美術の窓

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公募展便り(2013年8月号)

美術の窓 2013年8月号

第27回日洋展

(5月29日~6月10日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 小塩武「窓 Firenze」。フィレンツェの建物を背景に、窓の飾りを面白く表現している。その窓際に鳥がとまり、向こうに三羽の鳥が飛んでいる。まだ夜が明けない頃のような気配を感じる。二羽の鳥の先、画面の右のほうに白い鳩が飛んでいるのが、そんな朝のイメージをしぜんと筆者に感じさせる。

 相本英子「クリスマスローズ」國領經郎賞。緑の布を敷いた丸いテーブルにガラスの器があり、そこに緑や黄色、ピンクの花が挿され、葉が緑でしっとりとした雰囲気。周りに肘掛け椅子や衝立が置かれている。窓はベージュ色に輝いて、柔らかな光が差し込んでいる。親密な空間の中に一つひとつのものが生かされる。清浄な雰囲気の中にロマンティックなイメージが薫るようだ。

 田辺康二「遼」。油を抜いた絵具がマットなマチエールをつくる。砂丘が描かれている。左上方には青黒い海がのぞく。砂丘のうねうねとした曲面の中心あたりに柵があって、その柵が独特のイメージを作る。離れたところには杭がぽつんぽつんと置かれている。砂漠がまるで柔らかな人間の脳髄のようで、そこに記憶の杭が差されているような、そんなシュールな味わいも感じられる。

 星川登美子「夏のフィエスタ ・」。赤とグレーによる組み合わせ。祭りの女性たちは頭に矩形の籠をのせ、ロングスカートに手を置いて踊っている。踊っている三人の女性をほとんど抽象的な色面の扱いとしてフラットに表現する。リズムのある色面の組み合わせによる空間表現である。

 稲葉徹應「室内の情景」。白いテーブルの上に白い植木鉢。そこに手の指のような赤い花が咲いている。その様子がまるで太陽をそこに引き寄せたような鮮やかさである。林檎や葡萄、檸檬、洋梨、鳥、様々なものが置かれているが、やはり色彩豊かに表現される。象徴するように白いテーブルに黒と赤の二つのストライプが二本。灰白色が色彩をより華やかに際立たせるために使われている。

 小灘一紀「三貴子の誕生(古事記)」。三貴子というと、アマテラスオオミカミ、ツキヨミノミコト、スサノオノミコトのことだろう。その三人の幼児が上方に描かれている。手前にイザナギノミコトの全身像が裸で表現され、両手を頭に当てていて、何か考えこんでいるような様子である。『古事記』の最初の頃に出てくる話。混沌とした中から新しい命が誕生する。そういった三貴子を妻が生んだ時の様子が、きわめて人間的なニュアンスに引き寄せて油彩画で表現される。体に光が上方から当たり、深い陰影をつくっているところも面白い。そして、画面全体に大きな二十センチほどの幅でカーヴするフォルムが描かれて、混沌としたイメージがこのイザナギノミトコを取り巻いている。その混沌の中から三人の子供が笑ったり、こちらを眺めたりしながら生まれている。強いドラマ性を感じる。『古事記』の話をヨーロッパ的なリアリズムに解釈するところから生まれたユニークな表現。

 栁瀬俊泰「ロゼールのバシリカ聖堂(LOURDES)」。堂々たるバシリカ聖堂の横に月が出ている。その月の輝きと呼応するように下方の岩の上に聖人と思われる彫刻が立っている。それが周りの暗い紺や緑の中にすこし赤味を帯びて輝いている。それはまた手前の道路の舗道の白にも呼応していく。ヨーロッパの教会をテーマにしながら、日本人のもつ情緒がそこに漂っているところが面白い。

 黒政幸義「土」。岩絵具を置いたような質感と色彩の、滋味であるが、幽玄ともいえる輝きを見せるところが面白い。地面にある様々な雑草や小石や陰影、光などを描きこむうちに、大地がそのまま幻想と化したような趣である。

 小間政男「西風の日」。青い海、茶褐色の島、白い防波堤、黄金色の雲。それぞれのフォルムを単純化し、そこに色彩を置いて、全体で大きな空間が生まれる。どこか童話的なファンタジックなイメージのあらわれてくるところが面白い。

 岡野暢徳「礼拝堂」。石を積んでできた壁。シンプルな二つの椅子。彫りこまれた壁、ベージュの壁に茶色い十字架のマーク。しーんとした気配の中に緊張感が漂う。右のほうのステンドグラスの青や紫の色彩。それは床の上にも置かれているが、それがこの空間に対する装飾として面白く画面の中に扱われる。

 吾妻篤「パリの蚤の市」。シャープなフォルムによって蚤の市のものたちと帽子をかぶった客を描く。フォルムとフォルムのアンティームな響き合いともいうべきものが興味深い。

 植野睦夫「追憶の譜」委員賞。木のテーブルの上にドライフラワーになった向日葵が置かれている。そばにはカラスウリ、そして昔の古いランプが置かれて、三角錐がある。面白いのはそのそばに樹木があるところ。空洞で、年輪の文様を表しながら上方に伸びていく。この崩壊したものはやはり津波の影響なのだろうか。静かに祈るようなイメージを画面に与える。曲線が動きながら、そんな精神の働きを表すようだ。いずれにしても、クリアなフォルムを連続させながら独特の想念の世界を表現する。

 小川満章「室内」損保ジャパン美術財団賞。ソファに女性が座っている。独特の動きが感じられる。一種彫塑的なフォルムの扱いである。周りのグレーに対して白い上衣、あるいは手前の花瓶の白い花が呼応しながら、幽玄というニュアンスを醸し出す。

 羽根田隆「ラスコーの谷」井手宣通賞。いまはラスコーの洞窟は入れないはずだが、画集を見てインスパイアされて描いたのだろうか。ラスコーのもつ激しい動的な生命力を画面の中によく導入している。強い厚いマチエールがそれを支えている。

 楠崇子「'13 セロームの葉と女(ひと)」。すこし上下を伸ばしたようなデフォルメした雰囲気があって、女性の顔が見上げる角度から描かれている。髪の周りがピンク色で妖精ふうなイメージがあらわれる。ヤツデのような樹木がグレーで描かれて、やはり上方に向かう。一種水墨のもつ気韻のようなものが画面にあらわれているところが面白い。また、白が独特の蠱惑的なイメージをつくりだしている。

 横田律子「白の行方」委員賞。ぼこぼこの地面から曼殊沙華が生えている。そこに二つの壺を置き、片一方の壺はドライフラワーや孔雀が入れられて、むにょむにょと上方に伸びていく。祭壇のようなイメージ。そして周りにアロエがあって、その様子がカーヴの連続で、タコのような、生き物のようなイメージがあらわれる。そして、背景には道がカーヴして、はるか向こうの海に向かっていく。空はすこし残照のようなイメージで、下方は黄色く、だんだんとウルトラマリンの空になっていく。そこに数羽の鳥がシルエットふうに描かれている。道のそばに黒い鳥がなにか考えこんでいる。今回の東日本大震災に対する深い思い、レクイエムと、その希望のようなイメージをここに描いたように感じられる。曲線を駆使して、連続しながら、やがてうねうねと海の向こうにさらに続いていくといった動きが面白く感じられる。それがそのまま念力的なイメージと重なる。

 橘貴紀「5月」。若い女性が白いワンピースを着て座っている。光が差し込む。明暗ができる。立体感が生まれる。独特のその光はまた画家の視力と重なるところがあって、強い表現になっている。

2室

 草野義種「葦萌える」。海のそばの洲のような地面の様子を面白くリアルに表現している。船がそこに引き寄せられている。雑草も生えているし、杭のようなものもある。地面というもののもつ独特の力、気配を描く。そのような写実の力がこの画家にはある。

 大塚健「牛舎」。横長の建物が中景にある。手前は畑のような地面なのだろうか。なにか強い情感が漂う。空は暗い青で、夕方の光景だろうか。一本の電信柱のような棒が屋根を超えて伸びている。秘められたムーヴマンともいうべき力が面白い。

 武田直美「待ち合わせ」。ベンチに三、四歳の少女が座っている。周りに様々な植物がむんむんとしたその生命を競わせている。あいだには白い花やピンクの花が咲いている。五月か六月頃の緑の季節にベンチに座る女の子。まるで妖精のような雰囲気。だれと待ち合わせをするのだろうか。この年代の女の子のもつ生命感と周りの自然とが深いところで関係をもつことによって、なにか神秘的な気配が漂う。

 茂田宏子「休日の公園」。柔らかな緑のタッチが人を癒すようだ。あいだに花が咲いている。遠景には海が見え、ヨットが幾艘も出ている。草原では楽団が演奏し、母と子が遊び、犬を連れた人もいる。地中海の行楽地のひとときといったイメージも感じられる。緑を中心とした豊かな色彩のハーモニーが鑑賞者を画面にいざなう。また、全体の印象が上品であるところも、この作品のよさだと思う。

 長尾實「冬の千枚田」。上方まで棚田が続いている。それが人間の開墾した畑の形による抽象形態となって浮かび上がる。そういった人間の労力によってつくられた抽象美のもつ圧倒的な存在感を画面の中に描く。

 東才訓「河口皓景」。上方に巨大なハイウェイの橋桁。それは向こうでカーヴしながら、右に続いていく。海が柔らかな光の中にきらめいている。構築力のあるコンポジションの中に水のもつ優しい表情が引き寄せられて、そこにロマンティックな雰囲気が漂う。

 松本耀子「ある街のパブ ・」。扉が閉まっている。そばに一匹の黒い猫がいる。漆喰のような壁に掲示がされている。読むとクローズド・バイ・オーダー・オブ・ザ・サルタンと読める。サルタンの命令によって閉められた酒場。白い漆喰の壁が独特のニュアンスを示す。そこに歩く黒い猫はエキゾティックなイメージの象徴のように感じられる。しっかりと閉められた扉の、おそらく厚い板でできた様子。クローズドされているために、逆に中にあるものに対するイメージがかき立てられる。ユニークなコンポジションの中に独特の強いパッショやロマンといったイメージが浮かび上がる。

 小寺和子「凜」。フラメンコを踊るポーズをした若い女性がしっかりと描かれている。人体のもつボリューム感、動きがよく捉えられている。

 楢崎益弘「里山朝暉」。雪景が広がっている。手前に民家と道があり、上半分は田圃がずっと続いている様子で、その途中から山に向かって朝日に輝いている。それよりこちら側は影になっている。そんな繊細な地面の様子も、ここに住んでいる人の視点だと思う。淡々と描きながら、里山のしっとりとした空気感や情緒があらわれて、懐かしい気持ちに誘われる。

3室

 松野行「峠を行く」。たくさんの水牛が群れをなして手前に行進してくる。後ろにトラックがいる。水牛の上に一人、スカーフをかぶった女性らしき人が乗っているから、彼女がこの水牛たちを統御しているのだろう。そばに向こう向きに進むトラックがもう一台ある。それ以外は赤茶色の無地の色面である。それがインドやカンボジアの大地を表すのだろう。その大地の色彩に圧倒的な存在感が感じられる。あけられた空間がそのようなリアリティをもつがゆえに、上方にかためられた水牛たちがまた生きた存在として感じられる。

 磯部美代子「Smell of ocean 磯の香」委員推挙。細い綱がぐるぐると巻かれて輪になり、その輪が幾重にも繰り返されて中心に黒い渦のようなものがあらわれている。恐ろしい力を感じる。もともとこれは巨大な網のようなものなのかもしれない。海の恐ろしさと漁という労働と二つのイメージが、この独特の一種抽象的な渦を巻くフォルムから感じられる。

 広田和典「気仙沼」。船が陸上に揚がり、そばに壊れたような骨組みがある。今回の津波をテーマにした作品。暗い青や黒の中に茶褐色の船腹や構造物が浮かび上がる。強い波動と想念がそのままレクイエムといったイメージに重なる。

 二宮弘一「アトリエの住人」。人間の骸骨が白い布の置かれた台の上に座っている。おそらく骨格標本のようなものだろうが、その座っている骸骨がそのまま人間のイメージを引き寄せる。それは当たり前のことであるが、このようなモチーフはあまり日本の絵画では見当たらない。そして、そこに斜光線が当たり、独特の色彩になって輝いている。テーブルの上にはほかに一つの林檎と白いキューブだけで、全体にしーんとした気配。アトリエの中でこのようなモチーフと向かい合い、対話しながら、独特の手触りの密度のある空間をつくる。面白いのは、頭蓋骨の右上に壁の窪みが丸くあって、そこに光が当たっているのが夜の繊月のように感じられることだ。

 小牧幹「悼む天地月―花は咲く―」。手前に桜の花が満開の様子で、それが連続しながら画面を斜めに横断している。背景に三角形の頂上をもつ二つの山が見える。それ以外は空で、上方に月がある。月はちょうど金環月蝕のようなイメージで、周りが黄金色で中が黒い。それはこの画面にコラージュしたものである。全体に独特の気配が感じられる。深いレクイエムといったイメージが金環月蝕を呼び、下方の桜を静かに輝かせる。シンプルなコンポジションによって深い感情を表現する。

4室

 関義雄「凩来れば」委員推挙。枯れたような褐色の雑草。その背後の茶褐色の樹木。空はすこし紫色を帯びた青みがかったグレー。落ち着いたトーンで対象をしっかりと描く。茶褐色が金色の色彩と重なるところがあって、敬虔な雰囲気が醸し出されるところが興味深い。

 横山順子「室内・遊」。下は戸になっている白い細長い台の上に、ストライプの三角錐、カモメのデコイ、鶏の人形、あるいは青い瑠璃色の水鳥のデコイ、球などが置かれて、それぞれがハーモナイズし、弾むような雰囲気が生まれている。上方からつり下げられているものも鳥をつないだ飾りである。独特の色彩感覚のよさによって、玩具や模型の鳥たちがお互いに会話を始めるような、そんな楽しいイメージが感じられる。下方の戸のすこし青みがかったグレーのトーンが隠し味のように画面を引き締めていると思う。

 吉江道子「広告塔のあるセーヌ河畔」。広告塔の後ろにある樹木の緑が清々しく、独特のニュアンスを醸し出す。道はジョンブリヤン系の色彩で、背後の建物も同様。川は青。空はすこし青みがかったグレー。無人の風景であるが、弾むようなタッチでメロディが聞こえてくるように描く。

 浅野岳「波止」委員推挙。鍵型になった桟橋の手前に白い船が六艘ほど繫留されている。桟橋はその周りにもいくつか突き出ていて、コンクリート造りのようだ。平凡な港の情景が手触りのあるマチエールの中にしっかりと表現される。とくに中心の桟橋の量感のある表現が画面を引き締めている。

5室

 片岡猛雄「春が来た」。柔らかな明るい緑色のフォルムが幾重にも背後に重なって、山の青いシルエットに向かう。小川の手前の草原に一つの大根が横たわり、その大根から茎が伸び、白い花が咲いている。明るい清浄なファンタジーである。幸福感と楽しさが画面に満ちている。うねうねとした曲線を使った構図も面白い。

 國分真佐子「山吹の間」。振り袖を着た若い女性が座っている。そこに光が差し込み、衣装も顔もきらきらと輝かせている。魅力的な肖像画だと思う。

 山本俊則「刻」。黒い海を背景に浜の上に廃船が置かれている。そばのその壊れた板に三羽の鳥が降りてきて、何か会話をしているようだ。グレーのトーンの中に対象が構築的にしっかりと表現される。また、油彩画による水墨的なイメージもあらわれている。黒い海は今回の津波を起こしたようなミステリアスな存在として上方にあり、低く雲がわだかまっている。手前の三羽の鳥は擬人化され、人間のように過去、現在、未来を語り合っているような雰囲気が面白い。

 長江洽次「郷」。山の麓の民家。そばのすこし小高いところにある畑。そういったものをぐいぐいと描き起こす筆力。沈められた色彩が内側から輝く。

 村田洋子「二人の女」。赤い衣装を着た女性が横座りに座って、胸に手を当てている。そばに緑の衣装の女性が座り、両手を合わせている。後ろの黄土色の壁に鳥の影が見える。花が降ってきている。ヨーロッパには受胎告知の作品がずいぶんあるが、この作品もまた受胎告知のイメージのように感じられる。敬虔な雰囲気が画面に醸し出される。降ってくる花が魅力的なアクセントとなっている。二人の啓示を受け止めるポーズもよく表現されている。

 杉正則「縫い物」。庭に向かって座り、縫い物をしている女性の後ろ姿。ガラス戸の向こうには庭の中を通る道があり、その先に民家が四軒ほど見える。その後ろには大きな樹木。グレーのトーンの中に緑やピンクの色彩が入れられて、しーんとした気配の中にゆっくりと時間が流れていく。この画家の作品を見ると、外界を描きながら、常に内界の働きを筆者はイメージする。この室内で裁縫する女性も、現実にいるというより、心の中でその作業をしている内界の人物のような、そんなあやしさが感じられる。そこがまたこの作品の魅力だと思う。キメの細かいマチエールがそんな微妙な雰囲気をよく支えている。

 難波佳子「飛来」。石の上に腰を下ろした女性。赤い上衣に青っぽいスカーフが輝く。背後には街並みが広がり、海も見える。上方に十数羽の鳥が飛んでいる。旅の記憶が背後にあらわれているようだ。柔らかなハーフトーンの色彩と骨格のしっかりとしたフォルムがよい。

 加藤寛美「三月の情景」。浮輪やバッグやガラスの錘、カンテラなどが置かれている床から三本の竿が伸びていく。いちばん長い竿は画面の上辺をすこし抜けている。それに対して水平に伸びてくる竿が置かれ、さらに格子状のフォルムが壁の上に置かれ、その先に海がある。遠景には白い灯台が見える。曇り空の中に静かに寄せてくる波のざわめきが聞こえてくるようだ。海という不可解な大きな存在を背景にしながら、海にちなむものを集めて、きわめて人間的なイメージをそこに表現する。通常は聞こえない音を聴いているような不思議な気配や感覚が感じられるところが面白い。

 櫻田久美「春隣」。道がすこしカーヴしている、その周りが雑木林で、いまは葉を落として裸木になっている。褐色のトーンの微妙な、豊かな様子。道の両側の雑草の中にすこし春の兆しが感じられる。そんな微妙な季節の様子が、塗り込まれた色彩の中から静かにあらわれてくるような雰囲気。また、樹木の幹や枝の様子に、その対象に沿いながら筆が動いていき、独特のリズムがあらわれているところもよい。

 三原捷宏「島の朝・周防灘」。突堤と岩壁が複雑な形をなしている。船がところどころ繫留されている。背後は山で、その紫色の地面と緑の樹木がもっこりとした量感を示す。右のほうには民家があり、集落に続いていくのだろう。景色がこの囲まれた湾と左のほうの海とで異なり、海の向こうに陸の影が青いシルエットとなっている。その上方には朝焼けのまだ残った柔らかなピンクの空が輝き、海がさざなみを立てている。一つひとつのフォルムを入念にしっかりと捉えながら画面の上に構成している。その堅牢なコンポジションにまず惹かれるし、色面をトーンと化すような独特の感覚のよさ。そして、水の表情の変化。この囲まれた水から、その向こうの海に向かう動き。朝焼けの空。ふるさとを思わせるような温かな手触りのある表現。この光景全体を心の中にすっぽりと取り入れて、描いているように感じられる。そこからくる独特の魅力。

 内山孝「緑風紐差天主堂 切支丹の里 XIV」。天主堂が左上方に白い壁を見せて立っている。周りは緑の樹木で、近景には民家がいくつもあり、手前に海がある。空は青や黄色や紫で彩られ、浜はオレンジ色で、全体に色彩が輝くようだ。回想のこの光景が記憶の中に純化され、一種のイコン的な表情を醸し出す。

 塗師祥一郎「暮れゆく鳴子」。一筆一筆がそのまま形となって画面の中に置かれる。絵具がぴたっとキャンバスに食いついている。尾根の形を画家は追いながら、そこに太い線でフォルムを入れる。その頂上のあたりに雪の積もった面があって、それが上方ですこしピンク色に輝いているのがはんなりとした雰囲気で、ロマンティックなイメージを醸し出す。その上方の空は残照のオレンジ色の雲になっている。そして、それよりすこし近景の山の一部はすでに夕闇の中に沈んでいくような調子。近景に川が流れている。川の向こうの雪で覆われた大地の様子と手前の大地の様子は微妙に異なって、つまり、雪のトーンが微妙に異なりながら近景の木と民家になる。近景から向こうの山までの距離感、そこの雪のトーンの変化、そこにあらわれる清々しい空気感ともいうべきものがごくしぜんに感じられる。寒色を中心に、一部暖色を置いた色彩の配分。いずれをとっても入念に考えられた緻密なコンポジションの中に伸び伸びと筆が動いていく。

 日野耕之祐「男とネコ」。アトリエの中の光景。左に縞模様のシャツを着た男(作者)が立っている。壁には絵が掛けられ、イーゼルが一つ。油の缶。二匹の黒猫。そんなものが周りの深いブルーの中に置かれている。この深いブルーのトーンは画家の詩人的な感覚が引き寄せたものだろう。それによってある凝縮したフォルムや色彩があらわれ、それらが静かに響き合う。

 歳嶋洋一朗「ポン・ヌフ」。画家はいまでも現場主義で、現地にイーゼルを置いて絵を描く。それによって現場ならではのリズム、色調、ディテールがあらわれる。ポン・ヌフを真ん中に置いて対岸の建物が赤く、金色に輝く。手前は、樹木の下に船が繫留されている。光が柔らかく画面全体が輝いているような雰囲気は、現場でその光を存分に吸収しながら描いた結果によるものだろう。力強いタッチで、独特の生気、あるいはムーヴマンが生まれているところがよい。

 黒阪陽一「凍れる川」。雪の降りた地面に川がカーヴしながら向こうに向かっているが、その水は凍っているのだろう。裸木が枝を広げている。手前の木製の机の上には鷲の剝製や鳥の置物や南瓜や林檎、枯れた向日葵などがあるが、面白いのはビーカーの中に女性の顔があること。瞑想している様子で、上方に白い球体が浮かび上がっている。画家は静物を組み、瞑想しながら、背景に風景を引き寄せたり、月を呼んだりするようだ。そういった瞑想の時間が独特のイメージの強さを引き起こす。

6室

 中山紀子「サーカス」。白馬にまたがる女性とグレーの馬にまたがるピエロ。そばにも馬にまたがるピエロや猿のようなもの、手前にはピンクのピエロがいる。中心の女性の両手を広げた様子が、まるで花が開いたような雰囲気。色彩家だし、フォルムに対する優れたセンスがうかがえる。エンターテイナーと言ってよい。手前のラッパを吹くピエロが画面全体の脇役としてよく機能している。

 増田眞人「岬」会員賞。すこし小高いところからこの風景を眺めている。湾を囲む岬。遠景には島が見える。近景にはその高い斜面に生い茂る草木。一つひとつ丹念に描きながら、この湾のもつ個性ともいうべきものを描き起こす。その誠実な筆の繰り返しによって、平凡な風景が近寄りがたいような神秘的な性質を獲得する。

 石井百合子「映」。大きな池の一部が描かれている。中心は波紋である。そこに伸びてくる緑の葉、あるいは樹木。緑のヴァリエーションによってできた空間である。手前の同心円の波紋を見ていると、その奥にある深い世界を思う。

