美術の窓

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公募展便り(2013年2月号)

美術の窓 2013年2月号

第37回土日会展

(12月12日~12月24日/国立新美術館)

文/高山淳

1室

 三浦裕之「枇杷のある卓上」。横長のF型の画面に右から円弧を描いて丸いテーブルのフォルムがあらわれる。それはバーントシェンナ系のシックな色彩である。それに対して床は暗い暖色系のグレー。そこに葉が三枚、左側に見える。テーブルの上には四つのものがあり、いちばん近いところに白い皿に盛られた五つの枇杷。その上方の左右にカップと琺(ほう)瑯(ろう)引(びき)の鍋。その上方にワインボトル。そして、琺瑯引の鍋と白い皿のあいだに二つの枇杷が置かれている。白い皿には五つの枇杷が置かれているが、それはほとんど真上から見たかたちになっている。それに対して上方のコーヒーをドリップするための容器と琺瑯引の片手鍋はすこし横から見られ、さらにその上方のワインボトルはほぼ正面に近いところから見られている。つまり、近景は真上から、そして、だんだん斜めになる視点の移動があり、それによって起きる形がつくられている。言ってみれば、テーブルの上を真上から見て、椅子に座ると上方の三つのフォルムがあらわれるといったあんばいになっている。静物と静物を見る人との関係のなかに表現されている。必然的に時間軸があらわれる。描かれていない人間の視点というものがこの静物たちを活性化させる。日常の時間はほとんど無意識に流れていくが、それを絵の中に描くことによって、ごく当たり前の時間が何か不思議なものとして画面の中に投影される。そういった面白さがある。

 同時に、大地を思わせるようなテーブルと、そのテーブルを夜の世界に置いたときのグレーの床。その中にほとんど灰白色に近い片手鍋の色彩。あるいは、コーヒーをドリップするための容器の内部の灰白色。そして、白いお皿。それに対して枇杷のオレンジ。そのオレンジは、コーヒーをドリップするための容器の外側の色彩と呼応する。床の色彩をもっと黒くすると、ワインボトルの黒になる。そこには日中の時間と夜の時間の二つの時間の性格が表れているように感じられる。電気によって夜の中にも昼の世界と同じような色彩があらわれてきたが、それをもう一度、昼と夜との時間に還元しながら、二つの時間をここに併置するという、そのような時間軸も画面に表現されているように感じられる。淡々と静物を描きながら、様々な試みを画家は行う。

 濱口泰巳「想起(樹林にて)・・・」。地平線が画面の下三分の一あたりに置かれて、白い裸木がそこに点々と立っている。二つの道が斜めに大地に描かれ、空は雲で、上方に黄色が入れられている。冬の景色のようだが、暖かな春の気配も感じられる。自然の息吹を大地と空と白い樹木によって表現する。

2室

 鶴岡孝夫「伊達政宗公」。月をイメージする巨大な鍬形を載せた兜をつけた伊達政宗が白馬にまたがっている。ドラマティックでモニュメンタルなシーンを、イメージの中に現実のように表現する。イメージの力とその再現力に注目。

 平江正好「夕暮れのストックホルム」。すこし白夜のような独特の空気感、気配が画面に満ちているところが面白い。道をオートバイや車が向こうに向かっていく。左のほうには手前向きに車が駐車され、そばに自転車に乗る人がいる。その様子が時間の流れていくイメージを伝えると同時に、この町を囲む独特の濃密な気配が描かれているところが面白い。

 阿南英行「暮色」。冬枯れの雑草の地面が続く。一筋、道がその中に見える。地平線近くに雑木が幾本か立っている。暮れなずむ空に、残照が赤く輝く。風景のそのようなドラマティックな一瞬を生き生きと表現する。色彩のハーモニーや輝きが魅力。

3室

 坂井俊一「ひとり」。大地と樹木と空。それを抽象化したものを背景にして青年が立っている。シャープなストロークの中に人間のイメージが生き生きと浮かび上がる。冬に向かう秋の、透明な空気感。その凜とした季節の中の人物像のように感じられる。

