美術の窓

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公募展便り(2012年8月号)

美術の窓 2012年8月号

第26回日洋展

(5月30日~6月11日/国立新美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 栁瀬俊泰「PILGRIMAGE(生きる)」。建物を背景にして数本の樹木がその枝を広げている。葉が落ちたそのフォルムが実に生き生きと表現されている。「生きる」という題名だが、樹木を通して生命の感触を伝える。(高山淳)

 小間政男「五月晴れ」。冠雪の山。黄金色の雲。田植えを始める前の田圃。家。フォルムを大づかみに集めて田園詩を表現する。(高山淳)

 小灘一紀「大国主神の再生」。大国主命が裸で立って上方を見ているが、額、あるいは頭の後頭部に両手がかかっている。たくさんの幹がX字形に宙に浮いて、この男を取り巻いている。男の下方には炎が燃えているようだ。炎によって焼かれ、改めていま再生しつつあるといったヴィジョンを感じる。男の顔はいま暗い調子で隠されているようだが、やがてどんな顔が現れてくるのだろうか。独特のドラマが生まれるその序章のような雰囲気である。クリアな男の力強いフォルムは、どこかミケランジェロのダヴィデを思わせるところがある。画家自身、彫刻科の出身である。平面の中に彫刻しているような趣のあるところも興味深い。(高山淳)

 稲葉徹應「室内の情景」。葉がオレンジ色に変わる独特の植物が白い花瓶に差されて、その葉を広げている様子が構図のポイントとなっている。下方には巻貝や葡萄、蓮の花托、林檎、洋梨、ワインのボトルなどが置かれている。ハイライトに対して暗いところがグレーになって、そこにもやもやとした雰囲気があらわれているところが面白い。もやもや感は背景の白い壁にもあって、いわばもやもやとした霧の中からこの静物がいま現れつつあるといった、そんな不思議なムーヴマンが感じられる。手のひらのような赤い先の尖った花(葉)は、太陽のようなイメージが重ねられていて、この霧のかかったような静物の中に独特の生命感をつくりだす。(高山淳)

 大久保孝夫「三間坂の放牧」。二頭の牛が丘の上にいて、そばに牧人がいる。一段下がった場所に二頭の牛が小さく見える。背後に山があり、山の端から雲がもこもこと浮かび上がっている。右のほうは夕焼けに染まったオレンジ色の雲が出ている。画面がうねるようなムーヴマンをもつ。水墨の文人画家たちが描いたイメージを油彩で表現したような活力が感じられるところが面白い。(高山淳)

 加藤寛美「3月〈刻〉」。画家は室内に浮きや竿などを描いて、海を想像させる不思議な静物を表現してきたが、昨年からそこにじかに風景があらわれはじめた。今回も壁に立て掛けられるようにたくさんの竿が描かれている。そばには浮きやガラスの重しなどもある。ブロック塀の向こうには海がのぞくが、なにか不安な雰囲気がある。「3月〈刻〉」という題名と合わせてこの不穏な雰囲気を見ると、一年前の3・11の津波や福島原発の事故のイメージが色濃くこの空や海にあらわれているようだ。独特の触覚的な表現力があって、空も海も全身で感じ、触って表現しているような、そんな強いリアリティが魅力。(高山淳)

 星川登美子「夏のフィエスタ」。夏のお祭りの日、着飾った衣装をつけた三人の女性が頭に荷物を置いて歩いてくる。軽やかに、すこしステップを踏んでいるような趣。円弧と直線によってフォルムが色面的につくられる。そして、お互いのフォルムが響き合い韻律が生まれる。色彩をつなぐグレーが重要な働きをしている。(高山淳)

 相本英子「香味」。丸いテーブルに赤やオレンジのストライプの布が敷かれて、その上に花瓶があり、牡丹の花がたくさん盛られている。白、赤、紫の大輪の花が開いている。その量感のある花の表現力が優れている。同時に、その花を囲む周りの空気感がよく描かれているところが魅力である。しっとりとした室内の空気の温度さえも感じられるような、空間の表現に注目。(高山淳)

 小川満章「室内」。委員賞。ソファに座って本を読んでいる女性を描いている。バックの白い壁がすこし壊れて、その向こうにある空が画面の中に引き寄せられているような趣である。上方から光が当たっている。その光が室内の光というより、太陽光線を思わせるところが面白い。清潔な白を中心とした色彩と的確なフォルムの把握がよい。(高山淳)

 小塩武「ガード附近」。煉瓦を積んだガードの壁。そこにアーチ状の空間が両側にあけられて、ショップが営業している。中心は煉瓦の壁である。微妙な色調の変化と手触りをもつ長い時間がしみ通ったような壁である。しぜんと時間とか歴史といったイメージが漂う。そこに落書きの跡などが見えるが、繰り返し書いては消した、そんな人間の営為の積み重ねなどもしぜんと感じられて、独特の存在感がある。両側の店の表現も全体の構成の要素としてよくきいているが、この煉瓦の壁と対話しながら作品を描いているところが面白い。(高山淳)

 杉正則「運針」。フローリングの床に座って女性が白い布を持って縫い物をしている。そばに裁縫箱がある。白いボタンや待針、ミシン針、茶色の糸などが入れられている。窓際に赤い花の咲いた植木鉢。窓の向こうに道が続き、白い壁の建物に赤茶色の屋根などがのぞく。その戸外のクリアな風景に使われている色彩が、手前の裁縫箱の中の色彩と同質で、静かに二つが響き合う。そして、無言で運針する女性の様子には時間が止まって永遠にこの作業をするような雰囲気があらわれている。人間というより、筆者には妖精的な雰囲気に見える。外部の現実に存在するものというより、心の内部にいる住人で、無言のなかに運針しているような、そんな独特の表情が感じられるところが面白い。また、どこからともなく光が差し込んで、この女性の顔や手を静かに照らしている。そんな光と実際に差し込む光、二つの光が、クロスするように表現されているところも面白い。(高山淳)

 山本俊則「冬沼」。井手宣通賞。沼に杭を打って、杭と杭のあいだに竿を置き、そこに網が干されている。下方の小さな竿の上に鷺がとまっている。風に靡いている。とくに鷺の周りに風が強く吹いているようだ。植物も枯れた様子で、沼が鈍色に冷たく光る。そんな中に鷺が前を見据えている。強いムーヴマンの中に表現されている。二本足で立つ鷺は人間のよう。長髪の老人がここに立って、周りの光景を見、全体の気配を感知しながら、インスパイアされているといった趣で、画家自身の肖像のように感じられるところも面白い。(高山淳)

 二宮弘一「アトリエの住人」。委員賞。大きなキャンバスの前に立つ画家。向こうには台の上にヴィーナスのトルソの石膏が置かれている。これまでよく牛骨などを描いてきた画家だが、自分自身を骸骨としてキャンバスの前に立たせた。面白いアイデアである。骨がしらじらと白く光っている。不思議なユーモアが感じられる。人体の骸骨の白とキャンバスの白、石膏の白など、三つの白がこの茶褐色の空間の中に響き合う。光が差し込み、この骸骨の骨を白く輝かせている。その白に不思議な味わいが感じられる。(高山淳)

 横田律子「赤いヴェネチアングラス」。室内の風景を寒色系の色彩を中心に描いている。画面の左下には丸いテーブルがあり、そこに花瓶に生けられた花や洋梨などが置かれている。テーブルの周囲には椅子やキャビネがあり、そこにもスカーフや時計、グラスや瓶が置かれている。奥の窓は、どこか抽象性を帯びていておもしろい。そのような画面の中で、強い赤の色彩を放っているヴェネチアングラスの存在が強く目を惹く。丁寧に描いた画家の愛でるたくさんのモチーフを作品に配置しながら、それが拡散してしまわないように、しっかりとそのグラスを中心に纏め上げているところがよい。(磯部靖)

2室

 吉田泰三「山村豪雪」。下方に民家があり、背後に山があり、雑木がそこに生えている。厚い雪で覆われている。その雪が屋根に積もって、もっこりとしたフォルムがあらわれている。そのもっこりとした雰囲気が背後の山にもリフレインしていき、ふるさとのイメージ、懐かしいノスタルジックな雰囲気が画面から漂う。風景を再現的に描くというより、風景の物語を画面の中で語っているようなピュアな表情に注目。(高山淳)

 加藤久子「アトリエにて」。会員賞。白い脚立に座っている若い女性。白い上衣を着ていて、白い脚立と響き合う。周りはしっとりとしたベージュ系のグレーの床や壁である。キメ細かなしっとり感が魅力。女性の肌の様子もキメ細かい感じであり、静かに呼吸をしているような微妙なムーヴマンがつくられているところが面白い。(高山淳)

 黒阪陽一「赤い雲」。委員賞。黄土色の地面に人形が立っている。そばにはドライフラワーやカモシカの頭、林檎。そばに大きな鷲がこの人形の目をのぞきこんでいる。そばの大きなビーカーにはヴィーナスの首が下方を向きながら入れられている。不思議な雰囲気で、画家のお気に入りのモチーフを集めながら、独特のファンタジーをつくりだす。面白いのは、その地面が遠景に行くに従って雪が下りた地面になり、冠雪の山々がのぞくことである。北海道にアトリエをもつ画家らしく、室内と室外とが連結されながら、ファンタジックなイメージを繰り広げる。(高山淳)

 横山順子「室内・春」。柔らかな光が当たっている。鳩が白く浮かび上がる。ピエロのそばに二つの球体が下りてきているのは、照明なのかもしれない。バックのグレーが銀灰色に感じられる。画面全体がそのようにじんわりと画面の内側から光がにじみ出てくるようなニュアンスをもっているところが面白い。この収納箱の上の一隅が画家の深い感情の託された空間となっている。そこにしぜんと物語が生まれてくるような、そんな時空間が表現されているところが面白い。(高山淳)

 國分真佐子「ふたり」。和装の座っている二人の女性がしっかりと表現されている。面白いのは、向かって左側の女性が母親に見えて、右の若い女性が娘のような雰囲気であること。母親は娘を見、娘は遠くを眺めている。その視線の方向によって、心理的ドラマが感じられる。娘は将来に思いを馳せ、母親はその娘を見守っているというアンティームな雰囲気が興味深い。(高山淳)

 浅井欣哉「N氏の部屋」。窓際にパレットや筆、トランペット、ワイン、スケッチブック、林檎などが置かれて、それがスポットライトを当てたように浮かび上がっている。窓の向こうは夜景で、ビルが林立し、それがシルエットになり、明かりが点々と輝いている。その戸外の夜の静寂感と室内に差す光線によって浮かび上がるものたちとが独特のハーモニーをつくる。雑然とものたちが置かれているようで、そのクリアなフォルムを追っていくと、独特のリズム感があらわれる。(高山淳)

 難波佳子「早春の記憶」。室内に座っている女性が水仙を持っている。窓の向こうにはヨーロッパの街並みや白い塔がのぞく。ハーフトーンの色彩を使いこなしながら、落ち着いた品のよい空間が生まれる。女性の顔や手のディテールもしっかり表現されていて、強い。(高山淳)

 吉江道子「森のカフェ」。カラリストである。緑が輝くようだ。カフェの傘の下にテーブルを囲む人々がいる。中心に赤い服を着た二人の女性がいて、それが緑の中のアクセントになっているし、その周りのオレンジ色も緑と響き合いながら、生き生きとした新鮮な雰囲気をつくりだす。(高山淳)

 松本耀子「俟つ・」。木の椅子に猫が座っている。その後ろ姿が愛らしい。すこし首を傾げて、椅子の背のそばから夜景を眺めているようだ。窓の向こうには時計のある鐘楼のような塔が立ち、繊月が浮かんでいる。空はほとんどコバルトブルー、あるいは岩絵具の群青を思わせるような色彩で、独特の夢のような空間が生まれている。そばの丸いテーブルの上には古い大きなラッパのある蓄音機が置かれている。じっと画面を見ていると、その蓄音機から流れてくる音楽にも猫は耳を傾けていることが分かる。視覚と聴覚のクロスする世界。蓄音機の下からコードが下方のコンセントに差し込まれている。その黒い曲線もまた、あるメロディを象徴するものに見えてくる。(高山淳)

3室

 広田和典「歩道橋」。人間の目は必要なものを見て、不必要なものは見ない。そういった人間の普通の目の働きが画面の中によく取り入れられている。一対三ほどの比率の横長の画面を、緑がかった黄土系の色彩と黒とに分ける。黒は上方のガードレールで、緑がかった黄土色は道である。そこに自転車に乗る人、白いガードレール、店のピンク色に輝く空間などがぽつぽつと浮かび上がるように置かれる。それによって生きた風景が生まれる。(高山淳)

 楠崇子「'12 女の煌めき」。赤い椅子に白い衣装の女性が座っている。髪が逆立って、何か霊感を受けたような印象である。霊感はまた、そばの観葉植物のようなものをざわめかしている。上方から植物が下りてきている。右のほうからも植物の葉がこの女性に迫ってきている。周りの空間がそのインスピレーションによって、独特のつむじ風のような動きのなかに表現されている。一種水墨的な表現も使われながら、イメージの中に深く入った空間のクオリティに注目。(高山淳)

 松野行「峠を行く」。損保ジャパン美術財団賞。水牛が荷車を引いている。そこに女性が子供を抱いて座っている。後ろにももう一頭の牛が続いてくる。画面の下方にそのフォルムを配して、上方を大きくあけて、赤茶色の空にしている。画家の視点に合わせて空間を構成する。それによって親近感が生まれる。水牛のどっしりとした存在感や荷車の量感に対して、そこに乗る母と子は静かな雰囲気で、聖母子像といったイメージもあらわれているところが面白い。(高山淳)

 井上稔「曇り日」。委員賞。対象を色面として表現する。四つの色分けされた壁のそばを黒猫が歩む。そばのドラム缶。海。船。白い倉庫。それぞれが象徴的な手触りのある色面の中に表現され、物語をうたう。(高山淳)

 黒政幸義「土」。畑がずっと向こうまで続いている。その畑に種をまき、農作物が実る。そのような農地と画家とは深い関係をもっているようだ。それによって大地が単なる風景というより、密な関係をもつ手触りのあるものになる。そこにいま影ができたり、すこし光が当たったりしているのは雲の変化によるのだろうか。存在感のある大地の表現に注目。(高山淳)

 戸部善晴「白い言葉の記憶」。委員賞。板塀に二頭の馬が疾走している様子が描かれている。赤い脚立に棚が掛けられて、そこにペンキと刷毛がいくつも置かれている。これからこの壁に描かれた絵をペンキで消すのだろうか。この壁に描かれた馬は絵馬を思わせるところがある。内界の住人のような雰囲気もある。この粗末な壁が一つのイメージのスクリーンと化している。そこに馬が疾走する。そして、それに向かい合って刷毛をこれから振るう。いわば画家自身が自分の絵を描くその制作現場を、イメージをこのようなかたちで外側にわかるように客観的に描いてみたようだ。しかし、内界にある世界であるから、しぜんとミステリアスな雰囲気が生まれる。そんな独特の表情に注目。(高山淳)

4室

 茂田宏子「休日の陽だまり」。委員推挙。湾の周りにカラフルな建物や塔、あるいは生い茂る樹木、海辺を散歩する人々、セーリングの様子などを描いて、独特の活気を示す。青や緑、赤や黄色などの色彩を使いながら、それぞれのものがもこもこと動き出すような、そんなムーヴマンがある幸福感を表現する。点描によるリズミカルな韻律が一種音楽的な感興をつくりだす。(高山淳)

 村田洋子「二人の女」。室内で向かい合って座る二人の女性が描かれている。向かって左側の風船を放っている女性は紺のワンピース、右側の女性は純白のドレスを着ている。奥の壁には窓があって、草原に背の高い一本の樹木が見える。二人に挟まれたその奥に突き抜けるような空間を作る、その画面構成がおもしろい。どこか同一人物のようにも見え、それが一人の女性の持つ二面性、あるいは右側の女性が左側の女性の未来を表しているようで興味深い。また、床に散らばっているトランプは、そういった若い女性の多彩な内面を暗示しているようにも思える。清潔な色彩の扱いで淡々と画面を描きながら、深い心理的な奥行きを作り出している。(磯部靖)

 古川千賀子「WINDOW 春の訪れ」。会員賞。お花屋さんの前に立つ少女。植木鉢を手に持っている。カラフルな色彩を使いこなしながら、全体にその色彩をハーモナイズさせる。アンティームな雰囲気のなかに色彩が香る。(高山淳)

 長江洽次「汐凪ぐ刻」。瓦屋根の集落を上方から見下ろしている。向こうはすぐ海で、白い船が進んでいる。暗く青い海に輝くような白い船が疾走する様子には、独特の詩的なイメージがあらわれる。下方の段々畑のようなフォルムや建物もぐいぐいとした筆力によって表現されていて、強いムーヴマンがあらわれている。フォーヴィックな力に注目。(高山淳)

 有働孝昭「路地」。会員賞。瓦屋根の民家が二つあって、そのあいだに路地が続いている。路地の向こうには赤い暖簾をつけた店が見える。空が青く、強い光がこの風景を染めている。昔からある日本の街を、強い光がピックアップするように浮かび上がらせる。それを油彩画でぐいぐいと表現して、独特の迫力があらわれる。(高山淳)

 仲智賀子「画室の女」。会員賞。丸いテーブルに両手をついた少女。片足をそのそばの椅子の上に置いている。そこには鳥籠があって、一羽の黄色い鳥がいる。その少女と鳥籠との親密な関係を周りのグレーの空間が支える。トーンによる仕事である。トーンが独特の心理的陰影をつくりだすところが面白い。(高山淳)

 武田直美「あなたと私」。光が木のシーソーを照らし、二つの馬の頭のようなもののがそこに置かれている。一つは男で、一つは女のようだ。異様なコンポジションである。男と女は向かい合いながら、いま男のほうが重く下がっているが、やがて逆転するだろう。人間と人間との関係を追い詰めながら、ある臨界状況のようなイメージを表現する。(高山淳)

5室

 井藤雅博「渚」。会員賞。浜が平らにずっと地平線まで続いている。左のほうに海がすこし見える。周りのしっとりとした紫色を帯びたような地面の様子の中に、若干カーヴしながらはるか向こうに続く白い道が、不思議な詩情とも言うべきイメージを醸し出す。はるか向こうまで続く平面というのは不思議な力がある。そして近景に、バケツや石ころがクリアなディテールの中に表現されて、人間的な表情をそこに醸し出す。(高山淳)

 渡部吟子「卓上の静物」。黒い矩形のテーブルが縦長の画面の中に置かれているが、その矩形の形が実に面白い。画面の右辺、左辺と、テーブルの縦長の線を比べてみると、微妙に傾いている。その矩形の、画面の中での位置と形が面白い。その上に白い皿があり、洋梨や青い柚子のようなもの、上方には白い花瓶にポピーのような花、茶色いポット。下方には縞のある布の上に蓮の花托。黒いテーブルにじかに二つの黄色い洋梨が置かれている。ものの存在感というより、それぞれがイメージと化して、お互いに合唱しているような趣である。それぞれのものの固有色がこの黒い色面の上に置かれ、生かされて、それぞれがより純粋なその形や色彩を発現する。そして、それらは画面の中で静かに呼応する。床のグレー、壁のグレーとベージュの三つの色面によって、その背後の空間は構成されていて、その色彩も上品で雅やかと言ってよい。(高山淳)

 櫻田久美「初秋水辺」。遠景に石の橋があって、その下方に水路がのぞく。水面が画面の約三分の二ぐらいを占める。その水面は水辺に立つ樹木を映して静かに揺曳する。水という不思議な存在が画面のテーマとなり、穏やかな曇り日の光線の中に周りの景色が映される。その水は命というもののイメージを表す。形があるようで形がなく、流れていく水の中に人生というものの様々なイメージが揺曳するようだ。(高山淳)

 内山孝「夏の日(切支丹の里 XIII 黒島天主堂)」。画家は天性の色彩家である。中景に二階建ての天主堂を置き、その屋根から鐘楼が立ち上がっている。手前は赤と緑の畑で、そのもっと手前には黄色いバックに紫色の花が咲いている。天主堂を囲む緑の樹木。青い空には入道雲が浮かんでいる。画家が何回も取材したこの場所が、スケッチの中から画面の中に浮かび上がる。余分なものは消え、素朴な信仰のなかに生きて死んだ人々の暮らした、静かなこの町のイメージがあらわれる。(高山淳)

 塗師祥一郎「雨後」。川原に大きな石がごろごろと置かれている。そのあいだを量の少ない水が流れている。対岸には木造の建物がいくつか見え、そばに桜が咲いている。川の左向こうは杉林で、山の斜面が見える。こちらの岸からこのジグザグの川と建物、山の斜面、そして右のほうの道のそばに立つ杉林を描いているが、フォルムがきわめてクリアである。一つひとつ的確に触るように描いている。あるいは、キャンバスの上に一つひとつものをクリアにつくりだすようにこの風景を描いている。そのクリアさが実に筆者の心を刺激する。山の向こうには水蒸気が立っていて煙っている様子。それに対して手前のクリアな水の動き。しっとりとした桜の花の薄いピンクの透明な色彩。その少し揺れているようなリアルな表現。それぞれのものが画面の構成の要素として大切な存在として使われ、お互いが絡み合いながら一つの絵画としての風景をつくる。とくにこちらと向こうの対岸とのあいだの水が下方を流れる、その空間の広がりのもつ臨場感は素晴らしいと思う。(高山淳)

 日野耕之祐「男とネコ」。画家のアトリエが日野ブルーとも言うべきウルトラマリン、あるいはコバルトブルーの色彩によって表現される。そこに画家自身と黒いネコ、描きかけのキャンバス、テーブルの上の筆やコップが置かれる。室内の人間やものを描くのではなく、その中にある空間のクオリティを表現する。そのクオリティはこの青に染められた空間がメッセージするもの。それは宇宙と接する大気圏の青い空を思わせる。(高山淳)

 三原捷宏「海景・朝」。冬の海のようだ。岬の突端からこの光景を眺めているのだろう。右のほうには切り立った断崖がある。そばにぽつんと一つの岩。その奥には塊となった岩があらわれて、その岩のまわりをまた小さな岩が取り巻いている様子。さらにその奥、いちばん遠景には黒ずんだ岩がある。波が寄せている。いちばん遠景の岩の周りの波の様子。それがだんだんと近くなるに従って角度が急角度になって見下ろすかたちで、波のかたちがある量感をもって迫ってくる。そして、岩の周りに波が騒いで白い飛沫を上げる。遠景から、つまり画面の上辺にある海と画面の下辺にある海との変化がこの作品の見所であると同時に、そのあいだの距離感がしっかりと描かれていることがこの空間の強さをつくりだす。無限に海は広がっていく。その海の巨大な肉体の一部を、この画面の中に画家は切り取っている。逆に言うと、その巨大な海の肉体が画面から感じられるところが、この作品のリアリティと言ってよい。また、青みがかった海の中に緑色やピンク色がほのかに入れられている。とくにピンク色が近景の海に入れられているのが、ロマンティックな雰囲気を醸しだす。(高山淳)

 歳嶋洋一朗「リビエラの港」。地中海沿いの町。たくさんのヨットや小さな船舶が繫留されている向こうに建物が集まって、そのあいだに緑の樹木が立ち、教会の塔が立ち上がる。地中海の光がこの風景を染める。逆に言うと、建物や船や水を描きながら、その光を画家は表現する。現場主義の画家である。激しい筆のストロークが繰り返されるなかに光と動きが、そして塊があらわれる。(高山淳)

