美術の窓

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公募展便り(2014年5月号)

美術の窓2014年5月号

第58回新槐樹社展

(2月5日〜2月17日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 沢田かず江「卓上のハーモニー(2)」。緑のテーブルの上に花や楽器、貝、果実などを自由に配して、独特のハーモニーをつくる。柔らかな雰囲気のなかにすこし抑えられた色調が輝く。卓上からメロディが聞こえてくるようだ。

 金須三恵子「スペイン紀行(Ⅰ)」。馬に乗った人物と従者。どことなくドン・キホーテの世界を思い起こす。後ろに傾いた石造りの丸い建物が見える。スペインの猛々しい雰囲気ではなく、緑を中心としたしっとりとしたスペイン風景であり人物表現である。

 上條淳子「日々を過ごす」。黒が生き生きと使われている。黒と白との対照にセンスのよさが感じられる。後ろ姿の二人の人物。一人は黒いシルエット、一人は白いハーフコートを着ている。向こうにシャドーのようにグレーの女性が横向きで立っている。その向こうに窓が見える。幻想を醸し出すような光景である。昼と夜の時間を同一画面に併置することにより、人間の心理の奥深さを表現する。

 照山ひさ子「Domani '14-1゜」新槐樹社賞。壁を描く。そこに様々なイメージを浮かび上がらせる。剝落した壁の漆喰の後ろから粗壁の茶褐色の存在が浮かび上がる。そこに白い綿毛がいくつか存在する様子が、まるで星のようなイメージを醸し出す。紐が不思議なカーヴをもち、クロスしながら置かれている様子などは、道を思わせる。環のある把手も、なにかモニュメンタルな雰囲気である。文字が描かれている。イタリアに旅行することによって、歴史と現在という二つの時間の不思議さを経験したのだろう。そこからこのシリーズは始まっている。眼前のものを描きながら、それがそのまま歴史の世界に広がっていくという不思議さ。そんなイマージュの展開に独特のロマンティックな華やぎがあらわれる。

 森谷洋「異論」。厩舎。白い馬がいる。白い柵の手前に二人の若い女性と青年。青い背景。独特のリズミカルな雰囲気が漂う。

 山田倭文子「飛翔」。三人の女性が宙に浮いている。両手を上方に向けて、何かを求めて浮遊しているイメージ。二人は同方向で、一人は背中合わせになっている。背中合わせの一人の女性の上方に三日月が浮かんでいる。下方にはヨーロッパの教会のような建物などが見える。様々な地を旅行してきた。記憶が心の中に堆積し、その中から画家はこのような独特の憧憬ともいうべきイメージを画面に表現した。どこかクリスチャン的な雰囲気も感じられる。この黒い顔をした三人の女性は、画家の心の中にすむ処女性ともいうべき存在と言ってよい。

 村越正己「牛久風景・想」。黄色系の色彩と褐色系の色彩がお互いに組み合いながら、独特の光の輝きを見せる。ちょうどステンドグラスを通してあらわれてくる色彩のような輝きが感じられる。建物。集落。風景。そんな空間を、いわば心の中に教会をつくり、その教会の中のステンドグラスのように表現する。イノセントな強いイメージに注目。

2室

 辻岡弘之「炉の風景 1」内閣総理大臣賞。赤と茶褐色の色面を画面の中にせめぎ合うように構成して、独特の緊密な画面をつくる。同時に、そこにはなにか深い情緒が感じられる。温かな大地を思わせるような褐色の色面に対して、赤が夕日を思わせるような懐かしい雰囲気。二つの色調が対話しながら時間がだんだんとたち、暮れていくような、そんな深い味わいが感じられる。

 菊間浩亮「モンマルトルを歩く」文部科学大臣賞。サクレクール寺院がテーマになっているのだろうか。周りの道や橋。そして、上方の空は様々な板のような、あるいは三角形のフォルムによって覆われて、強いリズムを表す。サクレクール寺院という具体的な形を組み込んだステンドグラスをつくろうとするかのようだ。地味なトーンの中に裏側から色彩が静かに浮かび上がってくる。

 香島ひで子「鐘響く街」。白い壁、赤い屋根、そこからさまざまなトーンが浮かび上がる。全体は暖色系の茶褐色でまとめられている。ベージュの壁が白く輝く。ヨーロッパのある街を心象風景として表現し、独特の強い情感のある風景を構成する。

 森本邦雄「作品 くろの内に―14」。これともう一点「作品 あかの内に─14」が出品。「くろの内に」は、コバルトからウルトラマリン系の背景に黒い矩形のフォルムが置かれている。「あかの内に」は、茶褐色のバックにライトレッド系の赤の色面が置かれている。接近するとわかるが、たとえば「くろの内に」の黒い色面は塗り重ねられて、独特の手触りがある。その中には無限のものが入れられているように感じられる。この空間のもつ密度がこの作品の面白さと言ってよい。内部には風景がある。現在があり、記憶がある。毎日の積み重ねが自分自身と同時に自然の中にもあって、その変化するものを重ねていくと、この不思議な黒い塊になったのだろうか。最近、「具体」が世界でも評価されているが、たとえば白髪一雄が上から垂れてくる縄を両手に持って、足で絵具をかき回すといった表現があるが、それとこの作品は対照的である。思いというものが画面の中に塗りこまれ、思いが広がって、ある質量をもった存在として鑑賞者と対峙してくる。そこが面白い。実際、画面に向かい合っていると、この黒の中に様々なものが見えてくるようだ。青いバックの中に山があり、樹木があり、川があり、あるいは星があるといった、そんな幻影が浮かび上がってくるようだ。そのような奥行がこの黒の中にある。つまり、空間自体がここに存在するかのような雰囲気で、それが鑑賞者と向かい合う。禅では課題を与えるが、そういったものを鑑賞者に与えるかのごとき印象である。

 大槻博路「`14 棚田シリーズより『あの日のことは…!!』」。絵具を泥のようにこね回し、重ねたような独特のマチエールである。それが強い人間的な表情を醸し出す。緑がかったグレーの複雑なトーンで画面は覆われている。画面に接近してみると、絵具と絵具の間、あるいは引かれた線などによって、まるでサボテンをいくつも重ねていくような、そんなフォルムが浮かび上がる。あるいは、人間の足跡が重なったようなイメージと言ってもよい。あるいは、石ころがごろごろと転がっているような雰囲気もある。ただ、石ころというより、もっとフラットな雰囲気であり、何かの痕跡のように感じられる。画家は、画家であると同時に農夫でもある。土をかき、田植えをする。土とのじかな関係をもっている。最近、近くで水害があったという。そういった困難なことも乗り越えて農夫は土を耕す。それがまた生きるということであり、その足跡、行為の跡のようなものをここに描いているような、そんな強い力が感じられる。画面の内側からじわじわと浮かび上がってくるエネルギーともいうべきもの、生活力ともいうべきものが、土のもつ生命感とリンクし、この不思議な画面が生まれたのだと思う。その意味では、いわゆるアンフォルメルとかもの派とは違った、きわめて敬虔で自然と一体化するところから生まれてきた造形表現であり、それがまたこの作品のよさだと思われる。

 日高昭二「港の記憶」。繫留された船。尖塔のある湾岸の建物。空に浮かぶ月。紫を中心としてロマンティックにそれをノクターンのようにうたいあげる。

 堀川素弘「北国」。三十年ほど前に見た「北国のシリーズ」が会場に掛けられていて、たんへん驚いた。サインを見ると、今年、二〇一四年になっている。大きな防風林のような樹木とへばりつくようなカーヴと積雪の地面。雪曇りのような空。画家のもつヒューマンなイメージを詩情豊かにうたいあげた北国のシリーズが再び画家の脳裏に引き寄せられて、不思議な情感と広がりを見せる。

 中島忠「城壁の街」。どこかパリを思わせるような雰囲気である。パリというと、木村忠太という画家がいて、独特の造形を創造したが、この作品はもっとノンシャランな雰囲気で、夢のようなイメージを描いていると思う。水を思わせる空間。建物を思わせるフォルム。その中にミモザを思わせるような黄色い色面が下方に散っている。背後の淡いグレーのトーンは春の頃の空気感を思わせる。独特のポエティックな表現と言ってよい。

3室

 植田芙美子「記憶の中の風景 Ⅱ」。印象の強い作品である。赤い陰影のあるバックの上方に白い塊が置かれ、それが人間の顔のような雰囲気で、手前に手のようなものがつけられているようだ。それは鑑賞者の錯覚かもしれないが、そんな不思議な仮面のような顔が上方に浮かび、周りを赤い色彩が取り囲み、独特の音楽が画面から鳴ってくるようなコンポジションである。人間の内部にある生命感とか魂といったものを独特に絵画的に表現していると思う。

 平石悦子「UTAKATA―愛しき日々」。道と建物。手前には道のようなフォルムがそのまま建物とダブルイメージとなり、その中に人体のフォルムを重ねたような感じがあらわれている。空間にはジョンブリヤン系、あるいはベージュ系の色彩が置かれ、柔らかな雰囲気の中にシャンソンの旋律が流れてくるかのごとき、ロマンティックで甘美な味わいが感じられる。

5室

 増田瑞枝「中世の街 A」。古い建物。近景から向こうに道が続いているが、その道から上り坂になる道があり、二つの建物のあいだに消える。ベージュや褐色、黄土、すこしジョンブリヤン系の色彩が入れられて、懐かしい手触りのある風景になっている。

