美術の窓

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公募展便り(2013年9月号)

美術の窓 2013年9月号

第53回蒼騎展

(6月26日~7月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 藤井高志「時の断片」。画家自身の記憶のなかから引き寄せたものによって構成しているようだ。石の上に少年が座っている。下方には風船が浮かび、そのいちばん下方には木馬がある。ベージュ色の空はノスタルジックな雰囲気を醸し出す。この六、七歳の少年は昔の画家自身なのだろうか。柔らかなベージュ系の色彩のヴァリエーション、黄色やオレンジなどの色彩がしみじみとした情趣を醸し出す。クリアなフォルムが記憶というものの手触りを表す。

 児玉敏郎「冬の暦」。四点の同じ女性のほぼ同じ衣装をつけた異なったポーズである。すこし衣装は変わっている。正面向きの姿、側面から見た姿、上向き、視点の移動などによって、四体が面白くリンクし、発信する。クリアな形がこの作品の魅力である。たとえば正面向きの場合に黒い髪と前を向いた目の表情、ポンチョ風な衣装が体を覆い、そのあいだから手の甲や指が面白く現れる。

 内藤建吾「カワセミのとぶ川」。土手がゆるやかにカーヴしていて、その向こうに水がすこし流れている。遠景には山が広がり、空は夕焼けに染まっている。満ちている光が、独特のドラマティックな雰囲気を醸し出す。緑と黄色、あるいはジョンブリヤン系の色彩が静かなコントラストを見せる。

 飛澤均「置いてみた」。林檎とストラップふうな人形をぽつんと置いて、それを上から眺めている。真上からそれをみつめるというその視点の面白さによって、シュールな気配が生まれる。周りの空間と対象のイメージともいうべきものが面白く感じられる。

2室

 櫻井正興「ある町の詩歌(うた) 1」。浅草のあるビルの上から眺めた光景だそうである。高層から低層までの様々な建物によって構成されている。あいだに道が通っている。マットな肌ざわりが魅力で、それによって、現実のものを再現するというより心象風景に昇華しているところが魅力である。キューブな直方体や立方体、あるいは斜めに切られた形、窓などが、懐かしい雰囲気で画面の上にあらわれている。風景というより、積木を組み立てているような静物的なイメージがそこに浸透してきて、独特のノスタルジックなイメージが醸し出される。

 坂野りょう子「花の時」蒼騎会奨励賞。子供を抱く若い母親。母親の肌はすこしピンクを帯びて輝き、子供の肌は黄金色である。子供は赤い花を持っている。その周りに子供の遊ぶ様子が小さく描かれている。そんな昼の世界が夜のイメージのなかにあらわれ、いま裸の女性がこの子供を抱えている様子が聖母子像のような輝きの中に表現される。独特のデフォルメがされていて、その形態感覚も面白い。

3室

 篠崎長洪「大空の祭典」。樹木、少年、ピエロ、猫、鳥、飛行機。様々なものが画面の中に集められ、楽しい童話的な世界があらわれる。下方の木に登る少年と上方の気球とが二つのポジションをつくり、あいだに鳥や飛行機が飛んでいる。その鳥たちは少年時代に向かって飛んでいるようだ。ガラス絵を思わせるような深いコクのある色彩の輝きもまた魅力。

4室

 太田千里「山峡の秋」。パノラマ風景である。山と山とのあいだに畑があり、家がある。あいだを川が流れている。それを透明水彩絵具を一つひとつ置きながら表現して、温かな独特の里山風景があらわれる。水彩に加えてパステルも使われている。それがよりこの色彩のニュアンスを増す。

 武井マヤ「歩き始める」。茎が伸び、葉が伸びて、花が咲く。そんな様子を一種図案的なほどにクリアに描き起こす。独特の絵画的な素質のある人だと思う。大きな葉に対して下方から小さな植物がいま伸びてきて、白い花が咲いている。その様子を「歩き始める」という題名にしたのだろう。柔らかなトーンの中に赤い花が灯し火のように輝く。

 山元徳子「夏草」。石垣の下に雑草が生えている。そこに猫が眠っている。イメージの中に草花や石や樹木、猫も描かれていて、優しい雰囲気。現実がそのままファンタジックな夢想的な風景と化す。

5室

 佐々木喜與子「薫風に吹かれて(つばき)」。日本画でいう大下絵といった様子であるが、それがそのまま一つの絵画として成立している。椿の一本の木を線によって表現する。ところどころ新芽のような緑の色彩が葉に入れられている。下方に椿の花がぽつんと一つ。左のほうにしおれた花がもう一つ。上方には黄土系の色彩が刷(は)かれていて、それは金を思わせる。とっぷりとした独特の線にもかかわらず、量感をもつ。一本の樹木の肖像画と言ってよい表現に注目。

 佐藤圭子「なかま」。金をバックに裸の女性が座っている。その周りに様々な蛇が取り巻き、小さなワニさえもいる。木にはイグアナが上っている。蛇もワニも女性も線による表現で、フォルムが強い。金の箔を置いたバックにあらわれてくるフォルムが一種図像的な強さを醸し出す。

 垣本敦子「からまつ 秋 ・」。柔らかなグレーの中に唐松が数本立っている。清潔な韻律が感じられる。一本一本の木を丹念に描く。幹から枝が出ている様子。すこし褐色や紫に染まった様子。その周りに青い色彩が散りばめられる。グレーの空間に奥行きがある。しんしんとした気配は一種幽玄といった趣を醸し出す。

6室

 湊裕子「デュルビュイの散歩道」蒼騎会新人賞。水彩作品。家の壁と塀のあいだに落ち葉が積もり、すこし下降気味の道を男女が歩いていく。男はリュックを背負っている。旅行客のようだ。そんな様子を丹念に描く。石を積んだ建物は百年、二百年の歴史をもつのだろうか。その中に新緑の緑があらわれ、花が咲いている。時間、あるいは歴史という不思議な謎のようなイメージもあらわれ、そこに旅をする二人の人間の後ろ姿が中景に置かれて、独特の濃い心象風景があらわれる。

7室

 磯部和穂「棚田 ・」。棚田のパノラマと言ってよい。すこし高いところから眺めている。影になっている部分と光を反射している部分によって色彩が分かれる。人間のつくった棚田のもつ独特の魅力を正面から捉えている。棚田の曲線によってつくられたその形の連続しながら高低をつくっていくようすをみると、実に人間の営為の跡があやしい繊細な美しさをつくっていることがわかる。

 大類真理「静唱の温泉街」蒼騎会賞。三階建ての建物が右にあって、その上には二層の塔のようなものが見える。中からオレンジ色の光が漏れている。左にもそれに呼応するように建物の側面が見える。うしろはこんもりした山の斜面になっている。大正ロマンの時代の温泉街といった雰囲気で、不思議な魅力が感じられる。紙を貼って表現したものであるが、その上からもパステルなどで彩色されていて、深い独特のトーンが生まれている。現実にある温泉街というより、画家のつくりだしたもう一つの世界といった趣で、不思議な魅力を放つ。

 髙杉學「新緑甲州路」。川がゆったりと蛇行しながら流れている様子が中景に描かれている。近景には新緑の様子。面白いのは、川のすこし右向こうから高速道路が左右に伸びている様子である。そのフォルムが中景の中の形のドラマともいうべきものを表していて、そういう部分を発見して絵に描く画家の感性が興味深い。その向こうには家などが点々と描かれ、もっと上方の山の斜面がそのいちばん遠景にあらわれ、霧がかかっている。一つひとつの対象をクリアに把握し、それを一つの画面の中にまとめる。一見現実そのもののようでありながら、実は画家のつくりだした形、ポイントというものがそこにある。そのへその緒とも言うべきものが筆者はハイウェイと川のように感じられ、中景のもつ独特の凝縮したようなフォルムと、そこから放射し、広がっていくムーヴマンが実に面白く感じられる。

 古長瑤子「瞑想の時」。インドのある島の様子を描いたという。アジャンタのような濃密な官能的な様子ではなく、穏やかな仏教寺院の内部である。そこに座って祈っている人と巨大な仏の全身像や上半身が描かれている。静寂な中に深い精神的空間が広がる。

8室

 塩川吉廣「教会への道」。だんだんと地面は上っていって、その頂上に教会がある。その教会の向こうには海があるのだろう。あるいは、教会の向こうは断崖のようになっているのかもしれない。そういったスリリングな気配が感じられる。柔らかな光がこの風景を染めて、明暗のコントラストをつくる。静かな安息感がある。信仰の世界、隠れ切支丹の五島列島の教会をテーマにしている。僻地の教会へ続く地面の起伏が宗教的な感情によって彩られている。死というものを常に考えるところから宗教があるわけだが、この穏やかな風景の向こうが切り立った崖であるといったことを連想させるような、独特の構図になっている。そのようなイメージを鑑賞者に与えるところが、この作品の魅力と言ってよいだろう。

 松浦正博「念」。松浦正博は二点出品。「恂」と「念」である。「恂」は、子供を後ろから抱く若い母親の後ろに草原が伸びて、地平線の向こうから巨大な入道雲がもくもくと現れている。独特の強い情念ともいうべき無意識の力があらわれている。「念」は、少年が横向きで、正座をして頭を垂れて両手を膝に置いている。なにか考えこんでいる姿。その後ろにやはり若い母親が座って、頭をひねって同じ方向を眺めている。母親の首や顎や目の周り、あるいは少年の顔にも赤い色彩が入れられていて、深い感情を醸し出す。バックには地面が続いているようで、地平線があらわれ、その向こうに空がある。空も地平線の大地も心象風景で、ピンクや灰白色、青や黄色などの色彩が入れられている。母と子供という、いわば人間の元型的な関係。その二人の考えこんでいる様子には、不思議な味わいが感じられる。人間とは何か、どこから来てどこへ行くのか。母子を描くと、そのような深い人間の心の領域の問題がしぜんとあらわれてくるように感じられる。暗い部分は緑系の色彩が入れられて、明るい部分には暖色が入れられているが、とくに今回は暖色系の中の薔薇色のような色彩が、独特の輝きを示す。画家の独特の観念によってつくられた人間像と言ってよいところがあり、このピンクの色彩などを見ると、ルドンのあの不思議な色彩のイメージさえも筆者はこの作品に重ねてみたくなる。地平線の向こうには何があるのか。過去はどこから来て、未来はどうなっていくのか、そして二人は深い物思いの中にいるわけだが、少年のこの雰囲気を見ると、なにか絶対的なものが前に存在するようだ。その絶対的なものは運命と言って差し支えないかもしれないが、それを言葉で示すことはなかなか難しいだろう。深い心の奥に下りていったところからあらわれてきてつかまれた、ある普遍的な強いイメージの表現だと感じられる。

 齋藤眞知子「追想(アビニヨン)」。軽快なタッチでアビニヨンの通りと両側の建物を描いている。緑が独特の効果をつくる。旅情ともいうべきイメージ。筆の動きが独特のリズムをつくる。

 岩村美暉子「ゆらぎ B」。若い母親二人と六人ほどの子供たちを自由闊達に配置している。優れたデッサン力である。それぞれのフォルムが静かに動きながら、心象的人物像ともいうべき母と子の姿をつくる。二人の深い関係のなかにあらわれた緊密な群像と言ってよい。

10室

 杉浦勝彦「曲り家」東京都知事賞。茅葺きの民家を人間のように描いている。長い歳月のなかでもう無人になっているような、そんな雰囲気も感じられる。民家を正面から描いて、独特のモニュマン性を表現する。

 毛利征二「come soon」。空に様々な天体が浮かんでいる。水平線を背景にして、ウインドサーフィンをしている女性。うねった波の頂上にサーフボードがあり、そこに立つ妖精的な女性。透明な帆。遠景には島があり、灯台がある。ファンタジー映画のワンシーンを思わせるような構成を、クリアなフォルムによって表現する。

