美術の窓

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公募展便り(2013年7月号)

美術の窓 2013年7月号

第79回東光展

(4月25日~5月10日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 佐藤龍人「プロローグ」。太鼓のそばにピエロが立っている。横を向いて、哀愁の表情。透明な玉がいくつも両手を合わせた上から上方に浮かんでいっている。右のほうには三角の旗が小さくたなびいている。グレーを主体としたトーンの中に、始まりを予感するようなイメージが興味深い。

 難波滋「逍遙・空蝉」。空蟬は『源氏物語』の一章につけられた名前であるが、この文楽の中ではどのような意味になるのだろうか。男がほおかぶりをして扇子を持って立って、俯いている。そばに三体の女性の人形があって、一体は宙に浮いているようで、二体は俯いたり、遠くを眺めている。下方には蓮の花が咲いている。心中、道行のイメージがしぜんと感じられる。それを迎えるかのように上方に大きな満月が浮かぶ。来迎している趣である。

 飯泉俊夫「僧院(ヴェニス)」。ヴェニスの教会が画面全体に描かれ、下方の入口に向かって尼僧が二人、後ろ姿を見せながら歩んでいる。上方には白い色彩で十字架が壁に置かれている。ヴェニスの長い歴史と同時に深い祈りのようなイメージが重なって表現される。

 佐藤哲「クインとジュエル」。姉と妹だろうか。どちらがクインで、どちらがジュエルか。姉は椅子に座り頰杖をつき、妹は地面に座って落書きをしている。そばに縄跳びの紐や自転車が倒れている。独特の色彩家である。内側から光を含みながら色彩を輝かせるような感性。頰杖をついたり落書きをしているそのポーズが生き生きとしているところも魅力。褐色の肌から目が輝くような表情だし、スニーカーの白が画面全体のハイライトとなっているのも面白い。それを穏やかなグレーの空間が包む。そのグレーにはどこか写楽などの浮世絵の雲母摺を思わせるような、繊細なニュアンスが感じられる。

 菊池元男「ディンツリーの森」。オーストラリアに取材したそうだ。鬱蒼と茂った樹木。大きな芭蕉のような葉や六弁の花を思わせるような葉が取り巻く中にベージュの樹木の肌が上方に伸びていき、下方には連続した灯りのような赤い花が咲いている。エキゾティズムのなかに植物のもつ生命感が表現される。

 前原喜好「RAGUSA」。ヴェニスのシリーズが続いてきたが、今回はラグーザをテーマにして色調も変わってきた。カラフルな色彩が微妙なベージュのトーンの中に統一される。中に白い壁を見せる集合住宅の一角があり、その中のドアの緑などが周りのすこし紫がかったベージュ系の色彩の中にアクセントとなっている。瓦屋根と壁の矩形の配置に独特のリズムがあらわれている。また、上方から俯瞰した構図の中に建物全体の量が描かれていて、空間や量が表現されているところも魅力。

 北本雅己「雪の朝」。子供たちが傘を差して登校している。数えると五人の子供たち。それぞれの年齢や背丈が違って、その上下する動きと傘の傾き加減が画面の中で生き生きとした表情を醸し出す。雪が降っていて、周りの地面の雪や樹木に積もった雪などがこの子供たちを囲っている。雪が冷たいものでなく、なにか温かな楽しいものとして表現される。

 野口稔「無明秘抄・石・月・花」。巨大な岩のような石のそばに白い花が咲いている。後方には月が浮かんでいる。しっとりとしたトーンがある。花も石も宙に浮かんでいるような雰囲気で、雅びやかなハーモニーがあらわれている。対象の物質を描くのではなく、深い想念のなかに入って描く。能舞台に感じるような幽玄な気配が魅力。

 川﨑庄平「鮭」。逆遠近の木製の椅子の上にネットが置かれ、三つの鮭が描かれている。鮭の顔のもつ独特の表情。口をあけて、その先が曲がった猛々しい表情が、作品の中ではユーモラスな雰囲気を醸し出す。単に鮭を再現するだけでなく、鮭の内部に入って、鮭のもつ生命感を表現しているところが興味深い。

 田中里奈「地上に棲む者達」。曲線が画面を奔放に縦横に走って、不思議な生命感をつくりだしている。画面を熟視すると、左上方に象が鼻を曲げている姿が浮かんでくる。右下にカバのようなフォルムがあらわれてくる。上方にはペリカンのようなフォルム。あいだに笹のような植物、コオロギなどが現れてくる。そういったフォルムが曲線の中に統一される。あいだに笹の曲線がもう一つのアクセントとなって入ってくる。地上のものたちが雲の上にあらわれてきたような、そんな不思議なイメージに注目。

 武田信雄「実験室」。白衣のドクターが本を持って立っている。背後には実験室の機材が置かれている。グレーのトーンが上品である。最初のドローイングを生かすことによって、フォルムとフォルムの輪郭線がお互いに関連し、学問する室内のもつ雰囲気が静かにあらわれる。

 吉田定「昔日 ・」会員賞。木製の壁の下に二羽の鶏がいる。そばに車輪が置かれ、蔵酒という文字が見える。昔の酒造りの建物を追想しているのだろうか。木製の壁の板の年輪が複雑な文様をつくって、時間というものの謎を表す。その年輪の波の中に引き寄せられる。同じような意味で車輪が置かれ、静かに追想の記憶の世界に鑑賞者を引き寄せる。そんな不思議なフォルムの中に、二羽の鶏が現実感をもって現れ、不思議な脇役となっている。

 高田啓介「冬の裏路」森田賞。平屋の木造の建物が道の両側に続いている。雪が積もって、その白がそれぞれ異なって独特のハーモニーをつくる。木の壁に赤や褐色や黄土色や黒などの色彩が入れこまれて、輝かしいイメージがあらわれる。電信柱が立ち、その電線が暗い空の中に連結しながら不思議な韻律をつくる。現実の風景が画家のイメージによってもう一つの詩の世界に変ずる。絵画ならではの面白さである。

2室

 井上陽照「ロングスカートの女」。紫のロングスカートをはいて椅子に座っている女性。後ろに花瓶があり、向日葵が生けられている。背景は黄色い色彩で、紫の上部も黄色く染まり、膝頭あたりから紫があらわれ、床の茶褐色と響き合う。量感のある女性の全身像のもつ生命的なフォルムと輝くような黄色い色彩がハーモナイズする。

 早川二三郎「坂のある街」。道が曲がりながら上昇していく。右のほうには階段があり、その前の広場がいちばん低くなっていて、そこを紙袋を持った女性がこちらに歩いてくる。坂の途中のピザ屋がしっとりとしたグレーの空間の中のアクセントとなっている。目の視点が、たとえば下方の女性だとほぼ正面から見ているのが、建物になると見上げる角度になって、そのような目の動きがしぜんとこの風景のリズム感、動きをつくりだす。

 飯田裕子「夏至」。裸の若い女性が画面のいちばん手前に立っている。背景にライオン、鷹、カモシカ、象などがいて、満月が浮かんでいる。全体で不思議な情感が醸し出される。それはトーンによる連続性による。地上に生きているものたちを仲間のように考え、その延長上、今という時点にこの若い女性がいるということになる。単に女性の裸を描くのではなく、そのような地球に対する深い思いがそのままこの若い女性の生命感を後ろから支えているような、ロマンティックな雰囲気に注目。

 小泉祥二郎「忘られし駅舎」損保ジャパン美術財団賞。ホームの向こうに木製の一階建ての駅舎がある。手前に線路が通っている。褐色や暗緑色を中心として懐かしいしっとりとしたイメージがあらわれる。心の中の風景である。深い感情世界が表現される。

 本田年男「いにしえの航路」。緑を中心とした色調にしっとりとした雰囲気とエキゾティックな性質があらわれる。赤い手鏡を見ている若い女性は、明るい緑の植物の模様のワンピースを着ている。彼女が座っているのは古い長持のようなもので、そばにおもちゃの帆船が置かれている。後ろの壁に世界地図が貼られ、まさに極東、右端に日本、左端にアメリカ大陸。航路とか旅のイメージはそのままこの彼女の衣装の複雑な文様につながってくる。大陸以外のグレーの部分はどこか銀灰色を思わせる。日本人の微妙な洗練された調子であり、その色調が一つの魅力をなしている。同時に帆船と世界地図が若い女性のこれからの人生の旅をしぜんと思わせる。そんな時間軸の上に手鏡を見ている青春の盛りのイメージがあらわれる。顔や手にすこし赤が入れられて、手鏡の真紅と響き合いながらこの女性の命を照らしているかのようだ。

 黒木ゆり「朝の光の中で ・」上野の森美術館賞。画面の下辺に古びた木製の箱があり、その上にワインボトルやグラス、陶器のデキャンタが置かれている。その面積は画面全体の五分の一ぐらいで、それ以外はすべて壁である。右のほうから静かに光が当たり、静物を輝かせる。独特のニュアンスが感じられる。触感的要素が強い。対象に手で触るか触らないかといった雰囲気で一つひとつのものを描く。対象をじかに触って描くと、もっと物質感が出るが、その対象に触るか触らないかという程度の距離感で描いているところに強い気配があらわれる。そのような感覚が面白い。その感覚は画面の大半を占める背後の壁のほうにも向かって、壁に独特のニュアンスと気配を与える。

 上野豊「入江の教会」。入江に船が三艘ほど繫留されていて、その白い色彩が輝かしい。入江の向こうに小さな教会があり、その尖塔が聳えている。屋根が緑で、壁が白。その周りは水墨でいうたらし込みふうな表現になっていて、暗緑色、暗褐色、暗紫色などの色彩が置かれ、だんだんと位置が後退して、緑の山、霞むような青い山が浮かび、柔らかな白い雲の見える空につながる。明度の暗い色調の中に風景を統一し、その中に建物と教会を白く輝かせる。一種の音楽性ともいうべき効果があらわれる。

 木下博寧「オレーの夏」。湾に船が繫留されている。湾のそばには道があり、建物が接近して立っている。低い山が背後に緑の葉を茂らせている。オレーの夏の様子を静かに画家はうたう。左下から右に向かって白のヴァリエーションがあらわれ、それを囲むように黄土系の色調が屋根と浜の部分の色彩として入れられて、その二色が響き合う中に緑のトーンがその後ろ側からあらわれる。そういった色彩によるハーモニーが、この作品の魅力だろう。

 木村泰子「魚売り」。長靴をはいてあねさんかぶりをした中年の女性が座っている周りに籠や箱があり、様々な魚が置かれている。上からヒラメが吊るされている。魚も背景も銀灰色で、北国の風土をしっとりと表現する。頰杖をついた女性の顔や手の指のフォルムが生き生きとしている。ディテールの強さと同時に全体のもつ微妙な繊細なニュアンスが相まって、この作品の魅力をつくる。

 中尾廣太郎「海に生きる」。近景の三体の人物が実に面白い。フォルムが生き生きと語りかけてくる。中心に白髪の老人が座り、目をつぶりながら考えこんでいる。両脇に二人の男がいる。向かって右はすこし白髪の出始めた男がタバコを手に持って下方を向いている。青年が左のほうに立っていて、遠くを眺めるその横顔が描かれている。風に髪が靡いている。背後には船や建物や海がのぞくが、漁村の様子を背景にして、三人の男が海に生きる困難さ、あるいは漁業の行く末などを語りかけてくる。言葉で漁業の行く末ということを簡単に言えるが、この絵はそれよりはるかに深い内容を表現する。三人の人生の過去と現在と未来ともいうべきものが、そのままこのフォルムから伝わってくるところが実にこの作品の絵画性と言ってよい。再現的に対象を描くのではなく、一つひとつのフォルムを絵の中につくりあげていくような力がある。その力によって群像がドラマを引き寄せる。漁業の行く末と言ったけれども、同時に、東日本大震災で崩壊した東北の漁村に対する深い思いがその基底にあるに違いない。今回の津波という大災害、悲惨な状況の深い悲しいモニュマンと言ってよい。

3室

 藤本正男「海の上の作業場」。たくさんの筏とそれを操作する人が、上方から俯瞰する構図で描かれている。岸壁には小さな建物があり、遠景には船もある。労働の様子を生き生きと描く。一つひとつの丸太の形を追うことによって微妙なものがあらわれる。その丸太や筏、人々の様子を見ると、リズムやメロディといった言葉がしぜんと思いつく。存在するものと働き動くもの。存在するものと運動する様子が相まって、この独特の美的と言ってよいハーモニーが生まれる。

 木島芳雄「暦日」会友賞。剝落した壁のそばに入口がある。扉がすこしあけられている。そこに向かう三段の石段。そういったものがまるで朽ちていく時間を追うようなかたちで表現される。失った時間が画面から亡霊のように立ちあらわれてくる気配が面白い。

 入江英子「ドライフラワー」。樽に入れられたドライフラワーが実際の花以上に絢爛な様子。地面と古い壁という日本的なシチュエーションの中にドライフラワーが輝く。静物とも風景ともいいかねる両方の状況のなかに、時間というものが花を咲かせたような味わいが興味深い。

 平川二三男「滅びゆくもの(軍艦島)No5」東光賞。崩壊しつつある建物、線路、電信柱。それを歪んだような傾いた動きの中に表現する。その傾いた構図は、水平線を傾けているところからもわかるが、その不安定さの中に逆に存在と時間のもつ気配が表現される。

 住井ますみ「また今度…」。二つのブランコがしっかりと描かれている。四筋の鎖が遠近感の中に表現され、下方の地面にイチョウの紅葉した葉が散っている。遊園地に画家が発見した一つの世界と言ってよい。古びた二つのブランコには、かつてそこに乗せた子供たちは描かれていない。しかし、子供たちの姿が浮かびあがってくるようだ。

 桐原美根子「ひまわり」。ギリシャふうな壺に向日葵が差されている。一部枯れかかっている。周りに倒れた向日葵や葉が置かれている。ボリューム感がしっかりと表現されている。それによってほとんど原寸に近い、あるいはそれ以上に拡大された静物が、なにかシュールな気配を漂わせる。

4室

 本堂清「yuさんのポーズ」。絵筆を持ってこちらを向いている男性。頭にバンダナを巻き、布で覆っている。後ろに風景画が画中画のように描かれている。いずれにしても、立ってポーズをするこのyuさんという画家のもつニュアンス、優しい目、すこし太った体、繊細な大きな手。そういった様子をよく表現する。

 和田貢「幕間」。サーカスの裏側の世界が生き生きと描かれる。近景に赤い衣装を着たブロンドの女性が立っている。そばには猛獣使いと思われる男が座って、横を向いている。檻の中には虎が動いている。その向こうにいる作業員。背後の檻の中の虎が強い気配を示す。二人の人間の存在感もよく表現されている。優れたデッサン力が画面の上に二人の男女を表し、虎をその向こうに表現した。バックのベージュ、あるいは布の青みがかったグレーや黄色などの調子が面白い。とくに青い布の中にある黄色が、光のようなイメージで、このサーカスの芸人たちの人生を後ろから静かに荘厳し照らしているような趣もある。虎がよく火をくぐったりする演目があるが、この檻の中にいる虎のもつ強い存在感をみると、サーカスの仕事も並大抵のものではないのだろう。そんな思いに誘われるような、強いリアリティがこの作品のよさだと思う。

 楢崎重視「残雪の沼」。水を囲んで樹木がある。向こうは斜面になって、雪が積もった中に立ち上がる樹木。常緑樹が緑の葉を茂らせている。そういった水墨画にふさわしいような一隅を、淡々と表現する。自然体のなかにこの自然の様子が生き生きと立ち上がってくる。屈曲した樹木の形が面白い。

 竹留一夫「溶岩原への道」。青く彩られた雄大な山が煙を噴いている。活火山なのだろう。手前にはススキが風に靡き、岩があり、小さな家も見える。画家独特のペインティングナイフによる仕事である。塗りこまれた独特の色彩の輝き。山と近景とが一体化しながら、揺れ動くような動きがあらわれている。

5室

 庄司勲「笹野一刀彫」。木彫家がタバコを右手にして一服している。そばにほぼ完成に近い鷹が棒の上に載っている。その様子を淡々と描いている。ずいぶん塗りこまれていて、厚塗りになることによって、あるリアリティが生まれてくる。すこし頭のはげた彫り師の全身の雰囲気が面白い。同時にあらわれてきた鷹のクリアな形が対照され、職人の仕事のなかにあらわれてくる不思議な空気感ともいうべきものが画面を満たす。

 加賀羅聰「港の一隅」。ざるに置かれたカニやカレイやエビ。そばの箱にはイカが二杯。そんな様子を独特の色彩の輝きのなかに表現する。海の幸という印象で、それぞれの海のものたちが宝石のように表現される。

 井原智義「残雨」。水墨的な世界を油彩画で表現したような趣。下方に水が流れ、上方に山の斜面があり、そこに赤い幹が伸びて、松のような樹木が浮かび上がる。月明かりがこの風景を照らして、ある部分を浮かび上がらせるような、幽玄の気配がある。ものを見るというより、全身で対象を感知するところからあらわれた繊細で強い表現だと思う。

 まついとおる「ノルマン通りの午後」文部科学大臣賞。道の周りに店が連なっている。その背後には古い建物があり、煙突が立ち上がって、街灯なども近景に見える。昔行ったスケッチの中から描いたものだろう。黒とグレーを中心とした中に赤い色彩がヒューマンな感情をうたいあげる。風が吹いているかのような傾いた建物に独特のムーヴマンがあらわれる。対象を自分のスクリーンの中にのせた空間が魅力。

 安増千枝子「窓辺」。テーブルに花や大きなアコヤガイ、グラス、巻貝などが置かれ、その後ろは海になり、旅をしたときの記憶から引き寄せられたのだろうか、ギリシャのパルテノン神殿やヨットなどが浮かび上がる。いま太陽が水平線近くにあって、オレンジ色の光線を発している。ロマンティックな世界が生まれる。静物を見ながら記憶の光景がその周りを囲み、深い安息感ともいうべきイメージがあらわれる。下方のつがいの鳥が、この幸福な食卓と風景との連結したイメージの脇役としてふさわしい。

 南濤敬「想」。磨崖仏が描かれている。緑を帯びたグレーのトーンが深い。苔むしたような雰囲気である。座る仏と立つ仏。なにか優しい表情である。時間の中に包まれて深い思いをずっとメッセージしつつあるような様子である。そんなイメージを磨崖仏に発見し、一つの画面に描いたのだろうか。

 大野昌男「兜のある静物」。紫の古い簞笥。明治や江戸時代のものだろうか。上に三味線が置かれ、西洋の兜が置かれている。バックには浮世絵が貼られて、床には燭台や牛を思わせる玩具が置かれている。身辺にあるものをテーマにしながら、そのアンティームな気配のなかにそれぞれのものが静かに浮かび上がる。とくに左の蠟燭台の上の白い蠟燭が全体のトーンの中でときめきのようなイメージを表す。

 長谷川雅敏「雨あがり」。宮殿を思わせる建物の前に教会がある。それを見るカップル。地面は雨で濡れている。夜のような空。白く浮かび上がる建物。とくに、建物のもつ存在感が表現されていると同時に、おとぎ話の世界が目の前に立ち現れたようなファンタジックな雰囲気も感じられるところが面白い。

6室

 深田啓子「町外れの風景」佳作賞。コンクリートのブロックが積まれている様子が描かれている。一つのブロックはほぼ正方形に近いが、それぞれ異なり、すこし前に飛び出ていたり、ずれていたりする微妙な様子が、この作品のテーマになっている。すこしあいているところもある。その微妙なでこぼこと空間の間隙によって気配があらわれる。画家の視線は古美術の表面をなぞるような深さがあって、ブロックを積んだだけのこの平凡な光景の中に不思議な気配を引き出す力があるところが面白い。また、グレーのトーンの変化も面白く、いわば幽玄という形容詞を使いたくなるような日本人の感性がよく表現されている。

 下田秀子「壁」。壁に窓が一つ。左下には舗道際に小さな穴がある。舗道も石でできて、壁も石でできている。そこにポスターが貼られているのだが、サップグリーンに白を置いたような独特のしっとり感が感じられる。また、壁のグレーに絹を思わせるような独特の艶があるところも面白い。壁の上に自分自身の美意識を表現したかのごとき感のあるところがユニーク。

 金元拓美「朽船」会員推挙。壊れかかった船腹の様子が、晒されたような白い木の板によって表現される。手前に「うえだや」という文字のある箱にガラスの重しや蛸壺や網などが置かれている。もののもつ手触りや存在感と同時に、晒されることによってあらわれてくる長い時間軸が表現される。その時間が背後の白い板に白い風が吹いているようなイメージとしてあらわれるところが面白い。

 さとうみちこ「ドック」。水たまりが描かれているが、地面のもつ奥行きが表現されているところが魅力。左にホースが絡まった様子があり、右のほうには錆びたドックの壁が水に映って、奥行きがある。前後の奥行きと上下の奥行きが水たまりを中心としてクロスする。存在するものの手触りと同時に水に映る虚像とが響き合いながら、ある詩的なイメージが表現される。

7室

 市川弘子「青いランプのある静物」。明度の高い灰白色のハーモニーが清澄な響きをつくりだす。白いテーブルに林檎やランプなどが置かれている。白い瓶から南天のような赤い実をもつ枝が伸びている。明るい茶色と明るい灰白色のストライプの布が垂れている。それぞれがあるリズムを醸し出す。とくにストライプの布と赤い実の配置には、そのような音楽的な効果を画面に与える力がある。背後の矩形の抽象的なフォルムも同様の性質をもつ。

 原増男「陽だまり」。廃屋に近いような古びた家の板壁、ガラスの引き戸。ガラスにひびが入り、白い紙を貼って補強してある。地面に犬が寝て、赤いビールケースの上に瓜が置かれている。画面に近寄ると、ずいぶん塗りこまれていることがわかる。時が止まったような中に寝そべった犬が静かに息をしている。

 川瀬多真希「深森物語り ・」。イースター島の石像を思わせるようなフォルムが木でつくられて、左下に置かれている。笑っていたり、すこし眉をひそめていたりといった、それぞれの表情が面白い。下方に豆の葉のようなフォルム。上方に蜘蛛が巣を張って、いま女郎蜘蛛のような大きな蜘蛛が下りてきている。満月の周りに星がちりばめられている。蜘蛛のひそかな活動がクローズアップされてあらわれてくるような、そんなセンシティヴな感性のなかに、たとえば一本の丸太が人間の顔をして立ち上がってくるようなイメージを引き起こす。豆の葉は花札にも使われているが、独特のリズムのある様子で、画面全体にいわば物語の生まれてくる世界、自然がその物語に変じてくるような、そんなイメージの展開が面白い。

8室

 村松泰弘「アランブラ宮殿の想い出」。アルハンブラ宮殿を背景にしてギターを弾く若い女性。そこには強い光線が当たって、フォルムを鮮明に浮かび上がらせる。その現存感と背景のハーフトーンによって表現された樹木や、山に囲まれるアルハンブラ宮殿が静かに輝く。現実と記憶とが一つの画面に対置されるようなコンポジションが面白い。

 廣田純男「古代からのメッセージ・大樟」。大樟の胴体ともいうべきフォルムが画面いっぱいに描かれている。地面に向かって根が下りていくそのすこし上あたりから途中までのフォルムである。茶褐色の色彩で表現され、明るい部分と暗い部分との陰影が幽玄な気配を示す。長く生きてきたこのクスノキの霊気ともいうべきものが表現される。

 伊藤久美子「花あしらい」。大きな白い壺に色とりどりの薔薇の花をはじめとして、様々な花が置かれていて、豪華な雰囲気。バックは鳥籠などと同時に黒と灰白色と金によって装飾的な空間が生まれている。すこし日本画的な要素も取り込みながら、独特のハーモニーをつくる。

 浪崎洋子「STAND FIRM」。水彩作品だが、水墨画の趣がある。上方から緑の葉や枯れかかった葉が垂れ下がり、下方は水のようだ。後ろには崖のようなものがあるのだろうか。それがあまり形を明確にしない心象空間のように表現され、その中に樹木の葉のみがクリアに描かれていて、深い瞑想の世界に鑑賞者を誘う。

 繪内礼一「たわわ」奨励賞。柿がたわわに実っている。下方に籠を背負った農夫がいる。柿の向こうには紅葉した葉や常緑樹の緑の葉も見える。そんな様子をクリアに描く。まるでそのクリアなフォルムに沿って織物をつくっているような、そんな緻密な表現であり、水彩作品の中でもとくにユニーク。これだけのクリアなフォルムと様々な色彩を使いこなす力量に敬服する。

 野田俊和「生きる」。漆喰がはげて粗壁が現れ、竹で組んだ土台が見える。そんな崩壊しつつある蔵のフォルムを拡大してクリアに描く。そのクリアなフォルムがお互いに語り合いながら、独特のファンタジーを表す。二十八日ばかりの月が暗い空に光っているのも、脇役としてふさわしい。

9室

 上田素久「昼下がり」。ヨーロッパの教会や聖像の入れられた建物などを背景にして、若い女性がこちらに歩んでくる。茶褐色の中に黄色い帽子をかぶった女性のイメージが鮮やかである。対象の客観的な形より、画家の心のイメージの展開に沿って建物や女性が画面にあらわれてくるといった趣で、そんな弾むようなリズムが、画面が鼓動してくるような魅力をつくりだす。

 岡﨑まりこ「Old Friends」。白いテーブルの周りに老夫婦ともう一人の老いた人が座って会話をしている。ワイングラスが置かれ、赤ワインの色彩が入れられ、窓の向こうは夜の気配。その親密な雰囲気。空間のもつ人間的な密度ともいうべきものがよく表現されている。

10室

 髙田惠子「休日」。若い女性の全身像である。玄関だろうか。壁に左手を添えて立つ女性のかたちが自然体で、生き生きと描かれる。女性のもつしぜんなムーヴマンともいうべきものがよく表現されている。

 奥川洋治「ビール工場古窯」会員推挙。煉瓦造りの建物が深い陰影の中に表現されている。画面全体に赤系の色彩が使われているのが、深い郷愁ともいうべき感情を引き寄せる。記憶の中のモニュマンのように、この丸い煉瓦造りの建物が画面の中に表現される。

 福田次子「阿蘇山」。青みがかったグレーの微妙なニュアンス。塗りこまれたマチエールによって複雑なトーンができる。ずっしりとした存在感をもつ山と空を映した青い水。近景の針葉樹。山を中心とした風景全体を内面化して表現したような力強さと深いニュアンスが魅力である。

 畑山明子「待つ」。トランクに座る若い女性。右足は伸ばし、左足は曲げ、右手はトランクの上に、左手はしぜんに腿のあたりにあるが、そのかたちが面白い。女性のフォルムに注目した。

11室

 手嶋哲也「朽ちる '13」。雑草の中に船が置かれている。船はほとんど崩壊しつつある。ほうぼう穴があき、舳先と周りの板の一部、その二つを渡した支柱だけである。雑草が白く輝いている。それ以上にこの古びた船を照らし出す光線がフォルムを強く浮き上がらせる。周りの雑草の光と黒ずんだ中に浮かび上がるフォルムとが対照される。「朽ちる」という長い時間が影のようにこの船に染みついているような雰囲気が面白い。

13室

 柳田兼次「夜の野良犬」。おでんの屋台が出ている。主人と客が一人。そばに黒い犬がいる。赤や黄色、黒を使いながら、独特の詩情を表現する。

15室

 田中利勝「代搔き始まる」。田圃が画面の約五分の二、上方の青黒い山並みが画面の三分の一、あいだに緑の樹木と民家が点々と見える。手前の田圃には白い雲が映っていてグレーで、まだ田植えされていない。トーンの変化の中に空間の広がりがあらわれ、ノスタルジックな感情を引き起こす。

16室

 末吉健一郎「水辺の春」。小さな川の両側に桜が咲いている。川は暗い紫色や緑色の混色の中に表現され、岩があるところでは段差によって白い飛沫を上げている。水と地面と花とが一体化して、空間の奥行きがあらわれる。また、花の表現が瑞々しい。繊細でありながら、奔放な動きもあらわれた表現で、花の命をうたう。

17室

 天達章吾「坊津遠望」。ジグザグに道が下降する先に民家があり、海がのぞく。その向こうには岬がある。そういった海沿いの街を寒色を中心として表現する。動きと地味な中に立ち上がってくる色彩の輝きに注目。

 浜田正文「運河」。運河沿いの二階建ての建物や船が描かれている。画面を直線によって分割し、そこにそれぞれのフォルムを色面として入れる。コンポジションが面白い。

 森本計一「黄昏のニューヨーク」。近景には道を走る車。中景は樹木の連なり、遠景は高層ビルや塔。だんだんと後退していくに従って、上方に向かう独特のムーヴマンがこの画面の魅力をつくりだす。斜光線による光っている部分と暗く沈んでいる部分とのコントラストも、風景の中のドラマをつくる。

 窪田哲香「怒涛」。海が画面の約八割を占めている。一部盛り上がって、そこに大きなドラム缶のようなものがあり、ほかにも小さな様々なものが海の波間にある。津波の恐ろしさを表す。臨場感のある描写力に注目。

 古閑博文「寒日」。暮れ方の風景だろうか。水や雑草や民家や山が暮色の中にあり、中からオレンジ色やグレーの色彩がきらきらと輝く。

 宮里洋詔「灯」。蠟燭を持った女性。襦袢を羽織って、あいだから裸身がのぞく。後ろの衣桁に黒紋付きの着物が置かれている。深い鎮魂の表情が漂う。作者によると、亡くなった妻をしのんで描いたという。シンメトリックなコンポジションの中に深い感情が表現されている。蠟燭の炎が鎮魂のイメージと同時に、燃え尽きると生命がなくなってしまうという、はかない人の命の象徴として表現されているように感じられる。地味な色彩の中に簪と蠟燭の炎の赤がポイントとなっている。

18室

 山本博子「果樹園」。林檎の木なのだろうか。低い裸木が畑に点々と植わっている。その屈曲した枝から梢にわたる形が面白い。それが遠近感のなかに連続してあらわれ、少し空を見上げる角度から描いて、独特の動きやリズムがあらわれているところに注目。

 吉井利雄「山里」。雪の積もった山の麓。斜面に木立が並び、かすかにあいだに水が見える。灰白色と褐色の色彩による独特の韻律が生まれる。

 大久保麻里子「おい、大丈夫か?」。男の上半身を横から描く。見上げた顔と曲げた手。上方に不思議なイメージがあらわれている。人体の動きと同時に構図が面白い。また、色彩家でもある。

21室

 岡倉日出夫「筑波山昔話」。三角形の頂上を見せる筑波山から麓までが緑やピンクの色彩で彩られている。樹木や草の表情が独特で、なにか神話的、かつ物語的なイメージがあらわれているところが面白い。

22室

 尾谷青子「舞妓」会員推挙。赤い衣装を着た舞妓が正座している。後ろに金屛風に梅の木が描かれている。色彩が輝く。舞妓の身体のもつ量感もよく捉えられている。

 茂木小夜子「煙突のある家」会員推挙。厚いマチエールで漆喰のような壁と瓦屋根の独特の白い民家を描く。建物のもつボリューム感をよく捉えている。光線の扱いも面白い。扉が人の気配を示す。

 梅本美津子「バイオリン」会員推挙。広いテーブルに楽譜の上に置かれたヴァイオリンが二つ。後ろにケースがある。スポットライトのように光が当たる。画面全体から音楽の和音が聞こえてくるような不思議な表情があり、それが面白い。

24室

 小林幸子「ポルトガル」。水から六メートルほどの高さで道がT字路になっている。そこに人やパラソルの下のカフェなどがあり、背後に建物がある。そういった状況をしっかりと表現して、生き生きとした表情を見せる。

27室

 岡野博文「トレドの春」。暖色を中心とした色彩が温かい。トレドの街並みのパノラマである。塗り込まれた色彩が層をなして、独特の輝きを見せる。

28室

 佐藤佳子「寂」。両岸に崖の迫る渓流を描いている。目の位置が低く、そこから見える岩や見上げる崖や山の様子に実感があり、ボリューム感があり、動きのあるところに注目。

 小品の部門では、佐藤友美「Living room」、中西久治「ジャズが聞こえる」、小沼和喜子「街角」努力賞に注目した。

第44回新美展

(4月24日~4月30日/東京都美術館)

文/小池伊欧里

1室

 猿見田正義「空……至仏山」。遠望した山の形と空の様子を切り取ってきた「空」シリーズだが、徐々に表現の抽象性が強まって、その時の印象がより強く反映される作品になってきている。よく晴れた日に夢中で至仏山を描き、ふと気付くといつの間にか日が傾き空が赤く侵食されている。尾瀬の湿原もその赤い空を徐々に映して青から紫へと変化していく。そんな時間の流れがこの画面から感じられる。山水画のような間によって山の稜線に視線を向かわせながらも大胆な赤い色面を意識させることで、何層ものイメージが表れている。

 勝間田英幸「ミントグリーンの頂」。水辺の枯れ草をクローズアップして描いた昨年の作品から一転し、今度は雄大な富士山を上空から捉えているが、同様に高度な写実表現に目を見張る。対象を徹底的に観察し丁寧に描写する中で自らが描き出したい表情をあぶり出している。量感たっぷりな円錐形のフォルムと、その角度だからこそ見出されたミントグリーンの輝きが奏でる存在感によって、そこがキャンバスであることを一瞬忘れさせる。

 近藤伸子「少女のきおく」。無垢な表情をした少女が手にしているのは魔法のランプだろうか。ランプから階段が現れて、様々な植物が躍り出ている。湧き出るような造形である。淡く柔らかな色調で描かれた画面がノスタルジーを呼ぶ。雑然とした植物はロジックとは切り離された幼い日の記憶のようであり、ぐんぐんと成長し芽生えていく自我の象徴のようでもある。植物それぞれに不思議な意思が感じられ、少女の背中を優しく押している。

 山本捷「卓上の饗宴 ・」廣瀬賞。赤と黒の色面に独特の線が走り卓上風景を成している。椅子やテーブルを形成する直線と、果物や花、ランプなどを表す円や曲線がリズミカルに配置され賑やかな印象がある。卓上はまるで舞台であり、青い酒瓶と白いランプがそれぞれ紳士と貴婦人のような雰囲気で対峙しているのも劇の一幕のようで面白い。

 二村洋子「午後のポロネーズ」新美大賞。黒いテーブルの上に赤い花瓶と花。卓上には椿のようにぽとりと落ちた花が三つ暗示的に並んでいる。ユニークな構成だが、緑と赤の配分で微妙なバランスが取られている。ゆったりとした旋律の中、花の芳香が部屋に広がっていくような雰囲気で、色数を抑えながらも濃厚な画面の中に妖しげな気配がある。

第87回国展

(5月1日~5月13日/国立新美術館)

文/高山淳・小森佳代子・磯部靖・大澤景

1室

 大森啓「Puzzle」。パースペクティヴの騙し絵的な要素が面白い。黒い無地のバックに白い線を引いているが、それは一種の逆遠近になっている。そこに厚さが一・五センチぐらいの板をコラージュして、そのコラージュした板の上に建物や家、木、あるいは台として使われたコーヒーポット、時には車も置かれていて、それが立体的に浮かび上がってくる。いわばおもちゃのような積木のようなイメージの中に、リアルな現実感が浮かび上がる面白さである。虚の世界が実の世界を招きながら、お互いに呼応して都会の様々な経験、記憶、現象の断片を集めて、トータルで時代の夢とか希望といったイメージが生まれる。(高山淳)

 安達博文「時の符 XIII・XIV」。眼鏡をかけた男の顔が画面全体に描かれ、その唇の上に線描きの女性の足が二本伸びている。彼の頭には彼自身の足が置かれている。眼鏡には福島原発の様子と思われるものが描かれていて、目から入る様々な情報の一つがそこに描かれている。眼鏡に映る像に社会の情報が入っている。髪の形が面白い。まるで桃山時代の波濤文を思わせるようなフォルムになっていて、渾沌とした情報の錯綜する頭の内部の様子をイメージする。シャープなドローイングの線を使いこなしながら、現代とかかわる一人の人間の脳も含めてのイメージを生き生きと描く。(高山淳)

 稲垣考二「側面」。アルチンボルドが果物や野菜を組み合わせながら人の顔をつくったように、これは二十個のボックスの中に様々なものを入れて、トータルで少年の顔が浮かび上がるというコンポジションになっている。少年の鼻は高速道路と丘になっているし、口は母と子供二人で戸外に出て背景には樹木や建物があるといったシーンになっているし、上方は板の上にチョークで描いた少年の顔の小さな相似形になっているし、耳はボルトやナットの金属的なものの組み合わせになっている。一つひとつ述べると紙数が足りないので省略するが、そういったボックスが積み重なって、一部はそのボックスが引き出されたりしながら、全体で少年の顔になるという独特の作品である。一つひとつのものがそのように幻視され、変容し、それがまた統合される。画家の視力とイメージの冒険による佳作である。(高山淳)

 福井路可「夜の風、明日の海―13・4―」。三面対の作品。中心は板を貼って、その中に女性の首から下のフォルムが置かれている。垂直の動きに対して、左右に、水平に板が置かれているために、十字の印象もあらわれる。左には青い波が、右には赤い波が描かれている。波紋を強調するように板目がコラージュされて使われる。左は「夜の風」で、右は「明日の海」ということになるのだろうか。波や風が時間を表し、中心にきょうという時間。過去、現在、未来といった時間の推移を一種抽象的なコンポジションの中に生き生きと造形する。(高山淳)

 肥沼守「植物公園の午後」。テンペラ画の作品。食虫植物のような花々が植わっている。肉厚の花の中には目玉のようなものもあり、人の顔が中に埋もれていたりもする。左方では、胴の長い男が手を差し出し、花の男と向き合っている。透明な笑みとでも言えるアルカイックな表情で交感している。それは人と人外の生き物の間のテレパシーのような、強い交感のように思われる。画面の右端でも、少女が花に手を差し出し、言葉の無い会話をしている。雲や花々の動き、点々とある家のかたちが、牧歌的ともいえるゆるやかなリズムをつくっている。あっけらかんとした色彩の明るさも相まって、白昼夢のような、祝祭的な情景を作り出している。万物が生きて会話をしているような景色であるが、何とも言えない不気味な気配で、強い寓話性を感じさせる。全体は四枚の画面で出来ており、右から二番目が古代の壁画のように、風雨に長くさらされたようになっている。真新しいように表現されている左端の画面に生気が生まれる。そうしたマチエールへの取り組みも見どころである。(大澤景)