 戸田寛一郎「田舎への径」。低い丘のような地面が遠景にあり、そこには雑木が並んでいる。そして、その手前の平地とのあいだに赤く紅葉した樹木が立っている。手前は湿地帯のようで、ところどころ黒い水のようなフォルムが見え、そこにも植物が赤く輝いている。樹木たちが紅葉していると思うが、同時にそこに斜光線によって太陽の光が差し込み、この風景を赤く染めているようだ。その二つの相乗効果によって独特の色彩の深い味わいが生まれる。同時に、その太陽の斜光線と思われるものは画家自身の心の中から差し込む光であり、その心がこの色彩をつくりだしているとも解釈できる。つまり、そこには深いノスタルジックな感情が揺曳する。日本の風景を描きながら、画家はそのような懐かしいものとして捉えている。そこからあらわれてくる深い情感が魅力と思われる。

 もう一点の「田舎の径」はもっと対象に忠実である。やはり遠景に低い丘のような地面があり、手前の平地に色とりどりに紅葉した樹木が立ち、近景には針葉樹を思わせるような黒い葉をつけたフォルムが見える。そういった様子を自然からピックアップし、画面の上に再構成する。朱色から茶褐色にわたる様々なグラデーションに対して、手前のシルエットふうな黒い葉の樹木が対照され、独特のコントラストをつくる。構成の妙と言ってよい。そして、ここにもふかぶかとした日本の自然のもつふるさとのイメージ、郷愁ともいうべき独特の気配が漂う。

 高津智絵「おせっかいなボトル達」努力賞。赤いボトルが集合して、点々と三つのグループをつくる。そのあいだには白いお皿があり、赤いニンジンがある。赤い川のようなフォルムが下方を動いている。黒いテーブル。それぞれの静物を音符のように扱いながら、軽快なメロディをつくる。

6室

 小林和子「私のアトリエ②」。テーブルは逆遠近で表現され、そこに白い花がたくさん花瓶に生けられている。右のほうには人形がブランコをしている。暖色の中に灰白色を、あるいはグレーを、青を扱いながら、アンティームな雰囲気を漂わせる。

7室

 窪田千寛「対話」。ホームレスがタバコを吸いながら下方を眺めている。そこには一羽のカラスが地上にいる。カラスと語っている。帽子によって目の表情は隠されているが、物思いにふけっている内向的な孤独なホームレスの友達が、このカラスなのだろう。そのカラスはまた現実に存在していると同時に、あるいは存在せずに、画家の心の中にいる一羽の鳥を具現化したものとも解釈できる。タバコを吸いながら内界の対話を、このようなかたちに表現したと解釈もできるだろう。ホームレスの上半身、とくに頭の周りに柔らかな、金を思わせるような輝きがつけられている。そして、バックはそういった黄土系の暗いトーンに覆われているのだが、不思議な気配があり、空間の奥行が感じられる。カラスの目の輝きやクチバシの様子など全体は、八大山人を思わせるような、水墨にあらわれてくるカラスのように思われる。油を使いながら、東洋の水墨などの伝統も画面に引き寄せられているところが面白い。

 大井智雄「記憶の中に B」。色彩家のように感じられる。暗い調子の中に赤が独特の力をもって置かれている。下方には植物を思わせるような文様があり、上方の赤は太陽や夕日を思わせる。同時に、装飾古墳などに使われる呪術的な赤の性質も引き寄せられる。

14室

 北島統夫「奥信濃 冬の山村坂中」。大きな茅葺きのような屋根のある民家に雪が積もっている。その民家のあいだを、中心に道が通り、そばに大きな樹木が枝を広げている。その樹木の表現などが面白く感じられる。そのあいだの直立する電信柱とあいまって、独特の詩情が醸し出される。

 高橋信夫「最上川雪景」。静かに最上川が流れている様子が近景にあり、その中にスカイブルーのような色彩が入れられている。ほとんどモノトーンの中に岸辺の様子や小さな針葉樹、あるいは遠景の山並みが描かれている。フォーヴィックなタッチの繰り返しによって、独特の動きが生まれる。雪の積もったこの風景の中に立ち上がって動いてくるような、そんな気配を面白く絵画的に表現する。

第46回等迦展

(2月5日〜2月17日/国立新美術館)

文/磯部靖

1室

 高瀬哉沖「伊勢佐木町ブルース」毎日新聞社賞。キラキラと輝く待ちの光が鮮やかな色彩で描き起こされている。強い抽象性を孕みながら、抑揚を付けて表現しているようだ。そしてそこには歌うような朗らかな様子で、横浜の伊勢崎町の情景を溶かし込むように覗かせているところが特におもしろい。

 松田千代子「錆色の街 Múa xuân」。これまでの作品とは変わって、穏やかなトーンで風景が描かれている。「Múa xuân」はベトナム語で春という意味であるが、その穏やかな空気が心地よく伝わってくる。ベージュから灰白色の色彩を繊細に変化させて背の高いビル群を描き、そこにグレーや赤で調子を作り出している。それはこの街にある喧噪や人々の生活であり、春を喜ぶ感情の表れのようでもある。どこか温もりを感じさせるような色彩と筆の扱いが、この街と画家の親密な関係性を伺わせる。

 大久保孝子「明日は」。空を見上げる女性を横から描いている。背後には円と正方形で区切った空間が重なるようにあって、そこには空や大地が大きく描かれている。その中の青から水色にかけての色彩の透明感が気持ちよい。大自然の純粋で瑞々しい様子が、そのまま明日への希望を願うこの女性の思いと呼応するようである。そこに茶や緑、女性の衣服の黄などが重なり合って、色彩のハーモニーを奏でている。女性が手に持つリンゴは様々なものを暗示させるが、人類の進歩の裏表を特に感じさせる。それは未来への永遠の課題であり、作品はそれを静かに鑑賞者にメッセージする。

 中台雅幸「草原の中で」。大きな樹木が画面の左手前に配置されていて、その右向こうに男女の姿が見える。男性はこちらを向いているが、女性は背中を見せている。さらに奥にはこんもりとした森が見える。その三つの視点の距離感というか間のようなものが中台作品のおもしろさの一つである。また描かれているこの男女の関係性も興味深い。近しいようでもあり、疎遠なようでもある。鑑賞者のイメージに語りかけるように、ある種舞台のような画面に強く惹き付けられる。

 ジョージ・ジャービス「ゲーム」。露天の浴場に三人の裸婦が描かれている。二人はチェスをしていて、残りの一人がそれをかがむようにして覗いている。背後には南国を思わせる植物が生え、奥には重なる白い峰が見える。大自然に囲まれながらゲームを楽しむ女性たちの背後にはアルカイックな生命の力が感じられる。自然との共存ともいうべき力である。それをクリアで強いフォルムで描き起こす筆力に注目する。茶や緑、青といった色彩の中で、チェスの白と黒が独特のアクセントを効果的にあげているところもまた印象的である。

 白井弘「さくら(2)」。画面いっぱいに咲き乱れる桜の花がざわめくように生き生きと描かれている。スタンピングを繰り返しながら、次々と花を咲かせるように描いているところがおもしろい。ところどころに赤が入れられているのも妖艶で、作品にある種のテンポも与えている。華やかさの中に落ち着いた雰囲気もあって、印象深い作品となっている。

2室

 東良治「自問」松本清太郎賞。キャンバスに向かって絵を描く男が、こちらに目線を合わせている。こちらに鏡があって、男は自分自身の姿を見つめているかのようだ。深く内向するように、コクのある色彩でそういった心理的な奥行きによって鑑賞者を作品内に引き込む。

8室

 永井信子「月明かりに雪が Ⅰ」。しんしんと降る雪の中に、一人木陰で本を読む人物が点景で描かれている。画面内に漂うしーんとした気配が印象的である。どこかノスタルジックでもあり、孤独な心象も引き寄せる。独特のおもしろさがある。

10室

 鳥井孝爾「真鶴港」。鮮やかな水色の色彩が鑑賞者を惹き付ける。そこにやはり明るい白で街並みや船が描き込まれている。大胆な構図の中に、気持ちのよい魅力をたっぷりと表現しているところに注目した。

第48回東方展

(2月26日〜3月6日/大田区民ホール)

文/大澤景

 大塚達夫「女の刻」。床の木目の模様や、しなやかな女性の体、衣服のしわ、光の反映など、リアルな描写が目を引く。テーブルにもたれている女性はもの憂げな表情で、何かを待っているような印象である。金色の陽光が射しこみ、室内を照らす。その光は女性の聖性をたたえるとともに、去りゆく時を眺めるような、ふしぎな哀愁を醸し出している。

 高頭信子「花火流転」。四つのパネルをつないだ、横長の作品である。右端に、京都大文字の舟形万灯籠のようなかたちが、舟となって浮かんでいる。坐仏のようにも見えるひとつひとつの小さな灯から赤々とした火焰が立ち昇り、花火となって力強く空に開いていく。次の画面では、花火が華やかに開き散る。画面下方に広がる水面には点々と舟形が浮かんでいて、近景と遠景に大きな岩が立っている。現世と幽界が交わるところであるかのような、ある種シュールな夜の空間を成している。水面に波が渦巻き、空に大気の波紋が流れ、ゆるやかに移ろう時が表徴されている。花火は上がり続け、時とともにだんだんと萎んでいく。繊月が浮かんでいる。左端の画面では花火の火は銀河となって、夜空に昇華していく。花火の中心はさまざまな不思議なフォルムをのぞかせ、小さな円弧だけになって消えていく。哀愁をたたえた深遠な心象風景である。墨をベースにしたやわらかな色彩もまた魅力である。