7室

 渡辺せつ子「月の夜に」。砂丘に裸の女性が座って足を組んでいる。その女性を見る同伴者としての太った猫。水平線近く大きな満月が浮かんでいる。月に照らされた女性の陰影。まるで月と女神といったイメージと言ってよい。この太った女性には不思議な安定感と同時に強いエロスも感じられる。エロスとは人と人との関係を引き寄せる機能で、ロゴスは切断する機能といわれているが、様々な自然と関係をもつところから生まれてきたこの女性像は懐かしく鑑賞者を引き寄せるようだ。そして、その女性は月の光を浴びて神々しく、親和力ももちながら、なかなか近寄りがたい存在のように描かれているのも面白い。

 井藤雅博「遥」。車の跡が茶褐色の地面のあいだに、それよりすこし明るい調子になって続いていく。舗装されていない道である。近景はすこし高くなっているようで、一度道は消えて、また下のほうから地平線まで続いていく。広大な大地の広がりは北海道の風景だろうか。しっとりとした味わいは日本人のもつ感性による表現である。独特のニュアンスと手触りが魅力。

 加藤久子「春のアトリエ」。しっとりとしたトーンにまず惹かれる。後ろに手を回して、タンクトップのような上衣を着、ミニスカートをはいた女性の後ろ姿である。壁も床も黄土系の色彩で彩られていて、鏡に後ろの窓が映っている。しーんとした気配の中にこの女性のもつ魅力が静かに浮かび上がる様子。触覚というものを最大限使った表現だと思う。

 八田五郎「湖畔」。ほとんど水墨と言って差し支えない表現であるが、油彩画による。湖の向こうに低い山が見える。その対岸には小さな民家がところどころあり、手前は水の中に柵を入れて何か魚を取るような雰囲気。グレーの微妙なニュアンスがこの作品の魅力である。

 奥村明子「アゲイン」。たくさんの薔薇の花が花瓶に差されているし、庭にも咲いている。緑の庭の周りに咲く花や樹木。そして、いま女性が紫陽花やピンクの花を切って抱えて近景に立っている。緑とピンクと紫による色彩のハーモニーが、しっとりとした中にロマンティックな香りを漂わせる。

 吉田圭治「待春の集落」。雪景の中にぽつんぽつんと民家が浮かび上がり、雑木が生えている。遠景にはもっこりとした低い山が見える。近景は斜面になっていて、そこにも灌木が茂っている。そんな里山の風景をしっかりと表現する。雪のもつ清らかな力が画面全体に生かされて、その白によってフォルムがくっきりと浮かび上がってくる。

 山田和司「朝の厨房」優秀賞。シンクに向かって手を差し伸べた若い女性。魚をさばくときのような、ビニールのエプロンをしている。その彼女の動作が的確に表現される。光がすこし横から当たって頰をピンクに輝かせている。後ろの調理器具や食器、コーヒーメーカー、壁のベージュ。優れた写実力で、生活の一隅に発見した女性の魅力を生き生きと描く。

8室

 君島安子「残照」。点描による表現。左上方に塔が高く伸びて、その先端に十字架が黒く見える。周りは黄色い輝くような残照の空である。その塔の下方の建物の周りに民家が密集している。塔は丘の上にあるようで、だんだんと民家は下方に下りてくる。中景には階段があって、階段を下りてくると、塀があったり広場があって、いちばん手前は広場になっている。ヨーロッパの中世から続く街をロマンティックに表現する。色彩も豊かで、赤橙黄緑青藍紫、十二色環全部が使われていて、それを統合する画家の感覚は見事である。いずれにしても、このコンポジションは遠景の塔に向かうようになっていて、そこに深い信仰心ともいうべきもののイメージが表れる。

 林田和子「西坂の丘のザビエル像」。フランシスコ・ザビエルの像が画面に大きく描かれ、背後に十字架がある。それを取り巻く黄色い強い色彩が面白い。神の光のような色彩として感じられる。

 岡崎喜代子「時の止まった発電所」。発電所は重厚などっしりとした建物である。手前に川が流れている。それをまるで静物のように画家は画面の上に表現する。そこに独特の詩的なイメージが表れる。

 在川法子「立秋の頃」。朝顔が色とりどりに咲いている前に和人形が立っている。そばに虫籠や紙風船。日本の和の世界を表現するのに、ディテールを丁寧に描きながら構成する。

9室

 宗方麗「電波塔」。ひんやりとしたグレーのトーンが懐かしい。電波塔は高台にあって、遠景に小さい。手前には壊れかかったような二階建ての建物の上に鉄によってできた見張り台のようなものが置かれている。そばには階段、あるいはトラックなどがあって、労働の現場のようなくすんだイメージが、しかし、なにか懐かしいものとして画面の中に描かれている。緑がかったグレーの空が画面の半分を占め、下方半分には前述したそれぞれのものが描かれている。しーんとした気配の中に情感が漂う。

 吉野豊子「二人の部屋」。黄色いテーブルに三つの椅子。そこに赤い馬の置物があるのが鮮やかな印象。細長い黒い花瓶には白いカラーのような花が咲いている。赤い壁にはヴェネチアの仮面が大きく置かれ、窓の向こうは青く、あいだに森が見える。親密な空間の中に憧れといった心持ちを感じさせる。

10室

 松谷万里子「春宵」。赤い椅子の背に緑のスカーフが掛けられている。壁はイタリアふうな薔薇色で、花のつけられた帽子が掛けられている。大きく窓があけられて、建物の上方に星が輝いている。そんな窓の向こうを黒い猫が眺めている。その黒猫の後ろ姿がこの画面の中のポイントになっている。静物の中に生きて動くものはこの猫だけで、全身でもってその憧れといった心象を感じさせる。その猫はもちろん画家の心持ちの託された存在としてこの絵の中に登場してきている。

 並木貴子「PARADISE-3」委員推挙。赤いテーブルの上には果物が置かれた器や黄色い花が置かれ、遠景に建物がある。上方に太陽があり、一羽の鳥が飛んでいる。画面全体から幸せなメロディが聞こえてくるようだ。朱を中心とした暖色系の色彩を使いこなしながら、独特の音楽的な世界を表現する。

 遠山悦子「千年の春 2013」。岐阜の薄墨桜をモチーフにしたのだろうか。横長の画面全体に満開の桜が一種異様な力を醸し出す。油彩画なのか日本画なのかわからない、不思議な作品である。一見すると強いフォルムでありながら、日本画的な世界が緑がかった銀色の箔を背景にして装飾的に表現されているように感じられる。接近してみると、太い屈曲した枝や幹に油絵のニュアンスがあって、花は胡粉のように感じられるのだが、いずれにしても、写実をベースにした独特の薄墨桜の表現である。

 上田龍子「対話(兆し)」。夜の時間にグレーの壁の前に赤い使い古された自転車が一台。そばにトタンを張った壁がある。その前にバックミラーがあって風景を映している。希望のバックミラーといった趣。生活と密着した中から生まれた強いイメージだと思う。

 小林章男「画家とその家族」。横長の大作である。右には夫婦が描かれ、男は画家自身と思われ、絵筆を持っている。あいだに時計がある。左のほうには犬がいて、歩いていく帽子をかぶった男が、この夫婦を振り返って眺めているといった、すこし映画のドラマふうなコンポジションになっている。自分自身を描くときには一人の肖像画ふうに描くケースが多いが、これは一つのシチュエーションの中に置いた自分自身の像と言ってよい。イメージの展開が独特のドラマと時間性のある空間をつくる。

11室

 冨田信子「女」。ベージュの壁。それよりすこし彩度を落とした床。女性が椅子の上に腰を下ろしている。輪郭線によってつくられたフォルム。どこか油彩画による浮世絵を思わせるところがある。バックの壁はモンドリアンの絵になっている。新しい造形を試みた意欲作。

 兜木速雄「3・11 陸前高田」会員推挙。恐ろしい三・一一の津波が家を崩壊させ人命を奪ったあとの静かな海の様子を画家は描いている。折れた枝の向こうに水の中に沈む建物が見える。痛切な表現である。リアルな写実の力に強い臨場感が感じられる。

 加賀浩一「想」会友賞。静物で、それぞれのものをきわめてクリアに表現している。その描写力がまずこの作品の魅力。そして、時計の針が壊れて時計が倒れている様子は、先だっての津波の結果だろう。コーヒーミルの把手のとまった様子や果物やフレスコ、あるいはコップなど球状のものが集められているのが面白い。その平和なバランスに対して、傾いた時計が対照される。

12室

 窪田福子「想う」。水彩作品。男性はテーブルの上に顔をのせて眠っているのか、想念の中に入っているのか。周りに植物の茎や葉や水のようなものが引き寄せられて、この青年の内部にある光景が浮かび上がってくるようだ。夢の世界の中にある、本来相容れない様々なものが集まって、この男を取り巻いている。イメージの展開と、白を中心とした柔らかな色彩の力に注目した。

 長野ひとみ「想」奨励賞。女性が白い布を頭からかぶって、横座りしている。膝の上にある手を見ると、形に対する優れた造形力をもっていることがわかる。背後にグレーで蓮の大きな葉のようなものが描かれているのは、どこか仏画的なイメージで、やはり二年前の津波に対するレクイエムのイメージなのだろうか。

 西敏寛「絆」日洋賞。祖母は腰が曲がっている。そばに孫と思われる人が手を添えて、一緒に歩いている。娘なのかもしれない。それはシルエットで表現され、その向こうには光が満ちてオレンジ色になっている。母や祖母をケアしながら暮らす一隅を生き生きと表現する。

 大島優子「霞立つ」会員賞。画面の下辺から太い幹をもった木が伸びている。その幹から太い枝が二本。その周りに、近景には前後して二本の樹木、中景には四本の樹木があり、あいだに建物がのぞいて、遠景にはビルがある。全体がグレーのそれぞれの色味をおびた微妙な変化の中に描かれている。構成的な作品で、都会に生きる人間の憂愁ともいうべきイメージがしぜんと感じられる。その心象の象徴として一本の、前述したシルエットの木が立ち上がっていく。グレーの空に雲が白く二つほど浮かんでいるのが、イノセントなイメージを醸し出す。

 木谷徹「内湖」会友賞。ボートが岸辺に揚げられている。杭が打たれて、そのボートに紐がつながっているのは、盗まれることを防ぐためだろうか。冬枯れの草にすこしペンキのはげた白いボートが二艘、静かに輝いている。その向こうに暗い静かな湖が描かれている。手前にはバケツが草の中から一部のぞいている。ディテールが繊細で、そこが魅力である。

13室

 仲智賀子「画室」。室内はかなり暗い。そこの丸いテーブルの上に白い円筒形の花瓶があり、白い花やドライフラワーなどが差されている。手前に椅子がある。その横には、鳥のいない白い針金でできた円筒形の鳥籠が置かれている。窓から残照の最後の光が、くすんだ黄金色で表現される。しーんとした中に敬虔な雰囲気が漂う。トーンの力をロマンティックに引き寄せた佳作。

 浜野督蔵「朝だ、光だ」。ハイウェイが海をまたいでいる。向こうには高層ビルが並んでいる。そして、いま朝日が昇ってきた。暗い夜空に朱色や黄金色が放射される。そんな日の出の一瞬を生き生きと表現する。

 増森絵里「香り」優秀賞。白いイヴニングドレスを着た女性が座っている。周りの空間は日本画でいう揉紙をしたようなマチエールができている。すこしくすんだ、やはり同色のグレーである。女性はほほえみながら左を向いている。そのいわばコケットリーともいうべき温かな人を引き寄せる力がよく表現されている。

 植木佑子「春の小径」。公園の樹木や乳母車を押す若い女性などを捉えて、親しみやすい。上品な画面。ビリジャン系の緑から明るいカドミウム系のグリーンまでの緑の変化が優しく、鑑賞者を癒すようだ。乳母車を押す女性の上方に、緑のあいだからビルの壁がシルエットで浮かぶのが、ノーブルなイメージを醸し出す。

 田中伴子「MARDI GRASの日のバーボン通り」。「MARDI GRAS」とはフランス語で謝肉祭の最後の日という意味らしい。ここに描かれているのはアメリカの古い町ニューオーリンズ。祭の女王のようなイメージでピンクのドレスを着た女性が画面の真ん中に立っている。上方にはアメリカの国旗が風に靡いている。フェスタの陽気なイメージが中心のこのブロンドの女性に集約するように描かれている。じっと見ていると、その繊細な表情はどこか日本の女性とも共通するものがあるようだ。背後で楽団が楽器を鳴らす。遠景の建物はシルエットになって、柔らかな白い空に少し青がのぞく。音楽が聞こえてくるような、生き生きとした構成である。

 村井とし子「静韻『13』」。三角形の瓶、肩の丸い瓶、首が長い瓶、あるいは白い高坏のような李朝ふうの皿には果物が盛られている。そばにはドライフラワーのようなものがいくつか転がっている。そういった様子を一つひとつ、人間をこの空間に置くように画家は表現する。そのプリミティヴな手付きから独特の詩情が生まれる。

 中島健二「着工」会員賞。クレーンが立ち上がり、ビルがいま三階ぐらい。もっと伸びていくのだろう。何本も線路が並行して走っている広いレールの向こうに高層ビルが見え、その向こうに海が白く浮かんでいる。東京の汐留あたりの風景だろうか。黒い線によるフォルムの骨格が独特の強いコンポジションをつくる。

 野中美行「朝市  ドブロヴィニク」会員賞。ドゥブロヴニクは地中海に面した世界でも有名な行楽地だが、そこに集まる人々が色彩豊かに表現されている。二十人を超える人間たちのフォルムがあるリズムの中に配置されて、楽しい世界を醸し出す。

14室

 中島邦彦「北の終着駅」会員推挙。とまった電車の手前の線路にカラスが下りてきて、何かをついばんでいる。手前には信号機のようなものが見える。時間が止まったようなこのシーンの中にカラスだけが生きて動いているといった雰囲気で、画面全体に強い心象的な密度が感じられる。

 丸山義登「城山早春」会員推挙。中景に川と田圃と建物がある。遠景は山である。じっくりと描きこんで、独特の色彩の輝きが生まれる。とくに建物の白やベージュなどの色彩は緑の中に独特の輝きを見せる。

15室

 濵野喜美子「午後の裸婦」。腰に手を当てた若い女性の裸の全身像。後ろの矩形の枠の中に二人の女性の顔がグレーを使って表現されている。そばに大きな葉の植物もある。ピンク色や赤とグレーのハーモニー。画家自身がとらえた形が面白い。四つのフォルムの心象的な連関の中にアンニュイな雰囲気といったものがあらわれているところも面白い。

 中島勝「浜」会員推挙。手前に水路があって、向こうに海がある。そのあいだにある陸地は褐色で、すこし代赭色といった趣。陰影がある。黒い海のそばに白い船が一艘引き揚げられている。静寂感のなかに存在するものの不思議な揺らめきのようなものが感じられる。

 岡林三江子「朝の光の中で」。白い高坏に果物が盛られている。手前に二つの壺と果実。黄土系のテーブルにグレーの壁。一つひとつのものを丹念に描きながら、内側からその存在の輝きのようなものを表現する。

17室

 宮内和「晩夏」。窓際に立つ若い女性の全身像。グレーのトーンが美しい。光の扱いが魅力で、同時にすっと伸びた女性のフォルムも魅力。

18室

 千木良宣行「古道の秋」。古道の両側に樹木が立っている。そこはシルエットで、草に光が当たっているところが黄金色で、どこか神秘的な雰囲気。向こうの山は青く、空が曇っている。無人の中に自然が静かに輝く様子をよく表現する。

19室

 打越朋子「アトリエ」。アトリエの中のテーブルの上には描きかけのキャンバスや筆の入った筒。そして、イーゼルに置かれた絵には女性の座っている全身像が描かれている。窓の向こうには建物や曇った空が見える。画中画が魂のような雰囲気で、不思議な魅力を発揮している。

 七井桂子「狛犬」。下の段の狛犬と上の段の狛犬、二頭の狛犬と鳥居のようなもの、御幣のようなものが構成されている。赤や黒やブルー、褐色などの色彩が混ざって、石と思われる狛犬のもつ強い波動を、画面の中に生かしているところが面白い。

20室

 小手川典応「岡の下川雪景色」。川は空を映して青の中にピンクの入ったロマンティックな調子である。その岸に松のような木が並んでいて、雪をかぶっている。その木の様子が面白い。

 秀島美代子「共生」。廃屋のトタン屋根を破って樹木が高く伸びて枝を茂らせている。そんな廃屋と樹木の形が不思議な命の働きを表す。量感のあるフォルムを組み合わせているところが魅力である。

21室

 大野新一「天に向かって」。視点が面白い。竹が上方に伸びていく様子を地面から見上げている。竹のもつ、あのしなるような独特の韻律を画面の中に生かした表現として興味深い。

23室

 山中幹雄「そうめん滝にて(2)」会友推挙。下方に段差のような場所があって、そこで水が飛沫を上げている。その動きと上方の黄葉した樹木とが対照される。色彩感覚のよさと独特のムーヴマンに注目。

 布瀬達夫「棚田残照」。棚田の複雑な畦道が残照の中に黒々とあらわれて、水の張った田はオレンジ色に輝いている。そこに男が一人立っている。独特のダイナミックでユニークな表現である。太陽の角度によって風景が一変して、このようなドラマが起きた瞬間を生き生きと表現する。

24室

 中居華代子「裸婦」。椅子に座る裸婦の全身像。画面全体が煉瓦色に染められていて、しーんとした様子である。肉体の声を聴いているような、一種瞑想的な気配が感じられる。

28室

 大越洋二「津軽の家族」会友推挙。四人の男女が座って三味線を弾いている。衣装が塗り分けられて、左が黒、その次が白いシャツに青いズボン、その次が女性でピンクの上衣に黄色いズボン、その端が男性で緑の上衣に黒いズボン。そして、三味線の胴はいずれも白く、棹は色彩が異なる。下は雪景で雪が積もっていて、背景の紫の柱の両側は色相の異なる赤。そして、あいだから海がのぞき、島が見える。不思議にモダンな生気のある表現である。どこかノンシャランな雰囲気の中に同じようなポーズをとった四人の家族の様子がほほえましく、鑑賞者もにんまりとするような気分にさせられる。どこからこの面白さが来るのか。単純化したフォルムの連続性と体のもつ微妙な気配、そして顔の変化だろうか。また、原色を使いこなしているところも面白い。それによって色彩のもつ性質、そのハーモニーによって独特の感情が起きる。すこし変わった作風であるが、実に面白く感じられた。

29室

 古山多津子「からまる」。レースを敷いた丸いテーブルの上に様々な植木鉢が置かれている。バルコニーの向こうに電信柱が伸びてきて、そこに複雑に絡まった電線の様子が描かれている。その様子がなにかメランコリックで、人間関係のコンフューズした様子を暗示させるようだ。平凡な日常風景が複雑な心理を背負ったようにあらわれてきているところが面白い。

 丸山源吾「冬晴れの朝」。雪のずいぶん積もっている状況で、雪搔きをして両側に雪が積まれている。茅葺きの民家の下にトラックが一台。そこにも雪が積もっている。そんな様子を臨場感をもって表現する。

31室

 熊倉佐喜子「浅い春」。ずいぶん高い樹木が道の片側に伸びている。右のほうは何かの店らしく幟が立っている。そんな中をハンドバッグを肩にしたコート姿の女性が歩いていく。パリに通じるようなエレガントな雰囲気が感じられる。木のフォルムなどを見ると、自然に対する鋭敏な感覚が感じられる。

 鈴木隆「町まだ冬色」会員推挙。雪景である。中景に四階建ての倉庫のような建物が立っている。その紫色の壁と青みがかった雪の白とが響き合う。背後の低い民家の密集した様子。いちばん近景は道のそばの電信柱で、その碍子を置いた両腕木が斜めになっているところなども面白く、全体でひとつの詩情のある風景となっている。

 中村敏子「熱砂燦燦と」。赤い壁にオレンジ色の地面。そこに色とりどりの衣装をつけた人々。独特の色彩のハーモニーである。モロッコあたりの風景なのだろうか。多様な色彩を画面に入れて、それを調和し、ハーモナイズするのは画家の手腕である。

 遠坂昇「峠の道」会友賞。俯瞰した構図で雪の降りた道と建物の屋根や壁を描いている。ジグザグの道と周りの建物が相まって、独特の動きが感じられる。また、しっとりとしたトーンが木造の古い日本の町の雰囲気をよく表現する。

 出口順治「鉱山」会員推挙。削られた山の様子と道とが画面の中景に描かれている。それよりすこし前の位置になるが、一階建ての作業のための建物。そして、斜面が手前に下りてきて、その前にも道が斜めにある。そばにも工場らしい建物が見える。一つひとつのフォルムを丹念に追いながら、それを組み合わせていく。そこに画家の微妙な造形感覚があらわれる。画面を覆うベージュ系の色彩の中の微妙な変化。緑も同様で、繊細で鋭敏な独特の造形意識が感じられる。あるリズムともいうべきものが建物を中心としながら画面にあらわれている。

 田邉賢次「白神のブナ林」会友推挙。ブナの木が数本立って、画面の上辺を突き抜けている。下方には黄色や茶、オーレオリンなどの色彩で植物が描かれている。背後は山のようなものがあるようだが、下方と同様に紫や茶系の色彩で彩られて、いわば平安時代の継紙のようなバックになっている。そのバックと屈曲しながら伸びていく枝。その様子が響き合って、ところどころオレンジなどを散らした色彩が実のようなイメージをもたらす。日本画にも通じるような造形意識が面白い。

第84回第一美術展

(5月29日~6月10日/国立新美術館)

文/磯部靖

1室

 村山隆司「光の中で」。テーブルの上に大きな花が置かれた室内の情景である。窓から陽の光が差し込んできて、花やその他のソファ、クッションなどを克明に浮かび上がらせている。そのモチーフをクリアに描き出す筆力に強く注目する。影になっている部分は暗く、陽が当たっている部分は明るくというふうにその明暗の対比が、そういった様子をドラマチックに際立たせている。視界を遮るように置かれた花瓶と花による大胆な画面構成もまたオリジナリティを感じさせる。

 渡部広次「八海山」。画面の手前から奥に向かって緩やかに下りながら川が続き、またさらに奥に向かって盛り上がっていく。中景には大地が見え、その向こうには雪を被った八海山がその雄大な姿を見せている。ごつごつとした起伏が頂上に向かって重なっていき、それに伴って雪の白や青、赤などの色彩も繰り返し入れられて行っている。そういったドラマチックな画面構成がこの作品の見どころだと思う。今回は構図にこだわって描いているところに特に注目した。

 杉浦幹男「今井の桜」。桜の名所である今井の風景を描いている。画面の左側に、手前から奥に向かって川が続き、その両岸に満開の桜の樹が同じように続いて行っている。地面には草花が生い茂り、まさに生命の喜びを謳歌しているようである。画面全体は実に細やかな描写によって描き込まれているが、草花が風になびくような柔らかさを失っていない。明るく気持ちのよい春の日差しと澄んだ空気感も相俟って、心地よい印象を鑑賞者に抱かせる。

 中田誠「画集」。椅子に座って画集をめくる女性を左側から描いている。女性は紺色のワンピースを着ているが、その色彩が周囲の茶系の色彩にうまく馴染んでいるところがよいと思う。画集やティーカップの白もまた作品の中で柔らかな抑揚を作りだしている。女性はページをめくり、また同じポーズを取る。その繰り返される動きを孕みながら、静かに過ぎていく時の流れを作品に表現しているところが特に見どころである。

