美術の窓

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公募展便り(2013年5月号)

美術の窓 2013年5月号

第57回新槐樹社展

(2月6日~2月18日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 沢田かず江「卓上のハーモニー(2)」青樹賞。テーブルの上に白い花瓶があり、そこに、ドライフラワーのように思われるが、赤い花が差してある。下方に果実がいくつか転がっている。窓の向こうから光が入ってきている。トーンを重視した、豊かな心象的静物と言ってよい。明暗の中に浮かび上がる色彩が魅力。

 芝原裕子「休日の女達」。ハーフトーンの色彩が優しいハーモニーを奏でる。中心に紫や白い花束を持った正面向きの女性が立っている。右のほうには建物らしいベージュのフォルムが見え、向かって左には立って両手を頭の上にのせた女性の横から見た全身像。その向こうには、すこし寝て上体を起こしたようなフォルムが見える。三つのフォルムはお互いに連続しながら、音楽で言うとメロディのような効果を上げる。夢想的な雰囲気のなかに、心に抱いたロマンティックなイメージを優雅に画面の中に表現する。

 森谷洋「馬屋の人」。バーの向こうに馬が一頭いる。バーの手前に白衣の女性が立って、顔を左にひねっている。女性と馬からは心理学的に女性と男性といったイメージもしぜんと感じられて、一種のドラマを予感させる。暗いトーンの中に浮かび上がるような女性のフォルムに対して、考えこんだような重厚な馬のフォルムが対比される。

 加藤益弘「船出の見える窓」。窓の大きく開けられた室内。満月の下に帆船が進んでいる。テーブルの上には白い容器に盛られた果実。壁に蝶の標本。ロマンティックなファンタジー。

2室

 上條淳子「自分探し」。四人の女性が左を向いて立っている。よく見るともう一人、線描きの女性がいちばん左側にいる。ピンクやグレーや黒、ブルーの色面を背景に置きながら、五人の女性が優しく静かに歩いているような雰囲気もあって、面白い。「自分探し」という題名を見てこの作品を見ると、よりイメージが深まる。五人の女性たちを描きながら、自分自身の内部に下りて、自分とは何かといった問い掛けをそのまま絵の中に表現した面白さが感じられる。ピンクが静かなパッションという性質を表す。

 佐藤義文「浦風」。海岸に父親と子供と母親らしき姿がある。上方は海で、上方から見下ろしたかたちで三艘の船が描かれている。面白いのはいちばん左側の船の上方に男女と思われる人物が、一人は座り、一人は立っていることだ。それは家の中の平和な情景である。室内で船と深い関係のある生活を思い起こしている。その静かな深い感情から、この独特のコクのある色彩が生まれたのだろう。いま海は凪いで穏やかで、海との関係のなかに画家は静かにその平和を祈る。

 森本邦雄「紅葉映え」。朱色と言ってもマットな、調子を落とした朱色が、画面全体にあるマチエールのもとに塗りこまれている。それは紅葉のイメージだろう。あいだのその朱色よりすこし明るいジョンブリヤン系の点々とした色彩は、建物なのだろうか。そして、下方には緑、セルリアンブルー、ウルトラマリン、黒などの色面を千切って画面の中に貼ったような、そんな不思議な調子で置かれている。紅葉のシーンの中の朝、昼、夜の時間の推移が下方の色彩の中に描かれているようだ。桜も美しいが、一面の真っ赤に燃える紅葉の中に入ったときのその感動。現象的な要素は後退し、ある力強い空間が画面の中に創造される。バックの赤茶色の色彩は日本の漆、とくに根来などの色彩に共通するような懐かしい味わいが感じられる。

 「稲穂波」は、風の中の一面の稲穂の様子が面白く表現されている。ざわざわと稲穂が風によって靡いている様子が表現される。その風や稲穂の騒ぐ音が画面から聞こえてくるようだ。それをやはり現象的な性質を遠ざけながら、ある造形的秩序のなかに表現する。二点ともに、ずっと見ていると、能を見ているような思いに誘われる。能のもつあの象徴性と幽玄な味わい、生と死の両側から立ちあらわれてくるイメージが表現されているように感じられる。能の登場人物はだいたい死んだ世界から戻ってくるわけだが、稲穂や紅葉の現象が、長い時間の変化をバックに背負いながら表現されているように感じられるところが面白い。

 中島忠「サンマリノ郊外」。フォルムはフリーハンドの線によってつくられる。緑、黄色、赤、紫などの色彩がそこにちりばめられ、秋のフランス風景のイメージが静かにあらわれる。

 日高昭二「アドリヤ海紀港」。岸壁と船、集落。そういったフォルムをブルーの中に表現する。月を地上近く引き寄せる。雪が降っているような深々とした味わいも感じられる。画面の中にひとつの海と季節をつくりだし、人生は旅であるといったイメージを画面の中につくりだす。

 堀川素弘「昆虫の石碑」。画面に三つの柱があり、その間に三列と四列の矩形がとられて、上下は九つ、計六十三の枠がとられている。両側にも一列、枠がとられていて、その中に蝶やトンボ、クワガタムシ、蟬などのフォルムが入れられている。グレーをバックにしてそれぞれのフォルムが置かれている。夏になると、蟬が激しい勢いで鳴き出す。トンボは空を飛ぶ。クワガタムシは木の幹を這い、洞の中を動き始める。そんな激しい生命の歓喜が短時間のうちに過ぎて、やがてあっという間に死んでしまう。ここには死と生の両方に軸足を置いたところからあらわれてきた命の切なさが表現されているように感じられる。生と死のモニュマンと言ってよい。

 大槻博路「'13 棚田シリーズより 黙っては…!!」。田植えする前に代搔きと言って、泥を搔く作業がある。そんな泥を掻くようなマチエールで、緑がかったグレーが画面全体を覆っている。そこに十字形の静かな緑のフォルムがあらわれる。右上方は建物の屋根のように感じられる。左右に動いていくフォルムは六月か五月頃の梅雨を間近にした集落のように思われる。それに対して、その前に上下に動いていく緑の複雑なトーンをもつ塊があらわれているところが面白い。それは植物や樹木の命といったものの画家のイメージのように感じられる。とくに春が終わり梅雨が来る手前の命の強いイメージが、筆者には今回の画面の中に感じられる。それを一種アンフォルメルふうな力強いマチエールと動きのなかに表現する。

 三家明子「今―2013(B)」。塗りこまれた紫がかった褐色の、ほとんどモノトーンに近い色面に、ふかぶかとした空間が生まれている。下方に川か道を思わせるようなうねうねとした黒い筋が三本入っている。それがまるでこの抽象的な画面の中で生きているように感じられるところが面白い。世界を自分の内界に取り入れたうえの表現と言ってよい。深い祈りのような性質も感じられる。

3室

 照山ひさ子「Domani '13-1」堀田賞。画家はイタリアにしばらく滞在しているうちに画面が変化してきた。長い歴史をもつイタリアの風景や暮らしからインスパイアされたイメージが、この厚いマチエールをもつ画面に浸透してきている。一つの古い壁が画家のイメージを映すスクリーンとなっている。あいだの亀裂が道のようなイメージを醸し出す。剝げた壁の青みがかったグレーがまるで川のようだ。そこにタンポポの綿毛のようなものが飛んでいるのが、まるで星のように感じられる。

 同じような作品でもう一点の「Domani '13-2」は、中心の丸に十字のフォルムが入れられて、舵輪のようなイメージのあらわれているところも面白い。その背景はやはり壁で大地や空や海などを想像するわけだが、その中を旅するイメージが、このフォルムに舵のようなイメージを与えて、ロマンティックな味わいを醸し出す。

 戸田寛一郎「故里 ・」。晩秋の光景だろう。樹木が様々な色彩に紅葉している様子が上方に描かれ、下方には池があるようで、それを映して、また違った茶褐色の色彩があらわれている。そして、水の手前の水際にある紅葉した植物と針葉樹の黒い群れ。対岸には建物が黒々と描かれている。色面の内側から静かに光があらわれているような味わいもまた魅力である。紅葉している様子は一種の現象だが、この画面を見ていると、その晩秋の時間のなかに画家は入り込んで、この風景の内側からこれらの景色を照らし出しているような、そんな精神的なニュアンスが感じられて興味深い。

 森畑哲夫「風のかたち(B)」内閣総理大臣賞。小さな球が無数に集まって画面全体を覆っている。それぞれ浮遊している。お互いが関係をもちながら、なにか強いエネルギーが生まれている。じっとみているとハートの形のようなものもみえてくる。「風のかたち」という題名だが、都市の中の人間たちの姿のようにもみえてくる。独特の寓意性をはらんだ表現。

4室

 早川義孝「サーカスの10月」(2005年)。早川義孝が亡くなった。それを顕彰する意味で、一部屋が早川さんの作品で陳列されている。シンドバッドの船、太陽を背景にした塔、鳩とサーカス、サーカスと月などの繰り返されたモチーフの油彩画による作品が並んでいる。サーカスのブランコが二つ吊るされて、静かに揺れている二〇〇五年の作品は、黄色い色面の向こうに黒々とした空間があらわれ、無人のブランコが揺れている。亡くなったあとにこの作品を見ると、なにか悲しい気持ちになる。画家は画家である以上に詩人であった。まずイメージが大事で、そのイメージを繰り返し詩的造形の中に表現した。この絵というより、あの絵といった雰囲気で、だれもがその絵の中に自分の憧れとか夢想、悲しみ、様々なイメージを重ねることのできる器のような作品と言ってよい。ずいぶん長く深く付き合ってきたが、年譜を見ると、一九三六年、浅草に生まれて、二〇一二年に亡くなったことがわかる。作品を見ていると、立派な仕事を十分にされていったことがわかり、ご苦労様でしたという気持ちになった。合掌。