 伊藤やす子「道標を探して」。旅先のムスリムの神殿だろうか。噴水の手前に装束を着た女性がいて、向うに歩いていく。高い天井をもつ空間に、しんと落ち着いた時間が流れているようだ。やわらかな色調のトーンも魅力である。

 長瀬喜久男「向日葵:脈々(Ⅰ)」。青と黄のうすい色調のグラフィカルな表現による向日葵である。花開く向日葵と、モノクロームで表現された、枯れゆく向日葵が対比される。ひとつひとつの花が人であるかのような、不思議な生命感に注目した。

 大塚扶佐子「雪の北円堂」。空からしんしんと雪が降っている。六角のお堂があり手前には灯籠が立っている。安定した構図の中に、ゆるやかに流れる時が表現される。

 川出登「森然」奨励賞。オリーブとグレーのやわらかな色調による森である。枝だけになった樹々のコンポジションが、不思議なリズムを織り成している。画面中央の樹の背後で不思議な光が輝いている。陽光のようでもあり、森の霊気の象徴のようでもある。森の神秘性が力強く描かれている。

白日会創立90周年記念展

(3月19日〜3月31日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 有田巧「クワトロ・ラガッツィ」創立九十周年記念特別賞。天正遣欧少年使節を描いたものである。右のほうは日本の建物。そこに黒い服を着た少年。真ん中にはローマの神殿と凱旋門。オレンジ色の西洋ふうな衣装を着た二人の少年。左は同じような衣装の黒いバージョンの少年だが、南蛮絵のような帆船とポルトガル人のようなフォルムがあらわれる。天正遣欧少年使節のロマンを三幅の中に表現して、白日会九十周年にふさわしい。

 曽剣雄「アトリエ・写実か写真か」。白いドレスを着た女性が両手に金の薔薇の冠を持っている。右のほうには古風な写真機が、その女性を写すべく置かれている。画家は正面向きに、手前にパレットや筆があるように、それを眺めている。写真ではなかなかこのマチエールやこの存在感は生まれないだろう。写真より写実を選んだ画家の、自分自身の技量を確認しているがごとき趣のある画面である。正面から捉えた、まるで花嫁衣装のような女性の姿に親和感があって存在感があり、魅力だと思う。

 丸山勉「月を読む」。画面の右下に椅子に座った女性の上半身がある。すこし横から眺めている。左上方に満月がある。その二つの位置関係が面白い。あいだは紫系のコバルトヴァイオレット系の紫によって彩られている。月はいわば彼女の分身のような存在で、彼女の心持ちを投影する存在なのだろうか。そんな不思議な関係性のなかに月と女性の上半身が描かれている。あいだにこのピンクを置くという色彩感覚も斬新である。筆者が再三指摘してきたように、そこには浮世絵のもつ色面表現ともいうべきものの応用があるように思う。

 大友義博「夢のはじまり」。ソファにワンピースを着た少女が座っている。片足を曲げて上に置き、左足は床に、本を前に置き、頰杖をついている。オレンジ色の柔らかな暖色系の色彩と戸外の樹木とが響き合う中に、柔らかに風がその部屋の中に舞い込んでいるかのようだ。その風の舞い込んだカーヴする動きがそのままこの女性のロマンティックな心象とリンクしながら、ひとつの夢のような世界が表現される。

 髙梨芳実「画集を持つ人」。ソファに赤い布を敷いて中年の女性が座っている。画集を見ている。そんな様子をくっきりと描く。対象のディテールと色彩のヴァルールとが見事に連結しながら、平面に一つの空間やムーヴマンが生まれる。

 湯山俊久「想望」。黒いワンピースを着た女性が立っている。顔を九十度ほど右に振り向けている。赤いショールを腕にまとっている。背後は下方はすこし暗く、上方になるに従って明るくなっているが、その黄土色の色彩がまるで金色のように感じられる。その明暗のグラデーションが光というものをしぜんと画面に招く。また、スポットライトを当てたように女性の顔が輝いているのも、希望といったイメージを感じさせる。立っている女性のフォルム全体が一つの柱のように奥行きをもっているところも注目。

 広田稔「レモンの森」伊藤賞。画家は伸び伸びとこの絵を描いている。二頭の馬が疾走している。馬の上には少年が乗っている。下方には少年少女が、それは五人だが、一緒に走っている。黄金色の葉が一面に揺れているようだ。レモンの木はどんなものか知らないが、レモンの紡錘形のフォルムからこの葉を連想するところがある。その黄色が透明感をもって自由に上方に千も二千も置かれて、そこにしぜんとあらわれてくるリズムがそのまま疾走する馬のフォルムと響き合う。画家はおびただしいスケッチをする。そのような修練の中から浮かび上がってきた大画面である。画面の上で画家はとくにそれほど構図を考えずに、自由に筆が走りながらこのようなイメージが表れたような、実に伸び伸びとした雰囲気があらわれている。生命感に満ちた群像表現である。

 小木曽誠「桜と光の中/地の音」内閣総理大臣賞。ソメイヨシノの枝が伸びている。その枝にまるで囲まれるように少女が立っている。残りの花が点々と咲いている。地面の上には落ちた花びらがこれまた点々と置かれ、そこに草が生え、石などのある様子が描かれる。大変な集中力だと思う。ひとつのシチュエーションを描くのだが、そのディテールにわたる緊迫感ともいうべきものがこの画家の魅力である。この桜が満開ではなく、ほんのすこし残ったような時期の次の展開にわたるようなシチュエーションが、そのまま少女という不安定な年代と呼応する。地面の奥にも生き物がいる。そんな世界はいわば少女の無意識の世界と関係するだろう。その地面をブーツの足が踏み締めている。周りにごろごろと石ころがあるのは、困難な現実を連想させる。しかしまた、植物の命は実に偉大で強いもので、この少女を背後から支えながら育もうとするかのようだ。様々な寓意性をはらみながら一つのシチュエーションを画家はぐいぐいと描き込む。そこにあらわれてくる葉一つの形にしてもそうだし、それが連動することによって起きる生命感ともいうべきものがこの作品の魅力であり、空間と同時にそこに時間というものの流れがしぜんと感じられるところがなおよい。

 松本実桜「かかずらう」白日賞・損保ジャパン美術財団賞・会友推挙。巨大な樹木の幹に寄りかかる少女。そばにキリンやシマウマが現れて彼女を保護しているようだ。上方には白いフクロウがとまっている。そして右下には、この少女の眠りの世界。夜のなかに海があらわれ、クラゲが浮遊し、小さなクジラが友達となって回遊する。イメージの広がりをそのまま形として、つまりキリンやシマウマやクラゲなどの具体的なものとして構成し、鑑賞者を説得する力のあるところが、この作品の魅力である。

 木原和敏「ほのかに甘く」。肘掛け椅子に座った女性が香水の蓋をいまあけようとしている。あるいは、「ほのかに甘く」という題名のように、一度抜いた栓をいま差し込もうとしているかのようだ。体をひねった上体の微妙な動きがよく表現されている。しっとりとした女性の肌のもつ質感が魅力である。壁のグレーのトーンと女性の肌の色彩やレース状の上衣、あるいは髪の毛のもつディテールや重さまでも表現したような、対象に接近する力に驚く。接近するところからあらわれてくるリアルな力。それをまた離れて画面の上に構成したような、そんな面白さがこの作品の魅力だろう。

 吉田伊佐「瀬音」。ごろごろと岩が重なっている中に渓流が流れている。背後は斜面になっている。そこに若葉が萌えている。清冽と言ってよいような印象である。水の流れていくその動きと大きな塊としての岩とが面白く対照されて、山の中に発見した一隅が表現される。

 福井欧夏「薫」。ウェディングドレスを着た女性が浮遊している。赤い花を一輪持っている。上方には鳥の羽根が二つ漂っている。柔らかな光が当たっているのは月の光だろうか。夢想的な空間。白鳥となってレダを襲ったゼウスの物語がギリシャ神話にあるが、初夜のイメージを画家はここに描こうとしているかのようだ。それを独特のロマンのなかに表現する。

 阪東佳代「永劫の破片」富田賞・準会員奨励賞・会員推挙。男の胸に女性がその手や頭をあずけて座っている。男の左の腿の上をまたぐように女性の左足が絡んでいる。ファザコンと言ってもよいような男性性に対する女性のもつ不思議な心理学があらわれている。縦長の軸装のような比率の中に不思議な心理学が表現される。

 寺久保文宣「ECHO―像」。裸の女性が座っているのだが、右足をほとんど水平に左の腿の上に置いている。オレンジ色のボディに光が当たり、柔らかく明るいジョンブリヤン系のピンクの色彩があらわれる。背後は深紅と言ってよいほどの赤い色彩。下方の床はオレンジ。影に青が入っている。純色を使いながら、緊張感のある画面をつくる。単なる裸婦というより、一種彫刻的なフォルムの強さがあり、モニュメンタルなコンポジションになっているところがこの作品の造形性だろう。

 平澤篤「眠りの森」。枝の上に座った少女。その枝は谷川の上に掛けられている。バランスを失うと下方に墜落するだろう。谷川の渓流が流れていく。高低差があるために川であると同時に滝でもあるような、そんなフォルムとその動きが画面の中に面白い表情をつくる。霧が出ていて、しっとりとした空間の中に遠景が霞んでいる。この水の音を少女は聴いているようだ。それはそのまま少女の心の清らかさと呼応するのだろう。そのように画家は絵の上で表現している。