 田中一利「桜咲く」。柔らかなハーフトーンが繊細な表情を見せる。大きな川の洲が表現されている。葦や菜の花が咲いている。そんな中に建物が遠景に点々と立ち、一本の桜がピンクの花を咲かせている。その小さなピンクの色彩が画面全体のポイントとなるように表現されている。黄色い菜の花とピンクとが対角線の中に置かれ、画面の中に静かなハーモニーをつくる。ピアニシモによる表現が逆に強さを醸し出す。(高山淳)

6室

 宗方麗「暮色」。田中鮮魚店という看板のある二階建ての店が通りのコーナーにある。一階に秤や白い段ボールがあり、男がいる。両側に道が伸びている。全体にグレーの調子の中にまとめられている。そのグレーの微妙なニュアンスがこの作品の面白さである。生活感と詩情ともいうべき二つのベクトルが、この画面の中でクロスする。(高山淳)

7室

 植木佑子「街角にも春」。街路樹が枝を広げて、いま緑の葉をつけている。後方にはビルの一部が樹木の間から見える。都会の中に発見した一隅をしっかりとした造形の中に表現する。穏やかな緑がしみじみとした情感を醸し出す。(高山淳)

 金井久代「水差しのある静物」。水差しや葡萄や洋梨の置かれた皿。花瓶に白い花が差されている。そんな花瓶が二つ。グレーをバックにして白やベージュが輝くような雰囲気で入れられている。その輝きに対して香水瓶が後方にひっそりといくつか集まっている。お洒落な香りの漂うようなセンスに注目。(高山淳)

8室

 田中伴子「幸福の首飾り(ニューオリンズ MARDI GRAS)」。ピエロと若い女性。ピエロは赤や黄色、緑の首飾りを手につけている。お祭りのようで、赤や黄色の色斑が画面に散っている。たくさんの群衆が仮装しながら出ているようだ。バックには建物が見える。ピエロは赤をベースにした衣装、女性は緑をベースにした衣装、そして柔らかな光。穏やかな中に未来を祈る、幸せを祈るといった雰囲気がしっかりと表現されている。エキゾティシズムと日本人の穏やかな心持ちとがリンクすることによってあらわれたイメージだろうか。(高山淳)

 中島里子「アルベロベッロの土産店」。日洋賞。地中海の光が差し、白い壁を輝かせる。そこは小間物屋で、皿や様々なものが壁に取り付けられていたり、吊るされていたり、棚の上に置かれていたりする。それがきらきらと輝く。入口の奥は暗い。明暗のコントラストが構成の軸になっている。地中海の光がこの壁の上に捉えられているところがよい。(高山淳)

 田邉賢次「白神のブナ林」。優秀賞。数本の樹木の幹が描かれているが、その枝や幹の様子が面白い。まるでお互いに腕を組み交わしながらダンスをしているような、そんな明るい雰囲気で描かれている。自然の中に命の発現を画家は発見し、それを絵の上で生き生きと表現する。(高山淳)

 君島安子「時」。イタリアの円形劇場の遺跡が描かれているのだろう。階段状になった座席が不思議な雰囲気である。そのそばには石を組んだ壁が残っている。壁の上にあるアーチ状の窓の向こうに青い風景がのぞく。遠景の点描による街並み。そして、その上に聳える山がまるで蜃気楼のような雰囲気で描かれている。現実の街と同時に、ファンタジックな街のイメージがそこにあらわれている。それは手前の円形劇場やこの遺跡を見ながら画家のイメージが活性化し、そのような幻の街を背後に描いたような趣がある。その力強いフォルムがそのまま不思議な幻想世界と連結されているような、独特の情感に注目した。(高山淳)

9室

 村井とし子「静韻『12』」。明るいベージュの色彩をバックに、モチーフがいくつか描かれている。皿に入れられた果物やそこからこぼれたもの、いくつかの瓶は前後左右の間隔を少しずつ空けて置かれている。その間の取り方が、これまでの作品と少し変わっているようで、より作品世界の広がりを感じる。モチーフは主にグレーの色彩で彩(いろど)られていて、それが厚みのあるマチエールに支えられた明るいベージュの色彩のバックにうまく馴染んでいる。これまでの作品に感じられた音楽的なリズムというよりは、モチーフそれぞれの存在を丹念に追求したような、強い画面構成である。それは気配といってもよいだろう。その気配が、深い印象と余韻を鑑賞者に残す。また、右上の背の低い花瓶に生けられた麦が、このような画面の中で、独特の存在感を獲得しているところも興味深い。(磯部靖)

 熊倉佐喜子「街の秋」。舗道を人々が歩いている。そばに茶褐色のビルやグレーのビル。そして、看板がつけられている。並木が紅葉している。そのオーレオリン系の黄色い色彩がしっとりとした情感を醸し出す。その下方に自転車がクリアなシルエットのフォルムとして描かれているのが、ユニークなアクセントになっている。日常の中に発見した詩の世界のような表現である。色彩感覚のよさとムーヴマンに注目。(高山淳)

10室

 上田龍子「10月のひまわり」。銀の箔が貼られたバックに向日葵の群生が表現されている。向日葵は生命の象徴として描かれている。向日葵は写実による表現である。写実と日本画のもつ装飾性とがリンクした表現である。一つひとつの向日葵が一人一人の人間のような雰囲気で描かれているところが興味深い。(高山淳)

 遠山悦子「巨木桜に風渡る」。薄墨桜を思わせるような桜の全体の形である。ほとんどその全部近くまで入れられて(一部は画面から切れている)、この老桜の肖像画のような趣である。幹はたらしこみふうな表現。そこに小さな花弁がたくさんつけられている。水墨と油彩画とのクロスする表現である。(高山淳)

 磯部美代子「Smell of ocean 磯の春 ・」。ブロックが積み重ねられて、そこに綱がまといつき、手前にはガラスの重しが置かれている。暗いバックに黄色い蝶が飛ぶ。一年前の津波による被害がしぜんと連想される。ブロックの積み重ねた様子から、そんな印象があらわれる。その積んだ様子を見ると、鎮魂の碑(いしぶみ)のような雰囲気である。だから、蝶は人間の魂のように感じられる。クリアなフォルムによる強いコンポジションである。(高山淳)

11室

 冨田信子「女」。緑のファッショナブルなセンスのよい衣装を着て椅子に座っている女性が描かれている。椅子の背がピンク色でピンクと緑とが明るく響き合う。背後はベージュ系の色彩。浮世絵を思わせるようなアウトラインによってフォルムをつくり、フラットな色彩を置くという表現方法が興味深い。(高山淳)

12室

 藏本啓吾「草原の小径」。会友賞。野原にススキの穂が風に靡いている。その穂が光を含んで独特の魅力をつくる。向きもそれぞれで、そこに光がとまり、溢れてくるような、そんな雰囲気に注目。(高山淳)

 大島優子「風の音」。会員賞。グレーのビルのような建物が中景に描かれている。その塊に独特の手触りがある。そばに樹木が並び、近景は原のようだ。遠景に山があるのだろうか。グレーに独特のニュアンスがある。ほとんどモノトーンだが、この風景を心の中に一度入れて、そこに微妙な色彩を与えて、画面の上にもう一度表現したような、そんな内的なものと外的なものが微妙にクロスする表現に注目。(高山淳)

13室

 中村敏子「メディナ昼さがり」。中東のイスラムの世界を描いている。建物と建物のあいだにアーチ状のトンネルがあけられて、道が続いていく。その道の両側の店と人間たち。静かに光が差し込む。エキゾティックな世界が画家独特のハーフトーンの世界によって表現される。不思議な安息感が醸し出される。(高山淳)

 並木貴子「PARADISE」。会員賞。オレンジのバックにフランスパンやデコイや器に盛られた果物。そして、ミモザのような花が花瓶に差されている。そのミモザのような花によって上方は黄色くなり、そこに鳥が飛んできている。手前のデコイとその鳥が対照される。静物を見ているうちにイメージが膨らんで、風景が引き寄せられる。ところどころ段ボールや横文字の雑誌の一部などがコラージュされていて、独特の音楽的な感興をつくりだす。(高山淳)

 友末冨美子「ウンデーネとフルレイア」。会員推挙。アール・ヌーヴォーふうな造形志向が感じられる。手前の噴水と後方の少女。赤、浅い緑、深い緑と三つの色面に分けた中の曲線による装飾的なフォルム。全体のムーヴマンがお互いに関係をもって独特の生命感があらわれる。(高山淳)

 渡辺せつ子「暗き森に迷いつつ」。樹木の幹がカーヴしながら上方に立ち上がっていく。そのあいだを、腰に布を巻いたほとんど裸体の女性が鳥を手の甲にとまらせながら歩いている。そばに黒い猫が同伴者として存在する。目が光っていて、その光った目の様子と上方の三日月が響き合う。暗き森は画家の心の中にある世界だろう。作者は実際、農業に従事していて、自然をよく知っているが、その自然をピックアップしながら内的な世界を表現する。森の中では社会的な衣装を脱いで自分本来に戻る。猫はそのような無意識の象徴であるし、鳥は空を飛んで、もう一つの認識の象徴と感じられる。女性のフォルムとカーヴする木の幹のフォルムも深い関係をもっているようだ。それぞれのディテールがリアルでありながら、そのものたちがすべて内的な世界の住人として画面の中にあらわれてくる。そして、ミステリアスなファンタジーが生まれる。(高山淳)

 西川誠一「溜まり」。会員賞。廃棄物がうずたかく積もっている。自転車やトタンの破片やチューブやパイプ。様々なものが集積している。それをペン画ふうにハッチングによって表現して、独特の存在感を表す。これだけの面積をハッチングするわけだから、相当の集中力が必要となる。廃棄物がこれだけ集まると、祭壇のようなイメージを醸し出す。(高山淳)

 在川法子「朝顔が咲く頃」。朝顔がピンクや青などの花を咲かせている。その外の風景と内側の風景を簾が区切る。室内には和人形が立っている。そばには葡萄が盛られた高坏がある。一つひとつのディテールがクリアなところが、この作品の絵画性と言ってよい。そのクリアなディテールによって和人形も葡萄も朝顔もすべてがイメージの中で生きている存在として画面の中にあらわれる。(高山淳)

14室

 桑水流みき「愛するよろこび」。会員推挙。女性が横になっていて、そばに猫が丸まっている。上下に猫がいる。ハーフトーンの中にこんじきの色彩が頭の後ろに光背のように置かれている。すべて曲線によってできている。その曲線のリズムが中心から波状に伝わっていくようなリズムをつくる。それによって題名のような深い感情世界があらわれる。(高山淳)

15室

 秀島美代子「自然に抱かれて ・」。奨励賞。トタン葺きの一階建ての廃屋が画面の中心に描かれ、その屋根を突き破って樹木が伸びている。柿の木のようで赤い実が輝かしい様子で実っている。暖色系の色彩が穏やかで、安息感のある雰囲気をつくる。フォルムがクリアでしっかりして量感がある。それによって、この一情景が現実感のなかに表現される。時間のなかで滅びていくものと時間のなかで再生しながら毎年実る柿の木の表情が対照される。時間というものの不思議さを発信する。(高山淳)

 岡林三江子「李朝染付のある静物」。すこし黄土色がかったグレーの床。あるいはテーブル。そこに四つの壺と皿に盛られた果実が描かれている。絵具が塗りこまれていて、それによってしぜんと色彩のコクと輝きが生まれる。李朝という素朴な品のある壺が独特の情感を醸し出す。(高山淳)

 松谷万里子「あした、」。会員推挙。ピンクの壁に長方形の窓があけられて、その向こうに民家の屋根と上方に三日月が浮かんでいる様子が描かれている。それがロマンティックな雰囲気を引き起こす。それを床の上の黒い猫が眺めている。そばに椅子が一つ。花飾りのつけられた帽子がそこに置かれている。無人であるが、なにか祝祭的な雰囲気が漂う。仕事とか家事から解放されて、夢見るような世界が画面の中に引き寄せられる。猫と帽子が不在の人間の感情世界を暗示する。(高山淳)

 五十嵐久雄「雪解けの頃」。曲線が山にも樹木にも雪解けの川原の中にも使われていて、その曲線がお互いに呼応しながら、独特のメロディともいうべきものがあらわれる。それは雪が解け、春を待つ心持ちを表す。中景の建物がポイントとしてよくきいている。(高山淳)

16室

 杉本京子「春のおとずれ」。中景に描かれている樹木の形が生き生きとしている。そこに黄金色の葉がついていて、それが周りの色彩と雅やかな響き合いをつくる。遠景の雪の積もった低い山の曲面でできたフォルムや量感がよく表現されていて、それによってこの手前の樹木が生かされる。とくに紅葉した様子が灯し火のともったような優しい豊かな様子である。(高山淳)

17室

 浅野美代子「想(小鳥の来る庭で)」。女性が両手の上に鳥を載せている。上方の枝にもう一羽の鳥がとまっている。そのあいだに水のようなものが描かれ、樹木の葉も描かれているのだが、水の中の波紋が音楽の楽譜のような雰囲気で表現されているところが面白い。(高山淳)

 鈴木隆「海峡の町」。会友推挙。道がカーヴしながらS字形にだんだんと海辺際に下りていく。両側に建物や踏切がある。浜に向かって波が寄せている様子。それが人間的なしみじみとしたヒューマンな雰囲気で表現されている。風景からしぜんなリズムを画面の中に引き寄せる。(高山淳)

18室

 千木良宣行「老樹」。数百年の樹齢を思わせる樹木が斜面のちょうどてっぺんのあたりに伸びている。遠景には霞む山やもっと低いところにある樹木などが描かれている。左の方向から日が差し込み、一部紅葉したような葉を照らしている。地面にも影と光があらわれる。すこし不安定な様子が逆に大きな動きをつくりだす。老年のもっている危険な雰囲気もまたこの老樹に託されて表現されているようだ。長い時間の中のきょうという一日のもつ充実感が表現される。(高山淳)

19室

 早川肇哉「ある夏の日」。河川敷の上に橋がかけられて、そこを車が走っている。遠景の山の上方は霞み、白い大きな入道雲が空に浮かんでいる。下方の乾いた地面と緑の草や樹木。中にカンナのような赤い花が咲いている。明るい明度の中にこの風景を的確に表現する。朗々とした歌が画面から聞こえてくるような、そんな明るい画調に注目。(高山淳)

22室

 佐々木はるみ「追想 モロッコ」。奨励賞。白い壁にアーチ状の入口がのぞく。そこには緑のドアがつけられている。地面には赤や青や黄色などの花が咲く鉢が置かれている。色彩の魅力に注目。(高山淳)

23室

 中井都「憩う」。柔らかなオレンジの光が室内に満ちている。近景に白く丸いテーブルがあって、そこに青い花がコップのような瓶に差されている。手前には花弁などが置かれている。清浄な雰囲気のなかに独特の密度がある。たとえば祈りといった深い敬虔な感情に満ちたような、そんな室内の空間のクオリティに注目。(高山淳)

28室

 小泉常利「海明けの群青」。解けつつある流氷群が近景から中景にあって、はるか向こうの水平線からいま太陽が昇りつつある。その光の中、流氷は青いシルエットの中に複雑なフォルムを見せる。平べったく解けた氷はオレンジ色に染まっている。雄大なパノラマを独特の透明感のある色彩でもって表現する。(高山淳)

30室

 髙森俊幸「ストーンチェアにすわる女の子」。会友推挙。方形のストーンチェアに若い女性が座っている。手の表情、顔の表情など、どこか彫刻的な感覚が感じられて、注目。(高山淳)

 奥村明子「明日へ。花は咲く」。会員推挙。緑に独特の明るさと精神性の豊かさといった性質が感じられる。母と娘が白いベンチに座っている。手前に白いテーブルがあり、そこにはピンクや白や紫の薔薇を中心とした花が差されている。そばにも地面から伸びた薔薇の花がある。画家の独特の心の有り様によって不思議なヴェールがこの庭には下りていて、そのヴェールを通して見る庭や花瓶の花が不思議な輝きを見せる。独特の色彩家だと思う。(高山淳)

31室

 谷本薫「帰郷」。瓦屋根と漆喰のような白い壁。その建物が細長く中景に描かれ、後ろに電信柱が立つ。手前には野の草や小さな花、あいだに細い水の流れがある。柔らかな緑色が懐かしい。日本の田舎であると同時に中国の田舎をも思わせるような不思議な雰囲気が感じられる。どこか童話的なノスタルジックなイメージが鑑賞者を招く。(高山淳)

 齋藤隆輝「秋の物語」。日洋賞。十二色環がすべて使われているような布がテーブルから垂れていて、面白い。その上にドライフラワーや鹿の頭や林檎や栗、あるいは壺なども置かれている。そのフォルムは丸いフォルムと屈曲して上方に伸びていくフォルムの二つの要素によってできている。人工的でありながら、不思議な力を感じさせる。言ってみれば、軽音楽あるいはジャズのメロディやリズムに合わせて静物を組み、色彩をそこに与えたような、そんな独特の感覚を感じる。(高山淳)

 江子光男「待春」。刈り取られた田圃がずっと続いて、中景にぽつんと建物があり、背後は山である。そのところに雪が軽く積もっていて、その斑状の様子が魅力的に画面の上に表現されている。畑仕事を実際にこの作家はしているかのような、田圃との親近感が感じられる。そこから独特のこの触覚的なリアリティが生まれる。(高山淳)

 吉川祐子「港にて」。会員推挙。ハーフトーンで岸壁の船やそこに座る男などのフォルムが軽快に表現される。的確なフォルムの把握、それぞれの位置をまた表現することによって空間が生まれる。優れたデッサン力に注目。(高山淳)

 富澤尚美「画室 2012」。会友賞。テーブルの上にミシンやマネキン、ドライフラワーなどが置かれ、手前の茶色い椅子にカモシカのような角をもった頭骨が置かれている。手前のハート形にカーヴする椅子の背と牛の角のカーヴするフォルムが不思議なイメージをつくりだす。どこかミステリアスな雰囲気のある静物として注目。(高山淳)

 中島邦彦「岐路に立つ」。会友推挙。線路が分岐するそのポイントを絵に描いている。そこに二羽のカラスをシルエット状に表現する。線路は銀色に輝いて強い存在感を示す。題名のように二つの選択を迫られているような緊張感。そのような内的なイメージが、この風景を通してあらわれる。(高山淳)

第83回第一美術展

(5月30日~6月11日/国立新美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 七里和子「シチリア風景」。これまで室内風景を出品してきたが、今回は風景を描いた作品である。F型を縦にした画面に、左へカーヴする海岸線が美しい。高い視点からその海岸線沿いに並ぶ建物や丘陵が重なるように続いていき、遠景では徐々に霞んでいる。その淡い色調が、手前左側に立つ樹木の深い緑や茶の色彩と対照されている。陽の光を大切に扱いながら、それを色彩に変えて画面に施して行くところは、室内風景に共通する部分がある。それによって生まれてくる清々しい空気感もまた、この作品の大きな魅力の一つである。(磯部靖)

 牧野悦夫「惜秋」。文部科学大臣賞。土蔵を思わせる建物に接近して、その木製の扉を大きく描いている。細やかにマチエールをつくりながら、強い存在感を作品に引き寄せている。木目をじっくりと追っていきながら描かれた扉は、過去から現在までの時間をそこに刻みつけている。同じように周囲の土壁も半ば剝落しながら、扉と共に存在している。そしてその扉の前には猫が一匹寝そべり、飛んでいく二羽のすずめに目をやっている。そういった現在の時間と、過去からの時の流れを一つの画面に組み合わせながら、綿密に画面を作り上げているところが特に見どころである。(磯部靖)

 中田誠「水玉」。若い女性が一人、椅子に座って本を読んでいる。女性は白地に青い水玉のワンピースを着ている。その清純な様相に強く惹き付けられる。特にワンピースの上方の明るい部分から下方の影になっている部分へと少しずつ明暗が変化していくその様子が、実に繊細に捉えられている。青みがかった影が上方の白をより純白に見せ、それが女性の純潔に繫がっていく。そういった少ない色数の中での微妙な心理的な奥行きを巧みに演出し、確かなデッサン力と共に描き出しているところに注目する。(磯部靖)

 渡部広次「八海山遠望」。遠景に八海山を望む風景。その手前には畑や棚田が広がり、最も手前にはまだ雪が残っている。画面上方から青、紫、緑、黄土、そして白と大まかに色相が分かれ、細部を見るとそれぞれに赤や黄などが少しずつ入れられている。そして画面全体で豊かな表情の風景として鑑賞者を強く惹き付ける。刻々と変化していく自然の表情を、まるで人間のそれのように繊細な調子によって描き出すところは、この渡部作品の大きな魅力である。今回は下方手前に二本の白い電信柱が立っているが、それがまた一つのポイントとなって作品を活性化させている。(磯部靖)

 杉浦幹男「今井の桜」。画面の手前から奥に向かって小川が流れ、その両岸に桜並木が続いている。小川がさらさらと流れ、桜がこまやかに揺れるその様子が、静謐な筆致によって表現されている。今井は千葉の手賀沼の南だが、その周囲は田畑に囲まれ、豊かな自然と共に長い間地元の人々に愛されてきた。淡々とその風景を描きながらも、深い情感が作品の中に込められている。現地を訪れ、この風景に感動した画家の心が一筆一筆からじっくりと伝わってくる。そういった感動を鑑賞者と共有できるような作品と、それを描くことのできる画家の技量が作品をさらに印象的なものにしている。(磯部靖)

 李香淑「明日への詩」。右を向いて膝を抱えた若い女性の姿を描いている。背後には樹木などの風景が広がり、茶系の色彩でまとめられ、そこに紺の色面が右側から伸びてきている。左下にはまだ開ききっていない黄色の花がそっと描かれている。若い女性の持つ将来への期待と不安、それ故の美しさが、作品の中で独特の心理的なおもしろさを作り出している。そして、それらが静かな気配と共にこちら側へと伝わってくる。やわらかな筆の扱いもまた魅力である。(磯部靖)

 加藤勇「牡丹(立つ)」。清潔な雪の白を基調色としながら、画面の中心に大きく牡丹の花を描いている。花心のあたりはほんのりと朱に染まっている。軽やかで透明感のある牡丹の花弁がその朱の色彩を包み、全体でどこか艶っぽく、独特の魅力を湛えている。また、葉は花弁とは異なり鋭利なフォルムである。花弁とはその様相を変えながらも画面全体で調和を織りなしている。そういったしなやかに立ち上がるその姿が強く印象に残る。(磯部靖)

 稲越泉美「悠久の調べ」。損保ジャパン美術財団賞。横笛を吹く女性を中心に、豊かなイメージの力で作品を描き出している。寒色系の色彩に多様な表情を付けて、まとめられた画面の中で、左奥に金色に輝くイスラムのドームが独特の佇まいをみせている。女性は笛を吹きながら、遙か遠い地である中東の歴史にロマンを馳せているようだ。最も深く濃い青で人物の肌を彩色しているところもまた興味深い。情感豊かなイメージの世界に強く引き込まれる魅力を持った作品である。(磯部靖)

