美術の窓

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公募展便り(2013年6月号)

美術の窓 2013年6月号

第63回モダンアート展

(4月2日~4月6日/東京都美術館)

文/高山淳・小池伊欧里

1室

 桜井武人「風化の詩 13C」。不定型の円状のフォルムがたくさん連なって、明るい部分と暗い部分がくっきりとして、生と死の刻印のようなイメージがあらわれる。不思議な断面的なトルソの図のような雰囲気で、それがそのまま現代の不安感の暗喩ともなっている。コンピューター・グラフィックスと思われる作品で、綿布にプリントしたトーンの面白さとダイナミックなフォルムの組み合わせである。(高山淳)

 山田展也「風の景〈北緯 44° 59'〉」。北緯 44° 59'は画家の郷里北海道の北端天塩町の緯度である。傾いた三つの建物の上方に空があり、風が吹き、雪のようなものもふぶいているような雰囲気である。懐かしい感情が画面から感じられる。グレーの微妙に色彩の異なるストライプが、大きなストロークとして角度を変えながら五本ほど描かれている。そのあいだにかすれたストロークで、線がか細くつけられ、雪のようなものが舞っている。ハーフトーンのグレーの中の微妙なニュアンスの中に惻々として伝わってくるものがある。下方の三つの建物は、左側は右のほうに傾き、いちばん奥の右側の建物はすこし左のほうに傾いて、そのあいだに挟まれた台形のフォルム。三つのフォルムは寄り添いながら振子のように揺れている。その揺れているような雰囲気が、その傾きの中に柔らかな光が当たっている様子が、なにか切なく、ふるさとを思うような心持ちと重なる。これまでの作品の中でとくに叙情的要素が色濃くあらわれたように思われる。しっとりとした空気感のなかに斜光線が当たり、風や吹雪によって空の向こうが見えない様子。その膜のかかった空の向こうにもう一つの世界があるはずなのだが。その中に画家は立って、「無限の前に腕をふる」という中原中也のフレーズを想い起こす。ある濃密な感情に包まれている。(高山淳)

 野口眞木雄「崩壊(モニュメント)」。崩壊のモニュメントを描いているうちに実際に津波が起きて、東北が崩壊した。画家にとって絵に描いたことがより強く現実にあらわれて、ショックであったにちがいない。今回手前の錆びたスクラップの複雑な組み合わせの向こうに、もう一つの鉄とコンクリートの塊のようなあやしいモニュマンが現れた。まるで人体の骨盤が変形しながら伸びて増殖して動いているような、あやしい世界である。その向こうには緑の田圃があり、空は黄色く、あわあわと白い大きな雲が出ている。なにか不思議な翳りが画面の中に感じられる。これまでのポップふうなドライな崩壊図ではなく、崩壊が崩壊を眺めているような、そんな自問自答している雰囲気がおもしろい。(高山淳)

2室

 中井幸一「フレー・フレー・フクシマ」。ピンクの画面に白い円環。その円環に向かって手が描かれる。まるで手話でメッセージを送っているようだ。題名を見ると、福島の悲惨な出来事に対する強い憤りとその住民に対する声援ということになる。しかし、時にシルエットに、時に光の中に輝く八つの手の表情はまことに面白い。題名を見ると、福島がんばれということになるのだろうが、満月を前にして深い思いに入り、その沈黙のなかの雅びやかな表現、たとえば能の中にあらわれてくるあの時空間のようなものが、円弧という抽象と手という具体的な表情によって表現されているようにも感じられる。よく影絵で手の表情によってキツネや女性や様々なフォルムを感じさせることがあるが、そんなイメージもあって、不思議な広がりを見せる。(高山淳)

 笹岡信彦「声無きに聴き 形無きに視る」。黒い衣装をつけた修道女が右手に持った十字架にくちづけしている。左手は動いた様子が軌跡としてあらわれている。強い祈りのイメージである。まさに祈りの中に入った心象、聞こえないものが聞こえ、見えないものが見える。神との深い対話を暗示させる画面である。(高山淳)

3室

 中村啓子「もう一つの時間」。縦長の矩形の画面の中にほぼ相似の矩形を二つつくる。そのあいだに青のグラデーションが入れられ、上方に円弧がつくられる。右上方から影が差し込む。暗い影は左の白い長方形の向こう側で消え、長方形からもうすこし明るいグレーが伸び、赤い線によって隔てられた左側に、柔らかな青いグレーの影があらわれる。現実の時間や空間のもうひとつ向こうにある、もっとピュアな時間を画家は画面の中に構築しようとするかのようだ。青のグラデーションは夜から朝、昼への時間の推移をしぜんと連想するし、白い輝くようなグレーはその周りのすこし調子を落としたグレーと対比されて、やはり二つの時間を象徴するようだ。それが夜と昼といった単純なものではなく、日常的な時間のもうひとつ向こうにある、イメージとしてのもう一つの時空間を画家は表現したいのだと思う。その強い欲求が、独特のヴィジョンとして画面から感じられるところが興味深い。(高山淳)

5室

 古川秀昭「祝された静物 2012─・」。白いテーブルに黒いバック。そのテーブルを真横から見て、カラスウリの赤や緑のフォルムを置き、蔓草が時間の中の軌跡のように伸びていく。季節の音を静かに聴いているような趣である。雅びやかな和風のメロディが聞こえてくる。(高山淳)

 石川忠一「DUO〈Broken Moon〉」。これまでの死の気配のなかに愛する人を呼び戻すような切ない作品から、すこし作風が変わってきた。三度笠をかぶった旅人と姉さんかぶりの女性とが背中合わせになって空を見ているような雰囲気である。そして、帯のあたりに緑のストライプが入れられて、それは背中から腰のあいだの湾曲した隙間の部分にも置かれ、その十字はこの男女を結び付けるようなイメージである。緑が輝くようで、なにか新しく生まれつつあるものの感情の静かな神秘的な表現となっている。白い静かに発光するような二つのフォルムである。とくに再現的な描写ではなく、キャンバスの上にイメージを辿っていくうちにしぜんとあらわれた形象であるところが、独特のなまなましさをつくりだす。深い心の井戸の中からあらわれたフォルムと言ってよい。二人のフォルムの白い輝きがイノセントで、不思議な未来を感じさせる。愛があらわれるときの輝きのような、稲光りのようなイメージでもある。上方に、ちょうど男女の顎のあたりなのだが、黄金色の円弧が置かれ、その上方に暗い月が暗示される。二つの円弧は連結していず、すこしずれているようだ。そして、これまで死の象徴であった月の中に繰り返しあらわれてきた亡き人のイメージが、暗いトーンに覆われて、そこからオレンジ色のもう一つの月が姿を現しつつある。つまり、題名のようにいままでの月が割れて、新しいものの誕生のイメージが感じられるところも面白い。(高山淳)

 加藤勝久「白い影―旅路・・―」。時間の一つひとつの重みを測っている趣である。壁には紙が貼ってあり、木炭のような斜めの線が置かれているのも、光量や時間の重みを測っているような趣。両側に細いカーヴをした茎をもつドライフラワーと木の枝が置かれ、その内側に鳥の羽と貝殻が吊るされている。鳥は空のもの、貝殻は海のもの、地上のものの中で草と樹木という二つの存在が対比され、それぞれがそれぞれの時間を示す。あいだに白い柱があり、そこに毛皮のコートが置かれている。画家自身をそこに暗示させる。その柱にはヤモリがカサカサになって留められている。クリアなディテールを使いながら、そのディテールの中に吸収された時間というものが対比されて、時間の祭壇図と言ってよいような趣をつくりだす。(高山淳)

6室

 池長裕子「移動するカタチ」。上下に三つの空間に分かれている。自転車を漕いで疾走している人々が互い違いの方向に置かれていて、独特のリズムとメロディを表す。具象的であるが、音楽のもつ抽象性に共通するような魅力があって、そこに惹かれる。(高山淳)

 中野由紀子「時層―2013(表裏)」。正方形の画面が左右に分けられる。左には燦々と差す光の中に様々な、色とりどりの器や果実などのイメージが入れられて、右はグレーの中にヘチマのようなフォルムや皿のようなフォルムが入れられ、そこに月の光が射しているようだ。雨の降る音を聴いているような、しんしんたる気配もある。昼の世界と夜の世界、二つの世界を対置しながら、ノンシャランな中に詩情ともいうべきものを釀し出す。カラリストである。(高山淳)

8室

 吹田文明「憂愁の人」。点々によって二つの長方形ができているが、筆者は棺桶の底が割れたようなあやしいイメージをもつ。その底から星や月や葉などのフォルムが現れているが、羽のようなイメージも入っているし、アメーバのようなフォルムもあらわれて、もうひとつ向こうにある世界が暗示される。そのあやしいものと向かい合う。画家の強い詩人としてのヴィジョンはこの向こうの世界の不思議ともいうべきものを捉えて、鑑賞者に提示してくれるようだ。周りの濃い青の中に差し込むすこし緑色の光も面白いが、それ以上に赤い点々によってつくられたこの図像のもつ不思議なイメージに引き寄せられる。(高山淳)

 片岡眞幸「風窓」。荒涼とした砂漠、あるいはうねる海原を思わせる広がりの上に、短冊のようなひだが集まった方形状のフォルムが浮かんでいる。風を形象化したものだろうか。右の画面から左の画面へと時間が進み、フォルムが徐々に拡散される動きが表れている。千の風になった魂を静かに運んでいるかのようで、宇宙と一体化しまた新しい命が始まるというようなドラマ性が感じられる。(小池伊欧里)

9室

 真柴毅「カタストロフィの悲しみ」新人賞。地塗りをしていない麻のキャンバスをうまく生かして、あやしい空間をつくりだす。遠景に黒煙が立ち上がっているのは、福島原発の事故だろうか。中景にマスクをした女性たちが列をなして、たくさん右のほうに歩んでくる。まさに、カタストロフィをこのような図像によって表現した。列をなすこの女性たちの歩んでくるすがた。無機的な中にある強い連続性ともいうべき人間の描き方も恐ろしいが、黒煙を上げる遠景のイメージも恐ろしい。キャンバスを生かしたグレーの独特のトーンが、その無地のもつ力というべきものが画面に引き寄せられているところも面白い。(高山淳)

10室

 阿蘇千鶴子「つながる」。ダイナミックな動きと空間の広がりに注目する。白、黄色、黒などの色彩が豊かに使われ、二つの円弧が接近し、その円弧はまさにつながろうとしている。そこに光が現れているところが面白い。(高山淳)

11室

 赤穂恵美子「光波 ・」。染色作品で、微妙なブルーや緑、赤、黄色に彩られた布をパッチワークふうにお互いにつなぎ合わせて、海のイメージとそこに差し込む朝、昼、夜の光線、太陽であったり月の光であったりする光線が、そこにしみ通っているかのような趣である。そこにレース状の紗のようなフォルムがゆらめくようなかたちで幾重にも置かれている。見ていると、海を背景にして天女が舞っているような、そんなノーブルなイメージが感じられる。(高山淳)

18室

 平野牧子「新世界へ」。暖かな暖色系の色彩でまとめている。U字形に淡い緑の空間があり、そこに茶褐色の空間が侵入してきている。白いボールのような星のようなフォルムがあらわれ、その茶褐色や黄色い空間も含めて、点々と緑、青、赤、白などの球が浮かんでいる。上方には卵のようなフォルムが連続している。何か新しいものが生まれつつある、そんなイメージを眺めているような雰囲気。そして、徐々にその命があらわれつつある様子を鑽仰しているような雰囲気。不思議な曼陀羅とも言えるコンポジションに注目。(高山淳)

〈彫刻室〉

 広井力「あつまる・JOIN」。直方体の上方に円柱が立ち上がり、それが斜めにカットされて、低い部分はこの直方体の稜線になっている。幾何形態の中からフォルムが生まれ、力があらわれる。円弧と直線を見事に駆使しながら、直方体と球体のもつ力ともいうべきものをジョイントする。ミニマルアートとしての優れた作品。(高山淳)

 内田滋子「響生 2013」。太い大木の幹を切断し、その地を生かしながら、木の中にある魂ともいうべきものを彫り出しているような雰囲気が感じられる。横から見ると、木の年輪がつながっている。なにか種子のような、命のようなものがあらわれているようだ。反対側には平行線の直線の切り込みが入れられている。いずれにしても、樹木のもつ神秘性や命の表現として興味深い。(高山淳)

 三浦昌秀「ループ 13─1」。錆びた鉄が大きな円弧を描く。途中で小さくなりながら回転する。始まりの円弧と終わりの円弧によってこの彫刻を支えている。抽象性のなかにある空間のもつ力が捉えられる。また、円という、たとえば水を垂らしても球形をなすような、ある元型的なフォルムのもつ強さをよく表現する。(高山淳)

 唐澤朝子「春の修羅」。帽子が宙に浮かび、そこに龍が巻きついている。まるで巨大な帽子がお神輿のように空に浮かぶ。そこにめでたき龍が取り巻く。そこに様々なディテールがつくられている。日常の、おそらく刺繡とか洋裁などをしてきた人がそのイメージの中に入っていき、巨大な帽子をつくり、空に浮かせ、不思議なお神輿をつくった。明るく楽しいファンタジーに注目。(高山淳)

第17回日仏現代国際美術展

(4月2日~4月6日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 ライネルト寿美子「Play with Colors」委員優秀賞。自然の一隅からインスパイアされたように感じられる。茶系の色彩をベースにして、そこにグレーや黄色が輝く。とくに黄色が光を伴ってあらわれている。全体に沈んだステンドグラスを思わせるような色彩の輝きが感じられる。また、画面にゆるやかな動きのあらわれているところもよい。

 久下奈利子「午後の室内」。逆円錐形のような器が画面の真ん中左にあり、そこから黄色や赤の色彩がジャンプしているようだ。器自体も、その色彩にも、ドローイングの線が入っていて、リズミカルな動きを示す。室内でテーブルの上のものを見ながら夢想の世界に入り、この作品があらわれたような印象をもつ。一種の詩のインスピレーションが下りてくるときのような印象が感じられる。

8室

 橋本清一「時間が棲む廃屋」。三階建ての石造りの建物を正面から捉えている。大きな建物だが、壁がくすんでいて、窓の向こうは暗く、無人の様子である。手前の芝に光が差し込み、一部明るい緑の色彩がそこに置かれている。空はベージュで、上下の光にはさまれて建物は沈んだ様子である。下方にこの作品のためのパステルのデッサンが置かれて、対照される。画家の作品の中には常に時間が入れられている。建物という無機物が時間が入ることにより不思議な命を獲得する。この廃屋になるまでの建物の長い時間もそうだし、画家自身がここに佇んでこの光景を眺めているときの画家の時間もまた、この作品の中に入れられている。対象の時間と画家の時間がクロスし出会うところに作品が生まれる。それによって、時が静止せずに刻々と動いていく印象。過去と未来の時間の中心に現在があるが、二つの時間が画面の中に独特のわだかまりのような様子でここにあらわれているようだ。

 笹沼恭欣「残照―25」文部科学大臣賞。つくばいの一部が窪んで、そこに水がためられている。その存在が画面の近景にあり、背後に裸木が黒いシルエットとしてあらわれ、右のほうにはさざ波のようなイメージも感じられる。そして、赤く紅葉したモミジの葉が散り、あわあわとグレーのフォルムがあらわれているのは残雪のようだ。秋から冬にわたるその季節の雰囲気が象徴的に表現される。黄金色の円筒形のようなものが画面の中心上方にあって、柔らかなグラデーションの中に表現されているのも面白い。それは夕日の残照の表現であり、鑑賞者をノスタルジーの世界に誘いこむ。

9室

 白尾勇次「状況―013─E」外務大臣賞。正方形の画面の各角から対角線上に四つのアルミのストライプが置かれ、中心は正方形のアルミが置かれている。正方形は四十五度動いて菱形の形になる。強い原型的なフォルムである。また、両側に正方形を四十五度回転したのを半分に切ったようなフォルムがあり、そこはビルの夜景のように感じられる。都会の生活のイメージをこの交差するクロスによって表現する。それは人と人が出会う場所でもあるし、スクランブル交差点のようなイメージもあるし、あるいは無機的な都会の空間の象徴でもあるだろう。そういった銀色のアルミの空間とバックの暗いブルーの無限空間、そして両側の具象的なイメージをもたらすビルの夜景が、無駄のない緊密なコンポジションをなす。四つのアルミのストライプの右上方に赤い紙が一部コラージュされていて、その都会の中にも季節があらわれてくるような、そんなイメージもあるし、静かなパッションのようなイメージも感じる。いずれにしても、スタティックな緊張感のなかに不思議な詩情を入れた造形として好感をもつ。

第72回水彩連盟展

(4月3日~4月15日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 石黒奈緒美「J's Room」水彩連盟賞。キュービックな感覚で対象のフォルムをつかみ、そこに線を入れる。モダンなお洒落な空間があらわれる。

 福澤益由己「帰宅風景」。面白いコンポジションである。ぐるぐると回りながら階層を下りていくと小さな家があり、家から不思議な煙突のようなものが立ち上がる。そこがホームで、そのホームに帰る。点々と人々がいて、そこになかなか帰れない。床は歪み、独特の曲面になっている。その心象空間ともいうべき空間が実に面白く表現される。そして、右上方には床の向こうから昔ながらの蒸気機関車が手前に迫ってくる。その下方は蒸気機関車の力による影のようなイメージになっているのだが、それが塀になってあらわれ、下方のホームに向かう一部になる。抑圧とオブセッションと不安感。そのような様々な心の有り様が実にダイナミックに面白く造形化されている。

 西山督夫「私の領域」。新聞紙を敷いて横になっている老婆はホームレスなのだろうか。長靴をはいて、ズボンをはいて、毛布を羽織りながら横になっている。その横になっている、とくに顔のあたりの表現がリアルで、作品のポイントとなっている。茶褐色の空間の中に老婆の像をスキャンして取り込んだようなセンスが、モダンな雰囲気をつくりだす。

 忠隈宏子「予感」。巨大な卵が割れて、不安なものが現れつつある。現代人の心象空間をロールシャッハテストのような表現のなかに発信する。

 岡野亮介「I was born」。下方に大きな幹が伸びて、枝が切断されているところもあるし、伸びていく枝もある。小鳥が一羽とまっている。バックはベージュで、そこに成人した男女が向こうに歩いていく。木の年輪というものが人生というものの歳月の象徴のように入れられている。生まれた人間が成長し、やがてはるかかなたに霞むように消えていく。誕生し、成長する、やがて死を迎える。そんなイメージを一種のモニュマンふうな構図の中に表現して興味深い。

 中村英「カルパッチョ『王の洗礼』より吹/響/生」。画面のすこし左でラッパを吹いている三人の兵士がいる。画面にそのメロディが鳴っているように思われるが、強い哀愁の内容がそこに感じられる。背景には題名のようにカルパッチョの作品から引用したと思われる群像が描かれている。向かって右に王の顔があり、そばに太鼓を叩いている人、兵士などの姿がある。左のほうにはもう一人の王の、横から見たと思われるフォルムがあらわれる。洗礼は一度死んで、キリストと契約をする儀式であり、王が老年になって改めて洗礼を受けるといったシーンには、なにか不思議なものがあらわれる。しぜんと終末のイメージが霧のように立ち上ってくる。深い霧の中にこの群像はあるように感じられる。そこは彩色されずに、白黒によって表現されている。それに対して布の上に立つ三人の茶褐色の兵士の表情。その二つのコントラストが実に微妙な心理的陰影をつくる。なにか物悲しい雰囲気があらわれている。兵士たちはきわめて地上的な存在として表現されているが、背後にいる王を中心とした人間たちにはもう一つの霊的な気配が漂う。そして、王はその兵士たちの左と右、横顔とすこし斜めから見た顔というように、この中を動いていく。キリスト教の洗礼のように、一度死というものを体験し、新しい契約を神と結び、といったイメージが画家の心の中に浸透しているのだろうか。昨年は馬が終点に向かっている直前に、両足で立って止まってしまったような不思議な画面を描いたが、今回は地上的なものと霊的なものとの不思議な組み合わせのコンポジションのように感じられる。

 白井洋子「と或る日」。大作である。横に長い机があり、その上にビロードのような布が敷かれ、ピッコロや果物、赤ワインの入れられたグラス、水差しなどが置かれる。その小さなものたちのディテールも面白いが、上方の箔を置いたような黒いバックの中にグレーの連なりが不思議な韻律をつくる。

 小木曽文子「MY WAY」春日部たすく賞。マンションのような建物がこの直線を組み合わせた空間の暗い中にあらわれている。ところどころ、そのような建物の具象的なイメージが感じられるが、全体では直線によって区切られた巨大なフォルムである。周りはグレーで、そのひずんだような奥行きのある暗い空間の中は無人で、まるで壊れた建物の内部から窪んだ眼窩があらわれ、その眼窩が鑑賞者のほうを眺めているといったあやしい雰囲気が感じられる。

 太田昭「漁港影富士」。上方に富士山と思われるフォルムが黒いシルエットの中に表現されている。その周りに赤い雲がたなびき、渦巻くようなフォルムがあらわれている。赤い空を背景にした異様な凝縮するような黒い富士である。その下方から岸壁のようなものが近景に伸びてきて、その中心にはファンタジックな西洋のお城や鳥などのフォルムがあらわれる。そして左右に小さな岸壁が伸び、そこには船が係留されている。船のフォルムは横から見たフォルムになり、岸壁も横から見たフォルムになっているが、上方のフォルムはまた違った角度から眺められて、視点を変えながら不思議なイメージをつくる。旗がたなびいている。富士と同じように海も黒い。この黒々とした空間は死というもののもつイメージだろうか。富士はあの世の象徴のように聳えているのだろうか。そこに向かってロマンあふれる様々なイメージがあらわれ、旗がたなびく。

 中田純子「風と土のメモリー」。黄土色の厚いマチエールをもつ色彩。そこに落書きのような円弧を入れる。茶褐色の中にオレンジ色がかった黄色を入れる。ある重量感のある大切なものをそっと画面の中に置いたような、そんなイメージが面白い。とくに何かを表現するのではなく、心の中の大切なものの表現のように感じられる。

 尾中真理「'13標(・)」文部科学大臣賞。上方にコンクリートによってつくられたような重量感のある直方体のものを組み合わせたものが浮いている。その浮いている様子に強いオブセッションが感じられる。バックは紙のままのようで、実はベージュの色彩が塗りこまれているのだが、下方に海の島のようなイメージが二つ、ぽつんと置かれている。それは島というより大きな岩のようで、建物から分離したコンクリートの一部に建物の残骸があるようなイメージ。二年前の津波の恐ろしさをこのようなかたちで内面化して、画家は表現したのだろう。強いコンポジションである。

 平川二三男「滅びゆくもの(軍艦島)No. 2」損保ジャパン美術財団賞。水墨のたらし込みふうな様子で壊れかかった建物を上方に置き、そこから引っ張った線路と散乱するもの、雑草をきわめて象徴的に表現する、コンポジションがすぐれている。

2室

 椎名捷子「チェロのララバイ」準会員推挙。チェロとハープがV字形に画面の中心に置かれ、そのあいだに様々な植物の葉が置かれ、蝶がそのあいだを浮遊している。画家はある曲を頭の中に聴いているように感じられる。それに沿ってフォルムが集められ、独特の優雅な空間が生まれる。

 坂本冴子「時の記憶(いばら)」。大きな画面の下方に板が左右に渡されて、その上にバケツや赤い実のついた枝が置かれている。背後は墨によるたらし込みふうな表現である。屈曲するこの植物がイバラなのだろうか。その屈曲する植物のもつ不思議な存在感に注目。

 福島千賀子「風の通る街」。へばりつくように瓦屋根の白い建物が集まっている。その集落の様子を面白くデフォルメしながら表現する。

 中島ちづこ「パリのエッセンス」。記憶のなかによみがえるパリの光景のようだ。下方の黄色や上方のグレーは靄のようで、そのあいだから浮かび上がってくるフォルムを画面に描く。そのような記憶という働きを画面の中に使うことによって、イメージが純化される。

 安達智行「道標(稜威 ・)」。球形の大きなフォルムから陽炎や白い炎のようなイメージが立ち上っている。背後は雲で、その白い雲の上から赤い炎のようなフォルムが立ち現れている。上方には黄金色の満月が夜空に浮かんでいる。昔の日本人は月に様々な願いをかけたし、また、月のイメージと来迎するもののイメージとが重なった仏画も描いてきた。そういった月のイメージに対して、われわれの地上の様々な出来事が、この白く、あるいは赤く燃える炎によって表現されているようだ。いわば地上の現実と祈りの空間との合体と言ってよい。

 岸本恵美「室内(アルの休日)」。透明な青の色彩が画面全体に使われて、品のよい空間があらわれる。その中に馬に乗ってジャンプする二つのフォルムがあらわれる。太った女性が体操をしている。花が開いている。クマの縫いぐるみが遊んでいる。そんな情景を白い犬が眺めている。おそらくアルというのはこの白い犬の名前なのだろう。画家は室内に風景も静物もあらゆるものを引き寄せる。そして、そのイメージのなかにもう一つの空間があらわれる。その空間をこの青い深い色彩が支える。今回はそこに紙をコラージュしたりして、とくに上方に下方の紙を足すことによって、たとえば犬のフォルムがお尻のあたりですこしずれて、かえって面白い手応えをつくりだす。透明な光が画面に満ちている。真昼の光に朝方のイノセントな時間帯、あるいは懐かしい夕暮れの時間を引き寄せながら、イメージを広げていく。

 小櫻京子「飛べるものなら・石巻小」。津波によって壊れて散乱した小学校の校庭。向こうに壊れた建物が見える。画家は画面全体を透明水彩の技法で徐々につくっていく。それによって対象との対話が生まれる。ボリューム感のあるフォルムがそこにしぜんとあらわれる。その意味ではきわめてオーソドックスな水彩画の手法を使いながら、この津波という悲惨な現実に迫る。一つひとつの石、散乱したものを確かめるように描いていきながら、想像力がこの悲惨な出来事に浸透していく。空にあやしいものが浮かんでいる。画家はビニール袋が飛んでいたと言うが、それはそのまま亡くなった人間のもあもあとした魂の充満しているような空間となる。

 小沢一「澳門幻景」。ずっしりとしたコンクリートの塀。トーチカのような趣である。実際に両側から大砲の先がのぞいている。背後にはマンションのような集合住宅などが並んでいる。戦争の時の情景と、現代のその上に建てられた集合住宅とがしぜんと対比される。敗戦後六十八年たつが、時間の重みを画家は描く。同時に、日本がキナ臭い方向に向かっていることに対する画家ならではの想像力の働きが、このような不思議なコンポジションをつくりだしたのだろうか。

 人見春雄「時を待つ」審査員特別賞。大きな工場の内部のようだ。工場の外側の景色は崩壊した雰囲気である。そして、工場の中に水が浸入し、外部の景色を映している。地震のあとの復興をのときを待つ雰囲気である。水というものが画面の中に大きく扱われ、周りのたらし込みふうな暗い空間と響き合っているところが、このコンポジションの面白さである。そして、水が外部の風景を映し、そのエコーのようなイメージがしぜんと鑑賞者の心にも反響してくる。

3室

 吉田政巳「春を待ちわびて」準会員推挙。水たまりがテーマになっている。そこに裸木が映っている。雪がところどころ残っていて、それが独特のアクセントになっている。

 越野邦夫「白い花のある情景」。お盆のことを招魂祭とも言うが、お盆は迎え火を焚いて、亡くなった霊を招き、送り火でそれを返す。そういったイメージが暗いふかぶかとした空間の中に表現されている。精霊たちがここに来て集って、沈黙のなかに会話をしている。下方の黒い台の上に不思議な植物が置かれている。また、その向こうにはボートに乗ってここに来ている人もいるし、草のあいだからあらわれている霊たちもいる。上方の矩形の黒いバックの中に額のようなフォルムがあって、その中に不思議なものが堆積して、その上に盃形のフォルムがあらわれ、そこから花のような、あるいは星が集合しているようなイメージがあらわれている。そこに赤い色がつけられているのは、まさにお盆のときの迎え火のイメージを感じさせる。青の深沈たる空間の中に、よく見ると様々な精霊が集い、植物が集まり、寂々たる空間があらわれている。そして、それは暗いものではなく、われわれの世界と向こうとの境界がなくなるだけで、古来日本人がそのような二つの世界をしぜんと感じとってきた伝統的な日本の思想ともいうべきものが感じられる。

 森治郎「古代感性の詩(・)」�1�波の形が浮かび上がったり、あるいは、十三日あたりの月も浮かぶ。青、金、緑などの色彩がちりばめられ、そのあいだに墨によるフォルムがあらわれて、実に幽遠たる空間をつくりだす。

 田中実「彩」。赤紫色をバックにしてロングドレスの女性が座っている。一種彫刻的な不思議な力が感じられる。長い首と卵形の顔。しっかりとした腰。フォルムの組み立てと同時に、その女性を囲む高いクオリティともいうべきものを感じる温かな空間に注目。

 森相實「風渡る入間川」。激しい作品である。裸木がまるで人間のように動いている。その細い幹から梢にわたるフォルムが傾いている。触手を伸ばして、周りから様々なものを受信して動き回っているような、そんな雰囲気であ�1�波の形が浮かび上がったり、あるいは、十三日あたりの月も浮かぶ。青、金、緑などの色彩がちりばめられ、そのあいだに墨によるフォルムがあらわれて、実に幽遠たる空間をつくりだす。

 田中実「彩」。赤紫色をバックにしてロングドレスの女性が座っている。一種彫刻的な不思議な力が感じられる。長い首と卵形の顔。しっかりとした腰。フォルムの組み立てと同時に、その女性を囲む高いクオリティともいうべきものを感じる温かな空間に注目。

 森相實「風渡る入間川」。激しい作品である。裸木がまるで人間のように動いている。その細い幹から梢にわたるフォルムが傾いている。触手を伸ばして、周りから様々なものを受信して動き回っているような、そんな雰囲気である。ヴォルスという画家が西洋にいるが、あのヴォルスのもつミクロの中にある生命感と同質のものを感じる。そばに緑の葉をつけた樹木があり、道がジグザグにそばを伸び、遠景には塔が立ち、建物が見えるが、それらが強いドローイングの線に還元され、風景全体が強い電磁波のようなものを受けて動き回っているような雰囲気である。手をこの風景の中に入れると感電しそうなほどの激しいエネルギーと鋭敏な命の働きが、画面の中に表現されている。画家のもつ深い感受性が、このようなデーモニッシュなかたちで画面にあらわれたことに驚く。本質的にこの画家は詩人的な素質をもっているものと思われる。村山槐多といった夭折の画家と共通するようなものが心の中にあって、それが今回、一つの詩のようなフォルムの中にあらわれたのだろうか。鉛筆の線やコンテのような線、あるいは手でそれを触りトーンをつくっているようなところがあるが、ベージュの紙の色を生かした空のもつ厚み、その色彩の繊細さにとくに注目する。また、パガニーニという超人のようなヴァイオリニストは、お金をヴァイオリンの中に入れて悪魔のような演奏を行ったそうだが、そういったヴァイオリンの響きのような、画面の中でなにか不思議なメロディが鳴っているような趣も感じられる。

 川村良紀「饗宴」。森の中に深く入って、そこにある命の饗宴を画家は描く。ところどころ水があるようで、それが空を映している。昼間の森の中に入ると暗く、その中に星いっぱいの夜空を幻視しているような趣もある。一枚一枚の葉を象徴的に描きながら、地上的なものと天空のものとの合体したような不思議なイメージをつくる。

 岩脇哲也「Miss.NOBUKO」。若い女性が立っている全身像である。ワンピースの下にスカートをはいた現代的なファッション。白い上衣の下から緑の長袖が伸び、手を組んでいる。すこしほほえんでいるような雰囲気で、紫の帽子をかぶっている。バックの深いベージュの空間。画家は石像なども描いて、それも面白かったが、これは実際に生きている若い女性の全身像である。とくにほほえんでいるようなその表情がよい。アルカイックスマイルという言葉があるが、そのような普遍的な女性の美の表現のように思われる。一種の母性的なイメージがこの若い女性に重ねられて、柔らかく匂うような雰囲気のなかに表現される。

 坂田快三「向かいの集落」。刈田が広がっている。遠景には民家が横につながっている。冬の寂しい光景の中になにか温かなものが感じられる。よく知った情景を繰り返し画家は描く。水の表情に独特のものが感じられる。

 堀江優「主の墓を覗く婦人たち」(遺作)。今年の一月九日に亡くなられた。享年七十九歳である。昔、堀江さんのアトリエを訪ねたことがある。アパートの一室で、モチーフもなにもなく、ただイーゼルと白い紙があるのみであり、素朴な簡素な部屋であった。画家は和紙の上に炙り出しのようにイメージをつくりだす。聖書がテーマである。堀江さんのおかげで徐々に聖書を繰り返し読むようになった。今回の作品はキリストの墓をのぞく婦人たちということで、三つの女性の顔が大きく描かれ、手が不思議な表情をつくりだす。劇的なシーンのワンショットであるが、木彫を思わせるような強いフォルムが画面の中に途中まで描かれている。ロマネスク彫刻を思わせるような不思議な形で、画家の強いヴィジョンがつくりだしたフォルムが遺作として出品された。まことに惜しい人をわれわれはなくした。合掌。

 松林廣子「巣('12春)」。巣が宙に浮かんでいる。下方に枝があるから、木のてっぺんにつくられた巣で、その中に小鳥がいる。上方にも小鳥がいて、これから卵を産むのだろうか。枝によってつくられた巣の様子がひとつの結界のように表現される。それを荘厳するように空にピンクの雲が浮かぶ。

 服部恭子「林檎」。横長の画面のほぼ中心から林檎の木が上方に伸びていく。その地面すれすれに赤い林檎が一つ実っている。すこし後ろ側に青い林檎が実っている。地平線のそばに樹木の全体のフォルムがあらわれる。地面には草が生え、そこに落ちた林檎の中が空洞で、黒々としている。実ったものの、それはムシバマレテ食べることができないといった現実の表現だろうか。放射能によって汚染された東北の自然に対する慟哭の表現なのだろうか。草のあいだに地面がところどころあらわれ、その形がムニョムニョとはるか向こうまで続いているが、それは汚染される道筋のようなイメージもある。光がこの林檎畑に差していて、ところどころ明るくしている。それが遠景になると、まるで雪が降ったような不思議な情感がはるか向こうに感じられるのが救いなのだろうか。

 中條國男「月光に立つ」。細い裸木のフォルムが連続して描かれている。そのフォルムがまず優れている。あいだに梟が羽を広げている。背後に月が浮かぶ。対象を再現するのではなく、フォルムによってある森の気配、あるいは樹木のもつ命を描く。一種図像的な強さに注目。

