美術の窓

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公募展便り(2016年1月号)

「美術の窓」2016年1月号

改組 新 第2回日展〈日本画〉

(10月30日〜12月6日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 林秀樹「海風」特選。「三重県鳥羽の海辺です。二年近く温めていた題材なのですが、遠い海と目前の樹々の折り合いに悩み、なかなか手を付けられずにいました。今年の春再訪した時、眩い光の中、海風に揺れる樹々に心奪われ、海の色と風をテーマとして描いてみる決心をしました」(日展アートガイド)。画面の中を風が渡っている。樹々や海や対岸の町を風が動くことによって連結する。そこに不思議なムーヴマンが生まれる。風という目に見えないものが、画面に描かれているように思われるところが面白い。

 三上友子「日々」特選。白いワイシャツがハンガーに掛けられている。そばには黄色い布のようなもの。そんな室内の情景だけで絵にしている。生活する人間の鼓動が画面から聞こえてくるようなユニークな表現。

 朝倉隆文「相補性ノ時間ノ救済」。墨による表現であるが、渦巻いているフォルムが上方に向かい、左右の翼のようなフォルムに動いていく。激しい動的なエネルギッシュな表現である。「排他的な二つの時間が反転する時空の内で、互いに補い合う事により、完全なる融合の可能性を示唆する事をテーマに、事象の境界の曖昧さの歓喜と恐れを、画面の内の時間の流れを意識して表現したいと思い、制作致しました」(日展アートガイド)。時間と境界という二つのファクターがテーマになっていると作者は語っている。そこにあらわれてくるエネルギーを表現する。

 棚町宜弘「分岐路」。二つのレールがカーヴしている。そのあいだに直線の三つのレールが置かれているから、それを動かすことによって分岐路があらわれるのだろうか。いずれにしても、レールを間近に捉えているような臨場感のある表現である。上を見ると、そこにも線路が伸びているようでその支えが複雑な形をつくる。光が射し込み、独特のアラベスクふうな文様をつくる。レールは時間とか旅情といったイメージがしぜんとあらわれるわけだが、銀色に光る二つの形とそのあいだの不思議な直線の形を、まるで目の前に触るように描いて、強いイメージを発信する。

 森美樹「累累」。宿り木のような蔓のような植物が上方に立ち上がっていく。右のほうには大きく空間があけられて、下方に小さな花をつけた植物。あいだに蛾が飛んでいる。蜂のようなものもあらわれている。この空間のなかに動いている気配、生きているものの気配。それによって植物もまた活性化する。東洋的な気韻の世界を描く。

 佐藤俊介「marginal」特選。「祖父母が眠る縁の地で出会った倒木は、底知れぬ生命感溢れた造形美で、いささか疲れ気味の私を圧倒してきます」(日展アートガイド)。中心に樹木の幹が立っているが、その周りに樹根が三百六十度の方向にうごめいている。まるであやしい生き物のような雰囲気である。実際の樹根に加えて、作者のイメージが広がってこのような形ができたのだろう。ユニークな感覚であるし、対象に入っていく想像力の独特の表現として優れている。

 宮本脩子「陽光さす」特選。子供たちが雪の積もった地面の上で遊んでいる。自転車に乗っている子。ボールを蹴る子。葉を落とした樹木が点々と生えている公園の中に子供たちがばらばらに配置され、しかもそれが生き生きと動いている様子で、空間がそれによって活性化する。ユニークなコンポジション。

2室

 岩田壮平「水なき空に」。紫やピンク、黄色、様々な花が咲き乱れている。それを黄金色の光が包みこんでいる。昼の幻想のような雰囲気。白日夢という言葉がある。そんな中に夜の星空のような空間が引き寄せられた。作者の自由なイメージの広がりによって、空中に花を生けたかのごときコンポジションである。

 河村源三「無月」。「夜、紅い花が咲く森の中で、羽音も立てずに黒い蝶が舞っている。そこには、静かな時間がゆっくりと流れている」(日展アートガイド)。上方の黒い蝶が舞っている様子は実に独特で、幻想的な空間がそこにあらわれている。下方の曼珠沙華や水、植物の葉などがそのアゲハチョウによって活性化され、不思議な息吹のようなイメージを伝える。現実がイメージに変容する瞬間。

 藤島大千「待つ」。三人の赤いドレスを着た女性が、一人は座り、二人は立っている。あやしい雰囲気である。これまで歴史上の女性を肖像ふうに描いた作品から一転した。手前のテーブルには本が広げられて、スフィンクスの像が写っている。あやしい雰囲気のなかに女性が不思議な波動を放つ様子を描く。

 橋本弘安「出発」。「門出、旅立ちのような新しいことに進んでいくような気持ちを小さな飛行場の情景に託しました。鉱物など自然のものから自作した絵具だけで制作するようになって二十五年になります。今回は、ラズライトやラピスラズリ、アズライトという青い鉱物を中心に制作をすすめました」(日展アートガイド)。中心に大きなトランクがあり、その前に女性が傘を持って立っている。背後の空に飛行機がいま飛び立とうとしている。そばにつがいの鳩。右のほうには管制塔を思わせる建物。青の透明な奥行のある色調の中に白が清潔な韻律をつくる。絵具のもつ独特の透明感はやはり作者が自作した絵具によるものだろうか。深い青の陰影がこの空間のなかにあらわれているところが面白いと思う。

 吉田千恵「rain」。雨が降って、水の上に波紋をつくっている。それだけで絵にしている。その独特の円弧のリズムの形の組み合わせである。グレーと黄色がそこに彩色されていて、夢のような幻想感があらわれる。一種の音楽的な空間と言ってよいかもしれない。

 西﨑節子「スピダル村にサーカスが来た」。遠景に黄色いサーカスのテントが見える。そこから手前まで湾になっていて、円弧の中に水が寄せている。いちばん手前には緑によってたくさんの岩が置かれている。エキゾティックな雰囲気のなかに憧れといったイメージが表現される。

3室

 森脇正人「無畏」。「狼は暗闇の中でも、気配を感じ行動する。全ての事に、耳を傾け、目を凝らし、そして、直接目に見えないものを、五感を働かせ、探るのである。恐れない、揺るぎのない自信をもち、立ち向かうのである。闘争心を持ち、愛情深いのである。人間も学ぶべきところが、多くあると思う」(日展アートガイド)。この二頭の狼は上方が雄で下方が雌なのだろうか。後ろに火焔が立ち上がっている。画家のロマンティックな資質が、この狼を描くことによってより発揮された。作者は、人間を描くと実に面白い文学的な世界を表現するのだが、この狼はそのような人間の仮託された存在として、威厳と哀愁のなかに表現されている。背景の燃えているような空間も面白い。不動明王の背後の火焔を思わせるところがある。

 渡辺信喜「夏草」内閣総理大臣賞。「露がついた夏草に朝の光があたり一瞬白く輝いてみえた光景が印象的で、早朝の涼気が表現出来ればと描いてみました」(日展アートガイド)。丈の高いつるぎのような葉が伸びて、その向こうに上方にはオニユリ、下方には昼顔、シダなどが生えている。筆者は植物についてあまり詳しくないのだが、背景はグレーの緑がかった空で、その中に白く輝く葉の様子、あいだに前述したように見えるユリやピンクの昼顔などが気品のなかに描かれている。凜冽たる強いイメージがこの白く輝くような植物の葉にあらわれているところがよいと思う。

 田島奈須美「不思議の国のアリス」。少女のそばに莵と二匹の猫。少女は菫の花束を持っている。白いケシの花が咲いている様子。見ていると、一つひとつの中に目のようなものがあらわれてくるような錯覚に陥る。黒と白の市松の床に赤い上方の壁。ポンペイの色彩のよう。窓に黒い猫が顔をのぞかせている。極彩色の中にアリスの不思議なイメージを背後に揺曳させながら、少女を中心としたコンポジションをつくる。「優美で摩訶不思議な『不思議の国のアリス』は、私の心の宝物です」(日展アートガイド)。

 能島和明「知里幸恵像(アイヌ神謡集)」。中心に『アイヌ神謡集』を編んだ知里幸恵の像が描かれている。ほとんど全身像に近い。ゆったりとした雰囲気で、おなかの前に両手を組んで鑑賞者の後ろ側を眺めているような眼差し。ふっくらとした顔だちに大きな目が輝いている。彼女が亡くなったのは十九歳。アイヌに生まれ、アイヌで初めてアイヌの物語を文字化した。「『……其の昔、幸福な私たちの先祖は、自分の此の郷土が末にかうした惨めなありさまに変らうとは、露ほども……(略)』。アイヌとしての誇りをしっかりと持ち、幸恵は、校正をすべて終えた夜、他界した」(日展アートガイド)。幸恵の後ろにはアイヌの独特の文様をもった法被がその袖を広げ、後ろの枝にはフクロウがとまっている。背後は墨による表現で、枝には熊もとまって下方を眺めている。しっかりとした存在感のある表現で、とくにこの幸恵像のもつ豊かなイメージ、その造形が実に魅力的である。

 中路融人「錦秋の通天橋」。「京都で秋の紅葉の名所と言えばまず東福寺と答える。特に通天橋からの眺めは絶景である。見事な紅葉の赤に染まった世界に感動した。向かい側、臥雲橋の方から谷を描き、数本の木立を前景に大きく構成し、仰ぐように通天橋と紅葉に焦点を絞り、寺院独特の自然の雰囲気を大切に残した素朴な美しさがある風情を表現した」(日展アートガイド)。画面の下方から伸びて上方を突き抜けている二つの木。さらにその右側には黒いシルエットの樹木が伸びて、途中で細い枝を箒のように伸ばしている。そんな三つの木の形が変わっているところも変化で、その向こうのまるで赤い雲のような紅葉を横切って上方に伸びていく。通天橋の廊下にはたくさんの人々がいて、紅葉を楽しんでいる。その人間たちがそこに入ることによって、単なる紅葉だけでなく、それを眺める人間の視点が入り、手前から眺める作者の眼とのあいだに紅葉した樹木、その存在がはさまれて、不思議な雰囲気を醸し出す。視線が向こうからとこちらからの二つのベクトルであらわされているところが面白いと思う。ひんやりとしたグレーの空が上方にのぞいているが、まさにそのような冷気のなかの輝く紅葉風景である。

 鈴木竹柏「春陽」。「陽がのぼり山桜が咲き、ほのかに香りがただよう山の朝」(日展アートガイド)。桜の木が点々と花をつけている。いちばん近景には右下のコーナーのピンク色。そして、背後の山の麓の二本の桜の木。そばに湖のような白く輝く水の様子がある。後ろは山の斜面が急角度で立ち上がっている。その中にもぼうっと花が咲いている。空は緑がかったグレーで、そこに緑の色彩に囲まれた白く輝く太陽が見える。曇り空の太陽のようだ。同時に、それは地球を照らす星のようなイメージで描かれている。すべての存在が独特の色彩の中に表現される。トーンの変化によって形が浮かび上がる。右下のピンク色の桜の鮮やかな色彩。それと呼応するような、その横の緑の植物。輝く白い水。深い陰影のなかにあらわれる山の斜面。トーンによってつくられたこの風景は、現実の風景というより、作者の心によってつくられたもう一つのイリュージョンのように感じられる。牧谿などの水墨によってもう一つの世界が暗示されるわけだが、それと似たような空間があらわれている。その中ではすべてが、水も山も花も太陽も神秘なる存在として感じられる。ただそこにあるものがそのまま神秘なるものとしてこの絵の中に表現された。

 福田千惠「筝(こと)」。「初めて山勢松韻先生とお逢いした折、何とも凜とした、おもむきのあるお姿で、表情からは日本女性の強さを感じました。日本の伝統的な箏曲家であり、国内を始め米国でも教鞭をとられ活動的です。お逢いする度、より描き手として惹かれてしまいます。前向きで自信と品格ある姿を、琴と共に自然な雰囲気で描かせて頂きました」(日展アートガイド)。琴爪を右手にはめて正座した松韻先生。薄青い着物に竜の顔のある帯を締めている。そばに琴が置かれている。ゆったりとバックの空間をとって、この女性のもつ強い凜とした力をよく描き起こす。

 佐々木曜「花野」。「昨年秋、伸び放題にしていた夏の草の庭はいつの間にか秋草に代わっていて、その秋草の美しさに、はっとさせられ、秋の草むらの美しさを知ったのだ。衝撃であった」(日展アートガイド)。白く発光するような秋の七草の表現である。坂本繁二郎の幽玄な色彩を連想させるところがある。

 土屋礼一「画家の空」。「画家は夢の中でも絵を描いている。起きてみると、つまらない絵が多いのだが、夢はすべて私だけの世界である。かつて、夢からの発想で絵を仕上げたことがある。今回も夢の中が構図になった。毎日、アトリエの隅にある鏡の中の自分の顔を見ていて、いつか光と影を描いてみたいと思っていた。夢が私の背中を押してくれた」(日展アートガイド)。自画像である。後ろに手を回して上のほうを眺めているが、その目のあたりから上部右半分肩まで影になっている。上方の墨をたらしこんだような黒い雲。そして、不思議な明るい青い空が背後にあって、そこに緑などの色彩も入れられている。幻想的な、ルドンの世界を思わせるような色彩。そこに浮かび上がる自画像。ドッペルゲンガーという自分自身を見る現象があるが、それに近いようなイメージを夢の中という想定のなかに表現した。不思議な存在感が感じられる。

 山﨑隆夫「爽晨」。「爽やかな空気の漂う中、日が昇り、一本の径を照らした。どこまで続いているのだろうか」(日展アートガイド)。絵の中の上方の黄色い丸い形は太陽というより、満月と思われる。朝の太陽の光というより、もっと夢想的な光の中の世界のように感じられる。その柔らかな光が下方の道を照らして、両側の野の花を白く輝かせている。両側には雑木が立ち並んでいる。ハーフトーンの色彩が魅力で、その光線によってロマンティックな空間が生まれている。

 岡村倫行「影向」。影向とは鏡の中などに仏の姿が現れることをいうのだが、この作品では、正座した女性を中心として、なにかあやしい雰囲気があらわれている。墨一色の仕事である。豊満なボディをこのドレスが包んでいるのだが、下方ではドレスの裾が輪になって周りに広がっている。正座した姿がそのまま宙に浮いたような雰囲気で、下方には不思議な影があらわれ、上方には光が動いている。女性をキーワードにして、自然のもつ神秘的な気配を作者は表現したという。独特の感性だと思う。自然のなかにある命の姿を聴覚や視覚を通して感得しながら描いた世界。

 山下保子「時を超えて」。中心に正面向き、向かって左は片膝を立てた女性の横顔。向かって右はすこし体を開いて斜めから見た女性で、左手をすこし前に出している。指の表情などが独特で、そのディテールの表現はいかにもこの作者である。「ここのところ毎年ヨーロッパを旅し、感じる事多く、今回はその一つを絵にしました。さまざまな歴史の変化の中にあって、全く変わらないもの……。その一つに、あたり前の事なのですが、紀元前より今に至るまで、どのような歴史の変化の中でも時と関係なく、女性は唯、女性のままであると」(日展アートガイド)。女性讃歌ともいうべき三美神の姿を作者は絵の中に表現したと思われる。上方の石榴が実り向日葵が咲いている様子は、女性のもつ美しさのメタファーとなっている。

 中村徹「月、浮かぶ」。山の上に十三日ぐらいの月が白く浮かんでいる。山に小さな生き物が密集して、それが植物となり、樹木となる。まるで苔のように山を覆って発光する。自然に対する独特の接近の仕方からくる山水図。

 能島浜江「物語の森」。宮沢賢治の本は昔から好きであったが、最近また読み返しているうちに新しい発見があるそうだ。横向きの帽子をかぶった女性の前には水が流れ、上方には大きな緑の葉が茂っている。猫が地面にいて、こちらを眺めている。手前には岩のようなものがあって、そこに手をついているようだ。それぞれの色彩が輝く。色彩が、葉にしても水にしても人間にしても、その固有のものを表しながら深いところから輝いてくるような、そんな性質をもって画面の中に扱われている。しっかりとした構成の中に奥行が感じられる。また、青に独特の神秘的な性質が与えられていて、それが宮沢賢治の世界とリンクする。

 村居正之「耀く」。ギリシャの円形広場のように思われる。月の光に照らされたこの劇場。だんだんと上方に立ち上がってくるその半円形のフォルムは、古代の魂がエコーのようにこだまのように聞こえてくるような心持ちに襲われる。独特の神秘的な性質のなかに青を使っている。地中海の美術を青によって描いてきた画家のユニークな表現。

4室

 藤井範子「満天星の秋」。「満天星躑躅(どうだんつつじ)の紅葉の秋を中心に夏から秋、秋から冬の季節の『うつろい』を表現したいと思っています。夏は緑の中に赤い茎が力強く、冬は秋の落葉の後に小さな赤い芽が残る。春から四季を通して色々な赤い色が見られるとても魅力的な『つつじ』である」(日展アートガイド)。中心に紅葉した秋のドウダンツツジを大きく入れて、左に夏、右の冬のドウダンを半分ほどの大きさで画面の中に入れている。赤と緑との対照が鮮やかで、背後に金をはいたような空間があらわれる。独特の色彩家である。花鳥画と言ってもよいのだが、この作者らしい思い入れの強い、想念の中からあらわれた図であるところが面白い。

 平尾秀明「群れる」。上方に川崎の工場地帯が描かれている。その手前に多摩川が流れている。カモメが近景を飛んでいる。一羽はとまっていて、上方には十羽ほどのカモメの飛んでいる姿が描かれているが、ストップモーションのように、カモメの飛び立ったフォルムを追っていっているようなところも感じられる。優れたデッサン家である。重量感のある黒い工場街に光る水。そして、周りに光背をもつようなカモメの姿が神々しく表現されている。十字形のコンポジションが強いモニュマン性を表す。

 木村光宏「風雅叢舞」。植物の葉や茎、あるいは幹、あいだに流れる水などをかなり抽象的に表現している。葉のしなやかな形を白い優雅な曲線のなかに、あるいはグレーの曲線のなかに表現する。たらしこみふうにあいだに青や黄色を入れ、オレンジ色の花を咲かせる。まるで作曲しているような雰囲気で、自然を抽象的に輝くように表現する。

 吉村年代「追憶」。白馬と男と女。白馬はこちら向きで白く輝いているが、男女は赤いシルエットの中に背中や側面を見せる。あいだに黄色い花が咲いている。若い夫婦の思い出を守るような雰囲気で白馬があらわれたようだ。どこか仏画的な趣の感じられるところが面白い。

 中村文子「柑樹」。柑橘類の、たとえば夏みかんなどが実っている一本の樹木を肖像画のように描く。柔らかな感性で幹や葉やその果実を描いて、豊かな空間をつくる。

5室

 濱田昇児「奥入瀬」。画面の下方ほぼ真ん中のあたりを渓流が手前に流れてくる。途中で白いしぶきを上げながら、手前に水の進んでくる様子を実に生き生きと描いている。奥行もある。その上方に樹木が立ち、枝を広げ、緑や青い葉を茂らせている。水がすこし蒸発して、冷気のなかに霧のような感じで漂っている様子。酸素いっぱいの奥入瀬の水の上流のあたりの自然の雰囲気がよく表現されていると思う。その空気感が描かれているところが、この作品の素晴らしさではないか。また、上方から光が射し込んでいる。葉の一部や水を照らしているその繊細な光の表情もよく描かれている。

 間瀬静江「罌粟菩薩花摘み童子図」。三幅対の一種三尊像ふうなコンポジション。左に後ろ姿、右に横向きのケシの花を持つ童女を配して、中心にケシの花が咲いている様子を大きく描いている。様々な蛾がそこに飛んでいる。蓮の花ではなく、ケシの花であるところが、いかにもこの作者らしい。しっとりとした緑を主調色とした色彩。色とりどりの蛾が舞っている様子は、命というもののもう一つのメタファーのようだ。女性も命だし、ケシの花も命であるし、蛾も命といった様子で、命の三様の姿を描いている。クリアな対象の個的な形が集められているところが絵画性である。深く対象の命に接近するドローイングからあらわれたコンポジション。中心の花の周りに二つの円弧が金色に描かれ、四方に光が飛んでいる様子は、そこに一つの宇宙があると作者は語る。

 芦田裕昭「碧葉トマト」。二本の若いトマトの木が支え木に沿って伸びている。青い実がいくつかなっている。青い空の中に緑の茎や葉、緑の実がなっている。緑と青のヴァリエーションが清々しい。添え木がすこし黄金色に光っている。上方には黄色い花も咲いている。まるでトマトの肖像画のような雰囲気だし、イタリアの初期ルネサンスのフレスコを思わせるようなマチエールも魅力。

 辰巳寛「ひ・と・り・あ・そ・び」。「祇園の舞妓さんは毎日朝から『舞』をはじめいろいろなお稽古事の授業がある学校(女紅場)に通っています。二月の下旬にもなるとお茶屋さんの軒先には『都をどり』のポスターが一斉にはりだされて、お稽古にも一層熱がはいります。お座敷に向かうまでのちょっとした遊び時間にも、今日の女紅場でのお稽古を思い出しています。舞扇を扇子にかえて、ひとりあそびの情景です」(日展アートガイド)。若い舞妓の表情と袂から出た手の白さ。その先に持たれた小さな扇子。この祇園をよく知った作者ならではの情景である。その一人遊びの様子がまるで妖精のようなイメージで描かれているところが面白い。

 曲子明良「小さな流れ」。画面の約半分以上が水である。かなり上方の高いところから下辺まで水で、光を反射して白く、あるいは黄金色にきらきら輝いている。周りは墨で描いたようなトーンの表現で、その中に緑や青が入れられている。植物に囲まれた水が聖なるイメージをもたらす。月の光がそこに映っているような豊かな雰囲気。光と水が一体化して、物質感というより、もっと精神的な質量のようなものがそこに表現されているところに注目した。

6室

 亀山祐介「Maze」。十代の女の子。中心に花模様のワンピースを着た女性がウェストに手を置いて立っている。黒髪に黒い瞳。それをすこし調子を落とした雰囲気で、画面に角度を変えながら回転させる。その周りに白描の同じ女性を沢山描く。あいだに、彼女の友達なのだろうか、ウサギの人形やチューリップのような花などが置かれている。このティーンエージャーの女の子に対する作者の強い関心からあらわれた構図である。日本人の女性のもつ美的な要素をそのまま保ちながら、モダンな新しい女性のイメージがあらわれているところも面白い。

 川島睦郎「白鹿」。屋久島の原生林に赴いて、このようなイメージがあらわれたという。白鹿はまさに神の使いのようなイメージで、リアルに神々しく画面の下方中心に描かれている。周りは何千年もの層をなす樹木の命の姿のようだ。宮崎駿のアニメーションの中にも鹿がよく出てくるが、共通したイメージなのだろう。この白く輝く鹿がこのような花鳥画の大家といわれる作者の表現としてあらわれてきたことが、実に新鮮。

 長谷川喜久「視ル・聞ク・言ウ」。「見ざる・聞かざる・言わざる」という言葉があるが、これはそれを逆転した発想。黄色いメガホンでしゃべっている猿の表情は暗い。その上の耳に手を当てている猿もそうで、不信の塊のような雰囲気があらわれているところが面白い。それがまさに現代という時代の人間像を彷彿とする。

 川嶋渉「月夜の真珠」。黒いバックに蜘蛛がその網を広げている様子を、銀かプラチナのような粒々で描く。きらきらとして、実に強いイメージを発散する。「月夜の真珠」という題名もなるほどと思う。右上方に黒の中にすこし白い空間があらわれて、そこにたらしこみふうに植物のイメージがあらわれている。また、蜘蛛の網を張ったそのすこしゆるいようでピンと張ったその動き、構造が実に不思議な美しさである。リアルで、しかも美的な表情を与える作者の力量に感心した。

 上田勝也「海の見える處」。頰杖をついて瞑想している女性のロマンティックな姿。そばにガラスのグラスやシルエットになったガラスの瓶などが描かれ、籠の中には紫やオレンジの花が生けられている。中景に湖が浮かび、山がのぞく。それは湖ではなく、題名によると海である。この女性の脳裏に浮かぶ情景が描かれている。手前にあるのは端整な女性の客観的な姿で、頭の中のイメージが背後にあらわれ、二つは呼応しながらロマンティックな空間をつくる。

 中村賢次「煙籟」。熊本に在住している画家である。阿蘇が噴火した様子を描いたという。圧倒的な存在感が上方の赤い煙に感じられる。ボリュームをもって立ち上がり、われわれの頭上に向かってくるような迫力がある。

 岸野圭作「透韻」。森の中に鬱蒼と樹木が茂っている。下のほうから草がたくさん生えている。蔓のようなものも伸びている。幹に沿って紅葉した葡萄の葉のような蔓が上方に向かっている。秋の盛りなのだろう。晩秋なのかもわからない。モノトーンのこの森の風景の中の朱色の葉の連続した形には実に鮮やかな印象を受ける。そこにはまさに命が宿って、時のなかにさらされている趣。面白いのは、白い不思議な枝の先のようなフォルムが縦横にその上にカーヴしながら、右下辺から左上方に向かっていること。もうすこし小さなものが右のほうにもある。それは白い樹木のイメージであると同時に、時間がつくる道、つまり道程のような歴史のようなイメージなのだろう。この鬱蒼とした森の中に入ってこの紅葉した葉を見ているうちに、しぜんと時というものがこのように感じられ、それは命の水の流れのようなイメージとも重なりながら画面の上にあらわれ、それを素直にこの絵の上に描いたように思われる。また、背後の、白によって描かれた葉の集積した様子。大小様々であるが、そのフォルムとこの白い水のような枝のようなフォルムとが響き合いながら、自然というもののもつ不思議な命の流れを表現する。

 池内璋美「遠雷」。ヨーロッパのどこの場所なのだろうか。中心に石で囲われた大きな水盤のようなものが描かれている。隙間から水が溢れて落ちてくる。後ろの石造りの半円形の形の上のフォルムなどを見ると、古い洗礼するための水のように感じる。洗礼とは、一度人を水の中に突き落として仮死状態にし、復活するときに神との契約を結ぶという儀式である。その歴史のなかに長く存在した行事がこだまのようにこの風景からあらわれてくるように感じる。もちろんこれは筆者の独断なので、そうではないかもわからないが、そんな感想をもつ。上方の空の向こうから、それと呼応するように雷が聞こえてくるのだろう。

 東俊行「瀧の空」。「四国徳島県の山中に灌頂ヶ滝がある。灌頂とは仏教で霊水を頭から頂く意味であり、その昔、弘法大師空海が水行修行をしたとされる。旭を受け五色に輝く滝の姿は神々しく荘厳である。空から降り注ぐ滝の飛沫を浴びながら、眼前の切り立った断崖を直下する滝の垂直と眼下の山々の水平との視点から空の自由さを仰ぎ見た」(日展アートガイド)。断崖と滝と山によってつくられた空間の上方に空が浮かんでいる。そこには自由な空があると作者は述べている。深い体験をもとにしたコンポジションである。落ちてくる滝のもつ独特のリアルなイメージが、この空間を支えている。

 米谷清和「雪、すさぶ日も」。場所は野川公園だそうだ。大雪の日の経験を描いたそうである。ずいぶんふかぶかと雪が積もっているのだが、雪はやまずに霏々として下りてくる。そこに樹木が枝を広げ、右のほうには川が見える。なんとそこにジョギングする人がきた。それが実に新鮮な趣で、画面に黒とカーマイン系のシルエットで表現されている。画家のもつ写実力をベースにしながら、現実が一種装飾的な空間に変じた様子を見事に描く。

 中出信昭「宙の径」。緑の深い空が画面の約六割か七割を占めている。下方には道が一直線に続いて、その向こうは水でもあるのか、それを囲む樹木が左右に連なっている。そこから上方の空に亀裂のようなものが走り、流星が飛び、星座がたくさん描かれている。射手座もあれば白鳥座もあるようだ。そして、中心はミルキーな銀河のようなイメージ。現実と図像とを組み合わせたユニークなコンポジションである。

 水野收「おばあちゃん」会員賞。「取材は、インド、ラジャスタン州ジャイプル郊外の農村です。昨今の難民の様子をテレビを通して見るたびに、こうした日々の小さな幸せの大切さを思わないではいられません。幼児の心に、この絵のような世界が映る日の来ることを祈るばかりです」(日展アートガイド)。おばあちゃんに抱かれた小さな女の子。後ろに白牛が座っている。そのおばあちゃんと子を荘厳するように白い鳥が飛び交っている。面白いのは、子供が子供に見えないこと。大人がちっちゃく縮小してここに入っているような、不思議なイメージがあらわれている。それは図像としての表現となっているからだろう。画家のもつ思想の表現としてのコンポジションであり、そこにリアルな力が立ち上がってくる。

 丹羽貴子「森の小径」。築地塀の手前に植物が氾濫しているのだが、その草は白い花を咲かせている。それがピュアで、星のようなイメージ。背後にも鬱蒼と茂った樹木の葉の様子。築地塀があるから、森の中というわけでもないのだが、人がいず、自然のもつ濃厚な気配が見事に画面に引き出されている。とくに下方の点々と白い花を咲かせている群生した植物の表情は圧巻と言ってよい。

 鹿見喜陌「ひと夏の」。右のほうからタチアオイのような植物が紫の花を咲かせている。背後はグレーの中に緑の入った深いトーンで、グレーは銀河を思わせるような神々しい雰囲気。その中に暗い緑の色調の中に複雑な茎の絡んだような文様ふうな表現があらわれ、そこに朱色の糸のようなフォルムが描かれている。そこに短冊が一枚。七月七日、七夕には笹の葉に願いを短冊に書いてくくりつける。牽牛と織女が年に一回会うことができるという七夕伝説がそこに描かれているようだ。赤い糸は男女の運命の糸なのだろう。そういったロマンと、右の薄紫色の花のもつ一種装飾的でありながらリアルな強い表現に注目した。

 松崎十朗「静かな時」。海から波が寄せてくる。その砂地の岸と海とを抽象的に表現している。繰り返し寄せる波が銀色に光っている。遠景に突堤のようなものに街灯と建物が小さく見える。海の水の太古からの神秘的なイメージ。この水はいま月明かりに輝いている。

7室

 藤島博文「紫氣東来」。四羽の丹頂鶴が右のほうを向いて立っている。いちばん後ろの丹頂鶴は体はほぼ正面向きで、翼を両方に広げて、手前の三羽の鶴を守るような雰囲気。いわば家長のようなイメージ。作者の分身だろうか。作者は自宅に丹頂鶴を飼っている。だから、観察する中から生まれた実にリアルなフォルムである。丹頂鶴の家族をそのようなイメージで描いて、強い大きな波動を発する。いちばん手前の丹頂鶴は上方を見て、なにか楽しくはしゃいでいるような利かん気の少女のような趣であるところも面白い。

 佐々木淳一「木の標」。ほとんど枯れたような古木が枝を広げている。その上に黄色い鳥がとまっている。赤い風車が七つほど枝につけられている。そばには細い若木が頼りない雰囲気で白によって描かれている。周りに水がたゆたっている。洪水ですべてが流されたあとに、もう一度命が復活しつつあるようなことなのだろうか。中心の古木はその津波で枯れてしまった木で、それを慰めているような鳥のイメージ。クリアな形がつくられている。トーンで見るのではなく、形を画面の中に自由につくりながら、独特の寓意性をそこにはらませているところが優れた表現である。

 桑野むつ子「思い寄せて」。裸の女性が立っている。等身大から一・五倍ぐらいに大きくしたぐらいの全身像である。白く輝いてヴィーナスのような神々しい雰囲気。後ろにネギ坊主のようなフォルムがいくつもあらわれているのだが、その頭部に小さな花が密集しているような雰囲気。まるでたくさんの星を球体として集めて、この女性の背後に置いたようなロマンティックなイメージ。そして下方を見ると、柔らかな風が吹いているようで、そのムーヴマンも面白い。

 北斗一守「過ぐ」。若い女性がうずくまるように座っている。そのフォルムがしっかりと描かれている。足や手の指や目や口が生き生きと、そのディテールが魅力的に表現されている。黒い服を着ているようだ。窓には都会の高層ビルの光に満ちた風景が映っているのだが、その後ろに樹木が枝を広げていて、その樹木の暗いシルエットの上にその都会の灯がまたたいているといったように表現されている。さらにその背後には緑の葉をもつ樹木が広がっている。自然と都会とが一体化するイメージのなかに、うずくまっている女性はいる。だからどうした、ということでもないが、そのようなダブルイメージの空間のなかに具象的な存在感のある女性を置くというコンポジションが面白い。次の作品の展開が楽しみ。

8室

 能島千明「民衆」。十五人の男女が描かれている。スマホを見る人。あるいは叫んでいる人。こぶしを上にあげている人。笑っている人。様々な人間の上半身の姿が集められている。ねっとりとしたマチエールが、この人間臭い雰囲気とフィットする。上方に太陽が入れられているのも面白い。混沌とした暖色系の色調の中に青や緑などの色彩がすこし入れられている。表面的でない、内側から描かれた人間群像が面白い。

 猪熊佳子「樹魂」。巨大な樹木の根が地上に浮かび上がるように現れて、やがて地面に没する。その周りに様々な植物が葉を広げている。木から若木のようなものが萌え出ている様子も神秘的。緑の中に光が含まれて、いわば様々な緑のイルミネーションのように輝くような雰囲気があらわれているところが、いかにもこの作者らしい。そばに小さな子鹿が一頭立っているのも、脇役として魅力である。その手前に赤い小さな花が点々と咲いている様子も、鹿と呼応しながら、この森の中から新しい命が生まれつつあるような豊饒と神秘のイメージを表す。