13室

 佐藤繁寿「夢幻の境」。海の中に黒いシルエットの魚が黄金色のキーをくわえている。その上方は青い海で、黒いシルエットの二尾の魚がいると思って見ていると、上方にいるのは鳥のシルエットのようだ。満月が浮かんでいる。その月は地球と重なるようだ。海と空とが一体化する心象的な空間の中に画家はイメージを自由に動かしながら、しぜんなファンタジックな空間をつくる。魚と鳥のフォルムはそのまま画家自身と思って差し支えないような、生き生きとしたイメージである。

 和田園枝「牧場待春」。穏やかなしっかりとしたスタンスで、この雪をかぶった山と雪の積もった地面を描いている。麓には赤や青の家がある。牧場の広々とした空間と山と家屋が明るい色彩の中にしっかりと表現される。

14室

 斎藤梅次「イメージする2013夏 B」。塗りこまれた色彩がコクのある輝きを示す。黄緑色、ビリジャン系の緑、黄土色、朱色、茶色。様々な色彩が塗りこまれて、道と建物が、あるいは空き地、畑などのイメージが浮かび上がってくる。それがほとんど抽象的な矩形の色面の組み合わせとなっている。じっと眺めていると、その中に建物があらわれたり、道が見えてきたり、畑があらわれてきたりする。そして、それらは一体化して組み合いながら、あるスクリーンと化す。もののもつ物質感を通り越して、それが絵の中のイメージに変換され、それによってきわめて音楽的な感興を覚える空間があらわれる。そして、それはハーモナイズする一種の和音のようにも見えるのだが、じっと見ていると、その色面の連想のなかにメロディのようなものがあらわれてくる。伸びやかで懐かしい、西洋ふうでもあり日本の現代の都会ふうでもあるイメージがお互いに浸透し合う、独特の曲のように感じられるところが面白い。

 武井浩「PUMPKIN―15号」文部科学大臣賞。袖のない花柄の白いワンピースを着た若い女性がクリアに描かれている。背後に青紫色の色彩でロールシャッハテストの文様のようなものが描かれているが、それは南瓜の断面からのイメージである。その背後は白く、白い中に夜のイメージ、あるいは人間の複雑なコンフューズする心の内部のイメージが南瓜のフォルムから変換されて、ロールシャッハテストのように背後を覆うなかに、清新な瑞々しい雰囲気の女性を立たせている。クリアなフォルムが魅力であるが、現代に生きる女性の内面と外側とを面白く組み合わせているところに、この作品の面白さがあると思う。

15室

 篠田満里「たま子の肖像」。二十号ほどの作品であるが、椅子の上に紫の布を置き、猫がそこにいる。雌猫と思われる。おしゃまな美人の猫で、独特の魅力と存在感が感じられる。

第18回アート未来展

(6月26日~7月8日/国立新美術館)

文/磯部靖

1室

 遠藤敏男「日課」内閣総理大臣賞。赤と青の色彩を繊細に扱いながら、二人の少女を描いている。室内の情景だろう。ノートやペンが散乱している。どこか画面の中に漂う浮遊感がおもしろい。少女たちの勉強などの日課に対する投げやりな心情がそういった雰囲気に繫がっているようなところもまた興味深い。

 渡辺陽子「初夏」文部科学大臣賞。草花に囲まれた中に一人の女性と黒い犬が立っている。色彩は深く、しっとりとした湿度を感じさせる。女性はその中でどこか物思いにふけっているようだ。その女性の内面を表すかのように、草花がある種のメランコリックな曲を奏でているようにも思われる。画面全体のそういった統一された雰囲気が作品を趣深いものにしている。

 大場炯「祈りの天燈」東京都議会議長賞。水墨による作品。天燈(天灯)とは竹と紙で作った熱気球である。人々が輪になって踊り、その周囲に大きくいくつもの天燈が描かれている。生き生きとした躍動感が魅力である。メリハリをつけた濃淡が明暗を作りだし、ある種の幻想感も生まれている。

2室

 伊藤俊治「凜として立つ」。青みがかった深い闇の中に、何本もの樹木が立っている。月の光によって仄かにそのフォルムが浮かび上がり、輝いている。その繊細な描写が独特の気配を引き寄せている。

 平野東海子「記憶の風景」秀作。堅牢なマチエールによってじっくりと描かれた風景である。所々に描かれた家屋や樹木の姿が浮かんでは消えていくようなところがおもしろい。画題の通り、深い記憶の底から呼び起こされた、画家の想いが深く込められた作品として注目した。

3室

 竹内英子「赤の岩場」。沢山の人々が釣りを楽しんでいる。、その足下の岩場は赤の色彩で描かれている。その赤が鮮烈で強く印象に残る。かといって、その色彩が作品の中で浮くことなく、しっかりと馴染んでいるところが特に見どころである。背後の風景は灰白色によってどこかおぼろげに表現されている。人物もまたフォルムは象(かたど)られているが、その表情までは分からない。独特の情景である。心象的な要素を強く作り出しながら、赤を効果的に使って、鑑賞者を強く作品に惹き付ける。ある種の舞台で繰り広げられる人間模様を印象的に表現した群像表現といってもよいだろう。

5室

 斯波あゆみ「HUMAN-B」。ドローイング風に描き出された女性像がシャープでモダンである。小品でありながらも、描かれている女性の強い存在感が印象に残る。確かなデッサン力があるからこその作品である。

6室

 平林ひとみ「オーストラリアのバー」。銅板に起伏を付けてバーの一隅を描いている。カウンターには人間の他にコアラなどのオーストラリアの動物が立っている。ユーモラスな心温まるイメージを内包させながら、密度のある充実した画面を作りだしている。

9室

 中居里子「PARIS I」新人賞。ビルが建ち並ぶパリの風景を、少し斜め上から見下ろすような視点で描いている。ビルの外壁はほんのりと朱に染まり、どこか童話の世界を思わせる様な雰囲気を作りだしている。ここで過ごす人々の生活の温もり、熱気を感じさせるようで興味深い。味わいのある画風が強く印象に残る。

10室

 阿部国生「アルゼンチンタンゴ」。画面の中央がやや明るくなっていて、そこに演奏をする人々が見える。その右側には大きく二人の人物の顔がシルエットになって白と黒で浮かび上がっている。また左下にも小さく人物が見える。ある部分では勢いがあり、またある部分では静かな、作品内の抑揚が今作品の魅力である。軽やかに、しかししっかりと刻まれたリズム感も強く感じられる。

 長澤清乃「過ぎた時間」。一本の樹木が画面の中央に描かれ、そこに黒い布が巻き付いている。そのフォルムがどこか人物に見えるようで実に興味深い。背後には街の風景が広がり、グレーや黄土色の色彩が掠れるように使われている。この街の風景は既に失われてしまっているのかも知れない。変化していくことが必ずしも前進ではないということを暗にメッセージしてくるようである。いずれにせよ、独特の画面構成が強い見応えを作り出し、強く鑑賞者を惹き付ける。

11室

 中瀬千恵子「もうひとつの空(明日への願い)」。横長の画面の中央に大きな樹木の幹が伸び、枝が左右に分かれて広がっている。その分かれた上方には太陽が輝いている。これまで以上に強い生命の力を感じさせる。太陽からは金箔がはらはらと落ち、そのまま樹木と重なっている。生命力、あるいはその連鎖のメタファーとして描かれた樹木に太陽の恵みが直接施されることで、その枝が世界中に伸び、エネルギーを届ける。画家の強い想いがこのような表現として表れてきたことが実に興味深い。その想いは確かなメッセージとなって、鑑賞者にもまたしっかりと伝わってくる。

 岡庭荘二「赤と黒」。不定形の赤と黒の色彩が作品の中で調和し、あるいはせめぎ合うようである。お互い相容れない中でも協調できる部分を見いだそうとしているようにも見える。人と人、あるいは国と国などの様々な対立的な問題を観念的にイメージとして形象化している。ドリッピングをうまく使って細やかな動きを作りだしながら、独特のイメージの世界を構築している。

第40回記念日象展

(6月26日~7月8日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 増井冨美子「秋への誘い」新人奨励賞。果物の盛られた高坏。そばにある壺。高いところに葡萄の房が置かれ、紅葉したカラスウリが垂れている。手前にはホオズキのようなフォルムが見える。緑や青を背景に置いて、赤い色彩が散りばめられて、豊かな秋のイメージが表れる。

 酒井邦子「ハーベスト」。収穫した稲を束にして持っている二人の女性。前後して同じ衣装である。稲ではなく、麦なのかもしれない。ルーマニアあたりの風景のような雰囲気もある。穏やかなタッチでしっかりと対象を表現する。

 田村まさよし「少女とひまわり」40周年記念賞。少女が椅子に座っている。その頭の近くまで向日葵が伸びている。対象をしっかりと捉えている。女性の量感のある表現が優れている。

 八田敏郎「大地の風」。座った裸婦。一人は光が当たり、一人はシルエットになっている。背後は砂丘のような雰囲気。黄色、グレー、茶褐色、黄土などのストライプが波打つように動いていて、女性たちの髪も風に靡いている。野性的な環境の中に二人の裸婦を置いて、独特のダイナミックな動きをつくる。

 平瀬柳子「休日の午後(水元公園)」文部科学大臣賞。公園のベンチで雑誌を読む女性。ビートのきいたタッチでその女性のフォルムを描いて、独特のムーヴマンがあらわれる。

 宮川登「ヴィオレッタの花」日象大賞。椅子の上に青い布を置いてフランス人形が座り、遠くを眺めている。その膝に椿のような花が一つ。椅子の下には様々な椿の花が咲き乱れている。花に囲まれたフランス人形は遠くを眺めて、憧れの雰囲気である。

2室

 小池タケシ「浜小屋」。丘の上に赤い屋根の小屋が二つある。そこはすこし小高くなっていて、そこに向かうゆるやかな斜面が周りにある。中景にはタイヤがぽつんぽつんといくつか転がっている。まだ雪がすこし残っていて、その白と雑草の褐色がかった緑色とが独特の色彩のハーモニーをつくりだす。空は緑がかったグレーの空である。全体の色彩のハーモニーが甘美と言ってよい。北の厳しい風土に立つ小屋を描いたものにもかかわらず、その甘美さ、あるいはロマンティックな雰囲気は、この画家独特のものと言ってよい。向かって右の小屋の手前には船が引き揚げられていて、一部はビニールのシートで覆われている。その右にも小さな船があるようだ。ナイフを縦横に使いながら、大きなタッチで対象を捉えながら、植物の一つひとつの表情、あるいはタイヤ、あるいはトタンと思われる屋根など、ディテールをしっかりと押さえているところにこの作品の絵画としての面白さが感じられる。左のほうにほんのすこし海がのぞいているのも、この空間の奥行きをつくる。どんよりとした暗い雲に覆われた空の内側から光が滲み出るように描かれていて、刻々と変わっていく風景、そして柔らかな光が手前の丘を染めているような雰囲気も魅力である。

 船越信「みちのくの白晨」40周年記念賞。大きな川が流れていて、その向こうにはだんだんと山が隆起して、高い山には雪が残っている。手前に樹木が立っていて、新芽がいま現れつつある様子。空も水もすこしピンク色に染まっていて、初々しいイノセントな雰囲気が漂う。曲線を使いこなしながら独特のメロディをつくる。

3室

 小澤美司「牛を売った夜」。木製のテーブルに頰杖をついて考えこんでいる農夫。そばにワンカップのお酒がある。手前には達磨ストーブに火が燃えている。後ろに牛がいて、その牛を引っ張っている紐が上方にあり、それに抵抗している牛の様子が見える。樹脂を油絵具に混ぜることにより、独特の照りとしっとり感が生まれている。考えこむ農夫の全身のフォルムが優れている。手の指の表情、体全体の考えこんでいるそのフォルム。色彩は地味なものだが、その中に繊細なトーンがあらわれ、優れた形態感覚によって牛を売る農夫の悲しみを表現する。