2室

 上田秀洋「青の風景」。横長の画面の真ん中に白いフォルムがある。そこにいくつものガードレールと雑草が描かれている。車で通り過ぎた風景といった趣である。それがしらじらと雪が積もったような、晒されたような雰囲気の中に表現されている。下方左に横断歩道が見えるが、グレーの空間に星座が描かれている。上方は青い空間で、そこにバベルの塔のようなものが描かれているが、水の中に水没したような趣である。水がぐるぐると動いているような雰囲気。ちょうど一年前の東北の大震災で津波で家ごと流されたりして、何万人かの人が亡くなった。深いレクイエムのイメージが感じられる。横断歩道は梯子でもあるようで、そのまま天空に上って、人々が星座になったような雰囲気である。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』も、汽車に乗ると、そのまま天空の向こうの世界に行く話だが、それと類似するようなイメージを感じる。深沈とした気配のなかに夢のようなイメージがあらわれ、空と海とに挟まれてこの地上の世界があって、しかもそれを上空から眺めているような雰囲気。そして人間の行為のあとがバベルの塔やジグザグのガードレールとなってあらわれているようだ。(高山淳)

 山波朋子「回想の詩」。百号のパネルを二枚繫げた画面の中央にたくさんの瓶が置かれている。瓶は青やピンクなどの色面によって独特のフォルムで描かれている。その様子が、どこかメロディを刻むようなテンポを作り出していて印象的である。また、その瓶の周囲を青みがかった紫が囲んでいる。それもまたそのメロディに重奏感を加えているようだ。そしてさらに周囲にはグレーと暗色が描かれている。下方のグレーの部分にもまたうっすらといくつかの瓶の姿が見える。実と虚を一つの画面に閉じ込め、旋回するような構図を作り出しながら、物の存在というものを画家が深く追求しているようなところがこの作品のおもしろさだと思う。(磯部靖)

 浦野資勞「フラクタル 12─A(飛翔)」。水墨によって一気呵成に描き上げたような、強い動勢を孕んでいる。どこか右から左に向かって飛ぶ龍の姿を思わせるようなフォルムである。龍の頭部に当たる部分が最も濃く、右に行くに従って少しずつ淡くなっていく。また、画面には朱や黄の色彩が細やかにドリッピングされている。画家の強いイマジネーションの力によって、天を翔ける龍の勢いに鑑賞者までも引っ張られてしまうようだ。(磯部靖)

 下島悦嗣「仮面 ・」。青山熊治賞。椅子に座った女性の強いフォルムが印象的な作品である。茶系の色彩をベースにした画面からは、女性の持つアルカイックな存在感が立ち上がってくる。画面の右上には不思議な表情をした仮面が浮き上がってきている。常にそれを付けて生きる現代人の仮面そのものをこのように描き出すところが実にユニークである。女性の存在感と共に見応えのある画面を描き出す画家の構成力に特に注目した。(磯部靖)

 田中寛美「昇華への序章」。バイオリンのような楽器を思わせる衣服を着た二人の女性を描いている。左側の女性は座っていて、右側の女性は立って目を閉じ両腕を挙げている。背後には大地が続き、遠景には山が連なっている。この二人の女性のどこか妖精的な存在が強い幻想感を作品にもたらしている。女性の足下には色とりどりの花が咲き乱れている。女性の持つ美というものに対する表現がこのように作品として現れてくるところがおもしろい。独特の世界観が印象的である。(磯部靖)

3室

 中丸幸代「光の軌跡」。広い公園を中心にした風景にたくさんのイルミネーションなどの光が輝いている。公園の周囲は青い色彩が施され、主に白で光が点々と描かれている。その公園の中をカーヴしながら光が走っている。その勢いのある動きが実に気持ちよい。画家の豊かな感性と色彩感覚のよさがうかがえる作品である。(磯部靖)

 館秀夫「東京タワーの粘り イメージ」。画面上方に大きな満月があり、そこに突き刺さらんばかりに東京タワーが伸びている。見上げるような視点からの構図がドラマチックである。周囲のビル群もまた同じように月を目指しているようだ。それが、天に届かんとするバベルの塔を想い起こさせる。届くことはないと分かっていてもそれを目指そうとする人類の叡智に対して賞賛と皮肉の両方を感じさせるところが、特におもしろい。(磯部靖)

4室

 清水光美「主よ憐れみたまえ(3・11)」。会員奨励賞。一人の女性がもう一人の人物を抱きかかえている。何か不幸や悩み事などを告白したのだろうか、その人物を抱く女性の表情が何ともいえない優しさに満ちている。二人とも深い暗色の衣服を着ており、一体化しているようだ。それは内面的な心情の共感をも感じさせる。また、背後は黄金を思わせる色彩で彩色されている。衣服の滲むような描写に比べて、しっかりと描いた顔や手、足のフォルムが強く対照される。画面全体の慈愛に満ちた雰囲気が、強く鑑賞者を惹き付ける。(磯部靖)

 米持禎子「季・ふる里」。強い望郷の念を感じさせながら、それを巧みに構成して作品を描いている。画面の左下に細やかな花をいくつも付けた樹木がこんもりとしたフォルムを作っている。その上方にある三つのパートに分けられた部分には、夏や冬の季節を思わせる植物が描かれている。目を閉じて深く呼吸するように過去を回想し、一筆一筆やさしく置いている。そういった画家の内面をしっとりと描き上げているところが印象的な作品である。(磯部靖)

 河添幸代「命―現在(いま)を生きる―」。かなり樹齢のある樹木を縦長の画面に描いている。いくつも分かれて伸びた幹や枝が、根源的な強い生命力を内包しているようだ。画面の右下には足を曲げて座る若い女性の姿が描かれている。またその左側には小さな新芽が明るい緑によって描かれている。過去から現在へと続く生命、未来へと続く生命の力が、一つの画面の中に対比と調和を織り交ぜながら表現されている。樹木や人物は茶と緑、そしてうっすらと紫が施されている。それがある種の幻想性と霊的な雰囲気を作品に引き寄せているようだ。生命というものの連続性を深く追求した作品といえる。(磯部靖)

5室

 遠藤昌夫「時と風渡る街」。緑がかった深い青の色彩が実に魅力的である。俯瞰するような視点で描かれた街の風景であるが、画面の右側に縦に一本の道が伸びているところが独特でおもしろい。その左側には樹木が立ち並び、周囲に家屋やビルなどが建っている。空間をうまく扱いながら、この街に流れる風、そして時間をじっくりと描き出しているようだ。童話の世界を覗くような不思議な世界観が魅力である。(磯部靖)

 高橋光夫「Utopia」。並んで駆ける二頭の馬を独特の点描で描き出している。その凜々しい馬の姿に強く惹き付けられる。周囲は青から緑の色彩で彩られていて、それは軽やかに流れる風の爽やかさを感じさせる。左遠景には教会のような建物が見えるが、それが画題にあるユートピアを連想させもする。いずれにせよ、馬の流麗なフォルムとその内側にある筋肉、またその純粋な瞳といった、対象にかなり接近しなければ捉えることのできない表現を誠実に描ききっているところに注目する。(磯部靖)

6室

 篠崎和子「みら」。たくさんのクレーターがある惑星を背景に、二人のバレリーナを描いている。その二人の姿は、ダブルイメージになったガラスの床にも映り込んでいる。シャープな人物のフォルムが特徴的で印象に残る。この二人は同一人物か、または双子なのかもしれない。いずれにせよ、独特のイメージの世界を持った作品である。その中で確かなデッサン力を感じる。(磯部靖)

 春原妙子「黎明」。切り立った崖を真横からの視点で描いた風景である。画面全体は朱の色彩を中心に扱いながら、白から茶系によって彩色されている。特に画面の中央の崖の壁が最も明るく輝いていて、鑑賞者の視点がそこに惹き付けられる。そしてその崖の上にはテントのような建物が建っているようだ。崖はその様相を繊細に変化させながら、右側に続いている。どこかこれまで描いてきた樹木のシリーズにも共通するかのような、自然の持つ様々な情感豊かな表情をじっくりと見せるのが春原作品の大きな魅力の一つと言えるだろう。日が昇る直前の神聖な雰囲気、そしてまだ現代文化の行き届かない未開の地が黎明という言葉で結びつけられていくようだ。手触りのあるマチエールの中に、そういった原点への回帰を促すような現代社会へのメッセージを感じる。また少し見える地平線の辺りや、崖の所々に青や水色の寒色系の色彩が効果的に入れられているところも画家の色彩的センスを感じさせる。(磯部靖)

 伝田林太「インカ帝国の遺産」。会員優秀賞。遠景に鋭い山頂の山を望むマチュピチュ遺跡の風景である。山の手前には遺跡群が広がっているが、その細やかな描写が印象的である。直線によってフォルムを象(かたど)りながら、そこから幾何学的な様子をしっかりと捉えて描き出している。そういった描写は周囲の草木や岩肌にも共通しているが、それらは遺跡の直線的な動きに対してやわらかな線を見せていて、その対比に見応えがある。陽の光をいっぱいに受けた色彩の輝きもまた、清々しさを感じさせる。(磯部靖)

 髙橋浩「晩夏の歌」。画面に大きく向日葵を何本も描いている。向日葵は少しずつ頭(こうべ)を垂れていて、隆盛を誇った夏の終わりを強く感じさせる。そのようすが鑑賞者に何とも言えない余韻を残す。地平線は上方に取られていて、そこに続く空は少し暗い。向日葵の様子と相俟って、どこか夏の終わり特有の物寂しい気配を漂わせている。また右下にいる猫がこちらに視線を向けているのも印象的である。情感豊かな画面に強く惹き付けられた。(磯部靖)

 菊池雅子「漢史紀行(客家土楼)」。円形になった集合住居を少し上からの視点で覗くように描いている。中央の広場の部分を、画面の中心から左に少しずらして構図を取っているところがおもしろい。建物の壁や瓦などのシャープなフォルムをしっかりと捕らえ、それらが広場の中央に収斂していっているところがおもしろい。そしてその中心には子犬を連れた子供が描かれている。ほのぼのとしたあたたかい情景を、鑑賞者の視点を誘導するように構成し、じっくりと描き出しているところがよい。(磯部靖)

 佐々木朝登「愛の小径」。ゆらゆらと揺れる水路が画面の手前から奥に向かって続いて行っている。その水面の繊細で細やかな動きがしっかりと表現されている。水路の両側には朱や黄色の建物が並び、左側は岸になっている。画面の右上方から陽の光が差し、水路は建物の影になっているが、岸に近い辺りは明るくなっているところもある。その明暗が水面にもう一つの表情を与えているところがおもしろい。それらを表現する鮮やかな色彩の扱いも魅力である。(磯部靖)

 伊藤静「かがよう」。少し左に傾いた水平線が、すーっと画面を横切っている。車や電車の車窓から海を眺めているような、流れるような動きと臨場感がある。「耀(かがよ)う」という画題にもあるように、海面は陽の光を反射してキラキラと光りながら揺れている。その刻々と変化していく様子を、主に白と黄の色彩で描いている。画面手前は岸に近く、左下に岩がシルエットになって見える。空はうっすらと曇っているようだ。一瞬の感動を深いイメージの中で甦らせて描いたところがこの作品の新鮮さでありおもしろさである。(磯部靖)

 大須賀勉「一命」。昨年の震災による津波は甚大な被害をもたらしたが、その中で一本だけ残った松が大きな注目を集めた。その松を縦長の画面に描き出している。すっと立ち上がるその凜とした姿が、鑑賞者を強く惹き付ける。かなり下方に地平線を位置づけ、上方には満天の星が煌めいている。また下方の山の端は沈みゆく太陽の黄金色の光によってぼうっと輝いているようだ。実に震災直後の希望の象徴であったこの松が、秋田に在住の画家にとってもやはりそうだったのだろう。今は海水による塩害のため残念ながら立ち続けることはできなくなってしまったが、その希望の姿はこのように人々の心に刻み込まれているに違いない。繊細で、しかし力強い姿を、これまで女性像を長く発表してきたこの画家ならではの表現で描き出したところが実に興味深い。(磯部靖)

7室

 川口謙「紅い屋根の街」。連なるように描かれた屋根が、ある種の抽象性を帯びているところがおもしろい。手前には塔が一つ伸びていて、それが作品の一つのポイントとなっている。また、中景右側に広場がぽっかり顔を覗かせていて、それが一つの間のような空間を作り出しているところがおもしろい。手前から遠景の海に向かっていく中に、そういった見応えのある画面構成をうまく織り込んで描いているところに注目した。(磯部靖)

8室

 神保秀光「生きていればこそ」。細やかな淡い色彩によって雲を描き、その重層的な様子が深い情感を引き寄せている。上方は青みがかった紫で、下方は朱色に変化して行っている。そこに大きめの白い雲をいくつか被せるように描いているところがおもしろい。どこか神聖な気配さえも感じさせるこの風景が、生きる希望のようなポジティヴなイメージを鑑賞者に発信してくる。(磯部靖)

 阿部節子「カーニバル」。細く切ったりちぎったりした様々な紙や糸などをコラージュしながら画面を構成している。カーニバルという画題の通り、賑やかで楽しい雰囲気を強く感じさせる。アップテンポな調子でリズムを刻みながらコラージュを施していっているような、気持ちの良い作風である。地にはうっすらと透明水彩でグレーなどの色彩が施してある。それがまた五線譜のようにこのリズムを支えていて興味深い。そういった画家の感覚的な美的センスがよく分かる作品である。(磯部靖)

 内藤昭「夏のなごり」。こちらを向いて座っている裸婦を一人描いている。周囲には水が張られ、奥に扉が見える。裸婦の右側にはほおずきが二個おいてあり、扉の左側にも吊されている。どこか夢の世界を思わせる不思議な光景である。よく見ると裸婦の身体には水着の跡がうっすらと残っている。それが強く夏の終わりを意識させる。肉感的な裸婦のフォルムもまた力強く、印象に残る作品である。(磯部靖)

9室

 大前光子「樹照 6」。細やかな筆致で山間の風景を描いている。秋を迎えた頃だろうか、樹木は黄金のように色付き輝いている。丹念に筆を重ねながら、自然の美しさをじっくりと描ききっている。ふと見ると上方に鳥が一羽飛んでいるようだ。それがこの美しい風景の中を自由に飛ぶ画家自身のようで興味深い。(磯部靖)

 江原登志子「桜舞い散る」。会員優秀賞。散り落ちた花が積もった桜の樹の根元を中心に描いている。点々と散りゆく花々の様子が深い情感を作品に引き寄せている。根元の辺りは影になっていて青みがかっている。その色彩が、桜の花のピンクとうまく馴染んでいるところが特に良いと思う。桜そのものでなく地面に視点を合わせているところにオリジナリティがある。(磯部靖)

 成田豊久「バレリーナ ・」。第一美術協会賞。椅子の背をこちらに向けて座っている女性の肖像である。細い線で描かれた女性が大きく股を開いたポーズを取っていて、そのアンバランスな様子がおもしろい。背もたれに体重を乗せたその重心のバランスもしっかりと捉えられている。デッサン力の確かさに特に注目した。(磯部靖)

 富沢啓子「午後の日差し」。透明水彩によって窓際に置かれた静物を描いている。明るい陽の光がモチーフを照らしているが、そのゆったりとした空気感が特に心地よい。様々な色彩を扱いながら描かれたそれぞれのモチーフをうまく構成して纏め上げている。(磯部靖)

 内田田鶴子「春浅し」。切り出した大きな樹木の幹を手前に描き、その背後は林になっている。その幹の確かな重量感をしっかりと捉え描いている。淡い色彩で丹念に彩色していきながら、少し肌寒い空気感までもしっかりと伝えてくる。(磯部靖)

 田島功一「沼地の初雪」。肌に迫るような雪景色をしっとりと描き上げている。雪は降り続き、この沼地を真っ白に染め上げていく。その刻々と変化していく時間の流れにじっと魅入ってしまう。手前から奥に向かって少しずつ霞んでいく様子もしっかりと描かれ、臨場感のある作品となっている。(磯部靖)

15室

 金谷一子「チエンリン通り」。賑やかな商店街の様子を少し斜め上からの視点で描いている。たくさんの人々がそれぞれ楽しそうにその時間を過ごしている。まるで童話の世界を覗いたような、心温まる情景である。ふと見ると左下に犬の親子が並んで歩いている。その様子が特に愛らしく印象的である。日常の中にあるささいなことが幸せというものであることが、金谷作品を見ていつも思うことである。画家のあたたかな心情がよく現れた心地よい作品である。(磯部靖)

24室

 清水義子「悠久」。トンネルの中から外を見た風景である。二本のレールが少し右にカーヴしながら外に伸びて行っている。トンネルの壁や地面の石などがじっくりと絵具を重ねて描かれている。どこか物寂しくもありながら、どこまでも続く線路に一つの希望を託しているような印象を受ける。長く見れば見る程味わい深い作品である。(磯部靖)

25室

 有馬耿介「雨のパリ」。雨の降るパリの街をしっとりと描き出している。幅広い歩道をたくさんの人が傘を差して歩いている。画面の右と左が暖色系と寒色系で分けて描かれているようだ。そこにさらに様々な色彩を織り交ぜて行っている。画家の豊かな絵画的センスを感じさせる作品である。(磯部靖)

26室

 川鍋賢一「遠い声」。画面いっぱいの大きなハートの中に一人の男性が描かれている。男性は学生服を着ているようだ。かつて恋をした相手を思い浮かべているかのような、ロマンティックな作品である。色数の少ない中に、そういった強いメッセージを大胆な構図と共に描き出した印象的な作品である。(磯部靖)

28室

 橋本キミヨ「夜明けを待つきのこ達」。深い森の奥に様々なキノコが生えている。その一つひとつの形が独特でおもしろい。どこか擬人化された群像表現のような印象を受ける。画面の中央に樹木を置いて、左右に視線を分けている構図の取り方もおもしろい。(磯部靖)

 大友紀子「土の間」。さまざまな妖怪が土間で好き勝手している。妖怪それぞれの様子がこの画家のイメージの豊かさを感じさせる。横長の画面にどこか絵巻風な物語性を孕みながら、独特の世界観を構築しているところに注目する。(磯部靖)

 萩原利行「記憶の響」。佳作賞。いくつも打ち上がる花火が、大きな花を夜空に咲かせている。儚い花火の一瞬の輝きを、その大胆な画面構成で印象深く描き出しているところが独特である。(磯部靖)

〈彫刻室〉

 小坂洋一「二度と来るなよ強烈パンチ」。顎にパンチをくらった人物を彫金で造形している。人物はロボットを思わせるようなデフォルメがおもしろい。丹念に磨き上げたフォルムがその瞬間の動作をしっかりと捉えている。独特のユーモアがある。(磯部靖)

第68回現展

(5月30日~6月11日/国立新美術館)

文/高山淳・小池伊欧里

1室

 太田康之「反復2012─1永劫回帰」。円状の中が燃えている。核融合が起きているような、そんなパワフルなイメージがある。その上方にもっと大きな円弧があり、赤いトーンの中に三角形のフォルムなどが点々と散乱している。今回の福島原発の事故を思い起こす。事故があってわかったことだが、原子力発電所は簡単には止まらない。そしてまた、その廃棄物の処理にも困る。しかしそれもまた自然の力であるが、そのパワーを完全に利用するには人類はまだ時間がかかるようだ。画家はその核融合反応のようなイメージを一貫して追い求めてきた。今回の下方の左右の辺に接する大きな円は、加えて、仏教の中にある炎を思わせるところがある。永劫回帰という題名からもそのようなイメージが重なっているように感じられる。(高山淳)

 沼尾満「天空のつり橋012」。青いバックに赤や黄色などの円弧が左右から動いていき、その上方に雲のようなフォルムがあらわれている。同じようなフォルムのミニ版が下方にある。青の中の赤や黄色が鮮やかだし、独特のリズミカルな動きが感じられる。雲を身近に引き寄せながら天空に遊んでいるような楽しさがある。(高山淳)

 上田研次郎「スペランツァマンダラ」。現展賞。スペランツァとはイタリア語で希望という意味である。円の中からカーヴするフォルムがあらわれて、上方にもう一つの円をつくる。そんなフォルムが下方から上方に連続しながら動いている。背景は火焔状のフォルムで大日如来や不動明王などの背後にある火焔を思い起こすところがある。独特の曼陀羅が柔らかな光線を受けながら上方に向かう。そのイメージは夜明けの光の中に展開するイメージのような雰囲気である。希望と言えばたしかにそのような雰囲気が感じられる。独特の図像的な力を画面の中に引き寄せる。(高山淳)

 小倉洋一「EMANCIPATION─W─」。エマンシペーションとは解放という意味である。黄色、もうすこし調子を落とした黄土系の黄色、緑、若緑色、もっと深い緑、そして青、紫というように、左上の矩形の黄色い色面が最も明るく、左右下方に向かってだんだんと明度が低くなりながら、色相も緑や青、紫に変化していく。そこに二つの円弧、あるいは三つの円弧などの組み合わさったフォルムが入れられている。それはあたかも桜が満開で、朝が昼になり、夕暮れになり、夜になっていくなかに桜の雰囲気が変化するといった、そんなイメージを感じる。画家は対象を再現的に描かないが、空間あるいは光というものの性質に強い関心がある。光と空気と時間。そこに取り囲まれた、たとえば桜のような儚い美しさをもつものの存在を置くことによって、魅力的なクオリティをもつ空間を表現する。はんなりという言葉の示すような独特の京風な美学も感じられる。(高山淳)

 横田瑛子「ENDLESS―未来へ―」。ライフワークとも言える「ENDLESS」シリーズに「未来へ」という副題がついた。重なり合う円弧が宇宙規模での死と再生を想起させると同時に、循環する生命を象徴する不死鳥の姿にも見えてくる。これまではダイナミックな構図ながら雅やかな印象もあったが、今回の色彩は全体的に明るくなったように感じ、外側へ広がっていくような感覚がある。そこに作者の未来に向けた願いが込められているのだと思う。(小池伊欧里)

 菅原淳「SOME TIME」。損保ジャパン美術財団賞。独特な色彩感覚による色面構成が成されている。青系の色面の間に見え隠れする黄色やオレンジが、まるで様々な時間の陽の動きを表現しているかのようだ。水や空や木々に反射した太陽の光が散乱している。それぞれの色彩を多様な方法で画面に組み込み、所々金属を埋め込んで削り出すなど、計算された細かいアプローチから迫力のある画面を作り出している。(小池伊欧里)

 大貫博「創造」。実に密度のある作品で、実際の大きさより一回りも二回りも大きな存在感がある。石膏に染料や墨などで着色しているというが、画面の奥から手前に向かってくるような動きがある。海底から生まれた泡沫が原始的な生命を運んで海面へと上がってくるようなイメージ、また、神話のように混沌から天地が分かれ世界が誕生する場面のようなイメージがある。有機物の根源を表しながらも霊的な気配が感じられる。自己の精神世界と対話しながら描かれた作品である。(小池伊欧里)

 及川秋星「生存の為の光」。金地の背景に大小様々な同心円が自由に動きながら拡散していく。ヴィヴィッドな色彩である。一つ一つが恒星を核にした星系のようにも見える。所々、小惑星のように陶片がコラージュされ、不思議なリズムが生み出されている。円は中心の青い空間へと放出されているのだろうか。異様なエネルギーに満ちた空間に迷いこんだように、花びらを散らす一輪の花が漂い、生命の力を空間に供給している。(小池伊欧里)