4室

 菊池満子「想い出のタイプライター ・」。古びたタイプライターに紙が入れられている。丸いテーブルの上に置かれている。古い新聞。空き缶。窓の向こうには雨に濡れたような舗道と建物が浮かぶ。長い記憶のなかにある風景が画面のなかにじわじわとあらわれる。それを一種触覚的な手触りでもって描くところに独特のリアル感があらわれる。

 吉田勝美「パウゼ」。ピエロの衣装をつけた女性が椅子に座り、左足を上方に持ち上げている。その後ろに左手が伸び、カードのようなものを持っている。女性の後ろには男性のピエロが立って、上方を眺めている。反対側にはうつ伏せになった男の裸の上半身が見える。黒いバックに梯子が伸び、星形のフォルムがあらわれる。サーカスの人間たちを使いながら、ある休息感のなかに独特のイメージを発信する。束の間の休息の時間に、完全に自分自身に戻らないその隙間の雰囲気を、一種アンニュイのなかに表現する。いずれにしても、クリアなフォルムがこの作品の魅力。

 羽根田英世「甦る風景」。画家の記憶の中にある風景が画面の中によみがえったのだろうか。葦簾のようなフォルムの向こうにトウモロコシが伸びていく。そして、茶畑のようなフォルムが連なる向こうに緑やオレンジ色の葉を茂らせた丘がある。真っ青な空に白い雲が浮かぶ幻想的な風景である。なにか内側から輝くような光線があらわれている。記憶の光だろうか。

 村上真由美「みにくいアヒルの子」。面白いコンポジションである。下方に横座りになった女性の全身像が入れられている。裸足である。その後ろに、立っている数人の女性の下半身が描かれている。全体は茶褐色の色彩によって彩られている。それぞれのフォルムがクリアで、そのフォルムの力によってあらわれてくる心象的なイメージに注目。

 島田洋子「修道院の厨房(・)」。ナンキンやタマネギ、ジャガイモ、上方からお玉やフライパンが吊るされ、トウモロコシやニンニクがぶら下がっている。白い壁。素朴な昔ながらの厨房の光景である。一つひとつのものを確認するように描き、それを組み合わせる。そこにあらわれてくる時間の影のようなイメージが興味深い。

5室

 大越正道「川辺の秋」。しっかりとしたパースペクティヴの中に川がカーヴしながら向こうに続く。両側に丘があり、あいだに田園があり、電信柱が立っている。柔らかな空に白い雲が浮かぶ。静謐な独特の空間。柔らかな色彩の輝き。パースペクティヴを強調した遠近感。象徴的な風景の表現に注目。

 西原幹「羽根むしられて」。羽根をむしられた昆虫が上方に二十ぐらいある。下方の積み重ねられたボックスの中にも死んだ残骸の昆虫が入れられている。陰惨な光景である。世の中のひずみのようなもののダイレクトな象徴的な表現のように感じられる。

 まついとおる「ブルージュにて」。ブルージュは運河で有名である。運河に面した古い建物。ほとんど廃屋に近い。橋に女性が一人いる。斜めにそこにかぶさるような樹木。崩壊する寸前のイメージをぐいぐいとドローイングの線によって表現する。

 佐藤鎭雄「さん・しいの」。晩秋の光景のようだ。葉が紅葉し、やがて散りゆく時のはかないイメージがよく表現されている。大画面の中にこれだけの植物だけで持たせる構成に注目である。また、下方には横たわった白骨のような茎が置かれ、その向こうには緑の光景があらわれ、いま冬を前にした秋の植物がそれぞれ語ってくる。構成力のある、筆力のある優れた作品。

 岩堀紀美子「JoVEyのいる街」。小間物屋のような店が色彩豊かに表現される。それぞれのフォルムはかなり抽象的であるが、全体で独特の楽しいファンタジックな空間が生まれる。コラージュという技法をうまく使いこなした表現である。

 坂口かほる「夏のなごり」。夏に盛んだった花がドライフラワーになって野に立っているようなイメージである。こんな世界は現実にはないと思うが、画家のつくりだした世界である。夏の生気をいっぱい吸い込んで、いま美しく繊細に変身し、枯れつつある花が、独特の色彩の輝きの中に表現される。秋という景色の中に夏のイメージを引き寄せる。二つの季節を画家は画面の中に接続し、いわば野の花の曼陀羅ともいうべき空間をつくりだした。

 石橋美名子「おぅマイカー」。車と車が衝突した様子。レッカー車によって引っ張られている車もある。自転車に乗って疾走する女性。衝突を眺める見物客。建物の生き生きとした面白い様子。画面全体がリズミカルで、陽気なムーヴマンがあらわれ、色彩がお互いに共鳴する。

6室

 滝田一雄「室内風景」。手前に裸婦が座っている。後ろに着衣の女性が立っている。背後のテーブルには瓶や洋梨などがあり、ポスターのようなものも貼られているようだ。そんな様子を柔らかなパステルカラーの色面によって表現する。ロマンティックな雰囲気が漂う。香りが画面から醸し出される。

 田辺伝「牛飼いの女」。籠を頭に置いた支那服のような衣装を着た女性。中国の奥地のようなイメージもあるし、南米のようなイメージも感じられる。牛のフォルムが生き生きとしている。背後はグレーの空間で、そこに青と白の衣装をつけた黒髪の女性が浮かび上がる。大地のエネルギーが、抑制のなかに静かに表現される。

 宮﨑礼子「吉野ヶ里幻想―うつくしむ日々―」。ボートが一艘。そこに水鳥が乗っている。その前後の水の中に二羽の水鳥がいる。周りには点々と小さな球があり、沼面のようなイメージがあらわれているのだが、その上方には黄金色の光を含んだ空が広がっている。なにか魂の故郷のようなイメージがあらわれている。ここに集合した三羽の鳥は、もとは人間で、この別の領域の中で鳥と化して現れたようなイメージ。そうすると、船は死の世界にわれわれを誘うもののイメージかもしれない。ふかぶかとしたたらし込みふうな色彩のもつ奥行きと、空間の光が揺らめくような心象空間の中に船と三羽の鳥が静かに佇んでいる。

 古田瑩子「森の楽しみ」。樹木の上方に六体の関節人形が浮かんでいる。一輪車に乗っている。それぞれ白く、両手を上げたりして、季節の動いていくことを助けている妖精のようなイメージである。季節の移ろいのなかにあらわれた女神たちで、秋が終わり、雪の降る冬の季節が訪れる前の予兆のようなイメージを、独特の音楽性のなかに表現する。

 鈴木新「船だまり」準会員推挙。たくさんの船を岸壁のそばに置いて、一つひとつのフォルムをしっかりと表現している。再現的に描くのではなく、そのフォルムを組み合わせながら、あるメロディともいうべきものをつくりだしているところが面白い。

7室

 冨家昭雄「創造都市計画図」。題名のように自由にフォルムや色面を組み合わせながら、一つの街をつくって遊んでいるような趣が楽しい。色彩の純粋な輝きがまた魅力。

 古谷幸明「記憶のあと」永井保賞。柔らかな光を含んだようなグレーの空間に奥行きが感じられる。水のもつ力のようなものも画面に入れられている。また、そこに吹く風も入れられ、それがそのまま心の深い領域の空間と重なるようだ。そして、そのイメージの中に花が咲き、花が散り、季節が移っていく。水はそのまま日中の時間も月光の時間も映し出している。そんな味わいを醸し出す空間に注目。

8室

 小柴悦子「音の旋律」。電信柱のようなフォルムが立ち上がり、電線のようなフォルムが斜めにあらわれる。ハートが宙に浮かぶ。画家の中を襲うインスピレーションがそのまま画面の上に定着される。空は雲の中に青空もすこし浮かびながら、やがて夕焼けが来るだろう。稲光が空の中を走る。

 黒田真由美「祈り」。茫漠たる空間が優しく鑑賞者を包みこむようだ。グレーの微妙なニュアンスが画面を覆っている。向かって左のほうにはその中にオレンジ色系の色彩があり、下方は黒くたらしこんだような空間があらわれる。右上方は霧が動く中に窓のようなイメージもあらわれる。点々と遠景の大小のフォルムが集まり、動いていく。その集まり動いていくイメージは、一つひとつの音のようでもあるし、人間の浮遊する魂のようにも感じられる。このグレーの空間は下方の褐色の空間の上に置かれていて、不思議なカーテンのようなイメージもある。生と死を隔てるカーテンが下りて、すこしのぞくともう一つ向こうの世界もあらわれる。生と死の中間領域にあるイメージ。それは画家のつくりだした深い宗教的なヴィジョンと言ってよいかもしれない。心の深い領域のスクリーンが画面の中にあらわれているように感じられる。

 酒井敦彦「7月21日から30日の間」。遠景の空間の中に暗い部分と明るい部分が、上下混在しながら動いていく。そのあいだにグレーの空間があって、それもまた動いていくようだ。題名のように十日間の時間の移り変わり。それを静かにこのミラーのような画面が映しこんで、人間の深い奥底の心象と、外のたゆまなく変化する空の様子などがクロスするような表現に注目。

 天野仁「車を停めて」。昼下がりの陽光の中にある空間。どこかぼんやりとうたた寝に誘われるような、そんな柔らかな光線が画面に満ちている。ところどころマンションの一角のようなフォルムが浮かび上がる。都会の時間のなかにあらわれる白日夢のような時空間の表現。

9室

 萩山信行「散歩するかたち(blanc,dent-de-lion)」。中心にトルソのようなイメージをもたらすフォルムが強い印象で描かれている。周りを矩形が囲んでいるが、その矩形は一部切れ、あるいはデコボコになっている。殉教者のようなイメージが強いマチエールの中に表現される。

 小室幸雄「招生音己と0165」。赤が輝くようだ。周りにはブルーが入れられて、大きな風景の中に太陽を描きこんだような独特の色彩の輝きを感じさせる。シンフォニーの最も高揚した瞬間のイメージのようなパッショネートな力に注目。

10室

 中塚紀代子「メリゴー・ママ」。若い女性が座っている。そばに黒い猫がいて、大きな花瓶に花が差され、上方に白馬に跨がる子供がいる。緩やかに円弧の中を動いていく。そんな動きが感じられる。いずれにしても、中心の女性のイコン的なフォルムの強さに注目。

 廣田こづ江「平穏無事」準会員賞。左に四匹の猫。そのそばに大きな猫が横になって後ろを向いている。右上方にも猫がいる。猫が手話のように様々なイメージを語りかける。平穏無事という題名のように、それは日常のなかの祈りかもわからないが、猫と遊び、深い深層意識のようなイメージを猫を通して生き生きと発信する。

 西田國子「台所 ・」奨励賞。ほとんどモノトーンの調子だが、色彩と質感を感じさせる。とくに逆さになったバケツや下方の葱やガスコンロなどは出色だと思う。クールな中に品のよさもあって、魅力である。トーンの幅が豊かなところからあらわれてくるその色調もまた魅力。

 河合謙臣「祈りの街」。石を積んだ建物の上方に六つの窓があいている。下方にはアーチ状に二つの入口があり、そこに向かう階段がある。両側は路地のようで、建物がすこし後退した暗いトーンの中に浮かび上がる。中世の街のようなミステリアスな物語が、この建物のそれぞれにあるようだ。そんな、いわば物語的なイメージを建物として表現する。

12室

 村松充江「記憶のかたち(B)」。正方形の画面の中はグレーが大半を占めて、右上方に青が、その下方の矩形に紫が入れられている。ブランコのようなフォルムが上方から垂れ下がり、そこは引っ搔いたようなフォルムである。左から横にあらわれてくるフォルムも引っ搔かれていて、色彩のハーモニーの中にシャープな動きが入れられる。そのフォルムは、いってみればこの空間全体をインスパイアする力があるようだ。また、右上方の青などの色彩も独特の輝きを見せる。

 平林幸子「マザーズchair」。ピンクと白の市松のシートの向こうに椅子の背が垂直に立ち上がる。その中心の背は大きく、その上方に女性の顔、下方には黄金色の乳房が浮かび上がる。点々とピンクの薔薇の花がコラージュされている。四つの椅子の足はハイヒールになって、爪先は黄金色である。グレートマザーという言葉があるが、世界全体とこのグレートマザーとは重なりながら、独特の強い波動と支配力を見せる。世界全体の幸せといった趣であり、そんな雰囲気で椅子のシートが市松状に、左右の枠からはみ出るように広がっている。パワフルであり、包みこむようなその力に鑑賞者は引き込まれる。

 武田美佐江「ロビー」。上方まで窓になっているガラスに水平、垂直の桟が入って、手前にシルエット状の人々がいる。ドアの向こうは広場で、そこにも点々と人がいて、遠方に建物がある。札幌の駅前の光景だろうか。人物のシルエットにフォルムに対するセンスのよさがうかがえる。

13室

 髙野勝子「風の通る丘を」。小間物を売っているような小さな建物。そばに白いテーブルと四つの椅子。背後にはもっと大きな洋館があり、道がカーヴし、女性が自転車に乗っている。女性の衣装や建物の中の壺などを眺めると、高い趣味性が感じられる。それが一種の美意識となって、それぞれのものの形に独特のニュアンスを与える。時間を象徴するように道があらわれ、そこを自転車で進む女性。

 宇野満寿美「踏み潰された空缶(尾崎豊の歌詞に因る)」。不思議な心象空間が生まれている。手前に落ち葉と二つの空き缶、楽譜が静かに浮いているような雰囲気。横断歩道がまるでピアノの鍵盤のようなイメージを与える。中景に小さな祠のような建物。遠景には緑の屋根をもつ白い建物。東欧のようなイメージがある。点々と裸木が立っている。音楽のリズムやメロディがそのまま造形的要素として使われているような雰囲気。何も描かれていないところに不思議なイメージが満ちていて、それが画面全体の中に光として感じられるところが魅力である。暖色と寒色とがお互いに組み合わせながら、哀愁ともいうべきメロディがあらわれる。

 青坂龍子「夕韻」。大きな木のうろに白い梟が二羽いる。その右のほうには子供の梟の幻影のようなイメージがあらわれている。夫婦から子供の梟が飛び立ってしまったのだろうか。そんな、すこし寂しい夫婦のイメージが梟に感じられる。透明水彩の特色を生かして、木の幹や枝の上からオレンジ色の色彩をかけて、画面全体にノスタルジックな雰囲気が漂う。また、幹から梢のようなフォルムが伸びていく、その表現も面白い。

14室

 新藤千鶴「宙」。もあもあとした雲のようなフォルムが画面全体を覆っている。その中に白い太陽が抱かれているようだ。もあもあの中は様々な記憶でいっぱいになっているのだろうか。ミステリアスな不思議な空間が青い空を背景にして描かれる。

 松永佳江「秋冷」。秋の風景である。茶褐色の晩秋の光景の中に、イチョウのような黄色い葉の色づいたフォルムが上方にある。微妙な傾きとカーヴをもちながら数本の木の幹が立ち上がってくる。右のほうの緑の木と六本の褐色の木がお互いにコミュニケートしながらメロディを奏でる。晩秋のなかの物悲しいエレジーと言ってよい。

15室

 村田恭一「モロッコの赤い壁」準会員推挙。モロッコといわれると、なるほどと思う。たらしこんだような赤や茶色、朱色などが独特のパッションを表すようだ。モロッコのカスバの路地の一隅に発見した光景だろうか。

 小林容子「回想」。パステルカラーの背景に水墨で描いたような雰囲気で樹木が下方から上方へ左右に広がっていく。その幹から枝、梢にわたる形が面白い。音楽のメロディをそのまま木のフォルムにしたような繊細な感受性に注目。

 及川洋子「庭の花 ・」。様々な植物が描かれているが、上方の茎が三つに分かれて、あるいはその先が分かれて伸びていくフォルムに、コスモスのような花が咲いている。上方に赤とんぼが来ている。それぞれの形がクリアである。全体に不思議なハーモニーが生まれる。

16室

 中島光榮「蝶の舞う丘」。近景に様々な色とりどりの花が咲いている。その上にも色とりどりの蝶が飛んでいる。まるで花が蝶となって浮かび、中景の緑の畑を背景にして上方にいま飛びつつあるようだ。遠景にはもっこりとした樹木の塊が小さな林のような様子を見せ、そばに民家が点々とある。空が画面の約半分ほど取られ、鈍色(にびいろ)の太陽が曇り空に見える。一枚のキャンバスの前で画家は静かに瞑想しながら風景を描いていくようだ。上方の空の雲に隠れた日の様子と下方の蝶や花々が静かにハーモナイズしているように感じられ、そのあいだに民家が存在するというコンポジションが面白い。

17室

 福島ひろし「フクロウの母と子」。夜の森の中に巨大な樹木が枝を広げて、あやしい雰囲気である。そんな中に梟のじいさまと梟の孫が太い幹の上にとまっているといった雰囲気である。しばらく眺めていると、右上方にもう一羽の老いた梟がいることがわかる。森のもつ奥深いミステリアスな雰囲気と、ささやかな命を面白く構成する。

18室

 関根慎一郎「Pavilion(パビリオン)」。パビリオンというと、万博などの仮設の住宅を思うが、この作品も不思議なテントのような大きなフォルムで、それ自体で一種の王冠のようなフォルムになっている。そこに炎のようなフォルムが点々と置かれて、不思議な生命感をつくりだす。深く内部に集中し、祈りのエネルギーを画面の中に表現したような趣も感じられる。モダンな部分と密教的なイメージとがクロスするようだ。また、褐色と緑がかったグレーの二色の対比であるが、色彩の輝きや光を感じさせるところも魅力。

 舩越秀忠「忘れられた場所 ・」。ヨーロッパの第二次大戦の時にトーチカのあった場所がいまは水浸しになっているといった光景を、昨年と同様に描く。斜光線が当たる。人間の行為の空しさ、無常観といった雰囲気も感じられる。光に白く輝くハイライトの部分はしらじらと晒されたような雰囲気である。無明の風のようなものが画面を吹いているように感じられるところが興味深い。

18室

 中道文雄「脇本浜追憶」。大作である。緑は芝生を、ピンクは浜辺を、ベージュは土手を表す。中心に小さな家が見え、昼の月が空に浮かんでいる。三羽のカラス。三つのポーズをした女性。両脇の二人は子供で、中心に子供を抱えた母親がいる。切り絵によって形をつくったようなフォルムの面白さが感じられる。そこに時空間を異にするものを入れて、浜での経験を引き寄せる。

 鈴木直枝「想(・)」準会員推挙。蓮が枯れて屈曲している。そんな冬の池のおもてを描いている。その水が様々な想念をこの中に引き寄せるようだ。じっと見ていると、春が来て、また花が咲くときのイメージも浮かぶようだ。時間のスクリーンのようなイメージを池の水面が引き寄せる。

19室

 木下由美子「卓上の静物(・)」。手前の椅子にヴァイオリンが置かれている。その後ろのテーブルに様々なものが集められていて、そこに植物と同時に幾体かの人形が立っている。画家の頭の中にメロディが鳴って、そのメロディがこのような曲線をもつ植物を招き入れ、人形たちにそれぞれの役割を演じさせて、楽しい空間をつくりだした。柔らかなピンクと緑がハーモナイズし、独り遊びをテーブルで行い、それを幻視しているような、温かな中にパッションに満ちたイメージがあらわれる。

 渡邊愛子「日本人の物証―襤褸」。ぼろ布に針を通して縫っている老人の両手と布のもつ形。下方には縫った、たとえば毛糸の編み物がほどけつつあるような不思議な雰囲気である。上方には運針しながら縫う時間があり、片一方ではできたものがほどけていくそんな逆の時間があり、二つの時間が静かに対照されるなかに、この老人の人生の長い時間をしぜんと連想させる。

 小髙悦子「自然」。水面近くに樹木が斜めにその幹や枝を差し伸べて、そこから複雑に屈曲する枝から梢にわたる形が力強く面白い。下方には水があって、その静かな水の雰囲気と複雑なフォルムの動きとが静かに対照される。自然の一隅をじっと眺める画家の目の力とイマージュの力による表現である。独特の生命感が感じられる。

 加藤伸「潮 ・」準会員推挙。横になった二人の女性のフォルムが生き生きとしている。優れたデッサン家と思われる。また、ベージュ系の色彩で彩られているが、量感もあるし、女性のもつエロスの力をしぜんと絵の中に引き寄せる能力がある。バックは、墨をたらし込みしたような空間にグレーの水しぶきのようなフォルムを作りだしているのも、不思議な雰囲気である。その動きのある波の寄せては返す動きの中からこの女性が徐々に現れてくるといった、時間性を感じさせるところも面白い。

第72回創元展

(4月3日~4月15日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 池上わかな「還る」。木の上に白いワンピースを着た少女が座っている。木のもつ大きな量感。その量感によって囲まれた大きな空間のなかに、立体的な存在感のある俯いた少女の姿がリアルに表現される。「還る」という題名だから、木に包まれて、この女性の本質に返るといった寓意性もあるだろうが、作品の魅力はこの具体的なフォルムを使った空間の大きさと同時に、少女のもつ繊細なニュアンスと言ってよい。

 石井洋子「或る情景」。トルソと指などが画面に組み合わされて、手話のようなイメージ、パントマイムのようなイメージを与える。赤や黒、黄土などの色彩が強い。マチエールも強く、アンニュイな時間のなかの深い部分から立ち上がってくる感情ともいうべきものが表現される。

 小柴悦子「同存化表現の空間」。正方形の画面の中に戸外と室内と二つの世界があらわれる。左のほうは空があらわれ、電線が伸びている。右のほうはアトリエの内部のようで、画中画が描かれている。そして、下方から垂直に立ち上がる不思議なフォルムは、なにかインスパイアされた頭の中のイメージがそのまま投影されているようだ。輝くような黄色のニュアンスとそのヴァリエーション。雷光が走るように、電線を背景にした空の強い印象。いずれにしても、イマジネーションというもののもつなまなましさを現在進行形で表現した面白さである。

 福島保典「夢の波間」。題名がまさにこの絵のイメージにふさわしい。とくに手前の大きな顔をした女性のイメージなどはそうである。女性、その向こうにもう一人の女性。その向こうには舌を出している男性。三人の男女がその顔を強調されて置かれている。その顔は人形のようである。画家のつくりだした人形芝居が不思議な構成の中に浮かび上がる。文楽人形の世界もあやしいが、これはもっと西洋的で、画家のまさに夢の中からあらわれた人間像と言ってよい。強いマチエールと大胆なデフォルメ。左右の強い表情に対して真ん中の女性は静かに静止しているようで、両側からの声を聴いているような、そんな不思議な雰囲気もある。

 林田博子「Jardin」。独特の色彩家である。床のすこし黄色みを帯びたグレーに対して丸いテーブルのすこし紫を帯びたグレーの対照が、繊細でエレガントな雰囲気を与える。その向こうには戸外の光景が緑のトーンの中に描かれ、その横には枝のようなイメージや植物の葉のようなフォルムが描かれている。ものを描くというより、そのものを取り囲む空間のクオリティがこの作品の魅力だろう。空気感、あるいは香りといったものが、しぜんとそこにあらわれてくる。動きも感じられる。椅子もそうだし、テーブルの上の描きかけの白い絵もそうだし、幻影のように浮かぶ線描きの緑の葉もそうである。ものというよりイメージの世界。詩の要素によって成り立った空間のもつ性質と言ってよい。

 並河委佐子「河岸の家」会員賞。水のそばのバラックのような建物。傾いた竿に干された洗濯物。自由なデフォルメが行われ、そこに深い生命感、命の旋律を引き寄せる。建物のそばの階段も、その意味で効果的に使われている。水は人間の深い無意識といったイメージさえも感じさせる。独特の心象表現となっている。

 沼田久雪「水音」鈴木千久馬賞。これまでホルンなどの楽器を描いてきた画家が、一転して風景を描いた。下方にはさざ波があり、上方に行くに従って渾沌とした空間があらわれる。その奥には花や大地のある空間があり、空も見えるようだ。下方の水は空を映しているために、水であると同時に空でもある。空と水とが一体化しながら、エキゾティックなメロディが画面から聞こえてくるような雰囲気。心象的、音楽的な空間表現に注目。

 前田潤「想」。能を見るような幽玄な気配がある。下方のボックスに黒い布で包まれたマスク、一つの鳥の羽。上方に、この昼の時間に落ちてくるものがある。落ちてくるフォルムの中に裸の男女の後ろ姿があらわれる。日常の中に忍び寄る不思議な気配が表現される。グレーの無地の空間が上下のフォルムのあいだに生かされて、深い奥行きのある空間をつくりだす。

 小川尊一「語らい」。海の方向を眺めている三人の女性。それぞれ衣装が異なる。後ろ姿が前から見た姿以上に存在感を醸し出す。背後の海の水の動き、量感、存在感が後ろ姿の三人の女性と対照される。そこには時間がたゆたっている。海のもつ深い時間は、精神の奥底の領域を象徴するし、また、それは見ていると空のイメージとも重なる。風が吹いている。中心の青いワンピースの女性の両側の二人の女性。左の女性と会話しながら、右の女性は振り返って鑑賞者を見ている。後ろ姿が心象を投影する一つの巨大な鏡のようなイメージの中にあらわれている。前から見ると、その前から見るリアルな人物像があらわれてくるが、後ろ姿であるがゆえに画家は自分の心象を深くこの画面に投影することができる。未来も過去もお互いに海のようにコンフューズし、日常の時間を超えたイメージがあらわれる。

 倉林愛二郎「刻」。壊れたものたち、古びたものたちの向こうに若い女性が座っている。フローリングだろうか、広いフロアが広がる中に女性が潑剌とした雰囲気で表現される。女性は画家のつくりだしたフェイクなもののように思われる。手前の存在感のある古びたものに対してフェイクな女性が対置されるというところが、この作品の面白さだろう。

 奥田敬介「カードを持つ人形」。ハートのエースを持つ人形はレースの下着に赤いコートを着ている。そばにロートレックのポスターがある。クリアなフォルム。なにか謎を問いかけてくるようなあやしい気配。

 松崎良夫「渓声」。渓流が向こうからこちらに流れてくる。周りにごろごろと大きな石がある。苔むした様子。背後に樹木が立ち、緑の葉を茂らせている。森の中に深く入って、森の声や水の声を聴いているような、そんな静寂のなかの緊張感が魅力。

 谷貝文恵「記憶」。ボックスを抱えて歩いている黒い衣装を着た女性。その後ろ、左右に、座ってボックスを持つ人、屈んでボックスに手を添えている三体のフォルムがあらわれる。その背後には、こちらを向いて歩いてくるもう一人の女性。さらにその後ろには夜の月の下の教会のイメージがあらわれる。イタリアをしばらく旅行していてリフレッシュしたという話を聞いたことがある。画家自身の経験のなかから静かに浮かび上がってくるイメージを、人間の姿かたちを通して表現しようとする。十字形の構図の中に独特の強いコンポジションが生まれる。白い箱の中には大切なものがある。両側の箱もそうで、それぞれの箱の中身は違う。同時に、この黒い衣装を着た女性が抱えている箱は、どこか骨壺のようなイメージも感じられる。日常のなかにあらわれる事件。生と死。画家はモニュマンをつくりながら、日常の時間の非連続性ともいうべきものを描く。それを深い心象の中に表現しようと試みる。

 西正則「海の都(ヴェニス)」文部科学大臣賞。ヴェニスの壁が描かれている。下方には緑の運河がある。漆喰の壁が一部剝げた様子。入口が封鎖されて、打ちつけられている。右のほうの窓もそうである。この建物はすでに廃屋になりつつあるようだ。沈黙の光景に光が差し込む。その光が聖なるもののイメージを伝える。ヴェニスの歴史を表現するのに、人の住んでいる生きた建物ではなく、廃屋をあえてテーマにしながら、長い時間と時間の裂け目のようなイメージを表す。強いマチエールがそれを支える。

2室

 大木美智子「海の幸」。ピエロの姿をした女性が襖の前に立っているようだ。襖には様々な魚やイカなどが描かれている。和の世界の中にピエロを置いて、襖に海のイメージを引き寄せたような雰囲気。和の世界と油彩の世界とがしぜんと絡み合ったような、しっとりとした雰囲気のなかに、線によるフォルムが立ち上がってくるところが面白い。

 深井米勝「湿原」。晩秋の風景である。水と地面。そこに生える草や雑木などが温かなトーンのなかに、黄土系の色彩で表現されている。大地や木や水のもつ手触りがよく表現されている。

 三村浩二「陽のあたる古都」。シチリアのラグーザをテーマにしたもの。近景に教会の鐘楼が立ち上がっている。上方のカーヴする屋根のずっしりとした存在感のある鐘楼が、画面全体を引き締める。これまで三村は直線を多用して、直線を組み合わせながら集落を描いてきた。実際、背後の集落は直線によるコンポジションとなっている。そのリズミカルなかたち、直線によって切られた様々な三角形や四角形や五角形や六角形などの連続したフォルムが強い韻律をつくるのだが、それに対して鐘楼の屋根のカーヴがもう一つの存在として対置されるところが面白い。また、光が当たり、集落の中にアラベスクのような模様をつくっていて、その集積は集落のもつ鼓動のようなイメージを浮かび上がらせる。あるいは、生活の歌と言ってもよい。それに対してキリスト教のもつ力がずっしりと手前に重しのように置かれているといったコンポジションが、面白く感じられる。

 辻一摩「粉挽き風車」。白い風車を背景にして、黒衣の女性が茶色い驢馬にまたがっている。そばに黒い驢馬がいて、樽がある。石の建物と空とが響き合う。色彩の鮮やかなモニュマン性のある作品。

 服部譲司「春耕」。柔らかなハーフトーンの色彩のヴァルールがよく合っていて、気持ちよい。遠景の山のいちばん高いところにはまだ雪が残っている。手前の山脈には雪は残っていず、雲のようなものがそこに漂っている様子が全体の中のアクセントになっている。すこし画面が左に傾いているバランスの中に、道や田園の広がりや雑木林などが描かれて、清潔な雰囲気を醸し出す。柔らかな日差しが当たっているようで、初春の頃の微妙な気配が感じられる。緑や黄土の繊細な扱い、遠景の山のグレーによる量感のある描写などは、優れた表現力である。

 大橋義男「交差点」。交差点を渡る群衆を生き生きと表現する。遠近感の中に不思議な現代の群像表現である。

 島﨑庸夫「KABURITSUKI」。かぶりつきとは、ストリップの舞台で踊り子の身近な席で女性の秘所などを眺めることをいう。右のほうにストリッパーが肱をついている。スカートと思われる衣装がこの女性の周りにあって、秘部を隠している。それを眺めようとする僧侶姿の男。カメレオンのように舌を伸ばしている。後ろにも野卑な表情で笑っている顔や非難しているような顔などが描かれる。ストリップをする女性の周りが不思議な横顔のようなフォルムに包まれて、それは太い緑の輪郭線によって表現されている。太い緑の輪郭線はこの青や紫の中に縦横に引かれている。一種のロマネスク彫刻やロマネスク絵画を思わせるような強いデフォルメが行われている。性欲の世界をテーマにして、僧侶がインテリの代表として左に描かれ、ストリップの女性が十字架の中の女性のようなイメージであらわれて、二人がお互いに向かい合っているところが、実に島㟢らしい。かぶりつきに、聖書的なイメージが加わってこの作品のベースをなすようだ。赤い衣装が顔の右側に描かれているのが、逆にこの女性を鑽仰するリングのような、そんな真逆のイメージで立ち上がってくるようだ。この女性を庇うように、考えこんでいるような不思議な顔がこの女性を包みこんでいるといった、そんな深いイメージも感じられる。

 工藤和男「残雪」。田植えを描いている。女性が二人、屈んで苗を植えようとしている。そばに男が青い籠の中に稲を持って立っている。光が燦々と差し込む。後ろの畦の向こうにも二人の人物がいる。瓦屋根と茅葺きの民家が中景にあり、背後に山があり、山のはるか向こうにはもっと高い山が雪を抱いて聳えている。五月の日本の農村の風景を一種のイコンのような普遍的なイメージの中に表現する。とくに手前の三人の人間に光が当たっている様子が独特で、光というもののもつある聖なる性質が画面に引き寄せられている。

 守屋順吉「遥(高昌故城)」。高昌故城はシルクロードのかつて栄えた街である。その廃墟が下方に描かれる。上方には、千仏洞などに描かれている壁画からインスパイアされた天使と仏像とが連結したようなフォルムが浮かび上がる。独特の青はラピスラズリといわれて、岩絵具の材料である。悠久たるシルクロードのロマンがうたわれながら、敬虔な信仰の時間がそこにクロスする。

 山岸忠彦「画室」。アトリエの中の光景。吊るされたアンコウ。テーブルの上のマツバガニ、ウニ、サザエ、秤。とくに二つの蟹の赤が鮮烈な様子である。それに対して、上方の干物になった口をあけた魚がユーモラスな生命感をたたえる。右のほうにシルエットの男が魚を吊り下げて歩いてくる。海との深い関係のなかにこの作品は生まれている。同時に、蟹の赤を見ていると、朝日や夕日のイメージもしぜんとあらわれる。秤がものの重量を測るだけでなく、時というもの、時間というものを測っているような、象徴的な存在として置かれているところも面白い。

 米澤光治「精錬所と都市」。しっとりとしたグレーのトーンによる表現である。陰翳礼讃とも言ってよいような、そんなトーンの中に精錬所のしっかりとした建物の形が強い骨格をもって浮かび上がってくる。それがグレーのトーンの中に強いリズム、あるいはコンポジションを表す。

 黒田保臣「砕石場残雪」。巨大な断崖のような茶褐色の色面の下に砕石場の工場、ベルトコンベヤーなどが描かれ、独特のリズムがあらわれる。大地と建物とが一緒になって鼓動してくる。独特のムーヴマンに注目。

3室

 高田宏「ワインカウンターの女」。カウンターの両側に花が置かれている。その黄色い色彩がロマンティックな味わいを醸し出す。まるで月がそこに下りてきたような雰囲気。手前に赤いワインを入れたグラスを持つ、コート姿の女性が立っている。そのカウンターの向こう側にいま入口から入ってきた、やはり緑のコートを着た女性の姿が見える。この室内は実はアトリエで、そこに幻のように女性を引き寄せて表現したようなロマンティックなイメージが魅力。

 松島明子「モロッコ」。テーブルを兵隊やモロッコの人やホステスなどが取り巻いている。かつて「外人部隊」という映画があったが、そんな映画からインスパイアされたようなシーンだろうか。ピンクやグレー、緑などの色彩がハーモナイズしながら独特の物語性があらわれる。日本人は洋画のファンが多いが、そのエッセンスのようなものをお洒落に画面でまとめたような楽しさがある。

