美術の窓

無料ニュースレターの購読

公募展便り(2012年10月号)

美術の窓 2012年10月

第27回日本水墨院展

(6月27日~7月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 三好光子「角館冬景色」。華泉賞。樹木の形が面白い。太い枝が道の上方に伸びている。生き生きとして、強い存在感をもつ。周りの建物や針葉樹は、脇役でありながら、それぞれのフォルムをもって立ち上がってくる。

2室

 下村朱杏「深秋阿蘇」。内閣総理大臣賞。ハーフトーンが魅力である。刈田が続く田園風景。山が塊として強い存在感をもち、その山が幾重にも連なる、その向こうから噴煙が上っている。近景の田の上には霧が立っている。冬が近づいている。ハーフトーンの中にそのような様子が見事に表現されている。

 村山華凰「華精」。一見して法隆寺にある飛天の浮き彫りを思ったのだが、画家に取材すると、そういうわけではなく、たくさんある古代の飛天の作品からインスパイアされたそうだ。自由に浮遊する仏が描かれ、そのあいだにたくさんの花が咲いている。じっと見ていると、花と飛天とは一体化して、花が飛天か飛天が花かわからなくなるようだ。あるいは、花をこの飛天が守っているような趣もある。背後の直線的な黒い空間に対して曲線によってできた花と飛天が、まるで宙に浮いた美しいものの揺り籠のような趣である。

 藤井紫月「湖畔の夜明け」。ハーフトーンの墨が実に魅力である。画面の七割から八割は水が占めていて、光に反射する様子や、影になってゆったりとした暗い余情を含んだような様子がよく表現されている。小さな地面が顔を覗かせ、そこから高い植物が伸びている様子がシルエットになっている。その周りの輝くような光の中に、その若い木の様子が生命(いのち)を実感させる。

3室

 西均「遭」。下方には津波によって流されている家や大地が描かれ、それを眺める男。上方には仏さまが三体あらわれている。うまい絵ではないが、その心の持ちよう、実感による表現がリアリティをもって鑑賞者に迫ってくる。

8室

 林寿子「夏の思い出」。柔らかな墨色によって葵のような花と杉林を描いて、しっとりとした情感を醸し出す。花の白く抜かれた紙色を生かした様子とその茎の濃墨、背後の杉林、そのあいだを渡る霧のようなあわあわとした淡墨の表現が見事。

15室

 木村紅仙「立神峡のつり橋」。同人推挙。つり橋がはるか向こうまで続いている。その様子をミステリアスにイメージ豊かに表現する。墨色も魅力。

16室

 森川知友「温もり」。日本水墨院賞。古木のほらに梟がいる。ペアで寄り添っている。写実によるものではなく、イメージによってつくられた樹木の中の梟。光を含んだ墨色の調子に注目。

 下斗米希凰「秋色追想」。山の上方に大きな満月が浮かび上がっている。渓流のそばにカエデが紅葉している。それを水墨を中心として、紅葉の様子は金で表現して余情をつくる。水の白くきらめきながら流れる様子は部分が白く抜かれていて、それは霧や月と呼応しながら黒と白の面白さ、その豊かさを表現する。

第52回蒼騎展

(6月27日~7月9日/国立新美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 吉垣一郎「家路に就く」。画面全体を深いオレンジの色彩でまとめている。数頭の馬とそれに乗る一人の少年。その素朴な情景をじっくりと描いている。馬の一頭一頭のフォルムをしっかりと凜々しく捉えている。大自然の中で生きることの厳しさや素朴さと共に、人間の生活の中にある美しさをロマンチックに描いている。(磯部靖)

 内藤建吾「五郎兵衛新田の五月」。明るく透明感のある色彩が魅力的である。陽の光が注ぐ水田がキラキラと輝いている。手前から奥へと伸びてゆくその広がりもまた気持ちよい。(磯部靖)

 児玉敏郎「雨の予感(R)」。傘を手にした若い女性の肖像を二点出品している。本来は三点組とのことだが、一点ずつみてもおもしろい。茶系や緑といったコクのある深い色彩を丁寧に扱って、しっかりとその存在を描き出している。少し斜め上を向いた女性の、やや憂いをおびた表情がまた、これから降る雨を予感させている。確かな筆力によってそういったストーリー性を作品に作り出しているところが特に見どころである。(磯部靖)

 藤井高志「トロイメライ  その後」。トロイメライはシューマンの曲の一つでもあるが、「夢」という意味である。右上に描かれている成長した若い男女が、幼少期を想い起こしているようだ。歳をとれば誰でも、幼少期を夢のような時代と懐古する時がある。そういったノスタルジーを、画家はおもちゃや木馬、田園風景といった要素に仮託しながら一つの画面の中で纏め上げている。この画家特有の淡いベージュの色彩をやさしく施しながら、それぞれのモチーフのフォルムをしっかりと捉えて、確かなリアリティを引き寄せている。(磯部靖)

 飛澤均「雨の日」。文部科学大臣賞。木製のタイルを敷き詰めた床に、雨が降り落ちている。そこにかなり接近した視点による構図がおもしろい。その濡れた表面には、周囲の風景や人物が映り込んでいる。特に左上方にいる白いカッパを着た人物が特徴的で、そこから建物の影が伸びている。狭い視界の中にもかかわらず、風景の広がりを感じさせるところが、巧みな画面構成とその描写力の確かさを特に強く伝えてくる。(磯部靖)

2室

 三原好清「一光三女神像」。流麗な筆の動きで、三美神を描いている。丸みを帯びたそのフォルムが、おおらかな包容力を感じさせる。光背は黄金に輝き、暗鬱な現代社会を照らすようだ。ポップな軽やかさもありながら、深い信仰心が独特の魅力を作り出している。(磯部靖)

 坂野りょう子「幸せの時間 ・」。母と子の姿を、特徴的なデフォルメで描いている。母が背中に子を背負っているのだが、その様子がどこか妖しい。母子の関係性と絆をミステリアスに描き出しているようで印象深い。(磯部靖)

 櫻井正興「詩情[北の海] 2」。北海道の海岸風景を二点出品していて、その内の一枚である。広大に広がる砂浜が、どこか荒涼とした雰囲気を醸し出している。少しだけ海が見え、空は暗い。そういった中で、手前から緑と茶の塵のようなものが沸き立つように舞い上がってきている。或いは風に舞う蝶のようにも見える。大自然を前にした孤独感、自己が拡散していくような錯覚が、こういった表現で描き出されているようで実に興味深い。(磯部靖)

3室

 志賀耐子「ストーブのある室内」。室内風景をじっくりと誠実に描いている。左下には石油ストーブがあり、奥の扉は開けられている。扉が閉じないように、モップが立てかけられているところが、ここに住む人間の気配、生活感を醸し出しているようでおもしろい。あたたかみのある茶系の色彩を中心に施しながら、そこに人の温もりのようなものまでも感じさせている。見ていて心地よい作品である。(磯部靖)  青木直也「湿原 ・」。湿原風景を背後に、女性と犬を描いている。女性は塀に腰掛け、犬はその向かって右下に寝そべっている。しっとりとやわらかに筆を重ねることで、強い情感を作り出している。左向きの女性と右を向いた犬といった繊細な画面構成もまたおもしろい。確かなデッサン力もある。(磯部靖)

4室

 山元徳子「春草」。水彩によって繊細に描かれた草花が生き生きとして瑞々しい。その中に一匹の猫が寝そべっている。うららかな春の日を楽しんでいるかのようだ。緑系の色彩の中に、点々と入れられた紫やピンクの色彩もまた作品に明るさを与えている。(磯部靖)

5室

 佐々木喜與子「夏のはじめに」。四曲の屛風に、繊細に風景を描いている。高く伸びた草と、それに絡まった朝顔。遠景にはうっすらと山並みが見える。できるだけ無駄なものを省き、イメージを濾過したような描写で、清々しい空気と情感を獲得しているところがよい。(磯部靖)

7室

 古長瑤子「邂逅」。ムンバイ近海にあるエレファンタ島にある石窟寺院を描いている。その内部から奥の外側に向かう視点で描いている。入り口近くには二人の女性がいて、それぞれ緑と黄土の服を着ている。茶系の色彩の中で、その二色が一つのポイントとなって鑑賞者を惹き付ける。外は陽の光で明るく、薄暗い内部とのやわらかなコントラストを作り出していて、それによる内部に漂うひんやりとした空気感が、もう一つの魅力を作り出してもいる。どこか不思議な気配の漂う遺跡独特の雰囲気を作品に引き寄せながら、巧みに鑑賞者の好奇心を刺激する画面構成が印象的な作品を作り出している。(磯部靖)

 青山征子「相貌─地」。日本の長く続いてきた家と須恵器のような器を組み合わせて、日本人の長い歴史に思いを馳せる。そんなイメージの広がりが茶褐色と暗い赤褐色の色彩を呼び起こす。そこには、人の顔のようなイメージも浮かび上がる。画家は画面の上で瞑想する。瞑想する空間がこの柔らかなマチエールを呼びながら、そこに不思議な図像を呼び起こす。暖色系の色彩が懐かしい雰囲気を醸し出す。(高山淳)

 髙杉學「夏近し(クロアチア)」。クロアチアのシリーズは長い。作品ごとにクロアチアの新しい魅力を描く。大きな木の向こうに白い建物が見えるが、これはローマの遺跡である。その灰白色のさり気ない様子はローマがクロアチアに侵攻してからの二千年を超える時間を静かに示す。手前には百年、二百年たった樹木が伸びている。光が差して緑が輝く様子と同時に影の部分が強調されている。その影の部分は長い歴史を暗示させる。それはそのまま背後のローマの遺跡のイメージと重なる。そして、もっと小さな樹木が若緑色の葉をつけていて、中心の大木の後ろ側には赤い花が可憐に咲いている。近景には小さな白い花も咲いている。それはいまを生きている人間に対する画家の愛情のようだ。大木の向こうにベンチがあって、カップルが話をしている。さまざまな時間がこの作品の中に描かれている。見ていると、時間というものの謎の中に引き込まれる思いがする。空間と時間のクロスするところに表れてくるイメージを風景の中に描き込む。(高山淳)

 又吉淳一「倉庫 ・」。蒼騎会努力賞。薄暗い倉庫の中を外から覗くように描いている。かなり大きな倉庫のようで、中は広い。最奥部はまた入り口になっていて、うっすらと外の景色が見える。淡々と描いているようで、そこで作業をする人間の気配を画面に閉じ込めているようだ。明暗のコントラストと共に、そういった鑑賞者のイメージを刺激するような作品として注目する。(磯部靖)

8室

 塩川吉廣「天主堂」。長崎の隠れキリシタンの教会が上方にしっかりと描かれている。近景になるに従って大地が複雑な様相を見せる。手前では崖になり、大地が壊れてしまっている。その壊れた中のフォルムを見ると、そこに時間というものが揺曳していることがわかる。隠れキリシタンは江戸時代に生まれたから、四百年を超える歴史をもつ。その歴史のなかに続いてきた信仰というものを、画家はいとおしむように表現する。その信仰が上方の二階建ての素朴な茶褐色の教会に結晶する。もう一点の「光芒」は散乱した世界の上に窓があいている。今回の大震災のイメージを思い起こさせる。大震災の激しい困難な現実がキリスト教徒に対する江戸幕府の迫害のイメージと重なり、それでも信仰を捨てなかった人間の歴史がこの天主堂の中にあるわけだから、二つの作品はその意味では一双といってよい。困難な現実と信仰の持続がテーマである。(高山淳)

 松浦正博「廻(めぐる)」。青年が若い女性を抱きかかえている。周りに渦のような動きが起きている。その動きはこの二人を取り巻く社会の現実である。と同時に、そこには長い時間の性質もあらわれている。画家はこの二人の男女を描きながら、画家自身の青春の頃のイメージも引き寄せたのだろう。長い歴史的な時間のなかに繰り返される男女の関係、その一種普遍的な性質のイメージが生まれている。その二人を光が照らしている。それを取り巻く渦の力にはどこかフンデルトワッサーを思わせるような、無限旋律とも言うべきものがあらわれている。(高山淳)

 岩村美暉子「ゆらぎ B」。白い上着を着た女性とその周囲に五人の子どもを配置している。軽やかな筆致で、色彩をうまく扱いながら描いている。心あたたまる和やかな情景であると共に、動きのある巧みな画面構成が印象深い。(磯部靖)

9室

 太田千里「春近し」。まだ空気の冷たい小川を囲んだ風景を水彩で描いている。丁寧に絵具を置いていきながら、透明感のある画面を作り出している。誠実に描かれた日本の田舎の情景として好感を持つ。(磯部靖)

 緒方章嗣「鐘崎246」。海面に浮かぶ二艘の船をシャープなフォルムと共に描いている。夜明け頃だろうか、海面が黄金色に輝いている。船の直線的なフォルムと水面のゆったりと漂う様子が対照されて画面を活性化させている。どこかロマンチックでもあり、確かな筆力も感じさせる作品である。(磯部靖)

10室

 杉浦勝彦「秋雨あがる」。じっくりとコクのある色彩で、構図にこだわりながら描いている。手前に木の柵、中景に家屋、そしてその奥に山が立ち上がっている。重層的な画面構成を作りながら、確かな距離感としっとりとした空気感を画面に引き寄せている。見応えのある作品である。(磯部靖)

13室

 岡本優「エデン」。三点組の内の一点。激しい色彩が鑑賞者の注目を集める。漂うような不定形の色面の中に、花などを象(かたど)った形象が見え隠れする。強いイマジネーションが、直接脳裏に伝わって来るような力強さを持った作品として印象深い。(磯部靖)