2室

 島春男「蘇生への橋」。逆U字形にすこしピンクを帯びたグレーの不定型なフォルムがある。その上に球状のフォルム、あるいは球体のフォルムが口をあけて中から種のようなものがいくつもあらわれて浮遊するような、そんなフォルムが集まっている。中には花弁を思わせるようなフォルムの中に球体があるものもある。微細なもの、種のようなものの中にまさに小人になって入っていきながら、宇宙の、あるいは自然の秘密をこれまで表現しようとしてきたと思うのだが、今回は、そのような熟練したフォルムを使いながら、楽しく明るいメロディが画面から聞こえてくる。昨年の悲惨な津波の出来事に対する深い感情のなかから、もう一度希望あるいは蘇生のイメージをこのリズミカルなフォルムの連続によって表現する。(高山淳)

4室

 磯部陽子「真昼の蜃気楼」。会友賞。赤や緑の格子状の色面の中に黒と赤の不定型のフォルムが立ち上がる。黒いフォルムの中にも赤いフォルムの中にも、黒やグレーの水玉状のフォルムが浮遊している。黒いフォルムはきわめて不気味で、不安なイメージが醸し出される。福島原発の事故から一年。いまだにおそらく放射能が漏れ続けていて、それに対する対応もされていない日本の不安な現実を、しぜんとこの黒い色面から感じる。(高山淳)

5室

 沼田ゆみ「Noah」。青い空間の中に船、樹木、太陽、月などのイメージが図像的にあらわれている。クレーを思わせるようなコンポジションと言ってよい。ノアと言うと、ノアの箱船を連想する。ノアの箱船は、世界の崩壊の中に、生き残るつがいの動物たちをノアが乗せて、次の再生の世界に旅立つわけだが、この船に乗せられているのは植物たちのように感じられる。牧畜民ではない日本人の画家は植物との強い親和力のなかにこの船を用意したようだ。そして、そばに月が下りてくる。深沈とした青の表情が魅力的である。(高山淳)

 原田規美恵「和をもって今」。上方に梵語が書かれているが、阿と吽という言葉だそうである。そして、一つは大日如来で、一つは権現だそうである。神仏習合で日本の神の顕現したものが権現とすれば、その本地は大日如来である。そして、その神仏習合、神道と仏教の二つの深い宗教的な世界がリンクしながら日本の再生を祈る。津波で困難な状況の人々を癒そうとするかのようだ。黄金色の光が画面に満ちている。その光の力が実に強くダイナミックである。下方には地平線まで続く田園のようなフォルムがある。その地平線に向かって、上方の激しい光が三角形になって収斂して下に下りてくる。その収斂した場所は赤と紫と青と緑になっている。海と大地と空、世界のすべてがそこに集約され、それを癒すことによって、そこから再生の空間が広がっていく。(高山淳)

 川除俊子「寂寥」。黒いバックに大きな巻貝がある。六本の角のようなフォルムがそこから出ていて、ヤドカリのような生き物のようなイメージがあって、そろそろと歩いて動いていくようだ。そのそばにアンモナイトがある。長い時間の連鎖を象徴する。上方に不思議な顔の描かれた瓦のような緑のフォルムが六つあるのだが、最後の六つめは半分壊れている。これは画家が亡くした幼い妹がつくった仮面からヒントを得たという。そして下方の対の貝のそばに黄金色の蜘蛛がいて、その蜘蛛の網がところどころ壊れている。喪失の中に考えこんでいるような、そんなイメージが感じられる。そのやるせないようなイメージが、破れた蜘蛛の網や六つの角が足のように出ている巻貝から感じられる。左下の三角のスペースに若緑色が置かれているのは、寂寥から新しくよみがえる、そんなイメージのようだ。いずれにしても、不思議な巻貝が独特の人間の深い感情をメッセージするところが面白い。(高山淳)

6室

 三好正人「ミナソコニテ(十二宮)」。翼を広げた不思議な生き物。その頭はトンボの頭のような雰囲気で、中に卵を抱えこんでいる。下方の大地はうねうねとなって、穴があき、渾沌とした表情であるが、そこからこの生き物は浮遊して、もう一度卵をかえして新しい命を与えようとするかのようだ。カーヴする曲線がお互いに連続しながら、独特の強い心象世界をつくる。(高山淳)

7室

 林田聖一「生れ出づる命に捧ぐ」。物質性が強調され描かれた静物たち。妊婦の像は子供の肖像を掲げ、傍に置かれたキューピー人形の上には幽体離脱したように四体のキューピーが浮遊している。引き出しからはリアルな魚が現れ、板状のピエロが持つ球の上方には紙風船が浮かんでいる。夢か現(うつつ)かわからない色彩の中で、虚から実が生成されていく。今、転生した新しい生命が死の世界から解放されつつある。(小池伊欧里)

 田中敏夫「過去からの警告」。白いテーブルクロスの掛けられた細長い机に六人の男女が向かい合っている。茶色い皿に置かれた牛骨とドラム缶の上の蠟燭。ドラム缶には毒のマークがあり、プルトニウムのマークもつけられている。放射能に汚染されたヘドロのようなものが白いテーブルの上にあらわれて、うごめいている。人々は深刻な表情で会話をしている。ドラム缶の上に載せられた一本の蠟燭の灯し火は儚い希望の象徴のようだ。背後には怖いお化けのようなフォルムやメカニックなものがあらわれて、現代の日本人の不安な心象をこの群像構成の中によく表現する。(高山淳)

 池田春江「時を編む」。編み物をしている女性。それを見守る背後の一人の女性。深い感情の込められた赤い色彩。津波で亡くしたわが子のことを思いながら、母親は編む。そんなイメージがしぜんと画面から感じられる。(高山淳)

 岡野孝行「御嶽山の秋」。会員賞。マンリョウのような実がなった植物が中景にあって、細勁な枝が丹念に描かれて左右に広がっている。その手前には笹のような葉が描かれているが、その一つひとつを淡々と描き起こす画家の筆力に驚く。遠景には山が連なっている。植物を描くのは難しいと思うが、それを難なく描き起こす画家の筆力に注目。(高山淳)

 三輪孝一「桜島LIVE(ライヴ)」。桜島が赤く燃えている。その内側には溶岩がマグマのようになっている様子が描かれている。しかし、噴煙は黄金色の雲のようになってたなびいているところが面白い。激しいマグマのような活火山の姿は、命というもののシンボルと言ってよいかもしれない。それを取り巻く青い空とつがいの鳥や白い何羽かの鳥たちはまことに優雅な雰囲気で、マグマを取り巻くもう一つの妖精のような雰囲気で描かれているところが面白い。下方の樹木は緑や赤、黄色などが入れられて、その葉の様子、幹の様子などは有機的な独特のフォルムとなってあらわれている。自然というものの深さ、その四季の中に死と再生を繰り返す姿が、桜島の近景で優しい表情で描かれている。とくに緑の濃密なオゾンいっぱいのような色彩は人々の心を癒す。中央にどっしりとした桜島を置き、その周りに雲や樹木、鳥を配した独特の曼陀羅的なコンポジションになっているところも興味深い。命というものの発現する様子を独特の図像の中に画家は表現する。その命には運命や感情や意思、様々なものが重ねられているだろう。(高山淳)

 中畑勝美「刻(とき)」。ピエロが祈っている。両側のコンクリートの壁は崩壊しつつある。時計は三月十一日の昨年の地震の起きた時刻である。歯車や球体が浮かび上がっているのは、魂の象徴のように感じられる。墨的なグレーの空間の中に祈るピエロ。しらじらと白く描かれた雑草につけられた小さな花は、レクイエムのために捧げられた植物のように感じられる。(高山淳)

9室

 人見紀子「『ハイッ』おっとっと」。二人の女の子がバレエの練習をしている。バーに手を伸ばして右を見ている少女。その手前には、その少女を見ながら足を上げている女の子がいる。しーんとした雰囲気のなかにしっかりとポーズする二人の子供を描く。視覚再現的な力が優れた作品だと思う。また、そばに光が差していて、明暗の扱いも魅力。(高山淳)

 西村和明「森の牧舎」。チャイナ服のようなワンピースを着た少女が立っていて、謎めいた表情で鑑賞者を招く。背景の月が下りてきたような黄金色、あるいは繊月のようなフォルムがロマンティックである。(高山淳)

 岡崎笑子「開幕」。虎を連れた少女が洞窟から、朝日が昇る草原に出ようとしている。ところが、この朝日の昇る風景は小鳥たちが嘴で、あるいは足で吊した布の上に描かれている。ファンタジックな世界を優れた具象力によって表現する。そして、風景の描かれた布の後ろ側には、星がたくさんまたたいている夜空が浮かんでいる。(高山淳)

 水野匡「水族館にて」。母親はノートのようなものを持って白いワンピースを着て立っている。そばで男の子が水槽の中を見ている。シャチが悠然と中を泳いでいる。もう一人、そばに女の子を連れた母親がいる。そして、もう一人の母親がいちばん近景にあって、こちらに歩んできているようだ。対象を簡潔なフォルムの中にまとめあげ、それを平面的に描きながら、配置の変化によって空間をつくる。青い水とゆったりと泳ぐシャチが見事な背景となっている。(高山淳)

10室

 真壁隆夫「いつかみた風景」。竹や灌木が茂る中に斜面になった道があり、その向こうに燦々と日の降り注ぐ風景が広がっている。そんなシチュエーションをしっかりとした再現力によって描く。(高山淳)

18室

 立花健二郎「帰途」。田舎の田圃のそばの道に自転車を持った男が立っている。夜の世界である。遠景の山には雪が積もっている。空にはたくさんの星があって、いくつもいくつも星が流れている。そんな風景を油彩画で表現する。表現方法は独特のリズムがあって、一種木版によってフォルムをつくりだしたような強さのあるところが面白い。(高山淳)

第100周年記念日本水彩展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 小野月世「The Story Girl」。十代の少女がソファに体を伸ばして本を読んでいる。的確な繊細なフォルムである。そこに光が差し込み、きらめきが生まれる。ソファの向こうは黄色やオレンジのたらしこんだような雰囲気で、夕日と同時に朝日のイメージがあらわれている。本の白いページが清潔で輝かしい。本の中にはこの少女の未来、あるいは希望のイメージが託されているように感じられる。たらしこみふうな色彩の味わい、それによる空間の広がりと指や目や唇のディテールの的確な表現が相まって、独特のイメージ豊かな女性像が生まれる。

 大岡澄雄「池畔早春」。早春の生まれいずるような緑の中に黒々と針葉樹がわだかまっている。手前に鏡面のような湖が見える。その湖の深い青や緑色が上方の風景を映している様子が、独特の心象表現になっている。北海道には摩周湖のような青い湖があるが、そんなイメージもある。また、画家の心の中に存在する詩心の湖のような雰囲気もあって、そのロマンティックな雰囲気に惹かれる。

 茅野吉孝「ボマルツォ回想」。イタリアの中世の教会や建物が集合して上方に表現されている。下方から黄色い花がたくさんその顔をのぞかせている。斜光線が当たり、一部を輝かせている。歴史の中に存在するものに対する画家の深い感情が感じられる。それに対していまの時間に咲いている花が対照される。背景の茫漠たる空間の中に建物と花がきらめきを放つ。

 真壁輝男「夢」。豊満な若い女性がベッドに寝ている。右手の上に顔をのせて、背中や腿のあたりが見える衣装をつけている。輝かしいミューズのような雰囲気である。その女性を鑽仰する人間が一頭の虎となって、そばに寝ている。女性はこの虎にとって永遠の神秘であり、決してたどりつかない存在のようだ。虎と女性とのあいだに柵があって、進入禁止のマークが一つつけられている。そして、虎もまるで女性のポーズを真似るように横になっている。進入禁止ではあるけれども、イメージのなかでは虎と女性は共通のところに立っているような趣もある。すでにその柵はなくなっているような不思議な味わいもあるし、柵は永久に存在して、二つの存在は憧れのなかにのみ存在するといった趣もある。それが水墨風、あるいは南画風なゆったりとした雰囲気のなかに表現されているところが面白い。昨年、津波のあとに残った松を画家は描いたが、そこにも文人画的な水墨表現の味わいがあった。画家は水彩表現を行いながら、だんだんと水墨のもつ独特の寓意性、心象的な世界に向かおうとするかのようだ。

 醍醐芳晴「織女たち」。三人の女性が座っている。正面向き、横向き。そばに糸車がある。紙の地を大事にして、極力絵具を節約する透明水彩の技法の見事な典型と言ってよい。一つひとつの色彩が生きたかたちで置かれている。白い部分は紙の色彩である。透明水彩の技法によって明度と透明感があらわれる。女性の頭につけられた花冠がエレガントなアクセントとなっている。その花は衣装にも模様としてつけられていて、この女性たちを荘厳する。目や指のディテールを描きながら、大きなマッスのなかに女性たちを捉え、糸車のもつ強い幾何学的な形がその構成を締める。

 千代田利行「花月、西行」。「願はくは桜のもとに春死なむその如月の望月のころ」という西行の歌がある。大きな満月を背景にした西行。その満月の中には桜の色彩が重なっている。満月の背後は満開の桜である。西行は空海に共感し、高野聖の趣もある。「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終りに冥し」という言葉があるが、その生と死の間を西行は一人の歌人として歌でもって連結した。西行の歌が愛されるのは、万人に共感するものがあるからだろう。背後の巨大な満月を見ると、生と死が見事な円環を閉じているような趣がある。その前に粗削りの太い線によって西行の肖像が描かれる。日本人の心、あるいは死生観を水彩の中に表現した。

 加藤英「時のつかさ」。針のなくなった時計の上に子供が二人座っている。馬の頭の玩具などを持っている。子供はピエロ風な衣装をつけて無邪気に遊んでいる。そばには蝶が飛んでいる。聖書の中に「もはや時なかるべし」という言葉があるが、画家は子供の無邪気な世界のなかで時が喪失したイメージを表現する。日本人にはわかりやすいイメージだろう。季節が葉を紅葉させ、黄金色に染め上げている。秋は収穫の季節である。「遊びをせんとや生まれけむ」。子供の遊ぶ歌を聴くと心が揺れるといった歌が平安時代の俗謡にある。子供をキーワードにして収穫の実りの季節に時が消え、人々が無邪気に遊ぶ象徴的なイメージの表現である。

 矢野鈴子「石垣島のおくりもの」。会員奨励賞。沖縄のシーサーが二頭、強いドローイングによって表現されている。そばの花瓶には紫陽花の花が入れられている。手前にはバナナ、アダン。沖縄讃歌といったイメージである。沖縄のもつ素朴な宗教や生命感、その自然の美しさをぐいぐいとしたドローイングの力によってうたいあげる。一種求心的なムーヴマンがあらわれているところが面白い。また、グレーを中心とした中に入れられた赤や青が鮮烈である。

 鳥巢啓三「風刻」。ゆるやかなシャンソンが流れてくるようだ。画面を一つのスクリーンのように描いている。柔らかな光による陰翳。そんな背景に線路が落書きふうに描かれている。目的をもって暮らしている、そんな時間から抜け出して、ぼんやりと画家は自分の来し方、あるいは未来を思う。それが水墨でいうたらし込みふうな空間の中にあらわれる。単なる空間ではなく、もう一つの時間がそこに引き寄せられる。上方に黒と黄色のバーが描かれ、下方にストップという交通標識がある。すこし立ち止まって自分の時間を取り戻す。そこから生まれた豊かな時空間が鑑賞者を引き寄せる。

 池田紀子「樹―森の神」。会友優秀賞。三本の幹が上方に向かい、そこから枝が分かれ梢に向かう。上方を見る角度から一本の木の姿を描いて、強い表現である。バックはジョンブリヤン系の色彩で、残照の空を思わせる。梢の先までこのように丹念に描かれると、まるで巨大な血管が空中にその経絡を広げているような趣になる。木を通して、そんな生きているイメージを表現する。

 戸田英彰「道具」。大きな鋸、斧、ペンキ、機械のドリル、ペンチ。そういったものが静物として描かれている。斧と鋸は錆びている。道具のもつ人間的な手触りを表現する。

 其田章「待つ」。大下藤次郎賞。三つの自転車の一部が逆光の中に表現されている。光が差し込んで影が長く尾を引いて、そこに綱のつけられた犬がいる。柔らかな日差しのなかに幾何学的な自転車の楕円状の車輪の形がモダンな雰囲気で描かれ、そこに一匹の犬が横を向いて遠くを眺めている。都会の中に発見した叙情である。

 吉川靖「瓦礫と」。創立100周年記念賞。震災から一年たった。その瓦礫を集めて静物として眼前に置き、人間の頭部の石膏像をそこに置いた。鎮魂の表現である。柔らかなベージュの光が画面に差し込んでいる。一つひとつのものを丹念に描きながら、一筆ごとに祈りを込めて表現しているような繰り返しが、独特のこの強い緊張感をつくりだす。淡々とした描写であるが、密度のある空間がこの静物を取り巻いているように感じられるところが興味深い。

 橋本志津子「初秋の蓮池」。内閣総理大臣賞。描かれている蓮の葉の大半がしぼんでいる。初秋で、だんだんと枯れかかっている。そこに日差しが差し込み、陰影を与える。水面に上方のしっとりとした空が映っている。画家は母親を亡くしたつらい経験が尾を引いている頃に、この風に揺らぐ蓮を見て魅了されたそうである。うなだれたような蓮の葉の様子がそのまま自分自身の心と重なった。静かに母のことを考え、母の心を鎮めるような心持ちで一つひとつの蓮の葉を描いて、この独特の精神性が生まれた。水に映る空が浄土を思わせる。

 寺西沍子「野の詩(そよ風)」。野の花が小さく画面に散らされている。通常の遠近感ではなく、一つひとつピックアップして目の前で描きながら画面に配置したような趣である。その意味では日本画的な発想で、水彩による花鳥画といった趣がある。ただ、それが野の花で、華やかな桜とかモミジではないところが、この作品の独特の親密な雰囲気をつくる。柔らかなトーンのなかにそれぞれの花が静かに輝く。

 根岸尚徳「アンダー・ザ・ローズ」。損保ジャパン美術財団賞。一人は低い椅子に腰をかけ、膝を立てて座っている。一人は床に座っている。上方から薔薇の花弁が下りてきている。ひっそりした雰囲気のなかに不思議な気配が感じられる。「アンダー・ザ・ローズ」という題名だが、古代ローマの習わしに、天井から薔薇の花を吊るした部屋で話したことはそこだけの秘密にするということがあるそうだ。この二人の女性はどんな会話をしたのかはわからない。いま二人はそれぞれ別の方向を眺めている。そんな不思議な気配のなかに二人の女性像を描く。

 灰谷敏子「過ぎゆく刻」。会友奨励賞。荷車に刈られた牧草、あるいは雑草が積まれている。その草が黄金色に染まって輝いている。地面はしっとりとして、遠景では風景になり、小さな川が流れているような趣がある。水が流れるように時が過ぎていく。その中に刈られたこの枯れた草の塊が存在感を放つ。荷車の上の草は平凡な一日の収穫のように思うと、日々を大事にして生きていくことの大切さ、一日一日の平凡な時間を荘厳するような趣が感じられる。この草を載せた荷車は老朽化して、いまにも壊れそうである。その壊れそうな荷車。そんな身体で日々の時間を運ぶといった、そんな敬虔なイメージも感じられる。画家は一つの寓意を絵画として表現する。

 永野陽子「風韻」。翼を広げた不思議なフォルムが正方形の画面の中に描かれている。それは線によって表現されている。中心には矩形がコンテのような黒いフォルムでとられ、青いパステルふうな色彩によっていくつも輪がつけられている。風を全身に受けて、そこから心がインスパイアされた、そんなイメージを面白く表現する。

 宮川美樹「刻」。波が寄せているしっとりとした浜に貝殻が散乱している。ガラスの破片やビー玉もある。貝殻は中は空洞である。そこに鳥影が映っている。記憶、過ぎ去った時間というものを静かに表現する。この浜の様子は脳髄を思わせるところがある。脳髄の中に喪失した時間がためられて堆積し、そこに未来を望む鳥影があらわれるといった、シュールな気配があらわれているところが興味深い。

2室

 小野里理平「金管楽器四重奏」。見事なコンポジションである。だんだんとクレッシェンドふうに手前に大きくなってくるフォルムが、大きなチューバの立ち上がるフォルムによって止められる。そしてまた、いちばん遠くにあるホルンに返ってくるといった、そんな循環する動きも感じられる。線によるフォルムに動きがあり、色彩に透明感がある。四人の奏者の生き生きしたフォルムが画面の中でお互いに連結され見事なコンポジションをつくる。

 岸川和枝「雪の夜明け」。石井柏亭賞。まだ夜が完全に明けてない時の青みがかった濃密な雰囲気がよく表現されている。雑草と雪の積もった地面。遠景の建物。しっとりとしたなかに余情があらわれる。

 中西奝之助「童の刻」。剣玉と独楽などが下方に置かれて、上方には凧が配されている。昔からの日本の玩具が画面の中に構成され、不思議なときめきを放つ。凧の巨大な蛾を思わせるようなフォルムが、その顔や口のあたりが笑っているような雰囲気で、そのユーモラスなフォルムとかっきりと描かれた一つひとつの独楽の様子が面白く対照されて、和の世界に鑑賞者を誘う。

 酒井保嘉「三陸巨釜 陽はまた…」。巨大な岩が水に洗われて怪異な形になって屹立している。そんな三陸の風景をずっしりとした存在感のなかに表現する。中心に光が当たり、左右の暗い部分とのコントラストも生き生きとしている。風景の中の光と影のドラマと言ってよい。

 齋藤俊子「愛しきもの達の気配」。近景にテーブルがあって、その向こうには木立がある。そこに旋回するような動きがあらわれて、葉や花、ノート、蝶、様々なものが入れられている。まるで曼荼羅のようだ。画家の身辺の親しいものたちをそこに置いて、不思議な曼荼羅風なコンポジションをつくる。コバルト系の青に対して赤や黄色、緑などの原色が使われて、弾むようなリズムもあらわれているし、水晶球をそこに置いて眺めているような趣もある。画家が絵を描くときのコンディションは、音楽が鳴るようなコンディションに共通するものがあるのかもしれない。

 河村純正「ひとときの」。古賀春江賞。プロの手腕である。岸壁沿いのヨット。そばには鴨が泳いでいる。光に水が不思議なマーブル状の文様をつくる。暗い部分と明るい部分との配分。その中の静かな動き。クリアで的確な岸壁の一隅の表現。

 久保田勝巳「蘇生杉―3・11考」。今回の津波および福島原発に対する政府の対応、困難な状況に陥った人々に対する同情、政府に対する怒り、様々な感情が交錯するなかに、この杉の木が描かれた。この杉は樹齢五百年か六百年といわれていて、画家の住んでいるところから近いところにある。屈曲しながら伸びる杉の幹が描かれている。まことにそれはトルソと言ってよいような強い力をもって描かれている。中心に巨大な洞がある。その洞の中に入ると、この杉の生きてきた歴史がフィルムを逆様に回すように見えてくるような、そんなパッショネートなリアルな存在感がある。空は真っ赤に燃えている。なまな赤ではなく、かなり抑制された赤であるが、強く、内側からその色彩を手前にプッシュしてくるような赤であり、画家の深い感情がそこにあらわれている。また、この巨大な杉の幹を見ていると、時間というものの渦の中に引き込まれるような思いにも誘われる。杉の木を描くというより、一つのトルソのように描いて、深い感情や思想を絵の中に表現した。津波や原発の出来事を契機にして人間の歴史的な感情とも言うべきもの、人が生まれ死に、生まれ死に、そんな長い今日までの時空間がこの杉に表徴されているような、そんな強い力に注目。