4室

 大田孝子「信じて」。若い女性が立っている。背後に建物が見える。輪郭線が面白い。対して、マチエールはずいぶん厚く手触りがある。そのマチエールの層による深いトーンのなかに、最後に描き起こした輪郭線が強く繊細な表情を表す。

 大和純子「時の風 13」準会員賞。交差点が画面の上方にあり、シルエットの人々が渡っている。それを近景のつがいの鳩が眺めている。鳩の下には壊れた時計の文字盤が楕円形に浮遊する。時を喪失した情景。横断歩道を渡るシルエットの姿はそんなある時間の象徴で、たとえば眠れぬ夜にあらわれてくるようなイメージとも言える。

 原田守啓「運河に沿いて」。赤茶色の瓦屋根にベージュの壁の素朴な民家が運河に面している。その漆喰と思われる壁の様子が懐かしい。歪んだ窓がそこにのぞき、桟の一部が曲がっている。壊れているところもある。漆喰の後ろから土台の煉瓦がのぞく。この漆喰の壁に様々なイメージが浮かび上がってくるようなヒューマンな味わいが感じられる。民家が、人間のように魅力的に描かれている。

 中島洋一「沈黙」。黒褐色とグレーによる強い画面である。巨大な貝がいくつも現れているような雰囲気でもあるし、旋回する渦巻きのフォルムはとぐろを巻いた大きな生き物のようでもある。南方には巨大なアコヤガイがあって、その中には五センチほどの真珠などを産するものもあるそうだが、そんなアルカイックな力が感じられるところが面白い。海の中に眠るそんな巨大な貝などの生き物が、夜のなかに沈黙しているような強いイメージが引き寄せられる。

 宮本悟「視線」。特急銀河という特別仕立ての電車。駅員、弁当売り、リュックを背負った少年、バッグを持った母親、子供、車窓の中の親子。まるで絵の中の人形芝居のような不思議な人間たちが一堂に会して、物語を発信する。

 髙塚照恵「あなたを信じる」。壁に有名な古代ローマの「ヴィーナス誕生」というレリーフが置かれている。その前に白いクロスの掛けられたテーブル。紫陽花の花。レモン。青い小鳥が引っ張る人力車のようなもの。そして、その白いテーブルの少し前に黒い肌をした男の胸像が立ち上がってくる。青緑の帽子に金の彩色、金の首飾りがされている不思議な胸像である。この胸像の台の側面に「forgive me」、という言葉が白く書かれ、下方に古代布のような装飾的な布が垂れている。静かな空間に毅然とした雰囲気がある古代の神話とそこに生きた人々への憧憬の念が感じられる。

5室

 石村純「赤の座標」。ラッパを吹く三角帽子をかぶった女性。そばには楽譜を持つ女性がいる。オレンジや茶褐色の色彩とベージュの色彩、黒の色彩がコントラストする中に、ファゴットの音色のようなメロディが聞こえてくるようだ。シックな色彩感覚の中にベージュが輝くような雰囲気で、それがこの作品のもつ強いイメージのあらわれのように感じられる。

 野口憲一「想」。茫漠たる空間が生まれている。田園風景のようなイメージで、グレーの田圃や畑に赤く紅葉した樹木がある風景を抽象化したようにも感じられるし、純粋な心象空間のようでもある。心のスクリーンの中に赤や青、黄色などの色彩が浮遊し、イメージの軌跡のように線があらわれる。いずれにしても、中に風が動いているような、そんなムーヴマンがあり、その動きがそのままある空間としての性質を獲得していることに注目。

 塩谷充代「眠れぬ夜」正会員昇格。強い画面である。真っ赤な唇の中に女性の仮面がある。その中を黒白の四連のストライプがカーヴしながら動き、それに蛇のようなフォルムが絡まっている。そのストライプのフォルムは画面の左辺からくねくね動きながら、画面の右端上方に消えていく。下方には骨になった魚や様々なパイプが集積し、浮遊している。まさに眠れぬ夜の様々なイメージがコンフューズするなかに、それぞれのイメージはクリアである。眠ろうとしても、そのイメージが棘のように眠りを阻害するような、そんな強い力が画面から感じられる。その一種の覚醒意識ともいうべきものは、画家のもつ強いイメージと裏腹になっていて、素朴でプリミティヴな力として画面の中にあらわれている。

 渋谷葉子「道」。老いた母と子供。子供は十代のようで、そばに犬がいる。そんな家族の様子を面白く描く。形が生き生きとしている。それは顔や手のディテールによく表れているし、大きなボリューム感も感じられて、絵画的であると同時に彫刻的な性質をもつモニュマンと言ってよい。

 横森秀彦「メッセージ」会員賞。市松状の床の上に少年が立っている。その床に風景があらわれている。背景は青い空間で、上方に満月があり、様々なイメージがそこに集まっている。マチエールに工夫があり、画面に接近するとフォルムに凹凸があり、布などがコラージュされている。その後ろにあるのは、この前の津波のときのような混乱した青い空間であり、その混乱の中からもう一度立ち上がろうとするようなイメージが、この一種イコン的なコンポジションとなってあらわれたのだろうか。

6室

 森本茂盛「海辺の集落」。湾になっているところに船が繫留されている。すぐ山が迫っている狭いところに家が密集している。そんな土地の様子を独特のコンポジションの中に表現する。建物の屋根の側面の鋭角的な形が連続する様子は、白い船の連続する様子と対照されるが、それを包みこむ自然の様子がふかぶかとした調子のなかに描かれる。

 小林麗「書店のある通り」。色彩が面白い。緑の桟のある本屋の上方に黄色い看板がありシェークスピア・アンド・カンパニーという文字が見える。本の背表紙、あるいは表の様々な色彩が、色面的にその下に散りばめられる。コートを着、ショールをまといながら歩く女性。黄色い衣服を着て、座って本を読んでいる女性。本を眺めている二人の人物も凝ったお洒落な衣装を着ている。なにか不思議なこの本屋の前の庭とでもいうのか、大きな広いペイヴメントの様子が、温かな強いイメージのある空間に変わっている。そばの樹木の葉が茶色く、あるいは朱色に紅葉しているのも、脇役としてふさわしい。

 荒木栄喜「秋興」。点描による表現である。田圃も空もオレンジ色に染まっている。その中に大きな樹木に囲まれた茅葺きの家や瓦屋根がある。上方には鳥が飛んでいる。「夕焼け小焼けの赤とんぼ」という歌があるが、そのような歌が聞こえてくるような懐かしい日本のふるさとの様子をイメージ豊かに表現する。

7室

 大島和芳「ヴォマルツォ・午後」。中景に巨大な鐘楼をもつ教会があり、手前に民家、近景には緑やピンクの色彩をもつ樹木が茂っている。空には黄金色の雲があるから、夕刻の時間なのだろう。その下にはるかに草原が広がっている。遠くまでの遠近感のある空間のなかに、斜光線の中に聳える教会の建物が実に深い感情のなかに表現され、微妙な味わいを見せる。手前の緑が生き生きとしたアクセントとなっている。

 石川賢「昔日」。数十年前の古い写真などからインスパイアされて、このような情景が生まれたのだろうか。若い母親と少年。少年の腕に母親は手を差し伸べている。ワンピースの訪問着を着て、よそゆきの姿である。その後ろに川のほうを眺める姉の後ろ姿。川の向こうには船が進んでいる。周りの夏の茂った樹木と青い空。記憶を繰り返しモンタージュすることによって強い陰影があらわれる。その陰影が長い時間のなかに染みてくるような、そんな強い印象を醸し出す。

 小野寺正光「夾竹桃咲く頃」。江戸川を前にしてこんもりとした茂みの手前に夾竹桃が赤い花を咲かせている。それがこの緑を中心とした風景の中の微妙なアクセントになっている。対岸の向こうに塔が聳えている。そこにも夾竹桃に使われた朱色が置かれていて、二つが対照される。空は澄んで、斜めの雲が出ている。穏やかな夏の情景である。また、水の上に浮かぶ二つの船の白い輝きがイノセントな雰囲気を与える。

8室

 三田マリ子「想」。ボックスに座る女性の背後に駱駝がいる。靴をぬいで裸足でショールをまとっている。中東の風俗をテーマにとりながら、しっかりとしたデッサン力で一人の女性のフォルムを描く。

 蓑口研二「座」。巨大な岩が描かれている。手前に一本の木。日本にも明日香に石舞台のような巨大な石による墓があるが、これは自然石のようにここに存在するのだろうか。いずれにしても、不思議な岩の存在感と向かい合いながら、それをなんとか画面に捉えようと工夫するところから、この強い印象が生まれる。

 堂野前良子「森の径」。たくさんの草が茂っている中に小さな道が続いている。中景には灌木の茂みが見える。そこに太陽の光が差し込む。一つひとつの葉の様子をその方向性や動きまでも画家は捉え、全体に大きな量感が生まれる。実際に描くのはなかなか難しい情景を見事に表現している。太陽光線によって緑が複雑な陰影をつくりだしている様子も描かれて、それがまた豊かなイメージや感情を喚起する。

9室

 高木順子「白い壁の譜」。グレーのこの静物の面白いところは、上から縄で吊るされたイワシのような二つのフォルムが見えるところ。上方のグレーの壁のようなところは風が吹いているようだし、波のようなイメージも引き寄せられている。そういった背景の中に、とくにイワシのシャープなカーヴする形が生き生きとしたイメージを発信する。

10室

 渡部良温「小田川の筏流し」。S字形にカーヴした流れに沿って、筏もS字形にカーヴしている。その上にたくさんの棹を扱う人が乗っている。それをほぼ真上から眺めている。視点の面白さと同時につなげた筏の形が生き生きとしたイメージを発信する。現代にはこのようなことは行われていないと思うのだが、ありありと目に見えるような臨場感の感じられるところが魅力。

 田中幸子「悠久の街」。オレンジ色の瓦の屋根。漆喰の壁。その中に教会の鐘楼が見える。箔を貼ったような背景の中に瓦と壁とが浮かび上がるように描く。そこに強い感情的な要素が引き出される。

 石井啓三「古城への道」。石や煉瓦を積んだような古い建物のあいだを道が蛇行している。全体に褐色系の陰影の中に表現されている。空も同様である。時間にさらされたような長い歴史をもつ街の雰囲気を生き生きと表現する。

 安部太一郎「AIR PORT」。エアポートを上方から眺めている。巨大な飛行機がいくつも見える。まさに岸壁に着くように搭乗口のそばにある。その様子がほとんどグレーのモノトーンの強い陰影の中に表現されている。視点の面白さと同時に強い臨場感がある。空間の広がりと重量感がよく描かれている。

11室

 小橋章子「春影」。瓦屋根の建物を上から眺めている。一つひとつの瓦を描いている。そこに光が差し込み、独特のアラベスク模様のようなリズムが生まれる。

 熊田孝「冬日」。上方から俯瞰した視点が面白い。雪をかぶった民家が集まっている様子とその周りの棚田の様子などが、懐かしいふるさとのイメージを醸し出す。フォルムがクリアで、とくに中心にスポットライトが当たったような雰囲気で屋根が輝いている様子に潑剌としたイメージがあらわれる。

 鈴木静枝「二つの刻(とき)」。色彩の中に滋味がある。テーブルに頰杖をつく少女や椅子の上の鉢に咲く花。背景のヨーロッパの風景、全体が優しくハーモナイズする。

 水谷秀男「静寂」。雪の積もった風景。雪道に轍の跡。電信柱が立ち、木造の民家が並び、山の斜面が背後に見える。それぞれのフォルムが生き生きとして語りかけてくる。右のほうの樹木のオレンジ色に紅葉した色彩が、明かりが灯ったような懐かしさである。

12室

 金子勝一「春を待つ」。山が身近に迫ってくる盆地の風景である。山の麓に民家が点々と立ち、雪の中に桑の木が伸びている。フォルムは線を生かして描いているために、全体でリズムが生まれる。桑の木も同様である。雪景であるが、色彩を感じさせると同時にどこか童話的なファンタジックなイメージも漂う。

13室

 山中さとゑ「ハワイの朝」。コバルトの空にすこし緑の入ったような海の表情。赤や緑のパラソル。赤や白のサーフボード。色とりどりの衣装を着た人々。手前から樹木が立ち上がり、濃い緑の葉を茂らせる中に白い花が咲く。そんな情景に大きな虹が立っている。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫といった色彩が凝縮して光の中に表現されていて、その虹の色彩が、たとえば下方の人間たちの衣装やパラソルに点綴されているような雰囲気で、虹と人間たちが色彩的に呼応しながら不思議な幻想的な世界を表す。時が止まったような、一種の至福のイメージの表現であるところが面白い。

14室

 安田大作「予感」。赤い椅子に関節人形の女性が座っている。後ろに階段が伸びているが、その手前に黒い猫がいる。階段の向こうには洋館がいくつか集まった様子が描かれている。不思議なシュールな気配が画面に満ちている。

 後藤成子「アルハンブラ追想」。アルハンブラの建物を暖色系のシルエットに描き、その前で踊っている女性をあやしく描く。独特の強い情念ともいうべきものが画面からあらわれているところが面白いし、手の表情などのかたちもまたこの作品の魅力である。女性の月光に当たっているようなグレーの独特の調子。仮面を思わせるような顔の表情。バックの建物の赤茶色などの色彩のハーモニーもロマンティックなイメージを表す。

 横井美代子「あやとり」。三人の少女が描かれている。ところどころフォルムに線が使われているのがアクセントになっている。フォルムに対する繊細な感覚に注目。

17室

 小野幸枝「冬の訪れ」。雪のすこし積もった林の中に樹木がたくさん立ち並んでいる。そんな樹木と地面との接点に目を向けて、韻律のある画面をつくる。清潔な中にヴァルールがよく合っている。

 扇谷紀子「春の詩」。テーブルの上に花瓶があり、ピンクの薔薇の花が柔らかな色彩を表す。手前にヴァイオリンと弦。愛のメロディや愛のセレナーデが聞こえてくるようだ。対象の物を描くというより、ものを通して音楽的な世界、メロディが聞こえてくるような雰囲気に注目。

 楠達子「坂の街」。坂を下りていくと、すこし平坦になって、両側に建物が迫り、建物と建物のあいだから日が差し込んでいる。その部分に対して、坂道の部分の道は暗く、大きな建物がそばにある。その影になった部分の壁や窓がしっとりとした雰囲気をつくる。扉の一部などは錆びた黄金色に感じられる。歴史のもつ手触りを深い陰影の中に表現する。

18室

 水野美智子「マテーラ(洞窟の街)」。マテーラは一万年ほどの歴史をもつ街である。その古層は洞窟の中に人が住んでいた穴居の時代で、その層の一番新しいところに現代の建築もある。そういった街の表情をよく捉えている。建物による構成だが、だんだんと後方に建物が下がっていき、そこに光が当たり、微妙な陰影をつくる。そのトーンの変化自体に時間がしみ通っているような、そんなイメージがあらわれる。

19室

 加藤仁史「静寂」。両側に樹木の立ち並んだ道が淡々と描かれている。道の向こうにもう一つの世界があるような、ロマンティックな味わいが魅力。

20室

 遠藤正雄「ひととき」。手拭いを頭に被り、座った中年の女性。ペットボトルを持っている。独特の色彩家のように思われる。手の指の表情など生き生きとしている。

21室

 道東清司「緑光の路」。木製のベンチ。ぽつんぽつんと緑の野原の中に樹木が立って、遠景に家がある。ベンチとその先の樹木とのあいだに切り株がある。すこし光が当たり、樹木の影が周りを覆っている。切られた樹木が命の断面のようなイメージを発信する。また、緑の扱いが面白く、神秘的なイメージがそこに漂う。

 山本純子「思い出の崎枝」。巨大な樹木が画面の中心にあり、太い幹から伸びた枝が緑の葉を茂らせている様子が面白い。バックには湖(海)があり、空はオレンジ色で、赤いつがいの鳥が飛び、月が樹木の葉の後ろ側からのぞいている。詩の世界の造形のように感じられる。たとえば村山槐多などの作家と共通するような、強い詩的なヴィジョンが感じられる。一本の太い樹木が緑の葉を茂らせている様子に存在感があって、世界を癒す性質をもっているように思われる。

23室

 児玉剛「家路」準会員昇格。ヨーロッパの古い街と思われるが、コートを着た男が籠を引いて向こうに進んでいる。そばに三、四歳のブロンドの少年がいる。深い感情世界。映画のワンシーンのような、そんな物語性がしぜんと画面に漂う。

24室

 大橋道子「ときのま ・」。数人の女性の群像である。顔は省略されて、全身のフォルムによってメッセージを発信する。手前の女性は足を開いて、すこし屈んでこちらを見ている。左のほうの女性は遠くを眺めている。右のほうの女性は物思いに沈んでいる。ポーズによるメッセージを組み合わせながら、独特の強い群像表現が魅力だし、ベージュ系の色彩の微妙なトーンの変化が優しい希望のようなイメージを漂わせる。

 吉井秀夫「滞船」準会員昇格。赤い船、緑の船の二艘が繫留されている。奥行きがあって、ずっしりとした存在感が感じられる。単に船というより、画家と船との関係が強く、手触りがあって、そこからしぜんと物語が生まれてくるような魅力がある。

 平野克巳「プロヴァンスの丘」。縦長の画面の中に下方から上方に向かって建物が連続している。低いところから高いところに向かって建物がその位置につくられている様子が面白く表現される。いちばん上方は廃墟の城塞のようなもので、断崖がそれを取り巻いている。プロヴァンスの中世の街を描きながら、どこか日本人の抱く無常観が画面に漂っているところが面白い。モノトーンのなかの微妙な階調の変化も魅力。

25室

 阿万孝司「木洩れ日」奨励賞。地に樹木が根を張り、立ち上がっているその部分に焦点を置いて描いている。隙間から光が差し込んでいる。視点の面白さと同時に木の生命感の表現に注目。

 奈良輝男「化身」奨励賞。三体の人間が描かれている。左に裸婦。右に大きな帽子をかぶったファッショナブルな女性。その二人のあいだに能面のような仮面をつけた女性の像がある。面白いのは、その上方にゴリラのような顔がこちらを見ていることである。女性というものを捉えるのに豊かなイメージをもっている画家で、そういった自分自身の自画像として、上方にゴリラのような顔を描いたと思われるが、それと対象的なしっとりとした能面のような女性の顔に不思議なエロスが宿っている。

 長田敬之「土蔵」会友賞。壊れかかった漆喰、瓦屋根の土蔵を、すこし見上げる角度から描いている。大きな量感のなかに捉えられているところが魅力。崩壊しつつある存在の中に漆喰の壁がしっとりと光の中に輝く様子は、追想的なイメージも引き寄せる。

 小野健司「赤いベール」創元会賞。丈の高い椅子に座って足を組み、両手を上にあげて上衣を風に翻している、独特の動きのある人物像である。クリアなフォルムの表現が魅力。一種のバロック的な力と言ってよいかもしれない。

 石原佑治「地の声」。兵士の埴輪、家の埴輪などが置かれている。茶褐色の中に素朴な日本人の元型のようなイメージが柔らかく立ち上がってくる。埴輪と会話する。そして埴輪は画面の中に浮遊するようなイメージの展開となっているし、そのようなコンポジションも面白い。

 田面木宣夫「夏の記憶」。坊主頭の十歳ぐらいの少年が立っている。バックの自然は溶けたような雰囲気で、戦後の爆撃された日本の街のイメージなどもしぜんと連想させる。鳥が不吉なイメージで上方にとまっている。

 栗山ルリ子「沈黙」奨励賞。五体の女性を描いているが、いずれも背中からのフォルムである。四体は立ち、一体は座っている。理想的な女性のイメージをモデルを通してつくっているところが面白い。ある意味で五体の女性は同じ女性の五つのポーズのように感じられる。中心の女性は光が当たって輝くようなイメージで、両側に行くに従ってだんだんと調子を落としていく。背景は抽象的なフォルムになっていてその柔らかな陰翳が女性のイメージを支える。

 松浦藍「在りし日のゆくえ」会友昇格。丸太によってつくられた馬の玩具。その胴に浅く腰を下ろした女性。メランコリックなイメージが漂う。形がシャープで生き生きとしている。

 望月扶美子「カーテンコール」奨励賞。トランペットを持つピエロ。ぐいぐいと描きこんで迫力がある。そばの木製の椅子には花束があり、たくさんの花が顔をのぞかせている。赤いズボンに青い蝶ネクタイ、顔に赤い絵具を塗り、赤い帽子をかぶっている。背景はブルー系の色彩で、ピエロを使いながら人生の哀愁といったイメージを表現する。

第66回示現会展

(4月3日~4月15日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 篠原裕輔「鴨」。水の上に十三羽の鴨が動いてる様子をクリアに描いている。それぞれの方向を向いたそれぞれ異なる鴨のフォルムと水の様子がリアルで、その再現力に注目。鴨の動き以上に、水と波の様子が面白く、鑑賞者にそこを眺めさせる力が感じられる。

 武敏夫「望郷」。女性がベンチに座って上方を眺めている。その目の先に画家の心の中にあるふるさとの光景が浮かんでいるのだろう。背後に山吹色の樹木があって、その山吹色の色彩と女性の衣装の濃紺、明るい青などの色彩が輝かしいようなハーモニーをつくる。女性は胸に十字架のネックレスをつけている。背後には石垣と古い建物やコンクリートの建物などがのぞき、煙突が伸び、山が見える。この光景が画家の生まれた場所なのだろう。それが幻影のように背後に浮かび上がり、それを眺めるのではなく、それを背景にして遠くの空を眺めているといったコンポジションが深い情感を醸し出す。

 佐藤祐治「教会のある村」。ロマネスクふうな古い教会があって、その手前に民家が立ち並び、あいだに樹木があり、近景に小道がある。そういったそれぞれのポジションにあるものが、建物にしろ樹木にしろ、クリアに描かれていて、全体で独特のハーモニーがつくられているところが魅力である。実景だと思うが、その中から取捨選択がされ、画面の中から独特の韻律があらわれている。背後にはすこし霞むように緑の山塊が描かれている。その空と山を背景にして、中景から近景にわたるクリアなフォルムに注目。

 武田敏雄「蔵王」。ずっしりとした存在感がある。上方に蔵王の山頂が見え、雪をかぶっている。山の斜面が麓まで続いてきて、下方には川が流れているようだ。夕方の時刻だろうか。空は暗く、青みがかったグレーで、もあもあとした雲が動いている。その中に不思議な輝きを蔵王は見せる。雪をかぶった蔵王のその量感と神々しさがよく表現されている。また、その蔵王が一つの量として、面として捉えられる。その面が、麓の樹木は黒々として、あいだに雪を輝かせ、だんだんと下りてくると川になる。その空間の大きさがよく表現されているところが魅力である。また、褐色、黒、ピンクを帯びた白などの色彩が、穏やかな中にしっとりとした日本の風土の色彩をつくりだす。よい水墨で表現されるような風景。水墨の場合にはたらし込みふうな表現が使われると思うが、そのたらし込みの部分にしっかりと形が発見され、油絵具がのせられ、独特の存在感を醸し出し、全体で深い情緒があらわれているところが魅力。

 鈴木實「渓流」。奥入瀬の源流の風景である。S字形に川が曲がりながら、近景に向かって水が流れてくる。とくに近景では飛沫をあげ、その水の量と動きが見事に表現されている。すこし紅葉を始めた背後の樹木。その中に鋭角なフォルムをもつ岩肌が浮かび上がっているのが、ずっしりとした存在感を示す。それと対するように近景に、水の中から岩が立ち上がっている。近景、中景、遠景といった奥行きがしっかりと捉えられ、そこにある空気感、霊気のようなものさえも感じられる。そんな臨場感の中に流れてくる水が強い存在感をもって表現されているところが魅力である。

 樋口洋「宵の函館」。函館のハリストス正教会が描かれている。柔らかなスポットライトを浴びたように教会が浮かび上がっている。ベージュの壁が柔らかく、じっと見ていると、黄金色に感じられる。ところどころの屋根から出る小さな窓のあるかたち。中心から伸びる内部空間のあるフォルムには十字がそびえている。ところどころ緑の色彩が使われているのが微妙なアクセントになっている。雪がすこし屋根にも積もり、地面にはもうすこし雪が積もっている。近景に裸木が枝を広げている。背景は暗い海で、向こうの低い山が空の中に沈んでいる。宵の時刻。海の向こうには点々と建物の光がちりばめられている。暗いトーンをバックにして教会の姿がすっきりと浮かび上がる。近景の地面にある傾いた柵の連続したフォルムが、不思議なリズムをつくる。まるで風景を掌の上に置いて眺めているような親密な味わいが魅力である。同時に、光の中に浮かぶ教会がその中に聖なるもののイメージを醸し出す。

 成田禎介「連島海景」。たくさんの島が続いている。静かな海。近景には様々な緑の葉を茂らせた樹木が立ち並んでいる。すこし向こうのほうに傾いていく傾斜面になっているところに樹木が生えている。朝がこれから始まるかのような鈍色の空に雲が出ている。かつて山の峰であったものが没し、海面からその頂上をのぞかせているといった趣である。そんな様子に島が点々と浮かび、不思議なハーモニーをつくる。近景から水平線まで目を向けていくと、風景の不思議なリズムに心奪われる。

 井上武「都市の景」。右下のほうに高架の陸橋があり、左上の白い湾曲する線は高速道路なのだろう。あいだからいくつもの高層ビルが立ち並び、その矩形のフォルムが自由に独特の動きのなかに表現される。下方を見ると、横断歩道があり、その向こうに数人の人が立っている。高速道路や橋のあるビルの見える風景を大胆に独特の色面構成の中に描く。空は暗い青みがかったグレーで、そこに黄色や緑の雲が浮かんでいる。雲も道路も建物も人も一体化しながら、一つの画面の中の色面として扱われ、全体で朗々たる音楽が聞こえてくるようである。緑にしても黄色にしても、すこし彩度が落とされながら、内側から輝くような色みがある。高速道路の白や信号機のブルーの中の白、あるいは下方の女性のピンクやベージュの色彩などがちりばめられている。いずれにしても、風景というものを全身でもってつかみ取り、再現的に描写的に描くのではなく、画面の中に一つの色面として構築する。そのスタンスの中から伸びやかな動きが生まれる。その動きの中に微妙な色相があらわれ、それぞれが生活の歌ともいうべきものを歌い上げるような趣である。

 藤田征芳「セーヌ通り24番地角」文部科学大臣賞。果物と野菜がぎっしりとそれぞれの箱に盛られている様子。店の奥に入ると、様々な食品の様子が見える。緑の布を張り出したパリのセーヌ通りの果物屋の様子が生き生きと描かれている。緑やベージュを背景にして、それぞれの果物や野菜がきらきらと輝き、独特のリズムをつくっているところが面白い。

 錦織重治「光彩」。遠景の山並みが雪をかぶって、独特の存在感を見せる。量というものがよく表現されている。それに対して、もっと低い丘のような山の山頂から手前に雑木がそれぞれのポジションに立ち、ある部分はくすんだ調子、あるいは赤茶色の調子、あいだに雪が輝き、麓の民家が数軒立つ。近景の畑に積もったと思われる平面の中の雪の表情。それぞれのポジションの雪の表情を捉え、そこにある存在をクリアに描きながら、全体である大きな空間が生まれ、韻律のあらわれているところに注目。

 大岩充子「午後のマイタイム」損保ジャパン美術財団賞。糸車の手前にジーパンをはいて座っている若い女性を淡々と描き起こす。背後の花模様の柔らかなカーテンの色彩が、面白い背景になっている。いわば微光というものを画面の中に扱っているところが面白い。

 小材啓治「石人と石馬のある古墳」。古墳の玄室の中の光景である。女性の大きな埴輪のようなフォルムが立っている。馬が手前にあり、その首は壊れて、胴体も二つに分かれている。背後の朱の塗られた壁。濃密な気配が画面に醸し出される。玄室の中の空間を面白く表現する。今回はそこに二体の埴輪が置かれて、古代のロマンが引き寄せられた。

 阿戸猛子「おとずれ」。三体のマネキン。一体のマネキンはドアの向こうのテーブルの上に横になっている。近景に座っているマネキン、立っているマネキン。上方から斜光線が向こうの壁に差し込んでいる。何かを静かに待っているような、そんな思い、その微妙な気配が面白く表現される。

 徳田則子「古壁に立つ」。白い小さな花を籠の中に入れて目の前に持っている女性。女性の髪にも同じ白い花が飾られている。背景にはインドシナあたりと思われる壁掛けが垂れて、近景に大きな葉をもつ植物が描かれる。東南アジアのある場所だと思われるが、その風俗を描きながら、深い想念の中に存在するようなイメージが面白い。

 瀧井利子「父の温もり」示現会賞。これまで亡き父の仕事場を描いてきたが、今回は肘掛け椅子と丸いテーブル、そして父の使ったと思われる眼鏡が置かれている。一つひとつ手で触りながら、その時間の長さや重さを測っているような、そんな存在感に注目。

 正木茂「街へ」。これまで扉を描いてきた画家である。その画家が、両側に建物が接近した古い路地を描いた。路地の向こうはT字路になり、その壁に光があたっている。手前は一種のトンネルのようになり、全体暗い調子の中に一ヶ所壁と道の輝いているようすがロマンチックなポイントになっていて面白い。

 中西敦「ブダペストの朝」。宮殿と思われる建物がシンメトリックに描かれる。雪が積もっている。両側に裸木が立っている。端整な表現の中にハーフトーンの柔らかな色彩がハーモナイズする。聖なる朝といった、そんなロマンティックな雰囲気が魅力。

 太田佳代子「afternoon 2」。床に座った青年。そばに本が重ねられ、犬がうずくまって上目づかいに青年を見ている。青年と犬の目線がクロスしているところに、ある物語があらわれる。窓の向こうの白い裸木のある雪景がしんしんたる気配を示す。窓の外の白と青年のシャツの白と犬の白がそれぞれ異なる白だが、深い心の内部でお互いにリンクしているような、そんなイメージの面白さも感じられる。

 中井悦子「ティルタ」。宝冠を頭にかぶり、香炉を手に持ち、青いシルクの衣装をつけた女性。座ったそのポーズの中に独特の上品な雰囲気がある。その雰囲気は女性のそばの台に置かれた黄色や白の花の配置、リズム、色彩に流れていく。

2室

 大川陽子「春の兆し」。太い幹をもつ樹木のあいだに様々な植物が伸びている。ピンクの花を咲かせていたり、赤く紅葉した手のひらのような植物もあるし、瑞々しい緑の葉の植物もある。そんな様子が独特のカーヴするフォルムの連続によって表現され、エネルギーと生命感を感じさせる。

 林勝彦「人形と風船」。フランス人形が座って、ピンクや黄色の薔薇の花を手に持っている。上方に紙風船が飛ぶ。人形のそばの白いアールヌーヴォーふうな花瓶からカーヴしながら伸びるところについている葉の様子が面白い。後ろの棚にガラスの鳥の姿をしたフォルムがあらわれているのも、独特の寓意性を感じさせる。しーんとした気配の中にそれぞれのものが画家の思いを託されて動いていく。客観的な世界が深いイメージの世界に変換される。

 三杉和子「寒の桜」。林の中に入って眺める。太い屈曲した幹をもつ桜の木が前後して画面の中に表現される。中景に早咲きの桜が、そのしっとりとした花を一部咲かせているようだ。上方にグレーの空が見える。桜の樹木のもつ量感に対して、可憐な花の様子が対置される。下方のまだ冬の気配を残した草の様子などと相まって、繊細な感情世界が表現される。

 江口登「井戸とポスターの詩」楢原賞。石畳の上に古い井戸がずっしりとした存在感を示す。バックの石の壁にポスターが貼られている。それだけの光景によって一枚の絵をつくる。井戸のもつ千年や二千年の時を感じさせる雰囲気と、いまこの場に当たる光とが対置される。そして、フラメンコのポスターなどが貼られて生活感を釀し出す。風景であり、静物であり、また、時間というものの謎をそのまま画面の上に表現した作品である。

 姫野裕一「鎌倉・寿福寺」。寿福寺の入口に向かう石畳。両側に樹木が伸び、燦々と上方から光が当たっている。シャープな筆触でこの情景をぐいぐいと描きこむ。その筆力によってムーヴマンがあらわれる。微妙な光の変化を捉える。

 藤井敦「海辺」。だんだんと下方に段差の中に下がっていく細い道。杖をつきながら年をとった女性が腰を屈めて向こうに歩んでいる。背中と後ろに回した手が描かれている。そのフォルムが穏やかなこの風景の中でポイントとなっていて、面白く感じられる。中景にある突堤。船。遠景の対岸の島の様子。柔らかな光線。日常の中に発見した一人の人間の姿が面白く表現される。

 山岡健造「母子像」。サリー姿の若い女性が子供を抱えている。そのそばには姉が立っている。大地の広がりと空とがほぼ同色の色彩の中に表現され、空に鳥が飛んでいる。点描による空の表現で、そこに光が満ちているような様子が面白い。素朴な貧しい母子像が聖なるイメージのなかに捉えられる。

 中村恵俉「池畔」。池の水と雑草。そばに赤く紅葉した丈の低い木が描かれている。その黒ずんだ朱色と草の黄色やオレンジ色、褐色などの色彩が静かにハーモナイズする。

3室

 森本まり子「川沿い」。川沿いの四・五階や二階建ての建物、古びたマンションや素朴な民家などの姿がきわめてクリアに描かれている。画面に接近すると、ずいぶん塗りこまれているが、それによって鈍くなるのではなく、そこから立ち上がってくるフォルムに強いリアリティが感じられる。建物と空を映した水の色彩全体に、或る情感が漂う。

 水嶋靖博「東京の空の下」。御茶の水あたりの風景だろうか。大きな橋と下方の神田川の流れ。橋の下の円弧の中に向こうの民家やビルが見える。不思議な物語性のようなものが漂う。現実の風景に記憶の風景が重なっているように感じられる。風景を通して歴史や物語のイメージがあらわれる。

 梅沢民雄「初夏の聖堂」。中心にモン・サン・ミッシェルの全体の様子。建物と民家とが三角形のコンポジションの中によく描かれている。そこに向かうすこし湾曲した道に点々と歩いている観光客。左の海の様子。青い空。空の中に独特のトーンを発見して、青は画面全体に使われていて、強く繊細なイメージを与える。構図の面白さとトーンの強さに注目。

 髙橋正則「雪近き里・魚沼」。川のそばに畑が広がり、民家が点々と見える。背後はだんだんと山が隆起していき、いちばん高いところは雪をかぶっている。集落のそばに川が流れる。近景は褐色の晩秋の様子である。そこに静かに光が当たる。静謐な中に独特の空気感が捉えられ、風景の広がりが表現される。