14室

 斎藤梅次「イメージする風景 B」。蒼騎会賞。黄土色のヴァリエーションの中に矩形の複雑な色面が構成されている。緊密で、しかも豊かな表情を見せる。中に青や緑や赤などの色彩がほのかに入れられて、日本の集落がイメージされている。描いているうちに具象的なイメージはだんだんと遠ざかり、一種の音楽的な世界が引き寄せられる。バッハを代表するバロック音楽が画面から聞こえてくるようだ。(高山淳)

第17回アート未来展

(6月27日~7月9日/国立新美術館)

文/磯部靖

1室

 岡庭荘二「2012―フォルム」。縦に長い軸に暗色を主に使いながら描いている。大きな鋭い色面や、細かな色面などを細やかに描き込んでいっている。それは、地図のようでもあるし、少しずつ形を変えながら動く細胞のようでもある。シャープな繊細さを持ちながら、どこか大胆でもある。そういったミステリアスな雰囲気がこの作品の魅力のように思う。これまでの作品のように内界へ向かうというよりは、鑑賞者へ向けてイメージを発信してくる作品として注目した。

 石川清一「記憶の回想」。文部科学大臣賞。廃墟を思わせる都市の風景を中心に描いている。上下の空間には炎を思わせる深い朱から褐色の色彩が施されている。地震などの天災、あるいは戦禍という人災。そういったものがあっという間に街を破壊してしまうことの恐ろしさをメッセージしているようだ。二度と取り戻すことの出来ない風景を懐古するように描いているところが印象深い。

2室

 中瀬千恵子「もうひとつの空・未来へ」。グレーから紫、青の色彩を繊細に変化させながら描かれた色面をバックに、飛沫のような、あるいは稲妻を思わせるようなドリッピングが施されている。さらにその中心から下方には金が落ちて行っている。これまでの作品の流れを汲みながらも、どこか不思議な気配が漂う作品となっている。それは悲しみや不安、あるいは希望や慈愛といったさまざまな感情を内包するかのような気配である。世界中にあるそういったたくさんの感情を掬い取って描き出したような精神的な奥行きが、今作品の面白さだと思う。

3室

 長澤清乃「ワインのある景」。ワインボトルやデキャンタ、花などを味わい深く描いた静物画である。じっくりとマチエールを施して描いていく中に、ものの存在の確かさ、あるいは不確かさを追い求めるような魅力を感じさせていて注目した。

9室

 中居里子「俯瞰アルル」。アルルの街を楽しく軽やかに描いている。瓦や窓、その他様々なものを一つひとつ愛情深く描いているようだ。どこか箱庭的な要素もあって、童話のワンシーンを見ているようなおもしろさがある。

10室

 竹内英子「輝く砂浜」。海岸に立つたくさんの人物がシルエットになって描かれている。水平線の向こうでは夕日が少しずつ沈んでいく。白から黄、朱、そして海の青が鮮やかな魅力を放って画面を彩っている。ロマンチックでもあり、どこか一日の終わりを寂しく感じさせる感情も孕んでいるようだ。いずれにせよ、その時の感情を強く作品に引き寄せて描き出す画家の表現力に注目する。鑑賞者もこの作品の世界に入り込んだような錯覚を覚えるところも印象的である。

第39回日象展

(6月27日~7月9日/国立新美術館)

文/高山淳

2室

 内山雄次「復興への願い」。 新人奨励賞。両側に高い建物があって、それを修復している人々がいる。あいだの地面にも人々がいて、百人以上がヘルメットをかぶり、復興の仕事をしている。その様子が、淡々としながら、強いイメージとしてあらわれている。二つの建物のあいだがU字形に空いていて、その向こうには若緑色の葉をつけだした植物と気球があるのも、まさに復興に対するイメージのあらわれだろう。なによりも、その両側の何層にもわたる建物の中にいる人々の姿が生き生きとしている。良質のナイーヴアート、クオリティの高い絵本を見るような思いに誘われる。

 田村まさよし「洋館の見える窓べ」。椅子に紫色のワンピースを着た若い女性が座っている。背後に木造の大正時代を思わせるような洋館が立っている。フォルムがクリアで、輪郭線を生かして強い表情を見せる。室内の背後に大きな窓があって、それがそのまま洋館のある風景につながる。しっとりとした背景に対して室内の女性には光が当たって、強くそのフォルムが立ち上がってくる。

 八田敏郎「女郎蜘蛛」。和服を半分脱いだ女性の後ろ姿が神々しく表現されている。周りの黒い中に蜘蛛のネットが描かれ、女性の背後は黄金色のストライプになっている。女性讃歌ともいうべきイメージを明暗のコントラストを強調したコンポジションの中に表現する。

 小池タケシ「海明けを待つ浜」。小池タケシは二点出品である。「海明けを待つ浜」は、まだ暗い日の光であるにもかかわらず、ボリューム感のある重ねられた網と手前にたくさんの浮きが、オレンジ色で描かれている。それは海に働く人々の希望の象徴であるにちがいない。今回の震災の困難な現実から希望のイメージを、この網や浮きに与えたのだろう。そして、網の同心円状の動きと、ランダムに置かれた浮きの球体のフォルムがお互いに相まって独特の強いムーヴマンを表す。それはそのまま海の中に生きる人々の生命力、生活力の表徴のように感じられる。もう一点の作品は、氷山を描いたものである。ピンクがかった暗い空に氷山が白々と輝きながら、その頭を持ち上げている。海が動き、氷山も動いていく。ロマンともいうべきドラマがあらわれる。 第66回女流画家協会展

(6月29日~7月6日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 志村節子「卓上静物」。透明感のある色彩が魅力である。マンドリンや花瓶に挿された花々、白い器に盛られた果物、あるいはドライフラワー。そんなものがまるで宙に浮いているよう。卓上にある静物が風景を引き寄せ、引き寄せた風景の上方に不思議な花束のように浮かび上がっている。そんな詩的なイメージに引きつけられる。

 遠藤彰子「光景」。螺旋状のフォルムが面白い。それは道であったり、階段であったり、ハイウェイであったりする。そして、だんだん奥に行くに従って夜の光景になる。いちばん上方は真昼の光景のようだ。そこに面接するように様々な建物や室内が置かれる。そして、昼と夜が同一画面の中にあらわれる。左下方の室内で絵を描いている女性が描かれているのがほほえましい。光と影が交錯する。老若男女。様々な人々。犬もいる。電車も動く。樹木も伸びる。様々な時空間が連結され、巨大な曼陀羅があらわれる。

 塩川慧子「時の記憶」。シルエットの女性の背後にテーブルがあるが、テーブルは一部地面に変容する。空を引き寄せる。ぽっかりと浮かんだ二つの白い雲。女性のシルエットのフォルムの中に集落があらわれる。現実と非現実、室内と室外。二つの要素が連結され、未来と過去の中間にたゆたう時間の不思議さがあらわれる。

 馬越陽子「人間の大河―立ち上る人―」。三人の人間。下方左は立ち上がって上空を見ている人。右のほうは両手を顔の上に置いて遠くを眺めている人。そして、二人を癒すのに浮遊しながら近づいてくる人。その上方の赤い色彩は下方の人間の上にも置かれて、赤が大きな円弧の中に使われていて、強い連帯感のイメージや癒しのイメージを与える。バックは黒い太いストライプで、建物のようなイメージや今回の津波の被害などの困難なイメージを表すようだ。それに対して希望をもって立ち上がる人を連帯のなかに癒そうとする。赤い円弧のもつ不思議な呪術的な力に対して、それの外側にあるビリジャン系の緑の色彩が深沈とした表情を見せる。ところどころ使われている黄色が輝く。スピリチュアルな色彩のハーモニーがとくに魅力。

 岡田菊惠「がれきの中で遊ぶ子ら」。上方から鎖で繫がれ回転する遊具に両手でぶらさがり遊んでいる三人の子供たち。黄色い遊具と遊ぶ子供たちのフォルムが生き生きと描かれている。下方はひずんだような空間となっている。東北の津波の被災や福島の原発周辺などの悲惨な様子を下方の空間は暗示するが、子供たちの遊ぶ様子がその暗さを覆って、それ以上の力をもって画面の中に描かれている。画家の強いスピーディな筆力が独特の運動するフォルムを捉える。そして、下方の灰白色の渾沌としたフォルムの優位に立たせる。子供の顔は描かれていないが、全身でもって子供の姿があらわれ、その三人の様子と黄色い遊具とが決然たる力でもって表現される。

 入江一子「イエメン うちわ サボテン」。画面の真ん中に子供を抱く母親が描かれている。子供の顔はこけしのような雰囲気で実に愛らしい。周りに中東風の服装の人々。それらの連続した形が或る音楽性のなかにあらわれる。左のほうにはサボテンが描かれている。背後には山のようなものがあって、その上方から光がここに差し込む。すべての色彩、フォルムはお互いに絡み合いながら、あるメロディと化しているようだ。それは画家のもつヴィジョン、或いは、ロマンの力と言ってよい。九十四歳の画家である。画家の心のスクリーンの中に浮かび上がる聖母子像のイメージが鑑賞者を捉える。

 福島瑞穂「APORiA」。上方に男女の性交する図が描かれている。下方に男が便器に座って赤い舌を出している。セックスも排泄も人間の生き物としての根源的な行為である。そのあいだにオレンジ色の不思議な犬がジャンプしている。ドアがあけられているから、この犬は戸外から帰ってきたのか。あるいは、この密室の中の人間の誰もが行っている行為に対して、もう一つの力、思想とかそういったものがこの生き物の姿をして入ってきたのだろうか。アポリアとは哲学的難題といった意味である。いかに生くべきか。様々なロマンや高邁な思想も、この二つの行為と比べると色褪せる。逆にいうと、そのような行為に対抗するだけのものを人間は創造しなければいけない。重しが重いほど、逆にヴィジョンは強くなる。その強いヴィジョンがこのオレンジ色の不思議な生き物としてあらわれた。この生き物は紐がつけられていたが、いま手綱は切られている。上下の像は暗いグレーの中にしっかりと描かれている。あまり人には見せたくないような露悪的なシーンであるが、画家独特の強い、しっかりとしたマチエールは、それをしっかりと抑えこんでいるところがあって、そこに画家の絵画的力がある。マチエールのもつ信頼感と内側から輝くような色彩の力である。そこにまるで朝日のような光を全身に浴びた、不思議な犬のような生き物が入ってくる。思考とか宗教といった朝日のようなイメージ、ヴィジョンは、画家の絵の中ではこの不思議な犬となってあらわれたようである。この犬はこの人間に対して本当の力をもつのだろうか。まさに哲学的難題であるにちがいない。

 北久美子「光る風」。空が画面の約三分の二ほどを占めている。地上は楽園のようで、両側に青い孔雀、その周りに花が咲き乱れている。小鳥やトンボもいる。向こうに青い海が静かに存在する。だんだんと上方に行くに従って青くなるグラデーションによって空が覆われ、そこに穏やかに鳥が滑空しているようなイメージがあらわれる。画家のつくりだした巨大な子宮のような空間の中に、この花や生き物が生かされている。その子宮の力によって静かに命が育まれる。鑑賞者はしぜんとこの深い世界に引き寄せられる。

 徳植久子「サンレモへの續く道」。右に代赭色の古い建物があり、そばに道が面しているが、その上方に左の断崖に沿ってもうひとつの広い道がカーヴしている。二つのカーヴする道の方向の異なる動き、垂直に立つアパルトメントのような古い建物と断崖の動き、それぞれのムーヴマンがこの風景を活性化している。下の道は過去に続き、上方の広い道は未来に続いているように感じられるところもおもしろい。

 服部圭子「octobre」。題名はフランス語で十月という意味。黒いコートを着て立っている女性を横から見たフォルムが画面の左端にある。バックは赤のたらし込み風な表現になっている。そこに二本のケシの茎が伸びて、青い花をつけている。世界の果てにいて、そこに青いケシの花が咲いている。そこにたたずむ女性を詩人の肖像のように表現する。

 宮原麗子「イドラ島快晴(ギリシャ)」。黄土色の壁、赤茶色の屋根瓦。ギリシャの集落が、しっかりとしたボリューム感と遠近感のなかに表現される。穏やかな暖色系の色彩に安息感がある。人間の変わらない生活に対する画家の思いが、この安息的なゆったりとした空間をつくるのだろうか。

 秋田谷愛子「月明り」。長く生きてきた樹木の幹がうろになっている。そこに親子の梟が住んでいる。月光がそのシーンを照らす。樹木はこの親子を守っている母性的な存在として描かれている。この古木と画家の深い関係のなかから生まれた象徴的表現である。

 江守マリ子「アルパカと生きる」。アルパカは自然の象徴で、自然とこの女性とがお互いに共生する様子が、独特の安息感のように伝わってくる。

 浅生法子「野―祈り」。雑草のあいだに花が咲き、愛らしいお洒落な小鳥が下りて遊んでいる。上方には海が見え、海岸には建物があり、満月が浮かんでいる。青を中心とした空間は地上の光景でありながら、天上の光景のように感じられる。

 前田さなみ「サテュロスの海 シチリア」。画家がお弟子さんを連れてこの場所にスケッチ旅行に行った時の思い出だろうか。青い空が魅力的で、そこに海から発見されたギリシャの少年の像が浮かび上がる。石でできた神殿の跡。スケッチをする人や写真を撮る人。穏やかな陽光のなかに経験したスケッチ旅行が、鮮やかなギリシャの空と海を背景にして表現される。