 冨安昌也「伊良湖岬より志摩の夕陽を見る」。画家は九十三歳。日が暮れて志摩半島にいま太陽が沈もうとしている。海の深い暗い青い調子。残照の中の赤の深い味わい。どこかギュスターヴ・モローの作品を見るような独特のロマンが魅力。

 滝沢美恵子「街かどで」。コートに手を入れた芸術家風な男性が立っているが、背後に画家のお気に入りのポスターやチケットからピックアップしたと思われるモンローの肖像やピカソの顔、ロートレックのポスター、レーニンの顔などが置かれている。いわば自分のコレクションを画面に散らしながら、素朴な私の歌ともいうべきものを画面に表現した。それぞれのフォルムがお互いにコラボしながらセッションしているような雰囲気が興味深い。

 水野道子「慕情」。焦茶色の暗いバックから両側に赤い色面が巨大な二つの花のように浮き出ている。背景に建物を思わせるような矩形の小さなフォルムも見える。渾沌とした闇に対して深い肯定的な感情が浮かび上がる。聖書の中に「光あれ」という言葉があるが、画面の中にあるのはまた違ったヴァイタルなものに対する強い欲求である。生命が深い感情によって染められている。ところどころコラージュされている。たとえば上方のひげのように動いていく動きは金色(こんじき)のコラージュだし、画面に近寄ればかなりコラージュが巧みに使われていることがわかる。いずれにしても抽象世界であって、外部の世界ではなく、内界にある空間の中から命や愛情、様々な感情が昇華されて、ちょうど音楽のクライマックスに向かうような、そんなムーヴマンの中に赤いフォルムが置かれている。オペラの高揚した声楽的なイメージも感じられる。冷たい抽象ではなく、熱いパッショネートなものをベースに置いた独特の心理的陰影を帯びた表現として注目した。

 佐野師英「琵琶の湖畔」。文部科学大臣賞。近景に群生する葦がボリューム感のなかに奥行きをもって表現されている。中景に裸木が水墨のたらしこみふうな表現で二つ描かれている。遠景には低い民家が並び、背後に山が見える。葦の近景には水がのぞく。黄土系と墨によるしっとりとした雰囲気の中に琵琶湖の風情を表現する。琵琶湖の周りは歴史のある場所が多い。遠景の集落にしても昔から続いてきたのではないだろうか。葦の独特の装飾性をもつフォルムに囲まれて、葉を落とした樹木が立ち上がり、その枝を広げている様子が歴史の証言者の趣で迫ってくる。近景のすこし入れられた水は葦の影の暗いトーンの手前にあって、それがまた独特の情感をつくりだす。水墨と水彩とのクロスするところにあるユニークな精神性の高い表現だと思う。

 勝谷明男「農場残雪」。斑に雪が残っている地面。それが中景に続くと、山の斜面にぶつかる。そのあいだに針葉樹や広葉樹が立っている。山の斜面には小さく一軒の家と林が見える。上っていくと雑木が山に立ち並んでいる様子が、紫のたらしこみふうに表現される。自然のもつ複雑な抑揚、起伏をしっかりと描きながら、そこに存在するものをあまり整理せずに描いて、風景というものの複雑な様相を生き生きと表現する。

 江口均「銀嶺に泳ぐ」。岩手県には川を渡して鯉幟を泳がせる風習がある。それを強調して左右に無限に鯉幟が泳いでいくような、そんな雰囲気が感じられる。大胆なコンポジションである。しかも、鯉幟は赤や青の原色が使われている。それに対して遠景の雪をかぶった山やシルエットの近景の山。黄土色や茶褐色の河川敷。そこに渡る橋。地味でしっかりとした存在感をあらわす風景。空に泳ぐ鯉幟の群れが祝祭的なイメージを表わす。東北がんばれといった画家の思いが、このようなコンポジションを創造したのだろうか。

 小川雅貴「エキゾチックな街角で」。建物と人間、それらを遠近感の中に配しながら、あいだは暗くして、ぽっと建物や人間などが浮かび上がるようなコンポジションになっている。色彩が柔らかくロマンティックにハーモナイズする。

3室

 小竹曻「霧降高原の朝」。黒い裸木がたくさん立ち並んで、遠景に行くに従って小さくなる。遠景はシルエットの青い山で、その山の端は黄金色に染まっている。いま日が昇りつつあるようだ。全体に清潔な韻律がある。凜然たる雰囲気である。朝の、生活の汚れに染まっていない心と風景とがリンクしながら、独特のリズムがつくられる。

 宗廣恭子「オフィス」。グレーの机と緑の椅子、ピンクのモニター、紫のパソコン。オフィスの中にあるIT関係のものや机や椅子が、まるでアメーバのようなエネルギッシュな動きを画面の中で表す。お洒落でモダンな雰囲気の中に独特のリズムが無機的なものに命を吹き込む。

 福井タマヱ「木々の詩」。グレーやサップグリーンなどの地味な緑がしっとりとした複雑なニュアンスを醸し出す。中に矩形が集合したようなフォルム、黒いストライプが連続して上方に向かうフォルム、あるいは菱形のフォルムなどが入れられる。それはマンションや、窓や階段や樹木のようだ。建物と樹木とがお互いにハーモナイズしながら清潔な情緒を表す。グレーが銀灰色を思わせるような品のよさで使われていて、独特のお洒落な感覚が鑑賞者を引き寄せる。

 工藤純「始(し)012─5」。巨大な人間の顔が浮かんでいる。一つの目は開き、一つの目は下方を見るように瞼が閉じつつある。下方には大きな口が開いている。青と赤の原色に囲まれたこの顔は傷だらけの様子である。傷だらけの中からもう一度立ち上がって命の歌を歌おうとするかのようだ。そのような命の力を強い原色的な色彩のハーモニーによって表現する。

 長谷川光男「時を超えて」。中世の建物を思わせるような瓦葺き、漆喰の壁の建物が集合している。そばに道があり、はるか向こうに山並みが見える。光が当たり、陰影がつくられる。素朴な集落をヒューマンに表現する。

 杣田康子「アラブの熱い風」。画面の中に黄土色の色彩が激しいストロークの中に表現される。アーチ状のフォルムが窓や入口などを表わす。それは赤や黒で表現される。その右のほうに都市のパノラマの写真、あるいは染料を入れた壺の写真などがコラージュされている。激しいストロークの動きに対して、写真がこのアラブの客観的な姿を点綴するように表す。

 大和屋巌「クレーンのある風景」。九十三歳で今年の二月八日に亡くなられたそうである。北海道の教員時代だと思われる風景が出品された。若い頃の作品である。この画家らしいしっかりとした風景で、そこに清々しい光が差し込んでいる。教員時代が長かったそうだが、さぞいい先生だったと思われる。この若い頃の風景作品を見ながら、大和屋さんを懐かしく思い起こした。合掌。

4室

 池田千世子「晩秋」。ガマの穂が集合して三ヶ所に立っている。それほど大きなものではないが、まるで樹木のように画面の中に配されている。背景は茶褐色のたらしこみによる林のようなフォルムである。茶褐色の色彩は空にも使われていて、全体でお互いに深く響き合う。このガマの穂が晩秋の象徴のように表現されている。手触りのあるしっかりとしたマチエールが、このイメージを支える。複雑なトーンの変化が冬の近づく秋の空気感をよく表す。

 萩原葉子「春が来る」。冬枯れの景色。枯れた雑草。ほとんど落ちかかった葉。その樹木の幹に緑の色彩がまるで大きな苔のように置かれている。風が吹いて、フォルムが旋回するような動きを示す。一匹の蝶が近づく春を象徴するように置かれる。季節の境の風景のニュアンスをよく表現する。

6室

 井原純子「白い花」。抽象的な花の扱いであるが、色彩感覚がよく、新鮮な印象である。白が花の色彩を表しながら画面全体の中に配されて、独特のリズム感をつくる。加えて、全体で花のメロディともいうような音楽性が魅力。

 堤和之「秋色」。道がS字形に向こうに続いていく。両側に様々な樹木が茂っている。道の向こうには、山の斜面に茂っている樹木の色彩が黄金色に静かに燃えるように置かれている。黄色からオレンジ、緑などの色彩が明るく、透明な光に染められるように使われている。紅葉の中に静かに山が燃えている雰囲気を見事に表現する。

 宇賀治徹男「草紅葉の頃」。近景にススキが倒れかかっている様子が描かれている。その後ろ側にはセイダカアワダチソウが茂っている。その向こうは葉の落ちた木が枝を広げている。晩秋の風景である。柔らかな色彩のハーモニーが繊細な表情を見せる。うっすらと青みがかった空に、淡い黄色い色彩が雲の上に置かれていて、それもまたこの画家らしい空の表現である。手前のセイダカアワダチソウやススキの集合した様子に対して、クリアなフォルムをもって立ち上がる裸木が構成の強い軸となっている。自然の中に入り、深く観察したところからあらわれたコンポジションである。

 廣瀬冨士夫「祈り(聖ミクラーシュ教会)」。銅でできた緑青をふいた丸い屋根に鐘楼が立つ。それを囲むように周りに建物が立ち並び、川が流れる。くっきりと対象のフォルムを描き起こす。中心にどっしりとしたこの教会を置きながら、遠景になっていくと霞むような空気遠近法を使いながら、一つの街の風景をパノラマ風に表現する。クリアな再現力がこの作品の魅力である。

 小山英一「早春」。薄く雪の積もった地面が向こうに続き、中景には川らしき存在が描かれ、その向こうには雪の積もった家並みがある。青い空に裸木が立つ。クリアな優れた写実力によって風景を構築する。

 鵜飼しをり「譜」。赤、緑、黄色などの色彩が輝くように使われて、お互いにハーモナイズする。植物や樹木の色彩を画面に引き寄せていると思われるが、ほとんど抽象表現となっている。たとえばムソルグスキーの音楽のクライマックスのときの高揚したような、そんな時空間を画面の上に表現しようとする。

 久保田洋子「残響レクイエム」。すべてが津波によって喪失した褐色の瓦礫の世界が広がっている。そこにフランス人形が仰向けに一体描かれている。光が彼女を照らしている。目を見開いて茫然とした有り様である。今回の惨劇を象徴的にこの人形に仮託しながら表現する。散乱した風景の中にこの人形を置く。人間を描くとあまりにもなまなましいから、それは避けて、人形によって今回の悲惨な出来事を静かに画家は訴え、ひとつのモニュマンをつくる。

 佐藤玉枝「クロの散歩」。紅葉した中を黒い猫が歩んでいる。道の向こうには、赤い紅葉した枝を抱えているような麦藁帽子姿の少女がいる。画家は秋の音色と韻律のなかに深く入りこんでいる。かなり抽象的な味わいが醸し出されている。そのなかに女性の同伴者としての猫が、その秋の音色のなかを静かに歩む。

 松永弘「消えゆく遺産(秋田油田)」。秋田にはかつて油田があった。その油を汲み上げる大きな機械がずっしりとした存在感のなかに表現される。時間のなかになお存在しながら、その充実した存在感を見せるものに正面切って向かい合いながら、ひとつの存在を描く。黒が独特の強い手触りのある色彩として使われているところも興味深い。

7室

 村井喜次「祖父の家」。瓦屋根の二階建ての民家。長いあいだ使われて、ほとんど崩れかかっている。その家の前の様々なもの。淡々と水彩の筆のタッチによってこの風景を描きながら、独特のリズムをつくる。洗濯物が干されている。生活の歌ともいうべき雰囲気をつくる。

8室

 田代久美子「ノスタルジア」。雨の風景である。ビルに囲まれた街。そこに通りがあり、飲食店らしい店が一階にあり、人影がある。オレンジ色でぽっと明るく描かれているが、周りは寒色系の色彩で、青から紫色などが入れられている。すこし寂しい雰囲気のなかに人懐かしさが漂う。街灯がオレンジ色の光をにじませる。その寒色の中にあけた店の明るいオレンジ色の色彩がヒューマニスティックなイメージを与える。水墨でいうたらしこみを使いながら、独特の心象的な街の表現になっている。

 岩佐隆子「with HELGA 2012」。壁ぎわにアンドリュー・ワイエスの描いたヘルガのデッサンが置かれている。その下の棚にはワインボトルや時計があり、紅葉が下方に垂れている茎についている。紅葉した色彩が独特の感情を表す。ワイエスは誰にも内緒でヘルガを長く描いてきたが、そのような密度のある密かな感情を、この紅葉した葉に託して表現したような不思議な雰囲気があらわれているのが興味深い。

 岡部昌子「晩夏」。白い帽子の白いパンツ、オレンジ色のタンクトップの女性が立っている。オレンジ色のタンクトップが、まるでそこに夕日を入れたようなヴァイタルな印象である。立像の上方に向かうムーヴマン。そしてオレンジ色の前述した色彩が強い印象を醸し出す。バックのすこし褪せたオレンジ色にはノスタルジックな雰囲気も漂う。

 矢作道子「アンティーク店」。パステルの作品である。カフェの入口がすこしあけられている。紫を中心としたアンティームな雰囲気のなかにエキゾティックな香りが漂う。

 松林重宗「泉源付近 ・」。温泉の源の様子である。ブクブクとお湯が沸いて湯気が立ち上がっているような場所だろう。そこからお湯を引くためのパイプなどが幾本も描かれて、独特の濃密な気配を表す。地熱があって、地面自体が温かくなっているような情景を表現して、独特の生命感をつくりだす。

 山崎英子「復興を祈る」。水に流されている家や散乱するもの、倒壊するビルなどが活写するように表現されている。デッサンとイマジネーションの力に注目。

 加茂幹彦「造作の宴 No.4」。白いテーブルの上に玉葱、ジャガイモ、バナナ、茄子、人参、葡萄、パイナップル、西瓜、キャベツ、ブロッコリー、様々な野菜、果実が置かれている。それが独特の生命感をつくりだす。すこし離れると、左上の白いシーツが犬の形をして浮かび上がる。右足を出して、首輪をはめている。トロンプルイユ的な表現が、このオールオーバーふうな静物表現に入れられているところも面白い。

9室

 森川静江「カルカッタ(マナセーナ)」。右下に建物があって、道が見える。上方はほとんど抽象的なフォルムの組み合わせである。グレーを中心にピンクの色彩が入れられている。不定型の色面が組み合いながらロマンティックな雰囲気があらわれる。それは一つの壁の中に様々な風景が入れこまれているような雰囲気である。そして、そのあいだの真ん中上方にまた向こうにいく風景があらわれる。独特の深い感情世界が外景と内景が重なるなかに表現される。

 伊藤由美子「路地のおばさんたち」。インドの女性を描いている。インドでは田舎でも携帯電話を使っていて、ITが進んだ国で画家は驚いたそうだ。同時に素朴な生活がそこにある。そんなインド人の女性を、いわばイコンのような雰囲気で表現して興味深い。

 遠藤整「晩夏(・) (武甲山麓)」。地面の起伏の中に樹木が鬱蒼と茂り、間に平地が見える。背景に武甲山がのぞき、建物がある。そういったパノラマを遠近感の中にしっかりと表現する。樹木のくすんだような独特の濃い緑が晩夏の季節を表す。

 植木愁市「花のある街」。建物の前にベンチがあって、そこに花が置かれている。手前にも花畑のようなフォルムがある。童話的なファンタジックな世界が愛らしく描かれる。

10室

 岩本増実「刻」。木造の建物がずいぶん古びている。桟にはガラスがはまっている。そんな古い建物を思わせるものの前に少女が座っている。フォルムにボリューム感があり、手触りがある。いわゆる透明水彩の方向ではなく、グアッシュ的に色彩を重ねながら対象のもつ物質感、存在感を表現する。そして、この作品ではそこに回想といった時間があらわれる。いまは大人になった人の少女の時の様子を画面の上に再現している趣がある。時の手触りが独特の質感を画面に与える。

 竹口真紀子「まどろむ」。テーブルに肱をついて横座りに座っている女性。後ろから描いていて、前面にある鏡に上半身が映っている。優れたデッサン力に注目。

 荒木惠美子「さびしい祭り」。不思議なコンポジションである。画面の中心に十四、五の浴衣姿の女性が金魚の入ったビニール袋を持って上方を眺めている。あるいは、逆に上方を眺めている女性を上から眺めている。その周りに盆踊りを踊る傘をかぶった女性たちが連続して描かれ、雪洞が弧を描くように連続して置かれている。そのあいだの青い闇の中にこの女性はいる。お盆の華やかなお祭りと同時に、亡くなった人々がお盆には帰ってくるということがある。この少女の身近な人が亡くなって、その寂しさと盆踊りの提灯や踊りといった華やかなものが重なったかたちで独特のこの情感があらわれているのだろう。お盆のお祭りが華やかであればあるほど喪失感が深くなる。

 小西淳子「牧歌・La Pastoral」。緑一色の画面であるが、明るい部分、暗い部分、もっと暗い部分とその色調が変化する中に深い空間があらわれる。上方には林のようなものがあるように感じられる。下方の真ん中あたりに水があって、周りを映しているようだ。そこには月影が差し込んでいる。森のもつ神秘な雰囲気。それが柔らかな深い緑のなかに表現される。画面に接近すると、ペインティングナイフで引っ搔いたようなフォルムが繰り返し連続して、独特の韻律をつくっていることがわかる。下方では、緑の中に黄色や灰白色の色彩がその引っ搔きからあらわれ、上方では、黒い中に茶褐色の色彩がにじみ出る。声明を聴くような思いに誘われる。中心に水があり、水の周りの植物。そして、奥行きのある上方の空間に木立らしきものが立っている。それぞれの植物や樹木は生きて呼吸をしている。いわば森羅万象の声に耳を傾けて作画しているような趣のあるところが興味深い。

 松田節憲「平等院遠望」。水墨風な味わいがある。線によってこのパノラマ的な建物の集合した様子、川や道、樹木を活写している。水墨の筆を使って洋画風なしっかりとした空間、客観的な空間を描いたといった趣である。いずれにしても、クリアなフォルムによるこの風景の中には街のもつ歴史や生活感とか物語性といった文学的なイメージもクロスしているところが興味深い。

 鍋山ゆみ子「山里の風」。グレーの風が画面を渡っている。そこに図像的に花や昆虫や建物などを配して、独特の韻律をつくる。再現的に描くのではなく、図像的に配置することにより、イメージが深くなる。その図像はお互いに呼応しながら、独特の詩の世界ともいうべき空間をかたちづくる。

11室

 杉江ヨシエ「茜色の窓べ」。テーブルの上に花瓶があり、たくさんの花が挿されている。そばにはピアノがあり、上方に風景が浮かび上がる。ほとんどコラージュと言ってよいほどコラージュが多用されている。それによって複雑なニュアンスと色彩のハーモニーが生まれる。ファンタジーの空間を生き生きと表現する。

 森薫「冬日和」。三角形の屋根をもつ山荘風な洋館を斜め正面から描いている。裸木が何本も立ち上がっている。その繊細な表情が見事に描かれている。地面は雪搔きされて、道の両側に雪が塊となって置かれている。もっこりとしたカーヴをもつ雪の層とシャープな細い枝が伸びていく様子との対比。そして、日が差し、くっきりとした明暗があらわれる。透明水彩の特色を生かして、下方の雪の白は極力紙の白を生かしている。ところどころその紙の上にホワイトが置かれて、それもハイライトとしてのアクセントになっている。いずれにしても、遠近感のある風景の骨格の中に中景に、何本かの細い裸木が梢を広げている様子が清潔な韻律をつくっている。そこに差す日の光の温もりのような、光の性質までも描き起こす筆力に注目。

 髙橋憲彦「秋の気配」。林檎がたわわに実っている。一部色づいている。太い幹の屈曲したフォルムとそこに鈴なりになっている林檎を客観的に生き生きと表現している。緑の中に赤がアクセントとして効果的である。

12室

 橋本義隆「賛花」。津波に対するレクイエムである。ひざまずいて口をあけて歌う少女。そばに大きな赤い百合を持って祈っているもう一人の少女。二人は銅像のような雰囲気で、その強張った様子がそのまま悲惨な津波の出来事を連想させる。強いコンポジションである。

 西山恭子「階段のある街」。独特の色彩家である。階段の両側に建物が並んでいる。だんだんと奥に行くに従って高くなっている。物語性とファンタジーを感じる。色彩感覚が面白い。

 藤井啓二「Mの肖像」。鉛筆による仕事である。ベニヤ板にジェッソのようなもので地塗りした上から鉛筆で描いているようで、独特の質感、マチエールが生まれている。また、座っている女性の微妙な気配、息づかいがよく表現されている。

 大塚友海「戻れない日」。木立を背景に小さな子供を抱いている若い母親。的確なデッサンによってシャープな動きの中に表現する。日差しの扱いもよい。

 土屋智計「曙」。若い女性が裸で正座している様子を輝かしく表現している。バックが面白い。松のような木立や石などがグレーでシルエットふうに描かれている。女性の座っている場所も石の上のようだ。ひんやりした背景に対して温かみのある若い女性のヌードは一種母性的な雰囲気で、人々を癒すようなイメージのなかに表現されている。観音さまのように女性を描いていてユニーク。

13室

 川向美枝子「アン・プチ・ムール」。人形の内部に入り込んだような独特の生命的なイメージが興味深い。

15室

 鈴木保代「大きな木の下で」。ヴァイオリンを弾く少年とそのメロディを聴く手前の四匹の犬。三匹は後ろ向きで一匹は前向き。フォルムがしっかりとしている。そして、独特の物語が表現されている。

17室

 新井睦子「果物売り」。東南アジアの船で果物などを売る様子を優れたデッサン力で表現する。木の桟橋に女性が座り、そばに船があり、船には果実が満載である。それを見下ろす角度からしっかりと描く。とくに船の上の果物の集合した様子を面白くしっかりと表現している。

18室

 奥田敏雄「波紋」。川に面して石垣が築かれ、その際(きわ)まで建物が並んでいる。そんな情景をきわめてクリアに表現している。青と紫が主調色になって、しっとりとした情感を醸し出す。建物の形がそれぞれ面白いが、水の中に波紋が起きているのがユニークなアクセントになっている。

 田上千加子「波照間閑日」。沖縄の波照間島のむんむんするような樹木の枝を伸ばした様子や膨張するような草の繁茂する様子をよく表現している。樹木や草のもつ生命感が表現されていることと湿気のある空気感もまたクリアに描かれていて、不思議な魅力を放つ。

19室

 中村光良「鋳物工場」。工場の中のガスボンベやその他様々な小さなものが一つひとつクリアに表現されている。二人の青年が働いている様子も生き生きとしている。調子に逃げず、一つひとつのフォルムをクリアに描きながら構成している。そして、しぜんと物語が生まれている。

 増井直人「山の辺の道」。道の両側に溝があり、そこに接して古い民家が続く。瓦屋根と漆喰の壁。手前には営業中の素麺屋という看板も見える。柔らかな日差しの中にそれぞれのフォルムがくっきりと浮かび上がる。落ち着いたデッサン力によってこの街の一隅がクリアに表現される。

