美術の窓

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公募展便り(2014年10月号)

「美術の窓」2014年10月号

第26回現代パステル協会展

(8月2日〜8月10日/東京都美術館)

文/編集部

1室

 長野ひとみ「蓮」。画面いっぱいに密集した蓮が描かれている。カーヴを描いて曲がる葉の重なりが独特のリズムを作り出している。奥には枯れた花も見え、シルエットのように描かれているフォルムに味わいがある。画面全体はうっすらと青みがかっていて、どこか透明感を感じさせるところもまたおもしろい。

 岩井弘則「女」。顔を隠して目だけ覗かせた裸婦の二人の姿がどこかミステリアスで印象に残る。グレーの色彩をバックに、オレンジやベージュなどの明るい色彩を効果的に扱っている。生き生きとした生命力が溢れる女性像である。

 一の瀬洋「嵯峨野」。風によってざわめく竹藪の情景が広がっている。掠れるように色彩を重ねながら描いた画面が、どこか抽象的な様相を孕んでいる。竹の上下の動きと風の斜めの動きによって画面を活性化させながら、刻々と過ぎゆく時間の流れを感じさせる。

 さきやあきら「Visage―貌」。強い心象性を感じさせる画面に惹き付けられる。描かれているのは古木の幹である。相当な樹齢を重ねた幹は、老賢者のような深い表情を湛えている。様々な色彩を使いながら、中央の辺りが仄かにぼうっと明るくなっている。それがどこか霊的な気配を醸し出しているところが興味深い。そのようにして描かれた画面が、鑑賞者に静かに何かを語りかけてくるようだ。

 松田登「ワインの都 Porto」。ポルトの港の爽やかな風景を背後にしながら、一人の紳士を正面から描いている。紳士は向かって左上に目線を向けながらにこやかな笑みを湛えている。ワインを片手にシルクハットを被り黒いマントを羽織ったその姿がどこかユニークで印象深い。右奥にはワインの樽が積まれていて、その関係の仕事をしているのだろう。愉快な人物像を魅力的に描き出したこの画家らしい作品として注目した。

 髙木匡子「うつろう春」。横長の画面にヤツデが描かれている。輝かしい光がヤツデを包み込むようで、外側の葉は光に染まっている。それが下方の青みがかった暗色の影とやわらかなコントラストを作り出しているところが見どころだと思う。点々といくつも小さな花が咲いていて、それが小気味よいリズムを作り出してもいる。

 森本克彦「窓辺の人」。窓辺のテーブル席に座っている女性を中心に描いている。女性は目を伏せてどこか物思いに耽っているようだ。窓の外には下方にビルが建ち並び、この場所が上階にあることが分かる。女性は繊細な描写でありながら、窓の表情はどこか心象的に描かれている。その対比が特に印象深い。確かな絵画力を感じさせる。

 細野基子「悠久・青の譜」文部科学大臣賞。画面の向かって右側に百合がいくつも花を咲かせている。百合は青く染まっている。繊細に伸び頭をもたげるその姿には、どこか寂しさ、或いは祈りといった心情が込められているようだ。背後には茶褐色の色彩が広がり、下方には古代飛鳥の地図が俯瞰するように線で描かれている。過去へのロマンとともに、そこで生活してきた人々の人生そのものを作品に引き寄せている。愛する人が亡くなり、それを天へ見送るということを人間は古来から繰り返してきた。そういった命に対する深い想いを、画家は青い百合に託しているようだ。掠れるような色彩の中で、強いイメージの力が命の永遠性を鑑賞者に語りかけてくる。

 前田敦子「青のなか」現代パステル協会賞。画面の下方にグレーの建物のような矩形が浮かび上がっていて、上方では煙が右上に立ち昇って行っている。背後は落ち着いた青の色彩が施されている。そういった中で細やかに線で描かれた形象が浮かんでは消えていく。そういった湧き出るようなイメージの表現がおもしろい。微かに赤や黄色の色彩を使って抑揚を付けながら、動きのある画面を作り出しているところにも注目する。

 奥村陽三郎「特殊船群光景 Ⅱ」。港から出港する船の様子を描いている。画面全体はグレーの色調で纏められ、光と影のやわらかなコントラストを効果的に扱っている。そこに赤い支柱が三本奥へと続いている。それが小気味よいテンポとともに色彩的なアクセントを生み出し、作品をより見応えのあるものにしている。無機的な画面の中で人間の匂いのようなものを感じさせるところもおもしろい。

 魚森光代「壁―往時」東京都知事賞。古く壊れかかった石壁を味わい深く描いている。灰白色の壁に黄やオレンジ、茶などの色彩を滲み出るかのように施しているところが見どころである。背後は夜空のように暗くなっているが、その表情も豊かで、画面全体で確かな存在感を獲得している。

 小林順子「6月」。水色のワンピースを着た女性が仰向けにリラックスして横たわっている。そのゆっくりとした時間の流れが心地よい。女性の力を抜いたポーズもまた自然である。緑から青の色彩をやわらかに扱っていて、それが作品の雰囲気を確かに支えているようだ。腕に抱えられたクッションや周囲の白い花もあいまって、鑑賞者の心を癒すような魅力を湛えている。

 岩崎光子「花の精 No.‌13」。様々な花が画面の中に描かれている。それぞれが赤や紫、黄の色彩で掠れるように彩色されている。そのコクのある深い色彩が魅力的である。そういった中で画面の中央が明るく輝いている。それがまた、聖なる光を受けて美というものの気高さを鑑賞者に発信してくるようで興味深い。

 城本泰子「陽のあたる場所」小林哲夫賞。雑草を積んだ一台の手押し車を大きく描いている。明るい陽の光が逆光になって、やわらかなコントラストを作り出している。また、手押し車の金属や雑草などの触感がしっかりと捉えられ、表現されているところが特によいと思う。

