美術の窓

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公募展便り(2013年1月号)

美術の窓 2013年1月号

第44回日展〈日本画〉

(11月2日~12月9日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 長谷川雅也「風濤」。二頭のコリー犬と二頭の子供の犬で画面を構成している。コリー犬のもつ独特のノーブルな雰囲気が画面によく捉えられている。単なる犬というより、人間の情動とか高邁さ、あるいは無意識の世界を仮託された存在として、独特のあやしさとシュールな気配が感じられる。

 加村光子「春の雪」特選。冬の葉の落ちた枝が面白く構成されている。グレーのバックの空間は雪が積もった様子で、その雪のもつ柔らかな手触りともいうべきものが表現される。下方は、それが水の流れもしぜんと暗示させるようなダブルイメージになっている。面白いのは、その枝の中に巣があって、二つの卵があり、白い蔓のようなものが周りに伸びていることだ。山荘に行く途中に発見した光景だそうだが、その感動を独特の装飾的な表現のなかに生き生きと造形化した。

 桑野むつ子「夢の溜り」特選。睡蓮を見ているうちに裸婦をイメージしたそうである。明度の高い色彩で、睡蓮と裸婦とが呼応する。清浄な雰囲気である。母性的な要素と女神的な要素の入った輝くような裸婦の色彩が魅力。

 林真「棲む」。背後は箔を置いた装飾的空間。銀かプラチナによって植物が描かれ、あいだにピンクや青の針金ハンガーが集積している。そのあいだから二羽のカラスが顔を出し、カラスの下には雛が口をあけている。都会の残飯を漁り、都会の針金ハンガーなどで巣をつくって生きているカラスたちは現実に存在するが、画面の中にこのように表現しているところが面白い。日本画のもつ装飾的な空間を背景にしたカラスと雛のフォルムが生き生きとした表情である。そばの線によるハンガーの形も、この画家の独特の審美的で繊細な感性を示す。

 國井たか子「十一月蔓からむ」特選。作者は山間に住んでいるそうだ。「十一月ともなれば霜も降りて落葉もあり、淋しくなった山辺に、蔓も露に絡みあって所々実が色づき、子供の頃の懐かしいの実も口を開けております」(日展アートガイド)。長い樹齢をもった樹木のトルソのようなものを背景にして、蔓を絡ませ、アケビの実などをまるで宝石のように表現している。自然との深い交感のなかからあらわれた独特の花鳥画と言ってよい。

 大西健太「EARTH」特選。天使のような男の子が立っている。華奢な、この年代のフォルムが生き生きと表現され、頭にはいくつもの貝殻をバンドのようにしている。背後は金なども使いながら、地球のイメージがあらわれている。少年を通じて地球の平和を祈るような心持ちが感じられる。明度の高い色彩のハーモニーがまた魅力。

 丸山勉「時の隙間」特選。古い壊れかかった教会を描いている。かつて信仰の魂のよりどころであった教会が壊れて、雑草がそこにまといついている。自然の中にほとんど同化しつつある教会から、ロマンティックなイメージを画家は引き寄せる。線によるフォルムとトーンによる表現とがうまくマッチしている。

 古澤洋子「未来へ続く家波」。瓦屋根の民家がつながって円弧を描き、上方では一つの円になっている。背後は墨を流したような空間で、現実であると同時にファンタジーでもある空間が生まれる。ところどころ鳥がとまっているのも、煙突と同じような画面のディテールの効果を生む。この街の長い時間というもの、歴史、その時間軸と現実にある生活というものの二つの軸を一画面の上に表現しているところが面白い。

 伊東正次「鎮魂図」。昨年の三・一一の大震災からインスパイアされたのだろう。壊れたブロックや地面のあいだから、途中で倒れたような樹木の幹や枝が伸びて集積し、そこにカラスがとまっている。空にもたくさんのカラスが飛んでいる。そのクリアなディテールによる空間があやしく、独特のシュールな気配を見せる。日本画の線を駆使することによって、現代的な心象風景があらわれる。洛中洛外図の雲のように、下方に銀の箔を置いて一部を覆っているのも、しぜんと激しい津波の象徴のように感じられる。

 佐藤和歌子「角の門」特選。「ギリシア神話より、眠りの神を門番とし、夢の神が夜ごと行き来する『眠りの門』の一つ『角の門』を描いた作品です。磨かれた角でできたその門をくぐって人々を訪れるのは、正しい直感と真実の正夢。人物を囲むように羊、山羊、ヘラジカの角を配し、夜や夢のイメージを意識して描きました」(日展アートガイド)。若い女性が立っているが、そのスカーフと背後の太陽を思わせるような赤を中心にグレーの色彩で、画家の言葉のような様々な角をもった動物が囲んでいる。フォルムがしっかりしているところが特色で、シンメトリックなコンポジションがテーマにふさわしい。

 長谷部貞子「視る」特選。テレビの中にはアフリカの大自然に生きるキリンの像が映っている。それを日本の室内にいる猫たちが眺めている。すこしブラックユーモアふうなイメージであるが、猫の形が面白く、背後の障子の表現なども独特で、筆力がまず魅力。同時に、日本の猫とアフリカの自然の中のキリンという対照も面白い視点である。

 朝倉隆文「消失スル境界線」特選。鉛筆や墨で様々な神話的物語と思われるものが描かれていて、その上に奇怪な翼を広げたようなフォルムがもう一つ重ねられている。「ここしばらく境界を主に考察し、制作して参りました。自分とあらゆる他者を区別するモノ、物質的境界のみならず、意識の境界は、どこまでを許容しうるのか? もし、今それらの境界が消失したらと考え、存在を自由に変化させ、様々な諸相を感じ融合することを思い、やがて互いに理解し合えることを願って制作いたしました」(日展アートガイド)。シュールと言ってよいような、無意識の世界に到達するようなエネルギーが画面から感じられるところが面白い。

2室

 米田実「未知の遥睨」特選。画家自身の未来に対する不安感を、獲物を狙うライオンによって表現したという。黄土色一色で葦のような植物のあいだにいるライオンの顔。ライオンのフォルムも面白いが、周りの植物の表現も面白い。アフリカにいるライオンを日本の沼地の中に引き寄せたような面白さがある。

 青田賢蔵「棲む」特選。アマゾンにすむ世界最大の淡水魚、ピラルクの親子が描かれている。「古代魚でもあるピラルクの神秘性を表現しようと思いました」(日展アートガイド)。たしかに作者の言葉どおり、不思議な存在感がある。上方にはピンク色のこのピラルクの母親が描かれているようで、まだ青年か少年のようなイメージがこのピラルクに表現されているように感じられるところも面白い。古代魚であるから、地球の中に長く生息してきた。その神秘的なイメージと同時に、目の表情などに人間的な雰囲気のあらわれているところがなにか懐かしい。

 是永麻貴「鰐会」。若い人の作品だろうか。新鮮な雰囲気である。四頭の鰐が空中を泳いでいる。女子会という言葉があるが、鰐会を催して男を食うぞといったイメージなのだろうか。背後に優しい可憐な金魚たちが赤く、泳いでいるのは、実は自分たちは金魚なのだが鰐に変身したというイメージなのだろうか。あるいは、この金魚は鰐の餌で、見ていると金魚が男の子のように感じられるところがあって、現代的な青年や女性のイメージをカリカチュアライズした表現として楽しく思った。

 佐藤朱希「季々の空風」。母と子の像である。母親は座り、片膝を立て、少女は立っている。周りを様々な植物がドライフラワーになった雰囲気で取り囲んでいる。まるで植物の精のような母親のイメージで、そこの中に生かされている少女といった趣もある。女性を植物的なところからイメージし表現するというその発想が面白いし画面全体にしぜんなファンタジーがあらわれているところが興味深い。

 桒原祐加「海の音」。砂浜に流木が一つ。この作品も昨年の津波に対するレクイエムの気持ちがあるようだ。流木がそれを表すようだ。あるいは、倒壊した樹木の一部かもしれない。貝やヒトデが周りにあり、点々によって波がその上に来ているような雰囲気である。しかし、題名を見ると、それは風なのだろうか。いずれにしても、浜の何もないところ、そして倒れた樹木のある様子をテーマとして、深い想念の中に画家は沈み、この浜を再生しようとする。そのようなイメージから、この独特の波紋のような音楽的な世界があらわれる。

3室

 水野收「おひるどき」。灰白色を中心としたトーンが清潔である。「インドの小さな農村ニムエラ村に、一週間取材に通わせてもらえる機会を得た」(日展アートガイド)そうである。自然と共生する素朴な生活にふれて、果物も植物も動物も、画家はきわめて愛情深く表現している。基本的には線によってフォルムをつくっている。その鉄線描のような線を心をこめて引く。それによってしぜんとフォルムとフォルムがお互いに関連づけられ、独特のアンティームな表情を獲得する。

 間瀬静江「枝いっぱいにひかるはなんぞ、天に飛びたつ銀の鳩」。下方に二人の女性が向かい合っているが、妖精のような存在で、神的なイメージである。鳩が銀色に神々しくはばたいている。あいだに木蓮のような花が咲き、葉が広がり、あいだから黄金色の光がきらめいている。これら全体の世界がイコン化されたようなイメージで、上方に金の箔が貼られ、アーチ状の空間の中にこれらの植物や鳥や人間が描かれている。「今回は、わが精神の灯明ともいうべき表現者、宮沢賢治の『マグノリアの木』より想を得て制作した」(日展アートガイド)という。

 鹿見喜陌「秋に」。夏から秋にわたる季節を描いたそうである。上方に満月を背景にしてドライフラワーになりかかった向日葵がある。まるで季節の分かれの大きな目のようなイメージである。周りにはススキが靡き、下方には桔梗が咲き、というように秋の花々が白々とした灰白色によって表現されている。まさに夏の別れ、秋の到来、その中間領域のイメージ。つまり、夏を懐かしみながら、来る秋を楽しんでいる。それを独特の琳派ふうなセンスのよい構成の中にまとめている。金とグレーとが巧妙に表現され、対象のもつ物質感ではなくイメージとしての世界、あるいは時間というものの世界を表現する。

 坂本幸重「星星」。画家は星を見ることか好きだそうである。上方に月から見た青い惑星、地球が浮かんでいる。下方には新聞紙の上に激しい顔をした鮭が置かれている。鮭はふるさとを出て海に行き、またふるさとで産卵する。アイヌの人にとって鮭は神の魚といわれた。また、日常でも鮭ほど使われている魚はいない。地球の象徴のような存在。つまり、故郷を象徴するようなイメージのなかに鮭が置かれているのが面白い。下方に新聞紙が実際に描かれているが、現代の情報化社会を暗示する。地球と星と現実といった二つの要素を踏まえながら、観念をキャラクタライズするようにフォルムを使っているところが興味深い。

4室

 上田勝也「気配」。フードをつけた若い女性が立っている。周りに野の花が咲き、背後にアーチ状の木の扉がつけられている。ロマンティックな雰囲気が画面全体を覆っている。現実がそのまま幻想の世界と化すようだ。

 山崎啓次「雨の後」。通りかかったら、ふとこういう光景に出会ったそうだ。水が増水している中に水鳥がいる。水の中からじかに立ち上がったような樹木の幹。その黒いシルエットが影を捺す。風が吹いているようで、波がすこし立っている。一隅の光景がそのまま心象世界と化す。

 能島和明「鐘巻(黒川能)」。黒川能は五百年の歴史をもつそうだ。「鐘巻」は安珍清姫の話で、最後は恋情によって蛇と化し、鐘の中に隠れた安珍を鐘を巻いて焼き殺した話である。情念の深さ、怖さ、切なさを表現した能の演目である。猩々のような赤い毛をした般若の面。右に長い金槌のような形状のものを持って左手で裾を持ち、激しくいま踊っている。波に菊や、秋の七草などの華麗な衣装を着た清姫。バックのオレンジ色にも褐色にも朱色にも見えるもあもあとした空間が、この清姫の心の中に立つ強い感情、炎のようなその様子を表現する。縦長の画面いっぱいにこの能のシテの姿を表現して、深い煩悩の世界を描く。フォルムもさることながら、色彩のもつ独特の心象的な性質が見事である。

 山﨑隆夫「春香山桜」。下方に山桜の二つの幹。上方から山桜が枝垂れてくる。上方からくの字形に降りてくる枝。柔らかなベージュ色の中に光を含んだような空。しっとりと濡れたような輝きをもつ花弁の様子。穏やかな作調の中に深い情趣を表現する。

 中路融人「霧の清水寺」。「今回初めて京都の名刹清水寺に挑戦を試みた。冬季の取材で訪れた時は雪が降りましたが、私は霧に包まれる舞台に魅力を感じた。前景の木立の間から深い霧の中に浮かぶ舞台は心にみる雰囲気があり、周囲の空気と共にその美しさに感動を覚え、その印象を大切に表現しました」(日展アートガイド)。画面から冬の冷気が感じられる。背筋を伸ばしたような雰囲気で、清水寺の長い歴史が向こうから浮かび上がってくるような趣である。裸木が枝を伸ばしている。とくに画面の真ん中よりすこし左にベージュの枝が網の目のように伸びている様子はあやしく、欄干がほぼ同系色の色彩だが、その向こうにすこし赤みがかった柱があり、柱の奥に室内があるわけだが、そのあたりの雰囲気はまさに清水寺の歴史の中に画家が入り込んでいるような趣である。人は描かれていないが、なにか霊的なものがこの清水寺の中に存在するようなあやしい気配が感じられる。そういった気配、歴史の魂ともいうべきものが画面からあらわれているところが実に魅力である。

 鈴木竹柏「爽」。「爽やかな草原の朝、自然の恵み、そして爽快な気が表現できたらと、願いつつ」(日展アートガイド)。緑が実に魅力である。ヘリコプターに乗って、あるいは鳥になってこの風景を眺めているような趣である。まるで地上の身体を離脱してこの光景を眺めているような、霊的な気配が感じられる。画面の下方にカーヴする道がすこしのぞき、そのそばに六つの屋根をもった小さな集落が見える。右のほうには二つの屋根が小さく見える。その距離に見えるような高度はどの程度になるのだろうか。五百メートルぐらい空中に浮かんだところから眺めているのだろうか。そして、画面の中ほどにもあもあとした白い霧が立っている。その霧はすこしカーヴしながら画面の上方にもあって、左のほうにはそのあいだから地上の光景がグレーの中に見え隠れするようだ。その白い霧のもつ力がまた周りの緑とハーモナイズする。その中にほんのすこし赤紫色やピンクの色彩が入っているような趣である。それはこの深緑の季節にはまだ咲かない花が幻のように下方に咲き、揺曳しているような、そんなイメージも感じられる。地球の上を大気圏が覆い、その外側には酸素のない無限の宇宙が広がっているが、その酸素が地球の生き物を太陽の光と同時に育てているわけだ。その空気のもつ力、命を育むもの、そんなイメージもこの全体のトーンの中から感じられる。そして、下方の建物は懐かしい人の住処である。その懐かしい人の住処からすこし浮いたところに画家はいて、自然のもつ不思議な働きを彩っているように思われる。上方のこの霧のもつ不思議な霊的な力が神々しく感じられる。

 福田千惠「遥かなた」。青年が画面の中に立ち、背後に茜色の雲が浮かんでいる。画家は平和に対する祈りの心をここに描いたそうだ。「この地球は美しい大気に囲まれています。人々はどこの国にいても朝焼けや夕焼けを見ていると思います。そんな空の下、なぜ戦争があるのか。とても残念でなりません。青年を通して(昔は青年が天の使いを担うと聞いています)私の思いをたくしてみました」(日展アートガイド)。

 三谷青子「秋」。実にこの画家らしい不思議な味わいを釀し出す。大きなイチョウの木が黄葉に染まっている。画面の右側の木の周りで子供たちが手を組んでその周りを回っている。あるいは歌っている。小さな小人のような子供たちの数を数えると、十一人いる。そして、手前は草にも芝生にもみえる空間でぽっかりあいているのだが、そこにイーゼルを立てて、帽子をかぶって絵を描いている人がいる。後ろ姿を見ると、三谷さんそっくりなのがほほえましい。そのあたりの大地はすこしひずんでいるような不思議な味わいがあって、その周りの空間がある心象的なイメージになっている。実際、客観的に描かれているようなこのイチョウや子供たちも、ファンタジーの世界にそのままなっているような独特の空間である。客観的なものと画家の主観的なものが合致して、現実がそのまま主観的な空間に変ずる。つまり、それがそのままあるリアリティをもちながらイメージの世界に変ずる。ファンタジーがこれほど美しく素直に表現されている作品もないのではないか。そしてまたドッペルゲンガーのように、絵を描いている画家自身を後ろから描いているという不思議な味わいが、さらにシュールな気配を釀し出す。上方を見ると、すこし青緑がかった空に白い雲が浮かんでいる。その白い雲は鳥がはばたいているようにも、魚が動いているようにも実に不思議な味わいで、人間復活のルネサンス期にあらわれた、あのピエロ・デラ・フランチェスカなどに使われる雲を思わせるから、なおさら面白い。日本画といいながら洋画でもあるし、日本画とか洋画の境界を超えた心の目が見た世界が実に生き生きとあらわれているところに感銘を受ける。

 那須勝哉「マルセイユの休日」。マルセイユの海岸には人種のるつぼのようにいろいろな国籍の人がバカンスに来ているそうだ。砂浜にたくさんの男女が描かれている。それが実に面白く思われる。そして、波が寄せ、海は青黒く、突堤がグレーに伸びる。この青黒く、またコバルトの空はやはりマルセイユで発見した色彩のように感じられる。すこし油彩画を思わせるような色のハーモニーである。上方に雲が浮かび、はるか向こうに島が見え、そこにも人がいる。マルセイユの取材から得た画面であるが、深い内界の世界に入って発見したような、そのようなイメージの強さもまた感じられる。

 芦田裕昭「あじさい」。土塀の前に大きな紫陽花が咲いている。季節を過ぎて、すこし花が落ちた様子。しかし、土塀のオーレオリン系の色彩と葉の緑と紫陽花の薄青い色彩とが実に生き生きとハーモナイズする。花瓶に差した花ではなく、地上から育ってきた紫陽花のもつ生命感がそのまま画面の中に表現されている。見ていると、そのまま仏画の趣である。

 林和緒「朝霧の中に」。穏やかな風景が広がる。上方に朝霧が立っているが、あいだからシルエットに裸木や樹木が浮かび上がる。近景に水たまりのようなところがあって、それが霧を映して白く輝いている。左のほうにつがいと思われる鶴がいて、右のほうに三羽の鶴がいる。うち一羽は前を見ているが、二羽は草の中に首を傾けている。五羽に家族のような、なにか親密な雰囲気を感じたという。とくに左の二羽の鳥は夫婦のようで、右のほうは子供のような雰囲気で描かれている。素朴なリアリズムの作品であるにもかかわらず、そのような親密な感情が画面に感じられるところが実に面白い。清潔な緑やグレー、鶴の白と黒の、いってみればほとんど水墨に近いような地味なトーンの中に、そのような親密な空間が表現されているところに感心する。上方のグレーの空の中に茜色の雲のようなものが浮かんでいるのが、心温まる感情を上方から支えているような雰囲気であるところも興味深い。

 山下保子「夕星光る」。夕方の金星が上方のジョンブリヤン系の空にまたたいている。母と子が遠くを眺めている。白い色彩で百合やススキのようなもの、野の草が表現されている。母と子を囲む白で描かれた植物は晒されたようなイメージで、時間というものの象徴のように感じられる。そして、秋が来、ひときわ夕星が輝く。独特の画家の形態感覚によってつくられた母と娘。とくに母の妖精的なイメージも魅力。

 渡辺信喜「枝垂桜」。満開の枝垂れ桜の古木である。画面の中心から太い幹が伸びて、うねうねとした枝がそこにつながっている。細い梢が垂れて、満開の桜の花びらがついている。桜に透明感が感じられる。桜を描いて透明感が感じられないと、偽物のような雰囲気がするものだが、この花の傘の下に入って空を見上げているような、木の内部に入って描いているように思われるところが面白い。中心の部分の木の周りにうっすらと青い色彩が描かれているのは、正面から見、内部に入って空を見上げるといった、桜全体のイメージを描いたことによるものと思われる。これまでの画家の作品の中でとくに優れたものと思う。

 岡村倫行「花蛍」。女性があぐらをかいて座っている。周りに波紋が起き、花が寄り添い、上衣にも花がそのまま蛍や星のイメージを引き寄せている。水墨による作品であるが、女性を描きながら、自然そのもののイメージを重ねて表現しているように感じられるところが面白い。この絵を描いているときの心境として、「混沌とした想いの内と、後に聞き知った一つの歌と一種の融合がなされてゆきます。『ものおもへば沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂かとぞみる』」(日展アートガイド)。まさに蛍が「あくがれいづる魂」と感じられるような独特のイメージの広がり、深さが、このきらきらとした内側から発光するような空間をつくりだした。

5室

 室井東志生「水翳」(遺作)。室井東志生が亡くなった。遺作の船に乗る二人の舞妓の絵が陳列された。傘を差している舞妓。袂を持って右手を水の中にすこしつけた舞妓。その白い指のもつ美しさ。水の中に波紋が起きている。じっと見ていると、その波紋があやしい様子に見えてくる。そっと入れた手の先は現実ではなく非現実の世界。泉鏡花などにはそのような世界がしばしば描かれるが、そのような世界に深く接してきた画家であったことを思う。また、亡くなったために、その水が向こうの世界のようにも感じられて悲しい。以前アトリエを訪問したときに、胡粉でトーンをつくった油絵でいうグリザイユのような、下絵を見たことがある。そのときのフォルムの美しさに驚いた記憶がある。優れたデッサン家であり、また日本の美を深く追求した人であった。合掌。

 佐々木淳一「晩夏」。植物や地面や雲のフォルムをクリアに描き出しているところが面白い。そのクリアなフォルムを対立させることによって、独特の強い印象的な空間が生まれる。上方の浮かぶ雲の表現を面白いと思う。

 橋本弘安「希望」。緑が実に魅力である。この緑は孔雀石を砕いたものだそうだ。画家は自分で絵具をつくる。白いワンピースを着た十代の女の子が近景に立っている。後ろに樹齢五、六十年なのだろうか、樹木が枝を広げ、緑の葉をつけている。不思議な木で、葉を見るとオリーヴの葉のような雰囲気だが、おそらく別の木で、名前はわからないが、緑が滴ってくるような、ずいぶん精神的な色彩である。なまなましいものではなく、音楽がそのまま色彩と変じてこの樹木の上に存在しているような雰囲気。そして、静寂感が画面に満ちている。しかも、白い衣装のところにスポットライトのように光が当たり、その白が輝いて見える。ふと、木の向こうに猫がシルエットとなってこちらを眺めていることに気づく。上方のこの緑がかったグレー全体で地面も空も表現されているが、そこに青い色斑があり、この向こうに純粋な空の青がのぞいている。陰影豊かな中に光が差し、その陰影が陰影のまま強い輝きを増して画面の中にとらわれているような、そのような味わいが感じられるところが実に魅力である。

 入江酉一郎「珊瑚の海」。亀が泳いでいる。周りに珊瑚や花が図像化されている。亀もまた図像化されて、不思議な生命感をたたえる。

 三輪敦子「パンドラ(ギリシャ神話より)」。いまパンドラの箱をあけた女性。ギリシャ神話からヒントを得たようで、ヨーロッパふうな八頭身の美しい魅力的な女性像である。そのフォルムに絵画性があり、ふっくらとした指がこの箱を支えている。支えている箱は実は禍々しい存在である。最後に希望が出てきたといわれているが、独特の文学性、ロマン性が魅力。

 木村卓央「巡礼の道」。二頭のサイをその背中から描いている。そのサイの背中に人の足跡があり、それを囲む空間にも人の足跡がある。これは亡くなった人々の足跡なのだろうか。たくさんの人々が生き、たくさんの人々が死んで今日がある。そういった歴史のなかに生き、死んできた人々のイメージが感じられるし、また一年前の津波で亡くなった人々のイメージもこの足跡に感じられる。一種異様な緊迫感と深さを感じる。

 澤野慎平「悠」。白い河原に不思議な建物の影が映っている。カッパドキアなどのあの不思議な形をした建物の影のような味わいが感じられる。日に白く輝く河原の小石と、その上に、青くしみ通るように映った影との対照が面白い。

 辰巳寛「清夏舞妓」。「今年の夏は特に暑かったように思います。舞妓さんに、衣裳は暑くないの? とたずねますと、涼しい顔をして『暑うおす』と、京ことばの声が返ってきました」(日展アートガイド)。深い輝くような緑をバックにして、欄干を三本左右に置き、その欄干に浅く腰を掛けた舞妓像である。青い衣装が鮮烈で、もちろんそこには桔梗や船などの模様が描かれているのだが、その緑と青との対照、そして丸い顔の涼しい目元といった、一種デザイン的な造形表現に注目。

 川人勝延「信濃路」。道路が大きくカーヴする山間の道。周りの木立や遠景の山などがクリアに生き生きと表現される。

 稲岡仁彦「野辺に咲く」。雑草をすこし斜め上から描きながら、花は正面性をもって配置されている。背後の銀地を思わせるようなグレーの空間。オールオーバーな感じでこの小さな花を配置して、独特の装飾的な空間を表す。植物の茎や葉の写実とハルジオンの花の装飾的な配置とがクロスするところに、この作品の魅力を感じる。

 亀山祐介「Alice du Jardin」。少女がウサギを持って立っている。背景はプラチナ箔と思われる。そこに彫り込む線に墨を入れて、花やカルタ、人形、一角獣、天使、少女などのフォルムが入れられている。この少女自体も輪郭線による表現で、胸のあたりに一角獣がいて、その一角獣がその線のかたちがはみ出ていきながら上方に向かっているのが面白い。一角獣は処女性の象徴といわれているが、そんなイメージをさりげなく彫り込むように線によって表現する。上品な調子の中に少女のもつあどけなさと同時に不思議な女性としての魅力を描く。足などは線によって何本も描かれて、それによって惑乱するようなイメージがしぜんとあらわれる。

 猪熊佳子「森へ─北の国から」。シダが地面に鬱蒼と茂っている。そのシダの向きが様々で、全体でそこに光がうねるようにあらわれ放射しているような雰囲気。あいだに白樺と思われる樹木が立ち、若緑色の葉が丈の低い若木につき、高い木にはすこし濃い緑の葉がつけられている。緑の交響楽ともいうべき魅力を感じる。光がこの自然の中に取り込まれ、取り込まれた光が内側から輝いているような、独特の生気ある空間である。キタツキネが一匹そのシダの中から顔をのぞかせて、こちらを眺めているのも愛らしい。

6室

 森脇正人「一雨」。六月の迦葉山の風景である。雨で濡れた田圃が青々と目にしみるような情景が、独特の緑の強いトーンの中に表現される。迦葉山はすこしピンク色、紫色で、遠景に見える。柔らかな人間的な不思議な表情を見せる。それに対して手前の田植えの終わった田圃の様子、畦道、そして山の下の道に立つ樹木たち、まさに日本の風景である。しっとりとした情感のなかに独特の生命感が息づく。日本の自然、樹木や草の最も盛んなる六月頃の気配がよく表現されている。

 坂根克介「舞妓像・鶴」。「黒地に白鶴が飛び舞う着物に、髪飾り、帯上げも白鶴と、そして序の舞に入る姿を、鶴が舞う柄模様の背景に溶け込むように描きました」(日展アートガイド)。お人形さんのような舞妓でありながら、人間の体温の温もりを感じさせる。強い様式に縛られることにより、逆に人間的なエネルギーや色気があらわれる。まだ若い舞妓である。序の舞を舞おうとする直前の初々しいイメージがよく表現される。

 村居正之「洸」。ギリシャの神殿をモチーフにして長く描いてきた。今回は壊れた石畳と水が近景にあらわれて、背後に神殿の柱が見える。青く染まっている。月光が出ていると思われて、石が輝く。悠久なる歴史のロマンが漂う。

 田島奈須美「康枝夫人と九匹の猫」。若い不思議な年齢不詳のような康枝夫人の周りにいろいろな猫がいる。だいたいがむっちりと太っていて、くるりとした目玉をしている。後ろの壁に藤田嗣治の猫の絵が掛かっているのも面白い。猫とこの女性との釀し出す空間はそのまま一つのファンタジーと化すようだ。

 岸野圭作「地の星」。「夜空に瞬く星から足元に目を移すと、自分の立つこの地も様々な光に満たされているように思われます」(日展アートガイド)。野の植物たちが密集して、空に対してU字形の形をつくる。その夜空に銀河がミルキーな様子で浮かび上がり、無数の星がまたたいている。植物のしっとりとした存在感が、夜の中にますますその気配が濃厚になるようだ。中に可憐なピンクや黄色や白い花が咲いている。そして、蛍が動く。そんな中にすこし月光に照らされた明るいところがあって、そこに頭蓋骨が置かれている。頭骸骨もやがて朽ち土に戻るのだろう。人間の生の時間の短さに対して自然の時間の長さ、あるいは永遠性がしぜんと対照されるようだ。ヴァニタス画といって、虚栄に満ちた人生は虚しいという頭蓋骨を使ったヨーロッパの伝統的なモチーフがあるが、そういったものも踏まえながら、この頭蓋骨はむしろしゃれこうべといったイメージで、日本人のもつ無常観の象徴のように入れられている。無常なるものの中に常なるものは何か。それは画家の問いかけで、無常の端的な例として、蛍の短い命が頭蓋骨の上に飛ぶ。実にあやしい雰囲気で、しかもそれが深い思想ともいうべきものに染められて、すべてが生かされているように感じられる。空の美しさと同様に、この生死を繰り返す植物や昆虫や人間が同一の価値のなかに描かれ、ふかぶかとしたイメージを釀し出す。たっぷりとした生命、あるいはエロスの力に満ちながら、無常と常なるものといったイメージがあらわれているところに感心する。

