美術の窓

無料ニュースレターの購読

公募展便り(2015年10月号)

「美術の窓」2015年10月号

第16回日本・フランス

現代美術世界展

(8月5日〜8月16日/国立新美術館)

文/磯部靖

5室

 長井キコ「祈り―メキシコの霊―」。画面一杯に堅牢な岩壁のようなものが描かれている。そこには三角形や楕円などが、ちょうど人間の顔のように刻み込まれているようだ。それがまず強く鑑賞者の印象に残る。そして赤や緑などの色彩が滲むように入れられている。どこか奇妙な岩壁が鮮やかな色彩に覆われることで、歴史に対する強いロマンが作品の中に引き寄せられている。今は知る術のない過去の人々の日常や風習が、鑑賞者の好奇心を刺激する。どこか抽象性を孕みながら、確かなイメージの力が立ち上がってくる。

 渡邊智美「Imagine」。青から水色の色彩を繊細に抑揚を付けながら描いている。激しくも軽やかでしっとりとした様子が、まるで交響曲を奏でているようだ。画面からは海をイメージしたが、津波などの負のイメージと遊泳の明るいイメージが混濁するように迫ってくる。それらは鑑賞者ごとに異なってくるだろうが、そういった懐の深い作品として注目した。

 中村マヤ「パサージュをぬけて」。円形の画面の中に何本もの支柱を持った建物が建ち上がってくる。下方には楕円があって、そこから青い光、あるいは風が周囲に放射されている。直線と曲線は鬩ぎ合いながら協調し、強い波動を発信してくるようだ。細密でクリアな描写の中に生まれてくる凜とした空気感が特に魅力である。円形に覗く街の風景もまた、もう一つ作品に奥行きを作り出している。

 真船艶「日没 II」。赤、黒、そして金の色彩が重厚なマチエールと共に画面で胎動しているようだ。画題にあるように、陽が沈みつつある中で、強い生命の力を発信してくる。煮えたぎるマグマを思わせる胎動が、画面の中央に収斂していきながら、また放射されていくような動きがあるところが、特に印象的である。

6室

 大波天久「里の春」。軽やかな旋律が画面の中で奏でられている。上下に流れる墨の動きの中で、扇あるいは傘のようなフォルムが舞っている。それらはその旋律に合わせてゆらゆらと動いているようだ。仄かな温もりを感じさせる色彩を繊細に扱い、春の到来を静かに喜ぶ感情が強い魅力を放っている。

7室

 澤野昭子「ゆきどけ」。手前から奥に向かって道が伸びていき、その両脇に家屋が建ち並んでいる。雪が溶け、少しまだ残ってもいる。その素朴な情景を、自由で伸びやかな線によって気持ちよく描き出した作品である。

 山田和宏「時間の堆積」。港に隣接するコンビナートをドラマチックな構図で細密に描き込んでいる。水面に映る建物の姿や、雲の動きが、さらに鑑賞者の感情を揺さぶるようだ。画面全体は静かでありながら、そういった強い感情が気配となって作品内に満ちている。

 江崎武春「嵐の中のシャトー」。画面を覆うように吹き荒れる嵐の中で城が姿を覗かせている。暗闇の中で灯る窓が、そういった幻想的な世界の中で、静かなリズムを作り出している。画面の向かって右側には大きく空間が作られていて、それも相俟って鑑賞後に強い余韻を残す作品として注目した。

11室

 宮向井勇「白い土蔵のある風景」。白壁の土蔵を画面の主役に置きながら、明るい色彩とともにその姿を描いている。淡々と描いているようで、その背後にある時間を滲むように表現しているところが興味深い。ポジティブな要素もあって、見ていて快い作品である。

 陣内里美「友来たる。又楽しからずや」。二人の老人を正面から描いている。その二人の表情が実に気持ちがよい。親しい関係性がよく伝わってくる。しっとりと描かれた深い味わいと共に、純粋な喜びが鑑賞者の心に直接発信されてくるようだ。

