美術の窓

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公募展便り(2014年8月号)

「美術の窓」2014年8月号

第28回日洋展

(5月28日〜6月9日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 山本恭平「春」。太い幹から枝が四方に伸びている。ピンクの八重桜が咲いている。手前に黄色い可憐なタンポポの花が咲いている。鋭い葉先をもった雑草たち。草が繁っている中に、この桜の木は根を下ろしている。そこにモンシロチョウが二羽ほどとまっている。穏やかな日本の春の様子を地面近くの視点から捉えて、大きな量感のなかに表現する。この八重桜の幹のもつ量感に対して、周りの可憐な花が対照される。量とあまり量のないタンポポやニラの葉のような植物を面白くアレンジする。

 二宮弘一「アトリエ・景」。シーンとした調子。黒褐色の椅子やグレーのテーブルや壁。その中に牛骨が白く輝いている。アトリエの一隅を描いたものである。アトリエの中の空気と、そこに差す光がそのまま捉えられている。対象と作者の関係には余計なものがない。その純粋な感覚から表現された、色彩とマチエール。そこに表れる空気感や光が魅力である。

 吉田泰三「浅春の賦」井出宣通賞。雪の積もった地面。こんもりとした山。太陽が雲を通して白く輝いて見える。柔らかなグレーのトーンの中にロマンティックな光景があらわれる。いま降ったばかりのような雪の清潔な白い色彩。遠景の屋根にその雪の積もったようすが懐かしい。

 黒阪陽一「南瓜の冬」。剝製の鷲。鷲のそばの籠の中には南瓜やトウモロコシが盛られている。ガラスの容器の中に巻貝や女性の顔などが入れられ、手前には二体の関節人形が立っている。不思議な雰囲気である。後ろに裸木がたくさんならび、幹から梢にわたる曲線のフォルムを伸ばしていく。地面は雪が白く積もっている。静物がそのまま風景に延長されて、箱庭のような光景が生まれる。自然というより、画家のつくりだしたフェイクな物語のある独特の空間であるところが面白い。

 広田和典「第十八共徳丸」委員賞。この船は東日本大震災の時に陸上に揚がった船だという。そんな船をイメージの中に画家は描いて、遠くから見ても強い印象を与える画面をつくった。下方はほとんどキャンバスのままの調子で、そこに巨大な筆でストロークをするように青や白い船を描き、同じような刷毛で暗い空も描いている。いわゆる水墨で破墨やストローク、あるいはたらし込みを行うような技法でこのイメージの船を描き、その船の経験したドラマを表現する。

 楠崇子「風の響」。白いワンピースを着た女性が座っている。そばに熱帯の観葉植物を思わせるような樹木が立っている。後ろには布を吊るしたような不思議なフォルムがいくつも立っている。空を思わせる青い色彩が植物の上方に描かれている。この室内を吹く不思議な風がある。いわば詩情の風にさらされた光景。それほど原色は使っていないが、グレーを含めて緑やピンクの色彩が輝く。髪が総毛立つようなざわざわとした雰囲気の、不思議な動きのなかにこの光景は表現されている。

 臼井稔「椅子と愛犬」。椅子の上に画集が広げられている。それを眺めるラブラドールのような大きな犬。後ろ向きの犬の姿がよく表現されている。

 井上稔「埠頭の一隅」。震災のあとの光景のようだ。巨大な壁が壊れている。向こうに湾の海が見え、船があり、白い倉庫のような建物が見える。上方に白いカモメが三羽飛んでいる。色彩家で、同じグレーでもグレーの中に様々な色彩が入れこまれている。その意味では震災のあととは思えないようなアンティームな温かい画面であるが、よく見ると震災のあとであることがわかる。もう一度平常心に戻って周りを見ながら一つひとつ描いていく。そういった姿勢からあらわれる独特の情感ともいうべきものが魅力である。

 林田郁代「アトリエにいるRie」國領經郎賞・会員推挙。アトリエの中の茶髪の女性。ジーパンをはいている。そばに低い木製のテーブルがあり、画集が置かれている。椅子の上には白いパレットが置かれ、絵具がそばにある。それぞれのものがクリアで、アトリエの内部がそのまま画面の中に移行したかのような鮮やかさである。たとえば使いこんだ床の様子。すこし汚れた木の床のもつ様子がそのまま画面の中に移されるように描かれている。そして、光が当たり、それぞれのものが浮かび上がる。

2室

 横田律子「生業」。砂浜に様々なものが置かれている。青い壺にはピンクの花が差されている。そばの止まった柱時計が二時十六分を指す。染付の大きな壺にはつがいの鶴が描かれている。そばには網。あるいは浸食された岩のようなフォルム。自転車の車輪、綱、一艘の壊れかかった船。そんなものが集められているが、時計の時刻を見ると、三年前の津波で亡くなった人に対するレクイエムのように思われる。と同時に、漁業で生活する人々に対する挽歌といったイメージもそこに重なるようだ。右のほうの砂丘に一羽のカラスが下りてきている。そのカラスが人間のようで、なにか物思いにふけっている。この脇役は画面全体の脇役としてよく機能している。一見華やかな図に見えるが、じっと見ていると、そういった悲しみの図像であることがわかる。

 松尾康博「海辺の作業小屋」優秀賞。粗末なバラックのような建物が中景にあって、その背後に黒い海が広がっている。手前はでこぼこした地面で、潮が引いたあとのようだ。浸食した地面、あるいは波の働いたあとの光景といった様子で、海というもののもつ力が実はこの作品の背後の本当のテーマのように思われる。そういった存在を描き起こしているところに注目した。

 田辺康二「海風」。うねうねと曲面を見せる砂丘。風によってまたこの形は変化するだろう。そこに杭や柵のようなものが点々と見える。それは人間の営為の跡。砂丘は自然の力、その存在の顕現と言ってよい。二つの世界がコンストラクションするところに、この独特のモニュマン性が生まれる。

 片岡猛雄「ふる里(冬)」。巨大な南瓜のそばに細長い別種の南瓜のようなフォルムが見え、そばに栗やジャガイモらしきものがある。後ろにススキのような雑草が風に靡いている。手前の静物的なフォルムを風景の中に置くことによって、風景の植物とこの果実とがお互いに連結され、独特の広がりが生まれる。空はベージュで、そこにも風が吹いているようだ。風と実りともいうべきコンポジションが面白い。

 佐治るみ子「午睡」優秀賞。父親と一歳ぐらいの子供が寝ている。その二人を静物のように画家は眺めている。画家は女性である。女性の視点からこの父親と息子を眺めているところがあって、眼差しは温かい。その温かさがこの二人を静物のような不動の存在のように表現したということが言えるかもしれない。グレーを中心とした柔らかな光線の表現に注目した。

 加藤寛美「冬の終り」。海の向こうに灯台が見える。曇り空が上方に描かれている。風が吹いて、どんどん雲が動いているようだ。下方に室内の情景が描かれている。たくさんの浮きが差されている。それに対して釣り竿が水平に置かれて十字形をなす。錘が三つ。画家の作品を見ていつも思うことは、通常より気圧が高く、二気圧か三気圧ぐらいの雰囲気で描かれていることである。それによって、ふだん感じられないものの手触りとか存在感が浮かび上がる。以前は室内を描いていたが、最近は戸外の風景と連結したシーンを描き始めた。室内の密度が風景があらわれることにより低下したということは言えるだろう。しかし同時にその気圧は、風景にまで及んできたということも言えるかもしれない。画家のイメージの力が上方の不思議な激しい雲を呼ぶようだ。

 難波佳子「オリエントの中で。」。オリエントの胸像が後ろに置かれている。画家は木炭のようなものを持って、キャンバスにむかっている。柔らかなハーフトーンの中にアトリエの風物と画家自身の肖像が、しかもそれは現在進行形の肖像として表現されているところが面白い。

 新延泰雄「湖畔」。夏の光景だろうか。むんとした湿度の高い、そんな空気感を感じる。しかし、点描で池の中に青い空を映した様子が描かれているあたりには清爽感も感じられる。いずれにしても、密度のある画面で、湖の周りの草や樹木や家を描きながら、水の中にもう一つの世界があるように表現している。もう一つの世界を水の中に感じさせる、そういった画家の生きたイメージの強さに注目した。

 さいとうけい子「室内」会友賞・会員推挙。赤い空間。白い瓶。白いドライフラワーのような花。上方のガラス窓。日が翳りながら落ちていく。夕焼けが室内を染める。それを印象深い構成の中にまとめる。赤がシックに輝く。

 武田直美「秘密の場所」。三人の子供が遊んでいる。上を眺める男の子。こちらを眺める少年。横のほうを眺める少女。三人の子供の視線を追うと、この中心の丸い灌木の周りを旋回するような動きとしてあらわれる。その丸味をおびた灌木自体が一つの秘密、あるいはミステリアスな存在として画面の中に表現される。そういった構図が面白い。秘密のメタファーとして赤いおもちゃのトラックがあらわれる。

 小川満章「室内」。陰翳礼讃ともいうべきグレーの中の微妙なニュアンスが響いてくる。頰杖をついて本を見る女性はゆったりとした白い上衣とスカートをはいている。花瓶に白や赤の薔薇の花が差されている。グレーの壁。ベージュの床。全体の空気感の中に柔らかく光が当たる。その光の清らかな雰囲気のなかに深い陰影があらわれる。きわめて日本人的な感性による表現である。

 杉正則「木立のあるエルベ川」。太い樹木が手前に幾本も立っている。その上方は画面の上辺で切られている。その下の雑草の様子が画家の関心になっている。そこにはほんの小さなささやかな青い花が点々と咲いている。日本でいうと、ツユクサのようなものだろうか。その可憐な花の存在がこの作品の魅力だと思う。それと呼応するように水が流れている。手前には風はないようだが、川の上には風は吹いているようだ。そんな中に静まり返ったような小さな青い可憐な花。樹木の量感のある強い存在感に対して小さなものの存在が対照されているところが、いかにもこの画家らしい。

3室

 栁瀬俊泰「PILGRIMAGE―愛犬へのオマージュ」。右に太い幹が立ち上がり、葉を茂らせている。左に空き地があって、そこに愛犬が地面に座ってこちらを眺めている。手前に雑草が生えている。後ろは土手のようになって、その向こうにシルエットの樹木が続いている。大きな風景がまずコンポジションの中にあらわれる。その大きな風景のなかに広場があり、そこに小さな犬がいて、こちらを眺めている。すぐれた構成である。また、緑のもつ独特の色調、その変化をよく表現する。三十四年前の日展出品作「古い棚B」(二十五歳)を見ると、その頃から緑が実にうまく使われていることがわかる。画家の緑との親和力ともいうべき性質。緑をこの棚にエキゾティックに、しかも柔らかく使いこなしているところにも、この画家のもともとの性質、才能がよくわかる。

 櫻田久美「公園晩秋」。池の杭の上に水鳥がとまっている。枯れたススキのような植物。水の明るい部分のグレーから影の部分の深い緑色。自然体のなかに自然のうつろいの一瞬を表現する。風景と画家の心象とが重なることによって、風景であると同時に心象でもあるシーンが表現される。

 小灘一紀「産霊(古事記より)」。巨大な花のようなフォルムである。その中から若葉が顔を出したり、卵のようなものがいくつもあらわれていたりして、実にあやしい。しかも、生まれてそこから遊離せざるものが宙に浮かび、遊離したものはこの巨大な円形の周りに散っている。そして、この巨大な生命をはらんだものの輪郭線の向こう側が赤く彩られている。激しいエネルギーのようなイメージも感じられる。もちろん命を誕生させる霊であるから、神秘的で混沌としてアルカイックなのは当たり前だろう。産霊の曼陀羅と言ってよい。これは『古事記』の神世七代をイメージしたものだろう。ちなみに口語の文を引用しておく。「はじめ、この世は混沌として天と地の区別も無く、はてしない宇宙がひろがっていました。やがて天と地が分かれ、天上界の高天原に天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三柱(造化三神)が成り現れました。そして下界はというと、まだ地は固まらず脂が浮いたような、海に海月が漂うようでもありました。そのドロドロした中から葦の芽が萌え騰るように現れたのは、すべての命の素というべき宇摩志阿斯訶備比古遅神、また天を支える天之常立神など、造化三神をはじめとする五柱の独り神(別天つ神)が現れました。次いで、独り神の国之常立神をはじめ次々に夫婦神も生まれ、最後に伊邪那岐命(男神)と伊邪那美命(女神)が成り現れました(神世七代)。高天原の神々は伊邪那岐と伊邪那美の神に国土の創造を命じられました。さっそく二柱の神は天の浮橋に立ち、天つ神より授かった天之瓊矛を泥沼のような下界におろして、コヲロコヲロとかき混ぜると、矛の先からしたたり落ちた潮が積もって淤能碁呂嶋となりました。」

 塗師祥一郎「春近い山里」。手前に雪をかぶった棚田が描かれている。中景に川が流れている。遠景は麓の家と高い山脈の連続したフォルムである。白の複雑微妙な変化が見事である。近景の雪の積もった様子は、その触感さえも表現するし、やや陰った部分、光の当たっているところ、影になっているところと描き分けながら、大きな量感や遠近感も見事に表現する。その近景が画面の約半分以上占めるこのコンポジションは、一種の破格のものと言ってよいかもしれない。そして右向こうのすこし小高くなったところに民家があり、背後に針葉樹がある。その中に入れられた赤などは全体を引き締める色彩のポイントとなっている。赤は、そこのみならず、樹木の中にところどころ入れられていて、全体で画面を引き締める強い効果をつくる。その画面の中央向こうのすこし棚田の下がったところに裸木があり、そこに赤く色彩が置かれているのが、いわば構図のポイントとなっている。そこにギュッと近景を絞りこみながら、そのあとは背後の緑の川に流していく。そして、ゆるやかに上方に向かう。その構図は、実に優れたものである。全体で、そこに里の物語ともいうべき文学性がしぜんと感じられるのも魅力である。今年の日洋会の企画で五十五年前の二十七歳のときの「鍛冶屋」という作品が出品されていたのも面白い。鍛冶屋の内部で大工道具や火や木材や車輪などが所狭しと置かれ、激しいコンストラクションをつくりだす。こういった二十七歳の絵を見ても、もともとこの画家は写実画家であると同時に大変な構成家であることがうなずける。そういった点では五十五年前の作品が同時に出品されて、それを拝見できたのも、筆者にとってこの作品の鑑賞の内容を深くしたと思う。

 内山孝「茜空・堂崎 切支丹の里XV」。五島列島の小さな素朴な教会。夕焼けに赤く染まった光景。フォーヴと言ってよい色彩感覚。風景の下方を囲む紫色。色彩のハーモニーに鑑賞者は引き寄せられる。

 三原捷宏「海景・波」。岬の下の岩礁に波が寄せている。そこで寄せてきた波は渦巻き、白い波に砕ける。そのわだかまったような水の動き。そこに光が当たって不思議な明るさのなかに表現されている。海のもつ深い奥行が複雑な緑や青によって表現されているが、その岩礁とぶつかったあたりの水の様子、その複雑なかたち、その色彩は清々しく、なにか希望の光がこの岩礁に差し込んでいるような、そういったロマンティックな味わいも感じられる。同時に海のもつ、比喩的にいうと巨大な肉体のような大きさ、量が背後に表現されているところが、この作品の最もベースにある画家の力と言ってよい。

 歳嶋洋一朗「白い航跡」。オレンジ色の屋根。あいだに聳える塔。地中海に出ている白いヨットのあいだをモーターボートが走っている。燦々と差す地中海の太陽。光の中にモーターボートの動きをアクセントにして、見事に風景の奥行、あるいは動きを表現する。

 小間政男「国峯への道」。空が黄金色に輝いている。いま朝日が昇りつつあるのだろうか。影になっている部分が暗く、光の当たっている部分は黄土に、あるいは黄色く輝いている。その里の建物が太い青いウルトラマリンの線によって表現されている。風景の大きさというもの、その陰影をよく表現する。

 星川登美子「踊るかたち」。裾を広げて半円形のフォルムが生まれる。その後ろには紫のスカートをはき頭の上にものを運ぶ女性。右後方にはフルートを吹く二人の女性。その後ろにはチューバのような楽器も見える。対象を簡潔に捉える。そのフォルムを組み合わせながら、色面として強い構成をつくる。真昼の朗々とした幻想のような強いイメージがあらわれる。

 稲葉徹應「錯綜する情景」。中心に極楽鳥花の花が手のような花びらを広げて、それらが一つの塊となっている。背景は抽象的コンポジションで、青いストライプが縦、横に組み合わされ、そこに斜めの線が入る。建物の骨格のようなコンストラクションで、そのあいだからもう一つの風景が見える。この花は先端が赤くなっているが、その下方は白く、まるで太陽と月とが合体してこの中に入れられているような、そんな不思議な輝きを放つ。画家のつくりだした曼陀羅のようなイメージでもある。

4室

 大塚健「農舎」。二つの大きな一階建ての建物と田圃に植わった緑の野菜やこれから植えるべき土の色を見せる畑。暗い曇った空。油絵独特のねっとりとしたマチエールを使いこなしながら、その客観的な対象をまるで心の中の風景のように画家は描く。そこにあらわれるある純粋な感触ともいうべきものが魅力である。

 佐藤みえ子「静物 A」。十のガラス器を並べて絵にしている。磨かれたテーブルなので、そのガラス器がそこに映っている。背後のカーテンが柔らかな陰影をつくりだす中に硬質のガラスのマチエールと色彩とその透明感のある様子とが、画家の美意識によって配列され、不思議な韻律をつくる。中心の細長いブルーに染まった瓶は、その中に時間が詰まっているようなイリュージョンを筆者に与える。

 吉田博道「雪晴れの桶売」優秀賞。強い光が当たってくっきりとした陰影をつくりだしている。雪の積もった田圃や建物、あるいは背後の雑木の生えた山がそのように表現されている。轍の跡もくっきりしているし、とくに手前の小さな川の護岸工事のされたブロックの連続した形などは実に新鮮なアクセントになっている。

 藤井隆子「干潟」。水墨の味わいがある。グレーのすこし緑がかったしっとりとした地面が地平線まで続く。あいだにいくつかのカーヴする水が見え、空を映して銀色に光っている。はるか向こうには堤防があって、白い灯台がある。灯台の向こうには海があるのだろう。巨大な干潟の様子になにか強い印象があらわれる。黒雲の浮かんだグレーの空。悩ましい光景である。とくに干潟の水の残った、そのカーヴする輝くフォルムと周りのしっとりとした地面による印象には、メランコリーを誘うものがあって、心象風景としての強さとなっている。

 松野行「渡河」。赤茶色の川を水牛が渡ろうとしている。首までつかった水牛とこれからそこにつかりながら泳ごうとする水牛が、巨体を後ろに見せている。面白いのは、いちばん手前に子供の水牛がいるようで、実にかわいらしい。茶褐色のライトレッド系の色彩に染められたこの川は、カンボジアか、あるいはインドか。一貫してそちらのほうをテーマにして描いてきた画家である。この三頭の水牛に白い点々のようなものが入っていて、光がそこに反射しているような、そういった臨場感も感じられる。濁った泥の川を渡る三頭の水牛だけでこの大画面をもたせているところはさすがである。

 仲原正博「室内」。青みがかった緑の色彩で画面が染められている。上方に矩形がとられている。それは水槽で中に魚が泳いでいる。その下の扉。手前の四角いテーブルと椅子。すべて緑で彩色されているが、その上に白いCDのケースが置かれている。水槽の中にも白い魚が泳いでいる。独特の感性である。水の中に入ってCDの音楽を聴きながら泳ぐ。その部分が絵の中に活性化しているといった不思議な雰囲気が感じられる。 

 小塩武「K氏の画室」。画家は色彩家だと思う。とくにバーントシェンナやライトレッドのような色彩を好む。このアトリエはバーントシェンナの天井や壁によって覆われている。そこにH型イーゼルが二つ。絵具箱や筆のたくさん入れられた入れ物や用材などが置かれている。手前にはススキのようなものがモチーフとして置かれている。窓際に置かれた大きな緑の瓶が色彩的にはアクセントになっている。描いては削ったことの繰り返しによって、独特の密度が画面にあらわれている。

 吉田圭治「残照」。雪の積もった情景である。上方では屋根のすぐ下まで雪が来ている。そうすると、二メートルを超える雪がそこには積もっているのだろう。その雪の起伏を太陽の光が照らして複雑な陰影をつくる。雪のもつ柔らかな感触がふかぶかとして、まるでこの集落を眠りに誘うようだ。明るい部分はすこしオレンジのような色彩が入って、暖色系の光で輝いているが、しっとりと青く影になっている様子もまた魅力である。

 茂田宏子「春がきた」。植物が伸びていく。そして花を咲かせる。樹木の枝が成長し、そこにたくさんの葉をつけて動いていく。植物や樹木のもつ力を画面の中に引き寄せながら幻想感をつくりだす。緑の複雑な色彩のあいだにオレンジやピンクの花が咲いている。画面のほぼ中心のあたり、すこし左側だが、小さな教会が白い線描きで描かれている。自然の懐に抱かれたその教会は、画家の心の中に存在するものでもあるのかもしれない。右のほうには海が見えて、ヨットが幾艘も走っている。そのあたりは夕日の中の光景のようだ。イメージが浮かぶにつれて、それもまた画面の中に引き寄せられ、この複雑な構図が生まれる。上方から下方に垂れてくる不思議な蔓のような植物には緑の葉がつけられ、オレンジやピンクの花が咲いてゆらゆらと揺れている。まるで孔雀の羽のような存在であるが、その左後ろには白い鳥がつがいで飛んでいる様子が描かれている。手前の巨大なあやしい花々。パッショネートに自然をテーマにしながら深い心象風景をそこに重ねる。

 安村敏彦「厩舎にて」。馬の世話をする男。長靴をはいて赤い帽子をかぶっている。その馬の手前にもう一頭の馬が大きく描かれている。後ろの厩舎の中にもシルエットの馬が二頭ほど見える。馬のもつ気配ともいうべきもの、そのフォルムを画面の中に面白く表現している。独特の構成力と同時に、馬の気配ともいうべきものを描いているところに注目した。

5室

 並木貴子「輝きの大地―集落」。海外のどこを描いたのだろうか。建物を赤く、あるいは青く色面で描き、そのあいだの大地をすこし緑の入った黄色で表現している。全体でステンドグラス的な色彩の輝きがあらわれる。

 加藤久子「ひととき」。画面のほぼ中心に女性が立っている。そばにテーブルがあって、そこに右手を載せている。柿のような果物と水の入った水差しとグラス。面白いのは、背後に格子状のドアがあって、それがおそらくガラス戸なのだろうが、障子を思わせるような調子で描かれているところである。全体にグレーを中心とした中に、いわば陰翳礼讃ともいうべき微妙なトーンの変化があらわれる。女性に対する迫り方もそうで、すっと立っているが、その呼吸に近づくように繊細にこの女性を表現しているところが魅力である。

 小寺和子「紅扇」。フラメンコの衣装を着て赤い扇を持った女性がポーズをしている。しっかりとしたデッサン力である。全身像を描きながら、全体の量感ともいうべきものも描いている。黒と赤の豪奢なフラメンコの衣装も画面の中に強い効果を生む。

 君島安子「サンジミニャーノの家並」会員賞。赤茶色の瓦屋根の建物が集合している中に、教会の大きな建物が周りの建物からすこし顔を出すように高くなっている。背後には畑があり、作物が植わっている。画家独特の点描による表現。手前の瓦屋根はすこし上から見て暗く、教会の壁や瓦がいちばん明るく描かれている。そのあいだの中間色の微妙な変化。サンジミニャーノは高い塔で有名なイタリアの中世の街である。中世のたたずまいを残したひっそりとしたこの集落の気配を描く。そこには長い歴史によってつくられた気配もあるし、昔ながらの生活をしている人々がいる。そういった全体を画家は静かに画面の中に描く。そのトーンの微妙な変化を見ていると、一種聴覚を刺激するようなところがある。あるいは、教会があるせいだけではないが、深い信仰のような敬虔な姿勢でこの風景を描いているようにも感じられる。そこにあらわれてくる豊かで繊細なイメージに注目した。

6室

 松谷万里子「邂逅」。巨大な水族館を母と二人の女の子が眺めている。ジンベイザメがすこし顔をのぞかせている。目の表情が悪人面で面白い。マンタが泳いでいる。鯛のような魚が群れをなしている。海を縦に切断したようなところにあらわれる光景が水族館の面白さだが、その空間を面白く画面に生かしている。

 伊藤容一郎「海辺のみず田」。畦道がカーヴして、田圃には水が張ってある。そのダイナミックな動きが構成の軸になっている。その向こうには畑があり、さらにその向こうに海がすこしのぞく。田植え前の五月頃の季節の風景のようだ。曇り日の中に雑草や樹木が生命感をもって輝き、そんな中に三人の女性が働いている。日本の農村の一情景をしっかりと表現する。

 友末冨美子「プリマヴェーラ」会員賞。七歳ぐらいの女の子がバレリーナの装束をつけて座っている。あどけなく可愛らしい。オレンジ色のチュチュと緑のチュチュ。周りのうねうねとする装飾的な文様。全体に金色で彩られているような豪華な感じがある。二人の女の子の姿かたちをよく表現していて、その存在感のあるリアルな表現と全体の装飾的な雰囲気とが合致しているところが面白い。

 横山順子「室内・想」。色彩が静かに輝いている。とくに灰白色が輝いている。画面はいちばん下辺はグレーのフロアで、背後のグレーの壁が窓のようにくり抜かれていて、奥行が五十センチぐらいのへこんだ空間になっている。そこにデコイが置かれていて、床に小さな椅子があり、そこに地味な緑のワンピースを着た人形が座っている。そばに横を向いて背を椅子にもたせて座るもう一つのピエロのような人形。不思議な気配が感じられる。人形を中心として、画家は心の内部に入り、外界を自己の内部の空間と化すような作業を行った。それによって平凡な色彩が静かに輝くものに変じた。

 浅野岳「周防瀬戸」。グレーの複雑なトーンが懐かしいような気持ちになる。独特の手触りのあるマチエールによって温かな雰囲気が生まれる。突堤の少し向こうで漁師と思われる人が小さな船に乗り、モーターで船を動かしている様子に安息感というのか、しみじみとした情趣が感じられる。斜光線のなかに突堤や瓦屋根の建物などが静かに地面から浮かび上がるように描かれている。海も影の部分はすこし紫っぽいグレーで、それを明るくした空が上方にあり、そこにすこし黄色い雲がぽっかりと浮かんでいる。画家はこの湾の情景をよく知っているのだろう。日々眺めている情景を絵の中に構成した。

7室

 羽根田隆「牛の洞窟」。アルタミラの洞窟には牛や人間たちが躍動するような線で描かれている。実際にその洞窟に入ったことはないが、写真で見たことがある。そういった情景がこの水彩の大画面の中に表現されている。下方には牛の群れがいて、上方には牛の大きな顔が浮かび上がる。一頭である。あいだに狩をする男が黒いシルエットで表現されている。危険のなかに全身で牛をとるべく立ち向かう人々の姿。そんな様子がダイナミックに褐色系統の色彩を主調色として描かれる。立体的に牛が立ち上がってくるような面白さである。

 原秀一「卓上」。マンドリンやアコーディオン、ランプ、花瓶に差された白い花などが生き生きと描かれている。群青を背景にして、すこしデフォルメされている。カーヴや動きが強調されて、うねうねとうねるような動きがバックの青の底から浮かび上がる。上方の金色の光と呼応する。そこには星が存在するようだ。

 坂田すま子「北村韓屋村」会友推挙。瓦屋根の民家のあいだに路地があり、そこを若い女性が歩いている。カーヴをもった屋根がうねうねと続いていて、生気がある。あいだにほっそりとした女性が歩いていく。見ていると、現代から百年か二百年さかのぼった時代のイメージがあらわれてくるような面白さがある。

 大島優子「広場の歌」委員推挙。グレーの複雑なニュアンスを生かしている。一階建ての建物がいくつか前後して中景に並んでいる。同じように前後して樹木が立っている。中心にすこし丈の高い樹木があり、その周りの線を見ると広場の中心のようだ。自由にイメージに沿って線が入り、グレーの色面がそこに入れられる。そして、いわばグレーの色面の歌ともいうべき、そんな一種音楽的な効果があらわれる。また、そのグレーと同時に柔らかなマチエールは見る人の心の中に入ってくるような、そんな独特の力をもっている。

 志賀一男「松島の朝」委員賞。松島は日本の代表的な名所である。手前の島にはお堂があり、反りをもった瓦屋根と頂上には擬宝珠が置かれている。有名な松が幾本も立ち並んでいる。松は黒いシルエットとグレーのシルエットを重ねて、すこし重ね方をずらして動きをつくるような雰囲気で表現されている。朝の光が空をこんじきに染めている。木版の特色を生かして、太い輪郭線を組み合わせながら力強い情景が表現される。

 木谷徹「想い」会員推挙。葦の生えている岸辺に廃船が一艘浮かんでいる。ほとんど壊れている。斜光線が当たり、ペンキで白く塗られた船腹を輝かせている。穏やかな日のなかに失われていく時を惜しむような、そんな深い感情の表現だと思う。

8室

 小泉憲治「出番を待つ歌姫」会友賞・会員推挙。緑のイヴニングドレスを着た女性が椅子に座っている。出番の前の緊張感のあるその雰囲気を生き生きと表現する。

 石井百合子「樹下波紋」委員推挙。水がゆるやかな波紋をつくっている。右のほうは地面で、そこに草が茂り、樹木の枝が水面に伸びている。そのしっかりとした表現に対して、左に水の動いていく様子が対照される。まさに静と動である。じっとその波紋を画家は眺めている。波紋は右のほうではすこし青く、上方にはほんのすこしピンクが入れられているところも味わい深い。

 首藤義明「刻」。ニューヨークのストリートを鞄を持って歩く男の後ろ姿。赤い上衣が映える。周りはほとんど墨絵のようなグレーのトーンである。人物もグレーに近い色彩で表現されている中で映える赤い上衣と、右のほうのすこしベージュのコートを着た女性がこちらに歩いてくる姿が対照され、独特の生気を生む。しっとりとした空気感のなかに人間の気配が強く漂う。独特の感性だと思う。

 岡崎喜代子「時の止まった発電所」。水力発電所の巨大な厚みのある大きな建物が前後二つ描かれている。方形やアーチ状の窓がまるでうつろな目のような感じで、静寂の中に表現されている。それは下方の排水するためのアーチ状の四つのフォルムもそうである。莫大な水によってタービンを回して発電をする。そのダイナミックな発電所が停止した状態。空虚な感じがよりなまなましくあらわれる。そういった不思議な存在、気配といったものを面白く画面に描いている。

 蓮沼貞子「バンガロール郊外」。バンガロールはインドの高原に位置する街である。画面全体に爽やかで澄んだ空気感が感じられる。車輪の上に箱があり、そこに緑の果実が山盛りに盛られている。そのエメラルドグリーン系の色彩と後ろの樹木の緑とが静かに響き合う。女性の衣装にもすこし緑がかったグレーがあり、それぞれの色彩が微妙に変化しながら響き合う様子が壁の紫色と爽やかなコントラストをなす。手前のオレンジ色の果物は豊かな実りを感じさせる。

 松浦桂子「ある日」。秋の風景をキュービックに色面構成的に表現している。褐色やオレンジに紅葉した樹木。画面を上下に貫く樹木の幹。遠景のベージュの建物。穏やかな暖色系の色面を使いこなしながら、静かにハーモナイズするものがある。だんだんと手前になるにしたがって空間が広がってくる。そういった大きなムーヴマンも造形のベースとして効果的である。

 山川浩次郎「港の朝」日洋賞。暗いグレーから明るい灰白色、白までの明度のコントラストが画面構成のポイントになっている。岸壁に係留された二艘の船が白く輝いている。背後に道があって、すこしカーヴしながら上りになっているのだが、朝の斜光線で建物の影になっている。建物全体もシルエットになっているが、その中に光が差し込んで、一方が輝くような白い線となって建物の屋根の一部や道を横切っているのが強いアクセントになっている。一日の始まりの爽やかな心持ちが強い韻律の中に感じられる。

 奥田祐子「Sweet Flower Wind」会員賞。風の吹く下方では十数人の人が楽器や花火を鳴らしたりしている様子だが、よく見ると中心に花婿と花嫁がいる。上方に向かって黄色や青や白い蝶が飛んでいく。上方はたくさんのピンクや黄色の花火が浮かんでいる。ビートのきいた画面と言ってよい。そのビートは画面のそれぞれの部分で微妙にテンポを変えながら鳴っていて、全体でヴァイタルなエネルギッシュな力となって画面から響いてくる。

 村田洋子「新しい生命と母の祈り」委員賞。乳児を抱く若い母親。背後の川に津波で流された建物などが流れている。傾いた対岸の樹木。ドラマのあとを告げているような三羽のカラスが遠景に飛んでいる。津波による崩壊と子供の誕生による再生を同一画面に置いて、強いドラマ性のある空間をつくる。

 井藤雅博「大地」。舗装されていない地面が道となってはるか地平線に向かっている。両側の雑草。道はすこし高台にあるようで、両側の地面はすこし低くなっているのだろう。褐色の空。一本の道のもつ力。そこにあらわれるムーヴマンや遠近感が面白く描かれている。

 松本耀子「ある街の扉」。道を黒い猫が歩いている。そばに木製の扉がある。「The GARRICK Inn 」という白墨で書かれたような文字が見える。そばに「FLOWERS STRATFORD UPON AVON ALFS」といった文字も見える。白い漆喰の壁に黒い木製の柱や桟、扉。上方からカンテラのようなものが下りてきているが、その中に蠟燭が置かれている。褐色と白のコントラストの中に黒い猫が黄金色の目を光らせて歩いてくる。閉じられた扉の向こうに何があるのかといった謎。そんな謎と黒猫のもつミステリアスなしなやかな雰囲気とが呼応する。意外と何百匹もの猫の集まった大集会がこの扉の中で行われるのかもしれない。鑑賞者に謎をかけるような不思議な画面。そんな絵のもつ内容が筆者を引きつける。

9室

 前田福茂「これから…」日洋賞。テーブルにノートを広げている少年。二つの木製のベンチ。ベンチの後ろの草原に窓があらわれ、雲の上に飛ぶ大きな鳥が描かれる。「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という言葉があるが、空を羽ばたくようにといった、そんな寓意性を画家は絵に描いたのだろうか。いずれにしても、手前の少年の力強いフォルムに注目した。

