを丹念に追っていって面白い。それに対してこの少女の柔らかな白い肌が対照される。あいだに白い下着がのぞく。黒いパンツをはいて赤いストッキング。そのように対象にごく接近しながら触覚的に表現しているところが面白く感じられる。

 河内八重子「ハニワの棚―鷹匠―」。棚の中に大きな埴輪が立っている。肩に鳥がとまっている。鷹匠の埴輪である。そのそばには青みがかった色彩で家の埴輪がある。上に銅鐸のようなものが吊るされている。右の棚にも埴輪の壺や埴輪の一部などが置かれている。マチエールが独特で、温かな雰囲気である。画家は日本人のもつ素朴な心象を埴輪に見ている。埴輪をまるで育むようにして画家はそのイメージを広げていく。古代に対する深い思いと、実際に目の前にある埴輪のもつ触感とが重なりながら独特の空間をつくる。

 新井隆「四月の窓」。丸いテーブルにヴァイオリンや花の入れられた籠。皿には果物が置かれている。そのまま透明なガラス窓を通して戸外の風景につながる。緑の野菜のようなものの生えている畑の向こうに瓦屋根が光っている。澄んだ空に白い雲が浮かぶ。近景には椅子に赤い布が敷かれ、白い壺が置かれて、ピンクの花が差されている。室内と室外とが連結されながら、透明な光の中にそれぞれのフォルムが浮かび上がってくる。不思議な広がりが画面にあらわれる。光線というものが印象派とは違った意味で意識され、それによってあらわれてくる色彩が瑞々しい。

 渡部かよこ「おだやかな街」。ずいぶん高いところからこの街並みを俯瞰している。瓦屋根の建物がずっと続いて、あいだに広場や道が見える。右から柔らかな光が当たって壁を染めている。屋根の色も赤や黄土色やすこし茶褐色や紫色を帯びた色彩など、豊かである。「パリの屋根の下」といったシャンソンが昔歌われたが、それぞれの建物の中にそれぞれの人が住んでいるといった人間的なニュアンスが感じられる。また、その色彩の微妙な変化がこの作品のもう一つの魅力をつくる。それぞれの色彩が静かにハーモナイズする。そして、一つひとつの建物のフォルムがしっかりと表現され、お互いが連結しながらメロディのようなコンポジションが生まれる。

 所征男「陽春」。肘掛け椅子にゆったりと座る女性。足を組んでいる。青い上着に緑の文様のある黒いスカート。後ろには緑と赤の大きなストライプのショールが掛けられている。ゆったりとした雰囲気で遠くを眺める女性の顔。豊かでふくよかな雰囲気が生まれる。

 菅井隆吉「兆し」。裸木が並んでいる。林檎の木のようだ。「兆し」という題名だから、そろそろ芽吹く頃なのだろう。地面の向こうに若緑色の色彩が置かれている。野菜のようなもの、あるいは花のようなものがそこに芽生えて萌えているようだ。遠景はくすんだ褐色調である。全体に青を主体とした中に独特のしーんとした気配が生まれる。裸木の枝に不思議な動きがある。それぞれの触手を見ると、木が生きていることがわかる。

 林田博子「AFTER-NOON」。白いテーブルの上に白い花の差された花瓶。手前には洋筆の入れられた壺やいろいろなガラス器が置かれている。そばにスケッチと思われる風景が一枚。背後の赤みをおびた簞笥の上にも化粧道具のようなものが置かれ、上に楕円の鏡がある。テラスの向こうにシルエットの街が広がる。高台まで続いている街をシルエットとして影絵のように表現する。独特の色彩家だと思う。ベネシャンレッド系の赤とグレーと緑が静かに響き合う。シャープに筆が走っていく。そこに動きが生まれる。室内風景であるが、独特の詩情が感じられる。

 武田直美「静かな庭」。長い捕虫網を持った少女が公園の中を歩いている。道がカーヴしている。左上方にトンボが飛んでいる。ファンタジックなイメージが表れる。背後には緑の葉を茂らせた樹木が並んでいる。現実というより虫を追う少女というイメージが様々な道具立てを引き寄せたような雰囲気で、それは現実の時間と画家の回想の時間とが重なるところから生まれる。

 野村京子「遠き想い」。緑の床に白い人形、赤いドライフラワー、黒い猫、アール・ヌーヴォーふうな意匠のある扉と木箱と一つのグラス。しーんとした雰囲気のなかにそれぞれが関係なくぽつぽつと置かれている。そこに起きる間合いに独特の情感が流れる。

 浅見嘉正「武甲山残雪」。遠景に武甲山がどっしりとした山容を見せる。そこまでのあいだはほとんど平地で、雪が積もっている。近景はそのあいだに黒土の見える道が、すこし雪が溶けたぬかるんだ雰囲気で描かれている。中景にキューブな建物がいくつか見える。対象に触って確かめるようなリアリティとグレーのもつ微妙なニュアンスとが面白い画調をつくる。惻々として胸に迫ってくるものがある。客観的なものを描きながら深い感情世界が表現されていると思う。

21室

 小野大輔「アリアス胸像のある静物」。白い石膏のアリアス胸像のそばに二頭の馬によって支えられた碗がある。そばに貝殻のようなものもある。ぐいぐいと描いている。描きこむ力によってムーヴマンが生まれる。そこに光が差し込む。

 高田啓介「北の踏切」。雪が積もっている。単線と思われる線路の踏切である。信号はいま赤。上方に黒と黄色のバッテンのフォルムが見える。空はやや緑がかった暗い空で、遠景に一階建ての建物が見える。静まり返っている。独特の寂寞感と同時に重量感が感じられる。存在するものが無言で静かに語りかけてくる。メランコリックな雰囲気が漂う。

 黒鳥正己「夜明けの詩」。北海道の風景のようだ。大きな長い建物といくつかのサイロが描かれている。そばを道が湾曲して伸び、雑木が見える。遠景には大きな山があり、その斜面にまだら雪が残っている。しーんとした気配のなかに対象のもつ広さや大きさをしっかりと描く。草一本までも見逃さないような集中力でもって風景を描いているところが面白い。

 山下英夫「とっちゃ」。短パン姿で裸の男が右にコップ酒を、左に箸を持っている。そばに一升瓶が一本。バンダナを巻いた男である。独特の存在感を感じさせる。背景は暗くして、浮かび上がるこの中年の人間のもつ静かな呼吸をするような動きのようなものが感じられるところが面白い。

 横田律子「皇帝ダリアと山帰来」。亀甲状の文様の見えるふっくらとした花瓶にたくさんの花が差されている。皇帝ダリアや山帰来。大きなヤツデのような葉。その花が上に上に伸びていって、花瓶が倒れかねない雰囲気である。その伸びていく上方にピンクの花があり、窓の向こうに見える青とピンクのあわあわとした空間につながっていく。窓の向こうに夢のような世界が広がっているような雰囲気である。それを静物がつないで、室内のここに描かれていない人間のイメージと結ぶようだ。手前のテーブルに聖書を思わせるような厚い本が開かれているのも面白く、暗示的である。

 石山実「雪の参詣古道」。太い杉が立ち並ぶ中に道が続いている。かなり雪が積もって、そこに人の足跡も見える。雪の白が初々しく清潔である。また、立つ樹木の力もよく描かれていて、全体に強い韻律の生まれているところがよい。

 石川浩「裸婦―Sitting Pose II」。背中合わせの二人の裸婦。一人は俯いて、一人は手で顔を覆っている。やや紫がかった灰白色の空間に、この二人の裸婦が不思議な気配を示す。全身像であるが、ディテールまでよく表現されている。

 尾﨑史典「グレーの記録」。カメラを持った青年の上半身が描かれている。クリアなフォルムが魅力である。また、青のヴァリエーションも魅力。

 渡辺正巳「工場の一隅」。工場の壁に複雑な配電盤の様子が面白く描かれている。複雑なコードをつなぐ。十を超えるそれらはそれぞれの役目をしているのだろう。複雑な社会の人間関係さえも連想させる。手前に古い秤があり、その上に褐色の円筒状のものが置かれているのが不思議な気配である。それを測るための錘はまだ置かれていない。モチーフに独特のイメージの広がりがある。

22室

 黒政幸義「土」。畑の耕された土が画面の約九割以上を占めている。その向こうには土手のようなものがあり、遠景に山が霞んでいる。その湿気を帯びた土を画面の中で耕すように画家は表現する。そこに独特のリアリティが生まれる。土の匂いが香るようだ。

 池田茂「Today」。黒い焦茶色のワンピースを着た女性が階段のそばに立っている。印象が強く、見開いた目や赤い唇など肖像画としての魅力をつくる。また、手摺りに置いた手の表情などもディテールとしてよく生きている。

23室

 宮本佳子「北窓」。金属の脚に板が置かれた素朴なテーブルの上に大きなガラスの瓶や褐色の瓶、あるいは透明な瓶、あるいは緑のワインボトルなどが置かれて、そのあいだに金属のコンロが置かれている。万両のような植物も置かれている。画家はこの対象に接近しながら描いている。周りの空間は壁であると同時に空気感も感じられるし、光もあるし、風のようなものがそこを動いていくように思われる。それぞれのものが静かに語りかけてくる。

 長谷川満智子「風の記憶」。フローリングの床に白いエプロン姿の女性が座っている。窓ガラスがあけられて、戸外から風が吹いてき、カーテンを揺らしている。腕を組む女性の全身に風が当たり、柔らかな光が差している。日常のなかの時空間が聖なるもののように表現されている。その静かな光や女性の柔らかな姿かたちが独特の魅力をつくる。

 入江康子「街角」。ショーウインドーの前に立つ少女。青い服を着てジーパン姿。手を後ろに回して遠くを眺めている。ショーウインドーの向こうにはマネキンに黒いワンピースのようなものが着せられていて、その手前のガラスにこちらの横断歩道やそこを走る車やマンションなどが見える。空に淡い青い色彩が入れられている。都会の動きの中に少女が佇んで未来を眺めている。そんな姿を画家は優しく表現する。少女の着る青い上衣と淡い空の青とが静かに呼応する。

 井藤雅博「遥」。褐色の道が地平線まで続いている。道の両側もすこししっとりとした褐色の地面になっている。空はグレーで地平線のあたりの空がすこし明るい。パースペクティヴを強調した不思議な空間で、一種シュールな味わいも感じられる。

 吉田定「昔日 '13」。近景に一羽の鶏が何かをついばんでいるようだ。後ろは板塀で、板塀の文様がまるで時間を象徴するように感じられる。はがれかかったポスターのようなもの。あいだに車輪があり、清酒と読める。そばにある縄もあやしい。時間が過去に向かっているようで、そこにある渾沌とした雰囲気のなかに一羽の鳥が動いている。時間というものの謎に鑑賞者は引き寄せられる。

24室

 本村浩章「昇陽」。大胆なタッチで朝日を描いている。日はもうすこし昇っているが、画面全体をジョンブリヤン系の色彩に染めている。下方の川が空を映して輝く。黒くうずくまるような逆光の樹木や建物。色彩のもつトーンの力が魅力。

 鈴木英子「はじまりの日」。独特の才能である。画家のつくりだした世界が実に魅力的である。構図も面白い。まず、画面の上部に横になって目をつぶった駱駝が描かれている。その駱駝の前にブランコをする裸の女性がいる。駱駝の後ろのほうには猿の子供がしがみついていて、後ろからキリンが顔をのぞかせている。駱駝によって守られているような女性のイメージが鮮やかで、女性だけは明るいすこしピンクを帯びたグレーで妖精のような美しさを見せる。そばに緑の蛇がくねくねと頭を女性に近づけてきている。下方には大きなライオンが、そのたてがみを伸ばしながら何か語っている。カメレオンが大きな葉の上にいて、不思議なヒトデのような花が大きくその花弁を開いている。右のほうにはカエルが食虫花のような中に頭を突っ込んでいる。みなこの女性の仲間たちである。とすると、この女性は画家自身ということにもなるが、それは画家の心の中にいるもう一人の女性のように思われる。その女性を画面の中に解放し、イメージを豊かに繰り広げていく。そして、そこにこのような不思議な動物や植物があらわれた。それぞれのフォルムはお互いに深い無意識の世界の中で関連をもちながら、画面の中でも独特の統一感の中に表現されている。そこに画家のイメージを造形する力が生き生きとあらわれる。

 茶谷雄司「Nostalgie」。褐色のソファに少女が横になっている。肘掛けに腕をのせ、その上に頭をのせて、自然体で足が伸びている。そういったフォルムをクリアに描いている。そのフォルムの魅力がこの作品の面白さである。

 荒木幸子「古きを訪ねて」。古いレストランのようだ。オープンという札が掛けられて、扉があいている。その中に白いバッグを持った女性の後ろ姿。外側の壁やベンチに光が差している。古いレストランであると同時に、古い駅に連結された店のようにも感じられる。静かに光が差し込んでいるが、その光はまた画家の眼差しと重なるように思う。そして、その目となった光は壁の一つひとつ、古い扉や窓、ベンチ、石畳などに触るようにこの対象に浸透していく。その浸透していく力がこの作品の独特の時間性をつくる。

25室

 飯田祐子「宵」。裸の女性の腿から上が描かれている。後ろに大きな湾曲する角をもったカモシカが座っている。角の先には黒い月のようなフォルムがあらわれている。カモシカは金色に見えるし、月は箔を焼いた色彩のようだ。グレーのバックは銀泥のような趣である。ロマンティックな雰囲気である。そこにはノスタルジックであると同時にナルシシズムもあらわれてくる。それは自分自身に対するものではなく、女性全般に対するナルシシズムと言うべきもの。そして、女性と深い関係をもつ月が引き寄せられ、神秘的なカモシカがあらわれる。

 加藤寛美「海との対話」。室内にはいくつも浮きが置かれている。小さな浮き、大きな浮き。そして釣り竿が二本、画面の上方に向かっている。横になった釣り竿もある。カンテラや貝や浮き輪や棚。窓の向こうに海が見える。岬に灯台のようなものが赤く立っていて、黒い緑の水が手前に寄せてきている。通常の世界が一気圧であれば、二気圧か三気圧ぐらいの空気の重みを感じる不思議な画面である。そんな中でより感覚がクリアになる。剝製の白い鳥が窓際に置かれているが、その鳥が不思議な風景の動きを感知しながら、かすかに震えるような趣である。自然のもつ変化がそのままこの室内に浸透してきているようだ。そういった繊細で鋭敏な空間のもつ力がこの作品の魅力だろう。浮きも釣り竿もそんな空間の動きを感知する計器のようにさえも感じられる。

 渡辺せつ子「白い月」。樹木が大小何本もゆらゆらと立ち上がっていく。その中に二十七日ぐらいの月が出ている。山の手前には湖があり、その手前の草原に若い女性が裸で立っている。小さな可憐な白い花を右手に持っている。この女性は衣装を脱いだのではなく、本来裸で、背後の自然と深い関係をもつ存在のように描かれているところが魅力である。そばに同伴者として太った猫が一匹いて、後方を眺めている。そこには大きな白い蝶が飛んでいる。蝶はもう一羽、湖の上にも飛んでいる様子が小さく描かれている。独特のロマンの世界が表現される。緑がその世界を表すのに十分な色彩効果を上げている。曲線によってつくられた女性のフォルムも樹木も猫も月もすべてが生きている。

26室

 黒沢信男「展望(湯沢高原にて)」。画家は鳥の目になってこの高原を眺めているような趣である。つぶさにクリアにこの盆地の光景を眺めている。川が走り、道が走り、集落があり、ビルがある。周りに山脈がうねうねと伸びていて、この盆地を取り巻いている。そのうねうねとした曲線によってできる山脈のフォルムもなにかあやしい。近景の雪が白く輝いている。相当高いところからこのパノラマ光景を眺めている。眺めながら、あっという間に対象に接近し、また離れながらこの画面が描かれたのだろう。ぼんやりと高いところからこの光景を眺めても、決してこの風景の力は生まれない。よほどつぶさにこの山脈も盆地も知っている画家だからこそ描ける作品だと言える。ほとんど目をつぶっても描けるような光景。縦横に線が走り、トーンがつくられ、曲線があらわれ、光がそこに差し込み、山脈や平地や家になる。深い沈黙した青い空。風景のもつ造型的な力を画面の中に自由に引き寄せて、画家はいわば演奏するように一つの画面を描く。