2室

 塩川久代「夏の終り」。湖畔の情景である。手前には葉が生い茂り、奥にはボートがたくさん浮かんでいる。そのボートから画面の右半分が影になっていて、左側は明るい。それが作品にドラマ性を作り出し、画面全体で心象的な情景となって鑑賞者を惹き付ける。

 錦織弘「収穫の庭」。屋外に置かれたテーブルの上にたくさんの果実が置かれている。リンゴやブドウなどの鮮やかな色彩が瑞々しい気配を湛えている。背後にはたくさんの花々が咲いていて、それが果実よりも控えめでやわらかな色彩で描かれている。滲むような描写がそういった気持ちのよい空気を作品に引き寄せている。

 田村公男「瞰」。少し高い位置から眺めた港町の風景である。手前には瓦屋根の家屋が並び、左手前から奥へと道がカーヴしながら続いている。そのすぐ左脇には船の停留する海が見える。右側は山の斜面になっているようだ。遠方に視野が抜けるように広がっていくわけでもない、独特の画面構成がおもしろい。線によって描きながら、そこに色彩を繊細に施していっているところが、この画家らしい表現で興味深い。鑑賞者の視点を左奥へと誘うような動きもまた印象的である。

 石田輝男「英国古都チェスター街眺望」。煉瓦造りの建物が密集するように描かれている。その細やかで誠実な描写に好感を持つ。ところどころに描かれている植物が、茶系の色彩の中でやわらかなアクセントをを作り出しているところもまた興味深い。

3室

 藤﨑典子「二月」。強い心象性を孕んだ作品である。青みがかったグレーの色彩の中央にぼうっと浮かび上がるように黄色の光が見える。その中で白い線によって四つの大きな形象が描かれている。その奥に色面を重ねるように描いているところが、深い心の奥を覗くような雰囲気を持っていておもしろい。仄かな温もりを感じさせながら、ゆるやかに時間が移ろっていくような印象がある。

5室

 松香桃子「追憶のフィンランド No.3」。地平線を画面のかなり下方に持ってきている。空はグラデーションになっていて、地平線のあたりが最も明るい。ロマンチックな情景である。下方にトナカイが一頭点景で描かれているが、それが画家自身のように思えて興味深い。

第15回日本・フランス

現代美術世界展

(8月6日〜8月17日/国立新美術館)

文/編集部

4室

 渡邊智美「imagine of green」。明るい緑の色彩を中心に、それを包むように白の色彩が入れられている。例えば、上空から雲の下の平原を眺めるような心地よさがある。眺めていると、色彩は少しずつその形を変えていく。呼吸するように、あるいは漂うように。画家のイマジネーションが、鑑賞者を作品に誘い込むようだ。

5室

 中村マヤ「プリズムの建築」。円形の画面の中に、伸びやかな線によって見上げるような視点で建物が描かれている。下方は柱だけになっていて、上方には窓がいくつも開けられた壁になっている。そしてそれらに重なるように、青の色彩によって上方から光が降りてきてリング状のプリズムを作り出している。その直線と曲線の作り出す不思議な協奏曲のようなリズムと動きが独特のおもしろさを生み出しているようだ。人工的な建築物でありながら、無駄な要素を省いたところにある美しさが、自然の光と重なることによって、さらにもう一つの美を発現させる。それが人間と自然との調和の一つの理想であり、画家のメッセージのように思えて興味深い。

6室

 江崎武春「入江を射す閃光」。強い心象性が作品に引き寄せられ、入江の風景を浮かび上がらせている。暗色の大地と黄金を思わせる色彩が、どこか神聖な気配を呼び起こす。静かな気配の中にドラマ性を感じさせる作品として注目した。

8室

 杉本秀子「名木(韮崎のエドヒガン桜)」。山頂の崖のような場所に立つ桜が描かれている。伸びやかに枝を広げ、花を咲かせている。その桜の持つ孤独な美しさに強く惹き付けられる。清々しい透明な空気感もまた魅力である。

10室

 岩谷富男「潮と影跡」。仰向けになった一人の女性が波間から見える。肌は濃い朱色で染められ、目を閉じて浮かぶその姿が強く印象に残る。強い生命を感じさせるようでもあり、二本の影からは死の気配も漂う。そういった二つの要素が、一つの画面の中で鬩ぎ合いながら心理的なおもしろさを作り出しているようだ。

11室

 青山繁「集まり」。水面の真下に五匹の鯉が集まってきている。その鯉たちによって出来る波紋が繊細に描かれている。水は深い緑の色彩であるが、不思議な透明感を孕んでいる。鯉たちのどこかユニークな表情とその量感が、作品にリアリティを引き寄せてもいて、見応えのある作品となっている。

 永名二委「奔流」。流れ落ちる滝を大きく描いている。左右の崖の濃墨が中央の滝の明るさを支え、その存在感を強めている。滝はなるべく描き込みを少なくし、そうすることで水の一体的な動勢をより生き生きと表現しているようだ。崖の堅牢な様子とやわらかな滝の動きがさらにもう一つのコントラストを作り出している。他にあまり見ることのない独特の滝の表情が強く印象に残る。

 筒井義明「スズロ '14」。こちらに足を向けて寝そべった裸婦を確かなデッサン力で捉え描いている。足が大きく描かれていることで、鑑賞者とこの女性との距離感がより接近していくような感覚を生み出している。周囲は室内のようで、奥には大きな窓が開いている。しかし、それらは溶けるようにぼかされて描かれている。赤、水色、黄、暗色などが混ざり合って、そこに強い抽象性が生まれている。そしてそれがより女性の存在感を浮き立たせているようで興味深い。いずれにせよ、女性のなめらかなフォルムと顔の見えないミステリアスな雰囲気が鑑賞者の好奇心を強く刺激し、その作品世界へと引き寄せる。