 佐藤喬「エコロジー・ジャパン'15《貝》No.3」。「貝」という文字をもとにしながら画面を展開している。海中を漂う水の動きに合わせて文字をたゆませながら、水泡や魚群によってリズムを作り出している。画面の外にまで広がっていくような動きを孕んでいるところもまたおもしろい。

 青山繁「光の反射」。三匹の鯉が寄り添うように泳いでいる。波を立たせ、その先端は白く陽光に輝いている。右上方には睡蓮の葉が数枚浮かんでいる。動と静を一つの画面の中で両立させながら、それらを静謐に描き出しているところが見どころである。水の深い色彩もまた、鯉の鮮やかさと対比され、それもまた大きな見応えの一つになっている。

12室

 熊谷睦男「延年の舞・老女〈鎮魂 Ⅹ〉」。仮面を付けて舞う老女とその上方に釈迦の姿が見える。緩やかな舞は周囲の空気を静かに動かし、独特の緊張感を生み出している。青みがかった色彩の中で、どこか異次元を思わせる雰囲気もまた魅力である。

 筒井義明「スズロ'15」。和服の下半身をはだけた若い女性が座りながら本を読んでいる。顔は垂れた髪で隠れて見えない。背後では、暗色と灰白色が鬩ぎ合うように施されている。エロティシズムを感じさせながらも、どこか純朴なイメージがある。女性の身体を曲げたポーズもまたしなやかで、画面に漂う深い心理的な奥行きをさらに強く発信してくる。

 高田墨山「媚(び)」。ダイナミックな筆致でありながら、シャープな印象を受ける。緩急を付けながらきびきびとした動きがあって、それが画面上でしっかりと纏め上げられている。向かって左側に伸びていくような動きが特に印象的で、左に頂点を置いた三角形を思わせるフォルムと相俟って、強く印象に残る。

 倉数和文「月光の浴女」。暗がりの中に一人の裸婦が立っている。周囲には湯煙が湧き立っているようだ。モノトーンの世界で、女性の身体がどこか輝くような魅力を放っている。シャープなフォルムで描かれた女性の量感のある様子が独特で、どこかモダンである。幻想的な雰囲気を孕みながら、妖精的な色気のようなものを讃えているところが特に魅力である。

 近藤美峰「Le Mt Fuji」。正面から富士山を描いている。手前の湖面には、その姿がそのまま映り込んでいる。強いコントラストを孕みながら、やわらかな印象を受ける。富士の周囲は仄明るくなっていて、どこかオーラを纏っているようにも見える。それが霊的なイメージを作品世界に引き寄せている。画面の中央、湖岸に沿うように明るい線が見える。それが虚と実を分かつ境界のようで興味深い。

 永名二委「山霧」。霧深い渓谷の情景である。画面の左右に崖があって、深い濃墨によって描き出されている。そのヴォリュームのあるフォルムが力強い。その崖の間には霧が漂い、奥の風景が掠れるように見え隠れしている。緩やかに変化する動きの中に、刻々と変化していく自然の姿が実に繊細に情感深く表現されている。

第44回齣展

(8月11日〜8月20日/東京都美術館)

文/紺世邦章

1室

 石原覚寿「こどものころの(Die Unruhe)」。遊具のある荒野で八人の子どもたちが遊んでいる。遠景に行くにつれて地面が紫がかっていて、不穏な雰囲気がある。遠景と隔てられた前景には、女の子が一人佇んでいる。女の子の背面の白い壁や空は、引っ搔くように削られて下地の赤が露出し、緊張感が生まれている。こういった描写から、子どもたちはこの荒野で不安や憂いを抱いているようにも見え、鑑賞者にも子どもたちの不安が移入してくるようだ。