 野々宮恒人「大切なものは、『何』」。祭壇画ふうな構成になっている。中心にF型の縦の画面を置き、左右にそれの約二分の一に近い幅の、上下はすこし高い縦長の画面を置いた、三面対の作品である。家族の愛といったものがおそらくテーマになっているのだろう。中心に若い夫婦が寄り添っていて、その二人に長男と思われる子供が手を伸ばしている。下方には妹や弟がいて、妹のおなかの中には鳥と天使のようなイメージがあらわれている。右のほうには向日葵を持つ帽子をかぶった青年がいて、その衣服の中に様々な人間のフォルムが一種妖精的に描かれている。そこに向かって下方から不思議な植物が伸びている。上方にはやはり天使がいる。左の上方にも天使がいて下では母親が息子を抱き締めている。女性のおなかには胎児がのっている。そばに不思議な老人が花輪を持って座っている。中心の画面の上方には家が描かれて、中に人がいる。実際のディテールを追いだすと、三十人から五十人ぐらいの人が描かれていると思うのだが、それが大きなコンポジションの中にまとまって、独特の生気ある力をもつ。両翼は粗めのキャンバスにしっかりとしたフォルムを入れ、中心の目の詰まったキャンバスにしっとりとした家族を描くという構成も面白いし、大小の人物のかたちを組み合わせながら、一種図像的な力を獲得している。図像でありながら、これだけの人間を描きこむ力はよほど画家が内界に沈潜しなければできないだろう。そういった内界に沈潜して描く画家が現在少ないために、なおさらこの画家の仕事は貴重と言ってよい。左下に文字があって、そこには絵を描いて、本を読んで、時間の許すかぎり眠ることが私の唯一の生きがいだ、と書いてある。(高山淳)

2室

 城康夫「景 '13─1(石)」。左方に四つ、右方に三つ、縦に石が並んでいる。それぞれに青緑色の陰がさしており、青いバックには深い空間性がある。石は置かれているのではなく、空中に静止しているようである。見ていると、互いに上下に引き合う動きを感じさせる。それぞれが何か魂のような、エネルギー体であるようなイメージである。石という鉱物の象徴性も働いているのだろう。そうした思いを引き寄せる、不思議な実感のある存在感に注目した。(大澤景)

 津地威汎「航跡…微かな予感…」。津地威汎は二点出品。左は「航跡…いつもの道…」、右は「航跡…微かな予感…」。左の「航跡」は朝のようで、右は夕方のように感じられる。水平線を見ながら遠ざかっていく船の船尾にいて、この光景を眺めている。後方から光が当たり、上方の雲に陰影をつくる。

 右のオレンジ色に染まった空と雲の様子はあわあわとして、ノスタルジーの中に、過ぎ去っていくきょうの日の終わりからやがてまた新しいものが生まれるような、滾々としたイメージがある。とくに雲の濃いブルーから淡いブルー、そしてすこし緑色を帯びたような淡い空、オレンジ色の雲、オレンジ色の空。実に雲と空のかたちが複雑である。渾沌とした中になにか不思議なものが生まれつつあるようなあやしい気配がある。そして、下方の水平線は左の作品より下方に下ろされて遠ざかっていく。白い波があわあわと波立つ。

 左のほうがすこし縦長で、遠ざかっていく波の様子が、その上方のオレンジ色の朝日の空からぐっと鋭角的に手前まで描かれた雲の遠近感のなかに表現されている。イタリアの初期ルネサンスの頃の空を思わせるような実にイノセントな雰囲気が、朝の光線とフィットする。(高山淳)

 島田鮎子「室内景」。島田鮎子は二点出品。「室内景」は向かって左に女性が座り、向かって右には大きな逆三角形の花瓶の上に青い花の咲いたものがある。中心はテーブルになっていて、そこに大きな鏡がある。白い太いリングに囲まれた中に女性の顔が浮かび上がっている。作品を見ているうちに、ルオーがパレットの中に花を描いて、その裏側に丸い中にピエロの像を描いた作品を連想した。この白いリングによって囲まれた女性の顔には、そのようなきわめて象徴的なイメージがあらわれていると思う。淡々と左に座っている女性。そして、中心のリングの中の顔。右の花瓶も葉も黒い鋭角的なフォルムの中に優しい四弁の青い花。青は画面の真中にも使われているが、その上に太い白いリングがあらわれ、その中に出てくる白い顔。その顔は左の女性のグレーの顔より、より明るい調子のなかに強いイメージが感じられる。黒と赤が顔の内部にすこし入ってきている。彫刻的とも言える造形。グレーのしんしんとした気配を示す背景。その中に決断するような黒い色彩によってつくられたフォルム。そのように書いてくると、右の十字形の四弁の青い花と白いストライプの顔とは深いところで響き合っているように感じられる。いずれも深い象徴の世界に到達している。画家はデッサンが得意であるけれども、タブローにする場合にその現象からイメージの世界に入っていこうとする。そこにマチエールも必要になるし、余分なものが削られて、ある本質的な造形を浮かび上がらせようとする。そんな画家の作画のプロセスが、そのままこの絵になったような趣もある。いずれにしても、見れば見るほど中心の四センチほどの幅の白いリングによって囲まれた女性の顔は不思議な印象である。それはどこに位置しているのか。画面の中のどのあたりにあるのか。ずいぶん遠いところにもあるようだし、ずいぶん近いところにもあるようだ。不思議なイコン的な力をもって迫ってくる。

 「ソニアのセーター」は、ドローイングの力が強い生命力を発揮する。ストライプの上衣のそばに女性が座っている。顔も腕も足も白い。この背後にも柔らかなブルーのバックがあり、半分は黒である。そのそばにベージュと青とグレーのストライプの上衣。周りに広がるグレーの空間。右のジグザグな形。気韻生動という東洋の言葉があるが、まさにそのような力が、淡々と描いたと思われるこの作品から発してくる。右が象徴の表現とすれば、左は淡々たるシーンを描きながら、それがそのまま不思議な生気をもって迫ってくる。いわば精神というもののオーラがじかに感じ取れるように思われる。(高山淳)

 大沼映夫「色彩降臨」。このところ続いている「色彩降臨」の仕事。今回は黒地の上に白い色彩を丁寧に置く方形の画面を百八十個描いている。その大半はフローティング風に細い筋のように流れ落ちる様相で、どこかなまめかしさを思わせるような不思議な趣で、大沼流の独特の階調とリズムが心地よい。今回は限りなく白に近い色彩である。無の中の有のような感覚だろうか。一見、白い画面の連続なのだが、じっと見ていると、見る者の中で変換された、新たな階調が見えてくる。それが重奏的なリズムとなって、画面の向こう側へと誘うような、不思議な奥深さと豊かさを湛えているところが魅力である。(小森佳代子)

 島田章三「かいだんとひと」。画面の下辺に階段を横から見た形が五つある。その二段目と三段目に足をかけて青年が歩んでいる。バックにはオレンジ色っぽい黄色い色彩と白い色彩が色面的に置かれている。あいだに淡いくすんだブルー、グレーの色面。その色彩はこの青年の服の影の部分につけられ、明るい部分に背後の黄色い色彩が置かれている。ステンドグラスのような光を含んだ色彩が実に魅力である。階段というものは実に面白い形で、平面の中にこのように置かれると、パウル・クレーの造形ではないけれども、不思議な象徴的なイメージを醸し出す。グレーのスニーカーをはいて、青年が左足を前に出し、上方に向かっている様子。ステンドグラスは光が差したり陰ったりするたびに呼吸をするような色調の変化を表すが、この作品を見ていると、そのような不思議な光の変化を感じる。イノセントでピュアなイメージの構成と言ってよい。光が集まったような白い長方形の色面と三角形の色面がこの青年の左右に置かれているのも、象徴的である。斜め、垂直、水平の線によって遠近感もあらわれている。そんな切り込みがバックの中に入れられているのも、よい。また、安井賞を取った時の作品は馬小屋の中の母子像であったが、あの燦々たるロマンティックな光はやはり黄色い色彩であった。その色彩に比べると、それから数十年たった画家が使う光はまたずいぶん違った性質である。不思議な安息感とも言うべき、その晩年に差す光は聖なるもののイメージを引き寄せる。(高山淳)

 井上悟「ヨットあそび」。海岸に少年や夫婦がいる。そばに水たまりがある。小さな池のようでもあり、そこにヨットが二艘。海には点々と白いヨットがあり、そこに一人ずつ人間がいる。大きな船が動いている。上方に三羽の白い鳥が飛んでいる。青が強いイメージを喚起する。そこにいるヨットも鳥も、画家の詩情ともいうべきものが変容させた不思議なフォルムのように感じられる。池のそばのヨットはおもちゃで、海に浮かぶヨットには人が乗っているのだが、いずれにしても虚と実とがこの中では同一の意味をもっていて、その白いフォルムは画家のある本質的なピュアでイノセントな才能の象徴のように感じられる。もう一点の、顔を大きく置いて、下方は黄色い壁にして、ドアの向こうや窓の向こうの人間たちの作品の仮面劇も面白いが、左の「ヨットあそび」は、ある感覚だけが解放されたような不思議な印象を覚えた。(高山淳)

 塩川髙敏「浮遊」。画面上方に潜水している裸婦、その右下に、くるりと回ってターンしているところ、その左側、画面の中心に、背泳ぎをしているような動きが描かれている。そして、水面から顔を出し息継ぎをしている。水泳をする女性のからだを通し、ある躍動する時間を流れるように描き出している。淡い色彩が輝くように散らされた空間は、水のようにも見えるし、時の流れを象徴するようでもある。(大澤景)

 佐々木豊「その後の海」。東日本大震災のあとの海というイメージだろう。巨大なエビが真っ赤な様子で下方にいて、そのひげは画面の上辺を突き抜けている。若い女性が裸で、そこを泳いでいる。深い記憶のように象が上方に現れる。きらきらと輝くように無数の魚が右のほうにあるいは左に向かって動いてきて、その中に人間が二人いる。海が再生したのだろうか。エビのそばの車の運転席には骸骨がいる。右のほうには珊瑚のようなフォルムが見えるが、それがたくさんの人の死体の重なりのように感じられる。不吉なものをベースにしながら、そこから新しく再生の可能性を描いている趣である。海という空間自体が空気よりさらに濃密な空間ということになっていて、そこに画家の想像力が発揮され、このようなかたちのものが集められ、不思議な光を画面に引き寄せた。巨大なエビは津波を引き起こすような恐ろしい力の寓意性でもあるし、その茹でられた赤い様子は、画家独特の赤に対する欲求から生まれたものにちがいないが、画家自身の肖像のようにも感じられるところが面白い。(高山淳)

 増地保男「ウキウキ・ワクワク・ドキドキ」。ダイナミックにフォルムがつくられ、アトリエの中の画家がこちらを向いている。前にキャンバスがある。右のほうにはモデルのような女性が立っている。実に力強いフォルムであり、生気に満ちた空間の表現である。(高山淳)

 久保田裕「引き潮(The ebb tide)」。引き潮の潮流をモチーフに、抽象的な画面を作り出している。潮が引き、地が少しずつ姿をあらわしていく。遠景に見える山のある陸地まで、潮流は続いていく。小魚のような微生物のような粒子が潮に沿って流れ、模様をつくっている。その流れには薄青を基調にした、虹を思わせる幻想的な色彩が施されている。見るものを夢にいざなうような、不思議な魅力がある。(大澤景)

 大島幸夫「竹林…光風・・ ・」。中心に若木が若葉を茂らせている。燦々と光が差し、地面に明暗ができる。両側に褐色の竹が伸びている。その竹の後ろ側から緑の色彩があらわれている。竹は老年で、新しいものがその裏側から生まれてきつつある。そういったイメージを中心の若木が集約して表現する。萩原朔太郎は「りんりんと……竹が生え」と、有名な詩をつくったが、この作品も再生や復活のイメージを樹木を通して表現する。(高山淳)

3室

 半田強「戦争と平和」。戦争と平和というテーマは大きなテーマであるが、画家はそれを壁画に描くようにプリミティヴに表現する。暴力は馬の顔をした男がつるぎを持つことによって象徴され、それをとめる女性がいる。戦争によって思い惑う姿を、子供の惑乱した顔によって表現する。上方には平和を運ぶ鳥がいて、そばにそれに向かい合うトンボがいる。強い厚いマチエールをつくり、そこに一つひとつの形を刻印するように画家は表現する。そして、全体のハーモニーによって一つの心象空間をつくる。(高山淳)

 松岡滋「2つの机のある室内」。本やテーブル、机上の植物、瓶、本棚……と、作家のアトリエなのだろうか、室内のものたちのかたちがしっかりと描き出されている。窓の向うに初秋の風景が描かれている。そこから射し込む秋陽が、室内を穏やかに照らしている。中央の白いテーブルに乗った赤い三角形が、不思議な存在感をしめす。それが構成のアクセントとして、鑑賞者の視線を惹き付ける。ゆるやかな韻律があらわれている。(大澤景)

 山村博男「シチリア タオルミーナのテアトル」。ヨーロッパに取材した作品を二点出品。お城をとりまくように点在するルネッサンス時代の石造りの家々と自然の姿の眺望を描いた「南仏ゴルドの丘」の光を受けた情景は山村らしい筆のタッチとリズムによる作品である。一方掲出の劇場の遺跡を描いた作品は、その独特のスケール感が印象的である。この場所はギリシャ時代に作られた円形劇場で、現在まで脈々と上演されてきたタオルミーナの一番の見どころである。聳え立つ門を褐色系で力強く描き、画面を大きく支配している。ところどころ見える海のイメージが画面の印象を明るくしている。画面全体から、歴史の息づかいと海の香りが漂うようなところが魅力である。(小森佳代子)

 森本草介「永遠」。裸婦を背中から見た全身像である。右足に重心がかかり、左足の膝がすこし曲がっている。左手はしぜんと下方に垂れて、右手はくの字に曲がって、そこにベージュの布を持っている。その布は下方のシーツに垂れて、横に広がる。床のシーツの向こうに向かうしわが見事なイメージを醸し出す。画家は音楽が好きで、自分でもピアノを弾くことはよく知られているが、シーツのしわがメロディのように流れていく。この後ろ姿を見せて右に顔をひねり横顔を見せる婦人像から、美のカノンという言葉が浮かぶ。カノンとは尺度とか基準という言葉であるが、画家の美の基準ともいうべきものが裸婦を通してじかに伝わってくるところがある。バックは暗く落とされて、上方から光が当たり、女性の背中や肩やお尻、あるいは腕の一部を照らしている。その光がこの裸婦の肉体に浸透し、微妙な陰影をつくる。それを一つの陰影のカノンと言ってもいいし、柔らかなこの背中、お尻、足の大きさ、長さ、量の比率を画家のつくったフォルムのカノンと言ってもよい。ともすれば、現実の再現的な力に目を奪われがちだが、この作品を見ると、あえて後ろ姿のすこし横顔の見える女性の全身像を入れながら、そのような画家自身の美意識によってつくられた創造的なカノンとしての裸婦像といった感想をもつ。(高山淳)

 西川ひろみ「界 そして ゆらぎ」。画家は樹木に人間を見ている。樹木が揺らぐように人間も揺らぐ。樹木は動かないから、きわめて内向的な瞑想的な空間が生まれる。人と人とが争い、対立し、そこに激しいドラマが生まれるが、これは瞑想する中に生まれてくるドラマのように感じられる。日本的な思想である。そしていま若々しい若葉がそこに茂り、朝の光が差す。それによって悩みがほどけ、平和がくる。下方のオレンジ色の空がそういったイメージを温かな日差しのように表現する。(高山淳)

 徳弘亜男「DOKABEN STADIUMのある風景」。東京の郊外のどこにでも見られるような街並みが下方に描かれている。手前に二つの大きな樹木が表現される。キュービックにフォルムを描く。すこし地面は右のほうに傾いている。その傾いている様子が現代という時代だろう。どっしりとした樹木がそれに呼応するように立ち上がる。背後の長い樹齢をもった樹木と手前のまだ若い樹木。そこにはミカンのような果実がなっている。都会の中に生きる画家の一つの時空間をベースにしたモニュマンと言ってよい。(高山淳)

 弥富節子「メビウス・終わりなき世界へ ・・・」。二枚のキャンバスを合わせて一曲ふうな構成になっている。左は妹がシャボン玉を吹いている。右のほうは兄が地面に座って、両手を上げて遠くを見ている。その後ろに起伏のある地上の風景が広がっている。左のほうには収穫をする農夫たち。干し草が積み重なっている。後ろに川が流れ、建物があり、やがて地面は高くなって、その上方に教会や、その向こうには山が見える。のどかなヨーロッパの農村を思わせる。そして右のほうには、船が破船し、建物が水に呑み込まれて傾いている様子が描かれている。いずれもおそらくブリューゲルの風景作品を借りながら、画家のセンスでアレンジしたものと思われる。そして、シャボン玉がメビウスの複雑な輪をつくっている。メビウスは一つの帯がそれを捻ることによって表が裏になり、裏が表になるという不思議な造形のことであるが、平和と悲惨なこと、幸せと不幸というのはともに共存するのがこの世界だということを、この作品の中に画家は語る。シャボン玉によるメビウスの輪が不思議なイメージを醸し出す。浮遊しているその大小のリングが、まるで原子が集まった分子構造のようなイメージをしぜんと想起させる。ミクロな世界でも陽電気と陰電気の二つがあり、世界が成り立っているそうだが、そのような現代の科学の先端のイメージもこのシャボン玉の中に重ねられる。ブリューゲルの思想はそのまま現代にも有効であるということになるだろうか。そして、その手前に現代の若い男女が描かれているという強い寓意性をもった、モニュマン性の強い佳作である。(高山淳)

 山口静治「惜別」。中世の老人の騎士のような三つの上半身が浮かぶ。その向こうに船に乗った二人の人間が動いていく。はるか向こうには風車が三体並んでいる。手前の老人はドン・キホーテ的な人物像と思われる。正義を目指して闘ったドン・キホーテ。しかし、力尽きて、愛する二人のカップルが去っていく姿を見送らざるをえないといった寓意性がしぜんと感じられる。遠ざかっていく人間と風景。それに対して闘ってきた老人の肖像が対置される。(高山淳)

 新井延彦「時は流れる」。ピエロと老いた母親と若い妻。あいだに馬と犬がいる。運河の向こうには建物があり、煙突から煙が立ち上っている。遠くを眺める小鳥。家と家族全体が一つの方舟のように動いていく。その向こうに見える風景もやがて変化するだろう。シャンソンのメロディが流れてくるような、深い感情をベースにした家族像と風景との連結したコンポジションが鑑賞者を引き寄せる。(高山淳)

4室

 神尾和由「遠い日・時の向こうに」。黄土色の大地がうねうねと遠景まで続く。その果ては低い丘のような山になっている。湖がその山に囲まれてのぞく。中景に四人の男女がい、近景に夫婦と思われる二人の男女がいる。中景は大地から盛り上がった遺跡の跡のようなところにある。かつての古代のプリミティヴな時代はもちろん去ってしまった。残っているのは遺跡だけである。それを懐かしむ気持ちが画家にあるのだろう。そういったイメージを背景にして、現代の二人の人物が立つ。トーンが強く、形が強い。とくにこの構図はぐるぐる回りながら無限に伸びていくような空間のあらわれているところが面白い。時というものが空間の中に侵入し、それが人間たちのベースになっているという構図が面白い。(高山淳)

 宮下直子「マングローブa」。水の中から樹木が立ち上がっている。その前に樹木の幹や枝が倒れて、その枝を伸ばしている。深いレクイエムの表現である。シャープなフォルムがじかに鑑賞者の胸に響いてくる。深い水の緑の表情。穏やかであるが、深淵を感じさせる。そこに立つ樹木は人間群像といった趣である。そこから外れて脱落し、横たわった一つの姿がそこに描かれる。斜光線がそこに差し込む。まるで荘厳するように、そのフォルムに色彩を与える。(高山淳)

 菅野充造「MUDAI '13-2」。赤い大きな帯によって囲まれた人の形。同じ形が地平線の向こうにある。きわめて内向的な人間像である。未来はどこに向かうのか。心臓は動き、呼吸はしているが、ある閉塞された状況の中の人間のモニュマン的な表現である。独特の色彩の力が画面に引き寄せられて、深い感情表情になっている。(高山淳)

 川井一義「時の流れ― '13」。横長の画面が上下三つに重なっている。中心は激しい暴風雨の中に壊れて流される家。ところが、下方になると、それはもっと違った地上の風のようになって、星がまたたくようなイメージがあらわれる。いちばん上方はもっと素朴な洪水の表現のようだ。画家は二年前の東日本大震災と自分自身の痛切なカタストロフィの経験を重ねているようだ。それによって大きな災害を内面化し、描く。流され、崩壊し倒れていくそこから空を仰いで天上の星を引き寄せているような味わいが感じられる。困難な時にこそ激しく人間力が立ち上がってくる。自身の経験と津波の外的な出来事とが連結する中に、この不思議な調子をもった三つの作品が生まれたのだろう。(高山淳)

 堤建二「たびのおとしもの」。板に描かれている。古びたような茶褐色のトーンに暖かみがある。オルガンを弾く兄妹のような二人、その上に坐りドラムを叩く少年、横でギターを弾く青年、椅子。妖精のような彼らが紡ぐ、旅の一場面である。ジプシーの音楽のような、乾いた、少し哀愁ある旋律が響くようである。それぞれのフォルムの描写の確かさもあり、幻想的でありながら独特のリアリティを形作っている。(大澤景)

5室

 加藤茂外次「Rebone」。若い女性が立って、背後に家が描かれ、その壁にギリシャの神様や馬などが線描きで描かれている。下方にはギリシャ語が置かれている。ギリシャのもつ自然と人間との調和した時代からはるかに遠ざかった現代の行方を、画家は問いかけているようだ。白い衣装に包まれた若い女性が画家の希望を託した存在のように表現される。リアルなそれぞれの形象が、この作品の骨格をつくる。(高山淳)

 遠藤賢太郎「深遠な世界(蒼空と樹氷)その2」。地面には雪が積もり、そこから樹木が立ち上がり、雪が結晶し、樹氷をなし、その上方に青い空がある。その世界を画家は逆転している趣がある。まず、青い空があって、その周りに樹氷があり、そして、その下に地面があるというように。それほど青い色面が圧倒的な効果を表す。まるで地上に青い空が稲妻のように下りてきた。無限のものが下りてきて、一つの形をなして大地に抱かれたといった、そんな印象が実に新鮮である。下りてきた空によって樹氷も雪も地面も変容する。神的なイメージがそこに立ち上がる。その強いコンポジションに感銘を受ける。(高山淳)

 瀬川明甫「大地の方舟」。三十一人の老若男女の顔が描かれている。その背景を見ると、侘しい風景で、荒れた農村の様子が描かれている。それでもカタツムリや小鳥や犬や巣の中の卵、あるいは蝶々もいるが、失われていく大地といったイメージがリアルにあらわれる。その大地の上に三十一人の人々がいて、彼らはどこに行くのかといったイメージを強く発信してくる。かつて方舟は選ばれた人がそこに乗って、それ以外はすべてヤハウェに殺されてしまったわけだが、ここにいる人々は一般の人々であり、現代の日本社会の象徴と言ってよい。ただ、サラリーマンはあまりいないようで、大地と深い関係をもっている人々の集合体であり、その彼らの行方は、といったイメージを発信してくる。ほとんどグレーのトーンの中に柔らかな色彩が入れられて、一つひとつの顔を画家は丹念に描く。群像というより、三十一人の肖像画といった趣も感じられて、そのディテールにこの作品の深い絵画性が感じられる。日本の敗戦後の貧しい社会の画家の経験が、この作品のベースにあるように感じられるところも面白い。(高山淳)

 佐々木良三「地平 2013」。津波によって破壊されたその断片が集まって、もう一度復活しようとするようだ。ヘドロのようなものが画面の上に張りつくように描かれている。それは画面の上方にも、その右にも、下方にもある。キャンバスの麻地そのままをまず置いて、そこから地塗りをし、グレーの空間が生まれ、その上に厚いマチエールが生まれ、さらにその上にコラージュするようなレリーフ状のものがあらわれている。そして、キャンバス地が地面のような雰囲気で、それがじわじわと周りを浸食しながら動いていくような、そんな雰囲気を感じる。これまで画家は、船を運転するせいもあるが、船底のようなキャンバスを使って裏彩色を行い、ちょうど船底から海を見、また、海の奥から船底を通して地上を見るという、二つの視点からの作品を描いてきたが、今回は地がその上方のものを浸食しているような雰囲気になっているのが面白い。そして、上方に二つの目が現れている。無機物の中から目が現れているその印象は鮮やかである。ヘドロのようなフォルムの上に赤みが差し、だんだんとそこに虹があらわれてきたような雰囲気になっている。咀嚼して、ハイセイブツにするのが人間であり、そのハイセイブツがまた植物や生きものの餌になり、命を育てる役割をし、それをまた食べるという、いわば循環の思想が東洋にはある。地が凶々しいものを癒しつつあるようなイメージをこの作品から感じることができる。崩壊の中から新しいものが生まれつつあるという再生のイメージがしぜんと作品から感じられる。(高山淳)

 安富信也「創世記 ・」。今回のテーマは創世記である。過去に二度テーマにしているが、その三作目となる。画面は八つに分割されていて、上部は左から順に「ヤボクの渡し」、「バベルの塔」、「ノアの方舟」、「カインとアベル」。下部は左から「ヤコブの夢」、「アブラハム、イサクを捧げる」、「アダムとイブ」、「アブラハムとロト」の場面である。それぞれが深い青を基調色とした色彩で整えられ、強い動勢を孕みながら描き出されている。画面全体を安定した長方形で組み立てながら、その中央の繫ぎ目が大きな白い十字架に見立てられていて印象的である。新約聖書と旧約聖書を連結させながら、そこに物語を収斂させていっているところが特におもしろい。深い信仰の想いを一筆一筆に込めながら、それを見応えのある絵画作品として完成させている。(磯部靖)

 星兼雄「面貌―(Sv2013)」。一見して剝がれ落ちそうな、あるいは継ぎ接ぎのような二人の顔の大きさに圧倒される。左側の人間のなんとも言えない眼の表情が印象的である。現実あるいは将来を見据えているのだろうか。画面全体はグレーのトーンに包まれ、現代社会への不条理あるいは不安がイメージされる。左下方には原発のデッサン、他にもうっすらと建物の不穏なイメージが現出している。重なり合い、あるいは寄り添いながら、画家の思いが現代社会へのメッセージとなって、見る者に迫るような画面に仕上がっている。(小森佳代子)

 片桐幸行「展覧会の絵」。上方に静物があり、静物のある机の左側にバッグを持った両親と子供が立っている。右のほうには両親がダンスするそばに子供と思われる三人の顔がある。その三人がいま座って下方にいるのだろうか。二人の青年と一人の女性。記憶をまさぐりながら、画家は絵を描く。背景はほとんど黒く、陰鬱な調子の中にスポットライトを浴びたように人間や静物が浮かび上がる。群像と静物とをクロスさせながら、歴史のドラマがあらわれる。(高山淳)

6室

 蝦名協子「人・行方」。F型の横の画面とF型の縦の画面を二枚一対にしている。大きいほうは右のほうで、そこには母と娘がいる。上方に建物が見える。中間に、右のほうには教会があり、左のほうには家がある。この三人の人物を明るい灰白色が照らしている。中にブルーや黄色、ピンクなどの色彩が入れられている。左のほうには二人の女性の正面と横顔が浮いている。あいだに階段があり、上方に建物がある。受ける印象は、信仰のなかに迷っているような雰囲気である。たしかにこの人々の周りに明るい光が置かれているが、それを取り囲むダークな建物を中心とした部分は無明の空間のように感じられる。歴史的な建造物も、現在住んでいる家もダークで、そのダークの中に、右のほうにある教会だけがすこし輝いているが、それほど強くない。母と子供、あるいは若い女性が悩んでいるような雰囲気が感じられる。そこに光があらわれても、その光はこの人間たちに到達していないようだ。行方が定かならない現代の人間たちのイメージが、浮き彫りにされるように表現されている。斜線や直線が繰り返しこの女性たちを取り囲むのだが、何回見ても、この家族はある混沌の中に足踏みをしているようだ。そんな現代の心象とその背後にある信仰というものが心象的な深さをつくりだしているわけだが、そんな思い惑う様子がヴィヴィッドに感じられる。(高山淳)

 井上八重子「彼と彼女とダンス」。三点対である。下方には抱き合う男女。そして、女性のきらきらした大きな顔の後ろに男の顔の一部がのぞく。二つの顔が前後重なっている。愛の賛歌と言ってよいようなテーマを、色彩豊かにうたいあげる。女性の目が大きく、その中の褐色から黒にかける色彩が実にきらきらとして独特の蠱惑的な様子。上方はタンゴの曲で、男性が女性を肩に支えて抱きかかえているポーズを横にしたものである。タンゴの旋律が三点の中を通奏低音のように流れている。それに呼応するようにイメージがインスパイアされ、徐々に男女の位置は変わりながら、ヴァイタルなムーヴマンを表現する。作品をずっと見ていると、一九八〇年代に盛んになったいわゆる三C、クレメンテやクッキらのニューペインティングの作風と共通するようなイメージの豊かさを感じる。(高山淳)

 柏健「存在へ向かって」。たくさんの男たちが裸で走っている。上方には二つの車が現れ、それを俯瞰する構図から眺めているが、あいだに事故で亡くなった男の全身像が仰向けに描かれている。どこに向かって彼らは走るのか。到達点はあるのだろうか。そんな人間たちを統合するように、緑の色彩の中に画家自身の肖像とも思える顔が浮かび上がる。線による強いフォルムを駆使しながら、リアルタイムの現代の肖像画を描く。(高山淳)

 多納三勢「風骨の森(87)」。多納が手がける「森と人」シリーズの一点である。強い色彩によって人間たちが重なり合うように描かれている。この重なりあうフォルムが人間達の連鎖をイメージする。それぞれの色彩の強いコントラストが不思議なハーモニーを生んでいるところが興味深い。真ん中の人間の顔が浮かび上がるように表現されている。内包する活力のような力強さが、ピンク、青、黄色による鮮やかでどこかなまなましい表現によってイメージ豊かに表現されている。白い部分には光が射しているような清浄感があり、鎮魂のイメージもある。画家の想いはますます深化しているように思う。(小森佳代子)

 藤岡泠子「水辺の風」。画家は五月につくば美術館で大規模な個展を開催した。過去から現在まで十数年の大作を中心に多数展示された見応えのある展覧会だった。水面に映り込んだ樹木の姿が、ゆらゆらと揺れている。やわらかな風によって水面が微動し、それによって影が揺れる。その実に繊細な動きが、画家の豊かな感性によって表現されている。黄や紫などがうっすらと入れられた画面全体はエメラルドグリーンを思わせる色彩でまとめられ、それが穏やかなメロディを奏でるようである。ふとしたところに現れる自然の美しさを詩的に描いた作品である。(磯部靖)

 榊美代子「ある春の日 そして秋の日」。左は桜が満開で、右はモミジが錦繡の様子である。そこに人々が集まっている。そんな様子をユーモラスにポップふうに表現して楽しい。(高山淳)

 石原重人「バベル 2013」。砲を放つ大きな軍艦、縦に長く伸びよじれる気球。画面の中心では、同様によじれるように、巨大なバベルの塔が伸びている。塔を崩そうとする神に、人間が抵抗しているのだろうか。地に兵隊のような人びとが点々と描かれる。赤いロープを張り、塔が揺さぶられるのを抑えようとしているようだ。画家はこの戦乱の様相を通し、現代文明の在り方に警鐘を鳴らしているようにも感じられる。重厚なマチエールに表現された激しい動感、青と赤の色調の鮮やかさに注目した。(大澤景)

7室

 千原稔「月の声(みちづれ)」。夫婦と思われるカブトガニが海に向かって歩いていく。上方に満月が浮かび、月の光が二匹(人)を照らしている。惻々とした悲しい情景である。二人は海に向かい、やがて亡くなってしまうだろう。寄り添いながら歩く二人が、日本の高齢化社会の夫婦のように感じられる。深いグレーのトーンの中に浜があらわれ、カブトガニがあらわれる。後ろ姿というフォルムが、とくにそのような感情を喚起する。それを見守る上方の月。寄せる浪頭が小さく向こうに見える。(高山淳)

 齊藤静輝「記憶の中のかたち」。画面の中心に馬がいる。その両側に二人の女性。下方に女性の胸像。赤を中心とした暖色系の色彩が強いノスタルジックな感情を引き起こす。キュービックにクリアな形が画面にあらわれる。向かって左の人間は男性かもわからない。苦悩の表情である。馬はかつてあった自然との幸福な関係を象徴するようだ。馬のかたちが実に優れていて、生き生きとしている。黒い馬もあれば、赤い馬もあれば、白い馬もあって、その馬たちの姿が大きな救いのようなイメージをこの画面に与えている。また、赤を中心とした色彩の繊細なハーモニーが哀愁の表情をつくりだす。(高山淳)

 髙橋美則「みちのく幻想」。みちのくというと、藤原四代のイメージが浮かび、中尊寺のこんじきのお寺が浮かぶが、ここに描かれているのは素朴な小さなお寺である。しかし、中には黄金色に輝く仏たちがいる。傘を差して母と子がお参りをしている。手前には夫婦がやはり傘を差して会話をしている。雪が降っている。芭蕉に『奥の細道』という紀行集があるが、日本人の心のふるさとのようなイメージがしぜんと画面からあらわれる。(高山淳)

8室

 小川浩司「Zou 2013k I II」。ポップな世界観である。輪郭線で強調された象たちが、こちらに向かってきている。ヴィヴィッドな色彩であらわされた、内面世界である。シルクスクリーンが随所に使われ、画面にコントラストをつくる。スカイツリーや雷門、北朝鮮のミサイルといった、昨今のニュースを賑わせたモチーフと街景が、生々しい生活の記憶を思わせる。群れを成して現れたようなゾウたちは、慌ただしい夢のように混乱した状況から、画家を救い出す存在のようにも感じられる。(大澤景)

 石丸康生「大津島から」。二つの大きな画面によってできている。右の画面は左の画面より五センチほど前に出ている。そして、その二つの画面の中心約三分の一を青みがかったグレーの空間が占め、上下をベージュの空間が占めている。いずれもそこに風が吹いている印象である。画面を熟視すると、中心の空間は水のある空間で、上下は浜のように思われる。なお熟視すると、中心の空間は夜の空間で、上下は昼の空間のように感じられる。そこに風が吹いている。その風の様子に深いイメージが感じられる。それは時の風のように思われる。無常の風がこの画面全体を吹いている。画面に接近すると、矩形にかたちづくられた手触りのある部分があり、いくつもキャンバスをそこに重ねて、あいだを糸で縫ったフォルムがあらわれる。具体的にいうと、右のほうでは下方に二つ、上方に二つ、左のほうにも上方に四つ、下方に一つの縫われたものがあらわれる。それがメロディを表すようだ。ジャズのセッションなんかにはよくあるが、ちょうどライトテーマのメロディに対して、そこにサックスやベースなどが入ってくる、そういったイメージがあらわれる。画家は大津島というテーマのもとに作曲した趣がある。聴覚で聞こえるものを視覚化するところに、この作品を鑑賞する場合の難しさがあるようだ。絵と違って音楽は演奏する時間がある。その時間はだんだんと広がって、朝、昼、夜と続く一年の時間のようなイメージも立ち現れる。そこに人々は住んで生活をしている。そして、彼らを癒すメロディが画面全体に立ち現れたといった印象も感じられる。さらにいえば、真ん中の帯は海でも水でも夜でもなく、無常の風が吹きすさんでいて、その周りに人々の生活の風が吹いているようなイメージもあらわれてくる。(高山淳)

 松永健吾「風化する心 ・~・」(部分)。板に描かれた、白を基調にした画面。ほぼモノクロームで、黄や青や赤が淡く挿されている。肉体的な動きが画面に跡として残されていく。大きな刷毛のストローク、写真のコラージュや、うすいシワのある紙、薄く塗られた色彩が、不思議なリズムを作っている。画家の日々の心の流れを追っているのだろうか、血液の中を細胞が流れていくようなイメージが、大画面からしんしんと伝わってくる。(大澤景)

 矢野哲也「ながめ」。細かい点描で描かれている。真っ赤な夕暮れの陽が迫ってくるようである。地には草が繁り、全てが赤く染まろうとしている中に、ブルーの花が輝くように咲いている。ハレーションを起こすようなヴィヴィッドな色彩の組み合わせの妙、光を絵具の粒子にかえて塗り込めたような力強さに注目した。(大澤景)

 岡本増吉「パリのウインドー」。ウィンドウに映る三人の女性と、ウィンドウの中で人形たちが繰り広げる様々な活劇。人形たちは生命を得たように、楽しげに遊び回っている。真ん中の人形は、ウィンドウのこちらがわに目をやっている。人形たちの様が、独特のユーモアある世界観をつくりだしている。生き生きとしたその動きと、逆に人形であるかのように虚ろに描かれている生身の女性たちの対比が面白い。陽光に照らされるウィンドウは、鏡面であり透明な面でもあるのだが、どちらが本当の像なのか、曖昧にさせるような存在感の不思議さにも思いがいく。難しいバランスを上手く表現する、確かな筆力がこの画面を支えている。(大澤景)

 東條新一郎「吹上砂丘」。何層も塗り重ねた堅牢なマチエールと共に、砂丘の風景が広がっている。細やかに画肌を削りながら下地の赤や青といった様々な色彩を見せてもいる。そして、強い抽象性を孕んだ灰白色の画面の中央からやや下に三つの黒い楕円の形象が並んでいる。それがどこか不思議な浮遊感を持ちながらテンポを刻んでいるところが興味深い。上方がうっすらと明るくなっていて、新鮮な陽の光を感じさせる。大胆さと繊細さが相俟って見応えのある画面を作り出している。(磯部靖)

9室

 開光市「実りある退屈」。眼鏡をかけた男が両手と両足で体を浮かせている。障害者のようなイメージがあらわれている。社会と関係をもたず、ヒキコモリ人間の姿のようなイメージもある。それを漆のような黄金色や褐色の中に表現する。「実りある退屈」という題を見ると、生活保護の人が働いている人間より豊かな暮らしをしているような、そんなイメージもこの作品の背後にあるのだろう。現代の不具の人間のイメージを画家独特のマチエールとフォルムを通して表現する。(高山淳)

 掛川孝夫「悼む・顔 永えに」。大きな画面を縦二十四段、横に三十列計七二十の枠に区切って、そこに様々な人物像を描いている。中央の十列は暗いモノトーンで描かれ、その両側は明るい色彩を使っている。東日本大震災は様々な問題を引き起こしたが、今もなおその被害に苦しむ人々がいる。親しい人を亡くし、生まれた地を追われ、絶望に包まれている人々がいる。そういった彼らの心の叫びが中央の部分にある。しかし周囲にはそれを励まし支えようとする人々がいる。それは明るい色彩となって現れて来ている。一つの場面でそのテーマを客観的に描くのではなく、いわばオムニバス的にそれぞれの叫びを個別に同じ目線で分かち合いながら表現したところがこの作品の絵画性であり、見どころである。(磯部靖)