 渡辺明英「水面」。上方は山のようなフォルムや丘の上に松のような樹木が見える。それが近景の砂地までの水のある風景と連結する。浜辺にはシルエットの人が一人立っているのだが、サーフィンでもしているような雰囲気。水は白く輝いていて、岩や山などのシルエットふうな暗い色調と強いコントラストをなす。水が輝くような明るいトーンで描かれていることによって、幻想感が漂う。

 中町力「刻々と、Toledo」。トレドの街をタホ川が囲むように流れている。その手前のすこし高地から眺めている。トレドの街のほぼ全貌が浮かび上がる。上方の教会や宮殿。あいだの建物。だんだんと地面が下がってきて、川に接するあたりの建物の様子。そんな様子を丁寧に逐一そのフォルムをつくりながら、最終的には深い陰影の中に沈めている。ハイライトは流れる川が空を映して白く輝いている様子。いま朝なのだろうか。刻々と光と影が移っていくだろう。きわめて東洋的な幽玄の世界を表現しているように思う。スペインのあの激しい気質をもつ中世の街が、この作者の筆にかかると、幽玄の中のトレドの街や水になっているところが面白い。手前の雑木の表現などはほとんど水墨と言ってよい。

 西田眞人「白い花」。「初夏から秋にかけて咲く、ヒメジョオンがモチーフです。数年前から、勤め先の大学構内で、この時期気になり始めました。黄緑色と白のさりげない対比が軽快で心地良いので、それをなかば抽象的な色面構成にまとめたく思いました」(日展アートガイド)。ヒメジョオンの白い花が一面に咲いた様子は幻想的で、ピュアな雰囲気。そこに明るい光と影になっている空間とを組み合わせて、光のアラベスクともいうべき装飾的空間をつくる。それを背景にして白い花が咲いている様子には、空間のみならず、時がまたがってあらわれているような幻想感が生まれる。地上に咲いている野の草を空間のうえに浮かしたようなかたちで幻想的に表現したコンポジションが面白い。

 菊池治子「神田祭」。神田祭は東京の三大祭の一つである。上方に黄金色の御神輿が動いている。それを担ぐ男たち。最近は女性も御神輿に参加する。それを背景にして、大きな目をしたすらっとした女性がこちらを向いて立っている。「江戸総鎮守神田明神」の法被を着ている。御神輿とこの女性の法被姿のフォルムとが面白く対照されて、現代らしい風俗的表現になっている。まさに女性の時代を思わせるコンポジション。

9室

 岡田繁憲「麦」。黄色いバックに麦が穂を出している様子を左右に並べて描いている。それがシルエットになっている。黄色い空を思わせる空間に麦がまるで陰画のように描かれているところが新鮮。下方にはもっと丈の低い苔のような緑の植物が繁茂しているのも、自然のもつ存在感を表して、このコンポジションの中に重要な役割をしている。

10室

 伊東正次「枯松群烏図」。太い幹をもつ松は表面が裂けて、中のうろがむき出しになった様子で、それを見上げる角度から描いている。そこにカラスがとまっていたり空を飛んでいたりする。また、この松とは違った松の枝が上方に伸びている空間も描かれている。背景は箔を貼ったような装飾的な空間になっている。形のディテールが面白く、とくに黒いカラスの形、その配置に独特の情感があらわれる。

 新川美湖「秘密基地」。葉の落ちた大きな樹木が枝を広げているのだが、そこに紐が結ばれて、下方にはタイヤなどがあり、紙飛行機も落ちている。子供たちがこの樹木と藪を使って秘密基地をつくったその残りなのだろうか。白黒の世界。鉛筆でフォルムをあたった上から鉛筆や墨など、ほかの素材も使っているのか、念入りに紙の中にすりこむようなかたちで黒が入って、この複雑な陰影ができている。一部空のあたりは紙を揉んだあとが見える。濃厚な気配が感じられる独特の白黒の空間で、これまでの一種神秘的な作風に対して、もっと人間臭い力が画面から感じられるところが面白い。

 松本美枝「赤い華ナラ」。画面いっぱいに赤い曼珠沙華が咲いている。その様子が強い存在感を示す。花と花が重なって、その中に花弁などの形もあらわれているが、一部は融解したような趣で、強い奥行と量感を示す。曼珠沙華は別名彼岸花といわれて、霊に対して手向ける花であるが、この赤の重ねられた色彩には深く感情を揺すぶるものがある。

 鈴木一正「夢想」。一頭の馬を横から描いている。顔の表情や馬体の特徴をそのまましっかりと写して、存在感がある。周りは柔らかなグレーの空間。この馬はいわゆる乗馬用の馬ではないようで、荷を引くための馬なのだろうか。しっかりとした足腰をした馬で、ある程度年もとっているようだ。そんな馬に肉薄するように描く。これまでの白熊などの動物画と違って、この馬には人間臭い独特の表情が感じられる。

11室

 加納幹雄「悠々閑々」。真下を眺めている。そこには板を組んだものがあって、その上に黒い綱が置かれているが、そこに蝶がとまっている。右上方には黒いトンボが飛び、そばの睡蓮の葉にはカエルがとまっている。下方にはカワセミも見える。いちばん下は水で、小さな魚が泳いでいる。フラットで上下の遠近感が弱いために、オールオーバーにフラットにもののフォルムが鮮明にあらわれてきている。そこが逆にシュールな気配を表す。

12室

 鵜飼義丈「共に生きる。」。二頭の牛が頭を下げて首を伸ばしている。下方で二つの顔が近づく。一つは白く、一つは黒い。黒のほうは、そこに朱の線によってフォルムがつくられている。黒いほうは雄で、白いほうは雌だろうか。ポップふうな感覚でフラットな色面による表現である。

 髙木かづ「薔薇園」。黄土色の色調で全体が統一されている。中心に台座の上に立つ女性の彫刻が置かれているが、石彫のようだ。周りに樹木の枝が立ち上がって、混沌とした雰囲気のなかに独特のメロディが聞こえてくるようなロマンティックな表現。

13室

 西敏彦「祈りの人」。白い服を着たこの男性はお坊さんなのだろうか。後ろの棚に蓮の蕾が置かれている。下に犬が座っている。犬の顔と老人の顔とがお互いに仲間のように響き合っている。クリアなフォルムが独特で、そのフォルムの力が強いイメージを発信する。

 倉元敏見「循環」。重い強いマチエール。野の草。壁にあけられた穴。十字架を思わせるようなフォルム。下方に水がたゆたっている。存在感がある。

14室

 白川奈央子「箱の鳥」。箱の中に二羽の軍鶏がいる。闘争心の激しい軍鶏の姿をデフォルメして強く表現する。

 黒石千恵子「暁を待つ」。夜の野外の舞台に青年が座っている。そばにエレキのギターやピアノやアンプなどが置かれている。上方に繊月が現れている。下方に赤い花が一輪。黒い中にうごめくような気配。ロマンティックな独特の生気ある動きが画面から感じられる。

 田中文恵「あざみ野」。ピンクのアザミが咲いている。地面から生えている様子。周りには黄色い花もつけた雑草が伸びている。そういった様子をしっかりと描く。野に生えている植物を描きながら、取捨選択し、独特の韻律のあるコンポジションをつくりだした。緑が生きている。

15室

 棚橋都「夕光」。夕焼けの赤い空。覆いかぶさるような樹木が伸びている中を、犬を連れて帰路に向かう女性の後ろ姿。強いノスタルジックな感情が表現される。

17室

 矢澤貞子「帰宅」。黒いレースのワンピースを着た女性が横になっている。そばに同じように横になった猫が頭を逆様にしている。脱がれた黒いハイヒール。黄色いバックに黒い衣装が強く映える。じっと見ていると、黄色い床に様々な歯車の形や時計などが置かれているのが面白い。全体で動いていく時間のリズムが刻まれるようにバックに描かれているところが面白い。

18室

 岡本文子「Spiral」。中心に十一歳ぐらいの少女が両手を上げている。青いワンピースの中に大きな白い薔薇の花の文様。まるで薔薇が浮き出ているようだ。銀を背景にして目と衣装だけが彩色されている。左右は墨一色で、その少女を横から、あるいは斜め横から見た姿が描かれる。フォルムが強い。フォルムに対する感覚が優れていることによるコンポジションである。才能を感じる。

 山田まほ「妙光」。高い山を水墨ふうの線によって表現している。あいだに黄色く彩色された空間。山が生きているように描いている。独特の感性である。

19室

 山﨑光雄「円映」。水墨による水たまりの表現。中に雲や鳥が浮かんでいるのだが、上方に彩色されたサッカーボールが一つ。手前には回転する遊具が赤く描かれて、蝶がそこにとまっている。水たまりや地面がモノトーンで、モノトーンと赤との対照が鮮やか。また、水たまりという虚像に対して赤による実像が対照されるというコンポジションも面白い。

 市川信昭「記録・わたしのまち」。東日本大震災の時のことを再び描いた。壊れた車。地面に浮かぶ様々な壊れたものの残骸。五つの場面をまとめている。ハッチングしたフォルム。墨による表現である。優れたデッサン力による仕事。

20室

 青木志子「ひら、ひらり」。水仙が横に群生している。その上方は褐色の絵具をたらしこんだような空間で、約六割。白い蝶が水仙の近く、あるいは上方を飛んでいる。独特の表現であるが、それぞれの対象のフォルムがしっかりしているところが、このコンポジションの強さをつくる。

21室

 村山春菜「新宿ダンジョン」。新宿の西口を上方から眺めている。ぐいぐいと引かれたフリーハンドの線が生命的。自由に彩色し、必要でないところは白で残して強弱ができる。鼓動するような街のダイナミックな空間表現。明るいポップ的な感覚が現代的な心象風景をつくりだす。

改組 新 第2回日展〈洋画〉

(10月30日〜12月6日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 佐藤祐治「湖水眺望」。イタリア北部のオルタ湖に浮かぶサン・ジューリオ島の佇まいを描いたものである。このあたりは景勝地としてよく知られている。中心に宮殿を思わせるような建物と周りの民家のような建物が密集して、不思議な佇まいである。左のほうには鐘楼らしき塔が伸びている。手前の樹木の中の瓦屋根の民家。しっくりとした水のトーン。一つひとつ手で触り確認しているようなかたちでフォルムをつくっていく。実際の景観は視覚的な世界にちがいないのだろうが、絵を描くときに画家は自分で一つひとつ積木を組み立てていくようにフォルムをつくっていく。そこから清潔さと不思議な幻想感が生まれる。

 武藤初雄「湾岸にて(泉大津)」。大阪湾岸の一つ、大阪府泉大津の港湾に鉄骨の構造物がある。「砂や砂利は混ざらないよう、幾つかのコンクリートの壁で仕切られている。その壁のどれもが興味ある状態で絵心をそそられる」(日展アートガイド)。長い時間にかなり風化した壁である。その穴ぼこの様子の磨耗したマチエールに対して作者は向かい合っている。まるでそこに過ぎ去った時間の感触を確かめるように。

 桑原富一「昼下がり」。「午後にモデルがやってきた。ポーズをとるモデルの何気ない動きの中に昼下がりの空気を感じる。昼下がりの……。取り留めなく考える自分がいる」(日展アートガイド)。モデルを前にして制作を続けてきた画家である。シーツの上に横になったモデルが光の中に輝くように表現されている。それはなにか不思議な輝きを見せる存在と化しているように感じられる。モデルを超えた不思議な存在を描いているところが面白い。

 難波滋「逍遙・波の華」。文楽人形をテーマにしている。文楽は心中物語が中心であるから、ここにいる手前の男女も死の道行のシーンであるに違いない。花びらが天から降ってきている。この男女を荘厳するように。細い繊月が出ている。作者によると、このシーンは新潟を想定しているそうだ。「良寛和尚の生地、出雲崎の海に波の華が咲いた。出雲崎の丘に建つ良寛堂を囲む山茶花の花弁が波の華となり、日本海に舞い上がり、遠くに佐渡が見える」(日展アートガイド)。そういったシーンは、このビリジャン系のバックの中には描かれていないのだが、そういったシーンをイメージすることによって、この文楽人形の連作が活気づくということはあるにちがいない。作者の説明によってより味わいが深くなる。

 丸山勉「フォレスト」。「生きものは、活動に際し、それぞれの固有領域を持っている。人は、精神にも絶対不可侵領域を持つ事により、生と死に対する想念を深めていったのだろう。作品名の『フォレスト』は、その領域をある種のメタファーとして表現し、虚と実の間の世界の中に、存在の力が有るのではないだろうか、という私の中の想の一つである」(日展アートガイド)。人間はそれぞれの絶対不可侵領域、つまりフォレストを背負っているということになる。この女性の背後にグレーの森が広がっているのも、それを暗示する。そこにいま満月が昇ってきた。グレーの中に白く光る部分があるのは、道のようだ。この女性の人生の軌跡の中から浮かび上がってくるメモリーだろうか。そんなものをすこし浮世絵ふうにフラットな色面と化すところに、画家の造形的センスがある。両手を胸の前で組んだ女性像。グレーにすこしピンクがかった肌の色。柔らかな謙虚なベージュの上衣に黒いカーディガンのようなもの。落ち着いたトーンの中にしみじみとした味わいが感じられる。繊細な人間心理の中にあらわれてくる魅力を画家は表現する。

 佐藤龍人「画室」。キャンバスを前にした自画像である。中心に自分自身の姿を置く。微妙に左右の変化はあるが、シンメトリックなコンポジションと言ってよい。そこに微妙な緊張感が生まれる。背後のキャンバスのグレーが銀灰色に感じられる。一種幽玄な雰囲気が画面全体からあらわれる。

 小灘一紀「沼河比売命(古事記より)」。「大国主命は日本文明の深層の中にある神である。また、一面恋多き神としても知られている。出雲から翡翠の採れる北陸地方に出かけ、美しい沼河比売命に求婚しました。古事記は歌を中心に物語が進行する文学作品でもある。日本の神々は哭き笑い悩む神々であり、我々の心を知り共に歩む神々である。祈り、優しく、夢を抱く女神の姿を描いた」(日展アートガイド)。座って、瞑想しているような沼河比売命。周りに色とりどりの蝶が飛んでいる。それがスポットライトを浴びたように輝くように描かれている。比売命の上半身にも光が当たっている。まるで胸の内側から光が溢れてくるような雰囲気。背後は暗いインディゴやビリジャンや紫、緑などの色彩。手前にはあやしい青や紫などの花が咲いて、中にオレンジ色の小鳥がとまっている。色彩が鮮やかで、ロマンティックな雰囲気をハーモナイズする。座ってその人指し指に黄金色の蝶をとまらせた沼河比売命。その蝶は儚さであるがゆえに命の清冽さをしぜんと表現するようだ。座って静かな様子にもかかわらず、内側から放射するような不思議な動きが感じられる。それはこの姫のもつ独特のオーラのあらわれと言ってよい。

 倉林愛二郎「刻・魂の宿る所」。「今の世は平和に暮らしていますが、世の中は変わり、大きな災害や、事故、病気等でたくさんの命が天に召されている。人の魂は我が家に戻り私達の側にいる。魂も傷ついた奴、寂しい奴、浮かれた奴、色々な人生を生きた魂が、いつも私達の側にいるような気が致します」(日展アートガイド)。ガラスの錘が室内に五つ描かれて、一つは宙に浮いているが、それが魂のメタファーのようだ。傷ついて割れたガラス玉もある。三つの部屋が連結されて、そのあいだの扉があけられている。それも空間の変化、時間の変化、場所の変化のメタファーのようで、不思議な時空間が表現されている。

 武田敏雄「羽黒山 五重塔」。雪が一メートルほど積もっているようだ。五重塔を仰ぎ見ている。それほど高い塔ではない。作者にとって見慣れた五重塔が静かに語りかけてくるようだ。両側に杉の大木が立っている。すこし低い位置からこの風景を描いている。上方の枝に積もった雪のすこし黄金色を帯びた調子に対して、下方の雪の影の紫色や青い色彩。見ていると、この雪がまるで花のようにこの羽黒山の五重塔を荘厳しているように感じられる。独特のロマンティックなイメージをこの素朴なコンポジションの中に表現する作者のヴィジョンと筆力に注目した。

 星川登美子「踊る(ゲラゲッツァより)」。「祭りのエネルギーが夜を焦がす。村ごとに守る伝統衣装に自分たちの誇りをこめ、色と音楽に溢れる熱狂のクライマックスを夜の神フクロウが見守る。中南米原産の七面鳥も一瞬の生ではあろうが、輝いてその時を生きる。華やかに染まる生き生きとした生命のきらめきを、造形的に平面化した色と形で表現したいと試みた」(日展アートガイド)。ライトレッドが、メキシコの大地のイメージをつくる。そこに緑、青、黄色などの色面が入れられ、輝くようだ。女性、フクロウ、七面鳥、月、星などがお互いに、歌い笑うよう。強く明るいエネルギーが画面全体から発してくる。自然と人間との共生のモニュマンのようなコンポジションに惹かれる。

 日野功「川沿いに暮らす」。「長い歳月と共に風化したトタン屋根や壁、川沿いの雑草にも温かな春の光が差し込んでいます。洗濯物を干したり、鉢植えの花を楽しんだり、質素な佇まいの中にも豊かな心が息づいている日々の暮らしに魅せられます」(日展アートガイド)。下方に水が流れている。そこから二メートルほど高くなったところに張り出した場所があって、その向こうには室内が続いている。暗い色調の中に洗濯物が干されているし、そばには小さな窓があけられている。窓の下の植木の棚には植木鉢が置かれ、赤やオレンジの花が咲いている。洗濯物も白や茶やブルーなどで鮮やか。ここに暮らしている人の生活感がしぜんと浮かび上がる。強いマチエール。塗りこんだ絵具の層に独特の輝きがある。あえてすこし汚したようなトーンを壁につけているが、そのトーンの中から静かに光り輝くものがある。この汚すあんばいも作者独特の美的な感性によってつくられている。粗末な住まいが、作者が語るように美しいものとして描かれている。下方の水から突き出た杭や横の桟などの壊れかかった様子。そして、白い不思議なものが浮かんでいる。この中に住んでいる人は相当高齢な人もいるのだろうか。崩壊しつつあるような現実が実はあって、その中にかろうじてバランスをとって生きていく人間の姿のいとおしさといったものもしぜんと感じられる。

 松野行「峠を行く」特選。インドを描いたもの。この赤い色彩はインドの大地の色彩である。「昨年六月のインドは暑かった。『赤』は、灼熱の陽光と過酷な風土を象徴的に表現したいという思いで使った」(日展アートガイド)。しかし、インドの人々の生活には「人と牛のなりわいをしみじみと感じることもできる」(同右)。人々の生活にはあまり変化がなく、繰り返される労働のなかには永遠を感じさせるようなところがあるのだろう。時間というものがテーマとなっているようだ。上方に牛や車や人を集め、下方に赤茶色のインドの大地を置いて、下方の空間を大きくあけているというコンポジションも作品にフィットしている。

 児玉健二「薄羽根」特選。まるでパステルを思わせるような透明な色彩効果である。裸婦が立っている姿を夢のような黄金色の色彩の中に表現する。背景の空や植物などの様子も色彩の中に溶け込んで、全体でハーモナイズし、色彩による夢幻的な空間が表現される。

 山田郁子「秋日和(与論島の菊お婆)」特選。「パチパチと竈の中で燃えている流木の小枝の炎と、釜の中で福木の樹皮で糸を染めている湯の音と、サラサラと芭蕉の木の葉擦れの音だけが聞こえる秋日和。充実した人生を過ごしているお婆が、穏やかな眼差しでジーッと炎を見つめている。モデルの与論島の菊千代さんは芭蕉布織と与論方言と民族の文化に貢献している」(日展アートガイド)。与論島の習俗を描きながら、その中に年を経た老婆の姿をしっかりと描く。肖像画がそのままいわば島の歴史を表現する。

 一の瀬洋「冬の高原」特選。褐色の風景。広葉樹の葉は落ちて、その枝や幹が独特の韻律をつくる。その向こうには針葉樹の葉が見え、横のラインは遠景の山の道などのフォルム。誰もがよく知った日本の自然の冬の高原の様子をしみじみとした情感のなかに表現する。

 阪脇郁子「菊川太夫」特選。「かつては大名より名誉な位を持ち、御所にも出入りしたという太夫が京都の島原に現在も数名おられます。この上なく華やかで美しい姿かたちの菊川太夫の中に、ほんの一瞬、女性の持つ業のようなものを垣間見、それこそが私の描きたいものだと思いました」(日展アートガイド)。盛装した菊川太夫の全身像である。背後に室町水墨のような風景の屛風が立てられている。女性の存在感ともいうべき人間臭さがよく描かれているところが魅力である。堂々たる恰幅と言ってよいかもしれない。

 吉引邦子「輪」特選。土間で遊ぶ二、三歳の女の子。人形を持っている。そばにはこの子専用の椅子があって、クッションや人形がある。ドアから太陽光線が射し込む。その光によって独特の色彩効果があらわれている。太陽光線のもつ魅力とあどけない子供の動きが相まって、現実がそのままファンタジックな空間になる。

 田代利夫「港の風景」特選。水は白く、船は黒く、対岸も黒が使われて、黒の中に独特の余情ともいうべきものがあらわれる。白黒の中にあらわれてくるトーンがモダンな雰囲気をつくる。

 佐々波啓子「雲中供養菩薩より『平安の響』」特選。平等院の定朝が彫ったという飛天の伎芸菩薩を上方に配し、その下方に黒い濃紺のワンピースを着た女性を置いている。女性のフォルムが厳しく強く、一種彫刻的な力を表している。それに対して背後の飛天のもつロマンが対照される。

 橋本一貫「時」特選。ギリシャの神殿などを描いてきたが、今回はそんな神殿の一部の柱を静物的に置きながら、木のテーブルの上に山羊の頭やガラス器の中に貝、そしてそばには錆びたポンプなどを置いている。画家独特の韻律が感じられるところが面白い。ものがものであると同時に、なにか不思議な韻律をもって語りかけてくるように画家は描く。今回は山羊の頭蓋骨と二枚貝の殻が中心に置かれて、地球の歴史といったイメージも感じられるのだが、やはり、画面から深く聞こえてくる時間のリズムのようなイメージが面白い。

 岡本猛「バタフライ」特選。女性の背中に羽が生えている。蝶に見立てている。色面構成的な空間のなかに白が清潔に輝く。雪国のイメージ。

2室

 中島健太「星街─STAR ST─」。白く塗られたドアの手前に女性がしゃがんでいる。その横から見たフォルム。顔は左にひねって鑑賞者のほうを眺めているが、鑑賞者と目線は合っていない。扉に楕円形の窓があけられて、その中にはキッチンの一部のようなもの、おたまなどがぶら下がっている。その向こうに若葉が茂る。手前のほうにも蔓のような植物やサトイモのような植物がその緑の葉を光らせている。しーんとした中に独特の内的な力がある。この作者独特の感性であるが、その内的な力が周りのものをこの女性の内部に引き寄せようとするかのようだ。そんな空間のひずみのようなものがあらわれているところが面白い。

 西田伸一「白い秋」。裸足で立っている女性。ピンクのワンピースを着て、白いパールのネックレスをつけている。左手の肱を右手で持って、遠くを見つめている。白いカーディガンを羽織っている。後ろの壁がグレーで、グレーの壁(塀)の上のほうにも横のほうにも植物が描かれている。冬の植物のようで、白々として晒されているような雰囲気。秋も終わりの頃で、もう冬がそばに来て、ひんやりとした雰囲気。そんな中に一年を回想しているようなイメージ。回想しながら、やがて来るべき未来のことを考えているのだろうか。しっとりとしたきめ細かなマチエールが作調のベースをつくっている。マチエールが静かに語りかけてくる。

 曽剣雄「物語」。古い蛇腹のカメラを持つ少女。古い木の机。数十年使ったようだ。古い本や青銅器のようなフォルム。筒に絵筆が入っている。アトリエの中にこの少女を座らせて作者は絵を描く。娘のような親和感が感じられる。その二人の関係によって単なるモデルを超えた存在感や魅力が、この人物画から醸し出される。

 西房浩二「Menton」。斜光線が船に、対岸の建物に当たって、白く、あるいは黄金色に染めている。背後のごつごつとした岩山。手前の伸びていく桟橋の形。あいだに湾の水がさざなみを立てている。静かな中に響きが感じられる。そのさざなみのような響きと斜光線に染められた建物群のフォルムとが響き合う。穏やかなぽっかりと浮かんだ白い雲の連結した空間が上方にあって、それらを眺めているような雰囲気。

 町田博文「ボヘミアの冬」。コート姿の女性が丸太の椅子に腰を下ろしている。そばにコリー犬がいる。後ろは起伏のある大地で、建物がいくつか見える。雪が積もっている。しっかりとしたリアルな筆力によって女性の全身像を描く。周りの冬の寒い様子に対して、女性の温かな体温さえも感じさせるような表現が対置される。

 木原和敏「これから」。青い布地に白いレース地が付着しているようなお洒落なワンピースを着た女性が立っているのだが、右手にベルを持って左右に振っている。左手でそれを支えているようなポーズ。どんな音色が聞こえてくるのだろうか。右に窓があって、紗の白いカーテンが引かれている。柔らかな光が射し込む。フローリングの床。その女性の全身のフォルムや肌合い。あるいは壁や床もそうであるが、そういったものを徹底して描き込むことによって、強い再現的な力があらわれる。しかも、描きながら、この女性のもつ香りや心の中のときめきのようなものまでも表現しようとする。いわば徹底した女性讃歌と言ってもよい。その女性を画面に再現することによって作者は消えて、その女性のふくよかな清楚な全身像が画面の中に生かされる。

 遠藤原三「夜の片鱗」。夜には様々な奇怪な生き物が身を起こして語りかけてくる。上方にたくさんの仮面がいる。日本だけでなく、各国の仮面のようだ。マンドリンを弾いている仮面もいる。何か語りかけてくる横顔。そんな中にオウムやインコなどの鳥。そして、中心にはグラスを持つミステリアスな女性。作者のいわばアニマ的な女性がそこに姿を現して、夜の様々な囁きを聞きながら守り神のようにそれを統合している。そんな夜のエキゾティズムともいうべき心象風景を描く。

 中土居正記「再生・above」。オレンジ色の上衣に白いパンツ。後ろにはカラフルな地図のようなフォルムに葦のような黄金色の葉。モザイク的なかたちで色面構成的に女性と背景を処理して、明るい色彩効果とコンポジションの妙を見せる。

 久保博孝「ルージュ」。紫色の上衣を羽織った金髪の人形。そばに枯れたものや洋梨、あるいはボストンバッグの上に置かれた白い陶器、白い布、花柄の簞笥。壁にはすこし穴があって、古びた様子。そんな様子を逐一クリアに再現的に描く。その優れた再現力に注目した。

 寺久保文宣「黄色の部屋」。床も壁も黄色。そばのドアの向こうは青い空間。空を思わせる。室内には丸いテーブルに透明な筒の花瓶に薔薇が挿されている。だいぶ枯れかかっている様子。ぐいぐいと対象の存在を描く。物質感というより、その残像のようなものを描いているところが面白い。ところどころ濃いグレーの色彩が置かれているのも、その時のなかにわだかまっていく時間のイメージを描いたかのよう。それに対して右の青い空はまた違った空間で、きょうは澄み切って頭上に輝くもう一つの時空間を表すようだ。その二つのコントラストが面白い。

 李暁剛「潮」。室内の黒いソファに腰を下ろしている若い女性。レオタードのような衣装。後ろの壁がなくなって、波が寄せてくる。夜の海である。その波とソファとの境界あたりの様子は、ソファのようにも岩のようなものにも見えて、ダブルイメージになっている。月は出ていないが、月光が波を照らしているようだ。女性の姿に左上方から光が当たっているのは室内の光のようで、室内と室外とを面白く連結しながらこの若い女性ののびのびとした肢体をよく表現する。また、この女性の中にある成長していく美しさや、あるいは心の中のざわめきのようなものを、背後の波がメタファーのように暗喩のように表現するという構成も面白い。

 北本雅己「クアトロ」会員賞。「街角で見かけた四人の男女は、冬の装いでも軽快で伸びやか、そして美しい。人種の交錯する彼の地で遭遇する肌の色やプロポーションの妙に、驚きと感動の連続であった」(日展アートガイド)。パリの街角。中心の黒人のカップルのフォルムが強く語りかけてくる。それに対して左右の二人の女性。金髪とブラウンヘア。ブラウンヘアの女性は犬を連れている。いずれにしても、人間のもつプロポーションや形から伝わってくるリズムを画面の中に生かした見事な構成と言ってよい。

 大友義博「紫陽花の頃」。青い布の掛けられた方形の高い台の上に白磁の壺があり、そこに紫陽花が挿されている。そのそばにコーナーに右手をついた若い女性が立っている。夢見るような瞳にふっくらとした唇。背後にも青い布が右のほうにたくられている。女性のスカートも青で、青のヴァリエーションに独特の効果が感じられる。とくに花瓶の下に掛けられた青い布は夜空を思わせるような色彩と言ってよい。その上にまるで星が集合したような紫陽花の花々。それらのイメージとこの初々しい女性の上品で清浄な雰囲気とがよく響き合っている。

3室

 福井欧夏「葵の庭」。イヴニングドレスふうな衣装をつけた若い女性が、柔らかな黄色い布の掛けられたソファに座っている。そばに帽子が置かれピンクや青の可憐な花が花模様のように置かれている。窓の後ろは緑の草や樹木が葉を茂らせている。静かなハーフトーンのハーモニー。それがロマンティックな効果をつくる。足を組んだ膝の上に左手を置き右手をソファの背に置いて背筋を伸ばして座っている女性の、静かなムーヴマンともいえるものがよく表現されている。上品な中にこの女性の香りが漂ってくるように描かれている。

 立花博「海風 2015」。「私の娘婿がマリンスポーツの趣味を持ち、ウィンドサーフィンの道具を我が家へ預けているのがきっかけとなり、それを新たな絵の題材にしようと思い立った。シャープな形態と色彩、材質感が新鮮で絵心をそそり、今までの自分の作風の枠を超えた軽快な画面を求めて制作した」(日展アートガイド)。赤と黒の帆が壁際に立ち上がっている。そばにはバーがより高く置かれている。手前には白い板と古いカンテラなどが置かれている。とくに帆のあたりに光が当たっている様子が生き生きとして、明るく、海へのいざないといったイメージをしぜんと感じさせる。色彩のハーモニーが魅力。

 井上武「都市の景」。左のほうには高速道路が伸びている。右下のほうには大きな橋。そして、海には船が何艘も繫留されている。遠景には高層ビルが立つ。クレーンが二台、高々とその先を伸ばして作業している。灰白色の曇り空の上にブルーや黄色や緑などの色彩が、まるで雲のように描かれている。その色彩はまた下方の建物や橋や船などにも使われている。空と構造物とが響き合う。いわばそんな色面構成と言ってよい。その中に強いムーヴマンが生まれる。フラットなようで奥行がある。色彩の輝きを追求する。ステンドグラスのような輝きがあらわれる。都会に発見した力強いコンポジションである。

 竹久秀樹「NOREPLY」。女性がシーツの上に横になって顔をこちらに向けている。両手を胸やおなかの上に置いているが、どこか人形のような雰囲気もある。屈曲するフォルムが全体に独特のリズムをつくる。背景の緑がかった暗い空間の中に赤い色彩が灯されているのが情念のようなイメージ。

 児島新太郎「颯々」。白いワンピースを着た女性を横から見ている。右手は髪のほうに伸ばされ、左手は肱で屈曲して、その先の指の形などが面白い。バックはグレーで、グレーの壁に矩形の窓があけられている。霙のようなものが降っているような雰囲気もあるし、雪がちらついているようでもあるし、そんな中に白い星が輝いているようにも見える。いずれにしてもモノトーンと言ってよいしっとりとした雰囲気の中に、この女性のもつ魅力を、形を徹底的に追求することによって表現する。それは実際に成功して、独特のパワーをもって迫ってくる。現実の身体よりすこし大きめに描かれているところも面白い。

 山本佳子「希望」。セーラー服姿の女性の全身像である。横から眺めている。バックはグレーの色彩を組み合わせたもので、その影響を受けて肌もセーラー服もすこしグレーを帯びた調子。清潔な中に静かな韻律があらわれる。

 本山二郎「二重奏」。高校生のような二人の女性。一人は制服のようなワンピースで、一人は緑のジャンパースカート。後ろにピンクや黄色い薔薇の花。立っている女性は赤いガラス瓶を持っている。この思春期と思える女性のもつ女性らしいあやしい魅力を、全身を描きながら表現する。とくに今回はクリアな形もさることながら、色彩をいろいろと工夫しながら周りに置いて、女性のもつ謎めいた雰囲気をよく演出している。

 渡邊裕公「横臥韶光」。韶光とは春の光という意味になる。若い女性がソファに横になってこちらを見ている。そのソファに、色とりどりのパッチワークのようにつなげられた布がかぶせられている。その上に横になっている。その布は植物の形や文様など、いろいろとつくられて、明るく、暖色系の中にそれぞれが輝くような雰囲気。まさに春の光がこの布の上に遍満して、布はその光を吸収しながらこの女性の後ろからその光線を発光しているような趣。女性はグレーの着物のような服を着ているのだが、その内側には緑や黄色のワンピースを着て真珠色のネックレスをしている。着せ替え人形のように一人の女性を構成しながら、独特の魅力を画面に引き出している。コンポジションと色彩感覚に注目。