 宗方麗「電波塔」委員推挙。画面全体すこし翳りのある調子で描かれているが、そこに繊細な気配がある。長く使われた二階建ての建物の屋上に塔がつくられている。そばの地面にはトラックがとめられている。錆びたトタンの屋根の向こうに生コン工場のようなものが見える。空が六割ぐらいを占めて、すこし緑がかったトーン。ひんやりとした画面全体の手触り。下方のすこしあけられたドア。ここで生活してきた人の長い歴史のようなものがしぜんと伝わってくるような雰囲気に惹かれる。

 遠山悦子「瀧桜幻想」。画面は上下の二つのパートに分かれている。右下に巨大な幹が水墨のタッチで描かれている。V字形に左辺をつたわるように上方に伸びていく幹から枝にわたるフォルム。上方から下りてくる滝のようなしだれ桜。下方から上方に伸びていく小さな幹や枝に咲く花。下方の花の群れと上方から下りてくる花とが呼応する。花を外側から描くのではなく、花の内部に入って描こうとするかのような、パッショネートな表現である。

 上田龍子「万田坑赤煉瓦」会員賞。万田坑とは福岡県の三池炭坑の日本最初の日本最大規模の二つの堅坑のことである。かつて三池炭鉱は栄えたが、斜陽産業となり巨大な争議のあったことでも知られている。その栄枯盛衰の跡ともいうべきイメージが、この煉瓦造りの壁からしみじみと伝わってくる。亀裂が走り、一部補修されたところもあるし、剝落した壁もあるし、積まれた煉瓦の明暗のある微妙な調子の変化。そのまま長い時間というものを感じさせる。その壁を画面の中に描きながら、画家は九州に生まれた女性としてある感慨のなかに入っていくようだ。

 吉江道子「森のカフェ」。色彩が魅力である。緑のシャワーが画面に降ってくるような、そんな色彩感覚である。公園の中のカフェ。外にパラソルが立てられ、人々がそこに座って談笑している様子。赤や黄色の衣装が周りの線とハーモナイズする。上方に立ち上がる樹木の韻律もよい。

10室

 山中幹雄「苔の小道」会友賞・会員推挙。地面はびっしりと苔が生えていて、あやしい緑色である。葉も緑で、緑に囲まれた空間のなかに茶褐色の樹木の幹が立ち上がっている。そんな様子を絵具を塗り重ねながら独特の輝きのなかに表現する。

 秀島美代子「週末」会友賞・会員推挙。ジーパンに帽子をかぶった今ふうなお洒落な老人が斧をもっている。手前には切り株があり、割られた木材があり、後ろには廃屋のような建物がある。トタンの屋根を突き抜けて樹木が伸びている。それぞれのもののもつ形や量感をよく表現している。また、老人の周りの雑草も丹念に描いているし、後ろのシルエットの樹木の群がるような様子も含めて、隅から隅までその対象のもつフォルムや色調を表現する。いわゆる筆力がよく感じられる佳作だと思う。

 天音比佐「希望」会友賞・会員推挙。この会ではおそらくこの作品のみと思われる切り絵の作品である。シャープなフォルムが生き生きと響いてくる。三人の女性を構成している。中心は花束を持つ女性で、その花に手を差し伸べている座った女性がいる。その二人の関係をメインにしながら、その二人とは関係なく後ろ向きで立っている女性がいる。三人の人物を蔦のようなものが結ぶ。切り絵というものの性質上、クリアな輪郭線とそのあいだからのぞく色面としての色彩ということになるが、その構成が優れている。

 小山田光太郎「五月」。茶色いベンチに女性が座っているが、その上衣が茶色でほぼベンチと同じ色。靴もそうである。グレーのスカートをはいている。手前からオリーヴのような緑の丈の低い植物が伸びている。印象の強い作品である。マチエールからくるのかもわからない。客観的に対象を眺めているのではなく、もっと強いヴィジョンの中にこの女性や植物が引き寄せられている。そこに独特の詩情が感じられる。

11室

 中島邦彦「街角」。画面の中心に鐘楼と思われる塔が伸びていて、それがポイントになっている。石造りの建物や漆喰を塗った壁。そこに日が当たり、陰影ができる。お土産屋のような店の様子。そこに使われた赤い色彩。ヨーロッパのある街のある情景をしっかりと表現する。

 出口順治「水面(安宅の関)」。安宅の関というと、義経が東北に逃げていくときの富樫と弁慶との問答で有名なところである。しかし、ここに描かれているのは平凡な海際の集落の様子。土手の下方に桟橋があり、そこに船が繫留されている。上方の道のそばには建物がいくつかあり、その右向こうには白い灯台が見える。グレーの空を映して、水も暗いグレーの調子。その暗いトーンのなかに画家独特の色彩表現がある。静かに輝く色彩がある。

 鈴木克尚「窓辺の裸婦」。この作者の使うグレーには独特のニュアンスがある。繊細で、サナトリウムの中の情景のような不思議な味わいが感じられる。今回はベッドの向こうにほとんど裸の女性が白い上衣を羽織って立っている。その眺めている先に窓辺の猫がいる。情景を描きながら、内部の深い感情世界を表現しているところが面白い。

 天川冴子「潮風」。海岸にお洒落な飲食店がある。そのドアは緑色で、蔦の絡まった柱が伸びている。そんなテラスに白い衣装を着た女性が座っている。不思議な妖精的なイメージの表現だと思う。靴が赤く、それがユニークなアクセントになっている。海際の風がゆるやかに吹いているようだ。

 植木佑子「川沿いの道」。川沿いの公園だろうか。芝があり、樹木が立ち並んでいるあいだを道が続いている。ベージュと緑、空の青の色彩の微妙な変化を追いながら、しっとりとした情感をつくる。

 杉田美栄子「春の日」。満開の桜のそばに白い小馬がいる。芝には花が咲いている。そんな様子をプリミティヴに一種童話的に表現する。

12室

 倉地彩子「緑の丘」会員推挙。水墨でいう高遠法で上方にいくにしたがって遠景になる。建物がおとぎ話のなかに出てくるような楽しい雰囲気で、そこに様々な人がいる。中景の緑の広場にたくさんの白い羊と色とりどりの衣装を着た人々が動いている様子がほほえましく感じられる。上方には赤い機関車のようなものが動き、遠景にはもっこりとした山が見える。大観覧車もある。イメージにしたがって情景が変化する。画面から楽しいメロディが響いてくる。そんな不思議なコンポジションに注目した。

13室

 花城康雄「石垣の里」。浜辺に引き揚げられた船。その向こうの道。背後には民家がぎっしりと立ち並んでいる。すぐ山の斜面になっている。そんな漁村の光景をぐいぐいと描きこむ。強い光のなかにそれぞれのフォルムが立ち上がってきて、それを組み合わせながら独特の韻律をつくる。

 谷八重子「雪の道」会員推挙。道がまっすぐに向こうに続いている。両側に樹木が立ち並んでいる。それが降ってくる雪と曇天の中にグレー一色となっている様子。それでも見えてくるものがあって、画面に奥行があらわれる。その視界がすこし曖昧になっている雰囲気の情景に、なにか鑑賞者に語りかけてくる不思議な力が感じられる。

14室

 安藤桂子「朝」会員推挙。渋谷の街だろうか。グレーの中に黄色や紫や青、様々な色彩が入れられて、それらが瑞々しくお互いにハーモナイズする。その調子を追っていく画家の力を見ると、優れた色彩感覚をもっていることがわかる。また、街のもつ活気ともいうべきものが静かに表現されていて、ところどころにいる点景の人物も生きている。

18室

 長谷川玲子「あしたまたね。」会員推挙。子供を前に置いて、その両手を握っている若い母親。子供は仰向けに母親の顔を眺めている。上方に樹木が立ち、遠景にも樹木があり、後ろにぽっかりとあいた公園のような緑の広場がある。不思議な光線が差し込んでいて、母親の顔や衣装、少年もそうであるが、その中に分光された色彩が置かれている。独特の造形感覚であるし、色彩感覚もよいと思う。

19室

 田中伴子「ある日の街角」。広場の隅でサックスやベースを弾いている楽団がある。左のほうには老齢の男女の背中が見える。男性が女性の背中に手を回している。そんな情景の前に緑の布の掛けられた丸いテーブルがあり、そこに向かって座っているブロンドの女性。街の真ん中に室内の情景を置いたような不思議な雰囲気が感じられる。そして、この女性を眺めている後ろの二人の青年。このブロンドの女性を二人の青年は好きなのかもわからない。そういった不思議な心理学も画面の中にあらわれる。画家は夫とともにフィラデルフィアをはじめとして様々な海外の街を旅したそうであるが、そういった経験のうえにつくられた青春の物語のようなイメージが面白い。

 金井久代「想」。窓の向こうにドームが見える。室内には細長いテーブルがあり、花瓶に花が差され、高杯に葡萄などの果実が置かれ、ワインの瓶がある。そういった情景を青を中心としてまとめている。遠近感のある表現のなかに静かに響いてくるものがある。

 熊倉佐喜子「晩秋の光」。独特の色彩感覚である。一種スピリチュアルな感覚と言ってよいかもわからない。手前に大木が枝を伸ばしているが、葉がついていないので冬の情景なのだろう。後ろに二階建てのお洒落な大きな建物があり、その前の広場に三人の男女がいる。後ろはブティックのような店になっているようだ。オレンジ色の色彩が入れられているのが、画家の心の中の温かなイメージの象徴のように思われる。そのオレンジを薄めたかたちで二階の窓に色彩が点じられている。会話する三人の独特の動きのある表現。空の黄色やオレンジ色、あるいは緑の色彩。画家は絵を描きながら、自分自身の内界のお祭りのようなイメージをここにつくりだしているように感じられる。そんな強いリアリティがこの絵から感じられる。

20室

 福井洋紀「夢のほとり」。水面に桜の枝が伸びている。花が満開で、静かに散っている。さざなみが立っている下に鯉が泳いでいる。下方の水の底の様子などは幻視しているような雰囲気もある。寂々たる音楽が聞こえてくるようだ。あるいは声明のような音楽かもしれない。すべてに独特のリズムのあるところが面白い。

 千木良宣行「ウリッセロッキ通り」。石畳の道がカーヴしながら右の建物の陰に隠れる。左は建物の中がアーチ状にくり抜かれた低い通路になっていて、階段が四段ほど見える。そこに光が差している。そこに不思議なドラマが感じられる。信仰の表徴のような、そんな不思議な気配に注目した。

 水澤正信「心臓手術」。キャンバスの上に白く絵具を置いて、木炭やコンテなどによってドローイングした表現になっている。ベッドの上の患者を囲む六人の男女。その向こうには座ってモニターを眺めている人がいる。強い緊張感が感じられる。明暗の中にフォルムを追求する。

21室

 中野馨「ヴェネチア夕景」。パステルによる表現である。運河がきらきらと輝いている。繫留されたゴンドラがシルエットのように沈んでいる。右のほうには建物のそばに道があり、その店の外にたむろしている人々。運河の水の紫を帯びたような明るい調子は、まるで人生の流れのようにさえ思われる。象徴的な色彩の力に注目した。

 佐川忠邦「出番を待つ」。紙に細いペンによる。大きな丸太が積まれている向こうに建物が見える。その向こうは山並みである。切られた丸太の年輪、小口の様子や幹の皮の形などが強い存在感を示す。一枚の絵を完成させるのに相当の時間が要るのではないだろうか。細いペンによって、この積まれた丸太がだんだんと上に行くにしたがって大きくなり、生き物のような力を表すように描かれる、そんな不思議な力に注目した。

 小林功「鳥海山麓」。上方に山の峰がいくつも見え、その向こうに雪をかぶった高い山が見えるのが鳥海山だろうか。下方には田圃の稲を刈り取ったあとの情景が広がるが、そこはオレンジ色で表現している。すこしカーヴする道がそこを横切っていて、道際に点々と家が見える。その家の様子や全体の動きにファンタジーというのだろうか、詩情ともいうべきものが感じられる。

 大武国男「石狩弧沼初雪」。沼の周りの樹木が紅葉し、やがて葉が落ち、黒ずんだ様子になる。まだ左下には赤く紅葉した名残が残っている。晩秋の景色を惻々として表現する。手前の斜面に雪が下りているのが初雪なのだろうか。この沼を囲んだ樹木のもつ不思議な気配。静かな中に木の命がこもっているような表現に注目した。

 上野洋子「路地の風景」会友推挙。石畳の道が建物のあいだに続いているが、向こうで行き止まりになっている。その両側に木製の机と椅子が置かれている。一つひとつの壁にしろ机にしろ、店の帽子にしろ、丹念に描かれて、平凡と思われるこの情景が、画家にとって特殊なひとつの経験した空間と化している。そんなイメージの力に注目した。

22室

 板倉好子「六月の香」。近景に紫陽花が咲いている。背後は川で、川の向こうに合掌造りの大きな建物が見えるが、その建物も水も後ろの山も空もほぼグレーで、ほんのすこし青や緑が入れられている。油彩によって水墨的な味わいを醸し出す。すこしの淡い色彩が色彩としての不思議な魅力を醸し出す。

23室

 佐々木昌子「紫陽花の咲く頃に」。ブルーをベースにして、ピンクや紫などの色彩が入れられて、独特の静かな色彩効果をつくる。曇り空のステンドグラスから光がにじみ出てくるような、そんな味わいが興味深い。

24室

 織田宗輔「運河の街」。とくに技巧を凝らさず、対象をぐいぐいと描いている。そこからあらわれてくる不思議な明るさと強さに注目した。

 宮野青磁「夜明け」会員推挙。建物と建物のあいだの道が広く、手前は十字路のようでぽっかりあいて、そこに街灯や交通標識のようなものが伸びている。空はピンク、黄色、緑、青のグラデーションになり、まさに日が昇りそめるときの空である。地上のものはどれもシルエットとなって、柔らかな不思議な色彩を醸し出す。

25室

 岡林三江子「こころ」会員推挙。李朝のような壺が二つ。その後ろには緑の丈の高い壺がある。白い高杯に果物が入れられている。手前に三つのザクロ。塗りこんでいるうちに、テーブルの上なのか床かわからないが、それは不思議なグレーのトーンになった。そして、ものが静かに輝き始める。存在することの不思議さを画家は表現する。

 池田ミチ「街角」。ショーウインドーの中はピンクやブルーなどカラフルで、そこにマネキンが様々な衣装をつけて立っている。その前に真っ赤なコートを着た女性がスマートフォンを持って立っているのは、約束した人を待っているのだろう。色彩感覚が魅力である。

 嶋山順子「問い」会友推挙。石のようなものの上に座った少年。周りは草っ原で、向こうに山がある。田舎の少年なのだろう。強い存在感が感じられる。

26室

 三瓶繁男「春と秋」。画面の真ん中にカーヴしながら水が流れてきている。その向こうは滝になっている。右と左がほぼ相似形のフォルムであるが、右は秋で、左は春。秋は山が紅葉していて、刈られた稲穂が掛けられていたり、コスモスが咲いている。左のほうは春で、桜が咲き、芽吹いたばかりの潑剌とした緑色が使われている。遠景にはもう一つ、おむすびのような山が浮かび、そこには針葉樹が生え、空に満月が浮かんでいる。いちばん向こうにあるのは冬のようだ。図像的な表現である。日本の自然の力を生き生きと画面の中に引き寄せている。小川の中の鯉のそばの畦道に大きな太った猫がいて、鯉を眺めているのがなんともユーモラスである。

 佐藤千秋「留守番」。三匹の猫を面白く表現している。猫のもつしなやかな肢体が静物と響き合いながら楽しいイメージをつくる。

 尾﨑恭子「暮れる街」。日が落ちた直後だろうか。街角が青く染まっている。街灯が黄色く灯り、ショーウインドーから光がこぼれている。そばに三人ほどの男女がいるのが不思議な気配を示す。記憶のなかに呼び戻された街が幻想感のうちに表現される。

27室

 加賀浩一「奏」会員推挙。マンドリン、綱で縛られたガラスの錘、花托、南瓜、ドライフラワーなどが緑の布の上に置かれている。差し込む光がクリアなフォルムを浮き上がらせる。

 鈴木隆「春遠い北国」。道の両側に雪かきされた雪が高く積もっている。道はジグザグに続いていくが、その合間に一階建てや二階建ての民家がある。都会と違って、建物と建物のあいだがあいているところになんともいえない独特の空間が生まれる。柵や電信柱や信号機などが脇役として生き生きと画面に入れられ、物語の紡がれる空間が生まれる。

 中村敏子「街角」。パリの一隅だろうか。お店の前に人々がいる。赤や緑、青などの色彩が使われて、楽しい群像表現になっている。

 伊達賀代子「5月の詩」会友推挙。青いテーブルの上に籠があり、そこに黄色や白い花が差されている。手前には高杯に葡萄や洋梨が置かれ、青いデコイが一つそばにある。面白いのはその向こうに高い樹木が見えることで、青いテーブルがそのまま湖のようなイメージに変容する。

 仲智賀子「画室の女」。ウクレレを弾く女性。丸いテーブルの上に、鳥籠がある。中に一羽小鳥がいる。窓の向こうには建物が見える。光が差し込んでいる。差し込む光になにか形而上的なイメージの感じられるところが面白い。

 伊藤郁「ビスクドール・マルク」。女の子のビスクドールの両側に花瓶に差された花や植木鉢から伸びる白い花などがあり、手前には果物などが置かれている。柔らかな明るい明度のなかに、独特の色彩のハーモニーをつくる。

 日下賢二「一休み」会友推挙。杭の上にたくさんの鷗がとまっている。空に羽ばたく鷗もいる。ボートが浮かび、網が仕掛けられている。青いバックに鳥たちが生き生きと構成される。ボートの上に立つ一羽の鷺が人間のように感じられるところもユーモラス。

28室

 冨田信子「女」。緑の椅子に座った女性は紫のイヴニングドレスを着ている。浮世絵的な平面による仕事で、輪郭線が生かされている。

 奥村明子「明日へ。想」。五月の頃の季節だろうか。新緑の樹木や草も青々としている。そんな戸外の風景をバックにして白いテーブルがあり、そのテーブルの上には紫陽花や薔薇が花瓶に生けられている。そばには地面から自生する薔薇もある。小さな三角形の帽子をかぶったペアの人形がかわいい。紫のワンピースを着た若い女性が紫陽花を持って立っている。アンティームな雰囲気のなかに、色彩が静かに輝く。

 渡辺せつ子「幽香」。しだれ桜の手前に立つ裸の女性。左手にその一本の枝を持っている。三日月が出ている。向こうむきの猫がそばにいる。草の柔らかな緑がそのまま広葉樹のふかぶかとした葉の緑に変ずる。夕方、桜が咲き、ミューズのような女性が立っている。日本の風土から引き出した、画家のつくりだした女神と言ってよい。肩に掛けるようにしだれ桜の枝を持っている。桜を肩に掛ける女性から、日本の神話のたとえばコノハナサクヤヒメとニニギノミコトとの愛の物語なども勝手に連想するところもある。日本人の風土の中からつくりだした一つの女神的な女性像の表現であるところが面白い。

 古山多津子「からまる(逆光の中で)」会友推挙。電信柱の上方に様々な電線が伸びてきて、碍子によってつながれている。そんな様子を絵画的に面白く表現している。青いバックにたくさんの線のカーヴする方向性や形を、抽象画を見るような面白さの中に表現する。

 渕野香鶴「緑色の空間」。緑の壁の前に赤い上衣を着た女性がカップを持って立っている。女性を小さく、その全身像を入れることによって、室内の空間が大きくあらわれる。手前の矩形のテーブルには書きかけの鉛筆や赤い眼鏡などが置かれている。作業する仕事場のようだ。そこにしぜんと物語が生まれる。また、色彩感覚がよい。

 吉野豊子「夏の食卓」。赤い壁にすこし紫色を帯びた赤い床。白い矩形のテーブル。矩形のお盆に切られた西瓜と黄色いジュース。黒い花瓶に白い花。白いポット。赤と白を中心としてまとめながら、エッジの立ったフォルムがきびきびとしたリズムをつくる。

 名倉剛治郎「凪」。白い船が手前に進んできている。そのもっと手前に鷗が羽を広げて滑走している。中景には岸壁に繫留されたたくさんの白い船。いま日が昇ったようで、雲がオレンジ色に染まっている。これから漁に行く一艘の船が進んでくる。漁港の情景をグレーを中心として生き生きと表現する。

 鹽野惠子「バイラオーラ Ⅰ」会員推挙。フラメンコを踊る二人の女性。黄土や紫、緑などの色彩を使いながら豪華な雰囲気をつくる。とくに手前のシルエットふうな女性は、光っている部分が黄金色に見える。空間を彩る色彩感覚の面白さに注目した。

第85回第一美術展

(5月28日〜6月9日/国立新美術館)

文/編集部

1室

 根本久惠「静止した街 Ⅰ」会員奨励賞。グレーの色調によって光と影を繊細に扱いながら、堅牢な様子の街並みを描き出している。建物が重なるように奥、あるいは上方に続き、濃密な画面を形成している。そこに屋根の茶や草木の緑が少しずつ入れられていて小気味よいアクセントを作り出している。街には人の姿は描かれていない。過去から引き寄せられた異世界のような、独特の幻想感を醸し出しているところが特に印象的な作品である。

 中田誠「葉書」。白いワンピースを着た女性が椅子に座っている。女性は右手に葉書を持っていて、それを眺めているようだ。背後は落ち着いたグレーの色彩で染められていて、どこか静かな気配に満ちている。足を組み、左肘を椅子の背にかけた力の抜いた様子が実に自然に描かれている。この女性の静かな心持ちまで表現するようなところが見どころである。

 杉浦幹男「堤の桜(今井の桜)」。近年この場所を視点を変えながら描いている。陽の光を敏感に感じ取り、それを繊細に扱っている。それによって生まれる色彩の輝きが強い魅力を放っている。手前から奥に向かって畦道がまっすぐに進んでいき、その左側に桜並木、河川がある。桜は大きく伸びやかに枝を広げて、その影を地面に落としている。そういった旋回するような動きも作り出しながら描かれた構図も相俟って、鑑賞者を強く魅了する。

 渡部広次「北アルプス」。高く険しく立ち上がる山々の姿がボリューム感とともに強い存在感を放っている。山は雪によって白く染められていて、陽の光に輝いている。下方に行くと徐々に紫がかってきて、そこから赤、山吹色と色彩が変化していく。ぐいぐいと鑑賞者を惹き付けるような力強さの中に、この情景の表情を豊かに捉え、表現している。下方の街並みも細やかに描き出していて、そこに人間の生活感のような匂いを感じさせるところもまたおもしろい。

 牧野悦夫「野生の舞」会員奨励賞。画面を五つのパートに分割して描いている。それぞれに鷺の飛び立つ姿が描かれている。翼を広げて飛び立つその姿が実に凜々しく、鑑賞者を魅了する。静謐な筆致によって描き起こされたそれぞれの情景が、強い臨場感を孕みながら立ち上がってくる。

 伊藤静「かがよう朝」第一美術協会賞。キラキラと輝く水面が魅力的である。水平線は少し左に傾いていて、それが鑑賞者の臨場感を誘うところがおもしろい。画面全体が調子を変えた青の色彩でまとめられているのも、清々しい心地よさを作品に引き寄せている。

 戸澗幸夫「ふたり」。二人の若い女性が並んで立っている。背後は強い抽象性をはらんだ表現になっていて、この二人の女性の繊細な若さというものが浮かび上がってくるようだ。衣服の質感や人物のフォルムなどが的確なデッサンによって描き出され、独特の肖像画として強い印象を残す。

 篠原敏江「蔵―崩れゆく―」青山熊治賞。古い蔵の壁に接近して、それを描き出している。下方には木製の窓のようなものがある。長い時間風雨にさらされてきたこの壁の表情が実に豊かで、なんともいえない余韻を作り出している。深い味わいと共に、時間というものを画面に刻み込むように描き出している。

2室

 清水光美「よりそう」。二人の人物が寄り添うように座っている。お互いに手を近づけている。どこか無言の会話のような、心と心で会話するような親密さが興味深い。人物のフォルムのヴォリューム感や、二人を包み込むような空気感などがじっくりと描き込まれた、見応えのある作品である。

 大須賀勉「宙―そら―」。縦長の画面に滝の見える情景を描き出している。滝は森に囲まれ、上空は夜空である。神聖な雰囲気が画面を満たしている。そして夜空には一筋の流れ星が見える。ロマンチックでもあり、どこか漂う孤独感が強く印象に残る。繊細にトーンを変化させながら、清潔感のある青の色彩によってそういった鑑賞者のイメージを静かに刺激し、一つの物語を紡ぐような魅力を孕んでいるところがこの作品のおもしろさだと思う。

 牧野安甫「河童の森の雪の朝 Ⅰ」東京都知事賞。手前から奥に続く道を中心にしながら、画面を構成している。昨夜降った雪が地面を白く覆っている。明るく輝く白とグレーの色彩を繊細に織り交ぜながら、そこに茶や緑をうっすらと入れ込んでいる。それらが画面全体の透明な空気感を作り出し、鑑賞者を作品内へと誘い込むような魅力を作り出している。

 槇利光「霊夢」。海の底に一人の裸婦を描き、さらにその下に地層がある。どこか不穏な気配が漂っている。地震あるいは津波を連想させるようなそれは、美しい海の底でその機会を常にうかがっているということなのだろうか。いずれにせよ、細やかな描写と強いイメージの力が、そういったミステリアスな世界観を作り出していて強く印象に残った。

 名取加代「椿」。金色に輝く光を背景に、たくさんの花を咲かせる椿を描き出している。その濃密なヴォリューム感と点々と咲く赤い花によるリズム感が、強い魅力を放っている。下方の草花や、椿の葉の一枚一枚を丁寧に描き込みながら、安定感のある構図によって、美というものを深く追求しているようだ。同時に、内包される強い生命力もまた鑑賞者を強く惹き付ける。

 菊田量三「悠久の営み」。力強く立ち上がる樹木が丹念に描き出されている。相当の年月を経たようなその姿が、深い含蓄を湛えながら鑑賞者を見下ろしている。色彩は鮮やかで、陽の光に照らされた幹や枝葉によって細やかな表情が豊かに表現されている。ある種擬人化されたような存在感によって、作品の前に立つ鑑賞者に語りかけるような魅力を作り出している。

 加藤新市「渓流」。静かに流れる渓流がしっとりと描き出されている。堅牢な姿を見せる岩と柔らかな水の流れ、周囲の木立などが繊細に描き分けられている。それらを表現するやわらかな筆の扱いが、加藤作品のよさであり見どころでもある。

 館秀夫「嵐」。海岸に打ち寄せる激しい波が、強い動勢を孕んでいる。どこか異世界を思わせるような世界観が独特である。強い臨場感と共に、刻々と変化するこの情景をじっくりと描ききっている。

3室

 河添幸代「道標―樹つ―」。縦長の画面に三人の女性が描かれている。漂うような緑の色彩の中に深い情感が込められている。東日本大震災をはじめとする災害や戦争など、若い世代の未来への不安は増すばかりである。そういった現代において、人間同士の繫がり、助け合いの大切さを画家は静かに、しかし力強くメッセージしている。

5室

 佐野弥夫「私の描いた裸婦」会員奨励賞。後ろを向いて寝そべる裸婦を描いている。そのフォルムの曲線と肉感がしっかりと捉えられ描き出されている。クロッキーふうな表現の中に、空間と存在を追求するような印象深さがある。

 春原妙子「崖上の要塞」。堅牢な崖とその背後の上方に建物が見える。力強くも繊細に立ち上がる様子が強い見応えを作り出している。下方にはその姿を映す水面が見える。水面の刻々と変化する動きと崖や建物の持つ時間が静かに対比されながら、情感豊かにこの風景を描き起こしている。

 髙橋浩「緋牡丹」。たくさんの朱の牡丹の花が咲いている。その一つひとつが繊細に描かれている。美というものの艶やかさ、儚さがじっくりと丁寧に描き起こされている。周囲に無数にある葉々もまた同様で、画家の確かな表現力が感じられる。

 山田利男「津別のポプラ」会員奨励賞。大きな幹が横に並び、その下方あるいは上方からたくさんの若く細い枝が伸びてきている。その勢いのある生命力が強く印象に残る。大自然の中に生きることの厳しさ、素晴らしさが強く訴えかけられてくる。

 ヤマモト誠「RED」。じっくりとマチエールをつくりながら、幻想的な雰囲気を作品に引き寄せている。街並みが見えるが、どこか記憶の中の風景のようなところがおもしろい。鑑賞者を作品世界へと引き込むような強いイメージが感じられる。

 大澤包房「古都5月(トレド)」。遠景に街並みを望む風景がパノラマ的に描かれている。手前には羊が点々と描かれ、どこか静かな気配が漂う。奥の尖塔を中心に、そこへと続く距離感がしっかりと捉えられた、見ていて気持ちのよい作品である。

6室

 佐々木三夫「風雪に生きる」。お寺の講堂のような室内に五体の仏像が置かれていて、その向こうの屋外は真っ白な雪景である。猫や鳥、仏像、風景などの細やかな描写力が独特の雰囲気を画面に引き寄せているところが面白い。印象的な作品である。

 市原敏次「曲水の宴」。太宰府の祭事をテーマにしながら奥行きのある精神性を感じさせる作品。梅の樹木の複雑な動きと、蛇行する川の動きが強い見応えを作り出している。川から引き寄せられる人生の時間、過去からの時間。そういったイメージが鑑賞者のそれと重なるようであり、箔などを使ってそれを効果的に発信し、深い余韻を作り出す。

 佐藤佳克「稲荷寿司を食べる女」。暗い室内で老婆が一人稲荷寿司を食べている。その表情が実に印象的である。シンプルな構成の中に鑑賞者の記憶に残るような強さがある。

7室

 阿部節子「水温む」。沢山の紙などをコラージュしながら、気持ちのよい作品を描いている。冬から春への季節が移り変わって、そこには様々な感情が生まれては消えていき、それを鑑賞者のイメージに直接訴えかけてくるようだ。強い音楽性を感じさせるところもまたおもしろい。

8室

 江原登志子「桜彩る」。堀の脇に咲く桜がやわらかく繊細に描き出されている。水彩絵具の魅力を存分に発揮している。色彩感覚もよく、画面全体で心地よいメロディを奏でるような魅力を湛えている。

 武田誠好「アマリリス Ⅱ」。画面いっぱいに白いアマリリスの花を大きく描いている。中央から広がっていく動きの中に、透明感のある白の色彩が輝いているようだ。その中に入れられた緑の色彩もまた繊細である。美そのものを正面から描き出し表現した画面が鑑賞者を捉えて離さない。

9室

 菊野キミヲ「冴える」。夜空に浮かぶ満月が静かにその光を発している。しーんとした気配が画面全体を包み込み、そこに強い臨場感を作り出している。モノトーンの色彩によってそれを描き出しながら、ゆっくりと流れる空気の動きとともに刻々と変化していく時間の流れもまた捉えられている。

 稲越泉美「青い道標」。森の中に佇む一人の少女を中心に画面が展開している。左上の青い鳥と少女が無言の会話を重ねているようでおもしろい。繊細な青の色彩の扱いと共に、どこかミステリアスな雰囲気が鑑賞者の不安感を誘う。

 鈴木亜紀子「焰」。下方に咲き乱れる曼珠沙華が燃えるような生命力を孕んでいる。そこから飛び立つ蝶なども合わせて、実に繊細に描き出されている。赤や黄、青などの色彩でテンポを作りながら、見応えのある画面を描き出している。

10室

 斉藤眞佐子「吹雪く」。強くカーヴする動きと共に肌に迫るような空気感が強い臨場感を画面に引き寄せている。勢いのある筆の動きがそのまま風の動きとなっているようだ。確かな絵画力を感じさせる作品として注目した。

11室

 田中寛美「遥かなる故郷へ」。ヴァイオリンのような弦楽器と重なるようなイメージで描き出された若い女性。背後には幻想的な風景が広がる。田中作品特有の独特なイメージ世界である。鑑賞者をその世界観へ引き寄せる説得力が、確かな筆力によって支えられている。

14室

 松原修平「いのち」。終末的な世界観を感じさせる。奥には原爆ドームが見える。破壊と再生、救済といったイメージが、独特の群像表現によって描かれている。モチーフそれぞれのデッサンも確かで、それが上方の鳩に収斂していく構成がおもしろい。

 金谷一子「展覧会」。ある美術館の一室が賑やかに描かれている。展示されている作品にはこれまで第一美術展で見かけた作品もある。それぞれの人物の様子も面白く、見ていて楽しい。中央に空けられ空間が効果的で、見応えのある作品として鑑賞者を画面に引き寄せる。

 中田實「Holy and wealthy」。遺跡を背後にその土地の人々の姿を大きく描いている。その生活感のある様子が右上方のビル群と対比されるようなところがおもしろい。やわらかな色彩の扱いの中で、そういった現地の空気のようなものを作品に引き寄せている。

17室

 土肥稔「景色」。厚いマチエールで港の風景を強い抽象性と共に描き起こしている。今現在のこの風景を刻み込んでいる。色面をうまく使いながら、その中で深い情感を湛えるように描いているところが印象的である。

21室

 有馬耿介「広告のある街角」準会員佳作賞。雨の降る街並みを味わい深く描いている。鮮やかな色彩の扱いが実に魅力的で、しっとりとした感触がある。縦に伸びる建物の線の中にカーヴする道路がもう一つの動勢を与えている構図もおもしろい。

22室

 萩原利行「雪映白川郷」。山里にしんしんと雪が降り続いている。どこか物語の一場面のような、独特の幻想的な雰囲気がある。小さく灯る明かりがリズムを作りながら、画面内に漂う気配のようなものが魅力の作品である。

 斎藤トヨ子「家族」。数匹の猫それぞれの様子が愛らしい。背後を箔によって調子を付けながら、ほのぼのとした情感が鑑賞者を強く惹き付ける。丸みを帯びた猫のフォルムもしっかりと捉えられ、表現されている。

23室

 和田拡子「新月の約束」準会員佳作賞。妖精のような裸婦が草と重なるように描かれている。そのミステリアスな雰囲気が上方の月と響き合うように存在感を獲得しているところが面白い。色彩も落ち着いていて、イメージがしっかりと纏められている。