 熊谷睦男「延年の舞・老女 〈鎮魂Ⅶ〉」。老女のゆっくりと舞う動きが、どこか鑑賞者を異世界へと誘うような魅力を湛えている。上方にはたくさんの仏の姿が見え、強い祈りのイメージが発信されてくる。そして下方には東日本大震災を想起させる情景が広がる。癒えることのない悲しみの中で、まさに鎮魂の祈りのメッセージが静かに語りかけられてくるようだ。

12室

 佐藤喬「エコロジー・ジャパン '09 《木》 No.4」。漢字を形象化し絵画作品へと昇華させるのは佐藤作品特有のおもしろさである。掲出の作品は木という漢字をデフォルメし、そこに文字から生まれ出るイメージを表現している。こんもりと生い茂る葉や飛んでいく鳥などが強い生命力を孕んでいる。シンプルな画面構成だからこその強い絵画性がある。

 高嶋公康「ざわめく―緑塊」。余白を大きく扱いながら、風に揺れる雑木林を画面の中央に描いている。モノトーンの中にうっすらと緑の色彩を繊細に入れている。微細に揺れる雑木林によって、ある種の時間の流れのようなものが作品に引き寄せられているところがおもしろい。透き通るような空気感もまたもう一つの魅力を作り出している。

 真船艶「統合」。盛り上がるような厚いマチエールと金、銀、暗色といった強い色彩によって画面が構成されている。それぞれの色面に存在感がありながら、それらが一つの画面の中で纏まることによって、さらに強い存在感が生まれてくる。その瞬間を切り取って表現したような臨場感が強い魅力を放っている。

 近藤美峰「日は昇る」。町を流れる河岸の風景を情感深く描いている。奥から朝日が昇り、それが河岸の建物や水面を照らしている。爽やかで気持ちのよい空気が特に印象に残った。

13室

 高田墨山「蠢」。大胆な筆の動きによって描かれた文字が、まさに蠢くような動きを孕んでいる。「春」の部分を大きく描き、それに比べて二つの「虫」は小さい。土の中で今かと準備をする生命が、外の世界の春の訪れを待ちわびているかのようだ。高田作品特有の強いイメージと筆致が鑑賞者のそれを刺激し、より作品に広がりをもたらしているようだ。

第52回全展

(8月21日〜8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 奥宗治「手賀沼」会員努力賞。沼の中に網が仕掛けられている。そばの杭には小さな船が繫留されている。手前の岸辺にススキや雑草が生えているなかに、一艘の船が繫留されている。沼は静かな様子で青い空を映している。しーんとした気配のなかにしみじみとした情趣が感じられる。

 荒井勝雄「北の丸公園」。石垣の向こうの斜面に桜と思われる花が咲いている。手前にも花が色とりどりに咲いている。春の柔らかな光線のなかに北の丸公園の一隅を生き生きと描く。

 大高孝雄「待春」。磯の岩のあいだに波が打ち寄せて、大きく波しぶきが立っている。その様子をダイナミックにドラマティックに表現する。右上方の青い海の色面と水平線が画面全体を引き締めている。そこに距離感があらわれる。

2室

 柴田淳「閑麗」内閣総理大臣賞。デザインの仕事をしている女性だろうか。テーブルの上に刷毛などが置かれているが、そこに女性が座り、こちらに顔を向けている。細い骨格の中に独特のこの女性の生き生きとしたフォルムがつかまえられる。衣装も白と黒、シューズもそうで、そこにお洒落な感覚が生まれる。髪をアップにしてパーマをかけたその量感のある髪とそのボディとが面白く響き合っている。画家の美意識によってつくられたこの正方形の画面の中の空間、そしてこの女性のイメージが、画面から生き生きと発信してくる。

 風間徹志「日野春にて」。廃屋の小さな民家。板の壁が壊れて、中の骨格がむきだしになっている。そんな建物が両側にあって、あいだを道が続いていく。その上は山の斜面のようだ。深い緑の色彩のグラデーション。あいだに茶色なども入って、霧が立っているような趣もある。その森の韻律が画面の内側から暗示してくるような独特の雰囲気が面白い。

 鈴木文雄「黄金海岸」。遠景に大きな山が単独峰として立ち上がっている。雪化粧で、太陽の光を受けて輝いている。近景は道があり、一階建ての低い民家があり、道と海とのあいだには堤防がないから、独特の広がりと手触りを見せる。地面の黒褐色の色彩、濃紺の海、柔らかな明るい青い空にピンクの雲が浮かぶ。色彩のハーモニーが魅力。

3室

 田村誠司「一隅─いちぐう─」。中国のある店のキッチンのようだ。鶏の足を摑んでいるコック。そばに玉葱などが盛られている。皿を洗う青年。手前の女性はニンニクのようなものを持っている。向こうには鹿のような四つ足の生きものが逆様になって吊るされている。もうもうと蒸気が立つ。それぞれの人間のフォルムをしっかりと描きながら、そこに光線を当てて独特の輝きをつくる。力強いコンポジションである。

 中田孝雄「天空の楼閣」。マチュピチュの遺跡のようだ。山の頂上にこの遺跡がある様子を上から俯瞰するように表現する。周りに雲が湧き上がり、高い峰もそのあいだから顔を出す。そんな中に遺跡の様子が静かに量感をもってしっかりと表現される。

 六浦和宏「流れの中」。手前が河口になっているようだ。大きな川が流れてきて、海に注ぐのだろう。両側の地面がシルエットに表現されている。左のほうは高層ビルが立ち並んでいる。ところどころ鉄塔が立つ。朝の光が斜めに差し込んで、川面を銀色に光らせている。清々しくピュアな雰囲気である。シルエットの雲がいくつも小さく浮かび、そこに不思議なリズムができる様子が、手前に走ってくる船と呼応する。どこか浮世絵的な色面空間の影響も感じられる。