 橋本一貫「時」。神殿の礎石と上部が壊れた柱が二つ、近景にある。雑草が生えて、遠景に七つほどの柱の一部の残った神殿跡が見える。石の中の陰翳ともいうべきものがよく表現されている。以前のシャープな灰白色を中心とした画面から、より日本的な情緒というのか、陰翳礼讃的なイメージがより強くなってきたように感じられる。背後の黄土色の道や雑草とグレーの空が渋い金色に感じられる。独特のリズムがあり茫漠たる空間が語りかけてくる。かつての栄光の跡が歴史を考えさせる。

 粷谷直美「不思議な森の一日」。莵の耳をバンダナにつけた少女が座っている。周りに背広の上着を着た莵が三匹、後ろ姿を見せながら遠景に歩いていく。反対側には跳ねる莵や鵞鳥がいる。トランプのカードが散乱し、カエルが上方を向いて何かを狙っている。ピンクの小さな花が咲いている。不思議な心理学的遠近法の中にこれらのものが配置されている。それによって画面が活性化し、謎めいた独特の面白い動きがあらわれる。淡々と描きながら、もう一つの世界に鑑賞者を導く。

 岩本佳子「草の行方」。笹が画面いっぱいに描かれている。笹の様々な葉の形を丁寧に追う。上方には光が差し込んで、下方は暗いトーンのなかに描かれる。そして、それぞれのフォルムが画家の視覚のなかで統一されて、独特の華やぎと緊張感を見せる。

 沖津信也「浄光(羽黒山五重塔)」。視点はずいぶん低い。五重塔をみあげている。五層の屋根のカーヴに独特の韻律があらわれている。近景の植物の細密な表現がクリアな五重塔やまわりに高々と伸びる杉とひびきあう。

第45回日展〈彫刻〉

(11月1日〜12月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 二塚佳永子「夢見草」。石膏に着彩である。若い女性の初々しいイメージをよく表現している。ごく自然体で立った像であるが、右足がすこし左足より前に出ているといった微妙なバランスが、この若い女性の繊細な表情を彫刻的に伝える。

 野畠耕之介「秋立つ」。着衣の女性像である。手を上方に伸ばした様子で、右手の手のひらに左手の指を置いたポーズであるが、力強い。内側から張り出してくる力が健康で生き生きとした雰囲気を伝える。同時に何かもの思うようなイメージがそこにあらわれているところも面白い。

 吉居寛子「鎮魂への思い」。右足を前に出して、体をすこし右にひねっている。顔は逆に左にすこしひねって傾けて、すこし俯いた表情。左手と右手も印を結ぶような雰囲気で指を曲げている。静かな中に緊張感が漂う。その緊張感は祈りのような感情の力と思われる。そういった思いを裸婦の体全身の中に表現する。

 伊庭靖二「月夜に想う Ⅱ」。両足を広げた裸婦。右手をすこし体から離し屈曲させて、掌を上に向けている。左手は肱を曲げて甲を内側に向け、顔を左にひねった様子。足は指の先を内側に回したような雰囲気で、微妙なバランスがつくられている。静かに立っているというより、このようなポーズですこし体が揺れているような微妙な動きがあらわれているところが面白い。

 山本眞輔「いのち巡る」。「大地のぬくもりは自然の試練に遭遇してもなお巡る命を確実に芽生えさせ、次なる豊饒の兆しをみせる。大地をテーマに、自然の大きな循環の営みを心象風景として表現してみたい」(日展アートガイド)。長い髪を靡かせながら女性が立っている。その裾が風に翻って、後方に向かっている。それが力強く感じられる。風という自然のいわば息がこの女性を包み込むように吹いている。まさにそれが大地というものの温もりであり、息であり、生命であるといったことを、女性は体全体に受け止めているようだ。そして、右手は掌を上に、左手は掌をすこし下に向けたその指の微妙なフォルムがまた生き生きとした感情を想起させる。この女性は単なる女性というよりいわば神的なイメージで、人々に命を与え復活させ循環させるそういった女神のようなイメージなのだろう。二本の足をほとんど近づけてすっと立つ女性の膨らみのある動的なムーヴマンに注目した。

 市村緑郎「風の旅」。「風達があとからあとからやってくる。今回の風は少しやんちゃで、喜びを全身で表し、リボンにたわむれ、たわむれては通り過ぎていく。風はどこからきて、どこにいくのだろう。自然の脈動を表現できればと、リボンの動きに留意しての作品となった」(日展アートガイド)。両足をすこし開いて立った若い女性のヌードである。約九十度右に顔をひねって、遠くを眺めている。その動きが見事に造形化されている。髪には大きなリボンがつけられて、すこしリボンが揺れているような趣である。再三筆者が指摘してきたことだが、市村の裸婦には木を思わせるものがある。この作品だと若木がしなりながら伸びていく雰囲気。そしてそこに風が吹いて、枝がすこしざわめいているような、そんなイメージを感じる。右腕を胴からすこし離し、左手は指を軽く握って左の腿に当てている。そういったしぐさもまた実に微妙な動きをこの彫刻につくる。右肩がすこし上がった様子と右を向いた目の視線とが生き生きとした生命感をつくりだす。人体のもつ曲面が彫刻の力として発現する。

 蛭田二郎「告知2013」。「『告知』という題名の作品を、過去にいくつか制作してきている。これは制作者自身の内的な身体感覚から、己自身に命令してくる形態意識の『告知』のことである」(日展アートガイド)。制作者の内観ともいうべきものを作者は述べているが、通常は告知は受胎告知ということで、神から誕生を告げられるわけだが、そのようなインスパイアされるものを受け止めるといった意味で作者は告知という言葉を使っている。内的な身体感覚から己自身に命令してくる形態意識と述べているが、自然体のなかに不思議な詩がある。また、ときめきが感じられる。右足をすこし前に出して、左足を引いた自然体のポーズの中に、下着のような衣装がしわになって、それを胸元に持ち上げている。両手がそこで重なっている。遠くを眺めている。あどけない。作家のこの彫刻の中には音楽が流れていると感じられる。実は先だっての三越の個展で作家の内部に流れているそのような持続する音楽性ともいうべきものが、実はその彫刻の芯になっているのではないかという感想をもったのである。この衣装の波紋のようなフォルムも、メロディやリズムの意味合いと考えればわかりやすい。そして、内側の身体に流れていく音楽を作者は聴きながら、同じような感覚でこの女性像をつくったように思われる。

 橋本堅太郎「静かなる動」。鍛えた男性の踊り子をモデルにしたそうである。左足を前に出し、爪先立ちにし、体をすこし右に引きながら右手を上にあげて布を持っている。左手は握って後ろの腰に回している。作者によると、現代は平和に見えて様々な事故や何が起きるかわからないようなことが起きやすい時代で、そういった時代のなかでのイメージをこのようなかたちで彫刻化したそうである。そして、そのような緊張感のなかから「静の内に燃える魂の炎がいつか動へ、そして夢へと向かう事を願って制作しました」(日展アートガイド)と語っている。緊張感に満ちた男性彫刻である。木彫を続けていた作者の削るような意識も感じられて、そこにフォルムの正確さ、フォルムの厳しさがあらわれてくるところも面白い。

 中村晋也「富楼那」。「釈尊の十大弟子の一人。富楼那は常に人の懐に一歩入って教えを語り、説法第一と呼ばれている。後年、故郷に帰り布教したいと釈尊に願い出、その巧みな弁舌で故郷の人々の心をつかんだと伝えられている」(日展アートガイド)。いつものように小さな台座の上に足の指で摑むようなかたちで立ち上がった十大弟子の一人、富楼那像である。穏やかな笑みを浮かべて、両手を前にしゃべるそのポーズはいかにも説得力のある人物の肖像彫刻と言ってよい。作者は対象の内部に入りこんで、その人格を彫刻する。そのイメージの力に注目する。

 雨宮敬子「遠い道」。右足を後ろに引いて立った像である。静かに歩んでいくといったイメージを表す。両手は体からすこし離れて、かすかに握っている。静かなほほえみを唇に浮かべている。きわめて内的なイメージがあらわれている。「人間の意識を自由に展開させるロマンティシズムの世界ではなく、常識的で現実的なリアリズムの枠組の中で、平穏で平和な社会の実現を期待したいと思う。一歩一歩のあゆみを止めることなく、真剣な想いと願いを込めて前進したい」(日展アートガイド)。その歩むイメージには、どこか仏のイメージが重なる。様々な制約の中に自由を獲得した像である。ロマンティシズムは近代というものから始まった大きな運動であるが、それ以前はみな制約の中に自由を獲得してきた。そういった長い歴史のなかに思いを馳せながら、慈愛に満ちたイメージを作者はつくる。ふくよかな起伏のあるフォルムが母性的なラインとボリューム感をつくりながら、その顔の表情などを見ると、毅然としたものが感じられる。精神性と言って差し支えない。そういったオーラが体から放射する。

 能島征二「讃歌」。東日本大震災に対する祈り、そしていま再生への願いをこめて、この像をつくったそうである。「生命の源、海から誕生した『女神』は、私達に命の輝きや希望の姿を伝え表している」(日展アートガイド)。まさに海からの復活であり、いわば海から化身したような女性のイメージをゆるやかな円弧の中に表現する。右手を後ろのお尻のほうに、左手を頭の上に、そして髪を持ち、左手に波を表す布を摑んでいる。その動きのなかに微妙なバランスがあり、静かに語りかけてくる。いわば命が燃え始めるといったそんなイメージを伝える。

 神戸峰男「母」。「人の価値観は、時とともに変化しつづける。が、変えようのないものもあり、変えてはいけないものもある。いつまでも人の感性の大切さを信じたい」(日展アートガイド)。平凡な女性の座っているポーズである。その平凡の中に真実があると語りかけてくる。そんな様子を、石膏に柔らかなピンクの着彩によって表現する。

 村山哲「かたりべ」。乾漆。平安時代の女性像のような不思議な趣である。布の中に手を入れて、その布の上をこの女性は吹いている。そこから言葉が続々と生まれてくるのだろう。鳥が四隅に降りてきてこの神像の坐る布を摑んで宙に浮かべようとしている。まさに民衆の中から現れた語り部のような親近感と神像的要素との不思議な結合と言ってよい。

 石黒光二「木漏れ日」。イヴニングドレスを着て、左足を立てて、そこに肱をついてもの思いに沈んでいる女性。座ったポーズである。繊細である。フォルムが人一倍クリアである。余分なものが削られたためにあらわれた美しさと言ってよい。余分なものを取ることによってイメージがより明らかになり、フォルムがよりクリアになる。とはいっても、衣装のしわの表現など、実になだらかな優雅な曲線を描いていて、女性らしさというものが逆により強調される。そこに精神的な力が重なっているところが魅力である。

 岡本昭「潮風に向かって」。右足に重心を置いて、左足をすこし曲げたポーズである。左手を頭の後ろに置き、右手を顔の上に伸ばしている。なだらかな曲面が初々しい恥じらいのある女性のイメージをつくる。

 新澤博志「静刻」。すっと立った女性の裸身。メランコリックな表情をしている。肉体の秘密といった、そんなイメージがしぜんと漂う。

 山崎茂樹「ささえる―人―」。石膏。テラコッタを思わせるような着彩とマチエールである。姉と妹あるいは十代の女の子の友達が、背中合わせになって足を前に伸ばしているほほえましいモニュマンである。

 宮瀬富之「映画の巨匠 想いは遥か」。映画監督の山田洋次の肖像彫刻と思われる。テレビで見たその顔が彫刻として生き生きと眼前にあらわれてくる。繊細な柔らかな体つきや表情をよく捉えていると思う。

 瀬戸剛「鬼子母神…断想」。トルソである。「鬼子母神、あるいは母性について考えてみました」(日展アートガイド)。作者はギリシャやローマの彫刻に対して深い関心を寄せている。この作品もそのような流れの中からあらわれたものだろう。独特の動きがこのトルソから感じられるところが面白い。その動きは思いというものの深さにつながる。

 嶋畑貢「天使の詩『涼』」。七歳ぐらいの女の子の像である。すこし衣装を脱いで半裸身で座って下方を眺めている。愛らしい像である。筆者には平安時代から鎌倉、室町と作られた太子像のイメージがこの像に重なる。

2室

 岩谷誠久「隠岐」。男性像である。パンツをはいたスポーツマンのような男性像。体全体に比べると顔が小さくつくられている。手を握り、左手は前に右手は下に垂らしているが、その中に力強い筋肉の動きがあらわれる。未来を眺めているようなイメージもこの青年像にふさわしく、独特の説得力をもつ。

 堀内有子「青い鳥」。石膏に着彩で、テラコッタふうなイメージがあらわれている。右手の甲の上に青い鳥を載せている。頭の上に結んだ髪。八歳ぐらいの女の子のもつ華奢なフォルムを見事に造形化している。また、その女の子が雲のようなフォルムの上に乗っているように置かれているところが工夫である。童話の中からあらわれてきたようなイメージも感じられて面白い。

3室

 田畑功「想」。ズボンをはいて座った上半身裸の女性像。ゆったりとしたボリューム感のあるフォルムである。穏やかな温かさが周りに広がっていくような、そんなイメージの豊かさに注目。

 小代猛「意―2013―」。裸婦である。右手を前に出して左足に重心を置きながら、微妙なバランスをとっているような雰囲気に動きがあらわれる。バランスというものをとるところにあらわれてくるムーヴマンの面白さに注目した。

 間島博徳「The Origin ―伝承―」。石膏。ロマネスク彫刻を思わせるような豊かな感じがある。ワンピースを着て、胸の前に腕を重ねているが、そこに小鳥が来ている。その小鳥とこの女性とは深いところで会話をしているようだ。帯の下に広がる衣装のボリューム感のある表情も魅力である。量感によって、豊かな感情世界を表現する。

 早川高師「むこうがわ」。木彫である。トンネルの中から車がこちらに来ていて、その上に犬が乗っている。トンネルの向こう側には樹木が立っている。独特の愛らしさが感じられる。丸太をくり抜くといった発想も面白い。

 入江博之「ひもろぎ」。逆様になった裸婦の像であるが、ディテールが生き生きとしていて、その優れた彫刻技術に感心する。

 宇津孝志「家路2013」。木彫。トランクの上に座った男は帽子をかぶってバッグを抱えこんでいる。そんな様子を木彫によってつくる。ずんぐりとした量感のあるフォルムの中に手触りがある。鑿の跡に独特の韻律があらわれる。静かな中に内側から張り出してくるような深いイメージが感じられる。

第45回日展〈工芸〉

(11月1日〜12月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 伊藤裕司「出雲風土記」。出雲の銅鐸、因幡のシロウサギ、波、日月、緑の丘。そういったフォルムを自由にアレンジしながら、出雲讃歌といった趣の二曲屛風である。ゆったりとした中にそれぞれのフォルムが象徴的な表現の中に生かされて、お互いがハーモナイズする様子が実に見事である。

 志観寺範從「爽晨」。バッタと水草、そして水面の動きを直線によって、あるいは螺鈿によって表現する。シンプルな中にふかぶかとした美意識があらわれる。

 赤堀郁彦「輪の連鎖」。円形のフォルムがいくつもあって、お互いがベルトコンベヤーで結ばれたりしている。一つのものが働きかけると、他のものが動き始めるといった、そんな世の中の縁起的な一つの働きを形象化したようだ。シンプルな中に独特の雅やかなモダンな感覚が感じられる。

 並木恒延「良夜」。「旧盆を過ぎ秋風が吹く頃、行く夏に一抹の寂しさを感じながらも豊かな実りの秋を迎える。月を追いかけ車を運転。いつの間にか月に追いかけられ苦笑い。良夜、仲秋の名月。ドキドキするほど美しい」(日展アートガイド)。たしかにこの作品の中の月はずいぶん手元に引き寄せられている。月との会話のなかからあらわれた月である。それが黒漆の上方にすこし調子を落とした中に浮かび上がる。下方には水がこちらに寄せてきている。金波、銀波という言葉があるが、これは金波である。金の波が寄せてくる様子。その中の独特の波の陰影。その複雑な様子はシンプルな上方の円形のフォルムと対照されながら、見事な空間造形を表す。しぜんとそこに奥行が生まれる。とくに再現的な表現ではなく、水の流れてくるそのフォルムによって遠近感があらわれ、動かない月が静かに上方にかかっているといった雰囲気である。絵画としての面白さと工芸としての面白さがクロスした佳品と言ってよい。