26室

 加藤孝仁「秋」。黄色の色彩が画面いっぱいに施されている。家屋や川などの横の動きの中で、瑞々しい自然の生命力が発信されてくる。やわらかな筆の扱いもまた魅力である。

27室

 唐藤忠男「愛しい場所」第一美術展賞。山や海などの風景とその左に見える人物の顔が独特のコンポジションで描かれている。それがドラマチックな感情を呼び起こす。強いイメージによって描かれた作品である。

 上原和代「秋韻」。風になびくすすきとその背後の満月が味わい深い情感を引き寄せている。丁寧に草木を描写しながら、やわらかさも失っていない。そういった誠実な様子に好感を持った。

〈工芸室〉

 小坂洋一「人生後半[元気の源]」。歯医者の室内風景をクリアに、そしてユーモラスに作り上げている。器具なども丁寧に作り込んで作品にリアリティを引き寄せている。独特のイマジネーションと表現に強く惹き付けられた。

〈彫刻室〉

 米田道明「木色人形 菩薩」。柔らかな丸みを帯びたフォルムの感触が心地よい。やさしげな表情に強い親近感を持つ。丁寧に木を組み合わせながら、そういった印象的な存在感を獲得した作品として注目した。

第70回記念現展

(5月28日〜6月9日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 小倉洋一「EMANCIPATION-TRIO-」。三面対の画面で、上方からオレンジ、黄色、緑、ピンク、青、緑といった色面によって明度のグラデーションのなかに彩られている。そこに花を思わせるような円弧が、時に二つの円弧になり、三つの円弧になり、浮遊している。独特の光というものを感じる。物質を描くのではなく、たとえば花であれば花から発するもの、あるいは光というもの、そのような存在を描いている。朝、昼、夜の変化の中にあらわれてくる光と空気。そういった地球の上の基本的な環境ともいうべきものの上に、朗々とした歌を歌おうとするかのようだ。その意味ではあのマティスが線によって教会を描くイメージと共通したものがあるようだ。ところどころ白い矩形のフォルムがつくられていて、それが光り輝く存在を表す。画面全体は基本的には垂直、水平の線によって分割され、そこに色面を置き、さらに円弧の繰り返しによって、独特の空間の広がりが生まれる。波紋のようにだんだんと周りに増殖していくような動きもあらわれているところが興味深い。

 中畑勝美「刻2014 紙風船」損保ジャパン美術財団賞。赤いベンチに座る老人。紙風船を手の上でもてあそんでいる。後ろにはビルを思わせるフォルムがある。たくさんの歯車が浮遊している。お互いに複雑な関係をもちながら社会が動いていく。そんなイメージを背景にして、孤独な一人の老人が赤い囚人服のようなものを着て紙風船をもてあそんでいるのは、悲しい孤独なイメージである。ひとりで過ごしている老人は日本で百万人から二百万人を超えるそうだが、そういった年齢の人々の存在を画家はこのように表現する。

 菅原淳「前途洋洋」。上方には白い大きな鳥が飛んでいる。下方にはドリッピングし、大きなストロークで光り輝く存在を描く。向こうに希望があるということになる。そんなイメージをダイナミックに抽象的に表現し、その抽象空間と鳥とのリンクによって、未来に対する希望を語る。

 渋谷直人「お伊勢参り」。頭が馬になった男が刀を持ってなんとか身を支えている。その下半身は段ボールによって遮られているが、その段ボールは化け物で、蓋が牙になっている。あるいは、段ボールの中から目がのぞき、歯だけが宙に浮かんで、この男の周りを取り巻いている。それを眺めている甲冑姿の青年。「神宮式年遷宮祝」。まがまがしいものを眺めて逃げている一つ目小僧がいる。それぞれのフォルムはクリアである。そして、キャンバスも変形されている。歯が剝きだしになって、そこに翼を伸ばした怪物が空間の中を飛ぶ。日本の古い森の中から現れてきた怪物。そのなかで困難をきわめる人間は、その頭を馬に変えられてもがいている。いわゆる怪談というものを大画面の中に面白く表現する。

 横田瑛子「ENDLESS―未来へ―'14」。繰り返される円弧がだんだんと大きくなりながら、画面をはみ出て広がっていく。茶系からオレンジ、やがて黄色へと拡散していくようだ。そういった中に緑やグレーの色彩が入れられる。生命を肯定するおおらかな陽気な歌声がだんだんと画面から広がっていく。

 大貫博「創造―空」。丹念にマチエールをつくって茶色から黒い色彩の中に無数といってよいほどの大小の穴ぼこをあけている。その穴ぼこをあけた、全体の観音開きふうな空間が、宇宙のようなイメージを表す。大地と空とが渾然と一体化したような混沌としたイメージである。荘子の中に混沌というものがあって、そこに目と鼻をうがつと七日にして死んだそうだ。ここにあるのは、そのような分化したものではなく、もう一度混沌というものの中に世界を戻して考えてみようということになるだろうか。その混沌というものをいわば神さまのように、祭壇ふうに観音開きの中に表現しながら、その空間から新しくもう一度生まれてくるものを祈っているような不思議な趣に注目した。

 羽下昌方「創造発展の原理と無限性」現展賞。細胞が増殖していく。増殖しながら形ができていく。根があり、茎があり、花があり、葉があり、だんだんと増殖していき、やがてそれは、またもとに戻る。細胞的な増殖な生命の力をこの大画面の中にまとめて、お互いを連結させているようなヴァイタルな表現に注目した。

2室

 上田研次郎「クローチェ マンダラ」。円弧の中から円弧が立ち上がり、連続しながら上方に行くにしたがってY字形に広がり、あるいは近くのほうにそのフォルムがあらわれてくる。背後にあるのは仏の像のように感じられる。赤、緑、黄色、ピンクによって仏のイメージをそこに仮託している。その仏からあらわれてくるイメージが上下に動いていく。画家のつくりだした独特の強いオーラを醸し出すエネルギーの表現と言ってよい。

 渡辺泰史「SAMURAI INDUSTRIES―風神雷神」会員賞。コカコーラのボトルが大きく画面の中心に描かれている。コカコーラの瓶に稲妻を受けるといったイメージが面白い。都会生活の人工性に落雷が関係づけられて、関係づけることによって世界がまた広がっていく。

 田中敏夫「浦島伝説」。浦島太郎は龍宮城に行って楽しい三年の歳月を過ごして、帰ってみると時間ははるかに過ぎていて、玉手箱をあけると白髪になって、誰も浦島太郎を知る人はいなかったという。三人の遊女のような女性が後ろにいて、そこで楽しく過ごした浦島太郎はオウムガイのようなものを持って郷里に戻ろうとする。戻ると郷里は公害の毒ガスの世界に変じていた。実際、絵空事ではなく、福島などに住む住民などにとってはそのようなことが実際に起きたわけである。そういった側面が左のほうに描かれ、右のほうには龍宮城の楽しみが表現されている。背景のもあもあとした空間。空から見た地上の光景に対して、水の中の浮草のような浮遊するような植物の形。満月と暗い二十二日ほどの月。現代と浦島を関連づけながら、現代を鋭く諷刺する。

3室

 江波戸栄子「徒花」。右のほうに強烈な赤い色彩がたらしこんだように描かれている。そこに突き刺すような矩形のフォルムがあらわれ、その花が黄金色に変じて夜の中に輝くようだ。そしてまたそれはストライプの向こうに淡いピンクとしてリフレインしていく。花というもののもつ女性性を巧みに利用しながら、繰り返しその花がリフレインしていく中に強い官能とか情緒といったものがあらわれる。

 栗原五十八「旋律」。上方から下方にフリーハンドの直線がすこし角度を変えながら繰り返される。その無限に続くような動きのあいだから黄色や緑、あるいは青、ピンクなどのフォルムが浮かび上がる。フリーハンドのジョンブリヤン系の色彩の繰り返しには、画家が題名につけているように無限旋律ともいうべきイメージがあらわれる。透明な中にうつろうものとうつろわないもの、二つの世界が表現されている。その二つがこの画面の中で不思議なデュエットを行うようだ。

 太田康之「永劫回帰04─1」。核融合の世界のようなイメージを繰り返し描いてきたが、今回は円の中に炎があらわれ、左右対称で蛇がその尾っぽをかむようなウロボロスの構図になっているように感じられる。「永劫回帰」という題名だが、強いエネルギーを持続したまま自己完結した不思議な世界が表現されているように思われて面白い。

4室

 原田規美恵「浄化の刻を」。強いコンポジションである。画面全体、新緑のような緑で彩られている。それを背景にして巨大な円があらわれる。その中心には大日如来を表す梵字が黄金に描かれている。左は阿、右は吽。大日如来の侍者である。大日如来は空海が信心した真言密教の中心の仏である。あらゆる存在のもとで、また、災害苦難を除き、人を癒し、福徳と長寿を授けるという。もともと密教は修法といって祈禱を行う。そういった力をこの画家自身も持っているようだ。そのように思わせるような激しい図像である。そして、大日如来の梵字の下から赤橙黄緑青藍紫という十二色環が扇状に彩られ、虹のような色彩がそこにあらわれている。そして、その下には青、緑、赤、白、黄色という五色の色彩が描かれている。いわゆるチベット仏教の祈祷旗タルチョにつけられている色彩で、天、風、火、水、地を指すそうだ。チベット密教の力までも借りて津波のあとの日本、あるいは日本全体を癒そうとするかのような堂々たる作品である。画家のつくりだしたこの曼陀羅には暗いところは一切ない。実に生まれたばかりのような瑞々しさで、大日如来の癒しを日本中に与えようとするかのような、実に強い図像を今回、画家は描いた。

 島春男「蘇生への詩」。植物が実をつくり、実が弾けて種となり、種が新しい命をつくる。植物の再生のイメージを朗々と歌うように表現する。再生のノクターンともいうべき不思議な音楽的構図になっている。下方には鳥を思わせるようなフォルムもあらわれて、植物から鳥のような存在にまでその力を及ぼしつつあるようだ。上方の飛翔する種のようなフォルムはそのまま空中を飛ぶ鳥のイメージとも重なる。そして、再生のメロディを画面全体で歌う。

 吉田博「クラッシュ」。矩形と円弧によって楽しい音楽的な世界をつくる。旋回する動き、あるいは放射する動き。様々な動きが美的な統合の中に秩序立てられてここに構成されている。深い茶系の色彩の上に黄色やピンク、ブルーなどの色彩が浮かび上がり、楽しい音楽の旋律が流れてくるようだ。

6室

 原田充朗「中国華中『運河のある町』」。運河が通り、たくさんの船がそこにある。周りの建物を線によってぐいぐいと描きこむ。その筆力によって画面に生気が生まれる。紙の地を生かした部分などが道の両側や壁にあって、それが逆にきらきらとした強い印象を醸し出す。

 林文子「市場:薪売りの女達」。紫の帽子をかぶった頭の上に薪を置いて運んでいる女性。右のほうでは薪を囲んで二人の女性が会話をし、少女が腰を屈めている。燦々と光が降り注ぐ。その陽光の中にこの群像や建物や薪や粗末な小屋などの情景がクリアに描かれている。デッサン力の強さが魅力である。

 野口昌男「楽園回帰」。三人の女性が立っている。オレンジのコートふうなワンピースを着ている。巨大な太陽が地平線近くに出ている。背後の幹がジグザグに立ち上がっているが、枝が切られてとげのような雰囲気になっている。向かって右の女性はその両腕に不思議な生き物を抱えている。向かって左の女性は黒い杖を持っている。中心の女性はショルダーバッグを持っている。樹木の様子を見ると、荒涼としたとげとげしい自然、不毛の自然を思うのだが、そこにオレンジのコートを羽織った女性たちは、そのコートの中に太陽のような暖かなものを入れて、人間を回復させるような、癒しの力をもつ存在のようだ。いずれにしても、一種彫刻的な強さがまずみどころである。終末的な時間のなかに人間を復活させ、楽園を求めるような、そういった文学性というものもまたこの作品の魅力だろう。

 三輪孝一「再生(桜島)」。桜島が噴煙を上げている。その噴煙の中にセルリアンブルーとウルトラマリンによって不思議なフォルムがあらわれている。それはまた黄金色のものを抱えこんでいる。そこにあらわれてくる図には、銀河のようなイメージが感じられる。雲のそばには赤い太陽が浮かんでいる。二羽の鳥がこの桜島を目指して飛んできている。桜島の手前の錦江湾は青い輝くような海の色彩。手前からその上方に向かって椰子が生えているのが面白く、桜島の麓の植物は熱帯の楽園に育つ植物のようだ。現実の鹿児島にある桜島から遠く離れて、画家の夢の中に存在する桜島の表現になっている。そんな桜島を下方の大きな白い鳥が眺めているし、その緑なす樹木の中には赤や白の鳥がすんでいる。これまで以上に穏やかで平和な桜島であるが、なにか深い内容があらわれている。桜島というモチーフをキーワードにして新しく命がよみがえりつつある、そんな現在進行形のイメージも感じられる。それが、なにか懐かしいふるさとの趣で表現されているところが実に不思議である。

 人見紀子「おじいちゃん アーッ、タバコ」。重ねたブロックの上に少女がのって、前の道を歩くおじいちゃんを眺めている。普段、部屋ではタバコを吸わないおじいちゃんがタバコを吸っている姿をこの子供は発見した。そういったシーンなのだろうか。不安定な揺れ動くような動きがつくられているにもかかわらず、少女の後ろ姿などはきわめてクリアにしっかり描かれている。おじいちゃんの後ろ姿は寂しげで、この全体の揺れ動くような雰囲気からすると、近いうちに病院送りになるのだろうか。勝手な妄想ではなく、そういった言葉が出るような繊細な表現なのである。

7室

 水野匡「象のいるサーカス」。横のF型のキャンバスいっぱいに象が描かれている。鼻の先がクルッと回って、旗を抱えている。背中に市松状の衣装がつけられている。赤、黄色、青などの手触りのある衣装であり、その衣装は頭の上にもつけられていて、象はこのサーカスの主役であることがわかる。それを背景にして、両手を上げて宙に浮かんだ女性の演技者。その横にはピエロが、観客にこの女性を披露するように手を差し伸べている姿が描かれている。しかしこのサーカス場には実は観客はいないようだ。サーカスという場を描くことによって、画家の内部に無限に反響するものがあるようだ。絵を描くことも一人芝居といってよい。とくに観客を当てにせず黙々と絵を描く。そして誰かに癒しを与える。暗い苦悩の絵ではなく、楽しいサーカスの絵であるが、そこには哀愁の表情もある。サーカスの象自体がこのようなイメージを受け止める大きな支えのようになってあらわれている。

 前田隆弘「荒磯」。茶褐色の磯に波が突き当たり、白い飛沫を上げている。八メートルも十メートルもある飛沫のようだ。その周りを鷗が回遊している。日が暮れつつあって、夜がすぐそばにある。その中に寄せては返す波の動き。ドラマのプロローグのような趣も感じられる。

9室

 犬養野良「新型爆弾」。光り輝く不思議な雲のような明かりのようなものが、画面の下方から上方に膨らんで動いている。そのそばに鳥居が見える。右のほうには広島の原爆ドームのようなフォルムが見え、その手前には人が死んで倒れている。片一方のほうにも荷車のそばに人が倒れている。上方には教会のフォルム。上方には星条旗と飛行機。その飛行機は原爆を広島に落としたエノラ・ゲイ。新型爆弾とは原子爆弾のことで、それを回顧していることが、絵を見ているうちにわかってきた。そして上方に不死鳥のように飛ぶ鳥。原爆が落とされて六十九年たつ。回想と祈りを表現した不思議な作品である。

18室

 川除俊子「寂寥―そして誰れもいなくなった」。上方に赤い色面を背景に巻貝が描かれている。大きな巻貝で、茶色と白のストライプになっている。突起が六つあって、それが手足のように感じられる。左の同心円のフォルムが目のようだ。それは画家自身の自画像のようだ。真っ赤な夕焼けに照らされて、ひとつの巻貝。下方は黒い色面で、そこに骨になった巻貝やホオズキや葉が描かれているが、葉もホオズキも葉脈だけになっている。ホオズキは中に実が透けて見える。歳月とともに消えてしまって、骨格だけになったものたち。それがそのまま画家自身の心持ちとつながっていくのだろう。不思議なイコンのような巻貝の表現である。

21室

 石井清「窓(連なる)」。後ろに高層ビルの窓のようなフォルムが黒い中に紫で点々と見える。逆に今度は上方から下方にぶら下がってくるようなフォルムがブルーと白によって表現される。マンションのような集合体に対して自然のつららが垂れているような、不思議なダブルイメージになっているところが面白く思われた。

24室

 藤ヶ﨑たつ子「山里からの贈り物」奨励賞・準会員推挙。「欅は成長が早く、末広に枝をつける事から昔は子供が元気に育つように植えられた縁起の良い木です。欅の皮と山のつるを使い自然のもつ力強さと癒しを感じて頂ける作品にと気持ちを込めて作り上げました」。円筒形の不思議な存在。何かの入れ物のようだ。周りを太い蔓がからまりながらそれを取り巻いて、この器を荘厳している趣。また、円筒形と述べたが、画家のいう欅の皮をはいだものを蔓で編んでお互いをつないでいる。見れば見るほど自然のもつ強い力や不思議な形に引き寄せられる。見入らざるをえない作品である。

 齋藤智江子「花開いて」奨励賞・会友推挙。竜舌蘭の花が咲いている。あいだに梟や蝶、蓮の花托などが置かれて、竜舌蘭を母性的な存在として画面の中に描き、それに育てられるように様々な花や鳥や昆虫が描かれているところが面白い。独特のイメージの展開である。

第102回日本水彩展

(6月1日〜6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 清水武「雪解け」。渓流のそばの斜面には雪が積もっている。そこには裸木が枝を伸ばしている。一隅をしっかりと表現する。樹木の形の全体でメロディのようなイメージが生まれる。

 永野陽子「風韻」。グレーやベージュの壁の上に線によって落書きのようなフォルムを伸ばしていく。フリーハンドの線の右下には丸い線や点線などが置かれている。壁が一つの心象空間となる。そこには独特の動きがあらわれる。左には霧が立ち込め、右のほうには水の中をゆるやかに動いていくようなフォルムもあらわれる。そこに空間のクオリティがあらわれる。

 小野月世「待ち人」。階段の上に足を組んで座ってスマートフォンを操作する女性。髪はブロンドである。その膝の上に猫が前足をかけて外を眺めている。女性はスマートフォンを操りながら心の内部を見ているようだが、この小さな猫はそれとは無関係にその外を眺めているといった様子である。その白い色彩と女性の白いパンツとが重なり響き合う。燦々と温かな光線が差し込んでいる。女性の背後にもその影があらわれ、女性もまた階段に影をつくる。二重の影がリフレインしていくといった様子。その光の中にいま荘厳されるように、このブロンドの女性の青春の輝きともいうべきものが見事に表現される。柔らかな自然体の動きのあるフォルムの中に、一種の安息感ともいうべき空間が永遠化されるようだ。

 大岡澄雄「草叢(白い花)」。緑に染まっている。中心にはすこし大きな葉の草が描かれている。上方には樹木の幹の下の部分が点々と描かれ、リズムをつくる。白い小さな花をつなげたような植物が上方に伸びている。幽玄の気配といってよいかもしれない。その中に植物が静かに揺れる。そんな繊細な雰囲気が浄土のような大切なものとして表現される。

 滝沢美恵子「一隅(アトリエにて)」。ポスターに女性の顔が見える。その上にも横向きの顔が見える。下方には少女の顔が見える。その下には音楽家のような横顔が見える。顔をコラージュするようにポスター的につなぎあわせて、ジグザグに上方に向かわせるというコンポジションが面白い。それはまた紫や茶褐色、ベージュなどの色面を組み合わせるという仕事にもつながり、あいだにカラスウリが伸びていく。構成の妙である。

 真壁輝男「夏来たる」。海辺に二人の女性が座っている。一人は砂地に座り、一人は黄色い椅子に座っている。ハワイの風景のように感じられる。椅子に座った女性の麦わら帽子には花が差されている。椰子の実を割ったお椀のようなものを膝の上に持っている。砂地の女性も白いブラトップを着て赤や緑やオレンジの布を巻いている。燦々と差す光。地上の楽園のようなイメージが感じられる。線によって対象のフォルムを捉える。筆者には水墨の豊かなイメージの表現を思わせるところがある。実景というより、画家のイメージがつくりだした二人の女性のシーンであり、二人の女性の存在感である。また、この空の上方は薄青や、下方のグレーの地面の様子にしても、日の差す光線の扱いにしても、いわば理想郷ともいうべきものの表現となっている。それもまた水墨画の得意とする分野である。ドローイングやスケッチの仕事と長く画家は行ってきたはずだが、その上に立ったイメージによる二人の女性像というところがこの作品の魅力だと思う。

 茅野吉孝「天空の集落」。道がジグザグに上っていく上に、大きな中世のものと思われるお城が見える。道の周りに木立が立っているが、葉をつけていない。まだ春は来ていないようだ。山頂に立つ建物を中心として、光の明暗の中にユニークな風景のコンポジションをつくる。遠景の雪をかぶったなだらかな山が手前のお城のような塊と対照されているのも構成の妙である。

 志賀一男「千羽鶴」。膝を立てて座った女性。手に色違いの小さな千羽鶴の束を吊るしている。その上方には女の子が手の上に手を載せて、祈っているようだ。そばに猫もいて、同様の雰囲気である。波が立ち上がってくる様子が両側に描かれている。下方には壊れた建物、民家といった様子がコラージュされて、黒白の中に表現される。狐のお面が浮遊し、綱が切れている。綱で守っている鳥居や神社も切れてしまったのだろうか。三年前の3・11の大惨事に対する深いレクイエムの表現である。白黒の深い陰影の中にレクイエムを表現した。

 千代田利行「月と聖山」。民家が線描きで描かれている。山の中にも塔やお寺がある。比叡山のような山なのだろうか。上方に巨大な満月が浮かんでいる。山も家も空も褐色の中に表現されている。茫漠たるトーンの中にこのフォルムが浮かび上がる。月のそばでは山影は黒くなっている。よく見ると、コンテでつくられたフォルムで、その上に水彩絵具が掛けられている。微妙な気配というものが表現されている。下方の民家やお寺の上方から眺めたフォルムは面白い。それは民家ではなく、塔頭のようなお寺の建物群かもわからない。上方に五重塔が山に抱かれるように立っているのが、実に神韻渺々たるニュアンスと言ってよい。

 福井タマヱ「聖」。樹木が上方に伸びていく。葉の茂っている様子は、黒や白の独特のたらしこみふうな表現によってつくられている。中にところどころ朱色が置かれ、ブルーの四角などが描かれている。風が吹いている。一部パステルなども使われている。グレーから黒にわたる微妙なニュアンスが上品な中に不思議な気配を示す。この二本の木の様子には懐かしいものがある。実際にもう木はなくなってしまったのかもしれないが、画家は記憶の中にこの二つの木を呼び戻したかの感がある。その霊的な樹木が浮かび上がる様子が、グレーの空を背景にして不思議なニュアンスの中に表現される。漆黒の中に星がまたたくようなイメージも感じられる。

 藤村喜美子「精霊」会員奨励賞。壁のようなものに絵具をぶちまけたようなダイナミックな表現である。強いごつごつとした厚いマチエール。この壁から何か不思議な気配が立ち上がってくる。下方の黒いあみだくじのようなフォルム。それが重なり大きく太くなり上方に立ち上がっていくようなかたち。一種神道的な気配の空間が生まれる。

 綱川サト子「渓」。渓流の浅い水がよく描かれている。その背後は崖で、岩が壊れたような様子で、独特の形をなす。その一隅を誠実にしっかりと表現して、説得力のある空間が生まれている。

 宮川美樹「刻」。浜に波が寄せて、最後は気泡となっている。砂地に鳥の影が捺されている。壊れた二枚貝、あけられた二枚貝が土を中に入れて白く輝いている。死んだ貝、口をあけた貝、いま寄せる波、この繰り返し。そしてひとときの鳥の影といったように、三つの時間が交差するシーンが表現されている。それが脳髄を思わせるような湿地の上に描かれていて、独特のニュアンスを釀し出す。

 中塚勝「大地」日本水彩画会賞・会友推挙。すこしリキテックスや油絵を思わせるような強いマチエールである。透明水彩の表現とは異なる。道が蛇行する向こうに山の斜面があり、だんだんと上方に上っていく様子がしっかりと表現されている。とくに道の褐色の強いマチエールの上に轍の跡が幾筋も見える様子には、独特の存在感が感じられる。

 松林重宗「源泉湯槽」東京都知事賞。雲仙天草の火山地帯に発生する温泉がモチーフになっている。噴火して新しく山ができた記憶も新しい。上方に石で囲んだ中から湯が出てきている。その周りには激しく湯煙が噴いている。岩がごろごろと周りに転がっている。アルカイックな独特のエネルギーがここに感じられる。この底には火山の活動が間断なく行われているのだろう。その地表の表情といった様子である。その目に見えない世界を表現しようと、画家はぐいぐいと線を入れ、絵具を差していく。鉛筆によるドローイングがもとになっている。その上にホースや岩や様々なこの状況のものが入れられ、密度があらわれ、奥行が生まれ、地中から噴いてくるエネルギーが表現される。

 橋本義隆「あの響き」内閣総理大臣賞。上方に矩形のボックスがいくつもつくられている。その中に叫んでいる男の首が何体もあって、それがU字形に置かれている。あの3・11の悲惨な津波に対する慟哭の様子である。下方には三人の姉妹がいる。真ん中の長女はドライフラワーを持っている。向かって左の次女は下方を眺めているが、そばに千羽鶴がある。いちばん小さな妹はどこか遠くを眺めているが、その左手はそっと千羽鶴に触っている。津波に対するレクイエムの表現である。とくに三姉妹の穏やかな柔らかな表情はより深い悲しみを誘うようで、上方の慟哭する男たちの首の像と対照されて、作品の内容を深くする。

 鳥巢啓三「風刻」損保ジャパン美術財団賞。上方に敷石や下水の蓋のようなフォルムが並んでV字形になっている。そのそばに黒いたらしこみふうな場所があり、赤と白の交通標識が置かれている。下方は揉紙のような亀裂の走った色面で、下方に落ち葉がある。時とともにうつろっていく様子。時が浸透して、壁などにひびを入れて、何回も歩いた歩道の、人の足跡によって様相が変わる、そんな雰囲気。時間というものの中に思いをひそめて、それを外部から描くのではなく、踏まれる時間、浸透してくる時間の内部からイメージを徐々に広げていくことによって、このようなマチエールと独特の触手のようなイメージが生まれたのだろう。

 荒木惠子「EPISODE」。しっとりとした味わいの作品である。手前に女性の横顔が見え、足を組んだ姿があらわれているが、その上に木琴のようなものが置かれ、花がたくさん積まれている。その前には黒い写真のようなものも見える。この女性は亡くなってしまったのだろうか。その上方にたくさんの人が集まっているが、献花に来ているような趣がある。白黒の世界にもかかわらずしっとりとして、独特のニュアンスと香りのようなものがあらわれている。絵画的な感性が優れているのだろう。

 加藤恒雄「透明な時間」。白い布を敷いた上に槍を持つ鎧兜の兵士の像が置かれている。そばにはサクランボを入れたグラス。栗。木目の見える板でできた背景。一つひとつをクリアに描く。

2室

 宗廣恭子「カフェテラス」会員奨励賞。女性がいまカップを揺らすと、水がそこから飛び出た。花柄模様の机がその背景にある。丸いカウンター、二人の女性。カフェという日常とすこし違う空間の中でイメージがインスパイアされる。しぜんとフォルムが変化する。お洒落な作品である。イメージの中に時間が流れていく。

 加藤英「時のつかさ」。茶色い時計の文字盤が壊れている。その周りに青い歯車が動いている。その上に子供の人形があらわれる。帽子をかぶって着物のような衣装をつけている。その手の先に蝶がとまっている。周りには逆さまになった雲や花の文様。帯のようなフォルム。日本的なものと西洋的なものとのイメージがそこに置かれている。時というものは不思議なものである。現在の中に過去はあっという間に呼び戻されるし、未来に対するイメージもあらわれる。時を考えるということは、現在は何かということの問いかけであるかもしれない。そういった時の謎を永遠の子供のような人形がつかさとして支配しているといった構図である。これまでになく華やかなものが画面の中に感じられる。古びた錆びた過去に対置して、永遠の現在ともいうべきイメージが面白く表現されている。

 今成建史「秋瀑」。滝が渓流に落ちてきている。その部分を拡大している。水の動きが激しい。下りてくる水。左右に流れる水。斜めに落ちる水。水と滝の交響楽ともいうべき、そんな動的な表現に注目した。

 妹尾宏「虚像」。三体のマネキン。赤いコート、黄色いコート、黒いパンツ。いずれも女性のマネキンである。その様子が、色調のせいと思うが、シックでお洒落な感覚で表現されている。バックの黒が色としてよく生かされている。

 久保田勝巳「風化の森」。画家の住んでいる岐阜県に、一つの株にたくさんの株がくっついた不思議な巨大な杉の木があるそうで、それが最近テーマになってきている。ところが今回は、その巨大な樹齢五百年、六百年という杉の木が爆発寸前のような激しい画面になっている。バックは赤みを帯びたオレンジ色に染まっている。小さな丈の高い樹木もあるが、中心にあるのはおそらく手をつなぐと十人ぐらいの人間が必要であるような、巨大な幹である。その内部がうろになっているようで、壊れかかっている。いわば巨大な船のようなイメージがそこにあらわれている。人間の記憶、五百年間の人々の記憶、風土の記憶を運ぶ巨大な杉の木。その巨大な船のようなイメージが、いま倒れて、四方八方に放射状にその幹を崩壊させるようなスリリングな気配がある。蛇のように上方に伸びていく樹木の幹には、新しい再生の命のようなイメージも感じられる。いずれにしても、かつてなく激しい表現であり、破壊と再生との境界領域にこのイメージがあらわれているように思われるところが面白い。

 齋藤俊子「青い風景」。青のヴァリエーションが中心に置かれて、それぞれが歌うようだ。中心に青空がぽっかりあいて、その周りに地上のものが自由に配置されているような、そんな一種曼陀羅的な構図を思う。下方には二羽のつがいの小鳥がいる。そばに樹木が立ち上がり、ピンクの葉が風に翻っている。上方にはオレンジ色の光が差し込んでいる。秋の透明な高い空を中心として、地上ものが雲を含めてお互いに手と手を取り合って、その周りを旋回しているような、鮮やかなイメージである。

 中西奝之助「時の記憶」。板の棚の上にベーゴマがいくつも置かれているし、ヨーヨーもある。木製の江戸時代に愛玩されたような人形が集められ、行列をつくり、楽しく進行しているような、そんな雰囲気がほほえましく描かれている。過去の習俗がそこに生き生きと呼び戻されているような雰囲気である。上方のフグやセミの巨大な凧のイメージもそれを補足し、歯車がまるで花火のように表現される。

 田代久美子「遠い想い出」文部科学大臣賞。たらしこみふうに水彩絵具が重なり、独特のハーモニーをつくる。近景にはガス灯が光を発しているが、そのすこし後ろ左側にカフェがある。一階にその店はあるようで、そこから光が漏れている。右のほうには二人の女性がカウンターに寄り掛かっている様子が描かれている。上方の看板と思わしきところに赤や青い色彩が入れられている。それが懐かしいヒューマンな味わいで表現されている。長崎の人が愛してきた一つの店なのだろうか。その一階か二階建ての建物がすこし傾いている。もっとも、画面全体がすこし右に傾いている気配があって、後ろにはすこし高いビルなどが描かれている。「遠い想い出」という題名のように、青春時代に友達と通ったその店、その周りの街の様子が、この画面の上に浮かび上がってきた。想い出の振り子によって光景全体が左右に揺れているようだ。

 酒井保嘉「三陸巨釜」。三陸海岸の巨大な岩組がテーマになっている。岩と岩とが激突し、ぶつかり合い、屈折し、伸びていくといった、そんな混沌とした様子を実にアルカイックに表現している。遠景に断崖の下に水が流れている様子がほんのすこし表現されている。この岩でできた深い奥行のある表現に注目した。

 吉川靖「裏手」。横断歩道のそばに緑の塀があり、それは細いパイプでできているのだが、その向こうに光に浮かび上がる建物の壁がある。公園の作業場のようなものかもしれない。柔らかな光に照らされたハーフトーンの穏やかな表現に注目した。

 安部孝子「おもてなし」会友奨励賞・会員推挙。若い女性がお盆に紅茶とお菓子を盛って、それをいまテーブルの上に置こうとしている。一部はコラージュされている。モダンな造形感覚に注目した。

 松永弘「消えゆく遺産 佐渡金山」。向こうは岩になっている。手前は工場の内部だろうか。重厚な機械のようなものが左側にある。光が当たり、強い陰影のなかに左のどっしりとしたこの機械と向こうの岩肌とが対照されて、独特のイメージをつくる。

 和田三夫「芽吹き前」大下藤次郎賞・会友推挙。樹木の幹がすこし宙に浮いて、そこから根が下方に下りてきている。そんな様子のところに焦点を当てて、そのかたちを丹念に描く。自然というもののもつ不思議なかたちが実に面白く描かれている。背後の蔓や向こうに立つ樹木などの遠景から中景の表現も面白い。

3室

 小林政夫「JAPAN 2014」。テクニシャンである。若い女性がファッショナブルな雰囲気で立っているが、そのそばには昔の侍の姿やお相撲のフォルム、あるいはビルの窓、折り鶴、あるいはアニメ時代の女の子たちといったように、現代の風俗が江戸時代の風俗と重なりながら表現されている。そして、色面に分化されながら、コラージュされたようにパッチワーク的に部分が集まり、静かに旋回していく。万華鏡的なコンポジションの中に優れた筆力で風俗的な要素をピックアップしながら、ジャパンのイメージを発信する。

 根岸尚徳「いにしえの光」。岩に座って右手を上に向けている若い女性。その掌に上方から桜の花びらが降りてきている。柔らかなハーフトーンで囲まれたこの女性にはふかぶかとした空間が生まれている。柔らかな光がこの女性に当たる。都会ではなく、奈良などの古寺がたくさんある岩の上に座って物思いにふけっているような、そんなイメージの表現が面白い。

 平林邦雄「街角」。白い壁。赤茶色の瓦の屋根。スペインの田舎の風景だろうか。あいだの敷石。階段。そんな古い街の古い建物を組み合わせながら、光をそこに当て、柔らかな明暗をつくり、独特のイメージを表現する。光と歴史が一体化しながら、現在という状況をうたう。人が住んでいるようで、もうそこには人がいないような、不在の中に人間の気配が逆にあらわれてくるといった趣も感じられるところが面白い。