 豊嶋章子「記憶の中の音楽会・Saint Jacquesへ」。淡彩によってミュージシャンと街を描き詩的な空間を創造する。

20室

 茂木幸子「大桜」。フォーヴィックな動きが生き生きとした生命感をつくりだす。樹齢の長い桜が満開である。その花と幹が動いているようなダイナミズムが面白い。また、桜の透明な色彩がよく表現されていて、下方の黄色い花や葉の若緑とハーモナイズする。

21室

 齋藤雅紀「街影」。石段が下方に下りていき、カーヴする道につながる。両側の建物のフォルムがクリアだし、その石段のフォルムもまたクリアで、フォルムとフォルムが響き合いながら独特の韻律をつくる。フォルムと構成力に注目。

22室

 中村泰子「栄枯盛衰」。蓮の大きな葉が茎の先についている様子が面白く表現されている。視点が面白い。蓮の葉の裏側から見る視点。それは光を通して若緑色に輝いている。見下ろす視点からの葉はもっと濃い緑で、あいだに水がのぞき、周りのフォルムを映す。遠景に建物。大きなトンボが葉の先にとまっている。クリアなフォルムを組み合わせて、優れた構成を見せる。形に対する感覚が優れているから、この複雑な構成が可能になる。明暗の扱いも面白いし、その構成と色彩によって新鮮でモダンな雰囲気が生まれているし、トンボなどを配置することにより風景の中にドラマが生まれる。

24室

 橋爪秀夫「江戸里神楽」。獅子の面と神楽の衣装が鮮やかに面白く表現されている。また、左足を上げた動きのあるフォルムにも注目。

25室

 堂畑時雄「春への始動」。中景の地面は雪がすこし積もっている。そのあいだに道があって、それは茶褐色の土がそのままむきだしになっている。近景になると、それがうねうねとした独特の動きをつくり出す。旋回するような構図と道のそばの裸木や建物などの配置が面白いし、フォーヴィズムとも言ってよいムーヴマンが強い情感をつくりだす。

26室

 中村裕道「城下町真壁のひな祭り」。道路と古い瓦葺きの建物の一階のお店。そこに並ぶ人を丁寧に描いている。柔らかなトーンを帯びた色彩がしみじみとした情感を醸し出す。

27室

 新田四郎「つるバラと馬車」。荷車の上にツルバラが溢れるほどに積まれている。下方に垂れる茎の動きと全体のボリューム感がよく表現されている。緑の複雑なニュアンスの中に黄色い、あるいは白い花がたくさんついていて、まるで巨大な星のような雰囲気でロマンティックである。右上方に二匹の蝶が描かれているのもアクセントとして効果的である。

 木下順子「別れ」。中心に矩形の大きなボックスがあり、そこは花で埋まっている。そこに記念のものや折鶴などを周りの人びとが差し伸べている。周りでサックスやギターなどのミュージシャンが楽器を奏している。周りのグレーの空間に対して中心の赤い色彩が輝かしいが、これは巨大なひつぎのイメージで、一年前の津波に対するレクイエムと思われる。イメージの中からフォルムを構成し、中心の赤を置いたコンポジションが興味深い。

第51回大調和展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 山下笑子「刻の記憶」。文部科学大臣賞。軽井沢にある鬼押出し浅間園の風景である。かつて溶岩によってできた台地が、長い時間をかけて風雨にさらされ、少しずつ形を変えていくその岩肌の風景を中心に描いている。岩と岩の合間には草木が生い茂り、それを登った先には草原、さらに遠くには浅間山が見える。丹念に岩肌のマチエールを追っていきながら、画面全体を落ち着いた色調でまとめている。陽の光によって照らされた岩肌は、場所によってグレーから茶系の色彩を繊細に変化させている。堅牢なはずの岩に少しの温もりが感じられるのは、山下作品の大きな魅力の一つである。特に今作品では、岩の合間にある草木が絶妙の柔らかさを作品に与えている。複雑な画面構成であるにもかかわらず、うまく纏め上げて描ききっているところもまた、見所である。(磯部靖)

 宇佐川良「一人構図」。筆を口にくわえ、左手にパレットを持った下着姿の女性を画面の中央に配置している。どうやらアトリエで絵を描いているらしく、周囲には絵具やイーゼルに立てられた描きかけの作品がある。明るい灰白色と青を中心に、赤やピンクを効果的に施している。そういった中で、画中画に描かれている一羽の鳥が女性と向き合っている様子が特に印象的である。複雑に色面を組み合わせながら、きびきびとした筆の扱いで、巧みに作品を描き出しているところに特に注目した。(磯部靖)

 代田盛男「雨のパリ」。雨の降るパリの街角をしっとりと描き出している。画面の中心に交差点があり、その向こうには集合した建物とその下を歩く人々の姿が見える。その交差点の大きな空間が独特の間を作品にもたらしている。路面は雨で濡れていて、建物がその影を落としている。幾度もパリに通い、長くその風景を描き続けてきた画家ならではの画面構成である。画面右手前には細長い街灯があり、その右下に自転車が一台置かれている。そのどこか物寂しい様子に見入ってしまう。細いシャープな線でそれを描きながら、この街を見つめる画家自身の姿のようで興味深い。グレーから茶系にかけての色彩をベースにしながら、赤や黄を点々といれて画面の調子をうまく作っている。深い情感を大切にしながら、確かな筆力でパリの街の魅力を訴えかけてくる。(磯部靖)

 黒田悦子「幽篁情懐」。幽(ゆう)篁(こう)とは奥深い竹林のことである。その竹林を背景に、文楽人形による人情劇が描かれている。倒れた女性を抱く男。それを両脇の竹林の中か見つめる男女。複雑な人間関係、恋愛模様を思わせる。人間ではなく人形独特の存在感に、鑑賞者は自身をどれかの人物に重ね合わせながら作品を見てしまう。竹林は上方にすっと直線的に伸びていて、そこにシャープな笹の葉がいくつも描かれている。それに対して人形のフォルムは丸みを帯び、衣服の模様なども相俟って、複雑で見応えのある画面を形成している。背後には金色を思わせる色彩を施していて、竹の緑や人形の白などの色彩とその存在感をしっかりと支えている。じっくりと構成された画面だからこそ、複雑な心理劇を表現できる。そういった絵画的な安定感が、この画家の技量の確かさを訴えかけてくる。(磯部靖)

 山田千代一「黒い海」。画面の中心に大きく男の顔を描いている。その男は右手に僧の描かれた札、左手に漁船を持っている。僧の札からは念仏が文字となって空中に浮かんでいっているところがおもしろい。背後には右に傾いた水平線の海が広がり、その向こうにビル群がいくつも立っている。昨年の震災による津波は日本国内に甚大な被害をもたらしたが、その象徴である漁船とその被害に対する救済を一つの画面の中で密接に関係させているところに、画家の深い祈りの感情が見え隠れする。大胆な画面構成と明るい色彩が、そういった感情を希望と共に鑑賞者に訴えかけてくる。(磯部靖)

 喜多村功「窓からの光(7月の頃)」。室内で椅子に座った女性を中心に描いている。

陽の光が左上方から差し込み、それによって照らされた画面全体の優しい色彩が魅力的である。女性のフォルムもやわらかい。それに対してグラスなどの小物は、緊張感を持って描かれているようで、その対比が興味深い。室内を満たす心地よい空気感にもまた惹き付けられる。(磯部靖)

 佐藤和夫「雨上り」。カーヴしながら流れる小川を中心に、山間の風景が広がっている。遠景には青みがかった山の姿が見える。画題にあるように雨上がりのしっとりとした空気感が、緑と青の色彩によってじっくりと描かれている。そういった中で小川によって一つの動きを作り出し画面を活性化させながら、豊かな色彩感覚で描き出しているところに注目した。(磯部靖)

 杉浦節子「なかよし」。ソファの上で向かい合って話している少年と少女を描いている。線によって象(かたど)られたそのフォルムは、しっかりとデッサンが取られている。クロッキー風に色彩を抑えながら、この二人の親密な関係と存在を巧みに描き出しているところが印象的である。(磯部靖)

2室

 大亀喜平「岸辺の風景」。青い水が流れている。ところどころ白いしぶきを上げている。対岸は草が枯れて斜めに倒れている。そこにたくさんの石が大小存在する。近景は水の中にある大きな石、小さな石。水の表面に出ているから、白く輝いている。水の中には、その中に埋もれた石がある。流れていくものは水というより、時間のように感じられる。その時間を取り巻く石の様子にはなにか不気味なものがある。あいだを青い水が静かに流れている様子は、一種シュールな味わいを感じさせる。(高山淳)

 早川雅信「巴里」。パリの街をデパートの屋上から眺めて描いた、その視点が独特である。左側に高い建物があり、道路を挟んで右側にはパリ特有の中庭のある建物がいくつも続いている。その繰り返される直線的なフォルムが、実に細やかに描写されている。遠景には画面の向かって右寄りにエッフェル塔が見える。グレーの色彩を繊細に扱いながら、誠実に描いているところが早川作品特有の魅力を紡ぎ出しているようだ。この街を歩く画家と同じように、鑑賞者は作品の中を旅する。(磯部靖)

3室

 黒田良市「棚田雲映」。連々と続く棚田を上から見下ろしている。水を張った棚田がいくつも繰り返されて続いて行っているが、それぞれの形やその連続性がおもしろい。また、空に浮かぶ雲は棚田の水面に映り、棚田の合間には樹木や家屋が点々と入れられている。それらが作品に独特のリズムと動きを与えている。画面をじっくりと描き込むことで獲得した情感が、強く鑑賞者を惹き付ける。(磯部靖)

 杉崎靖夫「ザ・リング」。リングに上がろうとする一人のボクサーの背中が強く印象に残る。これから試合に臨む決意と覚悟を帯びたその姿に強い孤独感が漂っている。ロープを広げるセコンドや名前を読み上げる人物など、それぞれの様子もしっかりと描かれている。赤や青の強い色彩を使いながら、じっくりとマチエールを作り上げて、重厚で見応えのある画面となっている。深い心理劇がそういった画面の奥から浮かび上がってきているところが特に印象的である。(磯部靖)

 倉持尚弘「ここから」。優秀賞。じっくりと考えられた画面構成である。トンネルの中のような場所から電車の操車場を見た風景である。いくつもの電車がこちらを向いて並んでいる。そこに線路が少しずつカーヴしながら伸びて行っている。トンネルの中は暗く、外は明るくなっていて、その強いコントラストが印象的である。精緻な筆致で描きながら、どこか幻想的な雰囲気を作り出しているところがおもしろい。(磯部靖)

 佐藤文四郎「休憩タイム」。画面いっぱいに降り積もり、今も降り続けている雪の中に、バスやトラックなどが中景に描かれている。どこかの駐車場だろうか。雪は青みがかっていたり赤みがかっていたりしていて、その表現が実に豊かである。向かって右端のバスの横には外に出ている運転手らしき人物が点景で描かれている。乗客を待ちながらの休憩なのだろう。肌に迫る冷たい空気感の中に、そういった人間味のある雰囲気を作り出しているところに特に注目した。(磯部靖)

 大門雅総「春到来」。画面いっぱいに咲き乱れる桜が華やかである。下方には小川とその両岸が少しだけ見えるが、画面の大半はピンクの色彩が占めている。春の象徴といえる桜を過剰ともいえる程に重厚に描き込んでいる。その華やかさ、春到来の喜びに鑑賞者は足を止める。(磯部靖)

4室

 垣内宣子「初夏のウルビーノ(教会)」。画面の真ん中上方に教会が描かれている。柔らかなセルリアン系の空にドームと鐘楼が聳えている。その下方にはオレンジの屋根をもった建物が集合している。左右には煉瓦造りの建物の壁があり、窓があけられたり、窓に植木鉢が置かれて、その深い赤やすこしオレンジがかった赤などの色彩が輝く。下方は広場のような小さな道の交差点になっている。それに接する建物の二階に三つの植木鉢が置かれ、やはり赤い花が咲いている。五か所に花が咲いているわけだが、それが透明で、まさに信仰の心が燃えているような、そんなピュアな印象である。そして、向こうから手前に向かって光が差し込んでくる。その柔らかな光にも聖性とも言うべき性質が感じられる。建物の角度によって建物のフォルムは変化するが、その微妙な変化を扱いながら複雑なコンポジションがつくられている。そして、その動きは最終的には上方の向こうの教会の鐘楼に行くといったコンポジションも実に優れている。もう一点の「宮殿」は、やはり上方に宮殿の塔を置いて、だんだんと下方にオレンジ色の屋根が下がっていくように構成されている。おそらく背後で土地が傾斜していて、それに沿って建物が造られているからだろう。やはり両側に石を積んだ壁があり、今度は窓際に花の咲いていない緑の植物が置かれ、静かに輝く。下方に二つの赤い花の咲いているフォルムが見える。下方の道を突き当たると、レストランになって、そこに二人の男性と一人の女性が立っている様子が見える。きわめて透徹したような視力を駆使しながら、一つの街を不思議なミステリアスな雰囲気のなかに表現する。明度の変化、微妙な色調の変化が描き分けられている。そして、だんだんと立ちのぼって上方の尖塔のある塔に視点が向かう。(高山淳)

 三國芳郎「魑魅魍魎」。鎧兜を着けて座った女性を守るように、その周囲に妖怪が描かれている。ウサギのように耳の長いものや、羽の生えたカエルなど、それぞれの様子がおもしろい。イメージ豊かなこの画家ならではの独創性が感じられる。戦争で殺し合うには、人間性というものを捨てて戦わねばならない。相手がそうやって襲って来るのならば、こちらもまた同じようにして迎え撃つしかない。そういった戦争というものをこのように表現しているところが実にユニークである。ファンタジックな世界観の中に、画家の反戦へのメッセージが静かに込められているようで興味深い。(磯部靖)

 辻野典代「水仙咲く里」。画面の手前から奥に向かってたくさんの水仙の白い花が続いている。画面全体は雨上がりを思わせるようにしっとりとした空気感に満ちている。水仙の花もまだ湿っているようだ。そこに明るい陽の光が降り注いでいる。その光は、濡れた水仙の花を照らしている。一方向の光だけではなく、花に付いた雨が様々にそれを反射させ、画面全体で不思議な幻想感を作り出している。それは幽玄の世界といっていいかもしれない。やわらかな筆の扱いが、そういった深い情感を支えている。どこか天上的な雰囲気もあり、鑑賞者は知らずとその作品世界に誘(いざな)われるようだ。(磯部靖)

5室

 杉良太郎「花の下にて」。奨励賞。画面の中心やや左に桜の樹を置いて、その右側から道が奥へと続いている。桜の花と幹はじっくりとマチエールを施して、見応えのあるヴォリュームを作り出している。そしてそれによって引き寄せられた強い生命感が強く印象に残る。素朴で誠実な制作に対する画家の姿勢が、そういった画面から強く伝わってくる。(磯部靖)

9室

 奥野隆也「弘前のりんご園」。ハーフトーンによるやさしい色彩の扱いが魅力的である。画面中央の樹木を中心に、奥にもりんごの樹がいくつか見える。枝には赤い実がいくつも実っている。繊細に描き込みながら、見ていて気持ちの良い画面が印象的である。(磯部靖)

10室

 馬本雅文「黎明」。東京都知事賞。たくさんのヌーのような動物と現代人が画面の左に向かって歩いている。その向かっている方向は少し明るくなっている。それら一人一人、一匹一匹の様子を追っていくように見てしまう程、それぞれがおもしろい。大地は硬く荒々しいが、それを乗り越えて光を目指すヌーと人間という、独特の群像表現の独自性に注目した。(磯部靖)

11室

 吉川宏子「春宵」。佳作賞。赤いソファに座った裸婦とその左にソファにもたれかかって衣服の上半身をはだけた女性を描いている。女性の丸みを帯びたフォルムがしっかりと捕らえられている。背後は灰白色の壁になっていて、そこにソファの赤と温かみを帯びた女性の肌がうまく組み合わさって馴染んでいる。暖色系の色彩で画面をまとめているが、その色彩的バランス感覚の良さが特に印象に残った。(磯部靖)

12室

 岸本和子「舞台衣装」。クラシックな衣装を着た女性が椅子に座っている。軽く左手で右手の指を握っている。その左手と右手の指の表情などのディテールを見ると、優れたデッサン家であることがわかる。また、柔らかな表情のなかに夢見るような表情があらわれている。若い女性のもつオーラともいうべきものを表現する。(高山淳)

第59回新美術展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 太田洋子「樹間に遊ぶ」。樹木が地面に根を下ろしている。そこが描かれている。そこに可憐な野の草たちが伸びている。一つひとつそれを丁寧に描く。まるで地上に生きている愛しい生き物たちのようである。背後のずっしりとした二つの木の幹。その背後のシルエットの木。とくに白っぽい木の幹は徳岡神泉の描く樹木を連想するところがある。そして、その周りに咲く可憐な野の草たちが実に愛らしく、一つの小さな宇宙をかたちづくる。花は小さな星がまたたいているようだ。

 糸井達男「時」。ホームに青年が立っている。そばに線路がすこしカーヴしながら向こうに続いている。遠景には山や民家がクリアに表現されている。男が立っているのはコンクリートのホームだが、もっと近景の左側に木造の駅舎が描かれている。そばには赤い花の咲いた植物。昔は木造の駅舎であったのが、いまはコンクリートに変わったようだ。遠景に見える集落も山も、昔の記憶の中にあらわれてくるもののようだ。線路はそのような回想の時間にわれわれを連れていくレールのように感じられる。木造の駅舎の手摺りや窓や壁のフォルムが一つひとつ確認するように表現されていて、独特の手触りがある。時間のしみ通ったような存在である。画面全体、そのような時間の厚みのなかにあらわれてきた図像と言ってよい。

 多田夏雄「創世記  生命の航跡」。山を背景にして哺乳動物たちが左に走っている。莵、サイ、カンガルー。すこしわからない生き物もいる。イタチのようなものもいる。それぞれがキャラクタライズされているようで、そのクリアなフォルムが集合しているところがユーモラスで面白い。その応援団のようなコウモリが宙に浮いているのも楽しい。

5室

 高橋恵子「沙羅双樹のもと」。内閣総理大臣賞。沙羅双樹はこのような蔓のような枝がたくさん出ているものなのか、それはよく知らないが、その枝にたくさんの小鳥がとまり、牡丹のような花が咲いている。それが独特の曼陀羅ふうなコンポジションをつくる。まるで千手観音の手のようなものが木からカーヴしながらあらわれて、小鳥をとまらせ、花が咲いている。不思議な生命感と同時に一種の宗教性ともいうべきイメージに注目した。

6室

 冨樫章紀「暮れのこる」。池のそばの一本の大きな樹木。その向こうには柳の葉が垂れているような、そんなシルエットのフォルムがある。鴨が泳ぎ、鷺が立って遠くを眺めている。鷺のシャープなフォルムが、周りの揺らぐような空間の中に見事なアクセントとなっている。

 加知満「めざめる頃」。山間の集落が描かれている。建物をすこし上から見下ろして一つひとつ描いている。金が使われている。この山間の集落が貴重な存在として、尊いものとして描かれているところが面白い。明け初めている頃の建物の中にはたくさんの人がまだ眠っているような雰囲気であるが、すでに柔らかな光は満ちてきて、その光の中に建物が輝く。一つの集落、ふるさとを大切なものとして四曲の屛風に描く。

第60回記念創型展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 本田紘一「レクイエム」。同人優秀賞。少年の首を囲むように大きな両手がある。仏の手に包まれた少年の顔というイメージ。ボリューム感が実に魅力的である。そのボリューム感をもつ手は温かい。その両手のオーラの中に少年が包まれている。亡くなった少年をそのような形につくって魂を鎮める。

2室

 小俣光司「時・空・次元」。金属を丸めたようなフォルム。その筒のようなフォルムが三方向に立ち上がって、真ん中に球が置かれている。さらにその下には紐のようなものによってこのフォルムがとめられている。三方向に動いていく動きは、題名のようにある次元を表し、空間にそれが突き立っていく。中心に球があって、その球は不思議な念力のようなものの結晶したようなイメージを感じさせる。独特のコンセプチュアルな立体である。

3室

 福本晴男「美の行え・変幻施餓鬼堂の小町」。60回記念大賞。重力がない。みんなふわっと浮いた中にあやしいものがあらわれている。幽体を彫刻で造ると、このような形にならざるをえないのだろう。不思議な霊気のごときものが周りに立ち込めている。下方を見ると、右足が一つ、目の前に本体から離れて置いてある。隠れた部分がその背後にある。冠をつけて、その下に小町の能面をつけている。それをはがすと、顔の向こうには不気味なものが存在するのだろう。古木を見ながら、そこに不思議な動きを彫り出す。両側の樹木の細い幹をほとんどそのまま使用したフォルムもあやしい。存在する樹木ではなく、樹木のもつ動きや命をうまく使って、両側に持仏のように置いている。日本の能はすべて死者をその場に呼び戻して演ずるわけだが、そのような日本の文化を背負いながらの彫刻である。

 小野直子「晴れた日に」。女性の胸像であるが、胸の下方に階段がつくられて、そこに驢馬が立っている。もう一つの階段にはもっと小さな驢馬がいる。そして、胸のあたりが青く彩色されて、二つの白い雲が浮かんでいる。自然の中にこのような女性のフォルムを画家は発見して、大地からそれを彫り出すようにして木彫の上にそのイメージをつくる。顔はデスピオを思わせるような、敬虔な、独特の精神性を感じさせる。

 牧田裕次「舞人─ささら─」。女性の顔の左耳のあたり、その髪の毛が向かって右方向の鬼の顔になっている。そして、一周すると、裏側では鬼の鼻や口が全体の鶏のようなフォルムの先端になっていることがわかる。ボリューム感が感じられる。そして、柔らかな風が吹いている。優雅に舞いを行っているその女性の頭部。唐代のふっくらとした仏頭を思わせるようなイメージが、この女性の顔に感じられる。木の塊から見えてくるもの。その中に深く浸透するように入りながら、独特のフォルムを彫り出した。作者は木だけでなく、空気の中にも何かを見て、そこに彫り出すことができるような、そんな強いイメージの発現である。

第55回記念新象展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

8室

 三浦哲徃「仮晶─時の想い(3・11)」。二つのパートからできている。向かって右のパートは六人の群像で、こちらに歩んでくる。いちばん手前に一人、二人、背後に三人と、上から見ると三角形になるような立体感の中にこちらに歩んでくる。その群れから離れて、向かって左、一人立っている男がいる。その男には赤や緑のフォルムがその周りに影のように置かれている。後ろの六人の人をすべて重ねた像のようにも見えるし、後ろの六人の足音を聴き、六人に影響された中にいる一人かもしれない。仲間から離れて立っている男。亡くなった敬愛する友達が歩いている足音が聞こえてくる。そんな足音を聴きながら、自分に影響を与えた様々な関係のなかにいま一人でこの男はいるといったイメージなのだろうか。歩いている足のフォルムが見事である。実際に一つひとつ彫刻と言ってよいような強いリアリティがあり強い群衆であるが、顔はのっぺらぼうになっている。足音だけが聞こえてくる。死者と交信するところから表れたイメージだろうか。

第51回二元展

(6月11日~6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 石川世始子「赤い屋根の集落 ・ (ドルチェアックア)」。赤い屋根に白い壁が続く。集落と集落のあいだにアーチ状の橋がかけられている。遠景は断崖の上に立つお城である。中世の城と街並み。そのあいだを横切る谷や橋がドラマティックに描かれている。油絵らしいねっとりとしたマチエールが、この風景の色彩の輝きを支える。右のほうから光が差し込み、強い明暗のコントラストがあらわれる。手前の橋を渡ると、赤い建物の街並みが続き、その向こうに中世のお城が断崖の上に立っている。その両側は深い谷になっている。地形のもつ力がこの絵の構成のベースとして見事に扱われているところにも注目。