 土屋礼一「宮毘羅」。「新薬師寺十二神将の宮毘羅である。髪を逆立て、まるで現代のパンクバンドでも観るようだ。この神将の躍動感にはいつもながら見入ってしまう。墨色の堂内に並ぶ国宝の眼の光。天平の塑像が私の前に生き返り睨み付ける」(日展アートガイド)。新薬師寺の宮毘羅と画家は向かい合っている。そのうちに塑像であるはずのものが、十二神将としての宮毘羅として生き返り、その右手に刀を持ったまま画家のほうに近寄ってくる趣が感じられる。そういった現実と非現実との領域にまたがる仕事として墨が大きな力をもって使われている。稲光のような光がその顔や肩を染めている。そこには金が使われている。背景の黒の上方にも金がすこし使われている。全体に墨がたらしこまれている。墨のもつたらしこみの力は筆で描くのと違って、無意識の力を意識化する極限のもの、それ以上のものが生まれることがあるだろう。そういった効果も狙いながら、実にダイナミックな不思議な像である。像というより、眼前に現存して、その刀を向けてくる、強く迫ってくる宮毘羅というもののもつ力が画面の中に描かれていると思う。禅宗では警策で座禅をしている人をぶつそうだが、ぼやぼやしているとだめではないか、しっかりしろと活を入れるように、実際に刀を持って迫ってくるようなイメージがヴィヴィッドである。天平時代の日本人のつくった仏像と画家は対峙し、そこからインスパイアされる。

 川﨑春彦「雲の海」。雲海にはるかに富士山が聳える。「雲の海 波間に浮かぶ 富士遙か」(日展アートガイド)。雲と海と両方のイメージがこの富士を取り巻き、その中に神々しい富士が青いシルエットとして浮かぶ。

 岩倉寿「瀬見の小川」。「鴨長明の『石川や瀬見の小川の清ければ 月もながれをたずねてぞすむ』、その瀬見の小川です」(日展アートガイド)。モノトーンの中に強い韻律がある。独特の墨の表現で、岩の墨による表現のようだ。激しいタッチを繰り返して、ドローイングがそのまま空間をつくっている。横長の画面のほぼ真ん中に瀬見の小川が清らかに流れている。月明かりに白くきらきらと輝いているようだ。その手前に花をつけた植物がある。そして、小川の向こうはススキのような風に靡く植物が密生していて、そのはるか向こう、地平線近くに月が現れてきている趣である。現実の世界というより、精神から発する光のようなものを画家は表現したいのだと思う。夜の光景である。深い瞑想のなかに画家は入りながら、現実を再現するのではなく、自然のもつ気配、それは水や月も同様の存在であるが、それを画面の中に表現しようとする。その方法として描いているうちに日本の和歌の長い伝統に出会う。和歌のもつイメージの力を絵画の上に造形化する梃子のように使おうとするかのようだ。和歌をそのまま描くと大和絵になるわけだが、この作品はそうではなく、それを梃子として、たとえばジャコメッティが空間に切り込むような、そんな激しさで筆が動いているところに注目する。

 市原義之「耀」内閣総理大臣賞。「北琵琶湖の四月下旬、季節の移ろいを見せるの群落にやわらかい光がさし込んでいた」(日展アートガイド)。琵琶湖のはるか向こうに曇り空の太陽があって、その光が手前まで下りてきている。ヨシが垂直に立っている。あいだに緑の植物が伸びている。その光のもつ神聖な独特の性質を画面の中に引き寄せようとする。光という実体のないものを実体のあるかのごとく描こうと画家は苦労する。光は実際の光であると同時にイメージとしての光でもあり、あるいは精神性であるとか、温もりであるとか、様々なものを背負った性質を与えられて、その光が手前まで静かに伝うように届いているように描かれているところが面白く感じられる。

 米谷清和「灯点し頃」。武蔵野を流れる野川沿いの光景だと言う。野川沿いの細い道を帽子をかぶった男が歩いていく。その後ろ姿が見える。手前に二つの街灯。そして、巨大な欅なのだろうか、画面の上辺まで伸びていく樹木の葉を茂らせたシルエット。何本もの樹木が重なってこのような形になっているように思う。ほとんど日が落ちて、夜が近い頃の厚い青いガラスのような空の様子。しかしまだ地平線近くは茜色の色彩が残っている。人懐かしいイメージが漂いながら、夜にむかうことによって樹木のもつその存在感、恐ろしさ、あるいは水のもつ不思議な命ある性質などが立ち上がってくるような面白さが感じられる。

 東俊行「炎」。熊野の那智大社の那智の火祭りに取材したそうである。下方に炎が燃えている。上方から那智の滝が下りてくる。銀色の垂直に下りてくる水が神々しく強い。火もまた神々しく、平安仏画などに見られるあの炎の力を連想する。水も炎もいわば天地をつくる源の一つと言ってよい。そのように東洋では考えられている。いわばそのような自然の元型としての炎と水の表現である。それによって深い古神道的な宗教性ともいうべきものがあらわれる。

 北野治男「春の囁き」。水に覆いかぶさるように樹木の枝が伸びている。裸木からそろそろ芽が出ようとしている頃だろう。草は若緑色に萌えはじめた。その複雑な樹木の枝や梢を、画家は描き切っているというほどの力で描いている。そして、そのあいだに様々な鳥がとまり、中には飛んでいる鳥もいる。自然の中に深く入ったところからあらわれた表現である。なかなかこのような表現は難しいのではないだろうか。アメリカまで行って原生林の中に長いあいだ取材してきた画家である。今回はその内部に入って、鳥を引き寄せて描き、自然というもののもつ不思議な命の刻々と動いていく様子を見事に表現したと思う。

 藤井範子「芽生え」。中心の地面から芽生えた植物の茎や葉が強い生命感を表す。その周りに様々な豆がある。豆から芽が出てくるわけだが、周りの豆のフォルムを一つひとつ描きながら、地面から顔を出したばかりの葉、豆がまだ残っているような様子、その根の形がすこし表面に伸びている様子、また、中心の密集したその茎と葉の出た形、自然のもつ、芽吹くというかたちを不思議なオールオーバーな構成の中に表現してあやしい。

 丹羽貴子「菁々」。巨木が枝を広げ、いま深緑の葉を枝中に茂らせている。初夏の季節なのだろう。左下に山の頂上がシルエットとしてのぞいている。高いところに立つこの古木が新しく葉を茂らせた。そのよみえがったような樹木の表現に注目。

 仲島昭廣「2012・夢」。棺桶がすこしあけられると、中に頭蓋骨が見える。骨はちりぢりになっているようだ。そして、色とりどりの蝶が浮遊している。蛾もそこに来ている。死というものは謎だが、これはカソリックふうなイメージが感じられる。さらに言うと、エジプトのツタンカーメンの墓があけられた瞬間にエジプトの王のロマンが立ち上って、不死を信じた人々の夢がわき起こり、その結界に入った人は呪われて死んだという伝説が起きるような、強いロマンをこの棺桶によって画家は表現しようと試みているようだ。そのような独特の耽美的とも神秘的とも言えるイメージの力に注目。メタルカラーが効果的に使われている。

 稲元実「兄と弟」。布団の上の兄と弟を描いている。優れた写実の力を見せる。足の先、手の指の先までしっかりと描きながら、つぶらなその瞳が初々しい。画家の写実の力に注目。

 川島睦郎「実り」。柿のたたわに実った様子を装飾的に表現している。ほとんどオールオーバーに柿の実を置きながら、あいだに枝を置き、小鳥をとまらせている。オレンジから朱にわたる色彩が輝かしい。秋の音色が画面から聞こえてくるようだ。

 中村賢次「黒い華」。黒紫色の牡丹が左右に連続して咲いている。その前に喪服を着た女性がその牡丹を持って立っている。鎮魂のレクイエムの表現である。この赤紫色の牡丹は一人ひとりの人間の命の比喩として表現されているようだ。十字形の構図が強い。深い思いに満ちた表現である。同時に、牡丹のもつ重量感、人間のもつ重量感があわせて表現されているところがこの作品の絵画性と言ってよい。

 中村徹「静日」。「緑に囲まれたこの地で暮らし始めて、もう四年が経ちました。日常の中に自然があるということの良さを実感しています」(日展アートガイド)。以前はバーやカウンターの中にいる人間群像を描いていたが、今回は不思議な気配のある丘の表現である。マチエールをしっかりとつくりながら、上から絵具をたらし込んでいる。それによって独特の気配が生まれる。山が呼吸をして生きていると画家は実感しているようだ。そしていますこし緑が萌えてきた頃の風景だろうか。次の展開が期待される。

7室

 松崎良太「暁更」。阿蘇山を描いたものだろうか。山から噴煙を上らせている。その山の地熱のようなものが近景まで伝わってくるような強いエネルギーが画面に満ちている。中景に赤い屋根の民家が点々と見える。何層にもわたる林の連続した形。緑系の暗い調子の中に内側から輝いてくる色彩が感じられる。独特の色彩家だし、上方の山を中心としたこの地面全体が生動しているような、独特のエネルギーを大地を通しながら表現しているところが魅力。

 鵜飼雅樹「アパルトマン」。ベージュの壁をもつ建物が横に連続している。そして、地面の位置がでこぼこで、それによって韻律が生まれ、それは窓の長方形の形と呼応する。右のほうには細い運河のような川が流れているようだ。柔らかな表現である。線が生きている。詩情を感じる。

 長谷川喜久「誘惑」。赤い椿が塊となっている。そこに緑の鳥が三十羽ほど集まっている。異様なコンポジションである。赤い花が誘惑の源だろうか。そこに鈴なりになった鳥たちは花の量からするとたいへん多いので、やがて共食いでも始めそうな気配が感じられる。優れた描写力を駆使しながら、なにか禍々しい存在を描いた。ずっと見ていると、椿の赤い花が内臓のように見えてきて、それをついばむように鳥が下りてきているといったイメージを妄想する。

 曲子明良「月出づ」。山の上に満月が浮かんだ。山は水墨による表現で、鬱蒼と樹木が茂っている。夕方のはかないような青い空に昇ったばかりの大きな黄色い月が輝かしい。背後に来迎図を思わせるような宗教性が漂う。

 大豊世紀「村への小道」。中国の風景だろうか。瓦屋根の一階建ての民家に行く道。近景に樹木が枝を広げて、オリーヴのような葉がついている。しっとりとした情感が漂う。一つひとつ丁寧に描きながら、この村の気配がそのまま樹木の気配と重なるような、その村の内部に浸透するように入るところからあらわれた表現である。

8室

 能島浜江「鳥をとるやなぎ」。女性の周りに柳があやしく騒いでいる。独特の色彩家である。自然のもつあやしい気配をよく表現する。

 西田眞人「刻」。もっこりとした二つの峰をもつ山が描かれている。頂上は岩だけのようで、下方に途中から草が生えているように思われる。上方の空は黄土色で、不思議な存在感を示す。あやしい。なにか人間の心の内部にある不思議な塊を外部に出して山によって表現したような、シュールな気配が魅力。

 池内璋美「山里」。赤い壁に瓦屋根の集落は、中国なのだろうか。それぞれのフォルムがクリアで、独特の密度のある画面があらわれている。上下の柔らかな樹木や大地の夢のような空間の中に、この建物の形が強く、面白く、生き生きと表現される。

 北斗一守「ヨシノ」。吉野の千本桜を描いたものだろうか。まるで花が洪水のように画面に描かれている。その内部を風がわたっているような独特のムーヴマンと、花のもつ生命力の表現に注目。

 藤島大千「楊貴妃入内」。有名な玄宗皇帝を魅惑した楊貴妃の入内のシーン。正面のピンクの薔薇を持っているのが楊貴妃で、白い薔薇を持っているのはその侍従なのだろうか。最近、中国の故事にテーマをとった作品が続いている。等身大以上の女性たちの群像である。独特の強い浪漫性が魅力。

9室

 川嶋渉「空」。白い雲がたくさん空に浮かんでいる。それだけで絵にしている。ずいぶん苦労したのではないかと思われる。この画家らしい清潔な韻律が魅力である。

 鈴木一正「気配」。四匹の猿が描かれている。三匹は固まって、一匹は四本の手足で立って遠くを眺めている。固まっている猿たちは暗い表情で不安そうな雰囲気。この画家はたしかずっと白熊を描いていたと思うが、猿を描くことによって、ずいぶん人間的なところに猿を近づけて表現するようになったところが面白い。

 中出信昭「松陰」。松の葉の下方に白孔雀がその羽を広げている。まるでダイヤモンドがそこに現れているような輝きを見せる。松の中にオウムやインコなどの鳥がいて、この不思議な白孔雀を眺めている。単なる花鳥画というより、そのような物語性を内にはらんだ表現である。また、一つひとつデッサンをしながら対象の形をつくりあげていて、その地味な仕事が、たとえば松の葉の形のもつ強さとなってあらわれているところが魅力。

 大矢高弓「祖母・九十八歳の日」。九十八歳の祖母が編み物をしている。編み物をしている全体の体の形を描いている。粗末なベンチの上に座ってその行為を行っている。なにか強いモニュマン性があらわれている。祖母のもつ量感がまず優れているし、指の形一つなおざりにせず、指の形にもこの祖母の個性があるといった雰囲気で、正面からその姿を描き切っているところに注目。

 岩田壮平「フォルトゥーナの後髪─(This same flower that smiles today, tomorrow will be dying.)」。題名は、今日笑った花が明日は死んでいくという意味である。上下二つの画面から成っている。上方では人の姿を上方から眺めたかたちが墨で描かれ、そばに赤い花が咲いている。下方ではその人はいなくなって、シャツとズボンが残っている様子がやはり墨で描かれ、そばの赤い花は萎れている。人間の儚さをポップス風に表現する。その現代的な感性に注目。

10室

 河村源三「漂ふ」。柳の葉が垂れている。下方に水が流れている。その水の中に満月が映っている。岩や石があるが、トンボがそこにとまっていたり、飛んでいたりする。「ゆく河の流れは絶えずして」という鴨長明の言葉があるが、そういった時間というものを水が象徴しているようで、トンボははかない命、そして月はそれを見守っている。日本の伝統的な考え方、感情を、垂直水平の構図の中に生き生きと表現する。

11室

 安藤洋子「絆」。牛の背に南瓜などの果実が盛られている。手前に籠を背負った少女がいて、籠の中にはパパイヤなどが満載で、そばに子牛がいる。インドの実り豊かな大地、自然と共生する生活を描く。下方の左に向かう雷鳥のような鳥たちの動きも、この十字形のしっかりとした構図に対して静かな動きの要素をつくって面白い。

 酒井淺子「初雪」。名古屋の中心地のある情景のようだ。手前に変わったデザインの高層ビルが立っている。だんだんと遠景になるに従って小さくなっていくのだが、いずれも高層ビルが林立し、あいだに小さな民家が見える。背後は和紙の上にほとんど鉛筆による表現である。手前のビルは墨が使われている。浅く雪が積もっていて雪化粧といった趣で、このビル群が新鮮な表情を見せる一瞬を捉えた。

 新川美湖「雨模様」。だんだんと階段が下がっていく螺旋の動きの両側に紫陽花が咲いている。そして、雨が降ってしっとりとした雰囲気を見せる。独特の韻律のあるコンポジションとそれぞれの花のディテールの表現に注目。

 奥原美智子「玄花」。白い太い樹木の生えている林の前に、黒い紫陽花が群れをなしたような不思議な花が浮かび上がっている。もちろん紫陽花ではなく、紫陽花ふうな花びらの集合体という意味だが、その黒を中心とした色彩があやしい。自然のもつある神秘的な一面をよく表現する。

 加藤晋「ほころぶ春」。背景も中心の枝垂れ桜の幹もすべて、木の木目を生かしている。その上に彩色されている。上方にうっすらと青い空が浮かぶ。深い情感をたたえた作品。

 譲原貴史「奏でる」。チェロを弾く女性。背後にはグランドピアノがシルエットふうに表現されている。ピアノを弾くときの手の表情、目の表情がクリアで、それが輪郭線によって表現されている。フォルムに対する優れた感覚に注目。

12室

 魚住侑子「ゆく春」。和紙の上にすこしの墨を刷り込むようにして背景をつくっている。あいだに小さな若木のようなフォルム。あるいは植物の茎のようなフォルムがそこから伸びて、可憐な黄色い花をつけている。それだけのコンポジションだが、空間に余情があり、自然のもつささやかな命をまるで小さな明りを灯すように表現する。

 中町力「カタルーニャの朝」。ニューヨークの高層ビルを描いていた時期があったが、今回はスペインのカタルーニャの街をパノラマふうに表現した。Y字路になっていて、高いビルの両側に道がまっすぐ続いている。ビルは白い線によって表現され、上方では靄が漂っているような雰囲気で、その背後に低い山が見える。スペインというと、真っ青な空を思うが、どこか日本を思わせるようなしっとりとした雰囲気で描かれている。背景に水墨のもつニュアンスがあるようだ。

 石坂恵子「蘇生」。花を冠のように頭につけている女性。上方の女性は胸にも花飾りをつけている。下方の女性は膝を曲げて、その前で手を組み、背後の女性は膝を立てて、上方を眺めている。しっかりと描かれていて、バックの暗い中に青い色彩が幾重もの円環をつくる。ロマンティックな夢想世界を人体を使って生き生きと表現する。

13室

 舘満「秋の声」。日展日本画は厚塗りの絵具による表現が多いが、この作品はオーソドックスな岩絵具の使用による。その絵具を薄く重ねることによって微妙なニュアンスがあらわれる。遠景には小高い山があって、秋の気配の樹木の様子で、うっすらと紅葉しかかっている。近景は地面に生える雑草である。それだけのお膳立てで遠近感があらわれ、植物や樹木が生きて静かに動いているような、そんな生命感がつくられている。雲のあいだから雪を抱いた高い山が見えるような表現も鑑賞者を引き寄せる。

 小松正二「曠」。三つの川が右のほうで合流している様子が、雄大な雰囲気で描かれている。空が染まって、それを受けて川がオレンジ色に輝いている。大陸の風景なのだろうか。大陸的な力強い表現で、広がる風景と川とがお互いにハーモナイズするように感じられるところが面白い。

15室

 廣瀬佐紀子「土煙」。近景に工場が描かれていて、そこをつなぐパイプやベルトコンベヤーなどが面白く絵画的要素として扱われている。中景に数個の小さな建物が見える。遠近感による表現である。中景から遠景にわたる部分の視点の移動にはすこし無理があるが、しっとりとした手触りのあるマチエールと、画面の下半分のフォルムを面白く思う。

 来住野和子「森の朝」。白いワンピースの女性が立っているが、背後に樹木の枝から梢にわたる部分が網の目のように描かれ、そこに様々な鳥がとまっている。中には飛んでいる鳥もある。一種の装飾性の中に独特の韻律があらわれる。また、それぞれのディテールもしっかりと描いていて、好感をもつ。

16室

 棚町宜弘「叢雨に包まれて」。バス停が画面の中ほどから左にあり、右は商店街の前の舗道のようになっている。どこの駅の前もこんな様子だが、それが夕方のイルミネーションの中に、止まったり歩いたりするたくさんの人々とともに描かれていて懐かしいし、なにか生活感が感じられて、しぜんと画面を見入らせる力がある。とくに人間たちのフォルムが生き生きとしている。

 鈴木晴美「憧憬」。黒い背景の上方に窓が不定型のフォルムによってとられ、その向こうには電線や樹木や家や草が描かれている。下方にはその情景が映っている様子が描かれている。暗い内部はアトリエの中のようで、イメージによって戸外の風景をその中に引き寄せ、それをまたガラスの箱のようなイメージの中に取り込んで室内に置いたといった様子である。斬新な構成に注目した。

17室

 矢澤貞子「東京タワーが見えるリストランテ」。白いレース模様の食卓にレースの衣装を着た三人の女性がテーブルを囲んで、赤ワインを飲みながら食事をしている。バックは大きな窓になっていて、高層ビルや東京タワーが見え、暗い中にその光がイルミネーションのように輝く。生活のなかからしぜんと醸し出したイメージであるから、自然体で強い力を醸し出す。日常のなかから発見した面白さで、とくに白と黒とのコントラストのある色彩表現が強い印象を醸し出す。

 渡辺明英「水面」。水面の水の動きや揺れる光や映る影を面白く表現している。感覚のよさに注目。

 稲田雅士「Y字路の夜」。画面の真ん中に矩形の建物があり、背後に三角の屋根の建物がある。矩形の建物の中に矩形の窓があり、その中は夜空で、星と猫がいる。下方の矩形の入口を上方の光がスポットライトのように静かに照らしている。この二つの建物を道が囲んでいる。上方は夜空で、三日月に星がまたたく。ここは人間が住んでいない町で、猫の町といった趣である。猫の町は、たとえば萩原朔太郎にもそのような詩があるし、最近では村上春樹にもそんなストーリーがある。そのような詩的なイメージを造形化していて、独特の密度のある空間に魅力を感じる。

18室

 白井久義「静かな日」。画面の全体がベージュに覆われている。二人の人間がいて、老いた妻の肩に手を置いた帽子をかぶった男。線による表現である。独特のデフォルメもされていて、一種塑像的なフォルムの強さがある。

 河野茂樹「松」。暗い青いバックの松に接近して、その幹や葉を表現している。どこか大正時代の村山槐多の油彩画を思わせるような強い生命感を感じる。詩人の見た風景といった強い力が魅力。

19室

 藤原郁子「合歓の花咲く」。一本の合歓の木が枝を広げてピンクの花を咲かせている。あの独特の手のような葉が群れている。幻想の世界に引き寄せるような力がよく表現されている。下方の地面いっぱいに白い花が咲いている。深い感情世界ともいうべきものが表現される。

20室

 神谷恒行「廃墟の島へ」。上方に軍艦島のようなフォルムがある。そこから下方まで八割以上が海で、銀の箔を置き、エッチングするように黒い線によって波の様子を描く。近景には波のもつ動きと量感が表現されて、とくに近景が魅力のように思われる。きらきらとした感覚のよさが感じられる。

 玉城忍「コントロール」。三人の裸婦の群像である。一人の女性の三体の姿かもしれない。しっとりとした肌のもつ力が画面によく生かされている。若々しいエロスの力ともいうべきものが魅力。

 久保文音「あなたに」。若い女性が立っている様子が生き生きと描かれている。ネットのタイツ、レースのワンピースといった衣装も面白いし、女性の全体のフォルムをしっかりと捉えている。漫画がタブローになったような趣で線を生かしているところも新鮮だし、それが背後の花とハーモナイズする。

第44回日展〈洋画〉

(11月2日~12月9日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 李暁剛「青いリンゴ」。スツールに座る若い女性。右足をそのスツールの上に置いて、膝を立てている。その足のそばに伸ばした両手が青い林檎を持つ。ダブルイメージになっていて、向こうから海が寄せてきている。その繰り返される波の様子は、この若い女性の現在、未来、あるいは過去を静かに暗示するようだ。日本画でいう揉紙のようなマチエールがしっとりとした空間をつくりだす。クリアなディテールがまたこの作品の魅力である。

 栗原髙光「漁船」。岸壁に雪が積もっている。その向こうに漁船が一艘繫留されている。空も海もほとんど同色のグレーである。空のほうはすこし紫がかって、海は緑がかっている。白い漁船から旗が伸びている。深々とした気配があらわれている。労働のあと、静かに佇むこの漁船には、なにかいとおしいイメージがあらわれている。

 桑原富一「M」。Mというモデルを長く使っていたそうである。今回はその女性の雰囲気を描きたかったそうだ。肘掛け椅子に座って両手を背の向こう側まで伸ばした女性のフォルム。柔らかな動きがあらわれる。ハッチングによって女性のボリューム感をモデリングする。身体のもつリアリティと同時に動きがこの作品の魅力。

 菊池元男「Rain Forest」。画家はオーストラリアの自然林にしばしば取材に行っているそうだ。大きな芭蕉のような椰子のような緑の葉や里芋の葉を大きくしたような葉。そのあいだに茶褐色の幹が伸びていき、下方には巨大なツクシのような植物がいくつもあらわれている。しっかりとした奥行きの中に自然のもつ生命感が生き生きと表現される。

 丸山勉「夏の日」。若い女性の全身像が入れられている。上品で気品が感じられる。背景のグレーの調子は、たとえば写楽などに使われている雲母刷を思わせるところがある。そのグレーは床のあたりではややピンク色に変ずる。そこに茶褐色のヴァイオリンケースが置かれ、そばに女性が立っている。開いた扇子を持っているが、扇子も銀灰色で、桔梗の花がそこに描かれている。日本人の長い伝統的な感性のうえにこの女性像は描かれている。ベージュのスカートにベージュの靴。白いブラウス。緑のイヤリング。銀色の腕時計。黒髪。そして柔らかな肌の色彩。静かに髪に左手を置きながら扇子を持つ女性の柔らかな生きたムーヴマン。その色彩はベージュやグレーを中心としながら、独特の雅やかな日本人の色彩感覚によるハーモニーと言ってよい。静かに佇む生きた人間の息づかいが魅力。

 櫻田久美「水光る」。秋の透明な光がこの風景を染めている。白い水が流れている。向こうはすこし小高くなって、樹木が点々と伸びている。手前は向こうより低い地面のようで、そこにはススキが穂を靡かせている。見慣れた田舎の光景であるが、それがベージュを中心とした独特の繊細な色彩のハーモニーによって表現される。とくにあいだに流れる水の聖なる表情ともいうべきものが表現されているところが面白い。

 佐藤哲「夏の終りに」。色彩家である。強い陽光がこの二人の人間に差し、壁にも差している。その光に染められた色彩を見事に表現する。右のほうでは水道の蛇口から水が流れてきて、少女がそこに両手を伸ばしている。後ろのベンチにはその母親がいて、そばにバドミントンのラケットが置かれ、白い羽が置かれている。日の差す力が見事に画面に引き寄せられ、それによってこの母と子は活性化される。現在では大体が蛍光灯の中での仕事だが、太陽光線というもののもつ力を引き寄せ、その光を描いているところが面白く、それを印象派的な色彩に分解せず、光そのもののもつ力を表現しているところに注目。

 樋口洋「白い函館」内閣総理大臣賞。函館のハリストス正教会が描かれている。背後に函館湾が暗い海の色を見せ、高層ビルなども遠景に見える。夜が後退し、朝の光が差し込んで、この風景を染めている。雪の表情が清潔で、実に魅力的である。教会の屋根に積もる雪と手前の地面に積もる雪とは質感も色彩も微妙に異なる。空はまだ曇っていて、夜の気配である。無人のなかに朝一番の光が差し込む。その清らかな光がこの風景の中に捉えられているところが魅力である。また、教会のもつ素朴な鐘楼や塔の形、その下の建物の形やアーチ状の窓。そういったディテールが函館という街のもつエキゾティズムの象徴のように画面に表現されている。その教会を中心としながら、たとえばそこからすこし高くなった手前の地面の横には木造の板を張った粗末な建物があり、そばに窓があり、梯子のようなものが掛けられている。その日常性のなかに教会を中心とした詩情ともいうべきものがしっかりと表現されていて、加えて、朝いちばんの清潔な光がこの風景を染めて、作品でしか表現できないもう一つの理想的な世界、あるいは空間ともいうべきものがあらわれる。

 町田博文「白き湖畔」。ヨーロッパのある街の冬の景色。その湖畔に立つ女性。毛皮のマフラーをし、紫色のお洒落な衣装をつけ、ヴィトンのバッグをそばに置いている。面白いのは、バックの集落の中に白い道が見えるところ。その道がしぜんと旅行とか人生というものを想起させる。強い写実力を駆使しながら、ロマン豊かな旅といったイメージがあらわれているところが面白い。

 大谷喜男「路」。白い馬の手前に赤い帽子をかぶった青年が立っている。服装を見ると、ピエロのイメージがそこに投影されている。馬は人間の深い無意識の象徴と心理学的には説明される。画家はかつてピカソのアルルカンなどの青の時代、ローズの時代に対する深い関心、そこから受けた感動があったという。そういったベースのうえにあらわれた、やはり運命というもののもつ謎めいた味わいを感じさせるコンポジションである。そして、下方は草原で、はるか向こうにごく低い丘のようなフォルムが見える。空には雲があらわれ、その雲の絶え間ない動き。動いている様子がそのまま深い時間軸を表すようだ。

 武藤初雄「湾岸にて」。岸壁のそばのコンクリートの塀。床。クレーン。そのような無機的なものを使いながら長い時間が表現される。これまで様々な労働が行われてきたということが暗示される。そして、そのコンクリートの壁に茶褐色の飛沫を浴びせたようなフォルムがあらわれる。そのフォルムを見ていると、東北で起きた津波の悲惨な出来事に対する深いレクイエムの気持ちが、実はこの作品の奥のテーマであることがわかる。マチエールというもののもつ力を十全に使った表現である。

 西田伸一「白い午後」。若い女性がブーツをはいて立っている。太い横縞の上衣に白いスカート。帽子をかぶって遠くを眺めている。白と赤の三つの玉による首飾り。背後のグレーに不思議な味わいがある。まるでそこに霧が立ち込めたような、もあもあとした空間があらわれている。この女性は細長く幅の狭い台のようなものの上に立っている。まるで、この女性を掌の上に置いて眺めているような静物的なシチュエーションの中に、背景の前述した霧のような深い風景的奥行きがあらわれているところが面白い。しっとりとしたトーンの中にこの女性の過去、現在、未来の時間軸がすべて入れられているような、そんな深い味わいが魅力である。

 栁瀬俊泰「PILGRIMAGE―愛犬へのオマージュ」。千葉のほうにアトリエを構えて五年になるそうだ。そばの樹木や水を背景にして愛犬が座っている。青に深い味わいが感じられる。ヨーロッパにアンティーム派という流派があるが、身辺のものの存在を描きながら、深い心象的奥行きをつくりだす。