6室

 坂野悦子「最後の甘い果実」。枝が伸びて、柿の実が赤く一つ残っている。それをついばんでいる鳥。上方にもねらっているもう一羽の鳥がいて、左にはそれを眺めている鳥がいる。三羽の鳥や枝のフォルムがきわめて優れている。独特の韻律と同時にディテールの力が画面によく表現されている。また、客観的な描写ではなく、柿をついばむというシチュエーションを画家が想像し、そのためのコンポジションをつくり、といった造形力が優れているところに注目。

第28回日本水墨院展

(6月26日~7月7日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 川嶋秀子「四季・」日本水墨院賞。淡墨から濃墨にわたる墨色が魅力である。上方から滝がだんだんと下におりてくる様子。下方の鳥居。風景の奥からこだましてくるような、そんな独特の韻律を画面によく表現する。

2室

 村山華凰「悼光」。下方に東日本大震災の津波の跡が描かれている。画家の想像力がそこに入って、独特の、リアルでありながら強いデッサンふうなフォルムになっている。線によるその表現が優れている。そこにまずこの作品の絵画性がある。上方から光が差し込んでいる。そして、雲の上に十字が立っている。十字は亡くなった人々の魂を癒す意味だろう。同時に、この月浦は慶長三陸大津波に襲われた二年後に支倉常長が旅立った場所であり、困難な航海をしたのちにまた同じところに帰ってきた支倉常長の困難な人生をそこに重ねている。それによってより文学的な、より物語性の深み、広がりがあらわれた。「鎮魂の願いを、いかにして捧げようかと悩んでいた時、たまたま友人から届いた手紙の、封に鋏を入れた瞬間角が飛んで、濡れていた画布に突き刺さってしまった。慌てて除いた跡に、奇しくもあの十字架が浮かんできた」という。そういった描かされてこの絵を描いたような、そんな不思議な味わいがあって、それがまたこの作品の深い面白さとなっている。夜空に星がまたたいている。深い鎮魂の思いがそこに感じられ、下方の惨々たる津波に流された建物や船の様子と対照される。

 飛田硯水「親鸞霊木」。笠間市稲田の西念寺のイチョウの大木である。親鸞が越後よりこの地に着いた時、草庵の庭にイチョウの実をまいて、それがやがて育ち、現在、県の天然記念物に指定されているそうだ。その大木のイチョウのもつ生命感やフォルムの力強さを濃墨によってぐいぐいと描きこみ、独特の迫力を表す。

 桑原逸庵「岳高く川長し」内閣総理大臣賞。屈曲する川とその川に迫る両側の山の斜面。そして、はるか向こうに雪を抱いた峰が見える。墨色の階調の幅が広く、また、水の流れる動的な様子に対してしんしんたる山のもつ気配が感じられる。そして、ところどころ裸木が立つ様子がこの作品のアクセントとなっている。

 藤井紫月「新雪」。雪の積もった地面から垂直に立つ何本かの樹木。その様子が独特の清々しい韻律をつくる。構成の妙と言ってよい。

8室

 小川昭「妙義山」秀作賞。妙義山の岩でできた独特の山の姿をよく表現する。濃墨の線によって対象に挑み、独特の動きやムーヴマンを表現する。

 林寿子「春の訪れ」奨励賞。濃墨によって幹や枝を描き、淡墨によって桜の花を描いている。中間の墨色で、そこに来る鳥を数羽描く。柔らかなタッチの中に光を含んだような雰囲気で、色彩が感じられる。また、二羽の鳥のフォルムが生き生きとしている。

15室

 大橋喜恵「梅花芳香」審査員賞。白梅が咲き始めている頃の様子を表現する。屈曲する枝や梢や花のフォルムに独特のリズムが感じられる。

 中靜靜山「入山を請う(永平寺)」。若い修行僧が入山を請うために床にひれ伏している。上方にこの永平寺開山の道元の座禅の姿が線描でこんじきの中に浮かび上がっている。その間に十二神将の一人が立っている。激しい気合を込めたその神将の姿が厳しい永平寺の精神を彷彿とさせる。奥行きのある独特の空間があらわれている。僧のひれ伏している姿も実に生き生きとしたものであり、写実と同時にイメージがよく働いているところが魅力。絵としての面白さを表現する。

第42回齣展

(6月28日~7月6日/東京都美術館)

文/大澤景

1室

 石原覚寿「Lo…」。画家が繰り返し描くモチーフである、公園と子どもたち。赤い線が光線のように走る厚塗りのバックが、画家特有の空間を作り出す。遊具や少女たちの服の鮮やかな色感が、薄紫色の地面と対比され、おどろおどろしい雰囲気を出す。スカートの前を上げて下着を見せる少女、下半身をむき出しにしてしゃがむ少女、トンネル状の遊具をくぐり今出てきたような、他の二人より少し幼い少女。ゆるやかな物語性を感じさせるコンポジションだが、みな目線をこちらに向けようとせず、それぞれが断絶しているようである。一見、思春期よりもすこし前の少女たちの、幼児的なエロティシズムがただようのだが、彼女たちの表情はうつろである。こうした異様な景色をクールに描いているようで、不思議と、この空間をやさしく包んでいるような気配がある。人の心の奥にひそむ異界と言ったらいいのか、無意識下の感覚をなでるような一景である。

 小林希「retweet」。作品の題名は、さえずるという意味の「tweet」という同時出品の作品の、さらに繰り返しという意味だろう。黒いバックを背景に、鳥かごの中につめこまれた青い鳥が蠢き、さえずる。ひとつの塊のようになっている。濃密な気配を醸し出している。鳥それぞれの目は紋様のようにあらわされ、機械のように、同じように口を開けている。この鳥かごに寄ると、さぞかしうるさいのだろう。小品であるが、そのように強迫的なプレッシャーを感じさせる強さ、鮮やかなステンドグラスのような色彩感覚に注目した。

第67回女流画家協会展

(6月29日~7月6日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 上條陽子「歪 ゆがみ」。上方に白い紙を切り抜いたもの、下方に黒い紙を切り抜いたものをコラージュし、重ねて、独特の強い波動を醸し出す。パレスチナ難民の問題をわがことのように引き受けた連作の一つである。上方の白い集積したものは砂漠を背景にして生きる人々を表すようだ。下方の黒い集積は苦しみを思わせる。あいだにイスラムふうな独特の呪文的な文様が散りばめられている。シャープな中に深さと渾沌とした強いエネルギーが感じられる。

 高尾みつ「relation」。緑とグレーの色彩のハーモニーが人を静かに癒すかのようだ。ダイナミックに鍵形に白いストライプが画面を渡っていく。あいだに透明な緑の色面があらわれ、その色面はほかの色面と重ねて深い透明なトーンをつくる。見上げる角度、あるいは見下ろす角度といったように、巨大な教会の内部を思わせるような奥行きのある空間。その中にこの灰白色の輝きとしっとりとした緑がお互いにリンクしながら、深い情緒を醸し出す。

 継岡リツ「特別な時間(想)」。作品がすこし変わってきた。白いバックに星や海のものや花の一部などのイメージが散りばめられて浮遊していく。聞くと、女子美を辞めたそうだ。緊張感に満ちた教育の現場から離れて、画家は自分自身の世界の中に入りこみ、心を解放しようとするかのようだ。右のほうに黒い直方体のものが浮かんでいて、周りを青い色彩が取り巻いているが、それは画家の詩心の結晶した存在のように感じられる。そういったものを核にしながら、伸びやかに浮遊して動いていく有機的な存在。そして、黒い石と直方体と対応するように左のほうに北斗七星のような星座のイメージが表れる。身近な紙や新聞、あるいはテープなどをちぎってコラージュしたようなアンティームな雰囲気と同時に、深い心象空間が空や海とリンクし広がりながら、白い空間の中にあらわれ、そこに様々なイメージの断片が遊び、お互いに関係をもちながら旋回する。

 佐々木里加「HYPER BRAIN CYBERNETICS」。世界中のパソコンのブレインはお互いにネットでつながりながら激しくダイナミックに動いていく。下方に上方に伸びていくフォルムがあるが、それはそのようなハイパーブレインが着地する滑走路のような趣で伸びているところが面白い。下方にはそのようなイメージを脳とダブらせながら白い塊としてコラージュしてあるのも、全体のコンピューターグラフィックス的な空間と対比されて独特の絵画性をつくる。絶えまなく動いていく時間を含んだ空間の表現であるところが面白い。

 山寺重子「光を紡ぐ」。イノセントな遊びのような雰囲気で、赤やグレーやオレンジの不定型の円形のフォルムが浮かんでいる。バックの黄色い光が光線を背負って輝いている。その中に赤い一つひとつのフォルムがまるでイノセントな心臓のようなイメージで集積し、動き、旋回していく。画家独特の心象的な宇宙曼陀羅と言ってよい。それを子供の遊びのような、そんなイノセントな雰囲気で構成して、独特の輝きをつくりだす。『梁塵秘抄』に「遊びをせんとや生まれけむ」という言葉があるが、そんな自由闊達な境地に画家は現在達して、軽みの中にある深い奥行きのある空間をつくりだした。

 本田昌子「去りぬる ・」。画面に接近すると、綿のようなものを使って起伏のある表面をつくっている。そこに針金のネットを重ねながら独特のマチエールをつくる。白い部分は光がそこに集められて満ちているような雰囲気である。明暗の中に時間がたゆたいながら過ぎていく。しかし、そのたゆたう時間の中にある絶対的なイメージの表れる瞬間があるだろう。その絶頂ともいうべきものを画面の中に表現する。そこに表れてくる強い詩情が魅力。

2室

 山口たか子「刻のかたち」。今回の津波や福島原発の強い衝撃からあらわれたものだろう。海岸に髑髏があり、そこで燃やされたものが上方に煙となっていく。その中に様々な形があらわれている。静かな海。対岸もまだ焼けた余燼が残っているようだ。不思議なことは、燃やすという行為の中からまた新しく生まれつつあるものの予感が感じられることである。「色即是空 空即是色」という言葉があるが、そういった死と再生といったイメージが不思議な情感の中に表現されている。拝火教という宗教は火を世界の本体と考えていたそうだが、それに近いような独特の宗教性さえも感じることができる。

 デュボア康子「呼吸」。赤と緑の色彩で二人の女性を描く。座った女性の二体の様子である。強いムーヴマンが画面から感じられる。そのムーヴマンが作品を活性化させる。その力によって女性たちが妖精的なイメージを獲得する。

 手塚廣子「時 2013」。キャンバスに鉛筆や木炭、コンテなどを使いながら、白黒のドローイングがそのまま絵としての面白さになっている。サングラスをつけたお洒落な女性の顔が画面の上方にあり、そのスカーフの下あたりから横顔が浮かび上がり、様々な花が散りばめられている。頭のほうにも植物があらわれている。サングラスの中には不思議な魔法の国のような建物が見える。ドローイングしながら、画家はイメージを増殖していく。その増殖する力が優れている。増殖する現在進行形のエネルギーが画家自身の絵の力となって発現する。

 小野口京子「めぐる」損保ジャパン美術財団奨励賞。和紙と思われるものの上に墨による大きなストローク。上方に赤と白の斑状の百合の花を描いている。背後に大きな樹木の幹のようなものが見えるが、それはたらし込みふうな墨による表現である。また、頭を垂れた花のようなものがあって、そこから花びらが落下しつつある。そんな様子を水墨で描きながら、上方に花のみクリアに再現的に描く。東洋画と西洋画とクロスするところにあらわれたユニークなイメージの表現に注目。