 小池亮一「黒と黒の間―Beyond―」。植物の茎がバネのように伸びて、そこにダリアのような花が咲いている。それぞれの植物は地面の穴ぼこから伸びてきて、圧倒的な存在感を示す。その同じような穴ぼこから人の姿が現れたり、女性の胸像が現れたりする。不思議な作品であるが、独特のエネルギーが放射してくる。大地というものの産むイメージを画面全体にオールオーバーにつくろうという姿勢からくるのだろうか。大地というもののもつ力。そこに生きるもののイメージを線によってドローイングふうに表現する。(高山淳)

 柴田久慶「MAN」。長く男性像をテーマに描いている。今回は今までとは異なって落ち着いた色彩を使っている。落下していく人物や浮遊する人物、中央に大きく空間を空けながら旋回するような構図で描いている。ゆっくりとした動きと共にどこか神話的、原始的な男というものの存在そのものを浮かび上がらせるように表現している。絵具をたらし込んだりしながら独特の調子を付けているところもおもしろい。随所にカメレオンなどの小さな爬虫類を配置しているところもまた興味深い。(磯部靖)

10室

 中山正「アフリカ 2013~始まりの時~」。板の上に抽象的な形態が重ねられ、広がり、独特の空間があらわれる。パッショネートなエネルギーが感じられる。フラットでありながら、奥行きがある。六枚の板を並べてあるが、左から三番目に呪術師のような顔が現れ、目がぐるぐると渦巻いているのと、白く輝いている様子が面白い。プリミティヴな生命的な表現に注目。(高山淳)

 上條喜美子「春」。二人の少女が両側にシンメトリックに立っている。大きなピンクの花が三ヶ所、宙に浮いている。小さな積木のような家があいだにたくさん置かれ、洋梨がぽつんぽつんと、小さなヒマラヤ杉のようなものがそのあいだに置かれている。上方には小さな家から巨大な双葉が立ち上がる。二人は春を招く女神のような存在なのだろう。妖精のような存在が手を動かすと花を咲かせ、植物を成長させるようなイメージがしぜんと感じられる。ピンクの三つの花が鮮やかで、この画面全体のハートのようなイメージとしてあらわれているところも面白い。絵画としての造形の面白さを工夫して表現する。(高山淳)

 進藤裕代「大地 ・・ ・」。ベージュの陰影のある空間が大地であると同時に、心象の広がりを見せる。水のようなものがそこにあり、船が動く。船は陸上に細い昆虫の足によって運ばれている。右のほうには船の舳先に猿の顔が浮かんでいる。下方から立ち上がる茎に不思議な花が咲く。葉が大きく広がる。裸木が細い幹として広がる中に一本の葉がつけられる。大地の日々の働きが現在進行形のかたちでこの画面に表現される面白さである。現在進行形の時間の中に、変化しつつある自然の形象をそのまま画面の上に表現した面白さ。(高山淳)

11室

 瀬尾昭夫「春の庭 ・ spring garden」。赤い背景に鳥や猫や静物が置かれて、強いエネルギーがあらわれる。その中には風景的要素も引き寄せられる。室内で音楽を聴いているうちに、その音楽のもつパッションがそのまま形となって画面にあらわれたような印象が好ましい。(高山淳)

 中野和典「最深層のプシコイド」。四つの画面によってできている。教会の前に座ってケータイを見る女性。仮面の集合したもの。老人と羊や犬と青年。仮面をつけた二人の男。一人はギターを弾いている。クリアな形と間断のないコンポジションによって、物語が背後に浮かび上がってくるように描かれている。(高山淳)

 山岸恵子「陽だまり」。植物がその命を輝かせる両側に、まるでその植物の脇士のように人間が立っている。しかし、人間は拘束されているように硬直していて、木彫りのようなイメージがあらわれている。平安時代には樹木に仏を見て、木彫の仏がずいぶんつくられているが、その逆バージョンで、人間が樹木になって両側に立ち、自然がその命を輝かせている。実も石も花も、星座のようなきらきらとした雰囲気で描かれているところが面白い。(高山淳)

 浜田公子「初秋の朝の窓」。窓の向こうに紅葉しかかった樹木が並んでいる。白い雲が浮かんでいる。草原は深い緑の色調である。ブロック塀の手前に逆遠近の机があり、ル・モンドの新聞、カップ、白い皿にはミニトマト、ぽつんと葡萄の房が置かれて、二つの椅子が向こうを向いて置かれているが、無人である。塀のそばの両側の椅子に洋梨が、左には一つ、右には新聞紙に包まれて二つ。この作品のテーマは、このようなお膳立ての上にあらわれてくる空間のクオリティのように感じられる。クオリティは画家にとってある絶対的な性質をもっているのだろう。その空間のクオリティを鑑賞者と共有したいという思いから、このようなコンポジションが生まれたのだろう。とくに草原の緑の微妙な抑揚のある草の表現と、その上方に立つ黄色やオレンジに彩色された樹木の表情が実に豊かな表情を示す。そのあたりをずっと見ると、まるでモーツァルトの音楽が聞こえてくるかのような、激しい中に哀愁と安息感を感じる。(高山淳)

12室

 本田正史「漂流」。黒人の仮面のようなものが何体も上方に浮いて重なっている。下方にはもっと小さく連続している。背後はベージュの大地的な空間で、上方に空を思わせる青い空間がある。なにか呪術的な強い波動が画面からあらわれてくる。その呪術的な力に対して、日常の安息感ともいうべきものが穏やかに広がっていく。線を駆使しながら、フォルムと色彩によって、いわば形而上的な空間を画面の中に引き寄せる。(高山淳)

 安井正子「夢路見ましや」。広がりのある空間が生まれている。そこは海と空によってできているようだ。赤いタッチで朝日と夕日の重なったような、絶対的な朝焼けでもあるし夕焼けでもあるような空間が広がっている。下方は穏やかな明るいベージュの海のようだ。そんな中に、線によって小さな船のフォルムが浮遊している。船に乗って、この世界にない別のロマンの世界に旅立つような強いイメージが感じられる。これまでの激しい抽象的な作品からまた変化して、悠遠たる空と海を背景にして、われわれを乗せて連れて行く船のイメージがあらわれてきたことが面白い。船のフォルムは線だけでできていて、線が浮き上がらずに、この空間の内部にすっぽりとはまるように表現されているところが面白い。

(高山淳)

13室

 金谷雄一「ミルキィ・ウェイ 15─4─1」。黒い中に円弧のフォルムがキャンバスのへこみと色彩の変化によって表現される。そのカーヴは稜線からあらわれ、上方の中のへその緒のようなひずんだところに丸いぽっちがあらわれる。宇宙のイメージ。反重力というものが宇宙にあるようだが、そんな強い黒の力を感じる。(高山淳)

 松野良治「景 ・」。松野良治は二点出品であるが、右のほうの「景 II」は、エッジの立った二つのフォルムが真ん中に重なっている。下方からその上にもう一つのフォルムが重なり、上方は真ん中のフォルムの下にある。あいだに鉛筆で塗った銀灰色の空間があらわれる。自然というもののもつ巨大な力、空間の大きさが、しぜんと感じられる。そして、そこに塗りこまれた色彩やマチエールによって、それは人間と関係をもった風土のイメージに変ずる。懐かしい風土であるが、また、その自然の恐ろしい力にはわれわれを拒絶するだけのエネルギーがある。そういった自然のもつ力と人間との関係、その二つの性質が、このベニヤを切って貼り合わせ、そこに彩色したコンポジションからしぜんと浮かび上がってくる。同時に人工衛星から地球を見て、見ているその倍率を高めた地球の一隅といった普遍的な性質も感じられる。(高山淳)

 山寺重子「風の滴」。「風の滴」という題名だが、一つひとつの滴が童子になって、この空間の中で踊り歌っているような明るいイメージが筆者を引き寄せる。ほとんど抽象的なフォルムの組み合わせである。円形に近い赤いフォルムが浮遊して、背景の黄色い空間と響き合う。あいだに緑の色彩が入れられ、ピンクのもあもあとした独特の生気あるたらし込みふうな空間があらわれる。そして、全体で命の喜びをうたっている趣が感じられる。とくに下方の黄色などは輝くような色彩で、その膨張する色彩の性質に対して、赤のもつハートのような血液のようなイメージが、ある意味で結晶したような感じであらわれる。そして、緑の酸素いっぱいのフォルムがそこにあらわれる。日本が自然と調和してきた時代の幸福なイメージがあらわれてくるようだ。(高山淳)

14室

 北原勝史「回想 2012」。金箔をバックにして仰向けの少女の顔が二つ。発した言葉が虹のようにあらわれ、薔薇の花が浮かぶ。魚の口からもそのような音声があらわれている。音声というもののもつ気というものを、画面の中に構成しているところが面白い。(高山淳)

 岩井博石「『座る人』'13─2」。上下からはみ出るように男が座っている。古代の像のような力強さである。そこに赤や青の透明な色彩が彩色されて、まるで現代の仏のようなイメージがあらわれる。(高山淳)

 上原一馬「風のゆく道(A Woman in the Wind)」。オートバイの前に女性が立っている。その後ろに巨大なニケの神像の翼のようなものが立ち上がる。しっとりとしたグレーの空間。そこに裸木が繊細なフォルムを見せる。曲線による渦巻くようなフォルムがその両側にあらわれ、女性の周りに紫や赤い花が浮遊する。ロマンティックなイメージ。女性が一つのアニマの像としてあらわれ、男性性の象徴ともいうべきオートバイと対比される。銀灰色の色調を帯びながら、しっとりとした幽玄の気配のなかに表現される背景がユニーク。(高山淳)

 甲原安「One day 2013 Labyrinth」。アートフェアが東京国際フォーラムで長く行われてきたが、そんな展示場の空間のようなものがエスカレーターの下に広がっている。そして、大きな窓があり、窓の向こうは湾になって船が繫留されている。窓際に女性が一人立っている。両側にも様々なポスターなどが置かれて、また別の入口もあるようだ。現代の広いコンベンションホールのようなところは、まさにラビリンスのような雰囲気であるが、その広がりがそのまま現代社会の投影として描かれている。そして、画面から強い波動が立ち上がってきて、目が眩むような気持ちになる。高層ビルの中の空間などは、一般の人が行くと、そんな印象をもつだろう。それを画家は画面の中に表現する。それに対して変わらない海と船。そして、一人の女性。それが画面の中心になり、そこにパースペクティヴが向かう。逆にそこから広がってくる近景になるに従って、混沌とした現実が独特の画家の色彩とマチエールによって表現される。(高山淳)

15室

 西村駿一「ふるさと2013─・」。桜が満開で、そのあいだから懐かしい風土の道や川がのぞく。その黒い見え隠れするフォルムは、人間のふるさとの無限なるものを背負いながら、ピンクの色彩の中からのぞく。ほとんど抽象的な作品と言ってよいほど、具体的な現実から具象的要素を削ぎ落としてあらわれてきた象徴的な風土の空間に惹かれる。(高山淳)

16室

 藤井裕子「Breeze  '13―窓―」。グレーから白の色彩をベースにした画面がひんやりとした空気を運んでくる。扉があり窓がある。直線と曲線、色面を感覚的に使い分けながら、空間とその中にある空気を肌に迫るように描き出している。ふと右下を見ると暗色の色面があり、その少し左上にうっすらと人物の姿が見える。腰掛けたようなポーズを横から描いていて、それがもう一つの物語性を作品に与えているようだ。また右下の暗色を作品の中の一つの重しとして扱っているところもおもしろい。ソファのようでもあり奥へと続く道のようでもある。室内の温かさと屋外の冷たさを随所で組み合わせながら自然の厳しさと純粋さを追求している。(磯部靖)

 中野紋「夢中になったら こうなった!」新人賞・新準会員。ふくよかな女性が卓上で糸に旗を付けている。長い時間コツコツと作業を続けているようだ。その糸の直線と旗の三角形が、丸みを帯びた女性のフォルムと相俟って画面が活性化されている。背後は暗く、その中で女性のピンクの頭髪と水色のボーダーのシャツが浮かび上がるように印象的な作品である。(磯部靖)

 辻久美子「紅鏡の舟」。画面の上方に太陽、左下に月を思わせる円が輝いている。太陽は明るく、月は静かに周囲を照らしているようだ。その背後に大きな鯨と蟹が重なるようにして描かれている。そして更に上には木船が乗っているようだ。それらを背景にして二つの円弧は呼応しながら作品内を巡り、一つの物語を紡ぐようである。ある種の神話的な世界観が引き寄せられ、それが重厚なマチエールと画面構成によって描き出されている。(磯部靖)

 小西雅也「うごめく人たち」。三人の男がピアノを弾き、サックスを吹いている。その左側、カウンター越しに立つ女性がその様子を見つめている。板や麻などを使って立体感のあるマチエールを作りながら、そこに強い動静を孕ませている。黄色を画面の中央に、青をその両側に施した鮮烈な色彩を中心に、人物には様々な色が使われている。それは音楽を奏でながら、あるいは聴きながらわき起こる様々な感情の表れといってよいかもしれない。陽気で軽快なリズムが生き生きと描き出され、鑑賞者を作品世界へと誘い込むようだ。(磯部靖)

17室

 石井秀隣「兆」。輝くような画面が強く印象に残る。うっすらと青みがかった様々な白が、実に表情豊かに描かれている。何層も下地を施して塗っては削る作業を繰り返すことで、表面の白は強く輝く。特に今回は右下に空けられた大きな空間が印象的である。大自然に起こる様々な出来事、気象や災害といったものを予兆するかのような緊張感を孕んだ画面の中で、その空間が独特の存在感を発揮している。余韻といってもいいだろうか。悪いことだけの兆しではなく、そこに福音のような希望を見出すことができるところが、この作品のおもしろさだと思う。(磯部靖)

 佐藤功「来訪者」。画面いっぱいに大きく描かれた両手にたくさんの白い羽根が舞い降りてきている。手はそれらを包み込んで落とさないように開かれている。その様子が実にやさしい。繊細に羽根や掌の表情を描き込みながら、祈りや救済にも似た感情が見え隠れする。そういった画家の純粋なイメージが心地よい透明感の中に表現されているようだ。(磯部靖)

 榎並和春「大地の聖母(1と2)」。右の画面には三人の人物、左側には塚のようなこんもりとしたフォルムが描かれている。コクのある暖色系の色彩を背後に描かれたそれらは、厚いマチエールと共に強い存在感を孕んでいる。二人の男性は中央の女性に対して強い敬意を抱くような様子で左右の背後に従っている。その女性はそのまま左の塚と響き合っているようだ。大地の象徴として描かれた塚と魂を通わせながらこの女性は生きている。大地讃歌ともいうべきテーマとそれを女性というもう一つの象徴として描き出したところが印象的でありこの作品の絵画性である。(磯部靖)

18室

 本城義雄「正二十面体『積み本』」。一台のオルガンを画面いっぱいに大きく描き、そこにメトロノームや本などが置かれている。そして重ねられた本の上には正二十面体の白いオブジェが置かれている。モチーフの一つひとつを丁寧に描き込むことで静謐な雰囲気が生まれ、そこに強く惹き付けられる。(磯部靖)

19室

 小西千穂「家の中に木が生えた」新会員。

室内の情景をあたたかく描き出している。床から樹木が伸び、それをテーブルに利用している。テーブルのまわりには母や子供たち、犬や猫、小鳥などがいる。中世ヨーロッパを思わせる衣装を着た人々は、和やかな時間を過ごしているようだ。豊かな色彩感覚と安定した画面構成で、そういった家族の肖像を描き出しているところに注目する。(磯部靖)

 森令子「Nostalgia」。茶系の色彩を基調色にしながら、そこに自身の過去の記憶から呼び起こされたイメージが描かれている。右上に古い女性の写真、左上に風景、下方には植物の他様々な形象が見て取れる。そういった中に黄土や紫の色彩を少しずつ入れ込んでアクセントを付けている。密度の高い部分と間を取った部分とをうまく組み合わせて画面を構成し、奥行きのあるイメージ世界を作り出している。(磯部靖)

20室

 中村宗男「凪の刻」。荒涼とした大地に、一人の女性が膝を抱えて座っている。横を向いている表情を見ると、どこか思いに耽っているようである。大きな時間の流れを感じながら、自身の存在とその未来に想いを馳せているようだ。背後の抽象性を帯びた風景もまたそういったイメージと折り重なるように描かれているところが特におもしろい。確かなデッサン力もある。(磯部靖)

 高木美希「Sweetest Taboo」。大きな瞳のデフォルメされた少女を中心に、その周囲に猫や犬、カエルなどが描かれている。また、宝石やケーキ、プリンなどもある。少女の愛すべきものをポップに明るく作品世界へと引き寄せながら、強く印象に残る作品として仕立て上げているところに注目した。(磯部靖)

 可世木博親「風が通りぬけて」。厚手の和紙を組み合わせて横長の画面を作っている。背後に暗色の板があって、そこから少し浮かせている。画面は紙の色の濃さや正方形で抑揚を付けながら、そこに文字や線をいくつも描き込んでいる。おもしろいのは左上や右下に針金が伸び、丸や四角を象っている。それが人物や風景のイメージを感じさせる。遙か過去から風に運ばれて現代に引き寄せられたそれらが、形をなして作品世界で静かに呼吸をしているようで興味深い。(磯部靖)

 廣田三恵子「'13 春の朝―MEI」。立体的に画面を組み立てている。大部分を占める白が、会場の光によってできる僅かな影と相俟って、特に爽やかな透明感を作りだしている。下方や上方は赤や青、黄、緑といった色彩が施されていて、朝の光、新鮮な空気を感じさせる。そういったイメージを鑑賞者に想い起こさせる説得力がこの作品の見どころである。(磯部靖)

 長谷川輝和「私の世界が幸福でありますように」。二人の少女を正面から描いている。二人は音楽を聴き、タブレットやぬいぐるみなど、自身の興味のあるものを抱えている。自分だけの小さな世界を頑なに守り、外界のことには目もくれない思春期にありがちな状況を淡々と描いている。長谷川作品特有のデフォルメで描かれた少女たちの表情が、何とも言えない無機質な精神状況を訴えかけてくる。モノトーンに近い色彩の扱いもまた、そういった閉鎖的なイメージを効果的に演出している。(磯部靖)

22室

 鳥井公子「ある」。五人の裸の人物像が描かれている。二組の男女はこちらを向き、右側には後ろを向いた男性が描かれている。人物の胴体には朱の色彩がうっすらと入れられている。それは身体を流れる血であり、生命そのものの象徴的表現である。今現在生きているという証といってよいだろう。青い空気に包まれて浮遊する人体はどこか不安定で、それは生に対する不安感を誘う。確かなデッサン力によって人間が存在することの奇跡とそれそのものを作品の中に浮かび上がらせている。(磯部靖)

 佐野惠子「安息日」。細く長い脚の椅子に、白いシーツがかかっている。その奥には開いた扉が描かれている。シーツは高く吊り上げられているように、或いは中に長い棒が入れられているように上方に伸びている。ここに描かれていない人間の気配が、そこに感じられておもしろい。また、うっすらと岩肌のような崖の風景がダブルイメージで入れられているところも意味深である。繊細に画面を描きながら、独特の空間的世界を構築していて印象に残った。(磯部靖)

23室

 清水恭平「転換」。暗い室内で腰に布を巻いただけの男がベッドに倒れている。その右側には、椅子に座った同一人物を思わせるもう一人の男が描かれている。自身の死から目を背けるように、男は右を向いている。どちらが実体でどちらがイメージなのかは分からないが、死というものに対する恐れが克明に刻まれているようだ。室内や人物の描写はしっかりと描き込まれていて、そういった不確かなイメージに強い説得力を持たせているところが印象的である。(磯部靖)

24室

 光田千代「オピニオン '13─01」。じっくりと描かれた堅牢な画面に様々な形象が浮かんでは消えて行っている。花や葉のようなフォルムも見えるし、人物のようなフォルムも見える。ふと見ると、上方に赤い目をした鳥の顔のようなフォルムも見える。緑がかった茶から黄土の色彩の中に、灰白色の色彩が漂っている。それがもう一つの緩やかな動きを作りだしている。画面を活性化させながら、見応えのある作品を描き出している。(磯部靖)

25室

 八木道夫「扉の向うに…その2」。三人のピエロとその背後に扉が描かれている。さらに向こうには海が見え、下方手前には貝や珊瑚のイメージが浮かび上がっている。海の表情は穏やかである。また、扉を挟んで右側は青く、左側は赤い。海が持つ豊かな表情をこのように表現し、長い時をかけて生命を育ててきた母なる海の姿をじっくりと鑽仰するように描いているところがおもしろい。(磯部靖)

 宮本修「EPITAPH」絵画部奨励賞・新準会員。人工的な建物の内部のような、複雑な機械と管が入り組んで通路を作っている。その一つひとつに重厚感がある。手前は暗く、奥は明るい。グレーのトーンを細やかに変化させながら、そういった光の動きをじっくりと描き出しているところが特に見どころだと思う。。(磯部靖)

 北村冨紗子「景(けい) ・」会友賞。深紅に染まった大きな花とその下方に白い花が描かれている。その右側には青い色彩が流れて行っている。どこか妖しく、また美しい。鮮烈な強い印象を残す作品である。(磯部靖)

 丸山恵理子「雨を見あげて」。ピアノの鍵盤を手にした女性像が描かれている。その左側には青みがかったグレーの色面が施されている。どこか物憂げな女性の表情とその色彩が、強く繫がっているようだ。鍵盤が暗示する静かなメロディとともに醸し出される作品内の雰囲気が、こちら側にもしっかりと伝わってくる。(磯部靖)

 中木智津子「何処へ ・」絵画部奨励賞。黄と水色が入り乱れた色彩の中に、若い男女の姿が描かれている。いかにも現代における若者の肖像である。たゆたうバックとシャープな人物のフォルムを対比させながら、それをある種デザイン的に仕立て上げているところに注目する。(磯部靖)

26室

 石田克「月下ノ、ユラユラ(モンターニュ)」。上方に満月が浮かび、周囲の風景を照らしている。その下方には目がいくつか浮かんでこちらを見ている。また、さらに下方では無数の人影が見え、やはりこちらを見ている。鑑賞者はこちらなのに、向こうから見られている。何とも不思議な状況である。ある種の幻想的な世界観の中に、妖精的な、或いは妖怪的な存在を生み出し、鑑賞者とのイメージの交感を作品の魅力としているところに注目する。(磯部靖)

 高橋幸子「ある日 B」。手前にダルメシアンが寝そべっていて、その後ろに女性が立っている。また、地面にはキャベツのような植物がいくつもあり、右側にはカマキリ、アリも見える。上方では無数の鳥が飛んでいる。実に妖しい雰囲気である。それらは白い線によって区切られた室内を思わせる空間の中で存在している。独特の世界観を持ちながら、それらを淡々と描写して描き上げているところもまた興味深い。(磯部靖)

 山田紀代「白い私語」。灰白色を中心にしながら強い抽象性を帯びた画面に、細やかに、かつ大胆に描いている。堅牢なマチエールに支えられながら、小さく細やかに描かれた心象風景が生き生きと存在しているところが特に印象的である。(磯部靖)

 澤田浩明「抽象絵画を考える私」。黄土色の画面の中に大小三つのパートが区切られている。上下の部分は大きく、中央の部分にはタバコをくわえた男の顔が描かれている。上方では色彩豊かな円が、下方では月の満ち欠けを思わせる図形がいくつも並べられている。それらに挟まれた男は画家自身を思わせる。上下の抽象画を難しく考えるのではなく、ありのままに事象として受け入れているような感じもする。いずれにせよ、丁寧に画面を作り込みながら、明快に明るいイメージを描いているところがおもしろい。(磯部靖)

27室(企画展示室)

 山本大也「食物マンション」。積み上げられた木箱が画面いっぱいに描かれている。中には野菜がいくつか入れられているようだ。描写力もさることながら、独特の構成力を感じさせる作品である。(磯部靖)

 宮坂恵子「それでも、まだ…」。高い視点で家屋と家屋の間から見える景色を描いている。両側の壁や奥に見える路地など、丁寧に描き込んでいる。豊かな感性と構成力に注目する。(磯部靖)

29室

 藤井たてき「風の組曲 3番」。明るい水色を繊細に濃淡を付けながら施し、そこに動物たちの姿をいくつも描いている。作品内に吹く風に乗って、それらは軽やかに踊っている。旋回するような動勢の中に、清々しく愛らしい雰囲気をやさしく表現している。生き生きとした動物たちの生命とその活動にも惹き付けられる。(磯部靖)

31室

 芥川玲奈「Enlightenment I」。暗色から明るい部分への変化がおもしろい。しっかりと画肌を作りながら、刻々と変化する時の流れや明暗の変化を感じさせるところがおもしろい。(磯部靖)

32室

 久保田洋子「残響レクイエム」。東日本大震災による津波の被害の後を描いている。一つひとつの瓦礫をじっくりと描き込みながら、線書きで車を描いたり、人形を重ねたりしているところが独特である。それらによる重厚感と深い感情が強く印象に残る。(磯部靖)

33室

 原真吾「ラビットマン」。細かく紙を折り込んだようなもので莵の顔を形作っている。その細かな描き込みと変化していく色彩の扱いがおもしろい。身体はぼんやりと描かれている。その対比もまた興味深い表現である。(磯部靖)

 野一色彩「place I」。ガラスの扉からこちらに向かって歩く女性を中心に描いている。グレーの色彩を中心にまとめられた画面の中で、女性の赤いパンツが一つのポイントとなっていて目を惹く。またその赤の色彩もグレーによく馴染んでいる。色彩的センスの良さに特に惹き付けられた。(磯部靖)

 八木清子「道端から」。道ばたにある植物を大きく見下ろすような視点で描いている。大小様々な葉が気持ちのよいリズムを奏でているようだ。しっかりとした遠近感もあって見応えのある作品である。(磯部靖)

34室

 森本憲司「水辺の秋」。どんどんその表情を変化させていく水面がいきいきと描かれている。水鳥が浮かび雨が降っている。素朴にこの情景を描きたいという純粋な心情が強く伝わってきて記憶に残った。(磯部靖)

 井出三太「匣」。積み上げられた箱に沢山の人々が暮らしている。井出作品特有のユーモラスな世界観である。三角形の安定した構図の中で、豊かな群像表現を描き出している。(磯部靖)

35室

 小嶋礼子「Where are you (III)」。大きな樹木の根元を描いている。様々な方向に彎曲して伸びる枝の動きが強い生命力を感じさせる。柔らかな描写でありながら、確かな存在感を獲得している。(磯部靖)

 富田郁子「友禅曼陀羅―猫と夕顔」。正方形の画面に、日本的な美を密度高く描き出している。密度が高いと言っても息苦しいのではなく、充実した画面構成である。特に右上にあるトルソの背に描かれた鳳凰が印象的である。画中画といってもよいだろうが、画面全体の美がそこに収斂して行っているようである。色彩を豊かに扱いながら、丁寧に画面を仕立て上げているところに好感を持つ。(磯部靖)

〈彫刻室〉

 小荒井勇人「馬小屋の記憶」新海賞・新準会員。丸太をシンプルに削った上に馬の頭がある。頭というより骨に近いフォルムであるが、強い韻律のあらわれているところが面白い。(高山淳)

 神山豊「OCEANS Sperm Whale & Giant Squid」彫刻部奨励賞。木彫で手前に鯨と後ろに大イカをつくり、下方のハンドルを廻すと、彫刻が動き、後ろの大イカが上方にあがる。その大イカの形が面白くつくられている。プリミティヴな力とイメージの表現に注目。(高山淳)

 大原央聡「ロンドンでおよいでいた男」。浮き袋が台座になって、そこに上半身が置かれ、後ろに伸ばした足。力作である。(高山淳)

 本郷芳哉「積み重ねた時の中で」。鉄の板に火を当てて叩いて立ち上げたフォルムである。それが前後二枚あって、独特の空間表現となっている。一部足されているから、枚数はもっと多くなるのだが。火による仕事である。鉄であるにもかかわらず、炎が立ち上がってくるようなフォルムに見える。鉄を柔らかく使い、鉄のもつもう一つの性質を引き出そうとしている。素材というものとの対話から生まれた作品である。それが単に素材の面白さのみならず、空間の中に立ち上がり、重量というより、逆に上のほうに向かって動いていく浮力のようなものがあらわれている。それを筆者は炎という言葉で述べる。そこには土と風、火といった東洋の四大元素的な、風水的なイメージもあらわれているところがなお面白い。目に見えない要素が形をなして眼前にあることの不思議さ、ときめきを作者は追い求めているようだ。(高山淳)

 菅原睦「水面」。不定形の三角形に鉄を切り取って、溶接した作品。サボテンのようにも見えるが、そのようなものではなく、もっと抽象的なイメージの中にきらきらと光るものがある。あらゆる方向に向かってこの不定形の三角形は浮いていて、三百六十度の空間に対応するようなかたちで面があらわれ、それが左右に、上方に動いていく。(高山淳)

 林宏「はじまりについて」。螺旋の貝のようなフォルムの上にこんじきの雲があり、そこに莵と少年がいる。莵は立って少年は腰掛けて遠くを眺めている。黒い巻貝のような、あるいは渦を巻く自然の怪異な力の発現のようなもののそばに、黄金色の樹木とも雲ともつかぬフォルムがあり、それは白い、おそらく大理石と思われる柔らかな台座の上に載っている。自然を構成する大地、雲、木、光、そういった要素を独特の象徴的なフォルムにまとめた佳作である。(高山淳)

 石谷孝二「想雲」。三つの渦巻くような雲が前後して置かれ、上方に十三日あたりの月がある。白い雲、褐色の雲、その手前の白い雲と、だんだんと手前になるに従って小さくなる。大きな雲は巨大な翼が空の上にあらわれているような趣もある。最近の作者の作品を見ると、神仏習合的な思想が感じられる。それがなお深くなって、古神道的な世界のイメージを引き寄せた。渦巻く螺旋状のフォルムが左回りに動きながら、その先に尾っぽのようなフォルムをつくる。プリミティヴな力に風や水などに発見した生命的なかたちを思う。水が龍となって天空に上がり、その雲を通して夜の空間が引き寄せられ、十三夜の月があらわれた。古神道的なイメージの広がりと深さが感じられるところが面白い。(高山淳)

 桃北勇一「鉄が造り出す風」。十センチほどの幅、七ミリほどの厚さをもつ鉄の板が曲げられカーヴして、三つの円形のようなフォルムをつくりながら構成されている。まるで無限に循環する水や風を閉じ込めたようなフォルムである。鉄という素材をこのように柔らかく使うことによってあらわれる不思議なイメージ。そして、光線によってこの複雑な形が地面に微妙な影を捺す。野外に置いて眺めてみたい。(高山淳)

 峯田敏郎「記念撮影―遠い日の風音・私のふるさと―」。まるで冥界から現れたような少女像である。そのようなピュアなイメージがヴィヴィッドに伝わってくる。白い胡粉の上に朱で彩色されているのも、そのような冥界の中に存在するものに対する呪文、護符のようだ。(高山淳)

 根本佳奈「隅っこ」。塑像である。少女が立って、その手を上に上げ、親指を唇に当てている優しいポーズである。初々しい少女のもつ生命感が香る。(高山淳)

 笠原鉄明「月に遊ぶ」。角柱の中から女性の上半身が現れる。角柱のあいだから両手が伸び、足もそこから突き出ている。手前にもう一つの角柱があり、そこに水紋があらわれている。水紋は月を映している。角柱の一部が青く彩色されている。面白いのはやはり韻律である。一つは掌を上に、もう一つは掌を下に、そして、角柱から出た足。ロングドレスの中から柔らかな胸が現れ、首が現れ、顔が現れて、右下方向を眺めている。いわば水や夜空の中からヌーボーとしてあらわれてきたイメージのような神聖さが感じられる。クリアなフォルムとそれを取り巻くあやしい空間の力をよく作品に引き寄せている。(高山淳)

 長尾幸治「モノ言わぬモノ」。支柱から巨大な翼が現れている。それは鉄による仕事で、切り、それを束ね、溶接したかたちである。素材のもつ力がよく引き出されて、その翼の周りに密度のある空間が宿る。(高山淳)

 水野智吉「風を待つ」準会員優作賞・新会員。裸婦像である。右足に重心を置き、左足をすこし前に出している。両手を下方に垂らして、その指を広げて、手のひらを下方に向けている。女性は口を開いて何か叫んでいる。マイヨールの彫刻を思わせるような豊かな量感。そして、いま彼女は何かを発している。魅力的な裸婦像である。裸婦像というより、むしろ平安仏に近い要素があって、あの時代には一本の樹木に観音を見たというが、この塑像はなにかあやしい太い樹木に変容するような、そのようなイメージの力が感じられる。(高山淳)

 長雄新「裸足の女」。女性の微妙な曲面を見事に表現する。光によって陰影のできる様子が実に魅力的である。袖が長く、その中からすこし指を出して立つ現代の若い女性が、もう一つの性質のものに変容するかのようだ。最近サイボーグ的な人間が映画によく出てくるが、そういった変身物語の序章ともいうべきイメージだろうか。(高山淳)

 本郷寛「いま…」。少女が両腕を体からすこし離し、若干後ろに引いたかたちで下方に伸ばし、両手を握っている。顔は前にすこし俯いて、上体を若干そらしている。足の裏が台座にぴったりとくっついている。日本には摺り足というものが能とか相撲にあるが、これは能のシテが立ち上がるときのフォルムのように感じられる。能にはそれぞれの年齢のそれぞれの美があると世阿弥は述べているが、本郷は少女の美をまるで能役者のポーズのようにさせて表現する。地面にピタッとくっついた足の裏の強い吸引力。大地との親密な吸引力ともいうべきその力と、若干上体をそらしながら顔を俯けて両手を広げるという微妙な体の動きが対照されて、とくにその上半身と足との関係の中に実に微妙な気配があらわれる。それは、そのような気配のなかに若木が立っているようなイメージでもあるし、前述した能の立ち上がるときの所作のような動きでもある。それがそのまま思春期の少女の桎梏にとらわれながら脱皮し、新しいかたちをつくりだすときの青春のイメージと重なる。台座にストライプがつけられているのは、そのようなあるリズムというべきものの象徴的表現のように感じられる。(高山淳)

 関谷光生「存在の深き人」。あごひげを生やして頭が坊主の、いわば入道ともいうべき人が、すこし首を左にひねって俯いている。深い瞑想のなかにこの人はいるようだ。存在の深い淵をながめているような、哲学的なイメージもしぜんとあらわれる。時間というもののなかに佇む生存の謎ともいうべきイメージが鑑賞者を引き寄せる。(高山淳)

 官野良太「雲のつくり方」新人賞。少女が衣装を着て立っている。繊細な表現で、すこしフィギュアふうなイメージがあらわれているところが面白い。(高山淳)

 世良伸幸「飛び立つ種」。トンボのようなフォルムをイメージする。四つの羽のようなフォルムが上方に立ち上がり、トンボの尾っぽのようなものが下方にカーヴしながら続く。有機的な形である。そのフォルム自体が、たとえばタンポポの綿毛が空に飛ぶように、生命のすべての要素を抱えた種が空中に浮遊するイメージとも重なる。空間の中に位置する柔らかな形が、動きを感じさせるユニークな佳作。(高山淳)

 池田秀俊「風をあつめて」。胸に手を当てた女性像である。柔らかな繊細な表現に注目。(高山淳)

 粕谷圭司「ふたり」。木彫である。曲がった抱き合ったような抽象的なフォルムに二つのリングがつけられている。それがどうしてできるかわからないほど巧みに木によって表現されている。木の柔らかさによって紐が二つ結ばれたかたちがそのまま有機的なイメージを発信する不思議さ、彫刻の面白さである。(高山淳)

 三島樹一「ちきゅうのたまご―DEDICATE―」。ソラマメのようなフォルムが積み重なっている。三段に重なったフォルムが一段には四つあるから、十二個の種である。シャープな曲面をもつかたちに芽のようなものがつけられている。それぞれの種がにこにこと笑っているような不思議なオーラが感じられる。(高山淳)

 新井浩「蝶が舞う里―花咲く大地―」。大地を地層に向かって切り取る。その中から眠った少女のフォルムがあらわれる。丘の上には二つの建物と蝶があらわれる。蝶になる前のサナギとなってまどろんでいるようなイメージだろう。そのイメージをこのようなかたちで表現する。とくに体を閉じたような女性のフォルムが見事であるし、背後のもっこりとした丘のフォルムやイメージの展開も面白い。(高山淳)

 長崎陸征「君に」。丸いテーブルに布が掛けられ、仮面、三つの手、ランプが置かれている。左手と右手が置かれ、立てられた手がその後ろにあり、一つの手は仮面を持っている。そのあいだに燭台が置かれている。その燭台はまるでアラジンのランプのような雰囲気で、それをこすると様々なイメージが立ち現れるようだ。そのようなイメージを触発するような彫刻になっている。人間の手ではなく、義手のような手が、かえってイメージの中ではなまなましく立ち上がってくる。金属による仕事であり、その清潔な無機的な性質を利用しながら、それによってより深い世界があらわれる。(高山淳)

 藤田英樹「雲の影」。白い雲の上に茶褐色に彩られた女性のヌードが上方を見て転がっている。お尻を支点にして、足を胸に引きつけて両手を広げた不思議なポーズである。動きをストップさせた瞬間の、ストップモーションの力ともいうべき韻律が面白く表現される。(高山淳)

 西村公泉「瀬織津比売」。セオリツヒメは日本神話の中で海の女神である。そして、害虫であるとかバイ菌といったものすべてを集めて海に沈めたという。そういった古神道の自然と深い関係をもったイメージ、そして、すべての悪を滅ぼして人を癒すイメージを見事に表現している。混沌とした海の造形化といえる何重もの同心円の中心に両足が入り、そこからV字形に両手に向かって体が広がっていく。まさに人を癒す命の豊饒な力の誕生に立ち会ったかのごときイメージが表現される。(高山淳)

 河原圭佑「にがい記憶」。厚い板を叩いて、火を入れて溶かしながら、このような不思議なフォルムをつくった。ニガウリからインスパイアされたそうであるが、筆者には岩が動いて生き物に変化し動いてくるような、そんなSF的な強いファンタジーとエネルギーを感じる。それはまた表面の金属を叩いたことによる独特の張りのある形、そして、四つのパートにそれぞれが一度切られながら、お互いの引力でもってそのパートが有機的に統合されながら、その後方からむにょむにょと伸びていく不思議な輪のようなものが現れて、この上のものを支えているという不思議な形による。ニガウリからヒントを得た神話的な生き物のような力に注目。(高山淳)