 三谷吾一「さえずる」。平和な雰囲気で、色彩のハーモニーが豊かな感情を引き起こす。どこか大正ロマンを思わせるところがある。大胆にデザイン化された植物の姿。そこに鳥が来てとまっている。金や銀の面に対して、あいだに黒漆が押され、平和というもののイメージを静かに歌い上げる。楽園を思わせるような豊かなイメージを感じる。

 大樋年雄「新世器『Ceremonial Tripod 2013』」。殷の銅器からヒントを得たものだろう。朗々と明るく、踊っているような明るさと力強さが感じられる。いわゆる鼎で、三つの足によって立っている。蓋も三つの立ち上がるカーヴするフォルムが力強く、左右に出ている対のやはり輪のようなフォルムも、この卵形のフォルムとお互いに響き合いながら、命のイメージを表す。

 永井鐵太郎「やってきた風鎮 万蔵院・願」。東北の風水害に対する祈りの気持ちからつくったそうである。「下げられた金属棒が揺れ共鳴・共振し、騒ぎが消滅するでしょう。これぞ風鎮の原点と確信しています」(日展アートガイド)。カーヴするこのアルミとステンレスのフォルムがお互いに響き合うところに祈りのメロディが生まれる。シャープで柔らかな見事な造形である。

 武腰敏昭「無鉛釉上絵染付『朝』」。「少しデフォルメした磁器の形体の上に、単色の無鉛釉薬を用い、朝まだき緊張した鷺の姿を、上絵染付技法で大胆な筆使いで表現してみました」(日展アートガイド)。直線による稜線に対して、カーヴする鷺の絵柄が実に面白い韻律をつくりだす。まさに朝の爽やかな清涼な気の中に、鷺のシャープな動きが浮かび上がってくるようなユニークな造形である。

 大樋年朗「指絵・金彩『双馬行萬里』」。「黒い天然産の土、手造りの輪積法で製作し、白土でモチーフ『双馬』に緑釉を施し、金彩をアクセントに加えた作となる。過去も今も火の鮮麗を受けての窯出しは心が弾むのである」(日展アートガイド)。輪積みによるこの壺のフォルムが実に力強い。内側から張り出してきたような力を感じる。胴にマリノ・マリーニの馬を思わせるようなフォルムが簡潔で、緑釉に金彩という色彩が生き生きとした韻律を奏でる。口縁のカーヴするようなゆるやかなフォルムもしぜんで、いわば火山の火口のような力、漲った力がしぜんとあらわれてくるように思われる。

 奥田小由女「晨に明けゆく」。「大震災の後、復興を願い続け、やがて平和が訪れたとき、昔から続く日本の愛に満ちた姿を、母子像と童子の形で表現しました。あしたに明るくあけてゆく事を祈りながら制作しました。彩色は手造りの色胡粉と金箔で仕上げました」(日展アートガイド)。中心に、掌にかわいい童子を支えた不思議な女神が立っている。この大きな女神の脇の下からふわっと布が上方に向かってカーヴしていく。そのピンクのゆるやかなフォルム。そしてそれは背後に垂れているのだが、伝説の羽衣を思わせるような魅力である。そして、そのそばに二人の童女がいる。赤い衣装にピンクの花が咲き乱れている。同じような衣装を女神もつけていて、そこには緑の鳥がとまっている。まさに平和な温かな日差しの中にすくすくと植物や命が育まれ伸びていくようなイメージを、この四体のフォルムによって生き生きと表現する。台座は黄金色の雲のようになっていて、その金彩がまたこの像を映して、雲であると同時に虹でもあるような独特のイメージをつくる。

 今井政之「游鱗壺」。「モチーフとなる赤仁やふぐ、かわはぎ達の生きざまを、面象嵌の技法と穴窯の灼熱の炎によって壺の中で一体化し、その尊厳を表現した」(日展アートガイド)。高台が平高台で、すっと立ち上がってくる胴から肩にかけて大きな豊かな膨らみがあらわれる。その膨らみにフグと赤仁の魚が二尾、土象嵌によって表現されている。左右に耳が垂れているような不思議なフォルムがあらわれる。口縁は円で、全体のバランスの中にすっとした独特の造形感覚である。下方の備前を思わせるような赤色の色彩が上方のすこし黒陶気味の色彩になるそのあいだに、二尾の膨らんだ魚がつけられている。後ろのほうにもカワハギとフグとがやはり面象嵌(土象嵌)されている。壺中天という言葉があって、壺の中に別天地があるという中国の逸話があるが、この壺の全体のフォルム自体が大きな深遠な海のようなイメージを造形化したものとして立ち上がり、魚がそこに永遠に泳いでいるといった雰囲気である。いずれにしても、この上方に向かってここで球体状に膨らむフォルムは温かく、見事なバランスを見せる。

 森野泰明「扁壺『潮路』」。胴から口縁に向かってすぼまっていく。その口縁はすこし右にずれている。暗い青、明るい青、金の中の青といったような、抽象的な文様が胴から上方に向かって入れられていて、そのリズムが面白い。「月の光をも砕く、寄せては返す波……」(日展アートガイド)。

 寺池静人「陽春(さくら)」。しっとりとした上品な味わいがある。ほとんど方形であるが、その稜線はゆるやかな曲面となって、正面に白い花が咲いている。静かに光が当たっているような雰囲気である。

 青木清高「曙」。岸辺に波が寄せてくる。繰り返し寄せてくる。そのリズムをそのままこの円形のうつわの中に取り入れた趣である。とくに外側の青い釉薬を波紋のように垂らしたあたりは、そのように感じられる。見込みが広い。また、内部にすこしつまんだようなフォルムをつくることによって、豊かな円筒のフォルムに変化を与える。

 武腰一憲「花器・天空」。円筒形の壺であるが、その胴に駱駝に乗って砂漠を行く老人の図柄が描かれている。空は明るい青で、大地は暗い青で、そこに黒々と影が引かれている。上方の蓋が黄金色の円盤になっているのもユニークで面白い。

 三田村有純「輝かしい生命  永久に」。夜の宇宙を漆黒の漆の船が進んでいく。その上方にはアンモナイトなどの彩色された不思議な円盤が置かれている。海のものと宇宙のものとが一体化したイメージの中に、静かに作者の詩的なイメージを積んだ船が動いていく。

 宮田亮平「生と静」。先だっての髙島屋の個展は面白かった。イルカの造形が実に自家薬籠中の物となり、大胆なヴァラエティを生んだ。最近作者は「バハマの海に潜り、海中でのイルカ達の動きが驚きの様相でありました。母と子の姿に出合い、母が子を思う心はすべて万有共通のものであることを知りました。その数々の姿の中の一ページを形体として表現しました」(日展アートガイド)。上方に飛ぶのが子供のイルカで、下方に母親のイルカがいる。その流線型のフォルムの中がくり抜かれているところが面白い。尾鰭と背鰭がシンプルにデフォルメされ、しなるカーヴに尾がついている。隅から隅まで緊張感があって、しかも独特のねじれるような動きが対となって、見事な空間造形を表す。

 吉賀將夫「萩釉陶壺『曜・黒の条線』」。「単純な形のうちに、まろやかな量感の豊かさ、微妙な動感、釉の対比的な色合いの深みの表現です。陶芸の素材を生かした美の追求をしました。技法は、ロクロ成形、白萩釉と鉄釉を施して行った数回の登り窯焼成等です」(日展アートガイド)。柔らかなピンク色の白萩釉と風が吹いているような鉄釉との対照が胴につけられて、実にダイナミックで鮮やかな印象を受ける。しかもそこにはほのぼのとした光や風が移ろっていくような様子も感じられる。

 海内保「夕映樹」。「家の回りに防風林が植えてあり、夕日が防風林を照らして太陽が当たっている所と影の所とのコントラストが非常に印象的で、それを創作・造形してみました。技法は吹分け鋳造で茶真鍮と唐銅です。着色は煮込色で仕上げました」(日展アートガイド)。円柱のフォルムが力強い。その下方に、底から手前に突き出したもう一つの円柱のフォルムがあって、基本的な造形のコンポジションが優れている。また、作者が述べているように、そこに彩色された光や影、雲を思わせるようなフォルムに、芭蕉のいう「ほそみ」といった雰囲気が感じられる。

 服部峻昇「螺鈿飾箱  水の燦」。「青漆の地に、海の変化を四角の空間で表し、波の美しさ、大自然の変化を、漆芸でしか表現できない蒔絵の平脱といった技法で、現代的な飾箱を制作しました」(日展アートガイド)。デザインが斬新でモダンである。そこには琳派的な装飾感覚もうかがえるし、方形の箱の金の砂子をまいた緑の地もまた豊かなイメージの広がりを表す。

 中里重利「繭」。繭のもつ命を中に育みながら、柔らかな雰囲気を面白く陶芸に引き寄せている。「輪積みと叩きの技法を用い、表面に少し灰を掛けて景色を出し、繭の温かさを表現したもの」(日展アートガイド)。ゆるやかな曲面をもつ胴に対して、すこし窪みがつけられ、また、あえて口縁をつくらず、破れたようなかたちで置いているのも、いわば利休ふうな無作為の中の作為と言ってよい。

 田中照一「煌めく流れ」。鍛金。蓋物である。大きな豆のもつ豊かなイメージを感じる。黒漆の上に鍍金された中に黄金色の水や稲穂を思わせるようなフォルムが大胆にストライプふうにその上に置かれていて、そのシンプルで強いデザイン性に注目する。

 南雲龍「龍王記 黒い壺」。地中海ふうなフォルムが強く立ち上がってくる。しかし作者によると、これは中国の龍山文化の影響を受けていると書いている。両耳は黄金色で、「殷の女傑婦好の愛した玉製の龍をイメージした」(日展アートガイド)。胴に銀のストライプが置かれ、そこにも龍のフォルムが浮き出しにされている。黒陶と金、銀の色彩が鮮やかに響き合う中に、下方から立ち上がってくるフォルムが強い。

2室

 猪俣伊治郎「埴輪(八十六)―琴」。琴を弾く埴輪を造形化したものである。東日本大震災の復興を祈って作ったという。ゆるやかな波紋を広げながら、水が向こうの山に続いている。同じような波紋が空にもあらわれて、魂を鎮めるようなイメージが豊かに表現されている。

 厚東孝治「弥生―緑壁」。袴をはいたような底部からさらに広がったフォルムが、ぎゅっとすぼまって口縁にいく。しっとりとした緑釉がつけられている。長い首に櫛のようなもので引っ搔いたフォルムと月を思わせるようなフォルムが入れられて、不思議な飾りになっている。日本のもつしっとりとした風土のイメージの中に画家の祈るような心持ちが、独特の図像をそこに捺する。

 有山長佑「季を刻む」。「板造り(タタラ造り)の表裏に半筒を取り付け、常に噴火、噴煙を上げる桜島、静寂の中に移り変わる季節の流れ、不思議な力を持って優しさ、美しさや希望を抱かせる情景を、青釉と白泥釉で表現した」(日展アートガイド)。その無作為のような形の中にあらわれてくる青などの色彩が透明で、実にモダンな雰囲気を与える。作者は桜島のことを書いているが、筆者は地中海のギリシャなどにも通じるような透明な詩情を感じる。

3室

 山口和子「漣・Ⅱ」特選。最初は滝と小さな花を構成する予定であったが、どんどんイメージが膨らんでいったそうである。たしかにそういった独特のエネルギッシュなムーヴマンを画面から感じることができる。貝殻を螺鈿した神秘的な緑のトーンのあいだに漆黒に輝く空間があり、そこには白い貝を螺鈿している。そして、花びらがひらひらと落ちる上方に巨大な花があらわれている。周りのグレーの銀地のフォルムと相まって、いわば宇宙の扉を開くような、そんな強いイメージが筆者を引き寄せる。

 福田文子「いのちの森で」。人形。チューリップのような花が咲いているような雰囲気であるが、それを白一色のフォルムの中に、カーヴする茎や花を夢の世界のような調和の中に表現する。イノセントな詩ともいうべきものを感じる。

 永見文人「夏雲の恵み」。ステンレスと思われる小さな丸い棒によって支えられた銅によるフォルムのあいだから、銀色の雲が上方に向かう。そして、下方のだんだんと細くなる円筒から黄金色のしずくが下に垂れる。下方から銀色のしずくが上方に浮かび上がる。この溶けたようなフォルムの部分は、ダリの溶けた時計などのあのシュールな世界を思わせるところがある。空に上っていく動き、気体として雲として上方に上る動き、水となって下方にしたたる動き、そして下方からは黄金色のゾル状のものが不思議な形をつくり、そこからゲル状の銀色のフォルムが宙にだんだんと浮かんでいく。時というものと重力や浮力といったものが相まって、一種シュールな幻想の造形をつくる。

4室

 越由子「誕生の時」。パッチワーク。銀と金と黒と赤とが見事に響き合う。巨大な円弧が、あるいは円がお互いに絡み合いながら、日が昇り、朝の光線が差し込むときのダイナミックな生命力ともいうべきイメージを表現する。

 瀧本修「静かな会話」。ガラス。高層マンションに、円形の丈の高いテーブルにワイングラスが一つ。そこに寄り掛かる麗人。そこから見える建物は黒いシルエットとして造形化され、背後から高層ビルが立ち上がる。空は紫色。独特の柔らかな、センスのよさである。全体に甘美なメロディが聞こえてくるような造形感覚に注目。

 田部健次「space ship-NOAH」。金属の不思議な船が造形化され、その上にそれの縮小版のようなフォルムがあらわれている。羅針盤のようなものがあらわれ、そこにも不思議なナイフのようなフォルムが置かれている。鋭角的なフォルムを使いながら、その先端を丸くして独特である。それらが重層的に積み上げられ、お互いにハーモナイズしながら、夢の国のUFOのようなイメージをつくる。

 相原健作「青い空と白い雲」。二つの円柱がすこしねじれたかたちで同じ円柱によって結合されている。上方に円柱が立ち上がり、中からヒヨコのような、あるいはイルカの子供のようなフォルムが顔をのぞかせている。愛らしい具象的な造形と抽象的なコンポジションとが見事に合致した佳作である。

5室

 松木光治「滴」。黒と白のパネル。上方に繭のような黄金色のもっこりと膨らんだフォルムがコラージュされている。それの下方に直線により三角形の形。クロスするところにしずくが垂れている。下方の緑色の台のようなものが水平に伸び、そこに繭のようなフォルムが銀と薄い褐色系のストライプによってつくられ、その上から立ち上がってくるものがある。斜線が光を表すように、その上にあらわれる。抽象造形にもかかわらず、たとえば太陽の光を手のひらにのせて造形化したようなイメージ。あるいは、繭をそっとのせているような雰囲気。抽象形態を命あるもののごとく表現する。そんな作家の素質、能力に注目。また、黒と白のセンスにはモダンなものも感じられる。無機的なものと有機的なものとの結合と言ってよいかもしれない。この繭のようなフォルムの上方にカエルが乗って上を見ているのも面白い。そうすると、上方の三角にクロスするその角から垂れているしずく、その水を受け止めようとしているのかもしれない。そこにはまたもう一つの物語も生まれてくる。

 青木洋介「浮上」。ごく細い三つの点によって、この上の膨らみのある漆のフォルムは支えられている。その紡錘状の中に銀地によって細胞のようなラインが引かれている。独特の触覚性と同時に、いわば浮力のようなイメージを面白くつくった造形。痒いところに手が届くような繊細な感覚がある。

 中島敦子「星降る森」。漆の作品。金により樹木と少女と梟、亀をつくっている。漆絵と言って差し支えないような造形力、筆力が魅力である。螺鈿によって星の様子を表現しているのも、いかにも工芸である。

 原田和代「頭の中はカラッポ」。漆の足の上にネットの頭があり、一つ目の金属の目玉が黄金色のフォルムの中に入れられている。六つの角をもつ王冠が黄金色に入れられて、実にユーモラスな雰囲気。黒い足飾りもある。ナンセンスな造形というものはなかなか難しい。なおかつユーモラスで、生き生きとした、そんな感覚を与える貴重な作品。