 坂本典穗「篝火桜」。夜の満開の桜である。バックは黒く、一本の老桜が枝を伸ばしている。枝垂れ桜のようで、そこにたくさんの花をつけて枝が下がってきている。花は二つのパートに分かれて、しだれている花と、上方ではまた別の桜がピンクの花を咲かせているような、不思議な趣がある。上方にはソメイヨシノのような花が、夜の中で遠望する雰囲気の中にピンクの花をつけ、下方では、接近すると花がしだれてきて、その静かな重みのなかに深い情感があるといったようす。桜にずいぶん接近したところからあらわれた独特のイコン的な表現として注目。

4室

 櫻井孝美「お天道さま 故郷の山」。画家のアトリエから富士山がよく見える。また、富士山には繰り返し登ってきた。そういった富士のイメージを画面の真ん中に描いている。ほとんど図像的な富士山で、左右を圧縮させ、高く、ちょうど昔、富士を林武が描いたようなフォルムに描き、上方は三つの形によって構成している。そして、右に月を置き、左に太陽。月の周りは青く、太陽の周りは赤く、富士も赤い部分と青い部分によって分けられている。そして、白い雲がそれを囲む。ちょうど洛中洛外図のあの雲の表現と共通したような雲を置き、その下方に日本が描かれている。下方には関東、伊豆、そして三河までのフォルムが描かれ、山は緑に、平野は赤く描かれている。ちょうど富士の下あたりの部分に五本の大きな松明が炎を上げている。画面をよく見ると、左の山のあいだに桜が咲いている。松明は、夏の終わりに富士が閉山することで掲げられる。その横にはスカイツリーが立ち上がり、周りは黄色やオレンジ色に彩られて、秋なのだろう。そして、雲の向こうに北海道が顔をのぞかせて冬景色のようだ。春夏秋冬を一画面に併置し、日月山水の伝統的な室町屛風の様式も取り入れながら、日本がんばれといった、そんな強いエネルギーが画面から発信してくる。とくに今回は、富士と下方の日本列島とのあいだの白い雲の柔らかな独特の表現がまた魅力である。洛中洛外図では箔を貼ってそれを表現したが、画家は不思議な白の色彩によってそれを描いた。その白がピュアで、画家のもつ強いヴィジョンを反映させる。

 三橋敦子「春の庭 a」。画家はよほど内向的な人なのだろうか。「春の庭」という題名のように春の自然を描きながら、それを独特のフィルターを通して表現する。外部に目を向けて、その現象を再現的に描かない。春の紫や若緑色、あるいはまだ冬の気配の緑や沈んだ空の色彩、時に華やかな明るい空の色彩などを、まるで一つひとつの積み木のように表現する。そして、それぞれの積み木には画家の感じたそれぞれの春の色彩が置かれている。その色彩はまた地面であったり、花であったり、建物であったり、空であったり、雲であったりする。自然から受けたイメージを積み木のように描き、それを重ねながら画家の春の庭をつくる。いわば春の庭を描いているのではなく、この画面の中に画家独特の春の庭を創造しているところが面白い。そして、積み木の向こうに地平線があらわれ、茫漠たる暗いしっとりとした地面の広がりと、すこし明るい空のようなイメージが浮かび上がる。その周りの微妙な変化をもつ紫や緑などの色彩のブロックのあいだから浮かぶ不思議な地平線によって区切られた風景が、この作品の魅力だと思う。その風景には過去も未来も揺曳するようだ。とくに、定かならない未来の混沌としたイメージがあぶり出しのようにそこにあらわれているように感じられて、人間はそのように日々過ごしながら人生を生きて、やがて死が到来するのだろうといった印象さえも感じさせる。

5室

 暖水英美「Infinity-nature/その刻」。宇宙空間の上に星が浮かんでいる。そこに青年が上半身裸で腕枕をして横になっている。上下二つのフォルムは、上方は下半身だけで、下方は上半身で、二つがつながる像である。宇宙の無限の時間。その中には誕生と死。新星ができて、やがて滅びる。そのような繰り返される長い無限の時間の中に今日という日があるし、人間の有限の時間がある。この時間を星と青年により、目の前にあらわれてきたスクリーンのように表現する。