 吉村壽夫「波動―(R) '13─・」。形而上的彫刻ともいうべき不思議なイメージである。六角形の柱は金属でできている。中心は凹状になって、そこに七色のレインボーカラーがのぞき、円柱の上に石が置かれている。石の下にはもう一つの三角柱のようなフォルムがあり、中に白い枝が命を宿したようなイメージがあらわれる。左右から赤い金属や木を切ったものや長方形のものが嵌め込まれている。これは詩を創造する装置のように感じられる。木も使われているから、人工と自然とをつなぎながら、なにか新しい創造的なイメージ、つまり詩というものの創造装置のようなエスプリが感じられる。(高山淳)

 こじまマオ「STAGE-2」。八本のラクダのような足。その上に八本の人間の腕が両側にあり、それぞれに動物や人間の骨を持っている。そして、その顔はサイになっている。胴体から二つの球が立ち上がり、その上に仏の顔をしたヒョウのようなものがあらわれる。インド的な世界。六道を輪廻するような世界。ヒンドゥー教のあやしい独特の世界観のような粘着力のある不思議なリアリティが感じられる。形而上的なものと形而下的なものが渾然と一体化したようなイメージ。(高山淳)

〈野外彫刻〉

 大成浩「風の地平線―蜃気楼 ・」。これまで一体一体国展に出品された作品が三体並んで、実にモニュメンタルな印象を受ける。重量感がありながら、たしかに蜃気楼のような浮遊するイメージがあらわれている。目をつぶると消えてしまうような繊細な表情とこの量感とがクロスするところに、大成彫刻の特色があると思う。磨かれた部分とざらざらした面とが対応し、太い柱の中に切り込みが入れられる。最もシンプルな造形である。ざらざらとしたものはまさに周りの環境、風や光と同化するような印象で、その中に下方から立ち上がってくるモニュメンタルな力が加味される。しかも、目をつぶると消えてなくなるような繊細さがあると同時に、やはりモニュマンとしての三つの形が眼前にある不思議さ。能舞台のシテはみんなあの世からの登場人物であるが、そのような二つの世界をつなぐ碑ともいうべき存在感を感じる。(高山淳)

 岡野裕「人間に気付かれないように移動する方法」。自然石のような岩をカットした中に不思議な四つの足をもつ生き物が埋め込まれている。その内部に、黄色く彩色された丸いカブトガニを圧縮して上をなだらかな坊主にしたようなフォルムが動いていく。自然の中にある生命感、そのあやしい精霊のようなイメージを生き生きと表現する。(高山淳)

 原透「特異点のある石 8」。石の中に三つの稜線をつくり、その三つがつむじのような動きをつくるところが面白い。そして、中心があけられ、中を空洞にして、その空洞は突き抜けて、その目を通して地面が見える。巨大な山脈を、その造形の原形のようなものを縮小して石の中に固めて表現したようなエスプリが感じられる。(高山淳)

〈版画室〉

 廣江嘉郎「大地から天空へ(天蓋 5)」。「この場合の天蓋とは、中宮寺、弥勒菩薩像の上にかざす、きぬがさのことです。この空間を表現できたらと努めました」。奈良時代や飛鳥時代まで画家のイメージは一挙に飛んで、あの頃の日本人のイノセントな、優しい、しかも凜然たるイメージを追うようだ。画面の真ん中に稠密な褐色系のストライプを集積したようなフォルムがあらわれ、そこに芽のような形があらわれる。その下方には天蓋の中心をなすようなフォルムがあらわれる。両側には波や無数の密度の高いエネルギッシュな空間が生まれている。古代のもつ純潔なイメージとその信仰の時間を追うようだ。(高山淳)

 世古剛「マスク ・」。四つのマスクが左を向いて配置されている。背後に紫や緑の色面が置かれている。作者は原始的仮面のシャーマンのトランス状態をマスクに見ているようだが、よく見ると、日本の能面のような雅やかで静かな雰囲気があらわれているところが面白い。中心に花を思わせるようなグラスがある。マスクを通して生きることの悲しみや喜びといったイメージを表現する。(高山淳)

 サイトウ良「瞑―夢―希覯」。「叡、勇、儀を俯瞰。そして戦い、希望、夢…。空間の中の広がりを想像…」。青い空間の無限の空に切り込みを入れて、そこに形を見つめ、それを綾取りのように集めたような面白さがある。その向こうには福島原発を思わせるようなドームや建物の影が見える。手前には三重のリングの周りに植物の葉があり、下方に青い地球を思わせるような球体が浮かんでいる。恐ろしい事故、それと闘いながら希望を求めて生きていく。グレーが銀色のメタルカラーのような色彩になっていて、そこにあらわれている空間が光を含みながら、ロマンティックな憧れのようなイメージを喚起する。(高山淳)

 藤田和十「聖峯」。「雪を冠った連山に聖なる気をこめてポイントとし、この天地に悠久の宇宙感をこめて描いた。木版独自の発現法にも苦心」。気高い山がはるか向こうに見える。手前には美しい植物が咲いている。近景は青みがかったグレーのトーンに覆われて、その中に不思議な精霊が浮遊しているようだ。昼の世界と夜の世界。上方には朝が始まるときのイメージがあらわれている。木版によるしっとりとした触感がまず親密な気持ちを起こさせる。そして、カーヴによって囲まれたフォルムが優しい表情である。同時にそれぞれのフォルムが一つひとつの山や植物や雲や水などの象徴として表現されているところがよい。(高山淳)

 吉川房子「追う」。二つのハートが向かい合う。渦巻きがあらわれる。ポジティヴな弾むような心持ち。人と人との巡り合い。あるいは、なにかインスパイアされたことが起きる予感。そんなイメージをポップふうに図像的なフォルムによって表現する。背景の赤がバーミリオンのようで、実に心地好い明るい色面となっている。(高山淳)

 小山秀弘「仮面 C」。優れたデッサン力をもつ作者だと思う。女性の顔が、角度を変えて描かれていて、二つの手がそれを挟んでいる。手が優しくグラスを持っている。女性の背後には植物の花や葉が輪郭線によって表現される。線の柔軟でニュアンスをもつ表情。それによってあらわれてくる女性の顔としなやかな指の魅力。しみ通るような官能性をロマンの世界に昇華する。(高山淳)

 アルベルト・カルペンティール「訪問」。二人の尼僧が抱き合っている。キリスト教の深い信仰の世界が強いフォルムによって表現される。ロマネスク様式とゴシック様式とが重なったような線による表現が、精神のもつ力を表す。(高山淳)

 小原喜夫「ウスタキヒメ」。飛鳥川上坐宇須多岐比賣命神社は、古くは山岳信仰形態を残す古社である。今回小原はこの聖地をイメージして作品を制作したのであろう。天の川あるいは雲のようにうねるような表現で川が表現されている。画面奥の深い緑色の部分は鬱蒼と深い森のようなイメージを受ける。右手前の人物らしき黒い象徴的なフォルムは、女神のイメージだろうか。ダイナミックな画面の中には小原が追求しているアニミズムの世界が息づいている。(小森佳代子)

 熊谷吾良「花となれ 蝶となれ」。「花よ蝶よと育てた花鳥画、最近はすっかり元気を失った。しかし、私達は花となり、蝶となって生きて行こう」。近景に赤い花、その向こうに蝶が飛んでいる。青い樹木。裸木の雑木林の向こうに家がある。赤い花がしみじみとした美しきもののイメージを表す。画家の強いイメージは花となり蝶となり家となり木となって、それぞれを象徴的なフォルムに昇華し、画面に配置する。(高山淳)

 金守世士夫「湖山〈不二・華・蝶蝶〉」。シルエットになった富士山を背景にして、つがいの蝶が飛んでいる。手前には赤と青のつがいの花が咲いている。背後に湖が広がる。「山の悠々、草木、いきもの、流転の旅路。地球のいのち、宇宙のふところ」と作者のコメントがあるが、まさにゆったりとした中に時空の中を飛ぶ蝶が強いイメージを醸し出す。切り絵のような木版による強い太い輪郭線によって蝶や花が表現されていて、力強い。このような形にフォルムを造形するためには、よほどのトレーニングが要るだろう。再現的な細密な表現が多い中に、実に深い童話的なイメージが表現される。また、二匹のつがいの蝶と二つの花がお互いに静かに呼応しているような、そんなアンティームな雰囲気も魅力。(高山淳)

 木村多伎子「情念(3)」。「面の使い手で、人形浄瑠璃の娘がもつ優しさ、悲しさ、恋しさ、激しさを、グロリオーサの花や葉の線に重ねてみました」。白い肌を見せる文楽人形の娘の姿。バックにカンナを思わせるようなグロリオーサのオレンジ色の花が輝かしく咲いている。その花によってこの人形の娘たちを荘厳しているわけだ。その上方は暗い。文楽は最後は心中で終わる。その暗い向こうは死の世界である。死の世界がこの輝く花の向こうにあり、そのこちらに人形がいる。しかし、人形の顔はひっそりとして、不思議な哀愁のなかに優しさがある。燃えるようなパッションを思わせる花と、しーんとした死の世界と、優しい人間の心情。三つの要素を対照しながら、文楽のもつドラマを表現する。(高山淳)

 仁科恵実「窓」。室内に風が吹いているようだ。それは詩情と言って差し支えない。朝が来て、イノセントな空が広がる中に、もう一度復活した命が白い花のような透明なイメージであらわれる。下方には夕方の空間が対置される。夕方と朝の時間を対置させながら、夜の瞑想のイメージが背後にあらわれる。(高山淳)

 吉田志麻「マサイマラ―バオバブの木の下で―」。アフリカのマサイマラに住む人々と巨大な樹木の組み合わせである。後ろには縞馬が見える。千年か二千年の樹齢のあるような樹木の、渾沌としたあやしい気配の表現が、実に面白く感じられる。そのあたりの黒のグラデーション。黒の中にあらわれてくる色彩のニュアンスは、そのまま下方の短い一生を生きる人間たちのトーンと連続していく。(高山淳)

 白鳥勲「同床異夢」。一見するとアンティームな室内風景を見ているような趣である。ここ数年マチエールが重厚になってきたように思う。真ん中に一輪挿しの花瓶のようなフォルムがすっくと上方に伸び、勢いのあるコンポジションで表現されていて清冽である。その背後には赤い輪郭の時計が見える。静けさとざわめきとが綯い交ぜになったようだ。よく見ると数字や針も白鳥のイメージであって現実的でない。右上方には何故か生まれたばかりの鳥が囀るような表現があるのも微笑ましい。まるでリスト「愛の夢」の旋律が聞こえてくるような甘美な部分ものぞかせている。(小森佳代子) 

 増田陽一「バラ科:隠れた蝶」。抽象的なフォルムの中にいわゆるオプティカルアートふうな処理がされていて、独特の生気をつくりだす。中心の五角形のフォルムが回転するような動きを表し、その周りに花が咲くという独特の世界観をもった表現に注目。(高山淳)

 園城寺建治「Sea of Trees-Mirage」。「サブタイトル─空、海、大地、風、光、水、回帰、再生、命、共生」。まさに植物が密集して地面を覆って地平線まで続いている様子が、そのまま大きな海のイメージとつながる。そして、海の表面に波が立つように、その樹木の重なりの中に独特の動きがあらわれる。ベージュの上方の無地の空間にその樹木の一部が切り取られ、コラージュされ、浮遊しているのも、独特のニュアンスを醸し出す。地球の上に生える草木たちの世界をピックアップして、切り取って、上方に浮きのように浮かべるという発想が面白い。(高山淳)

 奥野正人「おんな〈幻視現惑〉 ・」。上下二つの空間からできている。下方は裸の女性の上半身が横になり、髪が上方に揺れて、水の中にいるようだ。そして、その上には複雑な絡み合いをする樹木の枝が描かれている。その迷路のような樹木の枝は、この女性のエロスというもののもつ力を表現したのだろうか。下方の重力を失ったような女性の上半身のフォルムが、白黒であるにもかかわらず、ある香りやオーラを放つように感じられるところも面白い。(高山淳)

 我妻正史「廃墟─13」新会員。「不安と妄想のなか、テーマ『廃墟─13』は、9・11事件の現在を訪れたことが原点、一瞬の惨事をいかに表現するかがこれからの課題」。ニューヨークのツインタワーが飛行機に激突され崩壊したのは、二〇〇一年の九月十一日であった。その跡を見て、画家はインスパイアされた。画家の中にはある強いカタストロフィに対する関心がある。それを一種交響楽的な表現にまとめようとする。9・11から十数年の歳月がしらじらとして画面の中を渡っているようだ。そして、渾沌とした廃墟のイメージがその周りに置かれている。そして、上方の道のはるか向こうにまた新しいよみがえりのイメージもあらわれる。手前の黒い部分はニューヨークという街を囲む深い海のイメージかもわからない。(高山淳)

 好富要「Calm…」。青のグラデーションが透明な詩情をたたえる。中心に楕円状のフォルムがあり、四つの窓があけられている。不思議な住居のような空間。下方にはドームを思わせるような建物。そして、左のほうに窓だけが浮遊する。そこに蛍のようなものが現れる。作者は静かに瞑想しながらイメージのなかに入っていく。大地が香り、星が輝く。その中にある人の命を祈る。(高山淳)

 小杉康雄「天空の彼方へ(・)」。激しい動きが感じられる。小さなフォルムが集合し、お互いに呼応し、響き合っている。あいだにフリーハンドの線がもあもあと動いていく。音楽の、とくにジャズのセッションのなかで、青空のぽっかりあいたようなイノセントな空間のようなものが浮かぶときがある。そういったときのイメージを感じる。それぞれのフォルムは燃えているような雰囲気である。燃えているその人間的な行為の奥にぽっかりあいた無限なる宇宙があらわれてくるときの、その驚き、その魅惑。宙吊りになったコンディションの中に銀河が浮かぶ。そんなヴィヴィッドなイメージが筆者を捉える。(高山淳)

第58回新世紀展

(5月2日~5月10日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 伊瀬輝雄「五彩馬行」。たとえば中国の漢代や唐代の俑が現実化して現れたような、面白い印象である。二頭の馬のあいだに若い女性が立っている。実際、俑のようなものが左下に見える。そして、犬は現代のいまの現実感をもって現れる。ノスタルジックな茶褐色のベージュの色彩が画面全体を覆う。

 森長武雄「駅前」。二人の少年、少女がこちらに歩いてくる。両手を上にあげて、赤い不思議な花のような、あるいは宝物を持ってきているようだ。手前は黄色い衣装を着て、白い顔。背後は青い、そのシャドーのような姿である。下方に駅前の広場のようなフォルムがあらわれる。そして、手前にすこし腰を屈めた老人の姿があらわれる。老人はすこし体を左に傾けて、その横顔が見える。画家が過ごした少年時代の楽しい思い出が画面の中によみがえりつつあるような、そんな雰囲気が感じられる。右上方は白い風が吹いているような空間で、上方にグレーの建物のようなイメージがあらわれている。画家は白いキャンバスの上に浮かんでくるイメージをたどる。それによって余分なものは脱落し、イメージがより強く堅固に生き生きとあらわれる。今回はとくに手前のこちらに歩いてくる少年と少女と重なったようなその姿がイノセントで魅力的である。また、色彩も豊かなものを感じる。黄金の少年時代ともいうべきイメージがあらわれる。背後の白い風の吹いている部分は画家の過ごした海岸の砂浜のイメージも重なっているようだ。そこに足の一部が線描きであらわれ、その優しい砂地を踏んでいるように思われる。ダブルイメージになっていて、砂浜が風でもあるといった雰囲気。定かにはフォルムがなかなか見えない色彩の組み合わせが、一人の人間になってあらわれる。手前の俯いた老人のもつ人生の晩年の哀愁に満ちた存在感のある姿も、この作品の重要な要素となっている。背中の黒いたらし込みふうな表現があらゆる記憶を内包する性質を示すようだ。二つの時間のモニュマンと言ってよいかもしれない。

 佐藤忠弘「風のゆくえ」。三人の男が影絵のようなかたちで描かれている。向こうに石でできた鳥居のようなものがあり、地平線がその向こうにある。二年前に起きた東日本大震災に対する深いレクイエムの表現のように感じられる。

 藤田禅「手にするものは」。右手の中に土や巻貝や工場のようなものが入れられている。画家はかつて新日鉄の社員であった。様々な経験やそれを演繹して地球の歴史のようなものも含めた過去が手のひらの中にあって、それが崩れていくようなイメージが感じられる。それに対してささやかな一本のシダのような葉が下方に置かれ、上方にこの壊れていくものから魚が飛び出ている。失われていくものと新しい希望といったイメージがしぜんと感じられる。それを指などのクリアなディテールを描きながら、手のひらとその内側にあるものたちを含めたコンポジションによって表現する。

 髙橋重幸「風」。ロングスカートをまとった女性が立っている。その横顔が描かれている。背後はブルーの無地である。スペインに繰り返し旅行したり、アトリエを構えて描いてきた画家である。この女性にもスペインの少女の面影が宿るようだ。そして、何事かを予感する、あるいは希望する未来。しかし、それはつかみとれずに過ぎていく無常観のようなイメージが、しぜんとこの作品から感じられる。

 岸本恵美「室内」。大胆な抽象的なフォルムの中に矩形のボックスがあり、中に白い驢馬がいる。黄色い無地のフラットなバックの上に、幅が三、四センチほどある黒い線が縦横に引かれ、その中にグレーの透明なボックスが入れられる。これまでの作品からまた一歩前進したような大胆な作品である。イメージはより強く、より造形的になったように思われる。黒の太い線が柔軟で、ある意思をもって引かれていて、強い印象を醸し出す。その線は右上方では矩形の、中に空間を含んだようなたらし込みふうなものに変じていて、豊かなニュアンスを醸し出す。いわば余分なものを一切そぎ落とすという決断と、その中に抱かれた優しい一頭の驢馬のフォルムが対照される。画家にとって描くべきもの、あるいは画家が大切にしているものが、この驢馬のフォルムに結晶しているような趣である。背景のグレーの深い空間、それは明るいグレーと夕闇のグレーとに分けられるように思われるが、いずれにしても、イメージをイコン化するような力に引かれる。

 田村敏子「VISION」。椅子に座っている女性。そばに三枚の絵が置かれている。画中画である。その手前に白い花瓶に白い花の差された様子や林檎や壺などが置かれて、アトリエの中のモチーフがそこにあらわれる。壁が取り払われ、草原があらわれる。風景が室内に侵入し、そこに赤い屋根に白い壁のスペインふうな、あるいは南仏ふうな風景がグレーの空の中に呼ばれる。右のほう、女性の背後はバーントシェンナとライトレッドを組み合わせたような色彩で、地上的なイメージを醸し出す。画家は夢想する。現実を超えたもの、あるいは経験を超えたものを絵画の中に表現しようとする。そういった強いヴィジョンがこの空間をつくる。柔らかでありながら、強い憧憬ともいうべきイメージがしぜんと感じられる。曇り空の下の白い壁と静物の中の白とが静かに響き合う。

 坊典子「景 ・」新世紀賞。抽象的な街を思わせるようなフォルムが画面を横断している。その上に三つのリングが静かに動いていく。そのリングはボール紙かベニヤをこのような形で切り取って、白く彩色したものである。その三つのリングは涼やかに静かに画面の中を動いて、時間というものを象徴するように感じられる。

 大形美知子「巡りくる春 ・」会員推挙。水彩作品。室内でアコーディオンを弾く若い女性。室内の様々なものが半ば抽象化されて描かれているが、アコーディオンを弾く女性のフォルムはクリアで、その手前の楽譜や小さな五弁の白い花を咲かせた植木鉢や赤いグラスに入れられた花などもクリアに表現される。そして、その室内に猫が飛ぶ。室内にT字路の道があらわれる。イメージがどんどん進行していく。その進行に従って形があらわれる。猫はそのようなイメージの象徴としての存在のように感じられる。澄んだ色面の組み合わせ、コンポジションが独特のテンションの高い音楽的感興を引き起こす。

 小野瀬緑「旅の記憶」奨励賞・会員推挙。赤い帽子をかぶった少女がこちらに歩いてくる。その上方に眼鏡をかけた大きな象が現れる。下方の田園に蒸気機関車がその重量感をもった車体で手前に進行してくる。顔に女性の顔のようなものがつけられている。そして、象の左右にたくさんのストライプの紐のようなものに身体を巻かれた群衆や象などが浮かんでいる。ある拘束された状況のなかに、それを外して新しいイメージがよみがえってくるような、不思議な力強い表現である。手前に向かってくる機関車は画家の強いイメージの象徴のように感じられる。それぞれのフォルムのディテールは鮮やかで、ニュアンスに富んでいるところが魅力である。

 冨永之廣「流れの図『清涼』」。小さなストライプのフォルムをモザイクのように集合させながら、水の流れてくるイメージを浮かび上がらせる。上方にその上の空のイメージがあらわれる。色彩が豊かで、抽象的でありながら、水のもつ独特の聖性ともいうべき性質があらわれる。見ていると、春が到来したときのイメージもそこに重なっているようだ。

 三浦敏和「パリ、ブランクーシ トルソ」。パリの街並みが画面全体に描かれる。白い壁、煉瓦色の煙突。そのコンポジションが、それ自体実に魅力的である。同じ建物が、下方から見上げる角度で描かれる。それに対してだんだんと下方に行くに従ってすこし俯瞰した構図になる。画家の愛するパリの街並みがシャンソンのメロディのようにあらわれる。そこにブランクーシのトルソや抽象彫刻が浮かぶ。ポンピドゥー・センターのそばにブランクーシのアトリエがつくられていることは、よく知られている。ブランクーシはルーマニア人で、西洋と東洋との中間の人と言ってよい。そういったブランクーシに対する画家の深い愛情や敬愛の念が、しぜんとこのコンポジションから感じられる。そして、哀愁を帯びた音楽が流れてくる。

 神戸正行「宙(そら) 25─1」。フォルムをレリーフ状につくり、その上から和紙をコラージュする。童話的なファンタジーが生まれる。地上のものも天上のものも、いわばクレー的な造形によって表現される。柔らかな光が画面全体に満ちている。昼に月を見るような繊細でロマンティックな味わいが感じられる。

 朝山英治「パウル・クレー『造形思考』より」。ベージュの空間に黒のフォルムがダイナミックに入る。建物を思わせるようなコンストラクションである。そこに直線のフォルムが数本入り、建物を境界として手前と外側の世界がしぜんと浮かび上がる。内と外といった二つの世界を統合する試みだろうか。強いムーヴマンが魅力。

 紀井學「艶然」。ほとんど正方形の画面の中に赤いフォルムがダンスをしているようだ。中心にあるフォルムと半身が左右にあらわれる。手や足が面白く置かれ、中心の女性はS字形に体をくねらせながら両手を広げている。その背景の直線や曲線によってできる密度のある空間は、強い波動をつくりだす。お祭りのエクスタシーの表現のように感じられる。あるいは、素晴らしい女性と出会ったときの強いインスパイアされる心持ちのようでもある。あるいは、混沌とした現実のなかにある命がそこにあらわれて、あるパッションがすべてを統合しようとする。そのような激しい力も感じられる。理屈ではなく、感性の表現として実に面白い。また、この画面を荘厳するように画面の外側の上下に流木のような木がコラージュされ、左右には二つのそのような木がコラージュされて、一部白く彩色されている。縄文時代にはUFOのような不思議なフォルムが土偶の中につくられているが、そのような日本の奥深いところからあらわれたコンポジションのように思うと興味深い。

 川井雅樹「我々は何処へ往くのか(原発事故2)」。下方にマスクをした犬がいる。上方には放射能の黒い雨や風のようなイメージがあらわれる。犬の周りには横たわった死体のような人形。原発のフォルム。俯いて座っている人間。それぞれが人形化され、寓意化された表現となっている。あまりにもなまなましい現実はじかに描くと見るに耐えないものがあるだろう。それを人形芝居のように表現して、鑑賞者を引き寄せる。

2室

 武田恵江「こどものじだい─いっ」。左下から右上方に向かってカマキリが逆立ちをしている。そのカマキリのおなかのあたりに手を当てて、少女が斜めになって浮いている。透明感のある色彩がきらきらとした雰囲気を呼ぶ。グレーや緑、オレンジ色、赤などの色彩がそのようで、まるで逆立ちしたカマキリとこの少女とが一体化したような雰囲気。あるいは、友達となって遊んでいる様子が楽しい。自由にデフォルメした形が生き生きとした生命感をつくりだす。

 鶴田貞男「白糸の虹」。滝が左右に広がっている。下方から虹が浮かび上がる。深い緑の樹木の表現と水。そして、樹木の中に浮かび上がる白い花のような存在。画家のスクリーンの中に浮かび上がる世界は、客観と主観との境界領域のようなところにあらわれる。

 ユタカ順子「向いの窓 ミッドウェイ」。ミッドウェイというと、日本が太平洋戦争を起こし、最初に敗れたミッドウェイ海戦を思い起こす。そこにはたくさんの日本の兵士がいまなお眠っているだろう。そんな歴史的な経験を踏まえて、深いレクイエムの表現のように感じられる。四つの窓が描かれている。茶褐色の壁がそのあいだにあって、手摺に唐草文のような文様がつけられている。その文様が実にイノセントで、深い感情を表す。その手摺は手前に置かれているが、柱の向こう側にもそのシルエットが置かれている。黒い水平線が下に伸び、上方に細長い雲が浮かぶ。言葉にならない悲惨な出来事。しかし、日本人が真摯に生きる結果が戦争となり、そこに若い兵隊を含めてたくさんの人が亡くなったことに対する深い鎮魂の思いが、この不思議な唐草文様ふうな花のようにも星のようにも見えるフォルムをつくりだしたと思う。

 井上千代子「原風景への回帰(・)」。女性の上半身が描かれている。その上方に大きな鯉のぼりが二つ翻っている。下方には道の周りに樹木が立ち、赤い屋根の民家などがあらわれる。生まれたふるさとの風景を画面の中に呼び起こし、再生し、リフレッシュする。そんなイメージがしっとりとした緑の変化のある色彩をバックにして描かれる。とくに二つの鯉のぼりの空気をいっぱいに膨らませて空を泳ぐ姿が、そのようなイメージの象徴として生かされている。

 伊藤勇夫「大和棟 ・」。昔ながらの瓦屋根の建物。漆喰の壁。それらを組み合わせながら、独特のハーモナイズする空間をつくる。右上方の家の前の空き地に荷車や梯子が置かれているのも懐かしい。

 ふるた加代「connection1・2」。二つの画面が左右がほぼ一曲のような構図になっている。黄色いテーブルの上には絵具の刷毛やフレスコ、びん、コップ、絵具のチューブ、電話機、スケッチブック、ボトル、時計などが置かれている。黄色の上に紫でそれらのものたちが描かれ、独特の生気をつくりだす。黄色と紫は補色関係であるからなおさらである。真ん中がグレーにあけられ、その周りにU字形に褐色の空間があらわれ、そこには集落が描かれている。静物の周りに大きなパノラマ風景があらわれ、記憶の中の光景と目の前にあるものたちがお互いに呼応する。時空間の異なるものをそのようなかたちで入れるコンポジションに注目。

 渡辺みよ子「week end」。卓上に白い布が置かれ、壺などがある。壺には数本の花が差されている。もう一つの壺からネコジャラシのようなものが一本伸びている。バックはグレーや白や黄色、紫の矩形の色面である。全体に弾むようなリズムがある。静物をほとんど色面、あるいはシルエットのように置きながら、全体の構図に独特の響きのあるところが面白い。

 森博子「いきるものたち(収穫)」。たくさんの蟻がいる。昆虫の死骸が解体されて、ほうぼうに散乱している。花のようなものも実のようなものもあり、それぞれに蟻がとりついて、それを解体し運ぼうとする。まるで合戦のような騒々しい光景である。蟻の目線でその周りの状況を捉えるというエスプリのきいた作品。

 永原和子「日記 KAZU-2013-1」池上浩賞。褐色のモノトーンの世界の中に妖精のようなものが動いている。左には大きな南瓜が花のように置かれ、周りに花が咲く。右のほうにはまた不思議な瓜のようなものから花が咲いている。釣鐘草のような花の上に妖精的な子供がのっている。花の中から上体を引き出して、実を差し出しているところ。そこには巣があって、小鳥の家族がいる。魚が泳ぐ。グレーの上下を赤い色彩が覆い、強いノスタルジー、あるいは子供の時のイノセントな時代に返ろうとするかのような動きが感じられる。右には機関車が走り、上方には道のそばに素朴な民家がある。引退し、もう一度子供の頃の世界に戻ろうとするかのような、そんな心象表現が楽しい。

3室

 松下喜郎「古都変貌」。マテーラのような街並みの上に風船が無数に飛んでいる。独特のリズム感があって、希望のようなイメージがあらわれる。音楽的感興を覚える。

 小野康子「雨上がり」東京都議会議長賞。雨が上がった。大きな花にはまだ水滴が残っている。小鳥がサクランボの実をくわえて喜ぶ。バッタもこれからジャンプしようといった雰囲気で、黒い目を輝かせている。そんな様子を少年が眺めている。そばにアゲハチョウが飛ぶ。自然と近い関係をもっていた子供の頃のイメージを引き寄せながら、全体を擬人化したコンポジションになっている。一種の三角構図の強い構成である。

 大杉英郎「終電車(雨)」。右斜めに傾いた動きが連続しながら、独特の心象表現になっている。街灯があり、街があり、集合住宅があり、といった様子で、その上方にいま電車が通過しつつある。夕闇に電車の車内が光っている。そのような光は電車の中のみならず、暗い部分にたくさんあって、独特のきらびやかな雰囲気をつくる。たしかに夕闇や夜に走る電車は、ノスタルジーとか哀愁とか様々な凝縮した感情を引き起こすが、この作品はそのような感情と同時に街全体と電車とが一体化しながら、楽しい音楽的な空間が生まれているところが興味深い。

 面矢元子「旅に出よう」。一輪車に乗る裸婦が三体、画面の左右に置かれている。一輪車が動いている。その動きが、自分の心の動きと呼応する。たとえば、旅に出よう、外に出よう、あるいは瞑想の世界に入っていこう。そういった心象のもつ繊細な様子を、この翳りのある裸婦のフォルムによって表現する。不安定なかたちで一輪車に乗っている。台座は描かれず、動く車輪と座っている裸婦の三体のフォルムによって描かれる。その危うさ自身が心のイノセントなピュアな性質をしぜんと表す。黄色からくすんだ褐色までのトーンの変化とグレーのトーンの変化によって、実に柔らかな心のひだがあらわれる。イマジネーションが光となって画面全体を照らしている趣もある。そして、中心がすこしあけられて、戸外の風景が暗示される。

 井上久希子「僕らは宇宙に住んでいる 2013─1」吉村芳松賞。漫画的な表現である。画家のつくりだした巨大な気球のようなフォルムは宇宙船で、そこは船という以上に、建物が宙に浮かんでいるといった趣である。その外側にも街があらわれて、人間や生き物も含めて千ぐらいのフォルムがあらわれている。エネルギッシュな空間である。画家の住む宇宙は心の中の宇宙と言ってよい。たとえば月にロケットで飛ばなくても、心の中で月に住むことはできる。そういったイメージによる宇宙の住み方を、楽しく独特の生気のなかに表現する。

 小枝真紀「APES I」。二頭のゴリラが描かれている。手前が男で、後ろが女だろうか。しっとりとした重量感のあるゴリラが、台の上に座っている。ほほえましい。女性にとってゴリラは父の仮託された存在と重なるものがあるにちがいない。温和な老夫婦のごとき雰囲気が楽しい。

 榎原保「忘れてきた学舎 ・」刑部人賞。画面が左右にゆれている。青年時代に学んだ校舎が幾棟も描かれ、それらのフォルムは画家の心を反映して振子のようにゆれている。真中上方に大きな学舎がある。ずっしりとした存在感がある。憧憬の心のいれられたボックスといった趣。褐色の時間に晒されたような色彩、手触りのあるマチュールが、画家の心のヒダをあらわすようだ。

4室

 中神ふみ子「記憶の断片(・)」。淡いベージュの空間が広がる。その中に矩形や三角形、円などのフォルムが浮遊する。それらは黄金色に彩られている。右上方にはひっそりと白い円が画面上辺すれすれに現れ、それは月を思わせるようだ。もっとも、下方の円も月を思わせるところがあって、空を見ながらイメージを紡いでいくロマンティックな味わいが感じられるし、優しい感情表現と言ってよい。日本の和歌の生まれるその素地の心象空間のように感じられる。

 生川香保里「宙・ ・」。激しいダイナミズムを感じる。下方の左右に引いたストロークから右上に上がり、円弧のようなものをつくっている。その上方にはハート形の淡いフォルムの中に赤の色彩が入れられ、血管のようなフォルムがあらわれる。背後には樹木のようなフォルムが立ち上がっている。下方には白い道を思わせるフォルムがある。道と樹木とハートと、そんな中を動いていくイメージの軌跡を絵画的に表現し、力強い生命感をつくりだす。

 藤野眞佐子「liberté 13A」。卓上を思わせるような矩形が三つ重なって、その上の植物的な文様の白黒のフォルムの上に黒い色面があり、その上に様々な旅の記憶のようなものを図像化したものがトランプのように置かれている。そんなイメージの空間を浮かべている自分自身を象徴するように、円弧のベージュの柔らかな風のようなフォルムがあらわれ、右のほうではそのフォルムが女性の横顔になっている。フォルムを自由に使いながら、独特の時間をベースにした空間をつくる。

 中谷昭子「イリュージョン ・」。赤い色彩が祝祭的な効果を表す。左上方には太陽や星を中心として様々なものが集合しながらうたっているような趣で、楽しい。右下には地上的なイメージがあらわれている。赤い色彩はパッションの色彩でもあるし、太陽の色彩でもあるし、あるいはエジプトの壁画にあるような不死のイメージも表すのだろう。

 須甲包子「HIEROGRYPH- I」。画家のつくりだした象形文字が赤い色面の上に彫り込むように置かれている。そして、不思議な生命感をつくりだす。イメージをこの不思議な赤が包み込んで、内面化し、結晶させるような画面になっているところが興味深い。

 浅井陽子「course of time」。グレーのトーンに独特のニュアンスがある。それにすこし黄土や緑を入れた色面が上方にあり、右上方には花のようなフォルムがチョークで描いたように描かれる。黄土系の色面には渦が描かれている。右のほうからは植物らしきものが立ち上がる。水が温んできて、その水を浮かべながらイメージが展開していくような懐かしさが感じられる。完全な抽象というわけではなく、具象的な要素を画家独特の象徴的な記号のように画面に入れながら、時空間をつくる。

5室

 大田眞規子「Happy-Days」。紫陽花のような花。六弁の花。その中にテーブルがあり、テーブルの上にも花が置かれ、左右に椅子がある。新郎新婦が二人立っている様子。淡いレースのような色調で、様々な形象を織り込むように表現し、ある祝祭的な空間とそのイメージの広がりを表現する。

 MIHALACHEIULIA「RED PLAYING I」。赤い魚、白い魚が泳いでいる。それがモザイク状の画面になって、実に図像的な強さを表す。

 堤正夫「ナニモキカナイデ(上)」。黒の上に銀による色面があらわれ、その中に黒による円弧が連続している。銀の色面から紅葉した枯葉のようなイメージが垂れたり伸びていったりして、ノクターンと言ってよいような心象空間が生まれる。雅びやかな美意識ともいうべきものが興味深い。

6室

 斉藤照子「nostalgia(II)」。マチエールに画家は関心があって、ほとんどレリーフのように絵具を盛りあげたり、麻のようなものをコラージュしたりしながら手触りをつくる。一階建ての漆喰の民家や黒く塗られた壁に白い扉のある建物群が上方に向かい、右に下がっている。すこし俯瞰した構図になっている。上から見る形と正面から見る形を組み合わせながら、幼いイノセントな子供たちが建物になってこちらを向いているような趣で後方に連なっていく。後方には丘があり、白い樹木が生え、あいだに小さな教会があるのか、独特のアクセントになっている。接近すると、時刻は一時二十五分。上方に月がかかっているようだ。灰白色、青みがかったグレー、ベージュなどの色彩に抑揚があり、ニュアンスがあり、メロディが画面から聞こえてくるようだ。

 荒木田和美「三輪の社(三田市)」。神社の正面が画面全体に描かれている。階段を上っていくと賽銭箱があり、綱がぶら下がっている。引くと音が聞こえるのだろう。上方に御幣がある。太い綱が渡されている。左右には御神灯という提灯がいくつも掛かっている。両側には狛犬が高いところと低いところと合わせて四体ある。晒されたような白い色調でこの神社が描かれている。独特の霊気が漂う。下方は青みを帯びたグレーで、空は赤褐色。神社のもつ強い波動が画面から放射する。

7室

 松浦美智子「RAIL ROAD-2」。白いボディをつくって、上から墨や水彩絵具などで歯車のような形や鎖や機械の内部の構造のようなものを描き、それを組み合わせながら、クールな詩情ともいうべき空間をつくりだす。電車を構成するメカニックな要素をピックアップしながら、そのエレメントによって独特の憧れのような詩的な空間を新しくつくりだす。直線や円弧が複雑に絡むのだが、全体で統合され、上方に向かっていくような動きがあらわれ、夢の世界にいざなうような力がある。

 谷本勝美「工場 ・」。巨大な工場を俯瞰している。縦横にわたるパイプや柵などが描かれ、とくに黄色い柵は画面を縦横に動きながら独特の抽象美を表現する。

9室

 和田依佐子「巡る季節の中で」努力賞。優れた描写力を感じる。古い水道ポンプが壊れて立っている。周りに蔓のような植物が伸びて、花を咲かせたあとの様子が描かれている。水彩にパステルが使われて、繊細な味わいが生まれる。周りは秋の枯れた茶褐色の空間である。ポンプの上あたりに青みがかった暗い空間があり、記憶の深い井戸のようなイメージがあらわれる。茶褐色の中にブルーやオレンジが繊細に扱われ、まるで宝石のような雰囲気で、季節の音色を鳴らせるようだ。中心のポンプのフォルムが実に面白く、その直線と曲線による構成は現実をベースにして、ふくよかな夢のうつわのようなイメージも感じられる。

12室

 福田きくの「朝を待つ」。大きな川か海かが画面の中景までを占めて、対岸に建物が黒いシルエットになり、点々と光が見える。それだけの光景だが、緑や紫、柔らかなベージュなどの色彩が相まって繊細なメロディが聞こえてくるようだ。

 野崎静子「街の表情」会員推挙。独特の色彩家で、扉や建物の壁、屋根、樹木、白い塔のある教会などを配置し、それぞれのフォルムと色面とが生き生きとハーモナイズする。とくに手前の黄色と青の扉と遠景の教会の白い壁とが、高いテンションで共鳴するようだ。