3室

 伊藤秀治「養蚕界 '15─2」。黒闇の中に障子が斜めに描かれて、不安定な印象。赤い人物の背中には蚕の幼虫の姿が浮かび上がり、グロテスクに表現されている。蚕と人とが共に生活する養蚕家で、いつしか二者が融合してしまったようなイメージが面白い。このような表現からは、画家が蚕を取り巻く世界に対して抱いている好奇心や恐怖があらわれているようだ。

4室

 森川宗則「相馬幻視行 3」。相馬は福島県にある地名。馬に乗った侍は南相馬市で行われる「相馬野馬追」の様子で、SLは昔、常磐線を走っていたものである。馬とSL、走行するモチーフの間に2つのピエロの顔がある。ピエロは人を笑わせる賑やかなものだが、このピエロは悲しげな表情。野馬追のような明るい催事の裏に震災の影があることを、スリリングなコンポジションで表現している。

第11回世界絵画大賞展

(8月12日〜8月20日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 磯田章恵「見えているもの」大賞。和室に二人の女性が描かれている。一人は年配の女性で、向かって左を向いて掃除機を掛けている。もう一人は若い女性で、右を向いて正座し、菓子袋を開けようとしている。よく見ると、その女性の首は妖怪ろくろっ首のように長い。瞳も赤く、実に妖しい。母でさえ娘が何者なのか分かっていないという、日常の中に潜んだ不安が独特の空間的余韻を持って表現されている。クリアな描写なだけに、より心理的なリアリティが引き寄せられているところが見どころである。

 ねねのりこ「いただきます。」遠藤彰子賞。一人分の食事が乗せられた食卓を斜め上から見るような視点で描いている。右下には一匹の猫がいて、振り返るようにこちらを見つめている。座布団は真上から見るような視点だし、それぞれの部分で切り替えられているところがおもしろい。調和の取れた色彩も相俟って、ノンシャランとした雰囲気が魅力の作品である。

2室

 小野田宏美「遊戯、揚々」優秀賞。様々な動物が細やかに、生き生きと描かれている。見上げるような構図によって強い求心力を作り出している。画面全体は賑やかで華々しい楽しさがある。色彩も変化に富んでいて、豊かな感性も感じさせる。

3室

 藤田遼子「夏休みの日記」優秀賞。画面一杯に描かれたプールで少年が一人背泳ぎをしている。手前に向かって泳いできている少年の、そのゆったりとした動きが印象深い。プールの縁には白い靴がポツンと置いてある。シンプルな画面構成であるが、それだけに作品内の雰囲気がよく伝わってくる。そういった中で、少年のどこか無表情な様子にドキッとさせられるところがまたもう一つのおもしろさを作り出している。

 Mayu Okada「The encounter.」絹谷幸二賞。強い抽象性を孕んだ作品である。二つの色彩の渦がお互いに関係を保ちながらうごめいている。敵対しているのか親密なのか、いずれにせよその響き合うようなイメージにオリジナル性がある。

4室

 石神有紀「KAMAKURA」佐々木豊賞。池に映り込んだ周囲の景色とそこで泳ぐ鯉たちがうまく馴染みながらも描き分けられている。点々と描かれた鯉たちは優雅な動きを見せるが、それがどこか周囲の風景の中、空を泳いでいるように錯覚する部分があるところが特におもしろい。独特の画面構成の中に自身のイメージをしっかりと描き出している。

5室

 菅原瑶子「花」東京都知事賞。画面の中央で広がる花に重ね合わせるように、本を読む少女を描いている。確かな描写力が魅力で、それに加えた演出力が、作品の強さを支えている。淡々と描きながらも、耽美な世界の広がりを感じさせるところに注目した。

6室

 野中美里「繫がる日まで」南嶌宏賞。遠方に山を望む町の情景。うごめくような描写で、どこか妖しさを孕んだスリリングな気配がある。風の流れ、山の胎動、人々の生活。そういったものをこのように描き出す感性が、今後の展開を期待させる。