4室

 野田信子「ある風景」。お洒落な感覚にしぜんと引き寄せられる。カフェにいる人々とウェイトレスがバーの外の石畳にいる様子。周りは暗いグレーや茶褐色であるが、人間たちは明るい色彩で彩られ、あいだにテーブルの赤が輝く。独特のリズムがある。シャンソンのメロディでも流れてきそうな優雅な雰囲気の中に人々の表情を生き生きと描く。

 笹原弘子「ある瞬間」。渓流のそばにキツネが顔を出している。周りに植物や樹木の様子を丹念に描く。画家の見た風景と記憶の中の風景とがクロスする中に不思議なファンタジーの世界があらわれる。

5室

 堤敏朗「祈りの小径」。石を積んだ古い壁に矩形の龕があって、中に聖母マリアと聖人などの絵が置かれている。周りのピンクがかった紫色を帯びた石の色彩の中に、青い衣装を着たマリアの像が鮮烈に浮かび上がる。それに目もくれず、犬を連れて舗道を歩く男。舗道はすこし左のほうに傾いている。その微妙な傾斜もまたこの作品の構成の軸となっている。古いヨーロッパのある情景が生き生きと表現される。犬とこの男のもつ時間に対して、もう一つの時間が壁の中に穿たれた龕の中に存在する。そして、光が燦々と降り注ぎ、敬虔な感情が画面から釀し出される。

 松宮昂「ケイトウ咲く道」。素朴な民家のそばに大きなケイトウの花が赤く咲き乱れている。そばに五匹の猫が描かれている。親密な空間の中にそれぞれの固有の色彩が生かされ、のどかな雰囲気の中に猫の生きている様子が実に生き生きと表現される。

 荒木泰「南風」。赤茶色の瓦屋根。石を組んだ塀。遠景には緑の海が見える。入道雲が立っている。民家には赤や白の洗濯物が風に翻り、そばに女性が立っている。熱帯に近いような風土のもつ色彩が生き生きと表現される。緑の色彩と赤を中心とした暖色系の色彩がしっくりと響き合う。

 江本智美「香春岳」。遠景に香春岳が見える。近景は菜の花が満開で、その菜の花を手に持った赤い上衣の女性。風に髪やスカーフが揺れている。画家は自分自身の青春時代を回顧しながら一つの画面をつくったのだろうか。余分なものは脱落し、強いイメージがあらわれて画面を支えている。そこにあらわれたこの鮮烈な菜の花の黄色い色彩が、深い表情をたたえている。それと対照されるようなもっこりとした香春岳。記憶の中を吹く風。妖精のような女性。

 石根三千代「工場の裏手」。貨物車。シャベルカー。赤白の煙突から上る煙。コンビナートの建物。一隅に見える光景を組み合わせながら、明るい色彩の中でまとめ、独特の韻律があらわれる。遠景の赤白の煙突と、そこから上る煙が出色。

 内海義子「流れ」。疎水が流れ、そばに石があり、モミジが紅葉している。どこかの庭園の風景だと思うが、ここに差し込む光と赤く輝くモミジの色彩がしっとりとした情感を釀し出す。とくに赤の鮮烈な色彩に注目。

 森俊悦「春近し」。川の手前、近景には梅の木のような古木が枝を広げ、一部、雪が積もっている。空に満月のような太陽がぼんやりと雲の向こうに浮かび、二羽の鳥が飛んでいる。農村をテーマにした童話のような風景である。とくに近景の屈曲した樹木の表現が作品全体の構成のポイントとしてよくきいている。

 細川勝「刻」。不思議な風景である。まるで巨大な津波がこの大地を洗い、すべてのものを流したあとに小さな裸木が、あるいは植物の茎が新しく立ち上がってくるような印象である。一種シュールな気配が画面に満ちている。繊細に屈曲しながら伸びる植物が小さな樹木とダブルイメージになったような光景。しらじらとした砂地。露出した大地の様子。倒れた樹木や茎の様子。マクロなものとミクロなものが画面の中にクロスする。強い経験を描く場合に、それをもう一度咀嚼して、掌の上に置きながらこの風景を描いたような、なまなましさとイメージの強さに共感する。

6室

 黒﨑志郎「春潮のころ」。上方から鋭角的に俯瞰した視点からあらわれる光景。道がすこし曲がり、岩壁が突き出し、海岸に船が繫留されている。道のそばには建物がある。それを眺め、スケッチする。フォルムを捉える画家の視力が清々しい。また、俯瞰する中からあらわれてくる、そこから立ち上がってくるボリューム感のある建物や船などのフォルムが生き生きとした表情を見せる。

 中川澄子「風化」。トゥールーズのサンセバスチャン教会の回廊から見た光景である。トゥールーズには有名な美術館があって、そこにはロマネスクの彫刻群が収められている。獅子と子山羊を抱く女性という二つの彫刻が美術館に収められているのだが、それをこの回廊に改めて置いて、つくりあげた光景である。それはトゥールーズの石工が十二世紀頃作ったといわれている。当時の流行で細長いフォルムの中に足を組んだ姿が実に生き生きとした表情を見せる。この作品はいわば彫刻された女性たちに新しい命を画面の中で吹き込んでいるような、そんな強い印象が感じられる。獅子と子山羊を抱くということに当然キリスト教的な意味はあるのだろうが、それはつまびらかではない。ただ、千年の時間をあいだにおきながら鮮やかに浮かび上がってくる女性のもつイメージが、この回廊の中に定着されているところに感銘を受ける。全体に赤をベースにして、そこにグレーを塗ったような温かさがある。もっとも、トゥールーズの建物は、あまり石がとれず、川の中の土を干して煉瓦をつくり、それによってつくられたものが多く、独特のピンク色を帯びていることは有名である。そういったトゥールーズの環境もしぜんと画面に入れられながら、素朴な二人の女性を中心とした深い感情に満ちた佳作である。

 福岡久藏「晩秋」大内田賞。セーヌの風景だろうか。建物が続き、後ろに聖堂の尖塔が聳えている。橋があり、橋のたもとに船が繫留されている。そのあたりは暗く、空も上方はグレーで、だんだんとベージュ色になる。スポットライトが当たるように輝く中心の建物。不思議なあやしさが感じられる。手前の船の様子などを見ると、まるで心の旅を乗せる乗物のような趣があって、その中に輝くような建物がシュールな気配を見せる。

 湯淺廸哉「船だまり」。たくさんの船が繫留されている。背後はだんだんと大地が高くなっていて、そこにたくさんの民家が建てられている。それら全体をパノラマふうにまとめながら楽しいリズムが生まれる。

 宇賀治徹男「堤外地(雨水)」。すこしカーヴして向こうに続く道。雨のあとで、水たまりができている。そこに繰り返し通った車の跡。残った雪。周りはその道より十センチから二十センチ高くなっていて、田圃のようで雪が積もっている。あいだから雑草が伸びている。中景にドラム缶が一つ。遠景には霞むような雑木林。空はすこし明るいベージュで、そんな空を映した水たまりが黄金色に輝いている。ぬかるんだようなこの水たまりの中に空を映して輝く水の表情に、画家は一種の聖性ともいうべきイメージを表現する。

 小林年子「晩夏」佳作賞。遠景にビルのある都会の風景を描いて、近景に大きな向日葵のフォルムを置いている。向日葵の根本も上方も画面の上下で切れている。ほとんどドライフラワーになった黒い向日葵である。その向日葵は夜の気配をしっかりと包み込みながら咲いているような、ロマンティックな趣がある。それは夏の気配を存分に吸いながら、いま枯れてしまったその様子と重なる。いずれにしても、黒とかグレーという色彩をうまく使いこなしながら、絵という時空間に画家は花を咲かせる。

 中村末二「暖日」。入口は石段になっていて、その下方に二つの石を置いた段がある。そのあたりのボリューム感のある表現が面白い。赤茶けたドアがそこにつけられ、絵具が一部落ちて剝げかかっている。光が差し込む。そばに壊れた緑色のポンプ。一隅にあるものたちが静かに語りかける。

7室

 石川孝司「駅―2013」会員推挙。木造の小さな駅の屋根から煙突が出て、煙が上がっている。そばの電信柱やレールの上に雪が積もっている。淡々と一つの小さな駅を描きながら、この駅を利用する人々との関係からあらわれてくる親密な物語性がしぜんと浮かび上がる。

8室

 山岸深志「野菜市場」。広場に市が立って、果物や野菜などが盛られ、そこにたくさんの人々が来ている。近景には母と子の姿。塗り込まれた色彩のもつ独特の輝き。清潔感の中に独特の魅力が感じられる。集合する人々の表情が愛らしい。

 松本佐恵美「ビコの朝」。白い壁に薄赤い屋根。そんな建物が集まりながら、一つの集落をかたちづくる。地面は後方に行くに従って高くなっていて、そのいちばん上に教会のような建物が見える。柔らかな光が差し込む。きらきらと建物や屋根を輝かせる。明度の高い色調を使いながら、まるで幻のようなイメージがあらわれる。朝のイノセントな光線の中に現れた集落が揺らめくようだ。

 五十嵐絵里子「響」。ヴェニスの一光景である。古い壁際に運河が流れ、いまゴンドラが手前に動いてくる。棹をもつゴンドリアと三人の観客。一人はアコーディオンを鳴らし、一人はタバコをくゆらせている。そんなディテールが面白い。ゴンドラの形もシャープな曲線でできたフォルムで、画面の中の形として画家がすこしデフォルメした部分もあるが、それはそれで独特の魅力をたたえる。窓から伸びる植物もそうだし、二つの剝落した壁にシャドーのように浮かび上がる人間の形も独特の面白さがある。

 茂森豊子「白き山」。明度の高い色彩のハーモニーが魅力。空を映して湖も青く、白い壁の民家がイノセントな雰囲気を漂わせる。

12室

 清崎高史「山路」。山道のすこし隆起したところに階段がつけられている。その様子がハーフトーンの中に豊かな色彩で表現される。バックの墨で描いたような樹木の表現に対して、このもっこりとした地面の様子が不思議なきらめきを放つ。

13室

 玉谷明美「閑日」。石でできたペイヴメント。石を積んだ建物の壁。その中庭が画面の下方に描かれ、それを取り巻く家の様子が描かれる。そのディテールが親密で、時間がそのままこの建物や中庭にあらわれてくるような雰囲気。そして、中庭の向こうに赤紫色の扉があり、そこがすこしあけられて、向こうに丸いテーブルを前にして頰杖をついて座っている緑衣の女性がのぞく。それは画家自身の自画像のようでもあるし、この建物の中にあらわれた旅人のイメージのようにも感じられる。その彼女のもつ時間と周りの堅牢な建物とが釀し出す長い時間とが面白く対照されて、しぜんと物語が生まれる。また、画面を目で追っていくと、上方の石の複雑に積んだ上に瓦が置かれているが、そういったクリアなディテールがこの作品の魅力だと思う。

14室

 田村則昭「汚れた大地」。塗りこまれた画面が堅牢で、独特の肌触りをみせる。そこにたくさんのカラスが下りてきたり、飛んでいる。石がごろごろと転がっている。福島原発の事故による汚水が大地を汚している。そんなイメージだろうか。画面の内側からじょじょに強い感情が立ち上がってくるような表現。

 百瀬太虚「黎明(権現桜)」。樹齢五百年を超すような桜の大木に満開の花である。桜のあの透明感のある色彩がよく表現されている。花びらを通して空が透けて見えるような色彩で、油絵で描きながら、日本画にも通じるような不思議なほの明るい雰囲気が漂っているところが魅力である。うろのある太い幹が地面に接するあたりの形もよく描かれているし、周りを取り囲む草の様子も丹念に描かれて、この権現桜のある季節の肖像のような趣である。ほとんど風が止まったような雰囲気であるが、それは画面のもつ強い緊張感の故かもしれない。幻のような花の群れで、目をつぶると消えてなくなりそうな、そんな危うい魅力を見事に表現する。

17室

 坪内堯「古い町並(郡上八幡)」。水が道のそばを流れている。そこにかけられた橋や赤い欄干。江戸時代までさかのぼるような両側の古い民家。雪が積もっている。人々が歩く。中心に樹木が伸びていて、そこにも雪が積もっている。その樹木の表現に独特のリズムが感じられて楽しい。

 井越正喜「木枯しの頃」準会員推挙。枯れた葦のような植物の向こうに静かに小川が流れている。岸辺に低い洋館が立っている。しっとりとした青みがかったグレーの空。一つひとつのフォルムが静かにお互いに連絡しながら、静寂のなかになにか不穏な雰囲気が生まれる。繊細な感覚が感じられるところが魅力。

 野島幸雄「樹〈躍動〉」。縦長の画面に三本の木の一部を取り込んでいる。いわば木のトルソのような趣で、その幹と屈曲しながら伸びる枝や梢全体でダンスをしているような不思議な生命感があらわれる。木から感じることのできるミステリアスなものを生き生きと表現する。

 荒木弘「飛翔落石岬」。落石岬は根室にある岬である。それを背景にしてたくさんの白い鳥が飛んでいる。その鳥の配置に独特の美的な感性が感じられる。それに対して、近景に一艘の船が静かに動いている。白い鳥の群舞する様子を見ると、レクイエムを思わせるような深い感情表現のように感じられる。

 尾形たき子「鎮魂献花」会員賞。川の両側に建物が並んでいる様子が、画面の下半分に描かれている。上方にたくさんの花火があがっている。下方の川の近景を見ると、水によって家が流されている様子が描かれている。今回の津波の災害に対するレクイエムの表現である。それを抑制されたタッチの中に表現する。深い奥行きがあらわれる中に黄金色の川が独特の表情で、灯籠流しを眺めているような思いに誘われる。

18室

 上西茂「海辺の村」。黒い線によって一つひとつ、瓦の一枚一枚までも丹念に描く。そこに水彩絵具を置いていく。堅牢で、独特のリアリティのある画面が生まれる。海辺の集落の表現。屋根と壁。石を積んでつくられた道や階段。それら全体がふるさと讃歌ともいうべき、そんなイコン的な表情をつくりだす。

 砂子精一「山門」。画面の中の線の使い方が面白い。山門の下に杖を持ってお参りした女性の後ろ姿。そばのお坊さん。近景の松。それぞれがクリアである。背景はたらし込みふうにぼかされている。謡でも聞こえてきそうな不思議な時間がこの画面の中に流れている。その時間のたゆたいと同時に、くっきりとした対象のフォルムが相まって独特の情感をつくる。

19室

 千田秀子「道しるべ ・」準会員推挙。太い幹をもつ樹木が数本立って、白い雪をその枝に受けている。地面にも雪が積もっている。なにか荒々しい強い動きが感じられる。巨木の過ごしてきた歳月を正面から捉えて、独特のモニュメンタルな表現にまとめる。

 若林正剛「漁の集落(港)」。浜辺にひき上げられた漁船。周りの民家。そして、海と岬。近景には杭がたくさん立て掛けられている。そんな一つの集落の情景をくっきりと描く。ディテールが面白く、しーんとした気配もまたこの作品の魅力だろう。

21室

 山﨑富江「髪を結う娘」。洗面台の前で髪に手を置いて結っている若い女性の後ろ姿。周りの赤みを帯びた暖色と緑のワンピース。赤みを帯びた女性の肌。洗面台の上にある黄色い花などがあいまって、濃密な空間の生まれているところが面白い。大づかみにフォルムを捉えながら、髪を結う動作の現在進行形の姿が表現される。鏡に顔の一部が映っているのも、なにかときめきのような心持ちを感じさせる。

30室

 柴田百合子「待つ(父の肖像)」佳作賞。ベンチに座る老人の像である。膝のあいだに手を入れて杖を持っている。シルエットふうな中にこの姿があらわれ、周りの光の明暗が独特である。回想シーンのようなイメージもあるし、濃密な空気感が感じられるところが魅力。

 石川要一「夕暮れ」。畦道が続き、枯れ田に水があり、夕焼けを映してジョンブリヤン系の色彩に輝いている。遠景の山がピンクに霞んでいる。その上方に太陽がみえる。穏やかな中に広がりがあり、ごく敬虔な感情がこめられている。とくに屈曲する畦道の表現が魅力だと思う。

 星子喜代美「嵐の前兆」準会員推挙。屈曲したパイプのあるこの機械は、ポンプで水をくみ出しているのだろうか。遠景に壊れかかった建物が見える。福島原発の事故をしぜんと想起させる。ある機械のディテールを画面の中に置き、独特の強い構成をつくる。色彩も地味な中に静かな輝きが感じられる。

第61回光陽展

(4月8日~4月16日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 加藤瑞恵「飛天」。三体の仏を面白く宙に浮かせて表現している。顔は描かず、楽器や手の表情、あるいは衣によって描く。黄土とグレーとのハーモニーの中に色調を変えた青や、あるいはジョンブリヤン系の朱色、紫などが点綴されて、雅びやかなメロディが流れる。

 花岡寿一「薔薇の髪飾り」。薔薇の髪飾りをしたブロンドの少女がこちらを振り向いている。背中と、振り向いた一瞬の顔の表情。そこにスポットライトが当たる。赤い毛糸のような上衣のマチエールや髪の肌合い、体の皮膚の調子などが、暗いバックの中から浮かび上がるように描かれる。一瞬のもつ表情のなかにある永遠性が感じられる。

 飛永裕介「インドの神々」新人秀作賞。ドローイングする力がある。様々なイメージが引き寄せられる。牛の頭がそのまま人間の顔になって楽器を弾く男。鳥の首が人間の二つの顔になっている。大きな仏が寝て、その顔が背後に浮かび上がる。手前には上半身裸のインドの男性が座っている。そばに白牛がいる。インドのもつイメージを面白く画面全体にアレンジする。

 北川悦子「平穏な刻」。テーブルにガラスの花瓶が置かれ、そこに大きな白い百合の花が差されている。後ろのテーブルには秤やマンドリン、ラファエロのポスターなどが置かれ、しーんとした気配の中に白い百合が満開である。百合の花言葉は純潔というそうだが、そのような寓意性も感じられる。

 浅利敏彦「涅槃」。砂丘の向こうに海がある。花火が上がっている。ぼんやりと海を見ているうちに、海を中心に空も陸も一緒になって、穏やかな不思議な安息的な世界があらわれる。そんなファンタジーを点描ふうな中に表現して、独特のコンポジションをつくる。

 齋藤満子「想」。暗い海に半月に近い月が浮かんでいる。波が寄せている。女性が立っている。白い帽子に花飾りをつけている様子が、角隠しに花を飾っているような花嫁のイメージと重なる。細長いグラスに可憐なピンクや青い花が咲いている。その周りにも波のざわめきのようなイメージが置かれ、錘のガラス玉のようなフォルムが浮かんでいる。海はこの前の津波のような暴力的な顔も見せるが、また穏やかに、魚を育てる海でもある。海のもつ様々なイメージ。今回は、その海の中に女性的な優しい安息的な性質を感じて、ロマンティックな雰囲気が漂う。白い帽子に花飾りといったイメージが、花嫁のようなロマンティックなイメージを釀し出す。海をキーワードにしたノクターンと言ってもよい表現。

2室

 樫原喜六「湖北の乾燥倉」会員奨励賞。瓦屋根に漆喰の壁。壁はひび割れている。こんな建物が二棟立っているが、昔あった建物を画面の中に呼び戻したような雰囲気が感じられる。時間の中に喪失してしまう存在を画面の中に浮かび上がらせ、永遠化する。また、その壁に差す樹木のシルエットが微妙で、そのシルエットがまるで時間という目に見えない時の移ろいの表徴のように描かれているところも面白い。

3室

 川﨑みどり「うれしはる」会友推挙。流し台にバケツが置かれ、中にたくさんの水仙の花が差されている。その水仙の白い花びらと黄色い蕊とが華やぎを釀し出す。その色彩は後ろのガラス窓につながっていくし、壁に吊るされた布にも、流し台の矩形の台の色彩にも広がっていき、なにか夢想的な雰囲気があらわれる。花のもつイメージが、まるでさざ波のように画面全体に広がっていく。

 飯田文惠「イタリア・ラグーザ」新人奨励賞・会友推挙。ラグーザの高低のある地面に建てられた建物。あいだの階段がそれをつないでいるわけだが、そんな様子をリアルに表現する。線によるフォルムの把握、その集合によって生活感のあるビートが生まれる。

4室

 木村順子「不確実な未来へ」。手前に横断歩道。大きな道路がはるか向こうに湾曲する。右のほうには建物群がシルエットに表現され、中景から遠景にかけて高層ビルが立ち並んでいる。そこには様々な色彩が入れられて、色面の組み合わせになっている。道の向こうはグレーになっている。不確実な未来へという題名だが、ロマンティックな雰囲気が漂っている。未来は定かではないが、なにか幸せなことがそこに存在するような、そんな予感が感じられる。それはまた中景から遠景の建物の色彩のハーモニーからあらわれる心のときめきのような性質からもうかがえる。

 京田徹夫「縄文杉」。縄文杉は三千年ほどの年輪を経ているそうだ。画家は縄文杉をまるで人間のように描いている。その幹を画面の中心に置いている。トルソのようだ。見ていると、その幹の中に頭を垂れた人間のようなフォルムが見えてきたり、さかさまになった人間のフォルムなどが幻視されるような趣もある。それほどこの杉に画家は接近して描いている。背後の鬱蒼とした緑のもつ複雑なニュアンスは優しいが、それに対して茶褐色のこの縄文杉はなにか恐ろしく、時間というものの謎をそのまま提示してくる。その中に流れる血液や時間そのものを画面の中に描こうとして、上下に、あるいはカーヴしながらのストロークを繰り返している。一種霊的なイメージがあらわれる。

5室

 安部洋子「コッツウォルズの羊」。独特の色彩家である。近景に二頭の羊。中景に赤い屋根の海外の建物。上方に月と太陽の重なったようなイメージ。青い空。点々と放牧される羊。赤が生命的な表情をたたえる。

 加藤巌美「晩秋の刻」。茅葺きの昔ながらの民家の入口のそばに女性が座って考えこんでいる。斜光線のオレンジ色の光が差し込んで画面全体を染めて、強いノスタルジックなイメージを釀し出す。それはまた一種童話的な物語のある世界をもしぜんと感じさせる。

 岩立寛「待春の里」。冬の田圃である。まだ田植え前で、刈田に水がたまっている。それが空を映して輝いている。青い空に白い雲が輝く。遠景の山は青く、中景から近景にかけて雑木の生えた山が茶褐色に黒々と見える。一種の逆光の中の存在である。田圃の中を畦道がはるか向こうに続いている様子が、強い遠近感の中に表現される。そのダイナミックなパースペクティヴの力によって、強い希望のイメージが画面から発して楽しい。雲の白い輝きもまた、雲というより光が層をなしてあらわれている様子で、それが水を張った田圃に映り、独特の輝きを見せるところもこの作品のよさだと思う。

 三浦恒祺「原爆の形象No.19―復活―」。上方に白いリングがあらわれ、下方にピンクが置かれ、ピンクはグラデーションで黄色く輝く空間になり、背後に青い空が浮かぶ。右のほうには黒い崩壊した世界があらわれる。右のほうは原爆による廃墟で、それを取り囲む新しい復活の生命のイメージが輝くような調子のなかに表現される。一種強い音楽性を感じさせるコンポジションである。

 小林晋一「柳都秋声」。新潟の信濃川をテーマにしている。相当河口に近いところのようで、川に広がりが感じられる。その水が空を映して、より広がっていく。橋の上から眺めているのだろうか。土手のそばに繫留されている船は俯瞰した構図で、そばに葉を落とした黒い樹木が点々と沿うように生え、そばに道が一直線に向こうの橋に向かって続いている。その黄土の道のダイナミックな遠近感に対して、右のほうのすこしさざ波を立てながらゆっくりと流れてくる川の様子が実に生き生きとしたコントラストを見せる。この水の表情を見ていると、日本というより中国の川、上海などのイメージもしぜんと連想するところがある。そのような伸びやかな広がりが実に魅力と言ってよい。そして、中景に橋があり、橋の向こうにビルが立ち並んでいる様子が生き生きとしたリズムをつくる。最も遠景には青い山のようなフォルムが浮かび、クレーン車も見え、そのあたりにはジョンブリヤン系の色彩が点じられ、それが上方に行くに従ってすこし濃くなり、コバルトの空になる。新潟は大平野であり、その大平野のもつ奥行き、広さが描かれ、そこに青を中心とした柔らかな色彩の中にジョンブリヤン系の色彩が入れられ、まるで夢の国にいざなうような雰囲気が感じられる。

 廣安芳子「紫陽花の頃」。淡々と描きながら滋味豊かな色彩感覚が魅力である。左には人々が集まり、食事をしたり、楽器を持っていたり、会話をしている。その人間たちに比べると、大きな紫陽花は巨大で、まるで人間たちが妖精のように感じられる。しぜんとファンタジックなイメージが引き寄せられる。緑を中心とした中に暖色と寒色が効果的に使われて、色彩の競演ともいうべきものがあらわれる。

 三戸弘「朝夷奈切通し」会員推挙。左に断崖があり、そばを道がカーヴしながら向こうに続く。右のほうには灌木が茂っている。灌木には光が当たり、断崖はシルエットに、道も陰影が強い。その陰影の中に微妙な味わいが感じられる。とくに緑の色彩が生き生きとしている。

6室

 岡本邦治「語らい『浜』」。浜に立つ三人の男。網を持っている老人。彼に話しかけようとする中年の男。青年は後ろ姿を見せて立っている。漁業の暗い行く末の中にこの三人の漁師はいる。そういった漁師たちの悲しい群像ともいうべきイメージが惻々と胸に迫ってくる。

 國井清春「メール」今井繁三郎賞。若いカップルが座って携帯電話を操作している。そんな様子を生き生きと再現的に描く。

 山下久枝「語らい」文部科学大臣賞。大きな窓の向こうにビルが見える。八階とか十階の高層階から見えるシーンである。広々とした床に右のほうから光が当たり、右側の窓にいる二人の人間のシルエットがそこに捺される。その二人の語らっているシルエットがなにかあやしい。影絵が、窓から見える広がりのある空間のクールな雰囲気に対して、不思議な雰囲気をつくる。窓の向こうは青みがかったトーンで、シルエットのバックは黄金色のせいかもしれない。いずれにしても、ビルの内部の一隅に発見したシュールな光景である。

7室

 川嶌照代「待つ(ウィーンの街角)」。白馬が二頭、こちらのほうを向いて立っている。後ろに客車があるから二頭馬車であり、御者が屈みこんで、その客車の足を置くところに座っている。後ろにも馬車がいる。古いウィーンのビルが背後に見える。舗道には乳母車を押してくる人がいて、その後ろにも馬車がある。すこし肌寒いような雰囲気のなかに待っている二頭の馬の表情。一頭は鑑賞者を見、一頭は頭を垂れているが、そんな様子が旅の時間のなかに浮かび上がりクールな情感が醸しだされる。

 加藤正男「刻」。古びた木箱の上に段ボールが置かれて、その上にヒョウタンやトウモロコシ、タマネギなどが盛られている。それらは赤味をおびた黄土色によって彩られている。実ったもの。実りののちにだんだんと朽ちていくもの。自然の収穫のイメージが神々しく描かれる。収穫の頂点から滅びが来るといった時間の性質もしぜんと感じられる。ねっとりとしたマチエールが色彩を生かす。

 くしださちこ「ファンタジー ・」。三人のピエロ。中心のピエロは大きく描かれ、後ろに象、横にシマウマがいる。空中ブランコが揺れ、オレンジ色の光や白い光がこのピエロに差し込む。このピエロは人生というものの象徴のように感じられる。悲しいことと嬉しいこと、ともにない交ぜになった人生の象徴のようにピエロが入れられ、そのピエロを荘厳することは、人生を荘厳することと共通のことなのだろう。クリアなフォルムを中心としたコンポジションの中に、空間が大きくとられ、その中にわだかまる光や光線に独特の温もりが感じられる。

8室

 小田柿寿郎「街」会員奨励賞。雪の積もった町並みが情趣豊かに表現されている。全体にすこし暖色が入っているようで、それが懐かしい。ところどころ湯気のようなものも噴き上げている。建物と建物のあいだの細い道が画面のあいだを縫っている。音が聞こえてくるような雪景に注目。

 富田徹「朝陽(ベネチェア)」。正方形の画面の左に運河を置いている。ヴェネチアの運河というと、路地のあいだを曲がりくねって流れているイメージがあるが、この運河ははるか向こうまで一直線で、両側にゴンドラが繫留されている。そして、そのはるか向こうから日が昇り、空はオレンジ色で、そのパースペクティヴの消失点に向かって両側の建物も遠近感が強調されながら描かれている。それが実に不思議な味わいである。曲がりくねったヴェネチアではなく、時のはるか向こうからこだまするように現れてきた周りの建物や光景のように感じられる。ゴンドラには人はいない。無人の船である。船は向こうを向いているが、その先に何があるのか、といった雰囲気。向こうにあるもう一つの世界が、運河を通してあらわれてくるようだ。ノスタルジーと同時になにか未知のもののイメージがあらわれているように感じられるところが面白い。

 浜野洋一「薄暮紅一閃~日御碕灯台~」会友秀作賞。夕暮れに灯台の上方に光が灯っている。背後は海と空。手前には雑草と岩の様子がクリアに描かれている。カモメが空を飛んでいる。ミステリー映画のあるシーンのようなあやしさである。いずれにしても、風景のそれぞれをきわめてクリアに描き、それを薄暮の中に統一し、カモメを飛ばし、屹立する灯台の中に赤い色を入れるといった、そんな劇的なシーンが鑑賞者を引き寄せる。

 鈴木幸夫「修羅の妄執(船弁慶)」。「船弁慶」は能の演目で、義経が頼朝に追われてからの場面である。静御前との別れのシーンを思わせるような女性の面をつけたシテ。後ろに薙刀を持った弁慶が亡霊のように立ち、月が浮かぶ。弁慶はいわば義経の守護神のような存在で、そんな弁慶の姿があやしく背後に浮かび上がってくるように描いているところが実に面白い。それに対して下方の若い女性の面をつけたシテのもつ哀愁に満ちた表情。また、衣装の赤い色彩が深いパッショネートな感情を暗示する。月は、時の推移を表すようだ。見事な構成である。

11室

 吉實昭子「夏の夜の夢」。高速道路が光の渦になって続く。そばにビルが見え、ポスターが見える。そんな都会を背景にして、ショールをまとった、ほとんどランジェリー姿の女性が座っている。しっとりとした女性の表情にはエロティックな雰囲気が漂う。若い女性のもつエロスと都会のダイナミズムが対照される。よい香りのするような、そんな悩ましいエロスが漂っているところが魅力。

 小川慶三「薫風」。雑木の中に道が続いている。その雑木の一本一本の樹木の形を捉えている。その連続によって独特の生気が生まれる。

 金愛子「積雪」。塗りこまれたトーンが独特の輝きを見せる。グレーの中に黄土や緑の色彩が入れられている。雪の積もった田圃の向こうに民家がある。そして、その後ろに山が迫り、山の向こうに高い富士のような山が聳えている。雲も空も全体がグレーに染められているが、その中に微妙なトーンの変化があり、温もりが生まれ、遠近感があらわれ、フォルムがあらわれる。水墨の世界を油彩画で重厚に描き起こしたような表情に注目。

 杉原孝芳「出雲冬日」光陽会賞。棚田がだんだんと遠景に続いて、そのいちばん高いところに針葉樹らしきものがシルエットとして立っている。両側には雑木が茶褐色の葉を茂らせて立っている。あいだに雪が白く輝く。雲も鉛色のようなグレーの調子。その中のひんやりとした地面のもつ表情が実に懐かしい。大地が静かに奥深いところで鼓動しているように表現されている。雪の積もった様子も魅力だが、その奥にある大地の温もりが描かれ、大きな空間の広がりがあらわれている。そこには出雲独特の神話的な強い気配も感じられる。

 吉田高行「天空に夢を求めて」。サグラダ・ファミリアは未完成に終わった。天空に向かって伸びながら、独特の有機的な形をもつサグラダ・ファミリア。ガウディの人生は世評を無視して自分の夢に捧げた一生であった。この作品はサグラダ・ファミリアの建物をシルエットの中に描いて、そんなガウディの強い欲求の表徴のように表現している。四本の塔が天空に向かって伸びている。天の一角に向かって建物全体がまるで三角形のフォルムとなり、一点を目指して伸びていくといった動勢が感じられる。それに引きずられるように、そばのマンションのような建物さえも傾いている。そして、三棟あるその集合住宅のいちばん向こうの建物が白く輝いているところが面白い。その遠景の集合住宅が白く輝いているところにガウディの精神がそこを照らして、そのような表情を与えるといった、実に微妙で優れた脇役としての効果を上げている。画家の視点は低く、かなり後方に立って、地面の上に立った視点からこの情景を眺めている。その視点から見えるところの低い樹木、あるいは道の様子といったところから、このガウディの建築の大きさがあらわれる。いずれにしても、シルエットの中に奥行きのあるこのサグラダ・ファミリアは、須田国太郎がスペインで描いた光景とどこか重なって見える。須田国太郎はスペインに留学して勉強したが、その結果、東洋の陰影のある表現をスペインの奥行きのある造形空間に重ねた。そんな須田国太郎を慕う画家が須田国太郎の目を通してサグラダ・ファミリアを眺めているところがあるように感じられるところが面白い。ガウディの夢そのものの建物が不思議なシルエットの中に、奥行きをもった幽玄の気配のなかに描かれているところが面白く感じられる。

 山田敬三「西新宿夕景」。高層ビルが立ち並ぶ西新宿。そのビル群の手前を電車が窓を光らせながら動いている。その下方は暗い調子になって、いちばん近景にもっと低い建物が浮かび上がる。全体にすこし沈んだブルーの中に捉えられ、空がすこし残照に染まっている。無機的な西新宿の景色ではなく、そこに一人一人の人が暮らしている様子がしぜんと感じられる光景である。それがこの作品に懐かしさを与える。

 大野起生「静寂な刻」会員奨励賞。工場がまるで生き物のように描かれている。巨大なタンク、太いパイプ、梯子、クレーン。そういった要素がお互いにからみ合いながら茶褐色のグラデーションの中に表現される。一部に光があたっている明暗のグラデーションに深い感情が投影される。

 石井節子「望…(明日への光)」。横長の画面の下方に建物が青黒いシルエットとして描かれている。あいだに高速道路が一部光って見える。画面のほとんどが空で、空がピンクに赤く、あるいは黄色に輝いている。夕焼けのように感じられる。そして、そこから青い鳥が不死鳥のように飛び立っている。黄色やピンクの中からエメラルドグリーンをすこし落としたような鳥の表現がロマンティックな味わいを釀し出す。

