美術の窓

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公募展便り(2016年2月号)

「美術の窓」2016年2月号

第42回青藍展

(12月1日〜12月5日/タワーホール船堀)

文/小森佳代子

 松本章治「新緑」青藍推薦賞。水面に映る木々、また空に向かって枝を伸ばす姿を細やかに描いている。光と影、ややもすると翳りのある風情が繊細で、松本の心境を思わせる。今後の展開が楽しみである。

 足立寿夫「安比高原ブナ林の巨木」奨励賞。堂々としたブナの巨木を中心として、うっそうと林立するブナが画面いっぱいに表現されている。自然への畏敬の念を込めた筆遣いの初々しさ、木一本一本にドラマがある。渾身を込めて描いた様子が見て取れる。 

 中島昭子「新緑の豊沛(林)」青藍推薦賞。独特の構図と空気感が印象的な作品である。輪郭をやや強調した木々のフォルムの面白さ、濃淡の妙は、中島ならではの感性によるものだろう。画面中央を縦断する静かな川の流れが、木々の姿と呼応していて美しい。進境の一点だと思う。

 出店康子「思い出の蔵王」。毎年全く違った作風を見せながら独特の詩情を見せる出店の作品を楽しみにしている。今回は雪深い蔵王の風景である。ぼーっと霞むような画面は吹雪であろうか、力強く生きる木々の姿とこんもりした雪のフォルムが実にユニークである。じっと見ていると、細やかなディテールが浮かび上がってくる。希望という言葉が浮かんでくるような、イメージ豊かな雪景色として好感を持った。

 長嶋節子「国境の町」。俯瞰する視点で、カーブする川を右手に、家の軒が立ち並び、遠景は小高い丘、長嶋が好む構図であろう。家一つひとつのフォルム、山の稜線、いずれも緻密に描くことが長嶋の持ち味でもある。人々は描かれていないが、どこか営みを感じさせる温かみがある。他の人にはない独特のリズム感のようなものに惹きつけられる。

 柳文子「十和田湖を望む」。霞む山を遠景に望む、厳しくも穏やかな情景である。手前の裸木たちの生命力を湛えた姿は、長い年月の風雪に耐えた力強さが見事に表現されている。その木々たちの主張と裏腹に、遠く霞んでいる湖と山の柔らかな表現は、柳ならではの自然観の表れだと思う。自然への畏敬の念が独特の空気感となって画面を包み込んでいる。

 千嵐文章「朝明け」。会の名称がこれまでの遙玄水墨画協会から青藍水墨画協会へに変更となり、会長に就任した千嵐。これまでの壮大なイメージだった風景作品は、気持ちの変化からか、今回は静かで爽やかな姿である。蓼科にある女神湖の穏やかな自然の情景が丁寧に描かれている。墨の濃淡を活かして、中景の木々も描き込みすぎず、やや抽象的な表現、それと呼応するようにたなびく雲の動きが心の機微と重なるように表現されている。見ていて清々しい気持ちになる。

 松村幸代「今を咲く」。満開の桜を屛風の画面いっぱいに表現している。ところどころのぞく力強い幹の表現から伸びるように、一枚一枚、呼吸するような筆遣いである。墨に五彩ありとはよく言うが、桜の儚さと逞しさをモノクロームの世界でよく表している。じっと見ていると、ふっと灯がともり明るさが広がるような幻想的なイメージも彷彿とさせる。

 橋谷昌子「雪どけ」大賞。やや水量の多い川の水に対し、雪の重みがこんもりと表現されている。四曲屛風の構図を活かし、空と遠景の木々、ところどころの裸木とのバランスがよく、清々しい風景作品に仕上がっている。どこかメロディアスな雰囲気を醸し出しているところも魅力であろう。

 川西重治「剣岳」青藍会長賞。一昨年文部科学大臣賞を受賞した時の鋭利な剱岳の姿が進境し、剱岳の頂上部分がより崇高なイメージとして描かれている。箔の処理が、求心的な画面をつくり上げ、独特の空気感を生み出している。