 松野行「峠を行く」特選。二頭のコブウシに引かれてサトウキビを積んだ牛車が進んでいく。インドでの取材。悠久なるインドの時間の流れがしぜんとこの作品に醸し出されている。とくに空間の赤茶色の色彩が魅力である。その色彩はどこかポンペイの壁画の赤も想起するところがある。また、日本画の朱色を思わせるところがある。強い朱色を背景にして、ほとんどグレーの牛車と人間とサトウキビが動いていく。永遠と言ってよいような時間の流れがしぜんと醸し出される。

 日野功「川辺の暮らし」特選。昭和の時代は貧しかった。そんな昭和のイメージが、この水のそばの貧しい家から感じられる。洗濯物が干してある。トタンのような赤茶色の屋根。粗末なテラスの上に植木鉢が置かれている。ほとんど手で触りながら表現したような強い温かなマチエール。パリではなく、日本の、昭和のシャンソンが聞こえてくるようだ。そのような歌を、この壁と窓と洗濯物によって表現する。グレーに深いニュアンスが感じられる。

 佐藤龍人「画室」特選。パレットを持つ自画像である。背後には裸婦を描いている途中の大きなキャンバスが銀灰色の色彩を見せる。テーブルの上には本とデスマスクを思わせる石膏像がある。アトリエの時間がゆったりと流れる。

 橘貴紀「亜也」特選。友達を描いたそうだ。若い女性の瑞々しい生命感がよく表現されている。再現的に描くというより、どこかモデリングするような造形力が感じられるところが面白い。

 児島新太郎「夜想」特選。黒いディナー服のような衣装を身につけた女性が、黒いブーツをはいて座っている。背後は茶系のグレーである。白い色斑が画面全体を覆っていて、まるで雪が降っているような深々とした気配が感じられる。くっきりとした眉。二重の目。大きな唇。しっかりとした鼻。張った肩。そして、一本一本クリアに描いた太い指。この若い女性のもつ存在感が見事に表現されている。同時に、前述した白い色斑が深い情感を醸し出す。

 柴田仁士「母の調べ」特選。聖母子像のイコンが画面の中心に描かれ、背後にはイタリアのルネサンス期の壁画が描かれて、祝祭のような雰囲気である。下方にはテーブルの上に本が置かれて、白い百合や聖者の横顔が描かれている。誕生をことほぐ画面で、イタリアのルネサンス期の美術から引用しながら独特の静かなメロディを表す。

 阿部良広「Caribbean Blueを聴きながら」特選。自分の娘を描いたそうである。椅子に白い布を掛け、そこにこの少女を座らせ、膝を組み、横から描いている。クリアなフォルムが魅力である。この少女が呼吸をしているような、そんな静かな動きまでも表現しようとする。そんな写実に対する意欲が独特の魅力をつくる。

 児玉健二「朝の光」特選。眠れない夜に朝の光が来たといった言葉が「日展アートガイド」に書かれていたが、独特の色彩家と思われる。裸婦が立って、左手を後ろの髪に伸ばしている。背景はブルーやグレーや紫などのたらしこみふうな調子で、清浄な空間の中に裸婦が立っている。豊かな色彩のハーモニーに注目。

 浅見文紀「化身」特選。段ボールの上に木の幹やアンモナイトや動物の骨などが置かれている。積まれた段ボールの層は歴史や地層を暗示させる。その中にかつて生きていた樹木や哺乳類の骨、あるいはアンモナイトが置かれて、長い時間軸の中に今という時間があるということを画家は表現する。段ボールの断面のギザギザまでもクリアに描くディテールに対する関心が面白い。ディテールによって現存感があらわれながら、構成によって長い時間軸が表現される。

 山田郁子「やすらぎ」特選。老齢の女性が椅子に座っている。杖をついて、そこに両手を置いている。その手の形自体に年輪があらわれる。しわの寄った顔。しかし、不思議な笑みを浮かべている。いわば聖なる老者といったイメージを淡々と描きながら、その強い再現力によって一人の女性の人生の過去までも表現しようとする意欲作。

2室

 永田英右「ペトロの涙」。カソリックの神父が黒い服を着て座っている。腕を組んでいる。すこし下方を見ながら、なにか思い詰めた様子で一滴の涙が目に見える。しんとした厳粛な強い緊張感のある画面である。肖像画であるが、そのような緊張感をつくりだしているところが魅力。

 西房浩二「雨あがり Vetheuil」。近景は水で、画面の約三分の一近くを占める。対岸にお城や洋館が並び、樹木が点々と立っている。背後は低い丘で、雑木林があり、右のほうはもっと遠くにあってシルエットになっている。この街の上を覆うように白い雲が浮かんでいる。これまでよりすこし明るい部分をとばしたかたちになっている。それによって逆に風景の生き生きとした響きがあらわれた。わかりやすくいえば、すこしのハレーションをつくることによって風景を活性化させた。それがこの作品のこれまでと違うところである。また、近景がすべて水という様子も面白い。ほとんど動いていないような雰囲気で、鏡のようだという形容を使いたくなるが、そこにかすかに風がわたり、波紋をつくる。岸辺の近くは白く輝いていて、その水の二つの表情の対照もまた一種のハレーション的な発想で見事と言ってよい。

 歳嶋洋一朗「運河の朝(ヴェニス)」日展会員賞。ヴェニスのアカデミア橋からの眺めで、前にカナルグランデが描かれている。運河はオレンジ色に染まり、空も同色のジョンブリヤン系の色彩で染まり、船が何艘か運河を進んでいる。右のほうには宮殿がシルエットになっている。ジョンブリヤン系の色彩の中に朱色に近い色彩が置かれていて、それが実に魅力的なアクセントになっている。朝日に染められたカナル・グランデの情景が、エキゾティックというより、むしろ心の中の風景のように画面に表現されている。日本的洋画というもののもつ力であるに違いない。また、船もそうであるが、朝の一瞬ともいうべき張りつめた動きが画面から感じられるところがとくによい。

 遠藤原三「夢想開花」。妖精のような不思議な女性が頰杖をついてあらわれている。そばには白い花が炎となって燃え上がり、馬が疾走し、テントウムシが巨大な姿を現し、つがいの鳳凰のような不思議な鳥がとまっている。楕円状の鏡にはヨーロッパの建物が映っている。下方にはバッタがそのまま化石化して、床の上にいる。ススキのような植物が伸びている。ミステリアスな女性をまるでアラジンのランプのように使いながら、浮かんでくるイメージを配置しながら、題名のように夢想が造形化される。青い緑の神秘的な色彩がまた魅力である。深い水の中にいるようだ。水圧のような力が空間の密度を濃くし、形象が結晶化したフォルムとなってあらわれる。

 髙梨芳実「紫のコスチューム」。グレーの複雑なヴァリエーションの中に室内にいる女性像が描かれている。女性は膝を組んで座っているが、その上衣は紫で、スカートが紫で、グレーの中に鮮やかな対比を見せる。白いブラウスも同様である。斜光線が窓から差し込む。ヴァルールを一つひとつはかりながら、空間の中にその色彩を置く。クリアなフォルムもさることながら、その計量されたヴァルールのもつ魅力、そのハーモニーに注目。

 石田宗之「遊於樹下世界」。曼陀羅の模様の上に太った若い女性が寝そべっている。丸い枕のようなクッションの上に上体を起こしている。量感のある女性が周りの曼陀羅ふうな文様と響き合うそのコンポジションが面白い。

 難波滋「逍遙・十六夜」。満月の下に三体の女性と一体の男性の文楽人形が立っている。周りに蓮の花が咲いている。心中、道行の画面である。三体の女性は女性の三つの姿のように感じられる。俯いたその姿。俯いた男の表情。黄金色の満月がこの男女を照らしている。文楽をテーマにとりながら、心中という最も感情の高揚する深い世界を生き生きと描く。バックの黒い闇が強いリアリティをつくる。

 西田陽二「Chinoiserie」。パリで中国ブームがあった時期があり、それをシノワズリーと言う。青い染付けの花瓶を持った白いワンピースを着た女性。タイトな帯を首に巻き、頭に白い宝玉のような石を冠のようにつけている。背後に螺鈿のシナの衝立があり、染付けの花瓶に白い牡丹の花が咲く。そばにはかわいらしいグラスが置かれている。画家は白を中心とした中での人物を描いてきたが、そこに色彩があらわれた。今回はそれは背後の衝立であるし、女性のピンクのワンピースの下の下着であるだろうし、染付けの壺でもある。床には白い布が置かれている。白という色彩によって一つひとつの色価を慎重にはかるような、そのような繊細な感覚があって、今回は中心に女性を座らせて、シンメトリックでありながら微妙な変化のある独特の人物表現になった。

 堀研一「小休止(プレゼント)」。腹話術師の持つ人形がグレーの布の上に置かれ、背後にはレインコートとボストンバッグ。ここに腹話術師はいないが、腹話術師の人生の悲しみや喜びがしぜんとこのシチュエーションの中から感じられる。対象をクリアに描きながら、そういった時間というものが表現されているところが魅力。

 立花博「秋曲」。手前の折り畳み用のテーブルに緑の布が掛けられ、マンドリンが置かれている。後ろから観葉植物の葉が伸びている。そばに丸いテーブルがあり、黄金色の布が置かれ、そこには豊かに実った葡萄の房が高く聳えていて、そばにグラスがある。低い丸いテーブルには白いポットが置かれている。朝鮮ふうな屛風があり、そこには花鳥画が描かれている。それぞれのもののもつ存在感が強い。同時に、実った葡萄の房が象徴するように、秋というものの実り豊かな景色と同時に冬に向かう寂しいような雰囲気が、この錆びた黄金色の布やマンドリンの色彩から感じられる。対象の固有の存在感をリアルに強く表現しながら、トータルである物語やメロディのようなものが聞こえてくるところが魅力。

 福井欧夏「姿」。白いネグリジェにピンクの帯を結んだ女性が鏡を見ている。艶めかしい雰囲気である。実際にこのようなシーンは映画でしか見ないと思うが、それを画家は絵の中に表現し、鑑賞者を夢想の世界に誘う。そばに白いデコラティヴなヴィーナスを思わせるようなもののついている陶磁器があり、ピンクや黄色や白い薔薇が差されている。白とピンクは女性の服と帯の色彩であり、同じ色彩がそばの花瓶にリフレインし、生きた女性の艶めかしい姿が、その陶器に付けられたヴィーナスの姿とリフレインする。そして、髪の後ろにピンクの花が差されている。柔らかな光が差し込む。その光が雰囲気をやわらげながら、さらにもう一歩踏み込んだ濃密な空間の中に鑑賞者を引き寄せる。筆のタッチの集積によって内側からあらわれてくるような強いムーヴマンが表現される。

 寺久保文宣「ECHO」。樹木のそばに裸婦が立っている。まるで秋のニンフのようだ。黄葉した黄金色の黄色い色彩の中にこの裸婦は立って、一部ピンク色の光線の中に染められている。空はあくまでも青く澄み切っている。ステンドグラスを思わせるような色彩のハーモニーに注目。

 稲葉徹應「室内の情景」。テーブルクロスの掛けられた台の上に、白い花瓶に両手を広げたような不思議な花が生けられている。花弁は朱色から白にわたる色彩によって彩られているから、まるで太陽のようなイメージがこの花から感じられる。周りには剝製の鳥や葡萄、林檎、アンモナイトなどが置かれていて、バックは灰白色である。静物でありながら、背後の壁とこの花と相まって、風景のもつ力強さのようなものが画面に引き寄せられている。壁に雪もよいの空のような空間のあらわれているところに注目。

 木原和敏「September」。フローリングの床と木製の階段。手すりに女性は手を置いて立っている。全身像である。紫の紗のようなワンピースを着て緑色の首飾りをつけている。その女性の体全体のもつニュアンスがよく表現されている。近づくと、この女性の体温さえも感じるような対象に対する迫り方である。彼女の立っている床の背後に階段があって、そこはもっと位置が低いという、すこしスリリングな気配がこの健康な女性の魅力をつくるのに隠し味のようにきいているところも面白い。

 守長雄喜「かき打ち場」。カキ打ち場で人々が働いている。ベルトコンベヤーが動き、いちばん手前にはカキの山が大きな容器の中に入れられている。中景には四人の男たちが働いていて、一段高い壁の向こうにもう一人の男が働いている。グレーの壁。独特の触覚のある壁の表現。斜めになったいくつものベルトコンベヤー。妖精たちが働いているような不思議なイメージがそこに重なる。心臓の拍動するような動きがそのままこの光景の中に感じられる。それを感じさせるものとしてベルトコンベヤーや男の持つホース、屈んだ姿などがあるが、加えて独特の触覚的なマチエールがそのような拍動的イメージを支えている。

3室

 ナカジマカツ「天水を受ける」。女性が両手を前に出して、そこに水が描かれている。背後は金の箔で、両側は岩と樹木でほとんどシルエットと化している。金碧障壁画や金の箔によって自然の空間があらわれるという仕組みは、日本の障壁画の構造である。そこにクリアな写実による、手を前に差し伸べる女性を置く。水は金によって掌の上にすこし置かれている。写実と装飾という二つの要素をクリアした佳作と言ってよい。

 星川登美子「ゲラゲッツァ パレード」。太鼓を持つ白衣の男。スカートを持つ女性。二列になって行進してくる様子を面白く平面的に表現している。それぞれのフォルムは平面的だが、組み合わせることによって空間が生まれる。

 髙橋規矩治郎「飛ぶ」。淡いブルーの空にグレーのトビが舞っている。遠景に建物群が見えるが、近景の金や白などによる装飾的な表現はお祭りのイメージを感じさせる。十字形の構図の中に御神輿が立ち上がってくるような明るさである。お祭りのモニュマンといってよいような楽しさと力強さを感じる。

 武田敏雄「月山」。湖が手前にあって、澄んでいる。深い暗い緑色である。岸近く雑木が生えて、褐色の色彩を見せる。湖はそのあいだを通って、もうすこし奥のほうまで行っていて、その部分は黒くなって、なにかあやしい雰囲気を釀し出す。そこからすぐに山の斜面があらわれ、昇っていくと月山の威容が見える。雪をかぶって神々しい。湖の近くまで月山が下りてきたような新鮮な印象である。山形に住み、この山を常日頃眺め、親しんできた画家ならではの視点であるし、また、その月山の神々しさが目の前ににわかに現れたような、そんな強い印象がある。強いインスパイアを覚える経験をしたのだろう。雪のもつ柔らかで清浄な神々しい雰囲気が実によく表現されている。曇り空と茶褐色の斜面とのあいだにある雪の形、色彩は、見事と言ってよい。

 店網富夫「薫風の朝」。ゆったりと川が流れている。両側の樹木や草。面白いのは空に昼の満月が浮かんでいることで、このクリアな情景自体が蜃気楼を思わせるような繊細な表情のあらわれているところに注目。

 中島健太「あなたがそれに気付く頃」。コンクリートのテラスに、柱の裏側に女性が屈んでいる。青と白の文様のあるワンピースを着ている。夏の日の一刻である。しんとした気配が周りを取り囲む。この女性の魅力に加えて周りの森閑とした気配を表現しているところが面白い。

 曽剣雄「We・Asia」。左から韓国、中国、日本と三つの衣装をつけた若い女性の肖像画である。それぞれの女性が静かにほほえんでいる。衣装によって国籍を表しているわけだが、顔や身体の表情の中に深く入って表現しているところが、この作品のよさと思う。

 土井原崇浩「人体全身骨格と私」。鏡台に赤い布が掛けられて、人間の全骨格が積まれ頭蓋骨を上に置いた様子が描かれている。骨の集積したカトリック教会がヨーロッパにはあるが、そこからの引用だろうか。下方には、お賽銭代わりに高杯の上にお札とコインがある。骸骨、骨のフォルムに、強い存在感がある。面白いのは背後が鏡になっていて、室内にあるにもかかわらず、こうもり傘を差した画家の自画像があることだ。画家自身は鬱屈した憂鬱な気分にいることが、そこからわかる。死というものを眺めることは生ということを考えることだろう。いわゆるヴァニタス画の流れをくむ日本では珍らしい心象表現と言ってよい。

 池山阿有「モーニングコール」。「日展アートガイド」によると、このおばあさんは孫にモーニングコールを毎朝しているそうだ。きょうもまた朝が来て、携帯電話を持っておばあさんが座っている。ふっくらとしたフォルムで、その顔には年輪が刻まれている。そばの達磨ストーブに薬罐が置かれている。携帯電話はいま一人で暮らしているこの祖母と孫をつなぐツールであるが、それを持ちながら遠くを眺めているこの祖母の様子には、懐かしさと同時に不思議な存在感が感じられる。上方には障子が描かれ、この老女の周りには緑がかったグレーの空間がつくられている。そろそろ薬罐が湯気を噴き始めるようだ。穏やかな朝の時間の中に座る老女は、聖なる存在のようだ。そのような不思議なオーラが顔の周りや手から発している。

 小島義明「雪後の石灰工場の一隅」。石灰工場の中に入って、建物が通っている下を車が走るようになっている。その下の水が溶けていて、その前後は雪で、斑になっている。向こうにいかにも石灰工場のような白い粉の吹いたような建物が見える。そういった普通絵にならないシーンを画家はピックアップして、独特の輝きをつくる。それは画家が発見したこの通路にある水のもつ独特の魅力を捉え、表現することができたからだろう。直線による周りの構成に対して、水の周りをすこし映しながら揺らぐような雰囲気が魅力である。

 大友義博「花摘みのうた」。女の子が野草の冠をつけ、左手に花を摘んで、それを束ねて持っている。樹木が柔らかな若葉をつけ、風にそよいでいる。背後に水があり、その向こうに丘がある。アンティームな中に少女のもつ愛らしさ、気高さを表現する。

4室

 中土居正記「再生・Piece of Peace」。色面構成の画面である。植物の中に赤い上衣を着た女性が椅子に座っているが、それを画面構成的に表現し、独特の装飾的空間をつくりだす。花や葉、空の青、女性の衣装、それぞれ光ではなく色面によるコンポジションとして造形されているところが面白い。

 池田清明「母子像」。乳飲み子に乳をふくませている若い母親の像である。いわば画家のつくりだした聖母子像と言ってよい。すっきりとした強いフォルムに清潔な韻律がある。そして、白い上衣をはだけて豊かな乳房を出して、それに口を当てる幼児。それを優しい目で眺める眼差し。いわば永遠の母子像のイメージをよく表現している。

 庄司栄吉「青年」。フォーヴィックなタッチで青年の像を描いている。青みがかったグレーの着衣や褐色のズボンの周りのジョンブリヤン系の色彩の中に点じられた緑や赤が、炎となって燃え上がるような雰囲気である。青年というより、詩人の肖像画を思わせるような、そんな魅力がある。

 平松譲「早春の山麓」。雪をかぶった高い山。山麓はすでに春の兆しである。その様子をペインティングナイフでぐいぐいと描きながら、強い色彩のドラマをつくる。

 長谷川仂「風の通るところ」。マテーラの郊外を描いたそうだ。大地が斜面になっていて、それに沿うように家が建てられ、だんだん高くなっていくその様子が正面にしっかりと描かれている。その手前で道が十字路になっている。ぽつんぽつんと子供や母親、犬などが立っている。左上方から光が差し込む。左のほうには階段があり、そばに二階建ての簡素な建物が見える。十字路を風が通りすぎていくのだろうか。一万年ぐらい前の穴居時代の建物から現在の建物までがつくられているマテーラというユニークな町。その郊外の、時間と時間のはざまのような雰囲気が面白く表現されている。単に風が吹くだけでなく、時間のはざまのようなエアポケットのような不思議な空間が表現されているところが面白く感じられる。長くマテーラを取材して描いてきた画家ならではの表現である。

 杉山吉伸「白冬女人譜」。女性がクラシックな衣裳を着て座っている。黒いチョッキの下には紫色の服。そして、黄土色のショールをまとっている。打ちっ放しのコンクリートの壁を通してひたひたとこの室内に入ってくるものがある。冬の気配が壁を通して滲み出るように入ってくるのだろうか。上方に窓があり、窓の向こうには茶臼山が見え、煙を噴いている。壁に人形が座っている。枯れたドライフラワーになった薔薇がある。ひらひらのスカートはグレーで、まるで雪を思わせる。女性の肌は白く輝くようで、雪女のあの蠱惑に満ちたイメージがこの女性像に重ねられているように思われる。女性のいのち、その妖しいエロスの力が画面の中に釀し出される。その蠱惑に満ちた像が鑑賞者をひきつける。

 斎藤秀夫「祈り」。白い肘掛け椅子に女性が座って、膝に手を置いている。絨毯は花柄で、バックの壁紙も花柄である。女性の腰の奥のほうから動きがあらわれてくるような、特異な力の感じられるところが面白い。体の内側からエネルギーがあらわれて、それが目となり手となり足となり、その力がこの女性の周りに花柄の文様を引き起こすといったようすである。「祈り」という題名を見ると、なるほどと思う。画家は福島の出身で、一年前の津波による福島の被害に対する深い思いがある。画面の中心から祈るような強いエネルギーが、内側からわき起こるような力となって、この大画面の動きをつくりだしている。

 根岸右司「湯沸岬」。海に突き出た岬。そのいわば尾根のような部分を追っていくと、まるで巨大な龍がここにわだかまっているような、そんなダイナミズムを感じる。夕日がこの雪の積もった岬を温かな色で染めている。なにかそこに深い感情があらわれている。春が近く、北の大地は胎動をはじめる。その雰囲気が深い動きとなって画面にあらわれている。白い灯台が気高く、尾根の向こう側に聳えている。その灯台は夜になるとこのあたりをいく船のよりどころになっているだろう。風景のみでなく、そのような人間的なニュアンスがこの作品に表現されているところが鑑賞者を引きつける。

 犀川愛子「蟬時雨」。水を背景にしてソメイヨシノと思われる樹木が枝を広げている。その量感のある力強い表現に引かれた。

5室

 成田禎介「残雪の山と丘陵」。はるか向こうに白山連峰が見える。あいだの低いたくさんの山の様子が緻密に表現されている。若葉が萌え始めた頃の季節である。中景にもっこりとした柔らかな緑の山があり、そのあいだを道が高低をとりながら伸びていき、左のほうに二つの民家がある。おとぎ話の世界に招じられるようなロマンティックな雰囲気がある。おそらく樹木の形も現実とは異なって微妙な大きさの狂いがあって、それがまた絵の中で独特の遠近感となってあらわれているように思われる。朝方のような空の雰囲気。そこに聳える白山連峰の残雪の輝き。その気高さと農耕に携わっていると思われる民家とが静かに対照され、なにか生活に対する祈りのようなイメージも感じられるところが興味深い。

 小灘一紀「荒海を鎮める弟橘比売命」。オトタチバナヒメノミコトはヤマトタケルノミコトの妻である。東征の時、海が荒れた。その海を鎮めるためにこの姫は海中に身を投じる。海神はそれによって荒波を治めた。『古事記』に出てくる話である。水中に浮き、祈っているオトタチバナヒメの姿が見事に表現される。水の中の浮力の中にある人間の全身像がよく表現されている。白い衣を着、両手を合わせたオトタチバナヒメの上方を見る顔の表情が神々しい。周りに魚が泳ぎ、昆布がゆらゆらと揺れている。その黒い背景の向こうにもう一つの世界が存在するような気配がある。自ら死の世界に入っていった、この姫のもつ強い精神性が気高く画面に表現される。

 湯山俊久「秋麗」。ソファに若い女性が足を組んで座っている。黒いロングスカートに花模様のブラウス。膝に画集を置いている。ゆったりとした空間の大きさがまず魅力である。同時に、この女性のもつ量感がしっかりと表現されている。ゆったりとしたポーズの中に流麗な流れるような動きが感じられる。すこし遠くを見ているような夢想ふうな目の表情なども魅力である。肖像画としても優れた力量を示す。

 吉崎道治「千里浜」。ずいぶん横長の画面である。浜の向こうに建物があったり、トラックがある。波が寄せている。大きな雲が出ていて、遠方の空は曇っているが、手前の空には青空が覗いている。静かな波の寄せる動きと雲の動きによって力強いリズムが生まれる。日本のしっとりとした湿気の多い風土の空気感もよく表現されている。

 安増千枝子「暮れなずむ」。テーブルの上に猫や大きなアコヤガイ、ヒトデ、紫陽花の入れられた壺などがあり、不思議なことに背景は海で、ヨットが進んでいる。そして、水平線の際に太陽が現れ、オレンジ色の光線を放射している。テーブルの手前から観葉植物が画面の上方、空まで伸びている。ファンタジックな空間である。幸せな心持ちが画面の隅々まで満ちているようで、鑑賞者はしぜんと画面の中に引き込まれる。絵画ならではの理想的な夢想的空間である。それがハーフトーンの色彩のハーモニーとテーブルの向こうの海や太陽によって見事に表現されている。

 和田貢「幕間」。緑のカーテンの前に三人のピエロがいる。男の二人のピエロは腕を組んで背中合わせで、上方を眺めている。すこし距離をおいて女性のピエロが座り、ウクレレを弾いている。それぞれの人体のフォルムがクリアで生き生きとしている。いわゆるデッサンの力という意味では日展の中でも抜群の力量を見せる。格子縞の赤い衣装やピエロの鼻の赤い玉や鼻の先の赤い様子などがアクセントとして効果的である。まさに幕間に自分自身に返り、放心したような、そんなリラックスした雰囲気の中の三人のピエロの様子が、不思議な人間と人間の関係、あるいはその人の人生などをしぜんと釀し出す。背後の緑のカーテンの中から何か不思議な形象があらわれつつあるようなイメージもあり、どこか海のようなイメージもそこに重なっているようだ。

 桐生照子「白い桟橋」。ヨットハーバーの朝の情景である。ヨットも桟橋もすべてが黄金色に染まっている。きょう一日が始まるときの弾むような新鮮な心持ちが、この黄金色の光によく感じられる。また、上方に立ち上がっていくフォルムに対して左右の動き、あるいは斜めの動きなどが加わって、独特のムーヴマンが感じられるところも心地よい。

 伊牟田經正「旅人記」。木馬の手前に赤いワインの入ったグラスとパンがある。パンには剣が刺されている。パンはキリストの肉であり、ワインはキリストの血といわれている。背後の壁にロバに乗る男やキリストの頭部の像、あるいは右上には建物などが描かれている。旅人記という言葉のように、人生は旅である。クリスチャンにとって、その旅はキリストを思いながら生きる旅でもあるのだろう。そのような敬虔なイメージが静かに画面から聞こえている。

 三原捷宏「瀬戸内の朝」。これまで岬の下方に渦巻く波を描いてきたが、今回は穏やかな瀬戸内の海である。画家自身、広島に住んでいて、瀬戸内海は熟知している。桟橋に囲まれた小さな漁村。たくさんの船が繫留されている。そこには風によって静かなさざなみが起きている。桟橋の向こうに瀬戸内の海が静かに白く輝いている。島々がその向こうに見える。いま日が昇ったばかりなのか、まだ朝焼け色が空に残っている。静かな漁村の朝の一刻。敬虔な祈りのような心情がうかがえる。青や緑の色彩が画面に使われ、それが清浄な雰囲気をつくる。また、しんとした朝のすこし寒い空気感さえも感じられる。突堤の向こうに柔らかな愛らしいような雰囲気で岬が海に向かって突き出ていて、その上方に松のような樹木や広葉樹の茶褐色の樹木などが立っているのが、懐かしさといった心情を引き起こす。

 藤森兼明「アドレーション サンティ ピエトロ エ パオロ」。「シチリアに花開いたノルマン・シチリア王朝期に造られたビザンチン調の寺院や礼拝堂に見られる金地モザイクに魅せられて構想しました。華やかさと重厚さの中に黒衣の人物を配して、祈りへの強さを表現しました」(日展アートガイド)。厚い金の背景が重厚な力強さを見せる。その中心に黒衣の女性が座り、膝を組んでいる。その頭から肩にかけて赤い色彩が金地に入れられていて、命と祈りの輝きを表す。上半身の左右両サイドに聖人らしきイコン像が円形の中に四つ描かれていて、それもシンメトリックな中に強い印象を醸し出す。油彩画の中に金を導入し、見事なコンポジションをつくる。

 塗師祥一郎「長坂雪景」。氷見の丘から眺めた光景だという。中心に道がS字形にカーヴしながら伸びていく。その向こうに左斜め上方に向かう橋がのぞく。周りは雪が積もっている畑で、点々と家があり、広葉樹や針葉樹が立っている。しんとした澄んだ空気感が感じられる。その空気感を通してそれぞれのフォルムがきわめてクリアに表現される。おそらく実景の中から取捨選択したものがあるはずなのだが、まさにこのような光景が存在するごとき臨場感がある。それを中心の道を通してこの集落をまとめている。S字形の中景の向こうは低い棚田になっているようで、その地面の様子は雪がかぶって、ユニークな画面上のアクセントになっている。その意味では、手前の道の右側はだんだんと地面が高くなっていて、その地面の広がりや傾斜した形などが、この風景の中の造形的骨格として見事に表現されている。また、民家の屋根に積もる雪がそれぞれ微妙に明度、彩度、色相を変えているところも印象深い。「今日は曇り、立山は見えぬ、近くの丘陵地を歩く。長い坂道が続く集落、その風景に魅せられ筆をとった」(日展アートガイド)