 小川満章「日々」。紺色のワンピースを着た女性が立っている。両手をあげて、髪を束ねようとしている。そんな動作をしている女性の全身像が縦長の画面の真ん中に描かれている。左のほうから光線が射し込む。静かな中にモニュマン的なコンポジションというか、そんな力強さがあらわれる。女性の体のもつ繊細なニュアンスを失うことなく、立体としてのこの女性の存在を造形的に生き生きと描く。

 堀研一「小休止(壁の虫)」。ピエロの人形が置かれているそばにクラリネットなどが置かれている。後ろにはドラム。上にコートが置かれている。まさに小休止で、旅芸人は去って、人形だけが残されている。腹話術師が使う人形のようだ。旅のなかのひとときの安息感ともいうべきものを面白く描く。

4室

 飯泉俊夫「はにわ」。兵士の埴輪と馬の埴輪。手前には鶏の埴輪がある。それを集めて大きく古代追想といったイメージを表現する。紫がかったグレーのトーンが懐かしい。三つの埴輪の配置と微妙にデフォルメされた形が静かに語りかけてくる。

 歳嶋洋一朗「アドリア海の夜明け」。夜明けの斜光線がこのアドリア海を染めている。たくさんのヨットが繫留されているが、その白いヨットがグレーの中に描かれ、波の中に揺れている。遠景には岬のようなものがシルエットとして表現され、そこに立つ建物。黄色い光がいくつもまたたいている。いまピンク色を帯びた空の広さと奥行。その空を映す水。現場主義で、現場でキャンバスを置いて画家は描く。そこにあらわれてくる実に微妙なニュアンスがよく表現される。静かな中に力強い奥行と動きがあらわれ、心地よい。

 西田陽二「Fan-Rouge」。白いツーピースの女性が肘掛け椅子に腰を下ろしている。右手に赤い扇子を持っている。そばの花瓶には白い牡丹の花が挿されている。後ろは朝鮮の簞笥で、貝の螺鈿が樹木に咲く花や鳥などを描いている。その部分も灰白色であるが、ややピンクがかっている。白の基調の中にピンクの系列の色彩が慎重に扱われて構成されている。また、静かに座っているこの女性の息づかいといった微妙な動きが表現されているところがよい。

 浅見文紀「化身」。段ボールを十数枚重ねた上に中が空洞の木の箱が重ねられ、そのあいだに枯葉やオウムガイの貝殻、あるいは鹿の頭骨などが置かれている。枯れた枝も置かれて伸びている。ユニークなコンポジションで、すでに骨や殻と化してしまったものや落ち葉のように地上に落ちたものたちがこのように集められると、また不思議な命を獲得して何か語りかけてくるように感じられる。そんなイメージの流れを枝の屈曲した形が追っていくようだ。

 ナカジマカツ「羽化」。赤や緑や黒の大胆な模様のついた和服を胸の前で搔き合わせて女性が立っている。シルクのような質感で、女性の肌を輝かせている。後ろには樹木に宿り木が鬱蒼と茂った様子が描かれ、蝶(蛾)が飛び、金のバックに複雑なアミダクジのような形が描かれている。「羽化」という題名だから、女性が成熟するイメージ。成熟する未来は混沌としているといった寓意性が感じられるのだが、個々のディテールがクリアで、それによってこの女性の未来や現在の官能性を表現しているところが面白い。

 片岡世喜「逍遙」。水の上を鳶が翼を広げて飛んでいる。それだけのコンポジション。うっすらと水に鳶の影が映っている。大きく広げた堂々たる様子は、まるで鳥の王者鷲のようだ。おそらく作者自身をそこに仮託した存在なのだろう。その水の深い様子を見ていると、客観的な対象を描きながら、実は自分自身の内面を眺めているような深さが感じられる。

 杉山吉伸「白い夢」。「白い衣装の女人と郷里の不動の白山(那須、茶臼岳)をモチーフ(題材)に自己の喜び、苦しみなどの感動を独自な色調構成で表現した」(日展アートガイド)。茶臼岳が噴煙を上げている。それを背景にしてこの女性はすこしあぐらをかいたような雰囲気で座って、左手を胸に当てている。右のほうに顔をひねって、何か考えているような表情。目は開かれているが、何も見ていない様子。そばに白い人形が腰を下ろしている様子が、シャドーのような雰囲気で置かれている。この女性の様子を見ると、鬱屈するというのかメランコリックなイメージが漂う。内界を眺め、過去を考えているような様子。女性の中に存在する強い生命に対する欲求や感情などのメタファーとして、後ろの茶臼岳が噴煙を上げている。その意味では、この室内の女性と室外の山とは深い関係のなかに存在する。コンクリートの打ちっぱなしのような壁の中に茶臼岳の赤茶色の空が侵入してきている。そんなイメージのなかにもう一つの存在。いわば夢見るような魂の象徴のようなイメージで白い人形が背中を女性に向けて横に座っている様子が、実に微妙なアクセントになっている。

5室

 湯山俊久「秋韻」。「近年、ソファーにくつろぎ、ゆったりとした女性の美しさを量感豊かに、存在感をもって表現することに重点を置き制作してきた。今回の作品『秋韻』では、それに加えてアンティークな衝立の前でくつろぎ、季節や時のうつろいを感じる女性の叙情性までも表現できればと試みている」(日展アートガイド)。ソファの背に右手を置いて女性が足を組んで座っている。青いドレスを着ている。その下から白い袖がのぞく。ソファには赤い布が掛けられている。床も、後ろの衝立も黄土色や焦げ茶色の色彩でシックな調子である。そんな中に夢見がちな遠くを眺める女性の表情。ギリシャの衣装ではないが、このワンピースはこの女性の体をそのままよく浮かび上がらせるところがある。女性の奥行のある量感のあるフォルムが構成のポイントとなっている。白いブラウスは清楚な雰囲気を表す。作者が語るように古びた衝立の様子や斜光線は時間を表現する。時間がうつろうことが、この女性のいまの輝かしい魅力を逆に浮き立たせるように表す脇役のようになっているところも面白い。

 安増千枝子「翔く」。テーブルの上に大きなアコヤガイが置かれ、そこに葡萄の房が一つ。そばの大きなグラスのような花瓶にミモザの花が咲いている。黄色い花が絢爛としている。後ろは海となって、その水平線にいま太陽が沈もうとしている。そこにたくさんの白い鳥がはばたきながら向かう。深い祈りを感じさせるような画面。全体的には紫が主調となっていて、その色彩とミモザの黄色とは補色関係になる。上方の黄色い太陽もそうであり、紫の中にオレンジ色の光が入れられている。黄色、オレンジ、紫などの色彩の強いハーモニーの中に緑が入れられている。色彩により魂のふるさとに向かうようなイメージを表現する。

 成田禎介「山間の連湖」。「スイス・ベルニーナ山地の風景である。六月の頃ではあるが高地で、山には夏でも雪が残る。大きな町もある所だが、動きのあるダイナミックに造形された景色に心引かれ、自然の風景を主にする形でとらえてみた。切り立った山々に点々と湖が連なり、この場所はその昔には氷河であったに違いないと感じた」(日展アートガイド)。切り立った山とその低地にわだかまるたくさんの湖。その湖を取り払うと、底のほうに地面が見えて、それは氷河が走ったあとの亀裂のようにさえ感じられる厳しい自然なのだろう。それが、下方には水が空を映して青く輝き、切り立った山には緑が生えている。しかし、いちばん上方には雪がかぶっている。そんな太古の景色を感じさせるようなこの風景を、ロマンティックでファンタジックな風景のように表現する。それを彩る様々な樹木の形を一つひとつ、まるで刺繡をするようにこの作品の中に描きながら、全体で幻想的とも言える空間をつくりだした。

 斎藤秀夫「ルドベキアの咲く庭で」。いままで室内の人物を描いてきたが、一度戸外にそれを移してみたいと思っていた。その第一作である。戸外だと、雨とか曇りなどの天気の影響を受けるので、なかなか筆が進まなかったそうだ。白い衣装に青い点々とした模様のあるすこしクラシックなワンピースを着て、女性が座っている。そばの丸いテーブルも白い布で覆われ、そこに左手を軽く置いている。後ろにオレンジ色のルドベキアの花が咲いて、白い百合の花や紫陽花のような花も咲いて、樹木が二本ほどのぞく。いままではこの背景は壁紙であったのだが、そこに実際の花や樹木、そして葉のあいだの空がのぞいて、深い奥行があらわれてきた。やはり室内の人物より、より要素が増えてきて、自然が引き寄せられただけに作品が面白くなったと言えるかもしれない。また、後ろの花々がすこし揺れているようなかすかな動きも感じられる。清潔な白い衣装を着た女性の体は、厚みがあって、彫刻的ともいえるような奥行のなかに表現されているところも、背後の空に向かう奥行とリンクしながらこの作品の魅力をつくる。

 桐生照子「温室のある果樹園」。この温室の中には熱帯植物などがたくさんあって、実にカラフルだそうだ。それは「日展アートガイド」に書いてあるのだが、それは覆われて、その周りの果実が黄金色に黄色くなっている様子を描く。イメージの中ではこの灰白色の温室で囲まれた中にはもっと鮮やかな色彩のものが存在するということになるが、それを封印するようにして、逆にその色彩を周りの空間のなかに反映のように彩るような描き方。スピーディなタッチと輪郭線が重なって、強い韻律をつくる。

 髙梨芳実「窓辺の人」。肘掛け椅子に座った女性。椅子の色とほぼ同色の緑のワンピースを着ている。高いところに窓があって、外光が射し込む。無地の壁とすこし紫がかった絨毯。モノトーンに近い空間のなかに光と人間の姿を造形的に追求する。人間という不思議な生きものを空間のなかによく表現する。

 松田茂「棚田」。四国で段々畑の美しさに出会ったという。その段々畑の一つの区画を大きく描いて、絵画ならではの造形にしている。高さの異なる田が三つ置かれ、そこに複雑な緑の色彩が置かれて、耕運機のようなものがひっそりとそこに描かれている。その後ろには池が見える。山に囲まれた、人間が労働することによって生まれた棚田の魅力を、絵画のコンポジションの中に表現する。

 根岸右司「北海の岬」内閣総理大臣賞。「先ほどまで吹雪で視界がきかなかったが、急に雲が流れ雪が止み、番屋が見下せるところまでたどりつけた。黒々とした岬が白い冠を戴き、海鳴りが静寂を破り寂しさを募らせる。夜の帳がおりる前に吉祥の光が差し、晩照の美しさに心をうばわれ、この自然に巡り会えた幸をかみしめる。荒れた海と冠雪の堂々とした岬を描きたかった」(日展アートガイド)。吹雪がやんで、夜になる直前に射す光によって照らされた風景だという。海岸に寄せる波のフォルムと右の黒ずんだ海の果てにある水平線。その空の際はエメラルドグリーン。そのあたりの表現が強い筆力のなかに描かれている。また、このカーヴする岬の右に曲がっていく海に突き出した塊のもつ形に対して、手前の見下ろす民家の姿が実に構成の要素として生かされている。風景のもつ骨格がしっかりと描かれているうえに、人間の暮らしのもつ細やかさのようなものがしぜんと浮かび上がってくる。吹雪がやんで見えてきたこの斜光線の中の様子には、人間が自然相手に生活してきたそのままの懐かしい姿のようなものがあらわれてきたのだろうか。屋根にもすこし雪が積もっているが、屋根と壁や窓の形、その方向性や色彩、中には赤や緑の色彩も点じられているのだが、その大小の形がしぜんなリズムをつくっている。それに対して、それより一段高いところの岬のもつ量感のある形、そして寄せてくる吹雪のあとの波の様子。いままさに生まれて、それを発見したかのような、そんなときめきがこの風景から感じられるところが、この作品の佳作であるゆえんだと思う。

 藤森兼明「アドレーション パラ ドオーロ」。「ヴェネチアのサンマルコ大聖堂の祭壇に奉献された巨大な黄金板とコンスタンチノープルから略奪将来されたビザンチン至宝の七宝聖像画を組み合わせた衝立に想を得て背景とし、前面に若い女性を配する事で幾多の歴史の流れにも生き延びた強い祈りと生への執着を表現しました」(日展アートガイド)。中心の黒髪に黒いワンピースを着た女性は、トルコの人のような彫りの深い表情で鑑賞者のほうを眺めている。作者の語るようにその背後に四つの聖人の胸像がリングの中に描かれている。細部は省略されている。三つの葉のような黄金色のフォルム。金が画面の中に半分以上使われて、それが強い効果を与える。中世には金を多用したイコンという様式がある。これは大画面の中での現代の作者がつくりだしたイコン像のような趣があると言ってよいのかもしれない。そんな中に現代を生きる健康な黒髪の黒い瞳をもった女性が、強い存在感をもって画面の中心に描かれる。東洋と西洋の融合する街、コンスタンチノープルの面影がこの作品に浮かび上がってくるようだ。

 寺坂公雄「鼎立  秋高し」。「甲斐大泉の高原は秋立つ頃になった。新緑の鼎立する木を描いてから日々涼しくなり、遠くの南アルプスの山々、富士も鮮明に見えてきた。二本の唐松は黄葉になり、絵心が動く。黄色の葉が散り秋惜しむ十一月は紅い葉だけが残る」(日展アートガイド)。この大きな岩のあいだから伸びる二本のカラマツと若い緑の針葉樹は、最近繰り返し作者の絵に現れてくる。今回はその二本のカラマツが真っ黄色に黄葉している様子。見事な色彩で、中心からその黄色が放射状に広がる。それに対して背後の樹木はすでに冬を思わせるようなグレーとモノトーンの色彩によって彩色されている。秋が高いが、すぐそばまで冬の気配が漂っているのだろう。しかし、松を思わせる緑の若木はまだ夏の気配を残しているようだ。季節がお互いに絡み合うような高原の自然を表現する。季節の中に生きる命がほむらのように立ち上がるようだ。

 中山忠彦「閨秀書家K先生像」。「女性の生命の輝きは、その生涯を通じて時の移ろいの折節に、人生の諸相を刻みながら変容する。私はかねてから小山やす子先生の、高齢にしてなお優美な容姿と、若々しく豊かな人間性に捉えられており、ヘルマン・ヘッセの言う『成熟するにつれて人は若くなる』を体現しておられる先生に、この度御無理をお願いした次第である」(日展アートガイド)。赤い上衣に花柄のドレス、紫のショールといった服装を見ると、作者がコレクションしているヴィクトリア時代のヨーロッパの衣装をこの女性にイメージのなかで着せたのかもしれない。しかし作者に取材すると衣裳はK先生の持物。イタリアのブランドがお好きだという。それがまたこの銀髪の女性の姿によく合っているから不思議である。画家はK先生という書家を描くことによって、また新しい力を獲得したようだ。指の表情なども実に優れていてディテールが生きている。ディテールが、この女性のもつ、作者のいう年輪の刻まれた、しかも若々しいイメージをよく表現していると思う。

 塗師祥一郎「山麓雪景」。「雪舞う一月、山形に出かけた。雲は低く垂れ籠め、新雪は美しく無彩色の世界である。今までこの季節のスケッチはあまりしていない。雪の中に身をおくと静寂の世界、鉛筆をはしらす音も雪に吸い取られてしまう。この情景を表現したく筆を執った」(日展アートガイド)。右に見えるのは川であるが、最上川の一部なのだろうか。中心は雪が積もった何もない空間で、左のほうに小高くなって民家が集合している。その何もない雪の新雪の下りた色彩が輝いている。左の民家の屋根に積もる雪とまた違う内側から輝いてくるような白の世界。そして、遠景にはこんもりとした山々がその稜線を見せながら連続しているのだが、そこにはグレーや緑が使われている。手前の雑木林の褐色の色彩。正月の新雪の中に普段見せない美しさを発しているように思われる。そういった景色をじかにつかみ取ったかのような風景表現の力に注目した。

 村田省蔵「新涼」。「二十数年間、私の制作テーマとして越後の稲架木の春夏秋冬を描いてきています。三年前頃から豊穣の秋を描きはじめました。見渡すかぎり黄金色に輝く稲田の中に立つと、稲藁の香り、澄み渡る空、田面を吹きぬける風をからだいっぱいに感じ、豊かな心になります」(日展アートガイド)。まさに、作者が語っているように一つひとつの存在が身近なものとして感じられる。右のほうの稲架木に沿って、刈られた稲穂が掛けられている。その山吹色とも黄金色とも思われる色調をもった量感のある表現。左に道がカーヴしていて、その両側にも稲架木が伸びているのだが、その稲架木の幹の屈曲した形と上方の葉の茂った、すこし青の入ったような緑の色彩。その幹はまるで動いているようだ。楽しくダンスしているようなイメージを感じる。そして、その稲架木たちもまた静かに語りかけてくる。草はかなり黄金色になって枯れかかっているのだろうか。すこし曇ったような青い空。遠景の青いシルエットになった山並み。一つひとつの存在を固有色でもって描く。平凡な色彩かもしれないが、それが画家の筆にかかると魔術のように新鮮なものに様変わりする。そして、それぞれのものが静かにお互いに協調しながら語りかけてくる。平凡な中の日本の農村の美しさを見事に表現する。

 佐藤哲「マイルスによせて」。「ジャズ界のレジェンド、マイルス・ディヴィスが多くのジャズマンに影響を与えたことは言うまでもないが、ジャズの音と演奏者から受ける印象を画面で表現するのは至難の業である。実際にモデルを据えて描くしかなかったが、なんとか描き進めることができた。ムーブマンも筆致も頭で考えてはできるものではないと感じた」(日展アートガイド)。この黒人のモデルと出会って、作者は喝采したと聞いている。サックスを持つ黒人のモデルは、まさに作者が言うように、マイルス・デイヴィスに寄せて描かれている。サックスが黄金色に明るい黄色で輝いている様子が画面全体のアクセントとなっている。のびのびとしたこのモデルの骨格。そして背後のベージュ色はすこし青みがかって、それに対して暖色系のベージュやジョンブリヤン系の色彩。大胆な黒の色面。赤い色面。そこに様々な英語の文字や数字が描かれている。画家の全身的なリズム感をこの中に解放している。リズムのみならず、メロディが聞こえてくるように表現されている。モデルの向かって左後ろのすこし青みがかったベージュの大きな色面には、風が吹いているよう。それと対照的な黒の中の黄色い横文字。そのあたりのバックの空間処理とモデルのフォルムによって、何かメロディが聞こえてきて、そのメロディが上方の水墨をたらし込んだようないちばん上辺の横文字に変容していくようだ。いずれにしても、見事なコンポジションである。

 三原捷宏「海景・潮騒」。「島根半島の先端にある日御碕の岩場をモチーフに度々描いていますが、今回もその岩場で、台風の後の荒れた波の動きと白い泡波の形の変化、そして気泡が海水の中に潜ることによる海水の色の変化の美しさを表現してみたいと思い取り組んだ作品です」(日展アートガイド)。風が吹いて、その風による気泡が水の中に取り込まれて、この独特の緑がかった青い色彩になるという。台風のあとだからこそあらわれてくる色彩である。画面の下辺近くではちょうど真下を見下ろすような角度なのだろう。上方の岩のあたりになると角度が四十五度ぐらいになるのだろうか。その視覚の変化によって海の広がりが画面の上に写される。とくに画面の下辺近くでは、深い緑色の色彩があらわれて、それがだんだんと上方に行くにしたがって緑がやや明るくなり、揺れるような複雑な波の動きを表す。そして上方では岩に当たって白く波が砕けている。その上方ではまた紫色を帯びた別の光線が入ることによって海の色が変化してくる。じっと見ていると、吸いこまれるのではないかといった恐ろしささえも感じる。それほどこの海に作者は見入っていると思う。海のもつ奥深い肉体のようなものが、表面を通して画面の中に引き出されているところが実に魅力だと思う。そういった恐ろしい海の肉体と同時に、光がそこに射し込み、初々しく、新しく、希望のようなイメージがあらわれる。それは台風のあとの暗い、ふぶいたあとの海のもつイメージであるにちがいないだろうが、そのようなイメージが画面の中に表現されているところも、この作品のよさと深さであるにちがいない。

 金山桂子「古い薬瓶のある静物」。瓶は数えてみると九つある。一つだけ離れてぽつんと置かれている。手前に八つのそれぞれ形の異なる瓶とガラスでできたカンガルーの置物。それらはビリジャン系の緑の空間のなかに置かれ、その向こうは白い空間のなかに置かれている。白い空間のなかにピンク色の色彩が入れられて、上方はすこし朝焼けのような空が存在するように表現される。それに対して手前の暗い部分は夕方の陰りのような雰囲気。筆者には朝と夕方の二つの時間がこの静物の中に併置されているように思われる。時というもののもつ不思議な働きが画面にたゆたうなかに、画家にとって親しいこのガラスのモチーフたちが静かに語りかけてくる。

 樋口洋「流氷遥か」。「北海道知床の二月、オホーツクからの流氷が海一面を覆いつくして、大小の氷がひしめきあい、こすれあうその音は動物の鳴き声のように凄まじい。船はこの時期漁を休む。冬のウトロ港では点在する島々と遥かに続く流氷のおりなす造形美に心うばわれる」(日展アートガイド)。このウトロ港の桟橋が画面の中ほどに描かれている。赤い灯台、白い灯台が見え、また、近代的な建物と素朴なしもたやふうな建物がのぞく。そのあいだに小さな漁船が停泊している様子が描かれている。しーんと静まりかえって、たしかにいまは漁は行われていない。そこに存在するのは流氷の群れである。それが圧倒的な存在感を示す。近景から水平線の向こうまで続いている。近景では、その流氷の形が丁寧に描かれて、角張ったフォルムに強い存在感が感じられる。ところが、そばの突堤のようなものに雪が厚くかぶさったところに一羽のカモメがとまっている様子が実にほほえましい。そのきょとんとした様子はイノセントな雰囲気を漂わせる。また、突堤や建物の向こうに大きな岩でできたと思われる小さな島のようなフォルムが五つ浮かんでいる。不思議な形であるが、おそらく火山が流れて衝立のように海にその形を現したあとに、長い時間の浸食によってこのような島のようなかたちに切断されたのだろうか。その上方に雲がわだかまっている。雲間から光が射し込んで、この水面の流氷をきらきらと照らしている。重苦しい雲だけが描かれているが、もっと手前の空の雲間から光が射しているところが希望のようなイメージを鑑賞者に与える。その様子が隠し味のようにこの風景にきいている。遠景にもう一つ岬が見えて、それは時雨のような雰囲気で、すこし曇ったトーンの中に描かれている。手前に射す光線と向こうの曇った様子とは異なった様子。そんな光の変化もまたこの作品の見どころと言えるかもしれない。懐かしいような小さな灯台や民家が人間の長く繰り返される営為を表現する。

6室

 小川尊一「野薔薇咲く」。煉瓦を積んだような塀に座った女性。後ろには一面に白い野薔薇が咲いている。その白い激しい色彩はまるで雪がそこに置かれて自然の光を受けて燦々と輝くような雰囲気である。中に雀が七羽ほど枝にとまっているのも、実に生き生きとしたアクセントになっている。女性のフォルムも一種彫刻的なという形容を使いたくなるような深い韻律が感じられる。「横の空き地に四、五間に及ぶ野バラが咲きみだれた。家にも同じようなモッコウバラが見事に咲くが、絵に描こうとまでは思わない。野バラはあくまでも野生だからなのかその気にさせる。冬にはすずめの宿となり、真ん丸になったすずめが群がる」(日展アートガイド)。

 渡辺啓輔「雪林賦」。冬になると色がなくなって、ただ褐色の樹木の幹が続く中に雪が下りて、雪化粧のまた違った風景があらわれる。不思議なことに、まだ赤く紅葉している樹木が一つ残って、それがアクセントになっている。小さな空き地に大きなフクロウが翼を広げて、いま下りてきた。大きな目玉をしたフクロウが、この光景を親和的なものに変容するようだ。まるで森の語り部のような不思議なフクロウの姿。それはまた筆者には作者の自画像のように感じられる。

 稲葉徹應「祝された情景」。ストレリチアが赤やオレンジの花を咲かせている。光がそのまま花になったような、切っ先の鋭い不思議な形である。そこに太陽の光が下りてきたかのような趣。そこからV字形に天使の石膏像や莵の像、あるいは左の方向に向かうと鷺の剝製や猫の彫刻などが置かれて、アトリエの光景があらわれる。一部はグレーのトーンの中に、一部は青のトーンの中に溶解する。像とこのストレリチアの花とが呼応しながら、古代のものたちが引き寄せられ、いまここに輝く花の生命が表現される。

 池田清明「ものがたり」。妹を膝に抱いて、床に座って絵本を見る姉を愛情深く見守っている若い母親。三人の群像構成である。姉の読んでいる絵本は手袋の中に動物たちが入るお話なのだろうか。膝に抱いたこの母親の左手が大きく描かれているところが面白い。この二人の子供たちを守るようなイメージで、その手の形が画面全体のポイントのように筆者には感じられる。描写力のある画家で、淡々と描いているようで、実は入念に考えられた構成になっているところが興味深い。

 工藤和男「神楽」。「大分では古くから各街の神社による夏祭に神楽を舞う伝統がある。内容は日本の古い神話によるものであるが、その中でも特に、素戔嗚尊による八岐大蛇を退治する場面は迫力があり、人気がある」(日展アートガイド)。巨大な八岐大蛇が鎌首を立ち上げるようにその首を伸ばして、赤い口をあけ、にらんでいる様子。それに向かうスサノオノミコトが剣を持って退治する。スサノオノミコトは大きな鬼のような面をかぶっている。その後ろのとぐろを巻く胴体に可憐な若い娘と老夫婦の姿。この老夫婦の娘が人身御供として八岐大蛇に捧げられたわけだが、それをスサノオノミコトが救うという設定である。画面からはみ出るようにとぐろを巻く八岐大蛇の回転する曲線のフォルムを中心として、その巨大なものを退治するスサノオノミコトの姿をしっかりと描く。郷里に繰り返される神楽の内部に入り表現したように感じられる力作である。画家は漁師のシリーズでもそうであったが、単なる外形ではなく、その内部に入りそこの中からドラマを引き寄せようとするコンポジションをつくるところが魅力であるが、今回もそのような面白さを感じた。

 工藤道汪「巨匠へのオマージュ─安井滞欧素描によせて─」。中心のイーゼルに安井曾太郎の滞欧時代の男性モデルを描いた素描が置かれている。向かって左にブルータス、向かって右にアグリッパの石膏像。ビニールで覆われている。それは棚の上に茶色い布を置いた上に置かれている。椅子には作者はいず、青いシャツだけが置かれている。石膏の背後におそらくパリのナポレオン廟と思われるアンヴァリッド、軍事博物館が描かれているのだと思う(定かではないが)。パリの風景と、学生時代に誰もが苦労する石膏像、そして中心にパリで学んだ頃の安井曾太郎の素描を置くことによって、パリへのオマージュを作者は表現する。優れた写実力が、この作品を見るとしぜんとうかがえる。昔の画学生はみんなずいぶんデッサンをしたものである。そういった感想もしぜんと浮かんでくる。二つの石膏の置かれた細長いテーブルの上に木でできた右手や貝殻、巻貝、ティッシュの缶のようなものが置かれていて、それも不思議な魅力をもって迫ってくる。ものの存在とそれを見るということの不思議さを、画家はこの大画面で主張しようとする。

 加藤寛美「帰港」。黒が強い力をもって迫ってくる。中心に突堤が左右に伸びている。それに対して向こうに垂直にカギカッコの形で伸びる突堤。二階建ての建物。夜の海の波。低いところに昇っている月。船が帰ってきた。それを艫のほうから眺めている。通常の船とは違った浚渫船のような船。その暗い部分の黒のトーン。深い余情。赤い色彩で垂直に伸びるフォルム。ちらつく赤や黄色の色彩が黒の中に不思議なかたちで引き寄せられている。空の雲の流れと海の波のざわめきとが呼応する中に、黒の余情のある表現が呼応しながら、夜の海があらわれる。作者は水に対して深い親和性があるようで、この水の奥にもう一つの存在をまさぐろうとするかのような不思議な心象風景となっている。

 菊池元男「Mossman」。南方の島に取材に行って繰り返し描いてきたシリーズ。不思議な鶏冠のある鳥がこの芭蕉のような樹木の下にいて右方を眺めているが、それを右上方のインコが眺めている。インコは、その後ろにも反対側を見るインコや空を飛んでいるインコなどが描かれている。強い緑の色彩が様々な植物の葉に置かれ、そのあいだから赤い花のようなものや、葉も一部赤くなった不思議な熱帯の植物の様子の中に、鳥たちが面白く入れられている。鳥の様子を見ると、その豊かな色彩に驚く。熱帯という日本とは異なった気候のなかに存在する生きものたちを淡々と表現する。そのエキゾティックな雰囲気が作者の筆にかかると、すぐそばで行われているような、そんな不思議な雰囲気のなかに構成されるところもまた面白い。

 磯崎俊光「粛然」。笏を持つ神主。これから神事を行おうとしている。その前の緊張感に満ちた佇まい。白い衣装が輝かしく表現されている。

 守屋順吉「行(火焰山)」。「永年『祈り』をテーマに制作しています。シルクロードのロマンに駆られて西域の仏教遺跡を取材する中で、その昔そこで修行していた仏徒の姿を描きたくなりました。背景に修行の厳しさを象徴するような灼熱の火焰山を描くことにしました」(日展アートガイド)。座禅を組む老僧とその後ろに花を持って立つ若い僧。後ろには火焔山をぐっと手元に引き寄せて、その炎のような赤いフォルムを置く。重厚な構図。見ていると、作者の温かな心持ちがこの二人の僧を包みこむようなイメージを感じる。画家の心の中にもやはり仏の道というイメージがずっとあって、作者を支えてきたのかもわからない。何の花かわからないが白い花を持っているのだが、その白い花がまるで白い光のように表現されているところも面白い。

 前原喜好「MATERA」。マテーラの古い建物が描かれている。その壁は黄土色やベージュや白い漆喰のような色彩。あいだに階段が伸びて、入口があり、窓が壁にうがたれている。そんな様子を独特の色面構成の中に表現する。見ていると、明暗のコントラストが面白く、明るい部分には明るい部分の音階が、暗い部分には暗い部分の音階が聞こえてきて、二つの音階がデュエットしているかのような強い音楽性を感じる。しかも、その音楽の内容は素朴なもので、平和で明るく生活をうたいあげるような趣で、そんなイメージをしぜんとこの作品から感じることができる。

 池山阿有「朝」。だるまストーブのそばにおばあちゃんが静かに椅子に座っている。頭には手拭いを冠のようにつけている。青い割烹着を着ている。一休みといった雰囲気。そんな様子を神聖なイコンのようなイメージのなかに描く。「おばあちゃんには、朝食の準備、食事、後片づけ、その他の仕事も多くある。流れるように体を動かす。終わってひとときの休憩。椅子に座って両手を膝の上に置き、みんながそれぞれ出発をしたことを……安全を思う」(日展アートガイド)。

 伊藤晴子「合わせ鏡」。「アンティークの七宝焼の手鏡を手に入れた時、この鏡を持つ女性を描きたいと思いました。室内にたくさんの色や形を置き、女性の白い肌と衣装、鏡の黄色が浮き上がって見える作品にしたいと思いましたが、壁やじゅうたんの柄に苦労しました」(日展アートガイド)。まさにそのような雰囲気で、作者の語るように肘掛け椅子に座る女性の姿が魅力的に描かれている。白いワンピースを着ているのが、ギリシャ時代の女性を思わせる。七宝焼の鏡の裏側は黄金色で、後ろの楕円状の鏡に女性の後側面と、手鏡の中の顔が映っている。周りの青や緑や黄色、十二色環のほとんどすべての色彩を置いたような色調に対して、手鏡の中の女性の姿がきらきらと輝くように描かれているところが魅力。

 和田貢「幕間」。二人のピエロが演じている。向かって左側のピエロは眼鏡をつけシルクハットをかぶって、ウクレレを持ちながら片足を上げて左側に立つピエロの足を持ってダンスをしている。右足を持たれたピエロはシルクハットのピエロより体が大きく、目を見開いて、何か鑑賞者のほうに語りかけてくるような雰囲気。白い白粉で顔の周りや口の周りを塗り、赤い鼻をつけたピエロ。ダイナミックな動きが感じられる。「幕間」という題名であるから、実は観客はいない。二人のピエロが練習をしている姿ということになる。そうすると、このヴィヴィッドな演技を見ているのは、この日展会場を訪れた鑑賞者ということになるだろう。そういったこともまたこの作品の面白さと言えるのではないか。そばに女性のピエロが一人、椅子に座っているが、それは脇役として画面構成上の必要なポイントとして置かれているわけで、やはりポイントは二人の演ずるピエロの姿である。一本足で立つバランス。その動き。その音声が聞こえてくるようなヴィヴィッドな様子。いわば群像による表現であって、日展ではとくに珍しいコンポジションであり、その力強い生命感の表出ともいうべき表現に注目した。

 長谷川仂「古い港・暑い日」。南イタリアの港町の光景である。大きな港町だそうだが、その中でこの一角は昔からの古い港の様子をいまも残している。燦々と太陽がこの光景を照らしている。小さな三艘の船は漁師たちの個人の所有のものだそうだ。その船腹に洗濯物を干している様子。それが水面にきらきらと白く輝いて映って、まぶしいようだ。後ろの古い石を積んだ建物は、一階や二階、三階建てで素朴なものである。そんな岸壁に中年の女性が立っている。腰に手を当てて見ている様子は、いかにもイタリアの女性。そして、岸壁の斜面、引き揚げられたボートのそばに犬を連れた少年が立って、水際を眺めている。その少年をこの中年の女性が眺めているというように、視線が中年の女性から少年に行き、少年や犬の視線が手前の船のほうに行くといった動きも面白く、構成のポイントとなっている。画家のペインティングナイフによる表現は実に繊細でクリアであり、強い臨場感を醸し出す。光がすみずみまで浸透している様子。その光の浸透する様子に作者の視線が重なって、一つひとつをリアルに画面の中に立ち上げていく。そこにしぜんとマチエールとリズムがあらわれる。朗々とした南イタリアの古い港町のシーンである。