 内山芳彦「画集」。赤い肘掛け椅子に座ったワンピースの女性。繊細なトーンの中に対象のもつフォルムを生き生きと描く。細い首の上にある卵形の顔の繊細さに対して、腕から指の太い大きなフォルムなどが対照される。絵画ならではの面白さである。しんとした空間のなかに気品のある動きがあらわれる。

 李暁剛「バレリーナ」。爪先立ちしたバレリーナ。上体を前に傾けて、左のほうを眺めている。そういった繊細なフォルムを生き生きと描く。上方は錆びた金のような空間で、そこに満月のようなイメージが浮かび上がる。下方は霜の下りた地面のような銀灰色になっている。背景のいわば装飾的空間の中に鍛えられたバレリーナのボディが静かに輝く。

 岡田高弘「消えない夢と終わらない航海」。ヨーロッパには石造りの群像あるいは彫刻がたくさんある。そういったヨーロッパの彫刻群が人間に戻りつつあるような、そんな異様な雰囲気である。そこに不思議な幻想的光景があらわれる。それを平面の上に繰り広げる。

 河野桂一郎「メリーゴーランド」白日賞・アルトン賞・会友推挙。木馬の上に少女が乗っている。上方から下りてきたと思われる太い綱を持っているが、逆にその綱は下方から上方に伸びていく蔓のようなイメージとも重なる。背後に光背のように巨大な満月が現れている。しっかりと対象を描いて、対象のもつ物質感ともいうべきものを表現する。それがそのまま女性のロマンティックなイメージに変容する。前述した綱は、いわゆる一角獣のもつ角を思わせるところもあって、この少女の処女性ともいうべきものの寓意になっているようだ。

2室

 和田幹雄「俵山七重 118」会友奨励賞・準会員推挙。雪の積もった山道。左は山の斜面になっている。右のほうには雑木があり、枯れた草がある。遠景に斜めに空を横切る山の稜線。そんな山道の風景をリアルに再現する。ディテールがとくに優れている。そのディテールはとても写真では追えないような、一つひとつ確認しながら描くという行為の結果生まれたものだろう。細密的な風景表現としてとくに優れている。

 小森隼人「蒼い刻」。マンドリンや陶器、金属の壺。そんなものを布の上に置いて、それを支えるのはイタリアふうな机である。斜光線が差し込み、明暗をつくる。パンや銀器などに光が当たり、小さな真珠色の光のレースのようなものがあらわれている。繊細な感受性がうかがえる。対象のもつボリューム感とディテールとを見事に表現する。

 牧内則雄「朱夏黒蝶」。板戸の上に描いている。地面に株が生えて、うっそうと葉を茂らせて、点々と小さな牡丹の花を咲かせている。あいだに赤い蕾が見える。そんなエネルギッシュで盛んな生命力のある花の様子が板戸の上に描かれている。そこにつがいの黒蝶が翔んでいる。生の輝きの背後に死の闇が揺曳するような不思議な雰囲気である。葉と葉のあいだの暗いブラックホールのような面もそのような印象を与える。上方のつがいの蝶と呼応するように正方形の金箔が両側に置かれ輝いているのは、命というものの瞬間のときめきを象徴する表現だろう。

 山本大貴「Thoroughbred」。ホンダのオートバイに寄り掛かった若い女性。右手はオートバイの左ハンドルに置き、左手はシートに置いている。このホンダのバイクがサラブレッドということになる。カーディガンを羽織り靴をはいた女性の姿。光が差し込み、きらきらと部分を染め上げる。周りはソフトフォーカスですこしあいまいにぼかしている中に、焦点の女性の上半身とバイクの一部がクリアに立ち上がってくる。

 石垣定哉「コスモス日和り」。青い山、赤い屋根に白い壁の民家が麓に続いている。エメラルドグリーンのような緑の野原。そこにコスモスの咲き乱れている様子をピンク色の色面として表現する。子供を連れた母親。犬。赤と青の車などがそこに点綴され、全体で強いファンタジックな空間が生まれる。色彩のもつ力、その純粋性ともいうべきものを画面に生かす表現力は、この作者ならではのものである。

 阿方稔「儚くも美しく」。絵具を置いて左右に、あるいは斜めに引っ張ったあいだからチラチラと燃えてくる色彩がある。抽象画面であるが、風景の中からあらわれてくる光芒を思わせるところがある。そこにロマンティックな味わいが生まれる。

 土井原崇浩「私の塑像を造る私」。作者の作品には不思議な力が感じられる。とくに今回は一木から白衣を着た自分の全身像を彫っているもう一人の自分。黒い上衣を着て、黒いズボンと革靴をつけたもう一人の自分が、その彫刻の肩を摑みながら右前方を眺めている。自意識というものはミラーのように反響し合いながら、どんどんと繰り返しながら内面化される。そういったイメージを絵として描くとこのようなものになるのだろうか。その意味では画家は日本人的というより、かなり西洋的な意識の持ち主のように思われる。そういった自意識の格闘のなかにあらわれてきた自画像である。背後の布の強烈な赤もこのテーマにふさわしい。

 ナカジマカツ「当惑の森」。樹木に宿り木が生えて、その蔓の葉がびっしりとついている様子。そして、その中に若いティーンエイジャーと思われる女性が立っている。森の中に迷っている様子。バックは金で、金の上に平面図の構図を思わせるような図面が描かれている。いずれにしてもティーンエイジャーの混迷の世界を面白く表現する。うねるような枝の形がそのようなコンフューズする雰囲気をよく伝えると同時に、その枝の屈曲する形のもつ物質的再現性ともいうべきものが面白い。絵画としてのリアルさと心の闇の表現とが合致したユニークな作品。

 中島健太「匿名の地平線―Ver.Blue―」。昨年はピンクの海であったが、今回は青い海である。寄せてくる波の様子には一種の音楽性ともいうべきものがある。視覚的再現性に加えて、聴覚を刺激するようなイメージのあるところが面白い。また、上方のグレーの雲の広がる空の表現に対して、手前のボリューム感のある波の表現。そして、砂地で壊れてしまった波。リアルなようだけれども、フェイクな雰囲気もあって、そのフェイクなものとリアルとの中間にあって聴覚も刺激するようなコンポジションになっているところが現代的である。

 椿苑「奈義/銀杏」。イチョウの幹に画家は接近している。相当の樹齢をもつイチョウのようだ。一部はうろになったり、枝が途中で取れている。そういった対象に接近しながら、梢が細い枝から出ている様子などをリアルに描く。いわば一人の人間を描くようにイチョウに接近するところからあらわれた表現である。これが次にどのように展開されるのか期待したい。

 久保尚子「still-life case」一般佳作賞。F型横のサイズを上下七つに、左右は七つが真ん中にあって、左右にはみ出した二つのボックスがつくられ、その中に紫陽花や花托や植物のそれぞれの葉などが入れられていて、まるで図鑑のような雰囲気である。それを淡々と油彩画で描いている。いわゆる細密的な表現のように見えるが、画面に接近すると、淡々と油彩画の筆でもって表現していることがわかる。今後の展開が期待される。

 村社由起「漂流者」一般佳作賞・関西画廊賞。寝台がそのまま船となって海に漕ぎ出したような不思議なイメージである。しばしば夜の寝台は船にたとえられる。シーツの上にいる女性は白い布でくるまれている。海の向こうから光が差し始めているようで、夜明けのイメージがそこに重なり、水の表現も独特の雰囲気である。死と再生、睡眠と覚醒。二つの時間帯の中に希望のイメージが表れる。

 井阪仁「秋苑(コスモス)」。井阪のコスモスも最近はトレードマークになってきたようだ。オールオーバー的に画面いっぱいにコスモスの花が咲き乱れている。白からピンク、紫ととりどりであって、それが前後の遠近感のなかに表現される。上方は金を思わせるようなベージュの空間。一種の装飾性と対象のもつ再現性とが合致したユニークな油彩画による花鳥画と言ってよい。

 長坂誠「帰る場所がない旅へ」瀧川画廊賞。上方には箔足が見えて箔を置いたような表現になっている。その意味では平面的な日本画的な世界の中にリアルにこの白いワンピースのような寝巻を着た女性を立たせている。明度が高く、なにか響いてくるものがある。光を面白く表現している点とリアルな再現性、そして前述した装飾的な平面性とのコラボレーションが面白い。

 山本桂右「Light Time Silence #1」会員推挙。コンクリートの壁の中に幾何学的な椅子がいくつか置かれている。とくに向かい合った椅子などは、そこにしぜんと人間を連想する。無機的なものの中にヒューマンな心理学があらわれる。

3室

 廣瀬順子「潮風」。丘の上の古い展望台のような建物の窓枠に少年が腰を掛けて模型飛行機のプロペラを回している。そのしぐさが実にリアルである。よほどイメージを温めてこのようなかたちをつくったのだろう。この画家は何歳ぐらいの人なのだろうか。そんなこともしぜんと思われる。記憶のなかにあらわれてきた風景のように思える。そばに樹木が一本立っている。その幹や枝の形を見ていると、そこにもなにか歴史とか時間の堆積といったイメージが感じられる。この展望台の壁には亀裂が走り、窓はなく、窓枠だけが残っている。風化したこの展望台と瑞々しい七、八歳と思われる少年の姿には、新鮮で生き生きとしたリアル感が感じられる。喪失した時間のなかに少年が、いまの子ではやらないような模型飛行機をいじっているというシチュエーションが、ヴィヴィッドに表現されている。