 中山忠彦「繡衣華粧」。赤い花の刺繡のされた光沢のある華麗なワンピースを着た女性。いわゆる夜会服といった様子である。その光沢のある、すこし緑がかったグレーの微妙な色彩がこの女性の肌を静かに輝かせる。女性の肌には赤みが差している。裾は長く、足は見えず、その裾が床に接しているところが画面の下辺で一部切れている。そこからちょうど円柱のようなフォルムが立ち上がっているわけで、それがこの女性の身体である。そのポジション、そのあるべき位置が、平面空間の中に見事に表現される。背後には椅子があり、その椅子の先に女性は静かに手をついているが、そこには赤い布が掛けられている。バックは大理石の華麗な机で、そこにはピンクのリボンのある花柄の帽子が置かれ、その後ろには白い磁器が置かれている。背後に菖蒲の描かれた大きな絵がある。その絵が室内の空間の中の絵でありながら、風景的な要素を画面の中に引き寄せる。その暗い緑の調子が、この華麗な夜会服の柔らかな緑を帯びた調子と深いところで響き合っているように思われる。また、女性の顔のもつ気高さというべき精神性が静かに顔から滲み出てくるように感じられるところも魅力である。単なる肖像画ではなく、その内面にまで筆が迫り、性格までも表現しているところが見事だと思う。

 寺坂公雄「からまつ芽立ち」。カラマツは成長すると二十メートルを超えるそうだ。いまここに描かれているのは、まだ若木のカラマツである。春になり、芽吹いた頃の新緑の緑のオーラを放つような輝きをよく表現している。また、右の最も近景の部分に草が伸びて白い可憐な花が咲き、そばにピンクの花も咲いているのが、隠し味のようにきいている。この若木をこの花々が静かに荘厳しているような、愛らしく、また神秘的な雰囲気である。背後には成長したと思われるカラマツの茶褐色の林が横に続いている。幹のあいだからグレーの空がのぞく。成長したカラマツ林を背景にして、いま萌えはじめた芽立つカラマツの若木をこの空間の中に左右前後しながら描いて、独特の命の輝きを表現する。緑という色彩が実に魅力的に使われている。

 村田省蔵「朝」。新潟の朝四時頃、日の出の時のスケッチから描いたそうだ。稲架木が逆光の中に立ち並んでいる。手前は田植えをしたばかりの田圃で水が張られていて、そこに朝日が映っている。その輝くような黄金色と言ってよいような色彩の周りにジョンブリヤン系の色彩が置かれて、空に昇った太陽と水の中の太陽とが静かに響き合う。太い幹をもつ稲架木は上方だけ葉があって下方は幹だけであるが、それが八本ほど立ち並び、まるで静かにダンスをし、動いているようなあやしさである。樹木が生きていると実感される。地面から伸びる幹の形が微妙に異なり、まるで一つひとつの個性を描き分けたような面白さである。背後にはシルエットの林が広がり、上方の黄金色の空が画面の四分の一ほどを占める。日が昇ったばかり太陽の神々しさ、その温度までが画面に表現されているようだ。日本は神道をもとにした垂迹信仰を長く続けてきたが、そのような古神道につながるような太陽や自然の表現と言ってよい。

 金山桂子「四つのガラス瓶」。四つの大きなかたちのユニークな瓶のあいだに四つの素朴な瓶が置かれている。あいだの空間に櫛が置かれ、右のほうには金属のようなものが一つ置かれている。画面全体が柔らかな緑で覆われている。その緑の空間が客観的なものと画家の主観的な心象とがクロスする不思議な味わいを見せる。それぞれの瓶に触り、指で叩いて音を確認し、一つひとつ丹念にその個性を描いているような、そんな瓶と画家との距離が近く、それによってこれだけの要素によって独特のファンタジックとも言ってよい空間が生まれてくる。そこが面白い。白い背後の壁に緑の山のような、そんな不思議なイメージがあらわれているところも興味深い。

 本山唯雄「森」。地面のいちばん手前に太い杉のような木が立っている。背後にはすこし幹が細くなった雑木が十数本。いずれも葉を落とした裸木である。その木々の韻律ともいうべきものが心地よい。背後は晩秋の茶褐色に変じた雑木の群れである。普段通い慣れた公園が、ある日、夜に近い夕方に歩いていると違ったものに見えたという。木の命を慈しむように見、その声を聴いているような、余韻のある幽玄な画面と言ってよい。

 渡辺晋「木馬館の景」。木馬に乗る少女とそれに抱きついている兄。向こうの木馬には弟が乗っているようで、若い母親が語りかけている。グレーのバックに大きな色面として人間や木馬を配置して、独特の装飾的な空間をつくる。そしてゆるやかに木馬は動く。また、木馬の向こうに電車のようなものがあって、そこに三人ほどの人の後ろ姿が見えるのもユニークな空間処理である。いずれにしても、波打つようなフォルムが繰り返される中に、一種の音楽的なメロディが画面から聞こえてくるような心持ちになる。

6室

 小川尊一「兆し」。使わなくなった発電所を舞台にして、画家は若い女性の様々な心象風景を描く。今回は二人の女性が描かれている。一人は背後の柱に寄り掛かって、白い百合の花を持って遠くを眺めている。もう一人は背中を見せて、右手をその柱にのせて、手前の女性と同じ、向かって左方向を眺めている。そこにはきっと未来があるのだろう。百合は純潔の象徴といわれる。若い女性のもつ未来への希望といったイメージが、一種舞台的な演出のなかに表現される。その希望はまた水平線の向こうにあらわれた朝日のオレンジ色の輝きによっても表現される。画面は二人の人物を左に寄せているために表現に苦労したということが「日展アートガイド」に書いてあるが、逆にそのアンバランスが青春というもののもつ輝きを表現した。

 伊藤晴子「避暑地の湖畔」。池の周りに花や草が生え、あずまやがある。その周りを樹木が取り巻いている。そんなシチュエーションをクリアに描写して、画家独特の色彩によって表現する。白いパラソルを差した白いワンピースの女性が子供の手を引いている。あずまやに後ろ姿の人がいる。まるでその三人が妖精のように感じられる。独特の感性である。

 鈴木實「運河の街」。ゴンドラに老夫婦が乗って、若いゴンドリアが棹を操りながらヴェニスの運河を進んでいる。両側の古い建物。老夫婦は影の中を進んでいるが、その向こうの壁の上方に光が当たっている。その柔らかな光は実に魅力的で、優しい表情を壁に与える。日の当たっていない部分も暗くはなく、しっとりとした、また違った輝きを見せる。手前のほうには繫留された船の上に窓があり、赤い花の咲いた植木鉢が三つの窓にそれぞれ掛けられている。人生の晩年の旅。その夫婦を静かに祝っているような心象風景と言ってよいかもしれない。それを水を中心として緑がかったグレーや赤みがかったグレー、あるいは黄土などによって、落ち着いた色彩の中に見事に表現する。

 守屋順吉「遥」。キジルの千仏洞などの壁画からインスパイアされた表現である。壁に描かれた仏の像。そして、いま上方に浮かび上がっているのは羽があるから、天使であり、仏とキリスト教とのミックスなのかもしれない。シルクロードのもつ悠遠たる歴史と仏の慈悲。二つのイメージがこの画面に感じられる。空を浮遊する翼をもった三人の僧のようなイメージの背後が青く、その青が無限なるもののイメージを表すし、空もまたイメージするようだ。そこに星のようなフォルムが置かれて、青空の中に夜空が浮かび上がる。朱色は深い仏の感情、慈悲の表現だろうか。ダイナミックでありながら、柔らかな見事なコンポジション。

 竹留一夫「広場の家」。ヨーロッパのある村の光景だろう。下方にはレストランと思われる入口があり、左のほうには戸外のカフェがある。人はそこに数人しかいないが、暖色系の色彩が生き生きとして画面全体に楽しい雰囲気が漂う。また、ペインティングナイフによって塗り込まれたマチエールが、この古い町の感触を生き生きと伝える。

 茅野吉孝「陽光」。緑の扉がすこしあいて、中に麻袋に詰まったものがあり、手前に籠があり、林檎がそこに置かれている。光がそこに差し込み、林檎が赤く輝く。一隅に発見した美と言ってよい。錆の出た緑の壁が画面構成上、面白く扱われている。

 錦織重治「蓼科山春光」。もっこりとした蓼科の山。上方は雪をかぶっている。麓も一部雪である。しかし、春の光がそれを柔らかく染めている。手前の大地と向こうの山とのあいだを悠々と水が流れている。山のもつ大きな量感がよく表現されている。また、透明な光が画面の中に表現されているところも魅力。

 加藤寛美「夏の終り」。たくさんの竿が壁に掛けられている。そばにドラム缶や壺、錘のガラス玉などがある。釣り竿は床の上にも置かれている。中心にすこししなった棹が一つ。壁の向こうは海である。海の向こうには島が見え、岬には灯台がある。海の潮風がこの中に吹いてくるような臨場感がある。以前、画家は室内の風景を描いていたが、最近その室内の壁が塀となり、外の風景があらわれてきて、よりダイナミックな動きや深い心象が表現されてきたように思う。夏が終わったときのやるせないような雰囲気。逆に、夏が終わり、秋がまだ来ないときの胸騒ぎのような、そんな心象がこの外部の風景を通して静かに伝わってくるところが面白い。

 浅井欣哉「N氏の部屋」。窓のそばの棚にヴァイオリンやワインや壺や本や林檎などが置かれている。背景は夜の暗い色調で、壁は緑がかった様子。そこに暖色系のものたちが置かれて、アンティームな韻律をつくる。画面の中のリズムが面白い。

 工藤和男「響」。いま画家は大分にアトリエをもっている。故郷である。大分は神楽が盛んである。この作品は八岐大蛇を退治するスサノオノミコトのシーンである。刀を上方に振り上げて、いま八岐大蛇の首を切ろうとするスサノオノミコト。白い大きな歯をむき出したどんぐりまなこの仮面が実に強い印象である。それに向かい合う八岐大蛇の首。そして、面白いのは、そんなシーンを後ろにして手前に青い衣装をつけた神主がやはり面をかぶって御幣を振っていることである。『古事記』の神話からつくられた神楽は、日本の民衆芸術の原点と言ってよい。その庶民的な生命力、ダイナミズムを見事に表現する。とくに八岐大蛇の緑の色彩で塗られた二重になったその胴体の動きから立ち上がってくる後ろを向いた頭と、その胴体の中に立つスサノオノミコトのフォルムが実に力強い演劇的な空間をつくる。

 内山孝「ふるさと讃歌」。画家の郷里は唐津で、毎年十一月の二、三、四日に大祭が行われるそうだ。そこに十四台の曳山があらわれる。その様子を秋の空のもとにカラフルに表現した。上方にある風景はきっとこの郷里を遠望したのだろう。青をベースにしながら黄色や緑、赤の色彩が輝き、お祭りのもつパッションが美しく表現される。

 日野耕之祐「男とネコ」。画家のアトリエの内部である。ネコ二匹と画家自身。壁には絵が掛けられ、そばにテーブルがある。床も壁も青に染まっていて、日野ブルーともいうべき独特の密度ある空間をつくる。実体であると同時に詩情を深くはらんだイメージの青である。その青が画面の中を輝かせ、周りの色彩のもつ純度を高めるようだ。独特の詩的造形と言ってよい。

 寺井重三「チャイナドレスの絵里香ちゃん」。真紅のチャイナドレスを着たモデルが扇子を開いて座っている。チャイナドレスのあいだから太股と足が見えて、どきっとするような新鮮なエロスを感じさせる。真紅の輝くような赤が見事である。その赤はこの女性の青春のハートの色彩でもあるし、画家が能登半島に生まれて、海から昇る太陽、海に沈む太陽を長く見てきた、その太陽のイメージも重ねられているだろう。同時に、シルクのような光沢をもつこのチャイナドレスの朱色はモダンで、不思議な輝きを見せる。すっきりとしたこの女性の身体のもつ輝きがまたそれを通して表現される。

7室

 倉林愛二郎「刻」。手前に古い箱に囲まれた瓶がある。静物のモチーフが手前に組んであるようだ。そして、この部屋と向こうの部屋とのあいだに五、六歳の少女が大人の靴をはいて立っている。左手にケータイを持っている。使い古されたものと生まれてまだ数年の少女の命の輝きとが対照される。そこにすこしシュールな気配もあらわれて、面白い。

 酒井英安「初雪・裏磐梯」。道がカーヴしながら向こうに続き、その道と呼応するように左から水が流れている。そのまた向こうに湖があり、裏磐梯の山がある。紅葉した褐色の樹木の色彩。深々とした哀愁のような雰囲気が漂う。手前の一本の松の屈曲したフォルムが、一人の人間がそこに立っているような不思議な味わいを醸し出す。遠近感のしっかりとした空間に、深い感情が感じられる。

 池田茂「今…そして、時は流れる」。グレーの壁にグレーのマフラーをした黒い服を着た女性が立っている。フォルムがクリアで、その若い女性のもつ生命感がよく表現されている。グレーと黒、褐色という落ち着いた色彩に安息感があり、逆にそれによって女性のもつエロスともいうべき輝きが表現される。

 長井功「雪の林道(スプライト)」。雪を両側にかきあげた雪道がはるか向こうに続く。両側に葉を落とした樹木が点々と立っている。空は紫色がかったグレーで、雪が白く輝いている。道がずっと向こうに続いているその動きの中に、静かな希望のようなイメージがあらわれる。

 福島隆壽「瀬戸内海 '12」。三人の裸婦が描かれている。あいだに椅子に座った裸婦がいて、前後に床に座った裸婦がいる。緑と黄土系の色彩、あるいは褐色のクレムソンレーキふうな色彩がそこにちりばめられて、独特のロマンティックな香りが漂う。上方の背景には海のようなイメージがあらわれ、島と思われるシルエットも見える。そして、裸婦のすぐそばに大きな月が下りてきている。裸婦はほとんどシルエットふうな表現になって、暖色系の茶系の色彩や暗い緑などの色彩がそこに入れられている。「瀬戸内海 '12」という題名のように、穏やかな瀬戸内海の朝、昼、夜などの時間の推移、その海の様子をこの三人の裸婦のフォルムによって表す。緑が独特の人々を癒すような色彩で扱われている。夜のノクターンのようなイメージの中に、昼の瀬戸内海の光が引き寄せられたような、不思議な趣が感じられる。

 橋本一貫「時」。石を積んだ建物が壊れて廃墟になっている。手前は大きな柱であったはずの二つの石が壊れて置かれている。ベージュの空に、そのグレーによる量感のある石の表現。崩壊したこの遺跡を描きながら、宮殿として聳えていた時のことを追想する。ノスタルジックな雰囲気がしぜんと画面から滲み出るようにあらわれる。

 淺見嘉正「武甲山浅春」。えぐり取られた武甲山が上方にあり、近景は川で、川の中の大地の起伏や水の表情が表現される。褐色や緑がかったグレーなどに深々とした気配が感じられる。日本の風土のもつ独特の味わいがよく表現されている。グレーのもつ詩情ともいうべき力に注目。

 吉田伊佐「秋光彩渓」。渓流が描かれている。そこにある岩や覆いかぶさる樹木などが細密に表現され、そこに一種の空気感が表現される。光の扱いもナチュラルで、この渓流に見入る画家の視力がこの作品の強いリアリティをつくりだす。

 大附晋「ノルマンディーの港町」。岸壁は柔らかな紫色で、そこに光が差している。三艘の白いヨットが繫留されて、マストが上方に立ち上がる。あいだに船が動いている。対岸にはやはり白いヨットが繫留されていて、その後ろは庇の下に人々がいるカフェのような雰囲気で、背後に七階建てほどの建物が横に連なっている。柔らかな光の中に色彩のヴァルールが見事に配置されている。一種の幸福感と言ってもよいような世界があらわれる。それはひとえに色彩のハーモニーによるものだろう。とくに船の白が清浄無垢といった雰囲気で神々しい。あいだに何本かのマストが立ち上がり、一部は画面の上辺を突き抜けているが、そのマストの動きがそのまま天上と地上をつなぐような不思議な働きをしている。同時に、それがいわばメロディという言葉を使いたくなるような性格をもっているように感じられるところも魅力。ノルマンディーのこの岸壁から見た光景が、そのまま画面の中の色面と化し、それぞれが艶やかに宝石のように輝く。

 井上武「都市の景」。横断歩道の向こうには高速道路か電車が走っているようだ。上方にビルがのぞき、左のビルの上方にはクレーン車が斜めにその先を立てている。上方に雲が浮かぶ。緑の中に黄色や青やピンク色などが入れられている。しっとりとした中に強いフォルムが立ち上がってくる。フォルムを表現するのに、黒い太い線が使われている。印象を率直に言うと、そのフォルムが歌い、線が歌い、色彩が歌っているような、そんな強い印象である。ビルもすこし傾いていたり、カーヴしていたり、自由で、それが全体の画面の中では不自然ではなく、逆にその傾きによって画面全体の中に生気が生まれてくる。新橋のあたりの光景を思わせるところがあるが、そういった光景が色面と線によって画面の中に構築される。伸び伸びと引かれた線が色彩とともに歌い出すような、そんな生命感に満ちた画面になっている。また、横断歩道の向こうに四人ほど、あいだのバス停にも四人ほどの人が立っている様子が、そのままこの画面の中のヒューマンなアクセントになっているところもよいと思う。

 前原喜好「運河の家」。ヴェニスの運河の光景である。じかに水から建物が立ち上がっている様子。壁の中にピンクやグレーや緑などを入れ、窓の中に朱や青や黄色などの色彩をちりばめる。壁が一つの色面となり、色面、色面のポジションによってだんだんと上方の宮殿に後退していく。そんな空間の中に色彩がお互いにハーモナイズし、ロマンティックな雰囲気を醸しだす。色彩が聴覚を刺激するような独特の空間構成になっている。

 森康夫「道」。浅く雪が積もっている森の中の道。道はグレーで、ぬかるんでいる。樹木が亭々と立つ。それだけの空間であるが、なにか温かく親近感のあるイメージがあらわれている。枯れた茶褐色の葉がところどころ入れられているのが静かなアクセントになっている。

 佐藤祐治「祈りの丘」。中心に教会が描かれている。鐘楼が立ち上がっている。背後は田園の風景である。近景には民家が瓦屋根と石造りでできた様子で描かれ、窓に植木鉢などが置かれている。そんな様子をきわめてクリアに再現的に描く。実際に丘の上に立ってこのような光景を見ても、ここまでクリアには見えないと思う。絵の中のトリックと言ってよい。じっと見ていると、教会の中にも民家の中にも人が住み、あるいは祈り、様々なことが行われている、不思議なマジックのような箱が並んでいるような、そういった幻想性を感じて楽しい。

 中川澄子「朝の回廊」。石造りの回廊。それに取り囲まれた壁の中に龕があり、そこに聖人が立っている。そばに扉があけられていて、そこを通ると向こうに階段があり、階段を上っていくと、湾曲した壁の二階に行くのだろうか。柔らかな光が画面に満ちている。温かなその光は敬虔で、深い宗教的感情を表す。人間は孤独ではない。この教会のカソリックの世界の中に画家は入り、魂の安らぎを覚えているようだ。滲み出るような微妙な深い感情が、この光を通してちらちらとあらわれてくるようだ。中心に困難な人生を生きてきた聖人のストイックな姿があらわれている。連綿と続いてきたカソリックの歴史の、ある一端がここに表現されているように思われる。ジョンブリヤンや朱色の色彩がグレーの色彩の内側から静かに輝く。

 小川満章「室内」。白い上衣を着てすっと立っている女性のムーヴマンがよく表現されている。また、白い上衣は手前の白い花、窓の白とリフレインしていき、室内の褐色や黄土の色彩と対照される。清潔な韻律ともいうべきものが魅力。

8室

 杉山光男「追想・転勤族」。段ボールを組み合わせて、独特の繊細な表情をつくる。引っ越しということがテーマになっているようだが、粗末な段ボールを組み合わせて一片の詩のようなイメージを表す。その繊細な色彩のトーンのヴァリエーションに注目。

 杉正則「運針」。椅子に座って白い布に運針している女性。そばのテーブルにはコーヒーカップや和鋏、糸、針山を入れたケースなどが置かれている。フローリングの床と同色のベージュの壁。柔らかな光がこの運針する女性に射している。音の聞こえない世界。空間の中に密度がある。単にこの人間を描いているというより、このような裁縫をしている女性の仕事が永遠に続いているような、深い時間が感じられる。時間のもつ不思議な働きがこの空間すべてに行き渡っているように感じられる。だから、現象としての裁縫ではなく、心の深い領域の中でこのような作業が行われているといった雰囲気が漂う。そこにこの空間のもつ謎と言ってもよいようなミステリアスな気配があらわれて、それが面白い。

 田中惟之「相模灘午陽」。砂の上に岩が灯台のようなフォルムを取り巻いている。海にはヨットとすこし大きな船が浮かんでいる。近景には樹木がある。手前の風景を見下ろしながら、だんだんと水平線のほうに視線が動いていく。空に雲がぽっこりと十いくつか浮かんでいる。点描による技法によってリズムが生まれる。風景全体がミステリアスな表情をたたえているところが魅力である。

 小牧幹「悼む天地月―3.11 in the world―」。下方にヨーロッパの集落がペインティングナイフを使いながらグレーの中に表現される。三分の二ぐらいが黒い空で、上方に満月が金のリングとして表現されている。空に深い奥行きが感じられる。タイトルを見ると、昨年の津波に対するレクイエムの気持ちもあるようだ。空のもつあやしい動きが、強い想念的な空間をつくって面白い。

 大久保孝夫「加部島の牛」。岬と思われる地面に野草が生え、そこに乳牛が飼われている。白と黒のブチの逞しい牛とそばにいる人間。傾いた斜面と海の中を動いていくモーターボート。青い空に白い雲。それぞれのフォルムがある動きのなかに表現されている。アンバランスな構成を力技でまとめている。左にのぞく海がその役割をしている。独特の文人画的なムーヴマンに注目。

 松下久信「清穏の丘」。畑の向こうに続いているその先は丘で斜面になる。丘は緑と斑な雪の白とが対照される。下方は茶褐色の地面と白が対照される。丘の上に雑木林や、すこし離れた単独の樹木などが見える。薄曇りの空に太陽が鈍色の光を放つ。なによりも地面の広がりとこの丘のもつ量感が表現されているところが魅力だし、地面の奥から命の胎動するような動きが感じられるところがとくに魅力。

 松岡貞子「サボテンのへや」。たくさんのサボテンに花が咲いている。サボテンのもつ不思議な形。とくに中心ではそれらが集まって、全体でヒトデのような、手を上方に差し伸べているような動きがあらわれ、そこにサボテンの白い花が咲いている。幻想的な世界があらわれる。

 西山松生「夏の二子玉川」。日傘を差した若い女性。赤い上衣に青いジーパンをはいている。水墨の文人画的なイメージ。女性の動きを油絵具によって塗りこみながら、色彩の輝きや動きを表現しているところが面白い。

9室

 黒沢信男「展望」。モノトーンの不思議な風景である。空間のなかに密度がある。盆地と思われるが、あいだを川がS字形に流れている。畑があり、建物がかたまって立っている。川の右のほうがすこし地面が高くなって、そこにはすこし大きな平野、合掌造りの建物が見える。さらに右のほうには道があり、道を隔ててビルのような建物がある。そこだけすこし壁に黄土色が使われている。近景は丘で、雑草や針葉樹が茂っている様子が描かれている。この盆地の向こうの山の様子。その山間を手前に見える川は流れていくのだろう。そのあたりのグレーのトーンのあやしさ。山の向こうでは雨でも降っているような雰囲気で曇り空である。水墨で表現したくなるような、そんな微妙なトーンの変化が見事に表現されている。そしていまこの盆地に柔らかに光が当たり、雪を白く輝かせている。とくに川の両側の雪が輝いている。この盆地の中にある田圃や川や地面や建物を掌の上に置いて眺めているような、そんな強い密度がある。それほど一つひとつに画家は接近しながら、この集落を描いている。そこに独特の濃密な気配があらわれる。この風景に画家は深い愛着をもっているように感じられる。画面から深い感情がしぜんと感じられる。

 小塩武「ギャラリー&コンサート」。煉瓦でできたギャラリーの中に絵が掛けられ、黒いグランドピアノが置かれている。赤茶色の色彩とピアノの黒が強く対照され、ハーモナイズする。

 工藤道汪「威風火口蔵王五色岳」。画面のすこし上方に火口がある。その火口に水がたまって黒くなっている様子があやしい。上方に向かってせり上がってきて、不思議なカーヴをつくる。その火口の様子に対して手前にはもう一つの地面があって、石や岩がゴロゴロと転がっている。その石や岩の形もよく見るとあやしい雰囲気であるが、地面が切れているから奥は絶壁になっているのだろうか。上方は幾重にも連なる連峰で、だんだんとグレーのトーンになって、シルエットになっていく。蔵王の火口のもつ存在感、あやしさをよく表現している。実景を見なければ描きえないようなスケールと存在感と言ってよい。

 髙田健広「理想と現実」。ジーパン姿の長髪の男が椅子に座っている。背後の壁に蝶が刺されている。そんな様子をクリアに再現的な写実力によって表現し、緊張感をつくる。

 河野とみ子「今年のひまわり」。鎧戸があけられ、静かに海がはるかまで続いていて、向こうに島がある。室内には白い布の掛けられた丸いテーブルに中国ふうな鮮やかな花瓶に向日葵が差されている。鎧戸の手前の棚に白い衣装を着た人形がいる。グレーのもつニュアンスを生かしながら、独特の心象的な空間をつくり、時間が流れる。夏の終わり、季節の分かれ目のような雰囲気も感じられて興味深い。

 武田佐吉「古城のある風景」。古城の建物を上方から俯瞰している。塀によって囲まれた広場に向かい合わせの男女がいる。手前の屋根から煙突が立ち上がっている。じっと見ていると、塀のそばにも人が一人いる。ヨーロッパの古城の様子が、人間を置くことによってファンタジックな空間に変ずる。物語がこの風景からあらわれてくるようだ。

 中西繁「四万十の砕石場」。斜面に白い建物が立ち、ベルトコンベヤーのようなもの、あるいは石を砕いてそれをためるような設備などが近景にある。それが直線による構成になっている。ざらざらとしたマチエール。光がそのあいだから輝いてくるような、そんな強い動きが画面から感じられる。採石するという、そのダイナミックな動き自体をフォルムによって表現しようとするようなパッショネートな空間に注目。

 椿苑「奈義/銀杏/親木」。葉を落としたイチョウの木のフォルムをしっかりと描いている。右の向こうには山があり、いま日が昇りつつあるような雰囲気である。そんな時間帯に枝を広げているその様子を目で追う。独特の命の気配が漂う。

 近藤克子「山里」。棚田に水が張ってある様子を上方から眺めている。だんだんと中心に向かって地面は下がっていく。杉や雑木があいだに立ち、まだ植えていない畑が茶褐色の地面をあらわす。近景の斜面に可憐な黄色い花が咲いている。胸中山水といった趣も感じられる。単に再現的に描くのではなく、ある理想的な世界といったイメージが、このハーフトーンの色彩や水の表情からしぜんとうかがえる。

 難波佳子「青の記憶」。スケッチブックを手に持つ女性は自画像だろうか。背後に石を積んだ壁があり、そこにビザンチンふうな絵が描かれている。回想のイメージがあらわれ、記憶に浮かぶ光景が壁にあらわれる。そういったときめきを自然体の中に表現する。

10室

 坂手得二「朝・牛窓」。近景にオリーヴが銀灰色の色彩を見せる。背後にオレンジ色に紅葉した広葉樹が輝いている。朝の光がそこに当たり陰翳が捺される。光が色彩の幅をつくる。オレンジ色の中に紫色、緑の中にオレンジ色が入れられる。手前の二つの系列の樹木によって色彩が朗々と歌われる。背後に海に突き出た岬があり、その高いところに白い建物群があり、斜光線の中に輝いている。海はコバルト系の色彩で、画面全体が調子の深い色彩によって染められ、お互いが響き合っている様子が実に魅力である。

 茂田宏子「海の見える街」。独特の色彩家である。上方に海があり、ヨットやモーターボートがのぞいている。対岸に暖色系の色彩で様々な建物が描かれている。手前は緑の中にパラソルが立ち、ペイヴメントを人々が歩き、犬などもいる。筆のタッチによってフォルムを表し、そのタッチの集積によって楽しい弾むようなリズムが生まれる。

 住井ますみ「忘れられたボール」。上方にネットがあり、白いボールが置かれている。テニスボールにも野球のボールにも見える。砂のグラウンドがネットの手前と向こうに続いている。それだけの画面であるが、砂のもつ存在感、広がりによって、すこしシュールな気配があらわれて面白い。

 阿戸猛子「陽ざし」。木箱の中に三つのマネキンのトルソ。外側に黒と白の女性の裸のマネキンが立っている。床も壁もグレーで、緑の扉がある。ぼんやりと考えこんでいるような二体のマネキンと上方から差し込む日差しとが呼応しながら、温もりのある画面が生まれている。仕事と仕事の合間の休息のような、そんなある時間の性質がこのコンポジションから感じられて、そこが面白い。

11室

 高田啓介「北の踏切」。画面の中にあらわれてくる強い韻律が心地好い。垂直の線がいくつも立ち上がる。手前はそれは線路の踏切の標識で、中景、遠景と杭のようなものが立ち上がっている。そして、雪が半ば積もり、その雪のタッチがグレーのトーンの中に横に動くような動きをつくる。空は暗く、その背景に雪や電信柱が、杭や交通標識が浮かび上がってきて、全体で独特のムーヴマンをつくる。佐伯祐三の作品に見られるあのムーヴマンを画面の中に引き寄せようとするかのようだ。独特のその詩的な感性に注目。