 寺井重三「リボンを結ぶえりかちゃん」。バーの向こうに大きな姿見があって、それに向かって立っている女性。胸元のリボンを結ぼうとしているのだろうか。赤いチュチュ。画家は夢中でこの光景を描いたという。色彩が魅力である。チュチュの赤が、まるで色彩を超えてここに朝日や夕日が集められたかのような輝きを見せる。瞬間の人間の姿のもつ強いムーヴマン。そして、深い色彩の表現である。

7室

 守長雄喜「かき打ち場」。手前の船が繫留されると思われる場所に四人ほどの男たちが作業している。すこし離れた右のコンクリートの上にベルトコンベヤーに向かってもう一人の男。中景にはベルトコンベヤーがいくつか貝を運んでいる。後ろには建物が幾棟も続いている。人間たちの動いている様子が面白い。巨大な(巨大でもないかもわからないが)かき打ち場で働いているこの男たちの様子とベルトコンベヤーなどの形を見ていると、不思議な感じがする。おそらく作者がかき打ち場を動力場のような不思議なイメージで描いているせいだと思う。静止している建物も静止していず、それぞれの役割を担ってここに描かれている。わかりやすいベルトコンベヤーはまさに動きながら次のもの、どんどんカキの殻や身を運んでいる。ベージュや褐色などの色彩の手触りのあるマチエール。繰り返される仕事のなかで、全体の様子を見ると、たとえば体の一部の血管の動脈や静脈の中で運ばれて、それが筋肉に移動しながら、そこにビタミンやミネラル、あるいは酵素が働きかけているような、そういった人間の体の中で作業している様々な役割のことが、この人間たちやベルトコンベヤーに彷彿とするように思う。それほど作者のこのかき打ち場のシリーズは長く、深いところに到達していると思う。

 長井功「雪道─足跡─」。画面の約七割ぐらいが雪の積もった地面で、中心が道になっている。そこに人の歩いた跡がえぐれて独特の不思議な形をなす。途中から樹木の立っている様子が描かれ、その遠景には山の斜面が見える。足跡を発見して、それを立ち上げるように近くに引き寄せた構図が面白い。

 犀川愛子「かわせみ」。枝が水の上に斜めに傾いで伸びて、そこに鬱蒼と葉が茂っている。下方には岩があって、水が流れている。そこは影になっているが、その向こうの水には日が射している。「かわせみ」という題名だが、中に見当たらない。カワセミが飛んだあとの光景だろうか。しじまのなかに日が射し込む様子、その陰影を奥行のなかに描く。

 前田潤「刻の影」。壁から突き出たテーブルのような台の上に壊れた車輪。車輪に寄せるように石膏のマスクが黒い布の上に置かれている。そばの透明な長方形のガラスの容器からサトイモのような植物の茎と葉が伸びている。上方から羽が散って下りてくる。一瞬の時。光の移ろい。静物たちを集めて能を演じているような趣。

 大野昌男「ランプや徳利などの静物」。古い櫃の上に長い鉋や炭を引く道具、あるいは三つの足をもつ燭台に蠟燭。後ろには朝鮮簞笥のようなもの。上にはススキや九谷の壺や伊万里の壺、アルコールランプ、扇子。一つひとつのものが丁寧に描かれ、お互いが呼応しながら不思議な時を刻んでいくようだ。色はくすんだ色彩をあえて選びながら、その中にたとえば古伊万里の壺のように白く輝く中に藍の青なども置かれ、蠟燭がいま置かれたように白く輝いていたりするのだが、いずれにしても、このものたちと語りながら時が過ぎていく様子が淡々と表現されて懐かしい。

 鈴木實「一隅」。ヴェニスの運河。一艘のボートが繫留されている。そばには運河に張り出したテラスや階段があって、階段はすぐアーチ状の扉に接している。木の扉に鋲を打った古いものである。低い位置に二つの窓が並んでいて、そのテラスには植木鉢が置かれて、赤い花が咲いている。横の窓にはもっと大きな花が咲いている。上方から光が射し込んでいる。窓やこのボートを照らしている。壁は煉瓦を積んだもの。さざなみが立っている。光が射し込むその粒子のようなものまでも描こうとする。ちらちらと光が輝く。数百年もたった古い建物の古いドア。しかし、花はいま咲いている。光もいま射し込み、運河の水もいまさざなみを立てている。誰も乗っていないボートが誰かを待っているようだ。ボートの主がやがて亡くなっても、また新しい持ち主が現れるだろう。時間というものが交錯しているような不思議な味わいが描かれている。時というものと光とが同質のものとして混在するように画面に描かれている。

 米満大九郎「夏の日」。ブロンド(茶髪)に染めた若い母親。前に男の子、後ろに女の子を乗せて自転車を漕いでいく。そこは海岸で、向こうに海が見える。犬が伴走している。日は明るく、空は青い。水平線の近くに雲が出ている。夏の一刻。その光の中に母親は二人の子供を自転車に乗せて、走る。あるモニュマンのように描く。

8室

 中川澄子「午後の回廊」。向かって左のほうの大きな柱に龕のようにくぼみがあって、そこに男性の聖人の像が立っている。どことなくキリストを思わせるところもある。後ろは中庭で、そこには緑の草が生えている。その様子を見ると、三月くらいの季節になるのだろうか。この柱も回廊の床も向こうの壁もすこし赤みがかった繊細なトーンで彩られている。コの字形の回廊とその向こうに建物が見えるわけだが、それらは有機的なかたちで連結され、いわば教会という生き物の一部をなしている。その中に流れる血のような色彩が使われていると思う。その温かさが静かに鑑賞者の心の中に浸入してくるようだ。光のかげんから見ると、五時頃の光線のようにも思われる。柔らかでありながら強いマチエールが呼吸をしているようだ。向こうの回廊に柱によってアーチ状にくり抜かれた空間が三つ見えて、その中が赤く染まっている様子も、なにか不思議な威厳と温かさの感じられる空間だと思う。そんな中にいま萌え始めたような柔らかな緑が生き生きと広場を彩る。

 栁瀬俊泰「2015年8月7日、神の子池」。中心に緑の池が描かれている。その中に直線のフォルムが差し渡すようにおかれているのが不思議である。あいだに白い空を映して白く輝いているところがすこし開放的な気分を醸し出すのだが、全体に鬱蒼とした緑に囲まれたこの空間にはメランコリックな気配が感じられる。自然を通してそのような独特の心象を喚起する光景を描くのも、画家の構成力と色彩に対する優れた感覚によるものだろう。

 池上わかな「積雪の中で」。相当積もった雪。あいだに枝が伸び、樹木が立っている。柵のようなものも見える。そんな中に若い女性が立っている。力強いフォルムの表現に注目。

 福島隆壽「瀬戸内海シリーズ─'15」。円形のキャンバス。そこに頭に手を置いた裸婦が立っている。それを背中から描く。後ろには緑や肌色のピンクのフォルムがいくつもいくつも描かれている。それらのあいだに灰白色が霧のように立ち上がっている。それは瀬戸内の海や豊かな緑の象徴的な表現である。その水と緑に囲まれた抽象的な空間を背景にした女性の後ろ姿が、豊かな命のイメージを醸し出す。

 松下久信「薄雪の丘」。秋も終わりの頃の光景だろう。藁を積んだ山に布がかぶせてある。低くなっていく斜面の上である。中景に雑木が左右に立っている。一度低くなった勾配はまた上方に立ち上がっていく。その向こうには雪が積もった畑が広がっている。遠景には雑木林。鈍色の空にすこし光が射し込んでいる。寒くなっているのだろう。北海道の風景を淡々と描きながら、風景のうたともいうべきムーヴマンを表現する。

 横尾正夫「リハーサルが始まる」。十人くらいの演奏家が描かれている。近景にはハープを持つ女性。後ろにはヴァイオリンを持つ女性が立っている。後ろにはスーツ姿の男たち。コントラバスの先なども見える。演奏する前のリハーサルの前のざわめくような動きを見事に統合する優れたコンポジション。演奏家の身体というものは訓練されて、独特の魅力がある。とくに演奏が始まるとなおさらそうであるが、これは休んでいるときのそんな演奏家たちの様子を群像の中に面白く構成した佳作と言える。

 茶谷雄司「Calmando」。窓際の木製のサイドボードのようなものの上に手をついて窓の向こうを眺めている少女。くっきりとしたフォルムが浮かび上がってくる。光によって明晰に立ち上がってくるフォルムが生き生きとしたイメージを発信する。

 山口操「予感」。木の箱が重ねられている。リノリウムのような床。そこに古い扇風機。扇風機は動いていない。全体にモノトーンの空間のなかに枯れたホオズキなどが置かれて、時間がわだかまっているような不思議な雰囲気である。

 住井ますみ「片隅で」。針金の柵が切られて壊れている。手前の地面にバスケットボールのゴールの袋が落ちているようだ。向こうにはテニスコートが見える。面白いのは、この乾いた地面から雑草がいくつもいくつも顔を出している様子で、それを実にクリアに描いている。ほとんど普通では絵にならないような光景に画家の関心は行く。何もないところにある気配のようなもの。この作品だと、乾いた地面から顔を出す草の丈の低い一つひとつの形と空から地面に落ちたネットの様子。あるいは転がってきたテニスボール。イヴ・タンギーがその空間のへこみのようなものだけで絵を描いたような、それと共通するようなイメージが感じられる。空間が寂しがっていたり、空虚であったり、つむじを曲げていたりするような、空間というもののもつ不思議な味わいに作者は敏感で、それをテーマにしたユニークな作品。

9室

 鍵主恭夫「15番扉」。鉄の扉がすこしあけられて、そこに黒い猫が立っている。この鉄の錆びた扉と猫は、作者が二十年ほど前に繰り返し描いたものだと思う。懐かしい光景が現れたことに筆者はすこし驚いた。いずれにしても、この倉庫の鉄の扉と猫という独特の身体性をもった生き物との対照は、不思議なコントラストの中に鮮やかな生のイメージを発する。

 淺見嘉正「岳麓の小学校」。どの色彩にも緑が入っている。地面のすこし水で濡れたようなグレーにも緑が入っているし、背後の低い山のところに生えている樹木の緑もそうであるが、雪の下りた峰にも稜線にも白の中に緑が入っている。手前の褐色の畑にも緑が入っている。その緑が入っている色彩が全体で独特のしーんとした気配を漂わせる。マチエールは強く、実に堅牢。大きな建物、小さな建物などがそれぞれのポジションに置かれているのだが、日本ではなくヨーロッパを見るような、そんな建物の雰囲気。山の麓の小学校という題名であるが、場所はどこなのか。中心の小学校の二つの建物は、屋根が一つは紫で一つは青というのも面白い。手前に倉庫のような赤茶色の屋根の建物が見える。ひんやりとした空気がこの光景を包んでいる。裸木が伸びている。絵具が生きて立ち上がってくるような風景表現。

 下田秀子「壁」。壁に様々なポスターが貼ってある。モーツァルトやバッハといった文字も見える。グレーの石のもつ感触。石畳。褐色の窓が中につくられて、室内を映している。地味な色彩であるが、なにか響いてくるものがあって、それを静かに表現する。

 吉田伊佐「緩流」。水がゆるやかに流れるという題名であるが、近景では水が合流しているのか、渦を巻いて不思議なかたちを見せる。きらきらと光りながら、ウルトラマリンと明るい緑色。そこに白い水泡。そばに断ち切られた樹木の幹があり、そこから若木が伸びている。中景に樹木や遠景に青い山などを置きながら、近景のもつフォルムがあやしく不思議な強いイメージを発信する。

 川口もと子「子守歌」。紫の上衣に白いキャロットをはいた若いママが赤子を抱いている。そばの椅子には猫が居眠りしている。戸外の森は黒くわだかまって、三日月が空に昇っている。ネムノキが上方に見え、あの独特の葉とピンクの花が窓の上方を覆っている。それぞれのお膳立てがクリアに描かれ、全体で赤子と若い母親とが一体化し、子守歌でも聞こえてきそうな親和的な空間が生まれている。クリアな一つひとつのディテールがこの画面を支えている。そのような優れた細部の表現に注目した。

 三橋文彦「野の花の精 Ⅱ」。野の花を輪にして髪飾りにしている少女。右手に小さな花を持って眺めている。そばに鳥の剝製が一羽。緑を主調色として白いワンピースを着た少女の清らかな姿を描く。

 西永昇平「アトリエにて」。描きかけの大きなキャンバスに野球帽を斜めにかぶった少女の姿と犬。同じ犬と少女がキャンバスの外にいて、少女はキャンバスに手を添えてキャンバスをのぞき、犬は手前で居眠りしている。画中の犬と少女を面白く組み合わせた画中画のユニークなコンポジションが面白いと思う。

10室

 阿部良広「Only Time」。木製のテーブルに右肘をついて椅子に座った女性が、顔を右にひねっている。その視線の先をたどると、画集が開かれていることがわかる。そばにマンドリンのような楽器が見える。緑色の布がテーブルに掛けられている。女性の上衣は黒く、スカートは白い紗のようなもので、その素材感をクリアに表現する。それは両手の形や女性の肌の様子などもそうで、フォルムの的確さと同時に対象のマチエールをクリアに描くところに、この作品の魅力があらわれていると思う。したがって、女性の肌が血の通って生きているような様子に描かれているところが、健康なエロスともいうべき魅力を醸し出す。

 黒沢信男「白川郷雪景」。有名な合掌造りの建物が幾棟も見える。このようにして見ると、合掌造りというのは巨大な屋根になっていて、そこに三層ぐらいの室内ができているようだ。庭の手前に田圃があるようで、そこは水が引かれている。周りに一メートルほども積もっていると思われる雪の様子。この建物を取り巻く樹木にも雪が積もっている。遠景に柔らかなカーヴを見せる低い山がのぞく。曇った空。左上方から柔らかな光線が射し込み、たとえば合掌造りの斜めになった雪の積もった面を明るく照らしている。そのそれぞれの場所によって雪の明度や色合いが異なっているのはさすがである。画家はこの光景を立体的に彫刻できるようにクリアに隅から隅まで理解して、この平面の上にフォルムを置いているようなところがある。そんな手つきが名人のようなこの風景の骨格をつくる。近景の水と水のあいだの畦道のようなところだと思うのだが、その上に積もった雪のかたちを面白く描く。そばの水には合掌造りの屋根と松が逆さに映っている。奥行のある空間の中に建物と樹木とが複雑なかたちを織りなし、それを手前の水が映すといった優れたコンポジションである。何百年も続いてきたこの村の歴史のようなものが浮かび上がってくるような気持ちになる。

 田所雅子「花をあむ」。白い花で花輪をつくっている少女は白いワンピースを着ている。同じ少女が横向きにそばに描かれている。一人の少女の二つの角度からの表現。柔らかなベージュの空間がこの少女を取り巻く。上品な色彩の中に少女の生命感を表現する。

 井藤雅博「道程」。むきだしの地面。土の道がはるか向こうに続き、途中でカーヴする。その両側の畑の茶褐色の色彩。はるか遠くには地平線がのぞく。曇った空。右の地面に対して道の左の地面はもっと低いところにあるようだ。ところどころに立つ樹木。広がりのある大地の様相をしっかりと描く。

 出口順治「枯野」。海辺の粗末な建物。二艘の引き揚げられたボート。杭に赤い旗が四本さされているのは、海の中に立てるものなのだろうか。枯れた植物。雪がすこし積もっている。ほとんど夕方に近い時間だろうか。暗く陰った光線の中に雪や建物が浮かび上がる。曇った空に暗い緑の海。しかし、ここには生きている人間の血が通っているようなものが感じられる。赤い旗もその象徴のようにさえ思われる。グレーの繊細なトーンによる表現が力強い奥行を示す。

 入江英子「納屋裏」。チャボのような鶏が二羽。一羽は地面の上の何かをついばんでいる。そばの地面にドライフラワーとなった向日葵が転がっている。いわゆる背負子というものだろうか、編まれた厚い紐のようなものの中に手を通して、木でできた梯子のようなものを背負い、そこにものを入れて運ぶ道具。そばの金属のバケツにはドライフラワーや白くなった花などが置かれている。まさに農家の納屋裏の光景を描いているわけだが、色彩が瑞々しい。鶏の鶏冠などは赤く燃えているようだ。

11室

 吉田定「遠い日」。板塀の下は土間で、そこに軍鶏のような鶏が立っている。赤い鶏冠や顔で、軍鶏が物思いにふけっているようなあやしい雰囲気。板の木目が時間を表すようだ。渦を巻いているそのフォルムが、過去や未来の時間がここに一緒になってたゆたっているような雰囲気。「遠い日」という題名のように、酒屋のポスターのようなものが貼られて一部はがされている。昔は酒屋だった場所の塀が描かれて、その往時を思い出すような雰囲気のなかに軍鶏が一羽立っている。軍鶏はそのような記憶の中に入る人間のメタファーとして存在するようだ。

 井上陽照「夏の花」。透明な大きな花瓶に向日葵がたくさん挿されている。それはテーブルの上に置かれて、そばにギターや、白い皿には無花果のようなものが置かれている。向日葵の黄色く輝く花びらがよく表現されている。独特の色彩家で、グレーの背景の中の向日葵の生き生きとした表現が魅力。

 小林欣子「糸あやつり」。白いブラウスに白いスカート。手を胸に一つはおなかの上に。なにか手話をしているような雰囲気。後ろに操り人形が三体。女性の背後に大きな満月のような黄色い円盤がある。ロマンティックな雰囲気。一人遊びをしながらマリオネットと語りながら、コミュニケートを手話のようなかたちで両手と目の表情でもってするようだ。そこにあらわれる親密な雰囲気が魅力。

 出来尾裕子「尋海神・曙」。海が約七割。空が約二・五割。あいだに島というか、陸地の影がシルエットに映っている。海の手前に渦が巻いている。その複雑な動きや波をしっかりと描いている。向こうの陸の山の上からいま朝日が昇って、その光が手前まですっと射し込んでいる。手を伸ばせば光が透けるような、そんなほぼ水平の光が手前まで来ている様子もヴィヴィッドに表現されている。海という大きな肉体が渦を巻いている姿。そして、朝日の時間がこの独特の空間をつくる。

 相本英子「オリーブ」。丸いテーブルにレースの白い布。白い花瓶にオリーブの葉が挿されている。壁はクリーム色。白いカーテンが窓に下りている。柔らかな光がこの部屋に射し込む。マットなマチエールは一種の壁画的な強いしっかりとした効果をつくりだす。穏やかな光の中にオリーブのすこしくすんだ銀灰色の葉が丁寧に描かれている。この空間には温もりがあり、爽やかな一日の始まりを表現するようだ。

 伊藤二三男「水色のチュチュ」。水色の衣装をつけたバレリーナが立っている。その全身像を描く。鍛えられた身体の骨格をしっかりと表現する。

 木村のり子「枯れ葉のある一隅」。木製の箱。木製の樽の中には切られた白い枝や枯れ葉など。手前にも枯れ葉や白樺のような木の幹や枝、雷鳥の剝製、ガスランプなどが置かれている。背景の壁のグレーと地面の褐色のグレーの色彩を見ると、冬の気配が漂う。そんな中に二羽の剝製の鳥が向かい合って、あいだに一つランプがあり、ツルウメモドキのような赤い実の植物が置かれていて、そのものたちが何か語ってくるような親密な雰囲気がある。厳しい自然の様子を想像しているような趣。一つひとつ丁寧にそのディテールが描かれている。枯れ葉とまだ緑の葉。季節の変化。そんな中に二羽の雷鳥のような鳥が、剝製でありながら、何か語りかけてくる。自然と作者が語らうようなところから、この親密な雰囲気があらわれる。

12室

 上野豊「瀬戸内の島で」。グレーの中に複雑微妙な色彩が入れられている。背後は褐色の海で、そこにその褐色の色彩をすこし薄めたような雲が浮かんでいる。真ん中に明るい白い空間が空の光を表す。手前は緑がかった屋根がいくつも描かれているが、そのあいだに白い洋館のようなフォルムが立ち上がり、その下方にはピンクやオレンジ色が置かれている。作者の独特のロマンティックな色彩感覚で、この平凡な瀬戸内の建物と海とが、エキゾティックで異国的なロマンあふれる空間になるところが面白い。

 早崎和代「穏」。上方に三つの円がつくられ、そのあいだに小さな円が置かれたりしているアールヌーヴォーふうな意匠の窓が画面の中で強い効果を上げている。その光に満ちた窓が画面全体の深いトーン、調子をつくっている。それを背景にして、手前のテーブルに青い大きな花瓶、そして白い百合の花と青い花が置かれている。テーブルにはヴァイオリンや男性や女性のポートレート。あるいは辞書。赤とオレンジ色の羽。力強い緊密な構成である。

 岩本佳子「草の想い」。笹が地面に生えている様子を描く。ほとんど絵にはならないような平凡な一隅を描く。ところが、その複雑な光や色彩がそこに招かれて表現されるにしたがって、その一隅は不思議なはなやぎをもつ空間に変ずる。それはひとえに笹の一つひとつの葉の形、色彩、そしてバックの色彩とのハーモニーによる。上方にすこし窓があいたようにグレーの空が浮かんでいるのも構成のポイントになっている。

 新井隆「追伸」。丸いテーブルの上には赤い布、白い花瓶にはピンクの薔薇の花、あるいは透明なグラスには林檎などが置かれている。それがその背後の大きな窓を通して風景とリンクしている。丸いテーブルと同じような色彩の八角形のテーブルで、鉛筆を持って何か書いている女性の後ろ姿が手前にある。青い上衣に白いパンツが鮮やかで、前述した赤い布と一緒に原色的な効果を醸し出す。それに対して周りは複雑な自然の光に照らされた柔らかなヴァルールの表現になっているところが面白い。ヴァルールによって室内の色調と戸外の色彩とがリンクし、深い奥行があらわれる。そして、柔らかな光が窓から射し込んでくる。光というものによって色彩が見えるわけだが、そういったベーシックな光と色彩の効果を画面の上で構成しているところが、この作者らしい。独特の色みがそこにあらわれて、それが全体で大きなハーモニーをつくっているところが魅力。

 小沼秀夫「啓示」。長い角をもった山羊の頭蓋骨が六角柱の白い幾何形態の上に置かれている。そばに風によってクルクル動く風量計のようなフォルムが見える。白木の角柱にはダイヤの9。床にはダイヤの3のトランプが置かれている。いずれも人間が絵柄として使われている。面白いのは銀色の鎖が画面の手前を伸びて、前述した六角柱の上を通って左に行っていること。造型的な面白さはリズム感だと思う。この画家の特色だと思うのだが、それぞれのフォルムの中になにかリズムを感じさせるものが入れられていて、それらが集まってくると、全体でハーモナイズして、さらに不思議なリズムがあらわれる。時を刻むリズムもあるし、あるいは角のあやしい形と呼応するような鎖の一つひとつのリングの連続した形などが相まって、なにか魔術でも起こりそうな、そんな不思議な空間の気配があらわれる。また、グレーが色彩としてよく機能している。

13室

 平川二三男「廃墟(軍艦島)」。上方に軍艦島。下方に激しい波を描いている。あえて島の下方に軍艦のようなフォルムを入れているのは、作者の工夫。黒をベースにしながら、とくに波の激しい動きとくすんだ無人のビルとが対比されて、ダイナミックな空間が生まれている。

 山本浩之「春の日」。静かな音楽を聴く気持ちになる。岸辺に二艘の船。もう一艘は野原の上に置かれている。春といっても、まだ冬の気配を残して、枯れたようなススキのようなフォルム、葦のようなフォルム。その中に萌えてくる緑。水のさざなみの中に樹木の影が映っている。そんなフォルムを繊細に、ディテールを追いながら、全体でそのディテールの中の動きが呼応しながら独特のハーモニーを奏でる。真ん中の船の半ば水の中につかった形も面白い。さざなみのメロディと日に照らされた草や枯れたような長いススキのようなフォルムの集合したリズムが、そのまま楽曲を構成するようだ。

 小田昇「片岩」。岩でできた海岸。その畳々とした強いボリューム感のあるフォルム。水は澄んで、鏡のよう。上方に黒い鳥が飛んでいる。重厚な背景の中に飛ぶ鳥の有機的なかたちが面白く対照される。

 山口繁雄「本日休診」。昔から続いている医院なのだろう。視力表が貼ってあるから眼科のようだ。医者が座る肘掛け椅子とその前の患者の座る椅子の上に黒い医療のためのバッグが置かれている。それぞれがクリアに描かれている。長い時間によって独特の汚れのついたようなそれぞれのものが静かに画面から語りかけてくる。とくに中心の黒いバッグのディテールに人間くさいリアリティを感じる。

 佐藤京子「畑」。ネギ坊主がたくさん伸びている。まるでたくさんの蛇が鎌首をもたげているような力強さ。遠景には灰白色で杭のようなものがたくさん高台に立ち並んでいる光景が描かれている。白と黒のコントラストの中にあやしい風景が遠景にあらわれているのに対して、近景は植物の持つ生命力が表現されている。ネギ坊主のそばに白い百合の花が一輪咲いているのも、繊細なアクセント。白黒の世界であるがゆえに、水墨と同じようにもののもつ気配といったものがよく表現されているところが魅力。

 小髙悦子「いすみの自然」。水のそばの樹木。太い幹が何本も並んで、幹から枝が左右に伸びている。水はグレーの光を反射させている。空を映しているのだろう。雑草が水際に生えているのだが、その向こうの地面は白く光っている。樹木はすこし青みがかったかたちで描かれる。一つひとつの対象の形をしっかりと描きながら、画面の上にそのフォルムをつくっていく。そのフォルムの手触りが、この作品のリアリティをつくるし、魅力になっている。とくに樹木の形が強く生き生きとしている。

 大上敏男「生活の河」。川沿いの建物。その川に下りていく石段。女性が背中を向けて、体を傾けながら歩んでいる。建物は三つほど描かれているが、すこし歪んでいる。下方は水に没し、すこし高くなっているところに通路のようなものがつくられ、壁に窓があけられ、煙突のようなものやテレビのアンテナなどが見える。しっかりとボディをつくって、上から緑や褐色、赤などの色彩をグラッシする。洗濯物が干されている。生活感が感じられる。いわば下町の生活のうた。フランスでいえばシャンソンのようなメロディが画面から聞こえてくるようだ。

14室

 小林理恵「横浜夕景24・2011年」。みなとみらいにある大観覧車が画面の上方に描かれ、その背後に太陽が輝いている。だんだんと太陽は下方に下りていき、やがて沈むだろう。空は赤く夕焼けで、その赤い空やすこしくすんだ青い空などを手前の水が映している。画面は水面と空で約二等分され、その上方に大観覧車とジェットコースターのダイナミックな曲線が表現される。横浜を象徴するシンボリックなコンポジション。

 田中里奈「凝視」。虎がこちらに向かって歩いてくる。その後ろには象が正面向きで鼻をこちらのほうに伸ばしている。後ろに真紅の太陽のようなフォルム。イメージを重ねながら、強い韻律をつくる。太い木版の輪郭線が生き生きとしている。

 志賀一男「奥松島─'15」。松島は昔から日本の名所として知られている。そのいくつもの島とそこに生える樹木やお寺などのフォルム。今回は、上方に三つの島がシルエットふうに描かれて、その下方に民家が素朴な形をつくりだしている。岸壁には船が幾艘も繫留されている。手前には、そんな島の様子を拡大して、すこし上から見たようなフォルムがあらわれ、そのあいだを船が一艘進んでいく。繰り返される韻律のあるフォルム。黒い逆光の色面に対して、白く輝く海。そしてグレーの民家の形。大胆な明、暗、グレーの中間色の色彩を駆使しながら、強いフォルムを画面の中に刷り起こす。力強い松島の表現である。

 宇賀治徹男「堤外地(斑雪)」。堤の外側に広がる、いわば河川敷の景色なのだろうか。遠景には民家がぽつんぽつんと立っている。裸木や雑木のフォルム。冬枯れの植物が褐色の色彩を見せる。そんなあいだに雪が積もっている。手前にはまだ緑の草が生えて、そこにも雪が積もっている。一つひとつのこのパノラマふうな遠近感のある地面のかたちを丁寧に表現しながら、そこに生きる草や樹木を描いて、いわば風景の詩ともいうべき空間をつくる。

 住吉由佳子「森森」。針葉樹が左右にたくさん立ち並んでいる。ところが下方は湖のようになっていて、そこには白骨化した樹木が伸びている。その白骨化した樹木と鬱蒼と葉を茂らせた針葉樹とが対比されるところに、自然のあやしさともいうべきものがあらわれる。そのあたりの青やグレー、すこし銀灰色などの調子やインディゴふうの色彩、そして、そのさらに後ろ側上方には緑を彩色した広葉樹のような樹木の様子がすこしのぞき、その後ろに針葉樹のシルエットが伸びていく。樹木という実にたくさんの葉をつけ屈曲した形、その不思議な様子を絵画として生き生きとまとめている。そのためには一種の装飾的な意識が必要になる。様式的に対象を簡略化しデフォルメし画面の中に配置して、自然の神秘的なイメージをよく表現しているところがこの作品のよさだと思う。

 吉田勝美「まつりの夜」。左の膝を立てて、そこに左の肘を置いて、透明なボールを持った女性。カラフルな色彩の帽子をかぶっている。その後ろには子供がラッパを持って立っている。輪郭線が対象のフォルムを浮かび上がらせる。お互いの線がリンクしながら、ミステリアスなエキゾティックなメロディが聞こえてくるようだ。先ほどの子供は右後ろにいるのだが、もう一人、左後ろにお人形のようなフォルムが傾いて置かれているのもファンタジックなイメージを醸し出す。

15室

 中井悦子「四つの祝福」。白い上衣に黄金色の柄のついた朱のスカートをはいた女性が楽器を持って座っている。端整な雰囲気で、頭の花飾りなども独特で、いわば盛装した女性の様子。タイにはこのような儀式があるのだろうか。そばの黄金色の高杯のような形のものには大きな蓮の花が置かれている。凜とした雰囲気のなかに、きらびやかな精神世界ともいうべきものが象徴されるようなコンポジションである。

 森康夫「時の流れ」。鬱蒼と茂った大木が左右に連なって、まるで森のような緑の色彩を見せるのだが、その手前に二つの樹木が面白い形をしている。向かって右は右のほうに枝を伸ばし、左は左のほうに枝を伸ばして、ちょうどあいだが門のように感じられるようになっている。現実にこのような木が存在するのか、あるいは作者のイメージによるものなのかはわからないが、それによってこの写実の作品が俄然ファンタジックな空間に変ずる。森のファンタジーへの門のような雰囲気もあるし、両側の木が踊っているような、そんな生き生きとしたイメージも感じられる。

 小材啓治「古代讃歌」。古墳の壁画に弓矢を持つ人の姿が彫られている。朱色が色あせて、赤茶色の壁。この棺のある墳墓の中の情景を、作者は当時に想像力を働かせながら表現する。独特の強い作者の想像力と古墳の中の長い時間のなかを通過したフォルム。

 青栁敏夫「東風」。夕方の頃だろうか。光が陰って、空の青が分厚いガラスのように見える頃の時間の感じがよくあらわれていると思う。そんな中にカラスが地面に下りて後ろを向いている。そばに黄色い実のある大きな葉の植物が伸びている。赤い蔓のような花は何の花だろうか。そばに葡萄がだんだんと房をつくりつつある様子。遠景の丘の上の白い建物。全身的に感覚を解放して、夏の夕方の情景をイメージの中に引き寄せて画面を構成する。感覚の鋭い作品。

 馬場和男「画室」。フローリングの床にシーツを敷いて、そこに横になった若い女性。白いパンツをはいている。その女性のフォルムがくっきりと力強く表現されている。デッサンの力と言ってよい。

 錦織重治「春光」。山に雪がまた新しく積もったようできらきらと輝いている。その山の雪と地面に積もった雪とは、同じ雪でも異なったように表現されている。あいだの雑木林や下方の山の斜面に伸びる樹木の形。それらは紫色系の色彩で彩られている。空はあまりにも青く、むしろインディゴのような暗い青い調子に画面の中では表現され、それによって深い奥行があらわれる。この山と全面的に対峙した強い表現。

 西谷之男「初夏の赤坂池」。澄んだ池の様子は鏡のようだが、ほんのすこしさざなみが立っている。空には白い雲が浮かび、それを映している。蓮のような植物が水面に存在するのだろうか。六月の頃の緑の濃い、独特の色彩に彩られた樹木が、鬱蒼と茂っている。その緑のもつ生命感と澄んだ強い日射し、それを反射する水というベーシックな要素を使いこなしながら、奥行のある強い緊張感のある風景表現。

16室

 本田年男「いにしえのメロディー」。台の上にダーツの標的や古いラッパのある蓄音機、クラシックカーの模型、電話機などが置かれている。クラシックなコレクション。背後の板塀にポスターが貼られている。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの共演した「スティング」の映画のポスターのようだ。タバコをくわえたポール・ニューマンの横顔。グレーの中に緑や青でそのポートレートが描かれている。すこしくすんで色あせた雰囲気。しかし、見ていると、ラッパからメロディが聞こえてくるような気持ちになる。ダーツはここではなく酒場に置かれ、酒を飲みながら、その矢を投げながら談笑する様子も浮かんでくる。画家は緑に対して独特の感覚があって、今回もその緑を隠し味のようにうまく使いこなしながら、時間や歴史のイメージを静かに表現する。