 杉本幸江「Moon River」。肘掛け椅子の肱に腰を置いて若い女性がウクレレを弾いている。壁には様々なポスターが貼られている。全体に強いビートと言ってよいような動きが感じられる。「ムーンリバー」という曲は穏やかな曲だが、絵からあらわれてくる印象は筆力と強いリズム感と言ってよい。そういった力に注目。

 児玉健二「Shall we dance?」。白日会は写実で様々な女性を描き、様々なイメージが展開されているが、ここに描かれているのは妖精的な二人の裸婦である。向かい合いながら、お互いにダンスを始めようとしているかのようだ。光がそのまま化身して女性となったような不思議なイメージの展開である。ブルーや緑のトーンの中に光に包まれた二人の女性が、これから動き始めようとする。不思議な詩的なイマージュに注目。

 堀井聰「悠」。観音開きの作品で、真ん中は正方形である。その中心に蓮の花の蕾が大きく描かれている。背後には蓮の葉が重なった様子。右の扉には鷺、左の扉にはほとんど散った蓮の花托となったような上にトンボがとまっている。トンボはカゲロウといわれてはかない命の象徴と言ってよい。見ていると、やはり三年前の3・11の津波に対するレクイエムの表現だろう。重なった蓮の葉は亡くなった人々がそこに積み重なっているようなイメージを連想させる。それに対して合掌するように花の蕾が大きく、あるいは小さく描かれながら、この葉を囲んでいる。背後には海が見え、海の向こう、水平線から黄金色の光がいま差し始めているような敬虔なシチュエーションになっている。

 三木はるな「月彩」。走ってきて両手を広げて止まり、なにかメッセージを発信する女性。純潔の花言葉をもつ百合の花が垂れて落下しつつある。不思議なパントマイム的なメッセージ性をもつ表現として注目した。

 坂井華子「Ikaros」新人賞。電車の中にいる十代の女性と七十代の女性の二人が描かれている。中景にはもう一人の中年の女性が歩いている。電車の中というある密閉された空間でありながら、ホームごとにドアが開いて外界とふれる、そのシチュエーション。しかも日々人々が乗っている乗物、空間を淡々とこの画面に扱いながら、不思議な存在感をつくり出す。こちらを眺めている少女の定かならない未来をはらんだティーンエイジャーのイメージと、遠くを眺めている七十代だと思われる女性が前後して描かれ、面白い対照を見せる。

 伊勢田理沙「時の移ろい」オンワードギャラリー賞。畳の部屋の向こうに板でできた玄関のような場所があり、その向こうは庭になり、樹木や草が生えている。その板の上に横座りに座った少女が背中を見せながら、顔をひねって後方を眺めている。その女性を寄り添うように猫が眺めている。もう一匹の猫は反対方向を眺めながら横になっている。日常の一隅のシチュエーションを淡々と描きながら、独特のリアリティをつくりだす。背後のうねうねとカーヴする樹木の枝のような柔らかなイメージと、この若い女性の後ろ姿から見たひねった顔や足の裏などが呼応しながら、あるメロディともいうべきものをつくりだす。そのメロディは手前の横になった猫の頭を搔いている足で止まるようだ。瑞々しいイメージの展開である。

 浅村理江「白昼夢」会員推挙。上方からレース状のカーテンが下がってきて床に広がっている上に少女が寝ている。まるでウェディングドレスの裾のようなフォルムの上に寝ている女性は何を夢見ているのだろうか。ティーンエイジャーの夢の中に画家は入りながら、それを外側から表現している面白さと言える。

 青木良識「師走(近江町市場)」。金沢の近江町市場はよく知られている。その一隅である。カニの箱を持った中卸しの人と女性客が会話をしている。それに対して前後に二人の男。背後に魚やカニがうずたかく積まれた様子を明るく描いている。淡々と描きながら温かな存在感が表れる。大づかみにつかんだフォルムが優れている。

 森本克彦「メヌエット」。黒いワンピースを着た女性が楽譜を膝に置いて眺めている。三つのカーヴのある後ろのソファの曲線。一種独特の音楽性ともいうべきものが画面から感じられる。メヌエットは三拍子の曲であるが、そのような優雅な旋律が画面から流れてくるようだ。また、白の扱いが面白い。楽譜もそうだし、肌の色彩も背後の色彩もかなり白く扱われて、周りのグレーの中で独特の輝きを見せる。

4室

 松尾文隆「冬の朝に」。二階建ての木造の建物が岸壁に並んでいる。船も繫留されている。そういった様子を水を前景に置いて眺めるという視点が面白い。浮輪に鷗がとまって遠くを眺めている。波紋が建物を映して揺れている。不安定な位置から人間の暮らしを眺めるという視点が面白く、それをクリアに再現的に表現する力に注目。

 和田直樹「夢の5分前」。四、五歳の女の子がソファに仰向けになって、右手に弓を左手にヴァイオリンを持っている。その弓の先に黄金色の蝶が飛んでいる。それを女の子が眺めている。不思議な味わいが感じられる。「夢の5分前」というタイトルもユニークだが、二つの時間がここに描かれているような面白さである。蝶は夢の象徴として五分後に蝶は夢の世界を繰り広げるのだろうか。そういった不思議な時間軸が揺曳しながら、この少女を眺めているといった趣である。それをこのような具体的な設定の中に画家は表現する。床にまで垂れているサテンふうなえび茶色の布のもつ複雑なしわは、そのような時間の謎を連想させる。

 鷺悦太郎「ル・デパール」文部科学大臣賞。頭にかぶせたレースや、その延長が胸の前に垂れている様子を見ると、フランドル絵画を思わせるところがある。画家自身、細密的な油彩画技法に深い関心があるようだ。バロックふうに左上方から光が当たり、この女性の上半身を照らしている。女性は胸に手を当てているが、この女性のもつ内面の動きもまた画家は表現しようとするかのようだ。女性のもつ年輪、あるいは貞淑といったモラルも描こうとするかのようだ。それにしてはすこし不安な趣もあって、微妙なニュアンスを光が照らす。

 大山富夫「夏のモレ・シュル・ロワン」。水が画面の約五分の二を占めている。ほぼ真ん中のあたりに眼鏡橋が左右に続き、背後に教会が浮かび上がる。その眼鏡橋の前に突き出た地面があって、樹木が茂っている。波紋を見ると、風が吹いているようだ。風景全体の中にざわめくような動きが感じられる。視覚的なものと同時にそのような体感的なもの、あるいは音声といったものを平面の中に引き寄せたところからあらわれてくる独特の風景表現のように思われる。そこにあらわれてくる臨場感がこの作品の魅力だろう。

 冨所龍人「記憶の窓辺」。ソファに横向きになって座る女性の左足は床から浮いていて、右足は靴をぬいでストッキングのままソファに置いている。その独特のポーズが面白い。両手はおなかの上で組んでいる。窓の向こうに気球が上がっている。イタリアのような広がりのある懐かしい風景が見える。気球に乗ってこのような光景を眺めようといったイメージが、この女性の脳裏にあるのだろうか。女性の脳裏に浮かぶ光景を窓の向こうに描いたといった意味合いも感じられる。キメの細かいマチエールで対象をしっかり描きながら、ダブルイメージの世界を表現する。

 石田淳一「Menuet Antique」。壁のコーナーにソファがあり、そこに座った女性。膝にコートを掛けてスマートフォンをいじっている。全体のその量感ともいうべきものがよく表現されている。オーソドックスなセンスの力である。存在するものの塊、そして女性の呼吸するような繊細な動きを画家の筆は追う。そして、独特のリアリティをつくる。

5室

 黒沢信男「雪晴れの里」。白川郷の合掌造りの建物が雪の中にうずまるように点々と立っている。相当の高さの積雪であり、地面は積もった雪で独特のふっくらとしたカーヴをつくっている。合掌造りの屋根や軒に積もった雪。あいだに針葉樹が立ち並んでいる。背後はアルプスの山々が取り囲んでいる。青い空にその山々の稜線が複雑なカーヴを描く。そして、いま強い太陽の光が差し込んでいる。くっきりとした形をそれぞれのフォルムに与えている。はるか遠景までもくっきりと見える光景。山に囲まれた白川郷の何百年も続いたこの集落が、まるで掌の上に置いて見るようにクリアにあらわれる。そこには単に風景のみならず、歴史や懐かしさといった気持ちがしぜんと浮かび上がる。自然と共生してきたこの白川郷の歴史が眼下に浮かび上がる様子が描かれているところがとくに面白く感じられる。

 山田郁子「萌葱色のリボン」。裸婦の全身像である。その肌の色彩と背後の花の模様とがお互いに響き合う。なまなましい裸婦ではなく、もっと夢のあるロマンティックな雰囲気が漂う。女性ならではの視線だろう。パステルカラーの色彩の中に裸婦の色彩が輝く。

 犀川愛子「蟬時雨 Ⅲ」。湖を背景に太い樹木の幹が立ち上がって葉をつけている。夏の濃い緑や青の色彩をよく表現する。題名によると、この周りからセミの激しい声が聞こえてくるのだろう。