 吉引邦子「青い鳥」。白いテーブルの周りに二人の子供がいる。少女は立ってお絵描きをし、テーブルの向こうに少年が鳥のおもちゃを持っている。その後ろの窓があけられて、庭に花が咲いている様子が描かれる。テーブルの上のグレーのトーンが清潔で、そこに少女の描いている鳥の絵がクリアに線で描かれている。アンティームな温かな空間の中に、ポイントは子供のお絵描きと鳥のおもちゃを持つ遊びで、その部分が画面から立ち上がって、強い情愛の雰囲気があらわれる。独特の色彩家だと思うのだが、その色彩を駆使しながら柔らかな親密な空間があらわれているところも魅力。

 鈴木千寿「立礼聞香」。和服姿の女性が椅子に座っている。女性全体のもつ生気ともいうべきものが表現されて、強い印象を醸し出す。

 竹内徹「川辺の冬」。川はほとんど水が流れていない様子だが、両側の地面の形に沿って雪が積もっている。その道を男が歩いていく。中景には建物がいくつもあり、遠景には山がある。そういった雪国の一情景をその地面の形に従ってクリアに表現し、グレーの清潔な品のあるハーモニーがそこにあらわれる。

 新井隆「ゆく夏・アトリエの窓」。丸いテーブルの上にお皿があり、そこには葡萄や無花果が置かれ、後ろのカップ状のグラスには林檎が置かれ、そばの布の上には白い壺があり、黄色い薔薇が生けられている。ヴァイオリンケースがあけられて、ヴァイオリンがのぞく。大きな窓の向こうに日に照らされた建物がきらきらと輝いている。右のほうにイーゼルがあるのだが、窓と室内とのあいだに棚があり、棚の上にランプがある。ランプの七宝ふうな白い花や赤い花の文様が、この画面のアクセントとなっている。題名のように夏と秋の中間の季節の境目のような不思議な時間が画面にたゆたっているように思われる。それぞれの固有色を大事にしながらそれぞれのポジションにあるものを描きながら、時間の止まったような雰囲気が漂っているところが面白い。

 開原順子「NADIA」。森の中にワンピースを着て果物を持った女性。周りに鬱蒼と樹木の葉が繁っている。のびのびとした雰囲気で、それぞれのフォルムがお互いに呼応しながら、ミステリアスなメロディのようなものが聞こえてくるような構成になっているところが面白い。

 長谷川満智子「私の場所」。アトリエの中にいる画家自身の姿だろうか。全身が入れられている。背後の壁に矩形の窓があけられ、窓の向こうに樹木の葉が見える。手前の二つのイーゼルなどの配置、椅子の場所などのもつかたちによってU字形の動きがあらわれ、それが窓の向こうに逃げていくような動きとなっている。よく考えられた構成だと思う。そして、室内にある空気が表現されて、何かたゆたっている、ゆったりとした時間さえも、空間から感じられるところが面白い。

 本田年男「レトロの部屋」。錆びた黄金色の布が壁に貼られていて、古い柱時計が掛けられている。下方に古い江戸時代か、あるいは朝鮮のもののような簞笥があり、そこにはランプが置かれている。それを背景にして水晶球のようなものを持った女性が座っている。暗い青い地に緑の鮮やかな大胆な衣装である。全体に琳派を思わせるような装飾感覚が面白い。また、女性のもつフォルムがクリアで、目や鼻、口などもおろそかにせず、そのディテールが画面から浮かび上がってくるような強い印象も、やはり日本画のもつ伝統的な造形意識をベースにした油彩画による表現と思われて興味深い。

 河内八重子「ハニワの棚」。棚の真ん中が上下に大きくあけられて、兵士の埴輪と思われるものが立っている。そばに壺がある。両側には馬や家、頭などの埴輪が棚の中に置かれていて、お互いが柔らかくハーモナイズする。色彩もそのようなハーフトーンの中にしっくりとした響きを見せる。埴輪のもつ素朴な造形性を画面の中に引き寄せ、全体が柔らかな夢のような雰囲気を醸し出す。

 庄司勲「笹野一刀彫」。座って刀を使っている職人の像である。手前に大きな丸い木のようなものがあって、そこにも刀が差されている。刀のもつ存在感がこの作品のポイントとなって画面全体を引き締める。渋い調子の中に地味豊かな色彩があらわれ、労働する男のムーヴマンがクリアに表現される。

12室

 橋浦尚美「モノローグ・砦」。椅子の背に両手を置いて、足を組んで横座りに座った若い女性。上半身は正面を向いているが、目は下方を眺めて夢想的な雰囲気である。背後に四つの柱がカーヴしながら置かれている。神殿のような、古いお城のような柱である。女性の雰囲気が、現実のものというより神的な性質を帯びた様子で、そこが実に魅力である。空にうっすらと雲が浮かんでいて、どこかイタリア・ルネサンス期の作品のもつ清潔な雰囲気が感じられる。椅子の背に両手を置いて、その指が伸びている、その形が実に面白く、その指の形自体で何かメロディが聞こえてくるような魅力が感じられる。

 長谷川清「家族旅行」。緑のベンチに人々がいる。子供を膝に抱いた若い母親。横にはその母と思われる祖母の姿。抱かれた少年の姉がその右側にいる。祖母、母、二人の子供が、このベンチの上に腰をかけてバスが来るのを待っているのだろうか。温かな親密な時間がたゆたう。背後に三人の人間がシルエットになって描かれ、もう一つの他人の世界がそこに存在する。右の背景にビルのような建物が白く描かれ、そこから光が下りてきている。街の中のバス停のワンシーンを心の中の像のように表現する。

 瀧井利子「父のいた作業場」。厚い木製の机。電気鋸や万力。壁はコンクリートでできていて、そこに緑の黒板があり、白いチョークで予定が書いてある。素朴な丸い椅子の上に二つの手袋。父の作業場であるが、おそらく父は亡くなって、いないが、その気配がまだ残っている。ものの存在を描きながら、人間の気配を描いているところが面白い。

 中村龍介「リュウちゃん」。上方に御神輿が二つ出ていて、子供たちが法被を着て集まっている。すこし離れて一人の少年が肖像ふうに地面の上に立っている様子。柔らかな光が画面全体を覆っていて、独特の色彩家のようだ。現実というより、記憶の中にある光景のもつピュアなイメージも感じられる。

 水谷昌弘「待春」。画家は地面の上に立ってこの光景を眺めている。地面には雪が積もっている。上方は斜面になっている。その斜面の下から手前まで林があって、そこには針葉樹や広葉樹などがあり、一部は紅葉し、針葉樹は緑がかった青緑色の色彩を見せる。しっとりとした空気感が感じられて、連続した樹木のフォルムが独特の韻律をつくる。

 会沢文朗「路面電車の通り」。道がだんだんと下降して右に曲がる。その右に曲がったところに路面電車がいて、半ば右の建物の影になっている。その上方に高い建物がいくつかあって、上方には光が当たっている。しっとりとした調子のなかにもののもつ存在感がよく表現されている。地味な調子であるが、街の中に発見した一片の詩が感じられる。それはこの建物や道路のもつ時間性ともいうべきもの、その気配が描かれているからだろう。

13室

 柴田祐作「待春」。霞ヶ浦周辺、利根川流域の冬の水郷風景である。上方に水が見えるのは霞ヶ浦なのだろうか。画面全体は黄土色の中の雑草によって占められている。その黄土色の水郷の地面のトーンは独特で、寒風がここを吹いているような趣で、ほとんど抽象的な味わいをもつ線による枯れた植物の表現も、風の中に動いているような臨場感が感じられる。いずれにしても、極力抽象に近い具象の表現で、空間の広がりとリズムとがこの作品の魅力である。

 大上敏男「メトロ」。老人の胸像である。白い衣装を着た頭のはげた頰髭のある老人の顔。彫刻の胸像を見るような力強さが感じられる。隣に楽譜立てがあり、そこに楽譜が置かれている。後ろのグレーのベージュ系の中に門のようなイメージがあらわれている。強い陰影のコントラストの中に音楽家の肖像が描かれる。バスの音域の生命的な歌が画面から聞こえてくるような趣である。

 田中建司「わだち」。鋪装された道路が雪の中を蛇行しながら通って、向こうの工場地帯、あるいは工事現場に続いている。中景の赤いクレーンやシャベルカーなどが生き生きとしたアクセントになっている。強いムーヴマンが感じられる。

 吉田勝美「マジシャンの休息」。若い女性が膝を立てて座っている。それを横から描いている。クリアなフォルムが力強い。顔が面白く、この女性はピエロを演じているようで、その化粧のあとが残っている。目の下に線の跡が見え、涙の跡のようなイメージが感じられる。背後のマジック箱の上に仮面が置かれている。手前に三つのリング。そして、その女性のそばには鳩がいる。人生のもつ喜びや悲しみといったイメージが、この女性に重ねられている。いまひとり孤独に物思いにふけっている女性のイメージには、鑑賞者の共感を呼ぶものがあると思う。

 鈴木信次「水辺の朝」。緑が生き生きと魅力的に使われている。その中にベージュの道が見え、向こうには静かに水が広がっている。しっとりとした色彩のハーモニーが魅力。

 木谷徹「湖沼」。季節は晩秋。あるいは冬なのだろう。草が枯れて、黄土色になっている。そんな岸辺の状況の中に湖沼があり、岸近くに紐で繫留された一艘の木造の船がある。釣りなどに使うのだろうか。道具が中に入れられている。ずっしりとした存在感がある。この船を使う人はここに描かれていないが、それを静かに待っているといった、そんな時間性も作品の中から感じられるところが面白い。

 大島優子「廃墟」。地面の暗いグレーからこわれた石造りの塀が立ち上がっている。広場にぽつんとある二本の樹木も、中間のグレーによって表現される。遠景に白い建物群が見える。現実の風景というより、内界に発見した遺跡や広場といった様子である。上方に太陽が黒く現れているところも面白い。遠景の集落のもつ不思議な温かな味わいに対して、長い歴史がそのまま顔を出したような手前の廃墟の様子。そして、葉や枝のない一本の太い樹木の幹が立ち上がって、孤独な雰囲気だし、人間のモニュマンのようなイメージも、その木に重ねられているように感じられる。

 大久保佳代子「木漏れ日」。樹木の前に十歳ぐらいの少女が立っている。タンクトップのシャツにサロペットを着ている。グレーに独特の味わいが感じられる。丹念に樹木や植物を描きながら、しっとりとした情感を醸し出す。

14室

 小林理恵「横浜夕景18・観覧車」。木版画であるが、色彩の豊かさに目をみはる。みなとみらいの大観覧車を水の手前のほうから眺めている。水面にイルミネーションされた観覧車の色彩が赤や緑や黄色や白で揺らぎながら手前まで続いている。画家の視線は低く、手前の対岸から静かにこの光景を眺めている。再現的な力に加えて、夜の色彩のもつイルミネーションの魅力が大胆に表現されている。遠景にあるのは客観的な現実であるが、水の上の像は虚像であって、その虚像が画面の約三分の二を占め、それぞれの色彩がハーモナイズし、歌うようなイメージがあらわれているところが魅力。

 岩井幸子「郷愁」。大画面の木版画である。廃屋のような建物の前に樹木が立っている。背後は海で、空はオレンジ色に染まっている。郷愁という題名のように、空のオレンジ色がそのようなノスタルジックな心持ちを表現する。傾いた建物の動きもまた同様の心情を喚起する。一本の葉の落ちた樹木が画面の下辺から上方に伸びているのが、心の記念碑のようなイメージとして感じられる。

15室

 飯田裕子「遥」。水墨的なシマウマと虎とライオンを背景にした若い女性のヌードという、面白いイメージの展開である。人間が動物に見えてくることがある。そういったユーモアも感じるが、女性の写実的なフォルムはまた別の世界のように感じられて、二つのカテゴリーがしぜんと画面に統合されているところが面白い。

 笹原弘子「森の子守歌」。草の生い茂る中に幹が倒れて、その下の祠に二匹の狐がいる。二匹の関係は、一匹は親で、もう一匹は子供のような雰囲気もある。淡々とした写実のなかに擬人化された狐を置く。二つのコンディションがうまくいっているところが魅力。

 下時治郎秀臣「川辺秋光」。静かに小川が流れている。その向こうは畑や草原で灌木が茂り、遠景には山が青くシルエットふうにあらわれている。穏やかな秋の光景である。とくに手前の清浄で精神的とでもいうような水の表情に魅力を感じる。

 青栁敏夫「夕月」。日本画の平面構成を思わせるようなフラットな画面である。色彩が生き生きとしている。下方の朝顔(夕顔)の白い色彩と葡萄棚の上に置かれた赤が生き生きと響き合い、夕闇の中の青を中心とした色彩がその左右に広がる。

 鈴木英子「美わしき日」。ブランコに乗った裸の女性。手と足が小さく、ほとんど寸胴のおなかに大きなかわいいおっぱいがついていて、大きな顔の中の両側についた目を見ると、妖精のようなイメージである。日本人の足は昔、大根足といわれたが、そのような日本人の女性のもつフォルムを妖精化し、美的に表現すると、このような像になるのだろう。ファンタジーに見えて現実に根ざしたところが魅力である。ヒョウや猿の親子やライオンや莵、駱駝、蛇などが女性を取り巻いて、大きな樹木の幹が背後に見える。自然の中の生き物や植物と強い親和をもちながら、ファンタジーの空間をリアルに描く。西洋ではアンリ・ルソーがそのようなタイプであったが、同様の芸術的な才能を感じる。それぞれのフォルムが独特の動きをしながら、お互いに連結し、いわばこのブランコの女性を中心とした曼陀羅状のコンポジションになっているところも面白い。

 楠崇子「刻の響」。帽子をかぶった女性が黒いボックスに座っている。衣装も肌も白い。観葉植物と思われるものが周りに置かれて、柔らかな黄緑色から暗い緑まで独特で、中に風が通っているようなムーヴマンが感じられる。センスのよさがこの人の魅力だと思う。独特の色感と同時にインスパイアされたイメージを作品の中に空間として描き起こす力が優れている。

 橋本滿弘「林檎の実る頃」。たわわに林檎が実っている。幹から左右に広がる枝の先が林檎の重みですこししなるような中に実っている林檎の様子は、臨場感がある。林檎のみならず、この林檎の木というもののもつ生命感を表現し、その周りにある空間を描いているところが魅力。

 田中守「刻の風景」。バッグを床に置いて座る白髪の男。丸いテーブルに右肱をついている。面白いことは、室内かと思うと、背後に建物があり、路地があり、道が向こうに続いている様子がグレーの中に表現されていることだ。人物を肖像ふうに描きながら、そのような空間をつくりだしているところが魅力である。グレーの微妙なニュアンスも生きている。

 川口もと子「邂逅」。低い木のテーブルの上にあばたのヴィーナスの石膏像が置かれ、そばに女性が座っている。膝に本を広げている。石膏像というと、美大受験の頃を思い出す人も多いと思うが、実際、絵の内容もそのような学生ふうな真摯な姿勢で写実に挑んでいるところが、この作品の清潔な雰囲気をつくりだすのだろう。

16室

 山崎伸子「先笄佳日」。金屛風の前に正座した舞妓。黄金の帯に黄金の扇子を持って凜とした様子で座っている。黒い紋付き姿の盛装の舞妓像である。柔らかな黄金色のトーンの中に肌が輝く。また、正座したその背筋を伸ばしたフォルムの優雅な凜としたムーヴマンが魅力。

 井上陽照「模様のあるワンピース」。色彩家である。黄色を中心としてテンションの高いハーモナイズする色彩が心地好い。座って右の手を膝にのせ前方を見ている女性の体全体に強いムーヴマンが感じられる。

 木島芳雄「刻」。一部の漆喰が剝落したような壁の下方にアーチ状の入口があり、木の扉がすこしあけられている。ポスターが貼られている。舗道は石によってつくられている。ヨーロッパのある一隅の様子が室内楽を聴くような、そんな親密な雰囲気のなかに表現される。紫や暖色系の色彩が静かに響き合う。

 山岡健造「母子像」。インドの若い母親と子供二人、兄と妹が両側に立っている。点描の技法によってしっくりとしたトーンが生まれる。遠景に半ばグレーのシルエットとなってインドの寺院が立ち並んでいる。柔らかなトーンの中に母と子の情愛の親密な雰囲気が醸し出される。

 小林泰久「冬の朝」。裸木が亭々と並んでいる様子に独特の韻律がある。一本の道がこの雪の積もった地面の中を続いている。遠景には、両側に並んでいる針葉樹の林が見える。垂直に立ち上がる裸木のフォルムを中心として、独特の構成力を感じさせる。また、モノトーンの中に黄金色とも思われる空のベージュ系の輝く色彩が情感を醸し出す。

 小島兼一「ノエル」。夕方の時刻。メリーゴーラウンドが回っている。そこはイルミネーションに輝いて、オレンジ色になっている。周りにたくさんの人々が様々な様子で集まっている。楽しい夜のお祭りのような雰囲気が温かなトーンの中によく表現されている。メリーゴーラウンドに乗る少女や親子も形として面白いが、それ以上に、半ばシルエットになった両側の群衆の動きや気配が見事な脇役となっている。

 三橋文彦「願い」。赤いガーベラを持った少女が座っている。背後は瓦礫である。一年前の震災のイメージである。クリアな女性のフォルムが魅力。

 森敬介「マテーラの街角(伊)」。重層的な建物群が手前に描かれている。階段が構成の要素として面白く扱われている。その手触りのある表現に対して、右のほうには街が遠望された雰囲気で、二つの対照が面白い。生活感が感じられる。それはとくに干された赤や白や青い布によく表現されていて、入念なその構成力に注目。

 中尾廣太郎「私の村」。三人の老人の胸像が画面の手前に描かれている。背後には瓦屋根の家並み。その向こうには寄せてくる暗い海の様子。突堤に灯台がある。一年前の津波によって流された東北の村々のことがテーマになっているのだろう。画家は表現主義というか、テーマやイメージが画面から立ち上がってくるように画面を構成する。フォルムも再現的なものではなく、彫刻のように、画家が心の中からつくりだしたかたちであるところが面白いし、強い印象をつくりだす。三体の老人の悲しい顔がインパクトをもって迫ってくる。その量感のある表現に対して、海に突き出した突堤と灯台が深い祈りのようなイメージを醸し出す。

17室

 入江康子「街角」。ブティックのショーウインドーの前に立つ若い女性。白い上衣が清潔な雰囲気で、ジーパンをはいている。ショーウインドーの中のファッションと同時に、そのガラスに手前の道にある車などが映っていて、都会の一隅の雰囲気がよく表現される。しっとりとした雰囲気のなかに、この若い女性のもつ清々しい佇まいがよく表現されている。遠くを眺めている様子が、未来を望むような、そんな親密な雰囲気をつくりだす。

 頼住美根生「バレリーナ」。バレリーナがすこし後ろの壁に背中をもたせかけたかたちで立っている。柔らかな斜光線が差し込む。繊細な調子でこの若い女性のフォルムを静かに描き起こす。独特の美意識が感じられる。

 渡辺せつ子「ノクターン」。裸の女性が立って、右に白い小さな花を持っている。後ろに猫が同伴者のように立っている。その背後に太い幹をもつ樹木がいくつも伸びていて、そのゆるやかにカーヴするボリューム感のある樹木の形と女性のフォルムとが静かに響き合う。まるで森の樹木が人間と化してあらわれたような、そんなイメージの深さと広がりを感じる。また上方の三日月も、この女性の同伴者のような親密な雰囲気であらわれているところが面白い。

 月安一男「壁画の前で」。背景はインドの壁画のようだ。象や駱駝に乗る人、あるいは王様の前に傘を差している女性などが描かれている。ずいぶん塗りこまれた雰囲気で、独特の手触りがある。そんな悠久たる歴史を感じさせる壁画の前に現代の若い女性の上半身が描かれている。オレンジ色に輝いて、夕日のもつ深い感情が投影されているように思われる。

 吉田定「昔日」。板塀の前に二羽の鶏がいる。そばに車輪が置かれている。蔵酒といった紙が板に貼られている。渦を巻くような年輪の様子が時間というものの謎を象徴するようだ。二羽の鶏も現実にいるのか、過去にいたのか、定かならないがイメージの強さに注目。

 岩本佳子「照葉」。笹をずっと描いてきた。しっかりとした写実の作品に注目してきたが、今回はその笹が赤く染まっていて、不思議な印象である。下方には白い小さな葉をもつ植物や黒々とした地面などが描かれていて、その地面の様子と上方の赤く染まった笹の葉の密集した雰囲気とが面白く対照される。季節のもつ彩りと香りが静かに表現されている。

18室

 松本耀子「俟つ Ⅲ」。木製の椅子に黒い猫が座って上方を眺めている。そこには鳥籠があるが、鳥はいない。後ろの窓に三日月が現れ、時計台のある建物が見える。窓の向こうの風景は画家がヨーロッパなどを旅行したときの記憶だろうか。面白いのは、上方から裸電球のようなものがぶら下がっていて、下方を照らしていることだ。瞑想のなかのイメージを黒猫に託して表現する。

 川村隆夫「ドゥブロヴニク旧市街」。ベージュの石造りの壁にアーチ状の入口があって、中では小物のようなものや人形などが売られているようだ。そこに金髪の客と茶褐色の髪をした店員。ペイヴメントにはテーブルがあって、そこには壺や小物が置かれている。明るい色彩を中心にまとめて、そのハーモニーが優しい。

 早川二三郎「階段のある街」。舗道から階段を上っていくと建物になるが、その建物の前にも細い道が通っているようだ。建物は三階建てで、ところどころに窓があいている。下方には傘を出してものを売っている店がある。ヨーロッパのある一隅のシーンと思われる。そのシーンを静かにクリアに表現して、独特の情感が漂う。

 渡辺正巳「工場の一隅」。電気の配線場がテーマになっている。くねくねと曲がる線とヒューズとがこれだけ並ぶと、なにか親密な不思議なハーモニーを醸し出す。一隅に発見したユニークなシーンである。

19室

 織田仁美「憩う」。キャミソールにスカートをまとった女性が座って、花束を持っている。女性の目の表情や肩から腕、指などのフォルムが生き生きとしている。背後のトランペットを吹くピエロのポスターと響き合いながら、一瞬の様子が活写される。

 武田直美「お茶の時間」。玄関の扉があけられている。その向こうは公園のような雰囲気で、だんだんと上っていく階段があり、林がある。その階段の上の少年が手前に向かって歩いてきている。夏の日の一瞬。少年がその風景の中に立つ。鮮やかなイメージを画面に切り取る。

 手嶋哲也「朽ちてゆく」。廃船が白い砂の上に置かれている。クリアな力強いフォルムに注目。

 菅井隆吉「陽春」。粗末な小屋が樹木に囲まれた中にぽつんとある。手前に裸の丈の低い樹木が点々と立って、その枝を広げている。後ろには桜のような花が咲いているようだ。陽気がよくなった春の一瞬。空のピンク色の様子は花曇りのようなイメージがそこに重ねられている。それに対して裸木の枝や梢の表情は、人間が静かに生きている様子を暗示させる。繊細に誠実に生きている人間の様子。その神経や血管のようなイメージが裸木に重なっているところが面白い。

20室

 栁下義一「厳冬」。若い女性が毛皮のついたジャンパーを着て立っている。しーんとした気配で、皮膚の色と背後の風景や地面の色が同色である。とくにシャツの細かい毛糸の様子などを緻密に描くところから独特の密度や濃密な雰囲気が生まれる。バックは無地のようだが、その中に線によって裸木の様子が描かれているところなども面白い。

 高山博子「昇華('12)」。サリー姿の女性が右手に赤い蓮の花の蕾を持っている。背後にはインドの仏像たちが描かれている。絵として描かれているのだが、実際に立体的に現れているような強さもある。背景は黄金色によって表現されている。そんなトーンの中に立つ女性。画家は明らかにこの女性を荘厳しているような雰囲気である。それはそのままインドという国に対する画家の深い思いの表れだろう。装飾性と再現性とのクロスするところに、このモニュマン的な表現が生まれる。

21室

 山岸忠彦「画室」。赤い越前蟹ともう一つの足の短い蟹が茶色い布の上に置かれている。そばには秤や小鳥の入った籠、貝、ウイスキーのボトルなどが置かれている。静物たちが画面の密度のある空間の中にその存在を輝かせる。右のほうに魚をぶら下げて歩いてくる男のシルエットがある。一種文人画的な水墨の生気あるイメージを油絵に表現したような面白さが感じられる。

 野末光子「私の部屋『秋の夜長』」。黒いテーブルに和人形が立つ。白い花瓶にたくさんの白い花が盛られている。人形の猫が左手を上げてこの和人形を見ている。背後には新聞などがコラージュされている。夜の幻想、ノクターンのように音楽が鳴る。和人形の白い肌が輝き、その目が強いメッセージを発しはじめる。

 大野昌男「ランプなどの静物」。古い江戸時代のものと思われる簞笥。簞笥の上にアルコールランプや染付けの大皿、ススキなどが置かれ、壺にはピンクの花が差されている。下方には燭台があり、赤い蠟燭が立てられている。壁には浮世絵が貼られている。古いものたちが集まって寄り添い、お互いに会話するような親密な雰囲気がある。簞笥のもつ存在感が作品のポイントとなっている。逆遠近によるフォルムも面白い。

 高木満智「岬の村」。文人画ふうな筆力でぐいぐいと描きこむことにより、独特のリズムが生まれる。海岸のそばの瓦葺きの建物群が生き生きと描かれ、あいだの樹木が立ち上がってくる。暖色系の色彩と画面全体のリズム感や生気あるムーヴマンに注目。

 谷晶子「見つめる人形」。三体の操り人形がぶら下がっている。緑のバックと思って見ていると、そこには船があらわれ、背景には街があらわれてくる。独特の幻想である。色彩感覚もよい。

 口澤弘「水門のそばの釣り人達」。水際に五人の男たちが座っている。四つのパラソルが立っている。網を持っている人が中にいる。不思議な雰囲気で、釣りでもしているのだろうか。遠景には、これまで繰り返し描かれた煉瓦の水門が静かに水の上に立っている。柔らかな樹木の緑がこの男たちの上方に伸びている。静かな画面で、その中にまるで男たちがパントマイムの人形のように座っていてあやしい。水がそのような意識の深い世界を暗示させる。

22室

 小林欣子「白いキャミソール」。椅子に座る女性。パンツ姿で白いキャミソールをつけている。フォルムがクリアで力強い。

 木村のり子「枯れ葉のある一隅」。ミカン箱のような箱や木製の小学校にでもあるような椅子が壁のそばにあって、そこにジーパンや帽子などが置かれ、手前には切断された白樺のような幹に落ち葉や鳥が描かれている。淡々と描きながら、それがそのまま秋の幻想となるような、そんな感性に注目。

 渡部かよこ「おだやかな街」。瓦屋根の民家が集合している。それを上方から眺めている。その中に、すこし窓を見せて屋根から顔を出している建物やほぼ同じ高さで続いている屋根の様子などが描かれている。それらをしっかりとリアルに描くことによって、独特の温もりが生まれる。同時に、この街の人々の歴史や生活感情といったものまでがしぜんと醸し出される。対象をしっかりと描きながら、そこで暮らす人々に共感を抱かせるような優しい親密な作品である。屋根や壁に独特の抑揚があって、それがまたこの作品の内容を深くして、独特のコンポジションをつくりだす。

 立木雅子「雪の村」。雪が降っている。手前に川が流れている。三角形の屋根が、視点を変えると様々な表情を見せる。それらが集合すると独特のリズムが生まれる。遠景に教会がひときわ高く大きく立っている。屋根と壁のもつ、いわば抽象形態を扱いながら、独特の音楽性ともいうべきコンポジションをつくりだす。

 髙橋正則「雨上がりの山門」。古い寺院の入口。その向こうに狛犬が立っていて、さらに向こうは鬱蒼と茂った樹木の様子で、いまは初夏らしく若緑色に輝いている。そんなだれもが経験したことのある古い寺院の建物と樹木を淡々と、すこし突き放した角度から眺めながら、そこにあらわれるひっそりとした空間を表現する。

 上野豊「古い街にて」。漆喰壁と瓦屋根の民家。路地に自転車をおす父親と白い上衣を着た少女が会話をしている。親密な雰囲気で、家族の会話である。それが画面の中心で、ポイントとなっている。その今を生きている親密な二人と周りの古い壁とが対照され、独特の懐かしい雰囲気を醸し出す。

 岡崎浩「村祭り」。瓦屋根の民家。漆喰の塀。お祭りのようだ。幟を立てて歩いている法被姿の人々。太鼓を棒で吊るしている。柔らかな緑のしっとりとしたトーンの街の様子の中に、幟や法被の赤や青の衣装が鮮やかに中景に表現され、静中の動ともいうべきコンポジションをつくりだす。

 武敏夫「誕生」。緑のベンチに若い母親が座って、乳飲み子を産着にくるんで乳をふくませている。後ろに三人のピエロが歌ったりしながら誕生を祝福している。女性の手前にははげたピエロがシルクハットを取ってお祝いを伸べている。構成が面白い。画面の中にストーリーがつくられる。この若い女性はサーカスの一員なのかもしれない。ちょうどシェークスピアの「マクベス」の冒頭で三人の魔女が予言をするが、そのようにこの子供の将来を祝福すると同時に、やはり様々な困難なことも起きるだろうといった意味合いも、この四人のピエロの様子には感じられる。祝福と同時に運命を占うようなイメージが、この四人のピエロの様子にあらわれている。この画家ならではのユニークな発想だし、それをこのように造形化する力に敬服する。

23室

 安藤嘉一「畦道」。田圃の中を畦道が通り、土手に向かって道が上っていく。そばに交通標識がある。独特の動きの感じられるところが面白い。これまでは土手と道であったが、土手に行くまでの道が今回、作品の中に表現された。次の展開が期待される。

 所征男「陽春」。ワンピースを着た女性が肘掛け椅子に座っている。右手を椅子に置き、左手をその上に置いたポーズ。柔らかくほほえんでいる。女性のもつ気高くロマンティックな雰囲気を生き生きと表現する。