 関口聖子「弾ける・開く」。植物の実が弾けて、種が地上に落ちる。そしてまた種から命が芽吹く。右のほうにはその果実を半分に切って、中に種のある様子が描かれている。左のほうには種から新しい芽が生まれつつあるようなイメージが描かれている。白やピンクの色彩、その透明な様子のなかに命の熱が静かに籠もっているような雰囲気である。バックの深い青や紫の色彩が、この命を背後から支えるように表現されている。発芽や種の形はまことに神秘的で、そのフォルムを見事に画面の中に引き寄せながら、死と再生の循環を表現する。 小石川宥子「流風」。水が画面全体を占めていて、すべて呑み込んでいる。そこに卵を持つ鳥があらわれ、再生の予感が表現される。曲線がお互いに関係しながら、そこに深い淵と渦が生まれ、希望の光が差す。

 竹岡羊子「待春・ミモザの季節」。三角構図になっている。上方には太鼓を叩く赤い衣装の女性の人形が生命的なイメージを伝える。下方には様々な人形や植物、人間などが集積し、あいだにミモザの黄色い色彩が華やかな雰囲気である。上方にはお祭りのような夜空があらわれ、右のほうには柔らかな花が空いっぱいに覆っているような雰囲気。春の幸せな充足感に満ちたイメージを人間や人形、植物を使いながら見事に表現する。三角構図という宗教的な構図がこのテーマにふさわしい。

2室

 ふじいあさ「架空園(深淵)」。床が崩壊し、人間がそこに空いた深淵にのみこまれようとしている。まわりには豆や卵のようなフォルムが散乱している。生まれるべきものが壊れかかっている。死は虚無ではなく、いわば回帰であり、やがて再生の予感も漂う。そこに不思議なシュールな味わいも生まれる。

 手塚廣子「時 2012」。損保ジャパン美術財団奨励賞。ハッチングによってつくられている。女性と男性の顔が上方にある。下方には散乱する大地のイメージ。男性と女性のあいだに不死鳥を思わせる鳥が描かれている。男の帽子には街の建物、女性の眼鏡は何か壊れたものを映している。その下方には危機を訴えるような女性の横顔がある。悲惨なこともあれば、幸せなこともある。様々なイメージを、このハッチングふうなクリアなフォルムによって引き寄せ、それをモザイク状に画面の中に構成する。そして、テーマは命の蘇り、不死鳥によるその象徴性と思われる。

 大塚章子「主よ憐れみたまえ」。ひざまずいて主に祈る。旧約詩篇の中にミゼレーレの章がある。必ずしもその聖書の内容というわけではなく、人間の愚かさ、その小ささを認識して、神に救いを求める、謙虚になるといったイメージを、繰り返し画家は描く。顔はエジプトのレリーフを思わせるようなフォルムである。交互に人間のひざまずく姿があらわれ、その中心に空を仰ぐ顔が大きく描かれている。強い図像的表現である。同時に、暖色系の色彩が温かい。その色彩とこの図像によって世界を癒そうとするかのようだ。

 山本宣子「ペルシャ遥か」。ペルセポリスの有名な貢ぎ物を持つ使者たちの像をアレンジした作品。重荷を背負い、歴史をつなぎ、共生していく人間の姿が描かれているように感じる。そのような心象がこの灰白色の柔らかな独特の手触りを呼ぶ。

 野中伊久枝「すべて夢の中」。上方に東日本大震災の悲惨な様子が、陸に揚げられた船を中心にして散乱する壊れた廃棄物によって表現されている。海の中に二頭のカバがいて、じっと前のほうを眺めている。カバは穏やかな平和な生き物だという。このカバを見ると、同時に母性的なものの象徴としてこの生き物が画面に引き寄せられたのだと感じる。画家はカバになって海の中に潜り、今回の悲惨な出来事について思いを巡らし、それを癒そうとするかのようだ。圧倒的な存在感がカバにあって、異色の強いイメージ表現として注目した。

 柴野純子「雲のカノン」。雲の中に天使が立っている。マンドリンのような楽器を持って、前に譜面がある。バロック風な宗教音楽の曲がそこにかかれているのだろう。下方に彩色した板に小さな教会が置かれている。その教会の中に入り、合掌し、信仰する。そんな中からあらわれたイメージが上方に大きく描かれていると感じられる。白が強い力をもって迫ってくる。カノンは同一のテーマを繰り返す音楽用語であるが、カトリックである画家のその主題は、神に対する深い思い、あるいはその鑽仰といったことになり、それをテーマにした見事なコンポジションである。

 橋本とも子「綺羅へ還る─天空への伝え言」。母親が亡くなった。天空にいる母親に画家はメッセージを送る。画面は三つのパートによってできている。そこには野の花を取って押し花のようにコラージュされている。白鳥のような鳥が天空に向かって飛んでいる。花と鳥によって天空へのメッセージを送ろうとする。三つのキャンバスの後ろには白黒によって樹木の茎や葉を思わせる図像が描かれている。それはあやしく、野の草が天上の国に向かって呼びかけているようなあやしさである。三つのパートの中の灰白色の空間が清潔で純粋である。その色彩、その緊密な様子は天上の世界を地上に下ろそうとする画家の意欲のあらわれだろうか。切なく、パッショネートな空間である。

 平野マチ子「清風・清水(なつかしきよき時代へ感謝)」。画面が上下の線、左右の線によって分割されている。緑、深い緑、深い紫色。窓の向こうには雲が動いている。そして、室内の右のほうには禊のためのような水が鮮烈な表情で描かれている。この絵の中には深い画家の祈りが感じられる。深い祈り、禊によって、世界の秩序を取り戻そうとするかのようだ。窓の向こうに見えるのは、現象としての空であるが、この抽象的なフォルムの上方に引き寄せられるのは、もっとピュアな水そのもの、自然そのものの気高い本質のように感じられる。その不思議な図像的な抽象的な水というものを中心に置いて、ぽっかりとあいた空洞のように、ある矩形のフォルムをつくり、その空洞のフォルムの周りを不思議な鮮烈な青い色彩が取り巻く。闇に対して光という言葉が聖書にあるが、祈りの強い力が画面に表現される。

 中田やよひ「between」。茶色いテーブルの上に小さな花瓶に挿された白い牡丹のような花。濃厚な気配が周りを取り巻く。花の一片の詩の象徴のようなフォルムも面白いが、周りを取り巻く強いエネルギーに注目。

3室

 堀岡正子「刻」。長い時間が経過した壁のようなイメージ。そこには鍾乳石が結晶したようなイメージもあらわれるし、もっと長い時間を映したミラーのような雰囲気もある。そういったものに亀裂が走る。そして、亀裂の走った向こうに若木が現れる。ロングスパンの歴史と言ってよい時間をイメージしながら、その中に死と再生を繰り返す命の姿を画家は凝視する。これまでよりフォルムが柔らかくなってきた。そして、そこに風も吹き始めた。次の展開が期待される。

 石倉郁美「Metamorphosen」。水が激しく動く様子と静止している様子と二つの様子を描いて面白い。水が激しいエネルギーをもって迫った津波の影響があるのだろう。その奥はまるで月を静かに映しているような水の表現で、その下方に、山のようなフォルムが静かに映っているところが面白く感じられる。津波の奥に月が浮かんでいるような、深い祈りのイメージが鑑賞者の心をうつ。

 広瀬晴美「2012 私的風景―・」。ピントのすこしずれたような緑の風景をバックにして、焦点の合った強いフォルムが浮かぶ。それは赤と黄色の斑のチューリップ。そばには紫の別の花が大きく描かれている。花というものの生命力、その官能性、支配欲とも言うべきものが、風景を背景にして堂々と力強く表現される。クリアなフォルムの中に強いエネルギーが捉えられる。

 半那裕子「不思議の国」。「不思議の国」という題名だが、「アリス」という言葉をそのあとに続けたい。アリスは体の大きさも変化させながら自然の不思議なものを見る。同じように上方には恐竜のような骨もあらわれているし、簞笥の中からトナカイが現れてきたり、その後ろには空を飛ぶ帆船や花もあらわれる。花を持って喜んでいるアリスは二つの同心円の重なるところに座っている。その位置はまさに画家の位置なのだろう。生き生きとしたエスプリの表現として注目。

 郡桂子「争(そう)」。画家はイエメンなどの中東の砂漠をテーマにして描いてきたが、今回の中東で起きている政治的な様々な動きが、このような激しい、渦巻くような動きをつくらせたようである。一本の道のはるか向こうに小さな建物がいとおしいように描かれている。それを囲む茫漠たる黄土の大地の中に起きたつむじ風。独特の象徴的表現である。

 日下部淑子「花の祈り」。白い牡丹のような花の茎を持って画家は祈る。左下に地球を思わせる球体がところどころ穴ぼこになっている。祈りによって地球のその亀裂を修復するようだ。右のほうには二枚貝の図像的なイメージがあらわれている。海から生き物は生まれたといわれている。祈ることによってもう一度新しく地球を再生させたいといったイメージだろうか。御幣を持つように一本の花のついた茎を握る人の両手。強い図像的表現である。

 宇佐美明美「風の跡」。砂丘の風紋。そのあいだに続く柵。暮れかかった光がそこに差し込んでいるようだ。柵が一部壊れているのは大きな事件が起きたあとの余韻のようである。風紋さえもその激しい動きによって形が崩れている。そして、その事件のあとにいま日が暮れつつある。そんなイメージを、はるか向こうに静かであるが不気味でもある青い海をのぞかせながら表現する。

 中村智恵美「静物―BLUE SATIN」。サテンとは光沢のある絹織物のことで、高価なものである。そのサテンが壁にもテーブルにも敷かれて、その上にピンクのカトレア、林檎、葡萄、金属の器などが置かれている。面白いのはローマ風な少女が花を抱えているデザインの器に蔓のような植物が置かれていることである。青い空と夜の空。栄光のローマ時代など、様々な高貴なるもののイメージがこのサテンに込められているように感じられる。蘭は花の王者だし、林檎は創世記の中に出てくる果実である。それぞれのものにはそれぞれの寓意がついて回る。そういったものを背後にひそめながら、クリアなかたちでそれぞれの存在を見事に描く。そして、その豪華な品々のなかにサテンのしわが、あるいはその明暗が時間や空間を暗示させる。

 吉川和美「午後の時空」。ライオンのレリーフのある石から水が出ている。その周りには滝のように水が落ちて、洪水のような有り様。午後のローマの穏やかな日差しの中にライオンの口から静かに水が下りていたと思うと、にわかに空間が変化して、洪水の中にあるライオン像になってしまったといった、詩的なヴィジョンの急激にインスパイアされた世界が描かれている。以前はブロッコリーというテーマをまるで呪文のように使いながら、そこから不思議な生命のエネルギーを引き寄せてきたが、この作品を見ると、同じようなイメージの変換によって陰と陽とが一転して逆転する世界。つまり、自然というものの恐ろしさ、その力を画面の上に引き寄せた表現として面白い。

4室

 佐々木里加「BRIGHT BRAIN CYBERNETICS」。サイバネティクスとは通信工学と制御工学を融合し、生理学、機械工学、システム工学を統一的に扱うことを意図してつくられた学問である。現在はネットで世界中がつながっているし、双方向によって世界が生まれている。片一方から一方的に情報を流すのではなく、双方向から来る情報のダイナミクス。その中にある制御機能。あるいはそこから発展していく都市空間に近いようなウェブの世界。あるいは、そういう情報をすべて呑み込んだ人工知能の如きもののダイナミックなイメージを画家は描く。画面はコンピューターグラフィックスによってプリントアウトされたもので、対角線上に白い不思議な新しい生き物のような脳がレリーフされている。

 山寺重子「La Féste ラ フェスタ」。お祭りは満月を画面の真ん中に引き寄せた。周りにはゆらゆらと浮力をもって上方に立ち上がるピンクのフォルムがあらわれる。夜の中に青い空が群青の色彩によって引き寄せられる。夜の闇が破片となって飛び散る。柔らかなグレーのスクリーンが浮かび上がる。そして、それはすべて渾沌とするなかにある明るいエネルギーの中に統合される。エメラルドグリーンの破片が見事なアクセントのように散らされている。

 高尾みつ「relation」。直線によって区切られた空間。幾何形態のフォルムがお互いに響き合いながら、清潔で透明な詩情ともいうべきイメージをつくる。画面の近景には逆くの字形になって画面の上下を横断するフォルムがあって、それが実に気持ちよい。それに対して緑のくの字形のフォルムが向こう側を横切っていく。バックは光を帯びた青みがかったグレーである。高速道路などのイメージをスクリーンの中に図像的に引き寄せながら飛行機の上から俯瞰しているような、そんな雰囲気もある。光が色彩の中に捉えられていて、独特のハーモニーをつくる。

 上條陽子「試行」。左右七列、上下七列の黒い不思議な影のようなフォルム。いちばん上方と三列目は横に八つそのフォルムがある。それは紙を切り抜いて黒く彩色したもので、その周りにやはり切り抜いて白く彩色したフォルムがある。生命の中に点滅する不思議な強いイメージ。生と死とが混在しながら、それが徐々に進行していくような、哲学的なイメージがこの作品から感じられる。生命が輝けば輝くほど、そのシャドーのようなものが浮かび上がってくるといった趣。

 継岡リツ「特別な時間(4/4)」。四つの正方形の画面を合わせて一つの空間をつくる。下方は直線によってつくられたフォルムで、上方の右のほうに二つの円弧があらわれている。左上方には線の上に不定型の菱形状のフォルムが見える。その線の上にバランスをとった不定型の菱形のフォルムは、ひな祭りのときのあのピンクの菱餅を思わせるところがある。静かな祝祭といった趣である。赤と青の二つの円は、円というより円環として簡潔な図形。水も表面張力の最大値は円をつくろうとする。充足した時間を、幾何学的なフォルムの中に描いたと解釈するとどうだろうか。下方にはリズムがあり、それは日常の時間が刻一刻と過ぎていく時の象徴のように感じられる。バックの白く塗られた空間は無地ではなく、充実した感情によって満たされているようだ。とくに右上の円のバックの白は、ほかの三つのバックの白より、より白く描かれていて、特にそのように感じられる。