 七里和子「ラグーサの丘」。小高い丘に建物が連なるように重なり、そこへ道が右手前からカーヴしながら続いている。建物の周囲や道の左側には草木が生い茂り、陽の光に輝くようにその枝葉を伸ばしている。建物はベージュを基調色としながら描かれているが、遠景にいくほど青みがかっている。その色彩の変化が実に繊細である。空にはこんもりとした雲が盛り上がってきているが、それもまたやわらかい感触で、ゆっくりと姿を変えていく動きがどこか詩的である。七里作品の持つ自然光を巧みに扱って描き出していく色彩的魅力が存分に発揮された作品である。

 平岩加之絵「灯」東京都知事賞。暖色系の色彩を中心に描かれた画面の中でローブをまとった一人の女性が明かりを持って立ち、静かに目を閉じている。その姿はどこか深い祈りを捧げているように見える。女性の周囲には大小の百合が静かに咲いている。女性をやさしく包み込むような百合たちは、その深い心情に呼応するかのように繊細に描かれている。背後には装飾的な紋様が施されているが、それが作品に一つの調子を与えているようで興味深い。女性が手に持つ明かりを中心に画面を展開させながら、そこに画家の深い想いが込められた作品として注目する。

 杉﨑利男「オンフルールの港」。たくさんの船が繫留されている入江の風景を描いた水彩作品。右手前には赤と白の帆を立てた船も見える。中景には建物が並んでいて、それが水面に映り込んでいる。その水面のゆらぎながらも周囲の風景を映す様子が、実に細やかに描き出されている。直線と曲線を上手く組み合わせつつ、穏やかで心地よい雰囲気を作っているところが特によいと思う。

 加藤イサム「牡丹(新生)」。縦長の画面の下方に緑の牡丹の蕾が描かれている。上方には牡丹の花が三つ掠れるようなトーンで咲いている。この三つの花はもう枯れてしまっていて、下方の蕾がその命を引き継いでいるのだろう。親から子へ、子から孫へと続いていく命の繫がりを、擬人化したようにせつなく描き出している。蕾を明るい緑の色彩で希望の象徴として描き、そういった命というものの尊さとその意味を鑑賞者に問いかけているようなところが特に記憶に残った。

 戸澗幸夫「流木 2013」。うち捨てられた流木を横長の画面に描いている。その複雑に折れ曲がりながら組み合わさった姿がしっかりと捉えられている。背後は水色やピンクで彩られているが、どこか切ない哀愁が漂っているところが印象的である。ある種の抽象性を含みながら、テンポ良く描き出しているところもまたおもしろい。

2室

 ヤマモト誠「いつもの平穏」文部科学大臣賞。じっくりと描き込みながら幻想的な独特の世界観を表現している。家屋が建ち並んだその上方に、さらに高速道路の一部分のようなものがあってそこにも家が建っている。画面の中央上方には矩形による光の輪ができている。深みのある色彩と手触りのあるマチエールによって、そういった非現実的な光景の中の強いリアリティを支えている。

 上田秀洋「青の風景―2013」。画面を四つに分割し、それぞれを淡い水色で囲んでいる。その中は透明感のある白になっていて、線書きで背の低い草がいくつか描かれている。水色の部分には水を表現するようにそれより濃い青で波紋が描かれ、右下の囲みでは中まで水が浸食してきている。また、下方では波紋は星座に変わり、きびきびとしたリズムを刻んでいる。画家は長く「青の風景」をテーマに描いているが、その色彩とそこから引き寄せられる自然そのものの純粋なイメージが今作ではよりクリアに表現されていると思う。無駄なものを排除して、濾過、抽出した画家のイメージが、このようにどこか絵巻風に描き出されたところが実に興味深い。地球全体を思わせる四つの画面を水と空は循環するようにそれぞれの場所に恵みを与え、生命を育む。そういったいわば自然賛歌のようなメッセージが鑑賞者を捉えて離さない。

 山波朋子「回想の詩」。画面の中にたくさんのビンが並び、それらは青や紫、白、緑などといった色面で描かれている。その背後にはいくつかの灰白色の矩形があってさらに背後には深い紫やグレー、白などの色面がある。おもしろいのは左上から右下に向かって斜めに切り取られたような線が入っているところである。ビンそのものまでも切り取りながら、独特のコンポジションを作りだしている。モチーフの実在を不確かな記憶になぞらえ、純化されたイメージを抽象性も孕みながら表現しているところに注目した。

 宮下利彦「ファンタジー」損保ジャパン美術財団賞。空間にぽっかりと空けられた窓と海面に空けられた穴が強く鑑賞者の目を惹き付ける。青系の色彩を巧みに変化させて独特の幻想的世界観を作りだしている。その中でいくつも描かれた赤い実がポイントとなっている。そういったイメージを細やかな筆致が支えている。

 田中寛美「昇華へ」。チェロを思わせる楽器と一体になった女性が浮遊している。その奥にももう一人の女性の姿が見える。青と赤の強烈な色彩が組み合わさった空間の中で、この女性はどこか天上世界へと導かれていくようである。緩やかな動きと非現実的な雰囲気があいまって、ミステリアスな魅力を作りだしている。

3室

 館秀夫「静寂(多摩川・立川~日野)」。多摩川の夕景をパノラマ的にダイナミックに描き出している。夕陽が沈みかけ、月も見える。逆光になった樹木などがシルエットになってそのフォルムを見せている。ダイナミックでありながらそこにある気配が漂っている。異世界とすら思わせるような、この画家らしい世界観が実に魅力的である。

 河添幸代「樹譜―祈り―」。樹木に寄り添うように二人の女性が描かれている。上方には新聞の切り抜きがいくつも貼ってある。それは震災被災者の切り抜きである。亡くなった方や今も苦労されている人々がいる。命というものの儚さと尊さ、そしてそれに対する画家の深い心情が静かに語りかけられてくるようだ。横長の画面に淡い緑の色彩を中心にやさしく描かれたメッセージが、発信されてくる。

4室

 中丸幸代「悠久の刻」。遺跡のような場所に一人の女性が静かに立っている。その足下には様々な動物の絵が描かれている。かなり昔に描かれたのだろうか、女性はその遺跡の持つ遙かな時の流れを感じ取っているようだ。安定した構図の中に、過去へのロマンが深く感じられる。女性の柔らかなフォルムと堅牢な遺跡の対比も見どころである。

 加藤新市「雪国讃歌」。少し低い目線で雪のまだ残る風景を描いている。その構図が独特である。朝の光とそれによる清々しい空気が心地よい。色彩のトーンをうまく扱いながら描かれた、質の高い風景画として注目した。

 恩田映子「白い風」。砂浜の情景がじつにやわらかで心地よく描かれている。船の木片と浮きなどの白が特によく描かれている。そういった中で下方の黒く細かな塊が作品の中である種の重しとなってもう一つの見応えを作り出していて興味深い。確かな詩情を感じさせる魅力がある。

 武田誠好「アマリリス」。アマリリスの花を暗色をバックに大きく描きだしている。その凜とした姿に強く惹き付けられる。特に花弁の緑から白、ピンクへの色彩の変化が印象深く、作品の中へと吸引力を孕んでいる。美というものの謎めいた魅力を感じさせる作品として強く印象に残った。

5室

 清水光美「アダムとエバ ・」。密林の中に描かれたアダムとエバ。禁断の実を食べたという聖書の物語の一場面である。男女の肉体的なフォルムの違いや背後の密林などがパステルによってしなやかに描き出されている。確かなデッサン力によってその物語がリアルに作品に引き寄せられ、強い臨場感をもたらしている所にも注目する。

 高橋光夫「賛歌」。橋の上を駆け抜けていく三頭の馬がいて、さらに上方にまた三頭の馬が浮かび上がっている。それらはこまやかな点描で描かれている。その一筆一筆はゆっくりと置かれていて、画家のモチーフに対する愛情が強く伝わってくる。橋の下の奥に抜ける視点など画面構成も巧みである。

 菊田量三「秋燦燦」。色付いた雑木林の情景が実に鮮やかな印象を残す。赤や黄、緑などの色彩を丁寧に配置して、画面全体をうまく纏め上げている。それぞれが音色を奏で一つの協奏曲のように、作品からこちらに向かって心地よいメロディが流れてくるようだ。

6室

 伊藤静「雨あがり かがよう」。海辺の情景を独特の色彩感覚で描き出している。海面は紫で、上方も紫。その間にオレンジと山のシルエットが挟まれている。そしてそれらの色彩が微妙に変化し動きながら、流れていく時を刻んで行っているようだ。補色関係をうまく扱いながら、豊かなイメージと現地での感動を伝えてくる。

 春原妙子「降雪樹」。縦長の画面に雪を少し被った裸木を描いている。一番手前には幹の太い樹木と細い樹木が配置されている。その二本の関係性に強く惹かれる。男女、あるいは親子のような親密さを伺わせるところがおもしろい。厳しい自然の中でお互いに寄り添って立つ二本の姿に鑑賞者は自身を重ね合わせる。堅牢な画面の中に込められた温もりに、人が社会で生きていく中で大切で必要なものをメッセージしているようだ。

 市原敏次「千年の舞」会員奨励賞。妖しい雰囲気を持った桜の古木が大きく描かれている。その幹には妖怪の姿がいくつも一体化している。右下には扇子と琴があり、鑑賞者を引き込んでまるで精気を吸い取ろうとしているかのようだ。その強い生命力に惹き付けられた。

 松原修平「雷櫻」。向かって左を向いた若い女性の肖像。様々な色彩が衣服や背後の螺旋状の動きに使われている。これからの未来に対する希望や不安などといった女性の心情がそのまま現れているようで興味深い。女性の丸みを帯びたフォルムがそういった中で一つの安定感を持っているところにも注目する。

 篠崎和子「みら」。バレエの衣装を付けた女性が顎を両手で支えて寝そべっている。その姿は鏡になった床に克明に映り込んでいる。引き締まった肉体と繊細な衣装などの描写力が画家の確かな筆力を感じさせる。

 大須賀勉「色は匂へど」。裾の長いワンピースを着た女性。下半身が透けていて、どこか妖精的な魅力を内包している。花やしゃぼん玉が彼女を取り巻き、その美しさを鑽仰しているようだ。大須賀作品特有の明るい色彩と女性の持つ清楚な魅力が、今作品においても存分に発揮されている。その裏側にある美というものの儚さもまた感じさせる。

 髙橋浩「紫陽花の譜」。ピンクや水色、紫の紫陽花の花がいくつも咲いている。その花弁の一枚一枚にしっかりと表情が作られているところがよい。全体でヴォリューム感を持ちながらも繊細に咲き、奥行きのある画面となって鑑賞者を強く惹き付けている。

7室

 佐々木三夫「峠の坂道」。雪の降り積もった林道を抜けた奥に村落が見える。樹木の細い一枝一枝に雪が降り積もり、その雪量を窺わせる。白をメインに使いながらも、奥に覗く空の色彩が、作品にもう一つの動きを作りだしている。画面全体に漂うしーんとした気配もまた魅力である。

8室

 内藤昭「夏のなごり(B)」。こちらを向いて座る裸婦。その右側には枯れたほおずきが吊されている。女性の持つ瑞々しさとほおずきの対比が強い印象を残す。また右下にも一つこちらはまだ赤いほおずきが置いてあって、それが女性の若さを象徴しているようで興味深い。神話から引き寄せられたような、どこか女神を思わせる女性の存在感が特に記憶に残る。

 阿部節子「秋色にそまって」。様々なコラージュを施しながら、色彩豊かな秋への喜びを表現している。画面の中央から周囲へと広がるようなその感情に惹かれる。そういった中で墨を効果的に使いながら、まるで歌うようにこちら側に秋の到来をメッセージしてくるようで、気持ちのよい余韻を残す作品である。

9室

 江原登志子「爛漫」。たくさんの花を付けた桜の樹が風に吹かれながら揺らいでいる。その動勢がしっかりと描き出されている。透明水彩を重ねながら、その色彩は濁ることなく、瑞々しさも失っていない。左奥にも桜があって手前の桜と静かに響き合っているところもまたおもしろい構成だと思う。

10室

 佐々木信江「野辺 ・」。五体の地蔵が円を描くように配置され、描かれている。それぞれの表情が実に気持ちのよい笑顔である。草花に囲まれながら、ゆったりと長い時間存在してきた地蔵たちの懐の深い内面に、確かな安心感を与えられて作品の前でじっと佇んでしまう。

 大槻悦康「日月四神幻映」。いわゆる四神が凜とした姿で描き出されている。上空には太陽が昇り、それらを金色で照らし出している。人知の及ばない神獣たちの存在が、崇高な気配と共に作品の中で生き生きと発揮されているところに注目する。

 菊野キミヲ「峙つ」。スカイツリーを望む情景がしっとりとモノトーンで描き出されている。ツリーは川面にも映り込み、上下に伸びるその動きが作品にイメージの広がりを持たせている。ポツポツと灯る街灯の明かりがまた独特の雰囲気を作りだし、画面全体でどこか異世界を思わせるロマンチックな雰囲気を引き寄せている。

 興安「自由(菩薩シリーズ)」。流れるような筆の動きで、軽やかに馬に乗った女性を描き出している。左上方には菩薩が浮かび上がり、それを見守っているようだ。確かなデッサンの力でそのイメージを支え、強い物語性を孕ませているところに注目した。

11室

 今井定雄「橋上の見物人 ・」。沢山の人々が橋の上から何かを見物している様子を生き生きと描き出している。橋には提灯が付けられてぼんやりと周囲を照らしている。左を向いている人々の中で、少年が一人右後ろを向いていて、それがもう一つの動きを作りだしているところが特におもしろい。

 五十嵐小百合「晩秋の公園にて」。ゆったりとした空気感が漂う公園の情景である。ベンチには一人の男性が座り、奥では挨拶を交わす人影も見える。やわらかな筆の扱いと共に、心地よい雰囲気と時間の流れをうまく作品に表現しているところがよいと思う。

15室

 金谷一子「イチコのアトリエ」。広い室内に沢山の人々が描かれている。それぞれ裁縫をしたり衣装を合わせたり、思い思いのことをしていて、その様子がなんとも微笑ましい。人物やその他の小道具が細やかに可愛らしく捉えられたある種のドールハウスのようで、童心が強く刺激される。そういった金谷作品の持つ鑑賞者とのイメージの交感が大きな魅力となっている。

 根本久惠「記憶の刻 ・」。灰白色の壁を持った建物に囲まれた広場で子供たちが遊び、大人が語らっている。その画面の中央に空けられた間の取り方がうまく構成されている。堅牢な建物によるある種の緊張感とその空間が相俟って、印象的な作品となっている。

20室

 山田利男「三恵の巨木」優秀賞。三本の大きな樹木が画面の中央に描かれている。その手触りのある木肌が強い見応えを感じさせる。地面には雪が積もり、冷たい空気感が漂う。そういった中で樹木の枝の動きが独特の動きを作品にもたらしていて強い印象を残す。

 天野郁夫「雪のモンマルトル通り」。独特のポップな雰囲気が印象的である。雪の積もった路地を赤いコートを着た人物が歩いている。その様子が実に愛らしい。じっくりと画面を描き込みながらそういった雰囲気を痛快に描き出している。

21室

 小川克子「花」。激しいタッチで情熱的な画面を作り出している。赤や青、黄などの色彩によって燃えるような強いフォルムで花の姿を浮かび上がらせているようだ。そこから発信されてくるイメージの力が鑑賞者を捉えて離さない。

22室

 原正幸「待春」。少し高い視点で街並みを描いている。茶系の色彩をベースにしながら、素朴な住宅街の様子が誠実に描き出されている。春を待つ寒々とした空気の中に、ここに住む人々の生活の温もりを僅かに感じさせているところが特に興味深い。24室

 有馬耿介「暮れゆく広場(南仏)」。パノラマ的な構図で賑やかな街の様子をしっとりと描いている。夕暮れになって、街のあちらこちらでキラキラと輝き出す明かりの様子が強い情緒を引き寄せている。水彩による透明感のある色彩感覚も印象的である。

 中田實「For my endless life」。長く中東の風景を描いている。黄土から黄にかけての色彩で、砂漠の中の都市を丁寧に描いている。手前には井戸があり、右下にはロバを引く男の姿がある。ここで暮らす人々の生活感と左上方の飛行機の対比が何とも言えない余韻を残す。

25室

 大澤包房「路地情景」。路地の情景を透明水彩によって繊細に、また軽やかに描いている。陽の光が作り出す僅かな明暗の中で、日々続く人々の暮らしの一端を垣間見るような、穏やかな雰囲気が心地よい。

26室

 和田拡子「命の根」優秀賞。タンポポを大きく描き、その中心で女性が同化しているようだ。タンポポは夜空に向かって首を上げ、その種子を飛ばしている。ごく近しいモチーフを用いながらそれを擬人化するように描き、命そのものの存在を描き出しているところに注目した。

27室

 大塚睦子「春は名のみか」佳作賞。雪のまだ残る池の周囲を繊細に描いている。周囲には木立があり、枝葉を伸ばしている。それらを映し込む水面の様子が特によいと思う。冷たい空気感までもその水面で表現するかのように誠実にしっかりと描いているところに好感を持つ。

28室

 林行子「卓上のコンチェルト」新人賞。花瓶に生けられた花や果物、ポットなどが強い抑揚を持って描き出されている。それらが一体となって一つのメロディを奏でているようだ。繊細さと大胆さを併せ持った印象深い作品である。

 大友紀子「どこまでもどこまでも」。電車の中の情景であるが、乗客が動物や野菜である。これまでもこのようなモチーフを描いてきたが、今回は今まで以上に強い物語性を孕んでいるところがおもしろい。夜景を見せる画面構成もまたよく考えられている。

 春野由紀「寄生木の森」。モノトーンの色彩で淡々と描きながら、一つの気持ちのよいテンポを作りだしている。無駄なものを省き、鑑賞者に自身のイメージをしっかりとメッセージしてくる。そういった意欲的な画面構成に注目した。

第69回現展

(5月29日~6月10日/国立新美術館)

文/高山淳・小池伊欧里

1室

 上田研次郎「リナチメント・マンダラ」。リナチメントはイタリア語でルネサンスという意味である。ルネサンス曼陀羅ということになるだろうか。二つの円弧が大きく画面の上下にあり、二つは一部重なっている。上方は内側から青、緑、黄色、オレンジ、紫、赤といったリングになり、下方は金と赤である。そこに球体の中からフォルムを切り取って組み合わせながら、カーヴした形が大きく円弧を描き、次の形にカーヴしながらつながり、また円弧になっていくといった連続性のある幾何形態が斜光線の中に浮かび上がる。幾何形態でありながら、それは女性のトルソを思わせるようなところもあって、有機的な存在のように感じられる。二つの曼陀羅の組み合う中から新しい命が生まれつつある。そこに清浄な知性の光が照らし出しているような趣。そんなイメージは、そのまま中世の闇からルネサンスが生まれたイメージとも重なるだろう。朗々とした、一種仏画的な空間が魅力である。(高山淳)

 小倉洋一「EMANCIPATION-135」。F型の縦のキャンバスを横に二つ組み合わせると黄金比になる。その中に正方形や長方形のフォルムをつくる。水平線と垂直線によってそのような矩形のフォルムがあらわれ、その中に黄色や緑、くすんだ緑、ピンク、紫、オレンジなどの色面がはめこまれる。小さな矩形もあれば、大きな矩形もある。まず、そのベースのコンポジションが優しい広がりをつくる。また、それは時間性も獲得するようで、夜から朝、昼、夕方といったそれぞれの時間に色面を当てているといったイメージも感じる。そこに波のような円弧を入れる。円弧は三回連続するケースもあるし、二回のケースもある。そんなものが入れられて、それが左右に広がっていく。円弧によって、隠されていた大きな花のようなイメージがそこに浮かび上がる。抽象形態が自然と深く関係をもち、様々な具体的なイメージを隠しながら構成される。そして、全体で柔らかなハーモニーが生まれる。そのハーモニーは一種の音楽性を獲得する。(高山淳)

 横田瑛子「ENDLESS―未来へ―'13」。二つの恒星がぶつかって、その歪みを真空が切り裂いて新しい空間が生まれたかのような印象である。周辺を引き込むような波状のストロークが躍動している。そのストロークのひとつひとつは丁寧にアウトラインが取られ、燃えるようなオレンジを和風のテイストで落ち着かせている。停滞から始動へと移行するエネルギーのイメージが感じられる。(小池伊欧里)

 大貫博「2013―創造」。でこぼことした石膏地に墨などで彩色された画面は、おびただしい魂が転生を待つべく集積した場所を転写したかのような気配があり、海の底で生命を育む湧水の揺らめき、そこで徐々に生成される原始的な生物のうごめきが浮かび上がってくる。細胞分裂を繰り返すように、小さな気泡が集まって大きな塊となる。画面の上側と下側との静かなインパクトによって生じた闇が、創造の序曲として滲み出ている。(小池伊欧里)

 江波戸栄子「青」。青のグラデーションによって、四角い波紋とでも言えるような矩形が描かれている。それぞれのパーツが奥から手前に、上下に、自由に動き出している。電子的な楽器によって奏でられる音がビジュアライズされたような軽快さで、落ち着いた青のイメージを覆すような高揚感がある。(小池伊欧里)

 山本淑子「Flow2013〈飛流暉〉」。幾層もの青を重ね、釉薬のような輝きを持った画面が表れている。下辺の深い青の内包する力が、青い炎となって上方に立ち昇る。所々あしらわれた金が、炎の飛沫のように光の変化をもたらす。恐ろしさすら飲み込むような圧倒的な自然の力と、自身から湧き上がる感情の高ぶりが、波動となって画面上に解き放たれている。(小池伊欧里)

 島春男「'013蘇生への……」。植物の花びらや葉を抽象化したような先の尖ったフォルムが、お互いに踊りながらその中心から球体を生んでいる。球体の中からまた新しい球体が生まれている。花の中心から実があらわれ、実から新しい命が誕生するといったイメージだろう。全体のフォルムが踊るような動きの中からあらわれてくるところが面白い。背後は水平線が左右に伸びて、海が広がっているようだ。(高山淳)

2室

 内田智子「萌(2013)」。千代紙やバティックに似た独特の紋様が、意思を持った植物のような細長いフォルムに施されている。漂うように表現された芽生え。春の暖かさを喜ぶ植物が頭をもたげつつあり、これからもっと伸長し、拡がっていくのだろう。背景の描写も繊細で、赤、黄、緑を淡く胡粉と合わせたように散らし、うっすらとした金の模様も上品である。(小池伊欧里)

5室

 原田規美恵「念の刻に」。下方に海が広がっているようだ。海の手前、いちばん近景だが、中心が赤く、周りに紫の巨大な花のようなイメージがあらわれている。世界の中心のような雰囲気。上方には緑から黄色、オレンジ、赤とグラデーションがあらわれ、左右に梵字がある。中心の白い梵字が大日如来、左が阿、右が吽、阿吽、つまり陰陽を両側に置いた世界の中心に大日如来があらわれている。大日如来が自然を癒し、この前の津波の災害も癒し、新しく生命を与え、希望を与えるといったイメージである。大日如来の白い梵字から柔らかなリズムがあらわれ、それは阿吽に行き、阿吽から円弧があらわれ、円弧は緑や赤の色彩を引き寄せて世界を回復させる。下方の海はまた大地のイメージとも重なる。海はまた上方の緑の大地そして空に接しながら、つまり天と大地と海と、あらゆる世界を癒そうとするかのようだ。下方の赤い花のような色彩は世界の中心であると同時に大日如来の住処のようなイメージも感じられる。いずれにしても壮大な響きが画面から轟き渡るように伝わってくる。(高山淳)