 小塩武「ガード附近」。煉瓦でつくられた基礎の上に電車が走っている。そのガード下はレストランになったりショップになったりしている。空は緑で、夕暮れの中に煉瓦造りのこの部分が輝いてくる。独特の色彩感覚で、いわば街のポエジーを表現する。

 菅井隆吉「春のひざし」。空はグレーの中にすこしセルリアンブルーの青みがかった色彩が使われている。そのグレーの中に暖色がすこし入れられているので、温かな雰囲気。二本の裸木が枝を広げている。その複雑な形がまさに、今年も生きて、また新しく葉をつけるといった希望のようなイメージを与える。地面も空に近いグレーであるが、そこに黄色や柔らかな緑などが入れられ、小屋のような建物が小さく描かれている。平凡な畑が描かれながら、色彩のハーモニーによるものと思われるが、希望とか生命的なイメージがしぜんと画面から滲み出てくるように表現されている。とくに近景の屈曲した三百六十度広がる樹木の梢にわたる形が生き生きとしている。

 高田啓介「北の踏切」。踏切にある二つの信号機が強い波動をつくりだす。垂直に立っている信号機はいま赤で、上方にバッテンの黄色と黒の標識のある左右に張り出した信号灯もやはり赤を示す。下方は線路が続き、その上を踏切が渡っている。遠景の雪に覆われた山がごく近くに接近して見える。一種の錯覚であるが、それがまた信号機の赤とともに強い臨場感をつくる。空は暗く、厚い雲が覆っている。対象のモチーフを画家の腕力によってぐっと手元に引き寄せて構成する。それによって緊迫したドラマのようなものがあらわれる。ぐいぐいと塗られた絵具の層と筆触もまた強いムーヴマンをつくる。

 黒木ゆり「透明な時間」。古い木製の簞笥の上に台秤やガラス瓶やカットグラスなどが置かれている。赤い実が秤の台の上に置かれて、針がすこし右にふれている。グレーの壁に楽譜が貼られている。画家はこの室内の空間、この静物に意識を集中して、静かな中に緊張感のある画面をつくる。その緊張感がメロディとして画面から響いてくるということになる。そっとささやかなものを量ってみる。それほど繊細なものの変化やディテールを追うところから、この緊迫感のある画面が生まれる。

 鈴木英子「贅沢な日」。ブランコに乗る妖精のような女性は金髪のウェーブの強い髪をしている。一緒にウサギが乗って不安そうな面持ちで女性のほうを眺めている。ヒョウの子供がそばにいて、こちらを眺めている。頭の後ろには象の顔が現れ、象の上には虎が乗っている。そのそばには三匹の猿が枝からぶら下がっている。しみじみとした調子で、みんな物思いにふけっているようだ。ここに不在の誰かのことを思っているのだろうか。その人の安全をみんなで祈っているような、そんな雰囲気もある。それが柔らかな生きものたちのフォルムの集合するコンポジションからあらわれてくるところが面白い。優れた造形能力だと思う。

 安藤嘉一「いなか道」。土手に向かう道。途中に進入禁止のようなU字形の器具が置かれている。土手よりすこし下にバラックの家が一つ。ぐいぐいと絵具をすりこむようにして描きながら、その中にとっかかりのようなフォルムをつくり、そこにある動きをためこむようなかたちで表現する。心理的な動きのようなものをこの風景の中に表現しているところが面白い。

 白石美佐子「夢みる頃」。十三、四歳ぐらいと思われる少女が椅子に座っている。白いブラウスに向日葵の花模様のプリントされたスカート。膝の上に両手を置いている。後ろには白いカーテンが下ろされている。白やグレーを中心とした色彩の中に、この少女の健康な姿が表現される。全身像である。また、あどけなさの中に女性として成熟しつつあるその肉体を実によく表現していると思う。

 武敏夫「憧れのヴェネツィアへ」。後ろにヴェネチアの運河と建物とゴンドラが描かれている。そこに向かって船が進む。ガソリンのエンジンで動く船の先に若い女性が腰を下ろして何か考えている。そばに茶色いキャリーケース。黄色い帽子。オレンジ色の上衣に白いスカート。憧れのヴェネチアにいま船で到着した。斜光線が射し込んで、この女性を浮かび上がらせている。その様子に対して、後ろのヴェニスは柔らかなハーフトーンの中に静かに表現されている。二羽の鳥が水面近くを飛んでいる。「憧れのヴェネツィアへ」という題名だが、この作品をじっと見ていると、ヴェニスから遠ざかっていきつつあるようなイメージを感じる。ヴェニスの記憶はヴェニスに置いて、この女性はそこから去っていく。そこにこのもの思わしげな表情が浮かんでくるような印象をもつ。

 中熊則子「蔦」。白い壁に黒い蔦がびっしりと生えている。中に赤やオレンジの葉が見えるが、もう冬に近く、この蔦は枯れてしまう直前のような雰囲気。四角形の窓があいている。時というものがここにわだかまって堆積しているような独特の感覚。

17室

 大久保佳代子「西日」。樹木の幹を背にした少年。下に龍という赤い文字のつけられた凧が横になっている。たらしこみふうな透明水彩の技法。オレンジ色の色彩が点じられて、まさに西日に照らされた様子が浮かび上がる。そこにノスタルジックな感情をかきたてる心理的なイメージがあらわれる。それをベースにする的確なデッサン力。

 村松泰弘「風布の流れ」。巨大な岩がごろごろと上方にあって、そのあいだを渓流が流れてくる。近景では段差があって小さな滝のようになって、白い飛沫を上げている。遠景はびっしりと緑の植物や苔むしたような雰囲気。そういったディテールを細大漏らさずクリアに描くところから、独特の作品の力が生まれる。

 鴨脚えり子「葵桂~六番目の花街を繫ぐ〜」。中景に築地塀が見え、その向こうには神社があるようだ。注連縄の巻かれた樹木がのぞく。手前のすこしあいているところに盛装した花魁とかむろが立っている。花魁の衣装を直している中年の女性。京都の一隅のお祭りの一情景である。しっかりと一つひとつのものを描く。とくに花魁の高い下駄をはいた赤を中心とした衣装と青を中心とした帯、また、結った髪にたくさんの髪飾りをつけた様子などを、実にリアルに表現して、この女性のもつ存在感を描き起こしている。同時に、周りの蔓のような植物や築地塀の瓦の様子、壁、あるいはその向こうの神社の様子などもよく描いていて、それぞれの脇役が生かされているところもこの作品のよさだろう。また、左のほうに地上に降りたカラスの上半身が描かれているところも、時間のなかからあらわれてきた化身のような雰囲気で面白い。

 中尾廣太郎「二人(雨の日)」。二人の男の全身像。背中合わせになっている。帽子をかぶった男は左手にタバコを持っている。煙がそこから漂っている。その横には白髪の男が傘を持って立っている。どちらの男も目がきらきらとしているし、全身像が描かれていて、足と腰と頭のつなぎ方が実にしっかりとしている。二人ともすこしおなかが出た体型であるが、独特の生気が感じられる。手の甲に血管や筋が浮き出ている様子。いわゆるサラリーマンではないようだ。身体的な力が全身から発散してくるところがある。こんな肖像画はなかなかほかの人は描かない。再現的に対象を描くのではなく、対象のもつ特色を捉えながら画家が絵の中に創造した人間像のゆえだろう。イメージを形象化する力が実に優れている。また、手に表情があるし、おなかが出て、それがいちばん頂点になって足、あるいは鎖骨に向かい、そこから首の出てくるかたちが強く、一種彫刻的と言ってよいような造形感覚であるところも面白い。

 宮本佳子「窓辺の人形」。木の椅子の上にフランス人形が置かれている。そばに細い蔓のような枝をもつ植物が緑の葉をつけている。グレーの壁にグレーの床。窓はすりガラスのようで、白い光がそこにたゆたっている。対象をしっかりと描いている。対象を生かして大事にして再現しながら、ロマンティックな雰囲気が漂う。

18室

 小材啓子「陽光を待つ」。枯れた向日葵が集められている。そばに青くペンキの塗られた小さな小屋。遠景には大きなタンクと建物。やはり手前の向日葵に独特の存在感がある。風景を一種静物的に表現しているところが面白い。

 黒川敬子「赤いスクリーンの前で」。赤いショーウインドーの中にバレーシューズやブーツなどの商品を少女が眺めている。その後ろ姿。地面には枯れ葉が落ちている。矩形で画面を分割しながら、安定したコンポジションの中に後ろ姿の少女が微妙な表情を見せる。

 髙橋信子「時空」。長く白いイヴニングドレスを着た女性が膝を手で抱きかかえるようにしながら座り、こちらを眺めている。後ろに球体のフォルムがあらわれているのは、星のようだ。地球のイメージだろうか。周りの宇宙空間に星座のようなフォルム。ロマンティックな雰囲気。地球という星に生まれたこの若い女性を、実に愛情をもって画家は表現する。水の惑星といわれる地球と女性のイメージが重なるように表現される。

 阿部香「秋想」。横長の楕円状のテーブルの上に白い布が置かれ、南瓜や葡萄や洋梨などが置かれている。手前に少女が座っている。紫の帽子に紫のショール。後ろの白い布の上の黄色い南瓜。少女の座る椅子の背に黄色い鳥がとまっている。清潔な空間。透明な純粋な色彩がきらきらと輝きながらハーモナイズする。

19室

 武田直美「おばけの森」。森の中に樹木が生えている。そのあいだの道を青年に引率された少女たちが歩いている。中に少年がいる。水筒を肩に掛けている。その子供たちの歩いている様子と周りの雰囲気によって、不思議なファンタジーが生まれる。森の中でどんな経験をするのだろうか。深い物語がこのあとに展開されるような予感。そういったストーリー性のある表現が興味深い。

 中村幸枝「飛び立った鳥達・追憶」。若い女性が窓際に立っている。そばにクラシックな鳥籠があるが、小鳥はいない。この女性の全身の姿がクリアに描かれて、独特の魅力を放つ。青い上衣に青いスカート、白いブラウス。すこしカールした髪の様子。ブーツ。首から顔、鎖骨、胸、首、顔、手といった身体が露出している部分が独特の肌合いのなかに描かれているし、女性全身の印象がすこし妖精的で、そこが面白い。

 坂本直「高台の樹木」。十メートルほどあるのだろうか。すくすくと伸びた樹木。その先に葉が茂っている。そんな樹木が三本ほどあって、その後ろにも数本の樹木が位置を変えて描かれている。中心は木陰になって、すこし深い暗い緑になった様子。手前には石がいくつかあり、灌木が茂っている。それぞれの樹木の位置を的確に描きながら遠近感をつくる。デッサン家だと思う。

20室

 沖津達也「夜想曲」。振子が左右に振れる置き時計。ガレを思わせるようなランプ。白ワインが入っているのだろうか、グラス。ヴァイオリンと弓。大きな地球儀。時計の後ろにはミュシャの「ヤロスラヴァの肖像」のスラブの少女がこちらを眺めている。テーブルクロスは花柄の模様。そんな様子をしっかりとディテールを描きながら、ランプの光に照らされた親密な空間を表現する。時計を中心として、周りに上下左右に四つのフォルムを置くというコンポジションも面白い。いま十一時八分ぐらいであるが、だんだんと夜がふけていく。そんな時の移り変わりも画面の中に描かれているようだ。

 茅野吉孝「一隅」。木製のしっかりとした樽。中に赤い南瓜、切り取られた枝の先に紅葉した葉、ドンゴロスなどが置かれ、地面には枯れ葉が散っている。後ろは鉄の扉、倉庫なのだろうか。斜光線が射し込む。南瓜がオレンジ色に、あるいは赤く輝く。このいまのひとときの時間の温もりやマチエールをしっかりと描く。

 高木満智「花畑の中の花屋さん」。近景に石垣があって、その地面が上方に行くにしたがってだんだんと高くなっていく。そのあいだに花畑や野菜なども植えられていると思う畑がある。中景に瓦屋根の二階建てがあって、花という文字の描かれた幟が立っている。いちばん遠景にはいくつかの建物が見える。楽しいリズミカルな動きが感じられる。穏やかな光が射し、色彩が輝く。

21室

 松田寧子「陽をうける岬」。岬の上には白い灯台が聳えている。中景には赤茶色の屋根をもつ建物。近景は湾になっていて、その岸辺に民家がいくつも立ち並んでいる。いまそこは影になっていて、上方にスポットライトのように光が当たっている。北国の情景を淡々と描きながら、しぜんとそこにあらわれる存在感が鑑賞者を引き寄せる。上方の白い灯台がハイライトになっていて、画面全体を統合する。

 口澤弘「遠き日―横利根閘門」。中景に土手があって、緑の草が生えている。そこにずっしりとした閘門が強い形を見せる。近景は岸辺で、モーターボートが幾艘か繫留されている。一部はシートに覆われている。横利根川の水が静かに空を受けて輝いている。利根川旅情ともいうべき雰囲気である。空と水との青みがかったグレーのトーンの広がりの中に若草が萌えいずる季節。大正時代につくられた閘門、煉瓦による壁とコンクリートによる門がつくられ、この柔らかな風景の中の強い構造物としてコンポジションの中心の役割をなす。

22室

 阿戸猛子「積日」。黒いマネキンに赤い帽子をかぶせて、黄色いショールで腰を覆っている。緑と白の大きなネックレス。後ろの棚には白と黒のトルソが四つ置かれている。グレーの壁にグレーの床。塗りこまれた絵具に柔らかで強いマチエールができる。手前の黒いマネキンは黒いシューズをはいているが、作者の美意識の与えられた存在として静かに立っている。人間を描くより、このようなマネキンによって作者の感慨とか美意識、あるいは時間の感覚を表現するようだ。すらりとした身体と豊かな乳房をもつこの黒いマネキンに不思議な存在感が醸し出される。

 石田賢礼「オーロラ」。十数人の踊り子を描いている。しっかりとしたフォルムを組み合わせながら、独特の動きと空間をつくる。作者のもつ美意識と同時に踊り子のもつ鍛練された肉体のもつ魅力をよく表現する。

 西美奈子「一隅」。白いクロスの置かれたテーブル。長い透明な瓶にドライフラワーが、いくつか挿されている。背後のベージュとこの花とが生き生きと響き合う。赤ワインの入れられたグラスや二つのガラスの瓶、あるいはクラシックな水注などが置かれていて、派手な色彩ではないが、それぞれの固有色を輝かせながら、光の中に独特の存在感を放つ。

 野末光子「私の部屋・十五夜」。黒いテーブルに和人形が立っている。後ろには花などが咲いているし、お菓子の置かれた小さなテーブルも見える。この和人形の顔が白く輝いていて、独特の生気を放つ。満月のイメージとこの女の子の顔のイメージが筆者のなかでは重なる。この人形を守るように猫や赤いグラスや貝合わせの貝や小さな団子などが置かれているのも面白い。

 熊倉幹子「夏が来る」。椅子に横に坐っている女性。白いブラウスに紫のようなズボン。トーンに独特の魅力がある。グレーの床と壁。トーンによって一つひとつの対象のフォルムをつくりだす。一種塑像をつくるような造形感覚と光の力を画面に引き寄せているところが面白い。

 本村浩章「角島の海」。磯と海が残照の中に輝いている。太い筆のタッチが独特の強いムーヴマンをつくる。

 米澤玲子「人形劇」。操り人形が三体。中心にいるのはピエロで、後ろに王妃のようなフォルム。右のほうには男性。そのマリオネットの登場する舞台を若い女性が手前に立って眺めている。下方に上方の三体と異なった人形が一体、壁に寄り掛かっている。この人形劇は巡回していくのだろうか。ヨーロッパで巡回して演じられる人形劇と手前の日本人と思われる女性のすこし物思いに沈んだ様子と二つのフォルムが対照され、静かな感慨のようなものが画面に漂う。その余情ともいうべき表現力に注目。

 市川弘子「青いランプのある静物」。すこし緑がかった暗いテーブルの上に、茶色とベージュのストライプの布が置かれ、ガスランプや緑の瓶、あるいは林檎や洋梨などの果物が置かれ、ジャパンニュースという新聞も置かれている。バックは明るいグレーと暗いグレーとの矩形の組み合わせ。上方にブラックのポスターが貼られている。ブラックのキュービックな造形感覚をこのテーブルの中に引用しながら、静かに響いてくるものを画家は描く。その響いてくるものをサポートするために、矩形の抽象的なコンポジションをつくる。

 尾関静枝「永訣の日」。白く冠雪した山が遠景にある。手前はすこし高くなった地面で、樹木が何本か立っている。葉を落としたその形。枝や梢が伸びている。そのあいだには平野が続いているようだが、その平野が湖のようなイメージと重なる。黄金色の空。「永訣の日」という題名だから、作者の師西田亨氏が亡くなったことに対する深い心持ちを表現したものだろう。裸木の枝が伸びている様子が、悲しみの表現のようだ。

 森本克彦「薫風」。紫のイヴニングドレスを着た女性が黒いヒールをはいて立っている。後ろの金が捺されたドア。左から光が当たり、この女性の下半身を照らしている。きびきびとした形を積み重ねながら、リズムや動きをつくる。

 余田滋子「役割を終えたものたち(漁具)」。木箱の上にカキがこびりついたようなフォルム。そのそばの入れ物。あるいはカンテラ。サザエ。ほとんどモノトーンの中にそれらのものが不思議な存在感を発揮する。トーンによる表現で、描くうちに形がじわじわと生まれてくる。そんな表現力。

23室

 吉江道子「公園のカフェ」。緑が瑞々しく表現されている。あいだにブルーが入る。公園の中の戸外に置かれたテーブルに人々が座っている。酸素いっぱいの空気が画面に満ちているような色彩豊かな表現。緑とブルーとが魅力的に使われている。

 福田次子「冬山」。ペインティングナイフで絵具をつけていく。あいだに筆も使う。雪を抱いた山。そのボリューム感と独特の輝きを表現する。下方の地面の向こうに、屋根の下に白く雪の積もった民家が描かれ、それが独特の輝きを放つ。その後ろの雑木のような褐色の色彩。山の中に稜線を見つけてフォルムを立ち上げていきながら、山頂に向かうかたち。緊張感のあるコンポジションの中に色彩が輝く。

 河内八重子「芝山埴輪の棚」。たくさんの埴輪が棚の中に入れられている。右のほうにはいちばん大きく兵士の全身像が埴輪となった様子。左下には二つの建物。上方には顔や胸像が置かれている。絵具を重ねて埴輪独特のマチエールをつくりだす。作者も埴輪をつくった人の気持ちに乗り移って、埴輪と友達になり、語り合うような親密な空間が生まれる。

 難波佳子「オリエントの中で。2015。」。馬の石像。そばにカードがあって、キャプションがつけられている。オリエント美術館の中にスケッチブックを持った作者自身が描かれている。穏やかな自然体のなかに緑を中心とした複雑な諧調があらわれる。とくに右下の動物をかたどったリュトンのフォルムの下方のブルーなどの色彩が隠れたアクセントになっている。

24室

 岡崎浩「氏神さま」。鳥居の手前に神社の屋根がある。その屋根の上から向こうを見ると、広場に少年と犬が走っている様子が見える。民家には瓦の屋根や築地塀。そんな落ち着いた街のたたずまいの中に生き生きと走る少年の姿が描かれて、画面を活性化させる。ユニークなコンポジション。

 杉正則「運針」。白い布に白い糸を運針している女性。椅子に座って作業をしている。そばのテーブルには針坊主や和鋏、花瓶には紫のアネモネが咲いている。すこし暗い室内。そこにスポットライトを浴びたようにこの少女の姿が浮かび上がる。テンペラを思わせるようなマットなマチエールの中に描きこんだフォルムと色彩にリアリティが感じられる。再三指摘してきたことだが、そんな客観的な様子を描きながら、内界のなかでこのような作業が永遠に続いているような不思議な時間性を帯びて表現されているところが、この作品の面白さだと思う。

 米村美真代「緑韻」。蓮の大きな葉が密生している様子をリアルに描いている。水面から茎が伸びて、大きな葉が広がっている様子。そこに光が当たって明暗ができるかたちをぐいぐいと描きこんで、不思議な力を発揮する。中に花の蕾や半ば開いた花などがアクセントになっている。水面の様子(そこには映っていたり落下した葉なども浮いていたりするのだが)と立ち上がる蓮の集積したかたちが奥行のある空間をつくる。

25室

 湯淺廸哉「漁具のある風景」。網とガラスの錘。ドラム缶の中には石油が入っているのだろう。吊り下げられたランプ。タイヤ。小屋の中の様々な漁具を中心としたものたちをしっかりと描いて、強いエネルギーが画面から発散してくる。奥のほうは暗くなって、手前は明るくなっている。その陰影のグラデーションも面白い。

26室

 永江咲紀子「悠久の祈り」。結跏趺坐し、来迎印を結ぶ阿弥陀如来。豊かな平安仏のような表情。朱色が残っている。紙に描かれているのか岩に刻まれているのかよくわからないのだが、グレーを背景として赤い袈裟が残っているこの仏さまは、空中に浮かび上がるように描かれていて、独特の魅力を放つ。光背や蓮台が彫り込むような線によって表現されているのも面白い。

27室

 渡部かよこ「おだやかな街」。褐色やピンク色や黄色く焼かれた瓦屋根の建物が画面いっぱいにたくさん描かれている。俯瞰した構図である。屋根の上にも小さな建物がのぞいたり、煙突が立ったり、屋根の下の壁に窓があったり、見ていると、複雑な様相である。それが独特の画家の美意識のなかに統合される。もちろんあいだに道が通っていて、それによって建物の集合のかたちがあらわれるわけだが、そういったものを描きながら、同時に画家自身がその建物の屋根や窓や壁などをいわば音符のように使って楽しく作曲しているような趣が感じられる。柔らかな優しい穏やかな音楽が画面から流れてくる。しかも、それは生活のうえに立ったもので、いわば生活のうたともいうべきメロディがこの画面に表現されているように思う。

 楠崇子「'15. 風の響」。白いワンピースにピンクのショールのようなものを腰に巻いた女性。肌も白く、強い詩情を感じる。後ろに観葉植物が大きく上方に伸びていく。中に紫色の花が咲いている。柔らかな緑を主調色としながら、画家のもつ詩情ともいうべきものの表現。

28室

 小川八行「市の夜『麒麟のいる橋』」。両側にブロンズのキリンが立っている。上方に街灯が光っている。中心に布袋が熊手の竹の柄を持っている。その上に繁盛という文字、招き猫や黄金の打ち出の小槌や樽や花、様々な縁起ものがつけられている。下には弁天が琵琶を抱えて横になっている。場所は日本橋である。いまは上に高速道路がつくられているが、その高速道路を取り払った雰囲気で、その両側に立つキリンを下方に置いて、大熊手をリアルに描いて面白い。強い波動を発信する。

 服部百合子「廃校」。黒板の前のオルガン。手前の椅子。黒板にはたくさんのチョークで「さようなら」などの文字が描かれている。そういったものが時間の消滅から離れてこの絵の中に残され、時間がここにたゆたい永遠化されているような雰囲気。穏やかな、しかもしっかりとしたマチエールによって、床や壁やオルガンや黒板ができている。その質感とその空間の表現力に注目した。

 山岡健造「砂上に生きる」。母親が右手で男の子を抱え、左手をその姉と思われる女性の肩に置いている。空には月が浮かんでいる。背景は砂漠である。砂漠というシンプルな空間の中に母と子供の愛情をまるでイコンのように表現する。ロマンティックな表現。抑えた色調であるが、静かに輝く色彩。

 立木雅子「雪が降る」。川のそばの建物が集まって、一つの集落をなしている様子。後ろはだんだんと高くなっている。そこに雪が降っている。聖夜という言葉があるが、まさにそんな雰囲気である。物語の中のワンシーン。深い音楽性や文学性を感ずるコンポジション。 

改組 新 第2回日展〈彫刻〉

(10月30日〜12月6日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 嶋畑貢「天使の詩 Ⅶ」。大きな椅子に十歳ぐらいの少女が座っている。この大きな椅子は作者のアトリエの中にあって、これまでにいろいろな人が座った歴史のあるものだそうだ。いま孫が座っている。この作者らしい優れた造形力で、凜とした少女の佇まいをつくる。浅く座って両足を垂らして両手を腿に置いて、すこし右に顔を向けている。少女というより、太子像の趣がある。この子供の中にある仏性ともいうべき聖性のイメージを表現しているところが魅力。

 村井良樹「刻の扉」。時計と裸婦との組み合わせ。モニュメンタルなコンポジションである。時計を象徴する歯車の壁に背中をもたせかけて裸婦が立っている。右膝をすこし前に出している。ゆったりとした動きのある豊満なモデリング。

 早川高師「あかんべえ」。このハシビロコウを一度つくってみたいと思っていたそうである。ハシビロコウが食べるぞといった雰囲気で見下ろしているのだが、それに対して水の中の人魚はあかんべえといったユーモラスなしぐさをしている。海の中の灯台のようなところにハシビロコウをとまらせているというアイデアも面白いし、大きなハシビロコウと小さな人魚といった対比も面白い。物語を木彫でつくることによって親近感がわく。

 桒山賀行「赤とんぼ─陽だまり─」。座布団の上に犬が丸まって寝ている。そばの椅子に花瓶があり、向日葵が枯れて頭を垂れている。障子がそばに柔らかな光を通している。日本家屋の一隅、縁側の中の空間をつくる。すべてを彫刻するという作者の強いパッションによって、時空間全体が彫られる。

 小野啓亘「Kの場合」。ギターケースを持った少女。初々しいその生命力豊かな身体の力、ボリューム感をよく表現する。現代の女性のもつ一種風俗的な側面もモデリングされているところが魅力。

 柴田良貴「夕暮れの立像」文部科学大臣賞。すっと立った女性像である。モデリングによって微妙な陰影がつくられている。存在するということの不思議さを彫刻する。

 佐藤静司「幼女の首 No.2」。仏の像を思わせるところがある。そんなオーラがこの木彫に感じられる。また、俑のような趣もある。横から見ると、あの山田寺の仏頭などのイメージもちらつく。

 田中昭「春祺」。女性のもつ生命感をよく表現している。バスローブのような雰囲気のゆったりとした上衣を着た女性。胸には乳房がのぞいている。帽子をかぶっている。唇などの官能的なディテールなどが全体の柔らかな曲面のもつ力と響き合いながら、独特の生命力を醸し出す。その生命力は若い女性のもつ官能性と深く結びついている。

 齋藤尤鶴「風かがやけり」。少女が立て膝をして座っている。風に髪が靡いている。生き生きとした清新な像である。

 西村祐一「花が…(Ⅴ)」会員賞。女性の理想美ともいうべきものを穏やかに表現する。衣装のしわなども波のようなイメージをつくり優雅なメロディを奏でる。

 得能節朗「朝の散歩」。モデリングがしっかりしている。腰がしっかりとつくられて、そこから伸びる二本の足。すっと湾曲した背筋を伸ばした上体。そして、遠くを眺める顔。奥行のある量感のあるモデリング。それほど大きな作品ではないが、彫刻としての完成度の高さを示す。

 石黒光二「風の行方」。まるでこの女性を囲む風の動きが見えるかのような繊細な表現である。両足の踵をくっつけて背筋を伸ばして、すこし上方を眺めている女性。右手は掌を上に曲げ、左手は掌を下方に。全体で周りに渦巻く、あるいは吹き寄せる風を感じているような雰囲気。静かな中に彫刻と空間との関係をよく表現する。

 山田朝彦「朝の響き」。朝の大気のなかで全身にその空気を吸って一日が始まるといった、そんな穏やかで力強い表現である。ごく普通のポーズのなかにそんな生気が、ゆったりとした量感のあるフォルムの中に表現される。

 佐藤敬助「さぁ、始まる!─生命の賛歌─」。タンバリンを左手に持った女性が手前のほうに歩いてくる。その動きによって周りの空間が揺れ動いているようなイメージ。右手と左足を前に出し、右足は後ろに。ワンピースを着たこの女性のモデリングを見ると、大きな空間を感じさせる。そこに動きが加わって、揺れ動くような新鮮な力があらわれている。

 前田真里「風ひかる今」特選。木製の椅子に裸婦が座っている。そばで猫が後肢をなめている。自然体のなかに、生きている存在というものの力がじわじわと浸透してくるように表現される。

 村山哲「わらし」。「たの神さ、村はずれの地蔵様、賽の神。今はもういない。かつての心の拠り所達は、人前に現れる時、童子である事が少なくないという。男性のシンボルは魔除けである桃の実にした」(日展アートガイド)。脱乾漆による作品である。かつて身近に存在した神々のイメージをこの子供の像に託して生き生きと表現する。踵をつけて、両足首を上方に反らしているフォルムも、全体のコンポジションの中で妖精的なイメージをよりヴィヴィッドに伝えるアクション。

 池川直「聖夜」。犬を連れた青年の像である。顎の下にヴァイオリンの一部が見える。音楽家や詩人のイメージを表現する。上下にフォルムを引き伸ばして、重力に抵抗するような上昇するような力をつくっているところが面白い。それに沿って背後の犬も後ろ足が宙に浮かんでいる。

 勝野眞言「標」。樹脂・鉄。ジャコモ・マンズーなどのイタリア彫刻を思わせるところがある。裸婦のフォルムに、独特の作者の審美性ともいえるものが感じられる。女性の体の中には谷や川や山もある、自然をそこに見る、という作者の言葉があるが、そういった強い詩情のようなものも含めて、イタリア彫刻に通じるような美意識やロマンといったものが表現されているところが面白い。

 熊谷喜美子「受け継がれた記録」。樹脂。一冊の本を両手に持って座っている女性。黄金色に彩色されている。内側から静かに輝きがあらわれてくるようなオーラが表現されているところが魅力。

 神戸峰男「母」。「母をテーマに制作を始めて四作目となる。この永遠なるテーマをどのように表現したらよいか。制作への課題は尽きない」(日展アートガイド)。今回の母親はずいぶん大きくつくられていて、堂々としている。左手に赤子を抱いている。その子供の小ささに対して母の存在感の大きさが強調されている。それもまた彫刻のフォルムに対する作者の感覚がなせるわざである。力強いモニュマン的母子像である。

 能島征二「エルピス(希望)」。「生命の源『海』から誕生した『希望の女神』を表現。ギリシヤ語で『ELPIS』彫刻の原点を思考しながら……。大自然界に生かされている人間、座像を大きな塊として捉え豊かな量感と空間構成を思索しながら……」(日展アートガイド)。座って、すこし右膝を前に突き出しているようなポーズ。左手を髪の上に、右手はカーヴするものを持っているが、それは波なのだろう。海からまさに希望とともに現れてきたヴィーナスの像。ゆったりとした力強い造形である。手、首、頭、乳房、腰、足。それぞれの部分が有機的に連結しながら力強い動きを示す。この体の内側に大きな空間が取り込まれているところが、彫刻としての面白さである。無言のなかに静かに語りかけてくるような力が感じられる。

 蛭田二郎「長い髪のY子」。膝を立てた若い女性像。左手を臑に当てている。とっぷりとしたふくよかな顔かたち。長い髪が右の肩から下方に掛かっている。穏やかな動き。見ていると、静かな光がこの女性に射し込んでいるかのよう。右手を後ろに置いて、軽く握っている。女性像でありながら、すこし角度を変えてその像の左側に立つと、その顔は妖精的なイメージを醸し出す。長い髪が肩や前に垂れている。その鼻から口元に対するシルエット。まるでミューズがいま人間の姿をしてここに静かに座っているかのような、あやしい魅力がある。

 雨宮敬子「若き日の回想」。内省的な像で、この女性は静かに考えこんでいるようだ。「現代に生きる若い人達の間に、孤独感や閉塞感などが存在している。一方私達戦中派には、戦後の荒廃した絶望感や焦燥感があり、未来に対する不透明さがあった。これら両者に共通するイメージを内包させながら、将来に向かって明るい展望が開けるよう、精神的な内面性の思いを、塑像を通して表出したいと試みた」(日展アートガイド)。右手を腿の上に、左手を台座の後ろに置いたこの女性像。また、右足は後ろの台座に、左足はすっとそのまますこし前に出ている。その微妙な動きがまた彼女の内的な力の外部への表象のようにつくられている。

 中村晋也「天璋院(篤姫)」。「薩摩島津家から、第十三代将軍徳川家定に嫁いだ篤姫は、家定亡きあと天璋院となり、幕末の動乱期を『江戸城無血開城』に導くなど、徳川家のために尽くしたことで知られる。その凜とした生き方を表現した」(日展アートガイド)。等身大よりすこし大きめの像である。まさに作者の言うように凜然とした女性像で、天璋院が生き返ってここに座っているかのような臨場感が感じられる。作者の力量が十全に発揮された肖像彫刻の佳作。

 橋本堅太郎「清新」。「刺激的な言いまわしとかが多い昨今だが、清新という美しい題名にした。若い女性の美しい清らかさを表現し、年老いて年齢を重ねても、原点にもどって美を追求したいと思う」(日展アートガイド)。若い女性のオーラともいうべきものがよく彫刻されている。両手を髪の後ろにもっていき、すっと立った女性。柔らかな微笑をしながら、すこし下方を眺めている。顔の表情はどこか仏像的なイメージがあらわれている。女性の体と仏像のもつイメージとが合体したところに、この作品の魅力が感じられる。