5室

 菊間浩亮「教会への道」。橋の向こうに素朴な教会がある。屋根の上に十字架が見える。その教会の背後にステンドグラスを思わせるような色面的なフォルムがちりばめられている。教会を荘厳するイメージなのだろう。ベージュを中心とした中に赤やブルーが輝く。また、橋の下方に水が流れていて、その水が上方のフォルムを映し出してリフレインさせているところもまた構成の妙と言ってよい。宗教的なテーマを使いながら、陰惨なものではなく、明るいファンタジーとしてまとめているところも魅力。

 今津弘子「予感」。グレーに複雑なニュアンスがある。川の向こうに白い建物が見え、その背後はシルエットのフォルムになっている。水が濃いグレーの中に表現され、その中に微妙なニュアンスが入れられ、ところどころ船が曳航している。上方のグレーの空に大きな細長い雲があるのが、まるで生き物のようだ。題名のように予感とかときめきといったイメージが、この風景の中に浸透している。そんなイメージを受けながらグレーが静かに豊かな内容を醸し出す。

 浅見輝代「緑の広場に集まって 1」。女性が二人、右のほうに歩いてくる。後ろ姿の女性がその背後にいる。円弧と直線を組み合わせながら、色面構成的に色彩をちりばめる。緑を中心としてブルー、黄色、ピンク、紫などの色彩がロマンティックなハーモニーを醸し出す。とくに右側の女性のフォルムが魅力で、左側の女性に語りかけているような雰囲気で、繊細な味わいが感じられる。

 高津智絵「ひとつの関係」堀川賞。まるで画面のものたちが歌い出すようだ。上方には半月を思わせる黒い色面の上に太陽を思わせる赤い円があり、その上に干した鰯のような魚や蕪が置かれている。下方にはやはり同じような半円状のテーブルの上に、林檎やコップや水差しなどが置かれている。視点を変えながら、つまり上方から見たフォルムと横から見たフォルムを組み合わせながら、そのものたちがアンティームな雰囲気のなかに生活の歌をうたっているような、そんな雰囲気が興味深い。

6室

 木下恵美子「海の幸 B」。魚や巻貝やカニなどを画面全体に配して楽しいリズムをつくる。紫や緑や青のパステルカラーが優しいハーモニーをつくる。海の豊饒を歌う。

 鈴木美絵子「旅の途中」。赤いワンピースを着た女性が立っている。その膝から上が画面に描かれて、背景にはヨーロッパの教会のようなフォルムが浮かんでいる。女性と建物のあいだに妖精のような女性が座っている。女性の両側に二つの車輪が見える。車輪は旅の時間を表すのだろう。「旅の途中」という題名だが、旅をしたあとに旅を追想しながら、自分の人生を旅というように形容して、その人生を重ねながら、独特のロマンティックな時空間を表現する。色彩感覚のよさにも注目。

 潮來永子「キラキラ星」。ヴァイオリンを弾く先生の周りに五人の子供たち。いちばん手前には白猫が座って、その音楽を聴いている。メロディは星となって画面の中を浮遊している。素朴でナイーヴな表現に注目。

 窪田千寛「時代の風」。杭の上に鳥がとまって鳴いている。二本の足でその杭を摑み、一本の足が手のように立ち上がっているところが面白い。下方には地面に下りた鳥がいて、上方には二羽の鳥が飛んでいる。うねうねと山が三重に後退しながら描かれている。茫漠たる田園風景の中に孤独な魂が友を求めてメッセージを発信する。どこか日本の詩の世界を思わせる。たとえば山頭火のような。

 もう一点の「時代」は、ホームレスが横になっている姿。上方に三枚の矩形のキャンバスとも窓とも見えるフォルムがあり、エビと巻貝と、黒いカラスがやはり杭の上にとまって鳴いている。水墨画のもつ直接的な表現力が油彩画の中に使われている面白さも感じられる。

7室

 高﨑三知子「翡翠色の風」。裸婦の群像である。ヒューマニスティックな味わいが魅力。もう一点の「残されたものたち」を見ると、やはり最近起こった東日本大震災に対する思いがテーマの底にあるようだ。中に男も一人いるが、数人の裸婦を配したそのコンポジションの力に注目。

8室

 三島正子「森への賛歌(A)」。青の中に緑やジョンブリヤン系の色彩やピンクなどの色彩がちりばめられている。夜の明ける頃の植物の様子、あるいは黄昏れて日が沈んだあと一瞬輝くように、植物の様子が画面の中に呼吸をするように表現されている。その一種抽象的な味わいと植物の息吹のようなものの感じられるところが面白く、また、青の中のピンク系の色彩は花が咲いている様子を表現していると思われるのだが、繊細なイノセントな魅力がそこに感じられる。

 志田久子「夢人ラプソディー」会友賞。道の向こうにたくさんの建物が大小立っていて、それがまるで地面から生えた茸のようなファンタジックな雰囲気をつくりだす。手前の道の両側にピアノの鍵盤のようなフォルムが置かれているのも楽しい。テーブルの上に建物が置かれているというイメージも面白い。心の中に一つの街を想像しながら生き生きとした生活感情を音楽のように描いていて楽しい。

10室

 早川よし子「ひととき」。キッチンの机に肱をついて体をすこし前に屈めている女性の横から見たフォルムがクリアに描かれている。手の表情や目の表情などがロマンティックな瞑想的な雰囲気を醸し出す。ワンピースの赤と周りの黄色や紫などが優しいハーモニーをつくる。

14室

 川向武志「Blight Line(Dry)」。道がカーヴしながら向こうに続いている。中景には集落があり、遠景には低い山がある。道はハイウェイのような広さがあって、両側に裸木が立っている。残照の中に染められた光景で、シルエットの樹木がそれぞれ生きているように表現されている。独特の心象風景になっている。

第45回記念等迦展

(2月6日~2月18日/国立新美術館)

文/磯部靖

1室

 中台雅幸「草原の中で」。明るい色彩の扱いが心地よい。細やかな筆の扱いで緑系の色彩を施していっている。小高い丘を遠くに望む草原に三人の女性がこちらを向いて立っている。向かって右側の白いシャツの女性から左に行くにつれて、後方に描かれていっている。その間の取り方が、作品に独特のリズムを作り出している。どこか意識的にお互いに距離を取っているような、現代人の人間関係を暗示させる画面構成が特に印象深い。

 ジョージ・ジャービス「憾恨」第45回記念大賞。暗い森の中で半裸になった若い女性がわら人形を樹木に打ち付けている。何とも恐ろしい雰囲気である。女性の頭部に付けられた二本の蠟燭が周囲を仄かに照らしている。深い情念を画面全体で感じさせながらも、こちらを向いて目線を合わせた女性の表情がそこまで憎しみに歪んでいないところが、逆に印象的でおもしろい。しなやかな女性のフォルムを描き出すデッサン力にも注目する。

 蒲原勝美「利根川残照」。遠景に利根川を望む風景をしっとりと描き出している。雪を被った大地は青みがかっていて、川面は夕陽を受けて朱がかっている。その柔らかで繊細な色彩的コントラストが、暗色によって象(かたど)られた雑木林などと共に何とも言えない情感を運んでくる。そういった現場の臨場感をじっくりと描ききっているところがこの作品の良さだと思う。

 白井弘「薄桜図」。スポンジを使った独特の表現で桜を描き出している。力強い樹木を支えにしながら、その周囲に桜の花が咲き乱れている。上方には暗色も入れられていて、夜を背景に花がうっすらと輝いてもいるようだ。日本人と桜は古くから深い関係を持っているが、そういった鑑賞者の桜に対する想いを深く受け止めて、それを作品の魅力として発信しているように思う。大胆さと繊細さを兼ね備えているところもまた奥深さを感じさせる。

 松田千代子「錆(にびいろ)色(にびいろ)の街・テト」文部科学大臣賞。これまでよりもかなり心象的要素が強くなってきたようだ。画面の中央に深い暗色が縦横に施されている。背後は赤と黄土色で、極めてシンプルな色づかいである。「テト」はベトナムの旧正月のことであるが、かつて訪れたその街のイメージを、画家は自身の中で濾過・抽出を繰り返すことによって、今回の作品を描き出した。現地の空気と大地、街の喧噪、人々との出会い。そういったものが、鑑賞者の脳裏に感覚的に訴えかけてくる。強い余韻を残す作品である。

 大久保孝子「Demain」。「Demain」はフランス語で「明日」という意味である。向かって左を向いた女性が、上方を見つめている。右手には小さな双葉を持っている。背後には青や緑の色彩が施されているが、特に青が激しい波の動きを思わせる。また、上方には大きく地球の姿が見える。東日本大震災から暫く経ったが、未だに被災地の復興は遅々として進んでいない。しかし我々はこれからも日々生活をし、生きていかねばならない。そういったことへの希望とそれを持つことの大切さが、この作品には込められているようだ。直線や曲線、矩形や円を随所に使って引き締めながら、見応えのある画面を描き出している。右上に描かれた茶色のシルエットになった二羽の鳥と双葉が静かに呼応しながら、明日への希望を未来へと運んでいく。

3室

 永井信子「帰り道」。雪の降り積もる大地に空けられた道を一人の少女が歩いていっている。今もまだしんしんと降る雪が、しーんとした気配を醸し出している。少しの寂しさと家族が待つ家の温もりが、鑑賞者をノスタルジックな気持ちにさせる。縦に伸びる太い道と、それに交差する細い道。右上方の家々など、大胆な画面構成が特におもしろい。