6室

 竹内功「胎動」会友賞。どこか部屋の中のドアに胎児が浮かんでいる。精緻な描写である。ドアとオーバーラップするように描かれたピンクの花びらは、部屋の向こう側からの発現なのか、ドアの下の隙間から光をこぼしている。花びらからしたたり落ちる水滴が下方に海を作っている。その水のうねりが胎児を包む羊水と呼応し、瑞々しい生命の始まりを導いている。(小池伊欧里)

 宮尾美明「堕落への赤い糸」。逆さまになった女のロングスカートが激しいフラメンコを踊っているかのように画面一杯に拡がっている。女がつかむ赤い糸がその外周に荒々しいタッチでスカートを縁取るように描かれている。まるで情念の化身として現れた黒い人喰い花に飲み込まれるようだ。厚めに置いた絵具をスクラッチするように、白い紋様が細かく入れられ、黒い炎のような形が力強い画面を作り出している。(小池伊欧里)

 三好正人「カルラの羽毛」。聖獣、鳥の王とされるカルラの巣だろうか。始祖鳥を思わせる鳥が横たわり、卵の殻が散乱している。殻は異次元につながっていそうな空洞で、水晶のような玉も散見される。ただならぬ空気を帯びている。全体的に細かくディテールを出し、独創的なイメージの世界を再現させている。(小池伊欧里)

7室

 春日孝仁「ほつれゆくもの」。ロープや廃材が散らばって、上から見下ろした不思議な静物画である。ロープの質感が味わい深く、ほつれた部分を頭に、竜が絡まり合うような躍動感がある。鉄錆と瓦礫の風合いがロープや木材を映えさせる。ユニークな視点と構成力がある。(小池伊欧里)

 成澤隆吉「ピエロウ(Pierrot)」。右に黒いマントと帽子の御者風な男、真ん中には両手を幕にかけたピエロが隙間からこちらを窺っている。パッチワーク的な抽象形態の中から現れたような造形で色彩の響きが良い。緑の層も繊細に調子が作られている。ピエロの左手の方から何かが溢れていて、幕の内側への好奇心をかき立てる。そこに潜むものが邪悪なものか、楽しいものか、不敵な表情の二人が妖しい。(小池伊欧里)

 渡辺泰史「SAMURAI INDUSTRIES―月が出た出た、月が出た―」。パネルを張り付けたコーラの瓶を中心に構成されている。山裾に沈み行く太陽が山のシルエットと瓶の間に挟まれ、緩やかな光が瓶の中に蓄積されているようだ。三本の煙突から黒煙が吐かれるのと呼応して、商業主義のシンボルともとれるコーラの瓶からも黒煙が立ち上る。「さぞやお月さん煙たかろ」炭鉱節の一節がよぎる。(小池伊欧里)

 田中敏夫「illusion」。マジシャンのシャツにプリントされた蝶が実物となって部屋の中を舞う。ワインもボトルから無重力に放たれるように浮かび、古代魚も浮遊する。不思議な空間にあって、ギター弾きとその背後の女は何食わぬ表情だ。赤を基調としたジャケットやドレスの連なりが印象深い。デヴィッド・リンチの映画に出てくるような、現実世界での何かを暗示させるような異空間である。人物や空間のデフォルメ、モチーフそれぞれのマチエールなど、油彩画の魅力を存分味わえる作品だと思う。(小池伊欧里)

 久保田晃二「浮遊する化石」。アンティークな扉の前にかんぬきのような、梁のような木の柱が横断し、それをレールにするように化石の塊が浮遊している。化石は、古代魚を中心にフジツボのようなものやアンモナイトのようなものが固まっている。背景には欠けた月と丸い月がシルエットとなって描かれ、月光に染め上げられたようなベージュで埋められている。時間の流れがぴたりと止まったような空間である。緑青に彩られた扉、木、化石には硬質な物体としての存在感が表れている。(小池伊欧里)

 中畑勝美「刻」。刻まれた人生の時間を可視化したようなイメージである。歯車や時計の文字盤、振り子、懐かしい紙風船がグレーと赤の壁面に見え隠れする。左には両手を掛ける老人、その上には片手を僅かに乗せる老人、一番上は手だけが覗く。過ぎ去った時を取り戻そうと時間の壁にしがみつくかのようだ。グレーの壁面は印刷物を張り子のように貼って独特の風合いである。いくつもの線や円、矩形を組み合わせ立体的な動きのある作品となっている。(小池伊欧里)

 渋谷直人「タルポイド 5」。円、三角、四角を組み合わせた図形と交わるように男が二人描かれる。男は時間軸をずらした同一人物と思われる。男の後方から虹が架かるように三匹の幻獣が頭をもたげている。前を歩く男の様々な思念が具現化されたのが、後ろの男であり幻獣なのだろうか。微妙なニュアンスを重ねて作られた背景と高い描写力によって構築された特異な世界である。(小池伊欧里)

 佐藤八生「輪転」会員賞。川と岸が逆転したような構成で山の樹木と密生する植物が描かれている。植物はひとつひとつ丁寧に描かれ、全体的に濃厚なタッチで柔らかく調和のとれた色彩である。両脇の空間には霞と水面が溶け合うような幻想性があって漂う魂を山の方へと導いていくような雰囲気を感じる。(小池伊欧里)

 三輪孝一「桜島SPIRIT」。桜島が噴煙を上げている。そのあたりの山頂が赤く染まっている。そして、桜島の全体の峰や尾根を追いながら、そこの中に青や茶などのストライプを入れて、その内部にある生きた世界を表す。手前に緑や青い樹木が立ち、さらに近景の樹木には色とりどりの鳥が中に住んでいる。赤や白の花が咲いている。青い海。桜島というより、桜島を背景にしたひとつの楽園と言ってよいイメージがうたわれる。男性的な力を背景に置きながら、女性的なイメージ、鳥や花を引き寄せて、二つが合体しながらある幸福な世界が生まれているといったイメージになるだろうか。その象徴のように画面の左辺からつがいの白い鳥が飛来してくる。(高山淳)

8室

 林田聖一「観世音と阿羅漢」。蓮の咲く天上界がフェイクのように描かれている。阿羅漢は赤ん坊を抱え、観世音の背後が十字架のようにも見え、どことなく聖家族といった趣である。作者の中の確固たる世界観が感じられ惹きつけられる。少し夕陽がかった光の扱いが繊細で、対象ひとつひとつが実にくっきりと描き出されている。(小池伊欧里)

10室

 水野匡「象のいるサーカス」。ポップな雰囲気でありながら、がっしりとよく作り込んだマチエールである。画面いっぱいに描かれた象をバックに象使いとピエロが微笑んでいる。緑色に発光するような縁取りが不思議な立体感を生み出す。象使いの赤いレオタードと明るい肌が引き立っている。(小池伊欧里)

 吉野すみ子「教会のある風景」。中央に教会の十字架が見えその一帯がやや明るく輝いている。そこを囲むように欧風の建物が密集している。ブラックを彷彿させるようなセンスである。マチエールに抑揚があり、にび色の色彩が街の歴史に思いを馳せさせる。(小池伊欧里)

11室

 川除俊子「寂寥―ざわめきの中で」。正方形の画面の中心に巻貝が大きく描かれている。六本の手足があるような雰囲気で、前方の渦を巻いているところが目のようだ。上方にヒトデが星のように浮かんでいる。下方には三つの白い巻貝が立ち、そばにサザエなど様々な貝がある。ぽつんぽつんと置かれた下方の貝たちは単なる貝殻で、生きていないように感じられる。それに対して上方のこの不思議な巻貝は、生きて、宙に浮かびながら存在する。空には星があり、下方には死があるといった趣で、その地上と天上のあいだにこの貝はいま生存の時間を過ごして、少し寂しい雰囲気である。しかし、ヒトデが星のように浮かんでいるように、仲間はいるに違いない。寓意的なファンタジックなイメージがしぜんと作品から浮かび上がる。(高山淳)

12室

 小川恵子「ReTweet in W」。銀の布地に一本の帯が縦断し、その布地一面にカエルとヤモリが立体的なワッペン風に縫い込まれている。一点一点模様を変えて作られ、カラフルなそれらは、規則的なようで猥雑でもあり、情報や言葉が飛び交うネット上の世界を暗示しているかのようだ。(小池伊欧里)

第101回日本水彩展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 大岡澄雄「樹林(白い樹)」。グレーの中に白い木が幾本も幾本も立っている。それがピュアな表情である。両脇に行くに従って濃いグレーは柔らかなグレーになり、白もその中に同化するような調子で、一般的な葉のある樹木の形になっていく。それが手前になるに従って前述したような雰囲気で、木のもつ命、あるいは時間性の象徴的な表現のように感じられる。右上方にほんのすこし透明な青が使われているのが空を暗示する。純粋でユニークなコンポジションである。

 橋本克「秋江」。運河沿いの建物。夕日なのか、空がオレンジ色で、それがそのまま水に映っている。船の上に人がいる。悠久たる時間が感じられる。シルエットになった建物や人間とこの夕日と思われる光線とが、実にしみじみとした情緒をつくる。

 茅野吉孝「冬枯れ」。草の枯れた中に裸木が立っている。木というより灌木といった丈の低さで、細い枝を扇状に伸ばす形がポイントになっている。右のほうから光が当たり、一部白く輝いている。その明暗のコントラストもドラマティックと言える。背景はたらし込みふうな黄土のトーンによって、枯れた雑木林の雰囲気。一本の木の周りの空間が独特で、フォルムとトーンがお互いに絡み合いながら、心象風景といったイメージをつくる。

 真壁輝男「風」。海のそばの樹木は葉を落として天まで伸びている様子。海からの風によって幹も枝も反対側に傾いている。その枝の形が面白く、龍の手のようなイメージで、それが繰り返し空に向かって何かを摑もうとするかのように現れてくる。中景の岬の斜面には松が植わっている。その松も傾いている。暗い海に波が寄せてくる。酷薄な自然に向かいながら長く生き続けてきた木の命がよく表現されている。また、木の下方の幹から上方の枝、梢にわたる形を見ると、木の幹の下から上方を仰いでいるようなパースペクティヴになっている。さらにいえば、木の内部にイメージを働かせて、その内部に入りながら上方に伸びていく木の形を描いているといった強さがある。それは写実より写意を重んずる水墨の伝統と言ってよい。水彩に加えて、そのような水墨の性質が入ることにより、より作品の内容が深まる。曇り空の中に透明なセルリアン系のブルーが入れられていて、すこし青い空がのぞいているのも優れたアクセントと言ってよい。

 北野祥子「再会 2012」。一本の林檎の木が描かれている。枝が画面からはみ出ている。そんな広がりの中に赤い大小の林檎の実を丹念に表現する。緑の葉と、地面の白っぽい調子の周りに生える草。じっくりと腰を据えた対象の表現で、一つひとつの林檎がまるで宝石のように感じられる。

 醍醐芳晴「織女たち」。座っている女性と寝ている女性を組み合わせながら、そのあいだに糸車を置く。上方には鳥がいる。淡々と対象のフォルムをつくりながら、微妙な気配を見せるコンポジションである。優れた構成力と写実力に注目。

 小野月世「お気に入りの場所」。ソファに少女が座っている。ソファに置かれた画集と思われる上に猫が座っている。背後は窓で、後ろ斜めから光が入りこんでいる。画家の色彩は常に光を表現することによって独特の透明感を獲得する。それによってグレーやベージュの大きな色面が退屈なものにならず、生き生きとした表情をも獲得する。優れたデッサン家で、少女の座っているあどけない様子を見事に描く。少女のワンピースの赤、青によって彩られた抽象的な模様が、全体のアクセントとなって効果的である。

 久保田勝巳「幾年家族杉」。おそらくこの杉は岐阜にある杉で、土地ではよく知られたものである。五百年を過ぎるという。一本の株から分かれながら、この幹が伸びている。一部、中は祠になっている。数百年の時間がそのままこの木の幹にその痕跡を印しているかのような不思議さ。まるで時間の謎をそのままこの樹木の幹に眺めているかのような、あやしい迫力が感じられる。上方には黄土や緑、赤などによって、葉の様子が描かれ、下方にはうずたかく落ち葉が積もっている。杉が同じ株から何本かの幹を展開する扇形のコンポジションがとくに優れている。根元から見上げているようなフォルムには、何かめまいを起こさせるような迫力が感じられる。その存在感に引き寄せられる。

 荒木惠子「Episo-do(I)」。お洒落な作品。グレーを中心として、すこし鼻のあたりや頰にピンクを入れている。丸いテーブルの周りに若い女性が座っているが、その後ろの数人はダブルイメージのように運動する様子を表しているようで、そこに音楽的なイメージが表れる。

 滝沢美恵子「或る日」。眼帯をして、くわえタバコをした男。後ろにはミュシャの絵。下方にはチャップリン。そしてモリエールの石膏像。フォルムに対する感覚が優れていて、しっかりとした構成をつくる。

 齋藤俊子「花の舞う刻」。花が面白く画面に構成されている。紫やピンク、黄色。その大きく弁を開いたフォルムが繰り返される。その二つの花瓶に差された花は同じ花で、そのあいだの白い色彩は、まるで花が鳥となって飛び出すかのごときイメージが感じられる。背景に建物を思わせるような風景的広がりがある。いずれにしても、花のフォルム、色彩の輝き、その生命感の中に入りながら、一種の音楽的な世界ともいうべきイメージを表現する。作者の場合、具象を抽象化するのは、そのような音楽性と言ってよいかもしれない。水彩展会場の中でも一見してひときわ鮮やかな印象で、花という物質ではなく、花を通してうたう画家のイメージの深さが魅力。

 髙橋幸子「ある日」。犬が首を地面につけて、こちらの様子をうかがっているようす。周りにキャベツ、そして後ろにワンピースの女性が立っている。顔は見えない。フォトモンタージュといった雰囲気も感じられる。現代の不安感ともいうべきものを、痛切にある情感のなかに表現する。

 松原順一「黄昏時」。古い二階建てのアパートが逆光の中に描かれている。手前には雑草が風に靡いている。夕焼けに空は染まり、このくすんだアパートが独特の手触りをもって描かれる。

 宗廣恭子「手紙」会友奨励賞・会員推挙。手紙が宙に浮いている。ハートの封印がしてある。上方には連続する樹木。下方にはテーブルや花。女性が立って、なにかメッセージを送っている。胸にハート形の赤い文様。手紙を渡す、コミュニケーションをする、イメージを送るといった行為を面白く構成している。色彩のハーモニーが魅力。

 吉川靖「瓦礫と」内閣総理大臣賞。後ろの白いテーブルにはたくさんの瓦礫が置かれている。その前に花束を持って座る若い女性。黒い上衣の下に白い服を着て、黒いストッキングをはいて地味な雰囲気なので、なおさら花が輝く。ソフトなタッチで光を画面の中によく引き寄せている。光の揺らぐような雰囲気にロマンティックな味わいが生まれる。

 勝谷明男「農場浅春」東京都知事賞。背後は低い山で、雑木が紫色の色彩となって針葉樹のあいだに立っている。雪がまだ残っている。中景には鋪装していないような道が通り、そこからT字形に手前に道が来るところに家がある。画家の描いている視点はすこし高いところで、その眼前は下がっていく斜面で、枯れた草がびっしりと覆っている。そういった平凡な光景を実に生き生きと描く。色彩が生きている。形もまたきびきびとしたリズムをなす。そして、それがそれぞれの位置に存在することによって、しぜんと空間が生まれる。空のベージュがかった色彩から覗く少しの青い空が希望のようなイメージを与える。

 永野陽子「風韻」。ノンシャランな雰囲気で画面の中を画家は散歩するようだ。散歩しながら風を描き、その散歩の軌跡を画面に表現する。あわあわとしたベージュ系の空間に不思議な密度が感じられる。生きているということの証としての画面と言ってよい。

2室

 小林政夫「願いのコスチューム」。地蔵に縄を幾重にも巻き付けたフォルムが画面の中心にある。両側に母と娘、眼鏡をかけた老人。そして、その横には横向きのたくさんの人がいる。上方には奉納した人の名前が貼ってあるようだ。業平山南蔵院といった看板が見える。様々な祈り、願い、希望を託されたこの地蔵は、一本一本の紐がそれぞれの人々の希望のようで、取り囲まれて身動きできないといった雰囲気。情念をユーモラスに面白く絵画化する。

 橋村香恵子「窓辺で」。ジョーカーを思わせるような人形が白い布の敷かれたテーブルに座っている。そばにワイングラスと赤ワインと思われるボトル。後ろに白と黒の市松の布が置かれている。独特のセンスを感じる。市松の文様もそうだし、赤い衣装を着た人形もそうである。対象を描きながら、心の内界の不思議さを探っているような趣のあるところが魅力。

 加藤英「時のつかさ」。時計の上に少女が座っている。手を前に出したところに青い蝶がとまっている。少女の赤や黄色、ピンクのリボン、紫を中心とした中に、蝶の柄なども入った明るい着物。そして、黄金色の時計はいま壊れてしまっている。少女のほほえみ、愛らしさが時を止めてしまったかのようなイメージ。そんな優しいポジティヴなイメージを朗々とした雰囲気で画家はここに表現する。一種歌っているような雰囲気もあるほど色彩が鮮やかで、お互いがハーモナイズする。

 酒井保嘉「三陸巨釜・陽はまた…」。三・一一と、三陸の岩に白く入れられている。その横のほうを見ると、小さな緑の植物が岩に置かれている。画家の祈りの象徴のように思われる。画家の優れた写実力はこの切り立った三陸の岩による風景を見事に表現する。その存在感の上にささやかな希望が祈るように入れられる。

 平林邦雄「街角」会員奨励賞。グレーが独特のニュアンスをもたらす。そこに光線が差し込み、白く輝く部分があらわれる。光線の白に対して洗濯物の白が上方にある。生活のうたともいうべき繊細な表情。家のドアをあけて一人の老人が、いまその路地に立っている。手前の丸い屋根のようなボリューム感のあるフォルムなどもあいまって、繊細なものと堅牢なものとのリンクした独特の構成になっていて、そこに引き寄せられた光が魅力。

 山田一之「駅前ビル―名古屋」文部科学大臣賞。ずいぶん画家の視点は高い。六十階建てぐらいの高層ビルの上方が見えている視点から、この名古屋の駅前のパノラマ光景を描いている。広い道路にはたくさんの車が走っている。遠景までくっきりと描きながら、そこには靄がかかっている。高い視点からこの街を眺め、それを描くにあたって、手前にこの湾曲した飾りをつけた高層ビルを置き、その網の目のようなフォルムを生かしながら、独特のダイナミズムを表現する。

 志賀一男「小さな形見」。女性が座って立膝に両手を置いて、頭をそこに置いて悲しんでいる。キューピー人形が指からつるされている。背後に津波を思わせるような激しい波が現れている。上方に二人の少女。すぐ下に、その二人の少女を木版で刷ったフォルムがコラージュされていて、それが画面全体を引き締めている。下方には五つの狐の仮面が置かれている。そばにランドセル。亡くなった少女を深く悼む、悲しみのモニュマンとなっている。強いクリアなフォルムを使いこなしながら、それを重層的に組み合わせて、コラージュも行い、三・一一のレクイエムとなっている。

 冨安昌也「美山の早春」。小品であるが、さすがに優れた写実力と芸術の香りを漂わせる。山の麓に一軒の古い茅葺きの民家が立っている。そこに向かう道。白と焦茶や茶色などの色彩を使いながら、簡潔なクリアなフォルムと優れたコンポジションにより幽玄な世界を描く。

 千代田利行「月と御堂」。浄瑠璃寺の優雅なカーヴをした御堂が画面の中心にある。屋根の上方のカーヴはすこし強調されて、この正方形の画面の中に見事にはまっている。手前に池がある。後ろは山で、樹木があり、その上方に満月が出ている。山や樹木の様子はコンテのような、木炭のようなもので表現されている。画面の下辺から立ちのぼる樹木もそうである。その黒い線が水墨の線のように感じられる。西洋ふうなドローイング的な写実に加えて、東洋の水墨ふうな線とがリンクするところに独特の情感が生まれる。大きな月は下方の水にうっすらと映っている。また、屋根の手前の塔、向かって右側の広葉樹のその簡略なフォルム、そこに置かれた明るい黄土色の色彩が月の光をしぜんと感じさせる。いずれにしても、過不足のない見事な表現である。

 李志宏「追憶」会員奨励賞。両腕を組んで座っている女性をしっかりと描く。後ろには聖人の浮き彫りが柔らかなベージュの中に浮かび上がる。手の静脈までも描いたようなリアルな描写力に注目。

 根岸尚徳「つるばらの記」。二人の女性が座っている。一人は低い椅子に、一人は地面にじかに。後ろに薔薇の花が咲いている。光が当たる。庭の薔薇と二人の少女がお互いに連結しながら、柔らかな中に強い存在感を示す。

 加生幸彦「終着駅」。沢山の線路に沢山の電車、後ろにビルと山、強いエネルギーが画面から感じられる。生活の歌ともいうべきイメージが筆者を引き寄せる。

 綱川サト子「渓」会員推挙。渓流に面しているところが岩になっていて、不思議な崩れ方をしている。そんなところを発見して、画家はそれをしっかりと表現する。そこに不思議な気配が立ち上がる。

 早崎小百合「それぞれの日常」。数匹の猫が集合している。猫のもつ独特の生気が画面から伝わってくる。その生気に導かれるように絵具を繰り返し重ねて厚塗りになる。そして、色彩の輝きが生まれ、不思議な猫の群像となる。

3室

 工藤純「歓(かん)013─5」。色彩に独特の魅力がある。青い空間のなかに子どもの大きな顔が現れている。目が輝いている。その目や口に月が宿ってるような雰囲気で、無邪気でイノセントな生命力がしぜんと感じられる。そばに一本の枝が伸びている。その先に蝶が羽ばたいている。春から初夏にかけての自然の活力を画面に引き寄せ、そこに子どものエネルギーを重ねる。線が縦横に動きながらフォルムが現れ、色彩が深く輝く。

 水野道子「愛は深く」。画面向かって左に輝くような赤が入れられている。それがすこしくすんだ深紅といった色彩に変じる。その背後は黄土系の色彩で、金を思わせるものがある。バックは深いインディゴふうなブルー。まるで愛の賛歌の喜びと悲しみのメロディに沿って色彩が動いていくような様子である。単なる抽象形態ではなく、そのような時間軸が空間の中に入れられているところが強いヒューマニスティックな味わいを醸し出す理由だろう。

 田代久美子「眠らない街」。淡い絵具を水墨でいうたらし込みふうに使用して、広場を中心とした左右の建物全体の、一種のパノラマふうな光景を描く。光っている部分、ともしびのある部分、暗い部分などの陰影が繊細で、同時に建物のもつ存在感も表れ、幻影のように街の光景が浮かび上がる。下方にバス停留所のようなものがあるのだろうか。人が固まって並んでいる。その向こうの道のほうにもシルエットの人がいる。ショーウインドーがきらきらと輝いている。明るい青から暗い青まで、そして緑やそこにベージュなどの色彩を入れて、独特の空間をつくる。日本人のつくりだした、シャンソンの流れる風景といった雰囲気も感じられる。いずれにしても、明暗の幅が広く、色彩も多様で、それによって街と人間とのエッセンスのようなイメージが画面に表れる。