 髙橋斗雄「夕べの音楽会」。チェロを折り畳んだフォルムにグランドピアノのイメージが重なったユニークな造形である。

 友定聖雄「SYMPATHY」。緑の透明なガラスの柱を互い違いに置く。それを受ける柱と立てる柱を置く。きらきらと光る。結晶したような美しさと反射する美しさ。中を透過する美しさ。光というものがこの直方体を駆使した造形の中に集まる。同時に、しーんとした、ひっそりとした雅やかな雰囲気もあらわれて、日本人のもつ美感とヨーロッパのもつ合理性ともいうべきものが面白く結合している。

6室

 髙名秀人光「海は響く」。渾沌とした中に波のようなフォルムを複雑に造形化する。全体でシンフォニックな響きがその渾沌とした中からあらわれてくるような、ユニークな感覚である。曲線を縦横に使いこなしている。

 冨岡大資「ドット」。ベージュと黒による作品であるが、男性の上衣を思わせる。肩と襟による胸像的なイメージをユーモラスに柔軟に表現しているところに注目。

 佐藤明美「記憶の残像」。ガラスの透明感を面白く利用しながら箱をつくり、円柱をつくり、その上をカーヴさせ、一部を壊し、中にガラスによって花のような植物のようなフォルムを入れた繊細な作品である。ハーフトーンの重なりによる色彩感覚も面白いし、波打つようなフォルムの優雅なラインもまた魅力。

7室

 野田朗子「蓮華化生」。蓮弁をガラスでつくっている。葉脈もつくって、透明な軽やかな薄いなかに独特の質感と空間の広がりがあらわれる。東大寺などの大きな木彫による蓮華のフォルムなども参考にしたのだろうか。モダンであると同時に伝統的でもある仕事に注目。

8室

 本郷真也「償う者」。鬼がU字形のフォルムを持ち上げようとしている。そばに炎がめらめらとその背中に、左右に燃えはじめている。不動明王からヒントをえたのだろうか。不思議な金属造形と言ってよい。

9室

 勝京子「espuma」。彫金。錆びた金属の幾何形態の上に、ふわふわと浮いたネット状の球体のフォルムが大小つくられている。そのフォルムのコンポジションが繊細でイノセントな表情をつくる。まるで雪の結晶の世界の中に物語をつくっているような、そんな雰囲気である。

第44回元陽展

(10月30日〜11月6日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 木村光江「刻の譜(breathing)」。少し開いた大きな扉を画面の中心に置いて構成している。その両側には森の風景が描かれていて、その葉の右側は赤く左側は青い。どうやらその扉を境に季節が移り変わっているようだ。そしてその扉からは明るい光が漏れ、白いハトが行き来して飛び交っている。自然の時間の移ろいの中に、自然そのものの息遣いがあり、画家はそれを敏感に感じ取って描いている。それが強い希望のイメージと共に鑑賞者の前に立ち上がってくる。

 山岡秀光「富士」。丸みを帯びてデフォルメされた富士の姿が見える。富士は赤く染まっている。手前には湖があり、周囲は大地が囲んでいる。それらの強いフォルムが大自然の生命力を強く感じさせる。これまでになくやわらかな色調と筆の扱いによって描かれた作品が、そういった生命力と共にどこか静かな気配を運んで来ているところに特に注目した。

 柴田啓一「滝(平湯の大滝)」。太い一本の滝が流れ落ちてきている。その勢いのある強い動勢が鑑賞者を惹き付ける。周囲は切り立った崖になっていて、緑の葉が生い茂り、グレーの岩肌を垣間見せている。下方の滝壺では、飛沫が激しく上がっている。その臨場感が強く印象に残った。

 斎地洋子「ショーケース・2013」会長賞。クロスをかけられた台の上に、仮面や白いバラ、瓶などが置かれている。一つひとつの描写が実に繊細で、それぞれの質感、存在感をしっかりと描き出している。背後にはペイズリー柄の布がかけられていて、それもまた細やかに描き込まれている。そういった画面は全体で雅な印象であるが、どこか不思議な気配が漂っている。暗がりの中に浮かび上がるように存在するそれらのモチーフたちが、それぞれに呼応し合いながら一つの調和を作りだしている。モチーフたちの呼吸ともいうべきものが気配となり、強い魅力を作りだしている。

 細川進「古里」。手前に大きな河が流れ、その向こうに家屋、山並みが見える。河には点々と岩がいくつか見えるが、その様子が独特のリズムを作り出していておもしろい。緑あるいは青の新鮮な色彩が、現地の清々しい空気をこちら側に運んでくるようだ。丁寧な筆の扱いにも注目する。

 佐藤凱「綾取り」。椅子に座ってあやとりをしながらこちらを向いている少女の肖像である。確かなデッサン力によって、少女の生き生きとした様子がしっかりと描き出されている。背後には月夜の風景が広がる。そのどこか山水的な描写が、少女と不思議な対照を見せているところもまたおもしろい。

 佐藤明彦「コペンハーゲン港景観」。力強いタッチで港の風景が描き出されている。赤や水色、黄色といった色彩もまた鮮やかである。右手前から左奥に向かって建物が続き、それに添うように船が並んでいっている。その連続する動きの中で、それぞれのフォルムが特徴的で独特の見応えを作り出している。

2室

 髙橋房代「小樽の夜」新人賞・会友推挙。小樽の風景が幻想的に描かれた作品である。港の風景だろうか、左手前にテトラポッドが見える。画面全体は黄緑がかっていて、それが現実とは離れた時間の流れを感じさせるところがおもしろい。左側に伸びる外灯など、じっくりと考えられた画面構成であるところにも注目する。

3室

 波多野勝夫「美しい日本 まつり 相馬野馬追い(1)」元陽展大賞。赤や青、黄、白といった馬が向かって左に走っていっている。馬には戦国時代を思わせる武将がまたがっている。スピード感溢れる画面の中にあるポップな感覚が印象的である。そこに赤と青のイメージの馬を二頭大きく重ね合わせているところも、豊かな造形感覚をうかがわせる。

4室

 渡辺楊子「街のピアニスト」。大道芸を見ようとするたくさんの人々で賑わう街角の情景。男に操られる人形はピアノを弾いているようだ。周囲には星や菱形などがいくつも浮かんでいる。それが、どこかこの人形に生命を与えているようなイメージを感じさせる。そういった楽しく微笑ましい作品世界に惹き付けられる。

 大澤綾子「初夏の香り」。二人の女性の横顔とピエロを中心に、抽象性の高い空間が広がっている。そこに赤や紫の花が入れられている。丸や矩形などのフォルムが浮遊しながらそれらを取り巻き、それらが風景的な要素を感じさせているところが特に印象深い。

 大門正忠「RONDA(スペイン)」内閣総理大臣賞。手前から奥に向かって街並みが続いている。建物は茶系から黄土の色彩をゆるやかに変化させながら描かれている。多くの人々が行き交う路地を中心にしながら、現地の雰囲気をどこか童話的世界観と重ね合わせながら描き出しているようなところが独特だと思う。現地を歩きながら、もう一つ別の世界を旅するような不思議な旅情感が特に魅力である。

 根本忠夫「Valley Tama(バーレー・タマ)」。生い茂る木々の奥に滝が流れ落ちている。その滝を向かって左側から見た構成である。細やかに筆を入れながら、滝や周囲の様子を誠実に描き出している。どこかミステリアスな雰囲気を漂わせながら刻々と変化していく自然の表情が、豊かな魅力を作りだしている。

5室

 永田武義「露地」。重なるように連なる家屋の屋根が、一つのテンポを作り出している。その中央には蛇行しながら伸びる道が見え、そこを歩く人々の姿が見える。重層的な画面構成の中にある音楽性が特に印象に残る。

 大井田健一「ティオティワカン」。南米の遺跡を高台から見下ろすような視点で描いている。十字を描く広い道にたくさんの人々が点景で描かれていて、それは地平線の向こうまで続いて行っている。左奥にはピラミッドが見え、正面上方には小さく太陽が見える。パノラマ的な広がりを見せる風景の中で、そういった様々な要素が画面を活性化させていて、見応えのある風景として成り立っている。

 鈴木敏子「湧水」委員推挙。緑に囲まれた中を緩やかに流れる河が実にやわらかく描かれている。左側には木造の水車があり、右側中景には花が咲いている。情感豊かな風景を見て、それをこころから受け止め、感じ入って表現できる画家のセンスに感心した。

6室

 遠藤芙佐子「美しい距離 L」元陽会賞。ハーフトーンの色彩を中心にしながら、そこに赤と黒を左上方に入れて画面を構成している。特に中央の楕円のうすいピンクの色彩が心安らぐような雰囲気を醸し出しているところがよいと思う。背後はベージュの色彩であり、ところどころに紙などがコラージュしてある。画面全体で静かに音楽を奏でるようなイメージが見ていて特に心地よい。

 篠﨑久子「火口壁」努力賞。マグマが立ち上がる火口が強い臨場感を孕んで描かれている。暗色の山肌とマグマと空の赤が密度の高い画面を作り出している。心理的な深い奥行きも感じられるような、強い情感が印象的な作品である。

7室

 小林浩二「山の上の街」会友推挙。少し高い位置から街並みを眺めた風景。さらに向こうには台地があって、そこにも家屋がいくつか見える。手前から遠景までの距離感をしっかりと捉えながら描き、作品の中のゆったりとした時間の流れと相俟って、落ち着いた風景作品となっている。

 小澤晃一「冬のせせらぎ」。雪の残る山間の風景がしっとりと描き出されている。ある種水墨的な要素を感じさせ、現地の空気感をしっかりとこちら側まで伝えてくるところが見どころである。

第40回記念

近代日本美術協会展

(10月30日〜11月6日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 中澤清美「邂逅」特選。一人の女性を大きく存在感豊かに描いている。女性は手足が長く、裾の広いスカートによる三角形型に捉えられていて、それが線の細いフォルムに安定感を作りだしている。背後には茶やグレーによる風景が浮かんでいるが、上方に手足が伸びてきているところが特におもしろい。女性の持つ強さというような、強い発信力を持った作品である。

 渡辺良子「自画像」優秀賞。キャンバスに向かって作品を描く女性の上半身を左側から見て描いている。女性は黄色のシャツと鉢巻きに紫の前掛けを着ている。背後は青みがかった色彩で部屋の壁が描かれている。補色関係の色彩を中心にして、画面全体をしっとりと纏め上げている。女性の少し反り返って左手をキャンバスに添えているポーズなど、しっかりとしたデッサンの力もまた感じさせる。

 石川喜美子「虚空」優秀賞。浜辺にうち捨てられた大きな機材が描かれている。左側の二つは青く、右側はグレーである。それらは錆がかっていて、置かれた時間の長さを物語っている。画面全体はやわらかな色調でまとめられていて、近づくと丁寧に彩色されていることがよく分かる。雲がかった空のグレーも相俟って、どこか寂しげな雰囲気を醸し出しているところが、深い味わいを誘う。

 渡部恵子「白いレースの馬」新人賞。体表がレース状に装飾されているユニコーンが一頭描かれている。背後には薔薇や桜、蝶などが淡くいくつも浮かんでいる。前足を上げたユニコーンの躍動的な姿が、そのどこか異世界のような空間で生き生きとした動勢を作り出している。生命あるいは癒しといったものの象徴性を孕みながらやさしく存在するこのユニコーンが、現代社会にもたらす恵みといったイメージを強く発信していて印象に残った。

2室

 前田重行「人吉機関区に帰って来たD‌51」。大きく描かれたD51が強く印象に残る。黒光りするその姿に、重厚な存在感がある。背後の建物なども合わせて、直線と曲線による複雑な様子を違和感なく描き出しているところもまた見どころである。

3室

 秋葉令輝「裸婦」。ベッドの上に目を閉じて横たわる裸婦が描かれている。そのやわらかな曲線によるフォルムに確かなデッサンの力を感じさせる。ベッドは灰白色で側面には青地に装飾が施されている。また、背後は深い赤と黒の色彩である。シンプルな色彩の中で、この女性の存在感を強く浮かび上がらせながら、じっくりと描ききっている。

 吉村豊太郎「停止する刻」東京都議会議長賞。モノトーンによって過去の記憶を甦らせるかのようなイメージで描き出している。小川に続く石段に、一人の子供がこちらに背を向けて立っている。その右側には石や粗大ゴミなどが積み上げられている。過去のある時代を引き寄せながら、画面の中で自ら再体験するような感覚がある。それが強い臨場感を作りだしていて、このイメージにリアリティをもたらしている。

 宮田圭三「水の都ベネチアのサンマルコ広場」審査員特別賞。青みがかった灰白色の壁の建物を背後に、様々な人々が描かれている。傘を差したりしながら歩いている、そのそれぞれの様子がおもしろい。豊かな色彩感覚によって描かれた群像表現の一つとして注目した。

 中川令子「爛漫」。和服を着て並んで立つ二人の女性の肖像である。二人とも笑顔で正面を向いている。桜をバックにして、ポートレートのように描かれた画面に、いまこの瞬間の幸せな時を閉じ込めているようで印象に残った。

4室

 神保静枝「なつかしい想ひ出の丘に」芸術文化功労賞。手前のやや高い台地のような場所から、遠くの山に繫がる風景を見た視点で描いている。すぐ手前にはたくさんの葉を付けた樹木が視界を遮るように立ち並んでいて、それが一つの見応えを作り出している。茶と緑系の色彩を繊細に扱って描き、山に向かった遠近感をしっかりと捉えている。霞むように描かれた山の存在が、どこか切なく印象に残る。

 中村淳子「森の詩」。一人の女性の周囲に草木や鳥たちが色彩豊かに描かれている。さらに向こうにはアラビア風の建物が見える。どこか幻想的な世界観が印象的である。時間あるいは空間を越えたイメージによって物語の中にあるような一場面が独特のイメージ世界として立ち上がってきている。

 二神恵子「フクギの森を行く」東京都知事賞。周囲を植物に囲まれた道が奥へと続いて行っている。その複雑な植物の様子が、強い抽象性を生み出しているところがおもしろい。鮮やかな色彩をたくさん施しながらも、画面全体で一つの統一した色彩感覚で纏め上げている所が、この画家の絵画的センスを特に感じさせる。

 大久保明「それぞれの幸福」近美理事長賞。街の風景を多角的な視点で捉え、描いている。それらが階段によって繫がり、画面全体で迷路のような構成になっている。家屋ごとに人間がそこに住んでいて、いろいろな人生がある。人物は描かれていないが、それを鑑賞者にイメージさせるところがこの作品のおもしろさである。

 渡邉祥行「祈りの国ブータン」。寺院の中庭を建物から覗くような構図で描いている。庭には一人の僧が小さく描かれている。庭の石畳や朱を主に使って描かれた向こうの建物などの様子が、細やかにじっくりと描き込まれている。縦型の画面の中に垂直水平の線を組み合わせて、そこに細やかな装飾を施しているところも作品に独特の調子を作りだし、それが一人の僧に収斂していくようなイメージを感じさせているところが特に興味深い。そこには敬虔な画家の心情が強く仮託されていて、鑑賞者の心に直接響くような魅力を内包している。

 丸山今朝三「癒しの森」文部科学大臣賞。白樺の林の中にぽっかりと空間があって、そこに小さな幼樹が立っている。そこには上方からスポットライトのように光が差し込んできている。生まれたばかりの命に対する希望あるいは大切にする心が、現代社会に暮らす鑑賞者たちへの強いメッセージとして発信されてくる。

 小野崎要造「ドゥオモ大聖堂」。上方に伸びる建物の鋭い尖塔が強く印象に残る。きびきびとした線による建物全体のフォルムも相俟って、強い存在感を発揮している。その周囲の広場にはたくさんの人々が描かれている。そういった細やかな部分まで画家の目は行き届き、それが臨場感を画面にもたらしている。上空は仄かにピンクがかっていて、その建物とゆるやかな対照を作りだしているところもまたおもしろい。

 天笠勉「豊熟」。たわわに実った柿が無数に描かれている。それを吊す樹木もまた細やかに描写されている。どこかうねうねとした動勢を孕んだその様子からは、強い生命の力が感じられる。密度の高い画面が独特の余韻を残す。