 丸本千尋「修行僧(高野山)」。高野山は周知の通り、空海によって開かれた真言密教の修行道場である。修行僧は一千人を超えるという。立ち並ぶ高い杉並木を背景に、澄んだ空気感が画面に表れている。手を合わせながら列をなして歩く修行僧達の清楚な姿には、平和を祈る丸本の祈りの気持ちが込められているようである。

第40回土日会展

(12月9日〜12月21日/国立新美術館)

文/高山 淳

1室

 三浦裕之「円テーブルの静物」。黄土色の楕円状のテーブルの形。その上に、手前には白いお皿に六本のアスパラガス。もう一本はそこからはみ出たかたちで置かれている。そのお皿が円形で、真上から見たかたちになっている。円形のテーブルは斜めから見ているから楕円状になる。その下方に紫陽花のような花が、横から見たフォルムで、ほとんどモノトーンの調子でひっそりと表現されている。視点を変えていくことによって、奥行や動きがあらわれる。その上方には小さな馬上盃のような染付のうつわ。その横の蓋物のような染付の容器。そして、右後ろには尾長鶏のデコイのようなもの。二つの容器を見ると、後ろの容器のほうが上方の楕円形の形が大きくなっている。一瞥すると、下方の円形の皿がまるで満月のようにこの静物の中に現れてきたような、不思議な印象をもつ。そこに雲がかかるようにアスパラガスが置かれている。同じような白磁に染付の大小異なったうつわもまたひっそりとした雰囲気で、幽玄な趣。下方の紫陽花とよくフィットしている。静物を描きながら、筆者が円形の皿に満月をイメージしたかのような、不思議な風景的要素があらわれているところが面白い。また、あまり原色を使わずに、ベージュ(黄土色)のテーブルの上に染付の二つの容器や白いお皿が、しっとりとした調子のなかに上品な華やぎともいえるイメージをつくっているところが面白い。

 三橋敦子「庭の一隅 A」。庭がそのまま一つの世界になっている。空が曇ったり晴れたりする様子。夜になると星がまたたいたり、雲が出たり、月がそこを横切ったりするような空間と同じようなものを、画家は庭に見ている。この「A」を見ると、柔らかな若緑色の色面が中心に三か所つくられている。上方に二か所。それよりすこし調子を落とした緑。そして、その周りはビリジャン系の緑や青などの明度の落ちた色面を組み合わせている。まるでその緑の空間のなかに月がその姿を現したかのような不思議な印象で明るい緑が置かれている。庭のいろいろな様子を眺め、それが画家の記憶のなかに蓄積する。その中からピックアップするようにこのコンポジションをつくる。庭というキーワードによって作曲しているかのような印象。しかし、抽象的ではあるが、樹木のもつ力、あるいは樹木や大地が連結したところにあらわれてくる奥深い空間、あるいはそのトーンなどが、このすっきりとした不思議な色面の中に造形化されている。昼の庭というより、筆者には夜の庭のように感じられる。それは作者のイメージが、現実の庭というより、記憶のなかの庭のほうを向いているためにあらわれてくるからだと思う。ポリアコフという抽象作家がいるが、彼と共通するような不思議な有機的な抽象になっているところが面白い。不思議な生気が感じられる。

2室

 鶴岡孝夫「支倉常長 ローマ市民大歓迎の図(3)」。支倉常長がローマに行って、白馬にまたがって入場するシーン。人々が手を振っている。そんな歴史的事実を具体的に、その場に立ち会うかのような臨場感のなかに表現して面白い。作者によると、二〇一三年、支倉常長の業績が世界記憶遺産として認められたことに深い感慨をもっていると同時に、東北の震災地の人々が元気になればと思って描いたそうである。