5室

 デュボア康子「呼吸」。緑と朱色、黒を使いながら、独特のムーヴマンをつくる。座っているポーズと立っているポーズ。その垂直の動きに対して背後に寝た女性があらわれて、人体による一種パントマイムふうなメッセージ。生命というものの独特の表現である。

 児玉沙矢華「不在の片割れ」。女流画家協会賞。廃棄されたものたちの中に若い女性が横になっている。鏡を持っているが、そこには何も映っていない。女性の呼吸をしている体温のある、そんな様子がよく表現されている。周りの無機物と女性の有機的な生命的なフォルムとの対象が鮮やかである。そこに柔らかな光がスポットライトのように当たって、ヒューマンな感情がしぜんと醸し出される。クリアなフォルムによる独特のドラマティックなコンポジションである。

 目黒礼子「実験室」。桜井浜江賞。ガラスの円柱の中には眼鏡や鯨や哺乳類の骨や目玉のようなもの、昆虫の標本、本などが置かれている。そういった医学や生物学の標本のようなものを背景にして、人骨が立っている様子で描かれる。生物が誕生して人間になるまでの進化の歴史を連想する。そういったイメージを、理屈ではなく、この標本と人骨とを比較しながら静かに描く。テーブルの上にガラスが壊れて落ちているのは、その未来があまり芳しくないことのあらわれのように思われる。そこに現代人としての画家の危機感も感じられる。

 須藤美保「香華幻奏」。着物姿の三人の女性。周りに花が満開で、背後は金箔である。洛中洛外図屛風、あるいは寛永の風俗屛風を思わせるような、楽しい生き生きとしたイメージである。以前より柔らかくなってきて、花と着物姿の女性とが一体化しながら幸せなイメージを表す。

 村本千洲子「海鳴り」。カウンターに肘をついた三人の女性。強い動きが感じられる。後ろには海が見え、すこし高い波が寄せている。その波のリズムに合わせて女性の体が動きながら手前に近寄ってきているといった気配。自然と深い関係をもっている人間の像、あるいはイメージと言ってよい。潮の満ち引きによって人間の感情が影響されるような、そんな強い自然との親和力が、この不思議な女性のデフォルメをつくっている。それがこの絵の力と思われる。

 類圭子「森羅万象」。裸の男性や女性たちが集合している。羽が生え、昆虫たちが人間化し裸になって集まっているような、自由でノンシャランな雰囲気が楽しい。恍惚の老人や女性たちが楽しく楽園的なイメージで集まっているという比喩も使いたくなる。ある意味で社会的な衣装を脱いで自由になって集合している人間のイメージは、そのまま自由な生き物のイメージまで昇華される。その有機的な、ある意味でノンシャランで人間的とも言えるイメージに対して、上方に結晶したダイヤモンドのような球体があらわれている。その周りにはたくさんの蛍が集まって銀河をなしたような不思議なイメージがある。下方の地面は亀裂が走り、赤い羽が散乱している。危機的な状況のなかに楽しく楽園的に裸になっている人間たちといったイメージが、ユーモラスに表現されていて、よく見ると、その裏側にブラックな雰囲気も漂う。

 坂谷由美子「花咲く頃」。線をうまく使いこなして構成している。上方に三つの白い大きな椿のような花が浮かんでいる。その後ろは桜並木で、金平糖のような花がつけられている。菜の花を思わせるような黄色い地面のフラットな表現。背後の山にはブルーの中にまた青い花が咲いている。浮世絵を思わせるような造形意識のなかに春という季節をうたいあげる。

 小野口京子「めぐる」。水墨のたらし込みふうな技法による影の表現。そこからドローイングによって花や蔓の絡まったカラスウリなどのフォルムがあらわれる。カラスウリの実は秋を表し、下方の白い花は夏を表すのだろうか。いずれにしても、あいだは和紙の余白で、水墨による新しい試みのように感じられる。クリアなフォルムがこのような緻密なコンポジションを可能にする。

 丹羽久美子「彼方へ」。着物姿の二人の女性。手前の女性は年少で、後ろは年配のように思われる。日本人の質感、肌合い、低い鼻と独特の目の表情、小さな手。畳で暮らしていた頃の日本人のもつ感性、その気配が画面の中に引き寄せられる。強く人間に接近したところからあらわれてくるエネルギーとか生活感とも言うべきものが、この作品の魅力。

 上杉さなゑ「生きる(護る)」。ボートに立つ若い夫婦と子供。困難な現実。たとえば津波のような状況のなかで生きる若い夫婦と子供のイメージを、モニュメンタルに表現している。オーソドックスな立体的なフォルムが力強い。

 小梶恵子「少女達の歌声」。八人の、少女やすこし年配の女性が構成されている。向かって右は四人の少女がコーラスをしている。ソファに座る二人の少女と大人の女性。ソファの向こう側から、布を体に巻いて、なにか鑑賞者のほうに発信している女性のその微妙な手の動き。クリアなディテールがこの作品の魅力で、ディテールの中に入れば入るほどミステリアスでシュールな気配が漂う。そのようなディテールのもつ魔的な力を画面に引き寄せる画家の才能に注目。

7室

 川口智美「2012 開花」。蓮の花の開いている様子が神々しく表現されている。強いダイナミズムが感じられる。一つひとつの花弁が光を引き寄せ、上方にはそれのシャドーともいうべき暗い影が感じられる。やはり津波に対する痛ましい心持ちが、このような生命的な強い蓮の花を描かせたのだと思う。

 北和子「刻(とき)」。若い女性がパレットと絵筆を持って立っている。周りは暖かい赤系の色彩によって囲まれている。観葉植物が大きな葉を茂らせている。月や黒い鳥や女性の横顔、あるいは石膏像など、日常の身辺にあるものが上方にコラージュするように置かれる。日常の親密な感情のなかからひとつのモニュマン的なコンポジションを描く。色彩が光を含んで呼吸するような表現となっているところもよい。

 長内さゆみ「睡蓮―光―」。睡蓮の葉が池にたくさんあって、水玉がその上にあり、光が差し込んでいる。朝の露が残っている。いま日が昇りつつある様子が水面に映る。朝の一瞬の清浄な時空間をよく表現する。

 山口たか子「祈り」。織田彩子賞。下方に、津波によって陸地にまで持ち上げられた船や散乱した家屋などが置かれ、遠景には山がグレーの中に霞むように入れられている。その実景のイメージに対して、上方は牛骨を中心とした再生のイメージである。正面向きの牛骨は力強く、骨がやがて肉体を取り戻すかのように力強く描かれて、再生へのイメージを発信する。

 髙橋恭子「記念日」。花束を持って立っている女性。彫りの深いその顔はどこか神的である。後ろに白い教会を思わせるような建物が見える。女性の周りは黄土色からオレンジ色までの黄色系の色彩が入れられて、輝くようである。一種の臨界状況までその色彩と取り組む。その張り詰めた精神の、あるいは心の緊張感というものが、しぜんと一人の女性像を神的なものに変える。絵というものが日常生活とは異なったもう一つのヴィジョンの表現であることをよく感じさせる作品である。

8室

 沢藤馥子「春を想う」。大きな花瓶にドライフラワーが挿されている。小さなグラスのようなコップに赤い花が挿されている。その後ろには、細長い円筒形の花瓶に桔梗や釣鐘草の花のような可憐なものが挿されている。秋から春にかける季節を、画家はこの中で静かにうたいあげる。グレーに柔らかな暖色がすこし差されていて、もうそこまで来た春の気配が感じられる。それによって遠ざかっていく冬の気配が背後のドライフラワーによって象徴される。日々の繊細な鋭敏な生活感情からあらわれたコンポジションだろう。

 関口美智子「朝の陽ざし」。テーブルの上の白い花瓶に挿されたミモザの花が神々しいほどの力をもって表現されている。ゴッホは黄色をどうしても必要な色彩だと述べているが、ミモザを描いたこの黄色にも強い無限なるものに向かうような力が感じられる。そこに朝の日差しが差し込み、光線とミモザの花とが一体化して輝く。窓の向こうに建物とこのミモザが映っているような形象があって、その風景を置くことによって逆にこの室内のミモザの輝かしさが強調される。花というより、光が集められて発光しているような魅力がある。

9室

 山本和子「すり抜けられる すき間」。金網が面白く使われている。金網の向こうに映る抽象的な形象。上方では金網の向こうに何もない空間が広がっている。ブルーとベージュと白とが品のよい色彩の響きをつくると同時に、もう一つの世界を背後に暗示する仕掛け、装置ともいうべき空間がユニーク。

 伊東洋子「増殖」。しわの寄ったチューブを組み合わせながら、まさに増殖という題名のような強い動きと無限に続いていくエネルギーを表現してユニーク。

 船津多加子「出来事」。大住閑子賞。正方形のキャンバスにベージュの色彩を塗り、その上にコラージュによって表現している。緊張感とリズム感が感じられる。紙や段ボールを貼りながら、独特の求心的な力、あるいは中心から左右に広がっていく強い波動をつくりだす。あいだにスケッチブックなどが貼られてあって、それを見ると、今回の津波などの出来事からあらわれた精神の緊張、危機感をこのようなかたちで表現したと思われる。

 中嶋しい「雄鶏」。ギリシャ神話に四輪馬車で太陽を運ぶ話があるが、そこからヒントを得たようだ。グレーやブルーのアクリル系の材料も使いながら、車とアポロンの神を線によって表現する。傾斜を動いていく太陽のイメージが清々しく輝かしい。

10室

 小林璋子「カオスモス」。渾沌としたコスモスという意味だろうか。その渾沌としたバックに白やピンクのフォルムが、鳥や花弁のようなイメージとしてあらわれている。そして、静かな音楽が聞こえてくるようだ。水の流れを背景として、祈る心持ちがつくりだしたフォルムのように感じられる。

 後藤玉枝「孤独の砦 ・」。黒人彫刻を思わせるような仮面。巨大な鯨を思わせるようなその骨。そして大きな指。三つのものに取り囲まれるように鳥がいる。鳥にはスカーフが巻かれている。鳥は画家にとってきわめて大切なものなのだろう。そして、ロープがその前で交差し、一つの結界をつくる。フォルムはクリアで、固有色とは違った画家のつくりだした灰白色やベージュによって染められている。穏やかな光がそこに差し込む。強いフォルムにもかかわらず、その光が不思議な、哀愁と言って差し支えないような性質のイメージをつくりだす。鳥は画家のもつ傷つきやすい大切なものの象徴のように思われる。それを中心に置いた不思議な、まさに砦のようなコンポジションである。柔らかな光が不思議な情感をつくりだす。

 倉島芳子「扉―B」。鉄の扉があけられて、その向こうにグレーの空間があらわれる。大きなリングに三匹の猫が取りついて運動をしている。しっとりとした独特のキメ細かなマチエールの中に、この猫は自由な運動をしている。女性の命の象徴のように感じられる。その一種の官能性を秘めた動きが、鉄の扉という強いプレッシャーの向こう側で行われているところが面白く感じられる。官能性の独特のコンポジションである。

 生地京子「帰り道 ・」。海に突き出した陸地に子供や大人がいる。子供が寄り掛かっているのは灯台の一部のようだ。そこに向かって後ろ姿の青年が歩いている。「帰り道」という題名も不思議である。帰ったところがこのような孤立した空間なのだから。手前に裸木が、その孤独者が見たフォルムのように不思議な形で上方にその触手を伸ばしている。

 曽佳恵「チャプチャプ」。鯖の頭やアラなどがクリアなフォルムによって描かれている。小さなものを大きくクリアに描くことによって、現実と非現実との境界領域のようなイメージがあらわれる。

 丸川幸子「One day II(ニューイヤーコンサート)」。オーケストラを演奏するたくさんの演奏家とそれを指揮する人。指揮する人は白いスーツで大きく描かれ、その向こうに演奏家が広がっている。面白いのは、二階にこちらを向いて合唱隊が横に並んでいることである。集合するフォルムが全体で一つひとつ音譜のように扱われて、独特の生き生きとした表情を示す。

11室

 木村節子「『ゆくえ』・」。スリリングな状況のなかに大きな黒い猫が子供の白い猫を抱えて空を飛んでいる。下方には逆円錐形のフォルムがあらわれ、その上方にはタンクやパイプなどが置かれ、火が燃えている。福島原発の寓意化と思われる。周りに散乱する板。下方は深い淵のような海である。いずれにしても、この母性を象徴する黒猫のフォルムが、周りのスリリングなシャープなフォルムと対照されて、独特のダイナミズムをつくる。

 松原津惠子「gateはるか」。しっかりとした石造りの柱。その柱を補強するように周りに鉄パイプがつけられている。入口があけられ、その向こうに茫漠たる大地が広がる。斜光線が差し込み、そこにこの塀が長い影をつくる。空にピンク色の雲が浮かんでいる。光線の性質は夕方の光のようだ。夕日がある強い心理的イメージを託されて引き寄せられる。ノスタルジックな雰囲気が生まれる。華やかであるが、深い悲しいような感情もそこに重ねられている。

12室

 鎌田令子「日の名残 ・」。震災のあとの様子である。屋根はなくなって、地面の上には散乱した椅子や車。上方からクレーンの先が伸びている。そのような様子を一つの存在としてしっかりと描く。もののもつ存在感がこの画面の強さをつくる。