 今成建史「湯川」。渓流がモチーフになっている。そこに光が差し込む。渓流のそばの石がきらきらと白く光っている。影になっている部分はくすんだ紫や緑。水もそうで、光っている部分は明るいオレンジ色で、影になっている部分は紫や暗緑色。水底は浅く、速く流れている水の様子が活写される。まるでそれぞれの石が明暗の中に輝く宝石のようなイメージで描かれている。すこし離れると、水と石と草とが実に壮大なハーモニーのようなイメージをつくっていることがわかる。それが一つの渓流の一隅であることの不思議さ。

 芦野信二「川涸る」大下藤次郎賞。冬の風景である。雪が積もっていて、水が少しになっている。そんな様子を惻々とした雰囲気で表現する。

 松永弘「北の鉄人(秋田黒川油田)」。黒川油田の内部の機械のもつずっしりとした存在感をしっかりと描いている。その周りの木造の屋根や壁が、柔らかな中にリアルな表情を見せる。

 関野惠美子「森の記憶」石井鶴三賞・会友推挙。樹木を切り、その枝を切り、切断したものが積み重ねられている。その形がなまなましく実に生き生きとしている。

 鵜飼しをり「譜」。画面の下方約三分の二は赤の複雑なトーンで、その上方に黄色があらわれ、緑やブルー、オレンジなどの色彩が置かれ、全体で強い色彩のハーモナイズする魅力があらわれる。ストラヴィンスキーの音楽を聴くような心持ちがする。そんな音楽的性質をもった抽象表現に注目。

 村松泰弘「阿修羅の流れ」。奥入瀬川の源流、十和田湖のそばの光景である。向こうから水が段差の中を白い波を立てながら手前に向かってくる。近景では、岩による段差ができて、そこでまたしぶきを上げながら波が激しく下方に下りてくる。そんな水の表情が面白い。独特の韻律が感じられる。一種の清潔さがあって、水のもつ聖性ともいうべきイメージがあらわれる。

 池田紀子「樹―千手」。太い幹から三百六十度の方向に枝が伸び、先から梢が出ている。巨大な銀杏の木のような雰囲気である。一人の人間のように細密にその姿を描き起こす。その存在感に注目。

 池上典子「思い出の街」。中心に川が流れている。そのそばの高層住宅。右下にはもあもあとした不思議な塊があって、船の固まりのようにも建物のようにも見える。いずれにしても、川を中心にして独特の詩情をはらんだ風景である。一種の音楽性ともいうべきものが感じられる。静かにメロディが流れてくるような、そんなイメージに注目。

 松田節憲「洛中遠望」。太い線によってぐいぐいと洛中の風景を描く。東寺のあたりから北を見て、京都の街並みを描いたのだろうか。その筆力に注目。

 杣田康子「流浪の民」会友奨励賞・会員推挙。イスラムと思われる人々の集合写真が画面のほぼ真ん中にコラージュされている。後ろには土で造った建物が浮かぶ。手前には水を思わせるフォルムがあらわれている。独特の色彩家である。また、陰影の中に、ある独特の味わいが表れているところも面白い。

 萩原葉子「春が来た」。大きな木を見上げる角度から描いている。アルカイックな樹木の形にまず引かれる。そこには真っ赤な花が咲いている。鳥が飛んできている。青い空に白い花も咲いている。春の喜びに画面全体が振動するようなコンポジション。

 柴﨑博子「朝よりまえの朝」。薄いネグリジェを着て膝をついて立っている若い女性。後ろはガラス窓で外の庭の光景がうっすらと映る。繊細な中になにか祈るようなイメージがあらわれる。

 今井芳文「学校(初春月)」会員奨励賞。サックスを吹く先生の前に七人ほどの生徒がいて、実に無邪気な表情で生き生きとしたフォルムを見せる。先生のフォルムもそうである。自在にデフォルメする画家の造形力に注目。また、先生と生徒が一体化し、室内のものたちも一体化した、くねくねと動くフォルムのもつ動きの中に独特の生気があらわれる。

 橋本義隆「あの響き」会友奨励賞・会員推挙。姉と妹が画面のすこし右に描かれていて、愛らしい。ホルンのフォルムの曲線が少女の柔らかな曲線と対照されるように置かれている。後ろには口をあけた彫刻の首が何体か置かれている。その口をあけた様子は三・一一のあの津波に対する怒り、叫びのように感じられる。そんな困難な状況にあった人間たちの様子を背景にしながら、あどけない二人の少女。しかし、二人の少女は悲しみに浸っているようで、寂しそうな表情。また、姉の持つピンクの花は亡くなった人に対する捧げもののようなイメージも感じられる。そして、膝を立てたポーズは祈りのポーズである。

4室

 長谷川光男「暮ゆく村」。スペインなどの風景だろうか。赤茶色の瓦の屋根に漆喰の壁。仕事場のような材木の置き放しになった広場。あいだを通る細い道、階段。そういった様子をしっかりと描く。強い明暗のコントラストの中にエキゾティズムが漂う。

 長瀬末子「訣別、そして明日へ」。女性が紙に鋏を入れている。紙は髪と重なるのだろう。後ろにはポスターや風景や街が描かれている。女性のフォルムが力強く、その造形に注目。

 中村光伸「新緑の金堂」。どこのお寺の金堂かわからないが、瓦屋根が重層的に左右に広がる中に、下方に香炉がある。そこに向かう三つの石段。手前の大きな木。実に優れた描写力をもつ画家であることがわかる。これだけ複雑な建物の様子を淡々と、しかも接近してみるとわかるが、描き直すことなく描き起こす筆力は非凡である。穏やかな茶褐色の落ち着いたトーンの中に、昔ながらのお寺の存在が生き生きと描かれる。優れた筆力に感心する。

 石塚洋子「八つ手の花」。ヨーロッパにボーシャンという作家がいるが、それを思わせるようなプリミティヴな夢のある表現である。ヤツデと花がまるで一つの肖像のように画面に収められ、淡々と丹念に描かれて、不思議な味わいを醸し出す。

 大竹良夫「そら」。赤くオレンジ色に染まった雲と空の様子が、画面のほとんどを占める。地上のものはぎりぎりまで下辺に引き下ろされて、シルエットに描かれている。空の下方のセルリアンブルーから上方のスカイブルーにわたる変化のあいだに輝く雲が、あるいは溶け込む雲が描かれて、夕焼のもつドラマともいうべきものが実に魅力である。

 不破愛子「祈り」。両手を組んだフォルムが強い印象を醸し出す。後ろには原爆ドーム。そして線路。そのそばには福島原発を思わせるような建物。下方は押し寄せる津波の様子。祈りのモニュマンである。

5室

 野竹惠雄「山間晩秋」奨励賞・会友推挙。遠景にシルエットの山。その下には雪の積もった民家。そして、近景には紅葉した雑木やススキ。それぞれのフォルムをしっかりと誠実に描きながら、秋のもつ情感が表現される。とくに近景の白いススキの様子は画面全体のポイントとなっている。

 池田千世子「晩秋」。ススキが描かれている。ススキの様子が風景からピックアップされて、静物のように表現されている。ススキの穂の一つひとつ、すべてを入れると十を超えると思うが、その微妙な変化がまたみどころだと思う。手前には別のカーヴする細長い草の葉が密集している。すこしベージュがかった青の空に、シルエットふうに微妙なカーヴを描くそのススキのフォルムは、エッチングを見るような魅力が感じられる。そこには一種の詩情ともいうべきものが漂う。

 戸田英彰「仕事場の静物」。達磨ストーブや左官仕事のための鏝と台、切られた木の角柱、バケツ、折り尺などが台の上に置かれている。それぞれのもつ存在感がよく表現されている。とくに左官道具や二つの角柱の様子は、明暗の中にクリアに描かれて、独特の強さが感じられる。

 佐野師英「琵琶湖  晩秋葦原の里」。琵琶湖に葦が茂っている。船が幾艘か繫留されている。対岸の葦の向こうには民家が点々と存在する。その後ろは山の斜面のようだ。黄土色を帯びた墨色ともいうべき色彩がしっとりとしている。黄土色がほとんど金泥のような趣で、どこか雅やかな雰囲気でもある。この葦と水と民家を描いた風景には深い情趣が感じられる。

6室

 吉戸一芳「追憶」。煉瓦でできた壁の上から枯れた蔓のようなものが垂れている。遠景には樹木があり、すこし紅葉した葉の様子。秋の光景だろうか。しっかりと対象を描きながら、独特の感情がこの風景にこめられているところが興味深い。

 小野里理平「ブラス、クインテット」。五人の管楽器奏者が描かれている。いちばん遠景にはトランペットを吹く女性。手前には、やはりトランペットとホルン。その手前にはトロンボーン。いちばん近景は右端にくる人物で、チューバを吹いている。管楽器の黄色みを帯びた調子がだんだんと手前になるに従って大きくなり、微妙に色合いを変えながら描かれている。紺色の服を着た奏者たち(女性だけはすこし緑の服)。その楽器と人間のフォルムによって独特のコンポジションが生まれている。ちょうどクレッシェンドで音が大きくなってくるような具合に配置されていて、手前の重量感のあるチューバを持つ青年のところで動きが止まる。いずれも透明水彩の技法を生かして色彩に透明感がある。シャープな線が画面を縦横に走りながら、それぞれのフォルムをかたちづくる。おびただしいスケッチの中からこの作品が生まれたと思われる。そのようなリファインされた美しさが感じられる。五人の奏者のフォルムが実に生き生きとしている。人間の内面に行くのではなく、そのフォルムの面白さを追いながら、一種の音楽性を獲得していると思う。

 藤井啓二「ベネシャンブラインド」。立っている女性の膝よりすこし上の全体が画面に描かれている。右にブラインドがある。背景は鉛筆による表現で、女性もそれをベースにしながら淡彩がつけられている。ディテールが魅力である。ブラインドから差す光の中でほほえんでいる女性の全身のディテールを執拗に追求するところから、独特の存在感が表れる。

 時津里江「月下」。大きな椿の木に白い花が咲いている。そのそばから満月が見える。下方の民家と明かり。デフォルメされた形が面白い。大胆なデザイン画ともいうべきフォルムの組み合わせと、濁っていない色彩をそこに与えることによって、一種の音楽性が生まれる。朗々とした椿の咲く満月の夜の民家たち。新興住宅地のイメージだろうか。地面も市松状の抽象形態になっている。面白いのは道の途中にペアの黒い猫がシルエットで座っていること。洗練されたファンタジックな空間に注目。

7室

 灰谷敏子「過ぎゆく刻」。いまはほとんど見ない荷車の上に地面から刈り取ったものがうずたかく積まれている。斜面の向こうには大きな岩があって、その向こうはなにか遺跡のようだ。荷車のもつ量感と空間のもつ広がりがよく表現されている。荷車も、よく見ると、右側の車輪は壊れていることがわかる。一つの農場が、あるいは部落全体の農場が崩壊してしまったあとの現実のようなイメージも感じられる。緑系統の色彩と茶系統の色彩が静かに響き合う。

 松林重宗「噴気する ・」。朦々とした強い気配がこの作品の魅力と言ってよい。様々な大小の岩や石がしっかりと描かれている。それが中景になると、すこし蒸気によって曖昧になって、その向こうは暗い空間になる。一つひとつのもののもつ形と重量感をしっかり描いている。それがすべて地面の上の石であったり斜面の上の石であったりするという特異なモチーフである。右上方があけられて、その向こうに何かあるのだろうけれども、たらし込みふうに明暗の中に溶け込むように表現されている。湯の源泉を描いたのだろうか。強い気配が感じられる。

 皆川保子「振り返る」。牛舎にいる大きなホルスタインが表現されている。牛の頭から肩にかける部分よりお尻のほうがとくに大きくなっているのは、お尻のほうから眺めているせいだが、それ以上に強調されている部分があるだろう。ディテールを追いながら、牛との深い強い親和力のなかから表現されているところが面白い。

 石渡勝「雪の美山」。雪景である。中景に茅葺きの雪の積もった民家があり、それを取り巻く樹木や遠景の山、近景の枯れかかった草などがクリアに描かれて、日本の田舎の一隅がよく表現されている。

 宮川美樹「刻」。浜の砂地の上に鰯の頭や貝殻の一部などが残っている。上方から波が押し寄せてきている。その泡のような最後の部分をクリアに描く。海のもつ長い歴史と浜に永遠に繰り返す波の動きといったものが背景にあって、ここに打ち上げられ残されたものは時間の中から残されたもののような雰囲気で、不思議な気配を醸し出す。そういったものをリアルにクリアに細密に描くことによって、シュールな気配があらわれる。

8室

 佐藤義朗「雑貨・商い(ドイツ)」。マルシェといった趣で傘の下に食材が積まれている。そんなドイツのある街の一隅を画家はしっかりと描く。地味な表現だが、それぞれの存在が輝くように表現されているところに注目。

 山口ももり「生きる」。イスラム世界のあるシーンだと思う。あるいは、もっとアフリカに近いところだろうか。母親と三人の子供。幼いながらも姉は生まれたばかりの子供を抱きかかえている。背後に建物。ヴァイタルな人間の生活感、その生命感がよく表現される。その命の強さが画面から放射してくるようだ。青や赤系の色彩、緑などの色彩も使われて、カラリストでもある。

 新倉秋夫「レッスン」。サクソフォーンを吹く女性をすこし斜め後ろから描いている。クリアなフォルムがまず魅力。サックスの黄金色の色彩と背景の中に黄色い色彩が呼応する。鳴り響く音色が背景に呼応して不思議な文様をつくるようだ。

 宇賀治徹男「堤外地(残り柿)」。柿の木を屈曲させて柿を育てている様子がよく描かれている。葡萄棚や林檎などと同じように、柿の栽培は左右に枝を伸ばすこのようなかたちで行うのだろう。その面白い柿の木の形がシルエットふうに、ほとんど黒に近いグレーで描かれている。その複雑な枝や梢の様子がまずこの作品の絵画性と言ってよい。下方にはすこし雪が積もっている。そして、下方の畑にはレタスのようなものだろうか、そんな野菜も顔を出しているし、その他緑の植物があり、中景には冬枯れのような茶褐色の植物や樹木が枝を広げている。空はすこしベージュを帯びたひんやりとしたグレーの空である。農村のある一隅を力強いコンポジションの中に表現し豊かな情感を醸し出す。

 中村裕道「城下町、眞壁のひな祭り」。瓦屋根の古い商家でひな人形を売っている。そこにたくさんの観光客や買物客が現れて、それを見ているから、絵の中では後ろ姿が描かれている。クリアなそれぞれのフォルムが生き生きとしている。優れたデッサン家である。とくに人間たちのそれぞれの姿形が生き生きとした魅力を放つ。

 森川静江「(ドイツの街)花を咲かせて」。木のボックスに色とりどりのたくさんの花が置かれている。それが前後二ケースある。赤、オレンジ、ピンク、白、黄色などの色彩で、まるで陽の光を中に入れたような鮮やかさである。単なる色彩の輝きという以上に、内側に光があり、その光が花を通して輝いているような、そんなところがこの作品の面白さだし、鑑賞者を引き寄せる理由だと思う。日本水彩展の会場の中でも、これほどの色彩の魅力を発散する作品は少ない。花の周りは、木製の箱にしても床のグレーにしても、背後の板のようなものにしても、地味なものであるが、逆にその地味な手触りがヒューマンな表情を示すと言ってよいかもしれない。そこにまるで太陽が地上に下りてきたように花々が咲き乱れる。そのように、この花籠は描かれている。

 奈良治雄「斜陽」。野原に様々な植物があって、一部、木が紅葉している。その向こうには瓦屋根の二階建ての大きな民家が二棟。葉を落とした樹木が枝を広げる。手前の明るい黄色を帯びた野原の中に一羽の黒いカラスがいるところが面白い。クリアなフォルムの客観性の中にカラスの様子は擬人化されて、きわめて主観的な雰囲気である。画家自身がカラスになって周りの光景を眺めているようなヴィヴィッドな雰囲気が感じられる。

 冨田久子「卓上靜物」。丸いテーブルの上にポットやグラスやドライフラワー、そして白い皿には西洋梨や果物ナイフが置かれている。ほとんどが黄土系の、あるいは褪せた黄金色のトーンに包まれていて、ノスタルジックな感情を引き寄せる。丸いテーブルの後方のあけられた空間には白い空のある風景があらわれているように感じられる。卓上のものを見ながら、画家は深い想念の世界に入っていくようだ。

9室

 湊川美佐子「朝の通り」。レストランや小間物屋などの店が密集している路地をトランクを持って歩いてくる男。すでに店を開けて、店のそばに立つ店主。周りの建物の様子。淡々と客観的に対象を描くことによって強い存在感が生まれるが、その中に紫やブルーをベースにしながら赤やオレンジ色が入れられて、深い情感が醸し出される。物語がしぜんと紡がれるようなシチュエーションが表現される。

 髙松佐惠子「スペインの風景」。山の上にある建物、教会、民家、その前を通る道、斜面の様子。それぞれをクリアに描く。斜光線が当たり、壁面を輝かせている様子が清々しく気高い。クリアにディテールを描きながら、大きなパノラマの表現になっているところがよい。

 間地寿子「three wreath」。縦笛を練習している若い女性が右のほうに描かれている。前の譜面台に譜面がある。すこし斜め後ろから描いている。周りに貝殻や巣や植物の葉や実、松ぼっくり、葡萄などが置かれていて、それが全体にハーフトーンの中に表現されている。大正ロマンの時代はミュシャなどの作品が人気だったらしいが、それを思わせるような柔らかな雰囲気のなかにフォルムがクリアで、全体で甘美なハーモニーが生まれているところが面白い。

 子安三千子「軍鶏」。檻の中の軍鶏と外の軍鶏がお互いに顔を合わせて見つめ合っている。中の軍鶏は若く、外の軍鶏はすこし年なのだろうか。外の軍鶏の様子はくっきりと堂々と描かれている。ふさふさとした羽の様子、太い足、顔の周りに茶褐色の羽が生えている様子。地面はグレーで、斜光線が差し込み、白い檻を輝かせている。檻の中にいるもう一羽の軍鶏。足が太く若々しい雰囲気である。軍鶏に見入っている画家の力に引き寄せられて、鑑賞者にも軍鶏を見入らせるようだ。

10室

 福井タマヱ「想」。大きな花を壁に寄り掛からせているようだ。下方にはその黒い茎があり、上方には白い花のようなものが見える。左のほうには暗い調子で分けられて、その中に赤い色彩が点じられている。中に不思議な窓のようなフォルムが見える。たとえばドライフラワーになった向日葵などのもつイメージを抽象的に描くと、このような雰囲気になるかもしれない。いまだ残っているパッションを赤で描き、ドライフラワーになった黒々とした様子を周りに描く。あるいは、花のもつ夢のような雰囲気を白で横に描く。そういった花の中に深く入りながら描いた独特のコンポジションのように感じられる。

 森崎京子「一隅」。柔らかな光が当たって、白いクロスの掛けられたテーブルの上の花が輝く。周りにもたくさんの花が置かれているが、それらは暗く抑えられて、高いところにあるこの花々が輝くようだ。まるでウェディングドレスのような雰囲気もある。強いそのロマンティックな雰囲気に注目。

 原眞知子「樹・ju」。すこし紅葉した樹木も入っているが、たくさんの樹木がここに描かれている。それぞれの樹木の形が個性的に、そのあるがままのフォルムが絵の上でさらに強調するように描かれている。フォルムに対する鋭敏な感覚が、この画家にはあるようだ。そして、緑の中にすこし紅葉した葉が入って、その色彩のハーモニーも魅力。

 仲井早人「雨上がりの渓流」。水嵩の増した川の流れがボリューム感をもって表現されている。溢れるような水の動きは水量のない時とまるで異なる。恐ろしい雰囲気さえも漂うような写実の表現。

11室

 森薰「浅春」。車道がはるか向こうまで続き、その先はカーヴしているようだ。両側には積もった雪があり、白樺のような木が亭々と立っている。そこに斜光線が当たり、陰影が捺される。遠くの山は霞んでいる。強い臨場感のある風景作品である。道の様子を見ると、ここを車で繰り返し通るときの記憶がそこに重なり、一種のダブルイメージになっているようにも感じられる。

12室

 佐藤玉枝「バル」。赤いバーのドアがあけられてカウンターにグラスやボトルが見えるが、無人である。そこから黒い大きな猫がいま顔をのぞかせている。朱色や茶褐色の中の黒が鮮やかな印象である。まるでこのバーの主のような雰囲気もある。猫というもののもつ不思議な本能的な力を、画面の中のイメージをつくるフォルムとしてうまく使っているところに注目する。一種文人画ふうなイメージの展開が感じられる。

 小西淳子「インド大平原」。筆者は以前、インドに行った時に釈迦が瞑想したという洞窟に上って、そこに座って向こうを見たことがあるが、その果てもなく続いていく草原は海を思わせるものがあった。この作品もそのようなインドの大地の広がりと、そこにあらわれている微妙な表情を描いたものと思われる。緑の複雑な微妙な陰影の中に植物を思わせるようなフォルムが、引っ搔いたような線によって繰り返し上下連続して動いていく。その引っ掻いたようなフォルムは木であり植物であると同時に、波のような不思議なイメージでもある。その海のようなイメージの中に、よく見ると、草原があり、水が流れ、といったイメージもしぜんと感じられる。シンプルな抽象形態の中に豊かな自然の様子を描くと同時に、深い祈りのようなイメージが感じられる。また、その線の繰り返しは仏教の声明を思わせるところもある。

13室

 加藤明子「振りかえれば…」会友推挙。青いトーンで廃墟になった建物を描いて、しみじみとした情感を醸し出す。朱色の「おたふくわた」という看板の文字が見える。廃業し、廃屋になった綿屋。その壊れた壁やドア、窓、そして手前の自転車などがあいまって、独特の消失していくハーモニーともいうべきイメージがあらわれる。陰惨なものではない、なにか懐かしい不思議な雰囲気がそこにあらわれる。

15室

 溝口時子「実り」。たくさんの柿が実っている様子を臨場感をもって描く。この手前の柿などはほとんど五十センチや一メートルの近さにあるような雰囲気である。青い空を背景にした赤いルビーのような柿のたくさんのフォルムをリズミカルに表現する。

 小林マコト「高架下の船泊り」。上方に高速道路がダイナミックなカーヴを見せる。下方に白い漁船が数艘繫留されている。その幾何学的な形を生き生きと画面の上に表現する。それによってある強い動きが生まれる。同時に、漁船の様子から生活感のようなイメージ、生活の歌といったイメージの表れているところもまた魅力。白を中心とした清潔な画面である。

16室

 河村純正「来者如帰」。煉瓦造りの壁。上方からしだれてくるような蔓に大きな葉が密集している様子。燦々と光が当たり、強い明暗の中にそれぞれのフォルムが浮かび上がる。

 丸木幸子「夕景」。田植えを終えたばかりの水田が向こうに続いていく。その水の上に上方の茜雲が映っている。中景には針葉樹の林が見える。遠景には白いコンクリートの建物。そんな遠近感のある風景を淡彩で淡々と描きながら、強い臨場感をあらわす。憧れといった、そんな心情的なものも表現されていて、鑑賞者は引き寄せられる。