 大塚章子「主よ憐れみたまえ」。ミゼレーレは旧約聖書の中にある話であるが、そのシリーズによって、画家は人間的存在の苦悩を画面の中にすくおうとする。温かなオレンジとピンクの混色のような色彩が、まるで太陽の熱を中に入れたような雰囲気。エジプトの神殿の石柱に寄り掛かると、石が温かいことを実感するが、そのようなエジプトのあの不死の物語を画面に引き寄せた趣がある。女性が体を屈めて祈っている様子。その連続した動きを面白く絵の中に表現する。黒は苦悩を、赤はハートの色彩を表すようだ。そして、その中に不思議な青緑色の色彩が宝石のようにちりばめられる。それは救いの向こうに見える世界だろうか。

 白武尚美「標―2013」。壊れた家具の一部のような材木が重ねられていて、そこに虫食いやほぞの跡などが見える。それは茶褐色の色彩によって表現されているが、背景はモノトーンの中に壊れたドアのようなフォルムが集積している。崩壊する現実をシャープに象徴的に、一種不思議な情感の中に表現する。

 坂谷由美子「花咲く頃 No. 2」。ピンクの線によって対象のフォルムを図像的に切り取る。ポップな雰囲気で桜の花の咲く並木の手前に椿の大きな花などを置いて、楽しい。黄色、ピンク、青などの色彩も明度が高くテンションの高い響き合いをつくる。懐かしいふるさとのイメージも表れる。

 橋本とも子「綺羅を辿る―蜘蛛の絲」。画家は愛する母を亡くして心の旅に出る。繰り返し描く。繰り返されるその旅が蜘蛛の網のように画面の上にあらわれている。タンポポの花が咲いている。カラーの花も咲いている。夜空に星が散りばめられている。下方の白い小さな花は地上の星のように感じられる。地上にあるものが天空に持ち上げられて、その中を画家は祈るように旅をする。そこからあらわれてきたスピリチュアルなイメージを銀灰色の画面に引き寄せる。

3室

 平木久代「遥かなる夢」。蔓のようなものが紡錘状のフォルムをなし、中に黄土色の人間の横顔が置かれている。その向こうには象が赤い花弁の上に立っている。下方から伸びて上方に向かうもの。それは植物的な生命の力で、徐々に伸びていきながら、不思議な形をつくる。それらにイメージを補足し、それを解きほぐし、成長させながら、独特の空間をつくる。そして現れてきたこの横顔は、何かを黙々と聴く人のイメージのようだ。世界をそのように瞑想的に聴き、見る、そんな受動的な力を面白く絵画的に表現する。

 堀岡正子「刻」。古い樹木の中に鳥のようなイメージが表れているところが面白い。長い年輪の中に抱かれたイメージがいま解き放されて飛ぼうとするかのようだ。小さな梢のようなものが、球体の実をなしながら動いていく。深い無意識の領域にイメージの根を下ろしながらつくられた表現と言ってよいかもしれない。その濃密な空間に注目。

 中村智恵美「静物」。胡蝶蘭、あるいはピンクの蘭、林檎、洋梨、葡萄などがサテンふうな敷布の上に置かれている。壁にもやはりサテンふうな青い模様のある敷布が置かれている。それぞれの対象を手で一つひとつ触るように画家は描く。それによって質感が生まれる。独特の画家との距離の近さが強いリアリティとして画面の中にあらわれる。

 吉川和美「午後の時空―水の形―」。ライオンの口から水が出ている。イタリアやスペイン、南仏などの旅行で見たイメージだろうか。氾濫する水がその周りにあって、強いインパクトを与える。その水を通して、もう一つの新しいイメージが表れつつあるようだ。その生成途上にあるイメージの激しいエネルギーともいうべきものが面白く表現されている。優れたデッサン家でもある。

 大橋弘子「signs of spring」。下方に携帯電話のようなフォルムが見える。上方は緑の色面で、その上にコラージュした茶褐色の板を重ねて十字形のフォルムがあらわれている。だんだんと下方から上方に向かって立ち上がり、上方である強い高潮したシーンがあらわれてくるといったイメージ。交響楽でいえば、クライマックスのようなイメージが上方に感じられる。その色彩はどこか母性的で優しく、世界を包みこむようなイメージである。ヨーロッパの合理的な抽象ではなく、鼓を一つ打ったあとの空間の変化のような、そんなこだましてくるイメージを面白く表現する。

 半那裕子「不思議の国」。『不思議の国のアリス』がテーマになっている。最近、それをまとめて本にしたという。巨大なアリスと小さな建物。顕微鏡を思わせるようなフォルム。ウイスキーの瓶や綱を渡るサーカスの芸人。骸骨のダンス。様々なフォルムが集約しながら、都会的でモダンな独特のイメージが表れる。クリアなフォルムがさまざまなイメージをのせる。

 日下部淑子「古木(オリーブ)」。イタリアで見た巨大なオリーヴがテーマになっている。ホラがほうぼうにある。まるで岩のような雰囲気である。その影になっているホラが様々な過去を映しているようだ。静かにそれを抱いているようなあやしい雰囲気である。なお強い生命力が感じられる。フォルム全体が一種火炎状のような形。いわば縄文の火焰土器のようなイメージが表れているところが面白く感じられる。

 宇佐美明美「語らい」。砂漠に斜光線が差して独特の文様をつくっている。手前には流木のようなものがぽつんと一つ置かれている。砂丘はだんだんと上りになっていて、その右向こうには青い海がすこし見えている。また、小さなカタマリとなった枯れかかったような草が点々と生えているのもあやしい。人間の柔らかな脳髄を見ているような趣さえも感じられる。記憶を閉じこめた大きな不思議な砂丘というボックス。それはそのまま人生というものを暗示するようでもある。真正面からこのピンク色に輝く砂丘に対峙し、見事に象徴としてのモニュマンをつくりだした。

 広瀬晴美「2013 私的風景―・」。赤と黄色の縞模様の巨大な花弁が画面に大きく描かれている。バックの葉や空間はソフトフォーカスで、花に焦点を当てて、その様子をクリアに描く。そこにあらわれてくるダイナミズムが面白い。ミクロなものをマクロに描くところにまた新しい世界があらわれる。

 郡桂子「登校」。愛らしい二人の少女が登校していく途中だろうか。周りのオレンジ色の中に波のように重なる筆のタッチが、あわあわと不思議な雰囲気でこの少女を包みこんでいる。イエメンなどをテーマにして描いてきた画家が、心の中につくりだした、愛らしいものの象徴的な表現と言ってよい。

4室

 服部圭子「Juin・13」。黒い衣装をつけた女性が座っている様子を横から描いて、しっとりとした情感を醸し出す。それは女性の向かって右側の灰白色の空間のしっとりとした味わいと女性の肌と黒い衣装とのハーモニーによる。下方から上方に細い木が伸びていく。そのあやういバランスが人生というものを暗示させる。その枝に靴が一つ掛かっているのも、実に不思議な雰囲気である。歩くための一足の靴。荘厳するような赤いカーネーション。画家は内向し、瞑想しながら、一人の女性の人生を温かく描く。

 関口聖子「花の都」。二つの花が生き物のように鮮やかに咲いている。花弁というより、二つとも子宮的な力をもち、生命を新しく生むような、そんなパワフルな二つの花が描かれている。ピンクを中心として鮮やかな色彩に彩られている。中を血管が通っているような力。下方に素朴な二つの建物がのぞく。日常生活の中に刻々と生まれてくる命の働き。敬虔な信仰。日常世界の中から、生命の輝きを画面に描く画家の非凡な力に感心する。

 小石川宥子「流風」。コウノトリのような鳥が卵を抱えて水のそばにいる。それは二羽いて、下方の水が不思議なあやしい雰囲気である。水の上に杭が立ち、橋がかかっている。その橋は実は倒れた樹木で、その洞の中にも三つの卵が浮かんでいる。津波によって様々なものが崩壊したが、その中からもう一度育んで新しい生命をつくっていくといったイメージ。崩壊から再生のイメージが静かに語られる。そうすると、この杭の下にある水は『古事記』の中にある、あのイザナギとイザナミが矛で搔き回した国づくりの神話とどこかつながってくるものがあるように感じられる。日本の神話は女性を中心とした神話であり、今回のような大災害が起きると、そのようなイメージがこの画家の中にも浸透してきて、この不思議な構図が生まれたのだろうか。

 塩川慧子「時の記憶 ・」。テーブルが地平線まで続く大地になっている。その手前に二人の人物のシルエット。上方に雲。赤いカーテン。青い布が川になって下方に垂れている。形而上的なシュールな世界が生き生きと表現される。

 北久美子「富士 風花絵図」。空の上方に富士がヌーボーとした形を現す。波が騒いで、鳥が飛んでいる。その下方には画家のつくりだした楽園が存在する。孔雀と花々と湖。そこには風は通らず、いわば画家の想像力がつくりだした守られた楽園のようだ。それに対して上方に現実的な富士と海と鳥が浮かび、楽園と富士とが対置されるところが実に鮮やかな印象を受ける。芸術のつくりだした世界と画家の素朴な強いドローイングの力とが一つの画面に対置される面白さと言ってよいかもしれない。

 福島瑞穂「l'Eden」。男と女が抱き合いながら墜落している。エデンというより、失楽園のイメージである。女性の体はふくよかに、男はその女性の脇役のように黒々としてそばにいるが、落下しながら、二人は離れつつあり、男の手も外れかかって、下方は頭蓋骨の山である。女性は落下していることさえもわからないような雰囲気で、自分自身の官能の中に身を浸して落下していく。そのふくよかな乳房や全身の様子、あるいは女性性器の様子も含めて、独特のナルシシズムのなかにこの女性はいるように感じられる。そんなナルシシズムの世界と意識的な男性の世界とが一つの絵の中に対峙され、コントラストされているように描く画家の筆力に感心する。そして、下方の頭蓋骨の山が、この画家らしい、なにか懐かしい存在として表現されている。生身の肉体を持った人間のつらさや苦悩から解き放たれて頭蓋骨となったこの顔は、みんなそれぞれ笑っているような、ほほえんでいるような雰囲気であるところが、いかにもこの画家の人生観を表す。そして、頭蓋骨から蝶が飛ぶ。魂となって天上に向かうのか。あるいは地獄のほうに向かっていくのだろうか。きわめて元型的な生と死、男女の関係、地獄と極楽といったイメージを、淡々とこんな平凡な図像の中に画家は表現する。

 入江一子「イエメン ルブアリハリ砂漠」。羊と女性と牧者。そこに黄金色の光が差し込む。風が通り過ぎていく。シルクロードのシリーズの一つである。エキゾティックなメロディが画面を覆う。画家の最近の作品を見ると、視覚的というより、むしろ聴覚的な世界を感じる。いわば音楽は画家の体全体の奥底から発するものと思うが、その音楽を造形化しているような深い趣が感じられる。そこにあらわれてくる永遠的なイメージが鑑賞者を引き寄せる。

 岡田菊惠「さつき咲く頃」。手前に赤いサツキの群れが大きく簡略に表現されている。その後ろは芝生で、その向こうに道があって、そこを人が歩いている。乳母車を押している若い母親もいる。それを囲む暗いグレーのトーンの上に樹木の葉がざわめいている。驟雨が来たような雰囲気で傘を差す。手前の赤いピンクのサツキの群れは陽光の中に輝いていたのだが、いま雨の中にひっそりとしている。手前の昼の世界に対して、向こうの傘を差している雨の世界が対置される。現実の変化を一瞬のうちに画家は絵にする。デッサン力がそれを可能にする。そんなシャープなインスピレーションが作品の中に生き生きと感じられる。