 前田充代「哀花 ・」。豊満な若い女性の裸の後ろ姿が、画面の真ん中に描かれている。手のディテールなど見事である。周りに尖ったガラスの破片のようなものがそれを取り巻いている。危険な災害に対する人間のイメージとして、この裸の女性が引き寄せられている。そして、亡くなった人に対するレクイエムの気持ちとして百合の花が浮遊する。

 香山えみ「生命'12─1」。会員推挙。赤をバックにしてフリーハンドで激しく画面に黄色や白の円弧を描く。アクションペインティングふうなコンポジションにイルミネーションがつけられて楽しい。ジャズのセッションを思わせる。

 吉留和子「深海の楽園」。風景の中に魚やクラゲが泳いでいる。同時に、そこには一角獣もいるし、古い遺跡のような建物もある。また、樹木も生えている。画家のイメージの強さは空気をそのまま水に変容させて、地上のものも水の中のものもそのイメージの住人とした。クラゲにしても歯の尖った魚にしても、ディテールが面白い。そのディテールを組み合わせることによって、独特のもう一つの絵の中の生命体が生まれる。

13室

 井原純子「白い花 ・」。青緑色のバックに灰白色の色彩がほとんど抽象的に置かれて、それぞれの色斑がダンスするようなムーヴマンをつくる。花をそのようなかたちで画面の中に表現する。宙に浮く花の一部は、もうひとつの生き物のように感じられる。強い詩情の表現である。

 関根やえ「河川敷(羽村)」。奥多摩の風景である。水と野原の様子、そして灌木が茂っている。初夏の奥多摩の光景をしっかりと描く。大地の息づいているような、その生命的な表現が、地味であるが、しっかりとした筆力の中に描かれる。

14室

 小島遼「おちる」。九匹の猫が描かれていて、そのクリアなフォルムに注目。猫たちは危うい台の上にいて、一匹は暗黒の中に落ちようとしている。そのまま現代の日本の姿である。

 藤井康子「Late Night Smoke」。巨大な工場から煙が出ている。その幾何形態が画面の中に的確にシャープに捉えられ、独特の動きをつくる。煙の動きと空の雲の動きとが呼応する。手前に水が流れている。その水量のある流れは不気味で、今回の津波のようなイメージが背後に揺曳する。幾何形態をこのような一種感情表現の要素として使う画家の感性に注目。

 吉村よしみ「アシタミタユメ(ゾウ)」。水彩。象のフォルムをデフォルメして描き、そこに様々なフォルムが入れられている。おもに子供たちと猫などの生き物である。接近すると、それがアメーバのように画面の中を動き回っていることがわかる。象の大きな目はそのような生き物を支える母性的なイメージのようだ。独特の生命的な力を画面に引き寄せる。

15室

 黒田真由美「祈り(2)」。紙や段ボールなどをコラージュして、独特の手触りのある画肌をつくり、そこにたらし込みふうな雰囲気で黄土や灰白色の色彩を置く。遠景のフォルムが浮遊して、上方に向かっているようだ。下方の黄土色は黄金色で、深い感情を表す。グレーは寂しい色彩である。黄金色の色彩は深い感情の詰まった井戸のような雰囲気である。その井戸は画家自身の心の井戸と重なるのだろう。そこから画家は作曲するように絵をつくる。画面全体に独特の音楽性が感じられる。不思議なことだが、仏教のあの声明のような深い音楽と同時に、それをバックグラウンドにしてピアノやサックスなどのジャズふうな即興的な旋律が画面から聞こえてくるような思いになる。

 平井由美子「見守る(六甲の山羊)」。水彩の作品。三頭の山羊が描かれて、子山羊が台の上に立ってドアの錠前に首を差し延べて、あけようとしている。不思議なイメージである。手前は両親で、子供が一つ新しい未来のドアをあけようとするかのようだ。そのような山羊が聖書の中のあの子羊のイメージの中にあらわれている。光が差し込んで、その清らかな雰囲気も魅力。

16室

 辰巳ミレイ「刻(帰郷)」。老人が手前に歩んでくる。俯いて、なにかメランコリックな雰囲気である。ヨーロッパの建物を背景に、映画のワンシーンを思わせる。

 髙橋美穂「路 ・」。飯田橋や江戸川橋あたりの神田川を思わせる。上方に高速道路が続き、さらに建物があり、広い運河に船が繫留されている。柔らかなベージュの空。光が静かに差し込む。水がゆるやかに揺れる。その中に幾何学的な船や建物や道路がパースペクティヴの中に構成される。それが都会の叙情ともいうべき雰囲気を醸し出す。

17室

 今井忍「静物 ・」。ほとんどモノクロームの画面で、中にすこしベージュが使われている。静物であるが、柔らかな光を感じさせるところが魅力。

 横田律子「刻(遺きる)」。子供は亡くなって、この室内には不在である。この深いレクイエムの心持ちは、花によってフランス人形を荘厳している。右のほうに階段や建物があって空が見えるが、その構成は、その階段を通ってはるか空の彼方に子供が行ってしまったといったイメージも感じさせる。

 照山ひさ子「Domani14°」。イタリアに最近しばらくいて、その古い歴史と出会って、そこからインスパイアされるものが多かったそうである。生活と宗教性である。この作品もイタリアの土を合わせてつくったような茶褐色の壁のような色面が面白く、そのあいだに空を思わせるコバルトブルーが置かれている。そして、白い綿毛が飛ぶ。歴史とそこに生死を繰り返してきた儚い人間の命といったイメージが感じられる。そんな視点から生命をいとおしむようなイメージが星のようなイメージを引き寄せる。

 黒沢典子「重なる A」。テトラポッドが構成されている。一つひとつのテトラポッドは一つひとつの女性の体のように思われる。その体が散乱していることが、今回の津波に対する深いレクイエムの心持ちと重なる。画家独特の柔らかで強いマチエールによって、一つひとつのテトラポッドが表現されている。

18室

 斎藤由比「オフェリアの花―野ばら」。池にたくさんの花が浮いている。それを囲む周りの樹木や白い花。水に木の影が映って、さざなみが立っている。オフェーリアが水面に浮かんだ有名なヴィクトリア時代の作品があるが、この作品はそんな先輩の絵からも影響を受けながら、自分のオリジナルな世界をつくっている。オフェーリアはここには描かれていないが、そのオフェーリアを悼む心持ちが花となって画面にあらわれている。一つひとつの花がオフェーリアの可憐な心持ちそのもののような雰囲気で描かれていて、悲しいと同時になにか深い感情表現となっている。もっといえば耽美的と言ってよいような、そんなイメージがあらわれているところが実に面白く感じられる。

19室

 松本裕子「アガリコの森 ・」。アガリコとは仏教用語で、普遍とか不滅という意味である。だから、不滅であると同時に普遍的な森という言葉になる。その象徴として、この不思議なアルカイックな樹木が引き寄せられる。樹木というより、その根は足のようにも見えるし、立ち上がる幹はたくさんの腕のように感じられて、まるで動物のようである。そこに数羽の鳥がとまったり飛んでいたりする。木がこの鳥たちを生かしている。その筆力に注目。

 縣麻利子「不確実な生」。粗末な盥のような木造の船に女性は乗って、折れた釣竿で海で魚を釣ろうとしている。そばには傘やゴルフケースや鳥籠などが置かれている。まさに不確実な生、困難な人生を一人で漂流しているようなイメージ。それが突き放したようなこのコンポジションによって、ユーモアのなかに描かれているところが魅力である。小説のカバーにでもなりそうな、そんな文学性も感じられる。

 鎌田沙耶「illusion」。夜の都会のシーンである。高層ビルやその他様々な建物が立ち並び、窓から見える光が魅力的に描かれている。遠近感の中にその光が置かれていて、光であると同時に牡丹雪が光となって画面に充満しているようなロマンティックなイメージも感じられる。接近してみると、細密的な描写ではなく、全体を大きくしっかりと捉えながら作られたコンポジションである。ゆるやかなムーヴマンが画面の中にあらわれているところも心地よい。

 森幸子「ブランコのある風景 2」。無人のブランコが揺れ、竹トンボが飛んでいる。それが遠近感の中に表現されている。手前には床に青いストライプがあらわれ、そこに子供の足。背後にはオレンジ色のストライプがあって、そこにも人間の足がシルエットにあらわれていて、白いワンピースを着た少女が走っている。今回の津波でこのような大切な人が別の世界に行ってしまって、ただ無人のブランコが揺れているといったイメージなのだろうか。優れた造形的感性による表現だと思う。

 藤井良子「明日へと紡ぐ(・)」。彫刻家のアトリエである。女性彫刻家がモデルを前にして、その首を作っている。背後の棚にはたくさんの首や座っている全身像などが置かれている。キュービックな処理によってフォルムのエッジを立てながら構成する。暖色系の色彩の中に朱やオレンジ色が静かに輝く。

20室

 高山博子「生命の華」。聖母子像である。サリー姿の女性が子供を抱いている。その女性のそばの人が白いサリーをまといながら、蓮の花を思わせるフォルムを両手で支えている。祈りのイメージである。誕生を鑽仰し、その未来を祈る。全体に使われた金がそのようなイメージをより増幅させる。二人の女性の柔らかで力強いフォルムがこの構図の軸になっているところも魅力。

 遠藤美智子「春雷」。背景に津波にあったと思われる壊れた船があり、手前に看護婦の写真を胸に抱く若い女性が描かれている。津波に必要な看護する仕事。そのナースの写真を見ると、母親がナースであった時代、あるいははるか昔の戦争の時に看護婦として戦場の後方で働いたようなイメージがあって、震災と第二次大戦中の日本の困難な状況が響き合っているように感じられる。そのようなイメージを強い構成の中に表現する。

 大久保孝子「待つ ・」。女性が左手に鍵を持って上方を眺めている。背景には風景の中に鹿や馬などのフォルムが見える。そして、上方の空を白い鳥がリングを持っていまこちらに来ている。リングはいわば円環といった意味で、秩序の回復や幸せというもののメタファーのように感じられる。その下方の女性のもつ鍵はそのリングときっとフィットするのだろう。希望をこのようなコンポジションの中に表現する。青いバックの中に、女性の白い肌が浮かび上がる。風が吹いているように感じられる。

 松原紀子「海鵜の行方」。壊れかかった船に少女が立って上方を見ている。周りは海で、鵜が飛んでいる。震災に負けずに新しい命を育むといったイメージだが、クリアなフォルムが力強い。

 岡村えみ子「路地裏の鼓動」。段ボールに酒やワインなどの空瓶が積まれている。壁には水道栓が一つ。茶褐色の色彩を中心として独特の質感を表現する。廃棄されたものが大切なもののように描かれている。それはそのまま生活を尊重するというイメージにつながっていく。廃棄されたものを柔らかな雰囲気の中に描きながら、生活の歌ともいうべきテーマを表現する。上方の水道の栓は使われているものか使われていないものかわからないが、イメージの源泉のような象徴的なものとしてあらわれているところも面白い。もし水道栓が壊れているのであれば、もう一度それを復活させようとする強いイメージも感じられる。

 西山典子「オレンジ色の時間」。ベッドに中年の女性が仰向けに裸で寝ている。そばの鏡台に猫がいて、左足を出しながら猫とこの女性は会話をしている。昼下がりのアンニュイな時間に対して、鏡にはパレットを持つ自画像がある。絵を描く時間と安息の時間。二つを重ねながら、また、二つを一つの画面に統合しながら、同時にそういった統合を描いているという画家自身の意識がしぜんと浮かび上がる。フォルムの強さと発想のユニークさに注目。

 藏元玲美「白昼夢 ・」。座った若い女性の姿を横から描いて、そのフォルムが強い。左手の先に悪夢を食べるというバクがいる。コンポジションがユニーク。

 井川雅子「自分の生きる意味」。両手を広げて左足を立てて座るポーズの裸婦。その上方には仰向けに横になった裸婦がいて、十字形のコンポジションをつくる。マチエールの強さと伸び伸びとしたデフォルメされたフォルムが一種の官能性と生命感をつくりだす。夢見るようなイメージと命の源泉を引き寄せようとするような力があらわれているところが面白い。

 村田悦子「PUEBLO」。プエブロとは街という意味。茶色の瓦屋根と煉瓦を積んだような素朴な建物が集積している。その建物の集合を面白くデフォルメして構成し、遠景に鋭角的な山頂を見せる山の連なりを描く。山と建物と手前の橋とがお互いに連携しながら左右に動いているような動きがあらわれる。下方の道に犬が一匹いる。窓に洗濯物や花などが見える。フォルムがお互いに肩をつなぎあって全体で合唱しているような生命感やムーヴマンの感じられるところが魅力。

21室

 沼賀美妹「時…・」。室内に四、五歳と思われる女の子が座っている。戸外には樹木が立ち、夕日が差しているようだ。その光が室内に入ってき、室外にいる子供と室内にいる子供とが対照されている。ドローイングする強い力によって自然に囲まれた室内の情景を生き生きと描く。

 小林玲子「刻(遊びの後)」。砂場にシャベルやミニカー、ボールなどが残っている。何もない砂場に起伏があり、光が差し込んでいる。子供はいないが、この砂場が聖なるものとしての性質を与えられている。中心の内側から光が滲み出てくるような雰囲気。子供のいない砂場をそのような存在として表現している。子供との繰り返された時間がこの砂場にたまっていて、その情愛が砂場からしぜんに逆に滲み出てくるようなイメージに注目。

22室

 北村倫子「響き(・)」。画面の中心に母親がいて、そばに豚を引き寄せている。その下に仰向けになった子供がいる。子供の守り神のような雰囲気で豚を置き、周りに縞馬や様々な鳥、昆虫が集まってきている。自然との接触を回復させ、自然と共生するイメージを緻密な様々な動植物を集めることによって表現する。いわば聖母子像の中に母の分身のように豚が王冠を頭に置いて出てきているところがユニーク。