 佐藤好子「天涯の地」会員奨励賞。人間的な気配が画面全体に漂っている。丘の上に建物があり、建物はだんだんと下方になるに従って、ダウンタウンのような生活臭に満ちたような雰囲気があらわれる。そういった街全体を一つの塊の中に表現する。独特のたらし込みふうなトーンによる表現に注目。

 関島雄一郎「復興の光を求めて」。ドラマティックな画面である。背景に三つの建物がだんだんと後退しながら現れている。壊れた建物で、窓がなくなり、階段も途中で壊れて、まるで骸骨の眼窩のような趣である。そばにもっと低い建物があるが、同様である。近景に葉の落ちた裸木が枝を広げ、その枝の一つにカラスがとまり、前後にカラスが飛んでいる。また、前述した建物の背景にしても、二羽の鳥が前後し、遠近感を異にしながら飛んでいる。まさに左上方から差し込む光がこの作品のポイントとなっていて、その光の方向に鳥が飛んでいる。裸木が新しくよみがえる命の象徴のように捉えられている。無機物としての建物は崩壊したが、有機物としての樹木は、腰は低いけれども、枝をしっかりと広げて、やがて葉をつけるに違いない。樹木が生命のメタファーとして入れられ、希望に向かって、量感のあるカラスが飛んでいるというコンポジションは、鑑賞者の心を打つものがある。

第99回光風会展

(4月17日~4月29日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 青栁泰生「記憶の祭壇」。フローリングの床の上に大きな箱がある。その上に昔のポンプのようなものが接続されている。背景は丘で、丘の上に建物がある。箱の周りに蔓のような植物がある。箱の中にあるのは記憶なのだろうか。記憶のボックスを中心に置いて、その記憶に向かうスタンスを蔓で表現し、丘の上にある建物はその中のメインの性質のものだろうか。そういった寓意性がしぜんと感じられる。静物と風景を組み合わせながら、記憶というものの不思議な性質を表現しようと試みる。

 河内八重子「ハニワの棚」。ボックスの中でいちばん大きなものは巫女の埴輪である。そばに儀式に使われるものとか、家の埴輪であるとか、あるいは腕に巻く装身具などが置かれている。点描的な技法によって、強い心象表現になっている。二年前の東日本大震災の出来事はいまだになまなましい。そのレクイエムと未来への希望を巫女の埴輪を通して表現しているように感じられる。画面全体は青いトーンの中に表現されている中に、茶褐色の巫女の埴輪が太陽を中に入れこんでいるかのような雰囲気で描かれている。画家は埴輪を描きながら内向して、その中に日本人の素朴な純なイノセントなイメージを表現する。

 堀研一「小休止(ZONE)」。ひと一人入りそうな大きなトランクの上に腹話術師のコートが置かれ、そのそばに人形が座っている。背後に腹話術師の代わりに首のないマネキンが立つ。フローリングの粗末な床。哀愁が漂う。腹話術師の代わりにマネキンが腹話術師の人生を語っているような、切ない趣が感じられる。一つひとつのもののディテールを舞台の中の小道具のように使いこなして、腹話術師の人生を語る。

 伊藤寿雄「母の像」辻永記念賞。車椅子の母。八十歳を過ぎているのだろう。道路の上にいる。それを上方から眺める。その視点から現れてくる母の姿。視点をすこし変えることによって、対象をすこし突き放す。神がこの女性を見ているわけではないけれども、そのようなニュアンスがすこし引き寄せられている。四分の一が神の目で、四分の三が人間の目といった、そんな視点のもつ力が車椅子に座る女性の姿を輝かせる。

 高山博子「灯」損保ジャパン美術財団賞。子供を抱える母親。若い聖母子像といった趣。背景に蓮の葉が緑や青に描かれている。そばに満月が下りてきている。満月の中に一人の女性がいて、両手を広げている。この女性は画家自身を投影した存在のように思われる。来迎図は満月と阿弥陀如来が重なった平安、鎌倉時代に現れた日本の仏画であるが、同じようなイメージのもとに、画家自身を投影したもう一人の女性が月を背景にして、この母と子を慈しんでいるような、そんなヴィヴィッドなイメージが面白い。油彩画でありながら、大胆に金を使う。金のもつ抽象的な聖性ともいうべきイメージが画面の中に引き寄せられる。

 米澤玲子「人形劇・幕間」光風会会員賞。左上方に操り人形が五体置かれている。王、妃、道化師、少女、青年。そして手前の椅子に女性が座っている。背景は青い色彩で、それは水のようにも海のようにも空のようにも見える。渾沌としたイメージの源泉のようだ。人間は社会的衣装をつけて、ある意味で日々、劇の一つの役割を演じているのだろう。そして、一人になると、そんな社会的な衣装を脱いで物思いに沈む。そんなシチュエーションを画家は描いたように感じられる。社会的衣装は操り人形によって表現し、衣装を脱いで物思いに沈む女性が手前の素朴な木の椅子に座っているようだ。そして、渾沌とした青い空間がゆったりとしたなかに不思議な深い表情を表す。その青の中の向かって右側に黄色い色彩が朝の曙光のようなイメージを醸し出して、それが希望を表現するようだ。

 井上美知子「Shadow」光風会会員賞。工事現場の一部のような場所をモチーフにして、光と影のドラマをつくる。そこにあらわれてくる梯子や台や柱や階段などのディテールの面白さ。工事現場の一隅が、そのまま画家の掌の上に置いて見るようなクリアなかたちで画面に置かれる。そこに引き寄せられた光が不思議な輝きを放つ。

 粕谷邦男「パレードへ」田村一男記念賞。太鼓を叩く三人の楽隊。その後ろに二人の人間がいる。五人のパレードの中の一行を、一つのモニュマン的なかたちで表現する面白さ。

 早崎和代「ジゼル・飛翔」光風会会員賞。アール・ヌーヴォーふうな模様のある黄金色のクロスがテーブルに掛けられ、その上に横になったヴァイオリンと弓、立て掛けられたヴァイオリンが置かれ、背後に星座が引き寄せられる。「ジゼル」はバレエの曲であるが、そのバレリーナを描かずに、この静物によってそのイメージを画家は表現する。羽が上方に一つ、空中に浮遊しているのは、そのバレリーナを象徴するようだ。

 中土居正記「再生・water」。日本画と洋画のクロスする世界を思う。バックは緑のほとんど無地の色彩で、暗い緑と明るい緑が独特のグラデーションの中に使われている。右下から左に向かって旋回するようにだんだんと明るくなっている。その動きに沿うように、下方から三人の女性が同じ衣装を着て、座り、あるいは立っている。座るポーズから立つポーズへ、暗い緑から明るい緑へという二つの性質が呼応しながら、再生のイメージを表現する。また、三人の女性のディテールがしっかりしているところが、この作品のもう一つの魅力である。

 西房浩二「Marta」。空が約三分の一、水が約四分の一。水の右側は砂地で、船がそこにすこし引き揚げられて、湾に沿って遠近感のなかに連続している。同じように、建物が右から左に向かって小さくなっていく。そこに光が当たり、陰影をつくる。画家はトーンに対してきわめて鋭敏な感覚をもっているが、そのナチュラルさを生かしながら、なおかつ一つひとつのフォルムを浮き立たせるように構成しているところが面白い。それによって通常の肉眼では見えないようなクリアな形が浮かび上がり、その連続性の中にリズムやメロディといった性質が生まれる。船と建物の呼応するそのクリアなフォルムの連続性に対して、それを映すさざなみの水の様子と空に浮かぶ雲が取り巻いて、柔らかなかたちでフェードアウトしていく趣である。構成上の工夫は、建物の背後にグレーのシルエットふうな無地の明暗の建物を置くことによって、よりこの街の量というものが生まれてくる。そのグレーの形が画面の中ほどから立ち上がり、側面には時計が置かれ、構図の中心の性格をなしているが、それはグレーの明暗の中にあって、画面の中であまり主張しないように置かれながら、構図の中心となっているという、実に入念な考えられたコンポジションである。そして、現実の風景が夢の国のようなイメージを獲得する。

 因幡誠「不確かな記憶」。女性が立って、上を向き、左手を口のあたりに、右手を左肩に置いた複雑な動きをしている。なにか悩ましい雰囲気である。パントマイムでもって、無言であるメッセージを発信する。それがそのまま絵画的に表現される。

 児島新太郎「夢の跡」。黒いワンピースにグレーのコートを着た女性が立っている。それを側面から描いている。足はストッキングのままで、全体にグレーの中に表現されて、肌が静かに輝く。バックは雪が降っているようなモノトーンの空間。そこにひっそりと立つ女性の力を画面の中に引き寄せる。静かな無言の女性のモニュマンといった趣が興味深い。

 大谷喜男「路」。縦長の画面いっぱいに象が描かれている。象の重量感のあるフォルムを、しっかりと描いている。その手前にピエロが立っている。ピエロは上半身が画面に入れられ、遠くを眺めている。ピエロのフォルムと象の全身とが強くコントラストする。ピエロの両手の指がぎりぎりに画面の下辺に入り、左手はすこし切れている。その手の様子と、象の鼻を垂れて遠くを眺めているような雰囲気、その象の手や足のフォルムとこの人体のピエロの手の表情とが、お互いに呼応し合っているようだ。「路」という題名で長く描いてきた。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」とうたったのは高村光太郎である。その路の性質がこれまでになく重量感をもって迫ってくるといった趣である。過去が圧倒的な存在として象の姿を借りて、ピエロの背後に立つ。

 遠藤原三「流離」。妖精のような女性が座っている。その横から見た姿に繊細なニュアンスがある。花飾りをうなじの上につけている。そばに白い鳥、卵、切られた林檎、メトロノーム、手紙、波のような不思議なフォルムが寄せ集められていて、全体が白く漂白されたような趣である。時間が消えて、あるヴィジョンが女性のフォルムに結晶する。そこにあらわれてくる強い浪漫性ともいうべきものが魅力。

 日野功「春が来て、川沿い。」文部科学大臣賞。中国のある光景である。川沿いの建物に錆びたトタンの屋根がつけられ、その下に洗濯物が翻っている。漆喰と思われる壁は時間のなかに風化している。時間がこの建物にじわじわと浸食してきているようだ。下方には水が流れているのだろう。そこに浮かんでいる木材の断片。その水際に萌える草。ベージュのトーンの中に洗濯物と同じように生きているものの存在がところどころ置かれ、小さなものの中に命が宿っているように感じられる。その小さな命は、この粗末な建物の中に暮らしている人間のことでもあるだろう。洗濯物がすこし風に吹かれて翻っている。その風のように時間がまたこの建物に浸透しながら、建物を徐々に崩壊の方向に向かわせる。そういった時間というものが表現されているところが、とくにこの作品の優れているところだと思う。

 西田陽二「シノワズリ」。朝鮮のものと思われる漆画のある衝立の前に女性が座っている。白い頭飾りと首飾り、白い上衣、白いスカート。床には白い布が敷かれている。画家は白を偏愛し、白によってフォルムを追求してきたが、だんだんとそこに色彩があらわれてきた。今回も白い上衣の下にピンクの衣装がつけられているし、手前にピンクの牡丹の挿された花瓶がある。また、後ろの朝鮮ふうの衝立の黒いフォルムの中にピンクによる鳥や花が描かれている。白とピンク、そして無彩色のグレーが配置される中に、女性のもつ生命感がしっかりと引き出される。フォルムの強さを追求するところから始めて、そこに血管が通り、色彩があらわれてきた。

 西田伸一「想春」。黒いセーターに黒いスカート、黒いストッキングに黒いブーツ。黒づくめの衣装の若い女性が立っている。スカーフだけが青やピンクの入れられたカラフルなものである。バックもグレーで、彼女は台のようなものに立っていて、そこもグレーで、左足がその台からすこし前に出ている。そばに白い菊の花が一輪置かれている。繊細な味わいである。幽玄な趣は、この女性の顔に能面をつけると能舞台になるかのようなあやしさである。上方に半円形のフォルムが現れている。月を思わせる。外形を描写しながら、実は内側からこの女性を描こうとしているかのようなところが、不思議なリアリティをつくる。微妙な、実に繊細な世界。その女性のもつ様々な心象を内側からつかみ、それを外側から一見客観的に描こうとしているかのような、そんな微妙な気配が鑑賞者を引き寄せる。

 渡邊裕公「光彩奪目」。花柄の袖のないワンピースをまとった女性が立っている。女性は十五、六ぐらいの若さで、ふっくらとした雰囲気で、そのまま若い命を輝かせる。背後に三十三間堂の千手観音のようなフォルムが立ち並んでいる。千年、二千年の時間を過ごしてきたかのような千手観音たちと、今、十数年生きてきた女性の時間とが対照される。しかも、千手観音はそれぞれに祈っている。それによってこの少女を慈しみ、少女の命を支え、鑽仰しているような雰囲気のあらわれているところが興味深い。ボールペンによる特異な表現であるが、油彩画以上にトーンの変化やボリューム感をつくりだしているところに感心する。

 石田宗之「遊於樹下世界」。曼陀羅ふうの文様の上にピンクの布が敷かれ、そこに少女が横になっている。正確には肘をつき横座りといった雰囲気で、手に白い球を持っている。量感をしっかりと描いているところが、独特の存在感を示す。そして、グレーの中にピンクがある強い感情を表す。グレーとピンクによる曼陀羅的な構図によって、少女が現実の世界の住民であると同時にもう一つの世界の住民であるかのごとくイメージを表す。

 吉引邦子「訪れ」。昔ながらの木の引き戸がすこしあけられて、その向こうに桜の花が咲いているのだろうか。春の景色のようだ。そして、土間に少女がいて、戸外を眺めている。手前にはこの少女のおままごとの道具が置かれている。懐かしい光景である。それが柔らかなハーフトーンの中に色彩によって表現される。

2室

 橋浦尚美「Dialogue」。タイトルは対話という意味である。ソファにゆったりと座る青い服を着た女性。後ろには同じソファに同じ女性が眠っている。女性の目覚めている時間と眠っている時間の二つの姿が対置される。背後にヴェニスの運河があらわれ、その向こうに建物の壁が見え、橋があらわれる。画家は文化庁の在外研修で海外に行ったが、その時のヨーロッパのイメージがそばにあらわれる。日常の生活のなかの壁が壊れ、記憶の世界があらわれる。その記憶の世界を見ているのは、目覚めている女性か眠っている女性か。そんな時間とイメージの交差する世界を画家は構成しようとする。

 青栁敏夫「そよ吹く風」。夕闇のようだ。上方に葡萄が房をつけている。下方に昼顔のような花が咲いている。そして、葡萄もそうだし、昼顔もそうだが、蔓が伸びている様子が画家のイメージの血管のように感じられる。外形を描写しながら、画家は静かに瞑想の世界に入っているようだ。背景の上方に建物のあるゆるやかな丘もそうだが、そこに道が複雑なかたちをつくりだしていたり、それぞれの風景のものがグレーの輪郭線によって囲まれているそのフォルムも、風景の中に通っていく血脈のようなイメージである。風景と画家とがその不思議な血管の中に同化し、主体と客体とが渾然と一体化するなかに生まれた不思議な表現のように感じられる。

 迫田嘉弘「白い町」。ピンクを帯びたグレーの壁が上下につながっていく。その中に窓が穿たれ、長い歴史の層があらわれる。そんな光景の中に、いま使われている素朴な民家が描かれ、赤茶色の扉が画面の焦点のように置かれる。歴史と今という二つの時間がそこにコントラストされる。

 森康夫「道」。道に轍の跡が繰り返されて、黒々とした地面が浮かび上がって、蛇行しながら向こうに続いている。両側にほとんど垂直に立ち上がる樹木が並んでいる。雪景色である。しっとりとした情感のなかに風景と記憶がクロスする。

 卜部俊孝「画室」。黒褐色のトーンでランプやボトル、コーヒーミル、グラス、鞄などが古いテーブルの上に置かれている。手前の小さなテーブルの上にも置かれ、椅子の上にもある。褐色の中にもののもつ歴史と手触りが表現される。古びたものたちが集められ、会話をし、独特の空間をつくる。

 中野雅友「酋長」。アイヌの酋長の肖像画と言ってよい。槍を持ち、頭の上に鳥をのせて弓を持ち、毅然としたアイヌの酋長である。アイヌは自然とナチュラルな深い関係をもった生活をしてきた。そういったアイヌの人々の生活や心象や心や時間が、このアイヌの酋長のモニュマンの中に集められ、表現される。また、顔と手をすこし大きく描いて、一種のモニュマンをつくりだしているところにも注目。

 武石英孝「理科室」光風会会友賞。理科室の前にセーラー服の女性が本を広げている。手前には剝製の鳥と古代の生き物を思わせる骨。細長い円筒形のホルマリン漬けの中に蛇がいる。理科の実験室の中には、いわば地球の命の連鎖が表現されている。それらに囲まれてセーラー服の十代の女性が佇む。十数年の人生を生きてきたこの女性の周りを様々な時間が取り囲んでいる。そんな雰囲気だが、それをクリアなそれぞれのフォルムによってしっとりとした表現にまとめている。

3室

 町田博文「モントロ耀映」。背後に白い建物群の中に浮かび上がる教会などのある風景が広がり、それを背景にして紫のロングドレスを着た女性が座っている。ヨーロッパの歴史のある風物を背景にした女性像である。まるで歌劇のイメージを一つの肖像ふうな風景の中の女性像の中にまとめあげたような世界。

 野崎義典「夏の終わり」。砂浜に花やサッカーボール、流木、様々なものが置かれていて、それを背景にして少年が空を眺めている。その背中が描かれている。黄色く彩色された雲が、空を背景にして浮かび上がっている。生命盛んな夏が終わり、やがて寂しい秋が来る。そんな時のはざまの季節を少年は眺めている。同時に、あの激しい被害をもたらした津波の跡のようなイメージも感じられる。砂と砂の上に置かれたものと少年によって複雑なイメージを表現する。砂がまるで人間の脳のコンディションのような、柔らかなイメージを発信する。

 橋本一貫「時」。ギリシャの神殿の柱のみが描かれている趣である。垂直に立ち上がっていく六本の柱のそれぞれの姿が迫ってくる。一部剝げたり欠落したり、あるいはそれほど損傷せずに立ち上がっている柱。上に台を置いている。不思議な韻律がこの柱から感じられる。

 池山阿有「炉ばた」。達磨ストーブの上に薬罐が置かれている。そばに、肩に手拭いを置いて高齢の女性が座っている。その女性の顔がまるで仏さまの顔のような慈愛に満ちた表現になっている。画面全体は茶褐色、あるいは青みがかった、あるいは黄色みがかったグレーのトーンで、様々な色調のトーンが重なりながら、この独特の背景の空間をつくりだしたように感じられる。そして、薬罐から湯気が立ち上っていく。上方には障子がまるで慈光のように輝いている。そんな中に、イコン化されたような日本の老いた女性の姿。それは祖母の顔でもあるし、年とった母の姿でもあるだろう。懐かしい顔が浮かび上がってくる。

 杉山吉伸「白い時刻(裂)」。黒と白を縫い合わせたようなクラシックなレースのある衣装を着た女性が椅子に座っている。それを斜めから描いている。後ろの棚に肘を置いて両手を寄せている。肌が不思議なグレーで、あやしい魅力を醸し出す。それを黒と白のレース状の服がリフレインしていく様子である。コンクリートの壁が、この強い女性のイメージによって溶解し、もう一つの世界をその壁のスクリーンに映し出しはじめるかのようだ。棚の上に白い鳩の置物があって、その鳩が後ろを向いて、この女性を眺めている。女性のもつ命はそのまま一種の官能性を帯びて、エロスとしてあらわれるようだ。そんな強いイメージを見事に画家は表現する。室内の密度がだんだんと増大して、ちょうど水滴があらわれるように、一つひとつのイメージが姿をあらわし始めるかのようだ。そんな空間の密度と女性のイメージ。まるで室内で女性が雪女のようなあやしい美しさを獲得し始める現在進行形の姿を描いて、鑑賞者を引き寄せる。

 寺坂公雄「秋立つ山麓」。横長の画面のすこし右側に黄色く色づいた若木が描かれている。そばに小さな道が上る角度で描かれている。背後も紅葉したオレンジ色の色彩で、そばに黒い樹木や白い肌をした樹木が立っている。白樺だろうか。そして、近景には漆を思わせるような赤く色づいた葉が描かれている。日本は四季のそれぞれの表情が実に魅力的である。春の桜も美しいが、紅葉の景色はまた別種の魅力である。やがて葉が落ち、冬が来る。その前の命を燃やしているような紅葉の様子をこの中に描く。ある意味で葉を落として、いわば滅びる前の美しさは、新しく萌えいずる春の命と対照され、春以上の風情を醸し出すだろう。その風情は繰り返し和歌に詠まれてきたが、そんな様子をこの一つの画面の中に閉じ込める。そして、それぞれの木にはそれぞれの時間が宿っている様子で、それぞれの時間が集合しながら、まさに秋が立ち、命が燃えている様子が見事な色彩によって表現される。

 藤森兼明「アドレーション・サン・カルタンド」。教会の内部、金色(こんじき)の内陣を背景にして日本の女性が座っている。黒髪に白いワンピースで赤い上衣をその上にまとっている。背後がアーチになっている。その横もアーチ状の穹窿となっていて、上方に二人の聖人の像が見える。金を背景にしたこの黒髪の女性は、実に強い印象を醸し出す。周りの作品を圧倒するほどの激しい力が感じられる。金というもののもつ可能性を最大限画面に生かして、独特の装飾性と同時に、その金がそのまま教会の内部のフォルムを表す。いわば教会の荘厳する力を背景に引き寄せた人物像となっているところが面白い。女性はほほえんでいるようで、そのニュアンスもまたこの作品の魅力だろう。

 金山桂子「無花果皿のある静物」。中心に可憐な無花果の実のついた葉のあるガラス器が置かれ、周りを六つのガラス器が取り囲んでいる。そして、そばに画家のイメージがつくりだした葉が置かれている。それをグレーの空間が包む。グレーの空間の周りを黄色や柔らかなピンクのグレーが包む。静物を描きながら、画家は風景の世界に入っていこうとする。それは画家が生まれ育った瀬戸内海の白砂の浜であったり海であったり、あるいは夕映えであったりと、様々なイメージがその周りを取り囲む。ガラス器がまるでアラジンのランプのような働きをするのだが、そういったガラス器との対話による表現が面白い。

 根岸右司「風雪去る」。海に突き出た岬。その大地の様子を生き生きと描く。地面のもつ隆起しているところ、へこんでいるところ、起伏をもちながら海と接するその地面に雪が積もっている。寄せてくる波が白く泡立つ。へばり着くような民家が遠景に描かれている。柔らかな光が当たって、雪を照らしている。風雪去るという題名だから、いま風は収まって、穏やかな日和なのだろう。作品の魅力は、その柔らかな光に照らされた雪の色彩と同時に、地面のもつ、まるで恐竜のようなそのフォルムのもつ量感と遠近感である。

 長谷川仂「丘に吹く風」。近景から中景までは地面がむきだしになっていて、そのあいだに道が通っている。そして、その中景から遠景までは建物の集合である。白い壁が続き、そこに窓があり、様々な角度を見せながら家が続いている。遠景には、その建物の向こうに大きな鐘楼のある教会や宮殿のような建物などが褐色の中に浮かび上がる。色彩的には、その遠景の褐色と近景の地面の褐色とが呼応し、そのあいだの中景に白い建物が連続しているという様子である。それを一つひとつゆるがせにしないような正確さで描く。まるで画家自身がキャンバスの中にこの町をつくっているかのような、そんな緻密さである。緻密でありながら息苦しくない。それは全体のハーモニーのなかに表れる清潔な韻律の故だろう。ヨーロッパの教会を中心とした建物、街の設計を、この街をつくった人の気持ちになって、もう一度筆でそのあとを追っているかのごとき感がある。空は淡いブルーで、とくに教会や建物との境目あたりは柔らかなベージュを帯びていて、そこに希望のようなイメージが生まれているところも面白い。

 守長雄喜「かき打ち場」。近景は海の一部のようだ。水があり、そこに船が係留されている。その船から斜めにベルトコンベヤーが立ち上がっている。取ったカキを船から運ぶのだろう。その下に大きな箱があり、そこで作業をしている人。そして、その右斜めに向かう方向に対して、左斜めに向かうベルトコンベヤーが背後にあり、そこにも二人の人間が作業をしている。左のほうにも人間がいる。上方には建物の壁や窓が見える。カキ打ち場だから、カキの殻からカキを出す作業をしているところだが、独特の生気が感じられる。うずたかく積もった貝殻がほうぼうにあって、人々がそこで働いている様子が生き生きと描かれる。現実の風景がこのような様子なのだろうが、絵から受ける印象は、内界のなかの心の働きをこの人間たちによって寓意化したような、内的な力が感じられるところが面白い。独特の手触りのあるマチエールが、その静かに進行する仕事の様子を支えている。現在進行形のその時間の動きがそのまま画面の中に生かされているところが面白い。

 渡辺晋「木馬と子ども」。白い大きな鳥や馬の上に少女が乗っている。そして、そのものはメリーゴーラウンドのように回っていくのだろう。向こうに電車のようなフォルムがあって、そこに四人の母親や子供の姿が見える。グレーの色彩が穏やかで、独特のニュアンスを示す。メリーゴーラウンドの中の一情景を、時間軸を入れながら親密に表現する。とくにグレーに対して黄色い色彩が独特のニュアンスを醸し出す。

 西山松生「青天白雲」。一種の南画的な世界観を感じる。近景には大きな樹木がその枝を茂らせていて、画面の上辺や左辺を突き抜けている。その後ろにも太い幹から枝が伸びている。その下に人々がいる。絵を描いている人もいれば、子供と遊んでいる女性もいるし、運動している人もいるようだ。空は青く、雲は白く、葉は描かれていないが、赤や黄色、ピンクなどの色彩がちりばめられて、春の桜が咲き始めそうな雰囲気である。強い波動が画面の内側から聞こえてくる。その独特のリズム感がこの作品の魅力だろう。そのリズムの作り方が対象を再現的に描くのではなく、この風景の中に入りこんで韻律をつくるという方法が水墨的と言ってよい。木も人間も雲も同一の価値をもつ存在のように画面の中に描かれて、そのような世界観がまた独特の明るい生気を呼ぶ理由だろう。

 茶谷雄司「Adagio」。ゆったりとしたチェアに十代前半の少女が座っている。足を伸ばして、チェアの上のもう一つの低い椅子の上に置いている。白いカーテンの前にいて、柔らかな光が当たっている。この年代の女性のすこしアンバランスな身体の形を生き生きと表現する。

 佐藤淳「春の祭」。長椅子の上に花瓶に挿された薔薇や白い皿、すり鉢、籠に入れられたニンジンやキャベツ、カリフラワーなどがくっきりと描かれる。下方のフローリングの床には角の曲がった羊のような頭骨が置かれている。花が散る。一つひとつのフォルムがクリアで、柔らかな光線の中にそれぞれがある不思議な存在のように表現される。細密的な描写力のうえに立って、ある独特の時間のようなものが表現されているところが面白い。

 田所雅子「若葉の季節」。清潔な画面である。一人の女性を使って、ポーズを変えながら構成する。右のほうには、白いタンクトップを着た女性が手を上に伸ばしたり、背中を見せたりしながら、同じ衣装を着て立っている。左にその衣装を、すこし青グレーのワンピースに変えて立たせている。それによって、青春の歌ともいうべきイメージがあらわれる。背景はグレーで、オリーヴのような樹木が描かれている。未来にたくさんの希望のある若い女性のイメージを温かく優しく、谺するようなコンポジションの中に表現して好感をもつ。

 池岡信「里華の人形」。映画のワンシーンなどのポスターや雑誌の一部などを貼ったボックスの上に、この里華の人形が白い衣装をつけて枕に頭をのせ、体を傾けている。そばの紙袋から鶏の人形が浮かび、その上方に羊の上に乗った莵が現れる。画家は独り遊びをしている。画家の貴重な経験をした映画や雑誌、あるいは身辺の玩具などを集めながら、それらのイメージのなかにこの人形を休ませている。そして、その人形を通して、誰のものでもない、画家自身の空間をつくる。その夢想的なロマンティックな雰囲気が不思議な魅力を漂わせる。

 本山二郎「La Primavera(ラ・プリマヴェーラ)」。室内に三十代と思われる女性が立っている。その全身像が描かれている。窓の向こうに戸外の陽光の差す光景が見える。外側から来る光と室内の光源によって照らされた光とがコンフューズしながら、独特の新鮮なイメージをつくる。光の魔術と言ってよいかもしれない。その光の中にすっと立ち上がる女性の強いフォルムと、その立つということの動勢ともいうべきものが表現されているところが魅力。

4室

 坂手得二「夕・牛窓」。瀬戸内海が夕方の光に白く黄金色に輝いている。いくつもの島や岬が遠近感の中に描かれ、空気の中にすこし霞んで見える。そんなうっとりするような背景の前に、山吹色に紅葉した樹木と手前のオリーヴの木が光の中に輝く。オリーヴのすこし青みがかった様子の中にボリューム感や色彩を画家は発見する。複雑な色調は背後の瀬戸内海を染めた色彩と呼応する。そのあいだに燃えるような山吹色の葉の色彩が実に強い印象を与える。まるでそこに夕日が下りてきて内側から輝かせているような、そんなイメージに鑑賞者は引き寄せられる。

 稲邑嘉敏「田園」。枯れた田圃。何も植えていない畑。茶褐色の雑草が茂っている中にところどころ水たまりができている。その水たまりのもつ触覚的な表現が周りの茶褐色と呼応しながら、懐かしい日本の農村の景色を浮かび上がらせる。どこか水墨画に通じるような豊かなイメージに注目。

 福島隆壽「瀬戸内海 '13 啓示」。帽子をかぶった老人が椅子に座って、目を見開いて、両手を前に置いて、硬直した様子である。両手のあいだに何か不思議なものが見えるのだろうか。もっとも目は、手のほうではなく、遠くを眺めている。その後ろに天使が大きな羽を広げて下りてきている。動きをストップさせたようなこの老人の姿と、タイトルの「啓示」を読むと、死の予感がこの老人を襲っているのだろうか。日本には来迎図といって、阿弥陀如来以下の仏や天女たちが迎えにくる図があるが、ここにあらわれているのは、下りてくる天使である。その天使が緑色に染まって、一部茶褐色であるが、その緑と茶褐色の色彩は画面全体に使われていて、なにか神秘的なイメージを感じさせる。夕方の光が瀬戸内海を中心とした風景を染める。その中に訪れてくる啓示は何か。

 庄司栄吉「ヴァイオリン弾き」。ヴァイオリンを弾いている男。弓が斜めに伸び、ヴァイオリンの後ろが顎の下にあって、弾きながら、この男は目を見開いて宙を眺めている。その表情や全体の動きには強いものがある。九十を超えた画家の創作意欲が、独特の力となってこの音楽家の中に入る。目を大きく開いて宙を眺めながらヴァイオリンを弾く男の全体像だが、デモーニッシュな雰囲気で画家自身の自画像と言ってよいのだろう。周りの緑がかったトーンの中に青や茶褐色が塗りこめられて深い色調があらわれ、そのハーモニーには実に独特のものが感じられる。

 田中実「座像」。女性が座っている。赤やグレー、茶の縞模様のワンピースを着、オレンジ色の上衣を羽織っている。バックには植物の姿が線描きで描かれている。すこし彫刻を思わせるような卵形の顔や首。静かな中に優しいハーモニーが生まれる。

 酒井英安「猪苗代湖へ注ぐ川」。川の両側に樹木が立っている。川は樹木を映している。その様子には哀愁ともいうべき表情があらわれる。とくに水に映った樹木と両側に聳える樹木がお互いに呼応しながら、なにか謎めいた時間の中に人を引き寄せるようだ。

 大附晋「崖の教会と集落」。崖の上の教会。周りに緑の樹木が生え、下方に茶褐色の屋根をもつベージュの壁の建物が連続している。柔らかな青みがかったグレーの空。遠景のすこしくすんだ緑。画家独特の品のよいトーンの中に、音楽が鳴りはじめる瞬間のような、そんな風景が強い印象を持つ。

 瀧澤德「春待つ里」。まだ雪がすこし残っている風景である。画面の中景に道がすこし曲がりながら左右に広がっていき、その向こうにだんだんと地面が隆起するに従って家が並び、その上は低い丘のようなものになっている。雪の白やグレーの地面が雅やかなハーモニーをつくる。その中に点々と置かれた建物や樹木などが独特のメロディといってよい印象を与える。

5室

 木村のり子「枯れ葉のある一隅」。木製の箱の内部にランプが置かれている。外にはジーンズの上衣や剝製の鳥、白いほうろう引きのポット、枯葉。同じようなものが下方の床にも置かれて、そこには切断された枝もある。冬に向かう季節のなかに秋のものを集めて、温かな空間をつくる。それぞれのフォルムのディテールがよく表現されていて、全体でアンティームな雰囲気が漂う。

 鈴木義伸「朝宮」。樹木の大地に接する部分を面白く表現している。根が伸びている様子がリアルに再現的に表現される。全体にモノトーンで、ほんの一部彩色されている。生き物のように樹木の根が伸び、時に絡み合っている様子が、この作品の中に描かれ、一種シュールな味わいを醸し出す。

 工藤眞詞「啓蟄」。若い女性の全身像が画面のほぼ中心に入れられている。周りにはグレーや黄土などの色彩が置かれ、あいだに朱色が鮮やかに点じられている。女性のもつクリアな魅力的なフォルムとしての具象性に対して、周りはそれを荘厳するかのごとき抽象的な色面構成となっている。題名を見ると、冬がそろそろ終わり、春が芽吹いてくる時のときめきを、その背後の色彩で表したことになる。

 長谷川満智子「旅・冬の空」。壁に寄り掛かった女性像である。そばにスケッチブックの入れられた赤いバッグがある。フローリングの床の木目。面白いのは、その向こうが階段で、だんだんと下がるようになっていて、下がった部分の踊り場の空間の上方に窓があり、窓の向こうに裸木が見えることである。その窓の向こうの地平線から光が発しているような、独特の人々をいざなうような戸外の風景に対して、物思うような女性の姿が対照される。地味な色彩の中にバッグの朱色系の色彩が鮮やかな、しっとりとしたアクセントとなっている。