 平江正好「ポン・ヌフ」。画面の中ほどにポン・ヌフが左右に伸びている。セーヌ川の水がすこし波打っている。柔らかな光が降り注いでいる。道沿いに船が繫留されている。道には巨大な木が伸びて、そこを歩く人の姿がずいぶん小さく描かれている。光によって輝く色彩と静かな中の動きとが、この作品のポイントになっている。すこし影になった繫留されている船と橋の向こうの建物の光が当たり輝いている明るい色調とのコントラストも面白い。水と空がそれぞれ画面の約三分の一ほどを占めている。光の中に輝く水のコバルト的な色彩に対して、空はセリルアン系の青。夢の世界に導くような色彩で、作者はその水をじっと眺めているようだ。現実のセーヌの水と同時に、作者のイメージを受けとめる不思議な表情をした水の表現に注目した。

 阿南英行「いのち」。阿南英行は二点出品。「いのち」は、枝の切られた樹木の幹の不思議な形が描かれている。その幹から新芽が吹いている様子が、命の姿をまざまざと感じさせる。もう一点の胸像の周りに飛ぶ蝶や蛾の色とりどりの様子を見ていると、その上半身がまるで一本の樹木のように感じられる。その周りに飛ぶ蝶や蛾の様子がロマンティックだし、独特の生命感を感じさせるのだが、たとえばこの「いのち」という木の周りにそのような蛾を飛ばせてみると面白いと思うし、二つの作品には強い共通性が感じられる。

 坂本典穗「御苑桜」。それほど樹齢がたっていない二十年ぐらいの桜だろうか。枝を広げて花をつけている様子。周りの樹木は調子の中に描かれている。桜の枝の広がっていく様子と柔らかな花の様子とが、独特の命の様子を表す。一本の桜の木を命あるもののように、まるで生き物のように描いている。

3室

 森井健治「静物」。面白いコンポジション。テーブルのような棚のような横長のフォルムの左側に、杓のようなフォルムが一つ。すこし距離を置いて、右のほうに三つの瓶のようなものが置かれている。それはグレーの調子であるが、杓のようなフォルムは茶色く彩られていて、内側がほうろう引きのように白くなっている。柄の位置が微妙で、その柄の位置によって周りの空間のなかに伸びていく形の面白さがあらわれる。空間のなかに物がどのように置かれ、どのような方向にその形が伸びていくのかといったことが、画面の上で実験されている。左のほうから光が差し込んでいる。杓のようなフォルムの内部の一部が白くなっているのも光の力で、その柄の上にもオレンジ色のような輝きがあらわれている。グリーンの壺には白い輝きが置かれている。光のもつ力とフォルムが空間のなかに存在し、直立する形、斜めに伸びていく形が実に微妙に表現されている。それによって、そこにある空間というものが活性化する。そのように書いていくと、もの以上にものを取り巻く空間が作者のテーマになっていることがわかる。

4室

 根本恒子「生命あるもの 2015─12─2」。紫陽花が群をなしている。一つの花の中にはたくさんの花びらが寄り集まっている。その紫陽花の花を自由に集合させたり分離させたりしながらコンポジションをつくる。赤の中の微妙なニュアンス。作者の感じる紫陽花の命を、この赤の中に表現する。鮮やかな色彩であると同時に、どこか内向的でひっそりとして郷愁のようなものが感じられる。独特の色彩家である。

 櫻井孝美「恕」。最近、大村智氏がノーベル賞を受賞した。画家は大村智氏と親しい。ノーベル賞の受賞のお祝いにストックホルムまで出向いて、それが放映されたことは記憶に新しい。大村智氏のコレクションを寄贈した韮崎大村美術館の文字。そして、右のほうには巨大な太陽と湖のようなかたち。その二つのあいだに作者の家族とそこに大村智氏が加わった群像が描かれている。大村智氏は山梨県の出身だし、作者自身も富士山麓にアトリエをもっているので、大村さんを鑽仰する心持ちがそのまま富士山や湖や太陽などを鑽仰するイメージと重なって表現された。赤がダイナミックに使われている。赤が生命感と讃歌と二つの性質をもつように扱われていて、強い波動を放射する。