 遠藤彰子「いま窓をあける」。回廊のある建物がお互いに連結している。そこにたくさんの人々がいる。階段の上にもテラスにも。そして、上方を見上げている。上方には空があらわれ、月が見える。その月は、しかし昼の月のような儚い不思議な存在で、たくさんの鳥が飛んでいる。その空が海のイメージと重なるところが面白い。螺旋の構図の中に天と地が交互にその位置を変えながら眩暈するようなコンポジションがあらわれる。「いま窓をあける」という題名も興味深い。人間の表面的な意識の窓をあけると、もっと深い歴史的な世界、あるいは死の向こうの世界さえも見えてくるかもしれない。そういった世界に画家は対峙しながらヴィジョンを表現する。

 馬越陽子「人間の大河―意志―」。夜空が青く輝いている。そこに人が逆様になったり、両手を上げて飛んでいたりする。そのダイナミックな力が意志というものを表すのだろう。そして、夜が後退し、いま朝が来て、赤い空に火を司る神のような黄色いフォルムがあらわれている。下方には女性と思われる人が立って、祈っている雰囲気。その後ろ姿を横から見た人間のフォルムに対して、正面向きの人間がこちらを向いて両手を胸に当てている。青い空がこの女性に浸透して、目が月のように輝いている。その背後にある黒い塊。二人の人間はともに画家自身の仮託された存在のように感じられる。祈る人と瞑想する人。そして、黒い、ある一つの大きな重荷を背負っている存在。そんな重荷から自由になって、夜の世界の中に自由に闊達に動く精霊的なイメージが、前述したように紺碧の空に浮かんでいる。それぞれのものが象徴的な存在と化して画面に構成されている。色彩の輝きが特に魅力である。

 中川澄子「山麓の回廊」。ロマネスクの教会の回廊である。柱に羊を持つ聖人の姿が彫られている。九十度動いたところに女性らしい像もある。アーチの向こうに青い山がのぞき、すこし緑も見える。不思議な光がこの回廊に差し込んでいる。温かで安息的な雰囲気である。小羊は民衆で、それを抱く牧者としての指導者。聖者の姿が光の中に立ち上がってくる。ヨーロッパのロマネスクは日本人にとって親しみやすいものだと思う。彫刻も面白いが、それを取り巻く空気感や光がこの作品の魅力である。

 浅生法子「野―つれづれに」。柔らかなベージュ系の砂浜が輝くように表現されている。そこに野の花が優しく黄色く白く咲いている。あいだに水が流れ、はるか向こうには雑木が点々と立っている。夕焼けだろうか。空がすこしピンクに映えて、その色彩がまた野に反映している。優しい柔らかな地面の様子。生存しているものを一つひとつ花に変えて、ここの上に並べたような雰囲気も感じられる。そして、オレンジ色の蝶がいまここに来て、花と戯れている。いわば仏の浄土のような世界が表現される。

 徳植久子「主のいない部屋」。なにかあやしい雰囲気がこの画面に満ちている。ロココふうな家具の上に飾りのある大きな鏡があり、その前に燭台がある。家具の向こうにはベッドが一部のぞく。そして、グレーの床の向こうに男性と女性の人形が座って、寂しそうな様子である。カーテンがあけられて、窓の向こうには海が騒いでいる。手前の肘掛け椅子のそばに白い百合の花が輝いている。強い密度のある心象的な空間があらわれ、その中を動いていく不思議なものが感じられる。そして、そこに人は不在である。ぼっかりとあいた空虚な感じ。そのあいた空間を埋めるかのように激しく風が吹いている。それは悲しみや寂しさといった感情が巻き起こすものだろうか。親密な空間の中に荒涼たる無常の風が吹く。その風にあたかも照らされるかのように、それぞれのものが静かに輝く。画家の詩人的な資質が十全に発揮された佳作である。

 宮原麗子「遺跡回想(イタリア)」。茶褐色の瓶に花が生けられて、そばに青や褐色、黒などの壺がある。青い壺にもすこしの花が生けられている。後ろにはポンペイを思わせる壁が置かれている。ポンペイの博物館をテーマにしたのだろうか。独特の安息感のなかに、画家のつくりだしたある豪奢な気分とでもいうべきものが画面から発散するところが興味深い。

 前田さなみ「熱砂のピエタ 御手に」。死にかかっている人を抱えこんで立つ女神のような女性。赤い布の向こうには白い百合の束を持っている。平和と人を癒す女神のイメージ。布は白と赤で、赤い色彩は太陽を思わせる。ところが、中景から遠景には戦車がいたりして、交戦中の様子である。実際倒れている男の人の下方にも噴煙らしきものが発生している。戦火の向こうに青い空がのぞく。その青い空と女性の白い百合と赤い色彩が平和のシンボルとして画面の中に表現される。ダイナミックなコンポジション。戦争や日本の空襲を体験した画家ならではの臨場感のある表現である。

 竹岡羊子「ST.MARCO.Venezia(Part・)」。サンマルコ広場のお祭りの様子。ライオンに乗る赤く仮装した女性。下方に鳩がいる。ヴェニスのシリーズも長いが、この夜のヴェニスのお祭りのシーンの中にはしみじみとした情緒が感じられる。右のほうにたくさんのお面が吊るされている店の様子は、日本の縁日にも通じるような雰囲気も感じられて、興味深い。

 志村節子「静物」。グレーのトーンの中に赤や紫、黄色などの色彩が燃え上がるようだ。花瓶に差された花々。ヴァイオリンと大きなガラスの鉢。白い透明な瓶に差されたドライフラワー。あるいはヴェニスの仮面や巻貝や牛骨。卓上にあるものがそのまま風景的存在と化す。そして、背後に青い空や雲を呼び、風を引き寄せる。その激しい風の動きは画家の詩情が呼び寄せ、創造したものであるに違いない。物はその物質から離れて形而上的な存在と化しながら画面の中に輝く。

5室

 沢藤馥子「雪の日」。黒いテーブルの上に輪になった花瓶。そこに不思議な実のある植物が差されている。手前の紫色のポット、そして緑の壺にはピンクの花が差されている。漆のようなお盆には二つのレモンが濃い緑で表現される。その後ろは大きなガラス窓で、雪の積もった庭がのぞく。もう冬が後退し、春の気配がすこし感じられるようだ。画面全体に温気ともいうべきものが立ち込めている。対象と画家との距離は近い。一つひとつ慈しむようにものを描き、配置する。自然とともに暮らす生活のなかから生まれたアンティームな絵画空間である。対象と対立するのではなく、対象と関係をもち、親密な深い対話のなかから、このような独特の余情のある表現が生まれる。

 小梶恵子「イースターの準備」。十数人の女性が描かれている。裁縫をしている人。遠くを眺めていたり、寝そべっている人もいる。あやしい小人たちが刻々とお祭りの準備をしている様子。無関心の様子で寝そべっている女性も、画面の中でその内容を深くしている。いずれにしてもそれぞれのディテールがクリアで、そのディテールがお互いに連結しながら不思議な物語を紡ぎ出す。ディテールから物語に進むという画家の能力が実に面白く感じられる。時間の変化を表すように上方に黒い蝶が飛んでいる。

 児玉沙矢華「翻る空」。廃棄物が散乱している。その真ん中はガラスでできていて、空を映している。そんなところに横になった少女。いわば自意識というものの面白い絵画的な表現と言ってよいかもしれない。現代の世界はほとんど壊れた廃棄物からなっているような人工的な世界であるが、そんな中に空が映る。空は唯一自然というもののもつ象徴と言ってよいかもしれないが、その自然はまた深い心の内部にある空と重なるようだ。そういった鏡に映る自分自身を眺めているこの孤独な少女。しかし、その中に光があらわれ、ほのかな希望が見えてくる。

 目黒礼子「実験室」。骸骨がガラスの筒を持っている。その中には原子核の模型や蝶の標本などが置かれている。後ろに横文字の本がたくさん置かれている。頭蓋骨の様子は人間の進化の過程をそのまま露骨に表現するようだ。現在は過去からつながっているといった歴史的なイメージの中に今日を把握しながら、画家は瞑想する。瞑想するイメージをこんな雰囲気で描く。そして、頭蓋骨が陰惨なものでなく、明るく、笑い声が聞こえてくるような、そんなポップな雰囲気のなかに描かれる。感覚と知性とのクロスするところにあらわれた独特のユーモラスな表現である。

 佐藤みちる「光に染みて」女流画家協会賞。ガラス器を面白く構成している。透明感と反射といった二つの要素と独特の触覚性のなかに、重層的に置かれたグラスがそのグラスを通してもうひとつ向こうの光の世界を引き寄せる。

 ふじいあさ「架空園(ステージ)」。矩形の市松状のボックスを積み重ねながら、一つの空間をつくる。そのあやういバランスの上に、一角獣のようにも見える動物が立っている。指がなくなって手首だけの女性のトルソが立っている。そのトルソは白く輝いている。いわゆる社会的な存在、衣装を脱ぎ捨てて、人間存在そのもののイメージを表現しようとする。その存在の不思議さというものを描く。そこから、たとえば犬も変容して一角獣的なイメージがあらわれる。紡錘状のフォルムが繭のようなイメージであらわれ、その中からまた新しい命が孵化していくような、そんなイメージが連続しながら描かれる。

 川口智美「アマリリス」。アマリリスの花を大きく画面に配している。下方はデッサンふうにモノクロームでドローイングふうに描いている。それに対して上方や両側に彩色したものが描かれ、背景は黄色である。アマリリスの実像と虚像を重ねたような雰囲気のあるところが面白い。ドローイングし、そこに彩色する、描くという意識自体が現実と絵の中の虚像という二つのコンセプトとなり、それを画面の上であえて表現の手段として使うところに、このアマリリスの曼陀羅ふうな表現があらわれたのだろうか。背後の黄色い色彩が画面全体のトーンを決定し、不思議な奥行きを醸し出している。

 宮原むつ美「BOLOGNA・ITALIA(ボローニャ・イタリア)」。アーチ状の中に光が差しこみ、向こうにボローニャの街並みが描かれている。周りが抽象的な壁のような暗いイメージのアーチ状のところを抜けるとこの街があるといった雰囲気。その中世から続く街の不思議な安息的な魅力を、幾何形態を繰り返す独特の建築的なイメージの中に表現する。画家自身が画面の中で製図をし図面を引きながらボローニャの町づくりをしているような、そんな楽しい雰囲気も感じられる。

 柴野純子「風の音」。天使が竪琴を奏でている。後ろに素朴な教会。下方に百合の花。左のほうには天国の鍵とその入口のようなイメージがあらわれる。ペトロがその鍵を持っているという天国の門のイメージを静かにうたうように表現する。

 佐藤多雅子「ノー・モア」。黒と白の縞模様の布の向こうに津波があらわれている。日常の中に突然侵入してきた津波の恐ろしさを実にヴィヴィッドに表現する。壊れた木でつくられた十字架に2011・3・11 PM 2:46の文字を白墨で描かれたように表現する。あいだから塔と三つの大きな建物が見えるのは、福島原発なのだろう。独特の幻視的な表現である。

 村本千洲子「石狩挽歌」。丸いテーブルにボトルと赤ワインの入ったグラス。手前の女性はトランプをしている。後ろに二人の女性がいる。その女性たちはこの一人の女性の分身のようだ。お酒を飲み、トランプをし、占う。背後に白木の柱や塀が見え、空が光を包みながらだんだんと暮れようとする。時が移っていく。その現在進行中の意識の流れを画家は表現しながら、自分とは何か、世界とは何かを絵の中で考える。