第53回全展

(8月21日〜8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 大高孝雄「語る」。茅葺きの民家が海際に建っている。廃屋で、屋根は壊れかかっている。白神の海岸べりの風景である。貧しい漁村の栄枯盛衰の姿を海を背景にして描きながら、そこに暮してきたおかみさんを座らせて描いている。彼女は笑っている。彼女に対する画家の愛情深い眼差しが印象深い。背景の壊れた民家とのコントラストの中に表現される。

2室

 鈴木文雄「ボロブドゥール『旭日』」。ボロブドゥールの頂上付近から東を眺めている。いま広い草原から太陽が昇ってきた。空や大地を黄色く、あるいはオレンジ色にピンクに染めながら、輝く太陽が神秘的に表現されている。周りには大きな階段が重なった様子や釣り鐘のようなフォルムなどがあって、ボロブドゥールの歴史を濃厚に漂わせている。その中に立って、その歴史を全身で感じ取りながら、きょうという日の一日の太陽との出会いを表現する。

 清水正治「緑の異人館」。緑のペンキの塗られた二階建ての洋館が、お洒落な雰囲気に描かれている。手前には板を並べたような場所があり、そのグレーと建物の緑との響き合い、あるいは同じようなグレーだが、すこし緑がかった空の色彩が雅やかに響き合う。緑の扱いのうまさに注目した。

 城所克美「残雪の志賀高原」文部科学大臣賞。近景に澄んだ水をたたえた小さな湖があり、中景にロッジ、遠景に山の斜面が描かれている。ロッジと湖のあいだに四人ほどの人が点在している。カップルもいるようだ。白いロッジの壁。まだ冬の佇まいの風景の中に独特の韻律で描く。いわば理想郷のような空間がここに表現されている。

 酒井喜美子「茜さす大樹」。樹齢数百年と思われる樹木が、画面のほぼ真ん中近くに描かれている。その豊かなイメージが画面のテーマとなっている。遠景に霞む青く低い山が見える。夕日で空が赤く染まっている。その赤い空がこの木の背景に逆光のように輝いている。あるいは、そのような赤に荘厳されたような大樹の姿が表現されている。

3室

 風間徹志「真鶴港」。たくさんの漁船が繫留されているが、近景にひときわ大きな漁船が停泊している。その艫のほうから描いている。ずっしりとした存在感が感じられる。筆を重ねながら表現して、その結果、静かなムーヴマンが表れる。

4室

 大林せつ子「伊豆の海」。画家は伊豆にアトリエをもっているそうだ。そのアトリエから大島を眺めている。岬や大きな岩、繰り返す波の様子。そして、向こうにわだかまるように存在する大島をグレーの中に描いている。海際の建物が面白いアクセントになっている。空がオレンジ色なので、朝陽のころの光景のようだ。画家独特のしっかりとしたマチエール。たっぷりと岩絵具を置くことを繰り返すことによって、独特の色彩の深みが生まれる。この作品のテーマは海である。伊豆半島と大島のあいだにはさまれた海のもつ神秘的な独特の調子をよく表現している。そこに波がすこし立っている様子が、逆に海のもつ巨大な肉体ともいうべきものを表すようだ。インディゴふうの暗い青からウルトラマリン、コバルトブルー、そしてテールベルトふうな色彩にわたるトーンの変化の中に描かれた波を見ていると、波は永遠にこの画面の中で寄せては返すように感じられる。

 寺本和子「花舞う里」。手前に白や青い花が可憐に咲いている。あいだに赤い花も咲いている。畑は畝がつくられて、まだ植えられていない。遠景には瓦屋根の民家や大木が枝を広げて、その大木に白い花が咲いている。なにか桃源郷のような趣である。澄んだ透明感のある色彩のハーモニーがリアルな中に独特の美しさをたたえている。