第91回朱葉会展

(6月29日~7月6日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 原木光子「時」。遠景に白い大きな遺跡が聳えている。近景には色とりどりの花が咲いている。かつて栄光を極めた時代を思わせる建物がいまは廃墟となっている。それに対していまを盛りの花々が対照される。青を中心として赤系の色彩が生き生きと輝く。

 浜口美和「自然との会話(悠久への願い)」。二本の樹木が立って黄色い花を咲かせている。その周りを鳩が幾羽も飛んでいる。下方を見ると、海の中に陸地が伸びていることがわかる。その海と上方の空とは一体化している。青い空と海に囲まれたこの二本の樹木は、自然というものの象徴であり、その周りを飛ぶ鳥は自然の中に生きるわれわれの象徴と言える。穏やかなハーフトーンの中にゆるやかな動きが生まれる。

 村山和子「旅人の詩」。ピエロが黒い衣装をつけて踊っている。背景に宮殿のような建物が見え、それを白い空間が覆っている。上方の空は暗く、下方は黄色い色面で、大地と昼と夜という二つの時間がしぜんと感じられる。あるいは、この白い空間は時間というものの象徴なのかもしれない。流れていく時を様々な性質の色にたとえると、それをすべて集めると一条の白い光線になる。来し方を振り返ると、その茫漠たる晒されたような白い風が吹いているのかもしれない。そんな、どこか哀愁に満ちた雰囲気である。時のはざまに立つ人間的イメージを静かにピエロを通して表現する。

 田中信子「楽園にさす影」。朱葉会賞。樹木の幹や枝、葉、あるいはカラスなどのクリアなフォルムが面白い。いちばん近景に赤茶色の帽子をかぶった大きなカラスの顔がある。どこか禍々しく不吉なイメージである。若葉が茂る瑞々しい未来に向かう季節の時に、このカラスは暗い影のようなイメージを醸し出す。人間の無意識の本能のような力を象徴するように二匹の猫がいて、その猫がカラスのほうを眺めている。擬人化されたカラスの顔も面白いし、二匹の猫の表情も面白い。幹に階段がつけられて、上方のうろの中にリスの巣がある。下方の地面に接するうろには、いま生まれたばかりの雛がいる。その雛は巣立つのだろうか。その意味では、緑に茂りつつある樹木の後ろ側、中景に裸木が立っていて、その木は寂しく、もう葉をつけないような荒廃した存在のように感じられる。上方に目を向けると、葉の中に梟がとまっている。その梟の謎めいた表情が、この下方のドラマを統合しているようにも感じられて面白い。

 小林康子「一炊の夢 ・」。一炊の夢とは邯鄲の夢と一緒で、一眠りのうちに一生を見てしまう。題名を見ながら、この樹木のあいだにいる象を見ると、なにかあやしい気持ちになる。手前には若い女性が立っている。たしかに象というのは長く生きて、一生という長い時間を象徴するものがあるだろう。その象が考えこんで立ち止まっている様子。立身出世を夢見て一生を努力して過ごすのも田園で静かに暮らすのも、人生の価値は変わらない。そんな自然に目を向けたところからあらわれた、自然の中に生きる生き物の象徴ともいうべき象が樹木のあいだに見え隠れする。

2室

 井上禧美子「木かげのアフターヌーン」。大きな木の周りに幾つも白いテーブルが置かれている。後ろにはお洒落な小さなレストランがある。白いテーブルに若いカップルが座って、これから食事をしようとしている。夏が終わり、秋がすでに来て、徐々に紅葉しはじめる頃の爽やかな季節の森の中のレストラン。その一隅にいるカップルやレストランのボーイ。リラックスした雰囲気で、ベージュ系の色彩、緑の色彩、あるいは赤やオレンジの色彩が静かに響き合って、雅やかな安息的な雰囲気を醸し出す。夢の中のレストランといった趣もあって楽しい。

 倉繁貴志子「望」。砂丘がうねうねと柔らかなカーヴをつくりながら海に向かっている。遠景には水平線が見え、青い海がのぞく。空には二つの白い雲が浮かんでいる。夢のような風景である。瞑想しながら未来を望む。現在が消えて、時間だけが眼前に広がるような雰囲気で、そのコンディション自体がなにかシュールな気配を呼ぶ。

 齊藤朝江子「残照(ざんしょう)」。枯れた向日葵が近景に幾本も立っている。遠景にはお城がある。そのさらに遠くには集落がある。そのあたりはベージュの暖色系の色彩によって表現されている。手前のうなだれたような向日葵の群れ。しかし、まだ昂然とこうべを上げて花びらをつけている向日葵もある。その向日葵の集団が若い人や老人など、年齢を超えた集団のように感じられて、ヒューマンな表情をたたえている。

 内野典子「韻(ひびき)」。洋梨を持つ男が手前にいる。背後に女性が耳に手を当てて何かを聴いている。後ろに船が二艘。その向こうには島がある。この前は海が荒れて津波となって東北を襲ったが、穏やかなときの海にはまた違った魅力がある。海という不思議な存在を聴いているような、ロマンティックな味わいが興味深い。手前の緑の洋梨も小鳥のような生き物のように感じられる。青を中心とした柔らかな色彩のグラデーションを背景にして、暖色の二人の肌の色が静かに輝く。

 田島時江「午後のカフェ」。赤い廂の下、戸外の広場にテーブルや椅子が出ていて、たくさんの人々が座っている。柔らかな光が差し込み、人々を黄金色に染めているような雰囲気。オレンジ色や黄土色などの色彩が輝く。午後の斜光線の中に人々がいる。光の中に印象派風に色彩を分解するのではなく、固有色がそれぞれ輝きながらそこに風が渡っているといった雰囲気。そんなレストランの様子を生き生きと、ある輝きのなかに表現する。

5室

 角谷美代子「画室」。画室の中に女性が立って、後ろにランプや壺などの静物のモチーフが組んである。静かな雰囲気のなかにキメ細かいマチエールによって、この人物やものたちの表情を眺め、その音色を聴いているような、そんなスタンスが興味深い。

 宮本紀子「ブディック(スベルノスト.ロード)・」。画面の中心に女性が立っている。後ろにはいろいろな店があるようで、緑や黄色、赤などの色彩がちりばめられている。その後ろにはブルーで建物のようなフォルムがいくつも見える。その上方には赤い色彩があり、はるか向こうに三つの建物がのぞく。イメージの中の街。その中のレストランや花屋や小間物屋、その前に立つ女性といった趣で、独特の色彩の輝きのあるところが魅力。

7室

 杉本登暉子「川沿のみち」。川が静かに流れていて、その岸辺に白い犬を連れたワンピースの女性がいる。対岸にはピンクの屋根に白い壁の洋館が光を受けて輝いている。ヨーロッパのある田舎の光景のように感じられる。上品で雅やかな雰囲気。ルノワールなどが生きていた時代のフランスの田舎に画家は暮らしたことがあるようなリアリティがある。自分自身の経験をキャンバスの上に再現するうちに、ドラマがだんだんと展開していく。現実の時間とは違った時間が画面の中を流れている。それによって、この不思議なときめきのような雰囲気やムーヴマンが生まれるのだろう。イメージの力によってつくられた世界が筆者を引き寄せる。

8室

 服部州恵「園」。一本の樹木が画面の真ん中から伸びて、枝を広げ、白いコブシの花が咲いている。その下に三人の女性がいるが、金髪の一人の女性の三体なのだろう。ロマンティックな女性の世界で、かぐわしい香りが漂ってくるようだ。面白いのは、向かって左の女性が腰をかがめて水の上に手を差し伸べていることで、その下に水が波紋をつくっている。世界に何か新しいことが起きつつあるような予感がドラマの序章のようなイメージをつくる。耽美の作風である。

第59回全日肖展

(6月29日~7月6日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 大村明利「Sさん」。樹木の幹を輪切りにしたものが積んである。そこに若い女性が座っている。すこし足を開いて、そのあいだに両手を置いたポーズ。光がスポットライトのように当たり、背後は暗い。すこしバロックふうな光の扱いのなかに若い女性の生命感を引き出しながら、この女性のもつ魅力を描く。強いマチエールもまた魅力。

 東強「ヒマラヤシリーズ 卓瑪」。衆議院議長賞。馬と女性。馬も人も野生の中で生きているような強さがある。そんなフォルムを強く生き生きと描く。

9室

 工藤孝城「少女」。銅賞。少女の顔。目や鼻や唇のディテールが生き生きとして愛らしい。バックは暗く、黒髪に薔薇の飾りがつけられている。

第24回現代パステル協会展

(8月2日~8月10日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 西原直子「モンマルトルの夕暮れ」。モンマルトルの寺院に向かう階段を少し斜めから描いている。線と色面をうまく扱ってやわらかく描いているところに好感を持つ。特に青や緑、紫といった寒色系の色彩が心地よい透明感を作品に与えている。陰りのある階段を登ったところに女性がひとり立っていて、それが一つのポイントとなって作品に物語性を与えてもいる。

 一の瀬洋「京浜工業地帯」。一の瀬作品といえば雪景が多いが、今回は夕陽に染まる工場街の風景である。下方に工場の屋根が覗いていて、その上方、ちょうど画面の中央にもう一つ矩形で区切った空間がある。太陽はその中にあるのだが、その矩形の内側と外側では時間の流れが少し異なっているようだ。過去と現在を行き来するような、ノスタルジーと共に、独特の色彩感覚が鑑賞者を惹き付ける。

 松田登「スケッチの旅終えて」。画面に大きく画中画を描き、その手前に数枚のスケッチとカメラが置かれている。描かれている街並みの、燦々と降り注ぐ陽の光による明るさが心地よい。特に連続する明るいオレンジの屋根が印象的である。スケッチには、この街に訪れた時のラフがいくつも描かれている。そのスケッチもまたしっかりと描き込まれていて、この画家の制作に対する誠実な姿勢と確かな描写力が伺える。

 岩井弘則「女」。裸婦を独特のデフォルメで描き出している。身体のフォルムの線を力強く、しかし繊細に捉えているところが見所である。表情やポーズなどがどこか妖精的でもあり、背後のブルーの色彩と相俟って、幻想的な雰囲気も漂わせているところが、印象的な作品である。

 さきやあきら「烏瓜」。細やかな描写で垂れ下がる烏瓜をモチーフに描いている。茶系とグレーの色彩で淡々と纏めながら、画面の中に漂う静謐な気配が特に鑑賞者を惹き付ける。細い蔓の伸びやかな様子、実の量感など、確かな筆力で画面上に存在感を持って描く画家の技量に感心する。

 細野基子「飛鳥・緋」。暖色系の色彩を中心に自然の雄大さ、過去へのロマンを作品に引き寄せている。一番手前に赤、そしてピンク、黄と使い、その周囲にはブルー系の色彩を施している。強いイメージの力を感じる。

 岩崎光子「花の精 No.11」。画面の中心に浮かび上がるように描かれた白い花々が強く印象に残る。そこから赤や青、暗色の空間が広がって行っているようだ。どこか霊的な気配さえ感じさせるような、独特の幻想的な魅力を湛えている。コクのある色彩の扱いにもまた注目した。

 宮﨑雅子「青丹よし」。現代パステル協会大賞。自然の持つ豊かな生命力が、画面を満たしている。軽やかに色彩を置いていきながら、センス良く画面を構成している。ポジティブで鑑賞者を元気づけるような、強い吸引力を持った作品である。

 山口美枝子「再生までのひととき」。束ねた藁と空き缶の入ったバケツなどが大きく描かれている。画面の左側から差す陽の光を受けたその表情が、実に繊細に描かれている。また、それによる右側の深い陰翳も魅力的である。モチーフの存在感を強く描き出しながら、画面全体で仄かな温もりを感じさせるところがよい。

 髙木匡子「luce」。青みがかった画面の下方手前に、様々な植物の姿が見て取れる。右上にはアロエが花を咲かせている。そして遠景には海が見えるようだ。津波に流された後の光景だろうか。どこか物寂しげな雰囲気が感じられる。しかし上方からの光は明るくやさしい。希望と絶望とを一つの画面に内包しているような、奥行きのある作品として注目した。

2室

 小林順子「haha」。母と二人の子供の肖像である。子供たちは母親に寄り添い、その母親はまっすぐに前を向いている。子供の母に対する信頼感と母の子供を守ろうとする愛情と勇気。そういった深い母子の精神的な結びつきが、作品の奥の方から強く発信されてくる。

 藤﨑典子「待つ」。青と緑の色彩を繊細に変化させながら描いている。やわらかな線でアクセントを入れながら、見応えのある画面を作り出している。画面の中心の少し明るくなった部分から周囲に広がっていくような、広がりを持った空間に鑑賞者を誘い込むような魅力がある。

5室

 粷谷直美「WONDER LAND」。会友推挙。不思議の国のアリスをモチーフに描いている。樹木にもたれかかったアリスを中心に物語に登場する様々なものが描かれている。それらは作品内で浮遊しており、画面全体で伸びやかで楽しい雰囲気を作り出している。楽しくユーモラスな作品である。

 三宮京子「明治の赤煉瓦」。赤煉瓦の建物をじっくりと描ききっている。特に壁の様子が味わい深く印象的である。構図もしっかりと決められていて、見応えのある作品となっている。

8室

 塩川久代「水面」。会員佳作賞。小川の一部分をかなり接近して描いている。勢いのある筆致でぐいぐいと描きながら、画面全体をしっかりと纏め上げている。確かな絵画的センスを感じさせる。