 斎藤秀夫「Ma chéri」。肘掛け椅子に座った女性の姿に独特の精神性が感じられる。青に花柄のワンピースをつけた女性。左手をそっと膝に手を置き、右手はクッションに肱をつき、その指先は顎に触れている。赤い敷布に黄色い壁。あいだの青い空間。人体のフォルムを円筒形として考えた場合に、骨格とその周りの楕円形の線によるフォルム。その繰り返しによって何か動きが生まれるような、そんな複雑なフォルムがこの女性の体に感じられる。静かに座っているようで、そういった動きのようなもの、エネルギーがそのままこの女性の精神性と深くかかわってくるようだ。それはまた画家のもつ精神の投影と言ってよいかもしれない。女性の姿が空間の中から浮き上がってくるような強い力も感じられる。

 三沢忠「雪の日(信濃町)」。雪の道に轍の跡が残り、両側は植物の上に雪がこんもりとかぶり、電信柱が立っている。グレーのそんなトーンの風景を画面の中にクローズアップするように表現する。それによって不思議な動きが生まれる。

 中山忠彦「黒扇」。暗い紫と明るい紫との組み合ったヴィクトリア調のドレスをつけた女性がソファに座っている。膝の上に両手があり、そこにすこし開いた黒い扇子を持っている。あいだに女性の肌が輝くようだ。すこし顔を右にひねったポーズ。顔は横顔で、胸から腰にわたっては正面に近いフォルムになっている。上方の壁に水仙のようなものの描かれた絵が掛けられていて、それが単なる絵ではなく、その向こうに広がる優しいしっとりとした風景を暗示させる。女性の背後に二つのクッションがあり、一つは緑で、一つは青。その色彩と紫とのコントラストが激しいが、それがぴったりと平面のヴァルールの中に収まって空間を醸し出すところは、画家の力量である。また、ソファの上にグレーの手袋が置かれているのが扇子の色彩と呼応しながら、不思議な心理的な影のようなものをそこに引き寄せる。いずれにしても、女性の体の中に流れている血管や体温などをしぜんと思わせるような肌の色彩。女性の清らかでありながら、健康な生命感をよく表現している。

 深澤孝哉「ヴルガス郊外(ブルガリア黒海西岸)」。画家独特の生気ある表現である。動きのあるなかに濃厚な色彩が彩られる。川と空にはさまれた建物や樹木のもつ生気ある表現に注目。

 立花博「漂流記(望遠鏡など)」。床の上に赤茶色の机が逆様に置かれ、そこにガラスの錘や布や帽子などが置かれている。そばに望遠鏡が置かれているのが面白い。小さなピアノがあり、その上に逆様になった馬、手前に人形がいる。混乱した状態をあえてつくりながら、その中に画家は一つの統合を求める。画家自身のものを見る力の象徴のように上方に望遠鏡が置かれている。対象を遠くから見る目と近くから見る目。二つの目が必要なのだろう。そんなことを宮本武蔵は『五輪書』で述べているが、この画家の作品を見ると、そのような二つの目を使い分けながら、そこに不思議な見立てのようなイメージを引き寄せる。現代の社会の、漂流しているような不安な状況を投影するようなコンポジションの中に、望遠鏡を道案内のように置くという発想がまた面白い。

 下時治郎秀臣「池の辺」。これまで道と樹木などを繰り返し描いてきたが、中心に水があらわれたのが面白い。水は空を映して輝いている。周りの樹木は夏が過ぎて秋の気配を感じさせる中に、水がまるで心の奥にある不思議なものを映し出すように描かれている。あるいは季節の変化をこの水が映しているのかもしれない。そういった繊細で豊かな味わいがこのコンポジションから感じられる。

6室

 伊藤晴子「早春のひととき」中沢賞。肘掛け椅子に座って編み物をする女性。そばの丸いテーブルにはクロスが置かれ、果実の盛られた器やポピーの入れられた花瓶がある。後ろのピンク色の大きな壁掛け。暖色系と寒色系とがお互いに絡み合いながら、そこにピンクやオレンジ、赤などの色彩が輝く。独特の色彩感覚である。

 村山きおえ「朝陽のRiga(ラトヴィア)」。このラトヴィアの街や塔が赤茶色に染まっている様子。その暖色系の色彩が懐かしい。そこに斜光線が当たり、塔が明暗の中に輝く。背景には大きな河口があり、その向こうは茜色の雲になっている。この風景の奥のほうから歌声が聞こえてくるようなロマンティックな味わい、そして光に動きが感じられる。

 店網富夫「夏の川」。大きな川がゆったりと手前に流れてきている。コーナーでカーヴしながら右辺に向かう。夏の濃い緑の草や樹木がその周りに伸びている。空が約三分の一を占めて、雲が柔らかくオレンジ色の光の層のように描かれている。空と接する際は青い低い山並みや小高い丘の上に立つ民家であり、そういった空と接する際から近景までの広がりを画家はしっかりと描く。時が止まったような、無風の静まり返ったような雰囲気の表れているところが面白い。夏の日のパノラマのもつ静寂感ともいうべきものが一つのモニュマンのように表現される。

 川口もと子「猫と鞄と」。木製の椅子に座るジーパン姿の女性。古いトランクの上にはペルシア猫のような猫がいて、鑑賞者を眺めている。人間と猫との対照、そして旅を象徴するトランクの役割。構成が優れている。

 菅野瑠衣「静脈」。土手の上に広葉樹が生えている。手前には雑草がある。背後は川で、ところどころ光っている。そんな様子をしっかりと表現する。褐色系の色彩を中心にしながら、緑を置き、空の青を置き、そこに光を引き寄せて、空間全体を活性化させる。

8室

 藤川弘康「器」。金属の大きな器がいくつもあって、それが床の上に置かれている様子がまるで不思議な生き物のようだ。三本足の昆虫のようなフォルムをそこに感じることができる。あいだに木製の高い椅子があって赤い布が置かれ、そこにも金属の器が倒れた様子で置かれている。そういった対象と会話をしながら画家は絵を描きながら、気配ともいうべきものを表現した。

 上條真三留「秋日」。中景には黄葉した樹木が丹念に描かれている。黄金色に染まっている。近景にはたくさんの石でできた小道のようなものがあり、崩れた崖の低いその層の上に雑草が生えている。一つひとつのディテールを画家はおろそかにしない。すべてを画面の中に生かしながら構成する。その緻密な筆力によって山の中に入った時のあの不思議な感覚がよみがえってくるようだ。上方にいくにしたがってだんだんと後退していく樹木や山の様子が描かれ、いちばん向こうではそれはシルエットになって空と溶け込んでいるのだが、そのあたりの空と会話しているようなフォルムもまた面白いと思う。

9室

 三橋文彦「追憶の時」。オーソドックスな油彩の表現であるが、色彩が明るくフォルムもクリアで、新鮮である。淡々と描きながら、独特の色彩のハーモニーがあらわれる。また、本を読む少女の骨格がしっかりしていて、それによってしぜんと生気というかリズムがあらわれる。

 米村太一「蒼の刻」。素朴なコンクリートでできた洗面所の台の上に手を置いて、少女がその床にじかに座っている。無機的な粗末な壁や床の空間を大きくとって、その中に逆に少女のもつ生命感ともいうべきものを捉える。周りの空間の大きさの中でこの少女のポーズには、人間と同時にある生き物といったイメージが重なる。その生き物といった様子が思春期のもつ年齢から発現する不安な様子をよく表現する。

 平田英子「朝の水辺」。池のそばに樹木が二本立っている。その太い幹から枝が伸びている。下方に小さな緑の雑草が生えている。近景の細かな雑草の様子などは見事である。また、二本の樹木が地面と接するあたりの暗い影のような雰囲気、そこにあらわれてくる不思議な霊気ともいうべき空間を画家は描く力がある。その延長に近景の小さな雑草があって、その上にある空間のもつ不思議な雰囲気は木と木のあいだにある空間のクオリティと共通している。中景から遠景に向かっては普通の再現的な表現になっているが、その樹木と手前のあいだにあらわれてくる霊気ともいうべき空間の力に注目した。

 加藤裕生「フィギュア」。布の前に若い女性を立たせている。その布に黒々とした風景が描かれている。この女性のもつディテールを画家は独特のクリアさで表現する。目や唇の形、その視線の向き、ワンピースをまとった肩から出ている二の腕と指先までのフォルム、それぞれが独特のある視点から表現されて、全体で不思議な生命感を漂わせる。

10室

 辛文遊「Tシャツにジーンズ」会友推挙。腰から上の上半身が、すこし緑がかったグレーの壁を背景にして描かれている。柔らかな光が当たっている。腕を組んで、すこし頭を傾けて、右方向を見ている、そんな若い女性像であるが、内側から張り出してくるような力がある。しっかりと外側から対象を描きながら、逆にまた内側から表れてくる女性のエネルギーとか内的なものをよく表現していると思う。

 池田茂「静かな時が過ぎていく」。黒いワンピースを着た女性が肘掛け椅子に座って腕を組んでいる。すこし俯き加減の様子。白いショールと黒いワンピースといった色彩がシックで鮮やかで、そんな衣装をつけた女性の物思いに沈む様子をすこしロマンティックに文学的に表現する。

 口澤弘「浅き水 Ⅱ」。正方形の画面の約半分が水である。透明で、近景を見ると、水の底の石のフォルムまでがくっきりと見える。中景にこの水に突き出た地面があり、そこに樹木が生えている様子がシルエットに表現される。逆光になっている。そして、対岸のほうにこんもりとした広葉樹が生え、そこに左から当たる光が差し込み、地面などは燦々とした様子で明るい褐色に輝いている。その背後の雑草も明るい緑に輝いている。そういった透明な水の扱いと光による明暗のコントラストの中に樹木や水の生気ある表現が生まれる。