6室

 六浦和宏「光の海へ」。山の相当高い位置から見下ろしている。眼前の山々はシルエットになっていて、その向こうに海が広がっている。海は空から差す光を受けて明暗のコントラストの中に描かれている。右の水平線の近くはいちばん明るい海で、朝日をそのまま反射している。雲の複雑な様子が画面の三分の一を占め、同じ三分の一を占める山並みと対照される。その雲のあいだから差す光によって、海が斑状になっている様子を、一種抽象的な美しさのなかに表現する。朝日が昇った後しばらくの神々しい瞬間をよく表現する。

第52回近代美術協会展

(8月21日〜8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 西炎子「flow 1503」。中心に黒い色彩がたらしこんだように描かれている。左側には緑、右のほうには青。その上に赤、オレンジ、あるいは黒。混沌とした中に形が現れ、また消えていく。力強いように見えながら、繊細で、逆に弱さといったものも画面の中に引き寄せながら、ひとつの心象が画面の中を動いていく。時というものが横軸に、生命というものが縦軸にとられたスケールのなかでの表現といってよいかもしれない。

 堀江進「KAI-15-1」。黄色、オレンジ、ウルトラマリン、黒などの絵具を画面にぶちまけたような雰囲気で、激しいコントラストの中に表現される。激しく光が発光するような強いインプレッションを感じる。

 藤岡絵里「懐かしのインカレNO7」。大学間の競技会のようなものに参加したときの経験を思い出して描いたのだろうか。赤い円弧がたくさん描かれている。それらは重なりながら強い生命感を表す。その円弧は細胞のような雰囲気。またたくさんの人が集合しているようなイメージ。あるいは団結のようなイメージも表すのだろう。青春のもつ輝きがこの赤のリングによって描かれているようだ。中心に左右に伸びる線が見える。地平線のように感じられる。それは時間の中の地平線で、心の中の地平線と言ってよい。記憶の地平線と言ってよいかもしれない。そこから浮かび上がってくるイメージを赤い色彩の中に大胆に力強く表現する。下方にブルーの色彩があらわれている。それは夜空を思わせるような雰囲気。あるいは澄んだ青い空を思わせるようで、純粋でイノセントなイメージをもらたす。過去の経験が濾過されて、力強く、また清冽な澄んだ存在として画面の中に描かれる。

2室

 国分信悟「白夜」。三点対である。球体がいくつも描かれ、その円形のフォルムが静かに移動していくような雰囲気。そこに蔓のような植物やしだれてくる花などが描かれて、全体で寂々としながら雅やかなハーモニーが生まれる。月と植物、そして花が一体化しながら、オールオーバーに画面に配置され、しかもそれらが旋回するような動きをしているように表現されている。

 川角町子「心の郷・海風吹けば…」。風が吹き、波が騒ぐ。白と黒とブルー。それぞれの色彩が生かされている。とくに白とブルーとのお互いの響き合い。まるでデュエットするような二つのフォルムは清々しい。手前に岩があるようで、そこに貝などがコラージュされて盛り上がっている。遠景は黒によって断崖のようなフォルムが描かれている。その黒は海の中にもそのまま続いている。白とブルーは日中の時間帯で、黒は夜の時間帯も表現しているようだ。いずれにしても、海にちなむポエムのような表現であり、実に自由にドローイングされ、その動いていくフォルム自体が歌ってくるようなユニークな感性に注目した。

3室

 亀原惠子「蘇鉄―2」。「蘇鉄」が二点出品で、それに接近して拡大したかたち。そのディテールが強く、異世界のものがここにあらわれているようなエネルギッシュなものが表現されている。この「2」も面白いが、「1」の蘇鉄の上方に葉、下方に地面を置いたカーヴする膨らんだ形、その中にたくさんの突起のある様子はまた、よりパッショネートでより不思議な形象をもって迫ってくる。