5室

 松本くすい「帰巣」理事長特別賞。家屋の中に七羽のフクロウがいる。扉が開けられていて外には雪景色が見える。そしてそこからもう一羽がこちらに向かって帰ってきている。家族の持つ強い愛情の絆が、作品に込められている。茶がかった暗色と外の明るい雪の色彩がやわらかなコントラストを作りだしている。それに加えて、チラチラと見える赤に心温まるような効果がある。フクロウに仮託された画家の深い想いが鑑賞者を捉えて離さない。

 菊地保男「南の風」東京都議会議長賞。煉瓦色の瓦屋根の家屋が並び、樹木は瑞々しい緑の色彩で描かれている。空には入道雲が立ち上がっている。明るい日差しに包まれた沖縄を思わせる風景が実に気持ちよい。それぞれの色彩によってこの風景が生き生きとした輝きを獲得しているところが印象的である。

 玉井弘美「燃ゆ」。年を経たイチョウの樹を画面いっぱいに描きだしている。上方には鮮やかな黄の色彩によるイチョウの葉が無数に描かれている。かすれるように描かれた葉は、ある種の動きを孕みながら、強い生命力を感じさせる。それは画題にもあるように燃える炎のような動きであり、生命力の強い表現となって鑑賞者側に語りかけてくるようだ。

6室

 井上武仕「残りの柿」。冬が来てもまだ実を残す柿の木を主題に描いている。雪の青みがかった白と樹木や背後の家屋の茶系の色彩、そして点々とした柿のオレンジが相俟って、しみじみとした味わいを感じさせる。何度も筆を重ねながら密度の濃い見応えのある画面を作りだしている。

 中井義行「新星横浜」。やわらかなタッチで描かれた透明水彩による作品。海沿いにたくさんの人物が海を眺め、あるいは道を行き来している。ゆっくりとした時間の流れの中に、この風景に対する画家の愛情を深く感じさせる。

 宮島脩二「曙」。棚田からその向こうを眺めた風景が、朱に染まりながら描かれている。描かれてはいないが、太陽の光によって、画面の中央やや下の棚田の水面が白く輝いている。画面の中に漂う透明な空気感が、ある気配を引き寄せている。強い情感が魅力の作品である。

 村松泰弘「晩秋の布引渓谷」。画面の手前に大きな岩がいくつも描かれている。その向こうは渓流になっていて、険しい崖が見える。明るい日差しが差し、岩がシルエットになっている。画面全体の清々しい空気感が魅力である。細やかに筆を重ねながら、色とりどりの紅葉した樹木や崖の表情を描き込んでいる。この作品制作に対する画家の誠実な姿勢を感じさせるところに特に好感を持った。

9室

 粟嶋美幸「水の砂漠」。縦長の画面の中央に白夜を思わせる風景が見える。その左右あるいは下方は抽象性の強い色面になっている。凜とした透明な空気感が画面を満たしているようだ。寒色と暖色をうまく扱って組み合わせながら描かれた画面が、自然の持つ美しさを強く鑑賞者に訴えかけてくる。

 髙梨敬子「夕陽の詩―明日への希望」。画面の中央やや左寄りに、赤く輝く太陽がある。その周囲には青や紫、白などの不定形の色面があり、背後は黄土色が施されている。色彩の中に、海や空、大地そして街で暮らす人間の営みといった要素が強く感じられる。それらに希望を与える太陽の色彩は、見続ける程に輝きを増していく。そういった強いイメージの力を持った作品として注目する。

10室

 佐藤千代子「ほーほー、ホタルこい」新人賞。ホタルを両手で包むようなポーズをとった少女。周囲は暗く、そこにもたくさんのホタルが仄かに光りながら描かれている。どこか幻想的な雰囲気の中に、幼い少女の愛らしい姿が浮かび上がり、鑑賞者の目を惹きつける。

第39回現代童画展

(11月8日〜11月15日/東京都美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 川邨かんこ「原っぱで……」。ここ数年原っぱの情景を描いたシリーズが続く。今回は奴凧を画面の下方手前に置いている。その隣には猫がいる。そこから奥に向かって広い原っぱが続いていく。地平線には沢山の人々が行き交う姿が小さく見える。奴凧は少し左に傾くように置かれているが、その髭面で無骨な表情がこれまでの川邨作品にはみられなかったいたずら心といってよいような、独特の画面効果を上げているところがおもしろい。それに対して、隣にいる猫はそれを気にする様子もなく、その二つの関係性が特に興味深い。のどかで心安らぐような画面が、やさしく語りかけてくるような魅力を湛えている。(磯部靖)

 多田すみえ「里山に集う」。画面の下半分にこんもりとした山があり、そこに沢山の動植物がまるで壁画のように描かれている。上方では二匹の猫がそこから伸びる二本の樹木にそれぞれぶら下がっている。そして右から左へと金魚のような赤い魚が幾匹も画面を横切っている。様々な生きものが集う画面が生き生きとした生命力を発信してくる。一つひとつの動きを追っていくのも楽しいし、画面全体が一つの絵巻のように構成されているところもおもしろい。複雑な画面構成の中に画家の豊かな感性が見え隠れする。(磯部靖)

 糸井邦夫「大鷹がゆく」。広がる大地とそれを見下ろすように飛ぶ鷹。雄大なパノラマ的情景が展開している。左下から大きな河が右にカーヴを描きながら奥へと向かい、その右側の河川敷では野球をしている人々などが見える。さらにその右の道では散歩をする人物像が小さく描かれている。また、河の左側ではビル群がシルエットになって描かれている。輝く川面や朱に染まり長くたなびく雲、シルエットになった建物や点景で描かれた人々など、日が暮れかかった夕刻の風景がどこかノスタルジックな感情を運んでくる。そういった中で寒色系の深い色彩の所々に、赤を効果的に入れ込んでいるところが、この画家の絵画的なセンスの良さを特に感じさせる。左下では犬が寝そべり、バイクのメーターが見える。画家自身の視点と鷹の視点が重なり合いながら、強いイメージの世界が立ち上がってくる。(磯部靖)

 小澤清人「レダ」。レダはギリシア神話に登場する人間の女性である。スパルタ王の妻でありながら、白鳥に変じたゼウスにも愛された。そのレダとゼウスをイメージの元として作品を描き起こしている。裸婦として白い敷布に横たわったレダは肘をついて頭を少し起こし、下を向いている。その背後の宇宙には掠れるように白鳥の姿が描かれている。星々は銀河のように集まって河をなし、強く輝いている。その輝きはレダの持つ美というものを鑽仰しているようだ。ふくよかな丸みを帯びたレダのフォルムは、美そのものの他にも母性的な魅力を孕んでもいるようだ。神話ではレダは王の子の他にゼウスの子も出産している。女性が本来兼ね備えた美しさというものをゼウス、あるいは宇宙そのものを脇役にして幻想的な世界観の中に強くメッセージして来るようだ。(磯部靖)

 楢原敏正「夢風花2013」。画家の夢風花のシリーズも長い。今回はオレンジから黄のグラデーションを背後に作り、そこに二人の母子を思わせる女性を重ねるように描いている。二人は花を持ち、その花は二人の周囲にも広がっている。その浮遊感が印象的である。母は深い緑の衣服、娘は青の衣服を着ている。その寒色系の色彩が、背後のグラデーションとうまく馴染んでいるところに特に注目する。アクリル板に背後から描き出す技法によって制作しているが、だからこその色彩感覚といってよいだろう。(磯部靖)

 有賀忍「雪華頌―心逸る―」。楽しい雪祭りの様子をしっかりと描き出している。二人の子供を連れた男性を中心に画面が展開している。周囲には沢山の雪だるまがある。雪だるまはどこか生命を獲得したように生き生きとした存在感を放っている。そこに様々な形をした雪の結晶が舞い降りてきている。青と白の色彩を中心とした中に、温かで華やかな世界が広がっている。(磯部靖)

 吉田キミコ「森鷗外著『青年』より」。縦に長い楕円の画面に和服を着て椅子に座る女性が描かれている。画題にある森鷗外の『青年』に登場する坂井未亡人と思われる。坂井れい子の謎めいた目は、主人公を強く魅了した。その目線がこちらにも向けられている。彼女の持つ妖しさや危険性をじっくりと描き出すことに成功している。架空の人物を肖像画のように描きながらも、強いイメージの力によってそういった強い発信力を孕んでいるところが見どころであると思う。(磯部靖)

 小野孝一「桜風」。横長の画面の中心からやや左よりの所に桜の樹が描かれている。たわわに花を付けたその姿が実に美しい。点々とやさしく花びらを描きながら、その花は風に乗って右や左へ舞い飛んでいる。特に右上方では隣の樹の葉に重なり合っている。灰白色と花のピンクが微妙に表情を変化させながら描かれていて、そこに画家のこの情景に対する深い想い入れが感じられるところもまた興味深い。また、樹の枝にとまっているフクロウが画家自身のように思えてならない。(磯部靖)

 泉耀子「ミサ曲 讃歌 Ⅰ」。教会を背後に歌う人々の姿が独特のデフォルメで描き出されている。軽やかなタッチで描かれたそれらには、どこか音楽的な軽快なリズムが感じられる。画面全体は水色や紫などの寒色系の色彩で彩られているが、その流れるような筆の動きも軽快である。見ていて気持ちのよい作品である。(磯部靖)

 永見由子「深海の逢瀬」東京都知事賞。画面の中央に大きく少女の人魚が描かれている。その人魚を包み込むようにクラゲやオウムガイ、リュウグウノツカイなどが描かれている。少女はカンテラを手にして誰かに会いに行くようだ。そのどこか不安げな表情に強く惹き付けられる。繊細な線でこの少女の心理状況を細やかに表現しながら、周囲の魚貝たちの独特のフォルムで画面を活性化させているところもまたおもしろい。(磯部靖)

 岡田富士子「小さな訪問者①」会員佳作賞。いくつものバラの花が重なり合って描かれている。そこに幼い妖精がいて、右上方からは蝶が数羽集まってきている。実に繊細な筆の扱いによって、その幻想的な世界にリアリティを引き寄せているところに特に注目する。(磯部靖)

 上原柳二「落ちながら笑う」現代童画大賞。物語性を孕んだユーモラスな画面が魅力的である。一本の樹木の上に靴の家があり、その周囲に男の子や猫などが戯れている。右側の男の子は落ちそうな雰囲気である。家の背後には大きな満月が描かれている。画面の中央で重なり合うような強い構成によって鑑賞者の目が惹き付けられる。また、暗い青や紫の中で、靴の赤がじわじわと浮かび上がってくる。生き生きとしたイメージの世界が展開している。(磯部靖)

2室

 吉水由里子「葉上の華」。三対の画面にそれぞれ一人ずつ女性を描いている。女性たちはたくさんの大きな葉の中からその上半身を現している。中央の女性は笛を吹いている。どこか天上的な世界観が印象的である。類似した構図の三枚を並べることによって織りなされる三人の関係性が鑑賞者の好奇心をそそる。(磯部靖)

 中野靖子「陽の出」。クッションに座る姉、大きな帽子を被って、膝にもピンクの大きな帽子のようなクッションを持っている。それが紫色の大輪の花のように感じられる。そばの床に、一歳ぐらいの弟が座って鑑賞者の方を眺めている。その黒々とした目の強さが、この画面全体のポイントとなっている。後ろには同じ様な紫の花柄のクッションが置かれている。またソファーには赤い花柄の布がつけられている。背後も赤の様々なバリエーションだが、少し沈んだ調子で奥行きがある。その奥行きの背後の上方に、少し赤黒い太陽が昇っている。その赤は生命の源といったイメージで、背後からこの姉と弟を支えているかのようだ。赤は少し呪術的で、例えば九州のチブサンの装飾古墳に使われている赤、あのような根源的な呪術的なイメージの表れているところも面白い。強い祈りのようなイメージが作者の中にあるのだろうか。それに対して手前の姉と弟は明るく清々しく描かれて、まるで透明な命のそのままのフォルムのように感じられる。また姉は少し微笑んで右遠くを眺めているのに比べて、少年の視線が直に鑑賞者の方を向いているのもこの作品のポイントとなっている。もう一点出品の「光の中に」は姉が足を伸ばして座っている。その後ろに、よちよち歩きの一歳ぐらいの弟がつかまっている。脇腹に手を伸ばして遠くを眺めている。その二人の様子が実にイノセントで愛らしい。背後には様々な赤が使われて、赤のシンフォニーと言ってよい。明るい赤、暗い赤、紫系の赤、オレンジっぽい赤、それがたらし込み風に表現されている。そして、単なる色彩の輝きに加えて、温度を持った雰囲気、温かな温度がその赤から伝わってくる。その赤はこの二人の姉と弟を包み込むような、そんな雰囲気である。上方に太陽が昇っている。そのまわりに紫が散らされている。子どもを子どもらしく描くことはなかなか難しいが、実に子どもの持つ無邪気でイノセントな生命感をよく表現している。(高山淳)

 加藤豊「羽にのった運命(いのち)」。大きな一枚の羽根と、その手前で膝を抱えて座るようなポーズをとった女性の彫像である。羽根の柔らかな感触と女性の丸みを帯びたフォルムが、強い臨場感を孕んでいる。生命という実に繊細なものを羽根に仮託しながら、この女性の未来に対する不安や希望といった感情を呼び起こしてくるようだ。そういった人間的なぬくもりのようなものを感じさせる感触が、この作品の深い魅力のように思う。(磯部靖)

 久里洋二「香り」。一人の若い女性を斜め後ろから見た姿を描いている。女性は一輪の花を手にして、それを見つめている。あるいはその香りを嗅いでいる。緑の衣服を着て帽子を被ったその姿には、若い女性特有の繊細さな心持ちが感じられる。グラデーションを効果的に扱いながら、そういった花と女性の二つの繊細な存在がこの画家らしい表現で対比されているところがおもしろい。(磯部靖)

3室

 小松修「惹かれ合う心」。建物の下を水路が屈曲しながら通っている。その右岸にはタキシードスーツを着た男が一人立っている。対岸でが、一匹のシーラカンスのような魚が空中を泳いでいる。薄暗く妖しい雰囲気の中に、遙か過去から或いは異世界から迷い出てきたようなこの魚の存在感が強く印象に残る。空間をうまく扱いながら、そういった非現実的な出来事を淡々と描写しているところに独特のリアリティを感じさせる。(磯部靖)

 嵐柴茂「ド・ボーン」。一頭のクジラが大きく描かれている。その強い存在感が鑑賞者を強く惹き付ける。頭を下方にしてこれから深く海の底へと潜っていくような様子である。シンプルな画面構成の中に、ファンタジックな雰囲気を帯びさせながらクジラの存在感を作品に引き寄せているところに注目した。(磯部靖)

 夢我克「マンハッタンの三つの月」。ライオンのマスクを被った人物が月夜の世界で踊っている。右側では楽器を弾く人物、左側には三人のそれを見つめる人物が描かれている。それぞれの上方には月が浮かんでいて、踊っている男の上方の月は青い満月である。その緩やかな動勢が独特のリズム感を作りだし、画面全体の幻想的な雰囲気をさらに強くしているようだ。背後のマンハッタンのビル群の垂直の動きも相俟って、生き生きとしたある種の舞台的なおもしろさを感じさせる。(磯部靖)

 中村景児「Crystal Flower」。ゴツゴツとしたフォルムの樹木の内部に一輪のピンクの花が咲いている。樹木の上方では、龍のような怪物と人間が戦っている。物語の一場面を思わせる様な光景である。鑑賞者は作品によってイメージを刺激され、それぞれのストーリーを想像するだろう。そういった強い説得力を持った作品である。それを支える確かな描写力にもまた注目する。(磯部靖)

4室

 須賀宇多「GATE」。空間と空間を繫ぐような扉が三つ並んで描かれている。そこからは人間の深層心理を現すかのような印象を受ける。葛藤や迷いといった感情が漂うような色彩となって現れ、この扉を行き来している。深く瞑想するように描き出された独特のイメージ世界である。(磯部靖)

 大上典男「あつめてもあつめてもとどかない」。暗がりの中でホタルのような光を集める二人の子供が描かれている。女の子は箱にその集めた光をため込んでいる。上空にはさまざまな人々の姿が浮かんでは消えていっているようだ。もしかすると既に無くなってしまった人々の魂を集めているのかもしれない。どこか寂しげな、しかし情感溢れる画面が強く印象に残った。(磯部靖)