14室

 神﨑順治「床屋(老舗シリーズより)」。床屋の赤と白のストライプの回転する看板がある。動き出すと、独特の縞模様のかたちになる。ガラス戸の向こうに椅子があり、鏡がある。理髪師がシルエットとして見える。煉瓦造りの壁。それぞれのディテールがクリアであるところが、この作品の面白さである。その中にしっとりとした情感が醸し出される。

16室

 山際和子「再生の時 ・」。犬と猫を従えて女性が立っている。そのフォルムがクリアで力強い。背景には三陸の断崖を思わせるような岩組みや大きな植物がある。シンプルな三角構図の中に白い衣装をまとった女性のフォルムが優れている。

 小林博「蘇生 ・」。機関車の車輪。上方には貨物車。その後方には進んでくる電車。そういったフォルムがじわじわと前方に向かってくる。オレンジ色のバックの中を手前に向かってくる動きは力強く、題名の蘇生、回復、復活といったイメージにふさわしい。重量感というものを平面の中に生かした表現として注目。

 山本貞子「白日夢」会員推挙。バッファローが二十頭ほど手前にいる。中景には不思議な建物がある。その建物の周りを魚が回遊している。アメリカ大陸のバッファローはインディアンとともに暮らしていたが、西部の開拓によって全滅したそうである。かつての懐かしい時代のイメージを画面に引き寄せようとする。中心の建物はインディアンの住処であるし、聖なる場所のような強いイメージがあらわれている。

 辻みどり「時を駆けて」。茶褐色の屋根と白壁の建物が下方にあり、それを上方から眺めている。巨大な時計のある建物が浮かび上がる。そして、白いスカートをはいた女性が時計に摑まって空中ブランコをする。向かって左には、それに向かって白馬にまたがる一人の青年が現れている。幻想的なイメージをダイナミックに平面空間の上に表現する。

 中村澄江「アア、ケータイ」。グラフィティアートと言ってよいような面白さがある。下方には子供たち、上方には婆さんや本を見る人、音楽を聴く人などが吊り革にぶら下がっている様子。青い暗いバックに赤や緑、黄色などの原色の色彩がちりばめられ、ヴァイタルな力を引き寄せる。

第35回記念新洋画会展

(5月11日~5月19日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 小林恵久夫「ヴァイマール」。広場の向こうに教会が建っている。周囲は薄暗く、窓から明かりがぼんやり漏れている。どこか寂しい雰囲気である。教会と鑑賞者の間に設けられた空間が、そういった独特の雰囲気を上手く作りだしているようで強く印象に残った。

 太田英博「朝霧」。浜辺の情景である。白いワンピースを着た女性が手を水に浸けている。何かを拾おうとしているのだろうか。ふと見かけたワンシーンを切り取って描いたような、臨場感が魅力である。

 荻野栄蔵「南アルプス・前衛の山並み― A・B」文部科学大臣賞。雪を戴いた山並みを望む風景をパノラマ的に描き出している。筆を丁寧に扱って、細やかに描いているところに好感を持つ。作品の中にある爽やかな雰囲気が特に心地よい。

 庄司陞「洪水は我が魂に及び」。東日本大震災による津波の被害を想起させる作品である。手前の女性と遠景の船、その中間、左下にある小さなボート。忘れられない記憶を刻み込むかのように描き出している。画面全体を包む青の色彩が、そういったイメージを作品に引き寄せているようで興味深い。

 いなだ牧子「Alberobelloへの旅」。手前と奥にある街に挟まれた空間に白や黒の馬が数頭描かれている。コクのある灰白色を中心に、様々な色彩を少しずつ効果的に施している。幻想的な世界観の中に、強いロマンを感じさせる作品として注目した。

第73回美術文化展

(5月12日~5月19日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 五島秀明「ザマニシリーズ・壇・信」会員賞。キャンバスの上に二枚の紙を貼り、その二つの合わせ目が画面の真ん中を横切っている。それが構成の一つの軸となっている。下方は台形のようなフォルムで、金がたっぷりと入れられていて、周りの黒い空間の中に輝く。上方に山や月のようなフォルムがあらわれている。二つの上下の空間を円弧の巨大な月とも魚とも見えるようなフォルムが横切っている。自然の深い奥行きは、夜の中に竹竿でも振ってみると、その手応えのなかに感じることができる。その竹竿を振って感じる空間の密度のようなものが画面全体にあらわれ、深く振動するような趣である。そこに水が黄金色に輝き、月が現れ、古墳のような山が引き寄せられ、赤い光がそこにあらわれる。松明のような光である。自然のもつ気配を、ある元型的なフォルムによって表現する。平安時代の中世の風景のような趣も感じられる。

 竹内庸悦「聖なる廃域」。天使の像が三体あり、その周りは崩壊した壁や柱である。おもちゃの鳥が時を告げようとするかのようだが、動いていないようである。崩壊の現実を光が照らす。そこでは天使も語らず、一切が沈黙の強い印象である。

 浅野輝一「ある出来事から」。下方に十三人の男女がいる。グレーの色彩の人が六人で、背後に七人のシルエットの男女がいる。それが不思議な哀愁を帯びて表現されている。夕暮れの中の群像のようである。心の内部にひそむ人間たちが活性化して動き出し、曖昧であるが、なにか深い感情を彼らが語っているようでもある。背後は淡いブルーの空間である。水墨でいうたらし込みふうなあわあわとした渾沌とした、しかし透明な光を含んだような青で、それは下方の人物の周りになると、すこしピンクを帯びて優しい調子になる。上方に女性のボディを分解したようなフォルムが浮かんでいる。よく見ると、それは丘や山のようなフォルムにも見えるし、その上方の緑やブルーの空間を合わせると、もう一つのあやしい自然のようなイメージも感じられる。その上方の自然、もちろん女性のボディも自然の一部と言ってよいのだが、そういった有機的なフォルムと下方のパントマイムふうな人物像とはどういう関係をもつのだろうか。その渾沌とした上方の有機的なフォルムは心の層の重なりで、その層の中から下方の会話が生まれたのだろうか。いずれにしても、ミステリアスなフォルムが上方に漂っている。二つのあわあわとした青いたらし込みふうな空間があり、そこには時間の要素も入っていて、渾沌とした印象である。下方のグレーの男女に一部柔らかな光がスポットライトのように当てられているのも、深い印象を醸し出す。人間の生きているということの証明とも言うべき内界にうごめくものたちのイメージを哀愁のなかに表現して、鑑賞者を引き寄せる。

 鈴木秀明「煉獄(れんごく)」。煉獄とはキリスト教で罪を浄化するための世界で、その浄化が終わると天国に行くそうだ。ここに描かれているのは頭の壊れた三体の彫刻で、下方にはギリシャふうの彫刻が傾いたかたちで置かれている。煉瓦を積んだ棚の上に壊れたものが散乱し、そこに右手が現れ、その掌に球体が浮いている。再生のイメージがそこに感じられる。崩壊した中から新しい命が生まれつつあるようだ。上方から羽が落ちてきているのは、死んだ人間たちを象徴するようだ。その中に十字架を思わせるフォルムがあらわれて、後光を持っているのが目を引く。巨大な破壊のあとに、もう一度生まれいづるもの。手はキリスト教ではよく神を示すものとしてあらわれてくるが、そのようなイメージが下方の中心の手に感じられる。

 船本寛「エーゲ海―幻想」。エーゲ海が紺碧の緑の色彩で、波が寄せてくる様子で広がっている上方に、廃墟の中の一部のようなものが描かれている。女性の横顔もあるし、仮面のような顔もある。あるいは、城塞のような壁も見えてくる。地中海の滅びてしまった時代に対する懐かしさ。そして、ここで今暮らすブロンドの女性といったイメージになるだろうか。ロングタイムの時間を軸にしながら、下方に寄せてくる波がリリックなイメージを与える。

 本山正喜「業に沈む」。アダムとイヴの神話をテーマにしている。イヴの二つの顔。イヴの全身像。左手に林檎を持って顔を隠している。林檎が周りに四個浮遊している。女性の髪の毛の中から蛇が現れている。蛇はイヴに林檎を食べるようにそそのかした知恵の象徴である。情念とかジェラシーといったイメージもこの蛇にはあるようだ。イヴのフォルムが生き生きとしている。背後は金箔を貼ったような空間になっている。装飾的空間の中にアダムとイヴの神話をイコン的に象徴的に描く。フォルムが語りかけてくる。

 石原収二「原始大気・ダークマター」。二年前に津波の恐ろしい現実が日本を襲った。いま海は静かに凪いでいる。上方にあやしい動きが感じられる。それは二年前のあの津波の恐ろしさのイメージだろうか。平和なものと不穏なものを画面に対置する。

 寺岡ひとみ「タイムリミット ・」損保ジャパン美術財団賞・奨励賞。巨大なチューブが旋回する中に倒立した人間の足がのぞいている。悲惨なこの前の福島原発や津波のことを思い起こす。ダイナミックな管と有機的な人間の足を使った表現である。

 圓尾博一「御伽草子(ZENZAI-Doji)」。下方中心の大きな画面は矛を持って立つ善財童子とある。そばにガマが控えている。善財童子の念力が紐のようになって周りに動いていく。後ろにはライオンを従えている。そのぐるぐると回る動きは上方と左右に動いていく。上方には炎のイメージ、右には海や空のイメージ、左には大地のイメージがあらわれる。地、空、火といった、中国でいう四大元素のようなものが周りにあらわれ、そこにこの善財童子の念力が伸びていくといった面白いコンポジションである。それぞれのフォルムが力強く、一種アニミスティックな力を獲得する。

 石川裕「夢を被る人 ・」。柔らかに彫り込まれて白く彩色されたフォルムが立ち上がり、その上方に鳥の頭のような形があらわれ、その頭から樹木が伸びてきている。裸木である。へそのあたりからカーヴするフォルムが強い印象である。へその緒が伸びている様子で、丹田の奥底から夢につながっていくチューブのようだ。そんなイメージがそのまま一つの樹木のイメージと重なる。そして、それがまた人間のイメージと重なる。そういった複合的なイメージの重なりを中に含んだ生き生きとしたモニュマンである。

2室

 直原清美「時を織り込んで」。グレーの中に黒が入り、柔らかなピンクが入れられている。巨大な花が夜の世界に開いているようなあやしいイメージが感じられる。

 藤野千鶴子「神様トーク」。横長の画面であるが、ある崩壊した現実があるようだ。その中から新しい命がいま生まれつつある。それを中心の歪んだ大きな太陽のようなフォルムによって表しているようだ。その赤は左上方にも右上方の浮かんだフォルムにも置かれている。淡い上方の周りを取り囲むベージュの空間の上方に、ささやかな生き物たちが現れつつある。中心に月のようなイメージがある。そして、その光に温もって生まれつつある何か幸せな予感。周りの、寒色を中心としてそこに黒などの入れられた、複雑な独特の細胞が集まったような空間の中にも、白い月のようなイメージがあらわれている。ぽっかりとあいた中心の空間の中に現れた太陽のような生命を吹き込む存在と、その周りの混乱した地上界のようなイメージを、独特の細胞的なフォルムを組み合わせながら表現し、それを取り込むようなステンドグラス的な線があらわれてくるところが面白い。緩急というのか、空いたものとコンストラクションするもの、虚と実とがない交ぜになったような独特の空間のコンポジションに注目。そして、中心の柔らかなベージュの光や太陽のもつ癒しの力がしぜんと画面にあらわれる。

3室

 小関通「縁日 2012─1」。神社のもつ不思議なアニミスティックな力が画面に引き寄せられる。上方に神社の屋根を思わせるようなフォルムがあり、大きなゼンマイのように飛び出たフォルムはジャラジャラと音を立てる鈴に垂れ下がった綱のように感じられる。下方に人がたくさんいるが、上半身をたくさんのパイプが連なったフォルムによって覆われている。そのたくさんのパイプの連なったフォルムは光ファイバーが集合したフォルムよりもっと強大な力をもっていて、過去から現代につながるわれわれの時間軸のケーブルのような雰囲気である。そのような神道的な強い力は日本人の心の中に流れているにちがいない。やがて神仏が習合するわけだが、ここにあらわれるのはもっと古神道的な、日本人のもつエネルギーのベースにある力のように感じられる。

4室

 金鎭源「初春」。春のリビドーを上向きの男性の顔にして表現したようだ。それを取り巻く首や胴体、衣装が大きな植物のイメージに重なっている。そこに光を受けて赤く紅潮した男性の上向きの顔が、実にヴィヴィッドなイメージを引き起こす。

 吉岡治美「この巨大な竜は(黙示から)」。ヨハネ黙示録からヒントを得ている。黙示録的な現実がつい最近、福島原発の事故として起こった。二年前のことである。核融合によって原子炉は電気をつくるわけだが、その世界が崩壊した。プルトニウム、いわゆる燃料棒は半活性化の状態で沈められていて、まだその事故は終息していない。その恐ろしい核分裂という自然の内部にあった巨大なエネルギーを画家は竜にたとえる。サタンは天使の堕落したものであるが、そこに現れてくる竜はもっと深い、自然のもつ恐ろしい力のようにヨハネ黙示録の中にはあらわれる。そのような竜のイメージをプルトニウムと重ねながら画家は表現する。何頭もの竜が輪になって上方に浮かんでいる。下方に散乱する建物の跡。はるか向こうに白い鉄塔。竜は笑っているような趣がある。プルトニウムが事故を起こして活性化した様子、自然の力そのものが不気味な笑いとなって画面の上に描かれる。科学というものには本来善悪はないはずだ。その科学の力の最も本質的な恐ろしさを画家はこのようなかたちで寓意化する。同じように画家が患ったガンもまた制御できない力で画家の体を蝕んできたが、そのような痛切な経験もプルトニウムのイメージと重なってあらわれたのだろうか。

 四宮久美子「スリリングな毎日―・」。縦長の画面の中心に赤い大きなストライプがあり、周りにグレーが置かれ、矩形や三つの円などが配置されている。そして、それは刻々と動いていくようなムーヴマンが感じられる。赤と柔らかな黄色みを帯びたグレーとが生き生きとしたハーモニーをなす。日常の中にある時間を画家は画面の中に拾い、そこに命を吹き込む。

 逸見幸也「『誕』魂の風景 Part.1」。無数の霊魂が集合しながら、あやしく動いていく。そんなものに取り囲まれる中に球体があり、その中に胎児がいま成長しつつあるような雰囲気。いわゆる因果律ではなく、縁起的な無数の条件が動くことによって世界が動いていくといった、華厳経的な世界観を表現しているように感じられる。無数の点は集合すると人の形になり、あるいは樹木になり、波になり、花になるといった様子で、この球体の周りをあやしくうごめいている様子もまた強いリアリティが感じられる。

 宮川達也「伸 2013」。大きな樹木から彫り出したような雰囲気である。木の中に節があると、それはそこから枝が伸びていたわけだが、そういったものを木の中に見出して彫り進み、あやしい不思議なフォルムをつくりだしたかのようだ。まるで閉じ込められていた時間が解放されて、それぞれの時間がこのミロふうな立体的なフォルムとしてあらわれ、ダンスをしているようなあやしい味わいに注目した。

5室

 堤光子「希望 ・」奨励賞・会員推挙。青みがかったグレーの中に、下方には白い花が浮かび、上方には顔の一部や指がのぞいている。それをシーツのような布が包み込んで拘束し、包囲している。時計がそのシーツの上で曲がり、時が失われる。その中に何か新しきものが生まれつつある様子が、顔や手の形によって表現される。生まれたものが、いわば曼陀羅的な花のイメージとして下方にあらわれる。

 山口裕美子「TIME TRAVEL」。下方に蓮の葉と花が描かれている。蕾と満開の花。満開の花のみピンクによって描かれて、周りはグレーである。上方に花托が置かれ、そこから種が下方に下りてきている。下りてきて、やがて伸びていき、下方の花になった。そして、面白いところは、花托の中にピンクや青の優しい柄のスカーフが置かれていることである。スカーフの輝くような色彩は、そのまま満月を思わせる。蓮の一生ともいうべきものが花托と下方の花によって表現されるわけだが、それを照らし続ける月のイメージが背景にあり、その月を描くのではなく、月をスカーフに変容させて花托の中に置いたといった雰囲気である。そこにこの画家の優しい、独特の女性らしい叙情が表現される。そして、そのスカーフは円弧を描くように折られていて、そこにも静かな時というものが感じられる。時の雫がしたたり落ちるように黒い花托のしっかりとしたフォルムの中から種が下方に落下しつつある。ミクロの時間とマクロの時間をともに画面の中に表現する。

 古田倫之「ラミレイティング・・・による表現」。青い背景から徐々に形が生まれつつある。そこに赤や黄色、緑などの純色が置かれている。自然のもつ生気、気配、息吹といったものが面白く表現されている。その森の中に刻々と変化し発生するもののイメージを画家は表現しようとするかのようだ。

 小黒ツヤ子「海華(・)」佳作賞・準会員推挙。海の渦を面白くポップアートふうに表現している。そのフォルムがそのまま暗い海に浮き出た花に変ずる。独特の才能である。

 山下春代「バッカスの変貌」新人努力賞・準会員推挙。人間の内側にあるエネルギーを画面に引き寄せる力がある。目に二つの唇。その顔を摑むような二つの手と上方に覆いかぶさるいくつかの手。手がうねうねと体の周りを動きながら、それぞれの部分を確かめ、それぞれの部分の力を引き寄せる。いわば念力的な力を人間の形を使って表現していて、面白い。また、一種シュールな味わいも感じられる。

7室

 山田光代「はなびら・彼方へ」。背景の暗い青から明るい青までの空間が深い。そこに桜の花びらが散っている。小さな花弁の配置に独特の審美性が感じられる。花は上方から下方に下りてきているようにも見えるが、また、下方から上方の、ちょうど画面の中心の暗い世界に向かって集中して昇っていっているような雰囲気も感じられる。いわば仏教の音楽、声明の音色をこのような花びらの配置によって表現したような、独特の空間のクオリティが表現されている。

8室

 加藤順子「未知」。森の中から新しい命が生まれつつある。そんな様子をブルーコンポゼやピンク、黄色の色彩で暗い背景に円弧をつくりながら、生まれてくる姿を鳥のフォルムによって表現して、独特の詩的なイメージをうたう。

9室

 奥田美晴「瞳」。現在の自分の顔、過去の少女の頃の顔、やがて来る白髪の老齢の顔の三つの顔が描かれている。それが巨大な目の中に入れられていて、強いモニュマン的な雰囲気をつくりだす。一生というものを三体の顔のフォルムによって表現する。背景のマーブル模様の文様が時間の謎ともいうべきイメージを表す。

 三宅設生「リビドー迷走」。ラビリンスのようなフォルムがビルの上につくられている。そのビルは四つの柱によって支えられていて、その壊れたところに人間が三人ほど張り付いている。同じようなフォルムが幻影のごとく下方から立ち上がってくる。それは深い煩悩の世界のようで、上方に光が見える。人間の煩悩ともいうべき無明の世界の様子を面白く絵画として表現する。独特のリアリティが感じられる。

10室

 山田紘一「組曲 青い空に雨が降る」。下方に津波の起きたあとの浜のようなフォルムがあらわれ、そこに竹によって柵がつくられて、網が干されている。上方には下着や衣装、ズボンなどが洗濯竿に干されている。上方には白い雲の浮かぶ空。なにか独特の手触りが感じられる。一つひとつのものに温もりがあり、それを握った画家の生活感情ともいうべきものがリアリティをつくるのだろう。上方には六つの画面、下方には一つの画面、七つのパートを黒い背景に置いて、生活の歌ともいうべきものを身を底辺に置いてうたいあげる。

 久保田年子「夢―創世―」。アンモナイトやアノマロカリスやイカのようなものや蝶のようなもの、様々な生き物がこの海の中を泳いでいる。その海は空とダブルイメージになっていて、空を飛んでいるようにも思われる。画家のつくりだした形がクリアで、それぞれが楽しく、生き生きとした生命の力を発揮する。一種アニミスティックな力を表す。

 森中喬章「乱舞」。黒い激しい動きが感じられる。獅子の頭のようなフォルムが両側にあって、お互いに向かい合って強いエネルギーをあらわし、旋風を巻き起こしているような、そんな不思議な力が面白く表現されている。

 横田常子「α(アルファー)の存在」会員推挙。彩色のものとモノトーンのものと二点出品であるが、モノトーンのほうが面白く感じられる。鶏の頭が中心に三体ほどあらわれて、その周りに鶏の目のようなフォルムが無数と言ってよいほどの大小でそれを取り巻き、翼のようなフォルムがその中に組み込まれて、強い呪術的な力を発揮する。鶏を中心とした画家の独特の曼陀羅的な構図が一種原始的な力を呼ぶ。

 宮澤克忠「喰・殖・私欲・Shock」。正方形の画面とその両側に小さな縦長の画面を置いた祭壇的なコンポジションになっている。中には寝そべって食する人や、運動する人や、叫ぶ人。あるいはヨガのようなポーズをする人。様々な人がいて、煩悩の人間の活動が寓意的にシルエットふうに生き生きと表現される。シルエットは赤であったり黒であったり緑色であったりして、生き生きとしたリズムをつくりだす。右のほうに綱渡りをする女性の芸人が、白いシルエットで描かれていて、不思議な哀愁も感じられる。

 斉木章代「時勢(時間は生き物)」。深い青い色彩と赤とが見事なコラボレーションをなす。そこに円弧が入り、渦を巻くような動きもあるし、風のように柔らかなカーヴの動きもあらわれる。赤には朝日と夕日と二つの性質が入っているようだ。一日の終わりの赤と一日の始まりの赤。それはまた昨日の赤でもあるし、明日の赤でもある、といった時間軸が入れられ、それが青い宇宙を背景にして動いていく。そこに強いポジティヴなイメージがあらわれる。心臓の拍動が聞こえてくるようなリズムもあらわれてくるし、自然の優しい風のリズムもそこに引き寄せられる。

11室

 中山理恵子「沈澱」。下方に男女の抱き合った形がある。それは砂の塊によってできていて、やがてその塊も崩壊するだろう。上方から黒いたくさんの人間が下方に下りてきている。その黒いシルエットがダンスをしたり、墜落していたり、泳いでいたりといった、様々なフォルムで楽しい。束の間の人生を生きて、やがて死んで堆積していく。あるいは、今回の津波のような災害で何万人もの人が死んだが、その死んだ人が重なる中に愛の姿があらわれ、それもやがて滅びていくといった、そんな寓意性も感じられる。いずれにしても、無常感というものを面白く造形している。

12室

 東嶋和子「ふたつの種子」。グレーの中にジョンブリヤンや褐色の色彩が入れられている様子で、独特の厚みのある空間が生まれている。中心に瓢簞型のフォルムがあり、右側には二十七日ぐらいの月が現れ、左のほうには津波のような恐ろしい災害のようなものを背景にして、生き物のような形が見える。犬のようにも骸骨のようにも感じられるフォルムが下方にある。そんな二つの窓を手前の鳥が眺めている。上方に二羽の鳥がいて、一羽の鳥は飛んでいる。下方には街や風景を思わせるフォルムが見える。内界に発見した世界である。二年前の津波のような災害もこの窓の中には見えてくる。それを画家は鳥になって眺めているといった不思議なコンポジションに注目。

13室

 若月朝夫「三角関係」。黄色、青、ピンクの足が絡まっている。その足のフォルムがクリアで、独特のリアルな形があらわれる。それが複雑に絡み合う様子が三角関係ということになる。尻から爪先までのフォルム。そこに色タイツをはかせて、その組み合わせによってパントマイムのようなイメージを発信する。独特の造形性と言ってよい。

 柴田貴子「GENKEI―昇」。波のようなフォルムが縦横にあらわれ、下方には逆様になった鳥や蟻やバッタ、仏の顔などがつくられていて、ちょうど舞台の装置として背景に置くと、その前に語られるドラマが活性化するような独特の作品。フラットなフォルムを立てて、そこに垂直のフォルムも入れながら、独特の空間をつくる。

 

第73回日本画院展

(5月12日~5月19日/東京都美術館)

文/高山淳・大澤景

1室

 辻次まさみ「早春の風」新人賞・会友推挙。春の大気の生命感ある風が吹いている。金銀をあしらわれた白い光の束が、右から左へ流れている。その中に、目を閉じた女性が歩いてくる。精霊のような、静かな生命力に満ちたイメージである。中央に横に引かれたライン、リズミカルにひかれた黒い描線が画面を引き締める。(大澤景)

 佐藤有里恵「神話」望月春江賞。ブルーを基調にした、奥行きの感じられる構成である。ゆったりとしたストロークで構成された画中の左右に、白く描かれた木が二本立ち並ぶ。遠景に茶色い樹が立ち、大きな、茶色い葉をつけている。心の奥の原初的なスペースに向かって行くような、躍動する息吹きが感じられる。(大澤景)

 半本藍「鎮守 初夏」ロバート・クラウダー賞。鎮守の森の一本の樹。堂々とした幹に、大きく広がって繁る葉の様子が丁寧に描かれている。少し中央より右におかれた樹と地面のわずかな起伏との構成がよく、落ち着いた雰囲気を作り出している。紫の陰をさした緑色が爽やかで、初夏の緑の生命感が鮮やかにあらわれる。バックの空間は白く輝くようで、幻想的なおもむきである。長い時を生きる樹が醸し出す安息感が感じられる。(大澤景)

 高野幸子「海辺の風車」会友推挙。水色を基調にしたトーンがやわらかである。水面がかすかに波立っている。ゆっくりと風が吹いているようだ。風車は風を受けてゆっくりと旋回しているのだろう。風力発電の風車なのだろうか、煙が左方にたなびいている。穏やかな昼の一時(ひととき)の雰囲気を伝える。グリーン系の屋根の色彩が、画面を引き締めている。(大澤景)

 川上嘉宏「ノルマンディ ・」。ホテルのがっしりとしたフォルムが重厚なタッチで描かれている。手前の道路の溝の模様の盛り上がりや、ホテルの窓や外壁の形が目に飛び込んでくる。丁寧に描かれ、密なリズムをつくっている。ホテルの一階は路に面したギャラリーなのか、奥の壁面に絵画がある。その手前に、様々な色彩の車が並んでいる。白いひさしの辺りを二人の男性が歩いている。丁寧に構成し描き切る姿勢に好感を持つ。(大澤景)

 堤三郎「薫風」会員賞。初夏の頃である。左から右にだんだんと下って行く、水の張られた棚田。少しシュールな雰囲気もある水のかたちが面白く、ゆるやかなリズムを作り出している。しんとした中に、爽やかな風が吹いて行くようである。やわらかな緑のトーンや、空の青を映す水、遠景の藍がかった山々といった色彩が、じつに穏やかな気韻をつくっている。(大澤景)

 山田京子「秋晴」会員賞。紅葉した樹木が中景にあり、その向こうに山がのぞく。水を囲む樹木や植物も赤く染まっているようで、その中に囲まれた湖が静かな様子で空を映している。山の上方の空はすこし曇った青だが、水に映る空は深い独特の青とグレーの様子で、神秘的なイメージがそこに表れる。やがて葉は落ちて冬が来るのだが、その前の秋の色づいた様子には、春のエネルギーとはまた異なった深い情趣が感じられる。春が青年の色だとすれば、秋は七十歳ぐらいの年齢を経た人間の魅力と言ってよいかもしれない。そんな季節のイメージを水を中心としたコンポジションによってよく表現する。(高山淳)

2室

 深津富士子「三本の小さな木と絵描き」準会員推挙。細い線で輪郭を描かれた、三本の細身の樹。やわらかに曲がりくねったフォルムに、薄塗りで明るい色彩がつけられている。その清澄なトーンに惹かれる。左の樹から春、夏秋、冬をあらわすのだろうか。真ん中の木は黄色とブルーに分けられており、画面右方の夜の青や山々の青と呼応し、画面に幻想的な調和を作り出している。画面右下に陽がのぼってきているから夜明けの頃なのかもしれないが、夜に静かに輝く木といったおもむきもある。遠景は山道で、杖をつき歩いているひとりの旅人がぽつんと描かれている。道をひとり行く、画家自身の姿だろうか。この樹々は画家自身の心の中にずっとある樹で、それを追い求めているのかもしれない。そのような精神も感じさせる上品なユーモア性も魅力である。(大澤景)

4室

 田端藤次「道成寺」。能の一場面である。右上を見やり、右手をかかげ、左手で帽子のひもを引く動き。薄暗闇の中の陰翳が幽玄な雰囲気を醸し出している。下衣の鳳凰を描いた模様が華やかで面白く、明るい韻律をつくり出す。ひとつの場面が展開する動きがゆるやかに、力強く描かれている。(大澤景)

5室

 岩本美代子「傾く」。モノクロームに近い画面に、黒い矩形を組み合わせたフォルムが描かれている。グレーの建物のようなフォルムや薄黄色のフォルムがバックにある。白い線が光のように射し込んでいる。画面全体から、ゆっくりとスライドするような動きが感じられる。日々の心の移ろいをあらわすような、穏やかな韻律である。(大澤景)

 鈴木美江「アクロポリスの少女たち」。いわゆるギリシャのコレーをテーマにしている。三体置かれている。ギリシャの像は彫刻と言っても神の像である。少女の像も神的な気配を示す。人間と神とが重なったような独特の清らかで透明で明るく澄んだ印象があるが、それをこの画面の上に画家は表現する。グレーによって三体のコレーが描かれていて、特徴的な大きな目とアルカイックスマイルが描かれる。周りの褐色系の色彩はまるで実りの秋のようなイメージで、どことなく、豊かでありながらもの寂しい雰囲気が漂う。そんな中にグレーのコレーたちが内側から光を発するような輝かしい存在として表現される。(高山淳)

 北尾君光「祈り」。女性の顔の円、右上に配された花のようなフォルム、鳥や、サーカスのテント、船、といった要素がグラフィカルな線描で、テンポよく構成されている。画面左上、やわらかな光をあてられた女性は、赤子を抱いているのだろう。ある女性の人生を回想するような物語性がある。そのゆるやかなリズム、やさしい色調に注目した。(大澤景)

 酒井重良「古楽 ・」。時間にさらされたような、古代の壁画のようなマチエール。黄土色の中に、リュートだろうか、古代の楽器を弾く男性、もう一人の男性と、こちらを向く女性。輝くような白い百合の花が散らされる。横に流れる動きが面白い。流麗な古楽の旋律が流れるようである。この作品は特殊な技法で、フラットな、白いアルミ複合版板を支持体に、主に砂を使って描いているという。そうした素材への新しい試みにも注目した。(大澤景)

 荒川喜美子「漾虚No.・ コスモス」。赤いコスモスの花が咲き誇り、集まって球体を成している。花の中味はもわもわと天体のように輝いている。川が手前から奥に向かって、うねうねと渦を巻きながら流れて行く。その様子が、アジア的な宇宙観を想起させる。コスモスと宇宙が重なったイメージなのだろう。周りの景色はそのまま宇宙に繫がって行く。生命の象徴としてのコスモスが力強く輝く。厚塗りで描かれた青と黒のトーンが相まって、生き生きとしたハーモニーを織り成す。(大澤景)

 尾﨑京子「甦る樹木」。抽象化された樹々がリズミカルに構成されている。それぞれの尖端に芽がふいてきている。輝くような茶色で表現された大地に、大らかな生命力をもって、生え伸びている。鮮やかな色感と構成のまとまりに注目した。(大澤景)

 髙橋淑子「ダリア咲く」。大きな赤いダリアの花がいくつも画面の中心に描かれている。後ろ向きのピンクのダリアが、その上方にある。背後は緑の草原で、その向こうに林が見える。ダリアの赤が独特で、夕日を中に入れこんだような色彩として感じられる。夕日が下りてきてダリアとなって、ここかしこに咲いているような、そんな魅力である。それを取り囲む暗い葉は夕闇の空のようで、その中から初々しい緑の若葉があらわれている様子も魅力である。いずれにしても、単なるダリアという物質性を超えて、夕日のような清らかでノスタルジックなイメージが魅力である。(高山淳)

 木曽諦子「胡蝶の夢」。様々な植物が繁茂し、濃密な気配を醸し出している。厚塗りの色彩豊かな画面。アクセントのブルー、緑色のトーンの変化が鮮やかである。画面中ごろにたんぽぽが白く輝いており、そこに光が射すようである。その上方の草に舞う蝶。連環する生命の営みといった、広がりあるイメージを想起させる。(大澤景)

 新井唯一「北アルプスの朝」。朝焼けなのだろう。連なる山々が薄桃色の光に染められている。赤のトーンが面白く、空は幻想的な雰囲気を帯びる。その光にそめられて、山のひとつひとつが人のようにうごめくような、独特の生命感をたたえる。(大澤景)

6室

 百々茂貫「峻崖破月」。断崖の上に十日ばかりの月が浮かんでいる。手前にも断崖があり、そのあいだに水が流れている。ひっそりとした様子で、しんしんとした気配を示す。黒が岩絵具の黒で、独特の手触りをもつ。そして、黒のトーンの変化がしっとりとした柔らかな、しかも毅然とした印象を醸し出す。黒というもののもつ力、その奥行き、幅の広さを、岩絵具の黒によって引き出す。崖と水と月によって構成された独特の山水である。画家の詩情がつくりだした世界と言ってよい。(高山淳)

7室

 滝上くら「祈り(花は咲く)」。点描される光彩が、曼荼羅的な力をもったハーモニーを織り成す。バックの大きな太陽のような光円、地に配された黒円が独特のリズムをつくる。そこに、黄色い百合が立ち、咲き並ぶ。花や葉がこの独特の光の中に、様々な色彩を見せ、祈りの念の結晶であるかのように、力強く立っている。ひとつの凝縮された宇宙空間であるようにも感じられる、独特の光景である。(大澤景)

 木内キミ江「光明」。編笠をかぶった僧が、寺へ続く階段を登ろうとしている。右方に青く描かれた大きな木が幽玄な気配を醸し出す。青のトーンが瑞々しく爽やかである。金の色彩を織り込み右から左に吹く風が、荘厳な気配をたたえている。臨場感ある、力強い構成に注目した。(大澤景)

 高橋かね子「青蒼の海フクシマ」。木の椅子にしゃがみ膝を曲げ、もの思いにふけっている女性。遠景の海と呼応し、ブルーを反映する髪の色。しんとした青の色調が、なんとも言えない哀しみの表情をたたえる。汚染された海と土壌を憂う念。しかし、女性のまなざしは力強く、そこから立ち上がろうとする生命感を感じさせる。女性の体のフォルムの確かさにも注目した。(大澤景)

8室

 畑弘子「『いろはにほへと…』いろは歌」審査員特別賞。桜吹雪が舞い散る丘。右から左に爽やかな風が吹き、花びらが波うつように模様を成している。薄紫や花びらの白のトーンが安らかな雰囲気をつくる。坂道にそって立ち並ぶ桜の木々。道を行く女性が、舞う花びらに手をかざしている。こうしたシンプルな要素で、春の叙情とも言ってよい一つの景をつくりあげる。(大澤景)

10室

 高山喜美枝「松 ・」準会員推挙。すっくと立っている、力強い松である。枝には黄色い実が成ろうとしている。さくさくと描かれた細い葉や、曲がり伸びる枝の一本一本が誠実に描かれている。バックに夕空、下方に町並みが広がる。そういった生活風景の中にある松の頼もしい存在感が、生き生きと描かれている。(大澤景)

11室

 三森千惠子「ハーモニー」。クレマチスの花だろう。花弁の白と紫、蔓や草の緑色のトーンが雅やかである。花々のフォルム、曲がりくねって伸びる茎や葉が、一つ一つしっかりと描かれ、静謐なリズムを作り出している。朝靄の中に力強い生命感をもって立ち現れるような、ポジティヴな韻律があらわれる。(大澤景)

13室

 鈴木岬「微風」。黄色と緑色のトーンで描かれた樹々と草原が、生き生きとした流れをつくっている。もみ紙による模様が画面に深みを生む。風は手前から右奥にふいている。さあ、と吹く音がするようである。雲も速く流れるようだ。夕立がふりそうな不思議な緊張感が面白い。(大澤景)

 築地明美「時の忘れ物」佳作賞・会友推挙。大きな巣を張り巡らせている蜘蛛。蛾が一匹、捕まっている。これから補食するところだろうか。それぞれのフォルムがしっかりと描かれる。草原の片隅の、小さな生命のドラマである。打ち捨てられたような樹に、鮮やかな赤、黄、緑の色彩が施され、躍動感を持ってこの光景を引き立てる。空の色彩も同様である。うねうねと連なる蔓の表情も面白い。(大澤景)

14室

 桑田真紀「春の訪れ」。華やかな色彩が、丁寧にまとめられている。上品な薄紫を基調にした空間に、白い鳥かご、色とりどりの薔薇、伸びた蔓に止まる青い鳥たち。それらがうまく組み合わされ、面白いコンポジションを違和感なく自然につくりあげている。画面の左上、花の突き出たところに一羽の鳥が飛んでいる。その周りにブルーが散らされ、リズムをつくる。やわらかな物語性が紡がれる。(大澤景)

17室

 小野里健二「ダム湖春景」。春光に照らされるダム湖。水の中から伸びる木々は生き生きとしている。湖面の水がゆっくりと風に吹かれ波立つ様子が、斜め上からの視点で描かれ、ゆるやかなリズムをつくっている。現実にある景色なのだろうが、幻想的でもある。この光景を包み込むようなやさしい視点がある一方で、この光景が何らかの危惧を象徴しているようなおもむきもある。そうした不思議な構成に注目した。(大澤景)

 亀田常子「糸桜」会友推挙。鮮烈な群青が一面に塗られ堅牢なマチエールを作っている。色彩のコントラストが面白い。シルエットのように描かれた枝や幹に、真白い糸桜の花々が、トーンを生かしながら丁寧に描き込まれている。独特の力強い生気が感じられる。(大澤景)

第18回彩美展

(5月12日~5月19日/東京都美術館)

文/小池伊欧里

1室

 斉藤秀雄「樹と牛 ・」。左右に並んだ樹木がゲートとなって、異界へ誘うように幻想的な空間が奥へと続いている。音もなくゆっくりと進む三頭の牛の後ろ姿は、まるで死後の魂を運んでいるかのようだ。同様のモチーフを何度も繰り返し描き続ける中で理想のマチエールや構図を追求しているという。色それぞれのトーンを繊細に変化させながら、特徴的なフォルムの樹木や牛、雲の形をくっきりと浮かび上がらせていて、不思議な温かさを感じる作品となっている。

 原元勝「町並を望む」。濃厚なタッチでヨーロッパの町並みを描いている。画面下半分の密集した建物群からは、人影は見えないものの町の息づかいが感じられる。大きく取られた空の雲の流動的な動きが町と対照されているが、雲の流れが中央の褐色の建物に向かっていることで画面が引き締められている。近景の建物に使われている色彩の発色が心地よく、ジャズのような響きといった趣きがある。