18室

 城所文子「野火」。画面の近景に炎が燃えている。そばにスコップがある。遠景には建物や山を思わせるようなフォルムが、単純化された動きのある淡彩ふうに表現されている。全体にほの明るい調子の中に火を中心とした色彩が生き生きと輝く。独特のムーヴマンも魅力。

 草野二郎「モノづくり」。鋳物工場だろうか、画面の中心に鉄を溶かして型に入れる作業をしている二人の工員がいる。その様子もそうだし、周りのものもしっかりと丁寧に描かれている。一種の記録画を思わせるような姿勢で描きながら、その素朴さの中に火を扱い、緊張しながら働いている二人の様子が、妖精のような情感をたたえて描かれる。モノトーンの中に白や朱色が生き生きと使われる。

19室

 善生信義「9・13」。モノトーンのフォトモンタージュ風な表現がクールな都会の抒情を表現する。壁にカメラがセットされて傾いている。ビルもひずんでいる。左の方には妖しい空間が現れている。9・13という題名だが、9・11のニューヨークテロの二日後のイメージなのだろうか。高層ビルの建つ街のスリリングな雰囲気がよく表現されている。

20室

 田中邦子「小春日和」。電車の中に座る二人の女性が描かれている。中年の女性は本を読み、若い女性は頭を垂れて居眠りしているようで、顔が見えない。その体全体のディテールをクリアにしっかりと描く。たしかにこのような女性を見たようなデジャヴ感が感じられるような再現力に注目した。

 髙木登「銀杏の葉舞う頃」。銀杏の黄色やペイヴメントのローズ色、赤煉瓦などの暖色系が画面に温かな雰囲気を与える。そこを通行する男女の様子が脇役となって面白く扱われている。

21室

 十川敏子「ミステリアス」。ウィンクしているような大きな猫の目玉。紫や黄色で彩られた人形であるが、ピンクの敷物の上に置かれたその猫が強い印象である。会場ですぐに目にとまるような吸引力をもつ。

22室

 山崎英子「脱原発」。福島原発の壊れた様子を描いている。どの位置から描いているのか、筆者にはよくわからないが、強い臨場感が感じられる。淡々と対象の形を追いながら、悲惨な事故の証言のようなシーンが表れる。

23室

 杉原豊孝「晩秋の宿場町」。狭い道の両側に木造の建物が続いている。そこを旅行客が歩いている。線を大事にして対象のフォルムを描く、淡彩による表現。生き生きとした臨場感が感じられる。

 佐藤鍈治「雪の銀山温泉」。江戸時代に返ったかのような木造の大きな三階建てや五階建てのような建物。川をはさんで反対側には二階建ての建物があり、源泉館や昭和館という文字が見える。江戸の情緒が漂うようだ。そこに大正時代のような街灯が黄色い光を放っている。そばに傘を差して歩く女性。黄色やオレンジ色の色彩を中心として建物を描いているために、なおさらノスタルジックな雰囲気が漂う。

 石原弘勝「グランプラスの賑わい」。古いヨーロッパの街の広場にたくさんの人が集まっている。その様子とそれぞれの建物をしっかりと描いて、独特の生気をつくる。 川島照子「庭の片隅」。ドクダミの白い花が雑草の中に咲いている。サップグリーン系のしっとりとした緑のトーンの中に咲く花々が、まるで星のように感じられる。

 町田進「孤高の梅」。緑の山を背景にして、冬枯れにも見える草原に長く生きてきた梅の古木が白い花を咲かせている。屈曲したその堂々たるフォルムと白い花が豪奢な雰囲気である。対象をしっかりと写生しながら、どこか装飾的な花鳥画的なイメージが生まれているところも面白い。

24室

 松家香代子「柔らかな刻」。緑の柔らかなグラデーションが優しい表情である。また、あいだの道が錆びた黄金色のような様子で、その両側に立つ樹木の幹や枝をくっきりと描きながら、そこに複雑な緑の陰影が与えられている。道の先も光によって向こうが見えなくなっている様子で、その溢れてくる光の両側の緑のトーンが実に繊細で上品な様子で、優しいメロディが聞こえてくるようだ。どこか神秘的で謎めいた雰囲気も感じられる。

 福川賢二「憩いのひとときを」。カフェの様子を丁寧に描いている。一つひとつのものを大切に描くことによって、強い親和力のようなものが生まれる。

 瀧内秀一「Woman of the fragrance of rose」。白いテーブルクロスを掛けた上にティーポットがあり、そばに薔薇の花々が顔を見せている。その手前に座る女性。薔薇の花や白いアマリリスのような花を持っている。柔らかな光の中にロマンティックな雰囲気が漂う。女性の衣装も花柄で、花に取り囲まれた微笑する女性のイメージが魅力的に表現される。

 田辺美枝子「一条の希望」。渋い調子であるが、緑と紅葉した赤褐色とのトーンの響きが繊細で魅力的である。また、その様子が手前の水に映っているダブルイメージ。フォルムはクリアで、しっかりと対象の樹木や杭などを描いている。

 阿部宏「夕立」。夕立の中を横断歩道を走るように渡っている人たち。ところが、中景ではカップルが一つの傘でお互いに見つめ合っている。周りと別の世界であるかのようす。バックのガラスのビルからオレンジ色の光に照らし出されている。デフォルメされたフォルムによるユニークな群像表現。静かにドラマが進行する。

 橋爪秀夫「江戸里神楽(天狐の舞)」。狐のお面をつけ升を持った演者。そばに太鼓がある。画面いっぱいに右足を出して、すこし見得を切ったようなポーズを描いて、強いコンポジションになっている。クリアで、形のもつ魅力がよく表現されている。

25室

 鍋本文江「お散歩」会友推挙。二歳ぐらいの女の子が小さな籠に花を入れて、右手には枝を持って歩いてくる。すこし上から見下ろしているが、実に愛らしい様子である。色彩もそれぞれの固有色をしっかりとつかまえている。

27室

 柚村優美「紅葉変奏曲」。水の上に紅葉した葉が散っている様子。朱色が中心になって、そこに黄色や緑が入って、色彩が渦巻くように表現されている。色彩の交響曲ともいえる音楽性も感じられる。

 菊地清人「郷愁線路」。昔の蒸気機関車が走ってくる。重量感のある独特の存在感をもつ。踏切の手前にセーラー服と学生服の男女が自転車を持って立っている。画家の回想シーンだと思うが、清潔感がある。煙を吐く機関車の様子が生き生きと描かれている。

 山田洋子「詩編」。淡いトーンで森の中の樹木を描いて、柔らかな情感を醸し出す。真ん中に道があるようで、向こうに行くに従って柔らかく、周りに溶け込むような薄い調子になる。水墨の世界を水彩で描いたような雰囲気もある。独特の情感を醸し出す。

 西本真佐江「土手舞台」。一面の曼殊沙華である。その赤のグラデーションが強いパッションともいうべき感情を表す。

 湯佐侑子「地中海 物語」。静物的に小さなニケの石膏像を置き、そばにトランペット、手前にはヴィーナスの首が横たわっている。しかし、ニケとトランペットによって風景的な広がりが静物の背後に引き寄せられる。ユニークなダブルイメージで色彩も生き生きとしている。

第52回大調和展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/㓛刀知子・磯部靖

1室

 喜多村功「夏の気配」。白いワンピースを着た女性の肖像である。女性は椅子に腰掛け向かって左に顔を向けている。背後には物が置かれたキャビネットや絵が描かれている。ハーフトーンの色彩が、やわらかな自然光を感じさせて心地よい。シンメトリーに近い構図の中で、女性の左向きの動きが一つの動きをと画面の広がりを作りだしているようでおもしろい。静謐な雰囲気が鑑賞者の目を惹き付ける。(磯部靖)

 代田盛男「ラ・セーヌ」。パリのセーヌ川を画面の中央に大きく空間を取って描いている。長くパリを描いてきた画家であるが、このような構図で描いた作品は余り見たことがない。奥には白い建物が見える。その手前には橋が架かっている。深い茶系の色彩と建物の清潔な白が強い対比を見せている。川面はしっとりとした青紫にところどころ暖色が入れられているが、実に静かに流れて行っているようだ。その川面の動きと大きな空間が相俟って、味わい深い強い余韻を作りだしているところが特に印象的である。(磯部靖)

 黒田悦子「野遊夢」。女性の文楽人形が屋外でたくさんの鳥と戯れている。鳥たちは自由に動き回りながら人形の周りを囲んでいる。人形の着ている和服は量感があり、そこに細やかな装飾が施されている。それが、背後の茶から暗色の中で際立って鑑賞者の目を惹き付ける。地面には植物の蔦が波のような意匠で描かれている。それが作品の中でもう一つの動きを作りだし、生き生きと画面を活性化させている。舞台の演出でありながら、実風景の中を思わせる強い生命力を表現しているところが特に見どころであると思う。(磯部靖)

 垣内宣子「ストラスブール」。ドイツとの国境にある地、フランスのストラスブール。この地には観光のメインとなる地区が二つあり、今回、描かれたのはそのうちの一つ、プティット・フランス地区である。穏やかな川に囲まれたこの地区は、ドイツとの国境の地らしく、ドイツ風の木組みの建造物が建ち並び、おとぎの国のような趣きを呈している。垣内には、実際の風景を幻想風景にかえてしまう独特の感性があり、鑑賞者をその世界に招く工夫として、大胆な構図が作られる。この絵でも手前に大きく川が描かれ、それが奧へと続くような構図になっていることで、視線はしぜんといざなわれる。その川面には、明るい光を含んだ空の澄んだ色彩が揺らぎ、平穏な時間の流れを感じさせる。建物は実際にレストランなどに使われるそうだが、人の姿を描くことなく、人間の営みを感じさせる温もりを宿している。川岸の柵のところに赤い花が点々と描かれるのも、この画家らしいお洒落なアクセントになっている。(㓛刀知子)

 倉持尚弘「一路」。町屋駅近くの情景である。雪がうっすらと積もった線路を電車が行き交っている。画面全体が寒色系の色彩を中心にまとめられているところが特徴的である。向かって左側に電車の車体があり、奥にも電車があるという視野の狭い画面構成であるが、線路の奥に抜けていく視界の切り口がおもしろい。爽やかな空気感もまた魅力である。(磯部靖)

2室

 金子嘉一「残雪の正ハリスト教会」。手前に大きくカーヴを描いた道があり、その向こうに教会が見える。ドラマチックな風景である。誠実に画面を描き構成しながら、現地の雰囲気と空気感をしっかりと引き寄せている。ちょうど画面の中央に立ち並ぶ木立が、そういった中でテンポのよい調子を作りだしているところもまた巧みである。(磯部靖)

 大亀喜平「冬枯る」。ゆっくりと流れる川の風景がこの画家らしい繊細さで表現されている。画面の中央に大きな岩があり、堰き止められた水がその手前に溜まっている。水面は全体的に緑がかっている。冷たく張り詰めた空気と、右から左へと静かに流れていく水の深みのある豊かな表情がうまく馴染みながら対比されて表現されている。長く自然を描いてきた画家ならではの清々しい風景画である。(磯部靖)

 山下笑子「渓谷、嘉満ヶ淵」。激しく流れる渓流が奥から手前へと流れ落ちてきている。右手前から下方に岩肌が続き、奥には葉の生い茂る雑木林が見える。水はある部分ではゆっくりと、またある部分では激しく流れている。その緩急付けられた動きが、作品に強いリアリティを引き寄せている。岩肌は堅牢で、エッジの効いたフォルムを見せている。茶系あるいはグレーの色彩が独特のぬくもりを感じさせるように彩色されているところも印象深い。構図をしっかりと構成しながらそこに大自然の息遣いを潜ませている作品である。(磯部靖)

3室

 早川雅信「晩秋(パリ)」。パリの街並みの情景がしっとりと描き出されている。左手前から右奥に向かって道路が続き、それに沿って並木や建物が並んでいる。それらに施された茶からベージュのハーフトーンの色彩が柔らかな空気をこちら側に運んでくるようだ。構図もさることながら、今回はセンスのある色彩感覚に特に注目した。(磯部靖)

 玉山昌克「港風景」。横浜の港風景を少し離れたところから見ている。赤煉瓦倉庫やホテルなど、特徴的な建物が目立つ。手前は船着き場になっていて、三本の水色のポールが伸びている。それがちょうど対岸の地面の線とほぼ同じ所までの長さで揃えられているところがおもしろい。その水色は海面のゆれる青の色彩とはまた違っていて、そういった色調の抑揚もまたよく表現されている。海面でぽっかりと空けられた空間のこちら側と向こう側で描き方を変えたような、独特の画面構成も印象的である。(磯部靖)

 梅原嘉明「京都・大原三千院」。手前から奥に向かって切り通しのような坂道を上っていく。その右側の土手の向こう側には瓦屋根が見える。茶系の色彩をじっくりと描き込みながら、味のある画面を作り出している。少しずつ上がっていく視点の動きを誘うように、ミステリアスな雰囲気を醸し出しているところも印象的である。(磯部靖)

 杉本秀子「湖畔の春」。湖畔に立つ見事な桜の樹が、満開の花を咲かせている。その花弁の一枚一枚を誠実に描写しながら、春の喜びを歌っているようだ。また幹の堅牢なフォルムと花の対比がもう一つの見応えを作り出している。画面全体の清々しく心地よい雰囲気もまた魅力である。(磯部靖)

4室

 野口悦弘「静穏」。緩やかに起伏しながら続く水田に鷺が一羽描かれている。鷺は羽を繕っていて、ゆったりとした時間を過ごしている。秋を思わせる澄んだ心地よい空気が画面を満たし、作品の前で深呼吸をしたくなるような魅力がある。茶系と緑の色彩の中に清潔な鷺の白が一つのポイントとなっているところが特に見どころである。(磯部靖)

 三國芳郎「華」。繊細な筆致で描かれた若い男性の肖像が強く鑑賞者を惹き付ける。男性は脚を組んで椅子に座り、こちらを見つめている。礼装を纏った男性の周囲には、様々な花々が咲き乱れている。その一つひとつの描写がきめ細やかで瑞々しい。絵具を薄く何度も塗り重ねながら描かれた画面は、わずかなグラデーションを作りながらモチーフを浮かび上がらせている。モデルはある若い演歌歌手とのことだが、そういったアーティスト特有の存在感と強い発信力を見事に引き寄せているところが見どころである。画家の確かな技量を感じさせる作品と言っていいだろう。(磯部靖)

 辻野典代「から松林」。手前にから松の林が視界を遮り、その向こうに雪山の頂が見える。から松は黄土色の葉を付け、その合間に茶色の幹や枝が見える。それらが手前と遠くの輝くような雪の清潔な色彩と柔らかな対比を作り出し、強く鑑賞者を惹き付ける。色数の少ない中に、雪山特有の透明な空気感を作り出しながら、清々しい印象を残す作品となっている。(磯部靖)

5室

 鈴木弘一「路地裏に夕暮れ」。建物に挟まれた狭い路地が手前から奥に続いている。昇る階段の手前に一人の女性がシルエットになって描かれている。それが少し物語性を作りだしているところがおもしろい。薄暗い路地の陰翳がそういったミステリアスな雰囲気と相俟って、鑑賞者の足を止める。(磯部靖)

 沼田鎭雄「夢の町三十番地」会員努力賞。奥へと積み重なるように白壁の家屋が続いていく。広場には子供たちが遊んだり、立ち話をしている人が描かれている。その画面のちょうど中間辺りに青い屋根の教会が見える。屋根や壁、樹木の色彩がその教会に収斂していくような、独特のイメージを感じさせるところがおもしろい。手前から奥へと向かう距離感もしっかりと捉えられている。(磯部靖)

6室

 田邉賢次「丘の回廊 ・」。ぶどう園から平地を見下ろし、さらに奥は山になっていくという複雑な画面構成をしっかりと違和感なく描いている。ブドウの実や葉が一つひとつ丁寧に描かれ、連なっていく様子が独特のリズムを作り出している。画面全体は緑系の色彩を中心に変化させながら彩色され、そこに組木や網の直線がもう一つのテンポを与えている。確かな構成力と描写力によって、ドラマチックな風景が繰り広げられているところに注目する。(磯部靖)

8室

 福嶋千恵子「風渡る」。草原を流れる小川の情景である。周囲には青々とした草花が生え、黄色いたんぽぽもいくつか咲いている。水はさらさらと流れ、画面全体に気持ちのよい雰囲気を作りだしている。自身の気に入った風景を丁寧に気持ちを込めて描き上げているところに好感を持つ。(磯部靖)

 井上志津子「人気者」努力賞。服を着た猿が立ってポーズを取っている。そのフォルムが自然にしっかりと捉えられている。機敏に動く猿の身体性が強い動勢を孕んでいるところに特に注目する。(磯部靖)

 馬本雅文「IDOL」。携帯カメラをかざして向かって左の方にある何かを撮ろうとしている人々の群像表現である。それぞれがいろんなポーズを取っていて、その一つひとつがおもしろい。その人々の間隔が一定の距離を保っているところも、まさに現代風の表現である。左上にはスピーカーも置いてあり、画面外のアイドルの存在が鑑賞者の好奇心を誘う。(磯部靖)

11室

 笠間朱美「春のかおり」。花瓶に生けられた花が中央にあり、右下には一輪のピンクの薔薇が置かれている。その柔らかな色彩の扱いが実に心地よい。水彩絵具の魅力をしっかりと引き出しながら、魅力的な作品を描き出している。(磯部靖)

12室

 岸本和子「小憩」。椅子に座ってこちらに首を向けた女性の肖像である。凜としたその表情とポーズに強く惹き付けられる。クリアに対象を捉えて描写し、その存在感をしっかりと作品に引き寄せているところがこの作品の見どころである。左腕のポーズも確かなデッサン力で捉えられている。(磯部靖)

第56回新象展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 佐藤清美「ENVIRONMENT(S) '13-A・B」。題名は環境という意味である。星と月を左の画面に置いて、突堤がはるかかなたに続いている。右のほうにはその先から手前に来る突堤が描かれ、空とピンクのあわあわとしたグラデーションになっている。SF映画のあるシーンのようなイメージが面白い。

 三浦哲徃「仮晶―時(3・11)のECHO」。二人の男がいる。一人は正面向き、一人は後ろ向き。しかし、首から顔にかけて背後のグレーのトーンがそこを覆って見えない。両手を組んでいる。左右に七つほどの手が現れて、不思議な手話のようなメッセージを伝える。男の座っている下方は深淵で、上方に虹のようなフォルムが伸びている。深淵から希望のイメージを引き寄せる。画家の強い筆力は、たとえば手のこれだけのフォルムを描き分け、リアルに表現しながら、それを通してきわめて深い内部にその想像力の触手を伸ばそうとする。

 尾田芳子「慈愛か束縛か」損保ジャパン美術財団賞・佳作賞・会員推挙。すこしピンクがかった色彩で、柔らかなベージュの色の周りにグラデーションをつけて、人間の顔や指などを思わせるフォルムがあらわれる。その上下に先がオタマジャクシの頭のような黒いフォルムから、ぐにゃぐにゃと曲線が伸びている。その先が根のようにも感じられるし、あるいは慈愛とか束縛の動きのようにも感じられる。お互いのフォルムが絡み合いながら、ブラックユーモアの世界があらわれるようだ。母親の子供に対する愛が典型だろうが、愛と言いながら束縛と裏腹になっているような濃密な人間関係。離そうとしても離すことのできない、ねばねばとした、そんな距離感を失った人間関係のイメージを実に面白く造形化する。

4室

 鈴木望「Wark Liene13-e」。三枚のパネルの対になっている。そこに斜線が横切って四つの山のようなフォルムがあらわれ、上方に同じトーンの太陽のようなフォルムが浮かんでいる。空は黄土色。下方には赤い楕円形の色彩が薄く、ニュアンスをこめて広がっている。また、稜線にも同じような赤が入れられている。山の肌は褐色の、やはりたらし込みふうなタッチの連続の集積による。手前が水とすると、その水のところに色彩が垂れているように見えるのは、鉛筆によるドローイングである。自然のもつ恐ろしさ、不吉さ、広がりといったものを筆者はしぜんと想起する。

 ワタナベフジオ「作品 '13―・」。紙を湾曲させ、カットし、その中心から雛の嘴のようなフォルムをつくっている。それが左右九列、上下七列、中心の三列は大きい。実にユーモラスな不思議な印象である。筆者はヒヨコの顔のようなものが集合した不思議な愛らしいイメージを感じるのだが、どうだろうか。いずれにしても、その仕事の内容を見ると、クオリティが高い。造形というものを通して遊ぶことのできる作者だと思う。

5室

 佐久間盛義「海象シリーズ」。パネルに十一枚プラスチックを柱のように切り取ってコラージュしている。その中の五列は明るい緑、ビリジャン、黄色、紫などの色斑が上下に続いていて、水のきらめきを思わせる。それに対してあいだの七つのストライプは上方が青く、下方はサップグリーン系の色彩のグラデーションになっている。その後ろのパネルは、そのサップグリーン系の色彩がもっと沈んで、青も沈んでいる。夜から朝が来、光り輝く海があらわれ、また夜が来る、といった一日の循環を表現したように筆者には感じられる。海の詩といったイメージに惹かれた。

第61回創型展

(6月1日~6月9日/東京都美術館)

文/高山淳

 福本晴男「悲しみが立つ」。流木のようなフォルムの先を削って、いちばん下にその先端を置いて、だんだんと上方に向かってフォルムは広がっていく。上方には能面を思わせるような女性の優しい顔がつけられている。左右に簪のようなフォルムが伸び、そこからキラキラ光る首飾りが垂れている。その首飾りの白い輝きは涙のように感じられる。そして、おへそのあたりに人が上向きに寝た姿が人形のように置かれている。そこからぶら下がっているのは、深い、もう一つの魂のように感じられる。全体に魂が集まってあわあわと一つのこのような形象をなしたようだ。幽体ともいうべきものがあらわれて、仮にいま見える形がここに現れ、それを作者はつくったように感じられる。一般的な彫刻は、肉体からそのような魂の方向に向かうのだが、福本さんは魂の世界から逆に、ある時に顕現したその肉体を彫刻として発表する。

 渡辺賢二「ほとけ 考」創型会賞。平安朝のフォルムを思わせるようなしっかりとした仏顔。ゆったりとした手、足。ところが、中心の体はなくなっている。それによって本来、仏のあるべき抽象的な愛の世界がそこにあらわれてくるかのような不思議な世界。仏というものの実体を天平時代の作品を模刻しながら考えているようだ。

 神保琢磨「作品 '13」同人優秀賞。木の台の上に大きなサザエがつくられている。そのサザエは木彫で彩色である。実に不思議な印象である。そっくりそのままといった雰囲気で、大きなサザエが波の様な板目の上に置かれている。下の部分の渦を巻いている部分と周りの緑の苔むしたような雰囲気。普通はこのところから足が伸びてきて、それを引っ張って指を中に突っ込んで身をえぐり出すのだが、それはもちろんこの彫刻にはできるはずはない。不思議な渦、あるいは螺旋によってつくられたこの巻貝のもつフォルムを改めて鑑賞者は観察し、自然の姿のあやしさに驚くのである。