 川本ひろ子「冬の朝」石井柏亭賞・会友推挙。刈り取ったあとのものを燃やし、その煙がまだくすぶっているようだ。霧の向こうに民家や山が見える。山里の一隅。無人であるが、生活の気配が濃厚な、ひとつの風景表現の面白さと言ってよい。

 工藤純「喜(き)014─5」。女の子の顔のようなフォルムが画面全体に浮かび上がる。大きく見開いた目。右目はまるで車輪のようになって、その中心に黄色い色面が置かれ、左のほうはつぶらな瞳である。いずれにしても、何かを凝視している表情。赤、ピンク、緑、黄色などの原色がその顔に使われて、不思議なオーラを発散する。強烈な命の輝きのようなイメージ。そして、顔の中に亀裂が走り、顔自体がひとつの時間や歴史といったものをそのまま表し、それをより明るい方向に持っていくような強いイメージがあらわれている。頰の下あたりには右手の、お相撲さんの手形のようなフォルムがあらわれているのも、いかにもこの画家らしいじかなヴィヴィッドな表現である。

 中野功「刻の雫」。古い建物のあいだに路地があって、その先は階段になっている。茶褐色の煉瓦を積んだような壁。そのあいだの道の陰影。歴史的な古い時間が濃厚な気配を示す。

 辰巳彰「帰りを待つ」会友推挙。建物のそばに自転車が五台ほど置かれている。そこに光が当たり、明暗をつくる。クリアに自転車のフォルムが浮かび上がる。その形はこのように見ると、優しく繊細で、そのまま人間的存在の象徴となっている。上品な色彩感覚も魅力。

 三輪富美子「わらと仲間たち」。わらの上に紙が敷かれ、紙の中に卵やプルーンが置かれている。後ろには、割られた卵、鳥の骨、トランペットが宙に浮いている。「わらと仲間たち」という題名だが、ここにあるのは喪失した感覚のように思われる。魚も身がなくて骨だけになっている。子供たちが巣立ったあとの寂しさといったイメージが描かれているように感じられる。いずれにしても、緻密に対象のディテールを組み合わせながら、独特の絵画としての面白さをつくる。

 早崎小百合「ここに居るよ」会友奨励賞・会員推挙。猫を抱いた若い女性。左右にも三匹の猫がいる。ぐいぐいと描きこんでいる。アクリル絵具と思われるのだが、一部紙などもコラージュされて、猫と女性の肖像画ふうな表現になっている。強いエネルギーを画面から発散する。

 西山恭子「まち」。高いところからこの下方を眺めている。中心に道があり、ビルが立ち並んでいる。その道の中を車が動いていく。道は褐色で表現されている。ビルが青や黄色、青の色彩によって表現される。どこかステンドグラスの色彩に共通するような輝きが感じられる。

 加藤明子「伝言」。廃屋の前に自転車のようなフォルムが見える。暗い青の中にこの廃屋は表現されて、窓もドアも外され傾いている。そんな様子がしっとりとした、いわば青の叙情ともいうべき色彩の中に表現される。崩壊することにより発するメロディが画面から聞こえてくるようだ。

 中村光伸「雪中の金堂」。唐招提寺なのだろうか。実際のお寺はわからないが、古い堂々たるお寺である。一部雪が積もり、いまなお雪が降り続いている。三つの階段。この建物のもつ不思議な美しさ、その骨格というものを実に的確に表現している。雪が降ることによって強い美観が生れる。お寺をつくったときの美意識が、雪の中に静かに浮かび上がってくるような、そんな力強さがある。

 江口均「よどむ」。15号ぐらいの小品である。雑草が生えているところに川があり、石垣がある。その石垣から以前の建造物であったと思われるものが残って、水から突き出している。そこに生える草。強い光と影のコントラスト。残されたもののもつ味わい。しかもそれはかつて立派な建造物であったが、いまは自然に帰るように草の生えた岩のようなかたちになっている。そこに光が差し込む。そういった様子を心をこめて描いている。時間というものがそのまま形として、絵の上にあらわれてきたようなあやしさを感じる。

4室

 髙柳喜代子「街の貌 2014」。高速道路の下の道。そこの道路はすこし傾いている。柵の向こうに車が駐車している。道路標識。高速道路を下から見上げたフォルム。都会の中で必ず経験する情景が、強い独特の動きのなかに表現される。都会のクールな詩情ともいうべき雰囲気も感じられる。

 中村多美子「秋への想い」。たくさんのドライフラワーになりかかった花が木製の二段の籠に置かれている。その量感と微妙な色彩の変化がよく表現されている。下方に光があたり、柔らかなグラデーションが生まれている。古びた床。背後の階段が回って上方に向かう様子。ヨーロッパの舞台の一隅のようなロマンティックな味わいが感じられる。

 小野里理平「チェロ、カルテット」。四人のチェリストが演奏している。円弧をなすように並んでいる。画家は実際の演奏を前にして作品を描く。あるいはクロッキーをする。そういった独特の臨場感がこの作品の強さだろう。四人の大きさも位置によって微妙に異なっている。三人の女性と一人の男性。男性がいちばん大きく向かって右側に描かれている。弓が動いていく様子。背後の柔らかなグレーの空間。緑やピンク、黄色などの絵具が薄められて繰り返し重ねられた、ロマンティックな空間の味わい。演奏家のもつ強い独特の全身の表情を見事に絵の中に構成する。

 山口繁雄「引き潮の港」三宅克己賞・会友推挙。達者な作品である。手前に海水がたゆたっている。その上にすこし小高くなった砂地があり、漁船が引き揚げられている。さらに高いところには建物があり、車などがある。そういった全体を見事に一つの画面にまとめる。とくに手前の水の表情に対してクリアな船や建物のフォルムの対比が見事である。

 水野道子「生への迷想」。炎が燃え上がっている。その炎の様子が命というものを表すようだ。見ていると、薪能を思わせるところがある。そこに燃え上がる炎。その向こうでは能が演じられている。能はだいたい死者との会話から出発しているわけだが、時空を突破して、命の炎が、燃え上がる。そういったイメージをこの作品から感じることができる。

 勝谷明男「丘陵冬晴れ」。一メートルぐらい雪が積もっているのだろう。ふかぶかとした雪の質感を見事に表現する。光が差し込んでいる。それによって雪が表情を変えていく。手前の丘の上の材木を積んだような形。その後ろのだんだんと斜面を上っていって雑木につながる山の広がり。近景の工事現場を思わせる道路の様子。いずれもビロードのように雪が積もっている。光沢があり絹のような表情を見せる雪の表現が実に魅力的である。

 町田進「春の訪れ」。梅の木が屈曲した枝を広げて、いま白い花が咲き始めた。その枝の屈曲しながら画面の四方八方に伸びていく形が実に力強くアルカイックである。

 伊藤由美子「道草」。インドの三人の女性。中心の女性は頭に大きな金属の壺を支えている。その場でスケッチしたところから、アトリエの中でこの構図をつくったものと思われる。インドの女性の生命感、その謎めいた不思議な魅力をよく表現する。

5室

 森田孝子「夜明けの詩」。右のほうにチェロが傾いて置かれている。左下には、草の中から黄金色の黄色い鳥が上方に飛翔しようとしている。空いっぱいに黄色い鳥が羽を広げている。黄色は「夜明けの詩」という題名のように朝日のことだと思うが、これは朝日そのものではなく、夜が後退して朝がくるというイメージ自体が黄金色の色彩として捉えられた。そのイメージはある一つのメロディのようにこの絵の中に入ってきて、メロディが鳥に変身し、はばたき、黄金色の色彩を招いた。コンポジションと色彩に注目した。

 小島文雄「月下の夢」。ユニークな作品である。上方に満月が出ている。画面いっぱいに斜めに蕾がある。その蕾は月下美人の花の蕾である。そこにはたくさんの裸の女性たちが眠っている。そして、花が開くと、この女性たちはきらびやかに衣装をつけて、この花から飛翔していくのだろうか。月下美人の咲いている砂漠の光景が下方に広がっている。ユニークなコンポジションである。

 今井芳文「学校(梅見月)」。女の先生と生徒たち。自由に落書きのようにデフォルメされて、無邪気で、力強い子供たちのフォルムが立ち上がってくる。左にチョークを持って立つ女性の教師のフォルムも力強い。

6室

 上野博「曲、想」。川のそばの地面でヴァイオリンを弾いている女の子。湾には海苔のようなものの仕掛けがつくられている。対岸の小さな建物や旅館のような建物、燦々と降り注ぐ光。その中で少女がヴァイオリンを弾く。手前の地面の様子とヴァイオリンを弾く少女の姿がクリアで力強い。独特の動きのあらわれているところも魅力。

 李志宏「ラサの朝」。ラサは、チベットの首都である。女の子が鐘のようなものを鳴らして、その音を聴きながらその祖母と思われる女性が歩いている。二人が連れ添って歩いている様子は、親密で心がかよいあっている。霧のかかったようなバックの中にクリアに二人の女性像がしっかり浮かび上がる。

 藤井啓二「帰着地」。船のドックが中心にある。いまそこには船はいず、ぽっかりとあいた空間がある。ドックの大きさを見ると、それほど大きな船のためのものではないのだろう。そばにクレーンがいくつか立ち上がっている。ぽっかりあいた不在の空間は何か不思議な力を発揮する。その空間のもつリアリティに注目した。

 小山英一「静かな水面」。優れたデッサン家だし造形家である。ゆったりと蛇行して水が流れてくる。一階建ての建物。向こうは公園のようで、雪が積もった上に人がいる。水の広がり、その質感、そこに映る影、光によって輝く雪、それらが十全に表現されて静かに広がっていく。水の静かな波紋が画面全体に伝わって、広がっていくような繊細な動きが魅力。

 尾藤賢治「廃船と漁村」会員推挙。津波によって廃棄された船の群れのようなものが手前にかたまっている。湾の向こうには民家がある。その民家はしかし流されていないから、手前の廃船は津波のせいではないのかもしれない。いずれにしても、年代ものの壊れた船には不思議な存在感がある。それが逆光の中に一部表現され、船のドラマのようなイメージがあらわれる。船のドラマ以上に漁港のドラマといったイメージもある。いま一艘の船が沖に出ようとしている。低い雲がかかっている。漁師の生活と密着した風景が強い力で発信してくる。

 山口幾子「草笛」。紺碧と言ってよいような青い空を、女の子が裸でうつぶせになって見ている。周りにはたくさんの花が咲いている。空には蝶が舞い、鳥が飛んでいる。白く光るものが点々と浮かんでいるのは何だろうか。綿毛のようなものもあるが、まさか青い空から雪が降ってくるとは思えないが、何かピュアな不思議なものが下りてきている。そんな神秘的なものをこの女性は眺めている。また輝くような色彩が魅力。

7室

 津賀忠子「或る日」。ブラインドの前に若い女性が立っている。左手をその後ろの机の背に置いている。ブラインドの下は棚になって、そこには高杯があり、林檎や葡萄が盛られている。横向きの女性のフォルムであるが、顔を左にひねっているために顔はほぼ七・三ぐらいの感じで正面になっている。うなじが背中から上っていくフォルム。くの字形に曲げた左腕。暗い室内に女性の上半身の一部が浮かび上がる。その陰影の中に独特のこの女性の不思議な魅力があらわれる。画家はこの女性の中に成長しつつある娘のようなイメージを重ねているのだろうか。女性の心の中に筆が入っていくように表現されているところが面白い。

8室

 田中寛司「樹光」。檜のような木が地面と接している部分を描いている。太い根、あるいは長く細い根が地表を伝わって伸びていく様子。一度外に出た根が中に下りていくときの形。地面と樹木との関係。そこに落ちた枯れた葉の様子。描いているうちに様々なディテールがあらわれて、それを淡々と消しては描きながら一つの絵に結晶させたようだ。その視点の面白さと、存在するものの力、そして、この木がたしかに生きているということの証拠のようなディテールの表現に注目した。

 小西淳子「La Pastorale・牧歌」。緑の複雑な調子が魅力である。下方はすこし明るく、上方には青などが入って、すこし暗くなっている。植物のあいだに水があるようだ。その水が深い独特の雰囲気で表現されている。上からひっかくようなストロークを行い、リズムをつくる。それは草の命の表現のようだ。あいだにくすんだような赤茶色の色彩が置かれているのがあやしい。その上方の右のほうには紫色の小さな細い弁をつけた花がのぞく。上方の青い濃紺の空間は、この空間全体が夜の世界を示すようだ。夜の沼。そこに伸びていく草。小さな花。沼は画家の無意識のイメージと重なりながら深い奥行を示す。その底のほうには何があるのだろうか。女性でも静かな人ほどその淵は深いという言葉があるが、この風景もそのような深いイメージの表現のように思われる。夜、命が呼吸をし、植物が触手を伸ばし、花が静かに開く。すこし悩ましいような茶褐色の色彩が点じられているのは、画家の夜の思いがしぜんとその軌跡をつくったのだろうか。そんな不思議な心象空間として注目した。

9室

 里見黎治「うなも(砕)」。ゆったりと波が寄せている。海の色がすこし緑色で、エキゾティックな雰囲気がある。近景に岩礁が見える。波が白い飛沫を上げている。その後ろにはゆったりと寄せてくる波が、やはり白い波頭を見せている。はるか向こうの水平線近くに低い島が見える。そのあたりの海は紫で、近景になるにつれてだんだんと緑が濃くなってくる。海の大きな空間の広がりとその色彩、動きをロマンティックに歌うように表現する。

 峰松アエ子「穏やかな刻の中で」。一人の女性の五体と言ってよい。横座りの女性の向きがだんだんと変化し、最後は後ろ姿になり、九十度首を曲げて、その横顔が見える。まるで四人の女性を使って画面の中にワルツのような動きをつくっている。たしかにそのような優雅なロマンティックな味わいが感じられる。

 本橋栄子「街」。油彩画を思わせる。ぐいぐいと表現する。板の上に地塗りをして、その上からおそらくアクリルで描いている。そのストロークの力によって動きが生まれる。白い壁、茶色の屋根の建物が続く中に道があり、道の上に路面電車の線路のようなものが見える。周りは陰影豊かな水墨的な表現であるが、中心は白い壁ときらきらと光るジョンブリヤンの道になっていて、赤が強いアクセントとして使われている。

 柴﨑博子「晴れたら銀の鈴」。ガラス窓のそばの床に女性が座っている。白いワンピースを着て、首をすこし傾けながら考えこんでいる。そこに柔らかな光が当たる。かぐわしい香りのするようなイメージで一人の女性を静かに表現する。トーンの変化と色調にも魅力がある。

10室

 宇賀治徹男「残された水門」。画面の約半分が水である。上方でハンドルになっている水門が中景にあり、ハンドルを回すと水門が上がるのだろう。旧式の水門がずっしりとした存在感を示し、両側が堰になっている。水草のようなものが枯れて水面から立ち上がっている。水門の向こうは刈られた田圃のようで、ベージュ系の色彩。その中にすこし傾いたハンドルが不思議な存在感を示す。水はゆったりと、ほとんど流れていず、淀んでいる中にこの水門の形を映す。柔らかな光が当たっている。それぞれのものが存在する様子自体が絵としての魅力となる。地味な色彩を使いながら、光というものに対してきわめて敏感なところから、この微妙なニュアンスができるのだろう。

 萩原葉子「あ・め・つ・ち」。波が寄せて、白く砕けている。手前にたくさんの岩がごろごろと転がっている中に大きな岩が聳える。海が傾いている。手前はその外海に対して内海のように穏やかになっている。強い動きが感じられる。はるか向こうから鳥が群れをなして迫ってくる。一種水墨を思わせるような強いイメージの表現である。

 鵜飼しをり「譜」。下方は深い赤い色彩。上方は黄色い色彩。その中に太陽を黄金色にしたような色彩が描かれている。下方に植物を思わせる円弧の緑や青い色彩。しかしその青を見ていると、波のようなイメージもあらわれる。そして、太陽が満月と重なる。いずれにしても象徴的な色彩であり、フォルムである。ギリシャだと空や空気、水、火を四大元素として考えていたそうだが、それらの要素のイメージを独特の原色によって画面の中に置き、それらをハーモナイズするとあらわれるようなコクのある色彩の輝きがとくに魅力。

 下村正芳「黒猫とバラ」。肘掛け椅子に若い女性が座っている。のびのびとした揺らぐような曲線によって、この女性の生命感を捉える。

 石山克「早朝の浜遊び」。五歳ぐらいの女の子が浜で遊んでいる。後ろにオレンジ色のゴムボートが揺れている。その幾何学的な形、あるいは波の繰り返されるストライプの様子を背景に、かわいいカーヴをした、すこしおなかの出た女の子のフォルムが置かれることによって、風景がまた違ったイメージに変容する。髪をちょんまげのように結んだ女の子が目を下に向けて手前に歩いてくる様子が、愛らしく描かれている。そのクリアなフォルム。もっとも、画面全体がそうであるが、それによる独特の構成力に注目した。

 森薰「早春―八幡平高原―」。葉を落とした樹木が二本ほど近景に伸びている。細い幹からもっと細い枝が伸びている。ほんのすこし枯れた枝が梢の先についている。風に靡いている。斜光線がそこに影を捺する。中景には川があるようで、その土手の側面が青紫がかって表現され、平野の向こうの雑木林の後ろに山が聳えている。空は曇り空だが、雲の周りがすこし明るくなっている。筆者には朝方の光景のように思われる。夜が後退し、朝が来てしばらくの時間、感覚が鋭くなって風景と対峙する画家の姿が見えるようだ。たとえば手前の木の梢にわたるかたちにしても、きわめて神経の張り詰めた表現になっている。芭蕉のいう「ほそみ」といった美意識さえも感じられる。

 杉江ヨシエ「私のパリ」。下方に海があり、船がある。その上方に橋があって、橋の上に巨大な花束が見える。その上方にはイーゼルに絵があり、階段のある大邸宅がある。さらに上方にはエッフェル塔や街並みが見える。たしかに私のパリで、パリの中で画家が感激した様々なものが寄せ集められる。いわば画面の中にコラージュし、パッチワークをするように彼女の好きなものが集合され、お互いがハーモナイズする。その中に色彩が強い役割をしている。バックはすこし沈んだ青や緑の色彩で、その中から少し明度を高めながら前述した様々なものが浮き上がるように表現され、お互いが楽団の一人として演奏し、一つの交響楽が生まれるようだ。

11室

 佐藤晴美「春の兆し」。透明水彩の絵具がピタッと紙にくっついている。後ろに石を積んだ壁があるが、その壁の位置が決まっている。下水のための管が上方から下りてきている両側に木製の椅子がある。管の周りには緑の雑草が生えて、白い小さな花が咲いている。そこはコンクリートの奥行四、五十センチの台になっている。台は十数センチの段差で手前の地面につながる。地面にもタンポポのような花が咲いている。そんな一隅に画家は美を発見した。とくに繊細に咲く雑草の花が魅力である。

 森川静江「それぞれに」。大きな花瓶にたくさんの花が差されている。赤、黄色、白。それが大きく描かれ、きわめてダイナミックな動きを表す。白い花の中に明るい白や汚されたグレーのような白があって、白の中のニュアンスが複雑で豊かな雰囲気をつくる。その白はそのままバックのグレーの空につながっていく。背後は、壁ではなく、すこし曇った空があるような雰囲気。その空の動きと手前の花のダイナミックな動きとが呼応するようだ。単なる静物を超えて、そのような風景と呼応するような花の表現になっているところが面白い。

 佐野師英「琵琶湖葦原の里」。黄土系の色彩で統一されている。近景には葦が伸びて、土手の向こうに家があり、山の斜面がある。そういった奥行のある表現を、しっとりとした、すこし錆びた黄金色のトーンの中にまとめている。静かに光が揺らぐようだ。

 岩佐隆子「with HELGA 2014」。後ろにワイエスの描いたヘルガのデッサンがある。手前に三つのボックスがあり、そこに様々なワインのボトルが置かれている。床の上にも置かれている。上方には葡萄の蔓が伸びている。緑を主調色として、集められたワインのイメージは上方の葡萄と関係するのだが、ヘルガとはどう関係するのか。画家の愛人として十年間ほどヘルガを秘密のうちにモデルにして、ヘルガはだんだん成熟していくわけだが、そういったイメージがあるのだろうか。いずれにしても、クリアなフォルムの独特のコンポジションに注目した。

12室

 河村純正「秋を敷きつめて」。湖のそばの地面に木製のボートが置かれている。落ち葉が積もって、半ば壊れかかっている。そのダブルイメージのように、それの相似形が水の中に小さく浮かんでいる。上方に葉が茂っている。夏の終わる頃の季節と秋のたけている頃の季節と二つの季節を画面に併置している。その意味では船はその季節の中を行く存在のようだ。だから、船の小さな相似形が水の中に置かれているのは、時間のなかを過ぎていくイメージをリフレインしていくのだろう。いずれにしても、クリアなフォルムを組み合わせながら、そのような深い寓意性を表現した佳作といってよい。

 野田真由美「立春の朝」。窓の向こうは雪景色。丸いテーブルにサテンのような布地で、緑や青、黄土色、金色などの様々なストライプと馬に乗った人々や女性の文様の縫いこまれた布が敷かれ、その上にガラス瓶と白い器がある。趣味のよい洗練されたものが感じられる。それは布一つにしても花瓶にしてもそうである。その花瓶の周りにはミモザのようなものが置かれている。しっくりとした趣味のよさのなかに対象のもつ質感が表現され、静かに戸外と室内とが組み合わされ、そこに光を引き寄せる。

 大塚友海「秋に包まれて」。子供を抱く母親。そばにイチョウの木が枝を広げて黄金色に黄葉している。後ろの階段。それぞれのフォルムがクリアである。とくに子供を抱く母親。二人をクリアなアウトラインのなかに透明水彩で描き、的確で力強い表現になっている。

13室

 廣瀬冨士夫「ボニューの教会(南仏)」。画面の中心に鐘楼が伸びている。手前は教会である。後ろに平原が広がり、道があり、川が流れている。はるか向こうに青い山。隅から隅までクリアで、ハイファイのカメラで眺めているような透明感がある。そこに光が差し込み、陰影をつくる。透明な空気感とクリアなフォルムに注目した。

14室

 川原田雪枝「鳥たち もどる(3・11より)」。津波ですべて流されてしまった。その何もない陸地に鳥が戻ってきたという意味になるだろうか。海はいまは深い緑色で静かである。はるか水平線からたくさんの白い鷗が手前に飛んできている。白い帽子をかぶって浜辺に佇むこの女性は物思いにふけっている。この女性に強い光線が差し込み、砂地に影を黒々と捺している。

 井原純子「白い花」。ブルーをバックに上方に白い花がかたまっている。青と白との協奏曲といった趣である。上方に海のようなイメージもあらわれている。どこかレクイエムのような気持ちもある。白の中に華やかなイメージも感じられる。左下に緑やピンクの球体が置かれていて、だんだん実っていくイメージもあらわれている。自然と深い関係をもちながら、無垢な白い花の中にイメージを深く入れて、その白い花が蝶となって飛んでいくような、そういったロマンティックな味わいも感じられるところが興味深い。

15室

 佐藤玉枝「散歩に行こう」。カジュアルファッションの店がテーマになっている。赤やピンク、オレンジ、白などの色彩がそれぞれの衣服に入れられて、お互いにハーモナイズする。面白いのは、店の左の広場に黒猫が向こうに向かって歩んでいく様子が描かれていることである。その向こうには自転車がある。そのあたりの微妙なニュアンスがこの画家独特のセンスと言ってよい。オーソドックスなものと、そこから逸脱したような猫とが面白く響き合う。

 朝倉敷子「刻」。錆びたドラム缶が転がったり傾いたりしている。そばにはたくさんの紅葉した落ち葉が積もっている。そこに斜光線が当たる。鉄の錆びた様子と紅葉という、いずれも時間のなかにあらわれる色彩、植物と金属、二つの性質が対照される。

 池田紀子「樹―生きる」。巨大なイチョウの幹がいくつも分かれていくところに焦点を当てて、それを画面いっぱいに表現している。一部黄葉した葉が描かれているが、その幹の形が力強い。写実で表現しなければわからないような屈曲した独特の力強い幹が、三百六十度の方向にそれぞれ向かっていく様子を、ユニークな構成の中にしっかりと表現する。

16室

 山田一之「クリーンな街を次世代に」。コンビナートが海岸に広がっている。それを手すりから眺めている少年。コンビナートの中に点々と光が入っている。煙突から煙が出ている。空がオレンジ色に染まっているのは夕方なのだろうか。どことなく朝の清々しい雰囲気も感じるのだが、やはり夕方のように思われる。コンビナートのパイプのうねうねとした絡まり合ったような有機的なフォルムを絵画的に表現しているのだが、その上に点々と蛍のような光が散りばめられているのは、不思議な味わいである。画家の筆力は眼前に広がる光景を生き生きと捉えている。

 丸木幸子「朝」。田植えを終えたばかりの田圃がずっと向こうまで続いている。朝日を映して、その水が青やピンクやオレンジ色に輝いている。遠景の建物は小さい中にクリアに描く。はるか向こうから空は上方に、水田は下方に、二つが手前にぐんと迫ってくるような独特のムーヴマンが表現される。

17室

 冨安宰「木枯らしが吹き抜ける」。冬だろうか。道の両側に樹木が伸びているが、紅葉した雑木のようなものもそこに混じっている。道を歩いていく三人の男性。その後ろは光の当たった民家が見える。墨絵を思わせるような雰囲気。あまり色彩は使わずにトーンで対象を追いながら、空気感やしっとり感を表現しながら、繊細な味わいを醸し出す。

 寺西冴子「野の詩(地のぬくもり)」。小さな花がたくさん咲いている。その周りは抽象的な扱いで、青や茶褐色、黄色、緑などの色斑によっている。青は水などをイメージさせる。もっと小さな花が咲いている。花を描写するのではなく、その花の咲いているイメージを画面の上に構成している。色彩感覚のよさにも注目。

 村松泰弘「二人」。スチールの椅子に座る十歳ぐらいの女の子。背中合わせにこちらに髪を見せて座る女の子がいる。フォルムがのびのびとクリアに表現されている。衣装は上衣の赤ともう一人の子供の緑であるが、それ以外はほとんど無彩色に近い中に柔らかく肌色などが差されている。実際にこの子を見てもこのようなイメージは浮かばずに、絵を見たほうがはるかにこの子の姿かたちが浮かぶだろう。そのような絵の力が感じられる。

 向井幸晴「崎津漁港」。漁港の海が揺れている。四段か五段の階段を降りると海。後ろには建物がある。海と一緒に生活する漁師の住まいである。海の量感や石段の塊、壁の様子などをしっかりと描く。どこから光が差すのか、不思議な陰影がこの画面全体につくられているところも面白い。

 森崎京子「午後のひととき」。たくさんの花が生けられている花瓶。チューリップなども見える。紫や黄色い花も差されている。それらがいくつもあって、カーテンの向こうから入ってくる逆光の中に置かれている。それによって柔らかな光が浸透し、輪郭線がにじむようなコンディションが生まれる。色彩のハーモニーがあらわれる。

 中林和夫「長尾滝(宇賀渓)」。それほど高くない高さだが、水量のある滝が下りてくる。滝壺は緑の色彩で彩られている。滝は白く、独特の強さで表現される。

19室

 髙橋千代香「アンニュイな午後」。桃や葡萄が盛られた透明な器。後ろのキッチンの台の上には花や様々な容器が置かれ、その向こうに扉がある。必要なものをピックアップして配置し、その余白を生かす。

 石塚洋子「八つ手の花」。ヤツデの厚い葉が群がっている中に白い花をつけている様子。それを画面いっぱいに描く。複雑な緑の階調の中にボリューム感があらわれる。

 北野祥子「秋への讃歌」。丈の低い林檎の木がたくさんの赤い林檎の実をつけている。まるで赤いルビーのようだという比喩がそのまま当てはまるような、緑の中の赤い色彩である。そこに日が当たってそれぞれのフォルムが浮かび上がる。

 関口ゆき子「友祖心尼」。数珠を持った太った尼さんが立っている。周りを阿修羅など様々な仏の像が取り囲んでいる。棟方志功ではないが、独特のスピリチュアルな雰囲気が画面に漂う。緑や黄色の色彩、とくに黄色が一種炎のような強いイメージをつくる。画面から発するスピリチュアルな力。

 菊地清人「朝陽を浴びて」。蒸気機関車が手前に走ってくる。鉄の大きな胴体を引っ張って。電車とは違った迫力がある。煙突から煙が立ち上り、下方にももうもうとした蒸気。重量感をもって進んでくる様子。象徴的にイコン的に表現する。

 柴久喜和枝「朝市の立つ町」。この街を上方から眺めている。手前には大きな川があり、橋の上を車が進んでいる。その向こうには色とりどりの屋根をもつ三階や四階の建物が集まって、それが日差しを受けてきらきら輝いている。背後は森。近景から若緑色の植物をつけた樹木が伸びている。丹念に一つひとつに色を置く。その水を含ませた一つの筆触が一つのフォルムをつくり、それが一つの音符のようになって、全体で一つの交響楽的な世界があらわれるという比喩を使いたくなるほど、色彩に入念な配慮をした風景作品である。

20室

 大鹿秀雄「船頭平、船溜まり」。二艘の船が係留されている。右のほうの船では男が座って作業をしている。水が空を映して青く澄んでいる。透明水彩の特性を生かした色彩が魅力。

 岡澤清美「バラの庭」。白やピンクのバラの花が咲き乱れている。手前の薔薇の花からカーヴをしながら右のほうにその薔薇棚が伸びていく。遠景に建物が見える。庭の内側からこの薔薇の花を描いているのだが、厚みが感じられる。地面から茎が伸びていき、そこに咲く花の全体の量感ともいうべきものをよく表現する。

 湯淺録哉「海から上がる」。いま海女が桶を持って潜水から戻ってきて、浜近くを歩いてくる様子を生き生きと表現する。寄せてくる波を背景にして、桶を持つこの海女は一種モニュマンと言ってよいような強さで迫ってくる。

 川村惠子「静穏」。備前の壺に紫陽花が差されている。黄色や白、青の紫陽花の花が満開の様子で、まるでたくさんの星を集めて花にしたような華やぎとロマンティックな味わいが感じられる。

 佐々木修「比良連峰」。雪を抱いた山が上方に連なっている。近景に道があり、一階建てや二階建ての低い民家が集まり、厚く雪を屋根に載せている。手前に松のような木や丈の低い植物がある。琵琶湖のそばのこの道は昔からたくさんの人が通ったところで、長い歴史をもつ。そういった歴史の匂いのようなものがしぜんとこの風景から感じられる。集落に人懐かしさが感じられる。

21室

 佐藤和達「雪降りやまず」。道のそばの裸木に雪の積もっている様子をよく表現している。桜の木のようだ。その屈曲した枝の様子、その黒々とした影と雪とのコントラスト。背後の建物のハーフトーン。考えられた構成で、画家の美意識がうかがえる。

 神宮寺美智子「ここにも春が」。水芭蕉が点々と咲いている様子が可憐に魅力的に描かれている。緑の葉と仏の光背といわれる花弁の中の黄色い雄蕊。それは、この沼地に灯がともったような雰囲気で表現されている。

 後藤俊彦「チェニックを着てた頃」。チェニックを着て椅子に座っている女性は黒いブーツをはいている。黒づくめの中に女性の手や肌の色彩が浮かび上がる。しっとりとした雰囲気の中に対象のもつ量感や、その繊細な動きをよく表現する。

 横山優子「雪の降る街」。二階建てや一階建ての建物が両側に続くすこし広い道。自転車に乗って向こうに行く人。赤い傘を差してこちらに来る人。空が約半分以上占めて、いま雪が下りてきている。雪の動きと人間の動きが重なりながら、日常の中にひとつの詩のようなイメージが生まれる。

 宮入謙三「街角」。ヨーロッパの街角である。その建物の影にボストンバッグを置いて座っている老人がいる。帽子をかぶって杖をついている。画家自身なのだろうか。周りの石造りの建物や道の様子などを丁寧に描いて臨場感があるが、そこに考えこんだ旅人を一人置くことによって、にわかに人間臭い心理学が生まれる。その心理学によって周りの建物も活性化されて、日暮れて道遠しといった雰囲気が、旅のイメージに重なりながらあらわれてくるところが面白い。

 高田正樹「さくら」。接近して幹の一部と花の一部を画面いっぱいに描いている。花の塊のもつ量感をよく表現する。

22室

 髙橋寛「初秋の高架下」。居酒屋などの看板のある下町の様子をぐいぐいと描きこむ。まだ店は開いていない。昼間の飲食街を歩く後ろ姿の人。両側の串焼きの看板や居酒屋の看板。そこに日が当たる。そんな様子をしっかりと表現する。

 篠原厚海「峠の廃屋」。「峠の廃屋」という題名だから、車で走っているうちにこのような一隅を発見したのだろうか。屋根に積もった雪のかたちが面白い。下方の道のそばの雪は溶けかかっている。画家の発見したフォルムが面白い。

 安藤孝信「おぼろげな夜の領域」。高層ビルに近いような中層ビルが密集した街を俯瞰したかたちで描いている。そのビルを色面の中に捉えている。緑、赤、紫、黄色、実に様々な色彩がそこに入れこまれて、独特のハーモニーがあらわれる。どこかクレーの絵を見るような楽しさである。

 宮田晶子「樹間」。樹木が地面に接するところ、根が地中深く入り、あるいは上方から根が下りてきているところもあるが、そこにはたくさんのシダが生えている。そのシダの中に光が当たり、明るい緑やビリジャン系の緑、テールベルトなどの色彩があらわれる。そのシダのかたちとうねうねとした幹や根のかたちがお互いに絡みあいながら、何か神秘的な雰囲気があらわれる。一隅を丹念に描きながら独特のオーラのようなものを表現する。

23室

 瀧内秀一「白日夢」。窓際に若い女性が白いワンピースを着て立っている。そのひだのあるワンピースに光の当たっている雰囲気を見ると、まるでウェディングドレスを着ている花嫁のようなイメージが漂う。そばに紫陽花の花が一つ。戸外にも紫陽花が咲いている。透明水彩を重ねながら、独特の色彩のハーモニーをつくる。