4室

 大林せつ子「『けやき』の年輪に魅せられて」。二本の欅の木が描かれている。樹齢三百年とか四百年ありそうだ。左は褐色の太い幹の上に葉を茂らせ、右は真ん中が割れていて、アルファベットのオーの文字を縦に引き伸ばしたような幹の様子で、やはり緑の葉を茂らせている。なにか男女のような雰囲気で、不思議な落ち着きを見せる。なだらかな背後の山の様子。空は茜色で、夕方なのだろうか。西の夕日の落ちる向こうに西方浄土があるとかつて信じられた。手前の欅の様子とその空を見ると、深い信仰心が感じられる。手前の二本の老木に対して中景に若い樹木が横に並んでいる様子がほほえましい。老年と青年の様子を樹木を通して語りかけているような雰囲気もある。

 小山隆司「涅槃経変(部分)」。手前に座った菩薩がいる。後ろには老若男女の群衆がいる。家も描かれている。キジルの千仏洞のような、シルクロードのある祠の中に描かれている図にインスパイアされて、それをこの画面の中にアレンジしたような雰囲気である。線が生き生きとして力強く描かれ、それらがお互いに呼応しながら、手前の座った恰幅のいい堂々たる仏の像に収れんする。独特の強い表現である。

 山本武美「島の造船所」。水彩の作品。繰り返し透明水彩を重ねることによって、独特の色彩の輝きが生まれる。中心に大きな船が建造中である。クレーンがいくつも伸びている。周りには民家がある。手前には桟橋があり、船が繫留されている。中心の巨大な船の様子に強い存在感とボリューム感がある。建造中の船を中心とした独特の力強いコンポジションであり、その周りのフォルムがお互いに合唱しているような独特のイメージも面白い。

第51回近代美術協会展

(8月21日〜8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 堀江進「MUGEN-LAST-14」。二つの画面が組み合って、いわば二曲のようになっているが、右の画面のほうが横幅が広い。そこに無限大のようなかたちの円弧が黒や白によって表現され、背後の輝く黄色い色面の上に浮かび上がる。左扇に向かって∞の形が生まれる。無限にこの運動は繰り返されるような、そんな力強い空間が生まれる。

 藤岡絵里「懐かしのインターカレッジ NO5」。インターカレッジとは大学間の対抗競技会の意味である。また、全日本学生選手権大会のことなども指すそうだ。そういった青春時代の思い出を画面の中に引き寄せて、そのパッショネートな時代のエネルギーを画面の中に表現する。白い半円状の円弧が画面を動くように何回も太いストライプの中に表現され、右下方ではそこから白い飛沫が上がっている。背後にそれに呼応するようにコバルトやウルトラマリンの青い円弧や直線が置かれている。そして上方に、花束のようにピンクのドリッピングするような色彩があらわれる。背後は赤から黄土にわたる空間で、内的な世界を表す。ピュアでパッショネートな人間のエネルギッシュな力を画面の中に歌うように表現する。そこには内界と外界とがしぜんとクロスする。内界の水平線のようなものもあらわれ、それがそのまま一つのモニュマン的なものを空間の中に表す。深く内向しながら、そのようなモニュマンを画面の中に表現した。そう思って画面を見ていると、下方に不思議な透明な青い三角形の空間があらわれてきて、それはぽっかり空いた、いわば激しい台風の中心の静かに澄んだ目のような、そんな深い空間のようにも感じられて、この作品の奥行をより深くしているように思われる。そのぽっかりと空いた空間の、自己を超えたもう一つの世界がそこに表現されているように感じられるところも面白い。

 中野宗夫「回想」。グレーに独特のニュアンスがある。塗りこんで削り、背後の赤や緑や黄土などの色彩がグレーの内側から浮かび上がる。街のイメージを自由に画面の中に構成する。懐かしさと希望、あるいは夢想、ノクターン、様々なイメージが絡み合いながら一つの家がほかの家と連結しながら独特のメロディをつくる。そんな中から不思議な触手のようなフォルムが伸びてくる。

2室

 川角町子「心の郷…『鵜がやって来た』」。海は青く、大きな波をつくっている。それを背景にして岩の上に一羽の鵜がいる。岩はメディウムによってごつごつとした手触りのある黄土系の絵具を置いて、輪郭線は一筆書きの水墨のようにフォルムをつくる。その上に同じ黒によって一羽の鵜を描く。そこに独特の動きがあらわれる。対象の物質感を表現するのではなく、イメージを描く。いわば残像のようにそこに形があらわれることによって、絵画の空間が活性化する。その手前の岩と一羽の鵜に対して、海は独特の深さや量感を感じさせるたらしこみふうな色彩の中に波の姿を黒や白によってシンプルに描き、二つを対置させ、独特の心象風景をつくる。

4室

 三田村敦子「Voice of Nature」会員推挙。三陸海岸などは海のそばに岩でできた陸が続いているが、そんな場所なのだろうか。岩の上に一頭の栗毛の馬と少女がいる。背後に波が騒いでいる。フォルムが強く立ち上がってくる。そしてそれら全体が一つの健康で生命的なイメージの表現になる。

5室

 西炎子「flow 1405」。西炎子は今回の特別展示で5室全体を自分の壁面として個展会場のように並べた。すこし前の作品から今年の作品まで。今年の五月に描かれた「flow 1405」は、色彩の純度が高まってくる仕事として見事な成果を上げている。黄色、グレー、オレンジ、ビリジャンなどの色彩が、高いテンションの中にお互いに共鳴し合う。共鳴しながら同時にしっとりとした独特のイメージも感じられる。輝くような色彩で外側に向かいながら、内部ではひっそりとうずくまっているような、そんな味わいが感じられる。二つのベクトルが交差する中にこの独特の抽象空間と色彩の表現があらわれているように思われるところが面白い。それまでのダイナミックな動きのある色面、表現主義的な空間に対して、そのような今年の変化ある作品に注目した。