11室

 神山健「花のドレス」。様々な花が描かれている薄いワンピースをまとった女性の全身像である。フローリングの床の上に立ち、背後に扉がある。それぞれのディテールがクリアで、ディテールを強調しながら、その組み合わせの中に響いてくるものがある。フラットな表現の中にあらわれてくるディテールの力に注目した。

13室

 乾房子「里山の春」。背後に低い山の斜面があり、そこに様々な若緑色の樹木の葉が見える。下方に道があり、そばに桜が満開。その紫や背後の緑の複雑な階調などが相まって、豊麗と言ってよいような色彩のハーモニーを表す。春の生命感や大地のかぐわしく命の輝く様子を、その豊かな色彩の中に表現して鑑賞者を引き寄せる。

14室

 惠比澤司朗「中欧の冬景色」。中景に様々な樹木が立っている。背後の家と対照させるとずいぶん大きな木で、その梢にまでわたるフォルムを丁寧に描いていて、なにか懐かしく生き生きとした雰囲気、身振りを表す。それに対して手前の雪に覆われた地面のあいだにのぞく水が、しっとりとした雰囲気を醸し出す。グレーの中に独特の詩情が感じられる。

 青島紀三雄「浅春」。近景に川が流れている。その両端の雑草の様子を面白く描いている。その向こうはすこし小高くなっていて、雑木が立ち、橋があり、遠景には青い山が見える。奥行きのある構図の中に空間の広がりを描きながら、とくに雑木のフォルムと近景の雑草の様子とが生き生きと響いてくる。青みがかったくすんだ調子の中に対象のもつフォルムのリズムが響いてくる。

 山﨑幹雄「OMOTESANDO HILLS エントランス 2014」。エスカレーターによって各階がつながれているのだが、そのエスカレーターの形と各階のショップの様子、そしてそこにいる人々のフォルムをオールオーバーふうに表現し、一種色面構成的に扱っている。そこにモダンな感覚が生まれる。同時にジャズを聴くようなリズムやメロディ感覚があらわれているところが面白い。

15室

 山本浩之「朝陽染む」会友奨励賞・準会員推挙。山本浩之は二点出品で、独特の空間構成をつくりだす。「朝陽染む」は、水が画面の半分以上を占めていて、左にはそこから立ち上がる丈の高い蘆のような植物の上方が花開いたような黄金色に表現されている。逆光の中に水が明暗の対比によって、墨でいえばたらし込みふうに表現され情感を醸し出す。もう一点の「ヨシキリ鳴く」は、木でつくられた橋が向こうに続いていて、その向こうは洲になっており、ボートが引き揚げられ、その向こうは浅瀬の水が見える。そういった複雑な構図の中に光が差し込み、陰翳を醸し出す。その深い陰翳の調子には水墨のやはりたらし込みを思わせるような不思議なトーンのもつ力があらわれている。

17室

 小川八行「市の夜『天狗』」。布袋が巨大な熊手を持っている。熊手には桜が散りばめられ、お多福や鎧兜、打出の小槌、俵などが満艦飾に飾られ、繁昌という旗がそこから出ている。下方には琵琶を奏する天女が横座りに座り、馬の埴輪がある。関西ふうなテイストと思うのだが、商売繁昌、長命といったイメージをこのような構成の中に生き生きと描く。ディテールが魅力。

 大沼紘一朗「新世界」。巨大な石をいくつも積んで、そこに斜光線が当たり、一部を輝かせている。その輝いている部分が希望の光のようなイメージ。ずっしりとした重い石のもつ存在感、その影の部分の力とそこに当たる光を対照させる。また、画面の約七割以上は暗い部分で、その向こうに明るい公園のようなイメージの表れているところも構成として面白い。

 中尾直貴「form Ⅶ」アートもりもと賞。背中を見せて横になっている裸婦像である。存在するものの気配といったものを白黒の中に生き生きと表現する。

 工藤孝城「人物」準会員推挙。若い女性が椅子に座っている。それをスカートから上を中心に描き、周りはグレーのしっとりとしたトーンで覆っている。シャープな独特の動きのある上半身のフォルムや目の表情などが面白い。香りが漂うようなロマンティックな雰囲気に注目。

 阿部良広「ASAKA(想)」。正方形の画面を四十五度回転させて菱形に使っている。シーツの上に横になる女性と座っている女性。一人の人間の二つの姿を面白く表現する。クリアなフォルムがまず魅力だが、二つのフォルムを回転させるような動きのある構成が面白い。

 亀山嘉裕「風に微睡む」。ワンピースを着た女性が赤い薔薇を一輪持って座っているが、椅子がない。下方に猫がこちらを向いている。背後の壁に巨大なマスクが三つ置かれている。画家のつくりだしたものらしく、烏天狗ふうなお面や角と牙のある動物的なお面、あるいは魚を思わせるようなお面が置かれていて、鳥が飛んでいる。日常生活に侵入してくる禍々しいものの表現のようだ。宮城に住んでいるそうだから、先だっての津波のイメージが表れているのだろうか。独特の動きとストップモーション的な表現に注目。

 鎌田亮「New Life」会友推挙。三階建ての建物で、前が庭になっているようだ。そんなフォルムの中に人の影があり、階段があり、車があり、といった様子で、電信柱などもうまく使いながら、楽しいファンタジックな空間をつくる。

19室

 山田潔「木漏れ日の調べ」。両側に樹木の立っている川のほぼ真ん中から描いている。それによって面白いパースペクティヴができる。構図の面白さに注目。

 頼住美根生「紅い髪飾り」。床に横座りをした若い女性。ハーフのような肢体である。緑のカーディガンのような上衣に赤い花の散らされた緑のスカートもエキゾティックで、フォルム全体に独特の審美性が感じられる。

20室

 吉川明「Matera」。マテーラは古代の穴居時代から現代まで約一万年の歴史がそのまま街にあらわれている不思議な場所である。そんなマテーラの様子をクリアに描く。建物のそれぞれの形を組み合わせ連続させながら韻律をつくる。手前の壊れかかった煙突のようなフォルムが、背後の整然とした幾何学的な形と対照されているのも面白い。

 光元昭弘「余白の創造…桜舞う時、君はなにを想う」。ピンク色のワンピースを着た女性が後ろに腕を回しながら上方を眺めている。それを斜め後ろから眺めて描いている。左上方には幻想のように桜が枝垂れている。また、彼女の眺めている視線にも桜があるのだろう。周りの空間を大きくあけながら耽美的なイメージを表現する。

 栗原政幸「陽光のもと」。キャンバスに筆を置いている若い女性。右手にパレットを持ち、左手に筆を持っている。そこに斜光線が当たっている。明るい弾むような雰囲気がこの作品の魅力だろう。白いタンクトップの上衣に赤いスカート。靴をぬいで組んだ足の様子。すこしほほえみがちの顔の表情などが相まって独特の生気をつくる。

 高橋和正「remind」。鉛筆による表現。すこし屈んだ感じの若い女性が耳に手を当てたポーズ。その繊細な女性のフォルムをしっかりと描き出す。

 山田幸司「東風 Ⅳ」。タンクのある工場を面白く描いている。手前には海から引き込んだと思われる水がある。護岸の矩形の形なども上方の建物の窓と響き合いながら独特のリズムをつくる。点描による表現で、しんとしたトーンの中に刻々と動いている工場の生命感ともいうべきものを静かに眺める。

23室

 勝野眞言「楓」。左腰に左手を置いて顔を右にひねった少女のもつ清爽ともいうべき韻律がよく表現されている。量と同時に作者独特のムーヴマンの表現に注目した。

 市村緑郎「風のたより」。若木のような女性の裸婦像をこれまで見てきたが、今回は不思議なモニュマンとなっている。アルミに鋳造したものだろうか。アーチ状のフォルムの下方に逆様になった人体を抱きかかえる女性のフォルムがある。作者のつくりだしたピエタと言ってよいだろう。これまでのディテールを追うのではなく、量として大きく大胆に対象を捉え、ところどころ面に切れ込みを入れながら、倒れた人を抱きかかえるマリアのような、あるいは母親のようなイメージをつくりだした。アーチ状のフォルムが一つの結界のようにそれをフレームワークしている。強い動勢とがっちりとしたフォルムの組み合わせによるモダンな造形である。同時にまた深い感情を表現した彫刻として見事である。

 中村晋也「阿僧伽菩薩」。阿僧伽菩薩とはアショーカ王のこと。パーリ語ではアソーカという。即位当初は「残虐アソーカ」と呼ばれたが仏教を尊崇するに到り反省し、仏教の慈悲の精神に基づいて平和主義を実践した。その肩に仏塔があらわれている。慈悲の象徴だろう。中村晋也は釈迦十大弟子をつくってきた。この作品は小品であるが、そのような過程のなかから生まれたイメージの顕現であり、肩から伸びるストゥーパのような黄金色のフォルムが実に見事なアクセントとなっている。

 山本眞輔「日曜日」。ワンピースを着、ブーツをはいた少女が立っている。柔らかな風がこの少女に吹いているような、そんな伸びやかなフォルムである。風と同時に光も差し込んでいるようだ。起伏のあるフォルムが柔らかな動きとボリューム感を表す。日曜日、ゆったりとした気持ちで、すこしお洒落をしながら散歩に向かうときのイメージだろうか。自然体の中に作者独特のロマンの表現された女性像である。