5室

 篠田和夫「案山子」。案山子を手前に大きく描いて、後ろに田圃。そこで作業する二人の農夫。トラック。家。そして、空を約半分とっている。イラストふうなヴィヴィッドな空間表現。たらしこんだような色彩に余情がある。

 川﨑誠和「注文の多い料理店」。宮澤賢治の『注文の多い料理店』は、森の中で出会った料理店の中で、やがて自分が食べられる素材となっていくことに驚くという、一種ブラックユーモア的なストーリーであるが、その入口が五つほど描かれている。その右下には深い森の中の水や草などが表現されている。あやしい料理店の入口を自由にイメージしながら宮澤賢治の世界に観者を引き込むコンポジション。作者のもつイメージの力が、ひずんだような空間や独特の色彩を表現する。

 暖水英美「Infinity-nature/護」。乳飲み子を膝に抱える若い母親。そばにはしゃぼん玉のようなフォルムが浮かんでいるが、それはやがて星のようなイメージになっていく。そのような球体がたくさん描かれている。若い母親は子供の寝顔を見ているが、その子供のこれからの未来、あるいは過去といったものが、地球の中に存在しているというようにイメージが広がっていくのだろう。具象的な筆力とイメージがしぜんと展開していくコンポジションが面白い。

 勢〆修「渦巻く視界」。過去と現在とを描く。一つひとつのシーンをトランプのように描いて、それらによってまさに時間の渦巻く世界に鑑賞者を引き寄せる。車椅子に乗る女性は作者の母親。横に椅子に座って足を組んでいる女性は、この母の若い頃のイメージと作者の妻のイメージとがきっと重なるのだろう。後ろに子供たちの幼少時代のシーンが描かれている。その横にはチンチン電車が動いている頃の銀座や、その頃の和光といまの和光とが三枚のトランプ的なフォルムによって描かれている。その横には同じように、戦前の東京駅といま復活した東京駅が置かれている。過去と現在とをそのように一つの画面に描きながら、時間というものの不思議さを表現する。

7室

 鈴木恭子「いのち万象(回帰)」。オレンジ色が中心になっている。その色彩に独特の性質がある。内的な力が感じられる。下方に人間を思わせるようなフォルムがあって、その頭上から内部が流出しているかのごとき印象で、たくさんの球体のものが浮かび上がっている。まるで幽体離脱といった雰囲気である。目に見えない霊的な存在に対する作者の強い感性が、このようなコンポジションをつくる。不思議なリアリティが感じられる。

9室

 姫島怜史「A la gare」。題名は「駅で」という意味。暗い色相で、緑やベージュや青みがかったグレー、黒などが使われている。油絵らしい強いねっとりとしたマチエール。そのヴァルールの力によって、駅という構築物が中心に描かれている。そして、それはずいぶん感情がこめられた存在として描かれている。色面構成的なコンポジションが強い感情表現になっているところが面白い。

 千場月花「せつな」。トイレの中で用を足す女性が描かれている。その横にも無人のトイレが二つ。トイレは排泄行為の場所であり、人間の動物性ともいうべきものを、とくに感じさせる場所である。そのようなものを描きながら、逆に精神的な力を対立するように描こうとするかのようだ。人間やトイレが空間のなかに小さく描かれている。周りの空間のほうが大きい。そこに独特のプレッシャーがあらわれる。

 濱口泰巳「rose『Pierre de Rosard』の詩」。画面いっぱいに薔薇の花が描かれている。かなり正面性を強調して、ピンク、白、紫の花がオールオーバーに描かれている。左右にいくらでも増殖していくようなコンポジション。バックのグレーは銀灰色を思わせる。日本画のもつ無限空間的な背景とオールオーバー的な花の構図によって、独特の空間の広がりを表す。正面性をもつ花を繰り返し描くことによって、一種の音楽的な効果ともいうべき力をつくりだす。

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