 山田泉美「崖屋の朝(木曽福島にて)」。石垣の上に民家がある。四階から五階建てであるが、継ぎ接ぎの様子で、いつ壊れるかわからないようなバランスの上に立っている。格子窓に外の風景が映っている。まるでパズルのような建物が画面全体に描かれ、不思議な雰囲気を醸し出す。日本画という岩絵具に膠を使いながら、このモザイク状の不思議な建物を画家は今回発表した。屋根はトタンで錆びた粗末なものであるが、窓の向こうになにか不思議な希望があり自然があるような、そんなシュールな雰囲気に注目。

6室

 平野マチ子「清風・清水(静閑)」。上方に二つの窓がある。それを抑え気味のコバルト系の青によって表現している。下方にはウルトラマリンの張り詰めた青い色面があり、その横にはビリジャン系の色彩の入れられた矩形の色面があり、その下方には黒い色面がある。夕方から夜に変わる時間帯の空の趣、そして夜が後退し徐々に朝日が昇ってくるときのイメージの二つが、この作品の中に重ねられているように感じられる。また、上下二つのパートに分かれていて、二つのキャンバスを組み合わせることによって、そういった時間のコントラクションも生まれる。その中に画家のもつ強い詩情はグレーの炎のようなイメージを表す。それはまたグレーの静かなる息のようでもある。植物も人間もすべて息をしている。そういった自然のもつニュアンス、そのリズム、その韻律を上下二つのたらし込みふうなフォルムによって対照させる。上方は過ぎていって後退していくなかにあらわれ、下方はこれからあらわれてくるといった動きが感じられる。いずれにしても、深く自然と関係をもつ中からあらわれた、禊をするような強いエネルギーやムーヴマンが感じられる。

 渡辺記世「hana 華」神戸文子賞。画面の右下方に同心円のぐるぐる回る渦巻き状のフォルムがあって、その中心に赤い大きなフォルムがコラージュされている。同心円はその左上方にも、左下方にもあらわれて、それぞれがお互いに呼応しながら、なにか強いエネルギーを感じさせる。生きていることは動くことである。死は静止であるといった言葉さえも浮かぶようだ。しかも、その中に画家独特の美意識も表れている。曼陀羅といえば曼陀羅であるが、いわばこの世の命、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」とうたったのは林芙美子であるが、そのような情緒も引き寄せながら、より本質的な命の歯車が画面の中に巡回しているといった趣である。それを囲むベージュの背景がしっとりと対置されているところも、いかにも日本的で面白い。

 桑野幾子「'13 心の旅」大住閑子賞。ネットを使いながら到達点のわからない旅を画家は表現してきた。今回もそのようなネット的空間が強く発現してくる。下方から抽象的なペアのフォルムがあらわれ、その上方に緑や青いフォルムがあらわれている。上方には憧れのイメージ、下方には人間的存在のイメージがあらわれているといった解釈もできるだろう。そのあいだに複雑なネットの文様が渾沌とした現実を表す。

7室

 笹森文「煌めく光の中で」。巨大な樹木の幹から枝が広がっていく。その手前に白い花の咲いている植物がある。それは蔓のような植物のようで、手前に笹の葉がある。自然のもつ不思議な力がこの森の中で発現している。その神秘的な様子を生き生きと描く。バックの金による色彩もこの作品にふさわしい。いわば、自然のもつ過剰な力を画面の中にそのまま過剰に表現したような表現に好感をもつ。

 山本宣子「ペルシャ遥か」。ペルシャのかつての栄光の遺跡からフォルムをピックアップしながら、独特のニュアンスを醸し出す。有名な貢ぎ物をする人のレリーフであるが、そんなところからピックアップしながら構成しているうちに、画面は日本のしっとりとした風土の雰囲気をまといはじめた。日本人は様々な文化をそのように消化しながら日本的に変容してきた歴史をもっている。画家のこの作品の中にも同じことが起きていることが面白い。グレーと褐色のニュアンスにはわび、さびといったイメージも表れ、時間のなかに存在するものに対する深い感慨があらわれる。下方に子供のような女性のようなフォルムがあらわれ、右のほうには球を持った人の姿があらわれ、上方には使者のイメージがあらわれ、大きな壺もそこに引き寄せられる。日本の正倉院にはペルシャの文物もずいぶん収容されているが、そういった歴史もしぜんと感じさせながら、栄枯盛衰の歴史が画面の中に、しっとりとしたある情緒のなかに表現されている面白さと言ってよい。

 髙橋恭子「記念日」。赤い背景に女性の上半身が描かれていて、圧倒的な存在感を示す。その頭の後方には白い壁を見せる遺跡と思われる建物が見える。女性の顔はどこか神話的なイメージを醸し出す。上衣は白く、そのあいだから茶褐色のワンピースがのぞく。赤い色彩はしぜんと太陽を思わせる。女性は太陽的なエネルギーの象徴、いわばその化身のようなイメージとしてあらわれているように感じられる。それに対して長い歴史の中に風化した人間の営為の跡としての歴史的建造物が白く輝く。それは横に広がっていって、女性の垂直に立つ動きと十字形の構図になっている。シンプルであり、強い構図の中に神話と歴史、人間的な実存と神話といったイメージが強く浮かび上がる。

 天児奎子「篁(こう)」。様々な竹が画面に集められている。いちばん高い竹は伸びて、画面の上辺を突き抜けている。もっと丈の低い葉をつけていない竹もあるし、ふさふさと葉をつける竹もある。そんな竹が集まって全体で複雑、玄妙な韻律をつくりだす。竹林の七賢という言葉が中国にあるが、そういった物語も背景に引き寄せるかのような、雅やかで清々しい独特の絵画世界が表現される。

 大和久子「遠い日」。焼却炉が画面の前面にどんと描かれている。後ろには二つの煙突。また、右後方にも工場を思わせる建物があって、その向こうからも煙突が伸びている。冬枯れの雑草の中に存在するこの大きな焼却炉は、なにか強い力が感じられる。破壊し燃やす力というもの、しかもそのことに対する信頼感ともいうべきイメージが画面からあらわれてきて、それが圧倒的な存在感をこの作品に与える。じっと見ていると、この燃やすための円筒形のフォルムが、巨大なグレートマザー的な、ある神話的なイメージを表すようにさえも感じられる。

 丹羽久美子「時の記憶」。和服の女性が座って横笛を鳴らしている。後ろに大きな黄色い花が浮かんでいる。女性は体の割に顔が大きい。その響いてくる音色はどんなものだろうか。神道的な力がしぜんとこの作品から感じられる。日本の女性のもつ力が、しぜんとこの雅の世界のなかにあらわれてくるようだ。

8室

 小村井文江「風紋」。水の波紋を面白く表現している。その中に、さまざまな色彩が感じられ、一種、音楽的な感興を覚える。

 岸本洋子「umber 2013」。白がイノセントに使われて、独特の動きがある。強いエネルギーが感じられるところが面白い。

9室

 中嶋しい「ボクの雄鶏」。コンピューター・グラフィックスの上にパネル、ミラー、あるいはプラスティックの上に白い線描でフォルムをつくったりしながら、重層的な視覚によってギリシャ神話の世界を今日に引き寄せる。空に向かって太陽が昇っていくイメージ。そして、夜明けが来ると雄鳥が鳴く。この中では、その太陽は緑の神秘的な円形によって表現されている。日本の和歌の中に本歌取りという言葉があるが、ギリシャ神話を本歌にしながら、自由にアレンジした柔軟な詩的なイメージに注目。

 長瀬いずみ「みのとしのなつのひの」水野恭子賞。不定型の丸いカーヴをもった二つの重ねられたフォルムに布が巻き付けられて、そこに絵具が置かれている。陰翳礼讃といった独特のイメージである。光や時間の揺れ、あるいは水を連想させる。そこに影が映り、時が過ぎていく。そんな空間の表現に注目。

 船津多加子「エール」。正方形の画面の中に段ボールや布をコラージュしている。それぞれに色をつけていく。同色でありながら微妙に異なって、繊細で強いハーモニーが生まれる。一種シンフォニックなイメージがあらわれる。視覚的であると同時に聴覚的な力に注目。

 石田ひろ子「旋律」。ベージュ、オーレオリン、黄土、黒などの色彩を使いこなしながら、憧れのようなイメージがあらわれる。右のベージュの明るい空間が月の光のようで、画面の中に月を引き寄せ祈っているような、そんなロマンティックな雰囲気に注目。

10室

 中嶋紀子「sLide face」。若い女性の正面向きの顔。目が下方にいくつも繰り返されていて、独特の魅力をつくる。「目は口ほどにものを言う」という諺があるが、チャーミングな若い女性の顔にこれだけの目が上下描かれることによって、複雑な女性の心理が浮かび上がり、それを一種の官能性が支える。

 髙井清美「貝殻 ・」。正方形の画面の左側いっぱいにカキの貝殻を描いている。黄色から柔らかな緑、オレンジ色などにわたる色彩を描きこんで、なにか大事な存在として表現されている。そのカキの貝殻の中にもう一つの夢の空間があるような、そんな面白い表現である。

11室

 松本信子「見えない音」。横断歩道がカーヴしながら、まるで高速道路のような性質をもって画面に立ち現れ、それによって囲まれているところに下町のスカイツリーと民家が現れ、高い高圧の電信柱が描かれる。そして、スカイツリーの背後に巨大な月のようなイメージがあらわれるわけだが、その月は大きな目の中の部分として描かれる。都会の生活、その中で身近なのは横断歩道。その安全な横断歩道がハイウェイのようなスリリングな気配をもって画面の中にあらわれる。そして、恐怖におののくような強い目のイメージがあらわれ、都会というもののもつドライで危険なイメージを画家は見事に表現する。「見えない音」とは「見えない心」という言葉に言い換えると、わかりやすいだろう。

 松山美生「網膜の低温火傷」奨励賞。大きなガラスによって区切られた室内空間。その内部もガラスによって区切られている。内側と外側とがクリアに見えるなかに、やはり外と内との違いはあって、お互いが呼応しながら不思議なイメージが立ち現れる。そういった現代の空間のもつ危ういバランス、あるいはきらめきといったイメージを表現する。

 木村節子「『ゆくえ』 ・」。高層マンションが立っているが、そのマンションが巨大な崖、あるいは切り株のようなイメージと合体し、その上方の屋上には道路や緑の樹木が生え、工場から煙突が伸び、煙を噴き出している。その都市空間を背景にして黒い猫が大きく浮かび上がり、壊れた階段の上を歩いている。人工的な高層ビルも長く住むと、このような有機的なイメージをしぜんと表すだろう。そこに生活する画家のヴィヴィッドな心象表現である。

 山下則子「OTOME1」。十人近い少女たちが集まっているが、そのそばにウルトラマンが両手を上げている。それと全く無関係なノンシャランな少女たちの姿。まさに現代の一風俗と言ってよい。顔を大きく描いた群像に独特のリアリティが感じられる。

12室

 大久保孝子「明日・ ・」。タンポポを持って上方を見る女性。白いキメ細かな肌が魅力。その後ろに大きな球形の一部を思わせる空間があり、そこに青を中心として様々なフォルムがあらわれ、それに対して緑やオレンジの色彩が対照される。一日の様々な出来事をその中に詰め込んで表現したような独特の生気が感じられる。その相似のように上方に青い惑星、地球のイメージが浮かぶ。地球の中で一日を過ごし、昨日が今日に続き、今日が明日に続く。日常の時間の中にあらわれてくる情感、イメージを面白く表現する。

 岡村えみ子「路地裏の鼓動」。段ボールの中に飲まれたワインや焼酎の瓶、ビール瓶が重なっている。むきだしの地面。店の裏側の壁。一つの水道栓。店裏の一隅の中にある瓶という静物を、画家は宝石のようなイメージのなかに表現する。不思議な感性である。宴のあとともいうべきこの空瓶の集合を描きながら、それを通して人間的な生活、その実存というものを黙って眺め、それを深い領域で鑽仰しているようなイメージも感じられる。上方の水道の蛇口から水は出ないが、その蛇口の様子が下方の地上的なにぎわいに対して天上の神のメタファーのような雰囲気であらわれているところも面白い。