 小材啓治「古代讃歌」。玄室の中に彫られたフォルムがあやしい。両手を上げて立つ人間の謎めいた雰囲気。赤茶色の玄室の壁の手触り。玄室というユニークなテーマを一貫して描き続けて、独特の気配を漂わせる。

24室

 池岡信「里華の人形」。白い上衣に白いパンツの人形。白い顔が愁いに沈んでいる。後ろに人形たちが立っているが、やはりすこし寂しい雰囲気である。操り人形が右足を上げてぶら下がっている。人形の座る箱には映画のシーンのようなものが描かれている。悲しい出来事を人形によって生き生きと表現する。

 下村康二「廃屋2012─3」。瓦が飛び、屋根に穴があき、柱がむき出しになり、ドアが外されて、壁から粗壁がのぞき、下方には壊れたものが散乱している。廃屋の現在進行形のその動きともいうべき姿である。単に壊れかかっているというだけではない現在進行形のかたちが、かつてあったこの建物の命ともいうべきイメージを引き寄せる。そういったイメージの広がりが、クリアなこのフォルムから感じられる。

25室

 井上稔「曇り日」。青、茶色、グレーの大きな壁。その一部がなくなって、湾がのぞく。湾の向こうには白い建物がある。一年前の津波のあとのような雰囲気がある。しかし、のんびりとそこを黒い猫が動いて、鷗が飛んでいる。ノンシャランな雰囲気のなかに時間のしみ通ったような空間があらわれているところに注目。

 松田寧子「早春」。海に突き出た岬の上に赤い灯台が立っている。地面はまだ雪が残っている。その雪がきらきらと輝く様子が色彩のポイントとなっている。ずっしりとした断崖の様子、岬全体の大きな量感が画面に捉えられているところが魅力である。

 中野雅友「ユーカラ」。アイヌの老人が杖を持って立っている。地面から渦を巻くように上方に立ち上がっていくような動きが感じられる。それがこの老人のもつ年輪であると同時に老人の生命力、あるいは歴史を思わせるところがある。草原を背景にアイヌの老人の肖像を生き生きと描く。

 横田律子「好日のキングプロティア」。筒状の花瓶に先の尖った花が生けられている。ピンクやオレンジの色彩が鮮やかである。上方にその葉がシルエットとして立ち上っていく。背後にはイーゼルのようなもののシルエットがあり、ブラインドの横のストライプがそばにある。花瓶のそばにはティーポットや果物やパンなどが置かれている。様々なものたちがお互いに会話しながら生きた存在となってイメージが広がっていく。そんな幻想的な空間が魅力。

 加藤久子「たつひと」。背中を見せて立っている女性。黒いワンピースを着ていて、肌のもつしっとりとした雰囲気が表現される。ベージュのバック、もうすこし暗いベージュの床の上に、同系色のすこし赤みがかった女性の身体の艶めかしさがよく表現される。

26室

 荒木幸子「ティーブレイク」。白い扉をあけて、いま若い女性が中に入った。中は暗い空間だが、カフェなのだろう。白い扉に花環が掛けられている。昼の光線がその白い扉を染めている。扉の手前の世界と扉の向こうの世界が対置される。後ろ姿を見せながら入る女性の心の外側と内側といったイメージもしぜんと漂う。

 中井悦子「聖水」。聖水の入れられていると思われる壺を持つ若い女性。青いシルクのスカートにシルクの白い上衣。頭には宝冠をつけている。女性は画面の中心に置かれていて、強いスタティックな空間が生まれる。強い祈りのようなイメージが立ち上がってくる。それが女性のもつ気高い気品のある佇まいと関係をもって表現されているところが面白い。

 前田潤「想」。能などの鼓の音のような幽玄なリズムが感じられる。ベージュの壁から矩形のフォルムが下りてくる。それが影が下りてきているようなあやしい雰囲気である。テーブルの上には人形とピンクの一輪の薔薇。あるいは緑のガラス玉。柔らかな斜光線が当たるこの室内空間に幽玄な気配が漂う。

 早崎和代「ジゼル・余韻」。白い椅子の上にヴァイオリンと弓と楽譜。後ろのテーブルにもメトロノームとヴァイオリンが置かれている。バックにグレーでバレエの「ジゼル」の踊りが描かれている。前後する踊り子が足を水平に上げるために、まるで両足が上がっているような、そんな踊りの様子がそのままある音楽的なイメージを醸し出す。十字形の構成の中にそのような聴覚を刺激するような空間があらわれる。

 黒木ゆり「静かな時間」。丸い木のテーブルにワインやガラスのグラスや壺などが置かれている。五つのそのようなものがひっそりと描かれている。壁はところどころ表面が欠けていて、独特の手触りをもつ。静物の周りの空間に密度がある。その密度によってものがより強いリアリティをもって立ち上がってくる。

 福田次子「冬山」。海のすぐ後ろに山が迫っている。その山は白と黒とによって表現され、中に赤などの色彩が入れられている。手触りのある油絵らしいマチエールの中に、黒白の中に独特の色彩の輝きがあらわれる。山に対する強い接近感とコクのある色彩の輝きが魅力。

 小沼秀夫「標的」。白木の柱を立てたり寝かせたりしている中に山羊の頭骨を置いている。手前にジョーカーやクイーンなどのカードを置いていて、独特のシュールな気配を漂わせる。柔らかなグレーやベージュの色彩が清々しい。ダーツに使われる矢が白木に刺されていて、その羽のフォルムも面白い。ラビリンスあるいは迷宮の空間への招待といったユニークなコンポジション。

第44回日展〈彫刻〉

(11月2日~12月9日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 小野啓亘「環 Ⅱ」。座って、すこし膝をひねり、顔を左に向けた裸婦像である。端整な造形で、瑞々しい。

 鈴木雪絵「鏡像」。若いいまの女性の屈託のある雰囲気がよく表現されている。コスチュームを通した不安に満ちた現代の若い女性像の表現である。彫刻であると同時に、すこしフィギュア的な要素のあるところも現代的。

 伊庭靖二「まなざし~月明かりの中で~」。ワンピースを着た女性が立っている。左足に重心を置き、右足をすこし曲げて、右手にスカートの端を持たせ、左手をくの字に、掌を上にしている。ふわっとした雰囲気があって、その柔らかなムーヴマンがまるでこの女性からこだましてくるような雰囲気。「月明かりの中で」という題名のように、月光と対峙しながら女性らしい優しい想念のなかにいるイメージを生き生きと表現する。

 銭亀賢治「午後のひととき」。椅子に座る若い女性。両手を椅子の後ろに置いて、胸をすこし反らした温和な像である。下方に猫が寝ているのもほほえましい。日常生活のなかからインスパイアされた愛らしい作品。

 吉居寛子「抱擁」。両手を胸の前に曲げた立像である。しっかりと女性のもつ肉体と精神を表現する。

 岡本昭「明日への願い」。両手を上に上げている。右手の手首に左手の手のひらを添えている。右足に重心を置いて左足をすこし後ろに置いた、そのゆるやかな動きのある健康な彫刻作品に注目した。燦々と日がこの彫刻に当たっているような、そんな温かな雰囲気が感じられる。

 伊庭照実「焰」。しっかりと若い女性の裸をつくっている。右手を髪の後ろに、左手を髪の上方に上げて、左のほうを見ている。作者は、質実に、何か考えこみながら女性の身体をつくっている。女性の身体から静かな精神性ともいうべきものが感じられる。

 神戸峰男「母」。「時とともに、人の価値観は変化しつづける/が、変えようのないものも有り、変えてはいけないものも有る/いつまでも人の感性を信じたい」(日展アートガイド)。若い母の像である。座って、遠くを眺めている。右手がそっと膝の上に置かれている。慈しみ心配している母親の像である。画家とこの像との関係は深い。その深いところからあらわれたイメージの表現であるところにリアリティが感じられる。

 山本眞輔「心の旅―明日香へ―」。心の旅はヨーロッパから出発して、ようやく日本に来た。飛鳥時代、大陸から文化が伝わり、聖徳太子などがいた時代。そんな日本人の心の原点ともいうべきイメージを、二体の洋装の女性像によって表現する。手前の女性は両手を前に置いて、二つの手は掌を上にしている。後ろの女性は両手を合わせて、掌と親指によって球体のあいたスペースがそこにあらわれる。そこには心というものが表現されているように感じられる。二人とも瞑目して想念のなかにいる。心という不可思議なものをテーマに、深い祈りのモニュマンである。

 市村緑郎「わたし」。丸い半円形の台座の上に両踵をつけて若い女性が立っている。伸び伸びとした豊かなフォルムである。背筋を伸ばして、すこし首を左にひねり、遠くを眺めている。両手はしぜんに下方に置き、首にマフラーをつけているのが、まるで愛らしい翼のような趣である。曲面の繊細、微妙な動きがよく表現されている。たわわに実った雰囲気は、ちょうど樹木が伸び伸びと育って果実を実らせているようなイメージと重なる。日本の裸婦はヨーロッパと違って伝統は浅く、裸婦をつくると、だんだんとこの作者のように豊かな樹木の伸びた形と重なるところがある。そういった裸婦のイメージの典型と言ってよい。女性の身体のもつなまなましさではなく、そのふくよかな姿がそのまま豊かな樹木の形と重なる。そして、遠くを見ている様子が、この女性の上方には青い空が広がっているような、そんな清潔な趣である。

 橋本堅太郎「爽風」。「現代はスピード感とかそういうものよりも情操、豊かな感情が求められる時代ではないかと思う。歩みは遅くとも大地に足をつけ、ゆっくりと前に進みたいものと願っている」(日展アートガイド)。右足に重心を置き、左足をすこし曲げ、体を左にひねり、右のほうを向いた女性の像である。どことなく仏像を思わせるような木彫である。鑿の跡が韻律をつくり、体をひねった女性のフォルムが豊かな生命感を感じさせる。

 中村晋也「大迦葉」。「常に粗末なを身にまとい、生涯を貫き、頭陀第一と称せられた、釈迦十大弟子の一人。釈尊入滅後の教団を統率し、五百人の阿羅漢を召集して王舎城(ラージギル)で仏典結集を行った」(日展アートガイド)。ストイックな厳しい修行を行った大迦葉の肖像である。あばら骨が浮き出たその胸から首が伸びて、目を大きく開いた顔は静かに笑みをたたえている。額のあたりに不思議なオーラが漂うようだ。大きな福耳をしている。まさにぼろ布を身にまとって、その足はしっかりと大地を握り締めている。小さな面積の台座からはみ出た両足首が曲がって、この大地を摑んでいるようにつくられている。その足から頭までの強いムーヴマンが魅力。

 雨宮敬子「遙光」。「人は、一人ひとり環境や個性によって、潜在的に異なる問題意識が育まれてきた。人生の遙かに遠い道を彷徨い続け、苦しみを楽しみに変える先に光があることを信じて」(日展アートガイド)。どことなく仏像を思うような精神性を感じる。裸婦のまろやかなそのフォルムは、いわば完全なる円環といったものをつくりだしている。軽く椅子に座り、左手をその右腿の上に置いて、上体をすこし右にひねり、すこし遠くを眺める女性の像。たわわに実った乳房の丸い形は、そのままこの女性らしい体、全身の曲面と呼応する。静かな慈光のごときものが作品から発しているような雰囲気が魅力。

 蛭田二郎「子と母のかたち」。「三・一一大災害を意識し、子と母の一体化したかたちを通して、この悲劇を形態化出来ないかと制作をはじめてはみたものの、彫刻的な凝縮性の高い量塊の中で、どう表現出来るのか困惑感だけが先立ち、制作が進まなくなってしまった。深い内容性を、どう保てるのか、試行の制作である」(日展アートガイド)。母は災害のために亡くなって、横たわっている。その後ろから母の体を抱き締めて幼児が悲しんでいる。母親の体と頭とは一度切断されて、またそこにつけておいたような雰囲気になっている。死が彼女を襲ったのだろう。その母親のフォルムが実に彫刻としての塊であると同時に死というものの見事な表現となっている。布で体全体が覆われ、その布の向こうから幼児が手を置き、顔を出している。その幼児の右手は一部、母親の右手の甲の上にかかっている。強い絆が感じられながら、その絆が切断された悲しみ。量塊の中につくられた見事な表現である。

 能島征二「海の詩(エーゲ海にて)」。最近、地中海をクルーズしたそうだ。そして、ギリシャの美術にふれて、改めてインスパイアされたそうである。「海の詩」という題名だが、ヴィーナスは海から生まれたという。そんなヴィーナスのイメージと日本の仏像のイメージが重なるところに、この彫刻の面白さがあるように思われる。腰からすっと伸びた足のフォルム。たわわな胸にしっかりとついた首。首の上の頭髪はどこか仏像の頭髪を思わせる。その頭の上に左手を置いて下方を眺めている。ヨーロッパ的な量の力を使いこなしながら、その精神のなかにある佇まいは仏のもつ優しさといった雰囲気が興味深い。

 瀬戸剛「羽衣伝承」。「羽衣の持ち主である豊受大神は、縄文時代以来、記憶として受け継がれた豊穣の神であったようです。そんな昔々の物語が頭をよぎりながらの制作となりました」(日展アートガイド)。豊穣の神、豊受大神がこの女性像に重ねられている。その豊かな身体のもつ力は、どこか神道的な神像のイメージと重なるところがある。静かな中に豊かな抑揚が生まれ、両手を下に垂らしながら、手のひらを下に向けて、その手のひらの下にある大地のもろもろをこの手の力によって育てているような、そんなイメージが面白い。

 宮瀬富之「ボラードの風と音」。「初夏の瀬戸内の海、キラキラと真珠の花を浮かべていた。ビットに立つと突き上げる爽快な風。形にしてみたかった」(日展アートガイド)。まるで瀬戸内海の船の舳先に立つ女神のようなイメージである。トランペットを左手に持って、髪を靡かせている。やせぎすのフォルムの中に強いリズム感があらわれる。

 山下清「―ROOTS―(南十字星に願を―。)」。木彫である。右手を握り締めて、それを前に出した男性の像である。おなかが膨らんでいて、足には鎖のようなものがつけられている。左手はすこし小さく滑らかで、右手は大きく開いている。強い情動のなかのイメージを面白く表現する。

 石黒光二「久遠 Ⅱ」。両足の踵をつけて右手を前に出している青年像である。目は伏目がちで左手をすこし開いている。そこに布が巻きついて、独特のリズムをつくる。たくさんの人々と出会い、別れる人生といったものを象徴したそうである。静かな動きの中に、深い想念のような感情がしぜんと浮かび上がり、心のモニュマンとなっている。

 西山勇三「樹の人」。樹木の上方の葉がこの妖精的な女性の頭に重なって置かれている。女性は神的で、人間とは思えない存在で、不思議な魅力を醸し出す。この作家独特の詩的なヴィジョンの産物である。柔らかなベージュに彩色されていて、顔の白い肌が神々しい。まるで木から生まれた妖精のような雰囲気である。樹木、あるいは自然の精ともいうべき不思議な女人を彫る。

 村山哲「終着駅」。乾漆による作品。青年の像で、両手を握って、掌を合わせていて、祈っているような雰囲気である。どこか仏像の面影があって、衣装を脱がせた仏像といった雰囲気がある。男性像であるにもかかわらずペニスがないのは、両性具有的な仏のイメージのあらわれだろうか。

 勝野眞言「植・Ⅶ」。体をひねった、エロスに満ちた女性像である。頭が半分欠けて、中から植物の朝顔のような蔓があらわれている。女性のもつ妖精的なイメージの具現化として面白い。

 佐藤静司「僧と鈸」。密教音楽の声明を聴いて、深く感動したそうである。その韻律をこのを合わせるフォルムによってシンメトリックに表現した。木彫のもつ鑿の跡の静かな韻律が画面の中心からさざなみのように広がる。

 田中昭「ストールを巻いた女」。左足に重心を置き、右足をすこし曲げたフォルム。すこし前屈みで女性は前方を眺めている。柔らかな動きが感じられる。モデリングが優しく清潔である。作品全体の愛らしい印象が鑑賞者を引き寄せる。

 上田久利「耳をすまして―枇杷の実がうれるころ―」日展会員賞。枇杷の葉と果実を頭に載せて座った女性像である。豊満なその身体のフォルムが神々しい。樹木から現れた精霊のような印象が新鮮である。ゆるやかな曲面が連続しながら、独特の彫刻的ムーヴマンをつくる。

 桒山賀行「演者 Ⅵ」。「文楽人形が人形遣いの手によって生命を与えられたように動き出す時、それが神の手のように思えます。人形に生命を与える瞬間を思い描いて形にしました」(日展アートガイド)。文楽人形が木彫によってつくられている。強く鑑賞者がインスパイアされる彫刻と言ってよい。袖を上に、顔を仰向けにし、体をひねった着物姿のこの人形のもつ深い嘆きのような感情。上方から手が現れて、袖に触れている。その手は人形師の手であるが、また神の手であるといったイメージ。よくキリスト教では手が神の象徴として表現されているが、文楽人形というものが単に人形ではなく、人間というもののもつ性質、つまり自由と言いながら不自由の中に生きている困難な人間的現実を神の手が助けているような、そういったイメージが重なる。

 山田朝彦「こもれび」文部科学大臣賞。ワンピースを着て立つ女性。右足を前に出し、遠くを眺めている。左手を前に、右手は後ろに回っている。「こもれび」という題名のように、木々のあいだから差し込む光がそのまま震災や大変な社会の困難の中の希望の光となってほしいといったイメージをつくった。モデリングする力とコスチュームのフォルムによって独特の韻律が生まれる。

 得能節朗「メキシコの想い出」。不思議な動物の頭に右手を置いて座る若い女性である。健やかな清潔な女性のイメージのなかに仏のようなイメージが重なる。右足を載せているのは蛇の頭で、その蛇が笑っているように描かれている。蛇は水の使いであり、邪悪なものを呑み込むといわれている。清潔な爽やかな精神性を感じる女性像。

 松田ユキ子「生贄の乙女」。両手を上に、右足を高く上に上げた半裸体の女性像であるが、インドの仏像を思わせるような官能性に注目。

2室

 井上周一郎「明日」。女性が両足をすこし開いて、ほぼ均等に重心を置いて立っている。しぜんに手は垂れている。目をつぶっている。身体のもつパワーが内側からみなぎってくるようだ。黒人の女性像を思わせるようなエネルギーが作品から感じられるところが面白い。初々しい新鮮な作調である。

 阿部鉄太郎「黒潮~La Vita Felice~」。大きな帽子をかぶった若い女性。左足に重心を置き、右足をすこし曲げている。ワンピースがはち切れんばかりの量感をもつ彫刻である。「黒潮」という題名のように、南風がこの女性に吹いてきて、その中で花のようなこの女性はうっとりとしながら立っている。モデリングの力が優れている。また、ロマンティックな雰囲気も魅力。

 岩谷誠久「穂高」。青年像である。右手を左手のすこし前に出して、しっかりと大地を踏み締めて立っている。右手をくの字形にして、その掌を顔のほうに向けている。青年は目をつむっている。強い動き、内側からみなぎる生命感が感じられる。モデリングに厚みがある。男性彫刻として、深い瞑想のなかにいるこの男の像にはフォルムとしての魅力が感じられる。一種バロックふうな力のなかに青年のもつメランコリックな雰囲気も漂う。「穂高」という題名だが、山のイメージもここに重なっているのだろうか。

3室

 入江博之「ひもろぎ」。細い棒の上に、空中に浮遊させるようにつくった彫刻である。両足を開き、右手を上に、左手を下に置いている。モニュマン的な、ある希望とか光といった性質のテーマを彫刻として表現する。

 一鍬田徹「ある修道院のための聖母子像(Ⅱ)」。石膏、鉄による作品で、着彩されている。幼児を抱く聖母。清潔な中に不思議な精神性が感じられる。柔らかな曲面のもつ力を十分に引き出す。また、テラコッタふうな彩色がされているのも、色彩効果を上げている。

 田原迫華「三人目の存在理由」。痩せた現代の若い女性の全身像である。二体あって、ほぼ同じポーズであるが、片一方は包帯で巻かれている。痛々しいし、未来が見えないといった雰囲気。現代の傷つきやすい女性のイメージを生き生きと表現する。包帯で巻いた部分のフォルムが面白く、深いニュアンスが感じられる。

 嶋畑貢「パートナー」。ゴールデン・レトリバーが座っていて、遠くを見ている。少女がそばで右手をその犬の背に置いて左手を後ろに回して立っている。胸を反らして威張った雰囲気で目をつむっている。レトリバーの賢い表情にもかかわらず舌をすこし出した雰囲気とこのおしゃまな少女の胸を反らしたイメージとが、お互いに呼応する。まさに二人はパートナーで、愛らしいアンティームな空気が周りに漂う。ムーヴマンを実によく表現していると思う。

 宇津孝志「家路 2012」。吊革に手を置いて電車の中に立つサラリーマン。老人と青年。それを木彫によって作る。不思議なモニュマン性をつくりだす。木彫による質感と全体の大きな量感とがみどころ。

第44回日展〈工芸〉

(11月2日~12月9日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 赤堀郁彦「風伯―Ⅱ」。曲面が面白くアレンジされている。そこは銀色で、周りは赤茶色の色彩である。どことなくミロふうな世界観を思い起こすところがある。宇宙的な空間を脳裏に浮かべながら、遊び戯れているような、そんなユーモラスな詩的なフォルムに注目。左上に円形の青く光るフォルムが置かれているのは、地球をイメージしたものだろうか。

 志観寺範從「光明―翔」。濃紺のバックに巨大な蝶を置いて、背後に海のうねりや山などを意匠化する。いわば大地と海から夜空を眺めているような、そんなロマン豊かな構成に注目。ロマンの象徴として蝶を使う。

 西塚龍「木陰」。樹木の幹の向こうに狐のような生き物があらわれている。上方には貝によって螺鈿がされたクワガタムシがいる。樹木は銀を埋め込んだようなフォルムで、その周りの緑に輝く小さな貝による表現、さらにその周りの黒い空間と雅やかな中に森のもつ気配を生き生きと表現する。下方の茶褐色の葉が全体の優雅な落ち着いたアクセントとなっている。また、狐の顔とクワガタムシのフォルムがポイントとなっているが、その造形も魅力。

 伊藤裕司「美し国土」。富士山と空を飛ぶ鶴。下方の緑なす木々、そして湖。そういった日本のもつ自然の美しさを大胆にデザイン化して、漆の中に表現する。とくに上方の貝による鶴の表現がアクセントとして生き生きとした効果を上げている。

 三谷吾一「風の音」。金や紫、緑、青、朱色などのハーフトーンの色彩が雅やかに響き合う。仮面のような顔をした女性が立つ周りに蝶が飛んでいる。古代憧憬ともいうべきイメージがあらわれ、独特のロマンがうたわれる。季節はすでに秋が来ているようで、実りの秋のイメージと同時に冬に向かう寂しさも感じられるところが面白い。

 中井貞次「森只中」。柔らかなブルーのヴァリエーションの中に不思議なフォルムがあらわれている。それは樹木のようなイメージで、そこに湖のようなかたちも感じられる。「森の中に森を見る。森の中の万物のうごめきに、共存共栄の自然のもつ摂理を知る」(日展アートガイド)。

 並木恒延「月の浜」。漆黒のバックに深い奥行きが感じられて魅力である。寄せてくる波が白く表現され、上方に巨大な月があらわれている。その月の大きさが実に見事に決まっている。月の中の陰影も下方の波と響き合っているし、それ以上に、潮の満ち引きは地球と月との引力によって起きるといわれていて、そのような奥深い地球と月との関係が波によって表現されているように感じられる。また、そこに独特のロマンティックな雰囲気があらわれている。フランス語では海は女性名詞だが、海のもつ母性的な力がこの波にあらわれているように感じられ、月と呼応しているところが面白い。

 角康二「夢想」。黒い空間の中に金によって筍や洋梨などがつくられ、あいだに葡萄のようなフォルムがあらわれている。長谷川潔の版画を思わせるような精緻でデリケートで雅やかな空間に注目。

 吉賀將夫「萩釉陶器『白曜変遷』」。萩釉独特の柔らかな、すこしピンクがかった釉薬が地の暗い青い色彩の上にかかっている。しっとりとした雰囲気で、花冷えといった言葉がしぜんと浮かぶ。日本の風土から生まれた、きわめて情緒豊かな作品である。

 永井鐵太郎「あるお寺の遅れてきた風鎮」。矩形と細い円柱を組み合わせて清潔な韻律をつくる。アルミとステンレスとの質感の変化も面白い。ステンレスは円柱に使われ、アルミは板に使われて、同じ銀色の色彩にもかかわらず雅やかな韻律、ハーモニーをつくる。板の上の屈曲した円柱のフォルムに対して、下方の並んだ三つのフォルムの対比も面白い。

 服部峻昇「耀貝飾箱 朝陽の波」。繰り返される円弧のフォルムが優雅なハーモニーをつくる。緑や青の色彩に対して金地が映える。中に三日月や満月を組み込んだ意匠と波の曲線がそのまま風の吹いているようなイメージにもつながる造形。その装飾的空間に注目。

 寺池静人「富貴想」。しっとりとしたベージュの肌と色彩。そこに薄くレリーフ状に牡丹の花がつくられている。大輪の花と蕾の牡丹が対照される。この円筒の壺の中に牡丹を入れこんで、その中を月光が静かに照らしているような雰囲気が面白い。

 森野泰明「扁壺『水鼓』」。垂直に立ち上がる胴から柔らかに小さな口縁に向かう形。もっこりとしたその内側から張り出すフォルは力強い。渋い緑にすこし暗いウルトラマリン系の色彩が置かれて、独特の韻律があらわれる。「水の流れの底には轟きやまない太鼓が鳴りつづけているであろうか……」(日展アートガイド)。

 今井政之「『八重山への随想』大皿」。土による象嵌の作品である。上下に蟹が描かれ、中心にオコゼのような赤い魚が口をあけている。蟹は横に速く歩く。それに対して口をあけたオコゼはゆったりとしてユーモラスである。目の表情などが実に生き生きとしている。赤く彩色されたオコゼの色彩は、夕日をそこに閉じ込めたようなイメージも感じられる。海は作家が最も愛する場所である。その海に生かされている生き物を、この大皿の中に閉じ込めた。その大皿の優雅な円弧の動きがそのまま海の強い母性的な力を引き寄せるようだ。

 奥田小由女「復興のともし火」。二体の人形がともに赤いマントに身を包んでいる。蠟燭を持ち、蠟燭から赤い炎が立ち上がっている。赤が生命的な強いイメージをつくりだす。その赤いマントの中に不思議な小さな命のようなフォルムが描かれている。一人は赤いフードをかぶり、もう一人は金と緑の細勁な宝冠をつけている。その宝冠をつけている女性は赤いマントの下に柔らかな黄金色ともいうべきベージュの衣装。赤いフードの女性は黒地に金によるクリムトふうな意匠がつけられている。その文様が連続しながら、強い音楽的ともいうべきメロディを表現する。その強い祈りのようなメロディが、この衣装にも感じられるし、全体の曲線によってできたフォルムにも感じられ、それが人形の体全体を通りながら、最後には蠟燭の炎に向かうという造形性が実に素晴らしい。

 大樋年朗「金彩・壺中『巳』年長」。山のような豊かなフォルムの上方に口があいていて、壺になっている。下方はベタ高台である。そこに銀彩で「巳」という文字が彫られている。背後の緑とその両側の金彩とが豪華な雰囲気をつくる。手びねりによる作品である。豊かな力強いフォルムにとくに注目。

 武腰敏昭「無鉛釉白金彩『王鳥の如く』」。方形の壺である。銀地の上に青やピンクによって王鳥が浮かび上がってくる。そばにはピンクによる三日月があらわれている。豪華で豊かなイメージである。また、銀地の上の色彩が静かに輝く。両側の直線によるフォルムと翼を広げた王鳥のフォルムとが見事にその中に収まっていて、躍動的なイメージをつくる。

 永澤永信「驟雨沛然」日展会員賞。柔らかなカーヴする形が下方に向かって広がっていく。そこからギュッと締まったかたちで高台に向かう。白磁の釉薬が清々しい。とくに上方に釉薬がたまっているあたりの雲を思わせる雰囲気、下方の線による驟雨を思わせるイメージなど、実にお洒落な感覚である。

 三田村有純「いのち生るる処」。海と月とのハーモナイズする空間が面白い。海を形象化した不定型のフォルムの中にアンモナイトが入れられ、上方に繊月が置かれる。「潮満ちる/多くの命/生まれ出づ/永久へと続く/記憶かさねて」(日展アートガイド)。

 宮田亮平「生と静」。イルカが大胆に造形化されている。上方にほぼ相似の二頭のイルカがジャンプしているそばに、小さな二頭のイルカが泳いでいる。大人と子供のイルカがお互いに相呼応しながら、楽しくジャンプし泳ぐ。流線型のフォルムが輝くようなイメージをつくり、銀色の肌が周りの光を照り返す。中に金による装飾的な文様が入れられているのも楽しい。

 春山文典「フラッグ」。アルミによる作品。二つの柱が立ち上がってくるが、その中に円弧や直線の切り込みが入れられて、独特のリズムをつくる。下方の不定型の方形のフォルムから垂直に立ち上がる細い円柱に対して、上方からカーヴしながら下りてくる円柱。空間に柔らかな虹が立っているような、そんな初々しい夢のようなイメージが感じられる。

 大樋年雄「神之器 Ceremonial Vessel『尊崇―REVERENCE』」。縄文土器を思わせるような力強さが魅力である。そして、一部が空洞になり、そこを歪んだカーヴするフォルムがつないでいく。そのそれぞれのフォルムがお互いに連結しながら、独特のムーヴマンや力強い動きをつくる。自然のもつ連結する力がそのまま人間の連帯感といったイメージを誘う。