9室

 櫻井公子「銀河の森に降る夢は」委員賞。繊細な描写で様々な色彩を扱っている。画面全体が強い生命力に満ちていて、それが独特のファンタジックな世界を作り出している。強いイメージの力によって描き出された、生命賛歌といってよいような、喜びに溢れた魅力が印象的である。

第47回東方展

(2月22日~2月28日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 大塚達夫「うつろふ」。光線が独特で、一種神聖なイメージがその光線に感じられる。ワンピースを着て仰向けに寝た女性の下にシーツのしわが広がっていく。上から見下ろした女性のフォルムも柔らかく、その曲線の連続性の中に不思議な温もりが感じられる。女性の体温や心臓の音も聞こえてくるようなリアルな写実に対して、上方から差し込む光はもう一つの世界から来るもののようで、一種の宗教性さえも感じることができる。

 高頭信子「花火の景色」。二つのパネルを横に二枚つなげた構図である。二つの画面にまたがるように大きな岩が近景にある。右のほうには海があり、精霊流しのような赤い船や光が進んでいき、上方に大輪の赤い花火が散っている。左のほうには中景に岩があり、繊月を思わせるような光が下りてき、上方にやはり花火がある。右のほうは実景で、左のほうはその実景の奥にあるもう一つの世界のように感じられる。いわば幽界と言ってよい。その幽明界を区切るものとして下方に大きな岩があるのだろうか。そこに波が渦巻いている。波は時間の象徴のように感じられる。時間が渦巻き、止まってしまった左の世界と右の精霊流しの敬虔な魂を呼ぶ招魂祭のイメージ。上方の大輪の花は生と死の二つながらに対して不思議な哀愁の表現のように感じられる。墨のもつ力をベースにしながら色彩を引き寄せて、独特の心象風景を描く。

 大塚扶佐子「夕彩に包まれて」。テトラポットの上に黒い鵜が二十羽近く並んでいる。夕方の光が黄金色に海を染めている。手前の水草に対して、遠景には建物が立ち、工場のようなものも見え、橋がその上方を渡っている。現代の都市のある風景の中に鵜や水草があらわれることにより、時間というものを超越した世界があらわれ、不思議な懐かしさを引き起こす。

2室

 岸加寿美「会話の回廊」。石畳の廊下の右にアーチ形の柱が並んでいる。その隙間から光が差し込む。向こうの壁の前に女性と男性が座り、立っている青年と会話をしている。淡々と描きながら、物質感と光のもつリアリティがよく表現されている。回廊の大きな空間の中にしんとした気配があり、そこに会話をする男女がなにかミステリアスな存在として遠景に描かれて面白い。

3室

 鈴木裕貴「街」。左にガード下の建物が見える。右のほうには大きな看板をつけた建物が並び、そのあいだを車が走っている。左のガード下の店のそばを人々が歩いている。グレーが下方に置かれ、上方にむかって色彩がだんだんとあらわれてくるという様子。しっとりとした色調の中に都会の一情景を情感豊かに表現する。

 川出登「臨海の不夜城」奨励賞。コンビナートの建物群を光を映す水の手前から描いている。夜のコンビナートで、照明がつけられていて、お城のようなイメージがあらわれる。楽しくリズミカルなコンポジションとなっている。煙突から煙が上っているのも、この工場の息のようなイメージを感じさせる。光と戯れるような建物の表現が生き生きとして鑑賞者を招く。

4室

 長瀬喜久男「向日葵脈々 ・」。長瀬は枯れたドライフラワーの向日葵をモノトーンの中に表現し、左に咲き誇る向日葵を黄色の中に描いて、対照的な作品だが、いずれも魅力である。とくに大きな向日葵が花弁を広げて並んでいる様子は、この絵の中では大きな目玉をもつ生き物が立ち並んでいるようなあやしさである。葉は白く幻想的に描かれ、その周りに白い炎のようなフォルムが置かれている。花を仏のように感じさせ、その周りに火炎を置いたような、一種仏画的なイメージもあらわれてくる。また、枯れた、うなだれた向日葵の様子と、白による葉の表現。ここにも背後に炎が描かれ、枯れてしまった向日葵であるが、それ全体で時間の象徴のようなイメージがあらわれているところが面白く感じられる。

第30回記念FAA展

(3月1日~3月8日/東京都美術館)

文/磯部靖

1室

 佐藤整子「道の途中 ・」。向かって左を向いた女性を中心に画面が展開している。女性の肩には黒い鳥が留まっていて、重なるように樹木が描かれている。奥は草原になっていて、遠景に街が見える。どこか孤独感を誘うところが切なさを感じさせる。人生における不安と期待を若い女性の姿によってメッセージしているところがおもしろい。特に画面構成にじっくりとこだわっているところが見どころである。

 楽山正幸「東西四季模様」。画面の中央に一本の樹木が立ち上がり、その二股の部分に白い衣装を着た画家自身を思わせるピエロが座っている。その周囲には様々な風景が描かれている。京都や飛驒、小布施などの日本の風景が向かって右側に。ポルトガルやイタリア、スペインなどヨーロッパの風景が向かって左側に。何れの場所も、画家が取材に訪れた地である。楽山作品特有の柔らかなパステル系の色調で、心地よい詩情を作品に引き寄せている。画面には白い紙飛行機がいくつも飛び、それぞれの風景に画家のイメージが広がっていくような感じである。

2室

 鈴木律子「夜のヴェルナッツア」。港町の風景を少し斜め上から見下ろしたような構図である。手前の入江が三角形を作り、その周囲には建物が密集している。いくつかの光が仄かに灯り、幻想的な世界観を感じさせるところがおもしろい。青みがかった画面全体の色彩の中に、そこで過ごす人々の気配が、緩やかな時間の流れの中に描き出されているところもまた興味深い。

 浜松一誓「漆黒の空に放たれた籠の鳥」。画面の奥へと長く続く列車に老女と男が乗り込もうとしている。男はキャンバスなどを抱えた画家風の装いで、その右手から白い鳥が放たれている。モチーフそれぞれの流れるようなフォルムが特徴的である。暗色をバックにした浮遊するような物語性の中に、ロマンティックな響きが特に印象的である。

第37回从展

(3月2日~3月8日/東京都美術館)

文/大澤景

3室

 尾藤敏彦「窠 ・」。父にすがる痩せた子が二人いる。その下方に、横たわる女性のフォルムも見える。裸で動物のように身体を寄せ合う家族が描かれている。浜辺の洞穴なのだろうか、奥には海が見える。上方には、別の家族が見える。その情景は、ほの暗い夕暮れの光の中に溶けいるようである。人間の棲み家の一つのすがたである。テンペラと油彩の混合技法によるマットな質感、茶褐色を基調とした、ノスタルジックな色感にも注目した。

4室

 成田朱希「落華傘」。落下傘のようにスカートを広げ、若い女性が上から降りてくる。タイツをはいた足のフォルムが、ポルノグラフィーのように強調されている。こちらをぼんやりと見つめる目線、少し開いた口の様子が悩ましい。ストイックな印象の鉄製の額はLUNEの作品であるが、その向こう側に閉じ込められてしまった少女のようにも見える。額も含めた確かな構図で、ひとつの耽美的シーンを作り上げている。スカートの赤、肌や足の色感も艶やかで目を惹く。

5室

 大野俊治「おおきなおじさん[MAGICIAN]『剝製の青い鳥いかがでしょう…。』」。アジアの物乞いのような、あるいは太古の香具師(やし)のような、飄々とした存在感がある。シルクハットから取り出した青い鳥は剝製で、それを通りがかる人に勧めている。希望の象徴であるはずの青い鳥が剝製であるという、ドライなブラックユーモアの一幕を、丁寧に作品として昇華している。開いた口の奥に、別の顔の鋭い目玉がのぞいている。作家自身の姿だろうか。「おおきなおじさん」はシリーズで多数出品されていたが、それぞれがそれぞれの風刺を託された、ユニークな妖怪のようで面白い。

6室

 郡司宏「大鴉・B」。茶色い画面の全面に白や薄い橙の色彩が乱舞している。大地と空がつながったような空間の中に、さまざまな魂が、カラスの群れのように躍動している絵図である。そのように一定のリズムを持って生命を点じていく作家の呼吸が感じられるようである。

第89回白日会展

(3月20日~4月1日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 有田巧「白い森」。背景に大きな象が一頭いる。下方にはトナカイや犬、莵、馬、そして座ってパイプをふかす男。下方にはトランポリンがあって、上方に飛び上がったもう一人の男。画家のつくり出した空想の動物園といった趣である。隈取りしたしっかりとしたフォルムを組み合わせながら、独特のリズムをつくりだす。フレスコのマチエールが強く、独特の手触りを醸し出す。一種壁画的な構成と言ってよいかもしれない。

 吉田伊佐「秋容」。水が速いスピードで流れてくる。その水の表情を生き生きと捉える。中景に崖があり、その反対側は斜面になっていて、そこに立つ樹木に柔らかな光が当たっている。光もうまく画面の中に導入しながら臨場感があらわれる。

 大友義博「華やぐ頃」。椅子に座った若い女性。青いワンピースを着て、左手を下方に伸ばし、靴の紐に触っている。そばに姿見があって、その姿を映している。暖色系の色彩が温かい。そして、そのようなしぐさのなかにこの女性のもつ生命感や清潔な色気がしぜんと浮かび上がる。そばのオレンジや青い花が、この茜色に染まったような空間の脇役として生き生きとしている。