 阿部宏「夕立」。横断歩道を歩いている人々は色とりどりの傘を持っている。手前にはイヴニングドレスを着てハイヒールの美しい女性の後ろ姿が見える。夜の中の人工の光線がこの歩道の周りに差し込んでいる。雨の横断歩道を渡る人々であるにもかかわらず、ロマンティックな華やぎのあらわれているところが面白い。

 山口泰子「雪静」。柵の向こうに木がいくつも生えているが、若木のような雰囲気で、ほっそりと上方に伸びて枝を広げている。そこに雪が積もっている。その雪の白と樹木の白、そして木陰の黒。手前の雪はたらしこんだような雰囲気で、しかもそこにフロッタージュふうなマチエールをつけている。どこか版画の技法を思わせるところもある。繊細で緻密でありながら、独特の美意識を感じさせる。しっとりとした詩情ともいうべきものが漂う。

24室

 水口暢子「ある冬の日に」。セーターが衣紋掛けに掛けられている。手前の上に架けられた紫陽花がドライフラワーになりかかっている。下方に蠟燭の火が燃えている。室内にあるそれぞれのものの存在感やボリューム感を表現する。暖色の色彩が人懐かしい。

 中谷基子「ランチのあとに」。手前のショーウインドーにはケーキが並んでいる。そのショーウインドーの中のフォルムなど実に生き生きとしていて、人間以上に迫ってくるものがある。二人の客もそうだが臨場感のある表現に注目。

 石塚久仁夫「秋雪の朝」。瓦屋根の一階建ての建物の前の庭に丈の高い植物が繁茂して、それら全体に雪がすこし積もっている様子を丁寧に緻密に表現する。よく見ると、柵が壊れ、自転車が倒れている。原発による放射能の危険領域のために避難したあとの廃屋なのだろうか。一つひとつ丁寧に描いて、画面全体の清らかな印象に引き寄せられるように作品をじっと見ているうちに、そのような感想がわく。不思議な雰囲気で、透明な叙情といった言葉が浮かんだ。

25室

 馬場みつ「ともだち」。四人の少年が白いテーブルの上に肘をついて密談をしている。その少年たちの量感ともいうべきフォルムがよく表現されているところが面白い。手などのディテールも魅力。

 酒井七美「能登の宿」。浜のそばに民家が立ち並んでいる。それを斜面の上方から眺めている。その視点の面白さと騒ぐ波の水位に近いところにある民家の様子が、強いプレッシャーのなかに表現されている。3・11の津波があったせいか、そのようなイメージも感じられるし、土地の高さというものがドラマ感をつくる。それに対して遠景の水平線がしっかりと引かれて、造形的なコンポジションをつくる。

 奥田敏雄「谷間の光陽」。ちょっと水墨ふうな味わいがある。崖の下の渓流。崖のあいだから光が差し込む。水は緑に静かに流れる。樹木は、たらしこみふうでもあるし、破墨ふうな表現でもある。そこにロマンティックな雰囲気が漂う。

26室

 山崎英子「『脱原発』あしたのエネルギー」。風力発電のプロペラが点々と近景に描かれている。下方にはソーラーシステムが伸びている。遠景には山がシルエットに。構図が面白い。とくにソーラーシステムや風力発電のフォルムなどが、このように近くに引き寄せられて構成されると、新鮮な気持ちになる。

 城﨑葉子「演奏会」。舞台が上方に白く輝いて見える。舞台の袖の手前に女の子が立っている。もっと手前のテーブルの上には、黄色い花束とヴァイオリンが楽譜の上に置かれている。この女の子はこれからこのヴァイオリンを弾きに出るのだろうか。舞台裏のそのような情景を暖色を中心としてまとめて、ロマンティックな華やぎをつくる。

27室

 塚本徳道「廃校」。視点が面白い。上方では工事がされていて、ブルドーザーなどが動いているのだが、いちばん下方に通学する子供たちの様子、一列に並んで歩いている様子が描かれてほほえましい。その一人一人のフォルムを線によってクリアに描いている。通学する少年たちと周りの風景を上方から眺めるという視点が面白い。ディテールも生き生きとしている。

 降籏みどり「輝く時間」。南瓜が実って、地面の上に転がっている。茎や葉が周りに茂って、一種逆光のように光を透かしている葉の様子が描かれている。光の中にこの南瓜が描かれ、実りを喜んでいる。緑を中心とした色彩に華やぎが感じられる。

 柚村優美「美山朝霧の譜」。透明水彩を生かして、田植えの終わったばかりの田圃、合掌造りの茅葺きの民家、犬、自動車、あるいは背後の杉林などを丹念に描く。透明水彩の透き通るような色彩が複雑なニュアンスをつくり、それら全体で静かなハーモニーが生まれる。日常の生活がそのまま絵の世界に転ずる。

第53回大調和展

(6月1日〜6月9日/東京都美術館)

文/高山淳・編集部

1室

 楠達子「街(シエナ)」。狭い路地を見下ろすような視点で描いている。明暗をしっかりと描き分けて表現しながら、いきいきとした風景画として成り立たせている。茶系の色彩もしっとりと扱われていて、画面全体で吸引力のある魅力を獲得している。(編集部)

 黒田悦子「乱舞」。黒子に操られた人形が生き生きとした動きを持って描かれている。画家によって命を与えられた人形たちの悲喜交々な様子が、確かな描写力によって独特の群像表現によって鑑賞者の眼前に立ち上がってくる。(編集部)

 代田盛男「アコーディオンを弾く大道芸人」。路地でアコーディオンを奏でる女性を正面から捉えている。このような人物画は代田作品ではあまり見ることがない。背後の壁のポスターによって音楽的なリズムを調子づけながら、鑑賞者を誘うような魅力を放っている。(編集部)

 山下笑子「渓谷」。堅牢な岩場の間を渓流が流れている。奥は更に崖になっていて、徐々に暗くなっていく。その明暗の様子がじっくりと描かれている。臨場感溢れる画面の中で、樹木や水、岩の細やかで豊かな表情が清々しい心情を運んでくる作品である。(編集部)

 馬本雅文「SILENT」。向かって左に進む人々それぞれの様子がおもしろい。誰もが携帯を持ち、周囲には興味を示さない。オリジナル性の高い作風の中で、現代社会独特の様子をシニカルに表現している。(編集部)

2室

 辻野典代「早朝の白馬」。徐々に明けゆく白馬の風景が味わい深く描かれている。手前は寒色だが、少しずつ朱に染まっていくその時間の流れが印象的である。澄んだ空気感もまた魅力の作品である。(編集部)

 金子嘉一「北海・海ぞいの集落への道」。雪の積もる海沿いの風景である。手前から道が続き、親子の姿が点景で描かれている。それが一つの物語性を作品に引き寄せているところが面白い。ひんやりとした肌に迫るような臨場感もある。(編集部)

 大亀喜平「芽吹きの頃」。手前に川が流れ、その向こうに大きな岩が置かれている。その岩の豊かな表情が、長い時の流れを静かに訴えかけてくる。背後の若々しい草木と手前の岩の生命力の対比が、もう一つの精神性を作品に与えている。(編集部)

3室

 大門雅総「春艶」。キラキラと輝くように描かれた桜の花々が実に魅力的である。下方には川が少し見え、両側は土手になっている。繊細に描き込みながらも、大胆な構図になっているところがおもしろい。風にざわめく桜が刻々と過ぎる時間を感じさせもする。(編集部)

 加藤壽一「山峡の風情」。手前に川が流れていて、その向こうに雪に染まった雑木林が見える。その木々のざわめくような表現が強く印象に残る。独特の味わい深さがこの作品の魅力となっている。(編集部)

 垣内宣子「アドリア海とコルチュラ島(クロアチア)」大調和賞。コルチュラ島からアドリア海をのぞいている。アドリア海が緑色に明るく輝いている。その様子は実に魅力である。実際、このアドリア海の美しさは世界一といわれているそうだ。手前に白い壁に茶色の瓦屋根の建物が続く。そばにブーゲンビリアの赤い花が咲いている。太陽光線が差し込み、きらきらとこの風景を輝かせる。面白いのは、下方の路地に旅行者がいることである。また、右上や左上に洗濯物が干されているのも、心憎いアクセントになっている。澄んだ太陽光線の中に中世そのもののような建物が浮かび上がり、海が青く輝く。

 もう一点の「ドブロブニク旧総督邸の窓より(クロアチア)」は、総督邸の内部の素朴でしっかりとした感触ともいうべきものが魅力になっている。飾り窓、そして左のほうの彫刻、その向こうにオレンジの屋根、白い壁の建物が浮かぶ。しーんとした静寂な気配のなかにグレーの落ち着いた空間が内部にあらわれ、その向こうに光の中に輝くドブロブニクの街並みが広がる。左の壁に古い鏡があり、ずっしりとした存在感を示す。窓があけられているのだが、そのドアの厚みのある様子もまた不思議な気配を示す。

 二点とも不思議な光の波動ともいうべきものが表現されているところが面白い。(高山淳)

 早川雅信「ふるさと山河(安達太良山)」。遠景に山を望む風景である。鑑賞者からは随分と離れているが、その距離感がしっかりと捉えられ表現されている。画面を満たす清々しい空気感や心地よい陽の光が、その情景をより魅力的なものにしている。雲の繊細な表現とその動きもまた作品にもう一つの見応えを与えている。(編集部)

 藤田三井子「秋惜む山里」。茶系の色彩に染まった画面が一抹の寂しさを湛えている。山の手前に家屋が点在する大きな空間がある。その間の取り方がこの作品の見どころだと思う。じっくりとこの情景と向き合って描いているところにも好感を持つ。(編集部)

4室

 齊藤昌代「冷たいひと紫陽花」佳作賞。満開に咲くアジサイを背後に一人の女性を描いている。その女性のミステリアスな表情が実に魅力的である。組まれた手も独特の印象深さがあっておもしろく、記憶に残る作品である。(編集部)

 沼田鎭雄「夢の町の昼下り」会員努力賞。積み重なるように描かれた街並みが、どこか幻想的な雰囲気を湛えている。淡々と描かれた重厚さの中にあるそういった繊細さが魅力的である。(編集部)

 三國芳郎「絵本『魑魅魍魎 Ⅰ』」。漫画のコマ割りを思わせる画面構成が斬新である。一人の少女を主人公にした物語の場面のようだ。豊かなイメージによって生まれたキャラクターたちが生き生きと存在し、鑑賞者の好奇心を強く刺激する作品となっている。(編集部)

5室

 田邉賢次「秋色の競演」。建物の壁にびっしりと蔦が茂っている。蔦は赤から緑の色彩で、それが少しずつ変化しながら、そしてある種の協奏曲のようにメロディを奏でている。ゆっくりと色付いていく蔦がそういった自然の表情を豊かにみせている。(編集部)

6室

 喜多村功「Afternoon」。椅子に座った女性を正面から描いている。向かって左を向き足を組む女性のポーズをしっかりと捉えている。外光に照らされた室内の明るさもたしっかりと捉えられ、この画家の確かな絵画力を感じさせる。(編集部)

9室

 加藤利造「彼方に想う」。こちらに背を向ける人物と奥に広がる瓦礫が、震災による津波を想起させる。淡い色彩で淡々と描かれた画面に、深い情感が込められている。記憶から呼び起こされたような、どこか幻想感漂う画面が印象的である。(編集部)

12室

 荒木淳一「ベネチアのサラ」。横長の画面に舟の並ぶ川岸の風景が淡々と描かれている。どこか幾何学的な抽象性を孕んでいるところがおもしろい。クリアに対象を描きながら、見応えのある画面を作り出している。(編集部)

第57回新象展

(6月1日〜6月9日/東京都美術館)

文/高山淳・編集部

1室

 佐久間盛義「海象シリーズ」。明るい青と緑のストライプを交互に八本ずつ組み合わせている。バックは、下方は暗い緑で上方はウルトラマリン系の青になるが、その上に置かれたストライプより明度は下がっている。その二つのストライプは海の波に当たる光のようなイメージである。緑の海と明るい青の海は時刻が異なるのかもしれない。いずれにしても、海という巨大な肉体をもった抽象的な存在をどのように描くか。もし陸を描かずに海そのものだけ描こうとすると、抽象にならざるをえないだろう。その海にはまた深さもある。そういった海全体を表徴するのに、このような八つずつの柱を交互に重ねて表現したのだと考えてよい。海の匂いや響きやオーラを感じることができる。(高山淳)

 宮崎壽美子「風の日」。アクリルによる仕事で、独特のマチエールをつくりながら上方に大きな蝶を置く。下方には積木のような家がある。そばにはグラスから球体のものがたくさん上方に上っていく。鉛筆がきの自転車。太陽。日常生活の中に存在し、経験するものを自由に画面の上に繰り広げて、いわば詩的なイメージに表現する。(高山淳)

2室

 山崎道子「ドマーニ No.2」佳作賞。骨が集まって不思議なあやしい雰囲気をつくるそばに、柔らかなマリアのような女性の顔が浮かび上がる。そのそばには白い花もある。人間の内側にある骨や腸は、哺乳類としてそのままライオンや馬にもつながっていくだろう。そんなイメージと、いかにも人間らしいマリアふうな顔をそこに寄せて、豊かで深いイメージを表現する。題名はそういった生き物全体の明日(ドマーニ)という意味になるのだろうか。(高山淳)

 三浦哲徃「仮晶―時の期待」。下方から手が上方に伸びてくる。いちばん近景の手はリアルに左の手が描かれているが、指の方向がそれぞれ違って、実にあやしい雰囲気である。その後ろには左右の手のひら、内側の掌の側から見た両手が見える。そして、それに囲まれるように男の姿があらわれる。ズボンにシャツ。そして、首から上は背後の光と重なって見えない。その顔のあたりに虹がカーヴしてあらわれる。その向かって左側にも手が三つほどあらわれて不思議なメッセージを送る。「時の期待」とはどのような意味か。空海に「生まれ生まれて、生の始めに暗く、死に死に死んで、死の終わりに冥し」といった言葉があるが、誕生と死のはざまに人はあるわけで、やがて来るべきものは死のことかもわからない。その中間にある人間のイメージを、このような切ない雰囲気で表現する。そして、それを荘厳するように上方に虹を置く。顔は外界と重なって溶け始めている。自然から生まれたものは自然にまた返っていく。土から生まれたものは土に戻るといった聖書の言葉もある。そういったイメージを下方の不思議な手の表情で伝える。絵を見ながらそんな感想が浮かぶ。深い緑の色彩の中に赤という命の色彩がすこし入れられている。深い緑の癒しの空間のなかにそのような命のイメージが伝わってくる。(高山淳)

 三国太郎「イザナイ」。ロッカーに宇宙のイメージが重ねられ、乳児と、おもちゃのウサギのようなシルエットが浮遊している。コインローカーベイビーが思い浮かぶが、唯一施錠されていないロッカーの輝きに、生への導きと、未来への希望が託される。シャープさと柔らかさが交わった、繊細な色彩美をもった画面である。(編集部)

5室

 岩﨑秀太「風の痕跡」。130号ぐらいのキャンバスを五枚横に合わせたような大画面である。巨大な波が寄せているような雰囲気で、U字形のフォルムは筆者には波のようにも見えるし、巨大な翼のようにも見える。しかし、題名によるとそれは風の痕跡ということになる。圧倒的なある存在というものと対峙したところから生まれた作品として興味深い。(高山淳)

9室

 鈴木望「Wark Liene 14h」。墨をたらしこんだような色彩の中に緑が入って、上方は赤い色斑がある。左右から黄土色のカーヴするフォルムの中から、上方に赤の色斑のようなものが伸び上がっていく。大きな空間があらわれているが、その実体がよくわからない。ただ、自然の大きさといったものやエネルギーに近いものを画面の中に引き寄せながら、それをすべて一度内向させて、もう一度立ち上げているような面白さがある。(高山淳)

 洞田和雄「AFTER『R』-2302」。球をたくさん重ねているが、その中心は画面の上方すこし右にあって、そのところはいちばん小さな球で、その中心は祠になって空洞になっている。そこから増殖してくる球体が四方八方に広がっている。その球体は透明で、その先に赤い薔薇のとげのようなものが一つずつついている。たとえば癌細胞が増殖してくるような、そんなマクロな中に存在する圧倒的なエネルギーを図像化すると、このような雰囲気になるかもわからない。細胞単位の中で世界というものを眺めているような、そんな不思議な力が画面から感じられる。(高山淳)

12室

 漆畑典子「Morning in mouring」。七枚の紙が上方からぶら下がって、そこにCGで印刷がされている。室内にモニターがあって、青い中に不思議な白い雲のようなフォルムが浮かんでいる。そこに、白い屈曲した不思議な、抽象形態でありながら生き物のような存在が、あるいはモニターを見ていたり、パソコンに向かい合っているような雰囲気である。そして、周りは不思議な光のイメージ。ざらざらとした壁を連想するのであるが、実はそれはパソコンで分解した、ちょうどヌードの秘部を隠すときのモザイクのようになって、そのモザイクが広がっていく。その中にこの中心の写真のイメージがすこし薄く増幅されていく。無機的な室内で操作する人間の脳髄、その環境を外側からもう一度検証していくと、このようなイメージの展開になるかもしれない。そのような現代人の生活洋式と対峙したヴィヴィッドな作品として注目した。(高山淳)

第62回創型展

(6月1日〜6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

 福本晴男「山河麗し」。樹木が枝を広げている。その樹木の幹の中に仏のイメージがあらわれる。上方には鹿のようなフォルムがあらわれている。上方には鳥が飛んでいる。葡萄のような房がそのまま黄金色の装飾に変ずる。樹木と仏とがそのまま重なった彫刻から寂々とした雅やかな音色が聞こえてくるようだ。平安時代の飛天や、飛鳥時代や天平時代の幡などを思い起こすところがある。木彫であるにもかかわらず、全体黄金でできたような不思議なオーラがある。ところどころに金属や宝石が使われているせいもあるだろう。上方に青い鳥が飛んでいる。鳥も鹿も仏も人間も悉皆是成仏といった日本の深い思想の顕現と言ってよい。下方の丸太の台座から伸びているのだが、そこに根のようなものがそのまま足に重なるイメージで置かれているのもあやしい。

 神保琢磨「作品 2014」。二尾のヤマメが川底を泳いでいる。川底には石がある。ふっと浮遊したようなヤマメの不思議な雰囲気、その生命感をよく表現している。対象そっくりという言葉があるが、対象そっくりにすると死んでしまうケースがあるはずだ。それが、この人の場合には、それによって生きているものの姿がその机上に再現されるといった、そんなユニークな面白さである。

 矢貫正夫「再生」。量感のあるお坊さんが巻いたお経を左手に持って立っている。厚い手。厚い胸。しっかりとした顎。長い耳。足の一つひとつの指の膨らみ。堂々たる僧の像である。お相撲さんのような僧で、その肉体の力が実に強いオーラを発散する。

 牧田裕次「五大」。五人の修行僧が衣の中で腕を組んで立って、それが左右につながっている。不思議な力が感じられる。五人が集まって一つのガードをなしているような趣。あるいは結界をつくっているような趣。不思議な雰囲気である。健康な力が感じられる。妖精のようなこの五人の人間が集まって何かを守っているような様子である。足のあいだがあけられているために、全体では防風林のような、連続した樹木のようなイメージもあらわれる。日本は樹木と深い関係をもった民族である。その髪のない卵形のフォルムが光線によって輝いている。妙な連想であるが、その卵形のフォルムを見ていると、ブランクーシのごろんと横になった球体の彫刻なども思い起こすところがある。いずれにしても、この張りつめたような均衡の中に朗々と響いてくるものがある。

 もう一点、「舞人」という作品は女性のふくよかな顔が正面にある。その髪がもこもことして不思議な量感を示す。接近してみると、そこには竜の頭のようなものがかぶさっていることがわかる。また、左右にごつごつとしたフォルムがある。右のほうにも口をあけたようなフォルムが見える。すこし斜めから見ると、その頭から後ろ上方に向かう不思議な動き、顔は最初は少女の顔のように思ったが、よく見ると、平安仏のような趣がある。その平安仏のような顔の上にたくさんのものがあるのは、この仏を守っている存在なのか。あるいは仏にかぶさっている様々な煩悩の表現なのか。そこは定かではない。量感があり、その豊かなところもやはり平安時代に共通するものだが、その上に何か不思議な存在があらわれている。

 松野聖子「だっこ」。猫を抱いた少女。猫と少女のもっこりとしたフォルムが一体化して、一つの小さな山のような豊かな彫刻的なマッスをつくる。大きく開いた少女の目に対して閉じた猫の目が対照されて、それもユーモラスで面白い。

第53回二元展

(6月11日〜6月19日/東京都美術館)

文/高山淳・編集部

1室

石原土句枝「レティロ公園」。マドリードのレティロ公園なのだろうか。遠景の仏塔を思わせる屋根を持った建物が印象深い。左手前の湾曲した木の幹から建物に向かって視線が自然と促される。色彩家であり、独特の感性によって賑やかに散らされた色の数々が、全体としてまとまりながら快活なテンポを画面に刻んでいる。(編集部)

 山本幸雄「2014・予感」。吹雪の中、コートを纏った女性の体は透き通り、巨大なピラルクと垂直に交錯している。雪に霞んだ背景からは、ここが宮城県石巻であることがわかる。神戸にアトリエを構え、阪神淡路大震災で深い悲しみを負った画家にとって、東日本大震災に対する思いは並々ならぬものだろう。津波の大きな被害を受けながらも復興が進んできたこの地を描くことで、改めて鎮魂の祈りを捧げているように思える。女性は白い化粧に少し鼻が赤らみ、画家がこれまで描いてきた道化師のイメージとも重なる。これは震災の犠牲者の象徴として描かれているのかもしれない。魂が古代魚となって北上川を下り、海へと帰り再生されるイメージだ。冬の風景だが、キャンバスを裏返すような形が左右に描かれ、やがてくる春の足音が未来への希望と重なるように表現されている。(編集部)

 嶋津俊則「ターラー菩薩」。ターラー菩薩は観音菩薩が「自分がいくら修行しても衆生は苦しみから逃れられない」と悲しんで流した二粒の涙から生まれた。十六歳の少女の姿をしている。彼女たちは「衆生の済度を助ける」と発願し、菩薩は悲しみを克服したという。黒い顔の中から目があやしく光る。この黒褐色や褐色の色彩は関西の色彩を思わせる。鍋井克之や鳥海青児などの関西のもつ独特の色彩感覚が、この作者の中に入ってきた。もともと嶋津は最近の風景を描く前の時期には人物や表現主義的な絵を描いていた時期があったから、もう一度原点に戻ったかの感がある。このターラー菩薩の周りを脇士や球形の菩薩の像などが取り巻いて、独特の曼陀羅になっている。下方にはもっと布などがコラージュされていて、上方の布の上に絵具を置くのではなく、布自体がそのまま効果を出している。そのあたりは、たとえば東日本大震災のあの悲惨な散乱した様子などもそこに引き寄せられた感がある。そのような混沌とした現実を踏まえて、その上にターラー菩薩を置いている。世界を鎮め、よみがえらせようとするかのようだ。そのような強い念力的な力が感じられる。それはまた画家自身の表現意欲と重なるものがあるにちがいない。また、板絵で有名な、大藪雅孝などが影響を受けた元興寺の智光曼荼羅を連想した。いずれにしても、旋回するような独特の動きのなかに強いエネルギーを発する像であり、それはそのまま画家自身のイマジネーションと重なるものがあって、前回の赤の菩薩たちとはまた異なった、強い精神性を感じさせる。(高山淳)

 渋谷定意子「花園」。花を持って女性が立っている。ワンピースを着けているが、青と茶色と二色に分けられている。その胸に抱かれた花は輝いて、あふれんばかりである。同じような色彩が背後にもつくられている。白、青、茶の三つの色彩がバックにもつくられ、人体にもつくられている。いわば背後にある世界から色彩や光をピックアップし、それでこの不思議な女神のような女性像をつくったような趣も感じられる。そういった独特のヴィジョンによってあらわれた空間であり人物像であるところが、この作品の魅力だと思う。(高山淳)

 谷本淳子「未来(星)」。タペストリーを思わせるざらついたマチエールによって描かれた画面は、恍惚と暖かさが混じり合うような色面の連なりで彩られている。右側の花は、ステンシルのような型で花びらが描かれていて、より幻想的な雰囲気が生まれている。そして、その花びらが風に漂うように産着に包まれた赤ん坊を抱く母親に向かって降り注ぐ。花びらは暗がりの道を照らす星のようなイメージであり、幼子の歩みを祝福しているかのように優しさが周囲を包み込んでいる。(編集部)

 加野元「清流―空の反映」。渓流の比較的穏やかな流れの場所がディテール豊かに描かれている。中央に置かれた褐色の岩を中心に、透き通った水に洗われる川底の石と、空を反射した青白い水の揺らぎが、右上と左下とに対を成すように広がっている。静けさと少しひんやりした空気が漂い、この水場の周辺の景色を想像させる。不規則な波紋によって、映された空の青と雲の白がマーブル状に散っていくところなど、絵画的な魅力が強く感じられる。(編集部)

2室

 勝田伸久「時─5」。今回出品された五つの「時」と題された作品群は、人物が描かれているのは一枚だけなのだが、それぞれの場面が共鳴しながら、一人の人生を綴っているような印象を受けた。複雑な画肌の変化によって青緑の画面に独特な視界が誕生し、気配が封じ込められている。精神的な世界と実景の狭間にあるような室内風景である。(編集部)

 稲見明彦「イリュージョン2」。蒸気機関車の機関をはじめとしたパーツが分解され、自由に再構築されている。グレーのトーンでかっちりと描写されたその様子は、化石となった機関車に再び命が吹き込まれたかのようで、躍動感溢れている。重厚さと疾走感が組み合わさった迫力のある画面である。(編集部)

3室

 石川世始子「サッシの街(マテーラ)Ⅰ」。向かって右のほうに、すこし広場のようなところがあり、そこを三人の人間が歩いている。そのあたりのぽっかりとあいた空間。それはもう一つ、手前のほうにもあるのだが、それが密な建物の集合体に対して風を入れるような雰囲気である。同じようなフォルムは左端のカーヴする道がそうである。そのあいだは密集する建物で、いちばん上方には教会の鐘楼が聳えている。黄土系の色彩を使って、そこにベージュの白い壁、あるいはもっと暗い調子で屋根の色彩などを入れながら、建物の集合する様子を立体的によく表現している。その上方に上っていく方向に集積する建物は、まるで音符のようなイメージを与える。

 その集合するフォルムのもつリズムやバランスは、もう一点の「Ⅱ」のほうにより顕著に、力学的なコンポジションの中に表現されている。上方の鐘楼に向かって断崖があり、階段があり、だんだんと低いところに建物が立っているといった様子と、そこに当たる斜光線によって描かれている。塊の力学とコンポジション。二点とも作者のこれまでの作品の中でもとくに佳作だと思う。(高山淳)

 藤室節子「追憶」。いずれも扉をメインに描いた作品三点が出品されていたが、「ある日…。」と「回想」はどちらも僅かに開いた扉で、半透明に消え行くような人物がそちらへ吸い込まれていくように描かれている。画家は重厚な作りの扉の中に人々の記憶を取り込んで封じているようだ。掲出作では、扉はしっかりと閉じられている。右脇の老人がまるで記憶の番人のように思える。扉の木の質感、周辺の石の質感が非常によく再現されており、その存在感によって扉の中にしまわれた記憶への興味へと誘われる。(編集部)

 頭師まさ子「ボニファシオの入江」。地中海の深々とした青が、描かれている面積以上の強さをもって画面の要となっている。その青が、南欧独特の陽光のきらめきを際立たせ、微睡むようなゆったりとした時間が感じられる。細かく置かれたタッチによって、石造りの複雑な凹凸に日差しがぶつかる繊細な光の変化が演出され、穏やかな日々に思いを巡らせるような光景が表れている。(編集部)

 辰将成「陽光」。小さな野仏を分岐に、右に登っていく道と左に下っていく道がV字に描かれている。木洩れ日によって全体が柔らかく照らされ、豊かな陰影の緑が心地よく広がっている。左上方から二筋の強い光が差し込み、呼応するように二本の白く細い木の肌が中央に見える。その様子がなぜかドラマチックに感じる。独特の波長を帯びた風景画である。(編集部)

4室

 大野晶子「emergence」会友努力賞・準会員推挙。金地による縦長の画面は大胆に空間がとられ、俯せになった少女から上空の蝶に向けて視線を誘導している。少女は抜け殻のようで、意識が成虫の蝶となって飛び立った。空間は実に繊細なニュアンスで描写されていて、地面と側面、奥行きも感知できるし、蝶の上昇する様子もうまく表現されている。(編集部)

 湯浅録哉「海へ」。海に向かって浜を進む二人の海女さんが背後から描かれている。ハーフトーンによって海と浜と海女が馴染んでいるが、劇画的な臨場感がある。それはフィンを履いた独特の足取りや、浜を蹴る足の力がよく伝わっているからだろう。淡々と漁に向かう凛々しい海女の姿が後ろ姿からも感じられる。(編集部)

 向井武志「ポスターのある壁(パリ)」。 パリの古い壁にポスターがたくさん貼られている。はがした上からまたポスターを貼る。そういったポスターと壁との関係。壁は長い歳月のなかで強い陰影を醸し出している。下方には黒い色彩で道が描かれている。絵具の重ねられたポスターのある壁は、独特の色彩の輝きを見せる。ポスターには音楽会や劇場、様々なフェスティバル、イベントが記されているのだろう。それはまた庶民の歓楽の場でもある。そういったイメージもポスターを通して壁に染み通ってくるような雰囲気である。一枚一枚のポスターはそれぞれのそんなシーンを表すわけだが、それらが貼られ、はがされ、貼られ、上下に広がって、不思議な力を獲得する。パリの街の詩情ともいうべきものがそのまま強くこの画面にあらわれてくるようだ。イメージがそのまま色彩の輝きとして画面に表現される。(高山淳)

 小坂雅俊「クロアチアの街 ドゥブロヴニク」。建物が増殖するように連なり一個体の集落を形成してる様子が、実に有機的な広がりをもっている。屋根や壁の微妙な色彩の変化に温かみがあり、手触りの良さを醸し出すような画面が魅了する。海と空とが融け合うような表現で、街をより一層浮かび上がらせている。(編集部)

 國方晴美「暦日の詩 Ⅰ」。真っ直ぐに伸びた橋桁と渦潮とが、上下で対峙するように描かれている。遠景に向かって引っ張る力と、そこに吸い寄せられるように発生した渦といった様相で、白い泡沫の激しくぶつかり合うエネルギーが下半分の画面にみなぎっている。渦はまるで龍が潜んでいるかのようなストロークで暴れているが、中景の海の深い色彩によって画面は落ち着いている。橋に導かれるこの海峡の流れが、人生と重ねられるようだ。(編集部)

 西尾彰治「余呉駅」準会員推挙。柔らかなフォルムで横に山麓が広がり、そこに向かって余呉駅のホームと線路、架線が伸びている。それぞれの線が織り成す放射状の動きが画面をより大きく見せる。雪で霞んでいるような山の淡い色彩が、曇り空や雪原と調和していて、やや黄色みがかった空気が郷愁を漂わせている。(編集部)

 江村嘉之「曼珠沙華・満満」。目を閉じ祈りを捧げるポーズで立つ女性を、包み込むように描かれた曼珠沙華。炎のような色彩であるが、激しさは無く、静かな瞑想的なイメージが表れている。何度も絵具を重ね、削り、作られたマチエールは画面に深みを与えていて、一筋の風が流れるような動きが曼珠沙華を中心とした背景を震わせ、精神的な世界を出現させた。(編集部)

5室

 佐藤義光「夜のパリ・街灯(Ⅱ)」紫薫賞。街灯と月明かりの逆光によって、ほぼシルエット状に描かれたノートルダム寺院。最も明るい遠景から外側に向かって、チャコールグレーのグラデーションが空間の広がりを作り上げ、明暗の微妙なコントラストが画面をシックにまとめている。日中の賑わいからかけ離れ、静けさを湛えたパリの時間が、少しシュールな光景として立ちはだかっている。(編集部)

 斎藤史郎「晩秋のクロアチア」会員努力賞。実際にクロアチアに取材に行ったそうである。クロアチアはアドリア海の真珠といわれる美しい街であるが、その街は画家の体質に合わず、もっと北のほうに取材に向かって、このような場所を発見したという。うねうねと大地の香りのある場所に二階建ての白い壁の建物が描かれている。赤や黒の扉がその壁に三つ。切妻の方向には大きな白い窓。二階のアーチ状の窓は黒々としている。何かの物置のようだ。人が住んでいる気配はない。手前に石がいくつか転がっている。建物の前の地面から一段下がったところに段差があるようなところも、画面の中の地面の手触りとして生きている。左下から枝の切られた太い幹がまるでトルソのように伸びている。そのそばに斜めに史郎というサインが描かれているのはほほえましい。いわゆる文人画を油絵で描いた趣がある。それはこのようなサインの仕方からもうかがえる。そして、地平線の向こうに小さな家が一つ。地平線よりすこし下がったところに地面があって、地平線の上に顔をのぞかせているかのごとき建物が浮かんでいるのも、なにか面白く、画面を活性化する。空はグレーで、雲が垂れ込めている。空の広がりを描くのに苦労したようだ。いずれにしても、強いパッションが感じられる。画面の上の絵具が単なる絵具ではなく、ある生気をもって画面の中にあらわれてきて、お互い絡み合いながら強い気配を示しているところが面白い。(高山淳)

6室

 松前博「よこになる」。地球に似た別の惑星のような風景が、透明感のある緑を基調に多様に塗り重ね描かれている。草むらに俯せになって大地の音を聴くような人型のものをはじめ、草をはむ動物や川を流れる椀状のもの、不思議な形の木や空を飛ぶ飛行機とも魚ともつかないもの、それぞれの造形がポップでユニークである。遠景の山はまた別の世界とつながっていそうだ。ヴィジュアルは異なるが、どこかホドロフスキーの世界を連想させる。(編集部)

 鈴木将俊「ベネチア」。タイルのように分割された画面は、美しくカッティングされたグラスを通して見る風景のようだ。水上から見るベネチアの建物がスクラッチするように描かれているが、日没の頃なのだろうか、十字に入れられた青いラインが夜の気配も醸し出している。幾何学的な線に対して、町並みや街灯の揺らぎ、鳥やゴンドラの動きなどが強調されファンタジックな風景として表れている。(編集部)