 峯田義郎「続く旅」。丘の上に男が立っている。その男のフォルムは作者とよく似ている。手前に階段がある。その階段はこの旅の象徴のように置かれている。それに対して反対側には建物の組み合ったフォルムがある。それは集落と言ってよい。故郷のイメージである。その屋根のいちばん高いところが地面よりすこし出ている。故郷は隠されている。心の中にある存在で、すでに具体的な存在ではなくなっているかのようだ。そういった故郷を心の中に背負いながら階段を下りて旅に行く、そんな人生といったイメージがしぜんと感じられる。木でつくられている。鑿の跡が韻律をつくり、グレーに彩色されているが、その起伏のあるフォルム自体が心というものの地層の深さを表すかのようだ。そこにブロンズの旅人像が置かれ、材質感の違いも面白く、表現深くしている。

24室

 中村優子「風音」。ショールをまとって、それを左手で引き寄せている女性の上半身。どことなく哀愁の表情である。今回、ミニ個展のように中村優子の作品が並んだが、いずれも人生という旅の途上にあるメランコリックなイメージが表れているところが面白く思われた。

 野原昌代「静かな韻」。野原昌代もまたミニ個展のような作品が並んだが、この「静かな韻」は、リボンで結んで髪をアップした、お洒落な雰囲気の女性が顔を左にひねりながら両手を組んでいる像である。都会的な雰囲気が漂う。黒く彩色された上衣、あるいは髪に差された青や緑などの色彩も相まって、独特のエレガントな女性美の表現になっている。

第54回日本南画院展

(3月19日〜3月31日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 岡村栄美子「秋の野べ」佳作賞。ダリアの花が地上から伸びている。その明暗の幅の広いしっとりとした表現が魅力である。黒い部分はそこに夜の闇が閉じ込められているようなあやしい雰囲気。朝がきて光が差し込む中にまだ夜の闇が漂っているような、そんな二つの時間軸をともに背負ったようなダリアの表現に注目した。

 沼田郁代「白韻」。地面から伸びる牡丹の花が描かれている。淡墨の中に花が白く輝いて気品が感じられる。また、枝や葉の表現もしっかりと描かれている。月が出ている。その柔らかな光線が画面を染めている様子。その光の性質をよく表現することによって、牡丹がより生かされる。

 今玉承「銀河の中に」日本南画院賞(秋邨賞)。操り人形が三体吊るされている。老人、少女、青年。なにかあやしくお互いに会話する様子。背後には銀河の無数の星がまたたいている。スポットライトを当てたような人形の表現。その光の奥に人の心の闇があるように画家は描く。

2室

 月居和子「人待ち」。スマートフォンをいじりながら人が来るのを待っている若い女性。そばに傘が置かれている。その壁の向こうは雑踏の様子で、たくさんの人が行き交っている。その人々と離れてひっそりと自分の心の中の世界に入っている少女の姿が対照される。無関係な群像とその女性の心といったものが対照されるように表現されているところが面白い。また、少女の前の空間がすっぽりとあけられているのも構成の妙と言ってよい。

 川淵水豊「水炎」。不動明王が画面の中心に座っている。周りに巨大な火炎が伸びている。画家は妻を介護していると聞いたことがある。様々な困難な状況のなかに、心を鎮めるように画面の中心に不動明王を描いた。その激しい精神のエネルギーを火炎として周りに描く。あえてそれを「水炎」というタイトルにしたのは、この画家らしい。水というもののもつ柔軟で絶え間ない変化をする存在が画家の近くにあって、そのイメージをこの火炎の中に引き寄せながら、たましいを鎮めようとするかのようだ。異色の作と言ってよい。

 堀江春美「聖域」。チベットの風景だろうか。断崖の上に寺院がある。その屋根に覆いかぶさるようにもう一つの岩の塊が断崖から伸びている。そういった中に清潔に静かに佇む寺院の様子が対照される。人生というもののスリリングな道行きを暗示させるものがあって、宗教性とそのような人間の道行きというものとのダブルイメージになっているところも面白く感じられる。

 金澤徹「播州秋祭」。下方を見ると、たくさんの人々が御神輿に集まっていて熱気があり、強いエネルギーが感じられる。何トンもあるかのような重い御神輿がその上方にしっかりと描かれている。幟が立っている。人間のエネルギーによってあらわれたような巨大な龍の頭が空に現れている。日本のお祭りを生き生きと表現する。

 綾佳子「記憶の中の未来」。鉄塔のような垂直水平でできた濃墨の表現に対して、巨大な満月が背後に置かれている。月が動いていく様子が、深い心の中の世界を表すようだ。そういった中に垂直水平の黒いフォルムが、時のメジャーのようにも描かれる。それは、また人間の営為の表徴のようでもある。

 町田泰宣「幽谷」。杉のような大木の幹が画面の近景を上下に横断している。数百年の樹齢をもつような木の肌の様子である。それに対して水平の動きが背後にある。その動きが木の背後では斜線になって、黒い空間の中に落ち込んでいく。それらの動きの対照がヴィヴィッドなイメージを与える。数百年の歳月を過ごしたこの樹木のトルソともいうべき姿に対して、過去の様々な記憶が暗い井戸のような闇の中に表現されているという言い方もできるだろう。実際に地形的にそのような谷と樹木との風景を見て、そこからインスパイアされたのかもわからないし、画家のイマージュの深さからくる表現とも言えるだろう。大胆に下方は紙のままの地で、上方に激しい動きをもつ墨の表現があり、それが木の後ろで深淵に向かうわけだが、そういった明暗のコントラストによって歴史や時間というものを表現する力量に注目する。

 潮見冲天「深山幽谷」。一大パノラマである。雲が近景にあり、その向こうに山頂があり谷があり、崖があり、滝が落ちている。そんな中を十羽近い白い鳥が飛んでいる。ギュスターヴ・モローという画家が西洋にいて、独特の詩的な世界を表現したが、そんなモローのような耽美的なイメージの水墨的表現と言ってよいかもしれない。そしてまた画面全体が動いていく。霧がわき、動き、雲も動き、刻々と水が流れていくその様子は、いわば動いてやまない無常ともいうべき自然の姿の現れで、そこに人の魂を思わせるような鳥が飛んでいくといった独特の文学性も感じられるところも面白い。

3室

 矢田作十路「波涛」。岩礁に波が寄せ、高く飛沫を上げる様子をドラマティックに表現する。その激しい動きがこの作品のみどころである。また、水平線近く満月が下りてきている様子がロマンティックなイメージを表す。

 鈴木安佐子「蛍の悠遠」。墨の濃いトーンの中に黄色い蛍の光が点々と配されて、祈るようなイメージが表れる。下方はとくに濃墨に対して蛍の光が輝いているが、中景では蓮の葉のようなフォルムがうねうねと続き、はるか向こうには海があるようで、そこに向かって蛍が飛んでいる様子を見ると、三年前の3・11の震災に対するレクイエムのようなイメージもしぜんと感じられる。いずれにしても、蛍が人の魂のようなイメージで描かれているところが面白い。いわば心象風景ともいうべきものの表現である。

 北川寿紅「釧路湿原の冬」。釧路湿原がはるか向こうまで続いている様子が、深い情感の中に描かれている。また、あいだに川が蛇行しているのだが、それが夕日のような光に染められて黄金色に輝いている様子もまたこの作品の魅力である。その色彩と雪の白と黒い針葉樹のようなフォルムや色彩との対比が独特の絵画的な感興を引き寄せる。

4室

 市川皓「雄山」。鋭角に山稜が繰り返し続き、そこに雪の積もっている様子が表現される。人跡未踏ともいうべき山の気高い様子を生き生きと表現する。

5室

 富岡千壽「ダリア」。麦藁帽子をかぶった人形が立っている。大きな見開いたような目が印象的である。いわゆるフランス人形の種類だろう。周りに大きなダリアの花が咲いている。そばに椅子があり、ダリアの花の大きさからすると人形は小さいが、椅子に比べるとある大きさをもっているようで、そういった大小を変化させることによってファンタジーが生まれる。ちょうどダリアの花の隅に小人のようなこの人形が立っているといったシュールな味わいも感じられる。そこに一種妖精のようなイメージもあらわれる。強い明暗のコントラストを強調することにより、光というもののもつ力が引き寄せられる。ダリアも白く輝いている花、黒くしっとりとボリューム感をもつ花、中間の花といったように描き分けられているところも面白い。

 中西理夫「とばり」。工場の円筒形の建物。その周りに階段が巡らされ、そばに高い煙突が立っている。そんな様子を明暗のトーンの変化の中にしっとりと表現する。詩情と同時に生活感ともいうべきものが静かに漂う。

9室

 西崎邦子「路傍」京都市長賞。瓦屋根の民家の塀のところにお地蔵さまがいる。前に花が生けられている。しっとりとした墨色の中にしみじみとした情趣が感じられる。民家も地蔵も光を感じさせるように表現されているところが面白い。

 石井弘子「花ゆらり」作家賞。三体の横向きの女性像である。一人の女性の三つの姿をだんだんと上方に上昇していくように表現して、ロマンティックな雰囲気が漂う。菖蒲の花が下方にあり、上方にも同じような花が女性を囲むように置かれていて、女性の肌にすこしこんじきのような色彩が入れられているのに対して、菖蒲の花の白い輝きが対照されて、色彩的な効果を与える。いずれにしても、優れたディテールがみどころである。

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