 田村公男「漁村の情景」。賑わいを見せる漁村の市場の風景を軽やかに描き上げている。淡い色彩を使いながら、画面全体にドリッピングによってアクセントを付けている。市場の喧噪がそのドリッピングの効果もあって、こちら側まで聞こえてくるようだ。見ていて気持ちの良い作品である。

第13回日本・フランス現代美術世界展2012

(8月8日~8月19日/国立新美術館)

文/磯部靖

3室

 冨美七朗「閉塞」。重厚なマチエールの画面に、画家の深い心情が描き出されている。画面の中央に大きな角の丸い矩形があり、それは深い暗色で描かれている。丸い突起や線がいくつもあり、どこか触れるのをためらわせるような気配がある。全てのものがこれに凝縮して行くかのような、内へと向かう吸引力が印象的である。深海の底で静かに呼吸をするような、独特の魅力がある。

 姜賢三「池の辺」。瑞々しい明るい緑の色彩が気持ちよい。水面から岸へ向かって生える草や岩肌など、伸びやかなタッチで捉え描いている。奥の木立の方は、どこか抽象的な様子で表現されているところもおもしろい。豊かな魅力に溢れた風景作品である。

4室

 中村マヤ「MOMENT-17」。ビルの外壁を細やかでシャープな線で描いている。左上方に向かって昇っていく非常階段が独特の調子を作りながら、そこに少し、右に傾いた建物の外壁がさらに重厚さを加えている。複雑な画面構成でありながら、小気味よいリズム感と共に画面全体をうまく纏め上げている。

9室

 宮尾美明「花咲く頃」。赤い花の置かれた丸テーブルに両肘をついて物思いに耽る女性を正面から描いている。丸みを帯びた女性のフォルムが、なんとも魅力的である。鮮烈な赤の色彩とモノトーンの色彩が、作品に見応えのある緩急を付けているようだ。静かな心理劇が鑑賞者の興味をそそる。

11室

 青山繁「ほのよかな日」。鯉の泳ぐ池を俯瞰するような視点で描いている。水面には波紋が広がり、睡蓮の葉が浮いている。鯉のでっぷりとした量感が特に印象的である。視点と水面との距離感、水面と鯉との距離感などを繊細に注意深く描き起こしているところに特に注目する。緑がかった背景の中で、鯉の朱の色彩も鮮やかに映えている。

 永名二委「外房讃歌」。荒々しい岩肌に打ち寄せる波濤が迫力である。特に反り返ったように飛沫を上げる波の勢いと手前左側の然とした岩の存在感の対比がおもしろい。濃墨と薄墨の明暗によって、画面に確かなドラマ性が生まれている。水墨画ならではの演出と表現だと思う。

 衛藤壮市「tout ensemble...et. ...であると同時に」。コラージュをしながら、気持ちのよい画面を作っている。どこか楽しげな演奏が作品の中で奏でられているかのような、豊かな音楽性を感じさせる。大小の矩形をうまく配置して、高音から低音、弦楽器や管楽器といった重厚でありながら軽やかな、深い魅力が印象的である。

12室

 熊谷睦男「延年の舞・老女〈鎮魂・〉」。天上世界を思わせる仏たちの姿を背景に、仮面を付けた老女がゆっくりと舞を舞っている。グレーの色彩をバックにした画面は、幽玄の時を感じさせる。深い祈りの心情を感じさせるようなそのゆっくりとした舞は、死者の魂を天へと導いているようだ。確かなデッサン力の中に、そういった画家の深いメッセージが感じられるようで注目した。

13室

 高田墨山「我心」。力強い動きと共に書かれた言葉が、強い吸引力を放っている。濃墨が少し地に滲み、微かな余韻となって鑑賞者を惹き付ける。様々な日常の出来事を受け止めるかのような釣り鐘形の構図が特に興味深い。

 大波久夫「伝説の集落」。画面の下方に濃墨、上方に薄墨を使い、広がる風景を描いている。その中心にはピンクや緑などの色彩が少しだけ置かれている。強いイメージの中で描かれた村が、その姿をほんの少しだけ現して来たかのようだ。どこか幻想的な雰囲気を感じさせるところが特におもしろいと思う。

第49回近代美術協会展

(8月21日~8月30日/東京都美術館)

文/高山淳・小池伊欧里

1室

 田隝佳子「庭のリズム」。ベニヤや段ボールを支持体に、滑らかに加工された木の枝や陶器のプレートなどがコラージュされている。黒と赤が基調となっていて、庭そのものの緑や土というよりは、子どもがちょっとワクワクするような雑然とした庭の暗がりや、そこに潜む精霊的なものが表されているようだ。大小の楕円型が無数に描かれ、様々な出来事が凝縮された一日の庭の時間を刻んでいる。(小池伊欧里)

 藤岡絵里「生還」。百号を横に二枚合わせた大作である。右上の円弧の世界と左下の円弧の世界が対置されている。あいだに紫の空間があらわれる。その左下には紫の球体があり、右上には青い球体があり、あいだに赤い球体がある。赤い球体はその二つを往復している。題名から察すると、向こうに行くと死の世界で、手前に来ると生の世界ということになるだろうか。そうすると、中心にある紫は三途の川ということになる。ただ、それをもっと抽象的な空間、ダイナミックな宇宙的なイメージのなかに描いているところが面白い。生と死を画家はその強いイメージによって、このような二つの空間を置くことによって表現した。そして、紫の穏やかな調子と死の悲しいイメージ、あいだの生を思わせる、血の色を思わせるような赤い色彩が画面の中に静かにその色を発しながら動いていく。独特のコンポジションであり、ダイナミズムであり、しかもそのダイナミズムの中にある深い祈りの心象とも言うべきものがそこに重なっているところが面白い。(高山淳)

 西炎子「パッション1105」。黒い大きな十字形が、淡い水色を巻き込みながら画面いっぱいに広がっている。鳥が羽を広げて滑空しているかのように見える。その影のように褐色の色面が広がる。ポイントとなっているのは画面の奥底から込み上げてくるようなレモン色で、この色面によって全体がより大きく強く拡がっていくような印象に仕上がっている。感情の爆発と統治が混在したような狂おしさがある。(小池伊欧里)

2室

 山浦修治「化石の森」。グレーの画面に色とりどりの色彩が集合し、大小二つの円弧が幻想的に表れている。よく見ると地面と林立する樹木のシルエットが描かれていて、その森の中の一点が強く光り、そこに様々な光が引き寄せられている。強い光をコアにして大きな円が形成されているのだが、それは銀河が集積した宇宙のようだ。光の中に紛れる蛾のようなフォルムも幻想性を高めている。静かながら宝石のような輝きを持った作品である。(小池伊欧里)

4室

 柴田恵美子「EXPANSIVE」。人間の情動、心の動き、精神世界を実体化させて描いているようだ。これまでの岩礁や洞窟のようなイメージから、今回は波のうねりのようなイメージに変化している。何れにしても強いイメージである。無数のロープと、水面に散った花びらのように白い小さな円が滞留している。ロープは今にも這って動き出しそうな気配を帯び、動的でダイナミックな画面である。混乱しながらも、人々のつながりを求める気持ちが、この意志を持ったようなロープに重ねられる。(小池伊欧里)

 中野宗夫「街の詩」。無数の色面による分割と線書きによる分割によって、密度のあるコンポジションが生まれている。灰白色やハーフトーンを軸に、所々赤や緑でアクセントを作りながら、全体を薄い青でグレーズしているような色調である。家々やビル、広場などの街の風景を様々な角度から捉えて一つの画面に歌い上げる。今回は特に、街が中央から螺旋状に拡がっていくような感覚を楽しむことができた。(小池伊欧里)

第50回記念全展

(8月21日~8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 家田保「夜明け」。海の向こうからいま太陽が上がっている。その強い光がこの瓦をのせた民家を輝かせている。グレーの中に朱色が入って、実にロマンティックな雰囲気をつくりだす。

2室

 城所克美「春の清水門」。特選。花が咲いている。左下には石垣のようなものが見える。古いお城の一部が公園になっているのだろうか。点々と人が立っている。どこか文人画を思わせるようなムーヴマンが感じられる。緑やピンク、黄土などの色彩が使われているが、そのベースにあるのは墨によるデッサンの力だと感じられる。

 風間徹志「春近し」。文部科学大臣賞。瓦屋根の二つの古い建物の間を道が続いている様子が描かれている。しっとりとした壁や瓦屋根の調子に対して、いま差し込む光が静かに輝いている。歴史と今という二つの時間がしぜんと感じられる。

4室

 鈴木文雄「眺望三山(湾岸)」。海岸の風景。静かに寄せてくる波とその海岸に立つ青い建物。はるか向こうにはおむすびのような山がのぞいている。いま日が昇って空をピンクに染めている。ゆったりと繰り返される時間。きょうもまた日が昇り、一日が始まる。敬虔な心象を風景に託して表現する。

 田村誠司「虚構の部屋―予兆―」。四人の女性がほとんど裸で座ったり立ったりしている。その様子が実に愛らしい。横尾忠則の浴槽シリーズを思わせるところがある。右下には犬が顔をのぞかせ、女性のそばには黒い猫がいる。深いイメージの底に降りていくところからあらわれてきた妖精のような女性たちが鑑賞者を引き寄せる。

5室

 大林せつ子「『富士遠望』湘南海岸より」。画家は湘南に住んでいるそうだ。江ノ島の向こうに富士が幻のように見える。そしていま太陽が昇ってきた。画面全体が赤く染まっている。上方の赤と黄金色の太陽を見ていると、その赤はいわば古代朱のように思われる。懐かしい赤で、それは装飾古墳などにも使われている朱色で、いわば呪術的な力をもつ赤である。懐かしさと同時に厳粛でもあり、また祈りの性質をもつ朱色がいま空にあらわれ、その放射する光が弱められ、海をオレンジ色に染めている。独特の厳粛な宗教的なものを背景とした空間があらわれているところに感銘を受ける。

 小山隆司「異形の薬師如来像」。全展金賞。東北には貞観時代の仏がたくさんあるようだ。今回の津波を経験すると、そんな九世紀につくられた、この豊かな体格の仏がにわかに近く感じられる。座っている薬師如来の堂々たる体躯はそのまま強い信仰心のあらわれである。そんなイメージをしっかりと画面の中心に表現する。

9室

 六浦和宏「工場のある風景」。工場を遠景に置いて、近景に葉の落ちた枝が伸び、その先の梢にわたる形が、生き生きとしている。その枝から梢にわたる様子を見ると、冬のメロディが感じられる。そこに一種の詩情が漂う。

第48回白士会展

(8月22日~8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 松本共子「セーヌ河畔」。セーヌ川に接する建物と樹木を描いている。左上方には水の中から樹木が立ち上がってくるような独特のエネルギーとパワーを感じる。地面を描いていないからなおさら樹木の生命力が水を背景にして浮かび上がってくる。それに近景の尖塔をもつ建物群が対照される。内側からせり出してくるようなムーヴマンが面白い。

 梶浦朝子「馬頭壁の村」。白士会賞。日本画独特のマチエールの上に淡々と古い民家の集落を描いて、しっとりとした雰囲気である。形を一度クリアにデッサンしながら、画面の上では全体が空気の中に溶け込むように表現されていて、そのトーンの変化もまた魅力である。懐かしいふるさとの雰囲気が漂う。

 中根强司「ベネツアの店」。 白い壁に入口のドアが見える。そばには矩形の窓がある。仮面がのぞく。天使のような羽をもった仮面や角をもった仮面、あるいは蠱惑的な女性の顔、狼のような顔、様々な顔が集合して、千年以上の歴史をもつヴェネチアの古都の妖しい独特の雰囲気があらわれる。この白い壁や手前のグレーの舗道をバックグラウンドにして、時間の中に生きてきたものたちの命の如きものが立ち上がって、独特の会話をしているように感じられる。そのような文学性が面白い。

 田中恭子「租界2011」。 煉瓦を積んだ古い建物の一階がくり抜かれて、下が道になって続いていく。ヨーロッパにはこのような建物と道との連結した様子がよく存在するが、これは中国のある租界風景である。すこし黒ずんだ様子で時間がしみ通ったような街の雰囲気が表現される。自転車や洗濯物などもあって、濃厚な庶民の生活感がそこに漂う。一種触覚的な力でもって対象に迫る。

 島田万亀子「記憶を紡ぐ」。 金髪の若い女性が立っている。周りは白いトーンで、あいだから植物や鳥や蝶などが浮かび上がる。ロマンティックな雰囲気である。画家独特の触覚的な力が十分に発揮されて、平凡な一人の若い女性が妖しいミューズのような雰囲気である。紫やピンク、緑、赤に対して黒と白のトーンが入ってきて、色彩ははなやかで、一種の香りのようなものを漂わせている。金髪であるが、日本人独特のキメ細かな肌をもつ女性が描かれている。蠱惑的な女性像である。

 渡邉美代子「陽のあたる路地(ナポリ)」。 東京新聞賞。建物と建物のあいだに細い路地がある。両側の建物とそのあいだの暗い路地。路地を通っていくと、突き当たりはT字路になり、突き当たりの建物は黄金色に輝き、その上方に教会の鐘楼が見える。上方から下方に行くに従って明度がだんだんと暗くなり、人間の生活感が漂う。上方には鐘楼が示すような教会のもつ形而上的な空間があらわれ、下方に庶民の生活が対置される。独特の視点からナポリの一隅を捉える。

2室

 加藤眞惠「風の鼓動(・)」。着物を着た女性が横座りになった様子で画面の真ん中に描かれている。着物の文様が装飾的な空間をつくりだし、その文様がしぜんと雲や山や花などのイメージを引き寄せる。その中にすこし肩まで脱いだ女性の肌が輝く。民話の中から現れてきたような女性の生命的な力に注目。