 亀井勝「風物語『過ぎゆく…』」文部科学大臣賞。古代の遺跡を思わせるような独特の文学性とも詩的イメージともいうべきものがあらわれている。土のグレーの中に線条のフォルムがつけられ、窓があらわれていて、まさに時が過ぎていくあとに残った形象のような詩的イメージが面白い。

 青木清高「夕暮ちかく」。見込みが深い。大きなカーヴを描く口縁の形は独特の歪みをもっていて、それがまた力強さを生む。内部の青緑色のたっぷりとした釉薬の力。その深い色彩効果。胴には凹凸が入れられ、朱色や紫色がそこに使われているのが、まるで夕暮れの残照を思わせる。山や海を手摑みでつかみ、それをこのうつわの形に造形化したような意匠に注目。

 武腰一憲「花器・静夜」。舟形の箱である。その上部から胴に向かって巨大な満月が下りてき、下方に二人のイスラム系の老人が瞑想に沈んでいる。背後の深い青い色彩が魅力で、上方の金と鮮やかなコントラストを示す。モダンで物語性を含んだ楽しい造形。

 田中照一「光彩」。大きな空豆を思わせるような優雅な豊かなフォルムが懐かしいし、愛らしい。豊かな自然の恵みを思わせる形である。その空豆の中心の部分が蓋物としての接合部分になっている。黒い色彩の上に黄金色の大胆なフォルム。黄金色は実る稲穂を思わせる。

2室

 猪俣伊治郎「埴輪(八十四)―遠征」。船に乗って武人が赴く。『万葉集』には防人の歌がよく歌われている。そういった古代の人々の生活感情に深く入り込むところから、この独特のロマンと文学性があらわれたのだろう。

 厚東孝治「弥生―壁韻」。口縁からだんだんと下方に向かって小さなカーヴを描きながら広がっていき、裾で大きく広がり、そのまま高台に向かう優しいフォルム。青緑色の釉薬がかかっていて、中に装飾紋のようなフォルムが入れられている。どことなく古瀬戸を思わせるような柔らかな調子が懐かしい。静かな中に品のよい凜然たる韻律があらわれる。

 中里重利「波」。白い土の上に黒い色彩によるフォルムが生き生きとしている。どことなくギリシャの壺を思わせるような、そんなモダンな印象である。鉄化粧と白化粧との対比が実に鮮やかな印象を受ける。「作品全体で波を表現した」(日展アートガイド)。

3室

 安本十九子「赤秋」。U字形のフォルムの一方が広げられて、強いエネルギーを醸し出す。色彩も赤を中心としたヴァリエーションで、まるで太陽のエネルギーをそのままこの染織に表現したように思われる。色彩の美しさと放射するエネルギーの力に感心した。

 前野善樹「蜃都〈12─9〉」。赤茶色の色彩からモダンな印象を受ける。建物を組み合わせながら、そのまま巨大な集落のイメージやお城のイメージをつくる。コンポジションの面白さに注目。

 髙橋斗雄「奏々」。曲げたチェロがそのままグランドピアノを思わせるようなイメージをつくる。曲面によるフォルムの構成が力強いし、独特の造形感覚がうかがえる。

 桜田知文「いのち(たびだち)」特選。三つの羽を思わせるようなフォルムが、下方の小さな山のようなフォルムに入れられた円柱の上に載せられている。アンバランスな中にあるバランスともいうべき危うい様子が、そのまま一種の詩的な幻想性を引き起こす。

 永見文人「祈り雲」。溶けたようなゾル状のフォルムを組み合わせながら、独特の時空間をつくる。上方の雲の中に小さな教会が置かれているのも面白い。雲から垂れてくるものに対して、下方からそのねばねばしたものが立ち上がっていくという不思議な動きもまた面白い。まるでダリの溶けた時計のようなフォルムを空間化し、その上方の雲の中に教会を置くという強いイメージの表現に注目。

4室

 小口稔「瑞雲爽爽」。青磁の大きな壺である。その高台に向かって、外側にも内側にもグラデーションがつけられているところも面白い。また、円弧の中にめくれたようなフォルムや切り込むようなフォルムが入れられて、そのすこしの部分が全体のフォルムを引き締める。

 原田和代「2012・今は正解を求めるな。」。三本足の上に球体が置かれ、球体の中に円形の彫り込みがあり、そこに目玉のようなフォルムが入れられている。ユーモラスで楽しい。漆による斬新な表現である。また、フォルム全体のベージュと黒の市松模様も生き生きとしている。不思議な一つ目小僧が会場に現れたといった雰囲気。ユーモアの中に生命感が感じられる。三本足のように見えたが、よく見ると二本足で、後ろは尻尾のようにも思われる。いずれにしても、ある生き物のイメージが面白く表現される。

 水野真澄「環」。チューブ状のフォルムを前後四体組み合わせて、独特のリズミカルな空間をつくる。造形的エスプリともいうべきものに注目。

5室

 松岡理香「ミックス」。漆の作品である。太った女性が走っている。二十人ぐらいのそのフォルムを黒いバックに配して、ユーモラスな楽しい空間をつくる。ところどころに置かれたアワビと思われる青い象嵌がアクセントとなっていて、バックの黒地の中の星を思わせるような小さな緑の点々と相まって、宇宙の星座の中に人の姿を眺めているような、そんなイメージの面白さもある。

 篠﨑多喜子「譚」。U字形に立ち上がる上方のフォルムが柔らかにカーヴして、それが前後している。その二つの触れ合ったあたりのフォルムの面白さと、白土の上に唐草文様の入れられた装飾的な文様にも注目。

 宮原省二「鼓動」。漆の板のようだが、上方から見ると、舟形のフォルムがつくられて、正面の内側が彫り込まれ、底はカーヴし、そこにピンクや緑などの貝が象嵌されて、独特の結晶したようなイメージを表す。美しいものが閉じ込められた壁のような空間表現に注目。

 友定聖雄「GROW UP」。円形のフォルムの中に垂直、水平のガラスをはめ込みながら、韻律をつくる。水のおもてのような、あるいは月影のような、そんなイメージの広がりも感じられる。

 川口満「記憶の迷宮」。三角のフォルムを組み合わせながら、その中に直線によって白く抜いたフォルムをつくり、それが独特のリズムを表す。黒と茶色というシックな取り合わせも魅力。

6室

 徤名文一「方魂の心象」。箱形のフォルムの中に切り込みが入り、中から矩形のフォルムが取り出される。黒と金による色彩で、内側から静かに放射してくる力が感じられる。いしぶみといったイメージで、魂の入れられた箱といった、そんな内面的な深さも感じられる。

8室

 村上慶子「未来へ・To the future」。革による造形である。翼を広げて空の上方に向かって飛ぶようなフォルムを重ねながら、清潔な韻律をつくる。

 財満進「風象」。土臭い雰囲気で下方からだんだん上方に伸びていくようなフォルムが、まるでキノコのようなイメージをつくりだす。上方に蜂の巣の一部のようなフォルムがつけられているが、じっと見ていると、人間のように見えてくる不思議な形象に注目。

第43回元陽展

(10月30日~11月6日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 山岡秀光「ゆう暮れ風景」。力強い筆致で港街の夕暮れ風景を描いている。煌々と灯る街の明かりを画面の真ん中に挟みながら、上方に空、下方に海と構成している。空は赤く海は青い。鮮烈な色彩の扱いもまた、強く鑑賞者を惹き付ける。そういった中で、画面の右下にある一艘の船が作品に一つの動きを作りだしているところもおもしろい。それが画面全体のロマンチックな雰囲気をより新鮮にこちら側に運んでくるようだ。

 木村光江「刻の譜」。描かれている南天は、自宅の庭に生えているものだそうである。寒色系の色彩をバックにして描かれた南天の実は赤以外にも黄や緑がかった水色などがある。秋から冬にかけて実を付ける南天の瑞々しい存在感が、しっとりと描き出されている。どこか抽象性を孕みながらも、心地よいリズム感が溢れているところにもまた注目した。

 品川光弘「マルタ風景」。建物の屋上やベランダのような、少し高い位置からマルタの海岸を眺めた風景である。左側に建物、右側に海岸がカーヴしながら延び、中景あたりで途切れている。明るい色彩の扱いが、現地の気持ちのよい空気感をこちら側まで運んでくる。うまく空間を作りながら、じっくりと画面を構成しているところも見逃せない。確かな筆力を感じさせる。

3室

 大谷恵子「ギリシャ ミコノス島」奨励賞。右側から海が寄せるレストランの風景である。どこか物語の中の世界を思わせる独特の雰囲気が魅力である。右奥の少し小高くなった丘に、風車が六つ並んでいるのが見える。その風車の並ぶテンポと存在が、特に印象的である。

4室

 根本忠夫「淙淙の谷」現代芸術最高賞。岩壁を流れ落ちる水が実に細やかに描かれている。周囲の暗い色彩とその水の明るく白い色彩が強いコントラストを作りだしている。上方には渓谷の奥の方も僅かに覗くなど、密度の高い画面を描き出していて注目した。

 大門正忠「丘の上・ロンダの街」。丘の上にある街を、この画家特有の表現で描いている。朱から黄の色彩を少しずつトーンを変えながら繊細に扱って描いた建物や植物は、全体で調和しながら一つの世界を構築している。また、遠景の山並みは寒色で描かれていて、手前の風景と静かに対比されているようだ。そういった画面の構成力が魅力の作家である。

 大澤綾子「アヴォトゥルサンテ(乾杯)」。ピンクの色彩を鮮やかに、しかし繊細に変化させながら描いている。画面の右側に横を向いた女性を配置し、左側には建物の内部を思わせるアーチ状の柱がいくつも見える。また画面全体はたくさんの植物の葉と実によって装飾されている。

 渡辺楊子「夏・町内会」。夏祭りの情景を趣深く描き出している。中央のやぐらの上では太鼓が叩かれ、それを中心にしながら、人々が踊りを踊っている。中央の提灯などの明かりによって、踊っている人の姿は逆光で陰っている。その様子が何とも深い情感を作品に引き寄せている。提灯も踊りと合わせるように動きを孕み、画面全体で強い躍動感を作りだしている。画面構成と確かなデッサン力が、そういった画家の描きたいイメージをしっかりと背後から支えている。

5室

 永田武義「烏賊釣船」。浜辺に上げられた烏賊釣り漁船をいくつも重ねるように正面から描いている。連続するマストの縦の線と船のフォルムのカーヴする動きが、一つの画面の中で複雑な表情を作っている。そこにじっくりと絵具を重ねながら手触りのあるマチエールを施し、印象深い情景を描き出していて注目した。

 大井田健一「ミコノス」。海岸に立つ家屋の白の色彩が輝かしい。現地の爽やかな空気感が、じっくりと鑑賞者側に伝わってくる。それは色彩の力であるし、加えて海面に黄色の色彩がすっと入れられているところが特にうまく効いている。カーヴする海岸線を中心に、画面全体で旋回するような構図を取りながら、鑑賞者を作品に強く惹き付ける魅力を孕んでいる。

第39回近美展

(10月29日~11月6日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 櫻井聡「摂津峡」。奥まった渓谷の川のせせらぎを繊細に描いている。そこかしこに散らばる大小の岩が実にシャープに描かれているところが印象的である。また、流れる水の透明感や冷たさもまた静謐で、気持ちのよい風景画として注目した。

 松本くすい「勇者達のつながり」東京都議会議長賞。合計九羽のフクロウを円状に配置するような構図で描いている。フクロウは毎年画家の家に訪れる程の親しい関係で、そのモチーフとの親近感がそのまま作品となって表現されているようだ。向かって右側の小さなフクロウは子供であり、この九羽のフクロウが一つのコミュニティーを形成している。現代社会では希薄になってしまったそういった他者との関係性の大切さやそれによる温もりといったものを鑑賞者にメッセージしてくるようだ。

 中川令子「吾亦紅(われもこう)」。同一人物を思わせる二人の女性を正面から描いている。背後には新月が大きく浮かび、独特の気配を作品全体に与えている。右側の吾亦紅を持った女性は白、左側の蝶を手にした女性は黒の衣服を身に纏い、それは一人の女性の二面性を表しているように思う。この女性の将来や現在に対する不安と期待といった複雑な内面が、強く鑑賞者を惹き付ける。細やかに描きながら、女性のフォルムなどの柔らかな線からも確かな描写力を感じさせる。

 高梨敬子「の」文部科学大臣賞。宇宙を思わせる青の色彩をバックに、赤や黄の色彩をドリッピングしたりたらし込むようにしたりして描いている。漂うような動きの中に、それぞれの色彩が響き合うようである。画面の右上を中心にした地球は、さらにその色彩と画面の奥の方でまた響き合っている。強い抽象性の中で、深い魂の交感が行われ、それは祈りや希望となって鑑賞者に静かに発信されてくる。

 宮島脩二「相模川風光」。相模川の広大な風景をパノラマ的に描いている。明るい黄緑の色彩が実に魅力的である。空気は澄んでいて、遠景の山並みまでの距離感もしっかりと捉えられている。中景の川の支流の広がりが作品に一つの動きを作り出し、その緩やかな流れもまた心地よい。

 岡田秀子「雪の高山(1)」近美大賞。古くからある酒屋を斜め前からの構図で捉えている。周囲は雪が降り、地面や屋根にうっすらと積もっている。細やかに家屋の様子を描き込みながら、雪の描写はやわらかい。その二つの様子の対比がおもしろい。誠実にこの風景を描きながら、深い情緒を醸し出しているところが特に印象深い。

2室

 渡邉祥行「分ける」。長い列を作る人々が配給のために並んでいる。夕方だろうか、遠くに夕陽が見え、辺りを朱に染めている。コクのある色彩とマチエールが強く印象に残る。食物を配る人、貰う人、それを待つ人々。日々の生活に直結する、肌身に迫るような群像表現として強く鑑賞者に余韻を残す。

 粟嶋美幸「既望」。寒色系の色彩を繊細に、しかし大胆に扱いながら描いている。細い道が緩やかに蛇行しながら奥へと延び、その向こうに木立が並び、上方には小さく満月が浮かんでいる。強い幻想感の漂う画面が印象的である。北の大地ならではの透き通るような冷たい空気感が、強く伝わってくる。幻想感とリアリティが調和しながら強い魅力を作りだしている。

4室

 吉村豊太郎「停止する刻」。古い工場を少し斜め上から俯瞰するように描いている。建物や周囲の道を、細やかな筆の扱いによる独特の表現が強いオリジナリティを獲得している。黄土から茶系の色彩でまとめながら、そこに細長い電柱とその影、シルエットになった人物を入れている。それが小気味よいアクセントと不思議なノスタルジーを作品に引き寄せているところもまた興味深い。

5室

 村松泰弘「朝のチェスキー・クルムロフ」奨励賞・準委員認定。現地の街の風景を誠実に描き起こしている。家屋の屋根の連続する様子や奥の尖塔も、淡々と描きながら確かな存在感を獲得している。爽やかな色彩の扱いもまた魅力である。

8室

 中澤清美「SUMMER BIRD」新人賞。独特のデフォルメが強く印象に残る。細身の裸婦が周囲の風景と一体になるかのように描かれているところが特におもしろい。画家の自由なイメージが今後の展開を期待させる。

第38回現代童画展

(11月8日~11月15日/東京都美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 あらすみこ「語り継ぐ者」。たくさんの花々に囲まれた少女が一人、画面の中央に描かれている。どこか妖精的なその雰囲気に強く惹き付けられる。左上方には、都市の風景が見える。近代化に追われて減少していく自然の存在が、この少女の姿を借りて、鑑賞者にメッセージを送ってきているようだ。いずれにせよ、繊細な描写と旋回するような画面構成が強く印象に残る作品である。(磯部靖)

 吉田キミコ「路地裏のキキ」。楕円を縦にした画面に猫を抱いた少女の肖像である。細やかな線で一人と一匹を描きながら、背後には暗色をじっくりと施している。少女の頃の繊細な内面が現れてきたかのような画面に強く惹き付けられる。一人の少女の肖像が、鑑賞者を独特の世界観へとうようだ。(磯部靖)

 小澤清人「西洋人形(赤い靴)」。三点出品の内の一点。画家は西洋・和製の人形を数多くコレクションし、それをライフワークとして描いてきた。掲出の作品は異国情緒の漂う少女の人形だが、こちらに目線を合わせたその存在感が鑑賞者を捉えて離さない。目の覚めるようなブルーをバックにしながら描かれた人形は、物語性を孕みながら鑑賞者のイメージを刺激する。額にもまたウサギなどが描き込まれている。それは少女が手に持つウサギの人形とどこか対比されながら、リアルとダミーを行き来する画家のイメージのおもしろさも見どころである。(磯部靖)

 川邨かんこ「原っぱで……」。広い草原に一匹のヒマラヤンがいる。ちょこんと座っているその様子が実に微笑ましい。画面の上方、地平線には二十三人の老若男女の人々が歩いたり、犬を散歩させたり、ボールで遊んだりしている。ほぼ点景で描かれているが、画面に近づくとそれぞれの様子が実に生き生きと描かれている。猫と人々の間には空間が空けられていて、その間がこの情景の和やかでゆったりとした雰囲気と時間の流れをしぜんと発信してくる。画家のやさしい眼差し、心情が幸福な時間、情景をこのように描き出したところが実に興味深い。一筆一筆にそういった想いが込められているところが、この作品の大きな魅力の一つである。また、地平線の少し上の空に、すうっと紫が薄く入れられているところもこの画家らしい表現で印象深い。(磯部靖)

 石澤晶子「書物と猫」。赤い花柄のワンピースを着た少女が、テーブルに積み上げられた本を手に取ろうとしながらこちらを向いている。右側のもう一つのテーブルの上に乗った猫は、それを見ている。足下にももう一匹の猫がいる。どこか物語のワンシーンを思わせるような石澤作品の魅力がよく出ていると思う。確かなデッサン力の中に、独自の作品世界を展開している。(磯部靖)

 中井結美「葉見ず花見ず曼珠沙華」会員特別賞。若い女性が一羽の孔雀を抱きしめている。その繊細な描写に強く惹き付けられる。周囲には赤とピンクの曼珠沙華が散らばっている。孔雀の尾は長く伸び、画面の右下に向かっていっている。孔雀の装飾的な身体と周囲の曼珠沙華が静かに響き合っている。その脇には白い蛇がいる。白い蛇は神の使いともいうが、神聖な要素を引き寄せて、それが少女の純粋な存在とともに強い魅力を作りだしているところもまた印象的である。(磯部靖)

 田中信子「舞い降りた天使と輝ける闇 Ⅱ」現代童画大賞。一羽のカラスが木にとまり、上方ではもう一羽のカラスが布きれを摑んで飛んでいる。下方には三羽の白い孔雀が羽を広げたりして描かれている。強いイメージの力で構築された風景をバックに、独特の世界観を展開している。孔雀とカラスの白と黒の対比が、光と影あるいは明と暗を暗示しているようで興味深い。木にとまっているカラスがどこか擬人化されているような様子であるところもまたおもしろい。(磯部靖)

 斉藤一也「オンディーヌ」会員作家賞。白く長い身体の生物に少女が一人乗って森の中を飛んでいる。その様子を細やかな描写で描き出している。それによって表現される斉藤作品特有のファンタジー性溢れる世界が、強い物語性を引き寄せている。この少女の行く末、この世界の顚末が強く鑑賞者の好奇心をそそる。(磯部靖)

2室

 田中亜由美「下弦の月」。椅子に座った一人の少女の肖像である。少女は部屋の隅にいるようだが、その部屋の壁は上方で壊れ、月の浮かんだ夜空が見える。漂う孤独感の中に、少女の少しクラシックな様相が際だって強い印象を残す。(磯部靖)

 多田すみえ「幸・福・ゆき」。一本の樹木に三匹の猫がぶら下がっている。その生き生きとした躍動的な様子が見ていて楽しい。樹木の葉や下方の花などによって画面を囲み、そこにシンメトリーな構図を取りながら、巧みに画面を構成している。軽やかな躍動感とともに、鑑賞者もまた作品世界に入り込んで行けそうな親近感を強く感じさせる作品である。(磯部靖)

 小松修「時間と森のささやき」。二つの細長い家屋が描かれ、両方とも扉が開いている。左側では男性が座ってカップを手にし、右側では女性が顔を覗かせている。その家屋はどうやら室内にあるようだ。つまり一つ屋根の下で別居をするような、ぎこちない男女の関係性が描かれている。そういったイメージの展開がおもしろいと思う。寒色系の色彩を繊細にトーンを変化させながらじっくりと描き出している。(磯部靖)

 相原勇「一日の始まり」。たくさんの植物を画面にコラージュしながら、制作している。テーブルに顔を出した二匹の犬の様子が微笑ましい。そのマチエールがそういった素材によってしっくりと馴染んでいるところに注目した。(磯部靖)

 久里洋二「キスリング『メキシコの女』(イメージ模写)」。鮮烈な赤の色彩を基調にしながら、黄からオレンジで座った女性の肖像を浮かび上がらせている。キスリングの作品を基盤にしながら、画家の強いイメージによって強いオリジナリティーを獲得している。確かな絵画性とともに自由な画家のイメージが鑑賞者を強く惹き付ける。(磯部靖)

 宇野亜喜良「ライブペインティング」。線によって描かれた世界が独特のイメージを展開している。女性やドラゴン、カタツムリなどが、伸びやかで自由な線の動きによって生み出されている。西洋とも東洋とも思わせる世界の中に生きるそれらのモチーフが、鑑賞者を強くその世界へと誘うようだ。一気呵成に描き上げた画家のイメージの一端が、いわば魔的な魅力を発現させているところに特に注目する。(磯部靖)

 野島理「蝦夷雪譜」。険しい山間の道に雪が降り注ぎ、その中を人々が進もうとしている。肌に迫るような雪の冷たさと厳しさが強く印象に残る。これまでとは変わって、北国に生きることの厳しさが、強く発信されてくる。樹木の枝葉の妖しげな動きもまた、そういった雰囲気を背後から支えているようで興味深い。(磯部靖)

3室

 北見隆「小さな狩人」。北見作品特有の人物描写が鑑賞者に強い印象を残す。虫取り網と鳥籠をもった少女の肖像であるが、赤みがかった画面の中で、鑑賞者自身の過去の記憶を引き寄せるようなイメージの強さを感じさせる。誰しもが持つ幼い頃の朧気な記憶が、作品によってよみがえり、そのノスタルジーを画家と交感するような強い吸引力を持っている作品である。(磯部靖)

 西岡一郎「トーマス・パー生誕500年記念に寄せる」(遺作)。西岡一郎が亡くなった。残念である。三点の作品が陳列された。どの作品も画家の内側からわき上がる命の力を造形化したものである。強いイメージが鑑賞者を勇気づけてくれる。魚がパイプをくゆらせて、テーブルの周りで不思議な液体を飲む女性や、「トーマス・パー(つまりオールド・パー)生誕500年記念に寄せる」というように、不死の命のようなものが画面の内側からおし寄せてくるようだ。愛を造形化し、命の物語を常に描き続けてこられたと思う。合掌。(高山淳)

4室

 中野靖子「赤い鳥」。今回は二点出品だが、これまでの母を亡くしたあとの月の世界のような繊細な作風に対して、喪があけて太陽の世界をイメージしているような明るい雰囲気である。白いドレスを着た女性が片肘をついてゆったりと横になっていて、右手には赤い小鳥をとまらせている。女性の髪は黄色い花で飾られている。その上方に大きな黄金色の太陽と月が合体したようなフォルムが現れている。そこから赤い光が放射し、画面全体を輝かしくしている。強い太陽の光が画面全体に満ちているような雰囲気。清々しい朗々たる画面になっている。もう一点の「白い鳥」は、足を伸ばして上体を起こしたコの字形のフォルムの肩に白い鳥がとまっている。髪は小さな紫色の花によって飾られている。バックには田園が広がっている。空の上方に黄金色の光が差し、紫色の光が花と化して咲いている。白はイノセントなイメージで、もう一度再生するといった性質が与えられていると思う。そして、ようやく春の兆しのある田園風景を背景にして、女性は目をつむって瞑想しているようだ。瞑想しながら自然の鼓動を聴いている。また、自分自身の心臓の鼓動も聴いているような雰囲気であるが、それが内向的にならずに、新しい光の中にあらわれているといった趣である。肩にとまった鳥も白い中に柔らかな緑が入れられて、独特の霊的な性質をもっているところも魅力である。(高山淳)

 糸井邦夫「赤の風景」。三点出品のうちの一点。中央の情景の作品の左右には青と黄色の情景が描かれている。椅子に座った女性とその傍に立つ男を中心に画面が展開している。周囲に何本もの電線を支える支柱が並び、上方には怪しい様子の雲と夕陽が見える。どこか懐かしい、深い余韻を残す作品である。赤の色彩を効果的に扱いながら、緑がかった道などの色彩的効果が、左右の青と黄色の作品と相俟って強い印象を残す。(磯部靖)

 鳥垣英子「咲く花 Ⅱ」。細長い茎の花が、縦長の画面の中で華やかに花開いている。周囲には細やかに小さな花や葉、そして鳩が描かれている。輝かしいイメージの中で、その花は繊細に、触れれば壊れるような脆さを孕みながら存在している。繊細な描写の中に、美というものへの追求が深くなされているところにこの作品の奥行きが感じられる。(磯部靖)

 須賀宇多「扉 Ⅰ、扉 Ⅱ」。左右の画面に扉がそれぞれ大きく描かれている。青と白を左右で反転させながら、その二つの扉はどちらも少し開けられている。不思議な時間軸が画面の中に設けられていて、まるで過去と現在、未来を行き来するような感覚に陥る。どこか抽象的な画面を構成しながら、時間というものの不可思議な概念を表現しているようで興味深い。(磯部靖)

 堀内信ノ介「運河要塞」文部科学大臣賞。幻想的な世界観を纏った情景が描かれている。流れる河の脇に城塞都市ともいうべきものが形成されていて、そこではたくさんの人が暮らしている。まるでここから始まる物語を予感させるような舞台である。精緻な描き込みの中で、ある種の箱庭的な画面構成が、独特の世界を展開させている。(磯部靖)

5室

 佐藤美絵「黄金國〈オオゴンコク〉」上野の森美術館賞。切り絵によって表現された二羽の鳥がすっきりとしたフォルムで浮かび上がっている。彩色も施しながら、その存在感に強いリアリティを持たせている。独特の表現力に感心した。(磯部靖)

 篠塚はるみ「不思議の森に目覚めて Ⅱ」会友推挙・在日セルビア共和国大使館賞。ぬいぐるみを持った少女がこちらを向いている。目が覚めたらこの世界に迷い込んでしまっていたというような、不思議な様子である。どこかポップな周囲の様子もおもしろいし、少女の強い瞳の力もまた印象的である。(磯部靖)

 内田由紀「ハート コレクション」。CGによる作品。画面の構成がおもしろい。連続する白い円柱と旋回するカードが独特の動きを作りだしている。少女のどこか無感情な様子もまた印象的である。(磯部靖)

 岡田富士子「遊」会員推挙。繊細に描写されたいくつもの白い花が左上から右下方に続いていっている。そこに小さな妖精が一人描かれている。いくつもの蝶と相俟ってゆるやかに画面に動きを作り出しながら、心地よい世界を描き出しているところに注目した。(磯部靖)

 中川十七江「遠い道」会友作家賞。大きな象の頭を中心に、周囲を様々なモチーフで埋めている。手触りのある厚いマチエールが、そういったイメージを支えているようだ。強いインパクトと共に、画家の過去へと遡るようなノスタルジックな情感が魅力。(磯部靖)

 加藤美紀「朝 露」会友奨励賞。和装の女性を真横から描いている。女性の背後には樹木が枝を大きく伸ばし、画面に強い動きを作りだしている。繊細に描き込みながらも、大胆な画面構成を作り出し、そのギャップがおもしろい。少しひんやりとした空気感も相俟って、ふと見かけた一瞬の印象を切り取ったような画面が余韻を残す。(磯部靖)

13室

 鴫原友香「ツナガリタイ」。木の枝にたくさんの靴が置かれている。長く靴をモチーフにして描いてきた画家であるが、今回は奥行きというよりは周囲に広がっていくような画面構成である。下方には街並みがシルエットになって描かれていて、スカイツリーの姿も見える。人間一人ひとりを靴に置き換え、その繊細で複雑な関係性をこのように表現したところが独特でおもしろい。強いイメージの力を感じさせる。(磯部靖)

第35回白亜展

(11月7日~11月15日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 中石伸子「ベネチアの輝き (Ⅱ)」。朱に染まったベネチアの運河が印象深く描かれている。手前にはゴンドラに乗った船頭が船をこぎ、運河は奥へと蛇行しながら続いている。両岸には建物が並んでいる。逆光でありながら、青と朱、そして少しの黄色を効果的に使っている。現地で受けた感動をそのまま描き起こしたような、新鮮な魅力がある。

 酒井俊幸「春色の浅間」。手前に樹木が並び、遠景には雪山がそびえている。樹木の間には湖面が見える。樹木の茶系の色彩と、奥の雪を被った浅間山の青みがかった雪の白が静かなコントラストを生み出している。そういった中で周囲の風景を映し込んだ湖面の透明感が、独特の輝きを放っていて印象に残った。

 長濱伶子「ヴイユー・ビヤン・パリ」。手触りのあるマチエールが、深いコクと見応えを作りだしている。パリの街角の情景であるが、まだ夜が明けていないのか、少し暗い。まだ人の気配のない街の静かな空気が、そういった中で静かに呼吸をしているようで興味深い。これから人々が街に出て喧噪を奏でるまでの、ゆっくりと変化していく街の様子を鑑賞者に予感させるような、イメージの強さも感じさせる。