 野上邦彦「2号機とオババと私」。背景に矩形のフォルムがある。それが原発の壊れた2号機の建物の象徴のようだ。上方に壊れたフォルムが線描きで描かれている。それを背景にして画家自身と画家の妻とが正面向きに描かれている。文人画ふうな表現と言ってよい。まずなによりもイメージを大事にする。水墨の場合はそれを一気に描くことができるが、油絵ではそれだけではうまくいかず、マチエールが必要となる。今回は個的な夫婦像をこえて日本の社会的な不安を背景にした高齢の老夫婦のイコン像といった趣が感じられる。

 中田朝乃「彼女の混乱はきれいだった」。若い新鮮な感覚の表現と言ってよい。顔の上に目が螺旋として捉えられ、その中心から螺旋の動きに沿うように白い花やグレーの花が集合しながら動いている。恋愛など様々なことで新しい現実に出会って混乱している様子を、ユーモラスに温かく表現する。目がそのような螺旋で、その螺旋の動きに沿って白い花を置くというアイデアも面白いし、バックのすこしひんやりとしたグレーに対し、ジョンブリヤン系の色彩で塗られた顔の輪郭線、そして螺旋の濃いグレー、それに対して柔らかな、すこしベージュがかった花の色彩といったように、微妙な色彩の変化がハーモナイズしながら画面に広がりをつくっているところも面白い。

6室

 白藤茂「みのり ・」。林檎の木が枝を伸ばしている。そこに林檎は鈴なりになっている。そんな様子を横長の画面に客観的に表現する。柔らかなグレーの空や、緑もすこし調子を落としたトーンの中に静かに林檎のフォルムが赤く輝く。林檎の重さのようなものが描かれているところが、この作品のリアリティである。

7室

 勢〆修「記憶の深淵」。過去への旅と言ってよいイメージ。何十年か前の過去の記念写真のようなものが三枚浮遊し、そこに囲まれた過去の空間の中に鳥が飛んでいく。カモメのような鳥が時間の記憶の同伴者のようにあらわれている。鳥のカーヴする羽ばたく羽根を広げたフォルムが時間のガイド役として面白く扱われている。

8室

 根本恒子「生命あるもの A」。紫陽花の集合をカラフルに描く。黄色やオレンジ、朱色、緑、ベージュなどの色彩によって点描ふうに表現される。紫陽花の花は小さな花が密集しているものだから、点描がそのまま花のイメージに重なる。そして、背景をいわば無限空間のようなイメージ空間として捉え、そこに花を浮遊させ、独特のイメージをつくる。温かく、きらびやかで、同時になにか哀しいイメージも重なる複雑で豊かな感情表現である。

9室

 鈴木雄二「空高く」。宮沢賢治の水彩を思わせるようなイメージの強さを感じる。下方は山と風に靡くススキのようなフォルムで、縦長の画面の中に空が九割以上を占めている。その空の奥に向かって鳥が群れをなして飛んでいる。それを背景にしてまた別の鳥が、今度は手前に向かって羽を広げて飛んでくる様子が表現されていて、独特のダイナミズムが感じられる。コンポジションが面白いし、動きがそのまま強いイメージとして発信してくる。

 石塚奈央「鳳凰」。豊かなイメージを感じる。とくに朱色の色彩が周りの青や緑と対比されて、輝くようだ。下方は水で、睡蓮が浮き、赤い魚が泳いでいる。上方は空で、水と空とのあいだに鳥が描かれている。命のイメージを朱色によって生き生きと表現する。

第41回齣展

(12月12日~12月20日/東京都美術館)

文/高山淳

1室

 石原覚寿「こどものころの 4」。深い心の中にある世界を描く。今回七点出品であるが、中で「こどものころの 4」という作品を取り上げてみたい。土管のようなものの中から女の子が上半身をのぞかせている。後ろには塀のようなイメージもあるし、そこに記憶の中の地図のような不思議なフォルムがあらわれている。スポットライトを当てたように子供の肌が輝く。じっと見ていると、子供なのか大人なのかわからなくなる。下半身は土管の中にあるわけだが、別の下半身がそこについているようなあやしい気配もある。「こどものころの」という題名のように、子供時代の自分と世界とが緊密な関係の中に結ばれていた時代のなかに想像力を巡らせて、不思議な気配のある人間の姿を描く。この作品は女性一人だけだが、ほかの作品は何人かの子供たちが描かれていて、お互いの関係はないようで、勝手にそれぞれがそれぞれの行為をしている様子もまた面白く思われる。