 鳥垣英子「三日月物語 scene2」。三日月にまつわる話が画面で展開されているようだ。カエルやカメ、ウサギなどが見守る中で、三日月からは黄金の花や鳥が生まれつつあるようだ。これまでの鳥垣作品からは見られなかったような、童話的な要素が強く感じられるところが興味深い。青みがかった世界の中で、生命の神秘に触れるような画面が今後の展開を期待させる。(磯部靖)

5室

 石﨑道子「流星の使者 Ⅰ」。一人の女性を画面の中央に置き、その背後の船には馬と笛を吹く人物が乗っている。女性からは、どこかこの世のものではないような、精霊的な要素を持っているように感じられる。確かなデッサン力によって、それらの存在に実在感を持たせているところに注目した。(磯部靖)

 戸井田しづこ「夢のちまた」奨励賞・会友推挙。一人の若い女性を斜め後ろから見て描いている。色彩を丁寧に扱いながら、それを効果的に画面上で構成している。気軽に触れてはいけないような危うさがどこかにあり、それが独特の魅力を作りだしている。(磯部靖)

 加藤美紀「ターミナル」会員推挙。和服を着て旅行カバンを持った女性。誰かを待っているような様子である。ターミナル駅で繰り広げられる人間模様の一端をイメージさせる確かな描写力、表現力を感じさせる。(磯部靖)

8室

 鴫原友香「めぐり逢い」。一本の樹木を中心に旋回するような画面構成である。モノトーンの中に、色とりどりの靴と風船が描かれてリズムを刻んでいる。靴は人間そのものを仮託したように、お互いに向き合ったり離れたりしているようだ。豊かな感性とオリジナル性に注目する。(磯部靖)

第36回白亜展

(11月7日〜11月15日/東京都美術館)

文/小池伊欧里

1室

 坂口ハルエ「NINA」。緑色のソファーに座る女性。組んだ足が中央にせり出しているが、自然と顔にフォーカスされる。部屋の壁、床、ソファー、植物などが射し込む光と混じり合って全体として調和している。一点を見つめる女性の表情に魅力がある。

 平野知加子「Dark Forest II」。砂を混ぜたり盛り上げたりしたマチエールをベースに、深いイメージの世界を作り出している。埋まりかけた懐中時計や荊に絡み取られたリクガメが、静止した時間を暗喩する。立ちはだかっている双子のような少女が持つ、心の牢獄のようだ。自らの精神世界に籠もり他を寄せ付けない思春期の心理が表現されている。

2室

 豊田勝美「城北川の春」川島理一郎賞。鉛筆によるモノトーンの作品を手掛け続けている。左の桜や、右上の高木のうねうねとした形が面白く、垂直に立つビルや、その影が映り波形と交わって、整然とした様子と対比されている。枝の間を白く抜くように描いた桜の描写もユニークで、柔らかくノスタルジックな画面が表れている。

 木村睦郎「ミラノ・ドゥオーモ」。最大のゴシック建築であり、まとわりつくような装飾性を持ったミラノ大聖堂が、画家独特の解釈によって力強く描かれている。黒い人影から日の当たる上方に向かって明るさが増し、人影がレリーフの人型を経由して天に昇っていくような不思議な感覚を覚える。微妙なニュアンスによる陰影やベージュの階調によって、歴史を刻む堂々とした建築の姿を浮かび上がらせている。

3室

 吉岡正雄「カフェ  ドゥ  フロール」。Y字路的な背景に、デフォルメされた女性がポーズを決めている。中央のカフェもデフォルメされ、画面に動きが生まれ、並木やテラスの椅子、窓などがリズムを刻む。快活な気分にさせてくれる作品である。

 今井みさき「バオバブ樹と娘 in マダガスカル」。力強い線で描かれた独特な形のバオバブの樹が、近景から遠景に向かって点々と立ち並んでいる。トカゲと戯れる少女が優しく、マダガスカルの空気に溶け込むように描かれている。全体にマダガスカルの陽の移ろう色や木々と草原の緑色が、分解されたように色面として入れられ、野性味あふれる大地のダイナミズムとなっている。

4室

 石塚隆「運河の街(秋)」。人形のようにも見える建物が隙間無く立つ、アムステルダムの運河越しに見た風景。赤茶色のレンガ造りの橋や、茶や白の建物がどことなく寂しげで、やがて到来する厳しい寒さを予感させる。どこか人間味のある建物と、紅葉しつつある樹木が、異国の地でありながらも郷愁を誘う。

 石田聖子「丘の上から(シエナ)」。濃厚なマチエールで描かれた町。陰になった丘の紫と、日の光が注ぐ町の黄金色とが程良いバランスで、丘から見渡す美しい町並みとの邂逅が神々しく感じられる。色彩の豊かさによって、一つ一つの建物に表情が現れている。

5室

 橋本光枝「自然」新人賞・同人推挙。一面苔に覆われた渓流。そのふかふかとした苔の手触りが感じられる。様々な緑色を動かしながら、時折差し込む太陽の温かさも表現され、静かな山奥の一隅となっている。

 國尾三代子「奏」。背中合わせでチェロを弾く二人が、しっとりとした空間の中、真剣な表情で演奏をしている。二人の意識は演奏に向かい、チェロが体の一部のように感じられる。そして、ハーフトーンの中でチェロのしっかりとした形と色が画面を締めている。音の醸しだす雰囲気が視覚化されるようで、二輪の紫陽花とも相俟って、短調の切ない響きが伝わってくる。

6室

 山本英嗣「白樹」優秀賞。雪原から唐突に生えているような裸木が雪を被っている場面。触手を伸ばす粘菌のように枝を乱れ伸ばしている姿が、妖気を放つような気配を持っている。その激しさに視線が引き込まれる。

 熊坂行夫「大津港 蕭条」。錆び付いた廃船と錆び付いたガードレールがもの悲しく、廃船の向こうに立つ人間のシルエットが余計に哀愁を呼び寄せる。左の船置き場や断崖の茶色と、右の水面や空の青とが対照的だが、それぞれ親和しながら不思議なリアリティが生まれている。遠景の雲間から注ぐ光がちょうど廃船に当たり、役目を終えた魂を迎えに来るようなイメージと重なってくる。

 横田よし江「屋久の陽だまり」。古木を囲むように青々とした樹木が生え、大きく取られた地面は剝き出しの自然という様相で、画面の外側から包み込まれるような感覚になる。樹木の陰影を強調し、所々紫やオレンジを効果的に使いながら深々とした森の風景を描き出している。

7室

 斎藤千川予「花の扉」。黄昏時から夜へと移り変わるようにパステル調の色が交わり、舞妓の姿が浮かび上がっている。複雑に混じり合う色彩だが、しっかりとしたマチエールが作られていて、舞妓や花瓶の形もきっちりと捉えられている。儚い花の美しさと自身を重ねるように花瓶を見やる舞妓の表情はアンニュイである。そして一瞬の輝きを残して残響と共にフェードアウトしていく花火のイメージが余韻を残している。

 庄子雅子「想」。遠景の聖堂に向かうコンポジションが面白い。雲に覆われ雨に濡れたヨーロッパの一場面が、独特な色彩の配置によって再現されている。

9室

 石井基善「未曾有の災害2011(2)」。東日本大震災の現場、今まさに津波が押し寄せている場面が真っ向から描かれている。このようなシーンを具体的に描いた作品は意外に少ないと思うが、一つの歴史の記録という意味合いも画家はこの絵に持たせているようだ。右上辺の津波の様子や、逃げ惑う人々を除けば、ごく一般的な長閑な風景である。それが逆に目を疑うような衝撃的場面へと転換させる。独特な明度を持った色調と、やや俯瞰気味の構図によって、白昼夢が混在しつつも臨場感あるような作品に仕上がっている。

 橋本康子「人形の夢」。これまでの、放牧された馬のいる牧歌的風景から一変し、お伽話のような世界が現れた。白馬の背に乗った西洋人形が夢の中で遊ぶ。別の馬も上空を駆け、オリエンタルな城には、上辺の太陽のような薔薇から吹く風によって花弁が舞い注いでいる。白馬は実に優しい表情で、画家自身を人形に重ね、大好きな馬と風になって冒険をする、そんなイメージが浮遊感と共に描かれている。

 堀川靜子「カーニバルの夜」。ヴェニスの風景をいくつか組み合わせ、一つの画面を構成している。日が傾いた頃から夜に向かっていき、日中の喧噪から仮面舞踏会の醸し出す夜の雰囲気へと変化していく様が見えてくる。画家の新しい展開を見せる意欲作である。

 長濱伶子「PARIS」。同系色によって描かれた明け方のようなパリの風景。後ろにはノートルダム大聖堂のファサードや尖塔が見え隠れし、ざらついたマチエールやリズミカルに配置された窓によって街並みに調子の変化がもたらされている。

 中石伸子「水の都 ベネチア」。躍動的なストロークで夜のライトアップされたサンマルコ広場を海側からの視点で描いている。下半分を占める水面は、賑やかな夜の様子が溶け込んでいるかのように様々な色彩が混ざり合い、昂ぶる気持ちの動きが投影されている。

 岡邦彦「Sunny Side」優秀賞・同人推挙。水彩によってトタンに被われた小屋が描かれている。強い陽射しが手前の緑陰によってより強調されていて、強いコントラストが平凡な風景とは異なる魅力を作り出している。

 川井文夫「城が崎海岸」。直線的なしっかりとした線によって岩壁が描かれている。濃厚な色彩が堅牢な岩を触覚的に捉えている。向こう側に水平線が見え、パースを崩して平面的に表現しているのも面白い。

 槇榮子「友へ」。大切な友達へ小さなブーケを手渡す少女。二人はこれから別々の道を歩んでいくのだろうか。青春の大切な時間を一緒に過ごした思い出が、風車やしゃぼん玉のイメージとなって長く続く帰り道に溢れている。淡く輝く光の中に写る後ろ姿が様々な二人の物語を語っている。

10室

 山口幾子「子供の情景」優秀賞。イチョウの枯れ葉が舞う中を歩く女の子。点々と続く黄金色のイチョウが画面全体を黄色に染め、秋を象徴する。後の方で走る子どもたちと、舞い落ちるイチョウの葉の動きによって、奥行きが生まれている。薄塗りの背景に輪郭線を強調するように描いていて、絵画的な味わいのある作品となっている。

 木村優博「破舟蓮荷図」。木造の舟二艘を挟むように蓮の葉が密集して描かれている。全体的にしっかりと塗り込まれている中で、ひとつひとつの葉に生命が宿っているかのような輝きがある。クリアに描かれた蓮のボリュームによって、目の前に立つと舟と共に画面に呑み込まれていくような感覚に襲われ、異世界への渡しとでもいった不思議な風景に感じられた。

第38回新芸術展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 矢永繁子「夏は終りぬ」。画面の中央に裸婦を置いて画面を構成している。裸婦は左を向いていて、それを斜め上からの視点で見ている。画面の左側には茶褐色、右側は薄い水色の色彩でまとめられている。そこには風景的な要素が見受けられ、そのどこか切ない色彩によって、過ぎ去って戻らないという時の流れそのものを表現しているようだ。それが若い女性の持つ美というものの儚さと重なり合っているようで興味深い。やわらかで繊細な描写によってそういった情景と画家の心が響き合い、画面に現れてくる。

 加藤孝「平成絵草子舞う」。二人の和服の女性が風鈴を手にして、それを見つめている。画面全体はハーフトーンの色彩でまとめられている。背後には暗色の空間があって、そこで数羽の蝶が飛び交っている。確かなデッサン力によって描き出された女性像が、どこか絵巻物のような物語性を運んでくるようだ。パステルならではの色彩の調子を活かしながら、画家の美意識がしっとりと表現された作品である。

 矢萩武三志「夢幻華」。衣服をはだけた花魁のような姿をしたトルソを手前に描いている。その独特の感性にオリジナリティがある。背後には、ヴォリュームのある髪型をした三人の女性が扇形に配置されている。生命を持たないトルソが衣装を着ることによって、不思議な生命力を獲得する。自身の意志無く生きる現代人を作品の裏側から連想させるようなイメージを孕んでいて、実に印象深い。逆三角形の構図の中に、そういったメッセージを強く感じさせる作品である。

 加藤陽夫「草想〝百舌鳥のいる情景〟」。強い抽象性を孕んだ風景が展開している。向かって右に向かって斜めに下降する大地と左側にある樹木。そして上方には大きな太陽が描かれている。画面全体はドリッピングなどを活かすことによって、自然の持つ息吹のような生命力が活性化されている。静かな気配の中に、そういった生命のざわめきのようなものが感じられるところが特にこの作品のおもしろさだと思う。

 松田忠好「月光利根川」。月夜の利根川の情景が描き出されている。深い青の色彩の中で、月の光にキラキラと輝く川面が実に幻想的である。川岸の土手には建物なども見え、対岸からそれを見つめる画家の視点が、そのまま鑑賞者の視点と重なる。満月の繊細な光がどこか鑑賞者に静かに語りかけてくるような、そういった魅力を感じさせる。

 佐々木寿美「春─真昼の夢」。画面が左右で二分割されている。向かって左側は灰白色、右側では赤や朱の色彩でまとめられている。鑑賞者の心を包み込むような色彩が実に心地よい。日常的な要素を画面の中に数々入れ込みながら間を作りだし、その余白に深い情感を入れ込んでいるようだ。そして、その二つの間に山なりに緩やかにカーヴする線が入れられている。時間と空間、夢と現を繫ぐような、独特で端的なイメージである。そうやって描き出された画家の内景ともいうべき景色が、深い奥行きを孕みながら鑑賞者をその世界へと緩やかに誘うようだ。

 髙井澄子「宵の詩歌」。手前の茂みから、原っぱを覗くような視点で描かれている。辺りは暗く、画面全体は青みがかっている。そしてその原っぱには紙風船が一つ置かれている。赤や黄色のその色彩が、画面全体の青にしっくりと馴染んでいるところがよい。日中にこれを使って遊んだ子供たちの余韻が今でも少し残るようである。

 山中鏡子「夢の兆し」。天上から室内を見下ろすような視点であるが、その複雑な画面構成がおもしろい。小さな天使を中心にして、部屋や手前の二人の女性などが、旋回するような構図で描かれている。丁寧に描き込みながら、鑑賞者をぐいぐいと作品世界へと引き込むような魅力を持っている。

 花澤国雄「朽ちてゆく Ⅰ」文部科学大臣賞・理事推挙。物寂しげな水辺の風景である。手前から奥に向かって枯れ果てた裸木がいくつもある。その遠近感がしっかりと捉えられている。屍のようなその裸木の姿が、命というものの儚さや無常感を鑑賞者へと訴えかけてくるようだ。それを支える誠実な描写力にもまた注目する。

 寺島慶子「Passion」。強い抽象性を孕んだ画面が、ゆっくりと動いているようだ。画面の中で強弱を付けながら、深い心理的な描写が表現されている。たらし込みやドリッピングなどを使いながら、淡いグレーの中に青やピンクなどの色彩を効果的に加えている。画面全体で鑑賞者のイメージに直接語りかけるような魅力を感じさせる。

6室

 高橋行子「朝やけの街」。画面の手前に大きく樹木とその枝を置き、その向こうに都市の風景を描いている青みがかった画面全体の中で、遠景の空がうっすらとベージュがかっているところが、強い幻想感を作品に引き寄せている。それが強い情感を生み出し、鑑賞者にこの作品を強く印象づける。

7室

 野口巴「刻の中で」。二人の女性の背後に積み重なるような街並みが見える。その街の輝くような灰白色の色彩に惹き付けられる。どこかポートレートのように画面を構成しながら、都市の時間と女性の人生を静かに対比させるように描いているところがおもしろい。そういったイメージを誠実に追いながら描いている作品である。

8室

 中道美佐子「回想ウルビーノ」。建物一つひとつのフォルムと存在感が重なり合って画面を構成している。そのそれぞれに人々の生活、人生のドラマ、歴史が内包されているような重厚感がある。パステル調の色彩を繊細に扱いながら安定した構図を作りだし、画面全体の充実した密度によって、確かな臨場感を感じさせる作品である。