 寺久保文宣「ECHO―海と空」。色面を重視した作品である。赤や青の原色を使うことによって、独特の強い色彩効果があらわれる。近景には浜に寝そべる裸婦。背後は赤や茶褐色の色面で、ボートのようなものがあるようだ。そして紺碧の海。それはウルトラマリン系の色調で、空はセリルアン系の色調。白い雲がきれぎれに浮かび上がり、真夏の幻想といった趣を醸し出す。風景の中に動きを見つける。同時に、広がりのある空間があらわれる。造形の基本を捉えた見事なコンポジションに注目。

 髙梨芳実「ボルドーのコスチューム」。褐色の布を敷いた肘掛け椅子に女性が座っている。女性は、葡萄色というのだろうか、紫色がかったワンピースを着て、落ち着いた雰囲気である。そばの丸いテーブルに籠があり、赤い布が置かれている。暖色系の色彩の微妙な変化のなかに捉えられた雰囲気はノーブルである。フォルムがしっかりしていることとヴァルールが精妙であることによって、独特の静寂の中に緊張感に満ちた空間が生まれる。

 湯山俊久「春待月」。赤、オレンジ、茶の縞模様のワンピースを着た女性。白いブラウスが映える。立って、右に顔をひねって遠くを眺めている。体の前で左手の上に右手をすこし置いたそのなにげないしぐさ。そこに独特の気配が生まれる。立っているポーズの中にある微妙な動きが、よく画面の中に生かされている。優れた造形表現である。また、下方の赤やオレンジなどの茶褐色の縞模様の色彩を見ていると、その赤が鮮やかで、朝日のような希望に満ちたイメージもあらわれる。

 広田稔「キムさんのかたち」。キムさんが踊っている。その連続した五つのフォルムを一つの画面の中に統合して、独特の生気ある画面をつくりだす。画家は優れたデッサン家である。日々のドローイングの力が十全に生かされている。ドローイングの線がこの激しい動きをするキムさんのフォルムを捉える。そのフォルムを組み合わせながら、ある踊りの時間が生まれる。背景はかなり抽象的で、まるで黄色やピンクの花を上方から降らしているような趣である。あるいは、下方のピンクのフォルムを見ると、キムさんの熱気によって光が生まれ色彩があらわれてくるといった、そんな様子でもある。そういった色彩をなにかの固有のものではなく、動きというもののなかからあらわれた意味のある色彩として引き寄せているところも面白い。踊りという、持続する時間のなかに現れる魅力を絵画という静止した画面の中にどう表現するかというところから発展した、強い生き生きとしたコンポジションである。

 店網富夫「麗かな水辺」陽山美術館ルピック賞。水が静かに蛇行して流れている。両側は畑があったり、雑草が生えていたり、灌木が茂っていたりしながら、相当の広さのある平野が広がっている。そして、遠景に低い山が見え、白い雲が浮かぶ。水は空を映して白く、あるいはグレーに輝いている。この風景の中を流れる水というものの表情が実に魅力的である。水のもつ聖性ともいうべきものが、この一種平凡な風景の中に引き寄せられているところが興味深い。

 永瀬美緒「・─・とは」白日賞・アルトン賞・会友推挙。障子のある室内に椅子に座った女性が本棚の本に手を伸ばしている。右手には大きな画集のようなものを持っている。そんな情景を淡々と描く。ハイライトは障子の明るいグレーで、室内のすこし沈んだような空気感がよく表現される。和の空間がなにか懐かしい。

 鷺悦太郎「クロワール」富田賞・会員推挙。若い女性が立ち、両手を重ねて上方を眺めている。フェルメールにこのようなポーズの絵があったかもしれない。オーソドックスな表現である。女性全体のマッスもディテールもよく捉えられている。人間の祈る気持ちを素朴なコンポジションの中によく表現している。筆力のうかがえる作品。

 丸山勉「小春」。画面全体がグレーのバックになっている。そのバックはどことなく銀灰色といった様子があって、写楽の背景に使う浮世絵の雲母刷を思わせるところがある。そこに横座りになった女性が靴に手を置いて下方を見ている。その体をひねったフォルム、そして明るいベージュの上衣と赤いスカート、黒褐色の靴、黒い髪。そばには、リュックとアマガエルがいる。アマガエルはフェイクなおもちゃなのだろう。しかし、ストラップにそういった小動物や昆虫をつける習慣は江戸時代の根付の頃からあって、現代の女性の中にも息づいている。そこに日本人らしい現代の風俗の一端があらわれる。こういった現代の女性と向かい合うところから生まれた画家の表現が生き生きとしている。写楽のバックの雲母刷について述べたが、その意味では当時の浮世絵が風俗画であったように、画家のこの女性も現代女性の風俗画といった性質もあわせてもっていると思う。アクリルによる独特のマットなしっかりとしたマチエールに手触りがあって、背景のバックと呼応する。いずれにしても、一瞬の動作の中に現代の女性の不思議な魅力を捉えた佳作である。

 小尾修「画室」。若い女性が裸で革の椅子に座っている。床はフローリングでキャンバスが壁に立て掛けられている。題名のようにアトリエの中にポーズする女性である。そのアトリエの全体の空気感までも表現されているところが、実にリアルな雰囲気を表す。上方は窓になっていて、戸外の樹木が見える。いずれにしても、光によってあらわれてくる存在を画家は表現する。その方法はバロック的である。画家はレンブラントを尊敬していることはよく知られている。呼吸をしている一人の女性が、静物ではなく人間として描かれてくる。存在のもつ謎、不思議さというものをよく表現する。

 小木曽誠「フィレンツェ」。フィレンツェの街並みを上から俯瞰している。一つひとつの建物、あるいは屋根、窓の様子がクリアで、それが広がっていくなかに独特の動きがあらわれる。はるか向こうの山を背景にして建物がだんだんと手前に向かってきている様子は、フィレンツェという一つのテーマを比喩的にいえば、ピアニッシモからフォルテに向かってだんだんとクレッシェンドになっていく様子である。一種音楽的感興を覚える。クリアな具象性がそのような一種の抽象性、音楽性ともいうべきものを引き寄せるところが、この画家の魅力と言ってよい。

 高根沢晋也「最後の晩餐」。金を背景にした黄金テンペラである。料理をしている様子を面白く、物語ふうに描いている。三人の女性がテーブルの向こうにいるが、テーブルの上での料理は小人たちが協力して行っている。背後には不思議な崖のある山や道や樹木があらわれている。そして、キリストの最後の晩餐のイメージがアーチ状の画面に描かれる。まだ十二使徒は現れてこず、キリストが一人で白いテーブルの向こうにいる。一つひとつのものはそれぞれの意味をもっているわけだが、それらが集合することによって、時間の不思議な働きが、絵画として比喩的に表現される。そこにストーリー性が生まれる。シェークスピアのある劇について河合隼雄が、それは恋愛物語ではあるけれども、実は心の中の働きが小人の働きのなかに寓意化されているといったことを述べていたが、そういったなにか不思議な心の働きのような表現となっているところも面白い。

 青木良識「近江町市場 2013」梅田画廊賞。魚の盛られた台を囲む男たち。お客と魚の仲買人の姿。バックは黄色い調子で、テーブルの上が白く、あるいはピンクに輝いている。人間たちはシルエットふうに表現されている。活気のある市場の様子が親密に表現される。ヴュイヤールやボナールなどの親密派の画家と共通するような、穏やかな中にある絵画としての魅力が感じられる。

 杉本幸江「エピローグ」会員推挙。ドラマが終わったあとの物思いにふけった雰囲気、アンニュイな様子がよく表現されている。ブロンドの女性が座り、煙草をふかしている。バックにはバレーや映画のワンシーンのようなものが壁に貼られている。的確なデッサン力がアンニュイな中にある動きともいうべきものを表現する。

 吉成浩昭「ソファのある部屋」白日賞・会友推挙。緑のソファに少女が横になっている。手前にテーブル、そして敷布があり、そこに皿やポットや果物が置かれている。花瓶には花が差されている。視点を移動しながら上から見たり横から見たりする、その視角の変化のなかにあらわれてくるフォルムを画面に合成する。それによって動きがあらわれる。緑を中心とした色彩の中に黄金色の光がここに差し込んでいるような魅力が感じられる。

2室

 児玉健二「月の塵」。柔らかな緑やグレー、黄色などのハーフトーンの中に裸婦がオレンジ色に浮かび上がる。腰のあたりに黄色い円が描かれている。まるで空に浮かび上がる裸婦。裸婦を通して満月がその向こうに透視されるといったような、ロマンティックな表現である。絵画というより音楽のもつ和音的な力、その喚起するイメージを、一枚のキャンバスの上に表現する。

 阿部良広「China Rosesが流れる部屋」。「China Roses」はアイルランドのエンヤという歌手が歌う曲である。少女が背後に寄り掛かるようにして立っているが、それぞれのクリアなフォルムが魅力。独特の質感が感じられる。それは木綿の質感のような素朴なもので、一昔前の少女のようなイメージが感じられる。曲線を繰り返すなかに、この少女を中心として静かに波紋が周りに放射していくような、そんなムーヴマンも面白い。

 井阪仁「風薫る」。満開のピンクの薔薇の花が数限りなく咲いている。その過剰さがこの作品の独特の生命感を醸し出す。バックが金箔であるために、余分なものは除かれて、一種のイコン的なイメージがあらわれる。ピンクの薔薇のイコンと言ってよいわけだが、くわえて、それぞれの薔薇の緻密な細密な描写がまた独特の生気を醸し出す。