 鈴木英子「THE NEXT DAY」。中心に裸の不思議な妖精のような女性が水の中から立ち上がっている。その周りに駱駝や恐竜の子供のような生き物が顔を伸ばしている。手前にはライオンや莵がいて、花が咲き、大きなテントウムシもいる。画家のつくりだした生き物たちであり、それに自由な形を与える。イメージと形をつくる能力が実に優れている。中心は水のように描いているが、見ていると、雲の中からこの女性が生まれて、その周りに不思議な生き物が集合しているようなイメージもあって、静かな中に独特のファンタジーが生まれる。ライオンも莵も静かな目をして鑑賞者のほうを眺める。そのライオンや莵の目を見ていると、そのまま眠りに誘われて夢の中に入っていき、そうすると、このような女性や、二つのこぶが雲のようにも山のようにも見える駱駝などに出会えるような、そんなイメージの純粋な力を感じる。

 坂本直「茂み」。地味な作品だが、対象のフォルムをしっかりとつかまえている。近景の数本の樹木が立ち上がっていく。その幹に光が差し込み、白く輝いている。背後はすこし軽い斜面になっているようだ。手前の日の当たっているところからだんだんと奥に行くに従って暗くなる様子。そして、幹の上方には葉が茂り、緑の葉、褐色の葉などがあるわけだが、そんな自然の、おそらく公園と思われる一隅を一つひとつ丹念に描きながら、独特のリアリティをつくりだす。

 林可耕「訪れ・立金花咲く」。十代と思われる少女が肘掛け椅子に座っている。体を右にひねって、両手にそれぞれ小さな黄色い花を持ち、その花を眺めている。背後の棚には陶器や昔の俑のようなものがぽつんぽつんと置かれている。親密な気配のなかにこの十代の少女のもつ命の様子がよく表現されている。色彩的には花の黄色と上衣にわずかに入ったピンク色が、ときめきのような心持ちを感じさせる。

 西村満「廃墟の階段」。階段が向こうのコンクリートの建物の入口に向かって続いている。途中で踊り場になって、三つの連続した階段がだんだんと小さくなりながら、その入口に向かう様子が描かれて、不思議なリズムが生まれている。古い廃墟になった建物のもつ独特の気配に向かう階段の様子は、舞台に向かう橋掛りのようなイメージも感じられる。

 武田佐吉「古城と遺跡」。中庭に面した建物の入口で女性と男性が会話をしている。手前には城壁の上をスケッチブックを持って歩く人がいる。古城と周りの民家と人を点景として、独特の情感を醸し出す。スケッチと経験のなかから画面の中に新しく一つのシーンをつくっている。中世を思わせる街に現代の物語が静かに語られる。

 長岡一豊「馬乗り」。六人の少年が遊んでいる。木に肩を寄せた少年の股に頭を突っ込み、後ろの少年も同様で、そして、その少年の上に乗る少年もいたりして、数十年前の遊びのシーンが描かれている。昭和三十年頃の光景のように思われる。そばにバラックのような木造の粗末な建物があり、画面全体に記憶のなかから余分なものが脱落して、イメージが純粋に立ち上がってきているような、イノセントな雰囲気が面白い。長い影があるから、夕方の頃の光景だろう。六人の柔らかな体が集まって、なんともいえない、やるせない雰囲気があらわれている。それぞれのディテールが無言のなかに語りかけてくる。

 渡部かよこ「おだやかな街」。俯瞰した構図で、ある街の様子を描いている。近景には褐色の瓦の置かれた建物が集合している。近景はその屋根のみで、その向こうにすこし壁の見える建物が続く。その向こうは道になっているようだ。そして、道の向こうには白い壁のある建物が続き、その上方の屋根が視線の動きによって小さくなりながら変化していく。そんな中に教会があり、塔が見え、それがこの全体の構図のポイントとなっている。基本的には直方体の建物を組み合わせながら、高低の差があらわれ、その集合に独特の音楽性ともいうべきものを引き寄せているところが魅力である。この古い建物の集合体から、クラシックなメロディが聞こえてくるような気持ちになる。

6室

 髙橋恭子「花の頃」。花束を持っている若い女性が近景にいる。ちょうど膝の上あたりから下が画面下辺で切られていて、膝の上あたりから上半身が画面に描かれている。後ろは向こうの建物までは平地で、堅牢な中世風な建物がのぞく。その向こうには民家があり、低い丘のような山が見える。しーんとした気配のなかに深い精神性ともいうべきものが漂う。金髪の女性は目を見開いているが、視点は定まらないようで、花束を持ってぼんやりと立っている。周りのオーレオリン系の色彩が上品で、中に光が含まれているような様子で独特である。その広い平地に、二本の低い幹をもつ樹木が葉が重なった様子で立っている。そのペアの様子もまた暗示的な雰囲気をつくる。いずれにしても、女性とこの古い街の歴史とが対照されながら、深い生活感情、あるいは信仰ともいうべきイメージが立ちあらわれる。

 早渕輝視「人物」。スカーフを頭に巻いた女性が椅子に座っている。カラフルな色彩が魅力。ピンク、黄色、青、緑などの色彩が背景にも衣装にも使われて、全体でその色彩のハーモニーによって別の世界にいざなわれるようだ。あるいは、その色彩のハーモニーに独特の音楽性とも言ってよいようなイメージが生まれる。

 髙橋喜美子「春深む」。刈田に水がある。雨のあとの光景だろうか。しっとりとしたトーンの中に、刈田を中心とした道や畑に柔らかく植物が芽吹き始めている様子がハーフトーンの中に表現されて、自然が胎動を始めているようなイメージがあらわれる。自然のこの季節の微妙な気配をよく表現する。

 阿部香「パピヨン」。白い帽子に白いスカート、白い靴。白づくめの服装をした少女が室内に立っている。テーブルも白いクロスが掛けられている。周りにたくさんの大きな蝶が舞っている。夢の世界である。蝶が儚いもの、美しいものの象徴としてあらわれている。人生の猥雑なものを除外して、あるイメージのなかに起きる純粋なもののみでこの作品はつくられている。そのイノセントな雰囲気が魅力。

 大澤弘叔「遠い日(ガス放出塔)」。上方の六角形のように見える石造りの建物が不思議な印象である。中世の街に立つ建物のようなイメージがそこに引き寄せられているところが興味深い。

 興梠富士夫「道」。グレーの道が向こうに続いているが、途中で下降しているようで、その向こうに低い丘の斜面が見える。そんな大地の起伏の様子を面白く画面の中に構成する。草は枯れて、晩秋か、冬の季節のようだ。グレーの道に車の跡が見える。その轍がこの道の上を走った様々な時間のイメージを伝える。風景を通して、ある時間の堆積が画面にあらわれているところが面白い。

7室

 青木貴次「冬近し」。高低のある地面は砂が積もっているのだろうか。コンクリートの台の上に機械が置かれている。その後ろにはベルトコンベヤーが縦横に走った建物がある。背後は削られた山肌である。山から土を取る工場がいま稼働せずに描かれているのだろうか。黄土系の色彩の中に独特のニュアンスがある。そのニュアンスに対して機械のもつ独特の幾何学的な形が置かれ、長い時間がここで過ごされてきたといったイメージも浮かび上がる。

 田中基之「浜のおばあちゃん」。あねさんかぶりをした老齢の女性を近景に置いて、海辺で働く女性のモニュマンというか、イコン的なイメージが表れているところが面白い。周りの赤い色彩が夕日を思わせる。そして、左上方に浜に引き揚げられた漁船と紺碧の海が描かれ、空が黄金色である。最近、漁師の仕事も少なくなったようだが、海を相手に生活する人のモニュマンといったイメージである。赤い色彩の後ろ側に数人の漁師の姿が小さく描かれているのも、そのようなテーマを感じさせる。

8室

 入江康子「街角」。ショーウインドーの前に若い女性が立っている。白い帽子に袖のない白いブラウス、青いジーパン。清潔な佇まいである。遠くを眺めている。膝下から頭までが入れられているが、柔らかなカーヴの中にすこししなるようなかたちで女性のフォルムがつくられ、健康なこの女性の身体のもつ力が画面の中によく表現されている。遠くを眺めるその雰囲気と、後ろのガラス窓に映る横断歩道、その向こうに見えるマネキンに入れられた青、緑、黄色の服などが、心の内側で呼応するようだ。つまり、心の中のスクリーンのようなイメージを、背後のショーウインドーの中につくっているという構図も面白い。

 菅井隆吉「早春」。葉を落とした四本の樹木が枝を広げている様子があやしい。近景に太い幹をもつ老木があり、後ろに三本の、もうすこし若い木が描かれている。そばに小屋のような粗末な建物。遠景は葉を茂らせた灌木がシルエットふうに描かれている。木の周り、近景にある轍の跡。繊細な表現で、この裸木を取り巻く環境を静かに描きながら、裸木に人間と同じようにひとつの生きる姿を画家は表現する。中景に、黄色を混ぜたような若緑色の、野菜のような野の花のようなものがそっと置かれているが、それが繊細なアクセントになっている。

9室

 鈴木智子「気まぐれなビショップ」。明暗のコントラストの中に色面的に対象のフォルムを構成して、独特の動きをつくりだす。マネキンや馬の頭部の横顔、瓶などを白く浮かび上がらせ、バックはすこしトーンを落とした紫色、あるいは黒などを使って、ちょうど対象のフォルムをすくいあげ、そこに一瞬の照明を当てながら構成するような、そんな面白さが感じられる。色面と色面の韻律が生まれる。

 上遠野俊也「池塘・夏景」。雑草が生えているあいだに、小さな池のように水が広がっている。緑の雑草がシルエットになっているように感じられるほど、水は白く輝いている。同じような白が手前の小さな花にも置かれている。水が聖なる存在のように表現されていて、草木に仏を見るようなイメージのあらわれているところに注目。

10室

 渡辺惠子「水辺」。青い空間のなかに三本の樹木が立っている。その幹が白く描かれ、強いモニュマン的な力を醸し出す。コンポジションの面白さに注目。

12室

 北川紋子「霜月の譜」。褐色のテーブルの上に車輪、花瓶に入れられた花、大きなアコヤガイ、ドライフラワーになった向日葵などが置かれている。対象を再現的に描くのではなく、構成の中のフォルムとしてそれぞれを捉えながら、全体で強い生命的な韻律をつくる。水墨でいう破墨のような効果を油絵具によって表現しているところも面白い。

13室

 村上巖「海人の宿」。右が湾になっていて、そこに突堤が突き出ている。素朴な民家がそれを囲み、前に道がある。後ろに岬が伸びている。独特の色彩家で、そんな様子を一種の幻想風景のように描き起こす。夜の光景のように調子を落としたなかに、スポットライトを当てたように民家が浮かび上がるという構成も面白い。

13室

 青木廣光「余雪」。石造りの眼鏡橋がずっしりとした存在感をもって雪景の中に表現され、構成のポイントとなっている。背後の素朴な民家や茶褐色の雑木、山の斜面、手前の雪景といった過不足のない構図の中に、童話的な詩情が生まれる。

14室

 野中弘士「旧市街地」。マテーラをテーマにしたものだろうか。モノトーンの中に骨組みのしっかりとしたフォルムが連結され、強い構築力のある画面が浮かび上がる。

 松岡冨士則「新雪」。近景は水で、中景に雪をかぶった岸が描かれている。背後は山の斜面で、そこに雑木が生えている。岸の雪が白く輝いて、そのフォルムがしっかりと表現される。

 吉岡美智子「早春」。疏水のそばに小道があり、そこに桜が咲いている。周りに裸木が立ち上がり、背後に柔らかな緑の広葉樹がたらし込みふうに表現されている。周りからだんだんと攻めて中心の桜に行くという構図になっている。しっとりとした雰囲気のなかに静かに桜の花が輝く。

15室

 小森正業「羅漢の祈り」。前面に四体、後ろにももっとたくさんのフォルムがあるが、不思議な強さが感じられる。褐色の羅漢たちを、部分は省略しながら、大きなフォルムの中に捉えながら、強い韻律をつくる。

16室

 坂田快三「冬田」。枯れ田に水がたまっている。遠景に民家が見える。水彩画であるが、独特の豊かな情感が表れている。とくに今回は、水の中にもう一つの水が広がっているように、青みがかったグレーのフォルムが暗い調子の中に置かれていて、独特の味わいが感じられる。

16室

 吉田勝美「いきる」。クリアなフォルムが力強い。膝を立てて座った女性のピエロが側面から描かれている。タロットカードのようなものを手に持っている。前に水晶球らしいものがある。背後にインドの壁画やミニチュアなどからインスパイアされたようなフォルムが浮かび上がる。そこに風が吹いている。鑑賞者のほうをこの若いピエロは眺めているが、その全体のフォルムが力強く、衣装の赤い色彩が夕日のようなイメージで、ノスタルジックな感情を引き寄せる。

 稲用忠幸「浜辺」。浜に流木が横たわっている。恐ろしい津波がここにこのようなものたちを運んだのだろうか。嵐のあとの静けさのようなイメージを、しっかりと対象を描きながら、客観的な風景の中に表現する。

17室

 山田喜代子「ポスターのある画室」。しっとりとしたグレーのバックに白木のボックスがあり、その上にウイスキーの瓶などが置かれている。ポスターに女性の下半身と上半身が描かれる。ポスターの絵を見ると、なかなかドローイングする力があるように思われる。しっとりとした空間の中にポスターの中の人物のもつ動きと静かな静物の佇まいとが対照されて、独特の味わいが感じられる。

 河野とみ子「Forever(フォーエバー)」。しーんとした気配のなかに手前の室内に対して戸外の窓のある壁に向かう動きと空間があって、シュールな味わいが生まれる。絵具がよく画面についている。近景には黒いテーブルクロスの上に本が開かれ、後ろの棚には古いタイプライター、ピエロの人形、古い扇風機とガスランプなどが置かれている。柱時計は二時三十二分で止まっているようだ。劇的なテーマはないが、静かに回想的な物語が紡がれている。そして、イメージは静かに戸外に向かい、はるか昔に向かうような、そんな時間性も感じられる。

18室

 細川郁子「都市高速夕景」。夜の街の中をダイナミックに高速道路が走っている。そこに車もいるし、車の動いている様子をヴィデオで撮ると光の線となるが、そのようなイメージもそこにあらわれている。ストップモーションと長い時間との二つの時間が夜景の中にあらわれて、独特のダイナミックな空間を表現する。遠景の黄色い光が懐かしさを呼び、ビルの明かりがまた別の働く人のイメージを表すようである。高速道路の左下方に一般道の細い道があり、周りの看板などの光が見えているのも面白く、複雑な心象表現にもなっている。

 住吉由佳子「樹間」。太い杉の木のようなフォルムが左に二本、画面の上下を縦断している。右のほうにもっと若い杉の木の幹が伸びている。あいだにウルトラマリン系の青が置かれているのが、独特のイメージをつくりだす。その青い向こうに湖があるような、神秘的なイメージがあらわれている。上方には雑木が黒々とシルエットふうに描かれている。月光と思われる光が樹木に当たり、一部白く輝かせている。版画による大画面の中に、森のもつ神秘的な雰囲気が谺するように響いてくる。

 大上敏男「メトロ」。老楽士がヴァイオリンの弓を握りしめている。そして、顔を右に傾けて遠くを眺めている。上方に窓があり、そこから光が差し込んでいる。それ以外は暗い調子のなかに表現されている。老楽士の人生に対する深い感情があらわれている。同時にそこには画家自身の自画像ともいうべきものが重なる。ドラマティックな明暗の対比はバロックの絵画を思わせる。余命少ない老楽士のもつ存在感が静かに浮かび上がる。

 小林理恵「横浜夕景19・海鳥」。夕日が海を赤く染めている。同時に、その赤い色彩の中に光がきらきらと海を輝かせて、手前のほうに向かってくる。まるで光が妖精のようなものに変身しながら、赤い海の上を無数にきらめいているような雰囲気である。そこに海鳥が二羽、遠近感をもって飛ぶ。水平線の向こうに何かがあるような、そんな強い詩情があらわれる。オレンジ色の空に対して、赤の中に紫を入れた海の存在感が圧倒的で、そこに霊的とも言えるような不思議なイメージの光があらわれている。客観を描きながら、強い詩情の表現となっている。

 杉山靖恵「再生」。地面の上に小さな植物が繁茂しつつある。そこに光が差し込んで、きらめかせる。地面のもつ存在感、そしてオールオーバーな植物の表現。ユニークなコンポジションの中にささやかな命の復活を描く。

 大串悦一「穏やかな一日」。パステルによる表現で、風景のディテールをよく描きだしている。近景に笹が密集していて、その部分などの表現はパステルという素材を生かし切ったものだと感じられる。裸木が何本もその中から立ち上がり、中景には一部赤く紅葉した葉が見え、そのもっと向こうは谷になっているのだろうか。遠景の山の斜面のようなものが光の中に浮かび上がっている。そのあたりは空の光を受けた明るい調子で、近景のシルエットの表現と対照される。

 大久保佳代子「木漏れ日」。枯葉が地面に敷き詰められている。そこに少年が立って、俯いて手元を見ている。その少年の顔や手の指の表情など、ディテールが新鮮で繊細な表現になっている。また、斜光線が懐かしい気持ちに鑑賞者を誘う。

19室

 伊藤二三男「蒼い花嫁衣装」。青いワンピースに白いブラウスをつけた女性。薔薇の花束を持ち、頭には独特の頭巾をのせている。その全身像が描かれている。グレーの壁に、もっと濃いグレーの床。いわばモノトーンの中にこの女性の姿がくっきりと描かれ、強い印象を醸し出す。

 高木満智「岬の村」。暖色を使いながら、のどかな農村の様子を生き生きと描く。瓦屋根と木造の壁、そこに漆喰なども塗ってある。畑があり、あいだに犬がいる。上方を見ると湾になっていて、海が見え、山が見える。そういった様子を、いわば水墨でこれまで描かれてきた桃源郷ともいうべきものを、油彩画によってそのリズミカルな筆触の中に生き生きと表現する。

 古河原泉「華くぐり」。ピンクのワンピースを着た女性の上半身が描かれている。きびきびとしたフォルムが面白く、また、ピンクを生き生きと扱いながら、空の茜雲と呼応しながらロマンをつくる。

 緒方豊「刻」。赤子を抱く母親。独特の存在感がある。また、ドローイングの力によって一種の彫刻的な母子像となっている。

 松本信子「白い風の記憶」。上方に四つの集合住宅、あるいは近代的なビルのようなものが混在して並んでいる。その手前に高速道路のインターが描かれる。中心では二つの道路は接しながら、一つは上りで、一つは下りになるのだろう。そのあいだからももう一つの高速道路が見える。そんなダイナミックな曲面の集合と背後の直線による建物が対照される。上方から紙が散ってきている。その紙に画家自身の活動のことが書かれている。過去がその紙の中に表され、それが落下しつつあって、消えていくのだろう。そんな人間的な事実に対して、高速道路の無機的なダイナミックな動き、そして、直線による建物が対比される。都会のクールな環境と人間的な行為とが象徴的に対比され表現される面白さと言ってよい。

 山崎伸子「麗日」。紋付きの盛装した舞妓の姿である。黄金色の帯に黒い紋付き。また、裾回しの波の文様や鳥の姿が全体で豪華で、毅然とした雰囲気を表す。女性の顔も優しく、画家の心象を投影してか、上品な雰囲気であり、その顔のもつ独特の魅力が画面全体を統合しているようだ。色白で鼻筋の通った上品な顔立ち。いわば日本女性の典型的な、ある理想的な顔と言ってよいだろう。そして、窓の向こうに民家があるが、簾(ブラインド)が下りていて、そのスライドの水平の動きが独特の韻律をつくる。

 野末光子「私の部屋・春日」。黒いテーブルの上に和人形が立っている。そばに白い花が咲いている。招き猫や高坏に置かれた果物、瓶などがそばにあり、背後には時計のようなものなどが置かれているが、一部コラージュされていて、独特の詩情のある空間が生まれる。黒の扱いが面白く、黒に一種神秘的なイメージを与える。

 川又秀子「早春」。アール・ヌーヴォーふうな文様のある飾り窓を背景にして若い女性が立っている。黒い帽子にグレーの上衣、アール・ヌーヴォーふうなスカート。独特の美的なセンスが感じられる。また、顔や二つの手のフォルムが微妙な表情をもっていて、夢想的なイメージを引き寄せる。

20室

 尾関静枝「冬の日(会津)」。こんもりとしたなだらかなカーヴをもつ雪の山が背後にある。近景には疏水が流れているようだ。両側に樹木が立ち並んでいる。とくに近景の二本の裸木の形が面白い。幹から枝、梢にわたる形が、心の中に染みてくるような雰囲気である。いってみれば、この裸木に人間でいえばパントマイムのような表情を与えている。

21室

 嵐直勝「屋根(フィレンツェ)」。フィレンツェの街並み。とくに屋根を強調して横に四列並べ、あいだにベージュの壁と窓を置く。一種の抽象性のあるコンポジションで、全体にあらわれるリズムのハーモニーが心地好い。一種の音楽的な魅力と言ってよい。

22室

 西原さと子「午睡」。ソファに横になった若い女性。右足はソファのほうにあるが、両足をくの字形に曲げて、クッションに頭をのせている。柔らかなピンクやグレーのハーフトーンの中にまどろむ女性の姿を、妖精のように表現する。また、温かな空気が漂っていて、それが鑑賞者を引き寄せる。

23室

 内藤良子「モルダウ河畔」。下方に青い川がのぞき、上方に雪の積もった街が広がっている。鋭角的な屋根の形を集合させながら、独特の情感を漂わせる。

27室

 中島武「扉」。アーチにつけられたずっしりとした木の扉。そばの石のベンチに老人が座って、そばにバッグを持っている。老人の様子に独特のリアリティが感じられる。また、ねっとりとしたマチエールがこの気配を支える。

28室

 中川和子「シエナの休日」。若い母親とそばの三人の子供。後ろに石を積んだ塀。緑がかった青い空。静かな光線。日常的な光景が非現実の時間のようなイメージを引き寄せて描かれているところが面白い。

 山達雅美「花の香」。丸いテーブルに人形がいて、後ろに青い花瓶がある。その花瓶から薔薇の花がいくつもいくつも立ち上がって、画面の上辺をはみ出て描かれている。不思議な生気が生まれる。

30室

 粷谷直美「不思議の部屋」。「不思議の国のアリス」がテーマになっている。壊れた大きな時計の上に莵の耳をつけた少女が座り、莵の縫いぐるみを持っている。そばにもう一匹の莵がいて、少女と語っている。面白いのは、背後のアーチの下に背広を着た莵が背中を見せて向こうに行こうとしているところ。そのフォルムが、画面の要になっているという構成に注目した。

 福原昭子「坂道ありて」。画面の中心に石段が描かれている。途中で踊り場になって、三つのパートに分かれており、上方の石段を上る後ろ姿の人、中段の石段を下りてくる女性がそこに描かれている。近景の左に大きな樹木があり、右にショップがあり、ショップを見る人がいる。そういった街の一情景を淡々と描きながら、独特の気配を表現する。とくに中心に石段を置くという構成が優れている。

31室

 西田浩司「白昼夢」。シーツの上に横向きに体を曲げた着衣の女性が描かれている。シーツよりすこし浮いていて、落下しつつあるように表現されているところが面白い。落下の夢を見ているのだろうか。そのイメージを女性の体を通してパントマイムのように表現する。

 佐々木節子「ふるさと」。椅子に座った青いイヴニングドレスのような衣装を着た女性が、静かに遠くを眺めている。後ろが大きなガラスになっていて、その向こうに民家や山が見える。静かに瞑想するような雰囲気があらわれているところが面白い。

 堀越哲也「土の匂」。竹で編んだ籠に一枚の布が掛けられている。そばに倒れた裸木が梢を伸ばしている。背後のコンクリートの壁もすこし壊れ、それが後ろに堆積している。グレーを中心とした静かなトーンが魅力。竹籠に掛けられた白い布は淡いブルーを帯びた調子で、哀愁が感じられる。

 柳澤利光「自画像」。武闘家のような坊主頭の男性があぐらをかいて座っている。強い韻律が生まれる。

 川村寿一郎「躍動」。黒い大きな猟犬が二頭、雪の上にいる。その様子を生き生きと表現して、犬の息さえも感じさせるような臨場感がある。

 庄村純子「動物園・春」。二頭のサイを見る三人の子供。白い柵の手前にいて、背中を見せている。その子供のいたいけな形に対して、岩のようなどっしりとしたサイの形が対照される。コントラストの面白さと二頭のサイの形が生き生きとしているところに注目。

 髙柳惟「潮」。水平線が画面の上方五分の四あたりにあって、下方は海で上方は空だが、海の波の様子を丹念に描くことによって迫力が生まれている。複雑な水の動きを執拗に描いて、その海全体の大きな肉体のようなものが表れ、ディテールが謎めいたかたちで迫ってくる。

32室

 栁下義一「孟春」。女性が立っている様子が、膝頭の上から描かれている。背後のもあもあとした裸木の形に対して、スエードのような黒いコートを羽織った女性の姿が生き生きと表現されている。現実を描きながら、その内部に画家は深く入っていこうとするところが面白い。

 太田稔「復興の華」。巨大な花火がいくつも空に上がっている。その上がった花火の先が空から落下しつつある様子が周りに描かれていて、打ち上げた花火が開いて、その火が飛び散るまでの時間が画面に描かれているようだ。下方は海のようで、それを囲んで樹木や建物の灯が見える。静かに瞑想し祈りながら、画面の中に花火のイメージを浮かべて描く。その想念の深さが空間の奥行きを呼ぶ。

 岡部一成「母と子」。二人の兄弟の後ろに若い母親がいる。後ろには本棚、そばに机がある。それぞれのものを画家独特のデフォルメによって構成し、動きや密度が生まれる。

 坂口正弥「アトリエにて」。モチーフの静物を組んだ台を背景にして、青年が足を組んで座りこちらを眺めている。温かなベージュのトーンの中に、一つひとつのもののディテールをしっかりと追うことによってリアリティが生まれる。

 関河英幸「うす日」。斜面の上に針葉樹が数本立っている。斜面の手前には裸木が途中で切られた様子で傾いている。空に薄日が見える。一つひとつのものをそれぞれの位置に描きながら、静かな情感を生む。

 鈴木三枝「doll」。丸いテーブルの上に花の入れられた白い花瓶や鳥籠などが置かれているが、そばに紫の衣装を着た人形が座っている。周りが青緑色の中に紫の衣装や髪が独特のハーモニーをつくる。色調と空間に独特の性質が感じられる。

33室

 伊藤惠子「懐古の贈り物」。着物を着た和人形。後ろに古い簞笥がある。そばに鳥籠があるが、鳥はいない。温かな感情が感じられる。とくに赤い衣装を着た人形との関係が近く、人形は昔の物語を語り出すようだ。

 仲田洋平「分裂再生~真実~」。イヴニングドレスを着て椅子に座っているロングヘアの女性を横から描いている。その体や椅子が分解して、右のほうに破片が飛び散りつつある。題名のように、まさに崩壊と再生のイメージを絵画的に面白く表現する。

34室

 佐々木和子「冬の日」。テーブルに頰杖をついた若い女性。そばに黒い猫がいて、背後に湖が広がり、その向こうには民家と雪を抱いた山が見える。ロマンティックな雰囲気が漂う。とくに女性の妖精のような顔が魅力。

35室

 中野日和「皓の華」。紫陽花を正面から眺めて図像的にデフォルメする。その花を無数と言ってよいほど並べて、あやしい雰囲気が生まれる。構成とイメージの面白さに注目。

36室

 立木雅子「静かな村」。川がカーヴしている様子。その川に包まれるように民家が立ち、ところどころ屋根から煙突が伸びている様子。そして、そこに雪が降っている。対岸は斜面で、そばに建物がある。風景を静物のように目の前に置きながら構成していく。そこに静かな物語が紡がれる。

36室

 岩野禎文「雪の駅」。線路が集まった操車場が旅のイメージを醸し出す。無人の電車が一つあり、周りに建物がすこしあり、線路や電線が走る。旅と人生とがしぜんと重なるイメージが浮かび上がる。

37室

 白石美佐子「着待ち」光風奨励賞。木の長椅子に少女が座っている。足を組んで両手を寄せたあどけない姿が生き生きと描かれている。優れたデッサン力に注目。

 佐々木啓允「窓からの眺め」光風奨励賞。開き戸がすこしあけられて、その向こうに瓦屋根が続き、コの字形になった建物の壁と窓が見える。その上方にもグレーの屋根を置いた建物が見える。透視図法を使いながらシュールな味わいが生まれる。空間表現の面白さである。

 髙澤皓「流転」光風奨励賞。上りのエスカレーターと下りのエスカレーターに人が立っている様子を真上から眺めている。都会の一隅が面白く切り取られる。

 今峯晃「追憶」光風奨励賞。古いポータブルレコーダーとレコード、タンバリン、トランペット、壁にはレコードのジャケットなどが貼られていて、しっとりとした雰囲気のなかに、ものがそれぞれ静かに語りかけてくるようだ。

 山崎玲愛「開く扉」光風賞。女性が座っている。そばにミケランジェロの奴隷の石膏像が置かれている。背後に同じ女性の別の服を着て立っている様子が描かれている。筆力がある。形態に対する感覚が優れている。

第90回記念春陽展

(4月17日~4月29日/国立新美術館)

文/高山淳・小池伊欧里

1室

 鈴木善晴「汽車のある市場」。春陽会は今回、数人の作家の作品をそれぞれ数点並べて、ミニ個展のような会場をつくった。中から鈴木善晴、三浦明範、有吉宏朗について述べる。「あれから三十年以上もたつのに記憶のなかに鮮明に存在している。風景や人も現実に存在するあいだは幻で、なくなってから初めて本当の姿を見せ始めるものではないだろうか」。たとえば市場の台にのった古びた機関車、船、工場などが不思議な存在感を放っている。あるいは市場の中のいま切られたばかりの肉。肉はいま切ったばかりのように鮮やかな色彩をしているが、それらが柔らかな青いトーンの中から浮かび上がってくるかのようだ。記憶というもののもつ働きを画面の中に生かしながら、イメージのもつ不思議な力が引き出される。(高山淳)

 三浦明範「SAMSARA」「ELEMENTS」。三部作ともいうべき作品は、鉛筆や墨によって描かれたモノトーンの作品である。中心に、十字架から下ろされた硬直したキリストの死体を思わせるフォルム。右のほうには、十字架にかけられたポーズの男性。左には、膝を立てて座って顔に布を巻いた様子は、キリストの復活を思わせる。下方にはピューマのような骨がある。画家の細密的な表現は、死というものの深い闇の中から浮かび上がる生の姿のように思われる。中心は「VANITAS」、右のほうは「ELEMENTS」、左のキリストの復活と述べたものは「SAMSARA」。キリストを十字架から下ろし、三日間洞窟の中にあって、やがて復活し天に向かうキリスト。あの聖書の劇的な画面をいわば一人の人間の、生きた男のポーズによってパントマイムのように表現している。(高山淳)

 有吉宏朗「白の静物6・7・8」。壁に棚が置かれ、そこにメカニックなものや貝や水晶球やランプや昔の蛇腹のカメラなどが置かれている。その様子を明るいところ、グレー、中間、もっと暗いところというようにトリミングして切り取って、連続して置いている。まるで自分の視力とドローイングの腕を確かめるために描いているような雰囲気である。描写する自分自身の視覚を計っているような、そんな雰囲気である。

 ほかにも数点、作品が出品されているのだが、たとえば「黒の静物」だと、向こうの黒板のようなフォルムに歪みが生まれ、独特の集中力による写実のなかの世界に入っているうちに、対象に不思議な歪みがあらわれたといったシュールな味わいが感じられる。そのような見るということのイメージの広がりが現実を突破するような雰囲気があるのだが、前述したように最新作の三点は、もっと自分自身の目をカメラのレンズのように考えて、その精度を確かめているような趣が感じられる。(高山淳)

2室

 四谷明子「PLATEAU」。丘の上に二つの直方体が置かれている。草一本生えていない荒涼たる丘の上に、まるで二つのひつぎのように長方形のボックスが置かれている。先だっての大震災の津波に対するレクイエムの表現だろうか。(高山淳)

 沓間宏「よき知らせ(祝福)」。青い空に対して、岩と道の黄緑色が圧倒的な雰囲気をつくる。色彩が輝いている。その輝かしい色彩に囲まれて、青い服、赤い服の男女が手をつないで空を眺めている。空は月を中心として様々な星がまたたいている。「祝福」という内容を絵画的に表現しているわけだが、神の代わりに月や星を置いて、彼らとの対話のようなイメージ。そして、道も岩も喜んでいるといった、イメージの広がりと色彩の輝きに注目。(高山淳)

 小林裕児「谷空」。大作である。左上方に岩があり、そこから滝が落ちてきている。手前にはカップルがいて、男は頭を九十度後ろに向けて女性のほうを眺めている。そばに、その男のこの女性に惚れている状況を表した頭を傾けた顔がある。空には船が浮かび、船の上では女性がダンスをしているし、もうひとつ上では、女性を乗せた船のそばに彼が腰掛けるように浮いている。自然と共生しながら愛のイメージをうたいあげるように表現する。草原はU字形になって、その向こうにやはりカップルがいて、つがいの赤い鳥がいて、その向こうには山が見える。ディテールが面白く、それを組み合わせながら一種の謎解きのような大画面をつくる。左のほうの樹木の中に椿のような花が咲き、中に山羊がいるのも面白い。(高山淳)

 東直樹「挿話」。一本の木に画家は幻視する。今回はサロメのイメージ。男の首が浮かび、その下に木の枝が手となってあらわれている。それは左にいる女性の手のようで、下方から分かれて官能的なイメージの女性の姿がのぞく。女性の腰から伸びていくのはもう一つの樹木で、そこには赤い実をなしたあやしいフォルムが立ち上がる。この前、彼の個展で彫刻がたいへん面白かった記憶がある。だんだんとこの幻視するイメージが一種彫刻的なフォルムをつくりだそうとしているところも面白く感じる。(高山淳)

 藤沼多門「果樹」。葡萄の木が描かれている。緑色の葡萄、紫の葡萄の二種類の葡萄。その房の様子が実に面白く配置されている。ハイライトの部分は中心の緑の葡萄であるが、その大きさ、トーンがすこし異なりながら前後するのだが、その両側に紫の葡萄が下がっている。まるでそれぞれが一つの果実でありながら、ある美的な対象のようなイメージで構成される。それをつける枝がくねくねと独特の湾曲した動きを表す。幽玄な気配と言ってよいかもしれない。独特の審美家で、より美しく、より陰影豊かにといった趣で、この自然に生えている木を静物のように画面の中に再構成して、独特の審美的な世界をつくる。背後の紫のトーンもロマンティックな雰囲気をたたえている。日本人のもつ幽玄美ともいうべきものを、葡萄を使いながら計量しているといった趣も感じられる。(高山淳)