 加藤浩「黒い空間」。中心下方に巨大な鳥居が描かれている。黄金色と朱色に彩色され、それはすこし膨らませたかたちで置かれている。背後には鬱蒼と茂る樹木や階段、建物、道などが描かれているが、すべて小さな紙片を貼ったもの、つまり貼り絵によって描かれている。濃厚なエネルギーが感じられる。鳥居を中心として、一種結界のような自然の姿が強いエネルギーをもって迫ってくる。

 山浦修治「道」。同心円がいくつも描かれる中に、手前には球体の中に飛ぶ白い鳥。左右の木立。V字形に曲がって遠景に向かう道。懐かしい魂のふるさとのイメージをロマンティックに歌い上げるように表現する。そのための曼陀羅構図がよく生きている。

6室

 山﨑成子「タプロム」。タプロムとはアンコールワットなどのカンボジアの遺跡を指す。二点出品で、もう一点はその遺跡の様子が仏の顔を中心として描かれているが、この作品は、その遺跡に存在する不思議な気根をもつ樹木の形とそのそばに頭蓋骨の集積した様子が描かれている。赤色クメールというのか、ポル・ポトの大虐殺の記憶がそこに描かれている。ただ、陰惨に描かれていず、カラッとした調子のなかに表現され、その骸骨の数十個のフォルムもまだ生きているかのごとく、不思議な生気をもっている。上方から水が流れてくる。スコールも多いカンボジアの風土も画面の中に入れこみながら、その生命的な樹木の天まで上る動きを中心にして、手前の頭蓋骨の集積の反対側には建物群が描かれている。過去の悲惨な出来事もクリアしながら未来に向かう姿を表現したと言ってよい。

 舘野邦栄「いっぷく」。裸の女性が立っている。そばには椅子に腰掛けた二人の女性。その後ろにはタオルを持って体をぬぐおうとしている女性がいる。海のそばの光景である。上方の海には大きな魚が泳いでいる。そこは青く、下方は赤の中に描かれている。暮れ方の光景。その海辺でゆったりとしている女性たちの姿を、強いパッションのなかに表現する。形態がクリアで力強く、それがこの赤や青のプレッシャーの強い色彩の中に立ち上がってくる。

第51回白士会展

(8月22日〜8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 池田順子「刻」。ベージュの背景が茫漠たる空間を表す。そこにほとんど枯れたように思われる一群れの草。茎の上にドライフラワーのような白い花がついている。しかし、完全に枯れているのではなく、生きている。そんな雑草の生命のうたともいうべきイメージを描く。

 鈴木喜家「北の岬」。礼文島の風景だという。紅葉したような色彩は現実に見たものではなく、画家のイメージによる。そのオレンジ色と朱を掛け合わせたような色彩が強い印象を与える。下方に道が大きくカーヴしながら、遠景に向かう。その上に覆いかぶさるように紅葉したような樹木の密集する森を上から眺めたような様子。横に断崖のようなフォルムが見える。立面図と平面図を合わせたようなコンポジションによって、輝くようなこのオレンジの世界が描かれ、自然というものの不思議な魅力を表現する。

 加藤眞惠「束の間の風景」。奈良に取材したそうである。民家や竹林や広葉樹が茂っている様子。あるいは、時間が移って葉の落ちた裸木の形。収穫したあとの藁を積んだ様子。見ていると、一つの季節のみならず、いくつかの季節にまたがって奈良の風景をピックアップし、それをコラージュふうに画面に配置しながら、全体で一つの風景にしていることがわかる。そのためのコンポジションが力強い。すこし欲張りすぎて様々なものを画面に引き寄せたようなところもあるが、対象のもつ様々な魅力がお互いに響き合いながら、独特の奈良の山水図ともいうべきコンポジションになっている。