 木原和敏「coffret」。木製の丸い机の向こうに清楚な白いシャツを着た女性が頰杖をついて座っている。右手を銀色のコフレット(小箱)に差し延べて、真珠のネックレスに触っている。やがて結婚するであろうこの女性のもつしっとりとした雰囲気。柔らかな清潔な色気とも言うべきものがよく表現されている。強調するように、その背後にある白いレースのカーテンもそうだし、グレーの壁もそうである。女性のもつそのような魅力を、画面の中に空間をつくり、女性を描くことによって表現する。くわえて、真珠の丸い粒とこの丸いテーブルとが奥深いところで呼応し、丸いテーブルが水面のような、あるいは光を受けて輝く月のような独特のロマンティックなイメージを醸し出す。

 大山富夫「楽士たちのささやき」文部科学大臣賞。五人の女性たち。ピッコロやサックス、ホルンなどを持っている。ある一つの連続性によって描かれて、強いリズムが生まれる。会話がこの女性たちの表情に反響し、笑いを誘っている。そんな一瞬の様子をストップモーションのように画面に捉える。

 李暁剛「裸婦」内閣総理大臣賞。ベージュの布が椅子の上に置かれて、その上に若い女性が裸になって座っている。この女性のもつ処女性ともいうべきものが柔らかく表現される。背後に果実の実った枝がバックの中に入れこむように表現されている。女性が成熟し、実る、そんなイメージを背景とクリアな女性のフォルムによって生き生きと描く。また、月の光が差しているような、そんなロマンティックな雰囲気も魅力。

 阿方稔「儚なき旅」。アンフォルメルふうな空間の中にオレンジ系の色彩やブルー系のグレーなどが入れられている。横に向かう動きと斜め上方に動く動きが交差するなかに旅のイメージがあらわれる。時間が未来に流れると同時に過去にも向かう。そんな中にかたちにならない記憶が浮かび上がってくる。

 石垣定哉「噴水のある庭園」。独特の動きのある画面である。中心に噴水が描かれている。上方に向かい、やがて弧を描いて下方に向かうその動きが、ある生命の象徴のように表現されている。周りに花の赤い塊。背後に宮殿のような黄色いフォルムの連続。その後ろには山全体が赤く染まったようなイメージ。そして手前に寝そべっている犬。青、緑、黄色、ピンクなどの色彩が輝くようで、お互いに強く生き生きとハーモナイズする。ムーヴマンと色彩による表現である。

 平澤篤「rosa・rosa/bianco」。レース状のワンピースやストッキングをはいた若い女性が両手を合わせて立っている。後ろに白い薔薇の花が咲いている。バックは黒く、上方に金が使われている。画面全体を一つひとつ丁寧に織り込んでいくような手法で、この若い女性のもつ愛らしさ、魅力を描く。まるで時間を止めて、一つのこの画面の中に新しく画家が創造したような女性のイメージが興味深い。

 牧内則雄「朱夏」。ピンクの芙蓉の花が満開である。面白いのは支持体で板の上に描かれていることである。板はそのままこの芙蓉の花のバックとダブルイメージとなっている。そこに三匹の蝶を飛ばす。板の上方に金が使われているのも独特の装飾性である。写実と装飾とのクロスする表現に注目。

 山本大貴「Silky Night」。シルクのワンピースを着たブロンドの女性が座り、右手を足首のほうに差し延べている。そばに脱いだハイヒールがある。女性にポイントを当てて、光が満ちている。背後のカーテンも手前の観葉植物も柔らかくぼかされている。あるシーンをピックアップして強調するためのコンポジションである。光が心のときめきのように使われている。右手に金属の小さな球を連ねた腕飾りが置かれている。その連続した光の様子などもシルクの衣装と対置させながら、独特のときめきのような心象を喚起する。背後の木の椅子の背の連続したフォルムも同様で、造形と同時にリズムやメロディといった一種の音楽性が構成の背後にあるところも、この作品の魅力と言ってよい。

 曽剣雄「昔の光」。古びたテーブルの上に水筒や刀、懐中時計、ガラスの球体などが置かれている。暗いバックに軍艦のフォルムが浮かび上がる。斜光線が差し込む。日本が敗戦して六十八年たつ。しかし、最近の尖閣諸島であるとか、なにかきな臭い雰囲気が漂っている。そんな社会の動きに対して画家は敏感で、終わってしまった戦争のイメージがもう一度画面の中に立ちあらわれた。とくに手前の静物のもつクリアな質感までも表現する描写力がそのイメージを支えている。

 小森隼人「三つの柘榴・古書と器」関西画廊賞・会員推挙。斜光線の中に古書や柘榴や銀製のポットや染付けの壺、椅子の背などが浮かび上がる。極端な斜光線によって明暗のドラマが生まれる。いわゆるヨーロッパのバロック的な光と影のドラマを静物の中に画家はつくりだす。刺繡のされた布の上に、割れた柘榴と割れていない柘榴とが不思議な輝きを見せる。光の粒子のようなものを追おうとする意欲作である。

 松木康弘「緑風」。初夏のパノラマ風景である。高いところから遠望して、様々な樹木の様子が画面を埋めている。そのあいだに細く道が隆起したりカーヴしたりしながら続いていく。赤い屋根をもった建物も見える。地平線のあたりには低い山があるようだ。雲が上方に浮かんでいる。実際にこのような光景があるかどうかわからないが、ファンタジックでありながら、いかにもありそうな不思議な力をもったパノラマ風景になっている。また、地平線近くある雲の中に、すこしあいているような雰囲気があって、そのあいだから異界があらわれてくるようなあやしさもある。

 ナカジマカツ「時の思惑」。女性が立て膝をして丸いテーブルに向かい、懐中時計の鎖を持って時計を眺めている。時計と女性とがお互いに呼応しながら、不思議な表情を見せる。物語性と再現的な描写力に注目。

 果醐季乃子「尾道風景 夏の少年」準会員奨励賞・会員推挙。独特の動きのある画面である。車と岸壁の先端と手前にいる二人の男の後ろ姿。岸壁の突端にはフェリーなどが接続されるのだろうか。海もこの建造物も揺らいで、動くようなムーヴマンの中に表現される。夏の一刻、しっかりとした建造物と不安定な自然や海とが対比される中に、少年や青年や車の後ろ姿が現れ、一種シュールな気配があらわれる。小手先ではなく、全身的にこのシーンを把握しようとする、そんな姿勢に好感をもつ。

3室

 廣瀬順子「希望」準会員推挙。使い古したような木製の机に若い父親と少年とが座っている。二人は直角の向きで、そこで父親は自家発電の工作をし、そこから伸びた電線によって電球に灯がともっている。そんな様子をクリアに描く。同時にそれは父から子に伝えられる愛情でもあるし、その光る電球がそのまま少年の希望の光のイメージともなる。対して、古い木製の机がこの二人の誕生以前から使われているような時間性を表して、若い父親の祖父のイメージも引き寄せる。ユニークな構成。

 福井欧夏「魅惑の泉」。高い台の上に女性が座っている。台には紫の布が敷かれている。花柄の鮮やかなワンピースを着た女性は、その長い髪の上に花冠をつけている。しぜんとオフェーリアのイメージを思う。花が散って、一部空中にあり、下方に落ちている。ハムレットの心を疑って花を散らしながら水の中に入って亡くなったオフェーリアのイメージが、筆者にはしぜんと浮かび上がる。一人の女性を描きながら、そこに様々な物語を引き寄せる。文学性と絵画とのクロスするところにあらわれたユニークな表現である。

 立花博「漂流記(赤いピアノなど)」中沢賞。古びた壊れた扉が、青い布の敷かれた床の上に置かれている。その上に小さな茶褐色のピアノや大きなランプ、壊れたトランペットの先、旗、浮き輪、錘などが置かれている。手前に水鳥のデコイが置かれているから、海を漂流するイメージがあらわれる。それはある年齢になった画家の未来に対する不安といった心象表現だろうか。それぞれのもののもつ存在感がまず魅力。くわえて、それがある程度無作為に置かれることによって、ダブルイメージ的な心象を引き寄せる。じっと見ていると、画家自身の人生のみならず、日本の未来、あるいは郷里の社会の行く末といった様々なイメージがしぜんとそこから浮かび上がってくるようだ。また、そこに柔らかな光が当たっているところが、独特の絵画性と言ってよい繊細なトーンを引き寄せる。

 津端泰「アランフェスの宮殿」。画面の中ほどに巨大な宮殿が斜光線の中にずっしりとした存在感を見せる。その手前に人間が点々といる。画面の下辺のいちばん近景から宮殿までの距離感を描くことによって、画面に広がりが生まれる。そして、歴史のなかに存在する宮殿と小さな人間たちを対比させることによって、独特の心理的なドラマとも言うべきものが生まれる。そして、宮殿を輝かせるように斜光線を使う。歴史と人間といった性質の内容もしぜんとそこに浮かび上がる。スペインに在住しながらスペインの歴史と向かい合った作品として興味深い。

 和田直樹「花の旋律」。赤い胡蝶蘭が近景にあり、その向こうにピアノに向かって座る四、五歳の少女。あどけない少女の楽譜を見る表情がポイントとなっている。暗いバックの壁紙に花が描かれている様子があって、それが手前の胡蝶蘭と響き合う。スポットライトのような光の当てられた少女のしぐさが愛らしい。

 永田英右「ベラスケス礼賛」。ヴェラスケスの画集のそばに女神の小さな彫刻が置かれ、それはクラシックな時計の上に置かれている。金属のポットやグラス、蠟燭立て、赤いビーズのような首飾り。それぞれのフォルムをクリアに描きながら、ヨーロッパの栄光の時代ともいうべきイメージを引き寄せる。しんとした気配のなかにそれぞれのものが囁き始めるような繊細な表情に注目。