 山本眞輔「平和への祈り」。レギンスを足につけてすっと立った女性。腰の位置が高く、現代の日本女性のフォルムをよく表現する。上衣は肩より下にあって、胸の膨らみが強調される。健康な初々しい女性のイメージを達者な訴求力によって楽々とつくる。両腕はすこし曲げられているが、両掌が上を向いて、その中に大切なものがあるようだ。掌がこの彫刻の中では今回大切な役割をなしている。そういった微妙なディテールを彫刻の役割としてつくりだす作者の力量はさすがと言うほかはない。樹脂であるが、金彩で、その色彩もまた生き生きとしている。

 圓鍔元規「想いを込めて」。「私達は自然から多くの恩恵を受けていると同時に、また自然の恐ろしさを実感している昨今です。しかし、いつの時も変わらず私達を照らし続けてくれる太陽のように、明るさを失わず、心に希望を持って生きていきたいとの想いを、若い女性の姿を借りて表現しました」(日展アートガイド)。短パンをはいた女性。タンクトップを着て、のびのびとした雰囲気。右足に重心を置いて、左足をすこし後ろに置いている。左手は腰に、右手はパンツのポケットに親指が入っている。ほっそりとしたフォルムであるが、しなやかで健康で、まさに太陽に向かうイメージが造形されている。自然体のなかに一人の若い女性が、燦々と日を受けた若木のように表現される。

2室

 入江博之「ひもろぎ」。空中にいて、下方を見ながら何か語りかけてくるような裸の女性。宙に浮いたフォルムの表現である。形而上的な存在が裸婦をとおして語りかけてくる。

 小関良太「薫風」。体を反らした女性のヌード。テクニシャンである。ディテールの表現が優れているし、強いムーヴマンが表現されている。

 小西徳泉「堂々と '15」特選。木彫である。青年が両足をすこし開いて立っている。力強い。内側から強い波動を周りに発散するような生気ある表現である。そのモニュマン性ともいうべきものが魅力。

 宮里明人「海から来た娘 Ⅱ」。裸婦の全身像である。両手を腰に置いて左足を前に出したこの像は、実に強い生気が感じられる。モデリングも力強く、内側の骨をしっかりとつくって、そこに肉をつけたようなオーソドックスな力が感じられる。それに加えて、通常の裸婦彫刻を逸脱するようなムーヴマンというのか、パワーが感じられるところが興味深い。ダンスでも踊りかねないような、そんな健康なパワーが感じられる。

 近藤哲夫「土と生きる」特選。棒を持って立つ青年は帽子をかぶって遠くを眺めている。そんな全身の姿を力強くモデリングする。足、手の指、目や唇や鼻の表情などのディテールも生き生きとして、青年の生活力とエネルギーと未来に対する希望を表す。

3室

 伊庭靖二「砂のゆくえ~月明かりの中で~」。水の中に入って俯いて、両手で不思議なしぐさをしている女性。ここには月の光が射している。その光の中で、夜の空間のしじまのなかにこのような動作をする女性は、自己と会話をしている姿なのか。幽玄な雰囲気で、能の世界に共通するような霊的なイメージもあらわれている。

 上田ふみ「風を集めて」特選。右手を上方に伸ばし、左手をそれに添えている。素朴な裸婦像である。粘土だと思うのだが、木彫を思わせるような雰囲気がある。モデリングと彫るという仕事との二つの要素がリンクしているところに、この作者の持ち味が感じられる。

4室

 上松真弥「空遊び~雲と一緒に~」。風船のようなものを吹いている女性が下方に座っている。ところが、その風船は上方ではもくもくと広がって雲のようなものになって、その雲を抱きしめてもう一人の女性が倒立するように足を上方に高く上げている。ユニークなイメージの表現である。現実に存在しないが、イメージのなかにはこのような世界があることはよくわかる。しかも、ここにはこの上方の女性と手前の女性とは同じ人間の二つの存在と言ってよいような連結があって、独特の物語性もここから紡がれて続いていくような楽しさが感じられる。

 工藤潔「眠れぬ森の番人」。樹木の幹を両手で摑んで、老人がそこから顔を出している。上方の樹木に三日月が下りてきているし、枝にはフクロウがいる。聖書の伝説などをレリーフ状につくったりするが、そういった伝統のなかにあらわれてきた仕事なのだろうか。日本では珍しい表現だと思う。もっとも、これはレリーフではなく、立体彫刻であるが。大正ロマンを思わせるような豊かな文学性を感じる。

 白石恵里「effulgent」。妖精的な青年が立って、月桂樹のような葉を持っている。美青年は女性的要素も引き寄せて中性的であるが、足を見ると、ずいぶん逞しい。神話的な人間像を面白く造形する。

 田丸稔「部屋」。部屋の中で女性が椅子に座っている。本を膝のあいだに置いている。金色に彩色されている。胸の膨らみ、首と頭のつき方、あるいは首と鎖骨、上体との関係。椅子はふかぶかとして、すこし沈みこんで、腰から膝小僧、垂れた足の指にわたるライン。現実の女性をつくりながら、ファンタジックな妖精的なイメージがあらわれているところが、いかにもこの作者らしい表現。

 宇津孝志「記憶の街」。内部が祠のようにあけられたフォルム。白く彩色されて、建物がたくさん集まっている。上方にも雪が積もって、そこにも建物のようなフォルムや大きな樹木がつくられている。樹木の後ろには満月が下りてきている。北国の風土、冬の集落をイメージのなかに表現する。そして、強いノスタルジックなイメージがあらわれてくる。木彫のもつ質感をよく生かしている。 

改組 新 第2回日展〈工芸〉

(10月30日〜12月6日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 志観寺範從「翔」。上方に蝶が羽を広げたフォルムが銀彩で置かれている。それと重なるようにダブルのリングがあって、その中は光るものが集められている。貝が螺鈿されている。下方には三角形の白いフォルムと黒い三角形の山並み。三角形の白いフォルムは樹木の造形なのだろうか。その三角形は装飾古墳を思わせるような古代的な意味合いも感じられる。

 角康二「ファンタジー」。テーブルの上に洋梨や葡萄、球形のもの、あるいは壺が置かれている。壺から球形の胞子のようなものが上方に浮遊していく。左のほうには球形の中に複雑なストライプ状の金とグレーの文様があるフォルムが浮かび上がっている。星が夜空に浮かび上がってくるような趣。その下にはカットレモンのようなものが浮いているのが、実にユニークなアクセントになっている。黒漆が画面全体のベースをつくり、深沈たる雰囲気の中に金が輝きを示す。

 猪俣伊治郎「出雲ノ記」。大国主命は須勢理毘売に求婚して、その父親である須佐之男命の試練を受ける。その試練をくぐって大国主命は出雲を治めるわけだが、そんな『古事記』の中のシーン。弓を射っているのは大国主命だろうか。それに向かってくる敵。ダイナミックな動きのある空間。そして、須勢理毘売が大国主命の手前に立って手を広げている。ダイナミックなフォルムによる表現。

 赤堀郁彦「流の讖」。円弧を繰り返し重ねながら、その円弧がクルッと回って円形のフォルムをつくる。楽しい音楽的な空間のなかにシーソーのように左右に揺れるような動きがあらわれる。赤い漆の上に金、銀、色漆をつけたモダンな造形。

 伊藤裕司「赤富士」。画面の上方に大きく赤富士が置かれている。そばに巨大な満月が浮かび上がる。下方には針葉樹の林。雲海が富士の裾野を占めている。富士と満月と雲海。そして、富士はいま太陽の斜光線で赤く染まっている。雄大である。富士の不動のかたちに対して、動いていく雲海が対比される。

 三谷吾一「黄昏」。トンボが飛び、コスモスが花をつけ、雑草が穂を伸ばしている。赤茶色やブルーの色彩の中に金銀やプラチナによる植物やトンボの表現。トンボを見ていると、まるでそれは人間の魂が飛んでいるような深い味わいが感じられる。童歌が聞こえてくるようなイノセントな空間。

 中井貞次「樹林逍遥」。「樹林は、めぐり来る季節によって、それぞれ異なった風情を呈してくれます。そのような樹林の時空間における多様な変容や揺らぎを捉え、イマジネーションの展開を試みました」(日展アートガイド)。樹林のフォルムが青みがかったグレーの上に濃いブルー、あるいは緑で自由に彩色されて、生き生きとした形をつくる。ほとんど不定形のフォルムであるが、その中にある生命感がお互いにハーモナイズする。

 永井鐵太郎「やってきた風鎮 万蔵院・願(カデンツァ)」。カデンツァとは独奏協奏曲といった意味になる。四つのパネルによって成立している。その中に二つの階段のようなフォルムが二つ。三つの階段のようなフォルムが一つ。下方には細い円柱がコラージュされている。ステンレスとアルミとのマチエールの対比。変化するもの、リズムしていくものの中の微妙な変化。ミニマルアートを思わせるように、シンプルでありながら深い味わい。普遍的なものと変化するものとの兼ね合いは、まさに独奏楽器と管弦楽との協奏のよう。

 並木恒延「雲が行く」。画面の中心よりすこし上に白い雲が浮かんで動いていく。上方に満月があって、下方を見ると山の上に雑木の生えたフォルムが黒々と横たわっている。その上方の空は薄く金の砂子をまいたような趣である。夜の空を月が動いていく。その趣を、まず下方に山を沈め、その上方に満月を浮かび上がらせ、そのあいだに雲の形を置く。雲の光っている部分は白く、卵の殻をそこにコラージュしてあらわれた空間である。その雲のどんどん動いていく変化する形が実に面白い。月は円形で、山も雑木のあるところだから、形は決まっているが、それに対して変幻していく雲の形が実に面白く扱われているところが、この作品のよさだと思う。

 尾長保「籃胎乾漆 記憶の渚」会員賞。大きなお皿のようなへこんだ円形のフォルムの中に、造形化された魚が左右に向き合ったかたちでつくられている。周りには銀や緑などの箔が散らされている。このへこんだ空間を海に見立てて、ユーモラスに魚たちの群れを表現する。角張った直線による造形の中に目の円形の形がユーモラスで楽しい。遊びの空間を抱いた大皿のような趣。

 三田村有純「黒い月 輝く」。ロマンティックなイメージ。断崖の上の両側に二つの建物がある。右のほうは教会のような趣。海に黒い船が浮かんでいる。それは漆黒の月のようなイメージでもある。

 寺池静人「新秋」。「梅雨の頃、燃えるような緋色の花をつけていた柘榴の木、しばらく見ぬ間に葉の間や、枝にぶらさがるものなど多くの実がなっていた。青い空をバックに美しい。心象風景として作品となる頃には赤く大きな実となっていることと思いながら、手びねりで形を作り釉滴金彩にて表現」(日展アートガイド)。柔らかな光に包まれたザクロの実と葉。四ヶ所に隆起するようなフォルムをつくった楕円状の壺の正面に、その姿が写されている。

 武腰敏昭「無鉛釉『空の王者』」。上方の口は三角形になっている。三つの面の肌はグレーのしっとりとしたもので、巨大な鳥がそこを飛んでいく。そばに赤い三日月が浮かび上がる。グレーの空間の中に青を中心とした彩色による鳥の絵柄がモダンで、力強く、気品がある。

 奥田小由女「天空への祈り」。天皇陛下が常に祈りを捧げられているのに対して深い感慨を覚えるという。二体の女神のような緑の裳を肩に掛けたフォルム。一つは深い青い色彩の上にカラーの花模様。もう一つは柔らかな金色とグレーの衣装。同色の冠を黒髪の上にかぶっている。二人はともにカラーを手に持って、それを神に捧げようとしている。一瞬、作品を見てドキッとするような力を感じた。それはこの緑と青の色彩のもつ力だと思う。オーラのように二つのフォルムの周りに輝いている。これまで作家は暖色系の色彩を使ってきた。春の花のような陽光燦々とした朗々たるイメージであったが、今回は海の深さ、あるいは空の奥のほうまで届くような深いイメージを感じる。それはまさに祈りから発する色彩でありオーラだと感じる。二人の女性は柔らかな優雅な曲線によってつくられ、その曲線は下方から天上に伸びていくようなイメージも感じられる。作者の平和を祈る心持ちを深く、天皇陛下と同じように戦争を通過した世代の代表として、その祈りを造形化する。そこにあらわれた独特のオーラが鑑賞者を強く惹きつける。

 大樋年朗「黒陶銀彩『申』天空走」。「『猿』は人類の先祖であって、幼い頃より、桃太郎の鬼退治、猿蟹合戦、孫悟空など、思い出もなつかしい。黒土に『童画風』に彫絵し焼成を終え銀彩でアクセントを施した作である」(日展アートガイド)。緑の球形の壺。上方に口があけられている。その素朴な強い形の横に、銀色の猿が手を上げて挨拶をしている趣。ユーモラスな中に堂々たる風格をもつ。

 今井政之「八重山のオジサン壺」。「この春沖縄の石垣島に赴き、魚釣りを試みた。美しい珊瑚礁を離れた岩礁でオジサン(ヒメジ科、沖縄ではカタカシと呼ぶ)が釣れた。早速デッサン、モチーフとした。備前の土に挑戦し、面象嵌の技に取り組み穴窯にて焼成し、炎の窯変によって彩化した作品である」(日展アートガイド)。オジサン(カタカシ)が壺の肩のあたりに大きく土象嵌されている。窯に入れた段階では土一色であるから、火が入って初めてこのような鮮やかな朱色に変ずるわけである。見事な技術の成果である。また、土の変化によってあらわれたこの赤い魚の形が実にゆったりとしている。同時に、すこしとぼけたふうでもあって、おおらかな感じで、下方の壺という空間のなかに居座って静かに泳ぐような趣である。上方には首が長く大きくとられ、口縁の縁が斜めに成形されている。ゆったりとした器形の形とこのオジサンという赤い魚の土象嵌とが見事にフィットしている。

 森野泰明「扁壺『松籟』」。「手捻り手法による成形。二種類の高火度釉薬と二種類の低火度釉薬で加飾しました。松の梢を吹きぬける風の音は、自然が話しかける囁きか……」(日展アートガイド)。胴に彩色された上下の斑文のあいだが黒褐色に抜かれて、その無地の空間の中に点々と緑やグレー、褐色の色彩が置かれて、その空間に独特の風韻が感じられる。わび、さびのモダンな現代的な翻訳と言ってよいかもしれない。

 服部峻昇「耀貝光彩花器」。金地の上に緑や波紋などを装飾的に表現されて、雅びの粋のような感覚をつくる。曲線構成による花瓶である。流れて動いてやまない連続したかたちの中からそれを結晶させたような器形が魅力である。

 大樋年雄「Mother Earth 尊崇―2015」。屈曲したフォルムが連続しながら器の形をつくる。そのフォルムは強く、地球の骨のようなものを立ち上げて作品化したような力が感じられる。それがまた一種のモニュマン的な大きさを獲得する。縄文土器のもつ強い呪術的な力を現代に応用させながら、さらにモダンなかたちで骨格をつくりあげた空間構成の趣がある。「米国にあるテントロック国定公園を訪れた。このマザー・アースなる力は、他の惑星をも想像させる尊崇なるものだった。その感動を最も原始的なる造形方法、強制乾燥による土の変化、楽焼技術を応用することなどで独特のかたちと色彩を表現した。五行説である木火土金水の配列を意識しながらの土の表現と言えるかもしれない」(日展アートガイド)。

 石川充宏「佇む王妃」文部科学大臣賞。王妃のトルソといった趣。銅を素材にした鍛金の表現である。ゆるやかなカーヴするフォルムが、まるでモディリアニのようなカーヴをつくる。

 春山文典「宙の河」。アルミの作品である。自由に板をカーヴしたフォルムによって切り取って、その台座の中に円弧の切り込みが入れられる。感覚的なシャープな造形である。抽象的なフォルムが謎めいた雰囲気で、精霊のシャドーのようなイメージを醸し出す。

 宮田亮平「月あかり」。円弧の緑のフォルムに囲まれるように十頭のイルカが泳いでいる。大小形が微妙に異なりながら泳いでいくその連続したリズムが実に生き生きとしている。緑は海であると同時に地球という惑星のイメージもそこに漂う。銀色の鍍金の上に緑や青や黄色などの色彩が賦されていて、それが角度によって色を変化させるところも面白い。光というものをこのイルカの中に集めながら、地球という存在の素晴しさをうたいあげる。反対から見ると、エメラルドグリーンや赤などの色彩も点じられて、また違った空間があらわれてくる。この円弧の形は海であると同時に高い山々の上方の空間のなかを泳いでいくようなイメージもあって、それが光に装飾されているところが実に魅力的である。イルカが海の中を泳ぐという限界を突破して、自由に空間のなかを泳がせているところが、より発展的だと思う。

 相武常雄「新たな出発」。五つの女性のフォルムが両手を上げて船を掲げている。船の上には五つのカラフルなフォルムが載っている。おそらく、この五つの頭のない手を上げたフォルムは五大陸を表すのだろう。五大陸の人々が力を合わせて地球という船を担ぎながら希望に向かって進んでいくといったイメージ。テクニシャンである。自由に形をつくりながら連続したリズムをつくり、その柔らかなカーヴの中にメロディが流れてくるようだ。

 吉賀將夫「萩釉陶壺『躍』」。柔らかなピンク色や白の釉薬が黒褐色、あるいはブルーの上に置かれて、しーんとした中にしっとりとした輝きを見せる。萩釉独特のこの厚い釉薬を生かした作品。手びねりで形をつくってあるのだろう。その手触りもまた魅力である。

 武腰一憲「花器・往く」。横から見ると三角形のフォルム。それは側面で、正面から見ると、上方に月の一部が下りてきて、青い空間のなかをイスラムふうな老人が歩いていく。後ろに線描で四体のフォルムが見える。シルクロードのロマンを壺の中に造形化した佳作。

 厚東孝治「弥生―彩郷」。胴が長く、下方で袴のように左右に広がって高台に向かう。胴に緑の釉薬がつけられているのがしっとりとした雰囲気である。平安時代の須恵器を思わせるような優しさと懐かしさのある空間が生まれる。

 鈴木丘「種に還る果実―伸 Ⅱ」。半円形のフォルムはすこし歪んだ楕円状で、その上にカット面が楕円状の円柱のようなものがだんだんとすぼまって、最後は一つの尖った形になる。それがお碗のような半円状のフォルムの中に置かれている。ミニマルアートと言ってよいシンプルで力強い表現。下方のフォルムはまさに果実や種のイメージ。上方のフォルムは時間を表すのだろうか。時間と実るものといったコンセプトを造形したユニークな作品。

 田中照一「或る朝」。蓋物である。上蓋の部分が下蓋の約三倍ほどの量をもっている。その蓋の上に波涛文がつけられ、その上は銀彩で、黄金色の帯のようなものがつけられている。その中には茶色い丸と下方の波涛文には黒い点々が入れられて、それが独特の装飾感をつくりだす。銀、金、褐色といったきわめてシンプルな色合いの中に独特のモダンな造形をつくる。

3室

 本郷真也「環」。カラスがいま空から下りてきた。そばに缶があけられて、中に食べるものがありそうだ。それを眺めている鳥の姿。具象としての鳥の造形を鍛金で表現する。明治時代には優れた鍛金、鋳金の作家がいたが、そのような先人を慕っているのだろうか。力強い具象的造形。

 原田和代「迷わなければ わからない」。一つ目小僧のような球体のあいだが、リングを集積したような紐のようなもので結ばれている。ゲゲゲの鬼太郎のお父さんは目玉で、鬼太郎の肩にとまっているが、その目玉が大きくなって動き出したようなユーモラスな造形である。

4室

 後藤健吉「時のまにまに」。長方形の空間。その下方に長方形でドーム状の形や屋根と壁などの幾何学的な建物の集合したフォルムを置く。上方には自由にのびのびとした雲が漂っている。人工的なものと雲とが黒い空間の中に対置され、不思議な動きを示す。ロゴスによってつくられた下方の街の空間に対して、まるで自由なエロスを思わせるような雲のゆったりとした流れ。二つのコントラストが面白いコンポジションとなっている。

 髙名秀人光「漲る」特選。サヨリのような魚が右上方に向かって泳いでいく。無数と言ってよいほどの数のサヨリが独特の強いリズムをつくる。漆黒の中に緑や円形のフォルムがきらきらとした泡のような、あるいは海草のようなイメージ、光のイメージを表す。

 竹森公男「残照」特選。空中にビルが浮いている。ビルの側面に赤や青の雲のような文様が浮かび上がっている。ビルを上方に浮かび上がらせて、そこに雲の文様をつくることによって、ビルが古い寺院のようなイメージに変ずる。画家のロマンがつくりだしたコンポジション。重厚な色漆による造形。

 松木光治「滴」。三つの楕円状のフォルム。それぞれ素材が違って、中心には黄金色に輝くフォルムに赤いストライプがつけられている。それに対して下方には銅板がコラージュされ、その緑の上にカエルがコラージュされて、上方を眺めている。雨と思われる水滴が、数えると六つの大小の線によって表現される。上方の楕円も水滴を表すのだろう。具象的な空間をシンプル化して、一種抽象的なコンポジションの中に組み込む作者の優れた手腕。

 田中貴司「プリンとアズキ」。上方にいる猫がプリンで、下方の緑の猫がアズキである。プリンはいま手で毬を落として、毬が下方に跳ねている。それをアズキは知らん顔でこちらを見ている。漆により二匹の猫と蝶々や植物を表現し、それを大きな空間の中に余白をあけながらコンポジションをつくる。毬の軌跡のようなものが独特の抽象的な味わいで線描によって表現される。エスプリのきいた造形空間。

 森克徳「爽気」特選。白色の釉が黒陶の上に掛けられている。柔らかなカーヴするフォルムを組み合わせた形。地球の断崖のようなところにあるフォルムを縮小して器の形の中に引き込んだようなダイナミズムが感じられる。

 友定聖雄「MOONLIGHT」特選。ガラスの作品でリングになっている。どこか車輪石を想像するところがある。光を中に入れて、その光が放射するような力とグレーの日本的な無彩色の空間とが不思議なコントラストを見せる。

 南正剛「氷裂 2015」特選。陶器であるが、その面に氷裂という題名のような凍り裂けるような亀裂が走っている。まるで時間という牢獄の中に鍛えられた壁のような不思議な味わい。

 本田宗也「舞」特選。二人の女性がゆるやかに舞っている様子を、人形としてダイナミックに表現する。量としての厚さの中に微妙なねじれを入れて舞を表現する。

 川口満「未来∞記憶」特選。赤と黒という基本的な漆の色彩を用いて、三角形を中心としたシャープな直線のコンポジション。楽しいジャズの音楽でも聞こえてきそうな造形。

 德力竜生「LAST MESSAGE」特選。ガラスのかけらを集めて接続し、そのガラスの中には何層もガラスを焼いて重なった文様が出来上がる。それは古代の地図のようなイメージだという。歴史を内包した不思議なガラスの器。 

第46回元陽展

(10月30日〜11月6日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 竹田司一郎「娘想  無限」。背中に翼がついた若い女性とその脇に座る一匹の犬が画面の中央に描かれている。背後は輝くような色彩が爆発しながら画面全体に広がっていくような動きが大きくあって、その中に幾何学的な紋様が描かれている。さらに背後にはやや明度を落とした赤や青の色彩が施され、左上方に月が輝いている。若い女性の未来とそれに対する希望や不安が、強いイメージの力によって発信されてくる。

 斎地洋子「ショーケース・2015」現代芸術優秀賞。数枚の布が掛けられた台の上に、様々なモチーフが置かれている。仮面や人形、瓶、ピンクのバラ。それぞれのモチーフがしっかりと描き出されている。また、数枚の布のシルクを思わせるその質感が、特にしなやかに表現されている。しっとりとした触感の布の上に置かれたモチーフたちが、どこか安心したような様子を醸し出しているところが興味深い。濃密な画面構成の中の中に、深い心理的な奥行きを作り出しているところが特に見どころの作品である。

 山岡秀光「足摺岬」。画面の向かって右側に切り立った崖がせり出している。周囲は海で、空は朱に染まっている。それを明るくやわらかな色彩の扱いで描き出している。それによる清々しい空気感が、大胆な構図の取り方とあいまって、心地よい情感をこちら側に運んでくるようだ。

 柴田啓一「けごんの勢い」。激しく流れ落ちる滝を正面から大きく描いている。画面の下方が滝壺になっていて、背後は暗い岩壁になっている。その強いコントラストが鑑賞者を強く画面に惹き付ける。そういった中で、画面の表情は繊細に描き出しているところがおもしろい。

 佐藤凱「窓辺の少女(二)」損保ジャパン日本興亜美術財団賞。少女が一人、身体を斜めにしてソファにもたれかかっている。背後には大きく窓があって、明るい外光が差し込んできている。それが、画面全体の雰囲気に温もりを与えている。確かな描写力によって描き起こされた画面の中に、人間的なぬくもりのような、肌に迫るリアリティが生まれているところがこの作品のおもしろさである。

 蔵地愛「ラゴ・ブルーよりチェルビーノ(マッターホルン)を眺む」大阪府教育委員会賞。遠景にマッターホルンを望む風景をクリアに描き出している。手前には大きな湖が広がっていて、その奥に針葉樹がいくつも立ち並んでいる。それらの様子が丹念に、繊細に表現されている。それらが透明な空気感を作品に引き寄せ、鑑賞者を作品世界に引き込むような魅力を生み出している。

 谷川康夫「焼け剣岳」。険しい山肌を持った峰が手前から奥へと続いている。そこに夕陽が画面の向かって右側から差して、表面を朱に染めている。彫りの深い山肌が陽射しを受けて、強い抑揚を作り出している。手前はなだらかな斜面になっていて、それが奥の風景と画面の中で静かに対比されている。どこか色気のある魅力を湛えた画面が強く印象に残った。

2室

 根本忠夫「春の渓谷」文部科学大臣賞。画面の奥に細い滝が落ちてきていて、そこから手前に向かって水が流れてきている。周囲にはたくさんの岩が密集している。それらが、緑がかった色彩によって描かれている。その色遣いが独特の繊細な表情を作り出しているところがおもしろい。どこか幻想的な雰囲気もまた印象的である。

 西藤好文「里山の春」大阪府知事賞。あたたかな空気感が魅力の里山の風景である。瑞々しい緑の色彩を中心に描きながら、そこに淡いピンクの桜が少しずつ入れられている。それがやわらかなテンポを生み出して、情感豊かな魅力を画面に与えている。

4室

 大澤綾子「初秋」。黄色のワンピースを着た一人の女性が椅子に座っていて、その左手前に観葉植物が置かれている。周囲の室内は緑の色彩を繊細に変化させながら描かれていて、奥のアーチ型の窓の向こうに青い空が見える。しっかりと画面構成を組み立てながら、淡々と描きながらも強い心象性を感じさせるところが特におもしろい。

 大門正忠「風車(ラ・マンチャ)」。手前と奥に二つの風車が大きく描かれている。右下には斜めに岩が並んでいて、道があることを思わせる。シンプルな構成でありながら、画面の外にまで広がっていくような豊かなイメージ世界が展開しているようだ。地平線は画面の下方に下がっていて、空は気持ちのよい青の色彩である。何気ない風景の中に、どこか物語の一場面のような雰囲気があるところもおもしろい。緩やかな風車の動きがそこに吹く風の動き、時の流れを感じさせ、鑑賞者をその世界へと誘うような魅力を放っている。

 木村静子「グラナダのバイレ」優秀賞。ギターを弾く男と、そのメロディに合わせてフラメンコを踊る女性の肖像。茶系の背景の中で、女性の明るい�4かに扱っている。人物は描かれていないが、中世の面影を留める町で暮らす人々や旅行者たちの存在感が感じられるところもおもしろい。

 渡辺楊子「古い物置」。石壁の間にはめこまれた木戸があって、その手前には二匹の猫が描かれている。のんびりとしたその様子が愛らしい。ゆっくりと流れる空気感やあたたかな陽射しが、よりそうい�%��の姿が強く印象に残る。

 高梨敬子「変容」。青の色彩を基調色にしながら、そこに黄やピンクで抑揚を作り出している。上方からカーヴするように降りてくる動きがあって、それがどこかピンクの花に変化しながら左下へと向かっている。広がりながらもそこへ収斂していくようなイメージ、重厚な画面が、この画家特有の世界を鑑賞者に弸1�た情感を運んでくる。丹念に描き込まれた画面が、強い臨場感を獲得している。

5室

 大井田健一「森と海と大地の詩 Ⅲ」。今は失われつつある自然の情景を生き生きとイメージ豊かに表現している。海の向こうに島を望む風景の中に鳥や魚、亀などが泳ぐ海中をダブルイメージで描いている。原色に近い色彩感覚で描くことで、自然の持つアルカイックな魅力を引き寄せているところもまた見どころである。

第42回近代日本美術協会展

(10月30日〜11月6日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 入木健「水の足跡」。緑が生い茂る中を流れる渓流を描き出している。奥から手前に向かって流れてくる水の激しい様子が、繊細に表現されているところに見どころがある。しっとりとした情感もあって、画面全体で強い臨場感を獲得している。

 二神恵子「ミッドナイト・タウン」。様々な色彩がモザイクのように描かれ、それらがキラキラと輝くような魅力を放っている。上方の背後は暗くなっている。それらが夜の街の喧噪とネオンをイメージさせる。強いイメージの力によって画面に再現された�1�続き、そこに板がいくつか渡してある。水は奥から手前に向かって勢いよく流れているようで、その様子が実に精緻に描かれている。その流れと数枚の板が独特のテンポを作り出し、軽快で気持ちのよい情感を運んでくる。小さく描かれた人物もまた旅情を感じさせ、画面全体を見応えのあるものにしている。

 粟嶋美幸「北の銀河」。縦に長%7く発信してくるようだ。

 中川令子「護られて」。和服を着た女性を正面から描いているが、その向かって右背後に快慶作の「善財童子立像」の姿が浮かんでいる。守護霊のようなイメージだろうか。その不思議な存在感が独特である。左上方には月が浮かび、画面全体に静かな気配が漂っている。それが強い幻想感を作り出し、過去と現在を行き来するようなイメージが生まれているところが特におもしろい。

 丸山今朝三「樹魂」近代日本美術大賞。画面の手前に大きな湖がある。湖面の向こう岸に樹木が立ち並ぶ。樹木は紅葉しているものがあり、それが月の光に照らされて黄金を思わせる輝きを放っている。上方右の夜空には、一際明るいオーロラのようなスジがうっすら伸びている。現実でありながら現実ではないような、どこか神聖な雰囲気が漂っている。色調を繊細に扱いながら、自然の持つ美しい姿をしっとりと描きだした作品である。

 天笠勉「熊川宿」。道路の脇を流れる水路を大きく描いている。古い水路のようで、壁は岩でできていて、道路の反対側には草が密生している。少し左にカーヴしながら奥へと続き、そこに板がいくつか渡してある。水は奥から手前に向かって勢いよく流れているようで、その様子が実に精緻に描かれている。その流れと数枚の板が独特のテンポを作り出し、軽快で気持ちのよい情感を運んでくる。小さく描かれた人物もまた旅情を感じさせ、画面全体を見応えのあるものにしている。

 粟嶋美幸「北の銀河」。縦に長い画面に幻想的な世界が描き出されている。紫の色彩を中心に描きながら、中央やや下方に湖が見える。周囲には装飾的な紋様が施されている。その繊細な様子が、この風景をさらに幻想的なもの、通常の時間軸から外したような、天上的な世界観に見せているようだ。キラキラと輝くような画面の中に、しっとりとした雰囲気もあり、鑑賞者のロマンを強く刺激する作品として注目した。

 吉村豊太郎「停止する刻」内閣総理大臣賞。茶あるいは黄土を重ねた画面の中に、灰白色を効果的に扱いながらいくつかの建物の姿を浮かび上がらせるように描いた情景が広がっている。画面の中央には一人の人物のシルエットが点景になって描かれている。風が吹き、時が流れる画面の中で、この人物は止まりながらも彷徨っているように見える。画家の視点はこの人物を中心に周囲に広がっていくようで、強い想いが感じられる。イメージの世界でありながら、すぐ隣に現実を感じさせるようなリアリティがこの作品のおもしろさのようだ。それは画家の心の中の心象的な要素が強く現れているからかもしれない。

 星有太郎「風の盆」。おわら編笠を被った和装の女性が二人、向かって右向きに描かれている。奥には木造の店舗が描かれていて、風と書かれた暖簾が見える。その暖簾の黄の色彩と二人の和服のそれが静かに響き合っているところが印象的である。画家の確かな描写力も感じさせる作品である。

 中山以佐夫「魚道」。画面の中景に大きな人工の滝がある。横に長く広がっていて、水が細やかに流れ落ちている。そこから手前に水面が続いていて、大きく広がっているようだ。その水の流れの動きが画面の中で大きく対比されている。両側には大きな岩がせり出している。それが滝に向かう鑑賞者の視点を遮るような構成になっているところがおもしろい。さらに奥は鬱蒼と繁る雑木林になっている。緑の色彩をモチーフに合わせて巧みに扱って描きだしてもいて、画家の確かな筆力を感じさせる作品である。

 石塚秀男「みちのくの郷愁」奨励賞・委員認定。たくさんのこけし、あるいはコマが横に並ぶように描かれている。背後はスカイツリーを望む風景である。過去の玩具と近代的な風景が重ねられることで生まれる時の流れとその対比、また、こけしのまろやかなフォルムとビル群の直線的なそれの対比も相俟って、作品に心理的な奥行きを作り出しているところが特に見どころである。

 浅野美杉「面河渓」。灰白色の平らな岩に囲まれた広い川が静かに流れている。少し向かって左に傾いたように描かれているのが独特で、それが強い臨場感を作品に引き寄せている。また、落ち着いたトーンでそれらを描き出しているのも静かな気配を作品に引き寄せている。