 伊丹靖夫「海境(廃船)」。船のスクラップを集めた場所があるそうだ。自動車のスクラップを集めたところはよく見るが、船にもそのような場所があるという。そこをテーマにしたのだろうか。たくさんの船の残骸が集まった様子は、まるで不思議な生き物のようだ。中心の矩形にあけられた窓のようなフォルムが目のように感じられる。背景の赤茶色のフォルム。柱のように立ち上がっている形は、あいだが抜かれて、なにか空虚な雰囲気が漂う。じっと見ていると、最近トラック島のほうを天皇陛下が慰霊に行かれたが、南方に散った日本軍、その海の中の軍艦の跡のイメージを筆者は連想した。たくさんの人がそこに死んでいるわけだが、死体も引き揚げられず、七十年ものあいだ水の中に沈んだ船。この廃船の集積にも、かつて十分に生きて働いていた船の残骸のもつ、なんとも言えない過去が濃密にそこにあらわれてくるような不思議な雰囲気が漂う。いわばささやかな歴史性ともいうべきものを、画家は画面の中に表現したと言ってよいかもしれない。

 加藤哲男「開田村浅春」。岐阜のある場所で、かつてはいかにも里山らしい風景であったそうだが、このような風景はいまはない。屋根も新しく葺き替えて、まるで違った風景になっている。そんな画家の記憶のなかにある開田村を画面の中に浮かび上がらせた。それによって一種抽象的な味わいが生まれる。いわば心の中の風景のような雰囲気があらわれる。そして、それぞれの建物、とくに屋根が一つひとつ静かに光っているような雰囲気。そのあいだにやはりグレーに光っている道が続いている。

 河村明美「無錫運河浴」準会員努力賞・会員推挙。運河沿いの瓦屋根の民家。窓もすこし歪んでいる。水に下りる階段の向こうに袋を持って立つ女性。窓の向こうに洗濯物の干してあるのが見えるところもある。生活感がしみ通ったような建物を描く。そこにあるリアリティが鑑賞者の心を打つ。

 四釜厚子「村人(インド・マンドゥ)」白士会賞・準会員推挙。サリーを着た女性が立って、頭にバッグを置いて右手を添えている。堂々たる体格の女性の全身像である。それだけで一種のモニュマン性を感じさせるような迫力のある画面。優れた造形力である。

2室

 鵜飼千佐子「暁」。青年がパジャマ姿のような雰囲気で立っている。背後に建物や電線が見える。夜明けの頃に青年を立たせて描いてみたといった様子。まだ街が眠っている頃に目覚めた青年のイメージを生き生きと描く。線が表現の中心となって、その線がよく生きている。

 飯田史朗「スカンノ 古い家」。スカンノはローマから一時間ぐらい内陸に入った街である。山によって囲まれて、あまり人の出入りがなく、昔ながらの佇まいを残しているイタリアでも最も美しい街の一つといわれる。二つの道が近景に描かれている。左の道は十メートルほど高く、右の道は下方にあって、その道沿いの建物と高いほうの道沿いの建物の二つ。中心は両方にまたがるように建物が建っている。煙突がユニークなアクセントになっている。茶褐色、赤色を帯びた壁。そこにうがたれた窓。建物と建物のあいだに電線が渡され、裸電球のような電球が一つ吊るされているのも味わい深い。緑色がかった空。青い山。掌の中に置いて見るような愛らしい風景が、生き生きと描かれている。

 近藤朗「無為への入口」。脱色したような、晒されたような光景。水を前にして植物を背に幼児が座っている。そばに二羽の鷺。蓮の葉は枯れて俯いて、密集している。山から満月が昇ってきた。蔓のような植物が上方に立ち上がっている。グレーの中の微妙な変化。その中の光。わだかまってくる光の中に幼児や鷺が描かれている。画面の中にかすかな光をもとにイメージを掘りすすんでいきながらあらわれてくる世界。時を失った中に表現される。「無為への入口」という題名のように、目的のない、しかし存在するもののもつ感触を描く。