4室

 土井原崇浩「ウァニタス(髑髏と傀儡)」。テーブルの上に置かれた赤い布の上に人体の様々な骨が積み重ねられ、いちばん上に頭蓋骨が置かれている。激しい作品である。まさに人生の虚栄と対比される死のもつ重みと言ってよい。壁に様々な操り人形が置かれている。その様子が人生のそれぞれのワンシーンを示すようだ。骨に向かって集中した筆力によって不思議な存在感があらわれる。

 西谷之男「茶畑の風景」美岳画廊賞・準会員推挙。斜面が茶畑になって、あいだに樹木が葉を茂らせている。そんな初夏と思われる様子を生き生きと表現する。緑の複雑な階調を追いながら、それを空間の中に位置づける。その緑のもつ大きな量に対して、空に浮かぶ入道雲が対比される。雲に柔らかなオレンジ色の光が当たっている様子に、幸福感といった感情がわく。

 冨所龍人「追想」。肘掛け椅子に若い女性が座っている。椅子に左足を持ち上げて膝の上に顔を当てて、鑑賞者のほうを眺めているといったポーズである。複雑なフォルムがあらわれる。そのなかに目線の力によって画面がまとめられる。心理的なものを引き寄せたコンポジションとなっている。クリアなそれぞれのフォルムが生き生きと発信する。

 三橋文彦「旅への憧れ」準会員推挙。少女が木製の長椅子に座っている。顔の表情や両手のもつディテールを生き生きと表現する。清潔な画面である。光の扱いがうまい。

 角坂優子「残照」準会員推挙。ミシンに布が掛けられている。後ろに錆びた歯車。壁には毛皮が掛けられている。下方に高山辰雄の作品の印刷したものが板に貼られて置かれている。斜光線が差し込む。不思議な存在感があらわれる。下方に床に置かれた鹿の骨がある。ベージュの中に対象のもつ手触りを追う。

5室

 犀川愛子「追憶」。湖のそばに裸木が立っている。ソメイヨシノのような趣。咲き始めた花が紫色に彩られている。屈曲する木のもつフォルムがよく表現されて、強い存在感の感じられるところが魅力。

 斎藤秀夫「明日へ」。肘掛け椅子に、明るいベージュのワンピースを着た女性が座っている。小さな花柄の模様がつけられている。若い女性である。その額や手などに不思議な光が差し込んでいる。その光は画家の精神がつくりだした光のように感じられる。外側からこの女性を描写するのではなく、内側からこの女性のマッスをつくりだし、そこに画家の精神の光を当てているといった様子である。それが周りの外側から攻めていくものにこだわっている細密描写的な作品と異なる魅力と言ってよい。また、背後のビリジャン系のバックにもふかぶかとした雰囲気があって、それを背負いながら明るい調子でまとめられた女性の肌や色彩のもつ輝きも魅力。

 三沢忠「牟礼の丘」。雪景である。近景から中景にゆるやかな起伏をもった地面が繰り返され、そこにくすんだ葉を見せる樹木が立ち並んでいる。その色は黄土や茶褐色、あるいは朱色、緑などの色彩が置かれて、その地面の中のハーモニーが周りの灰白色と対比されて、しみじみとした情趣を醸し出す。遠景に山頂が見え、雪をかぶっている。その山頂までの距離感がよく表現されているために、空間の広がりが生まれる。同時に、その山頂に向かって希望のような心象が浮かび上がってくるところも魅力。

 平松譲「峰はるか」。遠景に山があり、近景に畑があり、カーヴする道がある。畑には屈曲する樹木が立ち、花がすこし咲いているような趣である。画面の内側から響いてくる韻律が魅力で、東洋画の言う気韻生動といった趣が感じられる。

 中山忠彦「羽毛を纏う」。濃紺のワンピースを着て女性が座っている。明るい紫色の毛のショールを両腕、肩近くまで纏っている。端然と座っているなかに気品があらわれる。両手は膝の上にあって、その先に化粧ポーチのようなものを下げているが、それにはピンクと黄色の花模様があり、それは女性の背後にあるテーブルに置かれた花瓶に差された色とりどりの花と呼応する。X字形の動きのなかに端然と座る女性の柔らかな垂直の動きが見事で、それがそのまま品格として感じられる。また、濃紺のワンピースのもつ質感、そして周りの色彩との明暗の対比がまた見事である。その中に胸の周りの金の繊細な飾りがアクセントとしてよくきいている。

 深澤孝哉「バーミアン回想(ヒマール・サライ朔光)」。バーミアンはアフガニスタンやイランの険しい情勢のために入れなくなって久しい。まさに回想の中に浮かび上がるバーミアンの風景である。平和な穏やかな燦々たる光が差し込む中に、上方の山は雪を背負い、断崖が立ち並ぶ。その中にはたくさんのほら穴があって、そこに仏が描かれている。また、磨崖仏もあるが、その一部が破壊された事件があったことも記憶に新しい。画家独特の動きのある表現である。筆のタッチを使いながら、光もフォルムも一切が動揺し動いていくような、そんな生気に注目。

 河田安市「朝の陽ざし」伊藤賞。道の両側がすこし高くなっていて、そこに雑木が並んでいる。まだ初春の頃の様子で、裸木のそれぞれのフォルムが生き生きと表現されている。また、暖色系の色彩をうまく使いながら、空の青とハーモナイズさせる。

6室

 中島健太「匿名の地平線―morning―」。画面の上方三分の二あたりに水平線がある。海はその水平線のあたりの青みを帯びたグレーからピンクを帯びた紫色ふうになって、浜に近くなると緑色になり、浜の上に来た壊れた波は浜の褐色系のグレーとなって白い泡をつけている。波がひときわ大きな膨らみを見せる部分が緑色で、その量感のある不思議な表情に惹かれる。空の黄色く染まったような朝方か夕方の気配。深い心象表現と言ってよい。音楽の場合には、ショパンにしても、ドビュッシーにしても、その抽象性のなかに様々な心の姿を鑑賞者は投影することができる。不穏なもの、明るかったり暗かったり、希望に燃えたり憂鬱になったりする、そんな心の投影できるような海と波の表現になっているところが、実にこの画家の才能だと思う。女性像においては最近すこし内容が希薄になっていたが、今回の海を見て、改めてこの画家の才能を感じた。また、全体のハーモニーが優しく、独特のその心象的な広がりがまずロマンティックであるところも面白いし、ロマンティックと思って見ていると、そこに様々な微妙な人の心の気配があらわれてくる。そして、その心の状態は波になって壊れると何もなくなって、ただ浜に漂っているようなそんな気配。この表現の中にはそんな時間性さえも感じることができる。

 伊藤晴子「満ちる」。若い母親を不思議なファンタジーのなかに表現している。おなかの下に両手を置いて立っている全身が、室内に描かれている。背後に窓があり、夕闇の中に月らしきものがカーテンの向こうに見える。まさに月が満ちるように、やがて破水の時期が来るのだろう。それがなまなましいものではなく、女性のもつ聖性ともいうべき母性的なイメージのなかに、あるファンタジーとして表現されているところが面白い。淡々と対象を描きながら、そのようなファンタジーとも、深い心象ともいうべきイメージの表現となっているところがよいと思う。女性の楕円形の大きな目をした顔がそのまま満月のようなイメージと重なる。

 黒沢信男「兼六園」。兼六園は金沢の前田家の庭園であった。そんな名所を描きながら、不思議な存在感を感じさせる。それは庭園という以上に自然というもののもつ力、不思議さを表しているからだろう。池の手前に橋がかかり、そばに大きな樹木が枝を広げている。すべてのフォルムの上に雪が下りて、表情を変えていく。中景にある桜のような木に積もったフォルムの青々とした独特の曲線による表現。手前の静物のようなもっこりと量感のある雪。そばに立つ木の幹や枝に沿って積もった雪の表情。そして向こうにあずまやのような建物があって、その部分の建物は黒ずんで雪が白く輝いている。その背後の針葉樹のような樹木に積もる雪。そして、空の下方はすこし明るく、だんだんと上方にいくに従って暗くなる様子。じっと見ていると、この兼六園の、江戸時代までさかのぼるような不思議な長い時間のもつあやしい雰囲気が、画面からあらわれてくるように感じられる。そのような歴史的な時間というものまでも描き起こす画家の筆力に感銘を受ける。

 草壁隆「バレリーナ立像」。若いバレリーナの全身像である。背景はくすんだ緑の無地。そこに両手を前に置いたバレリーナの足が直角になったフォルムに不思議な緊張感がある。その緊張感と同時に初々しいこの十代の女性のもつエロスともいうべきものが、一種静物的に表現されているところが面白い。

 舟木誠一郎「雨夜の月」。なにか悩ましいような気配がある。木製の椅子に座ったこの女性は、その椅子の上に右足を置き、つまり膝を立てて、顔を左にひねって鑑賞者のほうを眺めている。暗い窓の向こうに満月が朧に現れている。雨が降っている。そのメランコリックな雰囲気のなかに女性の全身が入れられ、イメージを発信する。女性の過去や無意識の世界にまで下りていって、その筆で表そうとする。いずれにしても、女性を囲みこむ濃厚な気配がこの作品の魅力である。

 石田淳一「portrait」。丸い椅子の上に象の貯金箱。左には角形の箱のようなものの上にやはり象などの貯金箱、ぬいぐるみ、レモンを載せたブリキのトラックがあり、下には林檎がある。右にはすこし高い椅子の上に紙のバッグがある。それぞれのものの質感の変化を捉えながら、静物でありながら、風景的要素があらわれているところが面白い。それはひとえにこの小さな静物に向かう画家の集中力のゆえだろう。それほど強く対象に集中することによってイメージの広がりがあらわれ、静物を超えた心象的な風景ともいうべきものがあらわれているところに注目。