第43回齣展

(8月21日〜8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

2室

 森川宗則「鉄路の記憶」。フォルムを自由に画面の上につくり、それを組み合わせてシュールな空間を表現する。その強い筆力と不思議な空間の性質に注目した。線路の上を向こうに向かって歩く少年。手前では鷗が鳴きながら騒がしく周りを飛んでいる。信号は赤で、進入禁止のイメージ。二つの巨大な船が上下して浮かび上がる。船は過去からの亡霊のようで、この少年を未知の非現実の世界に連れていくようだ。スリリングなイメージを見事なコンポジションの中に表現する。

4室

 岩野亮介「R・‌W・計画」。サンダルをはきジーパンにシャツをつけたお河童頭の二十数歳の女性がパネルを持って立っている。本人からじかに型を取ったようなディテールの強さによって、新鮮な驚きのようなものがこの彫刻を見ることによって生まれる。生き人形という言葉があるが、そういったインパクトをもつ立体である。

5室

 石原覚寿「こどものころの2人は」。「こどものころの2人は」というタイトルの連作で五点出品である。掲出したのはそのうちの一点。男の子の耳に女の子が囁いている。男の子は目をつぶって聞いている。後ろにはウサギや少女や少年がいる様子。それぞれぽつんぽつんと、お互いに関係をもたずに独り遊びをしている。ウサギは不思議の国のアリスのイメージを連想させる。だれもいないベンチ。記憶の中で行われる無言劇といった雰囲気で、独特のイメージの喚起力ともいうべきものが感じられる。

第50回記念白士会展

(8月22日〜8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 四釜厚子「商談(インド、らくだ市)」白士会賞。砂漠に数人の男が座っている。いちばん手前の男は振り返ってなにか話をしている。後ろに車があり、その軛のところには駱駝はいず、放された駱駝が遠くを眺めている様子が背景に描かれている。対象をしっかりと描く。一つひとつゆるがせないように表現するなかに、しぜんと静かな明暗が生まれる。また、地面が斜めになっているところもなにかスリリングな気配が漂う。

 鈴木喜家「地韻―流転(日)―」。巨大な石でできたような山が立ちのぼっている様子は、桂林などの風景を思わせる。その隆起した山や地面の様子は暗い暗紫色のシルエットで表現される。一種の大きな拓本のような空間をつくる。左のほうには大きな川と思われる水の広がりが見える。そして上方に、いま昇ったばかりの巨大な太陽が赤く輝いている。太陽と水と山とが一体化した壮大な空間である。背景の金による空間が強い装飾的な効果を上げている。

 加藤哲男「熊野古道・通り峠より」。熊野古道は古い街道である。その道を上方から見下ろしている。道の両側に千枚田というのだろうか、棚田が広がっている。季節は三月から四月の頃だろうか。人間がつくりだした道と棚田の様子が、この紀州から奈良にかける古い地味豊かな森の中にあらわれる。そして、ところどころ民家があり、そこに人間が過ごしてきた歴史が、あるいは生活がしぜんと漂う。棚田に水があって、それが空を映して微妙に変化しながら輝いている。じっと見ていると、日本の歴史を画家は深く愛し、この熊野古道の讃歌といったイメージをここに表現していることがわかる。また、柔らかなトーン、緑の複雑な柔らかな変化のなかに不思議な広がりと奥行が感じられる。

 太田亜子「春日のきざし」白士会賞。壁に蔓が伸びている。紅葉した葉が残り少なく蔓に残っている様子に不思議な風情が感じられる。蔓のフォルムの繰り返される不思議な動きの中には、植物のもつ生命感が感じられる。と思って題名を見ると、「春日のきざし」となっていて、冬なのである。やがて春の兆しがあるところに、活性化し、もう一度復活しつつあるような蔓の生命力の表現であることがわかる。

 高橋悦子「砦の街(インド・ジャイサルメール)」白士会賞・準会員推挙。インドのジャイサルメールを描いたもの。土で煉瓦をつくり、それを積んだような建物の様子である。あいだに小さな道が通っている。そこにものを抱えた赤い衣装の女性や黒いシルエットの人間がいる。俯瞰した構図で、この砦の向こうは砂漠に近いような平原が続いている。そこに斜光線が差し込んできらきらと輝かせる。独特の俯瞰的な構図が成功して、ロマンが感じられる。

 田中恭子「石段の家(スカンノ)」。階段を上っていくと、木製のドアのある入口になる。上方には洗濯物が干されている。下方は道が下降していくようで、そこに通路の大きなアーチ状のフォルムがみえる。間のはるか向こうに緑の山のようなフォルムが見える。ふかぶかとした陰影の中に人間の生き死にが繰り返されてきた生活感が感じられる。

 杉山律夫「『BOTTICELLI賛』創作模写進行形」。中心の聖母子像と周りの青年たち。それを円形の構図の中に表現する。聖母の胸の奥のあたりにギュッと絞りこまれるような独特の遠近感が感じられる。上方に二人の天使。下方にはこの街の領主と思われる二人の青年の像。白い百合は純潔の象徴だろう。金を絵具の下に引いて、その上に色を置いたような、独特の光輝ともいうべきものが輝く。創作模写と題にあるようにボッティチェリの作品を参考にしながら、画家はそれをモダンに今日の日本画に表現した。

2室

 白井富子「祈り」。画家の娘さんがドイツにいるので、時々ドイツに行き、その教会をテーマにして描いてきた。この作品もそこから生まれたイメージなのだろう。アーチ状の龕の中に白いマリアのような女性が立っている。大理石でできているのだろう。花の束に右手を伸ばしている。それをアーチ状のまるでステンドグラスのようなピンクや青、黄色、緑などの花模様のフォルムによって彩っている。全体に黄色が使われ、画面の内側から光が静かに発するようだ。そばに不思議な椅子が置かれている。マリアと思われる像が、白く純潔に輝く様子はまことにこの作品の魅力で、色彩が光と転じて画面の中にあらわれる不思議さ。