第109回太平洋展

(5月15日~5月27日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 塚田讓「ハッピー・アース」。ローマのコロセウムを思わせるような大小二つの建物がある。向かって左からはシャチのような大きな魚が飛躍し、右のほうには海底油田の建物のようなものが火を噴いている。そして、その二つに虹がかかっている。ローマから二千年たつ現在、地球の様相はずいぶん変わった。それは結果的にはよりいい方向に来たといったイメージを、画家は一つの舞台装置のような空間の中に表現する。左の現代の僧侶ふうの若い女性は『セイブ・ジ・アース』という本を抱えている。後ろに少年がいて、素朴な煙突のある建物が並び、海は青い。

 加藤ひろみ「サボテンのある光景 ・」椿悦至賞。花柄のワンピースを着た女性が手前に立っている。背景に高層ビル群が見える。そして、面白いのは空にサボテンと百合の花が浮かんでいることだ。サボテンは砂漠という過酷な環境の中で生き延びてきた植物である。百合の花は可憐な純潔性を象徴する。この女性もまた過酷な人生のなかを生き延びて、可憐な百合の花のような純潔な花を咲かせてほしいといった画家の思いがしぜんと感じられる。そういった未来に対するイメージを、二つの何もない、からのフレームによって表現する。

 亀谷秀司「3・11―花が死んだ日」。牛が死んで横たわっている。その体に寄り掛かるようにして座っている少年。全体に暖色系の色彩が使われていて、温かい。題名を見ると、一昨年の津波に対するレクイエムであることがわかるが、この作品では、自然と深い関係をもった少年の姿といった趣が感じられる。量感のある牛のフォルムのあいだの少年の姿が繊細で、強いイメージを発信する。

 よでん圭子「渦」。横長の画面の中心に渦が巻いている。渾沌とした時代の雰囲気を表すようだ。そこはバーントシェンナやライトレッドの被膜力の厚い絵具が使われ、それは周りにも広がっていく。そして、その渦に沿うように三人の女性が裸で旋回している。飛天のようなイメージになっている。女性は豊かなボディをもっていて、独特の生命感を感じさせる。仏画の中にある飛天を現代ふうにアレンジしながら、現代の祈りの空間をつくる。

 亀谷佳美「うんちゅう・ ・」荒川区長賞。蓮の葉の上に座っている少女は赤い帽子をかぶり、杖を持っている。紐によって鳥の玩具が吊るされている。背景には船や建物が見える。蓮の葉が雲とダブルイメージになっている。あいだから蓮の花や蕾や花托が伸びている。仏画を本歌として、それを現代ふうにアレンジし、現代の様々な問題を考える女性をそこに置くといったシチュエーションが面白い。クリアなフォルムがそのコンポジションを可能にする。

 大倉悦男「古道を行く」東京都知事賞。画面全体に金が使われている。巨大な樹木が立ち並ぶ下に杖をついた男が立っている。そのシルエットがいちばん暗い黒で、周りの樹木はハーフトーンのグレーになっている。そのシルエットにも金が上からはかれていて、背景は金一色のグラデーションになっている。しんしんとした空間の深さを金によって表し、また、この古道のもつ時間性、あるいは神秘性を表現する。

2室

 山本ミチル「つむじ風と道」。左上方に太陽を思わせるフォルムがあり、そこから渦巻き状に太いストライプが手前に来、下方におり、その赤いストライプに抱えられるように柔らかな緑やベージュ、オレンジ色のストライプが手前に伸びている。その向こうに女性が腕を組んで立っている。女性のフォルムはキュービックな扱いである。未来に対する希望といったイメージが、アンティームな雰囲気のなかにうたわれる。

 佐々木徹郎「浮き桟橋」。板を上に何枚も渡した浮き桟橋が埠頭の海に伸びている。左には白いヨットがたくさん繫留されている。水面に影が映る。光がここに当たる。静かにこの浮き桟橋は動いているような雰囲気もあるし、風によって水面に波が立ち、影も動いているような、そんな印象のなかにしっかりとした奥行きを与えながら、この風景を描く。独特のムーヴマンが魅力。

 下山尋利「春を待つ」。丘の上に雪をかぶった建物がぽつんと一つ見える。近景には裸木がその枝を広げている。そばに池がある。全体が雪に覆われている。手前の木の形が魅力である。幹から枝、枝から梢の先に伸びていく形が繊細に捉えられながら、大きな量感もまた描かれている。三十年ほどたった樹木だろうか。背後の雪一色の空間もそれぞれの地面の位置が描かれ、その上に雪が積もっていて、その位置と位置との関係によって空間が生まれるという写実のオーソドックスな手法がとられている。そして、上方はトーンによる表現で、空気遠近法になり、遠景の山に溶け込んでいく。懐かしいふるさとの風景が浮かぶ。

 鈴木誠市「山雀」。木の幹のそばに女性が立って、すこし寄り掛かっている様子。黒い上衣に花柄の白いスカート、黒い帽子。お洒落な雰囲気。背景の湖畔にはススキが白い穂を靡かせている。中景に猫がいる。湖の上を鳥が渡っている。それぞれのフォルムがクリアである。秋の澄んだ光の中にこれらのフォルムが表現される。敷き詰められた落ち葉の上に遠くを見る猫。その猫のイメージとある共通したものをもちながら、若い女性がなにか物思いにふけっているような雰囲気で、独特のロマンと華やぎを感じる。

 松倉弘子「一点鐘」会員秀作賞。ヴェルサイユ宮殿の一室を思わせるような空間の中に二体の人形が立っている。一体の人形は当時のロココ調の衣装でブロンドの髪。遠くを眺めている。そばに赤毛の今ふうなツーピースを着てショルダーバッグを肩に掛けた人形が同じ方向を眺めている。茶色い帽子をかぶっている。じっと見ていると、右の人形は画家のロマンがつくりだした憧れの世界で、左の人形は画家自身を仮託した存在のように感じられる。面白いのは、そのヴェルサイユふうの衣装をつけたブロンドの女性の周りに蔓のような茎が伸びて、黒い葉がまとわりついていることである。そして、その黒い葉はブロンドの後ろに光背のように並んでいる。まるでマジックをこのブロンドの人形にかけているような雰囲気である。その蔓や黒い葉は深いイメージの源泉のような雰囲気もある。そして、太い黄金色のリングが床の上に引かれていて、その内部に二人はいる。憧れのイメージの世界を絵画の上に描きながら、いわば一種の神秘なるものの性質を画家は描いた。

5室

 中村直弘「帰郷」。雪深い村に通る一両だけの電車から降りた人。そして、電車は向こうに向かう。いまその電車を降りて娘が帰ってきた。その娘は画家のイメージの中で神々しいような張り詰めた姿として手前に表現されている。バックはしっとりとしたたらし込み的な雰囲気で、樹木が雪の中に溶け込んでいる。牡丹雪が降っている。小説の一情景を思わせるような文学性の強い内容をしっかりと描く。

 藤井順子「赤い道」。道の中にも両側にもたくさんの椿の赤い花が落ちている。手前に二匹の猫。樹木のあいだから光が差し込んでいる。この風景は光の半円形の部分により、向こうとこちら側に分かれる。現実と非現実、こちらの世界とあちらの世界といった、不思議なあやしい雰囲気の中に点々と赤い椿が続いている。

 北村洋子「ボヘミアの路地で―・」。祖母と母が並んで座っている。母は編み物をしている。そばのペイヴメントに姉と弟が遊んでいる。斜光線が祖母と母を照らしている。時間が止まったような強いイメージが感じられる。暖色系の色彩が温かい。チェコのある古い街の一隅の情景が舞台のようだ。静かなドラマ性をはらんで表現される。

6室

 灰谷敏子「急坂」。ヨーロッパの風景だろうか。坂が下方におりていくようになっているその中ほどに車が一台。両側には建物が立つ。白い壁のものもあるし、影になって壁が紫色に彩られているところもある。紫色のところはもっと粗末な壁のようだ。両側の建物には強い明暗のコントラストがあらわれ、あいだを急坂が伸びている。空間がひずんでいくようなあやしい雰囲気が表れる。そこに抒情とも人間臭さともいうべき深い感情が表れる。

 蜷川雄介「廃村」。道が中景まで伸びて、そこから両側に分かれている。その向こうに古い茅葺きの民家が廃屋になっている。そのそばには御堂。向かって左奥には農家がある。背後は丘。しっかりと対象が描かれているところがまず魅力。その上に三つの建物の三つの時間性ともいうべきものが表れているところが面白い。

8室

 大島ケイ「風の街」。透明感のある色彩のハーモニーが魅力である。色面の上に線によって建物のフォルムがあらわれる。音楽的な詩情ともいうべきものが魅力。

9室

 川崎常子「深海連鎖の情景(A)」髙梨潔賞。海の中の世界と地上の世界とが深くダブルイメージになっている。下方には珊瑚やゆらゆらとした海草のようなものが伸びているが、そのあいだを魚が泳いでいる。不思議なことに、そこに蓮の花の蕾や蓮の花が現れ、花托が巨大な建物のように浮遊している。そのあいだに葡萄のようなフォルムがあらわれ、小さな点の集合したマリモのようなフォルムが、一つの星座のように動いている。深く黒い空間の中に様々な海草や海の生きものに加えて地上の蓮の花などが描かれ、重力を失ったような世界をつくりだす。深い瞑想の中にあらわれた空間のように感じられるところが興味深い。

 遠山はるみ「私の声が聞こえますか」文部科学大臣賞。五人の女性たちが輪になって座っている。お互いに糸電話で会話をしている。聞こえるか聞こえないかの声を聞こうとする努力。それによって内向的な瞑想的な雰囲気が表れる。そういったイメージの漂う女たちが、暖色系の色彩を使われて佇む。それに対してバックはベージュ系の灰白色で、一人若い左下の女性だけがその色の衣装を着て、ハイライトを浴びたような雰囲気。糸電話というシチュエーションの中に、内界と内界とのコミュニケーションといったイメージが表れる。

 北瀬啓子「水のシンフォニー」。正方形の画面の中に複雑な色面をつくりだしている。そこにたくさんの金魚が泳いでいる様子を上方から眺めて、動きが表れる。ところが、二つの出目金がすこし側面から見たような雰囲気で、宙に浮かんでいる様子。いくつもの円がこの正方形の色面の中には隠されている。その中で上方と下方に二つのくっきりとした円が現れているのだが、その上の模様を見ると、水の惑星地球をイメージしているようだ。地球は水の惑星と呼ばれているが、その水が画面全体を覆って鑑賞者を癒すようなイメージをつくる。癒されて、すこし横になって、ノンシャランなイメージを発信する出目金。不思議な時空間が画面に表れる。

11室

 我那覇絹子「木麻黄のある風景」。根本はずいぶん太く、上方に立ち上がる高さがそれぞれ異なる樹木の向こうに海が見え、海の向こうからいま日が昇りつつある。独特のパッションが感じられる。それは葉や枝のフォルムのもつ動きや空の雲の動きがお互いが合唱しているような、そんな雰囲気からあらわれるのだろう。夜の闇が後退し、ところどころに光の当たっているところもディテールとしての魅力をこの作品に与える。

 平田與二「残影(足尾選鉱場)」。足尾選鉱場の建物がしっかりと描かれている。建物のあいだにパイプが通っている。背後にグレーの山の斜面が見える。雪が積もっている。それによって、より立体感が表れる。銅山の中の建物の配置をベースにしながら、具象的な造形としての構築性がしっかりとあるところに注目。

14室

 嶋本悦子「揺れる…思い ・」会友推挙。木の上に和服の少女が座っている。宙に金魚や花が浮かんでいる。和人形も浮かんでいる。自分のお気に入りのものを集めた内的なイメージ表現だが、女性のフォルムの独特の強さに注目。

15室

 柴田愛子「カプリ・カンツォーネ」。カプリの街の建物、岸壁に繫留された船、山、山間の建物などが、一種の音楽の楽譜の音符のように扱われ、曲線の中にデフォルメされ、独特のシンフォニックなイメージをつくりだす。画家によると、それはカンツォーネのメロディによってデフォルメされたフォルムということになるだろうか。いずれにしても、音楽と具象的風景とのクロスするユニークな表現。

16室

 小池かよ「プレリュード 2013」。両側の女性のかたち、柔らかなピンクがかった上衣から肌が輝くように描かれている。上方に花をアレンジしたようなステンドグラス的なフォルムがあらわれる。教会の内部に装飾された二人の聖女とステンドグラスといった趣である。背景の幾何学的な矩形の空間の中に様々なグレーの色彩がはめこまれている。そして、そのハーモニーによって精神というもののイメージを生き生きと発信する。

17室

 今井由美「BOX I」。二人のボクサーが闘っている。右のストレートが右のボクサーに当たっている。背後には二人のボクサーがやはり向かい合って、そのあいだに二人を分けている男の背中がある。面白い群像である。しっかりとしたマチエールにまず目がいく。運動しているその独特の形をしっかりと描く。描くというより、つくりだして構成するといった趣でもある。そこに一種のモニュマン性が表れる。

19室

 根岸一雄「西の風」。十数人から二十人近い女性が茶色いワンピースを着て並んでいる。手前にも奥にも並んでいる。そして、大きな円弧を描きながら、女性たちは向かって右のほうを向いている。その動きが独特のモニュマン性を形成する。また、右の空の明るいグレーに対して左のほうは暗いグレーのグラデーションになっているところも、そのような効果を上げる。

 浜辺順「スフィンクス」。豹柄の衣装を着た若い女性の肌はピンク色に輝く。お尻には尾をつけている。この女性から発するイメージがスフィンクス、つまり謎ということになる。周りには植物的な茎のようなフォルムが絡まっていて、それが光を内に含みながら女性の周りを取り巻いている。空には土星が浮かび、海や沼のようなイメージも周りに漂う。強い審美性をもつ作品。画家のつくりだした、イメージの強いフォルムが鑑賞者を引き寄せる。

 澤村みちる「西風の丘」。裸木に三人の女性がいる。中心の女性が主神のようで、白い紗のような衣装をまとって樹木の上にのっている。後ろの緑の女性は宙に浮いていて、同じ方向を眺めている。向かって右の女性は紫である。三人はいわば春の女神のようなイメージなのだろう。大地に生命をよみがえらせ、花を咲かせるために現れて、その命の息を大地や空に吹き込んでいる。下方には暗いたらし込みふうな空間があり、そこに二羽の鳥が口をあけて、なにか驚いている様子。それは春の大地の中で命が目覚めるときのイメージのようだ。日本語の中に啓蟄という言葉があるが、まさにそんな春の息吹を面白く絵画化した。大正ロマンを思わせるような豊かな叙情性、ロマン性、雅やかさが魅力。

 佐田昌治「セーヌ・風の誘い」。セーヌ川にかかる橋と建物。それらを背景にジーパンをはいて犬を連れた女性がこちらに歩いてくる。そばにピンクの薔薇が咲いている。新聞が背後にコラージュされている。秋から冬にかけたパリの雰囲気。その中に毅然とした雰囲気で髪を靡かせながら女性がこちらに歩んでくる。その姿に独特の韻律が感じられる。寒色系の色彩の中に淡いピンクの花が雅やかで強いアクセントになっている。

 中村晃子「後(のち)」。五人の女性たちの背中が描かれている。荷物を背負ったり、しゃがんだりしながら、前のほうに歩いていく。敗戦後の食物の買い出しのような、そんな強い人間臭さが感じられる。イメージを上昇させるのではなく、大地的な存在としてこの群像があらわれているところが面白い。

 杉澤安江「ある日あの時!!」。白いテーブルには白い可憐な花が差されている。そばに三人の女性が座ったり立ったりしている。窓の向こうにはヨーロッパの風景がのぞき、海が青い。柔らかなハーフトーンの色彩を使いながら、ある理想的な世界が表現される。憧れや憧憬といったイメージが漂う。

 佐田興三「いろは」。独特の緑、独特のグレー、あいだにブルーなどが置かれて、風景が色面に変換されて、一つの世界をかたちづくる。「いろはにほへとちりぬるを」といった文字が小さくところどころに描かれている。「いろはにほへと」をつくったのは空海と言われている。日本の世界観は自然と深く関係して、優しい。そんな日本の自然のしっとりとした情緒を、この緑を中心とした色面によって表現する。そこに透明な青い空を思わせるようなブルーが入れられているのが、可憐な雰囲気。

20室

 中谷基子「夕霧おりて」会員推挙。オーストリアやドイツのほうの風景だろうか。向こうに行くに従って低くなる道の中間あたりに一台の車。両側の建物。建物は向こうでは道によって下方が切れている。そんな高低のある道を画面の中の要素として取り入れ、クリアなフォルムと相まって動きがあらわれる。遠景は空気遠近法的な丘や峰、霧の中の山の斜面になっていて、その曖昧でありながら存在感のある雰囲気と手前のクリアなフォルムとの対照も面白い。

 日置偉之「野上がり」会友推挙。いま田植えをした。これから農業が始まる。そんな田植えのあとの喜びのシーンのようだ。人々が田の女神を頭上に置いている。田の女神は裸で、乳のいっぱい詰まったような豊かな胸をしている。そんな農耕民族であるわれわれのお祭りを油彩画で画家独特のイメージの中に表現して、面白く感じられる。

 小俣洋子「静・冬」会員推挙。画面の下方約半分が静かな池の水で、対岸に雑木林が茂っている。そして、左から光が当たる。そんな様子をしっかりと描く。とくに対岸の木の表現が面白い。

 小島修「唯我独尊」会友推挙。鳩小屋が描かれている。三十羽ぐらいの鳩がそれぞれのポジションにいて、様々な動作をしている。それぞれの鳩は気高く唯我独尊といった趣である。鳩は猛禽類に属して、本質的には猛々しい性質をもっているそうだ。そんな鳩の本質を見極めたような強いムーブマンが感じられる。いわば鳩に仮託した群像表現となっている。茶褐色の色彩に安定感があり、パッションが感じられる。鳩のそれぞれのフォルムの強さに注目。

21室

 牧野健治「形態2013―・」。三人の裸婦群像である。椅子の上に座る女。片膝と両手を前についた女。赤い床にはお尻を見せながらうずくまった女がいる。その女性たちの肌が輝くようで、また質感が強い。あけられた窓の向こうには暗い海と星のまたたく空がある。女性のもつ濃厚なエロスの世界が鑑賞者を引き寄せる。窓の向こうの夜空がもう一つの世界を表す。

 大久保正子「ヒカリ」。子供たちは頰かぶりをし、白い衣装を着、顔を白く塗り、狐のイメージで目のまわりやひげを赤く描いて、踊りながら、こちらに歩いてくる。五人の尻尾をもった、そんな仮装の子供たちが雪洞のついた傘を持って歩いてくる。いちばん手前にはそれを誘導する大人の女性がおけさ笠をかぶり、羽織を着て歩いてくる。それをまた満月が照らしている。この祭りは何百年にもわたってずっとこの土地で行われてきたのだろう。満月の周りに同心円の透き通るようなフォルムが幾重にもあらわれ、また、満月から差す斜光線が映っているような空間があらわれている。水面の上方に満月があるような不思議な雰囲気である。いつものお祭りのダイナミックなコンポジションとは違って、祭りを描きながら、子供たちの無邪気な姿を描き、長い歴史的な時間をここに引き寄せ瞑想しているような雰囲気が感じられる。左の、垂直にも映るような満月の光をプリズム的に分光しながらそれを映しているような紫や黄色などの色彩は幟のイメージでもあるのだろう。月と幟とがお互いに呼応しながら、優しくこの踊りを照らしている。現実と非現実との時空間がクロスするようだ。

 大山洋子「林の向こうに何かが」会友推挙。白く太い幹と枝が林立する中にカーヴする小さな細い道がある。その道に立って木の向こうを眺める若い女性。前に犬がいる。樹木と樹木のあいだは暗く、その中に光が灯っている。まさにこの林の向こうに何かがあって、それを眺めている様子。中に入ると、もう一つのファンタジーの世界が現れるのだろうか。

23室

 長谷川房江「千曲川河畔と冬の集落」。道が左に緩やかにカーヴしている。左のほうには千曲川が流れていて、右のほうは山の斜面である。ゆったりとした動きの中に雪が積もることによってあらわれてくるイメージがクロスしながら、カーヴする動きがノスタルジーに向かうような、そんな心情を喚起する。手前の雪の白い明るいトーンと背後の山のシルエットふうな暗いトーンとが静かに対照される。

 鈴木知子「雪の高山」会友努力賞。雪が降っている。傘を差してこちらに歩いてくる男女。木造の民家。片方には樹木が立ち上がり、その右側には畑でもあるのだろうか。懐かしい日本の街と建物がしっかりとしたフォルムの中に表現される。雪が落下していく動きが絶え間ない中に、手前に歩いてくる人の姿が現れ、深い情緒が表現される。

 渋谷敬子「昼下がりのシエナ」佳作。乾いた地面。縦長の建物が道にくっきりとした影をつくる。古い街のもつクラシックな佇まい。二台の自動車が駐車し、スーツを着た男が歩いてくる。透明水彩の特徴を生かした、中に光を含んだような色調。その技法がこの古い街の昼下がりの情景によくフィットしている。そして、ためらいのないクリアな形によってこの光景が構成される。光と影のコントラストがそのまま一つの絵画性を獲得する。

 福家順一「ブルージュの朝」佳作。一頭立ての馬車がこちらに走ってくる。それに乗る西洋人。その姿を画面いっぱいに描き、そばに街灯、建物、樹木。逆光の中の馬車にボリューム感があり、その陰影が独特の情感を醸し出す。

 川崎節夫「ロシア紀行―冬―」会友推挙。高くまで伸びている樹木が道の両側にあって、その枝に雪が積もり、一部は樹氷のようになっている。川の向こうに宮殿が見える。道の下方は暗く、上方は明るく、その明るい色彩に取り囲まれるように遠景の宮殿が見える。ファンタジックでロマン的な世界があらわれる。

 宮部隆「サンフランシスコの夜」。店先にある椅子やテーブルの周りに人々がいる。カフェの中は輝いていて、その中にも人々がいるが、外にいる人々はシルエットになっている。キーボードがあるから、これから演奏が始まるというシーンのようだ。暖色系の色彩の明暗のコントラストが温かな雰囲気を表す。

 橋本良江「暮れなずむ要塞」。石を積んだ古い要塞が壊れかかっている。塀の向こうから針葉樹が伸びている。要塞の下の地面からもまた樹木が立ち上がっている。そんな光景の中にいま日が落ちようとしている。樹木の間に抱かれるように枝とからまりながら不思議な光を発している。色彩が独特である。ピュアな感覚に注目。

24室

 柿澤伸子「桜堤(・)」。岸のそばの道。背後に土手があり、そこに向かう階段と、その上に道が通っている。二つの水平線がこの都会の風景の中心になっている。そして、斜面に桜が植えてあり、花を咲かせている。その柔らかな、水墨でいえばたらし込みふうなトーンの中にピンクが輝く。そのピンクは水際にも水の上にも置かれて、柔らかな情感を醸し出す。手触りのあるマチエール。背後のビルの垂直線の強い動きや堤の水平線に対して、桜の柔らかなトーンが呼応しながら、独特の都会の情感を表現する。

 土屋敏子「パリ 冬の時」丸山晩霞賞。冬のパリはずいぶん寒い。凍死者も出るくらいである。そんな雰囲気の空の下に建物があり、一階はカフェになっているようだ。周りを人々が歩いている。カフェの中には人はいない。カフェの張り出した屋根やその壁などがインディゴふうのブルーに染められ、赤い文字を書いた看板のようなものがそこにあり、人々が佇む。それに対するグレーの寒い空の色。対象を客観的に表現することに加えて、人間の心象的なものがそこに加味されて、深い情緒があらわれる。

 竹之内弌「天空の村ソーリオ」。背後は山の斜面で、その手前の斜面の部分に教会を中心とした集落がある。その向こうはやはり断崖なのだろう。それをすこし高い位置から眺めて、それぞれのフォルムをクリアに表現する。光が当たっていて、すこし温かい雰囲気であるが、背後の青い山の斜面のトーンを見ると、相当の高地にこの集落があることがわかる。その様子をイノセントにピュアに画家は水彩によって表現して、独特の風景によるドラマともいうべきものを表現する。

 由比五男「『ドック』紀伊勝浦」損保ジャパン美術財団賞。大型の漁船と思われる船がいまドックに入っている。その船の様子を丁寧に画家は描く。それに対して手前に二つの大きな重いコンクリートの塊があって、そこに鎖がつけられている。何かを繫留するためのものだろう。その二つの大きな塊がまるで男女あるいは夫婦のような雰囲気で、温もりが感じられる。客観的なドックの風景が人間の生活のイメージを引き寄せる。

〈彫刻室〉

 熊谷義人「風渡る」。女性の立像である。風でスカートが翻っている。右に花を持って、その手を右の耳に近づけている。寒山拾得のイメージを思わせるような自由でパワフルな力が感じられるところが魅力。

 吉川敏夫「蓮華」。木彫である。蓮の葉と花と蕾がつくられている。それが自然木の風化したようなフォルムの内側からあらわれている。それは流木を思わせるような雰囲気で、死から新しいものがあらわれてくるといったイメージが鮮やかに感じられる。

〈版画室〉

 熊本くにみ「時の流れ・ 4」。木版。両側に可憐な花が咲いている。白い花がまるで地上の星のようである。これはおそらくドクダミの花なのだろう。背後には林があり、それを取り囲む緑の色面がある。林に対して花はピックアップして大きく描かれている。野の花は宝石にまさるという旧約聖書の言葉を思わせるような強い構図である。木版による素朴な線によるフォルムが懐かしい。

 上野芙美江「冬山幻想」。銅版。近景に二羽の鳥が中心に向かって飛んできている。後ろには梟がいる。中景に広場があって、二人の天使が木の洞の中にいるまだ飛べない小さな鳥を見ている。狐が走りながら、そんな様子を眺めている。樹木の形が力強く、その樹木が梟を呼んだり、そのそばに天使を呼んだり、囲まれた中に前述したシーンをつくったりする。手前には釣りをしている天使がまるで河童のように描かれている。日本の自然の内部に深く入ったところからあらわれてくる強いイメージが、一種の幻想性を獲得する。

 竹林治子「春の大地より…大根」太平洋美術会奨励賞。大根がその葉を茂らせている。大根の半ばから下は地中のようである。墨のトーンの幅が広く、色彩を感じさせる。

65回記念三軌展

(5月15日~5月27日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 小林俊彦「地上の銀河」会友優賞・会員推挙。近景はその向こうに見える街より高いところにある。そこは黒々とした大地によって覆われていて、そのさらに上方からその大地と同時に海に接するこの街を眺めている。光の中に高速道路や通常の道が伸びて、建物があり、海がありといった雰囲気で、それは飛行機の上から眺める地上の風景に似ている。昨年のその街の中に入っていって一つひとつ描いている作品に比べると、また別の面白さが感じられる。それは地球のある場所だった視点が感じられるところである。

 矢澤利子「エジンバラのメヌエット」損保ジャパン美術財団賞。メヌエットは四分の三拍子のリズムである。いわば円舞曲と言ってよいわけだが、そのような雰囲気で垂直に立っている建物がカーヴし、曲がり、お互いが呼応しながら不思議なリズムをつくる。上方に満月があって、そこから車が下方に下りてきている。そして、いちばん下方では赤い車が走っている。建物とこの車によって独特のイメージをつくる。車と建物とのデュエットと言ってよいような独特の音楽性が、この作品の魅力だろう。

 山口たか子「刻のかたち」三軌会賞。観音開きふうな構成になっている。真ん中の画面の横幅を二分の一にした矩形が両側に置かれている。両側には植物的なフォルムが立ち上がっている。中心には、下方に二年前の津波を思わせるようなおかに揚がった船や散乱し壊れた様々な破片、遠景には山も見える。上方には二つの牛骨を囲みながら黄金色のフォルムがあらわれて、何か新しい力がそこによみがえりつつあるようなイメージが感じられる。牛骨は骨であるが、そのしっかりとした骨の形の周りにもうひとつのアウラがあらわれて、新しい命が誕生しつつあるような、不思議なイメージが感じられる。死からの新しい復活の強いモニュマン性が感じられる。

 堀内睦子「フェイス」。段ボールでつくった胸像である。自分とは何か、人間とは何かといった問い掛けを感じさせる。強いインパクトがある。

 阪本紀子「昨日の明日」会員優賞・A氏賞。四つの画面からなっている。緑の顔と赤い顔。下方では赤と緑が左右逆になっている。強い印象で、会場でも独特のエネルギーを発散する作品である。タイトルも面白く、「昨日の今日」ではなくて、「昨日の明日」というタイトルが面白い。エジプトの「死者の書」に、昨日の自分がきょうの自分であることは不思議だというようなことが書いてあるそうだが、そんなきょうという時間をあえて言わずに、昨日と明日という言い方をすることによって、人間の不安定さがよくあらわれている題名だと思う。次の作品も楽しみにしたい。

 中井一男「私風景(風の記憶)」。ソファに青いシーツを敷いて寝転がる女性。手前には裁縫用のマネキンが立ち、段ボールが口をあけ、紙袋が置かれ、ブロックなども置かれて、散乱している雰囲気。その中に紙が飛んでいる。そんな画家のつくりだした散乱する室内の光景の中に、不思議な美的秩序があらわれているところが面白い。あえて散乱させ様々なものを大小置くことにより、画家はそれらを画面の中に統合する力を試しているような趣である。手前の二本のカーヴをもつ樹木の幹のフォルムは、上方の若い女性のカーヴする寝たフォルムとお互いに呼応し、その動きは右端にもう一本のぞく木の枝にリンクしていくようだ。不思議なメロディが画面の中に流れているように感じられるところが面白い。

2室

 樫原隆男「カフェ・シャノアール」。丸いテーブルがオレンジの床を背景にしてたくさん置かれ、中心にはコーヒーカップや食べている途中の食物などが載っている。丸いテーブルは大小あって、全体で独特の強いハーモニー、あるいはバイブレーションのようなものを起こす。それに加えて、椅子のすこしピンクがかったグレーの調子とジョンブリヤン系の床のオレンジとが響き合い、独特のカラリストであることがわかる。無人であるが、独特の人間的な生気さえも感じられる。

 佐藤美代子「2013『遼遼』」。上方に、膨らんだマフラーのような布のようなものの中にすっぽりと包まれた莵の頭がある。その口のあたりに人間の手がある。莵の下方には人間のボディがあるのだろう。そばに仰向けの鯉のぼり。下方には閉じ込められた猫。そして、その横には逆さになった建物のある風景。莵の周りにはパソコンのキーボードのようなものがあり、その内部が上方に露出して、そこから配線が流れている。莵の首飾りを見ると、その模様はプルトニウムのようだ。現代の危機、不安感のなかにこの莵はいて、あらゆる情報をその巨大な耳の中に集めて黙って考えこんでいるような不思議な雰囲気が感じられる。そういった情報のなかにいるイメージと同時に、下方にある傘のように日常性というものが併せて引き寄せられて、この複雑なコンポジションが生まれる。日常的なものと情報というものがともに同一画面に引き寄せられて、強い手触りの上に表現される。

 大塚健二「記憶の中で」。中心にファッショナブルな若い女性が片膝を立ててボックスに座っている。両側に百合やツリガネソウのような花、上方に窓。中心の女性の上には逆三角形のフォルムが置かれ、そこに垂直、水平の線が入れられ、なにかを示し計測するような、そんなイメージが表れる。いずれにしても、フェミニスティックな強いイメージが画面全体から感じられる。中心の手足を長くしたクリアなフォルムもまた魅力。

 大槌隆「2013年4月1日」。繰り返し浜と海を描いてきた。以前のモノトーンの厳しい作品に比べると、この作品は浜にも空にも色彩が入り、もっと穏やかな懐かしい雰囲気になった。津波が実際に起きてみると、そういった自然の恐ろしさを予感しているような作品を描いてきた画家たちは、逆に自然の恐ろしさに茫然として、もう一度自分自身の人間としてのイメージの拠り所を求めるようになったのだろう。今回この浜辺には点々と小さな植物が伸びている。左のほうには筋になって、何かの跡のような風紋のようなものがあらわれている。海だけはモノトーンで、白い波頭を立ててこちらに寄せてくる。上方の空も浜と同系列の色彩が、柔らかな光が差し込んでいる。そういった空と地にはさまれた海のみがモノトーンで、やはりその海のもつ巨大さ、恐ろしさといったものが、この穏やかな海の背後に暗示される。津波という大災害を経験したあとの独特の不思議な情景である。

 横須賀幸正「わだつみの‥‥」。「わだつみの」は海の枕詞である。海に捧げる祭壇画といった趣。矩形の白い台を思わせる上方にガラスの球体が浮かび上がっていて、その中にいまは死に絶えたと思われるアンモナイトが生きていて、対になって動いている。テーブルの上にはアンモナイトの殻が置かれ、その上方、球体の後ろにはアンモナイトの大きな白い線描きの図像が浮かび上がる。泡がぶくぶくと出、下方にはカニがその側面をはっている。テーブルの上に一つの巻貝を置く。そして、画家は想念の世界に入ってきて、この不思議な海の中のイメージを表現する。

 植木善三郎「出現」。バスタブにたくさんの蓮が伸びて、葉のあいだから白い花が咲いている。そのあいだから女性の顔が浮かび上がってくる。亡くなった人がいまここに現れつつあるような雰囲気で、不思議な力が感じられる。バスタブの白い色彩が、周りの暗い色彩の中で独特の輝きを見せる。両側に体の内部のない二つの女性のフォルムが描かれているのも、やはり亡くなったということの暗示なのだろうか。いずれにしても、画家のイメージの力と筆力に注目。

 荒川里枝「私のドキドキ」。使い古して汚れたもの、手垢のついたものが画面に集められて、独特の生気を呼ぶ。瓶や時計、靴、手袋、その他、実に様々なアイテムがここに集合している。それがそのものとかかわった画家との関係のなかから生気をもってあらわれてくる。独特の感性による表現と言ってよい。

 齋藤リラ「草虫花譜 ・」。琳派ふうなコンポジションであるが、そこにあまり抽象化せずに具体的な花や枯れた植物、白い花、あるいはカラスウリなどを散らして、夏の夜の幻想といった趣である。背景を黒にし、周りを金にするというそのコンポジションは、日本的な伝統的な装飾空間であるが、それを背景にして題名のように草や虫、花のディテールを縦横に描きながら、独特の生気をつくりだす。

 滝浪文裕「らくがき」。道路で落書きをする二人の少女。強い陰影による表現によって、二人の存在感がよく描かれている。暗い中に子供の顔、あるいは落書きのフォルムが浮かび上がる。一種の幻想性ともいうべきものが画面にあらわれる。左下にマンホールの蓋があるが、その蓋は無意識の暗い人間の世界を暗示するようだ。再現的な描写力の優れた画家であるが、そのような無意識の力が活性化して、徐々にこの空間の中にあらわれつつあるといった雰囲気が興味深い。少女はそのような力を引き寄せる媒介のような雰囲気で、少女より、その周りの空間のほうにこの作品の面白さがあるように感じられる。

3室

 大熊栄子「場所を得て(クズの花)」。壊れた木の破片のようなもののあいだから植物の蔓が伸び、そこにクズの花がピンクに咲いている。路傍の小さな一隅。あるいは、こんな木の破片のような、廃棄されたものの中に巻きつきながら、新しい命を咲かせている、そんな深い感情がこの小品から感じられる。クズの花というものを実見したことはないが、まるでエビの尻尾のような弾力のあるその伸びていく形。下方は赤く、だんだんと白くなる様子が、まるで一つひとつ炎のように、ともし火のようなイメージに感じられる。そして、お互いの花はお互いの茎に絡み合いながら有機的に関連し、全体で静かな灯をともしているようなイメージがあらわれる。深い命の表現。命を眺める画家の視線とイメージの豊かさに注目した。

 市川元晴「幼想」。四匹の犬に囲まれた二、三歳の女の子が座っている。人間も一歳とか一歳半までは犬並みのレベルだろう。記憶が残るのは三歳以降か四歳以降であるが、それ以前の記憶は外界と一体化していて、なかなか残らない。そんな記憶の性質の時期が人間にあるが、そんな記憶を犬たちはもって、そのなかで生きている。そんな感想も、この一体化したような四匹の犬によって守られているような少女のコンポジションから浮かび上がる。白い一羽の鳩が希望の象徴のように置かれる。

 実石江美子「幻花」。三枚対の作品である。自生する牡丹の群れが黒々としたグレーの中に表現されていて、あやしい雰囲気である。暗いなかにざわめいているような、そんなモノトーンでしっかりとしたフォルムによって茎や葉や牡丹の全体が描かれていて、なにか生き物の塊がそこにざわめいているような雰囲気である。それに対して真ん中の画面の手前に白い牡丹が一つ、浮かび上がるように描かれている。それは銀灰色に見えて、透明で、いわば一片の詩のようなイメージを醸し出す。うごめくような生き物のような牡丹の群れに対して、この牡丹はピックアップされた、ある美的なエッセンスによって描かれたものと言ってよい。現実と象徴ともいうべきシーンが面白く表現される。

 平沢秀男「刻 '13」。横断歩道の向こうにはコーヒーショップがあるが、その横も道で十字路になっている。雨に濡れている。赤い信号灯や車の赤などが道に映っている。暖色系の色彩がベースになっていて、温かな雰囲気が感じられる。雨のしっとりとした雰囲気と温かな色彩とがクロスしながら、懐かしい親密な空間が都会に生まれる。

 佐藤宏道「復興あれ被災の地に」。画面の下方には壊れた建物の部分やその他ごみなどが集積している。その上方に鯉のぼりが三対泳いでいる。紙風船も飛び、両側にはつがいの鷗が飛んでいる。題名のように復興を祈る気持ちを描いているわけだが、上方の鯉のぼりの瓢々としたフォルムが面白いし、楽しい。筆で一つひとつの鯉のぼりの形を描くことによって、独特の強いイメージが生まれる。

4室

 今本一夫「山村暮色」。ダイナミックな動きが面白い。山が迫り、麓には桜が咲き、畑があり、民家があり、道路がある。それがどんどん動いていくようだ。ダイナミズムが里山とリンクしているところが面白い。

 森田一男「『危うさ』の関係性」。戦車が傾き、下方に兵隊が走り、上方にたくさんの爆弾が飛び、原爆を装塡したようなミサイルもある。現代の不安感のヴィヴィッドな表現である。