 堀桂子「遠音 ・」。道の両脇は雪の積もった大地である。そこに壊れた車輪。あるいは雪に囲まれた雑草。大きなドラマが起きたあとのエアポケットのようなイメージを、この空間の中に感じる。どこかデジャヴ的感覚を引き起こすような空間の、あるいはイメージの力に注目。

 小島遼「光と影」。黒板を前にして教室の中に机と椅子のある様子を生き生きと表現する。左はガラス窓で、そこから斜光線が差し込んでいる。無人である。平凡な、誰もが経験した校舎が、もう一つの世界として画面に立ち現れている。それは机や椅子の連続性とそこに差し込む光のもつ不思議な性質による。とくに光のもつ聖性ともいうべきものが実によく表現され、それがパースペクティヴの構図の中に生かされている。

 辰巳ミレイ「刻」。コンクリートの壁。石を積んだ壁。囲まれた一隅に黒と白の猫が座って、光のほうを眺めている。画面に接近すると、ずいぶん描きこまれていることがわかる。まるで猫の搏動を自分の搏動のように表現する画家のイメージに注目。

 山本優里「木漏れ日の散歩道」。うずたかく落ち葉が積もっている。上方にはクーラーの室外機も一部見える。木漏れ日がそこに当たっている。平凡な一隅が、光の斑状の様子と落ち葉の形によって不思議な生気をもって立ち上がってくる。

 吉原多美枝「サンクチュアリ」会友賞。壊れたコンクリートの建物の上方に女性が白い衣装を着て横たわっている。背後は青い色彩で、海や空を表すようだ。壊れかかった傾いた煙突からすこしの湯気が出、ジョウゴが建物を連想するブロックの上に置かれている。緑の若葉が萌え始めている。崩壊と再生のイメージを淡々と描く。

13室

 太田加壽江「冬の華」。ピンクの花をつけた一本の樹木。色とりどりの花が咲いていて、そこに青い鳥が十羽近くとまったり飛んでいたりする。背後の箔を思わせるような空間の上に画家のつくりだした花と小鳥のドラマをイコン的に表現する。

14室

 石﨑道子「流星の使者 ・」。一角獣を背景にしてミステリアスな女性がホオズキを持っている。後ろには縦笛を吹いている人。下方には不思議な船が浮かび、城壁が見える。緑とグレーを中心として夢想の世界にいざなうものがある。女性は一種のアニマ的な存在と言ってよいかもしれない。

 さとうのりこ「神無月 ・」。枯れた蓮の茎と葉。水が空を映しているために、まるで空を背景にしてこれらの様子が浮かんでいるように感じられる。ダブルイメージとしての空間の広がりが面白い。

 丸川幸子「one day A( '13 ニューイヤーコンサート)」奨励賞。オーケストラを楽しく描く。指揮者が団員の三倍ぐらいの大きさで背中を見せ、たくさんの楽団員がそれぞれの楽器を持って演奏している。二階には人がいて、その上方には装飾的な窓や空間があり、その上の装飾的な三角形の上には数羽の白い鳥のフォルムが見える。下方の赤い絨毯をバックにして演奏されるオーケストラのイメージは楽しく、しかも繊細である。なにか画家の独り遊びの世界のなかで組み立てられた楽団員のようなイノセントな雰囲気が筆者を引き寄せる。

 倉島芳子「扉―A」会友賞。扉がすこしあけられて、その向こうの空間に影が映っている。太いリングと上方に飛ぶ黒い猫。あやしい雰囲気が漂う。扉の外側の光景と思ったが、内側のイメージかもわからない。古い建物の内部にある気配を、独特の陰影の中に表現したと思うと面白い。

15室

 黒田真由美「祈り(・)」。ほぼ正方形に近い横長の空間の中に柔らかなグレーや黄土色、褐色の色彩によって独特の音楽的空間があらわれる。メロディが繰り返し画面の中にあらわれ、上方に、あるいは左右に流れていくようだ。物質的な世界ではなく、物質を超えた世界。それは音であったり、光であったり、あるいは形而上的なイメージの世界、あるいは魂の世界のようなもので、それが不思議な彩りのなかに動いていく。そこに手触りをつくろうとして段ボールなどがコラージュされていて、抵抗力を表すが、それを難なく通過しながら、繰り返しあらわれては流れていくその力は、きわめて宗教的な性質を感じさせる。仏教では声明であるし、ヨーロッパではまだ成人してない子供たちの透明なソプラノのメロディを連想する。同時に、この幽玄な気配はやはり日本人のもつ心象空間と言ってよい。われわれの魂の返るべき世界、その深い流れがしらじらとした中に表現され、絶え間なく流れていくようだ。

 照山ひさ子「Domani '13─2°」新会員。イタリアにしばらく住んで、その古い街の歴史から強くインスパイアされたものがあった。そんなイタリアの壁のようなイメージを画面全体につくり、文字を置く。そして、綿毛がそこを飛んでいく。まるでそれは歴史のなかに生き死にする一人一人の命のようなイメージ。そんなロマンティックな雰囲気と堅牢な茶褐色のバックとが響き合いながら、不易と流行ともいうべき世界があらわれる。また、ヴェネシアンレッドという言葉があるが、イタリアのローズ色のような色彩がこの壁に置かれているところも魅力。

 上田英子「Float 3-1」。黒いバックに白いフォルムが立ち上がり動いていく。激しく噴出しながら、そのあと雲のように浮かび、ノンシャランに動いていくような、そんな雰囲気もある。いずれにしても、命というものの動き、そのムーヴマンにポイントを置いた表現として面白い。

 滝本千恵子「時の奏でに」。ピンクやブルーなどの色彩。緑も入っている。暖色と寒色をうまく配分しながら、人形のような女性が画面の中心に現れ、周りを花が取り巻き、階段が現れ、水が流れ、船が進み、夜が来、朝が来るといった雰囲気である。薔薇と光と夜、といった言葉がしぜんに浮かぶような独特の詩的造形といってよい。

16室

 高橋典子「恋活同盟パサージュの巻」。ブルドックや秋田犬。様々な種類の犬が頭になって男女となり、この空間の中に現れている。物語性と筆力に注目。

 古永敏子「生命(いのち)」。赤い炎の動いていく様子がヴィヴィッドに描かれている。そのあいだに暗く青い空間があり、二つの背骨を思わせるフォルムが立ち上がっている。その二つのフォルムは人間の象徴である。生きるものは必ず死ぬる。また、生きていくことは体の中に火を燃やし続けるイメージでもある。生と死の二つの炎が画面の中に表現され、不思議な力をもって奔放に動き、輝く。そんな強いイメージに注目。

17室

 近藤オリガ「漂着」。廃船の一部から樹木が立ち上がっている。廃船の一部が山の断崖になっている。それが砂漠と砂地と砂丘のクロスしたような空間の上に置かれて、いま駱駝が歩いてくる。シュールな世界。通常の時間が消えてしまったような中にスクリーンが浮かび上がり、歩いてくる駱駝とそこに乗る人間。まるで時間を旅するイメージと言ってよいが、それをクリアなフォルムの組み合わせによって表現する。

 西山典子「いつものように」。画家の描くフォルムには独特のボリューム感があって、それが絵画的な魅力をなすと思う。緑のベッドに横たわった女性の量感のある表現に引かれる。背後に大きな姿見があって、この女性がワンピースを着て絵筆を持っている姿が浮かぶ。猫が愛らしく、寝ている女性の足に左前足を伸ばしてちょっかいを出している。それも楽しい。

 菊田和子「マサイ族と背広 ・」。マサイ族は赤を中心とした極彩色のきらびやかな衣装で有名である。また、アフリカの部族の中で気高い戦士としてのプライドをもっている。そんなマサイ族が都会化し、背広をつくり、ジャケットを縫っている。裁縫室の中に三人のマサイ族の男がいる。明るいヴィヴィッドな色彩とクリアなフォルムによって独特の生気が生まれる。

19室

 山崎厚子「奏でる」。マンドリンを弾く女性の顔が面白い。どこかで見た顔と思っていろいろ思いを巡らした。ジョットの描いた有名な「ユダの接吻」のあのユダの顔と似ているということを発見した。この画家にはクリアなフォルムを通過して、それぞれの人間の内面にある力を引き出すところがあって、それがこの画面を活性化していると思う。独特の才能と言ってよい。

 横田律子「予感(2013) 1」。頭の後ろに手を伸ばした裸婦。座って考えこんでいる裸婦。衣装を着た中から足がのぞく。時計が一時頃を差して横になっている。巻貝がいくつも現れ、花が咲き、トンネルの中にまるでパントマイムのように、数本の手が複雑な形をつくる。そんな様子が一種曼陀羅ふうに表現され、現代の不安と希望ともいうべきもの、あるいは過去と未来のイメージが浮かび上がる。

20室

 前田充代「哀花 ・」。裸の女性が仰向けになって寝ている。上にシーツが掛けられて、百合の花などが浮遊している。背景は青く、津波で亡くなった人に対する深いレクイエムの表現であることがわかる。しーんとしたトーンの中にぴったりと絵具がついて、大きな奥行きのある空間の生まれていることと、クリアなフォルムの力がよい。

 沼賀美妹「夢」。フローリングの向こうのガラス戸が大きくあけられ、庭が見える。たくさんの薔薇と東屋や樹木。その向こうにはうねうねとした低い山がのぞく。床の上に二つのスリッパ。自然のもつ独特の美しさ、その神秘が室内から眺められる。そして、いまスリッパを脱いでそこに行った人の姿は見えない。そこには、こちら側と向こう側、生と死といった境界のイメージも表れてくるようだ。

 生地京子「旅の果て―・」。岬の果てに灯台がある。その果てに犬を連れてきた一人の人間。船がその上に繫留され、家がある。いわば、人間界から離れて、ある臨界状況に来た人間のイメージを優しく表現する。そこにあらわれてくるイノセントな雰囲気が独特のトーンを呼ぶ。

 小川まり子「みち ・」。道の両側の建物と山を色面的に構成している。色彩感覚のよさに注目。

 小林美知子「帰還 ・」。象が空を飛んで帰還している。背中がジッパーのようになっている。下方に光が満ちているが、海の中を泳いでいるような雰囲気もある。ファンタジーである。

 松本裕子「森の語りべ ・」。一株から何本もの幹があらわれている。数百年の樹齢をもつ樹木だろうか。下方に青い小鳥がとまっている。上方にはグレーの小鳥がとまり、木の中にそれとわからぬように薄青い鳥もとまっている。地面には鹿がいる。自然の不思議な命の様子を画面いっぱいに力強く表現する。

 加藤あ貴「風」。大きな木の手前に少女がいて、青い容器を持っている。そこには桜の花びらが盛られているようだ。後ろに三頭の犬がいるが、一頭の犬の三体だろうか。ミステリアスな様子。森の神秘と、そこから現れた不思議な女神。その同伴者としての白い犬。ロマンティックでミステリアスなイメージを表現する。

 稲垣フジ子「夏の華」。母と子と祖母と三世代が線香花火をしている様子が描かれていると思う。密度のある空間とコクのある色彩の輝きに注目。

21室

 餌取紀恵「景(・)」会友賞。油彩画による水墨画を思わせるダイナミックな表現。巨大な幹が左に向かい、枝がそこから伸びて、大きく湾曲しながら一周している。その空間の向こうに小さな樹木が白黒で表現される。自然との強い親和力からあらわれたイメージだと思う。動きとニュアンスのある色彩に注目した。