 河合咲子「街角」。不思議な風景である。脚立にのって壁を塗っている男。向こうに歩いていく女性。犬をそばに置いて話している二人の少年。遠景にはいま街角に向かおうとしている人がいる。金髪の女性がこちらに歩いてくる。それぞれはほとんど関係のない人間たちがそれぞれの時間のなかに存在する。それを画面の中に統合する。通常の風景だと、その光景の中に人々がいる様子が描かれるわけだが、これはそれぞれの人がそこにいるそれぞれの時間を集めて統合したかのような不思議な味わいがある。バルテュスが若い頃にそのような街の中の人物群像を描いたことがあるが、その作品を連想するところもある。シュールな味わいに注目した。

3室

 杉山博子「緑樹」。南方の巨大な樹木を背景に、花でできたレイを首に掛けた若い女性が立っている。髪に花をつけている。女性はこの巨大な木の霊のようなイメージで描かれて、二つは一体化している。そんなことが感じられる画面の中のリズムが面白い。太古につながるような自然の雰囲気。妖精のような女性が、独特の魅力をたたえて描かれる。

5室

 白井富子「春光(ドイツ)」準会員推挙。ドイツの教会の内部である。入口から入ってくると、円形の部屋がある。その中心が画面の下方に描かれている。その向こうには矩形の高さの高い入口がある。その入口の向こうにはまた廊下のようなものが見え、別の扉が見えるのだが、そこから光が差し込んでいる。差し込んだ光が、手前の円形の部屋の中心から円筒のようになって立ち上がっているように輝いている。一種の幻想と言ってよい。そこにいわば神的なものの存在を画家は暗示する。壁には装飾的な男女のフォルムや上方の時計のそばの天使などの意匠が描かれ、どことなくアールヌーヴォーふうなイメージがあらわれる。シャンデリアもそうである。そういったものを背景にしながら、一種神的な存在との出会いともいうべきものを画家は表現する。旧約聖書によると、モーゼの前にヤハウェは、白い光として現れたという。

6室

 吉田祥子「明日を詩う」。黄色い傘を持った若い女性。背後には紫陽花が咲いている。そんな様子をしっかりと誠実に描く。

 坂倉由一「靈踊」。何層もの屋台になって、そこに女性たちがたくさん踊っている。地面の上にもたくさんの人々が踊っていて、雪洞が出ている。そのあいだに黒いシルエットの人間が現れて踊っている様子があやしい。その黒いシルエットの人間たちは霊を表すのだろうか。遠景にはお城が見え、三日月が現れ、星が大きく輝いている。富士山のようなフォルムも見える。お祭りをテーマにしながら、深いイメージのなかに画家は入っていく。いま目の前に見えるお祭りだけでなく、画家の経験した様々なお祭りのイメージがここに集められて、壮大な、いわばお祭りのモニュマンともいうべきものが表現され、その中に黒いタコのような不思議な霊的なフォルムがいくつも描かれているところが実にあやしい。

 小澤敦子「導師」。杖をついてターバンを巻いた老人が歩いてくる。導師という題名のように宗教のなかの高位の人なのだろう。大きな輝くような目。左手の掌をこちらに開いて見せながら歩いてくる様子は、強い存在感が感じられる。この男性のもつエネルギーやオーラのようなものを画家はよく描いている。

 磯川克子「夢想」。三羽の鷺が地面にいて、一羽の鷺がいま下りてきている。両側に黄金色の石榴が描かれている。装飾的なコンポジションの中に鷺のフォルムが生き生きと描かれる。そのリアルな写実の力に注目した。

お問い合わせ
  • 株式会社 生活の友社
  • 〒104-0061
  • 東京都中央区銀座1-13-12 銀友ビル4F
  • Tel. 03-3564-6900
  • Fax. 03-3564-6901
[ 美術の窓 ]
[ アートコレクターズ ]
[ ARTcollectors' in Asia ]
[ 書籍 ]
[ オンラインショップ ]