 鳥羽佐知子「終らない旅(漂泊) ・」。森ビルから下方を見ると、東京の街のたくさんの建物がびっしりと浮かび上がる光景が見えるが、そんな風景の向こうに海が描かれている。そして、街の上方を粗末な木造の船に乗った二人の女性が浮遊し、動いている。一人はオールを持ち、一人は船の端に手をかけてこちらを眺めている。船底に巣があるが、卵は孵化し、巣立った様子である。空につがいのシルエットの鳥がいる。上方を飛ぶ一羽の鳥とこの船の上にいる二人の女性は呼応する。不思議なロマンが感じられる。過去、現在、未来のどちらの方向にこの船は流れていくのかわからないが、具体的な二人のリアルな形象や船の形象などを使いながら、不思議な旅のなかにいる。はるか向こうに見える海が彼女たちの心の中にあるもののようにも感じられる。懐かしい海に向かって、いわば地球の始まりに向かって旅をするようなイメージも感じられる。

 六鹿泰「情報」。縦長の画面にベージュのバックが壁であり床であるといった空間をつくる。壁にはたくさんの白い紙が重ねて貼られている。下方にはその紙が落ちて、クシャクシャになっているものもある。何も描かれていない紙という虚のイメージが、ある充実したイメージを表す。一つの平面自体は虚の空間であるが、虚の空間の上に虚の紙を置くことによって、実のイメージが表れるといったことになるだろうか。「情報」という題名だから、様々な情報の氾濫する中にいるわれわれの環境という解釈になるが、あまりそのような理屈ではなく、詩情ともいうべき不思議な力が画面に表れているところが面白い。

 山田幸夫「連鎖(未完)」。両側に木製のスピーカーのボックスのようなものを置いて、そのあいだに二つの白いボックスがあるが、中に幼児が座って、白い球を目の前に置いている。牛骨が宙に浮かび上がる。スピーカーの中にはアンモナイトのような貝や骨のようなものがのぞく。面白いのは、そのあいだを太い木の幹が大蛇のような動きのなかに穴の中に入ったり出たりしながら、このフォルムのあいだを貫通しているように動いていることである。その形に独特の強さと面白さと時間性のようなものが感じられる。未完であるから、それ以上のことを述べるのはやめておく。

 縣二三男「ポーランド・壁の記憶 ・」。アウシュヴィッツなどをテーマにした連作を画家は描いている。壁にはアウシュヴィッツやホロコーストといった文字も見える。独特の強い濃密な雰囲気が感じられる。祈りのように赤いフォルムが上方に入れられている。それが花のように感じられる。悲惨なアウシュヴィッツの現実を深く画家は感じとっている。様々な思いが凝縮し交錯する空間である。

5室

 佐々木良子「JOKER(B)」。角のある毛皮の帽子を被り球を胸の前に抱いた女性には、妖しい魅力が感じられる。背後には白い建物がいくつも見える。男性を誘い込むような女性性が魅力。甘い香りが画面から漂ってくるようだ。画面全体から感じられるセンスの良さが、官能性にしぜんとリンクする。

 小澤茂「光の中で『共感』」奨励賞。黒い画面に原色の矩形の色彩が配置され、アンティームな雰囲気を漂わせる。上方の赤と茶の矩形が重なっているところが、長方形の青いドアのようなフォルムになっているのも面白い。赤と茶の結合により新しい色彩が生まれるといったような共生のイメージが発信される。

 上村隆士「文化祭の朝」。室内で横笛のトレーニングをする女学生。そばに古いランプが立ち、帆船の模型が置かれている。窓の向こうは緑の樹木である。一つひとつのものをしっかりと描きながら、強い内的な存在感ともいうべきものがあらわれているところに注目。

 村上節子「爛漫」。牡丹の上に和服の女性がのって、頭に花を置いている。その背後にシンメトリックに背中を見せる二人の女性の衣装にも頭にも牡丹が置かれ、桜の花が散っている。花が女性か、女性が花か。そういったイメージを一種妖精化したようなフォルムの中に表現する。審美性の強い性質に注目。

 もりたかめい「都市の輪郭」。黒いバックにグレーの不定形なトーンがあらわれ、その中に白いフォルムがあらわれて、不思議な輝きを見せる。まるで複雑なあみだくじの線が白で、中に大きさとトーンの違う暗いグレーから明るいグレーまでを置いたような雰囲気である。それがそのまま題名のように都市のイメージでもあるし、脳の内部にある複雑な記憶の層のようにも感じられる。いわば全体で一つの都市でもあり、一人の人間でもある、心のモニュマンのようなイメージが浮かぶ。グレーの深い奥行のある空間の中に白いフォルムが静かに輝く。その白いフォルムにはそれぞれの内部に矩形を抱いて、一つひとつがある巨大なメモリーの集積したもののようにも感じられる。その意味では、どこか集積回路を思わせるようなイメージも感じられる。そして、いま生きているということはその回路がピカピカと光って動いているわけで、そんな回路が輝いて、暗い無意識の世界の上に立ち上がってくる。深い無意識の世界は死の世界とおそらく共通するものがあって、ユングの言う無意識の中を訪ねてみれば、その先は死の世界とつながっているのだろう。そして、そこに生というものの有限の時間がきらきらと輝きながら動いていく。そんな人間的な深いモニュマンである。深い感情と、詩的な、イメージによってあらわれた独特の矩形であるところが興味深い。

 岡田早苗「街 ・」。街の明かりが色彩豊かに表現される。それを背景にして、シルエットの三人の女性が立っている。それぞれの位置は異なり、他人同士だろう。それぞれの女性の孤独感が逆に深い連帯感を呼ぶような強いイメージがあらわれている。人懐かしさとも言うべき深い感情が画面に醸し出される。それが触覚的要素によって強調される。特に手前の女性は、その体温さえも感じられるようなリアルな表現力がある。女性を外からと同時に内側からも把握する力が、この独特のヒューマンなイメージを画面に与えるのだろう。

6室

 栗原忠次「ニルスのふしぎな旅」互井賞。『ニルスのふしぎな旅』はスウェーデンのファンタジー小説で、妖精によって小人にされた主人公がガチョウの背中に乗ってスウェーデンの中を旅する話。スウェーデンの子供たちに自分たちの国の地理を楽しく学べるように、スウェーデンの政府が女流作家セルマ・ラーゲルレーヴに執筆を依頼したという。上方にガチョウに乗る小人になった少年がいて、下方には様々な生き物が描かれ、向こうに宮殿が見える。おおらかな雰囲気で、ニルスのイメージを面白く表現する。

 平尾倫子「真夏の夜の夢」。ボックスが重ねられ、上の箱に人形が寝て、上方を眺めている。そこには黒い鳥が飛んでいる。箱の傍には林檎などの静物が置かれている。周りは緑の深いトーンの中に表現される。その外側はもう少し青味を帯びた色調。人形が眺めているのはどんな世界だろうか。段ボールの中に寝て、日常を超えた世界を見ているかのようだ。そこに憧憬といったイメージがあらわれる。複雑な緑の繊細なトーンがそれを支える。

 吉田照美「希望」奨励賞・会員推挙。砂漠に俯いて右手を伸ばしたかたちの白骨がある。完全に白骨化している。その前方に頭蓋骨と骨とが積まれたものがある。白骨の右には井戸につけられたポンプのようなものがあるが、それはほとんど埋もれて、水をくむ機能を失っている。クリアなフォルムによる構成である。形に対する鋭敏な感覚があるからこその構成で、とくに一人の人間の骨化したかたちがヴィヴィッドに表現されている。絶望の表現であるが、砂地が柔らかく人骨を包みこんで、塵から生まれたものは塵に返るといった、そんな安息感さえも感じられるところが面白い。黒い空間に白い鳥が浮かんでいるのが、魂や希望といったイメージなのだろうか。

 菅原明男「石井閘門」。煉瓦を積んだ閘門が、その中心の水を制御する部分が壊れている。背後に土手があって、そこに樹木が立つ。閘門の近くにもう一つの樹木が立っている。背後の壊れた閘門のそばの階段の上にも建物がある。なにか不思議な幻視感とデジャビュ感が感じられる。おそらく今回の津波で壊れたこの閘門の現実とかつてあった閘門とが作品の中で重なりクロスしながら、しかも違う部分もあって、それがこの不思議なトーン、空間をつくりだすのだろう。きわめて繊細なものが画面の中にある。不思議な光が部分部分を照らしている。見えないものを見ようとするような努力、そのような精神の使い方からくる繊細で強い不思議な風景である。

 山﨑巨延「榛名湖盛秋」。様々な木が湖のそばで紅葉している。それを近景にアップしたかたちで表現する。まるで黄金色の雲のような雰囲気が漂う。画面を上下に縦断する太い木の幹のカーヴする幾本もの形が、画面の構成の軸になっている。そして、その葉のあいだから静かにさざなみを立てる湖がのぞく。ほとんど同色で、上方に青いシルエットの山が聳えている。ブルーがかったグレーを背景にして、光線を内に秘めたような紅葉の色彩が、恍惚感と言ってよいような気配を漂わせる。画家は一つひとつ丹念に描いていく。季節という時間が自然に与えた、その不思議な彩りが画面いっぱいに表現される。

 吉田外美子「影向の灯り」。影向とはたとえば鏡の上に仏の御影が浮かび上がることを言う。この作品は一対四くらいの比率の横長の大画面。墨の中に金によるフォルムがあらわれ、神秘的な雰囲気が漂う。画面の中ほどにやわらかな女性の顔が浮かび上がる。画面の右端上には満月が、左下には金の円弧が繊月を連想させる。深い祈りの空間があらわれる。祈りというと堅いイメージがあるが、一種源氏物語的なやわらかな空間の中に、静かに声明が聞こえてくるようなおもむきがある。

7室

 小森秀司「枯れる」。ほとんど枯れかかった草が一面広がっている。その中に黒い影が忍び寄る。それは草のあいだの空き地なのか、あるいは何か黒々としたもう一つの存在の影なのだろうか。オレンジ色の枯れた色彩が豊かな調子で、しっかりとしたマチエールをもって自然のもつ生命感をつくりだす。そこに侵入してくるもう一つのシルエットは、次の時間、冬のシルエットか、あるいは何か別の存在の象徴なのだろうか。

 柴田博之「ミューズの眠りのために」。キャンバスの上には静物が描かれている。窓の向こうには風景が見える。その静物の中のグラスに手を伸ばしているミューズ。上方ではチェロに手を伸ばしている。ミューズの赤い唇と大きな目。その右側に画家自身の横顔が重なっている。画家はいま絵を描きながら強いインスピレーションのなかにいて、ミューズとともにいる。左のほうには黒人の仮面のようなフォルムが浮かび上がり、下方には不思議な人形たちがラッパを吹いている。三日月が近くに下りてきている。夜の制作の高揚したイメージを面白く図像化し、造形化する。中心の新緑のような緑が周りのモノトーンのような中に輝くようで、画面のポイントとなっているが、グレーの中の微妙なニュアンスの変化もまたこの作品の魅力である。

 藤木宏侑「彩雲〈祈り〉」。海にいま太陽が沈もうとしている。画面の下方ぎりぎりに海が見え、その八割方は空で、雲が赤く、あるいは黄色く、あるいはピンクに染まっている。強い祈りのようなイメージが感じられる。二年前の津波に対する思いだろう。いま海は静かにおさまっている。

8室

 酒寄絢子「ある日の風景」。それほど大きな作品ではないが、森の中の草や樹木、小さな花などがしっかりと描かれていて、上品な香りが画面から漂ってくるようだ。それぞれのフォルムは的確で、優れた写実力をもつ画家だと思う。緑の微妙なニュアンスの変化が優しい雰囲気をつくりだす。

 中川玲子「KAZOKUKAIGI」。フローリングの床の上に五つの木製の椅子が置かれいる。それがちょうど半円をなすように。一つの椅子の上には楽譜が置かれ、もう一つの椅子にはワイシャツが置かれている。このそれぞれの椅子にそれぞれの楽器を持つ人が座って、室内楽が奏されるのだろうか。演奏したあとの音楽の余韻がこの室内の空間にまだ残っているような不思議な雰囲気である。外から日が差し込んで、壁に、あるいは床に明るい光の格子縞が映っている様子も、ある充足感として感じられ、やはり音楽的な豊かなイメージがそこに重なるように筆者には感じられる。ユニークなコンポジションである。

10室

 中嶋力「巨樹忘己」。地面に根を下ろして、巨大な木がそのフォルムを立ち上げていくあやしい様子がよく表現されている。対象のもつ長い年月のうちにつくられた形を画面の中に追求して、鑑賞者を引き寄せる。

 鈴木憲子「生きる(主)」。樹木の幹が上方に三本、左右に二本、その太い幹や枝を広げている。樹木は黄色、黄土色、オレンジ、赤などの色彩で、色面化され、中心から光が周りに放射するようである。背景の波形や円の連続した形、あるいはスクリーンのようなフォルムなどが背景に重ねられ、光と影、空、水などの複合的なイメージがあらわれる。樹木を生きた存在として捉え、その力を面白く構成している。

13室

 柄沢龍喜「顔」。民家を背景にデゴイチの機関車が画面全体に大きく描かれ、それを正面から描いている。顔とはこの機関車の顔といった意味で、独特の強い存在感が感じられる。重量感と黒という色彩による力と言ってよい。

 矢木千鶴子「黄昏(ドナウベント里山)」。ドナウ川が上方に流れている。その手前に赤い屋根の建物が点々と立ち、一つの集落をつくる。その両側の丘のような存在。一つは緑に、一つはすこし茶褐色に変じている。手前の空き地のようなところには樹木がすこし紅葉している様子が、まるで柔らかな炎が燃えているように描かれている。芝生も草も茶褐色である。夏の終わりから秋にかけての風景なのだろうか。深い夢想のなかにあらわれてきた懐かしい夢のような光景が鑑賞者を引き寄せる。また、大地の隆起しているところ、あるいは谷になっているところなどの大きな動きが、背後のライン川のカーヴする動きにつながっていき、それはまた両側の山の丘の部分と谷の部分との変化、稜線の動きにもつながっていき、ゆるやかな旋律が画面から流れてくるような、そんな面白さも感じられる。

 吉田久茂「彩光と桜」。川沿いに桜が満開である。夜桜で、下から照明が当てられている。柔らかな、楽しい、幸せなファンタジー。

14室

 松村純雄「森のBAR(・)」奨励賞。熊や山羊、ライオン、莵などの顔をした人間たちがバーに集合している。棚にはずらりと酒瓶が並んでいる。バーテンは山羊の顔。ところが、お互いが目と目を見合わすだけで、ほとんど動きらしい動きがないところが、なにかシュールな味わいを醸し出す。やがて酒に酔ってくると、どんな騒ぎが起きるのだろうか。

 武藤修「秋色」。オレンジ色に紅葉した樹木に囲まれて、一つのベンチがある。ベンチの向こうには静かな湖が見える。また、はるか向こうに雪を抱いているのだろうか、神々しいような山がもっこりと浮かんでいる。すべてがノスタルジーに染められた色彩になっていて、魂の故郷ともいうべきイメージがあらわれる。

15室

 山口純一「蝶」。四匹の蝶が大きく描かれて、それぞれが葉の上にとまっている。細いストライプの葉、柔らかなカーヴをもつ大きな葉。そして、蝶の羽の輪郭線が平面の中に優雅なカーヴをつくり、ひとつの空間をかたちづくる。下方の蝶の下にいくつもの薔薇の花が浮かんでいて、その背後の空を思わせる赤や緑の色調を見ると、その向こうに夕日が浮かんでいるのだろうか。そのあたりは蝶のもつダイナミックな強い客観的なフォルムに対して、もうひとつの主観的なイメージとしての空間があらわれていて、蝶というもののもつイメージがロマンティックなともし火のようなものを引き寄せているようにも感じられる。いずれにしても、フォルムの力と色彩の魅力に注目。

16室

 村山晴美「'13Only one way」。向こうから白馬がこちらに走ってくる。あいだにブロック塀があるが、それを壊して白馬は手前に顕現する。まさにオンリー・ワン・ウェイで、一筋の道を白馬は走る。白馬は画家の詩情、あるいは詩情の象徴として現れているようだ。上方の柔らかなグレーと下方の青。そしてブロック塀の上につがいの鳥がいて、二つの鳥の嘴によって支えられた赤、黄、青の花。独特の強いイメージである。また、上方のグレー、あるいはブロック塀の色彩と白馬の白とがハーモナイズしながら、夢のスクリーンの中から白馬が現れて、たとえばこの新美術館の会場の中に現れてくるような、そんなリアル感が面白く感じられる。壊れたブロック塀が下方では散乱して水晶のような輝きを見せるといったイメージの変容も、白馬の脇役として面白い。

 土屋日出代「薪能」。若い女性の面をつけて、お祝いのような能を舞っている。それをすこし上方から見ている。その視点が面白く、大きな袖がまるで翼のようにこれから広がろうとする一瞬を面白く絵画的に表現した。

17室

 吉田和生「糺の森(青)」。題名を見ると、あさま山荘の尋問されてリンチが行われたようなイメージがわくが、絵の魅力は、高い木立のそのフォルムの面白さである。木というもののもつ不思議な生命感をよく表現している。

18室

 井上幸美「バラード『愛の夢』」会友推挙。黒人の女性が座って、もう一人の黒人の男性に寄り掛かっている。彼は横向きのフォルムで画面に現れ、右手にトランペットを持っている。ほとんどシルエット化したフォルムであるが、その組み合わせが面白く感じられる。男性の頭を下にして想念にふけっているような、フォルムの右手にぶら下げられたトランペットが静かに黄金色に輝く。トランペットのもつ音色が、この隠れたテーマと言ってよいかもしれない。

 斎藤秀昭「祈りの風(・)」会友推挙。緑がかったモノトーンの空間である。竪琴を奏でる女性の手の表情が面白い。髪が風に靡いている。背後に古城と大きな満月が浮かぶ。古城と女性のあいだには山羊が草をはんでいる。静かに風がわたっているようだ。その風の音色はそのままこの画面の中に鳴るロマンティックなメロディと重なる。

 山﨑達郎「もいわの月」。黒いシルエットの山が遠景にあり、青い夜空に月が浮かぶ。その月が近景の池に映っている。もこもことした池を取り巻く樹木の塊。樹木の塊と公園と山とのあいだに集合住宅が立ち並んでいる。そんな様子が独特の詩の光景として画面に表現される。それぞれのものが画家のイメージによって現実からピックアップされ、画面の中に位置づけられ、微妙に変形しながら、お互いが柔らかにハーモニーを奏でる。

24室

 岩野耕治「神話(風)―2」。トンボの羽のようなフォルムが下方に一枚、そして反対側に三枚立ち上がり、だんだんと螺旋を描きながら上方に向かっていく。四つめのパートには羽の上に男が乗り、走っているようで、下方にはその走って逃げていく男を裸の女性が眺め、目で追い、その男性に向かってメッセージを与えているようなシュールな気配も感じられる。ロマンティックなインスタレーションと言ってよいかもしれない。

25室

 御正進「DANZATRICE」65回記念賞。題名はイタリア語で、踊り子という意味になる。右手を頭の髪の上に、左手を後頭部に置いて、体をひねりながら右足で立つ踊り子。下方からくねくねと螺旋状に動きながら、ブロンドの髪が上方に立ち上がっていく。不思議なダンスである。その不思議なダンスの旋回する動きを、下方の小豆色と緑の彩色された十三枚のこの上体を支える板によって表現する。板のそのフォルムが優雅な舞いのイメージをつくる。同時に、その直線の形に対して女性の有機的な曲線の形。激しい動きというより、どこか内的な、体をねじりながら表現するような、モダンダンスに近いような踊り。ヨーロッパと日本とのクロスする美意識も感じられる。

第35回日本新工芸展

(5月15日~5月26日/国立新美術館)

文/小森佳代子

1室

 尾澤勇「竜の歩」日本新工芸会員賞。ここ三年ほど続いている鍛金による竜の表現である。大地にしっかりと足をつけた力強さが目を引く。これまでの中で出色の一点だと思う。どこかアルカイックな曲線によるフォルムもユニークであり、仕上げに松葉で燻したという重厚な色彩も効果を生んでいる。

 青山鉄郎「碧流」。うっとりするような美しいブルー色が印象的な大皿の作品である。これまでより作品が鮮やかになったと思う。一見アンバランスに見える皿のカーヴが優美で、その魅力を湛えている。輪郭のように入れられている金色もブルー色との対照が美しく、月の女神が微笑んでいるようなイメージがしぜんと浮かぶ。

 井上康「月の雫」日本新工芸会員佳作賞。どこか動物をイメージさせるような牧歌的な雰囲気を持つオブジェである。土の持つ温かみに加えて、膨らみのあるフォルムは、優しいトーンを生み出している。ブルー系でまとめられた色彩との対照が心地よい緊張感を生み、表情豊かである。

 松岡美穂子「春昼夢幻」。彫金によって春らしい情景を表現している。カエルを擬人化し、蓮の葉や水の表現など、これまでより彫りもしっかりしていて、メリハリのある画面となっている。カエルの表情に松岡の気持ちをのせているようなところが興味深い。

 中村三喜雄「花片の器 ・」。真鍮を大胆に溶接しているが、その高度なテクニックを見せつけるようなところがないことに敬服する。真鍮と銅の溶接も実にしぜんである。どこか西洋の古代の壺を思わせるような懐かしさもある。外連味がなく、ごく自然なフォルムは、中村の人柄をも語るであろう。

 有山長佑「春」。今回も春をテーマとした作品で、フォルムのユニークさも相変わらず健在である。淡いブルーと白の色彩の対照が清らかで、詩的空間が生まれている。背面に白い釉薬が流れているのは、雪解けを思わせる。落ち着いたフォルムと繊細な色彩とが、心地よい手触り感を生み出している。

 寺池静人「明日へ」。いつもながら丁寧な仕事であり、全体を淡いトーンでまとめあげている。三六〇度、様々な表情を見せて楽しませてくれる。側面の濃淡の効いた葉、正面と背面と呼応するように表現されている大輪の花は、慈愛に満ちた、品格のある作品に仕上がっている。レリーフされたように浮かび上がる花弁が主張しすぎず、しっとりと花の美しさを効果的に見せている。

 叶道夫「玄容」。擬人化したような趣である。手触り感のあるマチエールに共感する。自然を見つめた中から生まれた抽象的なカーヴするフォルムの呼応が独特である。朱とグレーの深い色彩の対比から対話が生まれている。

 田中照一「煌」。大和絵を思わせるような雅びな世界である。下方の黒味銅のバランスの上に、波あるいは山並みのような金色に輝く文様が力強い。、また里山を思わせるフォルムとともに、揺らめくような表現となっている銀箔押しも優美である。この蓋を開けると、銀の酒器が現れるという、豪華で粋な演出となっている。

 太田吉亮「想」文部科学大臣賞。七宝による表現で、鮮やかな色彩が印象的である。翡翠が下方を見つめる姿が独特で、絵画的空間を獲得している。まわりの有機的な意匠も鮮やかな色彩と相俟って映えている。 古見準士「迥(はるか)」内閣総理大臣賞。鉄の鍛金による作品で、赤錆の色彩とともに気宇壮大な宇宙空間を表している。中心に向かって求心的な勢いが美事に表現されている。その中心の真鍮は自分自身の姿だという。内的な表現として、このシリーズの中で、最も充実した作品に仕上がっている。

 瀧川佐智子「蝶」。自然の中からぼっこりと現れた、可憐な女神のような仏さまである。達者な手仕事である。今回もう一点の出品作「春韻」の一木造りによる春の訪れが評価され、彫刻の森美術館賞を受賞した。掲出の作品も、自然の空気を存分に受けたような大らかさとともに、瀧川ならではの凜とした佇まいが作品に息づいていて好感を持つ。

 仲村渉「トポスの夢」。なめらかな強い曲線が印象的である。鍛金による力強い表現で、有機的なフォルムが生まれている。その中には小さな芽が置かれ、その様子は、ロンドの旋律が聴こえてくるような趣を感じさせる。

 小林尚子「截金小箱『流動』」NHK会長賞。截金という繊細な技法であるが、大胆で流麗な意匠が目にとびこんでくる。ユニークなデザインに感心する。太さの異なる金箔と銀箔を用いて、ダイナミックな作品に仕上げている。

 河合徳夫「泉」。美しい情景である。自然のやわらかな光を受けた水面を見ているようで、中間色のブルーとグリーンが美しい。河合ならではの感性であろう。いくつかの面を合わせているが、それを全く感じさせないほど、全体の色彩がよくまとまっている。波紋の広がる様子と蓮のリズムも心地よく、しっとりとした絵画世界が現出している。全体が山並みの風景を思わせるようなダブルイメージとなっているところも面白い。

2室

 谷口信夫「伸びる力」。木彫によるシンプルな造形が魅力であろう。有機的なフォルムは威風堂々としている。自然のエネルギーを内包しているかのような力強さが興味深い。

 北出太郎「春の訪れ」日本新工芸会友賞。端正な仕事である。葉の絵付けに独特のリズムがあって興味深い。板づくりによって成形され、磁器ならではの緊張感のある白の色彩が清冽である。四十雀と葉と白の余白とのバランスが、独特の質感とともに力強い作品に仕上がっている。

 松村謙二「蔓延る」。やや膨らみを持った表面に蔦と蝶がやわらかに表現されていてメロディアスである。蓋をややずらしたようなフォルムであるが、不思議な安定感がある。布目の地とブルーやベージュなどの色彩との相性がよく、白く縁取られた輪郭も味わいがある。夢想の世界を見ているようなところがある。

 光久弘子「実りは袋の中」。マット感のある鮮やかなグリーンが目を引く。自然の情景が美しく浮かび上がる。サンドブラストの特性を活かして、深々としたイメージを引き寄せている。

3室

 櫻井節子「魅惑」。安定感のあるフォルムで、清潔感とバランスが印象のガラス作品で櫻井ならではのトーンがある。衒いのない、誠実な作振りに共感する。

第60回記念日府展

(5月21日~5月30日/東京都美術館)

文/大澤景

1室

 三枝正人「涙にて御足をぬらし」。新約聖書の一節、ルカによる福音書の一場面である。キリストの足を涙で濡らし香油を塗る女、女の罪を赦しその頭を触るキリスト、周りにいる人びとの身体のかたち、指の表情が生き生きと描かれている。焚火の炎と煙がゆらめく様、独特の夜の雰囲気をあらわす青のトーンが面白い。

 廣島樹「花咲爺」。お爺さんと犬、木、小判、灰、女の顔、梅の花といった花咲か爺さんのストーリーが、薄塗りの色彩の中に独特の韻律を持って描き出される。犬の三態、対照的な二人のお爺さんの表情が面白い。表情が生き生きと的確に描かれている。

 羽田壽恵子「富嶽湧雲」三鈴賞。富士にもくもくと雲が湧いている。その様が実に堂々とした雰囲気である。雲の上に白い頂が姿を現す。夕暮れのような空に、しんとした霊性がみなぎっている。煙のようにも見える雲のグレーの色調が面白い。

 原壽惠子「春宵」奨励賞。橋の上に立ち並ぶ桜の木。やわらかな月光が上方を照らしている。一枚一枚丁寧に描かれた桜の花びらが、画面全体を覆っている。透き通るような薄桃色がやさしく、春の夜の幻想的な雰囲気を伝える。

 山岸恒明「臥龍梅」。墨で描かれた、シャープで屈曲した梅の木のフォルム。地に這い、上方に曲がり、枝を伸ばしている。幹の模様が落ち着いたリズムをつくる。薄墨色の空間が、春の穏やかな雰囲気をたたえる。岩絵具で付された草や花の色彩が鮮やかである。

 堀口修一「小川」委員推挙。草の動きが面白く、軽やかなリズムをつくっている。グレーを基調にしたトーンが、独特の幻想的な光をたたえる。S字形にカーブする河はくろぐろした様子で、草とのコントラストが面白い。風景に過ぎて行く時間性が引き寄せられる。

 清水美枝「記憶」委員推挙。岩の上の蛙が愛らしい。二つの岩の様が、よりそう夫婦のようである。蝶もゆるやかにはばたき、たんぽぽの綿毛が舞う、穏やかな春の情景が描かれている。万物が生きているような、明るい生命感がある。草原の緑のトーンが力強い。

2室

 加藤由利子「信州髙遠・城山櫻壮観図(四曲半双屛風)」会員推挙。金屛風に描かれた、堂々とした躍動感を持って生える桜である。太い幹、枝を気持ちよく伸ばしている。それを岩黒による陰翳のなかに表現する。空間に枝を伸ばす様が、画面全体に力強い韻律をあらわす。

3室

 樋渡涓二「アンティック・マーケット」。奥から手前に広がる骨董市の様子。丁寧に塗り込まれた、やさしい色調に好感を持つ。一人手前に向かってくるサングラスの女性が、ゆるやかな動きを画面につくる。ヨーロッパの市の、落ち着いた活気が画中に溢れている。デフォルメされ、浮世絵風に輪郭線を強調された人びとに独特の味わいがある。

 田村公「南風」。一本の、力強く立つ樹である。血を連想させる明るい赤。緑や紫の鮮烈な色彩が激しいタッチで施されている。細い枝やうろの様子が、脈打つ血管、あるいは筋肉を想起させる。樹は一本の生命であるが、この樹はあらゆる動植物の生の原形であるような、剛健なエネルギーをたたえている。背後の森にはその生命が密生している。南国の熱気ある風が吹くようである。

4室

 宮田益榮「街(ガード下)」。サングラスの男が右方に歩いて行く。トラックが走っている。動感のある、街の一シーンである。夕暮れ時だろうか。ネオンサインがうっすらと輝く。軽妙なタッチだが、それぞれのかたちがしっかりと捉えられている。やわらかな律動が感じられる。スナップショット的な街の一場面をモチーフに、独特の詩情あるシーンをつくっている。

 安斎里美「原宿」。原宿の竹下通りだろうか。子を肩車した夫と、ベビーカーを押す妻と、横向きの赤子。手前の方に、一人の女性が歩いてくる。昼時の街の穏やかな雰囲気が、柔らかな色彩のまとまりの中に表現されている。

 吉田馨都江「明日へ」。夕暮れをバックにした林。立ち並ぶ樹々のフォルムが面白く、生き物のような雰囲気もある。暗色で描かれた背景の様子も、うごめくようなリズムをつくっている。空にしっかりと塗り込まれた赤のトーンが、悲哀のような強い情感を感じさせる。

6室

 平江正好「明日へ」。幼子が成長して行く七態それぞれのシーンが、丁寧に描かれている。作家の思い出なのだろうか。赤や肌色のトーンがやさしい。こちらを見る赤子の清らかな瞳が、実に印象的である。幼子の体の動きやフォルムが丁寧にとらえられている。

9室

 南部祥雲「河童」日府賞。堂々とした河童の石膏像である。魚の動きと、顔の嘴の突き出たかたちのバランスが面白い。水の中から今現れたのだろう。背の甲羅には鯰を背負い、左手には大きな魚を持っている。下半身にかぶさる波の動き、たくましい河童の体軀、嘴の突き出た顔、こちらをじっと見つめるような、いぶかしげな表情。そういったディテールが生き生きと表現される。水神としての河童が伝承の中からそのまま抜け出てきたような力強い存在感がある。

第79回旺玄展

(5月22日~5月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 小玉政美「時の情景― 2013」。一人の女性の姿が具象的に描かれる横に、ぽっかりと中は空洞のトルソのようなフォルムがあらわれる。両側に二人の男女。空に月が浮かび上がる。下方にはやはり中が空洞のトルソが横たわっている。深い思いに浸りながら追想するようだ。その空洞のトルソは画家の思いを満たすための媒介として現れてきている。寒色系の色彩の中にほんのすこし暖色が入れられたそのような色調の中に、瞑想的な空間が広がる。

 高桑昌作「La Aurora〈オーロラ〉」。女神がいま出現した。不思議な球を持っている。髪は逆立ち、背後に翼のように銀色の炎のようなフォルムがあらわれている。その周りは赤で、星が飛ぶ。ミューズは海の泡から誕生したという伝説もあるが、そのような伝説も踏まえながら、画家がいまこの大画面の中にミューズを生み出すように描く。そんなヴィヴィッドな印象が感じられる。金と銀を駆使しながら中心に裸婦を置いた独特の構成。そして、曲線を駆使しながらそれらが全体で統合する強い動き。

 佐々木實穂子「遠い日(signal)」文部科学大臣賞。フローリングの上に木のボックスがあって、そこに座って頰杖をつく少女。同じ少女が、その横では籠でできた球体の椅子の上に座って片一方の自分を眺めている。手前に信号機が立ち上がる。背後に建物が浮かび上がり、駅のホームにある看板のようなものが浮かび上がる。信号機も駅も過去にいざなうための道具として画面に使われている。そういった時間の中からこの二人の少女は現れている。自分の過去とこの少女の現在とがクロスする。そこにあらわれてくる独特の情感が、このセピア色の空間の中に浮かび上がるところが面白い。

 脇田裕子「憧れ」損保ジャパン美術財団賞。壁に三つの楽譜。椅子に腰掛けてトランペットを持っている女性。後ろにはヴァイオリン、上方にはサックスなどが浮かび上がり、下方にはドラムがある。黄土系の渋いトーンの中に光が差し込み、女性を照らしている。柔らかなトーンの変化の中に浮かび上がる女性のイメージは、画家がその女性を内面化したような強いイメージが感じられる。

 貞永マミ「律― 2013」。蓮の花托、ホオズキ、麦、小さな実をつけた枝、枯れた紫陽花、そんなものをコラージュするように組み合わせながら、その中心に夕日の中の裸木の林を置いている。やがて来る冬を目の前にして、春と夏と秋の季節を振り返っているようなイメージが感じられる。季節のそれぞれの音色がドライフラワーと化して、画面の中に引き寄せられる。不思議な四季図といったイメージで、それを季節の部分部分のフォルムを組み合わせながら、構成する。

 根井操「2013・あした」。青みがかったグレーの複雑なトーンによってつくられている。中心は円弧があらわれ、その中に階段、塔、窓などが置かれ、上方には雪が降っている。暗い埠頭のようなイメージも浮かぶ。そして、その円弧はS字形になって、その下方には建物の側面のようなフォルムが浮かび上がり、手前には水があり、その手前には海に接する大地といったイメージも表れる。自由に、抽象的な矩形や三角やストライプ、円弧、直線などを駆使しながら、音楽的な空間があらわれ、そのメロディやリズムに従って、街や窓や雪や水などのイメージがあらわれる。それらが視覚的にも聴覚的にもクロスする独特のコンポジションの中に構成される。

 斎藤寅彦「時の跡 2013」。画面の下方に古いタイプライターがある。それは二十センチほどの厚みのあるコンクリートの端からすこし手前に飛び出ている。古いタイプライターだから相当の重量感のあるもので、それがこの作品の魅力なのだが、それがそのような位置にあるアンバランスさというものが、この作品の全体のイメージをつくる。そして、上方から鳥の羽が落下してくる。儚い命が消えてしまったような、そんなやるせないイメージが漂う。そして、これまで繰り返し描いてきた、岸壁にものを係留するためのコンクリートに深く打ち込んだリングが画面の中ほどに描かれている。それが通常は下方にあるのが宙に浮いて描かれて、つなぎ止めるものが失われたようなイメージが漂う。それぞれのものの質感、存在感を描きながら、全体で哀愁ともいうべきものが画面に漂う。

 片岡美男「海のおくりもの」。不思議な船を思わせるようなフォルムの上にボートの破片や牛骨、石、キューピーのようなフォルムが置かれている。そして、船の破片には島の絵が貼られている。青い海に青い空。雲が浮かび、鴎が飛び、三日月の昼の月が浮かぶ。海は画家を旅へいざなうようだ。そして、船が現れるが、船は壊れて、旅立つことができない。空を見ると、昼の月が儚く感じられ、鷗が飛ぶといったイメージを、独特のフォルムの組み合わせによって表現する。

2室

 若林俊男「ハーモニー」。石膏のマスクにヨーロッパのマイセン風な陶器、あるいは中国の染付けふうな壺、グラスにはサクランボ、古い燭台、洋梨、カラスウリなどが置かれているが、それをクリアに再現的に表現する。その筆力に注目。

 加藤良子「ギリシャ・女神アフロディテ」。アフロディテが海の上に立っている。背後にパルテノン神殿や牛と闘う兵士などのフォルムがあらわれ、海に薔薇のような花が浮かび上がり、日本でいう波涛文のような波のフォルムが浮かび上がる。そばにギリシャの壺が描かれ、その黒いバックには兵士や女性のフォルムがあらわれている。アフロディテは海から誕生したといわれる。その海の青さはそのまま空の青さと画面の中で重なっている。それはまた地中海文明、つまり西洋文明の夜明けの色彩である。そこに彫刻からとったと思われるアフロディテのフォルムがくっきりと画面に描かれる。朝の斜光線がこの中に差し込み、一部を黄金色に、あるいは薔薇の花を光の中に浮かび上がらせる。朝焼けの空と海。アフロディテは外光とは違った内側からの光に満たされているようだ。内側からの光(画家のイメージ)と空からの光が画面の中に共存する。そこに独特の強いイメージが表れる。

 勝俣睦「帰らぬ子、待つ母―2」。第二次世界大戦で出征し戦死した子供。その兵隊姿の写真の手前に平服の上半身がクローズアップされ、そのもっと手前に母の胸像が描かれる。いま帰ってきたかのような光の軌跡の先に光っているのは魂だろうか。下方にコスモスのような花が点々と描かれている。「岸壁の母」という映画や歌が盛んだったときもあった。日本が敗戦して六十八年たつが、画家はその時代にもう一度戻ったかのような深いイメージをパステルで表現した。

 松田敬三「嵐去る」。嵐が去ったあとも波が高い。そんな様子をダイナミックに表現する。岩の向こうに立ち上がる波の二つのフォルムがヴィヴィッドに表現される。

 中村章子「景・ 2013」。街を背景にして女性が立っている。右下に子供の顔が浮かび上がり、後ろに母がいる。都会の中に暮らす人のノクターンといったイメージで、ある意味で聖母子像と言ってよいかもしれない。

 松間弘「リサイクル材」。切られた枝が積み重なっている。そこに光が当たり、明暗があらわれる。そのフォルムをクリアに描く。無秩序なものの中に画家のつくりだした秩序があらわれる。その秩序に呼応するようにそれぞれのもののもつ存在が立ち上がってくる。

 大神田礼子「Future Star」。短いジーパンに白いキャミソールをつけた若い女性が上方を見ている。右手は上に、左手は前に置いて、何か大きなものを迎えようとしているかのようだ。背景は金の箔を貼ったような表現である。そして、彼女の人生の未来を示すように、墨による太い川のようなカーヴがあらわれ、その上方に満月が描かれる。下方には二つの三日月が重なっている。金に水墨ふうな大胆な墨象のような、そんな激しい勢いの円弧が時空間の象徴として表現される。それに対して、具体的な客観的な女性のフォルムが組み合わされたユニークな表現である。