 嶋津俊則「チョモランマと僧院」。標高五千メートルのところにあるチベットのラマ教の寺院。そこから八千メートルのエベレストの山を望んでいる。この集落から見える白い神の住んでいるといわれる山とのあいだにある空気感とも言うべきものが実に魅力である。五色の旗がポールとポールのあいだに渡されている。右のほうにはラマ教の祭壇のようなものが置かれている。そばに素朴な一階や二階の建物がある。敬虔な信仰を持続してきたこの場所。その清浄な澄み通ったような雰囲気。また、五千メートルの高山のもつ透明な純粋な空気感といったものも感じられる。だいたい、五千メートルというと、酸素の量が地上の半分になるそうだ。そんなところに画家は取材に行き、ある静かな体験をして、それをこの清浄な独特の空間のなかに表現した。右下にいる二人の人間がアクセントとなっている。グレー、灰白色の部分、その光っている部分、暗い部分のトーンの変化が実に面白く表現されている。ハイライトは上方のエベレストの雪をかぶった山に向かうのだが、地面の上の建物の上にも灰白色が置かれて、それが清浄にお互いに響き合っているところも、この作品の独特の魅力をかたちづくる。

 山本幸雄「ツナミ」。下方に五人のピエロの顔。上方に一人のピエロの顔。あいだに大きな津波が寄せてくる様子。あるいは川や田園などのフォルムが入れられている。五人のピエロの表情によって恐怖感や悲しみが象徴される。いわば顔による津波体験の表現となっている。独特のコンポジションである。暗いバックにシテを舞うような雰囲気の感じられるところが面白い。

 五十嵐久晴「赤い傘」。横断歩道を渡る人。子供が小さな赤い傘を差している。様々な傘がこの道路を渡る人々に差されていて、向こうのずっしりとした暗い二階建ての建物のもつ存在感を背景にして、不思議なイメージをつくりだす。水に濡れぬかるんだような困難な雰囲気であるが、その中に赤い傘を差している子供たちを守るように大人たちが動いている。そんなヒューマンな人間的な味わいが面白い。

 關拓司「人・人 ・」。六人か七人の女性の群像である。今回の津波という困難な経験を越えて生き抜こうとするような逞しい女性群像である。そのような困難ななかから女性の魂とも言うべきものが立ち上がってくるように描かれているところが面白い。

 渋谷定意子「花圃 ・」。青いスカーフをつけた女性が立っている。周りに白い花や青い花が咲いている。まるで花の精のような雰囲気である。すこし縦長にデフォルメされていて、手触りのあるマチエールによってしっかりと表現されている。もう一点の作品は、花の中に女性の上半身が浮かんでいる。茶系とブルーと白とが静かにハーモナイズする。

2室

 奥田文絵「ジュピター」。ジュピターとは木星という意味であるが、画面全体に木がお互いにハーモナイズして、この静物を取り囲んでいるように感じられるところが面白い。緑がロマンティックで、酸素いっぱいといった雰囲気で表現されている。テーブルの上にある果物や瓶や燭台なども面白く、とくに曲線でできた燭台などは、アラジンのランプのようなイメージを醸し出す。そばに小鳥が来ているのもロマンティック。

 向井武志「雑然としたポスター」。パリの扉や壁にたくさんのポスターが貼られている。同じポスターが何枚も貼られて、あるリズムをつくりだしているところもあるし、はげかかったポスターもあるし、貼ったばかりのポスターもある。そんなポスターがお互いに響き合っている様子を面白く表現する。画家はポスターに触発されて自分でも横文字で落書きのようなフォルムを上から描いた。白やブルーによるそのフォルムが、存在感のあるポスターとまた響き合う。いわばポスターはお互いにオーケストラの一員のようにそれぞれの歌をうたっているところに画家自身がソロとして登場して、ある旋律を歌い出したといってよい。そのポスターのオーケストラはパリの庶民たちの世界の生活や文化や歴史というもののあらわれであり、そんなパリを画家はとくに愛している。その上に前述したような落書きのようなフォルムが入り、いわば画家とパリとのコラボレーションが実に魅力的な空間をかたちづくる。色彩が静かに輝くように置かれているところも魅力。

 辰将成「地への回帰」。三点出品で、一つは炎上する情景を背景に、干からびた大地に船などが傾き、地面に亀裂が走っているような津波の光景であり、もう一つは青々と茂った自然の光景である。この作品はその二つを同時に描いたような趣がある。津波によって倒壊し、破壊されている様子。それに対して新しく緑の葉が茂り、実っているような様子。そして、荒廃した様子は亀裂の走る地面として描かれる。三つの時間、津波、そのあとの荒廃、そして再生の緑といった時間が入れられているところが面白く感じられる。上方に二羽の鳥が飛んでいるのもアクセントとして生き生きとしている。

 頭師まさ子「バスティアの港」。対岸の建物が光に黄金色に輝いている。手前には船が何艘か繫留されていて、そのカーヴする弧状の船の配置に対して、向こうの湾曲する浜辺、その背後に立つ直立する建物といった動きが画面の中に構成される。その意味では力学的なコンポジションと言ってよい。光が建物や船を染めて、それぞれに一種金(こん)色(じき)のような性質の色彩をつくりだしている。幸せな雰囲気がその色彩から感じられる。全体のハーモナイズするような構成が魅力である。

 大井道夫「SAIWAI-2012-A」。機関車のようなフォルムと街の建物のフォルムが組み合わさって、それらが天空を静かに移動しているような趣である。グレーは銀灰色に感じられて、独特の輝きを見せる。そこに茶色や暗い青などの色彩、あるいは黒が入れられて、独特のファンタジックな空間が生まれる。宙吊りになった天空の街といった趣が興味深い。

3室

 北口嘉亮「大聖堂前」。広場に座る人。リュックを背負って歩く人。しっかりとした黄土色の建物。樹木。柔らかな光の中に街の一隅があるゆったりとした時間のなかに表現される。懐かしい雰囲気が漂う。

 佐藤博之「浚渫船 ・」。空も水も建物も船もほとんど黄土系の色彩で彩られている。その中にすこしオレンジ色の色彩が入れられていて、それが哀愁の雰囲気である。メカニックな船の曲線などのフォルムが立ち上がって、お互いに呼応しながら残照の中にそれぞれのフォルムが静かに揺れるような雰囲気が魅力である。

4室 

 竹下國雄「聖里」。段々畑が下方に向かっていく。そこは入江になっていて、島がいくつか見える。全体に黄色、紫色、緑などの色彩によって構成されていて、色彩に輝きがある。細部のディテールにあまりこだわらずに、ゆったりとした入江の陸地と海との関係が大きく捉えられていて、そこに夕日が懐かしく、大切な光として表現されていて、ヒューマンな味わいを見せる。

 斎藤史郎「残雪のハルピン郊外」。会員推挙。ずんぐりむっくりとした一階建ての建物が面白く表現されている。茶褐色の屋根に白い壁。太い煙突。屋根には斑に雪が残っている。面白いのは、地面に柵があって、その木の柵が肩を組んでいる人間のように表現されているところである。画家のもっているヒューマンなヴィジョンがしぜんとその柵にあらわれた趣である。ひんやりとしたグレーの空に建物が温かな人間的な雰囲気で表現されている。茸でできた家、そんなファンタジックな連想がしぜんと浮かぶ。

5室

 小向敏雄「日暮の街角(A)」。日暮れのパリである。街灯に灯がともり、カフェから光が漏れているが、中にあまり人はいない。横断歩道を歩く人。空がコバルトブルーからセルリアンブルーに、そして黄金色に地平線に向かうに従って変化する様子。人懐かしさのなかに独特のゆったりとした心の有り様が風景に重なってあらわれてくる。画面の真ん中にあるドームをもった建物のグレーの中の複雑な階調や、その光によって染められた雰囲気など、あるいはその下方の車の黒なども、独特のたたずまいに感じられる。

6室

 由里朱未「ココニアル」。少女の時に見た不思議な世界が画面にあらわれているようだ。右のほうに、大きくなった少女の全身が壁にあけられた入口に大きく描かれているのも面白い。正面には断崖の上の家と海と空の風景が、窓の向こうに見える。同じような空と青の水平線を背景にして、下方のテーブルにあけられた窓から猫がこの室内に入ってきている。その上のテーブルには大きな葉をもった一輪の花が花瓶に挿されている。両手を上げて踊っているようだ。そして、窓際には母が縫い物をしているのが小さく描かれている。その背後の空にいま雷が鳴り、驟雨が来た様子が描かれる。それぞれのものが謎めいていて、世界と不思議なかたちで親和力をもって生きていた少女の時代のイメージが、鮮やかに画面の中に表現される。 

 谷本淳子「未来(語)」。色彩家である。母と両側にいる子供たち。その前をピンクや黄色、青、緑の光が横切っている。まるで虹が、上方ではなく、この母と子の中を通過しているような趣である。優しい夢を育むような、そんな空間があらわれる。子供たちの無邪気な目の表情が愛らしい。

7室

 國方晴美「大地 ・」。野火のあと、まだ火がチョロチョロと燃え、煙っているような、そんな茫漠たる大地が描かれている。夕方の斜光線がそこに差し込んで、情感をつくりだす。近景には焼けた残りの植物の茎のようなものが立ち上がって銀色に輝いている。煙の中から赤い火がチロチロと燃えている。遠景はシルエットの樹木や建物で、地平線がその向こうに見える。空はオレンジ色に染まっている。オレンジ色の光とインディゴふうな暗い影とによってこの草原はつくられていて、ムーヴマンの中に強いロマンが感じられる。

 北野弓子「小鳥とあそぶ時 ・」。三人の女性が樹木の前に立っている。手のひらに小鳥を持っている女性。あるいは、肩にとまらせている女性。手にはカーネーションのような花を持っている人もいる。三人はほぼ同じようなスタイルで、同じような顔をしていて、まるで三人の妖精のような趣である。マットなマチエールの中に緑をバックにしてジョンブリヤン系のグレーの肌が輝く。目を見ていると、まるで埴輪を見ているような趣に誘われる。ヨーロッパふうなロマン豊かな妖精的なイメージと日本の素朴な埴輪のような女性のイメージが重なって、独特の柔らかな雰囲気が生まれている。いのちを慈しむ。その象徴として鳥や花とともにあらわれた女性たちである。

8室

 石井貴子「星名池」。愛知県にある池で、蓮で有名な池である。蓮の葉が茶褐色に、あるいは緑に、大きく描かれている。そのあいだに蕾や蓮の花などが置かれていて、また、花托になった花も描かれている。花が咲いて、咲き終わったあとの蓮が描かれて、ある一定の蓮の時空間が表現されている。緑のバックに花や花托や葉が白い輪郭線の上に描かれているために、一種木版画のような効果を上げている。バックは緑やオレンジ、青などの色斑が置かれて、その上から色彩によってオブラートに包むように覆われている。蓮をとおして静かに世界を荘厳しているような雰囲気が感じられる。蓮の葉や花がきらきらとした星の世界を背負いながら、その茎や葉を伸ばしているように感じられる。

9室 

 藤室節子「胡洞(フートン)の昼下り」。木のドアが四五度ほど開いて内部が見える。老人が座っている。その中庭を通って、もう一度玄関を入ると室内になるというフートンの構造が面白く表現されている。内側と外側。内側にまた外側と内側があるといった仕組みである。また、北京に行ってもこういったフートンはほとんどもう壊されてしまっているから、貴重なシーンである。柔らかな光が差し込んでいる。建物ができてからの長い時間とその光とが不思議なコラボレーションともいうべきイメージをつくりだす。さらに扉の向こうに干された洗濯物、その下の老人というシーンが、二つの時間のコントラストの中に表現されていて面白い。

 塚本文子「はやくはやく迎えにきてよ」。三点出品で、樹木と女性とを面白くアレンジしたものである。この作品は大きな樹木の半ばに少女が座って見下ろしている図である。ペンのハッチングによってフォルムがあらわれ、ボリューム感がつくられている。水彩作品である。達者な筆力のなかに若い女性が三百年ほどあるような樹木に抱えられているようなイメージが面白く表現されている。樹木は母であると同時に父でもあるし、あるいはご先祖さまでもある。そんな長い時間の象徴としてこの植物があらわれ、少女と対照されているというコントラストが面白い。

 加野元「穏やかな陽光の水辺」。博尊賞・常任委員推挙。池のような静止した水が近景にあって、その向こうに樹木が立ち並んでいる。そこにスポットライトのように光が当たる。それ以外は暗い。光の中に鮮やかに幹や葉が立ち上がってくる。その様子をまた下方の水が映す。大半は暗く、水も暗いなかに、スポットライトを浴びたようなその日差しの中の樹木とそれを映す水とが周りの暗い空間と面白く対照される。暗い空間の中には奥行きがある。その奥行きのある深い空間をバックにして、一瞬の生のきらめきとも言うべきイメージが淡々と表現される。 

 奥野元子「向日葵―2012」。三本ほどの向日葵の幹が立ち上がっている。中心にはそれが逆U字形に下方に向かって、黄金色の花がうなだれているような様子のものが描かれている。色彩はこの花がいちばん輝かしく、周りの葉は茶褐色に、あるいはベージュに、黒に、青にというようにしなびた様子である。「向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ」と向日葵をうたった歌があるが、そんな黄金色の向日葵のイメージをしぜんと思い起こす。それはいまうなだれた雰囲気のなかにあらわれている。季節が移ったのである。最後は寂しい冬が間近に迫ってくるような雰囲気。夏から冬までの時間帯を向日葵を通して表現しようとする試みが興味深い。

 野村志保「朝(ちょう)影(いん)」。土手の上に二つの白いマンションふうな建物が見える。あいだに電信柱が立っている。その柱と柱を電線が通っている様子が面白い。階段を下りると公園になっていて、そこに立つ木立や、また一段下に伸びる植物などが繊細に表現されている。夜には様々な人間の垢がたまって、そのなかに不吉なイメージなども蠢くのだが、朝起きたときに悩ましくメランコリックな時間がたゆたうときがある。そういった心象をよく表現していると思う。

 門田由美「A wonderfulday I」。天井の高い空間の中に女性がソファに座っている。そばにテーブルや大きな姿見や絵の道具などが置かれている。お洒落なアトリエの中の空気感が安息感のなかに表現されている。矩形の入口の向こうに続く黒い階段のフォルムも面白い。

11室

 安井里美「追憶 ・」。会員佳作賞。洞窟の壁画をテーマにした作品を二点出品である。一点はかなり説明的で、仏を中心にして様々な顔が見えるが、もう一点はより油絵的というか、表現主義的な作品である。顔の一部が消されて、それを眺める女性と、二つが対照されている。女性のもつ時間と洞窟の中に過ごしてきた時間の二つが鮮やかなコントラストのなかに表現されている。女性のオレンジ色の衣装が色彩的に面白いアクセントになっている。

12室

 伊藤あつ子「ピクニック」。二点出品で、森の中の父と娘が大きなタッチで表現されている。布を敷いて父と子が座り、二人は会話をしている。飲み物や弁当などが色面として捉えられ、大きなムーヴマンがあらわれている。影と光とのコントラストも面白く、独特の色彩家である。

 山口隆夫「高架下(・)」。ガード下の庶民的な風景である。果物屋さんや花屋さん、自転車に乗る女性やトラックの荷台にいる男。乳母車を持って歩く女性。暖かな日差しのなかにそういった人間たちが活写される。

14室

 土田啓子「想・・」。真ん中に時計が置かれている。その内部の歯車が目に見えるように描かれ、その両側にピエロが座っている。また、メリーゴーラウンドの馬が上体を起こして浮遊しているし、鳥もいる。三日月が上方に下りてきて、背後に洋風な建物がシルエット状に表現されている。時計をベースにしながら、ヨーロッパ旅行の思い出なども引き寄せられ、メリーゴーラウンドが回るような動きもあらわれる。夜の時間がだんだんと深まるにつれて画家の思いは様々なイメージを引き寄せて、それらをゆるやかに回転させる。

第62回板院展

(6月11日~6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 森信雄「富津金谷展望」。瓦屋根の民家が集まっている。左側には海があって、漁港になっている。そこに漁船が幾艘も係留され、あるいは一部、陸に揚げられている。背後にはなだらかな山が見える。そんな様子を白黒の木版によってしっかりと表現して、懐かしい日本の漁村の風景があらわれる。都会化した街と昔ながらの漁村とがミックスした中に独特の情趣があらわれる。

 見目陽一「遥かのシンドバット」。シンドバッドは人々の夢を乗せてたくさんの冒険を繰り返す。そういったロマンの塊のようなシンドバッドを上方に置いて、法螺貝を持たせて浮遊させる。下方には帆船が動いていく。そして、ドームをもったエキゾティックな建物があらわれる。木口木版の細密な線による彫りによって、そのようなロマンの時空間をつくる。

 鬼塚滿壽彦「今また万物蘇る」。同じ木口版画の作品。樹木にいる昆虫、花、そして、何頭ものシカやカモシカがあらわれ、花の中に大きなサンショウウオのようなフォルムもあらわれて、森羅万象のフォルムを白黒の中に表現する。

 神美佐子「セレモニーの日の記憶 F」。色彩家である。ブルーが深い空間を表す。その中心にセルリアン系の柔らかな青いストライプが置かれ、その中に緑の瓶がペアとして置かれる。向かって左には建物、右のほうにはエッフェル塔のような建物を置いて、ロマンティックな空間を表す。セレモニーの日だから、二つの瓶はワインボトルかもしれない。青と緑とエッフェル塔の金(こん)色(じき)は、日本でいう金泥金地のお経などに使われている色彩である。その厳かで静かな、奥行きをもつ空間がまことにセレモニーの日の空間にふさわしい。二つの並んだ瓶のエメラルド系の緑が輝かしい雰囲気で使われていて、画面全体を引き締める。

 井上勝江「ウイリアム・モリスによるヤグルマギクの図」。円弧を組み合わせながら、その回転する動きのなかに花が描かれ、葉が動いていく。そして、大きな花に対して小さな蕾があらわれ、大きな花の中にはしべがたくさんの球体としてあらわれてくる。まるで花の曼陀羅のようなコンポジションになっている。ウィリアム・モリスの図案に触発されながら、井上さんらしい生命力に満ちたコンポジションに注目。その形が一種仏画のような曼陀羅的な構図になっているところも面白い。

2室

 山本良子「クレオパトラ」。上下二つの画面によって構成されている。満月を思わせる金(こん)色(じき)を黒いバックの中に置き、そこにクレオパトラの横顔を置く。上方は向かって右向き、下方は向かって左向き。イヤリング、口紅、胸の装飾が赤で、衣装は青。エジプトふうな黒髪に青い飾りがつけられている。簡略化した余分なものを排除したフォルムが強く気高い独特の生気をつくる。

 羽田智千代「流されて…」。今回の津波の大変な経験をこのようなかたちに構成した。水がとっぷりと画面を動いていく。それは黒で描かれている。その水のいちばん下方に上方を向く鳥人間があらわれて、茫漠たる雰囲気である。上方には枝の先にもう一人の鳥人間がとまっている。そして、月を眺めている。上方の鳥人間は老人である。画家自身の肖像のように思われる。下方はその孫のような鳥人間で、今回の津波の恐ろしい暗澹たる未来の下方に立ち、茫然たる雰囲気で上方を眺めている。まことに今回の津波を経験した日本人の心を見事に表現する。救いは上方の月であり、一羽の鳥である。自然との関係をもう一度つくり直すことによって、この津波の出来事で傷んだ心持ちを癒そうとするかのようだ。そういった自然との関係のなかから自己回復を求めようとする構図である。下方の黒い水はそのまま夜空となって、無明長夜といった空間を暗示する。

 榎本義夫「彩流る富士―8」。富士が朝日に染まっている。一種ポップふうなリズミカルな空間表現に注目。

 白石文夫「パリ・テルトル広場の朝」。同人推挙。朝のパリの広場である。人々が三々五々集まっている。ペイヴメントの広場。そこに面する建物。そして、裸木が立っているから、季節は冬なのだろう。それを柔らかなトーンのなかにしっかりと表現する。木版を何枚も重ねてこの穏やかな色調をつくりだす。そのハーフトーンの色調の広がりとしっかりとしたフォルムの組み合わせに優れた造形力を表す。

3室

 井上星子「猫と月」。コバルトブルーが見事な色彩の輝きと空間を表す。両側に二つの太い黒が使われているが、それは樹木の幹である。月の光を受けて葉が黄金色に、若緑色に輝いている。洋装の女性が月を眺めながら物思いにふけっている。同伴者として白い猫と黒い猫。画家自身、房総の海の見えるところにいま暮らしていて、人生の晩年にいる。そんな心持ちをこの深い青い空間の中に一人の人間と二匹の生き物を置いて、月と語る。シンプルな構成の中に空間が生かされる。また、女性の衣装の柔らかな青緑色と月の暈の色彩が同色で、お互いに呼応しているというコンポジションもテーマにふさわしい。

 森貘郎「大姥」。長谷川富三郎賞。木版の激しい鑿の跡を生かした表現である。二百歳ぐらいの姥の像である。髪は長く、全身で地母神のような力を示す。そんな日本人の民間の信仰のなかからあらわれてきた姥の像。そのアルカイックな生命力を見事に表現する。

 髙久茂「見つめる」。東京都知事賞。狐がぬーぼーと画面の真ん中にあらわれて、鑑賞者の顔をのぞきこむ。バックの抽象的な朱色や黒の調子の中に漆黒の黒を置いて、そこに狐を置くという斬新なコンポジションに注目。

 牧野光陽「樹影」。木造の広い建物の内部を面白く描いている。たたきから五十センチぐらい高くなったところのフローリングの床。向こうは障子で、障子から光が漏れてくる。障子の白い紙の向こうのシルエットの樹木の様子と、そのあいだにつくられたガラスの部分からは樹木や緑の葉の様子が見える。そんなガラスは左のほうでは三枚の障子につけられていて、右のほうでは障子の中に矩形のフォルムとしてつくられていて、そのガラス張りの中にある自然の姿が独特の韻律をつくる。画家の工夫である。また、年代物の太い柱や磨かれた床の黒光りするような様子が実によく表現されている。日本のそのような古い民家のもつ美しさや魅力を十全に表現する。また、天井から壁などに使われている、すこし茶系を帯びたような黒のもつ力が、このコンポジションの骨格をなしている。

5室

 國安珣子「雲海の富士」。ベージュとグレーのトーンがお洒落な感覚を見せる。そのあいだに金を思わせるような色彩が置かれて、それが背後の山を表現する。雲海は円弧をいくつも組み合わせたような独特の波濤文のようなフォルムによってあらわされている。その雲のフォルムが怪異な自然の力を暗示する。その上方にシルエットとして立つベージュの富士山に、白い幾何学的な雪の跡を描く。よく整理された空間でありながら余情があり、お洒落なセンスが魅力。