 鈴木由紀子「祭」。三河には、三河万歳という言葉があるように様々な古くからの祭りがある。これはお面をつけた神楽のような祭りである。獅子の面、女性の面、鬼のような面をつけた五人の演者が舞台の上で静かに動いている。右のほうでは茶色い髪で顔が覆われたお面をかぶった男が右足を上げて、床を踏み鳴らそうとしている。その頭に壺が置かれている。何百年も伝わってきたこのお祭りの様子には奥深いイメージがある。精霊がこういったお面をかぶりながらここに現れて不思議なハーモニーを行っているようなあやしい様子をよく表現する。

 伊丹靖夫「海境」。四枚のパネルを合わせた大作である。右のほうに船が積み重なった様子がダイナミックに描かれている。そばにいくつもの塀が描かれている。中心には鉄条網をつけられた塀があって、その向こうは海のようだ。その鉄条網のもうひとつ向こうに、斜めの面をもつ岸壁のようなフォルムが大きく立ち上がっている。昔は、もっとゆったりと海と岸壁とはお互いに呼応しながら存在していたのだが、現在は海と対抗するように岸壁が立ち上がって、牢獄の中にわれわれは閉じ込められて、その合間から海を眺めているような、そんな不快感が感じられる。それはそのまま現代の社会のだんだんと閉塞しつつある様子の象徴と言ってよいかもしれない。画家は画面の上にそのようなコンポジションをつくっている。海は自由の象徴として向こうにあるが、そこに辿り着かない。ジグザグの塀がそれのあいだに立ちはだかっている。もう一つ向こうに、塀が岸壁という名のもとにつくられている。このグレーのトーンには深い味わいがある。独特の触覚的な要素と、内側から静かに輝くようなグレーの調子。とくに美しい色彩を使っているわけではないが、懐かしいような不思議な味わいをもつグレー。そこには茶色や緑などの色彩が入れられて、複雑なニュアンスを醸し出す。閉塞のなかに、深く響いてくる歌を画家はここに描いたようだ。かつて海の上を自由に航海した船は陸地に揚げられて、廃船となってうずたかく積もっている。まるで死体の山のような船の様子。その船の集積したフォルムを見ると、激しい画家の怒りのような心持ちが伝わってくる。もっとも、そのような怒りを内側に秘めながら、淡々と、海をはるか向こうにのぞく岸壁の、なにもない無人の空間と重ねられた廃船によってこの作品はできているわけだが、その強い心象性を感じさせる空間に筆者は引き寄せられる。

 加藤眞惠「心を盗まれた風景」。不思議な風景で、おとぎ話に出てくるような集落である。三角の屋根も色とりどりで、まるでキュービックなフォルムの上にそれぞれ好きな屋根がつくられて、それらが集合して、お互いにリズミカルな合唱をしているかのごとき様子で、中心は壁が赤くなっていて、右のほうにはグレーの壁、左には黄土の壁が続く。それを樹木が囲んでいる。その上方には大きな緑の山が立ち上がっている。作者は妖精的な女性を中心としたファンタジックな世界を描いてきたが、ここに描かれているのは、一つのファンタジックな集落である。童話の中に出てくるような明るい弾むような街。その建物を囲む山も青や緑など色彩豊かである。ぼこぼこと伸びていく雲や煙がそのまま山になったような雰囲気で、あいだにタケノコのような針葉樹が伸びている。それらが黄金色のバックの上に描かれ、その外側にはやはり樹木や建物、あるいは赤い空などが描かれている。まさにこの街に招かれるともう帰ってこれないほどの魅惑の場所のようだ。手前と奥行、奥行の背後の背景、そのまた後ろ側にもう一つのフォルムなどを重層的に入れながら、妖しくファンタジックな風景を表現した。

 松田トミ子「木漏れ日」。屋台の様子が面白く描かれている。金髪の女性が売り子で、コートを着て、すこし伏目がちの表情で内部にいる。そこに赤いコートを着た女性が買いにきている。全体の暖色の赤やえび茶色、あるいは茶色などの色彩、そしてそのあいだのグレーが静かに輝いて、不思議な色彩効果を放つ。ものの存在感がしっかりとしていて、二人の女性がお互いに会話をしているわけではないのだけれども、不思議な気配をもって画面から発信してくる。

3室

 鵜飼千佐子「苑・Ⅰ」。赤いシャクヤク、シラユキゲシ、ハルジオンなどの花の内側に若い女性が立っている。三つのそれぞれの植物は独特の強さで凜とした雰囲気で表現されている。バックはベージュの色彩が塗りこまれている。そこに同系列のワンピース、肌の色、茶髪の女性が伏目がちに何かを眺めている。画家は線によって周りの空間とそのものとの関係もつくるし、線によって一つの存在するものの生気ともいうべきものも描く。三つの植物と一人の女性の四つのフォルムによって、仏画にも近づくような独特の強さと一種の柔らかさと、しかもそこに不思議な精神性ともいうべき強さがあらわれているところが実に面白い。

 鈴木三枝子「チャンド・バウリ」。インドの岩窟。石を彫っていった寺院である。いちばん下方には水がある。井戸になっている。そこにだんだんと下りていく階段。上方は回廊のようなかたちになっていて、斜光線が差し込み、明るい部分と暗い部分とに分かれる。ずっしりとした存在感。巨大な岩を彫ることによってできたこの建物である。その重量感ともいうべきものを強い明暗の対比のなかに表現する。同時に、だんだんと下方に行くにしたがって、不思議なめまいのするような臨場感もあらわれ、そこには不思議な緑に光る水が輝いているといった神秘的なイメージもこの作品の魅力だろう。