3室

 堀内貞明「あの日のことを忘れない」。深い緑の色彩が鑑賞者を引き寄せる。中年の女性が座ってカップを手に持っている。そばの机の上にもペンチやお皿や折紙などが置かれて、後ろには紙風船がある。ドアをあけると、明るい光の室内があるが、その向こうは格子窓で、時雨れてくるような風景が描かれている。その時雨れてくるような悩ましい風景に対して、下方の床の明るい空間、そこには玩具が置かれているが、それに対して、もうひとつ手前のこの室内の不思議な緑の空間。メランコリックな雰囲気の中に不思議な安息感が醸し出される。(高山淳)

 山中眞寿子「ふくろうと坐像」。女性が座っている。裸である。その後ろに四羽の梟がとまっている。あいだに花が咲いている。月が出ているようだ。女性のフォルムは柔らかな曲線によってつくられているが、そこに黄色い色彩が置かれている。その間には紫やグレー、ピンクの色彩もあるが、ボリューム感をもったフォルムの黄色が輝くような雰囲気である。黄色はおそらく十二色環の中では最も膨張していく色彩である。つまり、女神的なイメージがあらわれている。一方、森を象徴するものとして四羽の梟がいる。森、つまり自然を守る存在と言ってよい。そして、そのあいだに花が咲き乱れていて、充実したイメージがあらわれる。梟の頭を傾げたり正面を向いたり横を向いたりしているそのしぐさが愛らしい。柔らかな青みがかったバックは、昼と夜との境目の時空間を表すようだ。日本は自然と深い関係を結んできて、やがて神仏習合の思想が生まれる。この梟と女性を見ていると、神仏習合的な思想が絵画として表現されているように感じられる。仏と日本の神、ある強いイデーと自然とが合体した豊かな図像的表現と言ってよい。(高山淳)

 浦野吉人「石幢(せきどう)の前で」。画家のアトリエのある長野県で七角形の石幢が発見されたそうだ。発見された石幢は三基で、推定三メートルの安山岩製で、七角形の長径は六十五から八十センチ、短径が五十一から五十七センチ、死者を弔うために建てられた石柱である。その新聞記事は画家をインスパイアした。二年前の3・11、東日本大震災への思いがずっと画家の心の中に続いているわけだが、それをどのように表現するかということにあたって、郷里で発見された石幢が画面の中に引き寄せられた。中心に七つの石幢が伸びている。石幢は平安時代から鎌倉時代にかけてつくられたというから、その時代から千年のあいだの時間があるが、人の死者に対する思いは変わらない。グレーの空間の中に石幢が伸び、上方に不思議な黄色い円形のフォルムがあらわれている。天上の住処のようで、そこに窓がいくつもつけられている。あいだに様々なフォルムが浮かんでいる。下方には八人の男女の胸像ともいうべきフォルムがあらわれ、石幢のあいだに一人のフォルムがある。生きている人間と死んでいる人間がともに集合しているようだ。画家は、死んでしまっても何もなくならないというような無神論的な思想をおそらくもっていない。死は寂しく辛いことであるが、死者と会話することができると思っている。死んだ人間も心の中では生き続けている。そのようなイメージを淡々と描いた。微妙なグラデーションとニュアンスの様子は、昼と夜、生と死の境界領域の空間のように感じられる。(高山淳)

 入江観「翆渢」。画家は日光の生まれであるが、その日光の周りの風物を最近描いているそうだ。画面の中心に滝が落ちてきている。周りの緑の樹木が逆に上方に上っていくような動きのあるところが面白い。濃厚な密集した葉が重なりながら、だんだんと上方に上っていく動きがある。それに対して、崖のあいだをつたいながら清水が下りてくる。下りてくる両側手前には灌木が茂って、ところどころ深い緑の中に柔らかな若草色の緑が入れられているのが、この滝を荘厳しているような趣である。滝の周りにスポットライトのように柔らかな日が当たっている様子。樹木はこの滝となにか深い関係があるように感じられる。樹木はお互いに囁きながら上方に上っていき、この滝とも会話しているようである。聖なる水の仲間として滝ほどの神性をもたない脇役の樹木の様子が、そんな会話をしているような不思議な趣で、だんだんと上方に上っていくようだ。アニミスティックな気配が濃厚な見れば見るほど不思議な作品である。(高山淳)

 松島治基「ばら雲」。女性が横座りに座っている。そばに子供が遊んでいる。空には夕日に染められた雲が浮かんでいる。その雲の後ろには暗い雲があり、その後ろに紫色の空がある。夕刻の時間帯にぼんやりと横座りに座る若い母親と子供。いわば画家のつくりだした聖母子像である。湿度の高い日本の風土の中で過ごすわれわれは、自然と自分とが対立する存在ではなく、二つが融解するようなイメージをもっている。その融解する典型ともいうべきものが夕日の下の情景だろう。この聖母子像はそのような情景と重なりながら、強いノスタルジーを醸し出す。(高山淳)

 今關鷲人「レダと白鳥」。官能的な若い女性が白い椅子に座っている。そばに白鳥が来ている。白鳥はゼウスの変身した姿で、レダを襲うわけだが、この作品ではレダと白鳥は友達のような雰囲気で、ゆったりとしたトーンのなかに表現されている。のびのびとしたフォルムと光を含んだような色彩が魅力。(高山淳)

 岩浪弘「語り部たち 流亡する」。三味線を弾く三人の男女。他の一人は目隠しされて立っている。東日本大震災に対するレクイエムのようなイメージが、このシャープなフォルムの連続した様子からしぜんと感じられる。目隠しされた人間は先が見えないといったイメージを表すのだろう。いずれにしても、立って三味線を弾いたり、座って三味線を弾いたりするそのフォルムがきびきびとして、そのフォルム自体に強い韻律が感じられる。(高山淳)

 横山了平「モデルと私(2)」。モデルを描いている自分自身を画面に描いている。そして左上方には、鏡の中に自分自身を映している。画中画をうまく使いながら、描くということの意味を確認している。また、モデルの若々しいエロスに満ちた存在に対して、画家自身は老齢で、二つの時間が対置されているように感じられるところも面白い。そういった晩年の自分自身をピカソはずいぶん描いたものだが、共通したイメージもあるのだろう。(高山淳)

4室

 峰丘「深海魚のユウウツ」。ビリジャン系の背景に巨大な魚が口をあけて笑っている。目の様子を見ると、すこしクレージーな雰囲気である。明るい色彩でまとめているが、この深海魚の内部にある不思議な強いエネルギーが面白く表現されている。合理的な力ではなく、もっと根源的なエネルギーのようなものが、そのフォルムと色彩からあらわれているところに注目。(高山淳)

 平井誠一「THE SEASON」。林檎の赤い果実が画面全体にオールオーバーに描かれている。千を超えるのではないだろうか。その赤い果実の中に陰影がつけられ、果実と果実の間は微妙な距離があり、ある部分は集合し、ある部分は離れながら、まるで空に浮遊するような雰囲気で、画面の四辺をはみ出ていくような力で林檎が描かれている。ルビーという形容詞が林檎に使われるが、まさに不思議なルビーが画面全体に散らされて、光を受け、陰影の中に表現されているようだ。そして、光がすこし変わると陰影が変化するために、まるでこのルビーたちは呼吸をするような表情をつくるだろう。背後は林檎の木の葉に差す光の陰影の明暗のコントラストのように感じられる。樹木の幹や枝や葉を描かずに、それをいわばイスラムのアラベスクふうな抽象的な無限的な空間に置き、そこに林檎を無数のルビーのように表現した。これまでの作品からまた新しい一歩を出した佳作と言ってよい。(高山淳)

 奥田良悦「913μSv/H(逃走する蟻)」。福島原発の出来事にインスパイアされたのだろうか。放射能から逃げていく様子を、この集団の蟻のフォルムによって表現する。黙々とひたすら逃げていくイメージ。黒々とした蟻のフォルム。画面に接近すると、黒い蟻の体に点々とした飛沫がかかっていて、どんどん汚染してくるもののイメージがそこに感じられる。蟻のもつ逞しいイメージが人間の逞しい生活感と重なりながら、危険から逃げていくその働きを面白く寓意的に表現する。(高山淳)

5室

 八代美紀「業」。足の指が三つ、手の指が二つ、複雑に絡み合いながら画面いっぱいに大きく描かれている。それは錯綜する人間関係を象徴するように思われる。手と指という最も無意識のなかに使っている人間の部分を、このようなかたちで構成し、人間と人間、人間と社会の複雑、渾沌とした関係を暗喩する。(高山淳)

 髙橋政子「はつひ」。寒色系のグレーの色調の部分とすこし黄色みを帯びた明るいグレーの部分とが一つの画面に併置されている。明るい黄金色とも思われるグレーの部分は、初日に染まった情景である。青い部分はまだ日に染まっていない情景。いわば正月の日の出の時の日の差さない夜の世界がだんだんと明らんできて、日が差し始めたときの神々しい様子を見事に表現している。それがこの複雑な木の幹から伸びていく枝と梢の形、そこに雪が積もり、そこに日が差す、あるいは差していない情景の具体的な形によって表現しているところが、実に素晴らしい。われわれがほとんど見過ごしている日常の樹木の形を通して、初日のめでたい希望のイメージを描く。画家の脳の中はどのようになっているのか全くわからないぐらい、画面に接近すると複雑な枝や梢の形が縦横に画面の中に描かれ、そこに雪が積もり、青や黄色の色彩が彩色されている。それがすこし画面から遠ざかると、見事な審美性のなかに立つ樹木の光景に変ずる。とくに画面の下辺の左側から画面の上辺右側に向かって伸びていく、そのほんのすこしカーヴをもった樹木の幹のフォルムが面白い。弓を十分に絞って少し戻したような、充実した命の働きを連想する。ほんのすこしカーヴする幹の形が画面の構成の中心をなしている。シルエットのように反対側を向いた、すこし風景に溶解した樹木の幹がその左側にあって、二つは呼応しながらこの構成の骨格をつくる。(高山淳)

6室

 野口宏文「Cup」。横長のベージュの空間の中に長方形がつくられ、右は黒い背景の中にコップが一つ、そして十字架。左は柔らかなグレーの中に二つの長方形が重なって、上方にはノベルタ90という横書きの文字が置かれている。九十歳になってもなおかつ創作意欲の衰えない詩人のイメージのようなものを、筆者は感じる。十字架はこの人の重荷だし、カップは毎日のささやかな楽しみだし、左のほうには墓を二つ組み合わせたような図像があらわれ、グレーをバックに白いチョークのような文字でノベルタという文字があらわれる。すべての形がある象徴と化して全体を構成するエレメントになっている。(高山淳)

 佐藤淳子「初夏」。佐藤淳子は夕日の海岸の中にいる人々の哀愁に満ちた画面を描いてきた。それはもう一点の「秋の日に」がそうで、波打ち際にサーフボードを持つ三人の人間のシルエットが中景にある。ところが近景は、丸いテーブルにピンクの蘭のような花が生けられて輝かしい。そんな内容が画面にあらわれてきた。それが「初夏」になると、海が二つに分かれて、深い水平線まで続く緑色を帯びた海と青い空を映したようなコバルトの海が連結され、それを背景に芥子の花がいくつも咲いている様子。そして、背後の二つに分けられた海の様子を見ると、海はだんだんと遠ざかっていくような、不思議な哀愁のイメージがあらわれる。それに対して、いまという命をうたい生命を咲かせる、まるで血のような赤やピンクの花が咲く。画家のもっている強いイメージがつくりだした時間のモニュマンと言ってよいかもしれない。(高山淳)

 生駒幸子「時の羅針盤 ・」しっかりと塗り込まれた画面で躍動的なフォルムが描かれている。廊下や階段、パイプなど日常の空間が歪み、意思を持ったように動き出す。一定に流れる時間に対しては物体は安定する。反対に心の内面に流れる自由な時間が作用し、不規則に時間を切り取っていくことが、このような空間を生じさせるのだろうか。地球と月を思わせるような色彩が物理学的なイメージを喚起する。(小池伊欧里)

 石川健治「蓮華幻相」。通常の蓮の葉と花の二、三倍の大きさで表現されている。開いた葉と白い花。葉は一部枯れつつあるものもあり、背後に冬の樹木がシルエットのように描かれる。蓮池の一部をピックアップしながら、風景幻想ともいうべきイメージをつくる。対象を拡大することによって、非日常的というべき空間の生まれているところが興味深い。(高山淳)

7室

 髙橋好子「'13 地の景『棚田』」。棚田が広がっていく中に、ぽつんと民家などが見える。その向こうには古墳のような低い丘があり、背後に山がある。盆地の風景をパノラマふうに描く。そして、棚田の緑、あるいはその中に張られた水が空を映す様子が、独特の粘着力のあるマチエールの中に表現される。再現的に対象を視覚的に描くのではなく、このパノラマ風景を心の中で温めて、だんだんと描くうちに形があらわれてくるといった、そんな風景とイメージとの深くクロスするところに生まれた表現が、風景にある内的な表情を醸し出して、好感をもつ。(高山淳)

 加々美圭介「春の畝」。耕された黒い土、あるいは茶色い土が広がり、畝がつくられる中に、植えられた植物が瑞々しい緑で点々とクリアに表現される。中景は緑の畑で、遠景は青い山並み。上方にもっこりとした白い雲が浮かんでいる。ミロの初期の作品を見るようなディテールの鮮やかさが感じられる。パノラマ風景でありながら、部分部分の中にクリアなフォルムがあらわれ、それが生き生きとしている。(高山淳)

 野口俊文「in the shade」。サーカスの舞台裏のような雰囲気。若い女性と中年の男の姿がそこに浮かび上がる。背後にはベッドのようなイメージが浮かぶ。表舞台ではなく、裏舞台で紡がれる人生の姿のようなものが、暗い調子のなかに浮かび上がる人間像によって表現される。(高山淳)

 小宮英夫「冥(くら)い水」。なにか深い瞑想のなかからあらわれた光景のようだ。昔のアンプのような箱が置かれて、その手前には水がある。その水に向かって配線が沈んでいる。上方に枝が垂れ下がっているのが根のように感じられる。深い瞑想のなかに入っていきながら、内界の心の奥の領域に向かう。その心の奥の領域が、下方の深い水のもつ謎めいた様子と重なる。そして、その奥底からある言葉やメロディやイメージを引き寄せるかのように、アンプの真空管が赤く点滅する。(高山淳)

 宮井健年「水たまり…」。道路からその向こうの丘まで青く染まっている。その中に水たまりがあらわれ、そこを見ると、空になって飛行船が飛んでいる。実景の上方にも柔らかな青みがかったグレーの空が広がっている。そして、斜光線の中に徐々に夜の時間が近づいてくる。そんな中に、インスピレーションのように空に浮かぶ飛行船が現れる。人間のもつイメージの力を面白くヴィヴィッドに造形する。(高山淳)

 棚橋隆「灰色の風景」。ガードが左右伸びていく下の一隅に、奥行きのある風景のようなイメージが広がるといった印象である。直線で囲まれた幾何形態を使いながら、ミクロなものとマクロなものがリンクするように浮かび上がるその光景に、一種の詩情が感じられる。(高山淳)

8室

 坂田和之「景─どらせな 13」。上下に茶畑を模したストライプが波打ち、左上方からドラセナが下方に向かってズンと生えている。茶畑のフォルムは自在に形を変えて作品の中に表れていく。和紙などがコラージュされた柱が左右に画面を分割するように立つ。この柱によって、画面の重力関係が不確かになっているようだが、真ん中の塊が大仏のようにどっしりと置かれ、碇の役割をしている。柱の左脇をエンドウマメが浮遊している。昨年の出品作について「巨大な豆のツタ」と形容したが、そこから落ちてきたなどと考えるのも楽しい。引力を自由に操りながらコミカルな風景を創造している。(小池伊欧里)

 舘寿弥「相」。正方形の画面に青が複雑な階調をつくる。銀河の下に幾重にも青い川が流れて、雪の降っているような不思議な雰囲気である。画家は僧侶でもあって、どこか声明的なイメージが画面から感じられる。(高山淳)

11室

 田中岑「金環食」。画面は三層のパートに分けられ、上方には金環食の太陽の周りの輝く二つの太陽。下方には三つのパートがあって、金環食によって風景が暗くなっていく様子。いちばん下段には六角形のフォルムが上方に浮かび、右のほうには風景があり、左のほうには生まれたばかりのヒヨコのような、そんな不思議なフォルムがあらわれている。六角形のフォルムは一種の曼陀羅的なイメージで、金環食によってあらわれてきた太陽というものの神秘性を六角形によって表現したように感じられる。そしてまた再び命が始まるといったイメージを、雛鳥のようなフォルムによって表現したのだろうか。いずれにしても、独特の色彩のハーモニーが強い印象を醸し出す。一種の仏画的な力が全体から発するところに感銘を受けた。(高山淳)

12室

 岸葉子「後向の女」。座った女性の裸の後ろ姿。周りを白く、その中に黒い線によってかすれるようなニュアンスの中に女性の後ろ姿が描かれている。それがある量感と存在感をもっているところが面白い。強いイメージと画家の長いデッサンの修練から生まれた謎めいた女性像である。背中を描いているのだが、しっとりとした肌の質感が感じられるところがよい。(高山淳)

13室

 進藤妙子「夏の終りに」。蔦の這うフェンスを背景に雑草の生い茂る小さな植物の世界が描かれている。霞がかったような青みとグレーの中、黒い線描と白や青の細かいストロークによって草や葉の様々な明暗が作り出され、中央のニチニチソウがフォーカスされる。親子のように並んだニチニチソウによって優しい雰囲気が醸しだされ、どこかほっとするような一隅である。(小池伊欧里)

 濱實「海岸風景 B」中川一政賞。画面の下辺すこし右側から突堤が伸びていく。右のほうには浜があり、波が寄せている。波際に人間が一人立って、遠くを眺めている。左のほうには海沿いの岸壁が続き、はるか向こうに灯台を思わせる白いフォルムがある。突堤の左側あたりに船が係留され、そこから虹のようなフォルムが立っているが、その上方は不思議な建物であり、建物とこの船とのあいだに不思議な虹が橋となって関係をもたせているようだ。面白いことには、その下方に目を転じると、そこにもう一つの海岸風景があらわれ、大きな船が浮かび、杭のようなものが幾本も立って、その杭と杭を横に結ぶ線があるから、神社の鳥居のようなイメージがあらわれる。陸地と海との接するところ、その境界領域に対する画家の深い関心がうかがえる。内田百閒によく土手をテーマにした話が出てくる。百閒にとって土手はこの世とあの世との境界で、土手を歩いているうちにこの世ともあの世とも思われない不思議な世界の中に入っていく。その境界領域にはなにか懐かしいイメージがあるようだ。この作者の作品を見ると、やはりそのような懐かしい雰囲気があらわれてくる。空も不思議なグレーの中に残照のような、錆びた朱色の色彩が浮かんでいる。現実とイメージとの境界領域。完全に向こうに行ってしまうと気が狂うが、完全にこちら側にいても制作できないし、イメージは活性化しない。そのあわあわとした境界領域の中に画家は鑑賞者をいざなう。そこには出帆しない船が係留され、鳥のようなフォルムの向こうに空や雲が浮かぶ。「ホラホラ、これが僕の骨だ、/生きてゐた時の苦勞にみちた/あのけがらはしい肉を破つて、/しらじらと雨に洗はれ、/ヌックと出た、骨の尖。/……/故郷の小川のへりに、/半ばは枯れた草に立つて、/見てゐるのは、 ――僕?/恰度立札ほどの高さに、/骨はしらじらととんがつてゐる。」という中原中也の詩があるが、中也もまた常にふるさと、ある幸福な少年時代のイメージをうたい続けたが、画家もまた魂の故郷ともいうべきイメージを繰り返し画面の中に表現する。

 「海岸風景A」というもう一点の作品では、ある結界のごとき領域があらわれ、そこに水がたたえられている。こちらのほうは塗りこまれた絵具が「B」よりはるかに盛り上がって、長い時間をかけて描いたものと思われる。白いチョークのようなものによる線や、かすれた直線の黒などがそこに入れられ、二艘の出帆しないヨットのようなイメージが浮かぶ。生まれる直前のような、ある絶対的な人間のイメージの源泉のような水があらわれているのも面白い。(高山淳)

15室

 乃村豊和「麗(うるわ)しき禁断の果実」。アダムとイヴの失楽園をテーマにしている。ふくよかな女性が両手に林檎を持っていて、その後ろから女性の前に腕を伸ばす男。男は上方の空を眺めている。周りに林檎や藪のような植物が表現される。くねくねとした独特の動きと量感がこの作品の面白さである。対象を描くというより、内側から自分自身で形を彫塑的に盛り上げてつくっていくような、そんな造形力に注目。(高山淳)

16室

 西川光三「視そして飛」。紙にペンによる作品であるが、独特の密度がある。坊主の妖怪のような少年が大きな卵を持っているが、そこからいま鳥が生まれつつある。見開いた二つの目玉。後ろには二匹のカエルがいて、左が雌で右が雄で、これから女性に性交を求めようとするかのようだ。不思議ななまなましさが画面全体のフォルムにある。そして、刻々と時が動きつつあるような時間性も入っているところが面白い。(高山淳)

 吉沢陽子「別れ」。両側にシルエットの裸木があり、あいだに色とりどりの蛾が上方に向かっている。その一つひとつの蛾は一つひとつの人間の魂のようなイメージで、美しきもの、よきものが去っていくような雰囲気である。それを一種の耽美の中にうたいあげるように表現しているところが面白い。(高山淳)

17室

 山口愛美「メクイウオ」。骨になった魚の中にイモムシのようなものが現れ、一部蛾になって飛んでいる。下方にはクワイのような植物が芽を出している。背後は雑木林のシルエットである。生まれいずるもののイメージを面白く描く。鉛筆による仕事であるが、油彩画に匹敵する空間や力が生まれる。ファンタジーが観念的でなく、紙の上にしぜんと形が生まれ、増殖し、ひとつの生命感を獲得しているところが興味深い。(高山淳)

 長沼巧「サボテンと驢馬」。逆遠近の矩形のテーブルにサボテンが伸びている。サボテンには、二つの手のようなものがあって、子供のような雰囲気である。そばに驢馬が新聞紙の上に描かれる。人のシルエットがテーブルに映る。上方に、窓かと思うと、それは描かれたサボテンのある風景である。画中画ともいうべきものを集めながら、アトリエの中のイメージの揺らめきのようなもの、あるいは進行するイメージともいうべきものが表現される。対象はものではなく、そのイメージを紡ぎ出す自分自身であり、それをこのようなかたちで表現して空間をつくるところが面白い。(高山淳)

 川野美華「夜行性の庭」。一つ目小僧や裸の老婆が踊っている様子や切断された足。縄の先にぶら下がった昆虫のような生き物。目玉が飛び出してくねくねとした妖怪は背中が切られて血が出ている。そういった夜の幻想のような雰囲気でイメージが広がって、いわば深夜の饗宴ともいうべき独り遊びの世界があらわれる。(高山淳)

18室

 田中俊行「冬の日 '12─・」。近景に裸木が立ち上がって、その梢にわたる形に独特の情感が醸し出される。背景には大きな体育館のような建物や民家が見える。エッチングによって繊細に木の形をつくって、それを画面全体に大きく拡大したような気配とマチエールが興味深い。(高山淳)

 石川茂「Golden earth 戦うパンダーマン」。愛らしく人気者のパンダはしばしば外交の道具としても使われる。そんなパンダが巨大化して普段の穏やかさとは違った様子で腕を振り回している。乱獲や環境破壊によって絶滅に瀕しているパンダによる怒りの咆哮であろうか。ほとばしる、という表現がぴったりなエネルギーに満ちた色彩が広がっている。地核から沸き上がるようなパワーだ。全体の力強さに対して、細かく見ると実に繊細な色のバリエーションが使われているのがわかる。地球のあらゆる生命の力が結集してくるかのようなイメージである。(小池伊欧里)

22室

 坪田達義「蒼い部屋」。褐色のカーテンの向こうに少女が顔を出している。手前にその母親と思われる女性が座っている。しーんとした気配である。内界で会話をしているような、そんなあやしさが感じられる。(高山淳)

 田中佳子「ドヲル(ミシン)」。アンティークのミシンと人形、スポットライトが当たったかのような光の輪に時計の文字盤が浮かび上がっている。古びた人形にミシンが命を与え、時間が再び動き始める。ミシンの赤い糸が血管のようでもある。人形とミシンそれぞれのディテールがよく描かれ、眼前に迫るようなドラマチックな作品となっている。(小池伊欧里)

24室

 豊嶋章子「秋の陽」。細長いテーブルに洋梨の置かれた器や、それを切ったお皿、瓶などが置かれている。そこに右のほうから長い日が当たっている。日本の和歌の生まれるような情景と言ってよい。柔らかな光線の中に不思議な安息感が生まれる。(高山淳)

 三宅功「公園 ・」。新聞紙を敷いて横になって寝ている男の姿がしっかりと描かれている。背後には、座って寄り添ったカップルの背中が見える。この現実を描き起こす筆力が気持ちよい。それぞれのものがクリアに画面から立ち上がってくる。通常の写実を徹底することによってあらわれてくる強さ。また、手前の男の足から後ろの新聞紙に木漏れ日が当たっている様子が、微妙なニュアンスを醸し出す。(高山淳)

27室

 池田新平「丘の雪」。雪の積もった地面が広がっている。その遠近感が魅力。同時にすこし盛り上がった地面が二層になって、その断面が雪からのぞいている。そのかたちが面白く、そこに韻律が生まれる。加えて、高くなった地面の下に屋根があるといった様子で、一階建ての建物が地面よりすこし下にある様子、そばに樹木が立って、一種童話的なイメージもそこにあらわれる。ぐいぐいと描き起こす筆力から独特の生気が生まれる。(高山淳)

 田中英生「視点 A」。セピア調に描かれた画面の中に同じ少女の二つの世界がミックスされている。構成に遊びがあって、額の中はガラスケースなのか少し縮小されて映っている。衣服や肌の質感なども丁寧に描写され、実体と虚像を行き来する不思議な心理劇が生まれている。(小池伊欧里)

31室

 豊岡陽子「柿むく人 ・」。白髪の老女が鼻眼鏡をかけて両手で柿をむいている。両手と柿がずいぶん大きく描かれて、強い遠近感が生まれる。そこに生まれるムーヴマンともいうべきものが魅力。(高山淳)

33室

 古川昌弘「鉱土(・)」。露天掘りで、だんだんと地面を下方に掘っていってできたフォルムが不思議な雰囲気をつくりだす。それはそのまま長い人間の営為の跡でもあるし、下方に下りていく動きとそこにあらわれる空間にはシュールなものがあって、その気配が面白い。(高山淳)

 牧野多美子「シンフォニー 131」。色彩感覚に注目。寒色系の色彩が集められているが、それが様々な雲が集合しているような曖昧なかたちでありながら、そのハーモニーに強い音楽性が感じられる。(高山淳)

34室

 寺崎慶子「散歩」。すこし赤みがかったベージュのグレーのバックに独特の抑揚があって、空間があらわれる。そこにスケッチするような雰囲気で、犬と散歩する女性や家、樹木などを描いていく。おそらく身辺で経験しているものたちを描きながら、そのままそれが心象的な空間として広がる。画家自身のイメージだけで引き寄せたものたちがこのようにあらわれると、親密な、いわばファンタジーともいうべき空間が生まれる。(高山淳)

36室

 渡邊志野「目が合いました」。リアルな空間のもつ力がよく引き出されている。そこに人間が一人立っている。周りにものがぽつんぽつんと置かれているが、お互いに呼応しながら一種独特の電流のようなものが画面を流れる。その不思議なエネルギーに注目。(高山淳)

40室

 片岡覺「炭鉱譜・坑内風化」。炭鉱の内部なのだろうか。黒の背景に強い存在感が感じられる。そこにぽつんと錆びたカンテラのようなものが手前に置かれている。存在のもつ気配がテーマになっているところが面白い。(高山淳)

 影山悦子「街」。テラスに両手をついている女性の後ろ姿。顔を左に向けていて、横顔が見える。向こうに集合住宅のグレーの建物がいくつものぞいている。しっとりとしたトーンのなかに優しい感情が表現される。単純化した女性のフォルムも作品の中によく収まっている。(高山淳)

 荒川敬子「13月の風 B」。黒やグレーをバックにして女性が姿勢をぴんとして座っている様子。独特の韻律が感じられる。一種彫刻的な人体の扱いに注目。(高山淳)

41室

 今尾啓吾「Winter」奨励賞。すっきりとした女性のほとんど裸の全身像が前にいて、後ろに骸骨がいる。その骸骨は死に神のような雰囲気である。骸骨のフォルムも面白いが、それ以上に、しっとりとしたマチエールの金髪の女性の姿に強いイメージが感じられる。(高山淳)

42室

 李元淑「自然と遭遇」。強いリズムとエネルギーが感じられる。木の上方に抽象的な精霊的なイメージがあらわれる。木のあいだに神域にあるなにものかのような雰囲気のあるところも面白い。(高山淳)

 川井一光「きざし」。小さな指のようなフォルムが左右前後に集合している。そこに青のグラデーションとピンクのグラデーションが柔らかにかかる。そのピンクのグラデーションの中から題名のような兆しとか、新しいものが生まれつつあるイメージがあらわれる。一種幽玄な気配が興味深い。(高山淳)

43室

 舩坂芳助「My Space and My Dimension・M980」。グレー、緑、黄土系の色彩の三つの色面が空間をつくる。そこに小さなタツノオトコシゴを抽象化したようなフォルムが浮遊していて、楽しい。その中には赤、緑、黄色、青などの色彩が散りばめられて、楽しいジャズを聴くような心持ちになる。(高山淳)

 大久保澄子「森への誘(いざな)い  "A Temptation to the Forest"」。陽光の差し込むような温かなイメージが感じられる。そのあいだを清らかな水が流れているようだ。そこに小さな芽のようなフォルム、あるいは蔦のようなフォルム、あるいは曲線を描く茎、葉、花などが集められ、お互いに響き合いながら画面を動いている。縄文時代の土器の破片のような不思議なフォルムが、その上方に浮遊している。神秘なる森の象徴的なガイドである。小さな飛行船のようなそのフォルムは、画面の端のマージンにも一部かかっていたり、マージンに空押しのフォルムもあらわれている。上方の土偶のようなフォルムを見ると、まるでUFOのようなイメージがあらわれているが、自然と深く関係をもつところからしぜんとあらわれた形だろう。そんな形を、この柔らかなハーフトーンの画面の中に画家は引き寄せる。そして、その上方からもう一つの深い青いトーンの空間があらわれ、横からはオレンジ色系の空間があらわれ、下方には黒い紫を中心とした空間があらわれている。森の中に導入されて、そのさらに奥にもう一つの世界があり、さらにその奥にまだ未知の不思議な世界があるといった雰囲気である。そして、下方の黒紫は夜のイメージも表すだろう。時間の推移のイメージも背後に階層をなして重なっている。とくに日の光と水という二つの元型的要素が画面の中をわたっているように感じられるところに、一種の安息感と言ってよいようなイメージがあらわれる。(高山淳)

 和田林志保「From a great distance Cactus No.14」。白黒の画面である。そこにサボテンが伸びている。その向こうには細い茎をもつ大きな葉の植物。背後は柔らかな明るいグレーの二つのトーン。上方に静かに月が下りてきているようなイメージも感じられる。ドライなクリアなフォルムの中にしっとりとした情感が漂う。(高山淳)

44室

 幸田美枝子「夕涼み」。海岸のテラスに夫婦や女性の仲間や老人と息子などがいる。その向こうを船が動いていて、人々が乗っている。対岸にはビルがあり、灯がともっている。ちょうど5時10分ほどを時計が指している。独特の物語が感じられる。夏の宵の一刻の、人々が遊覧したり楽しくビールを飲んだりしている姿が懐かしく描かれる。(高山淳)

 竹田智美「その夕」。エッチングによる黒白の画面である。雑草のフォルムがお互いに関係をもちながら優雅なメロディを醸し出す。太陽がいま落ちつつあるようだ。その大きな円形と下方の曲線とが静かに呼応する。(高山淳)

45室

 山近雅子「遠い旅の記憶 XIII 2」。黒い紫、黒褐色、その上に紫の矩形のフォルムがあらわれ、上方に青い色面が置かれる。その青い色面は空でもあるし、深い海のようでもある。記憶の詰まった不思議な青い箱が宙に浮きながら、静かに動いていくようだ。(高山淳)

46室

 石原テツロウ「ことだま XII」。砂漠から雲が湧き上がってくる。砂漠と思ったところがもう一つの空のような雰囲気である。そこに大きな影があらわれる。自然のもつ不思議な力を作者は画面の中に引き寄せる。片一方の作品は「ことだま」といって、水面と雲との不思議なコラボレーションになっているが、この「ことだま XII」は、もっと根源的なイメージがあらわれているように感じられる。(高山淳)

 酒井宣彦「景 ・」。暗い青みがかったバックに白やオレンジ色、水色の矩形の小さなフォルムが浮遊しながら、独特のリズムをつくる。下方には月を思わせるようなグレーのフォルムが、トーンの中に表現される。月を見ながら電子音楽が流れてくるようなイメージである。明るいその音楽は、しかしどこかクラシックな世界とも共通するものがあるようだ。そんな不思議な音楽的感興を覚える佳作。(高山淳)

49室

 徳長章「かしの庵」。銅版の作品で、緻密に樫の大木とその下方の素朴な民家を描いている。ドローイングする力が優れている。それぞれの形がクリアで、安心して見れる。同時に、樫の大木の伸びていくフォルムが生き生きと表現されている。(高山淳)

 塩之谷巧嘉「サキュレントの原 ・」。不思議なサボテンが三本生え、その中から細い枝が伸びて、先にたくさんの鈴のようなフォルムをつけている。三日月が昇り、星形の大きなフォルムが地上に横たわり、そばに小さな女の子がいる。詩のもつイメージと言ってよい。この生き物たちはずいぶん懐かしい存在のように感じられる。銅版のバックのグレーに透明感がある。静かな光が画面全体に満ちているような、そんな色調も魅力。(高山淳)

50室

 塩田恵「Nights in the dark(No5)」。手前に道があり、幾棟かの洋館が立つ。後ろに畑のようなフォルムが見える。そして、点々と光っている夜の街。満月と二十五日ほどの月、林、虹。お気に入りのイメージを集め、メゾチントで独特の深いトーンの中に懐かしい建物や畑、家並みを描きながら、その中にイメージの虹という橋をかける。(高山淳)