7室

 紺野正博「キャラメルタウン」。小さな長屋のような建物が左右四列、上下五列か六列に斜めに置かれて、不思議なリズムをつくる。地面の黒に対してグレーの屋根や白い壁などがモダンな韻律をつくる。あいだに花を持つ人や、ダンスをしたり笛を吹いている女性などを置いて、実に楽しい。シックでありながら雅やかで、同時にモダンでもある。そんな白と黒の空間に注目。

9室

 松薗守男「悠久」。木口版画を二つ組み合わせたかたちで、シンメトリックな空間が面白い。その中心にフクロウの顔を描き、両側にフクロウと鳥の横顔を描く。自然をこの二つのフクロウと鳥によって代表しているといった趣で、樹木の血管が伸びていくようなフォルムと自然の魂のような鳥の顔とが強く、ミステリアスなイメージを発信する。

12室

 重岡成美「迷走 Labyrinth」。外部審査委員賞・院友推薦。月の上に子供がいて、地面の上にも子供がいて、二人が両手を上げて手と手をつなごうとしている。その手前には宙に飛んだもう一人の女の子がいて、階段を上ろうとしている。イメージをかたちにして、三人の人間のフォルムが生き生きと躍動的に表現されている。強いデッサン力とコンポジションに注目。

15室

 青木理「モンマルトルの古いホテル」。三階建ての建物とその前に立つ男と女。ピンク、緑、青などの色彩の版が重ねられて、柔らかなハーフトーンが独特の夢見るような空間をつくる。シャガールの幻想を思わせるようなエキゾティックで夢のある空間があらわれる。古いホテルと人間を組み合わせながら、ハーフトーンの優しいハーモニーを中心として、物語の序章とも言うべきイメージを構成する。

第65回記念創造展

(6月11日~6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 池本幸子「春夢」。一本の桜の木を人間のように描いている。根から幹、枝に向かう形をずっしりと表現している。そこに花が満開で、しだれている。一本の桜の木に接近しながら、まさに肖像のように描く画家の筆力に注目。背景はほとんど無地である。柔らかな花のしっとりとしたマチエールとごつごつとした樹木の幹とのマチエールの対比も、この作品の魅力だと思う。

 鹿野洋子「秋の気配」。近景に樹木の枝が描かれている。梢の先には紅葉した葉。枝は複雑なフォルムをつくって、謎めいている。その曲線の行方を辿っていくと、ミステリアスなところに連れていかれそうな雰囲気。向こうに洋館がある。白い壁に赤い屋根。背後に立つ針葉樹。空は黄色や紫の色彩で彩られ、地面は紅葉した葉によってオレンジ色になっている。秋のしみじみとした情趣が表現されている。この梢の様子を見ると、あの眠り姫を閉じ込めたイバラか何かの枝を思わせるようなところがあって、建物にはそのようなファンタジックな物語が進行しているような趣も感じられる。赤やオレンジ色、茶色などの暖色系の色彩で紅葉の様子を表現しながら、そのようなロマンティックな心象風景のように感じられるところが実に面白く思われる。

 杉山由美子「彩り」。東京都知事賞。達者なデッサン力で五人の少女を描いている。輪郭線によってこの少女たちのフォルムが的確に把握されて、そこに自由に色彩を置いている。そのフォルムの力に注目。

2室

 白石良基「舵輪のある静物」。舵輪を背景に様々な壺が置かれている。陶器やガラスの器、磁器などがそこに集合していて、不思議なエネルギッシュな雰囲気である。網に入れられた浮きもある。無機質のものであるが、全体で見ると、強い生命感やエネルギーを感じさせる。テーブルと床、布は紫色で、下方は暗くなって、上方のバックは黄土色で、その一部にこのものたちが目の高さに置かれているだけなのであるが、エネルギーともいうべきものが引き出され表現されているところに注目。

 横地三枝子「夏祭り」。神社の前で幟を立てたり、山鉾のようなものを置いて、押し合いへし合いしている。傾いた山鉾のような塔のようなフォルムに六十五回創造という文字が見えて、この会の東京都美術館での展示を祝っている。柔らかな色彩の中にそれぞれのフォルムがすこし曖昧に描かれながら、全体で人間たちの大きな動きがあらわれているところが優れている。

 千田モモ「馬―24」。青い霧のようなものが画面全体に渡っている。そこに馬が右に向かって走っている。近景から遠景まで、五頭ほどの馬である。その走っている様子がヴィヴィッドで、ある現実感が感じられる。命というもののもつ働きを馬によって表現したように感じられる。馬のフォルムが生き生きとしている。人間や自然のもつ内的な力を馬に託して表現したように感じられる。

4室

 柏山悦子「テーブル・ライフ ・」。テーブルの上に二つのヴァイオリンが置かれている。青と赤のヴァイオリンで、不思議な雰囲気である。その後ろには高坏に洋梨や葡萄が盛られている。あいだに朝顔のような葉がのぞく。向こうには空に白い満月が浮かんでいる。ヴァイオリンの手前には、桃のようにも見えるし、そこにコラージュされた文様によって花のようにも感じられるペアのフォルムがあって愛らしい。そこはテーブルの端のほうだが、そのあたりに花柄の布が立ち上がってくる。そして、布の上の花柄がそのまま実際の花に変化しながら、そこに浮いているような趣である。ノクターンというか、夜の幻想である。テーブルの上にあるものたちを眺めているうちにイメージが活性化し、たとえばヴァイオリンは何か不思議な聖なるものを入れた器のようなイメージに変化するし、手前の布は丘のようなフォルムとなって立ち上がり、そこに花をのせて動くといった趣である。高坏に三つの洋梨が立っているが、それが三人の人が寄り添っているような趣である。黄色い色彩が周りの青い色彩に対して静かに輝いて、まるで月がそこに下りてきたような趣である。そして魅惑的なメロディが聞こえてくるようだ。

5室

 栁眞知子「シ・ア・ワ・セ・ノ・カ・ケ・ラ」。新人賞。鎌を持って腰の曲がった老人が向こうに歩いていくと、向こうの入口には妻が杖を持って迎えてくれている。菜の花や桜が咲いた様子。なによりも二人の人間のフォルムが生き生きとして優れている。

 木川田光弘「どうする?」。新人賞・会友推挙。近景には母と二人の子供が寄り添って、みんなで黒い猫を持っている。不安な現実のなかに生きる人間的な感情を絵にすると、このようなコンポジションになるだろうか。手の形など実に面白く強い表現となっている。形態に対する優れた感覚があってこそのコンポジションである。

 金場利夫「生命態―1」。新人優秀賞・会友推挙。巨大なタコが横に寝ている。そこにたくさんの人間たちがいて、ゴルフをしたり、遊んだり、耕したり、滑ったりしている。そのタコのフォルムがそのまま大地のフォルムと重なる。そして、タコがすこし暴れると地震が起こりそうな雰囲気である。大地を画家はタコにたとえている。タコの足の影がトンネルのようなイメージを引き寄せているところも面白い。周りの地面は点描によって描かれ、しっとりとした独特の味わいを表す。足の先に取りついている人間のフォルムなど、実にユーモラスで楽しい。自然と人間をこのようなかたちでキャラクタライズして表現する画家のイメージの力に注目。

8室

 田﨑観洲「稲の詩」。会員賞。水墨作品。稲穂が実っている様子が丁寧に一粒一粒描かれ、全体に重量感をもって表現される。そういった塊が画面全体に配置されて、それが実に面白い。あいだに稲の葉が水墨で描かれているが、それは脇役である。その稲の穂の形はそれぞれ変化しながら、基本的にはあるパターンの中で表現されて、全体で大きなリズム感が生まれる。どこか武蔵野屛風を思わせるような水墨による表現となっている。

10室

 小島御風「山嶽遊路」。水墨の作品。橋の両側に水が押し寄せて、白い飛沫を上げている。その形が生き生きと描かれている。陸地には様々な樹木が立ち、遠景には山が見える。それを一つひとつドローイングするように描いていて、独特の力が感じられる。面白いのは水のあらゆる方向に向かう動きを表現したフォルムだと思う。

 津田久吉「懸崖」。準会員推挙。岩がいくつもいくつも立ち上がって、中景では階段のようなものがあらわれて、いちばん高いところに続く。まるで不思議な茸が何本も立ち上がりながら樹木となって、海を背景として空の上方に浮くように存在する。自然が不思議なファンタジーとして表現されているところが面白い。

第38回日本自由画壇展

(6月13日~6月25日/国立新美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 相田勝山「ふぶく(富山県南砺市長倉)」。画面の下方に雪の被った家屋が並ぶ。その奥には大きな山がすぐ近くまで迫っている。そして右上方から雪風が吹き下ろしてくる。画面全体がその雪風によって大きく動いている。点々と並ぶ家屋によってリズムを刻みながら、雪風とも相俟って協奏曲を奏でるような音楽性がある。濃墨によって描かれた針葉樹の重なりも、それにもう一つのテンポを加えている。厳しい寒さでありながら、自然の持つ豊かな情感を鑑賞者の感性に訴えかけてくる作品である。(磯部靖)

 田中春塘「耶馬渓素雪」。ヴォリュームのあるフォルムで雪の積もった急傾斜の山々を描いている。ところどころに裸木が点々とあり、それが独特の調子を作品に作り出している。下方には川がさらさらと流れている。強い動勢を孕んだ山を描きながら、画面は静かな気配のようなもので満たされている。その二つが相俟って作品に深い奥行きを作り出している。また、画面の右側から伸びる樹木の枝の動きもどこか妖しくておもしろい。(磯部靖)

2室

 脇野千種「幽谷」。崖の下を渓流が流れている。それを見下ろす視点から捉え、スピーディなストロークが風景全体にムーヴマンを引き寄せる。画家の視点に沿って、この風景を眼前に見ているようなヴィヴィッドな力がある。崖の上方と下方の渓流のそばに、瑞々しい緑が使われているのが、目に染みるような鮮やかさである。水墨というモノクロームの色彩が崖や水の質感さえもとらえている。その具象性のなかに、ある普遍的な抽象性ともいうべき空間世界が表れているところが魅力。取材地は上越国境の山々に囲まれた谷川岳を望む諏訪峡。(高山淳)

 松村天李「寒立馬」。文部科学大臣賞。雪の吹きすさぶ中で草をはむ三頭の馬を描いている。その肌に迫るような寒さが魅力的である。馬のフォルムはしっかりと捉えられていて、それが奥に並ぶことで作品をしっかりと支え、安定させている。淡い青墨を効果的に扱いながら、情感豊かに描き上げた作品である。(磯部靖)

 橋本不双人「庁舎前賑わい(アルスフェルト)」。ドイツのアルスフェルトの市庁舎とマルクス広場を描いている。縦長の構図に地面を低く置いて、背が高く厚みのある建物が独特の存在感を放ちながら広場を見下ろしている。広場にはたくさんの人々が集まっているようだ。建物はきびきびとした筆の動きでしっかりと象(かたど)られ、シャープである。広場の地面には濃墨によってアクセントが付けられている。人々のフォルムは柔らかい。対象によって緊張と弛緩を描き分け、画面全体で見応えのある画面構成となっている。明るい色彩で彩色してあるのにも無駄はなく、大勢の人々で賑わうこの情景に鑑賞者を誘い込むような魅力を醸し出している。(磯部靖)

 松本宴理子「野田富士」。遠景に富士を望む夕暮れの風景である。富士の右側には沈みつつある太陽があり、画面全体をオレンジに染め上げている。最も手前には川が流れ、その向こうには平野が広がる。幾本も描かれた樹木はシルエットになっていて、深い郷愁を誘う。そういった画面の中にあるゆっくりとした時間の流れが、鑑賞者に強い余韻を残す。(磯部靖)

3室

 藤田正子「心の中に」。青い蝶の羽根を付けた一人の女性を中心に、画面が楽しく構成されている。周囲にはピエロや和洋の衣装を着た子供たちが描かれている。そしてそれらがメロディの乗った五線譜によって繫がっていくようだ。また花やワインボトル、グラスなども一緒に描かれている。自身の愛すべきもの、心の中にある大切なものを、一筆一筆やさしく描いていっている。この画家特有の愛に満ち溢れた画面に、いつものことながら強く惹き付けられる。妖精的な要素を孕みながら子供たちに目を向ける女性が画家の分身のようで、そういった幻想的な世界観がしっかりと構築されて描かれているところもまた興味深い。(磯部靖)

 藤沢古葉「裸婦2012」。四人の裸婦の組み合わせによって画面を構成している。それぞれが椅子に座って様々なポーズを取っているが、その椅子が省かれているところがおもしろい。特に一番手前の女性の右手を挙げた複雑なポーズがしっかりと捉えられている。強弱を付けた流麗な線でフォルムを描きながら、四人を三角形に配置して、安定的な構図を構成している。長く人体を描いてきた画家だからこその、強い印象を残す作品として注目した。(磯部靖)

第47回たぶろう展

(6月13日~6月25日/国立新美術館)

文/小池伊欧里

1室

 春名康夫「この木なんの木」。ハワイ・オアフ島のモンキーポッドが画面いっぱいに描かれている。微妙な緑の階調と、限りなく黒に近い幹や影の強いコントラストによってモンキーポッドが神秘的な様相を現している。大地から気が放たれたように青い空に白い雲が散り、白昼の月が浮かぶ。下方に描かれたグレーと白と黒の十羽の鳥も、どこか現実離れしたような不思議な佇まいである。

 中島清登「中欧の古都」。縦長の画面を効果的に使って古都の風景を俯瞰するように描いている。フォーヴな筆致で、左上から右下に風景が流れてくる。燃えるように紅葉した樹木が中心に据えられ、褐色の空間が中央を占める。密集した建物の部分は画面の四分の一程度でしかないが、そのことが逆に全体のダイナミックな印象につながっているのが面白い。

2室

 並木望「中世の街  チェスキークロムロフ」。モルダウ川の湾曲をうまく使って、現実から切り離された箱庭のような集落を演出している。個々の建物が丁寧に描かれ、なだらかな周囲に広がる丘陵の緑の中、オレンジの三角屋根が映える。日本画独特の透明感も相まって、童話の中の世界を現実の世界から眺めているような感覚を覚える。もちろん現実の風景を描いているのだろうが、画家の豊かな想像力と視点によって描き出されたお伽の国のようである。

 有野契章「牡丹」。ウルトラマリンの背景に白い牡丹の花が浮かび上がっている。牡丹の花は上方に描かれているが、盛り土の縁にあしらわれた金や、下方のミズアオイのような花によってバランスがとられている。複雑に絡み合う植物は精緻に描かれ、静かな生命感を湛えている。萎れて落ちたと思われる花びらが、金箔のかけらによって表現され、次の世代へと受け継がれる命の最後の輝きを思わせる。

 山田陽子「満月のセレモニー 祈り」。東京都議会議長賞。東南アジアの民族衣装を着た二人の女性が蓮に囲まれている。一人は膝をつき合掌し、一人は蓮のつぼみを持って印を結ぶようにして立っている。対象の一つ一つが美しいシルエットである。金で彩色された衣装の模様をはじめ、月光に照らされ発光するような輝きを持った蓮の花など、全体的に華やかながら上品な色彩でまとめられている。

4室

 渡邊芳男「また春が来て」。 内閣総理大臣賞。殺伐とした風景が広がり、二人の女と一人の子供、その隣に不思議な鳥が二羽、子供と同じようなフォルムで描かれている。神の使いのような印象を受ける。雪とも砂ともつかないもので覆われた山々に、裸木が点々と生え、遠景の集落の屋根には雪が積もっている。中央が窓のように四角く囲われているが、そこに覗く青空と上空から下降する猛禽が春の到来を予感させる。U字型と直線が繰り返す層が独特な奥行きを作っている。物語の一場面のようで、様々な想像を搔き立てる。

9室

 源馬和寿「赤いベンチ」。努力賞。ハーフトーンの様々な色彩によってレンガ造りの壁や石壁、石畳などを表現している。赤いベンチには二人の中年男がくつろぎ、一羽の鳥とともにゆったりとした時間の流れを印象付けている。それぞれの調子を微妙に変えながら細かく色を重ね、明るい日差しの移ろいをよく描いている。

第81回朔日会展

(6月21日~6月27日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 羽藤朔郎「キャロル像」。椅子に座っている女性のそばに丸いテーブルがあり、パンやティーカップなどが置かれている。そばの椅子には人形。後ろには石膏像もある。そんな室内の静物たちをしっかりと描くことによって、人物とまた独特のハーモニーが起きる。画家独特の青が繊細な表情を見せる。その青のヴァリエーションに対して、上衣の黄色や人形の赤や布のピンクなどが静かに輝くように表現されている。一つひとつの対象を確認するようなかたちで対象のフォルムを把握し構成する。室内の空気感さえも表現しながら、なおフォルムに対する強い接近する力があって、それぞれのフォルムが立ち上がってくる。

 羽藤恒郎「仲木港」。この画家は人物や静物が中心で、風景は珍しい。湾の周りに船がシルエットとして描かれ、近景には崖が聳える。水際の建物が不思議な表情を見せる。夕焼けの雲が赤く染まっている。画面全体は水の青と空の青とが響き合い、空には星がまたたいている。独特の詩人的な情景である。独特の強いマチエールと同時に、筆のストロークが強いムーヴマンをつくる。外景が内景と化すような、そんな詩的なイメージが鑑賞者を引き寄せる。風景がドラマをつくりだす。まるで歌劇の舞台を思わせるようなドラマ性が魅力である。

 古賀尚子「デュエット」。正面向きの女性はアヒルのデコイを抱えて立っている。そのそばに後ろ向きの女性がいて、本を読んでいる。二人の女性の構成が不思議な雰囲気をつくりだす。正面向きの女性は赤い衣装をつけ、後ろ向きの女性は青い衣装をつけて、周りに観葉植物の緑や花瓶の葉の緑などが置かれて、静かにハーモナイズする。独特の音楽性があり、静かに歌声が画面から響いてくるような印象も魅力。

2室

 小林昌子「赤のベジタブル」。文部科学大臣賞。正方形の画面に静物をまんべんなく散らして、全体で合唱してくるような強い力がある。中心のパンや南瓜、玉葱、トウモロコシなどがそれぞれ強い印象で主張し、まわりのニンニクや玉葱やブロッコリー、あるいは蕪なども、まるで生きているように表現されている。赤茶色の色彩が油絵らしいマチエールを伴って使われていて、独特のパッショネートな雰囲気があらわれる。

 吉田貴美江「初心者です」。椅子に座ってマンドリンを弾く女性が正面から描かれていて、不思議な表情を見せる。この画家の静物や人物にはどこかシュールな味わいの感じられるところが面白い。女性の暖色系の色彩に対して、バックは青を中心とした寒色系で、その二つの色彩のハーモニーも心地好い。そして、マンドリンの黄色が鮮やかなアクセントとして輝く。

 本城順子「女優」。ヴィクトリア時代を思わせるような花柄の衣装をつけた女性が座っている。両手に白いショールがからまっている。白はまた髪バンドにも使われている。バックには大きな洋館や小さな一階建ての民家のようなものが置かれている。この女優の演ずる劇の中に出てくるシーンと思われる。独特のロマンティックな香りが漂う。この魅力的な女性の内面までも描こうとするかのように筆を重ねて、独特のムーヴマンが画面からあらわれる。

 羽藤京子「ジャクリーンの静物」。ピカソの描く女性の横顔を思わせるような絵皿がテーブルの上に置かれている。その前には二つのボトル。そして、大きな魚の置物が手前にある。この画家らしいクリアなフォルムが、お互いに呼応しながらミステリアスな雰囲気をつくる。とくに手前の魚の形が面白くユーモラスで、この静物の空間を活性化させる。また、左向こうの瓶の上のガラスの栓に光が反射して、まるで灯し火のような雰囲気でまわりを照らしているように感じられるところも興味深い。

 羽藤猪佐夫「画家の肖像」。自画像と思われる。丸いテーブルに左肱を着いて腕を重ねた青年の像である。バックにはピンクや緑や白、グレーなどが、水墨で言えばたらし込みふうに置かれ、それらの色彩がお互いに滲み合うようにして独特のオーラのような雰囲気をつくっているところも面白い。空間自体が静かに力強く揺れているような、そんな動きが感じられる。青い上衣とジーパンをはいたこの青年の像には、詩人的なイメージの感じられるところが面白い。

 林正江「めがね橋(長崎)」。緑を主調色とした画面。近景から中景に向かって静かに川が流れていて、画面の真ん中に石造りのめがね橋がのぞく。その橋の向こうには洋館が立ち、その向こうにはエメラルドグリーンの山がゆるやかなカーヴを見せる。緑が神秘的な表情をたたえる。アーチ状にあけられたその橋の形が、それを通してもう一つの世界を画面に引き寄せるような、そんなミステリアスなイメージで描かれているところも魅力。

3室

 石川彰三。中心の円からオールオーバー、三百六十度、不思議なフォルムが伸びていく。不思議な巨大な貝殻のようにも見える。シュールな気配のあるところが面白い。水彩で、紙の上に柔らかなかたちで色彩が置かれ、フォルムは鉛筆によってつくられている。そのタッチの集積が不思議な動きを画面の中につくりだし、画面全体に独特の緊張感をもたらす。中心のすこし青みがかったグレーの無造作な円が、カルデラ湖を思わせる。或いは目のような不思議な表情をたたえる。

6室

 羽藤馬佐夫「赤い婦人像」。二年のブランクののち、東京都美術館でまた展覧会が開催されたことを記念して、創立会員たちの作品が並べられた。創立時から代表を務めた羽藤馬佐夫の作品が十点陳列された。懐かしい気持ちになる。筆者が朔日会で見た三十年余りの作品の中から選ばれた作品もあるし、戦時中に描かれた作品も並び、並々ならぬこの画家の筆力と深い造形性に感銘を受ける。とくに戦時中に描いたといわれる「赤い婦人像」は独特のすごみが感じられる。不思議な光が左のほうから差している。ショールをまとった着物姿の女性である。紫や赤、顔の肌色、すべてどこか内的な輝きを放つ。また、手や足のディテールの力、あるいは座った腰の量感など、もともと彫刻科を卒業したという画家らしい強いフォルムの力が感じられる。戦争中の暗い時代に、まだ青年ともいえる時期の精神のきらびやかさといったものが画面から感じられて、印象深かった。

 加藤正信「玉ネギ」。画家は羽藤馬佐夫と同じ東京美術学校の卒業で、最後まで同人としてこの会に出品し続けた。十点出品である。この画家の作品については筆者はたいへん敬愛の念があって、長いお付き合いもしたし、作品の批評も行ってきたが、筆者の知らない「玉ネギ」などの若い頃の作品が出品されたのが興味深かった。量感をもった玉葱が籠の中に入れられて、まるで動き出すような力が感じられる。エネルギーがあって、それがこの作品の命となっている。晩年には平面的な処理で明るい色彩を駆使しながら、独特の静物や風景を描かれたが、青年期のこの玉葱の作品は、それとはまた違った内側から発現するようなエネルギーが感じられて、興味深い。

8室

 垂水悟郎「ピエロ」。創立同人で美術学校の生徒であった垂水悟郎は卒業後、召集され、戦争に行き、敗戦後舞台俳優に転じた。その垂水の戦争前の作品が出品されて興味深い。どの作品もやがて演劇に転ずるようなことが納得できるような、ドラマ性や演劇性を感じさせる作品である。「ピエロ」は、舞台の衣装をつけたピエロが仰向きに目を閉じている様子で、画家自身の複雑な内面を形象化した自画像のようにも感じられた。優れた筆力のある画家であることがよくわかった。

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