 樫詰育生「どうしたん。」。厚く塗り重ねられた濃厚な画面であるが、クレヨンを走らせて描いたかのような風合いが楽しい。ハーフトーンの地の中から赤、グレー、緑などの色彩や線が立ち上がり、街の建物が集積して遊園地のような光景を作り出している。横断する柔らかなメロディーと、縦に刻まれる弾むようなリズムが心地よく響いてくる。(編集部)

 由里朱未「もうひとつのこたえ」。四分割された画面をひとつひとつのコマのように使い、それぞれが物語として関連し収束していくようなイメージがある。独特の造形センスであり、コラージュなども使いながら、室内と外の風景が思考の中の風景と折り重なるように表現され、詩的な印象を与えている。様々なストーリーを想像させる、イマジネーション豊かな作品である。(編集部)

7室

 石井貴子「早春の知多」。地層のように風景が積み重なって、淡い色調のハーモニーが生まれている。その横に広がる景色に対して、手前の岸に生える草木の、縦に放射される線が豊かなリズムをもって描かれている。そして、鳥と霞んでシルエット状になった舟が画面に動きを与えている。光は画家独特のフィルターで捉えられ、早春の緩やかにそよぐ風のような心地よさがある。点描のように薄い赤や緑が全体に入れられていて、それがこの独特な色調のキーとなっていることがわかる。穏やかで優しい感性に溢れた作品である。(編集部)

 宮崎泰樹「紀州の風(1)」会友佳作賞・準会員推挙。ダイレクトな赤と青が印象深い、独特の色彩感覚である。面だけでなく、面を囲む線に対しても同等の色彩的価値を置くことで、全体の力強さが増し、オリジナルな魅力を獲得した。不思議な熱気と哀愁が漂う風景画である。(編集部)

9室

 和田依子「未来に生きる Ⅳ」文部科学大臣賞。同じ少女を異なるポーズで配置しているのだろうか。バレエの練習着でストレッチをする姿が陰影をうまく活かしてよく捉えられている。背景はナイフやデカルコマニーによるような独特のマチエールで、ピンクや黄色を中心とした少女の滑らかなかたちと対照される。少女の強い意志を湛えた表情に、あらゆる可能性が広がる未来への眼差しが感じられる。(編集部)

 尾形良一「はじまりの道」一般佳作賞・会員推挙。でこぼことした山道の右側はすこし斜面になり、そこから樹木が覆いかぶさるように生えている。下方の地面も、そこには樹木の根がたくさん伸びているから複雑な凹凸ができている。そこに木漏れ日が当たっている。一つひとつ確認するように描き、それぞれのものの位置によって空間の奥行が生まれる。木漏れ日も、周りの地面のしっとりとした調子に対して輝くように生き生きと描いている。(高山淳)

10室

 近藤昭彦「人間模様(Ⅰ)」内閣総理大臣賞。無数の人体のフォルムがジグソーパズルのように組み合わされ、文字通り人間の模様が表れている。モノトーンであるが、縦のグラデーションで人体を、横のグラデーションで背景を描き、くっきりとしたフォルムに変換されている。しゃがみ込んだ二人の人物が上から押さえつけられ、周囲から圧迫されているように見える。前衛舞踏の群像劇のように、社会の中の人間模様が巧みに描写されている。(編集部)

 神垣郁子「生の魂 Ⅱ」。腰をかける三人の女性像と、床に横たわる裸婦二人がドローイングによって描かれている。水彩による彩色は、海の底のような死を予感させるイメージだが、地面に入れられたオレンジの色彩による何とも言えない温かみを浮かび上がらせている。そこにはまるで再生される命の輝きが表現されているようだ。(編集部)

11室

 桒山洋「風神・雷神像」準会員努力賞。三十三間堂の風神・雷神像が千手観音を挟んで対峙している。風神は緑色が、雷神は赤茶色がそれぞれ強調され、スポットライトを浴びたロックスターのような雰囲気で空気を盛り上げている。筆のストロークが力強く、像に動きを与えていて、絵画としての醍醐味が表れている。(編集部)

 森本嘉郎「幻想廃工場」。レンガ造りの古い工場が重量感をもって描かれている。そのゴツゴツとした壁面の描写に対し、空はマットに描かれ、紫と緑の入り交じった光が幻想的な景観を作り出している。空の光を反映させ、工場も発光するような緑に縁取られる。長い時間の蓄積を意識させるように、建物自体が哀愁を漂わせる。脇に描かれた人物とは異なる時間軸に工場があるように感じられる。(編集部)

12室

 河村活敏「姥捨の棚田 5」。ほとんど抽象画と言えるようなイメージで棚田をリズミカルに配置して描いている。水の張られた田んぼは昆虫の複眼やミラーボールのように、空の色を様々に分解してパステル調の色彩を反射させ、畦の緑と調和している。ひとつひとつの田んぼの、面の大きな彩りに加え、手前の棚田に見られるような、面を構成する細かな筆致による色彩も見所となっている。(編集部)

14室

 冨田多美「マヌカンの風景」。ブルーグレーとベージュを基調とした九体のマネキン。八体は両腕が無く、一体は頭の無いマネキンである。しかし、シュールな印象ではなく、人間の鏡や影として暗喩されたマネキンたちが、心理的な駆け引きのイメージを表現しているように思える。複雑に構成された色面と、くっきりと描き込まれたマネキンが交錯し、一筋縄ではいかない人生の景色が表されているようだ。(編集部)

16室

 寺下幸世「明日へ Ⅰ」。手を合わせる老婆がクローズアップされているが、すべて鉛筆のトーンによって描かれている。白く輝く頭部の描写によって、長い人生が刻み込まれたような手が強調される。ずっしりとした手の薬指のあたりに少女の顔が浮かんでいて、この少女を待ち受ける未来に明るい光が差し込むようにとの願いが込められているようだ。(編集部)

第64回板院展

(6月11日〜6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 羽田智千代「とどけもの!?」。巨大な爺の鳥人間が命綱のようなものを口にくわえて下りてきている。その下には白い布を持って両手を上げている鳥人間がいる。そばは崩壊した建物群である。しかし、この爺はだいぶ疲労しているようだ。いつ本人も落下してくたばってしまうのかわからない。力を尽くして梨の木をつぐという言葉がヨーロッパにあるが、人のために生きてきたこの鳥人間もそろそろ危険な雰囲気である。巨大な翼のように広がったコートの先の顔、大きな鼻、そこに吊るされた輪、それを求める下方のもう一人の鳥人間。白い地が空間を表し、強い空間が生まれている。そばに心配そうに孫のような鳥人間が二つ飛んで、この爺の周りを旋回しているのもやるせないし、ほほえましい。

 井上勝江「魅惑」。たくさんのチューリップの花が咲いている。太い茎の上に咲くチューリップの花。向かって右のほうは蕾のようで、それがだんだん左に向かって立ち上がって凛としてくる。まだ花は開いていない。右のほうが夜の時間で、左に行くにしたがって朝から昼になり、昼になるとこうべを上げて茎が立ち上がってくるといった、時間の推移のなかに見られたチューリップの姿のように感じられる。その明暗のダイナミックなコントラストの中に、うなだれているチューリップと頭をもたげているチューリップとの二つの動きが対照されているのが面白く感じられる。

 見目陽一「郷の風」栃木県知事賞。小口版画である。アフリカに取材したときのイメージを最近繰り返し描いている。手前にはひよこと親鳥、その向こうには牛に鋤を引かせて畑を耕している人。また、その後ろには鋤を持った人物もいる。麦わらを積んだもの。左のほうの家から炊事をしているであろう煙が立ち上っている。大きな裸木。断崖。そういった風物をクリアに一つひとつ線によって表現する。その小口に刻まれた鑿の線の繰り返しによって、静かなリズムが生まれる。それがそのままアフリカの農民の大地とともに生きる姿を表現する。

 河内ゆう子「獅子 ルーマニアへ」。獅子舞をルーマニアで演じたのだろうか。ルーマニアの若い母親の手を握った少女。スカートの後ろ側からのぞきこんでいる少女。その先には巨大な獅子頭がある。獅子頭とルーマニアの母と娘という予想外の組み合わせを、強いシンプルなフォルムによって表現している。高い山の上のお城が遠景に描かれているのも、画面全体を引き締めるコンポジションである。

 鬼塚滿壽彦「綿津見の宮への路」東京都知事賞。ワタツミの宮は海の神様である。そのワタツミの宮が左のほうに置かれて、手前には三匹の魚。そして、上方には鳥がはばたいている。もっと手前にはシダのような植物がある。左のほうには水を表すような巴状のフォルムが繰り返されている。全体にうねうねと旋回するような構図になっているのが面白い。直線ではなく、その曲線の繰り返しによって独特の動きがあらわれる。その中心は不思議なマリモのような黒いフォルムで、その下は柵の下の水になっているのだろうか。その周りに建物や鳥や魚、シダなどを配して、中心を空洞にしながら周りに大きく旋回するコンポジションをつくる。その向こうには海があり、海の恵みを記念するお宮。そして、それを囲む山。いわば海彦山彦の祈りの世界がこの小口版画に表現されているわけだ。

 森信雄「安房鴨川船着き場」。船着場に引き揚げられたたくさんの漁船。斜めに傾いている。そのフォルムが繰り返されて、圧倒的な存在感がある。湾を囲むように斜面になって護岸工事がされたその船着場の上に置かれた船のフォルム。それに対して背後は、水平の線の繰り返しによってだんだんと高くなっていく家並みが描かれている。静かな垂直水平の均衡した家並みに対して、漁船が斜めに傾いて繰り返される。海の世界と陸の世界がしぜんとそこに象徴されるかのごときダイナミズムがある。それを白と黒の太い線によって構成する。

 板橋英三「早春の森月山」院友推薦。月山の中にすむ様々な生き物や植物を表現している。うねうねと蛇のように伸びていく幹の樹木や枝。キツツキや冬眠する熊。あるいは鹿。そして蝶や蛾のフォルムがそこにあらわれ、巨大な花も群がっている。それを板の上に鑿で彫る。細い彫り。太い彫り。そこにできるグレーからべたの黒までの明暗のコントラスト。あやしい森の密度のある空間が表現される。

2室

 内田克枝「桜散策」院友推薦。しだれ桜が満開の様子である。すこし高いところにある建物の中の庭から伸びた桜の枝が垂れていて、下方にはもっと低い下り坂に立つ建物の屋根が見える。不安定な独特の動きを背景にして、上方から下方に垂れるしだれ桜がピンクに表現されている。柔らかな光がそこに差し込んで、光と花とがお互いにコラボレーションするように一体化しながら、うっとりとした透明な夢のような色彩をつくる。

 神美佐子「タイ セレモニーの日 6・27」。中心に象に乗ったお坊さまが歩いていく。象の上のやぐらのようなものの上に何人か乗っているのかもしれない。すこし緑がかった独特の調子の中に、そのフォルムは白で表現されている。輝くような白といってよい。影のシルエットと逆に光のシルエットのような、そんな不思議な印象である。左のほうには卒塔婆のようなものが黄金色に立ち上がっている。右には緑の大きな楕円状のフォルム。たくさんの種のようなものが凝集して、このかたちをつくっている。上方には褐色のフォルムが浮かび上がる。背景は透明な青。青と緑のバックにそれらのものが表現されている。それぞれのものの中身は描かれず、シルエットふうな表現でお互いの色彩が静かにハーモナイズする。タイは仏教国として有名である。仏を信仰するイメージがここで静かにうたうように表現されている。優雅な色彩ハーモニーが魅力である。

3室

 國安珣子「水面」。柳の葉が垂れてきている。その連続したフォルムを面白くデザイン化している。バックは黒で、その下方にすこし沈んだ水のグレーの中に一つその葉が映っている様子が置かれている。その二つの呼応する様子を見ると、仏画的なイメージもあるようだ。映っている向こうに本体、真如ともいうべきものがあり、その周りを現象世界が囲んでいるといった、そんな寓意性も感じられて面白い。

 山本良子「サロメ」。上下二枚の版画を対にしている。上方はすこし斜めから見たサロメで、サロメは西洋の女性であるが、ここでは日本の芸者のような雰囲気であらわれて、赤い簪をし、和装で着物を着ている。ところが下方は横顔のサロメで、ふっくらとしたボディの上半身が描かれ、その青い服や青い花をつけた洋装のフォルムである。背後は円形にあけられていて、金が使われている。その周りは黒である。ちょうど窓の向こうにこの女性の二つのフォルムが見えるわけだが、それはまた巨大な満月の中にあらわれてくるイメージのように置かれているところも面白い。サロメは情熱的でわがままな女性の或る典型として捉えられていて、それは洋の東西を問わず典型的な女性のある性質と思われ、それを画家は肯定して、いわばサロメの東洋、西洋のイコンのようなイメージをつくりあげているところが面白い。

 田熊誠「兄弟」。木版の白黒の濃密な空間が生まれている。背後は横に低い塀のようなものが連なっている。それに対して手前に垂直に立ち上がる巨大な樹木。樹木の上に乗る姉と下方の男の子。大きな葉がいちめんに茂っている様子。その白い様子がまるで花のように感じられる。ふかぶかとした樹木のもつ生命感を背景に置いた兄弟のお互いの遊んでいる様子が、生き生きとほほえましく表現されている。

 井上星子「再び、猫と月」。色彩が魅力的である。画面全体は銀灰色を思わせるようなグレーで、そこに黒く太い三本の幹が立ち上がる。そのいちばん太い幹を背景にして、緑のワンピースを着た女性が青い石の上に座っている。軽く腰掛けているような雰囲気。そのそばに黒い猫がいる。面白いのは女性のそばに青い台の上にのった青い猫がいることだ。この青い猫は亡くなった猫で、この女性の背後霊のようにそばにいつもいるのかもしれない。低く満月が出ている。そんなあわあわとした中に黒の幹と黒の猫が色彩の強い効果をつくる。また、空から引き寄せたような青い色彩が樹木の枝の一部や、女性の座っている前述した台や猫に使われ、そのシューズにも使われている。ロマンティックなうっとりするような不思議な色彩のハーモニーである。すこしエキゾティックな雰囲気もあって、その浪漫性ともいうべき色彩の性質はこの画家の持ち味と言ってよい。また、樹木の黒はこの空間が夜であることを暗示する。それに対して白く、紙の色彩がほぼそのまま使われていると思われるこの女性の首や顔、手足の色彩が魅力である。その紙の色彩が独特の豊かな味わいをもって、女性の肌の色彩として画面の中に立ち上がってくる。色彩を様々に使い、形を彫り起こす中に、この紙の内側に埋まっていたイメージが、この女性の体を通して立ち上がってくるかのような不思議な味わいもある。

4室

 荒木寿美「ステンドクラス」院友推薦。和と洋との混在したコンポジションである。そこに牡丹雪が降っていて、独特の耽美の空間が生まれる。

5室

 紺野正博「天からの伝言 Ⅱ」。ストライプによって不思議な結界のようなフォルムが生まれる。そのあいだに黒い空間が見える。ジグザグのストライプは巨大なビルの一部のようなイメージもあるし、最近はナノの世界がずいぶんいわれているが、そういった世界も連想する。そこに三角や丸、四角などのフォルムが白く黒く浮かび上がり、独特の詩的なファンタジーをつくる。抽象と詩というものが連結をした世界といってよい。

 安部正男「躍」。雪の降った地面に川がのぞいている。そこに放牧されている数頭の馬が遊んでいる。手前には狐のようなシルエットも見える。樹木のフォルムも黒いシルエットである。空はピンクと青の二色によって表現されている。簡潔にして緊密な造形に注目。

 森貘郎「百首」。一茶の百首という言葉からインスパイアされて、この不思議な力強い作品をつくった。下方に描かれているのは老婆の顔で、その粗末な家を出て江戸の本所で暮らしている息子(床屋職人)を呼び寄せて、二人扶持を与えるからこの家から離れたところに一戸構えろと奉行から言われたにもかかわらず、その住まいは代々自分の住まいであり、梃子でも動かないと言って、結果的にはその場所を失ってしまった老婆の物語が背後に書かれている。「月さへもそしられ給ふ夕涼み」(一茶)。老婆の因縁のやり方は「月さへもそしられ給ふ」といった言葉にあらわれているのだろうか。一所懸命という言葉があるが、自分の先祖代々の土地に対する愛着の話であり、地面からキノコのように生えて、その場所で死に、また代々つながっていく連綿とした庶民の姿を、この不思議な能面のような老婆のフォルムによって作者は表現した。ユニークな言葉とフォルムによる表現である。

6室

 藤谷芳雄「宮沢賢治のイメージ〈よだかの星〉」。星になったよだかの周りに蝶やトンボを配している。蝶や昆虫を食べて生きていかなければいけない鳥の運命を嫌って、そのようなことをするまいと思って、よだかは空の奥に上っていくのである。そんな話からこのような図像があらわれている。上方に野仏のような仏が三体あって、両手を合わせていて、そばに睡蓮が咲き、そのあいだに星が輝いている様子も、画家の工夫として優しい表現である。

 牧野光陽「梅雨」。しっとりとした梅雨。梅雨のあいだに植物はずいぶん成長するといわれている。人間にとってうっとうしい梅雨のあいだに植物がその生長ベースをつくり、繁茂し、その触手を動かしていくから、梅雨というものは植物にとってはなくてはならないものである。緑の葉がぬれぬれと輝いていく様子を描いているのだが、その下に傘を差した子供たち、赤いランドセルを背負い黄色い傘を持った四人の子供が、先生に引率されて右のほうに向かって歩いていく姿が描かれているのがほほえましい。右に小さな橋があって、橋の上には赤い傘を持った母親が迎えに来ている。梅雨のもつ独特の季節。植物がその生命を伸ばす。そのしっとりとした湿気の多い時に、このパラソルを差した母親が橋の上で迎えているといったコンポジションがユニークだと思う。左のほうの四人の子供たちの表情もあどけない。柔らかな黄色い傘を差して、赤いランドセルを背負っている。空は曇って暗いグレーと明るいグレーの二色によって、すこしデカルコマニーふうなざらざらしたマチエールがつくられている。もっこりとした古墳のような山が背後にあるのだが、それが橋のあたりで切れて、空が広がり、はるか向こうに青いグレーの山が遠景に見えるのも、ふるさとの深いイメージを暗示する。いわば苔が子供たちに変身しているような、植物と強い親和の中に明るさとあどけない生命の表現である。そんな作者のイメージを興味深く思う。

7室

 小林明子「暮秋」。この会では珍しく、銅版である。巨大な向日葵が頭を垂れて、すこしドライフラワー化している様子が描かれている。その下方に母と子供と思われる影が大きく地面に立ち上がるように描かれている。筆者は、この頭を垂れた向日葵のフォルム、そこにある季節がひとつ終わって次の季節に移るその境目を、この巨大な向日葵の頭を垂れた様子が表現しているようで、面白く思った。

 三峰三郎「雪の朝」。平凡な光景であるが、ほほえましく懐かしい。雪の降った朝、道も雪が積もって、道は上り調子になっているが、お寺のような築地塀のそばに赤いジャパンポストのバイクが一台。白の中に赤が鮮やかに映える。周りの築地塀の黄土や樹木に積もった雪などと対照される赤のポジションに注目した。

8室

 林保「山の手大雪(諏訪の冬)」。雪かきをしている人が画面の下方真ん中にいる。周りには大雪のあと、積もった雪の様子が描かれている。すこしクラシックな、洋館という言葉がふさわしいような黄土の壁をもつ建物が周りに連なっている。大正時代を思わせるような門構えの家。伸びていく樹木。高い電信柱。物語の世界に鑑賞者を導入するようだ。画面全体に大正ロマンを思わせるような、そんな文学性ともいうべきものがしぜんとあらわれる。

 髙久茂「笛吹きの図」。黒い板に彫った黒い線のみによってつくられている。その意味では棟方志功の墨による線と共通するものがある。横笛を吹く童子。一種妖精ふうなイメージで、巨大な目をしている。周りに鳥や蝶や植物が見える。生き生きとした自然との強い親和力からイメージされた図である。

9室

 恩田宗雄「なつかしの鎮守の森」。墨版のみである。太い幹をもつ樹木が二本上方に伸びて、葉を茂らせている。その部分は黒によって表現されている。残された紙が白く、空や光としてあらわされる。シンプルであるが、力強いコンポジションであり、蟬の声でも聞こえてきそうな夏の森のイメージが感じられる。

11室

 陶山俊一「木曽残雪」。真ん中を流れているのは木曽川だろうか。断崖が周りに立ちはだかり、怪異な不思議な形を示す。その上にまだ雪が残っているようで、白く輝いている。その周りの複雑なフォルムを生き生きと捉えている。一種の幾何学的な形に近いのだが、その連続性がお互いに関係をもちながら、独特の強い動き、形をつくる。

 永岡好雄「さくら満つ」。桜が満開である。それを見上げる角度から眺めている。視点が面白い。まるで頭の上にこの桜の花が覆いかぶさってくるような迫力がある。黒と白によるコンポジションである。

 上岡從惠「バス停」。バス停に、子供をおんぶし、もう一人の子供の手を引く母親。その三人が狐として描かれている。バス停の後ろに粗末なバラックがあって、お酒のポスターが貼られている。いま車がそばにとまっているが、それを運転しているのも男の狐。サングラスをつけて悪い男かもしれない。そのまま物語の世界にわれわれは誘われる。そのプロローグと言ってよいような構成になっている。擬人化された動物たちが生き生きとしたイメージを発信する。

 秋山龍之助「砂丘の朝~希い」同人推挙。うねうねと砂丘が広がっている。砂丘はほとんど海のようなもの。風によってそのかたちが刻々と変わっていく。そこに風紋というものが生まれる。その風紋の向こうのほうにもう一つの砂丘がシルエットとしてあらわれ、一人の人間がぽつんといる。そしていま向こうの砂丘からご来光のように太陽が昇りつつある。柔らかな透明な空と斜光線に染まる砂浜を生き生きと版画に表現した。

 栗原義則「エッフェル塔」努力賞。エッフェル塔の地面と接する下方だけで絵にするというコンポジション、視点が面白い。そのアーチの向こうに建物がシルエットに見える。空はオレンジ色に染まっている。パリのエッフェル塔を眺めるこの作者の位置、視点からくる面白さで、いわば画家の発見したエッフェル塔と言ってよいかもしれない。

14室

 岡本芙美「おじゃまむし」富山県知事賞。アイロン台の上にジーパンのズボンがすこし垂れかかっている。そばにアイロンが立てて置かれている。その丸いテーブルの端のほうに、小さな生まれたての猫がいて下方を眺めている。親猫がそれをその下から眺めている。それを太い黒い線によって表現する。フォルムが力強い。

15室

 髙倉浩三「初雪の屋並」。重層的に建物が並んでいる。上に行くにしたがって遠景になる。手前の野原の中に川が流れているのだろうか。近景には高い雑草が、ススキのようなものだが、穂を靡かせている。建物のキュービックな完結したフォルムに淡いベージュや青や緑などの色彩が入れられて、その建物の連続した様子に独特のリズム感がある。日本のある街をテーマにしたと思うのだが、洋風な雰囲気があって、画家が作品の中につくりだした夢の街のような、そんな透明な詩情ともいうべきものがあらわれているところが面白い。屋根の上に雪の積もったその配置も面白い。

第67回創造展

(6月11日〜6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 杉山由美子「ユア・ソング」。三人の少女がそれぞれスカートをもって立っている。そのポーズが面白く、広げられたスカートの三つの形がお互いに面白く響き合い、リズミカルな雰囲気をつくる。踊り子のすっきりとした骨格。伸びやかな中に一種鋭角的なリズムが生まれる。フォルムに対する優れた感覚をもとにしたコンポジションである。

 井上篤司「怒りの大地」。山がヒョウタンのように、袋のように、地中深くへこんでいる。その中に倒壊した家屋が集積している。いまその中に落ちそうな建物も上方にある。地震の激しい動きを、画家はこのようなファンタジーのなかに表現した。段ボールを切って貼っている。それによって断崖のマチエールをつくる。一つひとつの家もやはりそのようにしてコラージュされている。それによって手触りや強さがあらわれる。

 池本幸子「追憶」。川面にソメイヨシノの樹木が伸びているのだろうか。その屈曲した形を立体的に画面の中に表現している。そのリアルな再現的な描写力が力強く迫ってくる。

 石塚三吾「悠久(2014)」。青い空に白い雲がたなびいている。下方の田園地帯の様子。植物の緑。樹木の茶褐色のフォルム。白い道。小さな屋根に赤い色彩がともしびのように入れられている。

 鹿野洋子「夜明け(アドリア海)」。アドリア海の小さな島を描いている。アドリア海は世界でも最も美しい海といわれている。島の上方に教会が立っている。夜明けの光線が空を赤くオレンジに染めている。その色彩をアドリア海が映している。その中に青やビリジャン、エメラルドグリーンの色彩も入れられている。その緑とオレンジ色とが神秘的なハーモニーをつくる。空と海とが一体化した、色彩の交響楽ともいうべき世界が平面の上に繰り広げられる。

 千田モモ「馬─5」。六頭ほどの馬が疾走してきている。それをシルエットふうに表現する。そのフォルムが力強い。馬をよく知っている人の表現だと思う。とくに手前の量感をもって迫ってくる馬のフォルムが素晴らしい。

 東靖夫「ふるさとの宮で」。長くたっているお宮なのだろう。茅葺きの屋根の下の柱やドアなども白々として、晒された雰囲気である。扉がすこしあけられて、内部の様子がほの明かりの中に揺らぐように描かれている。村人の信仰を集めてずっと支えられてきたお宮のもつ微妙な独特の気配をよく表現して、懐かしい気持ちになる。人とお宮との長い付き合いがそのままこの扉や柱や内部からしぜんと浮かび上がってくるような、そんな触覚的な表現に注目した。

2室

 鴨志田強「黄昏」。漆喰を貼った民家が人間のように描かれている。手前の屋根から突き出た煙突。その下を見ると、かまどになっている。壁は一部剝落し、竹で編んだ骨格が見える。手前に二人の男と夫婦と思われる男女がいる。男女の暮らしてきた生活のイメージが、そのまま後ろの建物に反映しているようだ。農作業しながら田舎で暮らす人々の様子を、この建物と人間によって力強く、ファンタジックに、うたうように表現する。

 柏山悦子「今日 良い日なの?」。画面全体に使われている赤が、ノスタルジックな雰囲気に人を誘いこむ性質をもっている。上方に高杯があって、そこに洋梨や葡萄などが盛られている。背後に建物を思わせるフォルムが線描きで描かれている。その高杯の手前には果物や西瓜、皿にスプーン、飴玉、もっと手前には鯛やセロリやピーマンや黄色い菫の花などが置かれている。そんな本来テーブルの上にあるものが風景化して、赤いバックに漂っている。それを手前のおかっぱの女の子が眺めている。そのフォルムは花柄の模様の紙をコラージュして、その上から彩色されている。ケロンパのようなカエルのおもちゃがこちらを眺めている。そばにこの少女のぬいだスリッパが浮遊し、飴玉のような、船のようなものも浮遊している。上方に蝶があらわれ、黄色い花びらのような破片が浮遊している。画家はこの少女を描き、少女の目になってこの静物を眺めているようだ。そして、静物は風景と化して、様々なフォルムとしてはるか向こうまで広がっていき、少女を招くようだ。そこにはノスタルジックな気配も漂う。そして、高杯に置かれた果物などがロマンティックな宮殿のようなイメージに変化していく。そういった不思議な心象空間を画面に表現して、鑑賞者を引き寄せる。

 渡辺義春「嬉野薫風 Ⅱ」準会員推挙。いま田植えを終えたばかりの水田が、柔らかな光の中に風になぶられているような、のどかな雰囲気。中景に人々がいる。遠景には瓦葺きや藁葺きの民家が立ち、背後は山の斜面になっている。日本のどこにでもある農村の一隅をリアルに再現的に表現して、静かな中に独特の緊張感ともいうべきものを画面に与える。近景の青い空と雲の水田に映っている様子がのどかな雰囲気を表現する。

3室

 森岡達生「黎明」。朝日が昇って白く輝いている。手前は水田で、張ってある水にその陽が映っている。葉をつけた高い広葉樹が幾本も立っている。空も水田もグレーで、その中に柔らかな樹木。早春の田舎の水田の佇まいがロマンティックに表現される。

 松下任久「夕映え」。遠景は山が薄紫に霞んで見える。手前に水が流れていて、そのあいだにこんもりとした草に覆われた地面がすこし隆起している。丘の下には家がいくつか寄り添っている。そんな里の風景であるが、丘も草も逆光になっていて黒々として、そのあいだの水がすこしピンクを帯びて輝くように光っている。黒と白とのコントラストの表現である。それは墨のたらしこみと紙の地とのコントラストを思わせるところがある。伝統的な風景表現のうえに、油彩画によってこの風景は描かれている。そこにあらわれてくる深い情感ともいうべきものに惹かれる。

4室

 田島正彦「日没の頃」準会員推挙。葦が群れになって、すこし風に靡いている。向こうには広葉樹のようなものも見えるが、海がオレンジ色の空を映して輝いていて、それらは逆光の中にある。海から空に向かってたくさんの鳥が群れをなしている。その様子が懐かしく、家に帰るカラスではないのだが、童話的なファンタジーを画面に引き寄せる。無垢な心象ともいうべきイメージが面白い。

7室

 盛岡教「ピエール・ド・ロンサール」。白い花弁の中心がピンクの薔薇がたくさん咲いている。その根元に白い丸い猫が寝そべっている。その二つの対照がごく自然な温かなファンタジーを引き寄せる。

8室

 東西望「阿蘇中岳」会員賞。阿蘇のもつ大きさをよく表現している。四曲である。左二曲に噴煙が上っている様子。それを取り巻く峰のかたち。右のほうはすこし谷になって霧が立っている。濃墨から淡墨までを画面の中に使いこなしながら、もうもうたる阿蘇の気というべきものを表現する。

9室

 津田則子「ローズバレーの夜明け」。深い谷が斜めに続いている。遠景には建物のようなものも見えるが、いま昇った太陽の斜光線が一部を明るく染めているが、全体でしっとりとした陰影になっている。そこに無数といっていいように気球が上がっている様子が、ファンタジックな雰囲気を表す。深い谷と上方に浮かぶ気球の群れとが面白いコントラストをなしている。

 小寺旭峰「要害桜」。要害桜は広島のほうにある老桜だという。水墨の雰囲気がある。花が白く輝いていて、霞のように画面全体を覆っている。支えるための添え木などが抽象的なバランスをとりながら画面の構成を助けている。すこし傾きながら太い根が地面に下りているその様子。そこから伸びる太い幹や枝。全体で柔らかな調子のなかに、長く生きてきたこの桜の命の雰囲気をよく表現する。

 小島御風「ホテル穂高から見える風景」。水墨の作品である。四曲の屛風仕立て。上方は斜面になっていて下方は平地であるが、そこに針葉樹が伸びている。斜面のあいだにも点々と針葉樹が伸びている様子。そして、近景には葉を落樹木が骨のような雰囲気で上方に伸びている様子が描かれて、全体で独特のリズムをつくる。一部は紙の地を生かしたそのままである。コンポジションに注目した。

11室

 小原榮「トマト」。水彩作品であるが、トマトの実って赤くなった色彩がお互いに反響し合って、強い生命感を感じさせる。二十数個のトマトが段ボールの中に入れてあって、そのへたの形、一つひとつ微妙に異なるトマトの形。淡々と描写しながら、独特の色彩のハーモニーをつくりだす。

第40回記念日本自由画壇展

(6月11日〜6月23日/国立新美術館)

文/高山淳

2室

 吉井典子「春あさく」日本自由画壇賞。近景に二本の樹木。中景に雑木林。遠景には霞むような山並み。身近な情景をそのまま淡々と描きながら、樹木の歌ともいうべきイメージをつくる。

3室

 柱本淑子「さくら・さくら」。何百年かたつ古木の桜を正面から描いている。太い幹から左右、上方に広げる幹や枝の様子。そこは墨によって量感のなかに表現する。淡いピンクの桜の花をその上に描き、背景と一体化して、一種の陶酔感を呼ぶような空間をつくる。

 和田伊織「岩塩坑の壁(ポーランド)」。上方の壁の白い輝きは独特である。下方はそれが淀んだような独特の動きをなして、いちばん下方ではかなり濃墨が使われてシルエットふうな表現になっている。いずれもすべて岩塩坑の壁の様子だそうであるが、そこに浮かぶイメージを独特の詩のように表現する。もう一点の樹木と雪山を描いた具象的な作品も面白いが、ほとんど抽象と言ってよいこの作品の優れた表現に注目した。

 橋本不双人「大内宿に遊ぶ  その1」。古い茅葺きの屋根の下におみやげを売っていると思われる店がいくつも開いている。そこに観光客が散策している。そんな様子を淡々と描いて、独特の生気をつくる。背後の淡墨による山の表現が前景のクリアなフォルムと対照されて、面白い効果を上げている。山に桜のような花が咲いているのだろうか。柔らかなピンクに染まっている様子も不思議な神々しい雰囲気をつくる。

 相座愚呑人「スペインの雨」。傘を差して道を歩く二人の女性。一人は買物の袋を片手に持っている。もう一人はショルダーバッグを掛けている。一人は土地の人で、一人は旅人のようだ。その二人の後ろ姿の表情に独特の深い感情ともいうべきものが感じられる。壁をアーチ状にくり抜いて道が続いていくわけだが、その壁はたらしこみふうな水墨の表現による。そこには歴史というものがしぜんとあらわれてくる。

 関根光子「桜・舞う」東京都知事賞。桜の花が満開で、それは水の上に枝を出していて、花が水面に散っている。一艘のボートが花の下にあるのが、なにかロマンティックな雰囲気を誘う。ボートに乗って桜の真下に接近するといったイメージもあらわれて、独特の心のメタファーとなっている。夜桜である。夜の闇と桜の花とが不思議なコントラストをなす。桜の内部が発光しているかのごとき輝きである。遠景に五重塔の上層の二つの階が見える。墨も青墨ふうな、すこし青みがかった調子で、このすこしピンクがかった桜の花と優雅なハーモニーをつくる。

 脇野千種「流れのシンフォニー」。号数制限のせいか、二枚に分けられて展示されているが、上方から下方に斜めに水が流れてくる。岩のあいだを激しい勢いで流れてくるその水の様子には、爽やかで、独特の清涼感ともいうべきものが感じられる。画家はこのような流れてやまないものをいつもテーマにする。淀んでいる世界がきっと嫌いなのだろう。表面を複雑に変えながら流れていく水には、神々しいイメージさえも感じられる。あいだに苔むしたような岩の様子やごつごつと立ち上がってくるフォルムなどが置かれている。基本的には墨による表現だが、淡く緑や黄土などの色彩が点じられているのも、なにか懐かしい雰囲気である。墨のもつ厳しさをその色彩がやわらげるようだ。いずれにしても、独特の激しい詩情ともいうべきものが感じられるところが面白い。