 伊丹靖夫「放浪の視界」。三枚のパネルを合わせたかたちの大きな画面の真ん中あたりに画家自身と思われる男が立っている。周りはヨーロッパを思わせるような建物が続いていて、素朴な集落になっている。あいだに道があるが、道は途中で消えたりしながら画面全体の中に溶け込んでいく。朱色系の色彩とグレーとによって、独特の妖しい雰囲気があらわれる。空間に加えて時間軸が入ることによって、このイメージが生まれる。記憶の中からあらわれた風景のようだ。記憶の中から引き寄せることによって経験したときの時間軸が失われ、ある心象的な時間軸に変化する。時間軸が変化することにより、空間も変わってくる。すべてが渾沌としたイメージのなかにあらわれ、魂の彷徨しさまようような世界が生まれる。そのピンクのトーンが柔らかくせつなく、しかも独特の音楽性ともいうべき空間をつくりだす。

 鈴木喜家「地韻―幻景―」。中国の桂林に行ったときの記憶がよみがえったのだろうか。垂直に立ち上がる独特の山の連続した様子に対して、どっしりとした高い地面があらわれる。そして、雲海の向こうに見える光景が下方にあらわれる。金と焦茶色、あるいは暗い群青を使いながら、独特の心象風景をつくる。

3室

 早川桂子「サンジミニアーノの表通り」。サンジミニアーノはあの不思議な高い塔の街として知られている。ここに描かれているのは、飾り皿などを売っている店である。煉瓦を積んだ壁の外側に飾り皿がたくさん置かれ、内部にも置かれ、正面にはガラスケースの中にカラフルな大きな壺がある。それらの皿や壺、つまり陶器たちは白をベースにしながら十二色環すべての色彩が使われているような華やかさである。旅行の中に発見したある店の様子が実に生き生きと描かれる。

 杉山博子「祈り」。色彩家である。高い明度の中の黄土色や緑色、白、紫などを駆使しながら、独特の生命感をつくりだす。南のほうの風土に育つ樹木のようなフォルムが、画面の上方を突き抜けて伸びている。その真ん中にステンドグラスを思わせるような窓があらわれ、そのそばに青いワンピースを着た女性が立っている。葉をつないだもの、白い花をつないだものを首飾りのようにつけている。南方幻想といった趣。と同時に、内向的な祈りのイメージがあらわれている。とくに中心のステンドグラスの紫と黄色との補色の対比が、強い信仰のイメージをつくりだす。

 高橋悦子「大英帝国時代の壁(インド)」。下方に果物を持って売っている人々の様子が描かれている。壁のそばの男たちのものを売っている様子に対して、その手前にはもう一人の女性が中心となった、もう一つのものを売っている様子が描かれている。その濃厚な人間臭い雰囲気に引き寄せられる。暖色を使いながら、しっかりと人間たちのフォルムを描き、あいだに果実が輝く。それが画面の下方三分の一で、上方は煉瓦づくりの壁が続いて、上方を突き抜けている。上方の大きな空間が置かれることによって、下方の生活感のあふれる光景が生きる。巧みな空間処理に注目。  

 原田志保「夏の夜」。垂直に立ち上がる林の中に満月が輝く。その月の下方に点々と輝いているものは何だろうか。蛍のようにも見えるし、あるいはもっと向こうにある星座を、イメージの中に引き寄せたようにも感じられる。しんしんとした青い空間の豊かな階調。その向こうに輝く月がまるで魂のように感じられ、夜の自然が深い海のようなイメージのなかにあらわれ、その夜の海の中に月が映っているような雰囲気も感じられる。独特の詩情をも放つ。

4室

 しばた晃伸「静寂の時」。オランダやドイツの建物を思わせるような白い壁と大きな屋根の建物。その前に庭があって、巨大な樹木が亭々と立っている。画面の上方を突き抜けるまでは幹だけで、そのもっと見えない上方に葉が茂っているのだろう。そこを尼僧と思われる人が歩いている。なにか童話の世界に引き込まれるようだ。グリム童話は、フランスやドイツのキリスト教以前のところからあらわれた民話であるが、そういったヨーロッパの古層にある民話的なイメージが、画面から立ち上がってくるように感じられるところが興味深い。

 伊藤壽美「光珠」。夜の海。波が静かに寄せている。それを背景にして白い珠がたくさん描かれ、浮遊している。まるで魂が波を背景にして揺れているような雰囲気である。バックの海の部分に箔などを置いた様子で、その上から墨が掛けられている。そのしっかりとした海の波をバックにして、ゆらゆらと上方に上っていくようにも見える白い珠は実に不思議な雰囲気である。昨年起きた東日本大震災で亡くなった人々に対するレクイエムの気持ちなのだろうか。

5室

 畔栁赫「松林」。松林が描かれている。空は緑で、その下方の松林はもっとくすんだ緑であるが、微妙なその調子の変化が面白い。屈曲しながらこの樹木は立ち上がって、上方では手を広げて空に向かっているような趣が感じられる。風景がそのままある聖なるもののイメージをたたえる。

 武田昭「山間いの古鎭」。階段を上がっていく両側に民家が立っている。古鎭というのは古い街という意味だが、日本の古い街にも共通するような懐かしさがある。金をベースに置いて、その上からフォルムを描く。この古い街の背後から発するような独特の光が感じられる。画面の下辺に子供を抱く母親とその姉。そばにもう一人の女性。いわば聖母子とそれを囲む女性といった趣で、実にその部分が繊細に感じられる。下方にはピンクの花が咲いている。春が来たのだろうか。一種図像的な力が感じられる。また、独特の手触りがあるところが魅力である。いわば画家のつくりだした胸中山水と言ってよい。

 飯田史朗「黎明」。崖の上に立つ建物。城壁のようなものに囲まれた建物群、なかに教会もあるようだ。その茶褐色の古い建物が立ち上がっていく様子が実にダイナミックに強く、ヒューマンに描かれている。崖の上に立っていて、下方には川が流れている。川は蛇行して、左のほうには橋がかかっている。向こうには低い丘があって、その上方に日が昇り、空をピンクに染めている。建物の中の人々はまだ眠っているようだ。そういった光景を画家は目覚めて眺めている。以前イタリアに行ったときのスケッチから起こされた作品だろうが、画家の強い造形的意識はそのスケッチを引き寄せながら、そこにいる人々の中にも想像力の触手を伸ばす。その光景全体を画面の中に描き起こす。単に建物を描いているのではない。その中に暮らす人々の様々な思いがこもった風景が画面に描かれているところからくる静かな強さ、その全体の静かなさざなみのように画面から発する力が、この作品の魅力だと思う。

 三輪昭「湖光」。水墨作品。画面の下辺にU字形に笹が描かれ、その向こうに網が干してある様子が描かれている。さらにそのU字形の向こうには廃屋が描かれている。桟橋の跡なのだろうか。そしてその向こうに琵琶湖が白く光っている。空は水平線のあたりは暗く、その上方はグレーで、たらし込みによる表現となっている。かつて漁業が盛んであった琵琶湖周辺のその環境が、いまは廃れている。そんな様子をいとおしむように画家は表現している。白から黒までの墨の変化の幅が広く、しかもところどころ置かれているそのクリアなフォルムのエッジがシャープで独特である。

 鵜飼千佐子「辺・・」。女性が立っている全身像である。両手を下で組んでいる。線が生きたかたちに使われている。グレーの無地の中に窓らしき矩形があけられ、そこに植物が伸びている。残照の中にいるように女性は柔らかな茜色に染まっている。肖像画でありながら、現実というより、夢の中や記憶の中から呼び戻されて、ここに立たされているような、深いものが感じられる。それを生かす全体のトーンとクリアなフォルムによる空間表現に注目。

 山田繁子「山里の農家」。ナイーヴアートを思わせるような表現である。古い民家の前にニンジンや大根が干されている。白い大根の下にはたくさんの大きな南瓜がある。面白いのは民家の後ろに立つ柿の木で、その沢山の果実がオレンジ色に輝いている。そのオレンジ色の柿の木によって画面全体の風景が活性化する。独特の光を風景の中に描いている。

6室

 白井富子「孫のいるドイツの店」。スタンドのような、絵はがきや本や新聞や小物などを売っている円筒形の店が、きらびやかに描かれている。姉と妹、あるいは中学生くらいの友達と思われる二人の女性がそこに立って、買うべきものを物色している。バックは黄土系の色彩であるが、箔を貼った上での仕事のようだ。明度は明るい。オレンジ色、黄色、明るい緑、明るいグレーなどの色彩が、高いテンションのハーモニーをつくる。上方の文字は南ドイツ新聞という文字らしいが、まさに画家の孫のいるドイツに行って発見した光景で、絵を描くうちに魂の光景のような、そんなイメージに昇華されたのだと思う。

 河村明美「林坑村屋並(中国)」。瓦屋根の並ぶ民家を上方から眺めている。画面の下方中心に小さな水の流れがあり、その周りの小さな道のようにも見えるところは、そこで洗濯をする場のようだ。瓦屋根のあいだから煙が出ている。炊飯をしているのだろうか。ぐっと上方から下方を眺めながら描いたフォルムは強く、独特の圧力とも言うべき力があらわれているところが面白い。無人であるが、そこに暮らす人間の息吹が感じられる。

7室

 柴田晃伸「葦間」。速く流れる水の向こうにたくさんの葦が密集していて、葦と葦のあいだに空いた水のスペースがあり、十字形の構図が生まれている。流れる水に対して垂直に立つ葦は強い雨がふっているような雰囲気である。メランコリックな心象風景として面白く感じられる。

 鈴木三枝子「貴婦人の井戸」。地面を深く掘っていく。そのために階段をつくり、いわば地面の中に何層もの建物をつくったような、そんなインドの遺跡。そして、いちばん下方に地下水がわいてくる井戸がつくられている。その井戸の緑の様子が実に妖しい。上方には地上にあけられた円形のフォルムから見える空が白く輝いている。その空の円形のフォルムと下方の緑の色とが静かに対照される。いわば意識と無意識の世界を図像的に遺跡の中に存在するように表現している。インド人のもつ哲学的なイメージ。その思想。あるいはヨガなどの世界。様々なインドの文化がこの風景の背後に揺曳する。

8室

 田中惟子「生きる」。白士会賞。原生林を思わせるような樹木の様子が生き生きと画面に描かれている。樹木のもつ不思議なカーヴする形が画面の中によく生かされて、独特の生命感をつくりだす。

 中山和子「愛岐隧道」。巨大な隧道。つまりトンネルがテーマになっている。いま隧道に入ろうとする二人の人間。はるか向こうの隧道の出口を背景にした三人のシルエットの人間。なにか強いプレッシャーとムーヴマンのある風景である。この隧道が人生のある時間帯を表すような、そんな象徴的表現になっている。

第8回世界絵画大賞展

(8月22日~8月30日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 寺園俊子「緋色のストールと髪結紐」。風に吹かれる少女を正面から描いている。風は向かって右から左に吹き、纏っている赤いストールが髪結い紐と共に風に靡いている。まだ幼さの残る少女の表情が、何ともいえない切ない雰囲気を訴えかけてくる。

 小林歩「病床の父」。繊細な線描で病床に横たわる男性を描いている。まさにベッドの脇に立った画家の視点で、表情や衣服などその隅々まで目をやっている。父に対する深い想いと共に、光と影、モチーフの質感と量感を描くその技量に感心した。

 山本登志子「shut space」。大賞。九つの木枠の中にそれぞれ瓶があり、そこに様々なものが入れられている。それらは胎児であったり、抱き合う男女であったり、虫であったり、一つひとつがそれぞれの世界の中でドラマを繰り広げているようで、見ていておもしろい。また、右下の瓶だけ割れてしまっているのが、世界の崩壊を思わせて、どこか不吉な雰囲気を醸し出している。いずれにせよ、画家自身の確かなイメージによって描かれた強い説得力のある作品として注目した。

3室

 吉武弘樹「幻想郷」。横長の画面にパノラマ的な風景が広がっている。深い森の中に立つサーカス小屋や遊園地。そこに想いを馳せる画家自身の童心が、鑑賞者を強く惹き付ける。中景辺りに流れる川が少し見え隠れするところも、小気味良いアクセントとなっている。巧みに画面を構成して、自身のイメージをしっかりと描き出している。

4室

 阪元沙耶香「曖昧で儚いもの」。絹谷幸二賞。下着姿で地面に寝転がる少女。そのアンニュイな表情が強く印象に残る。童話の世界に入り込んで、その世界に浸っているかのような、独特の幻想感である。虫たちの細かな動きも鑑賞者の好奇心をそそる。やわらかな色彩の扱いもまた魅力である。

5室

 荒木恵理「おそろい」。裸の少女を二人描いている。どちらにも鼻と口はなく、腕を胸の前で組んでいる。何かの化身のような妖精的な雰囲気が、妖しくもあり魅力でもある。独特の存在感が余韻を残す。

6室

 東田さや「おなかすいたん」。石塀の前に座る犬と少年が素朴に描かれている。犬と会話する少年の表情もおもしろいが、画面全体をグレーの色調でまとめているところが特に印象的である。しみじみとしたノスタルジックな感情を搔き立てる魅力に注目した。

お問い合わせ
  • 株式会社 生活の友社
  • 〒104-0061
  • 東京都中央区銀座1-13-12 銀友ビル4F
  • Tel. 03-3564-6900
  • Fax. 03-3564-6901
[ 美術の窓 ]
[ アートコレクターズ ]
[ ARTcollectors' in Asia ]
[ オンラインショップ・その他 ]