 河合咲子「露地(マルタ島)」。白い犬を連れた男。その後ろにも前後して二人の人間がいるが、手前の左の姉と妹の後ろ姿。そして、右のほうには幼児を乳母車に乗せた傘を差した女性。「マルタ島」と題名はついているが、その露地の人間たちが妖精を思わせるような不思議な存在感をもって迫ってくる。決してうまい作品ではないが、存在することの不思議ともいうべきものがよく表現されている。

5室

 武田昭「雲崗」。雲崗の大仏はよく知られている。この作品は、その石仏を画面の中心に置いて、背後にその内部の彫られた壁の円錐状のフォルムを置いている。そこにはたくさん仏が彫られていて、それをかなり暗示的に表現している。画面に接近すると、仏の像が、一つひとつ省略の中にあらわれてくる。そばに横向きの右手を上げたもう一つの大仏がいる。グレーのこの岩窟の外側の岩の様子を、ベージュのような色彩で描く。本来このようなかたちでは見えない仏が、大きく、石仏の内陣を背景にしてあらわれてくる。静かに合掌しながら描いている趣である。独特のアルカイックに微笑する様子が実に魅力である。金を置いたこの石仏の輝きとその微笑が仏のオーラとして画面に表現される。

 岩原良仁「窓辺にて」。フルートを両手に持つ少女の全身像である。金色に静かに輝くフルート。そのフルートの音色が周りにハーモナイズするような雰囲気。背景は金を帯びたグレー、水色、紫、あるいは金を帯びた緑といったように、それぞれが金と絡み合いながら不思議な色彩の音色をつくる。地面は描かれていず、ソックスをはいた床から黒い髪までの全身が、まるでこの縦長の画面に宙吊りにされたような趣である。そして、背後に四つのストライプの色面があらわれる。お互いが静かに合唱するような、その光がこの少女を輝かせる。

 飯田史朗「アッシジ秋日」。アッシジにはサン・フランチェスコ教会がある。それが画面のすこし真ん中右側に描かれている。サン・フランチェスコはキリスト教の聖人の中でもとくにユニークな人である。夢で見た啓示によって、大金持ちの息子であったが、その家を捨てて、修道士として生きた。小鳥に説法をする様子をジョットが描いた作品は有名である。日本の明治時代に小林古径と青邨がこのアッシジを訪ね、ジョットの作品を見ることによって、それはフレスコといって日本画ときわめて共通の要素をもつ技法であったのだが、日本画を制作することに自信を得たというエピソードも残されている。秋の紅葉したイメージを美しく描く。金の箔を背後に貼っている。上方に赤く紅葉した山のようなフォルムがつくられている。その上に金の砂子がまかれていて、きらきらとした輝きを見せる。近景は黄金色の民家の屋根である。その面が複雑な形をお互いにつくりながら、独特のリズムをつくる。この秋のふかぶかとした空間には不思議なメロディが感じられる。画家のロマンティックな深い感慨をこの風景に託して表現したと思う。その中に白く輝くサン・フランチェスコ教会の壁と鐘楼。手前の緑の畑の色面。イタリアの光景がそのまま日本の奈良などの風景と奥深いところでリンクし、重なるようなところがしぜんと感じられる。直線がパースペクティヴの中に伸びていく様子が、まるで無限のかなたに向かう心象の動きを追うようだ。

6室

 神谷喜代一「枯蓮の図」。右に大きな鷺。その左三面には大きな蓮の葉とうなだれたような花托となった蓮の花。不思議なことに、あいだに赤い魚が元気よく泳いでいる。そういった様子を右の大きな鷺が眺めている。鷺は魚をとって食べるのだが、この小さな金魚のような魚はとらないのだろう。赤い金魚のような魚の生気ある様子を、大きな目を開いて眺めている。蓮が禅の坊さんのような不思議な表情で描かれているところも面白い。いわゆる文人画、水墨による写意の表現である。

7室

 今井登「守里想(浅里)」準会員推挙。石を積んで、道をつくる。そういった構築物のあいだに家があり、また上方に道がありといったかたちで、どんどん上に延びていく。不思議な空間を接近するように確かめるように描きながら、全体で独特のエネルギッシュな空間をつくりだした。モノトーンである。エネルギッシュでありながら、しんしんとした気配も画面から感じられて、そこが面白い。

 三重県の南牟婁郡紀宝町の浅里だろう。山の斜面に約五十戸の家々が石垣を積んで身を寄せ合う。かつては川舟が交通手段であった。川と石垣集落のあいだに水田もある。熊野川沿いにある小さな集落で、五十四世帯百三人が暮らす。二〇一二年台風12号によって集落近くの里山が崩れ、水と土砂が集落を襲った。台風で被害を受けたあとの浅里地区の様子で、激しいエネルギーと同時にしんしんとした気配があるのは、その台風の被害の跡のイメージからくるものだろうか。不思議な気配の表現されているところが面白い。

8室

 畔栁赫「早春」(2002年作品)。畔栁赫先生の遺作が陳列された。今年の二月十一日に亡くなられた。享年百二歳である。二〇〇七年、二〇〇二年、一九九七年に制作された三点の作品が陳列された。自然の紅葉した様子が神々しく描かれている。その紅葉した樹木の風景がまるで仏の顕現のような不思議なヴィジョンの中に表現されている。日本人の心の中にある神仏習合的なイメージの見事な絵画的な表現だと思われた。天寿を全うされたわけである。合掌。

 大島千恵「足助、緑の家」。道のコーナーに緑の壁の建物がある。そばに電信柱があって、信号機がつけられている。今岡という文字が読める。背後に山が見える。平凡な日本の田舎のある光景のようだが、独特の強さが感じられる。グレーと緑との色面のコントラストによるものだろうか。あるいは、水平と垂直との面の強さ、及び、そこにある雑草や電信柱や屋根などの形によるものだろうか。自然体のなかに独特の生命感が感じられる。道がすこしひずんでいるようなところがあるのだが、そこに白い太い横断歩道のストライプの連続したフォルムなども面白く画面の中の構成要素として入れられている。