 小俣光司「生の形態」。抽象彫刻である。金属を組み合わせ溶接しながら、不思議な生気をつくりだす。

 牧田裕次「舞人」。雲の先が龍の頭になっている。その龍の顎のあたりに手を添えて少女が龍と雲と一緒になって宙を舞っている。不思議な幻想的な彫刻である。雲の形がどんどん変化していて、そこに茜や夕日が差してオレンジ色に染まるような時に、このような幻想が浮かび上がるかもしれない。画家のつくりだした現代の飛天と言ってよい。画家独特のしっかりとしたボリューム感があって、それがこの木彫の魅力である。鑿の韻律が独特の清潔なリズムをつくる。すこし茶褐色を帯びたこの色彩は、木本来の色なのだろうか。若干着彩されているようにも感じられる。それが茜色に染まった雲のイメージを感じさせる。U字形のフォルムの中に姿勢を反らした少女の愛らしいフォルムと雲と龍とが一体化しながら、やがて台座から離れて空に飛んで消えていくような、そんな優しいロマンティックなイメージが漂う。

 安藤亮「練馬の少女」選賞。壁にもたれている着衣の木彫による少女像である。靴、ズボン、上着、髪の毛、そして、すこし目をつぶって下を見ているその目、鼻、口の表情。シャープな切り込みである。鋭い鑿の自在な扱いを感じる。ただ、この彫刻は立っていず、寄り掛かっているという力を抜いたポーズであり、ボリューム感がもうすこし出ると面白いと思うのだが、いずれにしても、会場の中で目にとまる作品であった。

第52回二元展

(6月11日~6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 渋谷定意子「花圃 ・─・」。女性が立っているその全身像が描かれている。独特の厚い手触りのあるマチエールが優しい雰囲気を釀しだす。そして、この女性の周りを雲のように取り巻いているのが白い花の群れである。後ろは、向かって右のほうは天気で、向かって左のほうは驟雨が来て建物や風景が霞んでいるような様子。晴れた日と雨の日の二つの気持ちの変化をこの人物の両側に置いているという構成も面白い。アンティームな自分の実際の生活感情から一つのモニュメンタルなコンポジションをつくる。

 山本幸雄「歓喜 2012」。ロンドン・オリンピックで金メダルを取ったボルトを中心として華やかな雰囲気があらわれている。新代表としてこの会を率いた弾むような高揚した気持ちがしぜんと作品から感じられる。

 石川世始子「赤い屋根の街 プルチアーノ ・」。ずいぶん上方から俯瞰した構図になっている。それによってオレンジ色の屋根をもつ建物が連続し、お互いに集合している様子がクリアに描かれ、そのあいだの切れ目に道が浮かび上がる。右上方には城壁のある建物がある。鐘楼が立ち上がっているから教会なのだろう。その外側の広場に点々と人々が歩いたりしている様子が微妙なアクセントになっている。強い明暗のコントラストの中に表現される。それによって大きな強いリズムが生まれる。いってみれば、ビートのきいた中世のイタリアの街といった趣で、そこに独特の音楽性も感じられる。また、柔らかな日差しが温かく、それがこの集落を染めているところに深い情緒ともいうべきものがあらわれてくる。

 大井道夫「2013 WORK-I」。黒いバックにグレーのフォルム。三つのブロックがあって、まるで宇宙船のようなフォルムが浮かんでいる。とくにそのグレーのひんやりとした調子が心地よい。ところどころブルーや赤などの色彩が入れられ、段ボールをところどころコラージュして、その中に赤、青などのグラデーションを入れている。不思議な童話的なファンタジックな空間と、その青みがかったグレーのしっとりとした雰囲気に独特の日本人のもつ情緒が感じられる。情緒と、おもちゃ箱を天空に置いたようなファンタジックなイメージとが交差するところが魅力。

 谷本淳子「未来(ラヴ・ユー)」。女の子を抱えた若い母親。そばに年上の子が立っている。赤い衣装、背景のオレンジ色の色彩などによって、温かなアンティームなムードが流れる。また、テーブルの上に瓶や矩形のものなどが置かれていて、その組み合わせにも一種の音楽性ともいうべきものが感じられる。

 加野元「好日」。地面の上にたくさんの落ち葉が重なっている。その様子をずいぶんクリアに描く。そして、対照されるようにその上方に、すこし赤みがかった大きな緑の葉が日を受けて逆光の中に表現される。画家の目線は低くその地面のそばにいて、すこし上を見ながら描いているその目のもつ臨場感ともいうべきものが、この作品のリアリティをつくる。遠景には木立がすこし霞んだような様子で表現されている。

2室

 塚本文子「幾多の男を踏み台にして…」。水彩作品で、ペンのようなものでフォルムをつくっている。不思議な樹木の根のような枝が上方に伸びていき、その上方に女性の仰向いた体が現れる。下方にはその根のような枝に囲まれて男がひざまずき頭を抱えている。題名のように男女の問題を、この独特の粘っこい曲線のフォルムによって表現する。クリアなフォルムが構成のポイントとなっているところが魅力。

 嶋津俊則「カーラチャクラ」。嶋津俊則はチベット仏教をテーマにした作品を四点出品。チベット仏教は空海のもってきた大日経の中にある理趣経の世界である。性あるいは性交というものが清浄で、実に大切な世界の始まりといった意味になる。そんな教典は歓喜仏を中心とした図像を生む。「カーラチャクラ」は、右下に抱き合った歓喜仏が立ち、その周りを様々な仏が取り囲んでいる。赤に独特の深さがある。濃紺、あるいはインディゴ、ウルトラマリンなどの暗い空間の中から様々な仏の図像が浮かび上がる。そして、赤がその強いリビドーともいうべきものを昇華した世界を暗示する。そこに独特の生命感があらわれる。そして、右下の歓喜仏の周りを様々な仏が回遊し動き、マントラを唱えているようなイメージがあらわれているところが面白い。静と動の二つの世界がごくしぜんに画面の中に表現され、命の象徴のように赤い色彩が輝く。

 由里朱未「こたえの形」桂冠賞。独特の象徴的な図像を組み合わせながら、無言の中のコミュニケーションといった趣。下方から四弁の花が伸びている。一輪、花が咲いている。上方にテーブルに両腕を置いた人間の像が浮かび上がる。黄土色によって彩られている。周りに建物や畑などのイメージが浮かぶ。雲が浮かび、窓の外は雨のようだ。様々な一日の出来事を組み合わせながら、一つの深い感情世界を表現する。連続した時間の中にそれを捉えようとするところが、この作品の独特のコンポジションを引き寄せる理由だと思う。

3室

 頭師まさ子「コルシカの入江」。湾の水は独特の青い輝きをもっている。その周りに赤い屋根と白い壁をもつ建物が続いている。とくに近景のその色彩の鮮やかさは、バックの湾の海と呼応しながら独特の魅力をかたちづくる。対岸はすこし霞んだような雰囲気で、すこし抽象化された建物や山の斜面のようなフォルムが浮かび上がる。フォルムとフォルムの連携の中に独特の動きがあらわれる。夢の中に誘われるような鮮やかな雰囲気。白い船腹を見せるヨットの群れも、湾の中にあるにもかかわらず、空に浮かんでいるようなピュアなイメージが漂う。

 向井武志「哀愁のポスター(パリ)」。パリの下町の壁に様々なポスターが貼られている。文字が乱舞する中に男の顔も見える。暗い調子の中に赤い色彩が激しく浮かび上がる。右上方にベージュの色彩がある中に強い線が激しい動きを示しているが、それは裸のダンサーのような雰囲気である。画面からあふれてくるようなエネルギーが感じられる。壁とポスターというものによって独特のエネルギーとパッションをつくりだす。そして、それらが呼応する中に独特の輝きをもつ色彩があらわれ、動きがあらわれ、庶民の哀感ともいうべきイメージが漂う。ポエムの造形化と言ってよいかもしれない。

 北口嘉亮「北欧の古都(・) ノルウェー」。樹木のあいだに建物がのぞく。煉瓦造りと思われる茶色の建物と銅を屋根にしたような緑の建物が、その中にひときわ存在感を放つ。水が画面の半分以上を占め、そこにモーターボートが静かに進んでいる。穏やかな中にそれぞれのものがクリアで、独特の清浄な雰囲気をつくりだす。

4室

 竹下國雄「神湊西陽」。夕日がいま海の向こうに沈んでいる。周りをオレンジ色に輝かせ、手前の段々畑もそうである。とくに近景の田植えをしたばかりの水を張ったところに夕日が映り、オレンジ色に、あるいは柔らかなピンク色に、あるいは茶色に映えて、それらがお互いに響き合う様子は、哀愁のなかにある豪奢な感じもあらわれる。夕日のもつ力が色彩として画面のすみずみまで行き渡って、独特のハーモニーをつくる。

5室

 斎藤史郎「周荘の破れ家」会員佳作賞。漆喰の壁に瓦の屋根。入口に向かう石段。石を積んだ側壁。そんなシチュエーションを画家独特のデフォルメによって表現する。建物がまるでそれぞれ生きているかのような存在感を示す。あけられた窓が建物の目のように感じられる。一つひとつ手で確認するようなフォルム。まるでレリーフを平面の上につくりかねないような激しい腕力で一つの画面を構築する。そこに表れてくる強いポエジーともいうべきものが魅力。

6室

 鈴木将俊「ベネチア 1」。緑の海に黄色い宮殿。宮殿には緑の影ができている。上方から正方形の色面が下りてきて、その手前にゴンドラがあり、カップルが座り、ゴンドリエが立つ。フォルムは線によって表現される。その線の動きが、いわばメロディの跡が線として画面に残ったかのような独特のニュアンスを表す。透明な色彩のハーモニーとその優雅な線の動きによってファンタジーとロマンを表現する。

8室

 鈴木美帆「嵐のあと ・」。海に大きな波が立って、白い飛沫を上げている。空は紫色。海はビリジャン、明るいエメラルドグリーン、あるいはクロムグリーンなどが使われて、白い波にすこし黄色が入れられて黄金色に見える。独特の色彩家である。波のフォルムも面白いが、それ以上にそこに使われた色彩のハーモニーが独特のロマンティックな雰囲気を引き寄せる。

9室

 勝田伸久「机上の風」内閣総理大臣賞。画面全体が緑に覆われて、不思議な瞑想的な空間が生まれている。座って、すこし頭を垂れている男の姿が光の中に浮かび上がる。手前の壁の前にデスクがある。暗い空間にも明るい空間にも紙が貼られていて、その紙が一部浮遊しているような雰囲気で、そこに独特のリズムが生まれる。人間の存在、あるいは気配といったものを表現したいようだ。人というより人を取り巻く空間の密度がテーマになって、それを描くための色彩であり、紙でありといった雰囲気である。そこに明暗の光のトーンの変化があらわれる。内向的に空間に入りながら、もう一つ外側の世界も引き寄せようとするかのようで、そのバランスもよい。

 金森毅「流転(1)すっからかん」。金森毅は一人はホームレス、もう一人もばた屋のような人を描いていて、独特の人間の体臭ともいうべきものが表現される。「流転(1)すっからかん」は、文無しになった男が腕を組んで、空き缶の塊にもたれて眠っている。入道雲が出ている。そんなシーンを力強く表現している。

10室

 藤室節子「歴世の館…」会員佳作賞・運営委員推挙。藤室節子は三点、ドアをテーマにした作品を出品していて、独特のリアリティを感じた。「刻の記憶」は、木製のどっしりとした入口のドアがすこしあけられていて、その全体のもつ存在感が面白い。「芽生え」は、古い扉の前に蝶が飛んでいて、長い時間と一瞬の命が対照される。「歴世の館…」もまた、古い扉が閉められているところに、幻のようにバッグを持った女性がその中にいま入ろうとしている。まるで幽体がこの扉を抜けて、その内部に入ろうとするかのようなシュールな気配が感じられる。古い建物のもつ存在感が一種霊的な力をもって画面から立ち上がってき、その象徴のような人物と言ってよいかもしれない。

11室

 加納繁「山岳都市カルカータ:イタリア」。山の上にこのような建物が存在するのは実に不思議である。屋根も壁もオレンジ系統の色彩で彩られている。そこに広場があって、杖をついた人が向こうに歩いていく。建物のもつボリューム感がよく表現されている。それらが重なり集まって、独特の雰囲気をつくる。それは俗界とは異なった、なにか宗教的な性質を帯びているようだ。そこに独特のファンタジーが生まれてくる。

 森本嘉朗「映える赤煉瓦の発電所」。上方に赤煉瓦の建物が聳えていて、その手前の厚みのある塀と思われる下方から莫大な量の水が落下して手前の水面になる。よく見ると、赤煉瓦の背後に大きな二つのパイプが見えて、水を落下させている。水力発電所であることがわかる。全体でシュールな気配がある。この重厚感のある建物と下方の水との対比には理屈抜きで絵画的になにかあやしい雰囲気が漂う。また、水という形のないものとがっしりとした形のある煉瓦造りの建物とが対照されるところにも面白さが表れる。

12室

 石井貴子「知多の海苔そだ」会友推挙。紫色の海に海苔そだがピンク色に輝いて二十個ぐらい存在する。そこは日差しの影になっていて、明るいところにシルエットの船が三艘ほど浮かんでいる。はるか向こうには小さな島のようなものが見える。手前の陸地に葉の落ちた樹木がたくさん立っている様子。上質の文人画を見るような楽しさがある。柔らかな海の波のうねりの中に知多の海苔そだがピンクに輝いて、まるで宝石のように表現されている。それが手前の地面から生える線による裸木の表現と呼応する。また、静かな詩情ともいうべきものが魅力。

14室

 土田啓子「tomorrow I」会員努力賞・委員推挙。石を積んだ壁の上方に、大きな歯車で動く時計がある。その時計の内部を青と赤の衣装をつけた少女が眺めている。歯車はほうぼうにあって、それらがお互いにリンクしながら時が刻まれていく様子。その時の動きを眺めている二つの人形。ファンタジックな空間が生まれる。その時計の内部に馬の側面から見た形が現れていて、メリーゴーラウンドのイメージもあらわれる。ノクターンといった雰囲気もあって、瞑想的な空間の中にロマンティックな旋律が流れるようだ。

15室

 伊藤あつ子「サントリー二島・」。サントリーニ島の白い建物が地面の隆起に従って立ち、そのあいだに道が続いている様子をダイナミックな筆致で表現する。その白の動きに対して、地中海の青い海が対照される。シャープな動きと色彩感覚のよさに注目。

第63回板院展

(6月11日~6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 井上勝江「もののあわれ」東京都知事賞・委員推挙。四枚の版を貼り合わせている。それによって微妙にフォルムのずれがあらわれているところが、かえって面白く感じられる。黒白の世界であり、黒は深い黒で、その中に太い輪郭線によってあらわれる白い花々がしっとりとした輝きを見せる。桜の花というものの不思議さが感じられる。桜の花の中に入りこんで、その謎めいた様子を内側からこちらに見せてくれるような、そんなあやしい雰囲気がある。下方に光琳の波紋を思わせるような抽象化された水の流れがあらわれ、そこに花が散っている。その水とともにこちらに流れてくる花もある。花は基本的に正面性で捉えられている。それによって絢爛な雰囲気が生まれるのだが、紙色のしっとりとした、すこしくすんだような調子が、花のもつ透明感、あるいは花の悲しみともいうべきもの、あるいは女人の肌のようなイメージさえも象徴的に表現しているように感じられるところが、実に面白く感じられる。

 大倉衣子「冬」華巌賞・委員推挙。ずいぶん工夫された作品である。墨によって近景に不思議な唐草文のようなフォルムがあらわれ、そのフォルムはカーヴしながら道となり、向こうの茅葺きの民家に向かう。背後の山は小紋の文様のようなフォルムがその中に入れられて、上方に星がまたたく。大きな月が山の頂上からあらわれてくるような雰囲気。日本のもつ文様を使いこなしながら、懐かしい里山の風景があらわれる。

 鬼塚滿壽彦「望郷・鎮守の杜」委員推挙。石段が上方に向かうと、そこには池がある。その両側の森の中にトナカイや鹿などのフォルムが点々と現れる。そして、大きな鳥が手前に飛んでくる。池の向こうには社がある。社の輪郭線は細いニードルで削ったような繊細な線によってあらわれ、その上方にはオオコウモリが羽ばたいている。小口版画の繊細な表現を駆使しながら、森の中に存在する鎮守の杜を描く。自然に恵まれたしんしんとした気配がよく表現される。

 見目陽一「遥かのキルワ」委員推挙。画家はすこし前にアフリカに旅行した。その時のスケッチブックからあらわれたのだろう。大きな帆船が三艘。波打つ海の上を航海する。波の上に座禅を組んでいる女性が面白い。そばに魚が友達のように回遊している。背後に素朴な丸木舟があり、大きな葉をもつ樹木が立ち、小さな廟のような建物が見える。素朴なプリミティヴな生活は自然と深い関係のなかに営まれる。そこから独特の幻想が生まれる。それを優しく、画家らしく表現する。画家のつくりだしたアラビアン・ナイトの世界と言ってよいかもしれない。

 平方亮三「衆」委員推挙。抽象作品である。なにか不思議なイメージがここに引き寄せられている。はるか昔の日本人の縄文時代から続く素朴な営みのようなもの、われわれ民族の声がこだまのように画面から響いてくるような抽象表現になっている。二つのオレンジ色の矩形はそんな魂の抽象的な表現のようだ。

 森信雄「南房和田浦漁港」委員推挙。海岸の斜面の部分にたくさんの船が引き揚げられている。その傾いたフォルムが背後の整然とした民家の集合体に対して面白い表情をつくる。そして、その下方に左右に一直線に伸びる桟橋がもう一つのコンポジションの柱をつくる。そばに係留された漁船の白い船腹、マスト。船に白が置かれて、細かなグレーを思わせるようなトーンの中に、漁船が聖なるものとして表現される。しっかりとした奥行きの中に、漁港のシンボリックな木版による表現が面白い。

2室

 井上星子「残月」委員推挙。石の上にすこし座ったようにして、一輪の花を持つ女性の肌は白い。手前に犬が赤い首輪をしてもらってほほえんでいる。ここは丘の上で、丘の向こうにいま白い残月が落ちつつある。朝が来たが、まだ月が残っている。上方に緑の葉を茂らせた大きな樹木が一本。穏やかな夜明けのひとときである。この女性の妖精的な雰囲気が実に不思議で愛らしい。夜を徹して月を友達にして犬と暮らすような様子である妖精的な女性のイメージ。犬もまた、単に犬というより、犬を代表する存在のようにほほえんで、どこか狛犬のような雰囲気で愛らしい。樹木と月と女性と犬は、日本のこの自然の中に深く結ばれている。そんな深い心理的な密度の中からあらわれた独特の魂の表現だと感じられる。穏やかなしっとりとしたブルーや茶色を帯びたグレーや緑を帯びたグレーなどの色彩がハーモナイズする。

3室

 國安珣子「睡蓮」委員推挙。モノトーンの中にすこし紫色などの色彩が入れられて、雅びやかな雰囲気である。睡蓮の葉と花の蕾が二つ、開いた花が一つ。黒いバックの中に実に瑞々しく優雅な趣で表現されている。同時に、なにかしっとりとした女性らしい感性が画面の中に独特の香りのようなイメージを与える。

 山本良子「サロメ」委員推挙。上下二枚の画面。黒い中に円窓がつくられ、上方は金をバックにしたサロメの上半身。下方はサロメともう一人の人間。それは母であるが、母と密談をする様子。黄金色のバックに青い衣装をつけた女性が実に強い象徴的な様子で表現される。金をバックにした黒髪、赤い唇と胸にとめられた花がアクセントになっている。サロメはヨハネを殺すことを所望するわけだが、そんなクライマックスを前に母と密談するサロメ。サロメ本人の強い傲慢な表情が女性のある典型として見事に表現される。

 羽田智千代「キャー とびだした~」委員推挙。黒い塊はこの男の上半身を表すようだ。そして、そのフォルムはそのまま暗い夜空のイメージと重なり、下方に半月が浮かび、その夜空の中をのぞきこむ老人の鳥人間の顔が浮かび上がる。その上方に十ぐらいの目の玉が筒状になって飛び出て、その先から目玉が飛び出している。それは前後左右に現れて、まるで大砲の砲身のような強い表情を表す。上方に何か飛び散って動いていく連続した破片のようなフォルムがあらわれているのは、右上方の崖の上方が切り取られて飛び散っているようだ。右にあらわれている様子を九十度傾けると、巨大な岬と黒い海のように感じられる。二年前に起きた津波を画家がようやく消化して、このような表現にしたのだろう。二羽の鳥が落下しているのは死んだことの象徴的表現である。そして、死んだ鳥人間を仲間として悼みながら、周りを支えるかのように飛び回る老いた鳥人間。前述したように暗い空をのぞきこむような老人の顔は、死をのぞきこんでいるというイメージと重なる。強い表現主義的な表現で、黒白だけでこれだけのドラマを構成する画家の底力に脱帽。

 牧野光陽「春が来る」委員推挙。高い山々に囲まれた盆地。道が通り、合掌造りの民家が点々とそこに存在する。黒々とした針葉樹がそれを取り巻いている。雪が積もっている。空は青く澄んでいる。面白いことは、ここに燦々と降る光が実によく捉えられていることだ。淡い青い影に囲まれるように紙の色がすこし暖色を帯びていて、それがそのまままぶしいような光の表現となっている。その暖かな光がそのまま春が来るという心持ちの表現になる。茶褐色の合掌造りの大きな建物がどっしりとして、ときめくような心持ちを抑えるかのように表現しながら、時代を超えて懐かしい気分に誘われる。いちばん遠景の聳える山の峰の白は、やはり紙の地を生かしているにもかかわらず、下方の地面の色とまるで異なって、すこし青みを帯びて感じられるのはなぜだろうか。近景の山の稜線に樹木の立っている様子が、柔らかなシルエットの中に表現される。繰り返すようだが、いずれにしても、ここに引き込まれているまばゆいような光の表現に注目。

4室

 八幡武義「まつり ・」。包丁を持った鬼の全身像。秋田にはなまはげの祭りがあるが、そういったところからのヒントだろうか。いずれにしても、鬼の顔を体全体の半分近くに大きくして、力強いフォルムである。白黒にもかかわらず、強いエネルギーがその画面から放射してくる。

 矢神早苗「わたしのもの(doujyouji)」。安珍・清姫の話。清姫は蛇と化して、安珍を鐘の中に閉じ込めて焼き殺す。この作品では、安珍を閉じ込めた鐘をこの蛇は頭の上に置いて、もてあそんでいるかのごとき様子。そんな蛇のつまり女性のもつ強い生命感と自信ともいうべきものが、独特のエネルギーとして画面の上に表れている。ユニークな道成寺の鐘巻きの場面である。

 山科博一「魔よけ」。柱に吊るされた赤唐辛子と稲穂。稲穂の黄色と赤唐辛子の赤が瑞々しくハーモナイズする。一種の呪術的な力がしぜんとこの取り合わせから表れてくるが、その素朴な様子を生き生きと表現する。背景の柱やドアの一部、ひび割れた壁といった脇役も面白い。