 櫻井聡「瑠璃渓」東京都議会議長賞。横長の画面に山中深くに流れる川を描いている。ゴツゴツとした岩がたくさん転がっていて、そこを縫うように水は流れている。その細やかな動きが、精緻な筆致で実に自然に表現されている。鑑賞者をぐいぐいと画面に惹き付けるような強い魅力を放っている。

 星野光江「かさねたもの」。白いバレエの衣装を着た二人の女性の全身を描いている。その周囲に掠れるような灰白色を主に使って強いアクセントを施している。スポットライトのようでもあるし、次の動作への予兆のようなものも孕んでいるようだ。そういった心象的なイメージの重なりが特におもしろい作品として注目した。

2室

 村尾哲雄「良い日旅立 槍ヶ岳」。画面全体の透明な空気感が気持ちよい。遠景に鋭い山を望み、手前には池がある。その間では白鳥が列になって遠くシベリアへと飛び立って行こうとしている。静かな気配の中にそういった動勢が重ねられた画面構成が、独特の詩情を運んでくる。

 宮島脩二「相模川風光」。蛇行しながら流れる河川を遠くから眺めるような構図である。周囲には深い緑の色彩の森が川を包むように描かれている。手前から奥に向かって掠れるような色彩の扱いになっている。繊細な描写が特に巧みで、表現の豊かさを感じさせる。

 渡邉祥行「白の記憶」。清潔な白い壁の家屋が重なるように手前から奥に立ち並んでいる。中景が特に明るく、手前は特に青みがかっている。また左上方では白い月が霞むように浮かんでいる。刻々と変化する時の流れや旅情が繊細な風や光によって静かに表現されている。そういった繊細な色彩の扱いがこの作品の強い見どころとなっている。また、鑑賞者を作品世界に誘うような魅力を嫌味無く自然と画面に生み出しているところが巧みであり、画家の確かな絵画的センスを感じさせる。

 井上武仕「待客」。市場にある店が力強い筆致で描かれている。果物や野菜が色とりどりで、見ていて楽しい。客をじっと待つ二人の店員の様子もこの画家らしいユニークな描写で、情感豊かな魅力を生み出している。

 山上久子「戦後70年 “KOKORO”」文部科学大臣賞。画面の手前下方から大きな獅子が顔を覗かせている。背後では街が燃えているような情景が見える。画題にも在るように、戦争という災禍を大きな獅子に例えているようだ。コクのある深い色彩がそういったイメージを背後から支え、強くメッセージしてくる。

3室

 松本くすい「帰巣」優秀賞・運営委員認定。雪の降り積もる林の中を一羽のフクロウが飛んでいる。翼を大きく広げた姿が、愛らしくもあり勇ましくもある。そのフクロウが強い人間的な要素を孕んでいるところが特に魅力的で、松本作品のおもしろさである。

 渡辺良子「自画像」近美理事長賞・委員認定。ガラスの器を磨いている一人の女性を横から見て描いている。画面全体はパステル調の色彩で、窓から差し込むあたたかな陽射しを心地よく感じさせる。色彩の調和といってよいようなその扱いが、強い心象性を生み出しているようで興味深い。

4室

 向山和子「噴煙」。噴火する山をモノトーンの色彩で描いている。淡々とその姿を描いているようでありながら、その裏側にこの山の強い胎動を感じさせるところがおもしろい。稜線のカーヴに強い生命力があって、そこから立ち上がる噴煙もまた同様に生き生きとした魅力を放っている。ところどころにやわらかな陰影も施しながら、シンプルな表現の中に繊細な表情を創り出しているところもまた見どころである。

 八坂素意「秋涼の水面」。葉のない裸木に囲まれた水面が周囲の風景を映し込んでいる。さらに両端は明るい緑の樹木が立ち並んでいて、奥には山が見える。ひんやりとした透明な空気感が清々しい。細やかに描き込みながらも、画面全体のやわらかな印象を失うことなく纏め上げているところが特に印象的である。

 長谷川和子「麦の詩」。ウィスキーなどを蒸溜する工房だろうか。でっぷりとしたフォルムのポットスチルが向かって左に並び、また右側にはたくさんの木製の樽が置かれている。右上方にはダブルイメージで余市の蒸溜所だろうか、この建物の外側を思わせる風景が浮かぶ。濃密な画面の中に独特の間のようなものがあって、それが強い見応えを作り出しているところが特にこの作品のおもしろさだと思う。

 小谷良枝「わぁ〜!」。シャボン玉で遊ぶ親子の様子を画面いっぱいに描いている。向かって右から左に風が吹いているようで、たくさんのシャボン玉が流れ飛んで行っている。緑を中心とした明るい様々な色彩が、この親子の親密な関係性、あたたかな心情をしっかりと発信してくる。見ていて心が温まる魅力が余韻を作っている。

第38回白亜展

(11月7日〜11月15日/東京都美術館)

文/紺世邦章

1室

 岡邦彦「水鏡Ⅰ」東京都知事賞。川の一隅を描く。画面奥の水面には岩の影が落ちて、水中の石が見えている。それに対して前面の水面には空が反射して、波紋が細やかな筆致で描かれている。明暗の対比を作りながら、水の静と動の様態を一つの画面の中に表現している。

 山本英嗣「モノクロームJAPAN1」。着物の女性が坂道を歩いている。道路の半分には、建物からの影が落ちて大胆なコントラストである。女性の影は一際濃く描かれている。日陰のなかにある微妙な明暗を捉えて、日本古来の街並みにある陰影の美しさを表現している。

 吉岡正雄「パリの休日」刑部人賞。窓のある部屋には女性がいる。大きく背中の開いたドレスを着て、背筋を伸ばしている。その後方には、軽やかな線によってエッフェル塔が描かれていて、女性のしなやかな身体と呼応しているようでおもしろい。

 丸山治男「踏切」。山の中にあるトンネルと踏切。画面右側に遠くの山と空が見える構図で、画面奥に突き抜ける印象を作る。電車が来ない間の、閑寂とした野山の空気感が伝わってくる作品。

 平野知加子「Dark Forest」。岩のような凹凸あるマチエールが作られた画面に女性が描かれ、女性の頭部にはタコやウツボ等、海に棲む動物が集まっている。その中に人の顔があり、その左側にはナイフが刺さる。蛍光の赤、青などが下地や仕上げに見られ、落ち着いた色調の中に鮮烈な印象を作る。清々しい表情の女性であるが、その内面に渦巻く禍々しい感情を表現しているようだ。

3室

 橋本光枝「川明り」。秘境の水辺を描くことを得意としている画家。今作では前景に黄土色の石を配した構図が新しい。岩に生した苔は、緻密にディテールが描き込まれることで生命感が強くなる。苔生す岩と小さな滝との描写密度の違いが、滝を大きくも小さくも見せる効果を生み出している。

 長濱伶子「ラ・セーヌ  PARIS」。セーヌ川にかかる橋の夜景を描く。画面全体の静謐な青い色合いの中に、橋の黄色い街灯が並んで暖かな印象である。シテ島の建物に並ぶ沢山の窓が、木々や街灯とともに規則的なリズムを刻んでいる。

4室

 斎藤千川予「桂川の華」。桂川の街並みを背景に、二人の舞妓が描かれる。着物の線が直線的に描写されているのに対して、舞妓のふっくらとした顔の輪郭はしなやかな曲線で描かれている。ナイフのマチエールを活かしながら、ピンクや黄色、緑の中間色を多用し、幻想的な雰囲気を作り出している。

 石井基善「農家の庭先」。四角のなかにモチーフをぎゅっと詰め込んだ構成が不思議な庭である。後方の門扉を開けて遠くの景色を取り込むことで開放感が作られている。画家は、子供の頃に見た農家の庭を思い起こし、アレンジしながら描いていると聞く。その試みには、実際の庭とは異なった子供の頃の捉え方が介在しているのかも知れない。この作品からは、童心のままで記憶の中の庭を探検しているような趣が感じられる。

6室

 木村睦郎「導べ」。分かれ道の案内板を描いている。ドアと比べると天井は非常に高く、看板は天井まで続いているように描かれていることで際立っている。色や形が不揃いな、個性豊かな看板が隙間なく並ぶ様子が小気味よい。

 槇榮子「蝶々」。画面いっぱいの草木の奥に少女が二人いて、花籠を地面に置いて蝶と遊んでいる。窓枠の内外に葉が描かれて、屋内と屋外が紛れるように表現されている。その上に半透明のカーテンも相まって、少女の表情などの必要な部分を見せながら、部分部分をあえて隠すような表現が鑑賞者の関心を高める。

 豊田勝美「町の公園」。鉛筆による細やかな表現が魅力的である。女の子が勢いよくブランコを漕ぐ姿や風に揺れる木の葉などを、勢いよく緻密に描写している。画面全体にわたる詳細な描写によって、公園全体に時間の流れを作り出す。

7室

 井上讓「追憶のロシア正教会」。独特の曲線的な建築意匠を持ったロシアの教会。その中に直線の木の枝をきびきびと描いていく。前景の植物の厚く細やかな筆致と教会壁面の滑らかで広い筆致とを使い分けている。夕焼けに染まってオレンジ色が混ざった教会の色調に、ノスタルジーが感じられる作品である。

9室

 坂口ハルエ「モード」。男性のファッションモデルが足をぐっと開いて屹立する姿。細やかに青や緑を散りばめながら、ハイライトやジーンズのダメージの表現として、白い絵具を厚く塗っている。筆致からもわかるその大胆さが男性の姿と呼応し、凜々しい印象を強めている。

 石塚隆「運河の街」。運河を前景に、レンガ造りの街並みを描く。曇天で赤茶色の壁が多い風景だが、運河沿いの道のレンガに青や黄色などの色でひとつひとつ変化を持たせることで明るい印象を作り出している。一方で建物の壁面のレンガは、壁面全体を一色で塗ってから輪郭線で表現している。ヴァラエティ豊かなレンガの表現に見応えがある作品である。

 庄子雅子「想」。雨の日の風景のようで、建物が濡れた道路に映り込んでいる。右側の木は、曲線の弧のマチエールを重ねて表現され、左の木の花は点のマチエールで厚塗りし、量感を作っている。画面の一番奥に白い建物が少しだけ見え、鑑賞者が街の奥へと誘われるような構図になっている。

12室

 木村優博「遠い海シリーズ─2015─」。冬の海の景色。木造の船は朽ちている様子で、柵を隔てて前景に描かれた老婆は口を堅く結び、遠くを見つめている。冬の寒さや荒波を耐え抜いてきた船と、年季の入った老婆の姿が重ねられている。柵を設けたことで水平線は高く置かれ、それによって水がこちらに向かってくるような威圧感が作られる。同時に、圧倒的なスケールを持った海と対峙する船と老婆の、強い存在感が生まれる。

第39回風子会展

(11月7日〜11月15日/東京都美術館)

文/紺世邦章

1室

 倉持正「休日」。港に着く船をスケッチしている場面。明快な色の層を重ね、立体感のある水面を作る。同時に色面だけで船の映り込みや波の揺らぎを表現している。水平線、船体、波止場など様々な向きの直線に、海や雲、カモメの翼の曲線が調和し、画面構成にまとまりを作っている。

 森和子「秋の始まり」風子会賞。滝と岩壁を大きくとった構図。前景右側には黄色く色づいた葉を置いて、視線を滝の方へ促す。滝周辺の岩が詳細に描かれて、滝の水の流れが強調される。画面上部の空と滝との境目が曖昧にされて、滝は空の上まで続いているように表現されていておもしろい。

第41回現代童画展

(11月8日〜11月15日/東京都美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 吉田キミコ「Bon Anniversaire」。一人の少女が椅子に座っていて、その隣にもう一人の少女とも少年とも思える人物が一羽の兎を持って立っている。明度を落としたバックの中で、独特のデフォルメで描かれた二人が強く印象に残る。兎を介した二人の関係性が鑑賞者の強い興味を誘う。その裏にある物語性にもこの画家らしいおもしろさがある。(磯部靖)

 有賀忍「BOARD GAME─わくわく─」。荷車を引く男と三人の子供。板を彫って直接彩色する技法だが、それが作品に大きな人肌のような温もりを与えている。家族の絆、繋がりが画家の豊かなイメージを通して発信されてくる。親子を包むように咲く紫の花と荷車の紋様が色彩的な響きを作り出し、それらによる楽しげな雰囲気が鑑賞者の心を摑む。(磯部靖)

 小澤清人「ドリアン・グレイの肖像」。オスカー・ワイルドの長編小説の主人公をイメージの源泉とした作品。向かって右に向かう程年をとっていく様子を五枚のパネルで表現している。小説であるから、この肖像は画家のイメージである。その変容の様子が実に妖しく恐ろしい。人間の持つ負の性がそのまま現れたような強いリアリティを孕んだ存在感を示している。画家のこの小説に対する深い愛着が作品となって現れたところが実に興味深い。(磯部靖)

 糸井邦夫「モナリザ列車」。画面の左右にパースペクティヴの消失点があって、そのどちらにも列車の内部の情景が広がっている。鑑賞者をぐいぐいと画面に引き込む糸井作品の巧みな画面構成が、今回特に強い見どころを作り出す。車内では乗客たちが食事しながら談笑している。特に向かって左のこちらを向いた女性が強く印象に残る。ゆるやかな安定したフォルムがこの車内に流れるゆったりとして心地のよい雰囲気を感じさせる。屋外は夜空で、海はエメラルドグリーンの色彩が輝く。幻想的な世界観の中に描かれた様々な人間模様。見ていて楽しい作品である。(磯部靖)

 多田すみえ「日々の散歩」。手押し車に五匹の仔猫が乗っていて、それを親猫が押している。周囲は南国の楽園のような色鮮やかな花が咲いていて、白猫が数匹奥に描かれている。明るく楽しい画面が実に魅力的である。一匹の仔猫は赤い鯉のぼりを持っているが、それが緩やかな風の動きを感じさせる。日常の中の楽しさ、幸せというものに、長くモチーフとしてきた猫を使うことでより親近感を持たせているようだ。それらを支える明るい色彩の扱いもまた魅力である。(磯部靖)

 小松修「月と星と風の館」。青みがかった画面の中に、斜め上方から見下ろすように洋館を描いている。生きものは描かれていない。どこか海の底を思わせるような雰囲気もあり、しーんとした音のない不思議な気配が漂っている。小さな窓や煙突などを細やかに描きながら、この場所から物語が始まるような、そういった静かな予感を孕んだ画面が強く印象に残る。(磯部靖)

 川邨かんこ「原っぱで…」。近年テーマにしている原っぱの情景であるが、今回は一体の少女の人形が手前に置かれている。草原が奥まで続き、空には富士山のような山の姿が浮かび上がっている。地平線ではたくさんの人々が遊んだり走ったりしている様子が点景で描かれている。見ていて心地のよい情景に強く惹き付けられる。草原が少しだけ起伏しながら繊細な表情を作り出し、人形もまた持ち主の気配を感じさせる。多くの人々も点々としたリズムを刻んでいる。それらが上方に浮かぶ山に収斂していっているような感じが、今回の作品のおもしろさだと思う。控えめながらも存在感を放つ山の姿に強く惹き付けられる、新しい展開だと思う。(磯部靖)

 大上典男「ひとりごとが多くなった」。たくさんの手紙が山になってそこに人々が集まっている。親しい人、二度と会えない人、そういった人たちへの想いが山積しているのだろうか。大上作品特有のブルーの色彩に纏められながら、ユニークな人間模様が展開されている。(磯部靖)

 上原柳二「これからのことは」。夜の街を見下ろしながら空を駆ける縞模様の馬とそれに乗った猫。樹木のこんもりとした葉もそうだが、画面全体に独特の浮遊感がある。それがゆらゆらと揺れるような動きを作り出して、ロマンチックな詩情を作品に引き寄せている。(磯部靖)

 石澤晶子「分身」。赤いドレスを着て黒猫を抱く女性と黒いドレスを着て白猫を抱く女性の二人を正面から描いている。双子あるいは同一人物のような様相である。シンメトリックな画面構成がおもしろい。どこか妖精的であり人形的でもある二人の視線、存在感に強く惹き付けられる作品である。(磯部靖)

 斉藤一也「時のメロディ」。少女が一人座っていて、その奥に階段が続いている。少女にはホルンのようなフォルムの生物が巻き付いている。蛍のような光が点々とリズムを作り、現実とは離れた時間軸の中でメロディを奏でているようだ。斉藤作品特有のファンタジックな世界観が魅力の作品である。(磯部靖)

 田中信子「森の小道と甘い罠」。少女が一人異世界に迷い込んだ様子を描いている。カラスなど、様々なモチーフが実に妖しく描かれている。密度のある画面の中に、物語の始まりを予感させるような、鑑賞者の好奇心を刺激する魅力がある。(磯部靖)

2室

 久里洋二「色エンピツ(鉛筆)の船旅」。机の引き出しから水が溢れ出て、その先に色鉛筆が数本乗っている。ただそれだけの画面の中に、画家の際限なく広がるイメージの豊かさを感じさせる。グラデーションを効果的に扱いながら、楽しい情感を作品に引き寄せている。(磯部靖)

 岡田富士子「眠り姫」弥生美術館館長賞。薄紅色の華麗なバラの花がいくつも咲き、その一つに子供の天使が頰を寄せている。また、それを仔猫が見ている。微笑ましい情景である。これまでもこの画面構成で描いてきたが、今回は特にモチーフに接近して描いている。それによってより鑑賞者の感情が作品に引き寄せられ、印象深い作品となっている。(磯部靖)

3室

 川村美佳子「風と香りをつかまえて」会員作家賞。横長の画面に黄色い葉を付けた枝が伸びている。そこで小さなコビトたちが遊んでいる。画面の外にまで枝葉が広がっていくようなイメージが、やわらかな透明水彩の扱いで描かれている。時の流れを感じさせながら、鑑賞者をあたたかな気持ちにさせる作品である。(磯部靖)

 ほんままさえ「夕やけコロッケ」。夕陽に照らされた下町の風景を見下ろすような視点で情感深く描いている。様々な人間模様が見ていて楽しい作品である。クリアな描写の中で、どこか懐かしい、ノスタルジックな感情を刺激する作品として注目した。(磯部靖)

 中野靖子「早朝の光」。中野靖子は二点出品。いずれも花と女性とが一体化したコンポジションになっている。「恵光」は、たくさんの赤い花の中に花の衣装を着た女性がいて、右掌の上にのる文鳥のような白い鳥に向かって語りかけている。髪飾りも花で、白い鳥の仲間が桜のような花をついばんで運んでくると、その花びらが髪に落下しつつある。そんな鳥が三羽ほどいて、この女性の頭上を旋回している。背景は明るいグレーとオーレオリン系の色彩によって彩られて、ちょうど平安時代の継紙のような構成になっている。光をそのようなイメージの中に表現している。この女性は花の精と言ってよい。花の蜜を訪ねるように鳥たちがこの女性の周りに飛び交っている。「早朝の光」は夜が後退して、朝が来た瞬間の時刻。まだ二十四日ぐらいの月が空に残っている。しかし、もう空は青くなって、闇は後退している。そこに二羽の鳥が向かい合ってピンクの花を運んでいる。朝の光が花に変身したかのよう。下方にはピンクや紫の色面が動くように描かれている中に、芙蓉のような花がそのまま女性の衣装と化したようなデザインになっていて、そこにあどけない若い女性が笑みを浮かべてあらわれる。頭には桜の花飾りをしている。弾むようなその上方の、しかしまだ夜の余韻を残しているようなすこし暗い、しかし深い青い空と、たなびくようなピンクの色面とのコントラスト。そのあいだの二羽の鳥がデュエットするように向かい合って、桜の花をついばんで運んでいる様子や、その先に裳のようなものが伸びている様子。その裳は女性の体にかかるわけだが、それを見ると、『古事記』に出てくるコノハナサクヤヒメのことを思い起こすところがある。コノハナサクヤヒメは富士山の守り神とも言われている。作者は大分在住であるが、山や自然の守護神のようなイメージもこの妖精のような女性に託されているように感じられる。(高山淳)

 鳥垣英子「虹をくぐる」。四枚のパネルを、中央に空間を作りながら組み合わせている。光り輝く動きが、弧を描くように流れている。そこには小さな鳥の姿がいくつも見えている。自然の持つ生命力、美しさを集約したようなその流れの中に、どこか輪廻的な大きな世界観を感じさせるところが特におもしろい。(磯部靖)

4室

 三宅弘子「シュレーディンガーの猫とアインシュタインの犬(Ⅰ)」。長くこのテーマで描いているが、独特のデフォルメで描かれた人物や動物が印象的である。バスの路線図を床に描いているが、安定した構図の中で、それが独特のアクセントとなっているようだ。静かな旅情も感じさせるところもまた興味深い。(磯部靖)

5室

 竹久智信「SANTA LAND」現代童画会賞。石造りの建物にたくさんのサンタクロースが行き交っている。人工的な建物の中で生き生きとしたサンタたちの動きが強い魅力を作り出し、賑やかで楽しい雰囲気が生まれているようだ。構図を巧みに調整しながら、そういったイメージを強く発信してくる。(磯部靖)

 篠塚はるみ「フェアリーリング」。妖しい様子の花やキノコに囲まれた一人の少女を中心に描いている。まさに画題そのままの様子である。それを独特の感性で描き出しているところが印象的な作品である。(磯部靖)

 喜藤敦子「トワイライト・ガーデン」。動物たちとトランプに興じる一人の少女。薄明かりの中で、浮かび上がるそれぞれの姿や様子に強く惹き付けられる。背後に並ぶ樹木が小気味よいテンポを作品に与えているところも見逃せない。(磯部靖)

9室

 鴫原友香「帰宅前のひととき」。いくつものテーブルにいくつもの靴が置かれている。それがどこか人間の気配を感じさせるところがおもしろい。モノトーンの色彩を中心にしながら少しの明るい色を入れ込んでアクセントを作り出しているが、これまでとはまた違った、もう一つの重厚なリズム感が作品に生まれているところに特に注目する。(磯部靖)

 中村ふく子「キツネの嫁入り」。大きく描かれた植物が旋回するような動きを画面に作り出している。その下方を狐たちの嫁入り行列がしずしずと進んで行っている。ユニークなイメージの展開が、モダンな昔話といった印象を作り出している。(磯部靖)

 下田泰「向い風」。強い風の吹く草原とそこを歩く二人の子供を描いている。幼少時代の不安感が鑑賞者のウチに湧き起こるようなイメージである。うまく空間を扱っているところにも注目した。(磯部靖)

15室

 當麻たづ子「森の中の夢」。イチョウの葉に乗ってヴァイオリンを奏でるコビトと、それにうっとりと聞き惚れる二羽のフクロウ。メロディはシャボン玉となって浮かび上がって行っている。だんだんと眠くなっていっているフクロウの様子が愛らしい。青を基調色とした逆三角形の構図の中で、イチョウの黄色がうまく馴染みながらコビトだけでなく、作品全体を支えているようで興味深い。(磯部靖)

 森治美「まばたきの標本」新人賞。列車内で向かい合って座っている若い男女。少年の顔はたくさんの蝶に隠されていて、見えない。少女が瞬きする度に蝶は動く。いまだ焦がれる相手を見つけていないのか、あるいは気になる男性を前にして、正面からその顔を見ることができないのか。何れにせよ、この少女の心理的なメタファーとして蝶が扱われているところに強いオリジナリティを感じさせる。画面全体は外光がまばゆほどに入り込んでいて、強い幻想感も感じさせる。誰もが経験する青春時代の一幕をこのように描き出した画家の構成力とそのイメージに注目する。今後が楽しみな作家の一人である。(磯部靖)

第41回太陽美術展

(11月17日〜11月24日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 吉田二三子「佇む」評議員推挙。大きな木を下から眺めている。幹が厚く、途中から枝が伸びている様子が描かれて、まるで生きて動いているよう。人間のトルソを思わせるような力がある。たくさんの手をもった仏がかつてつくられていたが、そんなイメージもこのような木から生まれたのだろうか。もう一点の「赤い樹」は、そんな木をもっとロマンティックにイメージした作品。赤を中心としたコンポジションが生き生きとしてモダンな雰囲気。

3室

 小島勇「北の倉庫」埼玉県教育委員会教育長賞。一階建ての建物のアーチ状の入口が閉められて、5という字が書かれている。左上方の窓があけられて格子が見える。右のほうから光が射し込んで陰影がつくられる。屋根から煙突が伸びている。ブルーや褐色を帯びたグレーのトーンが力強い空間をつくる。すこしシュールな味わいもある。

 清水源「北急行」。清水源は十点出品で、いわば小さなワンマンショーの趣。優れた筆力と構成力を見せる。中でも「北急行」を面白く思った。ホームの左に大きな機関車がある。いまの電車ではない昔の蒸気機関車である。あのずっしりとした体躯がよく描かれている。正面の楕円状のフォルムが黒くフラットで、なにかシュールな味わいがある。下方に赤い二つのランプ。ホームにはシルクハットをかぶった中年の男が立って横を眺めている。赤い木馬に円柱や球。そして、このホームの上の屋根を支える柱はギリシャの神殿のようなものになっている。古代からのメッセージをこのホームで作者は聞き取っているのだろうか。そんな強いメッセージが左の機関車のイメージのなかに重くたくさん入れこまれていて、その機関車がいま走ろうとしている。古代と現代との二つの時間をリンクした独特の表現主義的な作品。

 また、同じような大きさの「深夜のビリヤード」では、夜の歓楽的な世界が繰り広げられる。ビリヤードに興ずる三人の男。いま一人がキューを突こうとしている。カウンターには裸の女性が座ってタバコを吸いながらワイングラスを持っている。そばのカウンターの男。歓楽の空間をキュービックな形態感覚を駆使しながら、優れた構成力のなかに表現する。もの憂いメロディが画面から聞こえてくるよう。

4室

 田島弘道「天ノ宇津女 其ノ弐」埼玉新聞社賞。アマノウズメノミコトは『古事記』に出てくる女神だが、日本の芸人や巫女の元祖のような人である。天照大神が岩戸に隠れたときに、アマノウズメノミコトは踊って神々を笑わせて、いぶかしく思った天照大神が岩戸を開く。そんなアマノウズメノミコトのイメージを黄色や紫、緑、赤などの原色を駆使しながら生き生きと表現する。上を見ているアマノウズメノミコト。豊かなボリューム感のある身体のフォルムの中に生き生きとした明るい波動が伝わってくる。

 飯島昇「つぎはぎのみちのすき間に野草が出ている」。舗装された道路。その亀裂から緑の小さな植物が芽を出している。その敷石の形が面白い。白く十字形の印がつけられていたり、表面に亀裂が走ったりする様子。たくさんの人がここを歩いたことの繰り返しの時間が浮かび上がるような歩道。そこにいま萌えてきた雑草が鮮やかな印象である。

 吉田滋子「轟き」。いま太陽が昇ってきた。その太陽を鑽仰するように女性が踊っている。腰までかかる長い豊かな髪をした女性。その裸身の白い肌が輝く。空は下からスカイブルーや山吹色、赤、オレンジ、緑などの色彩で彩られて、夜が後退し日が昇った瞬間の、まさに交響楽が鳴り始めたようなイメージを高らかにうたいあげる。天照大神は女性神であり、太陽神ともいわれている。太陽と天照大神のコラボレーションのようなイメージが強く発信してくる。

5室

 吉田康弘「都市造形 OP-1-SIENA」。シエナの教会。中世のイタリアの教会を描く。緑や赤、青などの色彩を重ねながら、内側から輝くようなイメージを表現する。独特のボリューム感と同時にスピリチュアルな力を色彩によって表現する。

8室

 有澤美和子「ゴールへ」。近景に白や紫の花が咲いている。空にもわもわとした不思議な気配がある。中景は川のようで、そこに船が一艘、静かに進んでいる。川の向こうや空のかなたにもう一つの世界があるようだ。そういった世界と対峙しながら現実のなかでじっと耐えているようなイメージ。これまでの抽象的でダイナミックなうたいあげるような空間に対して、ここに描かれているのは、存在するものに対峙してじっと均衡を保っているような空間である。そのバランスの中から強い気配があらわれる。中景の川を動いていく船に希望のようなイメージが感じられる。

 竹之内治「小雨のスカイツリー」。街の一隅である。雨に濡れた道路。傘を差しているシルエットの女性。そばにラーメン屋の看板が見える。街路樹が黒いシルエットになっている。しっとりとしたトーンが懐かしい。

10室

 小西豊海「ひまわりの沈黙」。小西豊海は二点出品で、「ひまわりの沈黙」と「ひまわりの笑顔」。この女性の心を向日葵のように考えて、向日葵と組み合わせたコンポジションになっている。「ひまわりの笑顔」では、日中の向日葵の花と同じようにあでやかな女性。そして「ひまわりの沈黙」では、夜思い悩む女性のそばに夜の向日葵を置いている。向日葵というきわめてヨーロッパ的な花としっとりとした和服の女性との組み合わせという発想がユニークで、ある意味で対立するような二つの要素を構成したところにこの作品の面白さがある。

 渡辺秀樹「月と都市」。建物をキュービックに表現している。屋根すれすれに満月が浮かんでいる。背後の深い緑の空間。月が詩人のインスピレーションの象徴のようにあらわれている。

 松澤純子「キッチン」。キッチンでは日々いろいろなことが行われる。巻きずしをつくったり、魚を煮たり、鍋をしたり、カニをゆでたり、卵を攪拌してケーキをつくったり……。キッチンでの様々なことがジグソーパズルのようなシーンの中に埋め込まれている。大作であるが、そのパートは二十近いのではないか。それによって、キッチンの交響楽ともいうべき空間が生まれて楽しい。強い生気が感じられる。

 須田秀道「登一ちゃんの田かき」。田圃の土をかき回す、いわば代搔きを車で行っている。赤い車に乗った男が作業している様子を生き生きと描く。周りの田圃の様子や遠景の樹木や建物の形などもしっかり描かれている。この動いている男のフォルムや代搔きをする赤い車の形も面白い。

第40回新芸術展

(11月17日〜11月24日/東京都美術館)

文/磯部 靖

1室

 花澤国雄「十月の睡蓮」。蓮の葉がいくつも浮かぶ湖面に、周囲の風景が映り込んでいる。ダブルイメージのように画面を構成しながら、秋の季節の肌寒い感触が画面から伝わってくるような臨場感を生み出している。蓮の点々としたリズム感をそこに重ねながら、確かな見応えを作品に作り出している。

 加藤孝「波涛」。激しく波打つ海面と、それを照らす上空の太陽。陽の光は海面に様々な表情を作り出している。特にピンクの色彩が印象的で、艶やかな色気を作品に与えているところがおもしろい。飛沫は細やかに描き出され、それもまた刻々と変化する波の表情を豊かにしている。作品はどこか幻想的であり、イメージの中で繰り返される波の動きから、永遠性というものを感じさせる。

 矢萩武三志「SAIKAI」。仰向けに横たわる裸婦のなめらかなフォルムが強く印象に残る。力を抜いた様子が、しっかりとしたデッサンの力によって表現されている。すぐ脇には猫が寄り添っていて、ほほえましさを感じさせる。これまで以上に人物に温もりというか人間味が感じられるところに特に注目する。背後の心象的な情景も相俟って、夢と現を行き来するようなイメージが大きな魅力となり、鑑賞者を作品に引き寄せる。

 加藤陽夫「草想“冬の時”」。葦がたくさん生える水辺の風景。奥は水面になっていて、丸い月の姿が浮かび上がっている。どこかしーんとした気配が画面の中に漂っている。細やかなリズムを刻む葦と揺れ動く月影が、和的な詩情を作品に引き寄せているようだ。独特の視点で捉えた情景が、鑑賞者に強い余韻を残す。

 松長壽美江「花のない風景」。ある街の一隅を力強いフォルムと構図で描いている。左上方には逆さまにした赤い虹のような動きがあって、それが強い動勢を作品に与えている。また右側には太陽を思わせる形象も見える。そういった重厚な画面の中で、左下にある小さな波の飛沫が繊細な様子を見せているところがまた興味深い。

 佐々木寿美「季のひかり・ 1504」。一本の細い樹木が、画面の向かってやや左に立ち上がっている。葉はないが点々と小さな花が咲いている。周囲には灰白色、あるいは暖色の色彩が施されていて、それらがあたたかな季節の情景を鑑賞者にイメージさせる。また、深い紫の色面が左下、左上、右に入れられているが、それが重しになって深いコクのように作品に心理的な安定感を与えているようだ。輝くような色彩の扱いは佐々木作品の大きな魅力の一つであるが、そこに線や点、そして太陽によって心地よい調べを奏でることで、鑑賞者の心に自然と入り込むようなもう一つの魅力を備えているところもまた見逃せない。

 矢永繁子「祭囃子」。画面の向かって右側には人物や動物の顔が浮かんでは消えて行っている。左側は明るい黄の色面である。賑やかで楽しくワクワクするような感情が湧き起こる。ふと見ると左右の境目の下方に一人の女性の姿が見える。それが、これらの様子を想い出すように見つめる画家自身のようで実に興味深い。

2室

 大田耕造「島田人形浄瑠璃(30)」金賞・理事推挙。六体の人形がそれぞれ強い存在感を放っている。それらはモノトーンで描かれていて、それが却って人間的な要素を引き寄せているようでおもしろい。たじろいでしまうような迫力が印象に残った。

3室

 中道美佐子「秋日和」。手前から中央に向かって丘になっていく街の情景を広がるような視点で描いている。そこに向かって建物が連なって行っている。じっくりと描き込まれた重厚さがありながら、やわらかな筆の扱いによって引き寄せられる人々の気配が中道作品の見どころである。今回は特に鑑賞者の視点を導くような画面構成に注目した。