第61回新美術展

(8月22日〜8月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 糸井達男「南仏・ゴルド」。ゴルドはフランスでも最も美しい街の一つといわれている。その歴史のある街に立つ建物が画面の前景に描かれている。石を積んだ建物。赤い瓦の屋根。窓が丹念にそれぞれつくられている。手前の小さな丸いドーム。職人が一つひとつ石を積みながらつくった家に不思議な親和力と魅力があって、その手触りのある雰囲気を画家は見事に画面の中に表現する。そして上方には、その一部がアーチ状にあけられた石造りの壁がつくられ、その向こうの丘の上に白い教会を中心とした建物が浮かび上がっている。建物をそばから眺めた様子と一部を遠くからパノラマふうに眺めた様子とが画面の中に三段階的に構成され、このゴルドの街の魅力を表す。画面全体で静かな音色が聞こえてくるような気持ちになる。褐色の落ち着いた調子や白い壁の清潔な雰囲気もそんなイメージをつくるベースになっている。同時に、直線や曲線を組み合わせた端整なコンポジションの中の端整なフォルムによって、たとえていえばハープの音色が聞こえてくるような魅力がある。

 多田夏雄「創世記・生命の航跡」。大きな恐竜たちが歩いている。まるで地響きの音が聞こえてくるかのような、明るい力強い四頭の恐竜である。その向こうに大きな山が立ち上がる。周りにはうねうねと山脈が見え、下方の地面にはカーヴしたフォルムがあらわれて、それは時間というものの表徴のように感じられる。過去の時間の中に画家は下りていき、この不思議な恐竜と富士山を彷彿とするような山のコラボレーションともいうべき空間をつくりだした。

2室

 橋本弥重子「遥かなる煌めきと祈り」準会員推薦。道がY字路になっている。龕にマリアの聖母子像のある建物の向かって、左は道が上っていき、向かって右はそのまま水平に、はるか向こうの白い教会に向かって伸びている。題名のように、なにか深い祈りの心持ちを表現する空間のようだ。また、左の建物の下はショーウインドーになっていて、その椅子や小間物などが楽しく描かれている。それは中心の建物の一階もそうであるが、上方の龕になっている聖母子のイメージが強く画面全体を統合している。空の上方から黄色い光線が放射状に差している。その色彩が金の色彩となって、全体に輝きと一種の浮遊感ともいうべき動きを与える。

 水谷桑丘「遷御」。二十年に一回、伊勢神宮は遷宮する。その中核神事が遷御で百名をこえる神官が参加する。夜間行われ照明も松明のみとなる。中心の赤い衣裳を着た人が内親王である。その前を笛や笙、琴などを演奏しながら行列が進む。それらを囲む空間は、金をはいた中に薄墨で檜のような高い樹木が描かれ、その周りの木が柔らかなシルエットで浮かび上がる。伊勢神宮のもつ神韻縹渺たる、その樹木の密集する空間のイメージをよく表現する。その中に厳かにしずしずと執り行われるこの遷御の儀式を、四曲屛風の中に見事に表現する。

3室

 冨樫章紀「信玄塚の火おんどり」内閣総理大臣賞。巨大な松明を持っている。太さが人間の胴体ぐらいあり、高さも人間の身長ほどの松明が燃えている。後方では人の背丈の三倍ほどもある松明を燃やしている様子。そこに取りかかっている人の後ろ姿がある。上方には武田信玄の合戦の様子、左には鉄砲を構えている様子が見えるから、勝頼が織田の鉄砲に負けた長篠の戦いの様子が描かれている。現実のお祭りの様子の上方に数百年前の合戦の様子が描かれ、この信玄塚の火おんどりの深い歴史的なイメージ、一種の宗教性ともいうべき世界が引き寄せられる。

 加知満「耕して天に昇る」。四曲の画面である。中心にU字形に伸びていく三つのフォルムがある。それは耕された畑であり、そこに植物が芽を出している様子が、まるで星の点々のように描かれている。三つのそのフォルムは天に向かって伸びていく。まるで地上の天の川のようなイメージを感じることができる。左下には三人の男女が鍬を持って耕している。真ん中あたりに道にトラックと乗用車と民家がある。ぽつんぽつんと傾いた電信柱が見える。近景では俯瞰したかたちで瓦屋根が描かれている。遠景は緑の深い山のイメージである。いずれにしても、この山間の集落をデッサンしながら、その内部に深く入っていきながら、異色のコンポジションをつくる。

4室

 阿部信吉「淡墨櫻花」。淡墨桜という樹齢千年を超える桜があるが、そのイメージを引き寄せているのだろうか。墨によって幹から枝、梢に向かうフォルムが描かれ、花が満開で霞のようにも雲のようにも感じられるように花が咲き乱れている。それを半ば抽象的に表現する。外側から桜を描くのではなく、桜の内側から描いているかのようなイメージである。

 高橋惠子「悠梅」文部科学大臣賞。紅白梅が満開の様子をすこし距離をおいて描いている。柔らかな色彩の中に屈曲して伸びる枝と紅白の色彩が、青い霧のような空間を背景にして生き生きと表現される。

5室

 杉本通子「出発(たびだち)Ⅲ」新美術協会大賞。新緑と思われる季節。鬱蒼と茂る樹木の下方の広い道を二人の人間が向こうに歩んでいく。木漏れ日が地面に当たっている。なにかあやしい雰囲気で、この白い上衣を着た二人の人間が現実と非現実との境にいまいるような幻想感が漂う。緑とジョンブリヤン系の色彩の複雑な色彩の表現も魅力である。

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