5室

 森貘郎「薬師三尊」委員推挙。木版の魅力を生かして、太い線によって強い波動をつくる。棟方志功を尊敬する作者らしい。中心に薬壺を持つどっしりとした薬師如来が座る。両側に脇士が立っていて、それは女性のイメージである。一人は花の先に繊月を浮かべ、一人はもっている杖の上が花になり、そこに八咫烏を置いている。自然を賛美し、自然と深い関係をもつところから生まれた画家のつくりだした薬師三尊である。まるで道祖神のような親しみやすさと力強さが感じられる。同時に、それから跳躍して、天空に向かうようなスピリットといった強さもまた表れていて、実に魅力である。

 藤谷芳雄「宮沢賢治のイメージ〈銀河鉄道の夜〉」青森県知事賞。上方に銀河鉄道がはるか向こうに向かっている。それを楕円状に取り巻く星。黄色い星と赤い星が点々と上下にあり、それはまた花が咲き乱れているイメージも表すようだ。下方にイーハトーブの草原が描かれ、牛が草をはみ、はるか向こうの山は雪を抱いている。銀河鉄道は死者の道行であるが、それがこの作品の中では花に包まれた世界として実に美しく荘厳されるかのように表現される。

6室

 神美佐子「Venezia(雨の日も楽しく)」。横長の画面を三つの色面に分ける。向かって左はウルトラマリン、中心にセルリアン、右に、それに緑が入ったような色面。そして、中心のセルリアン系の中にゴンドラのフォルムが上下シルエットにインディゴふうな色彩によって表現される。右のほうには布目を思わせるようなフォルムがデカルコマニーされ、そこに結んだ黄金色の飴、あるいは壺のようなフォルムが浮かび上がる。左のほうにはコンピューターゲームのビットを集めたようなフォルムが、ウルトラマリンのバックに緑で置かれている。下方が二つに分かれていて、人が歩いているようにも見えるし、あるいは全体でループタイのような雰囲気もある。お洒落な調子で、ヴェニスのゴンドラを中心にして画家の日常性、そこに浮かび上がるイメージを両側に置く。色彩がとくに魅力で、そういった単純化されたフォルムがお互いに響きながら、月夜の澄んだ空の中を散歩しているような、そんな明るさと旅情が感じられる。空間のクオリティに注目。

10室

 瀧川勝雄「幸福を呼ぶホルン」。面白い造形である。じっと見ていると、ホルンの形の中にこのようなフォルムを幻視していることがわかる。下方にホルンの音の吹き出し口が見え、ホルンの幾重にもパイプが中に繰り返されるなかにこのような両手と頭があらわれる。イメージと具体的なフォルムがかみあいながら、いわばイメージの変容ともいうべき造形が面白い。

 白石恭男「AFTER IMAGE(XXII)」。黒い縦長の空間の中にブルーと緑と赤のさざなみを思わせるような二つのフォルムが浮かび上がる。先が尖って、ちょうど大きな目が二つ現れたような雰囲気。あるいは、その二つのフォルムは水の中にあって、水面から入ってくる光を受けて柔らかな調子で浮遊しているようでもある。瞑想的な雰囲気の中に寂々たる音楽が流れてくるような、そんな繊細なイメージが興味深い。

13室

 加藤隆夫「春雪」。モノトーンの作品である。シルエットの桜の幹と枝に積もる雪とが繊細な表情をつくる。とくに雪の積もった様子が淡い調子の中によく表現されて、まるで花が咲いているかのごとき幻想を釀しだす。モノトーンでありながら、豊かな色彩を感じさせるところに注目。

15室

 白石文夫「運河の夕暮れ」。パリの運河を描いたものだろう。パースペクティヴをうまく使いながら、運河の両側の樹木とその水に映る様子。そして遠景の建物。その両側にある雑木林。そして、そこに朱が差されて、夕日の残りが赤く輝いている。しっとりとした雰囲気の中にクリアなフォルムを使いこなして柔らかな情感を表現する。

第66回創造展

(6月11日~6月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 白石良基「洋酒瓶のある静物」。木製のテーブルのようなものの上にワインボトルや金属のコップ、香辛料を入れたような瓶、馬の置物などを置いている。接近するとラフなタッチで筆が動いているにもかかわらず、すこし離れて見るとクリアにそれぞれのものの形が浮かび上がる。また、床の茶褐色、テーブルの黒褐色、背景の黄土系の色彩といったものの色彩のヴァルールがよく合っているために、絵具が画面にピタッとついて、画面の空間がしぜんとあらわれてくる。優れた写実力である。

 井上篤司「大地の叫び」。丸い丘の下方に大きな口があいている。この前の津波を経験した人のじかな叫び、表現と言ってよい。大地全体がその大きな口をあけて叫んでいる。また、その内部がブラックホールのようで、呑み込まれると恐ろしいところに連れていかれるようだ。口の周りの丘は段ボールを切ってコラージュしたものである。そこに茶褐色、あるいは黒褐色の色彩が置かれ、頂上にシルエットふうに建物と樹木が描かれ、空はオレンジ色。シンプルな強い造形だと思う。

 星野正𠮷「沐浴」功労者。インドのベナレスの沐浴風景である。四、五十人の人々が川の中にいる。その人間たちの衣装が青、黄色、赤などで、そのフォルムと相まって独特の華やかな雰囲気が生まれている。それを水が映す。独特の生気のある表現。

 鹿野洋子「中世の街(アンギアリ)」。アンギアリはローマから北のほうに車で一時間ほど行ったところにある。ほとんど観光客は訪れない。その中世の街の様子がロマンティックに表現される。ジョンブリヤン系の色彩の壁の中に微妙な陰影がつくられている。中心には尖塔が伸び、その頂上に旗が翻っている。おそらく教会と思われるが、この建物を中心に様々な建物が集まって、全体で柔らかな生き物のような雰囲気。そこに斜光線が当たり、陰影がつくられる。それを取り巻く道が二層になっていて、背後には平原が続いている。大きく螺旋を描くような構図になっていて、その頂点に前述した塔がある。地面の緑色とこの肌色とが柔らかくハーモナイズし、それは空の黄色いトーンとも呼応する。そこに青とオレンジの不思議な雲が浮かんでいるのが、まるで魂を運ぶ飛行船のような雰囲気。近景のシルエットになった何層もの屋根の瓦の表現などもダイナミックで、周りの脇役をしっかりと描きながら、中心のこの中世の街を鮮やかに表現する。

 東靖夫「茅ぶきの宮」。古い茅葺きのお宮の引き戸がすこしあけられて、内部の暗い中に灯明のような光がのぞく。外には外光が当たり、その晒されたようなドアや柱を照らしだしている。素朴なこの田舎の宮の佇まいを面白く生き生きと表現する。

 池本幸子「惜陰」。大きな樹木の地面に接する部分をリアルに描いている。大きな蛇のような、あるいは足のようにも見えるフォルムが地中に入っていく。その立ち上がりのあたりに白い小菊のような花が咲いている。また、そこから蔓のようなものがこの幹の表面に沿って伸びていく。ほかにも、名前はわからないが、細かな葉を持ったもの、長い細い葉を持ったものなどがそこにある。まるでそれがこの大きな長い年輪をもつ樹木に抱かれて守られて生きて咲いているような、そんな雰囲気が感じられる。その深い時間のしみ通ったような寓意性が面白く感じられる。また、とくに樹木の表面のもつリアルなディテールを描きこむことによって、不思議な生き物がここに佇んでいる、たとえば象のような、そんな大きな生き物が佇んでいるようなあやしい雰囲気が感じられる。

2室

 柏山悦子「喜こびの日に」準会員推挙賞。正方形の画面をうまく使っている。大きな赤いリボンが手前にあり、そこから伸びていくテープのようなフォルムがこの静物を囲い込んで、祝しているようだ。テーブルの上には高杯があり、そこには洋梨や葡萄や果物などが置かれている。その周りや手前にボトルやグラス、洋梨などが点々と置かれ、手前のほうにはヴァイオリンが一丁ある。そして、全体に赤く染まった中に白いフォルムによって輪郭線が引かれ、あるいは、ブルーの色彩が置かれ、あるいは黄色い色彩が置かれて、不思議な華やぎを見せる。高杯の上方に葉が浮遊しているのが、まるで楽しく魚が群れ泳いでいるような雰囲気。高杯を中心として祝祭のメロディが聞こえてくるようだ。その音楽のメロディの軌跡が、この柔らかなカーヴをもつリボンのフォルムとなっているようなイメージの展開が面白く感じられる。

4室

 齋藤定義「優しさに包まれて」。緑の鬱蒼とした雰囲気を見ると、五月とか六月の季節だろうか。そこに不思議な光景が浮かび上がっている。真ん中と下方に段ボールを破ったようなものが両側につながれていて、その向こうにもう一つの別の世界がにわかに出現したようなシュールな気配がある。その向こうにあるのは壊れたバスのような雰囲気で、いちばん向こうには運転席の大きな輪になったハンドルが見え、後ろには何かが壊れた様子で、手前にはシートの残骸のようなもの。そして、むき出しの土台にあったと思われるトタンのようなものが続いている。ハンドルのはるか向こうに月が現れているようだ。周りの昼の時間に急に夜の時間がリンクしている。そんな様子があっけらかんとした明るさの中に描かれていて、あやしい雰囲気をつくりだす。淡々とした写実がそのまま異界を引き寄せたような面白さである。

 八木正夫「リスボンの古い街(アルファマ)」。おそらく白い壁と思われる建物がいくつも描かれているのだが、日差しによってピンク色に一部輝き、そこに青いシルエットがなされていて、その色彩が面白く感じられる。また、坂道を二人の女性が並んで荷物を持って歩いていく様子も不思議な雰囲気である。長い歴史のあるこの街のファンタジックで不思議な性質がよく表現されていると思う。

7室

 岩森倶子「彩」準会員賞。葡萄の木に葡萄の房が実って垂れている様子を生き生きと描いている。紫色の一粒一粒の大小が集まって房をなしている様子の表現に感心した。

第39回日本自由画壇展

(6月12日~6月24日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 早瀬律子「眺望」。墨一色の表現である。斜面に雪の積もった民家が十ぐらいあって、そのこんもりとした雰囲気が懐かしい。向こうの山の斜面には黒々とした針葉樹が茂り、その後ろには高い山の峰が続く。山の神々しさと里の懐かしさとを生き生きと表現する。

 関根光子「函館ドック」。水平線が画面の真ん中よりすこし下方にある。対岸には聳える山々が描かれ、その山の上からいま太陽が昇った様子が神々しく表現される。朱色が鮮やかな印象である。そして、中景に昔ながらの函館のドックが描かれ、そこには人間の労働してきた長い時間がしぜんと感じられる。自然と人間とが面白く対照される。また、色彩の鮮やかな表現にも注目。

2室

 脇野千種「水温むころ」。諏訪峡の景観をテーマにしたもの。下方の岩畳の上をゆるやかに流れる水面に温もりが感じられたそうである。しっかりとした造形である。地面から立ち上がっていく山の断崖のような斜面。そこに緑の灌木が茂っている。墨を置かない部分の紙色を生かしたところからあらわれてくる色彩。あまり塗りこむと一様になるところに淡彩を置くことによって、紙の色とリンクしながら独特のトーンの豊かさが生まれる。そして、手前の岩盤の上を流れる水に柔らかな光が差している様子。そこは動いている風景で、後ろの動かない岩肌に対して動く水が対照される。対象を写真のように再現的に表現するのではなく、その自然のもつ鼓動を感じ、そこに感動したところからあらわれてくる筆の運びが、この独特のリズムをつくる。そして、すでに春が来たかのような柔らかな緑の灌木に対して、まだ冷気の中にこの風景はあって、そこにすこし温んだ水が流れていく。

 橋本不双人「スケッチする人達」。滝を眺める展望テラスからふと目を脇のほうに下ろすと、沢の上に吊り橋がかかり、人々がスケッチする様子が目に入って新鮮だったという。その大きな沢の石と吊り橋とそこにいる繊細な人間たちの表情が面白く対比される。石には石のフォルムがあり、水には水のフォルムがあり、人間には人間の繊細なフォルムがあるといった様子で、そのフォルムに対して筆が自由に動きながら、独特の心象的な水墨風景が描かれる。

 相座愚呑人「春宵」文部科学大臣賞。桜の一部を拡大して描きながら、深い奥行きを表現する。遠景の左下のすこし黄色みを帯びた光のある、はるか向こうにある空間が暗示されるのに対して、近景に太い幹が伸びている様子が対照されているところが面白い。しっとりとした雰囲気で、墨の中に紫の色彩などが入れられて、花が夕暮れの中に息づくように咲いている様子が生き生きと表現される。

 松本宴理子「悠(ゆう)照(しょう)」。空がオレンジ色に染まっている。手前に川が流れていて、近景に灌木が茂っている。葉を落としたそのフォルムが繊細で力強く、メランコリックな雰囲気もあるし、木が人間の生きている様子と重なりながら独特の心象風景をつくりだす。

3室

 藤沢古葉「裸婦2013」。三人のそれぞれ違う女性をモデルにしてスケッチした中からピックアップして、この不思議な作品があらわれた。面白いのは三つの円弧が描かれているところで、それは三人の三つの場を象徴する。三人の女性はそこに座っているわけではないが、そういった雰囲気である。そして、お互いが座りながら自由なポーズをとっている。背景は紙の色を生かして、ほとんどそのままで、優雅に三つの円弧がある空間をつくる。そこに動きのある三人の女性が置かれる。大きな宇宙を思わせるような空間の中に三人の女性が置かれているような雰囲気。そこに強い光が当たり、このコンポジションが生まれる。その強い光は画家のイマジネーションから発するものと考えて差し支えない。画面を見た瞬間に稲光のようなものを感じたことを記しておく。

 池田蘭径「雨上がりのジェルブロワ」。「薔薇の村ジェルブロワはパリから車で約90分のフランスの美しい村に選ばれたお伽の国のようなチャーミングな、人口100人余りの小さい村です」。建物の手前の塀に薔薇の花が咲いている。端整なほぼシンメトリックな構図の中に、このフランスの小さな村の独特の魅力がよく表現されている。

 深井史世「ジェルブロア」。石畳を年取った男性と女性が歩いていく。その後ろ姿がしみじみとした情趣を表す。手前には紫陽花を思わせるような花が咲いている。両側の石を積んだ建物の壁。淡々と丁寧にこの風景を画家は描いている。その強いディテールの力が臨場感を呼ぶ。そして、そのすこし上り坂の石畳を歩いていく高齢の男女の後ろ姿に歴史とか人生といったものを感じさせ、建物と相まって時間というもののもつ力がよく表現されている。

 鳥光智子「浅春」日本自由画壇賞。下方に民家があり川が流れ、葉を落とした木や針葉樹が伸びて、背後に山がある。中国の一隅を思わせるような光景であるが、実際の場所はわからない。そして、白い地に柔らかな緑色が差されていて、茫洋たる中に故郷を思わせるイメージがあらわれる。

 藤田正子「EIEN(えいえん)」。「EIEN」という題名は自分が絵を描くスタンス、「生ある限り『永遠』に絵に向っているであろう」という意味。上方に天使のような三、四歳の男の子と女の子が着飾って立っている。下方にはそれと呼応するように二人の人形とその前のピエロのような人形。そして、そんなイメージを浮かべている若い女性。画家の理想的な世界、イメージの世界が画面に表現される。それはいわばイノセントなファンタジーと言ってよい。そのイメージが独特の澄んだ色彩を画面に引き寄せる。とくに手前の座っている女性と後ろの人形たちとのあいだに、紙の地がほぼ生かされて淡墨が置かれた空間があり、その茫漠たる中にまるで銀河を思わせるような不思議な空間の力があらわれているところが、実はこの作品の最も面白いところだと感じられる。その空間を生かしながら、宙に浮いたようなペアの小さな男女と人形。手前の女性のすこしほほえんだ様子も謎めいている。子供の時代を失わないこと、そこから生まれてくるファンタジーの具現ともいうべきこの女性のイメージもまた魅力である。

4室

 小泉孝義「奥(おく)多摩(たま)神(かの)戸(と)岩渓谷(いわけいこく)」。水墨というより、そこに置かれた色彩が魅力のある作品。断崖を背景にして紅葉した樹木の赤やオレンジが独特のハーモニーをつくる。その黄色からオレンジ、赤の色彩の向こうの白に、憧れいずるような世界がしぜんと感じられる。

 菊池要「光厳(こうごん)寺(じ)四(よん)百(ひゃく)年(ねん)桜(ざくら)」。四百年たつ樹木がその幹と枝を広げている。柔らかなピンクの花が咲いている。独特の透明感のあるトーンの中に、この桜のフォルムが力強く生き生きと表現される。

第48回たぶろう展

(6月12日~6月24日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 渡邊芳男「春をまつ母子」東京都議会議長賞。フォルムに対する感覚が優れている。子供を抱く母親。そばにもう一人の女性。背後には雪の積もった民家と山のようなフォルム。その背景にカメラの範囲設定のような矩形の形があって、上方にアトリエというバスストップの前に青年や子供たち、十人ほどの人が立っている。春を待つという心象とノスタルジックな心持ちとがクロスしながら、不思議なイメージがあらわれる。春を待つというその心持ちは下方の二つのボックスの時計や歯車によって表現されるし、バスを待つという心象にも反映される。母と子が未来と過去とがクロスする心象として表現される。それぞれのフォルムの連結によってミステリアスなイメージが生まれる。

 安福葉子「海辺の部屋」。海を背景にして四人の女性が室内に立っている。二人は正面向きで、一人は横顔。カーヴする輪郭線による独特のフォルム。顔はあやしい能面のような様子で、鑑賞者をいざなう。海の向こうには島があり、白い灯台が見え、ヨットが航海している。深い感情の中に誘うようなあやしい魅力が感じられる。

 保坂若子「真夜中のひなまつり」。アメリカの映画で博物館のものが夜になると動き出すという話があったが、これはひな壇の人形たちが真夜中になると動き出すというイメージである。女性を口説く人、琵琶を弾く人、お酒を飲む人、手紙を読む人、横笛を吹く人、あのひな壇の人形がそれぞれのアクションを起こしながら、悠遠にしてはるかなるものに対するイメージがあらわれる。雪洞の周りには花が満開で、その向こうには不思議な雲にも山のようにも見える憧れの風景が広がる。

2室

 並木望「宙(そら)」。たくさんのクラゲが浮遊している。遠くにも近くにもあって、数十のクラゲが描かれている。そして、その様子を見ると、海の中を泳いでいるクラゲが無限なる空のかなたに向かっているように感じられる。二年前の津波による死者に対するレクイエムの気持ちもここにあるのだろう。クラゲは魂の象徴のようにも表れている。あの透明な、ほとんど見えないクラゲの様子を描きながら、そのような深い感情世界、あるいは死の世界が引き寄せられているところが面白い。現実にある存在と、その存在の象徴性による表現である。

4室

 山田陽子「満月のセレモニー」並木治予視賞。薄塗りであるが、東南アジアの踊りと思われる踊り子のクリアなフォルムが魅力である。

 大槻節子「とぎすます」。裸の女性が立て膝をして座って、両手を左右まっすぐに垂らして、床に指の先をつけている。ヨガのポーズを思わせるようなところがある。寒色の中のほとんどモノトーンの明暗のコントラストの中に、この女性のボリューム感のあるフォルムが画面の中心に表現される。独特のポーズの中に、この女性から発信する強い力が伝わってくる。

 春名康夫「メコン川慕情」。メコン川を眺めている女性はシルエットによって表現されている。薄い紗のようなワンピースで、ピンクに染まっている。川の向こうにいま夕日が落ちつつあって、周りを赤く染め、川も赤く染めている。深いノスタルジックな感情が表現されているが、それがエロスという人と人との深い関係を結ぶ力と同時に表現されているところが、この作品の魅力である。また、緑と赤とのハーモニー、その色彩の力もこの作品の面白さである。

6室

 太刀川浩二「テラスのある海岸通り」努力賞。アメリカの海岸の通りを疾走する車を描いたような雰囲気が感じられる。向こうにすこし海がのぞく。手前のテラスの椅子には上衣が掛けられているし、テーブルには飲み干されたグラスとマドラーが置かれ、空には大きな雲が現れ、天候が変化してくる様子。不思議なムーヴマンの中に刻々と動いていく風景の変容ともいうべきものが、心の奥の変容と重なりながら、シュールな気配を醸し出す。

第82回朔日会展

(6月21日~6月27日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 羽藤恒郎「雪のクリスマス」。テーブルの上に四体の人形が置かれて、それぞれの表情を見せている。そばには大きな丈の高い植物が壺に入れられていて、背後に聖夜のような雪の積もった風景が広がっている。そのイノセントな雰囲気が手前の人形たちの思い思いの表情と面白く響き合っている。手前に牛骨らしきものがあるが、それもユーモラスな不思議な波動を醸し出す。いわゆる静物という生きているものではないものたちが、画家の画面の中では活性化され、それぞれに語り出すようだ。そして、クリスマスに対する様々な人々の思いがそこに重なって、独特のファンタジーが生まれる。

 羽藤朔郎「母の思い出」。羽藤淑子さんの肖像である。椅子に座っている。筆者はよく知っていたものだから、懐かしい心持ちにもなったし、すこし驚いた。それほどリアルに母の像が生き生きとしている。それを見ている不思議な男性の石膏胸像。テーブルには果実やポットが置かれている。画家独特の青いトーンの中に収められているが、母は上衣が暖色で、肌の色と共通している。後ろにピエロが不思議な表情を見せる。なにか霊的な存在として淑子さんがこの絵の中に現れているようだ。実にヴィヴィッドな印象である。

 本城順子「パンのある卓上」。フランスパンや様々なパンが置かれている。白いティーポットに白いカップ。グレーの壺には緑の植物が生けられている。スポットライトを浴びたようにテーブルの上のパンと白いポットなどが生き生きとした表情を見せる。近景には紫の菖蒲のような花が咲いているのも、脇役として生きた表情を見せる。

 古賀尚子「アトリエ」。テーブルの上にフランス人形が立っている。後ろには小さな赤い肘掛け椅子に猫の人形が座っている。そばの三彩を思わせるような大きな壺。面白いのは、実際の猫が後ろ姿を見せて窓の向こうを見ていることだ。窓の向こうは路地のようで、そこに黒い猫がこちらを振り返っている。二匹の動物がそこで生きた会話をしていることが、手前の人形たちとの対照のなかで鮮やかな印象である。暖色と寒色を入念に配置しながら、独特のファンタジーの世界を表現する。

 羽藤京子「ポーズするK」。Kはどんな人なのだろうか。椅子に座っている。そばにテーブルがあって、ポットやランプがある。床には黄色い花が咲いている。全体であわあわとした独特の生気ある波動のようなものが画面のこの空間から伝わってくるところが面白い。テーブルの周りのすこし黄色みを帯びた、朝日や夕日を思わせるような独特の色彩もまたこの作品の魅力と言ってよい。

2室

 羽藤猪佐夫「アトリエ」。パレットを持って大きなキャンバスに向かう自画像である。そばの椅子にマンドリンが置かれている。壁には大きな牛骨が吊るされている。バックはオレンジや黄色、緑の色彩で、独特の波動が感じられる。それぞれのものがそれぞれのもののフォルムをはみ出して、動いて、膨張しているような、そんなムーヴマンが面白い。

4室

 原田洋子「トルコ(カッパドキア)気球」朔日会賞。カッパドキア独特の風景の上に気球が浮かんでいる。上方に向かう六つの気球が小さく、すこし遠景に描かれている。不思議なファンタジックな空間で、夢の中の風景のような面白さがある。

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