 東千賀「夢十夜―蒼枯山水」。灌木や草などのフォルムが独特の動きの中に表現されている。背後には丘のようなフォルムがあらわれ、上方にはその周りを包み込む空気のような空のようなイメージもあらわれる。独特の動きのある姿は人間を連想させる。自然のなかに深く入って、そのイメージを育てるところからあらわれた、あやしい、山水画のような趣に注目。

第39回遙玄展

(12月13日~12月20日/東京都美術館)

文/高山淳・小森佳代子

1室

 千嵐文章「深山」。深い谷を抱く山の風景である。画家の思いと描写力がこれまでよりしぜんになったように思う。その視点にブレがない。千嵐の得意とする、ぐっと迫る緻密な描写と、霧に包まれた空気感の対照が美しい。(小森佳代子)

 齊藤澄子「気」。傘寿を迎えて描いたという堂々とした姿の富士、そして掲出の風景、どちらも齊藤らしさが滲み出ている。水面、霧、山の稜線、雲といったそれぞれのモチーフのトーンが、やわらかな音楽の旋律を聴いているような趣である。ところどころに垂直に立つ裸木の佇まいは独特の気配を持つ。(小森佳代子)

 森本紫雪「雪の神通峡」。四曲屛風である。三月頃、神通峡に行き、雪の斜面を描いたそうだ。薄い墨によって対象のフォルムを描き、乾くとまた描き加えながら、その積み重ねによってグレーの中に豊かな色調があらわれた。また、このグレーの調子はいわゆるたらし込みではなく、描いたストロークの結果である。そして、山のもつ大きな量感、厚みがあらわれてきたところが面白い。あいだに紙の地を生かしながら、そこに淡い墨のかかった部分は雪である。雪のもつ質感が見事に表現されている。そのあいだから針葉樹が立っているわけだが、その針葉樹の連続するフォルムが、霧がかかったようにうっすらとなったり、あるいは強くあらわれたりしてくる微妙な抑揚の中にこの空間の広がりをつくる。近景にある針葉樹のその独特の配置と山の斜面の稜線の向こう側にある面にあらわれてきた針葉樹。あるいは左上にはそれらが連続しながら、独特の濃いトーンの中に動き出すような気配である。その向こうにわずかばかりU字形に空が浮かんでいるのも、画面全体の量感のある山の韻律と呼応する。見事な構成と言ってよい。その空と斜面との境界線の扱いによって、そこまでの距離感が画面の中にあらわれる。

 雪が降っている。その雪の表現も単なる胡粉だけでなく、方解末を入れたりメタルカラーを入れたりしながら、手触りのある表現になっている。雪のしんしんと降っている山の斜面であるが、それをじっと眺めていると、複雑なフォルムがあらわれ、遠近感があらわれてくる。隆起する部分と凹型に谷になる部分などの連なりがよく表現されていて、全体でその墨色とフォルムによる構成は、交響楽という形容を使いたくなるような一種の音楽性とも言うべきハーモニーがあらわれているところが、とくに良いと思う。(高山淳)

 柳文子「能登巌門」。斜面に力強く生きる木々の姿を描いている。師の森本遙の精神性を思わせるような、動勢の表現に魅かれる。独特にカーヴしている木々に宿る生命感は人間の生き様のようでもある。それは達者な筆致だけでなく、覚悟のような画家の強い意思が画面に表れているのだと思う。(小森佳代子)

 嶋田津賀子「渓声」。奥入瀬を思わせる清々しい風景である。石にあたって変化する水の動きが穏やかに表現されている。淡々と描いているようで、実はしっかりとメリハリのある表現に仕上がっているところに注目した。(小森佳代子)