 前川和雄「迷い路(シベニック)」委員推挙。街の細い路地を描きながら、そこに鑑賞者が迷い込んだような錯覚を思わせる。細やかにそれぞれの建物の外壁を描き込み、そこに猫と一組の男女を配置している。淡い茶系の色彩の中で、左側の看板や軒の明るい緑が画面に変化をもたらしながら、うまく馴染んでいるところが見どころである。光と影の明暗の変化を繊細に扱っているところもよい。

2室

 平岡尚代「蓮―0613」大久保作次郎賞。池にある蓮をかなり近づいて描いている。蓮は枯れて、褐色になり、あるところでは折れたりしている。どこか抽象的な要素を孕みながら、淡々と、しかし情感深く描き出しているところに注目した。

3室

 石井基善「未曾有の災害 2011」刑部人賞。昨年の東日本大震災とそれによる津波をテーマに描いている。手前には破壊された家屋や船が散らばって積み上げられている。右奥の方では、まだ火が残っていて、濛々と煙をあげている。瓦礫の一つひとつを丁寧に描き込みながら、画面全体でうまくバランスを取って構成しているところがよい。多分に画家のイメージによって描かれているのだろうが、煙の様子や奥の水平線、瓦礫や船、車の配置などによって一つの絵画性が獲得されている。石井作品特有の清潔な色彩の扱いも相俟って、強く鑑賞者の印象に残る作品となっている。

 斎藤千川予「月の」。椅子に座った和服の女性を向かって左側から描いている。傍らには花瓶に花が生けられ、その上には満月が浮かんでいる。やわらかいパステル調の色彩も相俟って、どこか幻想的な気配が漂っているところが興味深い。確かなデッサン力による描写の中に、女性と月、そして花の、美というもので繫がる関係性が、作品に深い奥行きを作りだしているところにも注目する。

4室

 豊田勝美「極楽橋の夏」白亜会奨励賞。モノトーンで描かれた情景が印象的である。石垣や樹木、すこしだけ見える橋の欄干など、あまり見ない画面構成が独特である。誠実な描き込みが、そういったオリジナリティを背後から支えている。

 國尾三代子「やすらぎ」。室内でチェロを弾く人物を中心に描いている。周囲にはダーツの的や消火器、アジサイ、鳥のデコイなどが置かれている。それぞれ独特の存在感を持ちながら、画面に流れる調べによって調和しながら馴染んでいるところが見どころだと思う。横のストライプで描かれた窓から漏れる少しの柔らかい陽の光もまた、そういった調べにもう一つの旋律を与えているようで興味深い。じっくりと描き込まれた画家のイメージの豊かさに感心させられる。

 横田よし江「朝もやの中で」。奥へとまっすぐ続く林道を爽やかに描いている。上方からは陽の光が差し込み、爽やかな空気感を強調している。並び立つ樹木の縦の動きと、奥へと続く道、斜めに差し込む光などが交差し、確かな見応えを作品の中に作りだしているところがおもしろい。

5室

 木村睦郎「ヴェネチア眺望」。少し高い位置からの視点で描かれたヴェネチアの街の風景を描いている。鮮やかな朱を基調色にして街並みを描きながら、そこにじっくりと施されたマチエールがこの街の長い歴史を支えているようだ。手前には船着き場、奥には少しだけ水平線が見える。そして街並みでは、一際大きな建物を中心に、連なるように家屋が重なっていっている。そういったドラマチックな画面構成による演出が、鑑賞者を作品世界へと強く引き寄せる。

6室

 大槻弘子「融雪のころ」白亜会努力賞。雪解けの季節の風景を、静謐に描き起こしている。細やかな岩や地面、崖の描写と川面の輝くような透明感が静かに対比されながら、気持ちのよい空気感を運んでくるようだ。カーヴしながら流れる河の動きもまたドラマチックで、強く印象に残った。

 木村優博「遠い海シリーズ―2012―」。このシリーズは画家の長いテーマである。今回は老婆の奥の木の壁が壊れ落ち、その向こうに陸に上がったままの大きな船舶が描かれている。風雨に浸食され少しずつその姿を変えていっている船に雪が積もっている。その雪の清潔感のある感触と、船の堅牢な感触が独特の関係性を作りながら調和している。それは、使われなくなって崩れ落ちていくしかない船の悲しみを、そっと包み込む温もりのようである。そしてそれがまた、手前の老婆とも響き合っているように思えて興味深い。いずれにせよ、確かな描写力によって描かれた中に、そういった心理的な奥行きを作りだして作品を纏め上げているところに強い絵画性を感じる。

 濵村昭雄「胡同」優秀賞。右側に壁があって、それが奥へと続いている。その脇には自転車が三台、左側にはアヒルが三羽描かれている。淡々と描きながら、どこか不思議な印象を受ける作品である。特に、上空に垂れ込める暗雲の表現がおもしろい。水墨画的でもあるし、これから降る雨の気配に加えて、もっと大きな不安を抱かせる。独特の情景として注目した。

7室

 石田聖子「射し込む光(トロギル)」。両側を家屋の壁に挟まれた細い路地に陽の光が僅かに差し込んでいる。厚いマチエールによって描きながら、明暗をやわらかに表現し、そこに温もりを感じさせる。誠実で気持ちのよい作品である。

8室

 高橋孜「悲しみあるところに救いを」。右側に母子像があり、左側にはたくさんの女性が描かれている。画面は赤で統一されていて、その二つの間には灰白色で空間が空けられている。その画面構成が独特でおもしろい。救いを求める女性たちの群像表現の中に、深く祈るような想いを描き込んだ、鑑賞者の心にせまる魅力がある。

 堀川靜子「ドブロブニク」。港町の風景である。手前は湾になっていて、岸にはたくさんの船舶、その向こうに建物、さらに奥には山が見える。ドラマチックで見応えのある構図の中で、一つひとつのモチーフを誠実に描き起こしている。やわらかな筆の扱いもまた、そういった心地よい現地の空気感をこちら側に運んでくるようだ。

11室

 橋本康子「慈光」。雪の降り積もった河辺の情景である。遠くの山の間から、陽の光が差し、それは河岸にいる馬の親子に向かっている。冷たい空気の中で、親子の愛情と陽の光がやさしく響き合っているようだ。画家の温かな心情が、鑑賞者に強い余韻を残す。

第10回記念新平成美術展

(11月8日~11月15日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 和田京子「ピエロの夢 A」。ピエロに扮装した若い男を大きく描いている。明るい色彩の扱いが魅力である。そこに軽やかな浮遊感が相俟って、気持ちのよい作品として印象に残った。

 斎藤由比「オフェリアの花」。流れる小川に、たくさんの花々が散らばっている。周囲にもまたたくさんの草木が描かれ、画面全体で強い生命の力を感じさせる。花々をモチーフにしながら美というものを深く追求し、流れゆく小川と共にその儚さと永遠性を表現しているようで興味深い。確かな描写力も感じさせる。

 上田酔潮「復活の島(千代島)」。画面の中央に大きな岩があり、強い存在感を放っている。堅牢なその様子の中に、どこか霊的な気配が漂っている。周囲は海と岸壁になっていて、その岩を囲んでいる。長い時間をかけて風雨や波によって浸食されてその姿を変化させてきたのだろう。それが人間では想像しえない雰囲気を纏わせている。その気配、存在そのものを深くモチーフに入り込んで描き出しているところに注目する。

 早川皓章「大地と空」。独特のイメージで描かれた情景が、鑑賞者を強く惹き付ける。コクのある黄の色彩を基調色にして画面全体がまとめられていて、細やかに描き込まれている。田畑や家並み、樹木などがそれぞれ生き生きと作品の中で息づいているようだ。画家の独特の絵画的センスを感じさせる作品である。

第37回新芸術展

(11月16日~11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 松長壽美江「残されたもの」。正方形の画面の中心に大きく空間が空けられていて、そこに空が見える。空にはうっすらと雲が浮かんでいる。周囲は堅牢な岩によって囲まれている。現代社会の崩壊と自然の永遠性を予感させるような構成がおもしろい。透明感のある青の色彩とグレーのコクのあるマチエールが対照されているところも印象的である。

 矢萩武三志「4人の聖女(トルソ)」。五人の女性を画面の中心に大きく描いている。よく見ると中央の女性は彫像的で、画題にある聖女はその周囲の四人である。寒色系の色彩で肌を描かれた四人と中央のトルソの灰白色が、不思議と調和しながら対比されているところが興味深い。背後には横に長く装飾が細やかに施されている。女性そのものの内面と美しさ、物質であるはずのトルソの人間的な存在が、作品の中で深く関係しながら描き出されている。群像表現の中にそういったイメージを描き込んでいるところに特に注目する。

 日下常由「原発・放射能汚染(飼主は帰れない)」。昨年の原発事故によって住めなくなり、人間たちが離れていったその土地に、一匹の猫が残されている。きっかけは東日本大震災だったが、いわば人災と言ってもよい原発事故に対する深い悲しみと怒りを静かに描き出している。画面全体の暗色と深い青が、そういった画家の心情をじっくりと鑑賞者に訴えかけてくる。無垢なものの存在を象徴的に扱いながら、確かなメッセージ性を孕んだ画面に鑑賞者は足を止める。

 加藤孝「平成絵草紙 Ⅲ」。二人の和装の女性をしっとりとした華やかさと共に描いている。パステル特有のやわらかな色彩と表現が、女性の服や周囲の装飾と女性そのものの美しさを発信してくる。特に僅かに見える女性の顔と手の肌の感触が、強い魅力を感じさせる。

 加藤陽夫「草想〝見えない明日〟」。上方に大きく浮かんだ満月と下方に立っている一羽の鳥が、強い情感を引き寄せている。金や銀を効果的に扱いながら、周囲の色彩はやや暗くし、画面全体で独特の美を奏でているようだ。細やかな描写の中に、そういった日本人ならではの感動を静かに描き出している。

 久保典子「いたみゆく」。横たわった黒い十字架の上に一羽の海鳥が立っている。鳥の身体は下方から少しずつ暗色に浸食されていっているようだ。現代社会によって失われていく自然をこのように表現しているところがおもしろい。じっくりと描き込んだ画面の中で、この鳥の悲痛な叫びが耳にこだまするようだ。

 矢永繁子「白い馬の話」。明るい黄色を中心に使いながら、白やピンク、緑を気持ちよく彩色している。画面の中央には一頭の馬が描かれていて、それが豊かな物語性を作品に引き寄せている。自由で伸びやかな線が大地や街並みなどを浮かび上がらせ、そこに画家はイメージを入れ込んでいっているようだ。いずれにせよ、あたたかく微笑ましい独特の世界観の中に、鑑賞者のイメージを作品世界へと導くような魅力を持った作品である。

 佐々木寿美「春惜しむ」。画面の中心やや左に一本の樹木を描き、その周囲には終わりゆく春の様々なイメージが浮かび上がってきている。暗色、寒色も使われているが、その全ての色彩に仄かな温もりが感じられるところが佐々木作品の大きな魅力の一つである。樹木の右側には三つの円弧が入れられていて、それが右端の月に繫がっていく。左下方では小さな魚たちが泳いでいっている。また桜の花びらがはらはら舞い散っている。温もりの中にある一抹の寂しさが、深い情感を呼ぶ。具象と抽象の間を行き来しながら、心地よい感情を鑑賞者と共有するような魅力がある。

4室

 大内武夫「3・11  ふるさと」。昨年の東日本大震災で被害を受けた土地を、深い感情とともに描き出している。暗色を効果的に扱いながら、少しずつ青や黄の色彩を施している。遠景の空は強い動きを孕んでいて、それがそのまま画家の心と繫がっているようだ。いずれにせよ、鑑賞者に強く訴えかけるような表現力が、この作品の大きな魅力である。

9室

 五十川かほる「公園の風景」。ロケットをモチーフにした公園の遊具を中心に描いている。左側では滑り台に繫がっていて、その旋回するようなフォルムが、作品に独特の動きを作りだしている。橋になっているところに一人の子供が座っているが、それが作品の中で一つのポイントとなって画面にもう一つの広がりを与えているところがおもしろい。

10室

 菊地禮蔵「羽黒山」。山林の奥に大きな社のような建物が見える。そこには白装束を着た人々が参拝に訪れているようだ。少し太い線でモチーフのフォルムをりながら、そこにじっくりと彩色していっている。重厚感のある荘厳な雰囲気をしっかりと引き寄せながら、誠実に描き出した作品として注目した。

 中道美佐子「古都」中日賞。灰白色の色彩を少しずつ変化させて、小高い丘から眺めたイタリアのウルビーノの風景を情感豊かに描き出している。背の高い建物と低い建物を重ねるように描き、作品に強い動きと奥行きを与え、どこか肌に迫るような透明な空気感を引き寄せている。手触りのあるマチエールに支えられながら、そういった現地で得た情感を誠実に表現しているところが特に印象的である。

 髙橋洋子「期待」奨励賞。赤茶色の扉の前に二匹の猫が描かれている。扉を開けて誰かが出てくるのを待っているのだろうか、その様子が何とも微笑ましい。猫のやわらかなフォルムと背後の扉や壁の堅牢な様子がどこか静かに対比されながら描かれているところもまた印象的である。

第38回太陽美術展

(11月16日~11月24日/東京都美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 望月淑江「多幸万考 ろ」銀賞。うねうねと動くタコの足の動きが、強く印象に残る。薄いピンクから茶の色彩を繊細に変化させて、それぞれのタコの姿を浮かび上がらせている。妖しさの中にある強い生命力が、強い印象を残す。(磯部靖)

 樋口匠衛「CASA LABR de Madrid」財団法人日本青年館賞。賑やかなバーの情景を確かな描写力で描き出している。薄暗い室内の中で、それぞれが思い思いに楽しんでいるその様子が、よく捉えられている。色彩を巧みに扱うそのセンスとデッサン力に注目した。(磯部靖)

 郷右近健二「横浜百景.獅子ヶ谷.横溝屋敷」。清潔感溢れる魅力的な色彩がこの画家らしい扱いである。中景にはいくつもの鯉のぼりが描かれていて、周囲の草木の緑の中で、作品に一つのポイントとリズムを与えている。抜けるような青空の中に、気持ちのよい情感を引き寄せ、鑑賞者をその作品世界に招き入れるような魅力を孕んでいるところに特に注目した。(磯部靖)

2室

 吉田康弘「ある街の遠望 その1」。赤みがかった色彩を随所に入れ込みながら、街並みを遠くから眺めている。マチエールもじっくりと施して、堅牢な画肌を形成している。どこか寂しげな雰囲気と共に、この街に対する画家の深い思い入れを感じさせる。(磯部靖)

3室

 有澤美和子「追憶のかたち」。画面の下方にいくつかの花が舞っている。背後には大地が広がり、空も見える。どこか現実ではない、イメージの世界を感じさせる。一つひとつの花が、それぞれ記憶の塊のような、それでいて全体で不確かな記憶の象徴のようにも思われる。こまやかにコラージュを重ねながら、画家自身の内面を再確認するように深く内向しながらも、外へと広がっていくような感覚が特におもしろい。いずれにせよ、少しの抽象性を孕みながら、独特のイメージを展開していて注目した。(磯部靖)

4室

 川越寛恵「視点作品 12」。多数のドローイングを壁一面に特別展示していて、その中の一点の太宰を描いたものを掲出した。右を向いた横顔であるが、その人となりを良く捉えている。軽やかな線によって描写していきながら、浮かび上がらせるように描いているところもおもしろいし、そこから感じられる技量もまた確かである。(磯部靖)

 近藤麗子「Mont Saint-Michelの回廊より望む」財団法人日本青年館賞。モンサンミッシェルの中から外の風景を見ている。海岸線が見え、海と空の青が気持ちよく描かれている。画面の手前右側にはテントウムシがいて、その赤の色彩が、灰白色から青の色彩の中で一つのアクセントを作りだしているところが特に印象的である。(磯部靖)

 原康「母と子と」。寒色系の色彩を基調にした風景の中に、一人の母と三人の子供を正面から描いている。中央の長女はピンクのワンピースを着ていて、そのやさしい色彩が周囲の寒色とうまく調和しているようだ。温もりを感じさせる家族の関係性をやさしく表現しながら、アヒルや樹木の配置によって作品の中にリズムを作り出しているところもまたおもしろいと思う。(磯部靖)

 吉田滋子「昴」。空中に二人の天女がいる。下方は波。波の表現が琳派風な円弧によるところが面白い。その上方に継ぎ紙を思わせるような色面があり、それらの間から朝日が今顔を出している。画家のロマンティックなイメージは太陽を月のイメージに重ねる。この空間は朝なのか夜なのかわからない。朝日の神々しい様子と、夕方に満月がのぼる時の情感と、二つが重なっているように思えるところがユニークだし魅力である。天女の白い肌が静かに輝く。神的であると同時にエロティックでもある。その衣装に、草花を線によってデザイン化した様子が描かれているのもまた面白い。(高山淳)

 田島弘道「忘れじの」。二人の裸婦を版画によって描き出し、そこに明るい色彩を彩色している。丸みを帯びた裸婦のフォルムがやわらかで印象的である。一人は座り、一人は横になっている。その周囲には華やかな装飾が施されていて、それが女性の美しさと確かに響き合っている。画面の右上にはもう一人の男性のシルエットが浮かび上がっている。それが実はかつて親密であったこの二人の女性のことを想い起こしている本人のようで興味深い。(磯部靖)

 清水源「航海の女神」。仰向けに寝た裸婦の量感のある表現が素晴らしい。頭の上に両手が伸びて、その指の形と表情がいきいきとしている。紡錘状の乳房が顔の向こうに存在するが、この裸婦の形象はピカソの新古典主義時代を想起させる。それほど力強く見事な形態である。それに対して向かって左側はフラットな空間である。フローリングの床があり、そこに子供たちや母親がドローイング風に、まるで人形のように描かれている。その後ろに白地にバルト海の二人の船員のいるポスターがある。不思議な幻想が招かれる。そして、床の右側の画面一番上方だが、暗い海と夕焼けと白い灯台が描かれている。航海からイメージされる旅情とも言うべきものが醸し出される。つまり、この画面は三つのパートから成っている。その三つのパートのクロスする部分に素焼きの二つの素朴な壺が立っている。壺の上に横になった壺が置かれている。茶褐色の色彩は日本的だが、その形象は地中海風であるところが面白い。画家はアトリエのなかで夢想する。そこに引き寄せられるイメージを一枚のキャンバスの中に描く。優れた造形力が必要となるが、なんなくその課題をクリアする。室内には画家をインスパイアする人形たちやポスターが存在し、母性的な、神話的な女性が画家のミューズのようにそばにある。そして創作という旅に出る。(高山淳)

7室

 田中美津子「震災」。モノトーンの色彩で、震災後の様子を描き出している。二人の人物が瓦礫を片付けていて、それを大きく全面に描き、背後には津波のイメージが描き出されている。下方では、その当時の写真がコラージュされている。時間軸を変化させながら、未曾有の災害をこのように表現しているところがおもしろい。確かな描写力と構成力に注目した。(磯部靖)

8室

 田崎ときこ「跳」。数人の男女がリズムに合わせて踊っている。その躍動的な様子が、画面を活性化させている。明るい黄色の色彩が強い音楽性を孕み、作品の中に流れるリズムと重なり合いながら、確かな魅力を作りだしている。ポジティヴなイメージの中に楽しんで作品と向き合っている画家の豊かな情感が、大きな魅力を作りだしている。(磯部靖)

第34回清興展

(11月16日~11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 武田育雄「光次元神秘の世界」。黄金を思わせる画面の中に、大きく円が浮かび上がっている。神々しい世界に浮かび上がる円が全ての事象を完結させるような、強いイメージを放っている。決して大味ではなく細やかに画面を描き込んでいるところもまた、深く広いイメージの広がりを感じさせる。

 香西佐和子「西方浄土へ」。水墨によって木立に囲まれた家屋をやわらかに描き出している。周囲の樹木の様子と細やかに描かれた建物の様子がうまく調和して馴染んでいるところがよい。気持ちのよい風景である。

9室

 濱田秀美「森の輝き」。画家特有の点描による描写で森の内部を描いている。朱から黄の色彩を繊細に変化させて、画面の奥から放たれているような光が、こちら側まで届いてくる。深く瞑想するような画面の中で、希望や祈りといった深いイメージが作品を満たしているようで強く印象に残った。

 江口光興「霧の高原」清興大賞。しっとりとした空気感が強い魅力を放っている。高く伸びた木立や背の低い草木など、一つひとつのパートをじっくりと描き込みながら、画面全体をしっかりと纏め上げてもいる。そういった画家の確かな絵画的センスによって仕上げられた、賞に相応しい作品である。

第35回JAG展

(11月16日~11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 谷口美智子「何処(いずこ)へ?」。実に細やかな横の線によって画面を描き込んでいる。緩やかなカーヴを描くフォルムがいくつも重なって描かれているが、それがどこか女性のフォルムを連想させる。その女性がいくつも重なるように描かれていて、一つの群像表現のようになっているところがおもしろい。寒色系の色彩を基調にしながら、そこに緑やオレンジを入れて抑揚を付けている。現代社会における女性像の一つの表現として注目した。

 山内ヒロシ「誰もいなくなった家」。家人が離れ、倒壊していく家屋を、もう一つ壊れた建物の中から覗き見ているようだ。建物の壁は灰白色で明るく、鑑賞者の視点の場所は暗い。そのコントラストが強い印象を作りだしている。いくつもある瓦礫を細やかに描きながら、画面全体でドラマチックな要素を獲得している。

2室

 目黒勲「巡礼の島 Mont st.Michel」。遠景にモンサンミッシェルを描き、そこに続く道からの視点で画面を構成している。もっと離れた岸から島の全体を眺めた構図はよく見かけるが、その中でこのような画面構成でモンサンミッシェルを描き出したところにオリジナリティがある。緩やかにカーヴを描きながら道は続き、島は尖塔に向かって三角形をっている。その二つの動きの他に、もう一つ斜めに幾筋にもなる雲も相俟って、静かに流れる時間の動きが作品の裏側から伝わってくるようだ。徐々に海面に浸食され、長い時間をかけて姿を変えながら存在し続けてきたこの島の存在感を、画家は記憶に留めるように描いた。清潔感のある色彩もまた清々しく、気持ちのよい風景画として印象に残る。

3室

 吉澤幸子「河原の春」。霞むような描写で河原の風景を描いている。右側には桜の樹があって、やさしいピンクの色彩に強く惹き付けられる。素朴でありながら、深い情感を内包した作品である。

7室

 桐生正和「雑貨屋の夕まぐれ」。夜の雑貨屋の風景を少し離れたところからの視点で描いている。日が沈み、真っ暗になった中で、雑貨屋の内部が浮かび上がっている。そういった中に鑑賞者を引き寄せるような、独特の雰囲気をうまく作りだしている。

第48回都展

(11月17日~11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 熊倉幹子「夏の日」。ソファに座った女性の肖像である。灰白色の色彩を中心に描いている中で、女性のスカートの青が強く印象に残る。女性のまろやかなフォルムと量感がしっかりと捉えられているところにもまた注目する。

 山本房江「ある日の午後」。椅子に座った女性を斜め右側からの視点で描いている右下の白猫や室内の様子も合わせて、優しいタッチでしっかりと描き出している。色彩もまたやわらかく、画面全体の温かみのある雰囲気が特に魅力である。

 伊藤直「Street Jazz(PARIS)」。三人の男性がセッションを奏でている。コクのある暗色で手前を描き出し、上方の遠景は輝くような灰白色である。その強いコントラストが、鑑賞者を強く惹き付ける。反り返った三人のフォルムと遠景の丸みを帯びた風景が重なって、画面全体で楽奏が循環するような構図を作りだしているところもおもしろいと思う。

2室

 岡絹代「津南の秋」。燃えるような紅葉する樹木が画面を活性化させている。手触りのあるマチエールに支えられながら、自然の変化、生命の力強さの讃歌のような作品として、強く印象に残った。

5室

 福澤ミチ子「網―AMI」。海岸に置かれた網を細やかに描き込んでいる。背後や下方は大胆に描かれていて、その描写のコントラストが大きな抑揚を作品に作りだしている。そういった絵画的なセンスを強く感じた作品である。

第53回日本版画会展

(11月17日~11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 小暮真望「風花」。横長の画面に山間の風景が広がっている。風によって花が舞うその様子が実に幻想的である。寒色系の色彩でまとめながらも、温かな雰囲気を感じさせるところがおもしろい。素朴な魅力を孕んだ作品である。

 市田喜一「鬼・少しユウウツな」。二体の鬼が旋回するような構図で描かれている。青みがかった色彩をバックにした鬼のユニークな動きと様子が印象的である。細やかに装飾しながら、独特のイメージを展開させているところにもまた注目する。

2室

 前知津子「路地」。海へと続く下り坂を見下ろすように描いている。両脇の家屋などの味のある様子や一匹の黒猫など、随所に見どころがある。僅かに覗く海からもまた気持ちのよい風をこちら側に運ばれてくるようだ。

3室

 石田眞澄「僕の勇気と栄光」文部科学大臣賞。真っ赤な画面の中に大きく花束が描かれている。その鮮やかな様子が実に印象的である。細やかに描写しながらも、画面全体で大きなインパクトを残す構成が、強く鑑賞者を惹き付ける。

5室

 橋本広喜「水郷烏鎮」日本版画会賞。水門をくぐった奥に川が続いている。街並みや奥の山々の様子などが、しっかりとした距離感を持って描き出されている。この地域独特の風土を取り込みながら、画家自身の豊かな感性を感じさせるところに注目した。

7室

 高野勉「古代の太陽」。大きな太陽が、大地を照らしている。その恵みは人類だけでなく地球上のあらゆるものを育んできた。そういった太陽信仰といってよいイメージを、印象的な構図で表現しているところがおもしろい。過去から現在までの時間軸を重ね合わせるようなところもまた興味深い。

9室

 相澤弘邦「那須遠望 2」。画面の大半は水面になっていて、遠くに山並みが見える。明暗を繊細に描き分けながら、水面の表情を豊かに表現している。山に向かうまでの澄んだ透明な空気感もまた魅力である。

15室

 高野玲子「香りがいっぱい 幸せがいっぱい!」。たくさんの猫がテーブルで食事をしている。その賑やかで楽しい様子が強く印象に残る。この画家特有のイメージが確かな世界観と物語性を獲得している。

16室

 桑田幸人「ひととき」。モノトーンの色彩でたくさんの牛を描いている。その牛一頭一頭の様子が実にユニークである。遠景に至るまで点々と配置された牛たちそれぞれを一頭ずつ目で追わせる視線の誘導もまた巧みである。

第74回大潮展

(11月26日~12月2日/東京都美術館)

文/磯部靖

8室

 吉川利明「春色の里」。春の訪れた里の風景が心地よい情感を引き寄せている。家屋や桜、その他のモチーフも丁寧にじっくりと描き込まれている。作品の中を満たす温かな空気感もまた魅力である。

 塩澤孔六「伊那谷秋景」。延々と広がる森林とその向こうの大地を細やかに描き出している。細やかに描きながらも部分に囚われることなく、画面全体をしっかりと纏め上げている。生き生きとした大自然の息吹を強く感じさせる作品である。

9室

 加古千恵子「陽光佐久島」。船が寄せられた桟橋を岸の方から描いている。奥へと延びる桟橋、遠景の水平線の横の動き、そしてその中でもう一つの船の曲線が作品を活性化させている。なめらかな筆の動きと大胆な画面構成が、この画家の確かな絵画的センスを感じさせる。

 百嶋盛之「陽春の浜名湖(寸座)」。浜名湖の岸辺の風景である。たくさんの船が浜に上がっていて、その重なるような連続性が印象的である。また、右側の土手に咲く桜が実に気持ちよい表情を作りだしている。そういった中で、船などの白の色彩が明るくて清潔感があり、桜のピンクと相俟って作品全体に心地よい情感を作りだしている。

第38回現創展

(11月26日~12月2日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 立岩彰「王朝の華」。民族衣装を着て座っている女性を正面から描いている。茶から朱の色彩の中で、上衣の青がうまく馴染んでいる。やわらかく衣装などのフォルムを捉えながら、女性の強い視線が鑑賞者を捉えて離さない。

 芳賀啓「Hint of Pink」。白いドレスを着て椅子に座っている踊り娘を横から描いている。そのシャープな線と透明感のある色彩が魅力的である。上方奥からの光が画面を照らし、全体で幻想的な雰囲気を作りだしている。確かな写実性の中にそういった雰囲気が作品をさらにもう一層印象的なものに仕立て上げている。

 斉藤孝則「古い店」現創会賞・運営委員推挙。バーのカウンターに座った女性を中心に描いている。その柔らかで細いフォルムが強く印象に残る。どこか物語性も感じさせながら、鑑賞者を作品に招き入れるような魅力を感じさせる。

2室

 加藤英正「繕い(つくろい)」。レオタードを着た少女が舞台用の衣装を繕っている。その無垢な様子が強く鑑賞者を惹き付ける。確かなデッサン力によって描き出しながら、画面全体でそういった少女の内面まで迫った作品として注目した。

3室

 小西淳子「釈迦誕生」委員推挙。テンペラと水彩によって釈迦の誕生を描き出している。中央はその様子であり、左右にはインド高原が広がっている。中央のシーンの様子と、左右の抽象性の高い描写の組み合わせが独特のユニークさを感じさせる。明るい黄色を中心に、釈迦誕生の様子を生き生きと表現しているところが特に印象的である。

4室

 龍まんじ「カオスVSコスモス 1」。この画家特有の壮大なイメージが大画面の中で展開している。妖精あるいは女神を思わせる女性を中心に、周囲で戦争が繰り広げられている。この世のものではない、怪獣なども登場し、いわば活劇的な要素を孕みながら画面の外側までも巻き込んでいってしまうようだ。モノトーンの色彩で統一しながらも、それが逆に鑑賞者のイメージを刺激する。確かな描写力、豊かなイメージに興奮させられる。

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