 松原紀子「おねえちゃんにつかまって!」。水の中にいる姉妹。下方には海が青い表情を見せる。二人は海を背景にして羊水の中につかっているようなあやしい雰囲気がある。二人の姿のクリアなフォルムに臨場感が感じられる。

22室

 黒沢典子「重なる ・」。十ぐらいのテトラポットが構成されている。独特の柔らかな重量感のあるフォルムとマチエール。一つひとつのテトラポットを手で触るように画家はここに置く。それがきわめて人間的な表情を見せる。

23室

 當間菜奈子「星の淵を歩く」新会員。床の上にシーツが丸められて、しわになっている。カバーのつけられた枕もある。そこに光が当たる。それぞれのもののマチエールがしっかりとしている。そのマチエールを通して光のマチエールともいうべきものが、画面に表現され、それが聖なるもののイメージを醸し出すところが面白い。

第92回朱葉会展

(6月29日~7月6日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 為郷緋紗子「白夜」。ファンタジックな風景である。石段の向こうに不思議な廟のような建物があって、中にオレンジ色の光が灯っている。両側の裸木。そして、階段の手前の水。そこにうっすら映る建物の影。ファンタジーの物語が始まる。

 原木光子「行く夏」。白い石造りの建物。階段の向こうはエーゲ海にでもつながっていくのだろうか。手前にケシの花が咲いている。独特の動きのある空間の中に花が輝く。

 坂田都「流転」。樹木の枝が左のほうから右のほうに伸びていき、右下から左上方に伸びていく。その枝が命というもののイメージを象徴する。バックのベージュやジョンブリヤン系のグレーや青みがかったグレーなどの色彩が炎のような形で色面化され、カーヴする枝と呼応しながら、独特の生命感を表現する。

 浜口美和「自然との会話(地球と月と)」。上方に二十五日頃の月が浮かんでいる。下方から枝が屈曲しながら伸びている。つがいの白い鳥が飛んできている。ひっそりとピンクの花が咲く。シダのような葉が伸びている。画家は木と交感し月と交感しながら花を眺める。そんな画家の自然との深い関係のなかから生まれた独特の瞑想的な空間である。日が移ろっていく夕方の光景だろうか。昼と夜との境目の中に深い声明が聞こえてくるような空間が生まれる。

 石風呂正枝「春恋歌(茜)」。不思議な植物が伸びていき、赤い花を咲かせている。後ろに海があり、灯台のある島が見える。幻想的な光景である。上方には月も浮かんでいる。植物のフォルムがまるで一つひとつのタコの足のような強い生命力をもって描かれながら、懐かしいファンタジックな空間をつくりだす。

 小林康子「一炊の夢=幻」。一炊の夢というと、「邯鄲の枕」のようなもので、ごはんを炊いているあいだに一生が過ぎてしまったといった意味なのだろう。緑の氾濫する光景の中に楕円状の透明なボックスがあって、その中に様々な色彩が入れられている。赤、黄、ジョンブリヤン、青、緑、紫。それは燃え盛る命の曼陀羅といった趣である。そこに描かれているものは単に物質ではなく、命と時間の凝縮されたかたちのように感じられる。

 山口美智子「響」。緑がしっとりと上品に使われている。手前にテーブルがあって、そこにストライプの布が置かれ、アコヤ貝などの二枚貝が置かれている。とくに上の蓋が取れた大きな貝は手のようで、なにか天上のものを受け止めているかのようだ。時が刻々と移ろっていく。自然との深い親和関係のなかからあらわれてきた風景作品であるが、やがて夏が過ぎ、秋がすぐそばまで近づいているようだ。

 宮本紀子「Boy of Hudson」朱葉会賞。ハドソン川の様子。ニューヨークの周りの海の様子をカラフルにダイナミックに表現する。建物や海や船、そして朝や夜の時間帯も含めて、それらを凝縮するように集めたヴァイタルなエネルギッシュな色彩豊かな表現に注目。

2室

 武沢伸子「刻・2013」。高坏には茶色い果実が置かれている。両側に丈の高い瓶が十ぐらい置かれて、明るく光の中にあるものから、ひっそりと影になっている部分まで描かれているのが、独特の華やぎを見せる。手前のグレーの布が水のようである。後ろに窓と思われるフォルムがあって、空を映している。『陰翳礼讃』という文章を書いたのは谷崎潤一郎だが、この作品にもあてはまるだろう。陰翳の中に水を呼び、月を映し、光の移ろいを見る。

 倉繁貴志子「妥」。砂丘がオレンジ色に染まっている。その向こうに海が広がる。水平線が光っている。無人の世界である。イノセントな風景が画家の魂を象徴するようだ。

 田島時江「カフェタイム」文部科学大臣賞。パリのカフェの一隅だろうか。人々が会話をし、ギャルソンが動き、また、そんな人々と離れてひっそりと座っている人。約束の人を待っている様子。そんな人々の心臓の鼓動が画面からあるビートとして聞こえてくるような、そんなリズムのある群像表現である。

 武田采子「一隅」。白いボックスの中にじょうろがある。じょうろは黒褐色で、白いボックスと鮮やかな対照を見せる。その後ろに蔓があって、カラスウリの実がなっている。銀灰色の障子がその上方にある。緑の微妙なトーンの変化のなかに、夕暮れの懐かしい光景が浮かび上がってくる。

3室

 菅原直子「刻(とき)」。オレンジ色の女性のフォルムと緑の葉、ピンクの花がお互いに響き合う。青い空に黄色い雲が浮かび、蝶が飛ぶ。ロマンティックなイメージを生き生きと表現する。

 木原三千代「カーニバルの日(・)」。ヴェニスのカーニヴァルだろうか。それぞれ仮面をかぶって仮装をしている。そのあやしい雰囲気。京都の路地と同じように、それ以上にヴェニスの千年を超える歴史は独特のあやしさを醸し出す。そういったあやしさがいわば薄暮の時間の中にあらわれてくる趣が面白い。手前に紫の衣装で紫の扇子を開いた女性。後ろには緑の衣装を着た女性が白い百合の束を持っている。その後ろにはこちらに歩いてくる女性と男性。向こうには赤い帽子をかぶった人々がいて、宮殿が見える。石のペイヴメント。不思議なメロディが画面から聞こえてくる。仮装をすることによって、通常の社会的な役割を忘れて、人間の奥深い魂の世界があらわれてくる。

 梅本マリ子「笛の音が」。油絵でぐいぐいと描く。日本人の女性のもつ母性的な要素、その官能性が生き生きと表現される。

4室

 大谷千恵子「裏通りの靴屋」。靴を持って作業している白髪の男。手前のテーブルの上には赤い靴のペアがある。後ろのポスター。ヨーロッパのある一隅に発見した光景をしっかりと画家は描く。

 名嘉真麻希「宇宙からの妙なる調べにじっと耳を傾ける人々」。赤い電車の中の椅子に七人の人が座っている。七人目はほんの一部描かれて、六人の男女が思い思いの様子である。こんじきの雲が周りにたなびいている。ポップふうな感覚で、明るくリズミカルに電車の中の人々を表現する。このようなこんじきの雲を周りに置くと、疲れた日本の電車の中の様子ももうひとつ別の世界に変ずる。その変容をつくる画家のイメージの力に注目。

 池亀万紀「静寂の古道」東京都議会議長賞。道がトンネルに入る。その上方は石でつくった橋で、上が歩道になっているのだろう。周りの風景は秋の様子で、ススキが銀色の穂を靡かせている。中心にトンネルを置いた構図が面白い。日本のふるさとの奥深いところからこだましてくるような、そんなコンポジションに注目。

5室

 神田裕子「野の花」。アザミを面白く表現している。クリアなフォルムを駆使しながら、リアルなものと装飾的な要素の両方を横長の画面に描いていて、ファンタジックな楽しい空間が生まれている。緑とアザミのピンクとが生き生きと響き合うが、それ以上にそれを支える茎や葉の表現が面白い。花鳥画的な要素とリアルな再現的要素が絡み合いながら、アザミの咲く様子が現実を超えたある象徴的な存在として表現されるその面白さ。

 賀陽真由美「さくら ・」。桜の幹から根のあたりが夜の光景の中に月明かりに輝いている。そこに桜が落下してくる。深い情緒が表れる。

 内野典子「海奏(かいそう)譜(ふ)」。大きな船を後にして男が座って洋梨を持っている。船の向こうにはヨットが航海している。港のイメージが一種ファンタジックに表現される。岸壁につく大きな客船。男は洋梨を持ってぼんやりと瞑想的に座っている。画家は海が好きなのだろう。茫洋とした様々な顔を見せる海の表情。それはまたわれわれ地球の命を生んだ母体でもあるだろう。海に寄せる詩のようなイメージを、ブルーと紫を主調色としてゆったりとした雰囲気のなかに表現する。

 阿藤和子「The day」。椅子に座って立て膝をして遠くを眺めている若い女性。そのそばにバッグを持ってこちらに歩いてくる男がいる。その上方に空がオレンジ色の光を見せる。その光景が楕円状のフォルムによって区切られて、その背後にもう一つの風景があらわれる。手前のバッグを持って歩んでくる男を遠くに置いた様子で、道や山や鳥などの中に同じ男が歩んでくる。映画の手法のような映像的なイメージで、なにか不吉なものがいまこの女性に向かってくるようなイメージをヴィヴィッドに表現する。

7室

 杉本登暉子「くろい屋根の村」。黒い色をした鋭角的な屋根をもつ建物が一つの集落をかたちづくっている。その様子がリアルに描かれながら、そのまま一つのファンタジックな空間を醸し出す。周りのすこし錆びたような緑の樹木の様子。オリーヴの銀灰色を思わせるような緑の調子が上品な雰囲気をつくりだす。近景に一本の針葉樹が伸びている。緑と黒褐色とすこしネープルスイエローふうな色彩を組み合わせながら、そこに壁の灰白色を入れて、音楽的なファンタジーの世界を表現する。

第60回記念全日肖展

(6月29日~7月6日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 松本昭彦「おやつ作りの時間」衆議院議長賞。シンクと丸いテーブルのあいだに若い主婦が立って、レシピを見ながら料理をしている。その様子をクリアに表現する。その女性の体全体のディテールと周りのディテールが響き合いながら、生き生きとした親密な空間が生まれる。

 土屋濤雲「心待ち」。この女性はそろそろ臨月が近い頃の様子であるが、若いから、初産なのだろうか。マタニティドレスを着てベッドの上に横になって遠くを眺めている。そんな体全体の様子が衣装を通してわかるし、手や顔の表情がリアルで臨場感が感じられる。ハーフトーンの調子の中にクリアにフォルムを追求して、人間の心理の奥までも表現しようとする。

 山田潔「清徳学園の母」。学園の創立者なのだろうか。凜然とした様子で座っている女性の肖像画である。花模様のグレーの服を着て、膝の上に両手を置いて鑑賞者のほうを眺めている。優しい表情の中に毅然としたものが感じられる。エンゲージリングをはめた両手のフォルムなども人間の指のリアルな存在感を表す。モノトーンの服の中に女性の肌の色が生き生きと出てくる。

 陳奮「霆霆 八歳」新人賞。八歳の女性の胸像である。しっかりと対象を見つめて描きこんでいる。生気が感じられる。ほとんどグレーのバックは水墨の余白を思わせるところがある。その上方に赤とんぼが飛んでいる。西洋絵画と中国絵画とのクロスするところにあらわれた表現。

2室

 山田恵美里「Ballerina」内閣総理大臣賞。四、五歳のバレリーナの衣装をつけた少女が椅子に座っている。愛らしい。左上方から光が当たり、柔らかく少女を染めている。この少女の量感とその周りの空気感が描かれている。ヨーロッパの伝統的な陰影、空間を見事に習得した表現である。

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