 長嶋節子「秋雨」遙賞。全紙に即興で描いたような富士の作品も魅力であったが、掲出の中国の情景も独特の雰囲気があって注目した。いつもながら画家独特の視点が魅力的である。屋根を連ねた古い家並みが水に映っている。人は描かれていないが、人々の営みの豊かさを彷彿とさせる表現で、時間性を獲得している。この水の表現に画家の深い感情が寄り添っているように思える。(小森佳代子)

 松村幸代「大寒の朝」。画面いっぱいにしっかりと捉えられた富士が実に堂々とした風情で表現されている。清々しい空気感と優美さを湛えている。また硬い表現に陥らず、光と影の差異を嫌みなく表し、富士ならではの輝きを獲得している。(小森佳代子)

 丸本千尋「漁港」文部科学大臣賞。穏やかな漁港の情景である。全体は淡いトーンでまとめられていて心地よい。一隻の船が港に入ってきた時の水の動きや波紋が墨の濃淡で丁寧に表現されている。水や風、船のたてる様々な音が聞こえてくるようだ。自然と人間の営みが織りなす、人々の記憶に残る風景が現出しているかのようである。(小森佳代子)

 出店康子「思い出のブレーメン」。雲や山の情景を抽象絵画のように表現し、手前に擬人化したかのように大きな裸木を配してインパクトのある表現となっている「清澄」、そして掲出した、ドイツの古城に向かう森を描いた作品、いずれも出店らしい感性と、柔らかさによる表現で感心した。独特のセンスだと思う。森の奥に向かって迷宮入りするかのような趣、どこか妖しげな空気感と不思議なイメージが表れている。一本だけ白く光ったような木がある。自身を仮託した姿なのか、見る者のイメージを引き寄せる力がある。不思議な物語を見ているような面白さがある。(小森佳代子)

 渡辺礼子「雪樹」東京都知事賞。大きな樹木にすっかり雪が被っている情景である。新雪なのか、全体が明るく、柔らかな表現でまとめられていて好感を持つ。以前雪と川の雪解けの景色を表現した時もそうであったが、渡辺らしい、軽みと清涼感のある風景は独特だと思う。統一されたトーンが作品の中に息づいている。(小森佳代子)

2室

 原田政志「蔵王連峰」。雄大な雪山を遠景に描き、スケール感を湛えている。静かに聳えるその山は明るい。手前に点景として入れられている樹木と、描き込みすぎないように表現された独特の山の稜線の表現が生き生きとしている。(小森佳代子)

 田口茂子「六月のマチガ沢」。雪解けの季節の谷川岳の風景である。モコモコとした木々の表現、斜面のリズム、そして画面全体のまとまりがよい。見ていてイメージが活性化される。不思議な心象風景を見ているかのようである。これまでの田口の作品の中で佳境であると思う。(小森佳代子)

 神取承子「八幡平早春」。穏やかな八幡平の雪景色である。これまでの神取の印象と全く異なった墨遣いである。墨の色も美しく、それがこの穏やかな情景によく合っている。画面奥の煙って霞んだ部分の妙、単調に陥りがちな手前の平原の表現、いずれも進境だと思う。(小森佳代子)

 清水公子「秋霧の唐松林」遙玄水墨画協会賞。手前の様々な色を重ねて深い味わいを湛えている唐松林が凜とした佇まいである。画面向こうの山との呼応が美しい。独特のリズムとトーンによって詩情が生まれている。(小森佳代子)

3室

 川西重治「初夏」。画面の隅々まで全てのフォルムにドラマがある。韻を踏むように表現された木々、そのところどころには家が覗き、空にはたなびく雲、明るい光を浴びて眩しく光る田んぼなど、いずれにも見どころがある。また独特のリズム感を湛えているところにも感心した。(小森佳代子)

 萩生田慧美子「嵐のあと」。厳しい雪山と樹木を描いた「間」も幻想的で魅力があるが、掲出した渓流の姿を描いた作品が力強い。画家独特の感覚が、画面の中で生き生きとしている。自然に耳を傾け素直に表現した水や木は、不思議な親和力を湛えている。(小森佳代子)

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