 藤田正子「Blue Time」。若い女性がかわいい女の子の人形を抱えている。そばに姉妹と思われる人形が立っている。青い蝶が周りに飛び、紫陽花のような花が咲いている。画家のイマジネーションがつくりだした世界である。この若い女性像は、そのまま画家の心の中に存在する女性で、いわば自分自身の分身のように思われる。そして夢想する。夢の中に人形や花や蝶などがあらわれる。そう思って見ていると、下方に背中に蝶のような羽をもった子供が歩いてくる様子が描かれている。画家のつくりだした天使の像と言ってよいし、蝶と少年とがお互いに変身し合うような関係と言ってよい。そのような夢を見る力がこの独特の空間をつくり、そこにあらわれたこのブルーの独特の魅力が鑑賞者を画面にいざなう。

4室

 藤沢古葉「或る日の仕事場(アトリエ)で」。裸婦のドローイングが何枚も重ねられている。その上に座った裸婦、体をひねった裸婦が大きく置かれ、両側に三体の立ちポーズや座りポーズの裸婦が描かれている。紙の端に黄色や赤、緑、青などの色彩が置かれているのが面白い。その色彩が入ることによって、紙が輝いているような雰囲気があらわれる。白い紙が光をもった存在のように感じられる。それを背景にした動的な裸婦のドローイング。平面に描かれたドローイングが、その光によって一種立体的に浮かび上がってくる。独特の構成の力である。

 池田蘭径「ブルガリア  二景  ヴェリコタルノボ」。茶色い瓦屋根と白い壁の民家が整然と並んで独特の美観をつくる。手前の黒い柵にはヤマブドウのような蔓科の作物が伸びている。空がオレンジ色で、夕暮れのようだ。美しいブルガリアの街並みが画家独特の深い感情に染められて、いわば胸中山水のごとき表情を見せる。

5室

 梅﨑惠津「桜島北岳爆発」特別記念賞。黒い桜島から火が噴き出ている。そのダイナミックな表現、色彩感覚に注目した。

 黒津悠紀子「早春緑色」秀作賞。早春の山は萌えてきた緑と、これまでの冬のくすんだ茶褐色の色彩とが混在して、独特の雰囲気である。霧が立っている。遠景には青いシルエットの山。パノラマふうな早春の山並みを柔らかな色彩のハーモニーのなかに表現する。

第49回たぶろう展

(6月11日〜6月23日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 川崎順四「オデオン駅前」。メトロの標識の下にオデオンという文字が入れられ、地図がかかれている。人々が三々五々、点々とこの風景の中に存在する。グレーの空間。雲のあいだからすこし光が差し込んだ様子。パリの街はまさにグレーの色彩がよく似合う。そのトーンの中に生活感や詩情のようなものがあらわれる。告知のための赤い幟のようなものがアクセントになっている。優れた筆力を感じる作品。

 渡邊芳男「あの日の風」。不思議な作品で、上方は雪景になっている。屋根に雪の積もった建物がかたまって、中心に塔のようなものが屋根の向こうに現れて、ファンタジックな世界が生まれている。それに対して近景には、赤い中東ふうな衣装を頭からまとった二人の女性。その手前には、後ろ姿だが、幼児のようなフォルムが見える。地面のベージュの色彩がベージュの砂丘のような空間に向かい、それはそのままうねうねとした雪の積もった地面にリンクしていく。その両側に枯れた樹木のようなものがあり、そこにガーゼを貼って白い絵具を置いた不思議なフォルムが揺曳するように置かれている。人物の左右には菫や青い小さな花などが咲いている。女性たちのイメージの奥に上方のファンタジックな風景を引き寄せるものがあるのだろうか。画家のお気に入りのイメージやフォルムを画面の中にパッチワークのようにしてつないで、独特の心象空間をつくる。クリアなフォルムがそれを可能にする。

 若色和夫「シャッペ通り(モンマルトル)」。モンマルトルのこの石段は日本の画家によってよく描かれている。この作品はその石段を画面の中心に置いてだんだんと下がっていき、その果てに道が壁の左に曲がって消えるといったシチュエーションになっている。グレーの繊細なトーンが壁につけられている。それはそのまま空の淡いブルーの色彩に呼応し、上方の曇り空の向こうに希望のような明るい淡い空が浮かぶというコンポジションになっているところが面白い。

2室

 坂梨とき子「渓流」。左から右に岩のあいだを水が流れている。右のほうはすこしたまりになっていて、空を映して白く輝いている。そんな渓流の一隅をユニークなコンポジションにまとめ、独特の時空間をつくる。

 松本敬子「萬愚節」会長賞。赤い花の咲いた植木鉢。その後ろには黄色い花の咲いた樹木が枝を広げている。バックは青。青、黄色、赤の色彩が鮮やかに画面に配置されて、ハーモニーを奏でる。

 並木望「漂泊」。クラゲが浮遊している。手前に向かったり、後ろのほうに向かったり、左や右に向かったりしながら、その位置もそれぞれで、そのクラゲの動きと位置によって空間が生まれている。背景は海なのだが、それがそのまま上方では星いっぱいの夜につながっている。頭の笠の部分に光が当たっている。黄色く、まるで月のようなイメージで、透明なその下方の身体も白く輝いている。気持ちよさそうに浮遊しながら泳ぐクラゲの様子がそのまま人間の自由に生きていくイメージと重なる。「漂泊」という題名だが、さすらうというイメージに加えて、海と空とが一体化した空間を自由に泳いでいる、その心地好さといった様子があらわれているところが面白い。じっと画面を見ていると、その中に自分自身も引き込まれて、このクラゲの一つとなって浮遊しはじめるような、不思議な魅力が感じられる。

 服部翠「ドルフィンの見える窓」。海からイルカが跳躍した瞬間のフォルムを生き生きと表現している。ダブルイメージのように、その後ろにシルエットを薄くしたもう一つのイルカを置いてロマンティックな雰囲気をつくる。寄せてくる海の様子。淡いピンクや紫の色彩は夕日を受けた色彩だが、波の段差は青黒い調子で、それが画面を引き締めている。

3室

 春名三記子「星を届ける」。赤い空の上にレオタード姿の女性が宙に浮いて、背中に青い球体を持っている。それが星なのである。そこには地球という星のイメージも重なる。最近、環境問題が盛んに議論されているが、地球という大切な星をいとおしむといったイメージもここに重なっているだろう。そして下方には、道や木立などの風景がシルエットふうに表現され、赤い夕焼けのような空が強いノスタルジックな感情を引き起こす。

 源馬和寿「運河黎明」。ヴェニスの光景だろうか。手前にゴンドラや杭が立ち並び、水がすこし騒ぎ、その向こうに宮殿が見える。宮殿には一部イルミネーションされて輝いている。シルエットの中に光がまたたき、水面にそれが映っている。空に月が昇っている。暗い調子の中に緑や青、ジョンブリヤンなどの色彩が独特の魅力を放つ。

4室

 根津太治「FLAMENCO-Ⅱ」。赤い衣装を着たフラメンコダンサー。その向こうには緑の衣装を着たダンサーがいる。そのあいだには歌を歌っている歌手。三人のダンサーや歌手が一つの円状に配されて、空間をつくる。脇役のように男性が一人踊っていて、その後ろにはギターを弾く人がいる。数人の人物を画面の中に配しながら、原色をそこに入れ、生命的なハーモニーをつくる。

8室

 井上拓哉「夢の途中」。針葉樹が道の両側に並び、月の光に照らされた道を猫が歩んでいく。上方にはたくさんの雲が出ていて、あいだに月がすこしのぞいている。幻想的な風景である。懐かしい様子だし、未知なものに向かう旅の途中といった雰囲気もある。独特の強いイメージ表現だし、黒を中心とした一種水墨的な色彩感覚も面白いと思う。

第83回朔日会展

(6月21日〜6月27日/東京都美術館)

文/高山淳

 羽藤朔郎「善光寺周辺の山々」。不思議な青の表現である。空もウルトラマリンの色彩で、山がいくつもどっしりと描かれている。それも青を中心としてすこし緑が入っている。下方に家がいくつか立っている様子がキュービックに描かれている。そばに高い樹木が伸びて、緑の葉をすこし茂らせている。左のほうには塔のようなものがある。モダンである。キュビスムの考え方。対象を幾何学的な形に分解し、再構成する。そういった造形意識が感じられる。がっちりとした山と家と樹木などの構成であるが、山のもつボリューム感がよく描かれていて、そこに使われている色彩は、暗いけれども内界の、心の輝きがある。朝とも夜とも昼ともつかぬ不思議なトーンに染まった光景である。

 羽藤恒郎「静物」。ギターが横になっている。後ろにモディリアーニを思わせるような頭像、壺、水を入れるタンクのようなもの、植物などがあるのだが、フォルムが強く、独特の明暗のコントラストがつけられ、そのコントラストがお互いにリフレインする中に不思議な輝きが生まれる。画家の精神の光がこの静物を染めているといった雰囲気。逆に静物がそれぞれの存在を主張しながら、内部から光を発しているような様子もある。背後の寒色のブルーの調子に対して、黄土系のテーブルの上には暖色の壺や寒色の彫刻、緑の植物などが置かれ、不思議な存在感を放つ。

 羽藤猪佐夫「裸婦二人」。直方体の椅子の上に裸婦が座っている。その後ろには床にじかに腰を下ろして膝を抱えこんだような裸婦をその横から見た姿を表す。不思議な妖精的な力が感じられる。二人の女性が、モデルというより、裸になってぼんやりしているような雰囲気。いわば水墨でいう寒山拾得のような、そんなあやしい詩情さえも感じられる。

 古賀尚子「月夜」井上實賞。白い猫を膝に置いた若い女性。頭をショールで囲っている。後ろの丸いテーブルに猫が四匹。手前のほうにも三匹、あるいは一匹の猫がいて、猫に取り囲まれた不思議なこの女性。猫のもつ強い本能的な生き物の気配ともいうべきものがこの中に集められ、画面の気配となる。そこには現実のもっと奥にある無意識の世界さえも引き寄せられるようだ。窓の向こうに満月が昇っているのも、猫のイメージとよく呼応している。独特の生命感を表現する。

第68回女流画家協会展

(6月29日〜7月6日/東京都美術館)

文/高山淳・編集部

1室

 中川澄子「午後の回廊」。柔らかな穏やかなトーンの中に胸に染みてくるものがある。紫や褐色、オレンジ、カーマインなどの色彩で塗りこまれた回廊。中心にすこし緑の色彩が点じられた庭がある。中庭の周りを矩形に回廊が囲んでいる。アーチ状にあけられた空間を柱が作っている。そして、その間から向こうの回廊の屋根やその上に建物が見え、うっすらと青い空がのぞく。この回廊のある教会は、中世の教会なのだろう。ロマネスクの小さな古い教会のように感じられる。その中で信仰のなかに過ごした僧侶たち。画家もその空間に身を置いて、通常見えていた光景がより深く、より澄んで、その色彩がより鮮やかに感じられる、そのような感覚をもったのではないだろうか。そんな言葉が出てくるような画家の対象を透視する眼差しが感じられるし、その感覚の深さからあらわれた空間や色彩の表現のように思われる。(高山淳)

 北久美子「緑の風」。サトイモのような大きな葉のあいだから上体をのぞかせて、孔雀がその横顔を見せている。葉の上には小さな黄色い花やピンクの花などが咲いている。後方には雀がサトイモにとまって上方を眺めている。そこには蜘蛛の巣があって、蛾が掛かっている。黄金色の蜘蛛がその中心にいる。明るい青から暗い青までのグラデーションの空。左のほうには虹がかかっている。蛾が左のほうに飛んでいる先に、丈の低いその先に白い花房をつけた植物がある。下方の密集する植物のあいだから顔をのぞかせる孔雀の様子。そこにはあるリズムがある。密集した植物、とくにイモの葉のような大きな葉が方向を変えながらその葉を伸ばしているあいだから顔をのぞかせる孔雀の青い首と冠。左側の孔雀は首をひねってこちらを眺めている。無音の世界のようだが、そこに抵抗感のある、たとえば風のようなものが吹いている。それによってざわめきのようなイメージが生まれる。下方の重量感のある二羽の孔雀に対して、ほとんど重さを感じないような青や黄色の蝶がふわふわと左上方に飛んでいく様子が対照され、そのあいだに白い房をつけた植物の花があり、枝が曲がって、そこに重さがあり、揺れているような雰囲気。存在するもののもつ一つひとつを掌の上にのせて測りながらこの鳥や蝶や植物を描いたような、そんな味わいに実に独特のものが感じられる。(高山淳)

 福島瑞穂「CRISIS」。上方には男女が裸で抱き合っている。手前には裸の女性が寝て、右手を伸ばしている先に絵筆を持っている。先に赤い絵具がついている。その下は洗面台で、蛇口からクレムソンレーキのような色彩の水が流れている。下方のドアがあけられて、オレンジ色の空がのぞく。そうすると、上方の男女や女性はこのドアの上がテーブルのようになって、そこにいるのだろうか。ドアのあけられた陰に丸いテーブルがあり、トランペットと骸骨がある。骸骨の眼窩は暗く、中に赤が入っている。重苦しい画面である。グレーの中に髑髏の眼窩の赤や水の赤、あるいは裸の女性の性器の赤や乳首や唇の赤。パレットの上にも赤い絵具が置かれている。それに対して、基本的にはグレーによって構成されたものたちがある。グレーの鏡が壊れている。平和な怠惰な日常。上方の女性の背後の抱き合う男と女もほとんど死体のような雰囲気である。怠惰で平和な安逸な中になにか劇薬のようなものを入れて活性化させたいといった、そんな欲求がしぜんと感じられる。クライシスとは危機という意味であるが、画家はこの現代の平和な日本の中に危機をあえて引き寄せたいといった強い欲求があるのだろう。その欲求がこのような構成をつくったように思われる。それほど彼女にとってこの平和な日常というものは表現にならない、どうしようもない状況のようだ。(高山淳)

 岡田菊惠「彼岸花」。十か月ぐらいの幼児を抱く若い母親。そのフォルムが強い。立体感があり、ポイントポイントが押さえられて、それだけで一つのモニュマンになる。脇役のように彼岸花が咲いている。茶褐色の中から黄土色の色彩があらわれる。周りの状況は消されて、母と子の関係のみが画面に立ちあらわれる。それが一種スリリングな気配の中に表現される。その緊張感ともいうべきものを見事に表現する。(高山淳)

 入江一子「ジュド湖で絵をかく」。画家はシルクロードを若い頃に旅行した。おびただしいスケッチを描いた。その中から最近、作品が生まれてくる。ジュド湖とはどこかわからないが、シルクロードの湖なのだろう。手前にチューリップのような花が咲いている。そばにヴェールをかぶった女性たち。湖には一艘の船が動いていて、そこに一人の女性がいる。はるか向こうに寺院の屋根が見える。山の向こうから黄金色の光が差し込んでいる。夢の中の世界。スケッチブックを開きながら画家はイメージの中に入っていく。そのイメージの中には湖があらわれ、舟に乗る画家自身がいる。そして、いずこともなくそれを照らす光があらわれる。そんな深いイメージを画家は絵に描く。(高山淳)

 馬越陽子「人間の大河―二つの太陽―」。三人の人。いちばん手前の人は太陽を抱きかかえている。背後の人は左手を上方に上げている。その上げている方向に向かって、もう一人の人が右手を上げている。その三人を包みこんで流れる大河。青い水で、それは地上の水でもあるし、天上を流れる形而上的なイメージでもある。そのまま星空のような青い色彩で表現されている。その後ろ側から太陽がいま昇りつつある。まわりはバーミリオン系の色彩で染められている。宇宙にある太陽と人間が自分の心の中にもつ太陽。二つの太陽が呼応するところに一つの運命や肯定的な思想が生まれる。そこには一つの神秘が存在する。画家の深いそのような運命感ともいうべきものの図像のように思われる。この作品を見ながら、画家が二十歳の頃に描いた、もっと小品であるが、太陽を抱えている数人の群像を描いた作品を筆者は思い起こした。(高山淳)

 遠藤彰子「夢に潜みて」。円形の広場でサーカスが行われている。たくさんの馬がいて、サーカスの団員がそこに乗り、そばには自転車に乗り玉を持つ女性。周りではダンスが行われ、黒い犬が集まっている。それを眺める観衆たち。桟敷になっていて、だんだん手前になるにしたがって桟敷が高くなる。その手前は螺旋階段で、階段の向こうには大きな窓があり、窓の向こうにはビルなどが見える。上方に鳥が飛んでいる。螺旋の動きは画家の中に必ずあらわれてくる構図で、その螺旋の下方にあるものが地上であると思うと、地上がぽっかりとあいた水になり、水の向こうが空になるといった、上下が逆転するような構図を描いてきた。今回はそのような螺旋的な構図の中に人々が自由に遊び、踊り、あるいは観客になる。そんな様子が描かれていて、深い哀愁ともいうべきものがそこにあらわれてくるようだ。目的を喪失して、踊ったり、眺めたり、ぼんやりしている人間たちが集合し、そこに犬や鳥が集まってくる。そして、それら全体は傾いている。その傾きかげんに独特の心理的陰影があらわれる。画家は「夢に潜みて」という題名をつけているが、まさにイメージの中に浸透していく画家のイマジネーションがつくりだした時空間なのである。(高山淳)

 浅生法子「野―風わたる」。百合が地面から伸びて、白い花を咲かせている。沼が向こうに見える。草原の向こうに満月があらわれる。しなやかな気高い鳥が地面を歩いている。夢想的なイメージのなかの自然の様相である。季節の枠が外され、花が咲き、沼があらわれ、鳥が地面を歩み、月があらわれ、独特の光が画面全体を照らす。(高山淳)

 徳植久子「朧月」。ヴェニスの宮殿。杭に係留された三艘のゴンドラ。手前には茶褐色の桟橋が伸びている。画面全体を青あるいは緑の深い空間が包む。朧月が大きくあらわれている。柔らかな光が画面全体に差し込み、ロマンティックな色彩を醸し出させる。そんな中に鋭角的な屋根をもつ建物があらわれる。建物を囲む水の深い調子。一艘のボートがそばに引き揚げられている。手前のゴンドラはヴェニスの名物であるが、その向こうにあらわれる建物と一艘の船は、もうひとつ深いところにあらわれた空間のようだ。通常のヴェニスの観光的な風景の奥に、もう一つの魂のヴェニスともいうべきものがあらわれた。そんな様子を画家は画面の中にそのイメージを広げながら表現する。結界の中に存在する建物と一艘の船。とくに白い船の様子は見事な脇役となり、画家はこの船に乗り夢の中を旅するのだろうか。(高山淳)

 関口聖子「庭空間」。画家は発生途上の植物に対して常に関心をもってきた。今回は、そんな様子がより発展して、白い花や赤い花が咲いていて、その咲いた花によって不思議な橋がつくられ、橋の下方にぽっかり空いた空間があらわれた。その空間は様々な可能性の存在する空間であり、そこには何も描かれていないが、ある不思議な充実感のなかに膨らんで、膨張しているかのごとき様子である。現在進行形のいま咲いた花に囲まれたその空間は、画家のもつロマンティックな思想そのもののように思われる。何も描かれていないその空間が周りの花以上に強い存在感を発揮する。(高山淳)

 服部圭子「景 '14」。画面全体に赤が施され、下方と上方は暗色である。その色彩の層の中に一人の座った女性が描かれている。女性も赤い衣服を着ていて、それが背景に溶け込んでいる。激しさの中にどこか落ち着いた感情がある。女性の中にある感情、存在そのものを強く発信してくる。これまでよりもさらに精神の奥に踏み込んだような、無言劇的なおもしろさを湛えた作品である。(編集部)

 堀岡正子「刻」。樹木が屈曲しながら伸びていく。その伸びていく樹木が上方では水に映る影のようになっている。実が虚に変ずる。上方の虚と思った空間が下方では実になる。虚と実を画面という虚の上に表現しながら、イメージのうたともいうべき空間をつくる。(高山淳)

 宮原麗子「チンチョン窓辺」。画家独特の褐色の色彩に安心感がある。テラスの前に見える大きな屋根。その向こうの民家の屋根と白い壁。そして、緑の野原があり、その遠景に茶褐色の大きな建物が左右に広がっている。チンチョンはスペインのある街だという。この作品を見ていると、なにか懐かしい雰囲気が漂う。それはどこから来るのかわからないが、このオレンジ色に近いような褐色のもつ色彩の輝きと同時に、その向こうにあるテールベルトふうな緑の草原の色彩、あるいはベージュに染まった空から来るのだろうか。がっちりとしたスペインの街と空間が、そのようなノスタルジーに染められた心情のなかに表現されているところが面白い。(高山淳)

 佐藤みちる「光の彼方」大住閑子賞。メカニックなものが集合しながら風景をつくっているようだ。向こうには水が白く、輝くようなイメージが生まれる。若々しい作品である。すべてがガラスでできたようなこの空間の中にキラキラした光を引き寄せる。夜空の下に、月が照らしているかのような翳りがある。お互いのフォルムは連結しながら、ある有機性をもつ。絵の上につくりだした画家のもう一つのアナザーワールドと言ってよい。(高山淳)

 當間菜奈子「丘の上、E─1」損保ジャパン美術財団賞。シーツや毛布などが重ねられたり、しわになったりして、そこに窓から光が当たって、柔らかな陰影をつくる。そのしわや盛り上がったところ全体でなにか風景的要素があらわれているから、「丘の上」という題名を画家はつくりだしたのだろうか。シーツ、寝室の中の一隅がそのような風景的な要素に変容する。若々しい感性だと思う。また、光というものを見事に画面の中に引き寄せているところにも感心する。(高山淳)

 竹岡羊子「Showwindowは招く」。ヴェニスのお祭りによく見かける仮面がいくつも置かれている。その一つひとつが実におもしろく見応えがある。中央には燭台が置かれていて、その上方には大きく口を開けた白いマスクがかけられている。そのマスクの表情が、鑑賞者の好奇心を強く刺激する。ドキッとするような凄みがある。画面全体は竹岡作品特有の赤や紫、黄の色彩がセンス良く施されていて、ヴェニスの祭りを彷彿とさせるようだ。正方形の画面の中に確かな構成力でそのイメージを描き出した、これまでにあまり見たことのなかった作風としても注目した。(編集部)

 前田さなみ「献花 母の胸に来よ」。津波で亡くなった人々。3・11の津波からもう三年目になる。水の上に白い百合の花を献花する天使たち。白い衣装を着たグレートマザーが十数人の子供を抱えこみながら、一緒に湖に献花している。女性の子供たちや女性たちの写真が水の中に揺曳している。画家の強いヴィジョンによってつくられたコンポジション。戦争で日本の都市が爆撃され、炎と燃え上がった中を逃げまどった経験をもつ画家であるからこそあらわれたヴィジョンと言ってよい。(高山淳)

2室

 児玉沙矢華「落ちる噓」。少女が横になっている。白いワンピースを着ている。ところが下方は鏡でできていて、鏡にたくさんの亀裂が走っている。そこには建物のようなフォルムが映っている。手前には壊れた廃棄物のようなものが取り巻いている。この少女を取り巻く困難な現実。それをこのようなシチュエーションの中に表現する。この少女の横になっているガラスに空が映っている。オレンジ色の残照のような世界であり、そこに希望を入れこむようなイメージも感じられる。しかし、周りの亀裂の走ったガラスの世界は実に激しい環境で、それに取り巻かれた少女のイメージには痛々しいものがある。割れたガラスでこの少女は顔を隠しているのだ。(高山淳)

 黒沢裕子「慈」。負傷した人物を癒すように抱える天使のような人物。たくさんの管が傷口へと続き、治療している。そういった生々しさが、偶像で表現されていることによって、逆にリアルなイメージを運んでくる。無機質の中にある温もりという相反する要素が一つの画面の中で重なり合っているところが見どころである。(編集部)

 小野口京子「かなたへ」。ケシの花がたくさん咲いている。周りの空間は水墨ふうな表現になっている。紙の上に水墨と水彩、パステルによる表現である。独特のダブルイメージで、ケシの背後の明るい空間はそのまま水に映った世界のような様子で、そこにある光景は上下が逆になっているといった雰囲気もある。そこに咲くケシの花に独特の魅力がある。(高山淳)

 郡桂子「海神」。「海神」という題名を見ると、このイスラムふうな衣装で身を包んだ女性は、海の中から生まれた存在なのだろうか。青い衣装の中に紫色の肌をして、黒い空洞の目。孤独なイメージである。周りは暗く、女性を取り巻く色彩はカーマイン系の赤黒い調子である。深い孤独のなかから生まれたイメージが鑑賞者を誘う。(高山淳)

 宮原むつ美「HILERA DE CASAS(いえなみ)」。赤い屋根。ベージュの壁。白い壁。建物がお互いに組み合いながら、だんだんと地面が隆起するにしたがって高くなっていく。空は深い青。広場に裸木が二本立っている。しっかりとした幾何学的なコンポジションである。建物をキューブに捉えて、それを組み合わせながらがっちりとした構成をつくる。そこに光が差し込み、陰影があらわれる。建物の幾何学的なフォルムに対して、手前の広場の二つの樹木の形。まるで手のようなその二つのフォルムが周りのフォルムと対照されて、独特の絵画としてのドラマをつくる。(高山淳)

3室

 小石川宥子「流風」。画面の右上で一羽の鳥が卵を摑んで飛んでいる。左下には三つの卵が入れられた巣がある。背後には大きな樹木が立ち上がり、左奥には水面が見える。そして画面の中央には褐色の色面がある。大樹の持つ遙かな時間の流れ、鳥や卵の儚い命、悠久の水の流れ。そういった時間というものの不思議を、生命というもう一つのキーワードで繫げながら、深い情感を引き寄せている。(編集部)

 吉川和美「午後の時空」。イタリアにはこのようなライオンの噴水がたくさんある。水がそこから噴き出している。その水の流れてくる様子がそのまま深いドラマ性をはらむ。両側に箱を重ねたようなフォルムがあらわれているのが面白い。このシリーズの新しい展開を予想させる。(高山淳)

 畠山恭子「祭りの後に吹く風」。みかん箱の上に和人形がいる。その左のほうには目を布で覆った顔がカーテンの向こうに見える。衣装が垂れている。関節人形的なフォルムが、そのカーテンのあいだから現れる。柔らかな風。しかし、必ずしもそのように言うこともできず、画家は東北にアトリエを構えているが、この前の津波が陸地を覆った衝撃もこの作品の背後にはあるようだ。どこか神道的な世界。文楽人形的なフォルムがところどころ前述したように見え、それが生きていることの証拠であるし、人間の生命の、あるいは文化の、気配を表す。その上を覆うかのようなダイナミックなもう一つの動き。ひっそりと語り継がれ、相続されてきた田舎の祭り。そんなイメージがしぜんとこの作品から感じられる。(高山淳)

 広瀬晴美「2014私的風景―Ⅰ」。二つのチューリップ。赤と黄色の斑。白と紫の斑のチューリップが巨大に描かれている。背後の緑の植物はぼかされている。ちょうどカメラで二つの花びらにピントを合わせたような、そんな表現になっている。カメラアイを画面の中に引き込んで、ダイナミックな空間をつくる。対象に接近することによってあらわれてくる強い形が、画面の中にピックアップされる。(高山淳)

 宇佐美明美「歴風に晒されて」。砂丘が向こうまで続いている。そこに不思議なことに船が現れた。砂丘の向こうには海がある。あの海を航海してきたのだろうか。これまで砂丘の中に杭や柵は現れてきたが、船が現れてきたことは初めてである。しかも、そこには四つの櫂も平行して置かれている。かつてここで行われた歴史の一端がその砂のあいだからあらわれたのである。光がその光景を照らし、輝かせている。砂丘の中に現れてきた船は強い印象を醸し出して、その謎を語りかけてくるかのようだ。(高山淳)

 早矢仕素子「風の記憶―Santa Maria Assunta―」。素朴な教会。上方のアーチ状の龕の中にはキリストと両側の二人のマリアと思われる像が見える。手前の柱頭にもマリアの像があらわれる。空はベージュ。鐘楼が立っている。この街には誰一人ひとは存在しなくなったかのような不思議な不在の気配がある。その中によりあらわれる信仰の象徴としての教会や聖人の絵。信仰と不在という二つの要素を画面の中にあらわにしながら、その意味を問い掛ける。(高山淳)

 日下部淑子「天空に祈る」。岩でできた教会のような素朴な存在。手前にすこしピンクを帯びた白い花が咲いている。また、この岩のフォルムの後ろにドローイングの花がつけられている。素朴な人間の歴史に思いを馳せながら、画家はこのコンポジションをつくったのだろう。右下にアコヤガイが立てられているのもユニークで、その中に育つ真珠のような、人類にとって大切なものを画家は暗示的にここに表現した。(高山淳)

 手塚廣子「時 2014」。キャンバスの上にコンテや鉛筆、黒い絵具などを使いながら、不思議な図像を描く。サングラスをかけた少女とキングのような帽子をかぶった青年。サングラスをかけた女性もクイーンのようなフォルムである。そこに装飾的な鶏のようなフォルムが描かれる。想像力の中にいる若いクイーンと若いキング。描くうちに、それを取り巻く衣装は植物に変化し、砂地に変わり、小さな動いていく球体のようなものがあらわれ、サングラスは壊れ、男の目から涙が落ちてくるといった様子である。何を描いているのかわからないのだけれども、新鮮な雰囲気がある。渾沌として現在進行形の状況で、動いていくなかにあらわれたイメージ。(高山淳)

 本田昌子「遺された言葉へ」。キャンバスが切られて、キャンバスの内側にある、黒い空間があらわれる。もあもあとした繊維がその上にコラージュされる。花びらを思わせるような茶褐色のフォルムがそこにつけられる。深い感情の世界。表面の奥にあるもう一つの恐ろしい現実が顔をのぞかせる。上方にあるものはだんだんと風化し、浸食されていき、徐々に一つの存在の深淵ともいうべきものが姿をあらわしつつある。(高山淳)

 中村智恵美「薔薇のある静物」。サテンのような布によって覆われている空間。そこにガラス器が置かれ、薔薇の花が盛られている。下方には白やピンクの花が置かれているし、青いサテンの布に対して銀灰色のサテンのそばには林檎がある。それらがオールオーバー的に表現され、緻密な独特の空間が生まれる。対象のもつ力、その存在を十全に生かしながら、静物というにはあまりにも力強いダイナミックな空間をつくる。(高山淳)

 石倉郁美「VOID」。洞窟の内部から洞窟の外を眺めている。手前には水のようなものが見える。洞窟の向こうは海なのだろう。洞窟の中に寄せてきた海の痕跡。何万年、何十万年と続いてきた営為の跡。その浸食したあとのディテール。時間がそこにお化けのようにあらわれてくる。時間という不思議な存在を、この洞窟を通して表現する。(高山淳)

4室

 佐々木里加「HYPER BRAIN CYBERNETICS」。人間の脳髄がハイパーブレインとなる。あるいは、その周りのIC回路がそのまま巨大な都市空間を表す。その中をブレインが走っていく。そのような現代のパソコンによってつながれた巨大な地球全体のネットワークともいうべきイメージを、コンピューター・グラフィックスによって表現する。右下にはその一部を立体化してレリーフ状に置く。(高山淳)

 渡辺記世「華々想々」上野の森美術館賞。ダイナミックな表現である。赤く彩色された樹木の一部をこの空間にコラージュして、まさに華々想々。グレーの風の空間の中に断定的な赤い、太陽からその破片をもぎ取ってきたような、そんなイメージのものをコラージュする。そこにあらわれてくるダイナミズムが興味深い。(高山淳)

 伊東博子「オレンジの海」。画面の上方から暗色、オレンジ、赤、青の色面が施されている。それぞれの間にはグレーや白が細く入れられている。クリアな色彩感覚が心地よい。それらが強い心象性をはらんだ内的な風景として立ち上がってきて、鑑賞者を強く画面に惹き付ける。(編集部)

 佐藤幸代「DIARY '14」。正方形の画面の中に、上方はベージュのキメ濃やかな肌の空間がつくられ、下方には上下三列、左右十列の矩形がタイルのように貼られ、三十のタイルの中に微妙な陰影がつくられている。その中に青い地球のイメージが置かれている。上方は太陽が静かに沈もうとしている。そのあいだに黒いカーヴするドローイングの線が繰り返されて、地球と太陽、二つの星がこの平面の中に対置される。地球のもつ青々とした深い地上のイメージ。それは三十のタイルのたらしこみふうなリフレインする調子の中にも表現される。それに対して広大無辺なベージュの空間の中にオレンジ色の星が動いていく様子。(高山淳)

 吉江麗子「花たちをのせて、R号 宙へ」。画家のつくりだした宇宙船である。そこには薔薇、星、ハートがつけられている。柔らかな紙によってつくられたような質感。そこに銀灰色の色彩が塗られ、柔らかなピンクの薔薇、青いハート、黄色い星、不思議なマスクのような宇宙船の表面。ロマンティックでありながら、存在感を醸し出す乗物。一つの詩を形にする。(高山淳)

 上條陽子「阻害」。画家はこの前ガザ地区に行ったそうである。イスラエルとアラブが対立する場所である。たくさんの無辜の人々が殺される様子、あるいは阻害され、破壊される様子。そのような様子を、弱者への阻害という普遍的な存在に高めて表現した。黒い中に白によって画家のつくりだしたフォルムがなまなましい。赤のコラージュによる罰点がその上にところどころされている。重層的な矩形のフォルムを組み合わせながらつくりだした空間が力強い。黒の中に白い人間のフォルムが逆の陰画のようにあらわれる。白く晒されたようなその人間のフォルムが、黒い背景の中に浮かび上がってくる。強い造形表現である。(高山淳)

 高尾みつ「水田」。柔らかな白。テールベルトふうな柔らかな緑。あるいはサップグリーンを明るくしたような緑。見ていると、癒されるような色彩である。画家は水田からこのようなイメージをつくりだした。幾何学的な抽象形態である。それは画家が繰り返し試みてきた造形であるが、その造形によって何百年も耕され続いてきた水田のイメージが柔らかく懐かしく表現された。(高山淳)