7室

 宮本佳子「北窓」。丸い木のテーブルに赤い実をつけた枯れ枝や麦などが置かれ、人形が立っている。しっとりとした雰囲気で、じっくりと触るように対象を描きながら、光の移ろいと同時に空気感を表現する。

 長船善祐「雨音」会友推挙。古びた校舎か病院のような建物を背景に樹木が枝を広げている。宿り木が蔓を這わせて一部紅葉している。その手前の裸木のフォルムとそこに差し込む光の表現に注目。

 吉岡真紀子「予感」会友推挙。イヴニングふうなドレスをつけた女性の全身像である。その立っている女性の衣装に蝶の羽が拡大されてデザインされている。周りに様々な蝶が飛んで、ロマンティックな雰囲気を釀し出す。淡々と描きながら、画面から香りが漂ってくるような印象をもつ。

 大平嘉和「夜光」会友推挙。森の中にほとんど半裸の女性が歩いていく。塗り込まれた画面からコクのある色彩の輝きが生まれる。狂気の中にいる女性のような独特の雰囲気があって、そこに惹かれる。光の扱いも魅力。

 口澤弘「浅き水」。水底の石が見えるような澄んだ水が広がっている。対岸にある樹木。そばにある石の連なった様子。遠景に霞む青い山。水面は空を映して一部白く輝いている。静謐な画面の中に、なにか不思議なゆらめくようなロマンが生まれる。

 三木はるな「とおり雨」準会員推挙。胎児のような姿勢をとって横向きに寝ている女性を描く。そのクリアなフォルムも魅力だが、雑草の生えているあいだの水たまりが空を映して、女性の無意識界をそこにあらわにしているように感じられるところも面白い。

 阪東佳代「蜜」準会員推挙。三人の和服の女性が座って会話をしている。物狂いのようなイメージが画面からあらわれる。クリアなフォルムは日本画にも通じるようである。この作品も面白いが、アートフェアの作品はもっと面白く、注目した。

 平田英子「白い花」。近景に白い花をつけた灌木があり、そばにススキのようなフォルムが立ち上がる。背後の樹木は一部紅葉している。柔らかな光が当たっている。樹木のもつ生命感をよく表現しながら、画家の独特の感性はその奥底に不思議な霊気のようなものを感じ取っているようだ。

8室

 三重野慶「くもりのち雨」。木の椅子に座った若い女性が笑っている。手や足をおそらく実際の遠近感より大きくすることによって、ダイナミズムが生まれる。一種彫刻的と言ってよいようなフォルムの力に注目。

9室

 岸本真「過去にとらわれる」。背後をグレーにして黒髪の女性を置いている。この女性との距離感が面白い。遠くから眺めているようで、しかし近くに引き寄せて、近づいたり遠ざかったりする、その女性と画家との関係性のなかからシュールなイメージがあらわれる。

 加藤裕生「カプリコーン」。ワンピースをまとって横になった若い女性。黒いシーツが敷いてある。紗のようなカーテンが背後に垂れている。髪の毛のフォルムさえもくっきりと描きながら、あやしい雰囲気があらわれる。空気が濃密で、独特の気配がある。この女性のもつ生命感がそのまま深いエロスの世界と関係をもつような世界を見事に表現している。ベージュの衣装に対して下方の黒いシーツとの色彩の対照も、クラシックな中に独特の魅力が感じられる。

 永浜佳子「時の流れ」。白い花瓶に紫陽花の花が差されている。下方にレモンや瓜が置かれている。ハーフトーンの中に幽玄の気配が感じられる。ひっそりとした息づくような気配に注目。

10室

 黒明宗太「榕樹緑陰」。気根のようなものが垂れてきている。量感のあるその部分の表現。赤い小鳥が飛んだりとまったりしている。鬱蒼とした森の中に入って発見したフォルム。全体のしーんとした奥深い空気感に注目。

12室

 久保五三「春の雪」。雪の積もっている中に車の轍が見える。向こうに民家が点々と並び、背後に山がある。そういった北国の風景をしっかりと表現する。すこし青みがかった雪の表情がしっとりとしているし、フォルムに独特の強さが感じられる。

13室

 池田茂「静かな時が流れる…」。黒いワンピースを着た女性が髪をアップにし、右手をそばの机に置き、顔はすこしうつむきながら右のほうにひねっている。そのアングルから、女性のもつ独特の魅力、あやしさ、官能性が生まれてくる。視点の面白さとフォルムの強さに注目。

15室

 恵比澤司朗「中欧の冬 ・」。大きな樹木が道の両側に並んでいる。遠景には洋館が見える。その樹木の形の一つひとつの枝、梢にわたるフォルムを丁寧に描く。それによって独特の魅力が生まれる。木の表現がこの画面全体の雰囲気をつくる。

 柴田祐作「潮音」。海岸の磯の風景。それぞれの岩が独特の画家のイメージと目の力によってデフォルメされ、不思議な気配を示す。海は青く暗く、波が寄せる。それを捉える筆力が強い線描となってあらわれる。詩人的な感性の表現。

 山本浩之「引き潮」一般佳作賞・会友推挙。水墨でいうたらし込みふうに水彩絵具を扱って、中心に蛇行するような二つの水を置いている。水は空や樹木を映して、あやしい陰りを見せる。光っている部分と翳っている部分によって、ある気配があらわれる。そこにあらわれてくる空間の性質が魅力である。

18室

 上條真三留「時の刻」。山肌がえぐれている。地滑りが起きて山が崩壊した、その跡が描かれている。山肌の様子があやしく、それを画家は見入るように丹念に描く。ある事件が起きたあとの余韻のような表現である。下方にうずたかく石や倒木などが描かれている。しぜんとこの前起きた震災の激しさを思う。自然の一隅を眺めながら、画家は深い想念の中に入り、震災で困難な人々に対するレクイエムの気持ちもあわせて表現する。客観的な風景が苦悩の風景のように感じられる。

 頼住美根生「追憶」。チャイナドレスの様な衣装をつけた女性が椅子に座り、顔を右に九十度ほどひねっている。そのアウトラインに画家の美的な感性がうかがえる。

 山田潔「夕暮れの街」。広い川の向こうに外国風景が広がる。その洋館のフォルムと斜光線に浮かび上がる形。静かに流れる水。ファンタジックな世界を画面の中に創造する。

19室

 野澤剛「皐月」。田植えしたばかりの稲の様子を描く。背後は水で、空を映して鈍色。青々とした苗が二列に四段、八本。静かな中に祈りのような心象があらわれるし、苗のもつ緑のそれぞれの微妙な変化やフォルムの変化が独特の絵画性をつくる。

 卯野和宏「陽の音を聞く」。白いシーツの上に横たわった女性が、足は側面を向いて、胸はほぼ上、顔はこちらというように体をひねっている。画家によると、三分ほどの出来であるそうだが、クリアなフォルムと黄金色の光とが見事な調和を見せる。女性のもつ官能性を生き生きと表現する。

21室

 西浦慎吾「CRADLE THE SKY」。二人の女性が、一人は太鼓を叩き、一人はギターを奏している。手前に少女が座って、それを見ている。それぞれのフォルムがクリアで、全体で不思議な物語性が生まれる。音楽を奏するそのフォルムを通して人間の深い世界に触手を伸ばしているような雰囲気が魅力。

22室

 辛文遊「むきだしの彼女」アートもりもと賞。ベッドに横になってこちらを向いている女性。かっぱえびせんを口にくわえて笑っている。後ろにシャツなどが吊るされているのがのぞく。生活感があふれる女性像であるが、女性のもつ身体から発するエネルギーが生き生きと捉えられているところが面白い。静かな肖像ふうな作品が多い中に、この女性の個的なエネルギッシュな存在、性質をよく引き出しているところが、この作品の面白さだと思う。

24室

 勝野眞言「傾・ ・」。テラコッタの女性の上半身である。裸の像であるが、頭の一部と両腕が切られて、そこに植物の茎と葉が置かれている。ロマンティックなイメージである。女性のもつ優雅なカーヴする曲面と呼応するようなこの植物の形。女性をイメージとして捉えるために、あえて一部を壊しながら作家は表現する。

 結城照男「鯉を捧げる少年」。印象の強い作品である。胴体は丸太をほんのすこし加工しただけのものになっている。巨大な鯉のような魚を両手で持った少年。少年の顔や頭は彩色されて、童話の中からあらわれてきたようなイメージが生き生きと表現される。

 山本眞輔「巡る季」。ワンピースを着、手をすこし広げて、左手を外側に、右手をすこし前に置いて、なにか語りかけてくる女性像である。足元に小さな二つの木。季節が巡り、一度枯れた大地からまた豊饒な命があらわれてくる。そんな四季の巡りのなかに起こる大地のもつ命のイメージが、この女性像から鮮やかに浮かび上がる。豊饒なる大地の女神といったイメージが鑑賞者を引き寄せる。

 市村緑郎「燦」。若い女性が裸で立って、首をひねって遠くを眺めている。若木のような柔らかな強いフォルムが生き生きと表現される。モデリングの力が自由自在に女性の命やフォルムを捉える。そして、それがそのまま初々しい花が咲いたようなイメージとしてあらわれる。

 峯田義郎「ぶどう畑に居た男」。ほとんど髪がなくなった六十から七十の男性の像だと思う。テラコッタである。この男の顔全体が大地のイメージと重なる。そのような不思議な雰囲気である。大地の中に生まれてきた葡萄畑の長い時間性とそのイメージがそのままこの男の像に浸透しているようだ。ワインのための葡萄は石灰質の地面に植えられるそうだが、テラコッタでグレーの色彩になっているこの像を見ていると、その地面の石灰質のようなイメージがこの男の顔にあらわれてくるような、そんな不思議な印象を受ける。フランスかどこかで出会った男のイメージなのだろうか。