10室

 髙橋洋子「秘密の庭」新芸術協会賞。二匹の猫が庭の茂みの中に描かれている。その細やかな描写力に注目する。明るい色彩とそれを繊細にトーンを変化させながら、気持ちのよい空気感を作り出している。点々と咲く朱の花々も、作品に一つのリズム感をもたらしていておもしろい。

 三輪光明「シエナ・カンポ広場」名古屋市長賞。画面に大きく建物に囲まれた広場の空間がある。そこに朝日の昇る港の風景が描かれている。この広場特有の光景を俯瞰するような構図で描き、それを鑑賞者と共にイメージを共有するよう描いているところが独特であり、巧みである。放射しながら旋回するような構図もまた生き生きとしたイメージを後押ししている。

第39回太陽美術展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 三木辰夫「太陽の行進」。壁画を思わせる画面の中に並んで歩く人物像が見える。黄土色から黄、赤の色彩が、画題にある太陽を連想させる。どこか仰々しく静粛なイメージが感じられる。ある種の神聖な儀式に赴くような様子である。古代へのロマンを孕みながら描かれた独創的な群像表現に注目した。(磯部靖)

 樋口匠衛「Spacca napoli」。ナポリの裏通りのような路地を描いている。茶系の色彩で統一した画面が、夕暮れがかったような情景に独特の臨場感を持たせている。確かな描写力によって、現地の雑多な様子の中に強い臨場感を引き寄せているところに特に注目する。(磯部靖)

2室

 佐々木津也「巡る(Ⅰ)」。イタリアの情景をパーツを分けながら描いた画面の中に猫やカラスがいる。特に名所を巡りながら旅をするような猫たちのどこか人間くさい様子が印象的である。端的な描写によって、少ない色数の中に、童話的なストーリー性を作りだしているところがおもしろい。(磯部靖)

 𠮷田滋子「燦・燦」。黄金色の衣装をつけた女性が宙に浮いている。下方には琳派ふうな海のフォルムが立ち上がっている。はるか向こうの山からいま太陽が昇っている。オレンジ色の光がそこから発光する。装飾的な要素、琳派的な要素、色面構成的な要素、そして優れたコンポジションによって、日の出を讃歌する。まさに、やまとし美し、日の出美しといった雰囲気である。柔らかに浮遊する女性のフォルムもまた不思議な現実性と同時に神的な要素が複合した独特のものである。(高山淳)

 郷右近健二「横浜百景『子安浜2013夏』」。海辺にある小屋の内部を描きながら、そこから見えるわずかな外の情景を巧みに情緒深く描き出している。外の明るさと屋内の影が強いコントラストを作り出し、様々なモチーフは極めてクリアに描かれている。臨場感を孕みながらも、どこか落ち着いた心休まるような感覚が特に魅力的な作品である。(磯部靖)

 清水源「潮騒」。清水源は四点出品である。海にちなんだ人間群像を正面に二点置いて、それを鑽仰するように、すこし抽象的なコンポジションで色彩豊かな海の風物を左右に置いている。大作の二点であるが、「潮騒」は、子供を抱く母親の向こうに魚をぶら下げている男がいて、その横には網を持っている二人の人物。下方には貝を持っている少年がいる。また、母親に抱かされる子供は上方に魚を掲げている。後ろの人物像は青木繁の「海の幸」からインスパイアされたものと思われる。渚に水が寄せて、遠くに灯台があるのが実に心憎いアクセントというか、作品の遠近感のポイントとなっている。いずれにしても、線によってクリアな人体のフォルムをつくり、そこに量感をつくりだす。ピカソの新古典主義の影響も見られるような、しっかりとした量感のある人物群像である。色彩豊かに暖色の黄土から褐色の色彩の人物たちが朗々とした雰囲気で海辺にいる。フォルムに対する優れた感覚、そしてその構成力、そして海を讃歌する文学的なテーマといった要素がそろって、実に豊かなコンポジションになっている。前述した左右の緑や紫、赤などを使いこなした色彩鮮やかな二つの作品群は、貝殻やヒトデ、そして鳥などのフォルムを端的に入れながら、緑を中心とした色彩のハーモニーは海を讃歌する音楽がゆるやかに高く鳴り響くようだ。(高山淳)

 原康「ひとり静か」。寒色系の色彩で画面をまとめて、そこに一人の女性を描いている。青みがかった色彩の繊細な色調の変化が見どころだと思う。女性は暗色の帽子を被っていて、それが画面の中で一つのポイントとなっているところもまたおもしろい。静かな気配を漂わせながら、独特の画面の広がりを見せる。(磯部靖)

3室

 近藤麗子「尊々我無─喜界島夫婦がじゅまる─」。密林の中に空間があり、そこで沢山の蝶が舞っている。線でフォルムを象りながら、細やかに樹木の枝葉や蝶の姿を描き出している。左上方に抜けるような青空があって、それが明るく生き生きとした生命力を活性化させている。じっくりと構図を練って描かれた生命讃歌である。(磯部靖)

4室

 吉田康弘「シエナの市街 2」。厚いマチエールによる赤茶色の色彩で描かれた建物の存在感が強い。今回は特に建物に接近して描いている。それは単純な距離感ではなく、心理的に接近しているということである。長い時間の流れとその存在感が、強い臨場感を孕んでいる。連続する扉の様子もまた独特のリズム感を出しているようで印象深い。(磯部靖)

 松澤純子「甦れ大地 13─01」。上方に二つのトルソが結合したようなフォルムが浮かび上がっている。後ろにボロブドゥールやアンコールワットなどに見られるような仏像の顔が三体浮かんでいる。その緑に彩色された色彩は深く人を癒すようだ。大きな樹木が立ち上がる背後に別れをする人がいる。手前の屈曲する植物の枝のフォルムは、苦しみの中に再生しようとするイメージをつくりだす。大きな強いコンポジションの中に生というものの復活を力強く祈る構図が生まれている。(高山淳)

 西岡美恵子「明日に向って」。向かって左を向いて膝を立てて座っている女性を大きく描いている。遠くを見つめる女性の目線が自身の未来を見ているようである。自身だけではなく、暗鬱な現代社会の未来に対する希望を願う感情が感じられるようだ。それを支える優れたデッサン力にも注目する。(磯部靖)

5室

 佐藤ひろみ「No.4 future」。白い毛が付いた長方形の敷物から女性の足が伸び出ている。その足はつま先から膝までのストッキングを履いている。この作品以外の数点もそうだが、ピンクの色彩を基調色にして作品が創作されている。強い女性性とその存在性を基盤にしながら、それを巧みにメッセージしているところが特に印象に残った。(磯部靖)

6室

 有澤美和子「そこに、光はあるのか…」。画面の向かって左側に大きく炎が立ち上がっている。背後には深く青い世界が広がり、それが強いコントラストを作りだしている。不穏な世界の中で空を突くように燃え上がる炎が、破壊と再生といった命の循環をイメージさせながら、根源的な命というものの力強さを発信してくる。(磯部靖)

7室

 小西豊海「No.4  近江の鼓動」。鼓を打つ女性の肩から上を大きく描いている。その凜とした様子が印象的である。余白を充分に取ってそのリズムの余韻をうまく魅せているところが特によいと思う。細やかな筆致も女性の繊細さを強く表しているようだ。(磯部靖)

8室

 佐藤玲子「雪の朝」佳作賞。まだ雪の残る二股の交差路の情景である。現地の冷たい空気感が肌に迫るような臨場感を作りだしている。明るい朝日が画面を照らし、わずかな影を作る。その繊細な様子をじっくりと誠実に描き出しているところに好感を持つ。(磯部靖)

第35回記念清興展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 いせきみちこ「眞昼のシャンデリア」第35回記念功労賞。画面の向かって右側に煉瓦の壁があり、その奥に白いテーブルと椅子が見える。上方には淡い朱の花がいくつも咲いている。しっとりとした情感の中にあるどこか幻想的な雰囲気が魅力であり見どころだと思う。

 髙山知也「山の手所見(音羽台)」文部科学大臣賞。画面全体が深い緑の色彩で染まっている。その木々の奥に一つの家屋の姿が見える。日常みかける街の一角の風景の中に、強い情感を引き寄せている。細やかに筆を重ねながら、そういった風景を誠実に描きだしている作品である。

7室

 猪瀬淑子「寂」東京都知事賞。画面の中央に樹木の幹が立ち上がり、その周囲にはピンクの花が咲いている。どこか寂しげな風景でありながら、どこか匂い立つような美しさが感じられる。グレーと灰白色の中にほんのりと入れられたピンクの色彩が、そういった感情を作品の中にもたらしているようだ。見ていて心地よい作品である。

8室

 濱田秀美「厳冬に聳え立つ」。細やかな筆の扱いによって描かれた一本の樹木の凜とした姿に惹き付けられる。枝葉には雪が積もり白く染め上げ、背後の空は強い透明感を持っている。緩やかな色彩のコントラストを作り出しながら、この樹木の存在感をじっくりと訴えかけてくるようだ。

 江口光興「草原の朝」。広がる大地と遠景にそびえる山並み。そこにテントと馬などが点々と存在している。澄んだ空気感が満ち、清々しい情感を醸し出す。色調のトーンを実に繊細に扱いながら、そういった臨場感を確かに感じさせる。手前から奥への距離感なども安定していて、画家の確かな絵画的センスを感じさせる。

第36回JAG展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/小池伊欧里

1室

 近藤正之「万物に宿る精、祈りは静寂の中」。十本ほど伸びる松の木の間に、小さな人間たちや様々な顔、顔が現れた巨大な壊れた椅子のフォルムなどが浮かび上がる。山の形や室内風景がダブルイメージとなっているような画面からは強い気が発せられている。万物に宿る精の姿がプリミティブな造形の中に描かれている。

 山崎信榮「校外教室」会員賞。ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像を前に絵を描く子どもたち。自由に発想する三者三様のイマジネーションが面白い。銅像の巨大な前足が迫力をもって相対する。子どもの視点に立ったような球形の構図が生まれることで、その迫力がより強調される。包み込むような空間と、見え隠れする色彩の妙による楽しい作品である。

 山内ヒロシ「memory」。顔を寄せ合う二匹の猫が愛らしく、その二匹を祝福するように、もう一匹の猫がリボンを垂らす。出入り口の向こうには穏やかで明るい海が広がっている。向こうとこちらに紙風船があって、二匹の思いが作り出したパラレルな世界であることを暗示する。優しい光に満ちた作品である。

 森典彦「初冬のラヌラグ公園」。紫を中心とした、細かくグレーズしたような色彩で描かれた光景。鬱蒼とした木々に囲まれた場所なのか、木漏れ日が幾何学的に入れられているのだが、その光の線と木や遊具の交錯がリズミカルで、子供たちの動きに良いテンポが生まれている。

2室

 中村信「ラストスパート」会員賞。女性ランナーのスピード感と躍動が、横に流れるタッチと激しい色彩によって表現されている。人物を画面の上ギリギリに置き、跳ねるような印象も感じられる。しっかりと絵具の置かれた描写に説得力がある。

 萩原勉「ラ・ロトンド(パリ)」。雨に濡れた道から湿気が立ちこめるような調子で全体が描かれている。その青やグレーを基調とした色彩の中でカフェの赤い日除けが強調される。群衆の入り方も馴染み、淡色を混ぜながら雰囲気ある画面となっている。

 作山房子「春雪の丘」JAG賞。色彩が徐々に萌え広がるように里山の風景が描かれている。満開の桜と、残雪の白とが柔らかく響き合い、ビリジアン系の樹木や黄緑系の地面の色を引き立たせる。上方に横に伸びる道路の線を入れることによって豊かな眺望も表されている。

 目黒勲「午后 MADELEINE」少し坂になった通りを、垂直に交差する道路越しに捉える、ユニークな視点である。広告塔のようなキオスクが中心にあって、そこに覆い被さる並木の量感がよく表れている。脇の建物や道路はハーフトーンで整えられ、黄昏時の雰囲気を演出している。特に、大きく取られた道路が、視線を引き寄せる不思議な効果を生み出している。

3室

 酒見文雄「忍竹の向こう No.2」。忍竹の間を徘徊する牛。横顔だけ見える牛も大きな目でこちらを窺って、独特の気配の中に描かれている。まるで夢の中のできごとのように緩急のある筆触で表現されている。

4室

 江川宏「余市の街角」。ウィスキー工場の建物がゴツゴツした堅牢なマチエールで描かれている。砦のようでもあり、存在感が感じられる。そこには、空の暖色、寒色がほどよく混じり合った色彩が映り込み、釉薬のような風合いで時を閉じ込めている。

第49回都展

(11月17日〜11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 小杉博光「夏の記憶」。鏡越しにこちらを見つめる女性を向かって右斜め後ろから見て描いている。じっくりと画面に向き合って描き出しているところに好感を持つ。その中に一羽の蝶が飛んでいる。その蝶の持つわずかな動きが、作品に静かな動勢を与えているところが特におもしろい。

 青沼幸村「無縁坂」。緩やかに上っていく坂道を下から見た構図である。左右の壁や建物などが徐々に迫り上がって行く様子が違和感なく表現されているところがよい。点景で人物が入れられているが、それもまたこの作品にもう一つの物語性を与えていて、全体で見応えのあるものとなっている。

 矢吹昭久「踊る街と人と」。抽象性の強い画面の中に独特のリズム感がある。緑の色面の中にあるいくつもの橙色の曲線が、そのリズムを作り出している。それは画題にあるように街を歩く人々のイメージを孕んでいる。雑多な街の喧噪と人々の生活の営みが、このように表現され立ち上がってくるところが実に興味深い。

 山本房江「家族」。布に巻かれた赤ん坊を夫婦が見つめている。画面全体のやわらかな色調と雰囲気がこの夫婦の、そして画家の優しくあたたかい心情を強く訴えかけてくるようだ。ただこの今の幸せを心の底から喜び感じる素朴な感情が鑑賞者を強く作品に惹き付ける。

 伊藤直「Champs-Elysées」。凱旋門に続く道を、強いスピードを持って正面から描いている。車や人々が行き交う道の様子が流れるような筆致で生き生きと描き出されている。色彩の数少ない中で、確かな臨場感を作品に持たせながら、どこか淡々と描き出しているようなところが印象深い。

2室

 熊倉幹子「夏日」。椅子に座った女性の肖像。青いスカートがしっとりと灰白色の画面に馴染んでいるところが特によい。夏の日のどこか幻想的な感覚が、この女性の存在感を希薄にさせているようなところがおもしろいと思う。背後の花々の朱の色彩が、そういった中で独特のアクセントを作り出せいているところも印象に残る。

 武田雪枝「遊」。画面全体にあるどこかミステリアスな雰囲気が魅力である。ソファに座った少女を描きながら、鑑賞者の視点をずらすようにいくつかのモチーフを使って画面を構成しているところがおもしろい。クリアにモチーフを描き出しながら、印象深い画面となっているところに注目する。

 早川次彦「高原の秋」。黄金を思わせる一面の色彩が画面を染め上げている。手前から奥に向かって続くその距離感がしっかりと捉えられている。そこにあるわずかな起伏や畦道が、テンポの良いアクセントを作りだしているようだ。現地で得た感動をそのまま作品として描き上げたような新鮮さがよい。

3室

 小俣眞智子「憧憬  モンマルトル」。モンマルトルを間近に望む広場で沢山の人が絵を描いている。その様子が生き生きと描き出されている。輝く様な白の建物を中心に様々な色彩が画面の中で使われていて、それが作品を強く活性化させているようなところに特に注目する。

 髙橋恭昭「春・目覚」都民美術運営会賞。グレーの色彩を微妙に変化させながら、複雑に画面を構成している。左上方にある城に人や蝶、鳥などが向かって行っている。ポップにデザイン化されながらも、強い絵画性を保っている。神話的なイメージの中に、独特の群像表現を描き出しているところがおもしろいと思う。

8室

 豊田千年「オ・ソーレ・ミオ」。テーブルに肘を乗せて歌う女性を大きく描いている。その右側にピアノの鍵盤、左側に街並みを描き、歌の持つイメージを浮かび上がらせている。下方にはダイヤのエースが見える。それが作品のポイントとなって、そこにイメージが収斂していくようだ。いずれにせよ深い情感が魅力の作品である。