4室

 筒井スミ子「今も、3・11に怯え…る少女達」。一昨年の三月十一日二時四十七分に津波が来た。その時刻の時計が画面の真ん中に置かれ、三人の少女が体を折り曲げるようにして後ろから、側面から描かれている。津波を波打つフォルムの連続によって表現する。下方からは白い水が立ち上がってきている。まるでそれは白い圧倒的な炎のようである。画家はどちらかというとファンタジックな絵を描いてきた。今回もそのファンタジー性は明らかに感じられる。その中で画家は津波というものを内面化し、この不思議な文様をつくりだした。そして、女性の衣装につけられた緑は、おそらくこの困難なところから新しい緑の若木を伸ばしてほしいといった祈りからあらわれた色彩のように感じられて切ない。

 米澤眞理子「パリ3区のフラワーショップ」。たくさんの花が色とりどりに置かれている中に、ブロンドの女性がいま店から出てきた。コートの垂れた黄金色の色彩の男がドアのほうに向かっている。その二人の人物が周りをすこし暗くした中に浮かび上がるように表現されている。その二人のフォルムが画面の構成の軸となっていて、生き生きとした表情をつくる。

 北野弓子「森の中の少女たち」。ワンピース姿の太った三人の女性の群像である。背後には樹木が深い緑の中に抽象的に表現されている。三人の目は黒く、女性の埴輪のようなミステリアスなイメージが感じられるところが面白い。ヨーロッパの人のような白い肌の太った女性群像が、日本の昔の埴輪のイメージと重なりながら、ロマンティックな神秘的なイメージをかたちづくる。

 平松完二「牛窓 オリーブ園」。瀬戸内海を背景にしたオリーヴの樹木を、くねくねとしたタッチで表現する。夜の風景と昼の時間が重なったような不思議な世界が画面にあらわれ、植物が命をもって動き回るようなイメージが表れる。

7室

 山田正夫「展望 COTE-D'AZUR」。コート・ダジュールは世界的に有名な観光地である。湾から伸びていく突堤の先に灯台がある。その湾の中にも二つの突堤がある。穏やかな紫がかった静かな海に、建物がところどころ白く輝いている。白はいちばん遠景の山の上方には雪として置かれている。グレーを中心としたトーンの中に、白や建物の屋根のオレンジ、あるいは紅葉した樹木のオレンジなどが静かに輝く。品のよい落ち着いた雰囲気のなかに、このコート・ダジュールの湾と建物、山などのパノラマが面白く構成される。

 岡村えみ子「路地裏の鼓動」。路地裏の段ボールの中にビールやワインの空瓶が積まれている。三箱ある。上方には水道の蛇口がのぞく。地面の様子は土を固めたもののようだ。褐色の調子である。その中に捨てられた瓶が輝くように表現される。画家はマチエールに対する強い感受性がある。そのマチエールを伴うことによって色彩が独特の輝きを帯びる。それによって建物の裏側にあるこの廃棄物が別の存在に変ずる。ものを眺める視線はまさに画家の視線で、目に見えるものはすべて等価であり、画家のイメージが活性化するときに作品があらわれるといった、そのようなヴィヴィッドな印象を感じる。背景の暖色系の色彩の中に寒色の瓶の色彩、触感が面白く表現される。

 小池成芳「共存」。上方からこの古い建物を眺めている。屋上にはモザイクで花の文様があらわれていて、そこに三人の男が立っている。そばの柱頭は円錐状になって、尖った先端が見える。その向こうには六角形のアーチ状にくり抜かれた円筒の建物があり、その上方は不思議なラビリンスふうな青い縞模様のあるドームで、そこにも尖塔が立っている。はるか下方のペイヴメントや大地には親子や子供などがいるし、自転車に乗っている人も画面上方には見える。いまなお生きて使われている古い宮殿のような建物のもつ独特の強い雰囲気と、大地の上に歩く、あるいは存在する人間たちとがお互いに絡み合いながらこの独特の生気ある画面をかたちづくる。

 原野眞城「群舞―阿波踊り」。手前に先頭を切って踊る五人の踊り子。その後ろにもう一人、それを指揮しているような人もまた踊っている。これは男性と女性の一緒のグループだが、後ろには笠をかぶった女性たちが列をなして踊っている。その姿を一つひとつ描きながら、全体で楽しい鼓動するようなリズムが生まれる。

 近沢多賀子「チンクエ・テッレ」。手前にボートがある。後ろに十人ほどの男女が会話をしたり、どこか遠くを見たりしている。椅子に座っている人もいる。人々の様子が独特の動きのある構成をつくる。後ろの傘の黄色やオレンジ、青などが色彩の強いアクセントとなっている。

8室

 今西邦代「山岳の教会」。中心に教会があり、周りに民家があり、近景には木立がある。そういった様子を一つひとつ手で確認するようなマチエールとトーンによってつくられている。外形であるものが内景と化して、心のスクリーンの上に表現される。明るいベージュ系から暗い緑、あるいは茶褐色までのトーンの広がり。ベージュの壁にすこし赤が入ったような温かなトーンと空の同じようなトーンとが呼応する。心の中の教会であり、心の中の街の表現と言ってよい。

 小島房子「森羅万象(・)」。正方形の画面に四つの不思議な不定型であるが矩形に近いフォルムがあらわれ、そこにむにょむにょとしたカーヴするフォルムがあらわれている。グレーであったり、茶褐色であったりする。そして、U字形のストライプの影のようなものが右上と左下に浮かび上がる。画面全体に不思議な動きが感じられる。不定型のフォルムが生きたかたちとして画面を動いていく。そのフォルムの不定型な形の面白さは、どことなくあのスペインのミロの作品と共通するものがあるように感じられる。ミロは大地的であるし、宇宙的でもある画家である。日本に来ると、狸の焼き物をずいぶん気に入ったそうだが、その地に足のついたところから表れてくるイメージの展開は、やがて星や太陽さえも引き寄せ、宇宙をうたわせた。この作品も同様で、月と四季を中心とした日本の長い文化のなかから、あやしい魂のようなフォルムを引き寄せ、それを画面の中に遊ばせる。そして、そこに風や水が不思議な文様となって画面の中にあらわれた。昼と夜とが同じ画面に共存するような時空間の中に命というもののもつあやしい働きを画面に捉える。

 川崎建二「樹木の品位」。グレーのバックに濃いブルーや明るいブルー。あいだから黄色やグレーなどが網版のように出てきて、光り輝くようなイメージが中心から左右に広がる。樹木というより、ある命が星雲のように集まったような、独特の詩的なヴィジョンが感じられる。

9室

 鍵和田智子「惜春」。肩や胸を大きく出したしどけないポーズで着物を着た若い女性の全身が描かれて、独特の官能的な表現になっている。その女性を荘厳するように周りが桜の花吹雪となって、妖艶な雰囲気が漂う。

 馬場由紀子「廃棄物」。若いカップルが抱き合っている。青年が足を載せているドラム缶の下から、若い女がその蓋を少し持ち上げて泣いている。廃棄物のように捨てられた女の恨み。背後のドラム缶の上に蜘蛛の巣のようなネットのようなフォルムが描かれているのは、三角関係の複雑な心象を表すようだ。いずれにしても、三人の男女のフォルムがしっかりと表現されている。その現実感と画家のつくりだしたイメージとが絡み合いながら、独特の物語を表現する。

 中村恭子「惜別」。二人の裸婦。一人は両膝をついて、両手を合わせて祈っている。二人は蓮の葉の上にいて、黒いアゲハチョウが飛んでいる。そのアゲハチョウは亡くなった人の魂だろうか。蓮の葉にのっている女性も亡くなった人なのだろうか。ふくよかな女性のもつフォルムが官能性を超えて画面の中で浄化されているような趣のあるところが興味深い。

 服部倫子「初夏逍遙」。若い女性が椿のような花の置かれたボックスを持って立っている。下方には獅子の文様、背後には花の文様、そして窓には外国の建物が並び、青い空に白い雲が浮かんでいる。反対側には宇宙船が飛ぶ。自分の好きなイメージを画面の中に集めながら、若々しい女性のもつイメージを、あるいは彼女の心の中にあるイメージを絵画的に表現する。獅子の図像の下に猫が横になっているのもほほえましい。

 松岡暁子「待つ」努力賞。少年が凧を揚げようとしているのだが、凧はいま草むらに落下しつつある。それをすこし悲しんでいる少年の顔が愛らしい。草の表現も面白いが、とくに少年の姿をかたちづくるそのディテールに注目。

 浅原哲則「環境難民」。褐色の地色の上に焦茶色のトーンで家や二十人ほどの人々を描く。レリーフをつくるような描き方であるが、今回の震災に対する難民という強いテーマのうえに立って、画面の左に人間を寄せ集めて、右から来る恐ろしいものに対して体を屈めるような、身を引くような、独特の動きを全員がしていて、強いインパクトが感じられる。そばでそのフォルムを見ると、画家自身が優れたデッサン家であることがわかる。

11室

 永山勲「玉葱干し」努力賞。水彩作品。竿にたくさんの玉葱がくくりつけられている。上下に三列。後ろのほうにも竿があるようで、それだけの玉葱が集合すると、独特の迫力が表れる。ある大きな量感とその一つの玉葱の姿がお互いに呼応しながら、一種のエネルギーともいうべきものが表現される。面白い視点であり、面白い表現である。

 中村多美子「晩秋の燦き ・」旺玄会賞。木製のケースに紫陽花を中心とした花がたくさん入れられている。紫陽花は床の上にも落ちている。床も木でできている。年代物で、百年近くたつような様子である。紫陽花はすこしドライフラワー化しているようだ。そんな様子がそのまま秋の光に照らされて宝石のように輝く。緻密なディテールを重ねながら、全体で時間というものの不思議さ、時間がつくりだした色彩や木の表面の様子などを輝くように表現する。

12室

 吉田正造「春信」奨励賞。紙に水彩であるが、すこし水墨ふうな要領で、濃い部分、中間の墨の色といった感じで墨色を分けながら、シルエットふうにだんだんと向こうに行くに従って小さくなる裸木を描いている。いちばん近いところでは三本の裸木が太く、ディテールまでしっかりと描かれていて、全体ではお互いが呼応しながら、一種の叙情と言ってよいようなイメージが表れる。また、地面の雪から小さく頭を垂れているような樹木も描かれていて、繊細で、一種鋭い美意識が感じられる。

 奥山幸子「忘れられた処―白い月の日」。大作である。三つの石の柱が画面の上方を突き抜けている。上方には細い葉をもつ植物や赤い花の咲く植物などがその周りにある。下方は地面で、木の柵があり、その前後に植物がある。紫色のつぶつぶの実を実らせた植物もある。そして、画面の上方すこし左に白い月が輝いて、周りの空間も白く輝かせている。昼の世界がそのまま月の世界に変じたようなロマンティックな雰囲気が感じられる。画家のもつイメージの力によって、そのような変容が起きているところが面白い。それによって平凡な植物たちがエキゾティックな表情を帯びる。

 渡邉義男「白い薔薇の情景・・」。緑の芝生を囲むように丈の低い木の柵があって、そこに薔薇の花が咲いている。透明な青みがかった不思議な薔薇である。緑とその薔薇とが繊細なハーモニーをつくる。

13室

 吉田トヨ子「ネッカー川のほとり」。透明水彩の技法をよく生かしている。透明感のある緑。その向こうの家や道の白く光っているところ、明暗のコントラストの中に色彩が輝く。

 堤保雄「希望」。ホームレスのような生活をしている二人の人間に焦点を当てて、しっかりと描く。上方の石の重なりや藁のようなものを組み合わせた衝立のようなものなども、その連続性の中に表現されて、下方の二人の人物を囲んで向かうような動きになっているところが面白い構図と言える。

15室

 磯村倬司「ハンガリーの夏 ・」。向日葵がびっしりと向こうまで群生している様子。一種異様な強い表現である。画面の下方半分を超えて一つひとつの向日葵がだんだんと向こうになるに従って小さくなる様子を、丁寧に描いている。その向日葵を見ていると、中の茶褐色の部分と周りの黄色い花弁との対照の中に、中心にあるものが目のように感じられて妖しい。深いレクイエムの表現のようにも思われる。

 坂口良治「水溜まり」。筆で対象をしっかりと捉えている。水たまりが真ん中にあり、その周りの地面もすこし濡れてしっとりとした様子。そして、そこに電信柱が映る。水や周りの地面の質感をよく表現しているために臨場感があり、その臨場感に支えられて、倒立する電信柱の影と電線が不思議な気配を呼ぶ。

 好川悦子「古城」。面白い構図である。地面に接する木製の厚い扉。それを囲む石垣。両側に石段があって、その真上にもう一つの上方がアーチになった扉がある。やはり、両側は石の積まれた壁で、両翼に矩形の桟のある窓がある。塗り込まれた独特の強いマチエール。上下の二つの扉があやしい雰囲気である。内部にはどんな人が住んでいて、どんなものがあるのか。とくに下方の地面にごく接する扉の向こうには中世の牢獄さえもあるような雰囲気である。そんな強い文学性を感じさせるところが魅力。

 磯野桂子「旅の行方」。ベンチに座る二人の女性はサングラスをかけている。両側に立っている人。左の人はサングラスをつけて携帯電話で何かを聴いていて、右のほうではピンクのシャツを着た女性がその様子を見ている。それぞれがいわばパントマイム的な動作によって楽しいイメージを発信するようだ。独特の無言の会話のようなイメージが四人の群像のなかに表れているところが面白い。フォルムのディテールがそれを支えている。

16室

 小川洋子「初夏の大島」。独特の緑の扱いだと思う。画面全体サップグリーンからカドミウムグリーンまでの緑が使われているが、ひっそりとして、どこかエキゾティックな雰囲気が感じられる。下方に黄色や白の可憐な花が咲き乱れている。どこか桃源郷の趣である。それを油彩によって面白く、ある透明なトーンの中に生き生きと表現する。

 益子英雄「朝日を浴びるマンハッタン」。黒々としたシルエットの連続が独特の重量感を醸し出す。そのあいだから光が当たっているところがちらちらと白く輝く。逆光のマンハッタンのパノラマ風景である。

17室

 小島翠「ファミリー2013― ・」。緑のモノトーンであるところが面白い。そこに黒いズボンや黒い上衣を着ている人が点々といるのがアクセントになっている。様々な人が様々な遊びや動作をしていて、百人を超えるようだ。クリアにそれぞれの様子を描いている。集合してまるで人間動物園といった雰囲気なのが面白い。

18室

 林加代子「悠久のトレド」。トレドの宮殿から周りに建物が広がる独特の中世の街を、画家は面白くアレンジしている。放射状に波紋状に建物を配置して、建物はかなりキュービックにシンプルに描きながら、動きのある、広がりのあるコンポジションをつくっている。また、茶とベージュの組み合わせも古都トレドの色彩としてふさわしい。

 佐藤均「あしたを待つ」。雪をこんもりとかぶった茅葺きの民家が大きく画面に捉えられ、ガラス戸の向こうに光が滲み出る。周りに建物があるのだが、それが黒いシルエットの切り絵のように表現されている。裸木と針葉樹のその表現が、この大きな画面の中で独特の効果を上げている。懐かしいふるさとのイメージを象徴的に構成する。

19室

 宮島明「サーカスの人(A)」。赤が深い感情を表す。いま舞台ではピエロが二輪車に乗って両手を上げ、その両手に支えられて立つ女性がいる。手前にはシルクハットのピエロと緑のワンピースを着た女性がいるが、二人は会話せず、お互いに九十度の角度でそれぞれの方向を向いている。舞台の端にはもう一人のピエロが立っている。そのバックは青で、赤と強いコントラストを示す。強いノスタルジーの感情が感じられる。それは魂のふるさとともいうべき内界の世界に下りてイメージをつかもうとする力によるものだろう。ピエロと緑の衣装の女性は男と女の代表で、二人のあいだには深い心の交流があるようだ。それを鑑賞者は夫婦に見たり、恋人に見たり、様々なイメージを重ねて見ることができる。シャンソンのようなメロディが画面の中から流れてくるようだ。

 渡辺動五郎「道」。驢馬に荷物を置いて歩む、真っ赤な衣装を着た現地の人。素朴な表現のなかに豊かな情感が感じられる。

20室

 仲角和子「古壁」。粗壁の下には竹などで組んだ基礎が姿を現している。そんな様子を黄土系の色彩を塗り込めて、触れるように表現する。泥や壁の様子が、まるで黄金がそこに隠されているような鈍い光を放ちながら独特の輝きを表す。触覚とトーンによる強い表現。

22室

 小田島正恵「おおきなねことうんどうかい」。綱引きをやっている女の子たちが二十人ほど描かれている。その中心に立っている猫と横になった猫が子供の十倍ほどの大きさで描かれていて、不思議な生気をつくりだす。フォルムのもつ面白さをよく画面に引き出している。

23室

 茂木茂「屑鉄工場」。鉄骨でできた丈の高い工場と中にあるトラックやリフト、屈み込む人の姿。ぐいぐいと描き込む筆力によって全体に動きが生まれる。周りの道の表現も面白い。

26室

 田島由美子「寂」。モノトーンの作品。樹木の梢までの形を面白く、シルエットの中に表現する。背後は速く動いていく雲が集まっているようで、中心に月が輝く。独特のファンタジーの世界を描く。

 高畑泰子「趣・2013」。池を中心に周りの樹木を描く。池の中心にスポットライトが当たっているような趣。塗り込まれた絵具に独特の輝きが生まれる。また、なにか懐かしく上品なセンスが感じられるところも魅力。

27室

 杉浦文俊「目が合っちゃった。」会友推挙。板塀の武者窓のようなところから猫が顔をのぞかせている。それを三歳か四歳の男の子が眺めている。シュールな味わいが生まれる。また、頭が大きく、手足の小さい子供のもつフォルムのバランスを強調した不安定な雰囲気と、猫のあっけらかんとした表情とが面白い対照を見せる。

 木下京子「刻・待つ」会員推挙。一匹の犬の正面から、あるいは斜めから見た姿を三体床に置いて、窓の向こうには建物や樹木がある。ドローイングによる作品。黒白の世界だが、粘着力のあるマチエールと対象を写す優れた力に注目。

28室

 工藤優子「払沢の滝」。F型の画面の中ほどまで上辺から滝が下りてきている。そして、三段の段差の中を手前の淵にくる。その距離感とそれぞれのフォルムがクリアで優れていて、空間がよく表現されている。

 安間由紀子「遠い日の記憶(駄菓子屋さん)」新人賞。画面の中心に木製のケースがあって、その矩形のボックスの中に色とりどりの菓子が入っている。その部分の形が面白い。それを中心として老人の男女や子供たちを描いているのだが、その駄菓子屋の文様の不思議な懐かしい抽象性が画面全体の雰囲気を幻想に変えるようだ。

第63回新興展

(5月22日~5月30日/東京都美術館)

文/高山淳・大澤景

1室

 藤咲億桜「サルタヒコ」会員努力賞。サルタヒコが雲に乗って大きく描かれている。サルタヒコはもともと日本の風土の神といわれている。左手を突き出してノーと言っている相手は、黒い雲に乗った男女である。札束を持って不動産を買いにきたのだろう。自然を守ろうとするサルタヒコはノーと言う。右には、様々な子供たちが川で泳いだり、仲間で集まって遊んだり、竹馬やチャンバラをしている。一昔前の楽しい子供たちの遊びである。自然と深く関係をもつ生活をサルタヒコは守ろうとしている。サルタヒコの魁偉な姿が強い輪郭線によって生き生きと描かれ、髪には植物の葉が飾られている。それに対して小さな子供たちの遊んでいる姿や不動産投資の男女などの小さなフォルムが、実に生き生きとした線描によって表現される。水墨によるイメージの表現と言ってよい。(高山淳)

 白石繁馬「春響」。桜の花びらが散り積もる春の参道である。三角形の構図が力強い。花びらのピンクの輝くようなトーン、参道の深々とした黒の色彩が響き合い、密度ある空間をつくりだしている。春の晴れやかな気韻が満ちている。(大澤景)

 安達好文「大鷹」。松の木の上で、二羽の鷹が互いに反対方向を向いている。これから飛び立とうとするところだろうか。猛々しい雰囲気である。くねくねと曲がる松の幹のフォルム。その茶系の色彩に少し青をさした色調が面白い。円く描かれた葉が軽妙なリズムをつくる。背景の金色の調子と相まって、春の爽やかな生命感が感じられる。(大澤景)

 木内英文「猫の島」。大きな不思議な岩が海から立ち上がっている。そこには階段がつけられていて、街灯も灯っている。その岩のところどころに様々な猫がいる。寝ている猫もいるし、歩いている猫もいる。下方に筏があって、そこに一匹の猫が座っている後ろ姿。前に灯火がある。村上春樹に猫しかいない街のあやしい描写があるが、ふとそんなイメージも連想する。煙突が岩から立ち上がり、煙を噴いている。この岩のようなものが世界の中のどこかにあるのだろうか。心の中にこのような岩をつくり、住処をつくり、人は猫となってここでしばらくの安息の時を過ごすのだろうか。海全体が深い無意識の象徴のように感じられる。明かりはその中にかすかに灯る意識の象徴だろうか。息の象徴として煙があらわれる。孤独感のなかに一種の安息感ともいうべき、安らぎともいうべき不思議なイメージがあらわれる。(高山淳)

 吉久保絢子「常若」。小刀を持った若い巫女を中心に、旋回する動きが描かれる。瑞々しさとミステリアスな雰囲気がある。今年は伊勢の遷宮の年であるが、その遷宮の様子が、画面左下に描かれている。右下には、新しく立てられた神宮が描かれている。古来から続けられる再生の儀式。常若(とこわか)の世界である。日本人のもつ時間の感覚や美意識が作品から感じられるところが面白い。(大澤景)

 鈴木京子「ムサンマン・ヴルジュの眺望」。ムサンマン・ヴルジュとは囚われの塔の意で、インドのタージ・マハルを建造したシャー・ジャハーン帝が、晩年を幽閉の身として過ごした塔である。力強い構図である。河の向うに白く輝くタージ・マハルの姿と、この塔のフォルムがしっかりと描かれる。壁面の緑がかった茶色のトーンに、有機的な味わいのあるインドの遺跡の雰囲気がよく表現されている。数千年にわたり流れる河の流れを想起させる、静謐な時の雰囲気が画中に流れている。(大澤景)

 川原善次郎「すし屋の弥助」。文楽の「義経千本桜」の一場面。丁寧な線描が、文楽人形の独特の形を生き生きと描き出す。バックの市松模様の紫や茶のトーンが清澄な味わいである。本当は平惟盛である弥助の堂々とした姿、その横にひかえるお里の姿が、臨場感豊かに描かれる。弥助を愛するお里の感情、深々とした弥助の表情が、実に人間的である。(大澤景)

 丸茂湛祥「周回する疾走」。上方から大きな車輪が下りてきて動いている。その中心には仏がいる。車輪には坊さんが居眠りをしている。宗教が腐敗して、本来は人を救うべき車輪が、そこにとげをつけて人を踏み倒しているような様子が描かれている。宗教の堕落である。その腐敗は世界全体の堕落にもつながって、その周りには、浅い水で溺れている人もいるし、仏画を能天気に描いている画家もいるし、杖を持って誰かを殺そうとしている老婆もいるし、武者絵を凧揚げしている子供もいるし、自転車に乗って花の描かれている絵の上を走っている少年もいる。大金持ちは、右に葉巻を持ち、左はマッチに火をつけているが、なにか危険な雰囲気である。そばには寝そべって、その様子を眺めているあやしい人間。シルクハットをかぶって勲章をつけたひげを生やした男は、傘の先を人に向けて倒れかかっている。現代の百鬼夜行図といった様子が車輪の下に描かれている。現代の人々の信仰心をなくし分裂した不安な様子。黒いフォルムの中に白い線によって、ちょうど拓本のような強いフォルムによって、集合した人間たちの姿が百鬼夜行図のように生き生きとして車輪の下に動いていく。独特の風刺性をもった大画面である。(高山淳)

2室

 上田広「生」新興美術院賞。桜の木のうねうねと広がる枝のフォルムが力強い。満開になりはらはらと散る花びらが、一枚一枚誠実に描かれている。白っぽいバックの色感に深みがある。緑と、花びらの薄いピンクが響き合い、うららかな春の陽光を想起させる。(大澤景)

3室

 佐藤一彦「光る山河」。宵闇の街景を俯瞰している。夕暮れの陽を河が反映し、晴れやかなオレンジ系の色彩に輝く。河口の方では波紋がゆるやかに立つ。どこか幻想的な雰囲気もある。上方では山もうっすら照らされる。山川の傍にある街は暗く描かれ、面白いコントラストで輝く河を強調する。この景色に象徴される、生活の中に河がもたらす安息感がしぜんと感じられる。(大澤景)

 内田誠「マグノリアの咲く頃」奨励賞・準会員推挙。木蓮の木の下に広がる横長の構成が面白い。葉のかたちやマグノリアの花、木のフォルム、雉の模様といったそれぞれの要素が、丹念に描かれている。緑のトーンがやさしい。ひと際鮮やかな彩りの雄の雉が一羽、切り株の上に立つ。その周りを雌の雉たちが取り囲み、見つめている。雄の方は何か得意気で、飄々とした雰囲気である。人間的な独特のまなざしである。微笑ましい情景であるが、同時に寓話性も感じられる。雉の生態のなかに深く入った表現になっているところが面白い。(大澤景)

4室

 関根健一「川霧」新人賞・準会員推挙。墨による作品。川が流れていく雰囲気が、まとまりよく表現されている。樹々、石、草といった、川原を構成するひとつひとつのフォルムがしっかりと捉えられている。描き分けられた様々な樹のフォルムが、軽妙なリズムをつくる。清流の音が響くような新鮮な雰囲気に注目した。(大澤景)

 藤岡麗子「里山の朝」。三羽の鷺が佇んでいる。朝のゆっくりとした時間の中に、おだやかな気韻が生まれている。画面上方を占める、朝靄につつまれた山の樹々の赤茶のトーンに存在感がある。上空の黄色と地面下方の黄色が響き合う。実りを迎える頃の秋の彩りである。(大澤景)

5室

 五十嵐規之「雪の山門」。丁寧に描かれた石段のブルーの色調がリズムをつくる。石段の手前は全て雪で覆われている。両側の樹が画面に縦の動きをつくる。山門が少し開けられ、その先の空間が黄金色である。夕陽があたりを染めているのだろうか。見上げる角度から、面白く構成する。(大澤景)

 山田由子「栂池 遅い春」会員努力賞。画面の真中を道がとおり、そこにリュックを背負った女性の歩く後ろ姿。道の先には家があり、その屋根の色彩が全体のアクセントとなっている。その道のりの奥行きがよく表現されている。周囲の沼地には水仙が控えめに咲いている。樹々の細やかな緑色のトーンが、春の穏やかな雰囲気を伝える。少しシュールな味わいが感じられる。(大澤景)

6室

 浜中利夫「陽と清流の中に」。水墨の力を使いこなしたダイナミックな表現である。手前に樹木が立ち上がり、背後は川で、岸にはござを敷いて遊んでいる人もいるし、犬を連れている人もいる。水の中に二人の人間が立っているのは、釣りをするのだろうか。あるいは、川の中の魚をとろうとしているのだろうか。水墨をベースにしながら色彩をそこに置いて、胸中山水ともいうべき生き生きとした世界をつくる。(高山淳)

 鈴木忠実「遺跡(ドルタバード)」。インドを長く描いてきた画家である。今回は上方の石を積んだ遺跡と伸びていく塔が歴史を目の当たりにするような強い印象を醸し出す。手前の斜面を黒い羊が歩いている。その黒い羊が人間臭い不思議な印象を醸し出し、背後の遺跡の整然たる秩序と対照される。筆者は、まるでその黒い羊に画家自身の自画像を見るような思いに誘われる。(高山淳)

 飛澤龍神「明秋」京都府知事賞。六曲の金屛風がじつに生かされた表現である。不思議な明るさの中に秋の植物たちが描かれている。萩や女郎花、桔梗、撫子。とくに黄色い女郎花の色彩は実に鮮やかな印象である。秋の透明な日差しが黄金色の色彩となって結晶したかのような趣もある。あるいは、秋の満月の輝きもしぜんと感じられる。黄色、緑、紫、ピンクなどの色彩が、金屛風を背景にして実に純粋に使われている。そして、それぞれが独特のカーヴをもちながら画面の中を伸びていく。静かな中に黄金の秤で一つひとつのフォルムを確認し、構成しているかのごとき趣がある。上方にはメジロが飛び、二匹の蝶が動いている。秋のこの植物たちを慈しみながら深い祈りを捧げているような空間があらわれている。そこにはレクイエムに繫がるような深い感情が感じられる。(高山淳)

 菊池柾寿「輝陽」。北海道で取材したスケッチから起こしたそうである。雪の積もった樹木の重なりが上方に描かれ、空に夕日がある。巨大な黄金色の夕日は、空や地上のものを赤く染めている。その雪の積もった林の手前は水となって、夕日を映している。その手前に裸木の林がある。繊勁なフォルムが魅力である。林はまた手前の水に映ってダブルイメージになっている。さらにその下方には傾いた広大な海のような川のようなフォルムがあらわれ、そこにはほとんど抽象的な縦のシルエットが描かれている。まるで心電図のようなフォルムで、それはそのまま自然の植物や樹木を象徴するようだ。幾重にも地平線が現れ、それが水を呼び、樹木を呼び、そこに映る太陽が繰り返し現れて、落日の輝きを表現する。あまり体はよくないと聞いているが、作品は逆に生き生きとして、実に強い波動をつくりだす。しかも西に沈む太陽の様子は、西方にあるという極楽浄土をも感じさせるような、祈りとしての空間と重なっているように感じられる。(高山淳)

 平田春潮「神楽 道成寺」。道成寺の最後の鐘巻きの場面である。鐘は小さく描かれて、龍となった清姫は巨大なかたちで浮かび上がり、口から炎を吐いている。鐘の中には安珍がいるのだろう。やがて焼き殺される。巨大な龍となった清姫の姿が画面全体に浮かび上がり、強い迫力のなかに表現される。手前にはその胴体がうねうねと向かっていて、釣鐘を取り巻いている。道成寺の神楽をテーマにし、イメージとして自由奔放な力強い表現である。(高山淳)

 岡田忠男「水辺に憩う」文部科学大臣賞。たくさんの鴨が泳いでいる。数えてみると、二十二羽いる。鴨は水の中をスピーディに動きながら、急に角度を変える。そんな敏捷に動く様子が生き生きと表現されている。下方には桜の花が水面にたくさん落ちていて、独特の装飾的な効果を上げる。それは単に桜の花びらと言うより光がそこにきらきらと輝いているような雰囲気で、上方の鴨の愛らしい動きを下方から荘厳しているような趣もある。いずれにしても、客観的な鴨の二十二羽の動きを丹念に追いながら、見事な構成をなす。(高山淳)

 小林恒岳「望郷」。茨城の山々が上方に描かれている。そして、手前の水と山をそっくり囲むように巨大な赤い太陽が描かれている。そして、水の上の波紋が不思議なカーヴするフォルムをつくる。まさにノスタルジックな表現である。サインがないから、まだ未完と思われるが、構図の力強さ、その造形感覚のよさにあらためて注目する。(高山淳)

 堀内噎子「市役所の丘」。左上方に白い建物が見えるのが市役所だろうか。その前に樹木があり、そして斜面になっている。斜面の下には右のほうに民家が点々とあり、あいだには集合住宅も見える。その上方には針葉樹と梅の木があって、花が咲いている。二月頃の寒気のなかに凜然とした姿で花が咲いている。そして、いちばん下方の近景にはもうすこしその梅の木が拡大されて、屈曲した枝と紅梅が花開いている様子が描かれる。画家独特の柔らかなタッチによって風景がいわば心の中の世界に変ずる。客観的な世界がそのまま優しい不思議な光を放つ光景に変ずる。今回はとくにベージュ系の色彩と淡い緑、淡いピンクなどが置かれ、あいだに屋根に淡い青、そして左のほうの柵の手前にグレーのたらしこみふうな空間が置かれて、間然するところのない構成となっている。あいだにある針葉樹の墨による表現が独特のアクセントになって、全体の柔らかさを引き締めている。緩急という言葉があるが、引き締める部分と柔らかく緩やかになる部分とのお互いの関連が見事で、そのあいだを直線や階段などの線が走り、不思議なメロディをつくりだす。ごくアンティームな中に画家のつくりだすこの風景の旋律は、実に優しく温かく、内側から静かな光があらわれてくるようだ。(高山淳)

 衣川昌良「秋山郷の秋」。柔らかな緑の渓流が下方に流れている。上方は紅葉の景色で、ハーフトーンの朱色や黄色、オレンジ色などが柔らかくハーモナイズする。そして全体で大きな塊となって静かに輝く。自然をこの六曲の屛風に描きながら、秋の色彩の世界を、いわば世俗と異なるもう一つ別の世界に表現する。(高山淳)

 安食孫四郎「暮秋の落葉松」。黄金色の樹木を背景にして、手前に幾本もの垂直に立ち上がる紫色の幹が強い印象を醸し出す。右に三本、左に五本の前後するそのフォルムが強い韻律をつくる。横に伸びる枝の赤い葉は、まるで赤い炎がそこに輝いているような不思議な印象である。独特の浪漫性とも言うべきイメージが魅力である。梢の先に一羽のカラスが羽を広げて鳴いている様子。柔らかな黄金色の風景の中に赤と黒が実に大胆で強いイメージをつくりだす。(高山淳)

第49回亜現展

(5月22日~5月30日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 金登美「月影」。船の上に花がのっているような、不思議な雰囲気である。花は白、紫、黄色、ピンクなどの花で、優しい表情を見せる。その花を積んだ船が静かに動いている。左のほうにはうっすらと三日月が下りてきている。バックはグレーで、一種の銀灰色のような色彩が上方にあり、下方は緑のグラデーションになっている。そして、風が吹いているようだ。その風は優しい、心の中を吹く風のようなイメージ。ちょうど夜の時間帯に寝台が船になって、そこに眠る人々を夢の国に連れていくように、画家はこの花を満載した船を心の中の空間の中に旅立たせ、そこに息を吹いて風を起こし、月を呼んだかのような、外界と内界とがクロスする世界を表現した。そんな絵に鑑賞者はきっと癒されるにちがいない。その花のすこし左上に緑の神秘的な通路のようなイメージがあらわれているのは、夢の浮橋だろうか。

 羽山清太郎「レオミュール街のトリオ」。タバコを手に持ったりグラスを持ったりしている三人の女性が、赤い円卓の周りにいる。いずれも目を開いて鑑賞者のほうを眺めている。逆三角形の構図が独特の緊張感をつくる。同時に目鼻口、髪の毛、指の先にタバコを持った表現などのディテールがクリアで、そこがこの作品の絵画性と言ってよい。そんな中に赤い円卓から黒い棒が伸び、赤いシェードで覆われた光が灯る。夜の画家のつくりだした幻想的室内にいる幻想的女性像が鑑賞者を招く。

2室

 三木京子「聖メテオラからの使徒」新人賞。馬に乗る使徒。遠景に浮かぶ集落。海の中を泳ぐカジキマグロ。逆巻く波。そんな様子をクリアなフォルムによって表現し、物語の序章ともいうべきイメージをつくる。

3室

 妻夫木敏明「ワタシハドコカラキテ ドコヘ ユクノカ」。船のドックの中の階段に立つ男。背後に船がある。その周りは地面で、向こうに海が見える。強い印象を発する作品。独特のデフォルメがされて、水平線の向こうにすべてのものが集約するようなコンポジションになっている。立ち止まって自分自身を考える。そんなイメージを生き生きと表現する。

4室

 前田弘「ルオーに魅せられて」。ルオーのブリヂストンにある作品が背景にあり、その前に筆を持つ自画像が二人。道のそばにはへのへのもへじの人間やゲゲゲの鬼太郎やマクドナルドのキャラクターなどがいる。既にある作品を援用しながら、絵を描く自分自身とは何かと問い掛けるセルフポートレート。

5室

 宗雪孝夫「春夏秋冬(2013─2)」。植物の花や茎をプリントした曼陀羅の上に、黒い数珠が大きな円環をなし、そこに緑、赤、青の三原色の色彩が不定型な形をして、ある透明感をもって上に置かれている。内側から曼陀羅の文様が浮かび上がる。強い念力的な表現である。四原色、緑、青、赤、黄色、黄色は春を、緑は夏を、赤は秋を、青は冬を表すようだ。四季の象徴的な色彩の間に、黄色いフォルムを光の通路のように表現し、あるいは緑を勢いよくたらしこむように置く。それは青と黄色を横断し、青は緑と黄色を横断するといったフォルムが、アクションペインティングふうなかたちで表現されている。曼陀羅の深い空間の中に画家は色彩のアクションペインティングを行い、そこに四季のイメージを与える。静的なものと動的なものが組み合った不思議な美しさを醸し出す。

 もう一点は、二重になった黒い数珠の円環が正方形の曼陀羅の上に浮かび上がり、淡い黄色、緑、朱、青がやはりアクションペインティングふうに置かれて、これまた独特の四季曼陀羅となっている。

 大波天久「夢幻の里」。水墨をドリッピングするようなかたちで画面の中に使いながら、独特のエネルギーを画面に引き寄せる。そして、二つの球をコラージュしたマーブル状の文様は淡いブルーである。それは地球のイメージだろうか。地球を眼前に置きながら、画家は現在という時間から発する詩的なヴィジョンを、抽象的なフォルムによって躍動するように表現する。

 太田奈江「ゼロ才・始めてのお招ばれ」亜細亜美術協会賞。かわいい衣装をつけたゼロ歳の女の子を抱く母親。母親のほほえんでいる様子は、まさに子供を生み、守る存在である。下方に牡丹が咲く。どこか西洋的なイメージもあり、西洋と東洋とのクロスする不思議な聖母子像である。とくにロンパリふうな少女の互い違いの目のあどけない表情と、母親の強い内側から輝くような微笑とが面白く結合している。

 前田惠子「綿の木です 本当です」。薔薇のような白い幾重にも花弁が渦を巻くようなフォルムの上に、赤や緑や青い手のような葉が置かれ、それぞれが光の中に膨張し、動いていくような強いムーヴマンが感じられる。一種凝縮するような力とコクのある色彩が魅力。

7室

 池上栄一「窯変結晶の花器」。胴の膨らみが強い豊かな表情を見せる。口縁は小さく、内側に斜めに切り込まれている。胴からだんだんと下がって柔らかな高台にいく様子は、李朝の白磁などのもつ形と共通したものが感じられる。そして、青い中に緑の天目様の文様が窯変の結晶として現れている。神秘的で豊かなイメージを醸し出す壺である。

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