 継岡リツ「特別な時間(天空へ)」。白い正方形の画面の右横にパネルを裏がえしたようなフォルムがつけられている。白い空間の中には下方にサタン(土星)、ヴィーナス(金星)、マルス(火星)、そしてエロスという文字が見える。上方にはレダ(白鳥座)。その上にはイカロス(イカロス座)。その横にはXVI─16・という文字も見える。5、10、7、12、4といった文字も貼られている。何が描かれているかよくわからないが、天空の星座をイメージしながら、なにか張り詰めたものがある。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読むと、あれは死の世界を進む列車であるが、そこでは様々なものが鉱物化して結晶し、すべてのものの動きが止まる世界があらわれている。この作品を見ると、そのような静止した存在、星座と化した死の世界が描かれているように感じられる。その特別な時間が造形的に表現されているといった印象をもつ。右のほうには地上の命、地上の様々なことがメジャーのように、そのパネルを裏返したような木枠に朱によって切り込みが入れられている。そのメジャーのようなフォルムは実は白い中にも置かれていて、二つは呼応する。あるいは、そのメジャーはいわゆる易のもつ形とも共通したものがあるのかもしれない。(高山淳)

 山寺重子「祝祭 '4─6」。キャンバスの上にピンクやオレンジ、ブルー、黄色などの色彩が置かれ、それらは球形でお互いに関係をもちながらV字形に上方に伸びていく。独特の生命の力を激しい原色に近い色彩の中に表現する。内側から光がだんだんと集まり、輝いてくるような力があらわれる。(高山淳)

5室

 生駒幸子「個人の時間」。三階建てか四階建ての白い壁の建物。その前を通る道。下方の女性の胸像。ミラーにのぞく疾走する道。上方から電球がぶら下がっている。外から見た光景と思われたものが、そのまま内界の、室内でのイメージに変容する。部屋の中で夢想する空間とその建物自体を外から見ながら疾走するような動きとがクロスするところに、この作品のコンポジションが生まれる。その造形力に注目する。(高山淳)

 渡部さなえ「置き忘れたもの」。赤いバイクに乗るセーラー服の少女。荷台には妹が乗って、運転する姉にしがみついている。犬がそばでジャンプする。弟が縄跳びをしながら宙に浮いている。下方に森ビルのような高層ビルが斜めに立っている。背後にクレーターのある月のようなフォルムが見える。人工化された都市空間の中に人間の忘れた力強い本能のような力、あるいは暴力性、あるいは月のイメージなどを引き寄せながら、独特のダイナミックなコンポジションをつくる。高層ビルを傾かせながら、人間復活ともいうべきイメージを表現する。(高山淳)

 目黒礼子「実験室」。目玉、腸、手の骨、コガネムシ、シャクトリムシ、蝶などがビーカーの中に置かれていて、その上にガラスの円形の台があり、人間の骸骨がそこに座っている。ガラスの円形の台は上方にあって、そばに洋書が置かれている。まさに実験室のイメージである。人間の知的好奇心ともいうべきものを一つのドラマのように表現する。ガラスの円形の台を上方にいくつも重ねながら、独特の構図の中に表現する。(高山淳)

 野中伊久枝「悠悠」。カバが水の中を泳いでいる。親子のカバのようで三頭ほどいる。のんびりとした穏やかな雰囲気である。また、この水全体の重量感をよく表現している。手前の母親のカバと思われるそばに青空と白い雲が映っているのが、ピースフルな雰囲気である。人間の母親を描く以上に、このカバの親子は自然というもののもつ圧倒的な存在を表す。(高山淳)

 須藤美保「香華幻奏」神戸文子賞。金箔を背景にして艶やかな女性像が描かれている。花々に囲まれた三人の女性は、美しさの象徴である花と同化しているようだ。繊細に色彩を扱い花々を描きながらも、そこに深い暗色を効果的に施し、抑揚のある画面を作り出している。そうやって描かれた花や女性が全体でさらに一つの大きな花のようになっているところが特におもしろい。美というものを深く考察しながら、それを独特の見せ方で表現している。(編集部)

 桑野幾子「'14 心の旅」。実に細やかに描き込まれた編み目が画面全体に広がっていて、その下方に深い暗色の色面が大きくとられている。そしてほんの少し、赤と黄色の色彩が入れられている。モノトーンの色彩の中で、その赤と黄色が気持ちのよい感触を生み出している。編み目はある部分ではやわらかく、ある部分では緊張し、波打つような姿を見せている。それが常に変化する心象を強く表現しているようだ。自身を内観し、それを描き出す画家のライフワークともいうべき作品が、鑑賞者のそれと緊密にリンクしながら一つの絵画作品として立ち上がってくる。(編集部)

 村本千洲子「刻」。横になっている女性。輪郭線の外側にもう一つの顔が生まれてくる。横になり、立ち上がり、また居眠りをする。フォルムが動いている。上半身の女性のフォルムを描きながら、独特の拍動するような命のうたを表現する。人間を描くだけでなく、そこに流れていく時間を引き寄せた人物表現であるところが面白い。(高山淳)

 片山紘子「生」。画面の中央にいくつもの蕊を思わせる触手があり、そこから小さな黄色の玉が生まれていっている。その危うくも力強い生命感が強く印象に残る。燃える炎あるいは大きな花を思わせる周囲のフォルムが、そのまま母性に繫がるような感覚もある。いずれにせよ、独特の色彩感覚とイメージの力が、強いメッセージ性を作り出している作品である。(編集部)

 小梶恵子「Metaphor Alice」。アリスが室内に戻ってきた。あの穴の中で活性化したウサギは縫いぐるみになって静かに腰掛けている。トランプが行われている。テアトル(劇場)という文字の描かれたフォルムの空洞の部分のそばにアリスはいて、蝶を手の上に載せてこちらを振り向いている。上方には四人の女性たちがそれぞれ衣装を変えて、大きな目を見開いて並んでいる。カーテンが下りた背後は暗い闇で、その闇はテアトルの口をあけた闇と通じるのだろう。トランプ占いをするもう一人の女性。謎をかける独特のコンポジションである。(高山淳)

 鎌田令子「日の名残」。大きな鉄製のフックを中心に画面が展開している。それには植物の蔦がからまっている。長い時間放置されてきたのだろう。今は人の出入りすることのないこの場所が、以前の活気の名残を漂わせているところに、作品としての深い余韻が作り出されている。どこか寂しく、切ない感情が、鑑賞者の心にしみわたる。(編集部)

 岡田豊子「時から代(とき)へ~'14~」。地面の上に木の葉や松ぼっくりや枯れたもの、様々なものが堆積している。上方には樹木が地面に接している部分の様子が描かれている。木漏れ日のような光が当たっている。緻密に描きこまれたこの堆積物には圧倒的な存在感がある。時の堆積した結果、あらわれたものたち。すべてのものは滅びていくのだけれども、実は滅びずにそのまま残っていくといった逆説的な意味合いが、この堆積物からしぜんと感じることができる。そんなヴィジョンをリアルに一つひとつのものを描くことによって表現する画家のイメージと筆力に注目した。(高山淳)

 上杉さなゑ「遠雷  ノー・ウォー」。両側には壊れたコンクリートなどの瓦礫の山である。その合間に三歳ほどの少女が白い鳩を胸に抱いている。背後に母鳥のような鳩が翼を広げている。その母鳥はまたこの少女の背後に存在する母のイメージだろう。そして、母は「ノー・ウォー」と言う。戦争お断りである。平和を願う心持ちを、少女を画面の中心に置いて強いコンポジションの中に表現した。柔らかな光が射している。その光は清らかで、聖なるものの存在を暗示する。(高山淳)

 丹羽久美子「時の記憶」。赤い着物を着た二人の中年の女性。二人は踊っている。後ろには巨大な樹木が立っている。公園には雑草が生えている。手前は池になっている。二人の女性の背後に巨大な植物の葉の変形したものがある。そう思って見ていると、この二人の女性もどこか樹木に似ている。独特の植物的空間と人間とを組み合わせたところによるコンポジションが興味深い。二人の女性はあやとりをしている。自然や時の謎をあやとりに託して問う。(高山淳)

 大塚章子「主よ憐れみたまえ」。上向きに寝て、すこし上体を起こした女性。その上から手を添えて、支えている女性。その足のほうに身を屈めて接吻をしている女性。二人の女性にいたわられている女性は手に何か袋に包まれたものを持っている。それはこの女性が生きてきた命の目方のようなものだろうか。たとえば彼女が一生を費やして行ってきた善行がこの袋の中に入れられて、その重みを差し出しているかのようなイメージが感じられる。エジプトの浮き彫りからヒントを受けたような、平面的なフォルムを組み合わせながら、そのような深い宗教的なテーマを表現する。(高山淳)

6室

 平野マチ子「清風清水(再会への感謝)」。横長の画面が直線によって区切られている。いちばん暗いところはほとんど黒に近い青である。上方にスカイブルーのような青が浮かぶ。その下には清水が入ったような矩形の容器のイメージがあらわれる。その下方は青と白と混色した空の空間のような雰囲気で、気流のようなものが舞い上がっている。その気流のようなものは右のほうにも傾いて動いていって、山の上の乱気流のようなイメージを表すようだ。その周りは暗い空間になっている。海から蒸発した水は空に上り、雨となって地上に下り、川をなす。水は循環しながら、時には嵐にもなるし、人を潤す飲料水にもなるし、井戸にもなるし、あるいは畑を耕す灌漑の水にもなる。そういった水の性質を画面の中に引き寄せて、鑑賞者を癒そうとするかのような不思議な空間である。それは画家自身が神道的な世界に立って祈るところからイメージされる空間と言ってよい。中心から翼のように左右に広がっていくダイナミックな動きの中心に、ひっそりとして透明なきらきらとした水のもつ不思議な性質が一片の詩のように表現されているところが興味深い。(高山淳)

 川口智美「Amaryllis Time」。柔らかな光が満ちている。ピンクのアマリリスがいくつも花を開いている。柔らかな緑のシャープで優雅なカーヴをもつ葉。大きなトンボがそばに飛んできている。バックのピンクや明るい緑の色面。トンボになってみると、この花の香りに包まれて恍惚とするだろう。独特の香りも含めた色彩や光の魅力を表現する。(高山淳)

 ふじいあさ「架空園(プロローグ)」水野恭子賞。人体的な要素を孕んだ白く長いフォルムが大きく描かれている。空中にはビーンズが浮かび、大地には卵がいくつか置かれている。一つの卵からは蕾をつけた芽が伸びてきている。この画家特有の世界観が展開されている。鮮やかな色彩で描かれたビーンズが小気味よいテンポを作り出し、作品に緩やかな動きを与えている。そういった中で、どこか不安な要素が感じられるところもまた興味深い。(編集部)

 小村井文江「輪」。大きな水紋が画面いっぱいに輪を広げている。その動きが実に繊細に表現されている。画面の上の方から色彩の層ができていて、赤、黄、緑、青、紫と徐々に変化していっている。その波紋と色彩の重なりがオリジナリティのある表現として注目される。画家のやさしくあたたかな心持ちをそのまま表現したかのような、そういった魅力に溢れる作品である。(編集部)

 辻井久子「栖の静物」。様々な植物の大きな葉や小さな葉、あるいは樹木の断面である板。そんなものが集まる中に明暗が生まれ、自然の一隅がこのテーブルの上に移されたかのごとき感がある。その中にやがて種が落ち、新しい命がよみがえるような、独特の空間が生まれる。「栖の静物」とは実に心憎い題名で、この絵の内容をよく表す。(高山淳)

7室

 髙橋恭子「記念日」。花束を持った女性が立っているが、腿のあたりで切られ、後ろに集落のように建物の連続したフォルムが見える。バックは赤く、上方の雲のようなフォルムの中にも集落が見える。上下の集落のあいだを赤い空間がつなぎ、それを背景にしてブロンドの女性が白い花束を持って立っている。この女性のもつイメージには、教会の中からあらわれてきたようなイコン的な性質が感じられる。(高山淳)

 天児奎子「2014 篁」。たくさんの竹が上方に向かって伸びている。ヴォリューム感のある葉は風に揺れながら静かに動いている。その繊細な様子を淡々と描いているようだ。明るい緑から黄、背後の青の色彩はやわらかく扱われていて、画面全体で気持ちのよい情景が鑑賞者の前に立ち上がってくる。(編集部)

 大和久子「遠い日」。壊れかかったような石を積んでできた建物のあいだの雑草の生えている空き地に、巨大な焼却炉のようなものが描かれている。強い存在感が感じられる。両側の建物も工場のような雰囲気で、巨大な煙突が伸びているが、手前のこの赤褐色の煉瓦造りの焼却炉や黄土色の地面などのもつ雰囲気は、実にあやしい。死体を焼いているような気配が感じられる。イメージの力に注目。(高山淳)

8室

 沢藤馥子「遠い国」。白いテーブルの向こうの壁がアーチ状にあけられて、その向こうに大地が広がっている。遠景には煉瓦色の建物も見える。遺跡のようなものがあるのだろうか。はるかな憧れのような世界がそこに描かれている。白いテーブルの上には壺に白やピンクの花がたくさん盛られている。あるいは、皿にはザクロのようなものが置かれ、蓋のある器もある。その器などはどこかオリエンタルな雰囲気である。レースの布の白い色彩、花瓶の白い花、白い雲というように、白が微妙に変化しながら空の向こうに続いていく。静物と風景とが連結された、夢を見るような空間があらわれる。(高山淳)

 中田やよひ「sur la table」。上品な空間である。柔らかなベージュ系のトーンの中にテーブルやバックを大きく捉えて、その中にぽつんぽつんと洋梨や葡萄などが置かれている。それを包みこむ空間が魅力である。柔らかく光線の中に立ち上がる洋梨や葡萄などのフォルムにも独特のセンスのよさが感じられる。(高山淳)

 中敬子「白い森」。白い色をした樹木がたくさん立ち並んでいる中に、褐色のワンピースを着た女性が立っている。左の掌に青い鳥をとまらせている。青い鳥は地面にも二羽ほどいる。チルチル、ミチルの青い鳥の物語は、誰もが昔よく読んだものだ。そういった身近に実は大切なものがあるという青い鳥のイメージなのだろうか。画面の最も下方にある雑草のくねくねとしたフォルムも、不思議な印象を醸し出す。樹木に囲まれたこの女性は、この風土と深く関係をもった妖精的な存在のようにも感じられる。(高山淳)

9室

 伊東洋子「刻―2014」。画面を矩形で分割し、その中にDNAの螺旋のような不思議なフォルムを描く。黒の中の螺旋。グレーの中の円弧。それらが絡み合いながら独特の曼陀羅的な空間を表現する。(高山淳)

 よだみちよ「音細胞0014─1」。音によって半球になったり、平面になったり、球体になったりといった不思議な雰囲気のフォルムが、赤をバックにして描かれている。赤の上にネットのようなものが張られ、そこのきらきらとした量感のあるフォルムも面白い。優れた造形感覚だと思う。(高山淳)

 中嶋しい「トロイアの雄鶏」織田彩子賞。ギリシャ時代の兵士のフォルムが繰り返し描かれ、だんだんと大きくなってくる。右のほうには時を告げる雄鶏のフォルムも線描きで描かれる。中心にオレンジの円形のフォルムがあり、円はだんだんと増幅しながら朝の青い空間の中の雄鶏のフォルムにつながっていく。透明な空間の中にギリシャのもつ澄明なイメージがあらわれ、兵士のもつ健康な力ともいうべきものが引き寄せられる。(高山淳)

 橋本とも子「綺羅白昼夢」。板のキャンバスの上に十枚の小さな板のキャンバスを置いて、そこに結婚式の時の夫婦、子供の七五三の時と思われるころの集合写真、あるいは肖像ふうな若い女性の着物姿、あるいはドライフラワーなどを描き、金銀の色彩をそこに配し、独特の霊的な空間をつくる。画家のお母さんが亡くなってすこしたつと思うが、時間がたつにつれて母親の思い出はより強くなって、このような画面を描かせたのだろうか。過去の時間がこの画面の中に浮かび上がってくる。それを画家は貴重なものとして画面に荘厳するように表現する。(高山淳)

 照山ひさ子「Domani '14-III」。厚い褐色のマチエール。そこに文字や数字が描かれている。綿毛のようなものが飛んでいる。イタリアにしばらく住み、その歴史のある建物や空間の中に身を置くことによって生まれたイメージである。過去が過去として死んだものではなく、現在に浸透してきている。それはそのまま次の未来というものが現在に引き寄せられることになり、そのような過去と未来とが浸透する現在を、この壁の上に表現しようとするかのようだ。独特の詩的ヴィジョンと言ってよいかもしれない。(高山淳)

 浅羽洋子「Rain II」。すこし傾いたストライプが紫の柔らかな色彩で置かれ、それに対して逆方向にすこし傾いた黒やグレーのフォルム、あるいは白い線。それらがお互いに関係をもち響き合いながら、優雅であると同時に美的でもある、そんな空間をつくる。一種の音楽的な感興さえも覚える。深い心の領域から表れたイメージ。ロマンティックな華やぎのようなものが画面に漂っているところも興味深い。(高山淳)

10室

 梁田みい子「浸食 14─3」。シャープで独特の生命感のある有機的な形が画面から浮かび上がる。(高山淳)

 後藤玉枝「私の砦」。大きな魚の骨と人の足の指。ロープ。リングの中に鳥の頭がのぞく。グレーのスカーフをしている。すべて白く、とくに鳥は石膏のようなイメージで描かれている。一つの結界の中に守られている鳥と言ってよい。フェイクなものが実際の存在以上にイメージとして、生きたものとしてあらわれてくる不思議さ。柔らかな光が当たって、その光のグラデーションもこの作品の魅力。(高山淳)

 西益子「卓上の静物 Ⅰ」。緑が主調色となって、バケツのような容器の中に林檎などの果物のフォルムがのぞく。後ろにカスミソウのような花。シェリーグラスのような器。ボトル。キュービックな処理のフォルムの中に緑と紫の色彩。メランコリックな気配の中に不思議な華やぎが感じられる。(高山淳)

 前田充代「想花 Ⅰ」。黒いスリップをつけた女性を後ろから描いている。両手を上方に置いて、向こうの黄色い壁につけたかたち。周りに黒い百合の花が咲き乱れて、その花弁が鳥のような雰囲気。モノトーンの中に黄色い矩形のバックの空間。それを背景にして女性の背中や百合の花の形に独特のリアリティがあることと、構成力に注目。(高山淳)

11室

 中嶋紀子「SLIDE FACE 2014-A」。若い女性の顔が画面いっぱいに描かれている。遠くから見ても強い印象をつくりだす。二つの目の上下にたくさんの目が連続している。仏顔のようなイメージも感じられる。仏顔と赤い口紅を塗った現実の女性とが不思議なかたちで重なり合う。(高山淳)

 駒本展子「感謝」。赤い牡丹が大きく画面に描かれている。クリアで、葉や牡丹のフォルムが強い。そこにアゲハチョウが飛んでいる。油彩画による花鳥画の趣であるが、そのクリアな造形力に注目。(高山淳)

 九十九由紀「夜のペンギン」。コーヒーとウイスキーを出す、いわゆるスナックの名前がペンギンである。その店の外に自転車が置かれ、窓には灯がついていないから、いまクローズなのだろう。それを道の手前のほうから眺めている。その建物と自転車、あるいは大きなペンギンの名前の入れられた屋根とこの建物に、不思議な魅力がある。ピタッと絵具が画面についている。しーんとした気配のなかに醸し出される独特の力は何か。客観的に描きながら、強く心の中に響いてくる不思議な力をフォルムに与える作者のイメージの力に注目。(高山淳)

12室

 加藤舞子「夢のあとさき」。屈曲する樹木の幹と枝。そのカーヴする樹木の形によって囲まれた中が暗く、そこに白いススキのような植物が見える。その黒い部分は丘のシルエットで、その向こうに雑木が立っているようだ。地面や植物といった自然のもつあやしさは、たとえば夜そこに入ると実感できる。それを画面の中によく表現する。(高山淳)

 池田しょう「層の記憶 A」。ほとんど抽象表現であるが、独特の空間の奥行とそこに出てくるブルーとオレンジの色彩のコントラストが力強く迫ってくる。(高山淳)

 小林玲子「刻 Ⅱ(遊びのあと)」。砂浜に子供の遊んだ跡がある。丸い山とその上方にはトンネルがある。山には怪獣の絵が描かれている。その砂浜の表情が、やさしく、繊細に表現されている。描かれていない子供たちに対する、画家の温かな目線が強く感じられるところが興味深い。やわらかな色彩の扱いにも注目する。(編集部)

 本間夕子「黄昏のコットンハーバーと猫達」。インターコンチネンタルやランドマークのビルが遠くに見える。岸壁にたくさんの猫がいる。その猫のかたちが面白い。現在の若い人は昔の絹本に線描で描いた頃のような雰囲気で、量感というより気配のようなもの、あるいはディテールを生き生きと表現するが、同じような性質をこの作品から感じる。遠近感のある空間の中に数匹の猫を描き分け、独特の気配を画面の中に漂わせる。(高山淳)

 髙久真弓「ねんね」。一歳から二歳のあいだぐらいの男の子が枕の上に頭を載せて寝ている。それを画面いっぱいに大きく描く。この子の寝息が聞こえてくるような臨場感に注目した。(高山淳)

13室

 加藤節子「在り続ける(Ⅰ)」。裸婦のドローイングを画面の中に組み合わせている。量感のあるそれぞれのポーズをよく表現しながら、全体で強いコンポジションになっている。(高山淳)

14室

 村田悦子「遠い記憶(1)」。ドラム缶の上にカラスがいる。後ろに木製の扉がすこしあけられ、上方に龕のような窓があり、植木鉢に可憐な白い花が咲いている。それぞれが生き生きとしている。カラスを見ていると、側面が描かれているが、横目で鑑賞者を眺めているような、そんなあやしいユーモアさえも感じられる。(高山淳)

 遠藤美智子「憂い3月 A」。黒とグレーの市松の床。そこに裸足で立つ女性。腕にウサギのようなものを抱えているようだ。脱いだ黒いサンダルが転がっている。曼殊沙華のような花が咲いている。壁に貼られた絵。ドローイングしながらイメージが浮かび上がるにつれて画面が動いていく。そんな感性に注目した。(高山淳)

 井川雅子「『感性』を解き放つ」。二人の裸婦を動勢豊かに描いている。一人は椅子にもたれかかり、もう一人は身体を反り返らせている。どこか同一人物のように思われる。自身の内側にあるものを外へと解放するようなダブルイメージで人物が描かれているところがおもしろい。独特の浮遊感の中に、そういったイメージ世界を構築するような表現が印象的である。激しくも繊細な感情が生まれては消えていく。(編集部)

 八木博子「青いバケツとリボン」。青いバケツはコバルトと柔らかなセルリアン系の色彩に分けられている。すこし錆が出ている。そばにリボンをくるくる巻いて円錐形をつくったフォルム。そのそばには鞠がある。それが紫とグレーのストライプの上に置かれている。上方には円形の鏡があって、その中に二日ぐらいの月の浮かぶ夜空と丘が見える。独特のイメージの強さである。色彩感覚も優れている。ファンタジーを生む力がある。(高山淳)

 吉留和子「深海楽園」。巨大な樹木の根の上に白馬と少女がいる。後ろに珊瑚が伸びている。魚が泳いでいる。クラゲもエイも泳いでいるから、この光景はそのまま深海の中の光景となっている。ファンタジックな空間を紫や緑を主調色としながらつくりだし、そこに様々なものを浮遊させる。その浮遊するものに対して白馬と少女がその動きを統合しているような独特のコンポジションである。(高山淳)

15室

 吉田けい子「水ぬるむ頃(1)」。稲を刈ったあとの水田に雑草が生えている。雑草にも花は咲くし、その生態を描きながら、あいだに水たまりのようなものがあらわれ、色彩もお互いにハーモナイズする。手前の可憐な白い花なども含めて魅力のある一隅を描く。(高山淳)

 山本優里「陽だまりを育む」新会員。墨絵を思わせるところがある。モノトーンに近い表現。しかし、油絵独特のねっとりとしたマチエールが、墨絵とは異なった独特の力を画面に与える。樹木と地面の接するあたり、地面から根が隆起している。たくさんの葉が散って積もっている。そんな中に白くスポットライトのように輝く部分が三か所ある。それが肯定的で独特の輝きを表現する。その光によって暗い地面や落葉ももうひとつの命を獲得するかのような、そんな不思議な雰囲気である。(高山淳)

 毛利睦子「五月の詩」。パステルカラーといった様子で絵具を塗りこむように表現している。菜の花や池、山、タンポポの綿毛。そんなイメージのものが画面に集められて、柔らかな色彩のハーモニーをつくる。春の息吹が濃厚に立ち込めて、その息吹が霧のような曇ったような空気感をつくりだしていて、その味わいも面白い。(高山淳)

 松川暖子「青時雨」。まるで水墨の味わいである。油彩画のしっかりとしたマチエールが紙とは違った奥行や物質感をつくりだす。シルエットのように樹木が六本ほど立ち上がり、柔らかな緑の葉が描かれ、あいだのグレーは光を含んで輝いている。題名によると、雨が降っているようだが、画面から受ける印象は柔らかな光に満ちた光景で、それが現実を超えたもう一つの世界を暗示するかのごとき魅力を醸し出す。(高山淳)

 笠原富美子「ある日の風景 M」。垂直のフォルムに対して、円形のフォルムが四つある。右はそれが円筒になっている。抽象作品であるが、なにか鑑賞者の心にふれてくるものがある。ひとえにそれは色彩の力だと思う。(高山淳)

16室

 小林かずこ「共演者」。球の上に乗るピエロ。そばにチンパンジーがいる。たくさんのシャボン玉が周りを囲んでいる。ピエロも猿もシルエットふうに表現されている中に、顔の部分はしっかりと描かれて、独特の味わいが生まれる。孤独感ともいうべきもの、あるいはその中から生まれる憧れや希望といったイメージがよく表現されている。(高山淳)

 小島遼「七色に光る」。木製の机とプラスティックの椅子。教室の内部である。緑の黒板がその前方に見える。左のほうはガラス窓で、戸外の光に満ちた樹木がその向こうに描かれ、室内にも光が入ってきている。そういった情景を淡々と描いているようで、そのリアルなディテールの力には驚くばかりである。また、パースペクティヴによる机のフォルムの変化も描き分けながら、全体で空間の密度を表現しているところに感心した。(高山淳)

 道祖土靖子「陽だまり」。画面いっぱいに雀の様々な形を描き起こして、背景の黄土や明るい黄色とあいまって独特の生気を醸し出す。(高山淳)

17室

 丸川幸子「one day G(合唱)」。オーケストラがテーマとなっている。楽団の人々の大きさを変化させることによって、逆にオーケストラの人員によってオーケストラ的な空間が生まれるところが面白い。指揮者はその前にいる弦楽奏者の五倍ほどの大きさに描かれ、中景にいる打楽器を奏する人はすこし大きめに。そしてその背後の合唱団が、指揮者ほど大きくないが、それに近いような大きさで描かれている。その人々を集合させながら、大きさを変え、なおそれを構成することによって、独特の音楽的ともいうべき効果が生まれる。絨毯の赤に対して楽団員の衣装の黒、指揮者の白、そして合唱団の黒と白の衣装の中に、プリマドンナと思われる歌手のブルーの衣装といった色彩の力もうまく構成の要素として利用しているところもよい。(高山淳)

 小林昌子「黒のパレット」。室内が黒く彩られている。その中にグレーのテーブルが浮かび上がる。黒いパレット。パレットの上にはオレンジや青などの絵具が置かれている。そばに自画像と思われる女性の上半身が浮かぶ。右のほうには描かれた絵が置かれ、背後にはドライフラワー化した二本の向日葵やグラスの中の野の花のオレンジの色彩。画面を見ると、褐色や黒の中に独特の微妙な変化があらわれ、そこからこの室内の空間の奥行が生まれる。(高山淳)

18室

 熊本和子「日々の中で Ⅱ」。木箱がいくつもある。一部は浮遊している。半ば壊れている。下方の木箱に赤い衣装を着た人形とこちらを向いた黒猫。壊れた木箱の板の上にウルトラマンが上方を向いて、右手を前に突き出している。日の丸の紙飛行機が空に飛ぶ。荒唐無稽な世界であるが、画家のイメージが活性化することによって、それぞれのものが生気を帯びて表現される。色彩にも独特の輝きがある。(高山淳)

 大津山秋子「ミモザの室内 Ⅰ」。テーブルの上に透明な花瓶があり、そこにミモザが差されている。その黄色い色彩が華やかで、画面全体を照らすかのようだ。その後ろ側に本を膝に置いた若い女性が座っている。青いワンピースをつけた女性だが、その動きのあるフォルムもこの作品の絵画性だと思う。(高山淳)

19室

 井原純子「花舞」。紙に水彩である。下方にマンションのような建物が見える。背景は青。そこに巨大なカーヴする動きがあらわれ、上方には黄色い色彩がたらしこんである。月と花が浮かび上がる。それを抽象的に表現する。(高山淳)

20室

 徳中壽子「浮遊家族 Ⅰ」新会員。背中に背負った籠にはダックスフントを入れて、若い母親が空中に浮遊している。左手にネクタイを締めた息子の腕を摑んでいるが、息子は逆様になって落ちかけている。この母親の乗っている狭い籠はそのまま彼女の生活範囲の狭さをしぜんと連想させる。下方に家が小さなロゴのように見える。生活のなかからイメージをする。その強さである。この若い母親は鼻にしわを寄せて怒っているような様子であるのも面白い。クリアなフォルムによる心理的群像表現である。(高山淳)

 森重和子「花は咲く(Ⅱ)」。数百年を経たと思われる樹木の幹の周りに蔦のようなものが絡まっている。不思議なことに、その上に白い蘭の花が咲いている。花は鑑賞者のほうを正面から眺めているような強さが感じられる。(高山淳)

21室

 河合美奈「Sの構図」。陸橋の上に青年がいて、上方をガードレールのようなものが覆っている。たくさんの車が走っている様子が下方に見える。すこし小高いところに駅のホームがある。その後ろにはビルが立ち並んでいる。都会の一場面。ガードの下の空間が、この青年にとっての安息的な空間になっているようだ。都会人のもつ孤独感とそれを取り囲む激しい人間たちの活動している様子とが絡み合いながら、独特の心象空間が浮かび上がる。(高山淳)

 西山典子「心の花」。ソファにまどろむ女性。上方から黄色いカーテンが下りてきているが、カーテンの中に花が咲き、小さな教会が見え、鳩が飛んでいる。この女性の夢の中の世界がそこにあらわれてくるというユニークなコンポジションである。(高山淳)

 菊田和子「大地に生きる Ⅰ(祭りの女達)」。アフリカの人々のようだ。巨大な鍋で煮物をしている。きらきらしたデザインの衣装をつけた三人の女性の陽気な雰囲気が独特の生命感をつくるし、手前の鍋の中に煮られている白いもあもあしたものもまた同じような生命感を醸し出す。(高山淳)

 山﨑厚子「so・lo」。マンドリンを弾く女性。緑のフロアに茶色い壁。窓の向こうに秋のような黄金色の褐色の雑草が伸びた景色が浮かび、小さな赤い屋根の家が見える。淡々と描きながら、幻想感があらわれる。遠景の窓の向こうの家に対して手前に白い花が咲いている。見ていると、壁に掛かっているモンドリアンの絵が面白いアクセントになっている。(高山淳)

22室

 石﨑道子「流星の使者 Ⅱ」。水の中に小さな船がある。船の先はアヒルの頭のようになっている。水の中から現れた若い女性。対岸には馬が走っている。その向こうには上方が削られた不思議な山が見える。妖精のような女性と船や馬が一体化しながら、世界を癒すようなイメージがあらわれる。線による表現で、その曲線によって生き物や人間や水や樹木が表現されるという独特の造形感覚も面白い。(高山淳)

 林美希「閃き」。イチゴを何十倍かにして画面いっぱいに描く。それによってシュールでキッチュな味わいが生まれる。(高山淳)

 酒井佳津子「a pond III」。水の中に大きな鯉が泳いでいる。光がきらきらと反射している。水草が浮遊している。絵具が染料的な性質で画面に染み込むように使われている。ゆったりとした空間の中を泳ぐ鯉。空間の広がりや深さに注目。(高山淳)

 松本信子「豊かさと闇の間」。ダイナミックな空間である。高速道路の安全地帯を思わせるような空間がカーヴしながら描かれ、その背景には鉄塔やビルが傾きながら立っている。その中心に巨大な福島原発の上方から見たフォルムがあらわれる。平和な日常生活のなかに染み込む危機の表現である。それを揺らぐような不安なコンポジションの中に表現する。その造形力に注目する。(高山淳)

 沼賀美妹「階段のある室で」。階段で七歳ぐらいの少女が本を読んでいる。上方に窓があり、明るい光の中に建物が見える。右のほうにも窓があり、そこから見える光景は夜のようだ。大きな狐、ヒマラヤ杉、雪だるま、建物のようなイメージがファンタジックに浮かび上がる。独特の感覚である。詩的なイメージを画面の中に生き生きと構成する。(高山淳)

 辰巳ミレイ「家路 Ⅰ」。煙突のある二階建てや三階建ての建物。イギリスの建物のような雰囲気。しっかりとしたマチエール。壁際に立て掛けられた自転車。夕暮れの光線。建物にヒューマンな性質を感じる。(高山淳)

 桜井節子「誕生日 Ⅰ」。誕生日ケーキを前にした四歳ぐらいの女の子。額が広がって、おでこが目立つ。周りに三人の少女がいるが、この女の子の三体のようだ。小さくマンションなどが見える。三、四歳の女の子を劇の主役として、画家の生活感、日常のなかに流れる時間を表現する。(高山淳)

 深井冨美子「花冷え Ⅰ」新会員。地面の上に大きな長い木材のようなものが散乱している。その無秩序な渾沌としたコンポジションの中に不思議な秩序があらわれているところが、この作品の面白さである。また、ベージュの地面の上にこの長い棒の一部がピンクやオレンジに彩色されていて、独特の光を引き寄せる。そこに画家のつくりだしたポエジーが生まれる。(高山淳)

 加藤浩恵「言葉無き者」奨励賞。砂地の上に白い犬がいる。口に緑のボールをくわえている。長い影を引いている。渾沌とした砂地のもつあやしい雰囲気の中に動く犬。言葉では表現できない気配があらわれる。(高山淳)

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