 高藤修一「ミハス・坂の下通り」。一面灰白色の建物に挟まれた路地が左にカーヴしながら奥へと続いていく。その建物の直線の動きとクリアな色彩が独特の調子を作りだしている。そしてそこにある窓や屋根がリズムを作る。その様子を淡々と描きながら、清々しい空気感を作り出しているところが特に印象的である。

9室

 土肥彩「光降る店」都民美術賞。明るい陽の光が注ぎ込む部屋の様子が実に繊細にしっかりと描き出されている。光の当たった部分は滲むように描かれていて、それがどこか幻想的な雰囲気を画面にもたらしている。この画家の持つ確かな描写力と表現力を感じさせる作品である。

12室

 岡本守「TRIO Ⅰ」。楽器を持って演奏する三人の男の様子を大きく描いている。味わいのある人物描写が、作品の中に流れるジャズ風のリズムをこちら側に運んでくるようだ。鑑賞者とそういったイメージを交感するような、いきいきとした魅力が感じられる。

14室

 三國隆三「雪あかりの運河」。小樽を思わせる運河沿いの情景である。暗がりの中で運河に流された沢山の灯籠が点々連続しながら続く。そのわずかな光が、画面の左上方に灯る外灯の明かりと静かに響き合っている。それによって深い情感が作り出され、鑑賞者を作品に惹き付ける。

 松井祥子「管理人」。雑多な室内に描かれた女性と犬と猫。それぞれの様子がしなやかに描き出されている。それぞれの関係性が鑑賞者のイメージを刺激する。どこかユーモラスであり、心和ませるような画面が強く印象に残った。

15室

 濱田睦子「仕事小屋の風景」特選。鬱蒼とした樹木に浸食された木造の小屋を画面の中心に描いている。小屋の茶系の色彩と樹木の茶と緑のそれがしっとりと重なり合っているところが独特の情感を作りだしている。どこか物寂しい中に人の気配を感じさせるようなところもまたこの作品の魅力である。

16室

 坂本成「モイエナージュ・Ⅲ」。雲の切れ間から光が差し込み、街を照らしている。中央の広場には行き交う人々が点景で描かれている。どこか箱庭的な、物語の一場面のような寓意性がおもしろい。静謐な筆致でそれを描き出しながら、的確に画面を構築している。

 飛田良宣「港の一隅」。港の風景をぐいぐいとした力強い筆致で描き出している。それによって肌に迫るような臨場感を獲得している。グレーなどの中で連続する船の輝く様な白の色彩が特に印象に残る。そこに繊細な線を加えてリズムを作りながら、画面全体で確かなリアリティを引き寄せている。

第45回ローマン派美術協会展

(11月16日〜11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 門田真知「夜桜 Ⅱ」。鮮やかなピンクや白の色彩をドリッピングしながら、桜の樹のある情景を描き出している。背後には明るい金色と夜空を描き、そこに幹や枝を伸ばしている。強い抽象性の中に、桜の持つ美と生命力を生き生きと描き出して表現している。

第54回日本版画会展

(11月17日〜11月24日/東京都美術館)

文/小池伊欧里

1室

 橋本広喜「冬の大内宿」大内宿の萱葺きの古民家が雪を被っていて、その雪は紙の地色にグレーの陰影で表現されている。手前の緩い上り坂を上手く使い、集落が続くパースペクティブを強調している。雪のモコモコとした立体感によって、ありふれた雪景とは一味違った様相を呈している。

2室

 高野勉「寄添」。強烈な赤で描かれた椿は、実寸以上の大きさを感じる。しべの形がユニークで、モダンな印象である。背景を埋める葉は、木版画特有の風合いで赤が滲んでいて、椿の花弁を強調する。大小の椿が徐々に近付いていくような不思議な感覚がある。

5室

 前知津子「ドンゴロスの上で Ⅱ」。母の思い出が詰まった様々な種類の竹カゴが集積されている。手前の木箱の上にはドンゴロスが敷かれ、上に置かれたカゴの緑、白、赤の肩ベルトが目を引く。縦横に、あるいは円状に細かく編まれたカゴにそれぞれ表情がある。手前の三色ベルトのカゴは、スポットライトが当たっているかのように輝いている。

 阿部健次「福島の音30景より 一の戸橋梁」。喜多方を通る磐越西線の鉄橋、一ノ戸川橋梁をSLが走っている場面である。古い橋であることと、モノトーンのシルエットであることによって、現役のSLに戦前のような赴きがある。トラスの構造や台形の支柱の形も面白い。

7室

 積山ミサ「Blue line cluster amaryllis」。青と赤による硬質な手触りの背景が作られ、下方に青い線描きでアマリリスが描かれている。一輪一輪が実に細かい描写で、しべの広がりが増殖しているような印象を与える。燃えるような赤いバックの色によって、曼珠沙華の群生のようにも見え、妖しい雰囲気に満ちている。

8室

 坂本勇「鎮魂の花」。花火の閃光が水面に反射し、水面が黄色に染まっている。その輝きが幻想的で、まさにお盆の霊魂に捧げる花というイメージである。一瞬のうちに花開く花火の最も輝かしい瞬間を線の動きによって表現している。

9室

 町田えいめい「北の運河」。木版をベースに様々なテクニックを駆使しながら、豊かなマチエールを持った画面が作られている。左側の外灯によって暖かな光がレンガ造りの倉庫を照らし、壁や氷柱が仄かに発光する。川に映った建物の影など、隅々まで繊細で見どころがあり、寒さの中、どこかほっとするような風景である。

 勝山正則「三つの影の願い」。古い和式の門が内側からの光による影を外に落としている。色々な角度や形の格子から作られた影は、路上に一列に、ユニークなリズムを刻んでいる。陰影の面白さを黒とグレーのトーンによって上手く表している。

15室

 秋元アヤ子「日曜日」。版木の凸部分にインクを乗せたレリーフであるが、コントラストと構成の妙によって、左の樹木、中央の建物、背後の尖塔と遠近が導き出されている。最低限の要素で最大限のディテールが表現されている。

 相澤弘邦「夕映えの家路」。ランドセルを背負って畦道を歩く子どもたちのシルエットが、妙にリアリティーを持って心に訴えかけ、余韻を残す。懐かしくて長閑な光景である。田畑や電線の織り成す横のストライプと、樹木や電柱、子どもたちの縦の並びとのバランスが構成として決まっている。

 桑田幸人「群舞」会員推挙。牛たちが猛り、躍動している。頭を天に向け、しっぽを振りかざし何かを訴えているようだ。大地の轟きが聞こえてくる。作者の住む鳥取の牛と、福島の牛とは品種として強い繫がりがあるという。被災地の牛たちに対する思いもこの作品に込められているのかもしれない。

18室

 小林理恵「夢見る」。横浜のみなとみらいや赤レンガ倉庫の夜景が、柔らかに青く発光するような色彩で描かれている。大観覧車の回転がサーキュレーターのように、周囲にパステルカラーの色彩を飛ばし、それが花びらや木の葉のように舞っている。小品ながらも構図や色調を巧みに操り、幻想的な世界を作り出している。

 篠田紀美代「園」。墓標のような十字形のモニュメントに囲まれ、うずくまる人と祈るように頭を傾げる人。陰のある内面世界から解き放たれるかのように上方に向かって白い道が続いている。鎮魂のイメージが銅版による細かな線によって表現されている。

 山本麻実「蒼玉色」。花瓶や花が白く象られ、幾層にも重なった色面によって複雑な青さで輝いている。内側から滲み出てくるような幻想的な色彩が、ノクターンの曲調のように響いている。

 小暮真望「緑渓 '13」。緑の細かな階調と、所々の茶を生かしながら、渓流のダイナミックな様子が捉えられている。手前の、緑色の影になった紅葉が視界をまばらに遮り、全体の奥行きがぐっと現れる。巧みなテクニックと表現力が詰まった作品である。

 市田喜一「波」日本版画会賞。つがいの蛾が一体化して、荒波の上方に浮かぶ。背後には月が満ち欠けしながら旋回し、どこか死と再生を想起させる。これまでの、激しい鬼のモチーフから一転して静けさのある作品であった。木版の魅力を最大限に引き出し同展を彩ってきた作者は、この会期終了の直後に逝去された。合掌。

第11回新平成美術展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/磯部靖

 中村孝一「翳りゆく秋」。草原の中に黒いコートを頭まで羽織った一人の女性が歩いている。茶系の色彩で染まった世界の中でその黒が強い印象を作りだしている。物寂しげな孤独感が漂うような雰囲気が、繊細な筆の扱いによってありありと描き出されている。

 上田酔潮「残夏」。複雑な表情をもった入江の風景である。ゴツゴツとした岩の姿と緩やかで微細な波紋を広げる水面の対比が、強い見応えを作りだしている。手前から左上方に抜けていくような海面のながれもまた独特の間を感じさせる。鑑賞後に残る深い余韻が特に魅力である。

 早川皓章「石化とトルソー」。花の生けられたガラスの花瓶の右脇にトルソが横たわっている。このトルソにどこかわずかな生命の残り香のようなものが感じられるところが興味深い。手前下方には大きく一輪の花も添えられていてそれが献花の様にも思われる。明るい色彩を用いながらも、失った生命に対する深い鎮魂がテーマになっているところが作品の前に立つ鑑賞者の心を震わせる。

 伊東房枝「森の宝石たち」会員優秀賞。青い実を細やかに付けた植物を大きく画面に描き出している。それが背後の紅葉した葉と相俟って、どこか宝石のようなキラキラとした魅力を放っている。確かな描写力もまた感じさせる作品である。

 斉藤由比「キャトル ルージュ(四つの赤)」新平成美術展・大賞。花瓶に生けられた真っ赤なバラの束が鑑賞者の視線をぐいぐいと惹き付けるようだ。下方のテーブルや背後の茂みなども合わせて、モチーフそれぞれをクリアに描き出している。安定した構図の中に描かれたバラの姿が凜とした美しさを保っている。

 田中篤「阿夫利嶺」奨励賞。田舎の水辺の風景をじっくりと描き出している。水を汲む人や数頭の牛、背後の背の高い草や木など、それぞれが確かにそこに存在している。画面に残る筆跡が、この画家の見たこの風景の新鮮さと現地の空気感を訴えかけてくるようだ。

〈The とき展〉

 佐藤揚「素晴らしき大地」第5回 The とき展奨励賞。緑がかった色彩で画面が統一されている。その中に広がる大地と樹木、遠景に都市の風景を描いている。手前から中景までの影とそれより向こうの明るさが静かに対比され、しっとりとした情感を引き寄せているところに特に注目する。

第60回新美術展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 菖蒲みえこ「放流」。大きな穴から水流が放出されて濛々とした飛沫をあげている。背後では、田圃が広がっている。二つのイメージが独特の画面構成で重ねられているところにオリジナリティがある。手前の迫力と背景の静けさという対比もおもしろく、強く鑑賞者を惹き付ける作品である。

 糸井達男「向日葵のある風景」。画面の右側に向日葵、左側に街角の風景が描かれている。そしてそれらはどこかイメージの一端として画面の中で組み合わされている。少しの抽象性を孕みながら、作品の中に過去を振り返るような感傷があって、それが強い余韻を作りだしている。

3室

 原田巧「クレマチスの咲く垣」。青や白、朱の花々が並ぶように咲いている。それらを点々と細やかに描きながら、それらが持つ連続性が独特の韻律を作りだしている。背後には壁があって、ぽっかりと窓が開けられている。画面全体の間とリズムを端的に繊細に描いている所が特におもしろいと思う。

4室

 加知満「風光る」。傾いたような画面構成の中に、山里の風景がパノラマ的に描かれている。瓦屋根の家屋と棚田、森がいくつも組み合わされて続いている。青みがかった画面の中で、画家の強いイメージが確かに活性化してこの情景を作りだしているようで興味深い。

5室

 高橋惠子「道の辺に」新美術協会大賞。様々な種類の植物が重なるように生え、一つの形を作りだしている。そのこんもりとした中にあるそれぞれの植物の細やかな描写が印象的である。ある種の生命力のような強さと、一人立つ孤独感が作品の中で静かに立ち上がってくるようだ。

 小川喜久世「日進月歩」内閣総理大臣賞。三曲屛風の画面の中にすすきを中心とした空きの風景を描いている。周囲にたっぷりと余白を作ることで、作品に強い情感を引き寄せている。どこか寂しげな中に、植物の持つ生命力と美しさを感じさせるところもまた印象的である。

第39回現創展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 荒木典子「送」。深い祈りのイメージに満ちた画面が鑑賞者を強く惹き付ける。百合の花や組み合わせた手などを繊細に描きながら、確かなマチエールで画面を描き出している。黙想するような強い情感が印象的な作品である。

 加藤英正「満一才の誕生日」。確かなデッサン力で描かれた母子の肖像である。柔らかな線で捉えられた母のフォルムと服を着た子供の姿が静かに対比される。そういった画面の中で、画家の温かな視線が感じられるようで興味深い。

 龍まんじ「融合と連携」東京都知事賞。画家の尽きることのないイメージの力が存分に発揮された作品である。絵巻風に描きながら、どこかポップな現代的な感覚を入れ込んでいる。人物やその他のモチーフ一つひとつがしっかりと際立って存在して描かれ、画面全体で生き生きとした群像表現となっている。

2室

 立岩彰「南地中海の女」。地中海を望む窓辺を背景に、椅子に座った女性を一人描いている。女性の着る衣服の華やかさと背後の海の静けさが強く対比されて画面を活性化している。じっくりと画面を描き込みながら、彼の地から引き寄せたロマンチックな情感が魅力となって作品を支えているようだ。

 三輪光明「水の妖精」特選・運営委員推挙。ベネチアの祭りに参加する二人の人物を正面に描いている。キラキラと輝く様な世界がどこか現実とは離れた幻想的なイメージを感じさせる。力強い筆致もまた、もう一つのリアリティをもたらし、見応えのある画面として成り立っている。

 小西淳子「緑のインド平原に釈迦生まれる」。菩提樹の元に集まった動物たちが釈迦の誕生を祝っている。ハーフトーンの黄緑やピンクの色彩がやわらかく扱われている。それが、穏やかな喜びをこちら側に伝えてくるようだ。周囲に放射するような構図が、釈迦誕生を世界に向けてメッセージしているようで興味深い。

第75回大潮展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/小池伊欧里

1室

 横山喜代子「川辺の風景」大潮会賞・会友推薦。川辺に茂る木々や草が透明水彩のハーモニーによって描かれている。ストロークに変化を持たせながらの立体感のある描写で、中央の黄色い木がフォーカスされている。また、上空を散開する白い鳥の影がその場に流れる風の動きを感じさせる。

2室

 小針初美「冬木立」新人賞。全体の印象は、西欧的な香りのする作品だが、滲むような水彩の特性を生かした樹木の描写などは実に水墨的である。手前の濃い色調による木立に対し、奥の光の当たった樹木の枝が白く抜かれていて、リズミカルな景色が再現されている。

9室

 加古千恵子「待春」。雪のまだ残る棚田のカーヴが海岸線と呼応し、波長が広がっていくようにゆるやかな曲線があらわれる。右手前の枯草から、棚田、集落、海、山と続いていくランドスケープが心地良い。それは、近景にあたる右下の茶色から遠景にあたる左上の青色への変化に希望に向かうようなイメージがあるからだろうか。強いストロークから編み出される繊細な変化に見応えがある。

13室

 浅居浩「春の頃」。畝にビニールをかける作業を俯瞰するように捉えている。互の字型の構図が面白い。メインの作業する描写は、アウトラインをしっかりと取りクリアなイメージである。作業服の色調もそれぞれが調和し、人々のかがむ様子など、動きがよく表れている。

第52回群炎展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 佐藤淳子「カラスと一緒に帰りましょう」。草むらの中を抜ける道を帰途につく幼い兄弟の後ろ姿を描いている。誠実にこの情景を捉えながら、深い心情を込めて描いているようだ。やわらかな光の中で、繊細に描かれた植物や道の奥までの距離感などもまたしっかりと捉えられていて、情感を確かに支えている。

 斉藤亥之助「あめがしたにはかくれがもなし」。腰を上げて俯せになった裸婦が深紅の色彩をバックにグレーの色調で描かれている。遠景には竜巻が見える。その強いコントラストが鑑賞者を惹き付ける。女性の流れるようなフォルムもまた魅力であり、画面全体で強い社会性を孕んだイメージが表現されているようで興味深い。

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