 戸嶋桂子「想月」。毛糸玉のようなものがほぐれて、その糸がうねうねとうねりながら上方に上っていく。そこには海のようなイメージがあらわれ、月をそこに映している。その水に映って、すこし壊れた月と毛糸玉とがお互いに響き合う。また、ほぐれた糸がさざなみのようなイメージに呼応する。実体とイメージとを結ぶ不思議な糸の働き。(高山淳)

51室

 渡辺達正「Blue Beans」。小さな水でできた細胞のようなものが集まって矩形をつくる。その中から小さなあぶくのようなものが、上下出ていっている。あるいは、その中にある小さな白い点々を見ていると、銀河を集めて圧縮し、細胞化した物質のような、そんな豊かなイメージを感じる。(高山淳)

 海老塚耕一「野ウサギの水 ・」。感覚のよい作品である。下方には斑になった雪のようなフォルム。上方には水草のような曲線のフォルム。そこにも雪の断片のようなフォルムが浮遊している。しっとりとしたトーンで幽玄の気配が漂う。歌が生まれてくる空間。(高山淳)

第52回日本現代工芸美術展

(4月18日~4月23日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 鈴木丘「種に還る果実―苞」。鈴木は種から様々にインスパイアされた作品をつくってきた。今回は果実がもう一度原点に戻りつつあるような雰囲気である。右のほうの巻貝のようなフォルムはだんだんと腐蝕していくような雰囲気である。崩壊していくものがやがて種というきらきらとした存在に返るイメージを、有機的な形の中に面白く造形した。

 藤田謙「つり合う世界」現代工芸本会員賞。シュールなイメージ。秤の一つには建物の形をした分銅が四つ置かれている。それに対して、窓のある不思議な球状の建物のようなものが三つ重なったフォルムが片一方に置かれている。スペインのたとえばガウディなどが目指した有機的な建物のようなイメージを、シンプルに造形化したようなフォルム。そこには人が住んでいるわけだが、その重さをフラットなミニマルな建物の形の分銅によって測っているといった、不思議な味わいが感じられる。人間の住む世界を測っているようだ。それを鍛金の技法によって手触りのある独特の表現にして、周りを不思議なオーラが包んでいる。

 山岸大成「斑鳩」。キメ細かな白磁による建物のようなフォルムである。内部に斑鳩の人々の魂が宿っているような雰囲気さえも感じられる。一つのいしぶみ、あるいはモニュマン的なイメージを探索する。

 手銭吾郎「曖昧模糊」。人間の形をした人形が両手を前に出して、手のひらの五本の指を広げている。鍛金による人体のフォルムに対して、おそらく鋳金によるビニールを顔にかぶせたような頭部がそこに差し込まれている。そのビニールによって囲まれたような顔は息ができず、なにか訴えてくるような雰囲気である。両手を広げて、手のひらを鑑賞者のほうに見せるという形も、これで終わりといったこともあるし、あるいは、そのようなかたちで、なにかわかってほしいといった雰囲気もある。生きることの悩ましさを造形化する。

 青木清高「遥望」。円筒形のフォルムである。中に水を入れたり、花瓶にしたりするのだろう。ちょうど百八十度のところに内側につまんだような形がつくられて、それがアクセントになっている。とっぷりとした青磁の釉薬が柔らかな雰囲気を醸し出す。海がゆったりと押し寄せてきているような、あるいは、海がゆったりとした動きを見せて波打っているような、そんなイメージ。胴の下方には皺が寄って、それは浜辺に寄せてくる波のようなイメージもある。口縁のそばには紫が入り、その下方に朱色がはかれている。夜が後退し、朝の日が朱色に海を染めているような、そんな味わいも感じられる。

 三田村有純「生命在る処」内閣総理大臣賞。舟形の黒い漆の上に円盤が置かれている。舳先にはもう一つの小さな相似形が置かれている。円盤の中にはアンモナイトや星のようなイメージが螺鈿されている。空の漆黒の闇がそのまま海の深海のイメージと重なってくる。空と海とが合体する中に、この時空を旅する船はゆるやかに航海する。

 宮田亮平「シュプリンゲン〔天空へ〕」。数えてみると、十一のイルカの構成になっている。右上方から下方に下りてきたイルカが、上方に向かい海から飛び出て、天空高く舞い上がっている。銀色の地にブルーや朱が散らされて、華やかな中に生命のイノセントなイメージが造形化される。尾と頭、とくに頭の向きが微妙に異なりながら、それぞれのイルカがある仲間として集められ、右に左に微妙に動きながら、やがて天空へと向かうその動きが素晴らしい。まるで音楽を聴いて、そのメロディにうっとりするような、そんな空間がつくられている。

 奥田小由女「復興の鳥」。右手に熱帯の鮮やかな鳥のようなイメージの鳥がとまっている。衣装は朱を中心とした極彩色である。その華やかな色彩は命の輝きを示すようだ。あいだに深い紺色の空間が置かれて、そこに緑の葉が輝く。命というもののよみがえりを、画家はこの人形の中にイメージしているのだろうか。下に伸ばした左手には赤い実が掌の中に置かれている。遠くを見る女性の顔は不思議な哀愁の表情である。3・11の震災の復興に対する気持ちを造形化したものと思う。

 大樋年朗「双巳似花」。山のようなフォルムの上方に口縁が小さくあけられている。胴は茶色と金彩とによって分けられ、金彩の中に茶色の二つの植物の茎と葉と花があらわれている。それがそのまま蛇のフォルムと重なる。今年はヘビ年であるが、その年の幸せを願ってつくったような強いイメージが感じられる。単純化した中に豊かな独特の祈りのような波動をもった造形である。

 永井鐵太郎「やってきた風鎮・萬蔵院・願」。銀とブルーの二色に分けられたカーヴするフォルムが下方から立ち上がり、その上に水平の板が置かれ、逆U字形のカーヴする円柱が銀色に光る。その光っているのはステンレスのように思われる。台座は三つの細い円柱によってつくられていて、右の方向に行くに従って小さくなる。気韻生動という言葉があるが、その気韻を、シンプルなフォルムによって構成する。逆にそのシンプルな造形によって強い力が生まれる。上方のカーヴする銀色の棒が虹のようなイメージを与える。海と空と虹、風、そういった自然のもつ力を、独特の詩人的感覚で結晶化する。

 春山文典「フラッグ―4月」。四月の陽光のなかに爽やかな風が吹いているようなイメージが、この抽象的な形の中に感じられる。とくにモニュマン的に立ち上がってくるフォルムの内部を空洞化した形が面白い。そして、その両側の柱にカーヴする形がつくられている。柱の中にも柱の外側にもつくられて、それを直方体のフォルムが重なるように支えている。マットな銀色と輝くような銀色が呼応する。三本の足によって支えられているが、その足の形が面白い。独特のリズムがあり、まさに春の風を、時間を運びながら、このフラッグが動いていくようなヴィヴィッドなイメージに感心する。

 吉賀將夫「萩釉陶壺『変遷の跡』」。ピンク、褐色、焦げた色彩がお互いに繰り返されながら、口縁ではすこし真円形をなし、だんだんと楕円状になって、下方に向かう柔らかなフォルムが胴につくられている。季節の変化するなか、日本の四季は独特で、そんな風土のなかから生まれた陶器にふさわしい表現である。

 武腰一憲「花器・往く」。円柱状の高いフォルムが口縁になって両側に広がっている。その胴は青く彩られ、中にイスラムふうの衣装をつけた老人が歩いていく。長い影が手前に伸びている。口縁には月の一部が黄金色に彩色されている。月の下、夜空の中に歩く老人といったイメージ。そんな絵画的な内容を、円柱自体を一つの空間と見立てて作家は表現する。星のまたたく夜の空間をそのまますっぽりとこの縦長の壺に切り取ったような力が感じられる。

 近藤学「冬茜」NHK会長賞。壺を圧縮したような形である。鑑賞用の壺で、その胴に葦と雀が描かれている。描くというより、土を象嵌することによってそのようなフォルムが現れる。その手触りのある懐かしいマチエールの中に、五羽の鳥と葦が表現され、葦が独特の韻律をつくる。

 堀之内知惠子「春の兆し」現代工芸本会員賞。人形である。白い上衣に長い白いスカートをつけた女性。黒髪で、その衣装の文様が実にモダンな雰囲気である。また、その白は独特のグレーで、黒い髪と品のよいハーモニーをつくる。すっと立って、上体を伸ばしたようなフォルムに小さな手足がつけられている。デフォルメが面白い。

 大樋年雄「未知からの器『And Beyond』」。中国の青銅器からインスパイアされたような、三つの足と丸い胴に丸い蓋をもつフォルム。蓋にも三つの不思議なフォルムがあらわれ、両側に二つの耳がつけられている。中国の青銅器のもつあの激しい力を日本の陶器に生かしながら、現代にあらわれたUFOのようなイメージをつくる。小さな生き物がプリミティヴな力をもちながら現代工芸展の会場に現れたといった雰囲気。

 立川善治「明日への思考」。円柱を中心を膨らませながらカットして、そこに同じように波打つようなカットしたフォルムを置いて、台座と上方とが不思議な動きをつくる。もあもあとカーヴしながら、このフォルムから周りの空間のなかに進んでいくような、そんなムーヴマンが面白い。

 猪俣伊治郎「埴輪(No.85)―祀」。踊っている埴輪であるが、一部欠けている。しかし、深い想念のなかに踊りをしているようなイメージがよく伝わってくる。背後に海があり山がある。やはり一昨年の3・11、東日本大震災から二年たって、その復興を祈るといったイメージなのだろう。膨らまされた埴輪のフォルムに一部金彩され、あるいは、植物の葉のようなイメージも入れられている。古代人の魂の中に想像力を伸ばしながら、それをそのまま現代の祈りのイメージに重ねた作品として注目。

 並木恒延「道」。鶉の卵の殻を丹念に象嵌して雪を表現する。雪は轍の部分で斑に溶けている。カーヴしながら轍の跡を残す道が続く。上方は漆黒の空で、巨大な満月が現れている。満月の下の雪景を表現するのに、轍の跡の道を配しているところが面白い。そこに人間のもつ営為する時間が投影される。自然と人間とが静かに呼応するなかに、いかにも日本らしいしっとりとした情緒があらわれる。

 三谷吾一「鳥と少女」。少女の周りに小鳥や花、蝶などが集まっている。背景は黒い漆の中に緑や紫の抽象的な形で、まるで時間というものの性質を表すようだ。そういったなかから埴輪を連想するような不思議な女性のフォルムがあらわれ、様々な鳥や花が集まる。作者独特のロマン豊かな表現。

 中井貞次「南仏プロヴァンス」。淡い紫のバックに樹木が幾層にも向こうに行くに従って帯のように連なり、その向こうには教会のような建物が見える。遠景には山が緑に霞む。遠近感のあるプロヴァンスの教会のある風景を、作家独特のモダンな形にデザイン化した佳作。

 伊藤裕司「煌彩の棚」。入れ物であり、黒漆の中に二つのツマミが付けられ、中心の扉の左右に貝によって螺鈿がされている。シンプルな中に輝かしくモダンなイメージがあらわれる。横には色漆で抽象的なフォルムがつくられ、中に青貝の螺鈿が幽玄な気配を示す。

 赤堀郁彦「風伯―・」。えび茶色のバックに抽象的なフォルムが置かれ、はるかかなたに星があるように貝が円形に切り取られて貼られている。宇宙空間のイメージを引き寄せながら、そこに風が通りすぎていくようなムーヴマンがあらわれ、その風の軌跡のようなフォルムが表現される。

 西島直義「絆」現代工芸賞。三つの大小の直方体を歪ませて、菱形状の形にして組み合わせている。その周りに円筒を半分に切ったようなフォルムを、金属によって連結しながら周りに巡らせている。その周りに巡らせているフォルムが、絆という意味になるのだろう。背景の白に対して、細胞が増殖してこのフォルムを取り巻いているような、そんな有機的なイメージ。無機的な形と有機的なイメージとの連結が面白い。

 外村達彦「照映」東京都知事賞。赤い糸、紫の糸、銀の糸でこのフォルムを織っている。縦の動き、斜めの動き、横の動きなどが絡み合いながら、巨大な太陽が現れ、空を染めているようなイメージ。あるいは、秋の錦繡のイメージなどが重なりながら、それを出雲大社のあの巨大な綱のようなフォルムが二本、中心を斜めに通っていくという大胆にして豪奢な染織作品である。

 竹河いみ子「波動 '13」現代工芸本会員賞。竹を黒く彩色して編んだ不思議な形である。底から両側に立ち上がっていくフォルム。その上には蓋がされていて、まるで小さな船があらわれて、両側が壊れているような雰囲気である。夜の密度のある時間を切り取って、夜の時間の中を動いていくような、そんなあやしいイメージも感じられる。

 司辻健司「赫く」現代工芸本会員賞。陶器であるが、不定型のフォルムの中に、黒いバックに赤がまるで根来の色彩のように輝く。オブジェとしての陶の魅力。

 野田朗子「Take your time」現代工芸大賞。ガラスによる二つの大きな花びら。花は蓮弁を思わせる。蓮弁の上に仏が立っているようなイメージも感じられる。実際、一滴の雫が向かって右の蓮弁の上に置かれている。それはそのまま仏の存在を暗示させる。そして、無彩色の花托がそばに置かれる。東大寺の蓮弁などは、一枚とると巨大なものだが、そのようなところからもインスパイアされたのだろうか。女性らしい繊細な中に、たおやかにして豊かな造形が鑑賞者を引き寄せる。

 角田純一「夕立」現代工芸本会員賞。正方形の黒いバックに円がつくられ、その中に雨が降り、水が波紋をつくっている。下方から葉や木の枝の一部が伸びている。幽玄な気配のなかに、とくに水の文様が独特の審美的なイメージを伝える。

3室

 桜田知文「いのち(風になって)」。三つの羽のようなフォルムが、すこし間隔をあけて右のほうに優雅なカーヴをつくる。右側では一部大きく穴をあけて、ちょうどトンボの羽の文様のようなイメージがあらわれる。金属でありながら軽やかで、薄く、浮遊しているような雰囲気もあり、三つのフォルムの微妙なずれによって、その中に爽やかに動くようなイメージがあらわれる。

4室

 吾子可苗「libido」現代工芸新人賞。漆による作品であるが、下方の幹のようなフォルムから細い枝のような、蔓のようなフォルムがもあもあと立ち上がってきて、不思議な形をつくる。一部三つの下方に下りていくフォルムがあって、その先端は白くなっている。触手のイメージがそこに感じられる。そしてその途中から、そこは蔓のフォルムが集合しているところだが、カーヴしながら立ち上がっていく茎のようなフォルムがあり、花が咲いている。地中に深く触手を伸ばし、花を咲かせるあやしいイメージ。植物的な存在から、海の中にいるクラゲのようなイメージも重なりながら、独特の世界をつくる。

 友定聖雄「VISION」。ガラスによる作品。黒いガラスと淡い透明な緑のガラスが組み合いながら韻律があらわれる。下方の三角の縁をカーヴさせたようなフォルムから、左が直線で右がカーヴするフォルムが八十度ほどの角度で立ち上がっていく。二つが呼応しながら音楽的な世界が表現される。

 岡﨑まりこ「美しい夜」。人形である。二体の人形が体がほぼ重なって、二つの首から白い二つの頭が現れ、瞑目している。背後に暖色系の市松状の立方体や直方体の一部を変形したようなフォルムが現れている。それが両側にあるために、まるで耳のような雰囲気。瞑想しながら静かに生活、風、様々なものを聴いているような趣である。それと呼応するように胸に膨らみのあるフォルムがあらわれ、そこに小さな建物のようなフォルムが置かれている。小さなサイコロのような三つのフォルム。いとおしい家、郷里、そういった世界の音を聴いているような微妙な気配が面白い。

 吉野貴将「子供の祭司」。人形であるが、漆の彩色による。両手を前にして、すこし頭を前に傾けて、半眼を開いた様子。顔の様子は仏像の顔に共通する。イスラムふうな衣装をつけた子供の地蔵といった雰囲気で、独特のオーラが感じられる。

 鮎合秀子「装」。黒い紐のようなものが絡み合いながら円錐状の形をつくり、その上方に青々としたフォルムが絡みついていて、なにかあやしい中にシックな味わいを見せる。高い美意識の感じられるデザイン性に注目。

 松木光治「軌跡」。パネルの作品である。金属を使って独特のマチエールをつくる。正方形のパネルを縦に三個、左右に四個、計十二個のパネルが中に入れられて、全体で長方形の画面ができる。その中にがっちりとした穴をうがった点々のカーヴする動き。黄金色のリング。あるいは、ぐるっとU字形に動いていくフォルムの先端にある小さな円柱。軽やかなリズムがある。春の気配のなかに刻々と植物が芽生え、蕾があらわれ、やがて花が咲いていくときのような、そんな時空間が象徴的に表現されているように感じる。

 角康二「刻」。漆。オレンジやピンクや青い葡萄の房。それらがこんもりと重なっているような、あるいは上下に置かれて、独特の鮮やかさがあらわれる。そばに枯葉。そして、水面に夕日の光が映って、さざなみが立っているようなフォルムが後ろにあらわれ、それが下方の黒い漆の中に映っている。夕日を思わせるような赤いフォルムがその上に置かれている。秋の実る頃の季節。冬が近づく季節の移ろいのなかにある豊饒なイメージとやるせないような二つのイメージを、作品の中に造形化している趣が感じられる。

 松岡理香「スタジアム」。二人の女性。一人は頭を下にして斜めに傾いている。その顔が背後の女性の脇のあたりにあって、女性はバランスを崩しながら左のほうに向かっている。二つのフォルム全体で宙に浮いているような雰囲気で、陸地から離れて楽しいメロディやリズムが表現されているように感じられる。遊びの世界のもつときめきのようなものを、二つの女性のフォルムを使って造形化したような楽しさがある。また、銀地のフォルムの中に緑の貝などが象嵌されて、それがきらきら光っている様子が、いかにも漆の技法を使ったあでやかさである。

 田中貴司「夢」。女性のフォルムがU字形につくられ、袖で顔を隠した一部がのぞく。黒い漆の中にそのフォルムが軽快な雰囲気。下方に白鳥がいる。一種童話的なイメージを漆というしっとりとしたマチエールの中に表現して楽しい。

 牧内彰子「波上の輝き」現代工芸新人賞。染織の作品である。緑、紫、緑、黄土、淡い緑といった色彩によって分けられているが、そこに波打つような皺があらわれ、その皺の動き、方向性があやしく、渾沌として、見ていると呑み込まれそうなパワーが感じられる。自然のものというより、むしろ強い情念の造形化のように感じられる。内界からくみあげて作り出したようなフォルムに注目。

第9回ベラドンナ・アート展

(4月18日~4月22日/東京都美術館)

文/大澤景

 李晶玉「錆びた鉄筋は動かない」。夕暮れを思わせる赤茶のトーン、ノスタルジックな雰囲気が印象的である。幼い頃の自分や、住んでいた近所の景色を、若い女性は眺めているのだろうか。追憶のイメージが、流れるように構成されている。波打ち際に一人遊びをしている子どもの周りに、海の中のように水草が生え、魚が泳いでいる。そういった様子がよく描写されており、幻想的な雰囲気を引き寄せている。螺旋階段や踏切、建物といったフォルムが織り成す、躍動感あるリズムにも注目した。

 小金井ケイコ「絲雨恋連」。三枚組の大作である。流麗な線描で、円の動きを基調にしたフォルムが描かれる。半ば抽象化された女性の肉体である。横たわる裸婦なのだろうか。肉感的な脚、お腹、乳房が描かれる。頭の上方や脚の周りには、闇がかぶさっている。そこからトーンが転調していき、左側の、光の中のような画面に段々と明るくなっていく。そのゆっくりと進んでいくグラデーションが柔らかで、画面全体に静謐な空気感を作り出している。光の中心には、横たわる女性の手が現れる。指を曲げ、何かを求めて喘いでいるように見える。祈りのような強い感情を感じる。

 立花裕佳子「あたまのなかでおこる暴食」。リトグラフである。少女の三つ編みの髪の中に、野菜や目玉焼き、お菓子やフォーク、それに小さな人間たちなど、様々なものが飲み込まれようとしている。鮮やかな色彩と、まとまりある構成に目を惹かれる。少女漫画ふうに描かれた、うったえてくるような少女の目線が強い。何もかもどん欲に飲み込んでしまう悲哀が、軽妙に表現されている。

 こうはしん「春の訪れ」。深みのある黄色の色彩の中に、空と大地が描かれている。さくさくと、植物を思わせるタッチ、水や雲を思わせる青の色彩が入れられている。その中心に、白い花が生えて来ている。花は、遠くに見える火山の煙のように湧き出ている。大きな大地のイメージと、新しい命が生まれてくるイメージが重ねられているようである。そういった、優しくポジティヴな世界観に注目した。LUNEの手になる額が、作品の存在感を強いものにしていた。

第43回日彫展

(4月19日~4月30日/東京都美術館)

文/小森佳代子・大澤景

A室

 吉居寛子「思惟」。膝から上の、着衣の女性像。白に朱がほんのりと入れられている。片腕でもう一方の腕を支えているポーズで、心持ち指を曲げた手の表情がよく表現されている。何か物思いにふけっているのだろう。少し俯いた眼差しから、様々な感情が入り交じったような深みが伝わってくる。(大澤景)

 田中昭「読書の時間」。あどけないお下げ姿の少女。利発そうな目の表情が印象的である。手足の動きの表情豊かなところは田中作品の魅力である。以前は金色の彩色が多かったが、このところ銀色の施しとなっている。胸のリボンと開いた本の彩色に品があり、顔が映えて効果的である。足のまわりに木の葉が施されている表現にも好感を持つ。(小森佳代子)

 能島征二「風の音」。能島は健康的な女性の姿を通して生命讃歌を表現している。今回はスラリとした女性が独特のややL字のポーズをしている。左手で髪の先を摑み、右手を腰に当て、その動勢と左右が呼応するような表現も興味深い。まるで海の波から立ち上がり、大自然の恵みを全身で受けとめたかのような潑剌とした表情に共感する。(小森佳代子)

 雨宮敬子「靜影」。きりっとした表情で左を向いた清々しい女性。その楚々とした姿と横顔が印象的である。力強く左足を前に出し、やや下方を見つめる女性は何を想っているのだろうか。全体を抑え気味のグレーのトーンの彩色でまとめ、静かな空気感が漂っている。やや小ぶりな作品であるが、その品格と存在感に魅了される。(小森佳代子)

 市村緑郎「水光る」。若い女性の瑞々しいイメージの裸婦像である。シャープさと柔らかさもあって、女性の意識が息づいている。市村の優れた感性と表現力は、シンプルな造形表現だけによく分かる。重心をやや左に置き、力を抜いてごくしぜんな表情で立つ姿をじっと見ていると、心の声が聞こえてくるようである。(小森佳代子)

 橋本堅太郎「想」。若い女性が思いを秘めてすっくと立っている。木彫を思わせる石膏着色による作品である。全身に一枚の薄い布を纏って、不思議な一体感を生み出している。女性の強い思いとゆったりと何かを受け入れるような静けさが共存している。(小森佳代子)

 蛭田二郎「アラブの少女」。教会の中で、天窓から光が射し、聖歌の響きが聴こえてきそうな雰囲気をイメージする作品である。ブロンズを思わせる着色、美しく、どこか憂いのある表情が、蛭田ならではのモデリングによって生き生きと表現されている。その表情は深いトーンに包まれている。(小森佳代子)

 山本眞輔「心の旅―トスカーナの丘―」。トスカーナの風を運んできたような爽やかな作品である。山本の心象風景であるが、眼を閉じた女性の微妙な手の動きは、内的なイメージを引き寄せようとしている。下方に美しい自然、オリーブの木や穏やかな丘を小さく表現し、大地を踏みしめるように大きく表現された女性との対照が、独特の呼吸を生んでいて興味深い。(小森佳代子)

 瀬戸剛「えぴろーぐ」。真っ正面を見据えた男性の顔を石膏で表現している。ブロンズを思わせる着色も見事である。皺、長い髪、骨格など、年輪を刻んできたからこその深みが隅々まで表現されている。瀬戸の力量ならではの一個人を超えた人生観を湛えた風格が滲みでていて感心する。(小森佳代子)

 小比賀強「蒼空」。やや左足に重心をおいて立つ裸婦。毅然としたフォルムが力強い。頭上に広がる澄んだ蒼空の下にただひとり立つような、凜としたイメージが感じられる。(大澤景)

 宇津孝志「家路」。木彫の、大きながっしりとしたトランクの中に、家のようなフォルムが沢山集まっている。三段に分けられ、中段には小さなトランクが置かれる。その上に腰掛ける子どもと、立っている父と母。素朴な彫り味があたたかい。そこここに散らされた金箔が、家路の夜空にまたたく星のように感じられ、安息感がある。(大澤景)

 堀龍太郎「装春」。女性が手を腰にあて、セーターを少し持ち上げている。その少し弓なりになったフォルムをよく表現している。心持ち首をかしげ、何かを心待ちにしているような、明るい顔の表情が印象的である。春の息吹きを感じさせるような、麗らかな雰囲気が感じられる。(大澤景)

 岡本昭「想い」。左足を引いて、そこに重心を置いた裸婦。女性の肉体が持つ、やわらかな量感がよく出ている。問いかけてくるような表情、宙で何かつかもうとする右手の造作が少しアンニュイさを感じさせるところが面白い。(大澤景)

 伊庭照実「蕾」。右足を引き、姿勢をくずしかけた裸婦。体の軸がしっかりしている。少しあどけないような顔の造作に真っすぐな目線、宙で止められた右手が印象的で、思春期の女性の恥じらうような雰囲気がある。春の新しい生命が生まれてくるようなイメージを、じっくりと造形している。(大澤景)

 中村優子「風の門」西望賞。左足を少し前に出して、腕を組んで立っている女性。体全体のフォルムがバランスよくまとまっている。銀箔による服の表現がやわらかで、全体を引き締めている。その上で、一点を見つめる女性の眼差しが力強く、何か揺るがぬ決意といったものを感じさせる。(大澤景)

 早川髙師「ぶた 雲に乗る」。樹木や家が並び、屋根から伸びた煙突の上の雲に、愛嬌に満ちた豚が乗っている。木彫によるそれぞれのフォルムが堅牢で、木の肌の質感があたたかい。ちりばめられた緑や赤の鮮やかな色彩がファンタジー性を引き立てている。それは童話の明るい一場面のようで、鑑賞者を和やかな気持ちにさせてくれる。(大澤景)

 堀内有子「青い鳥 ・」。雲のようなふわふわとしたものに、膝をついて乗る少女。石膏だが、空に浮かぶような軽やかさである。明るい赤茶色のトーンの中に表現された小さな目、鼻、口の造作が愛らしい。か細い骨格の頭に止まった青い鳥を、その手に止めようとしているところだろうか。繊細な祈りの気持ちを感じる。(大澤景)

 大場加代子「伊豆の女」。女性の胸もとから上の像である。頰から顎にかけての線、顔の骨格がよく表現されている。凜とした印象の表情がいい。(大澤景)

 嶋畑貢「天使の詩 ・『夢』」。嶋畑が作り上げる子供の姿は実に特徴的である。今回は背の高い椅子に腰掛け、夢の中であろう子供の姿である。椅子に掛けられた布の手触り感のある表現と対照して、子供のフォルムとマチエールが柔らかで共感する。三六〇度、どこから見ても表情豊かであるが、やや丸まった背中の雰囲気も、思わず触りたくなるような独特の魅力があり、嶋畑の力量を思う。(小森佳代子)

 稲垣克次「出逢いそして絆」。深緑色で着色された、左膝を地面に突いて犬を抱き上げる男性。男性の衣服や帽子の造形、犬の毛並みなどが繊細につくりこまれている。両者の出会いの一瞬が、生き生きと表現される。目を合わせ、お互いが歓喜に満ちあふれている様がよく表現されていて面白い。(大澤景)

 笹山幸徳「想う」。豊かな量感をもって表現された、女性の肖像である。少し微笑んでいるような、アルカイックな表情が鑑賞者を惹き付ける。静かに考えているようだ。ゆったりとしたムーヴマンも魅力。(大澤景)

 石田陽介「M'13 Ver.1」。脚は太ももから上だけ、腕は上腕のあたりまでで、トルソーに顔を付けたようなかたちの裸婦である。腰回りを中心とした滑らかなフォルムの中に、若い女性の繊細な骨格が、よく表現されている。女性の清澄な眼差しも魅力。(大澤景)

 神戸峰男「『そして―、そして―、』(collaboration with Miss Liee Ishinaga)」。鮮やかなブルー色の半球の上に女性が乗っている不思議な光景である。上方から見たらまるで蝸牛のようでもある。女性の傍からは一本の道筋のような線が延びている。人生の道程を表しているのだろう。不思議な詩情とイメージが現出している。(小森佳代子)

 石黒光二「嘆きの天使」。映画のワンシーンを見ているような、大理石を思わせるFRPによる作品である。ため息がでるような伏し目の美しい女性、その表現力は石黒ならではのものであろう。足元の石組みや支柱の表情と柔らかな女性の肌、繊細な翼が対照され、美しく哀しい詩を奏でているようだ。(小森佳代子)

 野原昌代「靄の朝」。腰に重心を置いて坐り、スカートをはいた足を崩した女性。テラコッタによる温かな質感に惹かれる。靄の朝に姿を現した、春の精のようなイメージを感じる。(大澤景)

 堤直美「佳日」。女性が少し横を向いて猫を抱いて立ち、顔をこちら側に向けている。地面についた足から頭に向かうフォルムの流れが滑らかである。ブロンズならではの触感。女性は向こう側に目をやっていて、猫は鑑賞者の方を見つめているように思える。その対比が面白く、人間と動物の別々の、時空の狭間を提示しているようである。(大澤景)

 堀内秀雄「思惟―選択の理」。テラコッタによる、素朴な顔立ちをした女性の半身像である。頭から首、肩にかけての鮮やかな曲線による、すっきりとした造形が目を惹き付ける。組まれた両手の指の造形が丁寧で、表情を持っているところを面白く感じた。(大澤景)

 丹羽建生「とり・トリ・鳥 ・」。濃いグレーを基調に彩色された木彫である。一本の木に、五羽の鳥がとまっている。上に一羽の鳥が飛んでいる。木のかたちをそのまま使ったような大らかな枝のかたちや、デフォルメされた鳥たちのかたち。ところどころに入れられた金箔や、鳥それぞれの色彩が、暖かく、味わい深い。(大澤景)

 坂本健「露わにされない言葉」優秀賞・正会員推挙。マフラーをし、大きなマントを着た女性。マントを着ていて体は見えないが、重心がしっかりしている。マントのフォルム、そこに施された金の色彩。マントの下で手を組んでいる姿に秘めた、ミステリアスな雰囲気が感じられる。(大澤景)

 德安和博「朝におもい夕べにおもう」。男女が背中合わせになっている。左肘を高くあげる、筋骨たくましい青年。同じく左肘をあげて、胸をはる女性。筋肉のフォルムや腕の造形など、量感のある肉体の表現が力強い。生命力に満ちた青年たちの像である。(大澤景)

 伊庭靖二「まなざし ・~月明かりの中で~」。月に照らされた水の中で佇んでいるような女性の姿。月の女神のような優しさに満ちていて、独特のフォルムと動きがある。やや広げた手のまわりの空間、背後に携えている木の枝との関係にも注目した。(小森佳代子)

 竹谷邦夫「北の空」。現代風の服装に身を包んだ、細身の女性の像である。体の芯がしっかりと立っている。上着の襟を少し開き、脱ごうとしているところだろう。服装の造形も細やかで、ある情景を切り取ったような、躍動感のある表現である。(大澤景)

B室

 阿部鉄太郎「不機嫌な天使」。現実に、天使が降りてきたような印象である。右足を地に着けて、左足を台座の下に下ろし伸ばしている。難しい造形だが、バランスがうまくとれている。天使は問いかけるような表情をして、腕を組んで少し上向きにこちらを見ている。現代風の女性にファンタジーの要素を混ぜ合わせたような、印象的なキャラクターといってよい。巧みな造形がそれを支えている。(大澤景)

 田畑功「初夏の頃」。心持ち左足に重心を置き、肩にかけた上着を右肩から下ろした裸婦。今にも動き出しそうな、動感のある表現である。初夏の爽やかな一時がイメージされる。(大澤景)

 鈴木徹男「春光」。左足を少し前に出し立っている、量感のある表現。腰が特に力強く、どっしりとしている。銀の色彩の中に、自然な姿勢をした女性のからだが誠実に表現されている。(大澤景)

 一鍬田徹「ある修道院のための聖母子像(・)」。真っすぐ立ち、慈愛に満ちた表情で子を抱いている聖母。清らかな白を基調にした、全体のシャープな形象が目を引く。聖母の帯の色彩と、母子の頭に浮かぶ光背の金箔の色彩が呼応し、聖性を表現する。(大澤景)

C室

 田丸稔「叙事詩の男と馬」。男の顔は馬の肉体に同化していて、激しく駆ける馬に、男がしがみついているような印象である。どっしりとしたボリューム、本のかたちをした台座から抜け出てきたような、三角形の構図が力強い。叙事詩の一ページの情景なのだろう。茶のトーンに表現された馬の顔の陰翳、骨張った男の背中の表現も巧みである。(大澤景)

 森田一成「蓮」日彫賞・正会員推挙。安らかな雰囲気で、有機的な塊の上に身を横たえる裸婦。やわらかな緑のトーンで表現されている。そのまま周りを樹々が囲んでいるように思わせるのは、女性の肉体表現の鮮やかさによるのだろう。すっと伸びた左足から腰、背を曲げて、上げた腕を組み頭を抱くようにしている一連のかたちのラインが流麗である。鬱蒼とした森の奥に見つけた、幻想的な物語と言った印象をおぼえる。(大澤景)

 村上佑介「ある男性の夢遊―電車―」。パジャマを着て、つり革を摑んで立っているような夢遊病の男性の様子がよく表現されている。重心は少し右にあるが、まさに電車でつり革を摑んで立つ時のようなバランスである。二m大で作られた、等身以上の存在感から、揺らめくような雰囲気が発されている。それは現代の都会の生活に通底する不安感に通じるだろう。(大澤景)

 小山信一「思い出」会友推挙。独特なデフォルメで表現された、木にぶら下がる少年の図である。繊細に彫り込まれた顔の表情や、木の質感がやわらかで、量感がある。作家の小さい頃の思い出なのだろうか。ユーモラスな味わいの顔で、鑑賞者を思い出の頃に誘うような不思議な存在感がある。(大澤景)

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