7室

 三輪光明「立山連峰とキスゲ」。背の高い山を遠景に描き、その手前は起伏する大地になっている。手前にはキスゲの黄色い花が咲き乱れ、画面全体で生き生きとした自然の息吹を感じさせる。明るい色彩の扱いと共に、現地の空気感を肌で感じさせるような魅力を放つ作品である。

 米津美恵子「嵐が去って」。灰白色の建物の泰然とした存在感と、上空の不穏な様相の対比が印象的な作品である。特に流れるような雲の動きが魅力的で、豊かな情感を作品に引き寄せている。

8室

 宿輪久美子「静寂」。聖書を手にした修道女が一人描かれている。室内にはあたたかな陽射しが入り込み、それが黒衣と馴染むように描かれているところがおもしろい。静かな気配の中に、敬虔な女性の心情が浮かび上がってくるようだ。

9室

 大内武夫「大震災去って……その思いは」。燃えるような朱や赤の色彩が強く印象に残る。未だ拭いきれない震災の記憶が、強い感情となって画面に現れている。小さく描かれた一頭の馬が、悲しい孤独感を象徴し、その想いを静かに語りかけてくるようだ。

 大原紀代「暖かい夜」奨励賞。味わい深いフォルムで描かれた石造りの家屋から室内の明かりが漏れてきている。家族というものの心温まる安心感が、明かりとなって表れているようだ。そういった深い情感が画面を満たしながら、心理的な奥行きを作品に与えているところが特に見どころだと思う。

第38回JAG展

(11月17日〜11月24日/東京都美術館)

文/紺世邦章

1室

 谷口美智子「挽歌の森」。葉の付いていない白い木々が描かれ、無数の直線の描写で風の流れのような形象が描かれる。それは緑、黄、赤など、森の四季の移り代わりを表現しているようだ。その中で枯れてしまった木を描いていることで、自然の衰退を予感させるような緊張感を作り出している。

 山内ヒロシ「帰郷」。青い市松模様の床と白い壁の空間があり、通路を抜けると海まで繫がっているというシュールな構成である。視界を遮るように、海から続くリボンと植物の蔓が垂れ下がる。そしてそれを辿るとピエロの人形がある。もう1点出品の「旅立ち」では植物は枯れ、ピエロもいなくなっているなど、死を予感させる表現で、海は死後の世界を象徴しているように感じられる。「旅立ち」と対照的に、この作品は生命の循環あるいは輪廻転生における生の瞬間を表現しているようである。

 海老原康晴「ALINE」。電柱を残して荒廃した街に女性と羊がいて、鑑賞者を見つめている。羊は群で暮らす動物でありながら一頭で描かれ、その姿がアウトサイダーである女性の姿と重ねられているようである。その表情には拒絶や反抗といった雰囲気があって、独り生きていくという意志を感じさせる。

 山﨑信榮「村はコンチェルト」JAG賞。仕事を終えた農夫が、荷車にチェロを積んで家路につく。車の左右の草のマチエールが疾走感を演出する。家のまわりの植物はオレンジで、家の明かりと協調して画面を明るくする。飛行機にはトランペットを吹く天使、月の上にはヴァイオリン奏者がいて、夜の農家に賑やかな音楽を奏でる。日本の農家と西洋のイメージが交錯する中で、どのような音楽が鳴っているのか、想像を搔き立てられる作品である。

2室

 安岡英雄「シルバー・ソード(銀劍草)」。ハワイのマウイ島、ハレヤカラ山の山頂付近に自生するこの植物は、数十年の寿命で最後に一度だけ花を咲かせて命を終えるそうだ。そのたった一度の命の輝きが、ダイナミックな山景と鮮烈な赤色の中に直立し、悠々とした雰囲気で表現されている。

 目黒勲「旧市街の朝」会員賞。ジュネーブの旧市街を描いている。朝日が当たった建物の壁に白が厚塗りされて、爽やかな印象を作っている。街に張り巡らされたトラム(路面電車)の電線を丁寧に描いていくことで、空間に広がりを作り出している。

 中村信「コーヒーファーム」会員賞。コーヒーショップあるいは喫茶店で、店員が豆を挽き、コーヒーを淹れる場面がコクのある色調で描かれている。店員の何気ない挙動に着目してディテールを追っていて、画家のコーヒーへの愛着が感じられる。

 益子啓子「晩秋の落日」。逗子の高台から描いた夕景。藤色とオレンジの微妙なバランスの中に紛れるような夕日が、海には眩しい夕日を落としている。夕日を浴びた街並みが柔らかに表現され、夢の中のような雰囲気が漂う。

 黒山久章「霧立つ峠の棚田」会員賞。棚田を眺望する。中景より手前に左からの陽の光が当たり、棚田のかたちが青々と立ち上がる。遠景には霧が立ちこめて神々しい雰囲気が加わり、古代遺跡のような、神秘的なオーラを放っている。

3室

 酒見文雄「NO2 牛小屋」。横に流れる厚いマチエールの牛小屋で、二匹の仔牛が取っ組み合っている。その様子を見守っているのが、母牛のようである。大胆に絵具を置いていきながら、子どもたちを心配する母牛の繊細な表情を巧みに描きあげる。

4室

 黒田妙子「夏の終わり」。草花が黄色くなりつつある夏の終わりに、サルスベリとノウゼンカズラがフェンス沿いに咲いている。道路や草の陰影に青を入れて秋冷の空気感を出しながら、逞しく咲く花々を表現している。

5室

 佐藤千晶「満喫」。テーブルでワインを飲みながら談笑する四人組。人間は直線で表現されていながらも表情が豊かである。その後を白い馬が駆け抜けるが、敢えて躍動感を表現しないことで、作品全体にゆったりとした時間が流れている。

第37回清興展

(11月17日〜11月24日/東京都美術館)

文/磯部 靖

1室

 髙山知也「薄暮の小路」。坂道を見下ろすように描いている。そこに水色の街灯とピンクの柵が配置されている。グレーの色彩の中でそれらが色彩的なメロディを奏でているようでおもしろい。シンプルな構成の中に、旋律的な要素を感じさせるところに注目した。

 いせきみちこ「白い朝」。雪の少し残る人気のない広場にメリーゴーランドが置かれている。空間を大きく取ることで、より寂寥感が増している。クリアに描き込みながら、深い余韻を作り出すような画面構成にこの画家の絵画的センスが感じられる。しっとりとした感触もまた魅力である。

8室

 江口光興「草原初夏」。広い草原にゲルと馬が点々と配置されている。遠景に山並みが左右に広がっているが、そこに至るまでの清々しい空気感が強い魅力を作り出している。画面全体は夜が明けてすぐなのか、どこか霧がかかっているような雰囲気を醸し出している。それがゲルや馬と馴染みながら、深い味わいを生み出しているようだ。しっとりと繊細に細部を描き込んでいきながらも、画面全体のそういった魅力を失わずに描き上げているところに、さすがの描写力を感じさせる。

 濱田秀美「春まだ遠し」。画面全体を白く染める雪が、表情豊かに描き出されている。両側の雑木林もほとんど白で、その寒さが肌に迫るようだ。特に枝葉を覆う雪を丹念に描き込んでいて、それが画面に濃密な見応えを作り出している。中央に空けられた空間の扱いも、鑑賞後に深い余韻を生み出している。

第8回秀彩展

(11月17日〜11月24日/東京都美術館)

文/紺世邦章

1室

 藤井健治「青の幻想」。西洋の街並みを背景に、青い瞳の女性が描かれる。女性は青紫の花とその蔦に包まれて、花の精のような佇まいで表現される。縦に長く伸びるドレスのひだが、滝のように降り注ぐ花の流れを蔦とともに作っている。

 溝渕泰史「平和」。画家が得意としている落ち着いた色合いで、タイの風景を描いている。水牛にまたがった子供が犬を抱き上げ、それを父親が見て微笑んでいる。この国では日常的な風景のようだが、そんなありふれた平穏を讃えるような、温かみのある作品となっている。

3室

 安藤博幸「パリの街角 Ⅱ」優秀賞。大型の交差点を描いている。雑然として色鮮やかな街の様子を、大きめの筆致で大胆に描き込んでいく。湾曲した建物の形が、手前のバイクと後ろの車などで遠近感を極端に付けることによって強調されていておもしろい。

7室

 山下恵美子「内なる眼 NO4」秀彩会賞。オイルパステルで描かれた、フラメンコを踊る女性である。ポーズを決めた瞬間で、髪は左に向けて靡いている。紫色の空間に映える赤いドレスからパッションが溢れ、また鋭気に満ちた表情は紅潮して、熱気を帯びた雰囲気が伝わってくる。

第51回都展

(11月18日〜11月24日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 熊倉幹子「深秋」。ベンチに座る一人の女性をしんみりと描いている。周囲の色彩は無彩色のような雰囲気であるが、そういった中で暖色のマフラーの色彩が温もりを感じさせる。ひんやりとした空気感と人肌の温もりが静かに対比されながら、しみじみとした情感を呼び起こす。

 山本房江「春の日」。小さな赤ん坊をあやす若い夫婦。心温まる情景である。向かって左下には人形と猫が描かれていて、もう一つの愛らしさを訴えかけてくるようだ。落ち着いたやさしい色彩の扱いが、この家族を見守る画家の優しい視線を感じさせるようで興味深い。

 伊藤直「祇園祭」。大きな鉾を画面いっぱいに描き、背後にもいくつか配置されている。上方に伸びるような鉾の連続がリズムを刻み、この祭りの賑やかな様子をより訴えかけてくる。伸びやかな筆の扱いもまたそういった気持ちのよい感情を作品に引き寄せているようだ。

 段純雄「池畔遅日」。公園内の情景のようだが、数本の樹木のうち、一本が向かって右に斜めになっている。それが一つのポイントとなって静かな画面を活性化させているところがおもしろい。たくさんの枝が重なりながら画面に奥行きを作り出し独特の風景画となっている印象深い作品である。

 伊藤叔江「モルダウに抱かれて」東京都知事賞。明るい色彩の扱いがクリアで気持ちのよい作品である。遠景の背の高い建物を中心に、そこに川やその他の建物が収斂して行っているような動きを見せている。確かな描写力を感じさせる作品である。

2室

 武田雪枝「遊」。一人の少女と二体の人形がそれぞれ遊んでいる。それを楕円に旋回するような動きを伴った配置で画面を構成している。この三人は同一人物に扱われてもいるようなところが興味深い。外部とは時間の流れが異なるような不思議な空間の中で、独特の永遠性を獲得しているような印象を受ける。グレーの色彩に豊かな表情を作り出しているところにもまた注目した。

5室

 矢吹昭久「何時もの街の賑わい」。色鮮やかな線が、あるいは画面の向かって左側では曲線がいくつも連続して画面に描かれている。画題にもある街の喧噪が、色彩となって浮かび上がってきたようだ。低音や高音が重なり合いながら一つのハーモニーを作り出し、画家の豊かなイメージによって喧噪がメロディとなって画面に浮かび上がってきている。

6室

 豊田千年「旅愁」。画面に大きく女性の胸から上を描き、左下方にはパリのムーラン・ルージュを描いている。全体はコクのある赤で纏められている。ここはこの女性がかつて訪れた場所だろうか。上方の太陽と共に、生き生きと画面の中で甦ってきているようだ。大胆な構図の中に、鑑賞者へ思い出を語りかけるような魅力を孕んだ作品である。

7室

 相澤さち子「街の表情」評議員賞。背の高い建物をいくつも楕円状に配置し、中央にもまた街の情景が見える。それらを青の色彩で纏めている。建物は灰白色を効果的に扱いながら描いていて、それらが独特の詩情を作品に引き寄せているようだ。刻々と変化する街の表情をセンスのよい画面構成で描いている。

8室

 西川憲子「SUBARU」都民美術運営会賞。三人の男性のバレー選手を描いている。それぞれの躍動的な動きを、確かなデッサン力で表現し、画面を活性化させている。黄と紫のユニフォームと背後の赤などの色彩がうまく馴染みながら、これらの画面をうまく纏め上げている。画面から発せられる熱気のようなものが強く鑑賞者を捉えるようだ。

9室

 土肥彩「夢の中」。たくさんの花を乗せた荷車とそれに寄り添うように寝そべった犬。滲むような描写が、夢と現を行き来するようなイメージを喚起させる。こんもりとした花々の量感がやわらかに表現されていて、それが気持ちのよい触感を引き寄せている。画面全体の緑がかった色彩の扱いもまた繊細で、見ていて心地のよい作品として注目した。

 杉原敏子「裏通り」。レンガ造りの建物や路地を濃密に描きながら、人物を配置することでうまく広場の空間を作り出している。右奥に抜ける路地の向こうには階段も見え、どこかミステリアスな雰囲気も漂う。構成の巧みさによって、画面の向こう側にまで広がっていくようなイメージが、作品の魅力となって立ち上がってくる。

 武藤明美「雪あそび」。ソリに乗って雪遊びをする子供たちの様子が生き生きと描き出されている。まだ雪は降っているが、寒い空気感と子供たちの熱気がイメージの中で対比されているところがおもしろい。やわらかな雪の感触もしっとりと表現されていて、画家の確かな描写力がよく分かる作品として注目した。

 麻生恒雄「語らい」。赤やピンクのコスモスに囲まれた二人の若い女性を描いている。二人は膝を立てて座り、楽しげに語り合っているようだ。二人の女性のしなやかなフォルムも確かで、また、繊細に花々を描きながら、この二人の明るく楽しい心情を仮託しながら表現しているようだ。そういったセンスの良さを感じさせる作品である。

11室

 濱田保子「緑の風」。背の高い木々に囲まれた林道を画面いっぱいに描いている。斜面をくり抜いたような道が奥まで伸びて行っていて、そこを歩く二人の人物が小さく描かれている。生命力豊かに伸び伸びと枝葉を広げる樹木を深々と描きながら、そこにわずかに木漏れる陽の光を繊細に捉え、表現している。そういった中で、周囲に少しだけ青を入れ込んでいるところも効果的である。また、鑑賞者を道の向こうへと誘うような吸引力もある。

 高屋照子「三宝寺池の雪」。雪の降り積もった地面が、陽の光に照らされてキラキラと輝いている。そこに細い木が何本か立っていて、同じように細い影を作り出している。手前から遠景までの空間を、それらの木立によって作り出し、ひんやりとした透明な空気感を生み出している。見ていて気持ちのよい作品である。

13室

 濱田睦子「山間の水車小屋」。手触りのあるマチエールで水車小屋を中心に山間の風景を描いている。草や樹木、小屋をやわらかなタッチで描き出すことで、画面全体で緩やかな時間の流れ、あたたかな空気感を感じさせる。じっくりと画面に向き合って描く、画家の制作姿勢に好感を持つ。

16室

 塚本清美「北国」。雪のちらつく北国の踏切の情景。冷たい空気感が肌に迫るような臨場感を作り出している。積み残った雪の量感、黄と黒の踏切、雪解けの水の残った地面。それら画面を構成する要素を、それぞれしっかりと表現している。確かな絵画的センスと技量を感じさせる作品として、強く記憶に残った。

第56回日本版画会展

(11月18日〜11月24日/東京都美術館)

文/紺世邦章

1室

 高野勉「さきたま暁光」。銅鏡や埴輪、三環鈴など、古墳時代をイメージしたモチーフである。銅鏡の周囲に引かれた金色の線は、銅鏡が持つオーラのようである。その線は、顔の見えない埴輪や深紅の背景と相まって、作品全体にミステリアスな雰囲気を醸しだす。

 尾山章「森の教会(ハンガリー)」。教会のある街の夕暮れ時である。建物の屋根は丸みを帯びていて、ファンシーな印象である。木々と教会との間のうねった線が仕切りになっている。街の日常と隔てられている表現の中に、教会が存在感を強める。

 菅谷内修「町屋(越後屋さん)」。瓦屋根を主体にした画面構成。隙間なく並んだ瓦の形で遠近感を作っていく。青い屋根には細かな線で赤を、赤い屋根には同じように青を入れて、屋根同士の色が調和するような工夫がなされている。

2室

 宮本朋子「眩しい雨」東京都知事賞・会友推挙。ダリアのような花が満開に咲いている。花は白を少し厚く盛って表現しつつ、下地や花の上に赤、青、黄色など幾つもの色を重ねている。雨を受けた大地から次々と花が開き、さらに雨を受け一層色づいているような表現である。

3室

 後藤晋作「南禅寺山門」日本版画会賞。前景に門を配して、その向こうに桜が覗いている構図。鮮やかに咲く桜と、落ち着いた色調の柱との対比がおもしろい。また門を正面から捉えずに斜めの線を取り入れるによっても、画面の奥へと関心を引き寄せている。

6室

 横山尚「昔も今も、気配を感じながら~河童のまなざし~」。木口木版によって閑寂とした夜の川辺を表現する。川の左には着物の女性、右には現代風の女性が歩いていて、昔と今とが一場面につながれている。川に潜んで人々を見つめる河童の存在は、昔の人から今の人に受け継がれている普遍的なものの象徴として表現されているようにも見える。

9室

 竹田多美子「ウルトラ光線」会員賞。カボチャや大根などの野菜の上に、植物の雄しべとめしべのようなものから発された無数の描線が降り注いでいる。この線は受粉する植物の強い生命力のようである。そしてその生命力によって、やがて果実や大きな根へと結実していく様を表現したようである。

12室

 松永洋一「くらがり坂」。くらがり坂の途中から木造家屋を見おろしている。大小二つの階段が組み合わさったような坂が長方形の重なりで表現されて、木造家屋の直線の揃った骨組みとともに、画面に軽快な印象を作っている。

13室

 町田えいめい「北の秋風」。マットな質感と厚い色面で、油彩のような重厚な画面を作っている。水色とオレンジの版に藤色を重ねることで、空には広大な広がりが生まれる。それに合わせて草原にも奥行を作りながらやはり筆で描いたような筆致を残して、風が流れていくことを意識させる作品である。

14室

 桑田幸人「共生の森」。森の中に牛の群れがいる。真っ直ぐと縦に伸びる木々が並んで、規則的なリズムを作っている。同時に牛の身体の作る線が横に流れるように、木々とはまた別の韻律を作っている。そしてその二つの間を埋めつくす植物が、画面全体の協調を生み出しているようである。

18室

 小林理恵「光の先に」。夕日の当たる海を表現する。太陽は直接描かれていないが、海に反射したまばゆい光として表現される。白い光の部分に、黒で波の影を入れることで、ゆっくりとした波の動きが絵に込められる。波は一つの巨大な生物のような雰囲気で、水平線あるいは太陽の方へと進んでいくようでもある。

 高野玲子「窓辺で」。窓辺に集うネコの様子を八場面描いている。擬人化されて人間のような生活をしているネコは、それぞれの特徴がしっかり描き分けられている。それぞれの場面は区切られてはいるが、猫たちは窓枠を超えて目配せしているようにも見え、鑑賞者の想像を搔き立てる。

 小暮真望「爽輝」。橋が架かった大きな川を描く。川原や川の水にパステルカラーが用いられ、爽やかな印象を作り出している。中景の橋の影を川に落とすことで立体感が強められ、同時に作品の近景と遠景をつないで奥行が生まれる。その先にある山の渦を巻くような二色の描写も山の凹凸を的確に捉えており、画面が奥へと抜けていくような印象を作り出している。

 前知津子「青の追憶」。沢山のカゴと麻袋が一つ、画面に殆ど隙間がないように並べられている。カゴの表現は様々で、編み方や目の細かさが一つ一つ異なっている。麻袋のカゴよりも細かい網目を捉えて質感を出し、画面全体から高い表現力が伝わってくる。

 橋本広喜「夏の大内宿」。江戸時代の家屋が保存されている大内宿。年季の入った重厚感のある家屋を柔らかい線で描写し、さらに明るい色彩によってポップに表現する。すだれのある日陰からの構図によって、涼しげな印象が加わっている。

第13回新平成美術展

(11月25日〜12月3日/東京都美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 早川皓章「地平線」。大きな丸いテーブルの上の果実などがたくさん置かれている中に、大きなケイトウの花が一つ置かれているのが鮮やか。下方の床に三体の裸婦がいる。女たちは、頭も手もないが、アンニュイな雰囲気である。花や果実がその香りを増していく。半ば腐敗直前のような濃厚な香りが漂うような幻想的なイメージである。もともと作者はカラリストで、この作品以外にも風景作品などが出品されている。緑やビリジャンやオレンジなどの色彩を駆使した濃厚な色彩のハーモニーが特色なのだが、この作品は心象風景的で、作者の心持ちをよく表しているように感じられるところがあって面白い。つまり、思考ではなく、ある官能的なものがマキシムになったときにすべて世界が溶けていくような雰囲気。そこで時間が止まってしまったような、そんな空間。そこからまた地平線が始まるようなイメージを感じて面白く思ったのである。(高山淳)

 上田酔潮「終りのない作品」。上田酔潮は不思議な作品を描いた。波がまるで花弁のようになって動いている。それぞれの花弁の中にはそれぞれの時間が映りこんでいるようだ。その時間の上に磯の岩などが囲まれて、重量感のあるその存在もその波にさらわれて動いていくかのようだ。それぞれの時間が動いていく。それはやはり作者が年齢を経てきたところから感じてくる実感、いわば終末への予感のようなイメージと言ってよいかもしれない。そんな時間の感覚を絵画として表現した。しぜんとシュールな味わいがあらわれる。(高山淳)

 斎藤由比「シークレットガーデン かくれんぼ」。花の咲き乱れる庭園の情景。この画家の豊かな色彩感覚が分かる作品である。中景に大きく空間が取られていて、手前の密集する草花とともに、抑揚のある画面を作り出している。明るく楽しい雰囲気を眺めるようなあたたかな画家の視線がよく伝わってくる作品として注目した。(磯部靖)

2室

 松田博「柳」。画面の向かって右側に幹があり、左にカーヴするように枝がしなだれている。そのしなやかな枝葉の様子を繊細に、やわらかく描き出している。風に揺れながら垂れる柳が、独特のリズムを作り出す。また、それによって生まれる詩情が、鑑賞者を強く作品に引き寄せる。(磯部靖)

第41回現創展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/高山淳・磯部靖

1室

 伊藤崇人「朝市」。市場のカウンターで談笑する三人の黒人女性を中心に画面が構成されている。その楽しげな雰囲気を生き生きと描き出している。明るい色彩の扱いが健康的で、画面全体に人間味溢れる魅力を作り出している。(磯部靖)

 山内洋子「あしたへ」。海の見える道沿いに一人の女性が描かれている。女性は向かって右を向いていて、その眼差しは遠くを見つめている。女性は黒のワンピースでどこかよそ行きな雰囲気である。未来に対する希望を独特の物語性で描き出したところがおもしろい。(磯部靖)

 山田一好「マンドリンを弾く少女」。椅子に座ってマンドリンを奏でる女性の肖像である。女性は民族的な衣装を着ていて、それが背後の様子とあいまって豊かな色彩の響きを生み出している。それがそのままマンドリンによって奏でられたメロディとなってこちら側に流れてくるようだ。強い情感を感じさせる作品である。(磯部靖)

 荒木典子「行」。画面の向かって右側の暗い空間に数人の人物が左に向かって歩いている。その中には、どこか人ならざるものの姿も見えるようだ。下方には雲のようなフォルムがやはり左へと続いている。右に比べて左側は輝くように明るい。どこか天上的な要素を感じさせる。そう考えると右から左へと向かうのは、現世から天上へと向かう、人々の魂の現れなのかもしれない。天災や戦禍、病気や事故、寿命など生物が死に至る理由は様々あるが、左上方にも九条とあるように、やはり不本意な死に方はしたくないだろう。そういった死に見舞われた魂こそが、天上に救いを求めるのだと思う。いずれにせよ、魂の救済をテーマに描かれた画面が、この画家独等のイメージによって強い発信力を持ち、鑑賞者を作品世界へと引き寄せる。(磯部靖)

 福田透「紅葉の舞」。橙色の和服を着て扇子を持ち、舞う女性を描いている。そのゆっくりとした動きが、場の空気のゆるやかな流れとなって独特の気配を作り出している。明るい色彩の扱いで描かれた画面の中で、そういった見えない動きをイメージ豊かに感じさせる。(磯部靖)

 塩川晴美「EVERY DAY Ⅵ」。一人の若い女性を大きく描いている。女性は派手な服を着ているが、どこか神妙な面持ちでもある。不思議な感情が渦巻いているような、強い動勢が印象的である。モノトーンの色彩で纏めながら、若い女性の持つプライドのようなものが心理的なおもしろさを作り出しているようで印象深い。(磯部靖)

 宇治川博「おしつける」特別賞。木漏れ日の中で猫を抱く少年を中央に描いている。上方からは明るい陽の光が幾筋もの白い帯となって降りてきている。どこか幻想的な雰囲気のなかで、この一人と一匹の親密な関係性が浮かび上がってくるようだ。滲むようなやわらかな色彩のトーンもまたこの関係の中から生まれる温かさのようなものをより活性化させ、鑑賞者の心に自然と染み入るような魅力を作り出している。(磯部靖)

 三輪光明「カーニヴァル暮色」特選。仮面を付けて赤い衣装を着た二人の人物を向かって左側に大きく描いている。その脇にはゴンドラのような黒い影が見える。暮れゆく街並みを遠景に見ながら、独特のドラマチックな妖しさを画面に漂わせているところが特におもしろい作品として注目した。(磯部靖)

4室

 吉元れい花「幻花」努力賞。刺繡の作品である。赤の中に色彩の変化があるが、同じ糸を使っていて、その刺繡の疎密などによるものだそうである。その糸が集まって花をつくり、花が蝶になり、蝶が大きく上方に浮遊するその下方に、白い裸身の女性がまるで囚われ人のように空中に漂っている。彼女の大きな刺繡は初めて見た。よほど内向的な素質をもっている人なのだろう。まるで入れ墨をするようにこの黒いバックに糸を射し込んでいきながら、内界に発見した美とエロスともいうべき命の源泉を表現する。仰向けのこの裸身の女性は、女性の中に存在するもう一つの女性性の象徴とも言えるのだろうか。(高山淳)

5室

 樋口ひろ子「桜のオフィーリア」奨励賞。裾の長い黒い和服を着た若い女性を縦長の画面に描いている。その右側には金色の桜が大きく咲き、その下に小さなピンクの桜が咲いている。悲運を辿るオフィーリアを題材にしながら、もう一つ別の、美しさとは何かといった問いを鑑賞者に発信してくるようだ。いずれにせよ、確かな描写力と構成力が、この画家の絵画的センスの良さを感じさせる。(磯部靖)

 今井賀寿世「未来へ」努力賞。横に並んで座った六人の子供たちを背後から描いている。山なりに並んだその様子から、独特のリズム感が生み出されてくるようだ。明るい黄の色彩をバックに施しながら、鑑賞者の様々な想いを刺激するような、ユニークな魅力を湛えた作品である。(磯部靖)

8室

 中野耕一「弁天小僧」佳作賞。線書きで描かれた弁天小僧が、座ってキセルを持ちこちらを睨んでいる。強いキャラクター性を感じさせる。洗練された線の動きが、この画家の技倆をしっかりと伝えてくる。(磯部靖)

 龍まんじ「サイバーパンク 超サムライ②」。同題の三点出品で、②は中心にあって、両脇に①と③がある。やはり中心のこの作品が力強い。日本刀を持った戦士が立っている。黄金色の髪の毛が逆立って、複雑な文様をつくる。顔は歌舞伎のように赤く隈取りされている。面白いのは、たとえば左上腕部で、そこに文字が描かれている。一見読めるように思うのだが、接近すると呪文のようで、読めない。作者に聞くと、自分でも読めると思って書いたのだけれども、読めないそうだ。作者のもつイマジネーションの力がそのような現象を起こす。両足から上体まで、周りにこの超サムライの眷属があらわれているところがユーモラス。左足の膝のあたりには寿老人のような頭の長い老人が欠けた歯を持ってあらわれているし、その上にはサンショウウオのようなウーパールーパーのような魚が口をあけてのんびりとした雰囲気。あるいは、右足のあいだからはブタ娘のような睫毛の長い顔、いわば作者のつくりだした猪八戒と言ってよいような存在があらわれている。その後ろの龍のようなものが叫んでいる相手は黒いデビルのような物体で、にらみ合っている。右上腕部のところには赤子のようなフォルムさえもあらわれている。この生気ある超サムライのパワーを助けるために作者のつくりだしたたくさんのキャラクターが集合していて、全体で強い波動、生きる力、勇気といったものを与えている。

 「超サムライ③」には白鳥の上に乗ったマシンガンを持った男、「超サムライ①」では、やはりマシンガンを持った女性があらわれているが、女性は、仏画でいえば獅子あるいは狛犬にまたがっていて、それも楽しい。それらを集約するこの中心の人間はイマジネーションを様々なところに与え、その眷属を含めて新しく命を生み出すもとのような、きわめて呪術的な力がそのまま発現したような面白さが感じられた。

 いずれにしても、キャラクターアートのプロや若い作家たちがこの部屋にかなり展示されていて、レベルが高くなっているところも頼もしい。(高山淳)

 岸田尚「双天使(左を向く)」佳作賞。三点出品の右側の作品である。向かって左を向いた少女。その背に翼が付いているのが見える。無垢な少女の姿が天使に重なるようだ。強い筆致によってまろやかに描かれた少女の姿が、どこか物語の登場人物のような幻想的な存在感を獲得している。(磯部靖)

 牛島聖子「彼女のいる場所」。顔だけこちらを向いて、背を向けて座る裸の女性を描いている。女性の身体には青や赤の蝶が描かれているが、その蝶が数羽身体から離れて飛び立って行っている。女性の持つ妖しく危険な美しさが、生き生きと画面の外にまで飛び出してくるような雰囲気である。シャープな描写の中に、そういったイメージの広がりが魅力となって描き出されている。(磯部靖)

第77回大潮展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/紺世邦章

1室

 小針初美「清秋の朝」大潮会賞。葉の色が変わり始めた並木道を描く。右側の並木に白樺のような白い木々を混ぜて、画面が暗くならないように工夫している。また中景より奥の道路に射す陽は微妙な濃淡を駆使して描き出され、光の形がわかるように再現されている。光の描写力に優れている作品である。

4室

 松長京子「静かな午後」会友努力賞。パステルのしなやかな線で輪郭線を描き、ハーフトーンで女性を描く。シンプルな色面で、モチーフの質感や立体感を表現する。直線の板目の壁にカーテンによって斜めの線を加えたり、左下の地面に花瓶を配置するなど、空間構成にも工夫がなされている。アールヌーボーのような優雅な雰囲気を持っている。

5室

 石野徳二「姫路城」。墨を用いて姫路城の天守を描く。右から光が差しているので、光が当たる壁面と陰になる部分の壁面の光の対比が生まれ、天守閣は立体感を増す。遠景の街並みや石垣、木々など隅々のディテールを緻密に描き込むことによって、ジオラマのようなスケール感も作り出されている。

 小宇佐のぶこ「国東の山のまほら」会長賞。スポットライトが当たったような強い明暗の中に、国東半島にある磨崖仏の姿が浮かび上がる。磨崖仏の色はよく見ると青、蛍光オレンジなど、複雑に色が散りばめられている。陰になる部分に紫を入れ、また手前に人物を描くことでスケール感を強調し、磨崖仏の崇高性を強調している。

7室

 井手志津子「BOAT HOUSE」。森の中のボート小屋が水面に映っている。うねるような筆致の木々の上から大胆に水色をのせて、葉の隙間から空が見えている様子が描写されている。木々と対照に、水面が横のマチエールで静かな様子で描写されていている点もおもしろい。

9室

 塩澤孔六「六月の開田高原」審査員特別賞。畑のある高原の風景。前景が画面奥に向かって下り坂になっているような描写が鑑賞者にスリリングな印象を与えつつ、山に向かって隆起していくことで今度は安定感を作り出している。広大な地形が画面全体で確かな遠近感で捉えられている。

 加古千恵子「雪の朝」会長賞。雪が積もった朝の様子。雪の量感の違いが描き分けられていて、屋根や枝に積もった軽い雪から、人や車が踏んだ重たい雪まで、白と青、紫を使って表現している。画面奥の人物がスコップを持って雪かきをしている様子、あるいは部分的に雪が解けて露出したアスファルトなど、雪国の日常を捉えたリアリズム絵画と言えるだろう。

第54回群炎展

(11月26日〜12月3日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 井手幹夫「ノスタルジック ロード」。手前から道路を挟んだ向こう側に店舗が並ぶ。その間に、いくつかの大きく枝葉を広げた背の高い樹木が立っている。シンプルな画面構成の中に、どこか余韻の残る情感がある。手前から店舗までの空間が、そういった余韻を作り出しているようで興味深い。誠実な描写にも好感を持つ。

 佐藤淳子「春によばれて」。たくさんの花が咲き乱れる森の中の情景。花を持った一人の少女が小さく描かれている。なんとも微笑ましい様子が魅力的である。それが天上世界に立つ天使のような、幻想的な雰囲気も併せ持っているところがおもしろい。濃密に描かれながら、心地よい心情を作品に引き寄せている。

2室

 盛山重信「沖縄・敗戦の『風貌』」。戦火に焼かれて廃屋となった教会を見上げるような構図で描き出している。かなりの損傷を受けているようで、ただれたその壁がかなり痛々しく、むしろおそろしい姿となって立ち上がってくる。沖縄戦の激しさ、無くなった多数の人々の無念の想いが、この建物の姿を借りて甦ってきているようだ。いずれにせよ、強いイメージによってメッセージを発信してくる作品である。

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