26室

 齋藤隆輝「秋の詩」。レインボーカラーで様々な色をした布がテーブルに置かれ、それが下方にまるで虹のような、あるいは水の流れてくるようなイメージをつくる。テーブルの上には様々な容器に盛られた果実、あるいは鹿の骨、あるいはホオズキや貝、ランプなどが置かれて、それぞれのものが、また鮮やかな色彩として点じられて、全体でハーモナイズする。夏が終わり、秋の紅葉、やがて冬が来る、そんなイメージが、たとえば白い角に冬が、果実に秋の実りが、といったように感じられるところが面白い。

27室

 岡﨑昭弘「病室にて」。ベッドの手前にいる女性。この女性が病人なのだろうか。窓の向こうに風景が見える。病室という独特の雰囲気のある空間をよく表現している。また、左の洗面所の上に鏡があって、そこに映っている姿はこの女性の夫だろうか。空間自体のリアリティがよく表現されていて、鑑賞者を引き寄せる。

 山田幸司「東風 ・」。丸太が重ねられている。遠景には工場が見える。近景は手前に水が流れているようで、そんな護岸的なフォルムである。岸壁の上の丸太といった雰囲気であるが、なにか不思議な物語性と楽しさがある。点描技法によってすっきりとしたトーンがあらわれていると同時に、切られた丸太が生きているような、そんな新鮮な表情が魅力。

29室

 志村幸男「護岸に咲く」。大きな石を積み重ねた様子。その下に水が流れているのだろう。上方に太い幹をもった樹木が並んでいる。そして、コスモスの花が石の上に咲いている。赤、白、ピンク。不思議な雰囲気で、なにか哀愁のようなひっそりとした美しさを感じる。震災で亡くなった人に対するレクイエムの気持ちが、このような不思議な花のイメージをつくりだしたのだろうか。

 浜口大蔵「中国服の女」。それほど大きな作品ではないが、椅子に座った赤い中国服の女性の朱色の色彩がまず魅力だし、全体で、童話の中に出てくる女性のような情感があらわれているところが面白い。

第53回日本南画院展

(3月20日~4月1日/国立新美術館)

文/高山淳

2室

 山本和夫「煙る」。蛇行する渓流の両側に立つ樹木。すこし雪が降っているのだろうか。しんしんとした気配のなかに心の風景を描く。一種の宗教的な深いイメージが感じられる。

 潮見冲天「蕭条」。池の向こうに草があり、灌木があり、その向こうに桜のようなフォルムが続き、背後に針葉樹が立っている。水がその風景を映している。池の向こうにあらわれてくる風景のもつ量感、その膨らみ、奥行き。そして、風が渡り、草が靡き、樹木がすこし揺れている。花が針葉樹と針葉樹のあいだに咲いているのだろう。それが画家の心の中に入れられて、心の中で咲く花のような、そんな強い深いイメージとして感じられる。たらし込みふうな墨の扱いによって風景が心象空間となってあらわれているところに注目。

 村岸良華「慈光」。朝鮮の石仏を思わせるようなフォルムが画面の中心に置かれている。まわりに岩のようなフォルムがあらわれ、長い歳月を思わせる。そばに優しい植物か灌木のようなフォルムがあらわれる。鑑賞者が合掌するような、そんな気品のある画面である。心象的なものが不思議なかたちで全体にあらわれている。

 町田泰宣「神秘の王国」。切り立った山を背景にして、寺院のようなフォルムが見える。中央に吊り橋のようなものが現れ、下方には石段がある。背後には漆黒の峰がのぞき、その漆黒は上方にも、それをリフレインするように現れ、そこに月が浮かぶ。白々と山は輝き、建物も輝いている。下方の白く残した不思議な空間。地上から断絶するようなところに存在する建物。不思議な宗教的な王国。白い画面に画家は対峙し、イメージを稲光のように画面に投影する。一触即発という言葉がある。そんな心持ちからあらわれた絵の中に白く残された紙の面が不思議な光を放つ。

3室

 月居和子「椿咲く」。椿の絵をいま描きながら、その前の椅子に頰杖をついて膝を立てて、考えている若い女性。下方に椿の花が散って、背景の床の暗い中にそれぞれが輝いている。発光している不思議なものが存在するように描かれている。画中画の椿とこの若い女性と漆黒の闇の中に光る白い椿。その椿はこの若い女性を荘厳しているようだ。椿を描きながら、そのようなダブルイメージになっている。一種の誕生仏のような独特の宗教性のようなものさえも感じられる。

 金澤徹「播州秋祭」。例年のように祭りの図である。御神輿を担ぐ男たちの姿が百人を超えるようで、圧倒的な存在感を示す。今回はそれを眺める肩車をされた少女がいることによってもう一つの視点があらわれ、ほほえましい。ダイナミックなその激しい海のうねりのような動きと、それを眺める、おそらく父親と少女の後ろ姿が対照されて、この作品の内容を深くしている。

 堀江春美「さくらふぶき」。小さな子供が座っている。生後一年ぐらいだろうか。周りの空間が実によく生かされている。光に満ちている。桜の花がピンクにふぶいているが、その周りの空間のもつ、光に溢れるような不思議な精神的な奥行きのある世界があることによって、この小さな子供が生き生きとしたかたちであらわれる。空間とコンポジションの魔術と言ってよい。そして、あどけないつぶらな瞳と手を口に置いたその表情は、まさに生まれてきた幼い命の輝くような愛らしいイメージとなっている。その子供のフォルムが的確でクリアでありながら、そのままもうひとつの光に照らされて、その光と呼応しながらこの命を祝福しているといった表現に注目。この画家のもつ柔軟な精神に感心した。

 綾佳子「mirage」。回想のシーンだろうか。ゴシックふうな教会が右側にあり、巨大な月が下りてくる。そのあいだの白い余白。なにか不思議な色彩を感じさせる作品である。ロマンのある心象的な世界に注目。

 川淵水豊「驟雨」。メランコリックな風景である。渇筆に近いような雰囲気で、あまり水を含ませずに墨を置く。それによって筆触があらわれ、その積み重ねによってリズムが生まれる。両側に樹木のようなものが置かれ、建物も見えるが、そのあいだにS字形に上方に向かう、ほとんど墨の置かれていない空間が淡くあらわれ、白い太陽のようなフォルムがそこに描かれる。なにか悩みを抱きながら一つの風景を眺めているといった雰囲気が感じられる。小野小町に「花の色は移りにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに」という歌がある。この風景はそのような不思議な想念のなかに人を引き寄せる。

4室

 富岡千壽「モンマルトルの丘」。しっかりとした強い表現である。背景にはモンマルトルの丘にある建物やサクレクール寺院、あるいは凱旋門さえも描かれている。中心にエッフェル塔が立ち、そのエッフェル塔の足の中に二頭の白馬に引かれた馬車が現れる。そして手前にはソファがあり、不思議な人形が目を見開いている。その人形は画家の心の中にある詩心ともいうべきものがつくりだしたかたちのようだ。画家の詩情は人形をここに置き、その詩心を通して白馬を引き寄せ、モンマルトルの丘を引き寄せる。旅の様々な思い出が人生の時間のなかに組み込まれるように、表現されているところがこの作品の魅力である。

 村山華凰「明け行く」。梅の古木が枝を広げている。白梅が匂うような雰囲気。下方はまだ夜の闇で、だんだんと空が明るくなってくる、そんな時間の推移のなかにあらわれてくる白梅の、独特の生命感をもった表現である。木の精が画面の中にあらわれてきたような魅力に注目。

 鈴木安佐子「蛍游水聲」。墨の色彩が深くあやしく魅力的である。植物のすこし優雅なカーヴをもったかたちが見事に描かれている。その中に蛍が飛び交っている。その蛍の軌跡が金色(こんじき)の線によって描かれて、幽玄なるものの姿があらわれる。能には死者が霊としてあらわれてくるが、その蛍にはそのような魂のようなイメージも感じられる。

5室

 紅谷和子「悠久」。断崖のような、風化した風景。その下方にあけられた穴の向こうには人が住んでいた時期があるのだろうか。時間というものが姿をあらわしたような、あやしい気配が感じられる。それぞれのフォルムが時間というものの謎を表すようだ。ふかぶかとした心象風景となっている。

10室

 西崎邦子「竹原の写真館」読売新聞社賞。明治や大正の頃にできた木造の建物なのだろうか。日の丸写真館という文字が読める。一つひとつのディテールがクリアで、ディテールがこの作品の魅力である。とくに下方のショーウインドーの中に鯉幟や壺などの置かれているところは出色である。そして、まるで時間のなかを徘徊するように一匹の犬が下方に、電柱の光によってスポットライトのように浮かび上がっているところも面白い。深い感情と長い歴史、そして画家の絵画的な才能、三つのクロスするところにあらわれたユニークな表現である。心の中に生き続けていく建物のような魅力に注目。

 横溝晴花「関帝溢香」守口市現代南画美術館賞。手前に大きな香炉があり、煙が立ちのぼっている。上方に関帝廟と書かれた大きな提灯が揺れている。下方に関羽の像が見え、顔が一部クリアにあらわれる。光と影のドラマ。とくにその光が夜の中の炎のようなイメージとしてあらわれているところが面白い。独特の詩情と同時に墨色に対する鋭敏な感性があってこそあらわれる表現である。平凡な関帝廟の光景が画家の絵によってドラマティックによみがえるようだ。そこには深い信仰心が感じられる。炎のような光は画家の内部から発する詩情ともおそらく重なるものがあるに違いない。

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